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先日、10数年いた白猫が亡くなりましたが、どうやら、それが周囲の猫にも分かるらしい。そして、数日前から黒猫が家の周囲を徘徊している。いつも、ぶらりとやってきて、そのまま居座るのですが、今回はどうだろうか?これまでの猫たち、黒猫もいたのですが、いつもすり寄ってくるような猫たちだったが、今度のは違うようです。どうやら野良猫らしい。よっぽど虐められていたのではないだろうか。私には内緒で餌を妻が遣っているようです。すぐに家に入れないのを知っているから。 ・猫たちには懲り懲りしています。やっと部屋の中が清潔になったと思っていました。どうも不潔ですから。バイ菌の権化のようなものでしかない。犬だと多少許せますけどね。処が愛猫家は違うらしい。いないと寂しいらしい。実はネコ缶が、そのまま仕舞われてあるのを捨てろと言っているのですが。黒猫は、ここ数日、家の周囲にいるようです。近づくと逃げます。 ・へ2・・・それにしても、猫という世界も大変なのではないだろうか。病気も増えているようですが、人間と同じで長生きもしているようです。栄養状態が良いからでしょう。栄養価の高いものばかり食べている。環境ホルモンにも晒されているのではないだろうか。野良ネコの大半は或る種の病気に感染しているのではないだろうか。殊に黒猫はその黒いという特徴を生かせなくなり、淘汰されようとしているのかも知れない。獣医の話では黒猫は病気になり易いらしい。さて、黒猫騒動はどうなりますやら、おたのしみ。 >海の中道からの眺望。遠景は玄界灘と志賀島。
2009.04.30
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やはりモンゴルの歴史は、壮大だ。中世の暗黒時代を読んで人間の残酷さを思ったが、モンゴル軍の殺戮の遣り方も無残としかいいようがない。それでも強かに生きて来た人類とは何ぞや、といいたくもなる。チンギス・ハーンから、世界制覇のための長い遠征と時間の経過と激しい無数の虐殺があり、長い戦いの果てに、フビライがついにアジアの最強の男になる。 しかし、フビライには各地のハンを招集したクリルタイで公式に大ハンの称号をうけ、正統の大ハンになったのではなかった。それぞれが広大な領土をもつハン国は、独自の道を歩みだしていた。かってのチンギス・ハーンの統合された帝国ではなかった。ペルシャに侵攻したフレグの大遠征が、大ハーンの名においておこなわれた帝国最後の軍事遠征であった。 フビライは、実質には大ハンではなかった。現実にはキプチャク・ハン国とチャガタイ・ハン国は、フビライの手から離れていたのだ。フビライの頭は中国統治で充たされていた。中国におけるモンゴル人は略数十万人で、中国人は数千万人に達していた。非中国人による露骨な人種差別政策によって成立したのだ。 やがてモンゴル帝国の長が世界の大ハンとして君臨する時代は、二度ともどることはなかった。大ハンによる世界制覇の夢は消え去り、東洋は長い眠りの中につくことになるのだ。 そして、やがて農民反乱軍が統一された蜂起軍となり、元朝をつくがえし、モンゴルの中国支配を終わらせた明国が建国された。 モンゴル軍がヨーロッパにのこした最後の遺産のひとつが、1346年、おそるべき悪疫だ。ヨーロッパに黒死病というペストの嵐が吹き荒れたのだ。人口の三分の一が死んだという。同じ悪疫が中国にも襲ってきた、元王朝が終幕をむかえようとしていた、まさにその時だった。歴史は、奇妙な出来事を引き起こすものだ。チンギス・ハンの死も、オゴタイの死も戦略上の劇的な大転換を引き起こしている。
2009.04.30
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彼の愛国心は、当時の一等の見識だった。 神奈川奉行との「問答」より・偏に古法を守ろうとするは所謂琴柱に膠するの類と申べし。・2,30年の内に船備り、金銀国中に満ち、欧州のイギリス、アジアの日本といはれむこと疑ひなし。・日本は不毛の原野多く、外国に比べれば、物価下直なる故なり、生糸茶の類を作らば忽ち開けて国益の根源をなさぬ。・道理を正さず、勅命を奉じて日本を乱し遂に御門も絶え、わが家をも失はば智なきの至り也。 ・・・ 武は、暴人を攻め打つの道なり。用ゆべき時に用ひざれば、暴人上を侮り、是が為に天下も大乱 とならん。勅命より重きは道理なり。道理を天下に示して征罰するに誰か従わざるものあらぬ。・鎖国を守には、各国戦争に及ばざれば、再び鎖港する事能はず。然れども戦に勝算なし。一度大 敗を取れば支那の如くならぬこと、鏡にかけてみるごとし。・日本の人心一致せざるはの泉源甚だ深くして、如何良将出るとも容易には一致なり難し。其故は 神儒仏三を元とし、三道各流派を建て、芸術もまた流派を建て。己を是とし、彼を非として 互 いに相戻りて、国人親むことなし。ヨーロッパは、万里を隔てるつる外国の人にも隔心なく、究 理学を以って至善を極め皆其の善に移る故に何事にも流派を建てず。物事に秘伝秘密なし。依っ て人心おのづから公平一致にて、政法、兵器、衣類、調度に至るまで各国一致せり。・国体草案・・・憲法私案。わが国最初の憲法草案だ。アメリカ合衆国憲法を下敷きにした労作だ。何れも、目下、形勢下採用し難いとされた。・日本国益諸案・存寄書・改革箇条書ジョセフ・ヒコは、まれにみる当時一級の日本人であったことに間違いないだろう。
2009.04.30
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今,ウオーキングをしてきた。やっと4月の歩数の最終実績が出た。70万歩クリアーできた。一日平均23,483歩。珍しく一日も2万歩を切った日はなかったのはラッキーだった。天候に恵まれたことと、気力もあったのだろう。これに満足することなく、「継続は力なり」で行きたいものだ。下弦の月が中天にあって、清々しい気分だった。あまり悪い事を書かないが、概して気分良く歩いている。 ・明日から5月だ。3日4日は博多どんたくがある。一度は見物に行きたいと思っている。去年は入院していて(何度も書いていて恐縮するが)行きたくても行けなかった。担当のナースが気を利かせて先生に頼んでみたらと言ってくれたが、折角入院しているのだけらとお断りした。元気の好いパレードの写真を撮るのが愉しみでよく出かけていた。どんたくでは雨にならなければ好いがよく雨になる。 ・へ2・・・此処2年あまり写真を随分PCに入れたのでパンクしそうだ。謂わないものを消去しないと新しい写真が入らなくなってしまった。ブログは5年生、写真は3年生、ウオーキングは2年生というところだ。まだこれからである。月日 起床 歩数4月1日 4;20 21,4974月2日 3;30 22,3684月3日 4;05 25,0564月4日 3;00 22,7154月5日 4;10 22,0554月6日 3;10 20,6664月7日 2;20 21,1404月8日 4;15 24,0104月9日 3;55 20,1104月10日 4;30 20,9234月11日 3;20 23,7734月12日 5;02 21,6604月13日 3;50 22,9374月14日 2;00 21,5174月15日 3;10 33,7174月16日 2;30 22,6544月17日 2;05 20,4154月18日 2;00 21,0204月19日 2;50 23,3434月20日 2;20 20,8544月21日 2;50 27,8784月22日 4;30 25,3684月23日 4;05 21,3304月24日 3:50 22,6034月25日 2;05 23,5614月26日 4;10 21,8044月27日 3;10 22,5084月28日 3;10 21,8534月29日 5;00 40,1374月30日 3;05 25,045合計4月 704,517歩 >海の中道海浜公園
2009.04.30
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神谷美恵子著「生きがいについて」(みすず書房)作者は、精神科医。温かさと知性と努力の人と紹介されている。「生きがい」とは、「世に生きているだけのねうち、生きるしあわせ、利益、効験。」と辞書にある。欧州では、生きがいにあたる言葉はない。「生きるに価する」「生きている価値または意味」がある。如何にも日本語の「曖昧さ」を示している。生きる喜びが最も体験されるのは、出産直後の歓喜は、女性の生きがい発見の瞬間だという。更に赤子の示す生の喜悦は動物のもつ本能の迸りでもある。官能の陶酔はどうだろうか。生命力の発現としても刹那でしかない。それは生きがいではないだろう。本当に生きているという感情は、生の流れはあまり滑らかであるよりか、寧ろ生きることに夢中で努力している時であり、生きるのが苦しく辛い時にこそより強く感じるものがあるのではないか。ある中年の婦人がやむにやまれぬ向学心で大学の籍を得た時に、「これでやっと望み通り好きな仏文学を一筋に学べるようになり、何か体の内からうれしさが湧き上がってくるようです。」といったと言う。苦しみの中に生きがいを覚えるという心の姿は、尊いだろう。それは宗教家だけのものではないはずだ。それは、その目標が達成されるかどうかは、真の問題ではないだろう。マルローの「ほんとうの人間」(authentic person)とは、人類の一員である面が多い人だという。強者という「不当利得」を得ているものは、弱者に対して、その利得を返還せねばならない義務があるだろう。 >海の中道海浜公園
2009.04.30
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一葉は20歳。相手は半井桃水32歳だ。新聞記者である。一葉は、日記「若葉かげ」でその時の気持ちを書いている。「初見の挨拶などねんごろにし給ふ。おのれまだかかることならはねば、耳ほてり、唇かはきていふべき言もおぼえずのぶべき詞もなくて、ひたぶるに礼のみなすのみなりき。」桃水は「低い身であるのに少しく背をからめ色艶の好くない顔に出来るだけ愛嬌を作って、静粛に進み入り、三指で畏まってろくろく顔も上げず、肩で二つ三つ呼吸をして、低音ながら明晰した言葉遣い、いんぎんな挨拶も、勿論遊ばせ尽し、昔の御殿女中のお使者に来たやうな有様で・・・」と書いている。これは、桃水が、一葉の死んだあとで書いているので脚色や勘違いもあるが、まあ雰囲気はわかるだろう。それから、一緒に食事の相伴までしている。死別だがバツイチ男だ。一葉は、「君がくまなきみ心ぞへの事とて八時という頃にぞ家に帰れり。」と書く。一葉にとってこれは、初めて大人の男から聞いた慈愛に満ちた感動の瞬間だったろうか。桃水は、世俗作家であり、指導を受けてみると、余りに一葉の作品が古典過ぎて世間受けしない言われて、一葉は悲嘆にくれる。併し、一葉の「文学の肥やし」にはなった恋であろう。 一葉が、上野の図書館で勉強していたとのことです。一葉にとって冷酷な世の中だったのだろうが図書館の中で読書をする一葉を想像するだけでほっとした気持ちがします。
2009.04.30
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先日書店で、野菜の育て方という本を探してみていたら、「摘心」のことが書いてあり、サイトで調べていたら、色々勉強になった。知らないというのは怖ろしい。勝手な解釈をしていた。相手を知らなければ、うまく誘導していくことはできない。自由にさせればよいと思っていたが、それが素人の浅はかさだと知った。そういえば政治もどうなのだろうか、赤字ばかり増やすような政策で好いのだろうか。それでは政策ではない。 ・摘心とは「親ヅルをカットして、実が付き易い子ヅルや孫ヅルを伸ばすこと」。をいうらしい。親ヅルの先端をチョン切りする。それと風通しを良くすることも大切らしい。どこか政治に共通する部分があるのではないだろうか。親ヅツは実を付けないらしい。収穫を得るためには時期を遅らせないことだ。優れた戦略がある。因みににがうりのイボイボは、熟した時に割れやすくして種の保存を図っている。 ・へ2・・・ヒントがいくつもある。栽培とはコントロールなのではないだろうか。肥料をやるのも太陽に当てるのもどこか人間社会にも相似している。やはり因果律がある。にがうりでこの夏を涼しく過ごそうと考えている。 >写真は、海の中道駅前ゲート付近
2009.04.30
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ヒト脳が、宇宙と比較できるくらい広大な未知の世界だと知って思うことは、自分自身が世界を小さく見ているのだ。そういえば、子どもの頃、遠くに見える山の向こう側は外国だと考えていた。それから、徐々に自分の世界は拡がったが、まだそれこそ「井底の蛙」なのだろう。生半可に知ったくらいのことで、社会が分かった気がしたりしたが、所詮針の穴からでしかない。自分の二つの目は、見ていても本当に真実を理解しているとは言えない。四書にしろ、これまで一般論で、また少し読んだくらいでもう文化の遺物ではないかと断じたりしたが、今、よく読んでみると含蓄があり学ぶべきことはまだ多くある。所詮、蒙昧でしかなく、本の蟲になるだけだろうか。それこそ「汝らこころを上げよ」だろう。これまで、まじめに真理を求める先人は迫害されたのだ。過酷な運命を生きてもいる。そうしなければならなかった。現在でも安易に得られる情報など大したことはない。ヒトの進化は、デッドロックを乗越えたのであろう。それほど誇り高い種であろう。凡人の平坦な人生など取るに足りない。 >玄界灘と志賀島
2009.04.30
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スピノザは、ひとりアムステルダムの屋根裏にとじこもり、生計をたてるに足るだけのレンズみがきと個人教授のアルバイトをして、あとは全然世事に関係しなかったという。しかし思索と著述にあらんかぎりの力と時をそそぎこんだ彼の胸には人類全体のものの考え方を根本的に変革しようという大それた野心があったといわれる。彼の場合、現世よりも、後世が人生のテーマなのだ。これを、ひとはどう考えるだろうか。そのひとの世界観で違ってみえてくるだろう。キリスト教は、現世に対して謂わば正攻法であり、仏教は、現世に対して消極的な姿勢を示す。法然は、社会的地位を得て、戒律と世俗に対して特権と責任を担おうとし、親鸞は、人間的な煩悩の矛盾をもちながら宗教的境地をひらき、一遍上人は、何もかも捨てて、一生を遍路の旅を続けた「捨聖」である。人間の積み上げてきたものは何だろうか。今日も、誰の上にも、温かい陽射しと柔らかな空気の朝がくるだろう。 >海の中道海浜公園内の潮見台。眺望は奈多海岸方面。玄界灘。
2009.04.30
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"chaos "天地創造以前の世界の状態。混沌。転じて大混乱。もう広辞苑もそれほどの威力がなくなっている。中学のときは、読む本がなくて国語の辞書で語彙を丸暗記で覚えたものです。中国で昔は、毎日のように漢字を造語していたので膨大に数になるはずです。それでも余りに永い時間経過するとその目的とは違う方に歩き出してしまう。勝手に独り歩きもし異文化との交流を見失ってしまう。外国語と日本語も簡単に翻訳できないのは、勝手に語彙が変化してしまうし、新しい意味を創るからでしょう。余りに情報が氾濫してしまい。日本人間でさえこころが通じないどころか夫婦や、親子ですらそうですものね。現代では、多くの問題が科学技術で解決できるようになり、人々の生活も近代化し混乱もしている、宗教はやがて衰退するといわれたけれど、1970年代から、むしろ宗教的なものを取り戻そうとする動きが目立つようになってきた。ことにアメリカの保守的なキリスト教徒たちが大きな政治的勢力をもっている。それが保守政党の基盤にさえなっている。そして、他方で、ファンダメンタリズムが台頭してきている。更に、旧ユーゴスラビアのボスニアーヘルツェゴビナの紛争は、民族紛争と正教とイスラム教との間の宗教戦争でもあるという側面を持っている。イラク戦争にしろ、或る種の代理戦争になっているところに抜きがたい深刻さがあり、これはカオスなのでしょう。人間は、世界と個体という自分のそれぞれの病に苦しんで生きていかなければならない。外見だけにこだわり、それが偏見であることをすぐに忘れてしまいがちだ。病気の一つでしかないハンセン病を重大な罪を犯した結果の罰だとして、そのひとの存在そのものが不浄として、隔離していたのは、数十年前のことでしかない。そして現在、またぞろ異教徒を迫害し、病人たちや弱者を偏見と差別の対象とする存在が勢力を拡大しようとしている。
2009.04.30
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夕方久しぶりに妻と車で、古賀市のサンリブまで、買い物に出掛けた。車の中で、妻の従妹の話を聞いた。もう1年くらい前からある病で入退院を繰り返している。そして、博多駅ちかくのホスピスに入ったとのことだった。そこまでは聞いていたが、その彼女の息子が、近く結婚式を挙げるらしく、それに出るとの話で驚いた。誰にも会いたくないと聞いていたからだ。妻は何度も見舞いに行くと言ったが、私は止めていた。向こうから呼ぶまで行くなと言っている。呼ばれないのに行くのは、土足で相手の心に入り込むことにもなりかねない。お見舞いなど無神経な人間のできることではない。私は、自分の母が、末期で病人が嫌がる気持ちを知っているからだ。その彼女が、自分の体を晒してまで息子の結婚式に出席するというのだ。新婦は身重で、お腹も大きいのだそうだ。女性の強さは、男を蹴散らす強さなのだろう。「孫の顔を早くみたい」と、いっているらしい。「病気で人は死なない。」とは、日本の田舎のお年寄りが言ったことばだ。
2009.04.29
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それが来なくなるかも知れないという不安を持って生きている。朝が来てほっとすると同時にまた、自分の気持ちとどれだけ折り合って行けるだろうかという漠たる思いもある。朝が来て、いつか来ないということを知っている人間の存在は単純ではないのだろう。愉快に過ごしていることが、どれだけできているのだろうか。健康で病気のことを考えずにおれた時代も確かにあったが、それで健やかに生きて居れたかというとそうでもない。何かひっかかりをもっていた。いつも同じではなかっただけだろう。どこを向いても不安はあっただろうし、苦悩もあったからだ。他人と比較されながら、こころもささくれて行くのを感じてもいた。 ・自分の思いを吐き出すことができたらどれだけ好いだろうといつも思ってもいたが、それができずにいた。自分の日記にどれだけ克明に描いたとしても、それが、何の意味があるだろうか。ノーとはすぐにゴミ扱いされて消去されるだろう。自分をどれだけ観察しても自分をどれだけ高められるだろうか。自分の身長を1cmでも伸ばすことができたとしてもそれはそれだけでしかない。人工的に手を加えなければ、何もできはしないのだ。 ・へ2・・・アンチエイジングというが、何ができるのだろうか。絶望と闘うようなものだろう。無駄な努力をしているのかも知れない。それでも、何かを信じていたいのだろう。その気持ちは分からないでもない。努力することは悪いことではない。小さいことしかできないから、小さいことをしているだけなのだろう。ウォーキングもそうだろう。然し、それが必要な人には価値があるかも知れない。明日が来るのを信じるのも、生きているからだろう。いつも朝が来てくれる。どんなに疲れていても明日という日がきて、自分に課題を与えてきた。それができてもできなくても、一日が生命には至福の時でもある。
2009.04.29
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詩人にして民俗学者。日本の「女性史学」の創設者。「母系制の研究」「招婿婚の研究」など。・1894年(明治27年)生~1964年(昭和39年)癌性腹膜炎。70歳没。「高群逸枝全集」火の国の女の日記は、自叙伝より、 わたしゃ野性の一本野菊 雨のふる日も風吹く夜も 泥にまみれて立ち上がり 愚痴もいわずにきたのです ・・・・・ けれど私のぐるりには おなじ土から咲いて出た 若い多くの花もある ・・・・・素朴な歌だがいい歌だ。熊本は郷里なので、逸枝は知っていたが、「全集」をみたのは初めて。先程から読み始めたが、水前寺や味噌天神、県庁の隣の県立図書館といい、懐かしい場所が多くあり、耽読。殊に、彼女が師範に入学し、池田駅(現上熊本駅)停車場に家族を出迎えた時が、生涯で最良の場面だったという。親たちは、師範生の娘に満足し彼女もまたそのことが何より嬉しかったからだ。私にとってもこの上熊本駅や周辺の本妙寺など思い出深く懐かしい。未だ、この1巻も半分も読んでいないが、こころはのこるが、次回にする。逸枝は、師範を病気で退学になり、女工、代用教員、詩、小説、評論から民俗学を目指している。大して教育も受けておらず、然も田舎出身の彼女が、どこまで世界を拡げたのだろうか。少し興味が湧いてきたところだ。
2009.04.29
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断固として遣ろうとするなと言われる。強く遣ろうとするからストレスになる。ストレスは万病の源だという。併し、適度のストレスも進化のためには必要なのだ。最近、何かを強く思うことが少なくなっているのではないか。でも一言では言えない難しさもある。広く浅くが生きる上で利口なのかはよくわからない。全てに当てはまる訳ではない。どうやら、何も思おうとしないのではないか。だからのほほんと生きているのではないだろうか。若いうちはまだ時間があるが、老人には時間がないが、そしてそれが「健康寿命」だとは限らない。最近、これまで役に立たないと思っていた近世の文学や、四書が面白いと思うのは、いくつも空地があるからだろう。どうやら、研究しても価値がないと放置されていたのではないか。西欧流を真似しても所詮仮想現実でしかない。寧ろ足元を見なければならなくなっているのではないか。ところが、故郷が消去されかけている。消去してきたのは自分たちだ。消してしまえば綺麗になるが、自分たちの存在もなくなるだろう。それは漠然としているが、何かを強く思うことが、いま必要ではないだろうか。それは、我ままや、利己的なことではなく、人間として評価できるものだろうが、それは価値とは違うだろう。何かを強く思い描いてそれに向かうことが必要ではないだろうか。それが何であるかは、個人で決めることだろうけれど、そんな気がします。PS人は何を言わんとしているのか表現することは微妙で、中々伝わらないだろうと思います。自分の思惟というのは、一様ではない。その時々で変わりもするし、更に逆のことも考えたりする。芥川を壊したのは、先ず自分の責任でしょうけれど、その環境であり、薬物でしょうね。青酸カリだという話ですが、それとも睡眠薬によるものか分かりませんが、少なくとも作品を少し分析すれば、病的傾向は、今の精神科医ならすぐ分かるでしょうね。吉田松陰の全集物を、少し読んで見ましたが、世間で言われているような見識の持ち主だったのでしょうか。どうも、ヒーロー達の教養を過大評価し過ぎているのではないか。私たちの識見は、本当に正しい歴史観の上に形成されているのであろうか。正確なスケールでデータは作られていなければ世界観も狂ってきます。謂わば間違ったデータで構築されている現実があるのではないか。誤魔化しの世界を、恐らく多くの人が気づいているだろうけど、手が出せないでいるとすれば、どうも厄介な社会構造になっているようです。そうだとすれば、何れリセットされることになる。
2009.04.29
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日色ともゑのナレーションで「たけくらべ」を聴きながら、好きな時間を過している。どこかに悩みがない訳ではないが、それは些事でしかない。一葉の世界は、日本人のこころの内奥を表現して止まない子どものころの記憶だろうか。その甘く切ないその記憶はいつまでも消えることがない。それは懐かしさだけではない哀愁でもある。この明治の彗星は、平成の世でも人びとの彗星なのだ。それをまたとばしてくれる人がいるのであろうか。図書館通いを当面止めつもりはないが、先は長かろう。それは、或る意味精子のようでもある。おそらく一匹では何もできはしないし、卵子に届かないだろう。でも一億くらいであれば、誰かがたどり着くかも知れない。誰かが小径をつくり、誰かがそこを歩くのだ。マラソンのペースメーカーは、面白い仕事だが辛かろう。それはスポーツではない。職業だろう。それと人生とは違う。マラソンは人生ではない。与えられた道を走るのではないからだ。何故「減数分裂」なのかは知らないが、生命はその戦略を続けている。思えば人間にも ”heat and cold ”しかないだろう。抜き身の刃は、使わなければ意味がないだろう。それが竹光だとしても・・・。
2009.04.29
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今日は、海の中道海浜公園に行き4万歩を超えた。4月は、天候が比較的に安定していたようだ。暖かくなり、随分気楽に歩くことができたので、少し油断が起きないようにとは思っている。どうも「オール・オア・ナッシング」の気持ちがないとは言えない性格でもある。 ・流石に鳥渡疲れましたが、これから風呂に入り一息付こうと思っています。折角写真を撮ったのですが、PCが一杯で整理をしないといけないようです。キャパが狭い。やれやれ。月日 起床 歩数4月1日 4;20 21,4974月2日 3;30 22,3684月3日 4;05 25,0564月4日 3;00 22,7154月5日 4;10 22,0554月6日 3;10 20,6664月7日 2;20 21,1404月8日 4;15 24,0104月9日 3;55 20,1104月10日 4;30 20,9234月11日 3;20 23,7734月12日 5;02 21,6604月13日 3;50 22,9374月14日 2;00 21,5174月15日 3;10 33,7174月16日 2;30 22,6544月17日 2;05 20,4154月18日 2;00 21,0204月19日 2;50 23,3434月20日 2;20 20,8544月21日 2;50 27,8784月22日 4;30 25,3684月23日 4;05 21,3304月24日 3:50 22,6034月25日 2;05 23,5614月26日 4;10 21,8044月27日 3;10 22,5084月28日 3;10 21,8534月29日 5;00 40,137 679,472
2009.04.29
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博多に住んで長いので、郷里の熊本のことが脳から消えていくのでしょうか。ほんの百数十キロしか離れていなのに。でも人生の内の3分1も住んでいないことになる。物心ついてからとなるともっと短いのに時々懐かしくなるのはなぜでしょうかね。高群逸枝の学生時代の自叙伝を読んでいたら、矢鱈知っているところが出てきました。彼女たちのように苦しく切ない貧しい暮らしを知っている訳でもないのに、目に浮かぶように感じられるのは不思議です。本妙寺は、明治の頃参詣者目当てのライ患者が集り、それを見たイギリスの貴族の女性が、収容施設を日本で初めて作りました。私は、そのすぐ近くで育ちましたから、ハンセン氏病の患者のひとたちを見かけています。なんと表現したらよいのかわかりませんが、こころの底にのこっています。おそらく、実際の自分の思い出と、その後に読んだ色々な書籍で、自分の脳が漠然としたイメージを作り上げているかも知れません。墓場まで持っていくことになるでしょうか。
2009.04.29
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私たちは、自分をエゴイストにする権利はない。そんな絵空事でもない。産まれた時は、誰かの手を借りなければ生きることさえできなかったし、ことばも何も知らないし、歩くこともできなかった。生かしてくれたのは、この社会と周囲のひとたちだ。自分の食べ物を減らして、自分の遣りたいことを犠牲にして喰わせ、育ててくれたからだ。もうそんな時代ではないと君たちはいうだろうが、少なくとも自分たちが赤ん坊を一人前になるまで育てて見ればわかるが、子育ては容易ではできない。時間と金と膨大な投資であることに驚くだろう。そして、その投資を確りと清算できる人間がこの世にどれだけいるだろうか。育ててくれたからではない、生かしてくれたのは自分たちの環境であり、育てたオヤたちだ。そのことを知らないということはできない。私たちが当然と思って享受してきたものは、謂わば綺麗ごとではないものばかりではないだろうか。自分の吐く息の臭さを知っているだろうか。自分の本当の姿を知っているだろうか。綺麗に着飾ったひとたちが、エゴイストになり、自分を育てたひとたちを無視しようとするのは、少なくとも人たるに価しないと思う。自戒をこめて。
2009.04.29
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晴天で気温も20℃くらいだったので、歩いていて気持ちが好かったし、歩数も3万歩くらいだったので、疲れもあまり感じなかった。丁度体力に相応しい距離ではないだろうか。6時間くらい歩いたことになる。去年の今ころは入院していて、検査の結果、「大ものが出てこなかったので、好かったですね」と担当医に云われたころだ。それで、心措きなく歩こうと思ったいたころでもある。あれから1年間7百万歩を歩いたことになる。そんなことを思い出しながら歩いてきた。 ・海の中道海浜公園は、流石に普段の休日よりも人出が多かったが、敷地が広い所為かそれほど混雑しているようには見えなかったが、園内放送で、自転車が返却待ちになっているいう話だったので、やはり人出は多かったようだ。家族連れの人たちを大勢見かけた。イベントもあちこちであっていたようだ。私は、薔薇園のバラが目当てであったので、潮見台で玄界灘をみてから、薔薇観賞に直行した。 ・へ2・・・入園したとき「バラフェア」というパンフを貰ったが、5月中旬から6月7日までになっていたので、まだ早いことを知った。鳥渡思惑は外れたようだが、近所のバラは咲き始めているので、少しは咲いているだろうと思い直した。成程、まだ早い感じだったが、それでも咲き始めていて、結構楽しむことができた。バラ園の中のテーブルで、手作りの弁当を食べながら写真を一杯撮ってきた。それでも、また行くつもりでいる。やっぱり年間利用券を買おうかな、と考えている。
2009.04.29
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星の王子さまの物語に薔薇の話がある。どこにでも薔薇は咲くだろう。そして薔薇を愛する人は多いに違いない。我が家にも毎年忘れないで薔薇が咲いている。何もしないのに毎年咲いてくれる。他人の庭にも薔薇が咲く。中には惚れ惚れすりょうな薔薇の樹を見かけることがある。その華麗な薔薇に感動する。 そういえば、ブーゲンビリアにも棘があって、手入れをしていたら指に刺してしまった。中々手入れが大変だ。美しい花には棘がsるという喩えは意味深である。薔薇の棘はまあ可愛いものだが、心の棘にならないようにしなければ他人を傷つけることにもなりかねない。 これから、我が家では、薔薇のシーズンになるだろう。毎朝花の蕾の膨らみをみるのが愉しみである。少し元気を貰いたい。 海ノ中道海浜公園の中にも薔薇園のバラを見てきます。
2009.04.29
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ものごとが辛辣になってきているのではないだろうか。ひとがこころの体温を失いつつあるのではないだろうか。そんな気がする。鋼鉄の人間になろうとさえしてはいないか。体はマシーンになるのではないだろうか。脳だけで生きている世界が近未来に現出するのではなかろうか。あらゆる可能性があるに違いない。不可能とされたことがことごとく突き破られるのではないだろうか。「青いバラ」も、もう不可能ではない。 ・人と人との関係が冷たくなるばかりのような気がしている。今日は一日晴天のようだ。雲ひとつない青空だった。 ・へ2・・・少なくと穏やかにことは進まない。躓けばそこで終わりになるかも知れない厳しさがつき纏って来たかも知れない。へばりついた垢が取れなくなりやがてシミになっていくようになるのだろうか。辛辣と感じるのは年齢だけの所為ではないかも知れないが、態度を変える者たちがいるのも事実だろう。愚劣な連中に付き合うつもりはないが、そういう社会だということが悲しい。光と影がある社会だ。だからこそ、どう生きたらよいか、滅入らないための努力が必要だ。いまこれからピクニックに行く準備をする。そして出かけてきます。
2009.04.29
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GWだし、国営の海の中道海浜公園も混むでしょうね。この時期を逃したら、薔薇園のバラも見れないかも知れないし、晴天だし、取り敢えず行ってみようと思っています。そういえばもう随分前、妻とGWを利用して東京デイズニーランドに行ったのですが、待ち時間が長くで諦めたことがあった。人の多さに圧倒された。こんなに人間がいるのかと思ったものです。 ・段々フットワークが悪くなっています。考えないで体を動かしても、後で理由を見つけるのが苦労せずに出来ていた若い時と違い、これからは何でも先に考えてしまってできなくなるのではなかろうか。土台、それほど器用でもないから、自分にできることと言えば大したことではない。苦手なことをしなくなるから、愈々世間が狭くなる気がします。 ・へ2・・・それほど遊び人間ではない。だからそのくせ遊びたくてしょうがないところがある。休暇が始まるのを心待ちにしていた。皆同じでしょうが。これから少しウォーキングをして、昼前に湾岸電車で、公園まで行き、フラワーピクニックをして帰りはウオーキングして帰るつもりです。天気も好いようだし、薔薇の写真が撮れるのではないでしょうか。皆さんもGWを楽しんでください!
2009.04.29
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6人部屋に今日は2人になった。80歳過ぎの老人だが、色々と病気がちのようだ。何度も手術をしておられる。脳梗塞もされたようだが、再検査されるらしい。他にも検査があるそうだ。これまで九大とか、色々の病院も経験されている。足も杖を遣っておられる。それにしても、元気だ。何故不屈の精神を持っておられるのだろうか。一度や二度の手術は、ここでは普通の患者ばかりのようだ。ひとつを悪くすれば、連鎖反応もあるかも知れない。 ・然し、それでも病気に負けまいという気力もあるのではないだろうか。少なくとも信仰などではあるまい。信念だろうか。今日退院した73歳のひとは、世の中に逆らわないで受け入れてそれでもなお自分を忘れないというようなことを言われたが、そういう処世術なのだろうか。果たしてそれができるのだろうか。少なくと70歳、80歳となった人たちは、この社会とどこかで折り合って生きてこられたのだろう。それは凄いことだと私には思える。癌になっても、めげない精神力があるのだろう。あやかりたいものだ。 ・へ2・・・老人の知恵というのは侮り難いものがある。ただことばでは済まないものがるだろう。手術も自分でされなければ解らないものがあるに違いない。それに耐えたということは、耐えられなかった多くの人もいたに違いないからだ。生き残るということはそういう厳しさに打ち克つことでもあるだろう。夜何度も起きておられた。高齢者ほど夜は眠れないものらしい。生きることは闘うことなのだと痛感している。また長い夜が来る。
2009.04.28
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久しぶりに家族で外出してきた。丁度一年前、入院していた病院のある街のデパートに行ってきた。よくここには福岡市の隣の町で郊外型のデパートであり、よく家族で食事や買い物に来ていたものだ。入院した時は散歩がてらに気晴らしに来ていた。それを思い出していた。どんな運命が待っているか分からないと思いながらその時はいたが、今はそんなことを忘れている。 ・何度か、切り抜けてきたのだろう。そして、やがて最後もある。家族と何ということもなく出かけてきたが、感慨がないでもない。元気だった人が、思いがけないような別れをすることもある。デパートを妻子と待ち合わせをして、本屋で野菜作りの本とか、東南アジアのガイドブックを覗いたりした。どうも妻子のショッピングに付き合うのは苦手である。 ・へ2・・・1年前、と今年の違いがあり、そして来年はどうしているのだろうか。随分デパートの改装があったようで、以前と違っていた。デパートも不況で大変のようだ。いま豚インフルエンザで騒いでいるが、来年振り返ったとき、思いがけない結果になっていないとも限らない。然しものは考えようなのだろう。暗く考える必要はない。偶には家族と出掛けるんも愉しいものだ。細やかな家族の温かさと喜びを感じもした。
2009.04.28
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図書館まで徒歩にしようかと思っていたのですが、サイクリングをしてきました。ついでに図書館の帰りに玄界灘を見たいと思い遠回りですが、ぐるりと奈多方面を走りました。宅から10キロ以内は、全方位で歩いているので土地勘はあります。新しい団地ができていて、道路の整備が素晴らしいところがあります。「ストリート・グリーン賞」を受賞したとの標識がありましたから公式に認定されている。自転車で走るのは勿体ないくらいの道路です。殆んどが生垣で、街路樹が綺麗でした。 ・その先に、雁の巣公園に通じた「さわやか健康ロード」という市民の散歩道があり、そこも松林の中を歩く舗道があります。東には玄界灘があり、周辺は保安林になっているので、ハイキングにはもってこいのところでもある。玄界灘を見ながらおにぎりで昼食にしました。誰もいない砂浜で、美味しい空気を吸いながら食べてきました。私のミトコンドリアも喜んでいたことでしょう。これでまた少し長生きができそうです。 ・へ2・・・明日も天気が良ければ海の中道に行こうかと思っております。遊んでばかりですが、まあ、できる時に行っておきたい。バラ園がどうかなあ、と思っていますが、然しGWで入園者も多いでしょうね。それだけイベントもあるだろうと思います。できれば、帰りは歩いて宅まで帰るつもりです。公園は、約8キロくらいの場所にあります。
2009.04.28
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花がつぼみを破るのは何故か。果実が花弁を散らすのは何故か。熟した種子がさやを壊すのは何故 か。それは、先行するものが残り続けたら、後続するものが存在し得ないからだ。先行するものが重要 であれば後続するものがいつまでたっても現われないことになるだろう。 完璧でないから、引き継がれるし、進化もあるのだろう。多くの存在は、帰結のための前提だろう。 つまり、前提は、帰結というものこそ前提のあり方を正しく解明し発展させ完成させたものだという、まさ に帰結のもつ意義を否定しようとしている。前提の方が帰結の存在権を否定している。娘が母に対し て恩知らずなのではない。母の方が娘を認知しようとしない。根底においては、娘の方に高次の権利が あるだろう。以前のものが利己的なのは、それが自己は欲しているが発展を欲しないからである。 「認識の鍵を有すれども、なかに入らず、また入らんとするものを妨げている」 (ブルーノ・バウアー「ユダヤ人問題」より) >玄界灘。
2009.04.28
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なぎさ私は、自分を単純な人間だと思っている。然し複雑な社会が待ち構えている。人生は五十年で生きた時代ではない。勿論昔が良かったというつもりはない。つい昨日まで大衆は価値観や世界観がそれほど変わらずにライフスタイルを続けられていた。ただ目先のことに目を向けていれば、それが貧しい生活だったとしても我慢できたのだろう。世間並みであることが謂わば目標ですらあったかのかも知れない。今はどうだ。あらゆるフレームワークがなくなりつつある。ごちゃまぜの自由があるだろう。謂わばスープの海がある。日本人が、かって、誇り高い民族だったなどというつもりもない。大してプライドをもっていた訳でもなく、ただ国に忠誠を強いられていたに過ぎない。隷属していたと言っていいだろう。憲法を押し付けだと騒いでいるが、そんなことはいま気付いた事でもない。昔からそう皆が思っていたのだ。押し付けられていたのは、憲法ばかりではない。主権も人権も民主主義も抑圧されていたではないか。またぞろ私たちは、「なぎさ」にいる。あるのは、裸の日本人たちだ。青い海と宇宙が見える。これから、何ができるだろう。また砂漠に戻るのか。海に乗り出すのか。宇宙に旅立つのか。私たちはじっとそのことばかり考えている。
2009.04.28
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まだウオーキングを始めてこの4月で新二年生なのだと。5時過ぎに宅を出た。これから朝のお出かけが早くなりそうだ。流石に二年生になると足腰が少し確りした感じがする。後ろから若い女性に追い抜かれたが、少し後ろから追尾してみた。どうやら私よりも初心者のようだった。どうやら歩く姿で分かるようになった。意地悪をしてみた。後ろから追い上げてみた。彼女の息が上がってきたようだったので途中でやめた。他人と競争しても意味がない。それぞれのペースで遣れば良いことだ。 ・朝日が綺麗に見えてきた。今日は晴天で気持ちが良かった。もう吸い込む空気も冷たくはない。肺の中で空気がほんわかと温かい。こんな澄んだ空気を吸っていたら、この一年また生きていられる気がしてくる。いや10年だろうか?欲張りなのだろうか。それとも欲が出てくるのかも知れない。何か生きていられる気持ちがしてくる。 ・へ2・・・朝の散歩をすると止められなくなる。自分が生きている実感がする。朝日はそんな勇気を与えてくれる。今日は図書館に行く日で、明日は海の中道公園に行く日にしようと思った。弁当を作らねばならないあー。さて、今日もガンバロー。
2009.04.28
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ゲシュタルト心理学「全体は部分の総和ではない」という基本的なステージだ。視覚研究に発している。そのまま聴覚に適用することはできないが、周波数や音の高さがキーになるとともに、時間の重要性が増すという。例えば、匂いにしても脳との関わりはこれからだろう。人間の脳は、あらゆる情報で判断しているのだろう。好き嫌いにしても視覚だけではない。音楽が果たしている役割もまだ総体が見えていないのではないか。日本人は、和歌や短歌という凝縮したもので、自分の感情や思いを伝えようとしたが、それは、多分、誤解をされただろう。もし有効だとしても、それは人間のほんの一部のこころでしかない。音をことばに置き換えようとしても、収まらない。また、そこに価値があるのだろう。目や耳や鼻でさえ、そうだし味覚や、触覚でさえ感受性は磨かれる余地がある。これらの感覚様相の、相互の関連を知ることがいよいよ重要になってきている。古いゲシュタルト心理学から現代の認知心理学での見直しがされようとしている。進化と学習との関係について Bragman が注目されている。
2009.04.27
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「老人と海」の少年 少年は、大人たちには見えないものが見えるのだろう。老い耄れた老人を愛して止まない。それは、輝く宝石のように見えるのだろう。それは、大いなる想像力でもあろう。聴こえない歌を聴いている。見えないものを見ようとするのは進化を後押しいているだろう。今あるものはいづれ過去になり、新しい価値をもつものが創られる。現実しか見えないものは、未来に沈むものたちだろう。旅を始めたものたちがもつ未来への投資は、報われても報われなくとも、それは人生そのものでもある。老人は、はかない獲物を捕らえるが、その感触だけが残るだろう。それは、夢だろうか。少年だけが、明日を生きるだろう。貧しさや、苦難ヤ、老人たちは、少年への贈物ものをもっているのだろう。
2009.04.27
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谷崎潤一郎なら、金輪際自殺はしない。絶えず周囲からちやほやされいなければ淋しくてならない芥 川の性格は、多分文壇出発時のめぐまれ過ぎた環境に影響された弱さからきていると思う。ここ一、 二年を乗越えられなかった芥川の弱さが、彼の自滅へと繋がった。それは、現代のエリートたちにも共 通するものだろう。ここ数年が耐えられないやつが、何十年間かかるスキルに参加できるはずがない。 必ず、波があるだろう。デッドロックは、それこそ普通に存在するものだからだ。人生そのものが、劇的な 喜劇であり、悲劇だろう。それを、緩和して生きているのは、ここ数年間を乗越えて生きるだろうという 思いなのではないか。ここ暫くは、苦しみや痛みに耐えようと決意することさえできれば、芥川龍之介は 大作家になっただろうか。漱石が芥川の、「鼻」を誉めたのは、ただよくできた小説を誉めただけで、芥 川の才能を誉めたのではない。芥川は日本や中国の古典の翻訳者でしかない。現代のエリートと共通 する特質がここにある。自分を過信して、本質を見抜けないことだ。少しの躓きで、すぐ歩くことができなくなるだろう。
2009.04.27
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地球46億年の長い進化の過程で人類は誕生した。その進化の歴史は、私たち一人ひとりの体に刻みこまれている。それは確かな事実だろう。そこから物事を考え始めねばならならない。そうすると確かに科学技術の発展は目を見張るものがあるが、人間の種としてのヒトの人体の進化は殆どどうだろうか、そして脳でさえ巨大化が重要だとすれば、平均1400gから増加しているだろうか。2000年前に生まれたイエス・キリストを神とするなら、それを学んだ成果とはなんであろうか。マホメットや仏陀を超える人が、その後出ないのは何故だろうか。人間としての本源的な力が増しているだろうか。哲学は進化したか。 ・少なくとも人間誕生の軌跡が証明ができたとしても、それは人間にとってこれまでの数世紀にわたる、あるいは数10万年かけた歴史の蒙昧を浮き上がらせるだけではないだろうか。だが、ネガテイブ・マインドをどれだけ寄せ集めたところで人生の否定でしかないだろう。何も、破壊してしまえというのではない。拡大解釈をやめて等身大で人間を見、やってきた歴史を見直さなければとんでもないことになるのではないかと心配するからだ。少なくとも間違っている政治がおこなわれ、人間の本来持っている正しい進化というものがないとしても、その進化とは何かを知り、真実を明らかにすることが大切なのではないだろうかと思うからだ。 ・へ2・・・善悪を決める権力は誰が決めてきたか。そも善悪とは何であるか。その境界はその時代の持っている人間たちの判断力でしかなかった。そしてローマ人と私たちの理性の違いはそれ程進化したとは言えない。環境の違いでしかないのだ。喜怒哀楽が進化しているわけではない。もう数100年も同じ「わからない」を繰り返してもいる。ポアンカレ予想を解く力のないものが彷徨い続けているだけではないだろうか。人間は凡庸化するためだけにあるのではあるまい。 ・私たちは何かをリピートするだけのためにだけ生きているのではない。その繰り返しのなかから新しいものを見出し、さらにそれを追い求め、知り、生かさねばならない。それが進化と言えるか、どうかは子孫たちが決めてくれるだろう。 ・へ2・・・忘却の彼方に消えていくものがあり、それがどこかに残っていくものがある。その証人としての役割が私たちにはあるに違いない。
2009.04.27
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どうやら寒気も去ったようで暖かくなり、今日最後のウオーキングは爽快だった。今夜で61万歩を歩いたので4月度の1日2万歩を月度で3日間を残して達成できたようだ。東の空に三日月が浮かんでいた。その下を福岡空港にタッチダウンするジェットが数分おきに北から南の方向へ滑空しているのが眺められた。私の歩いている舗道が丁度東西に往復するので、西から東に歩くときにそのジェットのライトが真正面になる。 ・私の目がライトを追い、耳は、ジェットの音を風の中で聴いている。そして私の鼻は夏の匂いを嗅ぎ、そして皮膚も夏の気配を感じていると思った。直ぐ横を車が走っているが気にはならない。夜の暗さと、街灯の光と、すべてが溶け込んでいる景観がある。突然南の方角から、福岡空港をテイクオフしたジェットが鋭い音を立てながら上昇していく音が聴こえ出した。気分は悪くない。 ・へ2・・・どうにか、今月も一月60万歩を歩くことができたという思いが気持ちを軽くしたようだ。小さなことだが、まあいい。そのうちできなくなるだろう。できるということが大切なのだろう。それはできなくなって感じるに違いない。できる時に遣るしかない。五感を研ぎ澄ますことも必要なのだろう。気持ちの好い夜になりそうだ。
2009.04.27
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環境要因(光・温度・湿度・酸素量)などの外部環境を認識し、内部環境を調整するというシステムができあがっているから、私たちは安心して生きていられる。外部環境が大きく変わっても、体の内部環境をできるだけ小さな変動の幅に収めて、安定させようとする機能を人間の体も持っていなければならない。ひとつが体温調節などの代謝ホルモンだろう。そして環境ホルモンという問題が深刻化してきている。 ・そのメカニズムが明らかにされてきている。フロチャートで説明されるようになり素人でも解りやすくなり、一部は理解もされるようになってきたと思う。つまり翻訳されるようになったのだろう。ただしシラバスでしかない。下手な誤訳を読んで理解したと思ってはならないのだろう。明治以後外国の事情紹介が、誤訳を信じて誤解だらけであったことを思えばいい。少なくとも化学反応についての解析のそれはへたな通訳の誤訳だらけの話ばかりなのだろう。優れた通訳がいるのだ。それこそ、政治家は科学音痴ばかりだろう。そのひとたちや一般市民にも分かり易い言葉で、科学的真実を説いていかなければならない。それは重要な課題でもあるだろう。それは経済合理性の優先社会では隘路だろう。 ・へ2・・・或る講演会の中でレイチェル・カーソンが出てきた。大量に散布される農薬の野生動物への影響を訴えた学者として紹介されていた。(1962 「沈黙の春」)それとシーア・コルボーンの「奪われし未来」(1996)など。化学物質が動物の体内でエストロゲン様作用により生殖機能障害をもたらしているのでは?ということらしい。ワニのオスのメス化した例が話題になった。外因性内分泌かく乱物質が介在するがそれが工業用洗剤の中に包含しているオクチルフェノールと呼ばれるもので、魚類で精巣卵ができたという機序らしい。人への影響については確認されていないというだけではないだろうか。まさに忍び寄る危機であろう。
2009.04.27
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カストロフィ 種の絶滅の急激さとは、環境の急激さに必ずしも比例せず、緩慢な環境変化が進行し、ある臨界点を超えた瞬間に一気に絶滅するのだという。たとえば、水生の生物は、じりじりと死んで行くのではなく、ある許容範囲を超えると一気に絶滅するパターンをとるのだ。それまでは、元気に泳いでいるのだという。他の種は平気だったりする。 たった1℃~2℃の境界線でしかないという。或いはその差はコンマ以下もある。徐々に進む環境の変化に対して生物は、寧ろ鈍感でさえある。危険なものから逃れようとする余り、その時期を見失うのかも知れない。 自分に口実を与えて何時までズルズルと日々を過ごしてしまっている自分がいないだろうか。やがて、自分のためだけの「ヘイフリックの限界」が待つ。 身体を張ってひとは、生きているだろうが、上を向いたり、下を向いたりして前を見損なうらしい。今の自分に気づかないまま時は流れて、その時は深まりつつある。 <P.S.> ・段々と一年のサイクルというのが早まりつつある。来年のいまごろ麻生政権はあるだろうか。あらゆる不確定要素があり、それが決定的なものにならないとも限らない。あまり明るい材料はないが、人間は困難に立ち向かうだろう。「減数分裂」は、生物が選択した戦略であることには変わりはなく、それが生き残るため生物が選んだ戦略でしかない。
2009.04.27
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大風呂敷を広げて見せる人間さえいなくなってはいないだろうか。それだけ世界がせまくなったのだろうか?誰にでも解答できるクイズのようなテストの正解で優秀だからと言って、この世界で通用するわけでもない。何の役に立つのか分からないような勉強をしたところで、それは創造力を養いはしないし、社会に出て役立つようなスキルにもならないものばかりだ。自分で工夫すれば家の中で大学の勉強くらいできるだろう。孤独に耐えてトンネルを掘り続ける探検家がいつか地上に出てくる日があって欲しい。 ・毎日夕陽を見に行ったところで、違うことは起こらない。違うことばかり求めても中味が同じでも進化はしない。どうもショートばかりしている。或いは簡単なことしか求めていないのではなかろうか。自分に甘い人間は駄目だ。己惚れ屋も駄目だろう。お山の大将ばかり追いかけている政治家ばかりではこの日本も長いことはない。 ・へ2・・・このままでは或る意味「日本沈没」だろう。島が消えるのではなく、日本民族がいなくなる。子孫はいても子孫ではない。先ず言語を失うのではなかろうか。日本文化がなくなるだろう。だらだらと暮らしていたらそうなる。ゾフィ・ショルは言う。 (『白バラは散らず』P.110/インゲ・ショル・内垣啓一訳/未来社) 私はもう一度、すっかり同じことをやるでしょう。考え方のまちがっているのは私ではなく、あなたがたの方なのですから。
2009.04.27
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スペイン語で「ベルーガ・ペルアーナ」と呼ばれている「ペルーいぼ病」の血液を自分の体内に入れた医学生ダニエル・カリオンは、確かに無謀な遣り方で自分の体を実験材料にした。彼は戦争の悲惨さを体験し26歳で医学の勉強を再開した。そして全力を傾けてペルーいぼ病の研究に没頭した。健康な人間が初期症状で血液の接種が必要だった。当時考えられていた蛙や水質ではなくこの病気を人から人に移すことができれば、ばい菌が原因である。 彼はカルメンという14歳の「ペルーいぼ病」の少年の患部から、その血液を(教授の協力で)感染したメスで自分の両腕に刺させた。そして記録をとっていった。事態は思わぬ展開を取り、彼は死んだ。カリオンは「なるようになる。どうなってもかまわない。自分の体に接種したいんだ」と友人たちに覚悟を語っていた。 「今日までぼくは、自分がペルーいぼ病の初期段階と思っていた。・・・これは、アラルコ博士が指摘していた、オロヤ熱とペルーいぼ病は同じ原因で起きている。ぼくの症状がその明白な証拠だ」「きっと自分は助かるだろう」と語った。 墓碑銘には、 ダニエル・A・カリオン 1885.10.5 医学校6年生 科学への愛に殉ず・・・ カリオンの実験のあと、ペルーいぼ病とオロヤ熱がじつは同じ病気で、メディカル・ステージが違うだけだったことが明らかになった。原因はサシチョウバエによる感染だった。ペルーの渓谷地方にはおなじみのハエだ。カリオンは今でもペルーの英雄とされているという。彼の実験のおかけで研究が一気に加速し、国民の関心を高めて研究者の時間を短縮させた。マウスではなく、ヒトと猿の一部しかこの病気にかからないからだ。 何故カリオンは死んだか。バルトネラ菌に感染したサシチョウバエが人を刺すと、菌が皮膚の中に入る。カリオンが接種した血液には、この虫に数百回刺されたのと同じくらいの菌が含まれていたといわれる。彼の体が闘いに勝てる見込みはない。 カリオンの勇気は医学の進歩に貢献した、だが彼自身にはそれが自らの最後となってしまったのだ。
2009.04.27
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【ジュネーブ=藤田剛】世界保健機関(WHO)は25日夜(日本時間26日朝)、メキシコ、米国での豚インフルエンザの人への感染を受けて同日開いた緊急委員会の結果、「最近の状況は国際的に懸念される公衆衛生の緊急事態」との認識で一致したとする声明を発表した。 ...(WEBニュースより) 人びとの知らないところで人類を脅かすような危機が始まっているのではないだろうか。それを知らずにいる。科学者の警告を無視してきたところがある。経済の合理性が優先されて来た。然し、バブル経済を止めることさえ容易なことではできなかった。アメリカの金融資本の危機もそうして生まれた。中国とアメリカの今日の密接な経済関係を、中国とアメリカの大衆はどれだけ理解しているのだろうか。 ・一つ間違えば、世界の危機に発展する要素をはらんだものが、沢山あるに違いない。イデオロギーの相違や、宗教の宗派の違いだけではすまない。これまで何でもないと思われてきたことが暗転するだろう。誰と誰との戦いの構図が変わる。見方が敵になる。敵が味方にもなる。敵の敵は味方とは限らない。 ・へ2・・・豚インフルエンザは、どんな展開を見せるだろうか?CNNは、終日そのニュースを流し続けている。何が起きているのか?知ろうとしている人たちがいる。一刻でも早く事実を知るものが、それだけ早く対応することができるかは分からないが、最新情報を持つ者たちが、世界で生き残ることができるからだろう。
2009.04.27
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どうも訳のわからないのは他人様ばかりではない。自分のことも自分で時々わからない。だから他人のことを笑うつもりはない。昔の人たちは恐らく私たちよりももっと分からないことが多かったことだろうから、さぞや困ったことだろう。天を見上げて怨んだことだろう。 勝手なことをいい勝手に自己満足しているのだろう。そいつを態々言うこともないのだろう。個人の理屈は、理屈として何のことでもない。泡沫の如きものだ。自分のスケールで社会の広さを知ることはできない。只の蒙昧でしかない。真面目に遣ろうと思えば思うほど陳腐にもなるから時々は、脱皮せねばなるまい。裸も儘では生き延びることはできない。生き延びる知恵があるかだろう。 そこにある海は海ではない。ただの池のようなものだろう。そいつを海だと勘違いして人生を誤るのだろう。けちな池は大海ではないのだ。自分の内にあるのも海ではない。自分の目の前の池を海だと思う奴は阿呆という。阿呆が多いのは困ったものだ。
2009.04.27
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チープなPCで、「きょうぼく」さえ「喬木」とは出てこない。「今日ぼく」なのだそうだ。時々日本人を莫迦にしたPCではないかと思ったりする。PCを作る奴の教養が知れる。棄てられるものが怖い。「喬木にうつる」とは、「詩経」の「幽谷より出でて喬木に還る」から。逆境から順境へ変わること。漱石は転居の時「喬木を下って幽谷に入る」と手紙に書いている。この社会で「何が、「喬木」か」、知れたものではないが、草木はあっても「喬木」が育たないでは困る。 ・小利口ばかりでは国が滅びる。それこそ人びとは、幽谷に埋もれているのではなかろうか。いつまでもそこで暮らしていくつもりではないだろうか。「江湖の処士」としては心配している。因みに「処士」とは、民間において仕官しない人である。 ・へ2・・・「喬木」にうつりたくてもできないひともいるだろう。できる人がせず、できない人がそれを望んでいるかも知れない。アイロニカルな世の中でもある。いつも天気晴朗とはいかない。いつまでも蒟蒻問答ばかりしていてもつまらない。
2009.04.26
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こうして、朝から起きて来て、お茶をしながらブログを遣れるのも、私の意志とは関係なく自律神経が働いており、その他の無数ではないにしても数十万か、数百万以上のシステムが動いているからできることでもある。決して単純ではない。いつも当前のように平気でいられるのは、そうさせている何ものかがいるだろう。それが自分と言われるモノの内と外にある。私が考えるのも仕組まれたものだろう。 ・因果のないものはない。写真もデジカメの性能と、被写体と光と、諸々の条件があって出来上がる。豚インフルエンザも、麻生内閣も、これに至るプロセスがあって出てきた結果には相違ないのだ。何故麻生首相でなければならないか、それは多分に恣意的なものでしかないし、それをサポートするものが背景にあるからだろう。偶然か必然かを問うまでもあるまい。騙しのテクニックが政策だと思っている輩がまだ存在しているという。愚かな権力者でしかない所以でもある。 ・へ2・・・「江湖の処士」という言葉が気に入ったの使ってみた。ただ語呂がいいだけだが。ソーシャル・ステータスがすべてではない。権力をもつ者と持たないものを区別した方が便利だから使っているだけだ。それを無視しなければならない時が来る。それを決めるのは誰だろうか。朝起きてきたが、それにはプロセスがあり、根拠もある。それを一々証明しないから、いま在るのではない。あるからそこからスタートしている。何でもないことが大切なことがある。ぼんやり見ている自分の目が、いつかは閉じるだろう。
2009.04.26
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霊に憑かれたサカ(Saka)のspirit possession は、劣位のものが優位の者に抵抗する一つのかたちで在る。初期の人類学は、キリスト教の信仰のみが唯一の宗教という視点からスタートしている。従って、キリスト教の信仰からみた辺境の異質で、理解しがたい、グロテスクな信仰だという考えである。自分たちは文明社会で、大人の合理的な宗教であるという。それに対して、その対極としての未開社会であり、子どもっぽさ、非合理的で、野蛮な信仰でしかない。それは西洋合理主義におさまらない、はみだしたものでしかない。現在に措いて、それは払拭されているかといえば、そうではないだろう。あらゆる側面で、その視座があるのであって、そのことを忘れては、その認識は一歩も先に進めない。何もこの社会は複雑でも何でもないが、見せかけの世界が横たわっている。その歴史はながい。宣教師が、世界を飛び回ったのは、この世界にどんな宗教があるかを知りたかったからだろう。そして、キリスト教が、大人だと思ったのだろう。その差別意識が消しがたく学問の世界にもある。それが西欧型の思想の限界でもある。世界を知ってしまったという考えは、異教徒への侮りに変わるだろう。サカの spirit possession に限らず、霊の命令と称して、欲しいものを手に入れようとするのはいまの時代にもかたちをかえて存在するが、キリスト教徒も宣教師以来、同じ誤りを繰り返している。
2009.04.26
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自己管理表からこれまでの記録より年月 全歩数 HbA1c 月日 起床 歩数2008年4月 258,124 4月1日 4;20 21,4972008年5月 461,505 ー 4月2日 3;30 22,3682008年6月 454,828 6.7 4月3日 4;05 25,0562008年7月 492,053 6.0 4月4日 3;00 22,7152008年8月 479,175 ー 4月5日 4;10 22,0552008年9月 607,612 5.8 4月6日 3;10 20,6662008年10月 635,399 5.7 4月7日 2;20 21,1402008年11月 562,374 5.7 4月8日 4;15 24,0102008年12月 629,723 5.8 4月9日 3;55 20,1102009年1月 628,603 5.7 4月10日 4;30 20,9232009年2月 587,391 5.9 4月11日 3;20 23,7732009年3月 700,366 5.9 4月12日 5;02 21,6602009年4月 594,974 ( 26日まで) 4月13日 3;50 22,937 合計 7,092,127 4月14日 2;00 21,517 4月15日 3;10 33,717 4月16日 2;30 22,654 4月17日 2;05 20,415 4月18日 2;00 21,020 4月19日 2;50 23,343 4月20日 2;20 20,854 4月21日 2;50 27,878 4月22日 4;30 25,368 4月23日 4;05 21,330 4月24日 3:50 22,603 4月25日 2;05 23,561 4月26日 4;10 21,804 合計 594,974
2009.04.26
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陽射しに誘われて周辺を歩いてきた。サクランボが色づき始めていた。銀杏の若葉が夕陽に輝いて見える。今日は黄砂が少ないと見えて、遠景の山々がすっきりと見えて清々しい気分だ。ゴルフ場の躑躅も、もう半分は枯れ始めている。見頃を見逃すと、開花のチャンスを逸してしまう。どうやら藤の見頃も過ぎたようだ。菖蒲はどうなのだろうか。薔薇の時期もどうなのだろうか?GWでいつも海の中道海浜公園に薔薇を見に行っているが少しずれてしまう。 ・それにしても、ここ数日寒いが、周辺の新緑が鮮やかで、里山も歩いていてうきうきしてくる。好い時期は短い。九州の夏は、駆け足で遣ってくる。ツアーから帰った娘の話では、バンコクは41℃だったらしい。流石に赤道に近い。 ・へ2・・・もたもたしていたら、もう5月になりそうだ。一年も4か月過ぎる。新緑と騒いでいるうちに、時は矢のように過ぎてしまうだろう。「吾輩は猫である」の中で、苦沙弥先生を「の中の一軒家に、無名の猫を友にして日月を送る江湖の処士」と称している。猫も死んでしまったが、小生も、江湖の処士に相違はない。 >さくらんぼ
2009.04.26
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Newton で「アミノ酸の”形”が老化の鍵?」という興味深い記事が載っている。これまで、地球上の存在する生物のもつアミノ酸は、すべて左手型といわれてきたが、最近になり右手型が発見されたという。然も、老化との関与が注目されているという。紫外線によって右手型に変化するかも知れないという。顔の皮膚に右手型が多く、背中の皮膚には少ないという。研究はこれからだ。 さて、「火の国の女の日記」ノートからを一部引用する 「生命ほど美しいものはない。だから生命の死ほど空しくて悲しいものはない。われわれの伝記は生命への美しい反面と死への悲しい反面をもつ。このように美しく、またはかない生命をもつわれわれ相互は決して憎しみ合ってはならない。愛し合わねばならない。 生命に充足して死を思わない若い日の姿は人間でも鳥でも獣でもなんと美しく愛らしくせいいっぱいに生きていることだろう。だがそれらが老い、病み、やがて死んで行ったとき、それらの姿は,なんといとしく悲しいものだろう。こう書く私もまたもちろん同じ道を行く生命の一員でありことには疑いがない。」 と、高群逸枝は70歳の時に書いている。 少し自惚少女に過ぎない彼女が、やはり幾つかの試練に耐えながら成長している。当時としては、やはり多彩な才能を発揮した女性なのだろうと思う。それにしても、自伝によると熊本で、よく知っている意外と身近なところに住んでいたらしい。私の氏は珍しいのだが、縁戚かどうか知らないが平凡社の下中に紹介した人物で出てきたのには驚いた。その人の妻と逸枝は友人だったようだ。
2009.04.26
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予 見 す る こ と 過去の歴史を学ぶのは、明日を予見するためだ。現在を注意深く観察できれば、自分が何者かも見えてくるだろう。動かしているエネルギーは何を求めているだろうか。過去から、それも135億年前から創り上げられた世界の中にいる。宗教が生まれた遙か遠い過去から、私たちは来たのだ。原始の灼熱のスープからスタートしたのだ。地上の種の多様性は、数千万種に及んでおり、ニッチを求めている。 多くの選択肢があるだろう。個としての自分だけではなく、この国や、国際社会の未来も平穏ではない。人生は、更なるエネルギーを私たちに強いている。再生産できないものは消滅するだろう。アポトーシスさえ準備している私たちの世界は、複雑で、不可解なままだ。まだヒトは、産まれたばかりの場所で立ち尽くしているだろう。暗い大海と彼方の宇宙空間をみているだろうか。 僅かな悩みに沈むことはできない。ひとりひとりが、為すべきことをし、役割を果たすのだ。女は子を産み健やかに育てるのだ。男も無為をなことをせず、その役務を果たせ。 ただ、予見するために全力を尽くすべきだ。
2009.04.26
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ピーマンの苗を買って来た。新しい入荷があり、ピーマンの苗もあった。先日から探していたがどこも売切れていた。簡単なので誰でも植えたがるのだろうか。よく知らないが、去年も植えたが虫がついて碌に食べられなかった。玉名にいたころは数本のピーマンで一夏、毎日食べても食べ切れなかった思い出がある。母が入院して、父と二人でいたが、毎日焼きそばばかり作って食べていた。外に作れなかったこともある。それにピーマンを入れていた。それで野菜を食べているつもりだったのだろう。大して好きな食べ物ではないが、健康に好いというイメージが強かったのだろう。 ・どうやら、私の野菜作りは、一応この夏の分は勢ぞろいした感じだ。場所が狭いので手をかけないとすればこれ位だろうし、あまり仕事を増やしたくもない。昨日から天気がいま一つでモードが落ち気味だが、何とか今年はピーマンをプランターで育ててみることにした。それにしても去年のゴーヤの種は、凄い。殆んど芽を出したようだ。蒔いた時期が良かったのだろうか。こんなに芽が出るとは予想がいである。あちこち植え換えているが、そだったらどうしようかと心配している。 ・へ2・・・旬のものを食べるというのは体にも好いのだそうだ。だから、自分で野菜や果物を作る価値はある。今は農家でさえ自分の家で食べられる野菜でさえスーパーで買う世の中になってしまった。大地が泣いている。折角の陽光が大地に吸い込まれるだけだろう。森の中で進化した種としてのヒトは、故郷を忘れかけている。
2009.04.26
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渦巻く濁流にのまれんとするものがある。せめて一時の安らぎを得せしめよ。新緑の中にあるものは生命の息吹であり、善悪ではない。社会は二者択一を求められるだけの選択ではないのだ。 何か滑ってばかりいる。絡み付いてくる柵を払い除けるだけで人生が終わろうとしているかも知れない。何かに立ち向かい抗うことを続けることでしか、自分を表現できないとしたら遂にはショートしてしまうだけだろう。 応えのない人生を生きていることを早く気付くべきであっただろうか。生命に目的はないのだ。其れをあえて目的を付加した人間だけが、生きることに苦悩しなければならない。 新緑の下で、空を見上げていると、微風が吹き抜けていく、そこにあるのは歴史であり、今の自分の目に何が見えている、と言えるのか?
2009.04.26
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どうやら、これが最後の寒の戻りだろう。GWの前だというのに東北では雪が降っている。福岡もまるで冬のような空模様だ。まだ庭でピーマンでも買って植えようと思っていて、新しい入荷がないか、見に行こうと思っている。またセーターを持ち出しで一枚重ね着をしたところだ。豚インフルエンザが米国で感染拡大の恐れがあるそうだ。世界に拡大しなければよいが。人から人への感染があるようだ。一つ間違えば大変なことになる。まさか、これもアメリカ発にならないことを願わずにはおれない。 ・民族の大移動でヨーロッパができた。アメリカもヨーロッパの移民たちが建国し、世界中から民族が集まって合衆国もできている。謂わば情報の集中が世界の坩堝となり、大国に成長したのだ。かって中国も文化の中華を成していた。歴史の流れは因果をなして進んでもいる。常に世界の情報をいち早く知り得た国家が世界を支配したと言えなくもない。然し、今後は、それだけではないかも知れない。 ・へ2・・・理性のない国家は世界をリードできないだろう。アメリカが理性を衰退させている。中国にそれに代わる理性があるだろうか。EUはどうだろうか。インドは?どうだろうか。人口が多いだけではリーダーになるとは限らない。リーダーとなるべき理性をもつかだろう。経済の合理性だけを優先させた論理では世界は統一できないことは確かだろう。
2009.04.26
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日本の議論はどこか似通った意見が多い。争いを避けようとするあまり議論もしな内に妥協してしまうからだろうか。それとも権力に対する迎合からだろうか。レジスタンスという市民運動も経験もなしに民主主義というシステムを導入したからだろうか。同一民族でしかない日本人の脆弱性は、議論というスキルのなさからくるだろうか。世界は多くの民族の坩堝であり、厳しい対立の中に存在しているのであり、論理の合理性の中で組み立てられた議論でなければ通用しないだろう。何故、違う意見を出して切磋琢磨しないだろうか。 ・何故、反対意見を尊重しないのか。少数意見を先ず訊いていかないだろうか。同じ意見ばかり集めてどうしようというのだろうか。何故視聴率ばかり気にするのだろうか。多数意見が正しいとは限らない。それは最後の判断であるべきだろう。違うことを考える人間がいなければ、日本は自己撞着するばかりだろう。厳しい批判の目を持つべきではないだろうか。それを尊重すべきであり、そして、それを育てる努力を惜しんではならない。そのためには、世界を知らねばならない。日本人と考えの違う民族と接して、比較検討してみねばならないのだ。 ・へ2・・・自分たちと違う考えを学ばねばならない。そのためなら地の果てにでも出かけるだけの熱意がいるだろう。人間は、一人一人個性があり違うのが当たり前であり、世界は<仲良しごっこ>で解決するようなものはない。詰まり、私たちには教師などいないのであり、開拓すべき荒れ地があるばかりであることを肝に銘ずべきではないか。同類では役に立たないのであり、<仲良しごっこ>を続けても仕方がない。
2009.04.26
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