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仕事が終らず、こんな時間までまだごちゃごちゃやってますが、明日から岡山に学会出張! 新幹線に乗れるぅ~! ホテルに泊れるぅ~! ごちそう食べられるぅ~! この夏はキツイ仕事を抱えていた上、色々大変なことがあったので、最後の週末、ちょっとだけ息抜きができれば、と思ってはいるのですが、そうは言っても一つ気にかかることがあって、あんまり息は抜けないんだけどね・・・。 ま、とにかく、これも仕事だからね。仕事を片付けよう。一回に、ひとつずつ! それでは、行って参ります。また帰ってきたら、帰朝報告をしますので、乞うご期待ということで。
September 29, 2016
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夏休み中、自宅でお昼を食べながら漫然とテレビを観ることがあるのですが、そこで問題になるのは、「何を観るか」でございます。 バイキング? ひるおび? それともヒルナンデス? 私はねえ・・・ 断然、ヒルナンデス派! まあ、この中で一番「社会派」なのは、「ひるおび」だよね。豊洲の地下空洞はどうなっているんだぁ! って、まずそこから入るわけで。お昼間から討論するというスタンス。そういう真面目路線が功を奏してか、意外なことに、実家で米寿を迎えた父がよくこの番組を見ているという。NHKしか見ないような人だったのに・・・。 片や「バイキング」ですが、出発当初はもっとはっきりとおふざけの番組だったような記憶があるのだけど、どういうわけか、いつの頃からか討論番組になってしまったっていうね。ただ「ひるおび」と違うのは、討論する対象が「豊洲の地下問題」ではなく、愛之助・紀香の結婚問題だというところ。そんなこと討論したってしょうがないだろう、ってことを討論するという。 一方、私のご贔屓の「ヒルナンデス」は、もう、時事問題に関係なく「おいしいもの」か「ファッション」だけ扱うという。この、あまりにも「時流に関係ない」感がたまらないよね。 特に好きなのは、山里さんが司会するファッション対決コーナー。あの「何色の何?」っていう奴。大体、私は山里さんの大ファンだからね。あの人の言葉のセンスは最高じゃない? それから、最近、メイプル超合金が町へ出て、道行く人に最近あったことをインタビューする小コーナーがあるのだけど、これがまたよろしい。カズレーザーって、ああいう「聞き役」も案外そつなくこなすねえ。もちろん安藤なつさんもいい感じだし。 というわけでお昼の番組は三者三様なんだけど、やっぱり私は「ヒルナンデス」を見てから、「さて、ひと笑いしたから、そろそろ勉強でもするか」って書斎へ去って行く、そんな日常が好きかな。
September 28, 2016
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今週末、岡山で学会の全国大会があり、それに参加する体で準備を進めております。 で、当然、地元ならではの食べ物を食べることが、地方学会の楽しみになってくるわけですが、岡山と言えば、やはり「ばら寿司」でしょうかね。「ままかり」とかが入った奴。 ところで、ばら寿司って、分かります? 調べてみると、「ばら寿司」の名称は岡山発祥のようで、しかし、関西地方では割と広くこの名称が使われている。 だけど、私のような関東人からすると、あれは「ちらし寿司」ですな。 名古屋人の家内に聞いたら、名古屋でもやはり「ちらし」と呼ぶようですから、名古屋辺りまでは「ちらし寿司圏」なのかな。 だから私もかなり大人になるまで「ばら寿司」という言い方を知らなかった。 最初にこの言葉を知ったのは、今から三十年ほども昔の大学院時代、私の恩師にこれをおごっていただいたのが最初でした。 その時先生が「君はばら寿司は好きか」と問われた時の、ちょっとはにかんだようなその声の調子まで覚えております。広島出身だった先生にとって、このタイプの寿司はあくまで「ばら寿司」であって、「ちらし寿司」ではなかったのでしょうな。その店は、東京の店でしたけれども、関西スタイルの寿司を出す店で、それゆえ先生は広島でよく食べられた懐かしい郷土の味を、誇らしげに私に食べさせてくれたのでございましょう。 そのばら寿司を、本場岡山でもう一度食べられるわけですから、これはちょっと楽しみですなあ。 あと、もう一つ楽しみなのは、岡山にある夢二郷土美術館で開催中の「幻の夢二の油彩画展」が見られること。竹久夢二というと、版画が有名ですが、一時、油彩にトライしていた時期があったようで、しかもその作品がなかなかの出来であるとのこと。珍しい夢二の油彩画なんて、実に見ておきたいじゃないですか。 ばら寿司と夢二の油彩画。週末が楽しみでございます。 あ! もちろん学会自体も楽しみにしてますよ! ばら寿司と夢二のついでに・・・なんて、決して思ってませんから!
September 27, 2016
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本当のマニアと比べたらまだまだですけど、普通の人と比べたら相当な量の本を買うワタクシ。いちいち新刊本で買っていたらお金がもたないので、古本として格安で買うことも多いんです。 で、アマゾンなんかで古本を買おうとすると、結構な頻度で出くわすのが「もったいない本舗」の店名。最近、私もこの店から買うことが多いような。そういう時は大体、本の代金が1円、送料が257円、計258円で購入することが多いのですが。そう言えば、今日も一冊、もったいない本舗で買った本が届いたなあ。 で、たまたま今日、旧友と電話で話をしていたら、話題がもったいない本舗のことに及びまして。 その友人のT君は、最近本をかなり大量に処分したのですが、その際、もったいない本舗の手を借りたと。 手順はこんな感じ。まず電話とかでもったいない本舗に「本を売りたい」旨伝えると、向こうから段ボール箱とガムテープ、そしてボールペンまで無料で送ってきてくれると。午後3時までに手続きをすれば、その日のうちに届くというのだからすごい。どうも、クロネコヤマトさんと提携しているようで、クロネコの事務所から届くらしいんですな。 で、送られてきた段ボールに売りたい本をぶち込んで、送料向こう持ちでクロネコでもったいない本舗に送ると、向こうで計算して、買い取り金額を送ってくれると。 ま、買い取り金額に納得がいかない場合は、本を送り返してもらうこともできますが、この時は送料こっち持ちになるので、逆に損が出る可能性大。だから、買い取り金額に期待して売るのではなく、ただ本を処分することが主目的で、その副産物として若干でもお金が戻ってくればいいな、くらいの心構えが必要とのこと。 なるほどね~。そういうシステムになっているわけか。 で、もったいない本舗としては、そうやって人々から買い取った大量の古本をネットを通じて売り、そこで利益を上げると。 まあ、賢いやり方ではありますな。ブックオフなんかと違って店舗を持たず、ネットでの販売だけだから、初期投資もあまり必要ではないわけだし。 ブックオフが出来た時も、古本業界を震撼させたわけですけど、そのブックオフが、今度はもったいない本舗の事業運営に震撼しているかもね。 さてさて、前からこのブログでも時々話題に挙げているように、私も今、研究室の本の中から、これは読まないなと思うものを選んで処分しようと思っているわけですけれども、今までは最終的には自分でダンボールを用意して、大学の近くのブックオフに持っていこうと思っていたんです。 でも、旧友の話を聞いたら、そんなことをするよりももったいない本舗を利用した方が賢いのかなと。だって、段ボールやなんかの準備とか、本の運びだしとか、全部、クロネコがやってくれるんだもんね。 ま、どっちの方法で処分するか、まだ決めてないですけれども、そういうやり方もあるんだ、ということが分かっただけでも、今日はいい情報を入手しました。 もったいない本舗。やるもんだねえ・・・。
September 26, 2016
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常盤新平さんの書かれた『翻訳出版編集後記』、あちこちの大新聞の書評で好意的に取り上げられていたこともあって期待して読み始めたんですけど、どうもね、ピンと来ないというか。 常盤さんというと、早川書房の編集者として活躍した後、アメリカ文学の翻訳家となり、また『遠いアメリカ』で直木賞も取っている人。アメリカの出版事情にも詳しく、ある意味、ライターとして私が好きになりそーな条件がたっぷりある人なんですけど、どうもピンと来ないんだなあ。 それは昔から感じていたことなんですけど、今回、この本を読んで、やーーっぱりピンと来なかった・・・。 何だろう、お人柄なのかも知れないけれど、文章がなーんか漫然としているのよ。ぬるーい感じでゆっくり進むっていうか。緩急がなく、どこにも尖ったところがない。だから、何読んでも、何を読んでいるのか途中で分からなくなるというね。突き刺さってくるところ、引っかかるところ、「おお、面白れえな!」っと夢中にさせてくれるところがないわけ。 で、この本でも、昔は版権とるのも試行錯誤で大変でした、とか、上司の誰々はいい人でした、とか、知人の誰々はキレものでした、とか、アメリカの有名な出版人はこんな感じでした、とか、たらたら書いてあるんですけど、基本、知人を一人一人褒めていくだけの話なので、はー、そうなんですかー。いい先輩、いい同僚、いい部下に恵まれてよかったですねー、で終ってしまう。 ところが、本書の最後で、その常盤さんに褒められている先輩の宮田昇さんが解説をしているのですけど、実は常盤さんが早川書房を辞めるにあたっては複雑でドロドロした労働争議みたいなのがからんでいて、常盤さんが誰々を追い落としたとか、常盤さんが誰々から追放されたとか、宮田さん自身も、常盤氏と距離を置いていた時期があったとか、なんかすごいことが色々書いてある。 ええ゛ーーーー。じゃあ、本文に書いてあったことは何だったの? みんないい人で、そういう人たちに私は育てられました、どころの話じゃないじゃん?! 結局、そういうところじゃないの? 私が常盤さんの書くものに不満を抱くのは。ホントのこと書いてないんだもん。確執があったのなら、そう書けばいいのに。 ってなわけで、私、そろそろ常盤さんに期待するのを止めようかと思い始めました。今まで騙し騙し、「この人と私は興味の方向性が同じなんだから、きっと面白いはずだ」と自ら思いこませてあれこれ読んできましたけど、そろそろそれやめて、「どうもこの人の書くものはピンと来ない」とはっきり自覚し、これ以上、この人のものを読むのを止めようかと。 さよなら、新平ちゃん。世界は広いんだし、お互い、別な道を行こうぜ!翻訳出版編集後記 [ 常盤新平 ]価格:3672円(税込、送料無料) (2016/9/25時点)
September 25, 2016
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大学の夏季休業もそろそろ終わりに近づいております。 正式には10月1日からなんですけど、明日は大学院入試の面接、明後日は会議、来週水曜日は教授会、そしてその終末は岡山で学会と、結構予定が詰まっておりまして、もうのんびりできる日は限られております。 ま、この夏はあんまりのんびりできなかったなあ・・・。特に8月下旬から9月初旬にかけての怒涛の執筆の日々。あれは辛かった。あれで体力と精神力を使いきった感じ。この原稿、今は最後の仕上げをしておりまして、9月末に脱稿予定なんですけど、いわばこの夏はこの原稿だけに費やされたって感じですな。 今は何だか疲れちゃって、温泉でも行きたい感じ。 それでさ、締切とか何にもない状態で、のんびりアメリカの部厚いペーパーバックでサスペンス小説とか読みふけりたいねえ。 まじ、温泉とか行きたいなあ。のんびりしたいわ~。 さてさて、そうは言っても仕事、仕事。明日は早いので、もう寝ます。おやすみなさーい。
September 24, 2016
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オルダス・ハックスリーの『すばらしい新世界』という小説を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 そもそも何で私がイギリス作家オルダス・ハックスリーが1931年に書いたディストピア小説を読んだかと申しますと、これもやはり今研究している自己啓発本研究とのからみでございまして。 というのも、ハックスリーには別に『知覚の扉』というエッセイがあって、これは自らの麻薬(LSD)体験の報告なんですけど、ドラッグを使うことによって体験できる異次元の体験の中に、人間感性の新たな可能性を探ろうとした試みなんですな。つまり、平常時の人間が体験できないような別次元の世界というのがあって、それは現時点では薬物の力を借りないと到達できないけれども、とにかくそれはどんな世界なのか知りたいという欲望がハクスリーにはあったと。 で、そういう体験を踏まえた上で、彼はもっと組織的にそういう別次元の世界を探るべく、アメリカの若者二人と共にカリフォルニアに「エサレン研究所」っていうのを作る。これ、今も存在しますけど、1960年代には時代の最先端を行く超クールな団体だったので、例えばアラン・ワッツとかアブラハム・マズローとか、自己啓発思想の発展に寄与した人々も深く関係してくる。 ま、とにかくそんな感じで、自己啓発思想を考える上で言及せざるを得ない「エサレン研究所」の思想的バックグランドとなったのがオルダス・ハックスリーだったとなれば、『知覚の扉』の他にも何か参考になるようなことを書いているかも知れないじゃないですか。ましてやディストピア小説となれば、そこに何かありそうな匂いがプンプン・・・ ・・・していると思ったわけよ! 思うでしょ? ところが! そうでも・・・なかった・・・かな。読んでみたら、ごく普通のディストピア小説でした。「普通のディストピア小説」って言い方がおかしいかも知れないけど。「ディストピア小説」である時点で既に普通じゃないのであって。 でも、面白くなかったかというとそうでもない。それなりに面白かったっす。 まずね、この小説の設定が面白くて、時代はフォード紀元632年なんです。この「フォード紀元」というのは、自動車会社のフォードがベルトコンベア方式で「T型フォード」を大量生産しはじめた1908年を「フォード紀元0年」に設定しているわけ。大量生産が始まったというところが重要で、それをやり始めたフォード社社長のヘンリー・フォードは、その632年後には、神として崇められているわけ。 だからね、この時代のイギリスでは「オー、マイゴッド!」と言う代わりに「オー、マイフォード!」っていうの。 あ、それから「T型フォード」にちなんで、人々が祈る時には十字を切る代わりにT字を切ります。新時代の「十字架」は、「T字架」になっていたわけね。 で、そんなフォード紀元632年のイギリスでは、人間も人工的に大量生産されます。一つの精子、一つの卵子の結びつきから96人もの人間を工場で作り出している。全く同じDNAを持つ、同じ顔をした人間が大量生産されているんですな。 だから、この時代、もう「結婚」とか「一夫一婦制」とか、そういう概念はありません。男女の結婚によって子供が生まれる、というのは、この時代には非常に卑猥なこととされていて、人前でそんなことを口にしようものなら、常識人は顔をしかめ、女性は頬を赤らめ、子供はニヤニヤするという。特に「母」という言葉は、もろに卑猥語になっております。 とまあ、そんな風にこの時代、人間は通常、工場で大量生産されているんですけど、ただ特権階級である「アルファ階級」の人だけが、一つの精子、一つの卵子から生れるようになっているんですな。だから、アルファ階級の人だけは多少なりとも個性を持っている。支配階級ですから、ある程度、民衆の上を行く知性が必要なもので。 そう、この時代、人間は生れた時から階級に分かれているの。特権階級のアルファ以下、ベータ、ガンマ、エプシロンとかそんな感じに階級が分れている。エプシロンとかになると、細胞分裂の時点で薬品を投入して、背の高さも小さくなるように細工されちゃうの。被支配階級は、体格からして小さく作られるんですな。 で、階級には分れているのだけれど、それぞれの階級に属する人々は、自分の階級に満足しています。というのは、生長過程に何万回も「エプシロン階級は最高! ガンマ階級にはなりたくない」とかいう言葉を睡眠学習風に聞かされ続けるので、潜在意識に所属階級への満足感が植えつけられてしまい、不満が生じないんです。 因みに、一度だけアイスランドでアルファ階級だけで社会を構成したらどうなるかの社会実験をしたのですが、途端に住民の間で不満が出て、相互に争いが絶えなくなり、最終的には、元の階級別管理社会に戻してくれ、ということになった。人間には階級差が必要だということが判明したんですな。 それから、労働に従事する下層階級の労働時間を減らす実験もやったことがあるのですが、その時もまた自由時間を持て余した労働者階級の間で騒動があったもので、労働時間の短縮は社会の安定を害するということが判明した。だから、必要があろうがなかろうが、労働者階級の人々には一日の大半を労働に費やすことが決められ、それで問題は解決したと。 とまあ、色々な実験を経て、今日のような階級別管理社会が完成したわけですけれども、そこはそれ、やっぱり人間ですから、どの階級に属していようが、何らかの不満が生じることもある。そういう時は、国から支給される「ソーマ」という薬を飲めば一発解決。多幸感を与えるソーマさえ飲んでおけば、不満なんて瞬時に解消してしまうと。ちなみにアイスクリームに混ぜて飲む「アイスクリーム・ソーマ」とかもあるし、あとソーマを飲んでハイになっている状態を示すものとして「ソーマの休日」という言葉もある。 だからね、この時代、社会に不満というものは一つもないの。だからこの徹底的な管理社会の中では、社会問題もないし、階級間の争いもなく、非常に安定している。まさに「すばらしい新世界」なわけですよ。 ところが、ここに一つの事件が持ち上がるんですな。 管理社会イギリスのアルファ階級の男が、ガンマ階級あたりのガールフレンド(リンダ)を連れてメキシコに旅行した時、誤ってこのリンダが現地に取り残されるということが起るんです。 で、男はイギリスに逃げ帰っちゃうのですが、リンダはメキシコに残される。文明国の人間が、原始的な国に取り残されちゃうわけですよ。 で、リンダはメキシコで散々な目に遭います。何しろ文明国イギリスには「結婚」という概念がなく、避妊教育も完璧なので、フリーセックス社会なわけ。だから、リンダはメキシコでもどんな男とでも寝てしまうのですが、原始国家メキシコはキリスト教社会なので、男と見れば誰とでも寝てしまうリンダは、とんでもないふしだらな女としてさげすまれるわけ。 しかも、文明国の女性なら誰でも持っている避妊具(マルサスベルト)がないので、リンダは妊娠してしまう。文明国ではありえない、「母になる」という超超卑猥な経験をせざるを得なくなるわけ。そして息子ジョンが生まれる。 で、ジョンは、基本、メキシコで育つので、キリスト教国家の倫理観の下に育つのですが、そうなると、彼は自分の母親がとんでもなくふしだらな女とみなされる社会の中で育つことになり、それが彼の精神的成長に大きなダメージを負わせます。 それでも、まあ、メキシコに居続けるのであれば、ジョンはそれなりに原始社会に適応したかも知れません。ところがここでまたもう一つの事情が生じて、リンダとジョンの母子は、再びイギリスに連れ帰られてしまうんです。これが悲劇の始まりでして。 文明国イギリスでは、薬品によって人々は年を取らないし、若々しさを保ったままある日突然死ぬんですが、リンダは原始国家メキシコに居たので、そのまま年を取り、年齢相応に太ってしまった。しかも「母」ですから、イギリスでは軽蔑の対象になり、結局、死期の近い人たちが収容される病院にぶち込まれ、ソーマ漬けにされた上で、死んでしまう。 一方、ジョンは文明国と言われるイギリスの非人間性に驚くわけ。メキシコは、原始的かも知れないけれども、人間的ではあった。ところがすべてが管理されたイギリスには、そうした人間味というのは一切ない。ジョンは、メキシコに居た時にシェイクスピア全集だけを読んで育つのですが、そのシェイクスピアを生んだ国であるにもかかわらず、シェイクスピアが描く人情の機微、人間味というものををまったく理解しない現代イギリスに仰天するわけですな。 しかし、イギリスの人々もまた文明国に戻ってきた野蛮人ジョンにビックリ仰天し、好奇心丸出しで彼に付きまとい、その人間的な行動・・・彼らからすれば野蛮人的行動を娯楽として楽しもうとする。動物園のサルを見に行くような感じで。 結局、そうした文化的相違による相互理解の失敗が、本作最大の悲劇につながってまいります。 ジョンは、文明社会の女性レーニナに恋をするのですが、レーニナには「恋」という概念がない。もともとフリーセックスの世界で育っただけに、その辺の恥じらいは何もないので、好き同志ならさっさと寝ちゃえばいい、という考え方。しかしジョンは、愛というのは育てるものであって、しかも互いに相手を独占し、ある意味束縛し合うものであって・・・という考え方だから、レーニナの「さっさと寝ましょう」というアプローチには到底賛同できない。そうした文明人と野蛮人の文化的衝突によって、本当は互いに愛し合っていたにもかかわらず、二人の愛は成就できないんですな。そしてそれが一つの契機となって、最終的にジョンはある行動を取らざるを得なくなる・・・。 そういうお話。 最初、フォード紀元632年の状況を説明する件がすごく周到かつユーモラスかつ風刺が効いていてすごく面白い割に、最後はなんだか妙にメロドラマ的に終ってしまうあたり、少しバランスが悪いような気がしますけど、1931年という時点で、すでに画一的管理社会の到来とその必然をかように描いていたというだけでも、相当なものなのではないかと。 あとね、途中、野蛮人ジョンと、管理社会の管理人たるムスタファ・モンドという人物との哲学的対話があるのですけれども、このシーンがなかなかよろしい。管理社会の非人間性を非難するジョンに対し、いや、お前の言うことは俺もよく承知しているが、それを踏まえても、やっぱり今の社会の方が人は幸福に暮らしているんだよ、というムスタファ・モンドの説得力がすごい。要するに、単に「管理社会は駄目だ」と言っているだけの本じゃないわけ。その辺の、単純な批判じゃない、という点に関しては、ジョージ・オーウェルの『動物農場』なんかよりも複雑かも知れません。 ま、作品の完成度から言ったら、『動物農場』の比じゃないけどね。 というわけで、ディストピア小説として決して面白くなくはないこの小説なんですが、自己啓発本とのからみから言うと、あまり収穫はなかったかも。唯一、作中でウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』という、これは自己啓発本擁護の有名な本なんですけど、これが引用されることくらいかな。 ただこの作品の中では、多幸感情生成物質「ソーマ」が安定社会の決め手ということになっているのですけど、まあ強いて言えばこの辺に、前述したハクスリーのLSD体験が活かされているのかもね。 まあ、でも、全体として面白い作品ですよ。この種の空想社会小説に興味がある方は是非。教授のおすすめ、です。すばらしい新世界 [ オルダス・レナード・ハクスリ ]価格:1144円(税込、送料無料) (2016/9/23時点)
September 23, 2016
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先日引いた風邪がまだ何となく残っていて、時折、微熱が出てくるような嫌な感じ。こういう時は案外、家に閉じこもっているよりも外に出てせかせか活動した方がいいかなと思い、夕方から柔術の稽古に向いました。汗と共に風邪も流してしまおうと。 今日は世間様も休日ということで、今日は他道場からの参加も多く、賑やかな稽古に。普段、あまり手合わせをしない方と稽古すると、それはまたそれで勉強になるもので。 で、今日、特に勉強になったのは、肘の使い方。 脱力というのはどこであれ難しいのですが、肘を脱力するのって特に難しくて、ついつい力が入ってしまう。力が入ると、つまりは動かなくなってしまうわけね。肘を支点にしてしまって、手先を動かそうとしてしまうもので。 そこで、むしろ相手と接している手先ではなく、そこは放っておいて、肘から動かしてみる。すると、手先では動かなかった相手が見事動いてくれるんだなあ。八光流では、接点はあまり動かさず、接点からなるべく遠いところから動かす、というのが一つの原則なんですけど、やってみると確かに効果はあります。 その他、いくつか発見があったのですけれども、それはここに書いてもちんぷんかんぷんだと思うのでやめておきましょう。 とにかく、元気に体を動かしていたら、なんとなく気分も晴れて、体調も改善してきたような。 自己啓発本でもよく書かれていることなんですけど、気分が元気だから元気に振る舞える、というのは当たり前。それを逆転して、元気がない時に、敢えて元気に振る舞うと、後から気分がついてきて、気分もまた元気になってくる、ということがある。つまり、身体でもって「フリ」をすると、気分がそれに騙される、というわけ。今日のワタクシは、いわば、それを実行してみたわけですな。 笑う門には福来る。元気に振る舞えば元気になる。その心意気で、頑張りますかね。
September 22, 2016
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最近、深夜営業の・・・というか、24時間営業のスーパーとか、増えているじゃないですか。で、ちょいと用事があって、私も行っちゃったんですけど・・・ 楽しい! 実に楽しい! 夜中にお店が開いていること自体、何となく非日常性があって楽しいもんね。ウキウキしちゃう。 でまた、結構、人が入っているんだよね。 特に、残業帰りと思しきサラリーマンの男性が、カゴ持ってウロウロしているのが楽しい。そういう連中は、たいてい、お弁当とビールと、なにかつまみみたいなのを買っていたりする。これから家に帰って寝るまでの間、束の間の至福の時間なのかな。 それにしても、世の中、色々便利になったよね。独り者が暮らしやすくなったというか。コンビニや深夜営業のスーパーがあれば、とりあえず何時だろうがご飯にありつけるわけだし。 ま、そんなご同輩と共に、深夜のショッピング、楽しかった。ちょっと不良の気分を味わいましたね。
September 21, 2016
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自己啓発本の名著として知られる『人を動かす』の著者、デール・カーネギーが書いたもう一冊のベストセラー、『道は開ける』を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ちなみに『人を動かす』という本は、その原題『How to Win Friends and Influence People(いかに友を得、人に影響を与えるか)』が示す通り、人の信頼を得る方法を述べた本であり、その意味で人心掌握のためのハウツー本の趣があった。で、その根幹を成すアイディアというのは、「人情の機微に通じてないとダメだよ」というもの。 例えば、「人の名前を覚えてあげることが如何に重要か」なんてことが書いてある。そしてセオドア・ルーズベルト大統領が、ホワイト・ハウスのコックさんたちの名前すら一人一人覚えていて、大統領じゃなくなった後まで覚えていた、なんて逸話が紹介される。そういう、ちょっと感動的な逸話をずらり並べながら、「人情が分らないようじゃ、上に立つ人間にはなれないよ」ってなメッセージを読者に届ける。仮に「逸話系自己啓発本」というジャンルを想定するとするならば、カーネギーの『人を動かす』なんてのは、まさにその典型例となるものでございます。 だから『道は開ける』という本も、もちろん逸話系自己啓発本ではあるのですが、本書のテーマは「人間のお悩み解消法」。現代人にとって最大の敵はストレスであり、毎年、何万人もの人がストレスで自殺したり、病死したりしている。それを何とかしようじゃないか、というのが本書の狙いなわけ。 ちなみに前著『人を動かす』は1936年刊。つまりアメリカが大・大・大不況のさなかにあった時に出版されたのでありまして、人心を掌握するというのは、職を得ること、さらにはその職をキープし続けることにおいて、非常に重要なファクターだったわけよ。 で、『道は開ける』は1944年刊だから、もう不況の時期は通り過ぎていたけれども、今度は第二次大戦の動乱の時代でもあり、色々な意味でストレスフルな時代だったんでしょうな。だから、今度の本のテーマはストレス解消法だったと。カーネギーさん、本を出すにも、時代にあったテーマを選んでいるわけですよ。賢いね。 さて、じゃあカーネギーさんは本書の中で一体どんなストレス解消法を提案しているか、箇条書き風に並べてみると・・・○過去の失敗、未来の不安のことは考えず、今日一日に集中して生きろ○悩みを漠然と抱えるのではなく、紙に書き出すなどして冷静かつ客観的に分析しろ(そうすれば、悩みの大半は、悩む価値などないことが判明する)○小さなことに悩まされるな。逆に避けられないような大きな悩みであれば、じたばたせず、淡々と受け容れろ○自分は自分、と考え、人真似しない。人を羨まず、自分に満足し、自分なりに何が出来るか考えろ○批判は気にするな○不眠症で死ぬ奴はいない。眠れないなら、勉強するか、運動するか、仕事しろ みたいな感じ。すべてもっともな話でありまして、しかもカーネギーは、これらのことを、実話に基づく逸話によって説明していきますので、説得力はあるよ。巻末には、それぞれのやり方で悩みを克服した人たちから寄せられた経験談も載せられていたりしますし。 ところで、この本を読んでいると色々感心させられるのですけど、私が一体何に感心するかというと、この本の中に、この本以後に出される自己啓発本のエッセンスが既に詰まっている、ということですな。 例えば、「過去に起ってしまったことを悔やんでも仕方がない。未だ起っていないことを恐れるのは無益だ。だから、過去や未来に悩まされずに、今日は今日のことを精一杯やりなさい」というメッセージ、これはウェイン・ダイアーが1960年代に主張したことなんですな。それに本書に書いてある「人生とは、生きることの中、つまり毎日毎時間の中にある」というメッセージなんか、つい先日読んだばかりの、ミハイ・チクセントミハイの唱導する「フロー」の概念と同じでしょ。 そう、本書とチクセントミハイの本には非常に共通点があって、例えば本書211ページにはこんなことが書いてある: ローガン・ピアソール・スミスの名言はつぎのように簡潔である。「人生には目標とすべきものが二つある。第一は自分の欲するものを手に入れること、第二はそれを楽しむことである。数ある人間のうちでも、第二のことを実践できるのは賢者だけでしかない」。 台所での皿洗いでさえスリルに富んだ体験に変えることができると言ったら、興味を持っていただけるだろうか? もし興味がおありなら、ボーギルド・ダールの名著『私は見たかった』という本を読むとよい。それははかり知れない勇気と感謝を与えてくれるにちがいない。 この「台所での皿洗いでさえ・・・」という一節なんか、まんまチクセントミハイだもんね。 それから、カーネギーの本というのは、基本、常識的なことばかりが書いてあるのですけれども、それでもたまには「引き寄せ系」の言説も入りこんでくる。実際、カーネギーはジェームズ・アレンの『原因と結果の法則』を読んで忘れられない程の感動を得た、と本書の中で告白しているくらいですから、「宇宙を回転させている無限の原動力と結合しようではないか」(289-290ページ)なんていう言い方も出てくるのも当然でしょう。もちろん、悩みを解消するためには、ノーマン・ヴィンセント・ピールが主張するような「ポジティヴな態度をとること」が必要だ、なんて発言もある。 あ、あと、「笑いが(癌などの)病気を癒す」という話も出て来ます。マインド・キュア系の自己啓発本の伝統もしっかり受け継いでおります。 要するに、過去や未来の自己啓発本に登場する言説は、すべてカーネギーの本の中にも登場するってことですな。 で、それに関連してさらに気づくのは、この本の中でカーネギーが際限なくウィリアム・ジェームズに言及したり、ジェームズの言葉を引用したりすること。 ウィリアム・ジェームズというのは、アメリカの有名な心理学者で、作家のヘンリー・ジェームズの実の兄貴。彼は当時の著名な学者の中では珍しく自己啓発本の価値を擁護した人として知られ、そのために後世の自己啓発本のライターたちからは、ラルフ・ウォルドー・エマソンと並ぶ「アイドル」として褒めまつられている人。 だから、カーネギーの本の中にウィリアム・ジェームズの言説が引用されること自体は何ら不思議はないのですけれども、気になるのは、その圧倒的な回数。カーネギーはもちろん本書の中で色々な文人に言及しているのですけれども、ジェームズの言説の引用頻度は他を圧している。ざっと数えて20回ですからね。これはエマソンを3回引用しているのと比べても圧倒的に多い。印象としては、ことある毎に「ジェームズが言っているように」とか、「ジェームズによれば」とか、そういう話が出てくる感じがする。 ちなみに前著『人を動かす』の方では、ここまでジェームズに入れ込んだ形跡はありませんから、多分、1936年から44年までの間に、デール・カーネギーはウィリアム・ジェームズの本を集中的に濫読し、非常に強い影響を受けたんでしょうな。 ということで、本書の内容の興味深さもさることながら、私にはカーネギーを巡る自己啓発言説の影響関係が興味深かったのでありました。 というわけで、この本、1940年代のアメリカ人同様、様々な悩みとストレスの中を生きる現代日本人の皆様にもおすすめします。 が! やっぱり面白さという点にかけては、前著『人を動かす』の方が圧倒的に面白い。やっぱり、処女作の中に、その人のすべては詰まっておるのでございましょう。道は開ける新装版 [ デール・カーネギー ]価格:1728円(税込、送料無料) (2016/9/20時点)人を動かす新装版 [ デール・カーネギー ]価格:1620円(税込、送料無料) (2016/9/20時点)
September 20, 2016
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昨日あたりから、なんかちょっと風邪っぽい。久しぶりに風邪薬飲んじゃった。疲れが溜まっていたのかもね。 私の場合、風邪はいつも喉からやって来る。で、今もちょっとだけ喉が痛いのですけど、ひどくならないように、頻繁にうがいをしております。 ところで、そのうがいなんですけど、普通にうがいするのじゃつまらないなあと思い、ひと工夫加えてみた。 何したと思います? 炭酸水でうがいしてみたのよ。そしたらこれが実に気持いい! シュワシュワが痛む喉に直撃!っていう感じで、気持がいいんだ、これが。下手なうがい薬よりもよっぽど気持いいので、おすすめ!です。ぜひお試しあれ! 特にやたらに風邪をひくN大学のN先生、スーパーで1.5リッター100円くらいで売っている炭酸水をよーく冷やしてうがいしてごらんなさいな。いいですよ~! さてさて、風邪をひいても食欲は落ちないワタクシ、今日は植田にある「UED.」というお店でランチをすることに。 「UED.」って「う・え・だ」の意味だと思うのですけど、以前「花アート」という名前のお店だったところを改装して最近オープンしたもので、ランチはハンバーガーを中心に、夜はお酒に合う料理を出すタパス的なお店らしいのですが、とりあえずお昼に自慢のグルメバーガーを食べてみようと。 で、私はチリ・コン・カーン・ソースがかかったメキシカンな感じのハンバーガー、家内はアボカドとチーズのハンバーガーをチョイス。どちらもかなり美味しかったです。 しかし、チリ・ソースってたまに食べると美味しいよね。ロスを思い出します。ロスはメキシカンが多いので、そっち系のお店が多いのよ。今年の夏は行けなかったけど、もしできれば、春休みにちょっとだけ行こうかな。
September 19, 2016
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今乗っているシトロエンC4は、次の車検を通さないつもりの私。来年の3月を一つの目途に、次の愛車をどうしようか考慮中。 なんですが・・・。 この件に関連してちょっと面白い情報をゲット。 中古車販売大手の「ガリバー」ってあるでしょ。今は社名変更して「Idom」になったようですが。 で、この会社が「Norel」というサービスを始めたらしいんですな。 それによると、会社が提供する様々な車種のクルマの中から自由に選んで乗る事が出来て、しかも最短90日で乗り換えることができると。 そうなると、例えば12・1・2月にミニバンに乗り、3・4・5月は外車のセダン、6・7・8月にはスポーツカーを楽しみ、9・10・11月にはオープンカーに乗る、なんてことも出来る訳。 で、このサービスの利用料は定額制で月額5万円弱。ただし、自動車保険料、税金込みですからね。 保険料・税金込みで年額60万弱か! うーん、これは魅力的なプライスなのか、それとも高いのか? 安いよ・・・ね。いや、高いのか?? 微妙過ぎて分らん。 例えば、乗れるクルマの中にはポルシェとかBMWとかもあるし、ベンツなんかもある。もちろんアルファロメオやミニとかも。さらにマツダ・ロードスターやコペンなんかもある。そういうのを3カ月ごとにとっかえひっかえ乗れると考えれば、うーん、安い・・・のかも知れませんな。 試しに1年だけトライしてみる・・・とか? どうなの、俺? やってみる気ある? 面白そうだけど、悩むね~。 ま、そういう選択肢もあるんだ、ということを頭に入れておくだけでも、いいかもね。選択肢は多い方が言い訳だし。 ということで、愛車選択の楽しい悩みが、また一つ、増えてしまった今日この頃なのであります。これこれ! ↓Norel のサービスとは
September 18, 2016
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今日のこと、というより昨日のことなんですけど、ボクシングのダブルタイトルマッチ、堪能しました。 まず11連続防衛のかかった山中対モレノ戦ですが、序盤、共にダウンを奪い合う目の離せない展開に。 私が思うに、山中選手って、ボクシング技術自体は発展途上というか、結構危ないパンチをもらったりしてヒヤヒヤさせられることも多いのですけれども、しかし、「神の左」と呼ばれる左パンチ、これはもう破壊力が桁違い、いや、桁が三つほど違うんじゃないかと思う位のもので、これが一発でも当たればその時点で試合が終ってしまう。 だから、山中選手の場合、たとえ途中のラウンドでダウンをくらったとしても、あるいはポイントでリードされたとしても、たった一発で逆転できる、そういう魅力がある。これは、ボクシング・ファンとしては、たまらない魅力です。 で、実際、昨夜の試合でも、前回の対戦で苦しんだ強敵モレノに対して3発ほど強烈な左を叩き込み、試合終了。特に2回目のダウンを奪った時の左はすごかった。山中の左をまともに喰らったモレノ選手の、「ええっ??」というような、ビックリした表情が印象的でございました。 で、その山中選手の見事なKO勝利も素晴らしかったのですが、もう一つ、35歳にしてチャンピオンへの返り咲きを狙った長谷川穂積選手の戦いぶりも素晴らしかった。 トータルなボクシングの上手さという点では山中選手よりも数段上、と私は見ておりますが、その長谷川選手ももう35歳、世界チャンピオンの座を降りてから既に数年経っておりますし、さすがに返り咲きは無理かなと。おそらく、あの試合を見ていた誰もが、「これは長谷川選手の引退への花道なんだ」と内心では思っていたことでしょう。 ところが、驚いたことに、長谷川選手、再び世界チャンピオンになるの巻。 双方譲らず互角の戦いをしていたものの、9回、チャンピオンのウーゴ・ルイスが猛攻撃を仕掛け、長谷川選手はロープに追いつめられて袋叩き! ああ、これで終わりかと思った瞬間、長谷川選手の開き直ったような猛反撃が始まり、壮絶な打ち合いの揚句、仕留めにかかっていたつもりのルイス選手を撃退するという一幕。あれはすごかった。 そして、運命の10ラウンド、まさかまさかのチャンピオン側試合放棄で、長谷川選手チャンピオン奪取! 引退への花道どころか、チャンピオン・ロード再び! お見事でした。 というわけで、一夜のうちに山中選手の11度目のタイトル防衛、長谷川選手のタイトル奪取を見ることができ、ボクシング・ファンとしては、最高の一夜でございました。 しかし、それにしても今回のテレビ中継、長谷川選手の試合がところどころカットされていて、テレビ局側としても早い段階で長谷川選手がKO負けするのを予想していたような感じ。長谷川選手のような名選手の世界チャンピオン挑戦を扱うにしては、少し失礼だったのではないかと。そこは、ちょっと猛省を促したいところでございますなあ。
September 17, 2016
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今日はビジネス系自己啓発本のグル、トム・ピーターズの『エクセレントな仕事人になれ!』を読んでおりました。トム・ピーターズって、その昔に『エクセレント・カンパニー』って本を書いた人。1980年代に、自動車をはじめ日本製品がアメリカ市場を席捲した際、日本車をハンマーでぶっ壊すパフォーマンスしたりして、アメリカ人がナーバスな反応を示していた時に、「待て、待て」と。日本企業の絶えざる「カイゼン」の努力こそが今日の日本製品の優秀さを作り出したのであって、アメリカの企業もそこを見習わないと拙いんじゃないか、と主張したのがこの人。 で、この本は、そんなトム君がブログに書き込んだ「エクセレントな仕事人」になるためのヒント163連発を元に、本の形に書き直した本。当然ベストセラーでございます。 だから一つ一つのヒントは短く、また今日からでも実行できるようなものばっかり。例えば、「何はともあれ、まずはトイレをきれいにしろ!」とかね。トイレが清潔な店とかオフィスは、それだけで顧客の心を掴む。だから、トイレをきれいにしろ、それも今日から。いや、今すぐ! ・・・みたいな話が163連発っていうね。そういや、『夢をかなえるゾウ』でも、ガネーシャが「トイレを掃除する」っていう課題を出していたよね。 こういう本って・・・どう? 私は・・・好き。結構、好き。 ただし、同業者、つまり、アメリカ文学研究者の中でこういう本を読む奴って、多分いないな。アメリカ文学会の会員って日本全国に1600人くらい居るけど、この本読んだことある奴って、多分、私だけだと思う。 文学やる人って、結構、本気だからね。その大半が、「自分が文学やるのは、いわゆるビジネスマンの対極にある存在だからだ」って思っている。金儲けの話とか、すっごく嫌がるからね。その嫌がり方って、ビックリするよ。私が学会のパーティーとかでうっかり金儲けの話とかしていると、汚らわしいものを見るような目で、1メートルくらい引くからね。 だけど、私が思うに、こういう本、それもベストセラーになるような本の中には、結構、いいこと書いてありますよ。 例えば、本書の92ページに、こんな引用があった。 「人には親切に。あなたが出会うすべての人々は大きな戦いのさなかにあるのだから」 さて、これを言ったのは誰でしょう? プラトンでーす! プラトンって、紀元前400年くらいの人でしょ? 今から2400年くらい前の人じゃん。2400年前にこの世を生きた人の言葉が、今もなお残っているということは、やっぱり、この言葉には意味があるということなんじゃないかと考えるのが普通だよね。 で、改めてこの引用を見るに、前半部分は大したことがない。「人には親切にしろ」というのは、誰でもいうセリフだからね。そんなことわかっているよ、という話ですわ。 だけど、後半部分がスゴイ。 「あなたが出会うすべての人々は大きな戦いのさなかにあるのだから」 うーん、そうか・・・。 人に親切にすべき、ということにはちゃんと理由がある。それは、その相手が、大きな戦いのさなかにある人だからだったんだ・・・。 「大きな戦い」ってのは、要するに人生のことだよね。人生ってのは、日々戦いだもん。 ある人が仏頂面しているのは、朝、出勤前に奥さんと口論したせいかもしれない。ダメ息子が万引きして補導されたからかもしれない。あるいは会社で同僚とやりあったからかもしれない。親が介護を要するようになったからかもしれない。言ってみれば、これらすべてはその人にとっての「戦い」だ。そのさなかにあるのだから、ついつい表情が暗くなってしまうのも当たり前かもしれない。 子供が学校からふくれっ面して帰ってきて、「ただいま」も言わずに自室に駆け込み、バーンと音を立ててドアを閉めたとする。それは、学校で嫌なことがあったからでしょう。友達と喧嘩したか、所属するバスケットボール・チームのスターティング・メンバーから外されたか、はたまたライバルの友人より英語の点が低かったからか。大人から見れば大したことじゃないこれらのことすべてが、この子にとっては「戦い」です。 誰もかれも、大人も子供も、毎日闘っているわけだ。何らかの形で。 人に親切にしなきゃいけないのは、誰もがみんな「戦い」に疲れているからだよ、とプラトンが言ったのは、だから素晴らしいじゃないの。 ね? だから人に親切にしてやるってのは、意味のあることなのよ。 会社で嫌なことがあった人がもし帰宅途中に喫茶店に立ち寄ったのなら、コーヒーを出すにしても、無雑作にガチャンと目の前に置くのと、「あー、この人、何か嫌なことがあったのかな」と思いながら、思いやり深い笑顔で差し出すのでは意味が違ってくる。もしこの人が、そんな店員さんの笑顔に気付いたとしたら、この人はこの店の常連になる、かも知れないでしょ。 ふくれっ面して学校から戻ってきた子供の母親は、内心「ちっ。思春期の子供は扱いが面倒だな」と思うかもしれないけれども、そこを忍んで、魚の煮付けの予定だった夕飯メニューを、その子の好きなハンバーグに変えてやるとかね。そうしたら、すぐには気づかないかもしれないけれども、いずれ、その子は母親がいつも自分のことを気にかけてくれていたことを知るでしょう。 ビジネスも同じだよ、と、トム君は言います。たとえ生き馬の目を抜くビジネスの世界であっても、人は必ず他人の親切に気付く。だから、人に親切にすることは、長い目で見て得策なんだと。 ほら~。いい事言っているじゃないの。 少なくとも、私は今日、トム君の本を通じてプラトンの言葉を知ったし、その言葉に込められた深い意義について思い巡らすことができた。あとこれで実践が伴えば、私も一つ、賢くなったと言えるんじゃございませんか? ま、そんな感じで、私も文学の徒、ビジネスとはあまり関係がないですけれども、たまたま仕事上こういう本を読み漁るようになったことを、決して後悔していないのであります。エクセレントな仕事人になれ! [ トマス・J.ピーターズ ]価格:1944円(税込、送料無料) (2016/9/16時点)
September 16, 2016
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ここ数日、非常に楽しみながら読んでいた本をご紹介しましょう。ミハイ・チクセントミハイという人の書いた『フロー体験 喜びの現象学』という本なのですが。 まず、第一に著者の名前がすごいね。ミハイ・チクセントミハイ。普通に変換すると「未配・竺仙と未配」になるからね。竺仙って何だよ。だけど、これ、カタカナだからまだマシなので、アルファベットの綴りだともっとわからないよ。「Mihaly Csikszentmihalyi」だもん。これでよく「ミハイ・・・」って読めるなと。 ま、とにかく、チクセン君(と勝手に省略)はシカゴ大学の有名な心理学者でございます。 で、このチクセン君が研究しているのが「フロー」という現象なんですけど、これ、日本語にしたら何になりますかね。「三昧」とか、そんな感じかしら。とにかく、何か熱中して、夢中になってあることに取り組んでいる時の境地、ということですね。あまり熱中していて、時間の概念も超越しちゃって、10分くらい経ったかなと思ったら、既に3時間を超えていた、みたいな、そういう境地。 で、チクセン君曰く、この三昧の境地こそが、人間にとって「幸福」な状態と言えるのではないかと。 もともと心理学ってのは、フロイトの時代から、基本、「不幸の研究」だったわけですよ。なんか「鬱」だなあ、幸せじゃないなあ、と思って、その原因をよくよく辿って行ったら、子供の時に受けたトラウマ(心の傷)が原因だったとか。そんな感じで、「今の不幸の原因は、過去の体験にあった!」的なことを考える学問だった。 ところが、そんな不幸の研究しててもつまらんじゃん、もっと楽しいこと研究しようよっていう流れが20世紀の中頃にあって、そのあたりから、逆に「幸福」の研究がなされるようになってきた。アブラハム・マズローなんてのはその一例で、マズローは、人間が幸せになれるのは「自己実現した時」じゃ、という結論を得た。いくらお金を稼いでも、社会的地位が上がっても、本人が「これって、もともと私がやろうとしていたことじゃないよね」と思っていたとしたら、それは幸せな状態ではない。逆にオリンピックで金メダル取ろうと思っていた人が金メダル取ったら、それはお金にはならなくても幸せだよね、って話になる。 で、チクセン君は、どういう時に人は幸せになるかということを考えて、彼なりの結論を得た。 それによるとね、ここがマズローと違うところなんだけど、幸せってのは、達成するものではないと。目標を達成した瞬間に訪れるものではない。その意味では、蜃気楼を追いかけるようなもので、「あそこまで行けば幸せになれるだろう」と思ってそこに到着したとしても、幸せはまた遠のいてしまう。 で、チクセン君はまた考えて、考えて、さらに考えて、ついに「人間にとって幸せとは『過程』にある」と喝破したんですな。 ある有意義な目標に向かって、何かに夢中になって取り組んでいる時、その、時間も忘れ寝食も忘れているような時、それを後から振り返った時に、人は「ああ、あの時、自分は幸せだったな」と思う。幸せって、そういうもんじゃないのかと。ただし、その過程を通り過ぎたことによって人間的に成長し、人格に深みが増す、ということも重要な幸福の条件で、ただ面白い映画を2時間、無我夢中で楽しんで、ああ面白かった、というだけでは、幸福にはなれない。そういう体験は、ただ娯楽を消費しただけなので、自分自身の成長にはつながっていないですからね。 どう、このチクセン君の洞察。納得しない? 私なんか激しく納得しちゃうよ。 だから、チクセン君のこの理論から言えばですよ、人が幸せになろうと思ったら、この三昧の時間、チクセン君の言わゆる「フロー状態」をいかに増やすか、というところに意を用いなければならないのでありまーす。 しかしね、こういうフローを体験するのには、いくつかの条件がある。なんでもいいってわけじゃない。 例えば、何かに取り組むにしても、「よし、俺は地球を救おう」とかいう壮大な目標を立てて、そのために活動したって、容易にフロー状態には入り込めませーん。なぜなら、世界の救済は個人の手には余る仕事だから。つまり、定める目標は「自分が一生懸命に努力したら到達できるかも知れない」という程度に実現可能の範囲に入っていて、しかも目標自体がすごく明確で、さらにそれに挑戦する自分の能力がその目標達成へのチャレンジにふさわしいものである必要があるわけですな。「世界一のピアニストになる」という目標は、明確ではあるけれど、ある人にはふさわしいチャレンジであっても、ピアノに触ったこともない人にとっては適切な目標ではないと。 あとね、自分がやっていることに対する適切なフィードバックがあることも必要であります。例えば、一生懸命に顧客サービスに努めた結果、お客さんから「あなたのサービスは最高だ、また来るよ」と言ってもらえたら、それは、彼の行動が目標に叶っていることを表す指標ですから、非常にうれしく感じるはず。そういう、「自分のやっていることは間違ってないな」と実感できるようなフィードバックが適度にあることが重要なわけ。 それから、自分の行動が明確に自分の意志によるものである、という確証が得られていることも大事。外的な条件によって偶然うまく行ったのではなく、明らかに自分がコントロールしている事柄によって、目標への道のりを歩んでいる、という感覚が必要なんです。 でまた、自分が物事に注意を向ける、その注意の量にも限界があるので、その限りある心的エネルギーをバランスよく配分することも大事になってくる。仕事に熱を入れすぎて、家庭のことを放りっぱなし、では、やっぱり幸せにはなれないですからね。 それから、フローをもたらす目標や、それへのチャレンジが、すべていいものではない、ということも認識しておかないと。たとえばヒトラーの命令に従って多くのユダヤ人をガス室に送った小役人は、いかに仕事を効率よくこなすかという目標に向かってフローしたかもしれない。それは彼にとって幸福をもたらしたかもしれないけれど、殺されるユダヤ人にとっては・・・っていうようなこともある。 ま、とにかく、フローにはいくつかの条件があるけれども、とにかく、フロー体験をするとき、人間は最も幸福であるわけですな。 で、世界にはフローしやすい活動というのがある。例えばロック・クライミングとか、チェスとか。釣りとか。身体的、知的ゲームというのは、限られたルールの中での行動なので、フローしやすいわけ。 ところが、人生、そういう活動ばっかりしていられないわけですよ。普通のサラリーマンなら、年柄年中、ロック・クライミングもしていられない。会社に行かなくちゃならないんだから。 で、結局、人は、会社に行って、つまらないなと思う仕事をして、無駄に時間を過ごして家に帰ってくる。家では古女房がいるんだけれど、もう新婚当初のドキドキもないので、とりあえず夫婦の会話もなく、ただ飯食ってテレビ見て寝る。朝になれば、またつまらない仕事をしに、会社に行かなくちゃ・・・。 これが一般の人間の日々の生活だとなると、そこにフローはないということになるわけです。フローがないということは、つまり、幸せがないと。 実際、先進国に住む人々にアンケートすると、幸福じゃないと思っている人がすごくたくさんいる。歴史上、こんなに豊かな時代ってないのに、それにも関わらず、人は幸福になっていない。 じゃあ、たまに旅行に行くというのは? たまに豪華なレストランで食事をするというのは? ま、普通の人が考えるのはその程度なので、普段、つまらない仕事をして蓄積したストレスを発散しに、旅行に行ったり、ご馳走を食べたり、物を買ったりするわけですけれども、これらの活動はフローをもたらさないので、実際にはストレス解消になってない。事実、休暇旅行中の人にアンケートを取ると、意外にも、その期間中、幸せを感じる人は少ないんですって。 じゃ、どうすればいいのか。 もう、日常の生活に、フローを持ち込むしかない。チクセン君が唱道するのは、それであります。 最もつまらないとされるような仕事、例えばベルトコンベアーをつかった組み立て作業とか、そういうのでさえも、そこに心的エネルギーをつぎ込めば、フローする作業になりえる。例えば、どういう手順でやれば最も効率よく組み立てられるか、1分間に最高、何個組み立てられるか、などの自分なりの目標を持ち込めば、そういう作業ですら一つのチャレンジになると。 結婚生活も同じ。新婚時のワクワクを維持しようと思ったら、それにはすごい努力がいる。だけど、その努力を持ち込むことによって、結婚生活がフローになり、幸せがずっと継続するかもしれない。 結局、人生というのは、もともとがカオスなのよ。だから、放っておいたら、カオスのまま。意味も何もない。だから、そのカオスの中に、意味を作り出すことが重要。それを作り出す過程と努力の中にこそ、人間の幸福というのはあるわけです。 それを言ったら、この世の中ってのは、すべてそう。チクセン君によれば、「散逸構造」というのだそうですけど、世界というのは、無意味なものの中に意味あるものを作り出して初めて成り立つわけ。 例えば太陽光というのは、太陽が燃えることによって出た廃棄物なわけですよ。本質的には無意味なもの。だけど、それを使って、地球上の植物は栄養素を作り出すことに成功した。そこに意味が生まれたわけね。で、動物は植物の存在の上に存在しているのだから、そう考えれば、この世の存在というのは、カオスの中から意味を作り出したことによって存在することに成功したと言っていい。 だから、人間世界もですね、カオスの中から何か意味あるものを掴みださねば、生きる価値などないっ! だから、我々、幸せになりたかったら、カオスに身をゆだねるのではなく、そこに意味を生み出しましょうと。つまらない仕事と思っているのは、あなたがその仕事をカオスにゆだねているだけ。平凡な結婚生活だと思っているのは、その結婚生活をカオスにゆだねているだけ。あなたが、そこに意味を見出せば、それはチャレンジに値するものになるし、そうなったときにこそ、幸せを体験することができる。そういうもんだよと。 うーん。なるほどね。その通りだよね。幸せの青い鳥ってのは、どこか遠くにいるんじゃなくて、身の回りにいるわけだ。 私も、大学に職を持っていて、「研究は面白いけど、教育はつまらない」と思っているわけですけど、これは間違った認識なわけですな。教育がつまらないのではなく、私がそこに熱を入れていないからつまらないわけですな。面白くしようと思ったら面白くできるはず。それをせずに、不満を言っていたら、私は決して教育の側面でフローを体験することなく、それに費やしている時間を無駄にしているわけだ。それは、バカバカしいことなのじゃないか? 人生を無駄にしていると言えないか? チクセン君の言う通りだよね。 とにかく、私、この本を読んで、色々と考えさせられました。しかも、ただ説得力があるというだけでなく、チクセン君が引いてくる様々な例とか逸話とか引用がすごく面白い。書き方も、抑えた筆致で好感が持てます。これは、一つの名著と言っていいのではないでしょうか。 というわけで、この本、教授の熱烈おすすめ!です。真剣に人生を生きようとする人は、必読の本じゃないでしょうか。【送料無料】 フロー体験喜びの現象学 Sekaishiso Seminar / ミハイ・チクセントミハイ 【全集・双書】価格:2621円(税込、送料無料) (2016/9/15時点)
September 15, 2016
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昨夜見た私の夢、すごいよ。 私、サッカーってやったことないのですが、なぜか日本代表のキャプテンなの。相手は世界選抜。私の目の前にはネイマールがいる。 で、自分としては、サッカーの技術なんかまるでないことは自覚しているんだけど、なにせ目の前にネイマールがいるんだから、ある程度の技術は見せなければ、という義務感も半端ない。どうしよう・・・。 で、とりあえず、後ろの面々に託そうと思って、華麗にバックパスをしてみた。いかにも前に蹴り出すぞと思わせておいて、自陣に向ってノーモーションで蹴ってみたと。 そしたら、そのボールは自陣のゴールに一直線。しかもキーパーが取り損なって、試合開始直後にオウンゴール。満員のスタジアムが騒然となったところで目が覚めたという。 それはともかく。 今、仕事上の必要からある本を読んでおりまして、それは非常に面白い本だったのですが、あまりに面白いもので、読みながらあらぬ方向に空想が遊んでしまうことにもなり、なかなか前に読み進められないというね。 例えば、人生の中で人は色々な試練に遭う。これはもう、避けようがないわけですな。で、中には不幸にして、病気や事故によって身体的なダメージを受けてしまうこともある。 で、そのダメージは、深刻であればあるだけ、その人を絶望に陥れる可能性があるわけですけれども、中には、客観的には絶望的な状況の中で、その状況をプラスの方向に変えてしまう人がいると。 例えば両足がマヒしてしまうような悲劇的な事故に遭った陽気なバイク好きの青年が、その事故を契機に人生の方向を変え、大学に通って資格を取り、専門職に就くようになったとか。長じてから視力を失った人が、ギター演奏を習い始め、さらには楽譜の点字化に尽くして意義ある後半生を過したとか。 つまり、試練によってその人の人生は終わりを告げたのではなく、むしろそこからより意義深い人生が始まるということがありえると。 私も含め、そういう人の人生こそ英雄的であると思う人は、きっと多いことでしょう。ま、今、リオで開催されているパラリンピックの参加選手なんてのは、一人残らず英雄だよね。 さて、そんな感動的な本を読みながら、私の空想(妄想?)は果てしなく漂っていくわけですよ。 例えば、私の身に視力を失うような悲劇が降りかかったとしたら、私はそれから先の人生にどう立ち向かっていくだろうか、とか。 例えばさ、先に挙げた例のように、楽器を習い始めるというのはあり得るよね。何と言っても、視力が失われたとなれば、聴覚による楽しみの重要性が否応なくアップするわけだから。自分もそれに参画したいと考えるのは自然な流れでございます。私だったら、やっぱりピアノかな。ジャズでも多いものね、視覚障害のあるピアニストって。 あと、視力を失ったとしても、八光流柔術は続けられるかなと。八光流って、自分から攻める技がないですからね。常に、相手の攻撃を受けてからの技だから。 そう思いながら、想像をさらに逞しくすると、いや、むしろ八光流の場合、目が見えないことはプラスに作用することすらあるのではないかと。というのは、相手が見えなければ、神経は自分のこと、つまり、自分の姿勢とか、そういうことだけに向けられるでしょ。八光流の場合、一番重要なのは姿勢ですからね。 ん? 今度、それやってみようかな。目をつぶった状態で、自分の姿勢だけに注意して技を掛ける練習、してみたらどうなるだろう? 何か発見があるかも知れない。 あれ? 段々、本の内容と関係なくなってきちゃったよ! ま、読者の想像力を刺戟するほど、いい本だということですから。 というわけで、様々な妄想を抱きつつ、楽しい読書を続けていた今日のワタクシなのであります。この本のことは、近いうちにこのブログでもご紹介しますね。
September 14, 2016
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大先輩の知人が一時的に老人ホームに入ったとの知らせを受け、お見舞い・・・というのも変ですが、ちょっと顔を見せに行ってきました。 老人ホームというのが一般にはどういうところなのか、私は知らないので、私の知人が入居したその老人ホームの評価というのは出来ませんが、そこは基本、個室制になっていて、食事とかレクリエーション(カラオケとか)は、一階にある大広間で行なうという感じでしたね。 で、個室にはベッド、机、テレビ、トイレも完備しているので、一人でいることが苦でなければ、ずっとその個室に居ることができる。ただ、食事は別ですが。 で、私はその個室で2時間ほどお話をしてきたのですが、予想していたよりも元気そうで良かった。ただ、その方も知的生産を続けてきた方でしたので、愛着のある書籍で埋まった自宅の書斎を離れていることが、随分と寂しいようでしたね。 で、2時間ほど雑談してお暇し、家に帰る道すがら色々考えたのですけれども、自分も歳をとったら、こういうところのお世話になることもあるかも知れないけれども、なるべくならそうならないことを望むなあと。 当たり前のことですけどね。 ま、そのためにも、健康に気をつかって、楽しい老後を過ごしたいものでございますよ。 で、そんなことを考えながらクルマを運転していたら、初めて来た場所なのに、何となく、道に見覚えがある。ん? なんで? と思ったら、なんとその老人ホーム、私が名古屋に最初に赴任した時に住んでいたアパートのすぐ近くにあったのでした。どうりで。 それならば、むかし住んでいたそのアパートの前を通って帰ろうじゃないかと思いたち、少しだけ遠回りになるのですけれども、道を思い出しながらそちら方面へクルマを走らせてみた。 そしたら、あった、あった。私が名古屋で最初の4年間を過ごしたアパートが。当時は新築だったんですけど、私が引っ越してからもう20年経ちましたから、それなりに貫禄が付いてましたね。 一番上の階、3階のあの部屋に住んでいたんだよなあ・・・。 名古屋に赴任したばかりで、こちらに知人が居るわけでもなく、大学の授業がない週末は、誰とも話さずに3日間を過す、なんてこともざらだった。・・・考えてみれば、老人ホームの個室に籠っているようなもんですな。当時は特に寂しいとも思わなかったですけども、やっぱり内心では寂しかったのかなあ。 その反動で、まだ年齢の近かった学生たちとはよく遊びましたけどね。 その私が4年を過した部屋に、今はどんな人が住んでいるのだろう。ワンルームだったから、今も独り者御用達なんだろうな。 そんなことを思いながら、老人ホームと若年独り者ホームの両方の後味を味わいながら、帰路についた私だったのであります。
September 13, 2016
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いやあ、ネット復活! 実は一昨日からインターネットの具合が悪くて、仕舞いには家にあるすべての機器が、パソコンも iPad も、ネットにつながらなくなり、往生していたのよ。で、先ほど業者さんに来てもらって、問題解決したという次第。まあ、現代生活の便利さというのも、実際にはきわめて脆弱なものでございますなあ・・・。 さてさて、それはともかく、ようやくネットがつながったので、今日はもう早速ブログを書いちゃおうかなと。実は一つ、書きたい話題がありましてね。 それはね、最近家内が買った『必要なのはコスメではなくテクニック』という本のことなんですけど、これ、今割と評判になっていて、売れている本なんですってね。 ま、それはいいのですが、問題はその中身。 さすがに私はメイクには興味がないので(あったらコワいよね・・・)、単に「売れている本ってどんな感じ?」という興味だけでこの本をパラパラめくってみたのですけど、それでビックリしたわけ。 なんと。 なんとこの本、各ページの文章の中で、「ここが重要」というところに、あらかじめマーカーが引いてあるの。 そう、読者がいちいちマーカーを引かなくてもいいように、著者の方で、っていうか出版社の方で、あらかじめ、印刷時点でマーカーが引いてあるのよ。 ビックリしない? え、しない?? 私はビックリよ。いやあ、そういう時代が来たのかと。 だってさ、どこが重要か、どこにマーカーを引くべきか、なんてことは、それぞれの読者に任された作業なんちゃうのん? それ、出版する側が先取りしてやるもんなの? じゃなに、そのうち、例えば中学とか高校とかの教科書なんかでも、「ここが重要、試験に出まーす」っていうような箇所にあらかじめマーカーが引いてあるような、そういう教科書とかが出たりするのかしら? あるいは、文学作品とかでも、「ここ、感動するところだから」みたいな感じで、新刊の時点でマーカーが引いてあるような小説とか、出版されたりするわけ? いやあ、驚くなあ・・・。 まあ、でもそれを言ったら、キンドルで買った本とかも同じか。あれも、読み進めていると、ところどころで「247人の人が、ここにマーカーを引いています」みたいなのが下線と共に出たりするじゃん? とにかく、この種の「マーカー本」が出るということは、それが便利だと思っている読者が沢山居るってことでしょうな。 「本を読む」という作業は、頭を使うから面白いのだと思っていたけれども、なるべく頭を使わなくて済む本の需要があるとなると、読書の定義も変ってくるのかもね。 私のように古本集めが趣味の人間にとって、前の持主が引いたマーカーというのは、その本の価値を激減させる唾棄すべきもので、本にマーカーを引くなんて忌むべき習慣だと思っていたのですけど、最初からマーカーが引いてある本がどんどん出るようになったら、その認識も改めないといけないのかな。 だけど・・・やっぱり、なんか、嫌だなあ! 最初からマーカーが引いてある本って!! バカにされているような気、しない? 「あんたの頭じゃ、どこが重要か分からないだろうから、最初から教えといてやるよ」って言われているみたいで!! あー、やだやだ!!必要なのはコスメではなくテクニック [ 長井かおり ]価格:1620円(税込、送料無料) (2016/9/12時点)
September 12, 2016
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WOWOWでやっていたのを録画しておいた『アントマン』を観ましたので、心覚えをつけておきましょう。以下、ネタバレ注意ということで。 この映画、マーヴェル系アメコミの映画化で、後々『アヴェンジャーズ・シリーズ』に組み込まれる話らしいのですが、いかにもそれっぽい「特殊能力系」でございます。 ストーリーをかいつまんで説明すると、あるところにハンク・ピムという天才サイエンティストがおりまして、原子間の距離を縮める薬品みたいなのを発明したと。原子間の距離が縮まるので、その薬品を使えば人間も縮まって、アリ・サイズになることができる(もっと小さくなることもできる)。でも、元のパワーは維持できるらしいんですな。だから、もしこれを兵器として応用すれば、ミクロ・サイズの兵隊=アントマンを作り出すことができるわけで、実際、ピム博士は、自らアントマンとなり、シールズ内で活躍し、地球の平和に貢献していたこともあった。ところが、同じくアントマン(アントウーマン?)として共にシールズで働いていた妻を失ってから、博士は自らの発明の危険性を理解し、発明を封印していた。 しかしピム博士の子飼いの弟子であったダレン・クロス博士は、ピム博士が隠し続けていた発明に気づき、自らも試行錯誤しながら独自開発をして、アントマンを兵器として売りさばこうとするわけ。 で、それに気づいたピム博士は、クロス博士の邪悪な野望を打ち砕くべく、年老いた自分の代わりにアントマンになってくれる男をリクルートしようとする。 で、博士の目にとまったのがスコット。彼は科学に強く、正義感も強いのですが、その正義感ゆえに、自分の勤めていた会社の不正を許せず、その会社の秘密を盗み出し、怪盗ねずみ小僧よろしく、会社が不正に金を巻き上げた市民にその金を返すということをやってのけるんです。もっともその咎で、スコットは刑務所入りすることとなり、結婚生活も破たん、かわいい娘とも離れ離れということになってしまう。 で、ピム博士は、絶対侵入不可と思われた会社に忍び込み、見事秘密を盗み出したスコットのテクニックに惚れ、以後彼のことをずっと監視し、色々テストをした挙句、最終的に彼をアントマンに仕立てることにするんですな。で、スコットも、前科者ゆえまともな社会生活を営めない立場であったこともあり、ピム博士の提案に同意し、博士の娘さんであるホープから猛特訓を受けてアントマンとしての訓練を積むと。 さてさて、かくしてアントマンとなったスコットは、様々なアリたちをテレパシーで操りながら、クロス博士の野望を打ち砕くことはできるのでしょうか? ってな話。 で、この映画に対する私の評価点は・・・・ 「79点」でーす! 合格! ま、娯楽映画よ。だから、色々ストーリーに無理があって、例えばピム博士はシールズに在籍していたのに、その技術はシールズ内部に公開されなかったのか? とか、どうして娘さんのホープに、母親の死の秘密を打ち明けなかったのか? とか、ホープをクロス博士の秘書にする必要はあったのか? とか、クロス博士はどうしてホープが最終的に父親の味方につくだろうと予測しなかったのか? とか、おかしなことはたくさんある。 だけど、その辺は目をつぶろう。娯楽映画なんだから。 で、そこに目をつぶってしまえば、スコットの活躍を支えるスコットのダメダメな友人たちの見事な活躍ぶりとか、その友人たちの描き方に工夫があって、かなりほのぼのと楽しい。 というわけで、ワタクシ的には案外面白い映画でした。パッと観て、わははと笑って、それでおしまい、というようなものとして、そういうのがお好きな方にはおすすめしちゃいましょうかね。アントマン MovieNEX【Blu-ray】 [ ポール・ラッド ]価格:3888円(税込、送料無料) (2016/9/11時点)
September 11, 2016
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先週、かなりヘビーだったお仕事を一つ片づけて大分身軽になった私。まあ、心身共に疲れてしまったので、四、五日というものはグロッギーだったのですが、ようやくその疲れも少し抜けてきました。 で、ふと気づいたのですけれど、そう言えば私、もう一つ頼まれ仕事があったのでした。来月の1週目の終わりに、勤務先大学内の英文学会で研究発表を頼まれていたのだった。すっかり忘れていたよ。 文学系の大学ってたいていどこもそうだと思うのですけど、大学院生が修士論文を書くのをバックアップするため、修士論文の中間発表会を兼ねた学会を持っているわけ。で、そういう性格のものですから、基本、その年度に修士論文を仕上げる予定の院生に研究発表をさせるわけですけれども、それだけだとちょっと寂しいということで、過去の修了生や、指導する側の教員にも研究発表させるんです。要するに、内輪の学会ですな。 で、その学会での発表を頼まれていたのを思い出したと。そういや、今から15年くらい前にも一回、ここで発表したことがあったなあ・・・。もう大分昔のことなので、それすらも忘れていましたが。 ま、内輪の学会なので、通常の学会ほどの緊張感をもって準備するものではないのですけど、そうは言っても発表すると約束した以上、それなりの準備はしないと、会を回している修了生たちにも申し訳ない。一か月先の話ではありますが、そろそろ準備しとこうか・・・。 そう思って、今日は、発表原稿を書き始めたわけ。 そうしたら、どうよ。ガンガン書けるじゃない。ついこの間まで苦労して書いていた原稿がベースにあるものだから、それを敷衍した話なんかいくらでも書ける。 やっぱりね、苦労は他人のためならずよ。苦労したらした分、自分に見返りがあるもんです。 ってなわけで、午後からがーーーーーっと書き始めて、夕食前までに一気に書き上げちゃった。書いた分量はジャスト1万字。400字詰め原稿用紙で25枚。ま、30分少々の発表時間だと少し多いけど、こんなもんでしょ。 ということで、あっという間に学会発表の原稿(のベース)が書きあがってしまって、我ながら感心、感心。今日はもうお仕事は無しにして、夕食後は本でも読みながらリラックスして過ごそうかな。
September 10, 2016
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谷本真由美著『キャリアポルノは人生の無駄だ』という本を読みましたので、心覚えを付けておきましょう。 この本、標題だけ読むと何のことか分かりませんが、世に大量に出回る自己啓発本の批判の本ですね。「キャリアポルノ」というのは著者・谷本氏の造語で、自分が食べたものをネットに上げて「おいしかった〜」などと触れ回る、ああいうのを「フードポルノ」と呼ぶのにちなんで、「私はこういう方法で巨額の財産を築いた」的なことを述べている自己啓発本を「キャリアポルノ」と名づけたわけ。 で、自己啓発本研究者としては、谷本さんがどういう風に自己啓発本を批判しているのか興味があって、読み始めたわけですけれども。 で、読んでみた感想ですけれども、うーん、この本、自己啓発本それ自体の批判部分っていうのはほんの一部ですな。しかも、自己啓発本には色々な系統がある、ということは認めるけれども、そういう多種多様な自己啓発本を全部ひっくるめて「ポルノ」と切り捨てている。 むしろ谷本さんが批判するのは、そういうポルノを読んでいる読者ですな。その批判の仕方は相当にえげつなくて、自己啓発本なんか読んでいる連中は、ろくに字も読めない自堕落な連中だから、活字が大きく、ページも空白だらけの自己啓発本を読むんだろうと。それに、そういう本を読んだところで、自分では何の努力もしないで、自分も自己啓発本の著者みたいな成功者になりたいと夢想しているだけの連中だと。そもそも、自分と自己啓発本の著者では才能の差がありすぎることも自覚していないと。 で、そこから谷本さんの批判は、日本社会そのものに移ります。 谷本さんは、アメリカに留学し、イタリアだかイギリスだかの国際的な組織で働いた経験がある。で、そういうところでの経験を通じ、ご自身を含め、日本人がいかに働き過ぎか、「仕事」に自分の全エネルギーを投入し過ぎて、仕事を離れた人生というものを想定すら出来ない状況にあるか、ということを痛感した。 で、あんまり仕事し過ぎて、体も壊す寸前。なのに、まだ努力が足りないとばかり、自己啓発本を読んで、無理にも自分を叱咤激励している。そういう日本人のあほらしいまでの仕事一途ぶりに気づいた谷本さんは、はたと悟りを開いたわけですな。イタリア人とかを見習って、もっとテキトーに生きればいいじゃないかと。 ま、この本はそういう「日本人働き過ぎだよ、もっと楽に生きようよ」ということを主張した本でありました。 ということで、私が当初期待したような意味での自己啓発本自体の批判本ではなかったので、ちょっとアレですけれども、全体の趣旨としては、一理はある。確かに日本人は働き過ぎですからね。 ただし、じゃあ、日本もイタリアみたいになればいいのかっていうと、それはそれで困るよね。谷本さんはイタリア社会のテキトーさを「良いもの」として割と単純に評価してますけど、いやあ、日本みたいにあらゆるものがきちっとした社会に慣れた身でイタリア社会に行ったら、結構キツいと思いますよ。 そういう意味で、あまりにもシンプルな、外国はいい、日本はダメ、という谷本さんの単純過ぎる評価基準に対して、ちょっと疑問って感じ。 それから、あれだけ口を極めて自己啓発本を罵った挙げ句、本書の最後で、「こうやれば、もっと効率よく働ける」というノウハウを伝授しているところもね。どうなのかなと。あんただって自己啓発本と同じことしてんじゃん、っていう。 だけど、それよりも何よりも、この本を読んでいて気になるのは、文章の書き方ですかね。簡単に言えば、下品なのよ。 たとえばこういう文章: いずれにしろ、こんな恥ずかしい本は、家族や宅配便のお兄さんや来客にみられてしまったら私なら自殺したい衝動に駆られますから、お色気本のようにベッドの下や、本棚の下に隠しておくことが定番です。TENGAやラブドールといっしょに隠しておくものなのです。本棚に堂々と入れている人は相当勇気があるか、何も感じない単細胞で、「俺はおふくろの前でも自家発電して平気だ!」という羞恥心が欠如した方と同じなのです。(30ページ) 仕事だけに「自己実現」を求めることは、働く人だけではなく、職場にとっても不幸なのです。そもそも、何をもって「自己実現」とするかは人それぞれです。 例えば、あるお花屋さんには3人の従業員がいます。デスメタルバンドのベーシスとであるソドム君(本名不明)にとっては、ギグ(ライブ)でベースを弾いて「腐った豚」と叫びながら奴隷の装束の人のお尻を舞台の上で蹴りとばすことが自己表現する方法であり、「自己実現」なのです。(163ページ) 太っていても、やせていても、中肉中背でも、親が同性愛者でも、妹が刑務所に入っていても、貧しい田舎町出身でも、時給800円の仕事をして生計を立てていても、それらすべてが自分をつくっているものであり、恥ずかしく思う理由も、卑下する理由もないのです。それらは変えることが不可能だし、変える必要もないのです。(200ページ) どう? 私はこういう文章を読んで楽しくならないし、痛快だとも思わないですね。ギャグのセンスとして見たとしても、かーなーりー低レベルなのではないかと。 文は人なり、と言いますから、こういう文章を読まされると、著者がどういう人柄の人かというのは大体想像がつくし、そうなると、そういう人が書いたこの本自体、何だか下品な気がしちゃって。そもそも『キャリアポルノは人生の無駄だ』という本書のタイトルからして、やっぱりこういう感じの人が付けるタイトルだよな、という気がしてきますし。 ということで、私は仕事の必要上、読みましたし、その点ではえげつなく利用させていただきますが、一般の方におすすめしたいかっつーと、大きな大きな「否」マーク。教授のおすすめ、は、なーしーよ。キャリアポルノは人生の無駄だ [ 谷本真由美 ]価格:820円(税込、送料無料) (2016/9/9時点)
September 9, 2016
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いやあ、錦織圭選手、今季絶好調でUSオープンの優勝候補とも目されていたアンディ・マレー選手をフルセットの末、見事撃破! 5セットマッチに滅法強い、その強さを存分に発揮した形となりました。今朝一番の朗報に眠気も吹き飛んだという。大したもんだねえ。 さてさて、今日は教育実習の挨拶回りで、愛知県内の小学校を2校ほど回って、校長先生にご挨拶をして参りました。 ところで県内の小学校といっても、色々ありましてね。今日伺った小学校でも、片方は「うちは素直ないい生徒ばっかりですから、教育実習は楽だと思いますよ」と、楽な方の太鼓判を押していただいたのですが、もう一方の小学校では、「うちは問題の多い子が多いので、相当覚悟して実習に臨むように申し渡しておいてください」とキツイ方の太鼓判を押されちゃった。 で、その問題の多い・・・という方の校長先生のお話しでは、問題行動を示す児童の大半は、明らかに親の愛情不足が感じられると、そうおっしゃっておられましたねえ。 で、そういう子どもって、小学校の高学年になっても、特定の先生に赤ん坊のように甘えたがるんですって。校長先生なんてのはその標的になることが多くて、休み時間に校長室に来て、校長先生の背中に飛びついちゃう。もちろん、ほかの人がそばにいると、そういうことはしないのですが、校長先生と二人きりになると貼りついてしまうんですって。 で、そういう子のバックグラウンドを見ると、たいてい親が忙しすぎて、小さい時から保育園とか、学校が終わってから親が帰宅するまで子どもを預かってくれる施設にずーっと入れられていた子どもなんだそうで。 で、そういう誰かに甘えたくて甘えたくて仕方のない子どもは、校長先生や担任の先生の注意を引いて自分だけ愛情を独占しようとするのですけれども、校長先生も先生方も忙しいし、そうそういつも一人の子供だけかまってあげられるとは限らない。で、そうなると「無視された」と思ってしまって、時に暴れたり、大声を出したりして爆発してしまうというのですな。 で、そういうタイプの子供が中学生になると、表向きはそういう問題行動は収まるのですが、それは学校の先輩が親代わり、先生代わりになるからなんですって。 となると、当然、その「先輩」のクオリティが問題になる。もしその先輩が不良だったら、その寂しがりの子供は立ちどころにその不良グループに属すようになって、そこで一気に生活が変わってしまう。小学校の時まで「いい子」だったはずの子が、中学に入って不良グループに入ったおかげで殺されちゃったりする事件が昨今、相次いでおりますが、そういう事件は氷山の一角で、そうならないまでも、とにかく不良になって人生が狂っちゃうことなんてのはざらにある話だと。 で、校長先生曰く、今、社会では「待機児童問題」ってのがあれこれ取り沙汰されているようだけれども、子供を預かってくれる施設の数が増えればいいという問題ではないのではないかと。 校長先生が長年の経験をもとにおっしゃるには、やはり子供にとって親の代わりになるものはないんですな。だから、親の代わりに子どもを預かる場所さえ作れば、「一億総活躍時代」到来でしょ、っていうのはちょっとおかしい。 だから、待機児童を解消することを目標とするのではなくて、せめて子供が朝家を出る時には親が送り出してあげて、また学校から戻ってきた時にはちゃんと親のどちらかが家に居て迎えてやる、そういう基本的な家庭生活を日本中の子供に提供できた上で、それぞれの家庭の家計が成り立つような社会をつくることを目標にしないといかんのではないかと。 ま、校長先生は私との雑談の中でそんなことをおっしゃっておられましたが、私も同意ですね。もちろん、「それができればいいなんて、最初から分かっていることだ!」と言われたら、そうなんですけれども。でも、やっぱり問題の本質をきっちり押さえておかないと、いつの間にか「待機児童さえ何とかなれば・・・」っていうところにすり替わっちゃうからね。 テレビドラマのセリフじゃないですけど、問題は現場で起こっているわけでありまして、現場の声を政治がもっとしっかり聞かないと、いかんのじゃないかしらと思った今日の私なのでございます。今日は珍しくまじめな話ですみません。
September 8, 2016
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昨日に引き続きおすすめサイトの紹介なんですけど、皆さん、「そにぎりくん」ってご存知? 毎週木曜日に更新されるネット上の漫画なんですけど、これがなかなか面白い。時々プププって笑えるんだよね。 出来不出来があって、時々「?」の週もありますが、それも含めて。 例えば、先々週くらいだったか、なかなかの傑作でした。これこれ! ↓先々週の「そにぎりくん」 ね? なかなかシュールじゃない? ということで、毎週木曜日、これが更新されるのをちょっと楽しみにしている私なのであります。木曜日って、明日じゃん!
September 7, 2016
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最近、私がはまっているネット上のサイトがこれ。ロペライオ・チャンネル。これこれ! ↓ロペライオ・チャンネル これ、高級外車専門の中古ディーラーらしいのですが、そこが売り物の高級車の紹介として試乗をするというもの。 で、1つのクルマにつき大体30分前後の時間をかけて紹介し、試乗するのですけど、これがとてもいい。 クルマ関係のジャーナリストとは異なって、まあ、いわばクルマ好きの男たちが好きなクルマにのって「すげー!」とか言っているわけですけれども、そのインプレッションが、とても好ましいの。ジャーナリストと違って、八方美人的な紹介をする必要もなく、いいところはいい、悪いところは悪いと、一般ユーザーの立場から言ってくれるしね。 ちなみに、川久保さんという人がメインで、この人ともう一人、別な人が乗り込んで、二人で試乗するのですが、この二人の掛け合いがなかなか面白いんですなあ。私的には、川久保&清水ペアのファンなんですが。 ま、試乗するクルマは、ポルシェとか、フェラーリとか、ランボルギーニとか、マセラティとか、ちょっと手が出ない高級車ばかりですけれども、それでもそういうクルマの試乗を見ていると、やっぱりこういうクルマを作っている会社というのは、クルマ好きの心を知っているなと。 たとえば、こういうことを言ってしまうと、多少反社会的かも知れませんが、クルマ好きは必ずしも静かなクルマが好きとは限らない。威勢のいい排気音とかにしびれるクルマ好きというのもいるわけ。で、そういうクルマ好きのために、ここぞと言う時には、パーン! パーン!と、すごい排気音を響かせるようになっていたりするんだなあ、そういう高級車って。その辺、ちゃんとわかっているな、と思わされるところがある。 ま、クルマ好き、それも外車好きに限られるかも知れませんが、そういう人にはたまらないロペライオ・チャンネル、教授の熱烈おすすめ!ということで。
September 6, 2016
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わははーーー! やったーーー! 原稿書き終ったーーーーー! あー、もう、死ぬかと思ったぜ。ようやく終わった。出来? 知るかっ! とにかく、とりあえず終わった。あとは微修正だけ。建物は建てたんだ、あと色塗るくらい簡単だろ? 昨日は4時に寝て、今日は8時に起きて仕上げをして、3時に完成だ。疲れた~! ってなわけで、今日はそこから、明後日誕生日を迎える姪っ子にバースデーカードを書き、それを郵便局に出しに行きがてら、家内とカフェ・デートだよ。原稿から解放されたんだ、ピエール・プレシューズで豪華にお茶とお菓子と行くか? と思ったら、休みだった。月・火休みかよ、渋いな。 仕方ない、じゃあプランBだ。べら珈琲でウィンナー・コーヒーと行くぜ。 ってなわけで、美味しいコーヒーを飲みながら、雑誌など熟読。帰りにメガネ屋さんに寄って家内のメガネを選んだり、CDショップでジャズのCD選んだり、本屋さんで立ち読みしたり、ドーナツ屋さんでドーナツ買ったり。 要するに、自由を謳歌したってわけ。 あー、楽しい。仕事に追われていないって、どうしてこんなに楽しいんだろう。 というわけで、当分は何も書き物したくないし、しなくてもいい身分となって、多幸感に溢れている私なのであります。あー、何して遊ぼう?
September 5, 2016
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昨日も書きましたが、原稿書いていると様々な資料が必要になってくるわけで、もちろん、必要な資料は事前に用意してある・・・というか、そのつもりなのですけれども、私の書斎のように、しっちゃかめっちゃかになっていると、あるはずの資料が出てこない、なんてこともよくある。あれ~、絶対に持っているはずなのに、一体どこに行っちゃったの~、みたいな。 で、今日は福澤諭吉大先生の『学問のすゝめ』の引用をしようと思ったら、それがない。書棚のどこかには紛れ込んでいるのでしょうけれども、どうしても見つからない。 でも、それ、いつ必要なの? 今でしょ。 ということで、締め切り間近で苦しいのに、急いで近所の市立図書館に駆けこんでみた。さすがに福澤諭吉の『学問のすゝめ』を置いてないような図書館ってないだろうと思ったもので。 で、検索したら、あった、あった。5冊くらいあるじゃん。良かった~。 と、思ったら・・・。 そのうち3冊は借り出されてたよ。マジか!? うっそー。何なの、それ? 市民の皆さん、どうしちゃったの? 東野圭吾とかの小説じゃあるまいし、福澤諭吉を借り出す人がそんなにいるの? そんなに学問をすゝめられたいの? 諭吉に? ま、ともかく、閉架になっていた2冊が残っていたから助かったわ。 で、司書の方に書庫に取りに行ってもらったのですけれども、岩波文庫版の『学問のすゝめ』、通常版とワイド版が出てきまして。司書の方は私をチラリとみてワイド版の方を勧めてきた。老眼でしょ、と。 ま、そうだけど。 とにかく、かくなる次第で目出度く活字のでかい『学問のすゝめ』をゲット。これで原稿、書き進められるわー!
September 4, 2016
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なんかもう、毎日毎日、原稿書きに追われ、頭が爆発しそうでございます。 ところで、そんな悪夢の日々の中で、一つ、ものすごく有難く思うことがありまして、それは何かと言いますと、キンドルのこと。そう、電子ブックのキンドルちゃんでございます。 というのはね、原稿書いているじゃん? で、時々、困るのは、ある本の中に別な本のことがチラッと書いてあって、その「チラ」の部分を自分が今書いている文章の中に援用したい、というような場合。 その本が勤務先の図書館にあれば、それを借りればいいわけですけれども、そうそういつも、当該の本が図書館にあるわけもないので、そういう場合は自分で買うしかない。 だけど、買うったって、それが自宅に届くのは何日か先でしょう? それじゃ間に合わないわけ。 そういう時! キンドルが役に立つわけよ。だって、キンドルなら、注文した途端に、自分の端末にその本が届くわけだから。 今回、そんな感じで、何度もキンドルのお世話になりました。 しかもさ、私が必要としていた本が、もう何十年も前に出た本だったりすると、本自体の値段がタダ、なんてこともあるしね。 さらにさらに、引用個所を探し出すのも簡単。ワードを入力してサーチすればいいだけだから。便利~。 だけど。 一つだけ、困ったことがありまして。 それは、キンドルから引用する場合、注はどうなるのかなと。だって、紙の本と違って「ページ」という概念がないじゃん? 普通引用というのは、「○○という本の○○頁にそう書いてありました」って書くものなんだけど、肝心な頁数がないんだから。 その辺、どうなんだろう。シカゴスタイルみたいな論文マニュアルの最新版には、キンドルへの対処法ってもう書いてあるのかしら? 寡聞にして知らないんだけど。 学者の方で、その辺、もしご存じでしたら、教えて下さいな。
September 3, 2016
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今日も論文書き。ずーっと。一日。もういい加減、頭が煮えそう。 2、3時間根詰めて書いて、もうダメだーってなった時、雑誌を読んだり、プリンスの動画見たり、色々ストレス解消法をトライするんですけど、実はもう一つ、気に入っているストレス解消法がありまして。 それはね、「バウンドボールズ」っていうゲームをやること。(ネットで検索するとすぐ出ます) 昔ながらのシンプルなシューティング・ゲームなんですけど、ボールが消える時の「パーン!」っていう音がね、これがいいのよ。 で、段々と勝ち進んでいって、大抵、黄土色のボールが出てくる画面で、負けるんですけど、この間、10分くらいかかるかな。この10分の無心の時間が、ストレス解消にはいいんだなあ。 っていうことで、これから一発バウンドボールズかまして、もうちょい仕事しますかね。
September 2, 2016
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今日、図書館に寄ったら講談社のPR誌『本』の9月号が置いてあったので、一部もらってきました。そしたら、たまたま「学術文庫創刊40周年記念号」でね。 ま、正直、あんまり思い入れのない文庫ですけれども、そうか、40周年か、ってな感じでパラパラ読んでみた。 そしたら「ロングセラー、ベスト10発表!」っていうコーナーがあった。これは興味があったので、どれどれ? という感じで見たのですけれども、一体、講談社学術文庫で一番のロングセラーって何だと思います? 私としてはかなり意外だったのですけど、澤田昭夫さんの『論文の書き方』ね。71刷、33万部ですと。 だけど、もっと意外だったのは、第2位よ。第2位は保坂弘司さんの『レポート・小論文・卒論の書き方』だったの。50刷、28万部ですって。 うーむ、学術文庫といいながら、1位と2位が揃ってハウツー本か・・・。それも、論文の書き方指南本・・・。 ちなみに第3位は夏目漱石の『私の個人主義』、78刷、24万部。これは納得。だって、私も持っているもん。 で、ここからまた意外で、同率3位が『古事記』、5位が『日本書紀(上)』と『五輪書』と、渋いのが続く。『日本書紀』は「下」が7位に入っているし。 ふーん、結局、ハウツーものと古い日本のものが上位を独占するわけね。 それにしても、論文の書き方って、そんなに売れるんだ。そうなんだ。 私も前から、論文の書き方、書いてねって親しい出版社の友人に頼まれてるんですけど、そのままになっておるなあ。そんなに売れるんなら、マジで書いちゃおうかなあ。 でも、その前に目の前の原稿だ。あともう少し、頑張ろう。
September 1, 2016
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