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我が家の前を流れる小川(ドブガワ)の土手や川原の雑草が勢いを失う傍らで、招かれざる客、クレソンが勢力を拡大し始めました。昨年、群落がこんな大きさ(長径60cm)に育ったのは12月半ばだったので、1月半も早い始動です。この勢いで春まで成長が続いたら、来年の春には河川敷が完全にクレソンで埋め尽くされるかも知れません。恐るべし、クレソンの生命力。それにしても、これをアシストしているのが、我々人間の生活汚水だと思うと、考えさせられます。
2008年10月31日
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森や山で写真を撮影していて、もっと広い範囲を写したい、暗くても撮影できる高感度のものが欲しい、などと贅沢な欲求は留まるとことがありません。画角だけなら一眼レフを取り出せば済むのですが、重量やカサ張る点が大きな障害になります。先般の槍・穂の徘徊で、とうとうこの欲求が自然発火するに至り、長い間行動を共にして来た相方の世代交代を図ることにしました。新しい相方は35mmカメラ換算でf=28mm、ASA感度12800相当を謳い文句にしていて、これまでの機種と比べると、イライラはかなり軽減しそうです。キャ○ンや○コンなどトップメーカーを避けるのは、私の性格のゆがみかも知れません。
2008年10月30日
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長々と紹介してきた槍・穂登山でしたが、私のレベルで対処できるのはギリギリこの時期までで、体力、装備両面で冬山には歯が立ちません。昨日、槍ヶ岳山荘のライブカメラ画像にアクセスしてみると、山荘前の広場は一面真っ白になっています。3000mの山は日毎に遠い世界になりつつあります。それはさておき、今年もあっちこっちの山で草臥れたオッサンを癒してくれたものの代表格がライチョウですが、場所や固体こそ違うものの、シーズンイン直後とオフシーズン直前では容姿も大きく変わり、成長の跡を見せてくれました。上は8月上旬、種池山荘前で大勢のギャラリーに取り巻かれて、ちょっと不安そうなヒナ達です。この時の雛は6羽いました。平均的な抱卵数は5~6個という説もあるので、この家族はこの時点で全員揃っていたのかも知れません。場所によっては、同時期でも2羽、3羽に減っていることが多く、鷲鷹類やオコジョなど天敵に晒されながらの極限の生活環境は気の毒になります。下は10月中旬に西鎌尾根で出会った固体で、2羽が大きく育って、既に体型で親子を識別することはできなくなっています。冬毛への衣替えも始まって、もう飛べる状態になっているのかも知れません。この先、厳しい冬を無事に越してくれるよう祈るばかりです。
2008年10月29日
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話は前後しますが、上の画像は槍の頂上への最後の梯子と、それを上り詰める登山者で、後姿ならOKという了解を貰って撮影したものです。この人とは、後に山荘で相部屋になり、いろいろ話を聞かせて戴きました。さてその日の夕食の際、人数を数えてみると日本人が老若男女合わせて12名、やや遅れて食堂に集まったデンマーク人のパーティ12名の、総勢24名がこの日の宿泊者でした。食事が終わった後、玄関脇のストーブの周りに、この宿泊者の大半が集まり、英語、ドイツ語、関西弁、九州弁、標準語、その他方言とり混ぜての、賑やかで訳が判るようで判らない宴会が2時間にわたって繰り広げられました。その翌日は、自分一人だけが西鎌尾根経由で、双六岳方面を目指して出発しましたが、途中で異様に脚の運びが悪化していることに気付かされ、急遽計画を放棄して千丈乗越から飛騨沢に下り、新穂高登山口に向けて下山しました。予定を大幅に組み替えたりしながら3日間歩き続けたことで、筋肉が伸びきったゴム紐状態になっていたようです。樅沢岳や双六岳は取りこぼす結果になりましたが、充実した”1万尺徘徊”ができた4日間でした。
2008年10月28日
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早朝の、岩も梯子もキンキンに冷えた状況での登攀は敵わない、ということで今日のうちに山頂往復を済ませておきます。上の画像は山荘から見た槍ヶ岳の山頂部で、「ここを通れ」という意味合いのマークが”○”や”→”で表示されています。このマークを結んだのが白い点線で、この線に沿ってよじ登ります。15:34 山荘を出発。装備はサブバッグにカメラを入れただけの超軽装です。岩石のシワや割れ目に掴まりながら、慎重に進みます。要所要所には鎖や梯子が設置されていて、腕と足で分業しながらの登りです。ルート構成は険しいのですが、想像していたほどの緊張感はありません。下の画像は最後の2連の梯子で、2段合わせると15mぐらいあります。ここも何と言うこともなくクリアし、15:50には山頂に立つことができました。山頂は、さほど広いとはいえない平坦部に祠がポツンと置かれているだけです。山荘を出た時には上空はきれいに晴れていたのが、山頂に着いた頃にはガスに巻かれて遠景は殆ど見えません。長居しても状況が好転するかどうか判らないので、山頂には10分ほど滞在しただけで下山にかかりました。16:22 槍ヶ岳山荘 到着。何はともあれ、これで日本百名山を全山完食したことになります。いや~、 ゴッツァンでした。
2008年10月27日
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稜線上に出て、まずは南進して、直線距離で400mの南岳を目指します。12:20 南岳(3033m)に到着。一足先に20代半ばぐらいの若者がここに到着して休憩していました。何とこの若者、大キレットを越えて来たというのです。雪は残っていたが障害なるほどではなかったといいます。1日で状況が大きく変わったのか、過大な予防線に振り回されたのか判りませんが、遠回りして来たことが無駄だったような気になってしまいました。気を取り直して北に向かいます。ここから先は標高差も少なく、足腰の負荷も大したものではありません。そこそこ快適なペースで、順次目標をクリアしました。13:37 中岳(3084m)到着。中岳から大喰岳に向かって下る斜面は、やや急峻な崖になっていて、クサリとハシゴのお世話になりながら下ります。14:22 大喰岳(3101m)到着。大喰岳から槍ヶ岳までは、直線距離で700mほど、ここまで来ると槍の穂先に立つ登山者が肉眼でも捉えられるようになります。15:11 本日の宿泊先、槍ヶ岳山荘に到着。槍沢ロッジから歩き続けて、足腰はかなりくたびれています。先に宿泊の手続きを取ながら、休憩時間の引き延ばしを図ります。
2008年10月26日
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さて、3日目の朝です。2日間、目一杯歩いたため足にマメもできてしまいました。患部にかかるストレスを分散させるよう、靴下は3枚重ねです。表に出ると、山荘前の広場に望遠鏡が据え付けられています。ここ槍沢ロッジ(上画像)からは、槍の穂先が見えますが、望遠鏡はそれに向いています。試しに覗いてみると、もう山頂を歩き回っている人が2人います。何とマメな人たちか・・・。6:40 槍沢ロッジ出発今日は槍ヶ岳に登る前に、南岳、中岳、大喰岳など3000m峰3つに寄り道します。何より南岳への途中の天狗池の”逆さ槍”を見るのも大きなテーマです。ロッジから40分でババ平のテント場、更に1時間半で天狗原への分岐に着きました。ここで多くの登山者の群から離れ、私1人だけ天狗原に向いました。大小の岩石が散乱するカール地形の斜面を斜めに横切り、40分ほど進むと巨石がころがる平地に出ます。天狗原です。この一角にバレーコートほどの小さな池が、澄んだ水を湛えていました。南側の土手に回り込むと、無風で鏡のような水面に、きれいに槍ヶ岳が映り込んでいます。絶景です(下画像)。この後も、大小の岩石が散乱するカール地形が続き、次いで尾根へのクサリ場、ハシゴ場もこなして稜線上の縦走路に出ました。
2008年10月25日
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北穂高岳から涸沢に向けて下り始めて間もなく、ライチョウの家族に出会いました。3羽の家族です。ヒナもすっかり大きくなって、どれが親でどれがヒナか見分けが付かないほどです。既におなか周りは冬毛に衣替えが始まっています。2時間弱で涸沢ヒュッテに到着し、ここで昼食を兼ねて長めの休憩をとりました。45分の休憩の後、横尾に向けて出発しました。涸沢から上高地への中継地・横尾までは約6km、”屏風の頭”(標高2565m)と呼ばれる岩山を時計回りに半周しながら下って行きます。標高差は700mほど、登りはさぞきついでしょうが、下りもばかにできるものではありません。このルートを歩きながら、今回の山行を思い起こしてみると、いかにも残念で悔しいことになりかけています。このまま下山してしまうと、次の挑戦はかなり先のことになってしまいます。ならば、もう一度方針を変更して横尾から槍沢経由で登り直そうか、ということで考えがまとまり、何となく脚の運びが軽くなったような...(いや、気のせいでしょう)。横尾山荘(下画像)でも、やや長めの休憩を取り槍沢ロッジを目指します。距離はおよそ4km、1時間余りかかって到着したのは16:10でした。今夜はここに泊めて貰います。今日もよく歩いたなー。
2008年10月24日
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穂高岳山荘に戻ったのは14:20、ここから長い長い時間潰し、じゃなくて情報交換タイムです。受付前のストーブの前に陣取って、来る人一人ひとりに、さりげなくこの日の行動と大キレットの様子を尋ねます。又聞きを含めて、10名分ほどの情報を総合すると、どうも大キレット通過は難しそうです。当方は大キレットを越えて槍に向かうつもりで来ているので、大きな番狂わせになってしまいそうです。・・・・さて、その翌日。涸沢岳、北穂高岳は問題ないので、最終的な判断は北穂で下すことにして山荘を出発しました。涸沢岳までは標高差100mほど、所要時間20分ほどで着きました。この山頂を後にして、北穂に向けて下る斜面が今日最初の肝で、クサリ攻め、ハシゴ攻めの難所が待っています。次いで2つのコブで構成される北穂を目指しますが、こちらは1つ目のコブ(下画像、標高はこちらが低い)への登りが肝です。垂直に感じられる50mほどの壁を、割れ目を伝ってよじ登ります。この間もすれ違う人全員に大キレット情報を求めて声を掛けましたが、希望の湧く返事は皆無でした。最終的に北穂高山荘のオヤジさんの迫力の篭った制止、という話を聞いて、大キレット通過を諦め、一旦は上高地に向けて下ることにしました。
2008年10月23日
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荷継沢から穂高岳山荘までは標高差で800mほど、歩行距離は2km足らずですが、延々3時間近くを費やして、やっとのことで山荘に到着しました。既に足腰はヘロヘロで、「もう歩きたくない」というのが正直なところなのですが、そうも行きません。気温が上がっている(と言っても5℃未満ですが・・・)間に、山頂まで往復しておくのが、最も楽で安全な歩き方だからです。軽目に昼食を済ませ、宿泊の手続きも済ませて(一泊二食で8800円也)、時間を潰しつつ足腰が回復するのを待ちます。私としては大休止に相当する45分の休憩の後、カメラや軽アイゼンなど最小限の荷物だけ持って、歩きを再開しました。残り高度差は200m。のっけから鎖とハシゴが連続します。ここですれ違った登山者にアイゼンはいるか尋ねると、無くてもOKとの有難い返事。この鎖やハシゴの難所は50mほどだけで、後は普通の岩場の登山路が続きます。45分ほどで山頂に到着しました。山頂には石組みの上の祠と、周辺の山々のガイドパネル(結構リッパな造り!)があるだけで、他の山でよく見られる標柱などはありません。あいにく濃いガスに巻かれて遠くの山々は見えませんが、短時間のガスの切れ間に、西穂に続く稜線上に立ちはだかるジャンダルムを目にしただけで、30分ほどで山頂を後にしました。
2008年10月22日
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白出大滝が見えるところを過ぎて程なく、コースは沢に出ます。ここに架けられた重太郎橋を渡ると、すぐに岸壁に穿たれた”岩切道”(左上)と呼ばれる狭い通路に踏み入れます。この道は狭い上に、次第に高度を上げて行き、スリル感を高揚させます。岩切道を過ぎると、再び森林に入り、次第に勾配を増しながら、大滝を高巻きして迂回します。大滝の上に出た辺りで、コースは再び沢に戻りますが、その再合流点が荷継沢で、かって小屋があったらしい石垣造りの構造物が残っています。この先、沢に水は無く、累々と大小の岩石が積み重なった中を進むことになります。勾配はおよそ30度、半端なしんどさではありません。1.5kmほど続く岩石の沢は、中ほどで少し左に方向を変えますが、この屈曲点を過ぎると穂高岳山荘の石垣や屋根が見え始めます。目標物が見えているにも関わらず、これに一向に近付けないもどかしさを味わうことになりますが、本当の所は疲労困憊してしまい、歩いているより休んでいる時間が増えている、というのが正しいかも知れません。尾根に近付くにつれ、沢は次第に幅が狭くなり、両側の岸壁が近くなります。時々この岸壁から、乾いた音をこだまさせながら、岩石が落ちて来るのにはビビッてしまいました。
2008年10月20日
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穂高岳への登山は、上高地から涸沢を経て登るのが一般的ですが、今回は超マイナーな新穂高温泉から、白出沢を通るコースを選びました。出発前の計画では、このコースでまず奥穂高岳に登り、その日は穂高岳山荘に泊まります。2日目は涸沢岳、北穂高岳に次いで、難関の大キレットを体験した後、南岳、中岳、大喰岳を経て槍ヶ岳山荘で2泊目。3日目は槍ヶ岳を往復した後、双六岳の向かい、以後の予定は天気と相談、という、何とも欲張りな計画でしたが、そんなに山は甘くはありません。新穂高温泉の登山指導センターに入山届けを投函して歩き始めたのは4:43、当然まだ真っ暗です。始めは広い林道を歩くことになります。林道区間は6kmほどで、途中少しだけショートカットする部分もありますが、闇夜の険しい山道では時間の短縮効果は微妙です。1時間ほど歩くと穂高平小屋に着きますが、この辺でようやく明るくなりました。更に40分ほど、紅葉の中をのどかに歩くと白出荷継小屋跡に到着、コースはここから険しい山道に入ります。この山道を1時間ほど進むと、木々の隙間から白出大滝が見える位置まで近付きますが、この後滝の本体を見ることはできません。左右の稜線の交点辺りの平らな部分が穂高岳山荘、右側の稜線は奥穂高岳本体の一部です。
2008年10月20日
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10/15~18にかけて、今年の歩き納めに穂高岳から槍ヶ岳にかけての山々を歩いて来ました。前日(14日)に降った雨が、2500m以上の高山帯では雪になった影響で、北側斜面には雪が残っていました。このため登山計画の変更を強いられたりと、想定外の出来事もありましたが、結果的には一帯の3000m級のピーク7つを踏んで、先程無事帰って来ました。詳細はボチボチと紹介して行きます。左は槍ヶ岳の山頂にまつられた祠ですが、強風で飛ばされない様、しっかりアンカー(実は岩石^^;)が打たれています。少し傾いているところはご愛嬌、ということでしょうか。
2008年10月19日
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山頂で1時間ほど過ごし、いよいよ下山です。12:38 山頂出発。この山は大きなアップダウウンがないので、下りで働く筋肉はまだ新品状態です。スイスイと高度を消化して、13:33 薊畑へ。ここで小休止を兼ねて軽い食事でスタミナを補給。15:00までにここまで降りて来れなかったら、近くの聖平小屋に泊まるつもりだったのですが、まだ十分余裕があります。13:43 薊畑出発。ここから下の樹海のコースも順調に消化して、16:21 無事に便ヶ島(たよりがしま)登山口に到着しました。標高差2100mを日帰りできたことで、大満足の山行になりました。(所要時間:11時間11分=休憩込み)
2008年10月13日
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樹海のコースを歩き続けて3時間半と少し、何とか尾根に着きました。薊畑です。登山路はここで聖岳に向かうコースと、聖平小屋や小河内岳、光岳に向かうコースに分岐します。休憩用に角材のベンチが設置されていますが、地盤の変動のせいか、どれもこれも微妙に傾いています。周囲は紅葉の真っ盛りなのですが、残念ながらガスのせいで、風景も色合いもクリアさがありません。ここで15分ほど休憩と軽い食事でスタミナを補給。残り標高差600mほど。あと一踏ん張りです。薊畑というものの、草地に生えているのは”マルバタケブキ”ばかりで、アザミは殆ど目に付きません。この辺りから樹木は次第に樹高が低くなり、天気さえ良ければ風景を楽しみながら歩ける筈なのですが、今日はガスでさっぱりです。標高2660mの小聖岳に着く頃には、潅木も途切れ途切れとなり、山頂への最後の急登ではハイマツ以外は生えていません。11:40 聖岳山頂(3013m)に到着。山頂部はなだらかな台地状になっており、5~600m離れた奥聖岳(2982m)まで緩やかな下り勾配になっています。左下は奥聖から聖岳に戻る途中ですが、量は少ないながらここでもウラシマツツジが紅葉の盛期ですが、直射光がないだけに鮮やかさに欠けます。
2008年10月12日
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”秋の夜長”は、裏返せば昼が短い(あったり前だろ!)ということで、今回は夜も明け切らない5:10に出発しました。当然周囲は真っ暗で、ヘッドライトのお世話になりながらの歩きです。登山口から2.5kmほどは林鉄跡の広い遊歩道を進みます。40分ほどかかって、遊歩道の終点、西沢渡に着いた頃には、すっかり明るくなっていました。ここで沢の対岸に渡るのですが、橋ではなくゴンドラが敷設されています。沢の中ほどに停まったゴンドラを、人力で引き寄せて乗り込み、こんどは人力で対岸を手繰り寄せる(・・・?)ことになります。垂れ下がったワイヤーロープにぶら下がったゴンドラは、沢の中間までは自然に進むのですが、ここから先が実に大変な力仕事です。200kg前後のゴンドラ+自分の体重を1m近く引き上げることになる訳で、単独行の登山者には過酷な作業です。この沢を渡り切ると、ひたすら急斜面を登り続けることになります。尾根に出るまで、標高差で1300mもの森林を歩くコースは、外の景色を楽しむことは絶望ですが、中ほどの鬱蒼とした原生林の底では、累々と倒木が横たわり、これらに根付いたコケが美しい景観を醸し出しています。今回は『急いで登り、急いで下る』必要があって、じっくり眺めることができませんでしたが、いつか、このコケだけを見に行きたいものです。
2008年10月11日
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聖岳に行って来ました。聖岳は最も南に位置する3000m峰で、静岡県側から登ると標高差1900m、長野県側だと標高差2100mを歩くことになります。今回はこの標高差を日帰り登山で消化する目的で、登山口まで車で行ける長野県側からアタックしてみました。結論を言うと、無事に頂上に立ち、夕方までに登山口まで下ることができましたが、この辺が私には限界かも知れません。山頂付近は紅葉の最盛期だったのですが、あいにくのガスで殆ど視界を奪われて、周辺の山も紅葉も見られないままの下山とりました。山の様子は、明日以降紹介して行きます。
2008年10月10日
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久々に園芸ネタに復帰です。9/15にショウジョウバカマの増殖戦略について紹介しましたが、今回は3週間経過した現在の様子を紹介します。少しだけ足元の用土をめくってみると、オー、しっかり根っこが伸び始めていました。増殖株の初期の葉っぱは黄変して、主力は新しい葉に交代しています。小さいなりに親株の遺伝子はチャンと受け継がれているようです(当然だろ!)。それはそれとして、地上部では本丸周辺がかなり賑わっています。本体の脇で成長し続けているこちらのたくさんの脇芽は、この先どんな風に展開するか気になります。
2008年10月07日
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長々と続けて来ました、荒川三山と赤石岳への登山ツアーを、山行記にまとめました。この場では説明し切れなかった内容も織り込んだつもりです。山に興味をお持ちの方はご覧ください。 悪沢岳 ・・・・ こちらからどうぞ 赤石岳 ・・・・ こちらからどうぞ
2008年10月06日
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荒川三山で出会った草花のPart-2です。左はタカネナデシコ。森が途切れ始めて、日当たりが良くなる草地に、小さな群落を作って咲いていました。この花の仲間は、詳細に見ると別品種なのでしょうが、標高0mに近い川原から、3000mに近い高山帯まで、広い範囲に分布しています。環境対応能力はずば抜けて高いようです。右はタカネマツムシソウ。山頂に近い砂礫地の草むらにたくさん咲いていました。最外周の花が寿命を迎える頃には、内側の小花が順番に入れ代わって咲く、という繰り返しで長期間見ごろが持続します。画像には納められませんでしたが、直径2cmぐらいのネギボウズ状の種子も、可愛くて見ものです。
2008年10月06日
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今回は荒沢三山で出会った草花をご紹介。登山道に入り最初に気付いたのは巨大なアザミでした。足場の問題もあり、最大級のものにカメラをむけることはできませんでしたが、後で休憩した場所に咲いていたものを撮影して来ました。この固体の大きさは花の直径は4~5cm、ゴルフボール大といったところです。名称はフジアザミといい、富士山の周辺に多いことから名付けられたとか。花の直径は、大きいものでは10cmに達するものもあるそうで、国内で見られるアザミの中ではダントツの大きさだそうです。ということは、ゴルフボール大なんぞは、まだまだ”ハナ垂れ小僧”ということでしょうか。
2008年10月05日
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今回は森の凶器のご紹介です。この時期、森に足を踏み入れると、落葉を持ち上げていろいろなキノコが顔を出しています。私の場合、食べられるキノコはシイタケ、マイタケ、シメジぐらいしか識別できません。これら以外で山に生えているものは、食ったら死ぬ(かも知れない)と決め付けて、加工済みかスーパーなどに並んだもの以外には、一切手を出さないことにしています^^;。それでも森を歩くと様々な、そして実に美しいものが多いのに驚かされます。上はタマシロオニタケ、下は広く名を知られたベニテングタケで、いずれも有毒です。タマシロオニタケの場合、図鑑の解説によると、大人が1個食べると、悪くすると3日ほどで死に至るとされています。ベニテングタケの場合、かっては「致死性の猛毒」と説明されていたようですが、量にもよるでしょうが現在は下痢・嘔吐・幻覚など神経性の毒性は示すものの、死に至ることはないと解釈が変わっているようです。始末の悪いことにこのベニテングタケ、”旨み”という点ではホンシメジも真っ青というほど美味なんだそうです。このためこの美味の追求や、中毒症状としての『幻覚』を期待して、敢えて口にするという猛者(ここでは”ムコウミズ”と読む)もいるようです。よい子はまねをしてはいけません。絶対に!
2008年10月03日
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山頂部を後にして以降は、ガスには湿っぽさはなくなりました。服装は早朝の気温、2.5℃に対応したものなので、標高が下がるに連れ、大汗をかき始めます。大雑把に言って500m下がる毎に着衣を1枚脱ぐ勘定でした。最初は0℃対応ウィンドブレーカ、次いで長袖Tシャツ、残るは半袖Tシャツだけなので、ここまでです。何はともあれ、天候が崩れる前に登山基地・椹島に辿り着けたのはラッキーでした。標高差2000mを4時間40分で下った勘定になります。休憩・昼食込みなので、ま、上出来ということにしておきます。畑薙ダムまでの送迎バスは、最終便が既に発車した後で、ここにもう1泊ということになりました。登山に2日、前泊、後泊で計4日は、いささか不経済な山行ではあります。それはそれとしてこの4日間、天候不順もあって山頂に立ったにも関わらず、赤石岳の山の全体像は一度も目にすることがありませんでした。「誰か、赤石岳ってどんな山か教えてくれ~」と言いたい気分です。
2008年10月02日
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強風+湿っぽいガス+寒さ=早めに退散 ということにして、山頂滞在は僅か7分で下山にかかりました。大骨折って歩き詰めてきた割には、呆気ない幕引きですが、この天候ではさほど未練もありません。山頂部を後にする直前、この山でもライチョウの親子に会えました。やはり警戒心が強く、4羽いたヒナはクモの子を散らすように、ハイマツの茂みに逃げ込んでしまいました。1羽だけ残った母鳥が”鳴き声通信”でヒナ達の所在を確認している様子です。ここでも稜線を離れて南斜面に少し下っただけで、強風はピタッと治まりました。地形の威力は偉大です。ただ、ガスの方はこの後も長いお付き合いになりました。山頂部から富士見平までは、ガレ場、岩場取り混ぜて、アップダウンの入り組む難所が続きます。この部分さえ乗り切れば、後は比較的緩やかな尾根歩きが続きます。ここも深い森の底のコースなので、風景を楽しみながら歩きたい向きには、退屈極まりないコースかも知れません。この森の標高1500m付近で、時期外れのギンリョウソウの群落に出会えました。葉緑素を持たず、朽ちた落葉などに寄生するこの花の花期は6~7月の筈ですが、この時期に会えたのはラッキーかも知れません。
2008年10月01日
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