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2004年09月16日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 今週は三日、講義のために通ったが、予想以上に疲れてしまった。三日でわずか4コマしか講義していないのに、と考えるともうだめである。自分を責めてしまう。これくらいのことで音を上げていたらいけないと思うから。今朝は学校に行く前にカウンセリングをした。その後、少し時間があるので、いつものように机に向かったのだが、力が入らず、原稿を書こうにも一行も書けなかった。少し、思い当たることはあるのだが、自分ではあまり認めたくはない。でもきっとあたっているだろう。気を取り直して、翻訳の原稿の束とドイツ語の辞書を鞄に詰め込んで出かけた。もっとも電車は満員で原稿を広げることはできなかったのだが。

 夕方、あれこれ考えていた。記憶されているはずだが、想起されないことについて。また、過去はいったいどこに行ったのかということ。また、ここから先は論理的に考えたわけではなくて詩的な妄想の類なのだが、その過去はひょっとしたら時系列に起こったのではないかもしれないというようなことを考えていた。母が亡くなった日のことも、大学で教えていたある日ある時のことも同じくらい鮮やかに今思い出すことができることの不思議。記憶されていて想起されないだけかもしれないのだが、記憶の闇に沈んでしまっている多くの出来事もあるに違いない。そういったことは、他日、想起されるのだろうか…等々。

 夕闇が迫ってきても暗くなり始めた部屋でぼんやりとこんなことを考えていたら、母が入院していた頃のことを思い出した。その頃、週日はずっと僕が夜病院に泊まりこんでいて、週末は家に帰っていた。でも週末は父は病院に行っていたので、家には誰もいなかった。晩年の母はずっと家にいたので、帰った時に誰もいないということはなかった。そんなことに慣れていたので、茫然として一人で電気もつけないですわっていると、ついこの間までいた家族が誰もいなくなってしまったことに思い当たり、寂しくてたまらなかった。でも、いくら泣いても、誰にもその声が届くことはなかった。

『古今集』の序で紀貫之が歌について「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせる」といっているが、そんな知があるならばほしいものだ、とケインズの伝記(吉川洋『ケインズ-時代と経済学』ちくま新書)を読んでいて思った。きっと母が倒れるまでの僕は自分のためだけに知を探求していたのではなかったかと思う。それなのに、意識のない母の見ていたら、そんなことがすべて空しくなってしまった。一月に母が逝き、母とともに病院を後にした時、僕も世界もすっかり変わってしまった。こんなことを経験していなかったら、今頃、どんな人生を送ることになっていたのだろう、と何度も何度も思ったものだ。





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最終更新日  2004年09月16日 23時01分36秒
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