全30件 (30件中 1-30件目)
1
阪神タイガースの金本選手や現役だったころの読売ジャイアンツの清原選手がシーズンオフに精神の鍛錬のため護摩修行を行ったことで有名な、鹿児島県の最福寺の法主で、高野山真言宗伝燈大闍梨大僧正でもある池口恵観(いけぐちえかん)氏は、前首相の小泉純一郎氏や安倍晋三氏の相談役でもあり、わが国経済界にも広く知られた人物であるが、最近は日朝国交正常化について尽力しているそうで、19日の「週刊金曜日」にジャーナリストの青木理(あおきおさむ)氏が、次のようにリポートしている;(前 略)昨年9月から訪朝 そんな池口氏が最近、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に足を運び始めている。初めての訪朝は昨年9月。つい先ごろも平壌入りし、北朝鮮の外務省や朝鮮労働党の高官らと会ってきたばかりだ。 政財界の大物に知己の多い池口氏の訪朝。そのたびに、メディア内の事情通や公安関係者らの間では、こんな憶測が飛び交う。 金正日(キムジョンイル)総書記にあてた日本政府要人の親書を携えていったのではないか-。 しかし池口氏は、現地で具体的に誰と会い、何を話したのか、なかなか教えてはくれない。それでも訊(き)きたい。いったいなぜ、北朝鮮を訪れ始めたのか。「日朝両国の国交正常化を実現するため、微力を尽くしたいと思っているんです」 池口氏が訴える。「よく考えてみてください。朝鮮と日本は、歴史的にも文化的にも深い縁でつながれています。インドで生まれた仏教は朝鮮半島を経由して日本に伝来したし、日本は古代から朝鮮半島を経て文明、文化を取り入れてきた。それなのに、現在の日朝関係は極めて不幸な状態に置かれています。これはよくない。もともと同じ根を持つ隣同士の国なのに、日本が唯一国交を持たない状態にあるというのは、やはりよくないことです。政治レベルでの国交正常化は一朝一夕にはできないでしょうが、日朝の和解は北東アジアの平和と安定にも間違いなく寄与するのですから」「戦後補償から交渉を」 いまだ国交のない日本と北朝鮮。その間には、さまざまな懸案が横たわっている。日本による戦後補償の問題。北朝鮮による核やミサイル開発問題。そして日本人拉致(らち)問題。 2009年9月には当時の小泉首相が訪朝し、金総書記との間で史上初の日朝首脳会談が実現した。両首脳は、日朝国交正常化交渉の再開などを盛り込んだ日朝平壌宣言にもサインしたが、拉致問題をめぐって日本国内の反発が大きく燃え上がり、交渉は頓挫(とんざ)し、現在も進展する気配はまったく見られない。 こうした状態を打開するために訪朝を始めたという池口氏は、「日本としても、戦後補償問題を真っ先に取り扱い、交渉を再開させていくべきです」と指摘する。「日本がかつて朝鮮半島を侵略し、植民地化し、多大な迷惑をかけてしまったのは否定しようのない事実ですし、東西冷戦の影響もあり、北朝鮮についてはいまだに戦後処理が行なわれていません。だから私は、まずは日本が過去の過ちを謝罪し、戦後処理問題を決着させるべきだと思うんです。その話し合いの中で核やミサイル、それに拉致問題の解決策も自ずから見えてくるはずです。北朝鮮に対し、ひたすら圧力をかけるだけで何かが解決する、というような態度は不誠実であるし、根本的に誤っています」「よど号犯」との交流 これまでの訪朝で誰と会ったのかはほとんど明かさない池口氏だが、訪朝するたびに必ず会い、膝(ひざ)を交えて話を訊くのが、いわゆる「よど号犯」のメンバーたちだという。 1970年3月、日航機「よど号」を乗っ取って北朝鮮に渡った元赤軍派メンバーは計9人。多くは現地で日本人女性らと結婚したが、メンバーの一部が日本などで潜伏中に逮捕されたり、死亡したりし、現在も平壌に残っているのは4人のみだ。 4人のメンバーを除く妻子のほとんどは、すでに日本への帰国を果たした。しかし、欧州での日本人拉致にメンバーや妻の一部が関わっていたとして警視庁が逮捕状を取ったため事態は混乱し、妻のうち2人は今も平壌に留まっている。「よど号」メンバーと池口氏は、もう15年ほどの付き合いになる。95年に平壌で死去したグループのリーダー田宮高麿(たみやたかまろ)氏を偲(しの)んで東京で開かれた追悼会の導師を池口氏が引き受けたのがきっかけだ。 池口氏が言う。「彼らは日本に帰りたがっており、よど号ハイジャックそのものについては日本の裁判を受けることも覚悟し、受け容れると言っています。しかし、拉致には断じて関わっていないと訴えている。私は、その言葉に偽りはないと思います。彼らとは何度も話し合い、帰国問題については私に一任するとも言ってくれている。日朝関係に刺さったトゲの一つである『よど号』問題についても、何とか解決の糸口を見つけ出したいと思っています」金日成主席観世音菩薩 池口氏が法主である鹿児島の最福寺にはいま、一体の観音像が奉られている。高さ148センチの、堂々たる立像だ。池口氏はこれを「金日成主席観世音菩薩像」と呼び、毎日祈りを捧げている。「北朝鮮の人々にとってみれば、植民地からの解放を訴えて民族のために闘い、北朝鮮の建国の祖となった故・金日成主席は、ひたすら衆生救済に務められる観音様のような存在なのだと思うんです」 近いうちに池口氏は、この観音像を携えて再び北朝鮮に渡り、現地の寺院などに奉納することを計画している。その際、可能ならば金正日総書記にも直接面会し、日朝の友好と国交正常化の必要性を訴えたいという。「私は今後、真言密教で言うところの『身日意』、つまり身体と言葉と心をフル回転して、日朝国交正常化のために尽力したいと考えています」 真言密教の大僧正である池口氏の「身口意」は、膠着(こうちゃく)状態に陥って展望の見えぬ日朝交渉を動かす挺子(てこ)となるのか。日本の政財界に幅広い人脈を持つだけに、怪僧=池口氏の動静は私も注視したいと思っている。2010年11月19日 「週刊金曜日」824号 53ページ「北朝鮮との国交正常化を訴える『怪僧』」から引用 アメリカや韓国が朝鮮政府を敵視する政策を継続するから、ロケット砲を打ち込まれるような事件が発生する。アメリカと韓国は、朝鮮との間の休戦協定を終戦協定に変更し、相互に平和条約を締結するべきであり、アメリカは当面の朝鮮政府の存在を保証する必要がある。朝鮮が一党独裁の世襲政治であろうと民主主義の共和国であろうと、それは朝鮮の国民が努力し決めるものなのであって、アメリカが内政干渉して良い理由はない。イラクの場合もそうであった。サダム・フセインの独裁政治で少数民族の虐殺事件があったからといって、それで直ちにアメリカ軍が攻め込んでいい理由にはならない。イラクの民主化はイラク国民の努力に待つべきであって、アメリカには内政干渉する資格も権限もないはずだ。
2010年11月30日
ニューヨークの世界貿易センタービルに、ハイジャックされた複数の旅客機が突っ込んだ同時多発テロを口実にアフガニスタンを侵略し、ついでに虚偽の口実でイラクを侵略し、両国の内政を混乱させたジョージ・ブッッシュが、回顧録を出版したと17日の東京新聞が報道している; 米国のブッシュ前大統領(64)が回顧録「デイシジョン・ポイント」を出版した。退任後しばらくメディアへの露出を控えていたが、、これを機にテレビ出演も解禁。不人気だった政策決定の舞台裏を明かしている。(ニューヨーク・阿部伸哉)■開戦 「大量破壊兵器(WMD)が見つからず、だれよりも驚き、怒ったのは私だ」。開戦の正当性で物議を醸したイラク戦争。結局、イラクにWMDは見つからず、大義が揺らいだことを認めた。 「開戦前は反対派もWMDがあると疑っていた。だれもうそはついていない」と自己弁護しながら、今も悩みは深いと告白。イラクのフセイン元大統領が「WMDを持っていなかったのなら、なぜ虚勢を張ったのだろう」と自問自答し、「仏独ロから(米国は開戦しないと)誤ったシグナルを送られたのか」と、フセイン氏に同情さえ見せている。■北朝鮮 「独裁者」金正日(キムジョンイル)総書記にはもともと嫌悪感を抱いていたが、ウラン濃縮が発覚して北朝鮮との2国間交渉を断念。中国を巻き込み共同戦線を張ろうとしたが、渋る中国の江沢民主席(当時)に「北朝鮮が核開発を続ければ、日本の核開発推進も止められない」「外交的に解決しなければ軍事手段も検討」と迫り、6カ国協議開催にこぎ着けたという。 ただその後、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除したことの説明はなし。単に「圧力の効果はあった」と自画自賛している。■救済 オバマ政権批判に発展している金融機関や自動車大手の救済。自分が始めた歴史的な市場介入に「政権の醜い終わり方だった」としながら、「大恐慌の再来を防いだ」と理解を求めた。 危機の引き金となった証券大手リーマン・ブラザーズ破綻(はたん)では「救済合併の相手探しに最後まで奔走した」と主張。最後の望みだった英銀大手による合併案は「ぎりぎりで英金融当局が承認を渋り、万事休した」と明かした。 金融機関への公的資金投入について、大統領選候補者だった二人も交えて議論。オバマ氏が「議会での法案通過に協力する」と表明したのに、自分と同じ共和党のマケイン氏は「発言をパスした」と不信感をあらわに。 その後、自動車大手にもつなぎ融資を決めたが、オバマ氏当選後に「彼に混乱を押しつけたくない」と自ら決断。自党内からの反発より、民主党の後任者に配慮したという。■友人 最大の友人は、予想通り「トニー」こと英国のブレア元首相。イラクをめぐる対応で親密さを増し、30回も訪米してくれたと感謝した。日本の小泉純一郎元首相も「盟友」の肩書付きで5カ所に登場しているが、分量ではブレア氏に遠く及ばない。 意外なことに、アイルランドのロックグループ「U2」のボノ氏とアフリカ支援策で共鳴し、信頼する友人として紹介している。 イラク開戦をめぐり対立した当時の独仏首脳には敵意むき出し。特にドイツのシュレーダー政権(当時)が、ブッシュ氏の好戦的な姿勢を「ヒトラー」になぞらえたことに憤慨。「ドイツ人にヒトラーに例えられるほどの侮辱はない」と書いている。2010年11月17日 東京新聞朝刊 11版 6ページ「ブッシュ回顧録が語る舞台裏」から引用 米国大統領ともなれば、山ほどの仕事を抱えているのであって、アフガン侵略もイラク侵略もone of themに過ぎない、とでも言いたげな調子であるが、これでは、アフガニスタンやイラクで、それなり善良に暮らしておりながら理由も無くアメリカ軍によって殺害された人々は、浮かばれない。この戦争に協力したトニー・ブレアは議会に呼ばれて、当時の行動が適切だったかどうか追求されたのだから、首謀者のジョージ・ブッシュも当然それなりの裁きを受けるべきだと思うのだが、アメリカ人の民主主義や人権に対する理解度は、イギリス人よりも少々劣るものらしい。
2010年11月29日
元外務省主任分析官の佐藤優氏は、一海上保安官が政府の方針に反して尖閣諸島沖の漁船衝突事件の映像をユーチューブに勝手に投稿したことについて、11月12日の東京新聞コラムで次のように述べている; 尖閣ビデオ映像をユーチューブに投稿した海上保安宮に対する同情論が強まっているが、筆者は二つの理由で違和感を覚える。 第一は、この投稿が海上保安庁、すなわち官僚によって編集されたもので、実際に撮影された映像の一部にすぎないからだ。海上保安庁にとって都合の悪い情報が隠されている可能性が排除されない。国民の知る権利は真実を知る権利である。ユーチューブに投稿された映像のみで中国漁船衝突事件の全体像を理解することはできないと思う。特に中国人船長が逮捕される瞬間の映像は、海上保安庁が国際的な人権基準を遵守(じゅんしゅ)してこの事件に対処していたか否かを示す重要な証拠になるが、この部分が欠落しているのは奇妙だ。 第二は、海上保安庁が国際基準では軍隊に準じる「力の省庁」だからだ。海上保安庁は機関砲をもっている。武器を扱う立場にある自衛官、海上保安官、警察官などの特殊な公務員が下剋上(げこくじょう)的機運を示すことは、クーデターへの露払いになる。 筆者は、義憤から映像を投稿した海上保安官に心情的に引き寄せられるが、ここはあえて心を冷たくし、事態を突き放して見ることにしている。いま起きていることは、日本の国家秩序を根本から揺るがしかねない下剋上だ。捜査当局による徹底的な真相解明が求められる。(作家・元外務省主任分析官)2010年11月12日 東京新聞朝刊 11版S 23ページ「本音のコラム-クーデターの露払い」から引用 武器を扱う立場にある特殊な公務員に対しては、シビリアン・コントロールのルールがあり、これに従わない者には、国家として厳しく処罰するべきである。特にわが国の場合、統帥権の独立などと称して軍が政府の指示を無視することが許されるという誤った制度があったために、国家が破綻する羽目になったのが65年前の出来事である。同じ過ちを繰り返さぬよう、行政の責任者は肝に銘ずるべきだ。
2010年11月28日
史上最多の入場者数を数えた上海万博は10月31日に閉幕したが、1日の朝日新聞は10月28日の「日本青年上海万博訪問団」の歓迎会の様子を、次のように報道している; 「亭亭白樺、悠悠碧空(しらかば、あおぞら)……」 閉幕が迫った10月28日夜、日中の若者たちによる「北国の春」の歌声が響いた。日本から約680人が参加した「日本青年上海万博訪問団」の歓迎会。「今日の交流は短い時間でも、明日からの長い友情につながります」。司会者の声が大ホールに響くと、拍手がわき起こった。 こうした様子は当初、日中友好のシンボルとして中国で大々的に報じられるはずだった。だが9月の尖閣諸島沖の漁船衝突事件で関係が悪化。同月21日に訪中するはずだったこの訪問団も、突然延期された。関係修復の機運が出て再開されたが、反日デモがくすぶり、不穏な空気も漂う。 このため訪問団は、移動の際にパトカーが先導するVIP待遇を受ける一方、極力人目に触れない対応を取っている。主催者側は日本の参加者に行事以外での外出は自粛するよう求め、買い物も営業時間を延長した深夜のデパートに限った。中国側関係者は「参加者に(嫌がらせなど)万一があったら外交問題に発展してしまう」と打ち明ける。 万博は中国の国際的なイメージ向上を目指す舞台。反日感情を万博会場内に波及させないことは中国当局にとっての最優先課題でもあった。 満州事変のきっかけとなった柳条湖事件が起きた9月18日には、上海市トップの兪正声・同市共産党委書記が日本館と日本産業館を視察。贅備の武装警官らにげきを飛ばす異例の対応を取った。四川省綿陽で1万人規模の反日デモが発生し、一部が暴徒化した10月17日、日本館には会期中最長の6時間半待ちの列が出来た。「反日のかけらも感じられなかった」。日本産業館の白石靖副館長はそう語る。 温首相は31日の演説で、万博を通した交流を取り上げる中で、ある日本人女性について「『万博おばあさん』と呼ばれる女性が、全日程のチケットを買って万博に毎日訪れた」と紹介した。だが、日本館や日本産業館については触れずじまい。政府間関係と市民の交流を切り分けようとする姿勢をうかがわせた。2010年11月1日 朝日新聞朝刊 14版 3ページ「『万博成功』中国演出」から引用 日本の演歌のヒット曲を中国の若者も歌うとは、私も知りませんでしたが、その様子が中国や日本に映像で報道されれば、日中友好に大きな拍車がかかったはずでしたが、日本政府が尖閣諸島沖での事件の対応を誤ったが故に、せっかくのイベントに水を差す形になったことは残念なことでした。しかし、日中双方の人々は、このような躓きを乗り越えて、さらに大きな友好の架け橋を築いていくことでしょう。
2010年11月27日
東京新聞の「本音のコラム」は数人の執筆者がいて順番にエッセーを書いているが、小説家の金原(かねはら)ひとみ氏もその執筆者の一人で、この方は小説家という割にそのエッセーが、あまり後先考えていなさそうな直言が多く、私の眼で見ても「それはちょっと短絡思考では」と思うような文章が多いのだが、そのような文章の中にもするどく世の中の真実を指摘するフレーズを発見することがある。11日のコラムに、金原氏は次のように書いている; 電子書籍が普及すればランドセルがいらなくなると聞いたが、そもそも校舎自体がいらなくなるかもしれない。 授業やテストやデスクワークや会議などがネット上で行えるようになれば、学校や会社もネット上で運営されるようになって建物は取り壊され、空き地が増え、最終的に土地の値段が下落する。 更にパソコンさえあればどこででも仕事や勉強が出来(でき)るようになるため田舎に移り住む人が増え、また土地の値段が下落する。 不動産が買い時だ買い時だと最近よく薦められるが、私はこの土地下落予想を思いついてから、土地に対する興味が薄れた。物欲に縛られて生きるより、いずれあらゆる物が必要なくなると思って生きていく方が気楽である。学校も会社もなくなると思えば、明日も頑張れるような気がするものだ。 ある日いきなり土地に囲いをして「これは俺(おれ)の土地」と言い出した詐欺師を信じたバカ共に対し、大地も果実も元々(もともと)誰のものでもないはずだと叫ぶ人がいれば、多くの人を犯罪と殺人から救えただろうか的な事をルソーは書いている。 私はこの土地下落予想を利用して、金儲(もう)けが出来ないものかと考えた。下落する株を売って儲ける方法があるらしいが、それを応用するといいか。 (小説家)2010年11月11日 東京新聞朝刊 12版 25ページ「本音のコラム-土地」から引用 電子書籍が普及すれば校舎がいらなくなるかもしれないというのは、私はちょっと違うと思います。学校教育の目的は、知識の習得だけではなく、教師や上級生下級生、クラスメート等の間の人間的な接触を通して心の発育も促進されるという重大な面を見落とした発想だと思います。 次に、ある日いきなり土地に囲いをして「これは俺(おれ)の土地」と言い出した詐欺師という例え話は、世の中の真実を言い当てていると思います。アメリカ大陸に移住した白人が、実り豊かな土地から先住民を追い出すのに、そういう理屈を使いました。明治維新後の日本人も、アイヌ人が自由に狩猟や農耕をしていた土地をアイヌから取り上げるときに、そのような理屈を使いました。100年前に韓国を併合した当時も、それまでの朝鮮半島の人々には、土地を私有するという概念が乏しく、土地は共同で農耕するのが何百年も続いた伝統であったため、突然総督府が土地を登録せよという政令を発表しても、にわかには理解ができず、うっかり登録すると重税を課されることになるなどというデマも流れて、誰も登録を届け出ない膨大な土地を朝鮮総督府は強制的に接収して日本企業に払い下げるという事態に立ち至り、それ以後韓国社会は極端な疲弊に見舞われたという史実があります。日本の敗戦によって、日本企業が不当に取得した土地は韓国の人々の手に戻りましたが、アイヌから取り上げた土地も、白人がアメリカインディアンから取り上げた土地も、いまだに元には戻っていません。
2010年11月26日
政府が非公開と決めた映像を、一海上保安官が勝手にユーチューブに投稿した事件について、11日の東京新聞は、さまざまな意見を次のようにまとめている; 連日、尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件の映像流出に関連するニュースが報じられています。ここ数日、読者の皆さんから寄せられる声も、この件に関するものが最も多くなっています。 意見はさまざまですが、「よくやってくれた」「映像を隠す政府がおかしい」と内部情報を流したことを称賛する立場と、「外交関係を危うくする」「公務員の守秘義務違反行為は問題」という立場の二つに分かれています。 横浜市の60代女性は「政府が公開しなかったので、普通の感覚の持ち主があえて無許可で公開したのだろう。そもそも隠すことの方が問題で、公開するのが正常だと思う」という意見。一方、板橋区の50代男性は国際テロ関連文書の流出事件も含めて、「中国漁船衝突映像の流出は国の管理の甘さを露呈させ、国際社会からの信頼を失わせる由々しき事態だ」と流出を問題視しました。 10日、衆院予算委員会で海上保安庁神戸海上保安部の巡視艇乗組員が「自分が流出させた」と上司に報告したことが明らかになりました。 そのニュースに読者からは早速、「国民に知らせなければ、と義憤にかられて映像を流したのだから、そういう人物を処罰すべきではない」(都内男性)、「海保の職員がやったのなら公務員としてけじめをつけるべきだ」(千葉県男性)といった意見が寄せられました。 (T)2010年11月11日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「応答室だより-ビデオ流出『名乗り』に反響さまざま」から引用 「国民に知らせなければ、と義憤にかられて映像を流したのだから、そういう人物を処罰すべきではない」という意見が出てくる社会は危険です。戦前の5・15事件や2・26事件のときも、事件を起こした軍人を擁護する世論があって、軍部を増長させ、国は進路を誤る結果となりました。私たちはシビリアン・コントロールをもっと真剣に考える必要があると思います。
2010年11月25日
かつて、映画「ザ・コーブ」をこのブログに取り上げたところ、「あれは盗さつした映画だ」と主張するコメンテーターがいた。仙谷官房長官も、自分が所持していた資料を無断で撮影されたので、「盗さつだ」と発言したことに関連して、11日の東京新聞が次のように報道している; 東京新聞など日本新聞協会の在京8社写真部長会は10日、仙谷由人官房長官に対し、9日の衆院予算委員会で仙谷氏が手にしていた資料の写真が読売新聞に掲載されたことを「盗さつ」とした発言の撤回と、謝罪を求める抗議書を送った。 抗議書は「公に認められた席から通常取材の範囲内で撮影している」と指摘。仙谷氏の発言について「正当な取材活動に対するぼうとくで不適切。到底容認できない」と批判した。仙谷氏の発言に関し民主党は9日夜、衆院予算委理事会で「ふさわしくない発言」などとして議事録を「盗さつ」から「撮影」に訂正するよう要請、了承された。撮影されたのは中国漁船衝突事件のビデオ映像を一般公開した場合のメリットとデメリットをまとめた資料。仙谷氏は10日の予算委で「(カメラマンが)望遠レンズを使っていると考えていなかった不用意さ、不明を恥じなければならない」と述べた。2010年11月11日 東京新聞朝刊 12版 26ページ「仙谷氏の『盗さつ』発言に抗議」から引用 この記事が示すように、相手の了解を得ずに撮影した場合であっても、必ずしも「盗さつ」とは言えないケースがあることを、当ブログ・コメンテーター諸氏には勉強することをお勧めする次第である。* おことわり *ここに引用した記事は、ブログの都合により一部の漢字をひらがなに変更しました。
2010年11月24日
中国の漁船が海上保安庁の巡視船に故意に衝突した映像をユーチューブに投稿した海上保安官は、警視庁の取調べを受ける前に読売テレビの取材を受けていたと、11日の東京新聞が報道している; 日本テレビは10日夕方のニュース番組で、国家公務員法違反容疑で警視庁の取り調べを受けている神戸海上保安部の男性海上保安官を、系列の読売テレビ(大阪市)の記者が数日前に取材していたと報じた。 番組に登場した記者の話によると、ビデオ映像流出が発覚した後、「Sengoku38」と名乗る男性から知人を通じて連絡があり、記者は数日前、この海上保安官と神戸市内で約2時間、面会して取材した。 海上保安官は記者に自らの身分証を示したうえで、投稿した動機について「あれを隠していいのか。私がこういう行為に及ばなければ、闇から闇に葬られて跡形もなくなってしまうのではないか。国民は映像を見る権利がある」などと語ったという。 ただ、映像を入手した経緯については「お互いに知らないほうがいい」などと言って明らかにしなかったといい「海上保安官なら、見ようと思えば見られる状況にあった」と説明したという。 この記者が直接会ったのは一度だけで、記者は会ったときの様子を「落ち着いており、言葉を選びながら話していた」と語った。2010年11月11日 東京新聞朝刊 12版 27ページ「『隠していいのか 国民に見る権利』TV記者と数日前面会」から引用 政府が当面公開はしないと決めたものを、海上保安庁の一職員が「あれを隠していいのか。国民は知る権利がある」などと言って独断でユーチューブに投稿した行為は、「日本はこれでいいのか」と言って決起した2・26事件の青年将校と同じ論理ではないのか。シビリアン・コントロールが機能しているかどうかの問題だ。
2010年11月23日
戦後に創設された検察官適格審査会は、長い間、有効に機能して来なかったが、今回の大阪地検特捜部の検察官による証拠改ざん事件を機会に、初めて議員要求で審査会が開催されることになったと、10日の東京新聞が報道している; ”地に落ちた”検察に新たな脅威が現れた。全検察官の適格性をチェックする「検察官適格審査会」。終戦直後に創設され、60年以上も「幽霊機関」と化してきたが、息を吹き返し、今月16日、初めて議員要求で審査会が開催される。政治の圧力という危険をはらみつつも、検察の”暴走”にストップをかける強力な武器になるのはまちがいない。 (篠ケ瀬祐司、加藤裕治) 「川内博史君、辻恵君を指名します」。10月22日の衆院本会議場。横路孝弘議長の声が響き、人事は決まった。民主党の両議員が就任したのは検察官適格審査会の委員。刑事司法で強い権限を持つ検察官を審査し、ふさわしい人物かどうかを判断する機関だ。もしも検適審の結論が「ノー」ならば、検察官の罷免を法務大臣に求める。法相が「議決は相当」と判断すれば、検察官は職にとどまれない。 それほど重要な制度でありながら、注目度は低かった。現職、元職の検察官でさえも「制度があることくらいは知っている」「仕事をきちんとやれば関係ない」「定時審査は何年ごと? 3年だった? 結果を聞いたこともない」など。 無関心の理由は、検適審が有名無実の「幽霊機関」だった経緯にある。 発足は終戦直後の1947年。前衆院議員の保坂展人氏は説明する。 「戦後の司法改革で、連合軍総司令部(GHQ)は検察の暴走を抑えるため、検事公選制の導入を主張した。危機感を持った検察側は、これを阻止するために検適審の創設を提案した」 検適審は、3年に1回、全検察官の適格性を審査する。また国民からの申請に応じて随時の審査もする。だが、60年余の歴史で「罷免」の結論は、92年の1例しかない。それは広島の副検事で、長期の行方不明が理由だった。 検適審が対象にするのは、「心身の故障や職務上の非能率」などで職務に当たる能力があるかどうか。暴力をふるったり、証拠隠減をしたりすれば別に懲戒処分で職を失う。そんな事情があるとはいえ、1例はいかにも少ない。 政界では今、そんな幽霊機関を動かそうという流れが生まれている。これまで官僚主導 これまで検適審を仕切ってきたのは事務局が置かれた法務省だった。 検適審は11人の委員と同数の予備委員で構成され、任期は2年。委員の内訳は衆院4人と参院2人の国会議員と、学識経験者2人。日弁連会長と最高裁判事、日本学士院会員が1人ずつ。あて職という意識の人も多く「事務局側の発言力が強い」との指摘もある。予算は年間15万1千円とわずかで、おおむね年に1回の会の多くは法務省の会議室で開く。現在の委員のうち、学識経験者として選出された弁護士の原田明夫氏は、2001年から04年にかけ、法務・検察トップの検事総長。法務省は「刑事法に相当の知識がある人を選んだ」と説明する。 ところが今月16日の検適審の開催が決まった。異例の経緯を民主党で委員に再任された、高山智司衆院議員が語る。 「大阪地検特捜部による証拠偽造事件で、村木厚子元厚労省局長は覿罪を着せられるところだった。これだけのスーパー不祥事なのだから、検適審を開かないのはおかしい。初めて委員の発言で検適審が開かれる。政権交代の成果の一つだ」(後半省略)2010年11月10日 東京新聞朝刊 11版 24ページ「こちら特報部-動く? 検察官適格審査会」から引用 自民党長期政権の下では、政官のなれ合いが生じて、検察官が事件の真相を明らかにするよりも裁判に勝つことのみを追求するようになり、数々の冤罪を生んできた疑いが濃厚である。政権交代によって検察の世界もガラス張りになって、冤罪被害に泣く人を一人でも少なくすることが、世の中を明るくすると思います。
2010年11月22日
政府が尖閣海域の衝突事件の映像を非公開にすると決めた後で、一海上保安官が勝手に映像をユーチューブに投稿した事件について、精神科医の斎藤学氏は、10日の東京新聞コラムに次のように書いている; 正義に名を借りた検察官僚の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)こそ現代日本社会の宿痾(しゅくあ)と思う。これを許したのは我々大衆の事大主義と依存性だ。依存性とは「自分には判断力も実行力もないが、誰か偉大な者が巨悪の動向をつかみ、懲罰してくれるはず」という水戸黄門様信仰のこと。 これを煽(あお)り続け、時には自ら黄門様を演じようとしたのが官報化けした大マスコミである。特にテレビは電波の配分を通して政府・総務省の配下にあり、新聞との複合体は、真の「権力=検察」批判など出来はしない。 検察権力は半世紀に及ぶ自民党政権の時代に、その唯一の対抗勢力として増長した。これを政府内の出来レースにすぎないと見る冷静な眼力を持つ者が少なかった。 私の場合、増長した検察の危険にハッキリ気づいたのは堀江貴文氏逮捕の時だから、人様の無知鈍感を笑えない。ただ、西山太吉事件やリクルート事件の頃(ころ)にはブログもユーチューブもなかった。事態の裏側について知りようもなかったのだ。 今は違う。尖閣海域における衝突事件の映像は人々に必要な情報だった。だからユーチューブに流れた。必要な情報が欠如している時、情報を持つ者は、それを供給できる。その際必要なのは、自己責任の勇気だけ。政府や大マスコミの許可は要らない。今はそういう時代。仙谷由人氏はそれを知っているべきだった。 (精神科医)2010年11月10日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-自己責任の勇気」から引用 中国の漁船が衝突してきた映像は、国民が知りたかった情報だからユーチューブに流れたのは当然だったという主張であるが、しかし、政府が公開しないと決めたものを政府機関の人間が横流ししたわけであるから、政府の監督責任は問われるべきである。
2010年11月21日
昔から検察官などと言う者は警察がしょっぴいた人間を犯罪者に仕立てるために、ありもしない証拠をでっち上げて罪を着せることを職業にしていたような輩であることが、先ごろの郵政不正事件の特捜検事が証拠を改ざんしたことを自白して、ようやく明るみに出る形になったが、これは何も特捜検事が関与した事件に限らず、一般の事件でも行われている疑いが濃厚であることを、5日の東京新聞が報道している; 東京都立板橋高校の卒業式で「君が代」斉唱への反対を保護者に訴えた元同校教諭が威力業務妨害罪に問われた事件。被告の元教諭と支援グループは2日、上告中の最高裁に「検察側の証拠が改ざんされた疑いがある」と慎重審理を要請した。大阪地検特捜部による押収資料改ざん事件の余波ともいえそうだ。 (田原牧) 要請文はルポライターの鎌田慧さんらが呼びかけ人を務める「藤田先生を応援する会」が作成、最高裁あてに提出した。 この事件は2004年3月に起きた。板橋高校の卒業式で来賓として招かれていた同校元教諭の藤田勝久被告が「君が代」の強制に反対し、開会前に日の丸、君が代問題を扱った週刊誌の記事コピーを配布し、保護者に不起立を呼びかけた。 この行動が式典の始まりを数分遅らせたとして藤田元教諭は威力業務妨害罪に問われた。弁護側は「言論弾圧で公訴権の乱用だ」と無罪を主張したが、06年5月の一審東京地裁判決は罰金20万円(求刑懲役8月)、08年5月の二審の東京高裁判決も一審を支持。被告側は上告している。 要請文は「表現の自由」「思想信条の自由」の重視を訴えるとともに、検察側の証拠に疑問があると指摘している。 これは事件当時、都教育委員会の指導主事が現場で録菖したICレコーダーの記録。警視庁公安二課の警察官が録音を文字化したが、異例にも起訴前と起訴後に分析結果報告書が計2通作られ、ともに証拠採用された。 起訴後の報告書には会場の見取り図や写真などが新たに添付されているが、問題は音源が同一であるにもかかわらず、文字化した録音内容の一部が2通で異なる点だ。 起訴前の作成分には藤田被告が退席を迫る校長に対し、「何で俺(おれ)が出るんだおい」と話しているが、起訴後作成分にはその言葉がなかった。 この問題点については一審で弁護団が注目。第4回公判(05年6月)で、報告書を作成した警察官を尋問した。警察官はあえて報告書をもう一通作ったのは検察官の依頼だったとし、内容の違いについては「意図的ではない」「記憶にないが、(音源を起こした際に)メモを取り忘れた可能性がある」と証言。しかし、それ以上のやりとりはなかった。 ただ、「メモの取り忘れ」だったとしても不自然だ。というのも、弁護団は起訴後、検察側から音源のコピーを入手しているが、そこには「何で俺が…」という言葉はなかった。藤田被告は「もともと音源になかった言葉を(起訴前の)報告書になぜ、書けたのか。むしろ、ICレコーダーの音源自体が起訴後に改ざんされたのではないか」と疑念を深めている。 「私自身には『何で俺が…』と口にした記憶がある。私は来賓なのに、という意味だった。しかし、起訴状は男が勝手に式典で騒いだという筋書きだった。『悪質な事件』と印象付けるのに、来賓を意味する言葉が邪魔だったのではないか」 ちなみに報告書を作った警察官は、公判での尋問で音源が改ざんされた可能性を否定した。 今回、あらためてこの疑問を強調した要請文を提出した理由について、支援者たちは大阪地検特捜部による押収資料改ざん事件に言及。板橋高校卒業式事件でも、検察側が提出した証拠の十分な再検証を求めている。2010年11月5日 東京新聞朝刊 11版S 24ページ 「都立板橋高卒業式『妨害』事件 『証拠改ざん疑い』」から引用 卒業式に集まった父母と生徒に、日の丸君が代不起立を呼びかけるビラを配ることが犯罪になるとは、呆れた話だ。これを無理やり犯罪に仕立て上げるために、警察と検察がグルになって(というか、彼らは最初からグルなわけだが)容疑者に不利な証拠を捏造するとは、ますます以ってけしからぬ話である。こういうロクでもないことを仕事だと思っている連中に我々の血税から給料を払う意味があるのだろうか。卒業式が数分遅れたのが「威力業務妨害罪」だというなら、右翼団体の抗議で映画「ザ・コーブ」や「ヤスクニ」の上映を断念させられた映画館は、抗議に来た右翼団体を告訴して、団体が立ち行かなくなるくらいの罰金を科して断罪してもおかしくないはずだ。
2010年11月20日
ロシア科学アカデミー極東研究所副所長、セルゲイ・ルジャニン氏は、10月30日の朝日新聞で、プーチン大統領のときは北方領土問題について交渉に前向きだったのに、メドページェフ大統領の時代になって何故態度を硬化させたのか、その辺の事情を次のように解説している; 日中が尖閣諸島の問題で揺れていた9月末、ロシアのメドページェフ大統領が中国訪問後に立ち寄った極東のカムチャツカで「近いうちに北方領土へ必ず行く」と表明した。そのとき極東にいたのに行かないのは、天候のせいだと大統領は示唆した。だが、行こうと強く望めば行けないほどの悪天候でもなかった。 そもそも、この時期に大統領が「訪問表明」をしたのは、尖闇の領有権を主張する中国と「反日」で足並みをそろえるためでは決してない。訪問の意向はロシア指導部内でかなり前から温められていた。 そのきっかけは、「北方領土はわが国固有の領土」と明記した改正北方領土問題等解決促進特別措置法(改正北特法)が昨年7月、日本の国会で成立したことだ。これが指導部を激怒させた。それ以降、クレムリンでは、法改正へのリアクションとして大統領の東アジア訪問の際に北方領土を訪れる機会をうかがってきたのだ。 プーチン政権の初期、ロシアは(歯舞、色丹の引き渡しを記した)1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉を始めようとした。しかし、日本が「四島でないといけない」と言い、すぐにだめになった。改正北特法が出てくるまではロシアも我慢していたが、同法の成立で厳しい立場を取らざるを得なくなった。 ロシアは今年、日本が45年に連合国への降伏文書に署名した9月2日を「第2次世界大戦終結記念日」に制定した。専門家の間では「対日本帝国主義粉砕」の記念日にしようとする動きもあったが、大統領が止めた。だから「対日戦勝」ではなく「大戦終結」の記念日となった。これはロシアが日本との対話を続ける意思があることを示している。青か黄色の信号をともしたが、赤信号ではないということだ。 だが、さらに状況を悪くしているのが菅直人首相や前原誠司外相ら今の民主党政権だ。「ロシアは北方領土を不法占拠している」などの「半サムライ的」な強硬な声明を繰り返していた。民主党は政権政党になっても、野党時代の視点を外交政策に反映している。長年の自民党政権時代はこんなことはなかった。小泉首相の時代でさえ日本は柔軟で妥協も探りやすかった。 こうした民主党政権の強硬姿勢がなければ、大統領の北方領土訪問表明もなかっただろう。ただ、管首相や鳩山前首相はタカ派ではない。その取り巻きが原則的批判を続け、首相が党の強硬スタイルの人質になってしまった。日本の内政が日口関係に影を落としている。ロシアという国やその反応を知る党外の助言者を起用すれば、より効率的な道も開けるだろう。今後、再びロシアが日本から新たに強硬な声明を聞くようなことになれば、大統領は今度こそ本当に、北方領土へ足を踏み入れるだろう。2010年10月30日 朝日新聞朝刊 13版 21ページ「私の視点-強硬な政権へのシグナル」から引用 民主党が、政権の座に就いてからもなお、野党時代の雰囲気でものを言っているというのは、確かに問題である。あの安倍晋三氏でさえ、首相在任中は靖国神社参拝を差し控えたくらいなのだから、民主党の政治家にはよく考えて発言をしていただきたいものである。崩壊寸前の自民党政権が仕掛けた改正北特法と、その後の菅直人首相や前原誠司外相の思慮に欠ける言動によって、北方領土返還は益々日本に不利になってしまった。この記事が新聞に掲載された2日後に、メドベージェフ大統領は北方領土を訪問している。
2010年11月19日
作家の柳美里氏は、5日の「週刊金曜日」で出版プロデューサーの高須基仁氏と対談し、朝鮮民主主義人民共和国を訪れたときの体験を、次のように述べている;(前 略)日本の失われた姿高須 「祖国への想い」というのは、いつ頃から意識したの。柳 14歳のとき、「指紋押捺を拒否する」という手紙を、横浜市長宛てに書いたんです。父と母はすでに別れ、私は母と暮らしていたんですが、父母双方に市役所から電話がいって、父親に「指紋を押してくれ」と土下座をされ、悔し泣きをして、その翌日、市役所に行きました。はじめて「祖国」を意識したのは、右手人差し指を朱肉に押しつけた瞬間、ですかね。 朝鮮民主主義人民共和国ほど、行って見てきた人と、行って見ていない人とのイメージの落差が大きい国ってないと思うんですよね。朝鮮に関するマスコミ報道は、ものすごく一辺倒なもので、もうそれは敵意と悪意が剥き出しですよね。高須 以前、新潮の選考会で、櫻井よしこに会ったんだって。柳 かれこれもう10年近くなりますが、選考委員を務めている新潮ドキュメント賞の選考会後に、朝鮮に行ったことを話すと、同委員の櫻井よしこさんに「柳さん、その国の人が幸せか、不幸かっていうのは、大体、町を歩けばわかるでしょう? 町全体の雰囲気の明暗とか、道行く人の表情とか。いかがでしたか?」と訊ねられたんです。 朝鮮の人々は、笑顔が素敵な人が多かった。休日には大同江(テドンガン)の川辺や牡丹峰(モランボン)の広場にビニールシートを敷いて、家族や仲間たちと、飲んだり食べたり、アコーディオンや横笛の演奏に合わせて、歌ったり踊ったりして遊ぶ市民を度々目にしました。あと、手をつないでいる人が多かった。親と子、老人と孫、夫婦、友人、恋人……。 夕暮れ時の大同江の遊歩道は、若い恋人たちのデートコースになるみたいなんですが、印象的だったのは、泣いてる女性がいたんですよ、20代半ばぐらいの。で、たぶん恋人だと思うんですけど、同じ年頃の男性が隣に座っていて、励ましの声をかけるでも、抱きしめるでもなく、彼女の肩に手を置いて、じっと泣いている横顔を見詰めていたんですね。夕陽に照らされた恋人たち……息をのむほど美しい光景でした。 あの国に行くたびに、この国ではとうの昔に失われてしまった、人の優しさ美しさに出遭い、胸打たれます。高須 北朝鮮報道では、よくホームレスが映されているけど、ほんの50年前に俺たちも見てきたんだよ。柳 そして、朝鮮の人々は、ほんとうに辛抱強い。今は苦難の時だけれど、いつか必ず南北統一を果たし、理想の国家を実現してみせるという気概とプライドを持って歩んでいる。 日本はね、それは朝鮮に比べれば、経済的・物質的には遥かに豊かですが、この12年間、毎年3万人以上の自殺者が出ているわけじゃないですか。阪神・淡路大震災の死者が6434人ですから、毎年4回の大地震に見舞われているのと同じくらい犠牲者が出ているのに、なぜ、みんな見て見ぬふりをしてるんですか? 異常事態ですよ。この国で暮らす多くの人々は、生きることの意味と価値を見失い、魂の大震災に見舞われているんです。朝鮮から日本に戻ると、幸せ、不幸せが反転するような奇妙な感覚に捕らわれます。高須 俺は、最後は現金持って、北朝鮮へ亡命するつもりなの。柳 朝鮮学校や朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)のイメージも、マスコミ報道によって、犯罪組織であるかのように歪められています。 「北朝鮮報道」で完全に抜け落ちているのは、朝鮮で暮らす普通の人々の姿です。その国の姿は、その国に暮らす人の姿を通してしか見えてこない。 今年の夏休みは、白頭(ペクトウ)山に登りに行ったんです。たまたま(日本にある)朝鮮大学校の学生たちと一緒だったんですけど、夕食の時、ふもとのホテルで停電があったんですよ。しかも、食事中に。で、学生たちがどうしたかというと、朝鮮の歌を順番に歌い出したんです。 ホテルの女の子たちも大喜びで、じゃあ私たちもお礼に歌いますって、暗闇の中でずっと朝鮮の歌が続いて……得難い経験でしたね、このまま明るくならなければいいのにってほど楽しかった。朝大の学生は、昨今の日本の大学生より、ずっと純朴で明るいですよ。高須 俺は、ノスタルジックに、センチメンタルにものを言ってるかもわかんないけれど、昔に戻りたいなら、北に行くしかないなって思ってる。柳 私は総聯に属しているわけでも、特定のイデオロギーに傾倒しているわけでもありません。自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の耳で聞いたことを言っているだけです。(後省略)2010年11月5日 「週刊金曜日」822号 35ページ「分断された朝鮮と家族へのこだわり」から引用 柳氏が指摘するように、我々が日本で接する朝鮮に関する情報は極度に歪められた情報ばかりで、しかも一面的である。そのような情報のみを基に朝鮮を批判しても、それは単なる誹謗に過ぎず、朝鮮を理解しているとはいえない。
2010年11月18日
イラク戦争を指示した小泉政権の判断は正しかったのかを検証しようとする動きが、永田町で始まったと、10月28日の朝日新聞が報道している; イラク戦争を支持した小泉政権は、いかなる情報をもとに、どのようなプロセスで決断したのか-。日本では過去の話になりつつあるイラク戦争を検証しようという動きが、永田町で始まった。手本は英国のイラク戦争独立調査委員会で、現地を視察した国会議員もいる。しかし国会は連日、与野党の攻防に明け暮れ、検証作業は緒に就いたばかりだ。 (土佐茂生) 日本版の「検証委員会」設立を呼びかけているのは、民主党の斎藤勁衆院議員と社民党の服部良一衆院議員の2人だ。今春、小泉政権時代に野党だった民主、社民、共産各党の議員約100人の署名を集め、当時の鳩山首相に要請書を出した。2人は27日、国会内で市民約35人を集めて勉強会を開き、「年内に議員連盟をつくる」と約束した。 小泉政権は、大量破壊兵器の存在を根拠に開戦に踏み切った米英の支持をいち早く表明。「自衛隊が活動する地域は非戦聞地域」という解釈でイラク復興支援特措法を成立させ、2004年に自衛隊をイラク・サマワに派遣した。 斎藤氏らは一貫してイラク戦争に反対してきた。特にこだわるのは、07年の衆院本会議で、自衛隊派遣の根拠となるイラク復興支援特措法を2年間延長した際に採択された付帯決議だ。そこには「政府は開戦時にあるとされた大量破壊兵器が発見されなかったことを踏まえ、イラク戦争を支持した当時の政治判断について検証を行う」とある。 「欧米では『イラク戦争は間違っていた』と見直す動きがある。国際社会での日本の信頼を確立するためにも、しっかりとした検証が必要だ」と斎藤氏は話す。 昨年の政権交代も大きな原動力だ。斎藤氏は「前政権がやったことを問い直すことは大きな任務」と意気込む。政権交代後に核持ち込みの密約文書の存在が明らかになったことも追い風だ。 手本とするのは、昨年、英国のブラウン首相(当時)がつくったイラク戦争独立調査委員会だ。2大政党制の英国では、フォークランド紛争など世論を二分した事案について歴史研究家ら第三者による独立委員会が徹底的に検証し、議論に終止符を打つという歴史がある。 斎藤氏は9月に訪英し、独立調査委のチルコット委員長やイラク戦争に反対して閣僚を辞任したショート元国際開発相と面会した。あらゆる外交の機密文書を閲覧できる強大な権限や予算規模、歴代の首相が喚問にまで応じる調査委の権威に舌を巻いた。 ショート氏からは「過去だけではなく、将来の国家像も検証するべきだ」と助言された。斎藤氏は「過去を水に流さない慣例を日本の政治文化に根付かせる」との思いを強くし、年内に議員連盟を立ち上げる意向だ。 しかし、ハードルは高い。 開戦当時に与党だった自民党と公明党の議員にも呼びかけたが、賛同者はひとりもいなかった。政界引退した小泉元首相が証人喚問に応じる可能性も無いに等しい。 与野党が激突する今国会の論戦は、「政治とカネ」や対中国外交の問題に偏り、改めてイラク戦争を据り起こす機運は乏しい。与野党が歴史的検証に取り組むことで一致するどころか「政争の具」に利用される恐れもある、と斎藤氏は思う。 英国政治に詳しい慶応大の細谷雄一准教授は「英国をまねてイラク戦争の是非を問うだけでは何も得られない。日本の政治には、法律や外交の専門家が情報を分析して検証する機会がないため、イラクや普天間基地、尖閣諸島などの問題で同じ過ちを繰り返している。失敗を放置せず教訓を学び、政治の質を上げることを目指すべきだ」と話す。2010年10月28日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「イラク戦争 検証模索」から引用 イラク復興支援特措法には「イラク戦争を支持した当時の政治判断について検証を行う」という付帯決議だあるのだから、国会は自分たちで決めた法律に忠実に従って行動するのが当然の務めである。誠意を持って、当時のイラク戦争支持の是非を検証してもらいたい。
2010年11月17日
南京大虐殺記念館でマンガによる日本人の戦争体験紹介を企画実行した作家の石井好(いしいよしみ)氏は、10月27日の朝日新聞で、中国との付き合い方について次のように述べている; 中国は法治ではなく、人治の国と言われる。人間関係がすべてだ、ということだ。仕事で少し失敗しても、非難されるくらいですむ日本と違い中国では政治的失脚を意味する。相手を見極めるのに時間をかけるが、信頼関係ができると本当に信用してくれる。 私が日中両政府の諮問機関である「新日中友好21世紀委員会」の活動などを通して痛感したのは、中国側が日本側のだれを信頼しているのかということが、彼らの対応からはっきり分かることだ。 政治家でも外交官でも民間でも、長年かけてつくったパイプがものを言う。中国との出会いは50歳を過ぎてからだったが、よい通訳者を通して人脈が広がり、この10年間で60回ほど訪れた。私が提案して、昨年夏から南京大虐殺記念館で、漫画によって日本人の戦争体験を伝える「私の8月15日展」を開いてきた。尖閣問題で日中が揺れていた9月18日には、北京郊外の盧溝橋の中国人民抗日戦争記念館に場所を移し、ちょうど開会式に出ていた。あらゆる日中交流イベントが中止になっていたが、中国側の協力姿勢に変わりはなく、展覧会は予定通り開かれた。 南京ではこう言われたことがある。「大虐殺記念館を訪れる日本人には、中国側が掲げる犠牲者30万人という数字をひたすら値切る人たちと、ただただ謝罪し続ける人たちの2種類があるが、あなたはそのどちらでもない」 日本人の戦争体験を展示するのは危険なことだ、とも言われた。しかし、私は日本の漫画の力を信じたし、長年かけて築いた相手との信頼関係がそれを可能にしたと思う。 尖閣諸島沖の事件は、民主党政権が中国とのパイプを持っていなかったことを露呈した。民主党は政権を取ってから、自民党時代に日中関係を担ったパイプを作りかえようとしていたが、裏目に出た。外交には継続が必要なのだ。 一方、自民党時代のような関係を再構築することは不可能だ。それは歴史的環境が変化したからだ。日中国交正常化を断行した田中角栄首相の遺産があり、「井戸を掘った人」として政治家が大切にされた。中国が貧しい時代だったので、日本政府の途上国援助(ODA)や無償援助が魅力的だった。友好は援助と表裏で、自民党は中国側の要請に応えてきた。だが、経済大国となった中国は、もはや日本の金を必要としていない。 これからの日中間のパイプには、ふたつの課題がある。ひとつは、法を重んじる国際社会のルールに基づき、中国と議論できるパイプを作ることだ。自民党時代は、中国の耳に痛いことは言わずに、あいまいにすませた面がある。言うべきことを言うには、政治家も外交官もそれだけの知性と器が求められる。 もうひとつは、ほんとうの中国専門家を育てることだ。中国は日本を徹底的に研究している。米国に押し切られる形で円高になった1985年のプラザ合意についても、自由選挙のもとで長期政権を維持した自民党の統治についても、調べ尽くしている。日本にそれに見合う中国研究があるか。 中国各地で反日運動が噴出しているが、表面的な現象に右往左往することなく、中国の大きさ、深さ、多様さを踏まえたパイプの構築が急務である。 (聞き手・三浦俊章)2010年10月27日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「オピニオン-長年の人間関係がもの言う」から引用 この記事が指摘するように、外交には継続が必要です。政権交代の勢いに乗って中国とのパイプもつくりかえようとしたのが裏目に出たのは残念なことでした。早急に関係修復に努力していただきたいものです。それにしても、日本の自民党が自由選挙のもとでどのように長期政権を維持したのか研究しているということは、中国政府自身、いつまでも一党独裁は続けられないことを自覚しているからではないか、大変興味深く思いました。
2010年11月16日
日中友好議員連盟の役員を務める自民党参議院議員の林芳正(はやしよしまさ)氏は、これからの日中関係のあり方について、10月27日の朝日新聞で次のように述べている; 日本と中国の政治家は時代に応じ、さまざまにパイプをつないできた。 1972年の日中国交正常化までは、両国の政治家が会うこと自体が非常に難しかった。日本では松村謙三さんや高碕達之助さんら、中国では廖承志さんらが、いわば「許されない関係」のなかで、中華民国(台湾)との関係が破滅的にならないようにしながら、中華人民共和国との新たな関係を苦労してつくっていった。彼らの間には、ある種の同志的な一体感があった。 国交が回復すると、日中の政治家はともに「友好」を唱えて人脈を広げた。中国から留学生を受け入れたり、中国に政府の途上国援助(ODA)を出したりしたが、体験を共有したことによる同志的結合は、前の世代ほどではなかったようにみえる。 21世紀になると、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を巡り日中関係が悪化。経済交流は強まるのに、政治は冷え込む「政冷経熱」が取りざたされた。超党派の日中友好議員連盟の事務局長になったばかりの私が、唐家旋さんから「先輩方のパイプがあるうちに、あなた方の世代が中国の次世代と新たなパイプをつくることが大事だと思いますよ」と言われたのは、そんな頃だ。 唐さんには「年に2回、若手だけで訪中するように」と勧められたが、結局、2年に1度のペースで04年、06年、08年の3回、青年訪中団を組織し、中国のいわゆる「第5世代」「第6世代」の人たちに会いに行った。 これまでに会ったのは、次期首相が有力視される李克強さん、指導部入りが有力な李源漸さん、中国共産主義青年団の第1書記を務めた周強さんら。将来を見据えて地方で頑張るリーダー候補とも面識を広げようと、北京以外の地方都市にも足を運んだ。 中国が国内総生産(GDP)で日本を抜くまでに成長し、日中が「戦略的互恵関係」で互いに利益を追求する時代、両国の関係は新たな段階に入った。それだけに、日中の次世代を担うべき政治家が、いずれしかるべき立場になった時、名刺を交換するところから始めないですむ関係をあらかじめ築いておくことが、ますます大切だと思う。 中国との今後の付き合いについて私は、安全保障と経済の2層で日米中の関係をどうつくるかという観点でとらえるべきだと考えている。建物にたとえれば、1階が安保、2階が経済だ。 安保に関しては日米中がそれぞれ冒険的なことは避け、抑制的に振る舞うのがよい。経済面では日米、米中、日中が積極的に関係を深め、相互依存を強める。2階で関係を深めるため1階では自制し、2階の関係が深まれば1階で騒ぎを起こす蓋然性(がいぜんせい)が下がる-という循環が理想だ。 ただ、それには時間がかかる。尖閣のような問題が起きれば安保は揺らぐ。中国にGDPで抜かれたら、日本人の間にネガティブな感情が生まれるかもしれない。中国の大国意識も波乱要因だ。 そこを乗り越えるのが外交だ。外交はすぐに成果がでるものではない。与党のときはもちろん野党にいても、政権奪取に備えて中国とのパイプづくりに息長く取り組むべきだろう。近く4度日の青年訪中団を実現したいと考えている。 (聞き手・古田貴文)2010年10月27日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「オピニオン-名刺がいらない関係が大切」から引用 中国も、昔のように貧しい国だったら分からないが、現在のように発展したからには、いまさら外国とコトを構えてせっかく整備されたインフラを台無しにするような愚かな真似はしないだろうし、日本もアメリカも中国がそのような愚かな道に踏み出さないように連携を強め、いかなる問題も話し合いで解決する国際ルールを確立するべきである。
2010年11月15日
民主音楽協会代表理事の小林啓泰(こばやしひろやす)氏は、戦後の日本が中国と国交を回復する以前から公明党が国交正常化について努力してきたことについて、10月27日の朝日新聞で次のように述べている; 民主音楽協会(民音)が設立されたのは1963年。音楽や芸術などの文化交流を通じ、世界平和の基盤をつくりたいという、池田大作・創価学会名誉会長の提唱によるものです。それから47年間。音楽、舞踊、舞台芸術を中心とする交流は103カ国・地域へと広がりました。 中国との交流は75年に始まりました。以来、ほぼ毎年、何らかのイベントを企画しています。中国は民音にとって特別な存在。背景にあるのは名誉会長と中国との密接な関係です。 中国との関係で忘れられないのは、68年9月、東京・両国の日大講堂でおこなわれた講演「日中提言」です。戦後23年、断絶したままの日中の国交を回復させるため前向きに取り組むべきだという主張は、当時として衝撃的な内容でした。 実は、私はこの講演を、学会学生部の一員として生で聴いているのです。そのときはことの重大さに気付きませんでしたが……。 それから4年後の72年9月、田中角栄政権のもとで日中の国交がついに正常化。その間、名誉会長が創設した公明党も日中のパイプとして重要な役割を果たしました。 74年、創価学会は2度にわたり訪中団を派遣。2度目の12月には会長と周恩来首相と「一期一会」の会談も実現しました。一連の訪問で中国側に教育と文化の交流が提案されたようです。民音と中国との交流開始はそれを受けたもので、第1回として75年9月に北京芸術団を招きました。 演目は「革命劇」。文化大革命の影響だったのでしょう。民音職員だった私も舞台を見ましたが、中国音楽に特有の「シャ~ン、シャ~ン」という響きに奮いたのを覚えています。 余談ですが、教育交流としては創価大学への中国人留学生の受け入れが、同じ75年にスタートしました。初回の留学生6人の中には、現駐日大便の程永華さんもいます。 中国の団体の来日は重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行した2003年に中止されたぐらいで、今年までに42団体、1700回の公演を数えます。 今年は尖閣諸島の問題があっただけに、10月に予定していたヒップホップ団体の来日が中止にならないか気をもみました。幸い杞憂(きゆう)に終わり、現在、日本各地で公演を続けています。 そもそも尖閣諸島は政治レベルの問題。政治にきちんと対応してもらいたい。協議の場をもち、解決策を見いだすのは、政治家の務めです。 政治が権力、経済が利益を追求する営みならば、文化は人間と人間との交流です。 政治、経済を船とするなら、船を運ぶ海は民衆と民衆のつながり。船が難破することがあっても、海さえあれば、往来は続いていく。ゆえに人と人が交流する文化は永遠の友好を築く王道-。名誉会長はこう言っています。 民音は政治にはかかわらない。しかし、日中関係ではそれなりに役割を果たしてきたと思います。隣国なので手を握ることも、けんかをすることもある。しかし、文化で結ばれていたら、必ず解決する。海がつながっていたら、いつかは理解しあえると信じています。 (聞き手・古田貴文)2010年10月27日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「オピニオン-文化のつながり理解への道」から引用 田中角栄内閣が日中国交を回復する以前は、NHKのニュースでも北京の政府を「中共」と呼び、中国政府と言えば台湾の政府を意味しておりました。そのような時代に、北京の政府を中国を代表する政府として認め、北京の政府と国交を樹立するべきであると主張した創価学会の池田会長(当時)は、先見の明を持った人物であると思います。上に引用した記事を読めば、民間交流がいかに大切か、よく分かります。
2010年11月14日
尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船と衝突事故を起こした中国船船長を逮捕したとき、何も知らない我々市民は「日本の領海で事故を起こしたのだから日本の法律で裁かれるのは当然、しかも領海侵犯だし」と思ったのであったが、実はこれは、詳しい事情を説明しない政府とそれを追求しようとしないマスコミの姿勢に惑わされた間違った考えである可能性が大きいことが、2日の東京新聞の解説で分かった。2日の東京新聞は、次のように書いている; 尖闇諸島沖の中国漁船衝突のビデオ映像が1部の国会議員に公開され、事件の様相が分かり始めた。だが依然として謎は多い。なぜ日本政府は『強行策』に出たのか。中国が日本の国内法の執行にこれほどまでも反発する理由は…。不可解な両者の行動の背景には、従来の中国の「棚上げ論」に乗った「日中漁業協定」の存在がある。この事情を積極的に公表しない政府の事情とは何か。 (加藤裕治、佐藤圭)(中間省略) 衝突ビデオを見たほかの多くの議員も、中国漁船側が「故意に衝突してきた」と口をそろえる。一方、中国の外務省は1日、「巡視船が漁船の進行を妨害したものだ」と反論した。 しかし、中国政府は事実関係を争う以前に、日本がこの海域で国内法を執行したこと自体を問題にしてきた。なぜか。 これまで中国政府は、尖閣問題について「棚上げ政策」を取ってきた。日本側も、中国側の「棚上げ政策」に乗っかる形で実効支配を続けてきた。これが最も端的に表れているのが、2000年6月発効の日中漁業協定だ。 旧協定では、それぞれの領海(沿岸12カイリ=約22キロ)の外側は、両国の漁船がその国の取り締まりのもとで自由に操業できた。それが日中両国が1996年に批准した国連海洋法条約に基づき、領海線から200カイリ(約370キロ)に経済的な権利が及ぶ代わりに、資源管理などの義務を負う「排他的経済水域(EEZ)」を設定する必要に迫られた。 だが、東シナ海は双方のEEZが重なる上、尖閣問題が絡む。このため、現協定では、日中のEEZを画定しないまま、尖閣諸島を含む北緯27度以南は従来通り、双方が自由に操業できる水域に指定。領土問題を棚上げした。 現協定は97年の署名以降、2年半ほど発効できない状態が続いたが、これは、北緯30度40分以北の海域で、両国が相手国の許可なく操業できる範囲をどのように定めるかでもめたためだ。 では、今回の事件を漁業協定との関連で検討するとどうなるか。衝突は1、2回目ともに領海内。領海内は、漁業協定は適用されず、外国人は操業できないとする外国人漁業の規制に関する法律の対象だ。停船させて立ち入り調査したのは領海外だが、公海上であれば、追跡することは国際法上認められている。 ただ、日本政府は従来、中国漁船が尖閣諸島周辺の領海内に侵入しても追い払おうとはするが、「実力行使」は避けてきた。事実上、領海内でも、漁業協定が「準用」されてきたともいえる。元外務省国際情報局長の孫崎享氏は「日本は領海内であっても漁業協定の精神で対処してきたが、今回はこれを逸脱している」と指摘する。 つまり態度を変えたのは日本の方だという。 それは、なぜか。 孫崎氏は、民主党政権が日米同盟の強化を狙って方針転換を図ったとみる。「日米のタカ派は事件を契機に、日本の防衛予算の増加を狙っている。民主党の議員は過去の経緯を知らず、前原誠司外相らタカ派の意見に引きずられている」 中国出身で現政府に批判的な評論家石平氏も「中国は海洋権益を拡大しようとしているが、このタイミングで尖閣カードを切ろうとしたとは思えない。中国には予想外の出来事だった」と推測する。同時に「編集したものを一部議員にしか見せないのでは説得力がない。中国に反論する余地を与える」と批判する。 とはいえ、ビデオの取り扱いがどうなろうと、中国は、領有権を強硬に主張し続けるとみられる。それだけに孫崎氏は、いたずらに中国を刺激するよりも、「棚上げ諭」こそ日本の国益にかなうと主張する。 「中国政府が自国漁船の出漁を抑えなければ、尖閣近海に中国漁船が押し寄せる。日本はすべて逮捕するのか。中国の協力なくして問題は解決しない。事態の沈静化を図って中国を棚上げ政策に戻すべきだ」<デスクメモ> 中国脅威論が幅を利かせれば、必然的に日米関係の強化へと世論は傾く。普天間移設問題が迷宮へと入り込んだ今、親米の菅内閣には、またとない追い風だ。奇妙なことに北の脅威までも揺さぶり攻撃を始めた。きな臭いご時世だ。こんなときこそ気を落ち着けて、誘導に乗せられる愚だけは避けたい。(充)2010年11月2日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「こちら特報部-日米同盟強化が狙い?」から引用 尖閣諸島については、日中双方が自国領土であると主張しながら、しかしその問題で対立するのは双方にとって得策ではないので、中国側は「棚上げ」するという方針に出たので、日本もそれ以上追求することをやめて、尖閣諸島を含む海域は日中双方が自国漁船のみを取り締まることとして、今日まで平和裏に過ごしてきたし、たまたま領海侵犯した漁船は強制送還するだけでコトは納まっていた。それが、民主党政権になっていきなり「逮捕」では、中国政府が怒り出すのは当たり前だ。前原外相は、そうやって中国の態度を硬化させて日本国民に「中国の脅威」を印象付けて、防衛費予算の増額を図る陰謀だった可能性は大きい。このようなことを企む人物を外相にしておくのは、国益を損ねるし平和憲法の精神にも反する。国会は、小沢元幹事長の証人喚問をなどと騒ぐ前に、前原外相解任決議をやるべきである。
2010年11月13日
十五年戦争の末期には兵員が不足したため、それまで徴兵を猶予されていた大学生も動員されることとなり、秋雨の降りしきる神宮競技場で盛大な壮行会が催されたのは有名な話です。その学徒出陣の壮行会で、送られる学生を代表して勇ましい答辞を読んだ人物は、多くの仲間が戦没したことに心を痛め、戦後は一貫して戦争については沈黙してきました。10月21日の朝日新聞が、次のように紹介しています; 太平洋戦争の戦況悪化に伴って、徴兵が猶予されていた学生たちが戦地に駆り出された「学徒出陣」の壮行会が東京の明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場)で開かれて21日で67年になる。「生等(せいら)もとより生還を期せず」などと答辞を読んだ学徒代表、江橋慎四郎さん(90)=東京大学名誉教授(体育学)、神奈川県藤沢市在住=が、戦後ずっと黙してきた心境を記者に語った。(編集委員・大久保真紀) 「答辞は我が身にとっては名誉なこと。だが、戦没者のことを思えば何も言えない」弁護士の父をもち、鎌倉で育った。地元の湘南中から仙台の旧制二高、東京帝国大学(現東大)文学部と進み、大学2年で学徒出陣となった。 代表に選ばれたのは、水泳部のマネジャーで、体育会の運営を仕切る「総務」の仕事をしていたからではないか、と振り返る。当時としては大きい、173センチという体格も影響した、とみる。 答辞の文章は国文学の先生に添削されたが、「若者の心意気として国難に立ち向かうという思いだった。当時の学生の気持ちを代弁したと思っている」。 1943年12月、航空整備兵として陸軍に入隊。内地にとどまり、敗戦を迎えた。戦後は文部省、東大教授などを経て鹿屋体育大学の創設に尽力、初代学長を務めた。 学徒には戦没者も多い。そのためか、取材依頼にも「貝になりたい」と語るなど学徒代表の体験についてはずっと口を閉ざしてきた。しかし、語らなかった故に「即日帰郷した」(軍隊に行っていない)などと事実と異なることを著作物に書かれ、批判された。「言いたければ勝手に言えばいいと思ってきた。自分を正当化する必要はない。僕は僕なりの人生をひたすら生きてきた」。学徒は当時の超エリート。だが、「あの時は国があれほど傾いているとは思っていなかった。情報が操作されていた」と漏らす。 「同じ過ちは絶対に繰り返してほしくない」。そう繰り返す江橋さんは、いまも毎年2回沖縄を訪ねる。日本が中国やアジア、沖縄の人たちに迷惑をかけたことは忘れてはならないと思っている。2010年10月21日 朝日新聞朝刊 14版 38ページ「学徒出陣の代表 戦没者思うと言葉出ず-戦後沈黙の理由語る」から引用 260万人もの同胞を失った戦争から幸運にも復員出来た人々の大部分は、程度の差はあってもおよそ江橋氏と似たような心境で、生きて帰れなかった仲間がいるにも関わらず自分だけ生還したことに負い目を感じて、公の場では戦争体験を大っぴらに語ることも無く過ごしたものです。また、戦前の誤った国策は東京裁判で断罪され、それを日本政府が受け入れての講和条約であったのですから、今さら旧日本軍を称賛したり自分がその一員であったことを自慢するのは少々お門違いというものでしょう。その上、戦前の軍人は、一人残らず全員そうだったと言うのではありませんが、一般的に威張っていて横暴で、しかし民間人は「お国のために命を捧げる方たちだから、少々の我がままもしかたがない」と我慢せざるを得ない環境があったことも、後世の我々は知る必要があると思います。そのような背景を知っていれば、初対面の美輪氏にいきなり「海軍魂」などと発言した中曽根氏に対して、カッとなった美輪氏が「腹も切らずに、のうのうと生き残るのが海軍魂なのか」と、一見理不尽なタンカを切ったのも理解ができるというものです。つまり、軍の横暴に我慢を強いられた民間人が、見事に一矢報いたという格好なので、佐高氏のインタビュー記事は面白かったと、こういうわけです。
2010年11月12日
戦時中に旧制中学の生徒だった読者が、当時を偲んで朝日新聞投書欄に次のように書いている; 私が旧制東京都立第九中(都立北園高)1年だった43年の2学期。始業前に漢文の藤塚明直先生が入ってきた。 藤塚先生は手入れをしない髪がいつもぼさぼさ、素足に草履履き、やせて風采が上がらず、ひょうひょうとしてぼそぼそ話す。高名な学者を父に持つ一風変わった人で、代々受け継がれたあだ名が「西洋ルンペン」。略して「セールン」と皆呼んだ。 そのセールンが入室するなり、突然「このクラスも予科練の志願者はいませんね!」と日頃に似ぬ大声で言った。続けて声を落とし、「つまらない死に方をするものではない。君らには別の生き方がある」と言って風のように去って行った。隣のクラスから同じように彼の声が聞こえた。 当時、学校に予科練生を何人出せと割り当てがきたのだろうが、係に任ぜられたセールンは、それを自分の判断で握りつぶしたに違いない。この年、予科練志願者は全校で一人もなかったと聞く。教え子を戦場に送らなかった先生の存在を伝えたい。2010年10月19日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「語り継ぐ戦争-教え子守ったルンペン先生」から引用 厳しい戦時下で、教え子を戦場に送らないと決意し行動した先生は立派です。当時は戦争反対の考えを表明するだけで逮捕投獄される時代でしたが、それでも、勇気をもって行動した先生がいたということは、ベ平連の脱走兵支援と同様、後世に語り継ぐ価値のある美談であると思います。
2010年11月11日
弁護士の今井敬彌(いまいけいや)氏は、検察官による証拠の隠蔽や改ざんは今に始まった話ではないとして、戦後間もない頃に起きた松川事件を引き合いに、次のように述べている; 大阪地検特捜部の元検事が証拠を改ざんしたとして起訴され、その改ざんを隠蔽(いんペい)した容疑で上司の前特捜部長らが逮捕された。前代未聞の不祥事と騒がれているが、実は、私が差し戻し番の弁護団の一員としてかかわった「松川事件」では、検察官による証拠の隠蔽が執拗(しつよう)に行われた。検察官が自分たちに都合の悪い事実や証拠を隠すことは昨日今日に始まったことではない。 松川事件は1949年8月17日、福島市の東北線松川駅付近で、列車が転覆して乗務員3人が死亡した事件で、国鉄労組や東芝労組の組合員ら20人が起訴された。 検察官が隠蔽した証拠は第一に、レールとレールをつなぐ継ぎ目板を外した実行犯として逮捕され、虚偽自白した被告の「継ぎ目板を1カ所外した」という供述と矛盾する、もう1カ所の継ぎ目板だった。事件現場ではレールがはね飛ばされており、そのためには、2カ所で継ぎ目板を外さなければならない。ところが、検察側は虚偽自白の供述に合わせて1カ所分の継ぎ目板しか証拠として法廷に出していなかったが、二審になって隠していたもう1カ所の継ぎ目板とボルトを出してきた。 第二は、8月13日に行われた連絡謀議に参加したとして一審で死刑を求刑され、懲役15年の有罪判決を言い渡されたある被告が、その日時に郡山警察署に勾留(こうりゅう)されていた知人の面会に行っていたというアリバイの根拠となる同署の面会記録簿だ。これも一審では隠し通し、二審でようやく出してきて、一部無罪判決の決め手となった。 第三は、8月15日の連絡謀議に参加したとして一、二番とも死刑判決を受けた被告がその日時に労使交渉に出席していたことを裏付けるメモ(「諏訪メモ」)だ。アリバイを証明する有力な証拠にもかかわらず、検察側は上告審まで隠し、弁護側が「労使交渉の経過を記録した会社側のメモがあるはずだ」と再三主張し、最高裁がメモを出すように勧告したところ、しぶしぶ出してきた。その結果、最高裁は二審判決を破棄、差し戻す判決を出し、被告全員の無罪判決につながった。 松川事件のような社会的関心の高い重大な事件で、検察官個人の判断で重要な証拠を隠匿することは考えられず、「検察同一体の原則」から考えても検察の組織ぐるみの隠蔽だったと思われる。現に諏訪メモは異動する副検事に転勤先に持たせて隠匿した。しかも、無罪判決確定後も、検察は冤罪を生んだ捜査の問題点について全く検証や反省をしなかった。そのため、隠蔽体質が温存され、今回の証拠改ざん、犯人隠避事件を生んだのではないか。 今回の事件を契機に、刑事訴訟法を改正して検察官に手持ちの証拠すべての開示を義務づけ、それに違反して、証拠を隠した場合、厳罰を科する必要があると思う。2010年10月16日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「私の視点-松川事件から続く『隠蔽』」から引用 松川事件は私が生まれた年に起きた事件で、全員無罪判決が出たとき私は確か中学生になっていた。この事件は、労働組合運動を弾圧するために、警察とGHQが仕組んだ悪質な謀略事件で、何十年かたって時効になったとき、実行犯の人物が「おれがやった」と名乗り出て国会でも取り上げられたが、時の自民党政府は対米関係を配慮してか、本人の記憶があやふやな点を針小棒大に指摘して、真犯人とは言い難いなどと言いふらして、うやむやにしてしまった。しかし、この裁判で検察は証拠を隠してまで、警察とGHQをかばって無実の労働者を死刑にしようとしたとんでもない事件であることは、後世に記録を残すところとなったのである。このときに、検察の違法性を徹底追及していれば、村木氏を誤認逮捕することにはならなかったはずだ。
2010年11月10日
国連本部政務官で安保理を担当する川端清隆(かわばたきよたか)氏は、尖閣諸島をめぐる問題に関連して、国際社会における日本政府の態度を、次のように批判している; 尖閣諸島(中国名・釣魚島)を巡る一連の問題は、日中関係のみならずアジア諸国を搾るがせた。問題の核にあるのは、「領土問題は存在しない」とする日本と、それを認めぬ中国との主張の対立だ。ところが、一方の当事者である日本の言い分は、国連にまったく聞こえてこない。 主張の是非はさておき、日中の国連外交には大きな違いが見られた。先の総会で中国の温家宝首相は、個別問題への言及は避けたものの、「領土保全では屈したり妥協したりしない」と言明した。一方、日本の首相や外相による問題提起は、米国などとの二国間会議に限られ、世界への直の発信はついになされなかった。 領土問題は国際紛争の主因の一つだ。今日に至っても、国境線の画定や国土の分割など、領土がらみの争いは絶えない。問題の解決が難しいのは、国家の体面、歴史観や経済・地政学的利害に直結し、国内世論に影響されやすいためである。加えて、戦略的要衝での国境紛争は二国間交渉の手にあまり、当事国は自らの主張を世界に直接訴える必要に迫られることがある。そのための公正な機会を、多国間外交の場である国連は提供できるのである。 以心伝心の二国間外交とは違い、国連は加盟国が建前に基づいて正論を吐き、その正当性を公然と国際社会に問う場である。当事国は普遍的原則に照らして互いの理非をただし、国際世論の公明正大な判断を仰ぐのである。自らの考えを国連で語るのは、「ことを荒立てる」のでも、二国間外交を阻害することでもない。むしろ、当事国は二国間の目先の利害を超えて、問題解決への道筋を多角的に探れよう。 中国の台頭など、アジアの政治状況は今世紀に入って大きく変容し、地域の同盟関係は相対化しつつある。ところが、日本は米国を通してしか安全保障を語らず、時代の変化に取り残されている。頼みの米国も、中国への配慮からか、係争海域の領有権には踏み込まずにいる。なぜ尖閣諸島は歴史的、国際法的に日本固有の領土なのか。なぜ「存在しない」はずの領土問題に対中関係はかくも揺らぐのか。日本の説明努力は、旧来の二国間外交の枠にとどまったままで、到底十分とはいえない。 国連外交に見られる日中の違いは、歴史の節目にあって内向きな日本と、外向きに転じる中国の反映でもある。自らを語らぬ国は、国際社会では信用されず共感を得られない。まして、沈黙のうえに隣国との「戦略的互恵関係」を築けるはずもない。「国連重視」を掲げる日本の民主党政権であるが、二国間関係に偏った戦後外交からの脱皮が急務であろう。領土など国家の存立にかかわる核心的問題について堂々とその考えを示し、国際社会との連帯を深めることが、今ほど重要なときはない。2010年10月15日 朝日新聞朝刊 13版 17ページ「私の視点-戦後外交から脱皮のとき」から引用 川端氏が指摘するように、日本は米国を通してしか安全保障を語らず、時代の変化に取り残されている。日米安保がかつて必要だった歴史的事情はあったかも知れないが、いまや冷戦も終わり、武力に頼らない安全保障をどのように構築し憲法9条の精神を実現するのか、真剣に模索する時代に入ったと言える。にもかかわらず前例を踏襲していけば事足れりとする姿勢の政治家ばかりの現状は、実に嘆かわしい。
2010年11月09日
きのう引用した田原総一郎氏のエッセーに対して、10月29日の東京新聞には次のような投書が寄せられた; 22日付暮らし面の田原総一朗さんの子育て日記を読んだ。さすが田原さんのDNAを受け継いでいる6歳のお孫さん。率直かつ正論の戦争への意見は全世界の政治家に聞かせたいほどである。 お孫さんたちの10倍以上も生きてきた私にとっさにこのような意見が言えるのか、とあらためて子どもの純真さを感じた。 戦後生まれの私は、幸運にも戦争を体験することなく今まで生きてこられたが、仮にもし今の日本が軍国主義であったなら、中国との戦争が始まっていたかも、と考えるのは私だけだろうか。 先日もテレビをつけたら、中国漁船衝突事件に対して、あるコメンテーターが「今こそ大和魂を出して抗議すべきだ」と叫んでいた。戦争は決して架空の出来事ではなく、われわれの足元にしたたかに潜んでいるのかもしれない。2010年10月29日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-田原氏の孫 意見に感心」から引用 戦後の65年間、わが国が戦争をしないでやって来れたのは、平和憲法と国民の意志を尊重した政府の努力の結果と言えます。これからも末永く、国策を誤ることなく平和国家としての道を歩むことを願ってやみません。
2010年11月08日
テレビの討論番組の司会等で有名なジャーナリストの田原総一郎氏は、10月22日の東京新聞コラムに、次のようなエッセーを書いている; ことしの夏は、テレビで太平洋戦争のドラマやドキュメンタリー番組が数多く放送された。 孫たちは、その何本かを見たようだ。その中に、15歳の少年が志願兵になるというドラマがあった。 それを見て、兄の方が「なぜ、子どもなのに戦争に行くのか」と母親に聞いた。母親は「日本が戦争に負けてきて、どんどん人が死んで、戦う人が少なくなったので、子どもたちも戦争に行かなければならなくなったのだ」と説明した。 すると、弟の方が「なぜ負ける戦争をしたのか」と尋ねた。6歳の孫たちは関心を抱くと、鋭く突っ込んでくる。母親は説明に困った。兄の方は「なぜ、もっと話し合いをしないで戦争してしまったのか」と問うた。大人たちに聞かせたいほどの正論である。 6歳だと、なまじっか雑書にまどわされなくて本質が突けるのだな、とあらためて思った。 なお、この番組で出征する人を見送る側が日の丸の旗を振って、大声で「万歳、万歳」を叫ぶシーンがあった。弟の方が「なぜ、死にに行く人を、旗を振って『万歳、万歳』と喜んで見送るのか」と問うた。母親は懸命に考えて「『万歳』は喜んでいるというよりは、頑張ってください、と励ますために言っているのだ」と答えた。 しかし、弟、そして兄も納得できなさそうな顔をして「だけど、死にに行くかわいそうな人を頑張れと励ますのはおかしいのではないか」と問い返した。 本当に戦争は矛盾だらけである。とくに太平洋戦争について、6歳の子どもに説明するのは難しい。実は、いま常識のようになっている太平洋戦争の見方にも少なからぬ疑問がある。 孫たちは「ぼくは戦争のとき生まれていなかったので、おおぜいの人が死ぬとわかっていて、なぜ戦争をするのか、わからない」と、重ねて問うた。 母親は「ママも戦争のとき生まれていなかったので、戦争を知っているオーパパ(私のこと)に今度聞こう」と言ったということだ。 これは難仕事である。 (ジャーナリスト)2010年10月22日 東京新聞朝刊 10ページ「田原総一郎さんの子育て日記 - 本質を突く孫たち」から引用 問題の解決は武力を使わず話し合いで、という発想は現代の日本人の価値観であり、当時の日本人にはそのような考えはありませんでした。日本人に限らず、世界中が紛争の最終決着は武力という時代だったと思われます。しかしわが国は敗戦によって、そのような考えは誤りであることを悟り、国際紛争の解決に武力を使用しないことに決めました。現代の世界でも、武力で平和を築くことは無理であることが証明されつつあり、やがては武器保有の無意味さを世界が悟る時代がやってくることでしょう。
2010年11月07日
わが国がこのまま死刑を継続するべきか、あるいは廃止するべきかについて政府が検討を始めたことを受けて、10月16日の朝日新聞は次のような解説記事を掲載している; もっとも重い刑罰である死刑がこのままでよいのか、国が検討を始めています。8月には死刑廃止派だった当時の法務大臣が死刑の刑場を報道機関に公開しました。なぜ、死刑廃止が議論されているのでしょう。どんな意見が出ているのでしょうか。「残虐な刑罰」と疑問の声 国が人の命を絶つ死刑は、「究極の刑」とされてきた。裁判で死刑判決が確定した死刑囚は、ほかの刑が確定した人が入る「刑務所」ではなく、裁判中の人などが入る「拘置所」で死刑の執行を待つことになる。法務省によると、9月末現在で死刑囚は全国で107人。このうち8人は女性だ。 死刑は法務大臣の命令で執行する。法律では「刑が確定してから6カ月以内」に命令する狭まりだが、実際には、30年以上執行されずに拘置所で暮らす死刑囚もいる。法務大臣がすべての裁判記録を読み直して執行を判断するには時間がかかるし、裁判のやり直し(再審)を求めている人は、その間執行が見送られるためだ。 最高刑に死刑が定められている罪には、強盗殺人や放火などがある。刑の重さを考える上では、最高裁判所が1983年に示した基準がある。それを参考に、犯罪に巻き込まれた被害者の数や犯行の残虐さなど、9項目について慎重に検討した結果「やむを得ない」と判断されれば、死刑判決が言い渡される。 死刑囚と外部の人との面会や、手紙のやりとりは厳しく制限されている。また、執行まで死刑囚がどんな日々を過ごしているかについては、情報が公開されておらず、分からないことが多い。 法務省によると、死刑囚は工場での作業などが課されないため、1人部屋で「余暇」と食事の時間を繰り返す生活になる。囲碁や将棋の道具などが貸し出され、テレビや運動も認められているという。でも、死刑執行の日がいつ来るか分からず、それにおびえ続ける長い拘置所生活で、心や体の具合が悪くなる死刑囚もいる、という。 たとえ刑であっても、国が人の命を奪っていいのか。そうした考えから、死刑を廃止すべきだ、と主張している人たちもいる。 憲法は、残虐な刑罰を禁じており、死刑はそれに当たるのではないか、というのも理由の一つだ。また、もし誤った裁判の結果として死刑が執行されれば、取り返しがつかないことになる。情報不足、議論これから 一方で、国が昨年秋に行った世論調査では、「(死刑は)場合によってはやむを得ない」と答えた人が全体の約85%に上った。このうち半分以上の人が「凶悪な犯罪は命で償うべきだ」「被害者の気持ちが収まらない」といった点を、死刑を続ける理由に選んだ。 諸外国は、死刑についてどんな判断をしているのだろうか。 欧州連合(EU)に加盟しているすべての国は、死刑を廃止している。一方で、死刑が行われている国としては、米国の一部の州や、中国、イランなどがある。韓国は、死刑の執行を10年以上しておらず、実質的には廃止状態だ。死刑のない国では、死ぬまで刑務所にいる終身刑や、数十年の懲役刑が最高刑となっている。 死刑を今後も続けていくかどうかは、刑罰をどうするかを含めた大変重要な問題だが、日本ではまだ議論が深まっているとは言えない状況だ。その原因は、死刑について知ることができる情報が少なすざるからだ、との指摘もある。死刑囚の暮らしの状況や執行そのものが、法律に従って正しく行われているかどうか、チェックする仕組みがないことも問題だ。被害者遺族の中にも「死刑囚が、最期には改心して死刑に臨んでいるかどうか知りたい」との声がある。法務省が死刑制度のあり方について勉強会を開くなど、国民的な議論を深めていくための検討が始まっている。 (河原田慎一)2010年10月16日 朝日新聞夕刊 3版 3ページ「ニュースがわからん!-死刑、なにが問題なの?」から引用 死刑という重い刑罰が犯罪の抑止力になるという主張には根拠が無い。死刑を廃止した国で凶悪犯罪が増えるという現象がないことが、それを証明している。わが国も、残虐な刑罰を禁止している憲法を尊重し、死刑を廃止するべきである。
2010年11月06日
日中戦争が始まって間もないころ、中国のとある山村で日本軍が中国の民間人を大量に虐殺する事件があった。この事件で奇跡的に生き延びることができた被害者が、先日来日して体験を語ったと、10月17日の「しんぶん赤旗」が次のように報道している; 78年前に中国で起きた日本軍による住民虐殺・平頂山事件の生存者が訴えました。「事実を認め、謝罪してほしい」と。相手は日本政府です。85歳の女性が9月30日に初めて来日し、体験と思いを語りました。 本吉真希記者 事件は1932年9月16日に引き起こされました。中国東北部に位置する遼寧省撫順市の平頂山村です。生き延びた楊玉芽(ようぎょくふん)さんは当時7歳でした。 楊さんの証言によると- 事件の朝、日本軍は「みなさんを守るので南の方へ集まって」「写真を撮ってあげる」と住民を追い立て、村の南西にあるがけ下に集めました。 楊さん一家が広場に入るとき、黒い布で覆われた物がありました。「これが写真機だ」「うれしい」。楊さんは初めての撮影に心が躍りました。喜んで、服を持ってきている人もいました。 住民3千人余が集まると、日本兵は朝鮮人たちを別の場所に移しました。人々は「何かおかしい」と感じ始めます。 そのときです。突然、黒い布が取り払われ、機関銃が火を噴きました。「銃声が鳴り響き、雨のように銃弾がふってきた」。楊さんは父に抱かれ、地面に伏せました。4歳違いの妹は母が体の下で守りました。 2度にわたる機銃掃射のあと、日本兵らはまだ息のある住民を銃剣で刺して回りましたが、楊さん姉妹は父母の下にいたため難を逃れました。 夕方、日本軍は去っていきました。楊さんは血だらけで倒れていた母に何度も声をかけました。「ママー、ママー!」と泣き叫ぶ妹。しかし「母は動かなかった…」。 日本軍は翌日、遺体を焼却。がけを爆破して遺体を埋め、周囲に鉄条網を張るなどして立ち入れないようにしました。 当時、中国東北部では、抗日義勇軍などの抗日運動が日増しに激しくなっていました。日本軍は住民が義勇軍と通じていたとして、住民のみな殺しを図ったのです。地裁・高裁は被害事実認定 96年、3人の生存者が日本政府を相手に謝罪と賠償を求めて裁判を起こしました。東京地裁は事件について加害と被害の事実を認めながら、「国家無答責の法理」を用いて原告の敗訴(02年6月)としました。これは「戦前の日本では国家賠償法がなく、国の公権力行使によって損害が生じても国は賠償責任を負わない」という考え方です。東京高裁でも覆らず、最高裁も上告を棄却(06年5月)しました。被害者の要求 政府は実現を 平頂山事件から2カ月後、中国側は国際連盟で虐殺を告発しました。これに対し日本政府は、事件を全面否定する文書を同事務総長あてに提出。現在までこの公式見解を改めていません。 4日、楊さんと懇談した日本共産党の井上哲士参院議員は「政府は事実を認め、謝罪することが出発点になる。被害者の要求実現のため努力していきたい」と激励しました。 弁護団の穂積剛弁護士は「被害者の要求実現を目指す中で、日中市民の相互信頼が発展した。この信頼こそが友好関係の基礎」と強調しました。 楊さんが成田空港に着いた日は土砂降りの雨でした。「その中を日本の友人たちが迎えに来てくれたことが、とてもうれしかった」と話します。 5日間の滞在中、二つの証言集会で訴えた楊さん。「事件に関心を抱いている日本人が多くいると、身をもって感じることができた」。解決へ、期待に満ちた瞳で語りました。被害者の日本政府への要求(1)事件の事実と責任を認め、生存者と遺族に公式に謝罪する(2)日本政府の費用で謝罪の碑を建て、陵苑を設置・整備する(3)事実を究明し、教訓を後世に伝える2010年10月17日 「しんぶん赤旗」日曜版 32ページ「7歳で見た日本軍の村ごと虐殺」から引用 楊玉芽氏は補償を要求しているわけではありません。生存者と遺族に対する日本政府の公式謝罪は必要です。被害者の陵苑を設置・整備してほしいという願いにも応えてあげるべきです。事実を究明して後世の教訓とすることは大変重要だと思います。
2010年11月05日
精神科医の斎藤学氏は、自民党とあまり変わらない民主党の政権運営を批判して、10月20日の東京新聞コラムに次のように書いている; 終戦のとき、4歳だった。群馬や埼玉の縁者宅を転々とした親たちが東京の八丁堀に戻ったとき、そこは焼け野原。住むところもなかった。 大人たちは不幸そうだったが、幼児は初めて味わうハーシー・チョコレートの強烈な甘さで幸せだった。焼夷(しょうい)弾で溶けたガラスが街中に落ちていて、その赤や青の破片を拾っては手に切り傷をつくった。街は雑草で覆われ、破れた水道管からの水でできた池の上で、トンボが交尾していた。 あのころから、ずっと私たちの社会はアメリカ合衆国の支配下にある。戦後の復興が軌道に乗り始めたころ、米中央情報局(CIA)との関係も取りざたされた元首相、岸信介氏による米日密約政権が誕生し、それが60年続いたからである。検察や財務をはじめとする官僚機構がこれを支えた。 これらを変えると唱えた民主党が政権についたとき、良かったと心から思った。しかし、期待は急速にしぼんだ。党内の反改革派が「世論の支持」を錦の御旗に改革への蠢動(しゅんどう)を封じ込め、マスコミがこれに加担した。中央官僚の天下りは阻止どころか、制度化されるという。沖縄の米軍基地も温存されるだろう。 弁護士あがりの超保守主義者が政権のかじを握り、いかにも三百代言らしいへ理屈で議会を空転させている。こんな光景は見たくなかった。 (精神科医)2010年10月20日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-政権への失望」から引用 岸内閣は米日密約政権だったというのは、かねてからの斎藤氏の持論であるが、その信憑性はどうなのか、興味深い。仙石官房長官については、私はあまりよく知らないが、弁護士上がりのまじめな政治家と思っていたが、果たして岸信介氏並みの超保守主義者なのかどうか、これまた興味深いところである。 しかし、私は諦めるのはまだ早いと思う。60年続いた米日密約政権の悪弊を改めるには、やはり30年はかかると思ったほうがいいのではないか。
2010年11月04日
高校無償化制度を朝鮮学校にも適用することについては、文部科学省の専門家会議が当然適用するべきであるとの結論を出していたが、民主党内に異論があるとのことで実施は先送りとなり、民主党の部門会議に下駄を預けた格好になっていたが、このたび民主党の部門会議も適用を認めることになったと、10月20日の朝日新聞が報道した; 朝鮮学校への高校無償化制度適用について検討している民主党の部門会議が20日、文部科学省の専門家会議が示した「教科書の記述などの具体的な教育内容は問わず、授業時数や教員数といった外形的な項目で判断する」との適用基準を了承した。基準をあてはめると、全国の朝鮮高級学校10校(休校を除く)は無償化の対象となる。 この日は同党で教育問題を担当する文部科学部門と、拉致問題を担当する内閣部門の合同会議が開かれ、専門家会議の基準をおおむね了承するとの見解をまとめた。同日、党政策調査会に報告する。 「国から支給される助成金が授業料軽減に使われることを担保すべきだ」「教育内容を問うべきだ」との声が出たことも付け加えたが、基準の変更は求めていない。 民主党はこの見解を政策調査会で正式決定したうえで文科省に示し、同省は(1)党の見解を踏まえて基準を正式決定(2)基準にあてはめて朝鮮学校10校の審査を実施(3)適用の可否を決定-の順に手続きを進める見通し。(2)の審査を実施する主体は決めていないが、専門家会議の委員が担う案が出ている。 高校無償化は今年4月に始まったが、朝鮮学校への適用を巡っては中井沿・拉致担当相(当時)らから反対論が出たため、文科省はいったん適用を先送りし、5月に専門家会議を設けて議論してきた。 専門家会議は8月末に適用基準をまとめ、文科省も適用する方針を固めたが、管直人首相が党の意見も聞くよう川端達夫文科相(当時)に指示。これを受けて9月に2回行われた部門会議では、専門家会議の基準を受け入れるべきだとの意見が大勢を占めていた。 (青池学)文部科学省の専門家会議が示した基準 無償化の適用には、▽修業年限3年以上▽授業時数が年800時間以上▽体育や芸術などの授業も開設▽教員は教職に関する専門的教育を受けている、などの基準を満たすことが必要だとした。具体的な教育内容は「すでに適用されている他の外国人学校では判断基準にしていない」として入れなかった。 同会議は基準以外に「助成金が授業料減額以外に使われるおそれがある」との批判を意識し、文科省が毎年財務書類をチェックする規定や、3年ごとに検証して基準を満たさない場合は適用を取り消す規定をつくるよう提言。同省が検討している。2010年10月20日 朝日新聞夕刊 4版 1ページ「高校無償化基準を了承」から引用 拉致問題というのは、朝鮮学校やそこに通う生徒には何の責任も無い話で、それを理由に他の学校と差別することは許されません。そのような観点から、民主党の部門会議の決定は極めて常識的な判断であったと言えます。また、中には公の支配に属さない学校に公金を支出するのは憲法違反であると言う人もいますが、他の外国人学校を公の支配に属していると認めながら朝鮮学校だけは属していないとする根拠もないわけで、やはり朝鮮学校だけを差別するという陰謀は、民主主義のわが国では認められないということになるわけです。
2010年11月03日
紳士服販売の大手AOKIが社員を脅して8割もの組合員を労組から脱退させた事件について、ルポタイターの鎌田慧氏は10月19日の東京新聞コラムに次のように書いている; 4カ月間のあいだに1380人、およそ8割を脱退させられたという。洋服販売店の労組、「AOKIグループユニオン」が、会社側の不当労働行為を訴えている。 組合から脱退させるのに、解雇や配転で脅かす、というやり方は、労組の存在否定である。解雇や不当配転から労働者を守るのが、労組活動である。この逆転した攻撃に、悪夢のような「国鉄改革」を思い起こす。国鉄分割・民営化を決めた83年の「再建監理委員会」の発足から、87年のJRの出発まで、政府と学者、新聞が一体化した「改革」宣伝が、労組つぶしに拍車をかけ、100人以上の自殺者と大事故を発生させた。 労働者が組合を結成し、経営者と交渉する権利は、憲法28条で保障されている。その団結権に対する攻撃は憲法違反である。ところが、最近では、経営者も労働者も民主主義の基盤ともいうべき、この保障されている権利を忘れがちだ。 まして、巷(ちまた)の不況が「解雇」の脅しの効果を大きくしている。「国労を脱退しないと新会社に採用されない」という管理職の説得が、JRへの移行時に使われた。いまAOKIがそれとおなじ手法を使っているようだが、事実なら許されない犯罪行為である。 憲法に違反しても安ければいい、という経営者のモラルは、経営の末期症状をあらわしている。 (ルポライター)2010年10月19日 東京新聞朝刊 23ページ「本音のコラム-経営者のモラル」から引用 労働者が組合を結成する権利は、言論表現の自由と同様、憲法に保障された国民の権利である。AOKIの従業員は憲法を楯として、横暴な経営者と断固闘って憲法に保障された権利を実現してほしいものである。
2010年11月02日
坂本龍馬と同郷の高知県出身の精神科医、野田正彰(のだまさあき)氏は、龍馬がもてはやされる昨今の世相を、次のように批判している; NHKの「龍馬伝」で、福山雅治さん演じる坂本龍馬はとても魅力的だ。龍馬は今年の「上司にしたい偉人」「お酒を一緒に飲みたい歴史上の人物」でもトップだという。だが、この幕末の風雲児と同郷の精神科医・評論家の野田正彰さんは、龍馬人気に疑問を投げかける。 聞き手 編集委員・刀祢館(とねだち)正明 -坂本龍馬はなぜ、こんなに人気があるんでしょうか。 「龍馬とは青春像そのものです。30代前半で暗殺されてしまって、中年以降がない。もし龍馬が明治維新後も生きていたら、時代を切り開く若々しいイメージを投影することは難しかったと思います。三菱財閥をつくった岩崎弥太郎にこういうイメージを持つことは無理でしょう。政商としても活躍しましたから。ぼかの明治の元勲も同様です」 「でも、本当にそんなに人気があるんですかねえ。企業経営者には好きな人がいますね。ダイエー創業者の故・中内功さんは、高知県にゆかりがあるということもありますが、龍馬の像をいっぱい置いていた。創業経営者や起業家には、龍馬にあこがれるという人が多いようです」 -脱藩した自由人、時代を見すえた先見性、薩長同盟や船中八策、大政奉還の提言など日本全体を再設計する大胆な構想力。やりたくても出来ることではありません。私だってあこがれます。 「いえ、成熟拒否です。本来、人は年齢を重ねるとそれなりに成熟していかないといけない。なのに青春像にしがみつくのは、申し訳ないですが、人格的に未熟だからです。なぜ経営者は成熟の歌を自分の部屋に飾らないのか。彼らが龍馬にあこがれるとしたら、それは龍馬という青春にこだわることであり、幼稚さの表れでしょう」 -NHKの大河ドラマ「龍馬伝」をどうみますか。 「土佐、江戸、京、長崎と、なんであんなに行く先々で美人の女性にモテさせるんだろう、と思います。番組の人気作りのためですかね」 「それはともかく、龍馬の業績に大筋は乗っているように見せて、内容はフィクションだらけ。いくらなんでも、こんなことをやってはいけません」 - どういうことでしょうか。 「龍馬は、長崎の英国大商人グラバーと親しくし、武器を大量に買いつけました。それなのに、ドラマの中で何度も登場するせりふに『列強は日本を植民地化しようとしている、だから幕府を倒さないといけない』というのがあります。これは変でしょう」 「知り合いの歴史学の専門家に、龍馬が植民地化への危機感を持っていたという文書はありますかと聞いたら、ないと言うんですね。ならばうそということになる。うその語りをずっとさせている。番組を通じて、国民にある種の政治的メッセージを発したいのでしょうか」 - でも、ドラマです。見ている方もわかっているのでは。 「ドラマだからといって、何をやってもいいはずはない。歴史学の知見や実証的にわかっていることと大きく違うことは、作ってはいけません。特に映像は、人の記憶に蓄積して感情を喚起する力が強いですから。地元紙の記者に聞いたら、高知では『史実と違いすぎる』と冷めているそうです」 -龍馬というイメージ、フィクションが利用されてきた、と主張されていますね。 「龍馬は開かれた世界を志向したし、後の自由民権運動につながる系譜があった。でも、これは強調しておきたいのですが、軍国主義に利用されたことを忘れないでほしい。明治に入って、龍馬はいったん忘れられた。それが、日露戦争(1904~05年)の際、皇后の夢枕に龍馬が現れて、『露国と海戦となれば、魂は我が海軍の将卒に宿って日本を守る』と言ったという話が新聞で広がった。土佐出身の宮内大臣、田中光顕から出た話です」 「坂本龍馬というイメージが過去にどう利用されてきたかをちゃんと知ってほしい。小説やドラマで都合のいい部分だけを切り取ったり、危機の時代になるとナショナリズムをあおるような形で、フィクションもないまぜに語られたりする。今もそうではないですか」 -政治家や企業人にも、自分を龍馬になぞらえる人がいます。精神病理学者として、歴史上の人物をモデルにしたり、自分と重ね合わせようとしたりすることをどうみますか。 「よくないですね。戦前の日本は、国家が偉人を盛んに宣伝した。偉人をモデルにして、今の言葉で言えばアイデンティファイ(自己同一化)して生きる。それが素晴らしい生き方だとされた。でも、これでは人格が分裂するんですね。理想化した人物と世俗的な自分の生き方が、一人の人間のなかでファンタジーのまま共存する。人格の自然な統合ができません」 -高知出身の先生が龍馬に否定的なことを言って、大丈夫ですか。 「土佐で龍馬を否定的に言う人に会ったことがありません。私も龍馬本人を否定的には思っていません。思う必要もないですから。ただ、勝手な使い方には『いいかげんにしてくれよ』と言いたくなります」取材を終えて 今回のインタビューは、少々つらかった。実は私は龍馬愛好家の末席にいる。「竜馬がゆく」は浪人時代から3回読み、「龍馬伝」は毎週2度ずつ見ている。この原稿もドラマのCDをかけながら書き、おかげではかどった。「龍馬」は疲れた中年男を元気にしてくれる、こころの栄養剤だな、と思う。 その龍馬が、軍国主義やナショナリズムの鼓舞に利用されていたとは……。もう、未熟な龍馬好き、ではいられない。2010年10月5日 朝日新聞朝刊 12版 15ページ「オピニオン-龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」から引用 もしNHKがドラマ「龍馬伝」で国民に何かメッセージを送ろうとしているとすれば、それはどんなメッセージか? 欧米列強が日本を植民地化しようとしてるなどと、実際には本人が言ってもいないセリフをわざわざ言わせるところを見ると、「だから韓国併合は仕方が無かったんだよ」という方向に話を持っていきたいからなのではないか。このような推測が的外れであれば、幸いです。
2010年11月01日
全30件 (30件中 1-30件目)
1