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月と火星部分的記述を取り上げて批判することは容易なことだろう。何を語っているかを見なければならない。部分的には間違っていなくても、間違った結論を誘導するものもある。 ・へ2・・・文脈を読み説くには、それだけ慎重であらねばならない。殆ど謂わば汚染された書物が多いのではないか。最近感じることは、日本という国の、そして文化のアイデンティティの欠如だろう。 ・冷えた眼が増えているのだろうか。それとも無関心だろうか。べっとりとへばりついてくる文章が多いかと思うと、自己撞着の歪な観念でしかないものが名のある文学賞をとったりする。二十歳にもならない頭だけの一人称でしかないのに、妙に時代に甘い評論家たちがいる。 ・へ2・・・世間に阿て、物を正しく判断しないからだろう。善悪が確り根付かずに大人になり現実の社会さえ知らないまま博士号を取得してしまうからだろう。取得するだけの博士号でしかないからだろう。定見もないものがくだらない出版をして、みそもくそもわからなくなっている。 ・この無性に胸がつかえてくるものはなんだろうか。君はどこまでそれを表現できるだろうか? ・へ2・・・口惜しいがそれができないでいる。あがき苦しむことが足りないのだろう。
2018.07.31
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権威主義は、現代人にとって安易な妥協であろうか。全体に従うこと、上部の決定に従うように教育されてきた。 併し、この教育は「自己の責任において行動し、正常な状態では、各人が自由かつ大胆な主体性 を発揮する」という教育で補完されねばならない。謂わば、それが公平とはいえない状況の中で わたしたちは、立たされている。知るチャンスのないものには、知ることができないだろう。 ゆるやかに時代は流れているだろうか。それは、個人が置かれた環境によるだろう。そして、時も ある。昨日まで、安定した生活が約束されていたとしても、今日は違うかも知れない。約束してく れるものは絶対ではない。国家でさえ、国民との約束を裏切ることがある。 人の歯もいつか抜け落ち、足も歩くことができなくなるだろう。元気な声さえ闇に消えるのだ。 どうしたら、自分らしく生き延び、自由かつ大胆な主体性を発揮できるだろうか。容易ではないか も知れない。 とぼとぼでも歩いて行こう。 明日を信じよう。
2018.07.31
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「広辞苑で、虎の威を借る狐とは「<戦国策>他の権勢をかさに着ていばる小人のたとえ」とある。世間では嫌というほど目にすることである。 大抵「虎」と思っていて、そこだけの「張子の虎」でしかないが、それに縋っ ていきてるようなひともいる。囲い込まれた人びとには「虎」に見えるのだろう。夫を「虎」と思 っていた世間知らずの妻が、いまやそうではなくなってきているだろう。平凡な男でしかないと知 ってしまったし、亭主の働きだけでは生活できなくなった。誘惑の多い世界でもある。 然も、日本の政治は、正にアメリカの「威」を借りた狐外交だと思われている。少なくとも北朝鮮 はそう思っている。ミサイルの実験だけで震え上がるのだと。それだけで大騒ぎして安保理に駆け 込んで助けを求めているのだと。彼らは、日本を相手にしないと云う。「虎の威を借る狐」に用は ないといっている。北朝鮮にどれだけの力があるだろうか。どんな国家だろうか。 確かに、日本人は、権力や権威に抵抗して勝った歴史がない。上からの歴史はあっても、権威を着 ない学問はないだろう。あっても大したものではない。 所詮「狐は、狐でしかない。」・・・だろうか?否寧ろ、そこから始まるのではないか。 虎や狐にならない人間が、これからの日本人の生き方ではないだろうか、と思う。 そろそろ、真夏の九州が戻って来ている。昨夜はクーラーを寝るまでつけていた。
2018.07.31
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チョウトンボ世の中が不透明で、大学も何か異様な感じがしてきたのだろうか。鋭い感性を持つ学生たちが暴走することはよくある。時にはそれは悲劇にもなる。尊い犠牲と言うべきではない。得てして暴走は暴走でしかない。久しぶりに午後の女子大で、学生の海外体験学習の発表があり、元気な声を聴いたが、少し出来過ぎている感じがした。そんなに簡単に女子大が組織の変更で世界が変わるのだろうか。 ・大学変革を指導するこの国の文部科学省の方針が鵜呑みにできるのか。丸呑みにしてしまおうとするような考えは危ないのではないだろうか。何故女子大が権力に弱いのか、恐らく大学の改革に反対する人たちもいる筈だし、其の声が聞こえて来ないことが、何かおかしい。女子大の良さが消えようとしているように思えてならない。これまでの大学の雰囲気がグローバル化の名のもとに変わっていくのではなかろうか。 ・へ2・・・大学の自治について、日本の大学のアキレス腱のように思えてならない。大学が、権力に弱い体質は、国民性にもある。市民革命を経験していないためだろうか。本当に女性が強くなったのだろうか。声なき声が聴こえて来ないだけに、何か複雑な思いがする。好い先生がまた少なくなってしまうのではなかろうか。
2018.07.31
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略1億8千万年前 、「卵生」から「胎生」への進化があったという。(ヴィンセント・リンチ)「おそらくは、卵が生殖管のなかにとどまった期間がどんどん長くなっていった。ある時点で殻が失われ、卵黄にすべての栄養を頼る必要がなくなり、かわりに母親の子宮から栄養が得られるようになった」からだという。 ・この変化とともに、進化の大洪水が水門が開かれたのだ。子宮の誕生が脊椎動物に劇的な進化をもたらした。種としてのヒトにも進化のルーツがある。そして人間の脳の巨大化がある。第二の進化は、有体胎盤類が有袋類からわかれた際に起きた。然も植物と動物の分化も16億年前に起きているのだ。 ・へ2・・・進化の証拠を正しく認識していない人たちが、この社会を混乱させていないだろうか。明白な自然選択の証拠があるにも拘わらず、進化の爆発を理解していないのだ。「胎生」のコストは高くつくのではないだろうか。男は消滅する運命を抱えている。
2018.07.31
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ハイデルベルク記憶力について、ラットの実験で、豊かな環境・・・道具や、遊び仲間、学ばねばならないことの多い環境で育ったラットと、そうでない刺激のない空っぽの檻の中で育ったラットの比較研究がされ、前者のラットが後者のラットよりも大きな脳になり利口になったという。つまり樹状突起や、シナプスの数が多く、学習経路も多様で、知能も高かった。人間でテストしたわけではないが共通点はあるだろう。同じ実験で、刺激のない環境で育ったラットでも、年を取ってから豊かな環境に戻すと、脳がより大きくなり利口になった。それだけ脳が柔軟性があるということだ。新しいライフスタイルと環境に劇的に反応できたのだ。 ・成人期の仕事以外の知的、身体的活動の頻度と多様性が、痴ほうの予防の効果を持つが言われている。最近の研究では、知的活動が最も重要な要因であること、殊に外国語の勉強が成果が顕著であるという。アルツハイマー病に効果があるかも知れない。根拠があるだろうか? ・へ2・・・知的活動が脳細胞の蓄えを殖やし、それを老後に必要に応じて引き出すことができるという。加齢による構造上の低下が起きても、余分のニューロンやニューロンの回路が、その埋め合わせをするのに役立つのだ。多様で刺激的な活動の経験も新しい脳細胞の発達のサポートをするらしい。どうやら「海馬」に関係があるようだ。海馬は学習と記憶の中枢だからだ。
2018.07.31
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漏水工事は終了した。本管から、引いている個人宅への配管にひびがはいっていたとのこと。「共感」とは他の誰かが何を感じ、何を考えているかを知り、さらにこれに反応して適切な感情を引き起こす傾向だ、という。相手が考えていることや感じていることをただ機械的に推測する(マインドリーディング)のではなく、またサイコパス(反社会的な人格障害)でもない。 もともと女性型の脳は、共感する傾向が優位にできているという学説がある。どうやら、普段にみられる女性の行動はそれを裏付けているようでもある。併し、必ずしも当たらないと思うのは、世界には、サッチャーなど「鉄の女性」と呼ばれている人たちもいるからだ。あれは特異的な存在なのだろうか。 何れにしても「共感」する脳は、これからの世界、人類にとって欠くことのできない資質になるだろうことだけは確かだろう。それを妨げるものが多いのは、これまでの進化の歴史が証明するだろう。「共感」だけしていては多くの場面で生き残れなかったかも知れないからだ。 併し、核を手に入れ、狭い地球に溢れた人口を抱えた種としてのヒトは、あらゆる場面で欲望にブレーキをかけなければならない事態を認識すべきだろう。安易な楽観論は命取りににもなるからだ。ふやけた心に楔を打たなければならない。
2018.07.31
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ハイデルベルク城の庭園とゲーテの記念碑。「西東詩篇」の中の、ズライカ書の箇所を読んでいた。読んでいるのは「ゲーテ全集」で出版が大正15年5月版。「汝この日より逃れ行くべからず。汝が急ぎ行きつかん日も 今日より善きに非ざればなり。・・・」なのだ。翻訳が旧過ぎる。 ズライカは、マリアンネのことで、ハーテムは、ゲーテだと言われる。優れた「相聞歌」として知られている。昨日、ネットで「西東詩篇」を調べたら、余り多すぎて少し意欲をなくしてしまった。それくらいある。ゲーテ66歳の老人とマリアンネ30代の人妻との恋愛といえば、些か萎れてしまいそうだが、大詩人ゲーテであり、マリアンネも只者ではない詩人なのだ。読み解く力があるだろうか。 そして、彼女のいくつかの詩が、この「西東詩篇」に収められている。「愛しながら互いによみがえるのは、天国の歓喜でしょう」と、大いなる愛を予告し、ハーテムの詩は「あなたの胸の中で私はよみがえった運命を喜ぶのです」と表白する。 これは、単なる男と女の「相聞歌」ではなく、大詩人と対等に類稀な女性詩人との練り尽くされた軽妙な遊戯的表現ではないだろうか。そして、夫のヴィレマーがいる。養女を妻にした男だ。 ハイデルベルクの古城に、あの「二裂葉の銀杏」があるそうだ。「ハーテムは、もう一度、春の息吹と夏の灼熱を感じます」と刻まれたベンチがあるそうである。 「・・・・われ一つにしてまた二つなるを?」
2018.07.31
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70歳を過ぎた、ボスたちが、いまだに日本社会には君臨している。さらにいえば、政界も、経済界も、大学さえそうなのだろう。老い耄れたちが社会的ステータスを握ったまま居座っているのだ。死ぬまで続けていたいのではないだろうか。終身でいたいらしい。それを誰も駄目だといえないでいる。最高責任者が、責任を回避するのだから、幹部たちもまねるし、下っ端だって、逃げ回るのだ。 ・権力は腐敗するという。それはどこの国でもあてはなる。無能なトップだと幹部たちは安心するのだろう。体育会というのは、昔から上下関係が厳しいというか、横暴だった。大学の犬だといわれても来た。それが社会人になると政界や経済界の犬になったのだろう。甘い汁が吸えるらしい。スポーツ界は、スポーツ選手を食い物にしてきたのだ。その延長に、五輪もあるのではないだろうか。 ・へ2・・・IR法案さえ、政府はやろうとしている。カネのためなら賭博さえ許可しようというのだ。昔は、廓さえ公認していた。そのために人買いさえいたのだ。貧しい農家の娘たちが、泣かされた。韓国の慰安婦問題も他人事ではない。対岸の火事と思っていると、とんでもないことになる。金持ちの醜い老人たちが若い女を妾にした。喜んで金の亡者になる女さえいる。社会は、乱れてきた。
2018.07.31
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自覚するということは意外とできないようだ。自分の存在を客観化できる能力というのは簡単なようでできないのだ。ミミズには目が無い。猫も自分がどのような運命か知らない。人間には、脳という予見できる能力があるが、それを少しは自分のために遣えばいいが出来ない人も多いのだ。自我に目覚めると言うがそれだけではこの社会でまともには生きていけない。何故か、社会的動物でもあるからだ。 ・人は、馬に乗って騎士だと比喩的に表現されるが、その意味を理解できないでいるようだ。娘たちはメーテルリンクの「青い鳥」を探そうとばかりしている。童話も、子供のために書かれたものとは限らない。深い意味のあるものもある。「星の王子様」も深い。自分の眼は、外を向いてしか使えないのではない。何のために脳があるのか、その存在を理解できないで一生を過ごしてしまいかねないのだ。 ・へ2・・・「照見五蘊皆空」なのだろうか。それは何が正しく、どこが違うだろうか。私は自分の脳で考えるしかない。他人の意見は参考でしかない。自分の生命は、自分だけのものであり、家族であり、そして社会のものでもある。その針は、時によって振れる。自分の人生の課題は、自分で問題の所在を提起していかねばならない。そのことに何故気付かないのだろう。自分とは何か、その旅を娘たちはまだ放浪している。 この暑いのに、水道局から漏水工事の作業を、朝から今も続けている。アスファルト舗装をカッターで切り、漏水個所を探して、今度はまた埋め戻しているようだ。小型の重機も来ている。次々に事件や事故もある。それに対応しなければならない。ひとは消耗品ではないが、どれだけの浪費があるのだろうか。5,6台の作業車が来て作業員もいる。どうやら作業は終了らしい。ご苦労さんでした。
2018.07.31
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人の感情は複雑だ。「ひとは悲しみで死ぬ動物だ」という本を読んだことがある。ひとは惨めであり、時に悲惨であろうか。ひとの生きざまは時々そのように思えるのは紛れ無い事実だろう。ひとのコンセプトは必ずしも一致してはいない。殆どの人は、明日自分が死ぬことを予想してはいないように思える。或いはそれは外見からはそう見えないだけだろうか。それほど人間は解り難いのかも知れない。 ・人の思いを一言で表現することはできないだろう。何度も繰り返される人間物語は、いまだに続いている大きなテーマでもある。ひとは、何かに躓いて死んで行くだろう。それを挫折というだろうか。死ぬことは挫折だろうか。どこかで何か不安を持ち続けながら生きてもいるそれが何れ現実になる。その恐怖に怯える老人たちは段々夜眠れなくなるのではないだろうか。何度も目が覚めて、自分が生きていることを知って、ほっとし、そしてこの世との別離を想像し、何度も別離を思うだろうか。「人は死ぬのが悲しいのではない、この世との別離が悲しいのだ」というフレーズを思い出している。 ・へ2・・・何か言いたいことはないかと考えてしまう。やはり惨めに死んで行ったひとたちのことが思い出される。志なかばで死んで行ったのではないだろうか。それが即惨めとは限らないだろうが、怨念がないとはいえない。生きている者たちがやがて感じるだろう終着は、死をもって購われねばならない。人は誰も、さまざまにこの世のことに執着し、突然この世から断ち切られる。
2018.07.31
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ゲーテ叙事詩「ヘルマンとドロテア」(1797)ライン河に近い小さな田舎町の旅館の息子が、革命から逃れてきた避難民救済の仕事を手伝っているうち、避難民の一人の少女を見そめ、種々の経過の後、ついに結婚するというラブ・ストーリーだが、古い、新聞記事に載った記事に基づいている。 思想とか、戦争とか大義ではなく、個々の人間の小さな運命こそ、身近で強く、こころに訴えるものがある。産婦にすばやく救いの手を差しのべる娘とか、人々の争いを諭す賢者のような老人とか、無秩序や、混乱とか数々の不幸の中で、何時の時代にも繰り広げられてきたもっとも素朴にして美しい人間の姿があるのだ。 この簡素にして牧歌的な「ヘルマンとドロテア」の叙事詩こそ、読者が待ち望んだものだ。登場人物は、みな平凡な庶民たちであり、無口であるが情け深い、しっかり者のヘルマンと、純情で、健気なドロテアと。頑固で厳しいが、根が善良な父、愛情深いやさしい母、寛容な牧師、世話好きな薬屋、彼らはみな人間的であり、ドイツ的な人びとの世界であり、ゲーテの求めた故郷なのだろう。 ゲーテを読んでいる。何という至福の時間だろうか。どれだけでも好きな時間浸ることのできる自由なときに、ゲーテを読むことができる。これは、たとえ私だけの思い違いのものであろうと構わない。
2018.07.31
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自画自賛のようだが、日本人は、優しくて、忍耐強い民族だと思う。勿論みんなではないが、それが島国の伝統でもあり、遺伝子ではないだろうか。極東の島国で他国と争ったのは、必ずしも好戦的な国民性からではない。列強に潰されないためであり、貧弱で劣悪な社会的環境が根底にあった。それこそ文化的には赤ん坊だったのだ。 ・長い封建社会を体験した日本人は、慎ましい暮らしの中で暮らしてきた。奴隷のように武士たちの社会の中で搾取されてもいたのだ。鎖国で、300年も産業革命後の外国の文化の進歩さえ知らなかった。遅れた国家は三流国でしかなかったのだ。そして列国の帝国主義は、アジアを植民地にしていった。中国民族でさえ欧州列国に蹂躙されたのだ。 ・へ2・・・2011.3.11の東日本大震災は、あらゆる意味で日本の転換点にならざるを得ないだろう。いわば屋台骨が折れたのだ。そのことに気づいていない政治家たちがいる。指導者の放漫経営は、国家を破綻させるだろう。甘い見通しによってなされる政策は、国家の未来を困難なものにする。今やっていることで続けていいものと続けてはいけないものがある。その選択を誤れば、世界の舞台で恥をかくことになる。そしてそれだけではすまない。 未来に自信が持てなくなっているだけではなく、自分の心に自信が持てない人間が増えているのではなかろうか。悲しいことだ。プライドをなくした民族は崩壊の道を辿りかねない。自虐的な事件ばかりある。猟奇的な事件を喜んでいる人間はいないだろうか。事件を面白がっていると、人間の心も歪んでしまうだろう。
2018.07.31
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私はどう思うかという視点は、それがどんなに次元の低いものであっても問うてみるスキルを持つべきだろ思う。そうすれば、すぐに行き詰まるだろう。それは自分の考えが浅いからに他ならないからだ。そして、この世の中に簡単に解ける課題は少ない。 ・へ2・・・どんなに唾棄すべき様な人間でも自分よりか優れているところは必ずあるものだ。それを学ばねばならない。私たちの自分の時間は、長くはない。すべてを知り尽くすほど小さい世界でもない。経験することも雀の涙ほどもないのだ。学ぶべくして学ばねばチャンスを失うことになるだろう。そうして多くの教訓を学ばないできただろう。それは自分が不明だからでしかない。 ・愚かな人間ほど増長しているものだ。他人に謙虚になれないのはその証明でもある。人間は利口でも愚かでもない。自ら利口になるのであり。自ら愚かにもなるのだ。人の評価は相対でしかなく、最後に評価するのは自分自身でしかない。満足して死ぬか、後悔して死ぬかそれは自分でしかない。 ・社会が自分に何をするかを悩むのではなく、自分がどこまでやれたかだろう。与えられた課題は個々に違うのだから他人と比較することはできない。日本に生れて日本人らしくあることは何も恥でもプライドでもない。何よりも先ず、人間としてどう生きたかだろう。
2018.07.31
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メジロ科学の進化と自分がどれだけ同調していると言えるだろうか。科学の万能者もいないだろうし、人間のメンタルで完全な理解者もいないだろう。ほんの一部のことしか知らないで生きていられるのは不完全とは言えこの社会システムが存在しているからだ。 ・ここ数年間歩くことに拘っているが、これも科学だと知ったからだ。余りにも無知であった。21世紀に暮らしているからそれに相応しい人間とは限らない。寧ろ旧態依然と20世紀を生きているだけでは時には中世の観念が混じり込んでいる。恐らく私だけではあるまい。人間のからだは化学反応であり、自分のすることはすべて因果律で支配されている。 ・へ2・・・科学と私の日常は奇妙な関係にある。知識は乏しく、教育機関も江戸時代の寺子屋でしかない。明日へのツールはないことはないが、整理されているわけではない。巡礼の旅に出なければならないのだろう。諦めたら、21世紀を生きることはできない。科学を手に入れながら、自分の糧にしなければならないのだ。
2018.07.31
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中国と日本の差は、西欧の「モノ」を採用するについての受容の柔軟性にある、日本が中国に先んじたのは、実にその点にあると陳舜臣は「西域余聞」で述べている。 二者択一の世界は、物事を判断するのに明快だが、しばらく考えてみるとふしぎと悲しくなるという。 宗教がまさにそうだろう。 アジア諸国から欧米へ留学した青年が、酒に溺れて脱落してしまうケースが多いらしい。それは、免疫 性を持っていないこともある。戒律の厳しい生活で、誰も酒の飲み方を教えてくれものはいない。 それは、酒だけではない。タブーとされる二者択一しかない世界でもある。 ややもすると、日本人も「敵」か「味方」か、「イエス」か「ノー」かの二者選択しかない世界に なろうとしていないだろうか。
2018.07.31
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・ふつう生物は、主観的昼夜を環境の昼夜に同調させている。 ・人間の場合は、環境とのあいだに社会的時間割りと意志が働く。 ・研究の趨勢は、根底にある生物時計の実体解明に向かう。 ・生活リズムの基本的性質が、多くの生物のあいだで共通し、比較ができること。 ・昼夜の時間的枠組みが、物の考え方に大きな影響を与えていること。 ・食事・性・物音・時間的夜と空間的夜の関係。 ・眠りは、決まった場所で取る習性があり、安全な場所であること。 ・用心棒としての家畜の存在。蚊・野獣への守り。 ・火の存在。 ・からだの中にも夜と昼の自転があること。 (千葉「からだの中の夜と昼」より)
2018.07.31
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これでも一日やることことはいくつもある。そして皿を食うまでやるつもりでいる。あれこれ考えだすと外出できなくなってしまう。運動をしなければならないのだが、つい家にいることが増えている。どうも体力の減退を感じてもいる。学生の頃、GFが「走ることはできないけれど、歩くんだったら一日中でも歩けるよ」と言っていたことを思い出す。誠実な女性で忍耐強い努力家らしいことばだと感心したものだ。今の私にできるかどうかわからないがウオーキングだけは続けている。彼女もきっと元気で頑張っていることだろう。 彼女から貰った山と渓谷社の「日本の花」がいまも手元にある。今は、東京で薬剤師をしている。幼馴染たちが、多く都会に出ている。数年前、懐かしい場所を見てきたが、随分変わってしまっていた。知っている人も少ない。彼らも、もう忘れているのだろう。それこそ囲い込み運動で、故郷を出た人たちだ。住めば都というが、留まるも出た先も地獄だといえなくもない。熊本地震があり、3.11.や関西での震災もある。それだけではなく事件や、悪政もある。度一切苦厄でもある。別れて再び会うこともないのだろう。それでも元気でいると信じたい。
2018.07.31
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漏水事件アルプス山脈(仏:Alpes, 伊:Alpi, 独:Alpen, 英:Alps)は、アルプス・ヒマラヤ造山帯に属し、ヨーロッパ中央部を東西に横切る『山脈』である。オーストリアを東端とし、スロベニア、イタリア、スイス、リヒテンシュタイン、ドイツを経由してフランスに至る。詳細には、幾つかの山脈に細分される。 最高峰のモンブランは標高4,810.9m(2007年)で、フランスとイタリアの国境をなし、ヨーロッパの最高峰[1]でもある。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 講座は「アルプスの景観を楽しむ」というタイトルだが、まさか日本アルプスではないだろう。何しろ観光産業学科の講師の話である。期待は大きい。私はこれから食事の準備をし、散歩をしなければいけない。講座は、10時30分くらいから始まる。その前に行商の奥さんの移動販売車がくる。ということは、散歩を6時ころまでに済ませて、仮眠ができる。 ・それから、パンの買い出しもある。まあ、くだらないことが多いが結構楽しんでいる。元気な証拠と感謝すべきだろう。好きなことができるのは今のうちかも知れない。あとで後悔したくはない。好きなことをして充分満喫したい。どこも痛くも痒くもない。カネや時間があっても、心や身体が病んでいては面白くない。言い出せば不満もないことはないが、それは我儘だろう。何かが足りないのは当然でもある。足りないものを補う工夫がなければならない。 ・へ2・・・欲張るから不満も湧くのだろう。自分の未熟を誰に行っても仕方がない。世の中はなるようになるのであり、ならないようにはならないまでだ。自分に相応しく生きることが一番だろう。よたよた歩いているのも自分流である。毎日歩いているが、毎日同じではない。その日によって、写真の撮りたいところも違ってくる。歩いていると血圧が下がるようだ。頭が白くなる。これも面白い。酸欠に近くなるのだろうか。血圧の薬は飲んでいないので、それほど心配はしていない。それでも行き倒れが夢である。
2018.07.31
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海の中道言われなくても私たちの体には生きるための戦略が詰まっており、その設計に基づいて動いている。寧ろ阻害しているのは自分の無知と愚かさが方向を狂わせてもいる。食事と運動だけで血糖コントロールできる訳ではなく、寧ろ現代ではストレスがある。どんなストレスであるかは個人差があり、それは自己管理しかない。ストレスにどう向き合うかで、人生が変わると言えるのではないだろうか。メンタルが気分を変化させてもいる。 ・私のブログも楽天13年経過した。MSNなどもあるが最近はあまり書いていない。ダブるのもあまり意味がない気がしているからだ。ブログは広い意味の私のメンタルのメモでもある。上手く重ねれば自己管理票に役立つのだろうが、それほど管理できているわけでもない。書いた内容の分析とか、傾向を分析できないものだろうか。蓄積をただ積み上げるだけでは意味がない。多くのツールを作るべきではないだろうか。できなければ淘汰されるのではなかろうか。 ・へ2・・・我的 X’day を模索している。まだ、長距離を歩く自信が持てないでいる。自分の<限界>を知るのが、飽くなき関心事である。脳が白くなって死にたくはないが、「空」であることは悪くはない。ものを追いかけ過ぎるのではないだろうか。アメリカのデモクラシーなどクソ喰らえだ!!
2018.07.31
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65歳から高齢者になる。個人差はあるとしても、人は同じ化学反応で生きているから、大体同じ経過をたどって、生より死に向かっている。人類は、やっとここまで来たが、20世紀は戦争の世紀でもあったし、食糧難や病気が平均寿命を短くしていた。アフリカではまだ平均寿命が30歳と言われている国家もある。日本も戦前まで50歳の平均寿命に満たなかった。いまや日本は、世界一の平均寿命と言われている。 ・健康寿命と平均寿命とでは数年間のズレがあるそうだ。最後は他人の介護を受けることを覚悟しなければならない。心の準備はあるだろうか。私もそうだがまだその覚悟が足りない。そうならない前に死にたいが、そううまくいくだろうか。気が付いてみたら、他人の世話になっていたということになりかねない。昨日最晩年を診てこられた医者の話を聴いた。 ・へ2・・・1・2・3のステージがあるそうだ。 ステージ1は、65~74歳の10年間。これが人生のゴールデンタイム。これまでの余力がのこっているので、結構楽しく暮らしていけるが、メンテもしないと後がなくなる。地獄が待っている。 ステージ2は、75歳以上で、歯がないとか、けがをしたら、中々治らないとか、体が動かなくなっていく。勿論脳も委縮して、あまり生きていて楽しくならなくなる。この期間がながいひとで易々と生きている人もいる。これが理想だ。 ステージ3は、要介護の時で人生の最晩年と位置づけられる。大体平均2年間らしい。身内を頼るなかれ。期待すれば絶望しかねない。 昨夜の23時過ぎに、水の音がするので見てきてくれと妻から頼まれたので、外に出てみたら、側溝の道路側から数センチだが、結構奇麗な水が湧き出している。どうやら本管からの漏水らしく側溝と道路の上が濡れ、側溝を流れる音が大きいらしい。隣のHさんも出ていたが、すでに水道局に連絡していた。しばらくして、下請け業者の人が、様子を見に来たが、簡単に止水できないらしかった。真夜中になり工事は、翌朝からというので、今起きてみてきたが、かなり水量が増していた。恐らく本管を止めたら、朝から水を使えないので、止めなかったのかもしれない。取り敢えず、ポリタンクに朝の水だけは確保していた。台風12号が過ぎたばかりで、地震があったわけでもないが、こういうこともある。本管が老朽化しているのかもしれない。朝から工事が始まるのだろう。
2018.07.31
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クサール・アイト・ベン・ハッドウ卵や幼虫のときのメスは、いくつかの異なる姿のどれでも分化できる。ミツバチは、ロイヤルゼリーによりふつうのワーカーとは53の点で異なる姿に成熟する。この二種類のメスの遺伝子型はまったく同じだが、待ち受けている運命は完全に違う。1950年代になっても、動物行動学者は、既成概念から抜け出していない。ミツバチは、生まれつき機能が決まっており、狭い範囲の行動を本能的に遣っているだけだ。ワーカーは生まれつき女王に仕え、巣の効率を維持するように運命づけられていると。昆虫の世界は、ヒトとは違うと思うだろうが、如何に共通点がおお いだろうか。それは、かれらが遠い祖先に繋がるからだろうか。女性は、これまで多くの偏見の中にあり、そして今もあまりかわらない。それは人種にしても、皮膚の色にしてもそうであろう。ひとの祖先は黒人である。あらゆる搾取は、ひとがつくりだしたものだ。ひとの運命にしたところが、それができるかどうかはわからないが、広い視野と先見性をガイドにするしかない。ひとびとは、不妊のワーカーへ向っているかも。
2018.07.30
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遺伝的に損傷を受けた細胞は修復か或いはアポトーシスの経過を進む。免疫反応を例外として、細胞増殖と分化は逆の相関関係にあることが多い。細胞は多くの制限の下にあり、この制限を破る細胞は2種類の破壊的な結末の1つを選ぶことになる。 ・プログラム細胞死 ・・・ アポトーシス ・細胞トランスフォーメーションと腫瘍化・・・ 新形成 損傷を受けた細胞や組織はネクローシス(壊死)に進行する。即ち細胞死。しばしば炎症反応が誘導される。一方、遺伝的に損傷を受けた細胞は一時的に増殖を停止するか。非炎症的な収縮と断片化の過程を経由して死ぬ。(アポトーシス経路)ネクローシスと違い、アポトーシスはエネルギー依存的な自己破壊の過程で、通常30分くらい継続する。 人間の生命活動の由来である細胞の生成や形質は、普通に見られる人間の行動の根源的なもので、例えば、私たちの日常の精神活動を裏付けてもいるだろう。あるダメージに対して、それを修復可能であれば、正常な細胞に修復し、修復不可能であれば細胞死へ誘導される。そして変異は、正常へ、非必須な生育可能異常な表現型へ、必須な細胞トランスフォーメーション癌・細胞死への選択をする。 まさに生物学的プロセスが、人間活動を支配しており、生物学的視点でこの社会を見直してみると、何が正常か、を思わざるを得ない。
2018.07.30
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模倣や観察学習によって、人間が社会生活の中で身につける学習の方法を社会的学習理論といい、「自己効力感」はその中心概念とされる。(Bandura 1977) ・へ2・・・人は、自分で自身の価値を認め、何らかの「生甲斐」を感じて生きていかなければならない。自己効力感は、自己価値の心理だ。そして効力予測と、結果予測がある。所謂「自信」とその人の「推測」のことである。バンデューラは、自己効力感が、行動の選択に関わるだけではなく、努力にも影響を与えるものとした。自己効力感の高い人ほど、行動への動機づけが高まると言っている。 ・それは中国でいう「気」と類似する。 ・「孟子」の中に「志は気の師、気は体の充なり」とある。自己効力感はそれだけ人生にとって重要なものである。人のすべての活動の源泉であり、つまりやる気、モチベーション、気力感を意味しているからだ。 ・ポジテイブな精神は、生物にとって不可欠な形質である。 ・加齢とともに、ひとはネガテイブ思考になりがちだ。どれだけ清浄な空気を呼吸していようと、人間は空腹を満たすというだけではなく食物を摂取することで生命を維持することができる。食べないということは生命活動に対する反逆でもある。ダイエットをやり過ぎると自殺行為にもなる。規則正しく食べることによって脳やからだが正常に動きはじめるスタートでもある。
2018.07.30
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昼間に眠気や集中力低下、集中持続困難や倦怠感が起きてくるケースでは、慢性疲労症候群と診断されることがある。患者の内因性リズムが関与している。睡眠も人間にとって重要な健康のバロメーターでもある。人間の持っている睡眠相の生体リズム一日25時間であることが地球の自転と衝突している。人間が長い時間をかけて、地球環境に適応してきたがまだそれができない人もいる。自由に生きてきた時代では好きな時に寝ていたに違いない。それができなくなった。日中起きて働き、夜眠ることで、この世界を造り上げてきたのだ。 ・周期的な不眠や覚醒困難が引き起こす深刻な社会的不適応をきたしている。そういう悩みを持ちながら暮らしている人もいる。それが病気の原因になり、Non-24シンドロームにもなる。その予備軍もいるに違いない。それが社会に確りと認識されているだろうか疑問だ。 ・へ2・・・社会人は、拘束された時間で労働し、対価を得て暮らしているが、それがスムーズにやれない人たちがいる。それがいつか深刻な事態を惹起さえする。よく睡眠できないことが、その人の人生にも大きな影響を及ぼしかねない。住む場所でも日照時間の違いからくる原因で、ある地域では冬期うつ病の多い地域と少ない地域の差が顕著であるという。明るい陽射しの中で暮らすことができるのは、人間には生きやすい環境でもあるのだ。
2018.07.30
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加齢とともにミトコンドリアのゲノム・DNAに変異が蓄積すること。ことにゲノムの複製に重要な1千塩基対より 特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンド リアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍 高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁では ない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発 ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしない と家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋なら先ず30年持たない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてく る。熱力学第二法則のエントロピー増大、生物を含む全ての物質は劣化を免れない。
2018.07.30
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クロツラヘラサギの舞「心のケア」「心の時代」と騒がれて久しいが、カウンセラーと患者の立場は、対等の理解を いいながら、個人を自由にするとみせかけて、複雑な社会的問題をすべて個人の内面的問題に掏り 替えてしまうものではないか。それは、結果として現実に存在する社会的問題について考えたり行 動したりするチャンスを奪ってはいないだろうか。もともと「心」に、専門家やエキスパートは、 存在しないとしたら、これは、まさしくアメリカ流の個人主義に追随する「関係性の商品化」では ないかと指摘する意見がある。 現代に於ける消費社会の進行は、目に見えるものを売り尽くして来ており、とうとう人間の「心」 や人間の内面に、その飽くなき欲望の触手を伸ばそうとしている。 これが、「心のマーケット化」の所以だ。「AC問題」や「癒し」ブームの現象でもある。 近頃の若者に目立っている人目を気にしない行動も、それが「恥知らずの行動」ですまされる問題 ではなく、周りの目を気にすることができないのであるとしたら、ことは深刻な問題である。 それは、ことに日本人のネオテニー化が進んでいることを意味しており、謂わば、脳の機能障害で もあるだろう。 アメリカ流の「カウンセリング・マインド」が、「心のマーケット化」を推進している。 「ああ、そうなんだ」は、自分の立場を中立化して、相手の感情をひとまず受けとめる手法は、ま さにカウンセリングのテクニックだろう。
2018.07.30
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51C型(改)の風呂場。脱衣所がない。下はコンクリートなので、スノコなどを置いていた。つい日頃ハードルを低くしている自分がいる。自分を甘やかせるのが一番危ない。自堕落になっていく前兆でもある。厳しい環境で暮らしている場所から外れると駄目になる人は多い。甘えて安心してしまう。それで終わってしまうことだってある。そうして消えて行く。薬物に溺れてしまう人たちが何と多い。誘惑の多い社会があるということであり、暗い部分が現に存在している。人として生きることの難しさを感じる。 ・誰と比較しようもない自分の人生がある。段々質を落としていく老後もある。疲れきってしまうことにもなるのだろう。何か見逃してしまう。自分を知っているのは自分ばかりだと思っている。自分を冷静に視ることは容易なことではない。今できているとしても明日は解らない。病気もあれば事故もある。美味いものを食べて、運動するより寝ていた方が楽だが、それで好い筈はない。 ・へ2・・・気楽に暮らしている方がいいが、それでもそれを許さない環境とか自分の健康状態もある。余りこだわると遣り過ぎもする。高いハードルでも息切れがする。どうしたいいのかいつも立ち止まらなければならない。ハードルのない人生はないからだ。 しでかしたことの罪を負わなければならないのは当然であろう。目には見えないが、その報いを受ける。ひとみな罪深き人間の所業がある。まだ活きて折おれるのだからこのとしになって丸儲けだろう。一日を大事に生きるしかないと思う。PCで苦戦しているがこれも楽しいと言えなくもない。
2018.07.30
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農夫のアルファベットというのがあったが、もう畑のない農夫は農夫ではない。森や畑から追い出されて工場の労働者になった人たちの子孫だ。或る意味で、さまよえるユダヤ人の放浪者でもある。心のふるさとを求めている。自分のニッチを探して旅をしなければならない運命を背負うっている。農耕や放牧などの手段を知らなかった遊牧の民は、旅人や住民を襲って食料を手に入れるしかなった。自分たちの行為が正義であると思うしかなかったのだ。 ・最早、農耕をして活きていくだけの畑も住む場所もない。そして知識もない。それは自然を奪われた動物も同然である。以前文化人類学の本を読んだ時に、その研究の手法を知って成程と思ったことがあった。それは、未開地に行って、そこの住民と同じことをしながら暫く暮らして観察し、住民がどのような価値観を持っているかを研究するというものであった。人が猫を観察して、彼らを軽蔑しないで帰ってくるのだろう。 ・へ2・・・大学の自治のない大学が、最早大学ではないことを、つくづく感じた。荒廃したのは、その果たすべき使命を見失っているからだろう。自分たちは、もはやエリートではないと言いながら、其の亡霊に憑かれたひとたちでもある。愚かなアメリカ人が、自分たちは世界一だと叫んでいるような輩だろう。そういう国家で高等教育を受けて自分たちが一番だと思い込んでいる。もうそういう時代ではない。それこそ奢れるもの久しからずだ。
2018.07.30
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ナショナル・トラストは、民間人が土地や建物を買い取って自然環境を保護する‐運動(組織)のこと。イギリスの自然保護はその情報収集力と行動の早さにあるという。日本でもできないものだろうかと思って、サイトをみたら、 Wikipedia によれば、1964年に古都鎌倉を乱開発から守るために、作家の大佛次郎が立ち上がり、鎌倉市民と共にナショナル・トラスト運動を展開したのが始まり。とある。 ・イギリスの湖水地方というのは昔から憧れている。グーグルアースで時々眺めて楽しんでいる。以前は、イギリス人と結婚した日本人の女性のサイトを良く見ていたが、写真を紹介していて面白かったのに途中で見るのをやめてしまった。どうも、世界が違うので分からなくなったから。本の中で、「ナショナル・トラスト」の話があった。著名な施設としては、湖水地方(ピーター・ラビットの舞台)があるようだ。鎌倉は、古い建物が残っているのも、その精神があるからだろう。(財団法人日本ナショナル・トラストというのがあるらしい) ・へ2・・・やはり、住民の意識が高くなければ、成果が上がらないのだろう。景観という概念も日本にで最近盛んにいわれるようになってきた。自分の住む環境を良くしようというのは、それだけ責任を負うことでもあるだろう。他人に任せればいいということでは、環境は守れない。ある程度「容」ができてこないと、前進しないところがある。その良さを実感することが大事ではないだろうか。学生の時、海商法の教授がロンドンに住んでいたときの話をしてくれて、感動したのを覚えている。それが、あるのだろう。これから、イギリスの Lake District を楽しむことにしようと思っている。屋久島では本当の自然の景観が見れるだろうと期待している。
2018.07.30
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・外国渡来人が中央の政府に登用され活躍(とくに財政・外交・文化など)した例は、大陸の騎馬民族国家では非常に多い。匈奴では中国人が文筆・外交・文化面で、突厥ではソクド人がもっぱら経済・文化面で、元朝蒙古ではイスラム教徒の色目人がほとんど財政面で、またアッパス朝のアラビアではペルシャ人、シリア人などが文化面を担い推進した。 ・H2・・・日本古代の渡来人たちが文化の担い手、推進者となり、大和朝廷の発展のために大きな貢献をしたのだ。とくに彼らが漢字・漢文を伝え教えた功績は絶大だ。また漢字を持って日本語を表わす訓の工夫も、主として彼らによってなされたのに相違はなく、こうして大和朝廷は記録をもつようになる。国家の統治の上で、文化の向上と、文筆の果たした役割ははかりしれないものであった。(江上「騎馬民族国家」より) ・朝鮮南部と5世紀日本が境界を越えて一体となっていたことは何かみらいを暗示しないものでもないかもしれない。侵略とかという意味ではなく、ボーダーレスという意味でだ。 ・H2・・・この周辺については研究すべきことが山ほどある。国家主義という視点からではなく、現代歴史学の目で見直す必要は大いにありそうだ。確りした歴史観で研究して成果を上げてもらいたいね。それこそ翻訳が必要だ。右脳で分かっていても左脳で翻訳して整理し、一般人にも分かりやすく理解させてもらいたいものだ。それまでは自分なりに読むしかないけれど。謎解きの史料はいくつかある。
2018.07.30
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その表現によっては誤解されるだろうが、ことは単純ではない。国家という固定観念からすれば、違うものにもなる。回帰と離脱と繰り返してきた歴史からいえば、歴史も不可逆である部分はある。それは時間の流れと同じだ。ベクトルによって変更されはするが、二度と帰らない過去もある。国土も過去の地球の歴史が作り上げたに過ぎない。日本民族も、僅かな歴史のステージの登場人物たちに過ぎないだろう。 ・二足歩行を始めた人類と私たちはどう違うかといえば、視点によって違うだけなのだろう。視野を拡げてきたものと、それができないまま消えていった人たちとの相違でしかない。私たちはほとんど同じであって、違うという社会システムの中で個性を主張しているに過ぎないだけだ。平和主義者であろうとなかろうと同じ21世紀に生きている人間たちでもある。男も女も人間であるということに変わりはない。人種も同じだ。 ・へ2・・・いつまでも国家というカテゴリーに拘っては、これからの国際社会に適応できなくなるだろう。であれば民族も民族を捨てなければならない時が来るからだ。サイレント映画では難しかったことがトーキー時代を迎え、やがて 3Dまできたが、言語の問題をのこしている。宗教の問題もある。何れもデッドロックに思えるが、それは解消できるだろうし、言語も不可能ではない。短期間に解決できるわけではないだろうが、可能性はある。
2018.07.30
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自然科学、社会科学、人文科学も、人間を対象とした研究は、「人間とはなにか」という問いを重要なテ ーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」 にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。 私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利 己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスター トするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らすところに出かけて、そこの人々と「長 時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生 活に、身をもって参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではいられない。 何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな 権利はないからだ。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在する のであろう。学問を手段にしようとするからだろう。三浦梅園は、凄い人間だと湯川秀樹が書いて いた。大分の田舎で生涯を過して独自のコスモロジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕 籠で帰れと勧められるの固辞した。「ひとがひとにかつがれるものではない。」という信念からだと いう。
2018.07.30
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ポターと同じように鶏や犬や羊たちのなき声を聞いて、朝目覚めてみたい。朝は、たっぷりの太陽と、いいかおりのする部屋で、温かいスープと焼きたてのパンと、新鮮なたまごと、ミルクでいい。人殺しばかり伝えているテレビニュースも要らない。焦りまくって何を急いでいるのか。今日は逃げはしない。明日の日も来るだろうに。穏やかに生きていればいい。 ・こうあらねばならないということはない。虚栄のイメージどおりに生きることもないのだ。どうも本を読むスピードが鈍くなった。いつまでも、同じところを読んでいる。読みながら考えるからだろうか。まだ、「イギリス、湖水地方を歩く」を読んでいる。これまで、読み飛ばしてばかりいたから、何も頭に残っていないのだろうか。そんなこともどうでも、よくなった気がしている。その空間が、感じられるかだろう。自分のもっているものに fit とする。 ・へ2・・・80歳近いOさんがいつものようにもう歩いていた。おそらく私がサボっていた間も、毎日早朝から歩いていたのだろう。誰のためでもない自分のためでもある。ラジオ体操や、寄り合いにも必ず参加される。まじめな人が多い。決して手を抜かない。一生懸命にされる。他人の目を気にしてされているのではない。日本人は、そういうひとたちが作った国でもある。
2018.07.30
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光を放つのは、それは瞬間の輝きだろうか。どうしてそれができるのか分からない。その場でないと誰にも予想さえできない。そして、その光を放つことは至難なのだろう。それができる人とできない人がいる。人の偉大さは、その狭間の中から生まれるのだろう。ふやけてしまって死んで行く人もいれば、凛として逝く人もいる。ひとは後者に感動する。 ・何故だろうか。それは美しいからだろうか。時間を棄てない勇気を持っている人のことだろうか。死と闘いつづけた人の安らぎはどこにあるだろうか。それを分かる人でありたい。死の影を見たことのない人に、本当の恐怖が分かるだろうか。残された時間を自分のためだけに費やそうとしないひとの姿を、潔いと思うだろうか。 ・へ2・・・人の生命は尊い。だからこそ、その使いようでは輝きを放つだろう。利己的なものに使う生命を誰も美しいとは思わない。純愛や献身に殉じる者に憧憬を感じるのは、それがなければ生き残れなかった生命があったからではないだろうか。光を放ち、生命の輝きに感動する心こそ、ひとの形質ではないだろうか。
2018.07.30
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6畳と4畳半。中仕切りは最初は壁だったが、その後ふすまになった。部屋の畳のサイズも違っている。ベランダには、洗濯機が置かれていた。DK ステンレス流し台が量産されるようになって実現した。ダイニングルームとキッチンの和製語。馬寄団地 51C(改)型タイプ。nLDKプラン型式の原型といわれるもので、日本の集合住宅にはじめてダイニングキッチンというコンセプトが確立されたものだ。デフレ・マインドについて、ひとびと様々な反応をしている。どうにもならないと思うものもいるに違いない。なるようになると。確かに個人には手に届かないものも多いのだ。明るい未来を描けるだけの材料のない時代だ。自分たちで一から創り出すことに慣れていない。他人の本源的蓄積に頼ってストックして来た資産を使うしか知らない。ツールのないものは何も知らないでいる。それで一人前だと信じている。裸の王様は要らない。 ・大衆社会は特権階級の時代ではない。一枚岩もない。多様な社会がモザイクのように形成されているが壊れ易い社会でもある。確かな未来図のない政治が人々を混迷させている。世界の運命も減数分裂が迫りつつあるのではないか。少子高齢化は日本の差し迫った問題であるが、13億人の中国は、少子高齢化は、さらに深刻な事態を招くだろう。 ・へ2・・・メリットは常にデメリットを孕んでいる。大きいことは良いことだけではない。巨大化した政治は身動きできなくなる。誰が未来を持っているか見極めがつかないでいる。とらえどころのない将来の不安に悩むことはないと思う。
2018.07.30
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大きな崩壊も小さな亀裂から始まる。北朝鮮の3回目の核実験は、安保理の非難声明がされたが、どこまで効果的な抑制になるのか疑問である。彼らはプライドを捨てている。アメリカと刺し違えをしようとしているとすれば思惑は外れるだろう。これは危険な世界の平和への危機になる。巨大ダムも小さなクラックから崩壊しかねない。核兵器の存在は、その要因になりかねない。 ・血迷った国家が、世界の平和の脅威になりかねない事実は歴史の証明するところでもある。権力者たちが自分たちの保身のために国民の未来を奪うことはありうる話であり、核戦争の恐怖は常に保有している国家が増えるだけ高まっても行くだろう。3.11の福島第一原発事故も既にあと1カ月で2年になろうとしているが、終息するまであと数十年間かかるのだろう。 ・へ2・・・核兵器の脅威が、人びとの心の暗雲になり、恐怖に繋がってもいるだけでなく、現実になるかもしれない。どのようなことになるのか、誰にもわからない。小さな出来事が核戦争や世界戦争のきっかけになることだってあるだろう。相手に対する不信感が、いつか先制攻撃にならないとは限らない。アメリカは遣りかねない国家だろう。
2018.07.30
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上から、ノイシュバンシュタイン城、ハイデルベルク城、モンサンミッシェル。ひとは特別の生物ではない。寧ろこれまで非科学的な観念に囚われていたと言って 過言でない。漸くそのことに気付いて来た。そして観察を始めてどうやら少し 判り始めた。其れは「動物を見よ」だ。私たちは、これまでいつも回り道をしなが ら進化して来た。これは、多回繁殖という戦略を取って来たヒトの形質に由来する だろう。生存する為にあらゆる絶望が用意されて、いつも試行錯誤してきた。 観察者の偏りが、まったく違う結論を見出すように、人間は、何度もデッド・ロッ クに直面している。そして消耗し続けているようだ。歴史は、繰り返し執拗に 何度もリセットがあり、その度にリカバリーをしなければならない。 どれだけのひとが、来るべき未来を予見しているだろうか。私たちは、まだその 青写真を持っていないのだ。昆虫や動物を観察してひとの形質を学ぼうとしてい る。それは間違いではない。それは、科学の手法だからだ。其れさえ無視して来た ところに今日の不幸があるだろう。世間知らずの学者が、机上で考えたことを世間 にテストしようとするから間違うだろう。医療にしても、患者が知識を持つべき だ。そのチャンスさえ与えようとしないのは、科学に向かう正しい姿勢だろうか。 知識は、必要なものが、それを求め、必要としないものに進化はない。
2018.07.30
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秩禄処分で収入を絶たれ、廃刀令で刀を取上げられた士族たちが1874年の佐 賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱と各地で暴走した。そして1877年 (明治10)2月15日西郷は13000人の兵を率いて鹿児島を発ち、鎮 台熊本城に迫り包囲した。明治政府は、2月19日暴徒の征討を決定する。 岩倉具視は、「今般鹿児島県下暴徒征討被仰出候に付ては右に関したる無根 の伝説等妄に新聞紙に掲載不相成候此旨布告候事」と言論弾圧をした。東日 は、御用新聞ととなり戦争報道をして圧倒的な評判となる。従軍した福地桜 痴が戦場に潜入して取材した。3月29日には明治天皇へ戦況報告している。 田原坂の戦いは、3月4日から20日まで続いた激戦地である。政府軍は1 日32万発の小銃弾を撃ったと言われる。道路の幅員4・5mに両軍は近 付き一斉に発砲したといい、凄惨を極めたという。余りに近いために銃弾と 銃弾が空中で衝突した。近代史上最大にして最後の反乱による戦争だ。 政府軍は、薩軍の抜刀隊に苦しめられたという。政府軍もやがて抜刀隊を 組織して応えた。私は、この古戦場を何度も歩いてみたが、多くの兵士の 血を吸った大地であることを想像することは実感できないほど、静で穏やか な風景であったことを思い出している。今は、史跡として残り近くには、 公園ができている。
2018.07.30
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記憶力の減退、付き合いが減ってくる。ふつうは生活にほぼ支障のない状態であるが、進行すると経度の認知症になる。早期発見が重要になるのは他の病気と同じだが、予防に対しては、正しい知識のトレーニングがより大切でもある。記憶力の訓練もある。今テレビで認知症の番組で解説がされている。全国で認知症は200万人近くいるらしい。加齢とともに気になる病気でもある。 これからは何でもありで、それはどうにも受け入れるしかないワンサイドゲームなのだろう。それが生命の運命でもある。コストを払わなければ生きてはいけないし、自分の生命のカードも、一発レッドカードもある。掌から零れる水だ。いつまで守れるいのちではない。 どんなに軽蔑されようとも自分であり続けるしかない。昨夜「八重の桜」で、西南戦争の話があっていた。玉名に住んでいたこともあり、田原坂には歴史書を見ながらよく出かけていた。どんな風に描かれるのだろうと思っていたが、知らない人には何もわからないのだろう。熊本バンドも、史実が解らなければ、その意味も理解などできない。皮相的な話だけがあり、それが歴史だと思うだろう。あの狭い道路で両脇から鉄砲で砲撃し合ったという。砲弾が空中で衝突したものさえある。いまの私たちにその気概はあるか。
2018.07.30
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・たとえば、ビールを飲むのは、喉が渇いているからで、勉強するのは出世したいからであり、食事を拒否するのはプロポーションを維持したいからで、登校拒否は、いじめられるのが怖いからである。このようにもっともらしい動機や感情を示すことが出来きるので自分の行為を明確に理解できていると思っている。ところが、私たちは自分の心のなかで起きていることをすべて意識しているのではない。 ・心は氷山のような構造をしている。 ・フロイトは自分でもきづいていない無意識の欲望があり、その欲望が行動をかりたてているという。だから先にあげた動機や感情はウソである。 ・ビールを飲むのは、ほろ酔い状態になることによって、幼児期に戻り母乳を飲みたのかも知れない。アルコールは母乳の代理であり、アルコール依存症は薬物依存症というよいりも母親依存症なのだ。面白くもない勉強をするのは母親の愛情を得たいからである。拒食は親が支配してきた食事という儀式を拒絶し、登校拒否は親の願望を生きて来た今までの自分を拒否し、自分の願望を押し付けてきた親たちへの復讐かもしれない、と深層心理学ではいう。 ・本当にこころを悩ませているものは別にある・・・感情の転移.なぜ松本智津夫は、麻原彰晃になったのだろうか。なぜ彼は、まだ真実は証明されてわけではないが、あのような死に様を選んだのだろうか。それこそ、事件を解明したところで、何の利益にもならないからだろうか。何の研究をしているのかわからないものも多いが、哲学や思想信条となると沈黙してしまうのだろうか。
2018.07.30
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「ゆえに曰く、ひとはカーマ(慾)より成る。カーマに従ってクラツ(意向)あり、クラツに従ってカルマ(業)あり、カルマによってサムサーラ(輪廻)あり」(ブリハダラーヌヤカ・ウパニシャッド)。浄行によりて浄となり、悪行によりて悪となる。ひとは善人でも悪人にもなる。それは行い次第なのだ。然し、「罪障あるものは生まれ返り、罪障なく清浄であれば生まれ変わらないと説く」。一旦人と生まれて、ここにいう罪障無き人間はいるのだろうか。「悟りを開くもの」とは解釈次第ではない筈だ。誰が言うからではない。絶対評価であれば誰にもできはしない。 ・この世に罪なきものはいない。「輪廻転生」「悟り」といいながら、悟りを開けなければ、「輪廻」に堕ちるのだ。たとえ畜生や蛇に生まれ変わろうと、ひとが厭だと思うだけではないだろうか。確かに生命由来は、同じ宇宙のチリには違いないが。教えのために作られた説教でしかないのだろうか。一歩も二歩も退いて読んでいると、熱が冷めてくる。書いた人間の知識が凡庸でしかないからだろうか。それとも請け売りだからか。
2018.07.30
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志賀島周辺。美や意味はどこにもあるが、それを素直に視る目がなければ視えない。活きることもその視座で違いもする。昆虫でさえそうだし、黴菌だって、ウイルスだって美しいのだろう。生物を貪欲な存在だという人もいるがそうだろうか。この宇宙を究極は「空」だという。そこにある智慧は、人の心を救うだろうか。愛だろうか。それで幸せを感じる人がいる。他力本願だろうか。アイデンティティがそうであるように、突き詰めていけば平和と反対に歩く。 ・表には裏があり、その裏に裏があり、それが表とは限らない。私は幸福だろうか。不幸と言えないこともないし、不幸かもしれないのだ。自分では、そうではないと思っている時も確かにあるだけだろうか。自己否定とその肯定とあったとしても、それはいつまでも続かない。活きている間浮き沈みは絶え間なく続くだろう。 ・へ2・・・大雨が降った後だったこともあり、緑が殊に輝いて見えた。日本も美しい自然があるが、それを守ろうとする人間たちの精神がなければ消えてしまうだろう。自分の心も美を見出す心がなければ消えてゆくだろうし喪うだろう。 くたくたになるまで何かに夢中になって集中した後、これで終わりでもいいと思う時がある。そしてまた明日があり、新たな課題がある。その繰り返しの一生。次のステップが見つけられるかだ。ゴーヤチャンプルを作っていた。台風12号は、福岡にも上陸したが、いまは熊本に台風の目が移っているようだ。早寝したので、24時前に目が覚めて、風呂に入って、どうやラ朝までになりそうなので、料理をしていた。時間つぶしには、料理がいい。現地学習も終わり、来月は、墓参りのついでに小国あたりをドライブしようと思っている。9月には、バリツアーを予定しているが、噴火があったらしい。
2018.07.30
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妻ㇴㇴターズとシャージャハーンとの間には、多くの息子たちがいたが、あとを継いだ息子のAURANGZEBは、父を死までの8年間をアグラ城に幽閉したという。「タージマハル物語」がある。インドのムガル帝国の城はみな赤レンガでできているようだ。ムガルとは、モンゴルという意味らしい。大ハーンの壮大な野心がここにもある。トルコは、後継者を決めて、他の子供たちは真綿で絞殺したというが、インドのムガル帝国では。多くの息子たちに競わせて強いものが後継者になった。タージマハルは、ㇴㇴターズ・マハルが省略されたものらしい。イスラムとヒンドゥ教との関係といい激しい戦いと生き残るための妥協の産物がインドの歴史にはある。そのためにイギリスの植民地にもならなければならなかったのだ。中国も同じだが大国ゆえの悩みは深い。 >アグラ城から見えるタージマハル。秘密の通路があったという話を現地ガイドがしていた。それらしいトンネルの入り口があったが、本当だろうか。自由に行き来が出来たらしい。17世紀だし出来ないことではないだろう。 過剰気味の情報を如何に処理して先に進むかが問われる。価値のある情報かどうか見極めることは簡単ではなくなってきた。権威という諸品価値が怪しくなっている。大学が皆正しい事を云っている訳ではない。国家も政府も同じ情報の海の中に機関でしかない。信じるか信じないかは個人責任でもある。首相が新しい時代の始まりだと強調していたが、そうなるかどうかはこれからのことでしかない。安易にできるということは寧ろ危険だ。これまで甘い汁を吸っていた官僚たちもそう簡単に既得権益を捨てるとは思えないからだ。恐らく捨て身で反抗するに違いない。そういう人たちを相手にする時は簡単にできるというべきではない。
2018.07.30
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マクロ・スコピックとミクロ・スコピックとの間で物事は起きる。その総体の把握が重要である。よく言われるように、「木をみて森を見ない」ことになりがちだ。宇宙の膨張を見る望遠鏡と、極致の組成物質を発見しようとする顕微鏡の違いがある。この中間的な見方をメゾ・スコピックと呼ぶ。 ・それにしても、私たちの時代認識の「空白」は長過ぎるのではないだろうか。ものには限度があり、ポイント・オブ・ノーリターンがある。生命に限界は一度限りであるが、人間社会では何回でもある。どうも日本人の目はミクロに偏りがちではないだろうが、巨視的な側面が欠落しがちである。眼鏡のように遠近両用というわけにはいかない。 ・へ2・・・他人に頼らない個人の能力が試される時代が来ようとしており、自立の準備がされ始めているのではないか。小さく固まって力を発揮していた日本人たちが、ばらばらにされようとしている。それに耐えられるものだけが、これからのマクロとミクロの間に存在理由を持つことになるのではないだろうか。かなり回り道をして大学に入学したから、成績だけはと思っていた。ある時新聞で、阪大で日本で最初の公開講座があると知って出かけた。それを後で知った友人が、親が会社の偉い人で、「なぜそういう友人がいるのに、お前はいかないのか」と叱られたと言っていた。そのひとが、甲子園大会の開会式のネット裏の席を私に誘ってくれた。その時経験した一流の学者の講義には感動したものだ。まず真剣さが違う。文学も音楽も、その深さを知らないのは悲しいことだ。そして哲学もある。
2018.07.30
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どうもいま日本社会は狂っている。理性を喪いつつある。昔は、まともだったというのではない。2011.3.11で、日本人は、自分たちの措かれている現実を知ったが、冷静な目でその事実をどこまで分析しているだろうか。まず政治家や官僚たちにそれができていないようだ。莫迦なトップというものが、放漫経営に為り、やがて破綻していく。国家だってそうならないとは言えない。徒なことをしたがる政治家がいる。 ・アメリカでさえ4年の一度の大統領選だってある。消耗戦でしかなく、相手候補のダティキャンペーンさえする。すべきことを忘れている。消費税増税も国際社会からの圧力でしかない。搾りとられて衰退してしまうのは、アメリカも日本も同じだろう。それは見栄や衒いのためでしかない。エネルギーの適度の消耗は必要だが過度になると衰弱するのだ。 ・へ2・・・余計なことをできるだけ少なくして、未来のための時間を遣うべきなのだろう。老人たちが自分たちの利己心のためにすることに付き合うことはない。「詰まらないことをするな」と、大人たちは言うべきなのだろう。それが智慧でもある。言うべき人が言わないのは、世の乱れのもとだ。
2018.07.30
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ウミニナ。干潟には一面ウミニナがみられる。それこそ表面の砂を掘るとすぐに真っ黒な色に変わったのでそれ以上見る気がしなかった。ぬかるみも増えている。海底調査を続けている近所にある女子大では、ボートを借りて海底の調査をしているが、人工島周辺の海底はヘドロだという話だった。魚介類の違いが育っていない。 ・西日本豪雨被害が報じられているが、山が崖崩れになって河川に流れ込んで大きな災害になっているが、海も山も人間たちがやったことのつけだろう。今更遅いのだろう。干潟には生活排水や、農業用水も流れ込んでいるから、自分たちのしたことでもある。 ・へ2・・・9月には、総裁選があるから。また安倍晋三首相は、笑顔を振りまいているが、延命のためにしているだけだ。便乗して利益を得たいという政治家たちがいる。浅ましい権力闘争である。お区民の暮らしは置いて行かれるだろう。アメリカの言うママも占領下ではないが、既得権益を守るために大国にへつらっているのだ。あっという間に転落するかもしれない。日本の未来は厳しい。
2018.07.30
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概括的なことでよく議論がされている。実感の伴わない議論がされているケースが多いのではないだろうか。弱者が何を求めているかが強者に伝わらないことがあるだろう。強者は自分の存在を当然であると思っているのではないか。それが理にかなっただと信じようとさえしているように見える。政府が悪を為すはずがない。理由もなく悪事はなされないと信じようとさえする。 アメリカは正義を為す国家であり、卑劣なことをするはずがない。多くの人々はキリスト教徒であって、家庭を愛し、隣人を愛し、国民に支持された政府の政治に従うべきだということになる。ではベトナム戦争や、イラク戦争は何なのだろうか。広島や長崎の原爆と投下も正しい行為だったとされている。白人が最後まで生き残るべきだという。そこまでは言っていないと弁解することだろう。誰も批判されたくはない。単純な判断をしがちが。イエスかノーか、そのどちらかを選んで、それを繰り返していくと、結論は悲惨なものになるだろう。 最悪な政府は、それを国民に迫ってくるものだ。日本の政治家は単純過ぎるだろう。それは丁半で決めていた博徒と変わらないことをしがちである。賛成でなければ、反対勢力だといった政治家がいた。それを国民は信じてもいた。かれがやったことは何だっただろうか。今やあの毛沢東だって、ようやくただのひとになりつつあるだろう。 実感をもつまでは正しい判断はできないのが、哀しい現実ではある。
2018.07.29
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動物が植物を食べると、糖やデンプンのかたちに転換された化学的なエネルギーを摂取したことになる。いわば炭水化物が燃料になり、それが呼吸作用によって燃焼されると、生体としてのすべての機能が働き出すというシステムをとっている。エネルギーだけでなく種々の化学物質が体内に蓄積され、必要に応じてそれらを体組織の構築や補修に充てたりする。そして、エネルギーも化学物質も。植物から動物へ、また動物から別の動物へと捕食されていくのだ。その頂点に人間がいる。それがニッチでもある。 物の本によると、現在、地球上の可耕地の大部分は約30種類の主要作物の栽培がされている。コムギ、イネ、トウモロコシおよびジャガイモが特に重要である。 最近のイネは、通常のものより丈の低い半矮性種で、背が低いと早く成熟するだけでなく、栄養分がよりよく穀粒に集まる。しかし追肥と不断の水と病虫害防除剤を与えないとすぐ枯れてしまう。寧ろローカルな種の方が、その気候に対する適性には優れているのだ。どうやら人間のそれに似ているのではないか。温室の中で育てば、促成栽培もされるだろう。
2018.07.29
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現代の西洋世界は、その直中に存在する文化の多元性について目を向けており、はっきり意識しているというべきだ。日本はどうか。そのことをテーマにさえしていないように見える。 私たちは、宗教の何たるかを知らない。この世界に何をもって自分の人生に旅立つべきかを日本人は知らないのだ。混乱は多くの勘違いを招いてもいる。疑問は質さねばならないがその時間があるだろうか。 人類は、現在も、生の事実としての多元主義とイデオロギーとしての多元主義との間に、重要な区別を設けている。真理についての規範性の主張は空しく市場経済の帝国主義的で対立を引き起こしており、ポストモダンの世界観の重要な側面である。 マルクスの主張によれば「宗教はまさしく想像上の太陽である。人間には自分の回りを回っているように見えるが、それは人間が自分自身が回転の中心であると気づくまでのことである」。言い換えれば、神は人間の関心の投影に過ぎないという。しかし、宗教思想を生み出す人間の本性は疎外されている。「人間が宗教を作る。しかし宗教は人間を作らない。宗教は自己をいまだに見出していないか、既に自己を再び失ってしまった人々の自己意識と自尊心なのである」。 「哲学者たちは世界を多様に解釈して来ただけであった。しかしながら肝要なのは世界を変えることである」。 私たちを生み出しているものを、私たち自身では創造していない。その流れの中で自分が真実に向き合うためには、その現場に、自分の脳を連れて行かなければならない責任があるだろう。 フロイトによれば、宗教思想とは「幻想であり、人類の最古・最強で最も緊急な願望の充足」である。宗教は成人の生活に幼児的振る舞いの一部が永続化していることの現れである、という。 にもかかわらず、私たちは、「何を相手にすべきであろうか」。それを常に見定めることができるかでもあるだろう。そのためには、常に問題意識をもっていなけれならない。
2018.07.29
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