全10件 (10件中 1-10件目)
1
直感 南風一 女は自分に対する男の気持ちが分かるのかなと思うなぜこうも胸の内を見透かされているのかな?とも思う女と顔を合わせるのは大抵昼飯時の食堂と相場が決まっているのに今日は会議で外出して帰って来たエレベータホールでばったりと透明ガラスが開いて俺が足を踏み入れるとともにきみはエレベータホールの真ん中で足を止めた透明ガラスを通してきみの姿は見えていたからことさら驚くことでもなかったけれど・・・そこで誰もいなかったら「やあ」とか言ってきみを抱きしめていたかも知れないそんな俺の胸の内をきみは見透かしているのか不敵な笑みを浮かべて私が会釈してエレベータに乗り込むのを見送っているなかなか手ごわい女 (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は人気blogランキング
2019/02/28
コメント(0)
白い世界 南風一武蔵野のグランドだったまだ雪が残っていた都心の大学院への進学も決まり引っ越しまでの猶予期間だったかそれとも妻がお産で田舎に帰っていた頃独りだけの休日にぶらりと近くの武蔵野の雑木林が残るグランドに雪が積もった上に寝転がっていたときのことだったかサルみたいにマスかいていた雪が積もって真っ白な地上と同じように空も雪雲で一面白かった雪が空から湧いてきた空と地上の境が見えなかった起き上がって雪を払うと雪の上に落ちたはずの白い液体の痕跡は何処に落ちたものやらもはや皆目見当がつかなかったそんな雪の日 (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は人気blogランキング
2019/02/24
コメント(0)
1年 南風一梅が満開を迎える季節になると身体や意識が新しい息吹を感じてまた新しい1年が始まると感じる使わないクレジットカードの会員費の引き落としを知らせてくる電話の1年は早い他方毎月の給料日はなかなかやって来ない財布がすっからかんになると半月ほど平日は仕事から帰れば何事もなかったように早く眠り週末は家に籠っているそうやって過ごす2週間もあっという間に過ぎ去る楽しいひと時も何もない日も何事もなかったかのように眠り目が覚めれば仕事に出かけて我を忘れて些事にかまけるそうやって日々を過ごしていれば人生の意義とか寄る歳月とかといったことに思いを巡らせる余裕もないから毎日生きることは極めて簡単そういう生理に従うだけの暮らしが一番幸福な姿に違いないけれど獣の暮らしと何処に違いがあるのだろう?とも思うそれってきっと人間の傲慢なのだろうと思う獣の暮らしの方が人間より劣っているって誰がそう判断したのだろう (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は人気blogランキング
2019/02/23
コメント(0)
いつもの立春 南風一 今年は確かに私の定年の年には違いないけれど取り立てて変わったところはないちょうど大学4年生のとき進学が決まらず就職もできず単位は揃っていたけれど卒業しなかったそのときの立春も取り立てて変わったところもなく過ぎて行ったそれから36年が過ぎて今秋定年の日が来て一年が終わる頃には今年の立春も取り立てて変わったところもなく過ぎて行ったと思うのだろうそうこうしているうちに祖父母も父も母もいなくなってしまったから私の思いだけが漂うことになるのだろう (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は人気blogランキング
2019/02/17
コメント(0)
柔らかさ 南風一妻の薬を貰いに薬局に寄ってお金を払って釣銭を貰うとき薬剤師さんの指が掌に触れて女性の手が随分柔らかだったことを思い出した指や手に限らず乳房も尻も柔らかいもう何年も女性の身体を抱くことから遠ざかっているから女性の身体が柔らかいことを忘れていた高校2年生のとき昼休みに文化祭のフォークダンス練習をするというので体育館に集まった「それでは男女で手を取り合ってカップルを作って」という掛け声があったので私はお目当ての女学生の手を握って「さあ、行きましょう」と誘ったその女学生は「私は・・・」とか「いえ・・・、あのう・・・」とか言っていたが結局手を取り合ってフォークダンスを始めた彼女とはその後も課外授業や校内、通学途上であったときに言葉を交わしたり彼女が女子大に進学してその1年後に私は近くの大学に進学して便りを交わしたこともあったけれどそれっきりになってしまって今彼女の消息は知らないけれど彼女の手が柔らかだった記憶だけが残っている (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は人気blogランキング
2019/02/16
コメント(0)
人類の営み 南風一 昨晩自転車で帰途の途中横道から道路に出る手前で人影を感じたので暗がりの中で前ブレーキに力を込めたときプチッという音が聞こえたような気がしたそのとき 前ブレーキのワイヤーが切れてもう1年近くになろうからそろそろワイヤーが切れる前兆かなと感じたそして今朝仕事へ向かっている途中横道から女性が勢いよく出てきたから急ブレーキを掛けたらブチッという音がして前ブレーキのワイヤーが切れた仕事に向かいながら昼休みに自転車屋へ修理に出さねばと漠然と思案しつつペダルを漕ぐそして定年までには自転車を修理することはないだろうと思った予想はあっさりと裏切られたことを考える自転車や歯などは1年に1回ほど修理や治療に行く自分の身体も寒くなれば風邪を引いたりして1年に1回くらい内科医院へ行く車は少し長く3年から2年に1回車検を受ける家はもう少し長く25年目に外壁と屋根の塗装をした給湯釜は10年目に修理して20年目に新品に買い替えたそんな具合で物や身体が正常状態や健康状態を維持していくというのは随分難しいいつも劣化と戦っているようなものだそのような中で子孫を残して死んでいくことはとても大変で意義あることだと思うましてやこの世に生まれ落ちて世界トップレベルのアスリートに輝けるということはたとえ一瞬であっても素晴らしいことだと思うものも人も劣化と戦いながら善戦していこう決して諦めたり倦むことなく営々と人類の営みを続けて行こう (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は 人気blogランキング
2019/02/13
コメント(0)
風物詩 南風一 モチの木に赤い実がなって年も超えたけれど一体いつになったら椋鳥たちが実を啄みに来るのだろう?と案じていたら今朝は雨戸を開ければ雪混じりの霙が降っていてカーポートや収納庫の屋根にはうっすらと雪が積もっていた椋鳥が飛来して赤い実をせっせと啄んでいるやっぱり椋鳥たちがやって来るのは雪とかが降って餌探しに困る時季なのだなあと納得するたくさんの椋鳥が来ている年もあるし数羽かせいぜい十数羽程度の年もありいつも3月が来て気が付けばモチの木の実がすっかりなくなっていることに気付くからこの時季私たちが知らない時間帯にも椋鳥たちはせっせと飛来して赤い実を啄んでいるのだろう私の家の1本のモチの木に係わる事だけど毎年重ねられている冬から春の風物詩 (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は人気blogランキング
2019/02/11
コメント(0)
生活 南風一 まだ非正規で働いている長男に本年11月の私の定年でもって生活費の仕送りを止めるというのはなかなか言い出しにくいことではあったしかし親としても30歳を過ぎた子どもの仕送りのために正規雇用を続けるというのは本末転倒であるしもうそろそろ生活から解放された気楽なアルバイト程度の稼ぎで許して貰いたいというのも本音だ長男には少し酷ではあるがその難しいところを何とか歯を食いしばって嫌な定職に就いて貰えないだろうかと思う長男にかけた教育投資額たるや相当な額になるがその投資額さえ回収することなく60歳を迎えることになれば長男は年金もなければ一体どうやって老後を暮らして行くのだろうか?親ながら子どもの行く末が心配でならないというのはどう考えてもおかしい絵ではあるまいかなぜこんなことになってしまったのか?長男は私の分身ではないから心の中が分からない自分の興味を生活の犠牲にしたくないという考えは果たして正しいのだろうか?自分勝手なのだろうか? (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は 人気blogランキング
2019/02/09
コメント(0)
暮らし 南風一 学者や文学者としては立派でも生活能力ゼロという人物は確かにいる学者として業績や文学者として残した作品の立派さゆえにさぞかし生活者としても成功した人物であろうと想像する人たちが多いところが現実はさにあらず赤貧洗うが如しで妻や子供たちはみすぼらしい服を着て食べるものにも事欠く生活先生御仁は財布の中はいつも空っぽで教え子たちに食事を振る舞ってやることもできないそんな暮らしの中でよく業績を上げたり立派な作品を残せたものだと感心する暮らしに満ち足りた人がいい仕事などできるはずがないとも思うけれども (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は人気blogランキング
2019/02/09
コメント(0)
夢と希望 南風一年頃の男と女を一緒にしておけば必ずカップルが出来るつまりは恋とか愛とか色々表現はするけれどプラスとマイナスの磁石が互いに引き合うように放っておいてもカップルは出来てしまうそれはたまたまA子とB男がそこに居合わせたというだけのことたまたまそこに居合わせたという確率はこの際何の関係もないなぜなら男と女が居合わせるという場面は保育園のクラスから始まって幾らでも偶然の機会があるからたまたま一緒に居合わせただけなのにそれが運命の出会いへと変化するそれは意味付けだけであって男と女がくっ付くことに何の奇跡も魔法も必要ない恋とか愛とか言ったところでそんな卑近な男女の引き合いと理解するのでは夢も希望もなくなるのかな (詩集の宣伝)「青春17切符+1」3月26日発売。 購入は、 こちらからどうぞ 詩が良かったと思う方は 人気blogランキング
2019/02/06
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1