全21件 (21件中 1-21件目)
1
ごめんなさい、過去のことをずっと見ておられるのでそれにその恋愛も、本当の相手を見ているのではなくて自分がこれはこうなんだ、こんなに意味があったはずなんだ、というように意味をつけすぎていて、作りだしているところは、大きいように思います。で、少し突っ込んだ話をしますが、あなたは、過去を大事に持っていたいですか?こんなにこうだったんだから、ということを手放せずにこうだったはずなのに、こういう過去があるから、自分が大丈夫だ愛されているんだ、みたいなものを大事にしてしまうと、それしか創りだせないんです。似たような状態を創りだして再現をするかあるいは、過去はこんなによかったはずなのにと考えることで満たされていくか(新しいものが生まれない、ということです)それとも、本当に新しい関係を築いていきたいの?ご自身はわかると思うのだけれど、これだけ過去のことを手を変え、品を変え話したい過去のしてくれなかったことをしてほしい、と反応をしているのであれば、それは、本当は、そのうまくいかなかった彼が原因ではないです。ご自身の中にある絶対に愛されるはずなのに、みたいな痛みというか。もっと違うところなんだろうけれど、またあらゆる状態を過去の投影で見ておられるので、他の人と違う状態でも分からなくなって、彼にしてほしかったことを望むだろうし、また、とその過去が大事になってしまってずっとそれを大事にこだわるために、新しいものを創りださずにいるか、同じようなことを繰り返すかになりますがどうしますか?選ぶ準備はできていますか?新しい未来を。ちょっと受け止める準備が出来ていないと、きついと思うから、日記に書いた物かどうか、迷いますが。ご自身で決めてみてください。過去に生きるのか、それとも本当に、過去はできなかったんだ、といったんけりをつけて、それがある自分に価値があるという感じ取り方ではなくてなくていいんだと、切り離して未来を創りだすか。それと、相手の気持ちをずっと自分が決めつけすぎです。自分が好き、これは好ましい、これは好ましくないというのはできますが。好ましい行動をした時にはこれは愛情、自分への気持ち、好ましくない時には、これは相手がこんな理由で出来ていないはずだという風に考えすぎると、相手との関係がきちんとしていかないんです。さらに全部自分の行動次第で全部うまくいくはずいかないはず、と、自分の行動が恋愛の成功を創りだすような錯覚に陥るから相手はいろんな動機がいくつも複数あって動く人なのにそれもわからなくなります。男性であれば、恋愛をしているとしても他の動機もあって動くわけですから。そういうことが分からないでだんだんと相手が離れてしまうこともありえます。そして常に自分が上手くいかせないと恋愛は出来ない気になったり、相手が自然と好きになったり失敗をしても受け止めることがわからくなります。そうすると自分も、行動ができなくなります。自然な。行動不審になる人って、相手の気持ちを勝手に推測していて全部自分の行動が相手を動かしている気がしてしまい、幻想で創りだしている相手とかかわることになります。そのため、大人の相手とかかわっていないんです。相手も大人で相手は自分の気持ちを自分で整理をする権限も力も持っています。相手の気持ちは相手に任せないと。つまりそこまで推測をしてはダメなものなんです。人と人との関係で、「え、そうは言っていないんだけれど」と言われることがある、としたら、幻想の相手とかかわっているのです。自分がこういうことを言うということは、こう考えているに違いない、という相手とです。過去の整理をしてみてください。過去にできなかったことをくよくよしますか?それは相手が必ず自分を好きなはずだ、という決めつけの下に出てくる考え方です。絶対にうまくいったはずだ、というように、相手を無視した考え方でもあります。自分がそうしたいのはわかります。でもそうすればするほど自分の脳は、「過去のあんな素敵なことがあってあんなにできたんだから、そこが出来なかったのを悔やんで本当はできたはずなんだ、という事に依存をしよう」とします。l依存はコーヒー紅茶だけではなくて、こうできたはずなのにという幻想への依存もあったり、そのために現実今はそうなっていないことを受け入れないそしたら自分が大丈夫そう、という気持ちへの依存だって、あるのです。でもそうしたら、同じような状態ばかりを創りだします。未来は、あ、できなかった、そういうこともあるんだなとこだわりなく抜け出た先に全然違うことが起きます。その相手は、同じ失敗をしたのに、平気だったりします。え、大丈夫なん?え、私が誤解をするような態度なのに怒ったりしてもちゃんとかかわってくれるん?不思議な世界が広がるのは、自分が新しい未来を受け止められるようになっているからかもしれません。
2012.07.31
隠したい自分や認めたくない自分というのがいるもので。それをシャドウと呼びます。たとえば、威張りたい、とするでしょう?でも、ある時、自分が威張っているのはよくないかな、と抑え込んでいるとします。これが、自分がみたくない部分、シャドウかな?まあ、とにかく、そういうのがある、とするでしょう?でも止めるのではなくて、隠さないと嫌われる、でもなくて、あ、こういう動機で威張りたいんだな、と気づいたうえで、それをしてみる。許してあげる。うーんこの場は少し抑えるかと思ってもいいけれど常に常にいけないと抑え込まない。相手の助けを借りたり、こういうところが満足するんだありがとう、という意思を持ってしてみる。それは、威張りたい、でもダメだ、いけない、と思うよりも、ずっと、自然な可愛い姿です。えへへ、こんなのできちゃった、満足満足。そうできるのを許せたら、相手がそうしてきても暖かく見守れます。自分が威張っていて嫌だ、嫌だけれど自慢をしないと不安だというような葛藤ばかりになれば、威張っている人を嫌います。それに自分も威張っているんだか威張っていないんだか、他の所で、権威を出してみたり。もっと複雑な威張り方をしているかもしれないよーだし。ね素直でいいんです。人間は。自分が隠している面とも、上手にお付き合いをしてみてください。
2012.07.31
恋愛で物を頼まれる、利用されるだけの関係1個前だか2個前だかの、日記のぶら下がりコメントの件で。KENさん、あなたは正しい選択はしています。ご自身が今まで、あまりに、自分の意思で決めていないんです。頼まれたらする、だから今回、そうではなくて、自分の意思で決めること、が課題になっています。もちろん、あなたにとっては、それは意思に感じていたでしょうけれど自分の癖である、めんどくさいしね、いいか、という動機で少し関係性のコミュニケーションを諦めながらする癖があって、そういう諦めながらいいやいいや、というのが癖でその癖から、選ばされている、というか。あなたの課題は、自分がしっかりと、良いと思うことを決めること、です。ただ、少し話をしておくと、あなたは、彼女が笑顔ではないことにこだわり過ぎです。また、コミュニケーションの方法なんですが、自分の意思を伝えずに相手から愛して欲しい、という方法も使い過ぎているんです。たとえば怒っているの?と聞いているけれど、相手は本当に怒っていないのかもしれません。でもご自身の理想通りではないこと、笑顔ではないことは見下しているし相手が腹を割って話してほしいのに、そうではないならば逃げている見下している、というように、自分の理想は相手から作りだしてくれて相手がそうしない限り見下している、と感じ取りやすいことは、知っておいてください。何というのでしょうか?腹を割って話し合ってほしのはあなたですか?彼女ですか?ということです。「あなた」がしたいことなんです。このため、恋愛では、常に見下されている、と感じることが今後出てきます。ちょっと注意をしてご自身を観察しておいてください。またご自身が笑顔はいいもの、暖かくされるのは良い物、と思い過ぎていて相手からそれを求めすぎていることも、です。ご自身の癖、なんですが、相手が自分の理想通りにしてくれないことを見下していると感じます。でも、相手は常に笑顔でいなければならない、ということはないんです。彼女の笑顔は営業用であり、話しかけるとき注意をその人に向けた時に多く出ますから。そして見下されている感じがするこの顔の方が本物です。それに話し合いたくないのは逃げているのかどうかわからない本当は、え、そこまで何かをしているわけでもないし困ったな、とか他の動機があるかもしれませんし本当に怒っていなかったり、笑顔で接することが出来ない自分を責めているのかもしれません。笑顔を出すことは彼女にとってよいことらしいからそうできない瞬間を見破られるのは自分がいけないみたいで動揺もするでしょうし。相手がたとえ仮に貴方との恋愛を避けている、としても指摘をされて話をしないのは、別に思いやりであって、見下しているんじゃないし、。どちらかというと説明をしにくい、というか、そっちが動機だろうし。だから、自分の望んだ方法ではないたびに見下されているというのは自分の感じ取り方だ、と知っておいてください。何というのかな、自分の望んだ通りの方法ではないと、相手が自分を馬鹿にしているからこそ、大事にしていないからこそこういうことが起きるという帰結をしやすい、ということです。人が動くのは一つでの動機があるのではなくて実は複合しています。でも、恋愛中は人は全て相手がすることは、自分が原因で、と思い過ぎたりする傾向があります。確かに、あなたと恋愛になりたくない、という事はあり得るかもしれません。そして、それは好意なはずだ、という意見には、それは違うと感じておられてあなたがそう感じるんだから、好意からではないでしょうけれども、だからといって、見下してはいないことでしょうし。いろんな動機があったり悪いとか申し訳ないとか、すべて見下していると感じ取りやすくなっておられます。コミュニケーションというのは、自分の意思を伝えるためにあり、相手が自分の理想通りにしてくれるためのものではありませんし、それは自分が意思を伝え意図を伝え、相手がすることをゆるしという複数の(しかも一対一だけではなくて)いろんな会話の結果、理想の現実は、いろんな方面から、現れてくるものでもあります。ご自身が、あらゆる人との関係性が、自分から意思を伝えないで(微妙には伝えるけれど、暖かくしてくれないと二度目はない、というか)でも相手から好意を待っている、というのは、あなたの人生の課題でもあります。例え意思を伝えるとしても、諦めている、というか無自覚なのですが相手が暖かくあなたを迎えてくれない限り、無意識に諦めるのでコミュニケーションというのはそういうものではなくて自分が意思を伝えて相手が選ぶ時にのみ、開かれる、ということは学んでいってください。(たとえ相手がマイナスを選んでも許すことそして意思を伝え続ける勇気がコミュニケーションです)たとえば怒っているの?ではなくて、そこから自分に心を開いてほしいでもなくて、私は怒っていると思っているんだけれど、そういうことがあるとしたら、話をしたいと思うんだけれど何かあるならば話し合いたいんだけれど、というように、自分が意思を意図を、自分が思いを持っている責任者、として、伝えることが必要でしょうし相手が理想通りではないと逃げている、ではなくて、本当にそうなのかもしれないし、でもだからといって何かは自分からしてもいいし、そのままのことを、逃げているし、してくれないし、という判断を持たずに待っていたら相手が変わることもあります。自分も自分から本音を伝えるのは避けていてジョブはかけてみるけれど、パンチはあちらからね、という事をし過ぎているかもしれません。宿題を頼まれたときに、もう一度聞いてもいいんだけれど、但し、相手が怒っていないというのであれば、そうなのかな、とまず受け止めてみること。決めつけられるとどうにももう話しにくいんで。話をした時に、その人から、絶対にこう、と決められると話がしにくいんです。本当に怒っていないかもしれないし、怒っていて隠しているとはしてもだから見下しているわけでもないですし。あるいはそっとしておいてほしくて、それはそんなに、その当人が思うほど大きな問題ではないこともあります。つまりコミュニケーションって、自分が何をしたいかという意思や覚悟も必要なんです、相手がこうしてください、ではなくてたとえ上手くいかなくても私はこういうことを作りだすためにこうしてみたい、という、自分の意思(相手からではなくて)を伝えて、そしてほおっておいて、受け入れて、待つ、姿勢。相手を本当の意味でそのまま受け止めるということ。相手が自分の思った通りではないと判断をしてしまうとそこですべてが終わります。繰り返しこれができる、ということは、自分の思ったものでも心を閉ざさずに会話をできたり、決めつけずにいられることが出来る人々は、周りとの関係をよくする力を持っています。あなたは、賢明な人なので、自分がしたいことは急激に好きです、とか、好意を伝えることではなくて、自分が段階を踏んで仲良くなりたいという意思があること、にどことなく気づいておられて、でも、物を頼まれるのは、少し断るという事をしてみたいこと、まあ今のところは、それはバカにされていると感じることからだけれど方向性としてはあってなくもないのです。ということもなんとなく話し合いながらまとまっていきそうで。それは今までの人生で自分の意思で決めていないので彼女という人を通して、「自分には本当はしたくない意思があるかもしれないけれどそれらを感じず、ま、いっか」という感じ取り方をしてきてしまっているからそれがチャレンジとしてきていること、断っていいんですよ。本当は。それらを少し本能的に方向は正しくは行きたいなというのは現れていて、これらのことが達成をされて初めてちゃんとしたパートナーシップの基礎になることはお伝えしておきたく思います。また、自分の理想通りに動かないと相手が悪いと、誰もが、思うことを知っておくこと。でも相手にはまた違う現実を生きていることが、付き合い始めてとてもよくわかっていくことでしょう。付き合うともっと出てきます、あれ、この人馬鹿にしている見下しているというときには、自分からしなければならないことをせずに相手任せになっているときかもしれません。今後達成をしていくことは、今回自分の中で起きている事柄を、正しく受け止め気づいていくことです。どうぞ、自分がこれがいいな、と思ったことをしていってください。きっと納得がいく道は歩んでいかれることでしょうから。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー人生の課題を見つめなおすためにhttp://www.acoreading.com
2012.07.31
がっかりするのは、幼少期に本当は自分はこうんだんだけれどというのが上手く受け止めてもらえなくて繰り返し繰り返し、いや、それじゃないんだよねと心が知ってもらおうとしているということでもあります。取り急ぎ、何かがあるとガッカリするのは解消をされない同じ感情が湧いているんだけれでお癒されたいんだけれど、本当はガッカリするような出来事ではない、と知っておくとよいかもしれません。つまり起きていることは、それほど大したことはないということでもあります。ある出来事に対して、ほらほらまたねどうせ○○で私は○○で、みたいな気持ちが湧く条件付けになっていてそれそのものが癒されたいと願っているということです
2012.07.29
目標があって達成したらがっくり落ち込みまた目標ができて、とか、目標があって達成をしても少し違っていてだんだんとガッカリしてまた目標が見つかって生き生きとして、というのを繰り返す。という事が書かれてあって、その方は新しい目標が見つかったようなので、新しい目標が見つかってよかったですね。さて、繰り返す理由なのですが、目標に依存をし過ぎるとそうなることがあります。目標は「ただの」目標だと知っておいてください。人生の目的でもないですし。何かがあると幸せというのが励みになるうちはよいのです。でも、「何か」がないと幸せではないというのは、いつもの自分ではだめだという信じ込みを植え付けられている、ということでもあり、それ(目標があるときだけ輝ける)に依存をすると目標があるときだけ生き生き、そして目標を達成しても、自分自身が完全になるわけではないので、というのは、自分が今完全であることを知らないからですが、そして、一般的な基準に標準を合わせてしまっていて標準は移り変わるし、自分も移り変わるし、環境も常に移っていっているし、そのために、それは完全ではないと思い始めます。だから、ダメ、という繰り返しを長年にわたり、します。そんなことをあまりすると、長年繰り返した結果、自分が動きたくなくなっていってしまうこともありますから。まあその時に整理をすればいいので、今は目標をしっかり達成をしていってください。というのは、繰り返しはあってよいものではあるからです。ただ、バランスの問題。あまり目標に依存をし過ぎると、アップダウンはきつい、ということですね。成功者が、ときに麻薬に行ったり、整形手術依存になって自分を崩してしまったり、案外、不幸になったりするのは、成功以外に幸せがなかったからです。そのため、だんだんと標準がわからなくなります。目標がなくなって、一個のことに固執をしてしまう、とかもうなくなってしまった状態になるわけです。老後が豊かになっている人々は成功は確かに自分の価値の一つにはなってはいるかもしれませんが、それはほんの一部です。老後豊かに(心も、いう意味で)なっている人は、自分が楽しいと思うことを見つけていたり人との和を(一つに依存をし過ぎずに)作っていたりもします。近所の八百屋さんと話をしていたり、趣味をしていたり、畑をしていたり家族と話していたり、ですね。自分が自分であってよい、という満足感を成功する前から、持てているのです。それ=自分が自分の居場所を作る事=は大げさなものではなくてよいのでー。いろんなときに自分がみたされていく習慣は必要です。心理学で、自分に不信感があればあるほど、小さな目標には見向きもせず、全く何もしないか、選ぶときには達成困難なものを選ぶ、ということが言われています。ということは、自分を信じられなければられないほど、達成しても喜びがないので大きなものでしか反応をしない、という条件付けが出来ている、ということでもあるでしょう。これでよかったんだ、という感覚が持ちにくいのでそれを目標でカバーをしようとすると、苦しみが生まれます。これこれ、これでよかったんだよね、と小さな事柄に思えるようにしていってください。幼少期に「あなたそのものはダメだけれど目標を達成したあなただけは認めてあげる」という事を示されてしまうと(自分がそう期待をされていると信じ込んでしまうと)日々感じられる達成感が感じ取れなくなります。という病が現代病です。そのような生き生きした感覚は、実は、何かをやり遂げた時にのみ感じるのではないのです。日常の生活の中で、スパゲッティ-をそうめんで作りたいとか意欲を持って取り込んで、面白い味と思えたり、これはこうしたらいいな、うんそう、と工夫をできたり、創作をできたり、感じていくものです。小さな小さな満足があれば、いろんなことが同時にできています。」そうめんなんて事実、ほかの人にとってはどうでもいいものかもしれないけれど仕事でもいろいろ成功をしやすくなる部分も出てくるわけです。それら、自分が良いと思ったものを良いと感じ取れる能力、が失われると、人は何とかしてその感覚を取り戻そうとします。それを取り戻すためには、自分の日常はくだらない物、と脳が信じてしまって感じ取れなくなったために、大きなことをしないと、となってしまうのです。でも自分が満足感を得ている状態は「何か大きなもの」によってしか出来なくなっているために、アップとダウンを繰り返します。で、大きな達成は、日常の小さな達成でも喜びを感じ取れてももっと大きなものを得られることもあるのです。向上心がなくなるということではありませんから。体は正直で、目標依存の集中方法は、生き生きと自分を信じて集中をしているあり方とは違う集中の方法を、(身体も)とっています。つまり違う部分を使って集中をしている、という意味ですが。魂の旅、人生での旅は、自分本来の美しい姿を取り戻すことでもあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーー今の自分の本質が取れるバランスを取るためのセッションです。http://www.acoreading.com
2012.07.28
許すというのは相手のためではないんです。もうその人のために苦しまないという選択です。自分の過去ではなくて未来を生きるという選択ですから。
2012.07.28
これからの人生は父親とかかわらない】を目標に動き始めた途端、もうすでに躓きました。また父と一悶着あり、まぁそこまではいつもの流れで最後に「一刻も早くこの人から離れたい」との思いが更に強まったまでは良いのですが、家庭の金銭的事情で例え離れても支援しなければならない、金銭的事情が解決しても老後を助け続ける羽目になる(法的に)自分の事が一番嫌いだ!と感じました。父がイヤ、家庭環境がイヤなのだとずっと思い込んでいたけれど、幼い頃から今に至るまで一番私を傷付けて暴力を奮い続ける父親を、これからも助けなければならない自分が嫌いで仕方無いです。父親を助けてる自分が大嫌いです。汚らわしいです。そんな私を私自身が許せる日が来るのでしょうか…。幸せになりたいのに法律に縛られて関わり続けなければならない未来に絶望を感じました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーという相談内容に嫌だ、というのは良い感情なんだけれどつまり、暴力を振るわれるのは正しくないと知っている部分があるわけですから。でも、助けている私は○○、という誤った価値観があるようだからそこを整理してみてくださいね。なんだか混乱をしていて、混乱というのは、感情と誤った思想がくっついていることですが、助ける私はそれを受け入れたことになる、とか、いたくないのに、いる自分を許せていないとか、何か他の課題があるようです。金銭的にたとえ援助をすることになるとしても例えその父親を万が一、仮に本当は助けたいあなたがいるとしても、それはあなたの弱さでもなければ、暴力に屈服をしたり悲しい自分を否定しているわけではないのです。本当にかかわりを持たない、というのは、助けても自分の楽な範囲ならば、何も感じないし気軽に拒絶もできるときなんですから。離れる、というのは、別々の人間なんだ、と感情が巻き込まれずに許せていることでもあります。けがらわしい、絶望的、と思えば思うほど、不思議と自分から離れていかない状況を生み出します。金銭的には少し勇気をだせば出られるのかもしれません。でも、今、こうである自分は、全然けがらわしくもないし、そのうち整えば、自立をしていってよいのですから。けがらわしくないんですよ。仮に助けてあげる、あるいは、親から離れていかない状況があるとしても。そんな自分がいるとしても。自分はこんな家いたくない、絶対にいたくない、絶対に許せない許さない、でも一方で助けてほしかったり、親の愛情を求めていたりそういう自分がいるかもしれません。自分のあらゆる部分を、嫌わないこと。自分を抱きしめてあげてください。それを認めることは全然暴力を受け入れるということではないのです。自分に起きていることを、正しく理解をしていくということでもあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー人間関係を癒しますhttp://www.acoreading.com
2012.07.28
女性の皆さんが、一つ知っておかないとならないことは、自分が自分で休む許可を出す必要がありこれは、周りの人々に依存をすることではない、ということです。女性たちは、長い歴史の中で、献身的ではないといけないという思い込みを細胞に蓄えています。そのために、誤った人とのかかわり方を身に着けました。たとえば、すごく一生懸命仕事をして、休めない、とぶーぶ文句を言う。相手が自分に気遣ってくれないのでますます頑張って気遣ってくれない、という。あくまで相手が休みな、大丈夫こうして、というまで待つという姿勢です。男の子あるいは、男性には、こういった「献身的が素晴らしい」というような、「自分が休んではならない」というような間違った思い込みも、あるにはありますが、家庭の中で頑張るというようなものは比較的少ないために、「ん?別に休むな、なんて言ってないじゃん。どうしてぶーぶー文句を言われないとならないんだ勝手に休んでくれていいのに」というように思ったりあるいは言葉に出して言うこともあるかもしれませんね。自分が頑張って頑張って頑張ってなのに気遣われずに、何でなんでなんで。と言い。自分が本当にリラックスをして休んで良い許可は相手から与えられるものでもなく、つまり、いやがらせをして(頑張って文句を言いづけること、私はこんなに頑張っているのにと頑張り続けること。)得られるものではなくて自分が自分に許可をしないと与えられないものであること、そして自分が自分に与えてゆったりしているときに周りの人々も自分に優しくなること、なぜなら自分が自分に優しくして良いと信じているためにー。ということは、伝えておきます。あなたのお母さんを思い出してみてください。こんなに私はやっているのよ、イライライライラ。あなたはそうしてほしかったですか?でもお母さんはそうしていないと、自分には価値がない、と信じていて。今日はゆっくりしようね、あ、お父さん帰ってくる時間だおいしい物作りましょう、とゆったりしている自分には価値がないと信じている女性たち。それは、自分たちの本来の力資質女性らしさ豊かさを否定して生きる姿かもしれませんし。ね。自分を取り戻していきます。http://www.acoreading.com
2012.07.26
考えることを、手放してください。考えはどこにも連れて行きません。だって、正しさ(価値の判断)は,人によっても社会によっても異なり、正しいとは限らないのです。たとえば怖さにしても、今は本能が怖がって逃げなさいと教えてくれるかもしれません。だとしたら、怖い、それに即して行動(頭で判断する前に体の本質が動くことを止めない)で、正しいこともあるでしょう。でも次の瞬間の怖さは、それは過去のもので気にしなければすぐすむものかもしれません、。意外に思うかもしれないけれど、それは瞬間のことであり次の瞬間はまた微妙に違う答えがあります。社会状況状態、相手との関係性、常に常に秒速ごとに変化をします。頭は一個の答えを求めしがみつきます。そしてそのために相手ともめます。また状況が常に同じだと思います。二つに一つだと信じそれを行ったり来たりします。環境や相手ともめるのは、相手も感情も時々刻々実は変わっています。そして微細な答えが常に揺れ動きバランスを取っているからです。頭が一つの答えにしがみつこうとするのに対して、命は、潮の満ち引きのように常に違う正しいとても柔軟な流れを用意します。そこには一つの正しさというのはないのです。常に常に柔軟にその時を生きる強さがあるのみです。その柔軟さは、頭で考え込むことをやめ、本来の命の柔軟さと流れに沿えない限り決して得られない物ですが、頭は生き残りを求めて(考えが自分だと人は誤解をしているから、考えなくなったら自分ではなくなる気がするから、安心をした経験がないから、暗視をしたらすべて終わる気をさせて)考えをやめられないシステムにもなっています。いま瞬時優しさを示し相手の会話で、本能的にこれは相手にさせようと思い何かが相手が自分でできるように指導をするかもしれないでも次の瞬間相手の心が開き、今必要なのは、支えだとわかればその瞬時必要な支えをしています。その話した瞬間じゃあここはほっておいていいなとわかるつまり言いたいことは、相手を支えるか自立か、ということだって、とてもがちがちな、ほっておきな、とか、ささえないとダメだよ、という一つの答えがあるのではありません。そうこれはできるねやってね、となり、次の瞬間にはあそうじゃあここは手伝うけれど、となり、となります。自分自身と寄り添えば、(それは実際には相手とも同時に寄り添えています)あらゆる頭の物語から離れていたら瞬時の正確な判断があります。これができるのが自己信頼です。ああ本当に自分はこうだな、そしてこうすることがとても誇りにつながるというのがわかります。一つの会話の中で、命の流れと対話があります。でも皆さんは一つで対応をしよとするから流れていないから、相手との関係性もきちんとした美しい流れにならないのです。こう着、ですね。本当の意味の愛があれば、法則や法律はいらない。それは事実ですが、それを実現できる社会でもないので、今はいろいろ必要ですが。愛を押し付ける(愛とはこういうことをしてくれること愛とはこういうもの、という考え方が根底にあって相手にそれを強要すること)のでさえ、それは本当は本物の愛ではないかもしれないのです。頭の理念、ということでもありえます。流れを知っていたら、愛は頭で考えるものではなくて経験をするものだからです。
2012.07.26
たとえば、彼にあまりデリカシーがなく、言葉遣いが悪い場合、こちらとしては、あまり気にしないで生きていくことが、いいのか、耐え難い場合、子供がいるわけではないので、別れたほうが身のためなのかわからなくなっています。彼は出ていきたければ、出ていけば?という感じです。今は、流して生きていますが、ふと思いだしたり、やる気がなくなったりします。死ねっとか言われるよりも、顔のコンプレックスについて嫌がらせで言われるほうが、耐え難いです。ただ子供っぽいからそうやって人をののしってバランスをとっているのでしょうが、私のバランスが崩れます。顔の事は、自分でも気にしていて、事実なのですが、努力はしていても、根本的には、どうにもならないのです。欠点ごと彼に好きになってもらいたいなんて、求める相手間違えてるのかな…。このまま流して明るく生きていけば、言わなくなるのかな。そんなに美人がいいなら、さっさと私と別れればいいのに!-----------------------------問題って、ほんの表面上しかその人には見えていないんです。たとえば相談者が双方から来るとするでしょう?あなたと彼とです。すると内容が全然違います。同じことを相談しているのに、なんです。なので、この一件だけではアドバイスできないです。よくよく引き出してみると解決方法は人それぞれ。でも、これはご夫婦の場合ですから、ご夫婦だとまた事情や解決方法は違いますが今回は恋人同士のこととして、アドバイスをします。人によっては自分が悪いと思い過ぎていて、無理をし過ぎていて、相手の人柄が偏っているのにわからないでくっついている、という事が問題のことがあります。で、何か相手を悪く言う人とくっつく人がいます。また逆に、よく話を聞いてみると、ご自身も結構なことを彼にしていることがあってうまく話が回っていないこともあります。その際にはコミュニケーションでぐっと関係が良くなることも、あります。でね、人って面白いんですが、相手に対して言っているアドバイスって無意識には、自分の心からのアドバイスだったりするものです。「そんなに美人がいいなら、さっさと私と別れればいいのに!」という言葉は、「そんなに言われるのがいやならば、さっさと別れればいいのに!」という言葉でもあるんです。でもそれをしない原因があるはずで、勇気を持たずに相手任せにしている部分もあるわけで、それが通常は恋人同士が、くっつく理由でもあります。問題の解決を相手任せにするとき、天は助けられないんです。夫婦の場合は、通常はコミュニケーションで何かが起きていたりもします。相手は何か別のことに、イライラしていることもあるでしょう。そして顔のことでしか、そのことを伝えられないこともあるのです。ののしって、というのが、本当に口汚くののしってなのか、それとも、「鼻が低いよね」と気にしていることをいうだけなのかでも違いますし、「もう少しこうしないと、だらしないわね」とか相手に自分も言っているかもしれませんし、それは自分では常識だと思っていても、相手からすると欠点を同じように言われている気がして、それを上手に表現を出来ていないためにそういうことすることもあるし、状態でそれぞれ違うでしょうし。夫婦になった以上、好きだった時期があるはずですから、取り戻していってください。その先に、どうすればいいかを決めるほうがいいかもしれませんね。-----------------------------------関係性を癒しますhttp://www.acoreading.com
2012.07.23
チカンにあっても大したことない、と自分でごまかしてしまったけれど、後々に気持ちが残っていたりして。その時にご自身が、怖かった、嫌だったよ、と話せたら、気持ちは違ったのだと思います。出来事が大したことかどうかは別として嫌だった~本当につらいし、というのを見守られるだけでも(なんでそんなことになるの?あなたがこうじゃないの、ああじゃないの、とあわてられずに、判断をされずに、気持ちをわかってもらう)人は自分の中から解決方法を見出していくきっかけになることもあります。それがわかれば、ほかの人への接し方、たとえば、お子さんへの対応の方法もわかるでしょうし、自分自身に優しくなる、という意味もわかるでしょう。嫌だよね、嫌だ、うん、できないし、イライラする。たとえばこ育てであれば、八つ当たりするかどうかとかは、別として。イライラすることもある。今日は疲れちゃった、ごめんね休みたいよ、あなたは遊びたいのねまたは異性だと逆の場合もあるでしょう。私は遊びたいよえーあなたは休みたい、だってぇ?二つの気持ちを戦わせる必要はないのです。自分ができなくてダメと思う必要も。二つの気持ちが双方あってよく、自分の気持ちもあってよく。わかった、わかったけれど、今日は休ませていただきます。さわやかな関係性を築いていってください。欠点がある人同士が、(自分自身も含めて)許しあって生きるということについて感じていってください。本当に豊かって、なんだと思う?(笑)
2012.07.21
許す、というのは、人のためにしていることではありませんから。自分が、その苦しみをもはや捨てて、未来を望む、という姿勢なんです。本当に幸せになりたいから。過去にあったことに、感情的に影響をされない、という選択です。苦しみを捨てるのって、けっこう大変です。皆幸せになりたいんではないんです。脳の(つまり思考の)望みは、こだわってるからね、こだわってるよ、絶対に、こだわるから、なんです。自分に聞いてみてください。こだわりたい?それとも本当に幸せになりたい?こだわりたい、それとも、、、、幸せになりたい、と心から答えられた時、人は変わります。http://www.acoreading.com 幸せにならないというプログラムを改善していきます。脳の本当の目的は、幸せになることではなくてこだわることに往々にしてなっているからです。
2012.07.21
なんでも自分が必要とされていない、と感じてしまう。あなたの場合、脳の癖になってしまっていてすべての事が、二つあるんだけれど、一つは出来事と、自分の気持ちです。それ二つがすべて、「必要とされていない出来事」と感じるようになってしまっています。だから、事実だけを見ていく訓練もいいかもしれませんね。「ものを、ほかの人に頼んだ、という出来事」「私は頼まれたかったわけではないけれど、声を掛けられなくていじけている、という気持ち」というように出来事と気持ちとがあって、というように。ああ出来事と気持ちがあるんだな、と受け止めるところから、始めましょう。
2012.07.19
相談内容ユカリさん>今、まさにこれに悩んでいました。最近の日記は今の私に必要なことばかり…キャシーさんに感謝です。>うちの両親、特に父親がこのタイプです。自分が出した指示をやらないことは絶対に許さない。>指示を忘れてしまうことも、>嫌だと拒否することも、嫌だという感情をもつことすら許さないタイプです。>自分の言うことをきかないと、いつまでも追いかけまわして、拒否したり嫌な顔をすると暴力をふるってまで、力づくでやらせる人間です。>「全部お前が悪い。全部お前のせいだ。嫌だと言うお前は性格が悪い。俺の言うことが分からないお前は頭がおかしいバカな人間だ。俺の言うことが聞きたくないなら出て行け」と、子供の頃から毎日のように言われ続けてきました。>そして今は、父親と全く同じタイプの上司の下にいます。>今、私は正念場なのだと感じます。これをどうにかして乗り越えたら、道が拓ける気がしてなりません。>親しい人達には、家族関係や仕事の上司のことを相談すると必ず同じ事を言われます。>「もっと自分を大切にしなよ」>「残される周りの人を心配するのは分かるけど、まずは一番先に自分を幸せにしてあげなよ」>自分の幸せって何だろうと考えたら、父親と一切関わらないで生きていく事だなぁと、似たタイプの上司と接してて思いました。>でも、これって自分の本当の本心とは違うのかも…と不安になったりもします。-----なるほど、であれば、ご自身の中に出来上がっている、「人に何かの問題がおきたときに、それはあまり大きなことでもないし、そういうふうに誰かに心の葛藤が出てきたときに、相手の問題=自分の問題、という部分が出来てしまっているのでその整理になるでしょうね。そうとらえていないと怖くて怖くてまずいことが起きそうに感じます。実はそこが、いろんなかかわりを持ちたくない人との関わりを持つ潜在意識の部分です。相手の問題=相手の問題自分の問題=自分の問題本当の助け方= その問題は大げさなことでもないんだから、本当に本人たちが思っているよりも全然小さなことなんです。相手の問題を自分で整理をできるようにしてあげることあるいは相手の問題として戻してあげること。反応が起きるのは、相手の問題があるときに「自分の問題」という感じ取り方が回ってしまうときです。お父様ご自身が、起きた問題が怖すぎて自分のせいじゃない、としてられて、お父様のお父様も、小さい子供であるお父様をそうせめたので、これは先祖からの課題です。そうすると家族が、「自分のせいじゃない、自分のせいじゃない(つまり動揺をして相手のせいだ、という強い憤りがわく状態でもあります)」と凄い感情が湧きすぎてしまうのですがそして家族が二手に分かれて、責める方にまわるか被る方に回るか、あるいは全員が責めあっている、という家族もありますが、という関係性になりやすくなります。実は起きた事柄は、責めたてるほどのことはなくて、あまり大きなことではなかったんです。その小さなことを、小さく分けてその人が解決をしていくという経験をみていないので、自分のせいにはまりこんでしまうから。そう、大変な経験でしたね。でも気づいたんだから。あなたは本当に幸せになっていいんですよ。それに気が付いて。ーーーーーーーーーーーーーーーーー本来の自分に戻るための訓練をします。また、先祖代々の心の中のわだかまりを解いていきます。http://www.acoreading.com
2012.07.19
心の中の、二つの戦い 脳の中に刻み込まれた、パターンを人は生きます。それが、同じ状況を生みます。というのが、前の説明でしたよね、で、「かといってあまりお人よしでもいけないと、自分のことも大事にするバランスがまだ私には難しい。だけどこれを学んだとき私の周りが変わる・・ことを目指していきたいです。」とてもよい目標だと思います。一つ補足をしておきます。皆さんの中にできた自分の中での戦いは、どちらかが勝ってどちらかが譲り、という二つに一つの状態なんです。自分に分かれた部分があって、統合ができていない状態です。通常は、まあ、そうなんだけれど。それで全然いいんだけれど。ただ、統合する部分が出来ていくと、色々良いことも起きます。で、統合、というのは、こういうことです。先に説明をした、お米の下りなんだけれど、お米を研いでおいてね、で、朝になって、すごく忙しいのに、お米が研いでいない。「えーどうしてぇぇ~?」と思うけれど、まあしょうがないな、じゃ、野菜きってくれる?というのがまあまあ、自分の中に二つの戦いがない状態だという説明をしましたよね?まだ、自分の中に戦いがある状態だと、「やらないとならないでもやりたくない、責められる」という記憶が残っていると、つまりその部分が感情的だと、という意味なんですが、二つに一つだから、これは、無理してやっているのかな、と思うでしょう?自分がまだ、何でやってくれないのよ、何でやってくれないの!?という強い怒りを出してきた人々の再現をしているわけで、怒りが強いから、イライラが強いから、その先の感情を感じ取れていない状態、これが反応です。つまり、簡単に言えば、親から見てきたものの再現です。パターンによる感情であり、その人の本来の資質ではありません。でも反応をしてしまって、その人に何とかしてほしいとその人に強い感情が湧きます。で、そういう統合が出来ていると、効率を重んじるんです。感情的な葛藤に時間が費やされるのではなくて、別に無理をしてお人よしをしているのでもなくて、効率を良い方をしているだけ。「朝間に合わせる」という今の目的にあっているだけ。「え?だって、お米何で研いでいないのよ、と闘っているより今忙しいから、それは慣れている自分が、「今」は、ちゃっちゃかやっちゃって、野菜きってもらったほうが、「今」は(怒りに操られる状態ではなくてどれが早いか判断をしていて)早くない?明日の分のお米忘れないように、紙に書いておくとか、今後は注意をしておけば次の日はやってもらえるし。という効率よくしている状態です。でも過去の、自分のためにやってくれない、こんなに怒りがわくしというのをやってこられたり見てきたりしたら、それは残っているわけだから焦点がどんなにやってくれていないか、こんなに困るのに、ということにすぐに映るわけだよね?しかも気持ちの回復がとてもとてもかかる。でね、皆さんは、だんだんと気が付いてきたかもしれないけれど実は恋愛も、夫婦生活も、ほとんどが反応でしておられるんです。効率よく「今は」こうしたほうがよくない?今は野菜を切ってもらって次の日にお米を研いでもらって、見たいな状態だと目的がどんどん叶うわけです。目的に視点が、合っているから。でも、良い関係を築く方をしたいのではなくて、「相手がこうしてくれなくてああしてくれなくて、これもあれもダメで」という気持ちの再現をして戦うんだけれど、相手は違う生き方をしていて、全然合わないという事が出てきているわけです。だけれど、もちろん、イライラすることや、うまくいかないなーということはたくさんあるでしょう。要は、目的にすぐに戻れるかどうか、です、米を研いでくれない、何でなのよ、どうしてなのよ、これもあれも、そしてついでに過去も、というように時間が止まってしまうのであればこれはもう、反応です、自分が欲しい物には手が届かず相手が自分に協力をしてくれるような方法は使わず相手がどんなに間違っているかを責めているわけだから、相手に正しい指示も出していないことでしょう。恋愛で、どうしてもこうしてほしい、愛情って話をすることだと思う相手がこうしてくれないのは、理解ができない、という状態も反応が入っているかもしれないんです。どんなに自分には正しく思えても。上の例で言えば、もうこだわりがなくなっていたら、じゃあ今はこうしてああして、そして次回はこうしてね、という指示を出します。過去のこだわり、母親が父親にいらだっていたとか逆だったりとかそういうことがあれば、自分の中に整理がついていない部分がありますから、「どうしてお米とがない?」「どうしてそんなに私を悩ませる?」「どうして、私がこんなに苦労をしているのにわからない?」という真に別の問題に入るわけです。相手が、ではなくて、自分が。いいかな、自分が問題に入り込んでつかり込んで気持ちの解消ができないわけです。恋愛で、どうしてこうなんだろうどうしてああしてくれないんだろう、どうしてどうして、というときにはこれを変えない限り何も起きないと思っていて「今」どうしたいのか、ではなくて、「相手が変わってほしい過去に(幼少期に)満たされなかった事柄を、あるいは母が父に対してやってくれない、やってくれない、としていたことを再現して何とかやめてほしい」みたいな、今におらぬ状態でもあります。そのために何をするか、ではなくてそのためにどう相手を説得するかしかわからなくなって、感情がすごくすごくそれに囚われる。何十年もたつと、とても違いは現れます。お米の件であれば、こうしていたら、自然と手伝うようにならざるを得ない、お米とがなかったら野菜を切ってくれているとか、そしてそもそもその時は忘れていてやる気がなかったわけではないとしたら、やる気がそがれない、やる気がなかったわけでもなかったけれど最初の時点で、私はこんなに、苦労をしているのに、大変なのに手伝ってくれないと相手が他の問題を載せてくると、相手も、ヤル気ないわけではなかったのに、あーあ失敗した責められた、何しても叱られるから叱られたら動こう、となります。無意識に体がそうなる。そう訓練ができてしまうのです。で、夫婦になると、相手が変わってしまって、というでしょう?自分も本当はかわっていって、しまったんです。上記のように相手のやる気ではなくて、ないんでしょう?こんなに苦労をしてもやらないなんてと責めては結婚前はなかっただろうからね。人間は誰しも、こういう課題があるのだから、それはそれでいいのです。時間をかけて気が付いていけばいいことはたくさんあります。でも癒されていく、ということは、無理をして相手に合わせるとなるのではなくてそういうことがどうでもよくなって、もういいじゃん、相手がどうのこうの、だって「今現在の」目的はこれだから、となっている状態です。今現在は、これができる、だからしておしまい、と一つ一つが終了をし、その積み重ねをしていきます。効率、欲しい物のためにようやく動ける自分になっていく、ということなんです。パターンでわく感情、でも本当は、本当は生きている目的が別にある。それにつながらないで前の状態で相手にこだわっている状態、これがあります。本当のパートナーシップだったり関係性、というのはこだわりの感情でつながっていってもいいんだけれど、それはしょうがないんだけれど、徐々に、自分と繋がり、本当の目的を持ってかかわりを取り戻していく、という事が求められていもすることでしょう。
2012.07.19
こんにちは。私も今、うれしくない人とのかかわりについて考えてました。数日、ひどいいじめについて報道を見ていたのですが、中学生くらいのころのいじめられたことを思い出してみたりしていました。それが急に昨日くらいからいじめられたときのやるせなさつらさ相手への反発なんかが、今現在のことのように感じられてしまいろくに眠れませんでした。なぜなんでしょうか、鬱です...若いときのとてもつらかったこと、理不尽なこと、人に利用されたことなんかも沸いてくるように頭に浮かんできてます。こういうのどう処理すべきなんですか?いじめは、内心はウェルカムなわけではないと思うのですがいじめを必要としてるなんてこともないと思うのですが。できるだけいやな関係をひきつけたくないものです。課題だったんだよ、みたいな考え方もちとしにくく、どちらかというと運が悪かった、犯罪にあってしまった、みたいなことでできた傷は、どう癒したらいいのでしょうか。---------------色々な記憶が、上がってくることがあります。ほかの、一見関係ないストレスが契機になることもあります。通常は、その事件に対するその方の解釈が、その人を苦しめています。でも今は、ご自身が色々思い出すと辛くなってしまわれるようですから、過去のことを、深く考えるのは、避けた方がよいのではないでしょうか?理不尽だ、理不尽だ、というのが、残っておられるんですね。利用されたのも、納得がいかないのに、そうせざるをえなかったりさせられてしまった怒りが残っておられるのかもしれません。もちろん、考えていて思い出してしまったわけですが、何か最近、理不尽だと思っているけれど我慢をしていることがあるのかもしれません。なんとなく、なんですが、理不尽でもつらくても、受け入れるしかない状況で、表現がしにくかったことがとても残念に、切なく哀しく、残っているのかもしれません。一つの癒しのきっかけになるのは、それ以外できなかった自分自身(あるいは自分では何もできないと思ってはいても、されてしまった自分自身)を本当に愛してあげることですが、それ以外できなかった自分を許すことは相手を許すことと脳の中で繋がっていたり、相手を許すことがさらに、この出来事を受け入れてしまうことと誤って繋がっている、としたら、とてもその方法では怒りがわくかも、抵抗があるかも、相手を受け入れろと言われている気がすることもあります。だから、ご自身なりに穏やかな方法は探してみてください。癒しの方法は一つではありません。思い出して苦しまないとならないということはないのですから。どうしたら癒されますか?とても良い質問です。癒されたい、という望みが、色々解決をしていきます。いじめの問題は、とても胸が痛みます。
2012.07.18
私は、仕事の頼まれごととか、恋愛でも、お願いされたりするとなんか相手から依存されて自分の領域に入り込まれた感じがして、とっても嫌な気分がしてきます。かといって、みんなが離れて行くとさみしいし、周りの人がなんでもなく受け入れ行動して仲良くなっていく流れを見ていると「ああなれたら良いな」と思ってしまいます。突き放してみたり、近づいていきたい気持ちになったり、自分の指針がないように思うのですが、昔からこの癖がどうしてか解明できません・・・。まるで仲良くならないように自分で無意識に仕向けているようで、自分がわからないです。ストーカーと違いますが、心境としては相手をそんな風にみている自分がいるように思います。===================これ、本当に面白いんだけれど、嫌な気分がするのは、自分の中で、これはすごく無自覚ですし、感じ取れない部分です。でも、お願いされると嫌だけれど聞いてあげないとならないいんだけれど嫌だ、と自分の二つの部分が戦っている状態なんです。無意識の中に、二つが残ってしまっています。たとえば家族でね、「お米研いどいてね」「うん」で、時間になり、「あれ、どうしたの?」「ああ、忘れた」「そう、次回お願いね、今、急ぐんだ、忙しいからといどくわ」という家庭であれば、どこにも二つの部分が出来る要素がないんです。そしてさらに、「あのさ、野菜きって」であれば、自分がしたいように本当の意味でしているわけでしょう?相手にちゃんと頼んでいるし。でも通常は、自分たちが学ぶのって、どうしてお米といでおいてくれないのよ、もう間に合わないじゃないの!という、責め合いみたいな、効率が悪いことを、どうしてもそれを学んできたから、するわけだよね?どうしてそれをするか、というと、できない協力なんてできない、片方が片方のいう事を聞いてくれない限りという信じ込みみたいなものもあるからなんです。だから、人間は、頼まれる嫌だでもしないと、という部分を戦わせながら生きているからそれを見てきたから、頼まれることはしんどいこと、そしてやらないとでもいやだし、でもやらないと怖いし、という部分が出来るわけだよね?でも、すっと心に入り、楽にいろいろ出来ている人は二つの部分の葛藤があまりきつくはないんです。というのは、事実、ある。あーそうかあーそういう状況?んじゃ、それに合わせてこうするねそしてまたお願い、というのが、水の流れるごとくであればそうか、頼まれるってそんなにしんどくないしお互いに協力をしあって生きられるというのはできるわけです。本当の協力ってこういうのなんだよね。間に合わないんだから、間に合わせることが焦点なわけでしょう?話をもとに戻すと、凄く重たいでしょう?相手がわかってくれないことにいらだつし。突き放したり近づいていきたい気持ちになるのは、この二つの部分の対応の方法が二つ調和がとれていないからなんです。潜在意識を書きかえると二つが調和をしますから。自己の統合ってそういうことなんです。たとえば、物を頼まれる、自分の中に葛藤がないからすっと心に入る、耳にも入る抵抗なく聞いたうえで抵抗なく断るともなく断っているし、そしてしてあげてもいいししてあげなくてもいいその前に戦っている段階がここなんです。ものすごく、聞いてはダメだ、嫌だ、聞きたくない、と戦いながら、心の奥底でやってあげたいこともあったりして突き上げと抑えと自分でしているわけです。自分の戦いがあるから、すっと入らない入れてはもう自分が守れない気がする、戦いながらいやいや聞いている、もう気分が悪くなり、みたいな。そしていう事を聞くときはとても聞きすぎて聞かない時には心閉じて、みたいにです。二つの部分は記憶から出来ています。母はお米をとがないと、しかった。嫌だなあ、でも自分の中に、母親の部分も出来上がっているのです。だから自分もそれをする、どうしてしてくれないの?という部分ができる。どうして頼むのにやってくれないの、という部分と頼まれるってどうしてこんなに大変なんだろう、という部分です。本当は、二人が協力をすることはできたんです。そしてこれをあなたが学んだ時、周りの人が変わります。地球の環境だってきっと変わります。自分の中の二人の戦いは、今の関係性の象徴だし、そして周りの世界にも表れていることでもあります。本当は楽に心を開いていて楽に断れるというのが二つの葛藤がない状態ですね。そういう意味で人を観察すると面白いかもしれません。ほーそうなんだ、へーそれがお願いね。うんうんこれはできるな、これは自分でしてごらんこれは私の範疇ではないかなというのを楽にしている人。心も閉じていないし。ちゃんと話を楽そうに心に入れていて。多分、色々病気はあるかもしれないけれど、元気がいい人だと思うよ。負担が少し減るからね。ほかのことで負担は皆かかっているかもしれないけれど。でも、相手の頼みを、ためしに、心に、入れてみようとしてごらん?自分の中で嫌だ怖い守れない、いう事聞かないとならないっていうのか?みたいなのが出てくるから。ここの抵抗が疲れる理由なんだけれどね。母親のいう事を聞いたら、叱られているばかりだし、子供のいう事を聞いたら何もしなくなっちゃう。二人はどう協力をするの?というのが自分の中に出来上がった、自分との調和だよね。別にその人同士で戦わなくてもいろいろできることがあるでも信じ込みの中にそれが出来てこなかった、だからいつもいつも相手が気になっていて。という状態が人にはあります。相当に楽なんです。心を閉じているよりも、本当は開いているほうが。心を開いて聞いていても、全然断れる、という二つの調和が潜在意識上でできたときに。開いて断れるほうがずっと重たくないんです。ブレーキとアクセル両方踏むのは、本当は正しい車の使い方ではないからね。------------------------------------------- 自分の中の葛藤を終わらせ、一つの目標に向き合っていきます。http://www.acoreading.com
2012.07.18
会社で、以前、ストーカーっぽくされて困ってしまった人と席が近くなって、違う部署なので世間話などもせず、電話の取り次ぎなどはしていましたが、社内のメールで急に「無視しないでください」という旨のメールがきてしまいました。みんな気をつけて対応していて、十分注意するように、と聞いたことがあります。自分自身に解決しなければいけないことがあって起こっている問題なのかとも受けとめていて、こういう場合、どういう対処をしたらいいか、アドバイスいただけそうでしたら、よろしくお願いします。----------------------------人と人との関係は、一人では作りだせない物。相手に対して、何らかの役割だったり、を、演じていると、その関係にはまり込むことが往々にしてあります。無意識に何らかのかかわりを持っている部分を整理することがセションでの潜在意識の書き換えになるわけです。たとえば、人に親切ではないといけない、嫌われてはならない、という無意識のこだわりがある =意思をしっかり伝えていない可能性がある(気の毒なことに、本人は必死に伝えているんだけれどその必死さがまたまたかかわりを生んだりして) = 相手はどこかで、大丈夫ではないか(親切ではないなあとその人が判断を迷うときに)嫌われた(意思をそれでも伝えようとしたときに)という二つの思いに彩られて、またまたその人に関わろうと必死でしてくる可能性が出てくる、などです。自分の中でそういったこだわりや判断がなくなればなるほど、これはこれ、というのが、意地悪なわけでもなく、過度に反応をして切ろうとしているのでもなく、持てていきます。つまり私の言いたいことは、外側からの行動の変え方と(言動とかやり方とか?)内側からの感じ取り方の変え方とあって、内側からの変え方だと別に特別に何かをしなくても変わっていく状況があります。だからセッションは好きだし面白いんです。で、あなたの心の中なのですが、無視しないでください、と言われたときの感情の動きに注意をしておいてください。今は時間がたってしまったからねたってしまったら、もう何もしないほうがいい。そのほうが次の機会にちゃんと良い行動をとれます。だけれど、もし仮にもう一度あるとしたら、スワーっと、怖さが上がりすぎていたら、少しそれを横に置いておいて、楽な気持ちで判断をしてみてください。これが上で言うところの、セッションで変えていくところ、何かの判断が動いてしまう状態、つまりはその人の緊張度合だったり、守られていない感覚だったりそういう反応に入らない、そうではない状態にしていくわけです。反応ってね、すごく正しい行動をしていると自分は思うんだけれどあくまで反応だから、怖がっていたり、不必要だったりちょっとピントがずれていることをしているのね、どうしても。なぜか。相手を大きく見過ぎていると、不必要なことをしているからです。ほっておいてよい、という事があります。無視しないでください、に無視しなかったのが、今までの結果なのかもしれませんし。こういうのほっておいて、ストーカ化しないか、という恐れがあると判断がしにくくなるけれど、そういうものがないとほっておく部分はほっておいて、ちゃんとかかわる部分はかかわるという自分なりの指針は出来ていきます;。それに落ち着いていると不思議に「これは言わないとなあ」と思っていることは、次のちょうど良いチャンスでやってきます。反応だとさ、これ、今、今すぐやらないと、コレしないとダメになる、とかこうなるとか、ずっと考えて何かを急ぎ過ぎたりできなかったりするでしょう?(ほとんどの恋愛での行動は反応だったりもします)それとも、「無視していないです。お仕事では、よろしくお願いします」と明確にする方法もあるけれど、先に言ったように、もう時間がたちすぎているからね。経っているときには、別のチャンスを狙ったほうがよいです。大事なのは、いずれにしろ、普段の態度です。自分がしてほしくないかかわりでは反応をせず、正しい方法で来た時のみ、返事を返してください。こうして、相手が無意識に、「ああ、この人はここで、こうかかわれるんだ」ということを知れば(無意識に、です)その人は、自分が成長をしてそういう関わりを持ちたければそうなっていきます。まだ、甘えたかったり依存をしたかったり他の方法でかかわりたい時には、関心がなくなって自分が間違った方法をしたときに、反応を起こしてくれる人を探していきます。「そういうことしないでください、そういうのは嫌ですでもかわいそう」というような心のあり方に、相手はかかわっていくからです。通常は、男性であれば、このメールであれば返事は出さないことが多いでしょう。でも女性は優しいからね、相手がかわいそうと思う気持ちも高いので。返事を書かなくてもよいレベルだとは思います。へ?無視しないでくださいって、このかかわりはよくないよねと思えばそっとしておいていいし、そうするとふとしたチャンスにそのことについて(自分がそういう力があるときには)話し合うチャンスがあったりします。自分から無理に作らない、そして今できることを反応なしにする忘れることは忘れる、するとチャンスが、みたいなことって、あります。そうして、普段の仕事では、正しいかかわりをした時には自分も怖がらずに親切に、正しくないかかわりでは自分が動揺をせず、という会話をしていくと相手のコミュニケーションも変わります。
2012.07.17
いろんな関係のない情報に惑わされています。そしてどうしても、いろんな問題が関連があるように感じてしまいそうすると自己解決ができなくなりますから、自分の癖、あるいは、幼少期に見ていた誰かの癖で、「周りがこんなだからこうなる」「世間がそうだからこうなる」ということを聞いておぼえこんでいることがあるので、少し分けて考えてみてください。問題は一個一個考えるととてもシンプルです。問題に絡まってしまったら何らかのスタイルを続けています。http://www.acoreading.com
2012.07.15
「やっぱり自分はダメなんだ」と思う人。こんな、相談がありました。ちょっとした失敗でもそう感じるし、誰かが華々しく活躍してる(ように見える)のを見てもそう思うし、暇でもそう思います。いつもいつも、自分がダメな気がしていて、失敗が怖くて緊張するので、物事の効率も悪いし言いたいことも素直に言えなかったり、そういう状態を流して動こうとして疲れたという感じです。頑張っても頑張ってもいいことないなあというのもよく思います。(流しても流してもいいことないなあ、流し損だ、という感じがします。)(は、この方の文章をまとめさせていただいたので、ちょっと違うかもしれませんがすみません)あの、この方の問題は、根底にあるのは、「ほかの人は上手くいくけれど、どうせ私はうまくいかない」という思いなんです。それがあるために、全く関係がない情報をみてガッカリしてしまい、「自分だけが与えられない」という思いに支配をされてしまいます。つまり、出来事が問題なのではなくて、目標が、「周りの人々よりも、上手くいかない限り、全部が上手くいかない限り行かせてくれない限り、私は許さない」という何かが根底にあってこれがすぐに道を曲げて言ってしまうことです。いつも少し意気が上がっては、疲れるでしょう?これがパターンなんです。疲れが最初にあります。やってもやっても、ダメなんだろうなと信じていてその通りに気持ちが、繰り返しておられますでしょう?それは目標が、ずれているからです。周りが整って迎え入れてくれるまで嫌だ嫌だ、という気持ちが先行をしていて、本当には成功を望んでいないのです。これらは事実ではなくて、感情のパターンなのですが、少し話をしていきます。まず最初に、あなたが何かをしていくときに、あなたが何かをしていくのとは別に当然、「ほかの人々もやってきている」から、周りの人が認められたりします。これは、あなたが頑張っているのに認められないのとは全然別の次元に起きている、全く関係がないことです。ただ、あなたが何かをやった。それとは別のとこで全然関係ない時間を過ごしてきたことが、成功をしているだけ。たとえば、美代子ちゃんが絵を初めて、青山画伯が絵を成功させて、全然関係ないですよね?美代子ちゃんが今後成功しないかどうかに。また、失敗についても、人は、何かをしようとして活躍をすればするほど失敗は自分で目につきます、それは自然の摂理なんです。たとえば今までは何もしなかったから、自分がきれいだと思っていたのにモデルになろうと努力をし始めたとたんに、自分の欠点に接します。服のセンスが今まではよいと褒められていても、プロの目から見れば全然ダメだろうし、顔がかわいいと言われてきたのに、専門家になろうとしたら全然レベルは足りていない。眉の書き方とか、ほら、芸能人は徐々にきれいになりますよね?あれは、最初はきれいだと思って芸能界に入ったけれどプロとしてみるとまた違う要求もされるし、自分も自分を厳しく見るからきれいになるわけです。つまり、どんなことでも、自分が何かをしようとしたらできていないことが、目につくんです。そこは克服をしていく課題。目標に近づけば近づくほど、真剣に生きれば生きるほど課題がわかるわけでしょう?次から次から足りていないところが真剣にやればやるほど出てくるわけで。あなたのパターンなんですが、現実に周りが成功をしてあるいは、自分が失敗をしたときに、これは、つまり必ずあるものなんです。何分かおきか、何日かおきか全然普通のことなんだけれど、気にすべく必要もないんだけれど、別に大したことでもないんだけれど、もう感情が、特に、ですよ、特に、何かを始める人には当然、気が付くことが、ついて回るものなんです。でも、根底に「自分だけが損をしているし、頑張っても認められないほらねほらね」という癒されていない部分があるから、そういった普通の出来事があるたびに反応を起こしてしまい。「自分だけが与えられていない痛み」に浸りこんでしまいやすいんです。これに伴い、それが現実化します。つまり自分がダメになるというのは何もしなくなるから。もちろん、ご自身ではされますが焦点がぶれます。いつの間にか成功をするためではなくて「ほかの人よりも優位に立てるまで、何も周りの状況が起きる前に自分に成功をさせてくれるまで、私は許さないし」「うまくいかないすべてのことを、私は許さないからね」「だから、そういうのを見せないでちょうだい」という子供のときの寂しさ、むなしさが、努力をさせているのです。当然そうすると、成功をするために絵を描く人々はこれはもう少しこうしよう、ああしよう、と思うところで、「これはこうできなかった、ほらねダメだし、もういいし」ということを強く感じます。赤い色にすればいいぞ、と気が付くところがほらねやっぱり、自分だけが成功をしなかった、この色ではだめなんだという気持ちに目が曇るわけでしょう?これの怒りを再現してぶつけるためにが、無意識の目的になります。努力をする潜在意識の目的はとても意外なことに、成功をするためではないんです。それは表面のことで、この何かを頑張って、失敗したり、ゆっくりしたいときとか自分を認めらえなかったり、ほかの人の成功をみてガッカリすることが目的になっているんです。少しやってみてはダメだった、と周りに気が付いて止まるのがパターン化、つまり癖、になっているのです。でも本当に成功をしたい人は、成功をしている人をみると興味と関心が湧きます。どうなっとるんや~~何をしたんや~教えてくれへんか~~みたいな。自分もできると思うからね。したいからね、したいが動機になっているからね。潜在意識は、感情的になりやすい部分が本当に信じていることです。例えどんなにどんな理屈をつけようとも、その人が反応をして感情が動くところ、動き方が、本当に信じている事実なのです。成功をする、というのは他の人の成功を見ないことを目標にしているわけではないし成功をする、というのは自分のミスを見ないわけでもありません。成功をする、という意味は、ほかの人に叱られないことではなくて成功をする、という意味は、嫌なことが起きない、という意味でも先を越されない、という意味でも、ガッカリしない、という意味でもありません。ただ単純に成功をしていくだけなのです。ただ単純にそれらに目を向けず、やりたいことをやっているだけ。成功したいことを、動いているだけ。あまり感情のストレスがなくてただ、考えもなく成功をしている人々をよく見てください。こういう複雑なことを思っていないから。周りがどうであろうと、多少失敗をしようとそれに目を向けずただやっていくでしょう?もうそろそろ、無意識にいる、自分だけを守ってくれなかった、と信じている、「誰か」を許してあげてください。そして、「自分だけ」は、こうで嫌だ、と言っている自分に優しくしてあげてください。自分だけはほらね、と怒っている部分、諦めていてどうせそうだと思っていて、誰かの優しさを求めていてそしていじけて繊細な、自分。頑張るけれど、それは周りが全部を受け止めてくれることを望んでいる部分。成功というよりも皆の何かを見せないで、自分の失敗を見せないですぐに成功をさせてくれないと、私は嫌だよ、と言っている自分。あなたが、本当の真実、何もあなたを阻害していないことに気が付いた時多くの扉が開くことでしょう。ポイント、流すのは、ダメだと思っている自分の気持ちではなくて「成功がないと絶対に許さない、周りの出来事が、全部私を歓迎してくれるまで私は動かないし、全部嫌だ」とこだわっている、何かの気持ちです。何かを見た時に囚われる、ほらねほらねほらね、というきもちです。何かが起きた時に、こんなにガッカリしている、そうだ、がっかりしているんだという事を認め、身体の感覚を十分いつくしみ、味わい、変化を待ち、でも思考にとらわれないことです。無意識のプログラムを癒します。http://www.acoreading.com
2012.07.11
主人が尊敬を出来ない、という書き込みがありましたが、人は、協調をすることができます。それは、我慢をして無理をすることではありません。つまり、自分に嘘をつくことではないのです。自分に正直に嫌なことは嫌、と受け入れつつも心のゆがみや、強く金縛りになる感情のこだわりを抜けて、同じ共通の目的を探し出して欲しいものをもつために何かと向き合える強さです。
2012.07.09
全21件 (21件中 1-21件目)
1