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従順と反抗が一緒のことだって知っている人はあまり多くありません。例えば、親や上司などの立場の人に対して従順に言うことを聞く態度も反抗して、言うことを聞かない態度もどちらも同じです。相手に対する反応という点で まったく同じです。従順に言うことを聞いても、反抗して逆らっても、相手の状態に反応しているだけなのです。そこには、本当の自分らしさというものがでてきません。そういう意味で、従順すぎる態度も、反抗的な態度も、相手に操縦されているのと同じなのです。 TA(トランザクショナル・アナルシス 交流分析)では、この従順や反抗の自我状態のことをアダプティッド・チャイルド(AC)と呼びます。従順と反抗はどちらも同じもので 自立 自由の対極にあるものだと思って下さい。つまり、学校における 優等生=いい子ちゃん も不良=悪い子ちゃん も 同じ アダプティッド・チャイルド(AC)の自我状態を使っているのです。権威のある人物の行動に支配されていると言っても過言ではありません。本物の自立本物の自由は権威のある人分の行動とは無関係です。周囲の人の目など気にならない位置にいます。自分の内から出てくる意欲と興味とエネルギーで自発的に動いている状態それが本物の自由であり、自立なのです。本物の精神的自由、自立を手に入れるためには コツがあります。知りたいですか?熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp/電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp/
2009年12月29日
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人間は、人と理解し合えたという実感を持つととても幸せを感じます。 みなさんも、過去の経験でそんなことがありませんか? 友人と夜遅くまで話し合って、とても分かり合えたと感じたとき とても幸福感を感じませんでしたか? 学校生活の中で、クラスのみんなと本音をぶつけ合って 「ああ、分かり合えた」と感じた瞬間 心地よい満足感が駆けめぐりませんでしたか? パートナーと、あるいは配偶者と語り合って、あるいは見つめ合って、一体感を感じたときに、ああ幸せだと感じませんでしたか? 親や親しい人にとてもつらいことをうち明けて、真剣に聞いてもらえて、「大丈夫だよ。あなたのことを信じていると。」と言ってもらったときに 何とも言えない安心感を感じたことはありませんか? 人は、周囲の人との本音の交流を心の奥底では求めています。 もちろん、過去の私のように「近づくな」や「親しくなるな」のような禁止令で、ブロックされてる人もいます。しかし、そんなブロックのある人ですら、人との本音の親密な交流を心の奥底では望んでいるのです。 「分かり合いたい」から、多くの人が「誰も私のことをわかってくれない」と言って嘆くのです。 子どもが「親が僕のことをわかってくれない」と言って嘆くのです。 親は「子どもが親心を理解してくれない。」と言って嘆くのです。 この「分かり合いたい」という心の奥底の欲求のことを、アドラー心理学では、「共同体感覚」と呼んでいます。まあ、共同体感覚というのは もっと本当は多くの側面を持っているのですけども、「分かり合いたい」という欲求が共同体かんっかくの一つの側面であることは間違いありません。 アルフレッド・アドラーは次のように言っています。 人間知の欠如がもたらす重大な結果は、多くの人間が隣人たちとの生活において、失敗しているということである。 多くの人間が互いにすれ違い、話がかみ合わず、一致点を見つけられないということは、際立った、そして厳しい事実である。 社会という広い枠組みだけではない。家族というきわめて狭い輪の中でさえ、互いに疎遠になっている。 親は自分の子どもを理解できないと嘆き、子どもたちは親が理解してくれないといって嘆く。 しかしそれでも、お互いが理解し合いたいという強い衝動を感じるということは、人間が共同生活をするときの基本条件の一つである。(「人間知の心理学」) アドラーはこのように「共同体感覚」を人間生得のものと考えていました。そして、その生得の共同体感覚を育児や教育で引き出そうと考えていたのです。 そうなのです。 自分の中にある共同体感覚を引き出して、それを高めていく方向性が、幸せになっていく方向性なのです。 逆に、人と協力をしない方向性、孤独を深める方向性、自分勝手な引きこもり方向性は、不幸になっていく方向性です。 たぶん、自分一人で考えても、どの方向性が適切なのかはわからないでしょう。 というか、考えれば考えるほど、自分の今のパターンを強化する方にしか流れません。人は、一人では絶対に変われないのです。 なぜかというと、考えると、必ず自分の思考パターンの中で考えてしまうのです。当然です。自分の思考パターン以外では考えることは不可能です。 では、自分の人生パターンを 共同体感覚を高める方向に変えるには どうしたらいいのでしょう。 共同体感覚を高める方向性にアドバイスしてくれる 相性のよいカウンセラーやコーチとカウンセリングやコーチングをして、そのアドバイスを、あまり考えないで 素直に実行することです。 アドラー心理学カウンセリングは、他のカウンセリングと違い、アドバイスの際の明確な指針を持っています。 それは、クライエントをより幸福な方向に導くこと、それは、クライエントがより共同体感覚が高まるような行動をするように、勇気づけて、促すことです。 アドラー心理学を学びたい人は 東京のヒューマンギルドhttp://www.hgld.co.jp/ か 熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp/ へどうぞ!!096-384-3181 mailto:hiro@yukiduke.jp携帯は http://cocorosodan.mobi/ 下記のQRコードからもどうぞ
2009年12月28日
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1 アドラー心理学の復活 アドラーの死とナチスの迫害は、アドラー心理学に壊滅的な打撃を与えました。第二次世界大戦後、ヨーロッパのアドラー心理学研究者が集まったら、ほんの数人しか集まらなかった、といわれています。 ウィーンで生まれたアドラー心理学は、アメリカで復活します。 アルフレッド・アドラーの死後、ルドルフ・ドライカースが精力的に活動して、アメリカでアドラー心理学を広めます。 ドライカース以外のアドラーの弟子としては、ハインツ・L・アンスバッハー夫妻が理論面を整理しました。 アドラーは自分が必要とされる世の中を駆け抜けていきました。彼は、本を書くのよりも講演や仲間たちと話をすることに精力を使いました。それでも、発表されたアドラーの著作に含まれた理論は、現代のアドラー心理学の理論のほとんど全てを含んでいました。 しかし、彼は整理された本を残しておらず(ウルフなどの弟子が整理したものはありましたが)、アンスバッハーが整理するまで「おもちゃ箱をひっくり返したような状態」だったのです。 アドラー心理学の復活には、エレン・ベルガー「無意識の発見」にアドラーの功績がフロイト、ユングと並んで記述され、かつ大きく評価されたことが影響しました。 「無意識の発見」の発刊によって忘れ去られていたアドラー理論が、再び心理学の専門家たちの注目を浴びるようになったのです。今まで見向きもされなかったアドラー心理学が研究されるようになりました。 アドラー派でもないエレン・ベルガーがアドラーの業績を非常に高く評価したのです。ベルガーの評価は緻密な研究も相まってアドラーに対する公平な評価として受け入れられたのです。 ま、わたしから言わせると、アドラーの理論がすごいことは当然なのですが、なぜ、公平な立場にいたエレン・ベルガーがそんなにアドラーを高く評価したのか? ぜひ、「無意識の発見」を読んでみてください。もしかしたら、20世紀初頭からの今までの臨床心理学の歴史は、フロイトによって歪められた「人間への見方」が、アドラーが「人間知」と呼んだごくごく妥当な見方に戻ってくる過程にすぎなかったのかもしれません。 2 ドライカースの活躍 対人関係のカウンセリング、神経症や精神病の治療に関してはアドラーによってほとんど完成された状態でしたが、アドラーが目指した究極の部分「育児と教育」が手つかずでした。 ドライカースはアドラーの有力な弟子の一人でした。 ウィーンで中心的な働きをしていましたが、ナチスの手から逃れブラジルに亡命します。その後シカゴに移り、シカゴを拠点として、精力的にアメリカ全土にアドラー心理学を広めました。 「教師の教師」と呼ばれた彼は学校教育に積極的に関わりながら、アドラー心理学に基づいた教育の方法、育児の方法を完成させます。 一つには、精神的治療の分野ではフロイト派の精神分析が、浸透しており、アドラーという名前は忌諱されました。それで、教育の分野に広めるしかなかったというのも一因といわれています。 現代のアドラー心理学は、ドライカースがいなかったら存在しなかったろうと言う人がいます。アドラー=ドライカース心理学と表現する人もいます。 ただ、私は、そう思いません。アドラーの業績は、一時期忘れ去られましたが、復活するに十分な力強さを備えていました。ドライカースの貢献は大きなものですが、ドライカースがいなかったら存在しなかったことはなかったでしょう。 ドライカースの功績は、フロイト精神分析医の牙城となった心理クリニック(精神分析医の牙城に心理学者が入り込むようになったきっかけはカール・ロジャースの功績です。アドラー派は入り込めませんでした。)から相手にされなくなったアドラー心理学を教育の分野に広めたことでした。まあ、他に行き場所がなかったということもありますが、この育児・教育への道筋もアドラーが生前に意図していたものでした。 日本のアドラー心理学者の中には、アドラーの理論を古典物理学、ドライカース心理学を現代物理学に比して、その意義を説明する人がいますが、全く間違ったことです。 ドライカースの業績は、全てアドラーの展開した理論の延長にあります。3 影響を与えるアドラー心理学 アドラー心理学の理論は他の心理学や精神医学に大きな影響を与えるようになりました。 アドラーは自分の心理学を「人間知=常識」と呼びました。アドラーの知見はフロイトのように偏向して考えない限り、まともに考える限り心理学の行き着く先の理論でした。 ですから、フロイトの後継者の中でも、フロイトの定めた「精神分析の儀式」にさほどこだわらなかった人々の理論はアドラー心理学理論ときわめて似た理論となりました。(ネオ・フロイト派など) 初期の「防衛規制」ですらアドラー派の理論に対抗して作られたのは明確です。「補償」なんて、アドラーの主張そのままですしね。 ですから、いろいろな心理学者は違和感なくアドラー心理学の概念や理論を受け入れたのです。アドラー心理学の理論や概念ほど無断で他の学説に使われているものはありません。「共同採石場」と言われているくらいです。(「無意識の発見」エレン・ベルガー) たとえば、後に人間性心理学(第三潮流)の旗手となるアブラハム・マズローもニューヨーク時代のアドラーに学んでいました。 だから、第三潮流の基礎理論はアドラー心理学と同じく全体論であり、現象学的なのです。 実は「論理療法」を開発したアルバート・エリスは、ばりばりのアドレリアンなのです。 ※心理学系の論文で一番引用が多いのがこのアルバート・エリスの論文と言われています。 エリスはずっと北米アドラー心理学会の重要メンバーの一人でした。ですから、「論理療法」って、基礎理論が全くのアドラー心理学と同じです。フロイトの精神分析とは全く矛盾しています。 元々フロイト派の精神分析医だったエリスは、フロイト精神分析のあまりに非効率的な治療にあきれて、治療の中心をアドラーの長男のクルト・アドラーから学んだアドラー心理学に変えてしまったのです。 そして、そのアドラー心理学的療法をわざわざアドラー心理学という名前を付けないで(つけると忌諱されるから)「論理療法」と銘打って 広めたのです。 ということで、論理療法を元とする、今はやりの認知療法も、実はアドラー心理学の流れなのです。「認知バイアス」なんて、アドラーの現象学(認知論)そのものですよね。 私のお師匠のジョセフ・ペルグリーノ博士も 最初ユング派のカウンセリングを学び、その後ロジャース派に学び、何かもっとよいカウンセリングはないかと模索しているときに ハインツ・L・アンスバッハーの講演を聴き、これだ!と電撃を受けたような衝撃でアドラー心理学と出会ったとおっしゃっています。 アンスバッハーの英語はドイツ語訛でとてもへたくそだったそうです。それでも、その中身は十分な衝撃だったとおっしゃっています。 ヨーロッパのアドラー心理学もアメリカの学会と相互に影響を与え合いながら発展してきているそうです。 アドラー心理学を学びたい人は 東京のヒューマンギルドhttp://www.hgld.co.jp/ か 熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp/ へどうぞ!!096-384-3181 mailto:hiro@yukiduke.jp携帯は http://cocorosodan.mobi/ 下記のQRコードからもどうぞ
2009年12月25日
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1 個人(インディヴィデュアル)心理学 アドラー心理学のことを別名「個人心理学」と言います。それは人間の理解の仕方が他の心理学と随分違うからです。(最近は同じように捉える心理学も増えてきましたが、アドラーの当時は特異でした。) ドイツ語の「個人」という単語には「分割しがたい」「ひとまとまりの」という意味が含まれているのだそうです。人間を「ひとまとまり」としてとらえる心理学なのです。indevidual psychology といいます。(「indevidual」=分割できない、ひとかたまりの) 2 物質主義的一元論 皆さんは一人の人間を操縦しているのは何だと思いますか?肉体と答える人は少ないでしょう。 こころ?こころはどこにありますか?脳味噌?だったら、人間を操縦しているのは脳味噌ですか? 脳味噌は肉体の一部だから、われわれは肉体の一部に操縦されている? 3 精神世界主義的一元論(私の造語です) いやいや違うぞ。こころは脳味噌だけにはないし、こころ(心)よりもっと重要な魂というものがあるんだ。この魂 が人間のすべてを操縦している。と主張する人もいるかも知れません。人間は神によって動かされていると主張する人もいるかも。 4 多元論 そうじゃなくて、肉体には大脳、小脳、間脳、すい臓、性器など様々な部分があるし、精神にも記憶、理性、意欲、感情本能などさまざまな部分があって、 それら一つ一つが独自に働いて、相互に影響を与え合っているんだ、その葛藤の結果が行動や症状として出るんだと主張する人もいるでしょう。 あるいは、人間の精神には「超自我」「エス」「自我」という各機能があって、葛藤しあっている。 「エス」(「イド」ともいう)の本能的な衝動のつきあげを、 「超自我」からの「こうありなさい」という倫理的指令を受けた「自我」が防衛しようとして、様々なメカニズムが働く。 「抑圧」したり、「合理化」したり、「同一視」したり、「投影」したり、「反動形成」したり、「逃避」したり、「置き換え」たり、「補償」したり、「昇華」したりすることで、「自我」は精神の中の様々な機能の葛藤を乗り越えようとする。と主張する人もいるでしょう。まあ、これはアドラー心理学のアンチテーゼのフロイト精神分析学の理論です。というか、アドラー心理学がフロイト理論のアンチテーゼとして生まれているのですけど。 5 全体論 アドラー心理学では、人間のある一部が他の部分を操縦している、 あるいは部分と部分、別々の機能と機能が独自に働いて、相互に関係・影響し合って、葛藤の結果として行動や症状が現れる というような考え方をとりません。 ひとりの人間は全体として「個人」を形成していて、その人間に関わるあらゆる現象は部分の葛藤の結果として出現したのではなくて、全体である「個人」の表出に過ぎないと考えます。 これが、アドラー心理学の考える全体論です。 6 全体論というのは アドラー心理学は一元論も多元論もとらずに全体論をとるのです。 部分部分が勝手に働いて、その葛藤の結果で行動しているのではなくて、 オーケストラのシンフォニーのように、全体として初めて「個人」という意味を持つという考え方です。 バイオリンの音はそれだけでは意味を持っていないでしょ?全体の中のある役割としてバイオリンの音が存在するわけです。 いわゆる「ホリスティック」です。アドラーは20世紀初頭に、先駆的に「ホリスティック」な人間存在を主張していたのです。 ある記憶もその人にとって何らかの役割があるから記憶しているのです。(必要ない記憶は忘れるのです。) ある感情も、その人にとって役割があるから出てくるのです。 神経症的な症状も、その人にとって何らかの役割があるから出てくるのです。 理性的な考えも同じように「個人」の道具です。 性欲だって道具です。 その人のあらゆる現象が「個人」が使う道具に過ぎない。「個人」の表出に過ぎない、と考えるのです。 7 あらゆるものが個人につくり出されたもの あらゆる行動、反応が、感情すらもその「個人」(統覚)の一つの表出に過ぎなくて、「個人」の目的に沿って作り出されたものと解釈します。 たとえ、ある人のある行動にあなたが怒ったとします。 それは、あなたが「その人の言葉が許せない。」「何とかしてあんな言葉を言わせないようにしたい。」と支配的な目的を持って、怒りを一つの道具として使ったと解釈するのです。 わたしたちは、感情によって動かされているのではなくて、 様々な葛藤の結果 しようがなく行動しているのでなくて(そんな決定権のない存在ではなくて)、 自分で決定して行動しているのです。 自分の行動(例えば、感情的暴発とか嗜癖とか神経症的症状とか、脅迫的思考とか脅迫的行動とか)にたいして「自分ではどうしようもない」と感じてしまうのは、自分ではどうしようもないと感じた方が自分にとって都合がいいからです。 だって、ほとんどの人は「自分がやりたくてそんな行動を選択している」と思うときついでしょ? でも、アドラー心理学によると、どんな感情も僕という個人の目的に沿って使われた道具に過ぎないのです。 感情が悪いということではありません。道具ですから使っても使わなくても良いのです。 どんな感情も使ったほうがうまくいくのならば使ったほうが良いし、もっと良い方法があれば使わないでその他の方法を使うといいのです。 ですから、摂食障害という症状も、自分を罰するためにやっているのかもしれないし、お母さんに復讐するためにやっているのかもしれないし、あるいは、人間関係に直面するのが怖くて、それを避けるためにやっているのかもしれません。 (実際にどうかと言うことは個人によって違います。) したがって、アドラー心理学のカウンセリングでは、ある症状の目的を確認した後、 ではその目的を持ち続けるか、持ち続けるのならば、その目標を達成するためのもっと効率の良い方法はないか?その方法はどのようにすればできるようになるか? その目的は捨てて、違う目的に変えるか?その違う目的を追求するには、どのような行動が適切か? などと話し合うのです。 どんなに正反対に思えるような矛盾する行動や考えや傾向が存在していたとしても、それは、見せかけのためや、ブレーキやアクセルとして存在するのであって、個人の中で本当の葛藤が起こっているのではないと、アドラー心理学では解釈します。 ある目的を達成するために、一時的にブレーキやアクセルを使っているだけなのです。 アドラーは次のように言っています。 「個人心理学は、個人の生を全体として見ようとし、単一の反応、運動、刺激のそれぞれを、個人の生に対する態度の明確に表された部分と見なしています。」(「生きることの科学」岸見一郎訳より) アドラー心理学を勉強したい人は、ヒューマンギルドhttp://www.hgld.co.jp/か 熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp/へ096-384-3181 mailto:hiro@yukiduke.jp携帯は http://cocorosodan.mobi/ 下記のQRコードからもどうぞ
2009年12月24日
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EFTって、とても簡単です。最初はとまどうかもしれませんが、なれちゃうと一回1分でやれるようになります。過去の記憶で、その記憶を思い出すと、マイナスの感情が出てきてたまらないって言う記憶はありませんか?EFTで嫌な感情を浄化すると その記憶を思い出しても そのマイナスの感情が出てこなくなりますよ。さらには、その記憶と同じような出来事の時に出ていた心理ブロックも消えてしまいます。例えば、母親にひどく傷つくような言葉を投げつけられた体験から 年上の女性に対して何となく苦手意識を持っていたりした時に、役立ちます。○EFTで、過去の出来事の記憶に付随している嫌な感情を浄化する。1 問題の指摘とその問題を抱えている自分を受け入れる宣言をします。(セットアップフレーズ)問題の場面を思い出してそのときの問題の感情を感じながら、空手チョップポイント(空手チョップをするときに当たるところ 正確に言うと小腸経という経絡の「後谿ごけい」というツボです。)をタッピング(ツボを指でポンポンポーンと4,5回叩くこと)するか、胸の圧通点(押してみて痛いところ あるいは リンパ反射区 喉のくぼみから7,8センチ下に行って、さらにそこから左右に7,8センチ行ったところ)をさすりながら、例:「私は傷ついた気持ちだけれど、自分自身を深く完全に受け入れます。」などと三回宣言します。コツは、その問題の場面での自分の感情に一番近い言葉で、自分のその嫌な感情を表現します。そして、「私は~だけど、自分自身を深く完全に受け入れます。」(~がその嫌な感情の表現)と宣言文を作るのです。2 問題の感情をイメージしながら、その感情を短い言葉 ( 例:「この傷ついた気持ち」などのような言葉 )で表して声に出して言いながら(リマンダーフレーズ)、13カ所の体のつぼをタッピングします。13カ所というのは、 1:眉頭 眉の内側のはじっこ(両手の人差し指で二カ所を) 2:目の外側のはじっこ、骨のところ(両手の人差し指で二カ所を) 3:目の下の骨のところ(両手の人差し指で二カ所を) 4:鼻の下(一カ所) 5:下唇の下のちょっとへこんだところ(一カ所) 6:鎖骨下側のへこんだところ(両手の人差し指で二カ所を) 7:脇の下、乳首の延長線上のところ(両手の親指で二カ所を) 8:空手チョップポイント(ここからは右でも左でもしやすい方を片方でよい) 9:親指の爪の付け根のはじっこ(左手だったら右側のはじっこ 人差し指の反対側) 10:人差し指の爪の付け根の親指側のはじっこ 11:中指の爪の付け根の人差し指側のはじっこ 12:小指の爪の付け根の薬指側のはじっこ(薬指はしません。) 13:空手チョップポイント3 EFTをする前の問題の感情の強さがどの程度変化したかを確認します。たとえば、最初10くらいの強さで感じていた感情が6くらいになったとか。4 「ガミュー9」をする。手の甲の部分の、小指の骨と薬指の骨の間をこぶし側から手首の方に指を滑らしていくと、1センチくらい行ったところにペコッとへこんでいるところがあります。このへこんだところをガミューポイント(三焦経という経絡の「中渚ちゅうしょう」というツボです。)と言います。ガミューポイントをタッピングしながら九つの行動をするのをガミュー9と言います。ガミューポイントをタッピングしながら 1:目を閉じる 2:目を開ける 3:目玉だけで右下を見る(3と4は逆でもよい) 4:目玉だけで左下を見る 5:目玉を時計回りに回す(5と6は逆でもよい) 6:目玉を反時計回りに回す 7:5秒から10秒ハミングする(何の歌でも良い ハッピーな歌が良いかも) 8:1,2,3,4,5と数を1から5まで数える 9:5秒から10秒ハミングする(何の歌でも良い)これは、右脳と左脳のバランスをとるためにします。5 マイナスの感情がまだ残っていたら、1の宣言(セットアップフレーズ)にもどります。目安としては、問題の場面の記憶を思い出しても、「なんだかそんなこともあったなあ。でも、嫌な感情は出てこないなあ。どうでもいいや。」と軽い気持ちになったら終了なのです。ワンセットでそこに至ることもあります。2セット目で気をつけるのは、「まだ傷ついた気持ちが残っているけども、自分自身を深く完全に受け入れます。」というように、「まだ残っている」というのを強調して、宣言します。12カ所のタッピングの時も「まだ残っているこの傷ついた気持ち」と言葉にしながらタッピングします。それでもまだ感情が残っていたら、3セット目に入ります。そして、「まだ少し残っている傷ついた気持ち」と表現します。さらに残っていたら、4セット目「まだまだ、ちょっとだけ根強く残っている傷ついた気持ち」などとバージョンアップさせながら、ほとんど0になるまで続けます。間にガミューを入れてくださいね。なかなか感情が減らない場合は、なにか他の側面が存在していることが多いようです。違う感情が出てきていないか?例えば、寂しいと思っていたのが なんだかとても悲しいとか。怒っていたのが、実はとても傷ついていたとか。違う感情が出てきたら、その違う感情に焦点を当てて、最初からやり直します。対象が変わることもあります。たとえば、父親から言われた言葉に傷ついていたと思っていたら、そのときに一緒にいた母親の傍観者的な態度に怒っていたとかです。慣れてくると、一回1,2分でスピーディーに出来るようになります。思い出せる限りの過去のこだわり、問題の感情に適応してみてください。あ、現在実際に気になっている感情でもかまいません。熟達した人に一回 誘導してもらうと、次からはとてもよくできますよ。 EFTで誘導してもらいたい人は 熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp/(電話カウンセリング初回30分無料 通話料無料)へ096-384-3181 mailto:hiro@yukiduke.jp携帯は http://cocorosodan.mobi/ 下記のQRコードからもどうぞ
2009年12月24日
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人間という存在は、常に より良くなりたい。よりパワーを持ちたい。より良い暮らしをしたい。より何でも出来るようになりたい。と願っています。「人間って、いつもより良くなりたいって願っているよ。」ということを発見したのは、アルフレッド・アドラーです。※「権力への意思」などと表現するから誤解を生みやすいですが。、不登校の子どもや引きこもりの青年の相手をしている大人の中には、「怠け心がある」などと、馬鹿なことを言う人がいます。とんでもない話です。どんな子どもや引きこもりをしている人でも、より良くなりたいという強い願いはあるのです。しかし、それが何かの要因で、勇気をくじかれて、「自分にはより良くなることが出来ない」と感じているからこそ、落ち込んで、ひどい状態になるのです。犬や猫にはこの「より良くなりたい」という意思は存在しません。だから、「俺はこのままじゃ終わらないぜ!」と野望を抱く犬も、「どうせ私はダメな猫さ。」とふてくされて非行化する猫もいません。人は、より良くなりたいという意志を持っているからこそ、それがうまくいかないと思いこんだときに、様々な症状が出現するのです。この「より良くなりたい!」という意思があるから生まれるのが劣等感です。人は、 「より良くなりたい!」という意思を持つせいで、常に現状に満足しない、自分の現状に不満を持つというやっかいな生物なのです。そして、この現状に不満を持つ感覚のことを劣等感というのです。劣等感という言葉を作ったのはアルフレッド・アドラーです。その後この言葉は袂を分かったフロイト派など 他派でも多用されました。それほど人間の本性を理解したり、分析したりするのに好都合の概念だったのでしょう。ところで、現代の日本で一般的に使われている「劣等感」という言葉のニュアンスが、当初アドラーが使っていた意味とかなりかけ離れていると言うことを知っている人は少ないようです。例えば、アドラー心理学ではある障害(劣等性)について劣等感を持っていること自体は何ら問題がないと考えます。それどころか、劣等感は日々の生活の、そして自分の目的を達成していく上での欠くことのできない推進力だと考えています。つまり、アドラー心理学では 劣等感を忌諱しないのです。「劣等感は宝物だ!」とさえ思っているのです。私たちは生活していく中で、ある種の願望というか目標を持ちます。例えば子どもは「もっといろんなことが出来るようになりたい!」とか「もっと体が大きくなりたい!」とか、女の子だったら「もっとかわいく女の子らしくなりたい!」とか男の子だったら「もっと強くなりたい!」という目標を持つのです。人間はみんな、思いっきり抽象的に表現すれば「もっと幸せになりたい!」と常に思っているのです。つまり、現状には常にある種の欠乏感を持っていると言うことになります。この欠乏感のことを劣等感というのです。生きていたい、それも健康で満足した状態で生きていたいと願うことすら目標といえば目標です。毎日の生活、朝歯を磨いたり、ご飯を食べたり、水分を摂取したり、ある人は足らない栄養素をサプリメントでとったり、日常のありふれた行動の一つ一つが全てある種の欠乏感があるからやるのですよね。つまり、劣等感という欠乏感があるから私たちは毎日生活できているのです。「劣等感をなくしたい!」なんてとんでもない。あらゆる劣等感をなくしたら私たちは死んでしまいます。だって、基礎的な劣等感がなくなったら、私たちは生きていくのさえどうでも良くなってしまうんですもの。さらに言えば、「今の自分よりも未来の自分はよい状態でありたい!」というのは、まさしく劣等感のあるおかげですよね。(アドラー心理学では、厳密に言うと、「よりよくなりたい!」という思いの方が先にあって、その副産物として劣等感が生じていると解釈しています。)劣等感様々!私たちは劣等感に感謝しなければなりません。高度な劣等感のおかげで自己成長できるのですから。じゃあ、なぜ日本では「劣等感」が悪い意味で使われてきたのでしょうか?それは「劣等コンプレックス」のことを劣等感と勘違いしたからです。前に述べましたように劣等感は生きていく推進力そのものです。しかし、劣等感を適切な行動に結びつけることに失敗してしまって、「劣等感を克服する努力」を投げ出してしまうことがあります。「どうせ、私はバカだから勉強なんかしたって一緒だよ。」といって勉強することを放棄する。「私は足が悪いんだから。」と言って周囲の人に必要以上に依存する、甘える、自分でできることを増やして自立しようとしない。病気でいることによる疾病利得(病気であると当然した方がいいいろんな家事とか仕事などを免除されたり、注目を受けることができること)に甘んじて健康になろうとは思わない。このように「勉強が不得意」「足が悪い」「病気である」などの比較的劣等な部分をことさら強調し、振り回すことで、周囲に依存し、甘えて、自立することを避けようとしたり、共同体に貢献することを避けようとすることを、アドラー心理学では「劣等コンプレックス」と呼んでいるのです。この劣等コンプレックスのことを日本人は「劣等感」と呼んだり「コンプレックス」と呼んだりしているのです。※ちなみに「コンプレックス」という言葉は「心的複合体」と訳されていますがユングが発見した、心的に非常にこんがらがっている部分のことを言います。私たちは劣等感を建設的に克服していくことによって自分の目標を達成していきます。ただし、克服の方向性が不適切な場合があります。例えば、劣等感をもとに「経済的にもっと豊かになりたい。」という目標を持ったとします。ところが、その目標を達成するために反社会的な行動をとったらどうでしょうか?例えば、空き巣に入る。強盗をする。詐欺を働く。振り込め詐欺を働く。非常な問題があるし、たぶん「そんなことをして仮に経済的に豊かになっても幸せにはなれない。」でしょう。なぜならば、アドラー心理学の考える幸せの条件である「貢献感」を高めるどころか、社会に対してマイナスの貢献をすることによって卑屈な「寄生虫感」が高まるばかりだからです。自分は卑劣な行動を通して社会からお金を簒奪しているのだという「寄生虫感」が高まると、不幸感が高まります。こんなんでは、いくら、経済的に豊かになっても一切幸せは訪れません。そのことは、社会には一切貢献しない他のいろんな方法で、財産を殖やしても同じことです。いくら経済的に潤っても、幸せとは無関係です。「貢献感」を感じることはないからです。もちろん、本業でお客様の利益=幸せを常に考えて営業を営むことで 支持されて儲けている人たちは幸せです。逆に、本業で儲けていても、脱税をしたり、法律の範囲内と言いながら何か卑怯な手を使ったり、消費者に劣悪な商品をつかませたり、途上国の労働者の劣悪な労働環境を踏み台にしたりしていたら元も子もありません。社会に貢献していることにはならないからです。このように、「劣等感」を「悪用」するのは不幸に至る道です。そして、劣等感を有用に使うためには、勇気が必要です。だから、私たちは、周囲の人に勇気づけをするのです。勇気づけというのは、相手の中に本来あるやる気とか、本気とかを引き出すことです。エネルギーを引き出し手やることです。何でもかんでもやってあげたら、「お前は何も出来ない。だから私がやってあげるのだ。」というメッセージを送っていることになります。他人が出来ることを奪ってやってあげたり、勝手に心配したり、過干渉したり、頼まれてもいないことをしてあげることによって、偽の満足感を得るのが共依存です。そして、共依存の人は、自分の人生から目を背けて、他人の課題にばかりエネルギーを送るのです。共依存に絡め取られた人は、エネルギーを奪われて、何も出来なくなって、仕方なく、今度は自分がエネルギーを奪う相手を探すかもしれません。これが、共依存の世帯間伝播を引き起こすのです。うまくいっていない人は「怠け心」をもって、怠けているのではありません。勇気をくじかれて、エネルギーがなくなって、自分の人生課題を自分の力で解決していこうという勇気がなくなっているだけなのです。周囲の人が、その人を信じてあげて、「あなたを愛している」「あなたがいてくれてうれしい、ありがとう」「あなたはきっと大丈夫、信じている」という無条件のメッセージを送ることが勇気づけとなってきっとその人は元に戻るのです。なぜならば、元々その人は完全だからです。人は誰でも完全だからです。 アドラー心理学を学びたい人は 東京のヒューマンギルドhttp://www.hgld.co.jp/ か 熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp/ へどうぞ!!096-384-3181 mailto:hiro@yukiduke.jp携帯は http://cocorosodan.mobi/ 下記のQRコードからもどうぞ
2009年12月23日
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1 アドラー心理学は「劣等感」の心理学ではない 共同体感覚とはアドラー心理学でもっとも大事なキー概念の一つです。よくアドラー心理学のことを「劣等感の心理学」と記述してあることがありますが、これはある意味で嘘です。 現代のアドラー心理学では劣等感はそれほど重視されていません。(劣等感という概念と言葉がアドラーによって創り出されたのは間違いないですが。) 創始者のアドラーですら、フロイトと袂を分かった頃には既に劣等感については以前ほど重視していませんでした。 第一次世界大戦に従軍して帰ってきたアドラーは友人や学生たちの前で「今日の世界が主に欲しているものは共同体感覚であると思われる。」と言っています。(「現代アドラー心理学」マナスター/コルシーニ著より) 2 フロイト派の主張 なぜ、「アドラー心理学は劣等感の心理学」という誤解が今も続いているのでしょうか? それは初期のアドラー(フロイトの研究仲間だったころ)が劣等感のことを主張していたからです。 フロイトと別れた後のアドラーがどれほど理論と実践を発展させたか知らないフロイト派精神分析の人たちが言っているだけ、と言われています。 私の知っているアドラー心理学は「共同体感覚の心理学」です。 3 共同体感覚って? しかし、共同体感覚って難しいのです。はっきり言って分からないのです。どうも、頭で理解するようなたぐいのものではないようです。 ドライカース(アドラーの後継者の一人)は次のように言っています。 「共同体感覚というのは、ある集団や階級への単なる所属感とか、民族全体への奉仕を意味するのではありません。<中略> 共同体感覚には固定化された目的はありません。それは、人生への態度を創り出すこと、何らかの方法で他の人々と協力したいと望むこと、人生の諸状況に精通することであると言った方が、より真実に近いかもしれません。 共同体感覚は、相互協力に対する私たちの受容力の表現法なのです。」 (「アドラー心理学の基礎」宮野栄訳より) 4 「協力しよう!」という本物の意欲 とにかく、何というか、他の人たちと協力して、みんな幸福に生きていこうという意欲のようなものらしいのです。「人は一人では生きていけないものだから」というわけです。 確かに「みんなのために貢献したい。」「みんなから受け入れられたい。」って気持ちは人間だれしも持っていますよね。 人間って周囲に受け入れられないと自殺さえしますから。個体の生存よりも集団への所属の方が優先する生き物なのです。 5 「共同体感覚」の成長 そして、自分の人格をより成熟したものに成長させていくと、この共同体感覚も発展していくのです。 なぜなら、人格が成熟するというのは、自分自身も、そして周囲の人も同時により幸せになるように人生への態度が変化していくということだからです。 とにかく、共同体感覚って「みんなが幸福になるように、みんなと協力していきたい」と思う感覚なのです。その共同体感覚の根っこはどの人も持っているのですが、経験や自分自身を成長させていこうとする努力によって、共同体感覚はより成熟していくのです。 そして、成熟するに従って、共同体感覚の対象が自分の仲間内の小さな集団から、より大きな集団へと発展していくかもしれません。 自分だけ→家族のこと・職場のこと→地域全体→日本全体→現在の人類全体→未来の人類→地球環境→宇宙 かな? まあ、人によって違うかもしれません。6 より大きな集団の幸福を考えてみませんか? みなさん。今の自分の生活も大切ですが、たまには「周囲の人々が幸せになるように」とか「未来の日本がもっと幸福な社会になるには、今の自分は何をしたらいいか。」て考えてみませんか? 自分の行動に迷ったとき、客観的に自分が考えられる範囲のもっとも大きな集団にとって建設的かどうかと考えることが共同体感覚の発動につながります。 アドラーカウンセリングでは、クライエントさんに、その方の共同体感覚がより発展するような提案をします。 自分のことばっかり考えていないで、周囲の人のために何かできませんか?ということです。 なぜならば、その方が幸せを感じるように、人間という種族はできているのだと思うのです。これは私の経験とクライエントさんたちの傾向からの実感です。 共同体感覚の成長は人を、そしてその周囲の人々を、そして共同体を幸せに導くのです。 アドラー心理学を学びたい人は 東京のヒューマンギルドhttp://www.hgld.co.jp/ か 熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp/ へどうぞ!!096-384-3181 mailto:hiro@yukiduke.jp携帯は http://cocorosodan.mobi/ 下記のQRコードからもどうぞ
2009年12月23日
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1 誕生 アルフレッド・アドラーは1870年オーストリア、ウィーン近郊のペンツィングで裕福なユダヤ人穀物商の父のもとに生まれました。多くの兄弟の中で育ったことが原因で、アドラー心理学の理論は親子関係よりも兄弟関係を重視しているとも言われています。 実際私たちアドラー派のカウンセラーは、家族布置と言って家族の中の関係 特に兄弟関係をよく見ます。例えば、どこの家庭の長子でも、長子独特の似たような特性を持っていると思いませんか? アドラーにはいろんな逸話が残っています。小学校の時に体の弱かったアドラーはその影響で、勉強があまりできませんでした。すると、当時のクラス担任がアドラーのお父さんにアドラーは知的に遅れている子だと言いにきます。 それを父親から聞いたアドラーは、「そうじゃないことを証明しよう。」と勉強を開始します。そして、学年の最後には、クラスで一番の成績をとるようになったのです。 この経験も、後の彼の理論、劣等生の克服・優越性の追求 を生み出す原動力だったことは間違いないでしょう。 そして、医者の道を志したアドラーは1895年にウィーン大学医学部を卒業後、開業医としてある程度の成功を収めます。 2 フロイトとの出会いと別れ そんな彼が、フロイトの「夢分析」に触れます。精神分析に興味を持った彼は、1900年代の初期にフロイトの研究仲間となります。「夢分析」への批判に対して、アドラーが擁護したのが縁で、フロイトの勉強会、水曜会(後の精神分析学会)に呼ばれたのがはじめだと言われています。 1910年には精神分析学会の会長にも就任します。 しかし、そのすぐ後1911年にはフロイトとの学説の対立が表面化します。 会長となったアドラーがフロイトの学説と全く異なる説を唱えるので、学会内で「おかしいじゃないか。」となったと言われています。 アドラーは、9人の仲間(当時フロイトの学会は30数名だったという)と学会を脱退、自分たちだけの学会(後の個人心理学学会)を設立します。(2年後にはユングも脱退します。) 3 アドラーはフロイトの弟子ではなかった 一般に言われているように、アドラーがフロイトの弟子だったことは一度もありません。教育分析を受けたこともないし、研究仲間に入る前から開業医として自立していた彼は、フロイトと対等の研究仲間だったのです。 このことは、彼が「精神分析学会」に所属していたころからフロイトの学説とは全く系統の違う説(系統が違うと言うよりも、正反対のまさにアンチテーゼともいえる説)を唱えていたことからも分かります。精神分析学会のメンバーの約3分の1はアドラーの仲間で彼らがアドラーとともに「個人心理学学会」を作るのです。 フロイトとアドラーそしてユングという三人もの精神的な巨人がこの時期ウィーンで顔を合わせたことが歴史の妙だったのです。 4 個人心理学(アドラー心理学)の発展 フロイトと別れて、アドラー心理学はその独自の理論をより効果的に発展させます。アドラーは自分の心理学を「人間」を分割できない「個人」全体としてみるということから「個人心理学」と呼びます。 分割できない個人なのだと名称にわざわざつけたのは、フロイトが人間のこころを機械のように見立てて、複数の部品に分解してその相互の働きによって葛藤が起こると主張していたことに対する、明確なアンチテーゼ宣言だったのでしょう。 個人心理学はフロイトの学説のように「性」に偏向することもなく、ユングの学説のように神秘主義に偏向することもなく、人間の常識(アドラーは「人間知」と呼びました)に基づいて理論を発展させます。 その後第一次世界大戦が勃発します。彼は軍医として戦線に従軍します。この間アドラー心理学の発展は一時中止します。 5 チャイルドガイダンスセンターの設立 精神医学に興味を持つ前から、社会に関心の高かったアドラーでしたが、ロシア革命の現実を目の当たりして「マルクス主義」に幻滅します。 そして、「育児と教育によってのみ個人の改革は可能である」と考えるようになり、敗戦後のウィーンで世界初の児童相談所(チャイルド ガイダンス センター)を設立します。 この児童相談所は子どもや親の相談の場所としてだけでなく、教師、カウンセラー、医者の再教育の場としても機能し、アドラーは自分のカウンセリングを公開してみせました。 この児童相談所はオーストリア全土に普及し、ヨーロッパ全体にも設立が広がります。 6 国際的に注目を浴びるアドラー心理学 1920年代には「個人心理学」は心理学と教育の部門で国際的な地位を獲得します。後にアメリカでアドラー心理学を普及するドライカースもウィーンで活動をはじめ、オーストリア全土に児童相談所及びアドラーの弟子たちのクリニックができます。 ドイツの全ての主要都市及びオランダ、チェコスロバキア、ハンガリー、イギリス、アメリカに個人心理学の学会できるのもこのころです。 7 ナチスの台頭とアドラー心理学消滅の危機 しかし、1933年にナチスがドイツの実権を握ると、オーストリアにもナチスの手は伸びてきて1934年には児童相談所と実験スクール、各地のアドラー派クリニックが廃止されます。身の危険を感じたアドラーはアメリカに亡命し活動を続けます。しかし、1937年スコットランドでの講演旅行の最中に亡くなります。 そして、多くのアドラーの弟子たちはオーストリアやドイツに残されます。弟子たちの活動はしだいに制限され、個人心理学会の活動も縮小していき、アドラーの死とともに国際学会誌も廃刊に追い込まれます。 さらには多くはユダヤ人だったアドラーの弟子たちはナチスのホロコーストのために命を落としていくのです。ナチスの弾圧とアドラーの死によってアドラー心理学は、消滅の危機に見舞われます。つづく アドラー心理学を学びたい人は 東京のヒューマンギルドhttp://www.hgld.co.jp/ か 熊本こころ相談室http://cocorosodan.jp/ へどうぞ!!
2009年12月22日
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熊本の人だけ必見! あなたは、何か達成したい目標って持ってらっしゃいますか?それってどのようにして達成するのでしょう。目標がなかなか持てないって人も、実は目標を立てるコツもあるんですよ。基礎コースは、単発参加も初心者の人も安心して参加できます。今日の基礎コース(19時~21時 水前寺NPOハウス研修室 参加費:3000円)は「目標達成」です。講師は内田英一氏。内田氏は会社の社長として、厳しい業界の中、黒字に導き、さまざまなことを達成してこられました。現在も新しい事業を、すばらしい成功に導いていらっしゃいます。そんな、目標達成の達人から、目標達成のコツをどうぞ教わってください。初心者の方でも、気軽に参加できます。まだ空きがあります。資料があるので、必ず連絡して(096-384-3181 hhgg@q.vodafone.ne.jp)きてくださいね。さあ、この目標達成で、あなたの目標は必ず達成される!!
2009年12月17日
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自宅のすぐそばのお好み焼き屋さんに半年ぶりにお昼ご飯を食べに行ったら クリームシチューの上田さんとネプチューンの原田さんが トイレを借りに見せに入ってこられた。 日テレの撮影で来たらしい。 ここは上田さんの地元なので なんか 地元ネタかな? 上田さんは、店のおばちゃんと「親戚の親戚がどうたら」(おい。おい)なんて話をしていた。おお 声もテレビそっくりと変な感想を持っちゃった。(^.^) ただそれだけです。ごめんなさい。
2009年12月14日
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自宅のすぐそばのお好み焼き屋さんに半年ぶりにお昼ご飯を食べに行ったら クリームシチューの上田さんとネプチューンの原田さんが トイレを借りに見せに入ってこられた。 日テレ撮影で来たらしい。 ここは上田さんの地元なので なんか 地元ネタかな? 上田さんは、店のおばちゃんと「親戚の親戚」(おい。おい)なんて話をしていた。おお 声もテレビそっくりと変な感想を持っちゃった。(^.^) ただそれだけです。ごめんなさい。
2009年12月14日
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人はどんな状態だと幸せだと感じるのでしょうか? アメリカ心理学会の調査によると 自分のことを幸せだと感じている人の特徴は 1:信仰を持っている 2:家族が仲が良く うまくいっている 3:自分で創意工夫できる 自由裁量の仕事をしている この三つの条件をクリアしている人だということが分かったそうです。 アドラー心理学では 幸せの三条件として 自分のことが好きなこと 他人を基本的に信頼していること 他者に貢献していると感じていること の三つをあげています。 アメリカ心理学会の調査結果も アドラー心理学の幸せの三条件も なるほどと思いませんか?
2009年12月12日
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スカイプという、無料で世界中と会話できるインターネットを使った電話があります。私は、スカイプを使って、世界各地の方のカウンセリングを受けているのですが、(あ、日本人の方です。英語はしゃべれないので)日本のお医者さんとイギリスとかカナダとかオーストラリアとか欧米圏のお医者さんとの大きな違いがあります。向こうのお医者さんは、「これは、お薬だけでは良くなりませんので、専門家のカウンセリングを受けてください。」とはっきりおっしゃるそうです。それで、カウンセラーを探したけれど、現地に日本人のカウンセラーがいないから といって私のところに来られるのです。それに対して、日本のお医者さんが、「これは、お薬だけでは良くなりませんので、専門家のカウンセリングを受けてください。」と言われたというのを寡聞ながら聞いたことがありません。逆に、「あなたは一生薬を飲み続けなければいけません。」と言われて、もう15年以上うつが良くならないで薬を飲み続けています。と言う人は、何人も会ってきました。これって、どうなんでしょうか?こういうお医者さんばかりじゃなくて、良心的なお医者さんもいるのでしょうけど、ずっと通ってくれる患者さんって、お医者さんにとっては良いカモですよね。私たちが、「あなたは一生改善しません。一生カウンセリングに通い続けてください。」と言いでもしたら、それは自分の仕事を否定したことになります。カウンセリングは、コーチング的なカウンセリングになって長くなったとしても、せいぜい2年 もしかして3年くらいかかることもあるけど、例外的です。通常、5,6回で大幅に改善します。人間関係の練習やライフパターンの大幅な改造でも10回から15回でうまくいきます。うつになりにくいものの考え方、行動の仕方、コミュニケーションのとり方、うつになりかけたときの対処法を学びさえすれば、何とかなるものです。「お薬だけでは改善しませんよ。」と正直に言ってくださるお医者さんが増えてくれると良いですね。 通話無料で全国からの電話カウンセリング 熊本こころ相談室HTTP://COCOROSODAN.JP
2009年12月11日
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内言って知っていますか?内言というのは、心の中で普段使っている言葉のことです。私たちは、ほぼ無意識的に普段自分の心の中で よく使っている言葉があります。これらの言葉には、強烈なパワーがあります。自分自身の人生を決定づけるというパワーです。「俺っていつもダメなんだよね。」と、心の中で思う癖のある人 ぼそりとつぶやく癖のある人は本当にダメな人生を送ります。「あの人ってなんて嫌な人なんだろう。」と心の中で他人を非難する癖のある人 その非難を言葉にして言う癖のある人は嫌な人生を歩みます。無意識には自他の区別がないからです。 どうしたらいいのでしょうか?自分の欠点や短所や失敗にあまり注目を与えないで、自分の長所に目を向け、自分の努力・姿勢や、良い意図に注目して、未来に目を向けるのです。「あまり」と表現したことには意味があります。自分から見ての欠点や短所や失敗などの「問題点」に注目することは実は必要だからです。ただ、あまりに注目し続けるのは、意味がないのです。というか、副作用が大きすぎるのです。例えば、失敗として瞬間的に問題にしていいのですが、そのことで自分を責めたりしないことです。「失敗」とは、本当の失敗などではなくて、自分の未来の行動をよりよく修正できるきっかけなのです。つまり「学び」なのです。だから、「あー良かった。学ぶことが出来た。」と喜び、その喜びを与えた自分に感謝することです。そして、この出来事で自分が何を学べたかを明らかにして、その学びをどのように次の行動修正に生かすかを具体的に行動計画を立てることです。もちろん、その「失敗」に巻き込まれた人がいたら、謝罪して、その人の心を癒すことを忘れてはいけません。謝罪は自分の非を認めて自分を責めることではありません。「失敗」によって嫌な思いをした人の心を癒す行動なのです。だから、謝罪する時に自分を責めては意味がありません。「学び」が崩れるからです。自分を責めないで 相手の心を癒すために誠心誠意謝罪するのです。出来る範囲で現状復帰することも必要です。窓ガラスを割ったら、割れた破片を片づけるでしょう?あれと同じです。「失敗」は学び!フィードバック。「失敗」したら、1:謝罪で相手の心を癒す2:出来る限りの現状復帰3:再発防止の行動計画=新しい行動 計画・実行この三つです。自分を責める暇はありません。未来に目を向けましょう!!え?難しいって?そうなんです。自分だけで自分を変えるのは不可能なんです。自分なりにインターネットで調べて、分かったことをやってみたり、本を読んで実践してみたり、いろいろしてみても、自分を変えることは不可能です。なぜかというと、結局は、自分の頭で考えてしまうからです。つまり、結局は自分のパターンに戻ってしまうのです。自分を変えるためには第三者の関与が絶対必要なのです。さらに言うと、その第三者のアドバイスを素直に実行する素直さが必要です。だから、第三者は選ぶ必要があります。自分の尊敬する生き方を既にやっている人とか、専門的なカウンセラーやコーチで、かつ自分と相性のいい人とか。そういう人を選んで、カウンセリングを受けたり、アドバイスをもらって、それを素直に実行して、自分を変えていくことが必要です。え?大変だって?はい。大変です。よっぽど変えようと思わない限りはできないはずです。だから、多くの人は自分の人生のパターンを変えないのいです。よし!変えよう!と思ったあなた!あなたは勇気ある人です。カウンセリングとコーチング 熊本こころ相談室HTTP://COCOROSODAN.JP
2009年12月11日
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コミュニケーションには、二種類あります。○要求コミュニケーション○意見コミュニケーションの二つです。人と人のコミュニケーションには、たくさんのバリエーションがあるようでいながら「相手に何かを要求したり、要求されたことを断ったり、要求をのんでやってあげたり」する「要求コミュニケーション」と「自分の意見を相手に表明したり、相手の意見を聞いてやったり」する「意見コミュニケーション」しかないのです。え?じゃあ、二つのコミュニケーションがうまくいくようになると人間関係の全てがうまく行くのでしょうか?はい。そのとおりです。人間関係の全てがうまくいくのです。ただし、コミュニケーションの目的を間違えなければです。コミュニケーションの目的は何でしょうか?人は、「自分のことが好き」で「他人のことを信頼して」、「周囲や社会に貢献していると感じる」時に、幸せになります。ですから、コミュニケーションもこの原則から外れては自分も、周囲の人々も幸せになりません。つまり、コミュニケーションは 人間関係の中に信頼関係を作ることが目標なのです。相手を自分の思い通りにコントロールするために行うのではありません。自分の言いたいことを言って自己満足するためにやるのでありません。そして、相手の人との信頼関係を作り上げるためには、相手の方が気持ちよくコミュニケーションが出来るように、相手の意欲を引き出す必要があります。そう。コミュニケーションの第一義の目的は 相手の意欲を引き出すことなのです。自己満足だけも相手をコントロールしようという色気もアウトなのです。コミュニケーションの目的をいつも念頭に置きましょう!電話こころ相談室http://yukiduke.indent.jp/熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp/
2009年12月09日
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幸福人とは、過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とは、 それの反対を記憶している人々である- 萩原 朔太郎 -そのとおりです。記憶は、その人の人生に対する態度の一表現です。逆に言うと、人生に満足している人の記憶には幸せな雰囲気が漂っています。もともと、一般的な人が思っているよりも、記憶というのはいいかげんなものなのです。心理学を学んでいる人ならば知っているのですが、記憶よりもいいかげんなものはないくらいいいかげんなのです。もっと言えば、必要だからこそ記憶はいいかげんなのです。記憶は必ず間違います。必ずです。記憶が100%正確なことはあり得ません。なぜならば、ほとんどの記憶は消えていくようになっていますし、仮に記憶していたとしても、それは思い出すたびに作り変えられていくからです。例えば、一週間前の日のことを思い出して下さい。覚えていますか?朝起きてから、就寝するまでのことを詳細に語れますか?16時間起きていたとしたら、少なくても16時間ほど語れるはずですが、せいぜい、5分程度で語り尽くしてしまうのではないでしょうか?かなり印象的な日で、ものすごく覚えていたとしても1,2時間語るくらいが限界なはずです。つまり、ほとんどのことを忘却しているのです。これが、1年後10年後となると、まず100%忘れています。それなのに、幼児期のこととか、小学校低学年のことを記憶している時がありますよね。それも、ある日ある時の場面を 詳細に 映画の一場面のように覚えていることがあります。これをエピソード記憶と呼ぶのですが、なぜ、こんなことが起こるのでしょうか?心理学的には証明されています。エピソード記憶は、自分の「思いこみ」や「信念」を保持するために記憶しているのです。だから、カウンセリングや心理セラピーを受けて このエピソード記憶が変化する人は多いものです。変化して良いのです。だって、「私って不幸だな。」という思いこみを持っていた時の記憶と「私って幸せ!!」と思っている現在の記憶が違うのは当たり前じゃないですか。エピソード記憶に直接タッチするのを心理セラピーといいます。電話こころ相談室http://yukiduke.index.jp/熊本こころ相談室http://yukiduke.racms.jp/
2009年12月07日
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