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という相談がありました、それが幼児だとします。大きくなるとまた、回答が違うこともあるでしょうから。なるほど。そういう状況がおありなんですね。それで、遊ぼう、って言うのにまた嫌だ、って言われた。のであれば、おそらく問題は社交的ではない、というのは確かにそうなんですが仲間外れにされるときに、またダメだった、と心が引きこもるような止まるような感じもあるんです。それがいじける癖になりやすくて、そちらのいじけるほうが、友達を作りにくくする原因なので、それは寂しかったね、つまらなかったね、と受け止めてあげてください。つまり寂しいなあ、から、駄目なんだ、ああまただめ、というように何かを予測して引きこもる癖ですね、心理的な。それを穏やかにクリアーにするために、要は、寂しかった、つまらなかった、が受け止められて早く消化ができ、その先にその子から出てくる力がありますから、受け止めます。お母様に話せるだけよい状況です、子供達同士はどうしても遊んであげないよ、というようなことはしあう時期があってされることはあります。私もされたことがあります、うえーんとなりましたし。でも親になんてとてもとても、話せない方もたくさんおられますから。投影をしない、というのは、これは寂しくて大変なことなんだと親が感じ取るとそうなるので、さらに親が大騒ぎをしてあなたはどうしてそうなの、というように戦いを強要したりするとその子にそれが合っていない方法であれば負担になるので(合っていればもちろん問題はありませんが)そちらのほうでその子は、生涯、大変なことが起きていると動揺をするようになります。そうではなく、そういうことがあって寂しかったんだね、その気持ちはあっても大丈夫だ、そういうこともあるよね、とそれは十分に受け止めてあげることとその気持ちと事実の大きさとを結びつけないで、落ち着いていることです。逆のようなのですが、その気持ちはあって大丈夫、と受け入れてあげたほうが、長い目で見るとその子から力は引きだしやすいです。それと上のお嬢さんですが、それを話すのであればあなたに甘えたい気持ちもあるのかもしれません。ただ甘えているのであればそれを受け入れればいいしまだ何かが残っているのであれば、その子自身がそれらの問題を解決する必要があることを知りつつ、それがつらかったのは分かるけれど、自分の中で整理をしていく必要があるしそれがしにくければ助ける、という姿勢でよいのではないかと。等が必要です。時に、親が自分の問題に対して悪いなと思い過ぎるとその子は、なかなか自分で解消をしようとしなくなることもあります。
2012.09.27
問題は、遊べない子供は寂しい、辛いと思っておられるでしょう?その思い込み、なんです。1人は楽しいかもしれないよ。一人でも豊かなことができるかもしれないよ。親がダメだと思っていると、子どもは二重苦でしょう?一つは自分の寂しさ、もう一つは親の期待に応えていないこと。遊べないこともあるよね、ほっとくのではなくて問題は時々対応をしないとならないです。でも自分の中の投影がなくなったとしたらすばらしいと思いませんか?
2012.09.26
あらゆる問題は自分の中の問題です。そのために、潜在意識の中での解消が図れればそれは図ることができます。ーーーーーーーーーーーーーーーーー相談内容いつも、元彼女と、比較されて、うんざりです。自尊心が消えてゆく。だんだん優しくできなくなってきて、悪循環。彼とは、円満に続けて行きたいのに、傷つくことばかり言ってきて欝な気分にさせて、彼は一体何が目的なんだろう。自分では、別れられないから、私が嫌になって出ていくことを願っているのかしら。そうとしか思えなくなっている自分が虚しい。まだ3ヶ月しか一緒に住んでいないのに。。元カノと、結婚したほうが、彼のためにもよかったのかもしれない。私がしゃしゃりでたから、彼の選択を誤らせてしまったのかな。自信ないな。逃げたい。彼と居ると自分に自信がなくなってきて、苦しい。苦しすぎる。でも、親の反対押し切ってでてきたから、家に帰るのは嫌だし。貯金はいまないし。自分、馬鹿。消えたい。ーーーーーーーーーーー今後は相手をよく見るようにね。付き合っているときにもうそういうところって、親しくなると出てきているはずです。さて、比較をするのは彼の癖なので、あなたは気にしなくてよいのですがこういう風に人と比べてしか、話をできないようになっている方もいます。とても興味深いんですが、それぞれの人がやめられない癖を持っています。先の、信頼を得るためには、どうしてもミスをしてはならない同様、誰もがあることなのですが、その人独自の方法を、無意識に使います。その彼であれば、比べてしか自分のしてほしいことが伝えられないところ。その方が返って問題を起こすのですが、脳って面白くて問題が起きれば起きるほど、もっと頑張って比較をしてこうしてもらうようにと意地になったりします。その男性にとっては、比べることでいやがらせをすることでしか会話ができません。そういうところに育ったのでしょうね。そういう個人がやめられない癖というのはとても強いものなんです。だから、彼が別れたいからこうしている、とは思わなくてもよいのですが問題は、あなたが出ていかないところ、です。おそらく、ご自宅には、啖呵を切って出てきてしまったのかもしれませんねでも過ちを認めて、しんどいから帰る、ということは、自分を立て直すためにしてみてもよいのかもしれません。まあ、そんでも彼といるんだったら、分けて聞いてあげてください。こうしてほしい、ということ?それについてはわかった、。するかしないかは私が決めるけれど、取り急ぎわっかりまーした。比べることについては、断固、そこは戦わないで無視をしてください。彼の脳の中では、こうして欲しい、というのを聞いてもらうのと比べていることを聞いてもらうのと、ごったになってしまっています。だから、分けてあげてる必要もあるでしょう。何?こういうことをしてほしい、ってこと?それについてはするよ、でも比べたらしたくないしできないよ、というように、例「料理は前の彼女の方がよかった」→「料理、こういうのが食べたい、ってこと?それは素直に言ってね。協力をするから。でも比べたらしないよ」というように。二つは別々であることを教えないとなんない。これが、「どうせ私はダメですよ」「何でよ?何でこういうことするの?」と言えば「彼女の方が素直だった」とか。とにかく比べてしか話ができないんだから、話になんない。つまり会話がね。、信じ込みの中に、自分の事はそのままでは聞いてもらえないから何かを加えないとならないと思っているんです。でもさ、女性にもそういう信じ込みってあって。例 苦労をしないとやってもらえない。「どうしてあなたたちは、私がこんなに忙しいのにいう事聞いてくれないの?」逆効果。素直に「これお願いね」と言えないのも、これも信じ込みが関連をしているのです。こんなにこんなに苦労をしているのに私はこんなに忙しいのに手伝ってくれない、と鬱々とする心境と似てるかな。んーでもさー相手のしつけってできるけど、そこまで苦しまなくても先に伝えたように、自分を立て直してもいいのです。ご自身の中に、比べられる嫌だ、というのがなくなれば比べる人とも出会わなくなります。○、それで自分の潜在意識、なんだけれどね。自分の中で、自分を追い出そうとしている、というのがあったでしょう?これが何らかの投影、なんです。事実、相手はそうかもしれないよね?でも、自分の投影がなくなれば、事実だけが見えてきます。すると案外違うところもたくさんあるんだろうし。彼がどういう人かとか、どうしたらいいのかも。ということなんです。それと、帰れない。についても、これは考えです。帰る必要はないし、事実、帰れないのかもしれないけれど帰れない、と考えないで、ただ、親に言ってしまった親が文句を言うから嫌だ、とか、事実だけを見ていくようにしてみてください。するとあら、不思議。できないと思っていた脳が開くと色んな回答が出てきます。例えば、稼ごうとか、例えば家に帰ろうとか例えば彼が仕事に行っている間にこうしちゃえ、とか。自分の中でこうだ、と思うと、ほかの選択肢がなくなってしまうんです。魔法みたいに、思い込みが解けるといろんな選択肢があるものです。
2012.09.25
「こいつ、しっかり者だと思ったのにちょっとおっちょこちょい」とイライラもしながら愛情が消えない同士が結婚をしているし「こいつ、優しいと思ったのに細かくてうるさい」というようなあらら、ということは、通常どこの夫婦でもあるわけだし。でもそれで信頼が崩れるのではないしそんなの、あって当たり前だから、結婚前にお互いに知っておいたほうがらくだしね。ということで、成熟をした人同士はある程度わかってから結婚をします。意外なものが出てきて嫌われるという事はなくて意外なものが出てきて好かれることさえ異性の間ではあるし遅刻をせずにがりがりに自分が真面目なイメージをつくりあげてきてその通りだから愛される、なんて馬鹿な話もないわけで。だったら、私やっちゃうよ~どんどん、やっちゃうからねー。もう、イメージ通りの人間になっちゃうし(笑)でも遅刻をしても、おっちょこちょいでも、好きになってくれる人はいるわけで。ごめんね、とか、態度を見てこの人はこんな人だな、と緩やかにわかっていってそれが信頼にもなるし。また、さらに言うならば、イメージ通りではないのは愛情を生むことさえ、あります、意外性、というやつですね。は、どう説明するか?となるでしょう。例えば男っぽい人々が、料理が上手かったりすると結婚をしていたり例えば、何でも出来る人が、男性だけに見せる弱さは喜ばれるし。こりゃもう、出し方次第でハートキュン、だしね。例えばすごいなよなよしているのに、強い部分って素敵だし。また、マイナスの方のイメージ通りではないことについてはあれ、と思うけれどイライラはしてもお互いにカバーをするのが通常の付き合いでしょう?なんてことは普通だし。ちょっと恋愛に対しての考え方は変える必要があるかもしれませんね。隠そう隠そうとか、ミスをしたからやばいと思い過ぎていることや自分を出したときに、相手の反応が変でそこまではよし、でも自分の中で見捨てられる不安が動きすぎていしている行動が余計だったり、気にし過ぎてしまうことが、問題を起こそうとしている、と思ってください。そしてそれを隠そうとか、やばい、自分がこんなことをしてこんなふうではいけない、と必死になる代わりに少し安心をしておいてください。絶対にできないよ怖くて、必死に頭が考え込みそうになる。でもここの怖さが問題起こすしなー。そこをきちんと整理をして、ほっておけるようになったら周りも本当に信頼を築いていくようなことが起きてはきます。まあ、怖いからどうしてもここで動かないとならないから大変なんだけれどね。ーーーーーーーーーーー強く強く真実になってしまっている潜在意識の癖をほどくと周りも変化をします。最近、感想をいただいていて、載せさせてください、と許可だけお取りして(許可ないものは絶対に載せないです)そのままになっている方々、申し訳ないです。最近はあまり、感想を載せていませんでしたね。徐々に分かち合わせてください。下の方の経験は興味深いので載せておきますよくあることなのですが、体調が変化をすることがあります。もう一つは、信じ込みが変わると、周りの出来事が変わります。自分を後押ししてくれるようなことが起きたりもします。この方はにきびが運よくおさまりつつありますが、ただし、にきびを直すために、とか、はセッション、受けません(笑)体のメッセージが聞きたいな、程度にしておいてください。下の方の場合は、セッション中、本当にきれいに、心理的な負担がどこかが分かった例です。きれいではないといけない、という強迫観念絶対に汚くなるのは嫌だとおびえもでていて、そのために顔に集中をし過ぎていたこと、もっと何か深いところがあったんですが、などなどが出てきた覚えがあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー安定な天気の1日でしたが、その後無事に帰れましたでしょうか。さて、セッションを受けたその日から、顔から吹き出物が出なくなりました。今は小さい湿疹やニキビができたりもしますが、すぐに引きますし、ひどかった炎症もだいぶ治りました。(会場で)主人を待っていたとき、不思議なことが起こりました。守衛さんみたいなおじさんが「待ってても雨やまないよ」とか、話しかけてきたのですが、汚い顔の私に「あんた、べっぴんさんだね」と言って去っていったのでした。炎症のひどいニキビだけでなく、湿疹やらかぶれでひどい顔だったのに、その一言は衝撃でした。好みのタイプであれば、化粧してようがジャージ着てようが大差ないのは、理解しつつあったのですが、肌が汚いのはさすがにダメだろうと思っていたのです。理屈では理解できても、心が納得できていなかったのです。それが、好みのタイプであれば肌荒れもさほど影響ないかも。という頭でなく心の理解を後押ししました。というより、そもそも自分が思っている肌荒れは、他人から見れば大したことないのかも。あのタイミングであの偶然は奇跡というか、見えない力がプッシュしてくれたような出来事です。あのおじさんは、自分の一言がここまで人を救うとは思ってないでしょうが、それはつまり、私だってささいなことで何かの役にたてるかもしれない、という気づきにもなりました。これから、変わりつつ戻りつつするかもしれませんが、いずれは自分が苦しまない方向にはいけのかなと感じています。最近、セッション中に自分の感覚が少しずつ分かるようになったのが嬉しいです。これは違和感あるな、これはしっくりくるな、というのがだんだん明確になってきた気がします。セッションに出会う前までは、何が嫌かも分からないところがありましたから。またお会いできるのを楽しみにしています。気温差が激しい季節に入りそうですね、お身体に大事になさってくださいね。セッション後、赤ちゃんが泣き止むように、本当にピタリと肌荒れが治まりました。皮膚科いっても、薬飲んでも何やってもダメだったのに。本当に不思議ですね。
2012.09.25
これはとても信じられないかもしれないけれど皆さんの中にある分離感が、愛情の問題を起こします。さらに言うならば、なかったから欲しい、という発想ではそれを得ることは難しいのです。引き寄せるには、あるという経験をしないとね。一つ例を挙げて説明をしましょうか。「>自分が傷つくのが嫌だから、一回の失敗をずっと覚えていてチェックをしてそれに当てはまらないと信頼が出来ないという言葉を使うということは、もともと信頼が何かがわかっていない、ということでもあります。これなのですが、私は、よく小さい頃から担任の先生に私が悪口をいったりすると、言わなさそうに見えるのに裏切った!と集会のようなものをひらかれていました。なので、私は人を信用する信頼するという基準は相手の期限をとって不機嫌にならないようにして、相手の思いのままの行動をすることだとおもっていました。一回の失敗に対して、あの時はこうだったよね?と上司や先生によく言われて怒られたことがありますのでそれが普通だと思っていました。ミスしたり間違えたりするのは許されないことだと思っていました。なので自分の像(相手に映る自分像)にギャップがあるのは正しくないことだと思っています。そしてギャップがあることで男性から引かれてしまうのだと自分では思っています。ーーーーーーーー信頼と言っても、それぞれ一人一人が求めている信頼は詳しく話を伺うと違います。求めている、ということは求めにくくて傷になっている、ということでもあります。だから傷つき方によって、皆信頼という話をしても全然違うことを意味していたりします。この方でいえば、信頼、というのは、イメージ通りではないことをしないのが信頼のようですね。それだけ、自分がイメージ通りではないと嫌われるから本当は自分を愛して欲しいのに信じられないからイメージ通りであることに固執をしてしまうわけです。また、ミスをするのも信頼を裏切る、みたいななこともこの方の特徴です、通常、人間として信頼をしあう、というのと、ミス、とは繋がっている人もいるけれど、繋がっていない人の方が多いです。本当に欲しいのは、ごく普通にある、いろんな面は人間があるから受け止められる、でも信じられない、この方の中には信じられない、だから、行動として、イメージ通りにしていればいいんだろう、相手にもそれを強要をしがち、ということです。幼い時に自分はミスをして、その時にすごくしかられて自分はミスをしたら受け止められない、と信じ切ってしまった、とします。でも潜在的に、その子供には、ミスをしても大丈夫だ、という感覚を味わいたかった、という感じが残ります。しかもこれは体の中に強く残っている感覚です。あれ、これ間違えたの?じゃあ、一緒にこうしてみようほらね、大丈夫じゃんねえ、この安心をする感覚見守られる感覚が、この方が本来求めている安心感、信頼です。自分が自分であってよい、という、求めているけれどなんだか上手く得られない感覚なんです。でも、そのように、不安をかわりに味わうと、その子は、ミスをしたら捨てられるだけれどミスをしても大丈夫で、なーんだ、と身体が開いた感覚を求めるためにミスをしないで必死でこの感覚を得ようとします。得たいのは、幼少期に、あ、間違えちゃったでも、こうしたらいいよ、ああ、大丈夫なんだほっとした、というほっとした感覚を味わいたいのにつまり緊張をしてもすぐに元に戻り、ああ、大丈夫なんだな、という感覚です。他の人とでも、そういうほっとした感情を味わいたいのにその安心感を味わいたいのだけが残っているのに方法がわからないから、その子は大人になって家族で、ミスをしないことでほっとしようとします。得たかった信頼はわからなくなり(ほっとしたいのですが)ミスをしなければ好きになってくれるでしょう!と強迫的な感情を持って人々のミスを見逃さない、としたらその人は信頼関係が築けるでしょうか?きずけるには築けるよ。それぞれ人は能力がある。でも何か上手くいかない所も、やっぱり出てきます。例えばさ、ご主人がさ、結婚をすると地が出るわけじゃない?あまりに約束、とか、色々、細かすぎると、逆に、この女性のほうが、一緒にいると追い詰められるし(おい、何でこれもできていない、あれもできていないというように)でももう少し緩やかであればその人を追い詰めたりはしないかわりに、その女性よりはだらしないな、と思うところはあるわけだから、約束果たしていないじゃないの、とこちらが追い詰める側に回ります。どうしてもない、からの発想だと、役割が変わるだけで同じものを築く傾向があります。安心感がある人ならば、安心感があって、えーそう、じゃこうしよう、ああしようね、というようにお互いが平安に安心感を持っていきますもちろん。人間だから、誰でもいろいろ失敗も喧嘩もある。でも程度によっては厳しい状況に夫婦はなりえます。安心感がなければ、お互いに、これも違うじゃないのあれも違うじゃないの、許せない、という安心感がないところから安心感を、本当は得たいのに、いつのまにか安心をすることよりも、相手を直すことで汲々としたりして、ぎすぎすしてくるわけさ。また信じ込みが強くなれば、強いほど、ほかの人との話がすれ違います。すると信じていることを創りだす、という憂き目に会います。ミスをしたときに、もう少し素直で楽でいてくれればいいのに「自分がミスをしたら信頼を無くす」という強迫観念をもっていたら相手側もそれに反応を越し、カチンとします。そのために、その人「だけ」が一回のミスで、凄く年月が経っても、責められる、というようなその人独特のパターンを築いていきます。つまり、一回のミスが責められる原因ではなくてミスは絶対に許されないと思い過ぎていて態度が不自然だったり反応が過敏すぎたりして、あるいは不自然に反応をしないようにしていたりという態度が相手に反応を起こします。なんだか真面目にしてる?とか、何だかまじめすぎて私が悪いって言ってるの?という気にさせたり。本人は悪気がないから気の毒なんだけれどね。また、それだけミスが自分と繋がってしまっていたらミス=自分の価値、となってしまっているので、他の人のミスにも過敏すぎるだろうしすると、無意識にしていたことを、後から復讐をされることも出てくるし素直にミスを簡単に認めてよいところで、自分で修復しようと頑張りすぎてあとから露呈をするとかそういう姿勢にも、もう少し早く言わんかい、という事をいってくる人も出てくるかもしれません。通常は、相手がとてもうるさい人とかは別として一回のミスを、そんな年月を経って、言われることはないわけで。もしそういう人がいたら、個性だから皆嫌がっているわけだけれど。だけれどどういうことが良く起きるとしたら何らかの信じ込みがやっぱりあります。だから、あなたに起きてきやすいことなんです。小学生の時にその方は責められた、とおっしゃっていましたが実は周りの人との感覚はかなり違います。どういうことが起きているのかは、本当は本人の記憶の中に間違った記憶と、正しい記憶の貯蔵庫がありますからそれを引き出すとわかって来るのですが、おそらくは、自分がミスをしたら信用されないと思っていて、怖がっているので、意外なことをした私は駄目という信じ込みで対応が遅れていたりします。例えばクラス委員長になりたいのに自分はそんなことをしたら普段の私とは違ってしまって捨てられる、と思っていたらその時にはその人で、いいよ、と推薦をしたのにあとからふとした瞬間に(無意識に)自分がやりたいことをやらなかったために推薦をした人や、クラス委員になった人に悪口を行ったり、駄目だというような訳の分からない行動をします。これは気の毒なんですが、本人には無自覚なんです自分が自分を押し殺せば、その人は無自覚にクラス委員長と話しているときだけつっかえた態度をしたり、賛成をしていない態度を取ったり、。これは周りが見ているとわかるんだけれど本人には全く分からないことです。あるいはこういう人もいましたよ?自分が無意識に我慢をしてしまって、そうすると無意識にその人のこと「だけ」ミスをしてしまう、つまり嫌がらせですね。裏と表があったから、というのは言葉上のことであり、これもやはり起きにくい状況ですから頭には来ているんです。でもそれは、裏と表がある、というよりも違和感がある時にちゃんと言わないためにあとから訳が分からない所でムカッとして悪口を言うのが問題を起こしている可能性もあります。人の中には、分離感があって、愛情の問題などはそれが動いています。分離感を癒すと周りが変わることが出てくるのですが実は自分が無意識でしていることも変わっている。この方は、「自分が普段持っているイメージと違うことをしたら際われる」と信じていますが、その信じ込みがそういう状態を創りだしますが周りにしたら、普段と違うイメージをしたからダメなのではなくて普段と違うイメージをしたらダメだと思っていてその場で違和感を、ちゃんと処理できずに後からだしてくれたり、色々その波動で出てくるものが迷惑だ、と言っているのですそのように、その本人の信じ込みはその信じ込み自体が問題を生み出しますがその本人は分からないために繰り返されます。ポイント、ホント、繰り返されるんだよね、その人だけに。通常、イメージと違うところはたくさんあるのでそれで嫌われることはないわけで、それであれば、真面目そうに見えたのに遅刻をする沖縄の、時間に遅れる習慣がある人々は結婚ができないわけで、そんなことはもちろんなくて、「こいつ、真面目そうに思ったのに全然ジャン」と怒りながら彼と結婚をするわけだし遅刻をするのは信頼が崩れるのではなくてただ遅刻をしているだけの問題と通常は捉えるわけです。まあ、あまりにだらしないとやめるよ、でもあまりに、ということではなければ、しょうもな、で終わることもあります。
2012.09.25
結婚をしたら他の人にあこがれる結婚をしたら過去の恋愛が気になりだしその人にハグされたいと思ってしまいだしたそんな書き込みがありました。手に入っちゃったら、手元にあるものは、つまらなくて比較をしたりもします。だから、頭の中のお遊び、あるいは漫画の世界にあこがれているように憧れ遊びと思ってください。思い出は事実ではありませんが(良い部分はより素晴らしく思い描き、悪い部分はより悪くしていたり、それさえなければと思い出の中に別の原因を作ってしまっていたり)記憶はかなり改ざんを自分の中でしているために、相手に聞くと全員、すれ違っています。)つまり相手に聞くと、相当違う出来事になっていてえ、そうだったけ、別れた理由違うじゃんね、というようなことも話し合うとあります。また、一緒にいると今のご主人に対して感じる気持ちと同じ気持ちを感じたりもします。つまり嫌になるところがあります。スターにあこがれるように、楽しかったなあ、程度であれば生活に潤いを与えてくれることもあるでしょう。遠くにいて輝く星だからこそ、ずっと憧れて好きという気持ちも人にはあるでしょう。人生って素直に生きると、とても面白いです。大事なのは今いる人々と深くかかわって大事にしていくことです。大事なのは本当に幸せでありたい、幸せになりたいと願うことです。大事なのは今かかわる人々の大事さに気が付くことかもしれませんし大事なのは今幸せである工夫をしたり、そういった気持ちの中にいることです。そうして、人生を自分でプランをするのではなく(こうじゃなければダメだという形にこだわるのではなく)味わっていったら(今あるものや今出来る事を評価をしていったら)人生って不思議で、そういった人々と出会ってまたハグをされるようなこともあったりもします。でもそれは、友人として、ということもあるかもしれませんね。やり直したい人々とあるいは似た状況で自分が過去にやり直したいことをやり直すこともあります。プレゼントを一つ一つあけていくような人生にしていってください。
2012.09.22
昨日、ある男性とデートをしました。彼は、前前回、約束をした時に一回すっぽかして連絡は私がいれるまでいれてくれなかったので、今回もちゃんと約束場所に来るのか不安になりました。19時約束だったのですが、18時に今日会おうよ、行くよ!とメールがあったっきり。2時間ほどかかる場所です。連絡がなかったので、今どこにいるの?遅くなるならやめよう。(私は力が抜けた気持ちになるよりも仕事したほうがいいかと思っていました)と連絡しました。それでも連絡は無し。寝ているんだろうな、と思って。連絡ないみたいだから、今日はもうやめにしよう。とメールしました。その最中に彼は移動していて、その5分後にチャイムがなり家にきてくれましたが怒り気味でした。一度、すっぽかしている人を今後も信用できるか、また次、約束したくてもなんだかこないんじゃないのかな、と思って自分から約束をする気持ちになれず、ずっとこのままの距離が続いています。どうしたらいいものか・・・悩みます。このまま終了にしようか、もう一度信じてみるか。でも同じことをまたされたら切れてしまうと思います。アドバイスいただけたら嬉しいです。ーーーーーーーーーーーーーーー信じるとか信用とか、という言葉が出てきているでしょう?あなたの中で、すぐに信頼とか信用とか、そういう言葉で問題がすり替わりやすいので、それは注意をしておいてください。すぐにその問題にすり替わって相手にも信頼とか信用を強要するし。自分が傷つくのが嫌だから、一回の失敗をずっと覚えていてチェックをしてそれに当てはまらないと信頼が出来ないという言葉を使うということは、もともと信頼が何かがわかっていない、ということでもあります。で、1度目の事は、確かにすごく嫌なんだけれど2度目の事は、コミュニケーション不足の問題で信頼の問題ではないですよね?その時に彼はすっぽかしたわけではなくて、来るつもりであったが電車かなんかに乗り、途中連絡が取れない粗忽物であった、ということであってちょっと気が利かないけれど、これ自体は前の事件とは繋がっていないので。気が利かない人、普通分かるだろう、が分からない人、というのは言えるかもしんないけれどね。確かに気が利かないから、こういうことは、また、あるかもしんないけれど彼が、信頼ができる人物かどうか、は、電車に乗ってしまって連絡が取れないことと、別問題だし、1回の出来事でずっと覚えられているのも気の毒には思います。2時間もかけてきてくれたなら。全部を信頼ができるできないで積み重ねないこと。でないと自分の見方が偏ります。次にまたこういうことがあれば、ああ、忘れっぽいんだな、とか、ああ、○○なんだな、とわかればいいだけで。この彼はまだ、お付き合いが浅いからいいんだけれど、これだと真剣に付き合った人にもすぐに信頼がどうのこうの、という話になりがちかな、と。デートを着々と出来るかどうかは、信頼ではなくてそこを見届ければいいので、その練習を彼とはしてみてください。デートが出来るかな、そういうのが出来ない癖があるかな、忘れっぽいのかな、あるいは、粗忽物、あるいは疲れやすい、あるいは彼はあまり真剣ではないとか。これらは信頼の問題ではなくて相手がどういう人かを見ぬくだけのことです。それほど必死で心を開けなくても、それほど必死で心を閉じなくても、何かそんな不自然にしなくてよい段階。つまりは、約束して会える人かどうか、確かめましょう、ということでしょう?それを確かめる前に、「相手が信頼をさせてくれない限りダメ」になってしまっていて。それは癖だから、すぐに「自分の望み通りではない、あら怖い信頼をさせてくれたら、信じる」ということになっちゃうし、そうしていると、物事を見誤り安いんです。信頼ができる、できないとゆらゆらするので、信頼が出来ない人でも見ぬけなかったり信頼という言葉に弱かったり、かえってややこしいです。なんだかね、いろんなことが、「私は裏切られる」という恐怖心によって全部この人は信じられるの信じられないの、怖い怖い、と曲がっていく気がするから。でもよーく考えてみてね。楽しみにしていたのに、デートができませんでした。相手がだらしないかも。それだけの話。でも次回は頑張ってくれたけれどおっちょこちょい。それだけの話。えーなんで、メールもしないの?非常識かもしれない、それだけの話。次回何かがあったら、へーこの人、本当にこんなんなんだ、それだけの話。もう一度何かがあって、きれるんならば、きれてもいいです。約束していてもあまり確実ではないし、大変だから嫌だ、で切れていいです。そうしたら相手が真剣ならば考えるし誤解があるならば話をするし付き合えない物は終わるし。愛情を深刻に考える人ほど、愛情って得られないでしょう?それは愛情が得たいあまりに愛情を理念化して必死になっているからなんですが信頼もそうです。あなたが裏切られた、とか、信頼したのに裏切られた、とかあらゆる問題をそう繋げてしまうと、変です。そういうことではないんです。私ならば、どうしてこんなに、約束したのが、現実にならないと「信頼ができない、信頼を築くために信頼を取り戻すために一個の失敗も許さない」となってしまうのか、そこをセッションすると思います。ちょっと出来事が、怖すぎている気がするんです。そうするとどうなるかというと、カチンとは来るけれど気持ちは楽にはなります。相手を正確にわかるようになり比較的巻き込まれずに正しく相手を見ていくようになります。という中でちゃんとした相手に出会っていきます。まあ、この方は信頼ができるかできないか、という捉え方をしたけれど同じ状況でも皆捉え方がそれぞれあって、その人が何を信じているかが現れます。ーーーーーーーーー余談だけれどね。上記の方はそれほど問題がないのですが大丈夫です、安心をして。今読んだ範囲で受け止められる範囲で何かを感じていけば。でも、あまりにエキセントリックであるとどうしても関係性が上手くいきません。これはこの方のことではないから、読む必要なし。でも付け加えるならば、例えば、最初から、こういうのが信頼でこうじゃないとまずいでしょう。こんなに傷つきやすいのこうだし、ああだし、と、男性と話して確約を取らないとならない女性はその時にかなりアドレナリンが上がっていて、つまり興奮状態。そういう信頼を語れるとようやく愛が築けるような興奮をする、というか。そういう場合、騙されやすかったり、自分で関係を壊したりもします。落ち着きがない、っちゅーか。どうしてそうなるか、というと、あまりに「こういうのが信頼でこうではないのはダメでだから信頼のためならば、私はこういうことを(たとえば相手の何かを調べちゃうとか)してもいいんだし」みたいなことをしてしまって関係を壊したりします。あるいは、こういう彼は信じられない、と関係ない情報を持ってきて全然ダメだとしてしまうか。(たとえば女友達がいるから信じられないみたいなこういう話し方も、あれもこれも、信じられない、としてしまったり。上記のように、ほかの出来事が起きていても全部信頼に結びつけてわかりにくい、とか。)なぜそうなるのか?そこまで話して確約を取らないとならない、ということは基本的な言葉ではない信頼関係を、親子間だったり親の夫婦関係だったりで、見ていたり、経験をしていないから安心ができない、ということでもあるからです。安心が出来ないという根底があって、その不安を消せるように全てを見せろ、という確約が欲しいのは、これは信頼ではないからです。そんなに何かにこだわって話していないと不安がある、という時点で何らかの不安がありすぎるのです。----------http://www.acoreading.com 気軽にしていたら手に入るものは多いのですが深刻にどうしてもなります。だから、時々、ケアーが誰でも必要なんだな、と思います。色んなケアーがあってよいと思うのですが、感情の癖を下げることは、確実に役に立ちます。
2012.09.19
子どものしつけと幼少期のトラウマここで、潜在意識と親子関係や、生い立ちなどをよく話しますよね先日、お子さんを叱ってしまってはいけないのか、という質問がありましたから、書いておきます。それとおっぱいを飲む赤ちゃんを叱ってはならないのか、でしたね。まず最初に、人の幼少期のトラウマは、必ずしも、実際には親子の関係で出来るのではありません。親と子の関係は誰でもあるんだけれど、そこで自分が何を信じているか、あるいはどういう対応をとる癖がついているか、ということが問題になるのです。例えば、同じ遺伝子を持った、同じ性格の(性格が一緒なんて一卵性でもあり得ないけれど例えとして、)一卵性の、五つ子の親に育てられたそれぞれ5人の子供がいる、とします。全員、長女だとして、同じ経済的な状況、同じ時期に生まれ同じ生い立ちだとします。でもこの5人は、絶対に違う風に育ちます。まあ、ある程度のアバウトな傾向はあります。例えば暴力的な家族に育てば暴力的になったりとかそういうおおざっぱな傾向はありますがそれでも個人差がでます。ある時、おむつを外してほしいと泣いていて、その時にとても母親が疲れていた、として、「うるさーい」と叫んじゃった、とします。これもよくある状況。子育てだと大変だからね、どぅしてもそういうことはあるでしょう。だからそういうのは仕方がない。いつもいつもだと子供はかわいそうだけれど、でも仕方がないときもあるでしょう。でも、その時に、一人の子供はショックで押し黙った。そのために今後、何か叱られるたびに、押し黙る癖がついています。ずっとそれをやっていきます。ずっとずっと生涯。怒られたら黙る、という癖ですね。でも2人は、うるさーい、と怒られたので、ますます泣いてもううるさいんだけれど、不機嫌なんだけれど、とおむつを替えられた、とします。そのおむつを替えられた二人のうち、親は不機嫌なんだけれど、一人の子はやったぜしめしめ、と笑った、とします。お母さんも思わず微笑んでしまって。そうするとその子は、それが体験になり、やったぜ、しめしめ、と思う癖がついている子供になります。主張もするけれどまあ、聞いてくれてありがとう、と機嫌よくしているから相手も悪くは思わない、みたいなことになりがちです。起きてくることはその後、良いことだ、と信じているから自然とそうなります。もう一人の子供は、おむつは変えられたけれど不機嫌な親を見て変えてはくれるけれどいやいややってくれるんだろうな、という予測を立てています。そうすると自己主張はするんだけれどほらねまた嫌がっているんでしょう、とこちらも嫌になる癖も持っているかもしれません。もう一人の赤ちゃんはおむつを替えてほしくても、もうそもそも泣かない、とします。するとずっとこの子は人生が嫌なことに対して、立ち向かわない、という癖を持っています。そうして嫌なんだけれど、しょうがないやあ、と身体の力が抜けることばかり多く経験をしていきます。でももう一人はおむつを替えてほしくて泣かないんだけれど、なんだかその時におもちゃに集中をしていて、楽しくて、ということであれば、その子は熱中をして物事をやり過ごす子になるでしょう。さあ、この子たちに起きていることは、全部同じ出来事なんです。でもその子たちのあり方は変わっていっていますよね?もちろん、赤ちゃんの時のことばかりではないんだけれどその子の一生は繋がっているので、赤ちゃんの時のあり方が幼少期の時のあり方につながり、そこがまた青少年期へと繋がってはいます。人生に立ち向かわない子だと、最初からあきらめているから理屈をつけて何もしない子になるかもしれませんね。であれば、自分がそういうときに泣くとか、力を付けることが必要になるでしょう。おもちゃで熱中をしていて忘れている子であれば楽かもしれないけれど、ある時期人生で無理をし過ぎている、としたらおいおい、そもそもおむつ,不快じゃなかった?という感覚を取り戻すテーマがあるでしょう?あるいは、泣いてからにっこりの子でも、時として他の事で上手くいかないと、ほかの信じ込みを扱わないとならなくなります。そのように、親のせいでなるんではないんです。その子の持ち味も、その子自身が持っている傾向も課題もあります。たとえどんなに愛情深く育てたって子どもは親から何を学ぶって、「自分はどうも親と違うらしい。自分はどうも、こう生きたいらしい」というのを学ぶための対比なんです。だから自分が良いと思えばそうして、子どもが違うと思えばそれは子どもが受け止めていけばいいです。親にとって最もよくないのは、ある程度できちんと決めてそれをしていく自信を持てないことです。子どもが揺らぐのは、親が間違ったことをしている、という場合もあるけれど善意がある親(ちゃんと育てようとしているけれど失敗をしてしまうごく普通の親)であれば、これはこうするね、と決めちゃっていいんです。どの方法がどの子に合っているのかわからないしどんなに育てても、いろんな課題や問題を持つ子供もいるからこれがこれでよいな、と思ったら、もうそれを信じて私はこれが良いと思うの、あなたはどう?というようにやっていくしかないです。お母さんこんなんだけれど、ごめんね、、というように育てると不思議と子供は、自分もごめんなさい、とても残念な存在として自分を記憶します。だから間違っているかどうかにとらわれ過ぎず、これは止めてねこういうのは嫌だよ、でもこれはいいなあ、ということを自由に表現をしていってください。自分が揺らぎ過ぎてこれもあれもいけない、と思えば親はそうなるのは当然ですが、でも、それでもここは子ども自身が整理をすることだな、と思えば子どもに任せる時期も来ます。でね、赤ちゃんは理性ではないので、条件反射で教えてあげてください。おっぱいをかむのであれば、鼻に、おっぱいを軽く、押し付けます。するとすぐに息ができなくて(そんなに長い時間はかからないです)すぐに離します。胸からはずし息を吸う、おっぱいも再び吸えるという方法をどなたかが書かれていましたね?これは、あれ、かむと息がすえないんだ、やめると息がすえるんだ何だかまないと長く吸えるんだ、と学ぶための方法です。赤ちゃんって不思議なんだけれど、感情がない部分ではただ条件反射で学びます。だから、ハイおっぱいちょっと鼻先がふさがったね~離したらまた息もおっぱいも吸えるよ、と親が明るいと、赤ちゃんはただの条件としてそれを学びます。でも親がこういうの、かわいそう、と思いながらすると、その「気分」には敏感なので、悪いことをされているな、と感じます。叱っちゃうのは仕方がないです。また必要なときもあります。親も子も、色々お互いに学んでいるんだから。力を借りあってください。
2012.09.18
人が奇跡を起こすには、今ある場所からしかはじめられない。それなのに、いる場所を否定して、ほかの場所から始めようとする。今いる場所なんて、いけない、と人は思っている。今いる場所なんて、いたくない、と人は思っている。でもあらゆる事柄は、「今の自分」からしかはじめられない。今の自分を受け入れて、そして前に向き合うときに、奇跡は起きるんです。
2012.09.14
ずっと探していた答えのヒントが、得られたような気がします。小さな満足、一致、これをずっと掴み損ねてきたようです。こんな事言って良いかわかりませんが、肉体的にも多分不感症です。仕事も不満でいっぱい。みんなそれぞれ、自分の得意分野をアピールしながらなんとなくやりたい業務を得ているのに、私はコレ!といったアピールポイントが曖昧だからか、皆からこぼれ落ちた仕事が次々と回ってきます。何だかとてもみじめに感じます。どうすれば満足って感じれますか?自分との一致、ショッピングで気にいったものを選んだ経験くらいしか思いつきません。もう長い間、自分と繋がっていない気がします。ーーーーーーちょっと話がややこしくなってしまうから書くのを躊躇するんだけれど、あなたの場合は、今の書き込みで見る限りでは「みじめ」に鍵があるんです。みじめ、というのは、今はそう感じているだろうけれど違う感情として幼少期からあったものです。なんだか引きこもるような積極的になれないようななんとなく面白くないようなどうしていいのかわからないような感覚。でもこれは癖になってしまっていて、事実出来事とは関係がありません。あらゆる出来事に関して本当はみじめではなくて、自分が行きたい方向がありそのみじめが何を教えてくれているか、ですよね。でも何か、意思を伝えるのをある意味、潜在意識が禁じてしまったのがそのみじめさと関連があるとはざくっと拝見して、思います。意思を感じたり、伝えるよりもなんだか、あーあ、できないんだなーこうなんだしなーという力が抜ける方向に考えるというか、引っ張られる、というか。ということは意思を感じてそれをして褒めてあげる繰り返しは何かが開く突破口にはなるんじゃないでしょうか?ざくざくっとで申し訳ないにー。
2012.09.14
人に利用されるのをやめる方法人に利用をされる、もしくは対等ではない、と感じてしまう方々の場合、自分がきちんと対等を創りだしていない、という事があります。対等、というのは、怒って意思に合わないものは、断ったり創りだしたり、ではなくて(力や権力に頼ることではなくてという意味)あるいは、相手の機嫌が悪いと怖いから言うことを聞くことでもなくて相手を機嫌よくさせておくために、何かをすることでもなくて(もしやるとしたら、まあこうしておいた方が楽だからしておくか、という判断はあり得ますが、判断がなくて自動的に相手の予測ばかりしていて、反応が怖くていつもそうしている、ということは問題があります)自分が断ったら機嫌が悪い相手がいるから、もう嫌になって離れることでもなくてただ単純に、それは受け入れる、断る、というのが楽で、その時に起きる相手の反応をそのまま自分の中を流して通り抜けさせることができる、ということです。抵抗をしていないからね、楽に人と対等な人は。これやってくれる?あ、わかりました~ 今回はそれは私の担当ではないかな~ この部分ならばいいですよ~そして相手は相手で自由に反応をしてもらっていて自分も自由。自分が利用をされると感じてしまうのは先に自分のストーリーがあってこうしたらこうなってくれるはずだ、と何か取引をしている可能性があります。自分が言うことを聞いたから、あなたは不機嫌にならないでね、とか(相手が不機嫌になるのはこれはバイオリズムで定期的になのでそれは無理です。相手の勝手なので。相手の自由なので。)私が優しくしたから友達でいてね、とか悪く思わないでね、とか。うーんとね、自分が言うことを聞いたりして友達になれるもんではないんで。優しくしたから優しくしてね、というのも、こびるやり方だと無理があることもあるし。紐をつけてプレゼントをあげるので(後で引きもどすため)変わりのものが手に入らないことを、自分一人がプレゼントをしている、利用された、と感じるようになります。対等だなあ、という事を感じる人々は、自分は自分、相手は相手という区別がしっかりできている人々なのです。ちょっとさー、自分で本当に対等であってごらん?そんなに難しくないよ?えー、あなたはそうなんだー私はこうなんだー、その気持ちを自由に大きく流してみてください。溜め込むからね、エネルギーが皆。え、あなたはこうなの?私はダメってこと?私はこうしないとダメであなたはこれを許してくれないのね、みたいに。ーーーーーーーーーー自分らしく人と調和をするには自分の中での戦っている部分をおさめる必要があります。そんな部分の整理をします。http://www.acoreading.com
2012.09.14
つまりこういうことです。カレーライスが作りたいんだ。うん、食べたことあるの?ううん、ないけどね、いつか、すごいカレーが作れると思うの。私、写真で見たしね。食べている人の映像も見た、すごくおいしそう。すごくみんな幸せそう。私はテレビで聞いたの。カレーを食べている人は幸せだって。まずいカレーなんて食べる必要ないし、いつか夢のようなことが現れてきっとすごく幸せになれるはず。今のまずいごはんのことなんていつか幸せになるためには、さらさら、考える必要ないし(今の現実の社会のことかもしれません)私はだから、思ったんだ、こんな素晴らしいカレーに出会いたいって。いつかであえてすごくし幸せだって。未来にね、すごいカレー屋さんがたってね、あるいは探せてね、もう一発で幸せなの。そして私が満足をするカレーが食べられるの。もう、初めてでね、すごいカレーと出会えるの。それを作ってみたい私は、待っているの!「?」そうではなくて、カレーを食べてみたんだ、あれ、違うな、って思うこともあった。まずいのもあるし。いろんなカレーを食べてみたんだ、でも食べても、それほど幸せではないこともあったり(会社のことかもしれませんね)。でも、こんなのがいい、ってそれらを通してわかってきて、(そこの経験も大事にしているから)こんなの食べたらおいしいし、こんなの、家族に作ろうと思って作り始めたよ、ほかの食事を食べるからこそ、どうしてカレーが魅力かもわかる。失敗も多いけれど、そういうときにはがっかりしたり(今の現実)でもそれらを通して、満足されることも逆にわかってきて、うれしいな、って少しづつ私がしたいことがわかってきた。そういう作る喜びもますますわかってきた。だから作ってみたいんだ、プロになりたいと思ってさ、というほうが順当であろうが?たとえると、そういうことです。
2012.09.12
でも問題は、自分が失ったものを失ったままでしている、ということのです。この、幼少期の、ああ、これすき、と思いながら没頭をしている状態になれるのであれば、逆に未来は築かれます。例えば絵を描きます。違う色だとなんだか違うなと、気が付き一致をしている感覚を知っているから、一致を求めああそうそう、これこれ、とわかります。一致を求めていなければ、これ違うんだけれど、違うのにつまらない、あーあ、となってしまって、そこで終わります。一致を目指せばそれが得られて、ないないから探すとわからない理由がここにあります。一致をしている感覚がちゃんとわかれば、ないない、違う、という不安からではなくてこうじゃないんだけれど、、、ああ、これというように。体が次々とこれは心地が良い、心地が悪い、としながら、瞬時瞬時、自分の求めているものに近づくからです。自分の体が、これが没頭をする気持ちよささだと知っている、ということはそれは無理をして何か素晴らしいものがあるからそうなれるのではありません。そうではなくて、たった一枚の絵をかいてみてでさえ、この色はあっているな、この色は自分の感覚には合わない、その時その時に小さな小さな没頭状態に自分がおれるためにこの色なんだ、これが好きなんだ、とわかっていきます。仕事をすれば、ファイルの色をそろえるのが好きだな、とそろえてみたり、あるいは、コピーを丁寧にとりながらあるいはコピーは適当にやっておいて、それは要領よくしてほかのことに没頭をすると気分がよい人もいるでしょうし、そうやりながら、いったいどういうやり方やものが、自分に満足をもたらすのか、無意識に情報を蓄えていきます。自分は事務の中でも細かな整理をしているときに比較的楽である、とか自分はこういった理屈っぽい事柄を、まとめるとこの没頭ができる感覚があるとか、この方でいえば、掘り下げていく小さな感覚に常につながりながら、徐々に自分が行きたい方向に行かされていき、気が付けば、自分が没頭ができる何かにつながっていきます。人がそこに行きつけないのは、自分が掘り下げる、ということとつながっていないからこそ、未来に「ある出来事さえあればそれにつながれる」と思っているからです。そうではなくて、掘り下げる、という感覚は、おそらく幼少期に見失ったこだわってみたい、みたいなことなんだろうけれど、例えば、泥団子を作っていて、ここはもう少し丸く、ここはもう少し磨きこんでみよう、というような楽しさを持ちたいんだろうとは思います。くだらないよ、そんなもの、そういわれて捨ててしまった泥団子。でももう一度、なにも考えずにこれがいいなあこうしたらいいなあ、という満足な真っ白な時間につながってみたいー。そうやって自分自身も見失い、いつかあの感覚をもてるためには、きっと未来に私が夢を持てるようなことさえあれば、あの感覚につながれるはず、と探す限りそれはなれない杉の木をずっと求めているのに似ています。私は不満、こんなんじゃないのよ、不満なのはわかるのこれじゃないのはわかるの、でもこの人に足りていないのは掘り下げる仕事を探すのであれば、掘り下げるってどういうことなのか、日々常に、小さな満足がわかっていることです。それがないから探すのではなくて、それとつながっていることが必要なのです。ある人があることを求めていて、その感覚がわかっている、とします。そうして年月がたち、自分がしてきた様々な事柄がだんだんとまとまっていき、ああ、そういえば、絵をかくときに、筆の種類を丁寧にそろえるのが私にとって掘り下げることなんだ、何かを作り出す前の道具にもこりたい、とか、ほかの人は、そんなものはどうでもよくて、色にこだわったり、こだわるととても気持ちよい、とわかっていたり誰もわかってくれない、こんなんじゃない、という反感や敵意からではなくて自分がこれだということに逆につながってきたとしてら?それらがたくさん集まって社会人になり仕事場でも、ああ、そうかあ、こういうものが本当に私に没頭をさせてくれるものなんだ、とつながっていきます。ある人が、いつか素敵なコックさんになって、私がすごく満足ができるものができる、であれば、この人はなれないでしょう・今ないものを今ないから探しているからです。ただし、修行をしていく間で、自分の満足不満足から徐々にわかっていくとしたら話は別ですが。でも、ある人が、私はいろいろやってきた、失敗もあって失敗の数々は自分に合っていなかったからだった・でもそういう時に、そうかあ、これは逆にこっちがよいぞとよいほうにつながってきていたとしましょうか。そうしたら未来、そうなっていくでしょう。例えば先のコックさんになりたい人であれば、なんだか事務の仕事をしていて、お弁当を見ると生き生きする自分がいてでも、おかずこんなのは嫌だなあ、なんとなく味が足りないなあでもそれは不満で怒っているのではなくて満足したいな、本当に満足を感じたいと思っていたとします。そうして、これは満足ではないと怒っていたり未来に良いことが起きるというのではなくて今にしっかりいるから、味を常に確かめています。満足を求めています。すると、何度かに一度、とてもとても自分を満足させるおかずが一部だけにあることに気が付きます。今日のご飯はいまいちなんだけれど、、なんだか、あれ、この、おかずの一部の味付けのどこかは懐かしい気がする、、、そうか、私は醤油ベースの、ほっとするこの舌になじみがある感覚がああ、満足だ、というように、一部の満足とつながって一つの情報となります。これが、不満だこんなの嫌だ、いつか大きなことが起きて満足が、と思っていたらそういう情報につながれません。そんなことが日々日々重なれば、いずれその人のやりたいことは、かなり明確です。コックがしたいのではなくてしかも頭で考えた「人々を喜ばす料理を作りたいです」とか「人から好かれる料理が作りたいです」とか、アバウトなものではなくて、自分が満足をするのは、この、地域のこの野菜の、こういう味わいのこういうもの、というのがとても明確になっているはずです。だから私にはわかっている、常に満足があったからだから逆に満足ができない状態からこれは違うとわかっているから、私はレストランの料理には感動をしない、お弁当のあのこちゃこちゃした中にとても感動をする、などなど。そういうのがなんとなくわかっていてその時は無意識でもなんとなく正しい方向に行っていきます。そして、お弁当でも、こんな色の、こんな味わいの、こんなものであれば満足ができる、本当に心が満たされる、だからそれを作り出すレストランであれば、きちんと自分がこちゃこちゃした中にすべてが揃っているお弁当の要素見たいのを入れたら満足だと自分でわかっている。人から言われたから、一般的な受けがこうだから、そういう知識だけではなくて、これならば本当に自分の満足と繋がる物がわかっている。こういう人々の商材は非常に強いです。こーいうのであれば、この人は成功をしていきます。というか道が開かざるを得ないのです。あなたが今すべきことは、未来に依存をすることをやめることです。今、その状態になれないあなたが、未来大きなことが起きたら救われる深まれる、というのは、あり得ないことです。そうではなくて、今、掘り下げる、という感覚が何であるかどういう「時に」私は掘り下げているのか、ちゃんとそこにつながっている必要があるからです。自分にとって、掘り下げられない、ここでは、ではなくて、じゃあ自分にとって掘り下げるという満足感をここから一部でも得るにはどうしたらいいのか、と現在からちゃんと情報を毎日毎分、とって言ってください。コピーを取るにも、自分がこうしたら、あれ、これって掘り下げるに、感覚に似ている、というものがあります。食事をするにも、あらゆるところにあるのに、幼少期に人は、傷つきすぎてそれを止めてしまいます。それらがたまっていけば、やがてある方向が現れます。それも知らないのに、未来に現れてくれ、というのは無理ですから。例えば、会社の社長と仕事をしていて、「あ、通り一遍やっておいてくれればいいから」といわれて不満であれば、不満だいつか、大きな素晴らしいことが現れてそして自分を救ってくれる、ではなく通り一遍やっておいていいんだけれど、無理はしなくていいんだけれど掘り下げるってどういうことなのかな、大きなことではないとできない、というのはこれは間違っているのでその感覚を味わうために何かを調べてみたり、とか、自分で深まる感覚っていったいなんだろう何を求めているんだろうと知る必要があります。どうしたらそれにつながりますか?案外あなたが思っているのと違うことです。でも失ってしまった何かですあまりに感覚が鈍くなっていて、ないない、これじゃない、につながりやすいのでそちらに足を取られがちではあるでしょうけれど。それらができていれば、異性とも自然と深まっていくという感覚になれますからそうなる関係性もできていくでしょう。---------------------------------------自分が求めているものが本当にわからなくなりすぎています。自分が自分とつながる経験をするのがセッションです、これはとても大きな体験でもあります。http://www.acoreading.com
2012.09.12
起こせる未来、起こせない未来あすなろの木は、将来、杉(だったか何だかの木に)になるんだ、あすこそは、あすこそはなろう。あの素敵な杉の木に、と頑張り続けている、という話を聞いたことがあります。でも、あすなろの木より杉の木が素敵だ、というのは、だれが決めたのでしょうか?あすなろは、立派な柱になるほうが、森にいるよりも良いことだと思ったので杉の木のほうが立派だと判断をしたのかもしれませんね。さて、下記のような相談があったので書きたく思います。>こうなったらいいなあと思う夢を持ってきたのですが、その状態に届きません。>>「ひとつのことを掘り下げていく生き方をしたい」>「情熱を何かに傾けてみたい」>「誰かとコミットした関係を築きたい」>>このように抽象的な夢の持ち方って叶いにくいのでしょうか。「ひとつのことを深める生き方」を望んでいるのに、ひとつのこと、という具体的な何かに出会いませんし、情熱を傾ける何かや心を傾ける相手に出会いません。それがどんな人なのか、というのは考えたことがありません。深めたい何かがそこにあったというわけでもないんです。>>順序が逆なのでしょうか、たとえば、何かこの人いいな、そういう人に出会った、そうして、この人とコミットする関係を築いていきたいな、と思うようになるというように。>>>抽象的といいますか、「状態」を手にすることは難しいのでしょうか。(うまく説明できてないですが・・・分かりにくくてごめんなさい)この方は掘り下げたい、ということなのですがその人たちの魂は、もともと持って生まれた資質があります。また成し遂げたい未来があります。それらを成し遂げていくことも、魂の一つの方向ですからそれらはできないことではないのでしょう。でも問題は、こういう意識の使い方は、少し方向が間違っている、ということなのです。これはたとえですから、この方の状態を表すとは思わないでください、この方の魂が何を望んでいるのかは、セッションなどで触れてみないとわからないです。わからないけれど、叶わないのは、あすなろの木のように、未来依存になっているからです。未来依存は、今の自分とつながれないからこそ、未来に夢をかけてしまうあり方です。さて、幼少期、これはたとえば、です。この方の問題はわからないけれどたとえば、ある少女がいて、何かに没頭をしている楽しさを味わえなかった、とします。何かに没頭をしていたら、そんなの意味がないから手伝いなさい、と言われた、とか、没頭をしていて足を滑らせて転んだので、無意識ではもう、没頭をしない、と決めているとか。没頭をする楽しさをその人は忘れると、これにすごくこだわるようになります。ずーっと不愉快でなんだか不一致な感じがあります。すると、いつか没頭をさせてくれるものを、探し回るようになります。これが未来依存です。未来に何かが起きて自分の問題を解消をさせてくれるだろうそう思いますが、実は、順番が逆です。没頭をしているときの楽(らく)さ、楽しさ、を経験して、そういう状態に「ある」とき人は自然と、自分に誇りを持っています。でもその誇りは、「えらいでしょう、えっへん」というものではなくて、自然と楽でいられる、体全体が広がるような感覚です。人は、ある事柄を失うと、ずっとそれを追い求めるようになりますがそもそもの原因のものを得られないと、一時的に得られることを続けていないとならないという中毒のような状態になります。もし、誇りをもてる、この楽な状態にあれるのが、少しでも似ているのが、カッと怒ったときにしか似たような状態になれないとしたら、それに依存をするしもし、この、楽な体の広がるような感じや真っ白な状態が恋愛をしている一時にしか得られないと、それを得ようとします。
2012.09.12
みなさんが持っている恋愛の問題は、実は愛の問題ではなくて恋の問題、です。恋をしたいな、恋をされたいな、希望と期待に満ち溢れた恋の問題。私はこの問題を解き明かすのも好きですし、つまり恋を手に入れるのはとても面白いことでもあります。でもね、少し愛の問題、問題というと違うのだけれど愛の事柄、についてお伝えしたく思います。もしみなさんが、優しさと愛に出会いたいならば、今年は、少し愛の問題に焦点を当ててみませんか?みなさんが彼は私を好きかな、彼は私を嫌いみたいだ、というときってちょうど子供が、親に対して、「お母さんは私が好きじゃないんでしょう?」「弟だけ可愛がるのに僕だけわかってくれない」「おもちゃを買ってくれない親なんて大嫌い」とか逆に、「無理を言わせちゃいけないんだ、僕が我慢をすればいいんだ、でも僕って我慢をしないと嫌われちゃうのかもしれないな」というような気持ちを子供が持っていたり、つまり、すべて、自分が中心の考え方をしていますよね。自分を好きだからこうなったし、嫌いだから、あるいは自分はこういう役割ではないとならないから、こうなった、というように。親にすれば、お母ちゃんは嫌いでしかるのではなくてイライラしていたり、ここは許せないなという価値観を持っていたり、あるいは、無理をさせてしまうようなときでも、本当はその子に常に幸せに生きてほしい、こういう状況ではなければ自由に育ってほしいと思っていたり(でも子供は自由にしたらいけないと思ってすれ違っていたり)ということがあるでしょう。愛の問題は、みなさんが、自分を好きだからこうなった自分を嫌いだからこうなっている、自分に特別な意図があってこうなっている、と思うときには、読み解けないもの。上の子供のようになっていて、本当の親の気持ちがわからないからです。だから、愛を知りたければ、自分が自分が、、、こうでああで、彼はこうなはずで、というすごくしがみついている思いから離れてみてください。もし、2、3日離れることができると、全く違う穏やかな答えが出てくることがあります。たとえば誕生日に何かをしてあげないと彼がとられる愛情を注げば答えてもらえるはずでも、挙げても好かれないと恥をかく、と感じているとしたら自分が自分が、、好かれる嫌われる?という自分の欲望係を感じていて、相手の気持ちは全くわからないわけです。相手の気持ちではなくて、自分が考える相手の気持ち、自分を恋愛で好きかどうかばかりを判断をしています。それらから離れて、まあ、どうでもいいか、と思えた、としたらその日に彼が一緒に祝ってよ、と一緒にいられたり、(これは本当にあります。それはクッキーを焼くか何をするかと必死になってしがみついていないからなのですが)あるいは、あれ、友達なんだな、と気持ちが抜けていいやプレゼントしちゃえ、と思えたら、今まで距離があったのに、今までとは全然違う良い友達になれたり。もちろん、みなさんはしたいことをしてみてください。それでよいのです。でも回答が得られない問題があるとしたら、自分が相手をわかろうとはしていないんです。分かるということは、わかろうとして必死になったりこれが相手の気持ちなんだよね、と決めつけることではなく、それらから離れてみて、自由な気持ちでいるときにあれ、これしてみよう、として繋がったりしたときに徐々に自分が見ている彼ではなくて本当の相手の姿がわかることもあるでしょう。人と人との擦れ違いは、相手がなぜ自分をわかってくれないという争いになるのは、自分の中の相手と関わっているからでもあります。今年は目標をたてて、みなさんが自由に得たいものを得ていく年にしていってください。ーーーーーーーーーーーーーストレスを取り除くと、相手とのかかわりがスムーズにいき始めます。これはあらゆることで経験をしていくことができるでしょう。http://www.acoreading.com
2012.09.11
相手が愛していないせいで、私への思いやりがないせいで、この人はこうするんだ、という物事の考え方をすると問題を解消はできません。それだけはお伝えしておきます。女性の場合、特にこのことは大きいのです。男性によっては、「なんで女性って愛、愛って言うんだろう?」というようにいう方もいます。もちろん、それは愛情を彼らが必要としていないのではなくてなんでも愛情がないせい、思いやりがないせい、と問題をすり替わらせてしまってそれに固執をしてしまう姿勢を表しています。個性が合わないのか、個性が違うのか、個性が違うのに、自分が愛されていないと勝手に思い込んで相手を許さないのか(理想通りではないのを)、相手と恋愛になっていないのに自分がその人を離れたくないのか、などなど、問題はいろいろあるのでしょうけれど問題をしっかり見ていくようにしてください。愛されていないから、こんなことが起きる、と結婚する前から思って結婚をした方々の場合、特にその幻想がさらに問題を起こします。もうそういう、幻想を持たないこと。この二人でいるんだからこの二人での在り方を考えること。もし愛してくれていたら違うはず、という幻想に甘えないこと。たとえどんなに情熱的に結婚をしたカップルでも問題はいろんな形で起きます。ルールズで結婚をしようと、それは全員に起きます。残念ながらどんなに情熱的に相手が自分を大好きで結婚をしてもいろいろなことはあります。あってよいのです。人間だから。ただ、問題が軽いか重いか、という違いはあるしでもそれは愛しているかしていないのか、というよりも、2人の成熟度合いもあるし、(ほかの人と一緒にやっていく能力)問題の出所は、通常は、相手と自分の個性の違いをどう調整をしていくか本当にどういうふうにやっていくのか、いかないのか、という問題でもあります。愛していても起きるんだから不安から問題を大きくしてもしょうがないでしょう。つまり問題はそれぞれ起きて関係が固まるよいきっかけなのに、愛されていないからこんなことが起きるんだ、と思っていると、解決方法がわかっていかない。それに、すごくしつこいんです。相手がどんな動機でしているのかをずっと確かめようとしたり相手を変えようとしたり。そんな時期に、女性は「男性が変わってしまった」といいます。でも男性は、「女性が変わってしまった」といいます。自分を全然認めてくれなくて、何かずっと見張られている感じがするからですがそれらはすべて、「相手がしていることは、自分に向けてのメッセージ」ととりすぎてしまうところからきてます。愛していないから、自分を認めてくれていないから自分に思いやりがないから、というように。個人的にとるからね。問題を。それら(個性ややり方の違い)を微調整しなければ、ほかの大きな問題で出てくることがあるのも、仕方がないことではあります。それであれば、その時に整理をしてください。通常は結婚2、3年後と、10年後ぐらいに調整が必要だったりします。大変ではあっても、向き合えが大丈夫でしょうから。ーーーーーーーーー問題の本質はなんでしょうか愛されていないからこんなことが起きる、という不安が問題の解消を遅らせたり、あなたの弱さを生んではいませんか?その誤解は、相手との葛藤が終わらないときであれば、とるととても有益でもありますなぜなら相手がしていることは、個人的な何かの思い入れでないことは、多々あるからです夫婦であれば、ごみを忘れずに捨ててくれない、忘れてしまうのは私の家事を評価していないからだ、みたいな?無茶なことであれば相手もだんだんとあなたを大事に思ってくれなくなります。だって自分が、自分の家事を評価してくれない、と、そう思っているんだから。無茶ではあっても、可愛く無茶を言う、ごみを捨ててくれないなんて私のこと嫌いなんでしょうーとおちゃめに言っても子供らしく後を引かないのであればそれはそれで、甘え上手なやり方ではあるでしょう。そんなふうに、自分に合った上手なガス抜きも含めての自分らしい方法を探してみてください。ガス抜きは必要だけれど固執をしていると、問題は整理ができませんしね。http://www.acoreading.com
2012.09.11
たとえば、仕事先で、今まではほかの人の対応で社員になれないんだ、1個何かしたけれど、評価をされていないしな、あーあ、という気持ちは、実は今されていたことと、同じかもしれんのだし。その気持ちがあるために、していることは待ちの姿勢になりやすく、待つたびに、やっぱりね、存在感ないし、と感じてしまうし。その何かあなたがしていることは、相手には目につきません。テストとか何かあれば、事実受けるかもしれませんが全体的に、何かやっても相手の反応で引き込まるとほかの人がその人に持つ印象は、あまり強い意志は感じられません。意思と意図は無意識同士で話をし、いろんなものを引っ張ってくるカギとなるものでもあります。(たとえ相手が意識上では強い意志を感じなくても、良い意図で動いているとそうなるということ)自分がこの仕事はしたほうがよい、効率が良いだろう、とか、視野が広がって自分のためにできるようになれば、自然といろいろなことは手に入ります。でも、やってみてほかの人々の反応でダメなんだーであれば、最初から、その人の「反応」を求めているのであって、「何かが起きること」を求めてはいないのかもしれません。正社員になるのを諦める、というよりも、正社員ではないと不幸な自分という思い込みや、ほかの人が認めてくれないと正社員になれないと思っている自分を諦める、というほうが、ずっと正しい方向かもしれませんね。自分は、ほかの人が認めてくれていないと、自分の夢をかなえられないし仕事をするんでも、何かはそっとしてみるかもしれないけれど気が付かれなければ、それはもう、する意味がなくて、存在さえしていないと錯覚に入ってしまって、そう待つからますます相手はいないように扱うし、でもそういう自分を諦めて周りの人がやってくれる、やってほしいな、わかってほしいな、というのを諦めてしまって、ずっと何かを眺めている、みたいな離れにくい何かを思いっきり諦めてしまって。それよりかは、自分らしく仕事でいな、と思ったことをしていく力を取り戻すあるいは正社員を諦める、としたら、正社員ではなくてもちゃんと対等にいられる力を持っていくとか、正社員ではなくても、幸せでいられるようにするとか、ほかでも仕事ができるようにするとかいろいろなことができるかもしれません。そういう諦め方ならば問題ないです。体が諦める感覚に注意をしておいてください、答えられないと存在感がなくなる感じ。これがどんなにあなたを動かしているか、に気が付いて。これは感情であり、(話しかけられなくてがっかり)事実ではありません。(だから存在感がないんだし、ダメなんだし、という考えが事実ではない)異性のことについては、ほかの人との関係ですから細かく書くとややこしくなるので仕事にとどめますが。自分がこうじゃないとだめ、ああじゃないとだめ周りが助けてくれないとダメ、そういう気持ちは手放してもいいかもしれませんしそれを諦める、とするならば、それは面白い変化を起こす可能性さえあります。そうした先に、仕事を見つけた方々もまあまあ、おられることもお伝えしておきます。さてさて、あなたがこれは間違っている、ということではなくてあなたが今回、あきらめたことでとてもすっきりしているならばそれは正しい道です。また、いろいろ書いたけれど、ここらへんもあなたがまたブログに書いたことで、気持ちがすっきりしているのであれば、嫌だな、と思いながらもまたそこと関係を持っていく正しい力をおもちなんだろうとは思います。ご自身に従ってみてください。その二つを諦めて変なところに力が入らなくなると実力は出しやすくなるし、良い変化がある、としたら、それは素晴らしいことでもあります。それと答えるにしても、うーんこれを答えるとなるとあれもこれも、ここから離さないと、と考えすぎて考えているうちに日数たちすぎ、ということもあり。それについてはすみません。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーその人の中にある、自然と動く感情のパターンがその人の人生を築いていきます。潜在意識を変える、ということはその人の感情の動き方を変える、ということでもあります。反応から自分が得たいものに向き合える姿勢へhttp://www.acoreading.com
2012.09.10
良い意味の諦めるは手に入ります。でも悪い意味の諦めるは、手に入らなくなります。さて、下記の投稿があったのでお伝えしたく思います。独身なので、前回結婚したいという記事にコメントしました。でも、結婚されてる方のコメントにどんどんレスがつき、全く触れられず、自分の存在感のなさを感じました。それから結婚後とか子供の記事ばかりで、ここを見るのが少ししんどくなってしまっていました。今回の記事を読む前に、自分の人生、正社員になるとか、結婚して子供を持つとか、すべてあきらめることに決めました。あきらめよう、そうすればうまくいくそんな都合のいいことはないかもだけど、自分の支えにしていこうと思っている老子の言葉です。駄文失礼しました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそれはおさびしい思いをされましたね・でも今回お気持ちを書かれたあとで、ほかの方と、よいやり取りがあったようでよかったです。さて、今回は、良い意味の諦める、と悪い意味の諦めるについてお伝えします。もしこの方が、あきらめた後でさっぱりしたり、諦めた後でさっぱりしたならば、それは、良い諦める、です。たとえば、今まで、自分がモデル並みの技量ではないのに必死にモデルになりたい、と願っていた、とします。もちろん、人には努力、というのは必要なのですが、人が始めなければならないのは、常に「その人の場所」からであり、「違う人の場所」からでは、ありません。その人が150センチであるならば、そこから始めないとならないんです。決して150センチなのに、180センチであるとごまかしてでは始まりません。その身長であるので、パリコレには出るのが厳しいとして、でもパリコレに出るために必死に努力をしている、としたら、それはその人の支えになっているのであればいいのですが、ある時期、その人は、本当はパリコレにはいけないかもしれない、と気づく必要があるでしょう。今まで頑張ってきたけれど、といったん泣いて心がこの事実を受け止めた、とします。すると、その人は、パリコレに非常に執着をしていたけれど本当は、それは見栄やプライドや、自分の容姿が良いと褒められてきたのを証明をしたかったり、自分の容姿がまだ足りていないといった誰かに復讐をしたかったりいろんな動機があったかもしれず。それを捨てる、とともに、新たな道がすっきり感じ取れていくこともあります。今までモデルモデル、と騒いでそれ以外は嫌だったのが(結婚でもなんでもこれは起きることですよね?あらゆる夢に.そういう形ではないと嫌だ、というこだわりですが)写真家でもいいかな、とか、こういう方法で違う夢をかなえたいとなったときのその人の力は、相当なものです。さらにすごいのは実は自分はそれを望んでいなくて、必死になっていたそれがないと幸せではない気がして、というように本当の望みに気が付くこともできることです。そのために、それ以上のものが手に入ることもあるでしょう。自分が何かを認められない[この場合であれば、150センチであれば雑誌のモデルではかわいいと騒がれても、パリコレは違うかもしれない、という事実を認めることがしにくい] ことで、人生のゆがみがあったところを修正ができることもあるのです。あーあ、そうなんだ私の夢だったのに、幼い時からの、、本当に悲しい、、でもでも、それになれない、として、本当に違う選択肢を得ていこう、幸せになろうという別の意思が、今の位置立場を、きちんと受け入れたところから、何かが始まります。でも悪い諦め、というのは、どうせ150センチだしね、あーあ、いいよねあの人たちは、180センチあるからパリコレに行けて。私の人生は全然だめだし、しょうがないんだし、こんな雑誌のお仕事なんて嫌なんだし、でもモデルでいたいんだし、でもしょうがないんだし、という力が抜けるような方向にいくことです。これはなぜ起きるか、というと、150センチでも自分が幸せになれるという意味での受け入れ方をしておらず、実は本当はそれを諦めても自分の人生は完全だ、ということを受け入れていないからです。そういうのは、「なれない」と諦めたわけであって、そうではなくても大丈夫なんだ、という意味では全然諦めていないんです。手がにぎにぎしたまんま、ほかをつかもうとしている、というか。150センチだからパリコレに行けないから私は幸せではないけれどだけれども、しょうがないから諦める、というような諦め方をしたときには人は力を失って脱力をするような感覚があります。これは正しくない方法で、諦めた、ということを体が教えてくれているのです。さて、上記の文章なのですが、少し注意をしておいてください。ご自身の諦めが良い方向に行くとき、というのは、さっぱりとしてああ、これで大丈夫なんだ、もういいんだこんなことに縛られなくて、という、安心する感覚があるかあるいは今はがっかりしていても、泣いてもそういう時期が来るための下準備になります。泣いてからそういう心境になるまでに時間がかかるかもしれないけれど下準備としてよいときもあります。あーあ、もうダメなんだ、しょうがないもんねしょうがない、と力が抜けても、後からいろいろ起きてくる良い変化もあり得ます。でももし、そうではないとしたら?さて、違う方向からアプローチをしましょうか。あなたがこのブログに来て、書き込みをしたときに返事があることを、期待されていたようです。期待をするのはよいとして、今後は、ご自身に返事がないと、「自分の存在感がなくなる」という錯覚にとらわれないようにしてください。とても興味深いのは、あなたは一度、書き込みをして自分の記事がほかのもので埋まっていく間、誰かが書き込んでくれるのを、「待っていた」ということです。待っていて、ダメであると脱力をした、ということは、ご自身の意見が埋もれていくときにそれは本当に自分にとって話をすることが必要かどうか必要であれば、どうするのかを、ご自身では決めていない、ということなんです。だから、同じことはいろいろなところで起きている、とは思います。何かのチャレンジを一回、あるいは二回、ほどして、そしてずっと待っていて何かが起きないとダメなんだな、存在してないんだし、と思ってしまう癖があるのでもう少し気軽に手を出す手を伸ばす、ほかに行く、ということをされていいんじゃないかと。また、その答えられなかったことが残っていて後からその悲しみを相手に分かってほしい、としてしまうかもしれません。自分の夢をかなえるためではなくて、人に助けてほしい、ということが課題にはっていきます・それがあると、夢はかなえられないんです。いつも、人との葛藤が問題になります。人がこうしてくれなくて人がああしてくれなくて、私は存在感がない、というここがテーマになってしまいます。であるとしたら、ずっと同じ場所にあなたはい続けてしまいます。私はセッションでその人のパターンを変えていきます。パターンを見直したり、そのこだわるポイントが変わっていくことでいろんな事実が変わっていくことがあります。この場合、ポイントは、人にくっついている、自分のしたいことよりもそれが優先になりすぎている、ということに気が付くことです。すごく周りが気になって、自分が何かのアプローチをしたらそれがかえってくるのを待っていて、そして一度限りで終わってしまい(あるいは何度か短い間隔で)あーあ、あーあ、またダメなんだ、というように感じてしまって期待をして何かをするんだけれど、相手の人によってもたらされることを希望しています。でもね、事実を言うとするならば、自分が書いたことに答えが付かない場合あなたがもし、「答えられないだから、私はいらないんだ」というまだ解消ができない気持ちに乗っ取られない、としたら、(これが課題ですすなわち自分のトラウマといってもよいし、繰り返し感じる感じ取り方の癖といってもよいのです)1、 書き込んだ内容が、答えがいらない程度であればほっておく ほかの人々だけが話し合っていることを気にしなくて良い2、あるいは本当に答えがほしいものは、本でもなんでも調べられる。3、 本当に会話がしたいだけならば、同じ関心を持っている人と別の場所で、話をすればいいだけ4、 ここで話がしたいのであれば(本当はそうではないんです。自分が答えられない、という気持ち(まだ解消をできていない過去の悲しみ)があるために、ほかの人は答えがあっていいなーと、無力感を感じながら眺め続けてそして嫌だなが大きくなると離れるのですが、自分に答えがないからしがみついてしまうのであって、本当は、読み続ける理由は、ないんです。私だけ答えが、ないない、ということを探し続けているので、そんなことは当然、しなくてよいので。なるべくそこから早く離れるようにね。)本当にそこまで、ここに価値があるか?という問題もあるだろうし(笑)でも万が一、本当にここで話がしたいならば、時期を置いてまた話せばいいんだし。あるいは話題を変えてもいいですし。こういう理由でここが好きで、こういうことがわかりたいな、とメールカウンセリングでもなんでもいいんだし、方法はいくらでもあります。本当に必要ならばね?更に不思議なことに、「こういうのがわかってくれなかった」というこだわりがあると、そこにこだわっている分、自分だけが時間が流れていないのでいつもおいて行かれる感覚があります。本当に必要な人々は、本当に必要だからそれに向けて手を伸ばします。自分が解消をできていないことを求める人々は、少しやって同じパターンにはまり、やっぱりな、という確認を取ってまた同じことをする、ということをしつづけがちになります。なんでこの4つのうちが浮かばないのか。それが反応です。ご自身がある事態、自分がアプローチをしてそれがうまく受け止められないことを目にしたときに、自分は存在感が薄いなーとひきこもるほうにいくので、いったい何がしたかったのかを一度感じて取り戻さないとなりませんね。もし上記のことができるようになっていけば、仕事などあらゆる面での変化が訪れます。というか流れなかった人生が流れるような経験もしていきます。止まる癖があったりすると、そこでどうしても滞りができます。相手にしがみついてしまうし[気分的に]自分の夢ではなくてしたいこと必要なことではなくて、相手とのかかわりの問題になります。
2012.09.10
悩み事があります。お恥ずかしいですが、書かせていただきますね。一番の問題はいま、二人の人とお付き合いしていることです。もともと遠距離の彼がいて、もう一人別の人と付き合っています。ですが、新しくお付き合いしている人との間にも問題があります。結局、断りきれなかったことからもわかるように、私は新しくお付き合いしている人が好きです。ずっといろんな種類の罪悪感や迷いに、さいなまれています。何回ももう会わないようにしようとも思いました。遠距離の彼に正直に話をして別れなくちゃ、と思っていますが、うまく考えられません。どれほど傷つけるかと思うし、恋愛感情は薄れても、とても大切な人だからです。新しくつきあっている人のことは好きです。でも、愛情を感じることもあるけれど、不安やさみしさも感じます。私との将来のことまでは真剣に考えられないだろうと感じたり、前ほどは積極的ではないと思うからです。私にもともと彼がいることは知っていて、気にしないようにしているみたいです。こんなところです。細かく書くことができなくて申し訳ありません。どうするべきか考えたり、相手のことをあれこれ考えたり。そんな毎日です。でも結局、今おつきあいしている人から本当には愛されていないんじゃないか、たぶん、それが自分がこだわっていることだろうと思います。本当は、完璧に愛しているわけじゃないけど、好きは好きっていう程度なのかなあと思います。自分がいつか解決できるとあまり思えなくて。聞いてくださってありがとうございます。アドバイスいただけるとうれしいです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーその人の問題って、その人が本来持つあり方を表明できなくてその人の家族や、先祖代々、その人自身のパターンからしか物事を判断できないことが、悩みになります。それらをクリアーにする過程で、その人は、その人自身に出会っていきます。それは大変に興味深いと思いますし、その過程でだんだんとすっきりと物事を解決していきます。で、今、セッションをしているわけではないんだからあなたの心の内をすべてわかる、というのはここではできませんが、セッションはとても明快です。私から言葉はあまり言わないし、その人の中からそれぞれの回答が出てくるさまはとても面白く思います。その人が本当の自分の感じ取り方に触れたときにびっくりされることはしばしばあります・。どええー、表面の問題と本当に感じていることは違うじゃんね、ということです。この事柄は、恋愛ではなくても、おそらく、ずっと、手元に何かを置いておかないとならないんだろうな、本当に大事なものになると保証がほしくて前に進めないことがあって、みたいな、そのパターンが出てきていて。何か手元にないと怖いから、そのためにすっきり判断ができない。すっきりしてしまったらもっと良いものが手に入るとしてもそういった経験をしていなくて、今あるものは、両方とっておこうでも怖いな、みたいな。罪悪感は、それは相手が傷つくから感じるのではありません。もし別れを告げた、として、相手が傷ついても、どの程度かはわからないし、相手はいろんな経験があり、年齢だって成人しておられるわけだから、相手も自分で乗り越えらえるだろうし、そういう協力をするのが本当の愛であって肩代わりをすることではありませんし。また、とてもシビアに言えば、残念ながらあなたが、彼を離れても彼は、あなたのことを、すぐに忘れてしまう可能性もあるのです。だから、彼がかわいそうなのではなくて、あなたのイメージの中の彼はかわいそうなんです。常に何かを選ぼうとするときに相手がかわいそうと思ってとどまりませんか?つまり癖ですね。でも自分が迷いがないことには、罪悪感は無くて自分が自分で引き止めたいところもある分野に罪悪感がわきます。罪悪感の目的は、くよくよしながらも、自分がそれで離れられない、という状態を作り出すことに目的があります(意識ではそんなことは思いません、当然です。でも、潜在意識では今あるものを保持することのほうが、幸せになることよりも大事です。先々あるものよりも、今あるものがなくなるのは絶対にいや。怖がっているのは知っておいてください)つまりは、とても面白いんですが、罪悪感って、その場を離れたくないためにわいてくるものでもあるんです。罪悪感を感じていると、ずっとくよくよしますよね?すると決められないでしょう? 決めることに焦点がいってなくて決めていない「自分を責めること」に時間が費やされるんです。そうすると、決めなくてよいわけです。そして罪悪感を感じていることって、不思議と繰り返し、します。罪悪感を感じているならばしなければよい、と思うでしょう?でも罪悪感ってやっぱり不自然なのです。だから、チョコレートを食べてはいけないと思えば食べるし、こんな私がいけない、と思うことは、その人は必ず形をかえてよく似たことを気づかないうちにしています。こんな私がいけないんだとしょぼしょぼはするけれど、決定はさせないんです・罪悪感って。本当に罪悪感を乗り越えて何かをしている人々は罪悪感の先にある、希望につながっているんです。これをしていこう、こうしたら、あの償いができるあるいは皆が幸せになれる、というように。あなたの課題は、今の彼は好きなんだけれど、私は、彼は、自分に真剣ではないと思うそして、前の彼を取っておきたい、その私がいるそれに向き合うことです。悪いと思う必要はありません。なぜなら悪い、周りに悪い、と思うときって、微妙な、責任の放棄なんです。相手がかわいそうだから離れない、というのは、それは、先に言ったように、相手の立場に立ってはいません。二股でも知らずにショックを受けないほうが幸せかどうかは、彼が決めることであり、それはあなたが決めることではないです。ショックを受けても、乗り越える責任も彼にあるしそれを信じるのが愛情でもあります。(人間としての愛情)そしてまた、悪いと思えば思うほど、それは、あなたの問題ではなくなり解決に向けて意識が向かわなくなります。こんなに悪い私がいるけれど、というように、自分が鬱々として前に進まないほうにエネルギーが行き始め、滞りが出てきます。そして、焦りばかりになって、本当の問題を感じ取る能力がなくなります。本当の問題は、「私」が、もう一人はまだ恋愛ではない気がしていずれうまくいかなくなる気もしていて、というか何かまだ確実ではなくて怖くて、だから「今の彼」を取っておきたい、という、この事柄です。「あなたが」感じている、この事柄にちゃんと接することができていないことなんです。ここを感じようとするとなんて悪い女、とか自分の判断が入りとても邪魔をします。そうではなくて、そういう自分がいるんだな、いていいんだな、とどれくらい許せるか、です。きちんとそれに接してみてください。今はそうとしかできない自分がいることを認め、自分が良い人になろう、良い人でいたい、とする無意識に、左右をされすぎないようにしてみてください。(これは本当に良い人になるためにあるものではなくて自分をかばうためにある感じ取り方だからでもあります)彼にも双方にも悪いと思えば、自分の隠れた心理は見過ごされて、とてもとても心は、いうことを聞いてはくれません。そして悪いなと思いながらも何もできなくなります。そうやっていたら、悪いな悪いなと思いながらも彼を離れなくてすみます。でも本当に、「自分が今の彼を好きで」「でもうまくいかない可能性を受け止められず」「何もなくなることは嫌なんだけれど」「過去の彼を離れたくない私がいて」「昔の彼の助けも必要で」「そういう自分を受けいられれず焦っていて」ということを十分に感じた、としたら進まざるを得ない心境にいずれなります。それを潜在意識はさけます。いずれ、自分に向き合えば、さてさて、彼にかけてみたいかそうして後ですっきりして一人でも案外大丈夫なんじゃないか一人が怖いという幻想は本物かどうかそれとも、本当は彼が大事で、ただの気の迷いなのか今の彼への不満や不安を他の彼に求めているものなのか、あるいは自分が本質的に、一人にかかりきりよりもう少したくさんの人と話してみたいのか、みたいなことが徐々にわかっていくでござんしょう。まずはご自身が、今の彼が好き、付き合いたい、そういう私がいるということを、罪悪感にはまり込まずに受け止めること、そしてまた、でも今の彼とはどうなるかわからないから不安なんだ、と受け止めること、それでいいんだ、今は二人が必要でずるいかもしれないけれどでも、本当にそういう自分がいるんだ、ということから逃げないこと、そして、だから今の彼を手放したくない、彼がいないとさびしい私がいるのを十分に感じて、その先に出てくる回答を待つことです。よもや、私って悪いな、こんなんじゃ、すぐに決めないと怖くて決められない、に逃げごまないようにね。強いよ本当に自分に向き合う人は。二股をしている期間も、なるべく誠実にはできるかもしれませんね。デートの仕方とか、やり方はいくらでもあるので自分がなるべく傷つかない、(ということは自分が嫌になるようなことを出来る範囲で(出来ない無理ではなくて)してみるということ、自分に誠実(自分が苦しまない)方法を使ってみてください。罪悪感があるから、ずっとだめだ悪いやめないと、怖い、できない、と繰り返すので、潜在意識は悩むことで、このままでいられるのをよく知っています。もちろん、もっと深いところに到達をすれば、前に進みたい自分がいますが、通常はここ、パターン、が人をコントロールしますだから悩み続け、だから進まず、ということになります。いいんだ、この私がいる、というのは、開き直りじゃないからね。こういう私がいる、今はできない自分がいる、そして今動きたくない私がいて、悩んでいる私がいてそれらに意味があることを、受け入れることです。すべてに意味があるならば、あなたの罪悪感にも意味があり本当に伝えていることは、すすめ、すすめ、やめろだめだ、ばかりじゃなくてどちらが合うかを探して御覧?かもしんないし。自分のために。そして探せたら正直であれ。です。親から先祖からそして自分自身でー。自分を感じ取るよりも自分を責めて進めなくなった自己。そしてそのプログラムはとても強いものです。それは、本当の自分を許して感じていないから起こることでもあります。私、というものを、許してくれなくなった、本当の自分を許せないと、ずっとここが動きます。深い深いレベルで、自分でいいんだ、という許しがないと。でもそれは本当は、人類すべての許しに深いところでつながっている大きなテーマでもあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー罪悪感のプログラムはとても不可思議でその人を進めませんがこの誤解を脳からとることで、いろんな新しいページが開かれます。この誤解はとる意味が深いものです。先に伝えたように表面上の潜在意識(なんて言葉はないけれど、一応)は嫌がっていることでも、本当の自分(もうすこし深い層)はきちんと答えを持っていますから。そこにつながるのは意義が深いです。その人の何かが動くと、ご自身なりの歩み方がわかっていくのは興味深いことでもあります。http://www.acoreading.com
2012.09.07
自分は人を好きになって、今まで結婚に焦っていたけれど結婚がしたいのではなくて好きな人と一緒にいたいんだ、と人を好きになって、わかった、という書き込みがありましたが、今、あなたがいる場所から始めてください。ようやく自分の気持ちに気づけたのですから経験を通して、本当の望みは、ああ、なんだ、こっちなんだと思うときには、すごく納得がいく感覚があります。で、その「先」は頭で考えないか、あるいは考え方を変えていってください。望みは結婚ではなくて人を好きになりたいことであれば、彼を好きになれてよかったそして好きになった人と、楽しい時間を過ごしたい結婚については、考えないか、あるいは、好きな人と一緒にいたら自然と起きることを信頼しよう、好きになれる人々と出会っていこう、か、どちらかです。あなたは今まで、結婚結婚と必死にやってきたけれど効果がなかったというようなので、分かるでしょうけれど今までの方法は、少なくともあなたには合っていない方法でした。どうしても、結婚をしたいのは、世間体とか、イメージ、すなわち、それが良いことと人の話から信じていたけれど、本当は、いやだなーこんなの、というのがあれば、どうしてもいろいろやる気にならないです。体だけが物理的にだけ動けるのですが。それでそういうことが自分がそうなんだ、と気が付いた、としたら、好きな人が出来て、そして自然と進んでいく、その方法を信頼してよいのですしもしそれができるようになれば、逆に、前には全然好きな人を探せなかったお見合いの場でも、好きな人が出てきたりもします。結婚がしたいのではなくて、好きな人と一緒にいたい、と気づいたことはとてもよいのですが、何も自分で可能性を狭めなくてよいかもしれませんね。両方(好きな人と、結婚)が手に入っても、自分の望みの形が確たるものになっても(結婚という形ではなくて内容が濃いお付き合いになっても)どちらもいいでしょう?でも今はそれを自分で勝手に限定をしないでください。限定をしなければ、案外、お見合いの場でも今後は好きになれる人と出会えたりこの人は好きだな、と思えつつ現実的な結婚を望める相手とも出会ていくこともあるでしょう。さて、望みには二つの方法があり、彼と一緒にいて楽しい時間、期待をしている時間そしてそれ以上に一緒にいられて話して楽しい気持ちを膨らませて、この楽しい気持ちを実現していきたい、彼とであればいいな、と思うでもそれが実現をするのは任せる、というのと、彼が好きになってくれないと困るという、「彼そのものにこだわる」という方法がありますよね? 本当のことを言えば、恋愛に望んでいるものは実は恋愛に望んでいるのではないのです。ただ、人は、そういう風に相手を必要とすることがあってよいのですしそれも楽しい人生の大事な部分でもあります。だけれど、本当は自分が望んでいるものは相手ではないのです。相手から得られる、自分ってこんなに誇りに思えるし安心をするしのびのびできる、という感覚です。自分がそれらを取り戻せれば取り戻せるほど、いろんな意味でよいことは起きます。また余談ですが、恋愛は失敗をその人の潜在意識は望んでいることもあります。その人の成長、学びのほうが、あるいは、過去の出来事を繰り返して不幸でも、ずっと同じパターンでいることのほうが、幸せよりもよっぽど人の中で、大事なことなのです。(無意識レベルでは)さて、望み方、ですがもう少し視野を広く、欲しいものに(誰かはわからないけれど、こういう気持ちを持っていたいというものに)忠実なほうが、彼とうまくいった場合も早いですし彼とうまくいかなかった場合は他のもの(人だったり良い状況だったり)を連れてきます。ある時期は、その人のことしか考えない時期があって当然だし、頑張る時期も必要なんだし、やるだけのことをやってみてもいいです。やってみてだめ、という事はぜんぜんありませんし、頑張ったからうまくいく、いかない、の問題でもないです。つまりしてもしなくてもその人がその女性を好きかどうかで結果は決まっているところもあります。ただし、広く視野を持っていたら、しすぎているような不必要なことはせず、必要なことだけが起きていきます。また、その人とどうしても結びつかない場合には、どこで見切りをつけるかはその人次第ですが、本当にダメだとわかったときには、悲しみや怒りを通り抜けた先に切り替えをする必要もあります。切り替えられないのであれば、潜在意識に余計なものが書き込まれてはいます。何か余計なものが、本当にあります。近年、上手くいっていない気持ちに引きずられてということも、案外、書き換えは早くできていて苦しみが軽減をする、一緒に暮らしている夫や彼とでもイライラが収まる、という事は出てきているのでとりあえず今は彼にこだわり、やるだけやってダメであれば今、気づいたこと、この彼から得られたもの、得られなかったもので得たいものを、得たい、というように集中をしていればそれは得られます。つまりこんなに話していて楽しいんだ、という楽しい気持ちやこの人はちょっと意地悪だったな、だからこういうときには思いやりがあるほうがいいな、という新たな目標に潜在意識が切り替えられるかどうかにかかっています。通常みなさんは、自分のパターンである、(このパターンがとても強いのでケアーが必要なのですが、ものすごくものすごく引っ張られます)ダメだった、私がこんなで原因はこんなで、こうでああで、とうようにダメなほうに集中をしてしまいまた出てきた怒りや悲しみや、それらのパターンから抜けられないのでおなじものを引き寄せてはいきます。つまり上の状況であれば、話していて楽しかった思い出があってもダメだった、恋愛になれなかった、原因は、悲しい受け入れられない、うまくいったはずなのに、と考えてそれに執着をする時間を持ちすぎていたり、あるいは、意地悪をされた、にくいというようにその人にとどまっていますから。意地悪をされた悔しいという気持ちの目的は、こんなのではなくて、こう私は彼を信じてみたいし相手もこういう人であればいいな、というようにその先にあるあなたがほしいものに行くための気持ちでもあります。だからいろんなこだわりの気持ちが転じていき、先に進むことはいずれ大事になります。その、とどまったり執着をしたりするのが、その人の課題でもあります。もともとあった課題が上がってきてはいるのです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーとどまる感情(抜けられない感情)を抜けて本来のエネルギー(こうなりたいなこうしていくんだ、という望み)に変えていきます。http://www.acoreading.com
2012.09.06
>>その人が落ち着く方向に答えはあります。でもそちらは、今まで永遠に禁じられてきた扉なんです。とても簡単なことなのに、その人はそう考えると自分が破滅をすると信じているからわからない。>その扉をあけるのは、自分ではすごくすごく難しいんでしょうね。苦しんだ先にはそれをあける鍵はみつかるのでしょうか?それともふとしたきっかけで?でもそれは、開けようと思わないと開かないんですよね?――――――――――――――――――――――たとえば軍国主義の国がある、とします。その国は農業をしたら、皆が豊かになる、と周りの国々は知っている、とします。でもその国が、軍事をやめたら、途端に支配をされる軍備で脅さないと絶対に攻め込まれるあるいは豊かになれない、と信じている、としたらそれを止めるのは容易ではありません。脳の中に出来上がった回路があって、とてもじゃないけれどほかの考え方なんてできないんです。これが止められるのは?残念ながら多くの人々がショックな事態を経験してからです。日本で言えば、敗戦によって、ようやく今までの考え方を変えることができました。もちろん、いろんな時代にも愛情深き、あるいは、道徳的なよい面はたくさんあったでしょう。ただ、考え方を変える、ということの難しさについては上記のとおりです。でもできれば、手痛い経験の前に変えたいものですよね。。。。それと同じことがみなさんにも起きています。恋愛で、必死にならないと何かを得られないと思っているとして、手放してのんびり趣味をしているときに見つかるなんて経験をしたことがなければ相手の気持ちを考えて考えて、付き合わないと怖くて仕方がないとリラックスをして自分らしくいた時にちゃんと相手と繋がる経験がないわけだから、そんなの信じられない(農業したら、つぶれるし、それよりか軍事費にとどうしても頭が行く状態)で、怖くて怖くて自分をコントロールしようとします。問題は、本当は自分が思い込んでいるほど、自分が何かをして相手が好きになってくれたり嫌いになったりはしないのに自分だけが頑張っていて必至だ、という点なんです。しかも、その必死さがあってすべて今まで大丈夫だったと信じ込んでいるのでますます話がややこしいんです。仕事で必死になっていれば、その必死さを取り除いたら自分がだめになると思います。でも本当は、必死さがその人を成功させてきたのではなくて能力なんです。能力は、別に必死になって叱り飛ばさなくても、使えるのですがその人の中に、怒って過剰にアドレナリンを発散していないと失敗するという、脳の誤解があればどうしてもそれは止められません。その人が人にやさしくしないとだめだと信じていれば本当は優しく(その人が無理に話しかけるとか常に相手の立場に立って自分が無理をするとかというその人が信じている優しく)しなくても相手はなんら困ったことになりません。というか本当は自分も困ったことになりませんが、それはやめられません。ちょっとの間だけその人が相手をいい気分にさせていたりちょっとの間だけその人の問題を背負ってあげているだけなのですが、だから実は何も変更はない、ということなんですが、それがわかりません。その人の思い込みは、その人にとって一番良い手段でありその誤解を解くことで、簡単に人は前に進めます。セッションのすごい点はそこにあると思いますしその人の思い込みが変わった時の楽さは、とても興味深いです。脳の中でその人は絶対によい方法だと信じきっている「何か」、でもそれは誤解である何かがあってそれが変えられないために、その人の周りの現実が起きてきてはいます。問題は、おいさあ、それって本当にどうだかさ、今はさ。ということへの問いかけです。もし人が、マインド、思考に頼らずに起きてくる出来事にきちんと責任を持って接することができるとしたら、扉は開くでしょう。今までの感じ取り方考え方、からではなくて心が導く良いと思うことを、真実のみを行いあるいは真実しか行わず、ということはしなくてよいことも相当に手を出している、というこという意味ですが、そうやりながら、出てきた事柄に責任をとる、言い換えれば、のんびりしている、出てきたものを考え込まずにしてほかのことも(悩みが一つか二つに限定をされてずっとそれが頭にあり、悩み続けているというのは、本来の姿ではありません)そしてリラックス、という姿勢ですが、悩みこんでいるとそこばかりが目について本当に必要なことは見ていませんから「これが良い状態になるにはどうするか?」「本当にそうしないとならないと思い込んでいるがどうなのか?」という新たな視線が必要なこともあります。でも、頭がそれを許してくれないでしょう?(笑)そういう状態って、とても有能になりますが、クリアーだし、脳の誤解は上記をすると有能ではないという誤解もあるし。また、ある部分はそうなれても、別の部分ではまだということもあるでしょう。仕事先ではそうなれたけれど家族になるとほかのテーマがあがるとか。近年、いろんなことでシンクロが起きています。それは面白い経験です。自分だけではなくて周りの人々もよいふうになっていきます。
2012.09.05
今まさに怖さについて考えているところでした。もともとそういう性格だったのだと思うのですが、震災後怖いという気持ちが増大しました。何かにつけ怖いからする、怖いからしない、と根底に不安感があります。たとえば、私は今子どもが一人いるのですが二人目をずっと迷っています。年齢的にもぎりぎりなので何度か決心して産もうとしましたが二度の流産。産もうと思う理由も、一人だと子どもがかわいそう、何かあったときに頼れる兄弟がいないのは怖い、一方で、二人目が無事に生まれるかどうが怖い、また入院になったらその間子どもがどうなるか怖い、ただでさえ、いっぱいいっぱいなのに二人の子育てをやっていけるか怖い、と、とにかく不安のオンパレード。頭ではその不安がすべてまだ起こってないことなのは、わかっています。でもあの地震によって安全なんてどこにもないんだと感じてしまって、相当のトラウマになってしまったようです。産むことにも産まないことにも怖さがつきまとうのです。私はほんとうのところどうしたいのだろうかと考えるのですが、怖さがじゃましているのか自分でもわかりません。一度産まないと決めたときにほっとしたのは覚えています。これが落ち着くということでしょうか?ただ、それも怖さから開放されたからだったのか本心なのかはやっぱりわかりません。それに、産まないと決めることは逃げているような気もして罪悪感もあります。みんな二人くらいなんなく育てているのに私はどうしてこんなに悩んでしまうんだろうと。なぜこんなに怖がってしまうのでしょう・・・。そして怖がらずにもっとナチュラルに行動するにはどうしたらいいのでしょうか。――――――――――――――――――――――心配性、怖がること、これらは、改善ができます。しかも案外、人によっては時間がかからなかったりします。だから、単なるパターンでもあるんです。で、これはパターンですから、実はどちらを選んでも同じです。ここがポイント。実はどちらを選んでも、心配性である限り心配は消えません。完全に良い状態は生まれないし、心配をしている限り、どちらを選んでも後悔をします。まず、罪悪感にとらわれないことです。選んだら、それで一番良いものを作り出すと思わないとなりませんね。生まないと決めて逃げていると自分を責めるのではなくてでは生まないと決めたら、どうその有利な点を生かすかどうデメリットを改善するのか(たとえば一人っ子でさびしいならばどうしたらさびしくないかをしていけばいいので)ということを淡々としていくことです。お子さんは一人っ子だからこそよく育てることもできます。また2人であってもいろんな出来事があっても乗り越えれば何ともないもの、なんです。問題は何も選べないことと、選んでも後悔をするために「解決することが全く手づかず」ということなんです。お子さんのことについて言えば、人生というのはその子供自身のものでありその子自身がいろいろ経験をしながら進んでいきます。だから親が全部を準備するのではなくてその子が、その子らしく生きるサポートを親はできるのみです。話をもとに戻しますが、ご自身がこれでいいのかこれでいいのか、と悩むこと自体に本当は意味がないんです。もしそれが、本当に良い意味で選ぶのであればいいのですがどちらを選んでも後悔をするパターンをお持ちの方もいます。それは単なる癖なので、事実悪い方を選んだ、というわけではありませんしあなたの場合であれば、震災があったからもともとあった癖が上がってきているのですがどちらを選んでも、これでいいや、これでそして罪悪感を持つのではなくて、正しく「あ、こういうことがあるんだな、じゃあこうしよう」と気軽に思えることが先の道をあなたに見せてくれるでしょう。ーーーーーーーーーーーーーーーその人の恐怖心を改善していきます。本来わかることがわかりにくくなったりしますから根底で動いているものに接していきますhttp://www.acoreading.com
2012.09.05
体の感覚、これをよく感じること、と言われていますが、たとえば、「怖い」と感じて、あることができない(ここで言うなら勝負)ときに、頭で「だいじょうぶ、怖くないから!」と言って、えいや、っと崖から飛び降りる気分で、根性で感情を越えて行動する(避けない)、という選択をよくしてきました。結果、その行動をできた、ということに関しては「避けずにできた」という気持ちは生まれるのですが、行動自体は楽しめたわけでもないし、そういうことを繰り返しているうち、体の感覚を感じ取りにくくなってきたように思います。行動したから得られる、って思って感覚を押し込めてバンジージャンプ的挑戦をやってきたけど、これってあまりよくないのでしょうか。感情を切り離すことと、感情を持ちつつ行動を優先させること、これはどう違うのでしょうか。---------------------もう少しきちんと質問をしないと、こっから先は少し当てづっぽう、というか、ヒント程度なのですが、でもあなたにお伺いをしたいのですが、こわくてもやっちゃう、というのと、本当は何かが隠れている、としたら、その正体を知って自分がまきこまれずにするのと、どう違いますか?たとえばもし、その人が、「やらないとやらないとやらないと」という焦りが怖いのであって、実際には、やることが怖いのではない、とします。やらないと、と思ったとたんに、少し面倒だな、と感じていてでもそれを押し殺すようにやらないと、という気持ちがあった場合相当に怖いです。無理やり親にせかされている恐怖心みたいなのが出ます。人は、やるのが怖いと思っているんだけれど本当は、やらないでおくのが怖すぎる場合だってあるんだもんねーそうだと、そっちの信じ込みをセッションすると変わることもあるんだもんねー。やらないとやらないと、という怖さを取り除くのに、いっせいのせ、でやってしまうと確かにおさまるかもしれないけれど本当は、やらないとやらないとやらないと、という怖さが、面倒なんですよね。その場合ならば。そんなに焦っているけれど別に今、すぐにやらなくても、何も起きないしね、ということだと思うんです。そういう焦りに巻き込まれずにああ?それ、してみるかな、あるいは、しなくてもいいかなもうちょっと待ってみるかな、ほおっておいてみるかな私がやりたくなるまで、相手は逃げないし、どれどれ、、、みたいな心境になれる、としたら?その心境を誰も教えてくれなかった、だからずっとやらないとやらないとと焦っていて、余計怖くって、やるときには必至でやらないとならなくなったり。でも一斉のせ、で飛び込んでいたら、自分の怖さの正体は永遠にわからないんです。体で怖さを感じる、というのは、事実あるんだな何かを教えてくれている、それは何かわからない(分析はしないこと。はずれています。はずれているから解消ができないのであって)けれどあるよね、あるけれど、それでするしないしないとだめ、と決めなくていいんじゃないの?どの選択肢もある、と広げることであるでしょう。そうしたら、自分はその怖さをあると認めいずれ正体を教えてくれることもあるし、巻き込まれなくなります。つらいのは、隠れた部分を無視しているから、なんです。その隠れた部分は頭では考えると違う方向に行きます。頭は、知識から引っ張ってくるのでこんなに親がどうした、こうした、こういう理由でと持ってきてくれるけれど、問題が解消をしません。さらにもう分析が好きになっちゃうと、潜在意識に不思議なことが起きます。絶対に私は今のままでいいんだ、そうできる、そしてずっと永遠に探し続ける、原因を、ということだってありえるのです。もう、原因かな、と思うことを探せると生き生きするんだけれど問題は栗化されたり。でも頭で考え込むのではなくて、「心で」つまり体の感覚もですが、こんなに焦っていて落ちつくと楽だ、とか、こんなにしないとしないとと思っているけれど、そんなにしないとならないことでもないし、もう少し待ってもいいし、ほかの機会にしてもいい、と考えると落ち着くとか、落ち着くほうが答えを持っています。落ちつくこと、そこに答えがあります。その「何か」は当てづぽですから、一人ひとりお伺いをしないとわからないし、違うところでもあります。でも、こんな状態の時に起きていることを、アバウトにいえば、人によっては、準備をしたいけれど、準備ができていないと戸惑う人もいるし、だったら準備をするか今日は準備ができてないけれどそれほど怖いことではないな、と理解をしたうえでする、しないと、を決めたり、準備ができている得意分野で勝負をしてもいいし。人によっては、なんだかそれ、好きじゃないなあ、やりたくないなあというメッセージがあることもあります。検討まで少し時間がほしいだけ、とか。好きじゃない、やりたくないれどしないと○○となる、と信じているとしたら○○とならないだろうし、やってみてもいいし全員がやっているわけでもないしやらないと友達が必ずしもできないわけでもないししないとならない友達ならば友達といえるかな、ということもあるだろうし、というように、いろんな考え方ができるでしょう。人それぞれ違うのですが、その人が落ち着く方向に答えはあります。でもそちらは、今まで永遠に禁じられてきた扉なんです。とても簡単なことなのに、その人はそう考えると自分が破滅をすると信じているからわからない。先の方で言えば、勝負しないと、勝負をしたら負けてはならないし勝負をする以上は真剣ではならないし、みたいな、まかせると相手は気の毒だし(それは自分がそうなりたくないからでほかの人はゲームで負けてもなんともないでしょうし)変なものがその人を操っていますから、それは本当?とうことです。それは本当に、相手を任せたら相手は悲しんでもう立ち直れない?そんなに非道徳的なこと?自分がまけたらこんなにいけないこと、というのは誰の考え誰の教え?自分が落ち着かない、ということは、それは自分にとっては本当の答えではないのに、信じているから苦しいんだ。、、、もし、バンジージャンプに飛び込んでしまうとその人の何かは解消をできないために、ずっとそうしていないとならないということは、あるでしょうね。そしていずれ疲れます。体の感覚を感じてもそれに巻き込まれない、ということはその怖さで判断をしない、ということです。その怖さがあるから無理に何かをしない、する、という判断も本当は怖さに、いろんなものに、込まれています。つまり、怖いからしないのも、怖いけれどするのも、どちらも、怖さに操られています。怖いということはあるけれど、今回はしたほうがいい?しないほうがいい?まあやるならばやるしやらないという選択肢もあるし、さらに、その、しないと○○になる、こうだとこうなるああだとああなる、というのも、事実ではなくてただの感情でそれで判断をしなくてよいのです。怖さは体にあって私には真実なものだ、感じている真実がある、だけれど、怖さを外に置いておこう、感じる私を認めても「怖いからこう決める、怖いけれどこう決める」と怖さを中心にするのではなくて別に自分自身の判断をクリアーにして考えよう。怖さと、戦うのではなくて、外に置いておくとどんな判断をするんだろう?その怖さがあって、しなければならないと焦っている怖さもあったとしても、それらは自分にある、あるけれど、それは本当?感じているのは本当。事実感じている私がいるのは本当。でもそこからそれを中心に判断をしないということでしょうか・勝負の件で言えば、え、そんなに勝負ってしなければならないもの?(信じ込んでいてしないと怖い、負けると怖いとか)え、自分が勝って、楽しんじゃダメって、だれが決めたの?え、仮にどうしてもやらないとならない、として手を抜いたらいけない?そんなに永遠にトランプのことが尾を引く?ここらへんにホッとする本当の自分の本質の声がありますがここがあまりに禁じられるとそちらのホッとする感覚がなくなります。なくなったまま、何かに操られて(恐怖心に)しまう、ということなんですが。もちろん、思い切ってやると自信につながります。それは素晴らしいことです。でもそれが、どうしても自信につながらない、としたら何かに無理はしすぎてはいるのでしょう。ね。^^――――――――――――――――――――――自分の中の真実に触れていきます――――――――――――――――――――http://www.acoreading.com
2012.09.04
小さい頃からトランプとかのゲーム類がとにかく嫌いで、幼稚園でもゲームの時間になると具合が悪いと嘘をついて見学してました。フルーツバスケットで真ん中に残っちゃったときなどもう、パニックになるくらいの恐怖感で、大人になってからも勝ち負けが出るようなものは大嫌いです。ちょっとした勝ち負けを楽しめたらもっとラクに生きられるのに、勝負しか見えなくなり目的を見誤ることがよくあります。そのくせ、勝っても喜べないし負けたらすごく引きずります。勝ち負けのない世界にいきたいですが、それより勝ち負けを気にしない自分になれたらラクだろうな~と思います。――――――――――――――――――――――一つ、説明をしておきますが、色々起きていることって、身体に染みついていますよね?理屈では分かるんだけれどどうしても反応が起きる、というのは、この部分です。身体に染みついているのは、身体の感覚をつかさどる部分と記憶と、理屈とが、入り混じってごったになっている、ということでもあります。勝負が生き生きできないで、怖くて仕方がない、というのであれば、「怖い」ということと (身体の感覚)、と、「勝負」が、脳の、一緒のファイルにしまわれていたり、片方が上がると片方も同時に上がってしまう、ということなんです。通常、ゲーム、勝たないと、というのは、後から入った理屈で最初に体の感覚で怖い、というのを覚えています。全然違う怖いことと結びついていたりします。それと、も一個は、おそらく、何かがっかりしたときにガッカリで感じる訓練ができていないようです。がっかり、ではなくて上手くいかない時に、怖い、で感じる癖になってしまっている、というか。だから、そちらも修正をするんだろうなー、とは今聞いた限りでは思います。不思議でしょ? 簡単に何かを感じ取られないと、ほかの気持ちが上がる癖になってしまうんです。がっかり、なーんだ悲しい、そして泣く、すっきり、という子供は正しい方法を取るんですがそれができないと、身体に残るんです。あるパターンが。すると、非常に怖い、ほんとーに、怖い。それはよくわかります。まずは、ごったになっている体の感覚と切り離してみてください、あ、身体が感じている、怖いって。縮こまっている。あるいは緊張をしている、でも実際に、怖いことは何も起きていない、よし、この怖いのを、ただ、身体を通して止めずに流すぞ、みたいな。実際に何かが起きているわけではないんでー。これは感情、感情だから何も起きない、ということを知っておくことは大切です。脳の中に謝って入った様々な記憶を、整理をしていくことで生きやすくなります。http://www.acoreading.com
2012.09.02
皆さんに相談させてください。ある習い事をしているのですが、習熟度によってレッスンを分けているので、基本的にメンバーは同じレベルの人たちです。なのですが、私が優れている部分については褒めずに、できていない部分を極端に先生に攻撃されているように感じています。定性的な部分で割ときつい言い方で注意を受けます。例えば「覇気がない」のような類のことです。直接的に内容に関係する定量的な部分ではなく言われるので、人格を否定されているような気分にもなります。具体的に何についてどう直せばいいのかは今度聞いてみようと思いますが、私の考えすぎなのでしょうか?例えば、上記の例だったら「姿勢をよく」とか具体的に言えばいいと思うのですが、感情の入る表現を使うので素直に聞き入れられない気持ちになってしまいます。------------------------人の関係は、自分の何かを映し出します。それで、この書き込みだけでははっきりしませんし、たいてい、メールカウンセリングで詳しくお話を伺うと、今表面に出てきていることとは少し状況が違うし、セッションであつかうと、かなり違うものが出てくるのでようは、ここで伝えるのは、一部なんでしょうけれど、でも大事なのは、「あなたが」具体的ではないな、と感じている、ということです。これは先生ではなくて「あなたが」感じていることです。人は皆、問題を相手の問題としてとらえますが、実は自分にも何かが起きています。そして自分に起きた「何か」を処理することが、問題の解決につながります。ということは、やはり、あなたから、何を直せばいいのでしょうか?ということを、聞いてください。そういうことを聞かないでおられることが、覇気がない、ととらえられているように思うのです。つまり、ご自身の中で、出来てないことをくどくど言われるのが嫌で、それは通常の関係性の中でも表れやすいです。独立心の表れでもあるのですが、幼少期などに責められて心を閉ざした部分でもあります。そのために、それを、人格の否定だ、ととらえすぎていて具体的にわかりたいな、なんだろう?という純粋な気持ちに通じなくなります。すると、問題の解消が人任せになっていて先生からするとかゆいところになんだか手が届かない、みたいな、何らかの先生を映し出してしまうところはあるようです。相手にしたら、なぜ通じないんだろう、と一人すったもんだしてしまう状況に入ります。お気持ちはよくわかります。こんな先生、嫌だよね。ここだって、あなたが感じってよい、大切な部分です。実は無力よりも、怒りの方が解消に近い気持ちの扉でもあります。怒りよりも、欲求不満?こんなの本当に嫌、だからこう変えたい、みたいなものをかんじれたら、先に行けます。ここからまず、先に行けば解消につながるでしょう。先生のお気持ちを表すならば、具体的に言うことを避けていらいらになっています。これは通常、心の奥底に、この点は嫌だな、嫌なんだけれど言ってはだめだな、という思い込みがあることを示しています。思い込みがあるから、いらっとしたときにジョブを出すんだけれどピントがずれます。先生がセッションに来たら、そこを変えちゃうし(笑)すると自然、「ここは、こう直すと良いよ」という気持ちにイライラではなくて繋がれるでしょうしあなたであれば、ご自身の中で、ご自身の投影、つまり、何か直しなさい、と言われると、あ、これ、とわかるよりも、嫌だな自分ばっかり、という気持ちがわきやすいのでそこが相手にひっかかります。そちらには引っ張られない工夫をすることがテーマです。全部否定をされているんだ、と思えば、実は、自分も相手を見捨てます。相手に自分の問題の主導権を握らせてしまうので無意識に、相手からのアプローチを待つようになります。相手が直してくれればいいのに、と思うようになる、ということですね。これは自分の力を放棄して、相手任せになっている状態でもあります。それがますます相手にすると覇気がない、というように映ります。ご自身の本心である、「直したいな、具体的にわかりたいな」というお気持ちが感じられなくなってしまうために、何をしたいのかもわからなくなります。どちらが直っても問題は解決に向かうものですからご自身としては、まず最初の段階で注意をされたときに、すごく軽く、とても無意識に「嫌だな、私ばっかり。何を言われているのかわからない」という気持ちがわきやすいこと。でもそれは「注意をされた、それが当てはまるのかどうかは知りたいなそんなに注意をされたくはないし」あるいは、「注意をされても、ここはこういいんじゃないかな」と自分で安心をできる、のように、なんらかの、まだ表れていない本心につながる訓練が必要なこと、その、へ、私に注意?嫌だな、という気持ちがあれば相手も、自分を拒絶されているように感じること、またその一連から、人格を否定されていると感じすぎていること、でもこれは、事実ではないこと、何らかの解消をできていないパターンが上がっているだけのこと本当に感じたい気持ちは、行きたい方向はわかりたいな、何をどうしたらいいのか、知りたいなこの注意が当てはまるのかどうか相手に関係なく検討をしたいこと、(あるいはいいもん、とほおっておける独立心のほうに繋がりたいのかもしれません)という純粋な気持ちであること、ここにどうしたら繋がれるか、ということが解決のいったんは担うようです。で、私が話していることは、あなたが話している言葉しか使っていないんです。(笑)だからおんなじ状況でも人により、回答が違います。見せてくれている部分が、違うからね。あらゆる問題の答えは、その人の中に確実にあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー本質につながります。http://www.acoreading.com
2012.09.01
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