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共謀罪法案の審議で政府と野党の間にまともな議論が成立しなかった原因について、法政大学教授の山口二郎氏は、25日の東京新聞コラムで次のように解説している; 最近の日本の政治では、意思疎通の道具としての日本語が崩壊してしまい、新種の言語が出現している。 アべ語‥率直に反省とか説明責任を果たすなど、本心とは真逆の意味を持つ言葉を並べ立てて、聞く者を欺くことだけに機能する。ゆえにアベ語では、誠実や正直という言葉がうそを意味する。シェークスピアのマクベス冒頭のセリフ、「フェアはファウルで、ファウルはフェア」の系譜をひく由緒正しい言語。 スガ語‥問題ない、指摘は当たらないなど、相手からの疑問や批判に対してまったく理由を示すことなく、自分が正しいと断定する語法が特徴。教育の世界にこれが広まると、数学の証明、学術的討論が崩壊する極めて毒性の強い言語。本紙、望月衣塑子記者の果敢な質問で、スガ語の勢いはやや弱まった感がある。 おとしめ語‥もっぱら相手を罵倒したり侮辱したりするためだけに存在する言語。この言葉に染まると、話者は思いやりなどの美徳を失う毒性の強い言語。部下をスパイ呼ばわりする大臣から女王様気取りの女性議員にまでまん延している。 野党は憲法53条に基づいて臨時国会の召集を要求した。仮にこれを拒絶するなら、アべ語やスガ語はその理由をどう説明するか、大いに注目したい。ゆがんだ言葉を正すことは、民主政治を守ることである。(法政大教授)2017年6月25日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-言葉の崩壊」から引用 山口先生の解説は、相変わらず皮肉が効いていて中々面白い。アべ語もスガ語も、野党やメディアのまっとうな質問をはぐらかしているうちに進化したと考えると、なかなか真実みがある。また、おとしめ語というものは、当ブログの常連さんの一部にもまん延しているように見られるので、先々が心配である。
2017年06月30日
山川出版から『儒教の歴史』を出版した中国思想史研究家の小島毅氏について、25日の東京新聞は次のように書いている; 紀元前の中国で誕生し、日本や韓国、ベトナムなど東アジアに広がった儒教の通史を一人で書き切った。「共同執筆だとどうしても文体や主張が違って読みにくいので、自分で全部を書けないかお願いしました。蛮勇ですね」と笑う。 本書は儒教の倫理・道徳の教えだけでなく、「礼楽」と呼ばれる祭祀(さいし)や儀礼の教説を丁寧に追う。現代の中国や台湾でも礼楽の宗教性は注目されず、「儒学」「儒家思想」と呼ばれることが多い。「儒教は仏教、道教と並ぶ『教(きょう)』なんだと知ってほしいと思います」 専門は中国宋代(960~1279年)の儒教。紀元前5、6世紀の孔子を祖とする儒教は、宋代に変質し、朱子学(しゅしがく)を形成する。 朱子学は「聖人学んで至るべし」と説く。従来は理想的為政者を指した「聖人」の概念を、誰もが学問を通して到達できる人格者の意味に変えた。明代(1368~1644年)には朱子学の影響を受け、読書よりも行動による学びや実践を尊ぶ陽明学(ようめいがく)が生まれる。 本書には朱子学と陽明学が明治維新に果たした役割も語られる。幕末の思想家の佐久間象山(しょうざん)や横井小楠(しょうなん)は朱子学の素養をもとに近代化を構想した。倒幕を企てた吉田松陰や西郷隆盛には行動主義的な陽明学の影響がみられるという。暴力が横行した明治維新に自身は批判的だが、「私たちが営んでいる生活の起源をたどっていくと、儒教の恩恵を被ったのは確か」と語る。 中国に関しては習近平国家主席の儒教観までを論じ、「儒教は今再び中国の国教として復活しつつある」との見方を示す。儒教が弾圧された1960~70年代の文化大革命の時代とは打って変わって、「今の中国は儒学研究に巨額の国費を投じているんですね」。 一方、「日本では儒教がまともに論じられていない」と嘆く。いま部数を伸ばすケント・ギルバート『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社+α新書)には、特に手厳しい。「中国と韓国は儒教だから駄目だと。日本とは本質的に違うという書き方をしているけど、儒教の何がいけないのか彼は全く言っていない」 確かに、日本には中国、韓国ほど儒教は深く根付かなかった。「それは中国人、韓国人と日本人に本質的な違いがあるからではなく、歴史のいきさつがあるからです。そう単純じゃないと知っていただければと思います」小島毅著「儒教の歴史」山川出版社・3780円。(小佐野慧太)2017年6月25日 東京新聞朝刊 8ページ「書く人-日本人が受けた恩恵」から引用 幕末の頃の日本人の学問は朱子学と陽明学だけだったのは歴史的な制約なので、仕方がなかったと思いますが、現代のように学問が発達した時代は、もはや儒教の時代ではないだろうと思います。ところが、中国では国が費用を出して儒学研究に取り組むとか、日本の研究者も「儒教がまともに論じられていない」のは嘆かわしいと言っていると聞けば、現代の人間にとって儒教にどのような恩恵が期待できるのか、ちょっと興味があります。
2017年06月29日

わが国の地方都市では再生可能エネルギーで電力需要をまかなえる自治体が増えていると、25日の東京新聞が報道している; 再生可能エネルギーで地域のエネルギー需要をまかなえる「エネルギー永続地帯」が増えている。千葉大などの研究グループが毎年試算しており、大都市よりも自然に恵まれた地方都市が上位を占めるのが特徴だ。地熱や水力に加え、電力の固定価格買い取り制度拡大で太陽光発電などを手掛ける地域が増えており、まだまだ伸びしろがあるという。(橋本誠) 「エネルギー永続地帯」は、千葉大大学院の倉阪秀史教授(環境政策論)が2002年から提唱。「エネルギー供給が需要を上回る地域を見える化すれば、自治体が『ずっと住み続けられるエネルギー基盤がある街』と売りにできる」と考えたという。 05年から、NPO法人「環境エネルギー政策研究所」と共同研究。全国の市区町村の太陽光、風力、地熱、小水力(発電出力一万常以下)、バイオマスなどのエネルギー供給量を推計し、民生・農林水産部門の需要に占める割合を「自給率」とみなした。 最新の15年度のデータで、自給率100%以上のエネルギー永続地帯は71市町村。風力、小水力など地域の風土に適した再生エネを手掛け、人口の少ない町村が上位を占める。 1位は大規模な地熱発電所がある大分県九重(ここのえ)町。自給率1314・67%で、需要の13倍のエネルギーを生み出している計算だ。人口は約9800人だが、山に囲まれ、12カ所の温泉地がある。町の担当者は「『地熱の町』をPRしているので、1位を取れて良かった」と喜ぶ。 集計方法がやや変わっていて単純比較はできないが、「100%永続地帯」の数は2000年代は40台だった。小水力や地熱が中心だったが、12年の固定価格買い取り制度拡大で太陽光とバイオマスの供給が急伸し、15年度は前年度より9自治体も増えた。 56位(自給率120・95%)に入った群馬県中之条町は、国有林や耕作放棄地に地元主導でメガソーラーを建設している。担当者は「小さい自治体として、できることをしてきた」と説明する。 15年度は「自給率」が10%を超える県も25に増え、初めて全都道府県の半数を超えた。.上位は(1)大分(32・2%)(2)鹿児島(24・9%)(3)秋田(22・5%)(4)宮崎(21・8%)(5)富山(20・5%)など。全国の「自給率」も11年度の3・81%から7・98%に増えたが、都市部の東京都は0・6%で47位、大阪府は1・7%で46位に低迷している。 欧州では、ドイツで「100%自然エネルギー地域」が91都市に上るなど、地方からの動きが盛んだ。環境エネルギー政策研究所の松原弘直さんは「自治体などが明確な目標や計画を持って達成している」と先進性を指摘する。 倉阪教授は今後の日本の永続地帯普及に向けて「例えばメガソーラーが地域資本で設置される例は限られているが、お金を持っているところが土地を押さえるのでは従来の火力や原子力と同じ。市町村や自治会が初期投資を集めやすくする制度が必要で、国が支援すべきだ」と話している。2017年6月25日 東京新聞朝刊 11版 26ページ「『エネルギー永続地帯』増加中」から引用 この記事は、大企業の原子力発電などをあてにしないで、自治体が住民サービスとして電気を供給するというところがポイントのようです。原発事故の後では、資本力のある企業が土地を買い占めて、強引に山を削ったり森林を伐採してソーラーパネルを設置するなどということをして、風水害を引き起こして周辺住民に迷惑を及ぼしているという週刊誌報道もあり、成り行きが注目されます。
2017年06月28日
最近の新聞を読んだ感想について、上智大学教授の三浦まり氏は25日の東京新聞に、次のように書いている; 東京新聞の素晴らしい点は差別と闘う市井の人びとの取り組みに光を当てていることだ。一年間の連載で本当はもっとそうした記事を取り上げたかったが、国会審議の酷(ひど)さを指摘しないわけにはいかず、残念だった。 障害者差別解消法の施行から一年余り。6月5日の「私説」は他者を思いやる道徳心よりも、人権を尊ぶ精神が重要だと訴えた。その通りだと思う。 ヘイトスピーチ対策法の施行からも一年。川崎ヘイトデモが姿を消すという効果も表れたが(6月3日)、むしろネット上では誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)があふれている(5月31日)。差別そのものを規制する法整備が必要だとの当事者の声が胸に迫る記事だった。 日本の難民認定は厳しいことで知られるが、有識者審査で難民認定相当とされたケースの約4割を法相が不認定として判断を覆しているという報道に驚いた(6月11日)。第2次安倍政権発足以降に覆されるケースが出てきているというから、政権の方針になる。理由を明らかにする必要があるし、外国人差別を助長しないためにも、政府の姿勢は極めて重要だ。 女性差別の典型例が女性議員へのやじだ。都議会では塩村文夏さんがやじを受け大きな関心を呼んだものの、対策が講じられないまま議会は閉じた(6月8日)。女性議員の少なさがネックとなっている。実際、女性議員5割の葉山や大磯では「物言う議会」に変化している(6月4日)。 残念ながら国会では議員の男女比を均等にしていく法案は先送りされ、性差別を解消する政治的意思が示されることはなかった(6月17日)。 性暴力は、刑法が改正され厳罰化されたものの、被害者がバッシングにあうという性被害の特殊性を変えていくのはこれからだ。準強かんを訴えた詩織さんの勇気に多くの女性が感銘を受けたと思う(6月1日)。この事件をきっかけに女性が声を上げやすい環境をつくっていく使命をメディアも負っているはずだ。 6月18日の特報面には痴漢冤罪(えんざい)に怯(おび)える男性の声と、芸能人と性的関係をもった未成年が報道後バッシングされている記事が載っていた。加害者の被害者意識を追認するような記事を読んで、被害者たちは声を上げやすくなっただろうか。女性が男性を陥れるという偏見を助長していないだろうか。 性的搾取される「女の子」を支える活動を始めた前厚労次官の村木厚子さんは、街をさまよう女の子を追い込んできたのは「無関心な大人が柔らかい心を踏みにじっているから」と指摘する(6月17日)。 傍観者であることが十分に罪であることを噛(か)みしめながら、新聞を読むだけではなく行動していきたい。(上智大学法学部教授)2017年6月25日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-闘う人々に光を」から引用 この記事で三浦先生は東京新聞の特長を「差別と闘う市井の人々に光をあてていることだ」と言っています。ここで言う差別と闘う人とは、ヘイトスピーチの被害者や女性差別の被害者を指しており、集会で公園を使用することを断られた在特会とか、大学祭で講演することを断られた百田尚樹などを指しているのではありません。在特会の場合は、彼らの公園使用を拒否する根拠となる法律があります。また、百田氏の場合はわざわざ大学に顔を出さなくても、彼の本を喜んで出版する出版社はいくらでもありそうだし、フジテレビとか桜チャンネルとか出演を喜ぶテレビ局もあるわけで、百田氏が言論表現の自由を侵害されたわけではありません。単に、一流大学として品位を汚されたくないという意味で、一度は頼んだ講演だったけどお断りしたということだと思います。
2017年06月27日
憲法違反の疑いが指摘された重要法案について、ことごとく議論を中断して強行採決する安倍内閣のやり方について、法政大学教授の山口二郎氏は18日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 共謀罪の強行採決に対しては、怒りが収まらない。今の政府、与党の政治家は、国会は多数決で法律を作る機械のようなものだと考えているようだが、それは全くの誤りである。 多数決は民主主義で物事を決める手続きであり、民主主義そのものではない。多数派の意のままに物事を決めるのが民主主義なら、国会で延々と議論をするのは時間の無駄である。議会政治の歴史の中で議事手続きが確立されたのは、議論そのものに意味があるからであり、議論を欠いた多数決は民主主義ではないという共通了解が議会人に存在したからである。 参議院で委員会採決を省略して、中間報告によって本会議の議決に持ち込んだことは、与党が国会審議の意義を否定した行為である。法案審議の中で議員がさまざまな角度から質問し、法律を所管する官庁の責任者から答弁を引き出すことは、法律成立後の実施過程に大きな影響を及ぼすのである。法案審議を途中で打ち切って採決に回すことは、与党の議員が、立法府、そして国権の最高機関の構成員であることをかなぐり捨て、法の実施を役人に丸投げすることを意味する。 例外規定を乱用し、議論を省略して物事を決めるのは、もはや専制政治である。共謀罪の強行採決に賛成した政党はさっさと大政翼賛会に名前を変えればよい。(法政大教授)2017年6月18日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-国会の自殺」から引用 多数決は民主主義そのものではないという概念は、当たり前のことなので朝日や毎日のような大新聞で説明されることはないのだが、世の中にはその「当たり前」の理解が欠落して、民主主義は多数決だと単純に思い込む輩が出てきているところが問題です。多数決は、賛成派と反対派がとことん議論を尽くした後で、それでも決まらないのなら、ということでやむを得ず採用される手段です。十分に議論を尽くせば、対立点が無くなることはなくても、多くの妥協点が見いだせるのであって、反対派の主張もある程度折り込んだ法案になる可能性があるというものです。しかし、安倍内閣のもとで強行採決された法案は、どれもみな議論を途中で打ち切って強行採決するという「暴挙」の連続ですから、私たちはこれを容認してはならないと思います。
2017年06月26日
派手なパフォーマンスで泡沫視されていた人物が大統領に当選したアメリカについて、ソウル大学教授の朴吉吉熙氏は、18日の東京新聞に寄稿して次のように述べている; 世界的課題からの撤退をうたう新孤立主義と、多国間協定の枠組みから距離を置く米国第一主義の立場を打ち出し、世界を驚愕(きょうがく)させたトランプ大統領は就任後、立場を多少緩め、過度な修正主義的発言は控えている。しかし予測不可能なトランプ大統領の姿勢に不安を覚える人は少なくない。 戦後の国際社会は、米国を中心とする自由主義的国際秩序を基盤としていた。米国は長らくの間、同盟国や友好国とともにあらゆる紛争地域へ積極的に関与し、安全な環境の整備、国境を超えた自由航行と自由貿易を通じた経済的相互依存関係の創出、そして民主主義と人権、法の支配という価値観を前面に出して平和的環境づくりに貢献してきた。このような歴史の流れに逆らうかのようなトランプ政権に世界が注目している。 トランプ大統領はまず、米国が「世界の警察」であり続けることに異議を唱えた。ただし世界的問題からの完全な撤退を意味する孤立主義路線にまい進しているわけではない。トランプ政権も「力による平和」を打ち出しているように、米国のリーダーシップそのものに揺るぎはない。 ただ、世界各地のあらゆる紛争において米国が仲裁者の役割を果たすことを当然視せず、選択的関与にとどめることによって米国の国益を優先させることを意味する。また世界的問題への関与は続けるものの、米国だけではなく同盟国や友好国、そして関係国も、その責任と費用を公平に分担するよう要求している。 このような政策傾向が、実はイラク・アフガン戦争からの撤退や国防費の削減に踏み切ったオバマ政権の流れを引き継ぐものであることを忘れてはいけない。同盟国とのパートナーシップによる世界の安定維持のための積極的介入ではなく、他国との公平な責任と費用の分担に基づく消極的介入主義とも捉えうる。 世界各国との開放的自由貿易を続けてきた米国が、保護主義に転ずるのは難しい。環太平洋連携協定(TPP)からの離脱や北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉など自由貿易に一石を投じる動きはあるものの、これらは保護主義への転換とまでは言えない。むしろ米国の産業や労働者の利益を判断基準として、米国人の失業問題改善や産業活性化を模索する動きであろう。 トランプ政権が打ち出しているのは、国境の壁を閉鎖し商品や資本の往来を禁止する保護主義ではなく、米国の利益を最優先とする貿易取引および管理可能な貿易システムの構築である。米国の立場から見て不公正な取引と判断されれば、相手国は不利益を避けるため米国への直接投資を増やすだろうし、それが米国の雇用を拡大させ、産業停滞地域の再生につながるだろうと期待している。しかし、これまで世界の自由貿易原理を第一線で守ってきた米国が国益優先主義に走れば、他国も選択的自由貿易主義や公正貿易主義の誘惑にかられよう。 就任後の選択的介入主義・公正貿易主義的志向は、大統領選挙の際打ち出していた新孤立主義や保護主義の文言と比べれば安心材料かもしれない。しかし責任大国としての役割からは一歩後退したようにも見える。国際的公共財の提供ではなく自国利益を優先する米国に対し、世界は国際秩序の先行きに複雑な視線を送っている。(ソウル大学国際大学院教授)2017年6月18日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-米国第一主義と国際秩序」から引用 ドナルド・トランプ氏は事業に成功した不動産屋ではあるが政治の素人で、特段の政治思想の持ち主ではないので、自由貿易主義とか保護主義とか、そういう考えをもって選挙演説をしたわけでもなければ、就任後、そのような思想に裏打ちされた政策を打ち出したわけでもないだろうと、私は思います。選挙中、彼は「日本は日米安保にただ乗りしている」かのような発言をして、米軍の費用を負担しないのなら日本から軍隊を引き揚げるなどという発言をしてましたが、さすがに就任してからは、その認識の誤りを修正させられたようで、そのような愚かな発言はしなくなりました。事ほど左様に、選挙中のファナティックな発言の大部分は、常識を逸脱しない範囲に修正させられて、辛うじて選挙中の発言通りに実行できているのは、パリ協定からの離脱くらいのものではないかと思います。しかし、トランプ氏に投票した白人低所得層が最も期待している失業問題の改善や産業活性化という課題は、酔っ払いオヤジの居酒屋談義程度の認識で解決できる問題ではありませんから、遅かれ早かれトランプ氏が支持者を失望させる結果に終わることは避けられないだろうと思います。上の記事に見られる朴教授の表現の仕方は、中身の無いトランプ政権を持ち上げ過ぎているように感じられます。
2017年06月25日
最近の東京新聞を読んだ感想について、青山学院大客員教授の岩渕潤子氏は、18日の同紙に次のように書いている; 元TBS記者からのレイプを訴え、東京地検に不起訴とされたのは不服として検察審査会に審査を申し立て、記者会見した詩織さんについての記事が掲載された(5月30日朝刊社会面、31日同持報面「本音のコラム」、6月1日同面「準強かん訴え実名と素顔で会見 詩織さん『弱い被害者像変える』」)。 会見の2カ月ほど前、彼女が海外メディアに寄稿したジャーナリストとしての仕事を偶然目にし、深く感銘を受けて連絡を取り、真撃(しんし)な返信メールをもらった直後だったので、会見映像を見て動揺せずにいられなかった。本件に向き合い、報道した東京新聞には報道機関の衿持(きょうじ)を感じ、何よりも詩織さんの勇気に尊敬の念を持った。記事中にもあるように、ネット上では、彼女への応援の声とともに、根拠のない誹誇(ひぼう)中傷の書き込みが目立つ。検察審査会がどのような答えを出すか、透明性を担保し、最後まで追い続けてほしい。それが私を含む多くの女性たちの願いではないか。 1日特報面では「『共謀罪』国際人権規約違反の恐れ 米法学者レペタ氏に聞くイスラム教徒監視 米国で違憲判決」「裁判所の歯止め日本では機能せず 国連の指摘より深刻」と、今後の日本を懸念せざるを得ない指摘もあった。大手メディアが様子見をし、うやむやにしがちなテーマも正面から取り上げる姿勢は、頼もしく思える。 昨年7月にこの欄を担当するようになって以来、ほぼ毎回、マイノリティーヘの偏見・差別について取り上げてきた。「見張り塔から」(13日朝刊)では、山田健太専修大教授が「ヘイトスピーチ根絶に向けて実効的な救済制度を」と呼び掛けた。ネット上で誰かがヘイトの標的とされているのを日常的に目にする今日、誰もが向き合って考えるべき内容だ。記事末の「ヘイトスピーチを巡る最近のトピック」は、多岐にわたる問題の根深さを示した。 12日は、米国南部フロリダ州オーランドの性的少数者(LGBT)に人気のナイトクラブで男が銃を乱射して多数が犠牲になった事件から一年。海外メディアには追悼記事があふれていたが、日本ではこれに直接触れた記事をほとんど見なかった。悲惨な事件からゆっくりと立ち上がりつつある米のLGBTコミュニティーについて、トランプ政権下の逆風があればこそ、今後の彼らの闘いとともに伝えてほしい。 新聞は速報ではインターネットにかなわない。だが、だからこそ新聞をじっくり読むことは大事だ。少数者の勇気に向き合えるからだ。いつも学生たちに言っているが、変えようと本気で思えば社会は変えられる。その思いを胸に、これからも新聞と向き合っていきたい。(青山学院大客員教授)2017年6月18日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-少数者の勇気に向き合う」から引用 元TBS記者で安倍首相の親友である人物の強かん事件については、検察審査会がどのような答えを出すかという点に人々の関心が集まりますが、私は、この検察審査会のメンバーがどのように選出されるのか、被害者が申し立てをした日と相前後して安倍首相が法務省のどの部局の人物と会食を共にしたのか、という点と、執行直前までいった逮捕状が何故止められたのか、まともな指示命令系統からでた指示だったのかどうか、といった点を調査し報道してほしいと思います。
2017年06月24日
共謀罪法案の委員会審議を途中で打ち切って、いきなり本会議で強行採決した安倍内閣のやり方を、作家の高村薫氏が17日の東京新聞で厳しく糾弾している; 「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法の成立を受け、「世界平和アピール7人委員会」のメンバーで直木賞作家の高村薫さんに、この国の政治について聞いた。 国会は死んだのかもしれない。「共謀罪」法を成立させた国会を見てつくづく感じました。 安倍内閣に支持率50%を与えている私たちの責任でもあります。代わる人のいないことが高支持率の要因の一つですが、そうだとしても常識的な判断力が働いていれば、「ノー」と言うべき状況です。いまの政治状況は、明らかに越えてはいけない一線を越えているのですから。有権者の多くが、まだこの政治にげたを預けているのは、戦後72年の繁栄と安定に寄り掛かっている慢心でしょう。 ▽政府のうそ 国際組織犯罪防止条約の批准には「共謀罪」法が必要、という政府の入り口の説明からしてうそ。テロ対策というのもうそ。政府が国民に対してうそをついた時点でアウトでしょう。「共謀罪」を刑法として詳細に検討するのは、一般国民にはハードルが高いので、国会では一般人も共謀罪の対象になるのか、というところに議論の焦点が絞られましたが、そこまで単純化しても政府はまともに答えませんでした。国民も、スマホでニュースをザッピングしているだけでは、「共謀罪」が社会を根底から変えてしまう危険を正しく理解できません。だから東京五輪に必要だとのうその説明を信じてしまう。 国民を欺いてまで成立させた共謀罪法の意義について、政府、与党は初めから国民に説明する言葉も持ってはいません。反体制的な異論や労働運動を封じ込める、警察の介入をしやすくする、それに資する法律があったらいいね、ということでやっただけ。安倍政権の発想の母体となっている保守系団体「日本会議」の空気、もしくは情緒が、必要性さえ明らかにしないまま、既遂処罰という刑法の大原則を変えてしまったのです。 共謀罪法審議や安倍晋三首相の答弁に象徴されるように、政治家にはいまや国会が言論の府であるという意識はないし、国民もそれに慣らされてしまっています。現代では、物事を正しく語るにはときに複雑な論理にならざるを得ません。政治の言葉を国民に届けるにはたいへんな労力が必要ですが、いまの政治家はそこをすっ飛ばす、平気でうそを言う、ねじ曲げる。安倍首相も絶対に真正面から向き合わない。 この流れは、不可逆的でしょう。かつての日本もこれに似た大政翼賛の政治が続き、最終的に300万人が死んでやっと止まりました。政治のうそや欺瞞(ぎまん)が有権者に伝わっていない以上、政権と戦う姿が国民の目にはっきり見えるようなメディアが必要ではないか。 ▽欠ける理性 安倍首相の憲法改変発言は悲願と言われる割に軽い。彼には国民に向けて持論を展開するだけの論理はありません。あるのは底の浅い情緒だけです。それを国会も有権者も認めてしまっているのは、日本の社会が情緒で動いている証左です。安倍さんが思いのたけを話したら、恐らく論破されてしまうでしょう。 一人の為政者の情緒で憲法をいじられてはたまりません。私たちは長年、現に存在する自衛隊と9条に折り合いを付けてきました。あえて現状に合わせようと一筆書き込めば、必然的に集団的自衛権に一層近づく余地を与えることになり、デメリットの方が大きい。ある意味”なあなあ”でいることが国民の知恵、理性。私たちの社会に欠けているのはそういう理性ではないでしょうか。 今回の森友、加計学園問題は、政治の私物化としか言いようがありません。それができてしまうのが不思議です。 政治家が育っていない寒々とした荒野です。与野党間わず、人間の幸福とは何かを問う「本職・政治家」が消えてしまった。国連平和維持活動(PKO)で自衛隊を派遣した南スーダンの現地情勢について、「戦闘」を「衝突」と言い換えて、自衛隊員の命を危険にさらすような政治家に、この国のかじ取りをする資格があるでしょうか。 私たちはいま、国連の関係者が懸念を表明するような切羽詰まった社会状況にあるのです。政治がしていることを、強く疑ってみるときです。軌道修正は、私たち有権者にしかできません。(聞き手は共同通信編集委員 橋詰邦弘) × × たかむら・かおる 1953年、大阪市生まれ。93年「マークスの山」で直木賞。主な著書に「レディ・ジョーカー」「新リア王」「土の記」など。2017年6月17日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「言葉なき政治の危うさ-作家・高村薫さんに聞く」から引用 政治のうそや欺瞞が有権者に伝わらないというのは、大きな問題です。記者クラブなどというものに依存して、権力の都合の良い情報だけを報道してこと足れりとするやり方には限界があるわけで、これからは記者クラブなどを当てにしないで、政権と闘う姿勢が国民の目にはっきり見えるような新しいタイプのメディアを育成していきたいものです。
2017年06月23日
去年の米国大統領選挙や英国のEU離脱を決める選挙に対し、今年のフランス大統領選挙では常識を裏切らない結果になったことについて、東京大学教授の宇野重規氏は、11日の東京新聞に次のように書いている; 2016年、欧州連合(EU)離脱を決めた英国の国民投票と、トランプ氏が勝利した米大統領選は、世界に大きな衝撃を与えた。17年もまた選挙の年である。ここまでオランダの総選挙やフランスの大統領選、韓国の大統領選、そして8日には英国総選挙が行われた。さらにフランス国民議会選挙が続く。今後はドイツの連邦議会選挙も控えている。欧州を中心に、昨年の大変動をどう受け止めるかが問われている年だ。 英国総選挙は、事前にはメイ首相率いる保守党の圧勝が予測されていたが、結果は過半数を取れなかった。労働党がコービン党首の下、息を吹き返した。プレグジツトの行方は予測しがたい。 興味深いのは、保守党と労働党という英国の二大政党がなんとか持ちこたえているように見えることだ。ここ数年、英国独立党やスコットランド民族党の台頭もあり、2大政党の時代は終わりを迎えたと論じる向きもあった。にもかかわらず英国の国運を決める決定的な時期に、2大政党の求心力が増していることは重要である。 これに対し、フランス国民議会選挙では、大統領選に勝利したマクロン氏の新党が優勢な情勢である。既成政党を離脱し「右でもなく左でもない」とあえて標榜(ひょうぽう)するマクロン大統領であるが、意外なことに多くの新人を擁立した彼の政党「共和国前進」が支持を集めている。逆に、前大統領・オランド氏の与党だった社会党は厳しい状況に追い込まれている。 一見すると、既成政党が復活しつつある英国と、新党が躍進するフランスは対極のように見える。しかしながら、フランスの場合、ルペン氏を擁する極右の国民戦線の躍進がある以上、マクロン新党の優勢は、これに対する中道勢力の復調とも言える。実際、新党には二大政党である社会党や共和党からの参加者も多く、ある意味で、これまでの左右の分極化に歯止めをかけたと評価できる。 ドイツでも、メルケル首相の与党キリスト教民主同盟(CDU)とキリスト教社会同盟(CSU)が、社会民主党(SPD)と競い合う二大政党中心の選挙戦となっている。反移民を訴える「ドイツのための選択肢」(AfD)は伸び悩み、極右が政権を奪取するという予測は今のところ少ない。 このことの背景にはやはり、トランプ米大統領の出現があるだろう。EUを巡る混乱と移民問題は、欧州各国に巨大な不満を生み出している。にもかかわらず、トランプ大統領への懸念は、欧州各国に「踏みとどまらないといけない」という覚悟をもたらしているのではないか。内政上の不満を対外的危機感が抑え込んでいる状況と言える。 現代世界において、各国のナショナリズムを抑制する理念や仕組みは、弱体化するばかりである。とはいえ、「~ファースト」に見られる自国中心主義が横行するばかりでは、世界は不安定化を免れない。なんとか国際的な協調の枠組みを維持しつつ、各国で持続可能な民主主義のモデルを模索するしかあるまい。その意味で17年の一連の選挙は、欧州の「踏みとどまり」の実験にほかならない。 さて、日本はどうか。論争の中身を見ると、いささか水準の低さにむなしさを感じる。世界の曲がり角で、日本は相変わらず内向きの夢を見続けるのだろうか。(東大教授)2017年6月11日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-『踏みとどまり』の実験」から引用 米国の白人低所得層が疎外感を強めて、その結果としてトランプ氏を大統領に選んだというのは事実ではあるが、しかし、これは彼を選出した人々にとって「正解」ではなかったのであって、トランプ氏が大統領になっても彼らの問題が解決するわけではない。人種の如何に関わらず、労働者の低所得という問題は、政治家のスローガンや政策で解決されるような簡単な問題ではなく、資本主義経済という仕組みが必然的にもたらす結果なのであるから、これを解決するための「正解」は、経済体制を資本主義から社会主義へ変革する、ということになります。しかし、人類にとって不幸なことは、最初の試みであったロシア革命が残念な結果に終わったために、世界中の人々が社会主義に対する疑念を深めていることです。現在の一時的な反動の時期を乗り越える頃には、正しい社会主義への道を人々に説明できるほどの力量を、私たちは獲得していきたいものです。
2017年06月22日
東京工業大学教授の弓山達也氏は、最近の東京新聞を読んだ感想について、11日の同紙コラムに次のように書いている; この欄を担当して、本紙を一年間読んできた。これまで取材を受けたり、寄稿したりしたことはあったが、毎日、読んでみると本紙の特徴というか、魅力に気づかされた。当初、紙名の通り、東京中心の報道かと思ったが、沖縄や被災地のことに紙面がかなり割かれ、かつ研究者としても学ぶところが多かった。また生活者の視点も頼もしく思う。東京都北区・豊島区で40年以上過ごした筆者は、今、本紙をとても身近に感じている。 市民の草の根国際交流も本紙が力を入れて報道しているところだろう。5月15日夕刊に「父さん会いたい」と、日本人男性とフィリピン人女性との間に生まれ、理由があって父親と離れてフィリピンで暮らす子どもたちのことが報じられている。数万人いるという、こうした子どもたちを支援する国内の市民団体が子どもたちの演劇を通じて心の葛藤を伝える。6月5日夕刊には続報があり、来日した子どもの一人が日本人父親と再会することができたという。 むき出しの排外主義や素朴な自国中心主義が横行する中、かかる草の根の国際交流・支援活動に敬意を表したい。ただ報道としては、なぜ子どもたちが父親に会いたいのか、日本とフィリピンの家族観や価値観の違いにまでさかのぼらないと、単に養育費を取りに来たと誤解されるかもしれない。筆者はマニラ郊外の支援団体施設でお母さん方のお話をうかがったことがあるが、大変な苦労をしたにもかかわらず、日本人パートナーへの批判が驚くほど少なく、経済的な問題とともに、家族の精神的な絆を大切にしたいという気持ちが印象的であった。 発展途上国の生産物などを買いたたかずに取引するフェアトレードで南アジアの貧困問題解決に向けて活動するNGOを取り上げた「途上国との共生目指し 適正価格で自立支援」(5月14日)、スーダンで医療活動に取り組む医師を紹介する「継続支援 必要性語る」(5月29日)、16世紀の豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に連行された「朝鮮被虜人 苦難と足跡たどる」(5月30日)企画展を行うNPO、アフガ二スタンで現地団体と用水路建設を行うNGOの目指す「人道支援こそテロ根絶」(6月8日)。いずれも政府や企業が行う支援に比べればささやかかもしれない。しかし貧困・紛争などの解決や相互理解に市民が一歩一歩近づくことができる筋道を示している。 巨大化・複雑化した社会を前に、現実を知れば知るほど、私たちは自らの無力さを思い知ることとなる。しかし同じ市民が市民ならではの活動で社会に働きかけている。本紙のこうした記事こそが私たちに勇気を与えてくれると感謝し、一年間の執筆を終えたい。(東工大教授)2017年6月11日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-草の根国際交流に敬意」から引用 弓山氏が言うように、草の根の国際交流は大切にしていきたいものです。クラウゼビッツの説によれば、戦争が起きる要因の一つに「相手国に対する敵意」が挙げられているくらいですから、草の根の交流を広く推し進めていけば、政府や一部のご用新聞が相手国敵視をいくら煽っても、私たちは日頃交流している人々を思い浮かべて「いや、彼らがそんなハズはない」と冷静に立ち止まって考え直すことができると思います。
2017年06月21日

16世紀末に朝鮮に出兵した豊臣秀吉の軍勢が、引き上げる時に連行した朝鮮人に関する資料展示が都内の博物館で開かれていることについて、5月30日の東京新聞は次のように報道している; 豊臣秀吉が16世紀末に朝鮮を侵略した文禄慶長(ぷんろくけいちょう)の役(えき)で捕まり、日本に連行された朝鮮被虜人(ひりょにん)たちの実像に迫る企画展が、東京都新宿区大久保の認定NPO法人高麗(こうらい)博物館で開かれている。「連行した陶工を保護育成したといわれるが、被虜人の大半は奴隷同然の生活を強いられ、まさに戦争難民だった」と考察した。 館の有志7人がこの4年聞、九州や韓国などで調査した成果。写真や図表も交えたパネル32枚を展示した。7年に及ぶ侵略で被虜人は推定7万人いたという。西国の大名らは陶工を連れ帰り、各地で窯業が発達した。「藩による窯業保護の確立は役後20年近くたってからがほとんど。その間、被虜人たちは難民として苦労しながら辛うじて陶工の生活を成り立たせていった」と指摘した。 女性や子どももいて、人身売買された。一方で加賀藩で町奉行に就いた金如鉄(キムヨチョル)のような例も。定住先で望郷の思いを託した朝鮮歌舞は九州に残る神事や芸能に影響を与えたという。被虜人の学者が「○有飛○返寓公」(もし飛○有(ひこうあ)らば寓公(ぐうこう)を返せ=飛ぶ船があるならば私を帰してくれ、の意)と慨嘆した詩も紹介した。(※引用者注:記事の一部に表示できない文字があったので○印にしましたが、正しい文字を画像ファイルで示します。) 展示メンバーの李素玲(イソリョン)さん(80)と遠藤悦子さん(76)は「今でも朝鮮半島で負の記憶として残る苦しみや史実を理解することが、隣国間の友好関係につながれば」と話した。展示は8月27日までで、月、火曜休み。入館料400円。問い合わせは同館=電03(5272)3510。(辻渕智之)2017年5月30日 東京新聞朝刊 21ページ「朝鮮被虜人 苦難と足跡たどる」から引用 私は社員旅行で有田焼の窯元を訪ねたときに、ここの窯業技術は秀吉の朝鮮出兵の際に連行された朝鮮人によって伝えられたものだという説明を聞いて、秀吉の時代にそういうことがあったことは知りましたが、朝鮮侵略が7年間も続いたとか、その間に強制連行した朝鮮人は7万人と推定されるとか、その中には出世して町奉行にまでなった人物もいるとか、まあびっくりする事実ばかりです。秀吉も、朝鮮出兵の費用を、そんなことに使わずに、豊臣家が末永く存続するような政策に使っていれば、徳川に天下を奪われるようなことにはならなかっただろうに、と思います。
2017年06月20日
雑誌編集者の篠田博之氏は、最近の週刊誌を読んだ感想を11日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 共謀罪法案を強行採決しようとしていることや、加計(かけ)学園問題をめぐる木で鼻をくくった対応など、あまりに国民をバカにした安倍政権の対応に、さすがに反発が高まっている。暴走の背景に内閣支持率が高いことへのおごりがあるのは明らかだが、その支持率にも少し変化が表れている。 驚いたのが『週刊文春』6月15日号の読者アンケート結果だ。同誌のメルマガ読者へのアンケートで、回答数は1500余。結果は前川前次官の証人喚問に賛成86%、反対14%、安倍内閣について支持が22%、支持しないが78%。安倍内閣支持率が急落しているのだ。 驚いたというのは、同誌の読者がそんなにリベラルになっているのかということだ。もともと女性読者が多いことで知られていたが、この間、部数上昇に伴って、誌面が急速にリベラルになっている。アンケート結果を紹介したその号の目玉は「驕(おご)るな!安倍首相」という特集だ。 週刊誌は庶民の気分を反映している面があるのだが、最近の各誌の安倍政権批判は強烈だ。「”前川砲”潰(つぶ)す安倍政権の卑劣」と見出しを打った『週刊朝日』は当然のこととして、保守派の『週刊新潮』でさえ、6月8日号の特集は「『安倍官邸』一強で日本が失ったもの」。『週刊女性』など女性誌も共謀罪批判を展開している。 読み応えあったのが『週刊プレイボーイ』6月19日号だ。「政権『忖度(そんたく)メディア』の現場記者に今、何が起きてるのか!?」と題して、NHKが前川インタビューを収録しながら放送しなかったことや、読売新聞が前川氏の出会い系バー通いを報じた経緯を、それぞれの記者の証言を紹介しつつ批判しているのだ。 話題転換。最近芸能界で大騒動となったのが『フライデー』6月23日号「小出恵介『17歳女子高生と飲酒&SEX』」だ。人気俳優と17歳女性とのホテルでの一部始終を、当の女性の告白によって暴いたのだが、その結果、小出氏出演のドラマやCMが一斉に放送中止となった。記事を読むと、メディアに露出していることに伴う社会的責任への自覚が、小出氏に薄いことに驚かざるをえない。最近そういう事件が目につくのはどうしたことか。(月刊『創』編集長・篠田博之)2017年6月11日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「週刊誌を読む-暴走の政権に強まる反発」から引用 日頃はリベラルを皮肉ったり揶揄したりの週刊文春が、最近は部数を伸ばすにつれてリベラルな論調になっているというのは面白い現象です。政権があのような具合では、リベラルにならざるを得ないということで、週刊文春は報道機関としてまともな反応をしていると言えるのかも知れません。産経新聞や読売新聞は、「報道機関としての使命」の自覚を取り戻すときがあるのやら無いのやら、気になるところです。
2017年06月19日
安倍内閣の国会対応について、法政大学教授の山口二郎氏は11日の東京新聞コラムに、次のように書いている; この一週間の国会審議を見て、日本の議会政治の崩壊は最終段階に入ったと痛感した。1960年安保の時、中国文学者、竹内好は民主か独裁かという戦いだと喝破した。岸信介の孫が議会政治を壊そうとしている今、私は文明か野蛮かの戦いだと訴えたい。 衆参両院の決算委員会における安倍首相の答弁は何なのだ。聞かれたことには答えずに無駄話で時間をつぶし、自分はヤジを飛ばしながら、野党にはヤジを飛ばすなと言う。質問が終わるとつまらない質問だったと聞こえよがしに喚(わめ)く。小学校の学級会でも、子供はもっとまじめに話し合いに取り組む。首相は政治家以前の、人間としての基本的な礼儀作法ができていないと非難するしかない。道徳教育が大好きな首相に問いたい。あなたは家で一体どんなしつけを受けてきたのだと。 野蛮人の支配する王国では、公私の区別がなく、国の財産は権力者の私物であり、権力はえこひいきのために行使するのが当たり前で、役人は権力者に隷属する使用人であった。これはまさに安倍政権が支配する日本の現状である。あったことをなかったことにするのが野蛮国である。 ようやく権力者の下僕ではなく、法に従う文明人でありたいという公務員の声が政府内部で上がっている。われわれも文明人でありたいなら、黙っていてはならないのである。(法政大教授)2017年6月11日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-文明か野蛮か」から引用 安倍内閣の政治の本質は独裁政治です。こう言うと「いや、実際に選挙は民主的に行われていて、野党も存在し自由に発言しているから、独裁ではない」という反論がありますが、こういう反論は正に、安倍首相の答弁と同じで、本質をはぐらかしています。野党が存在できて、自由に質問できれば、それで民主主義が完結したということにはなりません。自由に質問できるのは当たり前のことであって、その質問に誠意をもって応えるかどうか、そこが民主主義か独裁かの分岐点です。そして、裏で民主主義のルールに反する政治の「私物化」をやっていれば、これは野党の質問に対し、誠意を持って答えることができなくなるのも当たり前のことです。政権のあり方がこれでいいのかどうか、国民はよく考えるべきです。
2017年06月18日
一橋大学の大学祭実行委員会が、作家の百田尚樹に講演を依頼しておきながら数日後にキャンセルした事件について、4日の東京新聞は次のように報道している; 一橋大学(東京都国立市)の学園祭で10日に予定されていた作家の百田尚樹氏(61)の講演会が急きょ中止された。2日、学生らでつくる実行委員会が発表した。百田氏の過去の差別的言動を問題視した学生や教員らが反対運動を起こしていた。(佐藤大) 百田氏の講演会の演題は「現代社会におけるマスコミのあり方」。実行委員会が百田氏に依頼し、大学の学生委員会(委員長・沼上幹副学長)が許可した。 実行委が今年1月に百田氏の講演会開催を告知したところ、一橋大の学生らでつくる反レイシズム情報センター(ARIC)が「百田氏を学園祭に招くことば、差別・テロ扇動に大学がお墨付きを与えることになる」などと主張。差別的言動を禁じる具体的なガイドラインを作成するか、そうした防止措置を講じない場合は講演会の中止を要求し、4月25日に1万人以上の署名を提出した。 確かに百田氏の差別的な発言は物議を醸してきた。昨年11月には、女性を乱暴した疑いで逮捕された千葉大医学部の男3人について「在日外国人たちではないか」とツイッタ一に投稿。4月の米朝危機の際には「もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰(つぶ)していく」と宣言した。 ARICの要求に対し実行委は、百田氏の講演会について「特定の思想を語らせることを意図していない」と強調。警備体制を強化した上で、予定通り開催する方針を示していた。 しかし、院生らでつくる「一橋生有志の会」や中国人留学生団体も集会を開くなどして講演会の中止を要求。ついには教員約60人も5月30日、大学当局に「しかるべき対応」を求める要望書を提出した。 すると、実行委は2日夜、ツイツターやホームページで突然、中止を発表した。「厳重な警備体制を用意したが、あまりにも大きくなりすぎた結果、いくつもの企画が犠牲になった」などを理由に挙げた。 中止発表後、「こちら特報部」は実行委と大学当局にコメントを依頼したが、回答はなかった。◆百田氏「言論弾圧」 百田氏は3日、電話取材に「中止は非常に残念。これは言論弾圧だ。発言を圧力でもって封じてしまう、これは非常に危険なことやと思う。講演会ではメディアについて語るつもりで、差別とか全然関係ない話だった」と語った。 「一橋生有志の会」呼び掛け人の青木耕平さんは「脅迫や侮蔑は言論の自由とは到底言えない。理由はともかく、中止を決めたことは英断だが、大学がゴーサインを出したという事実は残る。大学の対応に一番の問題があり、説明してほしい」と不満を漏らす。 要望書を提出した教員の1人で、商学部の河野真太郎准教授(英文学)も、講演会開催を許可した大学当局の対応について「恒常的に差別と暴力の扇動を行ってきた人物を呼ぶことの社会的意味を十分に判断できていなかったのでは」と疑問を呈した上で、「民族差別も含むあらゆる差別を許さない大学であることを宣言し、そのような文化を作り出す具体的な方策を実施すべきだ」と促した。 一方、百田氏は講演会中止を受けて「言論弾圧」と反発しているが、ヘイトスピーチ問題に詳しいジャーナリストの安田浩一氏は、百田氏が2015年6月、自民党若手議員の勉強会で「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」と発言したことに言及。「言論弾圧とは本来、国家権力によって表現の自由が取り締まられることを言うべきで、百田氏はまさにそれに加担してきた人物。そのような人たちが言論弾圧だと主張するのはチャンチャラおかしい」と皮肉った。2017年6月4日 東京新聞朝刊 11版 26ページ「百田氏講演会急きょ中止」から引用 百田尚樹に講演を依頼した実行委員会の発想が疑問であり、それを許可した大学当局もどうかしている。百田が話す予定だったテーマは「現代社会におけるマスコミのあり方」だったそうであるが、そんなテーマでは「沖縄のあの2紙はつぶすべき」とか、どうせロクな話にはならないはずで、中止にしたのは正解であった。これについて、百田氏は「言論弾圧だ」と言ってるそうであるが、大学も実行委員会も百田氏の言論を禁止したわけではなく、講演を「遠慮していただいた」だけであり、そもそも大学に小説家の言論を禁止する権限はないのだから、「言論弾圧」は当たらない。
2017年06月17日
最近の新聞を読んだ感想について、ITジャーナリストの井上トシユキ氏は4日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 本欄を担当することになり、新聞を今まで以上にじっくり読むようになって1年がたつ。新聞の存在意義の一つは、その記録性にあると思う。紙面を開けば日々の出来事が網羅的に記されていて、時代のはやり廃りや価値観までもが透けて見える。やがてネットのアーカイブや縮刷版となり、歴史の証人となっていく。記録は、間違いを繰り返さず、良いことや手本を後代に引き継いでいくためにも、不可欠なものだ。 しかるに、自衛隊南スーダン派遣や森友学園の問題では、大臣や官僚が、記録は残っていないと強弁してきた。識者や専門家が「公文書管理法違反」とするのも当然で、民主主義の根幹軽視と指弾されてしかるべきだ(「公文書は誰のもの?」5月20日朝刊4面、「『財務省は公文書法違反』」23日朝刊3面)。 直近でも、もんじゅの廃炉にあたって後継炉の検討を行った議事録が、9年間も作成されていなかった。みんなの税金をみんなのために使うのだから、やましいところがなければ記録して公開するのは当たり前のことだ。「やはり、後ろめたいのではないか」と問いただされて、羞恥や反省を感じない人物が、国民のために働けるとは、とても思えない。 「公務なら行き先問わず」(29日朝刊1面)は、情報公開請求によって明らかになった都議の公用車の運転日誌から分かった不都合な事実だ。記録を残しても曖昧な説明しかしないのだから、記録なしでは何をされるか分かったものではない。 23日、組織犯罪処罰法改正案が衆院を通過した。東京新聞ば翌24日の朝刊では1、2、3、7、24、25、27面を使い、さまざまな角度から、「共謀罪」の危険性を丁寧に報じてくれた。公の安全とプライバシーの両立は、簡単な話ではないが、一連の衛星利用測位システム(GPS)捜査を巡る裁判で、司法は「プライバシーが先にありきである」と判断しているように思う。 組織的犯罪集団と一般人との線引きも不透明な法律を、成立後の運用で是正していくことなど不可能に思える。せめて出直して、一から議論を再開すべきだ。 21日「読む人」欄で、大澤真幸氏は「無意識の右傾化とでも見なすべきことが進捗(しんちょく)している」と書く。「自分が特に『右』であるという自覚」がない人たちが、市民相互を含む監視社会に生き、何となく右を目指して歩む。 どこかで読んだユートピア(理想郷)の正反対の社会である「ディストピア」そのものだ。この国はどこへ向かっているのか。そして、向かおうとしているのか。ますます記録の役割に重みが増す。一年間のご愛読に感謝します。(ITジャーナリスト)2017年6月4日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「新聞を読んで-重みを増す『記録』」から引用 この記事では公文書について、やましいところが無いなら記録をとって必要なときに公開するのは当たり前のことと筆者は書いてますが、これはあくまでも一般論であって、安倍政権に関してはこのような一般論は無用です。安倍政権の場合は、始めに「民主政治の否定」と「政治の私物化」があり、その証拠となる公文書またはそれに準ずる官僚のメールやメモなどは、存在しても「無い」と言い張る、こういう政権であるという認識が、今回の内閣府から文科省へのメールの存在確認で、国民に共有されたのではないかと思います。
2017年06月16日
仕事ではない時間帯に個人的な食事の場でうっかり政権批判を口にしたら、それが密告されて総領事がクビになったという事件に関連して、法政大学教授の山口二郎氏は、4日の東京新聞コラムに次のように書いている; 数年前にべルリンに行ったとき、旧東ドイツの秘密警察の博物館を見学したことがある。今から見ればなんとも旧式なシステムだが、監視、盗聴、密告の仕組みがドイツ的きちょうめんさで整備されていたことに感心したのを覚えている。 しかし、昔の息苦しい共産主義体制は今の日本にとって人ごとではなくなりつつある。前文部科学省事務次官の勤務時間外の私的行動が監視され、新聞にリークされた。また、釜山総領事が私的な会合で現政権の政策を批判したために更迭されたというニュースがあった。会話が盗聴されたか、密告者がいたかのどちらかである。 職務に忠実な公務員とは、上からの指示をうのみにして行動するのではなく、自分なりに政策の当否を考えて、必要があれば上に対して疑問や異論を投げかける人物のはずだ。そうした議論の中から間違いを正していくのが、自由な体制の強みである。逆に、役所であれ企業であれ、組織の中に異論を許さない恐怖政治が敷かれれば、裸の王様が進める愚策をだれも止められず、全体として大失敗に陥る。 今の日本で共謀罪が成立したら、政府の方針に盾突く人々に対する抑圧は強まるに違いない。立法府で法案を審議し、政府を監視する役割を担うべき与党の政治家は、自分たちの党名を不自由独裁党に変える決意なのだろうか。(法政大教授)2017年6月4日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-不自由独裁党」から引用 共謀罪の法律が成立する前から、安倍内閣は主要な官僚にゲシュタポ並みの尾行をつけて行動を監視し、些細な発言でも耳に入ればすぐにクビにするという監視国家が徐々に出来上がりつつあったわけですが、本日は長年の国会のルールを無視して、委員会決議を省略していきなり本会議強行採決を行って共謀罪法が成立しました。このまま安倍政権を続ければ、やがて日本は自由と民主主義が途絶えて不自由で独裁政権に支配される国になります。そうなってしまってからでは、反対派を結集して政権交代をしようと「思った」だけで共謀罪でしょっ引かれることになります。わが国の自由と民主主義を守るには、できるだけ早く安倍内閣を打倒する必要があります。
2017年06月15日
総理府から文科省に「総理の意向だ」と圧力をかけたメールは、実際にあったと明言した前文部事務次官について、月刊誌編集長の篠田博之氏は4日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 加計(かけ)学園問題をめぐる前川喜平・前文部科学事務次官の証言が「前川砲」「前川の乱」などと呼ばれ、連日報じられている。きっかけは5月17日に朝日新聞が1面トップで報じた「総理の意向」文書だ。菅義偉官房長官は「怪文書」と非難したが、『週刊現代』6月10日号によると、警察関係幹部と接触してネタ元を探ったのだという。 そして5月22日に読売新聞に突然「前川前次官出会い系バー通い」なるスキャンダル記事が掲載される。『週刊新潮』6月1日号によると、こうした”前川つぶし”の動きの影響で、朝日新聞と同じ内容を16日夜に報じていたNHKでは、収録していた前川インタビューが放送見送りになったという。 ただ、当の前川氏は臆することなく、25日に朝日新聞と『週刊文春』6月1日号に登場。同日、記者会見も行って、官邸との対決姿勢を鮮明にした。会見では、出会い系バーに行っていた事実も認め、ドキュメンタリー番組を見て、そういう店に通っている女性の話を聞いてみたいと思った、と説明した。 しかし菅官房長官は「強い違和感を覚えた」と、この説明を一蹴。『週刊新潮』6月8日号によると、オフレコで記者団に、店に一回行っただけならともかく「繰り返し行ってるんだよ」「とんでもない輩(やから)だ」と前川氏を強く非難したという。 真相はやぶの中かと思いきや、『週刊文春』6月8日号に、前川氏と3年間で3、40回会っていたという「出会い系バー相手女性」本人が登場した。26歳のその女性は前川氏との男女の関係を否定したうえで、いろいろな相談に乗ってもらったことを告白。今回取材に応じたのは、「お父さんとテレビ見て『これは前川さん、かわいそうすぎるな』と思ってお話しすることにしました」という。 『アエラ』6月5日号によると、前川氏は文科省を辞めた後、夜間中学の先生などボランティア活動に従事、貧困問題に関心を強めているという。実態を知ろうと出会い系バーに行ったという話も荒唐無稽ではないというわけだ。 安倍政権を追いつめているかに見えるこの問題、今後どうなるのだろうか。(月刊『創』編集長・篠田博之)2017年6月4日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「週刊誌を読む-『前川砲』政権追いつめる?」から引用 週刊文春やアエラの報道で追い詰められた政府は、今まで「そんなメールや書類はない」と言い張っていたのを撤回して再調査を約束する羽目になり、野党側はついに政権を追い詰めたかに見えたものの、結局、再調査などと言っても第三者委員会を立ち上げて調査するわけでもなく、身内が集まって「どう言い訳するか」というシナリオ作りをするだけで、残された国会会期中に共謀罪法案を強行採決したら会期終了ということで逃げ切る作戦のようです。国会が閉会になった後は、どのようにこの問題を追及していくか、我々は次の作戦を考える必要があるようです。
2017年06月14日
内閣府から文科省に「(加計学園の獣医学部開設は)総理の意向だ」などというメールが送られたというのは、怪文書などではなく、実際にあったメールであることを、前文部事務次官が記者会見で明らかにして4、5日後に、読売新聞が前事務次官に不祥事があったかのように誹謗中傷する記事を掲載すると、その後読売記事を否定する週刊誌報道がなされため、真実を訴えた人物に対して政府と歩調を合わせて個人攻撃した読売新聞を批判する世論が大きくなった。これに対して、3日の同紙は社会部長・原口隆則の署名入りで、次のような釈明記事を掲載した; 学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題で記者会見した前川喜平・前文部科学次官(62)が、次官在職中に「出会い系バー」に出入りしていたことを報じた読売新聞の記事に対し、不公正な報道であるかのような批判が出ている。民進党の蓮肪代表らは、この問題について「極めてプライベートな情報」とも指摘した。しかし、こうした批判は全く当たらない。 本紙は独自の取材で、前川氏が売春や援助交際の交渉の場となっている「出会い系バー」に頻繁に出入りしていたことをつかみ、裏付け取材を行った。文科省による再就職あっせん問題で引責辞任した後の一私人の行為であれば「プライベートな情報」といえるだろう。だが、前川氏は文部科学書議官だった約2年前から次官在職中にかけて、買春を目的とするような客が集まる店に足しげく通っていたのである。我が国の教育行政のトップという公人中の公人の行為として見過ごすことが出来ないのは当然だろう。 売春の客となるのは売春防止法で禁じられた違法行為である。青少年の健全育成や教職員の監督に携わる文科省の最高幹部が、違法行為の疑いが持たれるような店に頻繁に出入りし、実際に女性に金銭を渡して店外に連れ出していたことは、一般読者の感覚に照らしても、疑念を生じさせる不適切な行為であることは明らかである。 本紙は、前川氏に何度も取材を申し込んだが取材には応じなかった。報道後、記者会見した前川氏は「私の極めて個人的な行動を、どうして報じたのか」などと語ったが、辞任後であっても、次官在職中の職務に関わる不適切な行動についての報道は、公共の関心事であり、公益目的にもかなうものだと考える。 本紙報道が、加計学園の獣医学部新設に関わる文書を巡る前川氏の「告発」と絡めて議論されているが、これは全く別の問題である。私たちは、これからも政権・行政の監視という報道機関の役割を果たしていく。2017年6月3日 読売新聞朝刊 13S版 34ページ「次官時代の不適切な行動」から引用 この記事には「前川氏が在職中に出会い系バーに出入りしていたことをつかみ、裏付け取材を行った」と書いているが、これは真っ赤なウソであって、読売が取材した先は多分、内閣府と菅官房長官だけで、前川氏が出入りした「バー」や金銭を渡したとされる女性には一切取材ができていない。それが出来たのは週刊文春なのであって、週刊文春の記事は、上の読売新聞の記事を全否定している。しかも、その週刊誌は確か、この記事が出る前に発売されているのであるから、読売新聞社会部長の原口隆則も、文春の記事を読んでいるはずである。それでもとぼけてこういう記事を書けるというのは、どこまで根性が真っ黒なのか、という話である。もし万が一、文春を読まずにこういう記事を書いたのであれば、報道に携わる人間としてあまりにも軽率であり、無責任というものである。いずれにしてもこの件では、読売新聞は天下に恥をさらしたことに間違いはない。
2017年06月13日
昨日引用した東京新聞の記事の隣ページには川崎市の状況について、次のような記事が掲載されました;◆川崎・桜本 在日コリアンが多く暮らす川崎市川崎区の桜本地区で生まれ育った三世の崔江以子(チェカンイジャ)さん(43)は、反ヘイト運動の象徴的存在だ。対策法の施行から1年、その効果を実感する。 「大きな初めの一歩になりました。これまでは家族で外出しても、『ヘイトデモに鉢合わせしたらどうしよう』とビクピクしていたけれど、今はその心配がほとんどなくなった。ヘイトスピーチがしにくい社会になってきたのはうれしい」 崔さんが、初めてヘイトスピーチに出くわしたのは2013年春のこと。JR川崎駅前を通りがかると、レイシストたちが「朝鮮人は死ね」とがなり立てていた。崔さんは、怖さのあまり慌ててバスに飛び乗った。それ以降、デモや街宣を避けようと、ネットで関連情報をチェックするのが日課になった。 ところが15年11月、レイシストたちは桜本を狙ってきた。現在は中学3年の長男(14)が「僕が差別はいけないと教えに行くよ」と言い出し、崔さんも親として付き添った。 市民らの抗議によって桜本中心部への進入は阻止したものの、崔さんは打ちのめされた。レイシストたちは、「差別はやめて」と懇願する長男をあざ笑い、崔さんにも「ゴキブリは去れ」と罵声を浴びせた。「ショックで涙が止まらなかった。長男もハルモニ(おばあさん)もみんな傷ついた。沈黙するのではなく、あらがおうと思った」。崔さんの闘いが始まった。 16年1月、「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」を立ち上げて差別根絶を訴えるとともに、3月には横浜地方法務局川崎支局に人権救済を申し立てた。実名で記者会見したからか、ヘイトスピーチ問題を審議していた参院法務委員会に参考人として呼ばれた。 「参政権もないのにビックリした。ただただ必死に『助けてください』とお願いした」。崔さんの悲痛な叫びは国会をも動かし、対策法成立に結びついた。 法施行2日後の6月5日、川崎市中原区で計画されたヘイトデモが中止に追い込まれた。市内でヘイトスピーチを繰り返してきた男性が、市から公園の使用許可を得られず、警察の道路使用許可だけでデモを強行しようとした。しかし、カウンターの市民ら数百人に包囲される中、警察が男性に中止を説得した。 崔さんは「市に何度助けを求めても『根拠法がない』と袖にされ続けてきた。対策法によって行政も確実に変わり始めた」と喜ぶ。 8月には法務省が桜本のデモを「人権侵害」と認定し、主催した男性に同様の行為をしないよう勧告。対策法の施行を踏まえて「不当な差別的言動のない社会の実現を希求する機運が高まっている」との指摘を引き出した。 そうした成果の一方、ネット上には崔さんを誹誘(ひぽう)中傷する書き込みがあふれる。法施行後は逆に増加し、一時は100万件を超えた。10月以降、横浜地方法務局がサイト運営会社に一部投稿の削除を要請し、実際に削除されたケースもあるが、崔さんは「知らない人から『死ね』と憎まれる書き込みは、たとえ一件でも深く傷つく」と悲しむ。 川崎市では、有識者らでつくる市人権施策推進協議会が、公共施設でのヘイトスピーチを防ぐためのガイドライン策定や人権条例の制定を市に提言している。 崔さんは「ひとたび傷つけられた心を元に戻すのは難しい。だから差別そのものを事前に規制する条例や法整備が必要だ。これから2歩、3歩と進めていかなければいけない」と自分に言い聞かせる。 「ヘイトデモの主催者に『加害、被害のステージから共に降りませんか』と書いた手紙を渡した。まだ返事はもらっていないが、差別さえやめてくれれば、いつでもあの人たちと共に生きる気持ちでいる。本当は法律で規制しなくても、互いの違いを尊重し合える社会になるといい」2017年5月31日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「二歩、三歩 進めなければ」から引用 この記事の冒頭で、在日三世の崔江以子氏は「ヘイトスピーチがしにくい社会になってきたのはうれしい」と発言してますが、そういう社会になってうれしいのは、我々日本人も同じです。国籍の違いを乗り越えて、私たちは共感できるのですから、差別のない明るい社会を目指して、これからも共に連携していきたいと思います。
2017年06月12日
ヘイトスピーチ対策法が施行されてから1年経って、状況はどう変わったか、今後の課題は何か、5月31日の東京新聞は次のように報道している; 在日コリアンらを排斥するヘイトスピーチ(差別扇動表現)の解消に向けた対策法は、6月3日に施行から1年を迎える。嫌韓デモの頻発で一時騒乱状態に陥った各地のコリアンタウンは平静を取り戻したかに見えるが、ヘイトスピーチはネット上や一部地域で今なお横行している。大阪・鶴橋と川崎・桜本でレイシスト(人種差別主義者)と対峠(たいじ)してきた2人の在日コリアンに現状と課題を聞いた。(佐藤圭、池田悌一)◆大阪・鶴橋 在日コリアン三世の郭辰雄(カクチヌン)さん(50)が代表理事を務めるNPO法人「コリアNGOセンター」は、大阪市生野区のコリアンタウンの一角にある。色鮮やかなチマ・チョゴリやキムチが並ぶ街は、レイシストたちの標的になってきた。 最も知られているのが2013年2月の「日韓国交断絶大行進・街宣」だ。約200人が鶴橋駅周辺を練り歩き、拡声器で「殺せ殺せ朝鮮人」などと連呼。JR大阪環状線の高架下でマイクを握った女子中学生は「南京大虐殺じゃなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ」と発言した。この様子が動画サイトにアップされ、国内外に大きな衝撃を与えた。 「あの時は恥ずかしながら事前に情報をつかんでいなかった。彼らは直接コリアンを攻撃しようと狙ってきた。やりたい放題にさせてしまった」と郭さんは悔しがる。児童・生徒向けの人権研修事業などに取り組むコリアセンターにとっても、ヘイトスピーチは止めなければならなかった。 ヘイト団体は再び、3月末に鶴橋駅周辺での街宣をネット上で予告した。郭さんは、即座にカウンター(抗議行動)を呼びかけた。残念ながらヘイト街宣を許したものの、ヘイト側の参加者60~70人を上回る約200人がカウンターに駆けつけた。 ヘイト団体は5月の連休中にも街宣を予告したが、結局実施されなかった。ヘイト団体の中心人物が、街宣とは無関係な傷害などの容疑で逮捕されたからだ。 それでも、数人のレイシストが「防犯パトロール」などと称して何度も押しかけてきた。「向こうが予告するたびに、こちらも鶴橋駅周辺の道路使用許可をとって対抗した。街宣はやらせなかったが、多数の警官とカウンターで騒然とした雰囲気になる。それが地域に緊張を与えてしまう」 レイシストとの神経戦が続く中、昨年1月、大阪市で全国初のヘイトスピーチ抑止条例が成立。国外出身者への不当な差別的言動を「許されない」と定めたヘイトスピーチ対策法が同5月24日に成立、同6月3日に施行された。 「『ヘイトスピーチは許されない』という法的なコンセンサスができた以上、止める方法論を考えなければ」。コリアセンターは昨年末、大阪府内の男性がへイトデモを予告したのを受けて、事務所周辺での活動差し止めを大阪地裁に申し立てた。一週間後、地裁はデモ禁止の仮処分を決定した。今年3月には、男性がデモを実施した場合、1日当たり60万円の支払いを命じる決定も出た。 ようやくレイシストも鶴橋に近づかないようになったが、郭さんは満足していない。罰則や禁止規定のない理念法である対策法には限界を感じる。「地裁の決定は、ヘイト自体を禁止するものではなく、センターにどれほどの損害があるかという理屈立てだ。対策法の改正によって、『許されない』というレベルから、主体的に禁止するところまで踏み込んでほしい」2017年5月31日 東京新聞朝刊 11版 24ページ「罰則なく 理念法に限界」から引用 ヘイトスピーチ対策法ができたことによって、警察や裁判所が積極的に弱者救済の姿勢をとるようになったことは大きな進歩と思います。ヘイトスピーチは、自由の権利が保障されるべき言論とは別の、犯罪であるというコンセンサスが、社会に広く行きわたるように、ネット上でのヘイトスピーチも厳しく取り締まる方向で、法律を整備していくべきと思います。
2017年06月11日
先月、G7でイタリアに出かけた安倍首相は国連事務総長と会談し、その内容が外務省から発表されると、その発表内容を否定するかのような発表が国連から出されたことについて、5月31日の東京新聞は次のように報道している; 27日にイタリアで行われた安倍首相とグテレス国連事務総長との会談。会談後、政府は共謀罪法案に懸念を示した国連特別報告者の報告や慰安婦問題の日韓合意をめぐる事務総長の発言を公表したが、この内容に国連側が異議を唱えている。国連は翌日、異例のプレスリリースを発表し、事実上、日本側の発表を否定した。(佐藤大) 会談は先進7カ国首脳会議に合わせ、現地時間の27日正午前から約10分間行われた。会談後、外務省は会談内容の要旨を同行記者に配布、外務省のホームページにも掲載した。 外務省の発表によると、日韓合意については「先方(グテレス氏)は、同合意につき賛意を示すとともに、歓迎する旨述べた」。一方、共謀罪法案について懸念を表明した国連人権理事会の特別報告者、ジョセフ・ケナタッチ氏に関しては「(事務総長は)特別報告者は、国連とは別の個人の資格で活動しており、その主張は、必ずしも国連の総意を反映するものではない旨述べた」と発表した。 ところが翌日、この内容を否定するかのようなプレスリリースが国連側から異例にも発表された。 その内容は、慰安婦問題について「事務総長は、日本と韓国の間の合意によって、解決されるべき問題であることに同意した」としつつ、「特定の合意内容については意見を述べなかった」と説明。ケナタッチ氏については「特別報告者は独立した専門家であり、国達人権理事会に直接報告すると話した」とした。 両者の大きな違いについて、外務省国連企画調整課の担当者は「日本側の理解は発表した通り。会談のプレスリリースは、それぞれの国などが一番重要だと思うところを出す」と話す。菅義偉官房長官も29日の会見で「日本側が発表した通り」と述べたが、食い違いは重要な部分の差異だけでは到底、収まらない。 国連に約30年勤務、広報官も務めた上智大の植木安弘教授(国際政治)は、日韓合意について「グテレス氏が日韓のどちらかを支持するような発言をするとは考えにくい」と首をひねる。共謀罪法案の関連についても、NPO法人「ヒューマンライツ・ナウ」事務局次長の小川隆太郎弁護士は「政府の発表は印象操作だ」と批判する。 小川弁護士は「外務省は『独立した(independent)専門家』を『別の個人の資格』と訳したのかもしれないが、明らかなミスリード。『国連の総意を反映するものではない』といった主張も、事実無根だ」と強調する。 ちなみに日本は国連人権理事会の理事国だが、昨年の選挙で「特別報告者との有意義かつ建設的な対話の実現のため、今後もしっかりと協力していく」と誓約していた。今回の会談前、政府はケナタッチ氏の共謀罪への懸念に抗議していたが、誓約との乖離(かいり)からか、仏ルモンド紙は「驚くべき反応だ。日本は他のことについては、国際法の順守をこれまで強く訴えてきていたから」と論評した。 今回の政府と国連の齟齬(そご)について、元外務官僚で外交評論家の天木直人氏は次のように警鐘を鳴らす。 「国連がうそをつく理由はなく、政府がねじまげて解釈、発表したと考えざるを得ない。日韓合意は安倍政権にとって最も重要なテーマの一つ。共謀罪法案は国内的には反発も強く、法案通過の正念場。それらを乗り切るために、都合の悪いことを都合のいいように発表しているとしか思えない。問題はこうしたことが、日本の国際的信用を著しく損なわせることだ」2017年5月31日 東京新聞朝刊 11版 24ページ「日本側 歪曲し発表?」から引用 日本の外務省が安倍首相と国連事務総長の会談内容について、国連の担当者が慌てて修正発表をしなければならないほど内容をねじ曲げて、事務総長が言ってもいないことを、さも発言したかのような表現に作り替えて発表したというのは、わが国外交史上に大きな汚点を残すものです。わが国外務省は、本来それほどできの悪い省庁ではなかったはずですから、恐らくこれも、官邸からの圧力があって仕方なく改ざんしたのではないかと思われます。この記事では、慰安婦問題に関する日韓合意は、安倍政権にとって最も重要なテーマの一つと書かれてますが、安倍首相自身がそのような認識を持っているかどうかは、極めて疑問です。今回の「合意」によって慰安婦問題が本当に「最終的に」解決されれば、安倍首相は歴史に名を残すことになるであろうに、安倍氏自身は「韓国政府と合意をして、10億円払ったら、後は知らない」という態度で、これでは解決するはずの問題も解決されず、いくら条文に「不可逆で最終的」などと書いても、肝心の問題が解決されないのであれば、これはやり直すしかないのが世の中と言うものです。その辺を読み違えている安倍政権は、どうも歴史に名を残すような「力量」は最初から無かったのではないか、と思われる今日この頃です。
2017年06月10日
安倍首相と親しい関係にあるジャーナリストの山口敬之氏について、文芸評論家の斎藤美奈子氏は、5月31日の東京新聞コラムに次のように書いている; 元TBS記者のフリージャーナリスト山口敬之氏の著書『総理』は評価に困る本である。 <安倍の菅への信頼は絶対的だ。(略)権限をフル活用して菅が取り組んでいるのが官邸主導の政策立案であり、その骨格をなすのが霞が関をコントロールするための「人事術」である>。妙に詳しいのよ、官邸に。 自身を含めた記者については<外部からの観察者という立場を超えて、図らずもメッセンジャーとなったり、政局の触媒となったりする>ことは<永田町の構成員である以上、避けられない>。 官邸とのあまりの距離の近さに驚きと危うさを感じるが、<「取材対象との距離が近い=不適切」という類の批判には私は断固反対する>と彼は主張するのである。 その山口氏が重大な疑惑に問われている。山口氏にレイプされたという女性が同氏の不起訴処分を不服として、検察審査会に審査を申し立てたのだ。29日に会見を開いた彼女は、山口氏には逮捕状まで出ていたが、「上からの指示があり逮捕できなかった」と報告された、「私の知り得ない立場からの力を感じた」と述べた。逮捕状をつぶした「上」とは誰か。付度(そんたく)が働いたのか。 慎重な取材と報道が求められる案件ではあるけれど、名前と顔を公にして告発に及んだ彼女の覚悟は相当なものだったはずだ。簡単に幕を引かないで。(文芸評論家)2017年5月31日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-ここでも付度?」から引用 取材対象との距離をどのように取るか、という問題は、それぞれのジャーナリストの考えで、いろいろあってもいいのではないかと、素人風に考えたりしますが、山口氏のような親密な関係ということになると、利益相反のような間柄にもなりかねないのですから、「取材対象との距離が近い=不適切」という考え方には、それなりの普遍性があるのではないかと思います。まして、総理大臣という最高権力者と親しい関係ともなれば、強かん事件の証拠が出そろって、裁判所から令状も取り付けたのに、それでも急に「不起訴処分」になったということになれば、世間が「ははあ、なるほどね」と第六感を働かせるのはごく自然なことと思います。この事件についても、真相が解明されることを望みます。
2017年06月09日
その時々の都合で二重基準を使い分けする安倍政権のやり方について、東京新聞政治部長・金井辰樹氏は5月31日の紙面で、次のように批判している; 「加計学園」問題が吹き荒れている。学園系列の獣医学部新設計画を巡り、内閣府から文部科学省に「総理の意向だ」と伝えたとする文書について、文科省前事務次官の前川喜平氏が会見で「確実に存在していた」と断言した。25日のことだ。政府はこれまで、文書は確認できず「怪文書」(菅義偉(すがよしひで)官房長官)のようなものだと切り捨ててきただけに、事務方トップを務めた人物の告発は衝撃だった。前川氏の「あったものをなかったことにできない」という言葉は、今年の流行語になるかもしれない。 前川氏は証人喚問の要求があれば応じるという。しかし与党側は「政治の本質に関係ない」(自民党の竹下亘国対委員長)などとして拒否している。本人が国会招致に応じると言いながら与党が難色を示す構図は「森友学園」の籠池泰典(かごいけやすのり)氏の時と同じだ。ただしこの時ほ、籠弛氏が、安倍普三首相の妻昭恵氏から百万円を受け取ったと爆弾発言をしたことで、自民党は「首相に対する侮辱だ」(竹下氏)と喚問に応じる方針に転じた。 国会対策は駆け引きがつきものではある。しかし、その時々の損得勘定で理屈をつけて対応を決める手法が続けば、ご都合主義、ダブルスタンダード(二重基準)と言わざるを得ない。 今月の政治を貫くキーワードは「二重基準」だったように思う。「共謀罪」の趣旨を含む組織犯罪処罰法改正案に対し、国連人権理事会の特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏が懸念を表明すると、政府は「特別報告者は国連の立場を反映するものではない」「断片的な情報で懸念を示すのは不適切」などと真っ向から反論した。 ところが日本政府は、同理事会の理事国に立候補する際「特別報告者と建設的な対話実現のため協力していく」という内容の誓約を国連加盟各国に配布していた。かつて、別の特別報告者の報告を歓迎したこともある。まさに「二重基準」だ。 安倍首相がぶち上げた改憲提言も、「二重基準」がちらつく。3日、改憲を訴える集会のビデオメッセージで、憲法へ自衛隊を明記するのを柱とする改憲を実現し、2020年に施行を目指す考えを表明した安倍首相。その後の国会審議では、3日の発言は自民党総裁としてのものだとして、首相の立場で答える国会での説明を避けた。安倍氏は自民党総裁であり首相である。その2つの地位を都合よく使い分けるようにみえる。 「加計学園」問題で注目を集める国家戦略特区は、地域を特定し、規制を緩和して新しい事業を誘致する制度のこと。安倍政権の成長戦略の柱として位置づけられている。長い間の慣習や省益の温床としてはびこる規制を政治の力で解き放ち、経済を発展させようという発想自体は、全否定するものではない。しかし、その決定を下すのが、「二重基準」を使い分ける政権だとすれば、恣意(しい)的な運用が行われないのか不安になるのは当然のことだ。(このコラムは毎月末に掲載しています)2017年5月31日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「日本の岐路-二重基準の使い分け」から引用 内閣府から文部科学省に「総理の意向だ」と伝えたとする文書というのは、前文科事務次官が「怪文書ではなく、本物だ」と証言し、さらに匿名ながら現職の文科省職員も「本物だ」と証言したのであるから、これはもう間違いなく内閣府から文科相に「総理の意向だ」と圧力があったことは事実であったと認めるほかはありません。後は、文科相に「総理の意向だ」と伝えた内閣府の職員は、安倍首相の意向を忖度してそのような文書を配布したのか、それとも首相自身が指示をして作成させた文書であるのか、という点について、追及をしていくべきと思います。
2017年06月08日
加計学園の獣医学部を早く認可するようにと、官邸から文科省に圧力をかけたメールは「怪文書」などではなく、本物のメールであると前文科事務次官が証言すると、菅官房長官が、前事務次官は風俗店に出入りするような人間だとデマを言いふらして個人攻撃したことについて、法政大学教授の山口二郎氏は、5月28日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 加計学園問題について、前文科事務次官の証言が飛び出したが、この発言の信憑性(しんぴょうせい)を損ねようとする政府の悪あがきは目に余る。 前次官が在職中、怪しげな風俗店に行っていたと読売新聞が報じた。それがどうした。法に触れなければ余暇に何をしようが勝手だろう。首相の提灯(ちょうちん)持ちを演じていたジャーナリストが悪質な性犯罪を実行し、逮捕状まで出ていたが警視庁幹部が握りつぶしたと週刊誌が報じた件は何の追及もなしか。権力者に近しい者の犯罪はもみ消され、権力者に逆らう者は根拠のない攻撃を受ける。 確かに日本には複数政党制や自由な報道機関がある。しかし、最大部数の新聞が政府の謀略に加担し、公共放送は政府の言い分を最優先で伝える。倣慢(ごうまん)な権力者は議会を軽蔑し、野党の質問には最初から答えない。もはや日本は、かつて中南米やアフリカに存在したような専制国家になり下がったと言ってもよい。 獣医学部新設は岩盤規制の打敵だと政府の行為を擁護する声もある。それは大きな勘違いである。大学新設は政治が決めてもよい事柄だが、どの大学が新学部を運営する能力を持つかは、行政が公平に判断する事柄である。権力者がそれをゆがめたのが加計疑惑の本質である。 権力者の我儘(わがまま)に政治家や役人がひれ伏すような国は早晩ほろびる。(法政大教授)2017年5月28日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-国がほろぶ時」から引用 前文科事務次官がライフワークの社会調査のために風俗店を訪ねて、そこで働く女性にインタビューしたことについて、菅官房長官は記者会見の場で「調査なら1回か2回行けば済むじゃないですか。何十回も行って、相手の女性にお金をあげたりしたんですよ」と、見下げたような薄笑いを浮かべておりましたが、社会学のフィールドワークの経験がある人の見解では、1回や2回のインタビューではバイアスがかかるので、問題の本質を探りあてることは困難なので、条件が許す場合は10回、20回とインタビューを繰り返すのが普通であり、また、インタビューを受ける側は働く時間を潰して応じてくれるのだから、相応の謝礼を支払うのは当然のことであって、決して変なことではないとラジオで解説しておりました。菅氏はそんな基本的なことも知らずに、何とか前文科事務次官の信用を損ねてやろうと企んだわけですが、どうも浅知恵だったようです。それにしても、そういう政府の悪巧みに全面的に協力した天下の読売新聞は、前文科事務次官に関する悪質な「誤報」の件について、どのように落とし前をつけるつもりなのか、見ものです。
2017年06月07日

森友学園や加計学園問題で揺れる国会審議について、なぜこれらの問題がいつまでも片付かないでもめ続けるのか。弁護士の渡辺輝人氏は、Yahoo newsに投稿して、この問題を追及しています。渡辺氏によると、加計学園問題について、3月13日の社民党・福島議員が質問した際の議事録が、6月になってもまだホームページに公開されておらず、これは極めて異例なことで、仕方がないので参議院インターネット中継のホームページの動画を自ら文字興しして、福島議員と安倍首相の質疑応答を分析しています。この文字起こしされた部分では、福島議員は5回質問しており、それに対する安倍首相の答弁も5回ですが、その答弁内容が、すべて質問に対する直接の回答にはなっておらず、訊かれてもいないことを長々と応えたり、質問していないのに週刊誌の記事に対する「反論」を述べたりと、貴重な国会の審議時間を安倍首相の我が儘で無駄に費やされている実態がよく分かります。当ブログの常連さんたちにも是非一読をお奨めしたいと思います。詳しくは、こちらで;https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20170605-00071757/
2017年06月06日
哲学者の内山節氏はわが国の平和憲法の理念について、5月28日の東京新聞コラムに次のように書いている; 戦争論という言葉からもっともよく連想される書物は、200年近く前に、ドイツ(プロイセン)の将校だったクラウゼビッツによって書かれた、『戦争論』だろう。それはこんな本であった。 戦争は暴力によって実行される。しかも暴力はお互いの暴力の拡大を生み、こうして戦火が拡大していく。とともに、戦争は政治の手段であることも理解しておかなければならない。対外的な政治の手段であるばかりでなく、国内をまとめる国内的な政治の手段としても機能する。また戦争が勃発する過程では3つの要素がからみ合っている。国民のなかに相手に対する敵意や憎悪が広がっていること、軍人にとっては戦争が不確実性を伴っているがゆえに、自由な作戦といったある種の自由感があること、そして政府にとっては政治の手段だということである。国民の敵意と軍人の自由感、政府にとっては政治を実現するための道具という要素がからみ合って、戦争は実行に移されていく。 クラウゼビッツは戦争が起こるメカニズムを正確に捉え、ゆえに彼の『戦争論』は今日もなお読み継がれている。 現在の私たちは、戦争が起こる危険性を、直視せざるをえない状況のなかで暮らしている。北朝鮮は、戦時体制を維持することによって政治をおこなってきた国だ。戦時下であるという危機をあおることによって、対外的にも、国内的にも政治を遂行してきた。さらには中国やロシアも、そのような北朝鮮があることを道具として使いながら、対外的な政治をおこなってきたのである。 米国もまた戦後の歴史のなかで、戦争という手段を政治の道具にしつづけた国である。戦争をとおして国際的な地位を維持しようとしたばかりでなく、政府の支持率を高める手段としてもそれは使われてきた。 戦争の危機を直視するとは、こういう世界構造のなかで私たちは暮らしているということを、理解することでもある。 だがそれは、このような構造のなかに、日本も加わっていくということではないだろう。 戦後の日本が理念として掲げたものは、政治の手段として戦争を使わないということだった。その理念を反映したのが、憲法第9条である。とともに、戦争なき世界をつくるためには、特定の国や人々に対する敵意や憎悪も捨てなければならない。クラウゼビッツが述べたように、敵意や憎悪も戦争を勃発させる要素のひとつである。だから、たとえどんなに遠回りにみえても、相手を理解し交流することを美徳とする理念を育もうとしたはずだった。 いまの私たちは、凄惨(せいさん)な朝鮮戦争とその過程での北朝鮮軍、韓国軍による虐殺の歴史をどれだけ知っているのだろうか。もちろん私も北朝鮮を擁護する気はないのだが、歴史の無理解が広がり、不安が憎悪に向かえば、私たちは現在の国際政治の世界に巻き込まれるだけである。 今日の状況下では、私たち自身が試されているのかもしれない。政治の手段として戦争という道具を用いないという理念、敵対、憎悪ではなく理解と交流によって未来を開いていこうという思想。そういうものを持ちつづけるためには、私たちはどんな知恵を働かせていけばよいのか。それを訴えつづける勇気が、いま必要とされている。(哲学者)2017年5月28日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-『戦争論』が問い掛けるもの」から引用 政治の手段としていろいろある中で、日本は「戦争」という手段は使わない。こういう表現はなかなか素直に理解ができるように思います。国際間の紛争の解決に武力は使わないということになれば、必然的に話し合いが必要となるのであって、そのための準備として日頃からの「理解」と「交流」が大切ということになります。紛争解決のために人と人が殺し合うなどという野蛮な時代と、早く決別したいものです。
2017年06月05日
共謀罪法案が衆議院を通過した日と相前後して、国連特別報告者から安倍首相宛てに書簡が送られたことについて、上智大学教授の三浦まり氏は5月28日の東京新聞に、次のように書いている; 「共謀罪」が衆議院を通過した。東京新聞はこの法案の問題点を詳細に報じてきたし、また市民の間で高まる抗議の声を丁寧に追ってきた。 何よりも大きなインパクトは5月20日の朝刊1面に大きく報じられた国連特別報告者ケナタッチ氏から首相への書簡だ。それは共謀罪の問題点を詳細に指摘していた。 同日の1面は、右側に衆院法務委員会での強行採決の様子を大きく写真入りで報じ、左側には国会前抗議集会の写真を載せていた。国会内と国会前、そして国連から、共謀罪に対して数多くの懸念が突きつけられていることを、この日の1面は可視化した。 3面には9つの論点について法務委員会でのやりとりが詳しく載り、政府答弁は懸念を払拭(ふっしょく)するものでないことを詳細に伝えていた。 ケナタッチ氏の書簡はその後も大きな衝撃を与えている。21日の3面には全文が載ったので、国際人権法の観点から何が問題なのかを読者も改めて知ることができる。法案の適用範囲が広大でかつ恣意的なため、プライバシーの権利を著しく侵害しかねないというのだ。 法務委員会で法案が強行採決されるタイミングで首相に対して書簡が送られたのは、世論を喚起する意味も込められていた。実際、書簡を大きく詳細に報じた東京新聞は国際社会の専門家からのメッセージを的確に日本社会に伝えたといえる。 書簡の影響力を心配したのか、菅官房長官は記者会見で(批判は)「全く当たらない」とコメントし、在ジュネーブの日本政府代表部はケナタッチ氏を訪れ抗議したという。このことに対して東京新聞は氏に電子メールで取材し、日本政府の反論は「中身のないただの怒り」と批判したことを、23日のこれまた1面で大きく報じた。 日本政府とケナタッチ氏の応酬はすでに海外メディアの報じるところとなっており、海外での関心が高い。氏は国連人権理事会に対して報告を行う予定だが、国内でごまかしてきた理屈はもはや国際社会では通じないであろう。 共謀罪は国際組織犯罪条約の締結には不必要であり、テロ対策には無関係・無効であることが国会審議を通じて明らかになっているが、共謀罪の必要性と人権侵害への影響をどのように日本政府は対外的に説明するのか。 それにしても日本政府が国連を随分と軽く扱っていることには驚きを禁じ得ない。ケナタッチ報告が、戦前の国際連盟脱退につながったリットン報告のようにならないためにも、市民やメディアが一層声をあげるべきだろう。ケナタッチ氏が日本政府に求めた「世界に名だたる民主主義国家として行動する時だ」というメッセージは私たちにも向けられている。(上智大学法学部教授)2017年5月28日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-国際社会から重い警告」から引用 国連人権委員会の理事国になるには、他の国々からの投票によるのだそうで、一応日本は他の国々から「人権の先進国」というふうに見られて、票が集まったわけであるが、これは安倍政権以前の歴代政権の努力によるものと考えられます。しかし、この度の日本政府とケナタッチ氏の応酬は、一部始終が海外メディアに報道されているとのことですので、次回の理事国選出に際しては、今回の騒動がどのように他の国々の「日本支持」に影響するのか、大変興味深いところです。
2017年06月04日
沖縄県の辺野古基地建設反対運動のリーダーである山城博治氏を、不当に長期拘留することは人権法上問題であるとして、国連の特別報告者が日本政府に是正を求めていたことが分かったと、5月28日の東京新聞が報道している;【ジュネーブ=共同】米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設などへの抗議活動に伴い逮捕された沖縄平和運動センターの山城博治(やましろひろじ)議長(64)=傷害罪などで公判中=に閲し、国連の特別報告者ら4人が2月末、長期拘束などには国際人権法上問題があるとして日本政府に速やかな是正を求めていたことが分かった。国連人権高等弁務官事務所が26日、4人の緊急共同アピールを公表した。 山城議長は、米軍北部訓練場のヘリコブター離着陸帯建設の抗議活動に伴って有刺鉄線を切断した器物損壊容疑で昨年10月に逮捕され、約5カ月拘束された後、3月18日に保釈された。人権団体は「アピールが圧力になった可能性がある」と指摘している。 緊急アピールは2月28日付で、国際人権法や国際人道法の専門家であるデービッド・ケイ氏(米国)ら4人の連名。山城議長の活動は人権を守る行為と考えられるとして逮捕や長期勾留、容疑に懸念を示し、日本の表現や平和的な集会の自由への「萎縮」効果も懸念されると指摘した。 また、長期の拘束などに関連して「適切な法的手続きの欠如」を指摘する声があるとし、独立した公正な裁判の前に自由を制限されない権利を保障するべきだと日本政府に訴えている。 一方、日本政府は4月10日にジュネーブの国際機関代表部を通してアピールヘの回答を送付。法的手続きは適正で国際人権法上も問題はないと反論していた。 山城議長の支援者らは27日、「政府は謙虚に受け止めるべきだ」と主張。弁護人の池宮城紀夫(いけみやぎとしお)氏(77)は「辺野古での抗議は、最低限の抵抗権を行使したもの。弾圧のために微罪で逮捕するのは当然、人権侵害だ」と訴えた。 日本政府の回答について沖縄平和運動センターの大城悟(おおしろさとる)事務局長(53)は「政府はとにかく、主張を正当化しようとする」と批判した。2017年5月28日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「山城議長 長期拘束は『人権法上問題』」から引用 国連特別報告者らが主張するように、山城博治氏らの活動は広く沖縄県民の人権を守るための活動であり、その活動の中にたまたま有刺鉄線を切断するという行為があったからといって、それが犯罪行為と言えるかどうかは、未だに裁判で争っていることから察しても、一人の人間を5か月も拘束するような重大犯罪ではないことは明らかである。そうでなくても、わが国は国連人権委員会の理事国なのであるから、国際社会においては人権問題に関しては模範ともなるべき立場でありながら、特別報告者から警告を受けるというのは、いかがなものか。安倍政権の暴走が、わが国に対する国際社会の評価を低下させていることを、国民は自覚したほうがいいと思います。
2017年06月03日

塚田穂高編著「徹底検証 日本の右傾化」(筑摩選書)について、社会学者の大澤真幸氏が5月21日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 世紀転換期以降、日本社会は右傾化してきたと言われている。現在、トランプ氏の出現や移民・難民の拒否との関係で欧米諸国の右傾化が問題視されているが、日本社会もこの20年間、右傾化のトレンドにあったとされている。だが、この印象は正しいのか。右傾化の具体的な内容は何か。こうしたことを徹底的に調査し、記録し、検証した論文集が本書である。社会学者、宗教学者、ジャーナリスト等、21名もが寄稿している。「右傾化」の厳密な定義をあえて拒否し、本書はこの語によって指示されている現象を余すところなく包括的・多角的に、つまり社会意識一般から政治行動、メディアや宗教の状況まですべてを論じている。 ここでは、本書全体から私が学んだことだけを書いておく。一方で、右傾化が進行していることはまぎれもない事実である。ネットにあふれるレイシズムや路上でのヘイトスピーチのような極端なものから、「日本スゴイ」言説の氾濫、教育や家族についての保守的な法律改正への動き等々、同時多発的な右傾化の潮流がある。 しかし、他方で、本書で検討されている意識調査を見ると、市民・有権者の回答は、はっきりとした右傾化を示してはいない。有権者に、自分のイデオロギー的位置を自己判定させても、「右」寄りの人が増えているわけではない。改憲支持者は、13年前の方がずっと多かった。 この矛盾をどう解釈すればよいのか。右傾化は、意外と根が浅いということなのか。私の考えは逆だ。この「矛盾」は、丸ごと事実とみなさなくてはならない。これこそが現代の右傾化の本性だ。つまり、無意識の右傾化とでも見なすべきことが進捗(しんちょく)しているのである。自分が特に「右」であるという自覚はない。しかし、その人の行動-消極的な容認をも含む行動の全体-は「右」を指している。この意識と行動の間のねじれこそ、現代の右傾化を下支えしているのではあるまいか。(評者大澤真幸=社会学者)塚田穂高編著「徹底検証 日本の右傾化」(筑摩選書・1944円)編者のほか、斎藤貴男・島薗進・高史明・早川タダノリ・堀内京子らが執筆。2017年5月21日 東京新聞朝刊 9ページ「読む人-無意識の容認行動 浮かぶ」から引用 この記事は21世紀が始まったころから、日本の右傾化が始まったように書いていますが、私の認識では、全共闘運動が挫折した70年代初め頃から、体育会系の右翼学生が大きな顔でものを言うようになった頃が右傾化の始まりではなかったかと思っておりました。ところが、数週間前にラジオ番組に出演した大宅映子氏によると、1970年に亡くなった父の大宅壮一氏が書いた文章に既に「日本の右傾化を憂える」とする文章があったと語るのを聞いて、大変驚きました。戦後70年の平和憲法の歩みは、右傾化との闘いの歴史としてとらえ直す必要があるのかも知れません。
2017年06月02日
先月、安倍首相が唐突に言い出した「憲法9条に第三項を書き加える」という案について、憲法学者で東京大学教授の石川健治氏は、5月21日の東京新聞でその問題点を次のように解説している; 戦争放棄を定めた憲法9条の一項・二項は残し、三項を新設して自衛隊を書き込む-。安倍晋三首相が提案した改憲案が波紋を広げている。憲法学者の石川健治・東京大法学部教授は「最も危険な提案だ」と指摘する。改憲案の問題点を聞いた。(聞き手・桐山桂一)■9条3項新設案――憲法学の観点から、この改憲案をどう考えるか。 統治機構の論点は、常に3つの層をなして成立しています。法的な権限があるかどうか、といった表層の議論に尽きるものではありません。一皮めくると、その権限を実際に行使する正統性(資格や理由)があるかどうか、という層があり、さらに、権限を裏付ける財政面の決定統制も、重要な層をなしています。これら3層構造で権力は統制されています。 9条を、平和主義論をいったん離れて、そうした権力統制の文脈で捉え直すとどうなるか。その表層において、9条とりわけ二項(戦力の不保持)は本来、軍隊を組織する権限を国会から奪っています。しかし、既にここは、自衛力という新手の論理が持ち込まれて、突破されました。それでも、二層と三層はその後も有効に機能してきました。――どう機能してきたのか。 9条を根拠に、自衛隊から権限行使の正統性を奪う二層目のコントロールについては、現在なお世論の強い後押しがあります。この点では、及ばずながら憲法学者も、権力統制の一翼を担ってきました。憲法上の根拠の弱さを愚直に問い続けてきたのです。正統性に弱点があれば、与えられた権限を実際に行使するのは困難です。何より、正統性に疑いがかけられた組織は、世間から後ろ指をさされることがないように、常に身を慎むことになります。自衛隊に対する国民の支持も、そうした慎みのある組織だからこそのことでしょう。 三層目の財政的統制については、二層目の存在を背景として、大蔵省・財務省が杓子(しゃくし)定規に軍拡予算の編成を阻んできたという側面が、特に大きいと思います。戦後日本の軍事力が完壁にコントロールされてきたという事実が、9条方式ともいうべき軍事力統制システムの優秀さを証明しています。■統治3層脅かす――二層、三層が突破されるとどうなるのか。 9条に三項を新設して自衛隊に正統性を持たせてしまうと、まず二層目のコントロールが全く利かなくなってしまいます。そして、それを理由として、軍事力の財政的統制という三層目も、やすやすと突破されてしまうでしょう。 軍事力のコントロールが、憲法上はなくなってしまいます。かといって、9条方式に匹敵する、優秀な軍事力統制のメニューが出されているわけでもありません。安倍首相は、現状を追認するだけだから、憲法を改正しても何も変わらないと言っていますが、その逆で、最も危険な提案だというのが私の見立てです。――その結果、起こることは。 軍拡路線の歯止めである三層が、9条三項の新設によって外されてしまえば、北東アジアにおける軍拡競争に巻き込まれざるを得ません。何より、9条改正によって初めて正統性を付与された自衛隊が、それにあぐらをかいて変質してしまう心配があります。連戦連勝の選挙結果で得られた民主的正統性を背景にして、相次ぐ大臣の失言にみられる規律の緩みや、今回の改憲提案のような暴走気味の政権運営が目立つ、安倍政権自体がその雄弁な論証になっています。2017年5月21日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「自衛隊明記 最も危ない」から引用 この記事は、法律の素人が読んでも理解が容易で読みやすい記事である。安倍首相の言うことを聞いていると、現実に自衛隊が合法な存在として活躍しているのだから、それを今の憲法に書き加えても、何も変わらず現状のままなのだと、我々もうっかりそう思いがちであるが、これはとんでもない間違いであって、自衛隊が今のようにおとなしく真面目に仕事をしていられるのは、現在の憲法があるからなのであって、これをもし安倍首相が言うように憲法に明記して、自衛隊の存在に正当性を与えてしまえば、自衛隊員はあたかも昔の帝国軍人がそうであったように、周りの国民を見下して威張り散らし、学問の自由も言論・表現の自由も弾圧されるであろうことは容易に想像ができます。したがって、安倍首相の提案は、私たちは反対しなければならないと、こういうことになるわけです。
2017年06月01日
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