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夏休みも終わるのだが、何冊かホラー小説をみつくろってきて、読み始める。まず、若竹七海の「遺品」。幽霊屋敷もの。山奥の湖畔の銀鱗荘というホテルに残された30年前に亡くなった女優・作家の資料整理を依頼された学芸員。彼女の周囲に次々と怪事件が起こっていくという常道のホラー小説。さすがミステリ小説家だけあって、幽霊の正体もこうきたか!って感じで工夫してある。思わせぶりなラストも心憎い演出。読んでいる最中は、確かに面白いが、肝心の恐怖感については今ひとつだ。どうしてなのだろうか。いくら超常現象を描いていっても、マジックのイリュージョンを見るような派手な感じ。例えば指と指との隙間から覗いてしまうような薄気味悪さは感じられない。ましてや日常生活の後ろ側に潜む恐怖を描いた作品といった感じではなかった。
2005年08月31日
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「シャガールから靉嘔まで」というサブタイトルの展覧会。男と女、母子、作家とモデルなど絵画に表現された「ふたりの人」というテーマで構成された展覧会。が、そのテーマを特に意識することなく見ているうちに、なんとなく特別展は終わっていて、いつの間にか常設展となっていた。靉嘔のレインボーカラーの作品があった。今から二十数年前、近くのデパートのインテリアショップで靉嘔のサイン入りリトグラフの商品が1万円くらいで売っており、これはいいなぁ、いつか買おうと思っていたことを思い出す。結局、買う機会を逸してしまったのだが、今ではそんな値段では買うことはできないだろう。ヤマガタやラッセンなどまだ無名の時代だった。さて、ジョン・マーチンという人のアダムとイブをテーマとしたエッチングが三点展示されていたが、その緻密さには驚いた。とくに「人間の堕落」と題された絵は、りんごをまさに食べようとするところの絵。うっすらと描かれた背景の山々、ジャングルや滝の立体感など抜群だと思った。
2005年08月30日
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2段組、560ページの長編。世界の命運を左右するシュミレーションソフト「ヒミコ」。まったく知らない間にそのソフトを開く鍵に設定されていた主人公が諜報機関の争奪戦に巻き込まれていくというストーリー。この主人公。64歳の高齢者という設定だが、その活躍ぶりに他の大沢作品の鮫島や佐久間のイメージが重なってしまい、ピンとこない。いつのまにか事件に巻き込まれていった主人公が、困惑しながらも、真相に近づいていくという中盤までは、いい展開で、興味津々。ところが、ソフトを開くための鍵となる「世代」間の話になるとどうも話のテンポが失速してしまう。まぁ予定調和的に終わる結末だが、それで登場人物たちはどうなったの?と消化不良気味。いつもの大沢節が感じられずに、少々がっかり。
2005年08月28日
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昨日の続き。平成17年度第2回所蔵作品展を見る。ちょうど、「原田直次郎作「騎龍観音」のなぞと魅力に迫る」というイベントをやっていたので参加する。この「騎龍観音」、白装束の観音様が、緑色の龍の首の上に乗り、雲海と炎の間を飛んでいるという油絵。1890年作ということだが、とても100年以上に前に描かれたとは思えない、ダイナミックな迫力。スターウォーズの映画を見るような絵で、近代美術館では以前からお気に入りの絵画のひとつ。絵の前にじっくりと座り、女性研究員の話を聞くというイベントだったが、この絵の解釈がとても興味深いものであった。この絵を右上から左下に斜線を引いて半分に分ける。すると上斜め半分が陸地と海と空という現実の風景。下斜め半分が雲の間を飛ぶ龍という非現実の世界という構図になっている。観音はその現実の世界と非現実の世界にまたがって描かれている。また観音の下半身の衣装は風になびいているのに、上半身の衣装や髪の毛はまったく風になびいていないという工夫がなされている。そのため、やけにリアルだが、どこか不思議な絵と感じられるということだ。また、たとえばルーベンスの描いた「最後の審判」のように、教会に収められた西洋の宗教画も、このように斜めに半分に分けられた構図の絵が多いとのこと。原田はドイツ留学時に見たこれらの絵の影響を受けたらしい。そこで教会ではなく寺院(護国寺)に奉納したのだろうとのことだ。大いに好奇心を満足させられたイベントだった。なるほど研究者の話は聞いてみるものだ。
2005年08月27日
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アジアのキュビスム ― 境界なき対話というタイトル。近代美術館の一階。いつもと逆のルートで設定されており、思わず出口に向かってしまった。エレベーター前の入り口から入ると、まずピカソとブラックの作品2点のみを展示している部屋。キュビズムを語るにはやはり、この画家を欠かせない。キュビズムの始祖に敬意を表しての展示だろう。有名どころの絵は、この2点のみ。次の部屋から、アジアのキュビズムがスタートする。「テーブルの上の実験」「キュビスムと近代性 」「身体」「キュビスムと国土(ネイション)」このような4つのパートに分かれており、まずは「テーブルの上の実験」のパート。お約束の楽器や果物などの静物画の絵。あの「カクカクガクガク」している絵を見ているのは少々辛かった。ところが、次の「キュビズムと近代性」のパートからは、あのキュビズムを利用して実に多くの主題が描かれるようになっていき、キュビズムという表現方法の多面さ、面白さを味わうことができる。キュビズムという表現を使うことによって、写実画よりも、よりはっきりとその状況や背景や画家の思想を見る人に伝えることができるということも分かる。例えば、「物乞い」というタイトルの作品があったが、写実的に描く以上に、その人物の置かれている状況の悲惨さが感じられる。日本人の画家の作品も多かった。例えば、石垣栄太郎という画家の「鞭打つ」という作品。煙を上げる煙突や石炭を背景に、馬に乗った人物が鞭を振っている構図。工場や煙突の直線と鞭や馬の首の曲線の対比が実に見事。東郷青児・萬鉄五郎などの絵も面白かったが、大好きな古賀春江の作品が3つあった。特に出口付近にあった「観音」は、これもキュビズムなのかと思われる作品。幻想的な光背を持つ白い顔の観音像。前面に描かれた赤い花との対比が美しく、見惚れてしまった。その他、強く印象に残ったのは、マナンサラというフィリピンの画家の〈フアン・ルナの「血の同盟」〉という絵。オリジナルの絵をキュビズムで再構築した絵。オリジナルの絵に描かれた歴史的事件も興味深いが、それを色鮮やかに描きなおした。この人、フィリピンのピカソのようだ。会場自体も、キューブのように立体的な配置になっており、工夫されている。地味なテーマだし、話題の大作もないし、有名な画家の絵もほとんどないため、とても空いていた・・・ガラガラといっていいほどだったが、かなり楽しめる展覧会だったと思う。
2005年08月26日
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甲子園の優勝投手が学徒出陣で、海軍の人間魚雷「回天」に搭乗する物語。戦争がテーマだが、他の横山作品のような重苦しい雰囲気はなく、淡々と描かれている。生と死という重いテーマを描いているのだが、青春ドラマのように清清しい雰囲気を感じる。「回天」とは天を回らし、戦局の逆転を図るというまったく無茶苦茶な発想からつけられた名前だ。しかし、「一億玉砕」なんて言葉が当たり前のように、となえられていたのだから、時代の風潮というのは恐ろしい。ここでも、個人(魔球を作って大学野球を続けたい)と組織(修正という名でヒステリックな暴力を振るう軍隊)とのせめぎ合いという作者お得意のテーマが描かれる。「愛する人や家族を守るために戦うのだ」と戦争ではよくいわれるのだが、冷静に考えれば自分ひとりで何ができるのだろうか。これも時代の風潮のひとつ。それよりも「俺は回天を伝えるために死のうと思う」という主人公。そんな時代があったことを決して忘れてはならないと痛切に感じた。
2005年08月22日
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日曜日、午後のせいか、館内満員。子供連れがほとんどかと思ったら、カップルや若者グループがとても多いのに驚き。幅広い年齢層に受けるテーマなのかなと思う。あのガチンコ対決のポスターの効果もあるのだろう。さて、展示内容は縄文人と弥生人を、土器の形状、食生活、骨格などから比較しようということ。生活様式の違いという点では、明らかに弥生人の方が進んでいて異なっているのは当たり前のことだが、そもそも人種が異なっているというのは、どういうことなんだろうか?と気になった。そんなにたやすく分類できちゃうのだろうか?同じ日本人でもずいぶんと個体差があるんじゃないかなぁ~同時代に生きる現代人という観点で考えると、日本人とかなり異なる外国人もたくさんいることだし~なんて、頭を悩ませた。あのポスターに使われてるガチンコのモデル。館内では携帯使った写真が大きく展示されていたのには笑ってしまった。息子は、まじめに昔の人も携帯持ってたの?と聞いてきた。個々の展示自体は、さほど目新しいものも無く、地方の郷土資料館にあるものなどを寄せ集めただけみたいだったので天下の国立科学博物館の特別展示としてはどうかな~とも感じた。戦いで、頭に斧が刺さったあとのある頭蓋骨とか、病気に冒された骨などの展示は興味深かった。
2005年08月21日
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いおきぶんさい。この画家、姓も名も、振り仮名がなければまったく読めないなぁなんて思いながら、ステーションギャラリーの美しい階段を登る。自動ドアをくぐると画家の写真がある。なぜか勝手に太った着流し姿の親父を想像していたのだが、軍服?姿のスマートな写真に驚く。まず日光杉並木や、東照宮の水彩画。その緻密さに目を見張る。陽明門の装飾文様のひとつひとつや、玉砂利のひとつひとつに吸い込まれていきそう。輪王寺だったかの内陣の黒びかりした床に僧侶の赤い衣装が映りこんでいる。とにかく見えるものを忠実にすべて再現しようという意気込みを感じる。それが後年の植物画にもつながっているのだろう。緻密な建物と背景の木々のもやもやっとした水彩の緑が対照的でいい味を出している。この画家、42歳の若さで亡くなっている。脳神経の病気ということだったが、その晩年はどんな様子だったのだろうか。また息子をわずか2ヶ月で亡くしている。息子の肖像画もあったのだが、その事実を知ると痛々しい。「晃嶺群芳之図」「御花畑図」はまさに圧巻。(百花百草図の展示は残念ながら終わっていた。)深山の一画に咲き誇る多種多様な高山植物。まさに夢物語の世界。「御花畑図」に、この風景に出会ったときの文哉の感激の言葉が難しい漢語で書いてあったのだが、筆記用具をロッカーに置いてきてしまったため、メモできなかったのが残念。「百花屏風」、とにかく、前の椅子に座ってじっくりと見たい。目の前には夢幻の世界。
2005年08月19日
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若年性アルツハイマーにかかった50歳の広告会社部長の話。記憶を失う部長の視点で書かれているため、記憶を失っていく恐怖がまざまざと伝わる。実際このところ、物忘れが激しく、我が身に置き換えると実に恐ろしい本だった。もう20年以上前、隣家に住む同級生の母親が、夜中に突然、我が家にやってきた。パジャマ姿で足の片方だけスリッパを履いており、片方は裸足。異様な姿で驚いたところ、普通のお盆を突き出して、これは我家の家宝なんだが嫁が盗もうとしているので、お宅で預かってくれとのこと。あれには驚いたし、気持ちも悪かった。まだ40後半で、当時は頭がおかしくなったのかなと思ったのだが、実は若年性アルツハイマーだった。徘徊して近所の子どもに物を投げつけられたこともあったよう。隣家から絶叫が聞こえたこともあった。御主人が会社を辞められて、介護していたのだが、やがて施設に入って亡くなられた。家族はさぞ辛い思いをしていたことと思う。さてこの小説は、美しくも哀しいラストで終わる。その切なさに泣けてしまうが、やがて来るはずの家族の苦しみの日々を想像すると胸が重くなる。この作品、重いテーマをさわやかに美しく描いた傑作だ。
2005年08月18日
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霧の中で登場人物たちがもごもごとうごめいている感じ。一瞬の間、霧が晴れて、ある登場人物がはっきりと浮かび上がるが、また霧の中にかすんで行く。そこで浮かび上がる人々も皆、異様な人々。けっして美しくない。グロテスク。その中で娼館生まれのアイ子にスポットが当たり主人公となって話が展開していくのだが、まったくもってダークな主人公だ。醜く、頭も悪く、性格も破綻している。しかし、ラストは切ない。最後にタイトルの意味が分かる。「OUT」以降の桐野作品。スッキリ、サッパリしない読後感の作品が多いが、怖い物見たさ(読みたさ)でどうしても読んでしまい、はまってしまうのだ。
2005年08月16日
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「ダ・ヴィンチ~」、「天使と悪魔」に続いて、三作目のダン・ブラウン。これもまた、ジェットコースターに乗ったようなめまぐるしい展開だ。大統領選挙とNASAにかかわる謀略。わずか2日間で北極やらワシントンやらを往復し、主人公は何度も命の瀬戸際まで追い込まれる。今回は美術の話ではなく、NASAとか古生物とか軍部の新兵器開発にまつわる話などの薀蓄がたっぷり詰まっている。薀蓄の細部までは理解しないでも、ジェットコースターに乗った気分で、ハラハラドキドキしながら、最後にほっと一息と気楽に読めた。また、ずっと悪玉が分からずにだまされ続け、どんでん返しも心地よい。最後にいやな奴をやっつけるという勧善懲悪的なところにもスッキリ。肩の凝らないこんな本もいいだろう。
2005年08月15日
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用賀から、いらか道をてくてくと歩く。冬に吉野の蔵王権現を見に来た時はとても寒かったのだが、今日はひどく暑かった。19世紀からのベルギーの美術を西洋近代美術の流れに沿って展示している。庭園美術館のアンソール展、Bunkamuraでの象徴派展と、ここのところベルギーブームなのだろうか。全体的には、知らない画家の作品が多かったのだが、ところどころ、ダヴィッド、コロー、クールベなど周辺諸国の画家の作品や、クノップフ、アンソール、マグリッド、デルヴォー、フレデリックなどベルギー象徴派展でも出品されていたベルギーの画家たちの作品も展示されていたので、まったく初めて出会う画家だけでもなかったのが幸い。やはり、印象主義・新印象主義のコーナーあたりから、色彩が踊りだして、見ていても俄然楽しくなってくる。アンティスムのコーナーにあったホーネルという画家の「春の田園詩」という作品。白い花々の中の少女の姿に見とれてしまう。象徴主義のコーナー。アルフレッド・ステヴァンスという画家の描いた「マグダラのマリア」。お約束の髑髏を抱え、目に涙をためた金髪のマリアが美しい。この髑髏、普通なら穴があいてへこんでいるはずの鼻の部分が実際の鼻のように盛り上がっていた。ベルギーの画家ではなかったと思うが、オスカー・ココシュカの描いた肖像画。これも、狂気をはらんだような迫力のある作品だった。シュールレアリズムのマグリットやデルヴォーの作品は、ちょっと物足りなかった。もう少しインパクトのある大作があればよかったのだが。ベルギーの画家も、西洋美術の流れにしっかりと沿っているんだなぁ~当たり前じゃんって感じの展覧会で、知らない画家の作品が多かったわりには、かなり楽しめた。
2005年08月14日
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国立西洋美術館で「出現」を見たのはいつだったろうか。サロメが指差す先に、血が滴り落ちるヨハネの首が宙に輝いている。指先から「気」が出ていて、超能力で首を持ち上げているのかとも思ったのだった。そんな、「出現」が今回も出品されていた。今回の「出現」は、後年、背景に建物の壁の緻密な装飾模様が、描き加えられていて、不思議な奥行きを感じさせられた。油彩の大作を中心に鑑賞。かなりラフな作品と緻密な作品があるのだが、ラフな作品の方は習作なのだろうか。一角獣やケンタウロスなど幻想的な作品の数々。印象派の人々と同時代に、まったく正反対の絵を描いた画家たちもいたのだなぁと感心。それにしてもモローはルオーやマチスの師匠だったとのこと。ルオーはともかくとして、マチスにはどんな影響を与えたのだろうか。神話や聖書の登場人物をテーマにした絵は、それらの知識がないと、理解しにくいことが多いのだが、今回の展覧会は、壁に貼られた解説が丁寧でとても分かりやすく、嬉しかった。
2005年08月12日
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ずっと美術館の鑑賞で疲れたので、帰りに東海の苔寺とよばれる磐田の医王寺に寄る。山門にいたるまでの石畳の両脇の苔の緑が美しい。200円を払って、庭園拝観。小堀遠州作と伝えられる美しい庭。深い木立に囲まれた枯山水のこの庭は、京都の数々のお寺の庭にも負けないと思う。ただ、裏を走る新幹線のゴオーっという音が気になったのと連日の暑さで、こちらの苔は茶色くなってしまったのが、ちょっと残念。6月の雨降りの日が一番美しいとのこと。
2005年08月06日
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磐田市の連れ合いの実家に宿泊した後、静岡県立美術館へ。天竜の秋野不矩美術館に行こうか迷ったのだが、ロダン館を見に行こうと県立美術館を選ぶ。常設展では「風-絵の中からそよ吹く」という特集をやっている。最初はアンゼルム・キーファーの作品。きのうの名古屋市美術館でも、この人の作品にお目にかかったばかり。北川民治の作品にも、二日連続で出会う。このふたりは、今回の旅行で初めて知った画家だったので、今後要チェック。常設展の会場を過ぎると、お目当てのロダン館。ロダンの彫刻を展示するだけで、これだけの施設を作っちゃうのだから、静岡県ってリッチ。エントランスフロアから、「地獄門」を見下ろすことができる。上野と見るのとでは、視線が違うので楽しい。双眼鏡を持ってくればよかった。「考える人」は上野で見るものよりも一回り大きい感じがしたのは、気のせいだろうか。その他、「カレーの市民」の一人一人の間を通り抜けることができ、それぞれの人物の苦悩を身近に感じることができる。ここの一階に「ヨーロッパで活躍した日本の画家たち」という展示があり、先日、新日曜美術館で放映された清水登之の作品を見ることができた。
2005年08月06日
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地下鉄一駅で栄駅。名古屋名物味噌カツを食べ、県立美術館へ。街中の巨大ビルの10階にある。こちらでもゴッホ展。相変わらず大人気。その列を横目に常設展へ。まず、ピカソの青の時代の人物画と藤田の少女の絵が2枚並んでいる。片や深い青色に沈んだ重々しい女性像ともう一方は真っ白な色調のあどけない少女の絵。この対比が面白い。反対方向には、クリムトの「人生は戦いなり(黄金の騎士)」が中心に掲げられている。黒馬に乗った黄金の甲冑をまとった騎士が槍を掲げて前進している。歩くのは花畑。前方に蛇の頭部が見える。装飾的な背景の中、光り輝く騎士の堂々とした姿が見る者に力を与えてくれる。ボナールや、エルンストそしてマティスの絵も捨てがたい。反対の壁面には、小出楢重や中村彝、黒田清輝らの日本画。中村の「少女裸像」。ルノアールを研究して描いたとのことだが、ずっと重い重厚な色調。しかしながら画家を信頼しきっているような少女のひたむきな表情に心打たれる。古賀春江の「夏山」。これ、いいなぁ~緑の山々に気球が飛び、牛が鳴き、杖をついて休む子ども?童話の世界に浸った気分。どこか懐かしい風景で気持ちが安らぐ。デルボーの「こだま」。昨年、エックス線検査で、裏にもう一枚の絵が隠されていたという話題になった絵。まぁ、それはそれとして、この絵だけでも十分にすごい。ギリシャの広場の夜の廃墟に同じ形の裸婦が、鏡のように次々と置かれている。こだまの精なんだろう。自分もどんどん引き込まれていきそう。次のコーナーは現代美術。かなり疲れてきたので、足早に通り過ぎる。熊谷守一を見ていると、連れ合いから、名古屋駅に着いたとのメール。そこで、美術館を後にする。
2005年08月05日
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息子と連れ合いはポケパークへ。こちらは、美術館めぐりで過ごす。この暑さで愛・地球博へは行く気力がわかなかった。さて、名古屋市立美術館。常設展のモジリアニを見に行ったのだが、ちょうど開催中の片岡球子展を先に見る。まぁ、とにかく、この画家のスケールの大きさには圧倒されてしまった。100歳にして今、なお現役だという。とにかく、色彩がほとばしっている。富士山の絵なんて、どっか~んと描かれていて、見る人にこれでもか~と迫ってくる。面構シリーズ。本当に面白い。もう日本画家というよりポップなイラストレーター。赤富士の下で苦虫噛み潰しているような葛飾北斎。自分の絵の中に入ってしまっちょうな雪舟。初期の小学校の生徒たちをモデルにした絵も捨てがたい。とにかく、ガハハ・・・と豪快に笑いたくなってしまう展覧会だった。常設展の入り口には、何とも楽しいオブジェ。ハウルの動く城かなとなに気に思ったのだが、ビルに張り付いたドラゴン。回転ドアをくぐって、中にも入れる。最初は現代アートのコーナー。草間彌生のピンクのウネウネのくっついたボートのオブジェ。グロテスクとユニークさが混在していて、けっこう好き。エコール・ド・パリのコーナー。シャガール、キスリング、ユトリロ、モジリアーニ、藤田など名品ぞろいだが、ガラスの奥にあるのは残念。シャガールの「二重肖像」。シャガールが薔薇のブーケを抱えた純白のウェディングドレス姿のベラを抱きながら、キャンバスに自画像を描いている。ここで描かれている絵は、今、まさに我々が見ているこの絵だという意味のタイトル。ユトリロの「ラパン・アジル」。ちょうど白の時代から色彩の時代へ移り変わるところの作品。重厚に描きこまれていて美しい。そして、モジリアニの「お下げ髪の少女」。どうしてこの絵だけ、瞳が描かれているのだろうか。キッと軽く歯をかんだ口元。少女は他の遊びをしたくて早くモデルが終わらないかなぁとじれていたのではないかとも思う。よく見ると、鼻が一体ではなく、上下で色が異なっているようだ。鼻から下を描き直したのだろうか?その他、メキシコ絵画のコーナーもよかった。
2005年08月05日
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夏休みの家族旅行で福島の会津高原に出かけた。夜、蛍鑑賞ツアーというイベントに参加。夕立後、曇っていて湿度が高い。じめじめしている。遠くで稲光が走っている。案内の人によると、こういう日が蛍を見るのに最高の条件だそうだ。晴れて星が出ているとよく見えないとのこと。宿から車で20分ほど離れた、沢の横の田んぼに到着。車のハザードランプをチカチカさせる。そうするとメスだと思ってオスの蛍がやってくるとのこと。すると、田のあちこちで淡い光がポツポツ光る。案内の人によると平家ボタルとのこと。ここでは、源氏ボタルも見ることができるのだそうだが、平家ボタルとの区別ができなかった。足元で二つ並んで青く光っているのを見たら要注意との事。蛍のふりをした蛇だそうだ。蛍のまねをして、カエルをおびき寄せているとのこと。蛍が光りながら、頭上を飛んでいく。あちこちで蛍が青白く光っている。実は野生の蛍を見たのは生まれて初めてなので、大いに感激する。ところが小5の息子は、大して感動もしていない。もっと明るくチカチカ光らないと面白くないとのこと。テレビゲームの人工的な強烈な刺激に慣れてしまった子どもは、自然の微妙な光には感動しないのだろう。自然体験の必要性をひしひしと感じる。
2005年08月04日
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遅ればせながらやっと見に行った。平日夜のせいか、「なに~こんなに空いてていいのぉ?」って感じだった。鑑賞者としてはうれしい限りだったが。いきなり、エル・グレコ。聖ペテロ像。となりのゴヤの作品と比較できるようになっている。およそ200年の開きがあるのだが、エル・グレコの作品の方が新しい感じがする。あの色使いが鮮やかなせいか。ベルト・モリゾの優しい色使いに感激して、コーナーを曲がるとメイン作品のルノアール「舟遊びの昼食」。こんなに大きかったのか。この絵を眺めていると、視覚だけでなく、聴覚や触覚も刺激される。人々の談笑の声、グラスのあたる音が聞こえてくる。川からの涼風を身体で感じる。フィリップス邸と同じようにふかふかのソファが置いてあるので、しばらく見入ってしまった。次はゴーギャンとゴッホ。ゴーギャンの静物画。「ハム」には、惹き付けられた。次のコーナーでは、ボナールの不思議な雰囲気の美しい絵。ココシュカの「ロッテ・フランツォスの肖像。」この画家の油彩画は初めて見た。この人のサインはOKだった。マルクの「森の中の鹿I」。鮮やかな色彩の中で、動物たちが跳ね回る。これはいい。お気に入りに追加。60点しか作品がないので、少ないのかなと思ったが、密度は濃い。ほとんどの作品がガラスで覆われていないのがとてもよかった。
2005年08月02日
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ここ数年、秋葉原には行っていない。つくばエキスプレスも今月開業となり、市場も再開発されたということで大きく変わっているんだろうな。子どもの頃は、電気製品というと必ず秋葉原に買いに行ったものだ。母親の実家が、神田佐久間町にあったため、アキバの電気街がいとこたちとの遊び場だった。ラジオ会館の迷路のような小道のオニゴッゴでグルグル廻ったのも懐かしい思い出。最近は、電気製品も近くの量販店で安く買えるようになったし、秋葉原はコスプレ少年少女(中年も?)のおたくの街という印象が強くて近寄り難く、足を踏み入れることがなくなった。さて、このアキハバラ@DEEP。日常生活では何かしらの障害のある主人公たちが、巨大IT産業に強奪されたプログラムを奪い返す話。今のITやおたくの状況については、ほとんど知識が無いのだが、若者の友情と自己の再生の物語として読めば、とても優れた物語。やはり、この著者の語り口も非常にうまい。ファンタジーとして楽しんだ。近々、久しぶりに秋葉原に出かけてみよう。
2005年08月01日
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