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2002年08月09日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 今日は定例の尼崎での保育士研修会。USJのことや日本ハムのことを見ると、またか、と思ってしまう。見つからなければいいというようなことではないと思うのだが、賞罰による教育をする限りこんなことはこれからも際限もなく続くのではないか、と思う。

 ただうわべだけ適切な行動を取れるのでは意味がない。叱られるのが怖いというのではたしかに子どもはいい子に育つかもしれないが、時には失敗もするが自分で判断して適切な行動を進んでするようにはならないかもしれないし、他方、ほめられて育つとほめられる時だけ適切な行動をし、誰にもほめられない、誰にも見られてない時には適切な行動をしないようになるかもしれない。

 このような人は結局のところ自分のことしか考えてないわけである。このような意味での利己主義は、僕は別の文脈で、私は他の人の期待を満たすために生きているのではない、といっていることとは別のことである。

 適切な行動ともいえないが、実質的な迷惑を及ぼさない行動のことを「中性の行動」と呼んでいるが、中性の行動についてはかなり寛容でいられるのに、実質的な迷惑を及ぼす行動(これを不適切な行動と呼ぶ)には我慢ならないことがある。

 例えば花火の後のごみ。花火大会のある川のすぐ傍にすんでいたので遠くまで行かなくても花火を楽しめるというメリットはあったものの、一夜の興奮から覚めた翌日の周辺道路のごみのひどいことといえば、次々に打ち上げられる花火に歓声をあげ拍手し興奮して帰って行く人は思いもよらないことだろう。そのあたりにポイとごみを捨てることの無神経さは許せない。

 中井久男の『清陰星雨』(みすず書房)を帰りの電車で読む。大学生の私語について精神科医の中井は次のようにいう。僕とは違って学生を責めたりはしない。

 マイクを使って講義をすると、学生にしてみれば、声が頭の上や背中のほうから降ってくるので「教壇をみていると視覚と聴覚の集中方向が別々なので脳が苦しむのだろう。教壇をみなくて当然かもしれない」(p.125)

 そこで中井はマイクを使うのをやめ、次に教壇を降りた。さらに学生の机の間の通路を歩いて学生一人一人の顔を見て話をするようにしたという。これは僕もやってみてもいいかもしれない。僕の場合は、マイクを使わないわけにはいかないのだが。

 このエッセイを中井が書いた五年後のコメントには、その後は私語は減ったという。携帯電話を使っておしゃべりをするからである。おもしろいと思ったのは、中井が昔はよかったというようなことをいってないところである。能面のような顔で授業を聴いていたわけではなく、階段教室の上のほうでは、教室の似顔絵が落書きされた。「最前列ではひたすらノートをとる組もあったが、真面目だけが級友の評価基準ではなかった」(p.128)



「アメリカの大学生は足をのせるなど行儀がよろしくないようだが、行儀よく聴講していると参加感は大きいが、内容が頭に入るのはくだけた姿勢の時だそうである」(ibid.)

 他の人に実質的な迷惑だけはかけないで、と強くいいたい。ごろんと横になってくつろいで講義を聴いてくれてもいいから。学生らしくないというようなことは決していわないから。





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最終更新日  2002年08月09日 00時51分24秒
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