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前ブログでNHKのドキュメンタリ番組《旅をする本》と星野道夫さんの随筆集《旅をする木》について記した。ドキュメンタリーの内容については[パンテオンの穴]さんのブログに詳しいので詳細は避けるが、概要は以下の通りである。あるバックパッカーの旅人がこの本を旅の友としてヨーロッパに出かける、そこで本の表題《旅をする木》に一本の横棒を加筆して《旅をする本》として中表紙の裏に「この本に旅をさせてやってください」と記し、スペインで見知らぬ人に託した。その本はそれから裏表紙に署名した4人の旅人と行動を共にして、バンコクの古本屋の棚で眠っていた。一人の日本人青年がこの中書きに気がついて購入し、友人の女性生態科学者に贈った。彼女は2度に亘る南極での生態調査に赴いた時この本を携帯して愛読した。次の所有者はかってカメラマンとして参加したヒマラヤ遠征で8人のパーティーの内のただ一人の生存者で後に南極調査隊に加わった人に渡った。結局この本は2度南極大陸への旅をすることになる。そして最後に持っていたのは北極冒険家・荻田泰永さん。荻田さんは去年までに2度徒歩による北極点への単独行を試みている。今年第3回目の北極圏への無補給単独行をして1週間前に帰国したばかりである。自分でソリを引くため1gでも荷物の重量をそぎ落とす冒険時に《旅をする本》は北極圏を2回旅している。しかし、いずれ語られるであろうが今年の3度目の北極行には携行しなかったようである。そして今誰の手にあるかも公表されていない。今は多分現在は誰かの旅の伴侶として持ち主を励まし続けているのだろう。家族性難病遺伝子の潜在保有者で生きることの意味を探していた女性科学者、ヒマラヤで自分の目前で谷底に滑落してゆく山仲間を失い、その喪失感から生きる気持ちを失っていた登山家がこの本に勇気づけられ南極調査隊の補助役に励むことなど、極限に挑む人達のお守りでもあった。 この本は既に12万km、地球3週分を旅してきた。もともと文庫本であり、本棚で眠っていたのはバンコックの古本屋での短い期間で、旅行中は人の荷物に紛れ込んでいたりジーンズのポケットで汗まみれになったり、羽毛服のポケットで氷点下数十度の酷寒に震えたことであろう。表紙の痛みもかなりであるがまだまだ地球何周か分はは持ちこたえそうである。ひょっとしたら近い将来宇宙旅行に旅立とことがあるかもそれない。 私の《旅をする本》はもう海外旅行も無理になった80歳を目前にして初めて手にした一冊である。本文の一冊と同一視するのは身の上知らずで失礼である。これからは国内の小さな旅に携行し車中や機中で読み返し、残り少ない我が人生の価値観の秤としてゆくこととしよう。
2016.05.30
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アラスカから感動的な白銀の世界やそこに生きる動物、人間の写真を届けてくれた星野道夫さんが取材中ホッキョクグマに襲われて逝ってしまってからちょうど20年という歳月が過ぎてしまった。もっとも星野さんによればこの世には時計が刻む時間と自然や宇宙の刻む悠久の時間という二つの時間があって、人間を含め凡ゆる自然体はこの二つの時制を行ったり来たりする時間の旅をしなければ豊かな生を生きたことにはならない。先に記した20年とは時計の刻む時間なのでもう一つの時制では瞬きする瞬間の10のマイナス何10乗倍かの瞬間に過ぎない。 先々週のNHKテレビドキュメンタリーで星野さんの著書《旅をする木》にまつわるこれ以上ない逸話を知り、何軒かの本屋を回ってこの本を買い求めた。ここ数年間ジャンルごとに整理して書籍を処分してきたので、今更普通版の本は敬遠してポケットにも馴染む文庫本を探した。というよりもここは文庫本でなければ逸話が成立しないのである。手にしてみると文庫本の字体は老人には小さく机の上に置いておいた。実を言うとこの一週間テレビが壊れ、ネットのストリーミング・ラジオ放送でニュースを聞くだけの日々を送っている。この機を逃してはと2週間後には眼瞼下垂の手術をする目を酷使して読み始めると毎ページに心に響く心地よい文章が満ちている。星野さんの写真集は何度か見たことがあるがこんなに多くの著書があることは知らなかった。しかもそれが散文詩のような美しい文章である。この本には33篇の随筆が収められているが本のタイトルにもなった一篇がある。 《アラスカの森でトウヒの木に止まった小鳥がその種を落とす、やがてその種は 森の中で大木に成長するが、いつか森は川に侵食されて川岸に立ち、雪解け 水の洪水で流され、ユーコン川を旅して樹の生えないツンドラの海岸に流れ着く。 樹木など茂らないツンドラ地帯でそれは一つのランドマークとなる。北極狐がここ にマーキングをし、それを追ってイヌイットが罠を仕掛け、さらに持ち帰られた枯れ 木は暖炉の薪になり煙となって昇天する。そして姿を変えたトウヒの木はまた 新しい姿で新しい旅を始めるのであろう》 時計で測れないこの時間の旅は仏教でいう《輪廻》と同じ考えであろう。六趣輪廻とは《私達人間は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という6つの迷いの世界を行ったり来たりしている》というものであるが、《人間だけでなく生きとし生ける物は皆この輪廻の世界を旅している》と言うべきなのであろう。 実は冒頭で述べたNHKドキュメンタリーのタイトルは《旅をする木》ではなく《旅をする本》であった。私も早速一本横棒を加えて 《木》 を 《本》 にしてみた。もうこれから多くの旅も出来ないと思うが旅行をする時にはいつもポケットに偲ばせることにしたいと思っている。《旅をする本》の話は稿を改めて書くことにする。
2016.05.29
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前ブログで光が丘バラ園の全体像を記したが、このブログでは左耳と右耳の間がパイプで直結されていて風も情報もすぐ通り過ぎてゆく私のためにいろんなバラの名を順不同で記録しておくことにする。 アイスバーグ テキーラ 王朝 王朝 宴 ピエールドウロンサール ゴールドバニー サマースノー リナ マイガーデン ファースト.F.ルネッサンス ノヴァーリス ピンクダブルノックアウト伊豆の踊り子 バラ・ソリドール レッドデブル オーデュス ビアンブニュ かおりかざり イエライシャン(夜来香) しのぶれど ベラ・ドンナ シェエラザード ピンクアイスバーグ ミセス・ジョン・レイン アンリマルタン エンジェルハート アイヴァンホー 新種を開発し、あらん限りの知識を駆使してその想いを込めて命名するのだろうが あまりよくその意思が伝わらないことも多い。受け手の器量も問われるのだろう 私には到底無理なようだ。ひとつの花びらを前にしてその連想から数ページも 書けるようにならないと文章家にはなれないのだろう、いずれも私には縁のない 話である。 (写真を並列に表示するとエディターが使いこなせない、 見苦しい画面になるが今はこれが限界である。 勝手についてくる白や黒の円マークはなんなのだろう?)
2016.05.25
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いろいろあってここのところあまり外出していなかった、気が付いてみるともう5月も後少なくなっていた。つつじやフジも終ってバラももう盛りを過ぎたようである急いでで近くの光が丘バラ園に行ってきた。思ったいた通りバラは盛りを過ぎて人影もまばら、係りの人は来年に備えて剪定に忙しくしていた。そうはいってもまだまだ頑張っているバラも多くとなりあったハーブ園の香りと相まって芳香が漂っている。この日は暑い中バラ色で固めバラと競い合う心の持ち主もいる。良いことである。バラ園のとなりに昨年までは区立の熱帯植物園があったが今は取り壊されている。この巨大団地はゴミの焼却熱で地域暖房や熱帯植物園を運営していたが耐震度が足りないとかで温室は廃止になってしまった、残念なことである。その跡地に新たに《四季の香・ローズガーデン》というのが開園している。名前はすごいがそばに建つ小学校も《四季の香小学校》であるから少々名前負けしそうなバラ園である。まだ開園したばかりなので移植したバラも小株で豪華とは言えないがいろんなバラの品種が1株ずつ植えられ、名札があるので楽しめる。バラが小さいので隙間に珍しい季節の草花が植えられ、それにも名札が付されている。特に香りのあるバラが集められてブロックに分かれて集められている。《ダマスクの香りのバラ》 《スパイシーの香りのバラ》《ミルラの香りのバラ》 《フルーティーの香りおバラ》《ブルーの香りのバラ》 《ティーの香りのバラ》などと訳の分からない分類もあるが、その下に水鉢が置かれ花房を自由に嗅いで見られるようになっている。 初めてみる草花も多く、バラの季節以外にも結構楽しめるのではないかと期待がもてる。厶ラサキ科 アンチューサ(ドロップモア)ベロニカ (ウルスター ブルードワーフ)日本語では小さな花に翌《姫》の前置詞を付すがdwarfも小人とか一寸法師の意味なの同じ用法と思われるがこの花は結構大きくて目立つ出で立ちである。ウサギ君はベンチに固定されており、雨の日も風の日もお勤めのようである。 香る花といえばもう一つバラ園と道路を挟んで強い香りを放つ木がある《四季の香り公園》という植栽地があるので寄ってみた。別にいろいろな香木があるわけではなく2,3本の強い香りの木がある事を知っていたが今年も期待は裏切られなかった。それは《アカバナトウオガタマ》の木で《ポートワイン》の別名があるという。モクレン科でネットで調べるとバナナ臭がすると書いてあるが私にはやはりポートワインの香りが近いと思った。暑い花房は触るとすぐ落ちるがそれを紙に包んで持ち帰るとほとんど臭わなくなる。いろいろな香木があるがそのフレーバーは気品と深みを感じさせる一級品である。
2016.05.24
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時の栖には静岡出身の彫刻家前島秀章の作品を集めた美術館がある。大小いろいろな木彫りは心なごむものばかりである。毎年のようにブログに紹介しているが大木の船に乗った大小いろいろな動物たち、人間たち、神仏たちはノアの箱舟を彷彿とさせるものである。巨木の洞は美術館と自然の図鑑や童話を集めた図書館との間の通路にもなっている。図書館の中も巨木の幹が据えられ小枝の枝の生え際などに小動物の彫刻が止まっている。美術館の横の桜通りは葉桜のトンネルである。木の下の植え込み歩きながら気が付いたのは富士山ナンバーの車が多いことだ。最近はこんな素敵なナンバープレートが出来たようである、昔からあったのかもしれないが今まで気が付かなかった。そう言えば正式の行政地名のほかに関東では人気の湘南ナンバーができたのは大分前の話である。富士山ナンバーもこの時出来たのだろう。桜並木の樹間からも優美な対称形の富士の姿がばっちり。すぐ横にある数百年も続くという氏神様の杉木立からもばっちり富士の里と麗姿が。今年の合宿も無事終わり帰路に就いたが御殿場駅前には大きな機関車が展示されている。いままで10回以上も御殿場駅を利用しているがいつも裏側の「乙女口」を利用していたため表の「富士山口」にこんな大きな展示物があることに気が付かなかった。D52型の機関車で国内最大級のものらしい。有名なD51を改良してボイラー部を継ぎ足して大きくしてパワーアップを図ったらしい。戦時中貨物輸送のため東海道や北海道で働いたとか、戦時中船は徴用されて貨物運搬を担えず急いでこの型を作ったが材料不足で不良品も多く変形品があったり度々事故があったりしたそうである。御殿場線は丹那トンネルができるまでの東海道本線で急勾配が多かった。そんな御殿場線で貨物車を引っ張れる機関車には馬力が必要でD52が活躍したのが今この展示につながっているという。
2016.05.11
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時の栖には昨年から金魚水族館ができていろいろな金魚が展示されている。ディスプレイが綺麗で壁の展示槽など大きなブローチのようである。鶴のように頭が赤い《丹頂》、丹とは硫化水銀の丹砂のことで赤い顔料である。頭が赤いので鶴もこの名がある。それにしても頭の赤、胴体の白と正しく丹頂鶴と同じ姿である。頭に大きな水泡がある《水泡眼》、頭のコブはリンパ液で満たされており一度壊れると再生しないそうだ。《江戸錦>こんな模様の大型鯉はよく見かける。《出目金》大きな目玉が重そう。熱帯魚と金魚のコラボだろうか。クラゲも少し展示されていて照明が素晴らしくなんとも美しい。多くの水槽は皆透き通った清潔な水で満たされている。係員は常に細かな網で糞の掃除に余念がない。天井からは和紙でつくっか金魚型飾りがぶら下がっている。昨年来た時には大型のものが外の通りにも吊るされていたが多分風雨で壊れたのであろう。去年見たときには出来の悪い紙細工くらいしか思わなかったがひょんなことからこれが山口県柳井市の名物であることを知った。帰郷した翌日たまたまかけたテレビに昔のサスペンスドラマが放映されていて柳井の光景が映し出された。当市では金魚祭りもあり、大きなハリボテの紙製金魚の山車が街を練り歩くとのこと。その祭りの光景も放映されていたが写真を撮り損ねた。下の写真は次のシーンで我が家のテレビ画面の写真である。そしてさらに思い出したのは弘前の《ねぷた館》にもたくさん吊るされていたことである。弘前では《金魚ねぷた》は工芸品としても盛んで《ねぷた》の起源とも言われているらしい。どうもこちらが元祖で柳井からの旅人が弘前のそれからヒントを得て柳井名物に仕立て上げたものらしい。 遥か昔の津軽への旅、時の栖の金魚水族館、テレビのサスペンドドラマ(柳井の金魚シンボル)と落語の三題噺のような組み合わせに悦に入ってしまった。
2016.05.10
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スカイウオークを往復して帰ると駐車場の横に小さな屋外エスカレーターがあり明るいドーム状の屋根があるので入ってみると中は蔓性の花の大きなハンギングフラワーでいっぱいだった。中央に真っ赤なポルシェが一台、あとは花だけの空間である。特に高価な花があるわけではないが心が花やぐ空間である。帰りは久しぶりなので三島の街に出て「うなよし」でうなぎを食べようということになった。この店は以前家族合宿の待ち合わせ場所として何度が利用したことがある。ウナギの本場の元祖店であるが町の中心から離れておりしばらく待てばうな丼にありつけるだろうと考えたが考えが甘かった。1時間半ほど店外に並んでやっと席に就けた。味はさすがで外で待った甲斐があったというものである。2時半に店を出るときにはもう駐車場の入り口に「本日売り切れ」の大きな立看板が置いてあった。 ホテルに帰ってみるとロビーではロボットが子供相手にいろいろなしぐさや言葉で歓迎の接待をしていた。意思の疎通にはタブレットが必要でハンディキャップのある人と会話をしている気分である。ウナギ屋での日向下での待ち疲れのためホテルに帰ってすぐ昼寝にかかった。目を覚ますと少しだけ開けておいたカーテンの隙間から網戸越しに夕日を浴びた富士山が目に入った。こうして居ながらにして眺める富士の全貌は美しい。世界中に富士山型の火山噴火でできた山はいくらでもあるが富士山が美しいと感じるのはすそ野の広がりにあるという。なんでもこれはマグマの性質が関係するという。粘度が低く流動性の大きなマグマでないとこの美しい形ができないという。そういえば昔インドネシアに行った時感じたことであるが、確かに多くの富士山型の山はみな鋭利な形をしていて物足りなかったことを思い出す。鋭利な形がスカート姿の女性とすれば富士山型は長い裾のドレス姿あろう。前夜は激しい雷雨に見舞われたがこの日は朝から抜けるような青空であった。カーテンを開いて窓いっぱいに広がる富士山への雲のかかり具合から翌日も好転が保証されているようであった。
2016.05.09
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家族合宿の宿舎・時之栖は御殿場の三島側にある。昨年末国道一号線(旧東海道)の三島と箱根峠の間に新しい観光スポット「三島スカイウォーク」ができたので訪ねてみた。東海道は小田原から天下の険・箱根を越え箱根峠から三島に通じていた。途中にある「山中城」の下のクネクネした東海道が巾着形に迂回しながら谷を越えていた所を巾着の紐の部分に400m・ワンスパンの吊り橋をかけて深い谷をまたぐ歩道橋を作った。400mを一対のワイヤで吊るした歩道橋は写真に見られるように揺れ防止のワイヤーが張られているが谷間を吹き上げる風にあおられかなり激しく揺れる。手すりにつかまり下を覗くと文字通り千尋の谷前を見ると常に霊峰富士の姿。完全な人工的観光スポットであるがスリル万点である。入口で老女が「揺れますか」と警備の人に聞いている、「吊り橋ですから揺れるように設計されています」との答え。確かに吊り橋は典型的な《ソフト構造》である。剛直に作ったらすぐ壊れてしまうだろう、素直な答えである。老女は逡巡していたが、やがて孫に手を取られ決心したようである。橋の中央部には大きな金具が取り付けられ縦方向の波打ち振動も防止されている。橋を吊っているワイヤの振動防止はこれだけである。それにしても景色を見るだけのためによくもこんな大掛かりなものを作ったものである。確かに面白かったが渡っているとき震度の大きな地震が来たら橋は波打ち、ゴムひものように揺れるだろう。たぶんバンジージャンプのほうがはるかに安心感があるだろう。対岸が近づき揺れがなくなると大きな安心感が沸き上がるのを覚えた。 もし江戸時代にこの橋が出現したら東海道を旅する人の何人が渡る勇気を持つだろうか、ずいぶん大きくショートカットすることにはなるのだが? 余談であるがすぐ先にある山中城址公園は秀吉の小田原攻めに備えて北条氏が小田原の防衛砦として補強している最中に豊臣秀次の7万の軍勢に攻められた。4千の城兵ではいかんともし難くわずか半日の戦で落城した城である。
2016.05.06
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今年の連休も恒例の家族合宿に行くことができた。場所もここ数年同じ御殿場・時の栖である。現地集合後昼食を済ませてチェックイン、腹ごなしに園内の丘・面白山に登る。沿道はぎっしりと地蔵が立っている。みな童子の顔立ちである。無数のお地蔵さんにはそれぞれ個人の名前がついている。願いを込めて個人が寄付しているようだ。阿吽の仁王像も立っていて邪気を追い返している。いろんな様式の灯篭も立っている。頂上広場にはハンカチの木が何本か有り、真っ白い布のような葉っぱがたくさんぶら下がっている。孫たちはこれがなぜハンカチの木と呼ばれるのか理解できないみたいである。考えてみれば真っ白いハンカチなど持ったことがないのであろう。私たちの子供の頃はハンカチといえば白しか考えられなかったものである。そして当然ながら富士山はいつも真正面にどかっと座っている裾を引く富士山も良いが雲のスカートを身に着けたのもいい。翌朝は雲一つなく宝永火口を正面にしてこの角度から見る富士山が駿河側からは一番整った姿であろう。昨年は天気が悪く3日間一度も富士を拝めなかったが今年は3日間とも快晴で機嫌よく秀麗な姿を見せてくれた。
2016.05.06
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