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東京大学教授で日本政治思想史が専門の苅部直(かるべただし)氏は、仙谷官房長官が「自衛隊は暴力装置」と発言して問題にされたことに関連して、3日の朝日新聞夕刊で次のように述べている; 政治学者が、現実の政権の運営に大きな影響を与えることは少ない。それは、理論派の経済学者が経済閣僚になるのが珍しいのと同じことだろう。政策の提言と、離れたところから現実をながめ論評する営みとの大きなちがいが、そこにある。 だが、いまの管直人内閣は、学者が閣僚になっているわけではないにせよ、実は憲政史上珍しい、政治学ずきの政権なのである。何しろ、6月の政権発足にあたっての首相の所倍表明演説では、国民主権の活性化について松下圭一氏、外交方針に関して故・永井陽之助氏と、日本の政治学者の名前を2人も挙げながら主張を述べていたのだから。政治学者の端くれとしては、まことに慶賀すべきことがらであった。苦々しく思った人もいたかもしれないが。 先ごろ国会で問題になった、仙谷由人官房長官の「暴力装置でもある自衛隊」という発言にも、政治学ずきの片鱗(へんりん)がうかがえる。おそらく「暴力装置」という言葉それ自体は、かつてヨーロッパの共産主義運動が、国家の支配者による強力な抑圧を批判するさいに用い始めたのだろう。 だが、マックス・ウェーバーが著書『職業としての政治』(1919年)で、物理的な「暴力」の正当な行使を独占する団体として「国家」を定義して以来、政治学や社会学では軍隊と警察について、批判の意図がなくとも、「国家の暴力装置」と呼ぶ言い方が定着している。 ふつうの日本語では、「暴力」には不当な力の行使という含意がつきまとってしまうから、むしろ「強制力」とでも訳した方がふさわしかったのかもしれない。官房長官もウェーバーの用いる意味を念頭においたことを、あとの記者会見では示唆していた。 さしあたり以上の文脈で考えれば、社会主義の用語だとか、憲法第9条の精神に反するといった、官房長官に対する問責決議案の理由に見えた批判はあたっていない。自衛官の誇りを傷つけてしまう表現であることはたしかだが、その場で撤回し謝罪したことで、けりのつく程度の失言である。 むしろ「暴力装置」発言をめぐる一連の騒動に感じたのは、政治家たちのユーモアの欠如である。失言の現場での対応にかぎって言えば、言葉尻をとらえて大騒ぎする議員が出てくるのも、いちおうやむをえない。政権攻撃のパフォーマンスを、ひたすらくりかえすことで野党が面目を保っていた、自民党政権時代の気風はなかなか抜けないだろうから。 しかしそのあとは、「いや~、学生時代にウェーバーを読みすぎまして……」「政治学でなくてもっと政治を勉強せい(笑)」くらいの軽いやりとりですませればよかったのではないか。眉をつりあげて空虚な泥仕合を国民に見せ、政治への信頼をさらに落とすよりは、ずっとましである。 ウェーバーが国家の定義にあたって「暴力」を強調した理由の一つは、人々の生死を左右する強制力の行使にかかわっている現実を、政治家に自覚させることであった。みずからの行動についても、一種の必要悪として突き放してながめる距離感を失えば、政治は単なる実力支配に堕落してしまうだろう。議論の応酬に笑いをまじえるのも、構えに余裕をもたらすだいじな手段である。 国会での言動も含め、権力の行使を自己点検する醒(さ)めた眼(め)を、政治家が養うこと。ウェーバー自身がすすめる方法は、情熱と責任感をもって仕事にあたれという、きわめて真面目なものであり、何だか堅苦しい。むしろ時には、ユーモアでやんわりと包む工夫も、大きな助けになるのではないだろうか。2010年12月3日 朝日新聞夕刊 4版 8ページ「ウェーバー読みすぎまして・・・」から引用 この記事のポイントは、先ごろの仙谷官房長官に対する問責決議は学問的に言って根拠を欠いた、衆愚政治による決議であったということが1点。 もう1点は、自民党政権時代の自民党は強大な力を誇り、野党は束になってもかなわない時期があって、そういうときの野党は面目を保つことのみを目的として、政権攻撃のパフォーマンスを繰り返すだけで、だから有権者の支持を得られず万年野党などと揶揄されたものであったが、現在の自民党は民主党と力が拮抗しているにもかかわらず、その自覚が無いため、まるで昔の社会党がやったようなパフォーマンスを真似ており、自ら立場を貶めているように、私には見えるという点である。
2010年12月31日
政権末期の自民党は漢字を読み間違えるような人物を首相に立てたりする酷い状況で、国民も、いくらなんでもこれではヒドすぎるということで、政権交代したのであったが、その結果選出された民主党も、ある程度の初期の混乱は予測されたとは言え、ここまで落ちるとは誰も想定していなかったのではないか、と思われる事象が相次いで起きている。武器輸出三原則の見直しなどという話も、戦前の国民の苦労を知らない安倍晋三や麻生太郎ならいざ知らず、まさか民主党の政治家が、平和憲法をないがしろにするような政策を打ち出すとは夢にも思わなかったのではないだろうか。 武器輸出三原則の見直しは、財界と官僚からの要望であるが、自民党時代の歴代政権は国民感情を重視する立場から、毅然として三原則を堅持してきたのであった。自民党がなぜそうできたのかと言えば、それは国民の支持があったからである。ところが、発足まもなく、政権担当の経験もないために失態を続け、支持率低下の窮状を挽回する手段として、財界や官僚におもねって行こうという方針から武器輸出三原則の見直しを言い出したのは、民主党政権としては、またひとつ余分な墓穴を掘ったとしかいいようがない。そのお粗末さの顛末を、12月16日の東京新聞は次のように論評している; 政府・民主党の中でくすぶる武器輸出三原則の見直し問題で、民主党外交安全保障調査会がまとめた提言に、疑問符が付いていることが分かった。提言は見直し理由の一つに「国際協力活動に必要な重機などの海外移転や巡視艇などの輸出が困難になっている」ことを挙げるが、実際にはこうした海外移転や輸出は頻繁に行われているためだ。「事実誤認では?」との声が政府部内や自衛隊から出ている。 「重機などの海外移転」は陸上自衛隊初の海外派遣となった1992年のカンボジア国連平和維持活動(PKO)の時から実現している。道路を補修した施設部隊が撤収する際、重機を含め宿営地で使っていた医療・施設資材、給食機材など1517点をカンボジア政府に寄贈した。 2002年の東ティモールPKOでは、部隊を縮小するたびに機材を東ティモール政府に手渡し、寄贈した重機はグレーダ、油圧シャベルなど150台、施設機材はプレハブ式建物など649点にのぼった。 またPKO派遣や国際緊急援助隊として、自衛隊が海外に持ち出す装備品を経済産業省が一点ずつ審査していたのは過去の話だ。同省安全保障貿易管理課は「迅速性が重要なことから事前審査を免除する包括的審査に切り替えて久しい」という。 海上保安庁の巡視船は03年、インドネシア政府から供与の要請があった。防弾ガラスを使うため武器と認定されたが、機関銃を外し、(1)テロ・海賊対策以外に使用しない(2)第三国に移転しない-を条件に、06年に3隻を政府開発援助(ODA)で供与した。 外務省によると、この3隻はマラッカ海峡での海賊取り締まりなどに活用されている。 ソマリア沖の海賊対処に関連して08年、中東のイエメンから5隻の供与要請があり、提供する方向となっている。アフリカ・ジブチからも昨年、同様の要請があったが、沿岸警備隊と称する組織が事実上、軍隊と分かり、提供を断った。 武器輸出三原則は、自衛隊海外派遣や相手国への重機、巡視船供与の障害にはなっておらず、むしろ通常兵器の拡散を防ぐ有効な手だてとなっている。 民主党外交安全保障調査会事務局長の長島昭久前防衛政務官は「間違いがあるなら文章を修正したい」と話している。(編集委員・半田滋)2010年12月16日 東京新聞朝刊 12版 24ページ「『重機の移転支障』疑問視」から引用 私たち国民は、憲法9条の精神に照らして、武器輸出三原則の見直しに反対です。菅内閣は、支持率の向上を望むのであれば、米軍や財界に媚びるのではなくて、政権交代に将来を託し民主党に期待した国民の信頼に応えるべきです。それは、武器輸出三原則を見直すのではなくて、これを堅持し、普天間の飛行場は無条件で撤去させ、労働者派遣は禁止し、若い人たちが希望を持って働く環境を整備することです。
2010年12月30日
東京都青少年健全育成条例改正案を議会が可決した翌日の東京新聞「筆洗」は、不当な「改正」を次のように批判している; 毒舌トークで人気のあるタレント、マツコ・デラックスさんが、石原慎太郎東京都知事をテレビ番組で激しく批判し、話題になっている。きっかけは、同性愛者を蔑視する知事の発言だった。 過激なせい描写のある漫画などを規制する青少年健全育成条例改正の陳情をPTA団体から受けた際、知事は同性愛者がテレビ出演することを批判。さらに、「(同性愛者は)どこか足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」と語っていた。 公の立場で差別的な発言をするような政治家が力をいれる政策は、「すべて信憑(しんぴょう)性がなくなる」とマツコさんが言及した都の条例改正案がきのう、都議会本会議で可決、成立した。 過激なせい描写のある漫画など子どもには読ませたくないという親の気持ちは当然のことだ。ただ、きわどい性表現のある作品の販売は、現行条例で成人コーナーに制限されるなど、すでに厳しく規制されている現実がある。 これまでの条例の運用で対応できるのになぜ新たな行政の介入が必要なのか。そんな声が出版界には根強い。「表現の自由を侵害する危険が増した」と多くの漫画家や出版関係者から危ぶむ声が噴出しているのは分かる。 国旗国歌法案の国会審議中、小渕内閣が「強制はしない」と繰り返していたのに、教員を大量に処分してきたのは東京都なのだから。2010年12月16日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 子どもの目に触れさせたくない内容の漫画は、これまでの条例の運用で対応できているのに、なぜ新たな行政の介入が必要なのか。その答えは、石原慎太郎の目的が、青少年の健全育成などではなく、健全育成を口実にした「自由な言論表現を弾圧すること」だからである。その理由は、改正前の条例で十分に、「健全育成を阻害する要因を除去する」対策は実施されていたからである。にも関わらず、執拗に規制強化を打ち出したのは、改正前の条例では石原慎太郎の本当の目的を達成することができない。そこで、誰もが反対できない「きれいごと」を持ち出して、行政の恣意的判断で言論表現の自由を規制できる環境を整えたと、これが実情なのではないか。
2010年12月29日
ルポライターの鎌田慧氏は、死刑制度を廃止せずに裁判員制度を導入したための問題点について、14日の東京新聞コラムで次のように述べている; 10日にだされた「高齢夫婦殺害事件」(鹿児島地裁)の判決は、検事側の死刑求刑を退けて無罪判決だった。裁判員の良識が示された、とホツとする思いである。 しかし、その3日前には、長男と妻、義母を殺害した22歳の若者に、裁判員制度3例目の死刑判決(宮崎地裁)があったばかり。「裁判員裁判でなければ無期懲役だっただろう」(藤本哲也中央大教授、東京新聞) 裁判員次第で死刑になったり、無期懲役になったり、という「不平等」は、官僚裁判官だけの場合でも大差はない。問題なのは、死刑判決をだした裁判員への精神的影響である。自分になんら関わりがないひとを職業でもないのに「正義」の名で殺す。それを強制する政府をはたして人道的な政府といえるだろうか。 戦争の時でさえ、市民に自分の手で敵を殺せ、という政府はない。死刑判決のあと、裁判員にどんな精神的苦悩がはじまるのか、それは他人事ではない。 いまや死刑を廃止した139カ国(ロシア、韓国など事実上廃止国もふくむ)や米国十五州の市民に、「日本は市民が死刑判決を下しています」といったなら、「なんと野蛮な」と驚嘆されるのはまちがいない。 もともと裁判員と死刑は相容れない制度だ。死刑制度を存置していて、裁判員制度は成立しない現実が、はっきりしてきた。 (ルポライター)2010年12月14日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-死刑と裁判員」から引用 司法の世界に市民感覚を、というのが裁判員制度導入を推進する人たちのスローガンであったが、普通の市民感覚では人の命を奪うということはあり得ない話なのだから、その市民感覚を導入するのであれば、先ずその準備として死刑制度は廃止されなければならなかったのである。そのような議論を置き去りにして、十分な論議を尽くさずに導入を決定した政府の責任は大きい。
2010年12月28日
東京都議会がファシズムへの第一歩を踏み出す極悪条例案を可決したことを報じた14日の東京新聞は、戦前の言論統制を研究している児童文学作家の山中恒氏の意見を次のように紹介している; 過激な性描写の漫画やアニメを、18歳未満に販売できないように規制する東京都の青少年健全育成条例改正案。13日に都議会総務委員会で可決され、15日の本会議で成立する公算だが、言論界などには「権力による表現の自由への介入の第一歩」と懸念する声も強い。戦前も「子どもたちのために」と漫画が取り締まられ、言論統制の強化につながった歴史がある。「当時とよく似ている」という児童文学作家の山中恒さん(79)に聞いた。(出田阿生) 「あばれはっちゃく」などの作品で知られる山中さんは、戦時下の言論統制について研究を続けている。総務委で可決された改正案は「かつての少国民世代として恐ろしい」と感じるという。ちょうど新著「戦時児童文学論」で、戦前の言論統制の一環として漫画や児童書の規制が進んだ経緯を書いたばかりだ。 「当時は、夜店で表紙と中身が違うなどの粗悪な漫画が出回っていたから、誰もが『規制されても仕方ない』と思った」と山中さんは語る。 日中戦争が長期化の兆しをみせ、国家総動員法が施行された1938年。内務省警保局図書課は「児童読物改善に関する指導要綱」を出した。そのとき、小川未明ら著名な児童文学者も、「日本の青少年の健全育成のため」と規制に賛成した。 要綱は「過度に感傷的なるもの」など、事細かに規制の基準を定めた。たとえば、少女向けファッション誌の絵は「目が大きすぎて、現実離れしている」として禁止された。 「真の目的は、大衆出版最大手の講談社を統制の傘下に組み込むことだったのでは」と山中さんは推測する。講談社の絵本が発禁処分を受けた後、他社も損失を恐れて自主規制を始めたとみている。そして児童書は、国体主義を礼賛する内容に変貌していった。 「当局の顔色をうかがって、過剰に自主規制せざるを得ない方向へ持っていかれた。今回の都条例改正案にも同じ匂いを感じる」という。販売規制という『兵糧攻め』を恐れて、表現の自主規制が進む危険性は現代でも変わらない。 都の改正案で規制対象になる漫画のせい表現は、刑罰法規に触れるせい行為や近親者同士のせい行為。都側は「不当に賛美・誇張して描いた」場合に限るとするが、判断は審議会の主観に委ねられる。 「過激なせい描写の漫画を親に見せ、子どもの手が届く書棚にこんな本が並んでいると言いはやせば、親は驚く。特殊例を普遍化させるイメージ戦略」と山中さん。実際は、ビニール包装や「成人コーナー」への区分が義務付けられ、立ち読みできないシール止めも実施されている。厳しい規制に成人向け漫画の出版社倒産が相次ぐほどだ。 山中さんは「誰もが反対できない『きれいごと』を持ち出し、論点をすり替える。でも、これはせい描写の問題じゃない」。ネットでポルノ動画も見られる時代に、なぜ漫画だけを規制するのか。改正案の目的は「権力側が書いて良いことと悪いことを決める」以外の何物でもないと考える。 せい描写がダメなら、やがてアウトロー的なテーマの描写まで規制対象になるかもしれない。そうなれば、ヤミ金や詐欺師を題材にした人気漫画までも…。「もう一度歴史 振り返るべき」 山中さんは「日本の官僚は法令の拡大解釈にたけている」という。「俗悪漫画だから規制は仕方ない」から始まって、いつの間にか「言論統制の強化につながった歴史」を、もう一度振り返るときだと感じている。2010年12月14日 東京新聞朝刊 11版S 24ページ「漫画規制 戦前と似ている」から引用 権力が市民の自由を奪う手段はいつも同じで、最初は過激な共産主義者が弾圧されますが、市民は「自分は共産主義者じゃないから大丈夫」と油断します。すると次に労働組合が狙われます。それでも市民は「自分は労働組合は関係ないから大丈夫」と油断しているうちに、いつの間にか市民も弾圧される立場に立っていたというわけです。言論表現の自由も同じです。最初は、あんな「子供に見せられないようなマンガを描くやつが捕まるのはしかたがない」なんて思っていると、そのうち、普通の表現も規制される事態になります。道徳やモラルを権力が言い出したときは、必ずそのような下心があることを私たちは忘れてはいけません。※おことわり実際の新聞記事では「せい描写」は漢字で表現されておりますが、楽天ブログでは「書いてはいけない言葉」になっているため、ここでは漢字を使わずに表現しました。
2010年12月27日
11月下旬に韓国軍が朝鮮との国境近くで軍事演習を行ったとき、朝鮮軍が韓国領を砲撃するという事件があり、これを報道した日本のメディアは総じて、韓国側が何もしていないのに朝鮮軍がいきなり砲撃してきたのは不当であると、一方的に朝鮮側を悪者扱いする報道を行った。通常、この手の国際紛争について公正な報道をするには当事者双方の主張を客観的に報道する必要があるのに、日本のメディアはそのような姿勢を欠いていた。その辺の問題を、同志社大学教授でジャーナリストの浅野健一氏は、3日発売の「週刊金曜日」で次のように論評している;「これからの日本の対応によって、北朝鮮が日本を攻めてくることはあるか」。西海(ソヘ、黄海)の延坪(ヨンピョン)島一帯で南北朝鮮が砲撃戦を交えた11月23日、NHK「ニュースウオッチ9」で青山祐子キャスターが森本敏・拓殖大学教授にこう聞いた。それまで、「周辺海・空域における日米韓連携体制の強化」を強調していた森本氏も戸惑いを隠せず、「ないと思う」とだけ答えた。 同日のテレビ朝日「報道ステーション」では、古館伊知郎キャスターが「日本的に言うなら一家族のためにこういう動きが出ているので、改めて恐ろしくなる」と発言。27日の読売テレビ「ウェークアップ」で中田宏・前横浜市長は「北が日本にミサイル攻撃するかもしれないのに、政府はいまも集団的自衛権を認めない」などと強調した。 この一週間、テレビ各局には李英和(りヨンファ)関西大学教授、鈴木琢磨・『毎日新聞』夕刊編集部編集委員らが登場し、「北の脅威」と日米同盟の強化を訴えた。 テレビ朝日の番組が最も反朝鮮的だった。新聞でも『朝日』が《韓国市民「戦争」を意識》(24日国際面)などと煽った。27日の2面《時時刻刻》のリードは《北朝鮮の蛮行に、国際社会はどう対応するのか》と結んだ。29日の「天声人語」でも「蛮行」を使った。 24日の「天声人語」は《異様な国の暴挙》と題して、《いきなり韓国の大延坪(テヨンピョン)島を砲撃した》と指摘した。韓国政府や『朝日』の「北による奇襲」という主張は疑わしい。砲撃戦の背景に、今年3月に起きた韓国哨戒艇「天安(チョンアン)艦」沈没事件をめぐる対立がある。韓米は天安事件を理由に、7月に同海域などで大規模な軍事演習を行ない、日本の自衛隊もオブザーバー参加した。 『朝日』は同じ社説で、《米韓などの国際調査団は北朝鮮製の魚雷による攻撃だと鑑定した》と書いた。一方、箱田哲也記者は27日の紙面で、《韓国の世論調査では「哨戒艇沈没事件は北の仕業」と結論づけた最終報告書を信じない人が4割に上っていた》とさらりと書いている。 朝鮮側によると、韓国は砲撃戦の前日から、陸海空軍による全国的規模の軍事演習「2010護国」(11月22日から30日までの予定)を敢行していた。7月以降、2度目となる米韓連合軍事演習は、沖縄駐留米海兵上陸機動部隊を含む7万余人の兵力、500余の戦闘機、50余隻の戦闘艦船を参加させた「対北軍事演習」だった。 米原子力空母ジョージ・ワシントン号を主軸とする合同軍事演習が11月28日始まったが、米空母などの参加は当初から計画に組み入れられていた。 朝鮮は訓練期間、延坪島において実弾砲射撃が計画されていることを知り、前日の抗議に続き23日午前8時20分に、電話通信文で「護国訓練はわが国に対する攻撃」と抗議しながら訓練の中止を要求し、「領海に砲射撃をしたときは座視しない」と警告した。韓国軍は警告を無視し、同日午前10時から領海訓練を開始し、韓国側が午後1時に第一次砲射撃を行なった。 日本のテレビ局のカメラが島に入り、砲撃の被害の模様を映像付きで報道した。また犠牲になった兵士の葬儀を伝えた。 24日の『毎日』によると、《(韓国軍は)北朝鮮黄海南道の海岸砲基地からの攻撃とみて約80発の砲撃で応戦し、日本政府関係者によると、北朝鮮側にも被害が出たとの情報がある》という。韓国側の砲弾で朝鮮の民間人に被害はないのだろうか。記者が入国できず、自由な取材が不可能だから、全く無視していいというわけではないと思う。2010年12月3日 「週刊金曜日」826号 「メディアと人権-日本メディアの『奇襲的砲撃』は捏造だ」から引用 この記事が述べているように、日本のメディアの情報源はアメリカと韓国から出てくる恣意的な情報に限られているので、我々はよほどの注意を払って情報収集しないと、「朝鮮は悪者」という意図的な情報で洗脳されてしまう危険性が大きい。朝鮮は、韓国軍が国境付近で軍事演習を計画するたびに抗議声明を出しており、11月下旬の軍事演習の計画に対しても重大な警告を出していたのは、上の記事が述べているとおりである。この点を無視して「朝鮮悪者論」を主張するのは、米韓の悪事に加担するのと同じである。
2010年12月26日
東京都議会は民主政治に対する認識を欠いた民主党議員の軽挙妄動の結果、表現の自由を規制するという、あり得ない条例案を可決した。都議会が愚劣な評決を行う前の8日の東京新聞は、問題点を次のように指摘していた; 東京都青少年健全育成条例改正案が再び、12月議会に提出された。今春「非実在青少年」なる『珍語』で評判になった改正案だ。今回はこの言葉を削り、内容も緩和されたと流布されている。だが、中身をよく読めば、変わらない。「むしろ表現の自由を侵害する危険は増した」という声すらある。 (出田阿生) 前回の改正案は3月議会で継続審議とされ、6月議会で否決された。『非実在青少年』とは漫画やアニメなどに登場する18歳未満にみえる登場人物を指す。前回案はこの架空人物のせい行為表現を規制する趣旨だった。 今回の改正案はどう変わったのか。今回は『非実在』が消え、強かんや公然わいせつなど「刑罰法規」に触れるせい的行動や「近親相かん」の表現が規制対象に挙げられた。 漫画家のとり・みき氏は「改正案はワナだ」と断言した。レイプシーンなどを子どもに見せたくないという親の心情は一般的だ。しかし、そうした図書は現行条例で書店でも成人向けコーナーなどに隔離されている。 とり氏は現行条例や出版界自らの対応ですでに規制済みと説明、「新たな条例を設けるのはおかしい」と強調した。 これをどう解釈すべきか。6日夜、東京都中野区内で催された「都青少年健全育成条例改正を考える会」のシンポジウムで、主催者の一人である山口貴士弁護士は「前回よりも規制対象が拡大している。架空の登場人物が成人でも、その人物が法に触れる性的な行為をしたりする表現があれば、この規制にひっかかりそうだ」と指摘した。 例えば、古事記のイザナギ・イザナミの国産み神話も、見方を変えれば兄と妹の近親相かんの話になる。「こうした古典やSFはどう扱うというのか。1巻で近親相かんとされ、10巻で実は血のつながりはないと分かる物語はどうするのか」 漫画家のとり・みき氏は「改正案はワナだ」と断言した。レイプシーンなどを子どもに見せたくないという親の心情は一般的だ。しかし、そうした図書は現行条例で書店でも成人向けコーナーなどに隔離されている。 とり氏は現行条例や出版界自らの対応ですでに規制済みと説明、「新たな条例を設けるのはおかしい」と強調した。 シンポジウム会場には約1500人が詰めかけ、参加者はロビーにあふれ出した。だが、改正案の可否では前回反対だった民主党都議の一部が賛成に転じそうな雲行きだ。 この転換には、PTAの力も少なからず影響したとみられる。そのPTAに対する都側の働きかけについて、明治大の藤本由香里准教授(マンガ文化論)はある小学生の親の「体験」を紹介。都職員が「18禁」(18歳未満は禁止)マークのある作品を野放しになっているように示して、説明したという。藤本准教授は「条文の説明も不十分だったようだ。こうした都の誘導で、親たちが改正反対の都議らを批判しているとしたら見過ごせない」と話した。 改正案では、規制対象を強かんや近親相かんなどを「不当に賛美」「誇張」した描写や表現に限定するとしている。しかし、不当か否かの判断に客観的な尺度などない。 日本弁護士連合会は会長名の反対声明で「定義は曖昧で不明確。結局は正当な表現の自由を侵害する恐れがある」と批判。シンポジウムでも、元週刊誌編集長の鈴木力氏が「国旗・国歌法案の際も、故小渕首相は『強制はしない』と言明していた。それが今、どれほどの東京都教員が『日の丸・君が代』で処分されているか」と警告した。 石原慎太郎都知事は3日、改正案に関連し「テレビにも同性愛者が平気で出てる。日本は野放図になり過ぎている」と述べた。改正案の真の狙いも、こうした発言の延長線上にありそうだ。2010年12月8日 東京新聞朝刊 12版 22ページ「都の青少年健全育成条例改正問題」から引用 権力が人々を支配するには、人々の言論表現を規制しなければならない。しかし、人々は馬鹿ではないから、自由を規制されると抵抗する。その抵抗をかわして屈服させる手段として、権力は「子どもにこんな忌まわしいものを見せていいのか」と感情に訴えてPTAのようなものを洗脳にかかるわけである。しかし、「子どもにこんなものを見せていいのか」などということは、本来、行政から言われる筋合いのものではない。子どもの教育は親が責任を持ってするもので、行政から「このように育てろ」とか「こういう育て方はおかしい」とか言われる筋合いのものではない。したがって、子どもに見せられないような漫画が、子どもの手の届くところに置かれていたら、親やPTAがそのような商品陳列をする店に抗議して改善させるのが筋であり、そんなことに行政が口を差し挟むべきではない。 にもかかわらず、石原都政が何故ろくでもない条例を作ったかと言えば、それは言論表現を統制しようという邪な目的があるからにほかならない。都民は、次回の都知事選で石原を落選させて、次の知事のもとで愚劣な条例を廃止するべきだ。 それにしても、石原慎太郎自身、この先大した寿命もないのに、今さらこんな条例を作って、自分で何ができると思っているのだろうか?
2010年12月25日
政府が防衛大綱に武器輸出三原則の見直しを盛り込むことを断念したと、8日の東京新聞が報道している; 政府は7日、年内に策定する「防衛計画の大綱」(防衛大綱)と併せて議論していた武器輸出三原則の見直しを防衛大綱に盛り込むことを断念した。仙谷由人官房長官、前原誠司外相、北沢俊美防衛相ら関係閣僚は当初、明記の方向で合意し最終調整に入っていたが、菅直人首相が見直しに反対する社民党との連携を重視する方針を打ち出したため、一転して見送ることになった。 ただ、政府内には、現在は米国以外の国とは禁じられている国際共同開発・生産への参加を解禁する必要があるとの意見が根強い。 首相は同日午後、武器輸出三原則について「紛争地域に武器を輸出して、より激しい戦闘につながるようなことは避けなければいけない。基本理念はしっかり守りたい」と記者団に述べた。 仙谷氏も会見で「武器輸出三原則が何を指しているかというところから議論しないと意味がない」と慎重な姿勢をみせ、北沢氏も社民党への配慮が必要との考えを示した。2010年12月8日 東京新聞朝刊 20ページ「武器三原則 防衛大綱での見直しを断念」から引用 武器輸出三原則は1967年の佐藤首相の国会答弁が基になって出来たもので、1981年には衆参両院本会議が、政府に武器輸出三原則のための実効ある措置をとるよう全会一致で決議したものである。これに対して、その後のアメリカ政府は産軍複合体の利益を確保する立場から、日米の防衛産業同士が自由に合併・買収できる環境が必要だなどと圧力をかけてきており、これに迎合するのが前原誠司や北沢俊美とその他防衛省官僚である。国会が全会一致で可決した三原則を、一部の政治家と官僚の利権のために曲げるなどということは、国益に反する事態である。わが国は、今後とも憲法9条の観点から武器輸出三原則を堅持するべきである。
2010年12月24日
菅内閣が防衛大綱に武器輸出三原則の見直しを盛り込む方針を決めたことについて、6日の東京新聞「筆洗」は次のように述べている; 現実主義者らしい決断をするのか。それともあくまでも理想を守ろうとするのか。首相の判断次第で、政権のタカ派的な本質がはっきりとする重大な局面が近づいている。 政府は、年内に策定する防衛大綱に武器輸出三原則の見直しを盛り込む方向で最終調整に入ったという。平和国家の理念より、防衛産業の代理人になったかのような政権の姿には、失望するばかりだ。 三原則見直しを提言したのは党の外交・安全保障調査会。仙谷由人官房長官、前原誠司外相、北沢俊美防衛相が協議し、提言の基本的な方向性を尊重することで一致したという。 兵器の国際共同開発・共同生産という潮流に乗り遅れ、技術的な鎖国状態になるとして、三原則見直しを強く求めてきたのは防衛産業だ。特定の業界を保護するために理念を捨てるということなのか。 世界的な流れといっても「共同開発とは名ばかり。米国が友好国からカネだけ集める奉加帳方式」との自衛隊幹部の本音(4日付「核心」)もある。肝心の米国との共同開発や技術供与は、すでに三原則の例外扱いである。 かつて、小欄で「自民党時代より前のめりになっているのではないか」と書いた。軍縮をリードする資格を有する国が、理念を捨てることは果たして国益にかなうのか。連立を持ち掛けたい公明党は慎重姿勢という。すべては菅直人首相の腹一つである。2010年12月6日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 あの自民党政権でさえ、武器輸出三原則の見直しには慎重であった。多くの国民も、民主党がまさかここまでタカ派の本質を隠していたとは知らなかったのではないか。我々は政権党の選択を誤ったのかもしれない。 しかし、幸いなことにその後民主党は種々のいきさつから社民党の意向を無視するわけにもいかない事情があって、結局この度の防衛大綱には、そのような国是をないがしろにするような文言は書き込まないことになった。社民党の面目躍如である。次回の選挙ではぜひ社民党の議席が増えることを願う。
2010年12月23日
満州で生まれて、敗戦のため日本に移住した高尾翠(たかおみどり)氏は、戦後の日本で看護師の仕事をしながら定時制高校と通信教育の大学を卒業し、戦前の日本軍が起こした「平頂山事件」の研究者としても知られている。11月27日の朝日新聞夕刊は、次のように書いている; 「写真を振るから集まれ。日本軍にそう言われて、たくさんの村人が、がけの下の現場に集まりました。黒い布が取り払われて、下から出てきたのはカメラではなく、機関銃でした」 85歳の中国人女性、楊玉芥(ヤンユイフェン)が10月2日、東京・月島のホールで「平頂山事件」について証言した。 1932年9月16日午前、旧満州(中国東北部)・撫順の平頂山地区で、日本軍は、3千人ともいわれる多数の住民を虐殺した。日本が管理する撫順炭鉱が抗日ゲリラに襲撃されたことに対する報復だった。 火を噴く機関銃。人々は悲鳴をあげながら逃げまどい、折り重なって倒れた。 楊の家族は父母と妹の4人だった。楊は父の、妹は母の体の下に隠れて無事だった。父も幸いけがですんだが、母は二度と立ち上がらなかった。 230人を集めたホールの客席に、平頂山事件を研究してきた高尾翠(たかおみどり、73)の姿があった。 高尾は、日中戦争が全面化した37年、満州の吉林省に生まれた。父は南満州鉄道(満鉄)の職員で撫順駅に勤務。39年に山東省の済南に移った。 高尾が6歳のころだった。自分と同じ年格好の女の子が、生まれたての赤ん坊を抱いて道端で物ごいをしていた。高尾の母が何か話しかけると、女の子が言った。 「この子が死にそうだ。何かくれ」 母が小銭を渡した。 なぜ日本人は豊かで、中国人は貧しいのか。疑問に思って高尾は父に尋ねた。父が言った。 「日本は一等国、中国は四等国だからだ」 同じころ、こんなこともあった。大通りに面してごま油をしぼる作業所があった。自分と同じ年頃の女の子が、ひどくせき込みながら背中を丸めて作業をしていた。 その顔を高尾は2、3メートル離れたところからのぞき込むように見た。その瞬間、近くにいた女が険しい顔つきで高尾にツバをはきかけた。母親らしかった。 こっちを見るな! そう言いたいようだった。監督の男が女をむち打った。 いま、高尾は言う。 「あの母親は、私のような小さい子どもが娘をばかにしたと思って腹を立てたのでしょう。確かに私を含めて日本人は中国人をばかにしていました。私はあの女性の刺すようなまなざしが忘れられません。この記憶を大切にしたいと思っています」 戦後46年に日本に帰った高尾は、中学を卒業した後、福岡県久留米市にある久留米大学病院に勤務する。看護師の仕事をしながら定時制高校を卒業。93年に慶大文学部の通信課程に入った。自分が生まれた満州とは何だったのか。働きながら学び、論文にまとめたいと考えた。 2000年、中国を旅行し、平頂山事件の記念館を見た。現場跡に横たわるおびただしい数の人骨。家族なのだろう、子どもの骨に覆いかぷさるように母の骨、父の骨があった。 平頂山事件を卒論のテーマに決めた。しかし、資料も先行研究もほとんどなかった。 東京地裁では96年から、平頂山事件の被害者3人が日本政府に損害賠償を求めて起こした裁判が続いていた。 それを知った高尾は、年に4、5回開かれる口頭弁論を、2000年秋から毎回、傍聴した。朝一番の飛行機に乗ると、開廷に間に合った。被害者本人の証言などが研究上の何よりの資料となった。 05年、高尾は論文を書き上げた。さらに加筆、再構成した論文が「天皇の軍隊と平頂山事件」(新日本出版社)のタイトルで公刊された。 一方、裁判は東京地裁、高裁とも敗訴。最高裁は06年、上告を棄却した。しかし、弁護団はその後も日本政府の謝罪を求めて証言集会などを続けている。 10月の集会で体験を語った場は、元中国帰還者連絡会事務局長の高橋哲郎(たかはしてつろう、89)と握手した。降壇した楊が筆者に言った。 「夜、眠れないときなど、あの日の光景が鮮明に蘇(よみがえ)ってきます」 事件から78年。傷はなお癒えない。 (上丸洋一)2010年11月27日 朝日新聞夕刊 1ページ「語り継ぐ戦場8 今も蘇る虐殺の光景」から引用 日中戦争の後始末は、70年代の田中角栄内閣のときに、日中国交正常化交渉が行われ、そのときの両国政府の合意では、中国は日本に対し戦争被害の賠償を請求しないという合意がなされたが、それはあくまでも政府間の合意であって、被害を受けた中国の民間人は考慮に入っていない。したがって、中国の戦争被害者に損害賠償を請求する法律的根拠はないが、そうかと言って民間の戦争被害者をそのまま放置してよいはずがない。何らかの誠意を示してけじめをつける責任が、日本政府にはある。日本の最高裁もそのような意見である。日本政府はいつまでもこの問題を放置していいはずがない。
2010年12月23日
本年5月に鳩山前政権が、普天間飛行場の県外移設を断念したことは、アメリカに対する第二の敗戦であるとする政治学者、篠原一氏の意見を、11月26日の朝日新聞夕刊が次のように紹介している; 忘れかけていた言葉に出会った。「第二の敗戦」という比喩(ひゆ)である。 ベテラン政治学者の篠原一氏(85)は、雑誌「世界」11月号に寄せた論考「トランジション 第二幕へ」でこう述べた。 「私はあの5月末の(日米)合意は、日本の第二の敗戦だったと思っています」 鳩山前政権が今年5月、米軍普天間飛行場(沖縄県)の国外・県外移設を断念する決定をしたことへの感想だった。 敗戦-第2次世界大戦の記憶を、今なぜ呼び起こすのか。雑誌で語られなかった答えを求めて取材をした。進歩派として知られる篠原氏は、次のように語った。 米国による占領とも言える現状を脱するには最低限、自国内にある米軍基地を「動かす」必要がある。その意味で今回、国家の最高責任者が「最低でも県外」と初めて本格移設を掲げ、海兵隊が沖縄にいる意味にも疑問を投げかけた。だが国民は既成事実に追従し、首相も結局は……。 戦後体制の根幹にかかわる改正をめぐって政府も国民も屈服した、との認識だろう。 「第二の敗戦」という表現は1990年代後半に注目された。多くの論者が語ったが、篠原氏のように安全保障の文脈で使った人は実は少なかった。経済の失速や不況を背景に、主に経済敗戦の意味で語られてきたのだ。 安全保障の視点を含めて「敗戦」と断じた少数例として知られるのは、文芸評論家の江藤淳氏が生前、文芸春秋の98年1月号に寄せた「日本 第二の敗戦」だろう。 保守派の論客だった江藤氏は、97年の日米新ガイドライン合意を取り上げ、全国の自治体や民間機関が米軍に協力させられていく流れを憂えた。それは「もう一度日本が軍事的な空間として、全面的にアメリカの空間に取り込まれる」ことを意味するのだ、と。 氏はその際、沖縄にも触れていた。日米の「停戦ライン」は戦後、沖縄に置かれてきた。だが新ガイドラインにより停戦ラインは「本土、更には北海道にまで移動させられた」-との表現で。 12年の年月と保守/進歩の立場を超えて共振する二つの「敗戦」。そこからは「占領と独立の問題に直面させられているのは沖縄だけではない」との示唆も読みとれるように思う。沖縄/本土という二項対立的な言説が存在感を増しつつある中で、国家の自立性という原点への注意を促す現象に見えた。 (塩倉裕)2010年11月26日 朝日新聞夕刊 4版 13ページ「共振する『第二の敗戦』」から引用 篠原一と江藤淳では正反対の立場にある人たちのように思われるが、両者とも「第二の敗戦」という同じ表現を使うということは、やはり日本国内に米軍基地が存在するのは異常な事態であるという意味であろう。 鳩山前首相の「最低限県外」との発言が、そのような異常事態を改善するのだという重大な意味を含んでいたのであれば、鳩山氏はもっと慎重に、事前の準備を行い根回しをして、国会の内外で十分に議論を尽くして、全国民を味方につけてアメリカに対峙するべきであった。それが、実際は鳩山氏一人が「県外移設」を言うばかりで、外相も防衛相も異なる発言をし、メディアは高見の見物をするだけというのでは、アメリカに「敗戦」するのは当たり前だ。 そんなに重大な「闘い」だったら、国民はもっと強力にサポートしたはずだったのに、終わってしまってから「あれは第二の敗戦だった」などと言われても、今さらどうにもならないが、沖縄県は今回「県外移設」を主張する知事を選出したのであるから、政府も地元の民意を尊重して「県外移設」のために努力するべきだ。
2010年12月21日
元外務省主任分析官の佐藤優氏は、仲井真氏を知事に再選した沖縄と普天間飛行場問題について、3日の東京新聞コラムで次のように述べている; 11月28日の沖縄県知事選挙で現職の仲井真弘多氏が再選された。沖縄県以外の報道を見ていると選挙の争点が普天間問題であるかのごとき勘違いをしてしまう。普天間問題は争点でなかった。なぜなら仲井真氏も次点の伊波洋一氏(前宜野湾市長)も米海兵隊普天間飛行場の移設先は沖縄県外との公約を掲げていたからだ。伊波氏が移設先を国外とし、日米安保条約の抜本的見直しという最大限綱領をたてたのに対し、仲井真氏は移設先は沖縄県外の日本国内と主張したものの具体的移転先とか抑止力が担保されるかなどという細かい問題には立ち入らず最小限綱領をたてた。沖縄県の有権者は「移設先は沖縄県外」という最小限綱領を選択したのだ。 菅直人政権はこの現実を冷静に認識し、政策を策定すべきだ。東京の政治エリート(国会議員、官僚)は、未(いま)だに仲井真氏が普天間飛行場の辺野古崎周辺(沖縄県名護市)への移設容認に立ち返る可能性があると勘違いしているようだ。しかし、最小限綱領を破ることになれば、仲井真氏の政治生命が絶たれる。狡猾(こうかつ)な官僚は、経済振興カードで沖縄を脅し仲井真知事が辞任と引き換えに辺野古受け入れをするというシナリオを菅政権中枢に囁(ささや)くと思う。このような民主主義を愚弄(ぐろう)するシナリオをとると沖縄のマグマが爆発し、菅政権の命取りになる。(作家・元外務省主任分析官)2010年12月3日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-最小限綱領」から引用 今回の県知事選挙では、仲井真氏は普天間飛行場を県外に移設するという公約を掲げて当選したわけであるから、これが沖縄の民意である。それを、経済振興カードで脅し知事の辞任と引き換えに県内移設をごり押しするのであれば、それは民主主義に反する暴挙である。政府は地元の意志を尊重し、沖縄県以外に飛行場の受け入れ先が無いことが明らかな場合は、米軍にその旨伝えるべきである。もともと橋本内閣が普天間飛行場撤去を合意したときは、県内移設などという条件は付けていなかったのであるから、米軍の意向を過剰に忖度する必要は無い。
2010年12月20日
3日の東京新聞にも、菅内閣が朝鮮学校に対する「高校無償化」適用の手続きを停止したことを批判する投書が掲載された。この投書の主は朝鮮学校の公開授業を参観したことがあり、その経験を踏まえて次のように述べている; 私は、11月25日付本紙の「朝鮮学校の無償化 首相が保留指示」という記事を読んで、「なぜだ?」と疑問がわきました。確かに、今回の北朝鮮の砲撃は絶対許されないものですが、朝鮮学校で学んでいる生徒たちに直接の責任はありません。 先日、私は横浜の朝鮮学園の公開授業参観で授業を見ましたが、「日本語」の授業では、中学生が「今昔物語」を学んでいました。彼らにすれば、おじいさんやおばあさんたちが連れてこられて住むことになった外国である日本文化を歴史的に学んでいる姿と、「日本との懸け橋になる」との志に私は感動しました。 そんな彼らに、日本政府の方から新たな差別を持ち込むことは、その政府をいただいている国民としてとても恥ずかしいと思ったのでした。 ぜひ、今回の保留措置をやめていただくよう望むものです。2010年12月3日 東京新聞朝刊 5ページ「発言-無償化保留 恥ずかしい」から引用 菅政権も支持率向上のために、藁をもつかむ気持ちで「毅然たる態度」を示したつもりかもしれないが、よく考えれば、責任の無い弱い立場の者を権力を笠にきて差別するという、サイテーのことをやってるだけである。こんなお門違いをやってるのでは、支持率向上どころか、返って逆効果である。無償化適用手続きの一時停止は即刻解除するべきである。
2010年12月19日
戦争中に朝鮮で生まれ、敗戦後日本に渡った読者が、11月16日の朝日新聞に次のような投書を寄せた; 私は朝鮮半島の黄州で生まれた。45年4月ごろ、両親が「そろそろ内地に帰ろうか」と話していた。国民学校3年生だった私は「初めてふるさとに帰れる」と喜んだが、関釜連絡船が不通になり夢は消えた。 ある日、近所の朝鮮人の家から「アイゴー」と泣き叫ぶ声が聞こえた。よく遊んでくれた朝鮮人のお兄ちゃんで、「チョウヨウされて内地に連れて行かれる」というのだ。私は「内地に行けるのになぜ悲しむの」と不思議だった。 「チョウヨウ」が「徴用」だったこと、多くの朝鮮の人が意に反して内地に連れて行かれていたことを知ったのは戦後だった。あのお兄ちゃんもどんな思いで玄界灘を渡ったのかと思うと、胸が痛む。 そして終戦を告げる8月15日のラジオ放送。朝鮮人の家からは「マンセー(万歳)」の声が響き、日本人の生活は一変した。私たち一家は38度線を歩いて越え、あとは鉄道で釜山に着いた。引き揚げ船興安丸に乗り、11月に無事内地の土を踏むことができた。2010年11月16日 朝日新聞朝刊 14ページ「語り継ぐ戦争-徴用に泣く朝鮮人兄ちゃん」から引用 朝鮮を植民地支配した時代の一側面である。戦争に対する理解に乏しい戦後生まれの者の中には、「徴用」は朝鮮人だけではなく遍く国民に適用されたものだから、当時の朝鮮人だけを特別扱いするのはおかしい、などと愚かな見解を臆面もなく口にする輩を時折見かけるが、そのような一面的な理解では、被害者の痛みを理解することができない愚かな加害者の域を脱することはできないであろう。
2010年12月18日
朝鮮軍が韓国の領土を砲撃したことに対する対抗措置として、朝鮮学校への「高校無償化」適用手続きを一時停止した菅内閣を批判する投書が、2日の東京新聞に掲載された; 先日韓国を旅したので、仁川空港から目と鼻の先の島が北朝鮮に砲撃されたことに驚きと恐怖を禁じえない。 しかし、もっと驚いたのは、この暴挙に対して、政府が朝鮮学校の高校無償化の適用手続きの一時停止を表明したことだ。「対抗措置」というが、本当にそうなのだろうか。 実際は、日本にいる生徒をターゲットとし、差別するということではなかろうか。北朝鮮の事件があるとただでさえ朝鮮学校生徒はいじめに遭う。しかし私たちと同じ情報の中で生活をしている生徒がほとんどだ。 こうした生徒たち、いわば立場の弱い者を事実上ターゲットにしてよいのか。いじめを誘発しかねないし、さらにこの「差別」は、彼らをいわば北に追いやる結果を招きかねないだろう。2010年12月2日 東京新聞朝刊 12版 5ページ「発言-対抗措置は生徒差別に」から引用 朝鮮軍の行動について、朝鮮学校の生徒は責任を問われる立場にはない。以前は、朝鮮政府が何か問題を起こすと日本の一部右翼暴力学生が朝鮮学校の生徒にいやがらせをする事件がよく報道されたものであったが、菅内閣の今回の対応は、その暴力学生レベルの愚劣な行動というほかない。菅内閣は恥を知るべきだ。
2010年12月17日
外事警察の機密文書がインターネットに流出した事件について、11月30日の東京新聞は次のように述べている; 間もなく年の瀬だ。この一年、新聞は「リーク」に揺れた。年頭は民主党の小沢一郎元代表をめぐる検察のリーク問題。酷暑の後は、海上保安庁のビデオと外事警察作成とみられる機密文書がインターネット上にばらまかれた。 ■怯える「協力者」 リーク自体は目新しくはない。記者の糧である内部告発や夜回りで得た情報もリークと括(くく)れる。ただ、そこには偽物も毒入りも混ざる。だから検証し、よく選んでから料理する。テーマはそれぞれ違っても、味のベースは「権力の監視」に尽きるだろう。 とはいえ、ネット上での機密拡散は前代未聞の現象だ。海保のビデオについてはあれこれ議論されているので、ここでは外事警察関連の機密文書について考えてみたい。 文書は140点。この数はイスラム教の聖典コーランの章数と同じである。まずは本物なのか。文書に記された「対象者」に聞くと、事情聴取の日時、内容とも事実だと分かった。本物とみてよい。 文書からは礼拝所を訪れたイスラム教徒を尾行し、深夜まで「任意に」事情聴取し、別件逮捕も当然という警察の無軌道ぶりがうかがえる。 対象者家族の氏名、年齢、通勤通学先、結婚の経緯、給与などの個人情報に加え「通報者と思われたら、子どもまで殺される」と怯(おぴ)える「協力者」の素性まで流出されてしまった。この責任の所在は明らかにされねばならない。 ■イスラム敵視政策 もっと深刻な意味が文書からは読み取れる。それは無知に基づく警察のイスラム圏への敵視政策だ。例えば、57カ国・8組織を擁するイスラム諸国会議機構(OIC)の出身者は、すべて監視対象として扱われている。 テロリストを見分ける着眼点なる項目もある。「礼拝を欠かさず、宗教的行事にまめに参加する」「飲酒はせず、ハラールフード(戒律に従った食品)しか口にしない」「欧米、イスラエルの批判をする」。アラブの街角なら普通のまじめな市民の条件だ。 米ブッシュ前政権の対テロ政策とうり2つにみえる。米国のそれはイスラム圏の怒りを増幅させ、逆に事態を悪化させた。オバマ政権はその後始末に懸命だが、外事警察はまだ誤りに気づいていない。 ■権力監視に生かせ 従来、外事など公安警察の活動は厚いベールに覆われ、政治家もメディアも実態の解明や批判に及び腰だった。 今回のリークはそうした水面下での警察の暴走を露(あら)わにした。流出者の意図などに議論の余地はあるとはいえ、これを歓迎しない手はない。 新型であれ、料理の仕方は従来と同じはずだ。要は情報を「権力監視」に生かすか否か。読者の皆さんからの新聞批判もそれへの激励と受け止めている。 (特別報道部)2010年11月30日 東京新聞朝刊 22ページ「メディア観望-リークを歓迎する」から引用 尖閣諸島沖の漁船衝突映像が流出した事件に比べると、外事警察の捜査記録が流出した事件は、犯人が不明であることに加え、情報量が多く、しかも警察が理由もなくイスラム教徒を犯罪者予備軍であるかのように見なしていることがあきらかになったという点でニュース価値が高い。権力の監視に生かすべきである。
2010年12月16日
内輪の会合で冗談を言ったつもりが、野党の総攻撃で辞任せざるを得なかった法相の一件について、ささいなことで大騒ぎする国会議員の見識の無さを批判する投書が11月23日の朝日新聞に掲載された; 「失言」を問われていた柳田稔法相が辞表を提出、受理されましたが、この間の一連の騒ぎには疑問があります。 内輪の集まりでジョークを飛ばしたつもりが野党に揚げ足を取られただけのことで、国会全体がそれを糾弾する空気に染まるのはおかしいと思います。「答弁は二つ覚えておけばいい」と発言したとしても、実際にはそれですべてが尽くされるわけではないことはだれもが知っています。 民主、自民を問わず、野党になると政権欲しさからか、ささいなことにもかみ付きますが、これこそ国会軽視ではないでしょうか。 1997年、足をけがしたクリントン米大統領が報道官の代わりに突然会見場に現れ、「彼も転んでけがをした」と発表、報道官自身も松葉づえで登場するという、エープリルフールのジョークを演じました。このエピソードに心が和んだのを思いだします。 ジョークまで問題にするような、ゆとりのない人間関係では、良い仕事ができないことを私たちはもっと知るべきでしょう。2010年11月23日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-大臣はジョークも言えぬのか」から引用 柳田法相を辞任させた一件も、仙谷官房長官を問責決議したのと同じように、我々の税金で養っている国会議員が、時間を割いて取り組む仕事だったはずがない、実にレベルの低い話である。些細なことで騒ぐばかりで、ろくな仕事ができていないのは事実だから、この投書が指摘する「良い仕事ができない」ことは証明されているわけだ。
2010年12月15日
近頃の国会の討議のあり方を、痛烈に批判する投書が11月23日の朝日新聞に掲載された; 参院予算委員会のテレビ中継を終日見ていて、質疑する側も答弁する側も、「未熟」といわれても仕方がないのでは、と思った。 たとえば仙谷由人官房長官の「暴力装置でもある自衛隊は」という発言。仙谷氏の肩を持つわけではないが、これは「武力を行使できる組織なので、まかり間違えば暴力装置となりうる自衛隊は」とでも言うべきところが、言葉足らずになったのに違いない。 しかし、たとえば自民党の丸川珠代議員はその言葉尻をとらえ、「国防に命をかけ、国際貢献に汗をかいている自衛隊に対して失礼極まりない」「暴力装置という言葉は、平和憲法を否定し、シビリアンコントロールを否定する言葉だ」と声を荒らげて詰め寄っていた。 最近、日本を背負っていくべき自民党の若手幹部らの質疑に、「ヒステリック症候群」とでも称すべき態度が散見されるのが気になっている。何度も「国民の皆さんに謝罪せよ」と絶叫する。たびたび審議は中断する。揚げ句の果て「謝って済むと思っているのか」だ。国民の代弁者気取りの「いじめ質疑」は政治パフォーマンス以外の何物でもない。真に国民の役に立つ質疑、そして熟考された答弁を期待する。2010年11月23日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-冷静な質疑と熟考した答弁を」から引用 この投書が述べるように、近頃の政治家の発言は幼稚で見識に欠ける場合が多々見受けられる。世間では不況で低所得にあえぐ庶民がおり、卒業しても就職の見込みがない学生・生徒がいるのだから、一日も早く労働者派遣法を改善し、その他不況対策を施すことが必要であるにも関わらず、相手の言葉尻をとらえるとか、揚げ足をとるようなことで自分が目立てばいいというだけの輩が多すぎる。自民党が小泉純一郎を担ぎ出したころから顕在化した現象であるが、政権交代すれば解消されるだろとう思ったら、とんでもない、まだ継続していたとは呆れた話だ。早く立ち直ってほしいものである。
2010年12月14日
ジャーナリストの吉田有里氏は、11月26日の「週刊金曜日」で、自衛隊を暴力装置と発言し謝罪した仙谷官房長官やその発言を問題視した菅首相を批判して、次のように述べている; 次から次へと問題が噴出。政権の「実力」が問われている。しかし、国民の評価は非常に厳しい。自治体選挙では、民主党の候補が軒並み落選している。 日本の国のガバナンスが崩壊しているのではないかという危機感をもっている。この間の問題への対処からは、政権の「原則」「方針」が全く示せていない。菅直人首相、仙谷由人官房長官の責任は非常に重い。 蓮肪内閣府特命担当大臣による国会内ファッション撮影。蓮肪大臣の発言は、自民党議員が国会で何度も問いただすほどの問題ではない。国会議事録で後世に残すのも恥ずかしいくらいのレベルで、国会外で謝罪させ、国会で議論するほどのことではないと斬り捨てるべき低レベルの問題だ。 一方、仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」という発言。こちらはなぜ謝罪しなければならないのか。自衛隊は暴力装置そのものであり、だからこそシビリアン・コントロール(文民統制)が必要なのではないか。にもかかわらず、なぜ謝罪するのか。菅首相は「やや問題があった」と答弁。その「やや」は何なのか、さっぱりわからない。これでは、シビリアン・コントロールどころか、防衛省はつけあがってしまうばかりだ。 その「暴力装置」 の一つである海上保安庁の職員が、職務上知りえた捜査資料を勝手にインターネットに流すに至っている。頭を深々と下げ、「一人ひとりが見て、考え、行動してほしかった」と主張する海上保安庁職員を厳正に処罰できないようでは、この国は漂流してしまうだろう。 以前にも何度か書いてきたが、グローバル化の中、財政が悪化し、高齢化がすすむ日本が、政権交代によって、自民党政権ではできない新たな国家の方向性を示し動き出せるのかが期待された。 国民にとって、政治の判断は、年金、雇用、福祉……とどれも「死活問題」だ。しかし、いまの「混乱」は産みの苦しみとはかけ離れた、ただの「混乱」であり「漂流」だ。民主党政権は、「政治主導」と言いながら、過去の自民党政権のやり方に追従しているようにしか見えない。その政権運営に、国民は失望している。 柳田稔法務大臣(当時)の発言も、大臣職にある者の低レベルさに、国民は呆れ果てている。やっと辞意を表明したが、この人に、死刑の実施が託されていたのだ。 これら一連の問題への対処で、何を譲り、何を通すのか、全くわからない。「原則」が見えない。 いずれにしても「ねじれ国会」。政権与党が頭を下げているようには見えないが、下げるばかりでも「ねじれ」は乗りきれない。補正予算案や法案も、主たる「骨」を抜かず、しかし、野党の案を大胆に採用し、法案そのものが「人質」になるようなやり方をとっていかなくてはならない。 しかし、その「骨」が問題だ。原則のない「軟体政党」では、この厳しい状況を乗りきれないことを民主党所属国会議員には、よく考えていただきたい。「解散」という言葉がチラホラ聞こえ始めている。自民党政権には戻せない。しかし、そうなれば、国民は、どこに何を託せばいいのか。国政の闇は深まるばかりで、一向に出口が見えない。この漆黒の閉塞感のあとの国民の「過激な」選択が最も怖い。2010年11月26日 「週刊金曜日」825号 11ページ「吉田有里の政治時評-自衛隊は暴力装置そのもので だから文民統制が必要なのだ この発言の何が問題なのか」から引用 吉田氏が指摘するように、現政権のあり方には疑問と失望が山ほどある。こんな民主党には任せられないとは言うものの、かと言って自民党に戻すわけにもいかない。国民の疑問や失望が怒りとなって爆発する前に、体制を建て直し、確固たる国の進路を確立してほしいものである。
2010年12月13日
自衛隊は暴力装置であると発言した仙谷官房長官が謝罪させられたことについて、11月22日の朝日新聞投書は次のように述べている; 私は民主党支持者でも自民党支持者でもなく、仙谷由人官房長官に利害関係もないが、仙谷氏の「暴力装置」発言は全く問題がなく、騒ぐ方がどうかしていると考える。大学の一般教養を学んだ者なら、政治権力が暴力装置を伴うものであることは政治学のイロハとして知っているはずだからである。謝った仙谷氏は謝罪を撤回した方がいい。 ちなみに「広辞苑」によると、「政治権力」とは「社会集団内で、その意思決定への服従を強制することができる、排他的な正統性を認められた権力。普通、政治的権威、暴力装置、決定と伝達の機関をもつ。その最も組織化されたものは国家権力である。政権」とあり、政治権力の要素として「暴力装置」を伴うことが示されている。この定義に政治的立場の左右は関係ない。 警官が警棒や拳銃を、自衛隊が武器を装備していることは暴力装置であることを示している。それに批判的で暴力装置を持つこと自体に反対する立場の者もいるだろうが、「暴力装置ではない」という主張は、全く理解できない。2010年11月22日 朝日新聞朝刊 12版 8ページ「声-政治権力は暴力装置を伴う」から引用 この投書は正論を述べている。自衛隊や警察が「暴力装置」であることは、世の中の常識である。それを、自衛官や警察官とその家族が傷つくから謝罪しろだの、問責決議だのと、日本人社会の知的レベルの低水準化は実に嘆かわしい。
2010年12月12日
菅首相が点数稼ぎのための思いつきであるかのように突然言い出したTPP加盟の問題に関連して、農業の大切さをうったえる投書が、11月19日の朝日新聞に掲載された; 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)をめぐって国内、特に政府内で激しいやりとりがなされている。工業製品の関税が安くなるため輸出が増大するので産業界・経済産業省は大賛成。安い農産物の輸入増大で農業は大打撃を受けるので農業団体・農林水産省は大反対だ。貿易をめぐる工業政策対農業政策の対立構造は昔からあった。しかし、今回のTPP参加の是非にかかる論争はかつてないほど深刻と思われる。 先月、経済産業相でも農林水産相でもない前原誠司外相が「農業などの1次産業は国内総生産(GDP)のわずか1・5%にすぎない。それを守るために残りの98・5%が犠牲になっている」といった内容のことを公言した。自然との調和や環境保護の役割を果たしつつ、食料という人間の生存の基幹を担う農業を、経済的見地だけに立って商工業と同列に扱う前原氏の見識を疑う。 前原発言は、食料を外国に現状以上に依存してよいという考えだと解釈されてもしかたのないものだと思う。食料安全保障の考えが全く欠落しているといえよう。更に、農業林業の持つ水源涵養(かんよう)や防災、景観保持といった公益的機能が無視されている。安価な外国産の食料を輸入しても、きれいな水や空気や景観は輸入し難いことを認識すべきである。2010年11月19日 朝日新聞朝刊 12版 16ページ「声-農業は経済だけでは測れない」から引用 この投書が指摘するとおり、前原誠司という政治家の見識には疑問を抱かざるを得ない。経済産業相でも農林水産相でもないのに、農業の生産性に言及する割には、外相本来の食料安保の視点が完全に欠落している。こういう人物に外相を任せておいて、国民は安心していられるだろうか。松下政経塾出身だけあって、産業資本さえ儲かれば、日本の国土や農業などはどうなってもかまわないという考え方なのではないか。こういう政治家は、次の衆院選で落選させるべきだ。
2010年12月11日
大企業がため込んでいる内部留保について、どのような問題があるのか、11月21日の「しんぶん赤旗」日曜版が分かりやすく解説している; いっこうに元気にならない日本経済。そのなかで異常な“金あまり現象“として注目されているのが、大企業の「内部留保」。つまり、ためこんだまま使われない利益です。これを有効に使えば、国民生活も景気も良くなる-と日本共産党は主張しています。「内部留保」とはどんなもので、何が問題なのでしょうか。 北村隆志記者どんなお金? 企業は商品やサービスを売ります。その売上額から労働者の賃金や、原材料費など経費を払ったあと利益が残ります。そこからさらに税金と株主への配当を支払った残りが内部留保です。会社のなかにためておくお金なのでこう呼ばれます。 日本の大企業(資本金10億円以上)は、毎年のように多額の内部留保を積み上げてきました。 その結果、トヨタ自動車13兆円、パナソニック4兆円など、大企業は軒並み数兆円の利益をため込んでいます。全部合わせると現在、244兆円に達します。 バブル崩壊後の経済の停滞のなかでも、大企業は内部留保を2倍近くに増やしました(図1)。リーマンショック後のこの1年間だけでも11兆円も増やしています。どうして増える? なぜこんなに増えたのでしょうか。もっとも大きな理由は、働く人の給与を減らしてきたことです。 大企業の内部留保が増え続ける一方で、働く人の給与は下がり続けてきました。 民間の年間平均給与は、1997年の467万円から09年の406万円へ、61万円も下がったのです。月々にすると5万円の減です。 民間の給与総額でみると、ピークの223兆円から09年の192兆円に31兆円も減りました。 これでは家計が苦しくなっていると感じるはずです。(図2) 賃金が年々下がりつづけるという異常事態は、主要国の中で日本だけです。 この間に大企業の内部留保は100兆円以上増えました。 内部留保問題に詳しい小栗崇資・駒沢大学教授は、給与総額が減った理由をこう説明します。 「非正規雇用を増やし、正社員の賃金を抑えてきた結果、内部留保が過剰にふくれあがりました」 実際、97年から09年の問に正社員が400万人以上減り、かわりに非正規雇用が500万人以上増えました。安すぎる法人税 小栗教授は「税制面でも内部留保を促進する仕組みがある」と指摘します。 利益に課税する法人税の実効税率(法人税・法人事業税・法人住民税を合計した名目値)は90年代は約50%だったのに、98年と99年の税制改革で約40%に減税されました。 管内闇はさらに5%の税率引き下げを行う方針です。またまた大企業の金あまりを増やすことになります。 このほかにも、日本の大企業は租税特別措置などでさまざまな減税の優遇があります。これが欧米に比べると異常に多いのです。こうした減税が内部留保をふくらませています。 大企業が集まる組織、日本経団連のトップは「内部留保というのは利益が出れば、法人税を払って、その残りで自動的に積まれていく」(御手洗富士夫会長=当時)と、法人税が低いために内部留保が増えることを認めています。(09年1月6日)どんな形で? では、実際に内部留保はどのような形で積み上がっているのでしょうか。 大きく言って、土地や工場(固定資本)、商品在庫、株式や国債(有価証券)、現金・預金として企業が持っています。 このうち現金・預金と短期投資の有価証券をあわせて手元資金といいます。これが現在、大企業だけで52兆円もあります。 企業の利益が設備投資や雇用に回らず、使い道のないまま手元にたまっているのです。日本経済新聞も「空前のカネ余り」(5月24日付)と書きました。 社員の給料を減らして企業の中に使われないお金がため込まれたら当然、経済にはマイナスです。逆に活用させて、日本経済に循環させれば経済を活性化させます。 菅首相も大企業幹部を前にこう語っています。 「企業の皆さんは財務体質を改善し、200兆円を超える預貯金を保有されているというデータが出ております。この資金を将来の競争力の強化のために国内でいろいろな形で使っていただけないかが必要な論点になっています」(10月18日、第2回国内投資促進円卓会議)内部留保の一部を雇用に使えば 大企業の内部留保を雇用に生かせばどれくらいの効果があるのでしょうか。 内部留保の3・5%を使えば、正社員も非正現雇用も合わせた民間企業の全労働者に月1万円の賃上げを行えます。 最低賃金を全国一律1千円に引き上げるためには、内部留保のわずか2・4%でできます。 さらに、非正規雇用の正社員化も内部留保の数%で可能です。(図3) 手元資金を使うだけでこんなに雇用状況を改善できます。 中小企業に対しても下請け単価や取引条件をひきあげれば、中小企業の経営改善だけでなく、そこに働く人の賃上げにつなげることができます。 内部留保が賃上げと雇用拡大に回れば家計を温めます。そうなればものの売り買いが活発になり、企業の売り上げにも好影響です。税収も増えます。日本経済を新たな成長の軌道に乗せることができます。 日本経済再生の大きなカギが内部留保の活用なのです。マスコミも注目投資家向け週刊情報紙「日経ヴエリタス」(10月17日号) 「企業の懐に眠る巨額の資金。投資に回らず、雇用機会の創出にも結びつかない」「眠っている203兆円が動き出したら、そのインパクトは計り知れない」新日鉄系の日鉄技術情報センターの北井義久チーフエコノミスト(週刊『エコノミスト』10月26日考) 「日本経済の最大の問題点は、賃金が上がらないことである」「しかしここで、政府が賃上げターゲット政策を打ち出せば、確実に賃金は上がるようになる」 「デフレも、格差拡大も、消費低迷も、円高も、財政赤字拡大もすべての問題の原因は、賃金が上がらないことにある。健全な日本経済を再び取り戻すために、中期的な経済目標としてゆるやかな賃上げを中心に据える必要がある」財界系シンクタンクのみずほ総合研究所のリポート(10月7日付) 「日本企業は貯蓄超過幅拡大」 「日本企業は…純投資のマイナスが続いていることは短期的な経済活動のみならず中長期的な成長を抑制する」2010年11月21日 「しんぶん赤旗」日曜版 18ページ「これでわかる内部留保」から引用 大企業がかつてなかったような不当な利益をため込むことが可能になった理由の一つには、労働者を正規雇用せずに、企業の都合で解雇しても違法ではないという法律を作ったからである。余分な法律を作らなければ、本来の労働基準法違反で摘発出来た事態である。法律があれば違法、なければ合法という典型例と言える。 一方では、正規雇用を希望せず、短期間契約で働きたいという人々が存在したことも事実であるが、その場合、労働者が望むならそのような雇用形態も可能という例外を設け、その上で雇用はあくまでも正規雇用のみとするというのが本来のあるべき姿である。それを、企業の一方的な都合で正規雇用を極度に少なくし、後は非正規雇用しかないという状態を合法とするような法律は悪法である。 大企業はこのような悪法を作るために、せっせと当時の自民党に政治献金を施し、献金を上回る利益を獲得したわけであるが、しかし、その結果、労働者の所得は低減し購買能力を失い、世の中は不景気になってしまった。大企業というのは、自分さえ儲かれば、この国はどうなっても構わないと考えているのだろうか。
2010年12月10日
次第に国力を増大させ本来の実力を発揮しつつある中国に対し、日本はどう向き合うべきか、東京新聞論説主観の清水美和氏は10月26日の同紙で、次のように述べている; 中国の経済成長が今のまま続き日本が停滞を克服できなければ中国の経済規模は今後、7、8年で日本の2倍になる。防衛力など総合国力も、それに比例するだろう。 尖閣事件で中国が自らの主張する領土・領海や海洋権益を確保する衝動を強め、単独では日本が中国の圧力に抗しきれないことがわかった。■ベトナム外交に学ぶ 尖闇の実効支配や海洋権益をいかに守るのか。日米安保で米国に尖闇防衛の保証を求めたくなる心情もわかる。しかし、常識で考えよう。米国が自らに直接かかわりがない東シナ海の無人島のため米国青年の血を流し中国との戦争のリスクを冒すだろうか。 2005年に日米が署名した文書「日米同盟 未来のための変革と再編」は日本が「島嶼(とうしょ)部への侵略」を「自ら防衛する」と明記している。 米国が尖闇への安保適用をリップサービスすることがあっても、それは中国をけん制するとともに日本に対中コストの負担増を求める意図があると考えた方がよい。 ただ、米国を東シナ海問題に本気で取り組ませる方法はある。この点ではベトナム外交に大いに学ぶべきだ。■米国を本気にさせる 南シナ海では中国は西沙(パラセル)、南沙(スプラトリー)など諸島の領有権を主張。海域の大半を自国の排他的経済水域(EEZ)として両諸島の領有権で対立するベトナムやフィリピン、マレーシア、インドネシアなどの漁船を駆逐し拿捕(だほ)してきた。 ベトナムは今年7月、ハノイで開いた東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)の議長国として南シナ海の紛争に介入を避けてきた米国を引き込むことに成功した。 クリントン国務長官は領土紛争には中立を維持するとしながら「航海の自由」を守る必要を訴え、武力による威嚇を強く戒めた。背景には昨年3月、米海軍の調査船が南シナ海で中国の情報収集艦など5隻に取り囲まれ航行を妨害された事件がある。 トラブルの場所を米国は公海上としたが、中国は自国のEEZで米艦は許可なく活動したと主張した。発足直後のオバマ政権は対中関係改善を優先し深入りを避けた。 しかし、中国は、その後も米国の海洋調査への嫌がらせを続けたため、米国はついに「航海の自由」を掲げ、東南アジア諸国と連携して中国をけん制する道を選んだ。 東シナ海でも中国は自国の主張するEEZで、海上保安庁巡視船の海洋調査を妨害する事件を起こしている。南シナ海と同じく「航海の自由」を侵し、資源を運ぶシーレーンを脅かしかねない行動で米国も神経をとがらせている。■中国に協調姿勢促す 日本は米国や周辺国に尖閣問題への理解を求めるだけでは不十分だ。「航海の自由」を掲げそれを侵す行動に反対する連帯を求めるべきだ。 中国も「航海の自由」には真っ向から反対はできず、協調姿勢への転換を促すきっかにもなろう。これまでは中国に対する米国や周辺国との連携を語った。次回は中国自身への働きかけについて書いてみたい。 (論説主幹)2010年10月26日 東京新聞朝刊 23ページ「清水美和のアジア観望-『航海の自由』合言葉に」から引用 日米安保条約では、日本が国土を侵略された場合、米軍が対応するという条文になっており、尖閣諸島も安保条約の適用対象であることは理屈から言って間違いではない。しかし、ブッシュ政権からオバマ政権に代わって尖閣諸島に関する米国政府の表現は微妙に変更された。その上、上の記事で清水氏が指摘するように、実際に尖閣諸島で紛争が発生したときに、米軍が本当に行動を起こすかどうか疑問もある。したがって、日本政府はいかなる国際紛争も、相手が軍事行動を起こす前に話し合いで決着する覚悟を持つべきである。それが、わが国政府に対する憲法の要請であり、かつ国民の要望でもある。
2010年12月09日
元外務省主任分析官の佐藤優(さとうまさる)氏は、海上保安官が尖閣ビデオを勝手に公開したことについて、文民統制の観点から、次のように述べている; ビデオをインターネットに流した者に対する同情論が国民の間で出ているが、私は、犯行に至る経緯を徹底的に究明し、形式にのっとって厳正に処分すべきだと考える。それは次の二つの理由からだ。 第1に、今回「ユーチューブ」に流されたデータが「国民の知る権利」に応えるものとはなりえていないこと。 もし、すべての映像データがアップされていたならば、それはある程度、国民の知る権利に応えるものと言えたかもしれない。しかし、今回、国民の目に触れたのは、人の手によって編集済みのデータだ。つまり、真実をそのまま写しとったものではなく、だれかの意図が入ったものだということになる。リークや情報操作の入り込むスキがいくらでもある。 「義挙だ」という声も聞くが、義挙ではありえない。自分、あるいは自分の組織にとって都合の悪い部分はカットされているかもしれないではないか。映像には、無意識であれ、後付けされたものであれ、海上保安庁の行為を正当化しようとする編集意図が入っている。 第2に、歴史の教訓に学べ、ということ。 1932年、帝国海軍将校が時の犬養毅首相を暗殺した5・15事件の時に、「方法はともかく、動機は分かる」と、刑の減免を求める運動が起こり、軽い処分で収束した。この対応が後に2・26事件(36年、陸軍の将校が大蔵大臣高橋是清、内大臣斎藤実らを殺害したクーデター)を誘発した。 海上保安庁が機関砲を所持している官庁だということを忘れてはならない。 武力を行使できる公務員に対して、統制が取れていない行為を認めることの危うさを、国民は肝に銘じておくべきなのだ。激励の電話を海保にかけ、彼らを喜ばせてどうしようというのか。独断専行を許したしわ寄せは、自分たちに来る。 今回の流出者は、海保の一員として、編集済みのデータを流した。「国民の知る権利」に応えようとする者であるならば、まず、上司に公表を求め、受け入れられないなら、辞表を提出し、一私人となってからデータを流す手順が不可欠だった。 2・26事件以降、政治家も論壇人も軍事官僚を恐れ、日本は戦争へとなだれ込んでいった。人間は暴力装置には逆らえない。だからこそ、武器を持っている官庁には特別なモラルが求められる。鳩山前首相が今回のビデオ流出を聞き「クーデター」と評したことは本質を突いている。 国家的な機密情報を国民に知らせるべきか否かは、個別具体的な判断をするしかない。今回の尖閣沖での追突事件について言えば、中国人船長を超法規的措置で釈放したタイミングで国民の求めに応じ、全データを発表すればよかった。それがどのような衝突であったとしても、中国人を罪に問うことは放棄しているわけだから。 対中国を考えても、今、ビデオが流れることはマイナスにしか働かない。実のところ、中国にとっては思い出したくもない事象だろう。 (聞き手・鈴木繁)2010年11月12日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「オピニオン-同情にも称賛にも値しない」から引用 結局、冷静に考えれば、中国の漁船が領海侵犯して違法な行為を働いたということは、中国政府にとっては自らの統治能力が問われる事態なのであるから、自民党政権時代の、拿捕したら黙って強制送還するという対応は、日本政府の中国に対する「武士の情け」だったのである。それを、保守層の受けを狙った前原外相が「逮捕だ」などと言い出したから、中国政府も対抗上、あの手この手の圧力を繰り出すことになり、日中両国に何の意味もない摩擦を作り出すことになってしまった。この点は日本政府の反省が必要である。
2010年12月08日
元毎日新聞記者の西山太吉(にしやまたきち)氏は、海上保安官が尖閣諸島沖の映像を勝手に公開した事件について、11月12日の朝日新聞で次のように述べている; 私は、沖縄返還をめぐる日米両政府の財政密約を取材、追及する中で、外務省の機密電文を省職員に持ち出させたとして国家公務員法違反の罪に問われ、有罪が確定した。 私の事件で、最高裁は国家公務員の守秘義務の対象となる秘密について「一般に知られていない(非公知)」「保護に値する」の2要件を満たす場合に限定される、という判例を示した。違法な秘密は保護に値しないはずだが、政府側の偽証、でっちあげにより正当化されてしまった。 今回の事件の映像について、外交という高度な政治判断を求められる政府が当初、非公開としたことを否定はしない。ただ、その映像が流出したのは、類似の映像を一部国会議員が視聴した後だった。その上、漁船が巡視船に衝突してきた事件は当初から発表されていた。これを「非公知」とは言えないと思う。 立件に必要な捜査上の秘密資料だという理屈は成り立つかもしれない。しかしながら、保護すべき捜査上の秘密を言うのであれば、一部とはいえ国会議員に開示した理屈が立たないのではないか。 国家公務員法には「国民に対し公務の民主的かつ能率的な運営を保障することを目的とする」という大原則が規定されている。問題の海上保安官がこの規定の解釈をもとに「映像を一部に公開した以上、公僕として国民全体にも民主的に共有されるべきだという信念があった」と主張すれば、罪に問えるだろうか。 ネット情報は、発信者の強い意思がノーチェックのまま迅速、広範囲に伝わる。それが国民の情報量を増やし、政治判断に役立つ場合もある。一方で、公権力にとって都合の悪い内部告発などの情報流出は重大な脅威となる。 今回の問題を受け、政府は機密保全に関する罰則強化に言及している。掲げてきた旗印を捨て去る兆しではないか。民主党政権は国家情報の公開こそが民主主義の要であるとして、沖縄返還密約も徹底調査したはずだ。情報公開を大前提とした枠組みの中で適切な情報管理がなされるよう、国民もメディアも監視を強める必要がある。 一方、流出映像をもとに「弱腰外交だ」とあおり、対中強硬路線や日米同盟強化を声高に主張する勢力がいる。日中関係は日米関係に匹敵する外交の柱。中長期的視野に立ち、様々なトラブルを冷静に忍耐強く乗り越えて共存し、相互依存を確立することは日本にとって死活問題だ。 これまで日本の領海で海上保安庁の公務執行を妨害してきた中国船をはじめ外国船は数知れない。自民党政権から脈々と続く「見て見ぬふり」の累積の末、今回は逮捕の局面に至ったに過ぎない。 自民党は、大臣の問責決議などで政府の責任を追及する構えだ。東京地裁は今年4月、沖縄返還をめぐる密約の存在を認める判決を下したが、政権交代までの37年間、「密約はない」と国会で偽証してきたのは自民党政権だ。重大な外交交渉結果の密約を否定し、国民をだまし続けておきながら、情報をめぐる危機管理のあり方を糾弾する姿勢は矛盾もはなはだしい。 (聞き手・本田直人)2010年11月12日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「オピニオン-罰則強化は民主主義の後退」から引用 さすがにジャーナリストの見解だけあって、勝手に公開したとは言え、先に政府が一部を国会議員に見せているから、海上保安官の行為に違法性があるとは言えないのではないかとの見解である。この記事で注目すべき点は、日米安保を傘にきて中国に対して強硬路線をとるのは誤りであるという指摘である。日米関係は重要であるが、それ以上に日中の相互依存と共存共栄は、将来のわが国の活路だということである。
2010年12月07日
関西学院大准教授の鈴木謙介(すずきけんすけ)氏は、一海上保安官が尖閣映像を勝手に公表した問題について、11月12日の朝日新聞でつぎのように述べている; 尖閣ビデオをめぐっては、流出させた「sengoku38」がインターネット上の一部で英雄視されるという現象が起きています。そうなった原因は、一言で言えば政府の情報ガバナンス(統治)の失敗ではないでしょうか。 今回は、まずビデオ映像が存在するという情報だけがあって、映像そのものは公開されなかったため、あいまいな情報やうわさが流れた。一部の国会議員だけに公開したのも逆効果で、伝聞情報が流れて混乱が増した。その結果、国民の間に「確かな情報」への飢餓感が高まった。流出したビデオはその飢餓感をぴたりと埋めてくれたので、多くの人が喝采したのでしょう。 彼の行動には、ある種の計算が感じられます。マスメディアを経由せず、直接ネットに流したことで、「一市民に近い立場から勇気をもって情報を公開した」という称賛を受けることができた。ユーチューブという知名度の高いサイトに夜9時ごろというタイミングで投稿したことで、翌日の朝には、新聞やテレビなどほとんどのマスメディアが報じた。ネット上の情報は、たとえ映像であっても、常にその真偽が議論になります。それをメディアがいっせいに後追いしたことで、「これは本物だ」という権威づけを短時間で得られた。 sengoku38は、動機について「国民には見る権利がある」といった抽象的な説明しかしないと伝えられています。人間の心理として、自分が望んでいた情報を提供するという「良い行い」の背後には、善良な意図があると思いこみやすい。動機があいまいにとどまっているために「職を賭した自己犠牲的な行為」というイメージが勝手に強まっているのではないか。 この問題がここまで注目された背景には、ネットに見られる中国への悪感情という要素がないとはいえません。ただ、ネット上で外交問題が盛り上がる場合は、外国への批判よりも、むしろ政府の対応など国内に批判が向くことが多い。ビデオ流出後も「中国けしからん」という声より、民主党や仙谷官房長官をたたく傾向がいまのところ強い。 今回の件で、政府の情報管理の甘さだけを批判するのはやや的はずれに思えます。情報の透明性や説明責任が重視される時代に、ただ「この情報は外交上重要だから出せない」と言っても、国民が納得しない。一方で、情報をオープンにしすぎるとガバナンスが成り立たない。情報をどこまで出せば国民が納得するか、それを判断する能力を政府が欠いていたことが本質的な問題です。 ネットの発達は情報への飢餓感を加速させるので、「すべてを公開しろ」という声が出るのは避けようがない。でも、受け手が納得する公式な情報をある程度まで出せば、「全部出せ」という声は少数に抑えることができます。 ネット時代でも、人々がマスメディアに確実な情報を求めることに変わりはない。ただ、メディアが十分な情報を伝えていないという不満が根強くある。今回の流出が称賛される背景には、その不満の反動もあるのではないでしょうか。 (聞き手・尾沢智史)2010年11月12日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「オピニオン-加速する『情報への飢餓感』」から引用 この記事は、一面で本質を突いている。今の政権は、尖閣問題のビデオについてどこまで出せば国民が納得するかの判断をする能力を欠いていたという指摘は、私も同感である。しかも、問題がそれほど大事にはならないようだと見た瞬間に、勝手にユーチューブに投稿した海上保安官を逮捕しないことにしてしまった。国民世論の顔色をうかがうばかりの内閣のように見える。
2010年12月06日
東京大学教授の長谷部恭男(はせべやすお)氏は、政府が非公開と決めた尖閣諸島沖での漁船衝突事件の映像を一海上保安官が勝手にユーチューブに投稿した事件について、11月12日の朝日新聞で次のように述べている; 映像の流出が、国家公務員法の守秘義務違反に当たるかが問題になっています。最高裁の判例によると、守秘すべき秘密は「一般に知られていない事実」「実質的に秘密として保護に値するもの」です。今回のケースは見解が分かれると思います。 ひとつの見解は、事件は広く知られており、映像も特に秘匿するようなものではないので、守秘義務違反にはならないという判断です。だが、私は別の判断の余地もあると思っています。 かつて「西山事件」で最高裁は、保護に値する秘密かどうか、かなり抽象的なレベルで判断しました。具体的には、「外交交渉の過程での交渉内容は、相手方との信頼を維持する、今後の交渉に悪影響を及ぼさないようにする、などの理由から、秘密にするべきだ」としているのです。 この基準に照らせば、ビデオの流出は「中国政府との関係に影響を与える」「ビデオは外交のカードになりえた」という点で秘密にするべきだという議論はありえます。さらに言えば、いわば犯罪捜査の資料が勝手に公開されたわけで、全面肯定はしにくいとも思います。裁判所がどういう判断をするか、確実な予測は困難です。 ビデオ流出が国民の「知る権利」にこたえたという議論もあります。ただ、今回は「知るべき正当な理由」があるか、微妙です。 政府が政策を決定して実施する際、関連する情報を国民に示して説明し、評価を受けるのは民主主義にとって不可欠。これを国民側からみれば、知る権利になります。 とはいえ、そうした情報は政策決定と実施のプロセスが終わった時点で出せばいい。現在進行形の事柄について、「丸裸で情報を示すべきだ。それが知る権利だ」というのは極端な話です。 そもそも知る権利を裁判所は成熟した権利だと考えていません。むしろ、情報を出すべきだと当局に迫ったり、情報開示がよかったと評価したりする際の政治的なスローガンとして、知る権利は使われてきた。ビデオを表に出すかどうかは事態に照らして具体的に考えるべきで、知る権利を振りかざすべきではないと思います。 今回の問題のひとつは、上意下達の公務員組織で、組織体の判断、決定に反するような行為を個々のメンバーがした懸念がある点です。 政府と公務員の信頼関係の崩壊が背景にあります。根底にあるのは、民主党政権への不信感でしょう。このままだと、いくら管理を強化しても、新たな法的仕組みをつくっても、効果はありません。まずは信頼関係を回復することが肝要だと思います。 このたびのビデオ流出は、従来のリークとは性格が違います。リークは組織内で違法、不適切な行為があった場合、これを放置できないと考える人が、情報を漏らすというのが典型でした。しかし、今回、ビデオを巡って政府が法に触れる何かをしたというわけではない。いわば真正なリークではないので、メディアも「よくやった」と言い難いのではないでしょうか。 (聞き手・吉田貴文)2010年11月12日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「オピニオン-『知る権利』声高には言えぬ」から引用 ここに述べられた長谷部氏の見解では、行政の都合で政策実行中には公表できない場合もあるから、むやみに「知る権利」を振りかざすものではないということであるが、それでも国民の知る権利には応える必要があるので、そのような場合は政策実施のプロセスが終わった時点で公開するべきであると、きわめて常識的な見解と言える。ところが、かつての自民党政府は西山事件について、政策実施のプロセスが終わって何十年経っても「密約は存在しない」とシラを切り続け、密約の存在が確認されたのは民主党に政権が移ってからのことであった。西山記者と国民に何十年もの間、ウソをついてきたことについて、政府はそれなりの落とし前をつける必要があるのではないか。
2010年12月05日
元外務省条約局長の東郷和彦氏は、ロシア大統領がわが国の北方領土を自国領として訪問し、わが国への返還は絶望的になったことについて、11月11日の朝日新聞で次のように述べている; 今回のメドページェフ大統領の国後島訪問を考えるときに、とらわれてはいけない見方が二つある。 一つは、メドページェフ大統領が再選を目指して強い大統領像を見せた、という見方。もう一つは、日本が尖閣諸島で中国ともめているからロシアも強気に出てきた、という見方だ。 いずれも、まったく的はずれだとは思わない。だが、領土交渉の本質からは、はずれている。この二つの見方にとらわれると、問題の本質に対する目くらましとなり、非常に危険だ。 大統領の国後訪問は、この1年間の日口関係の悪化、劣化の延長線上にある。起きるべくして起きたことだ。 特に私がショックを受けたのは、7月2日にラブロフ外相がロシア極東・ハバロフスクでおこなった演説だ。アジア太平洋諸国との潜在的な協力の可能性に触れる中で、真っ先に韓国を例に挙げた。その後、中国とインド。さらにベトナム、モンゴル、東南アジアの国々を列挙し、そして米国。ついに日本は出てこなかった。 アジア太平洋諸国との協力を言うときに日本に触れない。もう日本と協力する価値はないというメッセージだ。 2日後の4日には、ロシア国防省が、択捉島で戦術演習をおこなったと発表した。さらに7日にはロシア下院が、日本が1945年に第2次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を記念日とする法案を可決した。 一連の事態に、日本政府は動いたのか。その形跡はない。この沈黙に対し、ロシアは「大統領が国後に行く」という次の段階に進んだのだ。■不信招いた答弁 なぜ、日口関係はこんなに悪くなってしまったのか。 昨年9月の鳩山由紀夫前首相とメドページェフ大統領の初会談は、非常にうまくいった。11月15日にはメドページェフ大統領はシンガポールでの日口首脳会談で、北方領土問題を「鳩山政権の間にぜひ前進させたい」と踏み込んだ。第2次大戦の結果は見直さないが、北方領土は「別問題だ」という驚くべき発言をしたとの報道もある。 ところがこの1週間後、政府は、ロシアが北方領土を「不法に占拠している」と明記した答弁書を閣議決定した。ロシア外務省はただちに「最も深刻な注意を払っている」という声明を出した。外交で普通使わない、戦争の一歩手前のような厳しい表現だ。これが、7月の一連の事態につながった。 同じことはその前の麻生政権でもあった。09年5月12日、東京で麻生太郎首相と会談したプーチン首相は記者会見で、7月のイタリア・ラクイラのサミットで、メドページェフ大統領が麻生首相と「領土問題で、あらゆる方式を話しあう」と、異例の発言をした。 ところが、その1週間後、麻生首相が国会で「不法占拠」と答弁。これに対してメドページェフ大統領は29日、新任の日本大使の前で、尋常でない怒り方を見せた。ラクイラでは、当然のように何も出てこなかった。 この5月の痛恨事の後に、なぜ11月に「不法占拠」を繰り返したのか。交渉を動かしたくなかったのか。結果を予想する情報能力に欠けていたのか。 ロシア側の最高レベルから、真剣な交渉をやろうというメッセージが出されたときに、2回にわたり、相手の感情をことさら刺激する発言をした。ロシア側は、日本には交渉をまとめる意志がないと受け止めたのだろう。 もちろん、ロシアによる不法占拠というのは、北方領土問題の基本だ。だが問題の解決は、どちらの法的理論が正しいかでは生まれない。過去に法的議論を重ねて出てきた結論は、最後は政治決断で、双方にとって良い案だという形にするしかないということだ。■開発、透ける戦略 さらに深刻なのは、四島の現状だ。先日、NHKが取材した色丹島の今の姿を見て、言葉もなかった。 94年の北海道東方沖地震で壊滅状態になった島で、今では携帯電話も宝石も毛皮も売っている。日本のどこに出しても恥ずかしくない立派な学校が建った。住民は「プーチンがこの学校を建てたのを見てわかった。モスクワは私たちを見捨てない。日本に返す?とんでもない」と話している。 北方四島を対象に、ロシアは07年から「クリル発展計画」を実施している。9年間でわずか540億円という計画の最初だけで、これだけの結果が出た。1年遅れれば、それだけ発展計画が進む。この厳しい状況を、どれだけの日本人が感じているだろうか。 よくよく考えなくてはいけないのは、小泉政権時代に動かなかった領土交渉について、ロシア側からボールを投げ始めたのは、クリル発展計画策定と同時期の06年だということだ。 ロシアは極めて重要な戦略的な決断をしたと判断せざるをえない。日口関係という馬車を2頭立ての馬で走らせる。一つは、四島の開発。これを手控える理由はない。もう一つは、交渉をやる。06年から09年の11月まで、ロシア側はボールを投げ続けた。国境画定は、プーチン、メドページェフ政権の政治課題だ。中国とは決着させ、残るは日本。けりをつけたいはずだ。 しかし、日本が交渉に応じないなら、もはやかまうことはない。日口関係という馬車は、「四島のロシア化」という1頭の馬だけで走らせる。大統領の国後訪問は、まさにそれを日本側に伝えるためのメッセージであり、この戦略からすれば、大統領が次に色丹に行かない理由はない。 今私たちがやらねばならないのは、国をあげてこの危機についての認識を共有し、領土交渉と対ロシア政策について、技本的な検討をすることだ。 (聞き手 駒木明義)2010年11月11日 朝日新聞朝刊 12版 21ページ「オピニオン-『四島ロシア化』へ意思表示」から引用 麻生政権に続く民主党政権も、ロシア側が投げてよこしたボールに全うな対応が出来ず、その結果、ロシアの戦略実行を勢いづかせてしまった責任は、一重に日本側にある。官内閣は、この問題をどう解決するつもりなのだろうか。
2010年12月04日
戦前の教育を受けて育った読者が、なぜ日本が戦争をしたのかという問題について、11月11日の朝日新聞に投書して次のように述べている; 私が中学に入った1940年は、神武天皇即位以来2600年といわれ、11月10日に皇居前で大記念式典があった。この式典には児童生徒3千人が動員されて奉祝歌と君が代を歌い、一般国民のプレゼント交換にも「紀元2600年記念」と書いてあった記憶がある。 「日本は世界一の輝かしい歴史と伝統を持つ最優秀の国」という教育が普及し「戦争に負けたことはないから、どこと戦っても必ず勝つ」と思わされてしまった。その風潮が、この年の「盛り上がり」でいっそう加速され、翌年の対米開戦となっても「必勝の信念を持てば必ず勝つ」という非科学的な思考が支配。国力の差から見て当然な敗戦へとつながったのである。 反省すべき要点は当時、個人の自由であるべき思想の軽視と、国への奉仕の強要があったことだ。歴史教育では日本の優秀性を強調することが先行し、冷静な史実の探求が後回しになった。37年に、文部省が学者たちを結集して編纂(へんさん)した書物「国体の本義」も、個人主義の否定、国家への従属の強制を教育面で徹底させるものだった。2010年11月11日 朝日新聞朝刊 12版 20ページ「声-敗戦へ導いた優越国家の妄信」から引用 神武天皇は伝説に語られているのみでで実在した人物ではない。したがって神武天皇即位2600年というのは、まったくの作り話で今では皇紀○○年などと言う人はいない。日本人が優秀だという話も根拠はない。もちろん、日本人の中には並外れた才能をもった優秀な人物はいるが、そういう優秀な人物は日本人に限らず、あちこちにいるものだから、他の民族に比べて特に優秀であると思うのは自信過剰というものであろう。やはり、無謀な戦争をしてしまった原因としては、戦前の日本人社会に「思想・信条の自由」がなかったこと、国家への服従が強制されたこと等であると言える。
2010年12月03日
神奈川県の松沢知事は、県として朝鮮学校に支給している補助金について、継続するかどうかを判断するために実際に学校を視察することにしたと、10日の朝日新聞が報道している; 高校授業料の無償化制度を巡り、神奈川県が独自に朝鮮学校に支給を続ける補助金について、松沢成文・同県知事は9日、自ら県内の朝鮮高級学校を視察して教育内容を審査し、支給の可否を決めると定例会見で明らかにした。今月中にも視察し、年内にも判断する見通しだ。大阪府に次いで教育内容に踏み込む判断を示した。 松沢知事は、教育内容に踏み込まない文部科学省の判断基準では不十分だと述べ、教育内容のうち、特に歴史について、大韓航空機爆破事件や拉致問題などが教科書にどう記述されているかなどを直接視察するとした。 県によると、補助金の対象となる県内の朝鮮学校は5校で、2009年度は計7248万円を支給している。2010年11月10日 朝日新聞朝刊 14版 38ページ「朝鮮学校の教育 松沢知事視察へ」から引用 行政が個々の学校の教育内容に介入するのは、あまりほめられた話ではない。元より学校教育は多様性があって然るべきであり、どのような教育を受けるかを選択するのは市民の権利であり、在日の人たちも同様である。 また自治体の首長は選挙によって交代するわけで、将来もし共産党の県知事が「マルクス主義を教えない学校へは補助金を出さない」などということがあってはならないのと同様に、松沢知事の判断で「こういう学校には補助金を出さない」などということがあってはならないはずだ。 さらに問題だと思うのは、日本の教科書からは「従軍慰安婦問題」や「朝鮮人強制連行」のような日本政府に都合の悪い記述を削除しておきながら、他民族の教科書には「大韓航空機爆破事件」や「拉致問題」が書かれているかどうかをチェックするというのは、あまりの身勝手な態度に言葉もありません。絵に描いたような恥知らず、と言ったところでしょうか。
2010年12月02日
朝日新聞コラムニストの若宮啓文氏は、11月10日の紙面に北方領土問題について、次のように書いている; 北方領土の軍備を増強するソ連が色丹島にも軍を駐留させたと聞いて、朝日新聞の小型ジェット機で北上したのは1979年9月のことだった。 いよいよ色丹島に近づいて南の上空から目をこらすと、北の沿岸部で糸のような筋が数本光っている。あれはテントの列ではないか。確かめようと旋回して高度を下げ始めた時、根室の自衛隊から警告がきた。「ソ連の戦闘機が近づいている」 肉眼では見えなかったが、操縦席のレーダーもソ連機をとらえた。向こうの主張する領空には入っていないのだが、こうなれば逃げるしかない。おかげで同行のカメラマンは特ダネ写真を撮り損なった。 米ソ冷戦が厳しかった時代の秘話だが、こんなことを思い出したのは外でもない、ロシアのメドページェフ大統領が国後島を視察に訪れたからである。 折しも日中の間には尖閣諸島で事件が起きていた。そこにロシアの参入。しかも中ロの首脳は9月末に「第2次大戦終結65年記念」の共同声明を出す蜜月ぶりを見せたとあって、日本としても気になるところだ。 あたかも挟み撃ちにあった形だが、かつて毛沢東主席が北方領土の返還要求に「原則的に賛成だ」と語ったのを中国首脳はご存じか。64年7月、社会党の訪中視察団(佐々木吏三団長)と会った際のことである。 毛発言について「千島列島全体が日本の領土だと言った。だからソ連が怒った」と回想したのは、72年9月に北京で田中角栄首相と会談した周恩来首相。「四つの島を取り返すのは大変だ」「日本の困難に同情する」などとも述べていた。 とはいえ、これは中ソが対立し、国境で中ソも領土争いをしていたころの話。その紛争も2004年に係争地を半々に分け合って片づけた。そんな中国首脳部には、もはや日本への「同情」はないのだろう。 北方四島と尖閣諸島。韓国では「日本は二つの領土戦争中」(中央日報)などと報じているが、もう一つお忘れではありませんか。「三つの」と書かないのは、自国が占拠する竹島(独島)に「領土問題はない」という建前からだろう。 かつてソ連が「日ソ間に領土問題はない」とにべもなかったころを思い出すが、目を尖闇に転じれば、島を支配する日本政府がいま「領土問題はない」と繰り返している。 日本は、なぜこうも島の領有争いで囲まれているのだろうか。アジア大陸と太平洋の間を遮るように横たわる日本列島の地形のせいではあろうが、それに加えて過去の戦争や植民地支配の歴史が大きな影を落としている。 尖閣諸島は日本が台湾の獲得に至った日清戦争のさなか、竹島は韓国併合に道を開く日露戦争のさなかに、それぞれ日本が自国に編入した。手続きに間違いはなかったにせよ、中国、台湾や韓国では「戦争のどさくさ紛れに」と見がちなわけだ。 この点、北方領土は日露戦争で得たのではないが、ロシアはこの敗戦で大国の面目を失い、樺太の半分をとられた屈辱感があった。第2次大戦直後、ソ連がそれこそ「どさくさ紛れ」に北方領土を占拠したのは、その報復だったのではないか。 ただし、それには経緯もあった。大戦未期の45年2月に米英ソの首脳が廃まったヤルタ会談で、ソ連を対日参戦に誘ったルーズベルト米大統領が見返りとしてソ連に樺太と千島列島の領有を認め、それが秘密協定に盛り込まれたのだ。 同行したグロムイコ駐米大使(後の外相)の回想録には、会談前にこの条件を知ったスターリン首相が「よし、いいぞ」と喜んで部屋を歩き回ったと書かれている。ソ連は千島列島に四島も含まれると解釈した。 彼らにすれば米国のお墨付きを得た思いだったのだろうが、米国も戦後は大きく変わる。56年、日ソ交渉に臨んだ鳩山一郎首相が「二島返還」で片づけようとしたとき「四島返還を求めなければ、沖縄は返さない」と強く反対したのは米国だった。激しくなった米ソ冷戦の下、日ソの進展を警戒したのだが、いやはや、国際関係はあざなえる縄のごとし……。 さて、いまなぜロシア大統領が北方領土に乗り込んだのか。理由はいろいろあれ、どうやらその一因が昨年の北方領土担当相に就任以来、「不法占拠」と強調してきた前原誠司外相にあるのは間違いなさそうだ。 ソ連の崩壊後、ロシアの軟化を求めて様々な誘い水を示してきた日本の首脳らは、実のところ「不法占拠」の言葉を禁句にしてきた。対するロシアも「領土問題はない」などと言わずに交渉に応じてきた。 その封印を解くように「60年以上も不法占拠が続く」と昨年の国会で繰り返したのが麻生太郎首相。ロシアは強く反発したが、期待した鳩山政権でも大差なく、今度は前原氏を外相にしたのだから管政権も本気で交渉の気はない、とみたのだろう。「不法占拠」が売り言葉なら、「国内視察に過ぎない」とは強烈な買い言葉ではないか。 外交は相手の腹と反応を読み合う知恵比べ。とくに領土交渉は難しい。正論だけで押せるのなら、誰も苦労はいらない。2010年11月10日 朝日新聞朝刊 12版 16ページ「正論ですめば苦労はいらぬ-領土の外交」から引用 北方領土返還が遠のいてしまった責任は、やはり前原外相にあるようだ。官房長官の問責もいいが、前原外相も問責に値する。こういう人物を外相にした菅首相にも責任がある。せっかくの政権交代であったが、当てが外れたのかもしれない。
2010年12月01日
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