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今年、高文研から「日中戦争全史」を出版した中国近現代史家・笠原十九司氏は、現代から振り返る日中戦争の本質について、「しんぶん赤旗」のインタビューに応えて次のように述べている; 中国近現代史が専門の笠原十九司さんが上下巻合わせて700ページにおよぶ『日中戦争全史』(高文研)を出しました。「日本軍が中国戦場で何をやったのかを日本国民はもっと知らないといけない」と語る笠原さん。新著に込めた思いを聞きました。神田晴雄記者 「満州事変」(1931年)の前夜から説き起こし、日中戦争の勃発(1937年)、その全面化、そして日本敗戦までを詳述しています。その叙述は、現地の人に会う、現場の状況の中に史料を読み込むことをモットーに、”足で歩く歴史研究”を自任する笠原さんならではです。◆バスで地方回る 1965年以来今年まで訪中した回数は「数え切れません」。 地方史研究が盛んな中国では雑誌が多く発行されています。日本軍の動向を調べた研究が載っている雑誌を探して買ってくるのも笠原さんの訪中の楽しみの一つです。 「中国ではバスで地方を回りました。その方が気候・風土や地理、距離感がつかめますから。戦争被害者の多くは農民です。戦争体験を向き合って聞いていると、苦しかった体験を聞いてくれる日本人だという共感をもってくれます。私は中国語の標準語ならわかりますので、一人でフィールドワークをやってきました。日程も自分で組み立て、行きたいところへ行き、いろいろ見て聞いて、資料を見せてもらいました。中国は方言が多いので、その場合は通訳をたのみます」 笠原さんの歴史叙述は「迫力がある」といわれます。 「たとえば大陸打通作戦(1944年4月~45年2月、約51万人)で湖北から湖南へ進軍した日本軍は食料がなかったため、農家や畑から農作物を略奪しました。村を襲い刈り取った稲を略奪する日本軍を農民は遠巻きにしていました。日本兵がいなくなると農民は戻って来ますが食べるものがない。飢えて栄養失調状態の日本兵の苦労と、農作物を取られた側の農民の悲惨な声の両方を聞いて描くので、リアルで鋭得力があると感じてもらえるのかもしれません」 中国の戦場で日本軍がおこなった残虐行為・戦争犯罪の数々・・・。南京事件、731部隊、毒ガス戦、重慶無差別爆撃、強制連行・強制労働、日本軍「慰安婦」などを、日中戦争の展開の中に位置づけて解き明かしているのも本書の特徴です。それらをなかったことにしようとする歴史修正主義への事実に基づいた反撃です。 その際、日本兵たちは中国侵略戦争における加害者であると同時に、無謀な作戦の犠牲者だという視点を欠かしません。 「大陸打通作戦も、おびただしい病死や栄養失調死を出したインパール作戦も合理性を欠いた作戦でした。それによって日本軍兵士はみじめな状態に陥った。戦争指導者たちの責任は重大です」◆「抗日」から反ファシズムへ 下巻に珍しい写真があります。米中の航空兵たちが肩を並べて笑顔で写っている一枚です。説明に「米中連合航空部隊」とあります。 「中国が単独でたたかってきた抗日戦争の性格が1942年から変わります。この年の1月に連合国26カ国によって『連合国共同宣言』が調印され、中国の抗日戦争が反ファシズム戦争の一翼に組み込まれることになったからです。日中戦争はアジア太平洋戦争に包摂されます。ルーズベルト米大統領はアジア太平洋戦争において『中国戦区』を設けて、蒋介石をその総司令官に推薦します。そのため中国空軍は米軍と連合航空部隊を組んで日本軍を攻撃できるようになりました。写真はその時のものです」 日中戦争の性格が変わったことは、戦後の日本人の戦争観に影響を与えたと笠原さんは見ています。 「日本にとって敗戦ショックは大きいわけですが、だれに負けたかと聞かれるとアメリカという人が多い。玉砕という悲劇も、アメリカに対する敗北という意識を植え付けました。歴史書や歴史教科書からも真珠湾攻撃以降の太平洋戦争の記述に中国戦場の動向が少ないのも一因です。しかし中国戦場では45年になると、日本軍は中国軍に追撃されるようになりました」 日本人の中国べっ視も、中国がアジア太平洋戦争の戦勝国だという認識のなさが関係していると言います。◆「前史」と「前夜」 戦争には「前史」と「前夜」があり、「前史」のうちに戦争の芽を摘み取らなければならない、「前夜」になってからでは偶発事件や謀略事件をきっかけに簡単に戦闘が始まってしまうと警告します。 本書でも、日本国民が日中戦争から学ぶべきことは、「前史」から「前夜」にいつ転換したかを知ることだと書いています。 「安倍政権のもとで日本はいま戦争の前史です。共謀罪、安保法制、秘密保護法などの危険な動きに気づいてほ心い。戦争反対を言えなくなってからでは遅い」かさはら・とくし=1944年群馬県生まれ。都留文科大学名誉教授。主な著書に『南京事件』『日本軍の治安戦』『海軍の日中戦争一アジア太平洋戦争への自守成のシナリオ』など2017年9月17日 「しんぶん赤旗」日曜版 32ページ「足でつかんだリアルな歴史」から引用 この記事も今年の日記に貼り付けておく価値がある記事です。わが国の報道も歴史教育も、日本はアメリカに敗れたかのように教えられたような気がしますが、中国が反ファシズム戦争を戦っている立場から連合国軍に組み込まれたという事実からしても、また実際に戦場でも45年になると日本軍は中国軍に追撃されるようになった事実からも、中国が戦勝国の一つであることは明らかです。さらに、私たちが歴史を教訓とする上で重要なことは、現在の政権が着々と戦争準備をしているということであり、これが「戦争前夜」に転換する前に戦争準備を止めさせる必要があるということです。
2017年12月31日

ジャーナリストの武田徹氏は、臼井隆一郎著「アウシュビッツのコーヒー」(石風社刊)について、ブック・アサヒ・コムに次のように書評を書いている; アウシュビッツ強制収容所ではユダヤ人を回教徒(ムーゼルマン)と呼んでいたという。この悪ふざけのような習慣がなぜ作られたのか、理由を知りたいとずっと思ってきた。 本書はイスラームとユダヤの間に「コーヒー」という補助線を引く。コーヒーはイスラームをルーツとし、ヨーロッパに伝播(でんぱ)した後、中毒的に広まる。その中で新興ドイツはインドネシア産コーヒーをオランダから買うしかなく、輸入超過に悩んだフリードリヒ大王は植物原料の代用コーヒー開発を国内化学産業に求めていた。そんなドイツが1883年、念願の植民地をアフリカに持つ。コーヒー栽培で原住民と接触したドイツ人は「働く者」を生かし、「働かざる者」を殺す活殺自在の論理を育む。 その行き着いた先がアウシュビッツだった。収容所では「シャワーのあとにはコーヒーを出す」からと騙(だま)してユダヤ人をガス室に送った。毒ガスは代用コーヒー作りで発展した化学産業が製造したものだった。 ちなみにアウシュビッツ以前のドイツにはコーヒーばかり飲んでいると回教徒になると歌う「コーヒー・カノン」が広く愛唱されていたという。食欲抑制や抗眠作用に期待してコーヒーを愛用していたイスラームの故事を踏まえ、コーヒー過剰摂取で神経を病み、体調を悪化させた人を「回教徒」と揶揄(やゆ)する習慣は既にあったのだが、それを収容所のユダヤ人にまで適用したのが、瘦せこけた囚人たちへの憐憫(れんびん)の情からであろうはずもない。たかが呼称だが、そこには近代社会が育んだ自民族支配、他民族差別のイデオロギーが影を落としている。 アウシュビッツへの軌跡を軸とする本書は前著『コーヒーが廻り 世界が廻る』(中公新書)より苦味が効いている。加えて積年のコーヒー史研究の集大成としてアフリカ、南アメリカ、極東に及ぶ知識も存分に披露され、複雑な陰影を湛(たた)えたコーヒーのような深い味わいの一冊となった。 ◇うすい・りゅういちろう 46年生まれ。東京大学名誉教授。専門は文化学など。『「苦海浄土」論』など多数。ブック・アサヒ・コムhttp://book.asahi.com/reviews/reviewer/2016112000006.html フリードリヒ大王と言えば日本は江戸時代の頃と思われますが、そういう昔に開発された代用コーヒーとは如何なるシロモノだったのか、興味があります。そのような背景から、その後アウシュビッツで消費された毒ガスを製造する技術が生まれたというのは説得力のある話ですが、それにも増してドイツ人が育んだという「活殺自在の論理」は衝撃的です。
2017年12月30日

墓田桂著「難民問題」(中公新書)について、フランス文学者の野崎歓氏が11月20日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 著者の講演を聞いて「現実主義的な話をありがとうございました」と礼を述べた聴講者がいたと「あとがき」にある。本書を一読して同じ気持ちである。ただし皮肉まじりにいうのではない。 現実主義はしばしば、理想を欠いた計算高さとして否定的に捉えられる。しかし理想ばかり優先させることに致命的な落とし穴が潜む場合もありうる。現在、EUの国々が直面しているのがそうした事態だ。その根幹には西欧の誇る人道主義があり、多文化主義を是とする姿勢があることを、本書は鮮やかにあぶり出す。貴い理念を掲げて自縄自縛になったとき、社会は危険にさらされることとなる。百万人規模の難民の到来と、凶悪なテロ事件の続発以後、フランスやドイツは「優等生のいたわしい姿」を示している。 その姿から日本は何を学ぶべきか。安易な感情論に流されない慎重な判断が求められると著者はいう。寛容や共生よりも拒絶、排斥を選ぶべき局面もある。善意のみで問題が解決するはずはない。難民受け入れ数の少なさを恥じるより「国益」を真剣に考えるべきではないか。 現政権に追随するような結論はあまりに保守的だろうか。だが、問題を見極めようとする筆致は冷静沈着で説得力がある。現実主義の上にこそ理想を、という切なる思いも伝わってくる。世界の今日と明日を考えるために必読の一冊だ。(評者野崎歓=フランス文学者)墓田桂著「難民問題」(中公新書・929円)はかた・けい 1970年生まれ。成蹊大教授。著書『国内避難民の国際的保護』。2016年11月20日 東京新聞朝刊 9ページ「読む人-人道主義の落とし穴」から引用 この記事は、まるでうっかり難民を受け入れるとドイツのようにとんだ被害を被ることにもなりかねないと言っているようで、文学者にあるまじき浅はかな主張だと思いましたが、それにもまして問題なのは「西欧の誇る人道主義」という表現です。ヨーロッパの白人が人道主義を自分たちの「誇りだ」などと考えているのかという疑問もありますが、歴史の事実として、アメリカ大陸のカナダからアルゼンチンの果てまで、西欧起源の言語が公用語になっている事実は、かつて西欧の白人が侵略し支配し収奪した痕跡を示している。また、今日中東で紛争が絶えないのも、西欧帝国主義の結果であり、キリスト教ヒューマニズムなどというものは、そのような行き過ぎに対する反動で少数の宗教者が唱えているもので、それに共鳴する政治家は実際に行政のトップにありながらも尚、大企業経営者の既得権益には遠慮せざるを得ず、貧富の差の拡大に歯止めを掛けられずにいるのが実態だ。
2017年12月29日
自衛官の母親が日本政府に自衛隊のPKO派遣差し止めを求める裁判を起こしていることについて、24日の東京新聞は次のように報道している; 「現代戦闘とは『効率的な殺人』にほかならない」「全隊員に支給している救急品では対応できない」 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)への派遣差し止めを国に求めた訴訟の第3回口頭弁論が10月17日、札幌地裁であった。訴えたのは陸上自衛官の息子を持つ50代の母親だ。平和への願いを込めて「平和子(たいらかずこ)」を名乗る。 原告席で弁護士の陳述に聞き入っていた平さんは閉廷後、「胸がつぶれる思い」と話した。 「息子は『災害救援で頑張る。いざというときには家族を守る』と誓って自衛官になった。南スーダンPKOは『日本の防衛』という本来任務からどんどん外れていっている」 平さんが裁判に訴えたのは2016年3月に施行された安全保障関連法がきっかけ。自衛隊は武装勢力に襲われた民間人を救出する「駆け付け警護」や他国の宿営地が襲撃された場合に守る「宿営地の共同防護」が可能になった。以前なら憲法違反の武力行使とみなされた任務だ。 南スーダンでは13年末、宿営地付近で撃ち合いがあり、全隊員が防弾チョッキを着用した。16年7月には「戦闘への巻き込まれに注意が必要」(日報)なほど事態が緊迫した。 息子は派遺されなかったが、自衛官の家族として「平和のうちに生存する権利」を侵害されたとして、国家賠償も求めている。 憲法前文に登場する「平和的生存権」はお題目ではなく、具体的権利性があると述べた判決がある。 08年4月17日、自衛隊のイラク派遣を巡り、名古屋高裁は「平和的生存権」に言及した。同時に判決は、航空自衛隊がイラクで行っていた米兵空輸について「米軍の武力行使と一体化しており、憲法違反」との判断を示した。政府は米兵空輸を継続させたが、判決の8カ月後、全隊員が撤収して活動を終えた。 裁判長としてこの判決を出した青山邦夫さんは、同年3月末に依願退職し、当日は別の裁判長が判決文を代読した。その青山さんが弁護士として南スーダンPKO訴訟の原告側弁護団の中にいる。 今にも泣きだしそうな曇天の下、札幌地裁へ向かう青山さんに弁護団入りの理由を聞くと、「平さんがいるからです。裁判では『憲法違反だ』というだけでは足りず、具体的な損害を立証できないと勝てない。平さんは親として権利を主張できる」と答えが返ってきた。 弁護士として再び向かい合う憲法。「なし崩しが一番いけない。その意味で日本の戦後は、憲法をなし崩しにしてきた。法律家として見過ごすわけにはいかない」 被告の国側は、5月に部隊が撤収したことを理由に裁判所に門前払いを求めた。南スーダンでは現在も4人の幹部隊員がPKO司令部で活動を続けている。(半田滋)=おわリ2017年12月24日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「検証・南スーダンPKO(5)-国を訴えた母」から引用 この記事によれば、訴訟を起こした平和子氏の子息が南スーダンに派遣されたわけではなかったが、息子の同僚が派遣されたとなれば他人事として見過ごすわけにはいかないというのは、世間の母親の共通した心情というもので、だからこそ裁判所も門前払いはできなかったものと思われます。また、この記事からは確かなことはうかがい知れない部分ではあるが、2008年に政府にとって都合の悪い判決を出した裁判官が定年を待たずに依願退職をしたという点にも、わが国の三権は本当に分立しているのか、司法は行政に首根っこを押さえられているのではないのか、というポイントに留意が必要と思います。
2017年12月28日
安倍政権の長期化がもたらした政治腐敗について、法政大学教授の山口二郎氏は24日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 来年度予算が固まった。財政の借金依存は相変わらずだが、マクロな放漫財政はミクロな行政規律の崩壊の積み重ねである。最近明るみに出たいくつかの公金支出の不正は、この国の政治や行政が底なしに腐食していることを物語る。 政界とのつながりを吹聴していた人物が経営しているスーパーコンピューター関連会社に、経済産業省や文部科学省所管の特殊法人から延べ百億円の補助金や融資が与えられ、その一部が詐取されたと検察が捜索を始めた。森友疑惑における国有地の8億円もの値引き、今後の助成金が約束された加計学園の新設学部の認可に加えて、この詐欺事件である。 国立大学在籍時代に研究費をいただき、その管理・執行に細心の注意を払った経験を持つ身としては、信じられないずさんさである。公金の支出を審査する担当職員の目は節穴だったのか。 予算をよこせと、政治家が圧力をかけるのは毎度のこと。役人は筋の通らない案件については法律を盾に杓子定規(しゃくしじょうぎ)、石頭を発揮するのが職業倫理である。安倍政権が長期化する中で、その種の倫理や規律が失われたとしか思えない。 生活保護基準の引き下げには血も涙もなく杓子定規を当てはめ、政治家が絡むと思われる案件については財布のひもをいくらでも緩める。これこそ役人の堕落である。(法政大教授)2017年12月24日 東京新聞朝刊 11版 29ページ 「本音のコラム-役人の堕落」から引用 この記事では、公金支出を審査する役人の目は節穴だったのかと言ってるが、実際のところは、首相夫人やそのお付きの高級官僚からひっきりなしの電話で催促され、他方では官邸の意に沿わない官僚が左遷されるというような状況では、役人は公金支出に目を光らせるどころではなくなるわけで、安倍氏の長期政権が森友、加計に始まり、強かん事件のもみ消し、スーパーコンピューター詐欺と、次々を不祥事を招いた責任は重大です。
2017年12月27日
沖縄の小学校で生徒が授業で校庭にいるときに上空を飛んだヘリから窓枠が落下した事故が報道されると、被害を受けた小学校や教育委員会に「文句を言うな」という抗議電話が殺到したと、25日の毎日新聞が報道している; 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接する市立普天間第二小学校への米軍ヘリの窓落下事故で、同校などに「学校を後から建てたくせに文句を言うな」といった抗議電話が続いている。第二小の歴史を踏まえ、差別意識ものぞく抗議の背景を考えた。【遠藤孝康、中村かさね】 <「やらせだろ」「基地で経済発展してるじゃないか」>被害校への誹謗中傷電話 <「次は何が落ちてくるのか」…子供たちも「やばかった」> 第二小は1969年、児童の増えた普天間小から分かれて開校した。飛行場は市域の4分の1を占め、市は「他に場所がなかった」と説明する。そもそも飛行場は沖縄戦のさなか、米軍が住民を収容所に拘束しつつ造ったもの。以前は役場や学校、多数の集落があった。終戦後、住民は周辺に住まざるを得なかった。 米海兵隊は50年代に本土から沖縄に移転を始めたが、当初、飛行場は静かだった。60年代に飛行場で働いた崎浜秀松さん(81)は、「ベトナム戦争(73年和平協定調印)中はがら空きだった」と証言する。その後、様相は一変する。 沖縄国際大の野添文彬准教授(日本外交史)によると、70年代後半、普天間には米軍岩国基地(山口県)などから新たに海兵隊部隊が移転し、軍用機が激しく飛び交うようになった。野添氏は「本土の基地縮小の結果、沖縄への米軍の集中や普天間の機能強化が進んだ」と話す。 市は80年代、第二小PTAの移転要望を受け、約30億円の用地取得費補助などを政府に求めたが、実現しなかった。元PTA会長の藤井登良徳(とらのり)さん(68)は「政府は現状を全く分かってくれなかった」と振り返る。 学校側への抗議電話は30件を超え、「やらせだ」など根拠のない誹謗(ひぼう)中傷も多い。翁長雄志知事は21日、「目の前で落ちたものまで『自作自演』だと来る。それ自体が今までにない社会現象だ」と語った。 中傷の背景に何があるのか。沖縄国際大の佐藤学教授(政治学)は「基地集中を中国の脅威で正当化する誤った正義感がある。一度デマが広がると、事実を提示しても届かない」と話す。ジャーナリストの江川紹子氏も「政権に一体感を覚える人には、飛行反対は現政権にたてつく行為と映るのだろう」と指摘する。 2013年、東京・銀座でのオスプレイ反対デモは「非国民」との罵声を浴び、昨年には沖縄県東村でヘリパッド移設に反対する住民に大阪府警の機動隊員が「土人」と言い放った。差別問題に詳しいジャーナリストの安田浩一氏は「沖縄が悪質なデマ、『沖縄ヘイト』の標的になっている。それを日本社会全体の問題として議論すべきだ」と語った。 毎日新聞2017年12月25日 08時00分(最終更新 12月25日 10時16分)https://mainichi.jp/articles/20171225/k00/00m/040/109000c 沖縄に米軍基地が集中するのは台湾有事に備えるためだという言説は当ブログにもコメントとして書かれたことがあったが、最近引用した新聞記事では、台湾や朝鮮半島の有事に備えるには沖縄は近すぎるのでグアム島に移転する計画があることが明らかになっている。したがって、この記事も指摘しているが、中国の脅威だの朝鮮半島有事というのは、沖縄に米軍基地を置く理由にはならない。また、この記事で江川紹子氏がいみじくも指摘してるが、世の中には独り善がりで国家権力との一体感を感じているが故に、他人が政権批判をすることに意味もなく腹を立てる輩がいる。当ブログにも、そういうコメントが時々書かれているような気がする。
2017年12月26日
現在公開中の映画「否定と肯定」について、映像ジャーナリストの桜井均氏は17日の「しんぶん赤旗」に、次のように批評を書いている; この映画は実際にあった「ホロコースト裁判」(1996~2001年)の再現ドラマである。冒頭の字幕に”BASED ON A TRUE STORY”(この映画は事実に基づく)とあるように、ドキュメンタリーとしても見応えがある。日米両首脳が日々まき散らす偽物(フェイク)・憎悪(ヘイト)(ウソとデマ)に辟易(へきえき)する向きにはお薦めである。 裁判の原告はホロコースト否定論者イギリスのデイヴイッド・アーヴィング、被告はアメリカの歴史学者デポラ・リップシュタット。ユダヤ系アメリカ人女性であるリップシュタットは、アーヴィングを「ヒトラー信奉者、証拠をゆがめ、あり得ぬ結論を導く人物」と自著で批判し、名誉棄損で訴えられた。 イギリスの裁判では、立証責任は被告側にある。そこで、弁護団は原告アーヴイングの過去の研究書、20年間に及ぶ日記を精査し、その矛盾点をつく方針を立てた。徹底したファクト主義を真くために、依頼人とガス室の生還者をあえて証言台に立たせなかった。否定論者は、彼らの心的外傷(トラウマ)を標的にフラッシュバックを起こさせ、ガス室の存否に「2つの見方がある」ことを認めさせようとするからだ。 弁護士リチャード・ランプトンは、法廷は「治療の場」ではなく「真相解明の場」であるとして、記録→解釈→論証の回路を情報公開しようと考えた。この「法廷」のプロセスは、「調査報道」のそれに酷似している。ランプトンは、依頼人リップシュタットに「君ではなく裁判を守る」と告げる。それは、プロデューサーが現場取材者のはやる気持ちを抑え、より深く正確な情報で「放送を守る」のと似ている。主役は真実であり、この場合、ガス室で死んだ600万の死者の声である。 原告アーヴィングは、「シアン化物(チクロンB)が換気装置で発見されたことは認める」と証言した。しかし、人間を殺すためではなく、チフスを媒介するシラミを駆除するためだったと言いだした。ランプトンは動じない。以前、アウシュヴィッツを実地調査したとき、リップシュタットから「シラミを殺すには人間の20倍の濃度が必要」と聞かされていたからだ。さらに、アーヴィングは「チクロンBは、チフスで死んだ死体を消毒するためだ」とつけ加えた。ランプトンは反撃に出た。「すぐに焼却する死体をガス消毒する理由は何か?」。アーヴィングは「思いつきで書いたかもしれない」とうろたえるが、弁護人は手をゆるめない。「いつもの手口で、思いついた愚論をまくし立て、結論をあいまいにするだけだ!」とアーヴィングを面罵。まるで、調査報道のクライマックスを見るようだ。◆「慰安婦」の事件を想起 映画を見ながら思い出した。20年ほど前、安倍晋三議員が慰安婦の「強制連行」を裏付ける資料がないとして、歴史教科書から「慰安婦」の記述を消す仕事に励んでいたころ、NHKの教育テレビ「問われる戦時性暴力」について、放送前に「公平に」と注文をつけた。幹部はそれを過剰に「付度(そんたく)」し、現場もそれにあらがえず、元慰安婦・加害兵士の言葉を消してしまった。この事件に関わった者たちは、証言者の無念を覚えているだろうか。その後、安倍首相は「付度」「フェイク」「ポスト真実(トゥルース)」の言説を旺盛に再生産している。 さて、結審に際して、判事はリップシュタットの弁護人に「借念に基づく発言ならウソと非難はできないのではないか」と尋ねた。これは「表現の自由」に関わる難問である。そして、インターネットにおける「フェイク表現の自由」をどうとらえるかという今日的な問いでもある。 映画の脚本を書いたデイヴイッド・ヘアは応えている。「言論の自由には、故意に偽りを述べる自由が含まれているかもしれないが、同時に、その偽りを暴く自由も含まれている」と。映画「否定と肯定」は、否定論者との熾烈(しれつ)な法廷闘争を「調査報道」の話法で描き、フェイクと闘う市民とジャーナリストに多くのヒントを用意している。(さくらい・ひとし)2017年12月17日 「しんぶん赤旗」日曜版 31ページ 「偽りを暴く法廷闘争を『調査報道』の話法で描く」から引用 歴史修正主義と聞けば、私などは真っ先に安倍首相を連想してしまうのだが、欧米の歴史修正主義は、映画の予告編を見た限りではあるが、もっとしたたかで、うっかりすると裁判で勝ってしまい兼ねない「実力」を持った恐ろしい存在のように見えました。しかし、不正義を許さないために人々は連帯し、被告人が勤務する大学は被告が裁判のために休職を余儀なくされても月々の生活費は保障するというような協力もあり、2001年に正義を主張するデポラ・リップシュタット氏が勝訴したのは、本当に良かったと思います。
2017年12月25日
ジャーナリストの加藤直樹氏が「九月、東京の路上で-1923年関東大震災、ジェノサイドの残響」を出版するに至った経緯について、「前衛」の記事の続きはで次のように述べている;■「三国人」発言からヘイトスピーチヘ――本の執筆のきっかけは「三国人」発言にあったそうですね。その後ヘイトスピーチがあり、今回の事件となるわけですが、こういう社会の流れについてどんなふうに感じられているでしょうか。 2000年、当時東京都知事だった石原慎太郎さんが陸上自衛隊練馬駐屯地創隊記念式典で「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」「(災害時には)皆さん(自衛隊)に出動願って、災害の救急だけでなしに、やはり治安の維持も一つ皆さんの大きな目的として遂行していただきたい」と語った「三国人」発言に触発された問題意識から、私は朝鮮人虐殺の問題に関心をもつようになりました。それまでは私は教科書に載っている程度のことしか知らず、パニックになった人たちが発作的に殺したぐらいの認識だったのです。 「三国人」発言を私は職場のラジオで聞きました。それを聞いたとき、頭をハンマーで殴られたぐらいのショックを受けました。もちろん「三国人」という差別表現もですが、そもそも地震のときに外国人が暴動を起こすというイメージから関東大震災のときの虐殺は起きたのではなかったかと思い出したのです。 そこで、最初に調べ始めたのが、そもそも地震に乗じて外国人が暴動を起こしたことが過去にあったのかどうかでした。図書館に行き、過去30年間、日本と比較する意味がある国で起きた大地震の記事を調べました。トルコ、イタリア、サンフランシスコ、台湾、パキスタンなどを見ましたが、地震のときに外国人が暴動を起こしたことは一件もありませんでした。それどころか暴動自体が一つも起きていない。次に、災害を扱った社会学の本も読んでみました。わかってきたのは、地震や災害のときに無秩序のなかで暴動が起きるというのは完全にファンタジーであるということでした。基本的にはみんな助け合おうとするのです。 むしろ問題なのは、そういうときには、マイノリティを攻撃する流言が流れやすいということです。日本以外にもその例がたくさんある。1906年のサンフランシスコ大地震――幸徳秋水がちょうど経験しています――では、「空き巣が横行している」という流言を真に受けて、当時の市長が軍に命じて鎮圧に当たらせ、発砲許可も与えたため、軍隊が発砲して多くの死者が出るという事件が起きました。あるいは、これは災害ではありませんが、第一次世界大戦のとき、カナダで国会議事堂が火事になったことがあり、「放火に違いない。敵国人のドイツ人に違いない」として、国中のドイツ系カナダ人やドイツ人が逮捕され、勾留されるという事態が起きました。さらに遡るとフランスで中世にペストが流行ったときにユダヤ人が井戸に毒を入れたという噂が広がり、多くの人が虐殺されたことがあります。 その後に私は関東大震災についての本を読み始めまして、正常心を失った人たちが混乱のなかで朝鮮人を殺したのではなく、実際には行政当局が流言を広げ、自分たちでも殺害に手を染めるということが起きていたことを知りました。つまり治安行政が災害時にどう振る舞うかが決定的に大きいのだということが関東大震災の教訓だったのです。それを読んだときに初めて「三国人」発言の恐ろしさが見えてきました。いつ首都直下地震が起きてもおかしくない東京で、首長自身が差別的な流言を流している、これは大変なことだと思いました。 そこで当時、まわりの友人たちに言ってまわったりしました。彼らは非常に政治的な問題意識をもった人たちでした。しかしそれでも、みんなピンとこないという顔をしていました。私は、これはきちんと問題を伝える論文のような文章を書かなくてはいけないと思うようになりました。昔こういうことがあった、それに対して歴史認識としてどう考えるかということではなく、いまの問題なのだということを伝えたかったのです。しかしその後、書き方を論文調でなく、当時の出来事を追体験できるようにすべきだと思うようになっていきました。その前に記憶の共有が必要だと気づいたからです。 しかし、それが実現できず、そうこうしているうちに、2013年に大久保でのヘイトスピーチがおこなわれ、これに抗議する行動に参加しました。そして、そのとき、今こそ朝鮮人虐殺の史実について知らせなくてはいけないと思い、ブログで展開したのです。すると、大きな反響がありました。それも「これはいまの問題だ」という受けとめだったのです。つまり2000年の「三国人」発言のときには誰もこれがいまの問題だとは思えなかったのが、2013年には、くどくどしく説明しなくても「これはいまの問題だ。いまのヘイトスピーチやレイシズムを野放しにすると、こういうことになつてしまうのだ」と受けとめられたのです。これは、それだけ状況が悪化したということだと思います。■虐殺否定論を許さない――では、いま、私たちには、どういうことが必要だと思われますか。[レイシズムの広がりに抗する] 90年代以降、とくに朝鮮人や中国人に対するレイシズムが広がっているのには、歴史的な根があると思います。日清戦争で日本が中国に勝って以来、東アジアで日本は特権的な国でした。唯一の帝国主義国であり、唯一の先進国であり、周囲の国の人々は日本に学び、追いつこうとしているといった自己認識があったのです。私が学生時代を過ごした80年代には、韓国は「20年前の日本」であり、中国はさらに遅れて日本に学ぼうとしている国だ、というのが普通の認識でした。 ところが90年代以降、冷戦構造が崩壊し、政治的に日本が特権的な国でも何でもなくなり、経済的にもグローバル経済の時代になった。日本の後をほかの国が追うという雁行的な形は終わり、それぞれの国がグローバル経済の中で発展していく。文化的にもまったく日本から出てこないようなオリジナルなものが、韓流やKポップという形で入ってくるようになる。 すると日本人がもっている自画像とはずれてくるわけです。ところが、それをいまだに納得できていないのだと思います。「そんなはずはない。日本は特別な国のほずだ」という思いがある。自画像と現実がどんどん離れていき、離れていく分だけレイシズムが無理やりそれを否定する。だから、「いかに朝鮮人が愚かで嘘つきでバクリばかりの民族か」と強調しなければいけなくなるわけです。 80年代には、日本人はいまほど韓国に興味はなかったと思います。ある意味、興味がなくてもよかったわけです。ところが今は、ネット上で韓国ほど常に言及されている国はないと言っても過言ではありません。必死で韓国のことを気にしなくてはいけなくなっています。あくまでネガティブな方向で、ですが。さまざまな曲解やデマまでを動員して、「日本人の方がエライ」ということを納得させ続けなくてはいけない。韓国を「下げる」ことで日本の地位をかさ上げする。それが90年代後半以降起きていることだと思います。断末魔のようです。なので、いまのレイシズムをすぐに鎮火するのは難しいと思います。日本人の自画像にかかわる問題であり、一時的な流行ではない。日本人が現実を受け入れて、「日本は何も特別な国ではないのだ。東アジアにいくつかある国の一つにすぎないのだ。それでいいのだ」と理解するまでは、まだまだひどくなると思います。 しかし在日韓国・朝鮮人は日々ネットでひどいヘイトスピーチに曝され、ヘイトクライムさえも起きているわけですから、そうも言っていられません。小池都知事が都有地を有償貸与する計画を「白紙に戻す」とした韓国人学校の高校生たちと話したことがあるのですが、女子生徒4人のうち3人までが、道ばたで日本人に怒鳴られたり、「韓国に帰れ」と言われた経験があると言っていました。しかし、日本社会のマジョリティの側からは、そういう光景は見えない。そして、ニューカマーである彼らさえこんな経験をしているのですから、昔からの在日の人たちがどれだけひどい思いをしていることか。 極右的な政治家も増えています。彼らはレイシズムを利用して政治的に力をもとうとしています。小池都知事がまさにそれですね。朝鮮学校を高校学費無償化の対象から外すのも、そういうレイシズムに対する人気取りという面があるでしょう。北朝鮮の危機を煽り、中国との対立をアピールして選挙をたたかう政治家もいます。現実にそれがはねかえってくれば、非常にまずいことになる。 この数年、レイシズムに対していろんな形で声を上げる人たちが出てきています。例えば、ヘイトデモに対して現場で抗議したり、朝鮮学校を支援する人たちもいます。いわゆるヘイト本を問題として取り上げて訴えていく「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」のような人たちもいます。こういう行動をそれぞれにやっていくしかいまはないと思っています。[自分自身のやるべきこと] 私自身は、虐殺否定論の広がりを押し返すことが自分のやるべきことだと思っています。朝鮮人虐殺のことは教科書にも載っています。たいていの日本史の通史には書いてある。当時の警視庁も記録しているし、否定などしようがないわけです。20年前だったら常識に属することでした。それを否定するのは「トンデモ歴史観」の極みです。虐殺否定論で行動している人たちもおそらく内心ではわかっていると思います。それでもなお虐殺否定をやらなければ気が済まないのは、この問題がレイシズムにとって大きな位置を占めているからです。 私が、2013年に朝鮮人虐殺についてブログで書いたとき、レイシズムに反対する多くの人たちが「これはいまのことだ」と理解した。つまり、レイシズムを野放しにしておくと虐殺に至ってしまうと受けとめたのです。裏を返せば、レイシストたちからすると、「虐殺はなかった。むしろ殺されたのは日本人だ」という話にできれば、あるいは「虐殺のことはもう忘れよう、ふたをしよう」というふうにできれば、これからもレイシズムの大宣伝を良心の呵責(かしゃく)を感じずに楽しめるということです。彼らにとって、虐殺の記憶は喉に刺さった棘なのです。だから否定しようとする。虐殺の記憶こそが、レイシズムの恐ろしさを端的に示しているのです。 今回の小池都知事の追悼文問題というのは、一見地味に見える問題です。私は、これだけ多くの人たちが、この間題を「これは大変だ」と受けとめてくれるとは思っていませんでした。おそらく世の中の多くの人は、横網町公園で追悼式典があること自体を知らなかったし、そこに都知事が追悼文を送っていたことも知らなかったでしょう。それを都知事がやめたと言っても、「ああそう」と言って終わると思ったのです。 ところが多くの人が「これはとんでもないことだ」と理解してくれました。これは、この数年で虐殺の記憶の重要性がだんだん広がってきた結果だと私は思っています。レイシズムの暗雲が広がるなかで危機感をもった人たちが、朝鮮人虐殺のことは絶対に忘れてはいけない記憶だと思うようになったからこそ、今回の小池都知事の追悼文取りやめに対する怒りが広がったのだと思います。 とは言うものの、小池都知事の追悼文取りやめで事態は悪い方向に確実に進んでしまいました。自治体の長が虐殺否定論を半ば認めたのです。虐殺があったかどうかわからないというふうに言えば教育や展示は一掃できるし、追悼式典も妨害してやらせないこともできるようになってしまう。そういう段階に入ったことは、本当に恐ろしいことです。多くの人が声を上げることで、これを押し返さなくてはいけません。(かとう・なおき)月刊「前衛」 2017年12月号 「小池都知事の朝鮮人虐殺追悼文取りやめと虐殺否定論」から76~80ページを引用 東京都知事になりたての石原慎太郎が「三国人」発言をしたときは、私はそんな昔の言葉を引っ張り出して演説をして、どういう層に何を訴える効果があるのだろうか、といった程度の認識しか持ちませんでしたが、あの発言が一部の日本人に在日朝鮮人韓国人を差別し攻撃してもいいのだと考える機会を提供したというのは鋭い分析だと思います。新宿区大久保の付近でヘイトスピーチが始まったころは、そんな忌まわしい差別用語を口にするのは世間と隔絶した所に生息するネット右翼だろうという説が主流でしたが、その後の報道によれば、普段はワイシャツにネクタイで普通の企業に勤務するサラリーマンが、ネットでヘイト・デモの予告をみて参加するケースが多いとのことですから、明治維新から冷戦の終わりまで、東アジアのエリート国だったという「過去の栄光」にしがみつきたい心情が、彼らにヘイト・デモをさせているのであり、朝鮮学校の授業料無償化を妨害させているものと考えられます。東日本大震災のときはマイノリティを攻撃するような事件は起きませんでしたが、ネットや出版界の嫌韓本のはん濫を放置すれば、やがて来るかも知れない大震災のときに過去の悲劇が繰り返される危険性を否定できません。横網町公園の追悼碑と9月1日の追悼集会は、末永く守り続けていきたいものです。
2017年12月24日
2014年に「九月、東京の路上で-1923年関東大震災、ジェノサイドの残響」を出版した加藤直樹氏は、朝鮮人が暴動を起こしたという流言飛語がどのように発生し、軍や警察がその流言飛語を拡散することになってしまった経緯について、次のように述べている;■1923年9月、何が起こったのか――3年半前に出された本は、関東大震災の際に起きたことを再現する形でつくられ、大きを反響をよびました。実際に9月1日前後に何があったのか、特徴的を話をお聞かせください。[流言はどう広がったのか] 1923年(大正12)年9月1日11時58分ごろに地震が起きました。お昼前という時間帯であったこととともに、当時台風に近い低気圧がきていて風が強く、しかも、風向きが頻繁に変わったこともあり、火災が大きく広がり、東京と横浜の中心部は、火災で壊滅的な状況になりました(焼失面積は東京市で約44%、横浜市では80%)。避難民が周辺にドッと出てきました。火は都心から広がり、東は亀戸の手前の横十間川で止まったのですが、そのすぐ隣の亀戸駅前は避難民でいっぱいだったと言います。荒川河川敷にも十数万の人が避難していたと、当時の小松川署の記録に出ています。 想像してもらうとわかると思いますが、インフラがすべて破壊され、夜は真っ暗です。そういうなかで人々が上野公園や日比谷公園にすし詰めで避難していたのです。火は9月3日朝まで燃えており、夜空に煌々と炎が燃え上がっているわけです。自分の家も焼けて、誰しもが「どうしてこういうことになったのだ」と不安になります。しかも群衆化しているため、非科学的なことも信じてしまう心理状態になっていました。そのなかで最初の流言が現れたのが、記録によると1日の午後3時で、「社会主義者と朝鮮人が放火している」という流言を警察が確認しています。「こんなに火が広がるというのは、誰かが火をつけたのではないか」との思いが、「誰が火をつけたのだ」となったときに、「朝鮮人だ」となったのだと思います。4年前には3・1独立運動があり、日本の新聞は「朝鮮人が無差別に日本人を襲っている」と扇情的に取り上げていたからです。 2005年に成都、北京、上海などでおこなわれた中国の反日デモのときを思い出してもらえればいいと思います。あのときも、中国の反日デモが何に対して怒っているかはきちんと報道されず、中国人が日本車を壊していることばかりが報じられていました。それと同じで、3・1運動の際も、朝鮮人が日本人に対して無差別の暴力をふるっているという報道がなされ、以来「不逞鮮人が何か陰謀をしている」という記事がくり返されました。「不逞鮮人」という言葉が定着し、「朝鮮人は恐ろしい」という観念ができあがってしまったのです。 こうして、日本人の朝鮮人に対する差別意識が二重化していきました。一方で「朝鮮人は取るに足りない連中なのだ」という蔑視と、一方で「朝鮮人は恐ろしい」という恐怖が育っていきました。それが地震の後の混乱のなかで爆発したのです。「朝鮮人が日本人を襲いにくる」という流言に、「そうかも知れない」と思うようになり、流言も、広まるうちにどんどん赦密化していきます。「もともと武装蜂起の計画があったのが、地震が起きたので、これ幸いそれに乗じて」「どこそこからどこそこまで、いま朝鮮人の軍団が襲撃中だ」といった流言までが広がっていたわけです。[警察・軍が流言を拡散し虐殺をおこなった] 警察・治安行政も混乱していて、末端の警察も流言に巻き込まれていきました。それが警視庁に、「爆弾を持っている朝鮮人を捕まえた」という内容の報告として上がってくる。治安当局そのものがふだん、朝鮮人を弾圧する側にいるわけですから、「やっぱり始めたか」とそれを信じるのは不思議ではない。それで流言を拡散する。警視庁が「災害時に乗じ放火其他狂暴なる行動に出つるもの無きを保せず、現に淀橋、大塚等に於て検挙したる向あり。就ては此際之等不逞者に対する取締を厳にして警戒上違算なきを期せらるべし」と各警察署に向けて号令を発します。あるいは全国の警察を所管する内務省の後藤文夫警保局長も、「朝鮮人が各地で放火しているので厳しく取り締まってほしい」という趣旨の通牒を発しています。ここでは朝鮮人とはっきり言っています。 こうして流言はお墨付きを得て下へと逆流します。警視庁から「不逞な輩」の放火を認める通達が下りてくると、末端の警察署は「やっぱりそうか」となります。制服を着た警官がメガホンで「朝鮮人が襲ってくるから気をつけてください。避難してください」と言ったり、あるいは警察署長が「見つけたら殺して構わない」と言ったり。警察が流言を広めるわけですから、誰もそれは疑えなくなってしまいます。そういうなかで、各地で朝鮮人を見つけては殺すという事態が起きたのです。「厳重に取り締まれ」という通達がきているわけですから、埼玉などでは、県に入ってきた朝鮮人を警察が捕まえて連行します。高崎の連隊まで縄で縛って町々を移動して連れていこうとしていたようです。県は「各町で自警団を組織せよ」という命令を出していましたから、竹槍で武装した連中が町々にいるわけです。そこに縄で縛られた朝鮮人を少人数の警官が連れてくる。こうして各地で虐殺事件が起きたのです。横浜などでも相当ひどい虐殺がありました。横浜の場合、行政や警察の崩壊の度合いが東京よりもひどく、公的な記録もほとんど残っていません。 もうひとつ重要なのが、軍隊のはたした役割です。軍隊自らが各地で朝鮮人を殺しているのです。戒厳司令部が軍の部隊による虐殺事件についてまとめた文章も残っています。このように、軍隊や警察が朝鮮人を殺したり、「殺して構わない」と言って回ったということが起きたこと、これが大きなことだったと思います。■すぐ横にいた朝鮮人 当時の関東にいた朝鮮人の多くは、建設現場などの労働者でした。1910年に韓国併合があり、第一次世界大戦のころから徐々に日本への流入がありました。3・1運動があり、その後しばらく禁止されていたのですが、数年後に規制が解除され、また朝鮮からドッと労働者が働きに入ってきました。その多くが独身の男性でした。朝鮮総督府による土地調査事業によって多くの農民が小作人に転落し、食えなくなったのです。その人たちが日本に流れてきたのです。 私は、そういう背景を考えると、震災当時の日本人社会と朝鮮人との関係は薄いのだろうなと思っていました。 しかし、いろいろな証言を読んでいると、必ず何らかの形で日本人とのかかわりが出てくるのです。例えば、日本人の親方が朝鮮人の労働者といっしょに移動しているところを捕まって殺されかかった、留学生が日本人の友人といっしょに避難する途中に自警団に取り囲まれた、あるいは日本人と朝鮮人の夫婦がいて、朝鮮人の夫だけが殺された等々。そういう具合に日本人といっしょにいたことが見えてきました。 考えてみれば当たり前のことです。後の時代に比べれば確かに日本社会に根を下ろした度合いは低かったのでしょうが、それでも当然、人と人としての結びつきはあった。一昔前、工事現場にイラン人労働者が多かった時期があります。私はそういうところでアルバイトをしたことがあるからわかりますが、日本人の親方が「おーい、ハッサン」とかと呼んでいるわけです。ハッサンと親方の関係が確かにそこにある。震災当時の朝鮮人労働者は、いまでいう外国人労働者のような存在感だったと思いますが、当然、雇い主と労働者、夫婦、友だちなどいろいろな形で関係があった。彼らは日本社会のなかに生きていたのです。 かつて私は、朝鮮人虐殺のことを考えるとき、どこか抽象的に日本人というものがいて、抽象的に朝鮮人が殺されたというような認識で、日本人と朝鮮人が別々の独立した集団であるかのようにイメージしていたように思います。しかし、実際に証言を読んでいくとそうではなく、もちろん当時の日本人と朝鮮人は植民地の支配者と被支配者という関係ではありましたが、一方で日本社会の、関東の地域社会のなかに朝鮮人もいた。そのときに民族差別による流言と虐殺煽動によって、同じ社会のメンバーであるはずの朝鮮人が選り分けられて殺された。そういう視点でも見えるようになりました。月刊「前衛」 2017年12月号 「小池都知事の朝鮮人虐殺追悼文取りやめと虐殺否定論」から73~76ページを引用 この記事が指摘するように、2005年に中国で反日デモが暴徒化するという事件があった時、テレビや新聞はデパートやレストランのショウウインドウやガラスのドアが破壊されたというような映像ばかり報道して、デモ隊が何を主張してこんなことをしでかしたのかという情報には触れることがなかったような気がします。そういう面では、マスコミは戦前も現代もあまり変わっていない部分もあるような気がします。
2017年12月23日
昨日の欄に引用した「前衛」の加藤直樹インタビューの続きは、横網町公園の朝鮮人犠牲者追悼碑がどのような経緯で建てられたものか、小池知事がいう「虐殺があったかなかったかは、後世の歴史家がひもとくものだ」という発言にはどのような問題があるか、という点について、次のように述べている;■なぜ追悼碑は建てられたのか そもそもをぜ横網町公園に追悼碑があり、どういう経緯で追悼式典がおこなわれているのかは、あまり広くは知られていません。実は私もそんなに詳しくは知りませんでした。追悼式典は、毎年9月1日におこなわれていて、平日のことが多いので、私も過去に2回くらいしか行ったことがなく、経緯をまったく知らなかったのです。「そよ風」がこの追悼碑の撤去を叫ぶ運動を始めてから、日朝協会の人たちにお会いするようになり、いろいろお話を聞くことができました。 あの追悼碑は震災50年を記念して1973年に建立されたのですが、日朝協会が単独で建てたわけではなく、実行委員会をつくりすすめられたものです。実行委には当時の都議会の各会派の幹事長、宗教者、千田是也(演出家)や藤森成吉(戯曲家)らが参加しています。さらに600人・250団体が寄付などのかたちで協力しました。当時の資料を見ると、社会党、共産党の名があるのは当然としても、宇都宮徳馬さん(自民党衆院議員)、全日本仏教会、弁護士、美濃部亮吉さん(当時都知事)、自民党自民クラブ、自民党区議団、民社党区議団、大田区の自民党区議団、渋谷区長、江東区長もいます。歴史学者の石母田正さんも入っています。幅広い人たちの協力で実現したのです。完成した碑は東京都に寄付されました。 それ以来、追悼式典が碑の前でおこなわれてきました。追悼碑建立の実行委員会と別に、毎年の式典の実行委員会が日朝協会と亀戸事件(関東大震災時に社会主義者や労働運動活動家が警察や軍によって虐殺された事件)追悼実行委員会、日中友好協会の3者でつくられ、おこなわれてきたのです。1973年と言えば、まだ関東大震災から50年しか経っておらず、当時のことを知っている人も大勢いました。つまりこの碑は、日朝協会という一団体がたまたま思いつきでつくったのではなく、震災から50年という段階で、「それはつくらなきゃいけない」という東京都議会の全体の意思として、幅広い支持のなかでつくられたのです。だからこそ、毎年都知事が追悼文を送ってきたのです。 実は、それまで、東京都に朝鮮人の追悼碑は1つもありませんでした。埼玉や千葉には戦前に建てられたものもあり、戦後すぐに建てられたものもあります。東京都にはもう1つ、市民団体が私有地に建てたものが八広駅近く、荒川河川敷近くにありますが、当時は東京都には一つもなかった。そういう意味でも、つくられなければいけない碑でした。自治体の首長が追悼文を送るのも、奇異なことではありません。多くの朝鮮人が虐殺される事件が起きた埼玉県の熊谷市や本庄市、上里町では、自治体が追悼式典を主催しています。そういうことを考えると、小池都知事が今回追悼文を取りやめたことの問題性がわかると思います。■根底にある虐殺否定論[否定に与する「あったかどうかわからない」論] メディアの報道では、古賀都議が追悼碑の碑文にある6000人という虐殺された人数に異議を唱えて、小池都知事がそれを受け入れたとしています。しかし古賀都議の質問を読むと、もちろん6000人のことも言っていますが、それだけではありません。彼は工藤美代子さんの『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』を引用して、「大地震の混乱に乗じて、朝鮮独立運動家たちが暴動を起こしたことは紛れもない事実である」と言っています。暴動に対する自衛として自警団が反撃したのだから、碑文にある「根拠のない流言飛語によって」云々というのも日本人に対する「ヘイトスピーチ」だとまで言っています。虐殺否定論に立った主張を古賀都議はしていたわけです。だから追悼碑も撤去せよと。3月の小池都知事の古賀都議に対する答弁や8月25日の都知事の会見も、そういう「虐殺否定論」という文脈を読み込まなければいけません。古賀都議が虐殺否定論に立って迫り、小池都知事がそれを受けて追悼文を取りやめたのです。 とりわけ8月25日の会見で小池都知事は、何人もの記者が、虐殺についての認識を質問したのに対して「虐殺」という言葉をいっさい使いませんでした。「殺された」という言葉さえも使わないで、「不幸な死を遂げられた方」などの表現をしています。それだけだったら、はっきり言うことを避けているということで済みますが、ジャパンタイムスの記者の質問に対する答えをみると、それだけでは済まないことが分かります。小池都知事は、「関東大震災という非常に大きな災害、そしてそれに続くさまざまな事情によって亡くなられた方々に対しての慰霊」と答えているのです。つまり災害と別の事情で亡くなった人がいることを認めているわけです。あのとき、災害後に、災害以外の理由で死んだ人というのは、殺された人しかいません。そして、殺された人のほとんどは朝鮮人だったわけです。それについて小池都知事は「別の事情で亡くなつた人」と言ったわけです。 これは控え目に言っても、「虐殺があったかどうか私はわかりません。殺されたのが罪のない朝鮮人かどうかもわかりません」と言っているのに等しいわけです。例えて言えば「アウシュヴィッツにガス室があったかどうかわかりません」と言ったのと同じです。そして、「あったかどうかわからない」と言った瞬間、もはや虐殺否定論に与したことになるのです。少し考えていただければわかると思いますが、あったかどうかわからないものを教科書に載せたり、公共施設で展示できないからです。 実は、小池都知事は2010年に「そよ風」に呼ばれて講演しています。選挙になると、政治家の以前のツイートを探し出して再掲してくれる人がいますが、それを見ると、小池都知事は、「中共の『日本解放工作要綱』にならえば、事業仕分けは日本弱体化の強力な手段。カタルシスを発散させながら、日本沈没を加速化させる・・・。」「納税シーズン、日本で働く某国人は扶養控除欄に本国の父母姪甥・・・とありとあらゆる親戚名をあげるそうな。まだ申告するだけマシだが、『子ども手当て』のバラマキでも同じことがおこる恐れあり。」などと書き込んでいます。小池という人は世の中で思われているよりもずっとネトウヨと親和性が高い人なのです。 今回も、石原慎太郎元都知事ですら「虐殺がなかった」などとは言わなかったにもかかわらず、小池都知事は「わからない」という立場を表明している。小池都知事は本心では虐殺がなかったと思っているのかもしれません。 小池都知事は、9月26日の都議会でも共産党都議の質問に、「様々な内容が史実として書かれていると承知している。だからこそ、何が明白な事実かは歴史家がひもとくものだ」と述べ、改めて虐殺の有無について明言を避けましたが、これまで要職に就いた人で、朝鮮人虐殺について「あったかなかったかわからない」と言った人は初めてだと思います。虐殺否定論がお墓付きを得てしまったのです。 「そよ風」の最終目標は追悼碑の撤去です。そのためにまず考えたのが、東京都の追悼式典に対する関与をなるべく削っていくことだったと思います。最初の目標が追悼文取りやめだった。このように式典と東京都の関係を断ち切っていくことで、式典をつぶしやすくなっていくし、ひいては追悼碑の撤去に近づくということなのだと思います。[展示や教育の場でも否定論が……] もう一つ、彼らがめざしているのが展示の改変です。例えば横綱町公園のなかに復興記念館があり、震災と空襲の展示がたくさんなされています。その展示に対しても彼らは文句をつけています。その一つが朝鮮人虐殺についての説明のパネルです。これは、日本語の説明では「虐殺」という言葉を周到に避けているのですが、英語の説明文ではmassacreという言葉が使われていたのです。彼らは、それを見つけて、「massacreとは何だ」と抗議、昨年秋に復興記念館側に変えさせてしまったのです。 「虐殺があったかどうかわからない」という議論から言えば「虐殺関連の展示は全て外せ」ということになってしまいます。私は東京都の教育の状況についてくわしく知りませんが、教育の現場でも虐殺についてふれることが難しくなりかねません。小池都知事のお墨付きによって、最終目標である追悼碑の撤去に向けて、「そよ風」の執拗なロビー活動がこれからどんどん展開されると思います。 もちろん、そう簡単に追悼碑の撤去まで行くことはないでしょう。しかし、いろんな形で虐殺の展示を外させたり、教育の場から虐殺関連のことを排除することはできると思います。都知事の威光を笠に着ているわけですから、役人がどこまで抵抗できるかわかりません。しかも都民には見えないところでそれはおこなわれているのです。 いずれにしても、昨年6月から「そよ風」が運動を始め、公開質問状を送ったり、執拗な働きかけをしてきた。そういう流れの中で、東京都の展示や教育において虐殺否定論の影響が強まっていくことを、私は危惧しています。月刊「前衛」 2017年12月号 「小池都知事の朝鮮人虐殺追悼文取りやめと虐殺否定論」から70~73ページを引用 この記事が示すように、横網町の朝鮮人犠牲者追悼碑は東京都議会の共産党から自民党までほとんど全員が賛成して建てられたもので、当時は自警団による朝鮮人殺害を目撃した人も多く生存していて、「虐殺があったかなかったか、わからない」などと発言できる状況ではなかったから、右翼思想の持ち主であっても追悼碑に反対する大義名分がなかったものと思われます。しかし、追悼碑建立から20年たって、虐殺事件当時を知る人が少なくなったからといって、事件をなかったものにすることはできません。右翼団体「そよ風」の活動に反対する世論を強くしていく必要があると思います。
2017年12月22日
東京都知事が関東大震災の流言飛語のために虐殺された朝鮮人を追悼する集会に追悼文を送ることを拒否したことについて、裏でどのような右翼団体が暗躍したか、その狙いは何か、ノンフィクション作家の加藤直樹氏が、共産党の機関誌「前衛」のインタビューに応えて、次のように述べている;■追悼文取りやめの背景には何が――小池百合子東京都知事は、9月1日に東京・墨田区横網町公園でおこなわれた朝鮮人虐殺追悼式典への追悼文を取りやめました。加藤さんは、『九月、東京の路上で - 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』(ころから、2014年)をお書きになっていますが、この間題についてどう感じられたでしょうか。[右翼団体「そよ風」の策動]8月24日の東京新聞の一面に出た「関東大震災の朝鮮人虐殺 小池都知事が追悼文断る」という記事が第一報となり、続いて、新聞各紙がこの間題を取り上げました。その後、東京新聞に取材を受ける機会がありました(8月31日掲載)。そのとき記者に「この間題に対する読者の反応はどうですか」と聞きました。記者は、「非常に大きい」「ほとんどは『よく書いてくれた」という好意的な内容です」と言っていました。なぜ、そこまで反響があったのか。彼は、「やはり、『小池がここまで右だとは思わなかった』ということなのではないか」とおっしゃっていたのです。私は、半分はその通りだと思いますが、それだけではないと思っています。それについては最後に触れます。 新聞各紙の報道を見ていて、少し追及が足りないと思う点もありました。東京新聞は、3月2日の古賀俊昭都議(自民党)の質問が問題のきっかけになったと書いています。 「古賀俊昭議員(自民)が、碑文にある6千余名という数を『根拠が希薄』とした上で、追悼式の案内状にも『6千余名、虐殺の文言がある』と指摘。『知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ』と求めた。これに対し、小池知事は『追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する』と答弁」した、というのです。これはその通りだと思います。ただし、実際にはさらにその前史があるのです。 「日本女性の会 そよ風」という草の根の右翼団体があります(以下、「そよ風」)。その団体が昨年から、いろいろな働きかけをした結果が追悼文取りやめなのです。そこを見ないと、小池都知事が何か思いつきでやめたような話になってしまいます。しかし、そうではありません。この「そよ風」は、在特会(在日特権を許さない市民の会)などとも近い団体です。在特会は、ネット上でヘイトを煽ったり、さらに街頭に出てヘイトデモをおこなったりしています。いわばそれ自体が自己目的化している。これに対して「そよ風」は行政に対する働きかけを地道におこない、日本の負の歴史にかかわる展示や慰霊碑などを攻撃している団体です。 群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」内にある「朝鮮人犠牲者追悼碑」をめぐる問題も「そよ風」が口火を切ったものです。2004年につくられて以降、この碑の前で、毎年追悼集会がおこなわれていましたが、建立から10年後の2014年4月、「政治的利用」という批判がなされ、県に碑の撤去を求める意見が寄せられるなかで、県議会が碑の撤去請願を採択、県が設置不許可を決め、管理団体に碑の速やかな撤去を求めているという事件です。群馬で成功したから次は東京だということでしょうか、昨年に入ったころから「そよ風」は、「横網町公園の朝鮮人追悼碑を撤去せよ」というキャンペーンを始めたのです。 「そよ風」のブログで報告されていることなのですが、彼らは昨年6月には「関東大震災の真実を伝える会」として、古賀都議のところにあいさつに行き、「『ひとつの目標』を設定し、共に歩いていくことを確認いたしました」としています。さらに8月には、「『関東大震災朝鮮人虐殺』の真相」と題した講演会を開き、そこに古賀都議を呼んで、あいさつさせています。古賀都議はそこで朝鮮人虐殺否定論を主張しています。これも「そよ風」のブログに動画つきで載っています。古賀都議は右翼的な都議として有名ですが、「そよ風」の働きかけを受けるなかで、撤去を主張しはじめたわけです。先の質問もおそらく「そよ風」の影響を受けてのことだと思います。[追悼文をださないための口実を「そよ風」がつくった] 横網町公園というのは、もともと関東大震災の慰霊のためにつくられた東京都立の公園です。いくつかの碑があるのですが、朝鮮人追悼碑から20メートルくらい離れたところに「大正大震火災石原町遭難者碑」というものがあります。公園はもともと陸軍被服廠跡で、関東大震災当時は更地だったため、避難民がドッと押し寄せました。ところがそこに火炎旋風(火炎の竜巻)が襲いかかり。何十分かで3万8千人の方が亡くなったのです。そのなかでも近傍の石原町の町民の被害が大きかったため、石原町遭難者碑が建てられました。「そよ風」の人たちは、昨年の秋、ブログで、「来年の9月1日にその碑の前で石原町民の追悼集会をおこなう」と宣言しました。朝鮮人追悼式典と同じ時刻に、ぶつける形で追悼集会をおこなうというのです。 当初、私はその意図がわかりませんでした。単なる嫌がらせなのだろうかとも思いました。そうこうしているうちに3月2日に古賀都議の質問です。そして8月、式典の準備をしている日朝協会の人たちが東京都と交渉しているなかで、東京都が今年は追悼文を出せないと言ってきたのです。 都の説明は、「慰霊堂でおこなわれる法要以外の個別の法要には対応しないことになった」というものでした。私は、それを聞いて、「そよ風」の意図を理解しました。要するに、同じ公園のなかで同じ時間に、立場の異なる2つの追悼式典がおこなわれることになれば、彼らは「私たちの方に小池知事の追悼文を出さないで、もう1つのほうに出すのか」と東京都に迫ることができます。実際、そうしたやりとりがあったことを、いくつかの筋から聞きました。 8月25日の日本経済新聞は「都は『9月1日には都慰霊協会が主催する関東大震災などの大法要があり、知事の追悼文を読み上げて亡くなった全ての方に哀悼の意を示している』と説明。今後は、同じ公園で式典を主催する他の市民団体から追悼文の要請があっても、送付しないという」と書いています。やはりそれが狙いだったのです。 こうした「そよ風」の周到な戦略があり、古賀都議の質問があった。そのうえ追悼文を出さないための口実を「そよ風」がつくってあげて、小池都知事がそれに乗ったという流れだったと思います。月刊「前衛」 2017年12月号 67ページ「小池都知事の朝鮮人虐殺追悼文取りやめと虐殺否定論」から一部を引用 歴代の東京都知事が出してきた追悼文を今年は取りやめるというニュースを聞いたときは、右翼の議員が突然言い出したのかと思ったものでしたが、その裏には群馬県でも暗躍した札付きの右翼がいたとは知りませんでした。歴史を修正する策謀は、国際社会に日本の恥をさらす愚行ですから、このような策謀を批判する世論を盛り上げていきたいと思います。
2017年12月21日
テレビと出版界で日本文化を自画自賛する企画が流行っている風潮について、法政大学教授の山口二郎氏は17日の東京新聞に、次のように書いている; 最近の日本では過去、現在を通して何かにつけて自画自賛する風潮が目立つ。テレビのバラエティー番組では外国人が日本の美点をほめる企画がはやり、出版界も同様である。この種の企画を考える人は、ウォシュレットを褒めてもらってうれしいと思うのだろうか。 自国褒めを過去にさかのぼらせれば、歴史修正主義になる。サンフランシスコ市が慰安婦像の設置を認めたことに抗議して、大阪市が同市との媚妹関係を断絶することになった。慰安婦への人権侵害を記憶するモニュメントを作ることを直ちに日本への攻撃と受け止めることは短絡的である。自画自賛病は、歴史を冷静に検証することを拒絶する。 政府はクールジャパンのスローガンの下で、アニメ、日本食など文化を輸出するプロジェクトを推進し、資金を拠出してファンドまで作った。しかし、このファンドが出資した案件で成功しているものはほとんどない。このファンドの経営陣のコネで、出資先を決めているという新聞報道もあった。 日本が直面している難題を解決するためには、自分たちの失敗を直視しなければならない。自国の欠点を直截(ちょくせつ)に指摘する者に反日というレッテルを貼るのは、クールではなくフールである。 官民こぞってフールの楽園で自己満足に浸るならば、それこそ亡国の道である。(法政大教授)2017年12月17日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-フール・ジャパン」から引用 自国文化を自画自賛する意識が昂じると歴史修正主義に陥るという指摘は、真実を言い当てていると思います。過去に起きたことは今から訂正することはできないのですから、これは素直に向き合い、同じ過ちを繰り返さないための方策を考えるべきであって、サンフランシスコでもどこでも、慰安婦像を設置することは日本人であるとないとに関わらず、人権尊重の認識を再確認するために役立つものと考えるべきです。それにしても、総理大臣が個人的なコネを優遇する政治を行なうと、その傘下ファンドまでが同じような手法で事業を始めるという、この病理はなんとかしないといけないのではないでしょうか。
2017年12月20日

世界一厳しい規制基準に合格したはずの伊方原発3号機について、広島高裁が停止命令を出した翌日の東京新聞は、次のような解説記事を掲載した; 原発が高温の火砕流に巻き込まれればたちまち危機に陥り、想定以上に火山灰が積もれば非常用設備や事故収束作業にも大きな支障が出る。ひとたび原発で重大事故が起きれば、その被害は広範囲かつ長期間にわたる。 広島高裁が原発の巨大な潜在リスクに向き合い、来年9月末までの期間限定ながら四国電力伊方原発3号機の再稼働にストップをかけた。新規制基準「適合」と判断し、再稼働を認めた原子力規制委員会にも「不合理」を突きつけた。 伊方原発が抱えるリスクは火山ばかりではない。日本一細長いとされる佐田岬半島を分断する立地そのものがリスクだ。切り立った崖に囲まれた半島だけに、原発敷地は狭く、四国電は非常用資材の置き場に苦労し、対策拠点も新基準を満たすぎりぎりのスペース。万一の際、応援を送ろうにも国道から原発へは急傾斜地で、拡幅工事中の県道はいまだ狭い地点が残る。 半島各地の集落を訪ねたが、尾根筋の国道からは、もろい岩肌の細い山道しか通じていない集落が多かった。漁師からは「地震と原発事故が同時に起きたら、取り残されるだろう」との声が聞かれた。そんな状況は置き去りのままだ。(山川剛史)2017年12月14日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「巨大リスクに重い判断」から引用、(図は同紙2ページ) この度の裁判は、一審では「規制基準に合格したから安全」という判決で、今回はその判断を覆したものです。一審では阿蘇山の噴火は数万年に一度だから、それが原発が稼働する40年間と重なる確率は無視できるとするのが「社会通念」だから、稼働は差し支えないという判断だったように記憶してますが、今回の判決ではそういう理屈は通らないということで、やはり今回の高裁の判断のほうが理にかなっていると言えるのではないでしょうか。
2017年12月19日

市場が自由化されたとは言いながら新規参入組が苦戦を強いられている電力業界では、価値観をアピールして顧客を獲得しようとする動きが出てきていると、17日の東京新聞が報道している; 新電力各社が、再生可能エネルギーの普及に向け、価格以外の特色を打ち出す戦略に力を入れている。昨年4月から電力小売り自由化が始まったが、大手電力会社からの切り替えは進んでいない。価格で大幅な差がつけられない中、各社は「顔の見える電力」で利用者の価値観に訴えようと知恵を絞つている。(伊藤弘喜) 二酸化炭素(CO2)削減につながる再生エネ小売りを手掛ける「みんな電力」(東京都世田谷区)は電力の供給を受けている約50カ所の発電所をホームページの「エネクト」コーナーで公開。運営者の写真とともに「脱原発・脱ダムの流れを加速させたい」などの思いを紹介する。牧場の小屋の屋根に太陽光パネルを設置した人たちや、使用済み食用油で発電している会社など小規模でユニークな取り組みが多い。 消費者は好きな発電所を選ぶと、電気料金の一部を応援代としてその発電所に届けられる。「応援は励みになる。単なるお金のつながりではなく、再生エネを一緒に盛り上げていく仲間を得た感じだ」。千葉県木更津市で太陽光発電所を運営するエコロジアの林彰一社長は話す。 「農家の顔が見える産直野菜のように、発電する側の顔が見える電力を消費者に届けたいのです」。みんな電力の竹蓋(たけぶた)優貴さんは意気込む。 同社の電源は、再生エネの比率が6割以上と東京電力(1割)などより大きい。だが、家庭に届く電気は同じで違いが目に見えない。このため、どんな人がどう発電しているかが消費者に分かるようにして、自分の選択が環境改善に役立っていることをきちんと確認できるようにする狙いだ。再生エネの電力は固定価格での買い取りが小売会社に義務付けられており、大手電力と価格で差をつけにくい事情もある。 丸紅の子会社の「丸紅新電力」(東京都中央区)はアニメ「となりのトトロ」の制作で知られるスタジオジブリと提携。電気料金の一部をジブリや、宮崎駿監督が呼び掛けた里山保全基金に寄付するプランを用意した。他のプランより1~2%ほど高いがファンや自然保護の関心が高い人から支持を得ている。 日本卸電力取引所にできる新市場を活用し「実質自然エネルギー100%」を打ち出す会社も出てきた。 各社共通の悩みは大手電力からの切り替えが思うように進まないこと。電力小売り自由化開始以来、新電力に切り替えた家庭はまだ6・5%。「新電力は電気の安定性に劣る」「新たに電線を引く必要がある」などの誤解も根強く残っている。 切り替えを後押しするキャンペーン「パワーシフト」事務局の吉田明子さんは「簡単な手続きで切り替えられることもほとんど知られていない」と指摘。「どの会社を選ぶかは、どんな社会を目指すのかという選択でもある。積極的に考えてほしい」と話している。2017年12月17日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「新電力『価値観』で商機」から引用 原子力発電所を抱える大手電力会社は数十年後に廃炉作業をしなければならないという宿命を抱えており、場合によってはその費用が過大になって経営不振に陥ることにならないとも限らないのですから、今のうちに市場を自由化して旧来の電力会社が倒産しても新規参入の企業が必要な電力を供給していける体制を整えたことは、賢明な政策であったと思います。
2017年12月18日
原子力発電に手を出して経営危機に陥った東芝について、法政大学教授の竹田茂夫氏は14日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 東芝は半導体事業の売却と増資で、米原発子会社ウェスティングハウス(WH)の破綻が本体に及ぶことをしのいだ。 WHの買収に始まる十余年の失敗と紛糾の物語は、B級企業小説さながらに政官財の滑稽で悲しい姿を国民に見せてくれた。経済産業省の振付に従う政治家と国策会社、権勢欲と嫉妬にさいなまれる老経営者ら、泥沼の訴訟合戦などなど。「栄光の経営者」西室泰三と西田厚聡の両氏の死で区切りがつくのか。 一部の経産官僚(4人組などと称される)は今世紀初めの原発再評価の風潮に便乗したのだが、3・11直後にも機密文書で原発の「再復興」の決意を表明している。 一昨年、東芝の粉飾決算が表沙汰になると、第3者委員会は政治的圧力で原発を調査範囲から外したといわれる。昨年、東芝歴代3社長の刑事告発の動きを官邸が握りつぶしたのは、原発に論議が及ぶことを恐れたためだという報道もある。 しかし、政権と経産省の原発推進路線は壁にぶつかっている。反原発の国内世論は、13日の広島高裁の伊方原発3号機に対する運転差し止め決定で高まるはずだ。米国の原発では61発電所中、34が赤字。首相自ら原発輸出のセールスをしたベトナムは変心し、トルコやインドでは反原発の機運が高まる。 4人組は国民に「決意」を説明すべきではないのか。(法政大教授)2017年12月14日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-東芝と経産省4人組」から引用 東芝は10年前にウェスチングハウスを50億ドルで買収し、原発は成長産業だと豪語したそうですが、今にして思うととんでもない「疫病神」をつかまされたものです。経済産業省には、3・11の事故に遭ってもなお、原発で産業振興をなどと公言する官僚がいるとは呆れた話です。4人組などと変な呼び方をしないで、どのような政策なのか、メディアがしっかり取材して国民的議論にするべきではないかと思います。
2017年12月17日
南京事件80周年に関連して、早稲田大学名誉教授の毛里和子氏は13日の東京新聞で、次のように述べている;――日中関係は厳しい。 「日中間には3つのレベルの衝突がある。まず歴史問題が底辺にある。2つめは力を巡る覇権争い。2010年に中国が日本を経済力で追い抜き新しい局面になった。3つめは領土領海など具体的利益を巡る問題。本来は異なる三つのレベルが絡み、解きほぐせない。特に中国はすべて歴史に結び付ける傾向があり、問題がこじれてしまう」――戦後70年以上たっても歴史問題が残っている。 「争いの根がなくなることは100年、200年ないと思う。日本軍が民間人を含む多くの中国人を殺したことは自虐史観ではなく事実。日本人にはその負債を払い続ける覚悟が必要だ。歴史問題は中国にとって外交的な資産であり、いざとなれば外交力ードに使う。大切なのは、問題が大きくならないように穏やかに話し合える関係をつくることだ」――南京事件の犠牲者数30万人を巡る対立もある。 「中国では30万という数字が象徴的になっている。しかし当時の中国は人口の流動が激しく、人数の確定は不可能。中国側も『30万という数字を認めなければ反省したことにならない』という言い方は変えてほしい。歴史的事実について日中間で最低限の認識を共有することが大切だ」――そのために何が必要か。 「若い日本人に直接の責任はないが、昔の人々に責任があったことは踏まえないといけない。中国の知識界でも、けんか腰の民族主義をあおる愛国主義教育はもろ刃の剣で、過激なナショナリズムは抑えるべきだという人が増えている」(聞き手・中沢穣)【南京事件】日中戦争中の1937年12月、旧日本軍が中国国民政府の首都・南京を占領した際、多数の中国人を殺害したとされる事件。中国は85年、南京に「南京大虐殺記念館」を開設。2014年には南京が陥落した12月13日を「国家哀悼の日」に定めた。犠牲者数を巡り中国側は「30万人以上」と主張。日本の研究者の間には数万人から20万人まで諸説がある。<もうり・かずこ> 1940年、東京都生まれ。お茶の水女子大文教育学部卒。専門は現代中国論。博士(政治学)。早稲田大政治経済学部教授を経て、現在は同大名誉教授。著書に「現代中国政治」「日中漂流 グローバル・パワーはどこへ向かうか」など多数。2017年12月13日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「南京事件80年 なお火種」から後半を引用 この記事のポイントは、「日本軍が民間人を含む多くの中国人を殺したことは自虐史観ではなく事実。日本人にはその負債を払い続ける覚悟が必要だ」という指摘だと思います。安倍首相は「過去の戦争の責任を将来の我々の子孫に背負わせるべきではない」というような発言をしてますが、100年たっても200年たっても過去の事実が無かったことにはできません。戦後生まれの日本人に直接の責任はないとは言え、我々の祖先が何をしたのかという記憶を踏まえた上で、未来を志向するという姿勢が大切と思います。
2017年12月16日
歴史学者で南京大栄誉教授の張憲文氏は、日中間の歴史認識問題について13日の東京新聞で次のように発言している; 旧日本軍が南京を占領してから80年となる13日、江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」で追悼式典が開かれる。沖縄県・尖閣諸島の国有化問題をきっかけに悪化した日中関係は改善の兆しが出ている一方、南京事件をはじめとする歴史問題は、なお日中間の火種となっている。歴史にどう向き合うべきか、日中の識者に聞いた。――南京事件が政治問題化して久しい。 「1960年代に研究を始めた当初は、学術的な観点から研究していた。当時の研究者は4人だけだ。80年代、日本で大虐殺を否定する人たちが現れ、中国政府が重大な関心を払うようになった」 「中国はもともとこの問題で争うつもりはなかったし、一般の人たちも関心を持っていたわけではない。日本が虐殺を巡り中国を挑発し、問題を起こした」――大虐殺を認める日本の学者でも「30万人以上」は受け入れられない。 「30万人はでたらめな数字ではない。東京裁判は犠牲者を二十数万人、南京軍事法廷は30万人以上という判決を出している」 「重要なのは人数ではない。虐殺があったのか、大規模だったか、残酷だったか、国際法に違反していたかの4点が重要だ。日本がこの点を認めるなら、被害者数は共同で研究できる」――なぜ歴史問題が解消されないのか。 「90年代以降、中国の対日方針は『歴史を鑑(かがみ)に未来に向かう』となった。しかし、日本はこの方針を理解していない。時に反省の言葉をロにするが、悪い態度に変わることもある。その繰り返しで、首相を含む国会議員による靖国神社参拝も中国を刺激している」――対立を克服する道は。 「両国政府が正しい態度を持ち、それぞれの国民を共同の歴史認識に導いていくべきだ。中日関係が良い方向に向かうかどうかは、歴史を忘れないことにかかっている」(聞き手・浅井正智、南京で、写真も)<ちょう・けんぶん> 1934年、山東省生まれ。専門は中華民国史。南京大学中華民国史研究センター長などを経て、現在は同大栄誉教授、南京大虐殺史・国際平和研究院院長。日本や米国、英国など9カ国から膨大な資料を集め、「南京大虐殺史料集」全72巻を編さんした。2017年12月13日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「南京事件80年 なお火種」から前半を引用 この記事でポイントになるのは「中国側は歴史を鑑に未来に向かうとの態度であるのに、日本がそれを理解していない」という点だと思います。少なくとも村山談話には、歴史を鑑にする姿勢があったように思われますが、その後の自民党政権には歴史の事実に向き合う姿勢が希薄で、反省すべき点を隠蔽してひたすら過去を美化するだけでは近隣諸国に警戒心を持たせることになる点に留意が必要と思います。
2017年12月15日

戦後国会決議で否定された教育勅語について、教育現場で教材として使用することを是とする閣議決定をした安倍政権に対し、日本教育学会が批判的な報告書を提出したと13日の東京新聞が報道している; 教育勅語を教育現場で肯定的に扱うことは否定されないといった今春の国会での政府見解について、教育学の研究者らでつくる日本教育学会は12日、「歴史的事実をゆがめるものだ」と批判する報告書を文部科学省に提出した。東京都内で記者会見した広田照幸会長らは「道徳教育に(政府見解を)利用する人が出るかもしれない。現場の影響が心配だ」と危機感を示し、見解の撤回などを求めた。(原尚子) 「戦後否定された価値観を子どもたちに押しつけることになる。大きな危惧を持っている」。同学会の教育勅語問題ワーキンググループの座長を務めた名古屋大学の中嶋哲彦教授は会見で声を強めた。 政府見解が示されたきっかけは今年2月、大阪市の学校法人「森友学園」の系列幼稚園で園児に教育勅語を暗唱させていたことが取り上げられたことだった。これを問題視する野党議員に、政府は「普遍的な内容が含まれている」などとして、「(憲法や教育基本法に反しない)適切な配慮のもとに」使用を容認する見解を示した。当時の稲田朋美防衛相も「(教育勅語の)核の部分は取り戻すべきだ」などと答弁した。 報告書は、政府が普遍的とする「親孝行、兄弟仲良く…」というくだりは「危急の大事が起こったならば一身を捧(ささ)げて皇室国家のためにつくせ」という言葉に続いていると指摘。これは日本国憲法の3原則「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」のいずれにも反すると批判している。 さらに、「教育勅語を唯一の指導原理とする教育は許されないが、原理の一つとしてなら可能」とする政府見解にも、「根拠としている1946年の文部次官通牒(つうちょう)(通達)は国会決議で否定されている」と反論した。 中嶋教授は会見で「憲法に反するのは明らかなのに、政府が教育勅語を違反と認めなかったので、現場がミスリードする可能性がある」と危ぶんだ。 文科省は取材に「教育勅語は憲法や教育基本法制定の時点で失効し、もはや意味を成さないものと認識している。何が憲法や教育基本法に反するかは個別の事例ごとに各学校の設置者や都道府県が判断するものと考える」と答えた。 日本教育学会は会員数約2900人で、教育学関係の学会では国内最大規模。ワーキンググループは報告書を全国の教育委員会などに送付するほか、学会のホームページで公開。教育現場で参考になるよう「暗唱や学校での掲示、音声放送などをしてはならない」などと提案している。【教育勅語】 1890年に発布。明治天皇の名で国民道徳の根源や教育の基本理念を明示。父母への孝行、夫婦の和、博愛、義勇奉公などの道徳項目を記した。学校での奉読が進み、「御真影」(天皇、皇后両陛下の写真)とともに保管されるなど神聖化され、国や天皇に命をささげるよう求めた昭和期の軍国主義教育と結び付いた。1948年、衆参両院が教育勅語の排除や失効を決議し、旧文部省が学校から教育勅語を回収して教育現場から排除された。2017年12月13日 東京新聞朝刊 12版 29ページ 「教育勅語容認は『歴史ゆがめる』」から引用 明治天皇が国民に下賜したとされる教育勅語は、当時の政府が国民を戦争に動員するために制定したものであることは、「危急の大事が起こったならば一身を捧げて皇室国家のためにつくせ」と明記している点で明らかで、このような価値観が戦後の国会で否定されたのは当然のことでした。それを、今さら「部分的には良いことが書いてる」だの「唯一の指導原理としないなら教材になり得る」などと言う詭弁を弄して教育現場に持ち込むことを許してはなりません。この度の日本教育学会の見解表明は、わが国の民主主義を守る上で重要な行動であったと思います。
2017年12月14日
安倍政権は子育て支援政策の財源として財界に3千億円の拠出をお願いする意向と言われているが、法政大学教授の山口二郎氏は10日の東京新聞コラムで、この「思いつき」を厳しく糾弾している; 安倍政権の目玉政策、人づくり革命の柱である子育て支援の充実のために、首相は経済界に3千億円の拠出を求めている。この負担の穴埋めに雇用保険と労災保険の料率を引き下げるという新聞報道もあった。社会保障の財源は祭りの寄付とは違う。これは国の形をゆがめる奇策である。 近代国家は租税国家と呼ばれる。国家の仕事は国民が払う税金によってまかなうという意味である。安倍政権が子育て支援を充実したいなら、税金によって行うべきである。財源が足りないなら国民に説明し、負担増を提案すればよい。国民がどれだけ税を払い、どれだけの政策的便益を得るかを考えることこそ、民主政治の核心である。 根拠不明の拠出金で子育て支援の充実を図れば、経済界の慈善で恩恵を及ぼすことになる。この政策の対象となる人々は経済界に恩義を感じさせられるだろう。しかし、それは人々の生きる権利を保障するという公共的政策の意義をそこなう。また、経済界はいつ心変わりして拠払を拒むか分からない。だからこうしたやり方では政策の継続性は確保されない。 何より、大企業のごまかしや不正が次々と明るみに出る昨今のこと。このような超法規的慈善が企業の犯罪を隠蔽(いんペい)するための隠れみのになる恐れもある。こんなくだらない思い付きはつぶさなければならない。(法政大教授)2017年12月10日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-租税国家の危機」から引用 この記事が指摘するように、金持ちの善意に期待して政治を行なうという発想は、人々がまだ民主主義を知らなかった中世の時代の発想だと思います。現代は、国民が能力に応じて税金を負担するのが当たり前なのであって、この「当たり前」を不当にねじ曲げた安倍政権の「大企業減税」を、元のまともな税制に戻せば、こと足りる話で、安倍政権も財界のお慈悲にすがりつくような真似はしないで、堂々と民主政治を推進していくべきだと思います。
2017年12月13日
サンフランシスコ市が「慰安婦像」に対する対応を議論するときに、産経新聞と「なでしこアクション」「幸福の科学」等の右翼団体が「日本人を犯罪者扱いする」とか「日系人の子どもがいじめられる」といったデマの流布を試みようとしたことを、在米CWJC世話人の金美穂氏が、12月8日の「週刊金曜日」で次のように批判している; 米サンフランシスコ市が、日本軍「慰安婦」の犠牲者の少女像の設置を許可したことに対し、日本国内はもちろん、現地で日本領事館を先頭に、右派によるさまざまな妨害活動が繰り広げられた。 特に『産経新聞』は、今回の「像」設置を「反日」活動に仕立てあげる記事を何回か掲載したが、そこでは「主導」したのが「中国系米国人らにより結成された『慰安婦正義連合』(CWJC)」(9月8日付電子版)だと決めつけられている。だが、CWJCは米国在住の在日コリアンや日本人団体をはじめ、米国の女性平和団体や帰還兵団体、労組、弁護士協会まで、実にさまざまな団体・個人が加盟している。 代表幹部の民族性を理由に「中国系」としてだけでくくるのは、日本政府や右派にとって、「反日」の中国と韓国が常に「慰安婦」問題をぶり返そうとしているというナショナリズム的な主張にとって都合がよいからだろう。だから、CWJCの多様性を意図的に無視しているのに違いない。 今回の「慰安婦」像設置に対しては、一部の在米邦人や比較的新しい世代の日系移民の間で反発があった。しかも、日系人のコミュニティでは、一部の有力者が「『反日運動』によってまた、日系人が犯罪者扱いされる」と恐怖心を煽り、「慰安婦」像設置に反対する動きを強めようとした。◆「人権と正義の問題」 だが、戦時中に家族が収容所に入れられた体験を有し、性暴力被害者の若い女性たちを対象に研究している心理学者の日系米国人であるリサ・ナカムラ氏は、「収容所内でも性的暴力はあった」と名乗り出た日本人被害者の女性に、「慰安婦」にされたハルモニ(おばあさん)の姿が重なり、「被害者の尊厳と正義を取り戻すよう日本政府に要求する、『慰安婦』像設置の運動に賛同する」とインターネットサイトに投稿し、反響を呼んだ。 また、収容所行きを拒否した日系米国人として知られている故フレッド・コレマツ氏の娘のカレン・コレマツ氏も、記者会見や市議会の公聴会で、「私の父親は米国政府に反対したのに米国のヒーローです。なぜなら、わが国の聖なる人権たるものを命がけで守ったからです」としながら、「重度の人権侵害に対してどの政府であれ免罪符を与えることは、父は絶対に反対したでしょう。これは、人権と正義の問題です」と発言した。 結局、一部の在米邦人や日系米国人の主張は市議会で共感を得ることはできなかったが、本国と連携した反対派の組織的な動きが目立った。サンフランシスコの日本領事館は、独自に作成した「謝罪の略歴のまとめ」の文書を市議会の全議員に送りつけ、ヘイトスピーチを繰り返している「在日特権を許さない市民の会」(在特会)で活動していた女性が会長の「なでしこアクション」は、大半が日本からの「反対署名」を」市議に送付。さらに、「幸福の科学」も反対運動に動員された。 加えて、「歴史の真実を求める世界連合会」なる歴史修正主義の団体の目良浩一代表と、「慰安婦」が「韓国の偽造」だと主張する呉善花氏の2冊の英書が市議に対し、前出の「謝罪の略歴のまとめ」とともに送られてきた。しかも全米の日本研究関係者らに対しても、この2冊が配送されている。 そして、日本でも右派が流している「(『慰安婦』問題で)日本人学童がイジメにあう」というデマが、今回も地元で使われた。だが、FBI(米連邦捜査局)による全米規模で収集された人種差別の事例のデータには、そのような記録は存在しない。13年に少女像が設置された同じカリフォルニア州のグレンデールでは、日本領事館が地元日系新聞を通じてこうした「いじめ」の通報を呼びかけたが、手応えはなかったとされる。今回のサンフランシスコ市議会の「慰安婦」像設置許可は、デマの敗北だった。キム ミホ・在米CWJC呼びかけ・世話人。2017年12月8日 「週刊金曜日」 1164号 31ページ「現地で失敗した右派の妄動」から引用 サンフランシスコで慰安婦像の設置に反対した人たちは、慰安婦像を誰が何の目的で設置しようとしているのかという点を完全に見誤っていると思います。多分、「どんな理由であろうと日本を侮辱する像の設置は認められない」というような極めて自己中心的な心情で行動したものと思われます。そういう了見で行動したのでは、誰からも理解は得られないのが当たり前です。慰安婦問題は、実際に日本政府が関与した歴史上の「誤り」であって、それはわが国政府も認めているものですから、それを今さら「慰安婦は韓国の偽造だ」などと言っても、誰も聞く耳を持たないのは当たり前で、産経新聞と「なでしこアクション」と「幸福の科学」は、世界に恥をさらしたと言うほかありません。
2017年12月12日
大阪市の吉村市長がサンフランシスコ市との姉妹都市提携を解消すると発言するに至った経緯について、ジャーナリストの粟野仁雄氏が3日の「週刊金曜日」に次のように報告している; 米国サンフランシスコ市が民間団体の建てた旧日本軍の「慰安婦」像の寄贈を受けた。吉村洋文(よしむらひろふみ)大阪市長は「信頼関係は消滅したと考える。姉妹都市解消に向けた手続きを始め年内には完了させたい」と表明。60年の自治体交流はあっけなく消えてしまう。威勢はよいがそれでいいのか。 サンフランシスコ市議会では中国系米国人らが提案した「慰安婦」像設置支持の決議を2015年9月に採択。当時の橋下徹大阪市長と後任の吉村市長が、「慰安婦」像を性奴隷とする「歴史認識」などに書簡で抗議していた。今年9月22日にフィリピン、中国、韓国の3人の女性が手を取り合い碑文に「数十万人の女性や少女が性奴隷にされた」とあるブロンズ立像の除幕式が行なわれた。 吉村市長は「『日本軍が強制連行し、数十万人の女性を性奴隷にし、そのほとんどが捕虜のうちに亡くなった』というのは一方的な主張だ。確実に歴史的事実でないものは日本バッシングになる。違うものは違うと明確に意思表示すべきだ」とし、9月25日にW・F・ハガティ駐日米大使と会談し公共の場に「設置されるなら姉妹都市を根本から見直さざるをえない」と伝えたが前進はなかった。 サンフランシスコ市市議会は11月に全会一致で寄贈受け入れを決議し、E・M・リー市長は吉村大阪市長が要請していた拒否権を行使せず承認した。吉村市長は11月24日、「自動執行を待たずに積極的に承認するのは積極的に『慰安婦』像を世界に見せたいということだろう」とした。 姉妹都市締結は1957年。これまで両市の市長や職員らの相互訪問や、着付け教室など日本文化紹介、サンフランシスコ市名物のケーブルカーの修復、高校生の交換留学など友好を深めてきた。 大阪市は「サンフランシスコ市は大阪市初の姉妹都市で全国有数の友好の歴史がある。(解消は)残念です」(経済戦略局立地交流推進部)と愕然とする。◆解消は市長の専決事項か 最近では鳥取県境港市が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核実験強行を理由に06年に元山(ウォンサン)市との友好都市を解消した例があるが、そもそも姉妹都市の締結や解消を市長の一存で決めることができるのか。同推進部によると、市長の専決事項ではないが地方自治法では議会での決議が必要とはされていない。条例で議決を定めている自治体もあるが大阪市にはなく慣例的に市長が締結や解消の意向を市議会の各派幹事長会に諮(はか)ってきた。今回、自民・市民クラブと公明両党の両市議団は11月22日、両幹事長名で吉村市長に、「慰安婦像」や碑文の設置、「慰安婦の日」制定には反対とした上で、「本来は日米間の問題ではなく日本と中国・韓国の問題」「60年の歴史を重く受け止め姉妹都市解消ではなく交流を進め対話を通した解決を」などの趣旨を申し入れた。公明党の土岐恭生(ときやすお)幹事長は「自治体交流に国の政治を持ち込むのはどうか。こういう時こそ、姉妹都市交流が生きるのでは。議会としても、正式に市長が伝える前に、アクションを起こしたい」と話す。 姉妹都市の解消で今後、両市長や両市議会代表団の訪問などの交流はなくなる。同市長は民間交流について「補助金は支出しない」と突き放した。 高校生アンバサダー(親善大使)のホームステイなどの民間交流を進めてきた「大阪・サンフランシスコユースコネクト」の久保井亮一代表(71歳)は「子どもたちが交流していれば将来、きっと解決できるはず。市長がばあっと決めてしまうと市の教育委員会も萎縮し、高校がアンバサダーの生徒さんを出してくれなくなる。そういう精神面が大きい」と憂える。 大阪市との姉妹都市締結はサンフランシスコ講和条約(1951年)からまだ6年目のことだ。吉村市長の眼中には、戦争の恩讐を超えて築いた日米友好の歴史は存在しないのだろうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・あわのまさお・ジヤーナリスト。2017年12月8日 「週刊金曜日」 1164号 30ページ 「60年の交流の歴史が消える」から引用 この記事で公明党の土岐幹事長が発言しているように、慰安婦像の碑文に過大な表現があってそれが問題だというのであれば、そういう問題を話し合うためにも「姉妹都市」という関係を維持して人間関係のパイプを太くしていくべきであって、本来政府を通して申し入れるような大きな問題を、市長が言っても見向きもしてくれなかったからと言って「じゃあ断絶だ」というのは、あまりにもお粗末な対応というものではないかと思います。
2017年12月11日
サンフランシスコ市が市民団体からの「慰安婦像」寄贈を受け入れたのが気に入らないからとの理由で、大阪市は姉妹都市を解消することになったと、11月23日の毎日新聞が報道している; 【ロサンゼルス長野宏美】米サンフランシスコ市のエドウィン・リー市長は22日、市民団体が市内に建てた旧日本軍の従軍慰安婦を象徴する像の寄贈の受け入れを承認した。像は市有物となる。 これを受け、サンフランシスコ市と姉妹都市である大阪市の吉村洋文市長は「サンフランシスコ市の意思として慰安婦像の受け入れを確定させることになったのは、大変遺憾だ」とのコメントを発表した。その上で、両市の信頼関係はなくなったとして、姉妹都市解消の手続きに入り、12月中に完了させる意向を表明した。 安倍晋三首相も21日の衆院本会議の代表質問で、リー市長に対し、像の受け入れを拒否するよう政府として申し入れたことを明らかにしていた。 サンフランシスコ市議会は14日、全会一致で像の受け入れを決議。リー市長は10日以内に拒否権の行使が可能だった。像は中国系の民間団体が主導し、9月に民有地に設置され、10月に土地が市に寄贈された。 米国で公有地に慰安婦像が設置されるのは米西部カリフォルニア州グレンデール市と南部ジョージア州ブルックヘブン市に続き3例目。 2017年11月23日 毎日新聞インターネット版 「大阪市 姉妹都市解消へ 米SF市の慰安婦像問題で」から引用https://mainichi.jp/articles/20171124/k00/00m/030/008000c 60年もの長い歴史をもつ姉妹都市提携を、「慰安婦像」問題に目くじらを立てて解消するというのは、大人げない態度で、サンフランシスコ市長も「理解できない態度だ」と思っていることでしょう。サンフランシスコの市民団体が「慰安婦像」の設置を考えた目的は、悲惨な人権蹂躙を二度と繰り返さないためであって、その目的はサンフランシスコ市民に限らず、日本人を含む世界のどの国の市民も同じ価値観をもっているはずです。そういう理想を求める像の設置に抗議するとか、設置したからには姉妹都市解消だ、というのはどう考えても、大阪市は「慰安婦は史実ではない」と主張していることになり、これはわが国政府の考えとも異なります。大阪市の軽挙妄動については、メディアはその責任を追及するべきです。
2017年12月10日
11月8日未明のNHKラジオの番組について、元放送記者の藤田文知氏は「しんぶん赤旗」のコラムに次のように書いている; NHK「ラジオ深夜便」は8日未明、「今こそ”人を赦(ゆる)す”から学ぶ」と題し、中国北東部の撫順(ぶじゅん)戦犯管理所について、岩手・滝沢市の元教員、小野寺武男さん(73)が約40分間インタビューに答えました。インタビュアーは、NHK盛岡放送局の三好正人アナウンサー。非常に感動的な中身でした。 同放送によると、撫順に第2次世界大戦後、1000人近い日本兵が収容された戦犯管理所がありました。そこで戦犯容疑者は、十分な食事や手厚い看護など人道的な扱いを受ける一方、殺人など戦争中の残虐行為を反省し、罪を自ら告白するよう求められました。これは、日本との関係改善を模索していた当時の周恩来首相の指示とされています。 小野寺さんは、仲間の勉強会で撫順戦犯管理所の存在を知り、帰国した元戦犯から真実を聞きだしたほか、撫順にも出向いて、関係者から当時の状況を聞きだしました。 先の戦争で日本は多くの中国人を虐殺。管理所の中国人職員の中には家族を日本兵に殺された人がいましたが、6年後の軍事裁判で死刑になった日本兵は一人もいなかったとのことです。報復ではなく、赦すことで平和の道を模索したこの出来事は後に「撫順の奇跡」といわれています。 小野寺さんに証言した元戦犯は、「二度と戦争を繰り返さないために、力で解決しなくても、相手をよく理解し話し合い、どうすればいいかという道は必ずあるはずだ。そういう指導は極めて大事なことだ」と語っています。放送は、「この精神こそ今の時代にも共通するもの」という基調が流れていました。 戦犯は日本に帰国する際、管理所の人から朝顔のタネをもらい、「今度中国に来るときは、銃ではなく、花を持って訪ねてください」と言われたそうです。小野寺さんは、「タネが、日本全国で花を咲かせている」と語っていました。(ふじた・ふみとも=元放送記者)2017年11月26日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-戦犯赦(ゆる)した『撫順(ぶじゅん)の奇跡』」から引用 中国共産党が中華人民共和国の樹立を宣言してからの20数年間は、日本軍に侵略され破壊された国土と社会を再建するために大変な苦労を強いられた期間でしたが、そういう困難の中にあっても、将来の中国が日本を含む周辺諸国と良好な関係を構築する必要がある、そのためには今何をしなければならないのか、という問いに正しい回答を示して撫順市民をそういう方向に導いた周恩来という政治家は、中国のためだけではなく、東アジアにとって偉大な人物であったと言えます。私たちは、このような偉大な先人の期待に応えて「平和な東アジア」のために何が必要か、次世代に示し引き継いで行く責任があると思います。
2017年12月09日
自衛隊に米軍海兵隊のような部隊をつくるというニュースに関連して、法政大学教授の山口二郎氏は3日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 先週、久しぶりに沖縄に行って学者や新聞記者の友人から沖縄の現状について話を聞いた。中でも衝撃を受けたのは、集団的自衛権行使の体制は沖縄で着々と準備されているということだった。 10月31日の朝日新聞に、自衛隊が海兵隊のような部隊を創設という記事が載った。このことの重要性を沖縄の人々から教えられたわけである。米海兵隊は、万一戦端が開かれた場合、沖縄が中国や朝鮮半島から近すぎるという理由で、グアムなどに撤退する計画を立てている。米軍が引いた後の空白を埋めるために、自衛隊に海兵隊のような部隊、水陸機動団を設置し、米軍基地に駐屯させる。辺野古の新基地も自衛隊が使うことになるのではないかと地元の人々は予想している。 水陸機動団は有事の際の離島奪還を行う水陸両用作戦の実施部隊である。日本の領土を守る、あるいは奪還するための部隊だから自衛のための組織と一応は亭えるのだろうが、装備や訓練では米軍と一体化しており、集団的自衛権行使の実際の担い手になる。琉球大学の島袋純教授は、水陸機動団が米軍の指揮で動き、日本の憲法を超えた行動をとる危険性があると指摘する。 安保法制は違憲だと議論する段階は過ぎ、立憲主義が沖縄から崩壊する危機を防ぐため、実体的な防衛政策の議論をしなければならない。(法政大教授)2017年12月3日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-沖縄と立憲主義」から引用 日本の米軍基地の大半が沖縄に存在することについて、それは台湾有事に備えて当然のことだというようなコメントが当ブログに書かれたことがあったような気がするが、上の記事によると「中国や朝鮮半島」が有事になった場合は沖縄は近すぎるから、基地として役に立たないのでグアム島に移設するというのが米軍当局の考え方のようです。したがって「台湾有事に備えて、米軍基地は沖縄に」というのは、何の根拠もないデマだったということです。また、米軍が引いた後が空白になるのはマズイという考えも、これは変な話で、米海兵隊が沖縄からグアムに移転するのは、沖縄にいれば攻撃されやすいからなのだから、その海兵隊がいなくなれば、誰も沖縄の基地を攻撃する理由がなくなるわけです。そこにわざわざ米海兵隊の代替物としての水陸機動団を駐留させたのでは、無駄に危機的状況を作り出す愚かな政策になるのではないかと思います。
2017年12月08日
日本の政治にとって2017年はどのような年であったか、東京大学教授の宇野重規氏は3日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 2017年もいよいよ最後の月である。この一年を振り返り、日本政治にとっての意味を考えてみたい。16年、世界を揺さぶったのは、国民投票による英国の欧州連合離脱(プレグジツト)と、米国におけるトランプ現象であった。これらはいずれも、グローバル経済によってダメージを受けた人々による異議申し立てであり、既成政治のあり方を揺さぶるポピュリズムの動きであるとされた。そうだとすれば、17年の課題は、あらためて政党政治を立て直し、民主政治を安定化させることにあったといえる。 そのような見地に立つとき、17年の日本政治において、進展は見られたのだろうか。正直なところ、高い評価を与えることは難しい。 今年の日本政治を振り返るとき、7月の東京都議会選挙と、10月の衆議院選挙に触れないわけにはいかないだろう。そして小池百合子東京都知事率いる都民ファーストの会が躍進した都議選と、勢いに乗った小池知事が希望の党を立ち上げたものの、むしろ野党の分裂と与党の圧勝をもたらした衆院選の対比が、いやでも思い起こされる。 ある意味で小池劇場に振り回された一年であり、その結果は、国民の政治に対する熱のさらなる低下であったといえる。既成政治のあり方に対する不満は募るものの、結局、その行き先は見えてこない。いろいろ新たな動きはあったものの、それらが何に異議申し立てをしたのかさえわからないのが現状である。 17年の日本政治の混迷の背景にあったのは、東アジア情勢の変化である。2月のマレーシアにおける北朝鮮の金正男(キムジョンナム)氏暗殺事件は、その暗い予兆を告げるものであった。金正恩(キムジョンウン)体制下の北朝鮮はミサイル発射を繰り返し、トランプ政権の米国と一触即発の状態に陥った。韓国では朴槿恵(パククネ)大統領が罷免され、文在寅(ムンジェイン)大統領が就任したが、強権支配を強める習近平(しゅうきんペい)政権の中国ともども、東アジア安全保障の不確定要因となっている。 このような東アジア情勢を見るとき、日本の国内政治については、ともかくも現状維持を望む国民世論が強まったとしても無理はない。麻生太郎副総理兼財務相による「(衆院選における自民党の勝利は)北朝鮮のおかげ」という発言が飛び出したのも、与党の勝利が自らの政策の充実によるものではないという自覚の表れともいえる。 ある意味で、内部的な流動性を、対外的緊張によって何とか抑え込んだというのが、17年の日本政治ということができる。そして、ある意味で「半熟卵」にも例えられるべき日本政治において、森友・加計問題がいつまでたっても腐敗臭のように漂い続けていることが、何とも言えない不快感の原因となっている。 とはいえ、東アジアの国際情勢が急激に改善されることが期待できない以上、卵の中身である国内政治を腐敗させたり、まして中身を外に流出させたりする事態は何としても防がなければならない。国内政治における不満が排外主義に火をつけ、対外的な冒険主義のきっかけになる可能性はつねに潜在している。 政党政治の立て直しと民主政治の安定化という宿題は、来年に持ち越しになりそうである。残念な締めくくりだが、致し方ない。(東大教授)2017年12月3日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-『半熟卵』の日本政治」から引用 この記事では日本の政治が小池劇場に振り回されたと言っており、それは否定しがたいことと思います。昨年の新潟県知事選挙の前後から、共産党は民進党や社民党、自由党を間に挟んではいるものの市民団体と連携して自公政権に対向する有力な勢力を作り上げてきておりました。この戦略が全国規模で実現すれば私たちの社会は大きく変貌する機会であっただけに、選挙の直前に民進党が割れてしまったのは残念なことでした。しかし、共産党のこの戦略は今後も継続可能な状況ですから、次に向けての準備が大切と思います。この記事では、国際情勢に不安定要素あるために、有権者が現状維持を選択したかのように書いてますが、実際には投票率が50%台だったわけで、残りの50%が野党に投票したのが「民主党政権誕生」に繋がったことを考えれば、無関心層を如何にして投票所に向かわせるかが、今後の課題になると思います。
2017年12月07日

ノーム・チョムスキー著「アメリカンドリームの終わり」(デイスカヴアー・トゥエンティワン刊)について、慶應義塾大学教授の渡辺靖氏は11月19日の東京新聞に、次のように書評を書いている; 本書は現代米国を代表する左派論客ノーム・チョムスキーの長篇語りおろし。御年88歳の現在も、その舌鋒(ぜっぽう)は衰えを知らず、むしろさらに研ぎ澄まされてきた感さえある。 著者曰(いわ)く、米国は民主主義国家ではあるが、建国当時からすでにエリート層の間では一般民衆の政治参加に対する懸念や警戒が存在していた。 それが1970年代以降、金融資本主義が席巻するにつれ、エリート層の支配欲はより剥(む)き出しとなり、政治を私物化し、民衆を無力化した。 富裕層のみを相手にする「プルトノミー」(金持ち経済圏)というビジネス用語さえ飛び交う昨今、アメリカン・ドリームは風前の灯(ともしぴ)と化している。 そして、皮肉なことに、民衆の怒りや憎しみは標的を誤り、「自分たちの利益を傷つけるような政治家たちを支持する」結果になっているという。トランプ現象の逆説を言い得て妙だ。 もっとも著者の米国批判をもって、海外の読者が自国礼賛の口実とすることには留意が必要だろう。 例えば、著者は「反米的」という表現が米国内で跋扈(ばっこ)している現状に対して、それが全体主義国家や軍事独裁政権など、異論を認めない醜悪な国家の特徴だと批判する。 「わたしの知る限り、民主主義国家において、そんな言い方が嘲(あざけ)りの象徴になるのは、おそらくアメリカだけでしょう」と彼は危倶する。 しかし、日本はどうだろうか。「反日的」という不寛容なレッテル張りが横行しているのではないか。 著者は「若者を教化・洗脳する」「負担は民衆に負わせる」「合意を捏造(ねつぞう)する」など、米国の民主主義を蝕(むしば)んできた10の行動原理を詳述する。 いずれも、程度の差こそあれ、日本にも当てはまる傾向でありながら、これまであまり言語化されてこなかった重要な視点である。米国に溜飲(りゅういん)を下げるためではなく、日本社会の自戒のための糧として本書を薦めたい。(評者渡辺靖=慶應義塾大教授)ノーム・チョムスキー著「アメリカンドリームの終わり」(寺島隆吉・寺島美紀子訳、デイスカヴアー・トゥ工ンティワン・1944円)Noam Chomsky 1928年生まれ。米国の政治哲学者。著書『人類の未来』など。2017年11月19日 東京新聞朝刊 9ページ「読む人-民主主義を蝕むエリート」から引用 この記事から推測するアメリカ社会は現在の日本とよく似ていると思いました。金融資本主義が猛威を振るうアメリカで見捨てられたラストベルトの労働者たちは、ドナルド・トランプ大統領の政策によって生活が改善される見込みなどまったく無いのに、熱狂的に支持する様子は、日本の若い有権者層が安倍政権を支持する姿とよく似ています。少し前の就職氷河期に比べれば、安倍政権の政策によって有効求人倍率が好転した「実績」が、彼らをして安倍政権を支持させているとのことですが、その内実は、非正規雇用の増大、残業月100時間の容認、残業代不払いの合法化など、労働者に不利な政策が次々と準備されている。私たちは、うわべだけで物事を判断せず、その本質を見極める態度を養う必要があると思います。 また、気に入らない言説に対して「反米的」のレッテルを貼るというのも、日米でよく似た現象です。気に入らない言説に「反日」のレッテルを貼りたがる人たちは、容易にファシズムに取り込まれるタイプの人たちなのだろうと思います。
2017年12月06日
中国では南京事件を記念する日を制定したが、その目的は悲惨な事件を二度と起こさない平和な社会を実現するためであること、戦争の歴史を正しく認識し抗日映画のような単なる娯楽とせずに、平和実現へ意識を誘導する努力が必要であるというような報告もあったと、南京事件80周年シンポジウムに出席した笠原十九司氏が報告している; (5)南京事件とアメリカ社会 楊夏鳴・江蘇行政学院教授が、得意の英語力を駆使して、アメリカの史料を渉猟して分析した「日本軍の南京暴行とアメリカの日本商品排斥運動」は、私の報告で述べた日本の海軍航空隊による南京爆撃の惨状がアメリカで報道されたことに始まり、欧米の記者による南京事件の報道がアメリカ国民に大きな衝撃をあたえ、さらに南京事件の渦中にいたアメリカ人宣教師ジョージ・フィッチが帰国して講演活動をしたり、南京安全区国際委員会のアメリカ人宣教師たちが本国へ手紙を送ったりしたことなどにより、南京事件の実相が広く報道されて、アメリカ市民の義憤を喚起し、日本商品ボイコット運動が展開されるようになった経緯を整理、さらに同運動の直接、間接の効果をアメリカの文献を引用しながらまとめた報告である。 香港大学博士の肩書をもつ張平凡氏は、アメリカ生まれの中国系アメリカ人作家哈金の英文小説『南京のレクイエム』(2011年)と同じく中国系アメリカ人の林永特の英文詩集『南京大虐殺詩抄』(2013年)を取り上げて、南京大虐殺のトラウマと記憶を共有する華人のアイデンティティを分析した報告をおこなった。 (6)日本占領下の南京社会 日本占領下の南京社会についての報告が二つあり、一つは南京事件後、日本は中支那派遣軍の工作により中華民国維新政府を設立し、小学校・中学校・職業教育学校を復活させるが、中国人にとって「奴隷化教育」と評価される学校教育の実態を紹介した。もう一つの報告は、日本軍が南京の社会秩序を安定させるために、南京特務機関がおこなつた医療「宣撫」と傀儡(かいらい)政府をつうじて実施させた衛生行政体制についてその実態を紹介した。 (7)新史料の発掘 陳希亮南京図書館研究員は、杭州で発行され、中国の東南沿岸部の多くの省と日本軍の占領地域で強い影響力をもった国民党の公式メディアであった『東南日報』の南京大虐殺報道を史料として発掘する重要性と批判的検討の必要性を報告した。経盛鴻南京師範大学教授は、「中国刊行物で最も早期に南京大虐殺について発表したニュース評論」と題して、『武漢日報』(1937年12月25日)と『大公報(漢口版)』(1937年12月28日)の評論記事について論じた。◆南京を世界に平和を発信する平和都市へ 中国側の報告のなかで注目されたのは、南京大学平和学研究所所長の劉成教授の「平和学の視点における南京の国際的な平和都市を作り上げるための思考」と題する報告であった。 2016年12月、国際連合総会において平和に生きる権利をすべての人に認める「平和への権利宣言」が採択された。国家が関与する戦争や紛争にたいして、個人が「人権侵害」であると反対できる根拠となる宣言で、日本国憲法の理念が反映されたものであった。中国は賛成したが、日本はアメリカとイギリスとともに反対した。 劉成教授の報告は、国連の「平和への権利宣言」に積極的に対応して、南京が中国において最初となる「国際平和都市」宣言をおこない、全世界の166の都市が加盟している「国際平和都市連盟」の一員となろうという提言であった。それは、スペイン内戦時代にドイツ空軍の爆撃にさらされたゲルニカや第二次世界大戦時にドイツ空軍の爆撃で破壊されたイギリスのコヴエントリー、さらに世界で最初に原爆を投下された日本の広島などの先進的な平和都市建設に学びながら、南京も国際平和都市宣言をおこない、戦争被害遺跡の保存をおこなうとともに、平和教育を重視し、世界へ向けて平和思想と運動を発信していこうという積極的な提言であった。 南京市社会科学院文化研究所副所長の付啓元研究員の「国家公祭、平和文化と平和都市イメージの伝播(でんぱ)」と題する報告は、以下のように具体的に国際平和都市南京の建設を提言したものであった。 2014年から中国は12月13日を南京大虐殺の犠牲者を追悼するための国家記念日に定めたが、それは南京大虐殺および日本の中国侵略戦争において殺戮された犠牲者を追悼するとともに、中国人民が侵略戦争に反対し、人類の尊厳を守り、世界平和を維持する立場を世界に表明するためであった。前述のように2005年に国連で1月27日を「国際ホロコースト記念日」とする決議を採択したが、ドイツでは毎年1月27日に官庁は半旗を掲げ、ドイツ連邦議会ではナチドイツに殺戮された犠牲者を追悼する行事をおこなつているのと同じ趣旨である。日本でも8月6日に広島で8月9日に長崎で、首相や衆参両院議長らが参列して原爆の被害者を追悼し、世界に非核と平和を訴える記念行事を行っている。南京も広島や長崎と同じように、戦争犠牲者を追悼するとともに、再び戦争の悲劇を繰りかえさないための世界へ平和の実現を訴えていく必要がある。それには、国際平和都市南京を建設する計画を推進し、南京に平和施設、平和舞台を建設し、平和学研究を発展させ、各国との平和外交を進め、平和文化を世界に広めていくことが必要である、などという積極的な提言をおこなった。◆歴史の「恨み」を人類和解の平和思想へ 報告のなかで最も注目したのは、江蘇省社会科学院の李昕副研究員(哲学専門)の「感情と記憶-南京大虐殺についての歴史教育における感情誘導」と題する報告であった。それは、南京大虐殺記念館を見学した多くの中国人の感想が、日本軍あるいは日本人にたいして「恨み」の感情を抱いたというものであるが、そうした素朴な「恨み」の記憶と感情を歴史教育においてどう理性的なものに誘導すべきかについて、課題を提起したものである。生物学上、人間の「恨み」の記憶は「怒り」「反抗」の感情を誘発し、抗議行動や抵抗運動の原点になるポジティブな性格があるいっぼう、「報復」「復讐」の感情を誘発し、権力者によって敵対的、排他的なナショナリズムの煽動に利用されるというネガティブな性格をもっている。これからの中国の歴史教育に求められるのは、南京大虐殺の記憶にともなう「恨み」の感情を理性化して、正しい歴史観、世界観を確立し、人類が再びそのような残虐行為を起こさないように、平和を守る目標にむかって努力するような意識に誘導することである、と課題を述べて報告が結ばれた。 日本のメディアは、中国の愛国主義教育、歴史教育においては南京大虐殺の残虐性を強調あるいは誇張して教え、中国の若者にことさら「反日感情」「反日意識」を抱かせるように教育し、その結果、「反日デモ」「反日暴動」が惹起されたかのように報道してきたが、李昕氏の報告は、現在の中国の歴史教育にたいして、「恨み」の感情記憶を人類史的視点から理性化する課題を提起しているのである。 南京で開催された国際シンポの参加記の本稿を終わるにあたって、上海で出版されている『社会科学報』(2015年6月)に掲載された、王暁華深訓大学教授の「抗日詩歌における悲しみと愛」と題した、戦後の中国人に日本兵ひいては日本人にたいする「恨み」の感情記憶を喚起させる役割をはたした戦争文芸を批判した一文を、少し長くなるが紹介したい。戦争文芸に限らず、現在の中国の映画やテレビ番組などで、広く放映されている抗日映画、抗日ドラマなどについてもあてはまる批判である。上記に紹介した李昕氏の報告をさらに深めて、「恨み」を人類愛に昇華させようという思考が公表されるようになった中国社会に注目し、歓迎したいからである。 敵もまた人である。侵入者になった瞬間、彼らは確かに最初の罪を犯したことになり、相応の懲罰を受けなければならない。しかし、これによって、彼らがモノに変質したわけではない。人類の一員として、彼らもまた、同じように暴力の犠牲になったのだ。彼らの苦しみは、人類が感じるものであり、彼らの壊滅は人類の損失である。そうした観点で、盛んに放映されている神がかり的な抗日ドラマを見ると、真の欠点が簡単にわかる。ワンパターンばかりといったことではない。そこに、人道主義精神がないことだ。こうした作品では、敵は、モノや野獣に単純化される。生きている人間らしさはなくなっている。大体が、どいつもこいつも愚かで、できそこないで、滑稽で、お決まりの滅亡の運命を迎えるしかない。こんな類いのものを広めれば、一部の視聴者の笑いは取れよう。しかし、人類の究極的な贖罪の道を塞いでしまうかもしれない。 民族を越えた悲しみや愛を広め、育てることだけが、第二次世界大戦のような悲劇の再発を防げる。さもなければ、人類が悪循環から脱するのは難しいだろう。もし人類が和解の道を見つけ出そうとするなら、キーワードは必ずや愛になる。愛と恨みはいずれも増やしていけるが、その結果は正反対になる。真に過去を振り返る精神を備えた戦争文芸は、恨みの論理を超越し、災禍をなくそうとする正しい道を求めなくてはならない。 結局のところ、我々が抵抗するのは、特定の個体ではなく、人間性の中に潜む悪なのだ。闘争を避けるすべは、永遠にないのかもしれない。だが、必ず、人類愛の方が優位になくてはならない。この角度からすれば、恨みを広めるだけの抗戦文芸は、もうおしまいにしてもいい。(注2) 笠原十九司「慮溝橋事件80年・南京事件80年にあたり、海軍の日中戦争責任と問う」(『季論21』第38号、2017年秋季号、本の泉社)は、私の報告とほぼ重なる内容なので、参照されたい。(かさはら・とくし)月刊「世界」 2017年12月号 「南京事件80周年国際シンポジウムに参加して」147~150ページから引用 「民族を越えた悲しみや愛を広め、育てることだけが、第二次世界大戦のような悲劇の再発を防げる」という考えは、素晴らしいと思います。アヘン戦争でイギリス帝国主義に敗北して以来、低迷を続けた中国が、ここに来てようやく本来の大国としての「自信」を取り戻しつつある様子を垣間見たような気がしました。
2017年12月05日
南京事件80周年国際シンポジウムに参加した笠原十九司氏は、一般演題として発表された50本の報告をテーマによって7種類に分類して、次のように述べている; 国際シンポでは全体会での前述の2つの主報告の後、2つの分科会に分かれて、終日、報告と活発な討論をおこなつたが、報告は2つの主報告を除いて、50本もあったので、内容は多岐にわたった。シンポジウムの中国語は「学術研討会」すなわち学術研究の討論会であるように、南京事件の史実を国際的視点から多面的に究明したものであった。南京で開催される南京事件80周年のシンポジウムと聞けば、日本人の多くは、中国側から「南京大虐殺30万人説」の承認を強要し、日本軍の残虐行為や暴力行為を激しく糾弾するような内容の報告のオンパレードであったにちがいないと想像すると思われるが、そのような報告は皆無であり、きわめて学術的で興味深い報告がつづき、多くの学問的刺激を受けた。 これらの50本の報告を網羅して紹介することはできないが、報告の内容を対象、視点、問題意識などから大まかに分類して整理できるものについては、その趣旨だけでも簡単に紹介してみたい。 (1)理論的枠組み 王衛星「南京大虐殺の地域と開始時期についての再検討」の報告では、南京大虐殺の地域範囲について、私も主張している「南京行政区域説」にたいして、南京警備隊の周辺防衛圏とすべきだと主張、その防衛ラインにある句容の日本軍攻略(12月5日)をもって南京大虐殺の開始とすべきだとした。孫宅巍「南京防衛戦が南京大虐殺に与えた影響を論ずる」は、南京大虐殺記念館の「南京大虐殺は日本軍が南京城を占領した12月13日から開始された」という表示に異議をとなえ、日本軍が句容の南京防衛軍の陣地を突破した12月5日から南京大虐殺は開始されたと主張した。さらに、南京防衛戦における中国軍の激しい抵抗が日本軍に報復としての虐殺行為を生じさせ、南京防衛軍の撤退作戦の失敗により残留させられた中国軍が集団虐殺されたこと、軍人が軍服を脱いで民間人の中に潜入したために、中国人の青壮年が元兵士と見なされて、日本軍の敗残兵狩りによって殺戮されたことなど、中国軍の南京防衛戦の作戦指導の誤りが、南京大虐殺に影響を与えたことを明らかにした。拙著『南京事件』(岩波新書、1997年)に詳述したことであるが、中国の研究者からも、このような実証的研究が報告されるようになったのである。 (2)日本軍の分析 日本軍がなぜ南京事件を引き起こしたのか、南京を占領した日本軍部隊の戦闘詳報や高級指揮官の陣中日誌から、「捕虜を残さない」という「掃討作戦命令」が中国軍の捕虜、敗残兵、投降兵の大量虐殺の原因となったことを解明した報告があった。さらに津田道夫『南京大虐殺と日本人の精神構造』(社会評論社、1995年)から日本軍将兵の残忍性を研究した報告や、天皇の軍隊として、服従、凶暴、残忍を兼ね備えた兵士にするための日本軍の軍国主義教育を論じた報告もあった。いっぼうでは、不拡大派の石原莞爾らが南京攻略戦に反対して制定した「制令線」がなぜ現地軍に守られなかったのか、について分析した報告もあった。 (3)日本人の戦争観 明治維新以降、自由民権運動もあった日本であるが、日清・日露戟争で日本が勝利して以降、現人神としての天皇信仰が作り上げられ、日本の侵略戦争を推進する精神的原動力なったという報告があった。さらに中国の学界から観察する「日本人の目から見た南京大虐殺」という問題関心で、日本における南京大虐殺論争史の紹介と、日本の歴史教科書のなかの南京事件の記述の変遷を整理した報告もあった。なお、拙著『南京事件論争史』(平凡社新書、2007年)は、中国でも翻訳書が、羅萃萃・陳慶発・張連紅訳『南京事件論争史』(社会科学文献出版社、2011年)として出版されている。戦時から戦後における日本人の戦争観の変遷を整理し、現在歴史修正主義者の安倍政権のもと、南京事件否定派が跋扈(ばっこ)し日本国民の戦争責任感が変化していることを分析した報告もあった。 (4)南京事件当時、南京に滞在した外国人の活躍 日本軍の攻撃と占領下の南京にとどまって市民や難民の救済に奔走した外国人について、あまり資料がなかったことから、拙著『南京難民区の百日-虐殺を見た外国人』(岩波現代文庫、2005年)(李広廉・王志君訳『難民区百日』南京師範大学出版社、2005年、として中国でも翻訳出版)では詳しく言及できなかった外国人の活動について、国際シンポでは何本かの報告が集まった。中国ではそれだけ、外国資料の収集が進み、研究が広がっていることの証左である。 張連紅南京師範大学教授が、オーストリア人のエンジニアのルパート・ハッツ(Rupert R.Hatz)について、張生南京大学数授がドイツ人で上海保険会社の南京支店長で、南京安全区国際委員会の委員となり、日本軍の暴行にたいして体をはって阻止し、難民区の「警察委員」といわれたエドワルト・スペルリング(Eduard Sperling)について、ドイツのジョン・ラーベ交流センターの北京駐在員事務所代表の姜玉春氏が、ドイツ人で南京安全区国際委員会の財務主管を務めた礼和洋行のクリスチャン・クレーガー(Christian Kroeger)について、戴袁支・中国青年報社上級記者が、アメリカ人宣教師で南京郊外の棲霞山セメント工場の敷地に難民キャンプを開設したシンパーグ(Sindberg)について、それぞれ報告した。 南京安全区国際委員会の委員長を務め、難民救済に奔走したドイツのジーメンス社南京支社の支配人のジョン・ラーベは映画にもなり、日記も出版されて比較的知られているが、楊善友南京大学ラーベ記念館主任が、ラーベ日記から見た南京事件の実相を報告した。月刊「世界」 2017年12月号 「南京事件80周年国際シンポジウムに参加して」145~147ページから一部を引用 この記事を読むと、素人の私でも中国の歴史研究のレベルは中々のもので、「どうせ30万人説の承認を迫ってくるだろう」というような偏見や予断は訂正(または修正)するべき時代に入ったことが分かるような気がします。また、日本軍による大量虐殺を引き起こした要因の一つとして中国軍の作戦指導の誤りを指摘するという姿勢は、学問としてのレベルの高さを象徴しているように思います。7分類のうちの、5,6,7は、明日のページに引用します。
2017年12月04日
昨日の欄に引用した「南京事件80周年国際シンポジウム」の記事の続きは、基調報告を行なった笠原氏の講演に対し、中国側からは2つの報告があったと伝えている; 日本海軍航空隊の南京爆撃についての私の報告にたいして、中国の研究者からもこれに対応する2つの報告があった。1つは袁志秀「1937年の南京航空戦において犠牲になった中国空軍将兵に関する考察」と題する、南京大虐殺記念館の保管研究所副所長の報告である。報告の前半は「日本軍の南京爆撃」と題して、私の報告と重なるが、1937年8月15日の渡洋爆撃に始まる海軍航空隊の南京爆撃について、12月6日までの経緯をまとめたものである。後半が、「中国空軍の南京防衛戦」と題して、日本海軍機を迎撃した中国空軍機の戦闘の経緯を整理したものである。11月にソ連の志願航空隊の戦闘機大隊23機が南京に到着し、日本海軍機と空中戦を展開したと述べた。ついで、中国空軍の南京防衛戦で日本海軍機と空中戦を展開して犠牲になった操縦士や飛行中の事故で殉職した操縦士や搭乗員27名の名前と簡単な略歴を紹介し、最後に南京の空中戦において「中国空軍精神」を発揮した勇士として称えると結んだ。 中国において、大分以前から共産党軍、国民党軍という呼称の区別をやめ、両軍をふくめた「中国軍」という呼称を使うのが一般的になり、中国共産党中心の抗日戦争史観では評価されなかった国民党軍(国民政府軍)の戦闘を歴史事実に照らして顕彰することが広く定着したことが、この報告からもうかがえた。 もう一つは、盧彦名「中ソ提携の観点からの南京抗戦と南京大虐殺」と題する南京大虐殺記念館館員の報告である。ソ連は、1937年8月20日に中ソ不可侵条約を締結し、ソ連を仮想敵にした日本軍の北進政策、具体的には満州を基地にソ連領土への侵攻を企てている関東軍の脅威からソ連を守るため、中国の抗日戟を積極的に支援した。ソ連は日本海軍航空隊の南京空爆に対抗して、ソ連製の爆撃機と戦闘機ならびにソ連兵の志願航空部隊を派遣し、日本海軍の南京空襲部隊と空中戦を展開させた。志願航空隊といっても実質はソ連政府が派遣した空軍部隊であったが、日本からのクレームを躱(かわ)すために、ボランティアの部隊であると称したのである。 ソ連政府は、9月15日からソ連機の中国への搬送を開始し、南京事件がほぼ終息した38年3月1日までに航空機282機を中国に搬送して、中国空軍の対日抗戦を支援したのである。11月21日には、南京の航空基地を飛び立ったソ連志願航空隊の第一大隊のE-16型戦闘機7機が20機の日本軍機と空中戦を展開、九六式戦闘機2機、九六式攻撃機1機を撃墜し、南京空中戦での初勝利をあげた。以後、ソ連の志願航空隊と中国空軍は協力して、南京が陥落するまで数次にわたり日本海軍航空隊と空中戦を展開、20機を撃墜するという戦果をあげた。 余談になるが、私は数年前、南京城壁の東にそびえる紫金山の北山麓にある広大な国際抗日航空烈士公園を訪ね、公園の中にある南京抗日航空烈士紀念館を参観したことがある。同館には、日本の海軍航空隊、陸軍航空兵団と戦闘して犠牲になったソ連人やアメリカ人などのパイロットの功績が展示されている。 盧彦名報告はつづいて、ソ連共産党中央委員会の日刊機関紙「プラウダ(中国語は真理報)」が、日本海軍航空隊の南京空襲の被害の実態や日本軍の南京大虐殺の惨状、さらに日本軍の2人の将校による「百人斬り競争」についても報道し、1938年1月30日の「プラウダ」は「日本軍の中国における暴行」と題する長編の特集記事を組み、南京大虐殺の惨状を世界に知らせたと述べ、これらのソ連のメディアの報道は中国軍民の抗日戦争を国際的に支援するものであったと結論した。月刊「世界」 2017年12月号 「南京事件80周年国際シンポジウムに参加して」144~145ページから一部を引用 中国では共産党と国民党がそれぞれに軍隊を組織して内戦を戦ったという経緯があり、かつては歴史研究に於いても、共産党軍と国民党軍を明確に区別していたものであったが、今日の大局的な立場からは、そのような詳細に拘ることは学問的にあまり意味がないということで「中国軍」という呼称に統一したというのは、一つの進歩というものではないかと思います。
2017年12月03日
11月29日の欄に引用した「前衛」12月号の記事の続きは、笠原氏自身が同シンポジウムで報告した内容について、次のように紹介している; 私の報告は、「日本海軍航空隊の南京爆撃とパナイ号事件」と題して、私の3つの著書、『日中全面戦争と海軍-バナイ号事件の真相』(青木書店、1997年)と『海軍の日中戦争-アジア太平洋への自滅のシナリオ』(平凡社、2015年)および『日中戦争全史(上・下)』(高文研、2017年)にもとづいて、日本の歴史研究者ではこれまで私以外には究明してこなかった、日中戦争を全面化し、戦時国際法に反して、宣戦布告をせずに中国の首都南京を爆撃し、世界戦史上最初となった長期的かつ大規模な南京空爆作戦を敢行した海軍の戦争責任を問うたものである。(注2)報告の概要は以下のとおりである。 日中戦争についての歴史書の多くは、1937年の盧溝橋事件によって「日中全面戦争に突入した」あるいは「満州事変に始まる日中戦争が全面化した」などという記述をしているが、海軍は1936年の段階で陸軍に先駆けて日中戦争発動態勢をとり、海軍航空隊は中国の首都南京への渡洋爆撃への出撃待機をしていたが、陸軍の反対で実行されなかったのである。そして1937年7月7日の盧溝橋事件が勃発、厳密にいえば、当時の呼称で「北支事変」が開始された。すなわち華北に限定された戦争が開始されたのである。それは陸軍が1935年から開始した「華北分離工作」の延長であり、華北を「第二の満州国」とする狙いに基づいていた。 陸軍参謀本部さらに天皇も戦争を華北に限定する方針であったのを、8月9日に上海において謀略による大山事件を仕掛けて、8月13日から第二次上海事件を引き起こして、華中へと戦争を拡大、さらに8月15日には宣戦布告もせずに中国の首都南京を渡洋爆撃、つづいて華中・華南の都市爆撃をおこない、戦争を一挙に拡大。「北支事変」から「支那事変」へと名称を変更させ、現在の呼称でいえば「華北戦争」を「日中戦争」へと拡大したのが海軍であった。 9月10日に上海に飛行場を開設した海軍航空隊は、九六式陸上攻撃機と九六式艦上戦闘機からなる南京空襲部隊を編成し、中国政府の首都南京の軍事・政治・経済機能を破壊して、国民政府を屈服させ、中国国民に敗戦を自覚させるために、大規模な南京空爆作戦を敢行した。海軍航空隊の南京爆撃は第1次(9月19日)から第11次(9月25日)までおこなわれた。その後も南京爆撃は10月、11月と長期にわたっておこなわれ、国民政府の首都機能は麻痺し、政府関係者や広範な市民に恐怖感、敗北感を与えた。そのため、蒋介石は11月20日、国民政府の首都を奥地の重慶に移転することを発表、政府機関・文化教育機関など諸機関・施設の移転作業を開始するにいたった。 2月上旬に上海を占領した中支那方面軍の指揮官(松井石板、武藤章、柳川平助)が、作戦になく準備も装備もなかった南京攻略戦を参謀本部の統制を無視して強行し、南京事件を引き起こすが、現地軍の独断専行の前提として、海軍航空隊による南京爆撃が戦略爆撃の効果を発揮して、陸軍の地上からの南京攻略が容易であると判断させたことがあったのも重要である。すなわち、海軍航空隊の南京爆撃が陸軍部隊による南京攻略戦の前哨戦の役割を果たしたともいえる。 さらに海軍航空隊は、日本軍が南京城内に突入した12月12日、南京上流の長江に停泊していたアメリカアジア艦隊の揚子江警備隊に所属する砲艦のパナイ号を撃沈、4名の死者、3名の重傷者、10名の負傷者を出した(パナイ号事件)。パナイ号事件は日本海軍機がアメリカ砲艦を「不意打ち」「卑怯な急襲」によって攻撃、撃沈したとして、後に真珠湾奇襲攻撃によってアジア太平洋戦争が開始されると、「真珠湾攻撃への序曲」としてアメリカ国民に想起、記憶されることになった。日本の海軍の側でも、パナイ号を撃沈したのが真珠湾攻撃で戦艦ウェストバージニアに魚雷を命中させた村田重治であり、パナイ号事件の対米処理に奔走した海軍省次官の山本五十六が、1941年12月8日の真珠湾奇襲攻撃を、連合艦隊司令長官として命令したのであった。 パナイ号事件は、通説にいわれる陸軍が日中戦争から対米戦争へ「海軍を引きずっていった」のではなく、その逆であったことを象徴的に物語る事件であった。月刊「世界」 2017年12月号 140ページ「南京事件80周年国際シンポジウムに参加して」から一部を引用 日中間の武力衝突を全面戦争にしたのは実は日本海軍で、宣戦布告もせずに当時の中国の首都・南京を空爆したのは戦時国際法に違反する行為であったという指摘は鋭いと言えます。戦争が終わってまだ10年や20年では、戦犯裁判を逃れた当事者が何喰わぬ顔で普通に暮らし、中には総理大臣までやった人物もいるのですから、学問の世界と言えども、あまり直接的な研究発表はやりにくかったのかも知れません。
2017年12月02日
安倍政権の5年間で世の中がどのように変わってきたか、法政大学教授の山口二郎氏は11月26日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 秩序のある社会とは、一般市民がルールを守ると同時に、世の中を統治する側もルールを守って仕事をする社会である。しかし、今の日本では、人々にルールを守らせる側が自分の都合の良いようにルールを伸ばしたり、縮めたりして、不公正で不愉快な社会ができつつある。 ルールを伸ばすとは、本来法規則が立ち入るべきでない領域にまで踏み込んで、個人の自由を抑えつける現象である。生まれつき髪の毛の茶色い女子生徒に校則だからといって髪の毛を黒に染めさせた学校があった。身体の特徴を無理やり強制させるなど、教育の場ですべきことではない。さらに安倍政権は家庭教育支援法という法案を準備している。これは家庭や子育ての「あるべき姿」について、バカバカしい校則のようなものを法律の形で国民に押し付けようとするものである。 ルールを縮めるとは、本来守るべきルールを自分たちには適用せず、好き勝手に権力を謳歌(おうか)することである。森友学園に対する国有地売却の不当な値引きとそれに関する証拠の隠滅がその典型例だ。会計検査院が不適切と指摘したにもかかわらず、大臣も官僚も問題ないと言い張って、一切責任を取ろうとしない。 今の為政者は、ルールは常に国民を縛るもので、自分たちは何にも縛られないと錯覚している。ふざけるなと言いたい。(法政大教授)2017年11月26日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-ルールの崩壊」から引用 校則に「髪は黒であること」などと書いてあるとすれば、教育機関の規則としては実に不適切な規則であり、教育者として真剣に考え直してもらわなければならない問題です。元々校則に髪の色について書くのは、その昔、町のチンピラと付き合うような不良生徒が髪を茶色や金色に染めて粋がっていた頃があって、普通の生徒も真似して髪を染めると不良の道に転落してしまうとの考えから出てきたものと思われます。しかし、現実には生まれながらに茶色の人もいるのですから、今後は単純に「校則」を不磨の大典とすることなく、現実的な生徒指導の観点から健全な校則のあり方を健闘するべきと思います。 上に引用した記事では、家庭教育支援法案を批判していますが、これは当然の批判です。安倍政権では道徳の教科化も進められましたが、これも時代錯誤の政策で、例えば理想的な家庭像として両親と子どもたちというような図が描かれて、両親がそろっているのが「普通」の家庭として表現されている。そういうものが教科書としてまかり通ると、昨今増えつつある片親の家庭は「普通ではない」かのような印象を子どもに持たせるという、実に非教育的な効果を子どもに及ぼすことになる点が大きな問題です。 森友学園の問題については、安倍首相は8億円の値引きについて、これまで明確な根拠も示さずに「適法に処理されたものだ」と繰り返してきました。当ブログの常連さんの中にも「ゴミが埋まった不良物件に買い手がついたのだから、国としてはありがたい商談だった」というようなコメントを書いた人もいますが、ここにきて会計検査院が「不適切」だったと裁定したからには、これまでの首相答弁は間違いであったということですから、野党は安倍首相に対し、過去の答弁の撤回を要求するべきです。安倍首相が「自分で調べて適切に処理したと言ったわけではなかった」と言うなら、誰が首相に虚偽の報告をしたのか調査した上で、責任者を処罰するべきです。このような方向で、森友問題については責任を徹底追及するべきです。
2017年12月01日
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