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明石原人の発見?も無名の青年直良信夫だった。昭和6年明石の西八木海岸で発見した。だがすぐに学術調査がされなかったために、昭和23年に調査された時にはその地層が消えていたという。打ち寄せる波に浸食されたためだった。 ・H2・・・着手の遅れが致命的になる。当時としては世界的な最古クラスの人骨の発見だった。鑑定を依頼されたが、学会で発表されることはなかった。すべてが手遅れになった。戦後東大人類学教室の長谷部言人主任教授によれば、そのころまでに確認されていた旧石器時代の前期の人骨はシナントロプスとピテカントロプスだけであって、これらの人類の腰の骨はまだ発見されておらず、すぐにも比較して正しいかどうかの判断を下すことができなかったという。何という権威主義だろうか。こんなところで新発見などできるはずがない。 ・こんな愚劣な研究所があるのだろうか。 ・H2・・・どうも日本にはあるらしい。築き上げた地位を追われたくないらしい。そうして世界的な発見が消滅することはいくつもあったのではないか。 ・その明石の人骨は1945年5月25日東京を襲ったB29 の焼夷弾で焼失してしまった。 ・H2・・・アマチュアに等しい地方の一研究者の人骨論議など黙殺された。その偏見と無関心が世界的な発見を潰してしまったのだ。
2009.07.31
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適応には、生物の形態や行動が非常に精巧にデザインされている。生存や繁殖の上で有利である形質を備え持つこと。それを持つことによって同種の他個体に対して、生存繁殖の上で有利さが生じるような形質をもつ。 事例として、インドガンのヒマラヤ越え、カッコウの托卵、さまざまな擬態、蝙蝠の超音波利用、人の手の器用さ、優れた知性 等。 現実社会に埋没せず、如何にジャンプできるかだ。それだけのパワーを内包しているかだ。誰も後押しはしない。自分で一から遣らなければできない。誰にもできないからやらなければ死んでもできない。デッドロックを乗り越えてきた。それが今日であるが、それは先人の成果であって私たちのものではない。このチャンスを活かし得るだろうか。あるのはそれだけでしかない。 山のようにチャンスがあってもそれを活かせないでいる。どうしてだろうか。時間はないのにあると信じている人たちがいる。崖まで来ないと分からないようでは、何もできないのに。未来の匂いがわかなくなっている社会である。言っている意味を解するものだけが分かるのだ。新しい形質をもつことだろう。
2009.07.31
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捜査関係者などによると、Aさんが顔見知りの女性に「宝くじに当たって2億円持っている」と話したのを、無職の男(23)が伝え聞き、グループの一部に犯行を持ちかけたという。しかし、Aさんが宝くじに当たって多額の現金を得た形跡はなく、同庁は、7人が間違った情報をもとに拉致を計画したとみて調べている。 (ウエブニュースより) 犯罪にはいくつかの偶然と犯意が付纏うものらしい。「奇貨おくべし」というのがある。刑法ではよく、この「奇貨」という言葉が出てくる。ひとは、しばしば 「奇貨おくべし」(掘り出し物だ。買うべきだ。) と思い込んでしまうらしい。 ひとつのことが次々連鎖反応を起こして、大きな犯罪にもなる。世の中にはそれほど掘り出し物はある筈はないのだ。話してならないジョークもある。 ・間違った情報が如何に世にあふれているだろうか。それを整理しようとしなのは。社会がカオスだからではないだろうか。理性がない社会になりつつある。エントロピーの増大がある。いつも清らかな水面ではない。上の写真は、近所のため池だが、原因は分からないが濁っていた。いつもいる鳥たちも逃げていた。
2009.07.31
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あまり顔もシンメトリーではない。あまり器量が良くないので棄てられたのではないかと、家のものの意見である。そういうこともあるのだろうか。公園に捨てられていたのを小2の女の子が拾って、親から育てるのは駄目だと言われて、猫好きの妻がそれを貰ってそだてるというパターンである。丁度10年以上いた猫が春に死んで、妻はそれに代わる愛情の対象を欲しがっていた。其れで、矢鱈と餌を家の前に来た猫に与えるので、猫たちが寄ってきたいた。近所から苦情が来るのではないかと。好きな人は嫌いな人の気持ちがわからないらしい。 ・不潔で、汚いという気持ちもわかる。それこそバイ菌の総合庁舎でもある。最近野菜を庭で育て始めるとあちこち身体が痒くなったのは色んな生物が押し寄せているからだろう。ダニもいる。何かをすれば何かも来る。作用には必ず反作用がある。するから何かも付いてくる。然し、何かをしないで生きてはおれない。困ったものだが、生きるとはそんなものだ。花火大会があるが、愉しいが、終われば寂しくなる。祭りのあとだ。 ・へ2・・・愉しく人生を過ごした人ほど、死ぬ時はその分余計寂しいに違いない。悟りをひらいた坊さまは、死ぬ前に数か月絶食をして死んで行ったという。だから静かに往生もできるのではないだろうか。醜いかどうか分からないが、我が家の子猫は、みんなから可愛がられている。私はまだ友達になるかどうか決めていない。子猫がブスだとしても私には関係がない。こねこが私の「Kai」(南風)になってくれるかが問題だ。
2009.07.31
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「汚れつちまつた悲しみに」(中原中也) ・・・ 汚れつちまつた悲しみは なにのぞむなくねがふなく 汚れつちまつた悲しみは 倦怠のうちに死を夢む 汚れつちまつた悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日は暮れる・・・ 四国の梅雨明けがあったようだが、福岡はまだ。煮え切らないような梅雨は8月まで持ち越しか。明日は大濠公園の花火大会があり、娘が浴衣を着るので、着方を教えてもらいに出かけた。私は、どうも、人ごみの中に出かける気がしない。花火は好きだけど。明日は8月だ。直ぐにお盆だ。中也の詩のように、「なすところもなく日は暮れる」。
2009.07.31
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7月度の歩数合計が出た。梅雨に悩まされながら何とか所期の目標がクリアーできた。正直、まだ楽にできている訳ではない。1年間余もやれば、楽に歩けるようになると思っていたが、そうでもない。遣らなければもっと歩けなくなるのではないだろうか。現状維持というのは難しいのではないだろうか。毎日続けていてこれだから、やめたら短期間で歩けなくなるかも知れない。余裕などない。真剣に遣らないと段々できなくなるのだろう。ふんどしでもなんでも締め直して頑張りたい。 年月日 起床 歩数2009/7/1水3;1020,6722009/7/2木5;0022,9062009/7/3金3:3020,5942009/7/4土2;5020,6502009/7/5日3;5021,0892009/7/6月2:3022,0182009/7/7火2;3023,8052009/7/8水2;4020,7882009/7/9木2;2022,8942009/7/10金4;3021,9142009/7/11土2;5010,6492009/7/12日4;1027,7712009/7/13月2;5021,2422009/7/14火3;4021,1132009/7/15水3;1020,9282009/7/16木2;5020,2882009/7/17金3;1521,0322009/7/18土3;4020,9302009/7/19日3;3021,8612009/7/20月3;3021,8772009/7/21火2;3023,1372009/7/22水2;3021,5652009/7/23木1;5020,9662009/7/24金2;505,0252009/7/25土3;3020,5922009/7/26日3;0021,4472009/7/27月3;1021,8302009/7/28火3;5021,2052009/7/29水2:0020,4422009/7/30木3;3023,4312009/7/31金3;1021,465 646,126 年月全歩数日数2008年4月258,124152008年5月461,505312008年6月454,828302008年7月492,053312008年8月479,175312008年9月607,612302008年10月635,399312008年11月562,374302008年12月629,723312009年1月628,603312009年2月587,391282009年3月700,366312009年4月686,126302009年5月704,517312009年6月610,392302009年7月646,12631合計9,144,314472
2009.07.31
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どうも丁寧に読むということができないでいる。作品だけではなく、その背景まで視ることだという。そのシーンは作家がどのようにして想像したのか。ストーリーを創造するにはそれなりの構成がいる。他人の作品から盗んできて、それを自分の作品に分からないようにして刷り込む。作品には痕跡がある。それは消えない。自分がそれまで読んで仕入れた知識やデータを下敷きにしている。それを消化して書いている。然し出てくる排泄物には摂取したものが含まれている。個別に切り刻んでアナリシスをして、それをインテグレートしていく。 ・一つ一つ作品を分析を行けばそれだけで充分時間はかかる。それこそ一人の作家を研究していけば、10年間くらいかかるのではないだろうか。もっとかも知れない。とてもあれこれ遣っている暇はない。途中で嫌になるような作家では後悔もする。選択が難しい。「門」で、マクベスが出てきた。英語も勉強しなければならない。遣ることは果てしなくある。 ・へ2・・・自分に能力があるかないかなど、どうでもよい。子猫のように恐れないで動くものに興味を持って、飛びかかればいいのではないだろうか。相手がどんな奴だろうとそれは関係がない。そこで自分を試して行けないいだろう。相手が強過ぎれば殺されるだけだ。
2009.07.31
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「ザ・漱石」には、今度の漱石講座にはない作品が含まれている。「文鳥」もその一つだ。短編でもあり読んでみた。これは読んだ記憶がある、もしかしたら中学の教科書にあったのではないだろうか。作家よりも、叱られる下女の少女に同情した覚えがある。作家は自分の趣味で文鳥を飼うのだから、自分の責任で世話をすべきだと思った。無神経な大人よりも少女の方が傷付いていたに相違ない。主人は大事にしていたのかどうか、忘れていたではないか。「家人の不注意で文鳥が死んだ」と友人に手紙を書くのは酷い。 ・これで短編とはいえ小説であり人気の高い珠玉の作品だという。大切なものなら自分で大事にすれば好いのだ。どうでも好いから忘れる。鳥籠が猫に襲えわれも直ぐに立とうともしないではないか。文鳥を飢え死にさせたのは作家の責任の何ものでもない。それを文鳥の死骸を少女の前に投げつけるとは、何たる不遜な男だろうか。それが小説になり、珠玉だろうか。どうも神経が可笑しい。自分だけが千代千代と洒落ているに過ぎない。 ・へ2・・・漱石の作品の中でこの「文鳥」が一番好きだという人気の高い作品だそうだから驚く。編集者の偏見ではないだろうか。得てして、見当違いの評価があるものだ。漱石を文豪にしたのはただ日本にはそれほどの作家が当時はいなかったでけではないだろうかとさえおもえてくる。そして、いまもなお。
2009.07.31
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人の感情は複雑だ。「ひとは悲しみで死ぬ動物だ」という本を読んだことがある。ひとは惨めであり、時に悲惨であろうか。ひとの生きざまは時々そのように思えるのは紛れ無い事実だろう。ひとのコンセプトは必ずしも一致してはいない。殆どの人は、明日自分が死ぬことを予想してはいないように思える。或いはそれは外見からはそう見えないだけだろうか。それほど人間は解り難いのかも知れない。 ・人の思いを一言で表現することはできないだろう。何度も繰り返される人間物語は、いまだに続いている大きなテーマでもある。ひとは、何かに躓いて死んで行くだろう。それを挫折というだろうか。死ぬことは挫折だろうか。どこかで何か不安を持ち続けながら生きてもいるそれが何れ現実になる。その恐怖に怯える老人たちは段々夜眠れなくなるのではないだろうか。何度も目が覚めて、自分が生きていることを知って、ほっとし、そしてこの世との別離を想像し、何度も別離を思うだろうか。「人は死ぬのが悲しいのではない、この世との別離が悲しいのだ」というフレーズを思い出している。 ・へ2・・・何か言いたいことはないかと考えてしまう。やはり惨めに死んで行ったひとたちのことが思い出される。志なかばで死んで行ったのではないだろうか。それが即惨めとは限らないだろうが、怨念がないとはいえない。生きている者たちがやがて感じるだろう終着は、死をもって購われねばならない。人は誰も、さまざまにこの世のことに執着し突然この世から断ち切られる。
2009.07.31
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ヒヤヒヤ、びくびくして生きていると言えば言えないことはない。所謂下女や下僕を雇っている代助も親から兄から食べさせてもらっている。決して自由ではない。30歳にもなって、このまま死ぬまでそのままでいたいと思っている。自分で好きな女ができたとしても結婚もできない。まして友人の妻を奪おうとする。それがインテリだという。結婚に勇気がいるのかと父が言う。これは何かのアイロニ―なのだろうか。課題が見えない。問題の所在が分からないでは話にならない。当時の読者はそれが判っていたのだろう。 ・日本の上流社会にはこうして次男三男たちがうようよいたのではないだろうか。長子相続の蔭で飼い殺しにされていた。妻を持てなかった男たちがいたし、結婚もできない女たちもいた。これはどうやら日本だけではないらしい。西洋でも自由に結婚や家族が持てるようになったのはそれほど古くはない。だから悲劇も多かったのだろう。演劇や小説でジェラシーや、三角関係は無数にある。 ・へ2・・・何時の時代にも、障害を乗り越えなければならないものはある。日本の小説のラストは必ずしもハッピーエンドではない。漱石も男のジェラシーが語られる。いつまでも前に進まない。よく雨が降る。じめじめした空気が漂っている。昔から、性格破綻者のようなインテリが西欧の理解者だったのだろうか。
2009.07.31
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日中の猛暑とは違い夕方の気温は意外と暑気が抜けていた。空を見たら青空。白い雲も爽やかに見えた。別に疲れてもいないし、痛いところもない。こういうときの気分は何ともいえず心が穏やかになる。いいなあ、という思いがする。あと10年間。うまくいけば20年間。自分の時間はそんなものだろう。何も考えずに来れるというのもいいが、時間を計りながらそのスペースを愉しむのも悪くはない。 ・先のことは分からないけれど、取り立てた悩みもなく暮らせるのはいい。馬鹿みたいに歩いているが、これも自分のためである。自分がやりたいからやっていることで、強制でも何でもないからいい。勝手にやって自分のためにもなるのだからこれ以上いうことはない。丁度5年前のメディカル・チェックの資料が出てきた。意外と悪くはないものであった。 ・へ2・・・忘れていた。自分の体を侮り過ぎたのだろうか。ここまで生きて来れたのは、親が渡してくれた私という人間の体の中の遺伝子のお蔭でもある。大事に使わなければ申し訳ない。少し粗雑に使って来たようだ。せめて、これからは仲良くやりたい。青空が高く見えた。
2009.07.31
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もう明日は8月だ。あっという間に7月も終わる。夏休みも7月がのんびりできるが、8月なると、どうも駆け足で月日が過ぎて行く気がした。どうもニートの遺伝子は、私の中にもある気がする。親に頼ろうとする気持ちがあった。家制度の観念が、固定観念として社会に残っていたからだろう。生活圧が常にストレッサーになっている。「それから」の代助像は封建時代の次男三男の運命であり、人間関係は旧態然のイメージでしかない。それが明治の新しい波が東京という設定の中で描かれているガラスの神経の惨めなインテリ男の物語だろう。 ・何故、狭い画面の上でしか展開しないのだろうか。大地の上でないのだろうか。砂の上にどんな立派な楼閣を造ろうとひとなみで消されてしまうのに。そんな生き方しかできなかったのだろうか。それは今も同じだろうか。そうかも知れない。最後の一日になって、過去を振り返るしかないのだろうか。赤トンボを見た。秋の兆しがあるものがいくつもある。キンモクセイも花弁の準備を始めている。 ・へ2・・・8月になると大濠の花火大会があり、夏祭りがある。途端に日々秋の気配がしてくる。暑さの中に秋が入り込んでくる。ゴーヤがやっとピークになった。もうツルの下の方の葉が黄色くなりかけたものがある。緑のカーテンも寂しくなる日が来るだろう。殺虫剤を使わないので、虫たちが結構いる。どうやら、その虫の一匹に今朝は目を覚まさせられた。人生には、コストないものはない。
2009.07.30
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「それから」は、代助の恋愛というよりも、家族の人間関係が描きたかったのだろうか。やはり最後まで読まないと作者の意図は読み取れない。それにしても代助は虚構の人物でしかないし、ガラスのように無機質のようでもある。純粋といえるのだろうか。それとも何かのシンボルなのだろうか。新しい人なのだろうか。容を変えた光源氏なのだろうか。何か学ぶものがあるのだろうか。寧ろそれを見つけるのが大変そうだ。この本の「それから」の<あらすじのあらすじ>というのがあり、その中に平岡の妻<八千代>と書いてあったので、可笑しいなと思ったら、<三千代>のことらしい。こういうミスも珍しい。 ・それにしても、だらしない男の物語だ。親兄弟からも縁を切られる。再生とあるが再生などできはしない。三千代との恋愛も、恋愛と言えるのだろうか。遊戯のような感じだ。どこか宮廷物語のような気がしてならない。それこそ、日本形成のころからこうした高等遊民がいたのではないだろうか。そして代助のように次男三男が冷飯を喰わされた。政略結婚をさせられ道具にもされた。用がなくなれば放り出されたのだ。そういう悲劇なのだろうか。それでは代助は主人公ではない。端役に過ぎない。 ・へ2・・・自分では何もせず、他人の汗で生きて行こうとする。他人の妻を話し合いで解決できると思っているし、土台働く気持ちもない人間が生きていけるのか。妻を養えるのか。無理な設定でしかない。でも、そういう生き方をしている人がいたのではないだろうか。親や兄弟がいなければ何もできなかった男たちがいた。そしてオットセイのように、ハーレムを作っていた権力者の人たちがいたのだ。まあ、一度読んだだけでは分からない。
2009.07.30
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すべての生物の細胞には多くのミトコンドリアが存在している。このミトコンドリアの役割は、吸収した酸素をエネルギーに換えること。しかしそのプロセスで、DNAやその他の細胞内の要素を破壊する酸化物を生み出す。生きるためのエネルギーと同時に、死をもたらす要因をも生み出すという生命にとって矛盾した働きをする。 ミトコンドリアに因って破壊された細胞を修復する機能をつかさどる遺伝子も現に存在することから、そのような遺伝子を人工的に増やすことができれば、ヒトの寿命は30%近く延ばすことが可能だと考えられている。この細胞因子は、レスぺラトロールという。赤ワイン用のブドウや落花生の種皮に多く含まれていることが確認されている。 私たちは、この社会で多くの矛盾に悩ませられるが、それは元来人間が生きる上で内在的に抱えているものなのかも知れない。それこそ「過ぎたるは及ばざる如し」なのだろう。また「あり余る才能が身を滅ぼす」こともなる。適宜の範囲とは、人間にとって、生きる知恵を示している。 遣り過ぎでも心身を病む原因になる。むしろ「矛盾」とは何かだ。
2009.07.30
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あっちこっちと忙しくはないが忙しい。ウオーキングをしたり、ブログをしたり、「それから」の結末を読んでもいる。今日は、23,431歩。あと一日を残してトータルで7月度62万歩をクリアーした。自己満足でしかないが。夜風が涼しくて気持ちが良かった。21時近くだったが、ウオーキングをしている人が多かったのは夕涼みもあるのだろうか。鳥渡遅いが子供連れの人もいた。雨が降らないだけでも安心して歩けるし、街灯もあるので、用心して歩けば何ということはないコースである。 ・生活に刺激を与えないとマンネリになるし、考えなくなってしまう。これでいいと安心してしまう。この4年近く女子大のお世話になっている。と言っても勝手に講座を受けているだけだが、多少刺激はある。少し甘く見ているのかも知れないが、その価値は充分感じている。聴講していることの半分も理解しているかどうか分からないが、何かのきっかけになるかも知れないという予感はある。それが文学かどうかは分からないが。 ・へ2・・・スペシャリストではなく、ゼネラリストが将来はヘゲモニーを握るのではないだろうか。つまり広範に知識を求めなければならない。柔らかな感受性が必要だ。庶民感覚でなければならない。漱石は人間の内からみようとしたのだろう。それだけでもダメではないだろうか。然し外からだけでも駄目だろう。それこそ判ったようなふりをしているから、いつまでも分からないかも知れない。どうにか、あと数ページで読了する。
2009.07.30
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いくつかの選択肢の中から選んでいる暮らしがある。その自覚があるかでもある。安易な生き方をすれば人間はどれだけでも堕落もする。贅沢な生活に慣れたものは、そこから容易に抜け出せない。口で言うほど人生は甘くはないというのは本当のことだろう。本音と建前が違う世界に生きている。どんな理由があるにしろ、何かを選択している。それが価値があるかどうかはある程度、認識できるだろう。何でも分からないままでもない。解るものもある。公開講座は、まだそれほど評価されないだろうが、市民が学ぶきっかけには充分なるに違いない。 ・このままでは日本の社会は衰退してしまう。それは文化だけではない。人間の品格もある。安易な経済優先主義が人間を貶めてもいる。何かを学ぼうとする態度があり、自分が何を選択するかで生活も変わる。自分が変わらなければ他人も変わらないし、社会も変わらない。結局誰と付き合うかでもある。そして何を相手にするかだろう。 ・へ2・・・自分の価値観を他人に押し付ける気持ちはない。自分が善いと思うことをするだけだ。これから一日のまとめでウオーキングをしてくる。楽に歩いてくるつもりだ。それで、7月度の目標を達成できそうだ。
2009.07.30
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「それから」を読みながら、考えさせられる。文学とは、小説とは、どれくらいに人間の中に、暮らしの中に必要なのだろうか。色々な物語を読んできたが、自分の精神とどれだけ係わってきたのだろうか。様々な人間がいることは分かっている。現在では地上に67億人もいるし、日本にも1.3憶人いる。代助がどんな人間なのか、それは謂わばどんな人間であろうと知ったことではないが、自己主張はするとしても、親に寄生しているに過ぎない男でしかない。然し、それでも日本という社会が生み出した或る種のシンボルでもあるのだろう。 ・小説が描かれた背景にあるものがある。根拠のない話はない。いても可笑しくない人物だろう。それは「源氏物語」のように、貴族社会だろうか。そういう通俗の世界を描いているに過ぎないのが小説の根幹にあるということか。持ってまわっているだけで、時間だけが過ぎてしまう。何も生産されない。連鎖がない。そこでその人格は終わってしまう。何のために教育があったのだろうか。インテリとはそういう取るに足らない者たちなのだろうか。 ・へ2・・・どうもわからない。漱石の歪な現実肯定が根底にあるのだろう。然し、そこから学ばねばならない私たちの立場がある。何でも腹の中に入れなければ先に進めないとしたらそうするしかないのだろう。すべてを遣り切ってこそ、初めて見えるものがあるかも知れないからだ。誰も遣ろうとしないではならない。どんな川でも海でも、渡るべきなのだろう。それくらいの我慢がなければ、この社会を理解などできないからだ。
2009.07.30
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こんにちは! と大きな声が聞こえて、子猫はいますか?と女の子が三人で、叫んで庭から入ってきた。子猫を渡すとわいわい騒いでいる。小2の子猫を持って来て、おしっこしたいと帰った子たちである。いつでもおいでと言ったので、遊びに来たようだ。そういえば夏休みで、子どもたちの自由時間も長いだろう。一頻り、騒いで帰っていった。うちの奥さんは取り戻しに来るかもしれない余計な心配をしていた。何でも翌日にも、この天真爛漫の少女が訪ねて来たらしい。女の子の子猫に対するそれは尋常なものではない。 ・本当は自分の家で飼いたいのだろうが、親やその他の理由で飼えないのだから余計その気持ちが募るに違いない。それでもそれも一時のことでしかない。また違う新たな愛の対象が現れるに違いないからだ。その瞬間納得したいだけなのだ。自分なりに、気持ちの整理をしたいだけだろう。諦めねばならないものもある。それはこれからも一杯ある筈だ。子猫を抱いたら安心する。それで充分なのだ。それを邪魔しているのは、大人の不見識でしかない。 ・へ2・・・子猫も何れは大人になるのであり、いつまでも可愛いだけではない。病気もするし、悪戯もする。10年に来ているだろうか。我が家とのかかわりもスタートしたばかりである。どういう展開になるのだろうか。「それから」の代助も虫が好かない男だ。それでも漱石に敬意を表して最後まで読むつもりだ。といって、私が腹を立てても仕方がない。ネコは日に日に、我がもの顔で部屋の中を探検している。
2009.07.30
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神谷美恵子著「生きがいについて」(みすず書房)作者は、精神科医。温かさと知性と努力の人と紹介されている。「生きがい」とは、「世に生きているだけのねうち、生きるしあわせ、利益、効験。」と辞書にある。欧州では、生きがいにあたる言葉はない。「生きるに価する」「生きている価値または意味」がある。如何にも日本語の「曖昧さ」を示している。生きる喜びが最も体験されるのは、出産直後の歓喜は、女性の生きがい発見の瞬間だという。更に赤子の示す生の喜悦は動物のもつ本能の迸りでもある。官能の陶酔はどうだろうか。生命力の発現としても刹那でしかない。それは生きがいではないだろう。本当に生きているという感情は、生の流れはあまり滑らかであるよりか、寧ろ生きることに夢中で努力している時であり、生きるのが苦しく辛い時にこそより強く感じるものがあるのではないか。ある中年の婦人がやむにやまれぬ向学心で大学の籍を得た時に、「これでやっと望み通り好きな仏文学を一筋に学べるようになり、何か体の内からうれしさが湧き上がってくるようです。」といったと言う。苦しみの中に生きがいを覚えるという心の姿は、尊いだろう。それは宗教家だけのものではないはずだ。それは、その目標が達成されるかどうかは、真の問題ではないだろう。マルローの「ほんとうの人間」(authentic person)とは、人類の一員である面が多い人だという。強者という「不当利得」を得ているものは、弱者に対して、その利得を返還せねばならない義務があるだろう。
2009.07.30
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何時も同じコースを歩いているので、今朝は鳥渡気分を変えてみようと思い、女子大まで往復してみた丁度1万歩くらいだった。6時ころから帰宅したのは7時30分ころだった。夏休みで学生も少ないし、歩いている人も意外と少なかったし、陽射しも曇っていたので暑くなかった。好い風も吹いていた。キロ数だと7キロくらいだろう。途中で、香椎宮まで歩こうかと思ったが、少し服装が・・・。 ・汗をかくので着替えが大変である。直ぐ汗臭くなる。肌着でも夜は構わないが、日中だとそうもいかない。これでも風采は気にしないが、それなりの常識は考える。ウオーキングをする時に持って行くものをいつも迷っている。行く先で、持物を換えている。いくらかカネも持っている。無くて困ったことが何度かあり、懲りたこともある。雨の日もあるし、気分が乗らない時はギガビートをもってヘッドホンを使ったりもする。 ・へ2・・・近所の人に、ゴーヤとニガウリをもってお宅を訪問したら、お留守だった。昼間は先輩しかいないし、よくダックスフンドのクイールと散歩をされる。買物にも行かれるので、留守の時があるようだ。漸く、ゴーヤが生産を本格化させてきたようだ。毎日のように食べているがすぐに残るようになっている。今朝も4,5本採ったので。今日はあと少しの「それから」も読んでしまおうと思っている。 >起きてるよ。
2009.07.30
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やっと子猫が顔を出した。もの蔭に隠れていることは知っている。眠たくて動かないのか、警戒しているのか知らないが、しばらく部屋に入ると隠れている。今朝は少しそれが長かったようだ。今頃出てきた。約2時間くらい隠れていたようだ。ごそごそ出てきた。どうやら自分で小便するようだ。娘が用をたすと色の付く砂を買って来たのではっきりわかる。少しひんやりする。晴れてくる証拠だろう。気温は23℃。窓を開け放して、やっと朝の気分がする。雀の囀りも聴こえている。 ・ニートに高等も屁ったくれもないが、漱石の「それから」の解説にそう書いてあった。遊民という概念があるのだろうか。らしいのは分からないでもないが、そういわれると耳が痛いところもある。厭な目に遭いながら稼いでいる人たちがいることを忘れてはなるまい。だいぶ呆けてきたと思わないでもない。自覚がないわけではない。そう世の中は甘くはないと思っている。そのうちヒイヒイ言わされることもあるかも知れない。そういう時もあるだろう。ひとは同じ憂き目に遇うだろう。あるからないからでどれだけ違うものでもない。 ・へ2・・・何時もの朝だと安心するが、それも一時の安らぎでしかないだろう。太陽は勝手に先に行ってもしまう。追いかけて行くしかない。立ち止まればそれで終わりだと思う。身体を動かさなければ、動かなくなる。心臓は止まればそれまでだ。朝食も済ませたので、これから5キロくらい歩いてきます。外は涼しくて気持ちが好さそうです。
2009.07.30
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日本の戦後の経済成長は、低賃金と豊富な労働力で実現した。それは、高い教育水準が後押しした。勿論それだけではないが、廉いコストの中でも、貧しい生活を守った女性の役割は重要だろう。女性の労働市場へのM型参加、つまり婚前の高率参加と子育て期間の低率、30歳代後半からの再高率参加というシェーマが形成されている。エコノミック・アニマルを家庭でサポートしたのは妻たちであろう。女性が、日本の家族を維持し、三世代同居を実現させていた要でもある。妻たちの、その社会環境下にある「居場所」は、自分たちが自分で選んだものであろうか。個人にとって、その拠って立つ存在は複雑化している。政治的には、非抑圧者で、経済的には非搾取者であるものが、家庭では違うかも知れない。文化的には保守主義であり、或いは日和見主義かも知れない。宗教的には、どこかのかくれ信者だったりする。この社会を批判しながら、その構成員であることを捨てられないのは、女性がエロスを捨てられないのとは同じではない。女性を真に個人として扱うこと、社会における自らの役割を選択する「内心の自由」を認め、それを良しとすることは、男性への経済的依存や、決められて性の役割への同化という、女性たちの陥りやすい錯誤を糺すことになろう。この複雑化した社会を、分析と統合というような単純な側面からみても解析できはしない。人間は、もともと善人でも悪人であるのでもない。その場面で善人になれるかが問われでいるのであり、それは、ぬえのような存在なのだろう。
2009.07.29
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自分の人生に成功も失敗もない。社会的にはあるだけだ。それを混同してしまう。社会的な成功が必ずしも自分の人生の成功ではない。エゴイストのサクセスも同様だ。社会のサクセスでもない。社会と個人との関係は二本のレールのようなもので交わることはない。線路が敷かれているだけだ。そしてひとはその二つの線路の上を走らねばならない。他人の造った電車で行くか、自分の乗り物を創るか、でしかない。電車には切符がいる。いつか切符はなくなり社会から放り出されるだろう。成功とか失敗だったとか、黒白をつけたがる悪癖を止めないと惨めな人生にもなる。大地に繋がって生きて行かない人間は大地に還れなくなるかも知れないだろう。 ・何をしても面白くなくなってくるものだ。自分の人生に期待過ぎている。慾の深い暮らしをしてきた所為だろう。どうも「悟り」もないし、「喜捨」もできないでいる。神の僕にもなれない。中途半端だ。自分を何ものかしようという企みは、土台無理な願望でしかない。少し寓話も聴き過ぎてもいる。占いを信じてしまうような話ばかりを耳にしてきた。そんな本ばかり世にあふれているが、自分のための本などありはしない。 ・へ2・・・自分が評価するしかない自分の人生に成功も失敗もない。在るのは過去ばかりであり、いつか今日がなくなるだけだ。あるもしない未来に夢を馳せてきたが、それは夢でしかないだろう。ひとには「夢」は必要かも知れない。それだけだ。何かに自分を貼りつけないと気が済まないでいる。自分は貼られた名前や写真に有るのではない。いつもこちらがわにいる。社会にあるのではない。ありもしないフェロモンを嗅ぎまわっているような生き方をしてはいないか。頭の中が異性でいっぱいなのは利己的遺伝子の陰謀でしかないのに、それさえ気付かないでいる人たちがいるのだろう。さて、成功も失敗もしないが、自分のための一日をすこしまじめに過ごせるだろうか。
2009.07.29
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それは基礎的なところでデータの偏りがある。のではないかではない。確実にある。すなわち国民のコンセンサスを邪魔しているのはその情報でもある。詰まる所どれだけ努力しても限界がある。地方が中央に敵わないのはその情報の質と量が原因でもある。それと人材もある。権力の側にまわろうとする人間が多すぎるのは、そういうシステムができているからでもある。仕組まれた社会でしかない。無気力感が国民のやる気を喪失させてもいる。 ・これからデータの管理が問題であり、送り手と受け手も権利としての自由の確保でもあるだろう。すくなくともこれから公正な社会を造るためのデータの収集と公開が必要だろう。まだ偏頗でしかなく、歪なデータしか公開されていない。それは集計表でしかないでは役に立たない。この複雑な社会を正しく把握するためにその基礎となるデータは常に最新でなければならない。 ・へ2・・・「喜捨」という概念は、日本人には理解し難いが、やはり理解するように努力する必要があるのではないだろうか。なぜならそれがイスラム教を理解することにつながるからだ。敵対するだけでは共存はできない。理解しようとしない態度ではいつまで紛争を止めることができない。彼らだけが努力すべきことではないからだ。私たちも分らないことに取り組まねばならないのではないか。キリスト教もよくわからないが、知ろうとする努力はしなければならない。どうやらすることは一杯ある。手に余るが仕方がない。誰にも手に余る問題を抱えているのが現代のすがたでもある。 ・何だか、本当に私たちは間違いのない選択をしているだろうか。しかもその情報が正しいのだろうか。基礎的なデータが歪んでいれば判断も間違うだろう。そのことを常に見直すべきだろう。固定観念や環境は悪ければ変えねばならない。
2009.07.29
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1945年・ 1月 5日 トルコ、対日断交・ 1月17日 ソ連軍、ワルシャワ解放・ 1月27日 ソ連軍、アウシュビッツ収容所に到着。生存者約7000人を救出・ 2月 4日 ヤルタ会議。(~2.11)スターリン対日参戦を約束・ 4月12日 ローズベルト死亡(63)。トルーマン昇格。・ 4月23日 ソ連軍 ベルリンに突入・ 4月28日 ムッソリーニ銃殺(61)・ 4月30日 ヒトラー、ベルリンの地下壕で自殺(56)・ 5月 2日 ソ連軍、ベルリン占領・ 5月 7日 独軍、連合軍に無条件降伏・ 5月 8日 トルーマン日本に無条件降伏を勧告・ 6月 1日 米スティムソン委員会、日本への原爆投下をトルーマンに勧告・ 7月16日 米、初の原爆実験に成功・ 7月17日 ポツダム宣言発表・ 8月 6日 広島被曝・ 8月 8日 ソ連、対日宣戦布告・ 8月 9日 長崎被曝・ 8月15日 日本無条件降伏。(1939~)第二次世界大戦の終結。・ 8月16日 スターリン、ソ連軍の北海道北部の占領を正式発表・ 9月 6日 朝鮮人民共和国樹立の宣言・ 9月 8日 米軍、朝鮮に進駐開始・10月24日 国連正式発足・11月20日 ニュルンベルク国際軍事裁判開廷(~46.10.1)・12月 9日 イタリア、デ=ガスペリ連立内閣成立・12月16日 米英ソ三国モスクワ外相会議(~12.26)・12月27日 重慶、国共正式会談開始 ・日本人を翻弄した戦争は13年間余。1945年日本は世界の孤児になった。この長い一年は、日本人に忘れることのできないトラウマ。それを乗り越えるためにどれだけの辛酸を舐めた。しかし現在の政治をみていると、そのことを遠いこととしている。勿論過去にこん溺すべきではない。教訓とすべきだ。反省のないところに進歩はない。歴史認識を明確にして措くべきだ。戦時中国内は誰に支配されていたか。そして対外的には誰と戦い、どうして殺されたのか。殺されねばならなかったか。誰が原爆投下したのか。それこそ一から十まで検証して、二度と過ちを繰り返してはならない。守屋前次官のような腐敗官僚やそれを許していた政治がある。腐敗は日本社会に巣くって新生物のようだ。その温床は問題の先送りであり、甘えであり、曖昧さであり、歴史認識のなさでもある。
2009.07.29
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本日 7月29日までの歩数実績など。 年月日 起床 歩数2009/7/1水3;1020,6722009/7/2木5;0022,9062009/7/3金3:3020,5942009/7/4土2;5020,6502009/7/5日3;5021,0892009/7/6月2:3022,0182009/7/7火2;3023,8052009/7/8水2;4020,7882009/7/9木2;2022,8942009/7/10金4;3021,9142009/7/11土2;5010,6492009/7/12日4;1027,7712009/7/13月2;5021,2422009/7/14火3;4021,1132009/7/15水3;1020,9282009/7/16木2;5020,2882009/7/17金3;1521,0322009/7/18土3;4020,9302009/7/19日3;3021,8612009/7/20月3;3021,8772009/7/21火2;3023,1372009/7/22水2;3021,5652009/7/23木1;5020,9662009/7/24金2;505,0252009/7/25土3;3020,5922009/7/26日3;0021,4472009/7/27月3;1021,8302009/7/28火3;5021,2052009/7/29水2:0020,442 601,230年月全歩数日数2008年4月258,124152008年5月461,505312008年6月454,828302008年7月492,053312008年8月479,175312008年9月607,612302008年10月635,399312008年11月562,374302008年12月629,723312009年1月628,603312009年2月587,391282009年3月700,366312009年4月686,126302009年5月704,517312009年6月610,392302009年7月601,23029合計9,099,418470
2009.07.29
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朝から歩けなかったので、宅から清張の「点と線」で有名な香椎まで行ってきた。やっとそれで15,000歩。あと夕食後5,000歩を。どんよりとした空模様だったが、雨は降らなかった。子猫は大人しくまっていたが、少しは寂しかったようで足元でじゃれている。爪が針先のようで痛い。これがとても快感になるとは思えないが。丸い顔で目が大きいのはどうもアイコンタクトが取り易く甘えた鳴き方が、本能的に親近感を持つようにできている。 ・妻子が子猫で燃えている。何か愛情の対象に飢えているのではないだろうか。フラストレーションがあるに違いない。それをどう処理することができるかだし、その対象物を見つけて行かなければならない。すぐに冷めてしまうようなものもある。猫も何時までも子猫ではない。只通過儀礼が必要なものもある。人の気持ちは移ろい易くもある。動物を愛するという気持ちは人生を豊かにすると思う。それよりも、人間を愛することはもっと大切ではあるが。 ・へ2・・・男と女の交流はすぐに小説になるくらい複雑であり、また人々の興味を惹かないものはない。私の身近なことでも体験してきたが、小説家のそれは装飾された人間像たちでもある。そして男と女の抜き難いジェラシーがある。それがなければ小説にもならない。ネコのはフエロモンがあるが、人間にはないので、それだけ脚色がいるのだろうか。
2009.07.29
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何しろ20数本も苗を植えている。それが一斉に実を付け始めた。既に20数個は食べてもいる。どうやら、密集して植え過ぎたので、生存競争が厳しくなり、ゴーヤ(にがうりも4本混じっている)たちは、大変である。摘心もしたので、子や孫の枝まで出てきている。まるでスラム街のようになっている。どれくらい実をつけているだろうか?時々数えてみるが、途中で解らなくなる。どうやら30個くらいはぶら下がっているようだ。見るたびに増えてしまうところがある。どうやら、葉と実の色が同じなので、見分け難いこともある。 ・胡瓜は既に4本苗を植えたが、2本は枯れてしまった。どうやら水の遣り過ぎで根腐れになったようだ。水捌けが悪いのを忘れていた。その点ゴーヤやニガウリは強いようだ。枯れた苗は1本もない。ただ栄養とスペースの問題があるようだ。ゴーヤは好く見ると分かるのだが、ぼんやりみていると、というよりも目が悪くなった所為からだろうが、目の前にあるのに見逃していたりする。それがでかくなって気付いている。何しろ最初は小さい実である。葉に隠れていると見えない。一旦見逃すとあるということが分からないのでないとばかり思ってしまう先入観がある。 ・へ2・・・「それから」は、明治に始まった所謂「高等ニート」の物語である。当時のインテリはそれを肯定していたのだろうか。差別意識をそれとは気付かないでいる。それは自分にもあったのだろう。学生のころまでの意識は漱石等の作品をただそれとは知らず、受け入れていたのだろう。何しろ私も高校までは実篤フアンだったという苦い経験がある。 >先ほどのデイラーで。
2009.07.29
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何でも思ってようにスイスイといければストレスもないが、何か重い負担があったりすると、途端に上手くいかないと感じてしまう。ウオーキングも何もなければ、何とか無理をしなくてもできるようにはなったが、それでも朝雨が降り、午前中に用事があり、また午後から用事があったりすると、途端に歩数が行かなくなる。現在歩数は1825歩だ。これを何とか夜までに、クリアーできるだろうか。 ・上の写真は、今日の収穫。そろそろゴーヤも飽きてきたが、それでもまだこれから・・・。まじめに食べているのは私くらい。誰かに、と思うが。胡瓜は、どうにか朝からパンと一緒に食べている。ネコの本を鳥渡覗いたが可なり面白そうでもある。イヌ派とネコ派があるというが本当だろうか?これまで、わたしは余りネコ族との付き合いは、ここ最近でしかないので、知らず嫌いだったのだろう。 ・へ2・・・どうやらネコと人間の係わり5000年以上も前からあったらしい。3000年前のエジプト文明ではネコは普通に飼われていたようだ。猫の習性も面白いと思う。私が帰宅して、子猫がいないので、捜してみたがいないのでどうしたのだろうと思っていたら、どうやら、安全だと思ったのか、ソフアーの陰から出てきた。様子を窺っていたらしい。用心深い。もう私の足に子猫の爪の痕ができている。 >ジャンボ胡瓜は、30cm。280g
2009.07.29
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デイラーから帰宅して、庭を見て回っていたら、突然大きな胡瓜が出てきたので吃驚した。毎日のように見ているつもりでいたが、どうやら生垣の葉の中に隠れていたようだ。サイズは全長30cmで、280g。食べて美味しいかどうかは食べてみないと分からないが、家のは、普通サイズは、25cmで150gくらい。それにしても、これまで見つけられなかったのは不思議な気がするが、やはり観ているようで視ていないのだろう。鳥渡した角度で視えないものがあるに違いない。 ・営業担当の女性と暫く立ち話をしたが、彼女は福岡教育大卒らしい。女子大での「漱石講座」の話をしたが、感心していた。長期の講座は彼女の大学ではないだろうと言っていた。どこの大学でも遣っているのではないかと思うが、問題はそういうことをやる教授がいるかどうかでもある。何もしない教授がいる。自分のことしか考えていない。教師の使命さえ忘れているのだろう。或いはひとに伝えるべきものさえ持っていないのかも知れない。 ・へ2・・・下の娘が紀伊国屋から「子ネコの育て方百科」という本を昨夜購入して、妻に読めと言って持って来たらしい。それを今度は、善いことが書いてあるから・・・と次は私の番だ。「母のいない子ネコを育てるには…」という章があったので、妻と大笑いした。みえないところで育つものがあるのだろう。
2009.07.29
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意外とインプットとアウトプットのバランスが悪いのではなかろうか。消化不良になるか、閉塞かは知らないがどうも、気分が悪い。それはどうも個人的な感想だけではない。この社会にもそういう傾向があるのではないだろうか。急ぐために車に乗っているのだろうが、いつまでも渋滞が続いていたりして、目的地に時間がかかり過ぎたりもする。ゆっくり運転しているとクラクションを鳴らされる。以前の大分の教員試験のようなことでは、子供たちに社会正義を教えることさえ恥ずかしい。 ・不正な試験を教師がやるような社会はまともとはいえない。愛国心が云々を言うよりも教師を教育しなければならない。他人の子供の教育をする前に、自分は何者かを考えなければならなくなる。酷い世の中だ。教師を指導する人間が倫理観のない人間だった。 ・へ2・・・まじめに勉強して、まじめに教師になろうとしているひとたちにどんな影響があるだろうか。馬鹿らしいと思うに違いない。或いは教師になる意欲を失うだろう。努力して校長になり、県の教育委員会のトップになったとしても、行きつく先が汚職まみれであったとすれば希望を失う。この汚職の影響は計り知れないだろう。 ・インプットが多過ぎる。”堰とめ湖”ばかりが増えている。情報過多だ。整理ができない。このままでは、安全弁が壊れてしまう。日本のセフティネットが崩れ始めている。国民は裸で凍てつく荒野に放り出されようとしているのを気付いているのだろうか? ・へ2・・・目も見えず、鼻も詰まり、耳も聞こえない。口を開けて天から降ってくるものを食えとでもいうのだろうか。
2009.07.29
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いまデイラーに来ている。6カ月点検である。定期契約をしているので、半年一回の点検を続けているので、殆んど車は故障をすることがないし、土台殆んど車には病院に行く時と女子大に行くときくらい。8月は、熊本までお盆の墓参りに行くくらいで、最近は車での長距離は、正月の大分くらい。それと妻と何年か前に新車の時行った出雲大社位だろう。いつもデイラーでは、ブログをしながら点検の終了を待っている。 ・ここは国道3号線沿いにあり、窓から車の流れが見えて、その先に立花山周辺の緑が見えてロケーションが好きである。流石に国道で車の切れ目がないし、6車線もあるのでゆったりと走ってもいる。そういえばタイでも高速道で見たのは日本車ばかりだった。殆んど今見ている光景と変わらなかった。ザ・漱石の本を持参したので、読みながらブログをしようと思うが、クーラーが効き過ぎで、ちょっと寒い。 ・へ2・・・大体小時間で終わるので、そうゆっくりできるわけではないが、コーヒーだけは出てくる。それか何かケーキが付いている。営業担当が今度は若い女性になった。娘と同じぐらいの年齢で、自分の娘より気が利いている気がしてならない。娘も転職して、元気そうなので少し安心した。日常は自分が思っている以上にドラマテックなのかも知れないと思ったりする。
2009.07.29
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九州では、この梅雨は長期になってきた。まだ雨が降り続いている。今朝もかなり強い雨になっている、被害が拡大するのではないだろうか。大地はもう水分を充分吸い込んでいる。これからの雨は災害につながりかねない。土砂崩れが起きて死者まででいている。山の木材が伐採されて、或いは道路ができて、更には無理な宅地造成がされて、雨の被害はすぐに起きる。これまで考えられなかった環境の悪化が災害を拡大してもいる。 ・今日は朝からウォーキングができない。それと午前は車の半年点検がある。整備工場は近いので時間はさほどかからないが、どうも一日降りそうな感じだ。今週一杯雨が予想されてもいるようだ。梅雨と言っても侮れない。いつでも牙を剥いて襲ってくる。どうも庭の水捌けも良くないようだ。水溜りができているところがある。 ・へ2・・・住環境は、個人にとっても重要な選択の一つだろう。どこに家を持つかで、人生にも影響があるかも知れない。順調に暮らしてきた人が、梅雨の雨で、家が壊されるようでは立つ瀬がない。今度の各地の被害でも、被災者の悲痛な声を聴いた。毎年のように人とモノの被害が繰り返されている。防災政策も先ず足元からではないだろうか。
2009.07.29
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人びとはとうとう私という存在と離れてしまった。日々遠のいて行くような気がしてならない。ただ日常は、遠くにいて応対しているような気分がする。だれに逢ってもそういう気持ちになる。現代の社会は孤独な人間の集合体でしかない。大地は自然とゆったりとして繋がっているが、人間は家を建てて、その自然から切り離されている。それを望んだのは人間たちだ。家の中にいる人間はみな自然と離れ、ひとびともまた切れ切れでしかない。文明は人間を自然から切り離し、そして孤独にしたのだ。 ・人の心は変わってしまった。もう取り返しの利かない遠くへきてしまったのだろう。隔絶された建造物の中で、「ヘイフリックの限界」を待っている。ゲーム・オーバーまで其れほど時間はない筈だ。文明は機械化し、人間を孤立化にした。そして、墓穴へと導いている。無邪気に生きてはいられなくなったのは、いつからだろう。大人になりたくない大人こどもでいたい人ばかり増えてしまった。 ・へ2・・・どうも道を間違えたのではないだろうか。拡がる大地は自然とゆったりと繋がっているが、人間は自然から離れて、切れ切れでしかない。大地と離れた家の中にいる人間たちは、何を目指しているのだろうか。現代の私たちはみな孤独な集合体でしかない。
2009.07.28
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・日々新たなリで、然も日常は決して平坦ではない。あらゆるものが私たちの行こうとする先々に立塞がり、妨害するだろう。しかしそれは、おそらくは只、生きとし生けるものの生存ということの営みの中でもある。 ・へ2・・・「The 9.11」リースコットの作品は、そういう意味ではアメリカ人の世界観をよく表現しているレポートであろう。彼らが考えているものが決して緩やかな流れの中にいるとは思っていないということでもある。9.11が何を意味し、それはアメリカ人の安全に対する脅威であり、それを排除するために何ができるかではない。リスクを排除するためにすべてのことをするためだ。そして先ず、誰が9.11でミスをしたかでもある。CIA・FBIは何をしていたか、が検証される。彼らにとって自分たちに逆らうものは敵であり、忌むべき悪でしかない。テロとの戦いはキャンペーンになる。そして日本政府もマスコミも同じ言葉を繰り返してもいる。 ・人間が如何にグロテスクな存在であるかを描いてもいる。没交渉のモンスターたちが世界で蠢いてもいる。それは終わりのない悪夢のようだ。 ・へ2・・・そうだ。それは虚偽であり作られた事実でもある。事実は演出されたものばかりだ。そうして「敵」がつくられる。利己的な遺伝子がそれをさせている。人間は遺伝子に操られた道具でしかない。道具が道具として蠢いている間いつでも、モンスターになり得るのだろう。それでも私たちは、美しい自然の中でまだ新鮮な朝を迎えてもいる。それは明日につながってもいる。 ステップ・バイ・ステップ!!
2009.07.28
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明治を引き摺って生きてきた日本人はみな西欧コンプレックスから抜け出せなかった。それは文学界に顕著でもある。説話しか知らなかった浅薄な文学が、大波に呑み込まれもしただろう。漱石の神経衰弱もそうした西欧コンプレックスの反動ではないだろうかとさえ思えてくる。彼も文学は、所詮「坊ちゃん」の延長線でしかないのだろうか。世間を知らない「木偶の坊」でしかない。勿論日本人はみな同じではある。病気になった漱石は疲労困憊して早死にした。彼の残した文学とは、広く世界を意識してはいない。然も狭い教養ある人士へのアイロニカルなユーモア小説なのだろう。 ・ひとは誰も何かのコンプレックスを持ちながら生きてもいる。それが時々大きくなる。それに潰されることもある。吝嗇なことを考える。人生を狭くしてしまうように凋んだシャボン玉にもなる。何故読書をするのだろうか。それは時間の無駄ではないか。刻々と時は不可逆である。一瞬の喜びもすぐに消えて行く泡沫でしかない。人の苦しみや悲しみも本音は見えないのかも知れない。漱石の文学も哲学も見ように依っては、みな仇花でしかない。 ・へ2・・・彼が意識していたものは、西欧コンプレックスでしかなかったのだろう。そして日本人は均しくそれ以後長い深刻な同じ病のシンドロームであった。そしていまもその兆候はある。何故留学をしなけらばならないのだろうか。そんなことはない。自立心がない。国家が人間を育てようとはしない。ひとびとは生きる目的を見失っている。日本の畑は荒廃している。まだ西欧コンプレックスの塊でしかないからだろう。
2009.07.28
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<作品> 「偸盗」、「忠義」、「尾形了斎覚え書」、「狢」、「運」・「偸盗」・・「羅生門」の続編。二作に分けた、合作。・「忠義」・・鴎外の「阿部一族」。村上春樹の芥川英訳が始まる。『阿部一族』は、森鴎外の短編小説。1913年1月に『中央公論』誌上に発表した。1912年に発表した鴎外にとって初の歴史小説となった『興津弥五右衛門の遺書』とともに乃木希典陸軍大将の殉死に刺激されて書かれた小説で、殉死を巡る諸問題を問うた。・“There is something in the darkness, says the elder brother in the Gate of Rashomon.”・「煙草と悪魔」・・「イワンの馬鹿」「白痴」「カラマゾフの兄弟」「罪と罰」・芥川とドストエフスキー・・・血縁問題を抱えている。・「偸盗」・・親子の関係が分からない。「どうせみんな畜生だ」子供が誰の子かわからない。・「羅生門」の下人には、草稿では名がつけられていた。「交野の平六」。・太郎と次郎が「沙金」を殺す。男女、親子・・すべて<闇の中>である。・「白痴」も人間関係から解き放たれていることを言っている。・「坊ちゃん」も異常性行。正直ものも度を超すと異常(非常)になる。・異常の正直さ=漱石。ゲーテの「ファウスト」も非常識がある。芥川も読んでいた。・「尾形了斎覚え書」切支丹宗門。・「狢」(むじな)ありえないことを信じる。ロマン。・キリスト教は信じる世界。奇跡。・民間信仰の日本・・迷信・・お化け・・幽霊・・二人。・「運」運・不運について書いている。その中心には意志がある。芥川は意志の力を信じていた。
2009.07.28
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ちかくの篠栗町で大雨のため崖崩れで犠牲者も出ている。福岡は集中豪雨になっている。自然災害というにはお粗末な防災設備でしかないためでもある。数日間の雨で、予想外の大雨だから、すぐ大災害が起きること自体が問題だ。無理な宅地造成や、山野の開発による土石流が発生しやすい環境にしてしまっている。周辺を歩いてみて、私のような素人でも、解かるような危ない造成がいくつもある。 ・恐らく、全国どこも、無謀な都市計画なのだろう。安全を無視し土地開発がされてきた。その報いが罪もない大衆の上に降りかかってくる災難にもなっている。一番安全であるべき自宅が、雨や風で危ない。僻地にいる訳でもないのに。税金もまじめに支払っている人々に安全地帯はない。 ・へ2・・・7月もあと3日間余りとなったが、何とか一日2万歩をクリアーしてきているが、あまり担保はない。ぎりぎりで来ている。だから雨の日も歩く必要がある。それでも今日は、夕方まで何とか曇天だったが、もってくれたので2万歩を歩いた。段々楽になるかと思っていたが、意外とそうでもない。モードもあるし、天候も意外と障害になる。日々闘いでもある。子猫の来訪が好い刺激かも知れない。幸運を運んでくれたかも・・・。 >夕方和白干潟で。
2009.07.28
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黄土の砂を運んでくる。ドイツ語では Gelbe Winde という。偏西風に乗って日本に、毎年遣ってくる「黄砂」だ。誰をも寄せ付けようしない自然の圧倒的な Yellow Wind ひとは、平伏するしかない。 日本は「風の国」だ。四季の移ろいの中でいつも風を感じながら生きてきた誰もみな、時として生きるのが苦しくなる。挫折の中を生きねばならない、汚濁の海で。中古の CDを数枚購入してきた。今、昔懐かしい Carpenters の Yesterday once moreWe've only jist begunTop Of The World Only YesterdayPlease Mister PostmanSingA song for youを聴いている。カレンの天使の声が、こころに沁みる。
2009.07.28
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「それから」を読み続けているが「高等遊民」という言葉に驚いている。そういうことばを使う時代があったのだろう。変な理屈を捏ね回しているような気がしてならない。処で、子猫は、こちらも知識がなくて、どうやら生まれたばかりではなく少なくとも一月位は過ぎた子猫のようだ。歯も少し生えている。噛まれると痛い。哺乳瓶のゴムも噛み切ってしまった。それでもミルクを飲めないでいる。離乳食を始める時期なのだろう。 ・子猫と遊んでいる。手足を齧られて痛い。愛猫家は、猫から噛まれて我慢しているに違いない。それを耐えてこそなのだろう。どうも私などはなれそうにない。それでもそのうちできるだろう孫の練習でミルクを飲ませている。雨が降り出しそうなので早めに和白干潟を歩いてきた。今にも降り出しそうだが、雨は降らなかったが、すこし風が強かった。それでも暑くはなく、気持ちが良かった。 ・へ2・・・子猫は居間とキッチンのある部屋に閉じ込めて出かけるが、何とか未だ小さいので大した悪戯もせず、大人しくしている。大抵眠って待っている。好く眠る子猫だ。排泄がどうも悪いようなので心配している。前の猫も腎臓を悪くして苦しんでいた。猫も人間のようにストレスで病気にもなる。環境の変化で適応できるかでもある。
2009.07.28
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ナショナル・トラストは、民間人が土地や建物を買い取って自然環境を保護する‐運動(組織)のこと。イギリスの自然保護はその情報収集力と行動の早さにあるという。日本でもできないものだろうかと思って、サイトをみたら、 Wikipedia によれば、1964年に古都鎌倉を乱開発から守るために、作家の大佛次郎が立ち上がり、鎌倉市民と共にナショナルトラスト運動を展開したのが始まり。とある。 ・イギリスの湖水地方というのは昔から憧れている。グーグルアースで見てみようと思い借りてきた。以前は、イギリス人と結婚した日本人の女性のサイトを良く見ていたが、写真を紹介していて面白かったが、途中で見るのをやめてしまった。どうも、何がいいたいのか分からなくなったから。この本の中で、「ナショナル・トラスト」の話が出てきた。著名な施設としては、湖水地方(ピーター・ラビットの舞台)があるようだ。鎌倉は、古い建物が残っているのも、その精神があるからだろう。(財団法人日本ナショナルトラストというのがあるらしい) ・へ2・・・やはり、住民の意識が高くなければ、成果が上がらないのだろう。景観という概念も日本には最近出てきたものでしかない。自分の住む環境を良くしようというのは、それだけ責任を負うことでもあるだろう。他人に任せればいいということでは、環境は守れないのだろう。ある程度「容」ができてこないと、前進しないところがある。その良さを実感することが大事ではないだろうか。学生の時、海商法の教授がロンドンに住んでいたときの話をしてくれて、感動したのを覚えている。それが、あるのだろう。これから、イギリスのLake District を楽しむことにしようと思っている。 >片目を手術し、交通事故死した。
2009.07.28
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世界人権宣言は、第二次大戦後この地球を簡単に渡り歩けるようになって、世界まだ、それぞれ違う、文化のもとにあり、基本的なルールが必要だとして国連で制定された宣言である。この合意が国際社会で、どこまで浸透しているだろうか。多くの条項は、どちらかといえば、キリスト教的な考えである。「働く権利、休む権利」といえばそうであろう。イスラム教や、仏教の考えではない。 ・日本語訳では、「すべてのひとは、・・・」「人はみな、・・・」で始まる。前文は「人間社会のすべての構成員が、・・・」から始まる。私たちが読んでいて、頭の中にスーッと入っていくのは、私たちが西欧思想で教育されているからだろう。何の違和感もなしに理解できる気がするのはそのためでもある。ことの善悪のベースになっている。日本人は無宗教の人が多いというが、教育はキリスト教的なものではないだろうか。だから世界の思想の中で、必ずしも公正中立とは言えないのではないだろうか。 ・へ2・・・世界人権宣言も力の均衡の中で制定されてもいる。私たちが当然だとするものが、みな世界で正義と言えるだろうか。宗教戦争は何を意味しているか。無知と貧困は何故、放置されたままだろうか。然も世界人権宣言は1948年に制定されている。国連は権威やその機能を失いつつある。
2009.07.28
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<作品>「こころ」・1914.4~1914.8月1日脱稿。新聞に発表された。・漱石はあまり気が進まない作品。(教授弁)自分で書いておきながら・・・。・テーマが当たり前ではないか。エゴのとらえ方。・「聖書」・・・由来のテーマ。新しいものではない。新鮮さがないのではないかという疑問。・エゴだけをテーマにしたのかどうか。それ以外に何かあるかはずだ。・人間のこころ。「利己心」・「不可思議」のテーマで、スタートライン。・乃木の殉死。時代背景として。・歪な円を描いて散歩をする。長い散歩の間、「その時の私はKのことを考えなかった」。・作中で、利己心だけを言っているのではない。世の不可思議がある。・利己心は性質(たち)が悪い。自分も他人をも気付ける。無意識のこころに触れている。漱石はまだ、フロイトのリビドーの概念を知らない。・妻の名前。「静」は乃木夫人の名前でもある。漱石は乃木の殉死をどう考えていたか。・親鸞のこと。演「模倣と独立」。・「あることをすれば許される」。という考えがある。・「ありのまま」を「ありのまま」にかくこと。・・・で清められる。・「あの乃木さんの死というものは至誠より出たものである。・・・」漱石は乃木の殉死を認めている。・インデペンデント。・先生の遺書・・・「先生と私」「両親と私」「先生と遺書」。新聞と単行本の違い。・漱石がどう考えていたか。江口渙「漱石山房」より。<レジュメ引用>。・キップリング「園丁」・・・聖書。園丁はイエスのこと。ヨハネ伝第20章。・それとなく描かれている存在(園丁など)・・・神の顕れたイメージがある。・死神。「お前はまたここへやってくる」。と告げている。言外に表現される。・死んだ「K」が私を招いている。死んで終わりではない。影法師のような「K」は、潜んでいる。近世の怪談。近代小説だけの側面だけではない。モダンだけではない。ミステリーの表現方法を漱石は知っていた。作品の構成から分かる。・長谷川如是閑と橋川」文三・・・「明治人とは?」という会談をしているなかに 「明治維新は西南の役(明治10年)。漱石は明治人ではないといっている」。・「K」は坊さん。やたら死にたがっていた。西郷と月照。西郷も同じ。先生とK=西郷と月照に重なる。責任の取り方。・「K」は死後も、先生の中では生きている。「祟られている」。古風・・・明治の精神が包含されている。自由と独立と己に満ちた現代・・・明治ではない。・「殉死」の思想は明治ではない。明治はよく分からない。明治の精神は明らかではない。・先生・・・明治の精神ではない。(漱石は)・「こころ」・・・明解ではない。・散歩の場面が重要。散歩で重要な話をする。・「永日小品」 ・金 ・こころがテーマ。・「門」叔父と甥の関係。・漱石には、連想が重要。・「こころ」と「明暗」・青年が後の世を生きていくことが抜けている。・柄谷行人・不可思議な私。予測がつかないことをする。予防ができない。読者がいるのであまり暗くは描けないというブレーキをかけている。実は暗い。漱石の人間に対する考えは暗い。自分でも予測不可能なものとして人間を考えている。・相手の「心」が読めない・・「Kのこと」。それは怖いことでもある。相手が死ぬとは思わなかった。・「K」の死んだ理由。本当はどうかわからない。(何故死んだのか。)・こんなことで死んでしまうのか。他に理由があるかも知れない。単純ではない。自殺心理は分からない。「自殺者が死に至る径路」。・どうしても釈然とはしない思いがある。不可思議なところが人間にはある。・漱石の拘り。・親鸞のキーワードが「不可思議」。・「不可思議な私」・・・生まれ育つ時代と性格。環境。漱石の生い立ち。・漱石は、猜疑心が強い男。蛇のような男。・山崎正和「淋しい人間」。先生は、伯父に対するものは邪推ではないか。本当のことは分からない。疑い深い。・「正直過ぎた自分」・・・との矛盾。正直と猜疑心が強いという両面の矛盾。・性格悲劇。・正確にものが見えないのではないか。正直なのかそうでないのか分からない。作品の中でも混乱している。・夫人・・・「ごろりと変化する」。急に変わるこころ。大岡昇平・・・変化。相手がだれかによって変わる。相手次第。・奥さんが気づかない。肝心なことを話さない。・先生と妻との関係。・ミステリー仕立てがある。隠したいというのと打ち明けたいという気持ち。ポー「天の邪鬼」。矛盾が理解できる。・先生は女性に固定観念を持っている。そのままを信じることはできない。・実は不可思議をテーマにしている。明確に「心」を描いていない。・明治元年に漱石は生まれた。三島も昭和元年生まれた。特別の感情があるかも知れない。・・・明治と昭和という時代意識を背負っている。
2009.07.28
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未だどこにあるか知らないが、何処かにあるだろう。探さなくてもよい。今はどこにもないのだから・・・。リセットして歩き出そう。どれだけ捨てられるだろうか。自分の吐き出す力が、自分のエネルギーになるだろう。・・・過去と言う亡霊の。めっきり体力が衰えて、老人臭を撒き散らして、肩身の狭い思いをしていますが、・・・やっとこれからです。自分らしくあろうとするのは・・・。迷惑でしょうけど、まだまだお邪魔をしますよ。My goal は、明日来るかも知れないけど、遣りたい事はいくつもありますもの。未だ、ブログを続けますかって、遣りますよ。書きたいことはありますから。どうぞ笑ってください。嘲笑されても構わない。そのうち笑われないものを出しますよ。酔っているでしょうってか。そのとおり。駄目親父ですから・・・。いつも、・・・熱中でいたい。
2009.07.28
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家族にとって大事な時に、親父が家庭の中心にいて重しを利かせる時代ではないが、親子の交流を為すべきチャンスを許さない環境があることもある。家庭よりも会社優先の観念を押しつける会社もある。それが当然だと考えているのは、意外と身近にいる。家族は会社からズタズタにされてもしまう。それをした奴が罪の意識がないのが、会社という営利会社の正体でもある。墓穴を掘っているのは会社だが、そのためにサラリーマンも家族から疎外されもする。 ・何から何を守るのか、解らないでいる人が多いようだ。自分という存在を、内からしか見ないで終わる人もいる。時代性の中に埋没させている人もいる。レールの上を走ることしか知らない人もいる。植木鉢の花で終わる人もいる。ひとは様々だが、別に誰が誰より優れているのでもない。 ・へ2・・・猫が可愛いと思う人もいれば、嫌いな人もいる。どちらがどうのでもあるまい。こうして毎日家族と顔を突き合わせているようになったが、どうも、妻子は、その気分が抜けないでいるようだ。親父もまだ、心の旅を続けている。
2009.07.28
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多くの有機体の集合としての生物が存在している地球が、人間活動により、生物種が重大な脅威に晒されている。他の生物が生き残るか、絶滅するかで、ヒトという種も運命が決まる。世界人口は増加続けており、人類はすでに全土地面積の三分の一を耕作し、地球上の全生態系が生産可能な量の40%を消費している。こうした多様性の低い自壊的システムは何れ破綻して、地上の生命を脅かすことになると生物学者は警告している。科学者が言葉を失う時、何がおこるかを予測できない。まだ身近な土壌中の生物の生態系さえ放置されたままになっている。それは人類の商業主義と無知のためでしかない。そのうち取り返しのつかない事になる。生きた生態サービスを維持するためにはどの生物が不可欠かは、科学者にも殆ど解析されていない。私たちは、尼崎脱線事故の大惨事で、JR西日本の安全意識に愕然としたが、どこでも起こり得る。誰とも分からない一人の人物に580名の命を託しているのだ。このままだと亦同じことを繰り返すだろう。即ち、先端科学でさえ明日の無数に発生するその重大なリスクを把握できずにいる。
2009.07.28
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県警本部の鑑識課の従姉のご主人から室内では、「カメラは柔らかく卵を握るように持って、できるだけゆっくりと、確りシャッターを切りなさい」と教わったのを思い出した。時々そのフレーズを思い出しては実行できないでもいる。最近目が悪くなっているらしく、よく見えなくなってもいる。勿論腕前とは関係ないかもしれないが。それにしても、相手が子猫ではちと被写体が動き過ぎるし敏捷でもある。 ・よい遊び相手ができたでしょうと、言われるが迷惑でもある。矢鱈、気を付けないといけなくなった。踏みつけてしまいそうでもある。何とか哺乳瓶でミルクを呑んでいる。そうしたら、今度はおしっこだそうだ。サイトで見たしったが、子猫は、親猫が舌で舐めて出して遣っているらしい。それをしないと、出ないのだそうだ。P2 でもそれをいわれたとか。娘もそのことをどこからか仕入れて来て、どうしたら出るかで騒いでいる。折角、トイレ用のケースもあるのに、自分たちでやらねばならないとか。 ・へ2・・・愛猫家も、それだけ手をかけるから愛情も深くなるのだろう。まさか猫のおしっこまで面倒を見なければならないとは思わなかったが、介護とはそういうものでもある。何でもすぐ得られるのではなく、そのプロセスも必要なのだろう。何の勉強でも成果を急ぎ過ぎるが、そのプロセスが重要でもある。愛情をゆっくりと積み上げて醸成させるからこそ成果も得られるのだ。物事よく視て、確りとシャッターを押すべきだろう。さて、一日のスタート台に立ったようだ。
2009.07.27
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毎日お題目のように繰り返している。「今日は、昨日とは違う」と。年を取ると、同じことをしたくなってしまう。昨日と違うというのは、厄介に思えても来る。同じことをして楽をしたくなる。いつも顔見知りの人が周囲にいて、優しくしてくれるところに居たくなる。好きなものが食べられて、昨日と同じことをしたい。そうは問屋が卸さない。朝昨日のことは全部忘れてリセットできないと、スタートが切れなくなるが、それができる間が辛いがいいのだろう。棄てなければ歩けない。日々と別れて進むしかないのだ。 ・余計なものを持ちたがるのは妙な未練の所為だ。身に纏うものはない。余計な脂肪と別れて行かねばならない。昔の坊主は、死ぬ前には絶食したという。坊主が生臭くなったのは、戒律を忘れたからだ。それで世俗に見捨てられてしまった。範を垂れない指導者は指導者ではない。真似をするような人物がいなくなれば、誰も信用などしない。欲望が人間を支配し、美徳を尊ばなくなり、堕落した社会になった。他人に隷属しても恥じなくなった。「恥」を忘れてしまった。本当の「恥」も知らないのだ。 >メコン ・へ2・・・今や教師が教師ではない。ただの手配師でしかない。先生が先生ではない。課題を与えられないと応えられない。計算ばかりしている。0(ゼロ)が何かを知らないものばかりが溢れている。私たちは、亡霊ではないから、「恥」も昔のコンセプトではない。
2009.07.27
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谷崎潤一郎なら、金輪際自殺はしない。絶えず周囲からちやほやされいなければ寂しくてならない芥川の性格は、多分文壇出発時のめぐまれ過ぎたための甘さや弱さからきていると思う。ここ一、二年を乗越えられなかった芥川の弱さが、彼の自殺へと繋がった。それは、現代のエリートたちにも共通するものだろう。ここ数年が耐えられないやつが、何十年間かかるか分からないスキルに参加できるはずがない。必ず、人生には波がある。デッドロックは、それこそ普通に存在するものだ。人生そのものが、劇的な喜劇であり、また悲劇になる。それを、緩和して、ここ数年間を乗越えて生きるだろうという不屈の勇気なのではないか。ここ暫くは、苦しみや痛みに耐えようと決意することさえできれば、芥川龍之介は得難い大作家になったかも知れない。漱石が芥川の、「鼻」を推薦したのは、ただよくできた小説を誉めただけで、芥川の才能を誉めたのではない。芥川は日本や中国の古典の翻訳者でしかない。現代のエリートと共通する特質がここにある。自分を過信して、本質を見抜けないことだ。少しの躓きで、すぐ歩くことができなくなるだろう。
2009.07.27
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4年前のブログから 全ては、明日のために・・・。朝の陽光は、饒舌だ。アラファトは、フランスの空の下で死と闘っている。またブッシュが 4年アメリカをリードする。決して楽観はできない政治の21世紀に生きている。地球の温暖化を止められない。 このままでは、数百万の種が死滅して行く。その種の中には、地球の未来を救う種があるかも知れないのにだ。 多くの知らない世界で、私たちが無知故にチャンスを逃していることだろう。私たちは大きな過ちを侵してきた。 それは自然破壊だ。やがてその報復を受けるだろう。せめて、この美しい自然をこれ以上壊してはならない、それは 私たちの最低限の責務だ。 この至福の朝の空気が、清々しいと感じる思いを伝えたい。 明日の遺伝子とミームたちに・・・。 SpiritualityDoka(1993)は、死にゆく者のスピリチュアル・ニードの課題としてA人生の意味を見出すこと。B自分の生き 方にふさわしく死ぬこと。C死を超えた希望を見出すこと。を挙げている。死は、いつか誰もが、通る道である。 他人によって与えられるものでなく、自分自身で見出すもの。それが、Spirituality だ。 夜明け前の風景は、少なくとも窓から今見えるだけでも、私には果てしなく素晴らしい世界だが、いつか、 消滅するのであろう。地球上には、また荒々しい灼熱の世界が戻るだろう。それは、刹那的な風景でしかない かも知れないが、私の脳に焼き付けておきたい世界だ。私にとって、Cの課題は、宇宙への回帰に外ならない。 ABは、甚だ心許ないが、宇宙への憧憬は、限りなくある。 古墳が好きで、若い頃よく観に行ったが、古代人は、死者は身近な存在であった。近くに洞窟を掘り会いに行っ ていたのだ。死は恐れるものではない。「ヘイフリックの限界」は、寧ろ生きる時間の意味を問うている。
2009.07.27
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