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ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏は、慰安婦問題や靖国参拝の問題について「しんぶん赤旗」のインタビューに応じて、次のように述べている; 日本軍「慰安婦」の問題で「河野談話」を見直したい政治家の人たちがいますね。しかし、この問題は、世界では女性の人権の問題としてみられています。普遍的な人権の問題ということです。 強制を示す資料はなかったとか、当時ではやってもよかったとか、そんなことをいっても世界では通じません。 そういう主張をすれば、日本は若い女性たちをあんな扱いをしてもいい国だと世界に発信しているのと同じです。 なぜ(一部の政治家は)そんな勝ち目のないたたかいをしようとするのか。私には、わかりません。◆矛盾感じる 安倍さんも、「河野談話」見直しを迫る日本維新の会の議員を評価するかと思えば、談話は見直さないといってみたり。日によって言うことが違います。矛盾を感じます。 靖国参拝について、安倍さんは”戦争で犠牲になった人たちのため”などと強調しますね。しかし、靖国神社はそんな中立的なところではありません。遊就館があり、特定の歴史観、イデオロギーがあります。あの戦争で日本は悪くなかったというメッセージです。 米国では、奴隷制度をめぐって南北戦争(1861~65年)がありました。 今でも南部へいくと、南軍兵士の墓地や石碑がいっぱいあります。しかし、それをみて、「(南部が支持した)奴隷制度を美化するものだ」という批判はほとんどありません。奴隷制度は間違っていたということがコンセンサスになっているからです。 日本も「大東亜共栄圏」を掲げた、あの戦争は間違っていたとはっきりさせれば、日本軍兵士に被害者の側面があったと言っても誤解されないでしょう。 米国にはアーリントン国立墓地があります。靖国神社と違い、特定の歴史観を支持しているわけではありません。南軍兵士の墓もありますが、奴隷制度を美化しているわけではありません。だれでも行くことができます。 しかし特定の歴史観を持つ靖国神社に首相が参拝すれば、そのイデオロギーを支持しているように見えます。あの戦争が良かったと思う国は世界にありません。だから日本は孤立してしまうのです。◆国民の選択 今、日本には3つの道が問われていると思います。 1つは、平和憲法を徹底し、日本から米軍墓地を撤去して、平和外交で物事を解決していく道です。 もう1つは、集団的自衛権を行使するなど”一人前”の米国の同盟国になる道です。 3つめは、石原慎太郎さん(日本維新の会共同代表)が主張するように、独立した大国として軍国主義の道を歩む道です。 日本国民の中で、どの道を選ぶかのコンセンサスはまだないようです。それなのに、軍隊を持たないはずの平和憲法のまま、国防軍に近い軍隊を持ち、集団的自衛権が行使できる国にしようとしている。 その矛盾はだんだん大きくなってきています。このまま進んでいいのか。日本社会全体で議論が必要だと思います。2014年4月6日 「しんぶん赤旗」日曜版 4ページ「『慰安婦』、靖国、集団的自衛権 米国の見方」から一部を引用 マーティン・ファクラー氏が言うように、慰安婦問題は慰安婦の集め方が強制的であったかどうかではありません。仮に本人の意志で応募したとしても、途中で翻意してやめようとしたときにそれが認められないような状況があれば、これは人権が蹂躙された重大な問題であり、安倍首相が言うような暴力的な連行がなくても、そばに軍刀を持った日本兵がいて怖くて拒絶できずに付いていったというのも立派な強制連行です。したがって、慰安婦問題については、今となってはどう言い訳しても政府責任、旧日本軍の責任は否定はできません。にも関わらず、河野談話の見直しだの検証だのと往生際の悪い態度を見せているのは、まるで勝ち目の無い戦いをしているようで、彼は何を考えているのだろうと、アメリカ人の目に奇異に映るのは無理もありません。 また、靖国神社批判に対して、アメリカにだって戦没者を追悼するアーリントン国立墓地というものがあるなどと言う人がいますが、この記事が指摘するように、アーリントン国立墓地は靖国神社とはまったく異なる性格のもので、アメリカ政府は国民に対して「国のために死んだ者は神としてこの墓地に祀られる」などという宣伝はしていないし、「国のために死んでアーリントン墓地で会おう」などと馬鹿なことをいうお調子者もいませんでした。したがって、日本も欧米並みの戦没者追悼の場をもつには、靖国神社を廃止して、特定の宗教には依存しない国立の戦没者追悼施設をつくるべきです。このような施設であれば、首相や閣僚、国会議員などが参拝しても憲法の政教分離規定に抵触する心配もなく、八方まるく収まるというものです。
2014年04月30日
日本を取り巻く安全保障環境について、7年前も今も同じセリフを繰り返す安倍首相に疑問を呈する記事が、21日の東京新聞コラムに掲載された; 集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとする安倍晋三首相は「わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している」と繰り返す。この言葉は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を再招集した昨年2月8日の冒頭発言で示された。 おや・・・、第一次政権で最初に安保法制懇を招集した際の安倍首相の冒頭発言をみつけた。「わが国を取り巻く安全保障環境はむしろ格段に厳しさを増しており」(2007年5月18日)とある。今の言葉と変わりない。 すると「わが国を取り巻く安全保障環境」は7年前から危機的だったことになる。この状況認識は奇妙というほかない。 第一次政権で北朝鮮が核実験を行ったのは06年10月の1回だけ。2回目と3回目の核実験、長距離弾道ミサイルの試射に成功したのも、また中国との間で尖閣問題が浮上したのも第一次政権が終わった後である。 7年前から危機が迫っていたのなら、なぜ後任の福田康夫首相は憲法解釈の変更を勧めた安保法制懇の報告書を無視したのか。福田氏を含め自民党で2人、民主党で3人いた後任の首相はなぜ、憲法解釈の変更や憲法改正を目指さなかったのか。 安全保障環境をめぐる、安倍首相の奇妙な認識は、集団的自衛権の行使容認に踏み切ること自体が目的であり、踏み切る理由はどうでもよいという証しなのだろう。(半田滋)2014年4月21日 東京新聞朝刊 11版 「私説 論説室から-首相の奇妙な状況認識」から引用 この記事が指摘するとおりで、もし安倍首相が言うように07年から一貫して日本を取り巻く安全保障環境が、憲法解釈を変更する必要があるくらい厳しい状況であれば、何の対応も取らなかった福田、麻生、鳩山その他の政権時にわが国の安全が脅かされるような重大事件が起きていたはずである。しかし、実際にあったのはわが国には何の実害もない隣国のミサイル発射実験と、せいぜい中国の漁船が海上保安庁の船に衝突した程度で、憲法の存在が支障になるような事態は無かったのが現実である。したがって、安倍首相の発言の信憑性はゼロで、彼の発言はまったくあてにならない。安倍首相は必要も無いのに再軍備したい一心で一人芝居を演じているだけだ。そんな了見でわが国憲法の原則を変えさせるわけにはいかない。
2014年04月29日
法律上は何の根拠も権限もない私的な懇談会が憲法の解釈の仕方を検討するという異常な事態を、21日の東京新聞投書は次のように批判している; 安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)には呆(あき)れるばかりだ。検討しているのは、公海上で米軍艦が攻撃されたときに援護できないか、米国に向けて発射された弾頭ミサイルを迎撃できないか、海外で戦闘中の多国籍軍への後方支援ができないか等々。安全保障をテーマに冠する懇談会なのに、紛争を平和的に解決する道には全く無関心である。 しかも、検討事例を一つ一つチェックすると、米国が攻撃された場合とか、北朝鮮へ武器弾薬を輸送する船が日本海を通過する場合とか、現実にはありそうもない架空の議論が多い。 法的根拠のない首相の私的な諮問機関が異様に権威を持ち、憲法の平和主義に違反する議論を積み重ねる。このような懇談会に税金から報酬が支払われるのも我慢がならない。2014年4月21日 東京新聞朝刊 11版 「発言-安保法制懇の議論に呆れる」から引用 政府はこれまでも有識者の私的懇談会を設置して、様々な政策を立案する上で専門家の意見を聞いてきたのであったが、安倍首相の私的懇談会はこれまでのやり方を形だけ猿真似したイカサマである。なぜなら、過去の首相の懇談会はあらゆる角度から広く意見を募るために様々な立場の専門家を集めたものであったが、安保法制懇は安倍首相の発想に賛成の有識者のみを集めたもので、憲法や安全保障の専門家は除外されており、はじめから結論が決まっている猿芝居のサルを集めただけの懇談会である。元々法的な根拠も権限もない上に、はじめから結論が決まっているイカサマ懇談会の結論などは何の価値も意味も無い。そんな懇談会に我々の税金を使うなという怒りの声はもっともなことだ。
2014年04月28日

アメリカの優秀な映画に与えられるアカデミー賞にノミネートされた「アクト・オブ・キリング」について、13日の「しんぶん赤旗」は次のような紹介記事を掲載している; インドネシアで1965年に起きた、軍による共産党員などの大虐殺事件。米国人監督が事件のドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」を制作し、加害者を登場させる手法で、自国の歴史とどう向き合うかという普遍的な問いを突き付けています。ジョシュア・オッペンハイマー監督に聞きました。 湯浅葉子記者 大虐殺の口実はクーデター未遂事件。インドネシア共産党が「クーデターに関与」したとして、軍が党員や「関係者」とされた人など数十万人を虐殺しました。近年、検察が訴追の検討に入りましたが、これまで加害者たちは裁かれていません。「権力の座にいる加害者たちを恐れ、メディアや一般の人々は事件について沈黙してきた」と監督。 当初は虐殺の被害者や遺族を取材していました。しかし軍などの妨害を受け、対象を虐殺の実行者へ変更。当時の蛮行を自慢げに話す彼らに、監督は「当時の殺害を演じてみないか」と提案します。映画は、彼らが虐殺をモチーフに劇中劇を作る過程を撮影したものです。 針金を使った残酷な殺害や拷問、集落の焼き打ち等、実際に行った虐殺行為を、喜々として演じる殺害者たち。しかし、ある殺人部隊の首謀者で、ギャングのアンワル・コンゴさんに変化が。殺害者役だけでなく、被害者役も演じるうちに、動揺し、果てはおう吐します。 「権力者は自分たちを正当化する歴史をつくり、民衆に押し付けた。加害者たちはそれにすがることで罪悪感から目を背けてきました。しかしこの映画はそのうそを一枚ずつはがしていった。映画を見たアンワルは、沈黙の後、『自分のしたことをただ描くのではなく、そのことの意味が描かれていた』と話していました」◆想像する勇気 先月の米アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネート。制作に8年かけ、1200時間の映像を2時間にまとめた力作です。インドネシア国内では無料で映画をダウンロードでき、数カ月で350万回にも。 「映画を媒介に、インドネシアでは過去との向き合い方が根本的に変化した。メディアは『虐殺』とはっきり呼ぶようになり、政府も間違いを認める声明を出しました」 過ちを繰り返さないために、歴史を美化しないことが重要なのでは? 「そうです。そこで重要になるのは共感です。他人の立場に立つことを想像する、その勇気を持つことです」 アメリカ人の監督が同事件へ関心を持った理由の一つを、こう話します。 「アメリカ政府はさまざまな独裁者を支持してきました。イランやグアテマラ、チリなどです。自国の企業が参入できるよう、あるいは政治的な理由から加担してきた。言い換えれば、地球規模化した資本主義の闇でもあるのです。同事件へのアメリカの関与レベルははっきりしませんが、自分と全く違う所で起きていることではない、と感じています」*12日から東京・シアター・イメージフォーラムほかで公開、順次全国で2014年4月13日 「しんぶん赤旗」日曜版 30ページ「権力者のうそ 一枚ずつはがす」から引用 この記事のオッペンハイマー監督とインタビューした記者の会話では「歴史を美化しないことが重要だ」という点で一致しています。これはどの国にも言えることで、例えば国の命令で侵略戦争に動員されて命を落し靖国神社に祀られた人々を「英霊」などと称して、さも立派なことをしたかのように称賛するという態度も、これは戦争被害国の人々の誤解を招くもので、遺族が追悼するならまだしも、政治家がこれ見よがしに参拝するのは非常識というものです。
2014年04月27日
政府の見解を児童生徒の教科書に書き込むことを画策している安倍政権は、日ごろの修正主義に都合の良いことばかりを書き込むつもりで、自分たちの主張と一致しない村山談話や河野談話は教科書に書いてはならないはずだった。しかし、そのつもりでいたにも関わらず、野党議員の質問に対して下村文科相が「村山談話は政府の統一見解ではない」と虚偽の答弁をしたことが、一市民の抗議の電話で発覚し、今月の委員会の冒頭で謝罪する羽目になった。ことの顛末を、琉球大学名助教授の高嶋伸欣氏が18日の「週刊金曜日」に次のように報告しいてる; 下村博文(しもむらはくぶん)文部科学大臣が4月9日の衆議院文部科学委員会の冒頭で、謝罪発言をした。「2月21日と3月26日の委員会における答弁」に誤りがあったというものだ。1月17日に官報告示した新たな検定基準にいう「政府見解」に村山談話は該当するかを問われた件についてだった。2月に大臣は「村山内閣総理大臣談話、河野官房長官談話自体は、これは閣議決定されたものではありません。検定基準における『政府の統一的な見解』には当たりません」と明確に答えていた。3月にもほぼ同様の答弁をした。 しかし、村山談話は1995年8月15日に、正式に閣議で議決され、全閣僚の署名がされたものだ。このことは、当時の新開でくわしく報道されているし、ネットで検索すれば、容易に確認できる。 しかも、当時の事情は政治的緊迫感のあるものだった。直前には国会での「戦後50年決議」が自民党などによって骨抜きにされた。その決議に異を唱える動きの中心にいた島村宜伸(しまむらよしのぷ)文部大臣(当時)が、記者会見で「いちいち謝罪していくやり方は、果たしていかがなものか」と発言。近隣諸国がいっせいに反発し、村山首相(当時)は大臣を罷免(ひめん)すべきではないか、という声も高まっていた。そうした状況下で、植民地支配と侵略の事実を認め、反省と謝罪の談話の発表を村山首相は決意したのだった。その意味づけを明確にするために、首相は閣議での議決を計画したが、自民党員の大臣が多数を占める閣議の場では紛糾が予想された。そうした混乱を避けるために首相と官房長官などが用意周到に事を進め、異論は一言も出されずに満場一致で、同談話は閣議決定されたのだった。 その様子は同年8月16日付の『朝日新聞』朝刊社会面でくわしく報じられている。こうしたほぼ20年前のできごとについて、若手の官僚たちが通じていなくてもやむを得ない。しかしベテラン政治家で、アジア侵略の事実に触れることを「自虐史観」として歴史教育から排除すべきだと、声高に主張しているのが下村大臣だ。その下村氏が村山談話が閣議決定であることに気付いていなかったとは思えない。もし本当に気付かずにいて、官僚の用意した答弁原稿をそのまま読み上げて2度も誤認発言を繰り返していたのであれば、大臣どころか、政治家としての資質を問われて当然だろう。しょせん、安倍内閣の閣僚のレベルはこの程度ということか。 それにしても、不思議なのはこの答弁の誤りを、3月31日の時点で文科省に一市民から抗議の電話があるまで、関係者が気付いていなかったことだ。質問した野党議員もそうだが、報道関係者も、怠慢のきわみだ。ましてや冒頭の訂正謝罪発言についても、『産経新問』と『読売新聞』はまったく報道していない。両紙の報道姿勢がよくわかる事例だ。(たかしま のぶよし・琉球大学名誉教授)2014年4月18日「週刊金曜日」988号 59ページ「大臣の事実誤認発言を2度も見逃した記者の怠慢はなぜ?」から引用 下村大臣の間違った答弁を、質問した議員もそれを報道したマスコミも誤りであると言わないで、一市民がクレームの電話をするまで誰も何も言わなかったのは社会的な失態であった。こんな調子で他にも、誰も気付かない間違いが横行しているのではないかと疑いたくなる。それにしても、安倍政権は尖閣諸島の領有を教科書に書かせたくて「政府見解を教科書に反映」などと言ってるが、その建前で通そうとすれば村山談話や河野談話も政府見解に間違いないことは、今回の一件で明らかになったわけで、尖閣の領有だけを書いて村山談話に触れない教科書は「偏向」であるとして検定不合格にしなければならなくなった。反知性主義の安倍政権の性格が表れた出来事であった。
2014年04月26日
第一次安倍政権は教育基本法を改悪して戦前並みに愛国心教育を行う算段であったが、結果的に民主主義勢力の抵抗にあって安部首相の目論見どおりには進んでいない。その辺の事情を、17日の東京新聞は次のように解説している; 憲法改正を掲げる安倍晋三首相は、すでに自らの手で「憲法」を改正している。「教育の憲法」と呼ばれる教育基本法は第一次安倍政権下の2006年、制定以来59年ぶりに改正され、「愛国心」条項などが盛り込まれた。ところが、安倍首相は、この「改憲」をあまりアピールしない。なぜか。タカ派にとっては不十分な内容だったからである。そのトラウマ(心的外傷)が、安倍流「教育改革」の原動力となっている。 (篠ケ瀬祐司、荒井六貴) 「第一次政権下で新しい教育基本法をつくった。今その中身について、教育委員会制度の改革など法改正の議論を進めているところだ」。2月20日の衆院予算委員会。安倍首相が改正教育基本法に触れたくだりは実にあっさりとしたものだった。石関貴史議員(維新)が「大変な功績だ」と持ち上げても、首相は反応しなかった。 改正教育基本法は2006年11月、自民、公明両党の賛成多数で可決、成立した。1947年の制定以来59年ぶりの全面改正だった。前文には、「個人の尊厳」と並んで「公共の精神の尊重」を明記。教育の目標には愛国心の理念が盛り込まれた。 首相がさほど改正教育基本法を誇らないのは、内容が不満だからだ。早稲田大の西原博史教授(憲法学)は「首相は国のために死ぬことを促し、邪魔な教師を排除しようとしたのにそうなっていない。公明党が基本法に『仕掛け』を仕組んだからだ」と指摘する。 「仕掛け」は3つあった。教育の研究者の多くが「教育内容への国家介入を防ぐための条項」と位置付ける「教育は不当な支配に服することなく」の文言は、自民党の削除要求をはねつける形で残った。自民党が主張した「愛国心」は「国と郷土を愛する態度を養う」との表現にとどめた。「宗教的情操を高める」との言葉も入れさせなかった。 公明党は約3年間、70回も自民党と協議を重ねた。同党の山下栄一元参院議員は、教育の中立性を守るための攻防を振り返る。「時の政権といえども教育に介入しないよう『不当な支配に服さない』との表現を残すことにこだわった。『国』と『愛』の間に『郷土』を入れて『愛国』と続かないようにし、心を縛られないよう『態度』でなければだめだと譲らなかった」 首相が07年9月に辞任に追い込まれた後も「改革」は進まなかった。 首相は対談集で「日本が攻撃を受ければ米国の若者が血を流す。しかし今の憲法解釈では、自衛隊は米国が攻撃された時に血を流すことはない」と話している。西原氏は「改正基本法で、権力側が『愛国心とは血を流すことだ』と定義し、学習指導要領に盛り込む仕組みはできた」とみる。 だがこれは、学校現場や自民党ハト派、文部科学省などがバランス感覚で押しとどめてきた。せっかく基本法を改正したのに実を取れなかったと、首相や周辺がいら立ちを感じているのは間違いない。 09年9月から約3年間、政権を担った民主党は、高校無償化や「35人学級」化とともに、学校と保護者、地域住民が話し合いながら学校を運営していくコミュニティ・スクールづくりなどに取り組んだ。中川正春元文部科学相は「安倍政権の上から押しつけるような教育改革ではなく、各学校や地域に合わせた教育を進める狙いだった」と説明する。2014年4月17日 東京新聞朝刊 28ページ「安倍流教育改革の研究」から引用 戦前の日本では学校教育の基本は「教育勅語」であり、これは国民に対して国の非常事態のときは国民は命を差し出しなさいと教えるものであった。しかし、この「教え」は戦後の国会で「非人道的である」という理由で廃止され、国の都合で国民が血を流すことのないように国が軍隊をもつことを憲法が禁止している。安倍政権によって改悪された教育基本法では、「愛国心とは血を流すことだ」と定義し学習指導要領に盛り込むことが可能で、もし政府がそれを実行した暁には、国民は現在の教育基本法が憲法違反であるという闘いに立ち上がらなければならない。 政府は国防のために国民に血を流すことを求めてはならないのであって、政府がやるべきことは、いかなる国も日本に武力を行使することのない国際環境を構築する、すなわち、全ての国と平和友好条約を結ぶことである。わが国はその方向で戦後68年間、実績を積み重ねてきており、今後もこれを充実させていくべきであって、近隣諸国を敵視するような政治姿勢は国民が望むところではない。
2014年04月25日
法政大学教授の竹田茂夫氏は、17日の東京新聞コラムで、アパレル業界で成長目覚しいユニクロを次のように批判している; ちょうど一年前、売り上げ1兆円を目前に得意絶頂だったユニクロ創業者は、グローバル競争で従業員も年収1億円と百万円に両極分解しても当然だとぶち上げた。時間外労働や上意下達だけの組織運営への批判を意に介さず、競争と格差を正当化したのだ。 ところが先月、労務管理を180度転換して非正規層の半分を限定正社員にすると宣言した。スタッフは部品ではないことに気がついたという。だが、この反省なるものは創業者の鶴の一声で経営方針が逆転する不安定で未熟な企業文化を自ら暴露している。 豹変(ひょうへん)の背景には、国内の経営行き詰まりとグローバル化の思惑がある。若い店長や非正規層を使いつぶすやり方では、国内で人が集まらない。欧米には企業に厳しい市民社会があり、ナイキやギャップなどの有名ブランドも下請けのひどい労働条件を放置すれば、企業の命運にかかわる。 この創業者の野望はアパレル製造小売りの世界一になることだという。競争と成長の内実が空っぽなことは明らかなのに、それ以外に語るべき物語をもたないのは日本の他の経営者や政治家にも共通している。 ブラックな企業文化を反省するなら、せめて途上国の下請け末端の労働条件を公開したり、職場実態を報道したジャーナリストを狙ったどう喝訴訟をやめたらどうか。 (法政大教授)2014年4月17日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「本音のコラム-創業者の野望と責任」から引用 この記事によれば、欧米には企業の労働条件などに対する市民社会の厳しい目というものが存在するらしい。その点、民主主義の歴史が浅い日本は、一企業内の労使関係はプライベートな問題であるかのような認識であり、その企業の労働者の賃金は経営者の一存で決めるのは当たり前、まるで経営者と労働者は一昔前の殿様と家臣の関係であるかのような雰囲気である。このような傾向は韓国ではもっと顕著だったし、多分、共産党が天下を取った中国でも似たようなものではないかと思われます。東アジアの人々の民主主義に対する意識の向上が望まれます。
2014年04月24日
沖縄県教育委員会は教科書の採択地区について、現在の区割りを見直す方針であると、17日の東京新聞が報道している; 沖縄県の諸見里明教育長は16日、近隣2市町とつくる教科書の採択地区協議会からの離脱を目指す竹富町の意向を尊重し、5月に新たな採択地区を決める方針を明らかにした。県教委定例会後の取材に答えた。 採択地区の構成は県教委が決める。採択地区協議会が選んだ保守色の強い教科書を拒否する竹富町に対し、文部科学省は3月、教科書無償措置法に違反するとして是正要求しており、離脱すれば違法状態が解消されることになる。 諸見里教育長は「竹富町の意向は尊重したい」とした上で、全市町村を対象に実施した採択地区見直しに関するアンケートに言及し「その結果を踏まえ、県全体の(採択地区の)再編を決めたい」と述べた。2014年4月17日 東京新聞朝刊 12版 30ページ「教科書地区割り再編へ」から引用 現在の教科書採択の地区割りでは右翼政治家が暗躍する隙があり、それが元で混乱が起きると国家権力が介入してくることになるので、今後そのような問題を避ける意味で沖縄県教育委員会の対応は正解です。権力の不当な介入を跳ね除けて、沖縄県の教育委員会は正しく機能していると言えます。
2014年04月23日
ジャーナリストの黒島美奈子氏は、沖縄県竹富町の教科書問題について4日発売の「週刊金曜日」に、次のように書いている; 人口約4000人、9つの有人離島からなる沖縄県竹富町。自然あふれる町でいま、政治的圧力が強まっている。いわゆる「八重山教科書問題」だ。いま一地域の問題を超えて「教育の政治的利用」という本来の顔を明らかにしつつある。 ことの発端は2011年6月。教科書選定作業を担う「八重山地区協議会」で異例のルール変更が行なわれた。1つは、選定作業を補足するため現場教員などが事前に行なう教科書の「順位付け」の廃止。2つ目は協議会委員の1人が、役員会での承認なしに独断で委嘱されたことである。その結果、八重山地区協議会は同年8月、育鵬社の中学公民教科書を採択した。順位付けで同教科書は、現場教員の推薦がないばかりでなく「原発の危険性や男女差別についての記述がない」という欠点も示されていたのに、だ。 通例では地区協議会の採択答申に従い、市町村教委が教科書を決める。八重山地区のうち石垣市と与那国町は答申に従った。 一方、答申に納得のいかなかった竹富町教委は、地方教育行政法を根拠に独自に東京書籍を採択した。「現場教員が欠点を指摘した教科書で子どもたちを学ばせるわけにはいかない」という理由で、至極もっともだ。ただ、地区内で採択が異なる事態に驚いた県教委は「同一教科書が望ましい」と3市町教委を指導。同年9月8日、3市町の教育委員全員が参加する協議(全員協議)が開かれ、竹富町教委の言い分が認められる形で改めて東京書籍を地区の中学公民教科書として採択した。これが本来の顛末である。 この間、八重山地区協議会によるルール変更が育鵬社の教科書を選定するため行なわれていた可能性が報じられた。主導した玉津博克石垣市教育長は「選定は本来協議会の判断だが(略)順位付けが拘束性を持ってしまっている」(11年7月20日付『沖縄タイムス』)と順位付けの影響を受けずに教科書を選定したかったと告白している。その後も玉津教育長が義家弘介自民党参院議員(当時)から採択が有利に働くよう指南を受けていたことも報じられた。「文科省によると14年度の中学公民教科書需要数に占める両教科書の割合は、東京書籍が56・8%に対し、育鵬社は4・1%にとどまっている」(3月22日付『琉球新報』)。つまり八重山教科書問題は「現場教員に人気のない教科書を採択するため、一部の人が立場を利用し採択をコントロールしようとした問題」だった。 だが全員協議の5日後、中川正春文部科学相(当時)が「協議は無効」とした時に問題は、国家による教育行政への不当介入へと発展した。中川文科相は12年度から、同町教委への中学公民教科書の無償配布を中止。義家議員は13年3月、文科大臣政務官として竹富町教委を訪問し、同一教科書の採択を迫った。今年3月には下村博文文科相が町教委に対し地方自治法に基づく是正要求を出した。 不正まがいで採択された教科書を、国がここまで強力に押しつけることに違和感を覚えないわけにはいかない。文科省の役人でさえ「政権交代の後、より強い指導を行なうようになったのは事実」(前川喜平初等中等教育局長談、3月26日付『沖縄タイムス』)と認めている。2014年4月4日 「週刊金曜日」986号 14ページ「黒島美奈子の政治時評」から引用 この記事が明らかにしているように、沖縄では右翼思想に取り付かれた玉津博克石垣市教育長と義家弘介自民党参院議員(当時)が結託して、それまで行われていた教科書選定のルールを無視し、侵略戦争美化の傾向があって評判の悪い「つくる会」系教科書を無理やり児童生徒に押し付けようとしたもので、これに対応する竹富町は、民主主義の国における教育の自由を守るための当然の処置であると言えます。しかるに安倍政権は、これまでのルールを無視した右翼グループに肩入れして不当な政治介入をしている。「非」は安倍政権側にあることに間違いはありません。竹富町教育委員会は、教育委員会本来の機能をフルに発揮して国家権力の不当な介入をはね除けてもらいたい。
2014年04月22日
歴史家で関東学院大学教授の林博史氏は、4日発売の「週刊金曜日」で「河野談話」の正当性と「談話見直し」策謀の非道について、次のように述べている; 安倍首相は就任以前には、「首相になったら河野談話を見直す」と公言していました。そして昨年秋から、『産経新聞』をはじめとした右派メディアは、執拗に韓国の元従軍「慰安婦」16人の証言が「裏付けがない」と攻撃し続け、河野談話自体の「見直し」を要求しています。それを受けて安倍政権は河野談話見直しをやろうとしたのですが、韓国や中国だけでなく米国からも強い反対を受け見直しはしないと言うようになりました。しかし談話の「検証」は行なうと言っており予断は許しません。 数十年前のある農村での一個人の出来事の裏付けをとるというのはほとんど不可能です。こうした個人の体験の証言については、さまざまな関連する史料や当時の人々の証言、その他の全体的な状況を総合し、それに照らし合わせて証言の信憑性を判断しなければなりません。 右派メディアは「証言に矛盾がある」などと主張していますが、個々人の数十年前の記憶に矛盾や不整合があるのはほかの体験者でもごく普通のことです。細部の間違いや思い違いを取り上げて証言を否定することはできません。 河野洋平氏は「アジア女性基金」のインタビューで、「話を聞いてみると、それはもう明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信憑性がある、信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えるということがわかってきました」と語っていますが、その通りでしょう。 また河野談話は16人の証言だけで作成されたものではありません。ほかに軍人の証言もあれば、膨大な文書もあり、それらを含めて総合的に判断したものです。首相も事あるごとに「強制連行」だけを問題にし、第一次安倍内閣の07年に「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と閣議決定したことをくりかえし強調していますが、これは明確に虚構の上に立ったものです。◆「強制連行」の証拠はある 河野談話の作成時に内閣官房によって集められた資料の一つであるインドネシア・ジャカルタの「バタビア臨時軍法会議の記録」には、日本軍が拘留中のオランダ人女性を文字通り「強制連行」し、「慰安婦」になることを強制した事件が記録されています。同文書は河野談話の根拠の一つのはずです。 そもそも、女性たちの連行の方法だけが「慰安婦」問題の本質的な問題なのではありません。河野談話にあるように、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」という事実こそが重要なのです。彼女たちは慰安所で外出の自由もなく、大半は「慰安婦」を辞めたくとも辞められず、さらには拒否したら暴力を振るわれるなど、そこで「性奴隷」状態に陥れられました。なのに、「強制連行」でなかったから問題がないと言わんばかりの安倍首相の姿勢は、明らかに誤りです。 しかも当時の法律に照らしても、女性を騙して海外に連れて行くのは戦前の刑法第33章の『略取及び誘拐の罪』の第226条「国外移送目的略取罪」、「国外移送目的誘拐罪」、「国外移送目的人身売買罪」、「国外移送罪」という4つの犯罪に違反する行為でした。つまり暴力や脅迫によって(略取)、あるいは騙して(誘拐)、あるいは人身売買で、国外に連れて行こうとすれば、いずれも犯罪でした。 ちなみに北朝鮮による拉致について、暴力で連行したケースも「甘言」によって騙して連行目したケースも日本政府・社会はいずれも拉致事件と認定しています。それは当然の認識です。「慰安婦」については強制連行だけを問題にするのは、ダブルスタンダードでしかありません。たとえば誘拐事件の場合、暴力で連れて行こうが、騙して連れて行こうが、違いはありません。右派メディアや安倍政権の理屈は、誘拐犯が自分は騙して連れて行っただけだから悪くないんだと言っているようなものです。 しかも河野談話が発表された1993年以降、「慰安婦」関連の資料が次々に発見され、河野談話を裏付け、さらにその不十分さを示すものになっています。一例を挙げると、日中戦争開始直後に陸軍大臣が改訂した「野戦酒保規程」(1937年)では、軍が後方施設として「慰安施設」を設置すると明記してあります。河野談話では「軍の関与」という表現がありますが、「関与」どころか直接軍が設置・管理し、重大な人権侵害の主体であったことが一層明らかにされてきています。◆「慰安所」のもみ消し また、今回新しく発見された資料の一つに法務省文書である『BC級(オランダ裁判関係)バタビア裁判・第25号事件』があります。 そこに含まれる海軍特別警察隊長(憲兵隊長)の証言によると「スラバヤから蘭軍下士官の妻君5人の外、現地人70人位をバリ島に連れて来た」、「この外にも、戦中の前後約4ケ年間に200人位の婦女を慰安婦として奥山部隊の命により、バリ島に連れ込んだ」と軍の命令によって女性を連行したことを認めています。 さらにこの特別警察隊長は、「終戦後、軍車両部、施設部に強硬談判して、約70万円を本件の工作費として貰い受け各村長を介して住民の懐柔工作に使った。これが完全に功を奏したと見え、一番心配した慰安所の件は一件も訴え出なかった」と語っています。実際、戦犯裁判では「組織的暴虐」行為で有罪判決を受けていますが、「慰安婦」強制の容疑では有罪を免れることができました。 この資料は法務省職員が聴取して記録したもので日本政府の公文書です。しかし河野談話作成時には、内閣官房に報告されておらず、「慰安婦」関係の文書とは政府は認めていません。ほかにも「慰安婦」強制を示す日本政府の文書が多数ありますが、いずれも日本政府はそうした文書を無視して、強制を示す文書はないという答弁をくりかえしているのです。 いま必要なのは、河野談話の見直しでもなければ「検証」でもありません。この20年間の調査研究の成果を政府は認め、河野談話の内容を継承、発展させ、被害者に対する償いを実行することが求められています。 (談)まとめ/成澤宗男・編集部※ はやし ひろふみ・関東学院大学教授。「日本の戦争責任資料センター」研究事務局長。2014年4月4日 「週刊金曜日」986号 16ページ「『河野談話見直し』の策動を許してはならない」から引用 安倍首相らが従軍慰安婦問題について唱える異議は「強制連行を示した公文書がない」ということで、これを言いつのることで世間に「慰安婦問題には証拠がないのだ」という印象を撒き散らしたい考えのようです。しかし、慰安婦問題は暴力的な強制連行があったから問題なのではなく、本人の意志を無視し、拒否することもできない状況下で慰安婦になることを強制したことが批判されているわけで、私たちは問題の本質を直視する必要があります。第一次安倍内閣で、安倍首相は鬼の首でも取ったかのような勢いで「強制連行を示す記述はなかった」などという閣議決定をしましたが、実はそれは本人が発見できなかったというだけの話で、政府保管の史料の中に「強制連行を示す記述」が存在することは、去年の夏に共産党議員の質問主意書に対する答弁書の中で安倍首相は認めています。ということは、第一次安倍内閣の閣議決定は虚偽であることを、安倍首相自ら認めたわけですから、あの閣議決定は速やかに取り消しするのが当然というものです。上の記事によれば、河野談話が出された後からも慰安婦に関する重要な史料が少しずつ発見されており、慰安婦問題に関する日本政府の責任はより具体的に認識されるようになっているのですから、政府は史実に正面から向かい合い、誠意ある対応をとるべきです。
2014年04月21日
元財務相で内閣官房副長官も歴任した藤井裕久氏は、3月30日の「しんぶん赤旗」で戦時中の学童疎開の体験を振り返りながら、安倍政権の政治姿勢を次のように批判している; 安倍首相の集団的自衛権行使に向けた憲法解釈の変更は許しがたい。再び、日本を「戦争をする国」にしようというのか。 立憲主義について安倍首相は基本的に理解されていません。立憲主義とは、憲法が国家権力を縛るという考えです。権力者が、国民の声も聞かず、勝手に、憲法の解釈を変えていいはずがありません。 歴代自民党政権は、集団的自衛権の行使についてはずっと否定的でした。それを安倍首相はひっくり返そうとしている。それが「戦後レジーム(体制)からの脱却」なんでしょう。自民党”本流”の人からいえば許されない考え方だと私は思います。私も昔、自民党におりましたからわかるんです。 戦争は勝っても負けても、一般の人々はみんな犠牲者です。絶対に繰り返してはいけません。いまの若い政治家たちは本当に戦争の事を何も知らない。それなのに勇ましいことばかり言っている。これは本当に怖い。だから共産党には頑張ってほしいと思っているんです。 昭和20年(1945年)の初めごろ、私は都心から郊外に学童疎開をしていました。私の真上で、飛んできた米軍のB29に日本軍の飛行機が体当たりして、落ちていくのを見ました。墜落地点に行ってみると、兵士の腕やら足やらがバラバラにちぎれて散乱していました。おそらく米軍の女性兵士のものと思うのですが、赤いマニキュアをした細い片腕もありました。その光景は、今でも私の脳裏に焼き付いています。 二度と戦争をしないということで、戦後体制がつくられた。憲法をアメリカが占領政策でつくったなんてことをいう必要はまったくない。そこには相当な世界の真理が入っている。平和主義、国民主権、基本的人権の尊重ーという3原則は民主主義国家の常識だと思います。ただ占領中にできたために、抜けているものがあることは事実で、憲法の足らざる点は改正すべきというのが私の考えです。 しかし、安倍首相にはそれをやってもらいたくない。 なぜならば、彼の歴史観、ナショナリズムが極めて偏っているからです。 昭和初期に日本が進んだ道は明らかに誤りです。しかし、安倍首相は「侵略かどうかは後世の歴史家が判断する」といっている。「村山談話」が認め、謝罪した日本の植民地支配と侵略も、初めは認めようとしていなかった。衣の袖からよろいが見えています。 安倍首相の歴史認識だと世界から孤立します。孤立すれば平和は成り立たず、その国は滅びます。 安倍首相の叔父の西村正雄・元日本興業銀行頭取と私は、学童疎開の仲間でした。彼は第1次安倍政権が誕生する直前に亡くなりましたが、最後まで安倍首相の政治姿勢を心配していました。私にまで手紙をくれ、安倍首相に「市場原理主義者や偏狭なナショナリストと絶縁し、もっと経験を積むように」と伝えたことが記されていました。 安倍首相にはこの西村さんの思いを、今こそ思い出してほしい。 *ふじい・ひろひさ=1932年東京生まれ。東京大学卒、旧大蔵省入省。77年、参院全国区で初当選(自民党公認)、参院議員2回、衆院議員7回当選。自民党、新生党、新進党、自由党、民主党を経て、現在民主党顧問2014年3月30日 「しんぶん赤旗」日曜版 1ページ&6ページ「とめよう戦争する国づくり-憲法9条の価値 再認識を」から引用 安倍氏の一族は政治家といい実業家といい優秀な人材を輩出しているのに、3代目に出てきたのが変な政治家だったとは、まことにもって残念は話です。安倍氏には一日も早く保守本流の政治家になってほしいと思います。
2014年04月20日
かつて自・社・さ政権で内閣官房長官、大蔵大臣を歴任した武村正義氏は、安倍首相の父親が自民党ハト派の重鎮、安倍晋太郎であることに触れて、現在の安倍政権の方針を次のように批判している; 歴代政権が憲法違反としてきた集団的自衛権を閣議決定で認めるという安倍政権。その危険な暴走に国民の批判が広がっています。元官房長官や元財務相など閣僚経験者も党派を超え「立憲主義守れ」の声を上げています。 憲法解釈を変え、日本が武力攻撃を受けなくても、海外での武力行使を可能にしようとしている安倍晋三首相。共同通信の世論調査では、この安倍首相の考え方に1カ月間で「反対」が51%から57.7%に急上昇。「賛成」は38.9%から33.9%に減りました。 与党内でも安倍首相の強引な進め方に反発が相次いでいます。 田中倫夫記者◆軽々しく大原則変えるな-武村正義氏の話 集団的自衛権の行使容認とは、憲法9条の規定でできなかった「海外での戦争」を、日本が攻められていない場合でもできるようにすることです。しかもその手法は、安倍晋三首相が好きな人たちを集めた安全保障懇話会で議論させ、出した答申を首相が任命した閣僚たちと閣議決定して終わりだという。こんなに軽々しく憲法の大原則を変えられてはたまらないと思います。 もちろん憲法解釈の変更は時代の変化である程度は許されます。しかし、憲法の大原則にかかわる平和主義、9条を「解釈改憲」で変えてしまうのはどう考えても荒々しい。そもそも憲法が国家権力を縛るという、立憲主義からいっても大問題です。 平和憲法は、世界からも東南アジアからも高く評価されています。イラク戦争でサマワまで自衛隊が派遣されましたが、武力行使はまったくできなかった。60年近くたっても平和憲法の真価が発揮されているからだと思います。 私は、かつて自民党安倍派に所属していました。安倍首相のお父さんの晋太郎さん(元外相)が会長でした。生前、晋太郎さんが話していたのは、晋太郎さんの父の安倍寛元衆院議員のことです。寛さんは戦前、軍閥政治に異を唱え、大政翼賛会の推薦を受けずに当選した数少ない、スジの通った政治家だった、と誇らしげに話していました。 安倍首相は、もう一人のおじいさん(母方の岸信介元首相)のことをよく話されますが、父方のおじいさんのことも語られてはいかがでしょうか。 いまの安倍首相は、私の目には極めて危うい姿に映っています。特定秘密保護法制定も武器輸出三原則見直しも、世論などお構いなしに突き進んでいる。昨年末の靖国神社参拝は、中国・韓国から反発を呼んだだけでなく、米国や欧州の国からも懸念が表明されました。 安倍首相の主張と行動は、戦後の世界秩序に異を唱えるものとして世界には映っています。第2次世界大戦を引き起こしたナチス・ドイツと軍国主義日本が、ニュルンベルク裁判と東京裁判で裁かれ、戦後の世界秩序はできました。東京裁判で有罪となり処刑されたA級戦犯をまつる靖国神社への参拝は、この戦後の世界秩序に疑問を投げかけている、ととらえられて当然です。 80年代に西ドイツのワイツゼッカー大統領(当時)は、ナチスドイツの戦争犯罪にふれ「過去に日を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目となる」と演説をしました。この言葉を安倍首相もかみしめてほしい。 憲法9条の価値は再認識すべきです。私はかつて「小さくともキラリと光る国・日本」ということを提唱していましたが、この「キラリ」の中には憲法9条も含んでいました。 * たけむら・まさよし=1934年滋賀県生まれ。東京大学卒業、旧自治省入省。74年、滋賀県知事に初当選し3期務める。86年衆議院議員に初当選(自民党公認)。その後、「新党さきがけ」代表、内閣官房長官、大蔵大臣などを歴任2014年3月30日 「しんぶん赤旗」日曜版 1ページ&6ページ「とめよう戦争する国づくり-憲法9条の価値 再認識を」から引用 武村氏が指摘するように、安倍首相は国民の意見を無視して秘密保護法を作り、武器輸出三原則を廃止し、今度は勝手に憲法解釈を変更しようとしている。このような民主主義を無視した暴挙は、やがて近隣諸国との間に問題を生じることとなりかねず、近い将来に国益を損ねることにもなりかねません。安倍政権のこのような独善的な姿勢に、私たちは批判を強めていかなければなりません。
2014年04月19日
戦争中の日本政府と日本軍が運営した従軍慰安婦の制度について、専門家はどう見るか、3月30日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している; 日本共産党の志位和夫委員長が発表した見解「歴史の偽造は許されないー『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題の真実」が、反響を呼んでいます。元日本軍「慰安婦」に関する河野洋平官房長官談話(1993年8月4日)を専門家はどう見ているのか-。日本の戦争責任資料センター共同代表で、茨城大学名誉教授(国際関係史)の荒井信一さんに聞きました。 本吉真希記者◆日本の戦争責任資料センター共同代表・茨城大学名誉教授、荒井信一さんに聞く 「河野談話」と同じ日に発表された、内閣外政審議室の「いわゆる従軍慰安婦問題について」という政府文書があります。談話と一対のものです。◆膨大な調査で作られた談話 そこでは、政府が91年12月から関係省庁で資料調査を進める一方、元軍人や元慰安所経営者、韓国の被害者など幅広い聞き取り調査を行い、米国での公文書調査、沖縄での現地調査も行ったとのべています。 また、政府公表の「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」(93年8月4日)には、人身売買や甘言などで女性を慰安所に連行し、軍の監督下に置いたことを示す海外の公文書の概要があります。 これら膨大な調査を「総合的に分析、検討した結果」作られたのが「河野談話」です。局部的な思い違いがあるとして元日本軍「慰安婦」の証言だけを取り出し、テキストクリティーク(文書批評)するのは公正さを欠き意味がありません。 「河野談話」は、「慰安婦」の募集などが「甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」として”強制性”を認めています。 ところが第1次安倍内閣は政府答弁書で「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とのべ「強制性」の範囲を縮小し、問題を「強制連行」にすり替えました。◆本人の「承諾」あっても違法 しかし「河野談話」が認めた「強制性」は、実は当時の国際法に違反します。 日本は当時「醜業を行わしむる為の婦女売買禁止に関する国際条約」(1910年)などに加盟していました。 この条約は、(1)未成年の婦女を売春目的で勧誘、誘引、拐去(誘拐)した者は本人の承諾があった場合でも処罰する(2)成年の婦女を売春目的で詐欺、暴行、脅迫、権力乱用その他一切の強制手段で勧誘、誘引、拐去した者は処罰する-としていました。 「河野談話」を否定する人たちが主張する「強制連行」は、ここでいう「拐去」にしかあたりません。 この条約には、植民地などには適用しなくてもよいという条項があります。しかし、条約ができたのは世界がまさに帝国主義時代であり、古い人権観を乗り越えた現代の立場からは、植民地適用除外諭は否定されるべきです。◆国内法に抵触、有罪の事例も また、当時の国内法にも違反しています。大審院(現在の最高裁)は、長崎県の女性をだまし、上海の海軍慰安所に連行した日本人業者を、刑法226条の「国外移送、国外誘拐罪」で有罪にしました。(37年) このように当時でも力ずくで連れて来たかどうかではなく、人を安全に保護されている状態から切り離し、軍や業者の支配下に置いたことが問題とされたのです。 「河野談話」を否定する動きが、第1次安倍内閣から連綿と続いています。志位さんもいうように、政府はいまこそ日本軍「慰安婦」の事実を認め、謝罪と補償をきちんとしていくことが必要です。2014年3月30日 「しんぶん赤旗」日曜版 10ページ「当時の国際法にも違反」から引用 この記事が指摘するように、日本政府が河野談話として発表した声明は慰安婦経験者の証言だけが唯一の根拠ではありません。日本政府が保管している公式文書をはじめとする膨大な史料を確認し、その上で被害者の証言もおおむね史料による理解と矛盾はしないということが確認されたのであって、証言の中に些細な思い違いや不確かな記憶があったからといってその証言に価値がないとか虚偽であるなどとは言えないわけです。また、慰安婦問題に対する政府責任を否定したがる人たちはよく、昔の事案を現代の価値観で批判しても意味がないというようなことを言いますが、女性を騙して海外の慰安所に送り込むというのは当時の法律に照らしても違法であり、当時の裁判所が有罪判決を出しているのであって、当時としては仕方がなかったなどと免罪することはできません。このような慰安婦問題の真実を、政府は国民に周知する義務があると言うものでしょう。
2014年04月18日
早稲田大学名誉教授の毛利和子氏は、これからの日中関係について3月29日の朝日新聞で、次のように述べている; 東大駒場キャンパスは今月8日、熱気に包まれた。日中の政府間関係が最悪となるなか、日中米、台湾の研究者や市民250人が集まり、1972年の日中国交正常化からの42年を振り返り、善隣関係を築くにはどうすべきか、8時間を超え率直に語り合った。 テーマは「現代日中関係の源流をさぐる―再検証1970年代」。昨年10月にスタートし、私が代表幹事を務める「新しい日中関係を考える研究者の会」が、シンポジウム実行委員会の母体となった。会は日中関係の悪化を憂慮し、排他的ナショナリズムを超えアジア諸国民間の和解の道を探ること、緊張緩和に寄与する日中知的ネットワークをつくり「日中関係学」の新パラダイムを追究することなどをめざす。 実行委は、(1)日中が直面する課題の源流を70年代の「不完全なスタート」に求めることは妥当か(2)関係改善のためにどのような考え方や制度が必要か、という問いを設定した。 三つの貴重な発見があった。私は72年の国交正常化交渉をもちろん評価するが、不完全さや瑕疵(かし)もあり、それを自覚した制度構築ができなかったため、脆弱(ぜいじゃく)な「72年体制」が環境の激変に耐えられず、今は大きく動揺している、と悲観的トーンで報告した。だが大変幸いなことに、中国の歴史学者、歩平氏の基調報告や、他の日本人研究者、ハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授らの意見はずっと楽観的で、72年のスタートを積極的に評価し、将来について明るく語った。 第二は中国側研究者の冷静さだ。歩平氏は、戦後日本の平和主義が日本の歴史への反省の重大な表現だ、という事実を中国が理解していない点を率直に自己点検した。南開大学の宋志勇氏は、日中の研究者が協力し双方の政府や世論に働きかけようと、提言した。 第三が、歴史認識の大きな違いは、もしかしたら日中間よりも、日本の研究者の世代間の方が顕著ではないか、と改めて感じたことだ。シニアと若い世代の思想的な「溝」は中国でも同じだろう。ボーゲル氏らが語った学校と社会での健全な歴史教育の重要性をとりわけ痛感した。 多くの参加者が、日中の学術交流は成熟してきているのに、政府間関係はどうして悪化しているのか、という深い憂慮を共有していた。私たちの小さな活動が政府、社会を少しでも動かせたら、という願いが感じられた。「今日の成果を一人一人が300人に語りかけよう」という慶応大学の山田辰雄名誉教授の閉会の言葉が耳に残った。 (もうりかずこ 早稲田大学名誉教授〈現代中国論〉)2014年3月29日 朝日新聞朝刊 12版 13ページ「AJWフォーラムから-日中関係 和解の道、学者から一歩」から引用 世代間の歴史認識の相違は重大な問題です。特に日本では、政府見解と矛盾する歴史修正主義の書籍が横行し学校教育で教える歴史が偽りであるかのような主張が繰り返されており、このような間違った言説には政府は逐一史実を挙げて反論し、正しい歴史認識を国民に伝えるべきです。国連からもそうすることを要請されており、河野談話でも「従軍慰安婦の問題」については研究・教育の場を通じて子孫に語り継いでいくと誓約したわけですから、日本政府の誠意ある対応が望まれます。
2014年04月17日
安倍政権が集団的自衛権を行使できるようにしようとしているのは、日本を取り巻く国際環境がそれを必要としているからなのか、という問題提起に対して、東京大学教授の藤原帰一氏は、3月28日の朝日新聞で否定的な見解を述べている; 集団的自衛権の問題を考えるとは、どういうことか。それは突き詰めれば、同盟国が軍事行動での協力を求めてきたとき応じるかどうか、という問題だ。今の日本で言えば、米国から軍事行動の協力要請があったときにどうするか、が主眼になる。 米国への軍事協力は、イラク戦争などで過去にも議論されてきたテーマだ。それらの議論には従来、一つの明確な枠組みがあった。「日本を戦争に巻き込もうとする米国と、巻き込まれる日本」という枠組みだ。 日本政府は、集団的自衛権は行使できないという憲法解釈に立つことで、軍事協力の範囲に制約をかけてきた。 だが今、枠組みは反転している。米国は、日本のせいで中国との紛争に巻き込まれることを真剣に恐れている。日本は「中国に譲らない」ことを重視する強硬政策を採り、その対立に米軍を巻き込みかねない勢いだ。 つまり今は、集団的自衛権の問題、すなわち「米国からの軍事協力要請にどう応じるか」が日本の重要課題という状況ではない。日本と世界の平和と安定を守りたいなら、何より中国との関係改善と東アジアの緊張緩和に取り組むべきなのだ。そしてその作業を米国と連携しつつ進める。それらが真の課題だ。 なぜ議論がその方向に向かわないのか。理由は「戦争など起こるはずがない」と思っているからだろう。戦後約70年間、日本は幸い、戦争の当事者になってこなかった。だがそれは、戦争のリアリティーが失われていくことにもつながった。 日中関係を見てほしい。日本政府も中国政府も「相手に対して譲らない」ことを重視していないだろうか。そうした強硬政策を両国のナショナリストが支持する状態は、紛争が起こりやすい状態の典型例である。 最初は偶発的で小規模な衝突でも、もし双方が引かなければ本格的な軍事紛争が始まってしまう。世界の歴史はそう教える。私たちが警戒すべきは、楽観に基づく希望的観測なのだ。 一部には、「日本が集団的自衛権の行使を容認すれば、中国との有事の際、米国からの協力を取り付けやすくなるはずだ」との期待もあるようだ。しかしそれも希望的観測に過ぎない。まず、米政府の政策の優先順位を同盟国が変えることは非常に難しい。また米政府は、東アジア地域の緊張が高まることは自国のコストの増大につながる、と警戒するだろう。 なぜ今、集団的自衛権が浮上しているのか。私には「国内政治の力関係の投影」にしか見えない。改憲勢力が議会で力を強めた変化の投影だ。国際政治の現実を映した動きとは思えないのである。 (聞き手・塩倉裕) * ふじわら・きいち 57歳 1956年生まれ。国際政治学者。著書に「戦争を記憶する」「戦争の条件」など。9・11後のイラク戦争に協力すべきかどうかが論議された際には、「不要な戦争である」と見る立場から反対した。2014年3月28日 朝日新聞朝刊 14版 4ページ「集団的自衛権 行方を問う-国際政治の現実映していない」から引用 日米安全保障条約は日本が米国に基地を無償で提供する代わりに、有事の際は在日米軍は日本を防衛するという建前になっているが、米国は取り立てて日本を防衛するために安保条約を結んだのではなく、米国の世界戦略遂行のために日本の基地を使いたいというだけであって、そのために「いざと言うときは守ってやるから」と空手形を出しているだけに過ぎず、実際に日本がどこかに攻撃を受けたときには、それが日本国内の米軍基地であれば当然米軍は応戦するであろうが、そうではない地域が攻撃されたときに本当に米軍が防衛のために出動するかどうかは極めてあやしい。安倍政権にしてみれば、自衛隊が米軍に守ってもらうだけではなく、米軍が攻撃されたときは自衛隊も積極的に応戦するのだという姿勢を見せれば、米軍は日本の防衛により積極的になってくれると思ってるのかもしれないが、それも浅はかな話だ。例えば尖閣諸島で日中の武力衝突が起きた場合、米軍は自衛隊と一緒に中国軍と事を構えるであろうか。おそらく米国はそのような行動にはでないであろう。なぜなら、米国にとって中国とコトを構えるということは、これまで中国に投資してきた膨大な米国資産が全て中国政府に差し押さえられることになるのであるから、そんな大損害を出すよりは日本政府に我慢させて、中国政府と手を握るほうが米国にとって得策だからである。このような国際社会の力関係を考えれば、これからの日本は米軍を当てにした安全保障政策に拘るよりは、これまで積み上げてきた平和国家としての実践を積み重ねて近隣諸国との間に信頼関係を築く道をゆくのが正解というものである。
2014年04月16日
千葉大学教授の酒井啓子氏は、戦後の日本がどのような道を歩んで今日に至っているかという歴史的経緯を全く学習した形跡のない安部政権を、3月27日の朝日新聞で次のように批判している; 戦争は、意外な発端から起きる。 100年前、一発の銃弾で4年間も世界を巻き込む大戦争が起こるなどとは誰も思わなかったし、パレスチナでの一件の交通事故が10年以上断続的に続いたインティファーダにつながるとも、想像できなかった。 戦争の「こんなはずじゃなかった」には、さまざまな要因がある。敵国が弱体化していると読み間違える例。イラクはイラン革命の混乱を過大視してイラン・イラク戦争を起こした。同盟国が手のひらを返すなど思いもよらなかったという例。クウェート侵攻直前に、イラクはアメリカと蜜月関係にあった。戦争を回避しようという官僚の必死の努力にもかかわらず、指導者の挑戦的な態度が国際社会の信頼を得られず、取り返しのつかない戦争に突入した例。イラク戦争直前、国連査察団の無理難題に、懸命に応えようとしたイラク職員の姿が思い浮かぶ。 今、世界が東アジア情勢に危惧するのは、この「不測の事態」だ。最近の海外論調は、東アジア一触即発を懸念する。日中いずれも戦争を希望していない、だから戦争には至らない、と希望的観測をしつつも、「ただし」と続ける。「偶発的な衝突が起きなければ、だが」 偶発的な衝突の原因として危険視されているのは、関係諸国のナショナリズムに突き動かされた非合理的な行動だ。そしてその懸念は、日本に向けられる。安倍総理の靖国参拝、村山談話見直し発言、ダボス会議での第1次世界大戦への間違った言及などがそれだ。こうした日本の行動を見ると、むしろ関係悪化を挑発しているのは日本ではないか、というのが、国際社会の反応だ。 ならば、外国など頼るに足らず、という議論が浮上する。アメリカは同盟相手として頼りにならない、靖国参拝批判などなにごとか、と考えて、自力救済のための富国強兵を目指す。だが、その行動は軍事大国化とみなされるので、ますます「戦争をしたくない」意図は伝わらない。相手国は、対抗的に軍備強化する。「安全保障のジレンマ」という概念は、国際政治学の基本のキだ。 このジレンマから抜け出すには、「国際社会の誤解を解く必要がある」とよく言われる。だが、海外の危惧はただの誤解だ、広報を上手にやればいい、程度にしか考えていないことが、怖い。耳障りな意見は聞かなければいい、という空気が、メディアも含めて蔓延(まんえん)している。 東アジアの緊張は日本以外から来る、海外の対日危惧は誤解だ、との議論が、目を瞑(つぶ)っている点がある。第2次大戦以降、国際社会に定着した日本への信頼感は、日本が富国はしても強兵しない国だということに対して醸成されてきた、ということだ。その信頼感こそが、海外の日本に対する攻撃意志を阻んできた。そして戦後外交は、戦争をしないという真摯(しんし)な日本の主張を届けてきた。国際社会が感じる「危惧」は、こうした過去の平和日本の変質だ。 戦後、対米追随と言われながらも、日本の外交は対米と対アジア、対国連外交の、時に矛盾する三つの目的を追求してきた。対中東外交の歴史を見れば、アメリカの虎の尾を踏んでも中東諸国との独自の関係を構築しようとした時期がある。しかし、それは決して上記三つの目的のどれかを犠牲にしようとするものではなかった。目指されたのは孤立ではなく、調整である。国際社会の目を気にしすぎと言われながらも、国際社会との共生を、武力を用いず確立することを目指した。 そうして確立された平和日本は、「国際紛争を平和的手段によって国際の平和および安全ならびに正義を危うくしないように解決しなければならない」との国連憲章の精神を体現している。なぜそのことに日本は自信をもてないのか。過去に構築してきた「国際社会に信頼された日本像」を、日本が自ら崩していることに、国際社会は不安を抱いている。 (さかい・けいこ 1959年生まれ。千葉大教授・中東研究。著書に『中東から世界が見える』など)2014年3月27日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「あすを探る-日本不信、誤解で済まない」から引用 安倍首相の靖国参拝に対して米国政府が「失望した」とのコメントを発表したとき、安倍首相の取り巻きで「失望したのはこっちだ」などと発言してヒンシュクを買った政治家がいたが、安倍首相もこういう愚かな発言をする取り巻きも、戦後の日本が米国をはじめとする連合国側とどのような条約を結んで再出発をしたのかという歴史をまったく勉強していない。だから、そういう馬鹿な発言が出てくるのである。しかし、安倍首相やその取り巻きがどのような認識であろうと、わが国が戦後歩んだ平和国家の道は東アジアの近隣諸国はよく分かっている。日本は富国はするが強兵はしない国だという認識が、戦後67年間わが国の平和を保ってきた。これが憲法9条の威力である。このように政府と国民が営々とし築いてきた平和主義を、一内閣の勝手な憲法解釈変更で歪めることはあってはならないことである。
2014年04月15日
かつて日中戦争に動員されて中国へ渡った経験を持つ読者が、3月20日の朝日新聞に投書して昨今の世相を次のように批判している; 嫌中、嫌韓が目につく。戦争体験者の集いでは被害体験ばかりが語られ加害の反省はまずない。戦後教育は制度としての民主主義は教えたが、個の自立や主体的な思考を教えること、昭和史を憲法の原則に従い評価し直すことを避けてきたと思う。 私の世代は、軍の政治支配や治安維持法による言論・思想弾圧をリアルに知った。だが今、多くの人は日韓併合、中国大陸での事変と称した数次の戦争が実は現地日本軍の謀略、武力行使に始まったことすら知らない。これでは靖国神社参拝が世界の非難を浴びる理由も分かるまい。「自虐史」ではなく、戦前忘却の教育ゆえだ。さらに安倍晋三首相の「教育再生」とは愛国心の鼓吹であり、排外主義をあおりかねない。 かつて中国の前線で、敵兵だった私たちに住民がしてくれた親切の数々が忘れられない。大勢の出稼ぎの夫の安否を気遣う中国人農家の妻子の心遣いは、出征する私を博多埠頭(ふとう)で見送った故郷の母の涙とともに、国家、民族を超えた人間のいとおしさを思わせた。 そこで提案。日本在住の外国人とじかに接し、交流体験をもとに「戦争とはこの人たちとの生命の奪い合い。心が痛まないか」、そう自問し続けよう。2014年3月20日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「声-嫌中嫌韓 戦後教育の欠陥から」から引用 この投書が指摘するように、私たちは昭和の歴史を現在の憲法の原則に従って評価し直す必要があります。韓国の併合や中国大陸での侵略戦争などは、現地に派遣された日本軍の謀略、武力行使によって引き起こされたもので、このような無謀な戦争で日本は大変大きな代償を払いました。そして手に入れたのが現在の憲法ですから、祖先の尊い犠牲の上に制定された現在の憲法を一内閣の勝手な判断で解釈変更などは許されるものではありません。これからの日本の安全保障は武力によってもたらされるものではなく、善隣友好の外交を充実させることによって実現するものであることを、私たちは忘れるべきではないと思います。
2014年04月14日
原発が立地している道県の議会議長で構成される協議会から福島県議会の議長が脱退することになったと、3月19日の朝日新聞が報道している; 福島県議会の平出孝朗議長は18日、原発が立地・立地予定の14道県の道県議会議長でつくる「原子力発電関係道県議会議長協議会」(会長・飯塚秋男茨城県議会議長)から3月末で脱退することを明らかにした。平出氏は「協議会の他県の議長らは原発再稼働を前提にしている。同じ会に入っていることに違和感がある」と話した。平出氏は自民党会派に所属している。 脱退については、平出氏が18日、福島県議会の各会派代表者会議で表明し、各会派が賛同した。協議会側も了承しているという。同県議会は、東京電力福島第一原発事故をふまえ、2011年秋に県内原発の全基廃炉を求める請願を全会一致で採択している。2014年3月19日 朝日新聞デジタル 「原発関係議長会、福島が脱退表明」から引用 原発を再稼働することの是非については公の場でオープンな議論を尽くして国民的な合意を作り上げるべきであるが、この記事が示すようにただ単に意見が合わないから脱退するというのでは、私たちの社会はいつまでたっても進歩は望めないと思います。3・11の事故の後、原発立地の道県議会議長協議会はこれまでどのような議論をしてきたのか、どのように話が進んだために福島県議会の議長が脱退する羽目になったのか、詳細な報道が必要ではないでしょうか。福島県以外の原発立地の道県では、県民は再稼働を承諾しているのか、それとも県民には内緒で再稼働の相談をしているのか、その辺も明らかにしてほしいものです。
2014年04月13日
防衛問題の専門家集団である防衛省防衛研究所は、最近発表した報告書で安倍政権の外交政策が東アジアに緊張を生んだと分析していることが、5日の東京新聞の報道で明らかになった。記事は次のように伝えている; 防衛省のシンクタンク「防衛研究所」は4日、日本周辺の安全保障環境を分析した報告書「東アジア戦略概観2014」を公表した。中国だけでなく、日本などの防衛・軍事力強化が軍拡競争を招き、北東アジア情勢の悪化につながっていると指摘した。防衛省の公式見解ではないが、政府系の研究機関が間接的な表現ながら、首相が進める防衛力強化の方針に懸念を示したともいえる。 安倍首相は「わが国を取り巻く安全保障環境がいっそう厳しさを増している」と強調し、2013年度予算では11年ぶりに前年を上回る防衛費を計上。14~18年度の5カ年の中期防衛力整備計画(中期防)でも防衛費を増やす計画を決めている。さらに、武器開発や輸出を通じて米国などと軍事的な連携を強化しようと、禁輸政策だった武器輸出3原則を撤廃。米国を攻撃する敵国に反撃できるよう、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の見直しも目指している。 報告書では、日本のこうした防衛政策も含め「自国の安全を高める軍事力の増強が、他国にとっては脅威となり、対抗的な政策を引き起こす」とし、相互に軍事力を強化することで緊張を高めてしまう「安全保障のジレンマにある」と指摘。その上で「軍事的な緊張関係が高まり、北東アジアの安全保障環境の悪化を招いている」と結論づけた。 北東アジア情勢の悪化要因としては、北朝鮮の核・ミサイル開発、中国の軍拡や海洋進出も挙げ「国際社会で不測の事態への懸念が高まっている」と警鐘を鳴らしている。 防衛研究所は1952年に発足。防衛省に研究職として採用された職員を中心に140人が所属する。2014年4月5日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「防衛省機関が懸念」から引用 わが国憲法の平和主義は、わが国の平和のみならず東アジアの平和にも貢献してきているのであるが、その本家本元の日本が憲法の平和主義を蔑ろにするような政策を打ち出したのでは近隣諸国が安穏としていられなくなるのは当然であり、防衛研究所の報告書はその実態を正確に把握しているといえる。東アジアの平和を乱す安倍政権には、その路線を修正してもらうか、さもなくば退陣してもらうほかはないだろう。
2014年04月12日
今もアメリカ政府に影響力を行使する軍産複合体について、5日の東京新聞コラムは次のように述べている; 米国のロッキード・マーティン社は、軍需での売上高が世界一とされる兵器産業の雄だ。日本の本年度の防衛予算4兆8千億円余にほぼ匹敵する売り上げを誇ると言えば、巨人ぶりが分かるだろう。 その実態を描いた『ロッキード・マーティン 巨大軍需企業の内幕』(草思社)を読めば、この巨人がいかに米政府に影響力を行使し、外交の舞台裏で動いてきたかが分かる。 冷戦が終わってから、米国は北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を進めた。東欧の民主化支援が旗印に掲げられたが、ロシアとの関係悪化を危ぶむ声もあった。だがロ社は異論を抑えるため巨額の政治献金も使って、猛烈な働き掛けをした。 東欧諸国がNATOに入れば、ソ連製兵器を買い替えることになる。東方拡大は米軍需産業にとっては、市場拡大。米政府に兵器の購入費を援助させることまでして、市場を獲得していったというのだ。 日本も世界の兵器市場に打って出るという。長年の信条だった「武器輸出の原則禁止」をやめると政府が決めた。政府開発援助(ODA)をからめた武器輸出の促進も考えているともいう。 NATOに加盟し米国製兵器のお得意さまとなった東欧諸国は、イラク戦争に出兵し、血を流すことになった。そのイラク戦争で兵器産業の巨人たちは、また大いに潤った。武器輸出というのは、そういうビジネスである。2014年4月5日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 安倍政権が主権者である国民の意志を確認することもなく勝手に武器輸出3原則を改悪したのは甚だ遺憾である。安倍政権が終わった暁には、次の政権は直ちに武器輸出3原則を復活させるべきである。上の記事によれば、アメリカの軍産複合体の活動の犯罪性は明らかである。日本の企業にもこのような活動をさせるに当たって、安倍政権はどのような議論を行ったうえでそのような結論に至ったのか、国民に説明するべきであるが、おそらくこの内閣のメンバーではロクな議論もなく、単に規制を緩和すれば景気が良くなるかも知れないといった程度の、反知性主義的、浅はかな発想であることは容易に想像がつく。 ところで、大分以前にアメリカの軍産複合体のことを書いたところ、現在のアメリカのGDPに占める軍需産業の割合は1割以下だから軍産複合体などというものは今は存在しないなどと利いた風なコメントが書かれたことがあったが、割合がどうあれ上の記事が指摘するように現在も政府の政策を左右する力をもって暗躍していることは認識しておく必要があるというものである。
2014年04月11日
与党の政治家でありながら政府見解を否定するような発言をする恥知らずな政治家を痛烈に批判する投書が、3月17日の朝日新聞に掲載された; ドイツのガウク大統領が、ギリシャ北西部のリンギアデスを訪問し、第2次世界大戦中にドイツ軍が民間人を虐殺したことを謝罪したという記事を読んだ。ガウク氏はフランスなどでもドイツが犯した戦争犯罪の現場を訪れ、許しと和解を求める行動を続けているという。 日本では、政府見解であるにもかかわらず、村山談話や河野談話を否定するような政治家の言動が目立つ昨今だ。南京虐殺事件では被害者の数の大小の議論とか、従軍慰安婦に関しては、他国もやっていたのに何が悪いといった姿勢が目立つ。彼らにとって「国益」とは何なのだろう。 彼らは、もっと説明して理解を求める必要がある、という。説明して理解を求めることに異論はないが、開き直りながら理解を求めるのと、相手の心の傷をまず自らが感じる努力をし、それを癒やしながら謝罪すべきところは謝罪して、理解を求めるのとでは天と地ほどに開きがある。 今の日本にとってもっとも国益にかなうことは、近隣諸国と和解し共に前に進むことではないのだろうか。2014年3月17日 朝日新聞朝刊 12版 9ページ「声-相手の心の傷理解する外交を」から引用 日本に政府見解であるにもかかわらず村山談話や河野談話を否定するような政治家がいるのは、一重にその政治家の勉強不足である。例えば今まで長く野党だった政党が初めて政権の座について、これまでの悪弊を改めるというような特殊な立場であればまだしも、村山談話が出たときに自民党は政権与党であったし河野談話も自民党宮沢政権が閣議決定したものである。これからの世の中は国際社会を抜きにしては経済が成り立たないのであるから、日本としても過去の歴史をよく理解し否は否として反省した上で良好な関係を構築する、それが人間社会というものだ。ところが、安倍氏をはじめとする昨今の自民党政治家は学校時代からろくな勉強もしないヤンキーだったせいか、歴史認識があいまいで自国に都合のよいように歴史解釈を修正しようとしている。そのために国民がこれまで学んできた歴史観を「自虐史観」などと中傷しているが、このような間違った態度は早めに改めなければ、これまで天皇や首相が何度も国賓に謝罪した「誤れる道」に、再び迷い込むことになりかねない。
2014年04月10日
先月、新潟県の泉田知事は米国の前原子力規制委員長、グレゴリー・ヤツコ氏と原発の安全性について対談を行った。その様子を3月13日の朝日新聞は、次のように報道している; 東京電力柏崎刈羽原発のある新潟県の泉田裕彦知事が、東日本大震災発生時に米政府の原子力規制委員長だったグレゴリー・ヤツコ氏と対談し、原発事故や地震の複合災害が起きた際の住民避難について「国の制度全般を見直さない限り、自治体が有効な避難計画を作るのは不可能だ」と明言した。泉田知事は福島第一原発事故の検証と総括が終わるまでは原発再稼働の議論に入らない考えを改めて強調したが、「有効な避難計画の策定」も再稼働への新たなハードルになる可能性がある。 東京都内で12日夜に対談した。ヤツコ氏は柏崎刈羽原発について「地元の避難計画はできているのか」と質問した。 泉田知事は「機能しない計画は作れるが、実効性が伴わない」と答え、理由として労働者の被曝(ひばく)線量限度が法令で厳しく定められており、住民輸送に必要なバスの運転手に避難指示区域に入る指示をするのが難しいと指摘。「民間人の線量基準を緩めるか、救助してくれる部隊をつくるか、この合意なしに自治体に避難計画を作らせるのは無理だ」と強調した。すでに避難計画を作った自治体もあるが、泉田知事は「形だけで実際には機能しない計画だ」とも述べた。ヤツコ氏は「避難計画が不十分なら、米国では原子力規制委が原発停止を指示するだろう」と指摘した。(奥山俊宏) ◇ 新潟県の泉田裕彦知事と米原子力規制委員会(NRC)のグレゴリー・ヤツコ前委員長の対談の主なやりとりは以下のとおり。 泉田知事「福島では病院や高齢者福祉施設での無理な避難で多くの命が奪われた。柏崎刈羽原発の5キロ圏内に2万2千人、30キロ圏内に46万7千人が住む。原発事故や地震・津波の複合災害が起きた場合の実効性ある避難計画を作るのは極めて難しい。政府は強制避難をさせる方針だが、複合災害の下で46万7千人を避難させる前提で避難計画をつくれと言うのは、極めて現実から乖離(かいり)している」 「福島の事故では住民避難や物資支援のため新潟からバスやトラックを出したが、民間企業の運転手は危険地帯に入ることを拒否した。避難指示が出ている所に民間人を入れるのは極めて困難だ。米国では救助に行く任務を負う州兵が存在している」 ヤツコ氏「州兵や地元の保安官だ」 知事「日本では、消防隊が行くのか、自衛隊が行くのかという議論すらしていない」 ヤツコ氏「とても驚きだ。緊急対応はとても難しい。米国ではそれらの事項の多くは事前に想定して計画をたてている。計画があってしかも訓練されていないと、原発は稼働できない。柏崎刈羽はどうすればいいと考えているのか」 知事「国が今の法体系を見直し、少なくとも地方自治体に対応権限を与えてくれないと、我々だけではどうしようもない」 ヤツコ氏「米国では事前の計画で避難先も定め、どの方法でどの道路を通るかも決めている。時間帯に応じて最良の避難方法を割り出す詳細なコンピューターモデルも開発されている。それらはすべて連邦政府の審査を受けている」 ――米国では、原子力規制委員長と州知事が会うことはありますか。 ヤツコ氏「定期的にある。緊急事態対応の話や原発の現状の話をする」 ――泉田知事は日本の原子力規制委員会の委員長に面会を申し入れ、昨年からずっと断られています。 ヤツコ氏「会うのはいいことだ」 知事「原子力規制委は政府機関に勧告をする権限がある。バス運転手ら民間人の事故時の被曝(ひばく)線量限度の引き上げなどについて勧告してくれればいいのに、委員長は『私の仕事ではない』と逃げている。原子力規制委は、ハードウエアだけの安全水準を確認して仕事を終わりにしようとしている。住民の命を守ってくれる組織に見えない」 ――実効性ある避難計画の策定が柏崎刈羽原発の再稼働の前提条件ですか。 知事「福島の事故の検証と総括をするまで、再稼働は手続きも含め議論しない」(聞き手・奥山俊宏)2014年3月15日 朝日新聞デジタル 「原発の避難計画『有効策作れず』 新潟知事が見直し要望」から引用 この記事から我々が理解できることは、3・11の原発事故を体験しても尚、日本では原発に対する正しい対処の仕方を国も電力会社も会得していないということである。あれだけの事故を起こして、具体的な避難計画が必要だと言われておりながらも、絵に描いた餅のような実行できない作文みたいなもので誤魔化そうとしている。これでは2回目の原発災害は避けられない。アメリカでは、規制委員会が避難計画が妥当であるか否かも稼働許可の条件にしているが、日本の規制委員会は純粋に原発装置の技術的安全性を評価するのみで、事故対策などには関与しないという無責任な体制になっている。これも重大な問題である。安倍政権は「規制委員会の判定に合格すれば、安全だから再稼働だ」と言っているが、これは間違いだ。「安全基準に合格すれば、事故は絶対無い」とは言えず、どんなに安全を確認しても万が一起きるかもしれないのが事故である。アメリカではそれに備えて、技術的な安全性の上に避難計画も重要な審査の項目としているとのことで、これは当然日本も踏襲するべきである。米国の前規制委員長は、過酷事故を経験しても尚ずさんな日本の原発管理システムについて「おどろきだ」と言っている。日ごろ安倍首相は「日本の原発は事故を経験しているから、その経験を生かして世界一安全な原発になっている」などと豪語して原発輸出を企てているが、その発言が真っ赤なうそであることを、この記事が証明している。
2014年04月09日
韓国で勤務した経験を持つ朝日新聞・箱田哲也記者は、3月13日の紙面で日韓の経済連携について、次のようなコラムを書いている; 最近、書店に行くと、きまって頭の中に悲しいメロディーが流れてくる。 「カスマプゲ(胸が痛い)」。むかし日本でも流行した韓国歌謡だ。 自分が長く韓国生活をおくったからか。ずらりと並ぶ、いわゆる嫌韓本を見ると、悲哀を絞り出すような歌のさびの部分が大きく響く。 何冊か手にしてみた。確かにうなずける部分もあるが、何もかも「韓国は反日」の一言で片付けすぎるのもなあ。価値観が多様化した韓国は、そんなにわかりやすい国か。 もし仮に「反日度数」なるものが測れたなら、韓国の一般市民レベルの数値は、全体的には下落傾向にあるだろう。日本の企業人も外交官も、韓国で暮らす上で嫌な思いをした人はまずいない。 一方で、特に過去の問題ではなかなかわかり合えない。ありのままの隣国の姿を知るのは本当に難しい。 それでも、勢いあまって一部メディアやネット上で、韓国経済の落ち込みや破綻(はたん)を期待するような声があるのには首をかしげる。 先日、サムスン幹部の友人が「ギャラクシーなんか日本のスマホみたいなもの」と話していたのを思い出す。 ギャラクシーは世界のスマートフォン市場の首位を走るサムスンの端末機だが、「主要部品は半導体を除くと9割以上が日本製。シェア世界一は日本のみなさんにも喜んでもらえるはず」。 さらに「私は日本の見事な部品開発技術を心から尊敬します」とも付け加えた。 かくいう韓国の部品産業もここ数年、力をつけてきた。 日本貿易振興機構で長年韓国経済を見てきた百本(もももと)和弘さんに聞くと、とくに自動車部品の向上は著しいという。玄界灘を隔てた福岡に工場がある日産自動車などは韓国製の部品を多く使っている。 昨年からは日韓双方のナンバープレートをつけたトレーラーが両国をまたいで走る。積み替えの必要がなく、大幅な時間短縮になる。 政府同士がどんなにいがみあおうが、企業は効率や性能を優先し、支え合ってきた。だが、ささくれだったこの現状を見るに、この先は大丈夫なのかと不安になる。 そういえば書店で私の頭をかすめるカスマプゲは、海を隔てて離別する2人の悲しみを歌う。せっかく携えた日韓の手と手を、政治が引き離すことはありませんように、と願うばかりだ。 (はこだてつや 国際社説担当)2014年3月13日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「(社説余滴)ギャラクシーはどこの携帯?」から引用 日本も韓国も発展途上の段階では人件費の安さをメリットにして大量の商品をアメリカに輸出して国内産業が成長したものでしたが、今ではその成長も一定のレベルに到達し、韓国製の商品が売れると韓国に部品を提供する日本の景気も良くなるという、大変結構な状況が出現しています。これから更に経済発展を維持していくには、低俗な週刊誌の「嫌韓」だの「反日」だのという宣伝に惑わされること無く両国の親善を促進するべきだと思います。
2014年04月08日
安倍首相の独りよがりな政治姿勢を厳しく糾弾する投書が、3月13日の朝日新聞に掲載された; 「ドメドメ」という言葉が外資系企業にある。ドメスティック(国内の)を重ねた表現だが、良い意味では使わない。多様な文化が存在する中で、日本のやり方だけに固執し、それとは違うものを避けようとするかたくなな態度を指す。 21世紀において、対外的なことでドメドメに徹するのは失格である。先の大戦で国民が悲惨な目に遭ったのは事実だが、そもそもこの戦いを仕掛け、周辺諸国に自国民を上回る多大な被害を与えたのはだれか。法的な賠償や公式な謝罪は済んだと主張しても、肝心の周辺諸国が納得していないのは、それが実質を伴い、素直に受け入れられるものではないからだろう。 自国の選挙民の支持だけを考えていればよい時代ではない。それではドメドメである。国際的な世論の影響をあらかじめ想定した行動や発言が求められる。政治家はまず、発想の「ドメドメ度」を点検することから始めなければならない。2014年3月13日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「声-『ドメドメ政治』通用しない」から引用 先の大戦で自国民を上回る多大な被害を周辺諸国に与えたのは日本である。その被害に対する賠償を支払うのは当然であるが、払ったからといって戦争を起こした責任が帳消しになるものではなく、失われた人命は何ものにも変えがたい。今となっては、靖国神社は侵略戦争に国民を駆り出すための精神的な支柱の役割を果たしていたことは誰の目にも明らかなのであるから、そういう神社に行政のトップが参拝したのでは、戦争被害国から反発を招くのは当然であり、だからこそ歴代首相は参拝をしなかった。安倍首相も長期安定政権を望むのであれば、二度と靖国参拝はしてはならない。
2014年04月07日
13歳の中学生が、3月13日の朝日新聞に投書して安倍首相の政治姿勢を次のように批判している; 安倍晋三首相が進めている政治は、ただただ安定していないと思ってしまうばかりだ。まるで交差点を信号無視して突っ切ってしまう安倍レーシングカーのようだ。 昨年末、国会での与野党の話し合いという信号を無視して通り越し、特定秘密保護法を成立させた。NHK経営委員の百田尚樹氏が東京都知事選の応援演説で対立候補を「人間のくず」と表現したことについて、野党議員が質問して「赤信号」を突きつけたのに、安倍首相は「経営委員が個人的に言ったものに政府としてコメントすべきではない」と言って、また信号無視をした。 そして、憲法解釈について、安倍首相は「最高責任者は私だ」と国会で言った。この信号無視の運転手の発言に対しては、さすがに与党からも批判の声があがったそうだ。 今の安倍首相は、野党のあり方を分かっていないと思う。野党とは、与党を批判するための集まりではなく、与党の悪いところ、足りないところを話し合いで見つける主役だと思う。安倍首相は、野党が示した信号にきちんと対応すべきだ。未来はそこにかかっている。2014年3月13日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「声-安倍首相は『信号無視』するな」から引用 この投書は安倍政権の弱点を鋭く突いている。安倍首相の言動をみていると選挙で勝ちさえすれば少数派を無視して何をやってもいいかのように振舞っているが、それは間違いで、多数派の与党が出した法案でも完璧でないことはよくあることで、野党の意見にもよく耳を傾けてより良い法律の制定に努力するべきなのである。中学生にまで欠点を指摘されるようなレベルの政権でいいのか、国民はよく考えるべきだ。
2014年04月06日
前東海村村長の村上達也氏は、3月11日の朝日新聞インタビューに応えて、原発と電力会社のあり方について、次のように述べている;■実態は準国営、市場から退場を <前東海村村長・村上達也さん> いまの東京電力の原発再稼働に向けた動きは、「株式会社の論理」を振りかざしているように見えてなりません。燃料価格が高い火力発電に頼っていては経営が立ちゆかない、銀行から支援を受け続けるには原発を動かして稼がねばならない、という理屈です。 原発事故で大損害を与えた住民や地域への賠償資金などは十二分に必要ですが、それを原発に頼るのは本末転倒です。いまだ将来を見通せない多くの避難者がいるのに、原発が引き金になったという認識や責任感がうかがえません。汚染水漏れを含め事故そのものが3年経っても収束していないし、原因究明も完全とはいえません。 * <リスク大の原発> にもかかわらず、株式会社を起点に考えると原発再稼働に行き着くというのなら、東電は株式会社をやめて市場から退場すべきです。社会正義に反する企業の存続など許されない、のですから。 そもそも東電を頂点とした電力会社は、純粋な民間企業ではありません。かかった費用を原則料金に上乗せできる「総括原価方式」に守られ、地域独占でまともな競争もない。原発の存廃が問われる瀬戸際になって、「やはり株式会社は利益追求が必要だ」と資本主義の原理を声高に掲げるのは、正体を隠した「擬態」です。 少なくとも原発は準国営が実態です。こんな事態になっても東電が潰れないのは国が支えてくれているからだし、廃炉に欠かせない放射性廃棄物の処理だって自力ではできないでしょう。 原発は民間単独ではリスクが大きく持続可能性がありません。損害保険会社も全損害をまかなう保険は引き受けない。初期投資の大きさ、事故が起きたときの損害対応など、民間事業として、あまりに問題が多い。米国で広がらないのも経済合理性からブレーキがかかるからではないでしょうか。 存続不能の株式会社の処理には、投資家や債権者が応分の責任つまり損をかぶることが市場の掟(おきて)です。東電の全資産を売っても損害賠償や除染、廃炉などの費用をまかなえないのなら、メーンバンクや株主も損をかぶらねばならない。負の遺産処理に巨費が必要な実態を考えれば、東電は解体し、電力の安定供給は別の資本でつくる会社に担わせるべきです。 * <脱原発工程表を> 福島第二原発の再稼働を求める声が地元経済界の一部にあったと聞きます。とんでもないことです。福島の復興には相当の期間が必要です。目先のことより、長い視点が必要です。原発依存から脱するには、痛みはあっても、自分の足で立つしかありません。 ただでさえグローバル経済のもと、地方は衰退していかざるをえない。それを覚悟しながら、生まれ変わっていかねばならない。幸い、自然エネルギーの電力供給基地になれる資源が地方にはたくさんあります。もちろん、発電、供給態勢の確立には自治体の役割が重要ですが、地元の金融機関など資金の出し手も、地域経済の再構築に貢献しなくてはなりません。 原発の立地で東海村にも、交付金や固定資産税収入、あるいは関連産業への恩恵はありました。しかし、それ以外の産業は育たず、むしろ既存の産業が消えていきました。工業品出荷額などは、同規模の自治体に見劣りしています。 こうした状況を、私は「原発による金と権力の暴風雨」と呼んでいます。一時は潤いますが、後になって気がつけば何もない。福島第一周辺では、何もないどころか、故郷さえ失う結末になった。 暴風雨は立地地域だけでなく、電力会社にも吹いています。会社や組織で、極端に強いグループがあると他のものが育ちませんね。その結果、会社の平衡感覚がまひし、企業文化が衰えるからです。 この原子力村という利益共同体は、国家ともつながって権力を持った別世界でした。他のビジネスモデルを探したり、自然エネルギーへ注力したりするのはタブーになります。仮に取り組もうとしても排斥されるでしょう。 原発依存から自立するには大きな絵図面が必要です。再稼働などという誤った選択に熱意を燃やすのではなく、国全体の原発の退場に向け、しっかりとした工程表を描くことこそ求められています。 (聞き手・駒野剛) * むらかみたつや 43年生まれ。常陽銀行支店長を経て97年茨城県東海村村長。JCO臨界事故や東日本大震災に直面。昨年9月退任し「脱原発をめざす首長会議」世話人。2014年3月11日 朝日新聞朝刊 12版 17ページ「オピニオン-東電は株式会社でいいか」から一部を引用 村上氏は銀行出身であるだけに、経済的な視点もはっきりしていて原発が経済原則にそぐわないことを見抜いている。原発を誘致して目先の交付金などを当てにしても、そんなもので地方経済が発展するわけがないことも体験的に認識しているだけに説得力がある。やはり、今後は原発を保有する電力会社は全て破産処理して、安全な火力・水力発電を新会社に引き継いで、国民が安心して暮らせる国にしていくべきである。
2014年04月05日
サッカーの浦和レッズサポーターが応援席に「Japanese Only」という外国人排除の垂れ幕を掲げて、浦和レッズがこれを止めさせなかったため、Jリーグが浦和レッズにペナルティを科すという出来事があった。これに関連した投書が、1日の東京新聞に掲載された; 私が勤める学校には、いろんな国籍や民族の生徒が比較的多く通っている。彼らに対する差別的な事例は校内では起こったことはない。 しかし、今回、サッカーの浦和レッズサポーターが掲げた横断幕を見て、生徒は悲しい思いをしていることだろう。 Jリーグは浦和に対して一試合の「無観客試合」という厳しい処分を科した。サッカー観戦を楽しんでいる者としても、強く支持したい。サッカー界からの民族差別を許さないというメッセージは、一般社会にも大きな影響を与えるだろう。 一方、下火になったとはいえ、いわゆる「ヘイトスピーチ(憎悪表現)」なるものが、コリアンタウンとして知られる東京都の新宿・大久保一帯では続いているという。スポーツの世界で許されないものが、一般社会で許されてよいはずがない。 人種、民族、国籍、宗教、思想、性別、障害、職業、社会的地位、経済、外見などで差別はあってはならないものだ。 社会でチェアマンに当たるのは誰か。言うまでもなく内閣総理大臣であろう。安倍普三首相は、国会での通り一遍の答弁ではなく、国民に向かってあらためて差別を許さない姿を強く打ち出すべきである。その覚悟と責任を持ってもらいたい。 人としての存在に関わる問題として、ここは大いに「口先介入」をするべきではないか。そのことで、あらゆる分野や地域で差別を許さない流れがさらに大きくなり、国際社会からも評価されるのだろうと思う。2014年4月1日 東京新聞朝刊 5ページ「ミラー-差別反対、首相が先頭に」から引用 東アジアの国際関係をぎくしゃくさせたり歴史認識を巡って欧米からも疑問視されたりする安倍首相ですが、今回の出来事を機会に広く国民に対して、人種、民族、国籍、宗教、思想、性別、障害、職業、社会的地位、経済、外見などで差別はあってはならないものだということを呼びかければ、少しは世間の評価も良くなるのではないかと思います。
2014年04月04日
日本政府に成り代わって「河野談話」の意義を説明した志位委員長の「見解」を紹介した3月23日の「しんぶん赤旗」は、1面で2人の有識者のコメントを掲載しています;◆罪認めて建設的な未来を-評論家・元外務省国際情報局局長、孫崎享さん 日本軍「慰安婦」の問題は、「強制連行」があったか否かが最大の問題ではなく、政府・軍が「慰安婦」制度を持っていたこと自体が問われているのです。 日韓の問題だけではなく、第2次大戦時の日本軍の行動への認識が問われています。 「慰安婦」制度の罪は、戦後、オランダ女性を「慰安婦」にしたことが裁かれたように、連合国の戦争犯罪法廷で裁かれています。 日本は、サンフランシスコ条約で「極東国際軍事裁判所並びに他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾する」として、独立しました。いま、私たちに求められているのは、罪状は罪状として認めた上で、将来に向け建設的動きを示すことだと思います。◆日本人として大事な責務-法政大学教授、田中優子さん 志位委員長の見解は、すでに政府が公式に認定した河野談話の内容と成立経緯を非常に丁寧に再確認し、日本軍「慰安婦」を「人権侵害」として明確に位置づけており、感銘を受けました。 日本人である以上、今こそこの再確認をすべきであり、それが世界に対する責務だと思いますので、その責務を果たしたと思います。 河野談話は反政府的言説でも反司法的言説でもなく、まさに戦後の日本政府が人権を重視した民主主義国家、差別のない国家として幾度も生まれ変わる、その重要な節目でした。「旧日本軍」の行為の事実を精査し、司法の判断を受け、政府がそれを認定し、そうすることで新しい日本になる大事な過程でした。 ドイツ政府がナチを否定することで戦後ドイツに生まれ変わったように、日本政府は「旧日本軍」を否定することで戦後日本に生まれ変わったはずです。河野談話は日本を否定しているのではなく、旧日本軍のありかたを否定して日本を救った談話です。 このことを多くの日本人が認識し、国際的に「まともな」日本を創る必要があると思います。2014年3月23日 「しんぶん赤旗」日曜版 1ページ「『慰安婦』問題の真相」から引用 この記事で孫崎氏が指摘するように、慰安婦問題の要は「強制連行」があったか無かったかではなく、政府と軍が慰安婦制度をつくって運営したことです。その責任が問われているときに、安倍首相をはじめとする勢力は「強制連行」の問題にすりかえて、その証拠がないなら責任も問われる筋合いではないと言いたいわけですが、強制連行を示す文書は存在するし、しかも問題の要はそんなことではないわけで、安倍首相らの邪な歴史修正の陰謀はもはや諦めるしかないということです。 また、この記事では田中氏が重要な指摘をしています。それは「戦後の日本は旧日本軍を否定することで生まれ変わった」ということです。したがって、靖国神社に祀られている人々は戦争犠牲者として追悼されるのは当然としても、「国のために命を捧げた英霊」などと言って顕彰する態度は否定されるべきです。靖国神社自体も、将来にわたって犠牲者の追悼をしていくつもりなら、東京裁判と講和条約を否定するような主張は取り下げるべきであり、遺族でもない政治家が参拝するなどという愚行も慎むべきです。
2014年04月03日
きのうの日記に引用した「しんぶん赤旗」の志位委員長の見解発表を伝える記事のつづきは、政府保管の史料に「慰安婦を強制」した記述もあることを指摘したこと、見解発表の記者会見に集まった外国大使館員や自民党関係者からも評価する声が寄せられたことなどを、次のように紹介している;◆安倍政権は「政府答弁書」撤回を 「談話」見直し派が「強制連行を示す証拠はなかった」と主張する「根拠」として、最大限利用しているのが、第1次安倍政権が閣議決定した政府答弁書(2007年3月16日)です。答弁書は、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」としています。 しかし、これも事実と違います。次の2つの公文書は、「日本政府は間違いなく知っていたはず」(志位氏)です。1つは、日本占領下のインドネシアで、オランダ人女性を強制的に運行して「慰安婦」とした「スマラン事件」にかかわる公文書です。 この事件では、戦後、オランダ軍によるBC級戦犯裁判で、日本軍軍人7人らが有罪判決を受けました。この裁判文書を法務省が要約した、「バタビア臨時軍法会議の記録」は、「河野談話」発表とあわせて公表された文書(内闇外政審議室、1993年8月4日)にふくまれていました。その記録には、「慰安所で女性を脅して売春を強制」などの罪状がしるされています。 もう一つは、極東国際軍事裁判所(東京裁判)の裁判文書です。中国、インドネシア、ベトナムでの強制連行を示す証拠が示され、とくに中国南部、桂林では、「(日本軍は)工場を設立するという口実で・・・女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」と記述されています。 志位氏は、「歴史の事実をねじ曲げる有害きわまる役割を果たしている政府答弁書を撤回することを強く求める」と強調しました。 最後に、志位氏は、「慰安婦」制度の強制性を否定する動きが世界中から厳しく批判されてきたことを指摘したうえでこう訴えました。 「都合の悪い歴史を隠蔽(いんペい)し、改ざんすることは、最も恥ずべきことです。そのような勢力に未来はない」 「歴史の真実に正面から向き合い、誠実かつ真撃(しんし)に誤りを認め、未来への教訓とする態度をとってこそ、日本はアジアと世界から信頼され尊敬される国となることができるでしょう」◆「日本の良心を守った」海外メディア、大使館関係者も注目 日本共産党の志位和夫委員長による見解発表(14日、国会内)には、海外メディア8社のほか11カ国13人の大使館関係者も参加しました。 韓国・ソウル新聞の金民希(キム・ミニ)さんは「今回の共産党の『見解』は、『河野談話』の見直しに反対し、女性の人権をしっかり位置づけて考えている人たちがいるということを示しています。こうした動きは、日本の良心を守っていると感じました」と語りました。 「なぜ安倍首相は歴史を修正しようとするのか」と疑問を呈するのは、フランスRTL放送のジョエル・ルジャンドルさん。「今日の志位委員長の『見解』は、歴史修正主義が司法・法的にもなりたたないことを証明したと思います」 大使館関係者からも「非常によかった。あまり知らなかった詳細な情報が手に入って、有益な機会でした」「多くメディアが来ていたことに、びっくりした」「非常に興味深い内容でした」などの感想が寄せられました。◆河野談話の経緯知る自民党関係者が評価 志位和夫委員長の提言はまったくありがたい。ちゃんとこれまでの議論をつみかさねて、丁寧に議論していて、とてもよかった。いわゆる「慰安婦」問題の議論がよく整理されていたと思います。 「河野談話」というが、正確には宮沢内閣の官房長官談話です。個人の意見を表明したのではなく、政府の見解です。志位さんは今回、政府が本来やるべきことをやっています。本当は、”自民党ハト派”がこういうことをやらないと。安倍首相は「河野談話を継承する」と答弁したが、少しでも日韓関係が改善してほしい。もちろん「談話」の「検証」なんてすべきではない。2014年3月23日 「しんぶん赤旗」日曜版 7ページ「歴史の偽造は許されない」から引用 この記事が指摘するように、「河野談話」は日本政府の見解を示したものですから、この談話が攻撃された場合、本来反論するのは政府の仕事です。ところが、安倍政権には当事者であるとの認識が欠けているため、やむを得ず野党がその任務を代行せざるを得ない。このような当事者能力を欠いた政権を、国民はいつまで支持し続けるのか、真剣に考え直す時期に来ていると言える。
2014年04月02日
3月の国会審議で維新の会の議員が「河野談話」に対する疑念を口にし見直しを要求する発言をしたとき、日ごろ「河野談話」を継承していると公言している安倍政権は、この維新の会議員の発言に反論せず、かえって迎合する答弁をして世の中を呆れさせました。この事態を憂慮した日本共産党の志位委員長は、政府に成り代わって「河野談話」発表のいきさつと見直しが必要ない理由など詳細を記述した「歴史の偽造は許されない」と題する見解を発表し、関係各方面から高く評価されました。3月23日の「しんぶん赤旗」は、次のように報道しています; 日本軍「慰安婦」問題での河野洋平官房長官(当時)の「談話」(1993年8月4日)について、「日本維新の会」の議員らが国会で攻撃し、「見直せ」と主張しています。そんな動きに全面的に反論したのが、日本共産党の志位和夫委員長の見解「歴史の偽造は許されない-『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題の真実」(14日発表)です。ポイントを紹介します。 全文は15日付「赤旗」日刊紙と党ホームページに掲載されています。 まず「河野談話」とは何か-。 日本軍「慰安婦」とされた韓国などの女性たちが日本政府に謝罪と償いを求めるなか、政府は1991年12月から調査を開始。一連の調査の結論として示した政府見解が「河野談話」です。◆「談話」が認めた事実と攻撃の特徴 「河野談話」は、次の五つの事実を認定しています。 (1)「慰安所」「慰安婦」の存在-「長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在した」(「談話」以下同) (2)「慰安所」の設置、管理などへの軍の関与-「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営され」「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」 (3)「慰安婦」とされる過程が「本人たちの意思に反し」強制性があった-「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」 (4)「慰安所」における強制性=強制使役のもとに置かれた-「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」 (5)「慰安婦」多数が日本の植民地の朝鮮半島出身者で、募集、移送、管理などは「本人たちの意思に反し」、強制性があった-「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば朝鮮半島が大きな比重を占めていた」「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」 こうした事実認定のうえで「河野談話」は、「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」「従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と表明。「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」とのべたのです。 「河野談話」を攻撃する勢力は、(1)「慰安婦」強制連行の証拠はない(2)元「慰安婦」証言に裏づけはない-と主張。前述の五つの事実認定のうち第3に攻撃を絞り、全体に信びょう性がないかのように攻撃しているのです。 しかし、こうした手口そのものが一面的です。 志位氏は、女性たちがどんな形で「慰安所」に来たにせよ、「ひとたび日本軍『慰安所』に入れば性奴隷状態とされた事実は、多数の被害者の証言とともに、旧日本軍の公文書などに照らしても動かすことができない」と強調しました。「河野談話」見直し派が口を閉ざすこの事実こそ、「軍性奴隷制」として、世界から厳しく批判される日本軍「慰安婦」制度の「最大の問題」なのです。 では、「慰安婦」とされる過程には強制性はなかったのか-。志位氏はこの主張にも反論しました。◆経過を無視した「談話」攻撃 この主張の第一の問題点は「談話」にいたる経過を無視していることです。 日本政府は韓国から「強制運行の事実を認めよ」と提起され、91年から本格調査に乗り出しました。その結果、92年に、加藤紘一官房長官(当時)が政府(軍)の関与を認める談話(加藤談話)を発表。しかし、「強制連行」、つまり「本人の意思に反して慰安婦とされた」事実を立証する公文書が発見されないとして再調査しましたが、結局、見つけられませんでした。 当時の国内法や国際法でも、拉致や誘拐などは犯罪。それを指示する公文書が仮にあったとしても、敗戦で処分されたことが推測されます。 政府は、最終的判断をするため調査団を韓国に派遣。初めて元「慰安婦」16人から直接聞き取り調査をしました。その結果、政府は「慰安婦」とされた過程にも「強制性があったことは間違いない」と判断したのです。 その理由を河野氏は次のようにのべています。 「話を聞いてみると、それはもう明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信びょう性がある、信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えるということがわかってきました」(注) 見直し派は、日本政府が証言の「裏付け調査をしていない」と主張します。しかし、聞き取り調査の目的は、刑事裁判のように個々の異体的犯罪事実を特定することではありません。「意思に反して慰安婦とされた」という訴えの真実性を総合的に判断することが最大の目的でした。 当時の政府は、仮に「局部的な思い違い」などがあったとしても、16人の証言の全体と当時の資料等を「総合的に判断」すれば、「慰安婦」とされる過程で強制性があったことは否定できないIと判断しました。「公正で正当」(志位氏)な判断でした。 (注)『オーラルヒストリー アジア女性基金』に収録されたインタビュー◆日本の司法が事実を認定 見直し派による攻撃の第2の問題点は、「談話」発表後、明らかにされた無数の証拠を無視していることです。 なかでも、日本の裁判所による事実認定はきわめて重い意味があります。 各国の元「慰安婦」が日本政府を被告として謝罪と賠償を求めた裁判は10件にのぼります。それらの裁判の結論は原告の賠償請求を認めませんでした。しかし8件の裁判の判決は、女性35人(韓国10、中国24、オランダ1。26人は10代の未成年)の全員について、「慰安婦」とされた過程に「強制性」があったと認定しました。例えば-。 「日本人と朝鮮人が来て『日本の工場に働きに行けば、1年もすれば嫁入り支度もできる』と持ちかけられ、断ったものの、強制的にラングーンに連れて行かれ、慰安所に入れられ(た)」(韓国人) 「3人の中国人と3人の武装した日本軍兵士によって無理やり自宅から連れ出され・・・日本軍駐屯地に拉致・運行され…監禁された」(中国人) 被害事実を認定しただけではありません。判決は「ナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害」「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」などと厳しく断罪しています。2014年3月23日 「しんぶん赤旗」日曜版 6ページ「『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題」から引用 従軍慰安婦の問題も南京大虐殺と同様で、学問的な研究によってその実態が明らかになっており日本政府に責任があることは明白な事実で、そのことは司法によっても認められています。ところが、安倍晋三を代表とする「都合の悪い歴史はなかったことにしたい」修正主義者は、「強制連行を指示した公文書がない」だの高齢化した元慰安婦の女性の証言内容に部分的な思い違いがあると「うそを証言している」だのと本質とは関係ない部分を針小棒大に取り上げて騒いで、それで従軍慰安婦など無かったという話にもっていこうとする。一国の首相のとる態度ではありません。「河野談話」に対する意味の無い攻撃はやめるべきです。
2014年04月01日
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