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今日は久し振りに朝から快晴、部屋の窓から外を見ると丹沢山塊がくっきりと見える。関東平野360度に広がる山々を俯瞰できた我が家も40年近く経つとマンションに囲まれ、その隙間隙間に山稜が望めるだけになった。丹沢の最高峰は蛭が岳、その左のやや鋭い峰は丹沢山、塔が岳や大山は左のマンションに隠れてしまった。そんなわけでルーフバルコニーで出てみると右に最近出来たマンションの上に丹沢山塊に続く富士山の裾が下まで真っ白で、中腹の大室火口辺りまで見える。何十回くり返しても我が家の富士の景観がこのマンションに盗まれたのは残念である。そこで寒い廊下に出て何軒かのドアを過ぎ富士の全貌が収まるところまで行ってきた。10年位前にカシミールのソフトを使っていたがOSやPCの駆動ビット数が変わったりで使えなくなり数年間使っていなかった。最近ネットで購入するとすごく安いので登録してみた。これが楽しくてここ数日は毎日多くの時間を費やしている。そこで今日は我が家にスカイツリーがあったと仮定して、我が家の上空634mからの関東の山影を網羅してみた。ただしあまり領域を広げると処理時間が長くなってしまうので120km圏内の山だけを描き、見やすくするために山の標高は2倍に拡大して描き出してみた。下は三つ峠山から大菩薩嶺のかけての峰々。下は大菩薩嶺に始まり奥多摩の山々から秩父山脈をバックに雲取山両神山、秩父の名山(?)武甲山を経て最後に「浅間隠山」の名がある。江戸(訂正、中之条から)から見るとこの山が浅間山を隠してしまうのでこの名があるという。下の絵濃淡に少し見える独立峰が笠山である。そしてさらに下の三枚の写真に見られる両神山、武甲山へと続く。 遠くの山は省略されているが、カシバードをさらに北に振ると榛名山、赤城山(下のパノラマ絵では地蔵岳、黒桧山と記されている。赤城山は全体の名で赤城山という山はない)を経て日光白根山、さらに円錐形の男体山を囲んで大真名子山などに日光連山が見える。白根・男体の山々は朝の山影や夕刻の姿は同じく廊下に出るとよく見えるが今日は雲がかかって写真には写らない。カシミールを使ってカシバードと称する3D図を作るにはデータを採用する範囲、レンズ諸点、フォーカス距離などいろいろ慣れなければならない点は多いが本当に素晴らしく楽しいアプリケーションである。今回のような使い方はやや強引な使い方で普通50キロ圏内の鳥瞰図を作ると迫力のある美しい絵ができる。かってスイスアルプス・ユングフラウの地図が素晴らしく美しく愛好家の必携品であったが、今やカシバードで簡単に作れるのは嬉しい。
2016.12.28
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今日は冬至でテレビでは各地の温泉の「ゆず湯」が紹介されている。冬至の日の写真が保証されていないので昨日のブログに2日前の日没写真を掲載した。案の定、今日の冬至日の日没写真は下のようで全くさえないものである。 16.17 16.25 16.27全くさえない代物であるが冬至の日没には違いないので一応記録しておくことにする。パソコンを開くとYahooの今日の読売新聞の写真が転載されている。タイトルは「 日本で一番長い影」。634メートルのスカイツリーの影は1.5キロのに及ぶそうだ。確かに墨田区に発し、隅田川を横切り、台東区の深部に達している。ただこの影、朝の8時44分ヘリコプターからの映像だそうで日の出時や日没時にはこれよりはるかに長くなるのだろう。だがちょっと変な気がする。我々が見ている地域は地球全体から見ると点のようなものであるから、平面と考えると太陽がが地平線に沈むときには確実に高度634メートルを通る。この時東京ツリーの影は無限遠になるだろう。したがってある時刻での日本一長い影、というのが正しい。勿論新聞の報道に文句をつける気など毛頭ない。法律の解釈などではいつもこのような矛盾を承知で現実に照らし合わせて解釈しているのだろう。「丸い卵も切りようで四角、物も言いようで角が立つ」とはよく言ったものだ。いずれにしても今年もいろいろ考えさせられた冬至である。明日からは光の春、日も長くなり楽しみも増える。まずは今とれたての映像をもとに一編をでっちあげてみた。(17.45)
2016.12.21
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昨日のブログで師走の夕景色を記したが、思い出したのはあと2日で冬至だということである。調べてみると冬至とは太陽が赤道面から一番遠くになる時間(至天)でそれが起こる日を冬至というらしい。そうすると太陽が一番南に沈む日と考えてよさそうである。2日後の日没時が晴天とは限らない、さらに晴れていても山際に大きな雲がかかっていれば日没は拝めない。そう思うと自然にカメラを持ち出していた。やっと間に合って沈む太陽を拝むことが得来た。この日の太陽は丹沢山塊の東の端に沈んでゆく。写真一番左の山は丹沢山塊の最高峰蛭が岳である。太陽の中の右側の山は大室山となる。そしてその大室山の右側、マンションのベランダの辺りの立ち上がりが富士山の裾野である。少し位置を変えるともう少し見えるが現在の我が家からの富士はここまでになった。昨日は雲の形が単純で感動するような場面ではなかったが、普段は逆で山際に雲があって山陰に入る夕日が見える日は少ない。この日は逆で山際がはっきりとして高空の雲が黄金色に染まっていた。夕焼けの中小さな黒い点は飛行機の機影である。常に動きがある雲影で、数分経つと丹沢山塊よりも手前にあって低い高度に浮かぶ雲は光を失って浮き、黒い竜の飛翔のように速い速度で飛びだした。本来冬至の日没を記録すべきであるが、天候や雲の位置などから写真に納められる保証はないので冬至2日前(19日)の状況を記しておく。
2016.12.19
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師走に入り寒い日とあったかい日が繰り返されるようになって冬が本格的になった。紅葉の時期も終わり外出の機会がぐっと減りブログの材料がなく、しばらく何も書いていない。こんな時はやはり花や空といった自然が頼りである。冬になるといろんな星座あ惑星の動きを楽しむことができるので時々は夜空を眺めにルーフバルコニーに出てみる。先日のスーパームーンは厚い雲に覆われてどうしようもなかった。下は12月2日 マンションの廊下から撮った写真で冬の日没時の光景である。左に映ったマンションが建つまでは我が家のリビングルームから毎日この光景が眺められたのに今はサンダルを突っかけなければ見られなくなったのはの残念である。下の写真は12月12日の上弦の月と宵の明星金星のコラボレーション。口径の小さなデジカメで三脚も使わず手持ちで撮った写真としてはまずまずである。子供のころ鎮守の境内で鬼ごっこで遊び疲れ、一番星見つけたと叫びながら寒風の中我が家へと急いだのはもう70年以上も前のことである。そんな時よく流れ星を見たがそれは流星群ではなく単発で大きく長く流れるものであった。そんな時は何処かの誰かが亡くなって天に行ったんだと思い込んでいた。iPadに星座のアプリを入れているが毎日のようにメッセージが入り今月はやけに流星群のお知らせが多かった気がする。先週はふたご座流星群のピーク、今日は髪の毛座流星群のピークだそうだ。そうはいっても高山の天文台にいるわけでもなく、一分間に何十個などと新聞が騒ぐ時でも1,2個観測できれば大満足である。流星は星ではなく小さな宇宙塵が地球の大気圏に突入する時発する光であることを知ったのはずいぶん後の話である。大きな塵である小宇宙塊が燃え尽きずに地表にたどり着いたのが隕石である。そんな大きな浮遊塊の一つである宇宙飛行士を乗せた帰還船も流星の一つといえる。下の写真は12月9日の日没時刻の写真。このころになると我が家から見る日没は太陽が富士山の南麓をかけ下り丹沢連峰にかかってくる。丹沢の上に架かる雲はいつも没する太陽の投影幕となって美しい光のショウを演じてくれる。ちょっと目を離すと雲のスクリーンは形や色調を変えながらも黄金の色を輝かせる。雲も太陽も常に動いておりこの時期午後4時半はショウタイムである。
2016.12.19
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先週末から今週初めにかけて小春日和を思わせる(もう旧暦十月も過ぎたので)うらうらした天気模様であった。私は全く趣味ではないが相棒は無類のイルミネーション好きでこの時期になると落ち着かない。一方寒さは嫌いなので年末から先は出かけずイルミネーション見物は今しかない。夜の老女の一人歩きも気になるのでくっついてゆく羽目に相成る。実をいうと先週相模湖まで出かけたのに途中で体調を悪くしてすごすごと帰ってきた。そこで今度は我が家からアクセスしやすい西武園遊園地に行ってきた。とは言っても夜遊びとは程遠い、日没を待ちかねての入場と1時間ちょっとの見物である。無人の西武球場で電車を乗り換えて遊園地に向かった。遊園地という名も懐かしいがこの電車も昔は無天蓋のおとぎ電車であったものが今はたまに通勤客もいるらしい雰囲気である。20分くらい待って10人余りの乗客を乗せて走った。駅から直結のエントランスゲートの向こうに明るい樹木照明が見える。通路下の谷間にはワイングラスがずらりと並んでいる。さらにおびただしい数のELで照明された光のトンネルに入る。このトンネルの中から上を見ると観覧車の円が空に浮かんで見える。なにしろここはELイルミネーションの灯り以外低い位置の街路灯位しかなくあたりの上空は漆黒の世界である。その漆黒の中に広い平地とその後方に備えられた巨大なスクリーン上でグランドシアターとなずけた光のショウが行われている。海に見立てた広場には水が張られているらしくそこから吹き出る雲のような水滴にレーザー光でマッピング投影する仕組みである。暗闇に浮かぶ観覧車は中心の骨組みが全く見えず空中に浮かぶリングはいい趣向である。ジャイロと称する回転しながら塔の上から落下する乗り物も暗闇の中に浮かんでいる。二つのゲートを結ぶ回廊も売店街ではなくさみしいが落ち着いている。園内には紅葉したモミジも多くあると思われるが照明で照らすこともないのでわからない。やや明るい場所で一本の広葉樹を見つけた。この時期遊園地の紅葉で照明されていないのも珍しいが紅葉は1,2週間でイルミネーションは3月まで続くのだからそんな手間暇と費用をかけていられないのだろう。夜紅葉を見ようなどと言う老人が来るところでもないので仕方のないことであろう。私個人としては煌々と照明せず漆黒の中のイルミネーションはその規模も併せてどちらかと言えば好もしいイルミネーションだと思った。
2016.12.10
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先週末に続いて今週初めもまだ暖かい日が続いている。日曜日の「光が丘公園」に続いて月曜日にも行き遅れた秋を探しに近隣の石神井公園周辺に出かけた。公園の池の手前に近年整備された小さな池と樹林があるので寄ってみた。池の周りの紅葉が最後の色華を競っていた。池面に映る紅も美しいが季節はもう初冬、水面に浮かぶ落ち葉の面積が多すぎて興ざめである。池の向こう側に道場寺と三宝寺が並び立っている。2寺とも美しいモミジがあり例年晩秋には美しい色付きを見せてくれるので今年も訪ねてみた。道場寺の山門脇に案内板があり、この伽藍は日本の古典建築様式を網羅して建てたと記されている。山門は簡素な室町様式、本堂は奈良の唐招提寺金堂を模した天平様式とあるが、特徴的な屋根の飾り(シビ)を撮り損じたのは残念である。左手にある三重塔は鎌倉様式、そして右手の鐘楼は安土桃山様式とある。極め付きは客殿で京都の桂離宮を模して造られた江戸様式と説明されている。桂離宮は実物を見たことがないが写真で見るそれはこんなもんじゃないという気がするがどうだろうか。いずれにしても奈良、室町、鎌倉、安土桃山、江戸と、それぞれの時代の寺院建築がうかがえるのは嬉しい。上に記した道場寺が禅宗の学問場・修行道場だったのに対して隣にある三宝寺はここに居城し太田道灌に滅ぼされた豊島氏の菩提寺であり真言宗の寺である。前者が鎌倉時代の簡素な造りに対し、三宝寺は大げさな造りの建築で本堂、山門、鐘楼といずれも彫刻を掲げた装飾的建築である。本堂屋根の上部には丸い輪郭に三つ葉葵の紋章が刻まれており、ここが徳川幕府の庇護を受けていたことを示している。かなりな寺格と下賜金が贈られたようである。こんなところに何でと思うが、かっては将軍の鷹狩りの際の休憩所や準備の役人の宿舎に使われたのであろう。鷹狩と言ってもそれは軍事演習を兼ねており、いわばその際の本陣(軍司令本部)のような役目があったのであろうか。当時とすれば武蔵野国の外れ、いわば辺境の地であるがそれにしては造りや装飾は立派である。帰りに三宝字池に立ち寄ってみると、せわしなく動き回るカモの隣にアオサギが一匹プラスチック製かと思わせる完全静止で立っている。じっと眺めていると視線を変えただけでまた動かなくなった。まるでモンパルナスの丘や上野公園で見た白塗りの人物のパフォーマンスの様であった。さらにその手前の石神井池の周りには最近目立つようになった植物の白い穂がきれいであった。南米のパンパスグラスよりは少し小さく普通のススキよりはかなり大きい気がする。この時期白い穂がすっきり立っているのでススキでないことは確かである。さらに我が家の近くまで来た時、この時期まだ咲き残っている皇帝ダリアがあった。花は見事であるが1年に2メートル近く伸び、花の位置が高く庭木に適さないのが残念である。さらに我が家の最寄り駅周辺は高架になっているので側道と合わせて直線道路と線路の防音壁が何百メートルも続いている。人通りもほとんどない直線でまるで遠近法を使った舞台の背景みたいである。
2016.12.09
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光が丘公園を散歩しての帰路、徒歩数分のところにある旧植物園を訪れた。ここは前回のブログで記した廃熱利用システムで熱帯植物園を運営していた。しかし東北大震災を経て再点検した結果、温室の耐震性が不足するということで廃園にしてしまった。鉄柱とガラスだけの建造物なので補強するのはもっとも簡単に見えるが区は廃園にしてしまった。何か裏に事情があるのだろうかとうがってみたい気分である。ただ跡地はバラ園になったので少しは救われる気分である。バラ園に隣接してメタセコイアの大木に囲まれたフランス式庭園(?)というのがある。周りは14,5階建ての中層マンションに囲まれているが10階にも及ぶのではないかと思われる高いメタセコイヤの林のおかげでアパートは全く気にならない。 噴水もない潤いのない庭園であるがフランス式と言うだけあって左右の対称性はよく守られている。コンクリートの打ちっぱなしで、とても宮殿には見えないが全体を蔦で覆えばローマ風の廃墟には見えるかもしれない。ぜひそうしてもらいたいものである。隣のバラ園には予期に反してまだ秋咲きのバラがまだ結構咲き残っていた。特に新しくできた元温室部分のバラ園には香りのするバラが多く植えられており、この時期でも所々に置かれた鉢の中には匂いバラの花びらが浸けられており自由に嗅ぐことができる。旧来からあるバラ園の方にもまだまだたくさんのバラが咲いている。ここも一本ごとに名前が記されている、バラに特有のロマンチックな名前が付けられており名前との関連を連想することが楽しめる場でもある。さすがに秋のバラは初夏のそれのように大輪という訳にはゆかないが、それでも頑張ってかなり大きくなったものもある。紅葉の時季も過ぎたというのに花をつけている幹はまだ生き生きとして葉を付けていた。それにしてもこんなに頑張っているのにそれをめでる人が見られない。可哀そうなバラたちである。
2016.12.08
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先々週来の大寒波で外出を控えていたがここ数日は暖かく、今のうちに近場の秋を見ておかねばと区内の光が丘公園に出かけてみた。あたかも遠近法で描いた絵画のような直線は好きで毎年訪れるところである。銀杏並木ももうほとんど落葉していてみじめな姿であった。そう言えば数日前近所の方から実家で採れた銀杏ですと言って頂いたのを味わったばかりである。実を賞味した後で紅葉を見るというのもやはり順序が逆なよううである。銀杏並木を抜けるとごみ焼却炉の高い煙突が見える。巨大団地のごみを処理し排熱で地域暖房をしたり給湯をしたりしているそうだ。商業施設を通り抜けると武蔵野を復元した深い森に囲まれた広場にでる。抜けるような青空と小気味よい秋風に誘われて多くの人が散歩に出ている。ところどころに植えられた紅葉が最後の気力を振り絞って、それぞれ持ち分の色を染めて秋の最期を彩っている。人間の皮膚にもいろいろあるように紅葉にもいろいろな色がある。なにも赤ばかりが紅葉色ではない、それぞれに頑張っている紅葉の木に礼を言わねばと思う。
2016.12.07
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品川駅前にはプリンスホテル群が庭園を中心にして群立している。ランチを済ませ庭の探索も終わったので、ついでにホテルも探索することにした。2,30年前に結婚式の客で来たことはあるが、それ以降はリフォームもされたことだろうし見当がつかなかった。一番大規模なプリンスホテル新高輪はロビーや通路も大きくて威圧感がある。陸上競技のトラックを思わせる長い絨毯と灯りがみな提灯風の凝ったもので印象的である。そして壁はいたるところ組み木模様で統一されている。壁面内装は立体的でなかなか見ごたえのある白木の組み木模様である。ラウンジバーの上部も同じ白木の組木模様で一寸しゃれている。なかなか高級感のある内装であるが、こんな大規模なホテルでこれだけ凝れば利用料もそれなりになるのであろう、いずれにしても私にはもうあまり縁のない世界である。一流ホテルでもロビーがすぐ有料ラウンジになっているところが多い中、ここは見て歩くのは無料である。いい季節に庭園を見せてもらってソファに座るのはいいことかもしれない。最後に庭を横切って一番最初にできたプリンスホテル高輪に寄ってみた。ここは人も少なく落ち着いた感じのホテルで、つい最近リフォームしたとかで清潔感いっぱいのホテルである。下の写真はロビーから庭園に通じる出口のホールで簡素な垢抜けした感じである。古い造りなのでインテリア改造にも限界があるのだろうが隣のホテルに比べてしっとり感は出せている。庭園も身近に感じられ、もし泊るとすればこちらが私の好みである。
2016.12.06
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ホテルでのランチ券が転がり込んで好天に恵まれた日、暇人が品川に繰り出すことになった。地図を見ると品川駅前にはプリンスと名の付くホテルが小さな庭園を囲んで隣接している。今まで品川を散策したという記憶はない、そこで昔の地図を見ると今の駅の西側は切り立った丘で、駅から東は海だったことが分かる。そういえばこの辺の地名には八ツ山、御殿山とか芝浦、港南などと言う山や海にちなんだものがある。そして明治時代の地図を見ると品川駅の場所は明らかに海上に作られた線路に品川駅を作るために造成された場所であることが分かる。この崖を削って品川沖に一列に人工砲台島を作ったことは有名な話である。駅のすぐ前にこんな坂道があったりする。海に面した丘と言えば海運に適しているため神戸、横浜、長崎など皆港町として発展している。品川は江戸時代は大名の下屋敷が多く、明治に入ると大名から召し上げた土地に武田の宮、北白川の宮などの宮家の邸宅が並んでいた。戦後没落したこれらの邸宅は多く名旅館やホテルに変身している。品川駅前のプリンスホテル群も例に漏れない。ホテル群に囲まれた庭園も大名の屋敷かと思ったがここは最初のプリンスホテル高輪が開業した時の新しい造園だそうだ。ブログを書く計画がなくカメラを持たずに出かけたが、12月1日は都内の庭園にとって紅葉の旬なのかもしれないと思い、暗い液晶のいわゆるガラパゴス携帯で撮った。写真はとてもひどいものであるが雰囲気を伝えるために記録しておくことにした。モミジの下に門が見えるがこれは芝増上寺にあった徳川将軍家の墓所から移転したものだとか。写真隅っこの家はつぶれかけた小屋にしか見えないが風流人には優雅なものであろう、茶室は黄色モミジの下にうずまっている。鐘楼も奈良市の寺から移築したという、そして今も毎日夏は夕刻5時に冬は4時に10回この鐘が突かれているそうである。庭園周りのプリンホテル宿泊者には古都の鐘の音がこの都会のど真ん中で聞けるというのも一興であろう。今はツワブキの黄花しか見当たらない橋の周りもアヤメやショウブの季節はさぞ優雅であろう。橋の上の池には一見して高価そうな錦鯉が悠然と浮かび外国人が好んで写真に収めている。緑深い庭園に置かれた多宝塔はいつもしっくりしない感じがするが紅葉の季節は色の対比が良い。駅に近い車寄せに通じるアプローチの上はほど良いモミジの色具合である。品川駅に通じる通りに出てみるとやはり並木のイチョウが今紅葉の旬である。
2016.12.03
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