全23件 (23件中 1-23件目)
1
東電の元会長などの責任を裁けない不条理には、巨悪というものの 巨悪さを痛感するしかなかった。 不起訴にした検察もまたアベコべなわけだから、何をいまさらとは思うけど、ともかく裁きを受けるところまで手順を進めてほしい。 あの爆発時に当時の社長は「出張 」とかだったが、メディアに現れたときはこれは困ったと僕は思った。で、たしかそれから二日も三日も経ってからだったが、勝俣会長が初めて現れて、思わず「なるほど」と思った。いかにも、と思った。 「この男だ」と腑に落ちた。巨悪のカルテルのひとつの顔だと思った。 思ったのだから仕方ない。 この感じは大企業に勤めたことがないと、わかりにくいかも しれない。 裁判さえ免れて、彼らがこの3年どうして生きていたのか と思う。 彼らがまき散らした放射性物質を彼らが回収して回ることはできなかった。もうどうしようもない。出来ることは再稼働を断念し、廃絶のための国家的活動に着手することしかないのだけど、アベコベ政権にはそんなことはできない。国民を盾にしているようなことをするのはなにもハマスだけじゃない。 裁きは空虚なものになるかもしれないけれど、できることといえば、それしかないじゃないか。
Jul 31, 2014
コメント(0)
それはひと筋の光になるか日本の暗転の決定打になるかの21世紀レベルのときになる。 つぎの総選挙が、アベコベ氏の高慢と焦りと内部事情とで一気に繰り上がる事態が起きる時だ。どうもあの人物の性癖上は可能性がある。 猛暑の中で電力危機が作られたりするかもしれない。自衛隊がなんらかの行動をとるのが当然という事態も起きるかもしれない。総選挙がアベコベ氏の歪んだ理念をまるで住民投票で国民の総意だという形式に変えてしまうかもしれない。 でもほんとうはもう総選挙でしかこの悪政を止めることはできないのだ。 だから、ひと筋の光はある。 僕はほんとうはもうあきらめてはいる。でも、少しづつ、圧政には懸念を持つ人が増えている。悪政はかならず圧政を伴うものだ。
Jul 30, 2014
コメント(0)
巨悪というものは巨悪であるほど見えない。多くの人はその中に生息するからだ。 不都合な真実が一般に伝わらないということは、不都合であればあるほど その可能性は高い。 首都圏を含む東日本で特に 急な病死が目立って増えた、というのはほんとうなのだろうか。それが千エルノブイリで起こった症例に類似したものが多いのは確かなようだけど、3年前から増え始めたのだろうか。そんなにすぐ起こりはじめるものだろうか。 一般人がその真実を知るにはあまりに日本の権力機構が恐竜化しているので、まだまだ無理だろう。 僕はほんとうだろうと思ってる。戦慄を覚えるような実態かもしれない。 もしそうなら、それはもう地球の陸海空の生態系の破壊の序奏かもしれない。 恐竜の絶滅には諸説あるらしい。隕石で地球規模の火災になり、粉じんで太陽がさえぎられ、という絶滅シナリオも説得力はあるようにおもうけれど、 俯瞰すれば、絶滅は進化のプロセスの中の繰り返しに過ぎないとも片づけられている。 目先の利害で権力を乱用し続ける政権があり、保身と強欲のために追随する大勢の国民がいるかぎり、不都合なことは黙殺して 近未来に絶滅要因を作り出しつづけてゆく。
Jul 27, 2014
コメント(2)
僕が苦手なことの中に本を読む、ということがある。それが苦手な理由のひとつは学ぼうとする気がないという要は勉強嫌いななれの果てということがあるが、ページを開いても進まないというビョーキもある。つまり、速く読めないという欠陥があるのだ。 少し前に初めてカルチャーセンターなるものに行った。それはアーサービナードさんの話があったからだけど、そのときそのセンターのプログラムの多彩さに今更のように感心した。それで、プチ速読というタイトルの2時間講座に行ってきた。たった1回だし、プチのつぎに何かあるわけでもない。 僕は今帰ってきたばかりだけど、速くなるはずだという気だけはまちがいなくしている。 秋には基礎訓練の成果をたまりにたまっている本を読み始めうことで現実のものにするだろう。 楽しみだ。
Jul 26, 2014
コメント(0)
昭和時代の暑さとはなにか質的にちがう。 南国並みになった日本の夏。 太陽はありがたいけど、いくらなんでも暑すぎる。 道路も街もまるで丸ごと高温殺菌処理中みたいな昼間だった。 そんなに熱してなんになる。 暑さで放射能が無毒化できるのなら、いいんだけど。
Jul 25, 2014
コメント(2)
長年居る元ホームレス猫のチャたろ~が最近衰えている。気配を感じてドアの向こうに待ちかまえていたり、体当たりしてきたりするのが普通なのにドアを開けてもその前からくつろいでいるその場所から視線を送ってくるだけになり、どこに潜んでいるのかなかなか出てこなかったりだ。 前に長年いたタンちゃんの場合は、どこかに潜み始めると断食して、自分で病気を直してから出てきたりした。 チャたろ~も自分流調整法で回復してくれるといいのだけど。 犬も猫も夏は強そうでない。人間は、もっと強そうでない。温帯地方とと思ってたのに亜熱帯のようになってしまっているからだ。 昔は冷房嫌いだったのに、近年はエアコンがサバイバルグッズになった。 40度超えるテニスコートで、暑い暑いと連呼しながらテニスしてたのは誰ですか。
Jul 24, 2014
コメント(2)
このごろ少しテレビを見ることがある。 食事する場所に息子が不要になったテレビを持ってきたからだ。 相変わらずの喜び組的か政府広報的テレビではある。 健康寿命という話題をしていた。妻は興味はあったらしくて、ついさっき近所の奥さんと交わした会話に話が飛んだ。 自分たちは、若いころからもう、妻の場合だともう36歳の頃から親の介護の生活だった。 今71にもなって、娘はもう43だけど、娘は親の介護はしていなくて、親である自分は娘の介護、じゃないけど、世話をしている。 近所の奥さんも同じようなことらしく、別に損とか得とかじゃないけど、そうですようねえと世代感覚を共有したらしい。 妻は僕からの介護は全く期待していないし、できないと思っている。ということは、今は大丈夫だけど、いつかは娘の看護を期待してはいるのかもしれない。 老老介護の実態は実はものすごく広がっている実態がある。親の介護のために仕事をやめたり変わったりというのはもちろん昔からあるが、今はやはり老老介護時代だ。 介護は受けたくない。受けるような状況になりたくない、とほとんどの人は思うと思う。 介護は受けるよりもするほうがまだいい。
Jul 23, 2014
コメント(4)
人は苦手なことが結構ある。 先日、子供たちにどういうことができたら大人?という調査をしたらという番組をちら見していたら、 1位 人を助けてあげることができる 2位 人を叱ることができる とうのがあって、その次に 3.苦手なことができる、 というのがあった。 子供の視点らしくて微笑ましかった。 でも僕は、やっと七十代になってしまってから、苦手なことをするようになった。できるようになったとは、言いきれないけれど、やっと大人になってきたのかもしれない。 男が歳をとって、昔はこうだった、自分はこんなことをしてきた、と繰り返したりするのは、それはそれで無理もないとは思う。でも、そういう老人には僕はなりたくなかった。 だから、敢えて苦手なことをするようになった。 理系文系という分け方はどうかとも思うけれど、理系の人は具体的なモノを対象に開発や生産をしてきたが、文系の者はおもに言葉や行動で仕事してきた。それも生産ではあるけれど、自分には自負があっても、他者から見てどう評価されるかは実は様々なものだ。 衣食住のためのモノを作るのはいわばハードで、作るための周辺の活動はいわばソフトとするなら、ハード主体な仕事とソフト主体の仕事とがあって、人間界の分業の生態系が成立している。 ソフトの周辺には、政治のようなものもあり、グラデーションのように虚業が広がっている。僕もまた、虚業の分け前ももらいながら、人生を人並みに過ごしてきたことになる。 自負することや誇りに思うことや恵まれていたなという感慨もあるけれど、 自分がいなくなっても世の中なにも不自由しないこともまた事実だ。その程度なことだったのだ。もちろん、参加者ひとりひとりには生きがいも生きた手ごたえもそれぞれあったのだし、僕も例外ではない。 肩書もなにも必要のないことばかりするようになった。得意じゃないことばかりするようになった。苦手なことだから、やはり苦手だなと思ってばかりだけれど、昔の名前で出ていますではなくてよかった。 苦手を克服していけるかどうかは、極めて疑問があるのは、自分がいちばんわかる。 でも、どこか自由なのだ。 自由ほどいいものはない。
Jul 22, 2014
コメント(0)
ブログやめるまであとふた月になった。 たまたま日本社会に暗雲をもたらす迷惑政権があまりにも過去の教訓を冒涜することばかりするので、ブログどころではないというか、ついブログ自体を汚すようになってしまった。ブログの晩節を汚す、なんて聞いたこともない。 ブログ始めた12年前は 今でははるかに過去になった。過去が過去完了に思えるようにもなった。 ブログで知り合った人たちの中でも、ブログを超えてお近づきになれた人もあって、会ったことがない人でも心情的にはお近づきになった。ちょうど今も 人生レベルの哀しい出来事を伝えてくれた人があって、そういえば、誰にも話さないような事柄を案外共有していたりする。ブログはいつのまにか人生での私的な襞も見え隠れするのだろう。そういう意味ではフェースブックとはかなりちがうのかもしれない。 ブログやめてなんになる? 悪政を嘆かなくて済むようになる。あとふた月。悪政がなにもなかったかのうように過ごせるかな。
Jul 18, 2014
コメント(0)
およそ賞というのはワケあり的なので好きではないけれど、日本国憲法9条を守ってきた日本人が受賞できたらそれはパロディーを超えたインパクトはある。 受理はされたっ、てほんとなのかな。 憲法9条はいわば不可能なことを誓っている。だからこそ、至宝なのだけど、もちろん僕は誇りに思う。 戦勝国が押しつけたものだから、という改憲論者の決まり文句はだからどうだというのだ。戦勝国でないと発案できそうにないということでもあるかもしれない。極悪帝国主義につきつけたとしても当然のことだ。大事なことは、 あの忌わしい軍国主義の犠牲になった多くの日本国民の誓い が表現されていることだ。 僕はもともと思っている。9条はほんとうはもっと進化させ、深化もさせてそういう改憲論なら文字どおりの積極的平和主義が想像できる。今の9条は人類の規範になるべき日本人の誓いであるとともに、世界に向けてのプロポーザルとしての意義がある。そういう理念に対してノーベル平和賞が与えられたら、ノーベル賞にもノーベル賞を受賞させてあげたい。 ノーベル賞というのは、個人や組織が対象らしい。それで、9条を守ってきた日本人という申請をしたらしい。今思えば、平和憲法を汚すアベシンゾー氏以外の歴代首相全員連名でもいいのかもしれない。 相変わらず、不遜なことを書いている。。。。
Jul 17, 2014
コメント(0)
なんかただのおしゃべりロボットみたいな感じ。人間じゃないみたい。 国民のこと愛していない。国を愛しているどうかさえ疑問。 でなきゃ説明つかないよ。 必要ないことやるんだから。 わざと必要あるような状況つくっているんだから。ただただありきたりな国にしようとするばかりだ。 つぎは原発再稼働。日本をめちゃくちゃにする気か。
Jul 16, 2014
コメント(0)
物事には弾みがつくということがある。弾みが付き過ぎるということもある。戦後初めてといっていぐらいの政権交代があった5年前、それから3年間の民主党政権が駄目すぎたため、振り子が自民党というブランド物に戻った。そこに待ち受けていたのがこともあろうにアベコベ氏の歪んだ野心だった。反動に弾みがつきすぎて、議会はないのも同然になった。不健全きわまりない事態だ。野党が泡沫化して、泡沫のくせになんとか自党らしくありたがるものだから、対峙できるまともな野党が絶滅した。与党がいちばん利する状況になったのだ。こういうふうになると、民主主義は駄目だなと思ってしまう。数で物事が決まるのは、駄目だなと痛感してしまう。もちろん、、それよりベターなシステムはないので、こうなると数を得たものの人間性や政治家としての見識によって、歴史も国民の運命も左右されることになる。アベコベ氏のような人物に権力がわたると、それはもう絶望的に悲観的だ。権力を得たのなら、一国の総理であるかぎり、それはもう一派のものじゃない。彼はそれが分からない人物なのだろう、人事があまりにもお仲間主義だ。原子力規制委員会のような今の非常事態国家では特別別格な組織でも、偏向した人間を送り込んでしまい、誰もそれをけん制することもできない。もうこんなのはまともな国家の体をなしていない凶行だと思う。すべてそういう体質なのだろう。もちろん、やることはすべて逆走逆噴射なのに、国民が暴動を起こすわけでもない。でも、この2年、こんな馬鹿げた現実はありえない、と憤りを感じてきたが、その憤りは孤独だった。でも最近気づいていることは、意外に思いが共有できる人が多いということだ。マスコミもほとんどイカれているから、世の中はそうじゃないように見えているけれども、そう見えているのは一種の国民の建前があってそうなっているのであって、現実の表層と現実の深層はちがうなと少し思いはじめている。もしそうなら、日本人は大丈夫かもしれない。でも、現実に大丈夫にするためには、反動の弾みがつきすぎてできてしまった悪性の出来物権力を選挙で退場させなくてはならない。
Jul 13, 2014
コメント(0)

Jul 12, 2014
コメント(0)
2008年から使ってるVISTAのPCを未だにいちばん主にしているのだけど、キートップのRとIが骨折して不便不便。。。ローマ字変換だから、特にIは実に頻繁に使うし、Rも結構よく使うと分かる。でも、ン何も書かないのはいやだ。ドイツの首相は中国に7回も行っている。もちろん、経済外交主体ではあるけど、、ドイツとドイツ人にとってはそれが最大の関心事で重要課題だからだ。ニッポンはどうか。最大の隣国で歴史的にもありすぎる関係なのに、現状は異常すぎるし計り知れない機会損失、経済損失を放置している。なによりも安全保障戦略として、日本政府は逆なことばかりしてきていて、その結果が現状だ。いつでも話し合いの扉はあけてある、という決まり文句も反感を買うだけの上から目線だ。いろいろ努力していないとはいわない。でも、あんたたちの言い草の政治は結果責任という台詞を借りれば、責任は自明だ。
Jul 11, 2014
コメント(0)
国際交流はとても大事で意義深いと思う。ただそれは市民レベルでのことだ。 首相の頻繁な外遊は交流ではあるけれどもその内容は外交特有の虚飾であるか、でなければ日本の場合はお金のバラマキかセールスが多い。つまり、いいかげんにしてもうやめておいてほしい。 するなら難しいことこそ先にしてほしいし、難しい国にこそ行ってほしい。 彼はここでもアベコベばかりする。 原発のセールスはあくどすぎる話しだけど、武器輸出にも規制をこじ開けたし、今は憲法解釈を変えましたといい顔してるつもりらしい。 この2年、権力の乱用と悪用が酷過ぎる。権力の私物化とでもいいたいぐらいだ。 すべては議会を支配してしまったからの言動なのだけど、自民党に投票した人は半分以下しかいないのに、いくら選挙の結果とはいえ、あまりにも傲慢な政治運営ではないのか。 選挙制度の結果として得た圧倒的な議席をイコール民意であると考えるのはもちろん間違っている。この間違っているということを権力者自身が一番わきまえるべきなのだ。 アベコベ氏の脳の中にはそういう層はなさそうだ。日本人の国民性の良さである謙虚さが日本の首相にはないという国民の受難の時代になった。
Jul 10, 2014
コメント(0)
自然災害は地球中どこの国でも多発する。 土建業的公共工事は選挙と絡んできたからずっと目に見える物、便利さが体感できる物が優先されて、目に見えないが不可欠な物は評価されにくいから後手に回りがちだった。 旧型の議員たちがかなり舞台から去ったとはいえ、自民党が政権に返り咲くとまたもや道路や鉄道の予算が復活して、もう時代はとっくに保守主体の段階なのに、あいかわらず旧態然とした様相になった。 それでも近年は明らかに保守が後手に回ったことが原因なような事故や災害が相次いだから、もちろん保守にも相対的に日の目があたるようにはなっている。 保守というのはメンテナンスのことだけど、保守政党が強権を握ってやりたい放題な現状では古めかしい陳腐なことばかりやるのはやめて、保守こそ自分らの使命だと保守政党らしく責任を果たしてほしい。 社会資本保守党頑張れ!
Jul 9, 2014
コメント(0)

実は知らなかった。LGBTという言い方があるようだ。レスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの略で、性的マイノリティのことだ。 人口の5%ぐらいはあるとされている。 と、このような物言いは95%のほうに居るからだけど、言うまでもなく性に男と女の二つしかないということ自体があまりにも不思議なことだ。男と女しかないというこの自然の完璧なような結晶はそれはそれで驚嘆するけれど、でも、男とか女とかという決めつけ方はあとで人間がしたことだから、実相は自然のほうがより深いし多様性がああるはずだと思う。 性の違いはイコール生殖のための自然の摂理だと一応理解している けれど、自然は数学のように完璧に解けるものでもない。 LにもBにも、 95%のほうに居る僕にはやはり生理的感情的には抵抗はある。 でもそれはいわば嗜好の個人差に過ぎない。 中学の時に、満員電車の扉の近くに押しつぶされそうになっていた時、年上の男に局部を探られたことがある。すごくショックだった。そのうち、ある男子生徒が近づきすぎることに気がついた。明らかにおかしいと直感した。とてもいやなことだった。だからなのか、同性イコール嫌悪感で、 異性に対する好感が逆に増幅してゆく気がした。これはLGBTとは関係がないのかもしれないけれど、僕の嗜好にある程度の影響を残した。 でもこれは体内に備わる極めて生理的なものだ。人格というものを超えているというか、人格以前の原初的なものだ。 大人になってからの僕は、LもGも必ずしも体を求めあう関係だけではないことが分かってきた。日本のような世間が受け入れかねているのは、95%の中にある生理的なものが影響しているためだ。人間の結びつきは生理的なものだけではないし、結婚は子供を産むためだけでもないと分かれば、マイノリティはマイノリティであることから解放される。 マイノリティがマイノリティと意識しなくていい社会、マイノリティなどない社会の実現はマイノリティではない人々次第だということになる。 このことは、LGBTのことだけではなく、今の社会のどんな分野でも同じだ。 どんな分野のことであれ、マイノリティがマイノリティと意識しなくてよい自由な社会こそ、 人間の進化の指標であると 僕は思っていて、 信条の根幹でもある。
Jul 7, 2014
コメント(2)

音楽というものはいちばんすべての人々に受け入れられていると思う。 僕は 初音ミクでも聞こえてくると聞きいってしまう。正確だからだろう。 もちろん。AKBの楽曲もさすがに聞かされてしまう。 AKBのビジネスモデルの成功は一種のフーゾクの代替のようなもの、という見方もあるし、なるほどとも思う。 実は、 直接見たわけではないが、そのAKB48がモデルになっている広告があるのだという。自衛隊の広告だという! 見るのも嫌だが、嘘じゃないらしいから僕はほんとうにそれにはビックリした。 出るほうも出るほう、出すほうも出すほうだ。 なによりも気持ち悪いのは、今の政権やその知恵袋であり事務方である官僚たちはそこまでやるか、ということだ。 最初から最後の切り札を出すよう様な汚い手口だし、そうまでしないとという焦りの背景がもうあるのかもとさえ思ってしまう。 本来警察予備隊だったものが長い自民党政権で次第になし崩し的に軍隊化してきたのだけれど、今自衛隊で働く人々でもそのそれぞれの使命観や思いは幅があると思う。今回の集団的自衛権という完全に軍事的な世界に同化してゆくことに違和感のある隊員も少なくないと思う。退職者が増え、志願者が減るのは目に見えている。他国のように、経済的困窮からやむなく志願する者が多くなると自衛隊も変質してゆく。 まるで日本版喜び組を悪用して、流れに流されやすい無垢な若者をかどわかそうとするなんて、税金で禄を食む堅気たちのすることか?! お前たち、もうイカレている。 若者を騙す気なら、振り込め詐欺連中のように、コーキコーレー者のほうを向いてみなさい。もう未来はないのだから行ってくれ、とお前たちなら言いそうだ。 日本人はお金はあるからお金相手の振り込め詐欺は相変わらずうまくいくかもしれないが、おれたちは精神や魂は決して売らない。銃を渡したら、渡した者に即刻、銃口を向けるつもりだ。
Jul 6, 2014
コメント(0)
小学校に入学した時、その時代はまだ国民学校という呼称だった。 運動場の、朝礼などをする台の背後には、小さな何か小屋のようなものがあって、そこに敬礼というのかお辞儀をすることになっていた。そのことを習ったとしても何も分からなかったけれど、その理不尽な行為に僕は言いようのない反感を持っていた。その名称も意味も今でも僕は知らない。知ろうとも思わないけれど、当時の天皇制の何かの象徴だった。 僕はどのような宗教も信じていないし、どのような権威にも盲従することはない。押しつけられるものには従わない。自分で考えて、いいと思えばするけれど、どういう教育を受けても、今まで理解して納得したものはない。人間が仕掛けたシステムはいくら大がかりで立派でもすぐ分かるからだ。もちろん、善意のシステムに恩恵を受ける人があるのはそれはそれでよいと思う。そこは明快にしておかねばならない。 ともかく、現代日本人があの悪夢から解放されるまでは、今の特殊なならず者国家と同じような抑圧の中で僕らは生きていたのだ。悪政が天皇制を悪用して国民を犠牲にした。 僕は人間天皇を敬愛している。昭和天皇の下血の日々には父のように心配した。後年、父の末期にもそのときと同じような心痛の日々があったし、実は今現在でも、同じ町内におられる或る人間国宝のお方の日々にも内心おびえている。 問題はひとつしかない。権威を利用する者の存在があることが問題なのだ。権威を悪用して人々を抑圧することこそが諸悪の根源だった。 そういう意味では、戦後の日本人は鮮やかに進化してみせたのだった。昭和天皇、そして継承された平成天皇の高潔な人格のおかげで、もう悪用する勢力が出る可能性はない。 だから、僕の小学校の時のその心の傷はもう心配ないのだ。 でも、その頃もうひとつの心の影が焼きついた。それは或る日の玄関でのシーンだった。父は教師だったのと、兵役には身体的に上位のクラスじゃなかったので、軍隊に駆り出されては居なかった。仔細は分からないけど、玄関でひとりの憲兵が仁王立ちで父母に何か言っていた。あきらかに上から目線の威圧があった。軍国主義の圧政を傘に着た最も忌まわしいタイプの男だった。 男は8月15日を境にどこかに消えた。男が居た家の前はその後何十年経過しても通るたびに思い出す。 圧政時代は必ず、圧政に寄り添って世渡りする人種が増殖する。それは勝手だし自由だけれど、そういう者は自分と同じようにしない者の存在を許せなくなってあらゆる手段で抑圧する。 今のアベコベ氏の権力悪用の世の中ではもう似たようなことになっている。 悪を見抜いて抵抗する人には、まず普通の人が関わりを避け始める。 だからこれはもう戦時の導入部なのだ。古くて朽ち果てていたはずなのに、陳腐な危険思想が宿った男に権力を与えてしまったからだ。日本だけはこうなってほしくなかった。こうならなくてすむはずなのに、アベコベなことばかりする男のために歴史の歯車が狂い始めた。 怒りは自分の中だけかと思って悩んでいたら、最近になってあちことから同じ怒りに触れることが増えてきた。もちろんそれが気に入らない勢力も増えてきた。社会が病気になるということはこういう症状なのだけど、もう絶滅したはずなのにペストのようにまん延して制御できなくなる恐れはある。3.11からの非常事態のままにある日本なのに、そのような二重の厄災になることだけは絶対に防がないといけない。 まったく
Jul 5, 2014
コメント(2)

どうしても結論がない事、というのがある。 1945年にアメリカが原子爆弾をあろうことかそれも2回も、日本に投下したということだ。いくら軍事大国とは言え、人類史で二度とないことかもしれない大罪を強行した。 そうしないと、狂気の軍国日本を終わらせることが出来なかったのか、そこまではしなくてよかったのではないかということだ。 そこを掘り下げると、決して明るみに出ることのない、その前後の日米のやりとりがどうだったのか、あったのかなかったのかも含めて、もうその証人はこの世にはいない。 だから、分からないことがあるのに誰も言うことはできないけれど、僕は敢て言う。 アメリカは旧日本の軍事力に勝ったが、日本国民はそれで自国の圧政から解放された。解放という言い方が正しいと思うのは、日本人はイラクやアフガニスタンのようにはならなかったからだ。そのとき解放されたのは、常識的には日本の圧政の犠牲者だった朝鮮人の人たちだけど、重ねて日本人も同時に自国の悪政から解放されたのだ。父の弟である叔父は南洋で戦没したが、僕も家族もアメリカが狂気のニッポンの圧政から解放してくれたことになる。ことになるけど、あまりにも犠牲が甚大だったので、解放と言う言い方に素直に同意してくれる者は少ないかもしれないし、それはそうだろうと思う。 過去と言うものをすべてその都度なかったことにしてよければ、僕にはあの解放記念日1945.8.15こそ、失いたくない歴史の金字塔なのだ。戦後の日本人のあり方全体が金字塔だ。 日本人はそれまでの甚大な犠牲者のためにも、もう二度と決してあのような狂気を政治に許してはならないという誓いをしたのだと思う。誰が憲法の草稿を起こそうが、辛酸をなめた生き残りの日本人の腑に落ちた見識だった。 誰が書いてもいい。人間ならいい。 サッカーだって、イタリア人が書いたシナリオで世界に出たのではないか。草稿をアメリカ人に誘導されたのが問題だというなら、200年ぐらい昔に戻って鎖国の中で暮らすしかない。 戦後の日本人の生き方は称賛に値する。今では世界から日本人を高く評価されるようになった。多くの一般の中国人も同じだ。なのに、肝心の日本人が悪政で汚染され始めている。戦後に築きあげてきた日本モデルこそ、人類に貢献できる世界遺産なのに、またもや自国の政府が国民の敵になろうとしているのだろうか。もう決して、そんなことはないことを祈る。 もう、 国籍も民族もあるものか。地球は誰のものでもない。何をいつまでも言ってるのか。
Jul 4, 2014
コメント(0)

彼は最初に首相になった時**神社に参拝出来なかったことがザンキの念云々などと言っていたので、なんだか気色悪い人物だなとは思っていた。 参拝して、このようにお祈りしたというあの決まり文句を聞いて、気色の悪さは倍加した。 ほんとはなんなのだろう。 憲法解釈を捻じ曲げて、禁断の扉をこじ開けたのも彼だから、参拝の気持ちは真っ赤な嘘だったことになると僕は思うのだ。国家の犠牲になったあの時代の日本人たちの死を真っ向から黙殺し、無にする行為が集団的自衛権の容認という逆行の憲法解釈であり、ある意味過去の肯定に繋がっている。 しないほうがいいことばかりして、わざわざ敵国扱いを強めるのはいったいなんのためなのか。ますます国際情勢が悪化しているせいだと言うが、悪化させているのは自分の言動であって、さらに悪化させるようなことして国民の生命財産を守るのが責任などとどこまで愚民扱いを続けるつもりか。 年金問題で最後のお一人まで、と演説していた男なのに。 何ももうしないでくれ。無期限有給休暇でいいです。旅行はしてもいいが、政府専用機でいろいろするのもやめさせてほしい。
Jul 3, 2014
コメント(0)
戦争ということばは自分と関係なさそうに響く。国家や宗教は民族や思想に束縛されて、人と人が殺しあう法も秩序もないのが戦争なのだけど、この人間の重病は医学用語辞典には載ってはいないのかもしれない。戦争は個人的病気ではないけれど、伝染病より恐ろしく人々を巻き込んでいく。そういう全体の様相と社会的症状なのだけど、ということは、だからもう始まっている。今そう気付き始めている人も増えているとは思うけど、厳密には2012年の2回の総選挙で始まったのだ。逆走政権の凶行をそのときから感じていた。アベコベ氏は腸の難病は克服したが、もともと彼に宿った危険思想の難病はそれ以前から知られていた。振り返れば小泉さんのようなタレント総理もタレントならではのわきの甘さがあって、アベコベ氏に権力への道をつけてしまった。第一次の失脚でせっかく後年のこの事態を防げたのに、政権交代出来た民主党の余りの未熟さから、振り子が反動で振れ過ぎてビョーキ宰相を作ってしまった。だから、いちばん責任をもってほしいのは2012年にいいかげんな投票をして現在を生んだ多数の国民だ。 もちろん、責任の持ちようはない。因果応報は世の常だ。なんでも自業自得なのだけど、とりかえしはつかないかもしれないが、次の選挙は騙されないでほしい。そこに希望はまだある。
Jul 3, 2014
コメント(0)

キミが最初に人殺しに行ってください。 キミが最初に、核廃棄物のドラム缶と一緒に隔離されてください。 国民を人質にし、 国土を汚染列島にする罪な者はキミだからです。
Jul 2, 2014
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1