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幸せのかたち 太陽の光を集めて金色の 形をもらった一枚が 落ち葉になったそのときに やっとあなたの手に届く 見えない光を浴びた私が 見える形を与えるいのち 何を生み出し 何をあなたに手渡すのか きっとそれは あなたと私の存在の間で やりとりしていた愛そのもの 分かちあった幸せそのもの 幸せのかたちがもうすぐ動き出す はらはらと どこまでも ずっとずっと遠くまで
2014.10.31

ボーダレスアートクラブ仙台の原画展盛況です。ありがとうございます。とっても嬉しいです。昨日行われたいのちのことば朗読会に代表して母が出かけました。報告写真で見ると会場となった一番町清月記ライフスタイルコンシェルジュはとってもきれいなサロンで、原画たちも喜んでいました。人間はもちろんですが、絵も額装して美しい舞台でライトをあびると一番いい表情になります。会場のみなさんが作品の向こうの作家さんと出会って感動を共有したことでしょう。渡辺祥子さんの朗読と松原美智子さんのピアノで進んだ朗読会は、これまた心に染み入る言葉と音楽のコラボレーションだったそうです。ありがとう!カレンダーという一つの姿がみんなのすばらしい生きる力のコラボで手に取る人の一年を支えます。言葉があるとまた絵を見て、また言葉を見て、と何度も絵を見るカレンダーになったそうです。ひと月の心のありようで、きっと絵と言葉から違った風を感じるだろう。きっと楽しい365日になることでしょう。原画展はあと2日。こういううれしいことがあると、生きているって楽しいな!と本当に思う。今日の私をがんばろう。
2014.10.30
大きな決断をするときに人は何を優先して判断するのだろう。問題の大小や立場によってそれぞれだ。それでも決めなければ次に進まないことも多い。すぐに結果が出ない大きな問題ほど、事前に決断の見極めが難しい。それでも災害の判断が遅くなって被害が大きくなったことなどへの社会的責任追及はとても厳しい。あらゆるリスクを想定して危ないことは何もしない、という人から、多くの人が反対する危険にも立ち向かう人まで判断の基準は様々だ。御嶽山の澄み渡った秋晴れの紅葉を楽しんでいた世界でまさか噴火があきるとは思わなかったろう。地震や津波の自然災害も予測と備えには限りがある。それでもリスクの想定の中でできることをするしかない。自分ひとりの身体と存在でないということは、自分の判断に多くの人の思惑が影響するということでもある。自分の行動にかかわる影響には良い面もそうでない面もある。両者をてんびんにかけて最善の選択をしながら生きていくのが人生だ。状況で抱える問題の重要度が最終的に判断を助けるのだろう。個人的な考えと社会的な考えがいつも寄り添っているわけではない。みなそれぞれ両者を背負って考えをもっている。どの選択もできることが自由でもある。判断を間違えて単なる無謀にならないように。ひとつひとつを精一杯考えて判断するのには強さが必要だ。その勇気を持ちたい。と、決意を新たにしていたら父がケア中にぎっくり腰になった。大切な仕事があるからとよたよたと出勤した。これも勇気ある決断のひとつだな。こうして人生は続くのだ。。。。。。
2014.10.28

ボーダレスアートクラブ仙台のみなさんと制作したカレンダーがいよいよ販売です!!原画展が明日から一番町ライフスタイルコンシェルジュにて始まります。(詳しくは9月30日の日記をみてね)29日は朗読家渡辺祥子さんによる詩の朗読会もあります。絵と詩と朗読がマッチしたらどんな対話が聞こえてくるでしょうか。私の作品は9月ですよ~(≧▽≦)私は今回、原画のコピーをいただいて、12枚に詩をつけるにあたってけっこう悩んだ。普段気心の知れているアーチストと作品つくりをご一緒するときのようにはいかない。まずは一度もお会いしたことのない人の作品だ。そしてみなさん障害がある。しかもカレンダーだ。カレンダーというツールに対しては、人々が時を刻むことを一層意識する。『一回性』にこだわってしまう。たとえ作品が過去の制作だったとしても、今のこのときのカレンダーになるのだから、見る人は、まさしく、今の年齢で今の時間をともにする。365日も。その場面にどんな言葉で参加するのだろうかと考えたときに、絵を引き立てるのか、見る人を意識して何かメッセージを送るのか、はたまた、絵の作者と対話するのか。スタンスによってずいぶん作り方も違ってくる。考えて出てくる言葉は、つい、ムリが現れるのですが、結局私も一人の障害者だから言葉で参加するしかない、と思ったときにするするっと楽になりました。絵を挟んで向こう側に見えない作者の存在を感じ。絵のこっちがわに私が向かい合って。肉体の制約を超えたら色や形だけではない、いろいろな魂の存在をイメージできた。みんなも障害があることで多くの制約と困難を生きていることだろう。障害が重いほど肉体は自由を失い、そのうちに精神もがんじがらめになっていくものだ。アートで表現する人々はその手法を持っているだけで私はとてもうらやましい。どれほど幸せだろうと思う。社会生活も肉体も精神もいろいろな不自由を手放せばふわふわと和む幸せを体験することができる。今回のカレンダーを手にとって人にはぜひとも目の前にある日常の幸せに気づいてほしいと願っています。私たちは実はとっても幸せに生きているのだ。その喜びをみなさんと共有できたら2014年のカレンダーは大成功だと思います。 お問い合わせ 代表河本 090-9742-1876
2014.10.26
先日の急な寒さで少しばかり風邪を引いた。ずっと好調で充実していたので、あれれ?、の感じ。少し弱気になった。それでも自分ができることをするのが一番。というわけで安静を頑張っている。姿勢を変えると本当に排淡がよくなるので、あっち、こっちと転がっている。(転がされている)気合いで病気はよくなるのかな、と思いながらも、今度ばかりは気合でなおしてみせるの心意気だ。弱気の私はもういない。暖かい週末になりそうだ。悪いことより良いことを考えよう。
2014.10.24
おもいきって自分にとってほんとうに必要な試練かどうかは後になって胸にすとんと収まることが多いもの自分には大きすぎる山だとしてもそこからどんな景色が見えるのか自分で見るまであこがれはつきない長い時間をかけてひとつひとつ道端の石ころをわきによけながら数かずの障壁も超えてきたのだからきっとなんとかなるような気がするのだ大切なことをきっと見つけられる大切な人にきっと出会う大切な言葉をきっと胸に刻む大切な思い出をつくるやるだけのことをやった私が私を芯から支えるだろうおもいきって行動するとき少々頼りないこの身体を信じよう
2014.10.22
レスパイトに出かけた弟がとっても満足して帰ってきた。かなり楽しかった様子。早くも次の利用を楽しみにしている。医療ケアのレスパイト先は県外と遠くてまだ利用しにくい私はちょっとうらやましい。弟のいないたった一日に実感した介護量や存在の質量は普段の暮らしの中では見えなかったものだ。またにぎやかな日常が戻って、家族のバランスもいつものリズムになった。色々な部分で頼もしく感じるところも見えたりして感心しました。が。このところの母はポカミスが多くて、ちょっと心配だ。記憶があやふやになってきたとぼやくのはいつものことだが、大ミスが続いているのがすごく心配。その矢先病院で車をぶっつけた。柱に自爆。なので人に迷惑はかけなかったけれど、けっこう落ち込んでいる。実に危ない。私も乗っていたので、超びっくりした。注意が足りない。家族の介護力の全体量も変化にさしかかっているのだろう。子供だった私たちが大人になりつつある。親は年をとる。けれども私はできるだけ家に住んでいきたいと思っている。どんな方法がいいか私なりの理想も現実もある。何事も野望を希望にかえて少しずつ実現に近づいていきたいと改めて思う『自爆事故』であった。とほほ。
2014.10.20

弟がレスパイトに出かけていません。今日は一人っ子の私です。いつもいる人がいないと、なんか調子がくるってしまうけれど、親は仕事が半分になってずいぶんゆるりとしている。まさに休息になっているようです。障害が重い私一人だったらこんな感じでずっと静かなのだ。声を出さなくなってからは、静寂を聞く、の時間が多くなった。本当は自分のペースで生活の時間が流れるのが理想だが、そこへ弟が仕事から帰ってきたり、わいわい騒いだり笑ったりする音がどれくらいほっとさせてくれていたのかに気がつきます。介護は一刻一刻とぎれがないので両親は、合間に座るとあ~やっとすわった、と独り言をいう。障害のある二人を介護するのは大変な仕事だと改めて思います。ふと、こんなふうに家族の誰かがいなくなったら、いつもの音が聞こえなくなるのだと思った。当たり前の音が聞こえないのはさぞかしぽっかりと静かなことだろう。私がいなくなるとどんな音が消えるのだろう。吸引の音や呼吸の音がとぎれなく聞こえているから生きていることを自分でも確認したりするのだ。吸入や医療ケアの音は独特だが、日常にあるいつもの音がなんとも愛らしく聞こえてきた。声が出る人たちの耳になじんだ音。聞こえなくなると余計に聞きたくなるものだ。弟の声を明日聞く。いつもはなんかうるさい、と思うけれど、明日はきっといい音なんだろう。今夜はみんなぐっすり眠る予定です。(弟は夜中や朝早くから動き出すので)(^^)/
2014.10.15

週末女川で行われた会でみなさんに詩を聞いていただきました。女川は震災の被害も大きかった町ですが、母が若い時に住んだこともあるゆかりの町です。ちょうど私の今の年齢のころ、美しい海と自然とおいしい食べ物とあったかい人々にうんとお世話になった話をこれまでたくさん聞いてきました。主催のつばくろ会は女川の特別支援教育を応援する会です。私の詩をみなさんにお届けできてすごくうれしい。私からも母がお世話になってありがとうの気持ちです。親に若い時があった、ということは知っていながら同時に体験することはもちろんできません。でも、思い出話やそこに流れる時間を共有する瞬間をくれるのは今見る美しい自然です。変わらぬ自然の中に見えるいのちの時間は、たとえ震災の傷跡を目の当たりにして苦しくつらい日常を強いられたとしても、そこに息づく人々や力強く生きていこうとする人間のよくなりたいという本質を見える形にしてくれます。障害がある私でも、限られた短い時間かもしれない私でも、いのちの時間を精一杯大切にしてよくなりたいと思って暮らしています。苦しみや試練の真っただ中では焦点が絞られて、いやでも踏ん張ってそこを見つめるしかないのだけれど、必ずそこに光が見える時がくることを信じる人は踏み出すことができるだろう。笑い合える仲間の存在や愛はすでに存在しているのだ。特別支援教育の枠なんか本当はいらない。目の前にいる人が大好きで、その町を好きになりさえすればいいのだ。女川の人々はすでに力強く生きている。自然の近くで、自然のいのちに触れて、たくましく大地を踏みしめる姿を思ううちに、ふっとい足で立ち上がった自分を想像した。すごく元気をもらった。こうしてはいられない。なんだかみんな、きっと大丈夫なような気がする。いつか本物の女川に会いに行きます。みなさん元気でね!! 今はいっかい 今ここに吹く風に 立ち向かって吹かれよう 車いすの背中を起こして 真正面から吹かれよう 今はいっかい 私もいっかい (女川の港に立った未来の私)
2014.10.07
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