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日本が戦前、朝鮮半島を植民地支配したことについて、8月24日の東京新聞には次のような投書が掲載された; 65回目の終戦記念日が過ぎた。今年は、日韓併合100年にも当たり、首相談話が発表された。司馬遼太郎の「坂の上の雲」ではないが、幕末から明治にかけ、日本はアジアにおける欧米列強の植民地支配を目の当たりにし、欧米列強に伍(ご)していくことを目標に大陸進出を図ってきた。 当時の国際環境下において、そのこと自体に批判があったわけではなく、欧米列強は競争して世界中で勢力圏の拡大を進めた。昭和になって、謀略にまみれた満州建国などその手法に批判を浴びることとなった。しかしながら日韓併合当時は、国際的にも妥当だったとの学説もあり、そもそも植民地を多数有している欧米列強にそれを批判する資格などもなかった。 反省すべきことは大いに反省すべきだが、タイミング、内容、民族の歴史の大切さなどよくよく慎重に検討していただきたい。2010年8月24日 東京新聞朝刊 5ページ「発言-『日韓併合』評価慎重に」から引用 これは、よくある「戦前日本擁護論」で、当ブログのコメンテーター諸氏の言い分を代弁したような論調であるが、多くの誤謬を含んでいる。当時、欧米列強がアジア・アフリカを植民地支配していたのは事実であるが、だからといって日本もそうするのが当然とは言えない。また、当時日本の朝鮮植民地化を国際社会は批判しなかったと言っているが、だからといってそれが朝鮮植民地化政策を正当化する理由にはなり得ない。何十年も前の政策を現代の価値観で批判するのは間違いだなどと馬鹿なことを言う者もいるが、当時の政策の被害者が今も生存していることを考えれば、そのような主張が如何に夜郎自大で自分勝手な言い分か、わかるというものである。上の投書では、日韓併合は妥当だったという学説もあるなどと言っているが、そんなものはマニアックな右翼がもてはやす俗学に過ぎず、わが国政府の見解とも矛盾する。
2010年09月30日
鈴木宗男議員の有罪が確定する数週間前の東京新聞に、次のような記事が掲載された; 鈴木宗男衆議院議員が内閣官房副長官をつとめていた1998年の沖縄県知事選挙で、自民党が推薦した稲嶺恵一候補陣営に3億円の内閣官房機密費(報償費)が提供されたことを証言した。 その後、鈴木氏のところに「今後、機密費問題には触れるな。これ以上余計な事をしゃべると国にとってもあなたにとってもいいことがない」という助言と脅しがまざったメッセージが複数寄せられているという。筆者にも事情通と称する人から「宗男と組んで機密費問題にこれ以上、手を突っ込まない方がいい。民主党からも嫌われるよ」という警告が入った。 そこで、筆者は鈴木氏と会って「機密費問題については、信念を貫き圧力に屈しない」という2人の意思を確認した。 その際、鈴木氏が「当時、日本のためによかれと思って機密費を沖縄に流した。それが民主主義をねじ曲げる行為であることに気づかなかった。逮捕され、地獄を経験したときに、俺(おれ)は自分の間違いに気づいた。普通の国民の利益を代表することが政治家の役割なんだ。だから選挙に機密費を使ってはいけない。本心からそう思っている。どうして、俺の言葉が菅(直人)総理や仙谷(由人)官房長官に通じないんだ」と寂しそうにつぶやいた。仮に鈴木氏の言葉が権力者に通じなくとも国民は理解すると筆者は信じる。(作家・元外務省主任分析官)2010年8月27日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-助言と脅し」から引用 この記事からも、鈴木議員を有罪とした最高裁判決は官僚と気脈を通じた裁判官の仕業である疑いが濃厚である。菅総理や仙谷氏に鈴木氏の言葉が通じなかったのは、彼らが従来の自民党政治家のように官僚機構の頂点に座って保身することしか考えていないからなのか、あるいはそうではなくて、将来的には政治主導で官僚機構をコントロールするつもりなのだが今はまだ力が足りなくて鈴木氏の発言に耳を傾けることができなかっただけなのか、今の時点では分からない。
2010年09月29日
民主党の代表選の期間中、朝日を初めとする大新聞はことごとく「小沢ではダメ」のキャンペーンを張って菅直人に有利な雰囲気を作り出していた。その様子を精神科医の斎藤学氏は、15日の東京新聞コラムで次のように批判している; コップの中の嵐という人も居るが私には大変大事に思えた。菅首相の勝利に終わった民主党代表選のことである。 結果はなかば見えていたが、その過程で菅氏を担ぐ大マスコミ(テレビと大新聞)や官僚たちの姑息(こそく)さと事大主義が露呈したのは良かった。私自身は児童虐待の問題に取り組みだしてから新聞が官報に過(す)ぎないことを知った。早い話、児童虐待防止法が使えないどころか、子殺しに加担していることなど一般の人は知らないだろう。 NHKはもちろん、民放テレビの独占利権を総務省に握られた大マスコミが官僚と癒着せざるを得ないことはご存じか。 特に今年の3月、鳩山内閣は60年ぶりに放送法の大改革に乗り出すことを閣議決定して、虎の尾を踏んだ。元来、小沢氏は記者クラブの特権を無視し続けてきた唯一の政治家である。大マスコミが排除をはかるのはもっともなことで、その彼はまた「米国との関係見直し」を明言することで田中角栄と同様、特捜検察の恣意(しい)的指弾の対象にもなった。 菅氏は代表選から降りるべきであったのだが、勝ってしまったのなら仕方がない。せめて、放送法を既存利権から切り離して透明にしてほしい。そして検事総長を『天皇勅任制』から選挙制にする道を開いてほしい。民衆もようやく、問題が奈辺(なへん)にあるかを知り始めている。 (精神科医)2010年9月15日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-大マスコミと官僚」から引用 60年ぶりの放送法大改革は是非とも実現するべきである。総務省官僚が利権を独占して権勢をふるう制度は民主主義の精神に反する。鳩山氏のように拙速では失敗するが、菅氏の場合はそこまでやる気概を持っているのかどうか、国民の目には定かではない。また、わが国が民主主義体制になって65年も経つというのに、検事総長が未だに天皇勅任制とは呆れた話である。これも早急に選挙制にしなければ、証拠のFDを改ざんするような事件は後を絶たないであろう。
2010年09月28日
ルポライターの鎌田慧氏は、軍隊が持つ本性としての凶暴性について、14日の東京新聞のコラムに次のように書いている; 先週のこの欄で、87年前の関東大震災について書いたのだが、そのとき、戒厳令のもとで、大杉栄、伊藤野枝が東京・丸の内の憲兵隊本部に拉致され、虐殺された事実はよく知られている。 巻き添えにされた大杉の甥(おい)・橘宗一(むねかず)の墓前祭が、名古屋市千種区の日泰寺で行われた。宗一は妹あやめが結婚した、在米の橘惣三郎の長男で、惣三郎がひそかにこの寺の墓地に「犬共二虐殺サル」と掘った墓石を建てた。 わたしは今年も参加したのだが、墓前にたつと、なんの罪状もなく、裁判もなく、大杉夫妻をなぶり殺した日本陸軍の暴虐と6歳の少年まで巻き添えにした蛮行に、憤りをあらたにさせられる。 そのあとの集会で、大杉の甥で、『日録・大杉栄伝』の著者である大杉豊さんが発言した。甘粕正彦大尉、森慶次郎曹長、鴨志田安五郎上等兵など、五人の特高課チームの犯行であり、軍法会議で「司令官から命令があった」との証言が引きだされたが、それから先は明らかになっていない、と残念そうだった。 懲役10年の判決だった甘粕は3年で出所、フランスへ留学させられ、やがて満映(満州映画協会)理事長になる。懲役3年の森は1年半で出所していた。甘粕が陸軍の大罪を出世と引き換えに、きわめて軽い罰で引き受けたこの事件は、いまでも、非合理な軍隊の存在のありようを示している。 (ルポライター)2010年9月14日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-軍隊の凶暴さ」から引用 旧日本軍が組織的に実施した疑いが濃厚な「大杉栄・伊藤野枝虐殺事件」は、軍法会議で裁かれたため、真相は明らかにされず、現在も真相は闇の中である。日本軍に限らず、軍隊というものは本質的に凶暴なものであることは、アメリカ軍がベトナム戦争時に起こしたソンミ村事件などでもうかがい知ることができる。そのような非合理な暴力集団である軍隊をもつことを禁じたわが国憲法は、人類の未来を保障する憲法といえる。国際間の紛争は武力によらず解決することが、人類の未来を開く。そのような先進的な憲法を擁するわが国政府は、実際のところ、どこまでその自覚があるのだろうか。
2010年09月27日
中東情勢に詳しい龍谷大学名誉教授、坂井定雄氏は12日の「しんぶん赤旗」日曜版に寄稿して、アフガニスタンの現状について次のように述べている; 米軍にとってアフガニスタンの状況は過去最悪です。09年1月のオバマ政権発足時、3万5千人だった米軍は増派を重ねて現在10万人です。 これだけ増派しながら米軍の死傷者も増加の一途をたどり、01年の戦闘開始以来で2千人を超えました。米軍の増派にあわせて、反政府勢力のタリバン側が戦闘力を強化しているとしか考えられません。 象徴的なのが、ことし2月に開始された南部ヘルマンド州マルジャ地区の作戦の失敗です。米軍1万2千人、英軍などISAF(国際治安支援部隊)3千人を投入しました。この地域を軍事的に支配したうえで地域行政機関の首をすげかえ、市民に被害の補償金を配ったり、農業指導など復興支援を展開する計画でした。 この作戦をモデルケースにして、アフガン全土に広げようという意図でしたが、逃げたタリバンはすぐに戻り、夜の支配を回復しました。米軍は、夜は危険なので墓地にこもります。タリバンは地域ごとに長老会議を開いて、米軍に協力しないようにさせました。 タリバンはアフガン国土の約5割を支配しているとされます。昼間は米軍や警察が支配しているが、夜はタリバンの陰の行政機構が犯罪の取り締まりなどを行っています。 アフガン戦争9年の教訓は、アフガンは軍事力では支配できないということに尽きます。 もう一つの重大問題はカルザイ政権の腐敗です。米国は軍の輸送業務や道路建設はじめ復興支援のため、アフガン側に受け皿となる企業をいくつもつくらせましたが、最も多くもうけているのがカルザイ大統領の一族です。 こうした腐敗構造があると政権は、利益の分配をめぐって対立し、弱体化します。深刻な政権の腐敗には米国も打つ手がありません。 パキスタン出身で国際ジャーナリストのアハメド・ラシッド氏は、もはやアフガンで軍事的勝利はできないと判断し、米国がタリバンとの直接交渉にかかわるべきだと主張しています。 オバマ政権に何度も助言してきた彼は、1年ほど前まではタリバンとの交渉には否定的でした。しかし、昨年あたりから軍事情勢がタリバン優勢に大きく変わり、考えを変えたと思います。 9年たって10万人の米軍をもってしても治安は過去最悪-。この事実がアフガン戦争の失敗を決定的に示しています。2010年9月12日 「しんぶん赤旗」日曜版 19ページ「軍事で支配できないアフガン、政権腐敗に米国も打つ手なし」から引用 ジョージ・ブッシュが始めたアフガニスタンとイラクへの侵略戦争は、失敗であった。世界最強の軍事力を以ってしてもアフガニスタン一国を征服することすら不可能であることが証明された。人々は軍事力の限界を認識するべきである。それと同時に、無謀な戦争を命令したジョージ・ブッシュを戦争犯罪人として断罪するべきである。
2010年09月26日
戦争中に日本軍が中国に持ち込んで、敗戦時に中国のあちこちに遺棄した毒ガス兵器を、戦後65年もたってからようやく廃棄する作業が始まったと、2日の朝日新聞が報道している; 【南京(中国江蘇省)=奥寺澤】旧日本軍が中国に放置した毒ガスなどの遺棄化学兵器を廃棄する作業が1日、中国江蘇省南京で始まった。中国国内に約40万発あるとされる遺棄化学兵器を日本政府の責任で爆破処理する作業で、中国で廃棄が始まるのは初めて。1年程度かけて南京の約3万6千発を廃棄し、他の都市にも広げていく方針だ。 1997年に発効した化学兵器禁止条約により、日本が資金を出し専門家を派遣して廃棄することが決まっている。日本は南京での廃棄事業に約35億円を支出。移動式の処理施設が完成し、平岡秀夫・内閣府副大臣は同日、「(中国での処理事業が)発掘・回収から、廃棄という新たな段階を迎えた」と述べた。 黒竜江省で03年、旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器により1人が死亡、43人が重軽傷を負うなど中国側の関心も高い。式典に出席した中国外務省の張志軍次官は「(化学兵器は)日本の軍国主義が犯した重大な罪の一つ。一刻も早く処理することで人びとの生命や安全への脅威を取り除き、中日関係の安定的発展に貢献する」とあいさつした。南京の施設は、兵器を爆破して内部の化学剤を分解し、施設ごと別の場所へ移動することも出来る。南京での廃棄作業が終われば、湖北省武漢に移動して新たな作業に入るぼか、河北省石家荘にも同様の施設をつくる方針だ。 化学兵器はこのほかにも吉林省ハルバ嶺に30万~40万発が埋まっていると推定されている。だが、「手作業で回収するため、処理できるのは年1万発程度」(内閣府)。12年4月となっている廃棄期限の延長は避けられない情勢だ。2010年9月2日 朝日新聞朝刊 14版 7ページ「化学兵器廃棄始まる-旧日本軍が放置」から引用 毒ガス兵器というと、あれは敗戦時に武装解除された日本軍から中国軍に引継ぎされたものだから、その後に起きた事故については日本には責任が無いなどと妙な理屈を捏ねるものがいるが、それは詭弁というものである。それは大量の毒ガス兵器の中には、正式に中国軍に引き継がれた物もあったかも知れないが、それは極少数の例外に過ぎず、大部分は秘密裏に遺棄されたのであり、当時の日本軍には、秘密裏に処理しなければならない理由があった。それは、日中戦争開始の当時から、毒ガス兵器は国際法で禁止されたいたもので、一般の兵士はそのような教育をされたいなかったから知らなかったわけであるが、日本軍上層部は知っており、毒ガス兵器の使用が発覚することを恐れて、秘密裏に遺棄したのであった。
2010年09月25日
元外務官僚の佐藤優氏は、鈴木宗男議員の上告棄却について、9日の東京新聞コラムで次のような見解を述べている; 7日、最高裁判所第一小法廷が鈴木宗男衆議院外務委員長(新党大地代表)の上告を棄却した。鈴木氏の弁護人は異議を申し立てるそうだが、過去の例で異議が認められたことはない。近く懲役2年の実刑が確定し鈴木氏は刑務所に収監される。 最高裁判所は最高政治裁判所でもある。10日に大阪地方裁判所で村木厚子元厚生労働省局長の無罪判決が予想されている。そうなれば世論の特捜検察の取り調べに対する疑念と批判がかつてなく強まる。また14日の民主党代表選挙で小沢一郎前幹事長が当選する可能性があることも司法官僚にとっては頭痛の種だ。小沢氏は鈴木氏の能力を高く評価している。そもそも鈴木氏を衆議院外務委員長に抜擢(ばってき)したのは小沢氏だ。小沢政権になれば鈴木氏の政治的影響力が高まるのは必至だ。そうすれば排除が困難になる。このような司法官僚の集合的無意識が働き、このタイミングでの決定になったのだと筆者は見ている。 この結果にいちばん喜んでいるのは外務官僚だ。鈴木氏が収監されることにより外交機密費(報償費)の不正使用や、外交秘密文書の破棄に対する責任を追及する政治家がいなくなると外務官僚はほっとしている。しかし安心するのはまだ早い。鈴木氏は小沢氏に外務官僚に関するヤバイ情報をすべて引き継いでいるはずだからだ。(作家・元外務省主任分析官)2010年9月10日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-鈴木氏と小沢氏」から引用 この記事が書かれた時点では、村木厚子氏の無罪こそ予想されてはいたものの、まさか特捜検事が証拠を改ざんした容疑で逮捕されるとは、想像もできない事態であった。誰もが正義の味方だと思っていた検察が、実はこのような体たらくなのである。官僚制度を改革しようとする小沢、鈴木は、検察にとって「敵」なわけで、順法精神も正義もかなぐり捨てて、とにかく犯罪者に仕立て上げようとするのが現在の検察組織なのであるから、小沢氏と民主党政権は是非とも官僚制度の改革を実現してほしいものである。
2010年09月24日
贈収賄の容疑で起訴され係争中だった鈴木宗男衆議院議員の最高裁への上告が棄却され有罪が確定したことについて、9日の東京新聞は次のような解説記事を掲載した; 「私は今、刑事被告人の身です。しかし必ず真実が明らかになると確信しております」 8月4日、衆院本会議場。通算8期25年の議員在職で功労表彰を受けた鈴木議員は、壇上で身の潔白を強調。外務省や検察を批判する異例の謝辞で、議場から拍手を浴びた。 2002年に逮捕されると検察捜査には無罪主張で徹底抗戦し、拘置は戦後の衆院議員で最長の1年2カ月以上に及んだ。保釈後、胃がん手術のため03年の衆院選出馬は断念したが、05年に新党大地を立ち上げ国政に返り咲いた。 その後、外務、法務両省を徹底追及。政府への質問主意書の提出数は、今年1~6月の通常国会会期中だけで200本に上る。昨年9月に衆院外務委員長に就任すると次々と外国を訪問。今月もアフガニスタンを訪れ反政府勢力に拘束されていたジャーナリストと面会してきたばかりだった。 テレビ出演や講演なども積極的にこなし、「権力にとって都合の悪い者を不当に逮捕した」とする「国策捜査」批判を展開してきた。小沢一郎・民主党前幹事長の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件についても「自分の事件と同じ構図」とし、援護射撃を繰り返した。 検察批判を繰り返すとともに、冤罪(えんざい)被害者や冤罪を訴える人たちの支援にも取り組み、取り調べの可視化などを訴えていた。小沢氏には痛手 - ノンフィクション作家塩田潮さんの話最高裁は意図的にこの時期を選んだわけではないだろうが、今回の上告棄却は間が悪い。鈴木宗男議員が支持していた小沢一郎前幹事長のイメージダウンは避けられず、民主党代表選に何らかの影響が出るだろう。小沢氏にとっては、首相になって熱心に取り組むと思われた外務省改革の知恵袋を失ったとも言える。鈴木議員の事件には、政治家が役所に乗り込み、官僚主導ではない政治を実現しようとした側面と、その中で癒着が生じたという二つの側面があった。事件を踏まえ、政治主導をどう実現するのか、民主党は考えなければならない。2010年9月9日 東京新聞朝刊 12版 25ページ「鈴木議員失職へ『真実、死ぬまで発信』」から引用 鈴木宗男議員は外務政務官の経験があり、外務省の改革するべき悪弊をよく知っている政治家であっただけに、有罪確定は残念なことである。作家の塩田氏は「最高裁は意図的にこの時期を選んだわけではないだろう」などと言っているが、確かに建前としてはそうでなければならないのだが、高級官僚と気脈を通じる裁判官が意図的にこの時期を選んだ可能性は否定できないと思う。
2010年09月23日
鈴木宗男議員はテレビに出演して、自民党議員だったころ、小渕内閣の官房副長官として沖縄の県知事選挙に介入し保守系候補に官房機密費を支出したことを暴露した。そのいきさつを5日の「しんぶん赤旗」日曜版は次のように報道している; 使い道を公表する必要がなく、『内閣の闇金』と呼ばれてきた内閣官房機密費。政権中枢にいた政治家らが最近、厚いベールに包まれた機密費の実態を証言し始めています。その中には、沖縄県知事選挙で革新県政を転覆させるために3億円もの機密費をつぎこんだ、という驚くべき証言も。 三浦誠記者 小渕恵三首相(故人)から、1998年の沖縄県知事選挙で3億円の機密費を使ったと聞いた-。小渕内閣で内閣官房副長官だった鈴木宗男衆院議員は、TBSの報道番組や「琉球新報」で暴露しました。 機密費を選挙に使用したという実名証言は初めてで、政界に衝撃が走りました。一体どんな選挙だったのか-。 98年の沖縄県知事選は、日本共産党、社会大衆覚、社民党などが推す現職の大田昌秀元知事と自民党、新進沖縄などが推す稲嶺恵一前知事が激しく争いました。結果は新人の稲嶺氏が、きん差で当選しました。 小渕内閣は、米軍普天間基地の県内移設をすすめるため、革新県政の転覆を画策したのです。赤旗報道と符合 当時の報道によると、政府・自民党内で司令塔役として選挙を取り仕切ったのが、野中広務官房長官と鈴木官房副長官でした。当事者である鈴木議員の証言はこうでした。(7月21日放映のTBSの報道番組)-あの選挙(注・98年の沖縄知事選のこと)では官房機密費はいくら使った?鈴木 3億円使ったと聞いております。-それは機密費だけですか?鈴木 そうです。鈴木 わたしが聞いているのは、沖縄サイドからそういう申し出があった。ちょっと額が大きいなという話もあったが、最終的にはそれも地元の要望ならしかたない。やっぱり選挙は勝たなければならない中で、最終的に判断されたと聞いています。 「琉球新報」(8月18日付)でのインタビューでも鈴木氏は「小渕首相から沖縄はカネがかかるんだなという話も聞いている。『3億円』というのは、官房長官秘書官に確認した」と答えています。 「しんぶん赤旗」は、沖縄県知事選で機密費が流用された疑惑を2001年に報じました。当時、取材した沖縄財界人はこう語っていました。 「たしかに知事選の支援を求めて自民党本部に行った。98年の8月か9月だ。沖縄県選出の自民党代議士らと一緒に、野中広務官房長官(当時)に会った。そのとき『人の応援はいいから、カネがなくて大変なので協力してくれ』と要請したことはある」 今回の鈴木議員の証言は、赤旗報道とも符合します。 野中氏は、一連の報道に対して「機密費から(沖縄県知事選への)陣中見舞いに出したことはない」と否定しています。この否定にもかかわらず鈴木議員は証言を撤回せず、「聞いたことを率直に申し上げた」とコメントしています。国会での真相解明が必要です。野党にバラマキ 官房機密費の正式名称は内閣官房報償費。「国の事業を円滑に行うため機動的に使う経費」とされ、使途は非公開です。 官房機密費の予算は、年間約15億円。2001年ごろまでは、外務省の外交機密費(予算額約55億円)から約20億円が官邸に上納されていました。上納は省庁間の予算転用を禁じた財政法に違反します。 機密費の使途は選挙だけではありません。新たに、歴代首相経験者に『手当』が配られていた疑惑も浮上。鈴木議員によると盆暮れに1千万円ずつ、計2千万円を慣例として渡していました。 さらに日本共産党以外の野党に機密費がばらまかれていた疑惑について野中氏はその使途についてこう証言しています。 「衆院国会対策委員長に野党対策として500万円。参院幹事長室に500万円」(「琉球新報」8月18日付) ムダづかいにメスを入れることを公約している管直人内閣はこれらの疑惑にどのような態度をとるのか-。 日本共産党の塩川鉄也議員は衆院内閣委員会(8月3日)で、「官房機密費を選挙に使うことが許されるのか」と追及しました。 これに対して仙谷由人官房長官は、「調査する手だてもなければ、(調査をするような)性質のものではない」と答弁。全面拒否でした。管内閣・民主党の姿勢が問われます。2010年9月5日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「官房機密費 『内閣の闇金』当事者が証言」から引用 このような鈴木議員の言動に恐れをなした権力は、ただちに鈴木議員の有罪を確定させ、今後数年間は被選挙権を剥奪するという暴挙に出た。沖縄県知事選の候補者にカネを渡すことは公職選挙法違反の犯罪である。自民党ならまだしも、民主党政権がこの疑惑を調査しないのはなぜなのか。民主党も自民党と同じ体質だからなのか、まだ力不足で官僚支配をコントロールできていないだけなのか。
2010年09月22日
韓国併合100年に当たり札幌の若者は、戦時中に強制連行された朝鮮人が札幌市周辺の電源開発の作業をさせられた史実を芝居にして上演したと、5日の「しんぶん赤旗」日曜版が紹介している; 戦前、強制労働で多くの犠牲者を出した札幌市の発電所建設工事。同工事で過酷な労働と差別に苦しんだ朝鮮人の“叫び“を、「韓国併合条約」発効100年にあたる8月29日、在日朝鮮人と日本の若者たちが中心となり、「市民劇」として現代によみがえらせました。「おれは、人間だ!」-。 北海道・森英士記者75年前、朝鮮人強制労働で発電所建設 水力発電所「北電藻岩発電所」は1934年、札幌市藻岩浄水場と一体に工事がおこなわれ、それぞれ36年と37年に完成しました。現在も札幌市民に電気と水を供給しています。 発電所工事は、北電の前身のひとつ、北海水力電気が発注元。工事の元請けは鹿島組(現在の鹿島建設)と伊藤組です。配下に中請けの組があり、さらにその下に、「タコ部屋」とよばれる下請けの作業員宿舎がありました。 「札幌郷土を掘る会」の聞き取り調査などによると、日本が朝鮮半島などへの植民地支配を強めるなか、周旋屋などが、土地を奪われた朝鮮人や貧困にあえぐ日本の労働者・学生に甘い言葉をかけ、だまして「タコ部屋」に売り渡しました。 人権無視の過酷な「タコ部屋」労働やリンチ、工期優先で安全対策を怠ったことによる事故で、朝鮮人5人を含む38人が死亡したことが判明しています。しかし、全容はいまだ解明されていません。 工事に従事した労働者は約4000人。そのうち朝鮮人が300人以上いたとみられ、強制労働と差別という「二重の苦しみ」を強いられました。 いま、同発電所がある藻岩山は、市民から親しまれ、観光客や若いカップルでにぎわう夜景スポット。しかし、発電所の建設をめぐる歴史は、市民にもほとんど知られていません。 在日朝鮮人と日本の若者たちが中心となり、おこなった市民劇「今も聞こえる藻岩の叫び」(演出・志村智雄)は、92年に札幌で上演された同タイトルのリメーク。「韓国併合」100年をきっかけに再演が決定しました。出演する10代・20代の在日と日本の若者らは、現地でのフィールドワークなど歴史を学びながら準備してきました。 市民劇は、「韓国併合条約」発効100年にあたる8月29日、札幌市の教育文化会館のホールにで開かれました。約400人の観客の中には、朝鮮の民族衣装、チマ・チョゴリの制服を着た生徒の姿も。曽祖父は土地奪われ日本に来た 物語は現代のとある中学校から始まります。自国の歴史に強い関心を抱く在日朝鮮人4世の生徒・朴(バク)が藻岩の「タコ部屋」労働を知り、教師の安田に現地調査への参加を持ちかけます。安田は、しぶしぶ参加を承諾。安田の父は藻岩発電所工事でやってきた朝鮮人でした。あるとき、安田は工事がおこなわれた時代にタイムスリップして…。 朴役を務めたのは、同市の高校3年で演劇部に所属する信山紘希(ひろき)さん(17)。出演がきっかけで藻岩の「タコ部屋」労働を知りました。 「すごいことが知らされた。中途半端な気持ちではできない」と語っていた信山さん。朝鮮人の『代弁者』として演じました。 朝鮮の少年人夫役・コイチを演じたのは、北海道朝鮮初中高級学校・高級部2年の女子生徒で、在日朝鮮人4世の金志潤(キム・チユン)さん(16)。初級部3年のとき父親から、曽祖父は日本の植民地支配で土地を奪われ、仕事を求めてやってきたことを知らされました。自身の『ルーツ』を背負っての出演です。 公演後、緊張がとけた金さんは、「(歴史の事実を)伝えることができて良かった」と号泣しました。 観客のひとり、短大生の女性(19)=札幌市=は、「自分たちが住む近くでこんなことがあったんですね。(事実を)伝えていきたいです」と興奮気味に話していました。 日本人の人夫役を演じた沖縄県出身で、大学3年の護得久朝滋(ごえく・ともしげ)さん(21)はいいます。 「自分で動いて調べてほしい。どうして『タコ部屋』があったのか、日本の侵略戦争や植民地支配との関係も含め、深い部分まで知ってほしい」 歴史認識を共有するための若者たちの挑戦は始まったばかりです。2010年9月5日 「しんぶん赤旗」日曜版 33ページ「『韓国併合』100年 北海道では」から引用 史実に基づいた芝居を上演することは、歴史認識を共有するために大変役に立つことと思います。
2010年09月21日
映画「ザ・コーブ」と「表現の自由」について、7日の東京新聞は次のように述べている; 日本のイルカ漁を批判し、一部映画館の上映中止にまで至った米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」。封切り後は報道される機会も減り、騒動はすっかり過去のものとなりつつあるが、「表現の自由」をめぐる議論の火は絶やしてはならない。 抗議活動による影響を理由に東京と大阪の映画館3館が上映中止を決めた今年6月から、無事に6都府県で公開初日を迎えた7月にかけて、「ザ・コーヴ」をめぐる問題は連日のようにメディアに取り上げられた。 上映すべきでない、というのも一つの意見。表明するのは自由だ。駅前で雑踏に向けて大いにやればいい。だが、映画館や館主の自宅でがなりたてる行為は「表現の自由」で許されるにはいささか暴力的過ぎないか。そんな危惧(きぐ)を抱いてから約3カ月。現在、あの騒動は影も形もない。波及効果か、配給のアンプラグドによると作品の客足は好調で、最終的には全国36館で公開する予定という。 今回の騒ぎを2008年の映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止問題の再来と指摘する意見は多い。憲法21条とのかねあいでいえば07年、プリンスホテルが右翼団体の街宣を理由に、日教組の研修会参加者の宿泊を拒否した事件にも通じる。騒動は繰り返し起きていることになる。 「今の日本では突出した行動をする人たちが許されている。他人が火の粉をかぶっていても、みんな平気で見て見ぬふりをする」。こう指摘したのは、抗議を受けながらも上映に踏み切った映画館の一つ、京都シネマ(京都市)の神谷雅子代表だ。「話題を追い掛けるだけのマスコミもおかしい。『事なかれ主義』社会の根底まで掘り下げて報道すべきだ」。神谷代表からはこんなおしかりも受けた。 「ザ・コーヴ」は無事上映された。だがせっかくわき上がった「表現の自由」をめぐる議論がこのまま立ち消えになっては、今度は書店で、八百屋で、駅で、同じことが起こるかもしれない。 京都で公開後、大学教授らでつくる「上映を支持する会」が公開討論会を開いた。上映すべきだとの声が大勢を占める中、ある男性が「作品を見もしないで『上映支持』はおかしい」と疑問を口にした。この意見に対し、会場からは反論こそ出たが、やじは飛ばなかった。異なる主張にも耳を傾けるまっとうさがあった。 騒動を繰り返さないためには何が必要か。火の粉が自分に飛んできたらと想像し、今後も議論を続けていくべきだ。暴力的に他者を屈しさせようとする勢力がその出番を失ってしまうほど活発に。 私たちにはすでに「靖国」や「プリンスホテル」から教訓を得なかった過去がある。 (放送芸能部)2010年9月7日 東京新聞朝刊 17ページ「記者の眼-『表現の自由』議論絶やすな」から引用 「表現の自由」という点では、「ザ・コーブ」の上映に反対の人たちにも、自分の意見を表現する自由があるわけだが、だからと言って、暴力的な恫喝で映画の上映を阻止するのは明らかに行き過ぎである。このような場合、映画館は抗議に現れた連中の顔写真を撮影して証拠写真とし、威力業務妨害罪で告訴するべきである。映画「靖国」のときも、そうするべきであった。「プリンスホテル」事件のときも、プリンスホテルは右翼に迎合するのではなく、刑事告訴するべきであった。右翼の行きすぎに対し、毅然たる態度をとるのでなければ、彼らは何度でも同じ騒動を繰り返すであろう。
2010年09月20日
経済ジャーナリストの荻原博子氏は、いつまでも回復しない日本経済について、5日の「しんぶん赤旗」日曜版に次のように書いている; 「円高で景気が減速」-。いまの経済の動きをどうみるか。庶民目線のテレビ 解説でおなじみの経済ジャーナリスト・荻原博子さんに聞きました。Q 猛暑とうらはらに、庶民のお財布は涼しいですね?A お父さんのお小遣いの変化をみれば一目瞭然(りょうぜん)ですね。かっては5、6万円。いまは2万円がいいところです。 実際、国税庁の調べでは、10年間に、民間のお給料は年平均461万円から31万円も下がってきています。 給料は減っても、住宅ローンなどの返済は減らない。相対的に消費に回せるお金を削らざるを得ないのです。 いま、男性の10人にひとりが年収200万円以下です。最低賃金が生活保護費を下回るケースもあります。生活自体が守れない、物を買えない人が増えています。Q なぜ給料が下がり続けているのですか?A この10年間には、「いざなぎ景気」越えといわれる景気回復もありました。大きな企業はもうかった。それなのに、給料は下がり続けてきた。変ですよね。いったい、もうかったお金はどうなったのでしょうか。 いま大企業が内部にためこんだ手元資金は空前の規模で、約60兆円といわれます。企業はためこむか、株主の配当に充てています。逆に働く側は、非正規労働者が増え、「ワーキングプア」と呼ばれる深刻な状態も生まれました。 この流れが加速したのは、小泉純一郎首相・竹中平蔵大臣の時代です。株主の権利を非常に強くする法改正が行われました。「会社は経営者、株主のもの」そして、「従業員はコスト扱い」という構造がつくられた。そういう方向にお金の流れをつくってしまったために経済が立ちいかなくなっているのです。Q 円高による問題と暮らしへの影響は?A 円高で輸出企業は直接ダメージを受けています。このなかでも日本経団連の会員で発言権が強い輸出企業などは、さまざまな円高対策を政府に要請しています。ただ、現在の円高は、アメリカ経済の悪化とドル安容認によるものなので、為替介入などの効果も限定的です。長引くことも予想され、従業員=コストを削減するケースも出てくるでしょう。輸出以外の企業も右へならえで、給与カットやリストラを行う可能性もあります。 円高になると、輸出は厳しくなる半面、輸入価格は下がります。そのため、物価が安くなります。その先にあるのが、安売り競争です。安売りすれば当然、会社の利益は下がってしまいますね。 会社は利益をどこからもってくるか。給料を下げたり、リストラしようとします。しかし、働く人は同時に消費者でもあるのです。貧しくなればなるほど物が買えない=売れにくくなってしまいます。 こうして景気がさらに悪くなる、デフレスパイラルの状態に陥っていく可能性があります。Q どうすれば悪循環の状態から脱出できるのですか?A 個人消費はGDP(国内総生産)の6割を占めます。ここが元気になることがまず必要です。 個人消費を伸ばすためにどうすればいいか。 最低賃金を含めた賃金をいかに上げ、消費マインドを高めるかでしょう。雇用を安定させて、新たに創出することも必要だと思いますね。Q 最低賃金を上げると、経営が大変という声がありますが?A 大企業は最低賃金以上の給料が大半ですから、実は、最低賃金の問題というのは、中小零細企業の問題ということです。最低賃金引き上げがリストラに結びつくことがあってはなりません。 いま、中小企業は、非常に苦しい状況におかれています。かたや、大企業による下請けの単価たたきのような、不公正は是正しなければ。 また、中小零細企業に「貸さない」金融政策も背景にあります。これも竹中さんの時代の「金融検査マニュアル」が原因です。銀行などの金融機関による貸し渋りが増えました。その一方で金融機関は、山のように国債を買ってきた。国債ばかり山積みになり、それと反比例するように融資の額は落ちてしまったのです。 最低賃金の引き上げは大前提ですが、中小企業が置かれているこうした背景も見て、雇用の確保や創出など政治の力で解決にあたる必要があります。財界系シンクタンクも「デフレ克服のために必要」 最低賃金引き上げの必要性や効果を説く声は、経営者や財界系シンクタンクからも上がっています。 富士通総研の根津利三郎エグゼクティブ・フェロー(元通産省審議官、元OECD科学技術産業局長)もホームページのコラムで、賃上げや最賃引き上げを主張しています。「わが国が長期のデフレを克服するためには、他の先進国と同様に賃金の緩やかな上昇を安定的に維持していくことが肝要」と指摘。具体的には「非正規労働者の賃金格差の縮小、最低賃金の引き上げなどに真剣に取り組むべきだ」と提言しています。 生活用品のアイリスオーヤマの大山健太郎社長も最賃引き上げ論者の一人です。「低所得者は収入が増えれば、大半を消費に回します。賃金底上げで低所得者の生活水準が上がり消費市場も拡大する。一石二鳥です」(「日経」3月22日)と主張します。2010年9月5日 「しんぶん赤旗」日曜版 7ページ「どうみる 給料が下がり続ける日本経済」から引用 非正規雇用の労働者が増えて、労働者全体の収入が減少したために購買意欲が減退し、不景気になっている。したがって、これを改善するには、労働関係の法律を元に戻して、労働者派遣を厳しく規制し十分な労働報酬を保証する必要がある。大金持ちの収入が増えても貯蓄や投資に回るだけだが、低所得者の収入は、日頃からほしくても買えないでいたものを買おうとするのだから、景気が良くなること請け合いである。
2010年09月19日
文筆家の知念ウシ(ちにんうしぃ)氏は、日本と沖縄の関係について、8月24日の朝日新聞インタビューに応えて、次のように述べている; 沖縄の基地を本土に引き取ってください、という運動をしています。それが平等だから。日米安保を締結し、欲しているのは本土だし。 最近、本土の人から「沖縄はもう独立した方がいいんじゃないの」と言われることが多くなりました。 7月に大阪で基地問題の講演をした時も、会場から「沖縄は独立した方がいい」という発言が出た。この状況で本土の人たちから沖縄独立論が出てくる、その発想が興味深いです。なぜでしょうか。 大阪の講演で私は「じゃあ沖縄に押しつけてきた米軍と自衛隊の基地を全部引き取ってください。そうしたら独立します」と答えました。すると反応は返ってきません。 本土の人が「独立したら」と言うのは、自分たちには変わる気がない、沖縄だけが変われ、と言っているように聞こえます。基地問題だけでも大変なんです。そのうえ独立も? いつも運動させられているのは私たちなんだなあと感じます。 「沖縄はこうした方がいい」と言ってくる人に、「じゃあ、あなたは本土で何をしているの?」と聞くと「限界があって無力感を感じる」っていう話になる。「本土でも運動してください、記事を書いてください」と言うと、「いやあ、難しいね、だめだよ、日本社会は」。日本から独立したいのはその人なんでしょうね。 沖縄は今、本土からの移住ブームです。日本の中で息苦しくなった人たちが沖縄に来るそうです。まさに植民地の機能ですね。本国で踏ん張れば社会を変える勢力になるはずの人たちが、植民地に救いや安楽の生活を求めてやってくる。彼らは日本語が上手だとか、日本の文化や習慣をよく知っているとか、本国から来たというだけで就職に有利です。沖縄では権力的な位置に立てます。そういう差別があることも知ってほしい。 沖縄は早く自立した方がいいなどと議論されますが、沖縄はそもそも自立しています。文化的にも精神的にも政治的にも。日本の方こそ、沖縄への依存をやめて独立してほしい。沖縄が自立を進められないのは、日本が沖縄という植民地に従属しているから。植民地とは本国が依存するものです。日本が沖縄から基地を持っていって手を引けば、いろいろなことが正されるチャンスが出てきます。 「日本が沖縄に従属している」って、わかりにくいですか? それでもいいです。謎かけです。考えてください。 基地は、日本が引き取りつつ、なくしていってほしい。本土には関空でも神戸空港でも佐賀空港でも、住民がそばにいない空港がたくさんありますよね。私たちは報道で「JALが路線廃止」と出るたびに「ここ、ここ」って言っていますよ。 長い目で見ると、私は「琉球独立」というのは自然な流れだと思います。いずれそうなるでしょう。けんか別れではありません。大事なことは、沖縄人の尊厳が認められること。日本と平等な関係になることです。それが実現できるなら、独立でも自治でもなんでもいい。互いに尊重する関係になりたいのです。 そのためには、まず、日本人が基地を引き取って、沖縄から独立することですね。 (聞き手 編集委員・刀祢館正明)2010年8月24日 朝日新聞朝刊 17ページ「オピニオン-日本こそ沖縄から自立して」から引用 私も琉球独立は自然な流れだと思います。きょうの明日というわけにはいかないかも知れませんが、沖縄の地理的な条件が米軍基地に最適だなどというのは、満蒙が日本の生命線だなどと勝手なことを言って侵略の言い訳にした日本軍と同じ理屈で、これからの世の中には通用しないと思います。
2010年09月18日
琉球大学教授の島袋純(しまぶくろじゅん)氏は、今の沖縄の問題を解決するには、復帰後の日本政府の政策のために分断された沖縄の人々の絆を回復することが先決であるとして、8月24日の朝日新聞で次のように述べている; 「ゆいまーる」という沖縄の言葉があります。互いに支え合う、沖縄の古くからの共同体を指します。でも、それは、もはや幻想です。破壊され、崩壊しています。沖縄の社会をつなぎ直すための仕組みが必要なのです。 戦後、米軍は沖縄を支配し、裁判権を取り上げ、行政の長を任命し、議会に介入した。住民は暮らしと命を守る権利を奪われました。国民が主権者として権力を統制し、人権、教育を受ける権利、最低限の生活を保障する-。復帰運動を後押ししたのは、日本国憲法が描くそんな国家像への強いあこがれでした。 復帰に際し、沖縄は独自の自治権を持つ米国の連邦制的な姿を描いた。しかし、日本政府は振興開発による土建政治に沖縄を組み込みました。平和や人権より振興開発だと唱え、基地問題を争点から外そうとしたのです。本土との格差是正の名のもとに。 インフラ整備は進みましたが、振興支援の名目で握らされた金で、自治体は住民ニーズなどお構いなしにコンクリート造りに奔走した。補助金が多ければいいという価値観です。学力や保育園の待機児童数が全国最低の水準でも、人への投資はできない。「裏負担」と呼ばれる、振興開発予算の地方負担分に予算をつぎ込まざるを得ないのです。 国に懐柔された住民は、分断されました。基地を受けいれ、振興策の御利益にあずかれる人と、そうでない人、それを拒絶する人。お互いの信頼は破壊されました。 分断支配の道具に過ぎない振興策など要りません。 沖縄では今、社会の絆(きずな)を再生しようという機運が芽生えている。国策や基地に従属しない、自治の回復を目指す動きと私はとらえています。 沖縄のことを沖縄が決められる、自治州政府を作りたい。沖縄だけそんなことが可能かと思われるかもしれませんが、憲法には一地域だけに適用される特別法制定を、住民投票で国会に働きかける規定があります。 経済に関する許認可権や関税権、予算といった、今は内閣府沖縄担当部局が握る権限を、自治州政府に移す。経済的に自立し、社会の絆と主体性を回復するため、人に投資できる自由な予算権限が必要だからです。 基地問題は、国と対等に話し合う場が必要です。しかし憲法上、外交や防衛権は中央政府が担う国家主権の一部とされる権限です。本来は地方政府が立ち入れない。 ただ、国際法上は「人民の自己決定権」、つまり民族自決権があります。沖縄はこの権利を放棄したわけでも失ったわけでもない。確かに現憲法のもとで自決権を主張するには無理がある。だから、基地の過剰集中の解消や歴史的経緯への配慮を求めつつ、精神的な裏付けとして「自決権」を主張するのです。 今、米兵に対する裁判権放棄や基地の自由使用など日米安保条約の前では人権も憲法もない状態です。憲法より米軍の自由が上位にあるなど、いくら戦争に負けたからって許されない。政府は、そんな属国的状況を沖縄だけの特殊事情だと言い繕っているかに見える。しかし、もし言い繕うことすらやめて憲法より安保が上だと言う日が来たら、私はあきらめて独立を唱えます。(聞き手 秋山惣一郎)2010年8月24日 朝日新聞朝刊 17ページ「オピニオン-自治州となり絆を再生する」から引用 鳩山政権の跡を継承した菅政権では、鳩山氏と違って菅首相はこと普天間に関しては官僚の言いなりでやっていくつもりらしく、にわかに沖縄振興策の予算を水増ししているかのように見えます。そのようなやり方は、正に自民党政権が長年やってきたことで、地元沖縄では効果が無いことを誰もが知っています。効果がないどころか、無駄に地元の人たちが分断されるのですから、そういうやり方はやはり再考が必要です。
2010年09月17日
龍谷大学教授の松島泰勝(まつしまやすかつ)氏は、沖縄が独立国になる可能性について、8月24日の朝日新聞のインタビューに応えて次のように述べている; 沖縄慰霊の日の6月23日、「琉球自治共和国連邦独立宣言」を発表しました。西表島で運動している石垣金星さんとの連名です。 島々が自治の度合いを高め、ゆるやかな連合体として独立しようという構想です。もちろん基地はいりません。地元やアイヌ、ハワイ、日米両本土、フランス、オーストラリアの人たちから賛同をいただきました。 直接のきっかけは、鳩山由紀夫前首相が公約した普天間飛行場の県外移設が実現しなかったことです。日本政府は実行できず、本土の人たちは引き受けようとしません。日本の中にいる限り基地撤去は難しいと実感しました。 地元経済界や保守層までも「米軍基地はいらない」と言うようになりました。でも、こんなに反対しているのに基地はなくならない、本土から押しつけられたままです。そういう閉塞(へいそく)感や絶望的な気分が広がり、「沖縄差別」だという声が高くなっています。 基地問題を打開するにはどうすればいいでしょう。本土に訴えるだけでなく国際的な舞台で訴えることで、日本、さらにはアメリカに対してプレッシャーを与え、状況を変えられるかもしれません。 国連に脱植民地化特別委員会という組織があります。グアムやニューカレドニアなど16地域が「非自治地域リスト」に入っています。完全独立か、自由連合国か、大国との統合か、住民投票で決めることになっています。この委員会に行って発言したり協力を求めたりしてはどうでしょう。沖縄県は、かつて琉球王国という、日本とは別の国でした。1879年のいわゆる「琉球処分」によって武力で日本の一部にされたわけです。琉球の人々の合意を得たものではない。その後も様々な差別を受けましたが、日本政府が謝罪したり賠償したりしたことはありません。 独立論は過去、何度も出ましたが、そのたびに「やっていけるか」と議論になり、立ち消えになりました。「しょせん居酒屋独立論だ」と椰輸(やゆ)されたこともあります。 私は太平洋の小さな島国を研究してきました。外務省の専門調査員として1年間住んだパラオは1994年に独立した人口2万人の共和国です。石垣島の5万人より少ない。そこがアメけカと交渉して独立を獲得しました。ツバル、ナウルは人口1万人。ミクロネシア連邦は11万人。世界にはこの規模で独立している国がいくつもあります。 一方、沖縄県の人口は139万人です。小さな島が独立を成し遂げたことを知ると、なぜ沖縄・琉球は今のままでいるのかとさえ感じます。 独立すれば、ホテルや航空会社は法人税を日本ではなく沖縄・琉球に納めることになります。日本政府の規制から外れれば、特区や特別自由貿易地域をさらに進められる。アジア諸国と独自のネットワークを結べば、日本の中にいなくてもやっていける。基地がなくなれば「危険な島」ではなくなります。投資や観光はさらに増えるでしょう。 独立宣言を出したのは、議論を呼び起こしたいと考えたからです。世界の現状を見れば決して夢物語ではないこと、基地撤去の可能性が高まること、それを知ってほしいと思っています。 (聞き手 刀祢館正明)2010年8月24日 朝日新聞朝刊 17ページ「オピニオン-『居酒屋の夢物語』ではない」から引用 私は10年くらい前に石垣島と那覇に旅行したことがあります。行ってみて知ったのは、石垣島と沖縄本島では言葉も文化も異なるということでした。那覇の観光バスのガイドさんが、自分の職場には石垣島出身の人が数人いて、仕事の話は日本語の標準語で話すが、石垣島の人たち同士の私語は自分たちには全然わからないという話をしてくれました。考えてみれば、石垣島から少し南へ行けば、そこは台湾で、台湾のあの島にも、異なる言語と文化を持った先住民族が9つもあるとのことで、沖縄県もその延長線上なのだなと思ったものでした。沖縄が日本の領土でなければならない必然性はないということです。
2010年09月16日
先月末に急逝した言語学者・半田一郎氏について、元外務官僚の佐藤優氏は、3日の東京新聞に次のように書いている; 8月31日、半田一郎先生(東京外国語大学名誉教授・元琉球大学教授)が、自宅そばの横断歩道を歩行中にダンプカーにはねられ亡くなった。85歳だった。筆者は東京四谷の大学書林国際語学アカデミーで琉球語を習っていた。 半田先生は「佐藤君に私がもっている琉球語の知識を伝えるのが、私の人生最後の仕事になると思います」ということをよく口にしておられた。毎回、私のために特別の教材を作ってくださった。半田先生は十数力国語に通暁していた。それだから、琉球語の教材であるにもかかわらず、筆者が理解するラテン語、古典ギリシャ語、ときにはロシア語も織り込んだ教材を作ってくださった。半田先生を通じ、言語は生き物で、言語の違いから思想が生まれてくるということを筆者は皮膚感覚で知った。 半田先生は、東京新聞の愛読者で、「昔はいろいろな新聞をとっていましたが、今は東京新聞だけを購読しています。私の考えにいちばんちかいんです」とおっしゃっていた。筆者の寄稿もいつも注意深く読んでくださっていた。半田先生は「『本書のコラム』を琉球語に翻訳する練習をしましょう。文字言語としての琉球語を生き返らせることが、佐藤君の歴史的使命です」とおっしゃっていた。半田一郎先生のご冥福を心からお祈り申し上げる。(作家・元外務省主任分析官)2010年9月3日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-追悼・半田一郎先生」から引用 アイヌ語同様、琉球語がすたれて自然消滅してしまうのは残念なことだ。沖縄県教委は、県内の小中学校に週3日は琉球語の授業を行うように指導するのがよいのではないだろうか。沖縄県にはテレビやラジオも琉球語の放送局が一局くらいあってもよさそうなものだ。
2010年09月15日
かつて日本が朝鮮半島を植民地支配したことを知らない日本人が多いことに配慮して、8月21日の朝日新聞は次のような一問一答を掲載した;アウルさん 今年は韓国併合100年と言われているけど、韓国併合って何なの。A 日本が朝鮮半島を植民地として支配していた歴史があるんだ。今の南北朝鮮にあたる大韓帝国と日本の間で「韓国併合に関する条約」が結ばれたのが1910年8月22日。だから、明日がちょうど100年になる。45年に日本が敗戦するまで、日本の支配が続いた。ア なぜそんなことを。A 日露戦争は朝鮮半島の支配などを巡り争われたが、05年のポーツマス講和条約でロシアが日本の優越権を認めた。勢いを得た日本が軍事力を背景に支配を強めていったんだ。ア どんなふうに?A 併合の5年前に韓国の外交権を奪って保護国にした。日本政府代表の統監を置き、初代首相の伊藤博文を派遣した。さらに軍隊も解散させた。併合条約はこうした支配を完成させるもので、第1条には韓国皇帝が統治権を「完全かつ永久」に天皇に「譲与」すると書かれた。ア 韓国の人たちは抵抗しなかったのかな。A もちろんしたよ。併合前から武装闘争をして、安重根は伊藤博文を暗殺した。「3・1独立運動」という大きな抗日運動も起こしたけど、鎮圧された。今月10日に管直人首相が発表した談話でも、植民地支配が韓国の人々の「意に反して行われた」と指摘していた。ア 植民地支配下では、どんなことがあったの。A 神社参拝や日本語の使用を強制し、「創氏改名」で朝鮮固有の姓を奪って日本式に改めさせた。戦争中に多くの人が炭鉱や工場、軍隊に動員され、命を失ったんだ。ア 日本は償いをしたの。A 日本の敗戦から3年後に、朝鮮半島には大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)ができた。日本は韓国とは65年に日韓基本条約を結んで国交を正常化した。経済協力とかを名目に無償有償合わせて5億ドルを韓国に支払ったけど、被害者個人への補償はしなかった。元慰安婦ら被害者の不満は強く、今も日本に国家補償を求めているよ。ア 北朝鮮とは?A 国交正常化の交渉が中断したままで、植民地支配をめぐる問題も解決のめどは立っていない。 (横井泉)2010年8月21日 朝日新聞朝刊 2ページ「ニュースがわからん!-韓国併合、何があったの?」から引用 朝鮮半島を植民地支配した当時の日本政府は、神社参拝や日本語の使用を強制し、戦後もその事実を認めて謝罪しているというのに、戦後生まれの勉強不足な者が「当時の朝鮮の学校には朝鮮語の授業時間もあったのだから、強制があったとは言えない」などと言ってみたところで、そんな言い分が世間に通るわけもなく、単なる自己満足に過ぎない。そのような了見では国際社会に通用しない。
2010年09月14日
終戦間際に宣戦布告して当時の満州に進軍したロシア人兵士たちに強かんされた日本人女性たちの悲惨な記事を読んだ読者が、日本軍兵士による犯罪も忘れてはならないと、8月18日の朝日新聞に投書しいている; 戦後、大陸からの引き揚げ中に強かん被害に遭った女性たちの堕胎施設を巡る記事(14日)は、目を背けるほどの悲惨さだった。しかし、同時に思い出すのは、特に中国からの引き揚げ兵士たちの「土産話」である。 戦後間もなくの職場では、彼らが実行してきた「三光作戦」(殺し尽くし、絡奪し尽くし、焼き尽くす)についてとくとくと語る姿があちこちで見られた。特に元兵士同士が語り出すと、「赤ん坊を銃剣で突き刺した」といったようなことを競争のようにして話すのだ。聞いている方もそれをとがめ立てる声はほとんどなかった。私も当時はことの重大さに気づいていたとはいえない。 とりわけ元兵士たちが多く話したのは残虐きわまる婦女暴行についてだった。中には「今頃、オレの子どもが生まれているだろう」とうそぶくものもいた。 終戦直前に宣戦したソ連軍兵士らによる暴行を受けた女性の悲惨な運命を考えると同時に、中国大陸で行われた日本兵の無数の暴行事件も決して忘れてはなるまい。暴行された中国女性、多分そのために妊娠・出産を余儀なくされたであろう女性を思うとき、決して暴行の「被害」は終わっていないことに慄然(りつぜん)とするのは、私一人ではあるまい。2010年8月18日 朝日新聞朝刊 12版 12ページ「声-暴行『加害』の歴史も忘れずに」から引用 中国大陸やその他東南アジアでの日本軍兵士による犯罪は、そのごく一部がB、C級戦犯として裁かれたものもあるが、大部分は混乱に乗じて何のとがめだてを受けることも無く無事に帰国して、戦後は何食わぬ顔で平然と暮らした。中には深く反省した者もいたであろうが、そうでもない者は上の投書が紹介するように自慢話にしていたのであるから、あきれ果てた民度である。
2010年09月13日
このたび駐韓日本大使となった武藤正敏氏を、8月25日の東京新聞コラムは次のように紹介している; 日韓併合百年の節目の赴任になった。記者会見で「併合から百年の最後の大使」で、「新しい百年の最初の大使」になると意気込みを語り、過去の直視と未来志向に気を配る。 韓国語を専門とするキャリア外交官から大使への抜てきは初めて。韓国赴任は約3年ぶり5回目だ。 35年前に初めて赴任した際、知人の大学生が日本を訪問した後、「日本についての率直な感想を他人には話せない。話せば非難されるだろう」と打ち明けられたことが忘れられない。日本への厳しい視線が残されていた時代だった。 ソウル五輪(1988年)のころ、テレビ討論会で高齢者が日本批判を繰り返す中、ある女子学生が「日本に行ったら、年長者から聞いていた話とまるで違った」と口火を切り、その場の雰囲気が変わったことが印象的だったという。 「いまの日韓には国民同士に信頼関係があり、問題があっても短期間で改善できます」 誕生日は日韓国交正常化と同じ日だ。「日韓関係をきちんとやれと言われているようで、宿命的なものを感じています」と気を引き締めた。東京都出身。61歳。 (築山英司)2010年8月25日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「この人-日韓併合100年の節目に赴任した駐韓日本大使 武藤正敏さん」から引用 武藤氏が初めてソウルの日本大使館に勤務した頃は、日本への厳しい視線が残されていた時代で、その頃は日本の音曲や映画の上映などは禁止されていた。しかし、政府が禁止しても民間では日本映画のストーリーとそっくりの海賊版もどきが制作されていたらしい。そのような文化政策を廃止したのが金大中大統領だった。金大統領の方針に対して、韓国内の保守派は「解禁すると韓国の芸能文化が日本流に飲み込まれてしまう」というような理由で反対したらしい。ところが、金大統領は「そんなことで飲み込まれる程度の文化なら、なくなっても大勢に影響はないだろう」と反論したとのことである。金大統領のそのような発想は、例えば日本に置き換えた場合、そういう発言は「反日的だ」と攻撃される話であるが、金大統領の大局に立った判断は正しかった。そのおかげで日本のテレビドラマや映画が正々堂々上映されるようになり、韓国の映画やドラマの関係者も日本の作品から長所を学び取り、今日の韓流ドラマ・ブームを生む基盤になった。
2010年09月12日
上智大学教授の音好宏氏は、夏の甲子園大会で優勝した興南高校に関連して、中央と地方の新聞の視点の違いについて、8月25日の東京新聞コラムで次のように述べている; 自宅に届いた22日付「沖縄タイムス」は、すごかった。優勝決定直後の興南高校ナインを写した1枚写真が、見開きいっぱいに印刷された特別版に、32ページ立ての通常紙面をくるんだ構成である。その通常紙面も、21日に夏の甲子園を制覇した興南高校の活擢を振り返る記事で埋め尽くされていた。紙面からは「沖縄」の喜びが伝わってくる。 今から四半世紀以上前、基地問題が解決することと沖縄の高校が甲子園で優勝することが、沖縄の戦後が終わった証しだと、ちゃめっ気たっぷりに私に語った地元記者を思い出した。春夏を制した「沖縄」が、いまだ戦後を清算できずにいるのは「本土」の責任である。いまもって連日、普天間基地問題に多くの紙面を割いて報じながらも、この日ばかりは、興南高校の優勝を大々的に喜ぶ「沖縄タイムス」の紙面には、中央が気づこうとしない「日本の現場」の実像があるように思う。 そんなことを思っていたら、文字通り「日本の現場」(旬報社)という本が届いた。地方紙の連載記事とその編集後記を再構成した一冊だ。編者の高田昌幸氏によると、「日本の実相を射抜く」ような記事を選んだという。記事群からは、中央では見えにくい多様な「日本」の現実が浮かび上がってくる。もちろん、「東京新聞」の記事も載っている。 (上智大学教授)2010年8月25日 東京新聞朝刊 13ページ「言いたい放談-沖縄の喜びが凝縮した紙面」から引用 佐藤栄作首相が沖縄返還交渉を行っているとき、新聞は自民党政府がリークする情報に基づいてかどうか知らないが、盛んに「核抜き本土並み」を書き立てていた。私の記憶では、確か佐藤首相自身そう言って自画自賛していたように思うが、実はその裏には「密約」があった。それを暴いた新聞記者は機密漏洩で断罪され、密約は不問、数十年後にその密約が事実であったことが明らかになっても、その責任を追及する声はなく、「本土並み」返還が何十年も実現しないどころか、更に新しい米軍用滑走路を押し付けようとしているのでは、「沖縄が戦後を精算できないのは本土の責任」と言われても反論はできない。
2010年09月11日
ルポライターの鎌田慧氏は、100年前に大逆事件で処刑された幸徳秋水の墓参りをしたことに関連して、8月24日の東京新聞コラムに次のように書いている; 思い立って、土佐の高知は四万十市に出かけた。清流四万十川の河口の町として知られている。旧名は中村市。明治の革命家・幸徳秋水の出身地である。 幸徳家菩提(ぼだい)寺の正福寺はいまはなく、市街地の一角に墓地だけが遺(のこ)されてある。秋水の墓は両親の篤明(あつあき)・多治の夫婦墓と生家「俵屋」の番頭(養子)だった駒太郎の間に立っている。苔(こけ)むしたごく普通の墓石である。 その右側に、甥(おい)の画家幸徳幸衛(ゆきえ)、次兄亀治、そして師岡千代子、坂本清馬の墓が並んでいる。秋水に離縁された妻千代子の墓を建てたのは、天皇暗殺計画(大逆事件)の被告として、秋水とともに死刑を宣告された24人のうち、翌日、無期懲役に減刑されたひとり、坂本清馬である。 戦後、再審請求したが棄却され、名誉回復を果たせないまま、75年1月、89歳で他界した。 縁戚(えんせき)でもないのに、幸徳家に並べて自分の墓を建てさせたのは、秋水を慕っていたからだとしても、遺骨がないにもかかわらず、離別された千代子の墓まで自費で建てたのは奇抜である。菅野須賀子の陰に隠されてしまった千代子を顕彰したかったのかもしれない。 百年前、戦争と日本の軍国主義化に反対しつづけた若者を一網打尽、大量処刑した国家の犯罪にたいして、政府はいまだ謝っていない。 (ルポライター)2010年8月24日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-名誉回復の仕方」から引用 戦前は立法、行政、司法の頂点に天皇がいて、誰も天皇に逆らうことは出来ない形になっており、それだけに警察や司法の責任ある立場の者は、「天皇陛下のため」を錦の御旗に、国民に対して人権無視の傍若無人をはたらくことができた。そのような環境下で起きたのが大逆事件で、大勢の若者が無実の罪で処刑された。経済大国に見合う民主国家であるなら、100年前の事件とはいえ、政府はこの事件についていつまでもノーコメントでいられるはずがない。
2010年09月10日
調査捕鯨船の船員が鯨肉を横流ししていることを「グリーンピース・ジャパン」が告発したところ、鯨肉横流しの船員は不起訴となりグリーンピース・ジャパンの職員が逆に起訴された事件について、8月23日の東京新聞は次のように報道している; 2008年に環境保護団体「グリーンピース・ジャパン」の職員2人が、宅配中の鯨肉を盗んだとして窃盗罪などに問われた裁判の判決が9月6日、青森地裁で言い渡される。2人は当時、鯨肉横領疑惑の「証拠品」として鯨肉を持ち出したのだが、告発と逮捕時は「告発目的なら犯罪も許されるのか」という点ばかりが注目され、横領疑惑は置き去りにされた。判決を前に、あらためて事件を考えてみると-。 (出田阿生) 「調査捕鯨船の船員が鯨肉を横流ししている」という不正行為の疑惑調査は、元船員の内部告発がきっかけだった。 「一番良い魚を家族への土産にするのは、漁師の常識。でも、クジラは税金を使って捕ってるんだし、おかしいと思った」。元船員の50代男性は、今回「こちら特報部」の取材に応じ、こう話し始めた。 南極海に船が出るのは毎年11月。翌年4月まで半年間、2百数十人が乗り組む船団がミンククジラなどを追う。捕獲後に計測などの調査を終えると、甲板で解体する。真っ白に湯気が上がる巨体を切り分け、計量して部位別に枠に入れ、冷凍する。 男性によると、この工程で、ベテランの船員が「こことっとけ」と命令し、肉を取り分ける。特に高級なのが、ベーコンに加工されるウネス(下あごから腹にかけてのしま模様の部分)という部位。これを作業服の袖に隠して部屋に持ち帰り、塩漬けにするという。 「キロ1万~1万5千円で買ってもらえると聞いた。それでも市場の半値くらいだから、飛ぶように売れる。100キロくらい持って帰る人もいる。鯨肉を売りさばいた収入で自宅を新築して『クジラ御殿を建てた』と言われる人もいた」 下船のときに船会社から支給される正規の土産とはまったく別物だという。 この男性の話を聞いたグリーンピース・ジャパンの職員2人は、08年に調査捕鯨船が日本に帰港した際、船員が自宅あてに送った宅配便の荷物を追いかけ、青森県内の集配所で、段ボール一箱を持ち出した。 入っていたのは、23・5キロのウネス。職員らは「正規の土産なら冷凍品のはずなのに、常温の状態。しかも高級な部位が大量に入っている」と、船員による横領行為の証拠品として東京地検に告発したが、不起訴処分とされた。 職員らは逆に、窃盗と建造物侵入の罪に問われて逮捕、起訴された。逮捕と同時に捜査員70数人が出て、東京都新宿区の事務所や自宅など6カ所を家宅捜索。こちらの報道が繰り広げられているうちに、いつの間にか鯨肉横領疑惑の話は消えてしまった。 ようやく狙上(そじょう)に上ったのが、今年2月から始まった裁判だった。 長年捕鯨船に乗り組んでいた別の元船員が「商業捕鯨の再開を願うからこそ、調査捕鯨のモラル低下を何とかしたい」との思いで出廷。その中で「船員が鯨肉の持ち出しをしているのを目撃した」「(調査捕鯨の実施主体である財団法人)日本鯨類研究所(=鯨研)の職員が、高価な『尾の身』という部位をサンプルだといって持ち帰って(土産用にして)いた」などと証言した。 また、「正規の土産」は8キロまでのはずが、ウネスを23・5キロも自宅に送った理由について、持ち主の船員の説明は二転三転した。「同僚からもらった」と話したが、その人数は「1人→2人→4人」と変わった後、結局3人に。しかも、名指しされた同僚の一人は「あげていない」と証言した。 さらに持ち主は「5本あったウネスを半分に切って10本にした」と説明したが、DNA鑑定の結果、同一個体とされたのは7本と3本に分かれ、話が通らなくなった。 冒頭の元船員男性は話を続ける。「そもそも訴えたかったのは、横領の話じゃなくて、漁師として感じた調査捕鯨のおかしさなんです」 そのひとつが「捕りすぎたときは、どんどん肉を海に捨てること」と言う。「捨てるくらいなら捕らなきゃいいのに、と仲間内で話していた」 反捕鯨団体の妨害行動でクジラを捕れない期間が続いた後は、1日の捕獲頭数を増やす。だが20頭以上だと船の冷凍室がいっぱいになるため、雑肉を捨てるという。 特に、捕獲目標頭数が急増した05年から06年は「売れる肉でも頻繁に捨てていた」と男性は振り返る。 では現在の調査捕鯨の実情はどうなのか。東京大先端科学技術研究センター特任研究員の大久保彩子さんは「商業捕鯨再開のためのクジラの生態調査とされているが、実質的には鯨肉供給の手段になっている」と話す。 その上で、調査捕鯨が「補助金産業」化していることを問題視する。 その構図とは-。実施主体は鯨研だが、捕獲作業や鯨肉の加工販売は、水産会社の捕鯨部門が統合してできた株式会社「共同船舶」が随意契約で独占的に請け負う。 鯨研は、調査捕鯨に許可を出す水産庁から毎年補助金をもらい、歴代の役員には天下りで同庁OBがいる。今年の補助金は、捕鯨妨害行為への対策費を含めて約8億円。すなわち共同船舶は、水産庁傘下のファミリー企業で「鯨肉利権の護送船団」との指摘もある。 連合国軍総司令部(GHQ)が戦後の食糧難対策で南極での捕鯨を許可し、鯨肉消費がピークとなったのは1962年。その後の消費は落ち込む一方だ。国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨のモラトリアム(一時停止)を採択し、日本では87年から調査捕鯨に切り替えられたが、鯨肉の在庫はだぶつき、最近では4千数百トンを超える。捕鯨事業の経費は鯨肉を売って賄われるが、これも赤字に陥っている。 大久保さんは「商業的に成り立たない南極海での捕鯨を、国が補助している。仮に商業捕鯨が再開され、補助金が受けられなくなれば、かえって南極海捕鯨は衰退する可能性が高い」とみる。 IWCは6月の会合で「南極海での調査捕鯨を大幅に縮小するかわりに、沿岸での商業捕鯨を認める」との議長案が議論されたが、決裂した。 「捕鯨国にも、反捕鯨国にも、今の状態が一番好都合だともいえる」と大久保さん。「反捕鯨国は、国内産業との利害関係がないから『商業捕鯨には何が何でも反対』と理念に突っ走っていればいい。捕鯨国が存在するから、反捕鯨団体のシー・シェパードには資金が集まるし、『活躍』の場を与えられる」 いわば「日本の食文化の伝統を守れ」というメッセージのもと、反捕鯨国・団体への国民の反感に守られる形で調査捕鯨が存立する。 大久保さんは言う。「各国の意地の張り合いの中、国際規制がないまま調査捕鯨が続けられることが一番の問題でしょう」2010年8月23日 東京新聞朝刊 11版 22ページ「調査捕鯨 実は横流し-鯨肉窃盗裁判で仰天事実」から引用 調査捕鯨のデタラメさ加減は目に余る。反捕鯨を批判する人たちの中には、アメリカやヨーロッパが捕鯨をしていた頃は、油だけが目的でせっかくの鯨肉を海に捨てていたが、日本人の場合は隅から隅まで小骨一本無駄にはしない伝統があるなどと主張する人もいたが、現在ではその日本人も取りすぎた鯨肉を海に捨てているとは皮肉な話である。このような状態にあるにも係わらず、この記事の数週間後、青森地方裁判所はグリーンピース職員を有罪にし鯨肉横流しの船員は何のおとがめもなし、という事態になっている。
2010年09月09日
豊臣秀吉が朝鮮に出兵して敗退した5年後には、徳川幕府が朝鮮王朝と和解した。8月23日の東京新聞コラムは、そのことについて次のように書いている; 京都市東山区に「耳塚」という土盛りの墓がある。16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮半島を侵略した時、日本の武士たちが手柄の証しとして朝鮮人の耳や鼻をそぎ落とし、塩漬けにして持ち帰りここに埋めた。その数3万ともいわれる。 日本と韓国の大学生計20人が先週、韓国の財団が企画した両国の史跡を巡るツアーに参加した。学生たちは耳塚に献花したが、うつむき加減で重苦しい表情だった。 その日の午後、広島県福山市柄の浦に移動した。江戸時代に朝鮮の外交使節団「朝鮮通信使」がたびたび立ち寄った港町だ。宿舎となった福禅寺。瀬戸内海の美しい島々が一望できる。 寺には通信使が残した書が何点かある。「日東第一形勝」。朝鮮より東の世界で最も風光明媚(めいぴ)な場所と、鞆の浦をたたえたものだ。潮風が吹き抜ける本堂で、日韓の若者たちは「通信使もここで息抜きしたのか」「どんな食事をしたんだろう」と語り合った。 秀吉軍の撤退から5年後に徳川幕府は朝鮮王朝に和解を呼び掛け、使節訪日を招請した。朝鮮は徳川家康名義の国書を要求したが、仲介した対馬藩は悩んだ末に偽書をつくって渡した。朝鮮側もそれを承知で受け取り、国交回復を優先させ通信使を派通した。 400年前の日韓関係だが、戦争で失われた信頼を取り戻した。これが外交の知恵というものだろう。 (山本勇二)2010年8月23日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「論説室から-400年前の日韓関係」から引用 一度侵略を受けた朝鮮側としては、日本の責任ある立場の者から一筆とらなければ安易な和解はできないという建前であったわけだが、それが徳川幕府にとって荷が重いこと、しかしながら徳川幕府が統治権を確立していることなど理解した上で、偽の国書でも形だけ整えば大目にみて、実質の平和な関係を確立したのは賢明な選択であったと言える。その頃とは国際情勢が全然異なるが、戦後65年も経って未だに国交が回復できない隣国があるというのはまともな状態ではない。先人の英知に学んで、一日も早く日朝国交正常化を実現してほしいものである。
2010年09月08日
東京新聞コラムも、併合100年の節目にあたって発表された菅首相談話を高く評価して、次のように述べている; 若き歌人には朝鮮民族の未来に漂う暗雲が見えたのだろう。24歳の石川啄木は1910年8月の韓国併合の直後、歌を詠んだ。地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く 併合条約の締結時、京城は厳戒下に置かれた。抗議の自決も相次いだが、反対する民衆の動きは徹底的に抑え込まれた。一方、お祭り気分の日本国内で、ちょうちん行列が繰り出され、群衆は「万歳」を叫んで練り歩いた。 植民地になると、朝鮮語は禁じられ、日本語の使用が強制された。日本式氏名の強要など同化政策が徹底された。65年前の8月15日は、朝鮮の人々には「解放」の日だった。 韓国併合からちょうど一世紀。菅直人首相の「首相談話」がきのう閣議決定し、発表された。36年間に及んだ植民地支配を「韓国の人々の意に反して行われた」と位置付けて、「痛切な反省と心からのおわび」を率直に表明している。 「謝罪外交」と批判する声は自民党だけでなく、与党の中にもあるが、「歴史に対して誠実に向き合いたい。自らの過ちを省みることに率直でありたい」と歴史認識の問題を正面から受け止めようとした姿勢には共感した。 啄木が百年前に墨を塗った国は、日本から解放された後も、民族同士が殺し合う内戦を経て二つに分断されたままだ。啄木だったら、今、どんな歌を詠むだろうか。2010年8月11日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 100年前に併合条約を無理に締結した時に既に、一部の良心的な日本人は併合を疑問視していたが、今となっては、歴史に対して誠実に向き合いたい、自らの過ちを省みることに率直でありたいと願うのは平均的な日本人の認識である。それを、与党の中にも「謝罪外交」などと揶揄する向きがあるなどというのは、単に勉強不足に過ぎないことを暴露している。今後の選挙においては、候補者の見識をよくよく見極めて投票するべきだ。
2010年09月07日
韓国併合100年の節目に当たって発表された菅首相談話を高くする投書が、8月16日の朝日新聞に掲載された; 韓国併合100年にあたって菅直人首相の談話が発表された。批判もあるが、歴史に対する反省に躊躇(ちゅうちょ)は必要ない。とくに「韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました」と踏み込んだことを高く評価したい。 ただ、国と文化を奪われ、民族の誇りを傷付けられたのは朝鮮半島の南半分の人々だけではない。談話は半島の北半分に住む人々にも向けられたものと解釈すべきだろう。 朝鮮半島の人々の文化、なかでも言葉と名前まで奪ってしまったことは大きな問題であった。だから、戦後、彼らが真っ先に取り組んだのは奪われた言葉と誇りを取り戻すための朝鮮学校の開設であった。にもかかわらず政府は朝鮮学校を冷遇し続けてきた。 首相談話を生かすため、政府は調整中の朝鮮学校の高校無償化除外措置解除を直ちに実施すべきである。日本が自らの過ちを率直に認めてこそ北朝鮮にも反省を求め、拉致問題の解決につなげることができるのではないだろうか。2010年8月16日 朝日新聞朝刊 12版 6ページ「声-学校無償化で談話生かそう」から引用 この投書が指摘するように、日韓関係を未来志向に導くためにも、高校無償化から朝鮮学校を除外してはいけません。自民党政権が長年続けてきた朝鮮学校冷遇策を、民主党政権は転換するべきです。
2010年09月06日
中国が領有権を主張している尖閣諸島について、アメリカはブッシュ政権のときは「日米安全保障条約の適用対象」であると、はっきり表現していたが、オバマ政権になってから、このような表現は撤回されたと8月17日の東京新聞が報道している; 【ワシントン=共同】中国が領有権を主張する尖閣諸島(沖縄県石垣市、中国名・釣魚島)について、オバマ米政権がブッシュ前政権の政策を変更、「尖閣諸島は日米安全保障条約の適用対象」と対外的に明言せず、間接的な言い回しにとどめる方針を決め、日本政府にもこれを伝えていたことが16日、分かった。複数の関係筋が明らかにした。 尖閣諸島に安保条約を適用するとの基本的立場を米国が崩したわけではないが、直接関連付ける言い回しを控えることで、金融危機後の米経済回復に向け、協力を取り付けたい中国を「刺激しないよう配慮した」(同筋)形だ。 ブッシュ前政権時の2004年3月、米国務省のエアリー副報道官は記者会見で(1)尖閣諸島は1972年の沖縄の施政権返還以来、日本の施政権下にある(2)日米安保条約第五条は、条約が日本の施政下にある領域に適用されると明記している(3)従って、安保条約は尖闇諸島に適用される -と公言した。 しかし、オバマ政権は「尖閣諸島は日本の施政権下にあり、安保条約は日本の施政権下の領域に適用される」(国務省)と表明するにとどめることを決めた。論理的な帰結として、安保条約が尖閣諸島にも適用されることになるが、前政権のような明確な言い回しからは後退した。国務省は16日までの共同通信の取材に対しても、(1)(2)の原則のみ確認し「尖閣諸島は適用対象か」との質問には回答を避けた。2010年8月17日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「尖閣諸島尖閣諸島 『安保適用』と明言せず」から引用 いつだったか当ブログに「もし日本と中国が対立したときに、安保条約があるからといって必ずアメリカが日本の味方をするとは限らない」という主旨を書いたところ、「そんなことになったら、世界中のアメリカと同盟している国々がアメリカを信用しなくなるのだから、そんなことをアメリカがするわけはない」と、あたかもアメリカは未来永劫日本の味方であるかのような反論をする人がいた。確か、あれから半年もたっていないと思うが、すでに上に報道されたような状態なのである。
2010年09月05日
昨日、一部を引用した高等学校教員・森口等氏の論文の後半では、高校生に日本近現代史を授業する上で、注意しなければならない重要なポイントについて、次のように説明している; しかし、そのような皇民化政策の紹介は、ともすれば「日本人=悪、朝鮮人=善」とか「日本人=加害者、朝鮮人=被害者」といった二項択一的な思考に生徒を陥(おとしい)れてしまう危険性を感じています。もちろん、そのような側面があったことは否定できない事実でもありますが、二項択一的な善悪思考を乗り越えて未来志向の歴史認識を築くためにも、以下の二つの事例を生徒に紹介しています。<関東大震災下での朝鮮人虐殺と「寅さん」> 関東大震災下での朝鮮人虐殺の事例は、「韓国併合」を扱う際には欠かせない視点であり、「15円50銭」のエピソード(朝鮮人は濁音を発せないとして「チュウエン コチッセン」と発すると朝鮮人とみなした)はぜひとも触れたい事例ですし、その残虐性と煽動(せんどう)された当時の民衆の様相や、その背後にあったとされる特高官僚の存在も触れねばならない事例でしょう。 同時に、その悲劇の紹介と対比的に扱いたいのが「男はつらいよ」のいわゆる「寅さんシリーズ」の最後の作品である「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の最後のシーンです。寅次郎役を演じる渥美清が癌(がん)に冒(おか)され、余命幾ばくもない時期に収録されたこの作品の最後のシーンは、例によって失恋した寅次郎が、震災の被害にあった神戸の長田区を訪れ、正月を迎えて踊りを踊っている朝鮮人たちの輪の中に加わっていくシーンで完結するのです。 山田洋次監督の頭の中には、1923年の関東大震災下での朝鮮人虐殺の事例がおそらくは意識されており、同じ20世紀の後半に起きた阪神淡路大震災ではそのような悲劇がくり返されなかった歴史の進歩を、永年続いた寅さんシリーズの最後で描いているのではないかと理解をしています。 そのシーンを見せて、生徒にそのシーンが持つ意味を考えさせることで、20世紀に犯した誤りを乗り越えようとしてきた連帯の歩みを少しは実感できるのではないかと考えています。 またこれと並行して、ベルリンオリンピック(1936年)では日の丸をつけて走ることを強要された孫基禎(ソンギジョン)が、ソウルオリンピック(1988年)の聖火リレーでは太極旗をつけて走った事例を紹介することでも、20世紀の歴史の進歩を伝えることができるのではないかと考えています。<安重根と千葉十七の友情>「韓国併合」の授業のまとめに、1時間を使ってでも扱いたいのが、旅順監獄での安重根と千葉十七(とおしち)の友情を措いたTV番組「驚き桃の木20世紀」の「伊藤博文を撃った男」の映像です。この映像で、安重根が旅順監獄で多くの日本人関係者から尊敬の念を集めたにもかかわらず、ついに処刑場に移送される際、彼が残した遺墨(いぼく)を見た千葉十七が最敬礼をして安重根に感謝の念を伝える姿は、何度鑑賞しても胸を打つものがありますし、生徒の中からもすすり泣きが聞こえる時も少なくありません。 この映像は、ともすれば「日本人=加害者、朝鮮人=被害者」という図式に陥りがちな生徒の歴史認識に揺さぶりをかけ、連帯の視点で未来志向の歴史認識を育てる視点を投げかける上で、今もなお有効な映像です。「韓国併合」の単元にかかわらず、日本の過去の誤りを直視し、過去から未来に向けての教訓を引き出すことは、今もなお社会科教師に課せられた重要な課題であると考えます。「過去に日本はひどいことをした」との、いわば「暴露的な」事例の紹介にとどまるのみでは、生徒たちは「私たちがしたことではないのだから、私たちには責任がない」との認識にとどまりかねません。 そのような認識を乗り越えるひとつの視座として、連帯の視点を提示することで、未来志向の歴史認識を養うきっかけになるのではないかと考えています。月刊「歴史地理教育」2010年8月号 34ページ「地域に根ざし未来を志向する『韓国併合』の授業-4 未来を志向するためにも連帯の視点を」から引用 森口氏が指摘するように、「日本人=加害者、朝鮮人=被害者」で話が終わるのでは、歴史に学ぶことになりません。私たちは歴史を直視する勇気を持ち、正しく歴史を理解した上で初めて、望ましい未来の方向性を掴み取ることができるのだと思います。
2010年09月04日
「歴史教育から問う『韓国併合』」という特集を組んだ月刊誌「歴史地理教育」8号に投稿した高等学校教員の森口等氏は、自らの授業風景を次のように紹介している; 戦前の「韓国併合」下において日本政府が行った皇民化政策は、多種多様な方策を用いての民族抹殺(まっさつ)政策であり、まさに朝鮮人民を臣民化するということでした。そのような日本帝国主義が犯した罪の根深さは言うまでもありませんが、その政策の頂点とも言うべきものが、創氏改名であると理解をしています。 日中全面戦争の開始とともに皇民化政策は強化されていったと考えていますが、「皇国臣民の誓詞(せいし)」の強制や日本語教育の徹底とあわせての「三位一体」として、創氏改名を皇民化政策の頂点に位置づけたいと考えています。事実、朝鮮の学校で1937年に「皇国臣民の誓詞」が強制され、41年からは学校での朝鮮語の授業がなくなりました。その間の1939年に創氏改名が実施され、天皇を宗家(そうけ)とする日本社会的な基礎単位としての「氏」を強制的に創設し、「氏」や「名」を日本風にすることを強要したことの罪深さは、「宮城遥拝(ようはい)」の強制とあわせて「韓国併合」の授業の中心的な柱として押さえたいと考えています。 ただ、その政策により自殺者すら出たほどの悲惨さを強調はしますが、どうしても生徒にその政策の残虐性が伝わらず、表面的な事例の紹介にとどまってしまっているもどかしさもあります。そのため、あえて生徒の感性に触れる形での創氏改名の具体例を紹介しています。T「創氏改名で犬糞食衛(いぬくそくらえ)さんという氏名を届けた人がいるらしい。こんな変な氏名の人がいたのはなぜだと思いますか?」S「『犬糞食衛』? そんな名前を自分でつけるはずがないと思うけど。」T「いえ、自分でそんな変な名前をつけたそうですよ。なぜそんな変な名前をつけたのでしょう?」S「もう、どうにでもなれ!やけくそ!という感じだったのでしょうか?」T「そうですね。その他にも、玄田牛一という名前もあったそうですよ?」S「何ですか、それは?」T「玄田という漢字を縦に並べると畜という漢字になりますね。そして、牛一という漢字を縦に並べると…。」S「生という漢字ですね。」S「わかった! 畜生(ちくしょう)という抵抗の名前になる-」T「そう。それほどまでに、創氏改名への抵抗は根強く、反発があったことがよくわかりますね。」 そのような創氏改名のエピソードを伝えると、生徒の中には笑いすら洩(も)れはするものの、いかに当時の朝鮮人民が創氏改名に対して大きな反発を持っていたのかを理解することができると考えています。 その他にも、「田農丙下」(「でんのうへいか」として、天皇を皮肉った名前)や「裕川仁」(「ひろかわじん」として、天皇裕仁を皮肉った名前)、「鉄甚平」(「てつじんぺい」として、「金」を失っても甚(はなは)だ平気だという名前)というものもあったことを紹介し、創氏改名がもたらした本質を理解させようとしています。もちろん、クラスの在日生徒の意識動向を事前に把握(はあく)しておくことの必要性は言うまでもありません。月刊「歴史地理教育」2010年8月号 34ページ「地域に根ざし未来を志向する『韓国併合』の授業-3 創氏改名を中心に据えた皇民化政策の紹介」から引用 私が高校生のときは、植民地下の朝鮮半島の様子についてここまで詳細な授業はありませんでした。元首相の麻生太郎氏も、高校時代にこういう授業を受けていれば、あのような失言は無かっただろうと思います。
2010年09月03日
俳優の愛川欽也氏は、8月の大切な日について、8月19日の東京新聞コラムに次のように書いている; 8月には忘れられない3つの日がある。6日広島、9日長崎に原爆が落とされた日、そして15日の敗戦。 8月15日を終戦記念日と言い、敗戦記念日とはあまり言わない。僕はなるべく敗戦と言う。なぜならば、昭和20(1945)年8月15日に戦争が終わったのだが、もう少し早く国が戦争をやめてくれたら、6日の広島、9日の長崎の原爆もなかったのではないか。3月10日の東京大空襲、そして全国各地へのアメリカ軍の大爆撃もなかったのではないかと、いつも思ってしまうからだ。 敗戦の時に小学校(国民学校)5年生だった僕は、もっと幼かったころから国や大人たちから教えられた神の国、戦争に負けない国、世界で一番強い国、を信じ、心も体も一色に染められ育てられてきた。だから国が発表する報道で日本軍は各地で負けていたのに勝っていると知らされたり、負けていることを国民には知らせないウソを、信じて疑わずにいたのだ。僕らは負けたなどと言わない国を疑うことはなく、いや、疑うことは悪いことと教えられて育ってきた。いま考えると、このように教育をした人たちの罪は重いと思う。だから僕は敗戦と言うようにしている。僕は国の言うこと、やること、それを伝えるメディアを疑うことを失ったら、民主主義は危険な状況になると思っている。(俳優・作家)2010年8月19日 東京新聞朝刊 13ページ「言いたい放談-忘れられない3つの日」から引用 愛川氏の体験によると、戦前の日本では「日本は戦争に絶対勝つ。それは本当だろうかと疑うことは悪いことだ」と教えられたらしい。愛川氏は、そういう教育をした人たちの罪は重いと言っているが、それは、そのような教育を強いた当時の戦争指導者の罪である。戦争指導者の一部は、東京裁判で裁かれたが、要領よく裁判をまぬかれた者の中には後で首相にまでなった者もおり、戦争放棄の憲法を勝ち取ったとは言え、戦争に対する反省は甚だ不十分であった。たぶん、そのために、わが国政府は戦後何十年たっても事あるごとに反省やら謝罪やらのコメントを出さざるを得ないのではないか。
2010年09月02日
NHKにレギュラー出演している「爆笑問題」の歴史認識について、問題提起する投書が、8月19日の東京新聞の同じ欄に2件、掲載された; ◆「爆笑問題の戦争入門」(NHK)40歳も近い男性芸人の、戦争について誰も教えてくれないといった発言にはびっくり。戦争体験者の男性俳優も指摘した通り、今はたくさんの本も出ている。現代人には、無謀な戦争を、亡くなった多くの人の心を、今の世代への警告を学ぶ義務があると思う。(上尾市・牟田キヨカ84・無職) ◆「爆笑問題の戦争入門」男性芸人が、中国人や韓国人に戦争について責められるが学校では教えてもらっていない…と述べた後の、番組の展開にがっかりした。自分で勉強すべきだという意見が出て、それは正論だろうが、戦争における加害の具体例が教科書にほとんど載っていない事実も問題にすべきでは? 重い問い掛けに対し、現実を丁寧に取り上げてほしかった。(日野市・森紀子69・無職)2010年8月19日 東京新聞朝刊 13ページ「放送&芸能-反響」から引用 自国の加害の歴史を知らなくても、のうのうと生きていられる日本人社会のあり方が問われている。一因には、戦後の自民党政府が学校教育で加害の歴史を教えることに全く努力しなかったことが挙げられる。それに乗じて、歴史の事実を知ることを自虐史観だなどと言う者が出てくるに至っては、もはや何をか言わんや、である。そのような、史実を正直に教えることに不熱心な政府でも、国際社会はそのような不誠実な態度を許さないから、村山談話や先日の菅談話を、日本政府は出さざるを得ないのだが、何も教えてもらっていない国民の大部分は、何故政府がそのような談話を出すのか理解ができていないに違いない。このような歪んだ社会を是正することも、民主党政権には期待されている。もし出来ないということであれば、あとはやはり、共産党しかないのではないか。
2010年09月01日
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