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悲しみにくれている人が過去を見る時、 何をそこに見るのであろう。 ありし日の幸福を思い出す事は、それだけで 現在の不幸な感じを強めるだけだ。 また現在の不幸につながる と思われる原因を過去に見出せば、 「あのことさえなかったならば 自分はこうならなかったのに!」 という愚痴が出るだけで、これもまた 現在の「不幸感」を増すばかりであろう。 愛するものを失ったばかりの人に於いては、 その人に結び付くすべての人や物が 悲しみの感情を呼び起こすので、 思い出に生きることはそのまま 悲しみに生きることを意味する。 身近な人を失った時の悲しみの中には、 しばしば悔恨の念も混ざっている。 思うように尽くしてあげられなかった という嘆きや、 自分の愛や注意の不足が 亡き人の死の直接または間接の原因である という罪悪感もある。 生きている人ならば、 これからの生活で埋め合わせできるが 、死んでしまわれると、 もはや取り返しがつかない。 あの時こうすればよかった、 という嘆きは際限もなく脳裏に浮かんできて、 悲しみの味を堪え難く苦いものにする。「生きがいについて」 神谷美恵子 みすず書房
2016年08月31日
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メンデルの遺伝法則は、 これを理解して発展させることのできる 少数の人々の手元にこの論文が届かなかったため、 30年もの間、世界から取り残されていた。 つまり本当に重要な成果が大多数の 取るに足らぬものの中で失われてしまうために、 この種の悲劇は、 われわれの周囲の至る所で 飽くこともなく繰り返されている。 現時点で関心を持たれているものの 範囲が広がり、多様化して、 出版物が過剰になったことが問題なのではなく、 実際に記録を使いこなすわれわれの 能力をはるかに越えて 出版物が増大していることが問題であろう。 人間の体験の総和は 驚異的な割合で拡大しつつあるのに、 その時々の重要な事柄に至る、 結果的に迷路のようになっている 道筋をたどるために使っているのは、 帆船の時代と変わりのない手段なのである。「情報学基本論文集 Ⅰ」 上田修一編 勁草書房
2016年08月30日
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十六に日く、民を使うに時をもってするは、 古の良き典(のり)なり。 ゆえに、冬の月に間(いとま)あらば、 もって民を使うべし。 春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節なり。 民を使うべからず。 それ農(なりわい)せずば、何をか食らわん。 桑(くわ)とらずば何をか服(き)ん。 人民を使役するには時期を選べというのは、 古来の良いしきたりである。 ゆえに冬の月には閑暇があるから、 人民を公務に使うべきである。 しかし春から秋にいたる間は農繁期であるから、 人民を公務に使ってはならない。 農耕しなければ食することができないし、 養蚕しなければ衣服を着ることができないではないか。「聖徳太子」日本の名著 第2巻 中央公論社
2016年08月29日
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開国以来ほとんど半世紀にわたって、 不平等条約の改正の問題は、 日本外交の最大の課題であった。 それは、また日本だけの課題でもなかった。 不平等条約の改正は、 十九世紀において直接外国支配を免れた トルコ、ペルシャ、シャム、中国において、 国民的願望であり、 ナショナリズムの最大目標であった。 この先進国と後進国との間の法的差別は、 第二次大戦後の植民地解放で 完全に終止符を打つことになった。 そして特恵関税のように 先進国が後進国に対して 特別に安い輸入関税を許すという逆差別さえも 与えられる世の中となって、 そういう過去があったことも、 今は歴史の彼方に忘れ去られた。 また、条約改正は、明治の内政においても つねに最大の問題の一つであった。 あたかも、戦後の日本において、 講和条約や安保条約、 そして安保改訂問題が国論を分裂させ、 時の政権をゆるがしたように、 条約改正も、 何度か国論を沸騰させ内閣の交代を招いている。「陸奥宗光とその時代」 PHP 岡崎久彦
2016年08月26日
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因とは因(よ)る――因(ちな)むことである。 従来のいとなみに突然大なる衝動を与えずに、 徐々に新しく変化してゆくことをいう。 これに反して従来のいとなみに目立って 変化を惹き起すことを革(あらたむ)という。 しかしそう言えば因の中にも おのずから因と革とあり、 革の中にもどちらかと言えば因に近く あるいは全く革たるものもあろう。 よって全然なだらかな変化を「因り因る」とし、 なだらかな因のなかに実は 大いなる革むるところあるを「因り革む」とし、 目立って変化させるようでも 案外なだらかにゆくのを「革め因る」とし、 徹底して衝動する革めかたを「「革め革む」とする。 その因り因るを「正命」といい、 因り革むるを「受命」といい、 革め因るを「革(あるいは改)命」といい、 革め革むるを「摂命」という。 ただ、その前二者を一括して受命、 後二者をば革命と大別する方が 一般の理解に耳慣れていて便であろう。「政治と改革」 安岡正篤 明徳出版
2016年08月25日
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まず第一に、技術外交と国際システムとの関係が問われてくる。 経済外交は、ガット・IMF体制のようなすでに確立された国際経済秩序や自由市場原理など、国際的に共有されている原理を踏まえておりさえすれば自由に展開することができた。 経済摩擦にしても、それは貿易のシェアをめぐる二国間の摩擦であって、基本的には妥協と調整によって克服できる事柄であった。 これにたいして、技術外交は、それを日本独自のやり方で展開していったばあい、必ず日本がどのような世界秩序なり、国際秩序なりを築こうとしているのかという、かなり基本的な点を問われることになる。 米ソの相互抑止の能力で支えられている現在の国際システムにとって、日本の技術外交の哲学や理念は反秩序的なものという見方がなされないともかぎらない。 かりに、日本が平和的な世界秩序をめざし、国際秩序のシステム転換、パラダイム転換まで考えるとすれば、日本の平和的な技術外交それ自体が国際緊張の原因をつくってしまうことにもなろう。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2016年08月24日
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情緒面での積極さ、すなわち幸福、冷静さ、落ち着き、心の平和、満足、受容などについてはまだ十分に研究されてはいない。 あわれみ、同情、思いやりについても同様である。 楽しさ、喜び、ゲーム、スポーツなどについても十分理解されているとはいえない。 恍惚感、得意、熱情、うきうきした気分、愉快さ、幸福感、安寧、政治や宗教における転換の経験、オルガスムによって生じる情緒などがある。 精神病理学的な意味で疾患のある人と健康な人との間の苦闘や葛藤、欲求不満、悲しみ、不安、緊急、罪意識、恥意識などに関する違いがある。 健康な人にとっては、これらのものはよい影響を与えているか、または与えうるものである。 情緒の組織化する影響やその他好ましく望ましい影響は、情緒のかく乱させる影響に比べて、あまり研究されていない。 どんな状況下なら、情緒は知覚や学習、思考その他の効果を増すことと相関を示すのであろうか? 認知の情緒的な側面、すなわち洞察に伴う精神の高揚、理解のもつ鎮静効果、悪い行動をより深く理解した結果生まれる受容と忘却などがある。 愛と友情のもつ情緒的な側面、それのもたらす満足と喜びがある。 味わいは、心理学者に、正当な理由もなく無視されてきた。 食事、飲酒、喫煙その他の感覚的満足における単純な喜びは、心理学のなかに確実な位置を占めている。 ユートピアをつくり出すことの背後にある衝動は何であろうか? 希望とは何なのか? なぜ人々は天国とか、よい生活とか、よりよい社会を想像し、考案し、創造するのであろうか? 感嘆とは何を意味しているのであろうか? 畏敬とは何か? 驚きとは何なのであろうか? インスピレーションの研究とは何であろうか? いかにしたら、人々をよりよく努力する方向に向けて、またよりよき目標に向けてふるい立たせることができるであろうか? どうして、楽しみは苦しみよりも早くに消失してしまうのであろうか? 楽しみとか、満足とか辛せを呼びさます方法はあるのだろうか? 天の賜物を当然のことと考えないで、それに感謝することを学ぶことはできるであろうか?「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2016年08月23日
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命下るの日、 則ち心(むね)を拊(な)で自ら省みよ。 何の勲・閥・行・能有ってか 玆(こ)の異數に膺(あた)ると。 苟(も)し其の廩祿(りんろく)を要(もと)め、 其の威權を假(か)り、惟(た)だ己私を濟(な)し、 國に報ずるを思う靡(な)ければ、 天監(かん:天の照覧)伊(こ)れ邇(ちか)し。 將に汝を容(い)るるなからんとす。 夫れ人の直(ち:賃銭)を受けて而して其の工を怠り (人から報酬を受けてそれだけの仕事をせぬ)、 人爵を儋(にな)うて而して其の事を曠(むな)しうす。 己は即ち逸せんも、公道を如何せん。 百姓を如何せん。「為政三部書」 張 養浩 明徳出版社
2016年08月22日
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十五に日く、 私(わたくし)を背(そむ)きて 公(おおやけ)に向(ゆ)くは、これ臣の道なり。 およそ人、私あるときはかならず恨みあり。 憾(うら)みあるときはかならず同(ととのお)らず。 同らざるときは私をもって公を妨ぐ。 憾み起こるときは制に違い、法を害(やぶ)る。 ゆえに初めの章に云う、上下和諧せよ、と。 それまたこの情(こころ)か。 私(わたくし)の利益に背(そむ)いて 公(おおやけ)のために向かって進むのは、 臣下たる者の道である。 およそ人に私の心があるならば、 かならず他人のはうに怨恨の気持が起こる。 怨恨の気持があると、 かならず心を同じゅうして行動することができない。 心を同じゅうして行動するのでなければ、 私情のために公の政務を妨げることになる。 怨恨の心が起これば、 制度に違反し、法を害(そこな)うことになる。 だからはじめの第一章にも 「上下ともに和(やわら)いで協力せよ」 といっておいたのであるが、 それもこの趣意を述べたのである。「聖徳太子」日本の名著 第2巻 中央公論社
2016年08月19日
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明治の人々が熱望して止まなかった「不鶉独立」とは、具体的にどのようなものだったのだろうか。伊藤博文は第二次伊藤内閣が条約改正交渉を再開するに当って、次のような上奏案を起案している。明治二十五、六年の交(こう)に書かれたものであろう。 蓋(けだ)けだし維新中興の宏謀(こうぼ)は鎖国の方針を一変して開国の方嚮(ほうこう)を執(と)り、東洋諸国の旧套覆轍(きゆうとうふくてつ)を脱却し、一新軌軸を現出して之に依て進行せんことを定めたり。〔略〕抑(そもそも)治外法権を撤去し彼我(ひが)対等の条約を締結し東洋諸国の中に於て不羈独立の地位を占(し)め、国力を養成し国威を振張し以(もつ)て文明の上班に居らんとするは我中興の国是(こくぜ)にして上下(しようか)一致の希望なり。「明治人の力量」 日本の歴史21 講談社
2016年08月18日
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文明のイメージなり、特質なりは、 つぎの少なくとも五つの論理で説明できるように思う。一、中心性(cenlrality)と 辺境性(peripherality)との対比 を発生させる強大な力。 その力は軍事力であるとはかぎらず、 すぐれた技術力、経済力でもよし、 あるいは理念、宗教の力でもよし、である。二、拡散可能な普遍言語、文化様式、生活様式をもち備え、 力の行使を通じて圏形成を行なう。三、圏の維持・管理のための 国際秩序の論理ないし国際法を編み出し、 規範性をもった国際秩序の枠組みを現実化する。四、上位価値概念としての「文明」と 下位価値概念としての「野蛮」との対比の尺度をもち、 その「文明」価値を政治的正統性原理として 位置づけようとしさえする。五、「模範的中心(exemplarycenter)」を成立させ、 それを軸にその模範的中心の様式を演出する 「劇場的場(theatrical unit)」の形成がみられる。 このような意味での文明は、そのような四つ、五つの特徴がかえってわざわいして、世にうとまれることが多い。 十九世紀に頂点を迎えたヨーロッパ文明が、結果的に植民地支配につながった先例が示すように、歴史の淘汰に耐ええないあり方をする文明は少なくないのである。 なにしろ、文明は、力の信仰の権化みたいなところがある。「フローの文明・ストックの文明」 矢野暢 PHP
2016年08月17日
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先進国が何を求めていたかは、 先進国の意のままになる植民地で 何をしたかをみれば明らかである。 一八八〇年代、英国は、自由貿易の名の下に、 英国製品のインドへの輸出を ほとんど無税にした。 しかも、当時、躍進していた ランカシャーの繊維業を保護するために、 インドから英国への綿布の輸入には 保護関税をかけた。 その結果インドの繊維業は壊滅的な打撃を受け、 ベンガル地方は職を失ったインドの織り物業者の 白骨累々となったといわれる。 日本の場合は、維新のわずか二年前、 弱体化した幕府に対して、列強は圧力をかけて、 日本の関税を一律五パーセントにすることを 約束させている。 この条約は、どさくさにまぎれての 欧米諸国の荒稼ぎと非難されても弁明の余地はない。 帝国主義時代のあくどさの見本のようなものである。 明治十一年、 当時の駐英上野景範(うえのかげのり)公使が 英国政府に指摘した通り、 日本の関税は一律五パーセントなのに、 欧米一の低関税、自由貿易を誇る英国の 対日輸入の税金は、無税品も含めて 平均一〇パーセント以上であった。 その結果日本の歳入の中に占める関税の額は わずか四パーセントなのに英国の歳入は 二六パーセントが関税収入であった。 これがただでさえ貧弱な明治政府の財政に 大打撃を与えることは当然だった。「陸奥宗光とその時代」 PHP 岡崎久彦
2016年08月04日
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知覚は誤り、歪み、錯覚、その類似のものに閲した 非常に限られた範囲の研究である。 ウェルトハイマーなら、 これを心理学的盲目の研究と呼ぶだろう。 どうしてそれに直観や、識別できない知覚や、 無意識的知覚および前意識的知覚を 加えないのだろうか? また、好ましい嗜好についての研究は この分野に入りえないであろうか? 純粋、真実、美などについての研究は どうであろうか? 美術的な知覚についてはどうであろうか? どうして、ある人々は美を知覚するのに、 他の人々は知覚しないのであろうか? この同じ知覚という項目のなかに、 希望、夢、想像、発明、組織化、秩序化などによる 現実を建設的に操作することも 含められるかもしれない。 動機づけられていない、 私心のない、欲もない知覚がある。 鑑賞、畏怖、感嘆もある。 精選されていない気づきもある。 ステレオタイプについての研究はたくさんあるが、 新鮮で、具体的で、 ベルグソン流の現実についての科学的な研究は ほとんどなされていない。「人間性の心理学」 A・H・マズロー 産業能率大学出版部
2016年08月03日
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「知を労して、しかも理想に忠実ならぬ」を 姦心というのである。 およそ人の心が他の動物の心と違って 限りなく尊いゆえんは、 真を求め善を欲し美を愛し聖を拝する 崇高な理想活動があるによる。 自ら内に訟えて、つねにこの 止むに止まれぬ理想活動を自覚し、 その明らかなる自覚の光に生きてゆくのが 正しい心である。 しかるにこの人心の理想的意義に反して、 汚れた私欲により あれこれと百方肝胆を砕くのは すなわち姦心であって、 これあるによってまた姦説が行われる。「政治と改革」 安岡正篤 明徳出版
2016年08月02日
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十四に日く、群臣百寮、嫉妬あることなかれ。 われすでに人を嫉(うらや)むときは、 人またわれを嫉む。 嫉妬の患(うれ)え、 その極(きわまり)を知らず。 このゆえに、智おのれに勝るときは悦ばず。 才おのれに優(まさ)るときは嫉妬(ねた)む。 ここをもって、 五百歳にしていまし今賢に遇(あ)うとも、 千載にしてひとりの聖を待つこと難(かた)し。 それ賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。 もろもろの官吏は、他人を嫉妬してはならない。 自分が他人を嫉(そね)めば、他人もまた自分を嫉む。 そうして嫉妬の憂いは際限のないものである。 だから、他人の智識が 自分よりもすぐれているとそれを悦ばないし、 また他人の才能が自分よりも優っていると、 それを嫉み妬むものである。 このゆえに、 五百年をへだてて賢人が世に出ても、 また千年たってから聖人が世に現われても、 それを斥(しりぞ)けるならば、 ついに賢人・聖人を得ることはむずかしいであろう。 もしも賢人・聖人を得ることができないならば、 どうして国を治めることができようか。「聖徳太子」日本の名著 第2巻 中央公論社
2016年08月01日
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