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Sep 26, 2014
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最後はやはりこれでしょう。僕には座右の銘などないけれど、お気に入りの言葉はふたつある。そのひとつは時を遡るチケットだ。さだまさしはバイオリン少年だったけど、言葉を紡ぐほうが遥かに優れている。ついでに、もうひとつの言葉はある12月、吹雪のオレゴン州でぼくら夫婦を車に拾ってくれたアメリカ青年の名詞だ。肩書に、future business leaderとあった。時を遡るチケットがもし手に入ったら、まずは名刺を作ろう。future business leaderakira uehara・・・Many thanks for every blog frieds.See you again atfacebook.
Sep 18, 2014
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人がさりげなく言った言葉がずっと残ることがある。若いころ通ったテニスクラブの近くに、スタンドだけの小さなカフェがあって、僕よりは年上だけどたぶんまだ30代のどこかアンニュイな女性がオーナーだった。早く養老院に行きたい、とあるとき彼女は言った。よほどの心境だと思った。まみちゃんの親友のみどりちゃんも、とても育ちのよさそうな女性だったけど、インドの宗教家に帰依していて、若いのに不思議なオーラがあった。親子ほど年はちがうのに、あるとき、心配してもしなくても結果はおんなじよ、とやさしく僕に言った。高齢者事業で同僚だった吉村くんは、退職後ときどき遊ぶ間柄だったが、あるとき、前後の文脈は忘れたが、生きてても死んでても同じだから、とさらりと言ったのだった。僕は深く考えることは不得手だから、未だに人間のことも人生のこともあまりよくは分からない。ただ、始まりがあるから終わりがある、始まりがなければ終わりもない。それなのにああそれなのに、始まりはやはりいいものだ。終わりがあるから始まりがある。
Sep 17, 2014
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このブログはキミと共有した日々がなかったなら、書き始めることもなかった。だから、最後にまた触れないわけにはいかないよ。 12年間の途中で2回リセットしているから、大半はもうネット宇宙空間からは消えている。 人の生涯にはよくあることだと思う。お互いを必要とする成り行きが生まれて、それは第三者にはどうしようもなくなる。第三者を傷つけて、自分たちも最後には傷ついてゆく。 最初は、音楽を編集していくつもくれました。そういいえばまだ、カセットテープの時代だ。ダイアナトリビュートアルバムはなんど聴いたことか。 キミは矢野顕子がとても好きだったので、久しぶりに聴きました。
Sep 16, 2014
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ブログを知った頃、日記として理解したけど、書き始めるとそれは、自分カタログのようなものだと少し理解が進んだ。慣れてくるとそれはもっと多様なものだった。やがて限定した知人友人と交流するSNSに主力が移り始めて、ブログが匿名であることへの違和感やアフリのような商業性にまみれはじめての迷惑感、実際には人が見てくれるよりも自動ソフトが走査してくるのがほとんどという利用されてる感、などに抵抗を感じるようになった。それでも12年も続いたのは、やはり交流という側面もあるからだろうと思う。今では、フェースブックのようなSNSがほぼすべての機能をもっているし、原則本名だからもう自分の地球住所みたいな感覚になってきた。ブログも意外なほど交流サイトでもあった。実際に10人ほど来てくれたし、バーチャルが気に入らない僕にはリアルに「昇格というか正常化して嬉しかった。そういう意味では、当初からのブログのおつきあいであるにもかかわらず、架空性をキープしたい主義の人がひとりあったのだけど、12年間もの風雪に耐えたブログつながりのおかげで、なんと今月来てくれることになった!まるでハリウッドスターのようにやりくりしてくれて、来日滞在時間僅か5時間30分!!というわけなんだけど、僕にとってはとても嬉しいブログ卒業記念となります。
Sep 15, 2014
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ブログのタイトルがチョー簡単になった。 スコットランドの独立騒ぎなんか、 人間って厄介だなあとただ思う。 成熟段階の国でもこれだから、人間は 破滅するまでこの調子なのかも知れない。 地球は誰のものでもない。 領土問題は存在しない、というスピーチ原稿は 実は全く正しいのだけど、そう書いたり言明したりする役目の人はほんとは自分が何言ってるのかわからないで言ってる。 そんなものから自由になれる日は 今の人類には来ない。
Sep 14, 2014
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ブログをやめるまであと6日になった。 終わりを決めるというのは、 あまりあることではない。 終わりというのは、 普通はやってくることが多いからだ。 キマリで決まってることも多い。 キマリは、 僕が嫌いなもののひとつだ。 ブログを始めたときの動機が揮発し始めた頃、 方向性を変えていって、 生涯続けようと考えた時期もあった。 その時の考えというのは、 人は認知症になってゆくとき、 どういうふうにそうなってゆくものなのか、 ブログで軌跡を残してみようというものだった。医学的にも役立つかもと思った。 それもいいかもと、いまでも思うけれど、 自分で終わりを決められないことの多い人生の不条理にささやかな抵抗を試みるのだ。
Sep 13, 2014
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朝日新聞のことで騒ぎになっていることは知らなかったわけではないが、よくは知らなかった。というより新聞同士の確執の流れと感じていた。でも過日お詫び記事みたいなのが載っていて、その記事原稿の不出来さには読んでて恥ずかしかった。それもあってか、騒ぎは大きくなるばかりで結局社長氏のお詫び会見となった。どんな事案のお詫び会見もお詫びされているようには感じられないけれど、僕は謝罪すればいいとはいつも思わない。原発問題も従軍慰安婦問題も、朝日のスタンスから湧き出た不始末ではある。いずれの巨悪にも僕も同じ朝日的立場だから、内心恥ずかしいし、却ってまずいことになったと思った。弘法も筆の誤り、好事魔多しということはある。思い込みと見識が融合反応すると怖いことになるとは自戒しなくてはならない。今原発は再稼動に向けての手練手管の最中だし、古めかしい国家主義の妖怪も浮遊している。朝日の不始末を鬼の首とったみたいにあげつらう向きもあるだろう。でも、不始末と原発や軍国の悪とは別次元のことだ。人間は許されてはいけないことに組織的に没入するサガがある。どちらもそういう問題だ。コントロールしているつもりでも、実はコントロールされている。
Sep 12, 2014
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早朝、実家前で植物のケアをしていたら、前自治会長H氏が通りがかりに声をかけてきた。問題が長年続いている野良猫への餌付け問題で、見回ってくれていたのだった。このあいだ見つけたから、こう言ってやりましたよ、と。夜明け前4時半ごろだったという。こら!なにしとんねん!最近常習のその女性が、人を待っています、と言うので、こんな時間にそんなことあるか、110番しよかっすると女性は逃げて行った、とのことだった。なるほど、そうかと僕は思って、お礼を言った。ここ数日、不思議にその形跡がなかったからだ。明け方3時半から5時ぐらいのあいだに、その長身の女性がたばこを吸いながら餌付けしにくると、それは分かっていた。何年も続くその何人かの常習者はときとともに変化していた。動物愛護といえば聞こえはいいかもしれないけれど、どこかからやってきて、かわいそうと思ってしているのだろうけれど、そうかといって連れて帰るのではなかった。20匹ぐらいにはなるが、遠くに分散してゆくのか、それ以上にはならないような状況が何年も続いていた。掲示しても破壊されるか捨てられるか、不穏な反感が感じられて、餌をおかれる人たちはみな、フツーじゃないと感じていたし、自治会も警察も解決策にはならなかった。その長身女性の前は長い間新聞配達の人らしかった。販売店に抗議したらやめさせられるだろうけれど、失職するだろうからしなかった。問題は2軒大きな空き家があるためなのだが、大手企業の社宅なので、業者任せの防護工事しかしなかった。猫は何してみても出入り可能なのだ。僕は、基本的には野良猫でも安心して住める街、でいいじゃないかと思うけれど、敷地内でなんども子猫を生むし、猫の死骸の埋葬や猫に便乗するカラスの死骸まで埋葬する羽目になったりもした。もちろん、猫もカラスも糞害はほんとに困る。うちの猫は皆昔から野良猫だけど、もう何年もまえから引き取りは無理と判断して妻にブレーキをかけた。僕は猫たちには、僕は君たちを保護しないし餌付けしないよと言う態度に徹した。僕は実は、「飼う」という行為が嫌いだ。まあ、野良猫の問題は深いけれど、ここでは言葉とその調子で展開が変わりそうだということが、別な意味で考えさせられた。餌付け犯、いや、犯じゃないのだけれど、ひとりよがりなめいわくなおひと、はまた交代して現れるかもしれない。恫喝は通じないかもしれないし、猫のことで人間同士が事件を起こすようなことがないように願いたいです。人間の紛争だけはコリゴリ。
Sep 11, 2014
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車の運転席の隣は助手席というのだと思っている。ほんとはもっと気の利いた名称かもしれない。僕は家族で唯一運転をしない。運転できないからだけど、自分の意思でもあり、ポリシーだ。車社会になっていく時代とともに成人したから、結構これは思想的である。だから、電車の駅から徒歩10分以内でないと暮らせないし、幸いずっとそうしてきた。ずっとそうだったから、車なんか必要じゃなかった。妻が何十年というペーパードライバーから転じたのは、介護のためだった。介護には車は欠かせない。輸入業を始めてからは、車は物流に欠かせないことを痛感した。介護がなくなってゆくと車は商品の運搬用になった。輸入業がフェードアウト中の今は、こんどは娘の子育て支援用の機動力になっている。車に人を乗せるのは抵抗あるのじゃないかと僕などは思うけれども、車はキライなのに、ずっといろんな人に助手席に乗せてもらった。僕の場合はほとんど運転者は女性だった。今はほとんど妻の運転するあまり大きくはない車に乗せられている。不承不承乗っている。お宅のご主人いつも助手席にちょこんとおとなしく乗って可愛いね、と近所の人は言うそうだ。余計なお世話だけど。。ところで、妻の運転はこわい。極力避けているが、そうもいかない日々が今の人生のステージなのだ。妻は自分は運転が上手いと思っている。僕はこわいのだし、事実乗せてもらったほかの人からもそう聞いている。でも、上手いと思ってるのだから上手いのだろうと、自己暗示にかかろうと努めている。先日法事の席でお坊さんが「諦め」について話していた。うまく引用できないが、僕は諦めの境地には目覚めつつあるような気がしている。おっ、明め、言うなあいやそうなんだ。明らかになってゆくという落ち着きの境地が諦めだと感じるのだ。
Sep 10, 2014
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KEIはファイナルでも勝ってしまうだろうと僕は感じていた。ジョコビッチ戦で、打ち損じても仕方ない相手のボールを何度も正確に打ち返して決めていた。ジョコビッチは内心、え?と感じただろう。その、え?は揺らぎだ。2セット目で王者の強さを示した時、吠え過ぎだ、と僕は思った。それも過剰だ。KEIはでも進化していたので自分のテニスを全開してあのときは見事に勝って、直後も無理のないリラックスした態度だった。チャンコーチのコントロールが効いていた。決勝戦は3-6 3-6 3-6だから、なんだか相手に楽勝させている。どうしたのだろうか。20センチも高い相手から、業界最速みたいなのが来ると苦戦するとは思ったけど、ストレート負けは予想しなかった。格下の、それも5勝2敗の相手になのに。考えられるのは、最近の進化がKEIよりも上回っていて、寄せ付けなかったのかもしれない。内容的には3-6ほどじゃないと解説者が言ってたけれど、KEI自身には課題がよく見えただろう。関連して言うような話じゃないけど、メンタルというのはスポーツでは勝敗の流れを決めてしまう。昔、入ったばかりのクラブで、様子が分からなかったのでCクラスで出たとき、Cクラスで優勝してしてしまったことがある。草野球のような遊びテニスを引き合いにするのは場違いだけれど、決勝では見たところ勝てない相手だったのに、そう思ってるのに勝ってしまった。相手はたぶんジョコビッチのような気分だったろう。僕は振り返って思った。そのときはなぜか終始、メンタルのブレが全くなかった。下腹部に心の重心が揺らがないで居座っていて、押し黙ったような自分が最後までいた。ブレると、リセットして平常心に復帰するのはなかなか難しいものだ。勝てない相手はいない、負ける気がしない、などと思っても、口に出したらいけない。大それたことを言うようだが、KEIがそのようなことを口走っていたのは、若さだ。でも、これからもファイナリストレベルの常連になるから、いずれ結果は何度も出ると僕は思う。
Sep 9, 2014
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iPhoneのカメラしか使わなくなったので、こういうのはうまく撮れない。これは雲がかかるので消して撮った。嘘。雲が通り過ぎるのを4分ぐらい待って撮った。・・・雲に消えてくれと言ったが消えてはくれなかったのだ。・・・でも、二三日前のNHKラジオの「すっぴん」で、番組テーマが「あやしい」だったのだけど、空の雲が消せるという人がいるという投稿があった。消せる、というので、やってみて、と言ったら、ほんとにやってしまったという目撃者の投稿だった。すると、番組を聞いていた人からtwitterで、私も消せますよ、というのがきていた。その話を妻にすると、意外にも興味を持った様子で、運転中したりしないでくれ、と言わなければやばいという状況になった。今日、娘のほうのヘルプに行ってきた妻の話では、妻も娘も雲を消してしまったらしい。妻は3回繰り返して確認したらしい。娘もできたらしい。雲は生まれるものだし、消えるものだとは僕も知っているし、実はなんども目撃している。だから僕は、消せる人というのは消えかけるのを察知する能力のせいだと思い、その程度のことだと思っていた。でも、少しまだ奥行きがありそうだ。満月に」かかる雲を消したら今夜は喜ぶ人は多いだろうけれど、それもしてみたら??とはもちろん言わなかった。
Sep 8, 2014
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22で社会人になり、50で転職し、57で自営に転じたのだったけど、後悔はなにもない。後悔はないけど、感想は多々ある。やはり、組織人と自営との違いは大きい。僕の場合はいわばセミリタイアからの自営だけど、最初からの自営とか自営への転職ならやはり自営は大したものだと思う。大きな組織にいるときは、自営のことはやはりよく見えていなかった。組織人をやめて自営の人たちと同じ目線に立ち始めたとき、自営の立場どうしならではの通じるものがあるからか、ある種の温かみを感じた。でも、振り返ってみると、自営業界はサクセスストーリーがある一方で、ブレ幅の大きい世界だった。組織人時代のように吸収力の懐が深いわけではなかった。栄枯盛衰というやつだ。道義的にどうかと思う事業者もあったし、事業が破たんするものは当然身近にもあって、その影響を被ったことも何度かあった。そういう意味では、個別には後悔もある。なぜ事前に分からなかったのかという後悔だ。そうかといって、組織人時代を思い起こせば、大組織のブレ幅の安定したなかでも、不祥事はあったから、人間は時として弱く、狂うものだなと思う。
Sep 7, 2014
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人間としての総合能力は男子より女子のほうが優れている。それはもともとからそうである。社会的にどちらが優位かはどっちでもいいことだけれど、僕が生きた時代の流れの中なら、社会の潮流は40年ぐらい前から変化してきた。原宿のラフォーレだったかでなんかパネル討論があったとき、聴衆の中に居て、いつもはドブネズミ族の中に居たのに、女性の姿が多くて時代の潮目を感じたのだった。産業界をファッションビジネスがけん引しはじめたのだ。ハードからソフトへと経済が成熟期に向かっていた。キラ星のごとく大型女性起業家が目立ち始めたのは20世紀も終わりはじめる頃だから、それなりに時間はかかっていたと思う。今世紀になって明らかにそのすそ野は広がり続けてきたし、男女を問わず若い世代の創業者も目立ってきた。僕がブログを始めた12年前と言うと2003年だから、もう潮流は明らかに変わっていたけれど、親しい友達の中でさえ、女性ならでは資質をいくつも目撃している。KKさんはもうその少し前に知り合った人で、介護用品関係で起業していた。僕がフリーで仕事を始めた頃と偶然同時期だったので、なにかと連携してきた。僕はセミリタイアなバイト風起業だったけれど、つい最近まで共に顧客対応する関係だった。たとえば、彼女が開発輸入した介護用電動ベッドを僕が受注すると、その搬送搬入設置は彼女が主役だった。トラブル起こると、彼女なしでは解決できなかった。電気機構の点検修理の道具をもつのも、実際にそれをするのも彼女だった。今僕はもうフェードアウトだけど、彼女はラインナップを広げて活躍している。ブログを初めてた頃地元サイトで知り合ったSMさんは、さらに鮮やかな軌跡を見せてくれている。知り合った頃は、アロマ系のことをしていた。あとで知ったけど、理系女子だったのだ。近所の会社の会議室を借りて、数人相手にバスソルト手作り講習をするというので僕も参加した。家が近いので、たまにランチしたり飲んだりだったのだけど、彼女は近い将来の自分をきちんと見定めていて、その後自分が言うとおりの展開をつぎつぎと実際にしてみせたのだった。今では女性起業家支援ビジネス界で足場を確立している。NHK文化センターに講座を持つことでもその評価がわかる。ほかにも独自の主体性を持って活動している女性を何人も知っているが、なので、政治家や役所で女性の活用策とかと喧伝するのには、ずっと違和感がある。もちろん、子育てや介護と仕事との両立という課題は大きな課題だ。それは、両立という課題として成熟社会への進化には避けては通れない政策課題と特に男性の自立やその生き方の改革と言う義務教育の中身にもかかわる課題がありそうだ。
Sep 6, 2014
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古い写真があった。手前にある5輪車は、今はもうネットにも見つからない。去年、自分用のデモ車も、不要になった元顧客から引き取ったのも経年変化で廃棄した。この5輪車というのは、体に障害がある人や自転車苦手な人用に、国産自転車が壊滅寸前だった頃にまだ残っていたメーカーが開発した。倒れにくい3輪自転車も、段差、特に7段差を斜めに越えたりするとき転倒の危険があった。それに結構重かった。5輪というのは、前輪は2輪で、後輪の左右にはやや地上からごく7わずか8浮く補助輪に見えるものがついていた。この補助輪の機構に特許があり、走行傾斜に伴い左右がそれぞれしなりながら車体を支える仕組みだった。2輪の自転車のようには速度は出ないけれど、慣れれば楽々乗り心地で、左右に振れながらの走行感がよかった。それに、軽量に作られていた。持病や怪我で不自由な部分があるお客様と結構出会った。メーカーとしては僕の取り扱い数は目立っていたと思う。あるとき累計生産数を聞いたら、一桁少なかった。僕は個人だからニッチな製品に限って紹介していたからだ。文字通りの町工場だから、お客様の症状に合わせて、いろいろ改造にも応じてくれた。紛体塗装ラインもっていたから、好みのカラーにも対応した。でもやはりそのメーカーにも廃業の時期が来た。社長は、廃業後も個人会社でアフター対応してくれた。同じ世代だったと思う。もうこの2~3年は気になるお客様からの電話もなく、社長ともコンタクトしていない。お互いにフェードアウトだろうと思っているけど、もしかしたら社長は復活しているかもしれない。
Sep 5, 2014
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長年百貨店に居たのに、僕は商品に無関心でどちらかというと馬鹿にしていた。 有料老人ホームに転じて、ひとの生活 全般にかかわるようになって初めて、モノに対する視点が激変した。 なので、フリーになってからは、商品流通ということと高齢者問題という こととのまじりあう部分を仕事にしたのだった。 椅子が最も取扱数が少なかったのに対して、この商品はいちばん多く扱った。 この卓上ルーペは卓上にあるだけで美しいが、とても実用的だ。中高年になると、細かい字が読みにくいときがあるからだ。 実はこれも凍結した在庫があと2個だけある。 ルーペはドイツのエッシェンバッハ などが定番と思うけど、これはガラスじゃない、透明アクリル板が素材だ。水族館の水槽に使用されてる高明度の高い素材をベテラン工員が手技で計算どおりの美しい局面に磨き上げている。 僕が愛用している現物は周辺に般若心経が刷り込まれたものだけど、名刺の細かい字を確認したりするのに使っている。 落としてもガラスのように欠けたりはしない。 写真のように、明りが部屋にあるときはいいけど、現在ではLEDの進歩で、照明内臓の製品がいちばんいいとは思う。 もしかしたらこれは今は進化しているかもしれない。 ご無沙汰sたままだけれど、これをメーカーと世に出したのは僕が最初に事務所を作り、まだ独立事務所でなくデスク1台かりていた時の同じ そのような起業家の出世かしらだった。 僕のセレクト商品の中では、思い出深く、 いまもまだ現役だ。
Sep 4, 2014
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12年前と言えば、まだこれがライフワークと思っていた。英国カートンヘルスケア社の椅子で、このモデルは今言うユニバーサルデザインだった。 椅子のことを当時いろいろ調べたが、全体にひとりよがりなデザイン偏重だった。椅子は眺めるものではなく座るものだ。 椅子は座るものではあるけれど、過ごすものでもある。良い椅子に座っていると同じ時間でも時間の質がちがう、というのが僕のこだわりだった。 この椅子は体が弱った人のために設計されているが、働き盛りのオフタイムにも良質の時間を提供する。 このメーカーは日本で見本市に出展しても、名刺ばかり溜まって商談は進まなかった。ある偶然の成りゆきがあって、 僕が紹介と販売活動のメインアイテムにしたのだった。 椅子文化の歴史は浅いし、住環境もちがうけれど、それにしても共感してくれる人は少なかった。 椅子 はだいたい高いものだけど、高いだけでなく大きいということがあった。大きさは大小2種あるのだけど、惚れてる僕からしたら、不思議と言うしかなかった。 普通の日本人のお金の使い方から見たら、一生ものだし安いと思うのだ。 これも僕のフェードアウトとともにある。 最後の1台の在庫が大阪南港ATCにあるのだけど。。。。 7年前、脳出血で入院して10日ほどメールを見なかったとき、思わぬところから 引き合いがきていて慌てた。このモデルではなく、非常に特殊な難病の人のために設計されたモデルの引き合いだった。結局1台別途輸入した。他社の輸入品のコンテナの空きスペースを借りたので、僕が実際にそのモデルの現物を見たのは、他社の輸入倉庫から 東京に転送するための乗せ替えの作業の数十分だけだった。 ・・・ そういえば、今僕のアクティビティであるlapdesk.jpのきっかけとなった英国製のラップデスクは、最初ザ・リージェントを輸入する時のコンテナの隙間に2ダースだけ入れたのだった。 そのラップデスクを置いてくれた素敵な輸入雑貨店も、とてもよかったのだけど、5年ほど前にクローズした。オーナー女性は結婚したからだ。 ハンドメードを始めた頃で、彼女の目に合格するれべルにいなれば置いてもらうつもりだった。 思えばモノにまつわる人間関係も いろいろ生まれ、いろいろ流れてゆくものだ。
Sep 3, 2014
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アベコベさんだけじゃないけど、いつのころからかj民党の議員の口から改革改革と言うようになった。 野党絶滅の昨今では、改革という言葉もイカサマ用語になって、 政府与党の世界でコダマするばかりだ。 さまざまな改革を行ってまいりました、とアベコベさんが身内の前でも今日も演説していた。 長年の間自党の政権だったのだから、改革と言うと自分の仕業の否定にもなるわけだけど、財政改革、行政改革、原発改革、選挙制度改革、税制改革、・・・ 困難な課題はみな避けているし、 どの「改革」もいままでのところはすべて、財界、官界の利害に照準が合っていることばかりだ。言い換えれば、選挙対策ということだ。 なので、次の選挙もさらひどいことになる恐れがある。 無党派の良識に期待するしかない。でも、無党派は組織じゃないからパワーがない。無党派は派でもないただのマスコミ用語だ。 無党派が政治を糺す方法はあるのだろうか。
Sep 2, 2014
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遂に9月だ。 18日にブログはやめる。 やめたらなにかいいことがあるか。あえていえば、毎日ちょっと時間をトクする、とはいえる。 仮に15分として、月にすれば7~8時間になる。 でももちろん、時間って簡単に無駄にしちゃえるから 、本人次第だ。
Sep 1, 2014
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