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憲法記念日の朝日新聞は、投書のページを「憲法記念日特集」として、読者の憲法によせる思いを掲載した。その中の一つは、都教委がごり押しする「日の丸君が代の強制」を次のように批判している; 憲法12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とあります。「思想及び良心の自由」を守っていくのは我々国民の責任だと読み取れます。 ところで、卒業式の時期は毎年「君が代」のことで教育現場がもめます。4月18日の本紙朝刊によると、君が代斉唱の際に不起立などで処分された教職員が今春は東京都で4人だけと激減したそうです。これは都教委幹部が言うように「違反者を厳しく処分する姿勢を打ち出したことが奏功した」ということなのでしょう。都教委は、不起立を続ければ、減給、停職、さらに免職にするという強圧的な姿勢でのぞみ、ある先生は休暇をとり、ある先生は式場に出ないで済むよう受付など式場外の役割を分担したといいます。不本意ながら歌った先生方もかなりいたのではないでしょうか。 君が代が、あの戦争を推進する役割を果たしたことは、否定できないでしょう。だから、歌いたくない、歌わせたくないと思う先生方もいるのです。その思いを率直に表せない現実-これは明らかに憲法19条に記された「思想及び良心の自由」の空文化だと憂えます。2010年5月3日 朝日新聞朝刊 13版 9ページ「声-君が代歌わぬ自由危うし」から引用 この投書が指摘するように、思想および良心の自由を守るのは我々国民の責任です。国が「強制はしない」と言っているにも関わらず、都教委によって強制させられている都立の公立学校の先生は気の毒です。わが国の「思想と良心の自由」を守るためにも、私たちは都内の先生たちと連帯して都教委の横暴を止めさせるべきではないでしょうか。
2010年05月31日
密約裁判に勝訴した西山元記者に激励された若者が、4月17日の朝日新聞に次のような投書を寄せた; 沖縄返還交渉の際に日米両政府が交わしたとされる「密約文書」をめぐる情報公開訴訟で東京地裁は9日、国に開示を命じる判決を言い渡した。「難攻不落だと思った。『情報革命』が起こった」。原告の元毎日新聞記者、西山太吉さんは判決後にそう語った。 政治学を学んでいる私は判決を傍聴した。去年1月に西山さんの講演を聴いて以来、手紙のやり取りを続けていた関係で判決後、西山さんが法廷から会見場へ移動される間、歩きながら話をお聞きした。私にこう話された。「民主主義への扉が開かれた。しかしその扉を閉ざそうとする勢力が必ず出てくる。君たち若い世代がそれに抵抗しないといけない」。国家の「ウソ」を認めさせた西山さんの言葉を重く受け止めたい。2010年4月17日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-『密約』勝訴の西山さんが激励」から引用 西山元記者が言うように、民主主義への扉を閉ざそうとする勢力が出てくる危険性は高い。そのような勢力に加担するようなことのないように気をつけていきたいものである。
2010年05月30日
100年前に締結されたと日本では言われている日韓併合条約は、実は不当なもので条約としては無効であることを、日本政府も認めるべきであるとする、日韓双方の知識人の声明について、11日の東京新聞は次のように報道している; 【ソウル=築山英司】韓国と日本の知識人約2百人の代表が10日、ソウルと東京でそれぞれ記者会見し、今年の日韓併合百年についての共同声明を発表した。1910年8月の日韓併合条約は「不義不当なもの」であり「当初から無効」とした韓国政府の解釈を、日本政府も受け入れるよう主張した。 韓国側は金泳鏑(キムヨンホ)柳韓大総長ら歴史学者や詩人の高銀氏ら30人が出席。金総長によると、声明文に「無効」などの表現を入れるかどうかで日本側と議論になったが、最終的に共通認識に達したという。日本側は和田春樹東京大名誉教授ら13人が会見に参加した。2010年5月11日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「日韓併合条約 『無効』と声明-日韓の知識人」から引用 1875年の江華島事件から1910年の日韓併合条約までの一連の経緯をみれば、当時の日本政府の朝鮮侵略の意図は明らかで、戦後の天皇や首相の反省の弁もあるわけだから、上記の声明のとおり、100年前の条約は無効であったことを、わが国政府は認めるべきである。
2010年05月29日
鯨やイルカを食べると、体に水銀が溜まることが明らかになったと、10日の朝日新聞が報道している; 「捕鯨の町」として知られる和歌山県太地町の住民約1千人について、環境省国立水俣病総合研究センターが調査した結果、毛髪の水銀濃度が全国平均の約4倍に当たることがわかった。同センターが9日、発表した。うち43人が世界保健機関(WHO)の安全基準を超えた。鯨肉を食べる習慣との関連が示唆されたという。水銀中毒症状など健康被害は認められなかったが、同センターの岡本浩二所長は「高濃度の人もいるので調査は続ける」として、研究班の設置を検討している。 調査は同センターが太地町の要請を受け、2009年6~8月と10年2月に実施し、住民3526人のうち協力の得られた1137人について測定した。 その結果、毛髪水銀濃度は平均8・26ppm(ppmは100万分の1)で、同センターが調査した全国14地域の平均2・12ppmの3・9倍だった。男性は11・0ppm、女性は6・63ppm。WHOが神経障害などを発症しかねない基準とする50ppmを超えたのは43人で、最も高かったのは70代男性の139ppm。 水銀濃度が高かった人や希望者の計182人を対象に、神経内科の専門医が視力や聴力、手の震えなど健康への影響を調べたが、水銀中毒の可能性が疑われる住民はいなかった。水俣病を発症した患者の水銀濃度は100~700ppm程度との調査がある。 最近1カ月の間に鯨やイルカを食べたかどうかも調べた。「食べた」という住民の水銀濃度は男性が15・2ppm、女性が9・75ppm。「食べていない」とした男性は8・30ppm、女性は5・64ppmだった。同センターは「鯨肉などの摂取量と毛髪水銀濃度の間には関係が認められた」とした。 鯨の水銀汚染については、地表から流れ出た水銀がプランクトンから魚、鯨へと食物連鎖で濃縮され、連鎖の上位にある大型の魚や鯨に多く含まれるようになっていると指摘されている。(長崎緑子)2010年5月10日 朝日新聞朝刊 14版 30ページ「『捕鯨の町』太地、毛髪の水銀4倍」から引用 鯨肉以外にたんぱく質摂取が難しかった昔ではないのだから、もう鯨を食べる習慣はやめたほうがいい。
2010年05月28日
今まで「普天間飛行場は最低限、県外へ」と言っていた鳩山首相が、急に「県外」を断念した理由は「抑止力」論であった。沖縄にある米海兵隊が「抑止力」を発揮しているかどうか、10日の東京新聞は次のように報道している; 米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をめぐり、沖縄で鳩山由紀夫首相は「抑止力の観点から難しい」と海外移設を断念した理由を明らかにした。だが、在沖縄海兵隊はイラクやアフガニスタンへ派遣され、相当数が不在。「抑止力」になっているのか。 (編集委員・半田滋) 政府は米軍再編の協議で、米側から在沖縄海兵隊の兵員数は定数1万8千人との説明を受け、このうち8千人をグアム移転させることで日米合意した。◆中東派遣◆ だが、沖縄県庁は米軍への聴取から実数1万2401人(2008年9月末)としている。この人数から8千人を引くと、4千人強しか残らない。定数からの引き算なら1万人残る計算だが、沖縄から中東へ派遣された兵員がいつ戻るか不明だ。 沖縄に部隊があれば、兵士不在でも「抑止力」になるのか。湾岸戦争では沖縄から2千人が派遣され、この穴埋めに同数の予備役兵が米本土から沖縄に派遣された。しかし、04年2月にイラクに送り込まれた歩兵3千人の補充はなかった。 同年8月から翌年3月まで唯一の実戦部隊「第31海兵遠征隊」(約2200人)が普天間飛行場のヘリ部隊とともにイラク戦争に派遣され、8カ月間不在になった。イラクとアフガンで二つの戦争が同時進行したとはいえ、沖縄の海兵隊は「空席」が目立つ。◆ちぐはぐ◆ 沖縄の海兵隊は「第3海兵遠征軍」と呼ばれ、米本土にある第1、第2海兵遠征軍の3分の1の規模でしかない。その役割について、防衛省幹部は「朝鮮半島や台湾での有事に対応する」という。 だが、06年の米軍再編合意で、米海兵隊岩国基地(山口県)のCH53Dへリ8機はグアム移転することになった。朝鮮半島有事の際、米兵の家族を韓国から空輸する人道支援との名目で01年に配備されたヘリだ。 在日米軍全体をみると、ちぐはぐぶりはより鮮明になる。米空軍三沢基地(青森県)のF16戦闘機は、レーダー破壊が専門で朝鮮半島有事にも対応する部隊だが、昨年4月、米軍は全面撤退を非公式に防衛省に打診した。 また、米軍再編の議論を通じ、米側は横田基地(東京都)にある在日米空軍司令部を兼ねた第5空軍をグアムの第13空軍と合併させた後、グアム移転させる案を提示した。日本側の反対で実現しなかったが、その後、第5空軍指揮下の複数部隊は第13空軍に配置換えされ、司令部の空洞化が進んでいる。◆出撃基地◆ 日本側が在日米軍の「現状維持」を叫ぶのに対し、米国の考えはより柔軟なようだ。しかし、米側は日米で一度は決めた普天間代替施設のV字案にはこだわりをみせる。 キャンプ・シュワブ(名護市辺野古)を一部埋め立てて滑走路2本をV字形に造る施設には、240メートルの係船岸壁が追加される。歩兵部隊は目の前の岸壁を使い、佐世保基地(長崎県)から来る強襲揚陸艦に乗り込むことが可能になる。現在は沖縄南西部の桟橋まで約一時間かけてトラック移動しているため、出撃機能は強化される。 海に面して弾薬搭載エリアも確保。普天間飛行場は周辺に住宅がたて込み、米軍の基準で弾薬搭載エリアが確保できず、裏手的基地で搭載している。 V字案のように格段に強化された普天間代替施設を再び、他にみつけることは難しい。だが、それは出撃基地としての「利便性」であり、「抑止力」とは別次元だ。丁寧な日米協議が求められる。2010年5月10日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「兵士不在目立つ在沖縄海兵隊 『抑止力』になってる?」から引用 この記事が示唆するように、もともと海兵隊は機動力が特徴で、周辺に現れるかも知れない「敵」に対する抑止力を目的に編成されたものではない。その上、いつもアフガンやイラクへ出撃していて、沖縄にはほとんどいないというのであるから、これで「抑止力」論の化けの皮ははがれたといっていいのではないか。
2010年05月27日
先月、日本経団連が発表した「成長戦略2010」について、共産党機関紙「しんぶん赤旗」日曜版は、次のように批判している; 「成長戦略2010」なるものを、日本経団連(御手洗冨士夫会長)が4月13日に発表しました。 鳩山内閣が昨年12月30日に策定した「新成長戦略(基本方針)」を受けてのものです。 「成長戦略2010」には、政府の「基本方針」の方向性は「概(おおむ)ね、経団連の考え方と一致している」とあります。「基本方針」を評価したうえで、いかにして経済成長を実現していくかを論じているもので、いわば経団連から政府にあてた提言の書、もしくは指南の書といった趣の文書といえます。 「成長戦略2010」の基本にある考え方は、「企業が国民の生活を支えている」「企業活動がなければ、雇用を創出することも…より豊かな国民生活を享受することも不可能である」というものです。 だから、企業に力をつけさせなければならない。そのためには、「わが国企業が…国際競争上不利になることがなく…海外企業にとっても(日本が)魅力ある立地条件となるよう…ビジネス環境を整備することが喫緊の課題である」と説いています。 とりわけ法人税率の引き下げ、加えて規制撤廃やPFI事業(公共施設の建設等を民間の資金、経営能力、技術などを活用して行う事業)の拡大などが重要であると述べています。 また一方で、消費税については、「2011年度から速やかかつ段階的に(たとえば、毎年2%ずつ引き上げ)…少なくとも10%まで引き上げ」「2020年代半ばまでには…10%台後半ないしはそれ以上へ引き上げていかざるをえない」と提言しています。 こうした内容の「成長戦略2010」をどう読むべきでしょうか。 まず言えることは、過去の「構造改革」政策についての反省が、まったくないことです。 「構造改革」政策は、ここで主張されているのとまったく同じ考え方に立ちました。「企業に活力」を与えるよう法人減税を行い、規制緩和を行うなどしてきました。 その結果はどうだったでしょう。大企業は大いにもうかるようになりましたが、人々の暮らしはかえって貧しくなりました。 そればかりではありません。「構造改革」政策のもとで、大企業の力が強くなり、中小企業との取引条件を厳しくしました(下請け単価の切り下げなど)。労働者の処遇を劣悪なものとしました(非正規雇用の拡大、賃金の抑制など)。その結果、日本経済は国内需要がまったく伸びない、輸出依存型の経済になったのです。 総需要(国内需要と輸出の合計)の8割以上を占める国内需要が伸びてこそ、日本経済は成長できる-そのもとでこそ日本企業の国際競争力は強くなる、と考えるべきでしょう。 そして消費税の引き上げといえば、国内需要を抑える増税であり、経済成長率の視点からみてさえ、最悪の選択というほかありません。 山家悠紀夫(やんべ・ゆきお 暮らしと経済研究室主宰)2010年5月9日 「しんぶん赤旗」日曜版 20ページ「経済これって何?-構造改革 継続説く」から引用 小泉政権下の構造改革で、大企業はよほど甘い汁を得たらしく、構造改革の結果国民の暮らしが疲弊して内需が低迷していることなど気にも留めないで、自分さえ儲かればよいという態度のようである。そのような、国民の暮らしを無視した利潤追求では、やがて企業存立の基盤が損なわれるであろうという観点が欠落しており、これでは日本の将来は危うい。日本経済をリードする立場の人たちには、それに相応しい大局的な観点をもってほしいものである。
2010年05月26日
政治家の記者会見が大手の記者クラブに独占されている現状を改善する運動について、「しんぶん赤旗」日曜版のコラムは次のように述べている; 情報公開、国民の知る権利行使の場である記者会見の完全開放を!-新聞労連(日本新聞労働組合連合)やフリージャーナリスト・弁護士・学者有志が今春、相次いで行動を起こしました。 本来、権力を監視し、政官財の情報隠ペいを暴く役割を担うべき記者会見を記者クラブが独占し、外国メディアやフリー、ネットメディアを排除、権力との癒着の温床になっているのでは…と不信感を強く持たれているのです。 「会見開放を求める会」(代表世話人・野中章弘氏)は4月19日、新聞協会加盟の231法人にアピールへの賛同、周知徹底を申し入れたと発表しました。 その席で新聞労連の豊秀一委員長は「過去2回、記者会見開放と記者クラブ改革を提言したが、進まないのは残念。今度こそ成果をあげたい」と「全面開放宣言」の手引きを示しました。 4月25日、新聞研究集会では、ビデオジャーナリスト神保太郎氏が基調講演し「記者会見の主催権を大臣、行政側が持つべきとの意見もあるが間違い。権力をチェックする記者側が持つべき、そのためにも特権、閉鎖性をなくさねば」と問題提起しました。 元締めの日本新聞協会は02年(06年一部改定)に「記者クラブに関する編集委員会の見解」を策定、「より開かれた存在に」と提唱、「市民からの情報発信に対しても記者クラブは開かれています」と明確に打ち出しているのです。 しかし、それでもなぜ『閉鎖的、排他的』といわれる実態があるのでしょうか? 根本的には大手マスコミの編集・報道現場に、自由に物を言い、提案できる社内民主主義、言論の自由がないこと。さらに、新聞とテレビが系列化し、相互批判がないことです。「既成マスコミvsフリー」の対立を超え、自立したジャーナリストの横断的な連帯にこそ問題解決の糸口があります。 (あべ・ひろし=新聞ジャーナリスト)2010年5月9日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-『記者会見開放』の本質」から引用 建前では新聞の紙面に「民主主義」だの「言論表現の自由」だのと書いておきながら、その新聞社の記事を書く現場に「民主主義」や「言論表現の自由」が乏しいというのは、残念なことである。わが国の民主主義もまだまだこれから、ということのようである。
2010年05月25日
日本の経済はあと1年で破たんするという恐ろしい話について、コラムニストの神足裕司氏は「週刊アスキー」3月23日号で、次のように述べている;「日本経済は1年で破綻」という、『週刊朝日』(3月5日号)の見出しを見て、記事を読んでみたら『伝説のカリスマディーラー』藤巻健史さんが書いている。「もっても最長で来年まで。再来年度の予算は組めなくなると思います」という。 初めて聞く話ではない。 昨年、慶大経済学部教授の土居丈朗さんに聞いたときはこうだった。日本の累積赤字は865兆円くらいあるが、個人資産は1100兆円。その個人資産を国が全部借りてしまうと、だれも銀行から借金できなくなる。経済学者の言い方は、ぶっ飛んでるけど、年40兆円ずつ赤字が増えていったとして10年後。で、藤巻さんのような現場の専門家は前倒しして「来年まで」となるのかもしれない。 どうなるかというと、日本の円は大暴落し、ハイパーインフレがやってくるそうだ。現実感はまったくないけれど、そうなのかもしれない。ただ、私は昨年1年間、ほとんどムダに経済を勉強したのでいささか反論がある。モルガン銀行の支店長まで務めた方(藤巻さん)に言い返すのはおそれ多いが、そのデータちょっと達うんじゃないですか、というものだ。 昨年私が読んでいちばん「わかった」と感じたのは水野和夫さんの『金融大崩壊』だ。三菱UFJ証券の水野さんはデータを駆使し、世界の金融資産が95年から06年までに、67兆ドルから187兆ドルまで増えたと突き止めた。クリントン政権下のルービン財務長官が「強いドルはアメリカの国益」と言ったとき、金融は企業を支える黒子でなくなり、アメリカの稼ぎ頭になった。このことを「尻尾が犬を振り回す」とも書いてある。だが、それでも日本は世界のバブルに付き合わねばならない。付き合うべきだった、という意見で藤巻さんと一致している。 日本の株価はバブル頂点の4分の1。逆にアメリカは1倍。アジア圏でリーダーシップを取れなくなり、ドル没落後の地域通貨バスケットで、主導権は中国の元になるだろう。でも、その数字が、これもまた専門家に逆らって申し訳ないが納得いかない。187兆ドルに膨らんだ世界の金融資産がリーマンショックで失ったのはわずか20兆ドルに過ぎないと、水野さんは書いている。だから、日本は4分の1でアメリカは4倍という計算になる。 ほんとうに20兆ドルか? リーマンショックの精算はもう終わったのだろうか。日本は、ゲームや自動車を売る日銭商売だ。世界が財布のひもを締めればモロ影響を受ける。しかし金融世界の危機は企業が隠蔽し、各国が協調して景気対策を打ち支える。証券会社の金融商品で運用していた年金が半分にもなろうかというのに、世界の金融資産は10パーセント程度の落ち込みなのか? 広告主がいなくなり、ビルの看板が真っ白の高速道路を走りながら思うのは、そんな財政破綻よりデフレとインチキ商売の怖さだ。世界は偽りで成り立とうとしているのではないか。中国とブラジルと、例のBRICsとやらの未来を見込んで架空の持ち金を膨らませ、バブル崩壊前を装っている。 日本だけが現実を生きている。だから、日本は4分の1なのだ。首都高の数少ない看板に『フィアット500』があった。ヨーロッパ人はクルマで貧乏をやるのがとても上手だ……と感心しながら『貧乏上手』という言葉が頭に浮かんだ。 私も物が安くなるデフレを享受している。日本の台所はヨーロッパに負けない貧乏上手だ。大根の葉っぱまでおいしく利用する。銀座裏通りでほそぼそ営業するそば屋の親子井は950円。とてつもない高額だが、それだけの味がする。日本は破綻しない。破綻するのは世界だ。どちらにしても愉快な話ではないが。「週刊アスキー」2010年3月23日号 25ページ「Scene 2010 vol.188 日本が破たんして世界が無事ってことあるだろうか?」から引用 政治の世界にもまして、経済のことは分かりにくい。膨大な赤字をかかえて、よく国の財政がもっていられるものだと不思議に思うが、そうかと言ってある日突然「実は破たんしておりました」というのだけは勘弁してほしいものである。
2010年05月24日
鳩山政権への支持率を低下させた世論を批判する投書が、7日の東京新聞に掲載された; 民主党鳩山政権の支持率が20%に落ちている。昨夏の衆院選での日本で初めてとも言える本格的な政権交代は何だったのか。これは民主党に対してではない。国民一人一人に対して言いたい。 政権が代わっただけで国が良くなると思っているのか。自分たちはこの間、何をしてきたのか。私たちの一票でつくった政権を簡単にあきらめてしまっていいのか。日本を良くするには自分には何ができるのかを考え、できることから行動を起こし、自分たちでつくった政権をいい方向へ育てていく。日本を良くするには私たち一人一人に、そういった覚悟も必要と思う。2010年5月7日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「発言-政権育てる覚悟も必要」から引用 政権が変われば、それだけで世の中が変わると思うのは、あまりにも無責任だ。自民党には長年政権を任せて、それなりに成功した時代もあったが、その後新しい時代に対応できなくなったので、我々は別の政党を選択した。この政党が経験を積んで、真価を発揮するにはまだ時間がかかるし、何よりも前政権が残した「負の遺産」を片付ける仕事もあるし、長い目でわが国の民主主義の成長を見守りたい。
2010年05月23日
普天間問題を契機に、日米安保を考え直す時がきているとする投書が、7日の東京新聞に掲載された; 普天間飛行場移設問題で、鳩山首相が迷走しています。首相はかって「独立国に、米国の基地がこんなにあるのは異常」と言っています。普天間問題は、この異常を正すのが原点です。 「こんなに基地がある」原因は日米安保条約です。しかし、「触らぬ神にたたりなし」と考えているのか、首相はこれを論議する姿勢に欠けています。 安保条約は東西冷戦時代の落とし子で、冷戦解消後は世界の情勢は大きく変わりました。それを50年間、何の論議もしないで自動継続しています。 砂川裁判で伊達判決は「米国の基地は憲法違反」と言っています。これに慌てた米国が政府に圧力をかけ、最高裁で逆転した事実があります。 普天間問題は安保条約の論議なしでは、解決策はありません。それができない首相なら引退するだけです。2010年5月7日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「発言-安保の論議 今こそ必要」から引用 砂川裁判のときは、朝鮮戦争からあまり年数もたっておらず、道理にかなった判決が日米両国の圧力でひっくり返されてもしかたがないという面があったかも知れないが、今では冷戦構造も解消され、日本が直接侵略される危険はゼロとなったのであるから、日米友好は必要であるとしても、軍事基地は、もう撤去していいのではないか。
2010年05月22日
5月中に決めることは不可能となった普天間飛行場の移設について、7日の東京新聞投書は次のように述べている; 普天間飛行場移設先が丸く収まる場所など神様だって宇宙人だって国内に見つけ出せるわけがない。日本国民の血税で来賓扱いで米国基地を支えてきた。 だから、「こんな居心地の良い所から出て行かれない」と米国は出て行かないのだ。敗者と言われようと愚かと言われようと「国内に候補地は見つかりません。出て行ってもらうしかないです」とだけ、ぶれずに言い通してほしい。 それだけで鳩山さんは私たちの立派な首相だ。2010年5月7日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「発言-候補地なし 主張する時」から引用 鳩山内閣発足直後から、普天間はどうするのかという問題が言われ、首相が何も言わないうちに外相と防衛相が先走って、オバマ大統領来日までに決めなければなどと言いだして、慌てて首相が「その限りではない」という意味で「5月末」という発言が飛び出したものと思われる。どうしても5月末までに決めなければならない理由は無く、単に「あの時5月と言ったじゃないか」というレベルの話だ。最近になって、ようやく首相が全国知事会に相談するという動きが見られるようになったが、本来は内閣発足直後からそのような取り組みを始めるべきであった。私がこんなことを言っても、当事者には実はそれよりも急ぐ案件が山ほどあったに違いないので、ここは新政権が短命に終わらないように、鳩山内閣の努力を見守りたい。
2010年05月21日
共産党の志位委員長が駐日米大使のルース氏と会談したことを、2日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している; 「対米外交 共産党を参考にしては」。こんなコラムが朝日新聞(4月22日付)に掲載されました。注目を集めた日本共産党の志位和夫委員長とジョン・∨・ルース駐日米国大使との会談(21日)。その内容はー。 志位氏は会談で核兵器問題と日米関係について日本共産党の立場を伝え、意見交換しました。 5月3日からニューヨークで行われる核不拡散条約(NPT)再検討会議に出席する志位氏。「核兵器のない世界」にむけて新たな一歩を踏み出す会議として成功するよう、唯一の被爆国の政党として最大限努力することを表明しました。そして、日本共産党と米国政府とは核兵器問題での見解の相違はあるが、「核兵器のない世界」を目標にする点で、大局的には協力可能と考えているとのべました。 ルース大使は、核兵器廃絶を掲げたオバマ米大統領あての志位氏の手紙(昨年4月)にふれ、「手紙を読みました。良い手紙でした」と表明。核兵器問題で見解やアプローチの違いがあるが、オバマ大統領が目標にする核兵器廃絶では意見が一致している、と語りました。 志位氏は日米関係についても、「私たちの立場を率直に伝えたい」として、普天間基地問題での党の立場をのべました。 沖縄県議会が全会一致で「県内移設反対」を表明するなど「沖縄の情勢は決して後戻りすることはない限界点をこえている」と指摘。「沖縄県内はもとより、日本国内のどこにも『地元合意』が得られる場所はない。問題解決の唯一の道は、移設条件なしの撤去しかありません」とのべました。 ルース大使は米軍基地問題では意見が異なるとのべ、日米安保条約と在日米軍再編合意の重要性を強調すると同時に、「在日米軍基地のインパクト(影響)を軽減しなければならないと認識している」と表明しました。 「日米安保条約にたいする見解は異にします」とのべた志位氏は次のように発言しました。 「1969年、日米両国政府が合意した沖縄の施政権返還は沖縄と日本の運動をふまえての、サンフランシスコ条約(第3条)の壁を超えた決断でした」「いままさに同じような決断が求められる歴史的岐路に日米関係が立ち至っていると考えます」 志位氏は、日本共産党の主張が日米両国間の本当の友好を願ってのものであることを強調。大使も「立場の違いはあっても敬意をもってオープンなコミュニケーションを持つことが重要と考えています」と語りました。2010年5月2日 「しんぶん赤旗」日曜版 2ページ「志位さん、米大使と会談」から引用 立場や考え方の違いがあるからという理由で話し合いもしないというのでは何も解決はしません。互いの相異を認識した上でオープンな話し合いを持つことは、大変重要であると思います。
2010年05月20日
元プロデューサーの仲築間卓蔵氏は、2日の「しんぶん赤旗」日曜版のコラムに、米軍基地反対の国民の声に対するメディアの態度について、次のように述べている; 普天闇基地の即時・無条件撤去を求める声が、日増しに大きくなっています。 4月14日の東京・日比谷の「中央集会」は、5千人を超える参加で熱気に包まれました。18日は、鹿児島県徳之島で島内人口の6割が結集して反対集会。24日は沖縄県石垣市で700人の連帯集会が開催されています。 そして25日、沖縄の読谷村運動広場には、過去最大規模の9万人が、「鳩山政権にイエローカード」を示す黄色を身につけて結集しました。同日、宮古島市では3千人の連帯集会が開かれたそうです。 これらの集会を、大手メディアはどう伝えたのでしょうか。 14日の集会は、上空を取材へリらしきものが飛んでいましたが、大きく報じた形跡はありませんでした。石垣市、宮古島市の連帯集会のことは、「しんぶん赤旗」の報道でやっと知ったという程度です。 9万人の沖縄集会は、地元のNHKや民放局が生中継したそうですが、全国放送はなし。 翌朝は多くのワイドショーで、「米軍基地は、北朝鮮など、日本の脅威の抑止力だから必要だ」と主張するコメンテーターを登場させ、墓地に固執する姿勢を示していました。 そんななか、痛快だったのは、「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)の鳥越俊太郎さんです。鳥越さんは「普天間基地のヘリ部隊がどこへ行っているかわかりますか。アフガニスタンですよ。アメリカが戦争をするために(基地が)使われているんです。『抑止力』なんて、ちゃんちゃらおかしい」とズバリ。 「朝ズバッ!」(TBS系)のみのもんたさんも、「(基地移設は)地元の同意がなければダメだと、アメリカが言っている。鳩山さんは日本の気持ちをちゃんとアメリカにぶつけるべきでしょ」と。 メディア自身が、「基地はなくせない」というじゅ縛から解かれるかどうかが、改めて問われています。(なかつくま・たくぞう=元ワイドショープロデューサー)2010年5月2日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-新基地ノー どう伝えた」から引用 メディア自身が米軍基地「信仰」に呪縛されているのは残念なことです。本来であれば、中立の立場から米軍基地は必要なのかどうか、わが国の安全保障はどうあるべきか、国民的論議を呼び起こす方向で報道と論評をしてほしいと思います。
2010年05月19日
沖縄県出身で山梨学院大学名誉教授の我部政男(がべまさお)氏は、4月23日の東京新聞「こちら特報部」の記事の中で、米軍基地の問題について次のように述べている; 沖縄・米軍普天間飛行場問題で、現地では25日、超党派で十万人規模の県民集会が開かれる。集う人々の心には基地問題の枠を超えた憤りが渦巻く。同じ国民でありながら長年、押し付けられてきた「不公平」や「偏見」。戦中、戦後の沖縄を生きた山梨学院大名誉教授の我部政男さん(70)は「鳩山さんは積もり積もった県民の怒りに火を付けてしまった」と語る。自らの体験と重ねた県民の思いを聞いた。 (田原牧) 「幼稚園児なのに僕はたばこを吸っていた」。我部さんは記者のたばこを見て、そう笑った。 太平洋戦争の敗戦を五歳で迎えた。「米兵はたばこだけでなく、缶詰やせっけんもくれた。当時の人々の生活を目の当たりにして、そうせざるを得なかったのだろう」 沖縄は17世紀初めに薩摩藩に侵略され、明治初頭には琉球処分で日本に併合された。戦時中、沖縄方言はスパイ言語として禁じられた。敗戦間際の沖縄戦は軍部にとって「本土決戦」準備のための時間稼ぎで、沖縄は「捨て石」だった。 本土の日本人への思いはいかばかりかと推察するが、我部さんは沖縄県民の感情はそう単純ではないという。 2007年の歴史教科書検定で、沖縄戦での集団自決が軍命による強制か否か、が問われた。我部さんも文部科学省から意見を求められた。 「僕は軍命の有無が焦点ではないと思った。オーケストラでは、指揮者がタクトを落としても演奏は続く。つまり、琉球処分後、『後発日本人』である沖縄人に対し、政府が進めた『軍官民一体化』の徹底した皇民、臣民化教育こそが集団自決を準備したと考えた」 そうした外からの力と同時に、我部さんは県民の心をこう指摘する。 「県民自らが必要以上に日本人らしくなろうとした事実がある。背景には、当時の朝鮮やアイヌの人々と同様、沖縄人は『二級日本人』という差別や偏見があった」 敗戦直後、地元では「米軍による解放」を歓迎する空気もあった。しかし、それはすぐに一変する。米軍の「銃剣とブルドーザー」による土地の強制収用、住民の強制移住が始まったからだ。 「沖縄の墓は大きい。その先祖伝来の墓をブルドーザーが次々とつぶしていく。でも当時、県民はサンフランシスコ講和条約(1952年発効)によって日本に復帰できると信じていた。だが、そうはならなかった」 沖縄は米軍施政下に置かれた。米国は軍用地の無期限使用を目的に、土地所有者に地料の一括払いと新規の土地収用を骨子とする「プライス勧告」(56年)を発表。これに対して「島ぐるみ闘争」が起きた。だが、米軍統治は揺るがず、財産権、言論の自由といった県民の基本的人権は侵害、否定された。 経済的にも、58年まで米軍占領下の沖縄、奄美群島では「B円」が適用された。1ドルは120B円(当時、本土では360円)。円より3倍も『円高』なレートは輸出型の地元製造業の発展を妨げ、基地依存型の経済構造を強いた。 我部さんは65年から本土の大学院に「留学」した。「当時は東京まで3昼夜かかった」。パスポートを携行した。事実上の発行主である米軍は、申請者を「反米的な人物」とみなした場合には申請を却下した。 「土地が自分たちのものでなく、法も自分たちで決められず、島からは自由には出られない。まさに異民族が支配する監獄だった。その支配を打ち破るために、祖国復帰運動が始まった」 だが、『副作用』もあった。「戦時中の日本軍の住民虐殺は長く表面化しなかった。復帰運動が押しとどめた」とみる。「復帰運動に皇民化教育の延長という側面があったことは否定できない」 72年、沖縄の施政権が日本側へ返還された。その前夜、地元の復帰運動では基地撤去をめぐって激論が交わされた。 「いろいろな意見があったが、基地で働く人々の雇用問題もあり、結果的には先送りされた。でも、本土には憲法9条がある。基地撤去は日本人全体が考えるべきことでもあり、復帰後、日本政府が何とかしてくれると皆が信じていた」 政府に託した夢。ときの自民党政権も、祖国復帰を願う沖縄を取り戻すと約束していた。県民の解釈では、そこには基地撤去も含まれるはずだった。だが、夢は「裏切られ」、基地は残った。 県民の不満を和らげようと、政府は地元への経済援助に力を入れた。おかげで台風で壊れるような家はなくなったと我部さんは振り返る。だが、基地問題はカネで解決という『霞が関』の発想はもはや通じないという。好例が軍用地料だ。 「かつては地主に払う軍用地料を上げれば、地元の不満は和らぐという図式があった。ただ、その前提は住民と土地が結び付いていること。しかし、終戦から60年以上たち、地主も代替わりした。いまや軍用地も投機の対象だ。本土の人も含めて売買されている」 地元紙には日々「軍用地の売買、買い取り」の広告が出ている。基地被害を軍用地料で補う構造は壊れている。 本土では、沖縄には振興策などで「迷惑料」が支払われていると語られる。カネが本土の資本に流れているといった問題以前に、我部さんは「迷惑料で沖縄が幸福なら、なぜ本土の地域で基地誘致に手が挙がらないのか。自分の屋敷に戦場(基地)を持ち込みたくないと考えるのは人として当然だ」と苦笑する。 「それより沖縄には政策とレベルの異なる感情がある。基地は人殺しの道具であり、集団自決の記憶と結び付く。復帰前から日本で最初に核で滅ぶのは沖縄、という不安もいまだ消えない」 その不安から県民は、反戦地主による裁判など抵抗に挑み続けたが、無力感も色濃く漂った。 「その状況で政権交代を迎えた。『最低でも県外』という鳩山さんの言葉は、県民が『いつか本土が親身になってくれるかも』という淡い期待に火を付けてしまった」 琉球処分以降、県民の意思は常に押しつぶされてきた。期待と失望の連鎖。集会に集う県民の心にはそんな歴史的な憤怒が募っている。我部さんは静かにこう語った。 「たとえ、県外移設が首相のリップサービスだったとしても、県民感情に火が付いてしまった。それは消せないだろう」2010年4月23日 東京新聞朝刊 11版S 28ページ「基地問題の根底 長年の差別と偏見」から引用 沖縄の人々がこれほどの苦労をしているのに、本土のどの地域からも一部負担の肩代わりの申し出がないのであれば、あとは米軍の国外退去を求める以外に道はないのではないか。
2010年05月18日
昨日の日記に引用した投書の元になった記事も、私の日記に残す価値があるので、ここに引用する; 沖縄返還交渉のさなか、宰相の「密使」としてアメリカと秘密裏に交渉し、核兵器再持ち込みの合意に関与した国際政治学者、若泉敬(けい)氏。彼は、その経緯を詳述した自著「他策ナカリシヲ倍ゼムト欲ス」を出版して2年後、死去した。関係者によると自ら命を絶ったという。なぜ、死を前に密約を公表したのか。周囲の話から見えてくるのは、基地の重圧に苦しむ沖縄への自責の念と、矛盾を顧みようとしない国民への焦燥感だ。 (川端俊一)=1面参照 1996年7月27日、福井県鯖江市。高台にある若泉氏の自宅に知人らが集まった。「他策」の英訳版作成にあたり、同氏と訳者、編集者らが合意を確認するためだ。 がんに侵され、ベッドにいた。「これで思い残すことはない」。会議は終わり、弁護士の田宮甫(はじめ)さん(76)、県商工会議所連合会の鰐渕(わにぶち)信一さん(62)の2人が残った。若泉氏は天然水を勧めた。 自らも飲みながら、何かを口に入れたように見えた。途端にむせかえり、嘔吐(おうと)し、体中がけいれんする。用意していた毒薬を飲んだらしかった。 「核密約」から27年。66歳。死因は「がん性腹膜炎」と公表され、遺言により告別式は行われなかった。■連絡には偽名 佐藤栄作首相のもとで交渉にかかわったのは67年。京都産業大教授で、まだ30代だった。米首脳らとの人脈を生かし、佐藤首相とジョンソン米大統領の会談で沖縄返還に道をつなごうと尽力する。交渉が山場を迎えた69年、難航していた沖縄配備の核兵器の扱いを巡り、キッシンジャー大統領補佐官とひそかに交渉。連絡には偽名を使った。 「返還交渉にかかわっていることは、ある程度わかっていました」。当時小学生だった若泉氏の長男、聡一郎さん(50)は振り返る。母はそのことには触れなかった。 若泉、キッシンジャー両氏が打ち合わせ、佐藤首相とニクソン大統領が署名したのが機密の「合意議事録」だ。米国が返還時の「核抜き」を実施する代わり、日本は有事の再持ち込みについて「要件を遅滞なく満たすであろう」。非核三原則とは相反する。 「決定的なことをやってしまった。あとは歴史の評価を待つしかない」。父の言葉を聡一郎さんは記憶している。東京から故郷の福井に帰ったのは80年。そのころから秘密交渉の経緯を本にまとめることを考えていた、という。 文芸春秋の編集者、東眞史(あずままふみ)さん(67)が鯖江市に若泉氏を訪ねたのは、その12年後。詳細につづられた文章の気迫に、東さんは真実と確信する。 題名は日清戦争の時の外相、陸奥宗光の「蹇蹇録(けんけんろく)」の一節からとった。秘密交渉はやむを得なかった、しかし、本当にそれでよかったのか、との苦渋がにじむ。■「歴史に責任」 「沖縄に申し訳ない」。若泉氏が何度も口にした言葉だ。戦争で占領された沖縄を取り戻す交渉は、容赦なく裏取引を迫られる過酷な外交の「戦場」だった。復帰はしたものの、沖縄は過密な基地の重圧を受け続け、本土の人々はやがてその現実に目を向けようとしなくなる。 94年5月、「他策」出版。国会での証言を切望し、喚問があるはずと考えて田宮弁護士に相談していた。だが呼ばれることはなかった。 若泉氏は沖縄での遺骨収集に参加し、戦没者を悼む6月23日の慰霊の日にも毎年のように訪問していた。 同年6月に書いた「嘆願(たんがん)状」と題した便箋5枚が残っている。沖縄県民や当時の大田昌秀知事にあてたものだ。「日米首脳会談以来歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を執り、武士道の精神に則(のっと)って、国立沖縄戦没者墓苑において自裁します」。「自裁」は自決を意味する。 翌年9月、沖縄で米兵による少女暴行事件が起きた。鰐渕さんの元に若泉氏が送った沖縄の地元紙のコピーがある。「幼き少女の苦しみを知れ」「沖縄の米軍兵力の削減を」。投書欄の見出しに丸印がつけてある。晩年、気にかけた基地問題は15年近くたった今もほとんど進展がない。 密約をあえて公にした理由は何だったのか。著書巻末の「跋(ばつ)」にそれがうかがえる。「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果……いわば『愚者の楽園(フールズ・パラダイス)』と化し、精神的、道義的、文化的に『根無し草』に堕してしまったのではないだろうか」 死去後、遺骨は沖縄の海に散骨された。2010年3月11日 朝日新聞朝刊 14版 38ページ「『沖縄に申し訳ない』-30代で密約交渉の若泉氏」から引用 私が思うに、若泉氏はとにかく沖縄が本土に復帰するという名目だけでも成し遂げれば、やがては米軍基地からの開放も、後に続く世代が実現するものと考えたのではないだろうか。そうでもなければ、世論を欺くようなことが出来るわけがない。ところが、本土復帰が実現しても本土の人々は沖縄の米軍基地に無関心だったので、思い余って密約の一部始終を本に書いて出版したが、それでも世論は反応せず、彼を失望させたのではないだろうか。しかし、今からでも遅くはない、私たち、は沖縄からの米軍撤退の声を上げるべき秋なのだ。
2010年05月17日
佐藤栄作首相の時代に沖縄返還交渉の実務を担った若泉敬氏について、4月16日の朝日に掲載された投書は、次のように述べている; 沖縄返還交渉のさなか、佐藤栄作首相(当時)の「密使」として米国と秘密裏に交渉し、核兵器の持ち込み合意に関与した国際政治学者、故若泉敬(けい)さんの苦悩を取り上げた社会面「沖縄返還密使 覚悟の死」(3月11日)を読み、胸が詰まった。 若泉さんは密約交渉の経緯を詳述した「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋)を出版した後、毒薬を飲んで自ら命を絶ったらしいことを記事で知った。秘密交渉はやむを得なかった、しかし本当にそれで良かったのか、との苦衷が切ない。「沖縄に申し訳ない」と何度も口にし、遺骨は沖縄の海に散骨されたという。その「密約」に、ニクソン米大統領とともに署名したのが佐藤首相である。佐藤氏は退任後、非核三原則に基づく平和外交などが評価され、ノーベル平和賞を受賞した。 もし当時、有事の際の核持ち込みが表に出ていたとしたら、内閣はつぶれていたのではないか。むろんノーベル賞の受賞もなかっただろう。権謀が渦巻く外交交渉とはいえ、密使の苦悩と、宰相の栄誉との落差の大きさに戸惑うばかりである。 おりしも鳩山内閣が米軍普天間飛行場の移設問題で迷走している。「沖縄に申し訳ない」との若泉さんの死を賭した叫びに恥じない結論を導き出していただきたいと切に願う。2010年4月16日 朝日新聞朝刊 12版 16ページ「声-密約の重荷を負った若泉氏」から引用 若泉氏は有能な人材だったから佐藤首相の密使としての役割を果たすことができたが、しかしそれは社会正義に反し個人的良心にも反する行為であった。それでも、若泉氏はそれが自分に課せられた歴史的使命と思って、間違いは後世の世論が是正してくれるものと信じて、自分の役割を遂行したのであろう。後に続く我々は、彼の期待に応えて、沖縄から米軍基地を撤去する方向へ一歩踏み出すべきである。それが若泉氏の努力に応える道だと思う。
2010年05月16日
朝鮮学校から日本の大学に進学した在日4世の大学生は、高校無償化と朝鮮学校の問題について、朝日新聞に寄稿して次のように述べている; 4月から高校の無償化が始まった。朝鮮学校の除外問題は国内外で多くの関心を集めたが、結局、当分先送りとなった。これは在日朝鮮人だけでなく、在日外国人と日本の問題であるともいえるだろう。 私は、在日朝鮮人4世として生まれた。小学校から高校までの12年間は朝鮮学校に通い、現在、日本の大学で学んでいる。 朝鮮学校へ入学したのは・「母国語である朝鮮語を学んでほしい」という両親の方針からであった。当時、私自身は「在日朝鮮人」だということは、もちろん理解しきれていなかった。しかし、朝鮮学校へ通う過程で多くのことを学んだ。在日朝鮮人としてのアイデンティティー、母国である朝鮮半島のこと、そして自分が生まれ育った日本のこと。何よりかけがえのない友達がたくさんできた。 日本の大学を選んだのは、今後も日本で生きていくうえで日本の教育も受けてみたいという好奇心からだった。18歳で初めて入る日本社会。自分の名前を名乗れば必ず聞き返され、韓国からの留学生と勘違いされる。その都度生い立ちを説明するのも正直うんざりし、日本人は在日のことをあまりに知らないと一方的に憤ったこともあった。 それでも友人たちは私に普通に接してくれる。日本人に受け入れてもらった気がしてとても感激した。私はそれまで在日社会という狭いなかで守られるように生き、気付かないうちに「日本」を拒否していたのかもしれない。少なからず日本への偏見を抱いていたことに恥ずかしい気持ちになった。 私は自分の立場、アイデンティティーについて深く考えるようになった。そして自分が在日朝鮮人であることをしっかりと自覚し、在日朝鮮人として生きていくことを決めた。 「日本人にも、本国の韓国人、朝鮮人にもなりきれない」から、「そんな在日朝鮮人だからこそ、日本と朝鮮半島の懸け橋のような存在になれるんじゃないかな」といった変化が私のなかで生まれた。 私に考えるきっかけをくれたのは、まさに朝鮮学校と日本の大学双方の大切な友人であり、感謝の気持ちでいっぱいである。このような教育や社会がなければ、私は今も自分を隠すように生きていたと思うし、何より1世が必死に守ってきた国籍を捨てていたかもしれない。 私はいま、より多方面から朝鮮半島を見たいという思いから、朝鮮学校時代の経験を生かして朝鮮半島について学んでいる。日韓学生会議に所属し、日本人、韓国人とお互いの考えを話し合い、交流も深めている。 そんな中での今回の問題。学生として学ぶことは誰もが持つ権利である。大切な後輩たちにも思い切り学んでもらいたい。しかし、無償化の対象から除外されるということは、我々在日朝鮮人にとって、国と国の間の「懸け橋」としての役割も奪われ、さらにその立場にすら立つことができないということにつながってしまうであろう。真の友愛、共生とは、いったい何を意味するのであろうか。2010年4月14日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「私の視点-日朝の懸け橋奪わないで」から引用 わが国憲法で保障された教育を受ける権利は、国籍によって制限されるべきものではないので、朝鮮学校だからといって無償化から除外するという考えは間違っていると思います。
2010年05月15日
今年の春から「つくる会」教科書を使うことになった横浜市では、この怪しい教科書で授業を行う際の注意点をまとめた冊子を発行したと、4月14日の朝日新聞が報道している; 今春から横浜市内の8区の市立中学校で使用が始まった「新しい歴史教科書をつくる会」主導の自由社版の歴史教科書について、導入に反対する大学教員らでつくる市民団体が、教科書を使う際の注意点や課題をまとめた指南書を発行した。現場の教員に役立ててほしいと、歴史の見方や他社との違いなどを細かく解説している。 指南書は「自由社版『新編 新しい歴史教科書』でどう教えるか?」=写真。採択に危機感を持った元中高教員や大学教員の有志が昨年秋、横浜教科書研究会を発足。反対の立場から教科書の内容を共同で細かく検討してきた。 今回発行した第1号の指南書では全体を概観し、教科書に掲載されたいくつかの時代の「特徴的なコラム」を取り上げた。 赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした事件について、自由社版は「江戸の庶民の喝采をあびた」と紹介。これについて「半世紀近く後に人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が初演され、大好評を得たことを、事件そのものに対する評価と勘違いしてしまった記述」と指摘。「虚構と史実を混同しないことが求められる」などと注意を促した。 メンバーは約60人。第1号はA4判20ページ。1千部作って全市立中学校に郵送した。引き続き、授業進度に沿って古代・中世・近世編、近代・現代編を発行していくという。 文部科学省によると、国公私立校で今春から使用見込みの中学歴史教科書のうち、自由社版の全国シェアは1・1%。扶桑社版が0・6%だったという。横浜市教育委員会は昨年夏、市内全18区のうち8区で使う歴史教科書について自由社販を採択した。 メンバーは「検定に合格したからといって、誤りがないわけではない。今後は市民向けの学習会やセミナーも開いていきたい。教員だけでなく市民にも読んでもらいたい」と話す。 1部300円(協力金)。希望者は事務局の横浜国大歴史学研究室(045・339・3436)へ。(佐藤善一)2010年4月14日 朝日新聞朝刊 13版 25ページ「つくる会教科書 使う際の課題 導入に反対の団体が指南書」から引用 検定に合格したからといって誤りがないわけではないとは、恐れ入った話だ。特定のイデオロギーを無理やり教科書にねじ込もうとするから、そういう誤りが発生するのではないだろうか。教科書編集者にはよく注意していただきたいものだ。
2010年05月14日
きのう引用して途中で後を省略したガバン・マコーマック氏の論文は、省略するにはもったいないので続きを今日の日記に引用することにした;「防衛」とは無縁な海兵隊 しかしながら沖縄における昨年の総選挙での鳩山民主党の大勝と、続く1月の名護市長選挙の勝利は、民主的なうねりが盛り上がってきたのを示す徴候として受け止められる。普天間基地のどのような「県内移設」にも反対する世論は、ほぼ全県民的なものとなった。名護市長選挙後、大浦湾に迫る危険は(ジュゴンやサンゴ、ウミガメも含めて)劇的に減りつつあるようだ。14年間にわたり、期限付きの沖合ポンツーン方式の『ヘリポート』が徐々に巨大となり、海を埋め立てて、2本の滑走路を備え、軍港もある06年の計画に変貌していくウソとごまかし、策略を目撃し、さらに基地提供の見返りとされた経済的繁栄の約束が当てにならないのを経験した沖縄県民は、今日、再び簡単に騙されはしない。 2つの選挙は県民に勇気をもたらす一方、「同盟」関係を揺るがすものであった。辺野古基地建設は、鳩山がかつてのソビエトのように、戒厳令のような反民主的手段をとった場合には、実行に移されるに違いない。しかし「日米同盟」誕生50年を祝うための方法としては、かなり変わっている。 ヒラリー・クリントンはこの1月、ホノルルで、「安保条約は、東アジア、とりわけ日本の安全と繁栄にとって不可欠である」と強調した。これこそまさに、クリントン政権の国防次官補だったジョセフ・ナイが、1995年に冷戦後も日米安保を継続させるため「再定義」した際の核心的ポイントである。だが、こうした考えは正しいのだろうか。東アジアの平和と安全が沖縄の海兵隊の駐留に依存しているなどというのは、奇妙に歪められた考えだ。冷戦期に想定されたどこかの軍隊が日本を攻撃するような可能性は、現在ほとんどゼロに等しい。 そしていずれにせよ海兵隊は遠征する「攻撃」部隊であって、地上部隊として敵国領土に侵攻する即応態勢が用意されているが、日米安保条約第4条で明記されているような沖縄や日本の防衛のために駐留しているのではない。1990年以来、海兵隊は日本の基地から湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争に参戦するため出撃していった。 加えて、辺野古の基地計画に関する日本の大騒ぎは、大変な無理解の上に成り立っている。宜野湾市の伊波洋一市長が繰り返し示しているように(注4)、米国防総省は06年から、普天間の主力海兵隊部隊をグアムに移転することに決定し、それによってグアムを、東アジア全域と西太平洋をカバーする軍事的要塞・戦略的拠点に強化しようと進めてきた(それによって沖縄の新基地のあらゆる戦略的重要性も削がれる)。伊波市長の分析は、少なくとも部分的には防衛省の高官(柳沢協二・防衛研究所特別客員研究員。『朝日』1月28日付朝刊参照)によっても裏づけられている。それによれば、沖縄の第3海兵師団は「いつでも、日本以外の世界のどこへでも出動する任務を持つ。特定地域の防衛のためではない」と説明されている。要するにグアム協定とは普天間の代替基地ではなく、海兵隊がタダで受け取り、他国の領土を攻撃できる前進基地として使用する、新しく増強され、複数の機能を備えた基地の建設にこそ関連している。米軍の恐ろしい本質 ほぼ例外なく、米国政府高官や識者、評論家はグアム協定方式を支持し、日本の民主主義や沖縄の市民社会に理解や好意を示したりなどしない。そして概して日本の識者、評論家も、これに「奴顔」(植民地状況に慣れきった顔つき。寺島実郎が使っている)で呼応している。『沖縄タイムス』の1月19目付は、制定50年を迎え、「沖縄からは従属関係にしか見えない日米安保を検証するチャンスである」と指摘している。真撃に「検証する」のなら、日本の政治家と官僚から「奴顔」を一掃することが求められよう。 鳩山が5月までに普天間基地の移設先に関する重大決定を延期すると発表した際、国防総省の広報官はこの決定を「認めない」と公言した。ワシントンの匿名の高官は、鳩山を「信用していない」と語ったと伝えられている。ナイは日本の民主党について「経験不足でバラバラで、選挙公約にいまだ捕らわれている」と述べているが、それは明らかにグアム協定を再交渉しようとする試みは許されないということを意味している。 5月までに、鳩山は重大な外交的危機をおかしても米国の要求を拒否するか、それとも遺憾ながら辺野古の「V字型滑走路」基地にとって代わる「現実的な選択肢」がないと表明して米国に屈するかどちらかを選ばねばならないが、後者は国内の政治危機を招く。 安保条約50年の公式的記念行事では、ナイがかつて述べたような米軍が日本と東アジアにとっての平和と安全を保障する「酸素」の根源として讃えられようが、それは日本の市民社会にとって、この「酸素」が世界各地では毒なのだという事実が指摘される機会ともなる。 米軍こそ、次々と各国に破局をもたらす元凶なのであって、朝鮮戦争(1950年から始まり、法的にはまだ終わっていない)、民主的に選出された政府を倒したイランのクーデター(1953年)、グアテマラの社会改革を潰すための政府転覆工作(1954年)、チリの左派政権打倒クーデター(1973年)、ベトナム戦争(1960年代から70年代にかけて)、アフガニスタン戦争(2001年以降)、イラク戦争(2003年以降)などが有名だ。そして今では、パキスタン、ソマリア、イエメン、そして(再び)イランを脅かしている。 そこでは不正で違法な武力干渉により、米軍が「酸素」をまき散らすにつれて数百万人が死亡、あるいは国外亡命を余儀なくされ、国全体が破壊される。米国の同盟諸国がどこまでこうした犯罪の責任を負っているかと、オランダ(イラク戦争は実際に非合法で侵略的であったと最近調査委員会が結論づけた)と英国(イラク戦争を検証するチルコット調査委員会)で真剣に討議されている。日本政府の責任も同様に、調査されてしかるべきだ。 安保条約50年を記念する今年は、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とする日本憲法を持ちながら、よりにもよって戦争と戦争の威嚇を重要な国策遂行の手段とする国と一蓮托生の同盟関係を結ぶことになったのはどうしてか、そしてそのような国を今後も絶対的に支持し、気前良く財政援助を続けるのかどうか、じっくりと考える機会としなければならない。その第一歩として、今こそ過去50年の不平等な条約や秘密外交、ウソ、そしてごまかしを市民がオープンに論議し始めなければならない。(注4)本誌1月15日号「普天間移設と辺野古新基地は関係ない」2010年3月5日 「週刊金曜日」789号 26ページ「米国は辺野古から、沖縄から手を引け」から引用 冷戦時代は直接的な脅威があって、日本は米軍の抑止力を必要としたかも知れないが、冷戦が無くなった今となっては武力侵略のメリットがないことは明らかである。中国も朝鮮も、武力でことを構えるよりは、平和を維持して経済活動に注力するほうが国益であることは知っている。これからは武力の時代ではないのだから、先ず手始めに沖縄から米軍基地を撤去するのが最善の策である。
2010年05月13日
オーストラリア国立大学名誉教授のガバン・マコーマック氏は、3月5日の「週刊金曜日」に寄稿して、沖縄の米軍基地や日米安保について次のように述べている;マスコミと米国のロビイストが結託して流す「米国が怒っている」だの、「日米同盟の危機」といったデマに騙されてはいけない。名護市民が「ノー」を突き付けた(米国からの)辺野古の新基地建設要求は、国際的に見て正当性はない。 戦争が終わってから65年もたつのに、日本はいまだにかつての占領国の言いなりである。政府とオピニオンリーダーたちは、自国を占領状態に留めたがり、どんなことがあっても占領者の機嫌を損ねることは避けようと決め込んでいる。特に沖縄では、米軍は武力で奪った土地を今も占領しているのに、日本国政府は彼らの駐留維持のため、気前よく財政貢献を続ける。 また安保に基づく同盟関係を特徴付ける(密約という名の)ごまかしとウソが相次いで暴露されながらも、正式にその釈明を求める声が聞かれない。それどころか、耳にするのは四方八方から同盟の「深化」という言葉だけである。特に米国は、普天間基地の代わりに辺野古に新たな複合軍事基地を建設しなければならないと言い張っているが、日本の識者たちはこれにうなずくのみだ。こうした従属を求める姿勢を、私は「属国主義」と名付けている (注1)。「対等性」や日米関係の再交渉を口にする鳩山民主党が与党となりそうな気配が濃厚になるとただちに、米国は忠告や要求、脅しを矢継ぎ早に送りつけ、民主党に伝統的(自民党的)な従属を強要し続けてきた。自民党時代、イラクに「日の丸を揚げろ」「軍隊を派遣しろ」だの、インド洋に海上自衛隊を派遣しろだのと一黄して要求してきた同じ「日本問題専門家」や「ジャパン・ハンドラーズ(日本を操る人々)」が、今度は「従え! 従え! 従え! グアム協定を実行しろ! 辺野古に新基地を作れ!」と執拗に繰り返している。 ところが、日本では怒っている徴候がない。それどころか国内では、鳩山とその政府は「現実的」になるべきだなどと、米国の要求をオウム返しに繰り返す声がこだましている。日米両国を知悉する高名な評論家は、「知日派・親日派」の米国人と、「卑屈」な「知米派・親米派」の日本人が一緒に築き、支えてきた不平等な日米関係によって「飯を食べている」現状が発するワシントンと東京の空気を、「腐臭」と書く(注2)。 今年、現行の日本安保条約が制定50年を迎える。この際両国関係を再考し、それをそのままに継続するのか、必要なら改正するか、ことによっては廃棄もすべては可能であるはずだ。だが、そうした再検討の試みは、過去の外交記録の隠蔽と特定方向への改定の庄力、そして政治的なレトリックと詭弁によって妨害されている。その結果、「黄金の50年」の記念すべき年にあって、日米関係ほど不平等で、無理解と誤解に満ちた二つの近代国家の関係は、想像するのも難しい状態にある。 日米安保条約のシステムは、その全期間にわたって不平等であり、ごまかしとウソに満ちている。1960年に衆議院で未明に野党不在のまま強行採決された第二次安保条約は、1951年の第一次安保条約で本土は非軍事化された「平和国家」日本で、直接米国支配下に置かれた「戦争国家」沖縄という分断状況を、より強固にするものであった。後になって、沖縄がごまかしの典型のような協定で名ばかりの日本施政下に戻されても、この分断は維持された。前進する沖縄の闘い なぜごまかしなのかといえば、第一に、沖縄の1972年の「復帰」は実際には日本に「返還」されたのではなく、「購入」されたのだ。日本は、その7年前に韓国に対し約40年間の植民地支配の謝罪として支払った額よりも多くを、米国に(実際は米国が握っている資産の『返還』という名目で)支払った。第二に、その協定は「核抜き・本土並み」と宣言されたが、決してそうではなかった。「戦争国家」の機能が中心的位置を占め、米軍基地には依然手を付けることができず、米国は(密約によって)核兵器に関する特権に変化はないと保証されていたのだ。沖縄にとって日本国憲法下への名ばかりの編入があったにもかかわらず、その時から現在まで実際には軍事がすべてに優先する原則に従属しており、その意味では皮肉にも、「先軍」国家としての北朝鮮に似ている。 冷戦後に日本本土ではナショナリズムや民主主義、護憲精神の良質部分は、徐々に日米同盟という「より高度な」存在の下に降格されてしまった。しかしながら沖縄では、民主的市民社会が着実に成長し、属国化路線は正当性を確保することができなかった。 その結果、2005年に沖縄の市民社会は小泉内閣と米国支持者を向こうに大困難を克服し、政府の辺野古沖合基地建設計画を断念に追い込むという驚くべき勝利を勝ち取った。これは、民主主義と非暴力市民運動の歴史における特筆すべき出来事であった。だが政府は06年に、辺野古の陸地に接する大基地計画案を携えて反撃に転じた。二つの滑走路を有し、アジア、太平洋全域を射程に収めるハイテク装備の陸海空軍基地計画は、旧式で不便、危険な普天間基地や、当初の沖合ポンツーン式の『ヘリポート』のいずれよりもはるかに広大で、多機能な性格を持つ。 オバマが大統領に就任した2009年1月、彼の日本担当顧問たちは、民主党政府のもとで起こり得る政策転換の恐れに対しそうさせないように、先手を打って素早く行動するよう助言したという。自民党が野党に落ちる直前のことであったが、05年の「郵政民営化」選挙の大勝利でまだ自民党が衆院の三分の二を占めている間に、オバマ政権は麻生前首相に衆院で06年のグアム協定を正式な条約にさせるため強行採決させ(09年5月)、政権の座を目前にした民主党の手をしばったのである。 09年のグアム協定は、日米の力の差を歴然と見せつけた決定的瞬間でもあった。米国は自民党との交渉時問が残り少なくなっているのを承知の上で、早くやれと日本に催促し、日本は不平等(日本に義務が課せられたのに米国は何の義務もなく)、違憲・違法、かつ植民地的でごまかしだらけの協定であれ、とにかく米国の要求に応じたのであった(注3)。だがこの取り決めから漂う「腐臭」に、気づいた人々はほんのわずかであった。 (後略)(注1)『属国米国の抱擁とアジアでの孤立』(注2)寺島実郎「常識に還る意思と構想」(『世界』2月号)(注3)Gavan McCcrmack."The Battle OfOkinawa 2009: Obama vs Hatoyama" URL http://japanfocus.org/-Gavan-McCormaCk/32502010年3月5日 「週刊金曜日」789号 26ページ「米国は辺野古から、沖縄から手を引け」から引用 この論文はなかなか勉強になる。戦後65年もたつのに日本政府がアメリカの言いなりになっているのはおかしい。麻生政権の自民党が野党になることが誰の目にも明らかになった時点でグアム協定の条約化を強行採決させたアメリカのやり方は汚い。 それにしても、小泉政権下で政府に辺野古沖合基地建設計画を断念させた沖縄の民主主義は素晴らしい。本土の住民は見習うべきではないだろうか。小泉政権の選挙のとき自民党の「この国を想い、この国を創る」という選挙ポスターのパロディで「あの米国を想い、この属国を創る」というのがあって物議をかもしたのであったが、あれは実は単なるパロディではなく、現実そのものであったわけである。こんなことで良いわけはない。今や政権交代した証として、鳩山内閣はアメリカに安保条約の廃棄を通告し、米軍基地の即時撤退を要求するべきである。
2010年05月12日
西山元記者らが沖縄密約の文書の開示を求めたことに対して、政府が文書が存在しないことを理由に不開示とした処分の取り消しを求める裁判で、西山元記者らが勝訴したが、この裁判の意義を、4月10日の朝日新聞は次のように解説している; ≪解説≫国家の「ウソ」を認めさせる-。昨年の提訴時、原告らの大きな狙いはそこにあった。 国は、米国立公文書館で2000年以降に複数の密約文書が見つかっても、「密約文書にサインしたのは自分」と吉野文六・元外務省アメリカ局長が名乗りをあげても、一貫して「密約は存在しない」としらを切り続けてきた。 提訴後、歯車が大きく回った。政権交代が実現、岡田克也外相は調査を命令。軍用地の原状回復費の日本による「肩代わり」などの密約があったと認めた。この時点で当初の狙いはある程度達成された。 ただ、この調査でも、原告らが開示を求めていた文書は見つからなかった。杉原則彦裁判長は第1回弁論で「文書がない理由を示せ」と国側に求めたが、国側は結局はっきりとした回答をしなかった。 判決は、外務省のこうした情報公開への取り組みを、「知る権利」を軽視するものだと厳しく批判した。「原告らが求めてきたのは、文書の内容を知ることではなく、密約の存在を否定し続ける政府のあり方の変更であり、民主主義国家における国民の知る権利の実現であった」という言及は、原告の思いそのままだ。判決後の集会でも原告たちは「日本の司法は死んでいなかった」と高く評価した。 西山さんが国家公務員法違反に問われたのが1972年。「知る権利を守れ」という言葉は当時、起訴状に検察官が記した「情を通じて」という一言で、男女のスキャンダルにすり替えられてしまった。問題の本質である「知る権利」に38年ぶりに光を当てる判決だったといえる。(谷津憲郎)2010年4月10日 朝日新聞朝刊 35ページ「原告『情報革命だ』密約開示命令 知る権利重視」から引用 この記事が解説するように、西山事件の本質は「知る権利」の問題であって、「男女のスキャンダル」は当時の権力が国民の追及をかわすためのワナであった。政権交代したことでもあり、政府は密約事件の全貌を国民の前に明らかにするべきである。また、メディアも当時どのような対応をしたのか、自ら検証するべきではないだろうか。
2010年05月11日
普天間の海兵隊飛行場をどうするのか、4月7日の朝日新聞に掲載された投書は、次のように述べている; 連日、普天間基地の移設問題が報道されている。しかし、どの土地を移設先に選んでも、住民が「基地などいらない」と言う。沖縄の米海兵隊の相当数が引っ越す先に予定され、島への財政措置が経済復興の起爆剤になるという期待があったグアムでさえ、基地拡張への懸念が急速に広がっていると報じられた(4日朝刊1面)。 普天間基地をめぐる議論では「基地を他の土地に移す」という考えばかりが取り上げられるが、誰もが基地を望まないのなら、なぜ「基地そのものを世界からなくそう」と誰も言わないのか。沖縄県内移設も、県外移設も、国外移設も、基地をこの世界に存続させるという意味では、また、それぞれの土地の住人にとって大きな負担になるという意味でも大差はない。 オバマ米大統領は、核廃絶への努力でノーベル平和賞をもらった。しかし、米軍基地問題でオバマ大統領のコメントを聞くことは少ない。なぜオバマ大統領は「基地をなくす」と言わないのか。それがノーベル平和賞をもらった者の務めではないのか。 また、我々日本人も「戦争を生み出す基地は、日本からだけでなく、もう世界にいらない」と声をあげるべきではないか。2010年4月7日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-『基地なくそう』の声あげよう」から引用 米軍は米国のものなので、日本人として言えるのは「日本の国土を基地として使用させるか、させないか」ということである。オバマ大統領はノーベル賞をもらったついでに、核兵器と言わず全ての軍備の廃絶をめざしてほしい。そうは言ってもアメリカには産軍共同体があるということも考えなければならないが、当ブログのコメンテーター氏によるとアメリカのGDPに占める割合はそんなに高くないそうなので、武器の生産を禁止し軍隊を解散したところで経済に与えるダメージはそれほど心配することもないはずだ。
2010年05月10日
高校無償化から朝鮮学校を除外するという動きに対して、朝鮮学校を卒業して社会人になった読者が、4月8日の朝日新聞に次のような投書をしている; 朝鮮高校を出て日本の会社で働いています。学校では朝鮮語や朝鮮史を学ぶだけではなく、友への思いやりや目上への礼儀も教わりました。民族の誇りも意識し、それが生きる自信につながりました。 朝鮮学校には「反日や北朝鮮崇拝を教えている」というイメージがまだ根強くあるのでしょう。高校授業料を無償化する制度の対象から外すという論議の背景にはそれもあるのでしょう。 朝鮮学校の教育内容はこの十数年間で大きく変わりました。日本社会でも、十分通用するものになっています。しかも生徒の大半は韓国籍です。 ニュースやネットの情報があふれる中、反日教育や北朝鮮寄り教育をしても生徒も受け入れてくれません。 スポーツ、芸術、ビジネスなどで活躍する卒業生が多数います。偏った教育をしていたら、卒業生が日本や世界で活躍することはないはずです。 歴史をひきずり互いの悪い所を探して不満やうらみを抱くより、互いのよい所を見て仲良くしていける環境を作ることの方が大切だと思います。 どうか朝鮮学校の生徒の真の姿を見てほしいです。2010年4月8日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-『反日的な朝鮮学校』」は誤解」から引用 考えてみれば、国籍が韓国籍や朝鮮籍であっても、日本で生まれてこれからも日本で生きていこうと思っている者が、「反日教育」などということをやられても生徒には何のメリットもありません。そんな教育をしていることがわかれば、いくら民族文化といっても、そんなことより日本人社会で生きるためのノウハウのほうが優先ですから、誰もそんな学校には行かないでしょう。そう思えば、朝鮮学校は反日教育をしているに違いないという考えが如何に妄想であるかがわかるというものでしょう。
2010年05月09日
戦前の日本を知る読者が、4月22日の東京新聞に次のような投書をしている; 政治を議論する中で、時折沸いてははじける「国益」という言葉。これは何を意味するのだろうか。 日本国憲法は、国政の「福利は国民がこれを享受する」ことを誓う。戦時中の「お国のため」を葬り、「われらとわれらの子孫のため」を得た。 「国益」という名の下で犯した忌まわしい過ち(妄想・欲望)を二度と持たず、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」の実現に向けて、私たちは教育と労働で得た果実をささげ合おうと誓い合った。 また「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」のだ。 恐れや戦いに対して微動だにしない。この国民の厳粛な負託に、いま為政者は顔を背けてはいまいか。2010年4月22日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-国益優先の過ちを肝に」から引用 国民の負託に為政者は顔を背けてはいまいかとの指摘はするどい。国民の負託とは日本国憲法のことである。わが国憲法は軍備を持つことを禁じているのであるから、武力なしには国防ができないなどという者は、本来政治家失格であるはずだ。政治を志す人には「国民の負託」をよく考えてもらいたい。
2010年05月08日
韓国が輸入するビールは、オランダやアメリカを抜いて日本製がトップになったと、4月21日の東京新聞が報道している; 「日本のビールが韓国人の口を占領か?」--。韓国関税庁のまとめた今年1~3月の統計で、日本製ビールがオランダ製や米国製を抜いて輸入ビールの1位になったと、韓国紙・朝鮮日報が伝えた。 日本製ビールの輸入額は、今年1~3月で前年同期より42%増えた。2008年は3位だったが、09年は2位に浮上し、ついに首位に立った。 日本のビールは、韓国メーカーより「味が濃い」と定評がある。同紙は「濃い味を飲んでみたい」という韓国人の欲求が高まったこと、日本メーカーの出すビールの豊富な種類、日本式居酒屋ブームなどを人気の高さの背景とした。 一方で、韓国伝統酒マッコリの日本への輸出が激増している。日韓の主要アルコール類の貿易額を比較すると、日本への輸出額は1731万ドル、日本からの輸入額は590万ドルに上るという。同紙は「酒の日韓貿易は韓国の黒字」と記事を結んでいる。(ソウル・築山英司)2010年4月21日 東京新聞朝刊 11版 6ページ「日本製ビール、韓国を『飲む』」から引用 私も韓国は何度も行ったことがあるので知っているが、確か韓国製のビールは「Hite」という品名だった。日本製のビールに比べて色が薄くて、飲んでもアルコール度数が低いんじゃないかなという印象だった。しかし、値段は焼酎より高いので、宴会などではみんなビールよりも焼酎を飲んでいた。自動車や電機製品は日本の製品と同等のレベルの物を製造しているのに、ビールは何故そうならないのか不思議に思ったものであったが、今から思うとそれは韓国の人たちのビールに対する伝統的な考え方とか価値観があって、あのようなビールだったのだろうと思います。それが少しずつ人々の嗜好が変わってきて、日本製のビールがうけるようになったものと思われます。 私は仕事で韓国へ行った折に、何回か取引先の社長さんの自宅に招待されて訪問したことがあって、行くといつも奥様が手料理をご馳走してくださいましたが、お酒はいつもワインか焼酎で、マッコリが出たことはありませんでした。最近会った韓国の友人にそういう話をしたら「マッコリはお客様に出す酒ではないからだと思う。最近の若い人の中にはそういうことに拘らない者もいるが、伝統的な価値観をもっている人もまだまだ多い」と言ってました。
2010年05月07日
沖縄の米軍基地に関連して、精神科医の斎藤学氏は4月21日の東京新聞コラムにユニークな見方を書いている; 沖縄米軍基地の移設に関して、鳩山由紀夫氏の「腹案」なるものを忖度(そんたく)する議論が溢(あふ)れている。そんなものはないのに口から出まかせを言った。それで今、困っているというのが大方の意見のようだが、本当にそうだろうか。彼には信念があり、それは米軍の傘の中の平和と呼ばれるものからの脱却ではないのか。 民主党が在野だった頃(ころ)、当時の代表、小沢一郎氏は米軍の存在は第七艦隊だけでいいという趣旨の発言をした。クリントン国務長官が突然来日して小沢氏への接触を試み、一度は断られながら粘って会っていった。核安全保障サミットにおけるオバマ大統領の非礼とは対照的な光景だった。 米軍の駐留に関して、現政府の一部に相当の覚悟があることを、既に米側は承知しているのではないか。鳩山氏らが、それを表に出す時期を選んでいるのは、これが国論を二分する問題だからだろう。日米安保条約の中身そのものの変革を考えているとすれば、これは革命だ。民主主義の中で革命が成功するためには、提案が国民の圧倒的支持を受けていなければならない。小沢氏が参院選での勝利にこだわるのは多分そのためだろう。 こう考えると、鳩山氏を笑ってはいられない。米軍の傘に保護されながら、それも忘れて平和ボケを続けるつもりなのか否か。国民は現政府から諮問を受けていることになる。 (精神科医)2010年4月21日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-政府からの諮問」から引用 この記事が出たときは、いよいよ民主党はやるのかと思ったのであったが、その後の推移を見ると、どうもアメリカを慌てふためかせるような覚悟は民主党にはまだ無いようである。いくら鳩山首相が粘り強く話し合いを重ねると言っても、日本中のどの地域の人たちも、日米安保よりは自分たちの生活環境が大事なのであるから、話し合いは無駄である。そうかと言って今更むかしの自民党のように強健を発動する時代でもない。ということは、遅かれ早かれ鳩山首相は覚悟を決めて普天間の無条件撤去を米軍に申し入れるしかないであろう。
2010年05月06日
4月20日の東京新聞コラム「筆洗」は石原慎太郎をするどく批判している; 若手の論客として知られた新井将敬という政治家がいた。東大卒、旧大蔵省のキャリア官僚出身のエリートだったが、株取引での利益供与を要求した証券取引法違反容疑が浮上し、衆院が逮捕許諾の議決をする直前に自らの命を絶った。 在日韓国人として生まれ、16歳の時に日本国籍を取得した新井氏は1983年に旧衆院東京2区から初出馬、落選した際に悪質な選挙妨害を受けた。選挙ポスターに「元北朝鮮人」などと書いた黒いシールを大量に張られたのだ。 それを思い出したのは、永住外国人への地方参政権付与に反対する集会で、石原慎太郎東京都知事が「(帰化した人や子孫が)国会はずいぶん多い」などと発言したからだ。 選挙区内の新井氏のポスターにせっせとシールを張って歩いたのは、同じ選挙区の現職だった石原知事の公設第一秘書らだった。「それ(帰化)で決して差別はしませんよ」と集会で知事は語ったが、彼の取り巻きが過去にしでかしたことを思い起こせば、そんな発言を誰が信じよう。 与党幹部には帰化した子孫が多いという発言の根拠はインターネットだという。そりゃあ、石原さん、いくらなんでもちょっと無責任すぎるよと言いたくなる。 あからさまな差別的発言を大きく報道したメディアは本紙だけだった。「またいつもの放言だ」と取材側がまひしているならかなり深刻だ。2010年4月20日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 この記事のポイントは、インターネットに書かれた流言飛語を根拠に変なことを言うのは無責任であるということです。木を見て森を見ないような記事が多いからだと思います。また、酔っ払いの居酒屋談義ならまだしも、メディアは東京都知事という公職にある者の品の無い差別的な発言を放置せずに、公人としての自覚を促すべくきっちり批判していただきたいものである。
2010年05月05日
和歌山県に伝わるイルカ漁を撮影した映画「ザ・コープ」について、4月19日の東京新聞コラム「週刊誌を読む」は次のように述べている; 作家の高村薫さんの意見に賛成だ、と『サンデー毎日』4月25日号で椎名誠さんが書いている。その高村さんの意見とは『週刊ポスト』4月9日号「高村薫『クジラと飽食日本人』を語る」で述べられたものだ。 「日本側の代表者たちは『捕鯨は日本の文化』と繰り返しますが、文化の違いを盾に国際社会を納得させようとしても、水掛け論となるだけです」。むしろ「日本人は食生活そのものとその価値観を、もう一度見直すべきところまできている」。食料自給率が四割にとどまっているのに「私たち日本人は、当たり前のように飽食と大量消費を続けています」「今、日本人がすべきなのは飽食を改めることではないでしょうか」 クジラにクロマグロ、それにトヨタ問題も含めてよいかもしれない。海外からの日本バッシングが続けざまに報じられ、日本でそれに対する反発が、ある種のナショナリズムのようなものになりつつある。高村さんや椎名さんはそれに対して、冷静になって足元を見つめてみようと提案しているのだ。 高村提言と同じ号の『週刊ポスト』で、脳科学者の茂木健一郎さんが、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した映画「ザ・コーヴ」について取り上げている。日本の和歌山県太地町のイルカ漁を告発した映画だ。 茂木さんは、太地町の漁師たちを悪者のように扱った映画の手法を「相手を人間として尊重し対話をする態度が認められない」と批判しているのだ。 日本での公開予定は6月だが、私は既に試写会で見た。議論すべき点が満載で、映画監督の森達也さんや是枝裕和さんに感想を聞いたら、評価が真っ二つに分かれた。一般公開されたらどんな反応が起こるか、私は大変興味を抱いた。 ところが、右派団体の抗議で、どうも上映が危なくなりつつあるという。2年前の映画「靖国」騒動と同じ展開だ。もともと、海外では既に上映され、当の日本だけが上映できないでいたのだという。 同意できない意見でも、表明する自由は認めるというのが「表現の自由」だが、日本社会はそういう寛容さも失いつつあるのだろうか。 (月刊『創』編集長・篠田博之)2010年4月19日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ「週刊誌を読む-飽食の日本 自省の時」から引用 「ザ・コーヴ」がどのような映画なのか、茂木健一郎氏が言う「相手を人間として尊重し対話をする態度」とはいかなるものか、二人の日本人監督はそれぞれどのような評価だったのか、マイケル・ムーア監督ならなんと言うだろうか、興味津々である。しかし、右翼団体の抗議で日本で上映できないというのは困ったことである。都合の悪いものは見せないでおこうという邪な態度は、民主主義の社会の人間の態度ではない。
2010年05月04日
元外務省主任分析官の佐藤優氏は、密約に関連する書類の束が存在していないことについて、4月16日の東京新聞につぎのように書いている; 東郷和彦氏(京都産業大学客員教授)が、外務省条約局長をつとめていた1998年に整理した日米密約に関する「赤いファイル」の公文書がどこかに消えてしまった。 マスメディアでは、東郷氏からこのファイルを引き継いだ後任の条約局長で、外務事務次官をつとめた谷内正太郎氏が衆議院外務委員会の参考人招致に応じるかどうかが焦点になっている。 筆者のところに入ってくる情報だと、外務省は谷内氏を切った。鈴木宗男衆院外務委員長にも外務省筋から「外務省OBを参考人として呼ぶことは構いません。ただし、現役を呼びつけることだけは勘弁してください」というシグナルが何度も寄せられている。 筆者の見立てでは、外務省執行部の思惑は二つだ。谷内氏は捨て身で外務省を守る性格の人間だ。それだから「赤いファイル」湮滅(いんめつ)に関する責任をすべて谷内氏に被(かぷ)ってもらう。同時に現在も外務省内で無視できない谷内氏の影響力を根絶する。自民党政権と外務官僚の癒着のシンボルに谷内氏を仕立てる謀略だ。 どうも岡田克也外務大臣も、この謀略に乗せられてしまっている感じがする。これでは国民の前に真相を明らかにできない。情報公開法が施行された2001年4月当時に北米局長をつとめていた藤崎一郎氏(現駐米大使)に聞けば、真相がわかると思う。(作家・元外務省主任分析官)2010年4月16日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-外務省の『謀略』」から引用 外務省はこの期に及んでも、政府を挙げての密約を隠し通して、分かってしまったぶんは個人の責任にしてすませようとの態度のようだ。事件は自民党政権下のことなのだから、岡田外相までが外務省の片棒を担ぐ必要はないはずである。それにしても、上の記事では重要書類を廃棄したのは藤崎一郎駐米大使であると言わんばかりであるが、民主党政権は真相を追求できるのだろうか。
2010年05月03日
今年が韓国併合から100年めに当たることに関連して、千葉大学教授で日朝関係史が専門の趙景達(チョキョンダル)氏は3月25日の朝日新聞で次のように述べている; 100年前の8月、「韓国併合」が行われ、朝鮮は日本の正式な植民地となった。それは日本がかねて願望していた大陸国家化の第一歩であり、日本が「一等国」になった証しであった。「併合」条約公布の29日、東京では花電車が登場し、人々は楽隊の音楽が鳴り響く喧騒(けんそう)の中で、酔いに任せて夜遅くまで慶祝の万歳の声を上げた。 時代は巡り、韓国は今や国内総生産が世界15位ほどにランクされる国となり、韓流の勢いは止まらない。経済が失速したとはいえ、韓国政府は先進国化に余念がない。 こうした中、韓国ではニューライトと呼ばれる保守主義的な思潮が勢いを増している。将来の多民族化を予測して民族主義を相対化しつつ、反共主義を主張するとともに、資本主義近代化を絶対化し、国民国家を文明の到達点と考える思潮である。 民族主義を相対化するところが、一見革新的に見えるのだが、その実は新自由主義を唱え、国家主義的である。李明博(イミョンバク)政権のブレーンには、ニューライトの学者が多くいる。ニューライトは、植民地下において資本主義近代化が進んだことを認め、「親日派」も免罪しようとする傾向をもっている。「従軍慰安婦」も強制ではなかったという者さえいる。 資本主義近代化は文明が必ず歩まなければならない過程である以上、日本によって推進されたものであるとはいえ、肯定しうる側面をもっていたということになる。そこでは、差別・抑圧・暴力を属性とする植民地の苛酷(かこく)性や人々の哀(かな)しみを真摯(しんし)に考えようとする姿勢が希薄である。苛酷な現実や人々の哀しみは、産業近代化の過程では、どこの国にもみられ、植民地に限ったことではないというわけだ。であればこそ、アジアの先頭を切って資本主義近代化を達成した日本は模範的な国だし、今やその日本に追いつきつつある韓国も立派な国だと自画自賛される。 日本では、政財界人などに、こうした勢力の台頭に好感をもつ人々が現れて当然であろう。しかし、それは早計である。彼らの国家主義的志向は、朝鮮王朝以来の儒教的民本主義の伝統をもつ韓国では、やがては拒絶反応を引き起こさざるを得ないのではないだろうか。 儒教的民本主義では「民」は「国」より重いとされる。経済優先的な観点から韓国民が李明博政権を選択したのは事実だが、それへの不満も高まっている。新自由主義はすでに、日本以上に韓国に深刻な現実をもたらし、競争と格差を激化させ、とりわけ若者を苦しめている。 現在日本では韓流がある一方で、嫌韓流や北朝鮮バッシングが深刻である。朝鮮学校を高校無償化措置から排除しようとする動きも露骨である。そこには植民地支配を反省しようとする姿勢をうかがうことができない。政府の植民地支配への反省の弁はやはり虚偽でしかないのではないか。ニューライトのような政治勢力と提携して過去を忘却しようとすることは許されない。2010年3月25日 朝日新聞朝刊 13版 23ページ「アジア朝日フェローから-『併合』100年 日韓の近代化諭に危うさ」から引用 かつて朝鮮を日本の植民地にしたことについては、これまで首相も天皇も反省の弁を述べているのだから、国民も過去の植民地支配が如何なるものであったのか、理解するべきであり、政府も、国民が理解しやすいように、日本の近代史教育に力を入れるべきである。これまではそのような努力を怠ってきたために、道路を整備してやっただの学校制度を導入してやっただのと恩着せがましいことを言う輩がでてきているのは、日韓両国の未来志向にとって迷惑なだけで役に立つことは無いと思う。
2010年05月02日
普天間飛行場は日米同盟に関わる問題であるなどと大言壮語するわりには、これが政府と沖縄の間の問題であるかのように、ただ傍観するだけの世論に異議を唱える投書が、4月15日の東京新聞に掲載された; 米軍普天間飛行場の移設問題が大詰めを迎えたが、政府は沖縄県民の期待を裏切る形で、県内移設の可能性を軸に検討しているようだ。 県民の怒りは、頂点に達しようとしている。沖縄で生まれ、普天間飛行場のすぐそばで育った私も、強い怒りを感じるが、この感情はなにも、鳩山政権にだけ向けられたものではない。 本来この問題は、一基地の移設にとどまらず、21世紀の日米同盟のあり方や日本の安全保障を考え直す機会であり、そのための負担をどのように配分していくのか、という問題でもある。 これには国民的議論が必要であるが、残念ながら、そのような議論が、広く国民の間でなされているとは言いがたい。20年間本土に住み、1995年の少女暴行事件以降の沖縄をめぐる状況を外から見てきた私には、本土においてこの間題が『沖縄の問題』に矮小(わいしょう)化されているように感じる。 本土と沖縄の温度差。沖縄の怒りは、いままで安全保障上の負担について、どう応分に負担していくか、考えてこなかった多くの国民や、議論を喚起せず、十分な情報も伝えてこなかったメディアに対しても、向けられていると思うのだ。 5月末までに、移設問題は一応の決着を見ることになっている。もし県内移設ということになれば、沖縄の反発は避けられないだろう。だが、本土の皆さんにお願いしたい。この状況を沖縄と政府の争いととらえず、日本全体のこと、国民一人一人にかかわることとして、関心を寄せていただきたいのだ。2010年4月15日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー-基地問題沖縄の怒り」から引用 私は日本に米軍基地は、もういらないと思うので、普天間問題を契機に日本政府からアメリカに安保条約の廃棄を通告し、米軍を全面撤退させるべきであると思います。しかし、そう考える者が少数で、圧倒的大多数が日本に米軍基地が必要であるというのであれば、これは普天間飛行場を本土に移設せざるを得ないと思います。幸か不幸か、本土のあちこちの空港が赤字だったり、使用されずにペンペン草が生えているのですから、これらを有効に利用して米軍からは使用料を取れば、空き地が有効利用され赤字も解消されて一石二鳥というものです。そのような議論をいっさいせずに、黙っていれば政府は米軍基地を沖縄に押しつけるしかないだろうとたかをくくるのは、同じ日本人として卑怯というものではないでしょうか。
2010年05月01日
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