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自宅のわたしスペース希望の庭にも夏がきました。桂の木が青くしげり、去年より少しだけ大きくなった。ひまわりは小さいけれど全部芽を出した。日陰だけど寄り添って咲いています。切ってみせようか、と言われたけれど、かわいそうなのでそのままにしています。風や小鳥や、夕焼けや、朝日に包まれていてほしい。私のかわりに。植木屋さんには、桂は大きくなりすぎるからやめた方がいいよ、と言われている。それなら、絶対大きくなってやる、と思うわたしであった。一つのことも両面の価値があり、見方によって全く違う意味を持つ。そのどちらも尊重されるのがいいな、と思うのだ。そんな空間だと呼吸が楽になって、身体の緊張もゆるゆるとほどけていく。そうして、桂はまたまた大きくなっておてんばな枝をあちこちにびしばしのばすのだよ。伸びすぎたらみなさん言ってちょうだいね。(^u^)さあ、夏だ。楽しい夏にしたい。
2014.07.30

梅雨明けした仙台です。ひまわり便りが届き始めました。育ててくれた気持ちも、写真で届けてくれた気持ちも、うれしいですね。パワーをもらうね前向きパワーの希望の花があちこちで咲きますように。我が家のひまわりはちびっこが6個咲きました。日陰で少し小さいけれど、間引かないで全部咲きました。
2014.07.29

ルルド 祈りの水を手にしたとき祈りの波動を受け取った 精神の中に眠る救いを求める人々の祈りは形のない水という形を借りて肉体の制限を解き放つ 苦しみのさなかの祈りとその苦しみを救おうとする者の祈りが凝縮した総体は圧倒的なまなざしとなる 安楽を求め苦しみから解放される希望を持ち続ける力はすなわち祈りなのかもしれない
2014.07.28

7週間ぶりに施設利用を再開しました。30度ごえの暑い日。みんなに守られ守られしながら、一日を過ごした。よかったよかった!(^^)!施設のスタッフには、入院中面会にきてもらったり、退院後は自宅訪問支援をしてもらったりして、ずっとみんなとつながっている気持ちに支えられた。自宅では介助つきコミュニケーションの練習も進んで、さくさっとできたので、これまたうれしいことでした。やってみないとわからない生活の再開。でも、自分で大丈夫そうだ、と思うタイミングだと、本当に大丈夫なんだな。自分の体調を感じるポイントを今回はよくよく向き合った。久しぶりのヘルパーさんとは、涙の再会、くらい感激した。いつものケアが始まっていつもの生活が復活した。今朝ハイビスカスが夏の光の下で堂々とさいた。何度も咲きそうになったり、枯れたり、していたのだ。なんと夕方には落ちてしまったのだけれど、私の一日に力いっぱい咲いた花の今日の一日を思った。花は他と比較していないから一日の長さなど知らないだろうけれど、私はそのことを知っている。自分が知らなくても見ているものがいる。花が咲いたことを知っていてあげよう。暑い週末に快適にしてもらいながら、家族がそれぞれに過ごす様子を眺めていた。眺めているだけで楽しい。同じことを同じようにできなくても、そばで見ているだけでうれしいのだ。家で、家族と、みんなで、いつものことをいつものようにできることは、実はとっても幸せなことなんだとまた、思う。 私は見守られることが多いのだけれど、相手のために、相手を思うことも忘れないようにしよう。1週間まるまる復活の始まり。がんばろう。
2014.07.27
全貌 小さな存在のわたしに見える全体は小さいが目の前を精いっぱい生きている 人生の終わりに見る景色もどこかにある全体に属する部分なのだ 私の全体を感じるとき小さな私も大きくなる
2014.07.23
いっしょに走ろう わたしとあなたの走るスピード違っても長い道のりいっしょに走ろう わたしとあなたの休む場所は違っても長い道のりそれぞれ休もう わたしとあなたの選ぶ方法違っても見たい景色はきっと同じ いっしょに走ろうあなたも走っていると思うとがんばれる
2014.07.22
役割 何もないところに草が生える 見えないだけで本当はあるということがそこここにありあまる 何もないところにさえないという役割が与えられているのだ
2014.07.18

ヘメロカリスの交配で咲いた新しい花 命名 種類の違う二つをかけあわせて生まれる新種新しいいのちに出会うときそこにあるただひとつを確認したくて私たちは命名する願いを込めて 喜び×悲しみ幸せ×苦しみ前進×後退創造×破壊 どのエネルギーも新しいものを生み出すのに十分なとき憂いからの解放を内在していることに感謝するのだ 目には見えない私の中に宿る光に何と命名しよう本当の私になる瞬間に
2014.07.17
台風に注目した1週間でした。台風の発生から勢力が消えていく様子は、身体の中で起きている嵐とよく似ています。嵐の時はじっと身をひそめて安全を確保するのが一番だ。けれど、ちょっとしたタイミングで堤防が決壊することもある。だから、備えあれば憂いなし。予防が大切。これからは予防の治療も始まりまった。台風が去ると同時に私もふっと回復モードになった。と思う。普段の経過を経験的に参考にする方法が今回は違った。治療が変わり、初めて呼吸器内科にお世話になった体験が大きい変化だった。大人としていろいろな場面で一人前に扱われるということは、小児科で「おかあさんといっしょ」とは心のありようが全く違った。25歳になって、年齢は一人前だけれど、多くを他人の手に委ねている私は折りにふれケアを受けるということを考えてきたけれど、今回ほど自分の力を試されたことはなかったと思う。親や支援者との関係で、自分を意識してくる中では自分のことを他人に勝手に判断されたり決めつけられたり、相手の心しだいで自分の存在があちこちにふらつくのが何よりも嫌だった。それは大抵、精神的なことが大きく、身体的なケアは自分ではどうしようもないので「おまかせ」するもの、と考えていた。諦めて、というより、そういうもの、だった。自分自身で自分の身体をコントロールできないことには葛藤があったけれど、ケアを受けることについては人扱いしてくれる相手であることが第一で、ケアという行動の主体性は相手に委ねていた。 あずける、と言ってもいい。そこには、もちろん信頼関係が欠かせないのだし、必要な時には家族がいつもスタンバイしてくれているという安心の上に成り立っていた。それでも、成人病棟で、一人の大人の患者になってみると、病棟という社会環境の中でどのようにふるまうかとか、何を優先して、誰といつ何を共有するのか、そのために自分は何をすればいいのか、また、何をしなければいいのか。意味を持って形作られた環境の中で要求されているあり方をいろいろと考えさせられたのが、すごくいい体験でした。幸い、考える時間がたっぷりあって。同室者のいない個室でたったひとり、ナースコールを押せない自分がどれくらい過ごせるのか。とてもとてもムリと思っていた。点滴が絡まったらとか、酸素がとれたら。一つ考えると全部心配、やっぱりムリという流れ。しかし、訓練された看護師さんのいる大人の環境を体験して、思っていたより大丈夫かも、と感じた。家族に対しても、これまでの「付き添い」から「面会」に変化した。コミュニケーションだけは頼まないと自分のことが通じないので、できることを工夫したりして、ひとつひとつ心配が減ったのだと思う。何より医療がよかったのだ。いのちを預ける病院。。。。偉大な存在だ。全ての環境を自分の思い通りにはできない。その場に応じて大切なものを見極め、できることを整理して、歩み寄る。そのためにはお互いを理解して、よりよくしようと知恵を絞る。当たり前のことだけれど、案外実現は難しい。難しいから理想も育つというもの。観測史上最大の台風に便乗してピョンとハードルを跳んだ。かも。一人前に扱われたおかげで、ちょっとだけ一人前に近づいた私がいました。
2014.07.14

すっと か細い飛行機雲 体調わるわるの峠を越えた。と思う。(勝手に)安静とはいえ耳は聞こえるのだから、訪問してくれる人の話は音の薬になります。知人が「委ねれば運ばれる」を教えてくれました。心と体がいつも歯車の両輪で調子よく回っているときは気にしないのに、どちらかが不調なときはもう片方がとっても困ってしまう。ぎくしゃくしているうちは何とかしようと抵抗するのだけれど、いずれどっちもバッタンキューなのだ。身体の調子が悪い時は、意識して精神的な健康レベルを下げないように努力している。その間、痛みや苦しみがひっきりなしにそっちの領域に精神を引きずり込もうとたくらむのだ。そんなときほど、心と身体は自立しているのだと自分に言い聞かせて、悪魔のささやきをうっちゃっておくようにする。音楽や自然のささやかな音は舟になって肉体の縛りを忘れさせ、自分も自然の一部だと思いださせる。そんなとき、肉体の境界線は溶けるように消えてゆく。自然の中にある光やいろいろな生命のゆらぎに自分の波動を合わせて一体となるようにする。具合がわるい時ほど頑張って、そうする。委ねれば運ばれるそんな気持ちにピッタリの言葉だった。自分の生命力の行き先や終点はわからないけれど、少なくとも今は今日の時間の中で運ばれている。照る日も曇る日も、そして台風の日も!あるけれど、なにごともなるようになるのだろう、と力をぬくとやっとその分力もチャージされる場所が生まれるような気がしてきた。何でも自分の意志で思うように運んでいるうちはなかなか見えない秘密の入れ物が、まだ自分の中にあるのかもしれない。あるのだろう。あるといいな。ひょっとして、もう自分の引き出しは出しつくしたのだったら、新しい素材と手法で新アイテムを生み出すもよし。それにしても、一度両手にいっぱい抱え込んだ荷物を一度リセットして、シンプルになってみたときに、自分にとって一番大事なものがちょこんと残っているような気がする。身体が大人になる。病気も大人になる。成長した病気ともうまく付き合えるようになりたいと思う。
2014.07.08
今日は七夕。曇り空の仙台です。先週末からあまり具合がよくありません。かれこれ2か月になろうとしている。あの手この手の治療も、頑張り続けて疲れてきた。少しの刺激で吐きたくなってしまう。息もできるだけ静かにしています。気力があるうちはまだまだ、と底力がわきますが、だんだんパワーダウンしてくると気持ちが低迷してくるものです。冗談を飛ばしながら看護してくれる家族も、本気で心配するようになった。自分でもじっと時間を稼ぐしかないので返答に困るようになった。大丈夫、\(~o~)/と言えるうちは余裕なのだ。病気が長引くと本当に自信もなくなる。闘病、といえるうちはまだ闘う力があるというもの。とりあえず、耳にやさしい音を選んでバッハの無伴奏チェロにしました。低い音があるだけで支えられている感じがします。せめてこれ以上は落っこちないように音の舟に乗る。今日は少しでも樂に過ごせたらうれしい。
2014.07.07
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