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2004年09月17日
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 今日は講義がなかったので、朝からカウンセリング。予約の時間を余裕をもって組んだので、合間の時間は仕事に充てることができた。が、少し身体がだるくて、時々横にならなければならなかった。まだ本調子ではないのか、と思うと少し気が滅入る。昨日、学校からの帰り、タクシーに乗った。僕が利用しているバスは本数が少なくて、その時間帯は一時間に二本しかない。講義の後、学生の質問を受けていたら遅くなってしまった。それでもいつもバスは遅れてくるから大丈夫かと思っていたら、昨日に限って(二十分遅れたことがあったことは前に書いた)定時にきたようで、バスは僕の目の前を通過していってしまった。僕は次のバスを待てなくてタクシーに乗ったのだが、途中二度も急ブレーキがかかり、肝を冷やした。何かあった時のために、このHPのパスワードを教えておかないといけない、とその瞬間、思った。生きているのは瞬間瞬間が奇蹟である、とも。

 記憶と想起について少し。何かを記憶したり、想起するというのはどういうことか。このことについてプラトンが鳩小屋の比喩を使って説明していることは前にも少し触れたことがあるが、その比喩を少し紹介すると、記憶するというのは、鳩を捕まえてきて、その鳩を鳩小屋の中に放つようなものである。日本語では「所持」と「所有」は意味が異なる。今、この手に持っていることは「所持」であるが、手から離しても、そのあるものが自分のものなら「所持」はしていなくても「所有」はしているといえる。何かを記憶する時、最初は所持していても、一度にたくさんのものを所持できないから、ちょうど捕まえてきた鳩を小屋の中に放つように、所持された記憶を所有された記憶に変えなければならない。

 問題はここからで、一度記憶したら終わりではなく、記憶されたことを想起しなければならない。鳩小屋の中とはいえ、飛び回っている鳩を捕まえるのは至難の業であろう。どうすればこのことが可能か。試験を受けるとすれば、これは重大問題である。長い時間をかけて覚えても、想起できなければ意味がないからである。

 ある日の夜、電話をしている時、あなたの言葉をメモしようと思い立ったとする。ところが電話の後、その紙をなくしてしまう。そのとたん記憶をなくしてしまうことになる。記憶する代わりに紙に書き留めたということもできる。メモすること、ノートに書き留めることはたしかに記憶と想起を助けるけれども、記憶力を弱めるように思う。

 そのようにするのではなく、メモに頼ることなく、記憶したい。そして記憶されたことを自由自在に想起したい。どうしたらそのようなことが可能か。フロムが「持つ」様式と「ある」様式を区別したことについては何度も書いてきたが、ある様式においては、一つの言葉と次の言葉との結びつきは、機械的でもなければ、純粋に論理的でもなく、生きた結合である。いわゆる丸暗記は「持つ」様式の記憶であるといえるだろう。本に書いてあったことを時には理解することもしないでそのまま覚えようとするから、たとえ記憶されてもそこに書かれたこと以外のことは想起できない。

 しかし、生きた結びつきがなされる記憶と想起においては、僕の経験では強い関心に裏付けられるので、ことさら記憶と想起の努力がいらないように思えることがある。会って話したり、電話で話したりする時、あなたの言葉はことさら記憶しようと思わなくても覚えることができる。後になっても思い出せる。強い関心があるから、ことさら覚えようとしなくてもいいからである。

 勉強の場合は、このような仕方で記憶するためには、僕の場合は、まる暗記ではなく、ある程度のまとまった文章を読んで理解したり、ある事柄や人物についてのエピソードを知るというようなことが必要になってくる。こうして一度覚えてしまえば、ふいに思い出すことができる。この感じはうまく言葉で表現できない。ある言葉が思い出せない時、関連のことを思い出しているうちに言葉が出てくることもある。こんな時、記憶を所持していたのではなかったと思う。飛び回る鳩には試験の時にはできたらその間だけでも飛び回らないで、じっと止まっていたいものだと思ったりするのだが。





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最終更新日  2004年09月17日 22時50分45秒
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