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日本政府は、初めは受け身の立場に立つとしても、 万やむを得なければ最後の手段に訴えるのを 躊躇(ちゆうちよ)しない決心があったのに対して、 清国は、日本や朝鮮を、まず、声で威嚇し、次に、 形(戦争に至らない軍事力の誇示および列強の干渉等) をもつてすればそれで十分と考えて、 最後には戦争に訴えざるを得ないとの 決断を欠いていたもののようである。 清国がそう思っていただけでなく、 朝鮮も、清国尊崇の念のために、 日本が清国に勝てるなどとは夢にも思わず、 平壌陥落と黄海の海戦までは、 この誤りを悟らなかった。「蹇蹇録」 陸奥宗光 岩波選書
2016年07月29日
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中国では、 現実の政治的要請にそったことを主張するのが歴史だ、 ということになっているのです。 これは伝統的にそうなのです。 だから、 その時々で過去の歴史の認識が変わるのが、 中国人の歴史というものの特徴なのです。 日本が中国の一部だった台湾を奪ったとか、 ひどいのになると、 朝鮮は中国の一部だったのに 日本が掠(かす)め取ったとか、 琉球も中国の一部だったのに 日本が掠め取ったとか、 ヴェトナムも中国の一部だったのを フランスが掠め取ったとか、 以下同様ですが、 そういうことを 中国人は今世紀の始めから主張しているのです。 しかし、これはみんな嘘です。 歴史的に成り立たない、論理が通らないのです。「日本人のための歴史学」 岡田英弘 WAC
2016年07月28日
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人情の識有り、物理の識有り、事体の識有り、 事勢の識有り、事変の識有り、精細の識有り、 濶大の識有り。此れ皆兼ぬべからざるなり。 而して事変の識は難しと為す。濶大の識は貴しと為す。一、 人情の識:浮世の経験を積み苦労するとわかる二、 物理の識:科学といっても、 単なる知識と見識では大いに違う三、 事体の識:表面に現われたものではなくて本体を掴む四、 事勢の識:問題や事件の持つ千変万化してやまない エネルギーの微妙な動きを捕える見識五、 事変の識:事勢は大観した話。 個々の事実に即せば事変六、 精細の識:色々な部分に亘っての、 つっこんだくわしい識七、 濶大の識:小さい事に拘泥しないで 大まかに論断・決断する識「活学 第三編」 安岡正篤 全国師友協会
2016年07月27日
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(フローの都市)の都市効果は少なくとも三つあって、 まず第一は、当然のことながら、地方にいるとき以上の 生活水準が保証されるという経済効果である。 第二は、人生を自由に謳歌できる自己表現効果である。 (フローの都市)の最大の魅力が そこにあると考えてもいい。 そして、第三に、「脱スティグマ効果」ということを 考えてみたい。 「スティグマ」というのは、 他人に貼る蔑視的レッテルのことである。 典型的なものとして、「田舎者」という表現がある。 東京にのぼってきて、東京の人間になるだけで 人びとが心理的に救われるのは、そこで 「脱スティグマ効果」が自動的にはたらくからである。 それは、大阪でも、そして京都でも期待できない 効果なのである。 近代都市を描くことの天才ともいうべき G・ムアハウスが、最近ニューヨーク論を書いた。 『インペリアル・シティ』(一九八八年刊)という本だが、 この「インペリアル」という形容詞は、たぶん 「他に抜きん出た」という意味か、あるいは 「尊大な」という意味か、どちらかであろう。 高層ビルがどんどん建てられる時代を描いた個所など 実におもしろく読めるが、 そのようなストック的な要素をもちながらも、 ニューヨークが一種の(フローの都市)であることが 実によくわかる。 少なくとも、いま述べた三つの効果が ニューヨークには見事に備わっているのである。 いまの東京も、まさしくその意味での 「インペリアル・シティ」であろう。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2016年07月26日
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教育心理学はなぜ目的、 つまり知恵、理解力、よい判断力、よい噂好などではなく 手段、つまり成績、学位、単位、卒業証書などにばかり 重点をおいているのであろうか? 情緒的な態度、噂好、選択力などの習得については よくわかっていない。 「心の学習」はずっとなおざりにされてきたのである。 実際に、教育は、 子どもを少しでもうるさい、 小さな悪魔でないようにし、 大人の都合に合わせすぎているきらいがある。 より積極的に正しい方向に向いた教育は、 子どもの成長とその将来における自己実現に いっそう重点をおくものである。 子どもたちを たくましく、自尊心があり、正しい怒りをもち、 支配や搾取、宣伝やわけのわからない文明化、 暗示や流行に対して抵抗力のある者になるように 教えるということについて、 いったい何がわかっているのであろうか? 我々は、無目的な、動機づけられていない学習、 たとえば潜在学習、 純粋に内発的な興味にたよらない学習などについては、 ほんのわずかなことしかわかっていないのである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2016年07月25日
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十三に日く、 もろもろの官に任ぜる者、同じく職掌を知れ。 あるいは病(やまい)し、あるいは使して、 事を闕(おこた)ることあらん。 しかれども知ることを得る日には、 和(あまな)うこと むかしより〈曽〉識(し)れるがごとくせよ。 それ与(あずか)り聞かずということをもって、 公務をな妨げそ。 もろもろの官職に任ぜられた者は、 同じくたがいの職掌を知れ。 あるいは病にかかっていたり、 あるいは出張していて、 仕事をなしえないことがあるであろう。 しかしながら 仕事をつかさどることができた日には、 人と和してその職務につき、 あたかもずっとおたがいに 協力していたかのごとくにせよ。 自分には関係のなかったことだ といって公務を拒んではならない。「聖徳太子」日本の名著 第2巻 中央公論社
2016年07月22日
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仲間が仲間の符牒を發明して行くのは 當然な事であつて、 例へばテキ屋諸君はテキ屋諸君の符牒を活用する。 そして彼等の間では、 符牒は賓際行爲に関して姿をあらはすだけだから、 符牒は常に正當な役割を謙譲に演じてゐる。 だが、批評家諸君の間では、 符牒は精神表現の困難に關して、而も、 精紳表現の困難を糊塗する為に 姿をあらはして来るのだから話が大變違つてくる。 この困難を糊塗するといふ事は、 別言すれば、自分で自分の精神機構の豊富性を 見くびつて了ふことに他ならない以上、 見くびられたこの自分の精神機構の豊富性の 恨みを買ふのは必定だ。 そこで符牒は勝手に反逆して、 自分の發明した符牒が 人をまどはすと同程度に當人を誑す。 馬鹿を見るのは讀者許りじゃない、 批評家當人達も泥仕合で馬鹿を見てゐるのだ。 「文藝評論」 小林秀雄 白水社
2016年07月20日
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東郷の立場は眞に困難なものだつた。 彼はアメリカに提案する條件を 自分できめることはできなかつた。 彼の主張は頑強だつたから、 眞珠灣の數カ月前のころには、 彼を殺そうとする軍人から 彼を保護しなくてはならないと、 タナキ(原文のまま)が心配したほどだつた。 東郷は對米譲歩を承知させることに努力し、 それにある程度成功した。 しかし、 彼の對米申し入れはアメリカによつて拒否された。 これは申し入れに新らしい譲歩がないからではなく、 あつてもそれが不誠實なものだ と考えられたからだつた。 バランタインは、アメリカ側の傍受電信によつて それを僞瞞だと考えたことを證言している。(「時代の一面」にも記してあり パル判事ものべているが、 野村大使への訓令は傍受されて、 おどろくべき誤譯をされた。 たとえば 「此際は飽迄所要期間なる抽象的字句により折衝せられ 無期限駐兵に非る旨を印象つくる様御努力相成度し」を 「我方は従來常に曖昧なる言辭を以て表し来りたる處 貴使に於ては出来得る限り不徹底にして 而も快適なる言辭にて婉曲に述べ 無期限占領が永久占領に非る旨を印象づける様 御努力相成りたし」と繹してある。 これはほとんど悪意のある捏造だつた)「昭和の精神史」 竹山道雄 新潮叢書
2016年07月20日
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自分にとって役に立つものは方法論として受け入れる。 役に立たないものは排除するか黙殺する、 という行き方は 一種の「即効性のあるプラグマティズム」だ と言える。 この考え方は徳川時代に すでに庶民思想としても定着していたことは、 石田梅岩の次の言葉にも表れているであろう。 「仏老荘ノ教モ、 イハバ心ヲミガク磨種(とぎぐさ)ナレバ 舎(すつ)べキニアラズ」 「名医ハ何ニテモ病ノ可愈(いゆべき)モノヲ用ヒテ 疾(やまい)ヲ愈(いや)シ、 諸薬ヲ尽(ことごと)ク遣ヒ覚へテ 療治スルコソ善(よか)ルべケレ」。 いわば一切の思想・宗教は、薬にすぎない ――言いかえれば、 人間が”健康な状態”でいるための 方法論にすぎないのであって、 そのためには何を使ってもよいという発想であり、 三教合一論的な伝統を“町人思想化”すれば、 こういう発想が出ても不思議ではないのである。 町人化→小市民化が進んだいまならば、 民主主義もマルクス主義も キリスト教も経済至上主義もすべて、 薬として使ってよいということになるであろう。 「受容と排除の軌跡」 山本 七平 主婦の友社
2016年07月19日
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十八世紀末の 北アメリカと西ヨーロッパの二つの革命が、 君主制の代用品として国家を生み出し、 国家に正統性を与えるために国民が発明され、 今度は国民と認められて国家を作りたい人々が 民族を自称する、という順番である。 これはまったく偶然の条件が重なった結果で、 世界がこう「発展」する必然性があったわけではない。 だから現代のわれわれが 国家の枠でしか歴史を考えられなくなったのも、 十九世紀に国民国家が世界中に広まった結果である。 民主主義だって、 最近の起源の国民国家のイデオロギーに過ぎず、 何も永久不変の真理でもない。「日本人のための歴史学」 岡田英弘 WAC
2016年07月15日
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これを知る者は、これを好む者にしかず。 これを好む者は、これを楽しむ者にしかず。 松下電器相談役の山下敏彦は、若いころ、 毎日毎日決まりきった仕事に嫌気がさし、 会社を辞めようと思ったことがあった。 そんな時、これを知り愕然とした。 自分は仕事の手順には習熟しているが、 まだ好むまでには至っていない。 その好む人さえ、楽しんでいる人には 到底かなわないという。 (これは決まりきった仕事だと嫌になっていた 自分に問題があるのではないか。 仕事を好み楽しめるまでとことんやってみよう) そう反省し、心を入れ替えて、 仕事に取り組んでみると 創意工夫すべきことがたくさん出てくる。 ここから仕事に没頭するようになったという。「いかに人物たり得るか」 神渡良平 三笠書房
2016年07月14日
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この集団は(哲学的には) 無政府主義的で道教的な集団ではあるが、 愛情深い文化になるであろうこと、 そしてそこでは人々(若い人々も)は、 我々の経験したよりもより多くの選択の自由をもち、 また基本的欲求やメタ欲求は、 我々の社会におけるよりもより尊重されるであろう ということである。 人々は、 我々ほどには互いに妨げあうこともないであろうし、 自分たちの意見や宗教や哲学や着る物、食べ物、 芸術、女性などについての好みを 隣人に押しっけたりすることもないであろう。 「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2016年07月13日
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十二に日く、国司・国造、 百姓に斂(おさ)めとることなかれ。 国に二君なし。 民に両主なし。 率土(そつと)の兆民は 王をもって主となす。 所任の官司はみな これ王臣なり。 何ぞあえて公と、 百姓に賦斂(おさめと)らん。「聖徳太子」日本の名著 第2巻 中央公論社
2016年07月12日
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「力を労してしかも民の務めに当たらぬ」のは 姦事である。 古語に 「時務を識るは俊傑の士に在り」といっているが、 まことに眼先の事ばかりに心を奪われて、 二三目先の見えぬ人間は、 徒に局面糊塗ばかりに力を労して、 一向民の時務に当たらぬものが多い。 凡医は深き病源を診察することが出来ないので、 朝夕の病状に応じてあれこれ投薬してみる。 その結果は百害あって一利なく、 終には時機を失して、 生べき病人をも死なしてしまう。 しかしながら 個人の病源はまだ診断し治療しやすい。 国家社会の病源に至ってはなかなか処置し難く、 どの為政家も「姦事」を空しく行うばかりで、 最期に時局を収拾することのできない 乱離に陥れた例が、 倦むことなく史上に繰り返されている。「政治と改革」 安岡正篤 明徳出版
2016年07月11日
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まずわれわれが最初に受容した思想は 三教合一論であった。 この思想の本来の意味はしばらく措き、 少なくともその受容においては、 儒・釈・道の三教は、 日本の伝統的な「自然な秩序」を成立さすための 方法論として受容され、 神儒仏合一論という形になり、 これが日本の正統思想だったわけである。 キリシタンの受容期において、 ハビヤンはこの三教合一論を批判したが、 彼の発想もまた根底においては同じであり、 神儒仏基の四教を前におき、 「自然(ナツウラ)の教え」どおりに生きるための 方法論としていずれが最もよいかを 選択するという態度であった。 そして彼は神と仏とを排撃したが、 儒基においてはいずれがまさるかという比較論になり、 『妙貞問答』においてはキリシタンが最もまさる という結論を出しているにすぎない。 従って、これにまさる方法論があると考えれば、 キリシタンを捨ててそのほうをとることは、 彼にとっては変節ではなかった。 と同時に、 キリシタンの中にも受容すべきものがある と考えれば、黙ってそれを受容し、 それを日本本来の思想と主張して キリシタンを排撃しても不思議でなかった。「受容と廃除の軌跡」 山本 七平 主婦の友社
2016年07月08日
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御誓文ではまず第一に 「広く会議を興(おこ)し万機公論に決すべし」 とうたわれ、第二に 「上下(しょうか)心を一にして 盛(さかん)に経論(けいりん)を行ふべし」、 第三に 「官武一途庶民に至る迄 各(おのおの)其(その)志(こころざし)を遂げ 人心をして倦まざらしめんことを要す」、 第四に 「旧来の陋習(ろうしゆう)を破(さ)り 天地の公道に基くべし」、 そして最後の五番目として 「智識を世界に求め 大いに皇基(こうき)を振起すべし」 が掲げられていた。「Q&Aで分かる天皇制」 八木 秀次 扶桑社
2016年07月07日
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これまでいわれてきたように 日本の美術が影響を与えているのは ゴッホやゴーガンだけではないのである。 西洋の前期・後期「印象派」の主流すべてが、 「ジャポニスム」の影響下にある、 といってよいほどである。 その後に続く、 「アール・ヌーボー」や「ナビ派」などの動きまで 日本の影響下にある。 二〇〇〇年パリやロンドンで開かれた 「1900年」と題された大展覧会でも、 明らかに日本の影響が、 形や色になってあらわれているような印象であった。 このことは西洋人たちが 取り立てて論じていないだけに、 すでに内在化していたのだと感じられたのである。「歴史のかたち 日本の美」 田中 英道 徳間書店
2016年07月06日
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士の重んずる事は節義なり。 節義は例えて云えば人の体に骨あるが如し。 骨なければ首も正しく上に在ることを得ず。 手も物を取ることを得ず。 足も立つことを得ず。 されば人は才能ありても、学問ありても、 節義なければ世に立つことを得ず。 節義あれば武骨不調法にても、 士たる丈(だけ)の事には、ことかゞぬなり。「東洋人物学」 安岡正篤 致知出版
2016年07月05日
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十一に白く、 功過(こうか)を明らかに察(み)て、 賞罰かならず当てよ。 このごろ賞は功においてせず、 罰は罪においてせず。 事を執る群卿、賞罰を明らかにすべし。 下役の者に功績があったか、 過失があったかを明らかに観察して、 賞も罰もかならず正当であるようにせよ。 ところが、このごろでは、 功績のある者に賞を与えず、 罪のない者を罰すことがある。 国の政務をつかさどるもろもろの官吏は、 賞罰を明らかにして、 まちがいのないようにLなければならない。「聖徳太子」日本の名著 第2巻 中央公論社
2016年07月03日
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一 神経症をその発端にまでさかのばれば、 きわめてしばしば、幼児期における 愛の剥奪であることがわかるのだが、 このことは実際にはすべての 心理療法の治療者に認められている。 すなわち、愛の剥奪は病気を引き起こすのである。二 これらの病気は、もしそれらが なおしがたいほどまでに進行していなければ、 慈愛と愛情のこもった 親切心を与えることによって、 特に子どものうちには治癒できることが 今日では知られている。 人間の健全な発達のためには 愛情は基本的に必要なものである という一般化ができるのである。三 自由に選択ができる状況における子どもは、 もし彼がまだ歪められても ひねくれてもいないとするならば、 愛情のないことよりも愛情のあることを選ぶ。四 最後に、健康な大人たちに 特徴的に見い出しうるのは何か? 愛情に満ちた生活を営んできた者は 事実上すべて(全く全部というわけではないが)、 愛しかつ愛されてきたし、さらに彼らは 今でも愛情豊かな人々なのである。 そして最後に、逆説的にも、 彼らは普通の人よりも少ししか愛を必要としない。 これは明らかに彼らがそれを 十分に得ているからである。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2016年07月01日
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