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秋の夜の灯り 22 今見ているテレビ番組で、学校の席替えのことを楽しそうに話している。ある学校の先生が席替えソフトを作って利用しているのだ。生徒に参加させているから、すごい盛り上がって楽しそう。希望とずれても諦めがつく。 生徒の希望を優先しすぎると、生徒たちの間の力関係が働いて、むしろ問題ありの席配置になるそうだ。そこで、生徒たちのほうに席替えの仕方について考えさせて、つまりソフトの機能自体の検討に参加させて、それぞれの仕方の結果の問題点も話し合ったりして、改善を図ってゆく。 自分たちで決めたんだから、納得性があるというのだ。 改善方法が行き詰って、机の配置自体を少し不規則にして解決したりもしている。 僕の頃は確か名簿順か身長順か、担任が決めるかだった。中学のとき、結構いい生徒だったらしくて、担任は僕の隣にある特定の生徒を配置した。病気じゃないけど何かと鈍い、いじめられそうな生徒だった。僕は担任の期待を感じていたので、なにかと世話をやいていたのだけど、あるとき、隣から顔だけ近づけてきて、おまえおれをぶじょくするのか?と呟くように言った。ヒヤッとして、ショックだった。どこかいい気になっていたのかもしれないのだけど、夢に出てくるほど長い間それは尾を引いていた。 2、30年後、同窓会で会ったとき、彼はなにももう意識していなかった。自転車やさんになっていて、とても嬉しかった。 僕は18の時までは、クラスでいちばん小さかった。18のとき年間18センチ伸びて、いつのまにか平均ぐらいになっていたけど、学校時代は席はいつも一番前だった。黒板を消すときのチョークの粉は飛んでくるし、先生のつばしぶきも飛んできた。前の子の背中に話しかけたりも出来ないし、授業以外のものを見たりも出来なかった。それなのに、決して優等生になれなかったから、なんだか割に合わないよ。 I had been always in the front seat in the class duaring my scoolhood.
Oct 31, 2010
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秋の夜の灯り 21 マイ雑巾じゃなくて、埋蔵金は官僚機構の権力の中で温存されていた。でも同じように、埋蔵借金も半端じゃないという。でもいずれにせよ、ようやく透明性が出てきたのは、当たり前とはいえ正常化のひとつの表れだと思う。 僕には埋蔵金はない。埋蔵借金も、ないことにしておこう。 埋蔵金はないけれど、埋蔵物、埋蔵失敗、埋蔵失意、埋蔵恋心、などなどがある。 公のものである国有埋蔵資産や負債は、透明でなくてはいけないけれど、個人に埋蔵されているものは、不透明なままのほうがいいのかもしれない。 そうかといって、身の回りの埋蔵物が多すぎて、年末までにはなんとか改善したいものだ。僕が消えたとき、知られないで守りたいものもある。僕のためじゃなく、僕以外の特別なプライバシーがあるからだ。 We know huge burried asset and debt in national account.Transparency must be kept.However,I had better to limit transparency in myself.
Oct 30, 2010
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商品の仕事はフェードアウト中なのだけど、4~5年前に買って下さったリクライニングチェアのお客様から電話があった。動かなくなった、と。 立派な紳士だったと記憶していて、もちろん最善を尽くすつもりだ。メーカーは旧知のビジネスウーマンkiyokaさんだし、今年初めて一緒に動くことになった。リモコンの故障だったら解決は速いと思うのだけど、モーターだったらどうしよう。最初の試作機はドイツ製モーター.でも、商品化してからは確か台湾製か中国製だ。月曜日にちょっと遠出することになる。 ・・・ 椅子と言えば、娘の1歳児が2歳になるので、古い椅子を塗装した。このふたつの椅子は、昭和47年神戸市教育委員会のプレートが貼ってある。だから作られたのは40年近く前だけど、その後廃校になって何かのとき引き取った義妹が実家に置いていた。その実家は震災で全壊し、でも跡地でかろうじて保管していたものを、いずれ補修しようと数年前に持ってきたものだ。今回は傷みがほとんどなかった片方を、洗ってペーパーをかけて塗装しただけだ。 ・・・ I painted an old wood chair. 秋の夜の灯り 20
Oct 29, 2010
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寒い雨。。。。 詰まらないなあ・・・・・。 そう感じてるのは僕だけじゃないみたい。 ・・・ 秋の夜の灯りシリーズが、さすがにもう半分は越えたと思うので、 もし同時に灯したら、という 自宅では出来ないことを、 画像上ではそれらしく出来るなと気づいた。 つまらない、という言葉は微妙だ。 充たされているべきものが欠けているという状態なのだろうけど、 そう言ってしまえばちょっと直截的に過ぎる気がする。 とりあえず、 灯りが沢山あるのも悪くないかも。。。。 Today it's rain and cold、typical lonesome day in autumun.
Oct 28, 2010
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秋の夜の灯り 19 中国には、サイバー警察官??が数万人あるとか聞いた。インターネットの世界警察機能は必要だし、あまりにも無さ過ぎるとかねてから思っている。それはネットを使って悪事を働く者や陰険な言動をする者が多いからだけど、思想信条を取り締まるとなるとまた話は違う。 中国との間には不幸な歴史があったことは深刻なことだけど、長い歴史の中では、どこよりも深く多岐にわたる交流があり、いわば親戚のような関係だ。中国出身の人や韓国出身の人で、日本人として国民的人気の人や指導者の立場の人はいくらでもいる。そういう意味では、その逆のケースは不思議に少ない気がするけれど、いずれにしても日本人の温和さや順応力,包容力は、日本人自身がもっと誇りとして守ってゆくべきだと僕は思っている。万難を排して平和を守らねばという思うが一番強いのは日本人だ。人間というものが政治体制や社会の流れ次第で一気に国を滅ぼすような狂気の戦争に突き進む病理を体験したのも日本人だ。相手の出方に単純に対抗しようとするようなのは、勇気でもないし、高貴な思想でもないし、愛国心とも違うと思う。 漁船がぶつけてきた映像が公表されようとしている。 日本人の胆力が試されるし、中国人のそれも試される。個人間のトラブルもそうだけど、外交も意思疎通の努力以外に解決方法は無いと思う。 なんかもう12月が近いねという感じに寒い。でも、近いのは11月だ。 The most important action is only one. Each country have to communicate each other more and more.
Oct 27, 2010
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11月3日に地元の県立公園でフリマに出る。観覧車を見てもらうのが目的だ。美術館のアートフリマに出れなかったから、その代わりなんだけど、こういうことでもないと製作が失速しそうだったからだ。 忙しい電気博士に昨日やっと時間をもらったので、仮の配線で始めて観覧車が動いたのだった。動いた。やはり動かないと面白くもない。でも、問題はいろいろあるし、昨日は太陽光ではなく、電源で試験したので、まだまだ未知数もあるのだ。電気系以前にも、何度も手直しした。軸も最初は木製だったけど、今は6ミリの鉄棒にした。大きな円盤を縦型に回転させるのだけど、ギアをつけてチェーンでモーター部のギアとつなぐのだ。そのギアは円盤と一体になって円盤を動かすのだけど、だから円盤は内径7ミリのアルミパイプを中心で貫通させて、6ミリの鉄棒を軸にして回転する仕掛けだ。考えながら試行錯誤したから、継ぎ足したりやり直したりで、まあ完成しても試作オブジェという感じだろう。たぶん、長時間動かしたら早晩なにか起こりそうだけど、来春の美術館アートフリマに出すための、失敗の経験集めみたいなものではある。 あと1週間で、1日は動いてくれるものに到達しなくては。 秋の夜の灯り 18 My trial work as a n objet,a Fellis wheel by solar energy,is now going to rotate.
Oct 26, 2010
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秋の夜の灯り 17 週明けの朝は雨だった。 ああ、雨かあ、映画にしよう、という月曜日が、昔はよくあった。学生時代だ。 電車で西宮を越え、芦屋を越え、神戸の東部に入り、都心で国鉄に乗り換え、神戸の西部で降りて、徒歩なら30分の海抜100メートルほどの丘の上まで通学していた。 雨の日は、乗換駅の三宮でドロップアウト。映画館の人となることが多かった。 よい子は真似てはいけません。よい子のママも覚えて置いてくださいね。ろくなオトナになりませんよ。 When it's rain at the beginning of the week,I had been in the cinema instead of the college.
Oct 25, 2010
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荒井由実は超ロングラン進化を続けているけれど、ずっと好きだ。同じ山羊座という以外には、なにも縁がないけれど、彼女がわっずか22才なのにこの曲を作ったということは、そう考えただけで胸が熱くなる思いだ。 ・・・ 国勢調査の仕事が終わり、作成した報告資料や回収調査表現物のほか、余った印刷物、作業した書類など、支給文具備品以外を返却する準備が出来た。28~30に指定業者がとりに来ることになっている。ムッシー博士も調査員なんだけど、現役で多忙だし、昨日聞いたらあと6人未回収らしい。郵送すると聞いてたけど、郵送結果にはなかったのだそうだ。今日が在宅率の高い大事な日曜になる。僕の観覧車の電気関係がずっと遅れっぱなしなので、電気博士がいないt困るのだけど、国勢調査は手伝うわけにもいかない。 国勢調査は日程を前倒しでこなせたけど、観覧車出品は、突貫工事になりそうだなあ。。。。 まあ、間に合わなくっても、だれも迷惑しない出来事にすぎないんだけどね。 秋の夜の灯り 16 My favorite singer song writer Yumi Araicomposed and wrot the lyrics this songwhen she was 22 years.
Oct 24, 2010
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秋の夜の灯り 15 この灯りのデザインは、実はグランドピアノになっている。いくつか手元に残しておきたいと思うモノのひとつだ。 モノであろうと人であろうと、僕はほんとうは所有欲はない。 所有欲、ってなんなのだろう。人間は所有欲が強いなあとは、ほんとうに痛感する。よく考えると不思議なことではある。お金の所有制度??も実に不可思議なものだし、国家の領土観、個人の土地の権利、どれもみんな不可思議な現象だ。 所有とはちがうけれど、人間関係の独占欲みたいなものも、不思議であるだけじゃなく、僕にはとうてい好きになれないものだ。誰にも独占されたくはないし、誰をも独占したいとは思わない。どんなに愛していても、独占したいとは思わない。独占しないことが愛情の一部でもあると思うからだ。 ひとつのランプと、領土問題と、マネーと、人の愛情問題とを一列に並べてみるなんて、おかしいかもしれないけれど、この10数年で偶然気に入ってしまったランプたちを画像にしたあとは、誰か欲しい人に一個づつ譲っていこうと思っている。 ・・・ モノの作り手への敬意としては、地上の誰かの元にあればそれでいいと思うからだ。 It's true L have many many goods arround me.However,I have not any posessiveness.
Oct 23, 2010
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通信簿?? 古っ!?? 成績表?? 合格者受験番号発表???? ・・・ いえいえそうではありません。 そ~れはきぼうのかていから・・・♪ 古っ?!! 何が古いのかも意味分からなかったりするかもしれない。 ・・・ 国勢調査で担当した区域で、戸数的には70ほどあったけど、主な住まいになさってるのは、53だった。うち1は拒否または限りなく拒否に近いお方だったので、52が回収できたはずだった。うち、28は実際にいただいてきたので、24は郵送回収されるはず、になっていた。その郵送回収の確認リストが来たのが上の表だ。 ワクワクして見てみたら、合計数はピッタリ合っていた! やった~! 合わないだろうと思ってたので、センターの作業は僕関係では意外にも?合格だった。でもよく見たら、担当した3ブロックのそれぞれの数が一致しなかった。 ひょえっ???? ・・・ さらによく見たら、1番目のブロックの20番の人は、僕は手渡しでいただいてきているのに、表では郵送着になっていた。そして、2番目のグロックの20番の方は、僕は郵送なさるとわざわざ電話連絡くださった人なのに、郵送はなかったことになっていた。??? おそらくこれは、作業センターの人が、2-20の人の郵送物を確認したのに、そしてその封筒の裏には、あらかじめ僕が書いたコード番号の末尾は2-20になってるハズなのに、1-20のリストに間違えてマルを入れたに違いない。だって、僕があらかじめ渡す前の準備のときに、1-20の人の封筒に2-20と書き間違える可能性はとてもとても少ないし、しかも同時に、2-20の人に1-20と書き間違えるというダブルミスをする確率は、いくら僕でも1%もあるはずがばい!数学得意な人が居たら計算してほしいよ。 市のほうにその旨連絡してまだ回答がないけれど、いっぱい問い合わせがあるから、かなり回答まで時間がかかることを承知して欲しいと言われている。ものすごい数の郵送があったと思うし、もともとの封筒へのコード番号の記載ミスもあるはずだから、センターの作業ミスを含めたら、そりゃ大変だろうと想像する。 そんなにまでして、と僕には思える一大事業だけど、事業仕分けには上がらなかったのだろうか。 ともかく、最終結末まで、射程距離にきた。 僕のミスだったらどうしよう??? はい、丸坊主になってやる~!!!! 秋の夜の灯り 14 My role as a census taker is now going to finish soon.
Oct 22, 2010
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秋の灯り 13 植物や自然はもちろん好き。動物も、それなりに好き。 猫のチャタローも好きだし尊敬さえしているけれど、寒くなってきたからか、一晩中まとわりついて、どうもよく眠れなかったよ。賢いし生き方上手なんだけど、ちょっと賢くないとこがあって、トイレにもついてくるのは仕方ないとして、暗がりを歩いてるのにまとわりつくから、猫踏んじゃッタになりかねないのだ。もう先に行ったかと思うとまだ待ち構えているので、すり足で歩くことにしている。 猫は孤独に過ごすのも上手だから、不意に姿が見えなくなって、どうしたのかと不審なときも結構あるけど、まあひとことでいえば、勝手なやつではある。 僕の場合は、猫でも犬でも心奪われるほど可愛がるということはない。そういう姿を見ていると、別にかまわないのだけど、どうしてななのかなあとさえ感じてしまうぐらいなのだ。 結局は自分が人間族だからか、人間に心奪われることは人生レベルでも多いし、毎日時々刻々レベルなら、無数にある。 さっき5分ほど道を歩いているだけで、見知らぬ人の幸せそうな姿や、無限の未来をもっている登校中の生徒たちを見て、やはり人間の魅力が別格だなあと思った。幸せそうな人を見ると幸せだなあと思った。 To meet happy feeling is happy.
Oct 21, 2010
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秋の灯り 12 秋が深まってゆく。 いつか来た道を繰り返しているようでいて、 もちろんそうではない。 人間は、忙しいのがいいと思う。忙しい理由にはいろいろあるだろうけど、忙しいことを余儀なくされる忙しさが、ほんとうは望ましいのかもしれない。 僕は自由を求め、自分ではますます自由になってきているけれど、忙しさの質は変わってきた。自由ではあっても、忙しさの理由になるやるべきことは増え続ける。やるべきというより、やりたいことが増えるからだ。でも、やりたいことと出来ることとはギャップがある。 自由であればあるほど、自分の忙しさを作りこむことは難しいし、その管理も難しい。 今週は、まもなく市のほうから郵送分の国勢調査のリストが来るはずだ。担当区域で郵送します、しましたと承った人が、すべて記載されていたら嬉しいな。でも、そうはいかないだろう。アンマッチ分は再度の訪問をすることになる。 観覧車を展示する地元フリマまであと2週間だ。電気系作業が博士が多忙で会えないので止まったままだ。 やるべきことややりたいことの山積の中で、どうしても期日のある上澄みに時間を割いてゆくことになる。 期日は外部要因だから、やはり行動の契機になりやすい。いわばギアのようなものだ。 だから、自分の中のやることリストに、期日を設定したらいいのだけれど、設定してみても守らない自分がいる。自分で決めたことは自分は守らないものだ。 守れる人間もいるよ、と聞こえてきた。 I'm not busy. Really?No,I should be busy.
Oct 20, 2010
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飼ってはいけないマンションのほうで猫のチャタローは住んでいるのだけど、もちろん出たがって困るときがある。玄関の手前の内扉を開けようとするので注意するとすぐやめる。不承不承という感じだ。従う代わりに、部屋の真ん中で仰向けになって柔軟体操?して見せる。 ・・・ 猫にも気持ちはあるのだ。 まして、人間は気持ちの塊みたいな生き物だ。気持ちでよくもなればわるくもなる。 ・・・ いつだったか星野ジャパンが期待を裏切って脆い負け方をした。あの時チームの空気が負けそうな空気に見えた。この夏阪神タイガースがリーグ優勝を逃す敗戦をした日も、勝てなさそうな空気感があった。僕はどちらも監督の選手起用に背景があったと感じている。勝つ能力があっても、気持ちで能力を発揮できない結果になるのだ。 ・・・ 実は僕は政権交代でもそれを感じている。それはほとんど想像ではあるけれど、人はそういうものだからだ。政権交代は、あまりの長期政権から権力をはがす必要があったからだけど、中身としては官僚機構への戦いだった。自民党をぶっ壊すと言った異端政治家小泉さんのときに、すでにそれは始まっていたけれど、十二分に根を張った官僚機構は賢くて強かった。改革はまやかしで迷走してしまったし、政権交代しても十分足腰が鍛えられても居たと思う。長い長期政権で出来上がっていた人事の秩序や、実権をもっている要人たちの人間関係は多岐にわたり強かったと思う。そして、何よりもやれるならやってみろ、という気持ちが、目に見えないところで充満したように思う。 新政府は迷走する。当然なのだ。実質的に仕事するのは官僚機構だし、適切な助言で政策を具現化するのも官僚たちだから、そのモチベーションはどこか萎えているはずだ。最近の対中国外交のまずさもそのせいだと思う。領土問題のようなどうしようもないデリケートなことは、政権同士、国同士の奥深く極めてきわどい意思疎通で保たれている。お役人のサポートのモチベーションが十分じゃない状態では、初動にも新政権らしいまずさがあったと思う。 菅さんが人が変わったように精彩がないのは、副総理のとき財務相になって消費税増税派にシフトした時からだと思う。僕はびっくりしたけれど、菅さんは中枢官僚たちとの融和に舵を切ったと思う。それはひとことで言えば、人間の集団の気持ちのせいだと僕は思っている。 会社でも何でもそうだ。管理者は部下たちの気持ちの大事さと怖さを知っている。特別の資質のある管理者だけが、そういう状況を克服して、気持ちのベクトルを牽引することが出来る。 I' waiting a new leader. 秋の夜の灯り 11
Oct 19, 2010
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復興できずに取り残された状態の 被災跡地にも、花も実もあるのが救いだ。 週明けは気持ちがいい。現役の人たちが足早に駅のほうへ向かってゆく姿も、気持ちがいい。自分はというと、曜日で動いていることもあるので、月曜はそれなりに始動日でもある。 。。。 でも夜に日記を書くと、その日いろいろあるから書くのは困ってしまう。それで、たった今しがた聞いたことを書こう。 妻が近所の友達の家にお見舞いに行って聞いてしまった。お見舞いの相手は、脳梗塞の後遺症の友達なのだけど、ちょうどそのご主人が入院先から家事に戻ってきたとこころだった。ご主人は近く心臓の大きな手術をする。だからそのお話も大変なのだったけれど、ご主人が話された、最近お身内で起こった災難のことが、あまりに気の毒なのでまだ妻の心に尾をひいていたのだった。 地方都市の交通量も少ない道を、車で走っていたとき、向こうからきたクレーン搭載の車が、道のくぼみで倒れて、そのクレーンの先がフロントガラスに飛び込んできた。助からなかったらしい。 人徳のある人d評判だったのに、あまりにも不運でお気の毒だ。 クレーンは倒れるものなので、僕も昔勤め先の事務所で隣のビル工事現場のクレーンが倒れてきた体験があり、クレーンには特別に警戒しているし、家族にもいつもそう言ってきた。でも、工事現場なら警戒するけど、クレーンを載せた車がむこうから来ることは予想もできないし、それが走行中に倒れるなんて、あまりにもどうしようもない不運だ。 実は昼間もあちこち移動の道すがら、ただ生きているだけでいいな、と今日もなんどもよぎった想念だったのだけど、ほんとうになんともやりきれない事故だ。 道路の傷みを発見した人は通報したのだろうか。通報してもまだ未着手だったのだろうか。 I have heard just now a too sad traffic accident. 秋の夜の灯り 10
Oct 18, 2010
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秋の夜の灯り 9 昨日久しぶりにドイツレストランに行った。もちろんおいしかった。Tさんもおいしいと言ったし、おいしかったんだと思う。ドイツ人にも見えるしハーフにも見える、物静かなオーナーシェフの腕は確かだし、たぶん日本人向きテイストにもしていると僕は思う。イタリアンでも、とてもおいしい店は、イタリアのイタリアンとはちがうものであるように思うのだけど、このことは合っているのかどうかほんとうは確信はない。確信はないけど僕はそう思っている。日本人は料理する人も食する人も、総合力で特別に秀でている人たちだという気がしているからだ。どの民族の料理も、その民族が手がけるのが最高なはずでも、導入上手な日本人は、やがて本国以上のものに昇華させているように、僕には思えてならない。 地球を歩き回ったわけではない者が、そう言ってみる資格はないのだけれど、そういう考えをもってしまっているのだ。 でも、そうは思っているけれど、それがどれほどの誇りになるのか、それがどれほど日本人の幸福度につながっているのかは、また別の問題だろう。 僕は第四楽章になってから、ご馳走はほしいとは思わなくなった。脳出血によって第三楽章が終わっていったからだ。脳出血を起こしてから、やがて3年になる。 でもそう思ってから気づいたのだけど、今日はまだ現役だった時に救急車で入院した日だった。10数年前のことだ。スタッフ研修の合宿をしていて、午後の部の話をしようと席に着いたときに、呼吸困難で失神しそうになった。オープン3周年記念日を2週間後に控えて、3週間も入院した。高名な病院でありとあらゆる検査をした。結局はよく分からなかった。過呼吸のようなものというようなことだったけど、僕はそうは感じなかった。入院を公表せずに病院を抜け出して記念式典にはスピーチに出たけれど、その一年後には退任した。今思えば、あれが第四楽章への予兆だったのか。そうとは自覚しないで、ますます自由気ままにいろいろなことをしてきたな、と今は思うのだ。 たぶんみんな、同じような足取りなのかもしれないよ。でも、やはりさびしいものがある・・・・・。 3 years ago I have suffered a cerebral hemorrhage.But before then, over ten years ago,I had suffered a breathing trouble of unknownorigin.
Oct 17, 2010
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この秋の芦屋美術館アートフリマには出展できなかったけれど、ラップテーブルの次に好きと思ってるキスチェナージュは出展できたので、陣中見舞いしてきた。 キスチェナージュとその創案者Kiyomi姫に出会ったのは、去年の秋のことだった。預かりものが包装されていたしわしわのフリーペーパー紙を、また返すときのためにたたもうとして、ふとなにげなくそのイベント告知の記事に視線が止まった。好きなホテルが会場だったから、なんとなく日付を覚えたのだけど、普通はそんなことぐらいでわざわざ行きはしないのに、当日は雨なのに、いや、雨だからかもしれなかったけど、というのは、上腕部の痛み発症前後の頃で、晴れてたらテニスみたいなまだ時期だったから、雨がきっかけで行ったのだった。 会場を一回りしてみて、ただ一箇所、僕は釘付けになった。なんとなくデジャブな、それはモノだった。 気安く声をかけたりはあまりしないほうなのだけど、ーあ、そうでもないでしょ?と陰口が聞こえた気もするけど、ー実は僕は手作りのこと始めながらも、なんとなくそういう世界の人とは肌合いが合わない感じがしていて、あくまで外野席的な感覚でいるから、相手にもしてもらえないような感じも持っていたのだった。 でもその時は、そのモノに惹かれて思わず声をかけてしまった。記憶は不確かだけど、たしか眼帯をした女子大生ぐらいの人が、すごく溌剌としたリアクションをしてくれたので、連絡先のメモもしてもらってしまった。ラップテーブルの次に手がけたいなと内心本気で思った。 ひと月後ぐらいだったか、去年の今頃、始めてレッスンを受けに行った。お屋敷サロンでレッスンという体制で、たまたまその時は保育園モードだった!というのは、女子大生と思ったKiyomi姫は、実は3人の幼児の子育て中で、レッスンに来ているママ友たちの子供たちも居て、実に手際よく合同保育しながらモノづくりしているのだった。 それから1年、たった一年だけど、若さは素晴らしい。今年春のアートフリマでは、ラップテーブルのブースに急遽相乗りしてもらったのだけど、その後まもなくから、公民館とかの会場で定期的に教室を開催している。先生もママ友ふたりを含む3人組が、実によく出来たチームワークで動いている。実はそのオリジナル手作り品の名前を、最初は彼女は「ハコ」と言っていた!やがてそれもキスチェナージュとなり、カルトナージュの感覚もなくはないから、語源はオランダ語らしいのだけど、いまでは耳にも快い、品性豊かな手芸工芸アイテムの風格になってきた。僕のラップテーブルの場合は、ヨーロッパでは古くからあるモノを、手作りでオリジナルなものを作ろうということだけど、彼女のキスチェナージュは、そのものがオリジナルだから、これから独自の育ち方をすると思う。 僕はといえば、その第一作の作業がまだ半分ぐらいのところで、50肩でお休みしているから、仕掛かり中なままでここ1年近くあちらに置いてきぼりだ。キスチェナージュのファブリックを綺麗に貼るには、椅子張り職人さんのような器用さと、実は手と指と腕の力をうまく使う必要がある。指で引っ張るという動作は、実は僕の50肩ではいちばん痛む動作なのだ。去年は春まで置いといて、といい、春には夏休みには、といい、夏にはやはりクリスマスまでには、と最初の目標はクリスマスだったのに、2年目のクリスマスが今は目標なのだ。 ・・・ キスチェナージュ作品の魅力は、彼女たちの楽天ブログを見るのがいいと思う。 http://plaza.rakuten.co.jp/kistje/diary/ 今日は木工つながりで偶然にもご近所さんでもあるTomokoさんを紹介する日だった。Kiyomi姫もTomokoさんも、元スキーヤーだし、なんか波長合いそうなのだ。 Kiypmi姫となぜ姫よばわりするかというと、最初逢ったとき家から通う女子大生と思ったのに、3人子育て中と知ったときの驚きと、実は包容力のありそうなだんなさんを、パパ***して!実にストレートになにかと連発指令している姿が印象的だからでもある!でもこのキスチェナージュの育ちの速さを見ると、スキーとスイミングのインストラクターだった人が、子育てと両立させるキスチェナージュの起業家として、頭角を現わす日も遠くなさそうだ。子育てママたちの起業ストーリーが生まれるかもしれない。 スポーツからカルチャーへ、若さは世界を駆け巡る。 そういえば、Tomokoさんも、スポーツからITへ、さらには今それをフェードアウトしながら、つぎなる分野に入ろうとしている。 若さは、螺旋状に上昇してゆける。若さは最高のプレゼントだ。 ・・・ Today we visited the art free market of Ashiya museum. 秋の夜の灯り 8
Oct 16, 2010
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ルイス・ウルシアさんは、今までは全く無名の人だった。 33人の極限状態の中でリーダーシップを発揮した人だ。地獄状態だった33人が生還できた最高の功労者だろう。 ニュースを見て多くの人が感じた感想があると思う。 一国の窮地を快方に向かわせることのできるリーダーを僕らは求めている。やっと政権交代が出来る時代に到達できたのに、この一年の歩みはあまりにもリーダーがリーダーとして働いていない。 この救出劇でのヒーローが、 菅さんのカンフル注射になればいいのだけれど。 秋の夜の灯り 7 Mr.Kan, How do you think to know that leader?
Oct 14, 2010
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被災跡地に移植したランタナが順調に大きくなって、暑さが終わる頃から生き生きとし始めた。ランタナは暑いときでも元気な印象だけど、さすがにこの夏はあまり好きではなかったのかもしれない。 人間のほうも、たとえば僕がそうだけど、やっと植物に目をかける余裕が回復してきた。 でも早速、風邪気味かなあ・・・・ いろいろと なにかと支障が起こるけど、 生きてる手ごたえと思えばいいだろう。 ・・・ 秋の夜の灯り 6 this is one of my collection.I'm now showing each light from my collection.
Oct 14, 2010
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秋の夜の灯り 5 昔、小学校の近くに森があって、そこでふくろうが木の上にいたのを見た。森は古い神社だった。小学生には森に見えた。 その森は今は森には見えないし、神社と木立だけになった。 ふくろうを見たのは、自分ではほんとに見たと思っているけれど、100%間違いないかどうかは、今では断言することが出来ない。 幼稚園のとき、大きな庭で寝転んでいて、高い青空の飛行機雲を見たのだけど、飛行機雲が出るような飛行機はその頃あったのかなと家人に言われて、1%ほど自信が揺らいだことがあった。戦時で戦闘機はひんぱんに飛んでたので、それが飛行機雲を引いていたのだと思うのだけど、プロペラ機が飛行機雲を出せるのかどうか、知識がない。墜落してゆくときの煙なら出るけれど、そんな恐ろしいことは実際には見たことは無い。 記憶の不確かさの中には、それが何度も思い出して話したりしたことで、記憶の内容が変化していったり、最初あいまいな記憶だったのが、推測や思い出しなおし作業の中で実際とは違う定着をしてしまう可能性がないとはいえない。記憶について追求をされると、記憶を蘇らせる作業の中で無理が生じることは、ありそうな気がする。 飛躍するようだけど、以前にある事件の一部を目撃して110番したとき、あとで調書に協力したことがあったけど、警察の人が僕が喋ったとおりじゃなく、自分たちの文体で書いたものを示して、こういうことですかと言った。趣旨的にまあそういうことだなというわけで、僕の証言文書になってしまう。そういうとき記憶を詳細に問い詰められると、あいまいな部分は当然あるので、でも説明文になってしまうと、あいまいでわからない、じゃなく、なんだかある種の説明になっていたりする。大きな間違いじゃないけれど、だからといってこういう表現がより正しいとはなかなか言えるものでもない。なにしろあいまいな部分や知らない部分は結構あるものだからだ。 取調べの可視化は、冤罪の防止だけじゃなく、関係者すべての人に公平さを保つのにも必要だと僕は思う。 Sometimes I'm getting to loseconfidence in myself about my old memory.
Oct 12, 2010
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秋の夜の照明 4 好天気の昨日、たまにきてくれる植木屋さんが生垣を電動バリカンで刈っていた。その苦情電話が裏のほうの家からかかってきたのでビックリ。といっても、こわもて風の恫喝口調だった。休日なのにどう考えてるのか、ということだった。 植木屋さんには大きな木数本と生垣だけを任せていて、年間数回むこうの都合で一方的に入ってもらっている。休日なのに、という言い分は騒音の程度はたいしたことは無いけれど、こちらの弱みだった。謝って終わったのだけれど、謝らせただけで終わったのはまだましだった。 裏のマンションは幼馴染のお屋敷が売られて出来たので、見知らぬ人が住んでいてそういう人もいそうなのだけど、昨日のは昔からのお宅の人だったので驚いた。世代が変わり、時代が変わり、交流も途絶えていた。 結局あとで妻などの情報を総合すると、昔から知ってるお宅の息子氏のようだった。思わぬ罵声を浴びたことのある人もいたようだった。 虫の居所が悪かったかもしれない。家族の介護とかで煮詰まって窮地のときだったかもしれない。謝りに来い、とかどうしてくれる?とかいうような、その道のやからの手口じゃなかったので、逆に想像が膨らんだ。 恫喝には、大概の人は弱いものだ。僕も弱い。恫喝がうまい人は、とりあえず優位に立つ。 弱いけれど、大嫌いだ。歯向かえば悪循環して事があらぬほうに展開するから、そういう面倒な人にはただ謝るしかないのだけど、結局はあとでその人物を心の中で総括してしまうし、いつかどこかでそういう報いは本人を襲うのだ。残るのは、ちょっと悲哀のようなものなのだ。 有料老人ホームを運営していた頃、ゴミ回収車の作業音と匂いがけしからんと物凄い大声の恫喝で手を焼いたことがある。ごみ保管倉庫がその男の住む隣接マンションの前にあって、換気扇の影響があったようだった。手を焼いたことも事実だけど、しびれるような日々だった。入居者が250人いて、その男の暴言と何するか分からない蛮行ぶりこそ騒音だったので、かなり神経磨り減る思いをした。ああいうのは一種の病気のようなものだけど、その男は極道風だけど一匹狼だった。 紆余曲折の末で、最後は高級な割烹店に呼ばれて、お手打ちのようなことになったのだけど、自慢話のような身の上話をきかされて、その高級懐石がぜんぜんおいしくなかったことは、言うまでも無い。 それもあとで考えると、悲哀漂う出来事ではあったのだ。 I think a threat has something sad.
Oct 12, 2010
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秋の夜の照明シリーズ3 ヨドバシ梅田でプリンター用のカートリッジを買って、マッサージ店に寄ってから帰ってきたら、しばらくしてから気がついた。たぶん電車に忘れてきた。マッサージ効果でうとうとしてて、慌てて降りたからだ。 ああ、情け無い。世の中に迷惑かけて生きるなよ。 前にも同じようなことがあった。そうだ思い出した。ラップテーブルのオーダーをもらって、お客様指定のランチョンマットを預かって帰ってきたとき、やはり電車に忘れてきてしまったのだった。 夥しい数の忘れ物が行き交う電鉄会社も大変なのに、結論から言うと、前回も今回も、スピード解決したのだった! 賞賛!阪急電車。 乗客も素敵、電鉄も素敵だよ。 前回は梅田駅の駅長室にまだ保管されていた間に引き取れたし、今回は夙川駅で降りた乗客が夙川駅に届けてくれたのだった。 やっぱり、好きな町夙川だ!夙川の人も素敵だ。 電鉄の駅員の連絡も誠実で探索方法も的確だ。あんなにスムーズにいくものだろうか。忘れ物が届いた時点で、POSレジみたいに登録されるシステムになっていたら、どこからでもすぐそのデータベースに検索をかけたら分かる仕組みになると思うけど、さすがにそこまではしていないみたいで電話のやり取りなのだ。なのにすぐ分かったのは、僕の場合がラッキー続きなのかもしれない。まして今回は、夙川という途中駅に届けられたので、それがすぐ分かったというのは驚きだ。 それになぜかこういうとき取りいくための電車の往復は無料なのだ!!せめてお礼に払わせてよ、という感じだ。 ・・・ そんなことがあったから言うわけじゃないけれど、阪急電車は日本一だと、僕は思う。東京から帰ってきて、阪急電車のテリトリーにたどり着くとホッとする。空気感がちがうからだ。清潔でセンスがいい環境に入った感じがする。電車も昔からマロン一色。特急言でも急行でも準急でも普通でも、車両のやりくりが自由なのも合理的だ。車内もプラットホームも清潔だ。 もちろん、阪急電鉄の偉大さは、生活文化総合産業的な事業モデルの先駆者だからだけれど、それはたぶん世界でも特有のビジネスモデルだろうと思う。僕などは生まれてこの方ずっと、阪急が構築した生活文化環境の恩恵で暮らしている。 I have left my shopping goods in the train.But it resolved quickly.Actually I have been supported by the Hankyu railwayin various scene of my life.Viva Hankyu !
Oct 10, 2010
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秋の夜の照明シリーズ 2 ・・・ 昨日、よく考えもしないでジャンヌ・モローを引用した。 でも、 あとで考えたら、 誰のこと?と思われたのかもしれない。 ・・・ 大好きな人も何人も居て、ちょっと好きな人ならいっぱい居て、僕らは生きていっている。会ったこともないのに好きだったりもしている。 会ったこともない人を好きとか、ちょっと好きとか言うのは、ほんとはどうなのかなあとも思う。今はネット時代になって、ブログ友達とかネットだけで知った人とかなのに、好きだなとかちょっと好きとか思える人もいっぱい居る。 だから、好きな人カタログ、なんて作りたくもなったりする。人生は人とのかかわりで構成されているのだから、誰でも好きな人カタログは作ることが出来るだろう。生きていて知るところとなった好きな人たちのカタログを、ブログで集大成していったら、魅力の森みたいになっていいんじゃないかな。どうだろうね。 いっぱい商品が載ってるブログは見たくはないけれど、人ばかり出てくる素敵カタログなら、読みたいなと僕は思うのだ。 ・・・ 少し前だけど、大竹しのぶさんがテレビでこんな趣旨のことを話していた。私は金平糖のような、いっぱい尖ったとこのある人が好きです。でも、私と居るとすごくいいといって、その人尖ったとこがなくなっていくの。そうするともうだめで、私は金平糖をなめて、尖ったとこなくなるとペッと捨てる、って言われる。 さんまさんも野田さんも、一緒に居るときは仕事がだめになっていた、というのだ。 そういうの聞くと、なんか好きになるなあ。秋吉さんの、たまごで生みたい、と似た個性しているよ。 The life is composed by many relations with other persons.I wish I could open a special blog about many charming personsI have found in my whole life.
Oct 9, 2010
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これはフランスの大女優ジャンヌ・モローが自室にいるところの写真で、雑誌に掲載されていたものだ。 よくある大物ぶった感じじゃない部屋が印象的だ。 ちょっと好きだな、と思う人はたくさんいるけど、ジャンヌ・モローもそのひとりだ。 恋多く、名だたる人たちと人生を共有しただろうこの82歳の現役女優は、こう言っている。 孤独もまたプレゼント、大切な友達。私はここで一人で住むことを選び取りました。人生は、”手入れすべき庭”のようなもの。これからも自分の庭を美しく手入れしていきたい。 。。。 うん、 そうありたい。 Jeanne Moreau is one of my favoite stars. She says now the loneliness is also a present and a precious friend for me.
Oct 8, 2010
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秋の夜は照明が似合ってる。 。。。 昨夜午後9時に回ったとき、なかなか会えなかった最後の一軒のお方が帰宅されていたので、一応国勢調査回収業務はぎりぎり終了した。 僕の場合、地図上は70軒ほどの建物があり、調査の依頼には空き家以外は皆回ったのだけど、店舗や事業所と住居とが別な場合、住居がほかにもあって主たる住居じゃない場合、現在空き家となっている場合、竣工しているけどまだ居住なさってない場合、などがあって、結局は対象となるのは52軒に絞られた。 そして一応の締め切りである昨日現在で、面会による回収28、面会またはインタフォン・電話・メモ張り出し・メールにより、郵送した、郵送しますと承ったのが23合計51となった。 52じゃないとだめだろう!? そうなんだ。 郵送の方も実際に届いたかどうかを市のほうからフィードバックしてもらうので、 厳密にはまだそのフォローと、場合によっては督促のような訪問が必要だ。 今回、1件は回収できなかった。意思疎通の上で回収できなかった。経緯を書いて拒絶の扱いで報告するつもりだけれど、最初依頼に行った時からそういう空気を感じた。前に出したけど、と抗議するようにそう言われた。5年前の国勢調査のことらしい。実際には書類を受け取ってくださったので、なんどか回収に伺い、やっと面会できたら、手を怪我したから書けないと包帯の手を示されたのだった。 代わりに書きましょうか?と一瞬そう思ったけれど、身内でもないのだしこれは拒否に近いと判断した。 マニュアル的には、ご近所さんからの聞き取りという方法もあるけれど、説明会では拒絶されたら、帰ってきてください、と言われていた。 実は前回の場合は、地域ではある高名なお方のお屋敷で、インターフォン越しに猛烈に拒絶された。そういうものは出せない、とけんもほろろだった。 そのお宅は、今回は郵送しましたよ、ご苦労さまあ、と打って変わったように終わった。実は最初の依頼に言ったとき、前のトラウマはあったのだけど、車で帰ってこられたばかりの奥様と鉢合わせした。なのでにこやかに受け取って下さった。 (ラッキー) そういえば前回はいちども玄関には出てもらえなかった。だから、同じ奥様かどうかは分からない。 この5年間で、もしかしたら交代したのかなあ・・・・。 I'm doing to finish a role as a census taker.
Oct 7, 2010
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今年は今頃まだあちこちで彼岸花が咲いている。 うちではもう終わったと思ったカンナがまた咲いている。 やっと夏バテを忘れる時が来たら、あの暑すぎた日々がちょっと懐かしかったりもする。 ・・・・ 今日が国勢調査の締め切り。 今回は郵送のシステムが最初から組み込まれているから、実際に郵送されたかどうかの確認リストが、後日市からフィードバックされる。そして消しこみをしてから 未回収分を確認して、 またお願いに回ることになる。 僕の場合、まだ3軒が未回収。今から行くのだけど、回収率ってどのくらいんなんだろうね。 余談だけれど、調査を免れる方法はあるにはある。調査員が知っているね。 I'm remenbaering that terrible hot sumer days.
Oct 7, 2010
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ジュエリーボックスのように見える。 でも、 蓋を開けると、 聴こえてくる。 なんだオルゴールか。 ・・・ でもこれはラジオなんだ。 ラジオだけど、 一種類の放送局しか聴けないラジオなんだ。 なので、 チューニングless! 音量は三つの凸だけの3段階。 こういうのは実は昔から探していたのだ。 ・・・ 忘れもしない放送がある。それはNHK第一放送で、もう40年は昔のことだけど、安藤鶴夫さんという落語研究者が「円遊さん」という題で語っていた。安藤さんは落語家以上に魅力的な江戸弁で、その語り口が僕は好きだった。円遊さんは貧乏長屋にひとり住んでいて、訪ねていくとNHKしか聴こえない古いラジオを大事にしていた。それは壊れていたからなのだけど、なんかすごく分かる気がした。円遊さんが亡くなったのは、ひとりで天井から下がっている裸電球を消そうとして、そのまま倒れこんでしまったという。そして箪笥には、確か6万円というお金だけが大事にとってあった。 天涯孤独の身ゆえ、自分の後始末をしてもらえる最低限度のお金を残していた、と安藤さんは偲んでいた。 その安藤鶴夫さんもお亡くなりになり、僕はその放送の録音を大事に持っていたのに、生来の整理下手から、いつの頃だったか、どう探してももう見つからなかった。でもその語り口は今でもなお耳に残ってる。 ・・・ NHK第一だけにチューニングされた一発チューニングラジオは、長年僕が欲しかったラジオなんだ。携帯できないことだけが欠点だけど、夕べこれが到着した。 余談ながら、母の介護をしていた頃、衰えていた母はラジオの操作に困っていた。衰えていなくても、操作ボタンは小さいし、なんだかいろいろあるし、刻んだ文字は読みにくい。 思い切った商品だけど、冴えたセンスだと僕は気に入っている。 This is my favorite radio.It’s already tuning for one particular staition by the factry.Very easy to use.
Oct 5, 2010
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こういうブランコ型チェアにもラップテーブルが役立つよ! これはハンモックやさんにあるアメリカ製の椅子です。ハンギングチェアとでも言うのかもしれない。 主力のハンモックには、ここの愛犬ジュニアくんがいちばん使い方上手。 このハンモックやさんは、風変わりな自然体なお方で、地域のフリーマーケットのプロモーターでもある。 おかげで、 僕が製作中のソーラー観覧車は そのフリマで見てもらうことになった。 肝心の制作進行状況は、 止まっている。 電気博士が多忙すぎて、なかなか会えないからだ。博士も国勢調査員だから、まあ今月後半が追い上げだな。 フリマは11月3日にある。 Laptable is useful also in the hanging chair .
Oct 5, 2010
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今の専攻科目は手作りラップテーブル。既製品や手作り品に囲まれてみました。 今年中には、今年発見したアメリカの先輩キャサリンさんと交信したいから、拙い英語を毎日一語でも入れて、ウォーミグアップ中。 Mrs.Kathleen Horgan,I have moved to find your web site.It's so exciting for me.I'll visit your site and twitter near fucture.
Oct 4, 2010
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鉢植えの植物の足元に、ほかの芽が出ることがある。大概は見慣れた雑草なのだけど、ちょっと違うなと思ったときは、植え替えておいたりする。ゆとりのあるときにしか出来ないことで、決して身についてるわけじゃないけど、これはそうして育って開花したのだった。 水引草???? 分からないけど楚々として好きだ。 ・・・ 国意識も民族意識も特にないけれど、というか弊害があるとさえ思うけれど、日本人は大概こういう繊細なものにも感受性を持っていると思う。 繊細で勤勉で温和、それが地球上での日本人像だと、僕は思う。 勤勉は僕には欠けているけれど、温和はいつまでも大切だと思う。そして、繊細でないと温和ではありにくい。 ・・・ 超大国の中国が、ちんぴらまがいの理不尽な攻撃性を示すのは、よくもわるくも気質が基本にあると思うし、僕らは温和に徹するべきで、またそうするしかない。中国は怖いものなしお強大になっているし、あえて言えば怖いものは国内の統率の難しさだけだから、あのような外交姿勢は決して変わることはない。外交こそ内政だからだ。対外意識で民意を制御するのだ。 日本人が何も出来ないのに正論や勇ましいことを言うのは自由だし、そういうのが中国の人にも伝わるのはいいとは思うけれど、どこにも面倒なご近所さんがいるように、決定的な処方はそうあるものではない。温和で包容力のある根気強い現実主義を貫くしかないと僕は思う。 Diplomacy is a domestic administration for China.
Oct 3, 2010
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ドラゴンズが優勝したけど、その二日前、甲子園球場最終日、負けてはならない見せ場の日、チーム功労者矢野捕手引退の日だった。手堅くリードして3対1で終盤に来て、ストッパー藤川投手が出てきてお膳立ては出来たに見えた。でも、あっというまに藤川は2者連続で四球を出した。トイレに行ってたら世の中変わってたみたいな、魔がさしたような抜けたようなスタジアムの空気になった。修羅場はなんども超えてきたから、とそう思ったファンは多かっただろうけれど、不吉な予感を抱いた人も少なくなかったと思う。そこにまるでドラマのシナリオみたいに、相手チームのホームラン打者村田が打席に立った。たしか初球はまたよくなかった。2球目か3球目か忘れたけれど、というのは、矢野はいつ出るのかとか、ついに出る幕はなさそうだなとか、ふだんはないような雑念が見ているほうにもあった。空振りさせてやろうという感じの高めのストレートを投げると、村田はバッティング練習みたいに打ち返した。瞬間、あ!いった!と放送席で誰かが叫んだけれど、すぐ静寂が支配したので、僕はファウルだったんだと感じた。カメラがボールを追えていなかった。なんともいえない静寂が不自然に続いたので、?と思ったら、カメラもドギマギした感じで、やっと村田が塁をまわっている姿を映した。ホームランのときの歓声もどよめきもなにもない、実に奇妙な静まりの中で、村田たち3人がホームインしていた。カメラは、藤川、ベンチ、監督を映し出したが、見ていられないような唖然とした感じと、動揺を見せまいとする表情が見えた。 悪夢だった。 しかも、わずか10分ぐらいですべてが暗転した。滑り落ちるように、最後はまさかの撃沈だった。 あの奇妙な押し黙ったスタジアムの数十秒は、実に忘れがたい空気感だった。いや、テレビだから分からないけれど、満員の観衆はすごいものを見てしまった。 あのようなことはあることではあるけれど、僕はあの日、選手も監督も引退する矢野のことでいつもとちがっていたと思う。もしかしたら、藤川の場合は、自分が出た時点で、キャッチャーは矢野に代わると思っていたんじゃないか。まったくの想像だけど、僕はあのときそう感じた。もっといえば、長年にわたる女房役への配慮の点で、ちょっとした不満もあったのはないか。心が揺れる部分があったのでは、とあの悲劇の導火線を感じるのだ。あの一球は、普通なら打者の前で加速化し、ホップして、打者は振り遅れるか、それともボールの下を空振りするはずだ。 でも、いつもとりがうあの日、あの一球は、やはり変化球で勝負すべきだった。 あくる日、気持ちが崩れたようにタイガースは連敗し、あれが取り返しのつかない日となった。誰にも証明できない、実証不能なことだけど、矢野選手の引退試合という特殊な状況がなければ、悲劇は起こらなかったような気がする。矢野選手も、試合後はあらかじめ準備されたシナリオでセレモニーを演じていたけれど、内心こころにひっかかる日になってしまったような気がする。 I have witnessed the tragedy of Tigers.
Oct 2, 2010
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