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Al Jackson (1935-75) 僕の手元に Albert King (アルバート・キング) の LP が2枚ある。 アルバート・キングはいわゆるブルースギター三キング(あと2人は B.B. King と Fredie King)のひとりで、その独特の硬い「タメ」のギターと太いけれど美しい(と僕は思う)声は、一度聴いたら忘れられないほど素晴らしいものである。 さて、その2枚のアルバムだが、"LIVE WIRE / BLUES POWER" というライブの名盤と "KING, DOES THE KING’S THINGS" というプレスリーの曲だけをカヴァーした珍盤である。2枚ともアメリカ盤で、制作年度が書いてない。書いてない理由はわからないが、当時の輸入盤ってたいていみんなそうだった。貧乏学生だった70年代の初めに買った貴重なレコードである。 で、この2枚をプロデュースしたのが、何を隠そう我が愛しのドラマー Al Jackson (アル・ジャクソン) その人です。もちろんドラムを叩いているのもアル・ジャクソンだ。 彼のドラマーとしての活動は、Otis Redding (オーティス・レディング) のバックや、Booker T. & the MG’s (ブッカーTと MGズ) のメンバーとしてのものが最も有名だ。決して派手ではないが、歌い手に合わせて淡々とリズムを刻むそのスネアは「ピストルショット・スネア(Pistol-shot snare)」と呼ばれた。出過ぎず騒がず、しかし堅実に歌とバンドの音を支える彼のプレーが後に与えた影響は大きい。 僕の大好きなドラマー、アル・ジャクソンは1975年、40歳の若さでこの世を去った。
2002.11.29
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25日の続きです。簡単に曲解説を・・・。25日と合わせてお読みください。( )は<正解例>2.の楽器。・“Tell Me” 「戻ってくると 言ってくれ」の繰り返しが印象に残る。 もう、とにかく戻ってきてほしいもんだから、最後には 「誰もいないのに ドアをノックする音が きこえる」とか 「鳴ってもいないのに 電話のベルが 聞こえる」などと、 幻聴ソング?になっている。 (タムとタンバリン) ・“Time Is on My Side” この曲昔聴いたときはイントロにギターが入っていなくて、 あとからシングルバージョンを聞いてびっくり。 どうなんだろう、僕はギターのない方も好きで、 どちらも甲乙つけがたい気がしている。 間奏のミックの語りはかっこいいね。 ライブでは聴衆はあおられるよなあ、あれじゃあ。 (オルガン&タンバリン)・“Heart of Stone” 当時初めてこれを聴いたときは、荒削りな野性味のある音に ひたすら驚いた。いま聴くとかなり軟弱だけど。(笑) ストーンズが日本で注目され始めたのは、 この曲あたりからだったと思う。サティスファクション前夜。 ここまでの3曲にはタンバリンが上手く使われている。 初期の特徴の一つだね、疑惑さん。 (タンバリン)・“As Tears Go By”(11/18の日記参照) マリアンヌ・フェイスフルのバージョンより アレンジは練れているように思えるが...。 ストーンズのカヴァーは難しいようだけど、 この曲なんかはもっといろんな人が取り上げても...、 と思うのは僕だけか? カヴァーといえば、デビット・ボーイの "Let’s Spend the Night Together"は良かったなあ。 (12弦のアコギとストリングス)・“Lady Jane” 何とも脳裏に焼き付いて離れないあのイントロは、 ダルシマーの心地よい響きのせいだけだろうか。 Lady Jane が、何の隠語であろうと、 これが聞こえるだけで何でも許せてしまうような 妙な安堵感を覚える。僕だけじゃなくきっと誰もがね。 『黒くぬれ』でのシタールもそうだけど、ブライアンは、 楽器に関してはかなりチャレンジャーだった。 (ダルシマー&アコギの12弦)・“Ruby Tuesday ” "♪She would never say where she came from" といきなりイントロなしで歌い出す。 この時のバックが素敵だよなあ。 チェロの低音部かコントラバスの高音部かの弓の音と ピアノ、そして途中からリコーダーが...。 Tuesday をこんなに見事に歌にしたモノは他に知らない。 (リコーダーとフルートそしてピアノ&チェロ?)・“She’s a Rainbow” イントロのピアノに関しては "Lady Jane" に匹敵する と言っても過言ではないように思う。秀逸。 ポップな色が頭の中でキラキラしそうな歌詞だけど、 時代の色と言ってもいいんだな、これが。 サイケデリックな虹色ね。何しろピーコック革命だもんね。 あとで知ったけど、ピアノはあのニッキー・ホプキンス。 (エレピと各種パーカッションおよびストリングス)
2002.11.26
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誤解してもらっては困る。このタイトルは、ローリングストーンズが軟弱者であるという意味ではなく、彼らの初期の曲のなかで、比較的軟弱な(ソフトな)ものに焦点を当ててみようというモノである。問1.次の曲に共通する事柄を述べよ。問2.一つだけ仲間はずれはどれか、考えよ。 “Tell Me (テルミー)”1964 “Time Is on My Side (タイム・イズ・オン・マイ・サイド)”1964 “Heart of Stone (ハート・オブ・ストーン)”1964 “As Tears Go By (アズ・ティアーズ・ゴー・バイ)”1965 “Lady Jane (レディー・ジェーン)”1966 “Ruby Tuesday (ルビー・チューズデイ)”1967 “She’s a Rainbow (シーズ・ア・レインボー)”1967 <正解例>問1.・すべてローリングストーンズの曲で、 英国もしくは米国でシングルカットされたものである。 ・年代的には、まだブライアンが生きていた頃の曲である。 ・スローまたはミディアムテンポの軟弱な歌ばかりだ。 ・どの曲も、楽器の使い方で、微妙に工夫している。 あるいは大胆に凝っている。 ・どれも名曲。穴沢の好きな曲ばかり!。全曲☆☆☆☆☆。 従って、この中に聴いたことのない曲が混ざっていたら、 必ず聴いてほしいと、穴沢は思っている。問2.“・Time Is on My Side”だけ、カヴァー曲である。 オリジナルは、アーマ・トーマス。 ・“As Tears Go By”は、他人のために作った曲である。 これに関しては、11/18 の日記に詳しい。 ※以上全部正しいですが、 まだ他にも<正解例>は考えられますので、 皆さんの考える<正解例>を教えてください。 曲の解説は、明日書きます。 (つづく)
2002.11.25
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“Poetry in Motion” by Johnny Tillotson 1960 & 64 「ぼくの彼女を見たとき 何が見えると思う 詩だよ 詩 動く詩...」というバースで始まるジョニー・ティロットソンの“Poetry in Motion (ポエトリー・イン・モーション)”は、1960年に1度全米でヒットして、その後日本では1964年に『ポエトリー』の邦題で、大ヒットしている。 これとちょうど逆なのが、坂本九の『上を向いて歩こう』。1961年に大ヒットして、1963年全米でミリオンセラーになった。米題は言わずと知れた "Sukiyaki (スキヤキ)"。 このふたり、そう言えば『涙君さよなら』で、競作だったけど、上のことと何か関係あるかしら。ないよね。 さて、このイントロのバースの部分では、テナー・サックスがため息ふうに絡んで、いかにも50年代の終わりから60年代になる境目のあの時代の雰囲気を醸している。 サックスはこのあともバックでずっと使われているけど、もう一つ重要なのがポップスの常套手段の一つ、女性コーラスだな。これが。 特に間奏とエンディングでは、ジョニー・ティロットソンが「ウォウ, ウォウ ウォウ ウォウ...」と歌っている間に、女性のソプラノの声が「アアアアアーア アアアアアー アアアアー...」っていうぐあいに、オブリガードふうに重なってとても美しいし、まさしくこの曲で歌われている、彼女の動きの美しさを、その声が表しているようだ。 それにしても、この曲ほど、一女性の「動き」だけに焦点を当てて、それを最大限の美辞麗句で賞賛している歌を他に知らない。なにしろ、タイトルからして「一編の詩のような動きの美しさ」ってんだから。 「歩く姿も、踊るときの身のこなしも、その立ち居振る舞い、一挙手一投足すべてが、上品で優雅で、変えようがない」という意味の言葉が並び、サビの終わりでは "She is much too nice to rearrange" とまで言っている。「あまりにも 素晴らしすぎて アレンジし直すなんて とてもできやしない」って。 しかし、ここまで言っておきながら、顔のことには全く触れていないとは、余韻が残りすぎやしないかい。いえいえ、これでいいんです。さらに顔まで美人だなどといわれたら、ちょっと現実離れしすぎちゃうもんね。 (文中訳:穴沢)
2002.11.21
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“As Tears Go By” by Marianne Faithfull 1964 ローリング・ストーンズの数ある名曲の中でも、特に際だった世紀の大傑作。1964年、マリアンヌ・フェイスフルによる大ヒット曲だ。その後、ストーンズもレコーディングをして、自分たちのバージョンがあるわけだから、カヴァーしたのはストーンズっていうこと? 話を整理してみよう。まず、マリアンヌ・フェイスフルのために、ローリング・ストーンズがこの曲を作った。それがヒットして、2年後(ぐらいだった)今度はローリング・ストーンズが自分たち用にアレンジして、リリース。こちらもヒットした。 やっぱり、オリジナルはマリアンヌ・フェイスフルっていうことだよね。 う~ん、よくわからなくなってしまった。でも、こういうのって時々あるよね。代表的なやつは、リトル・エバの『ロコモーション』。その後、作曲者のキャロル・キングが、持ち歌にしている。シンガー・ソングライターが人のために作った場合に、よくある話なのかしら。ねえ、エートルズさん。 さて、“As Tears Go By”は何が素晴らしいかっていえば、もう、全部ですね。 とにかく、イントロからじーんと来ちゃいます。あのイングリッシュ・ホルン(だと思う)の響きは完全に脳裏に焼き付いてしまって、イントロが聞こえたとたんに、もう40年近く経とうかというのに、マリアンヌ・フェイスフルの声と姿が、当時のまま浮かんできますね。 文字通り美しいその声が、わずかに哀調を帯びたメロディーに乗って、あの歌詞を口ずさむ。 「夕方 私は座って見ているの 子供達が遊ぶのをね 笑顔が見えるけど 私のためじゃない 私は座って見ているの 涙は流れるまま...」(訳:穴沢) 情景はいやでも目に浮かんでくる。いい詞じゃないの。 「いくらお金があったって 何でも買える訳じゃない 子供達が歌うのを聴きたいの でも聞こえるのは地面を打つ雨の音ばかり 私は座って見ているの 涙は流れるまま...」(訳:穴沢) 実は、タイトルにもなっているこの最後の、"As tears go by (涙は流れるまま)" が、何と初めは "As time goes by (時の流れるまま)" だったのだ。この「衝撃の」事実、もしかすると既に「常識の」事実かもしれないけど・・・。 数年前手に入れたストーンズの CD (ちょっとうさんくさいブートレッグ) で、まだ習作の段階の "As Time Goes By" を聴いたときの驚きは、筆舌に尽くしがたいものであった。いったい誰がどの段階で、"Time" を "Tears" に変えたんだろう。もう、誰が何といっても、絶対にこれは "Tears" しかないと思うのだ。 もし、万が一、すでにあるスタンダード・ナンバーの "As Time Goes By" というタイトルとダブるのを避けた苦肉の策だったとしても、とにかくこの“As Tears Go By”というフレーズ、センスの良さといい、響きの心地よさといい、もうこれ以上の表現はない。 マリアンヌ・フェイスフルがその後、どのような数奇な運命をたどり現在に至っているかというような、スキャンダラスなこととかは、間違いなくいろんな人が関心を持って調べているだろうし、その気になればすぐわかるだろう。けれど、僕にはそれはどうでもいいことだ。彼女は、今は今で、とても素晴らしい歌い手であるのは紛れもない事実だから。そしてなによりも、38年前に彼女が歌った“As Tears Go By”を、いまも当時のまま聴けるのだから。 少しテンポを落としたストーンズのバージョンも、アコギの前奏からはいって、押さえ気味のミックの歌に弦楽四重奏が途中から絡んで、もう涙もの。いつでも泣けます~。
2002.11.18
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さあ、皆さんお待ちかね、久しぶりの穴ジョークイズ。結構易しいよ。 今日のクイズはわかる人もわからない人も楽しめる、選択問題形式になっています。センター入試(大学入試センター試験)みたいで楽しいぞ~。(笑) したがって、皆さん果敢にチャレンジするのだ。中には、僕がこの楽天のどこかで書き込みしたことが、ヒントや答えになっているモノなんかもあって、有利な人も出てきますが、そういう人はラッキーだと思ってどんどん答えてください。 では今日はまず、プレスリー映画の最高傑作『ブルーハワイ』からの出題。 映画の中で、兵役を終えてハワイに戻ってきた主人公のチャド(エルビス・プレスリー)が、懐かしい海に行くと、いかだに乗った昔の仲間たちが、素晴らしいコーラスである歌を歌って歓迎してくれる。さていよいよ問題だ。問? この時仲間が歌ってくれた歌とは??ハワイといえば、はい、この曲です、絶対。『アロハオエ』。?ずばり、『サーフィンUSA』でしょう。ハワイだよ。?これは当然タイトル曲の『ブルーハワイ』に決まってますがな。?仲間はイトーはじめ日系人が中心だったから、当然『上を向いて歩こう』。問? さて、この映画の中で誕生日を迎える女性がいる。それは誰??主人公チャドの母親。 ?チャドの恋人マリー。?マリーのおばあちゃん。?チャドの両親がかわいがっていた養子のヨーコ。問? その時渡したプレゼントは? ?オルゴール。ふたを開けると素晴らしいメロディーが。?赤い珊瑚の首飾り。バックにあの曲が流れる。?ルビーの指輪。ドイツから戻る直前手に入れた。?藤娘の日本人形。兵役で立ち寄った日本のおみやげだ。問? 当時和製プレスリーと呼ばれていたのは??小坂一也?佐々木功?平尾昌晃?橋幸夫今日はこのくらいにしておこう。どんどん答えを書いてみよう。早い者勝ちだよ。
2002.11.15
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“Needles and Pins” by The Searchers 1964 (Original by Jackie De Shannon 1963)『恋の特効薬(Love Potion No.9)』でおなじみのサーチャーズです。この曲『ピンと針』は「カヴァーだけど素敵,第4騨」であると同時に「何だ!この邦題は,第3騨」でもある。なにしろ『ピンと針』なんだから、これほど痛そうな邦題はないって。いやいやそうじゃなくて、邦題と原題の語順をよく見てもらえば、誰でもすぐに納得できるでしょう。逆なんです。逆。原題は "Needles(針) and(と) Pins(ピン)" でしょ、どう見ても。『針とピン』でしょうに。とはいうものの、辞典によれば "needles and pins" と "pins and needles" のどちらの表現も存在するので、鬼の首を取ったように指摘するほどのことでもないか。"needlles and pins" または "pins and needles" っていうのは、しびれが戻るときのあの「じんじんした感じ」のことで、比喩的に「びくびくしている」とか「不安な状態」の時にも使うフレーズだ。日本語の「針のむしろ」とは意味は少し違うけれど、 "needles=針" を使った慣用句として、記憶にとどめておくとよろしいかと・・・。 しかしいずれにしても『ピンと針』という字面と、その響きは、かなりユニークで、当時雑誌などで見ては、不思議な感じがしたものだ。ところで、この曲は、アメリカ人女性ジャッキー・デ・シャノンが歌っていたもののカヴァーで、リバプールのサーチャーズは原曲よりいくぶんテンポを上げて、ミディアムテンポの秀作に仕上げた。彼らは、ジャッキー・デ・シャノンの曲をもう1曲やっている。『ウォーク・イン・ザ・ルーム(When You Walk in the Room)』だ。これが2曲とも実にかっこいい。『ウォーク・イン・ザ・ルーム』の方は、ジャッキー・デ・シャノンの持ち歌として、別の機会に取り上げようと思う。『ピンと針』は「以前好きだった人を見かけて、こそこそと逃げだし、早くどこかへ行ってくれとびくびくしている(needles and pins状態)」というような内容で、元々女性の立場でかかれたものを、"he(彼)"を"she(彼女)"の変えて男性側から歌っている。『恋の特効薬(Love Potion No.9)』もクローバーズのカヴァー曲で、ビートルズを初めとする当時のイギリスの他のグループ同様、サーチャーズも、カヴァーものでその真価を発揮したといって良さそうだ。それと僕は、ある時、フォークロックの元祖は、バーズでもサイモンとガーファンクルでもなく、このサーチャーズだということに気が付いたのだ。ふっふっふ・・・。
2002.11.13
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“Don’t Treat Me Like a Child” by Helen Shapiro 1961 (日本語版は弘田三枝子)この曲が日記に登場するのは初めてではないが、ちょっと聞いてとくれ。僕の中で、『大人になりたい』と『子供じゃないの』の2曲は「対(つい)」で存在しているんだ。どちらも同じ頃流行って、詞の内容も同じようなものだからだろう。だから『大人になりたい』を日記タイトルで使って、『子供じゃないの』を使わないというのは、どうも何かが足りないような、落ち着かないような感じがするので、あえてまた取り上げたという次第。この2曲が日本で(日本語で)流行ったのは、正確には『子供じゃないの』が61年、『大人になりたい』が62年になってからだから、ちょうど僕が小学6年生~中学1年の時で、「早く大人になりたいなあ」「子供じゃないって言える歳になりたいなあ」って本気で思っていた時期と一致するのだ。弘田三枝子も伊東ゆかりもまだ14~15歳くらいでしたよね。ところで、みなさん、小学校の高学年から中学ぐらいにかけてって、大人になりたかったでしょ。大人になることに憧れましたよね。大人になったら自由になれるって。『大人になりたい』のほうは、"Too Many Rules(規則が多すぎる)"、『子供じゃないの』は、"Don’t Treat Me Like a Child(子供扱いしないでよ)"。この2曲の原題は(歌詞もだけど)、思春期にある若者の、万国共通の時代を超えた叫びとも言えそうだ。でも、なぜこの2曲が、アメリカとイギリスという別々の場所で、期せずして1961年という年に発表され、流行ったのだろう。単なる偶然の一致なのだろうか。どなたか、もしわかったら教えていただけませんか。さて話はがらっと変わりますが、1961年といえば、当時僕はこの「1961」が、逆さまにしても同じ「1961」になることに気がついて、こういう年号が他にどれくらいあるだろうと考えた。そして、そのあまりの少なさにビックリしたのを覚えている。
2002.11.10
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“Too Many Rules” by Connie Francis 1961コニー・フランシスの伸びのある高音は、『ボーイ・ハント』や『渚のデート』のような、スローテンポの朗々と歌い上げる曲には、実にぴったりですよね。カンツォーネなんかもよく歌っていますが、まさに彼女らしさがよく出ています。ところが、アップテンポの曲となると、ちょっと違うようだ。『バケーション(Vacation)』 のような絶叫型の曲は、むしろ少なく、『カラーに口紅』や『想い出の冬休み』、『夢のデート』のようなタイプの、少し押さえた声で歌う歌が多いように思う。この『大人になりたい』でも、特に低音部での歌い方は、歌の内容とも相まって、語りかけるような訴えかけるような感じだ。いずれにしても、音域の広い、歌唱力のある人だから、どんなタイプの歌も歌いこなせるということなんだね。因みに、数あるコニー・フランシスの名曲の中で、僕のベストは『フランキー(Frankie)』。これは彼女が、声を張り上げずに歌っているバラードで、イントロの語りから、ついつい引き込まれてしまう。この歌が流行った当時僕は小学6年生で、まず伊東ゆかりの日本語バージョンのほうを覚えた。♪ トゥメニルー、トゥメニルー~と、意味も分からず毎日歌っていたが、数年後あれは "Too many rules," のことだったと知って、また少し英語が分かったような気がした。
2002.11.08
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“You Don’t Know” by Helen Shapiro 1961僕の『悲しき』ベストテンにはいる1曲。いうまでもなく、ヘレン・シャピロの大ヒット。弘田三枝子の日本語バージョンも実にいい。こちらも流行った。この曲が「英国音楽」の項目に入っている訳は、ヘレン・シャピロがイギリス人だからだ。イギリスの曲なんだ。このことは9月16日に詳しく書いてある。まず、イントロの、♪ ウォーウ ウォウ ウォー, ウォ イェーイ イェイ イェイ~、 ですね。9月17日に書いたけど。そしてタイトル。これに関しては、絶対オリジナルを上回っていると思う。"You Don’t Know" じゃあちょっと雰囲気出ないんじゃないの?って、つい鼻が高くなっちゃう。さすが漣さん。次にヘレン・シャピロの声。あのちょっとドスの利いた低い声。コニー・フランシスのキュートな高めの声と対照的で、なかなか興味深い。そういえば、弘田三枝子も声質や歌い方は違うけど、やっぱりドスの利いた低い声で、ヘレン・シャピロのカヴァーにふさわしい人だったんだなあ。中尾ミエはコニー・フランシスのカヴァーを歌っていたけど、高音の伸びという点で共通しているし、声の高さはやはり関係ありそうだ。日本語で歌うにしても、オリジナルキーでカヴァーする方が、絶対雰囲気は出ると思うんだよね。あとは歌詞だね。密かに「あなた」に想いを寄せる女の子が「自分のことを気にかけてくれていると、わかるまでは、うち明けるわけにはゆかない」と、悶々としているのだ。この内容だから、あのため息のようなイントロとエンディングの、♪ ウォーウ ウォウ ウォー~、が余計に胸を打つではないか。
2002.11.06
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“Hats Off To Larry” by Del Shannon 1961「何だ!この邦題は」第2弾!早くも登場。『悲しき街角』がヒットしたからって、今度は『花咲く街角』だって~?・・・そうなんです。「悲しき」でくると思ったら「街角」シリーズで来た。この時は本当に続けざまのヒットだった。で、ヒットしてしまったから、仕方ないんだけど、デル・シャノン=「街角男」になってしまった。『街角のプレイガール』なんて言う曲もできた。もっとも、本国ではこんなこと、どう説明してもわかってもらえないだろうなあ、当然だけど。(笑)昨日の『悲しき街角』と今日の『花咲く街角』は、デル・シャノンの日本における2大ヒットだ。内容的には、『悲しき街角』は失恋ソング。『花咲く街角』は、自分のもとを去った彼女が、相手の男(Larry)にふられたのを知って、「泣け泣け(Cry, cry, cry)」と喜んでいるというもの。あ、このパターンの女性版があることに、今気がついた。この女性版の方の邦題も、またものすごいぞ。近日中に取り上げますので、お楽しみに。それで、この2曲に共通していえるんですが、マイナーなコード展開がいきなりメジャーになる。この技法はもちろん他でも多用されているだろうが、ちょっと間をおいて流行った『太陽をさがせ』でも使われていて、独特のデル・シャノン節になっている。申し遅れましたが、彼は自作自演です。ソングライターとしては、かなり優秀です。ただ、僕の個人的な好みから言えば、『街角のプレイガール』とか、ピーターとゴードンでお馴染みになった "I Go To Pieces" のような、メジャーの曲のほうがいい。いや、それにしても "I Go To Pieces" は名曲だ!
2002.11.02
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“Run Away”by Del Shannon 1961今日から始まった?「何だ!この邦題は」シリーズ第一弾は、みなさんおなじみ、「悲しき」シリーズの原点『悲しき街角』です。思わず「ああ、飯田久彦のね」って思った人、イエローカード、・・・にはなりません。安心してね。僕も、つい、♪ま~ちかどで、わかれった~、あのこはいま~なんて頭の中の誰かが歌ってしまうので。ポリポリ。「悲しき」のつく曲はあげたらきりがないほどで、しかも結構長い間使われたと思う。僕が思いつく一番新しいところでは、ダイアー・ストレーツの『悲しきサルタン』かな。もちろん最も流行したのは、60年代初頭で、その数は、・・・知らない。ごめん。誰か暇な人、調べてください。『街角』から『サルタン』まで、約20年。産まれた子が成人するほどの年月を、この「悲しき」っていうやつは、生き延びてきたんだね。「何だ!この邦題は」といっても、今回は怒っていない。第1回目から腹を立てていては、いい大人が笑われる。そもそも“Runaway”を訳したと考えるから、いろいろ文句を言いたくなるのだ。あ、もちろん「何だ!この邦題は」の趣旨は、基本的には、邦題の訳し方に、いちゃもんを付けたり、そのいい加減さを糾弾しようと(笑)、いうものです。それで、『悲しき街角』の場合は、日本語の歌詞をつけて日本人に歌わせるという、当時の我が国の特殊事情があったと考えられなくもない。というのも、邦題が完全に日本語の歌詞と連動していて、しかも見事に一言でその世界を言い表しているではないか。だから、この邦題はすばらしいと思うし、その後の「悲しき~」が目指した原点がここにあるのだ。僕はこの曲が「悲しき」シリーズの原点だと、勝手に断言しているけど、違うかもしれない。『悲しき60歳』や『悲しき16歳』の方が早かったかもしれない。でも、間違ったとしても許して欲しい。なぜなら、僕自身の「悲しき」シリーズの原点なのだから。
2002.11.01
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