全31件 (31件中 1-31件目)
1
東九州自動車道の別府湾サービスエリアからの眺めです。こちらは国東半島の方です。こちらは別府湾の眺め、向こうの陸地は佐賀関半島でしょうか。霞んでいますが高崎山の姿です。打ち身ばかりではなく山側の眺望も素晴らしいです。アンテナの向こうにそびえる山は? わかりません。キレイな姿の山ですね。人気ブログランキング別府湾
2018年10月31日
コメント(28)
新装開店のお店があったので、ちょっとどんなものかと思い、入ってみることにしました。考えてみれば、この店って、つい2か月前は別の長崎ちゃんぽんのチェーン店だったんですよ。でもそこが撤退して、そして、また、「長崎ちゃんぽん」ですか。この長崎ちゃんぽん、550円(税抜き)という価格設定は、ちょっと嬉しいです。味は、そんなものかと思いつつ、結構コクがあって美味しいスープでした。ちなみに、水はセルフサービスで自分でサーバーから入れるのですが、全然、冷えてませんでした。こういうところに気が回っていないのは、開店したばかりってことですかね。ところで、メニューにはこんなこんなことが書いてありました。本場長崎の味長崎ちゃんぽんを名乗るには条件があります。長崎県内で製造されたもの。小麦粉の配合(既定の配合)切り刃(一六番丸刃)長崎県だけが許可されている唐あく水をしようしていること以上を満たさないと長崎ちゃんぽん麺とは名乗ることが出来ません。まるしょうの長崎ちゃんぽん麺は自社製麺です。島原名水を使用した唐あく水と厳選された国産小麦を配合することで独特な風味の麺に仕上がります。旨味たっぷり本場長崎ちゃんぽんをご堪能下さい。名水百選に選ばれている長崎県島原市。まるしょうの米は地元島原半島の名水で育まれた米を使用して、まるしょうの野菜は島原半島産を中心に国内産の野菜を使用して、まるしょうは日々皆様へ安心安全と、笑顔をお届けします。人気ブログランキング孤独のグルメ 長崎ちゃんぽん
2018年10月30日
コメント(40)
九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。大石堰の横にある「五庄屋遺跡」。大石堰(水路も含めた施設全体を大石水道)は、五人の庄屋の発願よって江戸期に建設されたました。それを記念する施設です。江戸初期の浮羽地方は、筑後川の沿岸にありながら土地の地盤が高く水利が極めて不便で、お米がとれなかったそうです。そのため、栗林次兵衛・本松平右衛門・山下助左衛門・重富平左衛門・猪山作之丞の五人の庄屋は、筑後川の水をこの大石から取り入れて水田を開くことを計画したそうです。その五人の庄屋を奉る大石水神社がありました。五人の庄屋は、寛文三年(1663)9月にこの大石堰の計画を久留米藩に提出しました。しかしながら水路筋にあたる11カ村から「大石村から水路を開削して導水すれば、洪水時に導水路にあたる村は多大な被害を受ける」と反対運動にあいます。それでも、久留米藩の土木技術者丹羽頼母がこの計画を改めて精査し、藩としてこ大石堰の建設を決定しました。他方で藩は「計画通りに導水できなかったときは5人の庄屋全員を磔の刑にする」と表明しました。5人の庄屋は「成功せず徒労に帰したならば、誅罰を加えて世の見せしめにされたい」と答えました。で大石堰が失敗し、五人の庄屋さんが処刑されたので、神社で慰霊されたわけではありません。工事が始まると、大石堰の現場に5人の磔台が立てられました。しかし、このことで工事に参加する村人のの団結が生み出され。寛文四年(1664)1月、藩営事業として工事が始められ3月中旬に開通。翌年寛文5年に溝幅が拡張され、続いて6年、7年と拡張工事が実施されました。更に灌漑面積を拡大するため、延宝2年(1674)難工事の末、大石堰が無事完成しました。今も下流域一帯、約2,000ヘクタールに及ぶ水田地帯を潤しています。この大石堰建設をモデルにしたのが、帚木蓬生の歴史小説『水神』(→→→こちらです)です。五庄屋の偉業を称えた三堰の碑(さんえんのひ)です。ここで言う三堰とは袋野、大石、長野の三堰を指しているそうです。【碑文の紹介】筑後川は諸史にあらわれ、実に天下の大水なり。我が米府の東辺にて河に随って邑するものを、生葉郡となし、其の次を竹野郡となし、又た其の次を山本郡となす、三郡を合して国は総べて称して上郡という。上郡の地は河の近くして水は乏し、農耕は利あらず、民は大に苦しめり。 郡人に夏梅村庄屋次兵衛。清宗村庄屋平右衛門。高田村庄屋助左衛門・今竹村庄屋平左衛門・菅村庄屋作之丞というがあり、皆乞う慷慨にして器幹あり、相謀りでおもえらく、河を堰かば必ず水を得ん、水を得ば貧は憂ゆるに足らずと。 既にして又おもえらく築鑿の事は大難なり、府に請うといえども必ずゆるされざらん、然りといえども、郡は今将に枯滅せんとす、郡が枯滅すれば、死するにしかざるなり、等しく死せば大功に死せんと、議合えり、すなわち血をすすりて相誓い、死を決して将に府に請わんとしたり。 近隣の諸庄屋等之を聞き相奮って身を投じ、其の員に入らんと請いしに、五庄屋はきかずして曰く、後れたり、員は益すべからざるなりと。諸庄屋は皆大に怒り、将に別に上書して以て其の事を阻まんとしたれば、郡中は?々たり。五庄屋は皆吉井大庄屋田代氏の管下に属せり。田代氏の同職なる石井氏は、田代氏と同閭にして相善し、之を聞きて大いに憂之、すなわち二人相共に喩解すること多方にして、和は成りたり。 是に於て寛文初年を以て、五庄屋及び諸庄屋の某々すべて十三人は連署して府にもうして曰く、水来らずば極刑に就かんと、府は大いに之を壮なりとし立どころに其の請いをゆるす。 五庄屋は唱首なるを以て、ために五人の磔具を作り、之を村口に立て、勢は必ず罰せんとするに在りて、以て衆を励ましたり。是に於て衆気は百倍し、急に大堰を大石と長野の二所にたてたるに、水勢は猛く流れ、万派は意の如く、ついに美田一千四百余町を得たり。 府より其の功を賞して、物を賜いしこと差あり。五庄屋を賞するには年税各々二百石を免ぜんことを以てしたるに、皆拝して曰く、水を得んことは小人の素願なるが賞を受くることは欲する所に非ざるなりと、辞して受けざりしかば、人は益々其の義なること 高しとしたり。 其の後八年にして郡に又袋野理の挙あり。袋野は郡の最東の地に在り、田代名は重栄と其の千名は重仍とは相与に久しく河水の別に堰くべぎを相し、十二壬子に上議して府にもうしたれば、府よりゆるされたり。 すなわち堰を獺の瀬に作り、巌をうがつこと千間、匿溝を造りて以て大に水を取りしかば、また美田数百町を得たり。此の堰と大石と長野の堰は、国中にて之を上郡の三大堰と稱せり。三堰とも皆奇功にして雄大、鬼作に非ざれば即ち神造にて、絶えて人力の及ぶ所には非ざるなり。 上郡はもとやせ地なり、寛文は今によりて百六・七十年、上郡が今に至りても、沃土膏壌と稱せらるる者は、三堰にて水を得つつあるを以てなり。上郡の吏民が大に国になすことありたるは、何ぞそれ盛んなるや。袋野には宝暦の碑ありてすでに立てり、大石と長野には未だ立てし石あらず、今年重栄の玄孫なる重陟、及びかの五庄屋の後えい等石を大石壇上に立てんとし、余に碑文を製せんことを請いたり。 銘して曰く。一国の大利を起して、万歳の鴻美を垂れたり、数子の偉功は、水のごとく遠く山のごとくたかし。 文政10年丁亥冬11月 石梁樺島勇七公礼撰 男小助孝継書【つづく】筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ
2018年10月29日
コメント(50)
九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。うきは市浮羽町の古川地区にある大石堰に行ってきました。筑後川がいったん分流しているところにありますが、左岸側は水が多い時にだけに流れるようになっていました。これが大石堰です。対岸は、朝倉市杷木地区です。元々は江戸時代初期寛文4年(1674年)に建設されたものですが、現在の堰は昭和28年災害の復旧として、昭和31年3月完成したそうです。こちらが筑後川からの取り入れ口です。取り入れ口の先端から、水門の方を撮影しました。水門の上の建物は操作室になっているのでしょう。操作室、ちょっとデザインには気を使っているみたいですね。水利使用標識というのがありました。これによると平成25年に許可されて平成35年までの10年間は水を使っていいということですが、平成35年になっても農業は行われているはずなので、これはまた更新されることになるのでしょうね。この水路を流れる水が、筑後川左岸側のおおよそ2,000ヘクタールの農地を潤しているのですね。筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その33) 大石堰
2018年10月28日
コメント(51)
九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。小郡市内を流れる筑後川の支流、宝満川です。この宝満川に築かれたこの稲吉堰は、今は改修されて近代的な堰となっていますが、元々は正保4年(1647)に久留米藩の普請奉行、丹波頼母により築かれたものです。この堰の完成により、宝満川沿岸一帯740町歩を開拓し水田とすることができました。そして、丹波頼母はその後、筑後川本流に大石・長野、袋野堰等の取水堰を築堤し、筑後川中流域の新田開発がすすめられたのです。この稲吉堰こそ、その後の筑後川中流域の開発の礎となったものです。丹羽頼母は尾張国丹羽郡の人で、久留米、有馬藩祖有馬豊氏に仕え、元和8年(1622年)36才の時に家禄400石の普請奉行となったそうです。95才で没するまで半世紀にわたって、藩内の治水、利水にその手腕を発揮したといわれています。堰の上で羽ばたく、白鷺。稲吉堰は今のこのあたりの水田を潤しています。ここがカンガイ用水の取水口です。稲吉堰から水で潤される水田。取水樋門の傍にあるニ柱の石碑。こちらは耕地整理を記念する石碑でしょう。石水道改築碑とあるので、水路に関する記念碑でしょうか。宝満川から堤防の下を通って水を取り入れます。こちらが下流側です。ホタルが棲むような清らかな流れなんでしょう。こちらにも石柱が二註あります。板井堰改修記念碑とありました。ちょっと謎ですね。筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキングへ筑後川を行く(その32) 稲吉堰
2018年10月27日
コメント(50)
佐賀県の国道34号線沿いにあった店「カツ丼大将」。カツ丼が500円というのはちょっと魅力的。注文したのは「とり天定食」、これも500円。さらに魅力的なのは、ご飯がお替り自由なのと、こういうサイドメニューのおかずも食べ放題なんです。なんかすごくお得な店を発見したような。追伸金足農・吉田輝星は日本ハム!外れ1位で一本釣りこれって、合コンで一番きれいで可愛い女の子が、敷居が高いと思われて、誰からも話しかけられないみたいなことに似てませんかね。人気ブログランキング孤独のグルメ カツ丼大将
2018年10月26日
コメント(48)
「にしてつ電車まつり」に続いては、筑紫駅から西鉄に乗り、久留米に戻る途中に、宮ノ陣駅で西鉄甘木線に乗り換えて、久留米市北野町にやって来ました。道路沿いにはコスモスが植えられて、今から盛りの時期を迎えようとしているところです。コスモス街道と呼ばれる、コスモスの植えられた道が続きます。そして、コスモスパーク北野では「久留米市コスモスフェスティバル」が開催されていました。陣屋川沿いの広場がコスモスパーク北野です。コスモスパークへ渡る橋の欄干には、コスモスの花があしらっていました。コスモスパーク北野の入り口です。ミニ蒸気機関車に乗れたり。空気で膨らませた「くるっぱ」の中で遊べたり。ボールの中に入ってクルクルとボールを回して遊ぶみたいです。ステージの上では、ダンスパフォーマンスが行われていました。こんなに大勢の人が訪れていました。「くるっぱ」も参加してダンスパフォーマンスのフィナーレです。こちらが、このイベントの司会の姉さんです。やっぱり、コスモスは、キレイですね。そして、一日のうちに、高良大社神幸祭、にしてつ電車まつり、そしてこの久留米市コスモスフェスティバルと沢山のイベントを見て回りました。人気ブログランキング久留米市コスモスフェスティバル
2018年10月25日
コメント(36)
にしてつ電車まつり、こんなアトラクションもやっていました。アイドルのコンサートではありません。これはウルトラマンR/B(ループ)ショーです。ウルトラマンR/B(→→→こちらです)はロッソとブルという兄弟のウルトラマンのようですね。黄色い服を着た宇宙人はこの二人のウルトラマンと友達ということでしたが、怪獣と戦うのはお決まりのバターン。怪獣と戦っているときに、この宇宙人がやって来て。実は、この宇宙人、怪獣達を操って、地球侵略を企んでいたという設定です。胸のカラータイマーが赤くなるとピンチというのは、変わらないパターンです。ピンチなったので、子供たちが応援の声を送ると。力が回復して、怪獣をやっつけます。最後は、見えていませんが必殺の光線を出して、悪い宇宙人を仕留めました。さて、ここでにしてつ電車まつりは終わりですが、10月14日、もう一カ所、行くところがありました。【了】人気ブログランキングにしてつ電車まつり(その4)
2018年10月24日
コメント(39)
次は車両整備工場に入ってみました。工場という雰囲気がしますね。車両を持ち上げて台車が外されています。部品の箱でしょうか。こちらが電車の台車ですね。このように取り外して点検しているのですね。こちらは車輪です。バーベルではありません。パンタグラフの可動テストです。パンタグラフが持ち上がって行きます。架線まで上がりました。こちらは方向幕。「普通 津福(つぶく)」とありますが、これって、むかしは結構、本数があったそうですが、今は朝に一本しか運行されていません。こちらは運転台、見学用の車両です。普段は、整備工場で働く人の喉を潤している清涼飲料の自販機も今日は休業です。こちらは、整備工場で働く人の机とロッカー。なんか生活感みたいなものが感じられますね。子供さんがハンドルを回すと発電して、模型の電車が動きます。こんな展示もありました。【つづく】人気ブログランキングにしてつ電車まつり(その3)
2018年10月23日
コメント(50)
にしてつ電車まつり、やっぱり電車が主役ですよね。車両基地に並べられていた西鉄のラッピング列車。車体のこの純和風のラッピングは、二日市と太宰府間を走る「旅人」です。こちらは、天神大牟田線を走る特急の「水都」です。全体的に柳川をイメージした内外装です。こちらはあまり見かけないのですが、西鉄電車110周年記念ラッピング電車です。これら列車の前で、記念撮影ができます。子供用の駅長さん衣装を着ての撮影もできました。こちらはミニ電車です。人気があって行列ができてました。高速バスも展示されていました。ポイントは、このマーク。岡本太郎の太陽の塔ではありません。左画が「つばめ」、つまりJRグループ。右側が「ツル」、つまり日本航空。これら運輸業界を代表する会社を超えて、下のナンバープレートの数字は富士山の標高です。日本一の会社になるという秘められた決意表明の表れだそうです。こちらはバスの解体ショー。解体したバスの部品。ワンマンバスの押しボタンとか、料金箱とか、そんなものが売られていました。結構、買っていくバスマニアな人がいるのですね。【つづく】人気ブログランキングにしてつ電車まつり(その2)
2018年10月22日
コメント(44)
高良大社神幸祭を味水御井(うましみずみい)神社までで切り上げて、西鉄バスで西鉄久留米駅まで行って、西鉄天神大牟田線に乗って、この筑紫駅で降りました。そして、筑紫車両基地で開催されている「第25回にしてつ電車まつり」に向かいます。駅から車両基地までは、無料のシャトルバスが運行されています。しかも、このバス、青バスと呼ばれていた、むかしの西鉄バスの復刻版が使用されています。これは9月22日に開催された、「バス・鉄道フェスタ くるめ2018」の時にも使用され、MoMo太郎も乗車しました(→→→こちらを参考に)。車体にさりげなく付けられた「LOIN」のマーク。今はソフトバンクホークスが九州のプロ野球チームですが、かっては九州のプロ野球チームと言えば、神様、仏様、稲尾様、三原マジックの「西鉄ライオンズ」でしたからね。筑紫車両基地、正式名称は「鉄道事業本部 運転車両部 車両整備課 筑紫工場」と呼ぶのでしょうね。無料で色々楽しめるということで、MoMo太郎のような「にわか鉄ちゃん」も来ています、リアル鉄ちゃん、リアル鉄子さん、そして鉄道好きちびっ子とその家族などが多く来場されていました。「まつり」ということで、社員の人も西鉄と染め抜いた法被姿です。西鉄だけのイベントかと思ったら、京浜急行のプラレールが売っていたり、関西の私鉄、「南海電鉄」もまつりに参加してグッズ販売していました。久留米市のマスコットキャラクター「くるっば」も来ていて、久留米の特産品販売の売り上げアップに貢献していました。こちらは、柳川市のマスコット「こっぽりー」、普段は、人知れず掘割をきれいにする活動を行っている、恥ずかしがりやの照れ屋さん。こぽらーっと(柳川の方言で「ゆっくり」「のんびり」の意味)していて、たまに居眠りをしてしまうマイペースな「水の妖精」です。首から下げているヒョウタンは、子どもを水難から守るといわれる沖端水天宮のヒョウタンです。丁度、お昼時ということで、みなさん食べ物を求めて行列していました。こちらは、熊本名物の「いきなり団子」(→→→こちらです)MoMo太郎も一個買い求めて食べたみました。ちょっと素朴な甘いお味がしました。ひとまず、空腹をなだめて、電車まつり見物です。【つづく】人気ブログランキングにしてつ電車まつり(その1)
2018年10月21日
コメント(42)
最初の目的地は、味水御井(うましみずみい)神社にやって来ました。でも、味水御井神社に直接は行かず、その裏にある近所のお店の駐車場にやってきました。女官のみなさんもやってきました。かなりお疲れの様です。宮司さんも馬から降りて、休憩するのかな。馬から落ちたものを片付ける係の人も休めるのかな?かなりの落としていたみたいですね。神幸祭にやってきたお馬さん達です。みんな耳を覆う帽子を被っていました。馬を世話する係の人は休めませんね。やっぱり突然、暴れたりすると危険ですから。それに馬係の人はやっぱり乗馬クラブとかの関係者で馬に慣れている人なんでしょうね。馬から落ちたもの係の人、馬の後ろに控えていますが、離れていないと後ろ足で蹴られたりしますから、油断できないです。それ以外の皆さんは、ここで休憩です。女官のお姉さん、グッタリですね。お神輿も停車して、しめ縄で囲われています。よく見ると、お神輿の台車、ハンドルが付いていたんですね。お神輿に向かって、みなさん低頭して、神事が執り行われます。うしろに見える森が味水御井神社の境内です。粛々と神事が執り行われます。この法被を着た人は、信徒代表だそうです。楽隊も参加しています。神官のみなさん低頭して、これで神事は終了です。「高良大社御神幸祭」の幟です。神幸祭は、この後も続き、味水御井(うましみずみい)神社から高良御子(こうらみこ)神社、高良下宮(こうらげぐう)社、そして高良内八幡(こうらないはちまん)神社と周辺の神社を回り、夕方5時に高良大社へ帰る予定です。神幸祭、最後まで見たかったのですが、この後の予定もあり、神幸祭とお別れして、頓宮となった「味水御井神社」を参拝してきました。頓宮とは「神幸祭で神体を乗せた御輿を一時的に休ませるところ。」のことです。交通量の多い久留米市322号線の千本杉~朝妻の脇にもかかわらず、鬱蒼とした木々に囲まれた静かな境内です。入り口も狭くて、案外みなさん気がつかないかも。ことらが鳥居と拝殿。説明板がありました。境内には湧く清冽な水がこんこんと湧き出し、「朝妻の清水」として多くの人々の生活に潤いと恵みを与えていたことから、美味しい水のある井戸ということで、 味水御井(うましみずみい)神社と呼ばれているのですね。今も湧き出る泉。まさに「うましみず」の御井ですね。ちなみにこの泉、水縄断層という活断層ぞいにある湧水のひとつなんでしょうね。【了】人気ブログランキング高良大社神幸祭(その2)
2018年10月20日
コメント(44)
10月14日の日曜日の朝、JR九州の久大線に乗って、この久留米大学前駅で降りました。この抜けるような青空の下、久留米東バイパスにある高良大社社号塔のところで待ち構えていると。この選挙カーを思わせる車がやってきて、それに続いて、やって来ました「神幸祭(じんこうさい)」の行列が。「神幸祭」とは、高良大社にお祀りしている神様がお神輿に乗り、高良山上から山麓の朝妻の頓宮(味水御井神社)まで練り歩く儀式のことで、通常は50年に1度、3日間かけて千人前後の王朝装束を身にまとった大行列が市内を練り歩くそうですが、50年に一度というのは、次の世代に伝統神事を継承していく上で問題もあり、平成24年に再興され、以降5年に一度、神幸祭を行うことになったそうです。ということで、本来は、昨年(平成29年)に実施される予定でしたが、高良大社の改修工事に伴う本殿遷座祭の斎行とも重なったので、今年(平成30年)に行われるようになったそうです。ということで、ほとんどの久留米市民にとっては、これが2度目の神幸祭という感じですね。神幸祭の伝統に則った装束で、みなさん行列に参加しているのですが。なんといっても、寄せ集めの住民のボランティアです。こういう人たちも素人感が出ていますよね。子供たちも、侍の装束で参加です。草色の服を着た人が、行列のお世話をするボランティア・スタッフの方のようです。こういう行事に欠かせないのが、やっぱり馬です。でも、この馬、先週10月7日にあった、柳川市の三柱神社秋季大祭「おにぎえ」に登場した馬にも似ているような(→→→こちらです)。こちらは、女官役のみなさん、久留米大学の学生さん達かな。だって信愛学院大学のカトリック系ですから、やっぱりこういうのには参加できないでしょう。宮司さんは颯爽と馬に乗って登場です。宮司さん、やっぱり乗馬クラブなんかに通って、馬の練習なんかしているのでしょうね。やっぱり、欠かせないというか、神様が乗っているお神輿です。さすがに重いので、台車で引っ張っていますね。鉄道と交差しているところはアンダーパスになっています。そこを通って行きます。さて、この馬の後ろについている皆さん。馬が落としていくものを掃除する役目の人ですね。ボランティアの人なのでしょうか。大切な役目の皆さんです。【つづく】人気ブログランキング高良大社神幸祭(その1)
2018年10月19日
コメント(44)
Herman's Hermits は、The Beatles と同時期に活躍していたイギリスのバンドです。「Mrs. Brown You've Got a Lovely Daughter」とか、ちょっと、ポップで特異な曲調で、個人的には好きなバンドでした。この曲も、マイナーコードで始まり、サビがメジャーコードになる、何か当時よくあった曲調でしょうか。この「No Milk Today」は、Herman's Hermitsの最初のリリース曲で、1966年の8月に発売され全英ヒットチャート最高7位まで上がったそうです。British Invasionの波にのってこの曲は、翌67年に「There's a Kind of Hush(見つめあう恋)」のB面としてリリースされ、全米チャート35位になりました。ちなみにA面の方は全米4位。タイトルの「No Milk Today」とは、昔は牛乳屋さんが牛乳を各家庭まで配達してくれたのですが(MoMo太郎の家ではヨーグルトや時々バターやチーズも頼んでいました)、牛乳を断りたい時に牛乳瓶かそれを入れる箱に貼っておくメッセージのことです。No milk today, my love has gone awayThe bottle stands forlorn, a symbol of the dawnNo milk today, it seems a common sightBut people passing by don't know the reason why「今日はミルク要りません」 君はどこかへ行ってしまったビンが寂しく立っている、夜明けのシンボルだ「今日はミルク要りません」 それはよく見かける風景でも人々はその理由を知らず通り過ぎていくHow could they know just what this message means?The end of my hopes, the end of all my dreamsHow could they know the palace there had beenBehind the door where my love reigned as queenこのメッセージの意味なんて どうして人に判るというのだそれは僕の希望の終わり、僕の全ての夢の終わりそこに立派な宮殿があったなんてどうして判るだろうその扉の後ろに君は女王として君臨していたのだNo milk today, it wasn't always soThe company was gay, we'd turn night into day「今日はミルク要りません」 いつもそうとは限らなかったけど仲間はにぎやかで、僕らは夜も昼間の様に明るくしていたんだBut all that's left is a place dark and lonelyA terraced house in a mean street back of townBecomes a shrine when I think of you onlyJust two up two downでも残ったのは暗く寂しい場所だけ裏町の普通の通りにあるテラスの家だって君のことを考えると聖堂に思えて来るたった二部屋二階建ての家だってNo milk today, it wasn't always soThe company was gay, we'd turn night into dayAs music played the faster did we danceWe felt it both at once, the start of our romance「今日はミルク要りません」 いつもそうとは限らなかったけど仲間はにぎやかで、僕らは夜も昼間の様に明るくしていたんだ音楽が流れた時に僕らは真っ先に踊り出した僕らは両方ともすぐに、恋が始まったことを感じたのだHow could they know just what this message means?The end of my hopes, the end of all my dreamsHow could they know a palace there had beenBehind the door where my love reigned as queenこのメッセージの意味なんて どうして人に判るというのだそれは僕の希望の終わり、僕の全ての夢の終わりそこに立派な宮殿があったなんてどうして判るだろうその扉の後ろに君は女王として君臨していたのだNo milk today, my love has gone awayThe bottle stands forlorn, a symbol of the dawn「今日はミルク要りません」 君はどこかへ行ってしまったビンが寂しく立っている、夜明けのシンボルだBut all that's left is a place dark and lonelyA terraced house in a mean street back of townBecomes a shrine when I think of you onlyJust two up two downでも残ったのは暗く寂しい場所だけ裏町の普通の通りにあるテラスの家だって君のことを考えると聖堂に思えて来るたった二部屋二階建ての家だってNo milk today, my love has gone awayThe bottle stands forlorn, a symbol of the dawnNo milk today, it seems a common sightBut people passing by don't know the reason why「今日はミルク要りません」 君はどこかへ行ってしまったビンが寂しく立っている、夜明けのシンボルだ「今日はミルク要りません」 それはよく見かける風景でも人々はその理由を知らず通り過ぎていくHow could they know just what this message means?The end of my hopes, the end of all my dreamsHow could they know a palace there had beenBehind the door where my love reigned as queenこのメッセージの意味なんて どうして人に判るというのだそれは僕の希望の終わり、僕の全ての夢の終わりそこに立派な宮殿があったなんてどうして判るだろうその扉の後ろに君は女王として君臨していたのだNo milk today, it wasn't always soThe company was gay, we'd turn night into day「今日はミルク要りません」 いつもそうとは限らなかったけど仲間はにぎやかで、僕らは夜も昼間の様に明るくしていたんだBut all that's left is a place dark and lonelyA terraced house in a mean street back of townOh, all that's left is a place dark and lonelyA terraced house in a mean street back of townOh, all that's left is a place dark and lonelyA terraced house in a mean street back of townでも残ったのは暗く寂しい場所だけ裏町の普通の通りにあるテラスの家だけああ、残ったのは暗く寂しい場所だけ裏町の普通の通りにあるテラスの家だけああ、残ったのは暗く寂しい場所だけ裏町の普通の通りにあるテラスの家だけ各家庭の扉にちょっと貼ってあるメッセージ、カワイイ子犬しかいないのに「猛犬注意」とか、それなりに理由があるのを想像してみるのも楽しいかもね。人気ブログランキング
2018年10月18日
コメント(30)
さて日吉神社での奉納の舞が終わったら、次の目的地へ御神幸の行列は向かいます。広くて電線のない道では山鉾立てていますね。力を合わせて山車の向きを変えます。山車の車輪は木製です。アスファルトの舗装の上では、木製の車輪がこすれてこんな跡が残ります。こちらは、ちょっと撮影タイミングを逸したのですが、行列の中の馬が出したものを掃除しているところです。ここでは山車をクルクルと回転させる町もありました。こちらの踊り山はお上品に。次の目的地は、中町にある八剱(弥剣)神社です。神社の脇を流れる掘割。どうやら、この掘割が柳川の地名の起こりのようですね。この八剣神社の中へ山車が入って行きます。そして、社殿の前に行くと。ここでも「どろつくどん」を奉納します。神様も「どろつくどん」ご覧になりますが、社殿前に座って見物する人もいました。ここならゆっくり「どろつくどん」鑑賞できますね。奉納が終わった山車は、神社の奥にある柳河小学校へ入ります。小学校にある桜の木の枝に注意しながら山車を曳きます。校舎の中庭で山車を停めて、みなさん記念撮影。ここまで、踊っているのに。力を抜かず、「どろつくどん」を舞う皆さん。次々と山車がやってきて、舞を奉納します。山車のみなさんが「どろつくどん」を奉納している間、一緒に行列に加わっていたお馬さんは、小学校の運動場で休憩です。休憩中も、お馬さんが出すものに対して備えは怠りなく。小学校の運動場に残しておくと、モンペの皆さんから叱られますからね。そして、宮司さんはお神輿の前で、神事を執り行っています。一緒に歩いてきた子供巫女さんによる踊りも奉納されました。子供ながらしっかりした踊りです。神事が終わると、お神輿は再び出発して、スタート地点の三柱神社へ向かいました。こちらは、校舎の中庭に集合して、夜から始まる「おにぎえ大競演会」に備えます。「おにぎえ大競演会」は京町の商店街の広場で行われるそうです。踊り山の京町二丁目は、ここでも踊りを奉納します。踊り手さんは、日吉神社の人とは違う別の方が踊ります。三柱神社秋季大祭「おにぎえ」、にぎやかなお祭りでいいですね。もっと沢山の人に見物してもらいたいお祭りだと思いました。でも、しっとりとした静かな柳川の町で川下りを楽しむのも、またいいですけどね。【了】人気ブログランキング柳川市 三柱神社秋季大祭「おにぎえ」(その4)
2018年10月17日
コメント(22)
こちらが柳川総鎮守日吉神社の鳥居です。「どろつくどん」見物の皆さんお待ちかねでした。しかしながら、こんなお祭りの日に結婚式を挙げようという人が。思い出深い結婚式になるでしょう。結婚式の皆さんに続いてちょっと拝殿の方へ入ってみました。お神輿がやって来ました。ここでしばらく皆さん休憩ですが、稚児のみなさん、ちよっと歩き疲れたようですね。山車の方は、境内の広場で整列しています。一台づつ前へ進み出て。向きを変えて本殿に向かって、そして「どろつくどん」の舞の奉納です。最初、踊りだしたのは天狗面。これは猿田彦神のことでしょうかね。続いて、踊り手がお多福さんに変わります。こちらはお多福面は天宇受売命(あめのうずめのみこと)という意味でしょう、そして、こちらは般若面、鬼というよりも須佐之男命(すさのおのみこと)でしょうか。山車の舞台から大きく身を乗り出して、なかなか大きな動きも。こちら、京町三丁目の山車ですが、こちらは猿面で登場です。ひとりではなく、劇団ふたりになっています。しかも山車から降りてきて、ちょっと怖がって逃げ出す子供も。最後は、バナナを配って大サービス。各町の山車がそれぞれの「どろつくどん」の舞を披露。この般若面、ちょっと怖いですね。みなさん、よくお稽古されていますね。最後は、踊り山の京町二丁目登場です。こちらは、踊りを奉納。「どろつくどん」とは違って艶やかでいいですね。【つづく】人気ブログランキング柳川市 三柱神社秋季大祭「おにぎえ」(その3)
2018年10月16日
コメント(34)
「おにぎえ」の山車は、三柱神社の境内を出て、いよいよ柳川の市街地を巡ります。市街地を回るときは電線もあるので、山鉾はたたんで進んでいます。大人も子供も山車を曳きます。この山車には長い棒がついていて、これを掴んで引いたり、押したりしています。露払いの先頭役は保加町の山車です。三柱神社は城内に神社があって、「三柱宮」と呼ばれていたそうです。そうすると町人たちが参詣するのは大変だったので、文政八年 九代藩主 立花鑑賢公により、現在の地(約二万坪)を境内として社殿の建立を計画し、翌九年(1826)旧八月十六日に御神霊が遷座され、これより三柱神社となりました。そして、城外に移転することを喜んだ町人たちは、基礎工事の時に、女衆をたくさん揃えて三味太鼓を鳴らしてお祝いしたそうですが、保加町の問屋街はこれに加わらなかったため、評判を落としたため、名誉挽回を考えた保加町の人たちは、密かに江戸の神田囃子を習い、京都の山鉾を参考にして山車を造り、遷座式当日にこれを押し立てて参拝して見事、汚名返上したそうです。ここが行列の先頭になりますが、交通規制も考え、山車の間隔が広がらないよう。時々、後ろの山車が追いつくの待ったりします。このお店が、途中の休憩所で、宮司さんは、ここで水分補給されてました。山車についている棒を押して、方向を修正しています。こちらは、子供も参加して山車を曳いている京町三丁目の山車。上町の山車の後ろ姿です。動いている山車の上で「どろつくどん」を踊ります。こちらは京町二丁目の「踊り山」です。こちらは武者行列のみなさん。暑くなったのか、立花宗茂役の方は、かぶっていた兜をいつの間にか脱いでいました。ちびっ子足軽隊のみなさんも元気に行進中。いつのまにか、西鉄バスも参加しんて殿(しんがり)を務めています。この橋の上は、ちょっと坂道になっていて、一旦止まって、力をこめて坂道を上がります。この狭い道は日吉神社へ向かう参道w@r。この道を山車が進みます。上町の山車が、この道に入る様子を連続して見てください。後ろの棒を持つ人が、向きを変えていきます。見ている方も、なかなか力が入ります。なんとかコーナーリングに成功のようです。狭い道でもずんずん進んでいく飛龍の山車です。「飛龍」は、このどろつくどんの伝統を後世に伝えたいという熱意を持った人たちによって、町という垣根、男女という垣根を越えて始められた新しい山車です。確かに、ひとつの町でこの山車を維持するのは今のご時世厳しいでしょうね。日吉神社の前にある駐車場で山車が一旦停止して、なぜかマイクロバスが止まってますが、こちらの日吉神社の参道に入って行きます。【つづく】人気ブログランキング柳川市 三柱神社秋季大祭「おにぎえ」(その2)
2018年10月15日
コメント(42)
柳川川下りの写真です。さて、10月7日は大川木工まつりの後は、柳川市にある三柱神社秋季大祭「おにぎえ」の御神幸行列の見物です。「おにぎえ」の名前は、「大賑わい」からきているのだとか。 ここが三柱神社の入り口です。沢山の人がおにぎえの見物にやってきていますね。入り口近くには川下りの乗船場があります。お祭りなので、露店も沢山出ていますね。山車の出発前に行事の無事を祈願するお祓いを受けている関係者の皆さんです。こちらが、出番を待つ各町内の山車です。参加しているのは、保加町、飛龍、上町、京町三丁目、そして京町二丁目です。ちなみに「飛龍」というのは、町というのではなく、このどろつくどんを伝えたいという有志の皆さんが出している山車だそうです。御神幸行列では、この山車が町内を巡り、山車から大きく身を乗り出した踊り手が、お囃子とともに独特の踊りを繰り広げるます。その踊りを「どろつくどん」と呼ぶそうです。こちらは、お神輿を先導する柳川市の良い子のみなさん。そして、これがお神輿。台車に乗せて動きます。御神幸行列に参加する馬。準備運動中です。お馬さんもやや興奮気味かも。こちらが三柱神社の拝殿。西国一の強者」と称された百戦錬磨の武将 初代柳川藩主 立花宗茂公、岳父 戸次(べっき)道雪公、宗茂室 誾千代(ぎんちよ)姫の三神を祀ったことから、三柱神社と呼ばれています。ちなみに誾千代は戸次道雪の実の娘で、宗茂は養子にきたそうですが、その後、福岡の立花山城の城主となったことから戸次を立花に改めたそうです。行列の先導をつとめる保加町の皆さん。保加町の山車が先頭です。車の中央に芯棒である山鉾を立て、その最上部には御幣を飾って五穀豊穣を祈願しているそうです。山車の上に舞台を造り、大太鼓、小太鼓、横笛、ドラ、スリガネの5楽器によるお囃子に合わせて踊るのが「どろつくどん」です。下では、山車を押しています。難しいのはコーナーを曲がる時ですね。後ろの人が山車についている棒に乗って、山車の重心が後ろに傾けて、前の人たちが前部を持ち上げて山車を左右に動かすという塩梅です。しかし、こんなに身を乗り出して、動いている山車の舞台から落ちないのでしょうか。山車の心棒、倒れるようになっています。倒しておかないと、鳥居の下を通り抜けられないですね。行列の中心はお神輿です。お神輿の先導をつとめる良い子のお母さん、心配で付き添っています。お神輿が止まると、この下をくぐり抜けるのが、いいようです。でもその時はちゃんとお賽銭を置いて下さいね。お馬さんの登場です。宮司さんが颯爽と。こちらは、京町二丁目の山車で、からくり人形が乗っている小型のものです。こんな感じで、子供たちが引いていきます。京町二丁目の山車はちょっと違って、「どろつくどん」ではなく「踊り山」。踊ってはいませんが着物がきれいな方が乗っています。後ろではドラを叩く若いお兄さんと三味線担当のご年配のご婦人が乗っています。外国人の方も山車を引いていました。こちらは、武者に扮した皆さん。「立花宗茂と誾千代」大河ドラマ招致キャンペーンを柳川市でやっているからでしょうか。こちらは、立花宗茂役の人でしょうね。こちらは誾千代役の方でしょう。ちなみに、「宗茂が不在の間、城の守りは妻である誾千代が任せられていた。そのため侍女たちとともに武装し、敵からの攻撃に備えていた。」との逸話が残っている武勇に優れた女性武将だったそうです。こちらは、子供足軽隊。甲冑もダンボール製ですから、弾丸に当たるとケガしますよね。神社入り口の太鼓橋を渡って、街の中へ行列は進みます。ちなみに山車がこの太鼓橋をどのようにして渡るのかも見どころだったのですが、撮影するの忘れていました。【つづく】人気ブログランキング柳川市 三柱神社秋季大祭「おにぎえ」(その1)
2018年10月14日
コメント(44)
大川木工まつりの会場では、「美味かもん広場」というのがあって、大川市内の有名店が出店していので、ここでちょっとお昼を頂きました。頂いたのは、料亭 三川屋さんの「ウナギのひつまぶし」(600円)と「川アンコウバーガー」(400円)でした。これが、ウナギのひつまぶし、うなぎのせいろ蒸し、なんかもあったのですが、結構なお値段でしたので、こちらにさせてもらいました。久しぶりのうなぎ、大変美味しかったです。川アンコウとは、「ナマズ」のことだそうです。それを挽き肉にして、ハンバーグにしたのが、このハンバーガー。ナマズも結構美味しいものですね。ちょっと淡泊なので、味付けには工夫が必要かもと感じました。人気ブログランキング孤独のグルメ 大川木工まつり編 「ひつまぶし」と「川アンコウ」
2018年10月13日
コメント(52)
大川木工まつりのパレードがはじまりました。先導する白バイ。スピードが遅いので、なんか走行が安定していないようでした。大川市キャラクターの「モッカくん」です。こういうキャラクターも得意技とかあると面白いですよね。例えば、フィギュアスケートができるとか、手に持った木槌を振ると木の葉がお札に変わるとか。この垂れ幕を持つのは、さきほどのかぐや姫審査会で、次期かぐや姫に選ばれた皆さんでしょうか。警察音楽隊?のみなさんでしょうか?続いて、警察官のみなさんがパレードに。両脇の女性は「かぐや姫」のみなさん。ピンクの法被は、右側が商工会会長、左側が大川市長の倉重良一氏。木工業者に融資してくれるのは、やっぱり地元の「おおかわ信用金庫」さんですね。福岡銀行大川支店のみなさんもパレードに参加していました。こちらは「日向ひょっとこ踊り」のみなさん。ボーイスカウトは参加していませんでしたが、ガールスカウトのみなさんは参加ですね。大川樟風高校のみなさん。ハウステンボスも参加していました。中学校の吹奏楽部のみなさん。チアダンのみなさん。子供だけだとちょっと心配なので、お母さんも脇について並んで行進しています。【了】人気ブログランキング第69回 大川木工まつり(その3) パレード
2018年10月12日
コメント(50)
ざっと木工まつりの会場を見てみました。こちらは、鳥人間コンテストに出場した「木のきもち号」。木製の飛行機ですが、注目は、この尾翼ですね。緻密な組子で作ってあります。この部分だけ売り出したらン十万円はするかも。子供向けに巨大バルーンの展示もありました。こちらは大川市内を流れるクリークと呼ばれる水路。市内にはこのような水路が縦横に掘りこまれています。税金クイズの会場です。こういう場所で税金のお勉強も大切ですね。こちらは、その税金で雇っている自衛隊PR用のゆるキャラ。自衛隊って、こういう「ゆるキャラ」を制作する予算もあるんですね。自衛隊の偵察用の装甲車だそうです。子供たちには試乗もさせてくれるようでした。こうことをキッカケに自衛隊に興味を持っていただければいいですね。少年よ、国を守る仕事に就くのもいいですよ。こちらは、木工体験のコーナー。参加費3,000円でした。もちろん、大川産業会館というところで、家具や建具の展示即売会をやっていて、それがメインでみなさん来られているのですが、館内は撮影禁止だったので、ここでは紹介できませんでした。【つづく】人気ブログランキング第69回 大川木工まつり(その2) 会場めぐり
2018年10月11日
コメント(41)
10月7日、柳川川下りの船頭さんの人形が飾られている西鉄柳川駅にやってきまた。人形は、シュッとした感じですが、実際の川下りの船頭さんはこんな感じです。駅前から貸切バスに乗って、やってきました、「第69回 大川木工まつり」予定は10月6~8日の3日間でしたが、6日は、御存知のとおり台風25号の影響で中止なって、7日から本格的に開催されました。会場の大川中央公園では、露店も沢山並んでおまつり気分は盛り上がります。そして、ステージでは「かぐや姫審査会」が開催されていました。かぐや姫、大川市の木工製品のPRを行う女性の方です。ちなみに、審査員は商工会の会長さんとか、市長さんのようでした。こちらはかぐや姫ではなく、司会をしている方です。誰が、かぐや姫に選ばれたのでしょうか。ちなみに、候補者のみなさん、大川市で働いているとか、大川市出身とかで、大川の町に縁のある方ではありました。もし、かぐや姫に選ばれると、大川市関係のイベントとか行かないといけないので、職場や家庭の理解を得られる人でないといけないでしょうね。【つづく】人気ブログランキング第69回 大川木工まつり(その1) かぐや姫コンテスト
2018年10月10日
コメント(46)
天拝山を下り二日市温泉街を通って、西鉄二日市駅へ向かいました。その途中見かけたのたのが、「鳥居町の大鳥居」です。筑紫野市二日市西2丁目に市道をまたいで立っていたもので、菅原道真公が大宰府で没した延喜3年(903)から数えて千年、明治35年(1903)の菅公一千年祭に伴って湯町の旅館主ら10名によって寄進されたものだそうです。鳥居の柱には、明治35年2月と刻まれていました。もう一方には、菅公一千年祭と刻まれています。しかし、この鳥居のある道路の先にはJR二日市駅の出入り口はないので、この鳥居を通って、二日市温泉に向かうことはあまりないのでしょうが。こちらが二日市中央通り商店街です。以前、福岡天神から大牟田間の西鉄沿線沿いの駅間さるきをしていた時に歩いた道です(→→→こちらです)。この「二日市」とは市場の事で、鎌倉時代に大勢の売り手と買い手が一所に集まって取引をしたことから市が始まり、その市を毎月、2のつく日に行うことから「二日市」と呼ばれるようになったそうです。こちらの商店街にある操業明治10年以来、甘口の醤油・味噌を守り続けているゑびす醤油(→→→こちらです)。こちらは、創業延宝元年(1673年) 福岡県で一番古い酒蔵大賀酒造です(→→→こちらです) 大賀酒造の蔵です。「玉出泉」というのが主力商品なのでしょうね。こちらは、西鉄二日市駅近くの小さな商店街の「にしてつ通り商店街」にあるカレー屋さん(→→→こちらです)。「ころし」とは、元々は「女ごろしのカレー」という意味のようですね。西鉄二日市駅に到着しました。二日市と天拝山のさるき、なかなか楽しめました。【了】「さるく」とは筑後弁で「うろつく。周辺を散策する。」ことを意味します。(→→→こちらです)人気ブログランキング二日市・天拝山さるき(その5) 二日市商店街へ
2018年10月09日
コメント(40)
いよいよ標高257.4mの天拝山(→→→こちらです)に向かいます。ざっと見たところ、山頂に向かうのは、「開運の道」と「天神さまの径」のふたつがあるようでした。「天神さまの径」を行こうと思って、こちらに向かうと滝の前に鳥居がありました。この滝は、「紫藤の滝」と呼ばれる滝です。ここで菅原道真公が無実の罪が晴れるようにと天拝山で祈るに際し、身を清めたといわれている滝だそうです。「御自作天満宮」というのは菅原道真公が自ら彫ったといわれる全国的にも珍しい木像坐像が奉ってある神社だそうですが、その横が「天神さまの径」のようです。この道を行こうと思ったら、足元にこんな紙が。ということで、「開運の道」に切り替えて天拝山山頂へ向かうことにしました。未放送未舗装ですが、3~4mの道幅の登山道が整備されています。なんとなく楽勝かなと思っていましたが、「荒穂神社」の鳥居です。天拝山に荒穂神社というのがあるのでしょうね。この山にもイノシシがいるようです。意外とイノシシ、増えているのですね。そのうち二日市温泉でもボタン鍋が食べられるようになるかな。登山道に沿って一合おきに菅原道真公の歌碑が建立されていました。どのような歌碑があるかの説明板もありました。こちらが山腹の途中にある荒穂神社です。八合目付近です。天拝山についての説明です。道標がありました。右が天判山古城跡、左が飯森古城跡とありました。天判山(てんぱんざん)は天拝山の古名だそうです。しかし、この山にはお城があったんですね。こちらが、山頂への道ですが、今までのなだらかな山道ではなく、雁木の会談にはなっていますが、登山道らしい雰囲気になってきました。このあたりから、急な登山道になっていました。山頂近くにある、「天拝岩」。菅原道真公かこの岩の上に立ったそうです。山頂にある天拝神社です。山頂には展望台がありました。天拝山山頂(標高258m)です。山頂には三角点がありました。展望台から見たパノラマ写真です。ちょっと天気が悪かったので、あまり景色は良くなかったですが、太宰府や福岡空港、博多湾など福岡を一眼できます。これは霞んでいますが、宝満山(標高829.6m)(→→→こちらです)。これは博多湾に浮かぶ能古島(→→→こちらです)。ひょっとしたら夜景もいいかもしれませんね。【つづく】「さるく」とは筑後弁で「うろつく。周辺を散策する。」ことを意味します。(→→→こちらです)人気ブログランキング二日市・天拝山さるき(その4) 天拝山
2018年10月08日
コメント(44)
九州自動車道の高架橋の下を抜けると天拝山歴史自然公園に出ます。天拝山(てんぱいざん)とは、福岡県筑紫野市にある標高257.4mの山で、その名は、大宰府に流刑された菅原道真が自らの無実を訴えるべく幾度も登頂し天を拝したという伝記に由来するそうです。天拝山歴史自然公園とは、菅原道真公ゆかりの天拝山のふもとにある公園です。池の上の水上ステージです。訪れたこの日は、中秋名月の9月24日だったので、「観月会」のイベントが開かれる日でした。公園の芝生にはテントも張られて、イベントの準備がされていました。こちらは、太宰府といえば菅原道真というわけではなく、この近くにある九州最古の古刹「武蔵寺(ぶぞうじ)」を創建したといわれる、藤原鎌足の子孫、藤原虎麿(虎丸・虎麻呂・登羅麻呂)の銅像です。藤原虎麿は二日市温泉も発見したと伝えられています。こちらがその武蔵寺です。ここにも歌碑がありました。藤なみのはなになれつつ みやひとのむかしのいろに そてをそめけり尊皇派公家で歌人の東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ)の和歌だそうです。東久世 通禧の歌に詠われたのが、この藤です。藤原虎麿が、「堂塔の盛衰は、この藤の栄枯にあらん」と誓って植えたことから「長者の藤」といわれ、樹齢は700年以上とされている筑紫野市指定天然記念物ですこちらが武蔵寺の本堂です。温泉で身体を癒すだけではなく、こちらのお寺で精神も癒すと温泉の効能は倍増でしょうか?こちらは松尾芭蕉の句碑鶯の笠おとしたる椿哉松尾芭蕉は九州には来たことがないはずなので、この地の俳句愛好家が芭蕉のことを称える意味で建立したのでしょうか?【つづく】「さるく」とは筑後弁で「うろつく。周辺を散策する。」ことを意味します。(→→→こちらです)人気ブログランキング二日市・天拝山さるき(その3) 天拝山歴史自然公園と武蔵寺
2018年10月07日
コメント(48)
二日市温泉街の方へ歩いて行きました。その途中、こんな看板が。ローンテニスクラブとは、クラブの入会金とかローンで支払えるってことですかね(多分、lawn tennis 芝生のコートで行うテニスのことですね)。こちらは、二日市温泉のキャラクターだそうです。二日市温泉は奈良時代に開湯されたといわれています。古くは「次田(すいた)の湯」、「薬師温泉」、近世は「武蔵温泉」と呼ばれていたそうで、「二日市温泉」と命名されたのは、1950年(昭和25年)だとか。泉質はアルカリ単純ラジウム泉で高温にしてラドンを多く含むお湯だそうです。100年ほど前までは、福岡県では二日市温泉が唯一の温泉だったそうで、博多の奥座敷とも呼ばれ、昭和天皇、美空ひばりなどの著名人も訪れているそうです。道沿いの柳の並木なんか、ちょっと温泉街の雰囲気ですね。町名も「湯町」というみたいです。入浴料200円という安さに驚く公衆浴場「御前湯」。御前湯の前にある夏目漱石の歌碑です。温泉(ゆ)の町や踊ると見えてさんざめく明治29年(1896年)、漱石が新婚旅行で訪れたときに詠み、正岡子規に送った歌だそうです。二日市温泉はその昔、黒田藩ご用達の温泉地でした。筑前藩主黒田氏専用の「御前湯」が置かれたそうです。明治維新後、公衆浴場「御前湯」が生まれ、その名を受け継いだのが現在の御前湯です。こちらは、万葉の歌人、大伴旅人(おおともの たびと)の歌碑。湯の原に鳴く葦田鶴は わがごとく妹に恋ふれや 時わかず鳴く大宰帥大伴旅人が妻の大伴郎女を亡くした悲しさを歌った和歌だそうです。こちらは御前湯の向かい側にある「博多湯」。入浴料は御前湯よりも100円高い300円。「博多湯」の創業は1860年(万延元年)だそうです。さらに温泉街を歩くと渋い感じの日本旅館が。建物の前にはまた歌碑が、ゆのはらに あそふあしたつ こととはむなれこそしらめ ちよのいにしへこちらは、明治の元勲、三条実美の和歌だそうです。こちらがさっきの日本旅館の表玄関です。大丸別荘(→→→こちらです)という高級な旅館だそうです。こちらの渋い洋館は、輸入家具の店でした。【つづく】「さるく」とは筑後弁で「うろつく。周辺を散策する。」ことを意味します。(→→→こちらです)人気ブログランキング二日市・天拝山さるき(その2) 二日市温泉街
2018年10月06日
コメント(41)
二日市(ふつかいち)と天拝山(てんぱいざん)あたりをさるいてみました。久留米から西鉄に乗って、「紫」駅で降りました。改札口には立派な書が掲げられていました。韓国語が書かれたこの店。どうやら、韓国風の喫茶店のようです。まさか、キムチ味アイスとか唐辛子味コーヒーが味わえたりするのでしょうか。西鉄紫駅から10分も歩けば、JR二日市駅です。歓迎二日市温泉という灯篭が立っています。神社を思わせるデザインの駅舎です。この二日市駅、太宰府や二日市温泉という観光地もあり、在来線特急も停車する駅です。駅前には、野口雨情の歌碑がありました。石碑には、山ぢゃ天拝月見の名所梅ぢゃ太宰府天満宮梅と櫻は一時にゃ咲かぬうすらおぼろの夜がつづく今日は武蔵の温泉泊り旅の疲れを湯で治すと刻まれていました。武蔵の温泉とは二日市温泉の古い呼び名だそうです。こちらの石碑は、「佐藤栄作先生之景徳碑」。佐藤栄作氏(1901-1975)といえば、総理大臣として1964年から1972年の7年8ヶ月に亘る長期政権を保った政治家で、ノーベル平和賞も授与された大政治家。そして、今の安倍総理の大叔父にあたる人です。そのような大政治家の佐藤栄作氏も若い頃は鉄道省の役人として1926年11月から1927年4月まで二日市駅長として勤務したそうです。佐藤栄作先生之景徳碑の隣にあった、こちらの石碑は「谷彦一翁頌徳碑」。谷彦一氏は明治時代に活躍した二日市の人物で、二日市駅の誘致や二日市温泉の振興に努めたそうです。【つづく】人気ブログランキング二日市・天拝山さるき(その1) 二日市駅さるく」とは筑後弁で「うろつく。周辺を散策する。」ことを意味します。(→→→こちらです)
2018年10月05日
コメント(46)
久留米でゴーゴーカレーの店を発見したので入ってみました。注文したのは、ロースカツカレー、エコノミー、680円でした。なぜか付け合わせで福神漬けでなく、キャベツの千切りがのっていました。でこのキャベツと付け合わせの定番「福神漬け」も取り放題でした。そして、カツはカリカリに揚げてあり、スプーンではなくフォークで食べるシステムです。お箸はおいてありましたが。こういうのを金沢カレーっていうそうです。ゴーゴーカレーのホームページでは、金沢カレーの定義が次のように書いてありました。 (1)ルーは濃厚でドロッとしている。 (2)付け合わせとしてキャベツの千切りが載っている。 (3)ステンレスの皿に盛られている。 (4)フォークまたは先割れスプーンで食べる。 (5)ルーの上にカツを載せ、その上にはソースがかかっている。人気ブログランキング孤独のグルメ ゴーゴーカレー
2018年10月04日
コメント(48)
高田濃施山公園には東濃施古墳がありました。なかなか珍しい古墳のようですね(→→→こちらを参考に)。展望台のような施設もありました。展望台の上からは、筑後平野が見渡せます。もっと天気の良い日に来たかったですね。展望台の下からはこんな巨大すべり台が。下から見たところです。そして、竹の根っこが延びてきてアスファルト舗装が幾何学的な模様で割れている道を進んでいくと。さらなる展望台がありました。どんな眺望が見えるのかと期待して行ってみると、立入禁止になっていました。確かに外観から見て、ちょっと危なそうなので、登ることは諦めました。しかし、みやま市の高田濃施山公園、意外と面白い公園でした。【了】人気ブログランキングへ高田濃施山公園 (その2)
2018年10月03日
コメント(46)
福岡県みやま市高田町にある高田濃施山(のせやま)公園に行ってきました。公園の案内図です。山間をそのまま生かした充実の巨大公園で、池がありまた遊具などもあるようです。一日中子供連れで遊べそうです。この池、多分農業用のため池みたいでしたが、こんなせせらぎがあって水に親しめます。時間が来るとこんな噴水が。こちらは、郷土資料館。中にはなにも資料が展示されていなかったです。【つづく】人気ブログランキングへ高田濃施山公園(その1)
2018年10月02日
コメント(36)
食事をするたびに50円割引のクーポンをもらえる西鉄久留米駅にある「おみき茶屋」。今回は「磯とじ丼」(550円税込み)をいただきました。いわゆるツユダクの状態で、フワフワの卵とじとあいまって、どんどん食べられました。また、さすが海苔の産地、有明海に近いだけあって香りのよい海苔が味を引き立てました。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 磯とじ丼
2018年10月01日
コメント(40)
全31件 (31件中 1-31件目)
1