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総選挙の投票日の朝刊に、法政大学教授の山口二郎氏が選挙の意義について、次のように書いている; 今日は総選挙の投票日である。台風の接近もあり、首都圏は天気が悪いようだが、ともかく読者の皆さんには投票に行っていただきたい。 今回の解散には大義がない、選挙の争点がわかりにくいと言われた。著名な評論家が、ばかばかしい選挙だから棄権しようとインターネット上で呼びかけたことも話題となった。しかし、国民がばかばかしい選挙、ばかばかしい政治に背を向け、遠ざかることができると思うのは錯覚である。国民の側が遠ざかったつもりになっても、ばかばかしい政治は常に国民に覆いかぶさる。そして、国民に増税や戦争といった不条理を押し付けるかもしれない。 選挙で勝利して多数を占めた勢力は、自分たちの政策が国民の総意に基づくと主張するだろう。もちろん、虚構である。しかし、民主政治はそうした虚構の上に成り立たざるをえないのである。 国民の半数だけが投票に行き、そのまた半分の票を得て多数派が権力を握れば、それこそ本物の虚構である。私たちは、虚構を少しでも現実に近づけるために、投票するしかない。さまざまな意見が投票で表現され、多数派がすれすれの勝利を収めるならば、彼らは自らの権力基盤が虚構であることを認識し、現実の民意を恐れ、少しは慎重に行動するだろう。冷笑とあきらめは民主主義を掘り崩す病原菌である。(法政大教授)2017年10月22日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-ばかばかしい選挙?」から引用 今回の選挙で与党はそれほど議席を減らしたわけでもないのに、臨時国会の会期はできるだけ短縮し、国会の質問時間も現行の「与党2 vs 野党8」を「与党8 vs 野党2」にしたいなどと言い出しているのは、やはり、自民党は国民の絶大なる支持を得ているというのは「真っ赤なウソ」であることを一番よく理解しているからではないかと思います。もし、国民の信任を得たという自信があれば、弱小野党の質問など堂々と受けて立って理路整然と説明すれば、誰もが納得するはずです。それが出来ないということは、かなり後ろめたい「事実」を必死で隠さなければならない、よっぽど疚しい事情があるからとしか考えられません。安倍内閣が抱えた「爆弾」に、誰か早く着火してほしいものです。
2017年10月31日
元放送記者の藤田文知氏は、衆議院の選挙戦について22日の「しんぶん赤旗」に次のように書いている; 衆院選公示日の各党首の第一声について、テレビのワイドショーは11日の放送で、各党首が何を訴えたかを項目別の時間数を出しながら分析しました。「森友・加計(かけ)」の世論調査では、7~8割の人が「森友・加計問題は政府の説明不足」という結果が出ています。このテーマを安倍晋三首相がどう言い訳するか、注目されました。 テレビの分析によると、各党首の第一声では、この問題について安倍首相は一言も触れず、もっとも時間を割いたのは共産党の志位委員長でした。 安倍首相は、8日の日本記者クラブの党首討論会では、「これまで国会でていねいに説明してきた」「妻の昭恵については自分が説明してきた」「(加計学園の)加計孝太郎理事長が会見するかは本人の問題」などと発言。疑惑解明にはほど遠い答えでした。 党首の討論会がテレビ各社で行われましたが、「森友・加計」疑惑を積極的に取り上げたのは、「NEW23」(TBS)と「報道ステーション」(テレビ朝日)の2番組。国民の「政府の説明不足」の声を代弁し、健闘しているといえます。しかし安倍首相の答弁に新しい内容は一切なく、依然として疑惑は闇の中です。 この間題のキーマンは、志位委員長が語っていたように安倍昭恵氏と加計孝太郎氏の2人。この2人さえ国会に呼んで話を聞けば済むことです。 公示前には、聴衆のヤジを警戒して、安倍首相の遊説日程を公表しませんでした。レーダーに感知されないステルス戦闘機に例えて「ステルス作戦」と称されました。 安倍首相は、遊説日程を公表しないことへの批判を受け、公示後は公表しています。しかし、いっときとはいえ、遊説日程を隠したことは、「安倍首相自身が批判を浴びたくないから逃げ回っている」ことにほかなりません。隠したいことを暴くことはメディアの重要な役割です。(ふじた・ふみとも=元放送記者)2017年10月22日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-『森友・加計』の闇を暴け」から引用 安倍首相の目論見としては、衆議院を解散して総選挙ということになれば、選挙戦が過熱して世間は「森友」や「加計」を忘れるだろうという計算だったと思いますが、その目論見はどうも外れたようで、丁寧に説明するという口上とは裏腹に、逃げ回っているばかり、さすがにテレビ局のスタジオの中は逃げ回るわけにもいかず、そういう場合は「これまで国会で説明してきた」と強弁する始末。そんな態度の首相には世論調査の結果を見せて、国民は納得していないのだという現実を見せつけて追及するべきでしたが、そこまでやるテレビ局がなかったのは残念でした。しかし、都議会選挙で秋葉原の洗礼を受けた自民党は、首相が演説する場所には屈強な体躯のガードマンを多数配置して、一言でもヤジを飛ばそうものなら、瞬時に数人のガードマンに取り囲まれて「排除」されてしまう暴力的な環境ができていました。その上、演説が始まる前には君が代が演奏されたり日の丸の旗が振られたり、ファシズムに向かって一直線という雰囲気でした。選挙戦最終日の様子を報道した産経新聞の一面トップは「安倍首相、最終日の訴え」と大きな見出しにもかかわらず、その下の大きな写真の中央でマイクを握っているのは立憲民主党の枝野代表でした。さすがの産経新聞も、日の丸の小旗に囲まれた安倍首相の演説の異様な写真を一面トップに飾るのは憚られたようですが、そういう異様な光景があったことも報道するのが、本来の新聞の使命というものではないのかと思います。
2017年10月30日
きのうの欄に引用した南北戦争の図解記事の脇には、一橋大学教授の貴堂嘉之(きどうよしゆき)氏が、リー将軍記念像の撤去を巡るシャーロッツビル暴力事件の背景を次のように解説している; アメリカ社会の分断が日々、深刻さを増している。黒人大統領として国民の融和に努めたオバマ前大統領とは対照的に、トランプ大統領が国民の間に幾重もの分断の「壁」を作りだしているからだ。 政権発足後のアメリカではヘイトクライムが急増している。選挙中から排外主義を公然と語り、ラストベルト(中西部のさびれた工業地帯)の白人労働者の圧倒的支持を得て当選した大統領は、この「ヘイトの時代」が産み落としたアメリカ初の「白人」大統領なのかもしれない。 シャーロッツビルでの暴力事件では、アメリカ社会分断の古傷である南北戦争の記憶をめぐる歴史的対立が再燃することとなった。南北戦争とは、アメリカ史上、最多の戦死者を出した未曽有の内戦であり、50万とも60万余ともいわれる戦死者は、終戦直後から南北間の感情的対立の原因となってきた。戦争を契機に発展した新聞メディアでは、北部メディアが北軍戦没者の英霊化を推進する一方、南部メディアは「失われた大義」の神話を形成し、リー将軍や南部連合の戦績を顕彰し続けた。その後、人種隔離社会を形成した南部社会という結界の中で、南部連合関連の無数の銅像は守られてきたのである。 南北戦争の記憶をめぐる政治は単純ではない。戦後の再建期(1865~77年)には奴隷解放の意義を中心に語られたが、戦後50年の式典では、南北の兵士がみな「男らしく」勇敢に戦った兄弟げんかと読み替えられ、奴隷解放の歴史は忘却された。クー・クラックス・クランが英雄として登場するグリフィス監督の映画『国民の創生』(1915年)に国民が熱狂したのは、まさにその時代だ。 今回の南北戦争の記憶をめぐる議論で、アメリカ社会はいかに人種差別の歴史と向き合うのか。南北戦争の「戦後」はいまも続いている。(一橋大学大学院社会学研究科教授)2017年10月22日 東京新聞サンデー版 1ページ「アメリカ社会分断の淵源としての『南北戦争』」から引用 私たち日本人が民主主義の師と仰ぐアメリカ合衆国で、クー・クラックス・クランが英雄として登場する映画に国民が熱狂した時代があったとは驚きです。アメリカですら社会全体がそのように変化するということは、日本の場合は尚更この先、紆余曲折があってもおかしくはないという理屈になりますので、注意が必要になると思います。人権思想の発展という観点からは、アメリカ合衆国の南軍関係の記念碑撤去は推進されるべきものと私は思います。
2017年10月29日

アメリカの南北戦争の記念碑を撤去する問題に絡んで死傷事件が起きたことにちなんで、22日の東京新聞はサンデー版で、南北戦争がどのような戦争だったのか、図解入りで詳しく解説している。 1800年代のアメリカは、今のように大西洋岸から太平洋岸まで全土を支配できておらず、西側に開拓(実は侵略)が進むにつれて新しく「州」が誕生するという具合だったようです。そして、新しい「州」が樹立されるときには、州政府として「奴隷制」を認めるか認めないかという大論争が起きるのが常だったらしく、1820年には連邦議会の北部代表と南武代表が話し合って「今後は北緯30度以北には『奴隷州』をつくらない」という協定が結ばれました。しかし、その直後に自由州の一つが住民投票を行なって奴隷制を採用することになったため、これに危機感をもったリベラル派の議員が結集して「共和党」を結成した。現代のアメリカでは、共和党は保守で民主党がリベラルと言われてますが、1800年代は逆だったというのも面白い話です。そして、その共和党からエーブラハム・リンカーンが大統領に当選したのが、1860年。これに危機感をもった南部7州がアメリカ合衆国からの離脱を宣言したため、そんな宣言は認められないとして始まったのが1861年の「南北戦争」だったということのようです。そして面白いのは、リンカーン大統領は私が想像していたような「人種差別や奴隷制は、いけないことだ」という人道主義的な信念をもった政治家だったわけではなく、彼が戦争を始めた理由は、アメリカ合衆国を分裂させてはならないという政治的な信念だったという点です。リンカーン大統領の発言について、記事は次のように伝えています。また、奴隷制度反対のブームを巻き起こしたとされる名作「アンクル・トムの小屋」についても、次のような記述があります。「アンクル・トムの小屋」が発表された当時は、そこに描かれた黒人奴隷の悲惨な実態が読者の心に「奴隷制に反対しよう」という人道的な心情を呼び起こしベストセラーになり、優れた文学としての評価は今も変わらないと思いますが、これが実際に現代のアメリカでは、人種差別を助長する材料として読まれたのでは、作者の意図にも反することになるわけで、発禁本のように扱われるのは残念なことですが、これは一重にアメリカ市民の良識にかかっていることで、致し方のないことと思います。2017年10月22日 東京新聞サンデー版 1ページから画像を引用
2017年10月28日
世界と日本のリベラリズムについて、哲学者の内山節氏は15日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 21世紀の世界では、露骨な自国第一主義の動きが広がってきた。アメリカでは、アメリカ第一を掲げたトランプ大統領が誕生し、ヨーロッパでも自国と自国民の利益を主張する国家主義勢力が力を伸ばしている。ロシアも中国も、北朝鮮も同様だ。 もっとも、その国の政治が自国第一でおこなわれるのは、いまに始まったことではない。どの時代にもそうであったということもできる。だが、戦後の世界では、先進国は自国の利益を追求するための戦略をもっていた。たとえば途上国を支援することによって自分たちの価値観をも輸出し、最終的には自国にとって利益になる世界をつくろうとしたりしてきたのである。もちろん自国に敵対する国に対しては、アメリカは軍事的な攻撃をも躊躇(ちゅうちょ)しなかったが、もう一方で長期戦略をもっていたことも確かだった。 21世紀になって失われてきたのは、この長期戦略なのである。目の前で起こっている出来事にいらだち、短絡的な自国第一主義を唱える。そういう風潮が世界を覆っている。 それは世界を対立の時代へと向かわせることになるだろう。現在は北朝鮮問題もあって小休止の状態になっているが、農産物などをめぐる日米の対立は厳しさを増していくだろうし、日韓、日中の関係も険悪化していく可能性がある。長期的な戦略をもたない自国第一主義は、分断と対立の時代へと世界を向かわせる。 とすると戦後の日本は、どんな長期戦略をもっていたのであろうか。残念ながら、そう呼べるようなものを政府がもっていたとはいえない。せいぜい経済が発展すればすべてが解決するという発想を、自国内で主張してきたにすぎない。その結果として、世界の対立が激しくなれば、その尻馬に乗って安保法制の強化や「共謀罪」の強行採決、軍事力の増強などを、まるでドタバタ劇のようにおこなってしまっている。さらには憲法改正までが、ドタバタ劇の延長として語られはじめているが、これでは対立の時代に乗り遅れまいとするだけになってしまう。 現在の日本の政治に必要とされているのは、対立する世界のなかに巻き込まれていくことでもないし、長期戦略のないドタバタ劇を演じつづけることでもない。そうではなく、こういう時代だからこそ、これからの世界のあり方を提起していくことが必要なのである。 戦後の日本の人々は、いくつかの理念を共有していた。自由、平等、民主主義、そして平和主義である。民主主義は、反独裁の意志でもあった。もちろんそれらは不完全なものとしてしか実現することはできなかったし、高度成長期以降は、経済成長がすべてを解決するとでもいうような雰囲気にのみ込まれていく。だが、それをめざしていこうという理念だけは、人々のなかに広く共有されていたといってもよい。それが保守、革新という枠を超えた、日本的リベラリズムとして存在した。 日本が世界に提起できるものがあるとするなら、それは、この理念を世界に根付かせていく戦略だろう。より自由で平等な世界をつくる。権力の独裁化と、戦争という手段を否定する世界をつくる。 世界のなかの日本を見据えて、これからの政治のあり方を考える。今回の選挙もふくめて、私たちにもそのことが問われている。(哲学者)2017年10月15日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-日本的リベラリズム」から引用 この記事では、欧米の先進国がかつては、自国の価値観をも輸出するという長期的戦略で行動していたのに、最近は短絡的に自国の利益を主張するようになったと書いているが、何故そうなったかという説明が欠落してる。何故、先進国が自国第一を主張するようになったのか、その原因はそれぞれの国々の社会の底辺からの突き上げが顕在化してきて、今までのように議会制民主主義で国民は平等に政治的権利を行使しているという「かけ声」が、実はそれは単なるスローガンに過ぎず、実態はブルジョア階級に支配された労働者階級は、いつまで経ってもうだつが上がらないのだ、ということに社会の底辺の人々が気づき始めたからではないかと私は思います。人々がそういう「核心」に気づいて騒ぎ出す前に、トランプ氏のような人物が出てきて、彼らの不満を吸収して彼らが満足できる政治を実施できれば、それなりに救世主となれるかもしれない理屈ですが、実際にはかなり難しく、この先も世界が正しい解決策にたどり着くのは困難と思われます。 また、この記事では戦後の日本人は自由、平等、民主主義、平和主義という理念を共有してきたとも述べていますが、私はそういう見解にも疑問を感じます。先の大戦の敗北から数年経って製作公開された、小津安二郎監督の映画の一場面は、海軍の潜水艦で苦楽をともにした元艦長とその部下が、戦後の銀座のとあるバーで飲んで、「日本は、戦争に負けて良かったと思いますよ。・・・昔とちがって、負けたお陰で、バカが威張らなくなりましたからね。・・・・・・あ、バカって、艦長のことじゃありませんからね、誤解しないでくださいよ。・・・」というような会話をしています。私は、近頃のネット右翼の活発な言説に接する度に、戦後の長い間雌伏していたあの映画に言われる「バカ」が、復活してきたというのが実情ではないのかと、つくづく感じています。
2017年10月27日
ポピュリズムという現象がどういう時にどのようにして起こるのか、千葉大学教授の水島治郎氏は、18日の産経新聞に次のように書いている; ポピュリズムを一言で定義すると、人民の名に基づく反エリート運動です。もちろんエリート批判自体は昔から存在しますが、近年この言葉がクローズアップされてきたのは、時代の変化によるものが大きい。 たとえば歴史上初のポピュリズム現象とされる19世紀末の米国における人民党の勃興。南北戦争後の米国では資本主義が急発達し、地方の農村の困窮などさまざまな問題が生じてきました。農民や労働者といった米国の歴史を担ってきた普通の人々が、腐敗した既成二大政党では代表されていないということで、改革運動として人民党が出てきた。産業構造が大きく変化して人々の生活や考え方が変わる中で、旧態依然とした人々に政治権力が握られている、という感覚が、ポピュリズムという組織されざる人々の反エリート運動を生んだのです。 ポピュリズムの出現は、時代や社会が転換期にあることを示す現象と言えるでしょう。デモクラシーと言いながら、実際には一部の特権層が利益をむさぼっており、一般の人々はないがしろにされている。自分はその見捨てられた人々のために立ち上がるのだ、というフィクションをポピュリズム指導者は作り上げる。米国中西部などのラストベルト(さびついた工業地帯)で支持を得たトランプ大統領や、仏北東部の古い工業地帯を票田にした、「国民戦線」のルペン党首らはその典型です。 対して日本の場合、高度成長期から現在に至るまで地方への再配分が機能してきた。一方、地方を重視する政権党への大都市住民の不満は大きい。だからそこに訴えかける形のポピュリズムは東京、名古屋、大阪のいずれでも支持を得ました。ただその不満は漠然としたもので、米ラストベルトの社会的、経済的に困窮した人々がトランプ氏を支持するような強さはない。 よって繁栄する大都市対没落した地方という、欧米と同じ構図のポピュリズムは当面起きないでしょう。しかし、正規社員対非正規といった別の軸での分断は広がっており、そこは今後ポピュリズムの起点になり得ると思います。(談)2017年10月18日 産経新聞朝刊 12版 19ページ「人民による反エリート運動」から引用 アメリカでも資本主義が急に発達したとき農村部は貧困問題を抱えたというのは、興味深い話です。日本では、経済が高度成長したとき、自民党政権は農村が票田でしたから、農村に対する利益の再配分は手厚いものがあり、一時はJALパックなどと称して農協の団体さんが大挙して海外旅行に出かけるというような時代もありました。しかし、あの頃の自民党の農業政策が正解だったのかどうか、今では疑問で、結局どの農家も農業だけでは生活が苦しいため、兼業する農家が増えて、そのうちに若者は農業を受け継ぐことを拒否して都会に出て行ってしまい、農業従事者の高齢化が一層進んでいます。様々な要因が絡んで、現在の状況が出てきたわけで、一概に自民党の農政のせいにばかりは出来ないのかも知れませんが、なかなか難しい問題です。
2017年10月26日
拉致被害者で15年前に家族共々帰国できた蓮池薫氏は、15日の新聞インタビューで次のように話している; 北朝鮮政府が日本人拉致を認めた2002年9月の日朝首脳会談を受け、拉致被害者5人が翌月に帰国してから15日で15年。5人に続いて祖国の地を踏んだ被害者はいない。日朝交渉は滞っており、高齢化する未帰国の被害者家族らは焦りの色を濃くする。日本政府は拉致問題の全面解決に向け、どう取り組んでいくべきなのか。北朝鮮で24年間を過ごした拉致被害者の一人、蓮池薫さん(60)が共同通信のインタビューに応じた。-北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返す現状をどう見るか。 「北朝鮮にとって核とミサイルの開発は、体制を懸けた問題だ。米国にとっても深刻な危機で、簡単に解決できず、長期化するだろう。国際社会からの圧力に日本も歩調を合わせる必要がある」-拉致問題はどう交渉に持っていけるか。 「国際社会が圧力を高め経済的に追い詰めたとき、北朝鮮にとって日朝関係は一つの突破口になり得る。軍事分野に使われないような経済援助を条件に、拉致問題を解決するための準備を今からしておくべきだ。拉致問題の進展は北朝鮮にとっても利益になる」-どんな経済援助ができるか。 「北朝鮮は電力事情が良くない。老朽化した発電、送電設備の整備なら、軍事転用は難しい。国際社会に理解を得られるこうした見返りを提示して、生存者を取り戻す交渉をすべきだ」-生存者はどれくらいいるだろうか。 「分からないが、多くの人が生きている可能性が高い。私もそうだったが、拉致被害者は自由がない代わりに生活面や医療面は保障されている。私が横田めぐみさんを見たのは1994年が最後だが、北朝鮮が出してきた死亡の証拠はでたらめだ。2014年の日朝合意では、北朝鮮が拉致を再調査することになった。02年に発表した『8人死亡』を白紙にしたことを意味する」-蓮池さんらが帰国できたのはなぜか。 「私は北朝鮮の特殊機関に所属していたが、90年代後半に残っていたのは私ら夫婦と地村保志さん夫婦だけ。残りの日本人は分散させられた。私たちには子どももいて、帰国させても再び北朝鮮に戻ってくると思われたのだろう」-この15年の生活は。 「妻も子どもたちも元気だ。北朝鮮が06年に初めて核実験をしてから、日本社会が制裁一色になった。拉致問題が遠のいてしまうとの危機感から講演活動を始め、今は全国で月に2、3回拉致問題を訴えている。若い人は、私のことも拉致問題も知らない人が多い。家族会の皆さんが高齢化して活動が難しくなっている中で、私にも世論をつないでいく責任がある」-選挙戦をどう見ているか。 「全ての与野党が、北朝鮮問題、特に拉致問題への見解と取り組み方の公約を掲げてほしい」2017年10月15日 東京新聞朝刊 12版 30ページ「経済援助で拉致進展を」から引用 この記事によれば、蓮池薫氏は朝鮮政府が日本の経済支援の提案に乗ってくるタイミングが必ずあるはずだとのことで、現実的な提案だと思います。思い返してみれば、韓国も中国も日本やアメリカと国交を回復してこちらからの経済協力があって今日の発展を迎えているのですから、朝鮮政府にとっても重要なカードであることに間違いはないのですから、わが国政府は自らのアドバンテージを最大限に生かすことを考えるべきです。ただし、朝鮮政府は米韓両国が侵略的な敵視政策を変更しない限り、核やミサイルの実験を続けざるを得ないのですから、本来であれば、日本政府からも米韓両国に「朝鮮敵視」を改めるように忠告するべきですが、安倍政権には少々荷が重いように見受けられます。
2017年10月25日
一向に進展しない拉致問題について、18日の産経新聞「主張」は次のように述べている; 15年前の10月15日、羽田空港で特別機から、蓮池薫さんら5人の拉致被害者がタラップを降りてきた。 日の丸の小旗を振りながら迎えた横田めぐみさんの母、早紀江さんは、5人が降りた後も「機内にまだ誰かいるのではないか。めぐみちゃんも乗っているのではないか」と、タラップを見つめていた。 本紙に連載中の「めぐみへの手紙」に早紀江さんはそう記した。そして一方的にめぐみさんの「死亡」を通告されてからの15年間を、「厳しく地獄のような日々でした」と振り返っている。 もちろん悪いのは国家として日本人を拉致し、被害者の解放はおろか調査にも応じない北朝鮮である。一方で早紀江さんは同じ連載で「さらわれた国民を救えないのは国家の恥ではないでしょうか」とも訴えている。政府にはこの母の思いに応える責務がある。 帰国15年に際した本紙の取材に蓮池さんも「日本政府は本腰を入れ、解決に向けて努力を倍加しなければ道は開けない」と訴えた。その上で、挑発が手詰まりになりつつある北朝鮮が米国の圧力で核・ミサイル放棄を検討する交渉局面が近く訪れると分析し、「その瞬間が拉致問題を強く示し、被害者を返す機会」とも強調した。 15年前、当時の小泉純一郎首相が訪朝して拉致の国家犯罪を認めさせ、被害者5人の帰国に結びつけた背景には、ブッシュ政権が北朝鮮を「悪の枢軸国」と位置付けた米国の強硬姿勢があった。 徹底した圧力の中に解決への道はある。緊張が高まる今こそ、その好機ととらえるべきだ。 11月に来日するトランプ米大統領は、早紀江さんら拉致被害者の家族と面会する。トランプ氏は国連総会の一般討論演説でも、めぐみさんの拉致に言及した。北朝鮮は間違いなく、面会におけるトランプ氏の言動を注視する。 早紀江さんは「解決へ力強いご協力をお願いしたい」と期待をかけるとともに、「面会だけで問題は解決しない。被害者救出には日本が主体的に動かなければならない」と強調した。 拉致被害者全員の解放は、政府の覚悟と行動なしに果たすことができない。蓮池さんは「拉致は現在進行中だ。被害者が生きている可能性も限りなく高い」とも述べている。家族に、再会の機会を与えてほしい。2017年10月18日 産経新聞朝刊 14版 2ページ「主張-圧力の中に解決の機探れ」から引用 さすがに安倍応援団と言われるだけあって、「徹底した圧力の中に解決への道はある」などと言っているが、これは現実を見ない空疎な言葉である。安倍政権になってから一貫して圧力をかけ続けているのも関わらず、何も進展していない現実を直視する必要があるのではないか。また、15年前に小泉首相(当時)が訪朝して一部被害者を救出することができたのは、ブッシュ政権が「悪の枢軸国」と呼んだりして厳しい姿勢をとったことが成功の原因であったかのように述べているが、これは事実の誤認であって、朝鮮政府が事件の存在を認め、一部の生存者の帰国を認めたのは、小泉首相が持参した日朝国交回復条約案を朝鮮政府が高く評価し、朝鮮政府をして一時的にも日本政府を信用する根拠になると思わせることができたからであ。その時の日朝政府間の合意は、当時発表された平壌宣言に明記されており、この宣言は今も有効性を失っていない。したがって、拉致問題を解決するには、先ず以て話し合いをすること、日朝平壌宣言に則って日朝平和友好条約を締結し、植民支配に対する損害賠償をすることなどの延長線上に拉致問題の解決があると認識するべきである。
2017年10月24日
選挙戦たけなわの今月18日の産経新聞は、原発の論議が深まらないことについて、次のように嘆いている; 衆院選での重要な争点が不完全燃焼のまま終盤を迎えている。 国のエネルギー・環境問題だ。とりわけ原発の議論が深まらない。 国家の維持には日常生活と産業活動を支えるエネルギーが不可欠だ。日本は主要先進国で最もエネルギー自給率が低い国である。 安全に徹した原子力発電の活用こそが、日本の将来の発展に通じる道であるにもかかわらず、議論がかくも低調であるのは、どうしたことか。 そもそも原発をこの衆院選の争点に据えたのは、希望の党である。公約で「2030年までに原発はゼロヘ」と打ち出した。 自民党の「重要なべースロード電源との位置づけのもとに活用」という既定方針や公約と対極をなす宣言である。 共産党、社民党、立憲民主党なども脱原発政策を掲げている。だが、いずれの党の公約からも原子力抜きで安定した電力供給を可能にする道筋は、読み取れない。 自民党でさえ「原発依存度の可能な限りの低減」と積極性を欠いており、各党ともに旗幟(きし)の不鮮明さと説得力の乏しさばかりが目につく選挙戦である。 国民の間には福島事故による原子力発電への不信感が尾を引いている。衆院選こそ信頼回復につなぐ機会だと考えてほしい。 選挙戦での議論の低調ぶりとは裏腹に、日本を取り巻く現実は、安全性を高めた原発の有効利用を強く迫る要件に満ちている。 地球温暖化防止のパリ協定で、日本が世界に公約した二酸化炭素の排出削減量を、原発抜きで達成できるのか。 途上国の人々の生活の質が向上することで、世界のエネルギー需要は増大し、日本のガスや石油の確保は次第に難しくなっていく。それを再生可能エネルギーだけでまかなえるのか。 遠くない将来、確実に起きる南海トラフ地震で西日本の火力発電所などのエネルギー拠点は大打撃を受ける。そのとき日本を救うのは日本海側と北日本の原発だ。 原発の多様な利点には目を向けることなく、感情先行型のゼロリスク論の金縛りに甘んじていては大事な議論が進まない。原発への司法判断も揺れている。 打開の糸口を衆院選に期待したが、盛り上がりを欠く。原発への思考停止こそ「国難」である。2017年10月18日 産経新聞朝刊 14版 2ページ「主張-『原発ゼロ』こそが国難だ」から引用 産経新聞の「主張」を読むと、どことなく小学校の学級委員をやるような優等生が書いた建前だけの「模範的」作文を連想するのは、私だけでしょうか。選挙戦では、国民生活に直結する問題を議論してほしいというのは、その通りであるが、実際は2週間という短い期間で議論を深めるなどというのは無理な話で、実際には自民党などは、有権者に聞き心地のよい言葉を連呼するだけというのが現実であって、そういう現実を無視して建前を書くのは、単に割り当てられた原稿を埋める作業をしてるだけなのではないかと疑いたくなります。福島原発の事故による不信感が尾を引いているのは事実ですが、衆院選が信頼回復につながる機会になるわけがありません。うっかり口にすれば、政府の無作為や避難生活者への援助打ち切りの非道さが浮き彫りになるのですから、自民党はこの問題は徹底的に避けるのが当然で、実際に、選挙中は原発のゲの字も言いませんでした。また、この記事では、南海トラフ地震で火力発電所が壊れたら、原発がその分活躍するのだと書いてますが、地震で壊れる危険性が高いのは火力発電所よりも原発であることは、東日本大震災の例からも分かるのではないかと思います。
2017年10月23日
関西電力は大飯原発1号機と2号機を廃炉にする方向のようだと、18日の産経新聞が報道している; 関西電力が平成31年に40年の運転期限を迎える大飯原発1、2号機(福井県)について、廃炉の検討を始めたことが17日、関係者への取材で分かった。関電はこれまで運転期間の延長許可申請をする方針を示していたが、安全対策費用がかさむことなどから、方針転換を視野に地元自治体などと調整を進めるとみられる。廃炉が決まれば出力100万キロワットを超える大型原発の廃炉は東京電力福島第1原発を除いて初となる。 原発は平成23年の東日本大震災後、運転期間が原則40年と定められたが、原子力規制委員会が延長を認めれば最長60年まで運転可能。大飯1号機は31年3月、2号機は12月に40年の期限を迎える。延長には期限の1年前までに規制委に申請する必要があり、関電は延長申請の前段階として、原子炉の設置変更許可の申請準備を進めていた。 ただ、現在運転中の高浜原発3、4号機(同県)を含め、国の新規制基準による規制委の審査に合格した原発7基の安全対策費用は計8300億円以上と見込まれ、巨額の費用負担への懸念も強い。大飯1、2号機を稼働させれば総額が1兆円を超えることは確実で、廃炉の方が費用負担が少なく済むという。 原発の廃炉をめぐっては震災後、福島第1原発を除き、全国で計6基が認可されたが、いずれも出力30万~50万キロワットの小型原発だった。大飯1、2号機の出力は各117・5万キロワットで、廃炉が決まれば国内の原発で過去最大となる。関電の電力販売量は減少傾向にあり、大飯1、2号機を廃炉にしても供給に支障はないとみられる。関電は17日、大飯1、2号機について、「原子炉設置変更許可申請の準備を行っており、技術面、安全面での検討を行っている」とのコメントを出した。2017年10月18日 産経新聞朝刊 14版 1ページ「大飯1、2号機廃炉検討」から引用 原発推進に賛成の人たちは、原発が安全でコストも安いと常々主張してきており、変な主張だなと思ってましたが、ここにきて漸く「実は、安全性を確保するには、かなりのコストがかかる」ということが、公に語られるようになったのは喜ばしいことと思います。膨大な経費を支払いながら、危ない原発を無理して稼働させるべき理由はどこにもありませんし、企業の健全な発展という見地からも関西電力の経営陣は、経済原理に則ったまっとうな判断をしてほしいものです。
2017年10月22日
アメリカの大統領も日本の首相も、とんでもない発言をしていると、法政大学教授の山口二郎氏が15日の東京新聞コラムに書いている; 12日夜のNHKニュースを見ていたら、トランプ米大統領の暴言がトップで伝えられていた。NBCが伝えた大統領の核軍拡構想が誤報であるとして、放送免許の剥奪(はくだつ)に言及したのが大ニュースだというのである。同じようなことは安倍政権の総務大臣も言ったことがあるが、あの時にNHKはこんな取り上げ方をしただろうかといぶかしく思った。 それはともかく、トランプ大統領の感情的な発言や閣僚、側近との軋轢(あつれき)は常軌を逸している。特に北朝鮮と米国の緊張が高まる中、世界一の大国のトップがこんな不安定な人物で大丈夫かと心配になる。 しかし、首脳のトンデモ発言は他人事(ひとごと)ではない。安倍首相は北朝鮮を批判することを選挙戦の道具にしている。しかし、ロシアやヨーロッパ諸国、さらに実際に戦争が起これば多大な犠牲を強いられる韓国の首脳は、圧力をかけることと同時に政治的解決を求めている。対話は一切無意味で、圧力あるのみという安倍首相は、実は世界の孤児である。 売り言葉に買い言葉の勢いで軍事衝突が起きる危険性が存在する中で、ひたすらトランプ大統領との盟友関係を強調することは、日本の安全を確保する道なのか、日本に災厄をもたらす道なのか。この点はこの総選挙で各党が現実を踏まえて真剣に議論すべき争点である。(法政大教授)2017年10月15日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-日米トンデモ合戦」から引用 安倍首相は記者会見やテレビカメラの前では「国民の安全が第一」などと言っているが、これは本心からそう思って発言してるのではなく、単に世論に迎合して人気取りが目的で発言したパフォーマンスに過ぎないのではないかと思います。その証拠に、彼は国際世論の動向とは真逆の「対話は無意味で圧力あるのみ」と繰り返し発言し、国民をそれとなく不安に陥れて、それで自動的に自分への支持率が上がると踏んでいる。「圧力あるのみ」が行き着く先は武力衝突であって、それで困るのは朝鮮半島と日本列島に居住する人々であるのだが、そんなことは一向に無頓着で、朝鮮有事になれば日本はまた景気が良くなるだろうくらいにしか考えていないのではないか。こういう無責任な政治家に政権を任せるのは、そろそろ終わりにしないと、この先ろくなことにはならないと思います。
2017年10月21日
安倍政権の新自由主義に基づく教育政策について、関西学院大学准教授の貴戸理恵氏は8日の東京新聞コラムで、次のように厳しく批判している; 教育は選挙の争点になりにくい。安倍政権は「教育再生」を「経済再生」と並んで優先課題の一つと位置づけてきた。だが一般に「アべノミクス」について論じられるほど教育政策は注目されない。 今回は、安倍政権の教育政策の問題点を見ていきたい。憂慮されるのは、新自由主義的な教育改革により、教育現場の共同性や子どもの学習権が脅かされることである。 新自由主義の教育改革は、大まかには次のようなプロセスをたどる。まず、規制が緩和され、学校に競争原理が導入される。次いで、競争の結果を示す単一基準(全国学力テストなど)がトップダウンで設定され、公教育が序列化される。この結果に基づいて「できの良いものにより多く」予算の効率的な配分が行われる。そうした分断を隠蔽(いんペい)する上で「われわれ国民」という国家主義が活用される。並行して現場には、外部評価と情報公開が求められていく。 安倍政権は、この新自由主義教育改革を着実に進めてきた。まず、2006~07年の第一次安倍政権で実施された教育基本法改正は、改革をスムーズに進める前提を整えた。よく言及されるような「愛国心」の強調など右翼的色彩だけが問題なのではない。 具体的には「教育の目標」として、従来の個を尊重する人間教育に並列して、国家重視の公民教育を掲げた。また「教育の条件整備」に限られていた教育行政権力の限定性を取り払い、教育内容にまで踏み込む下地を用意した。さらに、内閣が策定した教育計画を自治体を通じて現場に実現する上意下達のルートを確立させた。 12年からの安倍第二次内閣以降では、これに基づき「教育再生実行本部」を中心に新自由主義改革を再始動させた。民主党政権下で実現していた公立高校授業料無償化は、法改正により普遍的給付から選別的給付に変更された。抽出方式になっていた全国学力テストは、みんなが受ける方式に戻された。「グローバル人材育成」など新たな課題に対応しつつ、大学の「経営」化と公教育費削減が進められ、さらに道徳の教科化や教科書検定基準の見直しなど、教育内容への国家主義的介入がなされていった。 結果、何が起こったか。一般会計予算に占める教育予算は、00年代後半以降減少傾向にあり、教育支出は経済協力開発機構(OECD)諸国と比較しても顕著に低い。教師は非正規化や過重労働にあえぎ、親と共同で教育を担う専門職から教育サービスの提供者に地位を落とした。他の先進諸国がおおむね教育予算割合と教師の賃金を向上させてきたのとは真逆である。子どもの貧困は拡大し、高等教育の私費負担は世界最悪レベルに高く「学習権の保障は親の財布次第」になっている。 それでも、国際学力テストの結果を見れば、日本の子どもたちの学力は高い。対コストで考えればまさに「効率的」な教育ではある。 だが、教育とは誰のための、何のためのものか? 個人の尊厳が重視され、信頼と共同のなかで創っていく教育を求めるならば、むう一度問う必要があるだろう。 自民党は、衆院選に向け、消費税の使途を変更して教育無償化・負担軽減化へ財源を充てることをアピールしている。だが、上記のような教育改革の方向性を改めることなく提唱される表面的な格差是正策に、説得力はない。(関西学院大学准教授)2017年10月8日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-安倍教育政策を問い直す」から引用 わが国では長らく少子化の問題が指摘されておりながら、政府は国民が安心して結婚・子育てに取り組めるような政策を実施しておらず、せっかく産まれた数少ない子どもたちの教育にかける予算は出来るだけ節約する、そのせいで待機児童対策の保育園整備も、これから先数年かかるというような状況で、先進国では将来のために教育予算を充実させているというのに、日本はその逆をいっている。こういう調子では、わが国がこれから先、没落していくことは避けられないのではないかと思います。
2017年10月20日
昨日の欄に引用した東京新聞「新聞報道のあり方委員会」の記事の続きは、森友学園・加計学園問題について、次のように議論している;――森友学園、加計学園問題の追及については。 魚住 森友問題については不満がある。新聞発行エリア外で足場が悪いこともあったのだろうが、他社と共通の土俵に立ち、特ダネ合戦をしてほしかった。加計問題は連載もあり、熱意が伝わってきた。 森友関連の質問主意書と答弁書を並べた紙面もよかった。こういう特ダネの取り方もあるのかと思った。 ただ、ひと昔前なら内閣がつぶれる話。マスコミの力が落ちたのではないか。 木村 森友問題は土地のことより、園児に教育勅語を朗読させていたことに驚いた。違反にならないのが理解できない。 野党もマスコミも政権に押し切られ、だらしなかったが、社会部の望月衣塑子記者が菅義偉(よしひで)官房長官の会見で、相手が嫌がるまで質問をしたのはすごい。嫌がらせもあると思うが、どんどん続けてほしい。 田中 富山市議会の政務活動束の不正受給をスクープしたチューリップテレビ(富山県高岡市)の記者は営業出身で、記者になって二年目。しがらみのない人が入ることで、化学反応が起きることがある。 吉田 森友、加計問題で、マスコミがもう一歩追及できなかったのは、お金ではなく、思想に基づく協力関係だからだ。安倍政権が続くなら、この点にもっと切り込んでほしい。 臼田 森友・加計問題では、現場が発行エリアの外なので、歯がゆい思いもある。ここ一番の時に特ダネ競争に勝ち抜くことは重要だが、そればかりでは旧来型の報道になってしまう恐れがある。試行錯誤している。――公文書管理のあり方もクローズアップされた。 吉田 防衛省が南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報を破棄したと説明しながら、陸上自衛隊が保管していた問題で、当たり前のように隠蔽(いんぺい)が行われていることにはびっくりした。シビリアンコントロール(文民統制)の機能不全が如実になった。 木村 逆に文民の側が隠蔽を統制しちゃった。米国では公文書を破棄すると連邦法によって処罰される。米国人はまじめだから文書を残すのではなく、罰せられるからだ。 魚住 日朝問題では自衛隊の中堅幹部の本音だとか、彼らの間にある勢力争いだとか、いろんな生の話が、もっとほしかった。――アべノミクスについての報道への意見は。 田中 日銀政策委員会の審議委員は安倍首相のお友達のような人ばかり。日銀が国債の四割を保有し、ETF(上場投資信託)も17兆円前後持っている。中央銀行がこんなことをしていいのか。経済の世界でも「安倍一強」のひずみが生じている。 マイナス金利で金融機関は疲弊しており、特に地方銀行は深刻だ。経済問題は国民全体に影響するので、もう少し報道してほしい。 臼田 アべノミクスはおかしいと言いながらここまできてしまった。新聞の追及が弱かったのかとも思うが、この先も続く話だ。分かりやすく伝えていきたい。 深田 新聞は読者にきちんと判断材料を提供するのが仕事。公器として、全力でやっていきたい。2017年10月15日 東京新聞朝刊 10ページ「権力の監視 継続的に」から一部を引用 森友学園や加計学園問題は、一昔前なら内閣がつぶれる話だとの指摘が出ており、それが何故いまはつぶれなくなったのかという点を、私たちは考えなければならないと思います。戦争に敗れたあと、新しい憲法でスタートしたわが国の政界は、本音と建て前という要素も抱えながら、曲がりなりにもポリティカル・コレクトネスを尊重した政治を志向してきたはずであったのが、どうもこれは一部の政治家の世界のことで、一般国民の間にはあまり深く浸透しなかったために、戦後70年も経って、政治の世界が弛緩して、園児に教育勅語を暗唱させるなどという違法行為があっても問題視されるどころか、首相夫人が感激して100万円寄付するなどということが起こり、首相自身も個人的な友人の儲け仕事に国家権力を利用しても、社会はそれを大目にみるという、そういう状況になってしまったのではないかと思います。国民がそういう雰囲気になると、マスコミの追及もそれなりに弱くなってしまうのではないでしょうか。
2017年10月19日
東京新聞の「新聞報道のあり方委員会」は、最近の政局を次のように批判している;東京新聞(中日新聞東京本社)は「新聞報道のあり方委員会」第32回全体会議を4日、棄京都千代田区の本社で開いた。政権選択選挙となった衆院選の報道に求められる視点は何か。新聞は権力監視の役割を十分に果たしているのか。ノンフィクションライター魚住昭さん、弁護士田中早苗さん、ジャーナリスト木村太郎さん、東京工科大学教授吉田俊実さんの4委員が話し合った。本紙からは臼田信行編集局長と深田実論説主幹が出席した。◆解散、総選挙――急な解散、総選挙になった。選挙報道への意見は。 魚住 10月4日の特報面に、戦時中の大政翼賛会の流れと現状を比較する記事があったが、こういう視点は大事だ。当時と今は似ている。新党ができるとき、あれよあれよという間に政党が解党する共通性は、時代が繰り返しているのかと思った。 小池百合子都知事の政治思想も見極めなければいけない。関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文を送るのを今年からやめたというのは、大変なニュースだ。小池氏の歴史修正主義的な傾向が出た。自民党のタカ派と小池氏の違いは少ないから、自民党と希望の党の大連立で翼賛会みたいになっていくこともあり得る。政治の分岐点に差しかかっている。 田中 小池氏は思想的に安倍晋三首相と親和性があるけれど、それを隠しながら広く対応する人だと思っていた。今回、民進党議員が希望の党に入るのを一部排除したことで、戦略家としての評価が落ちた。 立憲民主党がツイッターを開設したら2日でフォロワーが8万人。小池氏はこれだけの人たちの受け皿を排除してしまった。清濁併せのめると期待したが・・・。選挙報道では、各党の政策がどう色分けされるか紙面で明確にしてほしい。 木村 外国メディアは北朝鮮がミサイル発射や核実験を繰り返している時になぜ選挙かと、疑問を呈している。日本では永田町の話ばかりで、安全に関する議論が置き去り。安倍首相はここにきて北朝鮮問題を言い出したが答えになっていない。日米同盟で対処すべきか、対話で解決すべきか、という点を突き詰めて考えているのだろうか。 魚住 森友学園、加計(かけ)学園の問題がある中、北朝鮮のおかげで危機感があおられ、上昇気流にあるから勝てるという計算があったのではないか。 吉田 私も政権が北朝鮮を解散に使ったと考えている。官邸が本当に危機感を持っていたら解散できないはずだ。 最近、朝鮮人虐殺は捏造(ねつぞう)だと言っている都議や区議がいる。小池さんは彼らにある種のお墨付きを与えた。一般の人が慣らされ、空気がつくられていくと怖い。 臼田 追悼文の送付中止は、社会部の中堅記者が問題だと考えた。南京事件など加害の歴史に目をつぶる、被害者の数の不確かさをとらえて虐殺が全くなかったことにしたりすれば、危うい歴史観をつくることになる。われわれは、事実をもって書いていく。 深田 社説でも「歴史の事実は消せない」と書いている。関東大震災での朝鮮人虐殺は捏造などと言えるようになってきたのはなぜなのか。いろいろな意見を言うのではなく、間違ったことを言いはじめるようになったのはなぜなんだろうと考えてしまう。 よしだ・としみ1954年東京都生まれ。昭和女子大大学院修了。東京工科大学教授(文化研究、英文学)。メディアやジェンダー問題に取り組む。共著に「番組はなぜ改ざんされたか」「イギリス文学ガイド」などがある。 うおずみ・あきら1951年熊本県生まれ。一橋大法学部卒。共同通信で司法記者などを経て96年からノンフィクションライター。著書に「特捜検察」「野中広務 差別と権力」など。ウェブマガジン「魚の目」で情事摂発信している。 たなか・さなえ 1962年東京都生まれ。慶応大法学部卒。弁護士。女性と人権、幸摂道と人権・プライバシー問題などに取り組む。著者・共著に「企業のセクハラ対策最前線」「Q&Aこどものいじめ対策マニュアル」などがある。 きむら・たろう1938年米国バークリー市生まれ。慶応大法学部卒。NHKベイルート、ワシントン特派員などを経てニュースキャスター。87年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。著書に「デイア・グロリア」などがある。2017年10月15日 東京新聞朝刊 10ページ「政治の流れ 見逃すな」から一部を引用 希望の党は小池代表が「リベラル排除」を公言した途端に失速して、自民党安泰のモードに入ってしまった。安倍政治からの脱却を求めた人々は、一時的に希望の党に期待したのであったが、これがどういう政党であるのかという点を薄々不安に思っていた時点で、うっかり小池氏が本音を口にしたため、そういう本音ではダメだと判断した世論は正常に機能したと考えてよいと思います。しかし、この期に及んで尚、自民党を支持するという勢力は、これは「ファシズム推進勢力」と断定してよいのではないかと思います。関東地方ではまだ見かけませんが、関西では街頭演説を始める前に君が代を演奏するのだそうで、これが意味するところは、日本人なら自民党に入れろ、ということで、やがては「野党に入れるような奴らは国賊だ、日本から出て行け」と言い出すであろうと思われます。
2017年10月18日
森友学園前理事長の籠池泰典氏は補助金詐欺の疑いで逮捕・起訴されているが、裁判が確定したわけではないから、籠池氏が詐欺を働いたかどうかは今の時点では判断できないにも関わらず、安倍首相はテレビに出演して、籠池氏が詐欺師であるかのような発言をしたため、12日の日刊スポーツは次のように報道して安倍首相の無知を批判している; 安倍晋三首相は11日夜に放映されたテレビ朝日系列の「報道ステーション」で、学校法人「森友学園」の問題に言及した際、前理事長籠池泰典被告(64)について「詐欺を働く人物」と話した。前理事長は補助金を巡る詐欺罪で起訴されたが、裁判で判決が確定していない。専門家は「無罪推定」の原則を軽視していると批判している。 番組は各党党首が出演し、討論形式で進められた。首相は籠池前理事長について「これから司法の場に移っていくんだろうと思う」とした上で「詐欺を働く人物のつくった学校で、妻が名誉校長を引き受けたことはやっぱり問題だった。こういう人だからだまされてしまったんだろう」と発言した。 前理事長は国や大阪府、大阪市から小学校建設などへの補助金をだまし取ったとして起訴されたが、公判はまだ始まっていない。関係者によると、起訴前の取り調べでは黙秘していたという。 元検事の郷原信郎弁護士は「勾留中で反論の機会がないのに『詐欺を働く』と一方的に断言しており、重大な人権侵害だ」と問題視。「首相は行政の最高責任者として決定的な影響力を持ち、発言は今後開かれる公判に影響を及ぼしかねない。絶対、口にしてはいけない言葉だった」と批判した。 元東京高裁部総括判事の木谷明弁護士は「司法手続きが終わっておらず、刑事責任が固まったわけではないのに、犯人と決め付けて発言するのは問題だ。自身を正当化するために他人をおとしめたと言われても仕方がない」と指摘した。 無罪推定は、刑事裁判で有罪が確定するまでは「罪を犯していない人」として扱わなければならないとする考え方。国際的にも刑事司法の大原則とされている。(共同)2017年10月12日 日刊スポーツ 「安倍首相、判決未確定の籠池被告に『詐欺働く人物』」から引用https://www.nikkansports.com/general/news/201710120000742.html 世の中には、警察に逮捕された人間は即犯罪者であると思っている者が少なからず存在していて、呆れてしまうのであるが、一国の総理大臣を務める人物までが、そういうお粗末な認識だったとは、開いた口がふさがらないとはこのことだ。安倍氏の場合は、今回に限らず、何年か前にも国会答弁で「私は立法府の長だ」などと、とんでもない発言をしたこともあり、また、某首相経験者の回想によれば、安倍氏が何かの討論中にしきりに「ガイチテキ」「ガイチテキ」と発言するので、何のことを言ってるのだろうと思って手元の書類を覗いたら「画一的」の文字が見えて「なんだ、漢字を読み間違えてるのか」と愕然としたという体験を記述していた。安倍晋三といえば、その父や祖父は大変有能な政治家であったが、三代目はどうしてこんなにお粗末な人物になってしまったのか。それはやはり、苦労しなくても努力しなくても親の七光りで楽して政治家になれる「世襲」という問題がある、ということに留意が必要と思います。また、私たちはここに引用した記事にちなんで、「推定無罪の原則」についても認識を新たにしたいものです。
2017年10月17日
「週刊金曜日」記者の片岡伸行氏は6日の同誌で、「モリカケ疑惑」をもみ消しする目的で衆議院を解散するという暴挙に出た安倍首相を、次のように厳しく糾弾している; 学校法人森友(もりとも)学園(大阪市)への国有地8億円値引き売却問題、「腹心の友」が理事長を務める学校法人加計(かけ)学園(岡山市)への国家戦略特区での獣医学部新設認定。これらの国政私物化疑惑に、6月19日の会見で「深く反省」「丁寧(ていねい)に説明する」と釈明した安倍晋三首相だが、それから3カ月余。ひと言の「説明」もないまま、臨時国会を冒頭で解散。しかも、所信表明も代表質問もなし。これ自体が自己都合で言論の場を破壊する「国難」行為である。 というのも、疑惑解明の糸口となる可能性の一つとされる会計検査院による8億円値引き問題の調査結果が、10月下旬にも出される可能性があるからだ。◆結果出てから信を問え「内閣に対し独立の地位を有する憲法上の機関」とされるのが会計検査院だ。参議院予算委員会の要請により、その会計検査院が森友学園への大阪府豊中市の国有地貸付・売却に関する調査を始めたのは3月7日。検査対象は財務省と国土交通省で、検査内容は、(1)経緯(2)価格算定手続きの適正性(3)行政文書の管理状況-の3点だ。 すでに知られているように、(1)については、「100万円寄付」疑惑のある安倍首相の妻・昭恵氏の「名誉校長」就任前後に、財務省も「特例」だと認める形で貸付・売却がトントン拍子に進んだ経緯がある。また、昭恵氏の「秘書」だった首相官邸スクッフの谷査恵子(たにさえこ)氏(在イタリア大使館一等書記官に栄転)による国有財産審理室長への照会とファクス回答など、数々の特別扱いによってタダ同然の売却に至った経緯も物証とともに明らかだ。彼女らの動きは財務省も国土交通省も把握していた。 (2)については、「地下9メートル」はおろか「地下3・8メートル」以下の「新たなゴミ」の存在さえ確認されていない疑惑があることから、8億円値引きの算定根拠が根本から崩れている。 (3)については、「交渉記録は廃棄した」「事前に売却価格などを提示したことはない」などと言い続けて国税庁長官に栄転した佐川宣寿(さがわのぶひさ)理財局長(当時)の国会答弁を覆す近畿財務局と建設業者との交渉の音声データが明らかにされ、そこでは財務局側が事前に売却価格などに言及している。また、施工業者作成の「交渉メモ」もあり、さらに、交渉経過文書は電子データの復元が技術的に可能であることも明らかになっている。 これら「経緯」の事実認定なくして、値引きの算定根拠や価格決定手続きが適正かどうかの結論は出しようがない。「検査結果が出る前に解散総選挙。本来、内容がわかってから解散で国民に信を問うのが筋だ」 民進党「森友学園への国有地売却問題解明プロジュウトチーム」共同座長を務める川合孝典(かわいたかのり)参議院議員は、9月21日に東京・永田町の衆院第一議員会館内で開かれた同チームのヒアリングの場でそう指摘した。会計検査院の検査結果が出る前にやってしまおうという姑息(こそく)で卑怯な解散というわけだ。◆問われる会計検査院 一方で、森友学園の籠池泰典(かごいけやすのり)・諄子(じゅんこ)夫妻を詐欺罪などで逮捕・起訴したまま、”本丸”の国有地売却問題の進展が見えない大阪地検特捜部の捜査も進行中だ。 会計検査院側は、前述の民進党ヒアリングの場で「検察は個人の刑事責任、われわれは国の会計上の問題。組織としてどういう会計処理をしたかが問題で、調べる対象は重なっていない」と説明。しかし、売却に関わった担当者は当然ながら「背任容疑」の捜査対象者と重なつており、組織と個人を切り分けて検査するのは不可能ではないか。「組織」を強調するのは、逃げとしか思われない。 内閣から独立した機関である会計検査院が、他省庁のように見苦しい「付度(そんたく)」はしにくいと思われるが、かりにしたとしても疑惑の核心に触れずに結果を出すことは困難だろう。検査開始からすでに半年が経過。同じ参議院から出された過去7年間の「要請」は10件あり、「会計上物申す必要がなかったものはなかった」(会計検査院)というから、いずれも何らかの問題を指摘されてきた。 たとえば、今年3月に出された日本放送協会(NHK)の関連団体の事業運営に関する検査結果では、「不適正経理が依然として生じている」などと厳しく批判した上で、「(随意契約ではなく)競争性のある契約への移行」などを提起している。 今回は、最高権力者の妻の関与・影響や値引き算定根拠の偽装、国会での虚偽答弁といった疑惑が満載で、単なる会計上の手続き処理では済まない問題を孕(はら)む。独立機関としての会計検査院の腕の見せ所であり、同時に信頼に値する機関なのかどうかが問われる。◆憲法違反上塗りの解散 民進、共産、自由、社民の野党4党が憲法53条の規定に基づき、加計学園疑惑解明のための臨時国会召集を要求したのは6月22日のことだ。安倍政権は以来3カ月間にわたり、この憲法に基づく要求をだらだらと先延ばしにしてきた。これ自体が憲法違反だとの指摘がある中、今回の「臨時国会冒頭の解散」。しかも、「仕事人内閣」などと称した8月初めの内閣改造後、何も仕事をしないでの冒頭解散だ。これには自民党内からも批判の声が上がっている。 しかし、単なる「批判」で済む問題か。憲法上召集の義務のある臨時国会を形だけ開会し、冒頭でお開きなどというのは政治的詐欺行為に等しい。「憲法違反の上塗り」と指摘されても仕方がない。安倍政権はこれまでも何度か「憲法違反」を指摘されてきたが、もう憲法の精神を踏みにじることに何のためらいも感じないようだ。 任期1年あまりを残しながら、なぜ解散を急ぐのかについては、民進党の”離党ドミノ”や野党共闘および小池新党の準備不足などの状況をにらんで「勝てる」と踏んだからと指摘される。ほとんど狂言に近い「Jアラート」(全国瞬時警報システム)を連発するほど国民の安全が危機に晒(さら)されているなら、党利党略の解散よりも万が一のための国内政策や外交を優先するはずだが、そうはしない。それどころか国連総会の場で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を挑発して自ら危機を煽(あお)る始末だ。二重の意味で国民を愚弄する詐欺的な解散である。◆ドサクサの加計「認可」? 加えて問題なのが、加計学園の獣医学部新設申請に対する、大学設置・学校法人審議会の答申も10月末に予定されていることだ。 認可になっても不認可になっても、安倍政権への批判が高まることは確実である。認可になれば国民の怒りはさらに高まり、不認可になれば特区認定はやっばりおかしかったと不信が深まる。だから、答申前に解散してしまえば、あるいは、総選挙のドサクサに紛れて答申が出れば、傷は浅くて済む。それを見越して、会計検査院の検査結果と同様、答えが出る前に解散をしてしまえというわけだ。 安倍首相は言うに事欠いて「国難突破解散だ」と称したが、前代未聞の国政私物化疑惑という”国難”の張本人がそれから逃れるために、衆議院をも私物化して打って出た悪質な解散。いくら何でも有権者はそれを見抜くだろうが、「極右」とされる希望の党に疑惑解明を期待しても希望はないことを肝に命じる必要がある。<かたおか のぶゆき・編集部。>2017年10月6日 「週刊金曜日」 1155号 22ページ 「モリカケ疑惑-『答え』出る前のもみ消し解散」から引用 この記事でも触れているように、安倍首相は先の国会では森友・加計学園問題で自分の説明が不十分であったと認めて、一応、記者会見の場では「今後、丁寧に説明する」と約束したのであったが、未だにその約束が果たされていないところを見ると、やはりこれは相当後ろめたい「何か」を隠していることは確実で、特に今治市に獣医学部の新設を申請しているのが、親友の加計氏であることを知ったのはつい最近などというのはウソに決まっているのであって、本当は安倍氏は今ごろは首相の座を追われていたはずなのであるが、最近はマスコミの力も弱くなってしまって、追及がなかなか進まないのは残念なことである。
2017年10月16日
「リベラル」という言葉の意味について、法政大学教授の山口二郎氏は8日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 曲折の末に立憲民主党が結成され、リベラル派市民の受け皿ができたという議論が聞かれる。不勉強な若手学者やマスコミがリベラルを左翼と呼んだり、リベラルの支持基盤は細っていると言ったりしている。リベラルとは何か、混乱があるので、整理しておきたい。 実は、日本政治においてリベラルは太い流れの一つである。特に戦前、軍部を恐れず戦争と独裁に反対した石橋湛山がリベラルの源流とされている。安倍政権の下で共謀罪など政府権力を強める立法が進められ、戦争に踏み込まんばかりの勇ましい言説が飛び交う今、この意味でのリベラルは大いに必要とされている。また、この理念を支持する国民も多い。 この言葉が生まれたヨーロッパでは、個人の自由、特に経済的自由を尊重するという意味で使われたが、20世紀アメリカでは民主党の進歩派が、あらゆる人間に人間らしく自由に生きる権利を保障するという観点から、人種や性別による差別を許さないルールを確立し、貧困層に対しても生きる権利を保障するために政府が積極的に政策を展開するという意味で、リベラルの意味を転換した。 立憲民主党が追求するリベラルは、日本における伝統的なリベラルに、社会的な平等や公正を志向するアメリカのリベラルを加味したものだ。今の日本に必要な選択肢である。(法政大教授)2017年10月8日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-リベラルの必要姓」から引用 軍部の独裁と戦争遂行に反対した石橋湛山が、日本のリベラルの源流であるという説明は分かりやすいと思います。再軍備して集団的自衛権を行使できるようにしたい自民党や希望の党に反対する立憲民主党が、リベラルであるということが良く分かると思います。また、石橋湛山を源流とする考え方は、社会主義や共産主義とは別のものであって、リベラルを左翼と呼ぶのは間違いであることも明白です。
2017年10月15日
市民団体が野党3党に選挙協力を求める要望書を提出したと、8日の東京新聞が報道している; 安全保障関連法廃止を掲げる市民グループ「市民連合」は7日、共産、立憲民主、社民の野党3党の幹部と東京都内で面会し、衆院選に向けて憲法9条改憲の阻止や「共謀罪」を新設する改正組織犯罪処罰法の白紙撤回を求める要望書を提出した。「与野党が一対一の構図をつくり、国民に選択肢を提供する責任がある」と指摘し、3党の選挙協力も求めた。 立憲民主党の福山哲郎幹事長は「この国の立憲主義、民主主義を守る戦いを市民の皆さんと進めたい」と強調。共産党の小池晃書記局長は289小選挙区のうち240以上で立憲民主、社民両党、無所属などと候補者を一本化したと説明した。 市民連合の山口二郎法政大教授は「重大な局面に野党が全力で戦ってほしい」と語った。要望書では、森友、加計学園問題の徹底究明や新しいエネルギー政策による原発ゼロの実現も求めた。2017年10月8日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「野党3党共闘し9条改憲阻止を」から引用 小池百合子氏が都議会選挙で自民党を野党にしてしまった手腕を見て、今度は国政選挙で同じ現象を引き起こすのかと思った矢先に、「改憲に反対しない」「安保関連法に反対しない」という条件であることが世間に知れ渡ってしまったので、反自民ではあってもその2つの条件付きでは投票できないと考える有権者の数は無視できないほどであったわけで、立憲民主党という受け皿が出来たことは良かったと思います。3つの野党はそれぞれに細部では政策の違いがあっても、今は民主主義を守るための闘いなので、その一点で共闘を組むということは、これからの日本にとって有意義なことと思います。
2017年10月14日
自民党の筆頭副幹事長という要職にある小泉進次郎議員が、大阪で演説して安倍首相を痛烈に批判したと、8日の東京新聞が報道している; 自民党の小泉進次郎筆頭副幹事長は7日、大阪府高槻市での街頭演説で、森友、加計(かけ)学園問題を取り上げ「皆さんの疑念を払拭(ふっしょく)できるのは安倍総理しかいない。真撃(しんし)に説明を果たしていく選挙にしなければいけない」と発言し、安倍首相に説明責任を果たすよう求めた。 小泉氏は次期衆院選大阪10区の自民候補の応援で来訪。「野党をいくら非難しても、森友、加計学園について総理がしっかり説明していないという声がつきまとう」と指摘し、「今回の選挙でけりをつけられなければ、選挙後の信頼回復につながらない」と訴えた。2017年10月8日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「小泉氏『森友・加計説明責任果たせ』」から引用 安倍首相は先の国会が終了した時点で記者会見して、森友・加計問題で国民の不信を招いたことを謝罪し「今後は丁寧に説明していく」と約束したかのような演技をして見せたのであったが、その後は丁寧な説明どころが簡単な説明すら無く、森友・加計に関しては依然として大きな疑惑を抱えたままであるため、選挙演説をするには上の記事が報道するように、自民党議員であっても安倍首相を批判する文言を挿入しないことには、有権者に合わせる顔がないということだと思います。しかし、賢明な有権者は小泉議員のような与党議員が安倍批判をしたからと言って、それを評価してはならないと思います。彼の発言は、本音ではなく、厳しい有権者の目を避けたい一心でその場限りの発言をしただけであることを見抜く必要があります。もし、小泉議員が本音で上の記事のように考えているのであれば、選挙が始まる前から、先の国会の会期中にでも首相の責任を追及するべきであったのであって、そのような行動は一切なかったことを考えれば、上記の記事が報道するような彼の発言には、本音がほとんど含まれていないのだという点に留意が必要です。
2017年10月13日
解散して民意を問わなければならないような問題はないにも関わらず、安倍内閣がいとも簡単に衆議院を解散したことについて、評論家の荷宮和子氏は1日の東京新聞コラムに次のように書いている; 「『今やったら勝てるんじゃね?』解散」が決まってしまった。総理をはじめとする、今の日本の政権の中枢にいる人たちの言葉は、どうしてこんなに軽く、誠意がないのだろう。 8月30日に亡くなった日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の谷口稜嘩(すみてる)さんについて、9月18日の社説はこう書いている。「『背中が語る』と言いますが、あの”赤い背中”を直視して、痛みを覚えた人ならば、核兵器を持とうとか、戦争をしようとか、考えるはずがありません」 この社説に対して、総理をはじめとするあの人たちは、多分同調しないだろう。せいぜい、「気の毒だけど、戦争だったんだからしょうがない」と感じるだけだと思う。「戦争だったらしょうがない症候群」に、とりつかれているのだ。衆院を解散した後に北朝鮮有事が起き、安全保障関連法の新任務を行う場合、国会承認をどうするか。小野寺五典防衛相が「事後承認制度がある」(9月19日夕刊)としれっと言えるのも、「戦争だったらしょうがない」症候群の発露だ。 あるいは、「原子力に限らず、どんな技術にも負の側面はある」と言った福島第一原発事故当時の原子力委員長も、「地震だったからしょうがない」症候群にかかっている。原発にかかわっている人たちは、今後、どんな事態が新たにおきても「地震だったらしょうがない」で乗り切るつもりだろう。だからこそ、「廃炉の見通しはまったくつかないけど、東電は原発をアンダーコントロールしてるから、原発再開してもいいんじゃね?」と言えるのだ。 改憲も、原発も、選挙も、「こんな人たち」によって決められてしまう。それが、今の日本の現実だ。が、だからこそ「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」のだ。 9月19日の「言わねばならないこと」で山田洋次監督が、今どきの若者について、「無感動で元気がない」「おとなしく、聞き分けがいい」と語っていた。本当にそうだ。拙著『若者はなぜ怒らなくなったのか』では、若者は「決まっちゃったことはしょうがない」症候群にかかっている、と指摘したが、あれから十余年。今どきの若者は、「決まっちゃいそうなことはしょうがない」症候群にかかっている。だから選挙に行かない。だって、投票したってどうにもならないもの。だったら決まっちゃいそうな方でいい。 こういった価値観で今まで生きてきた人たちに、「死に票もいいもんだよ」的な気分は説明のしようがない。「戦争だったらしょうがない」内閣と「決まっちゃいそうなことはしょうがない」徴兵予備軍。盤石の国家が完成しつつある。(女子供文化評論家)2017年10月1日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-負けるわけにはいかない」から引用 政権の中枢にいる人たちの言葉はどうしてこんなに軽く、誠意がないのか。多くの人々が森内閣の頃から薄々感じていたことだと思いますが、それが年を経るにつれて次第にひどくなり、漢字を誤読したり、海外の記者を交えた記者会見で難民問題を聞かれたのに、人口問題と取り違えて答える首相とか、政権中枢がこういう風になったのは、一重に世襲議員が増えたせいだと思います。言葉遣いというのは、往々にしてその人が身につけた教養と、世間で苦労を積んだ結果得られた経験がにじみ出るもので、そういう研鑽や苦労を経験しなくても、親の七光りで楽々当選してきた政治家ともなると、己の教養の無さを恥とも思わずに堂々と間違った言葉遣いで通ってしまう。こういう人たちが政治を牛耳っているようでは、一度は経済大国といわれた日本もだんだん衰退していくのでは無いかと心配です。
2017年10月12日
総選挙の直前に、民進党からの公認候補は出さないとか、希望の党からの立候補はできるが小池百合子の方針には絶対服従とか、理屈の通らない決定に民進党議員が不平の一つも言わずにおとなしくしたがっているのは実に不思議な話であるが、このような混乱について、法政大学教授の山口二郎氏は1日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 衆議院解散と同時に民進党も事実上解散し、総選挙は自民・公明の与党、希望の党、共産・社民の左派という三つの勢力が争う構図となった。 私自身、野党協力を進めるべく動いてきた。前原代表には裏切られた思いだが、政治の世界では裏切られる方がバカだ。嘆いていても仕方ない。これからどうするかを考えなければならない。 現在の日本政治にとっての最大の課題は権力を私物化し、暴走を続けてきた安倍政権に対し、一度ブレーキをかけることである。それには主義主張は後回しにして大きな野党をつくり、自民党を凌駕(りょうが)するのが手っ取り早い方法のように見える。新党が本当に寛容な保守の政党なら、大結集も可能だろうと私も考えた時期があった。だが、小池氏の女帝然とした他人を見下した態度を見ると、この塊が権力をとっても憲法や民主主義の破壊が進むのは同じかもしれないという危倶がある。 この総選挙で一気に政権交代とまでいかなくても、今まで安倍政権による憲法破壊に正攻法で抵抗してきた立憲主義勢力を政治の選択肢としてきちんと残すということも安倍政治を止めるための一つの道筋だと思う。早晩大きな政党再編が起こるに違いないのだから。 ここは政治家一人一人が、自分の原理原則と良心に照らして恥じない行動をとり、それを市民が支えるしかない。(法政大教授)2017年10月1日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-混乱期への対処」から引用 希望の党という名前は新しい感じがするが、党員になる条件が「改憲に反対しない」と「安保法制に反対しない」というのでは、実質「第二自民党」という名称が本質に最も相応しい。自民党を倒してもこういう政党が政権を握るのであれば、政治の状況は何も変わらず、安倍政権が開始した「憲法と民主主義の破壊」はそのまま継続することになるわけで、にわか作りとは言え枝野氏が立憲民主党を立ち上げたのは正解であった。どのような選挙結果になろうとも、国会は引き続き「森友・加計問題」を追及して行かなければならない。
2017年10月11日
在特会前会長が有田議員を相手取って損害賠償を求めた裁判で、原告が敗訴したと、9月27日の東京新聞が報道している; 在日特権を許さない市民の会(在特会)前会長の桜井誠氏が、有田芳生参院議員のツイッターへの投稿で名誉を傷つけられたとして損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は26日、桜井氏の過去の発言がヘイトスピーチ対策法の差別約言動に当たると認め「一定の批判は甘受すべきだ」と請求を棄却した。 判決によると、有田氏は2016年4月、「桜井誠の存在がヘイトスピーチ=差別扇動そのもの」などと投稿。桜井氏側は人格を否定していると主張していた。 小野瀬厚裁判長は、桜井氏が東京・新大久保などで在日朝鮮人を差別する発言をしたとして「在特会の指導的、中心的役割を果たし、社会的に影響力があった」と認定。有田氏の投稿に違法性はないと判断した。 有田氏は判決後に記者会見し「国会議員、地方議員が(ヘイトスピーチを規制する)条例を広めるべきだ」と述べた。桜井氏の代理人弁護士は「不当な判決で控訴する方針だ」と話した。2017年9月27日 東京新聞朝刊 12版 26ページ「在特会前会長発言 地裁がヘイト認定」から引用 在特会前会長の桜井氏は、自分のヘイトスピーチを棚に上げて有田議員を批判しても、そういう理屈は通らないと、裁判所が判断したのは当たり前で、こんな調子ではどこまで上告しても勝訴はあり得ないと思います。こういう常識が、より広く世間に認識されるように希望します。
2017年10月10日
安倍首相が意味も無く衆議院を解散してその理由を「国難突破解散」などと説明したことについて、文芸評論家の斎藤美奈子氏は、9月27日の東京新聞コラムに次のように書いている; ツイッター上では「おまえが国難」というハッシュタグが飛びかっている。25日の記者会見で「この解散は『国難突破解散』だ」と語った首相への皮肉である。 国難って「国家存亡の危機」のことですよね。この種の大仰な言葉は好きじゃないけど、そこには通常の「国家の課題」以上の一大事の意味がこめられている。これまでだと、蒙古襲来とか黒船来航とか敗戦とか大地震とか、そのくらいの事態を指す言葉だった。 しかるに首相がでっちあげた主な解散理由は少子高齢化に対応する消費増税の使途変更? 首を傾(かし)げていたら、産経新聞(26日)で編集委員の阿比留瑠比氏が解説してくれていた。 <記者会見では、むしろ消費税の使途変更に言葉を費やしたが、安倍首相の決断理由は一にも二にも、そこに北朝鮮問題があるからだ。わが国はまさに、戦後最大の安全保障上の危機に直面しているのである> すごいな。もはや完全に有事気取り。 国民の信を問うことなく秘密保護法を通し、 国民の信を問うことなく集団的自衛権の一部行使を可能にする安保関連法を成立させ、 国民の信を問うことなく共謀罪を含む組織犯罪処罰法を成立させた安倍政権。 国難は外からやってくるとは限らないのである。先の戦争で国難を招いたのは誰だったのか思い出したほうがいい。(文芸評論家)2017年9月27日 東京新聞朝刊 12版 25ページ 「本音のコラム-あなたが国難」から引用 安倍首相が「国難」を思いついた理由は、朝鮮のミサイルを連想させて国民を不安にさせて、それで票を獲得しようという算段ではないかと思います。不安を演出して票が集まれば、その流れで自動的に9条を改悪して軍隊を持つことが可能になるところまで誘導できるという、これまでの自民党内の改憲に向けた議論の積み重ねを無視して、とにかく「オレがやったんだ」と後世に名を残したいというわけですが、あまり変なことをやると、後世の人々から後ろ指をさされるようなことにもなりかねないと思います。
2017年10月09日
事故を起こした福島第一原発の使用済み核燃料取り出し作業は困難を極めているため、予定を3年先送りすることになったと、9月27日の東京新聞が報道している; 政府は26日、東京電力福島第一原発の事故収束に向けた中長期ロードマップ(工程表)を改定し、1、2号機のプールに保管中の使用済み核燃料の取り出し開始時期を3年遅らせて2023年度とした。廃炉完了まで最大40年という計画は維持したものの、課題は依然として山積しており、工程表通りに進むかどうかは不透明だ。 11年12月に策定された工程表の改定は4回目。使用済み核燃料の取り出し時期は後退し続けている。東電の福島第一廃炉推進力ンパニーの増田尚宏・最高責任者は同日、「作業全体を最適化した。どの順番で何を優先するかが見えてきたのは進歩」と強調した。 福島第一では、調査が進むにつれ新たな難問が浮かんでいる。今年に入り、1号機原子炉建屋で格納容器上部を覆っているはずのコンクリート製ふたの崩落が判明したこともその一つ。隙間からは炉内の強い放射線が出ている。 高線量は、使用済み核燃料の取り出し時に作業員が立ち入る際に障害となる。しかし、建屋の上部には大量のがれきが残っており、線量を下げる対策も難航が見込まれる。2号機でもプールがある建屋最上階の線量が高い。 また、多くの損傷が確認され、本紙の写真分析でも新たな損傷が判明した1、2号機の排気筒(高さ120メートル)は、19年中に上半分を解体予定。並行して使用済み核燃料の取り出し作業をすれば、互いの作業に支障が出る恐れもある。 3号機からの取り出しは、現行の18年度半ばで変更はなかった。 一方、1~3号機で溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しは、格納容器の横から穴を開け、水を張らずに作業する「気中工法」を軸とする。圧力容器内のデブリは、上方からの取り出しを目指す。最初に取り出す号機の選定と具体的な工法確定は一年遅らせた。取り出し開始は、21年内という目標を変えなかった。(小川慎一)2017年9月27日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「核燃料の回収 3年先送付」から引用 原子力発電は確立された技術ではないため、一旦事故を起こすとどのように後始末をしたらいいのかもよく分からず、事故発生から6年も経ってようやく今ごろ「どの順番で何を優先するかが見えてきた」などと言ってる体たらくで、原発推進が如何に無責任な仕業であったかということを示している。したがって、これから原発を再稼働しようとすることも、同様に無責任な方針と言わざるを得ない。国内50カ所余の原発は、企業責任で直ちに廃炉を決めるべきである。
2017年10月08日
朝鮮のミサイル実験に便乗して、安倍政権が防衛費予算を無駄に増額していることを、元NHKディレクターの戸崎賢二氏が9月10日の「しんぶん赤旗」で、次のように批判している; 同じテレビニュースでこうも違うのかと驚きました。 8月31日、防衛省は過去最大の軍事費の概算要求を決定しましたが、それを報じた当日のNHK「ニュースウオッチ9」とテレビ朝日「報道ステーション」の内容の差です。 5兆2551億円の概算要求について、「ニュースウオッチ9」は、要求額の紹介のあと、迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の購入が、金額を明示しない「事項要求」という形で盛り込まれた、と伝えて終わりです。この間わずか25秒でした。 一方、「報道ステーション」は、6分近くの時間で、概算要求が持つ危険な側面を伝えています。概算要求の中に島しょ防衛用の射程距離数百キロのミサイル開発の研究費があります。番組は、このミサイルは改良すれば射程距離を数倍に伸ばすことができるという専門家の解説を紹介し、これは敵基地攻撃能力を備えることだと指摘しました。同時に、自民党が敵基地攻撃能力の保有検討を求める提言をしていることも併せて伝えています。 「ニュースウオッチ9」の画面のテロップは「北朝鮮ミサイル・高まる脅威、防衛省概算要求過去最大に」というものでした。北朝鮮の脅威、したがって軍備増強が現実的だ、という社会の「空気」をなぞった形です。 しかし、この軍拡路線は二重に非現実的です。第一に、ではいざとなったら全面核戦争に突入するのか、そんなことはあり得ない、という非現実性、第二はミサイル迎撃が本当に可能なのか、という点の非現実性です。北朝鮮が多数のミサイルを同時に発射すれば全部は撃ち落とせません。 これからも軍備に関するニュースは続くでしょう。テレビジャーナリズムに望みたいのは、時代の空気にあらがい、懐疑する精神です。軍事に対して軍事で対抗する愚を鋭く批判すること、これが今ほど必要な時期はないでしょう。(とざき・けんじ=元NHKディレクター)2017年9月10日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ 「メディアをよむ-軍拡の『空気』にあらがえ」から引用 隣国がミサイル実験を繰り返すからという口実で日本が防衛予算を増やすというのは、まったくの「便乗」であって、日本がどんなに重武装したところで、朝鮮政府のミサイル実験や核開発を止めさせることはできません。朝鮮がミサイルや核兵器の実験を繰り返す目的は、アメリカを交渉のテーブルに着かせることであって、日本を侵略するとか、アメリカと開戦する意図がないことは、その国力をみるだけで明らかというものです。この問題を解決しようと考えるなら、日本はアメリカを説得して朝鮮と交渉するように促す以外に、問題解決の道はないと思います。にも関わらず、安倍首相と来た日には「対話は意味がないから、圧力を強めるべきだ」などと、有効な手立てを見つけられずにいるアメリカに対し、意味も無く迎合するような発言をするのでは、問題解決を遅らせるばかりです。
2017年10月07日
先月、安倍首相が唐突に「解散」を言い出したとき、法政大学教授の山口二郎氏は9月24日の東京新聞コラムで、次のように批判していた; 安倍首相は9月28日に臨時国会を召集し、冒頭に解散を行うと各紙は伝えている。はっきり言おう。これはナチスの手口を想起させる。 まず、ナチスの手口を復習しておこう。1933年2月、ドイツの国会議事堂が火災で焼失した。ヒトラー政権は、これを共産主義者の放火と宣伝し、翌週の国会選挙で過半数近い議席を得て、全権委任法を成立させ、独裁を始めた。国民に恐怖と憎悪をあおり、思考停止状態に追い込んで選挙を行って勝利するのがナチスの手口である。 もちろん、日本では国会が物理的に破壊されているわけではない。しかし、国会を開いても一切の議論をさせないまま解散するのは、国会の機能を破壊する行為である。また、首相は北朝鮮のミサイル発射に際して効果不明の警報を発して国民をおびえさせ、国連演説を国内向けの北朝鮮非難のプロパガンダに利用した。そのタイミングにあえて解散総選挙を設定しようとしている。これはナチスの手口に近い。 北朝鮮危機を収拾することは政治の急務であるが、力による解決を志向するのか、政治的解決を探るのかについては、国際社会同様、日本国内においても論議があるべきである。そうした議論を一切押し流すのが、今回の解散である。 幸い、日本にはまだ自由がある。我々は判断力を保たなければならない。(法政大教授)2017年9月24日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「本音のコラム-ナチスの手口」から引用 数年前に麻生財務相が「ナチスの手口に学んではどうか」と発言したとき、世間は「彼は深くものを考えずに、軽口を叩いただけだろう」と、あまり気にも留めなかった様子でしたが、今にして思うと、あの時の麻生氏は軽口を叩いたのではなくて、かなり本気で発言したのであって、その後安倍政権は着実に「ナチスの手口」を学んで、その教えを着実に実行してきたことが分かります。ところが、安倍政権の上をいく政治家が出現し、本来安倍氏に集中するハズだった世間の耳目を一身に集めているのが小池百合子氏です。劇場型の政治手法を駆使する手腕は見事ですが、私はこの政治家は庶民の味方ではないと思います。民進党からの転入に「改憲に賛成」と「安保法制を支持する」という条件をつけたのでは、結局小池氏が目指す方向は、安倍晋三氏と大差ないということになると思うからです。世の中がどこまで右傾化しても、日本には一定数の「リベラル派」が存在しますから、枝野氏が「立憲民主党」を立ち上げたのは適切な対応だったと思います。
2017年10月06日
党利党略どころか安倍首相の個人的な弱みを誤魔化すための解散権乱用を、東京大学教授の宇野重規氏は9月24日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 突如、解散風が吹いてきた。「仕事人内閣」を標模(ひょうぼう)して内閣改造を行った安倍晋三首相であるが、とりあえず「仕事」は置いておいて「解散」へと気がむいたらしい。「大義名分なき」解散との批判も多いが「解散は首相の専権事項であり、勝てる時に解散して何が悪い」ということなのであろう。いったん風が吹き始めると、動きが止まらなくなるのが議員心理である。おそらく、このまま解散になる可能性が高い。 もちろん首相の解散権について憲法上の疑義があることは言うまでもない。69条の内閣不信任決議案可決または信任決議案の否決による解散を別とすれば、首相に解散権を与える明示的な規定は憲法に存在しない。7条の天皇の国事行為に「衆議院の解散」があることを、天皇の国事行為は「内閣の助言と承認」に基づくという規定と結びつけ、かなり無理筋な理屈によって歴代内閣は、首相の解散権を正当化してきた(その場合も、首相ではなく内閣の「専権事項」である)。はたして首相による一方的な解散権の行使を認めてよいか、なお議論が必要だ。 仮に首相の解散権を認めるとしても、政権に有利な時を選んで行う、純粋に「党利党略」による解散が批判されることば言うまでもない。特に北朝鮮情勢が緊迫するなか、国民の安全を図ることを最優先すべき時に、多くの時間と労力を選挙戦に費やすことには大きな疑問を感じざるをえない。このような時期に解散を行った安倍首相による判断それ自体が、選挙戦の争点の一つになるであろう。 今回の選挙は、ある意味で「首相の、首相による、首相のための」解散と言える。世界的な趨勢(すうせい)を見る限り、議院内閣制の祖国である英国を含め、首相による解散権に一定の制約を課す傾向が強い。今後、首相による解散権行使の条件について、あらためて考えていく必要がある。 しかしながら歴史の女神は時として浮気である。「勝てる時に解散した」つもりの首相の意図が、実現するかはわからない。思いがけない結果をもたらす可能性も十分にある。少なくとも以下の「副作用」はありうるのではないか。 まずは、このことが野党の側に、ある種の覚悟を促すことだ。今回、前原誠司新代表の下で再出発した民進党は、幹事長人事を巡る混乱と、細野豪志議員をはじめとする離党議員の続出にあえいでいる。しかしながら、選挙が差し迫るなか、あらためて民進党の議員は自らの属すべき政党についての決意を迫られる。結果として、民進党は身を切ることで政党としての一体性を再確認するのではないか。 同時に検討されている新党構想についても、一定の見通しが得られるであろう。結成される新党が、いかなる原理原則を持ちうるのか、与党補完勢力なのか、あるいは第三極かを含め、疑問は尽きない。これらの点について、早い時期に結論が得られることは、悪いことではない。 野党連携についても議論が進むだろう。野党による連携の欠如が、これまで与党を利してきたことは明らかだ。今回の解散劇は、共産党との連携を含めての野党の選挙協力を、あるいは当事者の思いを超えて加速させる可能性がある。 「首相の、首相による、首相のための」解散がいかなる結果をもたらすか、「副作用」を含めて見守りたい。(東大教授)2017年9月24日 東京新聞朝刊 11版 5ページ 「時代を読む-衆院解散の『副作用』」から引用 安倍首相の過去5年間の政治は、歴代自民党政権の伝統的な方針をことごとく覆す暴政であったと思います。ポスト安倍の政権は、この5年間で歪められた政治を元に戻すことが重要で、憲法の精神に鑑みて「秘密保護法」「安保法制」「共謀罪法」は廃止すること、行政文書は一定の期間保存することを義務づける法律を制定すること、首相の解散権は不信任案が可決された場合に限ることを確認する法律を制定すること、などが主な仕事になると思います。
2017年10月05日
憲法7条を根拠に衆議院を解散することには疑問があると、9月24日の東京新聞が報道している; 安倍晋三首相が衆院解散に踏み切ることに対し、野党から「解散権の乱用」と批判が出ている。民進党は衆院選公約に解散権の制約を盛り込む方針。首相に解散の自由裁量があるとの憲法解釈にはかねて疑義が付きまとっている。首相が2014年11月に衆院を解散した際も同様の意見が広がり、国会の憲法審査会でも是非が議論されていた。(清水俊介) 解散に関する憲法の規定は2つある。1つは69条。衆院で内閣不信任決議案が可決または内閣信任案が否決された時、内閣は「10日以内に衆院が解散されない限り、総辞職しなければならない」と定め、解散の要件を明記している。 これに対し、不信任案が可決されていないのに解散できる根拠になっているのは、天皇の国事行為を定めた7条。「内閣の助言と承認により行う行為」の中に衆院解散が含まれており、事実上は首相に解散権があると解釈されているが、自由裁量の明文規定はないため論争が起きている。 先の通常国会の衆院憲法審査会では、民進党の枝野幸男氏が7条解散について「認める意義は乏しい。内閣と政治的に一体の議会の多数派が、その優位性を強めるための解散は、有害である可能性すらある」と主張した。参考人の木村草太・首都大学東京教授は「党利党略での解散を抑制するため、解散権には何らかの制限をかけていくことが合理的だ」と陳述した。 与党では、公明党の北側一雄氏が「党利党略による解散は妥当ではないが、その判断は国民に委ねられている」と指摘。「(直前の)総選挙で争点とならなかった重大な政治課題について、新たに国民の信を問うことは認められるべきだ」と唱えた。自民党の中谷元氏も解散権の合理性に関し「最新の民意を衆院に届ける側面もある」と強調した。 諸外国で解散権を制限した最近の具体例は、2011年に施行された英国の議会任期固定法。首相の解散権を封じ、例外として下院の3分の2以上の賛成で解散は可能と定めた。メイ首相は今年5月、欧州連合(EU)離脱に向けた政権基盤の強化を理由に、下院の賛成を得て解散した。2017年9月24日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「『7条解散』消えぬ疑問」から引用 この記事には「解散に関する憲法の規定は2つある」と書いてありますが、こう書いたのは過去に7条に基づいて何度も解散した前例があるから、こう書いただけで、私はこういう認識は間違いだと思います。どのような場合に衆議院を解散するかと言うことを規定しているのは憲法69条のみであって、7条は内閣が69条の規定によって衆議院解散を決めた場合に、その「解散」は天皇の国事行為として実施されるということを規定しているに過ぎません。したがって、歴代内閣が憲法7条を根拠に衆議院を解散した過去の事例は誤りであったことを、国会は明確に宣言し、今後このような過ちを繰り返さないために、「内閣が衆議院を解散できるのは内閣不信任案が可決または内閣信任案が否決された場合であって、それ以外のケースでみだりに解散してはならない」と明示した法律を制定するべきだと思います。
2017年10月04日

作家の曾野綾子のエッセイ集「靖国で会う、ということ」を読んでいたら、次のような一文に遭遇しました;◆都知事選に思ったこと 2014年2月の都知事選を見ていてしみじみ思うのは、人間は自分というものの実質をなかなかわからないものなのだ、ということだった。自分はまだ世間から要求されている、まだ人気がある、と思い込むことの愚を見せつけられた感はある。 一度トップに立つことになった人は、ことに引き際が大切だ。その任に就いた日から辞める日のことを想定し用意すべきだろう。自分が脳血管障害に見舞われて自由に思考や表現ができなくなつた場合を考えて、年月日だけを記入していない自筆の辞表を用意するのは当然の義務と言える。自分が意識を失った場合、家族には一週間後には、それを自動的に提出するようにと言っておくべきだ。 世間にたくさんある財団の理事会などで、会長が出席不能になった場合、家族からも辞表は提出されず、長らく会長が実質空席のまま組織に迷惑を掛け続けている例を、私は実にたくさん見てきた。役所の場合なら、働けない人に数カ月も一年も、国民の税金から月給を払うことになる。それはあまりにも心ないことだ。日付のない辞表を着任の日に用意するということは、トップの最低のたしなみというべきだろう。 トップでなくてもサラリーマンは、どうしても自分の信念とぶつかる上司に会った場合、転職ができればいいが、常に他の方法で生きる道を心に用意しておくことだ。作家の生活にも長い年月、大手新聞社とNHKなどテレビ局による言論弾圧の時代があった。当時、これらのマスコミは、中国を批判する内容を一行たりとも表現することを許さなかったのだが、このことを謝罪したことはない。 私はその度に書くのを止めて生きる道を考えた。それは畑でジャガイモを作って暮らす生活だった。幸いにも日本は人口が減り、農業から離職する人も増えて、農地は比較的手に入りやすくなっている。魂の自由を守るには、「田園に帰ればいい」のである。私はそこまでいかなくて済んだが、今でも素人にしては驚かれるほど、野菜を作る方法に詳しくなっている。おかげで私の晩年の趣味道楽は、一つ増えたのである。曾野綾子著「靖国で会う、ということ」(河出書房新社) 32ページ「都知事選に思ったこと」から引用 ここに引用した文章が出てくる数ページ前には「日本の政治のリーダーは、正しい日本語を駆使して自らの信念を国民に訴える能力を備えた人物であってほしい」というようなことが書いてあり、「なるほど、作家ともなれば言葉のプロだから、説得力がある」と感心して読み進んだところで、この文章が出てくるので、読者はここで少なからず驚くというか落胆するというか「なんだ、この程度の本だったのか」と気がつくことになります。普通、言論弾圧と言えば政府が権力を行使して、政府の方針に都合の悪い「言論・表現」を弾圧する、すなわち弾圧される側は逮捕・投獄されることを意味します。しかるに大手新聞社やNHKのようなテレビ局に、市民を逮捕したり投獄する権限はないのですから、曾野氏が言うようなことはあり得るはずはないのであって、彼女は明らかに言葉を誤用していると言えます。平たく言えば、曾野氏があるとき中国を批判する内容の原稿を書いたとき、新聞社も出版社もNHKも「今どき、そんなことを書いても売れないから、うちでは受け付けません」と言われただけのことだと思います。それでも曾野氏が、どうしても中国批判を世に問いたいと願うのであれば、投書欄に投稿してみるとか、それでもボツにされたときは自費出版するとか、いろいろ手段はあったのであって、曾野氏が言論・表現の自由を奪われたわけではありません。また、番組作成の過程で「曾野さん、この批判部分は番組の主旨に相応しくないですから、削除してください」というようなことを言われたことがあったかも知れません。しかし、それは弾圧ではありません。彼女はテレビ局と契約して、番組作成の一翼を担うことになったのですから、その場合は番組制作者の指示に従うのが当然で、「自分としては、どうしも批判部分を割愛できない」とどこまでも主張すれば、「じゃあ、いいです。別の方にお願いしますから、おたくはもういいです」ということになるだけであって、こういうことを「弾圧」とは言いません。したがって、大手新聞社やNHKが曾野氏に謝罪したことがないのは、当たり前のことです。
2017年10月03日

小熊英二著「生きて帰ってきた男」(岩波新書)は、慶應義塾大学教授の小熊英二氏が父親である小熊謙二氏から聞き取った話をまとめたもので、小熊謙二氏が19歳で召集令状を受け取り満州に派遣されたのは昭和19年の暮れで、一年もしないうちに日本は敗戦、小熊謙二氏はそのままシベリアに連行されて重労働の日々を送り、厳しい環境の中で仲間も死んだりしてさんざんな目に遭いながらも帰国し、再就職に苦労しているうちに結核に罹患し、今度は6年間も結核療養所に入れられるという苦労をした人で、運良く病気を克服して就職口にも恵まれて、ようやく生活も軌道に乗って日本が経済成長の波に乗ったころに結婚し、息子も生まれたというようなことが書かれていますが、普通の小説とは異なる独特の文体が、私には新鮮なイメージで「次はどんな困難が待ち受けているのか」と緊張しながらも興味をかき立てられて読み進みました。その中の一節には、次のような文章がありました; ベトナム戦争については、「とにかく戦争だから嫌だった」という。「ソ連圏が広がってくるのには反対だが、戦争によってそれを防ぐのにも反対だった」。1969年には、前年に行なわれていた、米韓による南べトナム住民の虐殺事件が明るみに出た。当時の多くの日本の人々がそうであったように、謙二も中国での日本軍の行為を想起した。 「米軍の残虐行為は報道で知ったが、日本軍の残虐性にくらべれば、米軍のやっていることはオモチャみたいなものだと思った。中学生のころには、クラスのなかで同級生が、中国戦線から帰った兵隊からもらったという写真を内緒で見せあっていた。捕虜の中国人の首を、軍刀でちょん切る瞬間だった。中学生でもそういうものに接する機会が、当時の日本にはよくあったと思う」 「シベリアの収容所にいたとき、『日本新聞』に南京事件のことが載った。同じ班に『満州日日新聞』の記者がいて、「この事件は日本では伏せられていたが、外国ではオーブンで知れ渡っていた」と言っていた。収容所では、中国戦線の古参兵である高橋軍曹が、猥談のついでに残虐行為の話をしていた。戦火をさけて中国人の婦女子だけが隠れている場所を発見し、集団暴行をしたというような内容だった。ほかにも古参兵たちの伝聞で、日本軍がどんなことをやっていたのかはだいたいわかった」 「だから「南京虐殺はなかった」とかいう論調が出てきたときは、「まだこんなことをいっている人がいるのか」と思った。本でしか知識を得ていないから、ああいうことを書くのだろう。残虐行為をやった人は、戦場では獣になっていたが、戦後に帰ってきたら何も言わずに、胸に秘めて暮らしていたと思う」 1970(昭和45)年には、三島由紀夫が自殺した。謙二の感想は、「軍服みたいな制服の団体を作って、何を考えているのか全然わからなかったし、興味もなかった。自殺のさいの行動については、狂気の沙汰としか思えなかった」というものだった。 1972(昭和47)年に、グアム島で元日本兵の横井庄一が「発見」された。戦後27年間にわたって潜伏していた元日本兵の出規は、大きな話題をよんだ。「横井さんには驚いた。そんなに長く隠れていて、まだ生きていたということにびっくりした。「恥ずかしながら」捕虜になりましたとか、小銃を宮城で返したとか聞いたときは、昔のままの頭なんだと思った。ひどい運命にあわされたんだな、とつくづくと思った」 1974(昭和49)年には、フィリピンのルパング島から、元少尉の小野田寛郎が救出された。フィリピンの警備軍と銃撃戦になり、小野田と同行していた小塚金七元上等兵が死に、小野田だけが助かった。小野田は横井にくらべ、日本帰着時に敬礼するなど、元日本将校として風貌がよく、当時の日本では英雄祝する風潮もあった。しかし謙二は、小野田には厳しい感想を持った。 「小野田さんは英雄みたいに迎えられたが、小塚さんが死んだ責任をどう考えていたのか。戦争がとっくに終わっていたのに、小塚さんは小野田さんの妄想につきあわされて、死ななくてもいいのに死んだようなものだ。小塚さんの遺族は、いい感情を持たなかったはずだ。英雄みたいに迎えるマスコミも、昔の軍国主義の精神を歓迎しているようで腹が立った」小熊英二著「生きて帰ってきた男」(岩波新書) 第8章 戦争の記憶 311ページ~313ページから引用 ここに引用した文章にも、日本軍兵士が戦地でとは言え残虐な犯罪行為をしておきながら、官憲の目を逃れて帰国し、戦後は何も言わずに黙って何食わぬ顔で生活していたというようなことが語られています。シベリアに抑留された人々は、戦後長い間、政府に補償を求める裁判を起こして運動を続けて、2000年頃にようやく補償金が支払われることになりますが、それが20万円というような少額であったため腹を立て「誰がそんなものを受け取るか」と始めは無視することにしたが、そのうちにシベリアの収容所で仲良くしていた朝鮮人の「元日本兵」は国籍が異なるために支給の対象外となっていることに気づき「いくらなんでも、それはあんまりだ」ということで、その少額の補償金を申請して受領し、その半額を韓国の「元日本兵」に送ってあげたというようなエピソードが強く印象に残りました。
2017年10月02日
小池都知事が関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式に対する追悼文送付を拒否した経緯について、「週刊金曜日」記者の成澤宗男記者が9月1日付けの同誌に、次のようにリポートしている; 昨年の8月28日、東京都内のJR両国駅前で、数人の年配の男女が「日本人を貶める都立横網町公園朝鮮人追悼碑を許すな」などと書かれた大きな布を掲げ、さらに1人の女性がマイクを握った。「6000人虐殺の科学的根拠は一切ありません」「テロが頻発していた時代背景として・・・日本人は(関東大震災で)自分を守るために立ち上がったんてす。自警団を作ったんですよ」-。 これは、「少しでも日本が良くなるように!と願っている女性の集まり」と自称する、「そよ風」なる右派団体の街頭宣伝の光景だ。この団体は、同駅からほど近い都立横網町公園(墨田区)に設置された「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」の撤去を求める活動を、昨年から強化している。 理由は、碑文に刻まれた「関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため、6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました」という一節が、「日本人を貶める」からだという。 東京都の小池百合子知事はこのほど、同「追悼碑」の前で毎年震災記念日の9月1日に行なわれている追悼式に、恒例となっている歴代知事の追悼文送付を断る姿勢を示した。昨年は送付しているが、今回の転換は「そよ風」のこれまでの動きと無縁ではない。 この街頭演説に先立つ6月1日、「そよ風」のメンバーが都の建設課公園緑地部公園課を訪問。「そよ風」のブログによると、「土地、碑が東京都の所有物である以上、『碑の文言』については東京都に責任がある」との言質を取った上で、次のように迫っている。「『誤った策動と流言飛語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い命を奪われました』という不確定な文言を碑に入れ」れば、「未来永劫、日本の子供たちにすり込むことになる」-。◆「朝鮮人が暴動」? この「そよ風」は2012年、群馬県高崎市内に建てられた「群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑」にある「わが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し」といった碑文に対しても、「韓国による捏造の歴史の押しつけ」と攻撃。撤去を求める右派の運動に火を付けた。 その後、「県の施設内にある碑が政治的に利用されている」として、設置許可の不更新を求める請願が14年に県議会で可決。県は碑を設置した団体に撤去を要求し、現在両者が前橋地裁で係争中だ。 都立公園の「追悼碑」に対する攻撃は群馬と同様、撤去が目的。小池知事の追悼文送付拒否はその第1幕となりかねないが、直接のきっかけとなったのは、「そよ風」のメンバー8人が昨年6月19日、「古賀俊昭都議会議員と面会することができ」た(同)ことらしい。 自民党の古賀都議は「日本会議」地方議員連盟の副会長で、民族差別発言で知られる右翼団体「主権回復を目指す会」の顧問。「そよ風」との親和性は明確だろう。「そよ風」は古賀都議に「朝鮮人慰霊碑の『文言』について今までの経緯、現状況を報告いたしました。・・・碑文については『東京都の責任下』にあることもご報告し、その後情報交換を行ったうえで、『ひとつの目標』を設定し」た(同)という。 古賀都議は同年11月8日の都議会文教委員会で「追悼碑」を取り上げ、「6千余名というのは事実に反する」と発言。次いで、作家の工藤美代子氏の『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(産経新聞出版)を引き合いに、「朝鮮独立運動家たちが暴動を起こしたことは紛れもない事実」として、「流言蜚語」が「朝鮮人殺傷」の原因とするのは、「父祖、先人をいわれなき誹藷中傷によってその名誉をおとしめること」だと主張した。◆「追悼碑」攻撃のネタ本 さらに、「碑の前で行われている行事に、小池百合子知事は追悼文を寄せている」と批判し、「知事の認識も改めなければならない」と述べている。このため「ひとつの目標」とは、知事の追悼文送付拒否を指すと考えられる。 今年3月2日の都議会定例会でも古賀都議は、再び工藤氏の著書に言及しながら、一歩踏み込んで「追悼碑」の「撤去を含む改善策を講じるべき」と要求した。知事は「適切に対応する」とした上で、追悼文も「今後につきましては、私自身がよく目を通した上で、適切に判断」すると答弁している。 だが、この『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』なる本は、当時の新聞社が大混乱の最中、裏も取らずに大量に流した「朝鮮人が暴動」といった誤報を「事実」として前提にし、資料の改窺・歪曲だらけで、専門家の評価はゼロ。相手は「朝鮮人テロリスト」だから殺しても「虐殺」とは言わないなどという、「ヘイト本」の類いだ。 にも拘らず小池知事は、今年の9月1日は同公園内の慰霊堂で行なう都慰霊協会主催の大法要には出席し、「(そこで)犠牲者すべてに哀悼の意を表すので、個別の団体や個人のことで追悼を差し上けることはやらない」と、8月25日の記者会見で言明した。これについて、関東大震災時の朝鮮人らの虐殺を克明に迫った『九月、東京の路上で』(ころから)を執筆したジャーナリストの加藤直樹氏は「震災で亡くなつた人々と、日本人に虐殺された朝鮮人を『すべて』とくくって同等に扱うのは重大問題です」と指摘しながら、次のように述べる。「虐殺を起こした流言蜚語は当初、警察等行政が加担した事実があったからこそ、二度と繰り返すまいと『追悼碑』が建てられた。それなのにそこへの追悼文を送らないというのは、工藤氏のような『虐殺否定論』に通じかねない。このままでは、碑前の集会禁止→碑の撤去という事態にエスカレートするでしょう。小池知事は衆議院議員時代の2010年、『そよ風』主催の講演会で講師を務めており、今後の動きが危惧されます」なるさわ むねお・編集部。2017年9月1日 「週刊金曜日」 1150号 16ページ「政治が加担するヘイト・歴史修正主義」から一部を引用 この記事によると、朝鮮人犠牲者追悼碑の撤去を要求する右翼団体は「当時の日本人は自分たちを守るために立ち上がったんです。自警団を作ったんです」と、当時の日本人の行動を褒め称えるような言い方をしてますが、その自警団が罪も無い朝鮮人を殺害して犯罪者として処罰されたことが、政府の資料に明記されているのですから、普通の神経を持つ人間なら、当時の日本人の犯罪行為を「二度と繰り返してはならない過ち」として認識し、繰り返さないために毎年犠牲者を追悼しようと考えるのが普通と思いますが、それが「先人を貶めることになる」というのは、どういう神経から出てくる発想なのか、まったく理解出来ません。このような間違った言論には、正しい反論をしていく必要があると思います。
2017年10月01日
小池都知事が関東大震災の時の朝鮮人虐殺事件犠牲者追悼集会に対する追悼文送付を拒否した件について、日朝関係史が専門の専修大学教授・田中正敬氏は、10日の「しんぶん赤旗」で次のように述べています; 小池都知事が朝鮮人犠牲者への追悼文を取りやめたきっかけは、自民党の古賀俊昭都議による3月の都議会本会議質問です。 古賀都議は、二つの論拠をあげ、朝鮮人犠牲者追悼碑の撤去と、都知事の追悼文の取りやめを求めました。 第一の論拠は、朝鮮人殺害は「震災に乗じて(朝鮮人による)凶悪犯罪が引き起こされた」からで、正当防衛だという議論です。 しかし、朝鮮人によるそうした「犯罪」はただの一件も証明されていません。こうした事実無根の話を「流音」というのです。 古賀都議の質問は、震災当時の流言を現代に復活させたもの。そんな流言を都議会で公言し、都知事がそれにこたえて、追悼の辞をとりやめるというのは大問題です。 古賀都議のもう一つの論拠は、追悼碑の「6千余名-という犠牲者数は「根拠が希薄」というものです。 当時の調査には限界があり、正確な犠牲者数は現在では証明しようがありません。しかし、最近の研究でも犠牲者は数千人と考えられています。首相が会長である政府の中央防災会議の報告蕃(2009年)も、殺害された犠牲者は「震災による死者数(10万5千人)の1~数%」と認めています。千人から数千人にあたります。 この間題では見逃してはいけないことが二つあります。 一つは虐殺の実態です。「手足を縛って火の中に投げ込んだ」「妊婦の腹を裂いた」など、残虐な方法で罪のない人が殺されました。数の多寡だけが問題ではないのです。 もう一つは、政府の責任です。当時の政府は虐殺の事実を覆い隠そうとし、在日朝鮮人による調査を妨害しました。現在まで政府がなんの調査もしていないことこそ、虐殺の全体が不明である最大の原因です。 小池都知事の追悼文の取りやめは、結果として、古賀都議などの排外的な言動を認定したと受け取られても仕方がないものです。朝鮮人虐殺の歴史的事実を隠す動きに加担するもので責任重大だと思います。2017年9月10日 「しんぶん赤旗」日曜版 32ページ「自民都議の『流言』にのった都知事」から引用 史実を隠蔽して歴史を改ざんしようとする右翼の策動に対しては、一つ一つ事実を上げて反論していく必要があると思います。関東大震災のときに、日本人によって殺害された朝鮮人の数については、安倍首相が会長である中央防災会議の報告書に「千人ないし数千人」と解釈できる記述があります。総理府のホームページで閲覧できます。http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/22_column8.pdf本来であれば政府は、どこに住んでいた何と言う名前の日本人が何人の朝鮮人を殺害したのかという事実の究明まで行う責任があると思います。
2017年10月01日
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