全31件 (31件中 1-31件目)
1
1年前に天皇が生前退位をしたいと言い出して、今年それを可能する法律が可決成立しましたが、天皇が発議して法律を制定するのは、天皇の国事行為を規定した憲法に違反しているとの「声」が、実はあったのだと、ジャーナリストの中嶋啓明氏が、7日の「週刊金曜日」に書いている; 天皇明仁(あきひと)の生前退位を認める特例法が6月9日、成立した。 文字通りの翼賛状況下での採決は「全会一致」。この間の”議論”は、日本国家・社会の異常性と欺瞞(ぎまん)性を、これ以上ないほどに見せつけた。だが、メディアは、その欺瞞から目をそらし、問題点をきちんと指摘するどころか逆に糊塗(こと)し、インチキを増幅することにのみ躍起になった。 共謀罪法をめぐっては、それなりに果敢な批判精神を見せた『東京新聞』や『朝日新聞』、『毎日新聞』の各新聞などでも、それは同じだ。 10日の『東京』社説は、冒頭で「『象徴としての行為』がクローズアップされ、象徴天皇制への国民の理解が深まったのではないか」と書いた。『毎日』はこう主張した。「この1年近い議論は当たり前のように社会に根付いた象徴天皇制の現実を直視し、陛下と国民が認識を共有する作業だったといえよう」 特例法は、1条に「国民は(略)天皇陛下を深く敬愛し、(略)お気持ちを理解し、(略)共感している」と記した。法律の条文とは思えない幼稚で特異な規定を許す土壌は、連日、明仁らへのオペンチャラまみれで気持ちの悪い記事を垂れ流すメディアの報道によって作り出された。 一連の動きをめぐっては、その違憲性を厳しく批判する人々が全国に少なからず存在している。反天皇制だけでなく、戦争や改憲に反対する数十の運動団体は共同で、特例法制定を糾弾する声明を発表した。声明は、国会議員宛とともに、明仁本人に対しても出された。明仁宛の抗議文は、こう指摘する。「『国事行為』とは区別される天皇の『公的行為』なるもの自体が、戦後象徴天皇制が発足して以後も行われ続けた天皇の逸脱行為を、後付けで正当化するために生み出された、いわば天皇条項の『解釈改憲』の産物です。(略)今回あなたが発議し、政治家が忖度することによって、『皇室典範』の事実上の『改正』とそれに伴う関連法『改正』がおこなわれ(略)民主主義とは真逆な態度と言わざるをえませんが、天皇の行為を認めた政治家の責任と共に、そのような権利がないのに『法改正』を発議したあなたの責任も大きいと言わなければなりません」 その上で抗議文は次のように訴えている。「私たちは、将来的に天皇制という身分差別の制度をなくしていくことを求めています。ですから、あなたが天皇を辞めることに反対はしません。しかし、それが『上皇』や『皇嗣』などという新たな皇族身分の新設と制度化を行い、天皇制の拡大をもたらすことになる法改正には反対します。退位するなら天皇を辞めるだけでなく、皇族からも離脱して下さい」 国会議員宛の声明は、衆参両議院の全議員に配布された。その後、共同声明の参加者らは5月25日、内閣官房に出向き、明仁宛の抗議文を直接関係者に手渡した。抗議文の提出は、請願法に認められた正規の手続きに即したものだった。 特例法成立当日の『朝日』社説は「象徴天皇とは何か。(略)くり返し、息長く問い続け、議論を深めていきたい」と、例によって格好つけてみせた。 しかし、メディアは「議論を深め」るための材料を提供しているのか。 両方の声明は、事前にマスメディアにも一斉に発信された。だが、メディアは一切、無視。明仁宛の抗議文に、窓口の担当者は戸惑っていたという。異例で面白い行動だと思うが、批判精神の欠如したメディアには、響かなかったようだ。<なかじま ひろあき・「人権と報道・連絡会」会員>2017年7月7日 「週刊金曜日」 1143号 44ページ「メディアと人権-明仁よ、あなたの責任は大きい」から引用 去年、天皇が退位したいというようなことを言い出して以来、この問題に関する報道については、私も「皇室にたいするオベンチャラまみれで、気持ち悪い」とまでは認識しなかったものの、強い違和感を感じておりました。しかし、これについては「赤旗」も、天皇といえでも人間なのだから高齢になったらそれなりに配慮が必要なのは当然だ、という程度の記事しか載らなかったので、そういう程度でいいのかと思っておりました。共謀罪法では果敢な批判精神を発揮した「朝日」、「毎日」が、天皇の話になると途端に翼賛体制になってしまうのでは、私たちの民主主義はまだまだ「発展途上」なのだと自覚せざるを得ません。
2017年07月31日
広島市の朝鮮学校が高校無償化の対象外とされたことは不当であるとして訴えた裁判で、広島地裁が訴えを退ける判決を出したことについて、21日の朝日新聞社説は、次のように批判している; 教育の機会を公平に保障するという制度の理念に立ち返って判断すべきなのに、あまりに粗雑な論理で導いた判決だ。 高校の授業料無償化の対象から朝鮮学校を除外した国の処分をめぐる裁判で、広島地裁は19日、「国に裁量の逸脱はなく、適法だ」として、広島朝鮮高級学校側の訴えを退けた。 判決が焦点をあてたのは、学校と朝鮮総連との関係だ。 国は、過去の新聞記事や公安調査庁の報告書をもとに、「朝鮮総連の『不当な支配』を受け、無償化のための支援金が授業料に使われない懸念がある」と主張。判決はこれを認めた。 この先も資金流用がありうると、どんな証拠に基づいて判断できたのか。地裁が取りあげたのは、約10年前の別の民事訴訟の判決だ。「総連の指導で学園の名義や資産を流用した過去がある」と指摘し、「そのような事態は今後も起こりえると考えられた」と結論づけた。総連の支配の継続については「変更や見直しを示す報道が見当たらなかった」ことを理由にした。 朝鮮学校が総連と関係があるとしても「不当な支配」とまでいえるのか。地裁が実態の把握に力を尽くしたとは言い難い。 原告側は生徒や教員の証人尋問や学校での現場検証を求めた。だが、地裁は採用せず、代わりに授業内容などのビデオ映像が法廷で上映された。 少なくとも朝鮮学校や総連の関係者を証人として法廷に呼び、財務資料を提出させるなどし、国の主張が正当かを具体的に確認すべきではなかったか。 高校無償化は10年に民主党政権で導入されたが、朝鮮学校は、北朝鮮の韓国・大延坪島(テヨンピョンド)砲撃を理由に適用が見送られた。12年の第2次安倍内閣の発足後、下村博文・文科相が拉致問題などで「国民の理解が得られない」とし、対象から外した。 政治・外交問題に直接関係のない朝鮮学校の生徒に、まるで「制裁」を科すような施策には、国連の人種差別撤廃委員会も懸念を示している。中華学校やブラジル人学校など40余りの外国人学校が無償化の対象になっている。申請を国が認めなかったのは朝鮮学校だけ。制度の本来の目的に立ち返り、国は適用を検討すべきだ。 多くの大学・短大が朝鮮高級学校生の受験資格を認めているのも、日本の高校に準じた教育水準とみなしているからだ。 問われているのは、子どもの学ぶ権利に関わる教育行政の公平性である。原告側は控訴する方針という。高裁は丁寧な審理を尽くしてほしい。2017年7月21日 朝日新聞朝刊 12版 12ページ「社説-無償化の原点に戻れ」から引用 この度の広島地裁の判決は、この社説が述べている通り被告である国が主張した「10年前の出来事」を根拠として認め、現状がどうなっているか現場検証を、との原告側の主張は認めないという恣意的な判断による不当な判決であったことは、否定できないと思います。聞くところによれば、広島地裁のこの判決を出した裁判官は以前から札付きの「偏向裁判官」なのだそうで、どうりで、その数日後に出た大阪地裁の、同じ内容の裁判では「朝鮮学校を対象外としたのは違法である」との判決が出ています。
2017年07月30日
昨日の欄に引用した朝日新聞の投書に対し、反論する投書が21日の同紙に掲載された; 「首相への『やめろ』コールは残念」(16日)を読んだ。投稿は「首相の発言そのものの是非は置いておく」とし、東京都議選の街頭演説での「やめろ」コールに疑問を呈する。だが「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と、自分を批判する民意を切って捨てる首相の発言を問わないのは、果たしてフェアだろうか。 昨年の衆参予算委員会で、行政府の長である安倍晋三首相は、自らを「立法府の長」「立法府の私」と述べた。特定秘密保護法や安全保障関連法、「共謀罪」法を、立法府たる国会での議論を軽視して強行採決したのは、その驚くべき自任に基づいていたのかと勘繰りたくなる。 首相の強引さが森友・加計(かけ)学園疑惑にまで結びついているように見える今、多くの国民が首相の手法に傲慢(ごうまん)さを感じ取るのは自然なことだろう。 国民が首相に直接意見を伝えられる場はめったにない。「やめろ」コールは、街頭演説をそうした機会と捉えた行為であり、首相の強権的な政治姿勢への批判の噴出だったと考えるべきではないか。私はテレビでその場面を見て、思わず拍手を送った一人である。2017年7月21日 朝日新聞朝刊 12版 12ページ「声-『やめろ』コールは民意の表明」から引用 この投書は、昨日の投書の筆者が「首相の発言そのものの是非」を棚上げした上でコトを論するのはフェアではない、とズバリ本質を突いています。あの日の秋葉原には自民党候補の支援団体の動員で集められた人々のほかに、国民として切実な思いを直接首相に伝えたいと思う人々も来たのであって、そういう人たちにまで「黙って首相の演説を聞きなさい」というのは、不満があっても我慢しなさいと言うようなもので、現代の民主主義社会には通用しない、時代遅れの「お説教」というものです。上の投書の筆者は「思わず拍手を送った」と書いてますが、似たような感想をもった有権者は多かっただろうと思います。
2017年07月29日
先日の都議会選挙で、街頭演説に立った安倍首相に「止めろ」コールがわき起こったことについて、16日の朝日新聞に次のような投書が掲載された; 東京都議選の街頭演説で、安倍晋三首相が自身を批判する聴衆を指して「こんな人たち」と発言し、傲慢(ごうまん)だと非難された。報道で知り、首相も大人げないなと思ったが、実際どんな状況だったのか確かめようと、動画配信サイトを見てみた。 すると、かなり印象が違った。「安倍やめろ!」と書かれた横断幕を広げた集団から「やめろ」「帰れ」一点張りの連呼が起こる。首相の演説の中身に反応して自然に出たヤジとは思えない。演説を聴きに集まった人々に対する妨害行為ではないか、とさえ感じた。 自分たちと立場が異なるからといって、その主張をきちんと批判しないでただ妨害することは、正当な行為なのだろうか。たとえば野党議員の演説会場で同じ行為が許されるかどうか考えてみよう。憲法で言論の自由が保障された民主国家のあり方として、適切だとは到底思えない。 首相の発言そのものの是非は置いておく。ただ、演説する首相に向けた「やめろ」コールは、言論を大切にしない残念な行為だったと思う。2017年7月16日 朝日新聞デジタル 「声-首相への『やめろ』コールは残念」から引用 この投書は、一見まともな意見を言っているかのように見えて、実はとんでもないことを言っている。この投書の筆者は、安倍首相に対して「やめろ」コールをした人たちは「立場が異なる」という理由で演説を妨害したと決めつけているが、これが間違いの元ではないかと思います。あの日、秋葉原で「やめろ」コールをした人たちは、首相の応援演説を聴きに来た人たちと同じ立場の国民であることを忘れてはいけません。彼らは、同じ立場の国民であるにも関わらず、今は応援演説など聴いてる場合じゃないのだ、安倍さん、あなたこそ今すぐ辞任するべきじゃないか、これ以上我々の憲法を蹂躙する強権政治は止めてくれ、という国民の切実な声に、安倍氏は首相として耳を傾けるべきところ、「こんな人たちに云々」と、自分を支持する国民とそうでない国民を差別するような発言をする、これは首相の座にある者のすることではありません。権力の座にある者に対する国民の声を「言論を大切にしない残念な行為」などというのでは、本末転倒です。
2017年07月28日
国籍問題についての疑念を晴らすためと言って戸籍の一部を公開した民進党・蓮舫代表の行動を、法政大学教授の山口二郎氏は、16日の東京新聞コラムで次のように批判している; 下手な小話を一つ。今や、塩の大産地は播州赤穂ではなく、民進党と連合本部だよ。支持率急落で顔面蒼白(そうはく)の安倍政権にせっせと送り付けるくらい余っているのだから。 先週は政治について、本当にげんなりする話が続いた。民進党の蓮舫代表は自らの国籍問題についての疑念を払拭(ふっしょく)するために戸籍を公開すると言った。民進党がネトウヨのご機嫌を取ってどうするのだ。戸籍がさまざまな差別と結びついたことを知らなくて、人権や民主主義を語れるのか。 連合は、残業代ゼロ法案を実質的に受け入れることを表明した。安倍一強政治の下での最悪の法改正を防ぐために妥協を引き出したというのが連合の言い分だ。しかし、いったん残業代ゼロの風穴を開ければその適用対象がどんどん広がることは、派遣労働の拡大で既に経験済みである。安倍政権が力ずくで悪法を通すなら、次の選挙でこの政権を倒し、悪法を廃止する戦いをするのが労働組合の任務である。 今は安倍政権の暴政と戦う時である。政府が憲法に基づく臨時国会召集の要求を拒絶するなら、野党議員が自主的に国会に集まり、議員会館の会議室を使ってさまざまな疑惑や課題に関する討論会を開けばよい。中途半端な閉会中審査でごまかされるのではなく、国会での徹底的な議論で民主主義を実践することが野党の責務である。(法政大教授)2017年7月16日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-今は戦う時」から引用 民進党の支持率が上がらないのは代表の国籍問題があるからだなどと、的外れな指摘にムキになって反応する点で、すでに社会の常識から少しズレた位置にいるのではないかと危惧される。蓮舫代表の今回の行動には、そういう印象を持ちましたので、上の記事の山口先生の指摘はもっともだと思います。連合という労働組合を束ねる組織も、原発再稼働は容認、残業代ゼロも容認というのでは、とても労働者を守る組織とは言えず、こういうワケの分からない言動が、民進党の足を引っ張る「真犯人」なのではないかと、私は思います。後になって「残業代ゼロ容認」は撤回しましたが、当然のことです。連合には、労働組合としての自覚を取り戻してほしいと思います。
2017年07月27日
いじめ問題について、5日の東京新聞に次のような投書が掲載された; 学校や教育行政への信頼が揺らいでいる。いじめとの関連が疑われる生徒の自殺について、教育委員会が設置した第三者委員会の調査に遺族が不信を抱き、再調査や委員交代、果ては解散などを求める。そんな例が仙台、青森、取手市などで相次いでいる。 これまでも自殺や原発避難者へのいじめなど、当初は否定したものが、結局存在を認め、謝罪するという光景が恒例行事のようにくり返されてきた。学校、教委関係者は、いじめの存在をどうしても認めたくないらしい。学校には、いじめがないという希望的観念に強迫的にこだわっているようだ。 いじめに類する事態は、学校ばかりでなく、職場でのパワハラ、ママ友カーストといわれる母親コミュニティーのいじめ構造など、人の集合するありとあらゆる場所に存在する。そういったストレスをきっかけに精神的不調を呈し、精神科を受診する人は多い。いじめは、心理的ストレスの中でも最悪のものの一つである。 人格が発展途上の子どもが集まる学校で、いじめが生じないわけがない。「学校にいじめがない」と本当に思い込むのは妄念に近い。そもそも4年前に制定されたいじめ防止対策推進法は機能しておらず、いじめも学校を取り巻く環境も、実態はほとんど変わっていない。この法律には「全ての児童等がいじめを行わず」といった文言があり、教育関係者はこれにこだわっているのかもしれない。 「いじめ撲滅」などという非現実的な目標を掲げるのではなく、いじめが日常的に学校に存在することを前提として自殺対策を講じるべきであろう。2017年7月5日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー-いじめを前提に対策を」から引用 いじめ対策の法律が制定されて4年も経つのに、いじめが一向に減らないのは残念なことです。この投書では、法律に「全ての児童等がいじめを行わず」といった文言があるために、教育関係者がそれにこだわるから問題が解決しないと、こういう説明では、何が問題なのかよくわかりません。もっとはっきり言えば、学校の先生たちは「自分の勤務する学校では、いじめなどという忌まわしいことはあってほしくない」と思っているから、もし起きても、なかったことにしたいと、こういう気持ちが働いて学校全体が隠蔽体質になっているのではないかと、私は思います。なぜ先生たちが「自分の学校にいじめ問題が起きてほしくないと思うのか」と言えば、国や県が不祥事のない学校や、そういう学校に勤務した校長、そういう学校群を抱えた教育委員会を、表彰する制度をもっているからであろうと推測できます。長年校長を務めて定年になって、その後は教育長になろうと思っていても、「あの先生の学校では、いじめが何件あった」とか言われると、せっかくの機会が失われてしまうという、こういう利害関係があるために、学校の隠蔽体質がいつまでたってもなくならない。こういう角度からのアプローチも必要ではないかと思います。
2017年07月26日

私たちが学校教育で学んだ「明治維新」は、身分制度の封建社会が近代国家に生まれ変わる画期的な出来事であって、徳川幕府が弱腰で締結した不平等条約も明治の政府の努力で是正したというように教えられた記憶がありますが、森田健司著「明治維新という幻想」によれば、歴史はそう単純なものではなく、徳川幕府も海外の情報収集は行っており、ペリーが2回も来航する羽目になったのも、徳川幕府にそれなりの外交交渉の実力があったからだったとのことで、次のように書かれています;◆「外交に弱腰な徳川幕府」観 戊辰戦争が終結してから、新政府が取り組んだイメージ戦略は、感嘆するほどに大きな成功を収めている。 そもそも「明治維新」という言葉自体、彼らのイメージ戦略の一環として用いられたものなのである。「維新」とは、儒学書の『詩経(しきょう)』や『書経(しょきょう)』から採られた語で、「あらゆることが改められて一新されること」を意味する。そこに込められたニュアンスは、「明治政府になって、世の中が良くなった」というものに他ならない。何気ない言葉一つにも、様々な思惑が込められているのである。 すでに触れた『復古記』をはじめ、新政府は自身の正当性を担保する「正史」の作成に、何より力を注いだ。簡潔に言えば、「自分たちが止しい」ことを証明しようとしたのである。なお、そのようなポジティブな作業と同時に、彼らは「あるもの」を否定することにも注力した。それは、「旧体制たる徳川幕府」である。 幕府に対する数々の批判のなかでも、最も有効だったものは、対外関係についてのものだろう。たとえば、嘉永(かえい)6年(1853)、浦賀(うらが)にべリー艦隊が来航したとき、「江戸城内は上を下への大騒ぎになった」という話は、今でも普通に語られている。そして、ただ語られているだけではなく、多くの人には、否定できない事実と信じられているようである。 しかし、このペリー艦隊の来航については、前年に長崎出島(でじま)のオランダ商館長から受け取った「別段風説書(べつだんふうせつがき)」によって事前に知らされていたこともあり、幕府内部で混乱は起こらなかった。しかも、役人たちは外国人の対応に慣れており、客観的に見れば、一回目の来航時、ペリーは「巧みにあしらわれてしまった」と言ってよい。沿岸の庶民はお祭り騒ぎをしたが、幕府の役人たちは平静そのものだった。 ペリーの要求で、幕府が一つだけ驚いたのは、軍事力をバックに開国を迫ったこと、つまり、戦争の可能性を持ち出したことで、これは当時、多数来航していた他の列強国の使節にはない、きわめて野蛮な交渉態度だった。しかし、これに関しても、混乱を生むようなものではなかったようである。 翌年(1854)、ペリーが再来航し、条約に関する交渉を行った際、幕府は大学頭(だいがくのかみ)(昌平坂学問所長官)の林復斎(ふくさい)に対応させたが、ペリー一行は、彼の頭脳と弁論に打ち負かされ、最も望んでいた通商に関する項目を、どうしても条約のなかに入れることができなかった。普通に考えれば、当時を代表する儒学者だった復斎に、一軍人のペリーが敵(かな)うはずはなく、これは当然の結果と言える。 しかし明治新政府は、この事実をうまく改変することに成功した。その際に採った方法はなかなかに巧妙である。 まず、早くも文久(ぷんきゅう)2年(1862)に『彼理(ペルリ)日本紀行』の名の下に翻訳されていたペリーの『日本遠征記』については、明治以降も出版を制限せず、そのまま放置した。その一方で幕府側の記録ほ、まるで存在しなかったかのように隠蔽(いんペい)したのである。 ペリーの遠征記は、幕府の役人を弱気に描き、自らの要求がすべて通ったかのような記述がなされ、結果として、自らの功績を誇示する内容となっていた。これは明治政府にとってきわめて好都合だったのである。 それに対し、林復斎によって記された幕府側の議事録『墨夷応接録(ぼくいおうせつろく)』(次ページ写真4参照)は、存在すら長らく公表されず、公刊されることも一切なかった。『墨夷応接録』には、ペリーが、やむを得ず自国の要求を取り下げたことや、艦隊の軍人たちによる不法行為を答(とが)められ、うろたえる様子が生々しく記録されている。幕府の高い外交能力を窺わせるこの文書は、だからこそ隠されなけれほならなかったのである。『墨夷応接録』は、『大日本古文書幕末外国関係文書(附録之一)』(東京大学出版会)に収録されているが、やや難解な書き下し文であり、誰もが気軽に読めるものではない。ペリーの『日本遠征記』が、何度も繰り返し訳され、様々な出版社から公刊されるのとは対照的に、この文書は、一度も現代語訳されたことすらなく、単独で出版されたこともない有り様である。明治政府のイメージ戦略は、このように、現代にも影を落としている。森田健司著「明治維新という幻想-暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像」(洋泉社・歴史新書)175~178ページを引用 最近は明治の維新政府が作り出した歴史観を脱却した、より客観的な歴史の研究が進んでおり、この本もそのような流れの中で書かれたものと思います。薩摩と長州を主とした新政権は、武力で徳川政権を倒すことを目論んだのに対し、徳川慶喜は早々と寛永寺に謹慎してひたすら恭順の姿勢を見せると、何とか武力行使の口実作りたい西郷隆盛は手下に命令して、江戸市中の裕福な家に押し入らせて金品を強要し抵抗する家人を惨殺するというテロ行為をやらせる。これが薩摩藩の武士の仕業だという噂がすぐに広まって、義憤に駆られた庄内藩士が薩摩藩邸を焼き討ちする。これを口実にして、江戸に到着した新政府軍がようやく武力行使を始めることができた、というような「真相」が書かれていて、実に面白い読み物です。
2017年07月25日
自民党が歴史的大敗を喫した都議会選挙に関連して、東京大学教授の宇野重規氏は16日の東京新聞に、次のように書いている; 東京都議会議員選挙の余熱がまだ冷めやらない今日、ある種の居心地の悪さを感じているのは筆者だけではあるまい。 なるほど「共謀罪」を巡る与党の強引な議会運営、森友・加計問題を巡る疑惑の数々、そして閣僚や議員による失言の連続に対し、都民の厳しい判断が下されたことは一つの前進であろう。都議が大幅に入れ替わり新たな風が吹き込んだことにもー定の意義がある。しかしながら新たな都政与党となった都民ファーストの会の基本政策を含め、不透明な部分が多すぎて、今後の見通しは立ちにくい。 そもそも、都議選を通じて、何が語られたのか。築地市場の豊洲移転問題について、納得のいく議論は交わされたのであろうか。東京で五輪を開催する意義について、都民間の合意は形成されたのであろうか。都市部における少子高齢化や貧困の問題について、改善策が検討されたのか。都議選に、そのような実質的な議論を期待しても、しょせんは無意味だという諦念がどうしてもわいてくる。 もちろん、都議選とは単なる一地方議会選挙ではない。1300万人を超す人口を有する首都の選挙であり、日本全体にも大きな影響を及ぼす重要イベントである。1989年の都議選では社会党の土井たか子ブームが起こり、後の政治改革へとつながるうねりを生み出した。2009年の都議選もまた、続く民主党の政権獲得への先駆けとして記憶されている。人口が多く浮動票の多い都議選の結果は、国政に対する大きな動きの跳躍台となりうる。 それでは今回の都議選はいかなる動きの跳躍台となるのだろうか。筆者としては期待を込めて、政治における言葉の意義回復への一里塚となることを願いたい。今回の都議選で、有権者の不満を募らせた最たる要因は、安倍政権の「言葉の貧しさ」であった。 森友・加計問題でもはや戯画のレベルにまで達したのが、菅義偉官房長官の「問題ない」「仮定の問いには答えられない」「指摘はあたらない」の繰り返しであった。なるほど、政治の場において、どうしてもその時点では答えようがないこともある。断言的な口調で、とりあえず追及を避けざるをえないこともあるだろう。とはいえ、この言葉が常套句(じょうとうく)になったとき、言論の府である国会はその生命を失う。 「印象操作」という言葉を、決めぜりふのように繰り返す安倍晋三首相にも問題がある。言葉によって相互に攻め合うのが政治の本質である以上、相手の議論に根拠がない時、きちんと反論できなければ自分の印象が悪くなってもやむをえない。「印象操作」とさえ言えば、反論になると考えるのは、あまりに独善的であろう。 言質を取られるまいと、ともかく答えを回避するか、さもなければ一言の下に切り捨てる。このようにして国政の中枢において奇妙な「言葉の貧しさ」が居座る一方、政治であれ、芸能であれ、会員制交流サイト(SNS)であれ、とかく「言ったもの勝ち」とばかりの炎上商法も目立つ。これでは言葉の信頼は失われるばかりだ。 そろそろ実のある言葉、中身のある論争が聞きたい。そのような有権者の欲求が、かつてないほど高まったのが今回の都議選ではなかったか。残念ながら、まだ欲求は満たされていない。(東大教授)2017年7月16日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-『政治の言葉』の回復」から引用 安倍晋三以前の首相は「印象操作」などというネトウヨじみた言葉を使わなかったと思います。私が思うに、首相の発言が軽くなったのは、森首相のあたりからで、小渕首相まではそれなりに人格と見識に裏打ちされた重みのある言葉を発していました。いずれにしても、都議選で自民党が大敗したのは、野党の印象操作のせいではなくて、次々と持ち上がる疑惑に対しきちんと証拠を挙げて反論するという努力をせず「印象操作」の一言で済ませようとした安倍首相の態度が原因だったわけですから、内閣支持率があまり低下しないうちに、自民党はよりマシな次の内閣を準備して、民進党が政権を担う実力をつけるまで時間稼ぎをしてほしいと思います。
2017年07月24日
ジャーナリストの森健氏は、最近の新聞を読んだ感想を16日の東京新聞コラムに次のように書いている; 今月2日の都知事選。自民党が大敗すると、翌三日の3面は「『安倍1強』に激震『加計』『共謀罪』など影響」など見出しを立てた。 加計や森友、共謀罪も問題だが、安倍政権の本質的な問題はそれら疑惑への対応の仕方にあると言うべきだろう。疑惑への説明を避け、公文書をないがしろにし、虚偽を押し通し続けている姿勢だ。 東京新聞は公文書問題を繰り返し報道してきた。先月23日、内閣府や萩生田光一官房副長官が文科省文書を否定し続けることから、2面で「記録文書を軽視する姿勢が目立つ」と指摘。一週前、加計文書は「存在する」と発表されたが、その調査はわずか1日だった(17日)。 その発表直前には信じがたいことも起きた。義家弘介文部科学副大臣が国家公務員法達反と処分の可能性に言及したのだ。16日の特報部はこの発言を問題視。浅岡美恵弁護士の「明確な犯罪行為でなくとも『公益』に関わる通報」なら保護するよう公益通報者保護法を改正せよという提言を紹介した。 政府の姿勢を、吉見俊哉東京大教授も「社会時評」で批判。「会談の記録を文書に残すのは行政の基本」「保管され、適切なタイミングで公開される」ために「行政の公正性を担保するのだ」とその必要性を論じた(22日夕刊)。 実際、公文書問題は他でも起きている。2月、南スーダンの国連平和維持活動に参加する自衛隊の部隊が作成した文書が防衛省で公開されたが、それも昨秋時点では「破棄」したと公表されていた。26日の特報面はそうしたずさんな管理の根拠が2011年4月1日付の内閣総理大臣決定にあると報じた。「一年未満」文書は廃棄にあたって個別の審査手続きなしで廃棄していいという内容。軽微な文書を想定していたが、「重要文書」まで廃棄されている疑いがある。 東京新聞では読者も問題の重要性を理解している。今月3日の発言欄では、45歳の公務員が公務に就く身としてその重要性を指摘し、53歳の研究者は説明責任を放棄した現政権の背景に、現行の情報開示制度の欠陥があると批判。公文書管理法と情報公開法の改正が必要だと迫った(5面)。 そんな読者の懸念を裏付けたのが6日の1面。全省庁を対象にした国立公文書館の研修受講率がわずか2%強しかないことを報じた。低い受講率について内閣府公文書管理課は「講師、受講者ともに通常業務があり、研修の日程に制約がある」「職員の受講は法律で義務化されていないことも影響」と答えたという。 公文書も管理できず、その存在認定や公開に関し恣意(しい)的な操作がまかり通るなら、法治国家とは言えない。どの記事にも記者の焦りと憤りが滲(にじ)んでいる。(ジャーナリスト)2017年7月16日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-公文書を操作する政府」から引用 この記事によれば、東大の吉見教授は政府高官が誰かと会談したときは、その内容を記録に残すのが行政の基本で、それを後日タイミングをみて公表することで行政の公正性が担保できるのだ、と説いているらしい。確かにそれはもっともなことであり、首相でも官房長官でも公正な立場からいろいろな人々と会談して、その内容を記録に残せば、それは後に公正な行政の活動の一つであったことが確認できるわけであるが、しかし、そもそもが「お主もワルよのう」みたいな会談をしたのでは、それを記録して保存するなどもってのほか、ということになるのですから、安倍政権が、ことあるごとに「記録はない」と言い張るのも頷けるというものです。
2017年07月23日
都議会選挙で自民党と歩調を合わせるように議席を減らした民進党について、法政大学教授の山口二郎氏は9日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 東京都議会選挙で自民党が大敗したことで、安倍一強の政治状況にも変化が起ころうとしている。公明党の山口代表も言うように、安倍ペースの憲法改正論議が一旦(いったん)停止することを願いたい。 おごり高ぶった安倍自民党に都民が厳しい批判を加えたことは、民主主義の健全な作動である。しかし、次にいかにして政治を刷新するかについて展望は見えていない。それはひとえに、野党第一党の民進党のていたらくのゆえである。 自民党政治に疑問を持つ人々の票は圧倒的に都民ファーストに、一部は共産党に流れた。民進党は自民党と並ぶ敗者である。なぜ自民批判の受け皿になれなかったのか、厳しく反省することが不可欠なのだが、同党の幹部の能天気さには呆(あき)れるばかりである。さらに、国会対策委員長は閉会中審査について、安倍首相抜きの審査を受け入れた。落ち目の自民党に助け舟を出すようなものである。 いつも民進党に同じような説教をして、芸がないと情けなく思うが、ともかく民進党は政治の不正と腐敗と徹底的に戦う姿勢を示し、他の野党と協力しなければならない。そして、原発をはじめとして、安倍政権とは異なる政策の柱を立てなければならない。政党交付金の貯金と連合という支持組織の上に安住していては、野党第一党の座さえも危うくなるに違いない。(法政大教授)2017年7月9日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-民進党はどこへ行くのか」から引用 この記事は、自民党政治に疑問を持つ人々の票が圧倒的に都民ファーストに流れたと書いている。私が思うに、自民党政治に疑問を持った人々は民進党にも疑問を持っていたに違いない。自民党は国政の与党だから、マスコミも自民党が次に何をする予定か、いろいろ情報を取って報道してくれるが、民進党については時間も紙面上のスペースもあまり割いてくれないのだから、民進党はその辺を考慮して、自民党以上にマスコミ対策を考えて、情報発信するべきだと思います。また、上の記事で山口先生が言うように、最近の民進党は、せっかく野党に廻ってきたチャンスを何もしないでつぶしてしまって、敵に塩を贈るような「失策」が目立ちます。内閣を打倒しようという「意志」がまったく感じられない点も、選挙で議席数を減らす原因になっていると思います。共産党と違って、民進党は右から左まで幅広い人材を抱えているのだから、それを武器にして社会の幅広い層から支持を集めるべきなのに、この「幅広い人材」が党内で互いにけん制し合っているため、党の外に訴えるべき政策をまとめきれないでいるのではないかと思います。台湾籍がどうのこうのと、どうでもいい問題に時間を割いてる場合じゃないと思います。
2017年07月22日
最近の新聞を読んだ感想を、評論家の荷宮和子氏が9日の東京新聞に、次のように書いている; 「原発狙うなら北朝鮮国民を餓死させろ」(6月23日、特報面)という見出しには度肝をぬかれた。北朝鮮の国民が餓死したからといってミサイルの脅威は減らない。むしろ「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」的な展開が考えられる。その程度の思考力さえ持たない人間が石川県知事という公職にある。 「こちら特報部」で発言が大きく取り上げられ、ひとまずは「ほっ」としたが、心から安堵(あんど)はできない。こんなとんでも発言が降ってきたというのに、インターネットではそれほど「祭り」にはなっていなかったからだ。「いるよね、こういうこと考えている人」といった形でヘイトスピーチがある意味で、市民権を得てしまったのだ。なればこそ「それじゃあダメだ!」と「在特会 高裁でも敗訴『複合(民族×女性)差別』認定」(22日、特報面)という結果も出せたのだろうが。 「北朝鮮国民を餓死させろ」といい、「(自民党候補を)防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」(稲田朋美防衛相)といい、いったん発言したあと「そんなつもりじゃなかったんですうー!」ということにして撤回すれば「ま、いっか」となるのはいかがなものか。この現象に一番やりきれない思いを抱いているのは、もしかしたら「このハゲー!」の人かもしれない。 他方、自身の主張をバリパリ発言している人もいる。 なぜ突然、神戸での講演で改憲論議なのかと思ったが、「神戸『正論』懇話会会員との昼食会」(24日の「首相の一日」)とあるのを見て納得した。お友達としかつるめない人のようだ。 「国民投票は後からついてくるといった考えが蔓延(まんえん)している」(自民・船田元氏の指摘)からもわかるように、五輪や改憲、原発といった次元では、今の日本のマジョリティーは「決まっちゃったことはしょうがない」どころか、「決まっちゃいそうなことはしょうがない」という姿勢でいる。まだ決まってないのに! そんな状況だからこそ、「だまされない、嘆かない、諦めない」(27日の「本書のコラム」)が説得力を持つ。 「改憲目標は3年後。だが最後に成否を決めるのは国民投票です」(25日の「編集日誌」)といった一文を見たら、大半の人は「えっ!?そうなの!?全然知らなかった!」と言うであろう、それが今の日本のマジョリティーだ。 なればこそ、「東京新聞」には「改憲を阻止するにはどうすればいいのか→国民投票という手段がありますよ」といった実践的なことを、もっともっと、分かりやすい見せ方で、既存の読者はもちろんのこと、たまたま東京新聞を目にしただけ、という読者にも伝えてほしい。(女子供文化評論家)2017年7月9日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-まだ決まっていない!」から引用 この記事はポイントを押さえて分かりやすく記述していると思います。しかし、憲法改正をする/しないを決めるのは国民投票であることはその通りであるが、その国民投票が圧倒的に改憲派に有利な条件で行われることになっているという現実が認識されていない点が大きな問題だと思います。
2017年07月21日
安倍政権は何をやっているのか、ルポライターの鎌田慧氏は6月27日の東京新聞コラムに次のように書いている;欠如しているもの。 率直、自省、反省、謙虚、謙譲、尊厳、公正、信義、信頼、尊敬、高潔、透明、潔癖、恥辱、自由、民主、公明、品性、知性、理性、配慮、思慮、礼節、平和、想像力。愛。過剰なもの。 傲慢(ごうまん)、強引、多数、無知、無恥、無視、軽視、詭弁(きべん)、曲解、奇計、奇策、欺罔(ぎもう)、侮辱、侮蔑、饒舌(じょうぜつ)、罵倒、強引、意向、付度(そんたく)、身内、腹心、虚言、巧言、秘密、共謀、独裁、戦争、無責任、印象操作、はしゃぎすぎ。 支持率は急速に低下している。が、番頭さんは、「一喜一憂すべきでない」「こんなもんでしょう」「問題ない」と歯牙にも掛けない強気で、自省はみられない。目的を遂げればそれでよし、自省なき政治手法である。 野党4党の臨時国会の召集要求を無視する国会軽視は、議会制民主主義の否定であり、憲法違反である。共謀罪を強行採決して勝ち誇った安倍内閣は、いよいよ憲法9条に「自衛隊保持」を書き込む、と広言している。 現憲法下における憲法否定は憲法擁護義務違反だが、多数をたのんで「戦争放棄と戦力不保持」9条の平和条項を、自衛隊保持の強弁で一挙に破壊する暴挙でもある。 かつて「旧満州(中国東北部)」侵略を、日本人は生活向上のためとして支持した。敗戦がだまされていた現実をみせつけたはずだ。いま必要なもの。だまされない、嘆かない、諦めない。その三つだ。(ルポライター)2017年6月27日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-あきらめない」から引用 安倍晋三は内閣総理大臣なのだから、憲法を遵守する義務を負っているからにはこれを安易に改正するなどということを発言する立場ではない。総理大臣でありながら、自民党総裁という立場もあるなどと言っても、改憲発言を許される立場ではない。一政党の総裁よりは一国の総理という立場が優先するのが、当然のことであり、憲法改正の発議権は国会にあり、内閣にはないということを、私たちは再確認するべきです。自民党が改憲を主張するのはよいとしても、それを総理大臣に言わせるのは違法ですから、表現の方法を考えるべきだと思います。
2017年07月20日
石川県知事が「北朝鮮国民を餓死させないと」と発言したことについて、6月23日の東京新聞は次のように報道している; 石川県の谷本正憲知事=写真=が21日、北朝鮮の弾道ミサイル発射を巡って「北朝鮮国民を餓死させないと」と発言した。翌日、発言を撤回したが、これは人命を無視したヘイトスピーチ(憎悪表現)だ。いうまでもなく問題は北朝鮮の国民ではなく、為政者。制裁の実態も無視しており、政治家としての資質が問われそうだ。(鈴木伸幸) 問題の発言が飛び出したのは、金沢市で開かれた県内町長らとの会合だった。谷本氏は「北陸電力志賀原発を狙う暴挙をするなら、兵糧攻めにして北朝鮮の国民を餓死させなければならない」と発言。会合後、谷本氏は記者団に対し「(制裁強化で)国民が目覚め、『間違ったリーダーを抱えている』と理解させないといけない」と語った。 経済制裁を強化しても、独裁体制の弱体化につながる保証がないことは、イラクの旧フセイン政権などの経験から明らかだが、金沢弁護士会の重鎮である菅野昭夫弁護士は「発言には論理の飛躍がある。ナチスドイツがいかに残酷だったといっても『国民を餓死させていい』とはならない。北朝鮮という独裁国家における為政者と、その国の一般の国民を同一視することがおかしい」とあきれる。 「世の中に大きな影響力を持つ政治家は発言に慎重になるべきだ。国政で『一強』といわれる安倍政権の閣僚からも軽率な発言が相次ぐが、オール与党体制で6期目と多選が批判される谷本知事も緊張感に欠けているのではないだろうか」 上智大の中野晃一教授(政治学)は「『餓死』は相手を人間ではないと見なさないと、言えない。ベテラン政治家から、そんな発言が出てしまうのは危険な兆候だ」と分析する。 「残忍な事件や殺りくは、相手を人間としてみなさなくなって起こる。ネット上での発言やいじめが過激化するのも同根。ヘイトスピーチに象徴される社会的な風潮が、発言の背景にはあるのではないか」 国際医療福祉大の川上和久教授(政治心理学)は「北朝鮮がプロパガンダで使いかねないという意味でも危険な発言。『北朝鮮はたたいても大丈夫』と知事は高をくくり、ウケを狙ったのかもしれないが、あまりにも脇が甘い」と話す。 ウケ狙いなら、一定は成功だったかもしれない。発言に対するネット上での反応は、意外にも悪くない。「不安にかられる石川県民の気持ちを代弁」「荒っぽいけど的を射ている」「どこにも問題はない」。 それを報道通信社アジアプレスの石丸次郎氏は「日本政府が過剰に脅威をあおった影響が出ている」と指摘する。日本では内閣府の主導で、3月から秋田、山口、山形各県などでミサイル飛来を前提に住民の避難訓練を実施。今月下旬からは、テレビCMや新聞広告でミサイル落下時の避難方法を紹介するという。 だが、もしミサイルが発射されれば、着弾までは約10分。全国瞬時警報システム(Jアラート)が作動するのは着弾の4分前で、避難訓練に実効性はない。 さらに狙われる場所は、米軍基地や大都市の可能性が高い。なにより標的となりかねない原発を稼働させていること自体が、真剣さに疑問符を付けている。 石丸氏は「『餓死』とはどういうことか、想像力を働かせれば分かるはずだ。現在の避難訓練も冷静に考えれば、無意味と分かる。知事の発言はあきれるばかりだが、『餓死』発言を受け入れる人が多いことに危うさを感じる」と案じた。2017年6月23日 東京新聞朝刊 11版 24ページ「浸透するヘイト思考」から引用 谷本知事の発想はあまりにも幼稚で、朝鮮国民が現在の指導者を熱烈に支持していると思って、そういう人たちの目を覚まさせるには、餓死でもさせないと、という主旨と思われるが、そういう認識からして間違っており、こういう軽率な発言は安倍政権が故意にミサイル実験の危険を煽るようなことやっているために誘発された暴言だと思います。しかし、安倍政権自体は、国民にミサイルの危険を煽る割には、原発についてはミサイル対策を一切していないところを見ると、本音ではミサイルに狙われる可能性は無いと認識していることは明らかです。無駄なミサイル開発を止めさせるには、彼らがミサイルを必要としない国際環境を整備することで、米艦合同軍事演習の実施場所を南太平洋の果てに移すというのも大きな効果が期待できる施策の一つと思います。
2017年07月19日
在日朝鮮人のフリーライターが在特会を訴えた裁判は、二審も在特会敗訴になったと、6月22日の東京新聞が報道している; ヘイトスピーチで精神的苦痛を受けたとして、在日朝鮮人の女性フリーライター李信恵(リシネ)さん(45)=大阪府東大阪市=が「在日特権を許さない市民の会(在特会)」と元会長の桜井誠氏に計550万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が今月19日、大阪高裁であった。池田光宏裁判長は、在特会側に計77万円の支払いを命じた一審・大阪地裁判決を支持した上で踏み込み、民族差別に女性差別が加わった「複合差別」と認定した。(白名正和) 「複数の差別が組み合わさった時、受ける傷の深刻さは足し算ではなく掛け算になる。今回はヘイトスピーチと女性差別だった。高裁判決はこの点を、複合差別という明確な言葉で示してくれた」。李さんは21日、「こちら特報部」の取材に喜びを語った。 判決によると、桜井氏は2013~14年、インターネット動画やツイッター、街宣活動で「立てば大根」「朝鮮人のパパア」などと発言。池田裁判長は「(名誉毀損や侮辱が)原告が女性であることに着目し、その容姿等に関して貶(おとし)める表現を用いて行われており、女性差別との複合差別に当たる」と認定した。 複数の差別が結びつく「複合差別」という言葉は、メディアや被害者らの間で十数年前から使われている。李さんは一審から複合差別の被害を訴えてきた。 李さんの代理人を務める大杉光子弁護士は、控訴審判決について「一審判決はネット上での発言が人種差別に当たると認定したものの、女性差別には触れなかった。高裁でこの点が認められたのは画期的だ」と高く評価する。 ヘイトスピーチ関連の民事裁判では、高松高裁が昨年4月、在特会による徳島県教組への襲撃を「人種差別」と認定した控訴審判決の中で、原告の元書記長の女性への言動について「女性の尊厳を傷つけるような侮辱約言辞や性的暴力を示唆するような言辞」と女性差別の側面も認めている。 しかし、同じく代理人の上滝(こうたき)浩子弁護士は「徳島の判決も女性差別を認めたという点は似ているが、複合差別という表現は用いなかった。今回の大阪高裁判決は普遍的な複合差別という言葉を使った点が過去の裁判と異なる」と説明する。 この社会には、女性差別や民族差別以外にも、部落差別や障害者差別、性的少数者差別が存在する。「複合差別が判決で明記され判例として残ることで、さまざまな差別の被害者が訴訟を起こした際、被害の救済につながりやすくなるはずだ」(李さん) 李さんは、まとめサイト「保守速報」に2200万円の損害賠償を求める訴訟も起こしている。同サイトが13~14年、李さんを侮辱する記事45本を引用して掲載し、名誉を傷つけられたとしている。 保守速報の訴訟は大阪地裁で審理中で、22日に口頭弁論、8月に結審する見込みだ。記事1本ずつの差別性を調べるため、在特会の訴訟と比べて時間がかかったという。 李さんは力を込める。「差別にはネット上での拡散という問題がある。差別的な言動が一気にネット上に広まることで、当事者の被害はより深刻になる。在特会の訴訟ではあまり触れられなかったが、保守速報の訴訟ではこの点で踏みこんだ判決を期待している」2017年6月22日 東京新聞朝刊 11版 24ページ「在日女性『受けた傷は掛け算』」から引用 この度の大阪高裁の判決のように、ヘイトスピーチは許されないのだという判例が積み重なっていけば、人々の認識も「ヘイトスピーチを許さない」という方向でコンセンサスになっていくと思います。それに連れて、興味本位で在特会のデモについて歩いていた人たちも、だんだん冷静になって、デモ隊の規模も小さくなってきているのは結構なことです。
2017年07月18日
秘密保護法、戦争法、共謀罪法と矢継ぎ早に不当な強行採決をしてきた安倍政権は、次は憲法改正の発議を強行採決するのではないかと予測する記事が、共謀罪法案の審議が始まった本年5月の「週刊金曜日」に掲載された; 3月5日の自民党大会で改憲への強い意欲を示していた安倍首相は5月3日、『読売新聞』の取材に対し、2020年の憲法改正を目指すと発言した。これまでの憲法審査会尊重の姿勢を捨て、なりふり構わず憲法改正に突き進む姿勢を露(あら)わにしたのだ。 現在、国会は森友学園問題で大揺れだが、この国会での真の焦点はもちろん共謀罪だ。自民党の国対が「多少乱暴でも必ず通す」と言っているから、これから6月末の会期末まで大荒れになるだろう。そして、その成立までこぎ着ければ、次はいよいよ憲法改正国民投票の実施が視野に入ってくる。◆広告はほぼ無制限 国民に憲法改正を直接問う国民投票には、衆参両議院の3分の2以上の賛成による発議が必要だが、現在、改憲派は自民・公明・維新でその必要議席を確保している。しかし、衆議院の任期は来年末までで、野党共闘が機能すれば次の選挙で自民は30議席ほど減らし3分の2は保持できないと観測されている。 そうなると、改憲を熱望する安倍首相が自分の在任中に国民投票を実施するためには、現有勢力を維持しながら来年秋までに国会発議を行なわなければならないことになる。ということは、今年の年末に国会発議、年明けのどこかで国民投票実施というスケジュールが見えてきたということだ。 これに対し護憲派の野党各党は、国民投票は時期尚早だから、発議そのものを阻止するという立場で一致している。しかし、衆議院議席数で3分の2を握られているのだから、現実的には一昨年の安保関連法案のように、強行突破されたら阻止のしようがない。 国民投票法は、発議から60~180日以内の投票実施を定めている。つまり衆参議員選挙の長期版と考えればいい。ただし衆参選挙との大きな違いは、予(あらかじ)め登録すれば、政党以外の私企業や団体が金額の上限規制なしに、いくらでも広告展開できる点だ。投票日から2週間以内のテレビ・ラジオCM放送禁止以外は、広告宣伝活動に関して何ら規制がない。つまり、資金を持つ側が圧倒的に有利な仕組みなのだ。そして改憲派の広告宣伝を担うのは、常に自民党の広報戦略を担当してきた電通である。◆電通が改憲派担当 これは実に恐ろしいことだ。改憲派は自分たちに都合の良いスケジュールを組み、国民投票を実施できる状況にある。電通はすでに、どれくらいの媒体予算を組めばどの程度の集票が可能になるかというメディアプランの作成をしているだろう。今のままでいけば、具体的に以下のようなことが起こると予想される。(1)改憲派は自民党を中心に結束して宣伝戦略を実行し、最初から電通が担当することが決まっているのに対し、護憲派はバラバラで何も決まっていない。改憲派は国会召集以前から周到なメディア戦略を構築することが可能である。(2)改憲派は国会発議のスケジュールを想定できるのに対し、護憲派はあくまで発議阻止が大前提のため、国会発議後にようやく広告宣伝作業を開始する。この初動の差が非常に大きい。(3)改憲派は自民党の豊富な政党交付金、経団連を中心とした大企業からの献金を短時間で集めて広告宣伝に使えるのに対し、護憲派は国民のカンパが中心となると思われ、集めるのに時間を要する。さらに、集まる金額も桁(けた)が違うことが予想される。(4)改憲派は電通を通じて発議までのスケジュールを想定して広告発注を行ない、テレビCMのゴールデンタイムをはじめあらゆる広告媒体(新聞・雑誌・ラジオ・ネット・交通広告等)の優良枠を事前に抑えることができる。発注が遅れた護憲派のCMや広告は、視聴率などが低い「売れ残り枠」を埋めるだけになる可能性が高い。(5)もし投票日が発議後60日後の最も短い設定になった場合、改憲派は事前準備して発議後翌日から広告宣伝をフル回転(広告を放映・掲載)できるのに対し、護憲派がテレビCMなどを放映開始できるのは(制作日数を考慮すると)どんなに早くても発議後2~3週間後となり、その間は改憲派の広告ばかりが放送・掲出されることになる。週刊誌や月刊誌などへの広告掲載は既に優良枠を買い占められて、ほとんど何も掲載できないまま投票日を迎える可能性すらある。(6)改憲派は豊富な資金に物を言わせて大量のタレントを動員し、出演者が毎日変わる「日替わりCM」も制作可能。老若男女に人気の高いタレントや著名人をターゲット層に合わせて出演させ、「改憲YES!」「改憲、考えてみませんか」と毎日語りかける演出ができる。 これは特殊な話では全くない。電通をはじめとする広告代理店が広告活動として常日頃から行なっていることを国民投票に当てはめただけであり、”広告屋”にとってはごく当たり前のレベルにすぎない。現実には、もっと緻密で効果的な施策を打ってくるだろう。 そんな「広告宣伝」が人の意識に影響を及ぼすはずがない、などと考えるのはとんでもなく甘い。3・11以前、原子力ムラが徹底的に流布した原発広告や記事によって、国民の7割は国の原発推進政策を肯定していた。繰り返し繰り返し刷り込まれる広告の洗脳力を侮ってはならない。改憲派は圧倒的な資金量だけでなく、あらゆる広告テクニックにおいても絶対的に優位なのだ。◆CM禁止の法改正を しかし、この「カネがある方が圧倒的に有利」な状況はどうみても制度的におかしい。ちなみに国民投票を何度もやっているフランス、英国、イタリア、スペインなどの諸国では、テレビ・ラジオでのCMをほぼ全面的に禁止している(ただし国営放送・民間放送で、放映時間を平等にしたCM放送枠を無料で設定している)。欧州諸国は、電波メディアでの広告宣伝が国民投票に有害であることを十分経験して禁止しているのであり、日本もそれに倣うべきだろう。 私は、ジャーナリストの今井一氏が主宰する「国民投票のルール改善(国民投票法の改正)を考え求める会」に所属しこの制度上の問題点を改正すべく活動しており、今後国会議員にもその改正を働きかけるつもりだ。 これは賛成・反対どちらかのためにということではなく、資金量の差が国民の判断を誘導することがないようにすべきだ、という考えからだ。だから広告宣伝に費やせる上限金額の設定、両派の広告金額の均等化、さらにテレビCMの全面禁止など、欧州諸国並みの規制実現を要求していく。 しかし、議席の上で有利な改憲派が、法改正に応じるかどうかはわからない。むしろ、法改正を巡って紛糾している間に時間切れを狙って国会発議を仕掛ける可能性もある。 だから護憲派は、国会発議に必要な3分の2議席を握られている現実をもっと直視し準備しなければならない。徳川と豊臣の決戦に例えれば、難攻不落(と護憲派は思っている)の「九城(条)」の外堀も内堀も、すでに埋められている状況なのだ。反撃のための「真田丸」を構築すべく一刻も早く動き出さなければ落城は必至だろう。本間龍(ほんま・りゅう)著述家。著書に『原発プロパガンダ』(岩波新書)など。2017年5月26日 「週刊金曜日」 1137号 36ページ「改憲派が膨大な宣伝費を注ぎ込む『電通』に日本の将来を託すのか」から引用 このような記事を読むにつけても、思い出されるのは前回の国政選挙の直後の世論調査によれば、国会の3分の2以上の賛成があれば憲法改正の発議ができるということを知らない有権者が過半数だったという事実です。このような状況の有権者に対し、自民党と経団連が湯水のように電通に資金を注ぎ込んで、朝から晩まで憲法改正のCMを流せば、これはどのような結果になるか、容易に想像がつくというものです。有権者が冷静に憲法のことを考える機会をもつためにも、テレビCMの全面禁止など、欧米並みの規制実現を要求していく必要があると思います。
2017年07月17日
市民団体が盧溝橋事件から80年に当たる今月7日、都内で集会を開いたと9日の東京新聞が報道している; 1937年7月7日夜に中国・北京郊外で起き、日中戦争の発端となった「盧溝橋(ろこうきょう)事件」から80年の節目に合わせ、国会前で不戦を誓う集会が7日夜と8日に開かれた。計約350人が参加し「二度と戦争をしない国に生まれ変われたのか。自らの足元を問い直したい」と訴えた。(辻渕智之) 首都圏の有志グループ「日中戦争80年市民フォーラム」が主催。8日午後3時からの集会ではメンバーの植松青児(せいじ)さん(56)=東京都国立市=が「侵略戦争に直接関わっていない私たちの世代ですが、同じ過ちを繰り返さない、再発防止の責任はあります」と宣言文を読み上げた。 参加した千葉県我孫子市の会社員下地寿弥(しもじひさや)さん(27)は沖縄・宮古島の出身。「日本には過去の侵略を反省せずに否定する政治家がいる。軍事力も拡大しており、南西諸島で進む自衛隊の部隊配備は中国には威嚇に見えるのでは」と話した。 神奈川県大磯町の絵画講師、滝清子さん(61)も「『共謀罪』法が成立し、文化や芸術でも自由な表現ができない世の中になりかねない。自覚して発言していきたい」とマイクを握った。 【盧溝橋事件】 1937年7月7日、中国・北京郊外の盧溝橋で発生した日中間の軍事衝突。銃声をきっかけに、演習中の日本軍と橋を守備する中国軍が戦闘になり、全面戦争に突入した。日本は南京を占領するなど戦線を拡大したが、中国を支援する米英などとの対立が深まり、41年12月8日の太平洋戦争開戦につながった。2017年7月9日 東京新聞朝刊 12版 29ページ「戦争しない責任」から一部を引用 日中戦争の発端となった盧溝橋事件の日に反戦集会を開いたことは高く評価するべきことと思います。日本人が本当に戦争を反省したのであれば、盧溝橋事件から10年目とか20年目にも、このような集会を開いて「侵略戦争の反省」を確認しあうべきだったのですが、当時は中国や東南アジアで罪も無い民間人を殺害して何食わぬ顔で引き上げ、東京裁判にかけられることも免れた日本人が数多くいたために、当時のマスコミは「戦争の反省」などといっても、お題目程度のうわべの「反省」だけでお茶を濁してきたため、今日の歴史修正主義者が跋扈する原因となってしまったのは、実に残念なことです。歴史修正主義者の偽言を攻撃する仕事は、今後ますます重要になると思います。
2017年07月16日
刑事法学者で京都大学教授の高山佳奈子氏は、「共謀罪」法案の審議を中断して強行採決した安倍政権の違法性について、9日の東京新聞で厳しく糾弾している; 「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法の国会審議で、政府は「テロ対策」というまやかしの説明と、「一般人には適用されない」という条文に書いていないことを主張し続けた。野党の質問にまともに答えず、プライバシー権に関する国連特別報告者から寄せられた懸念も無視した。参院での議論を打ち切った「中間報告」は必要性や緊急性がなく、採決強行は手続き的にも違法だ。法の内容の正当性を国民に主張できないということを自ら認めたに等しい。 国際的には、罰則を厳しくしたり、監視の目を広げたりすることではテロを防げないということが共通認識になりつつある。必要なのは、対立構造の改善に向けた努力だ。 国連特別報告者は「共謀罪」法について、条約が求めている範囲より処罰対象が広く、プライバシー権を不必要に侵害するのに、防ぐための歯止めがないことを問題視した。ドイツや英国などにはプライバシー権を守るための独立機関があるが、日本には強い権限を持つ機関がない。 処罰に必要な要件である「準備行為」は、心の中の目的を調べなげれば認定できない。金田勝年法相の「花見ならピール、犯行現場の下見なら地図や双眼鏡を持っている」という国会答弁は、法を理解した上での説明ではなかった。 現行法でもテロに対処できるのに、政府は「できない」と強調した。市民をだまして法律を成立させるやり方は、民主主義の観点から許されない。審議を通じて法案の危険な本質や間題点が市民に届かなかった。他人事(ひとごと)ではないこと、場合によっては市民も対象になりうることをこれからも訴えていく。たかやま・かなこ 1968年生まれ。京都大学大学院教授。国際刑事法学会理事。「共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明」の呼び掛け人。2017年7月9日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「『共謀罪』対象、市民なりうる」から引用 この記事で高山先生が言ってるように、「共謀罪」法がテロ対策を目的とするという政府の説明はまやかしでした。その理由は、法務省で法案が出来上がったときには「テロ」のテの字も入っていなかったことが象徴的に示しています。また、政府はたびたび「一般人には適用されない」と言っておりましたが、何を根拠にそんなことが言えるのかという質問には、結局国民が納得するような答弁ができませんでした。それもそのはず、法案のどこにも「一般人には適用しない」などとは一言も書いてないのですから、当然です。こういうお粗末な法律は、政権が変わったらすぐに廃止するための算段を、今のうちから考えておくべきです。
2017年07月15日
自民党の政治家の不祥事が続いて、ようやく批判精神を発揮し始めたメディアについて、雑誌編集長の篠田博之氏は、2日の東京新聞コラムに次のように書いている; 安倍「一強」のおごりに起因する不祥事やスキャンダルが次々と噴き出ている。それに対する国民の反発に後押しされてか、このところメディアの政権批判が強まっている。 前川喜平・前文部科学事務次官のインタビューを収録しながら放送しなかったとして「萎縮メディア」と批判されたNHKは名誉挽回とばかり、6月19日に萩生田光一官房副長官に関する内部文書をスクープした。 それを受けて『サンデー毎日』7月9日号は表紙に「萩生田を証人喚問せよ!」と大書き。『週刊朝日』7月7日号も表紙に「官邸の『3悪人』を討て!」とぶちあげている。 そうした中で『週刊文春』7月6日号は、「下村元文科相『加計学園から闇献金200万円』」という新たなスクープを放った。下村博文衆院議員の資金集めパーティー券200万円分を加計学園が購入したのに、それが政治資金収支報告書に記載されていないと暴露したのだ。しかも当時、下村代議士は文科大臣で、加計学園問題の利害関係者でもあった。 『週刊文春』のこのスクープも、ネタ元は内部文書だ。この間、安倍政権を揺さぶる文書が次々と出てきているが、安倍「一強」の目に余る暴走を何とかしようという動きが広がっていることの表れだろう。 『週刊新潮』7月6日号は、豊田真由子代議士の「絶叫暴力」公開第二弾とともに、「美人代議士『金子恵美』が公用車で保育園」と題して新たな暴露を行っている。あのイクメン不倫スキャンダルで話題になった金子夫妻の妻の方が、総務政務官の公用車を自分の子どもや親の送り迎えに使っていたというのだ。 その『週刊新潮』は「『安倍チルドレン』自民党『魔の2回生』図鑑」と題して特集を組み、そのほかの幾つかの事例も紹介している。2012年の自民党圧勝の総選挙で初当選した「安倍チルドレン『2回生』」たちがいかにひどいかを、実例に即して明らかにしているのだ。 安倍政権のほころびが次々とあらわになっている。メディアがそれをどこまで追及できるかが問われていると言えよう。(月刊『創』編集長・篠田博之)2017年7月2日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「週刊誌を読む-ほころび続々 メディアに勢い」から引用 政治家も官僚も「公僕」であるということを忘れて安倍「一強」を忖度して行政を歪めることがあってはなりません。そのような不正が発覚した場合は、徹底追及するのがメディアの「使命」ですから、ここはしっかり頑張って「安倍内閣打倒」の戦果を挙げてほしいと思います。
2017年07月14日
東京都議会の選挙運動が終わった投票当日の東京新聞朝刊に、法政大学教授の山口二郎氏は選挙戦を振り返って、次のように書いている; この二週間ほど、政治の雰囲気は大きく変わった。追いつめられると、政治家はその場を取り繕うような発言をして、ますます墓穴を掘るものである。 安倍首相は、加計学園疑惑を払拭(ふっしょく)するために獣医学部の新設を全国で認めると言い出した。稲田防衛大臣は防衛相、自衛隊として自民党の都議候補の支援をお願いすると演説した。いずれも平常心を失っているとしか思えない言動である。これが平常心ならば、もっと深刻な問題だが。 政治家は民意に基づいて行動すべきだとはいっても、政治家は世論を都合の良いように解釈し、民意をないがしろにすることもある。やはり、選挙という制度を通して現れる民意は強力である。政府与党の政治家が周章狼狽(ろうばい)しているのも、東京都議会選挙を意識してのことだろう。選挙での逆風は、政治家を謙虚にさせる最良の薬である。 都議会選挙では、東京という自治体の政策を考えることがもちろん重要である。それと同時に、この選挙は国政にも大きな影響を持たざるをえない。憲法問題をはじめとして重要課題が待ち受ける国政の動向を左右するうえで、このタイミングで投票の機会を持つ東京都民は幸運であり、責任は重大である。 他県の有権者は東京都民をうらやましく思っているに違いない。この権利を無駄にしてはもったいない。(法政大教授)2017年7月2日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-選挙の威力」から引用 加計学園の獣医学部新設を認可するというのは戦略特区として認めるもので、これが成功した場合は全国に波及させる段取りにするという「建前」だったはずなのに、まだ始まってもいないうちから、成功したかどうかの検討ができる段階でもないのに、いきなり「全国に新設を認める」というのは支離滅裂な放言です。首相という責任ある立場の政治家が、こういうデタラメな発言をするというのは、どういうことなのか、国民は真剣に事態の「深刻さ」を考えるべきではないでしょうか。メディアも、もっと追及するべきと思います。稲田防衛大臣が「自衛隊として、自民党候補への投票をお願いしたい」と発言したのは、彼女が「追い詰められて平常心を失ったから」そういう発言をしてしまったとは、私には思えません。多分、この人は、発言した後、事務所に戻って他人から指摘されるまでは、それが不適切な発言であったという認識は、これっぽっちも無かったに違いありません。南スーダンに派遣された自衛隊員が「戦闘があった」と日報を送ってきても「そのまま読み上げると憲法違反になるから、『武力衝突があった』と読み替えた」などと答弁して何も疑問を感じないという人ですから、弁護士の資格は持っているとは言え、自衛隊法とか公職選挙法といった方面には全く疎い人のようですので、平常心であのような発言をしたというのはあり得ることです。ここまで来てしまうと、あの民主党政権のほうが、まだマシだったなと、つくづく思います。
2017年07月13日
哲学者の内山節氏は、2日の東京新聞にユニークな国家論を展開し、安部政治のあり方を批判している; 私の家がある群馬県の山村、上野村の暮らしが、いつのころからか私に、自然は主張をしないと感じさせるようになった。たとえば、こういう森をつくりたいとは言わないし、川をこんなふうに変えたいなどとも言わない。 自然の生き物たちはそれぞれの個性はもっている。タヌキはタヌキの生き方をしているし、そのタヌキたちの性格も、一匹一匹がけっこう多様である。木や草もそれぞれが個性的であるように、みんなが個性的な生き方をしているけれど、その全体としてつくられている自然が主張することはないのである。 このあり方が自然を持続させ、自然の無事を守る柱なのであろう。主張なく展開しつづけたからこそ、自然は自然でありつづける強さをもつことができた。 このかたちは人間の社会にも当てはまるのではないかという気がする。一人一人ほ個性的に生きている。だが、全体の社会としては主張することなく、無事に展開することだけを願いつづける。それができれば、自然が持続するように、社会も持続していくはずだ。 歴史を振り返ってみても、社会や国がある方向性を主張したときは、さまざまな問題を発生させている。大東亜共栄圏をめざし、世界の強国になろうという主張は、その後の敗戦を招いただけではなく、アジアの人々にも大きな禍根を残すことになった。その前史には、富国強兵をめざすという明治以降の国の主張があった。 国やそれを司(つかさど)る政府は、主張をもってはいけないのである。だから政府は憲法によって縛られ、憲法や法律を守ることが義務づけられている。それ以上の主張をしてはいけないということである。主張をしてよいのは一人一人の人間の方で、国民は自分の考え方を断固として主張してかまわない。 とすると政府は憲法にもとつく社会の調停者でなければならないということになる。たとえばインターネットが普及すれば、それを利用した新しい犯罪もでてくる。社会の無事を守る調停者としては、それに対応した法律をつくる必要性もでてくるだろう。外国との関係でも、社会の無事を守るために、調停者は何をしなければならないのかを迫られるときはある。 ところがいまの日本の政権は逆の方向に向かっている。自分の主張を押し通すことが正しいと思っているようだ。さらには共謀罪(テロ等準備罪)のような、一人一人の主張や行動を監視するような法案を強行採決してくる。これでは国は主張するが、国民は主張するなと言っているようなものだ。 逆なのである。国民一人一人は個性豊かに生き、自分の主張やそれに伴う行動をする自由がある。それに対して国や政府は主張することなく、全休の無事を守る調停者でありつづける。このかたちこそが大事なのだと私は思っている。 かつて日本の人々は、いろいろなことを自然から学ぽうとした。日本の伝統的な考え方では、社会とは人間の社会ではなく、自然と人間の社会のことだった。そして人間よりも優れた生き方があることを自然の営みから学び、それが自然に対する敬意へと結ばれていった。 自然の生き物は個性的なのに、全体としての自然は無事を守る調停者のように存在している。この自然のあり方には、私たちが学ばなければいけないものがある。(哲学者)2017年7月2日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-主張する国は災い招く」から一部を引用 国やそれを司る政府は主張をもってはいけない、という言葉は真実を言い当てていると思います。自民党総裁が首相になっても共産党委員長が首相になっても、首相の座についたからには自民党支持者と共産党支持者、その他の政党支持者をも含んだ全ての国民を代表するのが「首相」の立場です。したがって、国民の一部に「安部、やめろ」という声が出てきた場合は、首相としてそういう声に謙虚に耳を傾けるべきなのであって、「こんな人たちに・・・」などという表現を使って攻撃するのは、首相としてはあるまじき、間違った行為であると言えます。このような観点から、私たちはもっと良識をもった政治家を国会に送るように心掛けたいものだと思います。
2017年07月12日
議会制民主主義のルールを踏みにじって強行採決された共謀罪法について、慶応大学教授の大串尚代氏は2日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 今年3月に刊行された佐藤亜紀による小説『スウィングしなけりゃ意味がない』(角川書店)は、ナチス政権下のハンブルクに住むブルジョア階級の少年エディが、当時退廃音楽とされたジャズを水面下で流通させようと奮闘する青春物語だ。特に支持政党があったわけではないノンポリのエディだが、戦争の影が忍び寄り、世の中がおかしな状態になっていく中でも、自分がジャズを好きだという気持ち(心)を守る。 この作品が私の頭から離れないのは、共謀罪(テロ等準備罪)が国会での議論が尽くされないまま、成立したことと関係があるだろう。東京新聞は6月15日の朝夕刊でとりわけ大きな見出しでこの問題を伝えた。朝刊1面では、成立へのプロセスを「異常というしかない」と断じているが、多くの人々の心情を代弁していると思う。民主主義は「考えの異なる者が徹底した熟慮を行うことが前提だ。民主主義は時間がかかる」ことを私たちもまた、肝に銘じる必要がある。 16日朝刊では共謀罪の問題点を、条文と「対象277の罪」を掲載して指摘し(7面)、どこに着目すべきかを整理した。中でも「『心の中』の処罰」に注目すべきだろう(15日朝刊1、28面。16、17日朝刊1面など)。この間題は、2002年に文部科学省が道徳教材として小中学校に配布した「心のノート」を思い出させる。健全な社会生活を営むためという建前のもと、国家が国民の「心」の枠を用意し、「心」を掌握し捕囚する事態をどう考えるか問われている。またこれは「6・23『慰霊の日』沖縄の声を聞く」(24日朝刊26、27面)で「物言えぬ時代に戻りそうで怖い」と感じる人が取り上げられていることにも通じている。(後半省略)2017年7月2日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-『心』にこだわる報道を」から一部を引用 憲法違反の疑いが濃厚な法案が与党の数の力で審議を打ち切って強行採決されるのは、間違いなく民主主義の終焉であり、実際に仕事とは関係のない私的な時間の私語が原因で総領事が更迭されるという事態も発生しており、このまま安部政権を継続すれば、やがては一般人の言論表現にも警察が目を光らせる時代がくることになります。早めに政権を交代させるべきです。
2017年07月11日
欧米に多発するテロを、私たちはどのように理解するべきか。2日の東京新聞社説は、次のように述べている; 組織は壊滅しても拡散した思想は消せない。亡国の淵にあるイスラム国(IS)です。鬼っ子を生んだのはイスラム社会か、それとも欧米だったのか。 六月のパリは観光のベストシーズンですが、日本人の姿はほとんど見かけませんでした。 大規模なテロが一昨年1月と11月に起きた影響でしょう、パリに毎年60万~70万人宿泊してきた日本人観光客は昨年28万人に激減。今年はさらに下回りそうです。パリ好きで知られる日本人ですが、これほどの減り方は世界の中で突出しています。◆恐れるだけは思うつぼ 危険な場所への旅行を避けるのは賢明かもしれません。ただテロリストの思うつぼでもある。 思い出すのは、パリのテロで妻を失ったアントワーヌ・レリス記者が犯人にあてた手記です。 「君たちは、私が恐怖し、周囲の人を疑いのまなざしで見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが、君たちの負けだ。私はまだ、私のままだ」 残された1歳5カ月の息子と日常を取り戻す決意を宣言したのです。テロは、恐れるだけではかえって事態を悪化させるのです。 レリス氏はこうも記しました。「『憎しみ』という贈り物をあげたりはしない」――。テロに対して憎悪や暴力で応酬するのも犯人に屈したことになるからです。 ISの狙いはこうでした。相手国の社会や国民を分断し、弱さをさらけ出させる。そうすれば、一般の穏健なイスラム教徒からも自分たちへの支持が集まり、真のイスラム国家ができる――誠に身勝手で倒錯した論理です。 欧米社会だけでなくムスリム大衆からも非難され、ISの野望は幻想でしかないでしょう。ただ、それで「終わり」にしていいはずはない。◆欧米側に原因が内在 直視すべきは、ISという怪物がなぜこれほどまでに伸長したのか、若者が同調して戦闘員になったのかという事実です。 「ジハード(聖戦)に命をささげれば尊い殉教者になれる」という思想に身を投げたわけですが、裏返せば、彼らに生きる意味や価値を与えられなかった社会にこそ問題があるのではないか。 15年ほど時計の針を戻しましょう。テロリストを根絶すれば中東の民主化が実現できるなどという米国のネオコン思想が暴走し、理不尽なイラク戦争は泥沼化。アルカイダから派生したISの誕生を招いてしまった。 今から6、7年前に起きた「アラブの春」も、独裁政権を倒して民主主義を植え付けようと米国が黒子に徹して進めたが、さらに恐ろしい事態を生みました。エジプトやリビアなどで独裁政は閉じた一方、シリア、イエメンなどが無法地帯となり、大量の難民は今なおあふれ出しているのです。 当時はまだ「世界の警察官」を自任していた米国が良かれと取った行動は、思慮が浅すぎたとまでは断定できませんが、結果的に過激派を増殖させ、中東を世界を一段と不安定化させたのです。 米国ばかりの非難は適切でもありません。欧州、中でもテロが頻発したフランスには、やはり原因が内在します。 フランスの中東研究の権威で、自らもチェコ移民家庭に生まれたジル・ケペル氏は、イスラム系移民の子孫をうまく受容できない仏社会に原因を求めます。パリのテロ後に刊行した『フランスにおけるテロ、フランス人ジハーディストの起源』に記す。 フランスは大戦後の経済成長期に、旧植民地のアルジェリアなどから大量の移民を受け入れた。安価な労働力です。 だが移民2世の世代になると、経済は減速し移民向け予算は削られ、貧困や「アイデンティティー(自己の)喪失」という難問が出てきます。自由で平等な同じ市民のはずが厳しい政教分離原則でイスラムの振る舞いを制限される。 「自分はいったい何者か」 そんな疑問と仕事につけない不満からイスラム過激派思想に取り込まれる若者が相次ぐ――。 スカーフやブルキニ(イスラム水着)の禁止も、IS掃討のための空爆参加も、それがフランスの原則からは正しいとしても、アラブ社会の反発を買うならISにつけ込む隙を与えてしまうのです。◆たゆまぬ包摂の努力を フランスは国民の10%近くをイスラム系移民が占めるが、ケペル氏によると、中東・イスラム社会の専門研究が足りない。当然、国民の相互理解も不十分になります。 政教分離原則は譲ることのできない国是だとしても、必要なのはその理念を一方的に押し付けるのでなく、苦悩や痛みを包摂する寛容さではないでしょうか。ただの優しさではなく、理性への信頼なのです。2017年7月2日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「社説-テロをつくったのは?」から引用 この社説は長文であるため、論点は数多く挙げることができるが、欧米にイスラム過激派のテロを発生させた責任は欧米にあるのか、イスラムの責任か、といえば、私は欧米に責任があり、パリやロンドンがテロの被害を受けるのは、大昔の植民地支配の反動でテロが起きるのであって、因果応報だと思います。一昔前にはやったアメリカのネオコンなどは、テロリストを根絶すれば世界は平和になって民主主義が発展するなどと言ったのだそうですが、盗人猛々しいとはこのことで、今日の欧米社会の自動車産業の隆盛は、イスラム圏の石油を安く買い叩いて成立している。欧米社会の人間もイスラム圏に暮らす人間も、同じ人間として平等な経済的権利を保有するという考えに立てば、イスラム圏に暮らす人間も欧米社会の人間と同じレベルの生活環境が提供されて然るべきですが、それができないのは、長年にわたって欧米がイスラム圏を収奪してきているからです。また、この記事では、7年前に起きた「アラブの春」はアメリカが黒子に徹して民主化を進めたなどと記述していますが、その認識は人が好すぎると思います。アメリカが「アラブの春」などと称して独裁政権を転覆させたのは、民主的な政権の樹立などという「きれい事」が目的ではなくて、独裁政権が「アメリカ資本によるアラブの収奪」を妨げる存在で邪魔だから抹殺したのだと、こういう基本的な認識を欠いた「社説」では、これは毒にも薬にもならないだろうと思います。
2017年07月10日

憲法学者が都内で開いた集会について、2日の東京新聞は次のように報道している; 憲法改正を目指す動きが本格化する中、立憲主義の重要性を考えるシンポジウムが1日、東京都千代田区の日本大学法学部大講堂であり、約250人(主催者発表)が参加した。 政府が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した2014年7月1日からちょうど3年を迎えたこの日、憲法学者でつくる全国憲法研究会が主催。代表を務める早稲田大の長谷部恭男教授が冒頭で「これまで解釈改憲や共謀罪法成立など、憲法や刑法の基本原則をきちんと説明もせずに変えるという流れが続いている」と問題提起し、開幕した。 その後に行われたパネルディスカッションでは、安倍晋三首相が憲法9条の1、2項を残しつつ、自衛隊の存在を明記するという改憲案を示したことについて、早稲田大の西原博史教授が「憲法で何が許されて、何が許されないか、よりあいまいにするような改憲の構想だ。憤りを感じる」と発言。東北大の佐々木弘通(ひろみち)教授は「自衛隊を正式に憲法に位置付けるためには本来、2項を削除しなければいけない。憲法を改正したという実績が作りたいのではないか」と指摘した。2017年7月2日 東京新聞朝刊 12版 29ページ 「改憲構想に憤り」から引用 結党以来の目標である憲法改正について、自民党はそれなりに議論を積み重ねて世論に働きかけてきたのであるが、そういう地道なやり方ではとても自分の任期のうちには実行できないと気がついた安部首相は、まるでちゃぶ台返しのように、今までの議論は全部捨てて、反対意見の多い「9条の変更」はやらないで、9条の条文はそのまま残して、自衛隊の存在を付け足すというアイデアを発表しました。これは改憲構想などという大層なものではなく、単なる思いつきに過ぎません。何しろ自分の手柄にするためには、今年中に改正案文を作り上げて来年の国会で発議するという、議論も話し合いも無用でごり押しする作戦のようです。こういう無茶苦茶を、許していいのかどうか、国民は慎重に判断しなければなりません。
2017年07月09日
先頃訃報が伝えられた俳人の金原まさ子氏について、2日の東京新聞コラムは次のように書いている; 【不良】・・・「質・状態がよくないこと。また、そのさま」。「品行・性質がよくないこと。また、その人」。字引は実にさっぱりとしたものである。 されど、その人は【不良】の中に字引では説明されぬ価値を見ていたのか。不良と呼ばれることを宝物のように考えていた。「百六歳の不良少女」。俳人の金原(きんばら)まさ子さんが亡くなった。 高齢の俳人として注目を集めたが、その作風は年齢による落ち着きや柔らかさとは無関係でもあった。 エスカルゴ三匹食べて三匹嘔(は)く 菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ 百万回死にたし生きたし石榴(ざくろ)食う 独特の感性と世界観は読み手の心をざわつかせた。百歳を超えても排句というナイフを強く、鋭く振り回し続けていた。そんな印象がある。 幼い子を自分の過ちで亡くした過去がある。夫の家出と自分の不貞についても告白している。波高い人生の間に積み重なった悲しみや人間のどうしようもなさ。そのハイクツクリは人の「不良」な部分を受け止め、愛(いと)おしいとさえ思っていたのだろう。その心持ちがぷんと人間の臭いがする不思議な句に刻まれていた。 「いい人は天国へ行けるし わるい人はどこへでも行ける」。句集「カルナヴァル」(草思社)の中に、こんな言葉があった。もちろん天国には行ける。だが、少女はおそらく、そこだけにとどまってはいないだろう。2017年7月2日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 この記事が金原まさ子の作風について、高齢になっても落ち着きや柔らかさとは無関係であったと記しているところが、私は大変気に入りました。また、私たちの通俗な価値観では、いい人は天国へ行くと聞けば、じゃあ悪い人は地獄だと条件反射のように考えがちですが、金原まさ子にかかると「わるい人はどこへでも行ける」。この言葉は世の中の真実を言い当てているのではないか、と直感的に感じました。
2017年07月08日
郵政民営化の構造的欠陥とは(7日の日記) 昨日の欄に引用した「日本郵政巨額赤字」の記事の続きでは、日本郵政がオーストラリアの物流会社を買収しようと準備していたその時、実は現地ではその会社は既に業績不振のために従業員をリストラする準備をしていたのだったが、何故か日本には報道されず、日本郵政は傾きかけた企業を異例の高額で買収した事実が語られている;(昨日の続き)―― 日本郵政が持っている公的財産を私物化するためには、郵政監察が邪魔だったので民営化に乗じて廃止したということですか。【稲村】 そうです。1万円で叩き売ったことが大問題になった「かんぼの宿」がその典型です。これは郵政民営化の構造的欠陥といえます。だから郵政民営化をしてから10年経った今、制度を戻すことを含めて検証するべきです。ちなみにニュージーランドも郵政民営化をしましたが、失敗して公営に戻しています。米国の一部勢力が日本に郵政民営化を勧めましたが、米国でさえ郵便事業は国営です。 実は、小泉政権が郵政民営化を進めようとしていた時、米国の郵政関係者に「日本は郵政民営化で監察制度をなくそうとしているがどう思うか」とたずねたら、「郵政民営化は日本政府の国内問題で、米国から批判すると『内政干渉』と言われかねない。それにブッシュ政権内でも日本の郵政民営化に賛成している人もいる」という理由で表だった批判はしませんでしたが、オフレコの本音としては「国際的な郵政監察ネットワークにも穴が開く。テロ対策にもマイナスだ」とあきれていました。―― 今でも郵政グループは時価総額1兆円以上の土地を所有していますが、野村不動産の買収で、こうした不動産切り売りを加速させる思惑が透けてみえます。【稲村】 かんぼの宿と同じことが罷(まか)り通れば、一部の人たちへの利益供与となるでしょう。トール社の巨額損失の徹底検証と再発防止策作成をしないのでは、同じ事態を招くのは当然のことです。 いま進んでいる幕引きのシナリオは「療養中で行方不明の西室前社長だけに責任をなすりつけて他の幹部が延命」というものです。高齢で社長になった西室氏にトール社買収を勧めた取り巻き幹部の責任も重い。 私と菊池英博氏は共著『「ゆうちょマネー」はどこへ消えたか ”格差”を生んだ郵政民営化の真実』(彩流社)で、長門社長にさまざまな提言を行ないました。◆竹中平蔵氏の大罪―― その共著は2016年4月出版ですね。本のなかで予測した通り(コラム参照)、250億円の均等償還に耐えられなくなった日本郵政は4月、約4000億円の損失を計上しました。「予言の書」となりましたね。【稲村】 トール社の買収を実施した時点から問題のある会社であることはわかっていました。英紙『フィナンシャル・タイムズ』も「49%のプレミアムをのせた」と報じていました。つまり実際の価値の2倍で買収したのです。今年4月よりも早く手を打つことは可能でした。 今年2月13日にオーストラリアの日刊紙に、日本人がお金を出して買収したのに現地で嫌われていることを示す記事が出ていた。漫画と写真付きで、トール社(従業員約4万人)に日本刀が飾ってあって「あなたのクビを切るためのもの」と解説がついています。業績悪化で約4000人のリストラを実行、険悪な労使関係となつていることを物語っていたのです。この時点で気が付いていれば、さらなる事態の悪化を防げたはずですが、日本のマスコミは報道しなかったのです。 最初の発想から間違っていました。経済財政諮問会議で竹中平蔵氏がなぜか「国際物流が重要だ」と突然言い出し、西室社長(当時)が同調したのです。 米国の保険会社アフラックが全国の郵便局の窓口で独占的にがん保険を販売できるようにしたのも、西室社長時代のことです。この独占的販売については、公正な競争に反するとして米国の有識者が問題視するほどの露骨な利益供与でした。◆民営化全体を見直せ―― 日本郵政が国際物流に手を出すきっかけを作ったのが、竹中平蔵氏というのはわかりやすい構図ですね。【稲村】 鉱石など重い荷物を運ぶトール社などの物流会社と、小包など軽い荷物を大量に届ける郵政事業は、ノウハウが全く違います。未経験の異業種に進出しても上手くいくはずがないのです。「国外の物流会社買収で株価を上昇させて郵政の株を完全売却しよう」とする竹中民らのシナリオに乗り、巨額損失を招いたのではないでしょうか。この経緯を西室氏はまだ語っていません。 かつて日本通運と日本郵便が作った合弁会社「JPエクスプレス(JPEX)」が倒産、1100億円の損失を出した責任者の一人こそ、日本郵便の社長に抜擢された横山邦男氏と言われています。過去の巨額損失の責任を取らないまま、トップに復帰したのです。 郵政民営化から10年経った今、その是非を検証することは不可欠です。かんぼの宿の叩き売り、JPEXの倒産、そしてトール社買収の巨額損失など、国民の財産が私物化されたとしか見えない不祥事が闇のなかで続いているからです。郵政公社に戻すことを含め、根本的な制度設計から見直すべきなのです。 * * * 莫大な「ゆうちょマネー」が”閣に消える”恐れは10年以上前から指摘されてきた。それが現実なった以上、国会による検証と抜本的な見直しが必要だ。聞き手・まとめ/横田一(ジャーナリスト)2017年6月9日「週刊金曜日」 1139号 22ページ「日本郵政巨額赤字の元凶は東芝出身の西室泰三前社長だ」から一部を引用 竹中平蔵という人は、今では大学教授と企業経営者の二足のわらじで、ときおりスキャンダルめいた記事に名前が出てきます。郵政民営化は、これで良かったのかどうか、検証してみるべきだと思います。
2017年07月07日

巨額赤字を計上した日本郵政について、元日本郵便副会長の稲村公望氏は「週刊金曜日」のインタビューに応じて、次のように怒りの激白をしている;――日本郵便の副会長まで務められた稲村公望さん(68歳)が実名で告発する意味は大変重いですね。副会長時代、会社経営にはまったく口をはさめなかったそうですが、内部事情には通じていますから。巨額赤字の背景を聞く前にまずは5月中旬、突然報道された日本郵政グループによる野村不動産ホールディングス(HD)の買収構想についてどう思われるかをお聞かせください。【稲村】 オーストラリアの物流会社、トール・ホールディングス(トール社)買収で約4000億円の損失を出しても、日本郵政の長門正貢(ながとまさつぐ)社長は「いい教訓になった。今後も国内外でM&Aを進めていきたい」と積極姿勢ですが、その逆の対応をするべきです。上手くいかなかったM&Aを止めなければ、また巨額の損失を出すことになりかねません。 そもそもトール社買収を決定した西室泰三(にしむろたいぞう)社長(当時)が、全く説明責任を果たしていない。健康上の理由で姿をくらましていて、表に出てきていない。医師同伴で記者会見(3月3日)や証人喚問(3月20日)に応じた石原慎太郎・元都知事と同様、都の百条委員会のような真相解明の場を作って西室氏を出席させることが先です。トール社の高値買収の背景には、オーストラリアの一部勢力への利益供与があったとも囁(ささや)かれています。闇の部分を明らかにするべきなのです。――当時社長だった西室氏がトール社買収を強引に決定したわけですね。西室氏が東芝時代に決定した米原発子会社ウエスチングハウスの買収により、東芝はいま巨額減損、経営破綻(はたん)で解体の危機に瀕しています。構図が同じですね。【稲村】 西室氏は、安倍政権の要請で2013年に日本郵政社長に就任しますが、当初から「世界全体を俯瞰(ふかん)した物流業を作り上げる」「日本の金融業界、物流業界の最先端を行く」などとぶちあげていました。当時、政府が保有していた郵政株を、株式上場時に高値で売却するために、西室氏は派手な化粧をする必要があったのでしょう。――土壌汚染対策費に800億円以上もかかった東京ガスのエ場跡地の購入決定をした石原元知事に対しては、578億円の公金支出返還を求める住民訴訟が起きています。巨額損失を出す原因を作った西室元社長に対しても株主代表訴訟が起きても不思議でないようにみえますが。【稲村】 株主代表訴訟は起きて当然でしょうし、経営責任を問うために起こすべきでしょう。ただ日本郵政の株式は現在、国が約80%持っています。筆頭株主の政府がまず責任追及の先頭に立つべきです。 郵政民営化は小泉政権時代に劇場型政治で行なわれたのだから、国会で衆参の総務委員会を開いて、トール社買収について徹底的に検証していないとおかしい。「巨額損失を出した原因は何なのか」「利益供与などの不正はなかったのか」「再発防止のために何をすればいいのか」といった議論をするべきです。◆郵政監察制度の復活を――郵政監察制度の廃止が、今回の巨額損失を招いた一因といえるでしょうか。【稲村】 その通りです。「郵政の警察」とも言うべき郵政監察制度が残っていれば、トール社員収を担当していた幹部は捕まっていたことも十分ありえたでしょう。 こんな構図が思い浮かびます。それは「私利私欲に走りそうな民間人が日本郵政の幹部となり、トール社の関係者と組んで高値買収した際、裏金を分け合った」というものです。日本郵政に郵政監察制度が残っていたら、怪しい動きをした幹部たちを徹底的に取り調べたことでしょう。 私が常任理事を務めた日本郵政公社時代、郵政監察官と酒を飲んでいたら「稲村さん、あなたは東大出身で偉そうにやっているが、変なことをしたら捕まえるからね」と言われました(笑)。郵政監察局は人数は少ないけれども、組織上、郵政公社では最上位に位置していた。巨額損失の再発防止には、郵政監察制度の復活が不可欠です。難しい話ではありません。郵政民営化前の郵政公社の組織形態に戻せばいいだけの話です。日本の郵政民営化によつてできた”郵政監察空自国”という穴をふさぐことにもなります。こうした制度の再設計の議論を国会でするべきなのです。 機能警察である郵政監察制度の発祥地は米国です。米国では郵便物を使ったテロや麻薬売買の犯罪が横行し、これを専門的に取り締まる郵政監察制度ができていったのです。郵政監察官は、郵便物にお金が入っていたらすぐにわかる。検閲をしない形でさまざまな対策をしてきたのです。こうした郵政監察制度は米国から世界各国に広がり、国際インターポールと同じように国際的な捜査協力をすることもできるのです。(後半省略)2017年6月9日「週刊金曜日」 1139号 22ページ「日本郵政巨額赤字の元凶は東芝出身の西室泰三前社長だ」から一部を引用 今年の春に日本郵政が赤字を計上したというニュースは聞きましたが、世間ではあまり話題にならずに終わったような印象でした。それからしばらくして郵便料金が一部値上げになると聞いて、何が原因の値上げなのか不思議に思ってましたが、まさか裏にこんな問題があるとは知りませんでした。経営トップに不正な金のやりとりがあったのか無かったのか、事実を明らかにしてほしいものです。
2017年07月06日
静岡県の知事選で勝利した川勝平太氏は、これからの任期中に中部電力から原発再稼働への同意を求められても拒否する意向であると、6月28日の東京新聞が報道している; 25日投開票の静岡県知事選で三選を果たした川勝平太知事は27日、県庁での記者会見で、中部電力浜岡原発(御前崎市)の再稼働について、任期の4年間に中電から同意を求められても同意しない意向を明らかにした。川勝知事はこれまで、使用済み核燃料の置き場が無いことなどを理由に「再稼働できる状況にない」と主張していたが、不同意を明言したのは初めて。 川勝知事は「中電から再稼働したいとの要請があっても同意しないということか」との報道陣の質問に、「そういう意味だ」と答えた。さらに「一般論として原発賛成か反対かではなく、中電の浜岡原発についてどう思うかということ」と前置きした上で、「4年間で同意を求められることはないと思うが(同意を求められた時は)きちっと筋を通して申し上げる」と話した。 原発の安全規制に関する法的権限は国に一元化されており、知事に再稼働を止める法的な権限はない。国のエネルギー基本計画では「立地自治体等関係者の理解と協力を得るよう、取り組む」とされている。県と地元4市(御前崎、牧之原、掛川、菊川)、中電の3者で結ぶ安全協定には再稼働の事前了解に関する規定はない。 中部電力本店広報部は27日、本紙の取材に「会見での知事のご発言の内容の詳細について承知しておらず、コメントできない」とした。2017年6月28日 東京新聞朝刊 11版S 2ページ「浜岡再稼働 同意しない」から引用 川勝知事の主張は論理が明快です。危険な使用済み核燃料の保管場所も確保できないのに再稼働するというのは、住民の安全を無視した暴挙ですから、再稼働に同意できないというのは当然のことです。経済的な理由だけで、知事の同意も得ずに再稼働というのは、いくら中部電力でもそれはできないだろうと思います。
2017年07月05日
都議会議員の選挙に防衛大臣の立場から応援するという違法行為をはたらいた稲田防衛相について、6月28日の東京新聞は、次のように書いている; 「防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」。稲田朋美防衛相が27日、東京都議選の応援演説で自衛隊の政治利用とも受け止められかねない発言をした。「軽率だ」。身内である自衛官や識者からは批判の声が上がった。 「なぜ余計なことを言うのか」。発言に自衛隊の中堅幹部は憤る。自衛隊を巡っては、安倍晋三首相が憲法9条に存在を明記する文言を追加するよう5月に提案し、秋に想定される臨時国会で自民党憲法改正案を提出したいと発言したばかり。 国民は自衛隊と政治との関係に関心を持ち始めているとして「いつも以上に発言内容には配慮が必要なのではないのか」と苦言を呈した。 自衛隊法は61条で、自衛隊員の政治的な目的による行為を制限。別の幹部は「われわれは政治的主張ができないのに、稲田氏に勝手に応援演説で利用されたと感じる。全自衛官が自民党支持と誤解されてしまうのではないか」と肩を落とした。 日本大の岩井奉信(ともあき)教授(政治学)は「防衛省や自衛隊は特定の政党や政治勢力から独立していなければならない。閣僚とはいえ選挙の応援はあくまで1人の自民党員としてするもので、発言は行き過ぎだ」と指摘。 その上で「防衛省や自衛隊と政治の関係は特に敏感な問題で、歴代の閣僚は発言に気を使ってきた。自覚が足りないと言われても仕方がない」と資質を疑問視した。2017年6月28日 東京新聞朝刊 11版S 2ページ「全自衛官が自民支持と誤解されるのでは」から引用 公務員の立場を利用した選挙活動は違法であることは、当ブログの常連さんであれば周知のことで、学校の先生が日曜日の私的な時間帯でも選挙活動はまかりならん、などとコメントした人もいたような気がしますが、稲田大臣の場合はウィークデーの白昼に堂々と「防衛大臣としてお願いしたい」と発言しており、これは本来ならば内閣が総辞職するほどの大事件であるのに、東京新聞のこの書き方は、ちょっとおかしいと思います。東京新聞に限らず、どのメディアも「その日のうちに発言を撤回しているから問題ない」というかのような論調ですが、しかし、それは、万引を指摘された犯人が「その日のうちに、その商品を店の陳列棚に戻したから問題はない」と言っているようなもので、私たちはこういう問題をうやむやにしてはならないと思います。
2017年07月04日
歴史家の趙景達(チョキョンダル)氏が執筆した岩波新書「植民地朝鮮と日本」には、戦時下の朝鮮半島で人々がどのように労働動員され、慰安婦はどのように集められたかという問題について、次のように書かれている;◆戦時労働動員 一般に「強制連行」といわれる労働動員は、3つの階梯をたどっている。39年から企画院が立案した労務動員計画(42年から国民動員計画)に基づいて各年度の必要労務動員が算出され、朝鮮にも割り振られるようになった。 これはまず、39年度分について7月4日に労務動員実施計画綱領として閣議決定された。9月から実施され、当初は「募集」方式であった。これが第一段階であるが、7月29日に内務省・厚生省が各地方長官に通達した「朝鮮人労働者募集要項」に則って行われた。総督府が指定した地域で、企業主が募集を行うのだが、「募集」といいながら、警察が割り当てた人数は強制的に供出された。第二段階は「官斡旋」で、総督府が42年2月20日に決定した「労務動員実施計画による朝鮮人労務者の内地移入斡旋要項」に則って行われた。「募集」が強制的で逃亡者が多かったため、より強制力をもたせたのが「官斡旋」である。この方式は、総督府の外郭団体である朝鮮労務協会が一元的に徴発業務を行い、村々に割り当てた人数を村落有力者の責任において有無をいわせずに徴発するものである。団体訓練をしたのちに、隊伍を組んで企業側に引き渡した。だが、逃亡がやむことはなかった。そこで第三段階として、逃亡を絶対許さない法強制が行われるようになる。44年9月から、国民徴用令による一般徴用を朝鮮でも実施したのである。面職員や警官などが駆け回って徴用を行った。だが、それでも忌避や逃亡は収まらなかった。かえって官吏への暴行脅迫などが頻々と行われるようになった。自責の念にかられた面職員が面民を率いて山中に逃れるような事態も生じている。 結局、労務動員は計画では86万人ほどであったが、実際には66、7万人に止まった。朝鮮民衆の抵抗の強さを物語っている。とはいえ膨大な数である。彼らは当時「移入労働者」といわれ、ひとたびそうなれば、その労働と生活は悲惨であった。タコ部屋に入れられ、日本人がやらない危険な仕事をさせられた。そして、給与は強制貯金させられ、退職時まで渡されることはなかった。半数以上の者はついに給与を受け取ることなく解放を迎えている。◆軍慰安婦と挺身隊 日本が行った人的動員として「強制連行」と並んで悪名高いのは、日本軍慰安婦の徴集である。軍慰安所は、1932年1月の上海事変以降、設置されるようになり、大量虐殺と婦女暴行などが問題となった37年12月の南京事件以降、大量設置の時代となる。慰安婦の徴集には派遣軍だけでなく、統制面で陸軍省も深く関わった。 朝鮮では、当然に総督府が関わったが、現地の軍慰安所の状態を把握したうえで、徴集された女子の身分証明書の発給や移送業務などに協力した。徴集に当たったのは軍から指定された業者だが、その対象となった女子は、ほとんどが20歳末満の未成年であった。性病防止の必要から処女が求められたからである。業者は、貧困農家出で教育をさほど受けておらず、就職先に窮するような娘をもっぱら徴集対象とした。女工ということで応募したという就職詐欺が多いが、人身売買もあった。また、班長・区長の説得による半強制的なケースや、巡査・憲兵による拉致も少なくない。末端公職者や官憲などは、業者と連携するケースがあったということである。「処女供出」の流言は、すでに38年頃から広まり、急遽(偽装)結婚したり、身を隠す娘が出始めていた。それでも、甘言や拉致などの「処女供出」はやまなかった。慰安婦の総数は5万人から20万人と諸説あり確定できないが、そのうち朝鮮人慰安婦は、数万人と見積もられている。彼女たちは、戦地で「性奴隷」として苛酷な労働を強いられた。 女子は、一般の労働力としても動員された。44年2月10日、朝鮮女子青年錬成所規定が制定され、4月から皇民化教育と労働訓練が行われた。また同時に、女子勤労挺身隊の動員が始まった。やはり実質的には、「官斡旋」方式で動員された。対象者は12歳から20歳程度までの未婚者である。もっぱら日本国内の軍需工場に送られた。しかし、女子勤労挺身隊に入ったはずが、慰安婦にさせられるケースも少なくなかった。挺身隊とは男女を問わず、勤労部隊一般に使われた言葉だが、いつしか挺身隊=慰安婦と思われるようになった。44年8月23目には、日本「内地」と同時に女子勤労挺身令が朝鮮にも公布された。(以下省略)第7章 参考文献尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店,2003年)河合和男・尹明憲『植民地期の朝鮮工業』(未来社,1991年)許枠烈(保坂祐二訳)『植民地朝鮮の開発と民衆』(明石書店,2008年)姜徳相『朝鮮人学徒出陣』(岩波書店,1997年)金英達『創氏改名の研究』(未来社,1997年)金英達『朝鮮人強制連行の研究』(明石書店,2003年)洪宗郁『戦時期朝鮮の転向者たち』(有志舎,2011年)趙景達「「韓国併合」の論理とその帰結」(『朝鮮史研究会論文集』49,2011年)外村大『朝鮮人強制連行』(岩波新書,2012年)樋口雄一『戦時下朝鮮の民衆と徴兵』(総和社,2001年)樋口雄一『戦時下朝鮮の農民生活誌』(社会評論社,1998年)樋口雄一『協和会』(社会評論社,1986年)朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』(未来社,1965年)松田利彦「植民地末期朝鮮におけるある転向者の運動」(『人文学報』79,京都大学人文科学研究所,1997年)水野直樹『植民地期朝鮮・台湾における治安維持法に関する研究』(平成8-10年度科学研究費補助金研究成果報告書)水野直樹『創氏改名』(岩波新書,2008年)宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』(未来社,1985年)宮田節子ほか『創氏改名』(明石書店,1992年)趙景達 略歴1954年東京都生まれ1986年東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退 専攻-朝鮮近代史・近代日朝比較思想史 現在-千葉大学文学部教授 著書-『異端の民衆反乱』(岩波書店,1998年) 『植民地期朝鮮の知識人と民衆』(有志舎,2008年) 『近代朝鮮と日本』(岩波書店2012年) 編著-『比較史的にみた近世日本』(共編者,東京堂出版,2011年) 『植民地朝鮮』(東京堂出版2011年) 『近代日朝関係史』(有志舎,2012年) 『講座東アジアの知識人』全5巻(共編者,有志舎,2013年~)趙景達著「植民地朝鮮と日本」(岩波新書1463) 207~210ページから引用 ここに書かれた事柄が、現代の歴史学の到達点であり、私たちが歴史認識を語り合う場合にも「根拠はなんだ」とか「史料はあるのか」とか、不毛な議論を避けるのに役立つのではないかと思います。
2017年07月03日
この春朝鮮民主主義人民共和国を訪ねた「週刊金曜日」の野中大樹記者は、同誌6月2日号に次のように「現地リポート」を書いている;「すみません、おかけになって、もう少々お待ちください……」 平壌市内にある冷麺店「玉流館」は、ちょうどお昼時とあって混雑していた。 席がなかなか空かないことに、案内してくれていた朝鮮対外文化連絡協会(対文協)課長の桂成訓(ケソンフン)さんはフロアを覗いては戻ってきて「もうまもなくだと思いますので」と釈明しながらオロオロしている。「あ、空きました。さあ皆さん、中へ!」 入ると、ピーク時の飲食店らしい熱気がふわっとつたってきた。会社員、工場労働者、家族連れ。雑多な顔ぶれが冷麺をツルツルとすすっている。両手に料理を抱えたスタッフが厨房とフロアをせわしなく行き来している。 日本で食べる冷麺とは違って、朝鮮の麺は男っぽい。「そば粉、じゃがいものでんぷん、メリケン粉。三つの絶妙な割合がこの味の秘訣なんですよ」 平壌一おいしいと言われる伝統店の麺を食べながらウンチクをたれる桂さんに、絶妙の割合とやらを質問してみた。「それは・・・機密事項です」。知らないんでしょ?と突っ込むと「すみませんっ!」と白状した。 冷麺は朝鮮でもっとも親しまれた日常食の一つだ。かつては製麺機を持つ家庭も多かったが、生活スタイルの近代化にともない、いまではスーパーで売っている麺を自宅で茹でて食べる人がほとんどだという。現に、街中のスーパーでは複数種のインスタント冷麺(生麺、乾麺)が陳列されていた。 時代とともに食べ方は変わってきているが、冷麺文化は現代でも庶民生活の隅々で息づいている。 こんな暗喩(あんゆ)があるという。「君は、いつになったら冷麺をご馳走してくれるんだい?」 儒教の影響が強い朝鮮では結婚適齢期の男女にはおしなべて「いつになったら結婚するのか」という年配方からのプレッシャーがかかる。女性は結婚して子どもを産むのが当たり前-日本でも過去の遺物とは言い切れぬ”常識”が、ここ朝鮮でも根強くある。 そういう時、男性にはストレートに聞けても女性に聞くのはちょっとデリカシーに欠ける。だから、結婚式では必ず食べるしきたりの冷麺を引き合いに「いつご馳走してくれるの?」と投げかけるのだそうだ。 街中では腕を組むカップルをよく見かける。現在50歳の日本研究所・上級研究員の雀光明(チェグアンミョン)さんは「われわれの世代では公衆の面前で男女が腕を組んで歩くなんて考えられませんでしたよ。これも社会の発展ですね」と笑う。 デパートの家具売り場では新婚らしき夫妻が洋服ダンスやダブルベッドの前で談笑している。帽子コーナーでは若い女性が帽子をかぶってはとり、別の帽子をかぶってはとり、をくりかえしながら鏡の前で顔の角度を上下左右に動かしている。 食文化や結婚観念、ファッションは時代とともに変遷し続ける。◆底知れぬ不信感 朝鮮でなかなか変わらないものの一つがメディア統制だろうが、滞在中「ここは写真撮らないで」と言われた場所は市街地でも農村でもほとんどなかった。あらかじめ撮影は控えてほしいと求められた対象は2点。軍人・軍関係施設と、建設作業員の姿だ。 国家機密が含まれているかもしれない軍関係はともかく、建設作業員の姿を撮ってはいけない理由があるのだろうか? 桂さんの説明はこうだ。 「本当はこの国のありのままの姿を見てほしいのです。ただ、これまで日本のメディアにはさんざん悪意に満ちた報道をされてきました。汚れたシャツを着た建設作業員の姿を撮って『これが貧しい北朝鮮の人々だ』というような報じ方です」 たしかに日本の「北朝鮮報道」にはその類のものが少なくない。「貧しい時もありました。90年代は災害が続いて農作物がやられ、餓死者まで出てしまった。この国が本当に苦しかった時代です。そういう苦しい時代を乗り越えて、やっといまの生活レベルにまで辿り着いたのです。それなのに、朝鮮の人々が苦しかった時代をあげつらって、貧しい、汚いといったイメージを流し続けてきた国のメディアに、朝鮮の人々は深く傷つけられてきました。その気持ちはわかってほしいのです」 日本をはじめとする海外メディアへの不信感は、平壌市内の自然博物館を訪れた時にもまのあたりにする。 地球の誕生から人類の二足歩行まで、模型と音声を駆使して子どもも大人も楽しめるよう工夫が凝らされた同博物館は見応えのあるものだったし、多くの小学生がクラス単位で見学している理由もわかる気がした。 どのコーナーも撮影はOKだったが、1カ所だけ、館内の案内人から「次は写真NGでお願いします」と言われた部屋があった。見ると、猿人が獲物をとり、その肉をさばいている場面が展示されている。猿人は裸だ。人類史を偽りなくかたどろうとした作り手の意図は十分に読み取れた。しかし、もしこの光景が日本のネット上に流されるとしたら、「これが北朝鮮の日常の姿だ」というキャプションがつくか-。 考えすぎだろう、と思わないでもない。が、日本のメディアに対する不信感の底知れなさに、言葉がでてこない。(後半省略)2017年6月2日 「週刊金曜日」 1138号 20ページ「【特集】戦時下で日常を生きる『北朝鮮の人々』」から一部を引用 我々が日本にいて見聞きする朝鮮に関する情報は、アメリカや韓国のフィルターを通した情報で、その量も少ないため、私などは朝鮮の食糧危機はまだ続いているかのように思っておりましたが、この記事のように実際に記者が足を運んで得てきた情報は貴重だと思います。
2017年07月02日
自公政権による共謀罪の強行採決を、メデイアはどのように報道したか。元放送記者の藤田文知氏は、6月25日の「しんぶん赤旗」コラムに次のように書いている; 希代の悪法といわれた「共謀罪」法案は、参院法務委員会の採決を省略し、参院本会議で一気に採決という中間報告形式で15日早朝、自民、公明、日本維新の会の賛成で可決成立しました。 問答無用の中間報告について、NHKの解説委員は「近道方式」とか「国会法に基づく奥の手」などと形容しました。他方、「毎日」は「究極の強行採決」、「報道ステーション」(テレビ朝日)は、「だまし討ちの禁じ手」などと厳しく批判。政府与党がこの暴挙に出た背景には、加計学園、森友学園隠しがあることは明白です。 「共謀罪」法案を3月21日、閣議決定された時、法案の表記をめぐってメディアは2つに割れました。「共謀罪」法案と表記したのは「朝日」「毎日」「日経」「東京」「共同」「時事」、ブロック紙、ほとんどの地方紙でした。対して、「テロ等準備罪法案」としたのは「読売」「産経」、NHK、在京民放局。「読売」は「等」を除いて「テロ準備罪法案」、民放局はその後、「共謀罪」と表記した局が増えました。 衆院法務委で5月19日、「共謀罪」法案は強行採決されました。「強行」と見出しをとったのは、「朝日」「毎日」「東京」「共同」「時事」、TBS、テレビ朝日。「可決」としたのは、「読売」「日経」「産経」、NHK、日本テレビ、フジテレビでした。 世論調査でも、法案の呼称など、質問文の違いが回答の賛否に影響していました。では、「共謀罪」法案の本質は何だったのか。 16日の「報道ステーション」での憲法学者・木村草太氏のコメントが明快でした。木村氏は、「共謀罪はテロ対策に使えない」と、こう述べました。「本当の論点はテロ対策という政府のウソを許すかどうか。この論点であれば結論は明らか。政府が国民をごまかしにきた時に、多くのメディアや有識者が見抜かないと国民は正しい判断ができない」。そのとおりです。(ふじた・ふみとも=元放送記者)2017年6月25日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-真の論点 提示できたか」から引用 この記事によれは、憲法学者の木村氏は「共謀罪はテロ対策には使えない」と言ってますが、これは法律の専門家でなくても、法務省から法案が出てきた時点で「テロ対策」のての字もなかった事実を考えれば、誰でも納得することで、メディアはこのポイントを執念深く追及するべきだったのではないかと思います。国連人権委員会も憂慮しているこの法案は、安倍政権を打倒した後に可及的速やかに共謀罪廃止法を可決して無効にするべきです。
2017年07月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1