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質問の回答をいただいておきながら、なかなか回答を日記に載せられないかたがたもおられて、すみません。なぜ伝わらないんだろう、と思ってもっと伝わらないとき先日のぶら下がりコメントへのアドバイスです。まず最初に、あなたの文章なのですが他の方にとても分かりにくいだろう、と思うのです。それがすれ違いの元にもなっているのですがすれ違うというか、生きにくくなる理由は二つありひとつは、周りの人は、私を正確にわかるべきである、という誤解、もうひとつは、こちらがとても大きいのですが、分かってもらえないことは、たいしたことではないのだけれど、わずらわしくてしかたがなくなる自分を責めていることだと感じるような、感情の癖があり、つまり、ちょっとした違いで、不安定になるのです。そしてさらに、そうするとその本人ではなくて、周りの人に、自分が思ったとおりのことをわかってもらおうとするところで、周りも巻き込まれたりします。もっと簡単に済ませてほしい、一言、二言で気にせずに流してほしい、と周りの人に求めておられますが、これは、じつは、周りに求めることではなく、あなた自身に向けての、回答なのです。まずは、何かを言って、その人はあなたではないので、相手は全部を、分かる必要はないこと、そして、その説明をさらに他の人に、正しくしてくれる必要も義務もないこと、うまく伝わらないときに、その内容はあなたが思うほど、あなたがしていることが悪いとかあなたが伝えたいほうではないと、ぜんぜん違うとか、大きなことではなくて、もっとおおらかであってよいこと、あなたは大きなことだ、と、そう感じるけれどそれは最初に不安になるというか、感情がわいてしまうのでそれが物事を大きく見せすぎていること、感情で大げさになっているものに必死になると回りも反応をしてしまうこと、つまり相手の人々にすると、あなたのことを「どうして仕事で行けません。おしまい、Aさんに伝えておしまい、にしてないんだろう?」と思っている、ということです。先に伝えたようにそれが違うのは大きなことだ、という不安定は、これは感情であり、誤解なので、相手にとっては、ぜんぜんあなたが悪いとか同僚まで説得をしないとならないという内容ではないこと、さらに同僚の周りの人々まで分かってくれないといけないという大げさな話ではないこと、自分がそのときには直接Aさんと話す力を学ぶこと、不安がらずにそれですませてよいこと。この、「私の説明とこれとはぜんぜん違うじゃないのそして、これはぜんぜん違う」と思うとき、あなたは焦っておられて、自分が安全ではないような気持ちに入るのですがそれが脳の癖です。とても大きなことだというように家族もされていたのかもしれません。相手は私の事を正確に伝えるべきじゃない、伝えてくれなくてよい(その人がこうなのかなーと思っている内容を伝えてくれるので)でも相手は善意でしているから、それは大きな問題ではない、正確に伝わらないと何かが起きていると考えるのは葛藤を生む、そして、その考えがあると、じつは相手が問題だと思っていることは自分もしている、幼少期の不安定感を取り除くことで、この考え自体が変わって行きます。とりあえず、あなたが事実がわかったり、楽に人と付き合えるように「私のことは何でも正確に伝わるべきだ」「伝わっていないことは、とてもとても、自分に被害をもたらす大きなことだ」という考えを捨ててみてください。---------------------------何故伝わらないんだろうという苛立ちがあると伝わらない、という感情のパターンのストレスのケアをします。http://www.acoreading.com
2012.01.31
仕事でミスが多くて、間違いが多すぎる、ということが書き込まれていましたが、そして不思議ちゃんで癒されると言われるけれど、とても人と違っている気がする、とのことなので。それはとてもお辛いですよね。現在、こういった同じ問題を抱えているかたがたは少なくはありません。それは、その方たちによって、社会に見直すべき点があるということを気づかせてくれたり、何らかの役割があるからでもあるでしょう。本来は幼少期から、きちんとしたプログラムがあって丁寧に成長をはぐくまれるべきですが、あなたのように、ご本人が書かれているように、障害でもないので、という場合、置いてきぼりを食います。自分では、どうしてよいのかわからなくなりますし、コンプレックスも強くもなるでしょう。また自分はどうしていいのかわからないから、生きにくいのもわかります。一歩づつしていかなければなりませんから、いくつならば対応ができるのか、知って、そのひとつひとつを、自分のなかで積み重ねていきましょう。覚えられる範囲が、今、1つか2つなのに、いっぺんにしようとされておられるでしょうから。ひとつの仕事をするときに、1、2、3、4のチェックというように、チェックする事柄を、いくつあるか、知っておいてください。いっぺんに言われると全部内容が抜け出てしまうので、相手の話を、全部聞いていなくてよいので、してくれ、と求められているものが、どうやら、1、2、3、のようだ、みたいに番号を付けてみますか?自分の感性が人と違う、ということであれば、この人は、ここと、ここをしてほしいらしい、と大まかにつかんでくださいミスをしないほうに、怖がるほうに意識をいかせるのではなくてどうもこうしてほしいらしい、というほうにです。相手にも、1、2、3、4、ここをすればよいですか?というように、いくつの事が求められているのか、聞くことができれば整理をしておきましょう。1をしたけれどもれがある、というもれた部分は仕方がないので失敗をしたことについては、次回から、このチェックも加える、というように何をするかを決めておいてください。例えば、数字が入るととても間違いが多くなるようだ、とか、同じ名前があると、チェックが甘くなる、とか、他の事に気をとられるとこうなるようだ、といったように自分を知ることもしてみてください。あ、あまただ、と怖がるのではなくてそうかあ、これがあると間違えるんだな、というように自分を知る過程が必要で、ここに、本当は支えてくれる方や専門家の力があるとよいのですが。数字が入るととても駄目、というのであれば、数字が入ったところをチェックします。計算を間違えるのであれば、電卓をたたくときにここからここまでの計算、そしてここを計算、最後にこちらを計算というように、人よりも小分けにしてもいいのです。そしてこれとこれをする、と決めたら、それで忘れます。つまりあまりストレスをためないことも大切なのです。他のかたがたの評価は辛くはあるでしょう。でも今はできる一つのこと、二つのこと、大切だと思う何かをしていく必要があります。しているときに、この方法でいいのかな、と思ったときに、脇にそれを書き込んで置いてください。これはーここがわからないからいずれチェックとです。今は内側に、間違える、人と違う、嫌だな、ということが起きていますが、意識が外側に、これでいいのかな、こうしてみたけれど、もっとこうするかな、というように周りの人々を怖がらずに、関わることも、必要になっていくでしょう。それと、もうひとつは、あなたが生きやすい社会にも参加をしていってください。そこから、自分が生かされる道がわかっていきます。今すぐに、でなくてよいのです。今は無理をすることで始終をされておられますから。仕事についても、あまりに緻密な仕事にチャレンジをするよりも、もう少し幅があるほうがいいかもしれません。緻密に間違いがない、という方向よりも、かっちりではなくてよいから、というほうです。本来はこういったことは、幼少期、あるいは、小学生、中学生時期に、丁寧になされるべきでありますが、そして学ぶ過程での、繰り返しも必要になるでしょう。寄り添ってあげれば、人並み以上のこともできるようになるものですから、何せ、大人も方法が分からずに対応がしきれていません。そして、抜けないように、こうしなさい、と叱る方法しか現在は大人たちが対応方法を教えられていないので、周りの大人たちも対応ができていないのですから、社会できちんとした体制が整うことを、私も切に願います。不思議ちゃんについては、もう少しご自身なりに対応の方法を学んできて自信がつくとしたら、不思議ちゃんでも良い部分はたくさんおありでしょうから。それで生きていくことも、考えましょう。アリは、働かないアリが何パーセントかいるそうです。そしてその何パーセントのありを取り除くと、やはり同じ数だけのアリが働かなくなります。生物の不思議です。それは何を意味するのでしょう?やはり、そのアリは、お友達の言葉通り、社会を癒しているのかもしれないのです。
2012.01.27
心の整理をすると、どう隠れていた物が現れるのか?少し補足をしておきますね。例えば、心配性。これは、通常、安心ができない癖がついてしまっています。だから、余計なことも心配をしていますが、本人は、これらが役にたっている、と思います。でも、かなり、かなーり、余計なことをしています。例えば、学校に忘れ物をしないように、何度でも起きるとか。例えば、何度も確認をしないと、仕事が進められない、とか。無駄ですよね?他の事に時間を使ったほうが。あるいは忘れたときにちゃんと先生に申し開きをして、次回、気をつけられるようにしたほうが人生では、役にたつことでしょう。社会に出たときに使える力ですから。でも本人は、これを疑い、あれを疑いしたほうがよい、と記憶があることでしょう。しかも、感情の記憶ですね。不安になることで、自分を守ろうとするパターンです。それに縛られて、それが自分の個性、正しいことやり方、と勘違いをするわけです。で、心配性から、不安が取り除かれたらリスクマネジメント能力として使える、かもしんないし、不安というパターンが取り除かれれば、その人の個性の中に隠れていた、たとえばきちんと物事をしたかったのか、あるいは、ただ不安で取り除かれれば、心配性がなくなって、凄く反対にのびのび物事ができるようになるのかー人それぞれ出てくるものは違いますが、だから、才能が隠れている、ですね。おこりんぼ、から、恐怖心が取り除かれていけば、それもやっぱり、違う形で出てくるでしょう。何かががーっと怖くて戦うわけでしょう?怒る、というのは。その現状にはいられないような、自分が守られていないような感覚に入るわけですから、整理をされてきたら、意欲になることもあるでしょう。例えば、お金を使うことが怖くて、お金を節約しない家族がいるといらいらして不安でいられなくて、ずぅーっとそのことばかり考えて、無駄遣い(歯磨き粉とか、なんちゃらかんちゃら無駄に使う家族とか)が許せない、としましょうか。でも安心をしてしまえば、有益なところにお金を使えるようになります。今までは、自分が習い事なんてできない、と思っていたのが家系のやりくりでぜんぜん怖くないのがいきなり分かってで、将来それで、小銭を稼いだり。本当は有益に使いたい、という意思があるわけさ。なんらかの癖で、「怖い」というほうを感じて怒って縛られているわけですから。怖いから、(本来の目的とは別のことに)エネルギーを注ぐわけですね。今まで締めることや戦うことに、全エネルギーが使われていたことがその人なりのスタイルが出る、のです。―――――――――――――――――問題を整理して、本来の自分に繋がるためにhttp://www.acoreading.com
2012.01.25
欠点=長所です。絵ばっかり描いていたら、友達ができにくかったり、生活面で心配かもしれませんが、それがその人の才能かもしれません。止められないのかもしれないのです。それと、あらゆる資質が、その人の成し遂げる目的のためにあります。ひとつの事だけがあるのではなくてたくさんのその人の個性があります。それらの個性を、否定せずに生かすことをしていかれたら、道は開けていきます。http://www.acoreading.com
2012.01.23
はじめまして。被災地に在住のユカリと申します。いつもキャシーさんのブログや本に助けていただいてます。両親に精神的、肉体的に虐待を受けて育った為か生きるのが苦しくて仕方ありませんでした。しかし震災の数ヶ月前にキャシーさんのブログに偶然に出会い、夢中になって本も読み、そのお陰で震災後の大混乱時も、心が折れそうになった時に何度も何度も助けて頂きました。ありがとうございます。そしてこの約一年で自分の中で色々な気付きがあり、以前に比べて生活は大変な事ばかりなのに、震災前より生きる事が少しずつ楽しめるようになりました。ただ一年位かけても乗り越えられない課題があるので、是非とも教えて頂きたいのです。震災後転職することになり、収入が安定せず生活が苦しくて仕方が無いのに、仕事を全力で頑張れないのです。(仕事は歩合制です)心が穏やかな時期は全力で集中して挑め、順調に成績を伸ばせたことも何度かあるので、能力的に不向きな訳ではないと感じます。自分なりに分析したら、幼少時に母に何かを言い付けられ、母の望む結果を出せないと叱られ、叩かれ、方法を聞いても「自分で考えろ」と怒鳴られ、まる一日完全に無視され目も合わせて貰えない。しかし、やらないと叱られるだけでした。そして時には一生懸命せず、適当にするだけだと叱られるだけで済みました。 過去を色々と思い返すと、いつもこのパターンだったのです。いまだに仕事が上手くいかずに落ち込んでいると、母に「お前には何も出来ないと思う」と真面目に言われてショックでした。私の中では、全力で挑んで出来ない=母に見捨てられる、価値がない何もしない叉は手抜きする=見捨てられないこの2つと、母親の声にまだ私が縛られているのかなと感じます。私は結果がどうであれ、自分の今と将来の為に常に全力で挑みたいたいのです。頑張りたいのです。もう周りからの評価や声に左右されず、逃げないで生きていきたいのです。それなのに、職場へ行き頑張ろうと思った瞬間から、恐怖心が湧き身体が強張り、身動きがとれなくなってしまいます。何とかこれらを乗り越える事が出来ないでしょうか?--------------ゆかりさん、まず最初に、人の中にかんじている「べき」というのは、嘘なんです。ちょっと衝撃的な言葉、かもしれませんね。あなたは、必死になってやってみて、できないと、親に見捨てられる、と思っておられるのですが実際にやってみると、なんと!親は全く態度が変わらないのです。つまり、必死でやっても、文句を言うし必死でやらなくても、文句を言うし、ぜんぜん変わらないんです。ただ、ご自身の解釈だけが「必死でやったからいやみを言われる」と必死でやっているときには思いがちだし、必死でやっていないときには「止めることばかり言う」と感じますが、ようは、癖ですから。相手の癖は現実であり、つまり、その人は止められない、ということですが、そこに影響を受けている必要はありません。それとね、あなたは、これは、とてもわかりにくいとは思うのですが親の問題がないと、必死でやれる、と思っているでしょう?そうではないのです。親との葛藤が終わったときにもやりたくないことがある、こちらのほうを、無意識は避けたがります。つまり、今は、親の問題がなくなれば必死でやっているはずなのに、= 必死でやらない自分は認めない = 本当のやり方がわからないまま親の事を癒そうとする、という繰り返しになります。今は幻想で、親のことがあるから、必死でやりたいのに怖いからやれない、と思っているけれど、もし、親が原因ではなくても、応援をされていても、手を抜きたい自分がいるとしたら、衝撃ではありませんか?今のあなたが調和をしなければならないことは、手を抜きたいことがあってよい、すべき、という言葉に踊らされずに、本当にしたくない気持ちを自分に許してあげることです。そうやって、もう親から逃げず、親のせいではなくても必死になれない自分がいてもいい、ということを受け入れるときに心の扉が開かれて、手を抜いて楽にやるそうやっていくときに、ああ、こうやって楽にもっと自由に色々できるんだ、ということが分かるでしょう。さあ、心を開いて、怖がっていていいから、手を抜きながら、やりたい方法をちょっとづつ探して御覧なさい。じつは、人は、親子の関係も色々あるのですが最も繋がりたくないのは、欠点を持っている(と勝手に自分が思っている)自分なのです。あなたが親子の関係で自分を許せなくなったのは、自分が頑張れなくなったことではなくて、本当に頑張らなくてらくに効率よく動く自分自身ではないでしょうか?何の問題もないのに、頑張れない自分は、嫌いではありませんか?そもそも、そんな自分がいるなんて、考えたこともないかもしれません。今の問題が整理をされる、ということは。今の仕事場で、あまり力を出さなくても(親の問題がたとえなくても、)いい、と自分を許すことです。それは怠けている、ということではなくて、自分が力を抜いて実力を出すことに繋がるでしょう。全力で頑張るのは、もう少し待ってください。あなたがその前に学ばないとならないのは、人がどうであれ、力を抜いて自分らしく出来ている自分自身でしょうから。未来に夢をかけるのではなくて、今を生きてください。今出来る範囲で、今したい範囲で、出来ることに誇りを持ってください。これが未来の鍵を開くのです。自分を許さないと、いつまでもその問題は続きます。誰かが止めているから、できない、という形となってー。お母様のトラウマは、徐々に癒していけることでしょう。^^ーきっと大丈夫。天野
2012.01.23
敏感さだけではなく、鈍感なところも才能なのです。自分を忌み嫌うときに欠点になります。自分を許すときに長所になります。^^キャシー天野
2012.01.23
一つ前のぶらさがりコメントへのコメントですが、ええ、セッション前に皆さん、ご自身の問題の原因を、ある程度、分析をしてこられるわけですが、あたっていた、ということは、今までないです。ご自分の問題は分かりにくいし、通常はストーリーを追うからです。こんなに傷ついているのは、大きな出来事があったはずだというように。記憶ではここで、こんなに傷ついているから、というように。でも癒すべき地点は、もっと違うところです。本当は、相手とのかかわりではなくて、深い意味で言えば、自分対自分のかかわりです。自分の力を使えなくなって何かにこだわり、同じ方法と感じ取り方が繰り返されるようになった時点という言い方のほうが近いかもです。才能が問題には隠れているし、というのがとてもよくわかる例だと昨日の日記は思います。
2012.01.20
人に何かを言わないと気がすまない私、というのがありましたが緊張をして体を硬くしていて、言わないといらいらするのだろうと思います。そしてそのときの事をお伺いすると、下記の書き込みがありましたよね?自分と違う意見を聞いたら、自分の考えを言い返さないと、何にも聞いてもらえない、とか、私のいる意味がないような、私がいなくなっちゃうような感じもして、すごい恐怖がぐうっと来ます。意見が飲み込まれるというよりも、私自身が飲み込まれるような感じかもしれません。思い出したのは、小さい頃から父親がよくテレビに向かってひたすら文句を言ったり、馬鹿にするような、軽蔑するようなことを言っていました。私は、それを見るのがすごく嫌いで、文句言うなら見なければいいのにと思っていました。あーーー、確かに父親は、自分と考えの違う人に対して、相手を馬鹿にしつつ、戦っている感じがありました。私には、相当屁理屈に聞こえることでも、絶対自分の意見を通そうと躍起になっている感じでした。今これを書きながら、自分が父親とまったく同じことをしていることに気づいて、凹んできました~(T_T)なるほど、そうですか。それで、ちょっと知りたいのですが、それを見ているお子さんは、何故それがいやですか?恥ずかしい?怖い?自分が叱られているよう? それとね、その子、なんですが、どうも、お父さんがそうしていると、自分はいないほうがいいとか、いても意味がないとか、そんな感覚があるのですが、なんですか?ごめんなさい、これは過去を見ているのではなくて、あなたの潜在意識の構造を見ています。そうすると解決方法が出やすいからね。もうお一方、似た上記の方については、問題のねっこが違うので、新たに質問をするか日記に書くか、あるいは、こちらですませるかもしれません。ーーーーーーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com
2012.01.19
ひとつの誤解が、色んな方面に波紋を及ぼす今回、私は、人が幼少期に思い込んだこと(これはだれにでもあることです)が、どのように、生活を束縛するか、について、お伝えしていきます。それに際して、前回のクラスで、色々な変化が伝えられましたが、(ご報告を下さったかたがたありがとうございました)そのなかで、お一方、許可をいただいて、伝えて行きたいことがあります。その方は、クラスの中で、「自分が作ったものは、駄目なんだ~」と思うことを、整理をされたい、と考えておられました。クラスではひとつひとつの体験をしたあとで、皆で分かち合いをしますが、興味深いことに、その方の感想は、「全員が違う反応をする」「全員が皆、違うのですが、大丈夫でしょうか?不思議だ」というような、ことでした。セッションを皆で経験をするときに、この方は、ある時期を見直し、制服が皆、同じで、変だ、というか、そのような感想が出てきていました。その際に、制服をなしにしたり、制服を変えたりしたりすることも、想像の中で、されたことと思います。さて、この方には何が起きていたでしょうか?制服の件は、私は指示を出していません。皆さんが、初めてのクラスで、お互いにセッションをしますが、「自分が作ったものは、駄目なんだ」から、きちんと、制服が、皆一緒で変だ、という正しい時期にいっているのです。潜在意識に起きていたことは、その方には皆が一緒ではないといけないという思い込みがあり、それが、「自分が何かを作ろうとしても怖くて仕方がない(つまり皆一緒ではない物は頭にないから)というところが、出てきていました。それぞれのかたがたの話している内容と、そして、お互いにセッションをしていることとが、それぞれ出てきていて、興味深いクラスでした。この方が、脳が、そうかあ、制服が違う学校もあるしなあ、当然当然違うよね。というのを受け入れたとき、自分が作る物に、もう少し自信が出てくることでしょう。そして、その人には色がとても大事であることも、発見をされました。自分が何かを無意識に受け入れたとき、そしてそれは、まず、世間を学ぶために、脳が自然にしていることですが、自分の世界は狭まってはいます。狭まってはいますが、ぜんぜん問題はありません。ですが、ある時期、30代ごろから人との葛藤が出てきて、自分らしくない方法を改めないと人との葛藤に傷つくことはでてきます。ご本人が感想を書いてくださったので、それを引用したく思います。◆2日目のセッションでは、いろいろ出てきて・・・「人と違っちゃいけないから、関心を持っちゃいけない」「喉をぐっと締めている感じ」「肩が内側にぎゅっと入る感じ」「息を止めていて、感じないようにしている」年齢遡行では、17歳。高校の白や薄いグレー色の教室に、紺色の同じ制服を着た友達がたくさんいる光景が浮かびました。「みんなの話についていかないと!」と焦っている自分や「興味ないけど聞かなきゃ!」と固くなっている自分もいました。何でも、好きに書き換えていいよと言われ・・・ロッカーの薄グレー色を、一区画ごとに色の違うカラフルなロッカーに変えました。(原色に近いポップな感じの色です)教室の壁の色を同じ白でも、クリーム色っぽい白に変えました。みんなの来ている紺色の制服をバラバラの色にして、私服のようにしました。(色は、白、緑、黒、オレンジが印象に残っています)◆クラスが終わった後にもいろいろ思い出したことがありました。「最初に勤めた会社をやめた理由の一つは、制服がいやだったこと」「仕事の書類が気に入らない色の組み合わせだと、イライラすること」「小さい頃から楽器を習っていて、何でも音を聞くと、ドレミと一緒に色が思い浮かぶこと」「小学生の時、家を建て替えた時に出会ったインテリアコーディネーターさん、 建築士さんが木箱入り3段の色えんぴつを貸してくれて、それに憧れたことが 今の仕事をするきっかけになったこと」「小さい頃、塗り絵をしていて色が混ざってしまったことをお父さんにからかわれ、大泣きしたこと」たくさん思い出してきました。もうすぐクリスマス、憧れの木箱入り3段色えんぴつを自分にプレゼントしようかと考えるだけで、なぜか涙が出てきます。―――――――――――――――――音と色が同時に見える、という才能を持った方がおられます。色を見る分野と、音を感じる分野と同時に使っているのかもしれません。はっきりとはわかりませんが、天才、と呼ばれる芸術家にはこの、共感覚を持つかたがたが、多いそうですが、しかも面白いことに、共感覚の方多型見ている色はかなり一緒です。例えば ミを聞かせたら見える色は何色、レ、で見える色は何色、というように、ですね。つまり確かに見えているので、研究をされているわけですが。脳を開くことで、色んな新たな才能が発掘されることも、よくあります。脳が動いた感じがする、という方もクラスにはおられて、とても面白い時間であったと思います。この涙が出る感覚が、自分らしさを取り戻したところです。何故かほっとするでしょう?本来の自分とは、そういうものです。話しをしても、色が好きなんですよ、といっても、自分の統一は、おきません。それほど禁じてしまっていますから感覚を取り戻すことが、大事なのです。また、幼少期を思い出すときに、「私は好きなものを造って叱られたから駄目なんだ」と似たストーリーを探しても、感覚を取り戻すのは難しくなります。恨みやつらみが出てくるだけになるからです。自分が自分で、ああ、こんなにも、自分は一緒が当然だと思っていたという感覚や、そして、そうか、本当に色が好きなんだ、という感覚に繋がったときに、今までの問題が変わっていくことがあります。この方であればこの書き換えができたので、ちょっと好きなことがやりやすくなる面が出てくるので、観察をしておいてください。ご自身が、何かを作り出すのが怖かったのではなく自分が、本当に色々なものをみて、人と違うことが怖かったのです。本当によかったです。この経験はしてほしいな、という経験をクラスやセッションでしていただけると、とてもほっとします。皆さんでセッションをしあうときに、小さなことでも動いていくと大きなことがやがて変わることもあります。だから、焦る必要さえありません。皆さんが知りたいのは、どうしたらそこに繋がるか、だと思います。セッションと、個人的にお会いしてお話をする(よりもセッションのほうがずっと楽ですが)ことを除いて、ご自身がそこに繋がっていくという方法はないものか、と私も思います。少し時間をかけて、ワークの実践をしてもらうという方法は、必要になるかもしれません。今日のポイント 無自覚に、ごく当然だと思って繰り返し言っている言葉は、その人の回答を表している、 ところです。上のところで太字にしてみましたが。会話はその人が求めていることを形を変えて現れているものです。皆さんが、いつも繰り返している言葉、そして、当然そうじゃない、あったりまえーここは問題ではないし、と思ってチェックさえしない言葉は、本当は解決をしてほしいと望んでいることです。相手の問題ではなくて、自分が、何かと繋がれなくなったことを、示しているのです。(たとえ見えなくても、ありがとう、私、ですね)才能は自覚から生まれます。例えば、言葉が荒々しいのが嫌だと思っていたらその相手が嫌いです。そしていつも、親がこうだとか、そういった思い出に縛られます。でも自分は、特に、音はこういうのがよくて、こういう物言いが好きだ、と、トラウマが消えて、純粋に好きなほうが、分かってきたとしたら、それを仕事でも何でも使えます。もはや、相手を恨む時間を必要とはしないのですから。------------------------------http://www.acoreading.com
2012.01.19
掲示板の変更に伴い、皆さんに暖かなコメントを頂戴し、嬉しく思いました。こちらこそ、皆さんにお世話になりました。それと、物事が悪くなる、自分のせいではないかと考えている、ということが書き込まれていましたが、もともとの問題が、絶対に悪くなるべきではない、という基準がご自身のなかにあって、そのために、その考え方が邪魔なことがあります。皆さんに今後お伝えしていきますがポジティブな変化を望むことは、皆さんのトラウマから来るネガティブの否定からは無理なんです。ネガティブを否定すると、その状態をうまくあってよいと理解ができなくて、戦おうというか嫌だというか変なところでの、その状態に感情のしがみ付きがおきます。つまりあなたでいえば、あってならない=自分のせいですね。でもあってよいものだ、と受け入れたとしたら?どんな変化を起こすために自分に何ができるかがわかっていきます。また同じ状態も引き起こしにくくはだんだんとなります。受け入れると起きなくなる、だって?それは不思議な論法ですよね。これが起こるべきではない、こうならないとならない人は(あるいは愛は)こうでなければならないという物から皆さんが物事を見るとき、それそのものをうまく改善をする力を持たなくなります。相手を変えようとしたり、逃げだそうと必死にそれをなくすことばかり考えて、何か(考えすぎることを含めて)依存をしたり。でも、立場を変えて物事を見るならばあなたがうまく行かないことばかりを、誰かに指摘して変えようとされてもあなたの成長が阻まれることでしょう。ということを物事でしてしまうということですね。追って日記に書いていくだろうとは思います。
2012.01.17
以下のような文章がお手元に届きました。すみません。今お返事を書くのに何日もかかっていて忘れたころに、になってしまいますが。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2012書き込み制限がありましたのでこちらに書かせて頂きました。「流すということ、続き」で取り上げて頂きましてありがとうございました。キャシーさんが言われた様に私は人に合わせる傾向があります。自発的な行動にもストップをかけてしまったり、物事の判断、決断も出来ない場合があります。子供の時学校で絵を描く時、「自由に書いていいよ」と言われると困り隣の子の真似をして提出することで安心してました。人とズレていない事で安心して絵を書くことを楽しめないんです。今でもその感覚はあります。身内の死についても悲しめない事は人とズレてて、悲しめないと正しくないと思ってるのかもしれません。でも私が怖いと思うのはその時、傍観者のようだったことなんです。悲しみに強いより無関心に近い感じで、大切だと思ってたけど思い込んでただけかなと思ってみたり。物事や人に対して無関心すぎるというか、人と関わりたいと思うのに人に対して無関心すぎて、自分の深い部分では人と関わりたくないと思ってるんでしょうか?自分の中の問題をどこから手をつければいいか分かりません。難しいですね。分かりづらい文章で失礼いたしました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー無感覚も大切な感覚です。自分を守るために出来た大事な感情でもあります。あなたが問い続けるとよいのは、自分が感じることをやめたら人とうまくいく、それは、真実ですか?という問いでしょう。絵を描くときにどうしていいのか、わからない感覚に寄り添って待ってあげてください。絵を描くときを想像し、わからないんだけれど、そうなんだ、分からないよね、戸惑うなあ、わからないよねえ、そりゃそうだ、少しこうしてみる?ああしてみる?人と違うのが怖いんだね、でもこうしてみる?その分からない速度に十分に沿ってあげることが必要があります。急いだり、待たなかったりすると、園子はすぐに心を閉ざすことは、あなたご自身でおわかりになることでしょう。これは、心の鍵を開けるのに役には立ちます。寄り添ってあげることで、潜在意識が決めてしまった、分からないけれど、もうあわせる、ということから、自分はこうしたいんだな、ということに繋がる扉を開くことがひとつの目的になります。セッションでは、この経験ではなく、もっと根底にあるものを探りますが、自分の感覚と一致をしてくると、無感覚が取れるということは、よくあります。しかもけいけんをした方々は、案外思ったよりも早く、繋がる経験を持たれた方もおられることでしょう。無感覚は自分の方法が信頼できずに、それをやめてしまった方法でずっと生きていくと出来てくる物でもあります。通常、自分が欠けてしまった扉はとてもとても強い物です。それがその人の人格と誤解をされてはいますが。本当はもっと豊かです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com
2012.01.16
楽天さんの方針で今後、こちらのシステムに大きな変更があるようです。まずは、本日付で、掲示板が全楽天ブログから撤去をされました。また、メッセージボックスもなくなっていますので、今後、質問等は messageacr(a)yahoo.co.jp(a)を、@に変えてお送りください。全部にお答えするわけではありませんが、共通の悩みなどがあれば、お伝えしてきます。掲示板に挙げられた事柄について、記憶があるものがありますから、順次、日記にあげていきます。掲示板で話し合うことで、皆さんがとても助けあっていましたから残念ではあるのですが、また違う時期に来ているのでしょう。天野
2012.01.12
キャシー様、皆様私は何事に対しても真面目に取り組んだ末、自ら投げ出してぶち壊しにしてしまうところがあり、悩んでいます。仕事は1年くらい無遅刻無欠勤、サービス残業で働いたあと、自分でさっさと辞めて人間関係をそこで断ち切ってしまいます。前の結婚では、うつ病の夫の看病を5年続け、毎日入院先にお見舞いに行ったのち、突然荷物をまとめて家を出てしまいました。そして、今一番悩んでいるのが子育てです。子供に忍耐強く付き合ってニコニコ世話したり遊んだりしたり、というのが一定期間続くと、突然怒りがわいてきて頭がカッとなり、豹変して子供が傷つくようなことを言ったりしたり(虐待まではいきませんが)してしまいます。息抜きしながら何事も続けていければよいのでしょうが・・真面目にやって自滅して、また反省して・・の繰り返しです。自滅する前に何かできることはありますでしょうか?アドバイスいただければ幸いです。 ――――――――――――――――――――――――― 皆さんに理解をしていただきたいことがあります。人は皆、止めたくても止められない,と言うことがあります。たとえば、ここで動揺をしてはいけまい、と思っても動揺をしたり、ここで、臆病にならなくてよいのに臆病になったり、ここで叱らなくてよいのに、子供やパートナーや友人に意地になったり。子供に対して、親は、精一杯のことをしたい、と願う人々が殆どでしょう。それなのに、止められなくなる何かがある方もいます。どうぞ、思いやりをもって接して差し上げてください。この方は、ここで相談をされている、ということは、この言葉が子供を傷つくことに、だれよりも胸を痛めておられます。もう、本当に虐待などで麻痺をした方々は相談をしないものです。自分は悪くないと思いたいから。胸を痛めているのにしてしまうのは、変だと思われるかもしれませんが、ご自身が肉親と接するときの様子を、どうぞ、思い浮かべてください。意地になってしまったり、その方法以外思い浮かばない、できない、押し付けてしまうようなことが、どうしてもおありでしょう。ここに相談をされているのであれば、ほかの人に言われるまでもなくだれよりも自分を責めているのです。叱りたくないのにそれを切実に思っているのに、何故かいらいらしてしまう、それはとても苦しいものです。責めることは解消にはならず、その人は落ち込んでますます自分を責めて、その癖が強くでます。繰り返ししながら、自分を責めてはもっとする、ということになりかねません。ということは、だれとの関係でも一緒であるぞよ。相手を変えたいと思ったら、まずその状況を理解してあげてください。さて、ご質問の件ですが、私はあなたに、まじめではないといけない、と言うように教えられてきたかどうかを、お伺いしましたがそれについて、そうだとのこと。それで、あなたの問題は、パターンとして記憶をされている、「まじめではないとならない」という思いがあって、そこまでしなくても相手はそこまで期待をしていないのに、そうとしかできなくて、息がつまり、息が詰まると、息をするために、怒鳴ったり、あるいは、仕事を止めたりしないととてもいられない、という癖です。問題は逃げ出すことではなくて、その前の、まじめにしていないとという思いがあまりに自然であり、不自然な行動も無意識にしている、ということなのです。たとえばなのですが、あなたは、仕事をしているときに、自分自身ではいられなくなって、相手に仕事をまじめにしているという印象をつけるために行動をしがちになるはずです。つまり動機がすべて、頭の中にある基準に従ってまじめにしないとならない、という重さから行動をします。今日は、この仕事お願いね、と言われれば、あ、します。というように、もう無意識に、背負ってしまわれて、そして、それが無理になるのが、1年程度です。お母様との関係で、お母様も同じ癖、つまりやりすぎて駄目になるみたいなものが、あったのかもしれませんし、あるいは、お母様にまじめに生きるように求められた結果、あなたが期待にこたえようとしていて、ある時期、もう止めたくなって逃げ出す、という癖を身に着けて自分を守ってきたのかもしれません。でもいずれにしろ、脳に覚えこんだ方法は、凄く頑固です。セッションで気持ちが楽になる、とういのは、この書き換えを行っていて事実かなり楽になります。し、行動も変わる。行動が変わるときには理由が分からなくても、変わります。ですが、覚えておいていただきたいのは、この重たさは自覚がしにくくてそして、とにかく自然とあなたは、その行動をしていないと不安になるのでどうしてもまじめに全部をこなす方法しかできなくて、1年は頑張れるけれど、それで詰まると息をするために子供であれば怒鳴るか、仕事や他のことであれば、止めるか、の二つをしてしまうということです。まず最初にあなたが学ばないとならないのは、仕事であれば、たとえばですが、「今日、残業お願いね」と言われても今日は疲れていたり、予定があれば、「すみません、今日は帰ります。明日するつもりですから」というように、自分が自分を守れることなんです。その仕事をするのは、あなたは効率がよいからではないでしょう。することはしないとならない、という思い込みによって、選ばされているだけです。でも本当の効率は、自分の体調、を含めて管理をしたうえでなりたつものです。脳のなかで、とにかく、基準(その会社だったり周りの)に合わないと、見捨てられる自分が駄目になる、駄目なんだ、と言う不安がわきやすく、介護でもそれが出ていたことでしょう。怖くてしていないといられない、と言う自覚はないけれど、仮に何かをやめて気晴らしに遊んだとしたら、そのときにどれほど自分が何を恐れているか自覚ができます。子育てでもそうです。怖くてしていないといられない、それが無理になったときにでも子育てでは幸いに、あなたは逃げ出すことをせず、せめて怒鳴って(それはお子さんには辛いことであることは私も理解をしますが)見捨てずにがんばっておられます。たとえばですが、「すみません、風邪なので、体調を整えます」と休まれたほうが、会社としても(途中で止められるよりは)ずっと得なのですが、あなたの頭の中で、「絶対にまじめに全部をしないといけない、私は見捨てられる、全部まじめにきちんとやらないと」という優先順位が間違って強迫観念となって入っているために、正しい選択ができなくなります。つまり一時的に、頭がちょっとでも痛ければ、5分、トイレに行って伸びをしたほうが楽になれても、あなたは休み時間まで無理をしていて、そういう無理がたたる選択をする、ということなんですが。つまり、一時的に怖いからと選ばされることによって、本当に誰にも、得にならないことをしている、ということなんです。そしてたとえ休んだとしても、ずっとあなたは怖いために(親子の関係でもそうされてきたことでしょうから)休んでしまったいけないことをしてしまった、相手はどう思うだろう?と怖くて仕方がないためにきちんと休めないことでしょう。お子さんとの関係で今は学ばなければならない時期ですから、つまり、今まで逃げてきてしまった問題に向き合わないと、です・お子さんに協力を求めてください。楽しく遊んだあとで、ここまで、と思えば、あなたは、「今日はここまでね」と区切る必要があります。そうして、お子さんが、「エー嫌だ」といったときにそれに凄く悪いと思いすぎてしまい、自分が悪いことをした完全にやらないと、となるか、嫌だ、と怒鳴るかではなくて、相手がたとえこれをしたくても、全部自分がまじめにしなくてよいんだ相手は、自分が完璧に何かを相手にしてあげることを、求めているのではない、そういうふうに気軽に伝え合いながら出来るときに出来ることをして、もっとしてよ、と相手もいい、自分も今日はできないよ、と気軽にいい、そういい合いながら怒ったり避けたりではなくて、協調をしていく姿勢を学ぶ必要があるでしょう。介護のとき、そして、仕事のとき、あなたは休めなかったはずです。なぜならとても怖いから。まじめにきちんとしていないのを見られるのが怖くて自分が自分をまじめではないと思うだけで自分はいてはいけない気がして仕方がないから。だから無理をしすぎることがあり、そしてそれをやめるには全部を捨てなければならない、と言う誤解、恐怖心。それらに向き合っていってくださいね。お子さんはあなたを助けてくれるために、生まれてきています。きちんと、「今日は疲れちゃった、明日またあそぼ」と伝えたり、嫌だ嫌だ、というのであれば、じゃあ、ご飯一緒につくろう、お昼ねごっこしよう。とだっこして寝たっていいのです。あなたのお子さんは、あなたにまじめさを求めていません。それを自分に課しているのは、あなた自身です。たとえどんなにあなたの脳に誤解があり、お子さんが、「え、もっと遊びたい、もっとこうしてほしい」といったとしてそのとたんに自分は失敗をした、と言う誤解が生じるとしても、そして、あなたがそれに罪悪感を感じて、必死にやらなければならない、と思ったとしてもだれもそれを望んでいるのではなく、ましてやりすぎてやめてしまったり、怒ったりするのを望んでいるのでもなく、お母さんが気軽でいてくれれば、嫌だなあ、もっと遊びたいなあ、と思ってはいてもあなたが安定をして安心をして休めて楽しんでいたら、お子さんがどんなに救われるかも、学んでみてください。子育てが大変なのはとてもよく分かります。そして子育てほど自分の癖が強く出るものはありません。そうやって人々は学んでいくのですから。セッションであればだから、このまじめではないと生きていてはいけないみたいな変な恐怖心を取ります。でも自分でしにくいのは、まじめではないと生きていけないと信じていて、そうしないと自分は駄目人間になる、とにかく変えたくない、とエゴ(間違った自我)が言うからなのですが。どうってことないです。バランスを取れるようにするだけなので。周りの人々にももっと祝福になります。課題あなたが自分に許すべきこと 今日はこれまで、といって、ちゃんとバランスをとることできない理由 脳のなかのプログラムにより、バランスをとったらもう怖くていられない自分がいてはいけない気がする、皆に見られている気がする、といった誤解が生じるこれはお母様もしてきたことのはずです。これくらいはこうして、と言うバランスをとらず、とにかくしていないとパニックになる姿を見ていたらそれを癒すことは必要でしょう。周りの人々の気分 どっちでもいい、そんなこと、小さなこと。会社を、風邪でお休みされても、電車が遅れて遅刻をしても、わざわざ30分も前に家を出なくても、仕事に差し障りはない。今日一日、風邪で子供と遊べなくても、ごめんねー咳がでちゃってさーでよろしい。寂しそうならば、ごめんね、寝ているから、手を握ろうか、でも色々方法があります。それに、自分がくよくよすることではあっても、子供は親が安定をしていたら、明日になれば忘れている小さなことです。死ぬほどのことはない。でも自分はまじめにしなかったことで、怖くなってしまう。それらの解消になるでしょう。ーーーーーーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com
2012.01.06
「流すということ」というブログを読んでメール致しました。私は自分の感情が感じにくくなってるなと感じることがあります。悲しい、嬉しいなどの感情が自分の中で感じれてないのかなと何年も思っていて、そう思うようになったのは、昔身内が亡くなって生前本当に良くしてもらって大好きだったのに悲しいって気持ちがでてこなくて、「あれ何でおかしいぞ?何で悲しくないんだ?」と思い次第に悲しまなきゃと自分の中で焦りが起きましたが、結局ダメでした。その事がショックでした。今も、人の辛い話や嬉しい話を聞いても理解できず、分かったフリでその場を過ごしてますが、全く理解できてません。分かったフリの上辺だけの自分が嫌になります。自分が思うには、ブログに出てきた「自分を麻痺させて流す方法」をやってるのかなと思います。自分で自分の感情を抑圧して長い年月がたって、自分が感じれなくなってしまっているのかなと思います。自分の中に色んな問題が絡まってるのでしょうが、楽しいものは楽しい、悲しいものは悲しいと感じれるようになるのが第一歩かなと思います。自分の止まってしまった感情を取り戻すにはどうしたらいいのでしょうかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー確かに感情を麻痺させている方もおられますが、あなたの場合は、どうも、他の事に思います。ご自身が、人とあわせないとならない、と思っておられますよね?そして人とずれていることが、いけないことだとお考えのご様子。でも、正確に言うと、人が同じことを感じている、ということは、正確にはなくて、本当は皆感じている気持ちはそれぞれ違います。あなたは、亡くなったときに、大好きな人ではあるけれど、あまりしんみりするのが好きではないのかもしれませんね。そして、自分がたとえ死んだとしても、あっさりと送ってほしいのだとしたら、そこに、あなたの個性があるでしょう。これは良い悪い、冷たい暖かい、の問題ではなくて、その人の持っている個性の事柄なのです。人の使命はなんでしょうか?その人が自分を学び、自分の力を生かすことです。そして自分はどこから学べますか?人と違うから、自分をわかるのです。それが探せなくなるのは、何故ですか?人と違う自分が悪いと思う時期が人にはあるからです。それに惑わされるからです。今のあなたには、その人が大好きなお気持ちがあれば、それで十分です。ただ、あなたには、人が悲しいと思うようなことでも、少しそれに強い、というか、人が辛いと思うことでも、それにも忍耐力がある、というか、平然と乗り越えていく個性があるのだろうと思いますし、そういった才能を生かしてみてください。その自分を許すことです。許して力に変えることです。ジャンヌ ダルクだって、若いころは、普通の着飾るのが好きな女性たちと、自分は、違うのに悩んだかもしれませんね。人は、自分の個性を生かせば、いろんなことを成し遂げていくものです。じつはその人々が感じる気持ちには、その方の個性も大分混じります。さて、そうはいっても、人と違うことが不安でしょうから、理解をしておくとよいのは、「あ、この人たちは、こういうときに悲しいんだな」と言うことです。同じになる必要はありません。同じになるのではなくて、あなたは、相手が悲しい、嬉しい、ということはわかった、ということに同意をしてあげてください。そして、自分の個性も大切になさってくださいませ。人は皆違うので、ですから、ある人はそう感じていて、ある人はそれに同情を示さないとならないと感じていて同情をしているだけだったり、ある人は自分が悲しいことを感じ取りやすいので、その人が感じ取る以上に、勝手にとてもかわいそうに思い、と人それぞれ、その場面でも違う気持ちを実際には、感じているものです。だから、他の人は皆同じ、と思っていても、じつは皆バランバランの事を話しています。と私には思えます。嬉しいについては、きちんとお話を聞いていませんから、よくわかりませんが、ひょっとしたら、確かに、感情をあまり感じないようにしているのかもしれませんし、あるいは期待はずれでがっかりするのがいやなのかもしれません。あるいは、ご自身の個性で、常に穏やかな気持ちがあり、これがあなたにとっての嬉しい、と言う気持ちかもしれませんし、それよりも、本当の事を言えば、あなたは、その相手が嬉しいことは、別に嬉しくないことだってありえるでしょう。自分に正直になれば、つまりそのことは自分にとっては嬉しくないことであることも、認めれば、自分にとって本当に嬉しいことがわかっていくでしょう。さらに言うならば自分にとって嬉しいことは、とても穏やかだと言う個性をお持ちの方もおられるでしょうし。そしてそれこそが、あなたの使命に関する何かなのかも、しれないのです。どうぞ、人と一緒になろうとするのを止めてください。相手には理解をしめし、そういう相手がいることを認めつつも、自分はもっと違うものを求めている、ということも受け入れてみてください。新しいあなたに出会えますようにー。今年は、あなたにとって、良い年になりそうですね。注意私書箱にメールをいただいていても、全部お返事ができませんのですみません。私書箱にいただいたメールのみお返事をすると不公平になるので、なるべく均等に、掲示板などから、今皆さんに必要そうな事柄に、お返事を、無作為に選んでしていくつもりです。ーーーーーーーーーーーーーー自分自身を知るためにhttp://www.acoreading.com
2012.01.05
すみません、掲示板に書き込めない方がおられるようなのですが、こちらでは原因がわかりかねます。すみません。
2012.01.05
>私は、私が何かをすると良くないことが起こると思っているようです。だから、何もしないことを選択しがちです。>でも、何もしないことにも申しわけなさがあり、かといって何かをすることには抵抗があります。>そして、自分のしていること、もしくはしていないことに対して、人から指摘をされると私が悪いと責められているように感じてしまいます。反射的に謝ってしまうことも、よくあります。もう少し自分の行動に自信をもちたいのですが、どうしたらよいのでしょうか?-----あなたのプログラムなのですが、何かをしない、ということをとてもとても選びやすいようになっているのです。そのため、何かを選んで、解消をしなければならない問題や改善点が出たときにも、「ほらね、やっぱりやらなければよかった」というように総てがやらないほうがよい、というように感情が動きやすくなります。でも通常は、これらは、癖ですが、ご両親のどちらかも、持っていることが多いでしょう。人のもつプログラムはとても強いので、その解消は必要なのですが、心の動きにまず注意をしておいてください。何かをする→改善点が出たとたん、悪いことが起きた、しないようにしようと思う癖があるものすごくがっかりしたり怖くなり、やっぱりやめようという気分になる。何かをしようとする→ 悪いことが起きる気がするこれらの不安は事実ではなくて、自分を止めるためのプログラムでとても強いものだけれどとまず感じ取ってみてください。プログラムが凄いのは、その人を変えないように強い気持ちで何かをさせる、あるいは止める、と言う点なのです。それと、もうひとつ、していないことに対して悪く感じるのは、相手に対してではなくて、本当は、このプログラムで自分を止めてしまっている自分が自分を責めていますから、「ごめんね、今のところ、何かをするのがいやなんだ怖いんだ、なれていないんだ、だから自分は本当はやりたいのに、と思っている部分さんごめんなさい」とだけ、謝っておいてください。これは本当は、外の人に言う言葉ではなくて自分自身にごめんなさい、なのです。それと同時に、「もう少しやってみて、それでよし、と思うことがあっても、よいんだよね」と自分を許してあげてください。やってみて、やってみたら忘れる、ということは大事になるでしょう。これは癖なんだ、凄く怖い気持ちがして、後々くよくよするでもそれはそれでよし、何も考えずにやっておしまいにしよう。としてみてください。やってみたら、それでおしまい。あとから起きたことで、先々またしない、ということをしなくてよい、それができたとしたら、人生、凄く変わるでしょう?―――――――――――――自分のなかに癖となっているプログラムを、自然とわく感情から、変えることを目指しています。http://www.acoreading.com
2012.01.04
あけましておめでとうございます本年が皆様にとって 幸多き年となりますようお祈りいたしますさて、掲示板の、特定の人に対してのみ、蕁麻疹がでる、年賀状を見ても憂鬱とのことでしたので、ご自身のなかでバランスをとるとよいのは、その人たちに対して、私は○○ではないといけない○○してはいけない、というように禁じているところがあれば、調和をしてみてくださいたとえば、悪く思ってはならない、と思っていたら、嫌だなーと思う自分がいることを受け入れ、自分の抵抗をすてていきましょう。抵抗は、とても深いレベルで組み込まれてしまって、その人にとっては方法がわからなくなっている「部分」です。そして、相手へ抵抗をしているのではなく、自分が気楽に何かをしたい気持ちに必死で抵抗をしている部分があります。でもあまりに無理をするほうが自然になっていて意識上はそれ以外に、方法がないと信じてしまいます。つまり、楽にいられることができなくて、何かをしないとならないと思いすぎていつつも、したくない、と自分のなかでどうしてよいのかしたくないけれどしないとならない、と潜在意識で非常に無自覚に信じているところがあります。そうすると、「無理」が出てきています。自分を表すことなく、いやなんだけれど、押し込めて、と言う方法を、自分が解消を出来ていない気持ちがあるんだなー、と受け止めつつもさくさくと、することをして、後は気持ちを楽にするという訓練が必要になるでしょう。いったい、その人たちといると、自分はどうではないと思いすぎていそうでしょうか?自分はこうではないといけない、と思いながら自分が自分ひとりで戦っていることは、ありそうですか?ぐっと嫌だなーという気持ちを押し込めるのではなくて、イヤダナーと思う気持ちがあってよいけれどよりよい人生のために、協力をしてくれる?とご自身の深い部分に語りかけてあげてください。いやな気持ちがあっても戦わずすーっと流していきましょう。体を固めて、戦う必要は、もうないのですから。年賀状を見ても、無意識にこうしないとならない、と思っていることに気が付いたら、しなくて大丈夫、そのまま、そのまま、その先に本当は愛情があるものです。―――――――――――――――――こちらでは、医療的なアドバイスはしませんが、かといって、心理的な事柄が解決をされると、体が楽になる方もおられるのも事実です。特定の人に対してのみ、そういった症状がでるのであれば、押し込めてしまっている方法をそろそろ見直さないとならないかもしれませんね。じつはさまざまな問題は、自分が二つに分かれて、戦っていることから、始まっていることが多くあります。http://www.acoreading.com
2012.01.03
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