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ハッサン2世モスクブラックボックスではないが、ある企みのある社会だ。狭い隙間から社会を学び始め漸く総体が視えてきた頃には手足が無くなっている。何も言えなくなってしまうのだろう。砂浜で築いた砂の城は、一つの波で消されてしまう。涙の雨も降るわけだ。ひとは後悔するために活きているだろうか。ただ成し遂げられそうもない夢を嘆いているのだろう。個としての人間の存在が益々小さくなっている。人間の存在が神の末裔のように見えた存在から、コペルニクス的転回がされて、地球でさえ、宇宙から見れば砂の一つでもない。人のたくらみもそれは、無意味なのだろう。何の重さもない。時間の中ですべてが消滅してしまうのだ。月面から中継されていた漆黒の宇宙が普通の宇宙の容であり、私の仰いでいる宇宙ではない。夢はいつまでも続かないだろう。 ワンウエーのブログで申し訳ないが、プライベートな交流は余り過ぎではない。どうせそれこそ心中するほどのこともないのだろうし、それだけの私には熱意もない。ぼろぼろと朋友は死んでも行くのだろう。熊本に父母のお墓があるが、そこに入ることになるのだろうか。その準備をしているのでもない。妻子は何も知らない。云ってもいないからだ。これまでそういえば葬式のことなど考えてもいない。引揚者で、父母は一から戦後から始めたのだから、財産らしいものも残してはいない。私はやっと住宅ローンで自分の家があるだけだ。それこそカネと時間があったとしても、碌なことはしなかっただろう。女を泣かしたとしても自慢にはならない。ケチな人生と思えば卑屈にもなる。
2018.08.31
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高塚愛宕地蔵尊同一の文でも、文脈によって全く異なる物理特性をもち、あるいは、同じ物理特性が文脈によっては全く異なって聞こえる。 故に、言語は、生得的な言語能力によって習得や経験の積み上げでは習得不可能であるという。(ある「人間を科学する」という講座から引用した。) ・語彙を理解したからと言って、文が書けるわけではない。小説はひとつの事例でしかない。すべてを表現することなどできはしない。まして短歌や俳句で、それが、どれだけ優れたものであっても限界があると思う。それは短歌や俳句の世界で通用するものでしかないだろう。日本文学も日本という国が作り上げた文化の一現象でしかないだろう。お山の大将も所詮は狭い世界の話だろう。そして、現代は「あなたが、「おもしろい」と思ったことを、「あなたがやりたいやり方で」やりなさい」としか言わないのだ。 ・へ2・・・それは認識科学が、いかなる意味での「科学」かを問い、新しい意味での「科学」を、「ホント」であろうと「ホント」でなかろうとも・・・「おもしろい」をつきとめることが、「ホント」を突き詰めることになるというのだ。成程。広い視野という漠然としたものでは宇宙など分るはずはないのだろう。
2018.08.31
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ハッサン2世モスク (モロッコ最大級のモスク)高さ200mのミナレット。僅かな知識でこの社会を理解することなどできはしない。毎日でも弛まず努力して、新しい知的シャワーを浴びてこそ得られるものもある。育てる知識の薔薇には新鮮な水を与えてこそ。何が自分に足りないのか、それが解かるまでやるしかない。それでは終わらない。そこから新しいステージが始まるからだ。生き死にばかり考えていてもそれは、門の入り口でしかない。 ・同じ本を何度でも読むこと。「古事記」の文庫本を毎年買って読むという研究者がおられた。そんな努力をしているのが本物の研究者なのだろう。いつも智識に謙虚であるからだろう。自分を甘やかせる人は人生にも甘える。甘えた人の話は聴くに堪えない。どこの世界でも甘えた人は多いだろう。それが社会のガンにもなる。日本は潰れるだろう。それは厳しさが足りないからだ。 ・へ2・・・真剣に生きているものだけが知る社会がある。真剣でなければ視えないOUV がある。自分にとってのOUVを、探して行かなければならない。時間は無いが、時間は作らねばならない。自分の生きている間が、そのわずかな光の輝く時間でもある。智的シャワーを毎日浴びねばならない。
2018.08.31
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カサブランカ ハッサン2世モスク 種の絶滅の急激さとは、環境の急激さに必ずしも比例せず、緩慢な環境変化が進行し、ある臨界点 を超えた瞬間に一気に絶滅するのだという。たとえば、水生の生物は、じりじりと死んで行くのではなく、 ある許容範囲を超えると一気に絶滅するパターンをとるのだ。それまでは、元気に泳いでいるのだとい う。他の種は平気だったりする。たった温度1~2℃の境界線でしかないという。或いはその差はコンマ以 下もある。徐々に進む環境の変化に対して生物は、寧ろ鈍感でさえある。危険なものから逃れようと する余り、その時期を見失うのかも知れない。自分に口実を与えて何時までズルズルと日々を過ごして しまっている自分がいないだろうか。やがて、自分だけの「ヘイフリックの限界」が待つだろう。 身体を張ってひとは、生きているだろうが、上を向いたり、下を向いたりして前を見損なうらしい。 今の自分に気づかないまま時は流れて、秋は深まるのであろうか。
2018.08.31
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ハッサン2世モスク拠って立つ存在理由が一人ひとりにはある。それをどう表現することができるかだろう。自己充足では足りないところに生きる上の難しさもある。その視座がどこにあるかでもあろう。 ・へ2・・・最期まで、下駄を履くまで人の評価はできない。死後評価される人も多いだろう。寧ろ生前の行為が死んでから非難されることもある。個人を客観的に評価することは不可能ではないにしても極めて困難だ。だから誤解されることが大半でもあろう。ひとはその心の持ちようでも大いに変化しうるだろう。 ・君子豹変す。法にも「事情変更の原則」がある。環境が変われる人の心も変わるだろう。だが、社会がそれを認知するかは一様ではない。おかれた体制でも違うだろう。謂わば薄氷の上でしかない。 ・へ2・・・ひとの幸不幸は一概にはいえないが評価はされるべきだろう。許せることと許せないことはある。人の品格は尊重されねばならない。若いからよくて、老人だから不幸なのではない。のびのび生きているかだろう。それが若い時か、そうでないかの違いがあるだけだろう。若い時にはそれだけ多くの努力をしなければ生甲斐を感じられないだけだ。
2018.08.31
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天龍寺個人のフラストレーションもそれが自分内のエリアで終われば大したことにならないのが普通だろう。暴走するフラストレーションもある。これが他人の権利を脅かし、ついには社会秩序のルールを逸脱して、犯罪にもなる。引き起こすものはストレスだろう。ストレスは万有引力による重力のように常に生物を地上に押し付けてもいる。ひとは膨脹し易い厄介な存在でもある。身の程知らずという。 ・物議を齎す人間の多くが、身の程知らずのフラストレーション野郎でもある。人間が抱えている自分の課題を卑劣に逃げようとしていることが多い。誰もが苦労して生きている。ズルをして生きてはならないのだ。自分だけが楽をしようとする。「薬」に頼ろうとする。それを許している社会がある。「薬」にも合法と非合法があるだけだ。麻薬によって人格を破壊され、国家も存立を危殆に瀕した歴史さえある。この社会には目には見えないタブーがいくつもあるがいってはならない名前さえある。 ・へ2・・・自由社会だと勘違いしている。自分だけがフラストレーションを持っているのでも、ストレスがあるのでもない。誰もがもっている。そしていつも軌道を外れる。常軌を逸してはならないのであって、そのためには自己修正しなければならない。それは自己責任でしかない。「Aは非Aに非ず」が公理である。そろそろ私もフラストレーションが蓄積してきたようだ。イエローカードが出る前に、すべきことがある。
2018.08.31
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思慮深い古代人は、静かに月や星を見て、多くの時間を使って考えつづけた。寒さに震えながら、そして餓えてもいた。然し素晴らしい感性で生きていた。 彼らは50歳まで生きているだけのチャンスもなく、理不尽な社会に多くの悲哀を味わってもいただろう。それでも健気に生きてこれたのは崇高な精神であっただろう。それだけはいえる。 思慮深い古代人が、この人間社会を生き延びる智慧をもっていたのだ。それが、如何に素晴らしいものであったか、私たち現代人は、知らない。 この自堕落な生活を繰り返しているのは、五感を衰えさせて、夢を失った現代人であろう。それでも手に入れた科学の力でどうにか暮らしている。物欲で目を赤く腫らしながら、走り回ってもいる。自分の人生を削りながら。 にも拘らず、こうして威張り腐って、真夜中に好きな時間を過ごす男もいる。自分のことだけど。 好きなことができる奴は、まあ、恵まれた存在ではあるだろう。その報いは、時々身体にくる。 それにしても、一日中考えるのは、それは人間誰しもしていることだが、何を考えるかだろう。 その中味によっては、進化の可能性もあると思う。 考えなくなれば、どんな優れた頭脳も劣化してしまうだろう。 何も知らなかった古代人のこころを、ここまでひとびとを連れてきたのは、その思慮深さであり、一日中 考え続けたからではないか。
2018.08.31
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モハメド5世広場優しさは弱さではない。利他的行動が、人間の歴史になくてはならないように優れたひとの形質でもある。国益ばかり一方的に主張しているような時代遅れの国家があるのは見苦しい限りだ。世襲を正当化するだけの国家もある。時代の流れに逆らうだけだろう。言論の自由を失くせば国民の運命も暗転してしまうだろう。その証明はいくらもあるということか。 ・魔女裁判で、無実の女性たちが裁かれた。あの優しい筈の女性たちが、自分が火刑から逃れるために嘘の証言をし、友人を売ってその友人たちは魔女にされたという。数十万の無辜の血が流れた。人間は弱い存在だ。措かれた環境でどんな人間にもなる。日本人は日本人らしいし、中国人も、アメリカ人もその他の国のひとびとも、その国らしい活き方をするし、見解も似ている。 ・へ2・・・ボーダーレス時代という国際潮流のなかで国境問題もない筈だが、いまだに蒙昧する人間たちがどこにでもいる。エゴイストでは世界は救えない。国益ばかり言っていたら、世界の平和もない。飢えた子どもたちも救えないまま人類の滅亡にもなるだろう。利他的行動を見失えば、人間愛もない。
2018.08.31
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カサブランカの電車現実に今できないことをどれだけ考えても仕方がない。若い時のように夢を見てもそれはそれだけで終わるだろう。出来ることを真剣に考えられるかだろう。真剣になるとは決着を付けることではない。結論を先に出すことでもない。結論は出ないことばかりだ。少なくとも将来に向けて決断することはできない。自分のエリアを間違えないことだ。できることとできないことがある。できることをやらないことが問題だ。与えられた役務を果たすことだ。それは単に職務のことではない。 ・それは知ることでけではなく、判ることでもある。自分の役務とは何かを問うことでもある。天に恥じないことをしなければならないということだ。当り前のことをせよ、でもある。能力のないものが、能力以上のことはできない。自分が何ができるか、問うて見るべきだ。科学的認識を持たねばならないのはそのためでもある。 ・へ2・・・間違えようもない道を迷うことはない。私たちの前には決められた道がある。この社会の出来事くらい理解できるだけの脳を、人間は持って生まれてきた。それを使えばいい。先人たちの造った道がある。然し、その道には実態がない。
2018.08.31
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モハメド5世広場<自然発生源> 火山爆発、大規模山火事、黄砂、植物による炭化水素の発生源、花粉。アレルギー発症。 春に木、秋に草による花粉が発生する。 <人工発生源> 家庭の暖房、製造による汚染、自動車の排気ガス、ゴミ焼却、火力・ガス発電による汚染。 ダイオキシンの問題。 生活の中で発生している極小粒子が人の肺の中に入り込んでいる。 殊に、Road Particles が問題。 ・排ガスだけでなく、道路のアスファルがタイヤによって削り取られ空中にまき散らされる。 ・タイヤの摩耗。 ・排ガスが太陽の熱で変化する。 自然から発生する土地や海などの極小物質は無害だが、人工的なものは有害になる。 <室内空気汚染物質> バイオエアゾル 粒子上物質、ガス上物質、微生物、その他騒音、放射線。 コピー機や事務用品などによるオゾンが人体にどのような影響を及ぼすか?都合の悪いことは 明らかにされない傾向がある。
2018.08.31
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・極小粒子が、人の肺の奥まで入り込んでくる。 ・肺胞に極小粒子が付着する。 ・炎症-肺胞損傷-慢性呼吸器症-喘息。 ・毛細血管-毒性物質の流入-血液粘度増-血管収縮 ・人の肺は、酸素を吸い炭酸ガスを出すことによって生命活動をする。 ・地上のオゾンによる影響。胡瓜の葉が汚染で白くなる。 主な大気汚染事例 ・1930 Muse事件 ・1946 LA Smog事件 ・1946 横浜喘息 ・1948 Dorona事件 ・1970 東京 Smog事件
2018.08.31
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カサブランカ朝の早いみなさん、グーテン モルゲン!! こどものころから、朝は好きでしたね。どんなに疲れていても、元気が戻ってくるものね。 願うのは、いつまでそうであって欲しいことだ。朝は一日の始まりですからね。夕べに白骨なっても構わないが、あさは爽やかであって欲しいものです。 旅はね、行く前がまた愉しいものですよ。そして行って感動し、帰って来て懐かしく思い出せ倍ィ。贅沢なものです。日本の子どもも可愛いけれど、世界のどこのこどもも愛らしいですね。子どもは可愛いようにできているものね。大人の脳に刷り込まれた本能ですものね。 私は、物よりひとをみるのが好きです。花もね、ひとのように思えますよ。そう、草木も私の心の中では物質ではない。そう生物ですよね。花壇で咲いているものや、花瓶に生けられたものより、自然に健気に咲いているものが好きですね。 私は、多動性少年だった。キョロキョロして新鮮なものを探しまわった。私の目は、ネコの目のようにたえず動くものを追いかけますが、私の脳は、連想がすき。次から次に連想してしまう。だから余計疲れます。これも個性。 いつも、なんでも余計に作る癖があるようで、捨てる破目になります。そういえば、昔は、食事は大勢でよく食べたものですね。何かというと親戚のひとが集ってわいわい食べましたが、いつも腹がパンクしそうでした。よく食べろ食べろと周囲から言われましたね。ひもじいこともあったのでしょうが、そんなことは忘れてしまった。過食でメタボになってしまった。
2018.08.31
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カサブランカまあ生きているうちが華というか、愉しまないとね。苦労もあるけど、憂鬱でばかりではいられない。何かを差しおいても、遣りたいときに遣る方がいいことがある。 少しぐらいの回り道を惜しんでいるより遣りたいときがいいときかも知れない。彼女から誘われた時に行けばよかったと、あとで悔やんでも仕方がない。世界の憂鬱も、自分の目で見れば違うことを考えているだろう。二度とは戻らない青春だ。 じっと蓑虫のように何かにぶら下がっていた方が楽かも知れないけど、足掻いて苦しんで走り回って野獣に食べられても後悔しないこともあるに違いない。ラブストーリーなんてそんなものだろう。 生きているときに、美しい濁りのない目で世界を見ることが大切なのではないだろうか。ひとは老いと共に、ネガティブにもなるし、偏見さえ持つようになるだろう。それが、凝り固まって民族紛争にもなったのではないか。欲望の塊になってしまうからだ。 世界を知ることで、絶望するかも知れないが、何か紐解く智慧を見出すかも知れない。 何が「ロマンチィック街道」なのだろう。ドイツにある「ロマンチィック街道」は、それを体験したひとがいて、また同じ事を思った恋人たちがいて、その名がついたのだろう。 遺跡は、歴史を刻んでいるが、現代の人間は、もうそこにはいない。懐かしんでいるだろうが、それだけのステージにはいない。それでいいではないか。遺跡を残しても、生き方は違うだろう。過去に溺れない精神こそ大事なのだろう。 確かに、日本にはまだ、美しい場所もあるが、「美しい日本」といえるだろうか。それを敢えて、説明もしないで安倍首相は、「美しい日本」と言い切るとき、何か不誠実な感じがする。 だが、私たちは、自分が生きている時しか見ることができないのだ。 この日本の本当の姿を。
2018.08.31
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ドバイ~カサブランカ「全体は部分の総和ではない」という基本的なステージだ。視覚研究に発している。そのまま聴覚に適 用することはできないが、周波数や音の高さがキーになるとともに、時間の重要性が増すという。 例えば、匂いにしても脳との関わりはこれからだろう。人間の脳は、あらゆる情報で判断しているのだろ う。好き嫌いにしても視覚だけではない。音楽が果たしている役割もまだ総体が見えていないのではな いか。日本人は、和歌や短歌という凝縮したもので、自分の感情や思いを伝えようとしたが、それは、 多分、誤解をされただろう。もし有効だとしても、それは人間のほんの一部のこころでしかない。音をこと ばに置き換えようとしても、収まらない。また、そこに価値があるのだろう。目や耳や鼻でさえ、そうだし味 覚や、触覚でさえ感受性は磨かれる余地がある。これらの感覚様相の、相互の関連を知ることがいよ いよ重要になってきている。 古いゲシュタルト心理学から現代の認知心理学での見直しがされようとしている。進化と学習との 関係について Bragman が注目されている。
2018.08.31
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リックス・カフェの玄関でバスを見ていた人がいたが、流石に観光客が多いのだろう。他人と仲良く暮らすというのも意外と忍耐がいる。まして外国との付き合いはさらに利害の対立がある。相手のすることを批評したくなる。然し、それをしたら、戦争ばかりしてしなくてはならなくもなるだろう。民法には相隣関係という条項があるが、それだけお互いの争いが絶えないからだろう。話し合いで事が済めばいいが血の雨が降ることさえある。拗れてしまうのは大抵「おとなげない」。が、世の常であり甘く見てはならない。 ・人が理解しあうことは、難しいのだ。親子だって、夫婦だって、和解する努力をしないとそのうち壊れてもしまう。愛があるから大丈夫というのは歌詞でしかない。愛は永遠でも長くも続かない。人は移り気であり、わがままなのだ。わがままな脳がある。正直であろうとするほど、他人と対立もする。隠遁するのは、社会とのかかわりが厭になるからだろう。 ・へ2・・・共生するのは容易ではない。つねに意識を以って相手を理解しなければならないだろう。自分を誤魔化すのではなく、自分の気持ちをより高めることだろう。高い見識を持つことでもある。それができなければ共生もできない。ねこの糞が臭いというだけではネコの存在を理解もできない。
2018.08.31
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映画「カサブランカ」の「リックス・カフェ」。いまBSで再放送をしている。人類を蝕しばむ有害な「差別」は、私たちが信仰の他者に対する優位性の観念か ら生まれてきた。現代人でさえ、この甘言をきっぱり拒絶できないでいる。 科学者ですら、この伝統的な世界観に支配されている。それは、自分の 利益にならないという利己的な考えに基づくものでしかないが。 この地球は、「愚者の惑星」か。 20世紀後半になり、やっと地動説が確立した。ボイジャー1号は、太 陽系の姿を写真で捉えた。人間中心主義の蒙眛は瓦解した。 それでも、人類は、自分の偏狭さを捨てられない。多寡が、自 分の利己主義のゆえに。自分たちの視野が狭いかを顧みようとしない。 差別は、「貧困と無知」に起因する。21世紀になり、まだ、混沌と したまま愚者を止めようとしない。
2018.08.31
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カサブランカ無理をしないことが、長続きの常識でもある。そう心がけているつもりだが、ついむきになる性格がある。まだやれると無理をするのは年寄りの「冷や水」と云う。自分にもウソをつくというのが長寿の秘訣と聞いたことがあった。適当にやることだ。「八割出来て、できたとする」。実は、80%としかできていないが、「今日は、よくできた」と自分に嘘をつくというのだ。腹八分目で満足した、OKとする。簡単に言うが、小人にはできないかも知れない。腹がでかい。 ・小さいことにこせこせしない。莫迦が利口のふりをしても、笑って遣る。おおらかに生きるということは、生真面目では出来ない。人は日々老いるのであり、同じようには遣れなくなる、それでも「よし」とする。人から馬鹿にされても、一々怒ったりはしない。自分に適応できるルールを自分のために創って遣っている。天に恥じないこととは、真理から逃げることではない。 ・へ2・・・無理に古典を現代に当て嵌めようとするから無茶な解釈もするのだ。自分の頭で翻訳する努力を惜しんではならない。と思う。ひとには保湿力がなければならない。それを自分で考えて補って遣らねばならない。解かる人には解かって貰える信じることも必要だ。それこそ自滅しないために何をすべきか、それが問題だ。
2018.08.31
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抗生物質の効かないウイルスが、またどういう容で大流行するかもしれないし、どんなサイレント・キラーが、忍び寄っているかわからない。予想できるものは予防もできるだろうが、できないものもある。現代医学をしても、手に負えない病気はあるし、これから何があるかわからない。それで人類の滅亡もあり得る。怖がってばかりは要られないが、それでも最大限の努力はすべきだろう。 ・できないことはできないが、困難は克服できる。今年の猛暑が、例年になく厳しいものになっている。農作物の被害も拡大しつつあるし、ことしは秋刀魚の不漁を始め異常気象による影響もある。自分の健康を始め、日頃から、リスク管理をしているつもりだが、どんな病気になるかわからないだろう。それは国家にも言えることだ。だれも先のことはわからない。 ・へ2・・・季節は秋に向かって走り出してもいる、赤とんぼが今年は多く見かける。強かに生き残っている昆虫もいる。人間も、環境に適応できたものがより有利な形質をもつ。運もあるのだろう。偶然の産物として生命誕生があり、デッドロックを乗り越えても来た。目の前の現実を物するものでなければ明日はない。
2018.08.31
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2005~2018梶井の「雪の日」のなかに「コペルニクス的の」という言葉がある。この言葉を学生のころ使っていた。あるものを覆すとき、この言葉を頻りと多用していた。観念的なものでしかなかったと今なら思うが、当時は、口ばかりのそれだった。1cmも動かないものを相手にしていた。現実を見ようともしない人間がここにもいるのだろうか。 ・まとも過ぎては、彼には屈辱ではなかっただろうか。梶井は肺病患者の感情の高まりでしかない文章、若さの迷いでしかなかったか。そうではない、と文学者は言うのだろう。梶井はどこをみていたのだろうか。何を以って「コペルニクス的の」と考えたのか。なぜ、その真実のコペルニクスに迫らなかったのだろうか。そこまでいく情熱さえなかったか。 人間の認識は外部にある対象を受け入れるものだという従来の哲学の常識に対し、カントは、人間は物自体を認識することはできず、人間の認識が現象を構成するのだと説いた。人間の認識自体を問う近代的な認識論が成立した。(Wikipedia) ・へ2・・・固定観念で縛られがちな日常から脱皮するためには、物事を180度転換させた見方が必要でもある。それは若さという柔軟性がなければできないのかも知れない。それが、いつできるかはその人次第だろう。時代に流されていてはできる筈もない。それこそ、この現代社会にある重力が問題だ。 悲しい哉、私の思考力は、現代科学を理解するだけの能力はない。零れてくる光を崇敬の念を持って眺めているだけだ。21世紀に入り16年7か月経過したが、世界は未来に向かって前進しているといえるだろうか。貧富の差が是正されていないだけではなく、次期アメリカ大統領候補もいずれも現状維持勢力のそれでしかない。EUは崩壊しかねない。世界中がテロに悩まされている。国益優先の狭い視野のリーダーたちが、居座っている。誰がコペルニクス的転回を成し遂げるのだろうか。その兆しさえない。 タイムリミットが迫りつつあるのではないだろうか。理性を失いつつある状況があちこちで惹起している。
2018.08.31
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内閣は昭和7年(1932)犬養毅(政友会)が倒れて、 ・斉藤実(海軍) 1932年5月~ ・岡田啓介(海軍) 1934年7月~ ・広田弘毅(外交官) 1936年3月~ ・林銃十郎(陸軍) 1937年2月~ (7.7)盧溝橋事件 日中戦争始まる ・近衛文磨(華族) 1937年6月~ (12.13)南京占領。南京大虐殺 ・平沼騏一郎(枢密院)1939年1月~ (9.1)第二次世界大戦勃発 ・阿部信行(陸軍) 1939年8月~ ・米内光政(海軍) 1940年1月~ ・近衛文磨(華族) 1940年7月~ (9.27)日独伊三国同盟締結。大政翼賛会結成(総裁近衛文磨) ・東条英機(陸軍) 1941年10月~ (12.8)真珠湾攻撃。太平洋戦争始まる。(のち大東亜戦争改称) ・小磯国昭(陸軍) 1944年7月~ (10.24)レイテ沖海戦連合艦隊壊滅 ・鈴木貫太郎(海軍) 1945年4月~ 1945年 6. 8 御前会議で本土決戦方針採択 7.28 鈴木首相ポツダム宣言を黙殺し戦争継続表明 8・ 6 広島に原爆投下、死者推定14万人 8. 8 ソ連、日本に宣戦布告 8. 9 長崎に原爆投下、死者推定7万人 8.15 戦争終結の詔書を放送(玉音放送) ・東久邇稔彦(皇族) 1945年8月~ ・幣原喜重郎(外交官) 1945年10月~ 財閥解体、労働組合法公布 ・こうしてみると犬養内閣以来、敗戦まで民間の広田弘毅以外は軍人と皇族たちが 政権を支配していたことが分かる。
2018.08.31
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カサブランカ私たちは何度も屈辱を味わった。もともと敗戦のときに生まれたから、日本人は屈辱を日々感じて生きていかなければならなかった。そのことを忘れない。凡人はハンサムでも才能がある訳でもない。失恋し、失敗し、侮られ、冷笑され、無視されつづけている。それでも挫けない。タフな精神こそ必要なのだ。雑草のように踏まれても踏まれても立ち上がる忍耐がなければならない。 挫けない精神だけが、生きている証でもある。 それこそどこに抑圧者の普遍的論理があるだろうか。
2018.08.31
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関空~ドバイ~カサブランカ平易にいえば、ものを分析して行けば真実はあるだろうか。そしてそれが積み重なって世界はでき ているのだろうか。物事を小さく見ようとしているように見えてならない。それでは、この地形も 人間社会も変えることはできないだろう。人間は、生命の誕生を知ろうとしているが、おそらく解 明まではまだ相当時間がかかるだろうし、宇宙への旅立ちも、この重力を容易に撥ね退けるだけの 科学も持ってはいない。私たちは、明るく気楽に生きようとするが、現実は、多くの矛盾がある。 現代の日本人は、客観的に見て、日本社会がどれだけ公平で文化的であるか疑問を持ってもいるだろう。 イギリスのシンクタンクの調査によれば、そういう日本でさえ世界レベルからみれば過剰に資 源を消費をしているという。そして、世界が日本並みに消費すれば、地球が2.5個必要だ。 マスコミの報道も、事実の矮小化がみられるし、政治も同じだ。物事をズタズタに分断し、世界レ ベルで解釈しようとはしない。この社会変化を如何に適正に概念化するのかが問題だ。そして、 世界で惹起している難しい社会的現象を同じテーブルで議論すべきであり、一部の者たちの 支配に委ねるべきではない。
2018.08.31
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福岡空港から関空そしてドバイ経由で、カサブランカへ。エミレーツ航空の機内食は、美味しいと娘が言っていたが。パラドックス (paradox) という言葉は多義であるが、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す。「ジレンマ」、「矛盾」、「意図に反した結果」、「理論と現実のギャップ」等、文脈により様々な意味に用いられる。 (Wikipedia) 「漱石神話」には落とし穴がある。「神話」とはそういうものだ。自分と他人との間にあるパラドックスは、解消されることはない。漱石を理解することが難しいのは、自分と他人との関係を公平に理解するのと同じくらい困難なことなのだろう。 ・それこそ漱石を神話化することが可笑しいのだ。誰にも欠点はある。自分を理解して欲しいという願望も所詮は無駄に終わるに決まっている。それを試みることを嘲笑することはできないだけだ。カエルはオタマジャクシから変態する。カエルは飛び上がるが飛ぶことはできない。跳ねるだけだ。カエルは、遺伝子の設計通りの一生を過ごすだけだろう。過酷な環境は人間も同じだ。自分と他人と根幹ではパラドックスがある。競合している世界では、利害は一致しない。 ・へ2・・・自分のことが自分ではよく見えないのは、他人の指摘がよく当たることでもわかる。解かっていない自分が分母だろう。無意識の方が自分の大部分でもある。屹度、変な人間なのだろう。笑い飛ばせばよいのではないだろうか。自分の目から見れば他人も軽薄そうにしか見えないのだから・・・。
2018.08.31
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スターバックスは、横浜に単身赴任をしていたころ、休日には、近くのみなとみらいの店をはしごしたものだ。こうしておれるのも、自分を活かしている存在があるからだ。どんなにつまらないと思っても聴いて遣るだけの思いやりがなければ共存などできはしない。自分も自由でありたければ、周囲の人たちの自由も認めなければ遣って行けない。一部のひとが自由で、他の多くの人たちが不自由をさせられた時代が長いことがいえる。それが戦前だと思う。大衆は自由ではなかったのだ。それを一部のひとは自由だったから自由だったという議論は間違いでもある。沖縄で、自決したのが、必ずしも軍部の命令ではないというのも本末転倒の話だろう。 ・日本人が日本に住んでいるから、日本人なのではない。日本の文化を継承している人間だからだろう。そのなかでも日本語を使うからでもある。ことばは文化であり、そのなかに思想も包含している。差別も、言葉の中にある。知ろうが知るまいが、身分社会の言語を使ってもいる。江戸、明治、大正、昭和、そして平成と、戦前、戦後という流れの中で、日本人は今日の形質を創り上げてもいる。 ・へ2・・・何れ、日本語が衰退し、そして日本人は過去の民族になるのではないかと考えている。哀しいが仕方がない。そして種としてのヒトも、他の生物たちも何れは漆黒の闇の中の宇宙の屑になると思う。自分が生きるためには、それを支えてくれる環境がある。自分の周辺だけではない。現代という社会システムが自分を活かしてもいる。過去の集積が現在でもあるだろう。狭いが自分の視野と、浅いが自分の洞察力と、それをひろめ深めるように今日一日を悔いのないものにしたい。
2018.08.31
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数万年前から、私たちの祖先はこの国で暮らしてきた。その前は、大陸と繋がっていたし、恐竜がいたこともあったのだろう。9万年前のasoー4では、私の住んでいる福岡市の周辺まで溶岩流が流れてきた痕跡がある。その溶岩流や火山灰の堆積したところが、人の住処に適していたこともある。そこで農地を耕作して住みついたのだろう。それが集落になり、現在でもその営みは累々と継承されている。 ・科学の目で見れば興味深い場所が、人間たちの周囲には点在している。知らな過ぎる凡庸な人間として生きているのだろう。世の中が詰まらないという若者たちが多いが、はたしてどこをみてそういうのだろうか?教え方が間違っているのか、知りたがらない若者が悪いのか解からないが、知ろうと思えば知ることのできる社会になったことは言えそうだ。これから、戦争があるかもしれないが、その責任は政府だけにあるのではない。政府はただいまや世論の延長でしかないからだ。 ・へ2・・・人間は愚かであることも賢く生きることもできるに違いない。初めから悪人も善人にもない。悪行をなすから悪人になる。欲望に囚われるから貪欲な人間になる。自分をどこへ連れて行くかだろう。どんな時間を過ごし、どこを行くかで、そのひとの人生も決まって来るに違いない。 全方位で物事が起きている。既に十人目の人工衛星の日本人の乗組員が、半年かけて地球を周っている最中でもある。そういう時代にいながら、反面見栄っ張りの人間たちが、勝手なことばかりしているようだ。しなければならないことをしようとせず、自分たちの都合のいいことばかり考えている。枯渇してしまう天然資源もあれば,人間の存在もある。民族の栄枯盛衰もある。滅んでいった民族も多い。個人的にはなにもできないが、腹だけは一人前に立つのだろう。
2018.08.31
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モロッコ自分にとっての「生甲斐」とは何か? ワークショップの目的とは? それは、他人と違う人生を生きたひとがたどり着く、人間としての感慨でもある。「ああ、遣るだけのことはして、生きていて本当に良かった」と思える心境でもある。 自分にとって本当に大切なことを思い出すこと。自分を引き止めているものと対話をしてみる。自分らしい生き方のビジョンを描いてみる。自分の内なる知恵に耳を傾けることだという。 自分の才能を知り、それを最大限に発揮しようと努力しているか。充実感をもって暮らしているか。自分のステップは、この社会の、そして一生の、どこに位置しているだろうか。明日のために、自分は何をしようとしているか。 質の高い人生の為に、内なるコンパスを持っているか。あらゆる困難は生きていく上での避けることのできない局面だと、理解するだけの余裕と、素直さを準備しているか。 もし行き詰ったとき、どうすべきか、どこに行くべきか、その場所を用意しているだろうか。象の墓場をもっているか? 緩やかに月日は過ぎて行くが、その流れは大河ではない。国家にも、個人にとっても、品格が必要だ。
2018.08.31
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もともとお盆も正月も、世間の行事でしかないと思ってきた。伝統というのは、古い人間たちの住処のような気さえする。上手に使い分ける人たちが世渡りもうまいに違いない。その抵抗があまりなくなってきたのも加齢からだろう。というよりも一々逆らうのも馬鹿らしくなったのだろう。他人は他人で自分は自分ということもある。社会に適応するとは従属することではない。医学辞典で疲労は「精神的または肉体的活動した後に続く、「仕事量の減少」、遂行の非能率 化」などを特徴とする状態」との定義がある。または「仕事の結果として生じ、休養を要し、 その人の機能的な能力の低下した状態」という。 患者の愁訴としての疲労もある。疲労は患者が医師の診察を受けにくる十大愁訴の一つらし い。何故そうなるかは色々あり、実は定義が難しいらしい。それは専門家に任せるとして、私 は何もしないのに、それこそ大して活動も労働もしていないのに何故疲れるのだろうか。何も しないから疲れると言えばどこか怠惰だから疲れるようでもある。対価を得る労働でないから だろうか。 準拠枠に慣れた生活を離れると、ひとは追出されると不安に潰されそうになるらしい。女性が 長生きできるのは、疲労をうまくコントロールできるからであろう。度し難い男たちに子供の 頃から鍛えられているのだ。或る意味役務のリタイヤ後も生存できるだけのノウハウを持 っている。それに比べて男たちはノウハウも何も持たない人が多いのだ。適応できないで いる人たちが脱落していくのではないだろうか。矢鱈疲労感だけが残っている。燃え尽き シンドロームにもなる。社会での優等生が、人生の勝利者ではない。頭の切り換えのでき ない人たちが社会に禍根を残しているような政治さえある。
2018.08.31
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これだけ科学が進んでも、まだお盆などといって、訳のわからない話も飛び出して、いったい、私たちはどんな社会に暮らしているのか、時々理解できなくなるようだ。観察や洞察も簡単ではない。一面だけ視ては、間違ったものにもなる。或る人から視れば他の人の評価も違う。人は単純ではないし、豹変もする。外に出なければ知らなくて済むことも、このまま洞窟の中で暮らしてもいられない。 ・大津波に呑み込まれたひとたちは、抗うこともできず生命を奪われてしまった。自然の力の脅威を侮ってはならない。小さな力もあれば、時には島さえ沈没させるだろうし、あのエベレストの頂上近くには、海底の証拠である化石もある。ぼんやり生きているが、昨日お盆で郷里に帰省して、車であちこち熊本の現在のありようを視てきた。昔と変わらない風景があり、人の様子も変わってしまった。何も驚くことはないし、寂しいわけではない。そうあるのは当然の帰結に過ぎない。 ・へ2・・・社会という器も、ひとは消えていく存在である。自分を援け育んでくれた人たちも、もう故人でしかない。お盆は、また自分という人の姿を写す鏡でもあると思った。
2018.08.31
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文学は、嫌いではないが、やはり好きになれなかったのだろう。それは一つは、日本語の日本文学が、やはり権力者の言葉の世界でもある。恋愛も、それは、性愛から離れられないでいる。そして宗教でもない。哲学でもない。洞窟の中に入り込んでも、やはり背後は見えなくなる。目が悪くなって、読書ができなくなったのではないが、手間がかかる。 ・明日から、もう9月になるが、この8月は、例年になく、長く感じた。おそらく記録的な猛暑の所為でもある。昼間、炎天下で、夜も熱帯夜が続いた。これも異常気象から来るのだろう。温暖化ではないという人もいるが、大気汚染をみたことがないのだろうか。真っ黒な川を見てもいないのだろう。自分の世界から知らない人たちなのだろう。 ・へ2・・・それこそ漱石の「草枕」の中に出てくる峠の茶屋の近くで少年時代を過ごした。小天温泉まで歩いてことはないが、峠の茶屋から、すぐの金峰山に、中学の郷土クラブで登った思い出がある。その時の写真もある。日本文学を、6年間、近くの女子大の文学部の公開講座を受講したのは貴重な体験だった。
2018.08.31
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生まれて、肺呼吸をしたときから人生の旅は始まるが、やがて自分を発見し、それからどれだけ視野を拡げられるかでもある。昨夜のダークマタ-の話は面白いと思った。雑誌のニュートンを読んでいたが、ひとは、次々に新しい発見をしながら、ここまで来たという感じがする。それは個人としての自分だけの世界ではなく、類的存在としてヒトの進化のことでもある。この世で起きている事のほんの僅かのスペースしか知らないが、それでも21世紀に生きている恩恵を感じる。 ・ひとは物質を発見し続けてきたが、それでもまだほんの一部しか知っていないことを改めて思った。ダークマタ-という星間物質は光学的に観測できないだけでしかない。それと同じように、この社会には、自力で光っていないだけで存在している多くのものがある。それが、あって成り立っている世界であるのかもしれないからだ。まだ未知のものが溢れているのだから、知らねばならないことはある。 ・へ2・・・人は、人生で何を発見できるかでもある。それは考えるのを止めてしまえば終わる。終わりたい人もいるかもしれないが、私にとっての新しい発見は、人生そのものでもあるだろう。ダークマタ-の存在まで、自分の脳をつれていけるかだ。
2018.08.30
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問題は極小粒子の人体への影響だ。人の肺の奥まで入り込んでくる。肺胞に極小粒子が付着する。 ・炎症-肺胞損傷-慢性呼吸器症-喘息。 ・毛細血管-毒性物質の流入-血液粘度増-血管収縮 ・人の肺は、酸素を吸い炭酸ガスを出す。 ・地上のオゾンによる影響。胡瓜の葉が汚染で白くなる。写真添付あり。 <自然発生源> 火山爆発、大規模山火事、黄砂、植物による炭化水素の発生源、花粉。アレルギー発症。 春に木、秋に草による花粉 <人工発生源> 家庭の暖房、製造による汚染、自動車の排気ガス、ゴミ焼却、火力・ガス発電による汚染。 ダイオキシンの問題。 生活の中で発生している極小粒子が人の肺の中に入り込んでいる。 殊に、Road Particles が問題。 ・排ガスだけでなく、道路のアスファルがタイヤによって削り取られ空中にまき散らされる。 ・タイヤの摩耗。 ・排ガスが太陽の熱で変化する。 自然から発生する土地や海などの極小物質は無害だが、人工的なものは有害になる。 <室内空気汚染物質> バイオエアゾル 粒子上物質、ガス上物質、微生物、その他騒音、放射線。 コピー機や事務用品などによるオゾンが人体にどのような影響を及ぼすか?
2018.08.30
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アメリカの活力は、異文化の坩堝だからだ。然も黒人差別と女性差別の克服をずっと続けている。変動への動力は、同質ではなく、異質を取り入れることで活力化が可能となり、進歩が生まれる。差別を克服し ようとして、アメリカは勢力の拡大を可能にしてきた。日本の場合は、同質な文化を守ろう とし、異質を排除したために政治的動態が閉塞している。 世襲は、衰退の幕引きをする。北朝鮮もそのことに何れ気付くだろう。日本も異文化を積極 的に導入して行くべきだ。純血主義は、リスキーな選択に過ぎない。 かって、教養のない下級武士が明治をリードしたように、地方出身者が、躍り出て、国を活性化し た。世襲を以て謀ろうとしても、ことは成立しなかったに違いない。 日本の政治も、旧弊を捨て切れないようでは、真の活性化は望めない。 日本の政治が低迷し、疲弊しているのは、政治家が多く世襲でしかないからに他ならない。 勿論政治ばかりではない。異質を拒絶しているセクトはどこも同じだろうと思う。
2018.08.30
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万里の長城戦後の日本人は平和憲法の下で、それが押し付けであろうと、兵役の義務に苦悩することなく暮らしてきた。そのことで他国とちがう生きようをしてきたことは確かだろう。ことに体力のない者にとってはなおさらだ。戦前兵役検査で甲種合格というのがあったが、そうでないものは劣等感をもったという。兵役を担えないものは一人前とはされなかった。兵役義務がなくなった意味は小さくはなかったはずだ。 ・第二次世界大戦のニューヨーク・タイムズの記事を読んでいると、胸が苦しくなる。日本兵は殆ど兵役義務で兵隊になったが、それは狭い国土であり、食料と原材料の需要をまかなうためであり、戦場では充分な兵站や飢えを満たす食料を持っていたのではなかった。多くは現地で調達するという乱暴な戦略でもあった。そのために現地人からの略奪というかたちを取らざるを得なかった。しかしそれは相手国から言えば、紛れもなく血に飢えた強盗であろう。世界の目も同じだ。根底にはあるのはドイツも日本も自国の国力では拡大は不可能だったということだ。 ・へ2・・・それでもなお戦争を正当化することはできない。その他の道を選ぶことはできたはずだ。軍人であろうと残虐行為が許されることではない。為したことの責任はそれが誰であろうと問われるのは当然だろう。寧ろドラステックに究明されねばならない。国民を狂気に追い込むことはさして難しいことではないことが歴史をみれば理解される。それは人間がもつ利己的な遺伝子によって由来するものでもあるだろう。だからこそ、狂気に走る前に理性を働かせねばならない。そのことを肝に銘じなければ、またぞろ戦争をするかもしれない虞があるだろう。 ・ひとは情緒を豊かに持ち、他人に対する憎しみではなく、生きる喜びを自分のうちに満たして措かねばならない。そうしないとこころが枯渇し、死をも怖れない絶望を持つことになるかも知れないからだ。
2018.08.30
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歴史からなにを学ぶかである。なぜ日本人は島国根性というのだろうか。国家と個人の関係は、措かれた環境で世界観も違うのだろう。誰が言うから正しいのではなく、正しいものは正しいのでしかないが、その時々の時代で意味が違うだけだ。受けた教育もある。戦前の非国民が大手を振っていけていけるのは、憲法があるおかげでもあるが、そのことを目先の利益のために放棄してしまうかもしれない。 ・何故、そうなるのだろうか。古典を読んでいると、人間の歩いてきた歴史とは、愚か者たちの繰り返しでもある。なんど殺されても過ちを繰り返し続けている。懲りないが、生命力もあるのだろう。個人は犯罪を犯せば処罰される。国家は法の実行者でもある。国家は法に従い刑の執行が許されている。そのためには適法な法の手続きが必要であるが、それは悪法も制定できるということでもある。 ・へ2・・・政府の政治姿勢を多くの国民は不安な眼で眺めている。感覚では分かっていても、権力者たちは危険な道を歩きたがるのだ。それが彼らのしたいことだからだろう。血が流れる。そして戦争が津波のように押し寄せてくるのだろう。知らないのは今のうちでしかない。なぜ戦争は起きるかだ。知らないうちにモノが言えなくなる。反対できなくなる。そして特攻隊員たちが、行きたくなくてもいかなければならなくなる。母親さえ、戦争に行って死んで来いというようにさえなる。戦争は、条件が整いさえすればどこでも起きる。人間の理性は、すぐに消え失せるからだ。
2018.08.30
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ルソーは「卑しい暮らし」をしてきた。その赤裸々な告白をしている。「告白」の現れたころのヨーロッパ文学には、その宗教観の故に美しい自然描写はかつてなかったのである。どうしてルソーは、自然美を発見しえたのであろうか。たまたま「自然の美しさ」にぶつかったというだけではない。 人間ルソーをきわだたせるのは、ひとつは彼のふかい個別性の意識であるといわれる。ルソーは、この真に新しい理論家は、また新しい文学的イメージをつくりうることを証明した。 「思い出すのは、郊外のローヌ河だったかソーヌ河だった忘れたが、その流れにそった道の上で、こころよい一夜をすごしたことだ。対岸の道にそって、庭が段々になってつづいていた。その日はたいへん暑かった。夕方は気味が良かった。露がしおれた草をうるおし、風はなく、静かな夜。大気はさわやかだが、つめたくはない。すでに沈んだ太陽は空に赤いもやをのこし、その反映が水面をバラ色にそめていた。・・・」 「ちょうどわたしの真上に夜鶯が一羽いて、その歌をききながら眠りに落ちた。眠りのこころよさ、それにもまさる目ざめのこころよさ。すっかり明るくなっている。眼をひらくと、水と緑とすばらしい景色。起き上がって、からだをひと振りすると空腹を感じる。残っていた6フラン2枚でうまい朝食を食おうと、陽気に町の方に歩き出した」 (桑原武夫訳より) 描写の美しさには、文学史的にも定評がある。まさに東洋的な感じさえする。独創的な思想のみが独創的な告白を生み出すのであろうか。
2018.08.30
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太宰治「新郎」より、 「一日一日を、たっぷりと生きて行くより、他はない。明日のことを思ひ煩ふな。明日は明日みづから思ひ煩はぬ。けふ一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮らしたい。青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。舟を浮かべてみたいくらい綺麗だ。山茶花の花びらは、桜貝。音を立てて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことし始めて驚いている。・・・」。 ・これも太宰の一面だろう。しかし彼には自然を愛する感慨はない。もともと人間以外に関心がないのだろう。純粋か、そうでないかしかなく、謂わば、環境はあっても「風景」はない。西洋人にも景観はあっても、「風景」がない。おそらく太宰もそうだったのだろう。 ・自己撞着した男が、何故それほど自分を書くのだろうか。何が快感なのだろうか。よくわからない。「死」が美学だと思っているとしたら、それは悲愴でしかない。太宰も、すべてを捨てて、世界一周でもすれば・・・。そういえば世界一周などする必要のない人たちが行っている。いっそ、文学賞の賞品が「数ヶ月間の船旅世界一周」でもしたらどうだろうか。世の中は皮肉なことばかり。
2018.08.30
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IAEA査察官は250人。世界900ヶ所の核施設を衛星画像などを使って日々監視を続けている。そこにあるのは人間のもつ理性や、信頼関係ではなく、国家のエゴに対する警戒でしかない。 ・ひとりの正気を失った人間がいればこの世界を破滅へと導く。ボタンを押しさえすれば核兵器はどこにでも飛んでいく。そういう世界にしてしまったのは科学技術である。科学の進化はそれこそ誰にでも高濃縮ウランを製造できるまでになってしまっている。あの北朝鮮でも保有が懸念されているが、それだけではない。安保理五カ国だけの保有ではなく、インド、パキスタン、そして、イランがIAEAの査察を拒否している。 ・確かに核拡散の防止も五カ国の論理でしかない。自分たちは保有しながら、他国には核放棄をしろというだけでは公平さに欠ける。核兵器を廃絶すべきだ。そうしなければ世界は安心できない。カスケードのパイピングで0.7%の天然ウランから5%の低濃縮ウランの原子力発電ができ、さらに90%以上の高濃縮ウランの製造は簡単に可能であり、それによって最後の切り札にしたいという誘惑はどこの国にもあるだろう。そして、それは現にイスラエルには200発のミサイルが配備されているといわれる。然も、それをイスラエルは隠している。
2018.08.30
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国立海の中道海浜公園。・血管が脆くなるのは中々分かり難い。じわじわとくる。DMもそうだが、健常者よりかなり寿命が短くなるのは血管がやられることが多いためだと言われる。 ・へ2・・・先日も知り合いの人がクモ膜下出血で亡くなった。彼は酒の飲めない人だったが禁煙しなかった。毎年胃カメラで胃腸の検査を怠らなかったが、血管それ自体についてはそれほど関心がなかったようだ。何度も母の話をして恐縮だが、私は多くを母から学んだと思っている。それはおそらく個人的な体験があるからだろう。実社会に出る前に母の胃がんの看病という体験からスタートしたからだ。その時アメリカで血管の研究をした若い外科医が母の担当医で、風変りな付き添いに同情して、色々教えてくれたが、母はDMで血管が脆くなっていたらしい。注射を痛がったのも原因がそれらしかった。血管の劣化が早いらしい。 ・それこそ見た目より、血管だということだね。 ・へ2・・・人も顔も体も内側から変わってくるのだ。どれだけ化粧をしようとそれを止めることはできない。化粧品代で家が建ちそうな女性が多いけれど、それより自分の血管を大事にすることだろう。それと代謝異常だろうね。食べ物や運動やストレスや多くの要素が血管にかかわっているから、容易ではない。厄介な強敵だ。この身近な敵が、私たちのいのちを狙っている。 ・自分の血管が脆いとか簡単にはわからないだろう。注射でもしてベテランのナースでもないとその硬さなどがわからないだろう。そういえば、君は毎月血液の検査をしているが、ナースに、時々そのことを訊いているようだね。 ・へ2・・・うん。まあ気休めだけどね。それでも、少しは解るらしい。医師になると総合的に解析する。皮膚の表面とか、血液の検査結果などで、およそのことは分かっているだろうが血管のことまでは専門医でないと詳しくは解らないだろう。高血圧とか、血管を流れるどろどろの血液とかで血管が脆くなってしまう、いつ決壊するかは日頃の注意にかかっている。出血の場所だけ問題ではない。血管そのものだ。 「ひとをころすにゃ・・・血管ひとつ」
2018.08.30
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玄界灘。どんな苦しい日だとしても一日は、24時間でしかない。刻々と時間は先に進んでいく、そして一日は終わり、明日を迎える。「何もないのが一番だ」と、よく祖母がいっていた。それは「日々是好日」でもあるのだろう。特別いいことがある訳でもなく、大して悪いこともなかったという思いが尊い。思い上がった人間は、他人に不満を持ちがちだ。他人より先に行かないと気が済まない。他人より価値のあるもの、優れたものでないと気が済まない人がいる。そういう人は、他人を踏みつけることを平気でする。 ・人の品格は、社会的地位によっては証明されない。品格のない人間が、虚飾の姿をしたがるのは愚劣でもある。自分にとって「好日」とは何だろうか。それは、自分に相応しくあったということではないだろうか。自分がやれることをやれたということで満足する。できなかったと反省もする。奢らないで生きていくことではないだろうか。直向きだったか。 ・へ2・・・あと何年こうして早足で歩けるだろうか、考えた。いつまできるかなどわかるはずもない。私のもって生まれた遺伝子が決めることだろう。私は、始めたことをできるだけ続けようとするだけだ。母方のお祖父さんは99歳で亡くなったが、畑で転んで怪我をして、あっという間もなく亡くなった。気落ちしたのと歩けなくなったからだ。もし怪我をしなければ百歳はゆうゆうと越したに違いない。貧しくとも、「日々是好日」でありたい。 30分しか歩けないが、夜明け前の星を見ながら歩いてきた。東の空にオリオンが見えた。気温は23℃だった。盆を過ぎてこれから、どんどん日が短くなる。どことなく物悲しさもあるが、歩きやすくはなるのだろう。日々は惜しむべきなり。
2018.08.30
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ドイツツアーどんな苦しい日だとしても一日は、24時間でしかない。刻々と時間は先に進んでいく、そして一日は終わり、明日を迎える。「何もないのが一番だ」と、よく祖母がいっていた。それは「日々是好日」でもあるのだろう。特別いいことがある訳でもなく、大して悪いこともなかったという思いが尊い。思い上がった人間は、他人に不満を持ちがちだ。他人より先に行かないと気が済まない。他人より価値のあるもの、優れたものでないと気が済まない人がいる。そういう人は、他人を踏みつけることを平気でする。 ・人の品格は、社会的地位によっては証明されない。品格のない人間が、虚飾の姿をしたがるのは愚劣でもある。自分にとって「好日」とは何だろうか。それは、自分に相応しくあったということではないだろうか。自分がやれることをやれたということで満足する。できなかったと反省もする。奢らないで生きていくことではないだろうか。直向きだったか。 ・へ2・・・あと何年こうして早足で歩けるだろうか、考えた。いつまできるかなどわかるはずもない。私のもって生まれた遺伝子が決めることだろう。私は、始めたことをできるだけ続けようとするだけだ。母方のお祖父さんは99歳で亡くなったが、畑で転んで怪我をして、あっという間もなく亡くなった。気落ちしたのと歩けなくなったからだ。もし怪我をしなければ百歳はゆうゆうと越したに違いない。貧しくとも、「日々是好日」でありたい。 30分しか歩けないが、夜明け前の星を見ながら歩いてきた。東の空にオリオンが見えた。気温は23℃だった。盆を過ぎてこれから、どんどん日が短くなる。どことなく物悲しさもあるが、歩きやすくはなるのだろう。日々は惜しむべきなり。
2018.08.30
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茨木のり子の「倚りかからず」を図書館で借りてきたついでに「20世紀かく語りき」長塚節「土」も書棚から見つけて借りてきた。妻から頼まれている2冊もあるので、返却しなければならなくなったものもある。何しろ全部10冊に抑えなければならない。図書館では猛暑もあって座る席もなかった。図書館利用が増えているのだろう。公共サービスの充実は文化のレベルを示すものだろう。 クリストファは、生まれたとき脳損傷の疑いがあり、20歳の時には重度神経障害と診断されて「精神年齢は9歳」と診断されていた。手と目の協応が悪くひげ剃りやボタンかけのようなことができず、近所ですぐ道に迷った。身の回りのことができないので施設暮らしだったという。然し彼は語学の天才だった。20カ国語を操る言語能力とそれ以外の認知能力の落差がよくわからないという。長年かけて勉強しても英語一つ満足に使い熟せないものには信じられないが、彼は、多数の言語から英語に楽々と翻訳できてコミュニケーションができるという。
2018.08.30
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桂林人間は論理を創造する生物である。対立の原因が、実際には感情または利害の対立であっても、それを論理的体系としての対立にし、対立を拡大させいくことは古くからみられる現象でもある。人間社会のさまざまな対立は、論理的対立にすることによって、直接的に関係のない人びとの間にも対立が共有され、拡大される。 これは論理的体系のもつ普遍的な拘束力が如何に大きいかを示している。体系化された論理は、人びとを隷属化し、それを利用するものに権威や権力さえ付与するのだ。体系化された論理は有害無益だろうか。それとも論理の体系は必然的に避けられない現象であり、それが固定化することが問題なのだろうか。 論理から観た近代科学の特徴は、要素から全体を捉えようとするところにあり、これが宗教の宇宙から個人を捉えようとするのであり、仏教の論理と逆の関係にある。そこにボトムアップ型論理とトップダウン型論理の相違があるだろう。ある論理的考えが理論になることによって客観化され、予見性を獲得し得るのだ。
2018.08.30
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誰も自分の時間は、自分にとって最大のスペースだ。他人のために尽くすのはそれだけ偉大でもある。それを仕事にできるかどうかではない。時間を売って生きている人が殆んどだろう。勿論それを免れている人もいるが条件付きでしかない。学校を卒業して、リタイヤするまで時間に拘束される対価としてサラリーを貰っている。その立場によって容が違うに過ぎない。自分の時間は必ずしも遊びの時間とは限らない。自分の時間と感じるものがどれだけあるかだろう。 ・自分の時間は、他人と比較できるものではない。重いか軽いかでもないし、長いか短いか、でもない。その時何を感じるかで違う。いま夜明けを待っているが、トーストを準備しながら描いている。外はまだ真っ暗である。それでも苦痛ではない。もうすぐ外は白み始めるだろう。何かを待つことが苦しいこともある。来て欲しくない一日もあることだろう。何かを期待しながら待つこともある。 ・へ2・・・自分の時間を楽しんでいないとは言えない日が続いている。果たしてこれが幸運と言えるのかどうか分からないが、自分なりに納得はしている。自分の将来がどんな時間になっていくのだろうか。夜が明けても楽しいばかりではないが、悦びもある。明けていく空は素晴らしい。それは毎日感じる。それを見れる感動はある。生きることが苦痛であることはない。そう思わせているのは、この社会の貧困があるからだろう。ひとはこころ豊かに生きる権利があると思う。 自然は人間が創ったのではない。いつもそこにあった。自分たちの欲望のために、汚し続けている。もし吐出し続けた汚物のためにあるとしたら未来はどんな相だろうか。
2018.08.30
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「抗日戦争70周年記念式典」などというフレーズが国家事業なのだろうか。まだ戦争を続けているつもりらしい。 ・他国に付け込まれる弱点があったのも事実だろう。そのことをまず考えるべきだ。日本は植民地にされなかったが、長い占領時代があり、そして沖縄ではまだその時代が続いている。これは日本はまだ他国に占領されているのと同じだろう。そのことをまず考えるべきでもある。なにが集団的自衛権だろうか。自分の国さえ本当の自立ではない。 ・へ2・・・自分たちはまともだと勘違いしている。他国を出汁にして何が「抗日戦争」だろうか。大量虐殺があった国として、世界に問うべき勇気さえない。 もうそして72年経過したのだ。私たちも一年一年と時を過ごしている。くだらない世界にしているのは人間の蒙昧だ。
2018.08.30
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グルーディングロッジ 日本と欧米の差は、文化的質量の差でもある。まだ日本の文化の蓄積は薄いし少ないのではないか。ホテルで全国展開の店が条例違反して話題になったが、それは文化のレベルを示すものでもある。 ドイツは、国土約35.7万平方キロだから、日本より狭いし人口も少ないが、世界での存在感はどうだろうか。いうまでもあるまい。ドイツ人と日本人は、いくつかの共通点があると思う。そして矢張り決定的に違うのは、文化的質量だろう。 日本は、アメリカから学ぶものはないとはいわないが、もう充分ではないか。あとは、パートナーシップでも何でも言わせておけばいい。軍事同盟でなければいい。友好は悪いことではないが、共謀では駄目だろう。寧ろ古い友人を大切にすべきではないか。 たとえかってのスイスのように、国民皆兵制をとったところで、国を守れるはずはないのだ。よしんば最強最高の軍備をしたところで、それは、国民にとって不幸でしかない。文化を犠牲にして軍備を優先したところで、国土が要塞化するだけだろう。だれもそんなところで生き延びようとは思わない。 第二次世界大戦で共に敗戦したドイツに、現在なお、中世の史跡が多いに驚く。いくつも街道が残っている。日本にも街道があったが、どれだけ残っているだろうか。これは、文化の差でもあるだろう。 知的蓄積が、日常的に国民の中に根付いているだろうか。文化は高められているだろうか。戦争がひとのこころから始まるとすれば、確固とした国民主権や平和主義が教育されているだろうか。その気概があるだろか。ひとりになっても抵抗する決意があるだろうか。妻子や、国のために死ねるだろうか。
2018.08.30
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月面。成立ちは似ているために双子星とも言われるが、金星の大気は約96%が二酸化炭素で、地表面は 460℃の灼熱の世界であり、地球とは違う。地球は約窒素78%と酸素約21%が主成分で、両 者を分けたのは、水の有無だと考えられている。金星は地球よりも僅かに太陽に近く水はすべて蒸 発してしまい、宇宙に放出されてしまった。運命を分けたのは僅かの相違だ。生物の運命も多くはわ ずかな違いだ。人間も同じ親から生まれても兄弟は違う人生を歩くひとが多いだろう。それも何か の少しの違いではないか。 1940年10月、ヴェトナムのユエで死んだファン ボイ チュウ「ヴェトナム亡国史」 「抗仏」反植民地闘争に身を挺した人だ。フランスの植民地政策が如何に非人道的 で、弾圧と残虐行為が為されたかを語っている。歴史的事実だろう。そして、日本とフランスとの 間で仏印軍事協定が調印され、日本軍による仏印進駐が開始された。 何かが変化すれば、地球も金星の運命をたどることに成るかも知れない。人間の傲慢がそれを生む のではないかと、危惧する。
2018.08.30
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阿蘇幼馴染のO君は、夢を叶えたのだろう。個展を銀座で開いたのだから、それは画家にとって一つの目標であったに違いない。大学を卒業してから、東京へ出て、絵画を続けていたことは知っている。10数年くらい前に自宅へ電話をして、消息を聴いたとき、やっとパリへ勉強へ行きますと言っていた。かなり遅くなったようだった。家族があり、彼はまじめな性格なので、妻子を大事にしていたのだろう。 ・芸術家として、苦労をしているのだろうとその時思ったものだ。若い時の夢は叶えられないことばかり。甘いとか辛いとかではなく、障害が多過ぎるのだ。簡単に夢を持つからだと言われるかもしれない。銀座で個展を開いたからと言って、それは一つのチャンスでしかないかもしれないが、彼がそこまで辿り着いたプロセスは、軽くはなかっただろう。 ・へ2・・・どんな相にしろ、O君は健在の様だと思うと嬉しくなった。一度会いたいが会えるだろうか。ひとことお祝いが言いたい。彼は、苦笑するのではないだろうか。夢を追い続ける人には、まだ夢は終わっていないに違いない。 戦後、私たちが、市営の引揚者住宅にの入居したのは、それこそ1951年公営住宅法施行の直後で復興住宅といわれたバラック建築だった。そのあとにできたのが、51C型の2DKでもある。その中で、私たちは育てられた。敷地内の道路で数十人で運動会をしたこともある。よく勉強もした。親たちは教育熱心だったのだろう。ほとんどみな進学していった。薬剤師になった女性もいる。10年ころ前に、懐かしいので現地をのぞいたことがあったが、建て替えられて面影はなかった。全国に散っていった幼馴染は、今頃何をしているだろうか。
2018.08.30
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国文とは、日本語で書いた文章のことで、大学の国文学(科)のこととある。毎日使っている言語も、大学では影が薄くなっている。どれだけ後継者がいるのだろうか、優秀な学生が育っているだろうか。良くは知らないが、文学賞の受賞者を見ると、本気で勉強はしているのだろうが、不安を感じないわけではない。優秀な人材は、戦前軍人になった。戦後は「金融」といわれた。潰しの効かない文学部と言われたりした。 ・その他大勢にとって、何になろうとしてもできることは少ないというより「無い」のが普通なのだろう。目立たないところで生きていくしかない。遣る気のない大学で何を学んでも先はない。希望をもって勉強している学生たちがどれだけいるのだろうか。多いから良いだけではないが、目標を喪ったような学問ではなにができるのだろうか。 ・へ2・・・日本の作家や、作品を読んでいると、作品と人格のズレもある。金持ちになった作家や、豪邸に住んでいる作家や、ちやほやされている作家、外国を遊び回っている作家を見ていると、これは違うと思う。国文を知らない文学者が増えてしまった。国文のミームの遺伝子を残さないひとたちではないだろうか。
2018.08.30
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21世紀の幕開けとなった2001.9.11米国同時多発テロが発生した。史上空前のテロは6000人の人命を奪い2万人の負傷者を出す惨事となった。アメリカ政府は対テロ戦争を開始した。20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれ戦争が多発した。 19世紀の戦争犠牲者2千万人。 20世紀は1億人。 産業革命以降兵器開発競争 第一次世界大戦では戦車、航空機が戦場に登場。 第二次世界大戦では人類史上初めて核兵器が使用された。 これら兵器の発展は、戦場での死者を著しく増大させた。 アジアでの紛争 ・主に中国の領土問題。 ・アフガニスタンなどのイスラム教多民族国家の問題など民族問題が多い。 ・中央~東南アジアは多民族地帯である。 ・北朝鮮問題など。 日本でも周辺でキナ臭い話が起き始めている。これは何の前兆だろうか。少なくとも何も起こらない筈はない。
2018.08.30
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本当に必要な苦労なのだろうかと思うことがある。実は本当に必要なのこともあるに違いないが、徒に浪費していることは沢山あるのではないのだろうか。食べるために仕事をしていると思っていたが、それが自分にしかできないことではなかったのだろう。誰でもよかったのであり、そのために自分が費やしてきた時間は、役立ったのだろうか。 ・何のために、と考えるとそのためにされている国会審議も、その時になってみないと解らないことばかりだ。果たして、敵国はあるのだろうか。ありもしない議論ではないのだろうか。自分の命を守るために、その時になればどんなことでもするだろう。必死になるからできることがある。 ・へ2・・・戦争は想定外から起きるのではないだろうか。安倍政権の想定している世界ではない現実があるに違いない。日本国内で議論されているだけではなく、他国は他国の論理で、日本という国家のイメージを持っているのであり、この一連の政府の行動は、日本が戦争を否定しないということになる。
2018.08.30
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