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<作品> 「母親」(習作)、「矛盾のような真実」(習作)、「瀬戸内海の夜」(習作)、「河岸」(習作)・リーフレット2枚。母親の記述。「河岸」は、漱石「文学論」・・梶井は読んでいる。目の悪い人へ、目のいい人が見て話して聞かせる。・・シーンを真似ている。・直哉「范の犯罪」との関連。「母親」(習作)、・梶井にとって母の存在は大きかった。濃密な母と子の関係。・梶井は大事なものを母から受け継いだ。・筑摩書房の本との違い。 <・・・(欠)全集にはない。>・繰り返しになるので、削除して書きなおした。表現で「跪く」・・・懺悔の意味。・「檸檬」の核にあるものの危険性が内在している。作品には不吉な塊を抱いている。三島が魅かれた理由がある。最近の秋葉原の通り魔殺人者のテロの心情に通じるものがある。・梶井の母親は、保母をしていた。教育者。梶井は怖れていた。母子に相通じるものがあった。男のような母。・梶井は母から重んじられていた。複雑な心情。自分と弟の関係。・母に対する負い目。「煙草を長いまま捨てるものじゃない」。期待されているのに裏切る。・「檸檬」では、省略されているが、この作品では触れているものがある。・「告白」という言葉が出てくる。…自然主義・・告白。ルソーの「告白」が梶井の頭にあった。神の前に告白する。神ではなく、読者に告白する。「告白」が流行していた。梶井は女は売春婦しか知らない。自己嫌悪に通じている。木の根っこが、女の太ももに見える。「女を買った」ことを両親に告白する。それが普通と少し違う。母が父のようである。父らしく、母らしくではない。・母の一滴(た)らし・・・と書いている、一滴とはちがう。梶井流のレトリック。・直哉が描くようなタッチである。・志賀直哉はウルトラエゴイズム。古代人も目。(小林秀雄)・「清冽」を求めている。川端「伊豆の踊り子」の少女。感覚器官。・アイデアが普通ではない、という自覚があった「檸檬」の作品に集約された。・調和で終わる。その調和を壊す・・・そこに「檸檬」がある。・自分の中にもう一人の自分がいる(ドッペルゲンゲル)。内心の声という。・ポー・・・作品は数学的。ポー「天の邪鬼」・・・相反する自分の心。基本的なテーマである。梶井は、ポーが好きではない。ポー的・・・レモン爆弾の発想。幼児性。調和させまた破壊させる。そこには、天の邪鬼のこころがある。・元々、作家の描くストリーには終わりがない。敢えて、すべての作品は無理やり終わらせているのである。・終わりが明確でないものが名作になる。謎があるから・・・。破壊衝動。・母を裏切り続けた人生だった。それを母は許してくれた。「矛盾のような真実」(習作)・兄弟のことを書いている。二人の弟。・ウソをつく弟に嫌悪感をおぼえる。弟に自分の姿をみているから。自分を分化する。自分のなかに自分が常に存在している。・自分を見出す。弟の中に。自分がそこにいるように思える。・ただ、瞬間の中に見ている。・漱石「草枕」憐れを「非人情」に見る。感情移入なしにできるのか。・写生的な文章を書く。(梶井)写生文。・私の感情は非人情か?という問題。・感情移入。・この作品は完成品といえる。「瀬戸内海の夜」(習作)、・写生的な文章。・細かい内容が書かれている。・トルストイ「戦争と平和」。梶井はナタシャーに感情輸入している。「いけない、いけない。」・「戦争と平和」のあらすじ,<ウエブ>で出てくる。フランス文化が「戦争と平和」にある。・多様な人格のある自分。・いい子なることを許さない。その反対もある。本来の自分がいる。それを裏切る自分がいる。多重な人間がいて困ると梶井は言っている。・冷やかな・・・冷静さ。但し、それがわずかだという。漱石「明暗」にある。・個人主義は究極エゴイズムであり、衝突がある。その対極に「憐れ」がある。・景色を書きながら、自分の内面を描いている。内面に拘っている。母の存在がある。情景描写と心象風景の調和に成功していない。・夜光虫は、梶井の好み。「河岸」(習作)・シナリオ・・際どいテーマを書いている。・実篤の戯曲。・中野・尾形の会話。・対話・・・会話のテクニックを使っている。目の悪い人の、見たものを教えてやる。・姦通罪。・断崖にいる。「それから」以降の漱石のテーマ「姦通」がある。・完結している。
2009.02.28
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2月は、今日28日まで、587,391歩だった。どうにか一日平均2万歩を達成した。これからも続くことで、一ヶ月間のことでしかないが。今は何とか遣れているがいつまで遣れるかは余り自信がない。できるまでだ。それほど苦にしなくて遣れるので、体調が悪くないということなのだろう。明日から3月だ。春の息吹が増しても来るのだろう。 ・余り寄り道ばかりしていないで、先に進みたいが、ウオーキングは楽しいものだ。2月起床・歩数6;20 21,637 <年月 > <全歩数>4;20 22,071 2008年 4月 258,1244;30 21,075 2008年 5月 461,5055;40 20,211 2008年 6月 454,8283;10 20,521 2008年 7月 492,0535;40 22,410 2008年 8月 479,1754;50 20,111 2008年 9月 607,6123;47 24,162 2008年10月 635,3995;05 13,850 2008年11月 562,3744;10 21,136 2008年12月 629,7235;05 21,593 2009年 1月 628,6033;10 22,670 2009年 2月 587,391(28日)3;20 17,721 累計 5,796,787歩4;00 22,394 5;20 21,725 4;05 23,015 4;10 20,532 3;30 21,322 5;05 15,155 6;00 23,643 3;35 23,173 3;50 20,521 4;05 20,452 5;51 22,829 2;50 20,137 4;10 22,724 5;00 20,410 4;30 20,191 合計587,391 歩
2009.02.28
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梶井基次郎 小説家。(1901)明治34年2月17日~昭和7年3月24日。大阪市西区に生まれる。学生時代は頽廃的生活を送り、学業よりも夏目漱石、谷崎潤一郎をはじめとする文学、音楽などに熱中する。大正9年、肋膜炎にかかり、療養のため三重県北牟婁郡船津村の義兄の家に夏を送る。大正14年1月、外村繁らと同人雑誌「青空」を創刊し、小説「檸檬」などを発表する。作品は私小説的作風がほとんどで、詩的な文体で「私」の心中を描いた。その後再び健康を崩し、大正15年の末から静岡県湯ヶ島温泉に静養するが、この湯ヶ島時代の体験はその後の小説に多く活かされる。昭和6年5月、小説集「檸檬」を武蔵野書院から刊行するも、翌年3月24日、死去。享年31歳。代表作は「檸檬」、「城のある町にて」、「桜の樹の下には」、「冬の蝿」、「交尾」など。<作品>彷徨(習作)、裸像を盗む男(習作)、鼠(習作)、カツフエ・ラーヴェン(習作) ・習作群。自分と他人の関係を書いている。自と他がテーマである。「他対自」・死んだ妹を想う。自分をどう思うか。他人との関係を書かない作家。・日記との関係が重要。・矢野潔は実名を避けている。・「檸檬」・・ポーに傾倒した。同じように、結末にポイントがある。・伏せられた名前がある。渡辺・矢野と自分。・「日記」143ページ以下。・何のために習作が書かれたかの意味がわからないと関心が希薄になる。他人と自分の関係ではない。・人間がどこにもいない。・梶井は何を描こうとしたか。 ・「彷徨」(習作)、 ・同じものが二つある。書き直している。繰り返している。・はじめはモノローグ。・比喩として書くのが上手い。「手に砂が付いている。」詩的。詩になっている。正岡子規が始めた。「目で見たものをそのまま写す」。写生。梶井の特徴でもある。写生文。変容していく。心理を目に見るようにモノ化したのが漱石。・梶井と太宰との相違。太宰は梶井を真似た。梶井のパクリがある。・すっきりしたもの・・・。晴朗な空気。太宰との違いがある。三島は梶井は好きで太宰は嫌った。・小説は判り易いとダメになる。・辿り着くべき結末。方向・ベクトル。容の違った反復。「檸檬」の爆弾がない。「檸檬」で成功し、ここではうまくいっていない。・梶井にとって、善悪が重要ではない。モラルで書いていない。・直哉の場合は、好悪=善悪と一体化している。・美・・・惹きつけられる。・この段階であるとどまっている。 「裸像を盗む男」(習作)、 ・他人と自分との関係。・標題を納得させるものがない。・肝心なことができていない。・暗示されている3人について書きたかった。書きたかったが、書かなかった。目指しているものが違う。本人と意図したものが違う。散文詩から散文(小説)他人の評価と自分の評価が相違している。・丸善が出てくる。「檸檬」にも出てくる。・金・借金・・・拘り。分からない。人間を支配しているもの。説明できていない。まだ「檸檬」・・までにはたどり着いていない。散文詩のレベルにとどまったが、多くの作家たちは散文と見做した。三島に影響を与えたなど。・梶井は自分の良さに気付いていない。堀辰雄・梶井の違い。 「鼠」(習作)、 ・「愛撫」・・と相対している。「愛撫」の着想がある。ねこ。猫に対する鼠。この作品が下敷きになっている。・完成された作品。ただ「愛撫」の方が優れている。当時は、より小さいものに関心があった。レトリックを磨いた作品。・みるべき作品になっている。結末の選び方が上手くいっていない。良質な作品を残しながら、結末がうまくいっていないのではないか。・注目していい作品である。 「カツフエ・ラーヴェン」(習作) ・親しいRと敵対するSとの間の私を書きたかった。自分を脅かす存在がいる。・Sという存在。脅かすものではない。書かれなかった後が問題。完成していない。・Raven(からす)・卑屈な自分を許せない。・腕力・・暴力。に対する人類。檸檬に書かれていないものを書こうとしていたが、・・・。・中野重治「歌のわかれ、鑿」佐野の無礼は許せるが、それを許す自分が許せない。・ジュリアン・ソレル・・赤と黒。軍人か僧侶か。「罪と罰」自尊について書いている。・梶井の拘り・・・自尊。漱石や志賀直哉の影響を受けている。三島を評価している。・他人への拘り。立っているところが漱石と同じ。対人関係が漱石のテーマ。「道草」と「明暗」に、梶井は辿り着いていない。 ・詩・・私の感情を書くもの。私でありながら普遍性をもつ。私小説ではない。プロの作家が梶井を評価する傾向がある。本格的な小説はむしろプロの作家たちには関心がない。 以上
2009.02.28
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<作品>詩(習作)、 小さき良心(習作)、 不幸(習作)・習作は、本格的な小説が書かれる前の作品。・何度か転居している。移動する意味。・京都に住んだ。・経歴。「檸檬」に繋がるものがある。・「日記」が重要。「創作メモ」が残っている。梶井の創作を裏付けている。・詩作もしている。が詩は上手くない。然し短編は詩的である。・檸檬の発想が詩の中にある。詩の原形がある。モチーフがおなじ。・大正の習作としてみること。・「鴎外は莫迦だ。漱石が訳語だ。谷崎が好きだった。」・・・梶井の見方。・実篤に対する関心。賀川豊彦。・自分の身近なものを題材にしている。・先行作家に対する見方。関心。どこにあったか。梶井は自然科学的視点を持つ。・「理性ではなく、感覚が大切だ」・・・梶井の考え。感覚的。横光よりも新感覚である。・梶井に対する評価は、当時は高い。・文章が詩であること。詩的な文章。・レンブラントの「光と影」のモチーフがある。・「檸檬」は、それまでの作品の中に何度も出てくる。そして作品「檸檬」でまとめ一つの作品にした。心の奥にある危険なものが問題。・然し、当時一流の作家たちが激賞した。体は病んでいながら、こころは飽くまでも健やかだと評した。作家たちからの評価が高い。三島の評価が高い。「詩」(習作)、 ・「檸檬」の原形がる。・画集の上にレモンをおく。レモン爆弾ではない。ポーの作品。「告白と隠蔽」から。・相反する考えがある。人間の中に同居する。パーバース。・谷崎的・・梶井に近い。・漱石の心理分析を好まない。だが、「草枕」はいいという。・企みは、檸檬をのせて帰ってくるだけ、のこと。そこに潜んでいる企みの深刻さ。破壊。・リフレーンになっている。「桜の木の下」。・肺病は悩みではないという。それを梶井は気分で表現しようとしている。・「檸檬」がわかる若い読者は却って怖い存在でもある。レモン爆弾で破壊する。現実的ではないが、こころには危険な思考が潜んでいる。・調和の上に破壊がある。自らの手で破壊する。・・・梶井の心理。「小さき良心」(習作)・白樺派の発想がある。・設定が曖昧。結末がない。何事かを明確にするつもりはない。気分を書く。・具体的に書かない。・・・書きたいのは気分の方にある。現実ではなく空想で破壊する。・二つの作品?書き直した?前後がつながらない。別稿?・リフレーイン。歩いているが繰り返される。・・・怖れている。心に闇がある。・中野重治「街あるき」。街を歩くのがモチーフ。意味もなく放浪する。・興奮や、怖れや、苦悶が出ていない。と梶井は書いている。それが書かれていない。・自分を他人のように見ている。ドッペルゲンゲル。相手の側からみる。・梶井は肺病に苦しみ続けているが、それを書こうとしない。その執着から離れようとしている。・(谷崎「二人の芸術家の話」のちに「金と銀」に改題した、の関連。・佐藤春夫の存在。・志賀「剃刀」が念頭にあった。感覚の鋭敏さ。の影響がある。・巡査を気にする。巡査の目。「交尾」につながる。他人の目を気にしている。ふたつの目。時に融合し、時には分離する。見る見られるの存在に関心がある。・外側から自分を見る目。・何のために書いたのかという疑問がある。潜在するもの。・追い込まれた人間の心理を書きたかった。人間の「気分」を書きたいという願望。・「・・・さえあれば、」・結末の付け方は、他にはない。作品にしていない。分かり難いものが多いのが特徴。 「不幸」(習作)・二稿と三稿は、全く違う。描写の違い。同じモチーフを違う書き方をしていない。・母への関心。何故か?母のことばで「夢うつつでやっている」。言い当てており、核心をついている。自分の感性の源は母親であると感じていた。・一稿は、もともとない。・人間をどう描くか。というテーマがある。苦悶を書きたかった。・何度も同じところに戻ってくる。敢えて戻る。それは従来の小説では、回避されること。解って書いている。梶井的と言われるエリアがある。その影響がその後の作家たちにもある。・三島をはじめ、梶井に影響された日本の作家たちがいた。梶井の存在は小さいものではない。創作者としての作家たちの評価が高い意味。心に潜む闇。以上
2009.02.28
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<作品> 「器楽的幻覚」、「冬の蠅」・草稿からいくつかの作品が生まれている。モチーフ・・・複数の作品になる。・連想。羽虫・・・船。空・・海。作家の思考のスタイルである。・「テーマ」を隠す。草稿と決定稿との相違。連関。・作家が何を考えていたかを考えてみる。・理由は書かない。決定稿ではわからない。寧ろ草稿を見る必要性が梶井にはあること。・「海のような闇」。空が闇になる。・「桜の木の下には」屍体が埋まっている。・・・メモは昭和3年ころ。・「冬の蠅」・・・メモの存在。・着想・・・梶井の作品に対する視点。・「かいつまんで言えなければ理解していない」。理解できていないという意味。・梶井はある一つのものがひとつではなく、ふたつのものが混在する。感覚の世界。二つのものが一つに融合する。 「器楽的幻覚」、・音楽は理屈ではない。絵とか音楽は感覚である。知識ではない。・小説は説明の世界であり、それを梶井は、「感覚」で表現しようとした。「蒼穹」・やむを得ない説明。ポーの作品。奇想天外。・アイデア。絵にできる着想。・詩人としての梶井の評価が高い。・草稿は散文的で、「決定稿」で詩的になる。・感覚は説明が要らない。・奇抜な着想への執着・・川端。シュールリアリズム。一時凌ぎではないもの。・「おや?」、の感覚。日常が非日常に変わる。・刺激が強すぎる。・・・老人には。理解できるかどうか?・梶井の拘り、「刺激」である。感覚表現として書く。「冬の蠅」・写生(文)→視覚の世界の再現 五官(五感ではない)・奇妙なたくらみ。・・・(「檸檬」)にもある。・「意志の宙ぶらりん」。ふと浮かぶ(思いついたこと)。理屈ではない。「ふっー」と浮かぶ。・「おりてくる」。アイデアが湧く。・強い感動が無感動になる。無感動に見える。周囲には容易には分からない事が多い。・この作品の梶井のアイデア。「こころの緊張」が別のものをもたらすという。・「破れ目がもたらすもの」。口笛が。外からの障害物・・・かき乱すもの。感覚の抑揚を書いている。・石化・・・「檸檬」にもモチーフがある。漱石にもある。・「犯行」の意味。・感覚をモノにした。「檸檬」。石化すること。音楽を聴いて感動している聴衆が石化する。固まるようになる。聴衆は、演奏者に注目が集まる。・自分の考えを周囲のだれも解らない。聴いているものの気持ちを表している。・視覚と嗅覚と聴覚。に梶井はその相互作用に関心がある。・他人に知られない犯行とか。・侯爵を殴り倒すことを想像する。危険なことを想像する。・調和して物を壊す。「石化」で終わるのをそれで済まないのが梶井。爆弾を用意する。梶井や三島には危険なものがある。・この作品は、「檸檬」に通じるものがある。 「冬の蠅」・<3>で私の意志で殺しているのではない。自分の運命と重なっている。・志賀直哉「城の崎にて」に於いて「蜂・鼠」の連想。「生きんとする意志」。死んでゆくさま。悪戯心。関連。・故意か過失か。「高瀬舟」どちらかわからない。・・・「藪の中」「范の犯罪」・蠅からみた着想。横光利一「蠅」。・蠅・・・病気。バイ菌。病人である梶井が蠅を見る目。距離感。・見ているものの一部が乗り移る。同化がある。・高村光太郎「冬が来た」光太郎は冬が好きだった。・草稿では「冬がやって来た」が書き出しだった。・落日・・・文学的表現。・・・冬の日。・蠅と自分の共通点。・疲れているのにうっかりバスに乗る。危ないことをする。わざと相反することをする。・「意志の宙ぶらりん」危険を呼び込んでいる。・蠅が死ぬこと。蠅の運命と自分と運命と重ねている。・瞬間、瞬間を書いている。一瞬のことを見つめる。凝視する。・死神をモノ化して書いている。・テーマを暗示するものを書かない。わざと書こうとしない。 以上。
2009.02.28
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<作品> 「蒼穹」、「筧の話」・知識はそれだけでは役に立たない。・独創が問題。京大での太田光の発言(NHK)が注目?・自分の頭で考えること。・「闇への書]・・・「筧の話」「蒼穹」つながっている。どう繋がるか。「蒼穹」、・「闇への書」を読まないと分からない。「山」「岬」がなぜ出てくるのか?・作家がわざと分からなくしている。・原文だけではとてもでないが難解すぎる。説明を省略している。・散文詩。・詩人と小説家。小説家のような下司な人間ではない。( 三島)・梶井は、「死」を見ている。・若いから「暗い」とか「闇」を書こうとする。太宰「晩年」。芥川「老年」を処女作にした。 いちはつの 花咲きいでて 我目には 今年ばかりの 春ゆかんとす(子規)・梶井は死を意識していた。肺病が進んでいた。・分かるものにはわかると思ったのかどうかは判らない。・草稿があるから解る。無ければ分からない。・比喩がある。「死」の。・草稿との比較。追加されたものがある。・ロータス・イーター(快楽主義者)。・空を見ている。空の奥に向かっていく。雲に向かう。・目は上を向いている。奈落の底に落ちていく感じを抱く。ベクトルが逆になる。そして怖くなっていく。青空を見て怖くなっていく。虚無。闇。不思議な現象だ。・雲がどんどん湧き出してくる。・「わたしは海を見る目を空へむけた」。草稿で補う必要がある。・感覚を表現している。・わかるひとにわかればいいのではないか。・説明できないところに梶井がいる。感じることだから。「筧の話」・見ているものと聞いているものが違う。錯誤。決着がついていない。・音だけが聞こえる状態。視覚と聴覚の不一致。知識と違う。拘り。・快く信じている?説明に困っている。・文章力が問題ではない。分かる人にはわかる。錯誤。・寧ろ、梶井は新感覚派。理知ではない。感覚と知識に梶井が拘っている。・横光利一は云われるような感覚派ではない。・国語は文学ではない。・空の中に闇がある。闇や虚無を感じること。感覚的。・普通の作家と違う。・「山径の方をえらばなければならない」。独歩「武蔵野」。・耳を澄ました。理性と感覚、聴覚と視覚の錯誤。・感覚だから厄介。・梶井は特殊な感覚を持っている。一般人とはかなり違うものがある。・喩で分からせようとしている。・知識と感覚の間。・解いている時が楽しい。・永遠の退屈。生の幻影は絶望と重なっている。・芸術・文学は、理性ではなく、感覚。聴覚、視覚の世界である。以上
2009.02.28
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・スイスはアルプスの山脈の中央部にありながら、鉱山資源に乏しく、畑地も少なく、穀物も不足していた。19世紀産業革命に成功するまで貧しい国であった・その貧しさを救ったのが、「血の輸出」という傭兵による出稼ぎであった。すなわち山国と地形とスイス傭兵こそがスイス産業革命の成功を担保したのだ。・19世紀になり、ナポレオンはイギリスの経済封鎖を狙って大陸封鎖令を出し、スイス産業に有利に働いた。産業の勃興により傭兵出稼ぎが必要なくなり、豊富で安価な労働力を確保できたからである。ヨーロッパ各地に散っていた多数の傭兵が各地の技術データや市場データを持ち帰ったからでもあるという。更に山河の多い豊富な水量が動力としての水力となって貢献したといわれる。・へ2・・・小国でありながら、永世中立を成し遂げている根底には、「血の輸出」という歴史があったからでもあるのだろう。そして、傭兵たちから得られた情報こそが、彼らの知恵となったのだろう。それは、現代においてどのような形で残っているのだろうか。その継承こそが強かに生き残りをかけた外交能力ではないだろうか。スイス傭兵は、主にスイス人によって構成される傭兵部隊で、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパ各国の様々な戦争に参加した。フランス革命の際にもテュイルリー宮殿に殺到する民衆に対してルイ16世が攻撃命令を出さなかったため大部分が虐殺された。革命時にはスイス衛兵は廃止されたが、ナポレオン時代に復活し、7月革命時に再び廃止された。特にフランス王家とローマ教皇に雇われた衛兵隊が名高く、後者は現在でもバチカン市国のスイス衛兵隊として存在する。
2009.02.28
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漱石の講座の作品一覧を下にして全集やら文学大系やらで、殆んどありそうであるが、肝心の「明暗」がない。「漱石全集」は、元々図書館には全部は置いていなかったこともある。4月は「明暗」と「道草」がある予定なので、どちらかを読んでおくつもりでいたが、どうやら「道草」からになりそうだ。それに小説というものは何故こう廻りくどいのだろうか。 ・つい問題の所在は何かと考えてしまう。作家は何を言いたいのか。登場人物は何のために存在しているのか。土台意味のないものはない。余計なことを考えて混乱してしまい、時々嫌気がさしてしまう。ことに登場人物が多いのは何が何やらわからなくなったりする。どうやら日本文学は少ないのだが、ロシア文学になるといけない。人が多過ぎて交通整理ができなくなってくる。土台名前が覚え難い。漱石の作品も色々人の名前が、次から次に出てきそうだ。 ・へ2・・・同じ話が延々とつづくのではないだろうか。小説は果てしなく終わりのない物語であるのだ。どこかで見たような人間たちが容を換えて登場してくる。書いている所に、行商のおばさんがきたので中断していた。ご主人を亡くしたばかりだが、先週から仕事を再開されている。生産と販売とされているので、これから農作業も縮小していくそうだ。息子さんも農協で忙しいらしい。跡継ぎが大変のようだ。
2009.02.28
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偶には違う景色を見たいですね。あまり贅沢も言えない。こういう時世ですから。シティグループが政府管理下に入ったと報じている。時代は変わりましたね。株価が1ドルになったそうです。スタバも不振だというし、神話は崩壊しつつあるようです。様変わりする世の中を見極めることは難しい。誰にも予想のつかないことが起きるようにも見えるが、因果関係はあるのでしょう。如何に私たちの選択が甘いか、ということでもある。 ・21年度の予算案もあれで良いのだろうか?確たるものもなしに走っているのではないだろうか?これまでも同じ間違いを繰り返してもいる。予測は確かなものではないと言えなくもないのではないか。思惑が入り乱れている。これも党利党略がある。民主党の動きも変ですね。二大政党は無理なのではないだろうか。そんなに単純な社会環境でもない。 ・へ2・・・国家が破綻しては困る。「国破れて山河あり」、では困る。故国を失えば、それこそ塗炭の苦しみが待っている。そのことを国民は自覚しているといえるのだろうか。世相を見ていると不安になります。変な政治家が増え過ぎている。私利私欲の人間ばかりではどんな社会も変になってしまうだろう。口先ばかりのことに惑うことなく真実を見極めたいものです。脳内空地を探しにどこかへ出かけたいですね。
2009.02.28
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ルソーの言葉 「社会の基礎を検討した哲学者たちはみな自然状態にまでさかのぼる必要を感じた。しかしだれひとりとして、そこに到達した者はいなかった」(『人間不平等起源論』) 「虚栄心を生む者は理性であり、それを強めるのは反省である。-人間が苦しんでいる人を見て、「おまえは滅びてしまえ、私は安全だ」と密かに教えるのは学問である」 「ある土地に囲いをして、「これは俺のものだ」と宣言することを思いつき、それを信じるおめでたい者たちを見つけた最初の人間が政治社会の真の創立者であった」 「各構成員の身体と財産を共同の力すべてによって保護する結合の一形式を見出すこと、それにより各人が全員と結びつきながら自分自身にしか服従せず、以前と同じく自由であること、これこそ根本問題であり、社会契約がそれを解決する」(『社会契約論』) 「人民が十分に情報を持って審議するとき、市民が相互の意志を伝達しなければ、わずかの相違が多く集まってつねに一般意志が生まれる」「民主制という言葉の意味を厳密に解釈すれば、真の民主制はこれまで存在しなかったし、これからも決して存在しないだろう。多数者が統治して少数者が統治されるということは自然の秩序に反する」 「統治者が市民に向かって「おまえの死ぬことが国家に役立つのだ」というとき、市民は死なねばならない。
2009.02.28
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日本には尊敬する人々は多いけれど偉人となると、誰を言うのだろうか?どうも考え方で特定するとなると異論があるのだろう。文学者では漱石や鴎外がいるが、評価も通説といえるかどうか分からない。誰からも心から尊敬される、愛される人となると、一概には言えないだろう。孔子でさえ中国でも異論がある。少なくともまめに仕事をした漱石が無難かも知れないが、人間臭いひとでもあった。神経衰弱とか、うつ病だとか云われている。 ・今度4月から何度も書いているが「漱石講座」がある。昨日講師から予定表を戴いた。一回一作品を扱うようだ。まだ予定である。それを見ると、 ・明暗・道草・硝子戸の中・心・行人・彼岸過迄・思い出す事など・満韓とことどころ・門 ・それから・永日小品、文鳥・三四郎・夢十夜・抗夫・虞美人草・野分・二百二十日 ・草枕・坊ちゃん・漾虚集・吾輩は猫である ・勿論読んだものもあるが、一月2回の講座の予定であり、長編もあるので、意外と大変かも知れない。読んで行かないと、読んで理解していることを前提にした話をされる約束である。作品の内容がテーマではない。他の作家との比較論をされるので、寧ろ、作家論のようなものになっている。途中で訳が分からなくなるのは、日本文学をよく知らないことでもあるだろう。 ・へ2・・・講義でも話していないことを話していると言われる時もあるので、矢鱈専門的な講義にもなる。それが面白い。分からないが分からないなりに、分かるところもある。それが市民の市民たる所以でもある。分からないようで解っていることは実は沢山あるのだ。これを表現できないだけではないだろうか。右脳では解っているが、左脳で言葉に表現できないだけなのだ。少なくとも日本人で日本語なら、外国人には分からない日本語特有のアンニュイがわかる。どんな学問だろうと、心を開けば理解できるエリアは狭くはないのだろう。さて、今日もまめに行きたい。 >シンガポールで。今年はどこに行くか?
2009.02.27
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も自分には甘い認識しかない。それは可笑しいくらいだ。生物は他人を責めて生きているようだ。 いつも被害に遭うのは周囲のものらしい。謂わば毒を吐いて周囲を殺して生きているのかも知れない。 そうして巨大化したものが生き残るのだろうか。平和とか理性とか言うけれど、どうもそういう観念的な ものでは把握できないものがある。中年女の毒舌に辟易するのも、周囲を腐らせる戦略ミームだろう。 他人より綺麗になろうと化粧する女性も、利己的な遺伝子の為せること業か。若者も、中年も、そして 老人も自分に甘くなり、男も女も同じとすれば、いつか有限の限界に突き当たるだろう。 いずれにしても、自分に甘い認識は、止まらない。
2009.02.27
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明日一日を残して2月のトータル56万歩(28日間)を達成した。昼間歩けなかったので、夕食後に1.2万歩を歩いてきた。雨だったり、講座があったりと歩けないこともあるが、何とかクリアーできた。どこまで続けられるか分からないが、遣れるだけやりたいと思っている。どうにか寒冷期を越えて、2月度が達成できたのは、ある程度これからの自信もついたと思う。まだ、寒い日もあるだろうが、故障がない限り続けられると思っている。 ・ストレスにならない程度に遣っているつもりだが、それでも迷いが出たりはしている。それでも、歩きだすと身体が動いてくれるようになったと感じている。兎に角習慣にしてしまえばいいのだろう。歯を磨くようなものだ。意識しなくとも足は動いてくれる。どこも痛くなければ前に向かうだろう。 ・へ2・・・家の白猫が愈々食事をしなくなり妻子が心配している。あれだけ食欲があったのに、ここ数日元気がない。また奇跡の逆転劇が見られるだろうか。白猫はこれまでも、何度も頑張り抜いている。猫だって生きていたい筈だ。懸命に生きているに違いない。ことばにならないが猫も運命と闘い続けている。
2009.02.27
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テーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。毎日歩いていると、歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだろう。病気をしたり、怪我をしたりしてどうしてもできない時があるだろう。問題はそのあとだろう。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処できるかだろう。 ・最初はわずかな差でしかない。それはライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。そして、良いことはすぐに苦しくなり、息が続かない。我慢してどこまでやれるかではないだろうか。ひとつのことをやれれば、次もやれる自信がつくだろう。できなければ挫折する。その挫折感もどこまで自覚できているかだろう。人の人格の形成はそうして積み上げられていく。そうした経歴はその人性質になり、そう簡単には変わらないだろう。そのひとの体型や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・それこそ、一日の始まりは無からではない。これまでも自分の生活を引きずっており、昨日の続きの延長でもある。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとするだろう。脳は置かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で私の脳は何かの口実はないかを探している。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでもテーマを探している。
2009.02.27
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梶井講座もあと1回になった。次回は入試のため休講のためだ。4月からの「漱石」の講座の予定表が渡された。申込みも受け付けがされたので、略決まりだろう。テキストは、これから注文するつもりだ。「漱石全集」や、評論など少しづづ読み始めている。どうやら講座の予定を見ると、毎回一作品を遣ることになりそうだ。全21回。教授の意向としては「漱石の全作品を逆から読む」というコンセプトのようだ。 ・これまで二回公開講座をされているようだ。今回で3回目の漱石の講座になる。何故逆からなのかよく分からないが、講座は軽くはないのだろう。視点を変えるという意味では面白い講座になるのではないだろうか。私が受講者の一人に持って行った教授の書かれた「漱石伝記事典」のコピーは、早速、今度の受講者に再コピーして講座の終わった後に手渡されていた。流石に手際のいい女性である。こういう人が秘書だと最高だろう。 ・へ2・・・カネで動くようでは本物ではない。文学も何と世間離れした世界だろうか。少しも時間の移動がない。化石のように価値を主張している。読み解くには想像力がないとできない。理解できるものにしか理解できないとよく教授は言われるが、日本文学そのものが、市民の中でそれだけの存在理由を懸命に主張したのだろうか。前からだろうと逆からだろうと漱石は漱石でしかなく、以上でも以下でもない。
2009.02.27
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どうも不燃焼気味だ。それに対してどう動くのか。そこに個性があるのだろう。それほど時間があるわけでもない。余り小さな山には登りたくないが、あまり高いとそれ限になりそうだ。素材が良くないというほど才能があるわけでもない。喧嘩相手が見つからないが、それも悪くはないだろう。敢えて喧嘩がしたい訳でもない。まあ、自分の背丈にあったもテーマがないが、それは仕方がないだろう。問題の所在を自分で見つけるしかない。 ・テーマが暗過ぎるのは、世の中が明るくないからでもあるだろう。それでもちょろちょろでも燃えていたい。燻ぶるのは嫌だ。酸素と燃えるものと、発火点に達しなければ、物は燃えないだろう。私の精魂も同じだろう。燃える条件を造らねば燃えない。自分が感動しなければ燃えないだろう。 ・へ2・・・いつも発火点に達していなければならない。そして、酸素と、燃えるのもの探しに行こう。
2009.02.27
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<作品> 「交尾」、「雲」・プリント・・直哉「雨蛙」・・梶井は熱心に読んでいた。「交尾」に出てくる内容との関係。・安東次男「幻視者の文学」参考。・物質の不可侵性・・・意味を理解することができるか。・馬と軍港・・・が一つになるという、シュールリアリズム。・「ある心の風景」・・・梶井は二つのものが一つに同化できるといっている。・晴れていれば、心も晴れているといいたいのだ。自然をうたいながら自然に溶け込む。そうできると古人はおもった。単なる自然現象ではない。・空も自分の心も同じという。考え。その考えが古代からある。それが理解できないと文学を理解できない。ドッペルゲンゲルの世界。・物質の不可侵性を無視する。比喩。・筧の話。視覚と聴覚のずれ。・咳をする人間は、同化していく。同病相哀れむ。心情がわかること。「交尾」、・本来二つのものが一つになる。・自分と夜警の感情が重なる・・・猫の交尾を見ている。・河鹿・・が見ている。作家の想いが重なる。芭蕉の目を想起させる。違うものに溶け合う。二つが溶け合って一つになる。・交尾を書きたいのではない。同化していること。溶け込んでいることを書きたいのだ。二つが一つに溶け込む。異物と自分が溶け込む。・見ること・・・凝視する・・・ことがテーマ。三島も同じ。梶井的。・梶井を理解しなければ三島は理解できない。・ボードレール「悪の華」(第二版)。エピローグではない。「パリの憂鬱」の詩人から大きな影響を受けたといわれているが、実は「悪の華」からであったと講師の説明。 51 猫。 愛撫 52 美しい船 53 旅への誘い 54 取り返しのつかぬもの 55 語らい 56 「秋の歌」」 ・・・・・ 私の身の内に還って来ようとする、冬のすべてー怒り、 憎しみ、戦き、恐怖、無理強いされるつらい仕事、- そして、地獄とばかり北極に閉じ込められた太陽さながら、 私の心はもはや、赤く凍った塊りでしかないだろう。 「悪の華」を梶井は愛読していた。此処から連想される梶井の世界がある。通説の通りではない。梶井と「悪の華」の関連がある。専門家の見解も信用できない。・「雨蛙」・・「暗夜行路」と少し違う。夫婦の不和。・せきは何の興味も持たなかった。不和は埋まらない。・直哉が女について関心がない。差別意識。賛次郎のことしか書かない。・「范の犯罪」「高瀬舟」・・「藪の中」になる。・当人の自白しかない。・賛次郎とせきを平等に扱っていない。・二匹で重なり合うように・・・。つつましやかな世帯を張っている。・「ある崖上の感情」・清流の背景と交尾・期待外しをやるのが梶井の特徴。調和的なものではない。・河鹿も自分を見ている。見るものとみられるものが入れ替わる。動物と同化する。梶井的。擬人化。同化作用。二つの別の物の同化。「雲」・白雲郷・・空を見ているうちに思う。小さな馬のように。幻想。・雲から連想される音楽。聴覚と視覚。・音楽をはさんでいることが特徴。・ネプチューン;海神。・「夕焼け雲」・・変化の瞬間を書く。一瞬の変化を書く。二つが一つに同化する。・本来二つのものを一つにする。彼女は薔薇だ。比喩。・梶井の拘り。・透視術。美しい透視術。・冬彦「梶井を詩人」・軍艦を内蔵している馬。本当かどうかどうでもよい。・美しいことを、美しいというのは中身がない。・桜に対する愛着。その表現が違う。・中世以降の文学が梶井の中にあるのではないか。芭蕉の世界がある。・古池の蛙ではなく、清流の河鹿との接点。芭蕉の伝統を受け継いでいる。視覚と聴覚が溶け込んでいる。梶井もそれをやっている。・梶井の心が動物とひとつになっている。・解釈が良ければそれがよいと芭蕉は思っていた。・われと人が一つになること。・・・芭蕉。・何度も書いているのは偶然ではない。方法。繰り返している。・作家にはスタイルが必ずある。それを違うように見せている。違って見えるようにしている。
2009.02.27
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教室の中。これから4月からの「漱石講座」の申し込みが始まっている。受講生は今日申し込むようだ。皆参加するようだ。貴重な講座になることを皆が知っているからだろう。勿論私も申し込むつもりである。また1年間の講座が始まる。もう3年間になるが、女子大の講座を受講している。これもある方の紹介である。 ・偶然のチャンスだったが、その方のお勧めを聴いて良かったと思って感謝している。薦めてくれた方は、最近来られていないのが残念である。時々ブログは見に来てくれているようであるが。どこで、チャンスがあるか分からないものだと思う。これから講座が始まる。
2009.02.27
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「漱石全集」を読み始めた。4月から新講座が漱石をテーマにする予定である。漱石の存在は当然知っているが、どれほど知っているといえるだろうか。殆んど知らないと言えなくもない。只、彼の弟子は一万人ともいわれるように、多くのその後の影響の大きさはいうまでもない。それは文学にとどまらないだろう。彼の作品に触れない日本人はいないだろう。彼の作品は、そして難しいこともある。多作でもある。屈折した人間でもあった。 ・漱石の伝記事典を書いた講師の講座を受けることになる。そのコピーを、準備して今日の講座で手渡すことにしている。其れを見ていると漱石の長い闘いが分かる気がする。長い人生ではなかっただろうか。それは、何もしないで生きている人間にとっては果てしなく長い旅に見える。これからの1年間、彼の足跡を辿りたいと思っている。これから、梶井講座に出かけてきます。
2009.02.27
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この金融危機でどこの国も大変のようだ。ポーランドの状況が、BSドキュメンタリー番組があっていた。どれだけのひとが影響を受けるのか計り知れない。日本ばかりの現象ではない。報じられるニュースには明るいものが無くなっている。何故こういうことになったのだろうか。非正規雇用労働者の失業が15万人に達したらしい。内定の取消しも増えている。景気の悪化も戦後最大規模になっている。 ・中でも悪質な業者が、不景気を理由にして解雇を悪用していることだろう。何れは自分たちの墓穴掘ることにもなる。人を減らすことは、自分たちの成長を止めてしまうことになるからだ。姑息な手段で危機を乗り越えようとする企業の未来はない。 ・へ2・・・昼から、梶井の講座がある。今回を入れてあと2回である。今日は「交尾」「雲」何れも遺稿だ。「交尾」はその三、断片と2編ある。短編である。彼が人間以外に関心を持った作家だというのが分かる。彼の観察力は科学者のようだ。研ぎ澄まされた感性が痛いくらいである。3月でこの講座も終了する。
2009.02.27
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簡単に限界を知ることができるわけではないが、ものには限界がある。自分の世界だけではない。あらゆるものにある。そして日々それを感じてもいる。今、朝のウオーキングをしてきたが、7,619歩だった。朝から1万歩を歩くつもりでいるが、まだ歩けないことはないが1年くらい我慢しようと思っている。最初はきついと思ったが、時間さえかければ出来ないことはないが、まだ少し疲れる。軽くできるようになりたい。運動効果はストックできないから日々の蓄積でしかない。無理をしないで続けることが大切だ。 ・限界を知らなければ、挫折するものばかりだろう。すぐに終わりが来る。朝から倒れるまで歩いたら、そのあとがない。どこかで止めなければならない。落葉した樹木を見て思ったが、樹木も自分の限界を知っており、必要以上に高くはならないし、葉を散らせる時も知っている。それこそ数え切れない限界を知っているから生き延びられたに違いない。まだ蕾を開こうとはしない。体内時計は発芽すべきスタートのスイッチが入るのをじっと待っているに違ない。 ・へ2・・・どんな遺伝子を持っているか。設計図がどうか。最適な環境かどうかは保障されている訳ではない。大抵その逆だろう。必ず障害がある。すべての生物には乗り越えなければならないものがある。そして限界もある。容は違っても、それぞれの準拠枠の中で限界と闘わなければならない。未だ死ぬまで歩いたことはない。
2009.02.27
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ハクサイ(白菜、学名Brassica rapa var. glabra)はアブラナ科アブラナ属の二年生植物。冬の野菜として多く栽培・利用されている。 英語で"Chinese cabbage"と呼ばれるとおり中国原産だが、そのさらに原産地は地中海沿岸と考えられている。(Wildpedia) 白菜を甘く見てはいけない。中国では非常に尊重されている野菜だと聴いた。それほど気を付けて食べていた訳ではないが、中国で白菜の彫刻や色んな話を聴いているに、これは凄い食べ物だと感じたのは勿論、美味しいからでもある。こんなに美味いのかと感心した。それから改めで白菜の美味さをしみじみ感じてもいる。何にでも白菜を入れている。 ・料理のことは知らないが、食材の多さ、豊かさには私たちが如何に恵まれているかを思わずにはおれない。こんな時代があったのだと、後の世から言われるかも知れない。どうも、そういう風に考えてしまう傾向があるようだ。余りに贅沢なのではないのだろうか。恵まれ過ぎているというのも怖い気がしてならない。こんな美味しいものを食べてよいのだろうか。私はそれほどこの世界に貢献している人間でもない。 ・へ2・・・謂わば、寄生虫のように生きているようなものだ。偶々運が良くてここまで生きているに過ぎない。そんな奴がこんな美味しいものを平気で食べて好いのだろうか。どうも申し訳ないような気がしてしまう。昨日のコンソメスープの残りに白菜を入れて食べている。何とも言えない美味しさである。せめて、白菜にブログでお礼を言いたくなった。ご馳走様でした。 ありがとう、アクサイではなかった、ハクサイ!
2009.02.27
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私たちは日ころから「普遍性」について理解していると思っている。そして疑おうとはしないものらしい。周囲の人々がその世界観や価値観をもっているという期待をもってもいるが、それが確信といえるか?ということがどこかで不安もある。常に検証しないと安心できない人間もいる。人々は或る種の共感の上に成り立つ社会の環境を夢想しているのかも知れない。少なくともそれでは挫折するのは目に見えている。 ・然し時々姿を現す現実社会に落胆もする。「普遍性の確信」が途端に崩れてしまうかも知れない。教育システムは「現実」と「理想」の存在を証明しようとはしなからだ。現実は、理想社会ではない。テキストに書かれたものと違う環境にさらされている。 ・へ2・・・幼児教育から「普遍性の確信」についてのスキルを受けていないが、これからでも、学ぶ努力をすべきだ。何が「普遍性」といえるかを検証しなければならない。それは社会と個人の問題でもある。そして国際社会で通用するものかだ。世界から孤立しては意味がない。小国であろうと大国であろうと・・・。
2009.02.27
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過ぎたことで何も言うことない。然るべき評価は他人がするもので自分がどうのと弁解してもそれだけの ことでしかないだろう。どんな家に住もうと肩書きがいくつあろうと明日に持って行くものがあるだろうか。 素手で闘う勇気と生き抜く気概と智慧を持たねばならない。これまでのことで、何を悩むことがあろう か。肉体にどんなに病が襲おうと諦めるべきではない。誰もまだ『ヘイフリックの限界」を超えられないの だ。世の中は、すべて絶望が覆い尽くす時ではないのだから、自分のスペース進もう。 平坦な道など願うべきではない。あるはずなどないのだから。もう昨日はないのだ。潔く生きよう。
2009.02.26
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「日米同盟」も頭の切り換えをしないと。そんなことを予感させる今回の麻生首相の訪米であったようだ。米メディアの反応の低さがそのことを裏付けている。日本政府が考えるような、もう関係ではないのだ。いつまでも国民を惑わしてはならない。新しい国家の安全保障を模索すべきではないだろうか。頭の切り換えをしないとそれこそ手遅れにもなる。片恋はもう現実的ではないし、流行らない。 ・どんなに苦しくても現実を直視することが大切だ。必ず方策はあるものだ。ただ手遅れが怖い。納得のできる政治をすべきだろう。日本人に納得のできる「普遍性の確信」が政治には必要であり、そのための努力をすべきだ。高い識見があれば国際社会で尊重されるだろう。世界で通用する人間を育成していくだけの文化がなければならない。そのために何をすべきだろうか。 ・へ2・・・個人が自分の周囲を見回し、何が行われているか、検証すべきではないだろうか。果たして、理不尽なことがないだろうか。国民の監視がなければ政治は善くならない。権力は腐敗し易いのだ。黙っていては何時までも善くならないからだ。そう思わなければならない。一歩を踏み出さねば歩けないし進むことはできない。自分たちの生命を守るのは自分たちだけだ。
2009.02.26
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あと40年で石油は枯渇すると言われるのに対して、石炭は150年間の余裕があるとされ、昔はできなかったデメリットを克服する研究が九大で始まりそうだという地方版の報道があっていた。恐らくそういう動きがこれから強まるのだろう。40年というスパンは長くはない。現在の石油高も一時の夢であろう。それがいつか悪夢にもなる。それにしても日本の炭坑が次々と潰れていったのは、九州では劇的でもあった。それだけに閉山していったヤマの悲哀があちこちに残っている。 ・何がこれから役に立つのか分からない。クズ扱いされたものが見直されることがある。これまで奢れるものが地に落ちるかも知れない。その移り変わりは激しいものだ。他人ごとではない。身近な問題にもなるだろう。少なくとも長く使えるものを探しておかなければならない。その準備がされているだろうか。寧ろ九大の研究の着手が遅いのではないだろうか。その場にならないとできないというのでは、間に合わなくなるのではないだろうか。ことが起こってから動くようでは遅いのだ。 ・へ2・・・研究をどこまで拡げられるかでもあるだろう。それこそ目先の利益を求められる企業では未来への傾斜には限界がある。そこに大学の存在があるが、いまごろ石炭ではそれこそ目先がきかないというべきではないだろうか。あと40年間で枯渇することは、相当前から言われていたのであり、その時点から始めていれば少なくともいくつかの提案ができていたのではないだろうか。まあ、どこまでできるかはこれからだろうが・・・。
2009.02.26
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陽射しが強くなり始めている。目が痛いようだ。それだけ暖かさも増している。寧ろ外に出る時着て行くものを選ぶのが難しくなった。厚着で出かけて汗をかいてしまった。また下着を一日何回も換えなければならなくなる。どちらかというと寒がりなので余計着て行く傾向があるが、段々着て行く服が減ると身体が軽くなる気がする。着衣の量が重いと体もその分重くなるわけで、やはり薄着で歩けるのは歩き易いのだと思う。 ・昼から軽く歩いてきたが少し薄着にしてみた。やはり体が軽い気がした。それこそ冬は厚着をして肥って歩いているようなものだ。それでもまだ「寒の戻り」もあるだろうから、気をつけなければならない。折角この冬は風邪を引かなかったので、このまま風邪引きなしで、終わりたいものだと思っている。 ・へ2・・・今日は、2.26事件のあった日だ。あれから70数年経過したが、教訓は活かされているだろうか。2.26をきっかけとして、日本は危険な選択をしていったが、この世界不況による影響に対する政府の対応は安心できるものだろうか。どうも容は違っていても、まだリスキーな選択をしているのではないだろうか。もし、北朝鮮からミサイルが飛んできたらどうなるだろうか。アメリカや国連に「助けて下さい」としかいえないだろうか? 最悪を想定できないような政府は心もとない気がしてならない。
2009.02.26
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「首相訪米 中・ロ紙「冷遇された」、英紙ほとんど報じず」とasahi.com が報じている。各国のメディアは、支持率の低迷にあえぐ首相の力量に疑問を投げかけるなど、冷ややかな論調が目立った。とある。オバマ旋風にあやかって失地回復を願っていたのかどうかは分からないが、またも思惑は外れたのではないだろうか。首脳会談後の会食や共同記者会見がなかったことに触れて「米側は早期の首脳会談には応じたが、安定しない麻生政権と親密ぶりを示すことは避けた」と厳しい見方をしている。考えてみれば、麻生首相の見識はその程度なのではないだろうか。 ・政府見解が悉く外れている。お友達内閣で政治が上手くいくはずはないのだ。甘く見ている証拠でもある。カネをばら撒いて国民を懐柔できると思ったら間違いだ。それよりも、政策の堅実性こそ大事なことだ。米中の戦いに介入することはできない。日本は独自も道を模索すべきだろう。そのための施策を見つけるべきだ。将来に役立つ人材をいかに育成するかだろう。教育、教育、そして教育だ。 ・へ2・・・自分が漫画が好きだから、国民にも漫画を読めていうのではあるまい。確りした論理を身に付けて行かなければならない。国民の多くに広く「普遍性の確信」をもつような教育をすべきでもある。それは容易ではない。贅肉を排して行かなければならない。体質改善をして、心と体を鍛えるべきだろう。厳しい時代に備えるべきだ。
2009.02.26
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アフリカ系アメリカ人の大統領は、本当に時代の変化を物語るのだろうか。それはテストされているのだろう。名実ともに、差別社会が解消されたわけではない。虫の好い話が飛びまわっているが、それは<ハネ―ムーン期>だからだろうか。問題が深刻だからこそ新しいパワーを期待することはよくあることだ。ツールは揃っているか?世界環境は、アメリカの回復をサポートするだろうか。どうも怪しい。日本も、中国も、EUもどこまでそれを共有できるだろう。イラクやアフガンで果して、アメリカは成功するだろうか。 ・中国はすでに一枚岩ではない。国内の50を抱える民族を纏め上げることも容易ではないだろう。13憶人は公式の数字でしかない。チベットにしろ少数民族の不満は増大していくのではないだろうか。国内での利害の対立が顕在化していくのではないか。スローガンのない政治が、どこまで上手くいくのだろうか。中華思想が、目立ち始めてもいる。有利な武力をもったとき、中々謙遜ではいられなくなるのではないか。国際社会は、行き過ぎにブレーキをかけられるだろうか? ・へ2・・・米中の利害が何時までも一致するとは思えない。何れ主導権争いが始まるのではないだろうか。イデオロギーの違いは隠しようもない事実だろう。然も複雑に利害が絡み合っても来ている。すべてを上手くやることは至難でしかない。作用は必ず反作用を伴うものだ。いつもパーフェクトに物事は進行しないだろう。自由主義下の資本主義でやってきた国家が、財政出動による社会主義の手法を使おうとしている。このままいくとは思えない。もうブッシュ氏も過去の人であるが、あのパワー・ポリテックスの覇権主義は何だったのだろうか。どうも、オバマ旋風は煽てあげて二階に上げ、梯子を外されるような気がしてならない。
2009.02.26
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火傷に「味噌」をつけるということからくるらしい。失敗する。しくじる。巧く行かなくなる。けちがつくこともある。どうも、そういうことが重なってくると、世界の信頼を失うのだろう。日本のGDPの大幅悪化にしろ地盤沈下の徴表が続いているが、日本政府は訳の分からない政府だという国際社会の評価を裏付けるようなことばかりしている。中国首脳の腹の底には日本政府に対する姿勢に軽蔑的な思考が伝統的にあるようだ。アメリカにも裏には、それがある。 ・日本はそういう厳しい評価に晒されている中にあって、確りし見識を持つべきであるという。他国の批判や非難を冷静に観察することは重要な外交の基本だろう。言いたいことを言わせなければならない。指摘されることを如何に客観的に洞察するかでもある。他国を侮辱することは自国を優越的に見るからだ。相手を悪く言うことは誰にでもできる。寧ろ、核心をつくのはそうした安易な態度ではない。訳が分からないのは訳を知ろうとしないからだ。訳は必ずあるからだ。 ・へ2・・・テレビの国会中継を見ている。前原氏の安全保障の問題の質疑があっていたが聴いていて面白かった。前原氏の姿勢がよく分かった。政府の態度は相変わらず、日米安保しかない。米中の関係は、日本の頭越しに進んでいる。日本は大国ではない。その厳しい現実の中で、どういうかたちでこれからの「国家の安全」を守ることができるのだろうか。味噌ばかり付けていては務まらない。
2009.02.26
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昨今嫌気のさすことがあるのは、偏屈の証明か。マーキングをする男がいるとか。概念が乱れてい る様。贅沢な生活が人間を駄目にするのだろうか。現代は退廃的になりつつあるのか。寿命が延びた だけ精神力が後退してゆくのか。よく判らない。やたら、にやけた物分りの良い中年が増えており、そのひ とたちが何れ老人となるが、若者を甘やかすだけの存在になるのだろうか。昔から、老人は偏屈で、我 儘で威張っていたものだ。世に憚るくらいが丁度お似合いなのではないか。何処でも平気で屁をひり、 小言とばかり言って嫌がれる親父が懐かしい。スマートな老人が何をしようと言うのだろうか。若い女を囲っ て、平気で、生きている老人がいたら極地にでも追放して遣りたい。 いつまでも権力にしがみ付いている老人がいる。世界を見ようとはしない。自分のエゴ的な花道ばかり考えているのだろう。そんな時代か? 文字通り「日本は景気が滅茶苦茶に悪くても、相変わらず何かワケの分からないことをしている」という、外国人の一般的な「日本の政策に対するイメージ」にばっちりハマった面白映像になったためです(MSNマネーニュース) 中川前財務相のG7後の会見の波紋は、まさに欧米には打って付の日本の衝撃的なマイナス成長発表後のタイミングで起きただけに大爆笑のショーだったようだ。日本人には笑えないが。会見後に警報事件まであったとなれば、<・・・・やがて悲しき鵜飼かな>。 >会わせる顔がない。
2009.02.26
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よく考えると、人間はそれこそ一寸したことで死んでいる。周囲の小さな石もそれが高いところから落ちてくれば致命傷にもなる。自転車から落ちても、ベットから落ちても、死ぬことがある。毎日使っている階段や、風呂場でだってはずみで怪我をすることがあるし、それですまないこともある。それから、最近では、何十年も真面目に仕事をしていた公務員が、一回の酒酔い運転でや交通事故で懲戒解雇になったりする。人は、たった一度の出来心で一生を棒に振るかもしれない。 病気も、老化も外部からみれば長い時間を経由し進行しているが、本人はそれに気づこうとしないかも知れない。人間は、先祖の形質を遺伝子で受け継いでいるが、いくつかの変異を起こす細胞も受け継いでいる。反面ダメージを修復する免疫力も持っている。しかし修復できないときがある。それがアポト-シスや病気の原因にもなる。生命の営みの中から発生する。 例えば、戦争でさえ、外部から見れば突然起きるように見えるが、実は多くのプロセスを経由している。第二次世界大戦も、多くのそれまでのプロセスがあった。 それは、経済であり、政治的情勢であり。大衆の意識でもあっただろう。だから、よく国際社会の状況を観察すれば、この社会の現在の健康状態が解かるのかも知れない。それの処方箋を提示できないのは、ひとびとの怠慢だと思う。原因は、客観的で、冷静な目を持っていないからだ。 忍び寄る危険を知らないで生きている。ひとはたった一度のダメージで死ぬかも知れないのだ。どれだけ用心深く生きていても、たった一度の失敗で命を失くすだろう。不運は、人間に纏いつくものだからだ。病院の検査を何百回受診しても最後の一回で致命的な病気が発見されるかも知れない。ふとした気持ちの弛みが、或いは日々の中にある驕りが最後のダメージになるかも知れないのだ。時々自分の今を振り返ってみることではないだろうか? トヨタの周章狼狽がぶりが哀れだ。日本経済の脆弱性を象徴しているようにみえてならない。大企業も商店の寄せ集めでしかないだろう。 どうも、そんなことばかり考えていたら、厭になってしまった。目を違うところに向けれなければ。
2009.02.26
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毎日目にしているニュースをそのまま鵜呑みにしている人はそれほど多くはないのだろう。すべて正しい報道ではない。オーバーだったり、捻じ曲げたり、省略したり、或いは曖昧でしかないものなどだ。今流れたニュースで中国の高官が北朝鮮の金正日総書記は、健康に問題がないと韓国側に伝えたとのことだ。それは日本にも同じことが伝えてあるという。飽くまでも建前のことでしかない。知りたいのはそんな話ではないが、それ以上は言えないというのだろう。それは何のためにそうしなければならないか、でもある。 ・私たちに冷静な目があるだろうか。知らなければ、それも分からない。オバマ大統領の就任後の行動を見ていると、決して「変革」だけではない。伝統の継承だろう。日米首脳会談にしても、特別のことではなかった。 <同盟を通じて米国の努力を支えることは日本の国益にもかなう。欧州の足並みがそろわない中で、アジアの日本が率先して米国と連携する明確な姿勢を世界にアピールした。日米を先導役に、協調して難題に取り組む機運を欧州や世界に広げていきたい。(産経ニュースより)> ・へ2・・・国民に冷静な目があるといえるだろうか。とてもそうとは思えない。アメリカの権威や威信とは何を意味しているだろうか。多くの約束が、それができるという根拠が示されていない。所謂日米関係の「重層的な同盟関係」の中身の問題だ。日米がパートナーであるはずがない。思惑は日米に違いがあるからだ。此処でも建前でしかない論理が使われているに過ぎない。環境の汚染は経済成長を目指している政治の中では止められない。
2009.02.26
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「万歩計」を使い始めて実は、かなり以前からですが、毎日使っているのは去年の4月からです。それでも4回失くしました。どうにか今のは失くさない。もう一つ持っています。一度失くしたと思っていたものが車の中に落ちていた。それにしても、それだけ注意しないと、ズボンをはき替えたり、おろしたり毎日する訳で、そのたびに落ちる可能性がある。それと、万歩計の存在を失念していたりした。然し、どうやら毎日記録するということだけは忘れなくなったようです。 ・人間はロボットではない。生命であり、複雑系でもある。歩く歩数や、呼吸や、体温や、免疫系のデータにしろ、データに残すことは簡単にはいかない。然し、そのエネルギーは小さいものではない。地球がでかすぎるのかも知れない。否、科学の進化が人間の存在を膨張させている。無視できないところ存在になリ、すでにポイント・オブ・ノーリターンの限界を超えようとしているのかも知れない。それは存在そのものではないにしろ、この活動が齎す意味において。 ・へ2・・・人間は規則正しく生きていない。謂わば自分の意志で動いており、動く意欲がなくなれば全く動かなくもなるし、病気もある。然し、動かなければ極端にその体力は衰退していく。人間が動物であることを忘れているひとさえいるのではないか。それがこの社会がもたらした様々な生き方の特徴でもあるのだろう。人が科学に食い込んでくるだけ病気も増えている。それはミイラ取りがミイラになるようなものなのだろうか。作用には反作用がある。何故自分に「万歩計」が必要なのだろうか。この世には自分で色んな事を<カウント>することを自覚できないくらい何にも解っていないということだけはわかる。
2009.02.25
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無重力は人体に大きな影響を及ぼし、長生きできないという。これを克服できない限り宇宙への旅は 困難だ。重力により哺乳動物は、今日の身体を創り出して、二足歩行が巨大脳を編みだした。無重力 は、さらに全く違う進化を産み出すだろう。 足の無い世界になる。それは、魚に戻ることではない。無重力での生殖とヒトの 子孫は地球という環境を離れることは、絶滅しかないないだろうか。新たなイブが誕生するだろうか。 そのイブを知らない私たちは、この世界の観念から抜け出ることはない。だから、次代のことで悩むことは ないが、重力という課題を生きてきたものが、無重力という課題を創造することになるだろう。 無重力でも「ヘイフリックの限界」はあるだろうか。 遺伝子治療は、あらたな重大な難問を作り出すに違いない。課題を明確に認識した時、いつか 解決のチャンスが来るだろうが、また途轍もない壁が立ちはだかるものだ。容易な世界などない。 いま、為すべきことは多いのに何故、目先のつまらないことで悩まねばならないのだろうか。重力を克服 するために努力してきたヒトが、今度は、無重力の中で生き延びることを苦悩する時代が来る。 そして、運良く生き延びたとしても、次の課題が待つだろう。
2009.02.25
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(1936年)2・26事件から73年間余経過した。この事件が及ぼしたその後の日本の軍国主義への傾斜につながり影響は小さくはなかった。首謀者たちは軍事裁判で死刑になリ、参加した兵士たちも「事件後、中国などの戦場の最前線に駆り出され戦死することとなった者も多い。特に安藤中隊にいた者たちは歩兵による突撃戦法を強要されてほとんどが戦死した」と言われている。この2・26事件で、青年将校たちが抱いていた天皇のイメージが幻影でしかなかったことが露呈されたといえる。 ・青年将校の描いていたものは偏狭な現実でしかない。それは利用されただけだった。そしてこの事件に振り回された兵士たちがいた。「上官の命令に従え」といわれて従い、それがいつか反乱軍にされた。騙したのは青年将校たちだろう。それは目的のためには手段を選ばなかった。そして部下を巻き添えにした。しかも、前線に送られ死ぬこと運命つけられたのだ。そういう軍隊とは何だったのだろうか。その伝統が自衛隊にないといえるのか。自衛隊の基礎をつくったのは根底には、日本軍の伝統や規律があるのではないだろうか。そこでの軍律は「上官の命令に従え」ではないのか。 ・へ2・・・2・26事件は、その後の日本の歴史の暗黒時代のスイッチをいれたのだ。不祥事件として処理され、やがて軍部の強化につながった。右翼と財閥の存在も無視できない。仕組まれ、利用された。国民の知らないところで国家が世界の常識から外れていったのは、ダークサイドが強まったからに他ならない。国の政策を誤らせるのは経済的需要供給が潜んでいる。性急な損益が優先するからではないだろうか。つまり良識が消されてしまうことではないだろうか。2.26事件はそういう意味では、歴史的事実として忘れることのできない事件でもある。
2009.02.25
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歩くことは誰でも出来ることであり、殊更書くことでもないのだが、1年間兎に角続けようと頑張っている。下記は2月1日~25日の起床時間と歩数。どうにかウオーキングの歩数とメディカル・チェックと整合している。いまのところ順調である。今のところだが。自分の健康のデータベースになるようにしたいと思っているが、まだよちよち歩きだ。 2月分(1~25日)6;20 21,6374;20 22,0714;30 21,0755;40 20,2113;10 20,5215;40 22,4104;50 20,1113;47 24,1625;05 13,8504;10 21,1365;05 21,5933;10 22,6703;20 17,7214;00 22,3945;20 21,7254;05 23,0154;10 20,5323;30 21,3225;05 15,1556;00 23,6433;35 23,1733;50 20,5214;05 20,4525;51 22,8292;50 20,137合計524,066歩
2009.02.25
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太宰の人気はどこにあるのだろうか?あの死にたがり屋のならず者に魅かれる愛読者は彼のどこに求心力があるだろうか。それはどうやら、「誠実さ」ではないだろうか。或いはこころの「清潔さ」だろうか、太宰は女を口説くとき、その手を使ったが、読者もそれでころりと騙されただろうか。彼の「青さ」だろうか。ストイックな「性癖」だろうか。それはいくつもあるのだろう。そして太宰の女語りは、女そのものの感性のようでもあるが、女だろうか。太宰の生き方をみるとその世界は西鶴の世界のそれである。彼は、まともな女性から相手にされなかった男ではなかったのではないだろうか。彼の魔術は現世ではなく、フィクションでしか使えなかった。 ・健康な女性の嗅覚は、不健康な男たちの体臭を嗅ぎ分ける力があるのではないだろうか。女性の産む子は、健康で将来を託す子でなければならない。胎内の子は、ひ弱な男たちのものではないのだ。つねに男から見た観念でしか語られなかった日本の歴史は、真実から遠いものになっているのではないだろうか。男が女を選んだのではない。女が男を選ぶのだろう。生物学的には女が選ぶことで優秀な子を産むのであるが、現実はそうではなかったがゆえに、歪な社会が形成されていったのではないだろうか。男を愛する本来の本能が揺らいでいる。女たちは、中性的な男を愛し始めているのではないだろうか。それでは子を産むことができない。生産性のないものだからだ。 ・へ2・・・男たちは魅力を失いつつあることに気付いているだろうか。女は男の必要を感じなくなっているのではないだろうか。女性を棄てようとしているように見えてならない。それが逆に、だからこそ、なよなよとした女たちが好まれだした所以ではなかろうか。バカ女でしか相手にされなくなっている男たちが増えているのではないだろうか。女たちに愛想を尽かされ始めた男たちばかり。女が男たちを壊し始めている。胎生生物の運命は、約束通り、Y染色体の絶滅の日を予言している。
2009.02.25
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午前中図書館へ。「漱石全集」も全巻揃っていないが、取り寄せることはできる。あるものを数冊借りてきた。今度「ザ・漱石」を購入予定である。それまであるものを読んでおくつもりだ。梶井講座もあと2回で終わる。今週と、3月は大学受験の関係で1回休講になる予定である。4月から漱石講座が始まり、初回は「明暗」がある。当り前では面白くないので、普通とは逆に遣るそうだ。何しろ講師の教授は「漱石研究家」で、ある。凝ったものになりそうだ。 ・それで、受講生は色々、準備している。それこそ研究され尽くされているような漱石が料理されるのだから見ものだろう。話によると、ここの大学の組織も変更されるようで、先のことは分からない。何度も聴ける講座ではないだろう。これまで3年間同教授の講座を受講してきたが手抜きをしない講座でもあったので、期待は高まる。 ・へ2・・・今朝は、ウオーキングに行かなかったので、図書館から帰宅して、10,000歩歩いてきた。鳥渡気を抜くと一日20,000歩というのもきつくなる。一日三回以上歩かないと届かなくなる。考えてみると我ながら、よく続いたものである。それだけ気合いをいれていたのではないだろうか。朝から歩くというのを遣ってきたので楽にできていたのだろう。遣らないとかなり昼と夕でこなすのは辛くなるものだ。兎に角、このまま遣って見ることだろう。或る意味、しみじみ健康の有難さも感じている。いまごろでは少し鈍いかも知れない。
2009.02.25
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一致団結した国家として為すことは大きな力を生みだすだろう。個人の存在が小さかったころはそれでも善かった、そうはいかない時代だ。個人の権利が尊重されてもいる。国家権力で個人の権利を無視することは許されない。武器ではなく、ことばで相手を説得しなければならない。それは個人の関係も国家間も同じだ。大国だから小国だからではない正しい主張が通るような国際社会でなければならない。残念なことにそうなってはいないが。国際世論はまだ「普遍性の確信」がない。 ・国益に添った意見が国家の意思となりがちだ。世界のリーダーを公言するアメリカでさえよくみると国内向けの政治だろう。少なくともブッシュ前大統領は国連を無視してイラク戦争に踏み切ったし、こんどのオバマ新大統領もイラク戦争を誤りだったと言ってはいないし、アフガン増派を支持している。変革というのは、まだスープの中でしかない。 ・へ2・・・個人として、総合力としての自分の力不足を、日頃から私たちは自覚している。残念ながら、これもすべての日本国民がそうではない。然もソーシャル・ステータスのあるものがそのことに思い至っていない。何をすべきであるかが判っていない。必要なのは、総体としての個々人の実力の向上であり、それは部分的なスペシャリストではなく、多くのゼネラリストの質の向上でもあるのだ。それこそ日本のどこにでも、道端にごろごろある石ころのような人間の人格の高さや、識見の広さである。国家はそのひとびとが文化や伝統を野に咲く花のように守ってくれるのだ。
2009.02.25
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世界があり自分がある。ひとびとは試練の中で苦しんでいる。然し、安穏と無神経にポストに居座る者も いる。その内というより、明日にも、肺を持たない魚類が居なくなる。適応能力のない生物は過去の存在だ。企業の営利は、弱者からも容赦の無い取立行為で、合法的に高利を搾取し期限の利益の 喪失をさせ生活を奪っている。現実の社会でどんなにか庶民は苦悩しながら暮らしているだろうか。誰も試練の日々を過ごしている、営利だけの企業論理は通用しない。ここ10年生活は悪くなるばかりだ。 今年も11年連続して3万人以上の自殺者が出たが、生活苦が増加している。政府と企業の社会的存在を問いたい。
2009.02.25
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1億年先は、殆ど熱帯地域に変貌する。南極大陸は、プレートの移動によりアジアの南端に達している だろう。ヒトはもういない。それは、果てしなく過去に絶滅しているだろう。それでも地球は生きており、生 命が溢れているのだ。不思議な生物が、地上を支配していることだろう。ニッチは次々とゼネラリス トが支配する。有限の中で、ヒトは、悠久の時など持ち合わせていない。meme という、第二の 遺伝子は、生き残る可能性はない。利己的な遺伝子だけが存在する世界に戻るのだ。 >いつまでも飛んでおれません。
2009.02.24
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ヒトはどうなるか?種としてのヒトは、いつか死滅するという。核戦争で突然死するか。環境の破壊による適応不能か。何 れにしろ終わりが来るとみている。余程非科学的な思考でない限り、そのようだ。それも、ながくて数十万 年か。それを短いとみるかながいとみるかは視点の違いでしかない。ただ地球の歴史からすれば一瞬に過ぎ ない。それは、絶望すべき事実だろうか。明日のためにと思い続けた人々が費やした努力は、 霧散するだけだろうか。いくら宗教や哲学や文学やその他の進化があろうと、科学は、法則に従うだろう。 科学者は、平然とその事実を踏まえて予見する「ヒトは種のひとつに過ぎず必ず法則に従うだろう」 。地球は、45億年の過去をもつが、それでも、いつか太陽に呑み込まれる。 かって種としてのヒトは、洞窟の中で聴いていたに違いない雨の音がしている。 現在2009年2月25日4:19AM
2009.02.24
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健康を維持するためには良質の睡眠が欠かせない。それが加齢によって損なわれがちだ。そういう環境がある。ストレスと運動不足がある。体が贅沢を覚えてしまっている。楽をしたがるという自堕落が伝染している。このウイルスは厄介だ。そんための体質改善に取り組みだしたが前途は厳しい。身体を疲れさせることは、体内のエネルギーを燃焼させなけれならないからだ。筋肉が硬くなり始めている。そいつをじわりと騙さねばならない。 ・女を騙すよりきつい仕事でもある。まあ、女を騙したことはないから、それがどれ程のことか、実は知らないが。相当面倒なことに換わりはない。何と人間の肉体とは丈夫にできているのだろうと、つくづく感心する。簡単には疲れないからだ。病気の時はすぐに草臥れたが、少し健康になってくると、簡単には疲れなくなる。いくらでも歩ける。元々ウオーキングなどというのは、昔は日常の暮らしの中にあったのだ。今でも一日20数キロも走りまわる民族もいるという。不健康で暮らすより、健康でいることがしんどいことをしなければならない妙な時代でもある。 ・へ2・・・だから、私は、<疲れて眠りたい>ために、ウオーキングしている。ジョギングすれば効率よく疲れが来るだろうが。それもTPOである。今はウォーキングが必要なのだ。何故か?それを説明するのは、今はしたくない。理由はある。
2009.02.24
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時々自分でも、こんなことで好いのだろうか、と悩んではいる。まだ言わば、<ヒント探し>の旅でしかない。あちこち見てまわっている。直接現場に行ったと言える訳でもない旅でもあるが。やがて、タイムリミットも来るかも知れない。それは唐突に来るだろう。恐らく自分自身で思っている以上にそれは早く来るのだ。少なくとも私がこれまで、その人の死をみてきた範囲では皆そういう生き方をしていた。人は自分の死を直視できていなかったのだ。 ・自分が愚かな生き物であることはだれよりも知っている。その自覚なしに語ることはできない。だから自分にできることの意味を知りたい。神が「普遍性の確信」と言えるには、科学が進化し過ぎている。時が不可逆であるとすればもう、元には戻れない。<神>なしには、生きられないとしたら、それは重いカセ付けて歩く人生でしかないだろう。それを必要としない人間だけが、明日を見ることになるかも知れない。違うかも知れないが。それはまだ分からないというべきだろうか?否、そうではない。 ・へ2・・・まだ、選択肢がある以前であることは、幸運なことだろうか?すべてが終わったときから始まったのではないからだ。まだ、重力と闘いながら、酸素のある時代にいる。真空の世界に還ることがあるかも知れない。そして冷たい闇が周囲にあり、無限の時間と怖ろしい戦いを繰り返している前の僅かな安らぎの中にいるのだ。それは奇跡に近い時間でもあるのだろう。そして私は、まだ<ヒント探し>というゲームをつづけられるという真にささやかな夢を見ているのだ。
2009.02.24
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視床下部は小さな神経核の集積でそれぞれが身体の衝動や欲求をコントロールしている。間脳の一部で脳と身体の橋渡しである。 重量は脳全体の 300分の1 しかない。単純な飢餓感が生まれ、みたされるのは視床下部だ。 ホルモン、ニューロンペプチド、神経伝達物質の複雑な働きで、視床下部には身体の状態がリアルタイムだ。体内のブドウ糖、ミネラル、脂肪のレベルが低下すると、血液や胃、腸、脂肪細胞からその情報が視床下部に送られる。その情報が皮質に伝わり脳の各部分を呼び起こして空腹感を起こし、一連の食べるという行動になる。こうして食べ物が体内に入ると、身体は満足したことを視床下部に伝え、そこから皮質にメッセージが送られ、「食事止」という意識が生まれる。アメリカ人の3人に1人、西欧で4人に1人が肥満であるという。(但し、データが古い)毎年大勢の人が肥満の合併症で早死にしている。世界的な規模で過食症や拒食症が拡がっているのは、そう簡単な仕組みだけではない要素があるのだろう。視床下部それ自体が、「摂食障害」を引き起こすことがある。 食欲のコントロール中枢にある視床下部の「外部核」と「腹内側核」のどちらかが損傷を受けると前者は食べなくなり、後者はいつまでも食べつづける。但しこの二重構造は単純ではない。だから身体は飢えていても、空腹感を覚えなくなる。 視床下部は大脳辺縁系の奥深くにあるため、外部からの損傷はめったにない。機能不全を起こす最大の原因は、メッセージをやり取りする神経伝達物質だ。実際に食欲不振の人はセロトニンのレベルが異常に高く、食欲亢進の人は低くなるという研究で確かめられている。 忘れてならないのは、文化的側面であろう。痩せたいという文化だ。食欲不振の人は自分に厳しく、我慢強く内省的な傾向があるのに対し、食欲亢進の人は外交的で気が散り易く、衝動的である。そのため心理的治療も行なわれる。
2009.02.24
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食欲をなくしている白猫は痩せてきたようだ。少し憎たらしいような身体がスリムになっている。妻子がこんなに猫好き・・・とは、言葉もない。二階から下の娘が帰宅して服も着替えないままで居間に連れてきた。目を瞑っている。やはり様子が可笑しいようだ。私の顔を見ているが情けない顔だ。毛が深いのでどれだけ痩せているのか分からないがそれでも腹がぺちゃんこらしい。それこそ、毎日食いまくっていた猫とは思えないくらいだ。遺伝的には人間と変わらない病態を進んでいるのだろう。 ・白血病と解ってから1年くらいだつが、獣医も驚く奇跡の猫だったが、今度は駄目かも知れない。或いはもう一度奇跡の生還をするのだろうか。それにしても、人間と同じで根性が生きるエネルギーにもなるのではないかと思う。この白猫は並の猫ではない。 ・へ2・・・下の記録は、2008.2.15~2009.2.24の歩数。2月も何とか一日2万歩をキープしている。私は白猫を可愛がらないが、10年近く居候しているので、喧嘩相手がなくなるのは寂しくなるだろう。 年月全歩数2008年4月258,1242008年5月461,5052008年6月454,8282008年7月492,0532008年8月479,1752008年9月607,6122008年10月635,3992008年11月562,3742008年12月629,7232009年1月628,6032009年2月503,929 5,713,325
2009.02.24
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世の中は因果律で過ぎるから、必ず予兆があるが気付かないことが多いだろう。医師は患者の顔色み て病態を判断する。すべて約束ごとで進行する。偶に思い掛けないこともあるが外れることはない。 綺麗な花も、ヒトも例外ではない。60兆個もある細胞の一つでさえルールを守るだろう。そう思うと、 この地球の豊かさと生命空間の偉大さに打たれる。ひとりで悩むほどの世界ではない。 精々21世紀の切符を手に入れたが、誰も22世紀を観ることはできないだろう。 白猫が病に苦しんでいるが、自分の世界を懸命に生きている。 誰に言われるまでもなく、遺伝子に導かれて・・・。
2009.02.24
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自分流で歩く 詰まるところ、それしかないのですが。体を鍛えるのではないが、健康を維持するためにある程度の筋肉の訓練もしない訳にはいかない。当然、歩くことによる一般的な運動効果もある。それは化学反応でしかないが、やるだけの効果もある。流石に因果関係である。エネルギーを消耗するだけの行動になる。まあ、無理をしないでやりたいが、無理をしないとできないこともある。痩せ我慢でも何でもしないとできない。あまり合理的に動き始めると、それだけになってしまう。手段が目的になってしまう惧れがある。余計に歩くことが目的ではないが、もうすこし、もうすこしで距離が延び出してしまう。まだやれそうだ、というのは凄い誘惑でもある。 ・走るのもそうではないだろうか。歩くより走る方が運動効率がいい。足や腰に受ける負担が増すに決まっている。処がつい余計に走りたくなる。いい車が欲しくなるようなものかもしれない。欲望とか本能というのは怖い。グレードを上げたくなる。それで、たいていこけてしまう。利口な人間一番先を走らない。ちゃんと先に行くやつを利用している。マラソンをみているとその駆け引きが面白い。普段走り込んでいると、そうでないひと、或いは事前準備や体調もあるのだろうが、30kmくらいからその差が出る。プロというのは、やはりそのあたりの訓練をしているのだろう。だからアマチュアが勝つはずはないのだ。 ・へ2・・・自分の体は、誰とも違うから厄介でもある。担当医の言うことはころころ変わる。土台知らないことをとやかく言うからだろう。他人の例を引いて応用しようとする。あれでうまくいったから、この患者も上手くいく筈だで、うまくいくはずがない。やってみて、効果が出ないから、次の手を考えるのでは遅い。メンタル面を考慮しないで治療などできるのだろうか。患者の中には世の中が嫌になり、死にたいと思っている人もいるに違いない。医者のできることは雀の涙しかない。
2009.02.24
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近くのゴルフ場周辺を一周してきた。コース内に簡易建物が建てられ始めたのは何か大会でもあるのではないだろうか。福岡では知られたコースだが、これまで長く大会は開かれていなかったので珍しいことだ。まだゆっくりなかを歩いたことがないので、大会でもあればギャラリーで歩けるかも知れない。昼から、晴天ではなかったが、雨は降りそうにないのでウオーキングしようと出かけてきた。 ・これまで歩きなれた道なのだが、カメラを持って出かけた。黄砂の影響もあるのか鳥渡視界がすっくりしない感じがした。歩いて汗が出てきたので気温は見ていなかったが、暖かいようだった。恐らく15℃くらいだったのではないだろうか。歩くには快適な気温である。ケチをつけてばかりいたら世の中が嫌になってしまうかも知れない。好いところも見て生きねば息が詰まるだろう。これから何をしようか目的もなくなれば甲斐もなくなるかも知れない。 ・へ2・・・自分を甘やかさず、追い込まないことでもある。それくらいの知恵はある。長く生きていると悪知恵もつくに違いない。いつまでも人生のアマチュアではない。強かに生きること、志をもつことだろう。
2009.02.24
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