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見故人李均所借古鏡恨其未獲歸府斯人已亡愴然有作 劉長卿故人留鏡無歸處、今日懷君試暫窺。歳久豈堪塵自入、夜長應待月相隨。空憐瓊樹曾臨匣、猶見菱花獨映池。所恨平生還不早、如今始挂隴頭枝。【韻字】窺・随・池・枝(平声、支韻)。【訓読文】故人李均借(か)す所の古鏡を見、其の未だ府に帰すを獲ざるを恨む。斯の人已に亡くなりて愴然として作有り。故人鏡を留めて帰す処無く、今日君を懐ひて試みに暫く窺ふ。歳久しくして豈堪えんや塵の自から入るに、夜長くして応に待つべし月の相随ふを。空しく憐ぶ瓊樹曾て匣に臨みしを、猶ほ見る菱花の独り池に映ずるを。恨む所は平生還(かへ)すこと早(すみやか)ならざりしを、如今(いま)始めて挂く隴頭の枝。【注】○李均 楊世明校注『劉長卿詩編年校注』(人民文学出版社)によれば、李成裕の子、李揆の弟という。○借 貸し与える。古鏡恨其未獲○帰 返却する。○府 お屋敷。他人の住居の尊称。○斯人 李均をさす。○愴然 悲しい気持ちで。○故人 古くからの友人。また、無くなった人。○留鏡 無歸處、○懷君 あなたを懐かしく思い出す。○窺 そっと見る。○瓊樹 玉のように美しい木。高潔な人のたとえ。○曾 以前に。○臨匣 鏡をしまう箱。○菱花 ヒシの白い花。鏡の裏面に刻した菱花型のデザイン。○平生つねづね。○如今 いま。○挂 ひっかける。○隴頭 陝西省隴県の南西にある隴山のそば。【訳】亡くなった昔なじみの李均が貸してくれた古代の鏡を見て、それをまだ倉に返せずにいるのを遺憾に思う。李均はすでに此の世に無く悲しみにくれながら、詠んだ作。友は鏡を世に留め、遠いあの世に旅立ちぬ。返す主人を失って、君思い出しのぞきこむ。歳へて少しくもりあり、月の光を待ちわびる。きみもこの箱向かいつつ幾たび見けんこの鏡、菱の花咲く池の図を彫刻したるおもしろさ。遺恨に思うはすみやかに君にかえさざりしこと、いま隴頭の枝に掛け君に手向けるますかがみ。
June 27, 2007
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尋龍井楊老 劉長卿柴門草舍絶風塵、空谷耕田學子真。泉咽恐(一作豈)勞經隴底(一作客、一作地、又作■(「低」の「イ」を「土」に換えた字。テイ))、山深不覺有秦人。手栽松樹蒼蒼老、身臥桃園寂寂春。唯有胡麻當鶏黍、白雲來往未嫌貧。【韻字】真・人・春・貧(平声、真韻)。【訓読文】龍井楊老を尋ぬ。柴門草舍風塵絶え、空谷耕田子真を学ぶ。泉咽びて隴底(一に「客に作り、一に「地」に作り、又「■(テイ)」に作る)を経るを労するを恐(一に「豈」に作る)れ、山深くして秦人の有るを覚えず。手づから松樹を栽ゑて蒼蒼として老い、身桃園に臥して寂寂として春なり。唯(ただ)胡麻の鶏黍に当たる有り、白雲来往して未だ貧を嫌はず。【注】○龍井 各地にあって特定できない。著名なものは次のごとし。一は、福建省崇安県西南の武夷山上。一は、福建省▼(「サンズイ」に「章」。ショウ)浦県の東。一は、江西省南昌市の東。一は、山西省平定県の西の嘉山。○楊老 楊姓の老人。○柴門 しばを編んで作った粗末な門。○草舍 草葺きの家。○風塵 憂き世のわずらわしさやけがらわしさ。○空谷 人けのないさびしい谷。○耕田 田畑をたがやす。○子真 『揚子法言』《問神》「谷口の鄭子真、其の志を屈せずして、巌石の下を耕し、名は京師に震ふ」。○隴底(一に「客に作り、一に「地」に作り、又「■(テイ)」に作る) 隴山。陝西省隴県の西北より陝西・甘粛省の辺境にいたる。○不覚有秦人 桃花源の話をふまえる。○手 みずからの手で。○蒼蒼 樹木のあおあおとしたさま。○桃園 桃林。河南省霊宝県以西、陝西省◆(サンズイに「童」。トウ)関以東の地。○寂寂 ひっそりとしてしずかなさま。○胡麻 ゴマ。○鶏黍 にわとりを殺してスープにし、きびの飯をたいてもてなす。【訳】龍井の楊老人を訪問したときの作。柴の門入り草ぶきの家たずねればさまざまな憂き世の煩わしさもなく、ひっそりとした谷近くきみは田畑を耕作す。泉ちょろちょろ音立てて隴山越えたをねぎらいて、こんなに深き山なれば秦人いるを誰が知ろう。手植えの松も年ふりて、桃さく春の庭に臥す。胡麻生い鶏あそびおり畑の黍は風にゆれ、空に行き交う白き雲、清貧たもつ暮らしぶり。
June 19, 2007
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題靈祐和尚故居 劉長卿歎逝翻悲有此身、禪房寂寞見流塵。多(一作六)時行徑空秋草、幾日浮生哭故人。風竹自吟遙入磬、雨花隨涙共霑巾。殘經窗下依然在、憶得山中(一作陰)問許詢。【韻字】身・塵・人・巾・詢(平声、真韻)。【訓読文】霊祐和尚の故居に題す。歎逝翻つて悲しぶ此身有るを、禅房寂寞として流塵を見る。多(一作六)時行径秋草空し、幾れの日か浮生故人を哭さん。風竹自ら吟じて遥かに磬に入り、雨花涙に隨つて共に巾を霑らさん。残経窓下依然として在、憶ひ得たり山中(一作陰)に許詢を問はんことを。【注】○霊祐和尚 俗姓は趙氏。福州長渓(福建省霞浦)の人。永七七一……八五三年。○歎逝 過ぎ去って二度とかえらぬものをなげく。○禅房 僧が坐禅する部屋。○寂寞 人けが無く、ひっそりとしずかなさま。畳韻語。○流塵 空中に舞うちり。○多時 長い間。「六時」なら、仏教語で、僧が念仏や読経などのおつとめを行う六度の時。すなわち、晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜。○行径 こみち。○幾日 いったい何日。○浮生 はかないこのよ。○哭 人の死を悲しみ大声で泣く。○故人 ここでは亡くなった昔なじみ。○磬 ヘの字型のつるして使う打楽器で、寺院で合図に打ち鳴らず。○雨花 雨にぬれた花。○巾 てぬぐい。○依然 もとのまま。○憶得 思い出した。○許詢 晋の高士。字は玄度。王羲之・支遁らと親交があった。【訳】霊祐和尚のかつての住居に題す。川の流れをながめつつ此の身のこるをうらみやる、禅房ひっそり塵を見る。小径を覆う秋の草、憂き世に何日とどまりて彼の菩提をばとぶらわん。風に葉ならす竹の音遥かな磬の音に和して、雨に散る花わが涙共に手ぬぐいぬらすらん。ありし日のまま窓下には依然と経典残されて、かつて許詢を山中に訪問せしを思い出す。
June 17, 2007
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餞王相公出牧括州 劉長卿縉雲▼(「言」のみぎに「巨」。キョ)比長沙遠、出牧猶承明主恩。城對寒山開畫戟、路飛秋葉轉朱■(「車」のみぎに「番」。ハン)。江潮●(「水」を「品」のように三つ書く字。ビョウ)●(ビョウ)連天望、旌旆悠悠上嶺翻。蕭索庭槐空閉閤、舊人誰到▲(「羽」のしたに「隹」。テキ)公門。【韻】遠・恩・■(ハン)・翻・門()【訓読文】王相公の出でて括州に牧するに餞(はなむけ)す。縉雲▼(なんぞ)長沙に比して遠き、出でて牧するは猶ほ明主の恩を承く。城は寒山に対して画戟を開き、路は秋葉を飛ばして朱■を転ず。江潮●●として天に連なつて望み、旌旆悠悠として嶺に上ぼつて翻へる。蕭索たる庭槐空しく閤を閉ぢ、旧人誰か到らん▲(テキ)公の門。【注】○王相公 王縉。字は夏卿。太原の人。王維の弟。広徳二年に宰相となった。元載に連座して、括州の刺史に左遷された。○出牧 中央の朝廷から出て、地方の長官となる。○括州 江南道の州の名。いまの浙江省麗水県。○縉雲 括州。○朱■ 太守の乗る車の両側からそり出した覆い。○庭槐 周代には、三公の位にあるものは、朝廷の庭に植えられた三本のエンジュの木にむかってすわった。○閉閤 漢の宰相公孫弘が東閤を開いて賢人を招いた故事をふまえる。○▲(「羽」のしたに「隹」。テキ)公門 前漢の▲(テキ)公。廷尉となったとき、大勢の訪問客がいたが、地位を失うと、門前に雀をとるかすみあみを張れるほど来客が減った故事。【訳】相公の王縉が括州の刺史として赴任するのにたむけた詩。きみの行かれる縉雲は長沙にくらべなお遠い、朝廷出でて刺史となる、それとて天子のご恩なり。画戟を開く城門のむこうに寒山そびえたち、道に散りしく落ち葉をば、きみの乗る馬車けちらかす。川の満ち広々と天に連なりどこまでも、きみの一行はるばると旗なびかせる山の嶺。ものさびしげなエンジュの木、賢人招く人もなく、付き合いあった人も減り、きみを訪ねる者もなし。
June 12, 2007
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和樊使君登潤州城樓 劉長卿山城迢遞敞高樓、露冕吹鐃居上頭。春草連天隨北望、夕陽浮水共東流。江田漠漠全呉地、野樹蒼蒼故蒋州。王粲尚為南郡客、別來何(一作無)處更銷憂。【韻字】楼・頭・流・州・憂(平声、尤韻)。【訓読文】樊使君の潤州城楼に登るに和す。 劉長卿山城迢遞として高楼敞(たか)く、露冕鐃を吹きて上頭に居り。春草天に連なりて北望に随ひ、夕陽水に浮びて東流を共にす。江田漠漠たり全ての呉地、野樹蒼蒼たり故の蒋州。王粲尚(かつて)南郡の客と為り、別来何れの(一に「無」に作る)処にか更に憂ひを銷さん。【注】大暦五年(七七〇)潤州に旅したときの作。○樊使君 樊晃。大暦五年から七年にかけて潤州刺史をつとめた。「使君」は、刺史。○潤州 江蘇省鎮江市。○城楼 城門上の物見やぐら。 ○山城 山間のまち。○迢遞 高く切り立ったさま。○高楼 高く立派な建物。○敞 たかくひろいさま。○冕 礼装用のかんむり。○吹鐃 軍楽を演奏する。「鐃」は、陣がね。軍中で鼓を打ち鳴らすのを停止させるのに使う。大型の鈴に似て舌が無く、柄あり。○上頭 前列。○漠漠 ひろびろと続くさま。たり全ての呉地、野樹蒼蒼たり故の○蒋州 唐の江南道の州の名。旧治はいまの江蘇省南京市。○王粲 後漢末の文人。山陽高平(山東省鄒県の西南)の人。字は仲宣。若いころ、乱を荊州に避け、劉表に仕えたが、多年志を失い、「登楼賦」を作って思いを抒した。のち曹操に仕え、丞相の掾となり、関内侯の爵を賜り、官は侍中に至った。建安二十二年、呉への遠征中に病没。王粲登楼は文人の落魄漂泊の典拠となった。建安七子の一。(一七七……二一七年)。○尚 「嘗」と通ず。かつて。○南郡 秦の郡の名。治所は郢(湖北省江陵の東北)、のちに江陵に移った。前漢は全国に十三州を置き、南郡は荊州の一部であった。○別来 別れて以来。○何処 どこ。○銷憂 憂さを晴らす。【訳】樊使君の「潤州城楼に登る」詩に唱和した詩。山間の町けわしくて城門の楼いと高し、かんむり露わにカネたたき陣の前列位置しめる。天までつづく草の原、夕陽うつして川流る。呉地の田畑は広々と、もとの蒋州木々深し。王粲南郡の地にあそび、別かれて以来いずこにて己が憂いを消すやらん。
June 5, 2007
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