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高校無償化の実施に当たって日本政府が朝鮮学校を対象から除外するかもしれない事態に立ち至っていることについて、国連も問題視していると、3月18日の東京新聞が報道した; 「朝鮮学校の除外は差別」-。ジュネーブの国連・人種差別撤廃委員会は16日、日本の人権状況についての報告書を公表し、高校無償化の対象から朝鮮学校を除外する政府案に「懸念」を示した。この間題では、韓国国内でも批判が浮上。鳩山政権が打ち出した「東アジア共同体構想」にも影を落としつつある。 (加藤裕治)「等しい教育機会を」 同委員会による審査は1995年に日本も締結した人種差別撤廃条約に基づく。日本の審査は9年ぶりで、勧告には強制力はないものの、政府は2年に一度、指摘された問題への取り組みについて報告を求められる。 先月24日から2日間、同委員会の対日審査を傍聴した江頭節子弁護士は「(朝鮮学校の無償化除外問題は)対日審査の直前に浮上したばかりだったにもかかわらず、(全体で18人の委員のうち)多くが関心を持っていた」と振り返る。 真偽を尋ねる委員に、日本政府の代表団は「国会で審議中」と回答。これに対し、委員会は報告書で「子どもの教育に差別的な影響を与える」と懸念を表明。他の外国人学校への公的支援の乏しさにも触れ、「教育の機会提供に一切の差別がない」状態を整えるよう日本政府に求めた。 報告書では、ほかにも部落差別など20項目についても勧告。「素晴らしい経済発展をした国であり、その力を人権問題に振り向けるべきだ」と所感を記したうえ、国内法の整備によって、差別問題に取り組む公的な機関の設置を迫った。 江頭弁護士は「勧告の語調は回を追うごと、厳しさを増している。今後も日本政府は追及されるだろう」と話した。 今回の朝鮮学校除外問題については、生徒の半数以上が韓国籍という状況もあり、韓国国内でも関心を呼んでいる。 同国有力紙の中では、リベラル色の強い「ハンギョレ新聞」は、「鳩山(由紀夫)首相が『朝鮮学校いじめ』に加担するような事態を招き、失望している」という趣旨の論説を掲載した。 鳩山首相は政権交代直後、「東アジア共同体構想」をアピール。具体化には、近隣諸国との友好関係強化は不可欠だ。にもかかわらず、今回の問題は外国人地方参政権実現の先送りと並んで、首相の『本気度』を周辺国に疑問視させるきっかけにもなりかねない。 京都大学の駒込武准教授(東アジア近代史)は「朝鮮学校除外は友愛や東アジア共同体という首相の理念を投げ捨てる行為だ。無償化の対象は、日本の高校程度の教育が行われているかどうかを基準にして決めるべきこと。その点も大半の大学がすでに朝鮮学校の生徒の受験を認めており、決着済みだ」と語る。 同じく京都大学の水野直樹教授(朝鮮近代史)もこう懸念した。 「子どもに対する支援という無償化の目的や国際的な人権基準からみても、朝鮮学校のみを除外するのは間違っている。韓国でも『友愛を掲げる政権が一部を排除している』と少なからぬ人が疑問を感じている。鳩山首相が東アジア共同体の実現を本気で考えているならば、この問題がつまずきになりかねない」2010年3月18日 東京新聞朝刊 11版S 26ページ「朝鮮学校除外は『差別』国連差別撤廃委が懸念」から引用 中井大臣の思いつきに対する鳩山首相の安易な返答は、あまりにも思慮に欠ける発言であった。政府与党内でよく検討して、最善の結論を導いてほしいものである。
2010年03月31日
高校の授業料を無償化する法案が衆議院を通過したことに関連して、17日の北海道新聞社説は朝鮮学校への対応について次のように述べている; 高校授業料無償化法案が衆院を通過した。 これにより公立高校で授業料を徴収しない実質無償化制度が、4月から導入される見通しとなった。私立高校生には「就学支援金」を支給し授業料の負担を軽減する。 しかし、焦点となっていた朝鮮学校を支援対象に含めるかどうかの結論は先送りされた。 政府は今後、第三者機関を設け、朝鮮学校の教育内容を審査した上で適否を判断する方針だが、教育に排除の論理はそぐわない。分け隔てのない支援を求めたい。 法案は、無償化の対象に専修学校や各種学校を含めている。朝鮮学校は他の外国人学校と同じく各種学校に位置づけられ、文部科学省は朝鮮学校も含めて予算を計上していた。 ところが、中井洽(ひろし)・拉致問題担当相が、北朝鮮制裁の観点から朝鮮学校を対象から外すよう文科省に要請。鳩山首相もこれに理解を示したことから、除外の動きが急速に具体化した。 文科省は、無償化の目的として「すべての意志ある高校生等が安心して勉学に打ち込める社会の実現」を掲げている。 教育支援の有無を拉致問題とからめるのは筋違いだろう。鳩山首相が常々口にする「友愛」の理念ともかけ離れているのではないか。 日本の高校に当たる朝鮮高級学校は、札幌も含め全国に10校あり、約2千人が学んでいる。 民族教育を重視し、朝鮮史などの授業を行うほか、日本で生活する上で必要な知識を習得できるよう日本の高校に準ずるカリキュラムを組んでいるという。 首相は「国交のない国だから、教科内容を調べようがない」というが、ほとんどの大学は朝鮮高級学校の卒業生に受験資格を認めている。 高体連など各種スポーツ大会にも出場し、活躍している。高校生同士や地域との交流は深まっている。 支援を受けたければ日本の高校に進学すればいい、という意見もあるかもしれない。 しかし、民族の歴史、言語、文化を子供に学ばせたいという思いは、国籍、民族の違いを超えて共通のものだろう。朝鮮学校には朝鮮籍だけでなく、韓国籍の生徒も数多く通学している。 朝鮮学校を支援対象から外そうとする政府の動きは、国連人種差別撤廃委員会でも取り上げられた。差別的措置に対しては、国際社会から非難される懸念もある。 拉致問題を早期に解決しなければならないのは、いうまでもない。それは6カ国協議など外交の場でしっかりと、取り組んでもらいたい。2010年3月17日 北海道新聞朝刊 16版 3ページ「社説-排除の論理そぐわない」から引用 この社説が述べるように、高校授業料無償化から朝鮮学校を排除することについては、どの角度から見ても無理がある。中井大臣も本気で拉致問題を解決しようと思うなら、朝鮮叩きに喝采するような有権者層に受けようなどと姑息な事を考えず、もっと前向きの姿勢で対策を講ずるべきである。
2010年03月30日
東京大学大学院教授の姜尚中氏は、鳩山内閣について16日の北海道新聞に寄稿して、次のように述べている; 鳩山由紀夫首相は今のところ、リーダーシップを発揮しているとは言い難い。典型は米軍普天間飛行場の移設問題だ。全国の75%の基地が沖縄に集中する不均衡を解消し、日米安保を盤石にする好機だが、方向性を示せていない。「政治とカネ」の問題では検察対政権の構図ができ、国民そっちのけの、権力と権力のぶつかり合いが政治不信を高めた。内閣支持率は下がり、政権発足当初の期待感はしぼんだ。 それでも今すぐ評価を下してしまうのは早計だ。 鳩山政権が誕生した意味を考えてほしい。日本は経済協力開発機構(OECD)加盟国で、政権交代がない唯一の国だった。政権交代が起こる普通の国になる入り口に立っている。その基礎を作ることが鳩山政権に与えられた使命だ。 民主党に入れ込んでいるから言うわけではない。1993年の細川護熙政権は8カ月間で退陣し、政権交代は定着しなかった。鳩山政権が同じように短命に終われば、今度こそ政党政治が見放され、誰を選んでも同じというシニシズム(冷笑主義)がまん延する最悪の事態になるだろう。 政治が浮遊すれば、社会は「問題を一挙に解決します」というような強く魅力的なものに熱狂する危険性がある。翼賛的な大連立政権ができるかもしれない。日本の政治は熱狂と冷却を繰り返してきた。変わる時は振り子が大きく振れ、みんな一緒になってしまう。戦前、軍国主義へ走った歴史もそうだ。 これを防ぐには、政権交代を常態化させるしかない。英国のように、一定期間は新政権に任せ、だめならしっかり準備を重ねた野党に交代させる。政権交代を当たり前のものとして「常温」の目で冷静に評価する。あれもだめ、これもだめと短期間で変えてもその先には何も残らない。 天文学的な財政赤字など、旧政権が残した何十年にわたるお荷物はあまりに巨大すぎる。半年や1年で快刀乱麻を断つようには解決できない。 新政権は小沢一郎幹事長の政治資金問題に足を引っ張られたが、小沢氏がいなかったら政権交代はなかっただろう。彼が必要悪ならそれを大きくしないためにはどうするかを考えるべきだ。ベルリンの壁崩壊は歴史の必然だったが、貧困や格差も生まれた。すべてばら色とは限らないけど、前に進むしかない。 首相は4年の任期を全うすべきだ。せっかく生まれたひな鳥を、つぶして食べてしまうのか。有権者は人任せではなく、我慢強く政権とつきあって、育てていく覚悟も必要だ。2010年3月16日 北海道新聞朝刊 16版 1ページ「鳩山政権6ヶ月-任期全う 使命果たせ」から引用 私もこの意見に賛成である。自民党政権60年の積年の泥を半年や一年で一掃しろというのは無理な注文であり、有権者も性急に結論を求めず、ここはわが国民主主義を育てるつもりで民主党の成長を見守るべきであろう。
2010年03月29日
鹿児島県阿久根市の市長は、自分の気に入らない職員を不当に解雇し、裁判所の指示を無視してこの職員に対する給料の支払いを拒否し続けているため、このたび市の口座が差し押さえられる羽目になったと、3月16日の北海道新聞が報道している; 鹿児島県阿久根市が男性職員(45)に給与未払いを続けている問題で、鹿児島地裁川内支部は15日までに、未払い給与約220万円の差し押さえを市指定金融機関に命令した。12日付。職員を支援する自治労鹿児島県本部などが明らかにした。 金融機関によると、15日午後に命令書が届いた。命令は市側にも通知され、1週間以内に市側から執行停止の申し立てがなければ市の口座が差し押さえられる。 竹原信一市長は昨年7月、庁舎内の張り紙をはがしたとして男性職員を懲戒免職。同年10月、同地裁が処分の執行停止を決定した後も職員の復職を認めず、給与も支払っていない。2010年3月16日 北海道新聞朝刊 16版 31ページ「職員給与未払い 差し押さえ命令」から引用 市長の指示で張り出した紙を勝手にはがしたから懲戒免職にするというのは行き過ぎであり、不当解雇の可能性があるというのが裁判所の見解である。これは、日の丸君が代で起立しないという理由で処分するのは人事権の乱用であるという主張と同じ論理である。変な者を市長に選んで、阿久根市民は天下に恥をさらしたと言えよう。
2010年03月28日
日米密約もさることながら、日本政府は実は、国民に内緒でアメリカの軍人に勲章を贈っていたことが、このたび東京新聞の取材で明かになった; 65年前の3月10日、東京の下町を焼き尽くし、10万人の犠牲者を出した東京大空襲の惨禍があった。日本政府は戦後、同作戦を発案指揮した米空軍の司令官カーチス・ルメイ氏(故人)に旭日大綬章を贈ったが、実は在日米軍の幹部には過去50年足らずの間に263個もの勲章が授与されている。春秋の叙勲の外国人枠とは別で公表されることもない。なぜだろうか。 (秦淳哉、出田阿生) 「こちら特報部」の取材に対し、内閣府賞勲局は、生存者に対する叙勲制度が復活した1964年以後、在日米軍幹部に授与した勲章の数を263個と回答した。 このうち、過去5年分については、名前と官職、叙勲の種類と年月を明らかにした。これ以前に授与した人物は「事務作業が膨大で短時間での集計が不可能」と、今回は公表しなかった。 同局によると過去5年で勲章を受けた在日米軍幹部は18人。内訳は旭日大綬章が2人、旭日重光車が6人、旭日中綬章が10人。いずれも在日米陸海軍や横須賀、佐世保の基地司令官らだった。 叙勲とはどのような制度か。旭日章と瑞宝章は、ともに功労の程度によって6段階に分かれる=表参照。最上位の旭日大綬章と瑞宝大綬章よりもさらに優れた功労の場合は、大勲位菊花章や桐花大綬章が授与される。 いずれも国家や公共への功労が授与の対象となり、同局は「大まかに言えば、国会議員など公選職を含めた民間人が受けるのが旭日章で、公務員を中心に受けるのが瑞宝章に当たる」と説明する。 勲章の歴史をたどると、明治政府が1875年に「勲章従軍記章制定ノ件」を公布。これが現在の旭日章の基となった。その後、菊花章、瑞宝章、文化勲章も相次いで制定。外国人を対象とした制度も1888年に内則で定めた。 春と秋の年2回の叙勲では、授与者の氏名がすベて公表されるが、問題はここに含まれる以外の外国人受勲者は公表されていない点だ。 非公表の外国人受勲者がいる理由について、同局は「外国人叙勲には、国賓や駐日大便が離任する際に授与する儀礼的なものと、わが国との友好増進に貢献があった外国人に実施するケースがある。後者の場合、来日や離日の機会に勲章を授与することがあり、春秋とは別に個別に実施してきた。個別の叙勲は公表の対象としていなかった」と説明する。 日本人の受勲者が掲載される官報でも、外国人は対象外とされる。 結果として、これほどたくさんの勲章が在日米軍幹部に授与されていた事実を、大部分の日本人は知らされなかった。 同局は「外国人の受勲者は内閣の閣議決定なので、公表できない事項ではない。しかし個別の受勲者についてはその都度問い合わせてもらうしかない」としゃくし定規に話すばかりだ。 識者はどうみるか。 故小田実氏らとベトナム戦争の反戦平和市民団体「べ平連」を結成した作家の小中陽太郎氏は「在日米軍幹部への叙勲を公表しないのは、政府としても体裁が悪いからだろう」と断言する。 東京大空襲を指揮した故カーチス・ルメイ氏の叙勲を決めたのは米国の北ベトナム爆撃を支持し、後にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作首相の内閣。「戦後、日本政府は米国と密約を交わして日米関係の真実を隠ぺいしてきた。それを象徴するのが、ルメイへの叙勲だ。米国に媚(こび)を売るため勲章を贈ったのだろうが、今からでもはく奪してほしい」 戦中派の小中氏には、東京大空襲の記憶がある。「今でも悪夢をみる。それが反戦運動への原動力となった。上空から焼夷弾(しょういだん)を降らせた側は、地上の惨劇を知らない」 やはり在日米国軍人への叙勲を疑問視するのは、民族派団体「一水会」の木村三浩代表だ。「外交儀礼とはいえ、あまりに乱発しすぎている。これでは米国にすりより、ひざまずく奴隷根性にみえる。そもそも日本に米軍基地はいらない。そろそろ安保を含めた米国依存の体制を考え直すべきだ」と主張する。 日本の自衛隊の幹部が最高クラスでも瑞宝重光車にとどまっているのに対し、在日米軍司令官は、ルメイ氏と同じく、最高位の旭日大綬章を贈られているのも気になる。 元外務省国際情報局長の孫崎享氏は「在日米軍が日本の国防に貢献していることを考えれば叙勲も認められるとは思う。問題は自衛官にはここまで高いランクの勲章を出していないこと。自衛官と同様に扱うべきで、バランスが取れていない」と指摘する。 元航空幕僚長の田母神俊雄氏も「現役時代から、短期間しか日本にいない在日米国軍人が、自衛官よりもランクが上の勲章をもらうのは変だと思ってきた。私も米国国防長官から叙勲されたが、米国では日本人にそこまでの勲章を与えない」と話す。 ルメイ氏の叙勲の背景には、戦時中に真珠湾攻撃などを指揮した元航空幕僚長の源田実参院議員や、小泉純一郎元首相の父で当時の防衛庁長官だった小泉純也氏の強力な推薦があったとされる。 評論家の佐高信氏は、「彼ら政治家は、大空襲で命を失った庶民が目に入っていない。タカ派どころか、バカ派の売国奴だ。国民を無視して勲章を出すのは日本も米国も同じ。もうこんな空虚なことはやめたらどうか」2010年3月11日 東京新聞朝刊 11版S 24、25ページ「在日米軍幹部に叙勲」から引用 終戦間際の東京大空襲では10万人の民間人が犠牲になり軍人の被災者には政府の保障があるのに、民間人には何の保障も無いのはおかしいと、いまだに裁判が行われているというのに、その裏では、空襲を指揮した敵軍の将校に勲章を贈ったとは、本末転倒も甚だしい。政府は国民が主権者であることを忘れてはならない。
2010年03月27日
日米間の密約が明らかになったことについて、11日の東京新聞コラム「筆洗」は次のように述べている; ベトナム戦争をめぐる米国防総省の極秘報告書を報じた新聞の発行差し止めを米政府が求めた裁判で、米連邦最高裁が約40年前に下した判決にこんな言葉がある。『統治における秘密は反民主主義的であり、官僚政治における過ちを永続させる』。 日米間の密約が明らかになったのは、情報の開示を民主主義の根幹とする米国で公開された公文書や高官の証言が発端だ。それでも日本政府は、密約の存在を一貫して認めてこなかった。 密約を検証した外務省の有識者委員会が提出した報告書は、国民を欺いてきた事実を歴代自民党政権に突きつけたが、首相経験者の反応はまるで人ごとのようだった。 沖縄返還の原状回復補償費を肩代わりする密約で、米国の公文書館にあった吉野文六外務省アメリカ局長(当時)の署名の入った文書など発見できなかった文書も少なくなかった。意図的な廃棄が疑われても仕方がない。 外交交渉の過程をすべて明らかにしたら、交渉にならないという理屈は分かるが、重要な文書が残されていないのなら、後世の国民は何があったのかを検証するすべを失ってしまう。 佐藤栄作元首相が非核三原則の「持ち込ませず」は誤りだったと後悔していたことも明らかになった。唯一の被爆国として、非核三原則を国是に掲げたことがノーベル平和賞の受賞理由だったはず。ますます釈然としない。2010年3月11日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 この記事が述べるように、政府が国民に対して秘密を持ったり国民を欺くようなことは、あってはならない。徳川時代の封建社会では「寄らしむべし知らしむべからず」であったが、歴代自民党政権は徳川時代の気分を引きずっていたのではないか。密約を結んだ張本人の佐藤栄作氏は、日米間の重大文書を自宅に持ち帰って「私物化」していたのだから、佐藤氏自身、将軍さま気分だったのかもしれない。
2010年03月26日
有識者委員会の調査と発表により、政府が長年国民をだましてきたことが明らかになった。事が公になったため、外務省の担当者が基地のある横須賀市を訪ねて市長に謝罪したと、11日の神奈川新聞が報道している; 核持ち込みの密約問題で、横須賀市の吉田雄人市長は10日、同市役所を訪れた外務省の鯰(なまず)博行日米地位協定室長と面会し、説明を受けた。しかし、今後の対応が不明確だったため「納得できない」と反発。抗議の意味を込め、近く米海軍横須賀基地への核持ち込みがないことの確約などを文書で要請する考えを明らかにした。 =関連記事4・24面に 面会後取材に応じた吉田市長によると、鯰室長は「市民に迷惑をかけ申し訳ない」と謝罪し、外務省有識者委員会が認定した核持ち込みの密約について説明した。しかし、内容は9日の岡田克也外相の発言とほぼ同じ。過去の核持ち込みの有無についても鯰室長は「はっきりしたことは分からない」と述べるにとどまったという。 吉田市長は「米艦船は常に(米海軍横須賀基地に)寄港している。今後どうするのかと聞いたが、明確な答えはなかった」と不快感を示した。一方、今後、米艦船が入港する際の市の対応については「そのときに考えたい」と述べた。 岡田外相は米国が核政策を変更した1991年以降、核は持ち込まれていないと説明している。これに対し、吉田市長は「20年近く前の話だし、事前協議が機能していないままでは納得できない」と、疑問を投げ掛けた。 また松沢成文知事は10日、外務省北米局の冨田浩司参事官と県庁で会談し、説明と謝罪を受けた。同参事官が「従来から負担を頂いている中、信頼を失いかねない事態が存在したことについて、おわびする」などと陳謝し、松沢知事は「結果として国民を政府がだましていた。極めて遺憾」と伝えたという。 会談後、松沢知事は「今後は外交文書の公開や非核三原則の堅持など、そういった政策を実行することが県民や国民の信頼につながる。未来志向で考えるべきだろう」などと語った。 (佐藤浩幸、下屋鋪聡)2010年3月11日 神奈川新聞朝刊 B版 1ページ「核密約、横須賀市に謝罪」から引用 非核三原則はわが国の国是であるのだから、日本は堂々とアメリカに対して「核の持ち込みはまかりならん」と宣言するべきである。それでもダメなら、非核三原則を法制化し、日本に寄港する空母等に核兵器搭載が明らかになった時は、船長(軍艦の場合は艦長? 司令官?)をわが国の法律で処罰するべきである。それでこそ主権国家というものである。
2010年03月25日
去年の夏に任期途中で辞職した中田市長に任命されて教育長になり、右翼偏向教育を画策していた田村幸久が、これまた任期途中で退任することになったと、11日の神奈川新聞が報道している; 横浜市教育委員会の田村幸久教育長(61)が退任することが10日までに分かった。8日に林文子市長に辞職を願い出て、同意を受けたという。9日の教育委員会臨時会でも可決された。3月31日付で、任期を1年残し退職することになる。後任には、市民活力推進局長の山田巧氏(59)の名前が挙がっている。 田村教育長は神奈川新聞社の取材に対し、辞職の理由について「2年間、全力投球してきて、一区切りがついた」と述べた。同教育長は2008年4月、当時の中田宏市長の任命を受け就任。在任中は、小中一貴校教育や横浜版学習指導要領の策定、横浜サイエンスフロンティア高校の開校など、『改革派』教育長として教育行政を推し進めてきた。 しかし一方で昨年、自由社の歴史教科書の採択などをめぐり、一部の市民団体などから反発を受けた。また、導入に向け有識者らでつくる検討委員会などで議論を進めてきた市立中学校での学校選択制は、現場からの強い反対によりモデル実施が先送りとなっていた。議会筋には「トップダウン的なやり方が多く、『現場主義』を掲げる林市長の考えと相いれなかったのでは」との指摘もある。 後任に浮上している山田氏は1974年、横浜市入り。市教委事務局では教職員部長、教職員人事・企画部長を務めた経験を持つ。 (宮崎功一、遠藤綾乃)2010年3月11日 神奈川新聞朝刊 B版 1ページ「横浜市教育長退任へ」から引用 これでようやく横浜市の教育行政も正常に戻ることになる。変なものを市長にするとロクなことがないということを、横浜市民は思い知ったであろう。
2010年03月24日
ルポライターの鎌田慧氏は、9日の東京新聞コラムで自民党の大島議員を批判して、次のように述べている; テレビをみていたら、自民党の大島理森さんが、米軍普天間飛行場移設をはやく決めないと米国の機嫌を損ねる、と大声で民主党をあげつらっていた。まだこんなことで人気を取ろうとしている、と心寒い気持ちになった。選挙区・青森での演説だったから、ボルテージが上がったようだが、沖縄にいって現地の声に耳を傾けてきたなら、もうすこし穏当な発言になったでしょう。 沖縄では、県知事も県議会も全会一致で、県内移設には反対、地元の名護市長には辺野古移設反対派が当選した。だから、よほどの強権政府が押しつけるなら別だが、県内には無理、他の県でも引き受けるところはない。 いまどき米軍基地を新たに建設するなど時代錯誤も甚だしい。「もういい加減、そちらで引き取って下さい」と米国にいえばいいことだ。冷戦対応日米安保条約はとっくに賞味期限切れだ。 長い間対米従属外交を続けて日本を窮地に追い込みながら、現政府の責任にしてまるで鬼の首を獲(と)ったかのように悪(あ)し様に罵(ののし)る大島さん、日本の将来を本気で考えたら、米軍に帰ってもらうのが一番と思いませんか。 ヤクザが商店主にタカる「見かじめ料」のような、海兵隊への「思いやり予算」など、もうやめて、居候には自宅へ帰ってもらうよう、自民党もいままでの罪滅ぼし、協力するときでしょう。2010年3月9日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-『思いやり』の限界」から引用 地元の反対があるため歴代自民党政権が13年間も辺野古移設を実現出来なかったのに、発足して1年もたっていない鳩山政権がそれを実行できないからと言って自民党が批判するのは、こっけいである。そんな不毛な議論はやめて、民主党に協力して米軍にアメリカに帰ってもらうための算段をするべきである。そのような努力があれば、やがて国民の信頼を回復することができるであろう。
2010年03月23日
高校授業料無償化の制度から朝鮮学校を除外することを政府が検討していることに抗議する投書が、8日の東京新聞に掲載された; 新聞に「高校の無償化、朝鮮学校除外を」という記事が載り、がくぜんとしました。 中学時代、バレー部に属していました。毎年、日本中体連の大会に参加、勝負という対等な場所で日本人の子どもたちと一緒に育ってきました。 でも、見えないところで、大きな壁があるのは知っていました。学校への補助金の大差が、両親を肉体的、精神的疲労に追い込んでいるのを、近くで見ていたからです。 母はいつも夜遅く帰り、寝ている私たちの髪をなでながら、悲しげに「ごめんね」と言います。それは忙しくても常に私たちを愛してくれている証しだと思います。でも、私は、そんな母を見たくはないのです。中体連で仲良くなった子たちのように、伸び伸びとした環境で学びたいのです。 もし、あなた方が私たちと同じ立場なら、きっと、この無償化除外に反対するはずです。私たちの気持ちを十分に理解して、とは言いません。でも、この事態を、問題として考えてください。私たちに、対等な立場と権利をください。2010年3月8日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「発言-朝鮮学校も対等にして」から引用 無償化から朝鮮学校を除外しなければならない理由は無い。意味の無い差別は恥じであることを、政府は知るべきである。
2010年03月22日
英国ではイラク戦争を検証するためブレア前首相を証人喚問することになったが、それについて5日の東京新聞社説は次のように述べている; イラク開戦から7年-。米国と連携した英国は戦争遂行の是非をめぐる検証を進め、5日にはブラウン首相が証人喚問に臨む。『大義なき戦争』に向き合おうという姿勢には見習うものが多い。 イラク戦争はブッシュ前米政権が英国と始めたが、大量破壊兵器の開発や国際テロ組織アルカイダとの関係という疑惑は『幻』だった。開戦以来の死者は、米軍が中枢同時テロ犠牲者数を上回る4000人を超え、英国兵士は200人近く、イラク国民に至っては約10万人にも上る。歴史的汚点だろう。 目下国家再建が進行し、オバマ米政権は米軍撤退にかじを切ったが、戦争を客観的に総括するほどの余裕はない。 ところが英国は違った。戦争の正当性や占領政策に疑問を持つ世論や野党の突き上げからにせよ、ブラウン首相が昨年7月、歴史学者や元外交官ら5人からなる独立調査委員会を設立。政府の機密書類を精査し、公聴会で政治家、外交官、軍、情報機関幹部を喚問し世界の耳目を集めてきた。 「イラクは生物化学兵器を保有し45分以内に攻撃できる」。開戦前のブレア首相報告だ。ブツシュ政権も「イラクのウラン(核兵器の燃料)入手を英政府が突き止めた」と断じた。だが公聴会で外務省元幹部は「その情報は確度の高いものではなかった」、元法務長官は「開戦の合法性は疑問」と首相に伝えたと証言した。 これに対し、1月末に登場のブレア氏は「フセイン政権の危険性を放置できなかった。開戦判断に誤りはなかった」と反論。開戦当時、ナンバー2の財務相だったブラウン首相も5日証言する。 実は復興支援で部隊派遣したオランダがやはり独立調査委員会をつくり、同様の検証を先行させ、このほど「イラク戦争への政府の支持は国連決議に基づかず国際法違反だった」と結論づけている。 日本では自民党小泉政権が開戦を早々と支持、復興支援への自衛隊派遣をめぐる議論などが国会でなされはしたが、第三者的な委員会で検証する動きは見られない。 国柄や歴史観の違いは当然あるにせよ、民主主義を標榜(ひょうぽう)することは同じである。民主主義は国家のしたことを国民が知り、省みることができてこそ成立する。日本の地域紛争への対応や支援は今後も予想される。憲法や国際法を踏まえた検証の不可欠なことを欧州は教えているのではないか。2010年3月5日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「社説-イラク戦争検証 欧州から学ぶべきもの」から引用 日本の場合は自衛隊がイラク戦争に参戦したわけではないが、自衛隊を海外に派遣すること事態に憲法上の疑義がある。この問題について、日本も第三者機関を設置して是非とも問題究明を図ってほしいものである。
2010年03月21日
精神科医の斎藤学氏は、3日の東京新聞「本音のコラム」で検察とその走狗であるマスコミが何故小沢叩きをやるのか、その背景を次のように解説している; 小沢一郎について語る際には「私もこの人物を好きではないが」という枕ことばを付けなければならないようだ。が、それは原稿で食べている人たちに課せられた規定らしいので私は気にしない。この人が図らずも(当人は語らない)提起している二つの問題(1米国との距離の再検討、2戦後天皇制の再検討)は、旧帝国憲法の残滓(ざんし)に注目するという点で回避不能なことだと思う。 既に公刊されているように戦後日本は岸信介氏のようなCIAのエージェント(金で雇われたスパイ)によって作られた「米国に貢献する社会」である(『CIA秘録』上巻、171~184ページ)。この暫定的体制が、もくろんだ当人たちさえ驚くような長期間の効果を示したのは、日本人の「おかみ(天皇・官僚)信仰」が並々ならぬものだったからだろう。戦後体制作りの埒外(らちがい)にいた田中角栄が市民的嗅覚(きゅうかく)からこの偏りの修正を試みると、米国は直ちに反応し、その意を受けた検察によってつぶされた。 今回の小沢氏の一件も、この流れの中で生じた。彼は生き残らなければならない。今週の『週刊朝日』にある「知の巨人 立花隆氏に問う」という記事に共感する。血の臭(にお)いに吸い寄せられる鮫(さめ)のように検察の刃で傷ついた者たちを一方的に批判してきた体制擁護の人は何故、「知の巨人」に祭り上げられたのだろう。 (精神科医)2010年3月3日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-小沢氏の問題提起」から引用 これはなかなかユニークな戦後社会論である。私も立花隆が反体制派とは思わないが、斎藤氏のような視点がないと「彼は体制擁護派である」と断定することはできない。
2010年03月20日
卒業式や入学式のときに君が代斉唱時に起立しなかったことを理由に処分するのは違法であるとして都立高校の教職員が提訴したと、3日の東京新聞が報道している; 都立高校の現職教員と元教員計50人が2日、式典の君が代斉唱時の不起立などを理由とした懲戒処分は違法だとして、都に処分の取り消しと計7700万円余りの損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。懲戒処分をめぐる訴訟は今回が第3次提訴で、原告は計285人となった。 訴状によると、原告らは入学式や卒業式での国旗掲揚・君が代斉唱の際に起立しなかったり、ピアノ伴奏を行わず、職務命令違反だとして2007年3月~09年5月、都教育委員会から停職や減給、戒告処分を受けた。 「日の丸・君が代不起立」をめぐっては、元教員による定年後の再雇用を求める訴訟などもあるが、原告側敗訴の判決が続いている。原告団代表の岡山輝明さん(56)は「少数者の尊重、多様な価値観の共存を繰り返し裁判所に問いたい」と話した。2010年3月3日 東京新聞朝刊 22ページ「君が代訴訟-教員ら50人、3次提訴」から引用 民主主義の社会では、多数派が価値観の異なる小数派を圧迫することがあってはなりません。どちらも共存していくのが民主主義の精神です。裁判に立ち上がった先生たちには是非がんばってほしいと思います。
2010年03月19日
4日の東京新聞は、朝鮮学校について次のように報道している; 朝鮮学校を高校無償化の対象に含めるかどうかの論議で、鳩山由紀夫首相の「国交がなく、教科内容が見えない」との発言の根拠はあるのか。朝鮮学校は毎年、都道府県に授業・財務状況を報告して助成を受け、授業を一般公開している朝鮮学校もある。関係者から「根拠はない」との声が出ている。 (寺岡秀樹) この論議をめぐり、衆院文部科学委員会は3日、東京都北区の東京朝鮮中高級学校を視察、学校関係者や生徒らと意見交換した。田中真紀子委員長は「率直な意見交換ができた。今後、参考人質疑も考えながら、多角的に結論を導き出したい」と語った。 日本の高校にあたる朝鮮高級学校は法律上、各種学校扱い。全国に10校あり、約2000人が学ぶ。幼稚園から大学まで朝鮮学校で学ぶ子のうち、朝鮮籍の子は46%。韓国籍の子が51%、日本国籍や中国籍の子もいる。 朝鮮学校は、ほかの各種学校と同様に都道府県の認可を受け、授業科目や時間数、財務などの書類を提出。毎年、公費助成を受けている。東京都は生徒一人当たり1万5000円、大阪府は同約7万円と、金額は自治体で異なる。 文部科学省は、各種学校のうち無償化対象の選別を検討中。首相は「国交がない国の教科内容を検討できるかということがある」と発言したが、東京朝鮮中高級学校の鄭健吉(チョンチャンギル)・教務部副部長は「教科書を含め、授業内容を説明する準備はできている」。同校は年間に3日、授業の一般公開もしている。 そもそも都道府県から授業内容の報告は求められていない。文科省幹部は「都道府県はどの各種学校も授業内容を詳しく把握していないと思う。朝鮮学校だけ外すのは難しいだろう」と打ち明ける。 また、ほとんどの国立大や半数以上の私立大では、書面審査や個別試験に通れば、朝鮮高級学校の卒業生にも大学受験資格を認めている。2003年までは高校卒業程度認定試験(旧大検)に合格しなければ受験できなかったが、制度改正で大学が個別に受験資格を判断できるようになった。大学進学も格差解消の流れだ。 鄭さんは「制度改正は朝鮮学校の授業が日本の高校と同等にみなされている証拠。首相発言には根拠がないと思う」。同校の生徒らは「授業を見に来てほしい。学校はいつもオープン」と訴える。2010年3月4日 東京新聞朝刊 12版 30ページ「鳩山さん、授業見に来て」から引用 この記事では朝鮮学校がどのような学校かよく分かり、「無償化」から除外するのが如何に道理に反することか理解されます。
2010年03月18日
3日の東京新聞社説は、高校授業料無償化に当たって朝鮮学校を除外するべきではないとして、次のように述べている; 衆院で高校授業料の無償化法案の審議が進んでいるが、朝鮮学校を対象から除外する意見も出ている。在日朝鮮人の子弟は日本の社会で生きていこうとしている。日本の高校生と差別したくない。 教育を等しく受ける権利は国際条約で保障されている。国際人権A規約(社会権規約)では、教育によって民族や人種間の理解と友好を促進すべきだとしている。 高校授業料無償化は日本の学校だけに限らない。欧米系の外国人学校は、本国が高校課程の教育をしていると証明すれば、無償化の対象になるとされる。ところが、朝鮮学校には除外論が出ている。 例えば中井沿拉致問題担当相は無償化の対象から外すべきだと主張する。北朝鮮は核、ミサイルの開発を続け、日本人拉致問題の解決にも応じない。北朝鮮を支持する在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が朝鮮学校を援助し、影響力を持っているなどの理由だ。 文部科学省内にも、日朝間に国交がなく、「北朝鮮本国の教育体系に朝鮮学校をどう位置付けているか、明らかではない」と無償化に慎重論もあるとされる。 確かに北朝鮮は独裁国家だが、在日朝鮮人の子どもたちはまったく別の社会で生きている。朝鮮籍を理由に教育の機会を制限すれば差別を助長するだけだ。 朝鮮学校は高校課程にあたる高級学校が全国で10校、生徒は約2千人。朝鮮籍が多いが、韓国籍もいる。授業は朝鮮語で行われるが、語学や朝鮮史などを除けば、日本の学習指導要領に準じた教育をしている。 朝鮮学校のスポーツチームは日本の高校の競技大会に出場しているし、日本の多くの大学は同校卒業生の受験資格を認めている。教育現場では、既に朝鮮学校を高校として見なしている。 かつては北朝鮮の体制をたたえる思想教育が盛んだったが、いまは父母たちの要望で、民族の言葉と文化を学びながらも、日本の社会についての知識、技能の習得にも力を入れているという。子どもたちの未来は日本で生きることにあるからだ。 日本政府もこうした実情を調査したらいい。日本で進学し、就職する在日の子弟たちを援助するのは、人権規約にもかなう。 朝鮮学校には教育の内容をさらに公開するよう望みたい。民族の誇りを教えることは決して反日教育を意味しないと理解されれば、地域社会の支援も広がるはずだ。2010年3月3日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「社説-日本で生きるために」から引用 この社説は概ね正論を述べているが、一部に無神経な表現があり誤解を生じる危険性があるのではないかと思う。それは朝鮮籍の人は全員いわゆる「北朝鮮」籍であるかのような文脈である。朝鮮籍の人たちの中には積極的に「北朝鮮」を指示する人たちがいるのは事実かもしれないが、大部分は大韓民国政府が樹立されたときに韓国籍を取得する手続きをしなかったというだけのことであって、そのことをもって積極的な「北朝鮮」支持者であるとは言えないからである。
2010年03月17日
朝鮮学校の生徒らが街頭で署名活動をしたと、3日の東京新聞が報道している; 朝鮮学校を高校無償化の対象にするよう求めて、東京朝鮮中高級学校(東京都北区)高級部の生徒約200人が2日、都内4カ所で署名活動をした。 同校に近いJR十条駅前で署名を呼び掛けた3年の全善愛さん(18)は「日本の学校と同じレベルの教育をしているので同等に無償化にしてほしい」と訴えた。3年の李聖彰さん(18)も「生徒が減り続けているのに、対象外になればもっと減ってしまう」と心配した。 国際法を研究しているという大谷道夫さん(67)は「対象外にするのは差別だよね」と話しながら署名に応じた。署名は鳩山由紀夫首相や川端達夫文部科学相あてで、1万人が目標。2010年3月3日 東京新聞朝刊 12版 27ページ「朝鮮学校生ら『無償化』訴え 都内で署名活動」 朝鮮学校を授業料無償化の対象から除外するというのは、正当な理由がないのだから、政府と国会はよく議論を尽くして正しい結論を導いていただきたい。
2010年03月16日
韓国併合100年を考える集いが開かれたと、2日の東京新聞が報道している; 日本が韓国を植民地として併合した1910年から100年を考える集会「光へ扉をひらく」が2月28日、千代田区猿楽町の在日本韓国YMCAで開かれた。 戦前は祖国から押し出されるようにして来日し、戦後も差別の中で生き抜いてきた在日コリアンの歴史を、3世のピアニスト崔善愛さん=町田市在住=が「封印された悲しみを解くために」というテーマで演奏した。欧州の大国に祖国を分割統治されたポーランドの作曲家ショパンの名曲「雨だれ」「葬送行進曲」を、強制連行や指紋押なつなどを経験した在日の歴史に折り重ねるように弾いた。 会場には200人以上が参加して討論。高校授業料の無償化をめぐり、朝鮮人学校を助成対象から除外する動きなどを踏まえ、併合を今日の政治問題にとらえ直す意見などが出た。 (佐藤直子)2010年3月2日 東京新聞朝刊 24ページ「韓国併合100年考える」から引用 この短い記事の中で「祖国から押し出されるようにして来日し」たという言葉に、今の在日の人たちの祖先がどのような苦労の末に日本で暮らすことになったのかという事情が凝縮されている。日韓近代史の学習をおろそかにした日本人には、その辺の事情をまったく理解しない人たちがあまりにも多すぎる。
2010年03月15日
高校授業料の無償化から朝鮮学校を除外するのはおかしいとする投書が、2日の東京新聞に掲載された; 政府が高校授業料無償化の対象から、朝鮮学校を外す方向に動き始めたが、明らかな不当差別である。 第一に、「教育内容を確認しがたい」というが、朝鮮学校は各種学校の認可を受け、教育課程・内容を紹介する多数の書籍や映画もある。学校側も積極的に授業を公開し、見学した国会議員も少なくない。 朝鮮学校の教育課程は、一部の民族科目を除いて日本と大差はないし、民族的少数者が自らの文化などを教育し継承する権利は、日本も批准する国際人権規約や児童の権利条約に明記されている。 第二に、拉致問題と絡めるのも筋違いである。北朝鮮国家の犯罪と、日本で生まれ今を生きる子どもの教育は何の関係もないし、朝鮮学校には韓国籍や日本国籍の生徒も在籍しているのだから。 私たちは植民地支配の過去から目をそらさず、国際法を順守する理性をわきまえたい。2010年3月2日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-無償化外し 不当な差別」から引用 この投書は正論を述べている。教育内容を確認しがたいなどと言うのは、単に鳩山首相が個人的にものを知らないというだけのことであり、朝鮮学校は他の各種学校同様、自治体に授業時間数とか学校の財務内容を届け出ており、あの石原慎太郎が知事を勤める東京都ですら、朝鮮学校生徒一人当たり1万5000円の公費助成を行っている。それを、このたびの民主党政権が「朝鮮学校は除外する」というのは、どう考えてもおかしな話である。
2010年03月14日
朝鮮学校の校長と保護者が、不当な差別をしないように訴える記者会見を行ったと2月26日の東京新聞が報道している; 中井洽拉致問題担当相が、高校無償化の対象から朝鮮学校を外すよう文部科学省に要請したことについて、朝鮮学校の校長や保護者らが25日、国会内で記者会見し「不当な差別だ」と訴えた。 東京朝鮮中高級学校の慎吉雄校長は、景気悪化で年約50万円の授業料などを滞納し、卒業できない生徒がいることを紹介。 「一番苦しいのは生徒の未来が踏みにじられること。無償化で生徒の活躍の場を大きくしてほしい」と求めた。 日本の高校に当たる同校高級部の生徒約600人中、韓国籍が49%、日本国籍が1~2%いることや、日本の学習指導要領に沿った教育をしていることも説明。国会議員による視察の受け入れも表明した。 日本の高校に当たる朝鮮学校は各種学校として全国に10校あり、生徒総数は約2000人。2010年2月26日 東京新聞朝刊 12版 30ページ「高校無償化 対象外『不当な差別』」から引用 韓国籍の生徒が49%で日本国籍も1~2%ということでは、拉致問題担当大臣が意図したことは全くの見当外れであり、そもそも朝鮮籍の人が韓国と国境を隔てた朝鮮に籍をおく人であるとは限らないのであるから、初めから中井大臣の考えは間違っているのである。中井氏は文科省に対する恥知らずな要請を撤回するべきだ。
2010年03月13日
鳩山首相が高校生の授業料を無償化するに当たって、朝鮮学校は対象から外す方向であると発言したことが、2月26日の東京新聞に報道された; 鳩山由紀夫首相は25日夜、高校無償化法案に関連して、中井洽拉致問題担当相が朝鮮学校を無償化の対象外とするよう求めていることについて「そのような方向性になりそうだ」と述べた。国会内で記者団に語った。 首相は「朝鮮学校の指導内容、どういうことを教えているのかが、必ずしも見えない中で、中井氏の考え方は一つあるなと考えている」と指摘した。 高校無償化をめぐっては、北朝鮮による日本人拉致問題などを理由に、中井氏が朝鮮学校を対象から外すよう川端達夫文部科学相に要請。川端氏ら文科省の政務三役で検討を続けていた。2010年2月26日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「朝鮮学校の無償化問題 首相『対象外の方向』」から引用 国民から税金を徴収するときは国籍の有無にかかわらず取り立てておきながら、それを還元するときは対象を選別するのは不公平であり、不当な差別というものだ。そのような案が拉致問題担当相から出てきたという点も発想の浅ましさを表している。経済大国の名誉にかけて、不当な差別政策はやめてもらいたい。
2010年03月12日
普天間飛行場をどこへ移設するかを考えるに当たって、かつて日本が沖縄に対してどのように対応してきたのかを振り返る必要があるのではないかとして、2月23日の東京新聞は次のような解説記事を掲載している; 「神(じん)日誌」と題した報告書がある。沖縄戦を逃れた元陸軍参謀が残したメモ集で、戦時下の沖縄県民が日本軍にいかに非協力的だったかと告発する驚くべき内容だ。視点を変えれば、沖縄県民の慟哭(どうこく)と怒りの声が文字の向こうから聞こえて来るような貴重な資料でもある。普天間移設問題が迷走中。辺野古陸上案も急浮上した。また沖縄に犠牲を強いる事態にはならないだろうか。結論を出す前に歴史に学びたい。 (篠ケ瀬祐司、加藤裕治)「政府に対する連絡一 (略)二 沖縄県人は(略)精神的中核なし 且(かつ)無気力 神社仏閣極少三 軍隊に対する態度 消極的に協力 例(一)軍隊が来たから我々が戦闘の渦中に入りたりとするもの頗(すこぷ)る多し (二)学徒(防召)は駄目なり 召集しても皆自家に逃げ帰り 召集解除の止(や)むなきに至る(略)」(原文のかなは片仮名) 沖縄戦に関する資料を集めた内閣府の沖縄戦関係資料閲覧室(東京都千代田区)にある「神日誌」(写し)。一部の研究者には知られた同書には、沖縄県民が旧日本軍への協力に消極的だったとつづられた部分がある。 「(三)本県人のスパイ 甚だしきは落下傘にて潜入(本県人)を目撃 追跡せることあり 電話線の故意切断 (四)弾丸の中でも金をやらねば物資を分けて呉(く)れぬ 何を考えているか分からぬ」 報告は沖縄県民をスパイ扱いしている。 沖縄戦で指揮を執った大田実海軍中将が沖縄県民の奮闘ぶりを伝えた有名な電報と、かなり趣を異にしている。 大田中将の電報は「県民は青壮年の全部を防衛召集に捧(ささ)げ(略)若き婦人は(略)看護婦 烹炊婦は元より砲弾運び(略)」までしたと伝え、「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と訴えた。 日誌を残した陸軍の神直道中佐とはどんな人物だったのだろうか。 神氏の著書「沖縄かくて潰減(かいめつ)す」などによると、1911(明治44)年仙台市に生まれ、陸軍士官学校を経て、航空部門を歩み、大本営参謀などを経て、少佐だった1945年3月に参謀として沖縄に赴任。その後、中佐に昇進。98年に亡くなった。 米軍が沖縄を激しく攻撃していた45年5月末、神氏は上官の命令で沖縄脱出に挑む。漁師の支援を受け、糸満から小舟で夜陰に紛れながら10日あまりかけて鹿屋基地へ。東京に戻り、戦況を伝えて援軍を求めた。お互い不信感 大田中将の電報と大きく食い違うメモは、このころに書かれたらしい。沖縄戦に詳しい関東学院大の林博史教授は、根底には軍と県民側は、沖縄戦前から双方に不信感があったとみる。 「軍内部には沖縄県民に対して『もともと日本ではなかった。言葉も通じないから、何を考えているか分からない』との不信感があった。沖縄県民側も、最初は日本軍に期待していたが、戦闘が進行するにつれて『軍が来たからこんなことになった』との思いが強くなった。それまでに徴用や食料供給などでひどい目にあってきたので、最後は逃げたのだろう」 「そんなことを書いていたなんて、信じがたい」。琉球大学名誉教授の大田昌秀・元沖縄県知事は神日誌の内容に驚く。大田氏は沖縄師範学校在学中に鉄血勤皇隊に動員され、沖縄戦を戦った。当時、首里の司令部壕(ごう)で何度も神氏の姿を見かけた。三十代で意気盛んだったという。その神氏と大田氏は終戦後、言葉を交わした。東京で学生生活を送っているところを訪ねて来たという。 話題は、飛行場を造るために軍が接収した沖縄の農地の返還訴訟だった。「私が農地を取り上げた本人。裁判で証言してもいい」と神氏は語った。言葉から、沖縄への謝罪の気持ちがにじみ出ていた。その時の印象と日誌の記述は、大きく食い違っている。 さらに、沖縄戦最終盤に神氏が本島を脱出した経緯にも触れる。 「神氏は敵の包囲を突破し、糸満から東京へ戻った。糸満の漁師ら数人が決死の思いで協力したから、奇跡の帰還が成功した。県民を悪く言うとは思えない」 沖縄県民には生命、財産など持てる物すべてを投げ出して日本軍に協力したという思いがある。「日誌の内容を知ったら県民はたいへん怒るだろう」と大田氏は語る。 しかし、日誌が沖縄県民を痛烈に批判しているのも事実。そのように書かれるに至った理由は陸軍内の対立とみる。 大本営から来た八原博通大佐は持久戦を主張したのに対し、やはり大本営から来た神少佐(当時)は航空作戦だった。そして八原大佐に軍配が上がった。「神氏は地元の人を徴用して飛行場を十数カ所造った。しかし、米軍に使われてはいけないと壊した。そこから住民と対立が生じたかもしれない」と話す。 では、日誌に書かれた「スパイ疑惑」は事実だったのだろうか。 「神氏はほとんど壕にこもっていた。分かるはずはない。スパイとして処刑された人はいたが、八原大佐も『根拠はなかった』と認めている」と全面否定する。 前出の林氏も「日本軍が負けたり、不利になったりするとスパイ論は必ず出てくる。負けるはずのない天皇の軍隊が、スパイのために苦戦しているのだと。シンガポールもそうだった」と話す。 軍と県民と相互に芽生えた不信感。 大田氏は「沖縄防衛軍ができた時、島外から来た兵隊が『お前らも守ってやる』と偉そうに振る舞っていた。しかし、実際には食料、水を奪われ、自分たちが掘った壕からも追い出された。ぬれぎぬで殺された人もいた」と振り返る。 沖縄戦での県民の犠牲者は軍の犠牲者を上回ったとする説もある。「米軍より日本軍が怖い」という当時の発言も記録に残っている。 そして60年以上を経た今も、悲惨な戦争の記憶は消えてはいない。だからこそ県民は基地の存在に敏感だ。 「沖縄は現在も米軍の占領下にある。安保は国益、アジア、太平洋地域の平和のために不可欠と政府は説明するのに、本土はその負担を引き受けようとしない」と大田氏。実際、日本にある米軍基地の75%が沖縄に集中。港も米軍管理の所が多く、本島の上空域の半分近くが振られている。基地を押しつけられる状況を「沖縄差別」ととらえ、政府への反発が強まっている。 大田氏は「沖縄独立を主張する政治団体などの看板が公然と掲げられるようになっている」と、現況を説明。「県民は基地にうんざりしている。環境保護の面からも問題がある辺野古に普天間飛行場を移設すれば政府、民主党への信煩は失われるだろう」と警告する。2010年2月23日 東京新聞朝刊 12版 28ページ「こちら特報部-元陸軍参謀のメモが語る沖縄戦」から引用 米軍基地を沖縄にだけ押し付けてしまうのは、同じ日本人として理不尽なことだ。全体の75%も沖縄が引き受けているのだから、今後は国外に移転してもらうか、それが出来ないなら本土で引き受けるのが筋というものであろう。さし当たって関西国際空港の余剰滑走路を活用することを、是非とも政府に検討してほしいものである。
2010年03月11日
2月22日の東京新聞は、かつてわが国が検察の暴走のため国の進路を誤った過去について、次のような解説をしている; 小沢一郎氏のカネの収支は異常だが、検察のやり方もおかしい-。「政治とカネ」の問題はいまだくすぶっているが、今回は検察と報道批判も少なくない。よく引き合いに出されるのが「帝人事件」だ。 1943(昭和9)年4月、斎藤実内閣の時、帝人会社の株式をめぐる「時事新報」の疑獄報道をきっかけに、検察が動きだし政官財の16人が起訴された。この間、国会は汚職追及だけ、報道も加わり、文相の鳩山一郎が辞任するなど屋台骨を揺すぶられ、斎藤内閣は7月に総辞職する。 この内闇は挙国一致内閣として農村救済に力を入れ景気も回復の兆しを見せていた。また斎藤は海軍出身だが、国防予算抑制をもくろむなど軍の専横にブレーキをかけようとしたが、すべて中途で終わった。少しでもましな政治を求める努力は水泡に帰す。2年後の2・26事件で内相だった斎藤は暗殺された。 ところが、その翌年12月に出た判決では、帝人事件は「まったく犯罪の事実が存在しない」と判断され全員無罪。政敵の攻撃や一層の国粋主義を進めようとする政治家、軍部の動きに「社会を大掃除したい」と意気込む検察が乗ったといわれる。しかし、時間を取り戻せるわけもなく、この国は一気に戦争へ。 思い込みや政治的思惑による『正義』は世の中を過つ。大きな教訓だ。今回の騒ぎは歴史の審判に耐えられるか。 (小林一博)2010年2月22日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「論説室から-歴史に耐えられるか」から引用 戦前から続く検察のこのような体質は改善されるべきである。検察庁長官人事は国会承認事項とするべきである。
2010年03月10日
元首相の中曽根康弘氏は、1月27日の朝日新聞でインタビューに応え、次のように述べている; -中曽根さんが首相に就任した直後の1983年1月、電撃的訪韓で外交を始めたのを思い出します。全斗換(チョンドゥファン)政権でした。 「北朝鮮に向き合う韓国から安保の経済協力を求められ、前内閣で交渉がこじれて途絶していた。これを打開することが対米関係打開の第一歩でもあり、アジア政策展開の第一歩だ、と。瀬島龍三さん(伊藤忠商事元会長)に裏交渉を頼んだらうまくいって」 -冷戦下の日韓結束ですね。前年は日本の歴史教科書が歪曲(わいきょく)だと大騒ぎに。65年の日韓国交正常化から20年近くで首相公式訪問が初めてというのも不思議でした。 「それまで米国ばかりを考えていたからね。私はそれをひっくり返した。韓国を真っ先に選んだから感激してくれましたよ」 -夕食会では韓国語であいさつし、韓国の流行歌まで。 「風呂で発音を操り返したり歌の練習をしたり。『チョンドゥフアン・テートンニョンカッカ(全斗焼大統領閣下)』って。日本は韓民族にずいぶん迷惑をかけてきた。韓国の民族意識を考えたらそうしなければと思った。反省と協力を行動で示す必要があった」 -翌84年には全大統領を招き、昭和天皇との歴史的な会見も実現させました。 「陛下のお言葉をめぐって苦心しましたねえ」 「過ち」を謝る礼儀 -「不幸な過去が存したことは誠に遺憾」という表現ですね。首脳会談では中曽根さんが「我が国が多大な苦難をもたらした」と踏み込み、「過ち」だったとも。後の村山首相談話に通じる言葉ですが、保守勢力には今も併合を正当化する人たちがいます。 「私は民族主義者だから、韓国の民族主義も理解していた。日本があれだけのことをやった以上、一度は謝らなければならない。総理大臣が『過ち』と述べて謝る。それが礼儀だという意識をもち、自分で考えたのです」 -相手は民主勢力を弾圧した軍事政権。そこに悩ましさは。 「相手の状況よりも、日本の国家関係の打開に意味があると判断しましたね。全大統領も新時代を作ろうと努力していたし」 -全氏は退任の後、逮捕されて正統性を失いました。 「全大統領はまじめな愛国者だと思う。ああ、気の毒に……と思いました」 -少年時代の記憶は。 「私が育った群馬県にも、朝鮮半島出身者がかなりいて、同級生にも2人ぐらい。完全に融合していたとはいえず、小学生ながら異文化、異民族だという感じを持ったね。関東大震災(23年)では朝鮮人が襲撃する話が流れ、『本当かな』と怖い感じをもったが、ひどい流言飛語でした」 地方参政権に賛成 -韓国併合100年にあたり、永住外国人に地方参政権を与える法案が焦点ですが、自民党は反対に傾いています。 「僕は原則として賛成。既成事実にこだわりすぎず、大局から見て日本の前途を開拓する立場で進まなければ。政治家の器量が問われる。条件を厳しくしても、だれかが踏み切らないといけない」 -韓国からは天皇の訪韓を求める声も出ています。 「これは非常に慎重に判断しなければならない。日韓双方とも、これを受け入れる世論が完全に熟成しなければ」 -中曽根政権の時代に皇太子(現天皇)ご夫妻の訪韓が決まりました。美智子妃の病気で中止されて話が消えましたが。 「ご夫妻の意思もあったし、あのときならできると思ったが、その後は韓国も少し複雑になった」 -一方、民主化で国民どうしの関係は開け、韓流ブームも。 「五輪とかワールドカップとかスポーツの力が大きかったね。韓国文化の浸透は非常にいいこと。日本文化には韓半島から来たものが多く、一種の『素文化』です。その意味でも共感できる」 -ソウルの南大門が焼けたとき、韓国の要人にお悔やみの書簡を送ったとか。 「世界に誇る文化財が焼けて韓国民が失望したが、私も失望した。国境や時代を超えたアジアの宝に対する思いがあったから」 -国交正常化の交渉で解決できなかった竹島(独島)の問題が再燃しています。 「当時、私の派閥の長だった河野一郎さんが竹島問題はそのままにしておくのが賢明だ、触らないことが解決だ、と話し合ったと聞いている。政治的に熟するまではそんな知恵が必要かもしれない」 -同じ併合100年でも北朝鮮との関係は打開できず、過去の清算もできないままです。 「向こうがどう変化し、対日政策がどう変わるか十分見極めなければ。いま、内部は後継者問題で忙しく、日本を受け入れるまでに熟成した状態でないように思う。まだ時間がかかるでしょう」 -これからの100年の日韓関係をどう展望しますか。 「隣同士の意識で善隣友好関係を基本にする。文化的親近性の点でも他国とは違う。日本がアジアや世界の政策に取り組むとき、韓国は非常に大事な同伴者。中国も入れれば、北東アジア3国で結束して世界に顔を出していける。そういう考えを相手側にも持ってもらえるよう、共鳴できる共通軸を作るのが政治家の務めです」 (聞き手 コラムニスト・若宮啓文)2010年1月27日 朝日新聞朝刊 13版 21ページ「民族主義者として韓国を理解」から引用 中曽根氏の思想信条と政治姿勢は私の賛同するところではないが、しかし、さすがは首相を務めたほどの政治家としてしっかりした歴史観を持っているところは尊敬に値する。今の自民党にも、彼ほどのスケールの大きい人物がいれば、民主党に政権を奪われることもなかったのではないか。
2010年03月09日
韓国併合100年に当たる今年、朝日新聞はシリーズ「百年の明日 ニッポンとコリア」の掲載を始めた。1月27日の紙面では、次のように述べている; 日本と大韓帝国が「併合条約」を結んだのは、1910(明治43)年8月22日だった。韓国では「強制併合」「強占」などと呼ぶ。日本の武力を背景にした強制的な支配であり条約は無効、という立場を反映したものだ。 以来、朝鮮半島は45年8月15日の日本敗戦まで35年間、植民地とされた。併合条約が調印された直後の8月26日、大阪朝日新聞1面トップに載った「合併後の日韓人」は、日本人の優越意識を露骨に示し、併合を正当化した。 「決して往時戦国時代に見たる侵略の意にあらず……韓人の日本人となることは韓人の為(ため)に幸福なるべし」 さらに、人口1千万人の朝鮮を守る日本の「重責」に触れ、「此(こ)の合併を善ぶべきものは先(ま)づ韓人にして、国民的表慶としては提灯(ちょうちん)行列をも値すれ…」と書いた。 在日韓人歴史資料館(東京)館長で歴史家の姜徳相(カンドクサン)さん(77)によると、日本人は朝鮮について(1)みずからの力では近代化できない(2)常に大国に動かされてきた、という史観に支配されてきたという。こうした史観は、戦後もしぶとく生きてきた。 53年10月、日韓国交正常化交渉の久保田貫一郎首席代表は、日本が朝鮮半島で鉄道や港を造り、経済に役立ったという趣旨の発言をした。韓国側の怒りを買い、交渉は4年余り中断。その後も政治家らから同様の発言が懲りることなく続く。 98年10月、当時の小渕恵三首相と金大中(キムデジュン)大統領との間で出された「パートナーシップ宣言」は、「過去を直視」したうえで未来志向の日韓関係をうたった。未来志向は、過去を忘れることでも、歪曲(わいきょく)することでもない。 日本人は当たり前のように韓国のドラマを見て、料理を食べるようになった。昨年、韓国を訪れた日本人は、300万人を超え、過去最高となった。韓国では、日本語の学習者が世界で最も多く、約91万人にのぼる(国際交流基金調べ)。両国の交流は確実に厚みを増している。 もう一つ、日本の植民地支配と密接にかかわる在日韓国・朝鮮人が歩んできた歴史にも目を向けたい。いわば「日本の中のコリア」だ。 横浜の市立高校で教師をしている李智子(イチジャ)さん(40)は、在日韓国人3世。昨年、卒業式で初めてチマ・チョゴリを着て、担任の生徒を送り出した。山口県出身で、長く日本式の通名を名乗り、学生時代は民族衣装を着ることがなかった。多くの在日の教師仲間が本名で仕事をしているのに勇気づけられた。 「本名を名乗るのは、教え子にうそをつきたくないから。チョゴリを着た私が、なぜ日本にいるのか、みんなに知ってもらいたい」 (桜井泉)2010年1月27日 朝日新聞朝刊 13版 10ページ「過去直視し未来へ 交流は着実に厚み」から引用 この記事の中で歴史家の姜徳相氏が指摘している日本人特有の歴史観は、司馬遼太郎も自らの著書に書いているくらいで、かつては日本人の常識であったかも知れないが、近年の歴史研究では、朝鮮半島でも日本の明治維新に匹敵する封建社会脱皮の運動が存在したこと、その運動が日本軍の介入で封殺されたことなどが究明され、「日本人の常識」は変わりつつある。晩年に在日の歴史家との交友を得た司馬遼太郎が、韓国を訪ねて自らの歴史観の誤りに気付いたことが、「坂の上の雲」の映像化を拒んだ本当の理由である可能性は大きい。 また、同じくこの記事に紹介されている在日の先生のように、民族の誇りを持って行動していくことは、我々の社会をより豊かに開かれた場とする上で大変大事なことである。現状は、なぜ日本に在日朝鮮・韓国人がいるのか、知らない人があまりにも多すぎる。
2010年03月08日
先生たちの労働組合である日教組の集会に、文部科学省からも来賓が出席する予定であると、1月22日の朝日新聞が報道した; 日本教職員組合(日教組)が23日から3日間、山形県内で開く教育研究全国集会(教研集会)の初日の全体集会に、文部科学省の政務三役から1人が来賓として出席する方向で調整が進められていることが分かった。文科省によると、1951年の初開催時に当時の政務次官が出席した記録があるが、政務で同省に入っている国会議員が出席することになれば、それ以来という。日教組は民主党の主要な支持団体の一つで、政権交代の影響がここにも表れた。 文科省関係者によると、高井美穂政務官(衆院議員)が出席してあいさつする方向で最終調整中という。(青池学)2010年1月22日 朝日新聞朝刊 14版 33ページ「文科省政務三役 日教組の集会へ」から引用 自民党政権の時代は民主主義の観点から疑問視せざるを得ない政策が多かったので、日教組と文部科学省はことあるごとに対立していたが、この度は政権交代したことでもあり、教育活動の現場とそれを監督する官庁とのコミュニケーションがスムーズになることは、大変結構なことである。
2010年03月07日
国会審議における自民党の態度を批判する投書が、2月18日の東京新聞に掲載された; 「どうせ採決で反対するんだ。予算案なんて議論する必要はない」とでも自民党は思っているのだろうか。それとも、党内がバラバラで対案がまとまらないから政策論争ができないのだろうか。 「政治とカネ」「小沢独裁」をまくしたてる自民党の姿を、「十分に仕事をしている」と評価する人は大していないだろう。 長年、政権の座についていて、もっと質の悪い「政治とカネ」問題を抱えていたのは、どの政党か。「郵政民営化に反対する者は抵抗勢力だ」と断じ、党の公認を取り消したのは「小泉独裁」ではなかったのか。その後、一年交代の譲渡政権が、衆院での三分の二再可決を繰り返したのは、権力の乱用ではなかったのか。 与党をたたけば浮揚できるとみているなら、自民党は深刻さに欠けている。2010年2月18日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「発言-たたくだけ自民に過ち」から引用 自民党は自分がいまや野党に転落したのだという自覚が足りないのだと思います。長年与党の座に安住していたため、野党なんて与党の粗探しをしていればいいんだというふうに見下していたのではないでしょうか。だから、実際に野党になってみて、やることと言えば与党の揚げ足取りにだけ専念しているのだと思います。そんなことを続けていくと、やがて国民の支持はもっと減少し、弱小政党へと転落していくことでしょう。
2010年03月06日
ルポライターの鎌田慧(かまたさとし)氏は、防衛大臣や自衛隊幹部の発言を批判して、次のように述べている; 自衛隊がハイチに派遣された。「派遣」が当たり前になって、「活躍」の場が拡(ひろ)がるにつれ、自衛隊幹部の増長と暴言が目立ってきた。 そんなときに、「そろそろ基本的な考え方を見直すこともあってしかるべきだ」と北沢防衛大臣が語った、と伝えられている。防衛業界の社長たちを前にして、防衛大臣が「武器輸出三原則を見直す」と発言したのだ。 武器輸出は、この業界の年来の期待である。しかし、それは、「死の商人」として批判され、自民党政権でさえ、踏みとどまった、平和国家の土俵際である。 朝鮮戦争のとき、砲弾や弾丸の輸出、戦車の修理などで企業が大儲(もう)け、日本復興の基礎を築いたのは歴史的事実だ。しかし、一方での大量の死者を考えると、決して寝覚めのいいものではない。だからこそ、1967年以来、日本は武器輸出には、禁欲してきたはずだ。 米国のミサイル防衛に伴う、ミサイルの共同開発を、三原則の「例外」として解禁したのは前政権だった。これが武器輸出の突破口にされる、と私は危惧(きぐ)していた。 案の定、防衛業界は勢いをえて、「共同開発、共同生産に踏み切らなければ、技術鎖国だ」と政府を突き上げだした。 いまでさえ、民生品名目での武器部品の輸出はあとを絶たない。武器生産の共同開発への歯止めは、絶対必要だ。2010年2月16日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-土俵際の禁欲」から引用 わが国憲法の主旨にてらしても、武器輸出三原則の堅持は今後も必要な政策であり、政府で仕事をする人たちには是非とも自覚を促したいものである。
2010年03月05日
元共同通信編集局長の国分俊英(こくぶんとしえい)氏は、普天間問題の報道のあり方について、2月15日の神奈川新聞に寄稿して次のように述べている; 本紙が1月1日付から始めた企画「安保改定50年-米軍基地の現場から」。基地がもたらしているさまざまな問題に最も精通している沖縄タイムス、長崎新聞社と連携した取り組みで、読ませ、かつ考えさせられる。 こうした意欲的な紙面がある一方で、旧態依然の視点、感覚にとらわれすぎているのではないか、と思える新聞やテレビの報道が散見される。特に米軍普天間飛行場の移設問題と日米関係について、それが目に付く。 普天間問題の焦点は、前政権で合意した名護市への移転を見直すことにあることは周知のとおりである。鳩山政権発足以降、さまざまなレベルで日米間の会談や協議が行われたが、その報道は偏りすぎていたのではないか。 米国が現行案の履行を求め、その際のトーンとして「不快感」「遺憾の意」「憤り」などを示したとし、「日米同盟の危機」「日米関係悪化」などと報じた。 しかし、深く幅広い日米関係が普天間の扱いで簡単に崩れるものなのだろうか。政権交代を機に内外政策を見直すというのは民主主義国では当たり前のことである。米国も大統領の交代で対外政策を変えたり、軌道修正してきた。オバマ政権の誕生とその後の変化を見れば、分かる。 鳩山民主党が過重な沖縄の基地負担を軽減する意味で、移転先を「国外、少なくとも県外」として名護市以外を検討するのは、無理な発想ではない。1月の名護市長選で地元の意思もはっきりした。 合意案どおりの実施を求める米国と鳩山政権の対応で、日米間に「きしみ」「ぎくしゃく」が生じているのは間違いない。しかし、政権交代により、日本の米軍基地問題の対応に変化が起き、微調整を提起してもおかしいことではない。その点を踏まえないで、米国が怒っているぞといったセンスは、旧来の日米関係を見る惰性ではないか。 もちろん、鳩山政権では閣僚が不用意な発言をして釈明するなど、批判されるべきことがしばしばある。5月に地元、連立与党、そして米側が納得する移転先を決められるのか。懸念が付きまとっている。 政権交代とはどういうことなのか、その意味するところを国民に明示できる決定が求められる。普天間問題はそんなテーマだ。報道もこうした視点を忘れないでほしい。2010年2月15日 神奈川新聞朝刊 8ページ「惰性で見た日米関係」から引用 「アメリカが怒っているぞ」という論調の報道をするのは、する方もまたその報道を受ける方も、アメリカを怒らせてはいけないという価値観を持っているからに違いない。しかし、わが国はアメリカのご機嫌伺いをしなければならない立場ではないのだから、こういう姿勢は改めるべきである。
2010年03月04日
先月引退した大相撲の横綱・朝青龍について、スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏は2月15日の神奈川新聞に寄稿して、次のように述べている; 2月4日、大相撲の横綱朝青龍は泥酔暴行問題の責任を取り、引退を表明した。厳しく処分すべきだという日本相撲協会理事会や横綱審議委員の圧力で引退に追い込まれたのだろうが、最終的に朝青寵自らの意思で決断したのは賢明だった。というのも、一般人に暴行したというのは許されないことであり、朝青龍は自ら責任を取ることによって自己批判や自己反省の能力を示し得たからだ。 それは同時に、理事をはじめとする親方衆がそうした能力を全く持ち合わせていない実態を照らし出すことにもなった。親方衆は、興行利益や部屋の利益を追求するために朝青龍を利用するだけで、しっかり守ろうとはしてこなかった。朝青龍は、そうした親方衆の利己的な体質に汚染されてきたと言えるのではなかろうか。 2003年初場所後、朝青龍の横綱昇格が決まった時、当時の横綱審議委員長・渡辺恒雄氏(現読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆)は「品性、品格という点をしっかり磨いてもらいたい」と注文を付けた。それ以来、ことあることに朝青龍に対して「品格がない」という非難が浴びせられ続けた。 その「品格」とは、おそらく、大相撲の旧態依然の閉鎖的な体質に同化することを意味していたのであろう。しかし、暴力団との関係、八百長疑惑、年寄名跡をめぐる不透明な売買、親方らの暴行による力士の死など山ほど不祥事を起こしてきた大相撲には「品格」などあろうはずがない。 読み過ぎと言われるかもしれないが、朝青龍に対する「品格がない」という非難の中には、日本人の根強いアジア(しかも小国)蔑視(ペっし)の心情があったのではなかろうか。しかも、日本人力士が徹底的に打ち負かされる姿を見せつけられて、その心情が朝青龍に対するあざけりや憤りとなって表されたとは言えまいか。 引退表明後、朝青龍はテレビのインタビューで品格について聞かれ、土俵上で必死に相撲を取ることだけを考えていた、と答えた。その言葉には説得力があった。言うまでもなく力士の生命は、土俵上でどのような相撲を取るかに懸かっている。朝青龍は土俵上で、日本人力士の到底及ばないスピードにあふれ、技の切れる相撲を繰り広げた。若貴時代の後、朝青龍が大相撲の人気を支えたのも、その多彩な相撲の魅力によるものだった。 それとともに他の力士にとって朝青龍は、乗り越えるべき最大の目標であり、切磋琢磨(せっさたくま)の重要なモチベーションを喚起させる存在でもあった。その点で、同じモンゴル出身ということもあろうが、朝青龍の引退に涙した白鵬の思いは痛いはど分かった。 興行的な人気ばかりでなく、肝心の相撲そのもので朝青龍という貴重な財産を守ることもできず、失ってしまった重大な責任を、親方衆はどれほど自覚しているか、大いに疑問である。 (スポーツジャーナリスト)2010年2月15日 神奈川新聞朝刊 10ページ「横綱朝青龍の引退-『財産』失った親方衆の責任」から引用 朝青龍の引退は実に残念なことであったが、しかし、この文章は、ものごとの本質をするどく見抜いた名文である。「品格」などという抽象的な言葉が何を意味していたのか。それは「旧態依然の閉鎖的な体質に同化することを意味していた」、おそらく発言した渡辺氏自身気付いていないと思われるが、しかし、それは真実である。「目からウロコ」とは、こういうことを言うのだと思った。
2010年03月03日
東京新聞記者の栗原淳氏は、日本人の日韓近代史の認識について2月15日の朝刊で次のように解説している; 100年前、日本は大韓帝国(今の韓国と北朝鮮)を植民地にした。朝鮮の人々の抵抗運動を抑え付けた末の併合だった。日中に続き、日韓の歴史共同研究委員会も2月中に報告書を公表する運びで、東アジア近代史を問い直す機運が盛り上がりそうだ。 昨年末放送のNHK「坂の上の雲」は、日清戦争開戦(1894年)のきっかけになった朝鮮の東学党の乱について、短いナレーションで触れてはいた。指導者の全俸準(チョンボンジュン)が写ったものなど写真数枚も映し出されたが、一人の名前も示されなかった。司馬遼太郎の原作も、東学とは老化しきった朝鮮社会にはびこる新興宗教で全は「布教師のひとり」と説明されているだけだ。 中塚明・奈良女子大名誉教授は、日本の近代を描く司馬が、いかに朝鮮を軽視していたかを示しているとし「大規模な武装蜂起は、日本がその後朝鮮や台湾で直面する抗日闘争の最初のもので、朝鮮史の大事件」と指摘する。 日清・日露戦争は日本が朝鮮を植民地にすることを目的にした戦争だったと中塚さんは位置づける。そして封建的な身分差別の撤廃や土地の均等配分を求めた東学党の乱は朝鮮の近代を切り開く可能性を秘めた大衆蜂起だったが、日本という国家がその夢をつぶしてしまった、と考える。 いま韓国では、東学党の乱を「東学農民革命」と呼ぶ。初めは地方の役人を攻撃していたが、日清戦争を機に儒者らも加わった大規模な抗日闘争に転じ、全土に広がった。 清と同様、鎮圧を名目に朝鮮に入った日本軍は、朝鮮政府軍を従えて半島の南に反乱軍を追い詰めた。最後は西南の端にある珍島での掃討で終わった。「東学農民兵に対する処分は(略)過酷をきわめた。日本軍の記録によると戦闘で6千人、処刑5600人とされている。人的損耗が五万に近いという説もある」(秦郁彦ほか監修『世界戦争犯罪事典』文芸春秋) 日本の高校歴史教科書18点のうち、蜂起の鎮圧に触れているのは東京書籍刊「日本史B」などごくわずか。中塚さんは「この抗日闘争のことは、日本人のほとんどが知らないのでは」と問いかける。 歴史共同研究委員会は小泉政権下の2002年、歴史教科書問題や首相の靖国参拝で日韓関係が悪化したことを受け、両国政府が旗振り役になって発足。07年から第2期に入り、新たに両国の歴史教科書の内容を検証し合う場が設けられた。 「坂の上の雲」の舞台、松山市の市民有志は韓国の市民と連携し、歴史認識の違いを乗り越えようと「共同歴史シンポジウム」を毎年開いている。東学党弾圧が教科書に載っていない問題も取り上げられ、議論は深まっている。日韓両国政府による共同研究委の報告書に、注目したい。(文化部)2010年2月15日 東京新聞朝刊 6ページ「韓国併合100年歴史問い直す機運-『東学農民革命』を知る機会」から引用 私が高校生だった数十年前の歴史の授業でも、東学党の乱は新興の宗教団体が反乱を起こしたというような説明であったと記憶しているが、その後研究が進み、あれは封建社会から近代社会へ変革していこうとする世の中の動きであったという真実が解明されたわけで、このようにして歴史学は進歩していくものと思われます。
2010年03月02日
韓国を訪れた岡田外相は、日韓併合が民族の誇りを傷つけた出来事であったとの見解を述べたと、2月12日の東京新聞が報道している; 【ソウル=築山英司】岡田克也外相は11日、ソウルの韓国外交通商省で柳明桓(ユミョンファン)外交通商相と、日韓併合条約締結から百年を迎えた今年の日韓関係や北朝鮮問題などをめぐり会談した。会談後の共同記者会見で、岡田外相は日韓併合について「韓国の人々が国を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた出来事だった」と見解を述べ、被害者の痛みを忘れずに未来志向の友好関係を築く考えを明らかにした。 =関連2面 岡田外相は「私は日本人であることを誇りに思う。それゆえに国を奪われた人々の気持ちが理解できる」と説明。「併合された側、痛みを覚える被害者の気持ちを決して忘れてはいけない」と表明した。 会談では、両外相が今年を「新しい段階に向けた年」とすることで一致した。日韓の民間交流活発化の一環として、2007年9月以来休会している両国の有識者による「日韓文化交流会議」の再開で合意した。 永住外国人への地方参政権付与法案をめぐっては、柳外通相が法案の成立に期待感を表した。これに対し、岡田外相は「政府として現在検討中だ」と説明し、理解を求めた。 韓国政府は日韓併合百年の今年に天皇陛下の訪韓実現を要望しているが、会見で岡田外相は「慎重に検討していきたい」と答えた。 北朝鮮問題では、両外相は会談で核とミサイル、拉致問題を含む人権問題の包括的解決の重要性で一致した。北朝鮮がまず非核化措置を実施することが重要で、核問題をめぐる6カ国協議の再開に向け、米国を含めた関係国の緊密な連携を再確認した。解説:日韓併合 大日本帝国が1910年8月22日、保護国にしていた大韓帝国との間で併合条約に調印し、条約は同日29日に発効した。日本は太平洋戦争で敗北した45年まで、植民地支配した。朝鮮総督府を設直し大韓帝国を朝鮮と改称。皇民化政策を推進して民族独立運動を抑圧した。2010年2月12日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「日韓併合『民族の誇り傷つけた』100年機に岡田外相が表明」から引用 閣僚や政府高官の歴史認識は概ね正確であるが、一般国民の中には日韓併合の実態を知らないために、岡田外相が何故そのような発言をしたのか理解できない人たちもかなりいるのではないかと、私は危惧の念を禁じえません。
2010年03月01日
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