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患者が不幸な結果となったときに、診断できたはずだ、助けられたはずだという人々が居る。ただ陰口をたたかれるだけなら良いが、民事や刑事で裁かれることもあるので油断がならない。ついこの間も、一週間も経ってから容態が急に悪くなって亡くなった外傷患者の事例が報道された。最初の診断が間違っていたと書類送検されたのだ。後からなら何とでも言えるが、結果が分からないうちに正しい判断をすることが困難な事例はいくらでもある。亡くなるような事例であったことが分かった後で、あれこれ言うことは間違いなのだ。 今回は遊びで、知らなければ分からない画像を提示する。結構有名な画像なので、知っている人も多いだろう。画像自体を貼り付ければよいのだが、著作権の問題もあるのでリンクだけとする。 まずは画像1を見て欲しい。なにやら大小の点がいくつも見える。ヒントを貰うと、ある画像にしか見えなくなるが、ヒントがないと、多くの人には何が何だか分からないだろう。この絵からの教訓は二つある。診断が困難な症例の画像でも、結果を知っていれば診断が容易だと思えるというのが一つ。もう一つは、与えられた情報に引きずられて、意味のない画像でも、意味のある画像だと思いこむ危険があるということ。結果を知っているからこそ、本来所見のないところを深読みしすぎることもあるのだ。鑑定に関わる医師には、是非知っておいて欲しい。 しばらく楽しんで貰えるよう、ヒントはしばらく出さない。 つぎは画像2、こちらの方は、AのマスとBのマスの明るさの比較。どちらが明るいと思いますか。問題になるくらいだから、答えは想像できるでしょうが、その答え通りに見えるかというと、ほとんどの人は見えないと思う。音に絶対音感の持ち主が居るように、色にも絶対色彩感覚の持ち主が居るようで、絵の好きな人で、答え通りに見えるという人がいたのには驚いた。こちらは答えを自分で簡単に調べられる。画像をプリントして、AとBを切り取って並べてみればよい。私はそのようにして確かめたが、確かに答え通りなので驚いた。見かけの印象で判断してはいけないことの、良い教訓だと思う。2月5日追記 ユウズキンさんに重大なヒントを出されてしまったので、予定より早く種明かしをします。画像1のリンク先のURLを見ると、ダルメシアンの画像だと言うことが分かります。そこまで気が回らなかったあなた、これが医療裁判だとすれば、トンデモ鑑定医に言いたい放題言われる可能性があります。同業の皆様、ご用心。 私自身、画像1を初めて見たのは菊池聡氏の著書で、もちろん何が何だか全く分かりませんでした。でも、ヒントとして、全く無関係なダルメシアンの写真を見せられると、あら不思議、もう、ダルメシアンが歩く後ろ姿にしか見えなくなりました。いわゆる後知恵バイアスというものですが、人間の認知とはこのようなものだと言うことを踏まえて、医療行為を批判する場合には慎重になって欲しいと思います。 批判する側だけでなく、診療する側にもこのような配慮を勧めているサイトもあります。ご参考までに。 画像1が後知恵バイアスで「そのように見える」例だとすれば、画像2は、答えを知っていても「そのようには見えない」例です。医学的には正しいと説明しても分かって貰えないことを暗示していそうです。答えは「AもBも明度は同じ」ですが、私にはどうしても同じには見えません。今回は画像処理ソフトでAとBを切り取って並べて比べてみました。そうすると本当に同じように暗い色です。お試しあれ。
2008.01.31
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「医療事故」の民事訴訟の報道のよくあるパターンは、患者側の訴状の内容に沿った一方的なものだ。訴状は原告の一方的な主張が書かれているものだから、その内容に沿えば当然一方的になる。争いがあるから訴訟になっているのだから、当然被告の主張も載せるべきなのだが、そういうことは滅多にない。次の記事もおなじみのパターン。検査ミスで長男障害と提訴 医師の富家さん、母校に <1> 記事:共同通信社 【2008年1月23日】 東京慈恵会医大病院で必要のない危険な血管検査を受けた長男(23)の右半身にまひの障害が残ったとして、同医大出身の医師でジャーナリストの富家孝(ふけ・たかし)さん(60)らが22日、病院を経営する慈恵大に対し、計約1億3500万円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。 訴状によると、長男は2006年5月、手足のしびれを訴え入院。カテーテルを挿入し、脳の血管を撮影する脳血管造影検査をしたところ、急性脳梗塞(こうそく)を発症。手や足がまひし、うまく話せないなどの障害が残った。 原告側は、既に別の検査で、血管炎による多発性脳梗塞の可能性が高いと診断されていたにもかかわらず、症状悪化の危険がある検査をしたと主張。けいれんが起きた時点で検査を中止すべきだったのに、続行したと訴えている。 提訴後に会見した富家さんは「医療事故は多いが、交通事故と同じように自分だけは遭わないと思っていた。大学病院の過剰な検査漬けが問題だ」と語った。 病院の「訴状が届いていないのでコメントできない」というコメントがついていれば典型的だが、今回はなかった。患者側の主張だけ聞いていると、必要もない危険な検査が行われたようだが、実を言うと、病院の主張も同じだ。異なるのは、検査をするようしつこく要求したのが富家氏だということ。刑事告訴して、相手にされないので民事で訴えたらしい。富家孝医師、長男が医療ミス告訴…半身麻痺など後遺症 現在もリハビリ 富家氏の長男に対する医療過誤で告訴された慈恵医大附属病院。富家氏は「有名教授でも医者としてレベルが高いとは限らない」と断言する ジャーナリストとしても知られる医師の富家(ふけ)孝氏(60)の長男(23)が、富家氏の母校・慈恵医大の附属病院に入院した際の主治医ら4人を業務上過失傷害で警視庁捜査1課に刑事告訴し、同課は関係者から事情聴取を始めた。長男は一時、半身麻痺などの後遺症が出たという。富家氏は「長男には不必要なのに、リスクが高い脳血管内の撮影検査を行った」と、主治医らの医療ミスを主張している。 告訴されたのは、主治医の同大医学部助教授とその上司にあたる教授、そして検査を行った2人の医師。 事故当時、長男は青山学院大の4年生で、アメフト部の副主将を務め、就職活動でも広告代理店に内定目前という状況だった。 富家氏によると、長男は昨年3月中旬ごろから時折、手足のしびれや物が見えにくい感じなどを訴えていた。4月下旬から複数の病院でMRIなどの検査を受けたが、脳と脊髄(せきずい)の原因不明の難病である多発性硬化症、脳梗塞(こうそく)、血管腫など、医師の見解は分かれた。 5月9日夜、長男は右足のしびれや脱力などの症状を訴え、前日に受診していた慈恵医大病院の神経内科に入院した。当初は多発性硬化症とみられたが、頭部MRIやエコー検査などの結果、血管炎による多発性脳梗塞の疑いが強いとの結論にいたった。 血管炎とは全身の動脈に発生する原因不明の炎症。医師らは治療を始める前に血管炎と確定させたいとして、「脳血管造影」による検査を決めた。この検査は太ももの動脈から挿入したカテーテル(細い管)を首まで到達させ、造影剤を動脈内に注入しながら血流のX線写真を撮る。 検査当日の19日、富家氏は仕事先で早急に病院に来るよう連絡を受けた。医師らからは「検査中に脳梗塞が起きた。脳血管造影の影響が原因とみられる」と告げられた。治療で症状に改善が見られたため、検査は続行された。 医師らの説明では、右頸動脈の造影を終え、引き続き左の検査に移る途中で長男が突然、痙攣を起こしたという。 長男は富家氏に「管が入り『上に行くよ』と言われてすぐに声が出なくなった」と話した。不信感を抱いた富家氏は、22日に長男を転院させた。長男には右半身麻痺、失語などの障害が残り、現在は週4日、リハビリに通っている。 富家氏は「これまでも医療問題を取材してきたが、本当の意味で患者の気持ちを分かっていなかったと痛感した。医療ミスをしっかり追及することは、医者でなければできない」と、長男に告訴を勧めた。 今回の告訴に伴い意見書を添えた医師は「血管炎が原因と考えるなら、炎症のまっただ中の脳血管にカテーテルを入れて造影剤を流すのは暴挙だ」と、主治医らの判断に疑問を抱く。 脳血管造影は脳梗塞などの合併症を起こすリスクが高いとされ、検査後に手足の麻痺やしびれといった神経症を100人に1-2人が生じ、重い後遺症が1000人に1人の割合で残るとの統計もある。意見書を出した別の医師は「検査途中で明らかに梗塞を引き起こしたのに、中止して処置するわけでもなく、さらに2度も造影剤を流して状況を確認しようとした行為は許し難い」と指弾する。 富家氏は「患者を治すよりモルモットのようにデータを取ることを優先している」と日本の大学病院の現状を憂いたうえで、「医者の言うまま過剰に検査を受けている患者は多い。ちゃんと戦わなければ、こうした問題はなくならない」と話している。 ■リスク説明した過失は一切ない…病院側 慈恵医大附属病院の話 「告訴は受理されていないし、受理されることもないでしょう。血管炎は非常に珍しい病気で、担当医師からご本人とご家族に、検査のリスクを2回も説明しています。やめたほうが良いとまで進言したにもかかわらず、撮影検査を懇願してきたのは、当の富家氏ご本人。(告訴については)まったく理解できません。過失は一切ありませんでした」ZAKZAK 2007/12/06 病院の主張だけが正しいと言うつもりはないが、患者側だけの話とはずいぶんと違う。報道するからには、争いの当事者の双方の主張を載せるべきだと思う。病院側の主張が事実なら、誣告罪で逆に告訴するような事例ではないだろうか。
2008.01.27
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「がんになっても、あわてない」という本があります。著者は同名のブログを開設している平方眞先生です。ブログでのプロフィールには「諏訪中央病院緩和ケア科部長(ただし部下なし)」とあります。何度もブログにおじゃましているうちに、何時か読んでみようと思っていました。このたび機会があって、読ませていただきました。 緩和ケアの専門家の書いた本ですから、ガンについても、緩和医療についても、必要な情報は書かれています。でも、著者のメッセージを一言で言えば、「死は誰にでも必ず訪れるのだから、まだまだ死が先のことだと思えるとき、冷静に死について考えられる今、死への準備をしておきませんか」ということだと思いました。そして、準備をするための参考資料として、著者の専門とする情報が提供されているように感じました。 驚いたのは、読みやすさです。家内も一緒に読んだのですが、やはり読みやすく分かりやすいと言っていました。専門家が一般向けに本を書くのは難しいことだと思っています。私もブログを書いていて、「何でこんな表現しかできないのだろう」と自己嫌悪に陥ることはたびたびです。でも、この本は、一般の人にも分かりやすく、疲れない文章で書かれています。文章のプロでもない医師が、このような本を出せることに驚きました。元々才能がある上に、仕事で丁寧な説明をしていることが役に立っているのでしょうか。 すでにガンにかかってしまった人には、情報源として有用です。また、今は健康で、何の心配もしていない人にも、一度じっくりと行く末を考えるために読んで欲しい本だと思いました。
2008.01.26
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昨年の1月24日、初めてブログというものを始めました。あれから1年、あっという間に過ぎてしまいました。この1年の間にも、医療の崩壊は確実に浸透し、私の勤務先も危険な状態になっています。一方で、メディアの報道は、多少は考慮するようになったとはいえ、基本姿勢は未だに医療バッシングです。この先も道は険しいと言わざるを得ないようです。 ほとんど独り言のような内容ですが、それでも読んでくれる人がいるのかどうかは気にかかります。とはいえ、医療ブログに限っても、人気サイトと比べたら、それこそ桁が違うアクセス数なので、あまりカウンターは気にしないようにしていました。でも、一周年を迎えるに当たって、もう少しで切りの良い10万アクセスになりそうなので、多少は気にしていました。今までのペースから考えると、ちょっと無理だと思っていたのですが、思ったより最後の一週間でアクセスが伸び、おかげさまで10万アクセスを超えることが出来ました。ラストスパートに協力してくださった皆様、ありがとうございます。 今後も、医療への誤解を解くための役に立てればと思い、続けていくつもりです。
2008.01.24
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昨日の朝、テレビを見ていたら「ヘルニアで誤って卵巣摘出」と言うアナウンサーの声が聞こえた。女の子の場合、ヘルニア嚢の中に卵巣が入っていることは時々ある。確かめもしないで取ってしまったのならうかつなことだと思った。でも、病院側は、特殊な例であってミスとは考えていないと説明しているようでもあった。何しろ朝の忙しい時間帯だったもので、あまりじっくりとは聞いては居なかった。記事を読んだのは今日になってから。女児から誤って卵巣切除 三重病院がヘルニア手術で 記事:共同通信社 【2008年1月22日】 津市の国立病院機構「三重病院」(庵原俊昭(いはら・としあき)院長)で2005年、三重県内の生後9カ月の女児に鼠径(そけい)ヘルニアの手術をした際、誤って卵巣ごと患部を切除していたことが22日、分かった。 鼠径ヘルニアは脱腸とも呼ばれ、足の付け根付近で袋状に突出した腹膜に腸や卵巣が入り込み腫れる病気。 病院によると、05年2月上旬、女児に全身麻酔をして開腹手術をしたが、執刀した小児外科医長の男性医師がヘルニア部分と一緒に2つの卵巣のうち1つを切除した。 卵管と卵巣が離れた状態になっていたといい、手術中に触診するなどしたが、卵巣がヘルニア部分に入り込んでいることには気付かなかったという。 術後の病理検査で、切除した患部に卵巣が含まれていることが判明。病院側が女児の家族に事故の詳細を説明した。 22日、記者会見した井口光正(いぐち・こうせい)副院長は「まれなケースで、避けられなかった」とコメントした。残りの卵巣が機能しているかどうかは、患者が幼いため確認が難しく、誤切除の影響も現時点では不明としている。 ほとんど3年前の出来事なのに、何故今報道するのだろう。そもそも「誤って切除」という表現が正しいのか疑問だ。専門家である小児外科医の執刀で、手術中に触診して内容を確かめても分からなかったとすれば、ミスではなく、起こりうる不幸な合併症だと思う。あるいは、病理検査で初めて分かったとのことなので、卵巣と言っても、未発達の機能の期待できない小さなものだったのかも知れない。だとしたら、残すよりは取って正解だろう。 記事だけからは実際の所は分からないが、麻酔科医の私より、外科医の方が良く分かっているだろう。Atsullow-s caffee氏の医療事故?それとも学会報告?が参考になると思う。
2008.01.23
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漫画のモデルになり、マスコミによって「カリスマ医師」「神の手」ともてはやされた医師がいる。何度も医療バッシングの番組に出ていたので、私自身は良い印象を持っていなかった。でも、臨床医としては優秀なのだと思ったし、裁判の証人になれば、まともな見解を述べるのだと思っていた。でも、実際はどうなのか、かなりの疑問を持たざるを得ない気持ちになっている。検察官の異議申し立ては棄却! 第5回控訴審速報 自ら報告と第5回控訴審速報 その2 「当てずっぽう」「いい加減な性格の」証人の供述の変遷と信用性を見て欲しい。マスコミの情報と比べたら、裁判の記録は信用して良いだろう。私からはこれ以上あえてコメントしないので、各自が自分自身で判断して欲しい。どちらが虚像で、どちらが実像なのか。
2008.01.22
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医者というのは基本的には世間知らずだと思う。今までは医療に警察が乗り込んでくることがなかったから、あまり問題にならなかったが、これからは取り調べについても学ぶ必要があるだろう。前のエントリでも、「結果的に誤診だった」と言えば誤診と扱われることを書いた。大淀病院の事例でも、院長が「結果的にミスだ」と言ったために、ミスを認めたと報道された。世間というのは、決して善意で動いているわけではない。自分の身を守るには、自分で行動する必要があるだろう。警察は、世間以上に危険なところだと、あなたは知っているだろうか。 医療に関わる以上、患者の死は日常だ。そのうちのいくつかは、問題にしようと思えば問題になりうるだろう。遺族がその気になれば、今の時代、警察を動かすことは難しくない。そうなれば、あなたも取り調べを受ける可能性がある。準備しておいた方が良くないですか? そこでお勧めなのが、「取調べを受ける心がまえ」という弁護士の書いたアドバイス。取り調べ調書を書くのは警察官で、警察官の仕事はあなたを有罪にすることです。不用意な発言や安易な妥協で、自らを窮地に立たせることの無いようにしましょう。
2008.01.21
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昨年末、ロタウイルスのエントリで、比喩というより揶揄のつもりでコメント欄に次のように書いた。でも、それが現実のものになったようだ。チョキでジャンケンに負けたとき、「パーを出せば勝てたことは認めますか?」「えー、そりゃ、まー、そうですね」「それなのに、漫然とチョキを出して負けるに至ったのですね?」「んなこと言ったって、そのときは分からないし」「負けという重大な結果を招いておきながら、反省が見られませんね」 当たり前のことだが、チョキで負けることはジャンケンする時点では分からない。こんな説明するまでもないことを、医療では説明しなくては分からない。と言うより、説明しても分からないようだ。こんなことで書類送検されるようではたまらない。内科医を書類送検 「誤診」容疑認める 白岡中央総合病院の医療過誤死亡 記事:毎日新聞社【2008年1月18日】 白岡中央総合病院の医療過誤死亡:内科医を書類送検 「誤診」容疑認める /埼玉 白岡町の白岡中央総合病院で05年、患者の直腸に開いた穴を見落とし死亡させたとして、県警捜査1課と久喜署は17日、同院の男性内科医(42)を業務上過失致死の疑いでさいたま地検に書類送検した。内科医は「結果的に誤診だった」と容疑を認めているという。 調べでは、内科医は05年11月3日午後4時ごろ、腹痛を訴えていた同町の会社員の男性(当時54歳)を当直医として診察し、痛みの原因を特定する診療を怠り急性小腸炎と診断。翌4日午後1時40分ごろ、男性を直腸の穴に起因する腹膜炎で死亡させた疑い。 同署は、早期に手術すれば死亡しなかったと判断した。内科医は男性のCTスキャン画像を撮影したが分析するよう指示せず、看護師からは約30分ごとに男性の病状悪化の報告を受けていたが、痛み止めの投薬を指示しただけだった。同病院は「遺族と和解を進めており、コメントできない」とした。【山崎征克】 見出しを見ると、誤診を認めたように書いてある。でも、本文を見ると、「結果的に誤診」だったことを認めているようだ。ジャンケンでチョキを出したことを認めているのと同じだ。検査をしても所見がなかったので直腸穿孔とは診断しなかったが、結果から見たら直腸穿孔だったので、誤診だったと言ったのではないか。もちろん誰が診ても直腸穿孔だったのであれば問題だが(それでも刑事事件にする必要を認めないが)、CTを撮っていても気が付かなかったのだから、そんなことはなかったのだろう。 もしかしたら、放射線科の専門医が読影していたら気が付いたのかも知れないが、文化の日である11月の3日に呼ぶわけにも行かないだろう。しばらく入院させて、経過観察をすることは理にかなっている。急激に容態が悪化して亡くなったことは気の毒だが、それはその様な病気だったからだ。この内科医が死亡させた訳ではあるまい。民事による和解ですら納得がいかないのだが、ましてや、刑事事件にするとは何事だろう。 さすがにこれほどバカバカしいことはやるまいと思って、揶揄のつもりで書いたことが現実になるとは、もうこの国の医療は駄目だと思う。
2008.01.19
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『我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します 』本当は昨日アップするはずだったのだが、忙しくて出来なかった。あれから2年、一刻も早く被告医師を解放して欲しい。医療に警察が介入することの愚かしさについては後ほど。えーと、ポリポリポリ。出遅れたのではなく、ひと月フライングしたみたい。(^^;
2008.01.19
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裁判員制度に向けて、新聞協会が取材・報道指針を発表した。テレビと比べれば、今までも新聞の犯罪の報道は、多少は考えたものになっていたと思う。今回の指針も内容は立派なものなので、記者クラブでの警察発表を垂れ流すだけの報道を改め、きちんとした取材をして欲しいと思う。もう一つ注文をつけるとすれば、今は全くのデタラメなまま放置されている医療報道を何とかして欲しい。 指針曰く 一方で、被疑者を犯人と決め付けるような報道は、将来の裁判員である国民に過度の予断を与える恐れがあるとの指摘もある。これまでも我々は、被疑者の権利を不当に侵害しない等の観点から、いわゆる犯人視報道をしないように心掛けてきたが、裁判員制度が始まるのを機に、改めて取材・報道の在り方について協議を重ね、以下の事項を確認した。 ▽捜査段階の供述の報道にあたっては、供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士等を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する。 「いわゆる犯人視報道をしないように心掛けてきたが」とは言うものの、必ずしもその様には見えないこともあったが、それは今後注意するのであろう。医療報道については、初めから医療側を犯人視し、医療たたきを意図しているとしか考えられない表現が目に付く。「たらい回し」「受け入れ拒否」から想像する事態と実体の間にはかなりの食い違いがあるが、未だに、と言うか最近更に、その様な表現が増えている。是非医療を犯人視しない視点で報道して欲しい。 また、「被害者や遺族」の発言は医学的には誤りであったり、一方的であったりすることは当然である。そこを意識しなければ「情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること」を念頭に置いたとは言えないだろう。また、「内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する」ことは不可能だろう。 医療に問題点があることは事実だし、その責任が医療者側にあることもあるだろうとは思う。でも、昨今の救急患者の受け入れが出来ないと言った事例は、救急医療体制そのものに問題がある。今までは専門家ではないけれど、昼間も働き、次の日も働く当直医が診ることで何とかまかなってきた。でも、専門家でも助からなかったかも知れないような症例で結果が悪ければ高額の賠償金を取られるようになり、場合によっては刑事罰を受けるかも知れないとなれば、救急医療から手を引きたくなるのは人情だ。 新聞のなすべきことは、構築可能な医療体制を提示し、国民が選択出来るようにすることなのではないかと思う。アクセスを重視し、困難な症例が受け入れられないで助からなくても良いのか、よほどの重病人以外は救急受診出来ないようにし、軽症に見えたけど実は重症だった人はあきらめるのか。みなさんだったらどちらを選びますか。いつでも誰でも専門家に診て貰えれば言うこと無いけれど、絶対に無理でしょう。
2008.01.17
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誰かがほんのちょっとドジをしたからと言って、ライン上の製品全体が不良品となってしまうようでは、製造業は成り立たないだろう。通常は、何重にも安全策が講じられていて、ちょっとしたミスが重大な結果にならないようになっているのだと思う。でも、医療は違う。元々すべての面について安全策を講じられるような分野ではないことに加え、構造的にコストをかけられないような経営状態になっていて、金のかかる対応が出来ないという面もある。結局、誰かがミスをすると、死もあり得る重大な結果が起こってしまう。 命に関わるような仕事をする人は、通常は出来るだけ体調に気を遣って貰えるだろう。たとえば国際線のパイロットが、ろくに睡眠も取らずにとんぼ返りで操縦することはないだろう。でも、医療は違う。二日間ぶっ続けで寝ないで働くことはよくあることだ。 ミスの起こりやすい状況で働かされ、ミスが起きたときに重大な結果にならないような対策はして貰えず、実際に重大な結果になれば、民事・刑事で裁判にかけられる。こんな不合理なことはないといつも思っていた。 そうしたら、こんな記事を見つけた。m3の会員でないと見られないかも知れないので、一部を引用してみよう。6.医療危険消滅途上での刑事処罰 医療者のちょっとした単純なミスで直ちに患者が死亡してしまうシステムは、正にシステム自体の危険性である。そのようなシステムの中にやむを得ず置かれ、偶々、システム危険を表面に露呈させる当事者になってしまった、その一当事者たる医療者を、「重大な過失」があるとして処罰し、個人責任を追及して犯罪者とするのは、不当であると思う。だからこそ、医療者を過失犯処罰の対象とすべきではない。 しかしながら、往々にして人々は、患者死亡という重大な結果や、薬剤確認もしくは患者確認という基本中の基本事項の怠りなどの悲劇的事態に憤慨し、医療者個人への処罰に向かい勝ちである。その処罰感情の前では、患者危険消滅途上もしくは医療危険消滅途上といった医療システムの性質は、全く顧慮されない。 例えば、ある薬剤を色分けすれば、取り違いを防止できるであろう。手術患者にバーコード付きリストバンドを付ければ、取り違いを防止できるかも知れない。再発防止にとって重要なのは、事故事例をもとにして再発防止策を案出し実施することである。再発防止策が実施されさえすれば引き起こさずに済んだであろう事故の一当事者たる医療者を、本当に処罰する必要があるのであろうか。また、当該医療者を処罰したいと願う事故被害者の処罰感情、ひいては国民の処罰感情は、その当該医療者個人に対してどこまで正当化できるのか疑わしい。刑罰が応報だとしても、当該医療者には処罰に値するほど非難可能性が、本当に強くあるのだろうか。 すべては、再発防止策の案出・実施が途上であったことも含め、医療のシステム自体の危険消滅途上性に帰責すべきことであると思う。かろうじて過失犯処罰に値するものがあるとすれば、患者危険消滅途上性や医療危険消滅途上性とは何らかかわりのない重大な過失犯、例えば故意犯的な酷い医療ミスくらいのものであろうか。そうしてみると、危険消滅途上の医療システムの中で努力していた一医療者をさらし者にして、「重大な過失」の名目の下で単純ミスに対して過失犯処罰をしようとする方向は、当を欠くものであろうと考える次第である。 書いているのは弁護士の井上清成氏。こういう法律家ばかりだと嬉しい。
2008.01.16
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医療の崩壊は避けられないところまで来ていると思う。でも、出来れば崩壊しないで欲しいし、崩壊するにしても、より良い再建が可能な形であって欲しい。待遇だけを問題にする医師がいることも事実だが、医師としてのやりがいを求めている医師も少なくないのだ。 医療の現状に危機感を抱き、何とかしようと思う医師たちが立ち上がろうとしている。まだまだ人数は少ないし、運営費も満足にない。実際に行動可能な体制を作れるかどうかも分からない。でも、黙っていられない熱い衝動が、医師たちを動かすのだ。 奴隷のようにこき使われ、避けられない死の責任を問われ、必死に頑張って命を助けられたとしても、当たり前だと言われる。どれだけ働いても病院は赤字続き。医療を取り巻く環境は悪化の一途をたどる。医療が崩壊すれば、患者の行き場が無くなり、より良い医療を行いたいと思っても出来ないだろう。そうなれば、何のために医師をやっているのか分からない。少なくとも、私はそう思う。全国医師連盟の創設に向け決起集会 1月14日11時39分配信 医療介護情報CBニュース 医師の労働環境改善などを目指す新たな団体を立ち上げようと、「全国医師連盟設立準備委員会」(黒川衛代表世話人)は1月13日、東京都内で総決起集会を開いた。全国医師連盟(仮称)の設立は、医師不足による病院閉鎖など医療崩壊が叫ばれる中、医師が誇りを持てる労働環境を創設して医療の質向上につなげることが狙い。当日の集会には全国から約110人の関係者が駆けつけた。 全国医師連盟設立準備委員会は、代表世話人の黒川さんらが中心になり、昨年8月に発足させた。ことし1月時点で全国の勤務医や研究医、開業医ら約420人が会員登録しているという。日本医師会に比べて勤務医が全体の15~16%と多く、平均年齢も43歳と若いのが特徴だ。設立準備委員会は、早ければ5月ごろにも連盟を発足させたい考え。 連盟の設立後は、医師の労働環境改善を目指して労働組合(ドクターズユニオン)を創設させるとともに、医療費抑制策への反対キャンペーンを実施するなど厚生行政へも働きかける方針。さらに、啓発活動の一環として医療事案に関する無料解説を担う部署を立ち上げたり、医療過誤冤罪の発生を防ぐため支援活動を展開するなどの構想もある。詳しくは設立準備委員会のホームページで。 13日に会見した黒川さんは、「人を助けたいという初心を医師が発揮できて、誇りを持って働ける環境を取り戻したい」「医師、患者、国民が連携して新時代を迎えたい」などと意気込みを語った。 また日本医師会との関係について同委員会は、「見習うべきことは見習い、批判すべきことは批判する。基本的には是々非々」と説明した。 総決起集会では埼玉県済生会栗橋病院副院長の本田宏さんが講演し「日本では60歳を超えた病院の院長が当直している。こんな状況を放置していいのか」などと問題提起した。会場からは、問題解決に向けてすぐにも連盟を発足させるよう求める声も挙がった。 私も420人の中の一員だ。枯れ木も山の賑わいなので参加しているようなものだが。実際に活動している医師達を見ると、頭が下がる。代表世話人は高校時代の同級生の知人だそうだ。私の高校の同級生の諸君、応援してあげて欲しい。
2008.01.15
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何をするにもコストがかかる。無尽蔵にコストをかけることは不可能だから、ありとあらゆる事に無制限に対処できるような体制を望むことは出来ないだろう。聞き分けのない子供ならともかく、大人ならそれくらい理解できるはずだ。 それでも、自分の子供が身障者になった当事者であれば、我を忘れて理不尽な訴訟をすることも理解できる。でも、それをそのまま無批判に記事にするのはどうかしている。原告の言い分は、無い物ねだりのだだっ子と変わりがないと思わないのだろうか。胸に打球、救命措置遅れ後遺症と県を提訴 1月9日(水)信濃毎日 2005年に下伊那農業高校(飯田市)1年の野球部員男子=当時(15)=が練習試合で胸に打球を受け、「心臓振とう」を起こして今も後遺症があるのは引率教員の救命処置が遅れたためとして、男子とその両親が8日までに、県を相手に慰謝料など総額約1650万円の損害賠償を求める訴えを地裁飯田支部に起こした。 訴状によると、05年6月に名古屋市内の高校で行った練習試合で、守備についた男子は打球を胸部中央やや右寄りに受け、倒れた。脈を打っていなかったため下伊那農高の生徒が心臓マッサージをし、その後に到着した救急隊員が除細動を実施、心拍が戻った。この心臓振とうの後遺症で現在、介助がなければ日常生活を送ることができない体の状態としている。 原告側は、野球では球が当たることやそれによる心臓振とうは予測できたのに、引率教員は自動体外式除細動器(AED)を持ち運ばず、救命処置が遅れたと主張。代理人は「胸に打球を受けて倒れた場合、心臓振とうとみて、引率者が人工呼吸や心臓マッサージなどをすべきだったのにこれをせず、安全配慮義務を怠った」としている。 被告側は「対応を検討している」(県教委高校教育課)としている。下伊那農高の上沼衛校長は「訴状を見ていないのでコメントできない」と話している。 野球は日本では人気のあるスポーツだ。野球の練習や試合は数え切れないほど行われているだろう。滅多に起きることではないが、何処で心臓振盪が起きても不思議ではない。だからといって、あらゆる野球の現場にAEDを用意することは不可能だろう。野球の現場では常にAEDを用意すべきだと言うことになれば、野球をしないという選択肢しかない。 記事を読む限り、応急処置は迅速に行われている。命だけでも助かったのは、バイスタンダーである高校生が心臓マッサージをしたからだろう。引率者だからと言って、高校生よりも上手くやれた保証はないから、誰がやったかは問題じゃない。障害が残ったことを恨むのではなく、命が助かったことに感謝し、この高校生をたたえるべきではないのか。 シンポジウム 心臓震盪を考えるを見れば分かるように、心臓振盪では、命だけでも助かれば御の字だ。アメリカのデータが出ているので引用してみよう。救命症例数(北米) 1.Maron,B.J. et al. N.Engl.J.Med.vol.333,1995 2例/25例 心拍再開(2例も脳障害で死亡) 19例/25例(76%)で3分以内のCPR 2. Maron,B.J. et al. JAMA vol.287,2002 21例/128例 1年以上生存 (15例が完全社会復帰) 68例/128例(53%) 3分以内のCPR → 17例 38例/128例(30%) 3分以降のCPR → 1例 不明 → 1例 自然回復 → 2例 41例/128例 除細動実施(AED2例) 早期にCPR(心肺蘇生)を行っていてさえ、救命率は少ない。それでも、3分以内にCPRを行った方が、圧倒的に救命率が高い。「命が助かったことを感謝すべきであるとともに、CPRを行った高校生をたたえるべきだ」という私の判断を支持するデータだと思う。この親のなすべき事は、訴訟ではなく、AEDの普及活動なのではないだろうか。
2008.01.12
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医療行為には駄目で元々、うまくすればメリットがあるかも知れないと言う場合がある。指の再接着手術はその様な手術だ。手術でつながなければ、切断面から先を失うことになる。手術をすれば、多少の障害はあっても、つながることもある。血管、腱、神経の全てが元通りになって、完全に受傷前と同じになることはほとんど無いだろう。「不当な手術で指がつぶれた」 県を提訴2007年12月29日 asahi.com 県立六日町病院で指の接着手術を受けた南魚沼市の男性会社員(46)が、術後に指がつぶれたのは「不当な治療を行ったためだ」などとして、病院を管理する県を相手取り、慰謝料3400万円を求める訴訟を新潟地裁長岡支部に起こした。 訴状によると、男性は06年10月24日、勤務中に左手の中指と薬指を切断する事故に遭い、六日町病院で接着手術を受けた。しかし、術前に原形をとどめていた薬指は術後、内出血で赤黒く変色し、厚みが半分程度につぶれた。患部は硬くなり、骨が露出して、今月中旬に切断した。また、一度回復した中指も今年1月、接着時に入れたワイヤの除去手術後、指先の感覚がまひし、触覚がなくなったとしている。 県病院局は「訴状の内容を調べ、弁護士と対応を検討する」と話している。 中指だけでも、多少の障害はあるものの、助かって良かったじゃないかというのがおおかたの医療関係者の意見だろう。「内出血で赤黒く変色し、厚みが半分程度につぶれた」のではなく、手術の甲斐無く壊死したのだ。元々、壊死しないで済む可能性に賭けた手術だったのだから、壊死する可能性だって大きいのだ。「指先の感覚がまひし、触覚がなくなった」のは、一度切れた神経は元に戻るとは限らないので当然だ。 報道を見る限り、指の再接着手術の平凡な経過だと思うが、どうしてこれが訴訟になるのだろう。もちろん、訴訟する権利は誰にでもあるから、訴訟自体は仕方がないのだろう。でも、これが訴訟に値するかどうか、報道する側は考えなくて良いのだろうか。訴状には患者側の一方的な意見が書かれているのは当然なのに、無批判に垂れ流して良いのだろうか。これでへだたりのない報道といえるのだろうか。まあ、いつものことなのだけど。
2008.01.04
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どんな症例でも、いつでも正しい診断が出来なければならないのだろうか。医学には限界があり、その限界故に誤診した場合にも、責任は医療者側にあるのだろうか。誤診によって発生した被害は、誰が保障すべきなのだろう。医療者側だというのであれば、そのリスクを含んだ医療費が必要になるだろう。もちろん今のままでは破綻する。高額の医療費が必要だ。診断が結果的に誤りだったからと言って、簡単に賠償を申し出るようであれば、その場は丸く収まるだろうが、医療の将来に暗い影を落とすことになるだろう。 がんと誤診 乳房切除 ミス認め賠償検討 社会保険田川病院 福岡県田川市の社会保険田川病院(吉村恭幸院長、348床)が7月、同市内の30代女性の左胸にできた良性腫瘍(しゆよう)を乳がんと誤診し、手術で乳房の一部を切除していたことが30日、分かった。手術後に摘出した腫瘍を病理検査して、初めて良性と判明したという。同病院は「良性なのにデータ上はがんであることを示す、極めて珍しい症例で、事前の診断は順当だった」としつつも、結果的に誤診を認め、女性側に賠償金を支払う意向を示している。■術前検査で悪性と診断 同病院は、厚生労働省が指定した地域がん診療連携拠点病院。 病院側の説明によると、女性は6月下旬、「左胸にしこりがある」と来院。乳房エックス線撮影(マンモグラフィー)検査や乳腺の画像検査、腫瘍の表面組織の病理検査を受け、組織のでき方や細胞分裂の進行速度が、がんの特徴と一致したという。コンピューター断層撮影(CT)や血液検査のデータもがんの疑いを示した。病院は段階が進んだ乳がんと診断。執刀医らが女性に病状を説明し、7月中旬、手術で腫瘍をすべて取り除いた。 ところが、手術後に摘出した腫瘍の細胞組織を病理検査した結果、がんではなく良性だったことが判明。同病院は女性と家族に謝罪した。女性は8月に退院。健康状態に問題はないが、乳房の形が変わったという。 田川病院を運営する同県社会保険医療協会(福岡市)によると、女性側の苦情を受け、摘出した腫瘍の再鑑定を外部の専門医に依頼している。診断ミスが起きた原因を特定して、賠償額を協議することにしている。 同協会は「腫瘍を摘出して内部を検査しないと(良性とは)分からない特異な例だった」と釈明。吉村院長は「女性には大変申し訳ない。同じ過ちが繰り返されないよう、今回の症例を学会で報告する」と話している。■セカンドオピニオンを 医事評論家森田浩一郎氏(医学博士)の話 データ上は悪性だが実際は良性という腫瘍は、極めてまれだが過去にも報告例はある。がん診断の誤りを避けるためには、別の医師に意見を求めるセカンドオピニオン制度の導入が有効ではないか。=2007/12/31付 西日本新聞朝刊= まずは良性腫瘍を摘出することは悪いことなのだろうか。乳房全摘術を行ったのであれば問題だが、記事からは腫瘍摘出のようだ。良性であろうと、腫瘍であれば摘出して悪いことはないだろう。もちろん悪性と判断していたのだから、必要以上に大きく取ったことは間違いないが、だからといって、極めて悪いことをしたというわけではないと思う。 また、誤診自体が本当にやむを得ない状況なら、セカンドオピニオンも機能しないだろう。病理所見の記録は残っているだろうから、検証することは可能だ。ただし、結果が分かっている場合、バイアスがかかって、診断が容易だったとの結論に傾きやすい。ブラインドテストが必要だ。ブラインドテストの結果、誤診もやむを得ないとの判断であれば、安易に賠償などしないで欲しい。過誤のないところに賠償はない。このような事例は、賠償ではなく、社会保障による救済の対象だ。社会保障にも金はかかるが。 参考のために病理診断をどこまで信じるべきかから一部を引用してみよう。3.誤診や誤解を防ぐために いくつかの実際の事例を紹介しよう。 前立腺の TUR 標本。ある病理医が腺癌という診断を下した。それに応じた泌尿器科医は、前立腺全摘術ならびに除睾術を施行した。しかし、手術切除材料には、ごく一部にいわゆるラテント癌を認めたのみだった。最初の病理標本にも確かに腺癌が確認されたのだが、それは TUR で採取された多数のフラグメントのうちのほんの少数に限られていたのだ。悲劇は、病理医がラテント癌である可能性が高い旨を書き落としていた点と臨床医が真に手術適応のある癌であるのか否かの確認を怠った点に集約されよう。厳密な意味で誤診とはいえないだろうが、大いなる誤解の代表例である。 病理診断を信じないがゆえのすれ違いも経験される。これもまた泌尿器科の事例でたいへん申し訳ないのだが、尿の細胞診断が年余にわたって class V(移行上皮癌)と診断され続けた症例があった。当然、尿路系の画像診断および内視鏡診断が繰り返されたのだが、腫瘍性病変が見当たらないため、フォローアップされたのだ。病理側からも、精査が繰り返し要望されていた。尿中への剥離細胞には低浸透圧による二次変性が生じやすく、非腫瘍例でもしばしば核の異型化を認めることがあるので、担当医の判断はおそらくこうした経験的事実に寄りかかったものであったのだろう。ところが、再来院した患者の前立腺に、進行した移行上皮癌(尿道周囲の導管由来)が発見されたのだ。たいへんまれな事例ではあるが、とても印象深い経験であった。 乳腺外来から迅速診断に提出された新婚6ヶ月、妊娠3ヶ月の若い女性の「乳腺腫瘤」に対して、浸潤癌の診断が下された。妊娠合併乳癌として、即入院の手続きがとられた。著者がパラフィン切片の標本を見たのは、連休をはさんだ数日後だった。実は、この腫瘍は皮膚付属器(汗腺)由来の良性腫瘍だったのだ。著者が主治医に電話連絡した時点では、すでに人工流産術が施行され、乳房切除術の準備が万端整っていた。この若き女性の乳腺が保存されたのは当然である。半年後には、この夫婦に新たな生命がもたらされたと聞いて、とてもうれしく感じたことは、昨日のことのように思い出せる。この場合、病理診断を信じ過ぎたがゆえの「事故」だったのである。あとで外科医に尋ねたところ、”乳腺腫瘍にしてはずいぶんと浅い位置の病変だった”との言。その一言があれば、迅速診断の時点での正しい判断が可能であったかもしれないのだが--。 病理診断名は、どんな経験深い病理医であっても、臨床診断に大きく左右されるものである。画像や検査の情報がないと最終診断に至りえないのはよくある状況である。あらかじめ臨床医から情報を得られれば、凍結切片による免疫組織化学染色や電子顕微鏡検索、さらには遺伝子解析など、小回りのきいた検討も可能である。十分な臨床情報なしに診断を下す怖さを知らない病理医はいないであろう。病理検査の申込用紙にほとんど何も書かずに提出する臨床医にときに遭遇する。彼らは、病理診断を他の臨床検査と同等にしか考えていないのではないかと思わざるをえない。とても悲しく、ひどく危険な誤解である。いっぽう、独善的な病理診断にお目にかかる機会もあろう。膵臓や気管支に多少の単核球浸潤があっても、「慢性膵炎」や「慢性気管支炎」といった診断基準の定着した診断名をそう軽々しく用いるべきではないのは当然である。”慢性炎症があるのは事実だ”と言い張る病理医にめぐり合った臨床医は、互いに十分な議論を戦わせてほしいものだ。 決定的な誤診や誤解は、病理診断医と臨床医の話し合いによって、その多くが防げるのである。病理側からみれば、病理所見が臨床的判断とまったく合わないときが、分岐点となる。検体の取り違えを見抜く極意(本誌 165 巻 11 号、p. 828)もこの一点にある。確かに、臨床医がまったく考えていない診断を「ビシッ」と下せたときの爽快感は、病理診断の醍醐味といえるのではあるが--。いっぽう、臨床医も、思ってもみない診断名が返ってきた場合、何か変だと感じて、病理医への問い合わせや再評価依頼を申し出てほしい。状況が許せば、再検査をする慎重さもほしいものである。 診断の困難な症例もあるし、臨床医、病理医双方の技量も一定ではない。一定の確率で誤診は必ず起こる。医療を受ける場合、医療とはそのようなものだと思って欲しい。
2008.01.01
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謹賀新年 昨年の一月にこのブログを書き始め、ほぼ一年が経ちました。人気ブログとは比べものになりませんが、それでもこのブログを通じてネット上で知り合えた方も多く、意義のあることだと感じています。今年もどうぞよろしくお願いします。 ブログのタイトルの通り、このブログでは医療報道について述べています。今まで何度も言ってきたことですが、報道では、具体的にどのようなことが起きたのか、ほとんど分かりません。私のコメントは、多くの場合、事実関係については想像に基づいています。 メディアにはまともな医療と医療過誤の違いが分かっていないように思います。結果が悪ければ医療過誤だと思っているようです。このブログでは、「結果が悪かったからと言って、医療過誤とは限りませんよ」と言うことを書いています。時には本当にとんでもない医療過誤があったのに、メディアが理解できず、判断可能な記事になっていないこともあるかも知れません。そのような場合にも医療側を弁護するコメントになり、被害者側には容認できない内容になることもあるでしょう。実際に気分を害した関係者が居ましたら、お詫びいたします。
2008.01.01
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