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2004年02月15日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 寒い日だったが今日も外へ。ギターの楽譜を手に入れたが僕の手には負えないものがほとんどで、歯が立たない。「Summer」(『菊次郎の夏』テーマ曲)は難易度Cになっている。

 風邪が家中で蔓延。僕と娘は平気だが。娘は体温計を脇に挟み何度も計っているが思うように上がらなくて残念がっている。「ねえ、どう思う?」「どうしたの?」「熱、下がってしまった」。

 昨日、手に入れた『鈴木大拙とは誰か』(上田閑照・岡村美智子編、岩波現代文庫)を読み進む( iBlog版日記 に少し書いた)。

 鈴木大拙(1870-1966)が晩年住んでいた松岡文庫は東慶寺の門をくぐり、庭を通り抜け、百三十段の石段を登らなければならなかった。大拙を訪ねる脚は大抵途中で息を切らしてひと休みして登ってこなければならなかった。ある新聞記者が尋ねた。「先生はお出かけの度にあの石段を上って帰られるのですか」。九十歳を超えていた大拙は答えた。

「一歩一歩上るとなんでもないんだ。いつの間にか上っているんだ」

 晩年の大拙の秘書として世話をした岡村美穂子はいう。

「ゆっくり、ゆっくりというのではなく、一歩一歩です。現実を確実に一歩一歩というのが身についておられたように思います。大拙先生があわてて急ぐお姿は思い出せません」(p.281)

 一歩は速度の問題ではなく、今ここに完全に立つことである。そこからすべてが始まり終わっている。一歩一歩は大拙の生き方そのものだった。



「たしかに一歩先にゆくことで思いも寄らなかった新たな光景が開かれているくることを体験しました。先生が普段から言っておられた、「道はまだ遠いんだ。さっさと先へゆくんだ」というお声が聞こえてまいります」(pp.283-4)

 大拙の主治医は日野原重明だった。血圧が異常に高いことに驚いた日野原はいった。

「大拙先生の場合、血圧の高いということが、お仕事ができるということなのか。お仕事をされるから高くなるのか、どちらなのか判断しかねます。不思議ですね」(p.192)

 岡村はこれを聞いて、日頃の様子から、ある種のバランスがとれているのではないか、と感じた、といっている(p.192)。230はあまりに高いように思うが。働きづめの一日、睡眠は六時間足らずだった。

 岡村が大拙に初めて会ったのは十五歳の時。大拙は八十一歳だった。「早熟で生意気な子ども」(p.27)だった岡村は「大人のどこが偉いんだ。どれ聞いてみるか」とコロンビア大学で開かれた講演を聴いたのである。華厳哲学についての話は理解できなかったが、講演に臨む大拙の様子は十五歳の少女の目に鮮烈な印象を伴って焼き付いた。

 この後も講演の聴いた岡村は、少しでも先生の関心を引きたいと思って、休憩時間に質問をした(この時の質問についてはまた機会があれば別の時に)。大拙は翌日の三時に滞在先にくるように誘った。岡村は日頃の悩みや不満を大拙にぶつけた。「人が信じられないのです。生きているのが空しいのです」。大拙は一言「そうか」と頷き、「手を出してごらん」といった。そして手を広げながらいった。「きれいな手じゃないか、美穂子さん。よく見てごらん。仏の手だぞ」。そういって大拙は涙を浮かべた。





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最終更新日  2004年02月15日 21時32分17秒
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