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1)オールド・ボーイカンヌ・特別グランプリ。チェ・ミンスク怪演。日本の漫画がこれほどの映画に。パク・チャヌク恐るべし。復讐3部作か。「親切なクムジャさん」のイ・ヨンエもこんなに怖いのかな。それにしても一作目をなんでこれに(泣)。2)プラダを着た悪魔いい映画です。ただのお洒落セレブものと思ってたけど。メリル・ストリープすばらしい。3)間宮兄弟森田芳光監督の数少ない好きな映画のうちの一つ。4)リトル・ミス・サンシャインこういうかたちのロードムービーは嫌いじゃないです。壊れているようで、最初から誰も破綻していないから、安心して見ていられた。きっと幸せになるんだろうと。けど、予想していたのに、最後は笑えた。主役の末娘。こんなふうに下手くそに演じられる最高に上手い子役って、日本にはあまりいないな。5)男はソレを我慢できない問題外。ふざけてる。もっと下北沢にちゃんと肩入れしていると思ったのに。加工のしかたも学生映画並み。竹中直人って、あまりバリエーション持ってないのかもしれない。6)ジョゼと虎と魚たち犬童一心監督。ところどころ自慰っぽいところもありますが、それもまあ。池上千鶴もそこそこ演技派。しかし、貧弱すぎる胸はやはり悲しい。新井浩文。ほんのちょっとしか出ないのに、かなりのインパクト。「GO!」の頃から注目株。7)カポーティただただ主演のフィリップ・シーモア・ホフマンによる映画(オスカー受賞)。まあ、それだけですね。8)台風クラブなぜ今さら?たまに見たくなる相米監督。ティーン帰り。もちろん当初の感動はなく。9)やわらかい生活拷問です。途中リタイア。やっぱり根っから嫌いなんだな、この女優が。えっと、菊五郎の娘。ほら、富司純子の。ほら、フランス人と結婚した。名前も覚えられないもの。もちろん脚本もひどい。「蒲田は粋のない下町」。ああ、そうですか。10)メゾン・ド・ヒミコ犬童一心。意識せずに2作選んでる。この監督の独特の世界(てほどじゃないけど)、映像はわりと好きですね。海とか空とか乾き気味で。「黄色い涙」も内容はともかく撮り方は悪くなかったし。オダギリジョー、なんていい男。ぜひ渡米して、見せてやってください。でも、何より田中泯。寝ているだけで圧倒的な存在感。これまでの生き様をすべてその肢体にまとっている。美しい。11)善き人のためのソナタこの1本ですべてが報われた。盗聴される作家の最後まで屈託のない率直さと、盗聴する局員の静かに変化する心。そのちょうど真ん中に立ち深く苦悩する恋人と。主役のヴィースラー(この俳優は54歳で亡くなったそうです)の少しずつ開放されていく魂のさまが、その表情にも日々の営みにもまったく見せずに、けれど、観る者には深く強く刻まれる。ソナタ、です。12)年末に見た「4分間のピアニスト」もそうだった。ドイツ映画には音楽が流れている。文字通り音楽が。その深淵に。13)音楽といえば、北フランスにも。年初に見た「題名のない子守唄」。全編を走り抜ける緊迫感と底に漂う深い愛と哀しみ。それをみごとにつなぎ紡ぐモリコーネの音楽。ありがとう、ジュゼッペ・トルナトーレ。ありがとう、若葉町シネマ・ジャック。
2008.02.17
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「もやしもん」を見そびれてしまった。通常時間の番組があまりに物寂しく、深夜帯に逃げ込んだら、これがかなり面白いもんで、ずっと電力浪費していたんだけど、このところさすがにこっちも疲弊気味。ハリ系も苦戦しているようだし(印象のみ)。思えば、あの「のだめ」の頃が最高だった。え?24?プリズンブレイクも?きゃ、やだー、迷っちゃうぅ~、なんて、寝不足も厭わぬ充実の視聴タイム。そういえば、「もやしもん」の後の「コマネチ大学」がエミー賞にノミネートされましたね。腹いせに、懸命に見てたけど、それをネタにするでもなく、最後にちょこっと年末特番の宣伝してた。まったくたけしらしい。ていうか力の差?こんだけ注目されれば、通常ゴールデンタイム行き。愛する深夜番組が、どんだけその憂き目にあったか。それが頑として動かないんだから、なんらかの力が強硬に働いているとしか思えない。待て、じゃ、「ダイバスター」も?そりゃ眠いです。でも、眠さを押して、というか、眠いときはさておき、折々見逃して悔いながら、毎週楽しみにする。それが深夜帯の奥義。頑張ってほしい。タモリさん(安泰)、じゅんちゃん(非嫡出子の父)、さまぁーず(東海大高輪)、そしてピーター・バラカン(日本人妻)、なんて。それにしてもエミー賞、大したもんだな。ノーベル賞かミシュランか。恐ろしい諜報力。審査員も寝不足?いや時差的には昼間か。いや、同時間に放映されてるわけないか。誰だ?推したの。まさか、たけし本人?(笑)
2007.11.23
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「パンズ・ラビリンス」。あまり予備知識もなく。スペイン映画は「海を飛ぶ夢」以来。1940年代のスペイン内戦後のフランコ将軍圧政下。この時代のスペインといえば、キャパの撮る世界。物語は主人公の女の子の妄想というか空想というか、まさに迷宮での試練を中心に進む。それとほぼ同等に、軍部とゲリラの戦闘が展開するんだけど、後半はむしろそっちのほうがいよいよ凄まじくなっていって、主人公に課せられた3つの試練というのがどんなものだったか、合間うやむやになってしまうくらい。指輪もないし、仲間もいないし、ホウキにも乗らないし、赤い靴もない。まして、木陰で眠る夢でもない。ああいった類のファンタジーを予想したら、みごとに裏切られる。だって結末に達成感とか安堵感というのは一切ないわけだから。いや、安堵感はあるか。その後の、彼女が生きていくはずの世界が、さらに悪くなるであろうと予測できるだけに。大それた志があるでもなく(出足ここは千と千尋と一緒)、現実と幻想をなんの違和もなく行き来して、しかも最後は自己の意志をみごとに表明し、彼女は迷宮を抜け出して、別の国の王女として、しっかり着地する。十分に残酷で切なく救われがたい映画なのに、確かに不思議な安堵感がある。こういう映画をこういう手法で描くわけか。CGを駆使しながら、胸のすく爽快感も、破壊的な開放感もなく、むしろ狭く深く内面に分け入っていく。ハリウッドで同じものをつくったら、ああはいかないだろう。作品の性格上、あまりうまく説明できないんだけど、いい映画です。同級生と見に行ったんだけど、一人より共有できる人がいると安心できる。大人の心にズシンと重い、けれど見終わって、決して不快でなく、むしろ心地よい焦燥感みたいなものが襲ってくる。そういう意味ではファンタジーかも。
2007.10.29
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10月14日(日)京橋の警察博物館前で10時半に待ち合わせ。東京駅から歩くと、日曜日の八重洲界隈は、それはそれは爽やか。人がいないから。主催にたずねる。「今日はどのあたりを歩くんですか?」「一丁目から八丁目まで」ずっと銀座だぁー。京橋の橋桁を模した交番前の、歌舞伎発祥の碑。初代団十郎のが彫ってある。その真裏の簡易椅子に、ホームレスの方の私物が。本人不在だったけど、失礼ながらどことなく持ち物に品がある。銀座だから(思い込み)。一番目は一丁目のマロニエ並木を丸の内方面に向かった途中の幸稲荷。二番目は銀座通り沿い2丁目の越後屋ビル屋上にあるんだけど、ビル工事中で行方知れず。どっかに遷座してるはずだけど、捜すまい。松屋の先の薬屋(があったはずの)角を曲がって、三番目の朝日稲荷神社。ここから早くもはずれるはずれる。この一角がブラジルビルで、もとコーヒー屋があったところ。銀ブラという言葉は、もとは「銀座のブラジルに行く」という意味だったそう。今はビルだけブラジル、中はスターバックスとサンマルクカフェ。その近所で青空市をやってて、紀州梅干のアンケートやら静岡有機茶の試飲やらに引っかかるわけです。一日が終わらない危機感に襲われたオジサンたちは、向かいの牛乳屋「クレムリ」に入って、ソフトクリーム。うまいっす。牛乳そのもの。四番目は三越の屋上の銀座出世地蔵尊。可愛い祠とでかい地蔵。四丁目を数寄屋橋方面に折れて、並木通りに入ったら五番目の子育て稲荷。もうみんな今さらだけど。住所を見ると、カメラ屋のレモンのところなんだけど、何もない。店の人に聞いても知っちゃいない。裏に回ったら、これも工事の足場に囲まれて、なんか切ない。銀座のお稲荷さんたちは、みんなちょい気の毒。腹減りました。歩行者天国もかなり立て込んできたけど、こういうとき踏ん切りがつかない年代の人々。よっしゃ、あと2件だしッ。六番目のあづま稲荷がようやく銀座のお稲荷さんぽく風情がある。銀座の稲荷がどんなか知らないなりに。七番目は松坂屋の屋上です。かく護稲荷って雨冠に鶴と書くんだけど、意味は不明。鶴なのか?けど、いわれはやっぱり白狐だし。そういや、七福神と中央区教育委員会のお墨付きですが、ぜんぶお稲荷さん。お稲荷さん席巻。やっぱり土地柄か?何より商売繁盛か。2時半も回って、七丁目まで歩いて、ようやく昼ごはん。天国は日曜日にランチがなく、ちょっと戻って吉宗へ。こんなガラ空きの吉宗は初めて。皿うどんと茶碗蒸しのセットとビールでシメ。帰りに資生堂本社ビルでやっている「スクリーンでみる銀座」展。今はなき並木座の資料を中心に展示。昔の役者は絵も文も何でもこなす粋人ばかり。もちろん監督も。わが身を業界に引き込んだきっかけといっていい「花椿」の表紙のバックナンバーがずらっと並んでいて懐かしかった。最後に煎茶専門店で性懲りもなく馬鹿話して解散。6時間で10706歩(少なッ)のお散歩でした。
2007.10.27
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世田谷パブリックシアター「ロマンス」。井上ひさし書下ろしのこまつ座&シスカンパニー公演。井上&栗山民也コンビだから、安心して鑑賞&満足。チェーホフの創作者としての生涯を描いている。それがかなり面白い構成で、青年期から晩年までのチェーホフを4人が演じ分けるんだけど、登場人物はこの4人を含め、わずか6人。一人につき各場面で少なくとも4役以上を演じるわけ。キャストもなかなか。木場勝己、段田安則、生瀬勝久、大竹しのぶ、松たか子、そして、若手ミュージカル俳優の注目株井上芳雄(芸大出)。しのぶは例によって、チェーホフの妻のオリガ役でたか子よりうんと年下(!)をやるかと思えば、貧しい農奴の婆さんをずうずうしく演じ切って、イヤになるくらいうまい。藤山直美ばり(この数日前、明治座で観たもんだから)。松たか子は、チェーホフの妹のマリヤ役で、生涯ほぼ一本化。この人は、案外いまの演劇界にはだいじかもしれない。こういう場合に。ほかの手練がくるくる演じ分けるとき、わりかし安定して軸をつくれる。個人的には好きじゃないけど、やっぱり血は争えない感じ。そして、男たちの、まあ、楽しそうなこと。 井上さんの本は、本当に言葉がきれいで(ロシア語ではない)、説得力があって、しかも端的で力強い。場面場面で言うべきことがきっちりと、バリバリ自然体で散りばめられている。言葉にムダがないから、演出にも無理がない。もちろん歌アリだけど、それもまったく邪魔にならない(てことはミュージカルじゃない)。テーマの根底が、「チェーホフはボードヴィルを書いたつもり」というものだから(怒ってるよー、スタニスラフスキーにもモスクワ芸術座にも)、人生のペーソスっていうか、バカバカしさっていうか、そんなのが根幹になっていて、井上さんの世界とまさにリンクしている。「かもめ」だの「桜の園」だの「三人姉妹」だのの馴染みのあるセリフも、あ、なんだ、そういう意味だったのか、と、井上さんの言葉で知らされる。物心ついてから、ほぼ初めてふつうの芝居(四季でも東宝でも松竹でもなく)を見る娘には、ちょうどよかったかもしれない。けど、前に見た栗山さんの「桜の園」も確かに雰囲気劇だったな。役者も本もどうなるんだかわからないワクワクを期待するのも、それなりにギャンブルっぽくていいんだけど、本も演出も役者も揃っている芝居の安心感には代えがたいものがある。でもって、見たあと、その役割がきっちり果たされるというのが、なんとも心地よい安堵感。あー、よかった。また行こう、と次につづく。まぁ、前の週に見た明治座の「妻をめとらば」もね、それなりに安心感はあります。こちらは意外性皆無の豪華な顔ぶれ。ていうか、主に香川照之と直美なんだけど。脚本がマキノノゾミで、多少、別の期待もあったけど、もう、明治座にあってしかるべきアドリブ連発。型通りのままのクスクス笑い。座長にならって役者も脱力の楽しみ。ま、親孝行観劇ってことで。
2007.08.14
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阿久悠さんが亡くなった。ガンも患っていたし、70歳といっても、そのことに驚きはなかった。けど、かなりショックだった。ちょうど、先週土曜日、古くからのライター仲間と飲んでいて、そんな話が出たんだった。なぜ、小説を書かないのかについて。小学校の頃までは小説家になりたいと思っていたんだけれど、CMの衝撃を受けて。けっきょく、何が面白かったかというと、枷(カセ)なんだよね。クライアントがいる、商品がある、それを受け止めるユーザーがいる、そのカセ。ただオレの世界(オレじゃねぇけど)を、オレの言葉で知らしめること(押し付けること?)に、あまり魅力を感じなかった。何かを売りたい人がいて、その旨味を伝えるために、時代の空気を含んだ言葉を探す。見つかって、届いて、それがちゃんと消費に結びついて。あー、いい時代だった。おいしい生活。阿久さんがまさにそうで、あの人は、広告畑の人。歌い手がいて、メロディがあって、時代のほしがる空気があって、それに応える言葉が自分の中から湧き上がって、ピタッと世界がハマる。それ以上の至福はないと思う。何よりも好きなのが、言葉と人だから。作詞家というよりPです。いまの自分の十八番は「津軽海峡冬景色」。その前置きでいつも語るのが、「阿久悠の弟子から薫陶を受けた弟子の弟子」。函館のスナックで歌ってた人が、阿久悠の関係していたカラオケ教室の先生(作詞とは無関係)から教わったという理由(ウソじゃないけどホントでもない)。どうにもツボなのが2番の「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと…」以降。けっきょく自分も、阿久さんの術にハマったわけだけど。最初の出会いは「時の過ぎ行くままに」だった。多感な受験生の頃。高田馬場の珈琲館でいつも流れていた。つながるのはフラスコみたいなコーヒーフロート、ピーマン玉ネギソーセージ入りのナポリタン、ジュリーと長谷川和彦と桃井かおりとショーケンと神代さん。いまだにコテツの散歩のとき(泣)、月明かりが暗いと口をついて出た。「あなたはすっかり疲れてしまい生きてることさえいやだと泣いた。壊れたピアノで思い出の曲片手で弾いては溜め息ついた」「身体の傷なら治せるけれど心の傷みは癒せはしない。小指に食い込む指輪を見つめあなたは昔を思って泣いた」。けっきょくこれが自分の原点だと思う。阿久さんは、美しい日本語を投げかけて、つねに時代に問い続ける。「狙い撃ち」も「サウスポー」も、高校野球の応援の定番になっている。私のいまのもう一つの十八番は「舟唄」だ。大好きな歌詞でも、歌わずに鼻息だけですごくウケる。一滴も飲めないくせに「時代おくれ」を作った彼の気持ちが、腹立たしいほど理解できる。一つの言葉にしがみついて、それが誰の心にもポトンと落ちるために、血道を上げて三千世界を築くクセ。言葉を慈しむこと。言葉なしに伝えること。二つのことを教えてくれた恩師を、同時に失った。この先何をしろというんだろう。
2007.08.08
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映画「キサラギ」。これは面白いぞ。大当たりです。このテのワンシチュエーションドラマというか、密室劇みたいなもの(12人の怒れる男とか優しい日本人とか?)は、元来好きなほうなんですけど、これも非常にいい出来の部類に入る。いや、内容的にはそれほど奇抜じゃないのかもしれない。あるD級アイドルが自殺して、その一周忌に5人のファンが集まって追悼するという話。登場人物はこの5人だけ。アイドルの如月ミキちゃんの顔も最後まで明かされない。最初は、5人が初めて会う段取りも比較的ありきたりで、セリフもぎくしゃくして、大丈夫か?ずっとこんなか?と疑ったけど、だんだんノッてきて、最後はもう…(感)。結末は言えないけど、数々の伏線がたたみかけるように明らかにされて…(><)。それで、ああ、あの前段のぎくしゃくも狙いだったんだと気づくわけ。佐藤祐市、この監督あんまり知らないんだけど、まぁー、役者を煽る煽る。ノセ方が抜群にうまい。テレビの人らしい。本人が一番ウケてるんだね、だから役者たちもすごく楽しそうだ。実際、アップした後も5人で毎週のように集まってるらしい。一人のアイドルをめぐる男たち。何か役柄と別のシンパシーが生まれるのかしら。とにかく、どんどん関係性が濃密になっていくわけだから。小栗くん、小出くん、ユースケ、塚地、香川さん、まあ、キャストもうまくハマったもんだ。とくに小栗くん、狂言回し役というか、いい位置につけている。こいつ絶対コメディいける。皆、頑張ってほしい。
2007.07.07
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シアタートラム NODA MAP「THE BEE」。久々の野田演劇。激烈なスクリプト&構成はそのままに、昔より(って昔すぎだけど)ぐっと成熟し、深化している。登場人物は4人だけ。野田、浅野和之はじめ手練が一人何役も掛け持ち、めまぐるしく配役をシフトさせながらすすむ。平凡なサラリーマンが、脱獄犯に妻と子供を人質にとられ、逆に犯人の妻子を人質に取って立てこもるという話。どんどん壊れていって、最後はかなり悲惨で、もう身もフタもないんだけど、見終わったあとは不思議に穏やかな気分。とにかく役の受け渡し方が絶妙なんだ。早い早い、そして潔い。キビキビしているのに、決してガサツじゃない。そりゃ役者は汗だくなんだけど、くるくるとリズミカルに、あくまで優雅に役割を変えていく。ギラギラして、どこかサラッとした肌触りもある。見るほうもそこそこ大人であることを要求されるわけだけど、むしろ、こういうものを率直に観ることができるようになった自分にちょっと酔いしれてしまったりする。しかしくたびれた。1時間あまりの上演が、ギュギュッと凝縮もので、一時も目を離せない、息もつけないんだもの。まぁ心地よい疲労感てやつですけど。ロンドン公演も好評だったらしい。そりゃそうでしょ。英国人ってきっと、繊細な下劣って好きだもの。下品の極限の中の高貴さ。そういえば、新しい伊右衛門のCMにも出てるな、野田秀樹。こんなものつくって、あんな涼しい顔。大変妖しく好ましく進化している。いやぁ、うれしいです。同世代として。日本バージョンは9日までで、12日からロンドンバージョン。サラリーマン役だった野田が、こんどは脱獄犯の妻のストリッパー。こっちもちょっと見てみたい。字幕だけど。
2007.07.05
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大河ドラマ「風林火山」が面白くなってきた。信玄なんて大して興味がないんだけど、時代的にかなり身近だし、とにかく脚本がよくできてる。歴史の大枠の流れがあって、けっきょくそれは、人間の場当たり的な思いつきとか、そのとき発揮される土壇場の力とか、その能力の格差とか、人と人の信頼関係とか駆け引きだとか、そういうある意味普遍的なことの積み重ねがその流れを束ねているんだということを納得させる。「うーん、そうだったんか。やっぱりなー」みたいな感じ。物語性といえばそういうことなんだけど、騙されてもいいくらいの説得力。アーカイブスのフィルムセンターで遊んでいるとき、なんで大河が好きなんだろうという話になって、まあ、子供の頃はほとんど家の習慣で見ていたようなものなんだけど、やっぱり全国の人たちが掛け値なく見ているわけだから、少なくとも手を抜いてないというのがわかるんだよね。総力結集、てほどではないだろうけど、脚本とか意匠とか衣裳とかにも「見ていただくんだ」という意識が働いている。一時期迷走したこともあったけど、ここへきていい意味の開き直りが出て、とりあげるテーマも共感できるものを極力選んでいる。新撰組とか義経とか一豊の妻とか(すみません、武蔵は…)。あとキャストですね。歴史モノなので人の出入りが激しくて、主役陣はともかく一回こっきりの出演というケースも多い。その中で、ほんの1シーンでも釘付けにさせるような力量の役者を、よくまあ見つけてくるんだ。「あれ、これ誰?」と思うんだけど、なにしろ1シーンだから追いかけることもできず、ずっと後になって、どこかの劇団の芝居で知ったりする。要するに、ギャラが少ないから、でかい事務所の名の売れたタレントばかり使ってられないわけで、たぶん役柄に合った人間を見つけようと、スタッフも必死なんだと思う。演じるほうも故郷に錦を飾るってことで、力の入れようはハンパじゃない。全国放送だもの。「母ちゃん、ちゃんとやってるぞー」って感じ。確かにちゃんとやってる。お笑いだって、ちゃんとやってる。モチベーション高い。民放ドラマにはそれがない。この壊滅的な事態をみると、もうね。涙が出ますよ。デジタルなんかにする前に、局数減らして淘汰してほしい。どっち見てる?けっきょくスポンサー見てるんだよね。同じような顔揃えて、同じようなテーマで、たった1コのセリフなりエピソードなりをこねくりこねくり、気がついたら11回。本人たちはこんなものを面白いと思って作ってるんでしょうか。これじゃ、TKの打ち込み音楽と同じ。最近はバラエティすらNHKがヘンなことになっていて、身動きとれない。そういえば日曜はアーカイブスで、笠智衆の「今朝の秋」。秀逸。加賀美さんの語りも秀逸。大河のナレーションにつづいて癒される。とはいえ、多少は気になっている連ドラもある。CX「わたしたちの教科書」の菅野美穂の動向。日テレ「セクシーボイスアンドロボ」の大後寿々花。これについては後日。「時効警察」はやけくそで終わってしまった(涙)。って、偏ってるのはこっちか。それから、NHKにお願い。HPの人物相関図を定期的に書き換えてくれませんか。タイトルバックじゃ年寄りは追いきれません。新撰組なんか、後半ほとんど死んでたぞ。これだけは民放に軍配。「華麗なる一族」も、それだけは素晴らしかった。
2007.06.12
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「せか中」再放送が、また始まった。月~水の25:59~(おそっ)。何度もいうけど、これほどていねいに作られたドラマは、ここ何年も見たことがないと思う。第4回のキーワードは「あの世」。アキとサクが無人島で一夜を明かすとき、アキはもう自分が尋常でない病気だということを薄々わかっていて、後ろを向いたままサクにたずねる。「あの世って信じる?」。サクはバリバリ夢見ぃだけど、アキは現実派なので、信じない。「あの世っていうのは、残された人が願ってつくったもの」。こんなふうに、毎回毎回、たたみかけるように伏線が敷かれていく。ほかのアイテムもセリフも、みんなそうだ。ラストに向けて周到に置かれた布石が、どんなに小さくても後で必ず光を放つようにできている。たとえば、サクの父親(高橋克美)が、薄毛の頭をブラシでポンポン叩きながら「それって生えるの?」とサクに聞かれて、「失われたものは戻らない。だから、残されたものに頑張ってもらわないとな」と答えるとか。いやギャグじゃなく。いや、こんときはギャグだけど。とにかく真っ向勝負なんだ。これでもかっつうくらいに直球勝負。それが臭くない。臭さすれすれのところで、バシッと入る。生きることと死ぬこと。若さと成熟、血のつながり、生まれること、愛すること。普遍的な問いをばらまいて、見る者を置き去りにしながら、着実に前へ進んでいく。いまはまだ二人とも青春真っ只中で、まさかそれがアキの死に向かっているとは思っていないわけだけど。最初見たときはとにかくわからなくって、いや、お約束だとわかってたんだけど、いくらなんでも着地点が疑わしくて、「どうするつもりだ」という感じだった。何度も見るうち多少安定して追うことができるようになったけど、それがまた考える要素をかえって増幅させる。見る側にこれほど投げかけの多いドラマも珍しい。だからこそ何度でも味わえる。見るたびに新しい発見がある。登場人物たちは一人残らず各々の実人生を生きていて、互いにかなり濃密に向き合っている。その分、こっちが受け取る情報量は少ないんだけれど、それがむしろ置き換えを可能にさせる。誰の想いにも寄り添えるわけです。役者たちも、演出の強固な意志に応えてるから偉い。残された者の喪失感って、それぞれすごく多様でしょう。大きさも違うし、深さも違う。それをドラマは、それぞれのかたちに則して丁寧にすくい上げる。誰かの心の空洞を埋めることで、自己を癒すことができる。己れの誠実さに驚いて、また救われる。これは再生と成長の物語だ。昔はあったのかもしれない。だからドラマ好きになったはずなんだ。けど、こっちが未熟だったから、おそらく取り逃がした部分も多くて、気づいたときには肝心のドラマのほうがしょうもない方向へ行っていて、取り返しがつかなくなっている。このトシで、こんなドラマの見方を初めて知った。堤さんも、行定さんも、頼むからドラマを見捨てないでほしい。今クールを見ても悲惨だもの。ゴールデンは散々でマシな番組は深夜に集中。おまけにせか中じゃ、ますます寝不足。あと「プリズンブレイク」も困りますから。
2007.06.06
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『黄色い涙』。ちょっと期待が大きすぎたかな。いえ、嵐の問題ではなく。最も影響を受けやすい時期に見たもんだから。NHK銀河テレビ小説。犬童監督もそうらしい。いきさつを見ると、何を撮りたいか聞かれて、昔見た『黄色い涙』と監督が答えて、決定したとか。あれ?でもって、脚本は市川森一に再度依頼。これも、ん?だ。市川さんは以前、何かで「フィルムがNHKの火事で焼けちゃった」とか話していたことがある。ちゃんとこの耳で聞いた。いくら再放送を依頼してもダメだったのはそのせいかと思っていたけど、先日アーカイブスに行って、残ってることを知った。視聴可能ドラマのリストにも載っている。まあ、いろいろあったから。作品の質はもちろんだけど、いろんな意味を含めて「伝説の…」とか「幻の…」とかつくドラマだったし。勢い、思い入れも強くなる。で、映画です。いや、やっぱり問題は嵐なのかなあ。仲が良すぎるんだ。5人仲いいの知ってるから、それが違和感になる。その証拠に、一人ひとりの演技はそれなりなんだ。主役のニノはもちろんウマイし、秀逸は大野。役柄が素でいけるのか(画家志望、昔は下條アトムだった)、これは買いです。翔くんも賢くまとめている。だけだけど。ま、相葉と潤くんは問題外。5人てことで、確かにうまく役柄は埋められた。それなりにキャラクター合ってるし。本当は4人だけど、松本潤たぶんドラマで忙しく、初作にないポストをうまく作れたし。けど、これは本来、あまりよく知らない人間たちが集まって、ひと夏の間、イライラしながら己の才能あるいは未来の有り無しを問い直しつつ、このときでしか創れない友情を育むっていう物語でしょう。目指すものは違っても、お互いにありがちな対抗心とかはメラメラもってるし、それを莫大にカバーするほどの思いやりも、お互いにもっている。何を共感したかというと、それなんだよね。うっとうしいけど身を寄せ合わずにいられない。自分の奥の大嫌いな、切り捨てたい部分を、互いの内に探り当てながら、それがどうにも愛おしく、手放せない。でも、いずれ手放さなきゃならないことを知っている。青春との決別を、相手になすりつけたり、自分で覚悟を決めたり、右往左往しながら現実に向かっていく、そのプロセスが、この物語の核なんだと思う。だから、4人は愛し合っているけれど、どこかよそよそしくなくちゃいけない。互いの手の内を全部明かしたら負け、みたいな緊張感が、馴れ合いの中に醸成されなくちゃならない。漫画家として志を貫いたのは村岡(原作の永島慎二さんその人)だけで、ニノはさすがに、その意味をよく理解していたと思う。ピンでの演技は大したものだ。だけど、4人集まると、けっきょく本当の馴れ合いになっちゃうんだよね。白々しいというか。最初から知り尽くした仲間同士じゃ、知り合っていく新味もないから、どこにも進めない。だから観るほうもしらけて最後まで行き着けずに消化不良。やっぱり嵐じゃ荷が重かった。あー残念。こういう話には、役者本人の生き様も重要。森本レオもいろいろあったみたいだけど、彼以外にあり得なかったし、小説家志望役の岸部シローも、めちゃくちゃ軽薄な無頼なのに、ギリギリまで切れ味鋭くて。だから、青臭い詩もすんなり届く。翔くんも形だけはできてたんだけど。思うに、犬童監督、途中で嫌になっちゃったんじゃないか。あ、オレ、間違えちゃったかも、って。そのくらい精彩を欠く。昭和39年のセットもそれなりによくできてたけど、一番カギになる季節描写も締まりがないし、食堂のトキちゃん(児島みゆき!)の描き方だってオザナリだし(香椎由宇ちゃんも上手)、一つ一つに思い入れが感じられない。ジャニーズ負けしたのかな。平等扱いに気をとられてどっちつかず。後悔ありありだな。どうしてくれる。それとも、この程度なのか?「眉山」も見る気ないけど。そして、市川さんはハナから嫌々。販促にも出ないし。もうちょっと経過を知りたくなるな。初めに何ありきだったんだろう。持ちかけたのは誰か、ジャニーさんか?「犬童さんに、映画撮ってもらいましょう」で、「黄色い涙」か。少なくとも「黄色い涙を嵐で」じゃないだろう。予告編は「西遊記」がガチャガチャうるさかったし、なんだって?カンヌで「ギフト」?「ヒーロー」?「YOUたち、今年は映画よ」てか?あー、気持ち悪い。許せんな。
2007.05.24
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ちょい間が空いたので、恒例の春の邦画ビデオ鑑賞週間。青春ものを中心に偏りなく(十分偏っている)、2週間(正味5日)で豪華11本立て!1)「夜のピクニック」前半は「おやおや」でしたが、徐々によくなって、最後はそれなりに。まあ、ゴールがラストなわけだから。脇の若いもんがいいね。とくに貫地谷かほり、スイングガールズ以来。いや一押しです。CMは向いとらんけどな。西原亜紀(こっちでも和菓子屋の娘、花男つながりで)に大きく水を開ける。女優道とともに素のセンスも磨いてほしい。いつもながら原作が優れている場合につきまとう虚脱感。とくにこの話は見た目ただ高校生が延々歩くだけで、内面描写は言葉に頼る。そうなると新人の二人には荷が重い。関係性が難しいだけに。ただラストに向けてぐんぐん彼らが成長していくのを見るのは微笑ましい。ま、プチロードムービーってことで。2)「チルソクの夏」佐々部監督ですし、安心して観られました。どこかしら空気が「フラガール」にも通じる。こっちは港ですが。下関と釜山って近いんだな。上野樹里すでに大物の予感。しかし、なぜ大人になった主人公郁子に高樹澪。そして大人になった樹里ちゃんに谷川真理(ま、本物のアスリートってことで)。3)「アイデン&ティティー」途中で一瞬やめようかと思ったが、最終的には満足。峯田和洋かわいいなー。まだお尻出して謹慎する前。「おー、もっと悩め悩め」と大人のドSをかき立てる。大森南朋の脱力ぶりもいい。でも、何より麻生久美子ちゃんのお姉さまぶりが。4)「インファナル・アフェア」口直しのイイ男たち。トニー・レオンが死んじゃった。5)「ピクニックの準備」おまけ。原作のエピソードを拾ったつもり。6)「インファナル・アフェア2」若い時分の二人。年寄りには見分けがつかない。ウォン警視役のアンソニー・ウォンっていい役者だな。日本じゃ人気出ない顔だけど。7)「亀は意外と速く泳ぐ」期待通り爆発的に面白い。今シリーズの目玉という地位は保障された。三木聡ワールド全開だな。樹里ちゃんと蒼井優ちゃんのゴールデンコンビ、いずれどこかで復活してほしい。個人的には、ふせえりの商店街アナウンスと要潤のハゲヅラに拍手。要は沢村一樹とともに、新機軸を築きつつある。もこみちも早く気づいて追随してほしい。8)「インファナル・アフェア3」アンディ・ラウの横顔に見入る。そのままずっとアゴとがらせててね。9)「イン・ザ・プール」やはり三木氏といえども原作負けして期待ほどではないものの、それなりのメンバーが揃って、それなりに楽しめた。松尾スズキあんまり楽しんでない。マジメな人なんだな。オダギリジョーもはや何の役をやっても秀逸。そして、了さんとふせえりの圧倒的名コンビ。見るだけで顔がゆるむ。「時効警察2」が楽しみだ。10)「お父さんのバックドロップ」お約束なのに泣ける。宇梶熱演の一言。そしてチャンバラトリオのリーダー南方英二。正月だけしか会えないのは寂しいくらいのうまさ。隣の焼肉屋の南果歩は、「GO」の大竹しのぶに匹敵する母ちゃんぶり。「夜ピク」では主人公の未婚の母役だった。この人はなんでもできる。謙の嫁に納めとくのはもったいない。けど、やっぱりもったいないのは中島らも。11)「リンダ・リンダ・リンダ」最後の最後にダークホース。今期はコレかも知れない。ものすごく粗い出来なんですけど、惹かれる。結局こういうのが好きなんだな。学生映画みたいなのが、昔から。若いだけの、それだけで持ってかれる。こういう映画に出た人は、大人になっても誇りにしてほしい。松山ケンイチくん、小出恵介くん。香椎由宇ちゃんも、これが地なのかもしれんから、海外留学でリセットしてきてください。主役のベ・ドゥナがとにかく味わい深い。というわけで、いずれも遜色なしの充実のラインナップ。われながらいい選出であった(自画自賛)。間に香港ものを配したのも、いい具合に効果を上げた。そして、日本映画最大の安心材料はステレオタイプのキャスティング。田山涼成の先生、嶋田久作の体育教師と刑事、伊武雅刀の警部、加えて甲本雅浩の教師、温水洋一の散髪屋、三上寛の居酒屋オヤジなんかもあったりして、その強固なありがち感が幸福を誘う。DVDになって初の実施でしたが(遅ッ)、かさばらないし、操作はラクだし、第一巻き戻し不要なのがいい(って今頃)。で、今回学習したのが、激変したTSUTAYAのタナの物色法。このテを見つけるには目線を恐ろしく下げ、ほとんど床に這いつくばって探す。そして、カウンターには中身だけを持っていくんですねー。知らなかった。
2007.04.14
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「千の風になって」。誰だっけ、歌ってるの。秋川…?ずっと以前から、詩だけ知っていて、かなり感激した覚えがあるんですけど。はっきり言って、初めて聴いたのは、去年の紅白。いや、歌になったとかなんとかいう話は、確かにどこかで聞いていた。しかし、まさかそれほど(紅白に出るほど?)売れているとは。聴いたときはのけぞりましたね。「な、なんじゃこりゃぁ」(by ジーパン)。理由ははっきりしなかったんだけどね、そのときは。けど、その後何度も聴くハメになって、しかもそのたび、娘が「冗談だろ」とつぶやくに及んで、ようやくわかってきたのは、要するに、心がないのね、彼の歌には。何かのインタビュー記事でちらっと読んだんだけど、彼はもともと、クラシック畑の人間ではないんですね。いや、そうなんだけど(国立音大出?)、国内で踏ん張ってだんだん認められたわけでもなく、海外でいきなり大きめの賞を取ったわけでもなく、学校出てまもなく国外活動して、自分なり(自分なり)の実績をあげてきたクチ。つまり、煮詰まりきってないわけです。自分が何者かもわからず、まあ、わかろうともしないうちに、ちょっと別口へ逸れて、けど逸れた先でもどっぷりとは入りそびれて、マズイものだけ軽く背負って帰ってくる。根拠なき自信つうのか、人とは違うぞ感つうか。残念ながら、その満々な感じが前面に出ている。歌いっぷりに。謙虚さがないというか、たまたま巡り合わせでこの歌に出会ったのに、オレのためにこの歌がある、オレこそがふさわしいっていう勘違い臭に満ち満ちて、それが、歌詞の中身をみごとに伝わらなくしてしまうわけ。けど、売れてるんですよね。たぶん、かなり年配の方々に、じゃないかな。実際、先日立ち会った葬儀で、延々BGMでこの曲が流れているのを聴いて、一つも違和感なかったもの。それどころか、「あ、こういうところで聴くならいいのか」と納得した。エンドレスでも耳障りじゃないのね、心がないから。直立不動とか、藤島一郎とか、赤いリンゴとか、そういうことに慣れている人たちにとってみたら、わりとスンナリなのかもしれない。ま、彼のことはいいや。けど、この歌がとりあえず、葬送行進曲とかアメージンググレースとかに代わって、いいポジションを見つけたのは確か。ただ、この歌詞、坊さん的にはどうだろう。千の風になってて、お墓にいないわけでしょう。まずくないか?檀家いらずってことで。
2007.03.25
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CX「東京タワー」、やっと終わりましたね。もこみちもホッとしたことでしょう。昼間の再放送を何回か見たけど、想像以上に、もこみち気の毒だった。荷が重すぎる。ホント、かわいそう。誰だ、そんな目にあわすのは。いろいろできて役者、たとえば、自分からものすごく離れた役もできなきゃいかんといわれても、そりゃ限度がある。自分にまったくない、かけらもないのに、それを強いるのはいくらなんでも酷だ。原作読んでないんだけど(すいません)、東京タワーの彼(雅也)っていうのは、あの時代の何人かに一人がもっていた「手ブラでも生きられる」男のモデルなわけでしょう。何も持たなくても皆が寄ってくる、手助けせずにはおかない、そいつのそばにいると何か起きそうで、どうにも離れられないというような、天性の魅力。本人は気づいてないけど、醸し出す空気とか、おバカに生きてる毎日そのものに、ワクワクさせられる、カリスマ性ちゅうんですか。ま、早い話が「俺たちの旅」のコースケですね。それが、もこみちにはない。皆無。味がしない。立ってるだけ。棒立ち。だから、そいつの周りに集まる連中も、一つも魅力がない。そういう場面でも、「あー、また行くとこないから固まってんな」ぐらいな話。興味が湧かないんですね。残念な話。そこがまさに物語のキモなのに(って、読んでもないのに)。これは、もこみちのせいではない。明らかなキャスティングミス。2時間ドラマの大泉洋は地方の劇団もってるわけだし、その辺の匂いはとりあえずあった(田中裕子秀逸)。映画のほうはわからんけど、まあ、オダギリジョーには映画組の強みもある。希林さんもたぶんソツなくおかん(おばん?)をやってくれるんだろう。なのに、連ドラに前髪切ったもこみち。何を思って?ただの火遊び?意図が読めん。倍賞美津子も最初っから病気っぽかったし。あ、それから、あの勘違いのコブクロの歌もですね。第一筑豊弁。開眼以前に大きな壁つくってどうする。本人も「難しかった」といってたけど、もうそれだけで頭いっぱいという感じ。演技以前の問題に足とられて、演技どころか役作りまでたどり着けない。最後はもう自分が何やってるかもわかんなくなってただろう。ただ演出家のいわれるままに素通り状態。虐待とかネグレストで、あまりに過酷な状況に置かれた人間が無表情になってしまう、あれに近い。突っ込みようがないもの。例のNG大賞みたいな番組でも、話振られて何も答えられない。壊れる寸前。むごい仕打ちだ。もこみちってだけで笑いとれてた頃がよかった。これからどうなっていくんだろう。何かの拍子に抜けても、身長だけじゃ阿部ちゃんみたいにはいかないだろうし。名前つながりで加勢大周路線というのはどうか。フロムA。って余計なお世話。いや、本人気づいてないだけに、このままいくかもしれない。ちやほやされて、すぐ忘れちゃって。今日び男も女も扱い同じだからな。そういやハセキョー、また主役だって話じゃないですか。こんどは悪女って、え? ま、相手が伊藤英明だから、底辺コンビってことで。節穴なドラマ作りはつづく。迷走するTBS。あ、月9も迷走か。
2007.03.21
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BS2「お宝TVデラックス」。途中で気づいて間に合った。「北の国から」。本家のCXよりずっとしみじみする造り。杉田監督と田中邦衛の対談で、黒板五郎が雪に埋もれたシーン(壮絶でした)の撮影秘話。五郎さんが弱るまでカメラ止めてたって話を初めて聞いて、邦衛さん思わず「ぁ~ぁ~ぁぁぁぁぁ~ぁ…」。過酷な話だよねぇ。子供だとて容赦ない当時の演出に、純か蛍の台本の裏には「倉本、杉田、死ね死ね」と書いてあったとか。けど、それがあったから残ってる。ってことで、「前略」じゃない「拝啓、父上様」。セリフは、そりゃ、ヘンですよ。いまどきそうは言わんだろ。思わず「倉本さーん」と最初突っ込みたくなったけど、すぐに気にならなくなる。なにしろ世界ががっちりしてるからね。その描き出す世界が。揺るぎない世界が。その揺るぎない世界で、役者は各々の本領を最上級に発揮する。気持ちいいだろうなー。自分の質の良さが示されるわけだから。メインはもとよりキャスティングがとにかく絶妙(註:とんねるずのタカさんが、「小林薫さんじゃなくオレに」と言ってたシャク半さん役(前略の室田日出男位置)は松重さんの間違いです)。関ジャニに入る前から着目してた横山くんも、アホなヤンキーがあれほど秀逸にハマるとは想像以上だったし。あそこまで、時代へのアンチテーゼを、シナリオで表現できるのは、やっぱりすごいな。しかもTVで。文句なく敬服する。いや、そうやって、その意志を押し通す力を業界内で維持し続けることが。そして、圧倒的な表現力で、有無をいわさず、その現実と虚構のぐっちょり交じり合った物語を実現してみせるテレビマンとしての誇り高さが。「優しい時間」では、ちょい心配したけど。八千草薫にあんなセリフ言わせないだろー、ふつう。もちろん、梅宮辰夫にはそれを望まないし。何より、きっちり懸命にこなす高島礼子の健気さは前略の桃井海ちゃんだ。期待に応える役者を鍛え、応えられない役者には敢えて強いない潔さ。ニノも相当頑張ってるぞ。自分の価値を知らずに、誠心誠意、一平に寄り添っている。ただ、困ったときに首をフルフル振るのは、ありゃジャニーズ系の演技グセか。中居もやってたけど。ジャニーズ系といえば、「華麗」ですね。って、何も言うことないけど。何が原因かわかった。いや、最初からわかってたんだけど、「スマステ」で山崎豊子さん本人が言ってたもんで、改めて気づいて暗澹としたわけ。主役を鉄平にしたからなんだよね。それがすべての原因。最終回の最後で、お棺に入ってる主役(拓ちゃん、生きる気満々です)をたまたま見て、あー、こんなにちっちゃくまとめちゃって、としみじみ(30分枠拡大によるミス)。あれは万俵大介が主役だから、息子死なしても涙流して生きてく、その先のスケールが約束されるわけでしょう。息子死んで(しかも自分で)、親父涙流して反省して、取り返しがつかなくて、終わり。そりゃ取り返しつかないよねー。前もあったな。「砂の器」。あれの場合は最後まで引っ張られたけど、最後の最後に和賀の親父が殺人鬼。へなへなですわ。あれも中居くんか。ゴリ押しあらすじ設定変更、主役逆転。ジャニーズどんだけ力あるんだ。押し通す改ざん力。そりゃないだろ、みんな知ってる大作に。
2007.03.19
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テレビをつけたまま日常作業中、突然、素っ頓狂な声が耳に飛び込んできた。「わタシゎ、まンピョウてッぺーのッマでスっ」(女子学生の携帯風=ダメか)。 でも、こんな感じ。友人のピアノ教師にいわせると、なんとも音痴な物言い。ハセキョーかぁ。またヤラれた。ていうか、まだ。大河の細川ガラシャにつづき、性懲りもないキャストミスの渦中につねに存在する。ずっといくのかな、己を知らないままに、女優で(自分でいってたもの、「お芝居が…」とか。えっ?芝居?してる?)。ミスキャストといえば、「華麗なる一族」。そのすべてが、まあ、そうですね。先週の放送の、北海道だかどこだかの狩猟シーン。大平原の小さな小さな小粒の二人(ギバちゃんのニッカポッカー)。突進してきたウリ坊のおもちゃにバーンッて。なんとも…。実は、第一回しか見てなかったんです。その一回の失望感を持て余しちゃって。まずヤラれたのは音楽。どーでもいいシーンに大それた音響。げっ、何ですか、それは、どこへ持ってく気ですか?役者のセリフにかぶるかぶる。半ばヤケクソみたいに。そりゃ、皆、カツゼツ悪いんだけど、聞こえないじゃん。あ、聞かせたくないのか?もう、最後のほうは、話の展開なんかそっちのけで、膨満感に襲われ沈没。服部さん、どうしたんだろう。使い方が「お水の花道」と一緒。ていうか、楽曲に一つも魅力がないから、ただ胸焼け。いったい何人にあ~あ~歌わせてるんだろう。何を目指して?仕事したくないのか?いやあ、久しぶりに辟易しました。ドラマ音楽ってものに。で、先週です。ちゃんと見ている人もいるようなので、もう一度挑戦してみました。音楽は、ちょっと遠慮気味になってた。音も小ぶり。どっかからクレームがついたのかな。その分、キムタクががなってた。つねに怒鳴る。一本調子の怒髪天(髪型も)。苦悩しないで怒ってばかり。何しゃべっても、「ちょ、待てよ」にしか聞こえない。北小路欣也も顔ばかりがでかい。まあ、もともと下手っぴですし。その上、よくまあ揃えたデクばかり。見かけだけで選んだのかな。けど、何もハセキョー、山田優、そしてミスドの相武紗希。完全にセットに負けている。いったい何が足りないんだろう、脚本か?衣装か?髪型か?原田美枝子も脱力しすぎ。仲村トオルたるやテレ朝と寸分違わぬ演技。まあ、唯一の救いは京香のバストでしょうか。それだって、小川真由美の迫力に負けてる。あー、あのときのキャストが懐かしい。山村聡、座っただけで万俵大介、久我美子いるだけできれい、柏木由紀子切ない。そして、鉄平は加山雄三。やっぱ育ち?こればかりはどうにも。山崎豊子さんはどう見る?もう、見てないか。同じ70年代のリメイクでも、CXの「白い巨塔」のほうが、まだよかったような気がする。唐沢くん頑張ってたし。あっちはまだしも、無理ないか?ドラマのTBS。いえ、決して木村くんが頑張ってないとはいってない。むしろ頑張りすぎだ。力入れすぎて、品性が見えてしまうというか。オレ、キムタク、オレの演じる鉄平、「ちょ、待てよ」。あー、本当に嫌いなんだな。すでに顔見るだけで苦痛。しかし、山田洋次さんも絶賛していたことだし、そこをなんとか克服したいところなんだけど(て勝手に)。苦しいけど行ってみるか、「武士の一分」。いえ、笹野さん見に(て、また)。
2007.02.11
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久々のテレ評。といっても、今クールのドラマで本腰見はないんですけど(前クールもそうだったから助かりました)。見落としてガッカリするのは「相棒」ぐらいかな。いや、かなり挑戦的です。もう主役そっちのけで脚本にかけてる。1時間でワイドに挑戦。内容濃いぞ、頑張れテレ朝。けど、遠山の健さんはないだろー、今さら。そういや、けっこう気にしてるのは日テレの「ぼくの魔法使い」再放送。クドカンファミリー総出演。楽しめるなー。誰も彼も好きなようにやってる。おかまいなし。第一、涼子と古田新太が入れ替わるってのはないだろー。この無理やりが、もうたまらん。伊藤英明、そうとういいな。オンタイムでは切れ切れにしか見てなかったんだけど、確か、この後、「白い巨塔」と「海猿」に続いたんだっけ。ここでゲン落とししたのか。口角の上がり具合がバカっぽくてなんとも。もこみちもかなり。新人の本名出演。名前でウケ取れた頃。こっちのほうがいいと思う。どこにでもいる、存在感ゼロの二枚目。東京タワーは荷が重すぎるだろう、やっぱり。映画はオダギリだし。で、涼子ちゃんです(米倉ではない篠原)。彼女が生きるのはやはり日テレだと思う。「光」の時代から。これもできるし、あれもできるわけだ。女優だな。どうとでもしてくれ感が、なんとも潔くて頼もしい。そこが同じ涼子でも違うところだ。米倉はどうしてもやってのけられない。悪女やってても「これは本当の私じゃないの」オーラを発してしまう。気配消しても実の米倉。ギクシャク感が際立ってしまう。どうしても武蔵のときのでくの通から抜けられない。いえ、こっちの問題。とはいえ「ハケンの品格」はまともに見てないんですけどね。第1回見たらもういいかなと。どうなんでしょうか、置きどころがあまりもハマりすぎて、お話も一話完結で進歩なしのような。小さな事件が涼子の機転できっちり解決、加藤あい一安心みたいな。どこか歪みがあってもいい。涼子ちゃんなんだから。クドカンまでは望まないけど。それとも、何かあるんかな。孝太郎ご乱心とか。いや、ないな。キャスティングに新味がなくて、どうしても「その時歴史が動いた」に動いてしまう。しかし、日テレはホント、ドラマの再放送に脱力している。平気でぶっ飛ぶし。日陰者扱い。もう少し自社のドラマを自負していい。で、あの、例の他局のキャスティングについては次回。日曜日のBSゴールデングローブ賞。ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソン、それからウォーレン・ビーティ。懐かしかった。1962年がキーワードになってたな。ほぼ同じ時期のデビュー。お世話になりました。
2007.02.07
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松金よね子、岡本麗、田岡美也子の3人による、グループる・ばる20周年記念公演「八百屋のお告げ」(鈴木聡作・鈴木裕美/自転車キンクリート演出)。面白かった! 共感、痛感、共鳴の嵐。る・ばるのことは、つい最近知ったのだけど、すっかりハマっている。去年の「片づけたい女たち」(永井愛 作・演出)なんかもう…。高校時代からの仲良し3人組の一人が、近所で占いがよく当たると評判の八百屋から、今夜の12時に死ぬと告げられる。松金演じる熟年離婚して一人暮らしの多佳子の家を舞台にしたシチュエーションドラマ。56歳という同級生の年齢設定も、三様の境遇も、なんだか身につまされる感じ。いつものように、3女優の達者ぶり。アドリブなんだか脚本通りなんだか、丁々発止の絶妙なやりとりに笑いっぱなし。その上、ゲストの男3人が、なんというか、大小緩急取り混ぜた超アンバランスのチームワークで。布団吸引機のセールスマン(加納幸和/花組芝居)、同じお告げを受けた宅配マン(井之上隆志)、3人の憧れの君の息子(佐藤二朗/ガタイもでかいが声もでかい)。クセがあるんだかないんだか。落ちては拾う、投げてはつかむ、上がったトスは時間差攻撃、さんざんジラして空振りサーブ。芝居っていうのは、本当に楽しくやるものなんだなあ。爆笑しながら考えさせられる。ばかばかしいのに、意表を突いて深い。上っ面をスルーしているようで、まったくブレない。テーマはズバリ、エロスとタナトス。おかしくて、やがて切ない、大人たちのジタバタワールド。高校時代の同級生4人組のうち、最後に大台を迎えた友人を誕生祝いで招んだんだけど、彼女は隣で最初から泣いてました(!)。「まるで私たちみたい…」とかなんとか(笑)。死ぬときは一人。だからせめてそれまでは、抱きしめ合って生きていこう、ね。
2006.11.20
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岩波ホール「紙屋悦子の青春」。「父と暮らせば」につづく黒木和雄監督の、いわゆる戦争レクイエムものの最終編。公開直前に監督が急死して、これが遺作になってしまった。序盤は、病院の屋上での老夫婦のたわいもない会話が延々つづく。九州弁(下手です)が懐かしくて私はそこそこ楽しめたけど。主演の原田知世と永瀬正敏がメイクしている。いささか無理があるのはしかたないんだ。そこから昔に飛ぶから。昭和20年に。二人と、特攻で死んでしまった青年の、ほんの数日間の話。静かな物語。悦子の家の中だけの、ほぼ会話だけですすむ、動きのない、淡々とした、むしろその静けさが、戦中に生きる人たちの哀しみとか、空しさとか、強さを際立たせる。死んだのは空挺部隊の彼と、あらかじめ3月の東京空襲で亡くなっている彼女の両親だけ。その欠落を、小林薫と本上まなみ兄夫婦の軽妙なやり取りや、配給の小豆でつくったおはぎや、亡き父親の出張土産の静岡茶がそっと埋めていく。黒木監督にはATGでお世話になった。「竜馬暗殺」「祭の準備」で、10代のフニャフニャな心に容赦なく鉄拳をくらわせた、その人の遺作。研ぎ澄まされた創作欲が、戦争を描くたびに透明になっていき、ここに行き着いた。巨匠の境地。監督、これで終わりにしてよかった?最後まで言い切れたかな。その晩、娘が映画評論の課題で「プライベート・ライアン」のビデオを借りてきた。3度目なのに釘付け。すさまじい前半の戦闘シーンに改めて息を呑む。こっちはスピルバーグ、言い切った。というか、頼むからもうこれ以上言わないでください、という感じ。終わりにしてほしい。そのくらいの描き切り方。二つの映画。考えてみれば、同じ時代を描いている。日米両極の表現形態だけれど、共通して突きつけてくるのは、生き残った者の生きる意味。
2006.10.23
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嬬恋ライブ。つい先週のことなのに、はるか昔のよう。でも、なんだかまだ、ちゃんとは社会復帰していない。日を追って鮮やかになるのは、拓郎のこと。確かに、かぐや姫は懐かしくて、メロディも美しい。ほとんどぜんぶ一緒に歌える。こうせつのMCは最高に楽しいし、演出も、曲構成もみごとで、ちゃんと盛り上がる。「あー、こんなにいっぱい、いい曲があったんだ」と今さらながら感心することしきり。何より楽しませ方を心得てるから、すべてがソツなくまとまって、ピタッとハマって、こっちはそれに乗っかっていけばいい、ただただ満足。それにひきかえ、拓郎はねー。天邪鬼、へそ曲がり、本人が言うとおり、ことごとく人を裏切ってくれる。なにしろ曲想が似ているから、イントロだけじゃわからない。こっちも全曲覚え切れないから、聴きながら「あれかなー、これかなー」と想いをめぐらし、けっきょく「あー、違った。知らない曲だ」。そんなのの連続。また本人もそれを楽しんでるふうでもある。終盤で「あー、ではみんなが一番好きな曲を」って、じゃあ、知っててそうでもない曲やってたんか?『春だったね』『落陽』とつづけて、花火がバンバン上がって、もうこっちがうるうる涙しているのに「ほんっとに、みんなこれが好きなんだねぇ」なんて、それ見てうれしそうに感心している。でもって、次はもう新しい曲だ。うれしくて飛び上がって歌ったすぐあとに、首かしげて座り込む。もうクタクタで、拓郎そうでもない組(つまりかぐや姫ファンのほう)はブーイングだ。あれやってくれない、これもやんないのかって、休憩のたんびにブツブツ言ってる。実際、「夏休み」も「祭りのあと」もない。もちろん「旅の宿」もない。「結婚しようよ」って、誰の曲?けどね、それを繰り返すうちに、こっちはだんだんと思い出してくる。じーっと固まって、リズムもとりそびれて、耳だけを澄ませているうちに、じわじわと拓郎の世界が押し寄せてくる。ああ、これだったんだ。ずっと想い、焦がれていたのは。自分の中の、何年も見ていないコアな部分。奥の奥にしまい込んで、忘れたふりをしていた、青くてざらざらして、がさがさして痛ましい、そして、とてつもなく愛おしい、ちっぽけで愚かな自分をギュッと抱きしめる。まだまだだよね、いけるよね。全身で聴きながら、必死にそう問いかけている。だいたいね、「ハゲに白髪に、中年太り」って、よく考えればいたぶってるだけの、まとまりのないMCに、へらへら笑いながらウケている。知ってる曲に歓喜して、知らない曲にしょんぼりして、それでも、出てくるだけで顔がゆるむ。冷静にみればかなりおかしい。拓郎ファンはみんなMだな。後で聞いたら、小田和正も、イルカも、松山千春も来てたって。ゲストはかまやつさんと中島みゆきだけだったけど。拓郎は、曲を勝手に変えたがるし、本当は「ファイト」をデュエットするはずだったのに、自分一人で歌うと言い張って、瀬尾さんと大ゲンカしたんだそうで、裏方はてんやわんや、かぐや姫のスタッフ(もちろんこうせつファン)は頭にきていたそうな。エンディングに、本当は、アンコールの「神田川」を歌ったかぐや姫が呼びかけて、ついでに客席のアーティストも引き上げられて、かまやつさんはもちろんそのつもりで裏で待機していたし、そこへ拓郎が出てきて「人間なんて」を大合唱の大団円、という目論見があったらしい。道理で、せっかく残してた「神田川」は確かに浮きまくってMCも一切なかったところをみると、こうせつはカンカンだった模様。とってつけた拓郎のアンコールは、ほとんど知る人もない「聖なる場所に祝福を」で、締めるはずもなく雰囲気的には、残念な感じ?けど、もしその大団円が実現したとして、その輪の中に拓郎はいるかしらん。真っ先に逃げ出すような気がする。こっちだって、そんなもん照れくさくて直視できないかもしれない。みんなと一緒のステージで、「人間なんて」を合唱している彼を、どうにも想像できないもの。きっと、いちばん、あの場所にいたくなかったのは、拓郎なんだろうな。3万5千人の前で歌う自分を、どうにも受け入れがたくて、ここはオレの居場所じゃないって言い聞かせて、逃げ出したいのを我慢して、やり遂げたことにも、ちっとも満足できなくて、いたたまれない気持ちになっている。さんざんわがまま言って、悪態ついて、でも誰よりもそれを後悔してしょんぼりしているのも彼なんだ。きっと、おカンムリのこうせつも、ほかの人たちも、そのことはよくわかってくれると思う。あまりにも幸福な時間だったから、むしろ少し後ろめたさが残っていたりする。拓郎は、あの場所にはもういないんだよね。とっくに先へすすんじゃったか、後ずさっているのか、ともかくもうここにはいない。だから好きなんだってことを、改めて思い知らされた。今までもそうだったのに、うっかり忘れるところだった。早く自分も手放さなきゃ。でも、まだ、もうちょっとだけ味わわせて。
2006.09.30
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「せか中」再放送最終回。また見てしまった。本当によくできたドラマだな、と思う。主人公のサクとアキはもちろん、すべての登場人物たちが、みごとに各々の人生を生きていて、それぞれ真摯に彼ら二人と向き合い、自分の人生と照らし、置き換え、再び自分自身を生きようとする。役なのに役を超えて。他人事ではないくらいの入り込み方。少なくともそう思わせる。彼らは、サクとアキの人生をともに生きている。生きるとは何か、死ぬとは何か。若さとは、親族とは、生まれること、愛すること。すべてを問いかけ、答えを出さず、観客を置き去りにする。映画的にはそれも許されるけれど、そうはいかないから、ギリギリのところで鷲掴む。少なくともテレビ的には完結させないと。そういう制作側のやけくそな意図を、役者は全面的に受け止める。それもこれも、仕上がりに対する絶大な自信と、そこに至る微細なシナリオ構成があるからだ。残された者の喪失感って、それぞれすごく多様でしょう。大きさも違うし、深さも違う。それをドラマは、それぞれのかたちに則して丁寧にすくい上げる。誰かの心の空洞を埋めることで、自己を癒すことができる。己れの誠実さに驚いて、また救われる。これは再生と成長の物語だ。これほどのドラマには、なかなか巡り合えない。というか、なんでこんなドラマができるのに、つまらないドラマしかないんだろう。そういや制作は堤幸彦で、脚本に行定勲。頼むからテレビも見捨てないでね。
2006.09.15
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盗んだパンティ2500枚。しかも、畳に敷き詰め、その上に布団を敷いて寝る。う~~む。わからんなぁ、横浜市の46歳会社員。何を思って2500枚。しかもその上に布団を敷いて寝る(しつこい)。女の人に話しかけられなかったと供述しているらしいが、それが理由になるのか、2500枚の。並大抵の量じゃないぞ(しつこい)。いろいろリサーチしてみるけど、男は一様に「オレに聞くな」と言う。だって、少なくとも性別同じなんだから。女はいちおう分析を図る。「女性の所有物への憧れ」「征服感を味わいたいのでは」「単なる変態」。ま、それはそうなんだけど。それにしても、2500枚。そんだけ集める情熱あったら、別のことに注げばいいのに。無理なのか?と思っていたら、聞けば入手先がコインランドリーというじゃないの。そりゃないだろう。入れ食いか?置き網漁業か?漁夫の利ってやつ?これ邪道だろう。やるなら堂々と一本釣り。身の危険を冒しても、敢えて上る物干し台。それこそ正しい男の花道。って、正道も邪道もないか、下着泥棒に。待てよ。コインランドリーで入れ食いとなると、持ち主の素性問わずってこと?年齢とか性別(?)とか既婚未婚、使用期間の関係なしに、ただパンツならいいってか?それもすごいな。はき手知らず。邪道を超えて恥知らず。いや、もしかして、その辺のキャリアは積んでいるのかもしれない。コインランドリーからごっそり。それを瞬時にパッパッと選り分ける手腕。そのくらいの鍛錬はできているはずだ。なにせ2500枚だもの。20代の消費期限を熟知し、40代なら勝負パンツすらはじく、研ぎ澄まされた選択眼。そのへん本人に聞いてみたいものだ。何を基準に2500枚。って、何いってんだかなあ。
2006.09.03
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キンキーブーツ」期待通り。というか、いい具合の裏切られ感。実話らしい。英国ノーサンプトンの代々つづく靴工場が潰れそうになり、後を継いだ社長が一転、ドラッグクイーン御用達のブーツ生産に打って出るというお話。ただのカマ映画かと思ったら、これが深い。イギリスの映画は、出だしが重いというか、たいてい挫折から始まるという印象がある。逆境っつうほどでもないんだけど、いろんなものを最初から背負っていて、逡巡しながら、それが徐々にほぐれていく。けど、外見上、物語の表面上の進行では、あまり目立たないんだよね。また、爆発的に解決するわけでもない。気候のせいなんだろうか。雲間から一筋の光が…。これもそう。テーマは「乗り越える」かな。外面はめちゃくちゃイッてるのに、内面はスタンダード。主人公の二人(しょうがなく相続した工場長とロンドンのSOHOに君臨するドラッグクイーンのローザ)は、父親を乗り越えなきゃならない(あ、また)。ほかにもジェンダーとかゲイへの偏見とかいろいろ。ありがちなイギリス人のキャラがちょくちょく絶妙に配してあって、そのバランスがいい。力みがない。主要キャストもひっくるめて、皆チャーミング。前評判では「フルモンティー」と比較されているみたいだけど、そうかな。ずっと品がいいと思う。これはひとえにローザ役のキウェテル・イジョフォー(よく知りません)の力。バリバリのドレス姿も歌も強烈だけど、お下劣にならない。トゥーマッチどころか、水際で寸止めされている。下り切れないというところで、たぶん、そこが期待はずれにみえる。でも、そこがこの映画の魅力になっているわけ。最後のミラノでのショーとか圧巻なのに、カメラがどこまでもせせこましいんだよねー。誇り高き英国。ハリウッドにはマネできまへん。
2006.09.01
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Nスペ「熱闘612球」。やっぱり自分は野球が好きなんだな、と思う。いや、好きのレベルは別として。今夏の高校野球はとにかくすごかった。このまんま大量得点打撃爆発土壇場逆転流れで決勝戦もいくかと思えば、一転、息もつけぬ投手戦だもの。田中くんが、要所要所で笑うんだよね。それがいかにも「野球が好き」って感じで。最後の打席の、齊藤くんとの対決でも、粘りに粘って、6球目、思いっきり空振りしたあと、笑って、そのあと顔がクシャッとなった。ベンチに戻ってくるとき、仲間に向かって「ごめんな」と言った。そのときのことを彼は、「神様っていうのは、こういうことをしてくれるんだなあ」と語ってた。ホントにそう思ったよね。最後の打席が二人の打席。まさに神様が用意してくれた。たぶん、これまで何度も遠征とか練習試合とかで出会っていたはず。会わなくても、同学年の名門野球部の、お互いの名前は、遠く離れていつも聞こえてきたはず。それはねー、敵とか味方とか関係なく、お互いの心を揺さぶったはず。あいつもどこかで野球やってる。ヘトヘトになるまで練習している。誰かと真っ向勝負している。オレと同じ。イチローと松井の対談を見ていてもそう思ったもの。学年は1コ違うけど、中学のときから意識していた二人。プロになって、メジャーになって、どこにいても、お互いを気にかけ、見つめ、リスペクトし合ってる。野球って、ものすごくパーソナルなスポーツだと思う。少なくとも団体競技じゃない。ラグビー(好きですよ)とか、サッカー(嫌いじゃないですよ)みたいに、一つの球を全身で追って、走りながら考える、そういうのとは違う。どっちかというと狩りっぽいもんね。野球は、ゲーム全体でみたら、止まっている、ように見える。五感的には総動員しているんだけれども。齊藤くんの低いスライダーを身体で受け止めるために、キャッチャーの白川くんが一人で練習していた、そのことを彼自身が「孤独」といっていたけれど、外野だって、キャッチャーだって、守るときにはすごく孤独だと思う。距離あるしね。各々の守備範囲の中で、起きたことに責任をもつ。ピッチャーなんかもっと孤独。齊藤も言ってたな。感極まって泣いたときのことを「うれしいのと、寂しいのと」って。一人でマウンドに立つときの、耐え難い孤独感。仲間を信頼しようと渇望し、自分の内にハッパをかけ、それが報われたときの、安堵と歓喜と一緒に押し寄せてくる、立ち去りがたい気持ち。下りたらすべてが終ってしまう。手離したら消えてしまう…。イニングが片方ずつというのも意味がある。勢いだけでいかないんだもの。「自分の一発で流れを変える」と、よくバッターが口にするけど、実際にそうなる。一発で流れが変わって、イニングがつづくこともあれば、ブチッと切れるときもある。延長15回の裏で投げ勝つ田中くん。終わるかと思ったら、明日の再試合。大人には、ていうか、ほかのスポーツでは考えられない強靭な精神の持続。大人なのに、鹿児島工業の中迫監督も、ベスト8になったときにオイオイ泣いていた。初出場で甲子園へ来て、甲子園でぐんぐん強くなる。そんな彼らに、文句なく敬意を表する。監督だって、大人だから大変だ。明日終わる、明日帰る、そう思いながら、また勝って、宿舎に戻る。応援団に頭を下げて、経費のこと、選手のカラダ、帰郷してからの予定の組み直し。やることが山ほどあって、追われつつ、煽られつつ、そんなことをさせてくれる生徒たちに感動して、感謝して、思わず大人の涙。そういえば、決勝戦を見ていて、14年前の明徳義塾と星陵の対戦を思い出した。松井を4打席連続敬遠した、あのピッチャーはどうしたんだっけ。彼の中で野球は、その後、どんなかたちで成熟したんだろう。たぶん辞めてはいないと思うけど。いつか彼と松井が再会して、屈託なく野球のことを語り合う日がくるといいけど。田中と齊藤は、これからずっと、特別の友情で結ばれていくんだと思う。たとえ進む道が分かれても。野球というゲームの中で、白球を追って人が動く。そこに流れるさまざまな想い。孤独と共感と、信頼と葛藤と、人間を成長させるすべての要素が詰まっている。「まなじりは歓呼に応えいさぎよし」それにしても、なんでプロ野球はあんなにつまらないんだろ。同じ野球なのに。本当に同じスポーツなんだろか?
2006.08.29
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「ハチミツとクローバー」。原作は漫画らしい。何のことはない、美大生の日常をつづっただけのものです。主要な登場人物は5人。その全員が順繰りに別の人間を好きで、一つも実らないという、切ないといえば切ないし、ありがちなのかどうなのかというようなラブストーリー。こんなこと書くと、面白くなかったのかというと、けっこう楽しめたの。久々に、観るだけの映画を観る楽しみ。感動もないが、心象に残る。シナリオもよくできている。ふつうのセリフを正当に散りばめて、ガタつきもなく、すんなり耳に入る。思わず「けっこういいじゃん」と呟く帰りのスペイン坂。役者もそこそこ揃っている。何より蒼井優ちゃんが。もう映画を創る前から、この役は優ちゃんだろうと思わせる、いや、本人が「私だろう」と断固言えるほどの、圧倒的な、いやらしいくらいの存在感。かぁーいいなー。や、やめてくりょー、そんな目で(て、オバさんが)。で、彼女(天才特待生少女)の描く絵がMAYA MAXX。この映画はそういう意味で、そういう美術面、ディテールに関しては、非常によくできている。彫刻科8年生天才肌役の伊勢谷友介のスケッチも、チラッと見えて「あ、ホンマもんぽい」。劇中で彫刻をつくるんだけど、彼は実際、芸大の大学院出なんですね。そんなところも、動きとかウソ臭さがない。全体的に見て、お話はお察しの通りなんだけど、なんとなく趣味がいいというか、質がいい。美大とか寮とか、先生の家とか、ともすればのセットも、ありがちに逃げることなく、誠実に考えられている。と思ったら、この監督(高田雅博って人)はCM出身なんですね。例のジョーのライフカードとか撮っている。どうりで妥協なし。音楽も菅野よう子を使ってるし。加瀬亮が出てる。只者ではないが、この人、NHKとか出るとどうなるだろ、死んじゃうかもな。いえ、持ち味が。「八月のクリスマス」に出ていた関めぐみも、ちゃんと優ちゃんの引き立て役を全うしている。これは難しいことですよ。役のキャラが際立ってない分、自分のポジション見つけにくいもんだけど、なかなかいい。いそうでいない。監督がうまいのかな。そして、桜井翔くん。好きだから許す。てか、この人じゃなくてもいいんじゃないかと思うんだけど、この人でいいんだろうと思う。実際、出てなきゃ観なかったし。彼は、素のほうが断然いい。セリフしゃべると、妙におさまってしまう。懸命な演技、みたいな。そこちょいニノにかなわない。マジメなんだろうな。性格が恐ろしく。最も(どれもそうだけど、ひときわ)ステレオタイプな役だけに、振り幅のなさが目立ってしまう。いや、これからだ。頑張れ(って、勝手に上げ下げ)。岡田くんだって頑張っている(って、また)。久々に語ってしまった。けど、けっこう気持ちよかった。少なくとも私にとっては、世間で評価の高い「きょうのできごと」よりは。でも、私にとっての、このテの青春映画はいまだ「ヒポクラテスたち」がベスト。蘭ちゃん、昨日「男はつらいよ」に出てたな。かわいかった(って、また)。
2006.08.13
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江原さん、怒ってたな。「天国からの手紙」。誰の意図か知らないけど、今回はとくに「亡くなった子どもが親を叱る」という構図が目立つ。「親とか子とかは、ただ、この世で先に生まれたかどうかだけなんです」と江原さん、言ってた。親はさ、自分が産んだ(作った)っていう責任か何か知らないけど、うろたえた末にものすごく気負っちゃって、周囲の何も見えなくなって、誰彼かまわず傷つけて、親っちゅうより、人間の弱さとかしょうもなさを全部さらけ出しちゃって、そのときどれだけ身内に(とくに当の本人のわが子に)負担をかけているのかわからなくなってしまう。わが子が病を得た(こういう言葉もすごいな、昔の人は)とき、すでに子どもは親を追い抜いている。子はむしろ、親である誰ソレが、この世に生まれてきた意味を知らせる役目を負って、自分がココで苦しむことになったということを知っている。だから言いたくもなるよね。「いい加減にしてよ」。親がそのことに気づくのが、子を失うときに限るというのはあまりに辛いけど。ふじみ野市のプール事故で女児を失くした両親の「この子が生まれてきて死んだ意味を、これから考えていきたいと思う」という言葉の意味は重い。けど、それがわかった後の、彼らの生きる意味もまた、さらに重い。いい加減にしろよ、大人ども、って。
2006.08.08
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WBAの判定で、TBSに抗議殺到。ま、わからないでもないけど。よけいな演出抜きで、試合だけはきっちり見てましたよ。亀田よく頑張ってた。足べったりついてたけど。KOされて、立ち上がって、フラフラしながら12回まで。大したもんです。経験ないからわからないんですけど、殴られて倒れりゃ脳震盪でしょう。ほとんど自分が何やってんのかわからない。試合の組み立てなんかできるわけない。聞こえないし、見えないし、ただ目の前の動く標的に向かってパスッ、パスッとやる。たまたま当たる、みたいな感じか。なのに12回まで。減量したのに、体力だけは並外れてある。だけは。頑張れたのはお父ちゃんのおかげなんでしょうね。本人も言ってたもん。「親父のため、兄弟のために闘う」って。もう、その時点で世界狙うレベルじゃないでしょう。KOされた後もたぶん、お兄ちゃんずっと思ってたんだろうな。「このままじゃ、父ちゃんに怒られる…」。ただそれだけを支えに、12回を乗り越えた。でもって、疑惑の判定。けど、いいんだ。お父ちゃんが喜んでくれたんだから。興毅大泣き。「父ちゃん、オレ、やったよ!」。泣き顔はかわいかったけど、この場合はふつう、父ちゃんは死んでるわな。「天国の父ちゃん、やったよ!」。抱き合って泣いてない。息子は父親を超えられない。息子が違うフィールドを見つけるか、父親のほうが意識して下りない限り。奈良の放火少年をみても。そりゃ親父が人間として、男としてかなりグローバルで、何ていうか、この世界の情報源として最大限に機能しているなら別だけど、たいていの親父はそうじゃないから。父親のもってる、ていうか見せてる世界が、息子の世界の限界。だから、父親の了見が狭けりゃ、息子の視野もそれなり。それをさー、立ちはだかって、一緒にリング上に乗っててどーする。オレが果たせなかった夢を息子にッ、オレは期待している。オマエならできる。オレの夢を…。娘は冷めてるもんね。横峯さくらにしても、気合の浜口にしても、ビジネスですから。親父はやってていいよ、ぐらいに。興毅はとくに長男坊ですから。本来、それほど強い子じゃないからね。あの泣き方を見ればわかる。ビッグマウスも言われた通りなんだろう。判定のことなんかも「ボクシング界の発展のためだ」とか親父にいわれて、すぐに納得。素直だから。おむつが、いや、おつむが。母性不在っつうのも心配。数年前は確かに母ちゃんいたよね。末っ子の女の子も出ていた。けど、最近見ないと思ったら、離婚したらしい。ますます逃げ場ない。スポ根ものにつきものでしょう。巨人の星にも明子さんがいた。ジョーのそばにも、誰だっけ、ソバ屋の娘がいた。母ちゃんがいるから、姉ちゃんが見ていてくれるから、男の子は頑張れる。理由は知らないけど、亀田兄弟、史郎にがんじがらめ。カリスマなんて言葉も間違えて使ってたけど、親父が自分らのカリスマだから、家に火をつける爆発力もない。なんだか、ちょっと前のワールドカップを思い出す。小さな世界。小さな小さなWBAとW杯。目線は内向き。とても世界は狙えない。判定聞いた瞬間にチャンネル換えたんだけど、狙ったのかNHKの「そのとき歴史が動いた」が、日本初のチャンピオン白井義男の話。あの時代は、いろんな意味で各々が自立していた。自立しなくちゃ生きていけなかったんだから。GHQ上がりのトレーナーと一緒に、ロートルボクサーが世界へ出る。担っているものが違う。それをすべて良しとはしないけど、少なくとも、限りなく広くて強く、謙虚。礼儀とか、節度とか、基本的なことすらできてない人間が、本当の世界チャンピオンになれるんかな。史郎、親なんだから、技術指導はプロに任せて、そこんところよろしく。って無理か。それにしてもなー。今日のTBSは、亀田のカの字もない。やっちゃってバックレるのは、常なんだろうけど、視聴者をなめてるというより甘ったれてる。「しょうがないじゃん、それが業界の常識なんだから、裏事情もわかってよぉ」ってか。興行的にいろいろあるのは、白井の時代も同じだったろうけど、やり方があんまり品がなさすぎる。子どもたちに500円で売りつけたのも、自分らだろう。ちっとは反省しろ。
2006.08.04
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いよいよ明日!「ケイコクらじお」27日午前11時から放送開始。「livedoorネットラジオ ねとらじライブ」。http://live.ladio.livedoor.com/「WEB井戸端会議」ケイコクらじお 女性の来し方行く末を語る~志は高い!」と題しておくる、雑談的マジメ風会議。初回のテーマは「お金…今、女性たちの関心は?」。っていっても、ほら、どうせ私らだから、ボケとツッコミの応酬なんだけど、そう、志は高いのだ!暮らしの話題の中から、いまの女性たちが何を考え、何を望み、何を企んでいるか、各世代の想いをバリバリ受け止め、吸い上げ、独自の視点で分析し、最終的にはカチカチ頭のマーケッターにぶっつけてみよう、という魂胆です。なんて、大げさな(><)。初回のテーマにしては、「お金」なんて生々しいかなとお思いでしょうが、現代女性の金銭感覚から消費傾向、果ては女性のライフスタイル全般にまで、ぐぐんと自分たちなりのしゃべくりを展開できればと思っています。おひまがあったら、アクセスして、放送中の中から、再生ボタンを押してみてください。なにしろ生放送(!)なので、果たしてどうなることやら…。
2006.07.26
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もういいかげんにしてほしい。畠山鈴香。いえ、報道が。どこをどう検討してみたところで、わからないもんはわからないんだから。それを、いちいち過去の発言をほじくり返して、「わからない、おかしい」って、首をひねっても、本人に整合性がないんだから。こういうのは、いまの世の中、程度の差こそあれ、けっこういる。いや、あそこまでひどくないけど。言ってることとやってることの統一がとれてない。自分の中ではその場その場で話がついてるから、場当たり的にやれちゃうんだけど、その先に何が待ってるかなんて考えてない。それが人間の行動の一番のポイントなわけなんだけど。だって、いま現在の行為というのは、先のことを予測または期待して起こすわけでしょう。それがまったくない。ぜんぶ咄嗟。でもって、特殊なのが、その後。咄嗟の行動ならふつう慌てるんだけど、それがない。いや、あるか。豪憲くんのとき「思わず…」って言ってたな。まあ、これも近いうち違う言い訳に入れ替わるんだろうけど。これは最近の事件に共通していると思われるけど、やっちゃったことすべてをパフォーマンスの道具にする。自分の子だろうが、他人の子だろうが、殺されようが殺そうが、そんなことどうでもいい。全部自分。自分がヒロイン。いままで目立たなかった分、ていうか疎外されてた分、もう見境なく自己アピールの材料に使う。俺の時代、私の世界。「何食わぬ顔で…」のレベルなんかとっくに超えてる。泣くし、怒るし、被害者にもなりゃ解説者にもなる。バーチャルなんだよね。すべてが。現実感がない。もしかしたら、犯行のそのときだって、本人は舞台めいてるのかもしれない。そういや、平塚のダンボール事件の女も泣いてたな。昔、「息子を探してください」とかって。あれも真相は藪の中。てことは、ずいぶん前から、そんなのが出てきていたのか。とにかく大変な時代になっちゃったな。もう、鈴香の言い分なんかにいちいち反応している場合じゃない。ありゃすでに壊れてるんだから。北朝鮮みたいなもん。一人北朝鮮。それより、問題は、そんなもんが育って、子どもを産んでしまう世の中。鈴香もだけど、元夫も、親も、その親もだ。問題はそっちだろう。ご近所だって、少なからずゾッとしてたんだろうに、気が知れないのレベルのうちに何とかしないと、本当に北朝鮮並みに理解不能になってしまう。ネグレストの末、親に殺される。なんでそんなところに生まれてきてしまったのか。あんまり切なすぎる。
2006.07.17
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日銀福井総裁、辞めるんだかどうなんだかわからないけど。前々から、この方がTVに映るたびに、なんか違和感があったんだよね。妙に顔の色ツヤがいい。いや、色ツヤというんじゃない。このくらいの年齢の人間の色ツヤって、もっと、こう、テカテカしてるというか、ペラペラしてるというか、どっちかっていうと、武部系。ところが、このヒトは違う。ほっぺたが赤いの。かわいらしくピンクなんだよね。やけに健康的な、しかしどこか無機的な。宴会なんかで使われる、半透明のお面があるでしょう。ヘンにリアルなやつ。あれみたいな。いつもあれを、思い出す。「のだめカンタービレ」に出てくる、コンセルバトワールの先生。ピアノ科の教授で、のだめのことを「ベイベちゃん」と呼ぶ。カワイイおじさん。けど、似てるようで、決定的なところが違う。なんかそれにしちゃ純度に欠けるような。そうしたら、理由がわかりましたね。彼はあの「日銀ノーパンしゃぶしゃぶ接待事件」の当事者というじゃないですか。ちょっと触れたくもないような、呆れ返った事件だったけど、彼はあのとき副総裁で、確か当時の総裁の辞職をはじめ、ほぼ全員がかなりの処分を食らったのではなかったか。もちろん、彼もいったん辞めたはず。だって、若手に混じって、かなり足繁く通ってたという話だったし。そうしたら、なにごともなかったように返り咲いて、しかも総裁にまでなっちゃって。道理で、な。村上ファンドのファンだってか。金融のトップにして自らを「素人」と呼び、誰一人納得させる説明ができなくても、なんら悪びれることなく、やけにニコニコしているようで、目は笑ってない。あの顔はやっぱり、いただきものの株で儲けて、ヒトの金でノーパンしゃぶしゃぶに行く顔です。て、理由になってないか。顔と関係ないもんね。けどなー、どうして見破れない。この国の、金融界の、財界の、政界の人々。華々しいキャリアだの、功績だのあったって、持って生まれた品性ちゅうものは、どうにもならんでしょう。いや、持って生まれてきたわけじゃないか。たまたまいいとこに付けて、たまたま経歴積んじゃって、そのうち勘違いしちゃって、自分がケロッと忘れるように、人も忘れると思ってる。世の中なめてるガキんちょと一緒。それが顔に表れてるんだな。犯罪的な無邪気さ。だって、他人の金で嬉々としてノーパンしゃぶしゃぶに通うオヤジに、誰が自分のお金を預ける気になる?!あ、つまり、私は「ヒトの金でノーパンしゃぶしゃぶ」に反応してるんだろうか。そういや松井が行っても平気だったもんな。「自分の稼ぎで行ってるんだから」って、妙に寛大で、むしろ、「独身だからしかたない」などと、好ましく思ったりして。いや、松井の場合、エロビデオのコレクションすら大いに許す。これも顔のせいか?似合ってるか似合ってないかって、それだけか。
2006.07.05
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「余ったご飯どうするの?」。出がけにジャーの中を覗き込みながら娘が聞く。「お昼にでも誰かが食べるんじゃない?」と適当に答えたら、炊きすぎだの、無駄が多いだの。頭にきて別に処分してと頼んだ覚えはない、いちいちうるさいこというなッ、と怒ったらおとなしくなり、しばらくして、メソメソ泣いている。何?「ごめんなさい…」。この頃やけにイライラするのだそうな。とくに食事まわりのことになると。学校でも急にイラッとする。誰かに当たりたくなる。キツイ言葉を投げたくなる。そんな自分がイヤなんだと…。大学に入ってから、ご多聞にもれずダイエットにいそしみ、初めのうちは夕飯抜きだの、炭水化物抜きだの、世間の情報に振り回されてヤミクモやってまったく成果なく、シフトチェンジ。ごくごく健康的な方法で、そこそこ母親の意見も聞いて、ぶじ10キロ減に成功。ちゃんと食べてるし、運動もして、栄養的にも偏らず、特別負荷のかかるものでもないので、「よかったね」で済ましていた。ところが、本人は、けっこう苦しかったんだね。いや、ダイエットそのものが苦しいわけじゃない。やせて、鎖骨が見えて、ウエストが人並みになってくると、これをキープしなくちゃならない。「やせたね」とか「キレイになった」とか、びっくりされたり、ホメられたりすると、最初のうちはもちろん快感だけど、それが次第に苦痛になる。元来が食いしん坊だから、食欲を抑えるのに、どうしても否定的なブレーキがかかる。ちょっと多めに食べれば「あー、食べちゃった」と後悔するし、料理を前にすると、「おいしそう」と思った直後に「食べたら太るかな」と考える。そのたびに、「このくらいでは太らない」とか「食べたいときが食べどき」だとか、こっちもできるだけフォローしてたんだけど、どうやらそんな気休め届いていなかったらしい。食べて後悔、食べなくても後悔のジレンマがつづいて、かなりキツイところまで追い込まれていた。外食するにも、子どもの頃から叩き込まれた「出されたものは残すな」の教えが頭から離れない。でも食べたら太る、でも食べられない…てな具合。まあ、自分でそれに気づいて、いまの段階でQを出してくれたからよかった。とりあえず、今日駅に着いたら売店でチョコレートか何かを買うこと。小腹が空いたときはもちろん、イラッときたら、すぐに一粒口にする。甘いものは即効性がある。直接脳に働くから、太る心配なぞない。食べた分を数えれば「今日のイライラ」の目安にもなる。ついでにイラつき相手の友達にもあげればいい。外食のご飯は注文のとき「少なめにしてください」と頼む。食べられなくてクヨクヨする必要はない。正規の値段を払って、しかも量を減らすんだから、かえって店が喜ぶ。堂々と頼めばいい。そして、食べたら絶対に後悔しない。周囲のオバちゃんたちを見てみ。今日食べて、ダイエットは明日からって、今日も明日も体重キープだ。「あー、おいしかった、食べちゃった。そうだ、明日食べなきゃいいんだ」。忘れてまた明日食べればいい。食べたことを後悔するのが一番よくない。だから便秘になる。「食べちゃって悪かったかな」って、腸も動かなくなる。食べたものも「申し訳ない」と、消化されるのもはばかって、ずっととどまり、ウンコにもなれやしない…。そんな話をしているうちに、笑い泣きしながら少し気持ちが落ち着いて、最後は晴れ晴れした顔で出かけていった。しかし、まさか自分の娘が、ほかならぬ食べ物のことでこんなブラックホールに落ち込むとは思ってもみなかった。早いうちに拾い上げたからよかったものの、いまの世の中、何が起こるかわからない。北海道の友達の娘も、医学部に合格して上京したんだけど、慣れない一人暮らしと学校生活で食事がとれなくなり、母親が行き来して対策を講じている。本当に親はいつまでも油断できない。第一、周囲の同年齢の子どもたちの食生活が乱れに乱れている。昼休み、娘が自作のサンドイッチを食べる横で、クラスメートはスナック菓子をほおばる。それがどれほどヤバイことかも気づかない。軌道修正してくれる大人もいない。間違った情報とジャンクフードの狭間で、どんどん不健康になっていく。のびのびとまともな食生活をしていた人間まで巻き込んで。
2006.06.09
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原稿をバタバタ仕上げて(水虫の話=季節柄)、大急ぎで映画館へ。「ナイロビの蜂」。最初のシーンを見逃さないでよかった。エイズ検査にかこつけた結核治療薬の治験(とは名ばかりの人体実験)。これが本当に行われているなら、いや、行われていそうなことだからかえって重い。同じ地球上で、すでにあからさまな格差があって、自国の生き残りのために、国どころじゃない大陸そのものを搾取する。人命の重さと安易に言ってしまう、その重さの軽重の違いを知らずに、何を盾にして斬り込んでいけるのか。アムネまでも含めて問いかける。でもラブストーリーなんだよね。何も知らない外交官が、とてつもなく急進的な妻を愛したばっかりに、そして彼女を失ったばっかりに、知る必要もないことを知ろうとする。取り残されちゃって。掘り起こしていくうちに、周囲のすべての男が信用できないヤツで、彼らが一様になんて言うかというと「オレのせいじゃない、オレは弱い人間だ」みたいな。やっぱり究極のラブストーリーです。彼女は彼をそんな男にしたくなかったから。これからの男と女の在り方までも、教えてくれるレイチェル・ワイズ(アカデミー助演女優賞受賞)の名演技。交互にエピソードを組み合わせるのは監督の手法に決まってるけど、終盤はもうそんなことも気にならない。何を言いたいか。それももうわかってる。言わなくてもわかってるよね。だから言わないよってな感じ。そのくらい、さりげなさとえげつなさが、ギリギリのところでちゃんと、政経社会から夫婦の愛情物語にまで成り下がって(上がって?)いる。それは承知の上。明らか白人目線のみで描いてるんだから。
2006.05.31
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「下妻物語」期待通り。最後の予定調和もまあいいでしょう。土屋アンナ大物の予感。それより大物は深田恭子。いまテレ朝で「富豪刑事」のパート2やってて、前シリーズよりさらに凄みが増しているけど、これのせいだ。女優開眼。彼女は自分を知っている。どうすれば自分が最もよく映るかを、知らないふりして熟知してる。演技以前の問題。生まれ持っての才能。誰が見つけたんだか、大した眼力。映画館で見たかった。やっぱり「嫌われ松子の一生」も見に行っとこう。美紀も多少伸び悩んでいるけど、期待もてないわけじゃないから。それにしても樹木希林。脱帽です。
2006.05.30
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年上の友人からメールがあり、一昨年結婚したお嬢さんからおめでた報告があったそうな。久しぶりに食事をした際に、「ママ、ほらっ」って、CT写真を見せられたとのこと。すごくうれしそうだった。メール読んで、私もなんだかジーンときてしまった。どこもかしこも、あっちもこっちも芸能界も「できちゃった婚」流行りのなかで、なんかそういう普通の幸せが、すごく貴重なことみたいに思えたわけ。いや、別に、「できちゃった婚」が悪いとはいいませんよ。結婚前に、ていうか、好き合った末にそういう関係になるのは、まあ自然だし、その結果、子どもができた、つうのも、自然ていや自然(避妊しなかっただけ)。健康な男女の性行為の目的は、まさに生殖にある。好きでもないのにそうなるのは、そりゃマズイけど(あ、別の意味で好きなのか、何が?)。でもって、「できちゃったから結婚します」だ。お互い責任とって。だって大人だもん。ちゃんと子どももできる年齢だもん。そろそろ年貢の納め時、そろそろ身を固めて、キミも立派な一児の父だ。母でもある。ちゃんと所帯持って、そうそう、生まれてくる子どものために。子どもには罪はない。できちゃったんだから…。じゃあさ、子どもができなければどうなのでしょうか。まあ、少なくとも結婚は先に延びますね。自分たちに都合よく延びる。「そろそろ年貢」というのも、二人の都合により、適当なところで納め時が決まる。延びた末、別れることもある。あるいは、勢いがついていて延びずにすぐにでも、というのもある。いずれにせよ、二人の都合だよね。そこに子どもは介在しない。これだけは言えるけど、家庭っちゅうものは、恋愛関係とは全然違うよ。同じ二人でも、まるで違う。同じ二人なのにだ。よく「まだ恋愛中みたい」とか「結婚しても恋人同士みたいな時間を」とかいう話を聞くけど、それはない。キッパリ否定。どんなに自立していようが夫と妻です。一世帯です。ましてやいきなり父と母…。まあね、ある程度、適齢期(生殖期と言い換えても可)も成熟し、熟れすぎてぐずぐずになって落ちちゃわないうちに、そろそろ固めちゃおうか、てくらいになっていれば、相手はどうあれ子どもを理由にしてもいいかもしれん。その頃になると、家庭というのがどんなものかも薄々わかっているし、何より早いうちに子どもを作っとくに越したことはない、種の保存。けど、まだ志半ばで(あ、ないか志)、やりたいこともあったろうに(あ、これもないかも)、花の独身から夫婦、そして半年たつかたたないかで父母。これはちょっとねー、可及的速やかに過ぎやしないか。植物だって、芽が出て膨らんで、花が咲いていくわけだし、人間の子だって、這えば立て、立てば歩めの親心なんだし、小学校の1年生は「あいうえお」からなんだし、好きになったらABC…(嘆)。結婚という制度に縛られない、とか、夫はいらない子どもだけほしい、とかいうけど、どうなんだろう。確かに大人っぽい今風の考え方だ。でも、段取りということから考えたら、制度っていうのも、いちがいに悪いとはいえないんじゃないか。人間てそう簡単に切り替えがきくもんじゃないでしょ。人と人の関係づくりって、けっこう時間がかかる。婚約⇒結婚⇒妊娠という段取りを、とりあえずの制度として昔の人が考えたんなら、それなりに理由があったんだと思う。一人の人間が二人になり、そこにもう一人増えて、さらに増えて…そんなふうに家族の関係が深まって、その家族だけのかたちができていく。生きていく過程に、ともかくやり残しというのは極力避けたいよね。まして、自分の人生のやり残し(とりこぼし?)を、子どものせいにするようなことがあったら、それこそ目も当てられない。子どもは潮時の産物じゃないよ。周囲の親子問題とか近頃頻発する事件なんかを見ていても、つくづく思ったりする。ガキがガキ産んでどーする、なんて。子育ては楽しいよー。けど、すごく力がいる。頭も使うし、気も遣う。いろんなものを犠牲にして、いろんなことに縛られて、一人の人間が育っていく。人間が人間を育てるっていうのは、そういうこと。どこまでも終わらない、家族の成長は延々とつづく。そのじれったいプロセスに敢えて促進剤を打つようなものだから、段取りを飛び越えるのは、それだけ大変だよね。どうもなー。「できちゃった」というのがね。やっちゃった、できちゃった、しかたがないから生んじゃった、って。なんかないかな。「できました結婚」。同じか…。くだんの友人は、夫とはずっと別居していたんだけど、娘たちが成長後、離婚して、今は一人暮らしを謳歌している。お嬢さんは、数日後に予定している新夫との休暇旅行のついでに、結婚式以来初めて海外に住む父親のもとに立ち寄ることになっている。それがまた、期せずして、おめでたサプライズ報告になるわけ。父親の喜ぶ顔が目に浮かぶって。一段一段愛情を深めながら幸せを育む娘を見守りつつ、それぞれがその幸せに自分をつなげることができる。これもやり残しをせずに己の人生をちゃんと生きてきたから。家族って、そうやって、ずっと成長していきたいよね。
2006.05.12
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JR痴漢損害賠償敗訴。7年前、痴漢で告訴された男性が、不起訴になって、逆に損害賠償で訴訟を起こしたんだけど、それがこんどは敗訴したという話。「女性の供述は妥当であり、十分に痴漢行為を疑うに足る」という裁判所の判断にあきれる。だって、刑事では、途中で被害者の女が「飽きた」とか言って法廷に出てこなくなったんで、検察側が取り下げたというではないの。そりゃ、身に覚えがないなら、潔白を証明するために立ち上がるに決まってる。それをこんどは有罪扱いって、どういうこと?そもそも電車の中で携帯でしゃべってた女に注意したら、痴漢で訴えられたというんでしょ。単なる嫌がらせ。しかも相手は170センチの大女で、原告側の60代の男性は165センチそこそこ。考えたってわかる。どうやって、「大腿部に股間を押し付ける」のさ。ピョンピョン飛び跳ねるんか?!確かに痴漢行為は非道。満員電車で身動きとれないところににじり寄って、コソコソねちょねちょ、何がいいんだか卑劣きわまる。けど、そういうのって、正々堂々女に向かえないヤツがするもんでしょう。たまたま指の先が適所に収まって、偶然動かしたらエッチな思いができたって場合は別として、まともに異性交遊できない男が自分よりデカイ女選ぶか?ちょっと考えりゃわかりそうなもん。裁判官も味わってみ?自分より5センチ以上も身長が高い女に不用意に近づく恐怖。女も女だ。ていうか、この場合、どうみても反省すべきはこのバカ娘のほう。当時大学生というから、もう一人前の大人になってるだろう。あの頃は怖いもの知らずで、バカなことをしてしまいました。おじさん、すみません、と素直にあやまればまだしも(って、その立場じゃないけど)、迂闊な腹いせで、下手するとその人の人生を棒に振らせることになると、なんでわからない?!親は何教えてる!!携帯電話の相手に「ヘンな人が近づいてきた」としゃべったらしい。いくらヘンな人でも、堂々と痴漢しに近づいてくるわけない。堂々とマナー違反を注意しにきたわけ。もしそんな区別もつかないんなら、被害経験など一度もないと見る。社会人になれば、少しは己の分も思い知ったかもしれない。当時だって周囲の皆が一斉に言ってやればよかったのに。「ない、ない」って。そうすればもっと早めに気づいたろうに。それにしてもなー。痴漢って何なんだろう。あんなにショボい犯罪なのに、疑われただけで一人の男の人生をひっくり返す力がある。一部の男の不埒な行為が、真っ当な同性の首を絞める。けど、それを逆手にとる女はもっと卑怯だと思う。注意されて逆ギレして、なぐるならまだしも「この人、痴漢ですッ」だと。昔はそんな女いなかった。卑怯は男の特権のはずなのに。嗚呼。
2006.04.29
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「かもめ食堂」ようやく見た。混んでると聞いたので、昼も食べずに銀座へ。チケットを買って一安心し、三越の地下で「道中おむすび」を購入。席について食べていたら、かもめ食堂のメインメニューがおにぎりなんだよね。梅、鮭、おかか。2つは同じ。おかかが昆布になっただけ。妙に共感。なんか、いいね。おとなしいけれど、適度にファニーな感じが。これもフィンランドという地の利かな。適当にムーミンが出てきて、幻のコーヒーが出てきて、ふわふわの長~いパン生地を聡美ちゃんが手際よく端から丸めていって、シナモンロールをつくる。なんの事件があるでもなく、日常がただつづいていくだけなんだけど、幸せ感が特別なの。これはひとえに主役の三人によるものでしょう。小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ。うまいなー。ところどころギクシャクしたセリフも、この人たちがしゃべるとまるで違和感がない。すべてあり得るわけ。各々に事情があるようで、でもそれは最後まで語られず、そのほのかな不幸せ感が、画面に幸福を醸し出す。一緒なのに孤独で、相互に踏み込まず、親愛感にあふれている。ヘルシンキの街でのメトロポリタンぶりが、三者三様に、まさに実在なんです。荻上直子。「バーバー吉野」でも思ったけど、この独特の空気感を維持してほしい。ほどほどの旨味を知っている。ふり幅が大きいというか、どこかたじろいでいる、もどかしさを楽しんでいるような、そんな優位さを持っている。それにしても小林聡美。ほかの二人の凄みとは違った、別の聖域に、もはやいる。完璧なフィン語(わからないけど、たぶん)といい、鮭を網焼きする手さばきといい、子役からやってきた人間の、甘えを許さない高度なテクニックと、その気配を可能な限り消そうとする完全主義。そういえば、こないだのドラマもそうだったけど、この映画でも、日本食をつくりながら、フィンランド人のお客さんが来るのを根気よく待ってる、受身のスタンスというか、待ちの役柄が最近多い。NHK早坂暁の「夢千代日記」とか「花へんろ」にも通じる、最も強くはかなく潔い女性像。彼女にとっては、ちょっと苦しい時期かもしれない。昔はわりと攻め役もやってたし、明らかにこっちのが難しいもの。ただ弱っちいのと違って。いろいろと悩みも多いかもしれないけれど、たぶん彼女なら乗り越えられる。乗り越えたらきっと吉永小百合や桃井かおりの次をいく女優になれますよ。がんばれ聡美。見終わって、しばらく深々と座ったまま。フィンランドの海風とか空の色とか、肌で感じたいとしみじみ思った。歩いたり、食べたり、森の中に座ったりして、時間を共有したい。エンディングの陽水もよかった。「クレイジーラブ」。なるほど、ぴったりだ。
2006.04.13
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知人の息子(19歳)が新しいバイトを始めてから、ちょっと消息がつかみづらくなったので、「こりゃ、新しい彼女ができたな」という推測が飛び交う。つまりねー。男の子というのは、彼女がいるといないとじゃ恐ろしく生活行動に違いが生じるわけ。まぁ、放ったらかしのバカ親で、子どもが家に寄り付かない、外で何してるかわからないような家庭は別だけど、ふつうに家でご飯食べて寝て、学校へ行く家の子どもは、実にわかりやすい。引きこもりか、よほど孤独が好きなボクでない限り、彼女がいないときの彼らの頭の中は気の合う男友達でいっぱい。だから、年中つるんでいるでしょう。「ブロークバック…」じゃないけど、心身ともに健康な子は本来、男同士でちちくり合ってるのが好きなの。ところが、彼女ができると、それがそっくり心身ともに一人の女(普通は)に入れ替わる。女の子はねー。うまいよ。娘を見ててもわかるけど。知らない間に恐ろしく行動半径を広げている。親父だますのなんか簡単だもの。必要以上に無理しないだけ。娘になったり彼女になったり自由に対応できるから。男の子のほうは性欲のまにまに、そんな彼女にみごとに引きずられて、親の守備範囲から予想外に逸脱するようになる。行動がわかりづらくなるわけです。だからすぐわかっちゃう。で、母親は「じゃ、いっちょ探ってみるわ」と、皆の期待を受けて、食料を莫大に買い込んだ。食わせて吐かす魂胆です。ここが男の子を持つ母親のすごいところ。女しか育てたことがない女には予想もつかない。帰る時間を見計らって、母は息子の好物をたんまりこさえた。息子が帰ってくる。いつにない豪勢な料理を疑う知恵もなく、「おおっ」と歓喜の雄たけびをあげて食卓にへばりつく。そこからが難しい。気が急くからといって、食べ始めに聞いてはいけない。全意識が食うことに集中しているため、答えがおざなりになる。何を聞いても食いながら「うん…うん…」しか言わない可能性が強い。しかし、食べる前に聞くのはもってのほか。空腹は男を攻撃的にする。「うるせぇ!!」と言って、親子関係が険悪化し、以後、黙秘を通す恐れもある。だからといって食後もまたいけないんだ。エネルギーが一気に消化器へ向かうから、脳が働かなくなる。睡魔と闘うので精一杯。好きな女の面影すら脳裏から消えてしまいがち。したがって返答もあいまいになる。ようするにタイミング勝負ですね。すべての皿を2かきほどして、鼻から満足げな息を吐き出した頃が絶好の頃合いなのだそうな。で、母はその好機を逃さず絶妙のタイミングで切り出した。「アンタ、彼女できたの?」。手に茶碗をもち、目は料理に奪われながらも、息子は確かな声音で答える。「うん」。「バイト先の子?」「うん」「学生?」「ううん」「年上なの?」「うん」「いくつ?」「21」。すばらしい受け答え。しかも寸分違わず予想通り。食欲と性欲はまさに表裏一体。とくにこの年代の男子の場合、それはほぼ同体に等しい。食欲が一部満たされたとき、性欲の一端にすり替えられる。一瞬の隙を見て、その性欲の対象に向け、長年の女のカンが鋭く切り込むのだ。用意していた質問が一通り終わって、母は最後にひと言。「ねーえ?」「ん?」「私ね、まだ、おばあちゃんになりたくないの」。決まった!これぞ、年頃の息子を持つ母の決めゼリフだ。この一言は当分の間、久しぶりの手作りのごちそうの味とともに、孝行息子の心にオリとなって残るであろう。ただし、当分の間だけどね。
2006.04.11
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日曜にぽっかり一人。映画でも観るか、と思ったら、ものすごい人出。そうでした、春休み。ドラエもんは満席だけど、目当ての「ブロークバックマウンテン」はそこそこの入り。最初は気構えてた。「ど、どっちがレスリー・チャン?」って。でも、なにしろ映像が美しくて、丹念につくられているし、音の入れ方も抜群にうまい。純粋に映画として楽しめましたね。内容的には何一つ寄り添える要素はないんだけど、そのテのシーンもそれほど違和感なく。ほら、男の子同士がよくベタベタちちくり合ってるのを見るじゃない。子供だけでなく、高校生とか、いいトシしたおっさんでもいたりする。そういうのを見るのは嫌いじゃないし、微笑ましい感じもしないでもない。それが高じて…。ま、やっぱりわからんけど。何より、主役の二人の熱演が光る。たぶん、そうとう考えて創り込んだんだろうな。若いのに頑張った。ジェイク・ギレンホール(しつこいようですが、今年は全部見ます)はもちろん、ヒース・レジャーの不器用ぶり。脇もいいです。しかし、難しい役というのはわかるんですが、やっぱり、最後まで突き詰めることはできません。あれもアメリカってことだけで。まあ、同じアカデミー賞でも「ミスティック・リバー」なんかよりずっと好ましいけど。それにしても、日曜の真っ昼間、ゲイのカウボーイの映画を一人で観る女。隣もそうだったけどね。たぶん今日の観客も、私同様、アカデミー賞いちおうチェック組、というやつでしょう。毎年思うんだけど、そういうとき満席になるのを、このところ見たことがない。これはどういう…?日曜劇場「輪舞曲」。最終回は平たくいえばありきたり。韓国の二人、上手いなー。感心しました。そこいくと竹野内、進歩ないなぁ。表情のバリエーションが貧しすぎる。自分ではわからせてるつもりなのかな。鏡見て練習しよう。いや、そういう問題じゃないか。エモーションの問題か。
2006.03.26
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中野の光座で、前から気になっていた松本修演出MODEの「唐版 俳優修業」。初めての小屋は昭和のニオイがプンプン漂うかなりイイ(あやしい)感じ。階下は佐世保バーガー。壁はアスベスト…かな。入場時に、同行の友達が階段でつまづいて、チケット切りの机で顔を打つ。「ヤな予感」。ゲン落としか、それとも、芝居の神様にからかわれているのか。開始まで昭和歌謡がガンガン流れて、和みながらも適度なプレッシャー。久々に聴いた浅野ゆう子。小柳ルミ子の星の砂はいい。芝居のほうはというと…唐さんでした。けど、昔ほど苦しくなかった。後味も悪くないし、途中、清々しささえ感じたもの。演出が若い(1コ下)からかな。それとも、私が成長したからか。オンタイムで見たかもしれないけど、なにしろまったく覚えてない。当時の私に唐演劇は荷が重過ぎて、いつも吐きそうになりながら見てたから、いまは何一つ自分の中に残ってないの。無理やり誘った友達は、終始違和感どっぷりだったらしい。「ここ、何かいる。早く帰りたい」だって。芝居を見るときに限られる緊張感みたいなものを久々に味わった。なんだろうな。そんなにまでして、と聞かれても、たまに嗅ぎたくなってしまうアングラ臭。ともすれば落下しそうになる自分を、ギリギリのところで引き上げる。滑落感と、水際寸止め感みたいなもの?それに繰り返し襲われるんだ。おお、ちゃんとついていけてる。まだイケる、いや、ダメ、もう…みたいな。肝だめしなの?客層は、20代もいるけど、総じて高めかな。やっぱりキーワードが、成田闘争、カナリヤ、水平発射…。わからなくてもわかるけど、わかっている人との落差は歴然なんだろうな。まだまだです。てか、どうしようもない。BS「わが青春のグループサウンズ」。息を飲むほどヤセてたり、やつれてる人もいたりして、切なくて見たり見なかったり。年代も上とはいえ、フォークの人たちとの違いをしみじみ考える。なんだかんだいっても、テレビにあんまり出なかった人たちのほうが、いい感じで年をとっている。それに比べて、GSの人たちの成れの果て感。水っぽいというか。声も大して出ないしなー。焼酎じゃなくてウイスキー焼けか。あれほどキャーキャーいわれると、やっぱり潰しが利きにくいか。やっぱり、最初から多くを望まないのと、一時でも夢を見ちゃったのと、人生の振り幅の大きさによるか。それとも単に印税の問題か。まあ、いいか。みんな久々にテレビに出て楽しそうだったし。けど、加橋かつみがピンでスパイダース歌ってたのには笑った。「違うだろッ」と思わずツッコむ。しかもイキイキしてるんだもの。
2006.03.21
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横浜で、娘の写真部の作品展を見る前に、カレーミュージアムで昼食。なぜって、パク森カレーを食べられるから。そう、本当に、ただカレーが食べたかっただけなの。横濱カレーミュージアムは、イセザキモールの途中のゲーセンビルの5階。入口前で、ゴージャスそうな衣装のお姉さんが2人も待機。ていねいにエレベーターの乗り方を教えてくれる。この時点で採算を気にしてしまう私。だって無料だし、ただカレーを食べたいだけだし。いろいろブースはありそうだけど、一直線にパク森カレーへ。だって空腹だったし、ただカレーが食べ…。実際、全国12の名店があって、食べ歩きができるらしい。カレーの。5階と6階は吹き抜けになっていて、みやげもの屋(カレーの)もあったりして、小さな小さな、小さなラーメン博物館みたいなつくり。無料だけど。けど、カウンターの隣で食べていた中年男性は、明らかにサラリーマン風。彼もただカレー(たぶんパク森の)を食べに来ただけで、さっさと立ち去る。そうだ、そうだよねッ、彼のニーズにミュージアムはない。パク森カレーは…どうなんでしょうか。おいしかった、と思うんだけど、なにしろ本場の(高円寺?中野?)味を知らないから。でも、食べながら気がついたことがある。私はカレーが大好き。けど、あんまりカレーの味がわかんないんだよね。ていうか、どんなカレーも好きなわけ。インドカリーも、タイカレーも、海の家のうどん粉カレーも、学食のカツカレーも見分けがつかず、みんなおいしいと思ってしまう。すみません。ということで、横濱カレーミュージアム。企画意図がわからない。あのような建物の中に、いろんなカレー詰め込んで。しかも、カツカレーたぶんないし。おみやげのレトルトあるのに。
2006.03.14
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テレ朝「新・京都迷宮案内」。いつもハッと気づいてチャンネルを替えるので、オープニングを見そびれていて、今日初めて見たら、全編橋爪功なんですね。京都の町に佇む功、鴨川を眺める功、コートを翻して走る功、苦悩する功の横顔…。そりゃ主役だから当たり前なんだけど。今回は新だけあって、舞台を府警記者クラブから社会部に移してある。中身は変わらないんだけど、これが開き直りともとれるキャスティング。んまあ、若手がただの一人もいないの。これまでも決して若々しいものではなかったが、せめて紅一点(野際さん失礼)の大河内奈々子や大路恵美の代わりに、なんと国生さゆりをもってきた。もうね。ここまでくれば文句もいえません。ジャニーズへの挑戦状。ときめきもない代わり、これほど安心して見られるドラマもないです。いや、別の意味のときめきがあった。今回のゲストは峰岸徹だったけど、どうも気になるんですよね、生え際が。あんなにあったかな。しかも絵に描いたようなロマンスグレー。かぶってますかね。前はどうだったっけ?と記憶をたどる。ボケ防止。そこいくと、驚くのが西田健。最初に見たとき悄然としました。い、いいのか?ウルトラ科捜隊。もののみごとにハズしている。あんなにまでススんでいたの?てことは、これまでかなり投資していたでしょうに。本当に、後先考えての毛つ断(失礼)決断なのか?いろいろ思いが交錯してしまう。いや、これも、10chだからできたことなのかもしれない。そういや、むしろイキイキしているもの。「これが真実の俺」。リスペクト・ショーン・コネリー。大人たちを解放するテレ朝。そういえば、今日終わった「けものみち」も、若手皆無に近い。星野真里も妙にフケてて怖かったし、仲村トオルの妻に網浜直子!よくぞ発掘。ここでだけ光る涼子、若村真由美、作りたい放題。佐藤浩市がまともに見える。もう土俵が違う。別のフィールドでやってる。キャスティングから何から。他局とダブってる役者もたぶん、バランスとれるんでしょうね、むしろ力が抜けて。「相棒」も「はぐれ刑事」も長続きの秘訣はそこか。やっぱり顔がいいだけで芝居できない人がいると、それなりに緊張するのかもしれない、現場も。残念なことに「時効警察」は終わってしまうけど、「富豪刑事」が始まるらしい。いえ、深キョンはずっと下手でもいいんです。ヅラといえば、「ヅラデカ」。あれ、どうしたんだろ。やっぱり配給先が見つからないのかな。
2006.03.09
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新宿で打ち合わせが終わって、思いついたのが、紀伊国屋サザンシアターでやっているシベリア少女鉄道。秋元康さんだかがホメていたので、前々から見たいと思っていたんだけど、誰を誘っても、劇団名を言うだけで引かれてしまう。中には「水野晴夫?」発言も何人か。で、一人で。当日券は1時間前からというので、昼抜きで並ぶのはつらいから、高島屋地下のイートイン(なんかミラノにある店らしい)で腹ごしらえ。でも、連日満員と聞いていたわりに、すんなり入れました。客層はなんだかつかみきれん。オトナなのか若いのか、一人客も多いし。両サイドは男一人。小太りのサラリーマン風と熱心にパンフを読むオタク風?カップルは学生で、女の子はキレイどころ。うーむ。肝心の芝居は…おかしい。いや、面白いッというんではなく、ヘンです。確かに。スラップスティック、かな。にしては大変常識的なセリフ回し。設定も普通で、でも、何か(つっても、わかりやすいんだけど)のサインをきっかけに、ワラワラ崩れていく。いや、ワラワラでもないか。周りを見ていると、どうもこれはお約束らしい。役者もうまいんだか、ヘタなんだか。自力で間をとっているようにも思えないけど、ちゃんとうまくハマる。脚本を書いているところが見たい。帰り道、「難しかった」と話している人々がいた。なんか、制作系かな、身内で話題になって、グループで見に来た感じ。確かにわかりにくいかも。でも、「なんだろ」と思いながら一人でニヤニヤしてしまう。何も残らないけど、なんかクセになる。何回か見てから結論出そう。
2006.03.02
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CXアンビリバボー「奇跡の気功パワー」。仕事先から視聴要請のメールが入り、見てみました。というのは、先日、カイロ&オステオパシーの施術師で、気功もものする人の取材をしたもので、参考までに。時間帯が時間帯だけに、家内作業をしながらなので、集中していなかったせいもあるけど、内容的にも大して馴染めず、後半はテレ朝の「新・京都迷宮案内」へ移行。だってさー、何一つ新味がないんですもの。まず、気功でガンが治った、マヒが治った、奇跡だーっつって、次は実験に次ぐ実験。そりゃ、日々機器は進歩しているから、いろいろ実証する方法はある。けど、やってることは10年前と一つも変わらない。というか、定期的に、こういう番組をやるけど、手法にまったく進捗がない。それでいいと思っている。いいよねぇ、怠慢で。さすがCXだ。頭が下がる。出てきた気功師の枡友さん?村松さん?彼らはいい人そうだった。マリックっぽい脂っこさもないし、やってやろう、みたいな稚気満々も感じられない。老成しちゃっているというか、まあ、たまたまそういった力があるもんですから、皆さんに使っていただこうかな、ぐらいなおとなしさ。まあ、よけいなことしゃべらないように言われているのかもしれないけど、だからって、ねぇ、気功の原理を調べるのに、赤外線だの、静電気だの、果ては超音波?おなじみの鈴木松美先生まで駆り出しちゃって、で、わかったの?最後まで見ていないから知らないけど。人間に、広くいえば動物に、そのような能力が備わっていることは、周知のことでしょう。ある程度大人になって、それ相当の経験を積んでいれば。病気でいえば、何らかの作用によって、免疫力が上がり、不治の病と呼ばれるものが緩化する場合もあるでしょう。ガンなんか特に、もともと自分の細胞が変化して増殖したものなんだから。ほかの病気だって、ウイルス性のものだって、本来は、そういうものに対抗する力を生物はもっているわけだから、それが問題なく発揮されれば治っていく。ガン細胞が消えることだってあるはずでしょう。その作用が赤外線?静電気?超音波?笑わせるなー(怒るよりむしろ感心)。問題は、施術する側より、される側にある。される側が、どれだけ真実を受け止められるか、どれだけその気になるか。施術者より自分を信じられるかなんだよね。プラシーボ効果についても、番組ではなんかウニャムニャにしていたけど。そうなんだ。あれこれ検証して、だからなんだと思うのは、そういう力を自分で果たさずに、ぜんぶ人に委ねてしまう、そういう姿勢に、ふがいなさを感じるからなのね。番組の作り方自体がそういうスタンス。いえ、決して、そういう力をもった人のことを否定しているわけではありませんよ。でも、そういう人たちに接して思うのは、その多くが、それを自分自身の能力と勘違いしてしまうこと。また、そうさせる弱さを、受ける側が思いっきり発している、頼っているわけ。自分を信じる前に。先日、取材した人も、決して悪い人ではありません。また、自らの開発した独自の治療法を、世に広めたい、できるだけ多くに知ってもらって、一人でも多くの人を救いたい、という気持ちもわかる。「事実、治っているんですからッ」という、それは確かに事実なのでしょう。しかし、救ったのはアナタか?帰り際に私のアトピーの話が出た。取材中ずっと気になっていたんでしょうね。そうです。私は生まれたときからアレルギーで、脱ステロイドして、それでも乾燥肌で、顔は治っても、手はまだシワシワで、今年はインフルエンザにもかかりました。正解です。先生のいうとおり(ってそこまで言われてないけど)。でも、「私なら完全に治せる」というのは大きなお世話。治すかどうかは私が決めます。だって、この体質は私そのものだもの。もっといえば、この体質があるから、これまでの私があり、いまの私ができた。とはいえ、リンパガンが再発して、末期と宣告された人に、何かよい方法はないかと聞かれて、「仕事を休めないなら遠隔治療というのもあるよ」なんて思わずアドバイスしてしまう、トホホな私。了見の狭さも、場当たりで揺れ動く気立ても、アトピーの特徴だ、って、これがいけないんだけどね。
2006.02.23
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濃いひとときでした。新宿二丁目、隋園別館。フィーリングカップル3対3。これが絶妙の組み合わせ。男1女2がほぼ団塊世代。残りがほぼ東京五輪小六世代。男3人はメディア関係の海外赴任仲間なんだけど、ほかはほとんど初対面。最近入ったコミュニティの小粒オフ会です。久々に頭が充血。なにしろ、最年長の心理学者さんが「今日は英語はなし」と言ったのに、英語どころか独・仏・露までパチャパチャ飛び交う。おかげで、各国のコトバの発語機会というか、どんな表現に瞬時に馴染むのかが、なんとなくつかめたような気がする。鶴見俊輔、小熊英二、上野千鶴子、藤原正彦に、小林秀雄、小沢征爾、黒柳徹子、ショーン・コネリー、形而上のヘプバーンと形而下のモンロー、そしてジーナ・ロロブリジータ!アイリッシュウイスキーとカサブランカとケニアとエジプトと皇室と朝日ジャーナルと早大ラグビー部…とにかく無邪気に話が飛んでいく。ついていくのが精いっぱい。かと思うとヒュンと戻ってきて、しばし止まり木、また飛び立って、沈没して溶けていって、残ったのは心地よい酔いと、頭の満腹感。この頃いつも思うけど、このトシで新しく出会った人は皆、初めて会った気がしない。たぶん、これまでバタバタ試行錯誤を重ねて、なんとか投げずに頑張ってきたごほうびなのでしょう。それとも、迂闊に過ごしてきた分を、間に合うように取り返せと、この期に及んで神様がつかわしてくれたのか。ありがたいなー。のんべでよかった。
2006.02.22
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遅ればせながら「ホテル・ルワンダ」。久々の駆け込み立ち見。しかも、セルリアンタワーのワインセミナーでテイスティングたっぷりした後だったので、かなりキツかったけど。見てよかった。ジェノサイトについては、曽野綾子さんの「哀歌」を新聞で読んでたから、ある程度わかったつもりになっていたけど、映像になるとまったく違う。何も知らなかったに等しい。いや、そういう事実があったことを知るというだけでなく、映画としても優れている。見終わって、哀しいとか、切ないとか、憤りとか、そういうのはない。敢えていえば空しい、かな。けど決して不快なものではない。テーマは十二分に重いんだけど。舞台がホテルだからかな。でも、ものすごく深いところに届く。しんしんとオリみたいに、心の底に積もっていく。何が?言葉では言い表せない。世界で起きていること。人が生きるということ。登場人物に敢えて複雑な設定を与えていない。なのに、素直に気持ちを投影できる。それくらい普遍的なものになっている。どんな状況であれ、人間の求めるものは、たった一つしかない。それがズシンとこたえる。皆、見たほうがいい。沁みたのは、自然派ワインのせいもあるかな。小細工なしに、月の満ち欠けや、微生物の営みにすべてを委ねて、あくまで自然の想いのままにつくられる、原始の飲み物。運命に逆らわず、けれども、その流れの中で、生きるため精一杯に抗う。日本での公開が危ぶまれたなんて信じられない。一方で、パッチギ映画賞総ナメだって。そうなのか…。井の中の井筒監督は見たかな。
2006.02.13
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紀子さまご懐妊。まずはめでたい。これをもって皇室典範改変に躍起になってる政界に、ビシャッと冷水を浴びせる、有無を言わさぬ切り札。これ以上ないもんね。いや、秋篠宮さま、おみごとです。なんというか、皇太子ご夫妻には真似できない。年齢的ってだけじゃなく、あらゆる面でタフだよね。どーだ、みたいな。男性男系とか、万世一系とか、難しいことはわからないけど、個人的には女系・女性天皇はどうかなと思っているクチ。いや、女性天皇はこれまでもあったようなので、現行法でイキかどうかは別として、まあいいけど、女系天皇となると、どんどんいっちゃうわけでしょう。ダンナが皇室筋でないという路線が。そうなるとね。これはあくまで私的な見解ですが、いつの世でも、一家の家風を守ってきたのは女です。母から娘へ、とか、姑から嫁へって具合に、形ってものをちゃんと受け継ぐ役割を果たしてきた。つまり、男が必死に継いできた血筋っちゅうものを、形として残してきたのが女なわけ。今ねー、それが崩れちゃったから、こんなになっちゃったんだと思う。age74にも通じるわけだけど、それは確かに女の責任もある。でも、崩しちゃった大元は何かというと、戦争に負けたこの国でしょう。ていうか、負けさせた男の責任でしょう。そういうこと忘れて、愛子さましきゃいないからって、いきなり女系ありってなー。ここだけですよ、もはや。何をも跳ね返す強固な家風を守り通している血筋は。なにせ2000年ですもの。だからこそ、政争から免れてここまできた。これが、もし別の男の血筋が入ってきたら、絶対そうはいかない。自分の遺伝子が許さない。バカバカ侵略する。オレの家系、オレの子孫、オレの権威、オレの…(騒)。でもってムチャクチャに混じって、何がなんやらわからなくなって、どこの誰やらと、みんな親戚筋(あ、これが万世一系ってことか)。もちろん、その形を守る嫁たち(美智子さまや雅子さまや…)はエライ目に合ってるわけだけど、やっぱり、それが日本の元筋といわれたら、やっぱり守りたくなりますわ。男特有の遺伝子がどうのというだけじゃなく。そう考えると、つくづく男ってつまらんなぁ。雅子さまもホッとしてるんじゃないだろうか。愛子さまが女性天皇にならなくて。まだわからないけど。あ、それ以上にホッとしてるのが純一郎か。うまいこと引っ込みつけられてよかった。ほんと、運のいい男。独身だし。関係ないか。少子化対策。
2006.02.09
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何十年かぶりにインフルエンザにかかり、頭がまったく働かず、寝るかテレビを見るか(っていつもと同じか?)。で、一番びっくりしたのは、東横インの社長の記者会見。あれはあれでしょ。子供が怒られてるのをやり過ごすときの顔だよね。目つぶって、絶対相手を見ない。下を向いて「ごめんなさい、ごめんなさい」を繰り返す。怒られてる内容は関係ない。ただただその場を切り抜けようとする。試しにやってみたけど、なかなかできないよー。大人は。あんな顔をクチャーッとするのは。未就学児並み。すごいな。その前の会見があれでしょう。思いっきり目見開いてパカーッと伸びるだけ伸びてるよね。首まで亀みたく伸縮させて「やっちゃいましたッ」だって。あれだけ伸縮自在な顔面筋もめったにない。あのトシで。クシャおじさんもびっくりだ。いやあ、長いこと生きていると、いろんなものを拝めるもんですね。そこいくとホリエモンの顔のバリエーションの少ないこと。いま思い出のVを見ても、ほとんど同じ。食べててもしゃべってても。そういや笑ってる顔ってないな。いや、いつも半分笑ってるか。そういう意味ではわかりにくいか。ホリエモンは、去年の今頃、私が願った通りになりました。まだ本人は認めたくないみたいだけど。これで一皮むければ、表情にもちっとは深みが増すでしょう。だからって、西田社長みたいに無駄なシワつくっても困るけど。クシャおじでも半端笑いでも港区の豪邸と自家用ジェット機、行き着くところはやっぱそこか。京大アメフト集団暴行事件、なんてのもありました。「もっと大人だと思っていたが、これほど未熟だとは思わなかった。甘かった」と監督も反省。三人ともなかなか堂々とした面構え。浅井慎平さんは全寮制について問題視していたけど、やっぱりそういった問題なんでしょうかね。まあ、よかった。早いうちに芽が出て。えっ、もちろん彼らのためにですよ。社会に出る前に顔つくり直せるじゃん。
2006.02.07
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日テレ「メレンゲの気持ち」の美輪明宏。ほとんど一心同体の江原啓之がビデオレターに出たりなんかしていて、言いましたね、はっきり。「私たちは、人を脅したり、ののしったり、威張りくさった態度で、自分を偉くみせるような、どこぞの誰かみたいなことはしない」。久本も言ってたけど、どこぞの誰かはすぐにわかる。「名前は言ってないわよ」とご本人は言ってましたが。確かにねー。6だの8だのでやってるイジったりイジられたりの番組より、テレ朝の夜中のほうが説得力がある、というか品がある。それがなんなのかはわからんけど。和田アキコが数子の教えに反して新譜を出して、まあやっぱりヒットもしなかったんだけど、そのせいか絶交中って話。そのアキコが、年末のテレ朝のスピリチュアルの特番で話していたのが、以前ゲストに出たときのこと。江原さんに「レイ・チャールズがそばにいる。歌い続けることがアナタの務め」といわれたんだけど、ちょうどそのとき歌をやめようかと思っていて、出演直前にマネジャーにもその話をしたばかりだったんだって。そういう、つまり通じている(?)人の本当の言葉って、やっぱり人の背中を押すものでなくちゃと思う。でないと、こういっちゃなんだが、そういう役目を負った人としての意味がないと思う。それって肯定から始まるものでしょう。ときには罵ってもいいけど、相手をすくませるものじゃダメだよね。年末、子供のごくごくシンプルな質問に、ろくな答えもできなかったところで、その辺の格がわかった。イイトシしたタレント相手なら、足りない語彙を怒りで補っても許されるけど、子供には通じないもんね。まず顔が怖いし。怖いといえば、アッコも昔はもっと怖かったな。いまはなんかわからない。頭の鈍さも丸出しだし。熊さん?それともなんだっけ、小人たちに囲まれたジャンボさん?♪ハイリハイリヒレハイリホー(古ッ)。路線変えたくなる気持ちもわかる。タモリも似たようなポジションだけど、まだいろんな面で若い者に負けないところが、橋本雅邦翁的でやっていける。わかるわけないか。(芸大美術館蔵by大観)
2006.02.04
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「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」。今年はいちおうジェイク・ギレンホールが出ている映画はぜんぶ見ようと思いまして。芸達者が集まり、小品ながら(?)いいものでした。最後がちょっと「あれ?」だったけど。グウィネス・パルトロウ上手いです。うますぎて、最後のほうは鼻につくくらい。化粧っけのなさがメリル・ストリープを思い出させたりして。ジェイクもだけど、やっぱり血筋ってだいじかなと思う。役者の場合。けど、なんといってもアンソニー・ホプキンス。凄みあるなぁー。この世のものとは思えない。たぶん生きている中では地上最高峰の役者。そういえばジョディー・フォスターの予告編見ていて、彼女の役者魂は「羊たちの沈黙」以来、さらに大増強されたなと思った。明らかにホプキンスによる女優改造が行われた。なのに「フライトプラン」1位で、こっちはパラッパラ。やっぱりテーマが数学というのがいかんのかしら。「博士の愛した数式」も伸び悩みだし。いえ、あれは原作と違いすぎるので。寺尾聡、違うだろう。いくらほかにいないとはいえ。ああ日本のホプキンスはどこに?小川洋子さんの原作はよかったですよ。個人的には、もしかして数学に近づこうかどうしよか、の時期なのでしょうか。世の小ブームに乗って。藤原正彦先生の「国家の品格」も読み始めまして。数学かー。プルーフ・オブ・私の高い高いバカの壁。上る気になったとしたら自分が怖い。ってったって上れるわきゃないんだけど。
2006.02.02
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近頃は、目(耳?)を疑うような記事によく出くわす。永六輔さんのラジオ番組で、「給食費を払っているんだから、子供には『いただきます』をいわなくていいと教えています」というような投書がきたそうな。な、な、ぬゎ~ぁにぃ~??!!もう力が一気に抜けました。はぁぁぁぁぁ…。番組では、それなりに波紋を呼んだらしいんだけど、もうね、こうなると私らの手に負えない。「給食費←いただきます」の構図にどう対応したらいいのか、とんと。いったい誰に向かっていただきます言うとんじゃい!とすごんでみたところで、空しく返すはこだまよ~、チッチキチィ…。永さんも結論として、別に強制する気もないし、言いたくなかったら言わなくていい、と半分投げてる。お気持ちわかります。それでもやっぱり泣きながら問いただしたくなる。「いただきます」は誰に言うの?給食費じゃないんじゃないの?給食をつくる人なの?材料になる食物をつくってくれた人には?運んでくれた人には?あ~ん。もうね、想像力の欠如もここまで極めれば、こちらが単に打ちのめされるだけ。勘弁してください。Age74の講演でもその話は出た。「いただきます」って、やっぱり目の前の食べ物に対してでしょう。まず。こんな私に滋養をつけるために、自らを投げ出してくださるお魚さん、お肉さん、お野菜さん。ちゃんと食べるから許してちょ。私の中で精一杯力を発揮してちょ。私もできるだけ、それにお応えしますから。てことでしょう。「いただきます」はただの挨拶じゃないの。お知らせであり、お願いであり、お詫びであり、お礼なの。だから、誰が見ていなくても自然に手を合わせる。お膳の上の料理は、「そぉか、いただくんか。よしッ、じゃ、ちゃんと食え。任せろ、ちゃんと栄養になったるから」って、誇り高く心積もりができて、きっちり食べられてくれる。これ、究極のイマジネーションではないですか。「いただきます」の一言が、料理を作る人、食材を作る人だけでなく、運ぶ人、売る人、土や水、天気まで巻き込んでいく。そのくらいでっかいスケールの言霊が、からだの内と外を飛び交うわけ。「食」って、そういうことでしょう。それを、給食費払ってるから言わない、って…(悲)。永さんの友人の中華料理屋の主人が、食べるときに「いただきます」と言ったお客がうれしくて、デザートを無料で出すサービスをしたことがあって、採算が取れるのか?と聞いたら「大丈夫、そんなにいないから」といわれたそうな。食べる前に「いただきます」言って、言わなかったヤツに見られて「そんなの聞いてない、汚い」って逆ギレされるほど、人数目立たなくてよかった。そんな世の中です。
2006.01.22
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