全15件 (15件中 1-15件目)
1
大正5年の生まれ。享年97。問答無用の大往生であるが、歌謡曲の黄金時代がまた遠くへ行ってしまった。女性の作詞家というのは、戦前に南條歌美がいるが(「梅と兵隊」「霧の四馬路」などが代表曲)、戦後はやはりこの方、ということになるだろう。盟友・越路吹雪と、今頃久しぶりにあっちで再会して、内藤法美と3人で、新たなリサイタルの構成を練って、劇場を押さえようとしてるかも…。岩谷先生が亡くなって、歌謡界から「大物作詞家」は絶滅したと言っていいかもしれない。西条八十・佐伯孝夫・佐藤惣之助・藤田まさと・藤浦洸・高橋掬太郎・サトウハチロー・菊田一夫…という流れの最後に属していた人は、個人的に石本美由起・星野哲郎・そして岩谷時子だと思っていたので。亡き阿久悠先生もそうだったが、大作詞家というのは「えっ!この歌もこの人が詞を書いてるの!?」という歌が山ほどある…ってのが条件だと思う、私は。越路吹雪「愛の讃歌」「ろくでなし」「サントワマミー」「ラストダンスは私に」「夢の中に君がいる」といった代表曲の訳詞、そして歌謡曲の作詞の幅広さ!ザ・ピーナッツ「ウナセラディ東京」「恋のバカンス」「ふりむかないで」、西田佐知子「あの人に逢ったら」、岸洋子「夜明けのうた」、布施明「これが青春だ」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」「涙の季節」、島倉千代子「ほんきかしら」、郷ひろみ「男の子女の子」、園まり「逢いたくて逢いたくて」…。あと私のカラオケの十八番、フランク永井「おまえに」。とどめは、毎朝テレ朝で散歩してる方(笑)の代表曲の殆どを手がけているということだ。「君といつまでも」「夜空の星」「旅人よ」「蒼い星くず」「お嫁においで」などなど、今でも日本人に当たり前に愛唱されている歌が山ほどあるのは、本当に凄い!この先生の歌は、殆どがラブソングである。「男女間の恋愛」だけでなく、もっともっと深い愛を描いている歌が多いのが特徴だろう。…あんまり突っ込んで評論できないから止すが(苦笑)。しかし、羅列してて思うのが、どうして「おまえに」や「旅人よ」のような、スケールの大きい男性目線の歌が書けたのかってこった。見た目は、失礼なんだが「典型的な日本のお婆さん」というような、穏やかな笑みをたたえた日本女性という感じだったから、なおさら「おまえに」と「旅人よ」を歌ったり聴いたりする度に…。「何でこんな凄い詞を、あの顔で書けるんだ!?」と思ってばかりいた。天才だという、ただそれだけなんだろうけど…。享年97。長い間本当にお疲れさまでした。素晴らしい作品を有難うございました。心から、ご冥福をお祈り申し上げます。
2013年10月28日
コメント(0)
その1・日本一の居丈高、みのもんたの落日何故、この人がここまで世間から叩かれるのか?…「お前が言うな!」と私も言われそうだが、結局は日頃テレビで見せる態度が全て、だったのではないか。週刊誌やネットで見た話だから、信憑性は薄いのだが、みっともない窃盗罪で捕まった例の次男、ガキの頃から手癖が悪く(弁天小僧だ…)、カツアゲやら万引きを繰り返していた人でなしだったらしい。それで、警察はずっとマークしていて「いつか必ずあいつを捕まえてやる!」と思っていたというほどの犯罪者だった…という話を聞いた。ホントかね?中学・高校ぐらいで、みのもんたがボコボコに殴って更生させるということもせず、さまざまな不祥事を全て金のチカラで揉み消してきたツケが、これ。でも、30歳過ぎた息子の責任を、親は必ず取るものなのか?という疑問は確かにある。テレビにあれだけ出まくって、何十億もの金を稼いで、知ったかぶりで、偉そうなことばっか言って…というこの人に対する一般人の不平不満&嫌悪感が、この件で一気に大爆発して、異常に叩かれる結果になったのだ。土曜日の記者会見、反省の色は殆ど見られなかった。「イヤな顔つきになったな~」ってのが、第一印象。「反省した」というマントを着ていたが、その中身は「なんで俺がここまで叩かれなきゃならねえんだよ?」だったと思う。っつうか、そうしか見えなかった。記者会見の最後に「バカ野郎!」と怒鳴ったが、あれも次男に対してではない。間違いなく「世間」に対して。世間に対して「バカ野郎!」と暴言を吐く輩だから、倅がああなったんだ。自分が一番バカ野郎。土曜日の文化放送のラジオと、木曜夜の日本テレビは降板を申し入れたが局から慰留された…と言ってたが、まあ、まず嘘だろう。…恫喝したか、泣いて縋ったか、どっちかだな(笑)。本気で反省したなら報道番組だけでなく、全ての番組を降りるべきであろう。私も世間並に、このお方は嫌いである。「プロ野球珍プレー好プレー」のナレーションの才能は認めるけどね(笑)。でも、そんなのもういい。金は腐る程あるんだから、鎌倉で隠遁生活すればよい。自分もあの世に旅立つ日まで、奥様の遺影に語りかける日々を、静かに過ごせばよい。ゴキブリの背中みたいな顔色の司会者は、もう不要。本音を言うと「この世から不要だ」ってことなんだが、それを言っちゃオシマイなんで、言わない。…って、もう言ってるか(苦笑)。その2・またフジ系列!「ほこ×たて」やらせ問題ロクな番組がないフジテレビにおいて、これはかなりの上質バラエティ番組だっただけに、なんて馬鹿なことをしたのだろう、と思ってしまう。スタッフは、本物の精薄だと思う。差別用語だけど。面白いテレビ番組を作るためには、演出というものがいちばん大事なのは当然。さも、行き当たりばったりに見えるような番組…例えば「正直さんぽ」だとか「モヤさま」だって、ある程度の打ち合わせがあるのは当然だ。でも、その場で起きたこと、つまり「その場の事実」をひん曲げては絶対にいけない。その場の事実がどうであっても、演出や編集で面白く見せるのが、番組スタッフの腕の見せどころであり、もっと言えば「テレビの裏方のプロの芸」だと思う。この件のみならず、「アフタヌーンショー」から続く(古い…)テレビのヤラセの話だが…。初めに「事実ありき」じゃなく、「結果ありき」で企画を立てるから馬鹿なのだ。それで企画(予定)と違う結果になって、臨機応変に対応することができないから、予定していた結果になるように無理矢理事実をねじ曲げるから、こういう大問題になるってのが、分からんかね?「いいとも!」終了のことも含めて、フジテレビは冗談抜きで断末魔かもしれん。…やっぱ、南鮮ゴリ押しのツケだろうか?その3・阪急阪神ホテル、メニュー表示偽装問題!偽装表示していたのが、「てんや」や「日高屋」や「富士そば」だったてンなら、別に私は怒らない。…怒る人も多々いるだろうが、私はってこと(笑)。どんな企業がやったって、詐欺行為に違いないが。安い食材を高い食材だと偽って、サービス料やら何やらかんやら、高い値段を取ったから、世間が大激怒してるのよ。これから、真面目にいい食事を提供してるホテルやレストランも、面倒くさいことになるだろうよ。「あっ、ボーイさん!これ『松坂牛』って言うけど、ホントはオージービーフじゃないの~?」「あっ、ボーイさん!これ『大間の本マグロ』って言うけど、ホントはメバチじゃないの~?」…ってな質問ばっかになるんだろうから(笑)。もう、なってるかもしれないけど。少なくとも、私はホテルに行ったら言うよ(笑)。
2013年10月27日
コメント(0)
今日、やっとYouTubeで『笑っていいとも!』の終了を告げた瞬間の動画を見ることができた。火曜なのに、わざわざ木曜の鶴瓶師がやって来て、そして中居もいて…という状況での発表。おそらく、畏まって番組終了を言いたくない、言うならサラッとさり気なく告げたい…というタモさんの意向を鶴瓶師が汲んで、ああいう発表形式になったのだろう。中居は、事前にこの話を知っていたであろう…という立居振舞いに、私は見えた。…知らなかったという芝居はしていたが、もし本当にあの瞬間に知ったなら、もっと絶句したのではないかと私は推察する。ホントに大きなお世話だが(笑)。一般紙も、かなり大々的に放送終了の記事を載せていた。ひとつのテレビ番組が終わるという、ただそれだけに括れないほどの、テレビの歴史の大きな転換点になる、ということの表れであろう。昨日ここで書いた「私の中の異常な寂寞感」というのは、オーバーな言い方かもしれないが、「絶対に終わらない、無くならないと思っていたものでも、いつかは必ず終わるんだ」という、この1点に尽きると思う。結局。またまた不謹慎な物言いだけど、「おじいちゃんでもやっぱり死ぬんだ」みたいな、身内を亡くしたときの虚無感・無常感に限りなく近い気がする。「例え私が一切見なくなっても、何だかんだ言っても、やっぱり存在だけは、し続けて欲しかった」『いいとも!』に対して、そういった想いが潜在的にいつの間にかあったのだろうか?己の中に。昨日書いたことと重複するが、そうじゃなかったら第一報を聞いたときに、あんなに淋しく虚しい気にならないはずだもの。そういや昨日書くのを忘れたが、この番組が己の中で大きなウエイトを占めていたのかも…と思うことがひとつある。平日の昼間、12時台にアルタ前を通るとき、絶対に「ああ、今『いいとも!』やってるな」と必ずアルタを見上げるのだ。滅多にあるこっちゃないけど。別に見上げたからって何もないし、タモさんと親しく口が聞けるわけでもないが(当たり前だ)、今ここで『いいとも!』をやってるな、という確認をしてから、紀伊國屋書店とかの目的地に向かっている…。この行為が、自分でもよく分からない(苦笑)。今は楽しみにしている番組でもない…ハッキリ言えば見限っている番組なのに、必ず確認をしてしまうのは何故なんだろう?タモさんには、常に元気であってほしい…という、私の願いなんだろうか(笑)?それとも、道端のお地蔵さんに手を合わせる感覚に近いのかも…むしろ、こっちかもしれないな。とにかく、いくら見限った番組でも、いざ終わると淋しさで一杯になるのだろう…な。来年3月末の最終回、オープニングが昔のように普通に、淡々と歌を歌って始まったなら、たぶん私は号泣するかもしれん(苦笑)。4月以降のお昼のテレビは、普段から他局を見ている視聴者でも、何となく空虚な感じがすると思う。
2013年10月23日
コメント(0)
♫「逢うが別れのはじめとは、知らぬ私じゃないけれど」という往年の流行歌が今、頭の中に渦巻いている。この第一報は、ニッポン放送のラジオで知った。上柳アナが、時事通信社の一報として伝えたのが、13時半過ぎだったと思う。「もう、とっとと終わらせりゃいいのに…」と、ここ10年ぐらい言い続けてきたのだが、いざ本当に来年3月で終わるという知らせを聞くと…。…この異常な寂寞感は、何なのだろう?非常に不謹慎な例えなんで、怒られると思うのだが、何か長い間、闘病し続けてきた年配の知り合いが、とうとう亡くなった…と聞いたときの気持ちに似る。ここ数年は、殆ど見ることもなかった「いいとも!」。日曜日の「増刊号」すら、全く見ないで過ごすことが当たり前になっていた。出かけたりもするし。しかし、心の中のどこかで「いくら瀕死の状態、全てが形骸化された状態とはいえ、まだ『いいとも!』は毎日放送されている」ということに対する、安心感のような気持ちがあったのだろう。じゃなきゃ、こんな気持ちにはならないはずだ。でも、この淋しさに共感してくれるのは、私と同年代~5歳先輩の間くらいの年代の方じゃないかと思う。つまり「物心ついたときが、ちょうど『いいとも!』の上り調子だった世代」という方たちね。何度もここで書いたが、私は昭和54年2月生まれ、この番組のスタートが昭和57年10月。つまり私が物心ついたとき、フジのバラエティ番組の「ある種の頂点」に君臨しつつあるときだったわけだ、『笑っていいとも!』が。昭和60年前後ね。あの頃は、本当に面白かった。まだタモさんが中堅だったから…最近の「いいとも」しか知らない人には、全くもって想像がつかないだろうが、タモさん一人で進めるコーナーが、「テレフォン」以外に結構あったのだ。確か大黒様みたいな格好して、世間に対して文句を言う「おじさんは怒ってるんだぞ!」とか(笑)。他に、高田純次がやってた「純ちゃんのブラボーダンス」、小倉久寛がサックス吹いて言葉を当てる「サックスは最高」、「年齢当てコンテスト」もあった。今じゃ、中村橋之助丈の奥さまである三田寛子が、タモさんと2人でお菓子を作ったりするやつや、所さんと視聴者投稿の新しい諺を発表するやつ(『金言・格言、色紙でどうじょ!』だったか?)も好きだった。でも、いちばん好きだったのは金曜日。明石家さんま師とのトークコーナーがあったからだ。学校休んだ日が金曜だったりすると、具合が悪いのに無理矢理起きて、ヘラヘラ笑って見てたっけ。コーナー名は何度か変わったが、「日本一のサイテー男」という名前が、一番長かったんじゃないかと思う。このコーナーで吉永小百合の迷曲?「奈良の春日野」が初披露されたとき、聴いたタモさんがショックのあまり涙を流したのを、未だに覚えている(笑)。年末の「特大号」も、昔は心から楽しみにしていた。オープニングの、インチキ牧師の説教が心底好きで、画面に必死で食らいついて見ていた。「コノクツシタ…イヤ、コノタビ(足袋=度)ハ~!」なんてフレーズは、私は今でも使っている(笑)。20年ほど前の年末だったか、ものまね歌合戦のトリでさんま師が「オーストラリアの失踪花嫁」の真似をして(当時ワイドショーで大騒ぎだった)、大爆笑したのも懐かしい思い出だ(笑)。…こうして書いてみて、やっぱり私は「いいとも!」が大好きだったんだと、改めて思う。大好きだったからこそ、ここ10年ほどの内容の酷さに耐えられなくなって、見なくなったんだと気づいた。冗談抜きで、ここ数年はホントに見てなかった。全く…というとウソになるが、チャンネルを回した際、画面にパッと映ったスタジオアルタの空気が、まるでお通夜のようで驚いたのが、今年に入ってからか。そもそも、私が「いいとも」を見限りだしたキッカケは、オープニングで歌わなくなったとき。何年前だったか記憶が定かじゃないが、きちんとした番組のしきたりを崩しだした時点で「もうダメだな」と思ったのを覚えている。「テレフォンショッキング」も、単なるトークショー(それも番宣オンリー)になり、ほかのコーナーも迷走しまくっていたと聞く…。…晩節を汚した気がしないでもない。放送開始から、32年目での終了。本当に寂しいことだが、仕方がないと思う。タモさんが、単独でここまで続けたのは本当に凄い。稀有な才能と不屈の精神力、そしてその2つを表に全く見せない「アヒルの水かき」システム(?)が、ここまでの長寿番組になった所以であろう。そして病気とか、亡くなって終了ということではなく「元気なうちに幕引きできた」というのは、本当に良かったと思う。心から「お疲れさまでした」の言葉を、タモさんに送りたい。…ただ、一番怖いのが「『いいとも』を辞めると同時に芸能界からもリタイアする」ということ。これだけは、お願いだからしないでいただきたい。是非ともNHK「ブラタモリ」の復活、そしてテレ朝「タモリ倶楽部」の更なる充実を願わずにいられない(笑)。あと前から言っていることだが、月一ペースくらいで、NHKのBSあたりで「正統派のバラエティ番組」をやっていただきたいものだ。ガキ向けではない、トークとコントとジャズ演奏だけで構成されているような、洒落たバラエティが見たい!「今夜は最高!」のような。タモリ・小松政夫・山下洋輔・団しん也・坂田明あたりがレギュラーで、伊東四朗・三宅裕司・小倉久寛あたりがセミレギュラーのバラエティなんざ、いいと思うけど。とにかくタモリさん、本当に長い間お疲れさまでした。
2013年10月22日
コメント(0)
一昨日夜の西新宿ミュージック・テイトで開かれた「歌で綴る昭和の時代」、そして昨日開催致しました神保町らくごカフェ「第2回昭和歌広場」!共に無事、終了致しました。ご来場頂きました皆さま、本当に有難うございました。「歌で綴る昭和の時代」は、たけ平さんの歌唱力という最大の問題(苦笑)がござんしたが…。何とかご満足頂けましたでしょうか(笑)?第7回は、来年2月中旬に開催予定であります。そして「第2回昭和歌広場」!前回は、オフィスM’sの加藤さんとの暴露トークで全てが終わってしまいましたが(笑)、今回は違う!演芸評論家、保田武宏先生の名著「銀座はやり歌」で取り上げられた歌を中心に、「東京・銀座・流行歌」と題して、真面目な歌謡史トークに笑いをまぶした(笑)、素晴らしいトークショーになりました!「マシンガントーク」と言われてる私が(男のお喋りはロクなもんじゃないが)、殆ど喋らずに済むほどの保田先生の軽妙な喋りは、本当に素晴らしいものでした。…大して喋らなくて済むって、楽なのよ(笑)。保田先生は昨年大病を患ったので、肉体的に持つか?と多少の心配もあったのですが、本番でいきなり出てきたサービスのビールを飲んだり、大喜利で歌ったり(笑)。…これまた、ご満足頂けましたでしょうか?第3回は、来年2月~3月頃に開催したいと思います。正式に日程が決まったら、このブログでお知らせします。また宜しくお願い致します!
2013年10月20日
コメント(0)
4月25日に、バタヤンが亡くなったとき「同い年のやなせたかし先生は元気だよな~、もうすぐ死ぬって言ってる割には」と、漠然と思ったのを覚えている。まさか半年後に、やなせ先生まで亡くなるとは…。この先生も「この人は絶対に死ぬわけがない!…ような気がする」と本気で信じていたお一人。つい数ヶ月前まで、普通にテレビで見ていた気がするからか、あるいは「生」に対する情熱や喋り、見た目などに全く衰えが感じられなかったからか、94歳なのに「大往生」という気がしない。むしろ「早死」っぽく感じる。批判的なことを言う訳ではないが、昭和54年生まれの私にとって、「アンパンマン」というキャラクターは、「世代的に」微妙な距離感がある。「ドラえもん」や「パーマン」、「怪物くん」に対して私が持っている「身内のような親しみ」は感じないのだ。それは、幼稚園の頃に《絵本》では「アンパンマン」を何度も読んではいたが…(ちなみに絵本には、今ほどサブキャラがおらず、アンパンマンが単独で出てた?ような覚えがある)、アニメ化されたのが昭和63年10月、私が9歳の時だったからだろう。いくら「万年幼年」の私ですら、さすがに小学校4年で「アンパンマン」を真剣に見ようという気はない(笑)。だから「幼年期にアンパンマンどっぷり」だった世代は、一番上で昭和59年生まれぐらいじゃないかと推察する。で、アニメ放送が始まってからの、この25年間。この普遍的な人気は何なんだ!?と思わずにゃいられない、人気のキープ度合(笑)。ホントに衰え知らず。日本中の…まあ2歳~5歳ぐらいの子供は男女問わず、持っているグッズの中に、必ず1つはアンパンマンのキャラクターが付いている物があるんだから。手塚先生や藤子先生、石ノ森先生、赤塚先生らと同様、やなせ先生もメディアでよくお顔を見る先生だった。何でも、昭和39年から42年までNHKで放送していた「まんが学校」という子供向けクイズ番組に、講師として出演したのが最初らしい。この番組の司会者が、前年に真打に昇進したばかりの新進気鋭の噺家だった、立川談志師匠である。家元は漫画の話になると、手塚先生の名と共に必ず、やなせ先生の名を出していたっけ。この「まんが学校」の司会ぶりを見て、切れ味鋭い「源平」を聴いて、そして「現代落語論」を読んで談志に憧れたという方も沢山いたのだろう。…って、やなせ先生の話だ!軽妙な中に、壮絶な戦争体験や正義論を盛り込んでいくトーク術も素晴らしかった。作詞家としても、「アンパンマン」関連の歌は勿論、「手のひらを太陽に」もこの人の作詞。漫画家の前は三越宣伝部におり、猪熊弦一郎画伯のデザインによる、三越の包装紙の「mitsukoshi」の文字は、やなせ先生だったはずである!凄い!漫画家としては非常に遅咲きだったが、「キャラの永遠不滅さ」に関しては、異論もあるかもしれないが、手塚・藤子・石ノ森・赤塚といった先生方のを遥かに超えている。アンパンマンが生まれて40年以上、アニメになって四半世紀を過ぎたのに、キャラに「なつかしの」という冠が付く気配が、全くないのは凄すぎる。94歳…世間から見たから大往生なんだろうが、私は…というより、やなせ先生自身が「大往生じゃない!」と言っているような気がする。ガンを患っておられたそうだが、さほど長く寝付かずに、現役のまま、コロッと逝くのは「最高の死に方」だと思わずにはいられない。でも、「あの」やなせ先生でも死ぬんだよ、やっぱり。長い間、本当にお疲れさまでした。普遍的に子供が喜ぶキャラクターを山ほど創造された凄さには、心から敬意を評します。心からご冥福をお祈り申し上げます。あっちに行きましたら、談志家元によろしく!
2013年10月15日
コメント(0)
いよいよ、お待ちかねの落語&昭和歌謡ショーが、あと4日に迫りました!10月18日(金)「歌で綴る昭和の時代 Vol.6『秋』」第1部…演芸 第2部…昭和歌謡ショー会場… ミュージック・テイト西新宿店 店舗内料金… 前売り1,500円・当日1,800円開場… 19時開演… 19時30分出演… 林家たけ平・桂夏丸・神田真紅ご予約は、こちらまで。↓http://www.musicteito.co.jp/本日、ついに出場歌手(笑)全員の歌唱曲目が決定!「なつかしのメロディー」大行進!凄いですよ!今回は、私が歌わなくとも充実の内容になりました。なぜなら、比較的年代が古い歌が多くなったので。良かったわ、歌謡声帯模写もやることになったなら、次の日に声が出なくなる危険性があったもの(笑)。てなわけで、私は今回は司会に徹しますので。歌と落語・講談を同じくらい愛するお客さまのみ(笑)、是非ともお出でいただきたい会です。たくさんのご来場、心よりお待ち申し上げます。ハッキリ言やあ、落語だけが好きな方には、この会はオススメできません。私が言うんだから本当(笑)。
2013年10月14日
コメント(0)

いよいよ開催まで1週間です!まだまだ、ご予約を受け付けております!『昭和歌広場~SPレコードとトークでつづる歌謡史~』第2回:「東京・銀座・流行歌」10月19日(土) 会場・神保町らくごカフェ13時30分開場・14時開演・16時終演*今回は、昼間の公演ですので、ご注意を!入場料・予約1,800円 当日2,000円司会・林田雄一ゲスト・保田武宏(演芸評論家) 加藤浩(オフィスM’S)内容のお問い合わせ・チケット予約はこちらまで↓CBC01742@nifty.com0ps388121401v2y@ezweb.ne.jpお問い合わせ及びご予約は、電話でも承ります。090-4183-2028までどうぞ。元読売新聞記者で、日本を代表する演芸評論家、昭和の流行歌に関して、膨大な知識をお持ちである保田武宏先生が、今回からレギュラーゲストとしてご参加くださいます。昭和歌謡史・演芸史の裏話&爆笑トークと、SP盤の音色との融合をお楽しみください!沢山のご来場、お待ちしております!
2013年10月11日
コメント(0)
今朝知った、古今亭志ん馬師匠の訃報。享年55。あまりに早すぎる。無念である。だって、今年に入ってからも普通に寄席に出てたし、誰からも具合が悪いなんて話は聞いてなかったし…事故で亡くなったも同然の衝撃だった。それにしても、どうして古今亭の噺家さんばかり、それも寄席に欠くことのできない師匠方ばかりがこうも早世してしまうのだろう?古今亭一門で長生きしたのは、志ん生師匠(83歳)と昨年亡くなった圓菊師匠(84歳)だけじゃないか?一応、調べてみたのだが…。先代馬の助師匠が48歳、先代朝馬師匠が47歳、先代馬生師匠が54歳、先代志ん馬師匠が59歳、右朝師匠が52歳、志ん朝師匠が63歳、志ん五師匠が61歳、そして昨日の当代志ん馬師匠が55歳である。もう、何というか…この言葉は本当に言いたくないが、「古今亭は呪われている」としか思えないほど、あまりに早いお別れが多過ぎる。で、志ん馬師匠。柔和な笑顔と、ソフトな語り口で、古今亭の十八番を軽く聴かせてくれた師匠だった。優しい人なんだろうな…という印象で、寄席の空気を常に穏やかにしてくださる師匠だったように思う。「宮戸川」を、よく聴いた覚えがあるな。それにしても享年55なんて…噺家だったら「これからが本番」みたいな年齢じゃないか!何故、古今亭の噺家さんは、どんどん良くなるであろう高座姿を、我々に見せてくれずに亡くなってしまうのか。志ん馬師匠のご冥福を、心からお祈り申し上げます。そして現在活躍中の古今亭一門の皆さんには、とにかく体調管理に気をつけて、長く高座を務めて頂くようにしていただきたい!落語ファンとして、強く願います!
2013年10月08日
コメント(0)
いよいよ、お待ちかねの落語&昭和歌謡ショーが、来週金曜日に迫って参りました!桃太郎師匠の歌謡ショーより、出演者の平均年齢はかなり低いですが、歌は戦前~戦中のが殆ど(笑)!10月18日(金)「歌で綴る昭和の時代 Vol.6『秋』」第1部…演芸 第2部…昭和歌謡ショー会場… ミュージック・テイト西新宿店 店舗内料金… 前売り1,500円・当日1,800円開場… 19時開演… 19時30分出演… 林家たけ平・桂夏丸・神田真紅ご予約は、こちらまで。↓http://www.musicteito.co.jp/私も…桃太郎ショーで味をしめたので(笑)、またまた白山雅一直伝の歌謡声帯模写を演るかもしれません。リクエストがございましたら、受け付けますよ~(笑)。東海林・藤山・淡谷・ミネ・伊藤・霧島・灰田・小畑・田端・岡あたりなら、大体できますので(笑)。…私ゃ、完全に方向性を見失ってるな、こりゃ(苦笑)。「司会者は包装紙」理論でいかないと。沢山のご来場、心よりお待ち申し上げます!
2013年10月07日
コメント(0)
昨日のブログの終わりに少し書いたが…。桃太郎師匠の歌謡ショーの打ち上げのあと、23時過ぎ、京浜東北線の車内、携帯電話でYahoo!ニュースを見ていて…その見出しを見た瞬間、文字通り「絶句」した。「桜塚やっくんが交通事故死」思考が完全に止まり、その見出しを何度も読んでも、「これは…どういうこと?事故死ってことは、もう死んじゃったってこと??」と理解できなかった。失礼な言い方だが、好きなタレントでも何でもない。ここ2年ほどは、マスメディアでその姿を見ることも殆ど無くなっていたし。しかし、ショックだった。安らかな最期でないから。各記事でも多く書かれていたが、この人を知ったのは日テレの「エンタの神様」だった。7年ほど前か。スケバンの女装姿で竹刀を持って、毒を吐きながらお客さんとのやり取りで、笑いを取っていく形で、一気にブレイクしたと記憶している。あの番組は、ネタの内容を全部テロップで出すという「芸人殺し」「お笑い殺し」の番組だったから(苦笑)、すぐに見なくなったが、やっくんの姿はインパクトがあった。私の感性には合わない笑いだったけどネ。整った顔立ちだったから、女装してもかなり美形で、そこがブレイクの一因だったんだろう。でも、やっくんは素の喋りを聞くと、結構頭の回転が良い人だったと思う。お客さんとのやり取りで笑いを取っていけたんだから。私が「お台場」の放送局で、字幕制作で働いていた頃、よく(仕事で)見ていた番組に、美川憲一とやっくんが関東近郊の港町で食べ歩きをするグルメ番組があった。土曜の午後や、日曜日の夕方に何度もやっていたから、好評なシリーズだったんだろう。数年前から(やっくんが女性関係でトラブルがあった後)、はるな愛とのコンビになったが、やっくんとのコンビでやっていた時の方が、正直10倍は面白かった。お叱り承知の上で書くが、テレビのことが微妙に分からず、その上凄く図々しい(笑)、田舎のジジババの扱いが、やっくんは絶品だったのだ。美川憲一と組むと特に。特に大宴会にアポなしで乱入して、インタビューした後、美川憲一が1曲歌うというのが、恒例のコーナー(?)だったのだが、そこでの素人のあしらいは巧かった。一昨年、女性関係のトラブルで仕事が激減したようだが地道にバンド活動などで、頑張っていたというのに…。ネットでの心無い書き込みのように、「誰々が代わりに死にゃ良かったんだ!」とは言いたくない。でも、死んでも良さそうな人間がのうのうと生きていて(私も含む)、地道に頑張っていた人が、本当に突然、人生の幕を強制的に降ろされてしまうというのは…。神も仏もないもんだな…。結局、これしか言えない。勿論やっくんが、「えっ?あれ?何で死んでんの?」と一番事態が解ってないだろうし、無念だと思うが…。笑いの才能があったかどうかはともかく、生きていれば、もう一花咲かせられた人だったと思う。交通事故だけでなく、誰にも「こういう人生の最後」はやってくる可能性がある。これを肝に銘じて、人間は毎日生きていくしかない。桜塚やっくんのご冥福を、心からお祈り致します。
2013年10月06日
コメント(0)
今晩の…というか、もう昨晩になりますが、人形町の社会教育会館で開かれた「桃太郎・青春歌謡を歌う」にご来場下さいました皆さん、本当に有難うございました。始まる前は、こんな構成で大丈夫なのかよ?と不安で仕方なかったのですが(苦笑)、いざ蓋が開いたら、お客様のノリが素晴らしく、全てがプラスに転化して大成功になりました!ひとえに、お客様のおかげでございます!この調子で、18日(金)の西新宿ミュージック・テイト「『歌で綴る昭和の時代』vol6」にも何卒!是非とも!ご来場頂ければと思います(笑)。…ところで…。このブログを書こうと、PCを立ち上げてYahoo!の記事に目を通したら、芸人の桜塚やっくんが事故死したというニュースを知り、本当に驚いた。ファンでも何でもないが。このことは、また次回に書こうと思う。
2013年10月05日
コメント(0)

昨年もこのブログで書いたことだが、今年も書く。…メディアが取り上げないのは勿論、歌謡曲関連のブログでも、だ~れも書かなさそうなので書く。今日10月4日は、日本を代表する歌手のお一人、我らが東海林太郎先生の命日である。昭和47年10月4日に、74歳で亡くなった。明治31年12月生まれ…ということは、存命ならば115歳!世界一の長寿になってたかもしれないってことか(笑)。まあ、それはともかく。没後40年を過ぎると、昭和を代表する歌手とは言えど「昭和歌謡特番」で、この先生の歌が出てくることはNHKでも民放でも、殆ど無くなった。ただNHK・日テレ・TBS・フジ・テレ朝には映像が殆ど残っていないから、取り上げようがないのは分かる。でも、あんだけ映像が大量に残ってる「テレビ東京」が取り上げなくなったってのは、如何なもんか?「赤城の子守唄」「国境の町」「野崎小唄」みたいに、何パターンも残っているものから、「母に捧ぐる歌」や「三味線やくざ」みたいな《中ヒット》まで、あんなに山ほど残っているのに、貴重映像を流さないってのは、「ナツメロのテレ東」として、どうなのよ(怒)?戦前からの歌を知ってる人が少なくなったとしても、数字が取れなくても、日本歌謡史的にも貴重な映像を、定期的に放送していくことに、意味があるんじゃ?以前、大々的にHPをやってたときにも書いていたが、このままじゃ「なつかしの歌声」のVTRが、「単なる倉庫の肥やし」になって、そのうち何の価値も判らないトンチキスタッフに、処分されかねない!…でも、愚痴ってみても、仕方ないやね。相当イライラしてるな、今日は。我ながら。ああ、そうだ!最後に告知!10月5日(土)「桃太郎『青春歌謡ヒットパレード』 」第1部… 落語 第2部… ヒットパレード会場… 人形町日本橋社会教育会館 開演… 19時料金… 3,000円(全席指定)ご予約は、ミックス寄席まで。↓http://www.mixyose.jp/index.html第2部のヒットパレードの方の、構成・演出・司会を私がさせて頂きます。前回の告知まで、開演時間が間違ってました!訂正して、お詫びいたします。18時半開場・19時開演です。沢山のご来場、心よりお待ち申し上げます!
2013年10月04日
コメント(2)
「いい人そうに見えたんだけどね~、当時は…」ウチの両親の言葉だ。昭和40年、NHKのドラマ「人形佐七捕物帳」に「うらなりの豆六」役で出ていたとき、そんな印象があったようだ。ほんの一時とはいえ、歌謡界の花形スターだった人が、ひっそりと世を去った…という小さな記事を夕刊で読み、何とも言えない気持ちになった。「さすらい」「北京の55日」「片目のジャック」などをヒットさせ、紅白にも2度出場した歌手の克美しげる氏が、2月末に亡くなっていたという。享年75。私としては、アニメ「エイトマン」の主題歌を歌ってた人、というのが一番強い印象である。でも、世間の印象は「これ」しかないだろう。ウィキペディアの記述が詳細だから、転載させてもらう。1975年、低迷からの脱却を図るべく、東芝レコードによるカムバック企画“3000万円作戦”を実施、芸名表記も克美茂に改め、『傷』で再デビューした。1976年5月6日、以前より妻子がありながら交際を続け、経済的援助も受けていた愛人の女性をカムバックの足手まといになると考え殺害。所有する自動車のトランクに遺体を隠したまま羽田空港の駐車場に駐車し、北海道へキャンペーンに出発した。5月8日に遺体が発見され、車の所有者である克美は逮捕された。8月23日、東京地方裁判所にて懲役10年の実刑判決を受け、服役した。1983年10月、大阪刑務所より仮出所。かつてのバンド仲間でもある元マネージャー・大谷羊太郎(推理作家)の助力を得て音楽事務所を開いた後に再婚。カラオケ教室も設立し、自ら指導をしていた。1989年5月11日、覚せい剤取締法違反(不法所持)で逮捕され、懲役8ヵ月の実刑判決を受けた。…未だに「芸能人の犯罪史」的な特集をテレビで組むと、いの一番に出てくるのが、この人のこの事件。身勝手な犯行だってのもあるし、その上、後にクスリでもう一度捕まっているというのも大きい。大きすぎる。その後は…これもウィキペディアから引用させてもらう。1996年、31歳年下の夫人と4度目の結婚をするが、その後は心臓病・脳梗塞・顔面麻痺などの疾病に相次いで襲われた。後に体調は回復し、2000年代に入るとテレビ番組などのメディアにも出演するようになった。2007年12月に出版された『蘇る封印歌謡 いったい歌は誰のものなのか』(三才ブックス)の付録CDで、新録音『さすらい』『おもいやり』『エイトマン』を収録。自主制作のカセットテープなどを除けば、凡そ30年ぶりに新音源が全国発売されたことになる。天罰という言葉は嫌いだが、数々の大病に見舞われた…というのは、やっぱり天罰が下ったんだと私は思う。そして、歌手復帰も全く出来ずに、こういう惨めな最期になったのも、自業自得だとしか私は思えない。10年以上前だったか、TBSの「あの人は今」的な特番に、どういう訳だか突然出演して「エイトマン」を歌ったのを見たのが、たった1度「リアルタイムで見た克美しげる」になった。YouTubeに動画があるはずだ。その番組で歌い終わったあと、他の出演者と違って、隅の方で小さくなり、うつむいて一言も話さなかった(多分話せなかった?)この人を見て、物凄く複雑な気持ちになったのを、今も思い出す。もしかしたら、スタジオインタビューみたいなものもあったのかもしれないが、歌っただけで全くトークは無かったように記憶している。ほかの出演者だって、腫れ物に触るような扱いしかできなかっただろうし。「身勝手な殺人犯なんざ、片っ端から死刑にしろい!死刑廃止論者も死刑にしろ!」ってのが私の持論。「本気で贖罪するには、命をもってしか償えない」と思っているからだ。その考えは、今後もぶれることはない。でも克美しげるの生歌を、生ステージを、もっと私は見たかったし、聴いてみたかった。冥福を祈れないし、たぶん三途の川を渡れないで地獄に行っているとは思うが、その死が7ヶ月後にひっそりと報道され、世間の殆どに「その名前すら」忘れられての死…というのが、この人にとっては死刑以上に、一番キツイ罰だったのかもしれない。
2013年10月02日
コメント(0)
昨晩は、東京・西新宿になるミュージック・テイトで桂夏丸さんの独演会「夏丸演芸館」に、司会者として出演してきた。勿論歌コーナーのよ(笑)。ゲストは林家たけ平さん。つまるところ、18日(金)の晩に開かれる恒例の会「歌で綴る昭和の時代」と、かなりの重複度合(笑)。夏丸 「つる」たけ平 「幇間腹」中入りたけ平 「星野屋」夏丸 「甲府い」私はエンディングのみの出演で、ちょっとした喋りと「十九の春(田端義夫)」の司会を担当。3時間半待機して、出演時間が7分!楽だったんだか、何なんだか…(苦笑)。さて、今週末には、またビッグな落語&歌謡ショーが!10月5日(土)「桃太郎『青春歌謡ヒットパレード』 」第1部… 落語 第2部… ヒットパレード会場… 人形町日本橋社会教育会館 開演… 19時15分料金… 3,000円(全席指定)ご予約は、ミックス寄席まで。↓http://www.mixyose.jp/index.html第2部のヒットパレードの方の、構成・演出・司会を私がさせて頂きます。…とは言うものの、桃太郎師匠が考えた構成を速記し、ただ活字にしただけ、ってな感じですが(笑)。私のメインは司会です、司会!その上、私は何故か、恩師・白山雅一先生の直伝である歌謡声帯模写もやらせて頂きます(冷汗)。…前々回も書きましたが、桃太郎師匠のショーなんで、カッチリしたショーは期待しないでください(苦笑)。たくさんのご来場、心よりお待ち申し上げます!
2013年10月02日
コメント(0)
全15件 (15件中 1-15件目)
1