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コプト(エジプト)は、元来肥沃な農耕地帯だった。しかしギリシア・ローマの植民地穀倉地帯になり、数百年間搾取され極端な貧困を余儀なくされた。「われわれは、これほどの教養と知恵を持っていながら、何の徳を持っていません。しかし、この農夫やエジプト人がこれほど多くの徳を身につけているのは、どうしてなのですか」。「われわれは世間の教養から何も得るところはない。これらの農夫やエジプト人は自分自身の労苦によっていろいろな徳を身につけている」。「確かに私はローマとギリシャの教養を身につけているが、この農夫のアルファベットさえ学んでいない」。師父アルセニオス(354~445)のことば。
2009.11.30
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私たちは日ころから「普遍性」について理解していると思っている。そして疑おうとはしないものらしい。周囲の人々がその世界観や価値観をもっているという期待をもってもいるが、それが確信といえるか?ということがどこかで不安もある。常に検証しないと安心できない人間もいる。人々は或る種の共感の上に成り立つ社会の環境を夢想しているのかも知れない。少なくともそれでは挫折するのは目に見えている。 ・然し時々姿を現す現実社会に落胆もする。「普遍性の確信」が途端に崩れてしまうかも知れない。教育システムは「現実」と「理想」の存在を証明しようとはしなからだ。現実は、理想社会ではない。テキストに書かれたものと違う環境にさらされている。 ・へ2・・・幼児教育から「普遍性の確信」についてのスキルを受けていないが、これからでも、学ぶ努力をすべきだ。何が「普遍性」といえるかを検証しなければならない。それは社会と個人の問題でもある。そして国際社会で通用するものかだ。世界から孤立しては意味がない。小国であろうと大国であろうと・・・。
2009.11.30
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<11月歩数実績表> 年月日 曜日 起床 歩数2009/11/1 日 2;20 22,4152009/11/2 月 3;10 22,4322009/11/3 火 1;50 31,2882009/11/4 水 5;50 22,4982009/11/5 木 4;40 23,5892009/11/6 金 2;10 25,2622009/11/7 土 2;50 26,2042009/11/8 日 3;30 24,5582009/11/9 月 0;50 25,1512009/11/10火 3;50 13,7952009/11/11水 0;10 21,0332009/11/12木 3;15 24,2562009/11/13金 4;05 20,1552009/11/14土 3;05 25,7482009/11/15日 5;10 23,4962009/11/16月 4;02 20,1612009/11/17火 3;45 15,1122009/11/18水 4:40 24,2702009/11/19木 4;20 18,8512009/11/20金 3;05 23,1612009/11/21土 4;12 22,0572009/11/22日 4;10 21,7012009/11/23月 3:00 25,2342009/11/24火 5;00 17,8872009/11/25水 4;05 25,4572009/11/26木 4;10 28,0192009/11/27金 2;20 22,0772009/11/28土 3;30 23,8012009/11/29日 3;00 22,1242009/11/30月 4;40 20,378 合計 682,170 <累計歩数>年月 全歩数 日数2008年4月 258,124 152008年5月 461,505 312008年6月 454,828 302008年7月 492,053 312008年8月 479,175 312008年9月 607,612 302008年10月635,399 312008年11月562,374 302008年12月629,723 312009年1月 628,603 312009年2月 587,391 282009年3月 700,366 312009年4月 686,126 302009年5月 704,517 312009年6月 610,392 302009年7月 646,126 312009年8月 655,742 312009年9月 682,647 302009年10月749,592 312009年11月682,170 30 累計 11,914,465 (594)
2009.11.30
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野党から与党に代わるというのがどういうことか、ということが仄見える。国家権力を担うことで発言力が増しても来る。これまで軽く見られていた民主党の元代表者たちが、今や政権担当者に変質した。官僚たちが無視できない人になっている。麻生政権での常識が非常識と言われて戸惑う公務員も多いに違ない。それにしても、ちぐはぐな政治であるのは否めない。鳩山氏の指導力は政治献金という問題でとん挫するのだろうか。 ・民主が安定政権になるためには、まだ余りにも不安定な状況が続いている。それも現在の経済不況は深刻であり、今後の国運を左右する時期でもある。政策を誤れば、取り返しの効かない奈落の底が待っている。いわば危うい未来が来る可能性がある。自民党の安定政権は脆くも崩れたが、たっと一度の総選挙でしかない。落選議員の多くが今何をしているだろうか。 ・へ2・・・選挙が意味するものは、余りにも大きい。その選択は、ひとびとの暮らしも変える。政治の怖さは、そこにある。
2009.11.30
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・コーランの詩文は(伝統的な韻律詩文は複雑だったが)単純な韻律の散文詩で、誰でも唱えやすく、そのコーランの音楽性にも魅了されるといわれる。しかしそれよりも重要なのは、ムハンマドが無学文盲にもかかわらず、これほど美しい詩文をつくりだせるはずがなく、にもかかわらず、だからこそ、確かに神からの言葉なのだ、とアラブ人たちは信じたことだ。 ・メディナに住んでいた人々は農業で生計を立てていたが、ムハンマドが連れてきたイスラム教徒は農業になじみのない人々であった。そこで彼らは飢えないために、メッカからくる隊商を襲って金品を強奪した。事実上の強盗であるが、何かを生産するという観念がまったくないため、金品や女子を強奪することは正当な経済的行為として認められており、彼らの冒険であり、娯楽でさえあったという。彼らはこういう戦いを「ジハード」と呼んでいた。 多神教徒をみつけしだい殺し、またはこれを捕虜にし、拘禁し、あらゆる計略でこれをまちぶせよ。(第9 悔悟章5) ・・・そのとき、なんじらは、彼らの首をはね、また彼らのそれぞれの指先を打ち切れ。・・・信仰するものよ、なんじたが不信者の進撃に遭うときは、決して彼らに背を向けてはならぬ。(第8 戦利品章12~) ・イスラム教では来世は現世のつづきであり、そしてアッラーのために死ぬならば楽園行きが保証される。ジハードに参加することは宗教的美徳の証とされたのだ。どうやら日本人の常識をはるかに超えている世界がある。
2009.11.30
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・フランクフルトのホテル発は8;20で、ハイデルベルクへ。約80キロの場所。バスで1時間20分間。・ランチは各自でとのこと。日本人経営の土産物店「ユニコーン」で試飲した後、24ユーロの白ワインを購入した。集合場所は、大聖堂の前。旧市街を散策。ハイデルベルク大学はドイツで最古の大学で有名なノーベル賞学者も出ているという。ゲーテも生前8回ほど訪問している。相愛のマリアンネの「ハイデルベルク城の詩歌」を持参した。ゲーテがマリアンネとキスをした公園を見るつもりでいた。74歳の老婦人が連れになり、三人で大学の屋台のある広場で、「焼きソーセージ」と「グリューワイン」で乾杯した。色んな人や、学生たちも飲んでいた(?)どうも自由な雰囲気だ。なにしろ、大学から処罰を受けた当時の「学生牢」がのこっている。ガイドの話では、講義の時だけは受講を許されていたらしい。流石ドイツだ。懐が深い。「グリューワイン」は赤ワインで、甘くしてあり手作りの自家製らしく、種類は多いらしい。「甘口」なので、つい飲みすぎてしまう。それでもカップが一緒に貰える(込みなので)その楽しみがある。それを知ってから、そのあと、いくつかの都市で手に入れた(4カップ)。後で訊いたら同乗の搭乗員も趣味で集めているらしい。・あまりゆっくり見物できなかったが、ハイデルベルク城は、一部工事中だったが一応城の中を見て回った。そのあと、ハイデルベルク城内の庭園で「マリアンネの銀杏」の木を探したが見つからないので搭乗員に訊ねてみたが、知らないらしかった。(あまり知られていないのだろうか?)それでも、石碑の「ゲーテの記念塔」がみつかり、そのそばの公園が、「エルザベス門」が近いので、この場所なのだろうと思った。(今回のツアーの前に訪問する都市の情報を調べてデータを持参していたので、個人的に楽しむことができた。行く前に、「ゲーテ」の情報を大学でも調べたが、意外と情報が少ないので失望したものだ。)薄暗かったが、風もそれほど冷たくもなく穏やかなハイデルベルク市内だった。殊に城のテラスからの眺望は、最高で、それこそ飽きるくらいこのブログに載せているが、独りで喜んでいるだけの自己満足でしかない。
2009.11.30
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ヒトは何時か燃え尽きる。死は、誰もが辿る道だ。人間はほんの限られた空間でルールを守りながら、生きている。人間の一生はおかれた環境に左右され、各々の寿命で尽きる。たった数百万年をかけて、ヒトは種として生き延びた、ありふれた存在だ。そして地球で60数億の種としてのヒトが生存している。地球は、一つの惑星でしかなくこれからも限られたスペースで生きて行かなければならない。無謀な環境破壊は、地球の死の序曲となり、全ての生物を巻き添えにするだろう。数千億の種の未来を絶つのだ。病む人の QOL は、いまも夢を見ることも出来ず、燃え尽きる前に痕跡も残さず消去される運命だ。地球が太陽にのみ込まれる瞬間まで生き延びる生物はいない。
2009.11.30
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午後四時になったばかり。日本列島にも日没の時間が東西ではかなり違う。関東で暮らしてそれを実感した。もうこの時間では東では暗くなっていることだろう。まだ九州では微かに薄明かりがしている。それほど寒いというわけではないが、やはり薄着では寒い。少し晴れたら、車の中から見えていた鮮やかな落葉の写真を撮りに行こうかと思っていたが、そのタイミングも過ぎてしまったようだ。小雨がまだぱらぱら降っていたので諦めねばなるまい。ウィキペデイアの信用性について読んでいたが、成程信頼性の限界があるようだ。 ・完璧というものはなく。使い方次第だが、すべてのものに価値あるものは少ない。必要とする教養さえ得られなかった一般庶民たちがいた。奴隷と変わらないような貧しい生活を強いられてもいた。日本の若き文学者たちも戦前には夭折した。多くの結核患者が若い命を奪った。貧しい知識と栄養不足と不衛生からだ。私も若いころ肺病になりかけたからペニシリンができる前なら彼らと同じ運命だったかも知れない。 ・へ2・・・昔に比べれば長生きしているが、彼らのように五感は感性豊かに感じているだろうか。生きることに感動を感じているだろうか。社会の投資を彼らより多くを与えられてもいるが、それをどれだけ敬虔に感じているだろうか。遣ろうと思えば遣れることを無視してはいないか。夢を忘れてしまってはいないだろうか。蓑虫のように枯れ木にぶら下がっているようでは申し訳ない。>ハワイワイキキ
2009.11.30
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江戸時代は変化のない凡庸な時代と思われがちだが、すばやい対応があり、270年間も命脈を保ちえたと言えなくもない。秀吉は、検地により石高制度をつくりあげて、農民から米の全生産高の3分2を取り上げ、3分1を生産者農民に渡すという租税制度をつくり上げた。彼は、その税収で自らとその一族の豪華絢爛の安土桃山文化を形成させ、朝鮮出兵という対外侵略によって浪費し、自滅した。家康は、税率は秀吉と同じ年貢を取るが、それを城下町の建設や、交通網の整備、港湾、河川の建設に使用した。社会の経済基盤である耕地を拡大させて、その安定のための河川、用水路など整備に力を入れたのだ。そして、過剰なインフラ整備を、時を見計らい社会投資を切り上げて、過重な税率を逆転させた。寛文6年(1666)「山川掟」の発布が目度となる。税率を、「七公三民」を、「三公七民」に改めた。その結果は、庶民が手にした厖大な可処分所得は新しい消費をよび、多くの産業を拡大し、やがて元禄文化の大繁栄を招き入れた。処で、中世ヨーロッパでは、音楽や絵画でもすべて領主を中心とするサロンが生み出した文化であるが、日本は町人(庶民)うみ出したものである。江戸時代の支配者(将軍も大名)も文化を生み出してはいない。その違いは、根本的には経済構造に由来するだろう。しかし、やがて元禄のバブル崩壊を招いた。そのうえ新井白石の通貨量を減らすという失政で、酷いデフレに追い込まれる。その後吉宗によって、新しい産業を掘り起こすことにより立て直しに成功する。さらには、平成にもバブル崩壊が、人びとを苦しめることになる。
2009.11.30
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何しろ「余録」さえでない、何ともお粗末なノートを使っている。まあ、日本語は斜陽だ。私たちが遣う言語の文化は低下している。ボキャの貧困は、如何に浅薄な教育を受けてきたかでもある。大量生産された教育のしからしむるところでもある。何しろ最初には、「死から四ムル」という表示がされた。漢字に変換するのも面倒くさいのでひらがなのままだ。折角、文学部の講義を4年前から受講しているが、まだ噛み合っていない。それだけではなく、どうも他の講座も同じだが、もたもたしているのが歯がゆいが、これも過渡期の現象なのだろう。 ・まだミミズの脳のPCを使っている。使い手の意志を理解しないコンピュータでしかないからだろう。翻訳できないでいる。大学と私のようなものだ。一葉の「片恋」のようなものかもしれない。初恋のように。初めはそんなものなのではないか。それでも大学の深慮遠望があるのだろう。それは何れは実を結ぶことになると思う。 ・へ2・・・個人の思いは、中々自分の住んでいる社会とは繋がらない。恐らくみんなそういう過程を経るのではないか。莫迦なことばかりしているが、いつか快適なものにもなっていくのだろう。空から自分の住んでいる場所を見てみたいと思っていたが、それが叶えられつつある。まだ完全ではないだけだ。ノートPCもその一つでもある。一挙にはいかないだけだろう。つまりチャンスはあることだろう。それを活かし得るかでもある。見栄を張らずにやりたい。
2009.11.30
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今日で11月も終わる。何とか一日2万歩は達成している。些細なことだが、毎日歩いていることは自分の健康の指標でもある。雨になった。冷たい雨だ。いつも挨拶に来る野良猫の親子もどうやら雨で出れないようだ。気分よく歩けるということはそのための前提条件がある。天候と場所と時間。勿論歩けるだけの気力と体力も。雨脚が早くなったようだ。急に暗くなった。 ・これから妻から頼まれた買物に出かけようと思っていたが、昼まで様子を見ることにしようと思う。BSでRFE(ラジオ・フリー・ヨーロッパ)のドキュメンタリーがあっている。先日は、ベルリンの壁の話だった。20世紀は二度の世界大戦があり、戦争の世紀でもあったが、私たちは後半の20世紀を生きてきた。生きた歴史の証人として感慨はある。 ・へ2・・・つまり凡人として生きていることは何と幸福なことだろうか、と思わないでもない。特別な思いをすることを求める人もいるが、皆と一緒の思いをして生きることも悪いものではない。危険な場所でハラハラしなければならないのは必ずしも幸運ではない。平凡に生きるからこそ一瞬の喜びに浸ることができるのではないか。人並みにあることは寧ろ大いなる喜びでもあると思う。感性とは雨の音でも反応する心だ。
2009.11.30
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2008-11-30ブログリスト ひとの目 私がいてモノを見ている。そして被対象物がある。それが物だ… (Nov 30, 2008) 伝統 「屋根上のバイオリン弾き」で「トラディション!」という言葉が耳に… (Nov 30, 2008) 介護の難しさ 人は倒れて寝たきりになれば、1週間で20%筋肉が低下する… (Nov 30, 2008) 気負いもなくて 少し間が抜けてもいる。あれもこれもというわけに… (Nov 30, 2008) 11月は未達 下記は、11月の起床時間と、一日の歩数表。1日平均18… (Nov 30, 2008) 明日から12月 どんよりとして外は寒そうだ。あさ天気を気にするのは。昔… (Nov 30, 2008) 小さい秋 屈折した言葉が日本語にあるようだ。つまりストレートではな… (Nov 30, 2008) 黙って見ているだけか 口をぽかんと開けているだけか。そしてタイムオ… (Nov 30, 2008) 冬仕様 体が冬にシフトできていない。これから愈々冬仕様で。食後すぐ… (Nov 30, 2008) トーストができるまで 「食」の安全はどうなっているのだろう? 国が… (Nov 30, 2008) なにをしているか 毎日、何か起きるということは、何も苦痛ではない。然… (Nov 30, 2008) 未来は? 1年前のブログから 本当は、何が未来に受けいられる… (Nov 29, 2008) 現在でも、コピペが多いがブログを続けている。何のために?自分でもよく分からないが、遣りたいから遣っている。同じことの繰り返しをしながら、どこか違うと感じてもいる。その時は分からなかったことが、書いていれば後でわかることもある。3年前の今、私はフランクフルトにいた。勿論時差があるので精確には同じではないが、30日の朝、憧れのハイデルベルクへ出かける日だ。フランクフルトからハイデルベルクまで80kmで約1時間半かけて専用バスで行っている。懐かしい。上のリストは去年、私は・・・。>ハイデルベルク大学構内
2009.11.30
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視覚によって得られる情報は恐らく想像を絶するくらいある。余りに多過ぎて人間に未だ認識できていない。五感によって得られる情報の中でも視覚に頼っているところがある。目が悪くなっているが、見えないものから脳に入らなくなったものが何を意味しているのか自分では気付いていない。段々聴覚や味覚、嗅覚や触覚も加齢による減退もあるに違いない。年をとり鈍くなるというのも生理的な面からくるものがある。じわりと五感の神経は狭まっている。それでもそれにともなうその不足を補おうものがあるのだろう。 ・自分では自覚出来ていない無意識の世界では日々変化している情報があるのだろう。そしてある日そのことに気付いて愕然とする。すべてのことは始まっていることの結果でもある。知識はそのためにある。予見することができるのは、人間の貴重な能力の一つでもある。加齢の意味を知らない。誰も自分の中で起きていることのほんの一部を知っているだけに過ぎないだろう。 ・へ2・・・自分の準拠枠を超えられない。自分に出来ることしかできない。自分の身を守ろうとしている身体のしくみがある。ぼんやり見ていることの中に無意識の世界があり、それが自分の心や体を支えてもいる。朝起きて、寒さに耐える準備を脳は体の組織の隅々に命令しているに違いない。少なくとも生きるために必要な自分の体を保全するための行動をしなければならない。人の脳は生きている間は忙しい。
2009.11.29
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「坂の上の雲」を見たので、遅くなってしまった。夕方雨が降っていたので今夜のウオーキングは駄目だろうと諦めてもいた。鳥渡だけでも食後の散歩をしようと思い外に出たら雨はやんでいた。歩き始めたら、歩こうという声がした。まだあと一万歩。遅いので止めたらと言われたが、風もなく、中天に雲に見え隠れする月も見えた。穏やかな秋の夜長の夜だ。いつもみえる木星は流石に雲に隠れて見えない。どうもここ何カ月か木星と一緒に歩いているので、見ないと寂しい気持ちがする。 ・スペシャルドラマは一時間半あったようだ。つい見てしまった.日本人は明治維新が好きである。同じようなドラマを何度見ても飽きないのだろうか。すぐ忘れるからだろうか。いつまでも司馬でもないだろうが、確かに司馬以後がない。安易な史観で済ませてしまうからか。 ・へ2・・・軍国主義を美化され、富国強兵の国策が肯定されてもいる。どうも曖昧な史観があるのではないだろうか。今夜は少し寝るのが遅くなりそうです。
2009.11.29
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誰のために、というなかれ、時は来るだろう。鍛えられるチャンスがあるだろう。空騒ぎもいつかは終わるのだ。フィードバックがあるだろう。「戦後レジューム」などという言葉を使った首相がいたが、自分が世襲を利用としたではないか。曖昧な言葉を弄して姑息な手段で人の上に立つような奴は信用ができない。自分の利益だけを追いかけているような人間は軽蔑されるしかない。 ・妥協しないことだ。自立とは、自分の心を他人に任せないことだ。「個」として自分に責任を持たねばならない。感情に溺れないことだ。人間として弁解しないことだろう。自分が何ものになろうとはしないことだ。死ぬまで夢を諦めないことだろう。どうも取り巻きを作るような人間は信用できない。自分を鍛えない人間は壁を乗り越えることはできない。 ・へ2・・・これだけ大勢のタレントがいながらメジャーにならないのは、スケールではないだろうか。そうさせているのは芸能界とファンたちなのだろう。ソウルのない人たちばかりではないだろうか。というか自己主張さえないひとをタレントいうのは変な話だろう。社会が歪になっているからだろうか。原石を磨きもしないで世に出しているからだろう。そして大量消費している。そんな「柳の下にドジョウ」がいるわけがない。一つの現象として、芸能界に同性愛や麻薬常用者が多いことだろう。これはこの時代が如何に混迷を深めつつあるかということでもある。
2009.11.29
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環境要因(光・温度・湿度・酸素量)などの外部環境を認識し、内部環境を調整するというシステムができあがっているから、私たちは安心して生きていられる。外部環境が大きく変わっても、体の内部環境をできるだけ小さな変動の幅に収めて、安定させようとする機能を人間の体も持っていなければならない。ひとつが体温調節などの代謝ホルモンだろう。そして環境ホルモンという問題が深刻化してきている。 ・そのメカニズムが明らかにされてきている。フロチャートで説明されるようになり素人でも解りやすくなり、一部は理解もされるようになってきたと思う。つまり翻訳されるようになったのだろう。ただしシラバスでしかない。下手な誤訳を読んで理解したと思ってはならないのだろう。明治以後外国の事情紹介が、誤訳を信じて誤解だらけであったことを思えばいい。少なくとも化学反応についての解析のそれはへたな通訳の誤訳だらけの話ばかりなのだろう。優れた通訳がいるのだ。それこそ、政治家は科学音痴ばかりだろう。そのひとたちや一般市民にも分かり易い言葉で、科学的真実を説いていかなければならない。それは重要な課題でもあるだろう。それは隘路になる。 ・へ2・・・レイチェル・カーソンは、大量に散布される農薬の野生動物への影響を訴えた学者。(1962「沈黙の春」)。それとシーア・コルボーンの「奪われし未来」(1996)。化学物質が動物の体内でエストロゲン様作用により生殖機能障害をもたらしている?。ワニのオスのメス化した例が話題になった。外因性内分泌かく乱物質が介在するがそれが工業用洗剤の中に包含しているオクチルフェノールと呼ばれるもので、魚類で精巣卵ができたという機序らしい。人への影響については確認されていない。
2009.11.29
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別名:ハゼノキ(櫨の木),リュウキュウハゼ(琉球櫨),ロウノキ(蝋の木)花期:晩春~初夏。山野に生える雌雄異株の落葉高木です。奇数羽状複葉で,秋に紅葉します。 ・調整池の中にハゼノ木が紅葉していた。まだ若木だ。ススキの中でぽつんと立っていた。鳥渡淋しかろう。そう思うのは人間ばかりだろうか。自分にとって何が大事であるのかを知らない人間は、全生涯をかけて空虚を埋めるために走り回らねばならない。それでもこの空虚はますます大きくなるばかりだ。なにも成し遂げることができず、自分にふさわしいものを何も手にすることはできない。もし確り見ることさえできれば、些細な喜びさえ感じることができるのだ。そしてそれが実は、一輪の芳しい薔薇とか、少しの貴重な生命の水であるかも知れない。 ・「星の王子さま」は、イニシエーション(修行)の物語である。小さな王子さまは、彼を取り巻く世界や、他の人々や、彼自身について、重要な発見をするように配慮された物語である。この発見は、彼を劇的に精神的に、ときには身体的にも別の人間に変えてしまうのだ。それらは、彼を成熟させ、人生に対する新しい見方をも獲得していくのだ。 ・へ2・・・物語の初めから終わりまで、おとなから教えを受けるものとしてではなく、おとなに教えるもとのとしてあらわれている。おとなたちは、学び、発見し、知識や認識に接近し、思考を深めることによって、ついに変貌さえ遂げるのだ。それがイニシエーションの所以でもある。これは宗教的ストーリーでもある。
2009.11.29
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漱石が旧制五高の英語教師の時代に阿蘇や小天に旅行して作品を書いている。ことに「草枕」は、作品に出てくる熊本に、私は高校まで周辺に住んでいたこともあり馴染み深い。 文中で、 「おい」と声を掛けたが返事がない。 軒下から奥を覗くと煤けた障子が立て切ってある。向こう側は見えない。五六足の草履 が淋しそうに庇から吊るされて屈託気にふらりふらりと揺れている。・・・ 別の箇所で、 芭蕉という男は、枕元へ馬が尿するのをさえ雅な事を見立てて発句にした。 ・・・・などと書いている。実はテレビで漱石が住んでいたことろの話があり、急に漱石の作品の中で「草枕」がネット図書館にあったのを思い出して、読んでみた。何度か読んではいるがたいてい忘れてしまっている。それでも、この「峠の茶屋」だけは印象深い。それこそ、その「峠の茶屋」を見に出かけている。というよりも、漱石が、文中で書いている「バケツをひっくり返したような山」である金峰山に登るためであった。そしてこの本を読んでいて、興味をひかれる箇所がいくつもあるのに気がついた。少し土地勘があり、背景が見えるからだろう。 ・へ2・・・漱石の文章の繊細さに今更ながら感嘆する。その地を知る者の情感はまた格別の思いがする。二人の男から愛された女が身を投げて死ぬ話がさりげなく出てきたりする。漱石には、日本の現実と西欧を知っている男でなければ書けないエリアがある。
2009.11.29
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どれだけ文化的質の高まりがいえるだろうか。最中では評価はし難い。それでも良くしようとする熱意があるかだろう。可能性がないならひとは努力しようと思わない。良いも悪いも私たち次第で決まるに違ない。しかしそう「事」は簡単にはいかない。それは公正ではない社会でもあるからだろう。その認識がなければならない。 ・散歩に出たら、雨雲が垂れこめていたが紅葉も一度に色づいて気分が良くなった。すぐ近くにある溢れる自然の美も、見る心がなければ見えない。どれだけ美しいものがあったとしても、それを受け入れるだけのレセプターが準備されているかだろう。ゲーテがあって、ゲーテの詩が生まれたのだ。何もないと思うのは早すぎるのではないだろうか。自分の目は感受性が残っているのではないだろうか。 ・へ2・・・どれだけ内に清らかな美しい心を持っていたとしても、それを表現できなければ他人には分らない。それだけのことだ。我欲に塗れた人間を善とはしない。たとえ生まれが高貴だとしても、為すことが下品であれば馬の糞だ。
2009.11.29
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「ウィキペデイア革命」を読んでいる。情報ソースが複雑化しまた混乱しており、従来の百科辞典ではそのスピードについて行けない面がある。然し確かに信頼性の問題がある。無料というのは魅力だが、信用が措けないのでは意味がない。利用する方にどれだけ判断能力があるかでもある。一つの過渡期として現在があるのだろう。世界共通語がまだ定まってはいないがひとつの方向があると思う。それでも言語は文化でもある。その言語を使うことは価値観や世界観といった文化を包含してもいる。 ・それが何であろうとできたものを利用し、そして残るものが残る。それは価値があるからだろう。一つは利用価値であろう。だが精確さが曖昧であれば情報ソースとしては棄てられる運命にもある。便利さやスピードがあっても間違った情報では意味がない。10年後、この世界はどうなっているだろうか。それこそ刻々と社会は変化している。1年間のスパンでさえ個人によって感じ方が違っている。その筈だ。あと10年間は生きれる人と、其れが判らない人と、そんな心配の要らない人では受け取り方が違うだろう。 ・へ2・・・それこそ個人によって、ハンディが違いもする。心と体と病気も様々にある。社会的な環境にも悩まされる。経済的に貧しい人が明るく、富裕な人が陰鬱な人生だったりもする。健康な体が幸福を意味しない。何かに悩みながら生きているのが一般ではないだろうか。そして若さもすぐ過去のものになる。美しい人が、美しい花が枯れてしまう。それこそ運命はすぐに逆転し、暗転もする。まさかが現実になる。威張っていた人が見る影もなくなるのを何度見ただろうか。今年は漱石を読んでいる。日本のエリート意識というのはやはり異様だ。「坊ちゃん」のような変質者が、文豪にかかると純真な若者のように思えてしまうのだろう。教育革命はひたひたと迫ってもいる。
2009.11.29
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2006.12のブログ今夜、帰国しました。かなりハードスケジュールで疲れました。「クリマルを見に行こう!」の第一弾にツアーの宣伝に乗って観てきました。伝統的なイベントで、どこも賑わっていましたが、流石にニュールンベルクは、華やかでしたね。写真も撮りましたのでぼつぼつ整理して載せたいと思います。 Nurnberger Christkindlesmarkt、 ハイデルベルク、ヴェルツブルク、バンベルク、フランクフルトのクリマルで、カップを買い、グリューワインを飲みました。ソーセージや白ワイン、ビールも色々飲んで愉しむことが出来ました。今年は、やたら暖かくて、夜や昼と見れたのは良かったですね。流石に、7日間も同行してお友達にもなりました。ぼつぼつ感想も書くつもりです。>ドイツの空21人のツアーの皆さんには、仲良くしていただいて有難うございました。このブログを通して御礼を申し上げます。
2009.11.29
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定点観測を和白干潟にして最近毎日のように出かけている。自転車やウオーキングを兼ねて出かけている。定点から、さらに雁の巣方面まで行くこともある。海岸の堤防に沿って歩くので気持ちがよく見晴らしも素晴らしいので気に入ったコースになっている。野鳥の観察もできるが、野鳥に近づくと必ず、警戒音を立てる見張りがいるようだ。 ・その警戒音に沖の方にまるで全部の野鳥にスイッチがはいったように一斉に動き出すのには感心する。それこそサッと動き出す動作は見事というほかはない。鳥の目は人間よりも余程優れているようだ。こちらから見えない前から警戒音がすることがある。こちらも写真を撮りたいので近づきたいのだが中々油断がない。それこそ、野鳥の目をもった自衛艦であればあんな漁船衝突事故もなかったのではないだろうか。 ・へ2・・・人間のように油断するということを知らないのではないだろうか。人間も本能に由来するものは抜け目がない。必要でないものを捨ててもいるが、何が必要かを確り体に認識させることは容易ではない。野鳥のように注意深く監視しているものがいるのは、そうしなければ生き残れなかったからだ。人間は油断しているものが沢山出てきた。自分たちは生き残れると勘違いしている。それが怖い。
2009.11.29
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予報でも崩れると言っていた。3年前の話で恐縮だが、3年前ソウルからドイツに向けて仁川空港を昼出発した日でもある。当時の日記を見ていた。ツアーは行って愉しみ、あとでもこうして愉しんでいる。ツアーを繰り返している人が多いのは、行った後でも思い出にして楽しめることでもある。旅行仲間というのは、そういう人たちのグループでもあるから、余程の変人でもない限り仲良くなれるのかも知れない。皆優しくなれるのだろう。まあ、帰国してまで付き合っている人もいないので、その場限りなのだろうか。それでも好い。 ・旅行から帰れば、元の生活に戻る人もいるのは当然でもある。その人たちに無理を言っても仕方がない。人との付き合いに無理をしない主義である。相手の意志を尊重する。し過ぎる傾向もあるらしい。若いころ綺麗な女性がいて、つい見惚れていたら、知らない中年の女性から「女は男から近付かないとだめよ」というアドバイスを受けたことがある。そのときは何でそういうことを言うのだろうと、判らなかったが、恐らく、そういうふうにその女性には見えたのではないだろうか。 ・へ2・・・自分の気持ちは自分しか分からないと思い込んでいたが、経験のある人から見れば一目でその人の気持ちもわかるのではないだろうか。もの欲しそうな顔をしていたのかも知れない。世の中には洞察力の鋭い人もいる。普通の女性にしか一見見えない人でもどんな能力のある人でもいるに違いない。内気な性格で損をしたと今では思うが、当時は訳が分からず損ばかりしていた。このブログも、そういうことを書けばよいのかも知れない。失敗したと思うことは沢山ある。
2009.11.29
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あれもダメ、これも駄目では結局何もできないで終わってしまう。常識を破らないとできないことがあるのではないか。できないと思うことを常識にしているようではなにもできはしない。毎日2万歩歩くことが難しいと思い、ジョギングはできないと決めていたが、自分がそう思い込んでいただけに過ぎなかった。遣れるのにやれないと思い込んでいることばかりだ。欲が深いのではないく、自分の常識が狭いのだ。 ・娘が、面白いことを言った。「ここ(東区)は、住みやすくて、好い環境だね」と。自分の住んでいる場所を好きだというので少し驚いた。そんなふうに思っていたとは意外だったからだ。結構批判的な意見を持っていると思い込んでもいた。まだ社会的認識が甘いところのある娘だが、何かを感じて生きているのだろう。 ・へ2・・・娘が、他所と比較するだけの情報をどれだけ持っているのか知らないが、彼女なりの価値観や世界観が働いているのだろう。それは狭い相対評価でしかないかも知れないが、彼女なりの評価があるのだ。それは彼女の常識がさせてもいる。いつかは破られるに違いない。もっと大切なものが見つかるからだ。そして出て行くに違いない。束の間のことでしかないだろう。来年の正月に親と一緒にお伊勢参りをするというのだから親と子の時間を大切にしてやりたい。厳しい現実をまだよく分かっていないらしい。自分の常識に捉われて間は、明日の切符はない。それだけはいえる。>和白干潟
2009.11.29
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日本語の奴隷 思えば日本語の奴隷になっているようなものかもしれない。その生活に慣れてしまっている。そこから出られないでもいる。学んだ語学もものにならなかった。他人の所為にしても仕方がないだけだ。チャンスはあったのだろうが、ものにならなかった。今からでも遅くないと言われてきたが、それでも無駄な努力のように思えてならない。もう時期は過ぎている。目的もなしにやっても挫折は目に見えている。翻訳ソフトで大抵ことを済ませているが、まあ良い加減なソフトに過ぎない。ワードからもどうも莫迦にされている。こんな調子でものにはならない。もともと誰もそこから出られない。 ・それこそ果てしもない海底の中に閉じ込められている。然し、それは浅い海かも知れない。よく騙されるからだ。思い込みというものがある。仕組まれた罠さえあるからだ。日本語の奴隷になって満足している人たちもいる。そこに安住できると思っているらしい。現実はどうだろうか。あと50年もしたら、日本人も外国語を話しているのではないだろうか。想像することさえおぞましいだろうか。 ・へ2・・・歴史とはそんなものだ。刀をさして歩いていたひとたちに今の生活は想像さえできないだろう。私たちも10年後の自分さえ分からない。こうしてブログを毎日書いているが、時々嫌になる。それでも続けているのは何故だろうか。他にすることがないわけではない。日本人のことばや文化のルーツは日本にはない。外来したものでしかない。寄せ集めの文化だろう。部品を継ぎ合わせている。自分の、その言葉を溶かす情熱しかない。奴隷はつねに自由を求めている。
2009.11.28
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「自分探し」というが、確かに自分を自覚することは、或る意味で衝撃的であり、晴天の霹靂でさえあるかも知れないが、それは誰でも同じに過ぎない。こういう時代だから、人並みに暮らしさえすれば社会が守ってくれる。少なくとの制度的にはそれくらいはできている。広い視野をもてばそれだけではないだけだ。自分という世界に閉じ籠もっても世間並に暮らし普通に生きていれば目立たないで生きていくのかも知れない。滑った転んだで一生を過ごしてもいる。昨日、「野分」のあと「二百二十日」を読んだが、噴火に驚いている漱石が滑稽でもある。黒い雨が降ったという。「よな」だ。阿蘇を知っていれば誰でも知っている。 ・明治39年[1906年)9月6日から9日までの間に書いたとある。3日間で書いている。「野分」も11日間で書いている。漱石にとっては朝飯前の作品でしかない。漱石は読者を甘く見ていたのだろうか。「坑夫」も居候から聴いた話を脚色しただけだ。漱石のいくつかの作品はそうした体験を書いている。それで文学作品である。自分の存在に驚くようなことでは果して物事を見据えられるのだろうか。小さな山に登ってしまうのではないのか。それで世界を征服したようなつもりになっていた戦国の大名と変わりはない。 ・へ2・・・自分の持つ欲望をコントロールさえできないでいる。「自分探し」など笑止だろう。自分に気付くだけではないか。土台この複雑系を把握できる筈はない。無駄な努力に終わることは知れている。総理大臣や大将がどうのと言っていた時代のままではないだろうか。残りかすを集めて歩いているようなことではものにはならない。原生林を探し回っても誰も目的につく筈はないのだろう。今朝もお茶を飲んでいる。
2009.11.28
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命名したのは、ウォルター・キャノンで「恒常性」と訳されている。アントニオ・ダマシオは、その著「生存する脳・・・心と脳と身体の神秘」の中で「進化の過程では、脳のない生物は存在したが、脳や心があって身体のない生物は存在しなかった」と述べている。人間の感情も合理的な思考もW.E.も「生存」があって創めて可能なのだ。生物の体内にある器官が、外部環境の変化に応じて、内部環境を一定の範囲に保っていることを「ホメオスタシス」といい、その維持には「情動」が重要な役割を担っている。ダマシオは、脳内には、内部環境を評定するシステムを持ち、評定が悪いときは、ネガティブな感情が起きるという。そして行動や理性という高次脳機能もその評価に対して改善を誘導するのだ。それは、そうすることが生存する確率が高まることを意味している。「情動」は、人間にとって未来予測やW.E.をする上でも重要なポイントになるものだ。脳科学の研究の成果は、殺人や社会問題に対する解明に役立つはずだ。
2009.11.28
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それが何であれ自分が大切にするものがあり、大切にする心が大切なのだ。それは他人と比較のしようがない。人の命は、どれほど賠償金を積まれても補うことはできない。気休めでしかない。何でも量でしか測れなくなった社会は不毛地帯だろう。それがどういう別離であろうと亡き人は逝ってしまった。それは悲しいとは違うもっと骨身に沁みてもくる。何がいま大切なものであり、こころだろうか。 ・くだくだ書いているがこれも迷いの為せる業だろう。迷うというのは簡単だが実は単純ではない。他人には何でもない壁がそれはもう私には絶壁に見える。どうも怠けていて昼寝をしている間に世の中は先にどんどん行ってしまった。しかし残り火のようにほの明るいものがあるように思うのは勘違いだろうか。そうかも知れないがそれを信じるしかないと思う。 ・へ2・・・手が届かねば泡沫のように消えていくだけだ。それはショートするに決まっている。幻影でしかないだろうか。憲法論にしてもなし崩しの議論ばかりをされて中身が踏みにじられている。いわゆる解釈改憲が日常茶飯事でもある。かっての憲法学者の理性はどこに消えただろうか。なにせここにきて自民党歴代首相でさえ改憲を主張しているのだから、如何に平和憲法が危うくなったかでもある。そうしたのは政府だけではない。 ・へ2・・・単に皇国史観も一部の軍部だけが支持したのでない。日本という国を形成しているものが狂ったのだ。また狂わないという保証は誰にもできない。いまはいやいやでも、そのうちやれやれ、もあるだろう。それが国家の本性でもある。移ろいやすいこころがある。大切な心をどぶにおとしまうかもしれない。一葉の小説を思い出す。ざらざらと大切なお米と一緒に、こころまで溝の中にこぼれてしまうのだ。そうならないように、企業の営利追求の常識が、社会の非常識にもなる。
2009.11.28
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過食と選択 つい過食になるのは、女性だけではない。斯く言う私も過食である。後悔しきりだ。入院するとできるが、 家庭では中々だ。家族からの指摘もあるし、カロリー計算もできるが上手くいかない。医師から毎月 注意されるができないから、余程意志が弱いのだろう。このままでは、燃え尽きシンドロームになりそう だ。世間は、カロリーを無視した環境である。コンビ二でも、レストランでも高カロリー食品ばかりである。 早く病気になりなさいとでも言わんばかりの食べ物で溢れている。グルメは、健康にどうかセレクトしないと 入院への直行便になるだろう。過食とストレスが二重奏だが、酒が加われば三重奏だ。 ADA のパーフェクト・ガイドを持っているが、日本のガイドは、まだまだだ。環境を整備していかないと 駄目だ。過食との闘いはこれからだ。健康に生きることは自分の選択でもある。
2009.11.28
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1960年代のマッド・サイエンティストの典型といえば核物理学者だった。核兵器の開発に没頭した科学者が大勢おり、ほかの人たちの関心には何の注意も払わなかったからだ。だが現在、さらに科学に対する恐怖の対象は、遺伝学やバイオテクノロジーの研究者に拡がっている。人類を滅ぼしかねない研究が密かにされているのではないか。フランケンシュタインが現実のものになるのではないだろうか、という不安でもある。じわりと「環境ホルモン」も拡がっている。 ・マッド・サイエンティストの存在の恐怖は、人口の増加とともに広範な科学の進化によって今後も高まっていくだろう。それこそ人間性の喪失が叫ばれている中で、道徳心のないマッド・サイエンティストたちが増殖される蓋然性がないとはいえない。どんな独裁者が出て、世界を支配しようとするかもしれない。そしてそれが、SFや漫画の世界だけで済まない可能性が否定できないだろう。そしてマッド・サイエンティストたちを生む土壌が世界中にあるだろうということである。 ・へ2・・・それは残念ながら杞憂ではないだろう。何故なら核兵器の開発がそうであったように覇権争いが続いており、自国の優位だけに専念している超大国があり、それが当面ブレーキがかけられる見込みがないことでもある。単に科学者の理性のどうのという問題ではない。もっと深刻で、ぎりぎりの科学者の存在理由の問題でもある。社会の歪みがこうしたマッド・サイエンティストを生む土壌になるだろう。そうさせないための国民による日ごろの監視が必要だろう。
2009.11.28
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ひとはどこへいても心が枯渇しては詰まらない。いつもハイではいられないが、こころを動かしている自分の脳を忘れないことでもある。行きたい所が一杯あってよいが、今の自分の居場所を、見捨てないことだろう。いつ、どこへいても自分の呼吸を感じていたい。挫けないこころが夢にもつながっている。夢を忘れないことではないだろうか。自分の心を放棄しないように。もう旅行社から「春のヨーロッパのコースの先行発売」のDMが届いた。 ・アメリカでクリスマス商戦のニュースが入っている。それこそ大きなダメージを受けながら、ひとびとは前を向いて生きている。勿論、そうでない人たちもいるだけだ。何をしても不満の人はいるし、不幸な人もいる。傍目では分からない悩みもある。然しこころが枯れては仕方がない。喜怒哀楽を素直に表現できなくなってきている。自分が何をしたいのかさえ理解しようとしない。傷つくのが怖い人もいる。 ・へ2・・・ものが幸福のバロメーターではない。生き甲斐のないことこそ悲しい。他人に頼った生き方をしないで、自分らしく生きることではないだろうか。自己満足しないことでもある。さらに先にあるものを目指すことでもある。欅も黄葉し、上の写真のようにそして散ってしまいそうである。それは来年春また芽を出す準備でもある。来年の女子大の一年を通した文学講座が、まだ確定ではないが「堀辰雄」になりそうである。名物教授の講座がまた来年も聴講できそうである。いたるところに青山あり。
2009.11.28
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3年前の今日からドイツツアーでクリスマスマーケットに出かけた。それを折に触れては書いている。いつまでも書いているようだが、こうしてリフレインを繰り返しながら、長期記憶にしているようなところがある。つい忘れてしまいがちだが、愉しい思い出には違いない。写真も残っているからだろう。デジカメではなく、莫迦チョンカメラでしかなかったし、肝心の最後の日のフランクフルトではフイルムが切れた。ゲーテ館や妻と二人で歩いたフランクフルトの懐かしい風景がない。 ・グーグルアースで、フランクフルトの街を出してみた。蘇ってくる街並みも段々月日ともに薄れている。3年前の出発日を思い出してこうして書いている。今思えば、よく行ったものだと思う。それでもまた行ってみたい。クリスマスが来るたびに思い出すのではないだろうか。グリューワインや、蒸したジャガイモやパンや長いソーセージなどが記憶に焼き付いてもいる。 ・へ2・・・ブログに書いているので、それを思い出しながら、暫く3年前のことを辿ってみたいと思う。今年のクリスマスマーケットはどうなのだろうか。サイトをひらいてみたいとも思う。思い出は消えるものではないようだ。
2009.11.28
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新日本紀行のアーカイブが放送されているのを見ている。昭和40年ころ放送されたものだ。川辺川ダムの建設予定で、住居移転を迫られて、人口が3分の1に減った。未だに紛争が続いている。中止されるとすれば、これまた何のための計画か分からなくなる。五木の子守唄が紹介されている。貧しい暮らしの中で子どもたちが子守に出された。もうそういう生き方を知る人も少なくなったが、子守唄は残っている。それを継承している人たちがいる。聴いていて何とももの哀しい子守唄であるが、どこか懐かしい響きもある。 ・民謡の良さは、素朴な気持ちを表現しているからだろう。体験しなければわからない気持ちもあるに違いないが、伝わる心もある。祖母がよく唄っていた。どんな気持ちで唄ったのだろうか。子供心に何か切なさを感じたものだ。800年前の平家の落人たちが五木村を造った。明治になって初めて人が住んで切ることが確認された村である。辺境の地に貧しい暮らしをして生き延びた人たちである。 ・へ2・・・その五木村の人びとを「川辺川ダム建設」が大津波になって襲い、暮らしを崩壊させてしまった。またも時代の非情が村人の心を痛めつけた。五木村には亡き父の希望で何度かドライブで行ったことがある。狭い山道から、崖下に何台も車が落ちたままになっていた。ハラハラしながら運転したのを思い出す。五木の子守唄を忘れないでいたいものだ。
2009.11.28
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九州だけでも、主だった街道が北九州エリアで8つもあるのだから、整備しててくてく歩けるようにしたら面白いのではないだろうか。 ・長崎街道 ・唐津街道 ・秋月街道 ・日田街道 ・薩摩街道 ・中津街道 ・平戸街道 ・底井野往還(唐津街道) ・亡き父が生きていたら、いまなら一緒に歩きたいと言ったかも知れない。当時車だったが九州を二人であちこち見て周ったことがある。郷土史が好きだった。ほんの一時期に過ぎなかったが好い思い出でもある。こうして私の時間を自由に使えるような時に父がいたら、どんなにか愉しかっただろうか、と思うと残念ではならない。世の中はそういうものかも知れないが。 ・へ2・・・郷土を大切にしたい。歴史をありのままで受け入れるような豊かな心を持ちたいものだ。史跡は黙して語らずだが、その気があればゆたかに饒舌でもあるのではないだろうか。
2009.11.28
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脳幹は、大脳皮質に作用してベータ波をアルファ波に換えられるし、言葉で調節できる部位をコントロールもする。睡眠・覚醒の中枢の重要な部分は脳幹にある。そこに昔からあった神経で、新しくできた大脳皮質(言葉を喋り、体を動かせと指令を出す)を抑えることができる。脳幹は、瞑想や座禅などにより大脳に対する能力を高めるらしい。脳幹は、呼吸と咀嚼と歩行の人間の基本的な生命活動を支配してもいる。セロトニンは、ドーパミンやノルアドレナリンの情報をコントロールし、精神を安定させる作用があり、セロトニンが不足すると感情にブレーキが掛かりにくくなり、快楽から抜け出せず依存症に陥ったりもする。自分で役割を持っている訳ではないが大脳や、大脳辺縁系、小脳をコントロールしているらしい。どうやら、私たちは、大脳皮質だけで人間活動をしているのではないらしい。脳と身体との関係は、複雑だ。だから面白いし、学ぶ価値がある。
2009.11.28
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ステンドグラス(stained glass)は、エ字形の断面を持つ鉛のリムを用いて着色ガラスの小片を結合し、絵や模様を表現したもの。ガラスに金属酸化物を混入することで着色している。教会堂や西洋館の窓の装飾に多く用いられる。装飾を否定するモダニズム建築全盛の時期になるとあまり用いられなくなったが、今日では再びステンドグラスが見直され、公共建築、住宅、教会などに採用されている。ガラス工芸として、ランプの傘などにも用いられる。 (Wikipedia より) 教会堂のステンドグラスが有名だが、あれは文字の読めない人たちのために飾られたものでもあるらしい。そういえばキリスト教の宗教画には決めごとが色々あるのだそうだ。聖書の読めない人のために描かれてもいる。文字のない文化は口述伝承や彫刻や絵画によって伝統を継承したのだろう。イメージで伝えることのインパクトは強いだろう。思い出もことばよりもイメージの方が鮮烈でもある。殊に想像力豊かな子供には文字によるものよりもステンドグラスの描いた絵の方がインパクトは強いかもしれない。 ・文章もそれだけでは力を発揮し難い。真意を伝えるには受け手の読解力が必要だ。それこそ受け手が多くなれば難しくなる。文字も知れない人たちに布教するというのは並大抵ではなかっただろう。しかしその分感受性は豊かだということもある。理解しようと努力する気持ちがあるからだ。この世の中は、愛らしい、美しいものだけではないが、それを素直に感じられるものが学識にあるのでもない。知性は文字でも知識でもないからだ。 ・へ2・・・それこそひとつの絵画で物語をさえ思い描く能力は学識ではない。その人の想像力でもある。こどもの素晴らしさは、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」のこどもの感動でもある。抽象的に描かれたステンドグラスにさえ感動する心にあるのではないだろうか。つい色彩だけに目を奪われるが、絵に描かれた意味まである。
2009.11.27
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冬がいよいよ近づいてきた。今朝はそうでもないが、寒気が来る。それでも体はその準備を始めているだろうが、どうも脳が遅れている。意識がまだ希薄のようだ。余計に厚着をしたりもする。福岡は、日照時間も昨日一時間しかなかったらしい。一昨日は9時間だった。天気の都合で極端にもなる。ウオーキングをしながら少し身体が重く感じている。まだ心とからだが一致せず戸惑っている感じだ。そういえば、PCも重い。時間がかかり過ぎるが、これも余計なものを入れ過ぎているからだろう。 ・長くやっていれば、慣れても来るが、垢もたまるのだろう。こころもからだも重くなる。心身のバランスもある。使い方を誤れば故障もする。温暖化で冬も雪が降ることが少なくなって様な気がする。雪らしい雪があったのは、今年は数回しかなかった。大雪は一度しかなかった。それでも朝鮮半島からの大陸の偏西風の影響で寒い風も吹く日もある。厚着をし過ぎて汗を掻き過ぎ冷えて体調を崩したりしている。これも意識と身体のアンマッチからくる。 ・へ2・・・どうやら季節の変わり目でもたもたしている。まだ風邪や、新型インフルエンザの攻撃までは受けていないが、油断すると危ない。11月もあと3日間、師走が来て、あとすぐ正月になる。2009年もあと34日間になってしまった。昨夜娘が、お伊勢参りに私たちと一緒に来るとの話がどうやら実現しそうだと話していた。久しぶりの家族旅行になりそうだ。さて、気合いを入れて重さをはねのけたい。
2009.11.27
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今日の記録(11-27) ・起床 2;20 ・歩数 22,077歩 (距離 略 15km) ・月累計 615,867歩 (距離 430km) ・体重 52.6kg nn・血圧 113 /69 ・摂取カロリー 1,800キロカロリー(22.5単位)マクロ・スコピックとミクロ・スコピックとの間で物事は存在している。その双方の見方が大切である。よく言われるように、「木をみて森を見ない」ことになりがちだ。宇宙の膨張を見る望遠鏡と、極致の組成物質を発見しようとする顕微鏡の違いがある。この中間的な見方をメゾ・スコピックと呼ぶ。 ・それにしても、私たちの時代認識の「空白」は永過ぎるのではないだろうか。ものには限度があり、ポイント・オブ・ノーリターンがある。生命の限界はいかんともしがたいが、人間社会は何とでもある。それを決めるのは人間自身だからだ。どうも日本人の目はミクロに偏りがちではないだろうが、巨視的な側面が欠落しがちである。眼鏡のように遠近両用というわけにはいかない訳だ。それにしても福田政権を選択した日本人の政治感覚が短絡的ではないだろうか。それと民主党の頼りなさも脆弱な組織を窺わせている。それこそ淀君か石田三成軍の寄せ集め集団のようなものだろう。 ・へ2・・・オフィスレス時代を前にして、他人に頼らない個人の能力が試される時代が来ようとしており、自立の準備がされ始めているのではないか。小さく固まって力を発揮していた日本人たちが、ばらばらにされようとしている。「お盆の上に撒かれた砂である中国人」の砂としての自立心や自己主張の個性がなければならなくなるだろう。それに耐えられるものだけが、これからのマクロとミクロの間に存在理由を持つことになるのではないだろうか。
2009.11.27
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まじめになった時にだれを信じるか、だろう。勿論おかれた状況でも違う。日本とアメリカでも違うだろうし、イラクでも違う。できるだけ冷静に、客観的に考えようとはするだろう。それでも宗教の違いは大きいだろうし、無宗教もある。北朝鮮の5年後、10年後、そして15年後金正日独裁政権の行方を論じた中国の人民解放軍幹部の書いた「金正日の最期」のレポートが話題である。 ・北朝鮮では、人口22百万人で110万人の軍が存在している。その頂点にいる人物が抱えている課題は余りにも重過ぎる負の遺産でもある。それを中国から見た視点はより現実味を帯びているように見える。金正日は65歳である。健康状態は少なくとも良好ではない。それはその立場から来るものが大きいだろう。5年以内があるだろうか。崩壊へのプロセスの予測が示されている。経済的な行き詰まり、分権意識の高まり、対米接近と対中の冷え込み、先軍政治の限界、後継者問題を上げている。北朝鮮の対米接近は、中国の反発を招くだろう。そして決定的なのは北朝鮮の国力のスケールだろう。朝鮮戦争で生き残ったのは中国の支援があったからであり、その後も中国の物心ともにサポートを受けてきたのだ。 ・へ2・・・それが何であれ、何かのきっかけが彼らの運命を決めるだろう。そしてその選択肢がだんだんと少なくなっていく。ことに金正日政権の最大の庇護者はいま、逆に北朝鮮の改革を阻むお荷物になってしまう。そしてすべてはタイムリミットがある。 ・北朝鮮の国民も冷戦という大きな潮流に翻弄され、ここまで来た人々でもある。彼らは自分の生命を守るために闘ってきた人々でしかない。そこには人間として尊厳があるのであり、彼らの存在を否定することは誰にもできない。ただ、金正日という絶対的カリスマに頼り生きてきたのであり、そしてタイムリミットがきて失おうとしている。 ・北朝鮮は肥大化した軍を操舵する能力のある後継者はいるのかいう問いに対し、このレポートは「圧倒的に時間が不足している」と断じている。(前掲同書) ・どこまで信頼できる情報をもっているだろうか?何故圧倒的な国民の支持を得ているのだろうか。疑問はある。その国の人たちが出す結論を待つしかない。
2009.11.27
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誰も他人を傷つける権利はない。少なくとも自分以外はだ。そして国家権力がやれるのは、デュー・プロセス・オブ・ローによってだけである。それも罪刑法定主義がある。そのルールさえ守れない社会があるのは事実だ。法治国家が名目だけであり、形骸化されている現実がある。いわばブレーキのない社会になりつつある。破壊へとすすむアクセルだけはあるのだろう。その道具が核兵器になれば人類の自滅につながるだろう。 ・まだ選択肢は残されているが、どれだけの時間が残されているのだろうか。まだ有効なブレーキを造れないでいるホモ・サピエンスとは何物だろうか。ネガティブ・マインドを切り替えて煽ることだけを考えていればよかった時代は過ぎたのだ。人間ははしゃぎ過ぎているのではないだろうか。昔ほど人びとは謙虚でもない。他人を顧みることさえしなくなってしまった。 ・へ2・・・尊敬できるような人間も少なくなってしまった。もう見捨てられたのだろうか。滅びゆく国家に取り残された廃墟が人びとを待つだろうか。世界は、いつまでも一つにならないし、平和への希望も失いつつあるのではないだろうか。刻々と温暖化は地球をリスクの淵に追いやろうとしているではないか。何か有効な手立てがあるという話も一向に聴こえてはこない。科学者は絶望し、芸術家は去勢されてしまった。メディアはどこを向いているだろうか。夢をなくしたこどもたちが凍てつく大地に凍りつくのだろうか。明るい話題をなくしてしまっている。 ・何がブレーキになるのだろうか。アクセルだけを造り続けている現代社会はもはやコントロールの効かない暴走を始めてしまった。誰が人間の未来を予測できるのだろうか。ただ自分の一生にだけしか関心のない人間が増えてしまったのではないだろうか。そうしているのはだれの責任だろうか。ただ自己責任の原則ですむ問題ではない。枯渇していく人間の脳から何が飛び出してくるのだろう。それでも明日に夢をもつことができるだろうか。
2009.11.27
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<作品> 「野分」・明治39年(1906年)12月10日から21日の間で書いた。・千駄木の自宅で、「ホトトギス」1907年1月号に掲載された。・白井道也・妻・高柳周作。中野。・のわき。・「坊っちゃん」の延長ではない。・登場人物に魅力がない。・一面には「草枕」。・中野きいちの世界・・・「それから」のだいすけ主人公になる。ここではよく描かれていない。公平ではない。・作品の欠点。あまりできがよくない。「それから」に吸収されてよい。・シャルロットの絵。呪いを受ける。・メリメ「イールのヴィーナス」・ホルマンハント・・・絵は見ないと分からない。・落語の落ち。・ビートたけしの芸。落語の精神。漱石にもある。・よう虚集・「破戒」・・・漱石の評価は高い。段々クールになる。・半生に苦しむ。・森田草平「輪廻」らい病。人には言えないような苦しみ。・「こころ」・余は吾文を以て百代の後に伝へんと欲するの野心家なり。(漱石の気持ち)・被害妄想を漱石にはある。・「吾輩は猫である」「坊ちゃん」・・・主人公はおかしい。異様な正直さ。異常さ。作家の異様な神経がある。漱石は強いエリート意識がある。・村上春樹とはちがう。大江健三郎・太宰。漱石など選ばれた世界と思っている。・才能は異常さが背後にある。善人のような態度を取る。・できの悪い作品。精彩がない。読後感が悪い。・ヴァーチャル絵画館 ウイリアム・ホルマン・ハント・the Lady of Shalort・「現代青年に告ぐ」・青年の悩みに応える。・世界は修羅場である。・明治40年・・・初期だと思っている。「心」明治天皇の死。乃木の死は鴎外とは違う。・文学に紅葉氏一葉氏を顧みる時代ではない。・ダイヤモンド。・パロディにつながる。・紅葉「金色夜叉」に対する対抗心。・明治の作品として残る作品を書きたいという思いがある。「虞美人草」・明治をどう見ていたか。「草枕」「二百二十日」。・漱石は書斎に閉じこもっている。・北村透谷「内部生命論」 藤村「なか、こころ」テーマを受け継いでいる。・「破戒」を読んだあと、人生の戦場に上っているのだ。「野分」社会は修羅場である。・藤村とはちがう。苦労して小説家になろうとした。詩人では食えない。それで「破戒」を書いている。・「破戒」・・・「罪と罰」が下敷きになっている。漱石は西洋の小説を読んだようだ。・最後の告白。「破戒」と逆のストーリー。弟子が先生に受け継がれる。カネの問題。・労働の質の問題。・「永日小品」で漱石がカネの問題を書いている。・漱石は、人格の基礎は学問と考えている。なぜそうなるのか。学歴ではない。・漱石は実は現実の世の中を知らないのではないか。・金権と学問と対比している。・現実を知らない。道也先生が否定されていない。・「内部の生命」を意識している。内側が重要。・メインは10章。「理想は諸君の内部から脇でなければならぬ。」・文化とは外部からやってくる。日本文化は外部からきた。漱石の考えとはちがう。・内部など初めからないのではないか。・プロの作家として「破戒」を漱石が読んでいる。・漱石が森田草平(青年)に向けて書いたのが「野分」。・白井道也を通して書いている。・明治40年という年が漱石には講演を通して書いている。・この場での主張d「イプセン流でなければならない」。保守への反逆。ノラ。・来年の講座は「堀辰雄」予定と先生の話だった。
2009.11.27
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体が冬にシフトできていない。これから愈々冬仕様で。食後すぐ動くより、30分から1時間くらいして動いた方が運動効率が良い。食べた物をからだのなかに溜めこまない。食べることが生命には必要であり、そしてそれをスムースに処理しなければならない。寝転んで食べていたら、食べた物が胃腸を通過し難くなるし、折角の重力を利用できないかも知れない。 ・これまで私は、進化してきた生命のメカニズムに障害になるようなことばかりしてきた。食べた物を歩いて「早く出なさい」と催促する。「働け」と体の全体に命じる。眠っていた怠惰な気持ちや体を起こして行かなければならない。健康でいられることは何と幸せなことだろうか。「歩ける」ということは、多くの機能が充実していなければならない。 ・へ2・・・四季を感じながら歩くことで、多くを学ぶこともできる。歩こうという気持ちになるまで何と長い時間がかかっただろうか。少し遅すぎたが、まだ私の体はそれを待っていてくれた。感謝だ。昨日のアマチュアの平均65歳の出来たての男性合唱団の「坊がつる讃歌」で懐かしさに感涙した。漸く外は明るくなったようだ。>ローテンブルク
2009.11.27
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日頃はその寂しさを忘れている。どんな寂しさかはその人でしか分からないが、誰もそのすべてを引き受けることはできない。そして、自分を過信しないことだ。まだ試してもいない現実を侮ってはならない。そのために死ぬかも知れない。それでも死はタブーではない。それを隠そうとして躍起になっているのは悪意があるからだろう。身の回りのものが死んで行き、やがて自分の番がくる。それは諦めることではない。それは「明日」のようなものだろう。誰も明日が来ることを止められない。 ・「時代が変わる」と言い続けてきたが、何も変わらない自分がいる。その時代にすぐ馴染んでしまうからだろう。そして、新しさが、すぐに古くなり、また「時代が変わる」というものが出てくる。新陳代謝のようなもんだろう。それは間違っていない。時には減数分裂もある。いつまでも新鮮ではいられない。そこに価値を求めてはならない。残ろうとするからだろう。「輪廻転生」を断ち切ることが「悟り」だと仏陀はいう。判らないことをいうべきではない。目論見でものを言っているものは必ず破綻するだろう。 ・へ2・・・云っていることとしていることが矛盾しているのは、気分が変わることだろうが、それが変えられない仕事がある。そのコストは決して廉くはない。いつも高い対価を払わされて破滅していく。何をいっているのか、熟慮すべきなのだ。さて、午後漱石の講座がある。4年間つづけている。学生であれば卒業である。それこそ苦労して卒論も書かねばならないのだろう。なにかテーマを持っている学生がどれだけいるだろうか。自分が孤独であることを崔幹九人するようなものかもしれない。然しコストのないものはない。商品価値とは違うが、何かを得る努力はしなければならないだろう。>秋月
2009.11.27
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これまでの学者がきちんと信頼できる文献や日記や資料、議論の余地のある関連の文献まで調べて整理をして論文を書いていたことが原動力になっていた。この長い努力なしには何も為し得なかったからだ。そのために費やされる時間は計り知れないくらいあった。それが研究者のオリジリティの源泉でもあっただろう。よく講座を受講している教授は40年間文学をやってきたといわれる。然し、講座の中で、私たちが受けている講義はその一部でしかない。 ・ウィキペデイアを利用しているが、その手間がかからない。コピーやペーストの信者になってしまっている。情報ソースが、誰も同じものでしかない。それで本当に理解できるのだろうか。図書館で資料を探さなくても、辞書ひきの時間をかけなくとも知ることのできる情報ソースで出来あがるものはオリジナルはあるだろうか。 ・へ2・・・ウィキペデイアは信頼できるだろうか。いつもコピペをしている。恐らく得体の知れない論文さえ簡単に出来てしまうだろう。それが自分の実力ではないにもかかわらず出来てしまうに違いない。今や大学で或いは一般社会でもウィキペデイアが情報ソースとして当り前のように使われているが、出来あがるものはオリジナルではない。何が革命なのだろうか。
2009.11.27
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同じ民族でも、国家でも、或いは兄弟でさえ人間は違うことをする。それは違う考えを持ち得るからでもある。かっての東西ドイツも分裂して、違う政策の下に人びとは異なった暮らし方をした。彼らはその弊害を自覚して20年前に統合の道を選んだ。朝鮮半島ではまだ分裂したままだ。元々人は一人一人違っている。同じ人間はいない。それは個性でもある。そして与えられた条件で違った人間にもなる。それは環境で形成される人格ができるからでもある。社会的状況がその人の意識を決定するからだでもある。 ・期待されない人間は、期待以上のことをしない。この社会に魅力を感じなければ段々嫌になっていくに違いない。ひとは自分の心に正直にできているのかも知れない。自分の求めるものを達成しようとする。関心のあるものに関心がある。他人と同じことをしようとする。それが人びとの団結にもつながるのだろう。私たちは幼いころから学んだのは、他人をまねることから始まってもいる。 ・へ2・・・私たちは、戦前とは違い、戦後とはまた違う時代の中にいる。確かにその中を通過してきたが、違う大きな潮流を受け始めている。ここにそのままのこるのか、ここからでていくのか?自分の持つカードの種類を自覚しているだろうか?発行元のないカードだ。未来の社会の匂いを感じているだろうか。これからの蓋然性を描けるだろうか?
2009.11.27
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人間たちは自分の持っている能力を活かし切れずに自滅しているところがある。或いは無為な戦いのために。事の善悪を理解している者が、何故殺し合うのだろうか。これももって生まれた人間の宿命なのだろうか。地球の存在は宇宙の解明と科学の進化によって、益々小さな存在でしかなく、人間の存在も奇跡ではない。私たちは何をしているのだろうか?失ったものは余りにも大きいのではないか。目先のことに追われて、生きる意味さえ分からずにいる。 ・個人の喜びで満足して死のうとしている。はたしてそれでよいのだろうか。生きる目的を小さくしただけで済むだろうか。枯葉のように黄葉して散るだけで満足しなければならないだろうか。少し角度を変えれば何でもできるかも知れない。ひとりで生きようとしてはいないか。世の中はこんなものか。 ・へ2・・・個人主義や、営利主義が、人間を蓑虫のようにしている。
2009.11.26
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考えてみると、こうしているのもある意味時間の無駄遣いなのかも知れないと。起床が2時台と3時台では、すこし朝のウオーキングが違う時がある。勿論気分もある。いつ寝たか、睡眠時間もある。今朝はもう一度寝ようかと思ったが、折角目が覚めたので、星を見てみようと思った。先日から北極星を探している。目が悪くなったこともあるが、周囲が街の灯りで見え難いこともある。昔は、と言っても何時のころかよく覚えていないが、ここでもすぐに北極星は見付かっていた。北斗七星やカシオペイヤ、スバルとか、いつも見ていた。それがどうも見分けられなくなったことに気付いた。 ・自分が見えなくなったものに気付くのは、ぼんやりしていると分からない。何があるかさえ忘れているからだ。見えていたものが見えなくなり、聴こえていた音や声が聞こえなくなるように、脳も神経が鈍くなっている。その総体が加齢の意味なのだろう。どうでもよくなっていくのではないだろうか。新鮮さがなくなりつつある。精神が意志とは違う方向に向かって歩いてはいないだろうか。そんなことだってあるに違いない。 ・へ2・・・原生林の中で同じ場所を歩くという。それを自分では気付かない。自分は今、安全だと思い込んでしまう。進歩のない生き方で満足してしまう。妥協して日々を過ごしてもしまうだろう。気持ちとは裏腹のこともする。幻影を追いかけもする。時間の無駄遣いだ。
2009.11.26
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外に出たらオリオンが輝いていた。流石に早朝で星も綺麗に見えた。猫の声がしていたようだ。もうそんな季節なのだろう。生き物の生態は季節とともにある。寒くなった。起きるとき少しぞくっとした。何時ものようにお湯を沸かして、お茶を上げてから、一息入れている。電気コタツを入れたので、PCもコタツの中だ。段々冬仕様になっている。もういつの間にか3時台になっているが、先ほど外に出たとき、近所の家に電燈が点いていた。まだ起きている人たちもいる。夜になっても寝ない人たちが増えているらしい。 ・今日は講座で「野分」があるが、「のわき」「のわけ」でどちらだろうと思ったのと、他に何か意味があるのか、調べたら「野の草を風が吹いてわけることから」台風の古称とある。漱石もその意味でタイトルにしたのだろう。語彙も単純ではない。解説によると「坊ちゃん」の8カ月あとに書いたらしい。当時は朝日と読売の新聞小説の競争が激しかったようだ。 ・へ2・・・学者と金持ちについて書いている。まだ良き時代の話なのだろう。既に学者は飾り物になっている。気骨のあった学者も、予算をとることしか考えないようになったようだ。ノーベル賞もそれで利用されている。「肥った豚になるより痩せたソクラテスになれ」と、言われた時代に教育を受けたが、それも遠い昔だ。
2009.11.26
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脳と意識との関係は他のどのような関係とも似ていないらしい。脳が意識を生みだしているとしても、脳の仕事がやっていることを観察などできはしない。どれだけ優れた脳なのか、本当は誰も知らないのだ。ある限られたエリアでなされた結果がそのひとの脳力とされるに過ぎない。 ・昆虫や動物の生態を通じて種としてのヒトの概要が解ってきている。そして如何にヒトの存在が類似性を持っているかもわかってきた。どうして、メスがオスを選択しているか。相手が健康であるかのサインとか、好きなオスだと卵も大きいとか、知らず相手の免疫系を調べている。そして好きになる。成程複雑なプロセスを経由している。 ・へ2・・・複雑なだけではない。それを明らかにするのはシンプルではないだろうか。論理が図式化する試みがされている。膨大な複雑系を翻訳しなければならない。それを解析していけば果しなくシンプルになるのではないだろうか。 ・心と体の関係もどちらが先か分からないところがある。悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなるらしい。こころもからだもメカニズムが良く分からないで生きているらしい。
2009.11.26
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今日の記録(11-26) ・起床 4;05 ・歩数 28,019歩 (距離 略 20km) ・月累計 593,790歩 (距離 415km) ・体重 52.4kg ・血圧 109/69 ・摂取カロリー 1,800キロカロリー(22.5単位) 食事は一日三回。ウオーキングも三回。食後に歩いている。 食事は ・表1 4単位×3回 12単位。 ・表2 くだもの 1単位。 ・表3 肉魚 5単位。 ・表4 牛乳 1.5単位。 ・表5 油脂 1単位。 ・表6 野菜など 1単位。 ・調味料 0.5単位。 合計 22.5単位。
2009.11.26
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