全31件 (31件中 1-31件目)
1
安倍政治の本質とはどのようなものか、法政大学教授の山口二郎氏は21日の東京新聞コラムで、次のように鋭く糾弾している; 森友学園疑惑に加え、加計学園による獣医学部開設について、首相官邸が大きな便宜を因っていたのではないかという疑惑が露見した。大学院の新設のため文科省に山のような書類を書かされた経験を持つ者としては、A4判2枚の書類で事足りるというのは信じがたい話である。官房長官は、あまりに迅速な事業認定について、特区という制度は岩盤規制に穴をあけるためだと強弁している。その穴は、首相の仲良しのために特別に提供される抜け穴である。 二つの疑惑に共通するのは、権力者と親しい者の利益を図るために、公権力がゆがめられる縁故主義という腐敗である。日本は、悪代官が私欲をむさぼる封建時代か、さもなくは独裁者がほしいままの支配をする途上国なのか。 首相が憲法改正にご執心なのもよくわかる。憲法は法の下の平等を規定している。権力者は法に従い公平に仕事をしなければならないのであり、友達といえども特別扱いしてはならない。これは日本に限らず、近代国家の大原則である。為政者に対するこのような縛りが、首相にとっては邪魔で仕方ないのだろう。 邪悪な権力者は、自分の邪心に対する人々の批判を抑えるために、国民に対して愛国心や公共心を持てと説教するものである。国家を私物化する為政者に憲法改正を語る資格はない。(法政大教授)2017年5月21日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-国家の私物化」から引用 この記事が指摘するように、政治家が国民に愛国心などと言い出す目的は、己の邪悪な魂胆を煙に巻く手段なのであるから、国民はそんなものに誤魔化されてはならない。森友学園に加計学園、それに強かん事件のもみ消しと、これだけの疑惑を政権は「知らぬ存ぜぬ」で押し通すつもりのようであるから、野党は結束して審議ボイコットに踏み切るべきだ。このまますれ違いだらけの審議を続けて、時間がきたら強行採決では、野党も悪法成立に荷担した責任を追及される立場にならざるを得ない。「責任野党」などという空疎な言葉に騙されずに、民主主義を守るために、ここは「共謀罪」を人質にして、モリ・カケ・強かんの3点セットを徹底追及するべきだ。
2017年05月31日
十分な審議を尽くさず日程ありきで与党と維新の党が強行採決した共謀罪法案について、国連特別報告者は安倍首相に書簡を送り、強い懸念を表明している。その一部は、東京新聞によると、次のような内容になっている;(前半は省略) 加えて、別表4は、森林保護区域内の林業製品の盗難を処罰する森林法第198条や、許可を受けないで重要な文化財を輸出したり破壊したりすることを禁ずる文化財保護法第193条、195集、196条、著作権侵害を禁ずる著作権法119条など、組織犯罪やテロリズムとは全く関連性のないように見える犯罪に対しても新法が適用を認める可能性があります。 報道によれば、新法案は、国内法を「国境を越えた組織犯罪に関する国連条約」に適合させ、テロとの戦いに取り組む国際社会を支援することを目的として提出されたとされます。しかし、この追加立法の適切性と必要性については疑問があります。 報道によれば、政府は新法案に基づいて捜査されるペき対象は、「テロ集団を含む組織的犯罪集団」が現実的に関与すると予想される犯罪に限定されると主張しています。しかし、「組織的犯罪集団」の定義は漠然としており、テロ組織に明らかに限定されているとはいえません。新たな法案の適用範囲が広い点に疑問が呈されていることに対して、政府当局は、新たな法案では捜査を開始するための要件として、リスト化された活動の実行が「計画」されるだけでなく、「準備行為」が行われることを要求していると強調しています。しかしながら、「計画」の具体的な定義について十分な説明がなく、「準備行為」は法案で禁止される行為の範囲を明確にするにはあまりにも曖昧な概念です。(後半省略)2017年5月21日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「『共謀罪』に懸念 首相あて国連特別報告者の書簡」から一部を引用 ここに引用した国連特別報告者の書簡の一部に記述された「疑問」というのは、衆議院で野党議員から散々質問されたものばかりで、しかも政府からはそれらの質問に対するまともな答弁は一度も出た試しがなかったため、特別報告者が改めてそれらの疑問点を列挙することになっています。結局衆議院では、30時間という時間を政府の無能のためか、あるいは策略だったのか、とにかく国民の疑問は全て無視して強行採決しただけだったのですから、これは明らかに議会政治の否定であると言ってよいでしょう。このようにして送られた法案は、参議院で審議するための要件を欠いているのですから、まともに審議する対象ではありません。こんな法案よりは、参議院では「モリ」と「カケ」と元TBSのおべんちゃら記者の強かん問題について、安倍政権の責任を徹底追及してほしいと思います。
2017年05月30日
森友学園問題で、野党の質問に安倍首相はどのように対応したか、「週刊金曜日」の成澤宗男記者は19日の同誌で、次のように厳しく批判している; 5月9日に開かれた参議院予算委員会で、民進党の小川敏夫議員は安倍晋三首相に対し、「森友学園」(籠池泰典・前理事長)の国有地格安払い下げ疑惑に頻繁に登場する首相の妻・昭恵氏の関与について質(ただ)した。 その中で小川議員は、「昭恵夫人から森友学園のお話をたくさん聞いているんじゃないですか」と質問したが、以下のように首相の答弁はまったくの意味不明だった。「(昭恵夫人に)権限がないということを私に伝えたのかと、ずっとしゃべられたから、何を、何を私に、言わば籠池さんが何か私に依頼したいことについて私に伝えたのかな、あるいはまた自分が権限がないという説明をしたのかなということも含めて、何を聞かれたのか、これはわからないですよ、あの程度の質問ではですね。そこで、そこで、私は、言わば自分の熱意については私に言いませんよ、それは」 この答弁を何度聞いても、言いたいことの意味は誰にもわかるまい。首相は森友学園疑惑への自身と妻の関与について問われるたびに「まったくかかわりがない」と否定するだけで、こうした見当外れの妄言を何度か連発している。 のみならず、興奮して声を荒らげ、醜態もさらす例も。「それと、隠蔽というのは、これは……失礼ですよ。あなたたちはすぐにそうやってレッテル貼りをしようとしている。この問題についても、まるで私が関与しているかのごとくの……」◆不誠実・感情丸出しの答弁 これは、衆議院予算委員会で2月24日、民進党の今井正人議員の質問に逆上した、首相の答弁だ。今井議員は「森友学園」の「瑞穂の國記念小學学院」のサイトから、「名誉校長」と紹介されていた昭恵氏関連の項目が削除された事実を取り上げ、「隠蔽するのかというふうに思いました」と発言。 同議員の質問は、昭恵氏が「名誉校長」を引き受けた際、安倍首相に「相談」があったかどうかを確認する内容だが、それには答えず、今井議員が「総理が隠蔽したとは言ってない」と指摘しても、「私を侮辱した」「私や妻を侮辱した」などと、首相の勝手な思い込みからの興奮した状態が続いた。 だが、安倍首相がまともな答弁をせず、人前で感情をコントロールできない歴代首相経験者には稀な幼児性を晒そうが、昭恵氏の疑惑は深まるばかりだ。昭恵氏は、「首相夫人付」の政府職員を使って財務省に問題の国有地の土地取引について頻繁に問合せ、籠池前理事長夫妻からも土地取引の進捗状況の報告を受け、籠池前理事長と20回以上、電話のやり取りをしている。まさに昭恵氏こそ、疑惑の解明に欠かせない人物だ。 にもかかわらず、安倍首相は昭恵氏の国会証人喚問を拒否し、その名前が出ると意味なく激昂し始めて野党の質問に答えようとしない。5月8日の衆議院予算委員会では、民進党の福島伸幸(のぶゆき)議員が、昭恵夫人と森友学園とは「ずぶずぶの関係ですよ」と指摘した上で、「国有財産の取得をめぐって財務省とやり取りをしている最中に首相夫人がその学校の名誉校長に就任するというのは、不適切だと思いませんか」と追及した。 ところが安倍首相は、こうしたごくまっとうな疑問に答えず、「ずぶずぶの関係とかいう品の悪い言葉は使うのをやめた方がいいですよ。それが民進党の支持率にあらわれている」などと、質問と関係のない話にわざとそらすという「品の悪い」姿勢に終始した。 もはや、その職に必要な資質を欠いている首相に、「疑惑解明」の姿勢など皆無だ。国有地払い下げで「私や妻が関係していたということになれば……総理大臣も国会議員も辞める」と発言した責任を取り、さっさと辞職することだけが残された道だ。<なるさわ むねお・編集部。>2017年5月19日 「週刊金曜日」 1136号 22ページ「疑惑逃れの安倍首相の妄言」から引用 野党の疑惑追及に対して、追及される側に何の疚しい点もないのであれば、正々堂々と野党が要求する資料を公開し、質問されたことにも、何の隠し立てもしないで応えれば、即座に疑惑は消えてしまうわけで、首相側は一番簡単にらくになれるはずです。しかし、それをせずに延々と2か月も3か月も野党の質問をはぐらかして、核心を追及されると恥も外聞も捨ててキレて見せる、こういう幼稚な対応を、国民は許しておくべきではないと思います。何か聞かれて、異常な興奮状態になると、周りがビックリして何も追及しなくなる、というのは、安倍氏は計算ずくで演技している可能性もあり、野党の質問にこのような幼稚な対応をする人物は、首相の仕事をするにはあまりにも不適切なのですから、これは与野党が、日頃の対立関係を一旦棚上げして、わが国立憲政治の品性を保つためによく協議し、もう少しまともな人材と交代させる必要があるのではないかと思います。
2017年05月29日

山崎雅弘著「『天皇機関説』事件」(集英社新書)について、ジャーナリストの粟野仁雄氏は、12日の「週刊金曜日」に次のような書評を書いている; よくわからないまま丸暗記させられた典型例か。高校の日本史教科書に登場する天皇機関説事件である。1935年に起きたこの事件こそが日本が戦争へ舵を切る転機とみる戦史・紛争史研究家の著者は、古い言葉も丁寧に説明しつつ事件を解説、読みやすく仕上げた。 東京帝国大の名誉教授(憲法学)で貴族院議員でもあった美渡部達吉(みのべたつきち)はオリジナルではないが「国家を法人とみなし、天皇は法人に属する最高機関」とした「天皇機関説」を発表した。 これを右翼や在郷軍人などが曲解し「統治の主体が天皇にあるのではないとは何事か」とかみつき、陸軍出身の貴族院議員菊池武夫が誰禦試で排撃の狼煙(のろし)を上げる。時の岡田啓介首相は美渡部を擁護したが右翼の論客蓑田胸喜(みのだむねき)国士舘専門学校数授ら機関説排撃の声は拡大し、美濃部は不敬罪で束京地裁検事局に告発される。 岡田も襲われた2・26事件はこの事件の翌年だ。殺された渡辺錠太郎(じょうたろう)教育総監は天皇機関説を支持していたことで真崎甚三郎(まさきじんざぶろう)大将ら陸軍皇道派の恨みを買っていた。北一輝(きたいっき)、西田税(みつぎ)らの思想に共鳴した将校らの決起とされる2・26事件を著者は機関説との関連で描く。 さて、本人が望んでもいないのに担ぎ上げた輩が自らの都合のよい方向へ持ち上げることは世に数多ある。昭和天皇自身は機関説に同意していたのだ。 美濃部を不敬罪には問えず出版法違反を画策した検事局は結局、起訴猶予としたが美濃部は著作を発禁にされ貴族院を追われた。私事だが美濃部を取り調べた主任検事(戸沢重雄・故人)は評者の母方の祖父である。晩年「東大の恩師を取り調べることになってしまいつらかったよ」と回顧していた。<あわの まさお/ジャーナリスト>『「天皇機関説」事件』山崎雅弘=著 集英社新書760円+税ISBN978-4-08-720878-82017年5月12日 「週刊金曜日」 1135号 53ページ「きんようぶんか-戦争へ舵を切らせた言論弾圧とは」から引用 天皇機関説は、今も昔も政治学の基本であり常識であるが、天皇を頂点にして国民を支配する体制を目論んだ当時の軍人や右翼にとっては、そのような科学的な学説は実に都合の悪い説であったために、どうしても排撃しなければならないものだったわけである。天皇を神聖不可侵なものとしてあがめ奉るべきという考えは、現代の右翼にも色濃く潜在しており、安倍首相はその筆頭といってよい政治家である。数年前に日本が主権を取り戻した日を記念して政府主催の集会を開いたとき、予定外の「天皇陛下万歳」の声がわき起こって、安倍氏が嬉々として万歳している映像がテレビニュースで流されたものであったが、そのことを象徴している。ところが、今上天皇は民主主義を信奉する立場から、そのような右翼の振る舞いを快く思っていないため、実に迷惑そうな表情で会場を立ち去る映像も、テレビはあますところなく伝えていた。
2017年05月28日
自分の考えを知りたければ読売新聞を読めと国会で豪語した安倍首相を、法政大学教授の山口二郎氏は、14日の東京新聞コラムで次のように批判している; 先週に続いて安倍首相の改憲発言を批判する。8日の予算委員会で野党の質問に答え、首相は改憲発言の真意については読売新聞のインタビューを読めと言い放った。 首相は国会では総理大臣として答弁し、自民党総裁としての言動については国会で答える必要はないと言った。そんな使い分けは、首相の勝手な思い込みである。 議院内閣制において、与党の指導者と行政の最高責任者は同一である。その二つの役割を統合するのは政治家としての存在である。国会で政治家としての存念を問われても答えないという態度は議会政治を破壊する。 安倍発言は自由民主党という議会政党の輝かしい歴史に泥を塗るものである。首相も務めた宮沢喜一氏は『社会党との対話』(1965年)という本で、佐々木更三社会党委員長(当時)にこう呼びかけた。「貴殿も私も、これまで国会というところで生き、またそこで死ぬことを名誉と考えて来ました。そういう意味では、国会の尊厳を外部の圧力から守ることは、我々お互いに課された共通の責務であると考えております」 安倍首相に知性を求めるのは、八百屋で魚を求める類いだろう。与野党を超えて国会の尊厳を守るという責任感を与党指導者が失ったら、それは議会政治の終わりを意味する。その後に来るのは討論を軽蔑する全体主義である。(法政大教授)2017年5月14日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-議会政治の崩壊」から引用 改憲に関する発言は自民党総裁としての発言だから、国会で答弁する必要はないという理屈は、安倍氏としては立場の違いを言いたかったのかも知れませんが、日頃から改憲を主張している党の総裁であれば、どのような真意の発言だったのか、国民は聞きたいのであるから、それに対する答弁が「読売新聞を購読しましょう」では、あまりにも国民をなめた発言というものではないでしょうか。しかし、加計学園の件で前事務次官が「総理の意向だ」と書いた文書は本物だと証言すると、とたんにその人物は出会い系バーに通っていたというような、私人(?)としての行動を問題視して言いふらすという、安倍氏がもっとも忌み嫌う「印象操作」を自らやってしまうというのは、いかがなものか。安倍政治によるモラルの低下も、落ちるところまで落ちてしまったとみるべきではないかと思います。
2017年05月27日
安倍首相が、ある日突然、右翼の集会にビデオメッセージを送って思いつきの改憲案を述べたところ、さっそく自民党はその「安倍案」に沿った改憲案をまとめることになった、と21日の東京新聞が報道している; 自民党は安倍晋三首相(党総裁)の改憲提案を受け、年内にも党の改憲案をまとめる方針です。党幹部は(1)9条(2)教育無償化(3)国会議員の任期延長-を検討項目に挙げています。連載「いま読む日本国憲法」の特別編として、現行条文と比べながらポイントを整理しました。 9条は一項で戦争放棄、二項で戦力不保持と交戦権の否認を定めています。首相は多くの憲法学者が自衛隊を違憲としている状況を問題視し「一項、二項を残しつつへ自衛隊を明文で書き込む」と表明しました。三項か、九条の二など別の条文を設けて、自衛隊の存在を書く案が有力視されています。 しかし、自衛隊を明記すれば二項が「死文化する」との批判が護憲派などから出ています。逆に自民党内には、戦力不保持などを削除して国防軍を保持するとした党の改憲草案に反するという反発もあります。 教育無償化は経済的理由で大学などに進学できないケースをなくす狙い。日本維新の会の改憲原案は義務教育だけを無償としている現行の26条を見直し、「高等教育に至るまで無償とする」ことや、経済的理由で「教育を受ける機会を奪われない」ことを盛り込む内容です。しかし、教育格差は憲法というより財源の問題であり、給付型奨学金の拡充など具体的な政策で解決すべきだという指摘があります。 議員任期延長は憲法で衆院4年、参院6年と定められた国会議員の任期を、大災害などの緊急事態で延長できるようにしようという提案。自民党の改憲草案は、新設する緊急事態条項の中で、任期や選挙期日の「特例を設けることができる」としています。 これも賛否両論があり、反対派は「参院の緊急集会で対応できる」「国民の選挙権が停止される」などと主張しています。2017年5月21日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「いま読む日本国憲法 特別編-改憲自民3論点 賛否」から引用 わが国憲法の9条は一項、二項で軍事力を完全に否定しているのですから、そこにわざわざ矛盾する第三項を書き込むという愚かな真似はやめたほうがいいと思います。現在の憲法で、わが国の安全が脅かされるような事態は、この70年間ありませんでしたから、これまでの路線を更に継続発展させることで、将来にわたってわが国は平和国家として世界に貢献していくべきです。また、教育の無償化も法律の制定で実現できることは、多くの専門家が指摘するとおりです。さらに、大災害と衆参同時選挙が重なったとしても、参議院の半数は活動できるのですから、これもわざわざ必要もない改憲のダシに使われるだけのことであって、国民の生活に支障があるから改憲が必要というようなものではないと思います。それにしても、安倍氏が突然あのようなことを言い出しても、自民党には教育再生会議というものがあって、無償化には断固反対を唱えているという声もありましたが、その議員たちはそれでも「断固反対」なのかどうか、興味深いところです。
2017年05月26日

安倍首相が教科書に「自衛隊は違憲だ」と書いてあるから、これを解消するために憲法改正が必要だと発言したことに関連して、実際の教科書の記述はどうなっているのか、14日の東京新聞は次のように報道している; 安倍晋三首相は自衛隊の位置付けを明記する改憲を提案した理由の一つとして、学校の教科書に自衛隊が違憲だとの見方が書かれていると説明しています。これについて岐阜県の30代女性読者から「ファクトチェック(事実確認)してほしい」と要望をいただきました。教科書を調べてみました。 首相は9日の参院予算委員会で「採択されている多くの教科書で『自衛隊が違憲である』という記述がある。(それなのに)自衛隊は命がけで国民を守らなければいけない。この状況はなくしていく責任がある」と語りました。 首相は安全保障関連法を審議した2015年7月の国会審議でも「中学校の公民の教科書」に言及し、同様の見解を示しています。そこで教科書検定に合格して現在使われている7社の中学3年生向け公民教科書を点検しました。 自衛隊と憲法の関係は、憲法の3原則の一つである平和主義を説明するくだりで出てきます。 7社すべてが、自衛のための必要最小限度の実力は憲法9条が禁じる「戦力」に当たらず、自衛隊は合憲とする政府の憲法解釈を掲載しています。うち6社は「自衛隊は憲法に違反するという主張もあります」といった記述で自衛隊違憲論に触れていました。 多くの教科書に自衛隊違憲論が記載されているのは事実でした。もちろん、自衛隊を合憲とする政府の立場との両論併記という形です。(清水俊介)2017年5月14日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「7社中6社 違憲諭記載」から引用 安倍首相の発言では、まるで教科書に自衛隊員のプライドを傷つけるような記述があるかのような勢いであったが、実際には9条と自衛隊の関係について政府の見解をていねいに解説して憲法違反ではないことを説明した上で、それでも世の中には様々な見方があって、中には「憲法違反ではないか」という声もあるという記述であるから、これは実際の世の中の状況を正確に反映したもので、憲法改正の根拠とするにはあまりにも薄弱であるというほかありません。むしろ、今のような教科書のほうが、生徒にいろいろな考え方があることを理解させるという意味で有意義であって、ことさら憲法を変えてまで解消しなければならない問題ではないことが明らかです。ここにも、なんとかこじつけてでも憲法改正の理由を見つけたいという安倍氏の浅ましさがにじみ出ていると言えるのではないでしょうか。
2017年05月25日
法学者や研究者の団体が「共謀罪」法案の違法性を訴える声明を発表したと、4月14日の東京新聞が報道している; 政府が今国会で創設を目指す「共謀罪」の趣旨を含む組織犯罪処罰法改正案について、学術研究団体などが13日、参院議員会館で記者会見し、「一般市民も処罰対象となる」「違憲立法だ」などとする反対声明を発表した。=1面参照 声明を発表したのは、法学研究家らでつくる「民主主義科学者協会法律部会(民科法律部会)」、教育者らでつくる「歴史教育者協議会(歴教協)」、研究団体などでつくる「平和と民主主義のための研究団体連絡会議(平民研連)」-の三団体。 民科法律部会は、「一般市民の内心が捜査と処罰の対象となり、戦後最悪の治安立法となる」と指摘。歴教協は「治安維持法のように労働組合や市民団体の活動を弾圧するための道具として使われることを危惧(きぐ)する」との懸念を表明した。平民研連は「犯罪行為の実行を処罰する刑法の原則に反し、思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」と問題点を強調した。 民科法律部会メンバーの新倉修・青山学院大名誉教授(刑事法)は「権力を持つ側が市民を一網打尽にできる法律を作ろうとしている」などと共謀罪法案を批判した。2017年4月14日 東京新聞朝刊 12版 26ページ「共謀罪『違憲立法だ』」から引用 この記事は一ヶ月以上前の報道であるが、この時点で問題視されたいた「一般市民も捜査の対象にされるのではないか」とか「市民団体を弾圧する道具になるのではないか」といった疑問は、この一ヶ月間の間に少しも解消されることなく、強行採決となった。したがって、衆議院でのこの一ヶ月というのは、まるで意味の無い時間であって、何も審議をしなかったのと全く同じである。それというのも、金田法相に代表されるような、野党がどのような重要な質問をしようと、あらゆる答弁が的をはずれてワケの分からない応答となっていて、少しも議論が深まることがなかったからであり、一ヶ月前に問題視された事項もそのまま問題として残っている。このような有様だから、国連特別報告者から問題を指摘する書簡が届いても、何ら有効な反論も説明も何もできず、ただ「その指摘は当たらない」というだけの寂しい返事を送って、特別報告者をますます苛立たせることになっているのは、そういうレベルの政府を持っている国民の一人として大変恥ずかしい事態だと思う。
2017年05月24日
ミサイルの発射実験を繰り返す朝鮮では国民がどういう暮らしをしているのか、14日の東京新聞は次のように報道している; 北朝鮮の核兵器と長距離弾道弾の開発を巡り、東アジア情勢が緊張している。米国が軍事圧力をかけ、中国は経済制裁を強めるが、北朝鮮は体制維持のために核開発に固執している。こうした状況を同国の住民たちは、どう受けとめているのか。北朝鮮内部情報誌「リムジンガン」(アジアプレス出版)の覆面記者が生の声を伝えてきた。(鈴木伸幸) 北朝鮮に6度目の核実験の兆候があった先月下旬、米国と韓国は合同軍事演習をメディアに公開。一方、北朝鮮は海岸にズラリと並べた長距離砲が火を噴く映像を国営テレビで流した。この時期、北朝鮮では住民を動員しての非常警戒訓練が実施されたという。 リムジンガンの編集人である石丸次郎氏は「空爆から鉄道を守るための高射砲訓練や、ドローンの撃墜訓練もあったそうだ。住民の危機感を高めるためだと思う」と説く。だが、住民の反応は冷めていたという。 これまでに何度も危機はあった。古くは米海軍艇が拿捕(だほ)された1968年のプエブロ号事件、板門店で米軍将校2人が殺害された76年のポプラ事件、94年には一時期、米国が核施設の空爆を検討した。2010年には韓国海軍艦の沈没事件から、軍事境界線に近い韓国の延坪島(ヨンビョンド)が北朝鮮に砲撃されたこともあった。 だが、戦争にはならなかった。石丸氏は「住民は危機慣れしている。命令だから訓練には参加するが、内心『戦争はない』と高をくくり、無関心だ」と語る。 北朝鮮では、経済政策の失敗や援助国だった旧ソ連の崩壊で、90年代から配給制度は形骸化した。朝鮮人民軍の末端の兵士たちには食糧が回らず、多くの兵士が栄養失調という状態。住民らは「これで全面戦争など、できるはずがない」と思っているという。 加えて、住民たちは自活のために働かなければならない。「『仕事が忙しい。動員や訓練は勘弁してほしい』と言う人がほとんど。とりわけ5月は、田植えなどの農村動員が本格化する。秋の収穫に影響するので、国内の軍事緊張は緩んでいくだろう」(石丸氏) 北朝鮮では、11年末に権力を世襲した朝鮮労働党の金正恩(キムジョンウン)委員長が粛清を重ね、ナンバー2の存在を許さない「一人独裁体制」を築いてきた。その結果、権力内部に対抗勢力は見当たらず、体制中枢は安定した。だが、叔父の張成沢(チャンソンテク)氏を処刑するなど、その徹底した恐怖政治に、民心は離れていったようだ。 「本当に戦争をやってみればいい。戦争で体制が崩壊すれば、今よりもましになるかもしれない-というある種の『期待』を口にする人が多い」(石丸氏) 北朝鮮の核と弾道弾が脅威なのは事実だ。米海軍は空母カール・ビンソンを日本海に派遣し、日本政府は海上自衛隊の護衛艦を共同訓練に参加させて、緊張感を高めた。だが、人民軍の内実はボロボロで、戦争どころではない。 日本政府の対応もちぐはぐだ。石丸氏は「全国瞬時警報システム(Jアラート)で避難訓練を実施するなど、政府は国内で危機感をあおったが、万が一にも攻撃されれば、最も危険であるはずの原発は放置されたままだ」と指摘する。 「脅威に向き合うには中国や韓国などとの協調が不可欠なのに、首相周辺からは危機を口実に、巡航ミサイル導入や改憲へ前のめりの発言ばかりが続く。それでは、周辺諸国の不信を招くだけだ」2017年5月14日 東京新聞朝刊 11版 26ページ「危機でも実は無関心-内部情報誌の記者が明かす」から引用 最近のトランプ政権は朝鮮に対して体制の変革を求めることは考えないと発言しており、ことの経緯はさておき、アメリカとしてはかなり理解を示した発言で、アメリカも朝鮮の核やミサイル実験を放置せずに、なんとか対応しようとする意志があるように思えます。そうであれば尚更、アメリカは何故朝鮮が国際的な批判を無視して国民生活を犠牲にしてまで違法な実験を繰り返すのか、その真意を理解し対応策を考えるべきではないかと思います。
2017年05月23日
わが国の憲法を改正しようと考える人々を、早稲田大学教授の水島朝穂氏は、4月28日の「週刊金曜日」で、次のように批判している; 2015年3月4日、私は参議院憲法審査会に参考人として呼ばれ、「憲法とは何かについて」というテーマで語った。テーマが「そもそも論」だったので、国会議員たちの憲法感覚と憲法認識の一端をリアルに知ることができた。 私は冒頭で、憲法前文に「歴史」「伝統」「文化」を書き込むべきという意見があるが、日本はもちろん、米、独、仏など多くの国々の憲法は前文で触れておらず、歴史や伝統を強調するのは中国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、韓国の憲法前文であると指摘した。そして、「国柄を入れろというと何か非常にいいように聞こえるが、実はあえて入れないことによって、立憲主義の基本、つまり多様な意見がそれぞれ共生し合うことができる。人びとの価値の中身に踏み込むことに憲法は抑制的になっており、伝統や国柄等を書き込む憲法の例というのは決して一般的ではなく、かなり特殊だと言いたい」と指摘した(注)。 議員には事前に、「国柄」や「伝統」をコテコテに書き込んである中国や北朝鮮、韓国の憲法前文と自民党憲法改正草案の前文を対比する表を配布しておいた。そして、「中国は、世界で歴史の最も古い国家の一つである。中国の各民族人民は、共同で輝かしい文化を創造して、光栄ある革命の伝統をもっている」と、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、……日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」という自民党草案の前文は、世界でも珍しい共通性を示していると述べると、議場にざわめきがおきた。 質疑のなかでも、やたらと「国柄」にこだわる議員がいたが、いい機会なので、そういう議員の発言の内容だけでなく、発言の仕方、言葉の使い方を含めてじっくり観察させてもらった。そこには実によく「人柄」が出るものだと思った。とにかく憲法を変えて、自分たちの「愛国」や「日本民族」への思いを憲法に書き込みたいという意欲と熱意は相当なものだということはよくわかった。◆「柄」も「色」もない だが、そもそも憲法とはそういうものではない。憲法は国の最高法規であり、その存在意義は、国家権力に足かせをはめ、その暴走を抑止するところにある。憲法は、個人の思想や信条、信仰から生活のスタイルに至るまで、国家があれこれ介入して特定の「柄」を押しつけることを禁じている。さまざまな権利のカタログを列挙して、国家が介入できない領域を明確にしているのはそのためである。こうした憲法に基づく国のありかたを立憲主義というのだが、やたらと「国柄」を語る議員には、その認識が欠落している。 特定の「色」を国民に押しつける文言が前文にないのが近代立憲主義によって立つ「普通の憲法」だとすれば、やたらと前文が饒舌(じょうぜつ)になってくるのは特殊な意図のあらわれと勘繰られても仕方ないだろう。「家柄」を強調すれば、そこになじまない「嫁」や「婿」を排除する方向に傾きがちである。国というのは、さまざまな境遇、さまざまな意見の人々から成り立っている。憲法前文に特定の国家観の「柄」(色)を書き込もうとする人々と、教育勅語を肯定する人々とが重なるのは偶然ではないだろう。憲法前文に「国柄」を入れる試みは、有害無益である。◆日本国憲法が示す道筋 次に、改憲に熱心な人々に共通しているのは、日本国憲法前文第2段の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しょうと決意した」という箇所を取り上げ、「周辺諸国の状況を考えれば無責任な文言だ」として削除を求めていることである。これも典型的なミスリードである。 日本国憲法の徹底した平和主義は、法による平和、戦争違法化の歴史の到達点であり、世界が進むべき未来への道筋を指し示している。20世紀に国家の暴力が行きついたのは、守るべきものをも滅ぼす核兵器だった。ヒロシマ・ナガサキを母体にして生まれた日本国憲法はその認識に立って、対外政策における一切の軍事的選択肢を排除した。 憲法に基づく国のありようを示すのが立憲主義だとすれば、国家の対外的政策の具体的な中身を憲法は細かく指示しない。だが対外政策に対して憲法がまったくアンタッチャブルということを意味しない。第2次世界大戦後の世界の憲法は、侵略戦争の違憲性とその準備行為の処罰を定めたドイツ基本法26条をはじめ、政府の対外政策に踏み込んだ親制を加えている。これが立憲平和主義の方向である。そのなかで、日本国憲法9条は、戦争や武力行使、戦力の保持に対して最も徹底した禁止違反として存在している。◆平和を求める市民 他方、憲法は前文において、軍事力以外のあらゆる創造的な方法を駆使して平和を実現する努力の可能性を示唆している。改憲派が嫌う前文の当該箇所は、「平和を愛する諸国民(ピープルズ)」であって「諸国家」とは書いていないことに注意すべきである。どんな国にも平和を求める市民がいて、政府が戦争に向かうのを阻止する力となりうる。これは平和実現に向けた」市民の連帯とイニシアチブの重要性に目を向けさせるという意味をもつ。 日本国憲法が、軍事力の保持やその使用によって平和と安全を確保するという方法を放棄する一方で、それぞれの当事国の内部にある平和的な諸力との連携と連帯を重視する安全の守り方と創り方を示唆している点は決して軽視してはならないだろう。 ただ、そうはいっても、憲法は他国を侵略しようとする国が生まれないなどとは想定していない。「ならずもの国家」(rogue state)は存在しうる。今日は北朝鮮、イスラエル、米国が三大「ならずもの国家」と私は考えている。日本もまたそのような国に狙われないという保証はない。すでに米国による日本「占領」は72年におよび、安倍政権になって「本土の沖縄化」、「沖縄の復帰前化」も進んでいる。北朝鮮の3代目指導者も暴走を続けているが、この国の場合は「平和を愛する諸国民」が存在することは困難だろう。ある意味では、自己保身的な高級官僚・高級軍人が戦争に向かう指導者を自ら除去する可能性がないとも言えない。 どのような事態になっても、日本は決して武力行使による解決の方向をとらないところにこの憲法の平和要請があるのであって、「ならずもの国家」相互の対立に日本を関わらせようとする安倍政権のやり方はきわめて危険といわざるを得ない。米国にも「トランプ」を選択しなかった人々が半分おり、トランプ政権ではなく、そうした米国内の平和を求める人々との連携する視点が必要だろう。憲法前文のこの箇所は、そのヒントをくれているとは言えまいか。(注)直言「参議院で『憲法とは何か』を語る」URL:http:\\www.asaho.com\jpn\bkno\2015\0316.htmlみずしま あさほ・早稲田大学教授。2017年4月28日 「週刊金曜日」 1134号 30ページ「国家が特定の『柄』や『色』を押しつけることを禁じるのが近代憲法」から引用 国家権力の横暴から国民を守るのが憲法であるという観点から考えれば、憲法前文に国柄だの伝統だのというものを書き込むのは、いささかピントがずれていると言えます。自民党系の改憲派の人々が、中国や韓国の憲法を好ましいと考えているというのは、なかなか面白い指摘です。しかし、将来のことを考えれば、そういう時代錯誤の価値観で憲法を変えるというのでは、これは「改正」ではなく明から「改悪」です。将来を見据えた憲法としては、日本人であれ外国人であれ、この国に暮らす者が何不自由なく平等に快適に暮らせるような環境を作ることが大切ですから、憲法前文はなおさら、伝統だの国柄だのという余分なものを書き込むべきではありません。それにしても、昨今の安倍首相は、これまでの自民党内の改憲議論の積み上げを投げ捨てるかのように、現行憲法の9条に第三項を書き加えるなどという考えを述べましたが、それでも自民党員という人々はプライドも自主性も捨てて、ただ黙って安倍さんについて行くのでしょうか。不思議な人たちです。
2017年05月22日
今年の憲法記念日に安倍首相が右翼の集会にビデオメッセージを送って自民党員も慌てるような独りよがりの改憲構想を発言したことについて、法政大学教授の山口二郎氏は、7日の東京新聞コラムで次のように批判している; 憲法記念日に、安倍首相が2020年に新しい憲法を施行したいと発言した。東京オリンピックにかこつけて共謀罪の制定に改憲の実施とは、論理も理念もない。 安倍流改憲の誤りについて言うべきことは多いが、安倍首相が改憲のテーマに挙げた教育無償化について触れたい。憲法論議は自由なので、論敵に議論の資格がないという批判をしてはならないことは重々承知している。それにしても、安倍首相に対してはどの面を下げて教育無償化のための改憲を主張するのかとただしたい。民主党政権が行った高校授業料無償化でさえ、自民党はバラマキと言って反対したではないか。この5年間で宗旨変えをしたのなら、かつて無償化に反対した不明を恥じ、わびなければならない。 教育の質を上げ、機会均等を実現するためには、憲法改正に時間と金を無駄遣いするのではなく、教員の長時間労働を是正し、無償の奨学金を拡充することが急務である。安倍流改憲は、目の前で火事が広がっているのに、防火の理念をうたう宣言を作ろうと提案するようなものである。教育無償化をだしに改憲を唱えたことだけで、安倍流改憲のいかがわしさがわかる。 民進党の細野豪志氏も安倍提案に呼応して議論したいと言っているが、野党政治家が空虚な憲法論議に加担して何になるのだ。(法政大教授)2017年5月7日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-安倍流改憲にノー」から引用 民主党政権が高校無償化を実施したとき、野党の自民党がバラマキだと言って散々批判したことは、多くの国民の記憶するところです。そんなことはお構いなしに、世論に受けるなら何でもやるという、安倍氏の考え方こそ典型的なポピュリストというものではないでしょうか。こういう節操のない人物がわが国を指導する立場にいていいのかどうか、国民はよく考える必要があると思います。
2017年05月21日
最近の新聞を読んだ感想について、ITジャーナリストの井上トシユキ氏は5月7日の東京新聞に次のように書いている; 来日したペンス米副大統領が放った「平和は力によってのみ達成される」(4月19日朝刊2面)との一言には度肝を抜かれた。前時代的な言い草に違和感を覚えたからだが、鷲田清一氏の「『建前』が通らない時代」(28日夕刊7面)を読んで得心がいった。「強いものを正しい」とした、きわめて西洋的な価値観の発露だったのだろう。 ただ、これを指摘したフランス人思想家のパスカルは「痛烈な皮肉」として言った、と鷲田氏は書く。一方、ペンス氏らトランプ政権の人たち、それに政権の支持者は、本気で「力の正義」を信じているようにも見える。ネット上の意見などでも「『多数』の『力』」を無批判に信じているフシがあり、そこに危うさを感じる。 力の正義は、えてして独善となる。独善が過ぎれば、組織や集団にとって致命的となるミスも起こしやすい。客観評価が入りにくくなるのだから当然の話だ。その意味で、安倍政権がたるんでいると断じる民意は、冷静だと思う。24日朝刊2面では世論調査を基に「『政権に緩み』73%」と報じた。日本人は適法か違法か以外に、立ち居振る舞いの美醜や潔さをも判断の要素に加える。「多数派=力の正義」への加担は楽だろうが、選挙では「言動の正義=人としての立ち居振る舞い」も含めて問われることを政治家は忘れてはなるまい。新聞も「力は正義」を超える判断材料を示す努力を求めたい。 さて、ゴールデンウイークが終われば、新入学、新入社のアイドリング期間も終わり、学校も会社も”通常営業”に戻る。ところが、学校の現場がブラック化しているという(「中学教員57%過労死ライン」28日夕刊1面)。現役教員に聞いてみたら、教育実習に来た学生があまりのやることの多さに恐れをなして教職を諦め、それが後輩に語り継がれることで教職志望者が減る悪循環が続いているのだそうだ。ここ20年ほど、そんな状態が続いているという。 「『教員増やして』悲鳴」(28日夕刊9面)をひとごととせずに向き合わねば、しわ寄せは子どもたちに向かってしまう。 「新入社員入社後のギャップ」(9日朝刊都心、山手、したまち版)。今の職場、今の仕事、今の報酬は、それが自分のコミュニケーション能力や人的ネットワークといった基礎的な実力に対する世間からの評価だと、まずは謙虚に、客観的に受け止める。その上で、苦手を克服できるのは若いうちしかないと、どんな仕事でも前向きに取り組んでみる。 筆者自身は、そのように考えて乗り切ったことが若いころにあった。(ITジャーナリスト)2017年5月7日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-『力は正義』を超えるもの」から引用 この記事が指摘するように、「力」の過信は独善になりやすくファシズムにも親和性が強いことを、私たちは歴史的に体験してきました。そういう意味では、わが国憲法は「力は正義」を超える新しい時代の価値観の一つと言えると思います。それ以外にも「力」を当てにしない平和の構築を目指すことが、現代の我々の使命というものではないかと思います。この記事も、学校教員の厳しい労働環境を取り上げていますが、日教組の問題に言及していない点が遺憾です。
2017年05月20日
アメリカやヨーロッパで人気を集めつつあると言われるポピュリズムについて、東京大学教授の宇野重規氏は5月7日の東京新聞に、次のように書いている; この稿が掲載されるのは、仏大統領選の決選投票の日である。その結果がどうなるか、今の段階では確かなことを言いにくい。世論調査はマクロン候補の優勢を伝えているが、米大統領選でトランプ候補への票を読み切れなかったことを思うと、選挙予測に絶対はない。とくに既成政党の力が弱まり、人々の不満の声を「代弁」するポピュリズム政治家の活躍が目立つ今日、なおさらである。 ポピュリズムという言葉をいきなり使ったが、この言葉が何を意味するかは、あらためて考え直す必要があるだろう。しばしばこの言葉は、大衆人気に頼り、迎合する政治家やその運動を指すものとして使われる。政治家や官僚など、それまで政治を動かしてきた人々への不信が募る時代にあって、既成のエリートを批判して人々の拍手喝采を得ようとすることをポピュリズムという場合も多い。 実を言えば研究者の間においても、この言葉の用いられ方には違いがある。人々の不満をあおり、扇動する政治リーダーの政治手法や政治戦略を指す場合もあるし、むしろ人々の下からの政治運動としての側面を強調する場合もある。この言葉を用いるにあたり、今こそ注意深くあるべきだろう。 ここで参考にしたい二つの近刊がある。いずれも最新の学問的知見を反映した、優れた概説書である。ところが興味深いことに、両著の与える印象はかなり違っている。共通する部分がないわけではないが、読後感は明らかに異なる。この違いを考えることは、現代のポピュリズムを考える上で示唆的であろう。 水島治郎『ポピュリズムとは何か』(中公新書)は、ヨーロッパと米国という二つの文脈においてポピュリズムを検討している。現代ヨーロッパに広がるポピュリズムについて、水島氏は警戒的である。彼らは一見、自由民主主義を擁護しているが、実質的には移民や外国人を排斥している。対するに20世紀の中南米で発展したポピュリズムについては、貧困者の救済や解放を目指す側面があったことを重視している。 ヤン=ヴェルナー・ミュラー『ポピュリズムとは何か』(岩波書店)は、ポピュリズムの危険性をより強調している。ポピュリストは自分たちだけが人民を代表すると称して批判を許さない。「多元主義」の否定こそがポピュリズムの本質で、民主主義を補完するものでもない。ポピュリストとの対話は必要だが、あくまで危険な対象であるとミュラー氏は断じる。 水島氏がポピュリズムを警戒しつつも、それが民主主義と不可分であるがゆえに、既成政党に改革を促す起爆剤になりうるとするのに対し、ミュラー氏はあくまで民主主義に対する脅威として批判の手を緩めない。ヨーロッパ政治史を研究する水島氏が中南米におけるポピュリズムの解放の側面も評するのに対し、ドイツ出身のミュラー氏がポピュリズムに対してにべもないのが興味深い。 両著とも、ポピュリズムが民主主義と完全に異質ではなく、民主主義のある一面だけが極度に肥大化していると理解する点は一致している。とはいえ現代民主主義がポピュリズムを制御し切れるか、という点について、2人の著者は大きく見解を異にする。まったく同じタイトルでありながら、緊張をはらむ両書を読み比べてこそ、現代ポピュリズムの実相がわかるだろう。(東大教授)2017年5月7日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-ポピュリズムの実相」から引用 この記事は、既成の政党や政治家に不信が募るとポピュリズムの政治家が跋扈する、と言ってるように見えますが、それが果たして歴史的経験に基づいた知見なのかどうか、私は疑問に思います。「既成の政治家に対する不信」というのは、早い話、資本家が労働者への分配を手厚くしているうちは誰も世の中に不満を持たないのであるが、現代のように資本家が利益を独占しようとすると労働者の生活が苦しくなって、「既成の政治家」に不信を持つ、ということになるのだと思います。つまり、資本主義の社会では、人々が不満を抱えるか快適に暮らせるかという問題は一重に資本家の態度にかかっていると言えます。このような、労働者の生活が資本家の胸先三寸にかかっているかのような不安定な社会よりは、あらゆる生産手段は社会の共有財産であるというルールで、資本家も労働者も一人の人間として平等に同一賃金を得るという社会にするほうが、より安定した社会になるのではないかと、私は考えます。
2017年05月19日
学校の教職員の労働条件が厳しくなっているという文部科学省の発表に関連して、4月28日の東京新聞夕刊は次のように書いている; トイレに行く暇もない-。文部科学省が28日に公表した調査結果は、かねて指摘されていた教員の過重労働を改めて示した。ただ、教員の一日を見ると、時間では計れない労働の「密度の濃さ」もうかがえる。目の前の子どもに全力を傾けることをいとわない教員たちだが「人を増やしてほしい」との訴えは切実だ。 「おはようございます」。午前7時40分、中国地方の公立小の校門で、30代の女性教諭が集団登校してくる児童らをハイタッチで出迎えた。教諭の自宅は車で約1時間の距離。いつも午前6時半ごろに家を出るという。 担任クラスの教室に入った瞬間、次々と提出される連絡帳や宿題。「先生、先生」。絶えず話し掛けてくる児童に笑顔で応じつつ、宿題を添削して朝の会に。午前8時40分、1時間目の開始を告げるチャイムが鳴った。 クラスには発達障害で特別な支援が必要な児童もおり、休み時間を補習などに充てる。午後零時半に4時間目が終わると、すぐに給食の準備。片付けの指導も必要だ。 昼休みは、児童から集めた算数のノートの添削で消えた。掃除や午後の授業を終え、下校する児童を見送ったのは午後4時ごろ。ここまでトイレに行く余裕もなかった。 「子どもの成長につながる仕事は、苦とは思わない。ただ、今の教員数は学校を運営する最低限の規模。人を増やす金はないというので、努力で補っている」。放課後、教室の壁に児童が図工で描いた似顔絵を張りながら、教諭はこぽした。 職員室に戻ってからも仕事は山のようにある。保護者からの電話対応や校外の関係者との連絡調整、残っていたノートやプリントの添削。退勤は午後9時前で帰宅後も翌日のプリント作成などに1時間ほどを割く。「ブラック職場だとは思うが、やらないといけないことはやらないと」と疲れた表情で話した。 「一日に学校内で休めるのは、2分程度が5、6回」。こう話すのは愛知県の公立中に勤める40代の男性教諭だ。ある月の勤務記録では出勤は午前5、6時台、退勤は午後10時以降が目立つ。日付をまたぐ退勤もあり、休みは3日だけだった。 校務主任として午前7時前から学校の見回りをするのが日課。不登校の生徒の家庭訪問のほか、教育委員会の調査やスクールカウンセラーら専門スタッフとの調整といった校務が多い。運動部の顧問も務め、放課後も遅い時は午後6時半まで練習、土日も練習や大会がある。 「子どもにとって良いと思うからこそ、仕事は増えても減ることはない」と教諭。「ただ、人を増やしてもらえれば、校務に費やす時間は減るはずだ」2017年4月28日 東京新聞夕刊 9ページ「『教員増やして』悲鳴」から引用 我々が高校生だった頃は先生たちの労働組合も健全で、誰かが夏休みにアルバイトをするなどという話題が出ると、組合員の先生はすかさず「○○君、1日6時間以上働くときは、午前1回、午後1回、10分以上の休憩時間を取ることと法律で決まっているのだからね、労働者の権利をきちんと主張しなさいよ」と、実に適切なアドバイスをしてくれるものでした。あれから50年も経って、組合加入率は激減し、社会科の先生以外は労働法制を知らず、ブラック企業のような働き方をしているとは、呆れた話です。因果応報とはこのことで、組合運動に無関心な労働者自身と、国労潰しの国家権力によるネガティブ・キャンペーンが影を落としていると言えるのではないでしょうか。
2017年05月18日
哲学者の鷲田清一氏は、昨今の世相について4月28日の東京新聞夕刊に、次のように書いている; 「ポスト・トゥルースの時代」という言葉がメディアを行き交っている。「真実の後」? ということはかつて「真実の時代」があったということ? もちろんそんな時代はない。いつの時代も虚実ないまぜの状態のなかで事件は起こる。戦争は起こる。しかも、虚実ないまぜと言いながらそこにだれもが則(のっと)れる真偽の基準があったわけでもない。 「真実」も「事実」も解釈にすぎないとよく言われる。ある事件について、重要とおもわれるいくつかの契機を取りだし、連ね、その意味するところを語るとき、一定の視点からする選択と構成がかならずともなう。語るとは編集することであり、だから語りはいつも騙(かた)りでもある。つまりは解釈なのだと。 ではどの解釈が「真」であるとされるのか。真実はこちらにあると主張しあう果てしのない争いを最終的に押しとどめるものはいったい何なのか。 痛烈な皮肉としてであるが、それは「力」によると、17世紀フランスの思想家、パスカルは言う。 力を欠いた正義は無力であり、正義を欠いた力は圧制的である。いずれも望ましくなく、だから正しいものが強いか、強いものが正しいかのいずれかでなければならないのだが、この両立は至難のことだ。人はだから、「正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとした」(『パンセ』前田陽一・由木康訳)というのである。◆力が世論をつくる 人が多数に従うのは、そこに道理があるからではなく、いっそう多くの「力」があるからだ。そしてその「力」が世論なるものをつくる・・・。そしてその「多数」の実態がよくわからないままに「世論」という見かけをつくるのが、メディアの時代である。流通する情報が少ない時代は、見えない「多数」に取り込まれることもそう容易(たやす)くは起こらない。家族や地域といった小さな共同体の(見える)「真実」にじぶんを預けておけたからだ。 いま、「多数」の「力」をもつと思い込んだ人たちが、偽であるかもしれぬという不安を抱くことなく声を張り上げる。喧(やかま)しさがまるで「真」であるかのように。 「それを言っちゃあおしまいよ」とでも言うほかない言葉が、路上のみならず国政の場でもまかり通る。「建前」すら通らなくなっているのだ。 「建前」とは、家屋の建築で棟や梁(はり)などを組み立てること。社会に当てばめれば、その骨格となるのは理念である。これが理念であるのは、幾何学でいう点や線が理念であるのとおなじである。幾何学では、点や線は、描かれたそれらがある大きさをもつのと違い、現実にはどこにも存在しない虚構である。幾何学はそういう虚構を基盤としてしか成り立たない。 おなじように安定した社会は、「平等」「自由」「正義」といった理念の上にしか成り立たない。 ではその理念や道理が拠(よ)って立つ基盤とは何か。それらの論理的な正当化は可能であるにしても、その正当性の「力」そのものはもはや論理的なものではない。「これを崩したら社会はもたない」という危機意識に裏打ちされていなければ「建前」はもたない。 だが、そういう意識の共有がおそろしく難しくなっているのが現代である。 福田恒存(つねあり)は文学における「真実」について、かつてこう書いた。「問題は情熱にある。たれが、いつまで、なにを真実だと主張しつづけるか-そのことにすべてはかかっている」(『否定の精神』) 社会についてはどうか。はっきりしているのは「ポスト・トゥルースの時代」などと言ってすますことはできないということだ。(わしだ・きよかず=哲学者・京都市立芸術大学長)2017年4月28日 東京新聞夕刊 7ページ「『建前』が通らない時代」から引用 この記事は、さすがに哲学者が書いた文章らしく、書いた本人にしてみれば寸分の隙もない完璧な論理に貫かれた表現であろうと想像できるが、読む方としては、あまり頭をひねらなくても飲み込める表現にしてほしいものです。「それを言っちゃあおしまいよ」とでも言うほかない言葉が、こともあろうに国政の場でもまかり通っているという指摘は深刻で、国民が今の国会の勢力をそのまま放置すれば、この国はまたしても破滅に向かって進むと警告しているようです。
2017年05月17日
ある雑誌が掲載した作家・橋本治氏のインタビュー記事について、4月28日の東京新聞夕刊コラムは、次のように論評している; スタジオジブリの月刊誌『熱風』4月号に載っている橋本治のロングインタビュー「どこまでみんなバカになるのか」が読みごたえある。 世の中の右傾化が進んでいると言われているが、橋本に言わせるとそうではなくて「バカ化」が進んでいるのだ。「豊かになっていくというプロセスと、バカになっていくというプロセスはほぼ同じです」。しかもバブルが崩壊してからは「豊かになっていくというプロセスがなくなってしまったからバカになっていくという方面ばかりが目立つようになった」。その結果・・・。「どこまでもバカになると、やっぱり人間滅びますからね。だから50代ぐらいのオタクとか、フリーターみたいなのがけっこう増えているというのは、彼らが80年代ぐらいの頃に青少年だったからなんですよね」 もう少し前の部分で、「バカのほうがおもしろいというのは、やっぱり80年代に入ってからですね。昭和軽薄体といわれるようなものが出てきて、まじめなものになんで意味があるんだろうという方向に傾き始めましたからね」とも述べている。 しかしその時代にフジテレビのCMに出演し「軽(カル)チャー」路線の牽引(けんいん)者になったのは他ならぬ橋本ではなかったか。(半ズボン)2017年4月28日 東京新聞夕刊 7ページ「大波小波-橋本治はいつ転向したのか」から引用 世の中が豊になっていくプロセスがバカになっていくプロセスとほぼ同じとは、なかなか含蓄に富んだ言葉です。しかし、そうは言いながら、実はその昔、テレビCMに出演して「軽チャー」路線を牽引したのも橋本氏だったとは、興味深い指摘です。このコラムに対して、もう一言橋本氏から発言があれば、彼の真意をもう少し深く理解できるのではないかと思います。
2017年05月16日
先月訪日したアメリカのペンス米副大統領が、安倍首相と会談し「平和は力で達成される」と発言したことを、4月19日の東京新聞は次のように報道している; 安倍晋三首相は18日、ペンス米副大統領と公邸で会談し、核・ミサイル開発を進める北朝鮮に対し、日米で圧力を強める方針を確認した。首相は冒頭で「対話のための対話は意味がない」と指摘。ペンス氏は「平和は力によってのみ達成される」と語った上で、日本など同盟国とともに行動する考えを示した。 会談に同席した萩生田光一官房副長官によると、首相とペンス氏は北朝鮮の挑発行動を阻止するため、中国がさらに大きな役割を果たすよう働き掛けを強めることで一致した。ペンス氏は「中国はこの問題をきちんと理解し、同じ行動をとってもらえると期待している」と話した。 首相は外交的、平和的な解決を目指すことを前提に「北朝鮮が真剣に対話に応じるように圧力をかけていくことも必要だ」と指摘。軍事力行使を含む「全ての選択肢」を掲げるトランプ政権の姿勢を「評価する」とあらためて表明した。 ペンス氏は会談後の記者会見で「北朝鮮が核・ミサイルの開発計画を放棄するまで圧力を強化する」と語った。 会談で、拉致問題の早期解決や、沖縄の米軍基地負担軽減に連携して取り組むことも確認した。ペンス氏は沖縄県尖闇諸島は米国の防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象だと明言した。 会談は約1時間半。昼食を交えた前半は岸田文雄外相や世耕弘成経済産業相、ロス米商務長官らが同席した。後半は首相とペンス氏を含め日米五人ずつの少人数会合になった。2017年4月19日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「米副大統領『平和は力で達成される』」から引用 アメリカはベトナムでもイラクでも、武力行使で平和を達成することに失敗をしているにも関わらず、未だに「力で達成される」などと言って、反省のかけらも見受けられないのは残念なことです。また、この記事も例によって「尖闇諸島は米国の防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象だ」と、当たり前のことを記述しているが、肝心の「日本の施政権が及んでいる限りにおいて」という条件が抜け落ちている。例えば、ある朝目を覚ましたら、どこかの国の漁船やら軍艦やらで尖閣諸島が取り囲まれていて、急に「日本の施政権が及ばない状態」になったときは、「日米安全保障条約第5条の適用対象外」になるというポイントについては、何も言及がないのだから、ペンス米副大統領のリップサービスをもって「だから、アメリカは頼りになる」と思うのは早計というものである。
2017年05月15日
政府が共謀罪法案を国会に提出する方針であることが報道された本年1月、弁護士の白神優理子氏は、1月29日の「しんぶん赤旗」コラムに次のように書いていました; これまで3度廃案になっている「共謀罪」法案(組織犯罪処罰法「改正」案)。政府は今国会に提出する方針ですが、一部全国紙は、政府のウソをそのまま「報道」しています。 「テロ対策は、3年後に開催を控えた東京五輪・パラリンピックの最大の課題」(「産経」1月17日付)「少しの猶予も許されない」(同)・・・。 他方、ブロック紙や地方紙は政府の「ウソ」を暴く報道を積極的にしています。 まずは共謀罪を導入しないとテロ対策条約を批准できないとするウソ。「重大犯罪には既に日本の法律でも対処することができる。政府は新設を求めるが、もう国内法は整っているのだ。・・・つまり共謀罪を新設しなくても条約締結は可能なのだ」(「東京」14日付)と批判します。 犯罪対象を絞り込んだというウソにも「だが、それらを判断するのは捜査当局だ。・・・捜査当局の拡大解釈や悪意(しい)的運用の危険性が高まる」(沖縄タイムス16日付)と。 「東京」(14日付)はこんな弁護士の発言を紹介しています。「沖縄での基地反対運動を見ていると、工事車両を止めようと何度も座り込みしている市民団体を『組織的威力業務妨害』を目的とする組織的犯罪集団だと悪意的に判断すれば、座り込みを計画して、誰か一人が現場を確認しに行っただけで、処罰対象になりかねない」 沖縄2紙社説は「戦前回帰」を危惧します。「思想信条や表現の自由といった憲法で保障された基本的人権を侵害することにつながりかねない。・・・治安維持法を思い起こさせる」(沖縄タイムス、16日付) 「既に成立している特定秘密保書法などと組み合わせて、戦前の治安維持法のように運用される恐れがある」(琉球新報、7日付) 「ポスト真実」の政治の時代です。ウソを見破り、権力者の本当の狙いを見抜く、メディアの役割が今こそ期待されています。(しらが・ゆりこ=弁護士)2017年1月29日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-『共謀罪』の大ウソを暴け」から引用 本年1月末に既に出ていた「共謀罪がなくても、テロ対策条約を批准することができるじゃないか」という批判に、政府与党は明確な反論ができておらず、また、以前の法案よりも該当する犯罪を絞り込んだというのもウソであることが判明しています。したがって、共謀罪法案については、本年1月末の時点から何も問題が解決していないのですから、こういう法案を通すわけにはいきません。結局、政府がこの法案を通したい本当の狙いは、戦争法、秘密保護法と3点セットで世の中の自由な言論を規制していくことにあると考えるのが妥当ではないかと思われます。
2017年05月14日
30年前の国家権力による不当な労働組合攻撃について、マスメディアはこれを批判するどころか、権力と癒着して組合攻撃を煽る役割を果たした。この問題について、ジャーナリストの山口正妃氏は、4月14日の「週刊金曜日」に次のように書いている;《JR 30年の変容/駅ビル・カード・・・都市で攻勢/ローカル線廃止が加速》(『朝日新聞』)、《JR「本州」「3島」で明暗/民営化30年/ローカル線は苦戦/都市部に「ドル箱」》(『読売新聞』)-。 4月2日、両紙に掲載された「JR30年」特集記事の見出しだ。どちらも1987年4月1日に発足したJR各社間で都市部と地方の経営格差が広がってきたとして、その「光と影」を強調した。 ローカル線廃止が「影」というのはその通りだが、両紙が伝えなかったより深刻な「影」がある。「国鉄分割・民営化」で約20万人もの人減らしが強行され、「分割・民営化」に反対した国鉄労働組合(国労)が集中攻撃・採用差別を受け、別年から87年までの6年間に組合員が約24万人から約4万4000人に激減した。その過程で約200人に及ぶ組合員を始めとする国鉄職員が、自殺に追い込まれたことだ(「国鉄闘争を継承する会」編『国鉄闘争の成果と教訓』2013年/スペース伽耶)。 それは単なる「分割・民営化」ではなく、中曽根康弘元首相が「国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやった」(『AERA』96年12月30日号)と誇示した通り、国労・総評を標的とした権力の攻撃だった。 冒頭の記事を書いた記者たちが国労攻撃の歴史を知らないはずはないが、「触れるには暗すぎる影」として無視したのだろうか。 だが、報道に携わる者として、無視することは許されない大問題がある。国鉄解体のレールを敷いた「土光臨調」のお先棒を担ぎ、メディアぐるみで繰り広げた「反国労」キャンペーンだ。81年3月、第2次臨時行政調査会(土光敏夫会長)が発足、82年7月に「国鉄分割・民営化」を答申した。その間、メディアは「赤字国鉄の元凶」「国鉄改革を妨げる抵抗勢力」として、国労に集中砲火を浴びせた。◆感情的な記事で世論誘導 それはどんなものだったか。03年4月、「反国労キャンペーンから20年~マスメディアを問う」シンポジウムが、東京都内で開かれた。長編記録映画『人らしく生きよう~国労冬物語』(ビデオプレス)の共同制作者・佐々木有美さんら「納得いく解決を!国鉄闘争女性応援団」が主催した討論会で、鎌田慧さん、辛淑玉さんらとともに、私もパネリストとして参加した。 その発言準備で、私は数多くの文献、新聞記事に目を通した。記事資料は、佐々木さんらが図書館に通って収集したものだった。 それによると、反国労キャンペーンを先導したのは『読売』の81年12月12日付記事。1面トップ《国鉄労使 悪慣行の実態/要改善179職場も》の見出しで、臨調に提出された国鉄本社職員局の報告文書を”スクープ”した。『サンケイ』(現『産経新聞』)がこれに続く。82年1月15日付1面トップで、《国鉄、職場規律の乱れ正せ/ヤミ休暇など8項あげ/当局が労組に申入書》と、国労を非難。続いて23日、『朝日』が1面トップで《赤字国鉄がヤミ手当/ブルートレイン検査係に支給/東京機関区/年に千数百万円/カラ出張で山分け》と大報道した。「記事の掲載は、実にタイミングがよかった。すでに臨調第四部会でも国鉄の職場規律が関心を呼び、また国鉄や三塚や運輸族の間でも、本格的にこの問題に取り組もうとしていたからである」(草野厚著『国鉄改革』89年/中公新書) 82年2月5日、自民党は三塚博衆議院議員(当時)による「国鉄再建小委員会」を発足させた。そのリークで、各紙は「ヤミ手当・ヤミ休暇」の摘発報道合戦を展開。約4カ月問もキャンペーンが続いた。全国紙4紙に掲載された関連記事はピークの3~4月に『読売』64本、『サンケイ』62本、『朝日』33本、『毎日新聞』16本に達した。 一連の報道がどれほど「反国鉄・国労」感情を煽るものだったか。主な見出しを拾ってみよう。『読売』《またか!放漫国鉄/大盤振る舞いヤミ超勤》《荒廃ひた走る値上げ国鉄/「安全」そっちのけ》《東京駅、国労4人組が暴力/春闘ビラ注意した乗客とケンカ》『サンケイ』《国鉄この荒廃ぶり/”問題職場”制服も着ぬ出札係》《数年前から労使なれ合い採用/組合の機嫌取り》《つるし上げの場 横車押す組合/現場協議》『朝日』《欠員の駅にヤミ手当/国鉄/保線含め1億数千万》《入浴にもヤミ貸金/国鉄大糸線で慣行に》《本社も持て余す荒廃/国鉄甲府駅/労使延々と現場協議》 その間、臨調は審議内容をメディアにリーク。4月23日付『朝日』の《運輸省の国鉄二分割案》報道などで、「分割・民営化やむなし」との世論を誘導していった。◆「メザシの土光」のウソ 総仕上げが、7月23日に放送されたNHK特集「85歳の執念 行革の顔・土光敏夫」。土光氏が妻と2人の夕餉でメザシにかじりつく。国鉄改革に取り組む第2臨調会長の質素な食卓。そのイメージが「荒廃・国労」との対比で「臨調のシンボル」として広められた。「メザシの夕餉」はNHKの演出で、実際の土光氏は贅沢な美食家だった。メディア工作に腕を揮った加藤寛・臨調第4部会長は、「国鉄改革の城攻めのために土光さんをシンボルにすることにし、NHKにもお願いしてメザシの土光さんが登場した」と内幕を暴露した(大嶽秀夫著『「行革」の発想』97年/TBSブリタニカ)。 NHK放送から1週間後の7月30日、臨調は「国鉄分割・民営化」を答申、国鉄解体に向けて決定的な一歩が踏み出された。メディアは、「土光臨調」の黒幕・中曽根行政管理庁長官(当時)に取り込まれていた。臨調には、メディア幹部が委員・参与として名を連ねた。『朝日』論説副主幹、『読売』調査研究本部員、『サンケイ』論説委員、『日本経済新聞』顧問、時事通信解説委員、NHK解説委員・・・。彼らが社論を誘導した。 権力をチェックすべき報道機関が権力機構に取り込まれ、世論を操作した。ただ、臨調に幹部を送らなかった『毎日』は、比較的冷静さを保った。 国鉄解体に加担したメディアの犯罪。その間題点を整理しよう。 第一に、「赤字国鉄」キャンペーン。私鉄と比較して「人員過剰」と非難し、公共交通機関・住民の足としての国鉄の役割を放棄するよう迫った。その陰で、新幹線の設備投資による利子負担が赤字を膨らませていた事実が隠された。 第二に、労働者・組合攻撃。臨調、自民党のリークで「職場荒廃」をキャンペーン、その原因を国労に押し付け、「分割・民営化」に反対する国労を非難、孤立させた。 第三に、「分割・民営化」への世論誘導。なぜそれによって赤字が解消されるのかの検証もなく、地方路線切り捨て、大量の人員削減もやむなし、との世論を煽った。 第四に、国鉄解体にかけた政府・財界の狙いの隠蔽。莫大な国鉄資産が民間資本に切り売りされた。そうして汐留貨物駅跡地に作られた超高層ビル群。そこに、共同通信社、日本テレビ、電通などメディアの本社ビルが総耳え立った。 その結果、地方路線が次々と廃止された。赤字は解消されず、ツケは税金で市民に回され、国鉄資産は民間資本に食い荒らされた。人員削減・営利第一主義で輸送の安全は切り捨てられ、05年4月、ついに福知山線大事故が起きた。 国鉄解体から30年。反国労キャンペーンは、権力と癒着するメディアの恥ずべきモデルとなった。大半の記事がデマや歪曲だった。<やまぐち まさのり・ジャーナリスト。>2017年4月14日 「週刊金曜日」 1132号 26ページ「労働者・組合攻撃に荷担し、扇動したマスメディア」から引用 土光敏夫が食卓でメザシを食う映像は私も記憶しているが、あれが国労潰しの総仕上げであったとは、当時は気がつきませんでした。分割民営化のせいで、労働組合運動が力を失い、労働者の生活困窮は進み、地方の鉄道は経営が困難になり、地方の衰退に拍車がかかっています。権力監視を怠り、戦争遂行を煽ったことを反省したはずのメディアは、「国鉄分割・民営化」を煽って、同じ過ちを二回繰り返したと言えるのではないでしょうか。
2017年05月13日
今から30年前の「国鉄分割・民営化」がどのように実行されたのか、埼玉大学名誉教授の鎌倉孝夫氏は、4月14日の「週刊金曜日」で、次のように述べている; 1973年の第1次オイルショック以降、世界的なスタグフレーション(注=不況時に物価が上昇する現象)が始まりました。物価上昇と不況の深刻化が重なり、それまでのケインズ主義による経済政策は、成長の停滞=利潤の低下という現実を前にして機能不全に陥ったのです。 ところが、そこからいち早く抜け出したのは日本でした。その背景には、日本経営者団体連盟(日経連。現日本経済団体連合会)が75年に発表した、「労働問題研究委員会報告」があります。 そこでは、74年の春闘で33%もの賃上げを獲得した労働運動を押さえ込むために財界の労組対策を本格的に強化し、徹底した合理化と減量経営によるコスト切り下げでスタグフレーションを乗り切る方針が示されていました。さらにそのためには、当時の輸出産業の中心だった自動車や造船、鉄鋼、電機等の大企業の労組に協力させる必要性も強調されていたのです。 結果的にこの方針は、当時の同盟系の労組を抱き込んで成功しますが、今から見れば労働者を犠牲にしながらコストダウンするというやり方は、新自由主義の先駆けにほかなりませんでした。◆国労を狙った中曽根 そして79年に第2次オイルショックが起き、さらなるスタグフレーションに直撃された欧米では、対応策として米国のレーガン大統領、英国のサッチャー首相による本格的な新自由主義政策が打ち出されます。 そこで共通しているのは、(1)公的事業の解体・民営化と不採算部門の切り捨て(2)社会福祉・教育の財政支出の削減と「自助努力」の強調(3)規制媛和の推進-でした。これらを通して大企業は徹底した利潤の追求を実現し、これに反抗する労働組合を攻撃し、解体させようとしたのです。 日本でも1982年に登場した中曽根康弘内閣がレーガン・サッチャー路線を導入しますが、そこで狙われたのはまだ民間組合と違って資本の支配が及んでいなかった官公労組合、特に国鉄労働組合(国労)でした。今から30年前に強行された国鉄の「分割・民営化」は、こうした当時の背景抜きに理解することはできないでしょう。 言い換えれば、日本における本格的な新自由主義の基盤を整え、かつ新自由主義が全面的に展開していく契機を作ったのが、国鉄の「分割・民営化」だったのです。鉄道が本来持つ公共性を否定して資本の私的利潤追求の場に変え、国労など抵抗する組合に対しては徹底的に攻撃する。そして大企業に組み込まれたような組合を、官公労にまで広げていく。 しかもまがりなりにも原則的な闘争を続けてきた国労は、「電車を動かすのも、鉄道を運営しているのも現場を一番良く知っている自分たちだ」という労働者としての主体的な自覚に基づき、組合が勤務態勢について当局に要求を突き付ける「現場協議制」を維持してきました。そこでは利潤の追求よりも、安全の確保と地域経済・生活が重視されていたのです。新自由主義を導入して、「戦後政治の総決算」を掲げていた中曽根内閣が国労攻撃に総力を挙げたのは、そのためでした。◆暴力が必ず伴う もともと資本による「搾取の自由」を最大限保証する新自由主義を推進すると、必ず暴力が伴います。新自由主義の「自由」とは「カネ儲けの自由」、「弱肉強食の自由」でもあり、それを「能力主義」「競争原理」という名目で労働者の間にも持ち込んで団結を破壊する。新自由主義がまだ資本主義化していない国でも暴力で住民の生活とその基盤を破壊しているのはよく知られています。 そもそも国鉄は当時、実質的に資産が約200兆円ありながら、「37兆円の赤字で倒産した」として偽装倒産が行なわれた後、全員解雇--JRへの選別採用という不当労働行為によって「分割・民営化」が強行されました。そしてその過程で国労に加えられた攻撃も、暴力そのものでした。 たとえば、(1)マスメディアと結託した”ヤミ・カラ”を口実とする既得権の不当な剥奪(2)「現場協議制」の一方的破棄(3)組合差別による仕事取り上げと配置転換(4)リボン・ワッペン着用等の正当な組合活動の制限(5)業務命令の乱発と従わなかった組合員に対する胴喝(どうかつ)(6)組合脱退や退職の強要--等々、ありとあらゆる国家による不当労働行為・人権侵害が横行しました。 その結果、85年から1年半の間に、判明しているだけでも管理者を含め65人の自殺者が出ています。まさに国鉄の「分割・民営化」こそ、新自由主義の暴力性という本質を如実に示していたのは間違いありません。 このように新自由主義を推進する資本は、労働者を利潤追求のために「モノ」として扱おうとします。しかし労働者は「モノ」ではなく生きた人間で、生産の主体なのです。したがって人間らしく働ける職場にするためには、これに対する抵抗が必要です。そして労働者の団結・連帯が実現したら、より人間的な職場、そして社会が展望できるはずです。国鉄の「分割・民営化」から30年経ったいま、改めて抵抗--その根拠と目標を認識した抵抗ということの意義を、かみしめたいと思います。(談)<聞き手・まとめ/成澤宗男(編集部)>かまくら たかお・埼玉大学名誉教授。2017年4月14日 「週刊金曜日」 1132号 20ページ「新自由主義の先駆けだった『国鉄分割・民営化』」から引用 この記事が示唆するように、30年前の国鉄分割・民営化は国家による違法な組合弾圧によって推し進められたもので、当初は抵抗した組合も地方労働委員会や地方裁判所では勝訴しても、最高裁は必ず国の味方だったため、国労がことごとく敗訴し、それが元となって日本の労働組合の衰退を招き、社会の隅々までブラック企業がはびこる事態となっており、労働者の収入は減り続け、政府と日銀が逆立ちして頑張ってもデフレからの脱却はムリ、という状態になっています。
2017年05月12日
森友学園問題や閣僚の暴言問題などをごまかすために朝鮮半島危機を煽るだけ煽って、当の首相は外遊に出かけてしまったことについて、法政大学教授の山口二郎氏は、4月30日の東京新聞コラムで、次のように書いている; 北朝鮮情勢について、危機の深刻化を回避するために日本政府も最大の努力を払ってほしい。 しかし、安倍政権は、森友学園疑惑や閣僚の暴言など、国内の厄介な問題を覆い隠すために北朝鮮危機を利用している。そして、テレビも連日北の脅威をこれでもかと伝えている。この政権が危機にまじめに取り組んでいるとは思えない。 政府は21日に、日本がミサイル攻撃を受けたときの「避難」の方法を内閣官房のホームページに掲載した。いわく、警報が発令されたら頑丈な建物に入り、窓から離れろとのこと。これで国民の安全を確保したつもりだろうか。 このニュースを見て、桐生悠々の「関東防空大演習を嗤(わら)う」という批評を想起したのは私だけではあるまい。悠々は、1933年、当時の軍部が仮想敵国の空襲を想定した演習を行ったことについて、これは軍人の自己満足でしかないと喝破した。そして、現代の戦争では「空撃したものの勝であり、空撃されたものの敗である」と書いた。ミサイルの時代にこの指摘はさらに当てはまる。 大都市と原発にミサイルを撃ち込まれたら日本は壊滅する。避難しても無駄である。ミサイルを撃たせないことが政府の任務である。しかし、危機をあおるばかりの安倍政権は、戦争の現実認識を欠いていた戦前の軍部から進歩していない。(法政大教授)2017年4月30日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-まじめにやれ」から引用 東西冷戦で国際社会に一定の緊張があった当時は、日米安保条約はそれなりに効力を発揮したかも知れないが、その冷戦が終わった今となっては、日本、中国、韓国はそれぞれに密接な経済関係があるので、お互いに戦争をしても損をするだけで得るものは何もないから、この3国が戦争をするということはあり得ない。その上、朝鮮は、いくらミサイルや核を開発していると言っても、それを使って近隣諸国を侵略するほどの国力はないのであって、あれは単にアメリカに対するパフォーマンスに過ぎない。したがって、日本に米軍基地があるために、そのパフォーマンスのミサイルが飛び込んでくる危険性はないとは言えないので、我々は「ポスト冷戦」の安全保障を考え直すべきである。
2017年05月11日
最近の新聞を読んだ感想について、上智大学教授の三浦まり氏は4月30日の東京新聞に、次のように書いている; 「若者の声」欄(4月20日)に載った大学生の投書には、元都副知事の浜渦武生氏が会見で乱暴な態度をとったことに落胆し、若者は就職活動で「覚えていない」と答えることなどできないのに、「役人は許されるのだから、世の中は理不尽だ」とつづられていた。胸が痛む思いでこれを読んだ。何と恥ずかしい社会を私たちは生み出してしまったのか。大人が責任を取らない社会のツケを次世代に押しつけている。 急激な人口減少を迎える日本は国土全体でどのように縮減していくのか決断を迫られる。早川英男氏が指摘するように「地方都市のコンパクト化」は避けられないだろう(4月20日夕刊)。他方で、東京駅前には日本一高いビルが建設されるとか(4月19日)、銀座には新名所のギンザシックスが開業しただの、東京の一極集中がなおも続くことを予想させるニュースも目にする。 共働きが増えれば、職住接近の都心部に人口が回帰することば容易に想像がつく。都心では待機児童問題が解決せず、それ以外では人口減少に悩まされる。基本構想を持って国土を計画していないツケが、人々の生活にのしかかっている。 地方の活性化の一つの道は「小農」にあるのかもしれない。「こちら特報部」(4月25日)では、「家族の暮らしを中心に、地域に根ざして営まれている」小農の可能性を取り上げていて、日本の食の豊かさや中山間地を守るために、むしろ小農が大きな可能性を秘めていることを知った。 当特集のデスクメモには「都民ファースト」の掛け声が嫌な感じなのは「大消費地のごう慢さがにじんでみえるから」とあった。同感だ。辞任した今村前復興相の失言も都民ファーストと同じごう慢さにあふれていた。 将来へのツケという意味では共謀罪の破壊力が恐ろしい。これがテロ対策を目的とせず、テロに有効でもないことが国会論戦となっているが、この点のメディアの検証は弱いのではないか。投書欄(4月19日)には、45年前の花見で偶然にも捜査対象とされ、そのことが会社に知られ「共謀することのできない職場に配転させられようとした」経験が載った。一般人も捜査対象となることが国会で明らかになっているから、この投書のような経験を多くの人がすることになってしまう。全くの偶然で左遷されたり、職を失ったりするかもしれない理不尽さに慄然(りつぜん)とする。 国会審議の詳細を1面でもっと報道してほしい。介護関連法案で質疑打ち切り強行採決など前代未聞だが、3面で小さく扱うような内容ではないはずだ。1面を見ている限り、対外的な緊張はあっても、国内的には平穏に見える。本当にそうなのだろうか。(上智大学法学部教授)2017年4月30日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「新聞を読んで-広がる次世代へのツケ」から引用 この記事が指摘するように、新聞は国会の論戦で明らかになったことを、もっと積極的に報道するべきと思います。共謀罪は、政府が当初説明したような「一般市民は対象外」ではなくて、実は場合によっては対象になることが明らかになっても、それを新聞が報道しないと、政府が言ったことを鵜呑みにしたり、前回の共謀罪よりも適用範囲は狭まっているなどと誤解したままの人が多すぎると思います。また、森友学園問題も質疑はまだ継続されており、問題が発覚してすぐに安倍政権は「首相夫人は公人ではなく私人である」などと妙な閣議決定をしたのであったが、最近の質疑では、昭恵夫人が個人所有の農場へ行くときも、政府高官が秘書として随行し、草取りなどの作業を手伝っているのかどうか知りませんが、そういうケースには秘書の同行は必要ないのではないか、との野党の質問に対し、安倍首相は「個人所有の農場と言っても、立場上通りかかった一般市民の方から政府の政策に対する質問などを受けるとこがあるので、そういう場合に適切に対応できるために、同行は必要」と答弁し、閣議決定に反して、首相夫人といえども「公人」としての役割を果たしていることを首相自ら認めているわけで、こういうことも国民にとっては、ことの善し悪しを判断するのに重要な情報になると思います。
2017年05月10日
築地から市場を移転する予定の豊洲で、当初の説明通りの盛り土がされていなかった問題に関連して記者会見に臨んだ元副知事の横柄な態度に落胆した若者の投書が、4月20日の東京新聞に掲載された; 元東京都副知事の浜渦武生(はまうずたけお)氏の会見を見て、開いた口がふさがらなかった。記者を指す時は「顔の大きい人」「そこのメガネ」。終始乱暴で、偉そうな態度。答えに困ると「覚えていない」を連発していた。 私は現在、就職活動をしている。もし私が面接で、質問に対して「覚えていない」と答えたら、鼻で笑われて、落とされるだろう。だが役人は許されるのだから、世の中は理不尽だ。 私たち就活生は日々「自分は何者か」と考え続けている。その上で、自分がやってきたことや考えを丁寧に述べられるのに、なぜ彼らは説明責任を果たさないのだろう。 などと言ったら、浜渦氏に「そこの黒いスーツ、黙れ」とでも言われそうだ。メディアは真実を追求してほしい。2017年4月20日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「発言-横暴な態度の浜渦氏に落胆」から引用 浜渦武生氏は都民の公僕として十数年間、仕事をさせてもらった恩義という点からも、都民にはもう少し礼儀正しく対応するべきではなかったかと思います。当初の説明とは異なる実態になっていることが明らかになっても、何故そうなったのか、明らかにならず、誰の責任でそうなったのかも分からないという事態を、このまま放置してはならないと思います。同じような事件が、将来繰り返さないためにも、記録を何年間か期間を定めて保管するとか、何か対策を講ずる必要があるのと思います。
2017年05月09日
共謀罪を取り締まる法律が無かった45年も前に警察に監視され、危うく職場で不当な配置転換を受けそうになった経験がある読者の投書が、4月19日の東京新聞に掲載された; 今から45年前の春、私は7、8人で花見をしていました。その時、「楽しそうなので写真を撮らせてほしい」とカメラを向ける中年の男性がいました。 その秋、私は入社してまだ1年数カ月しか経(た)っていないのに突然、工場勤務から建設現場の監督職場へ配転を命じられました。まだ見習であり、配転の撤回要求が認められましたが、その後、寮監から「花見の写真を持って警察が来た」と知らされました。 私は、花見をしただけで捜査の対象とされ、会社から、共謀することのできない職場に配転させられようとしていたのです。 私は安倍首相の「一般の人は対象ではない」と強弁する”共謀罪”法案の説明を聞くたび、桜とともに悪夢がよみがえります。2017年4月19日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-45年前の花見 共謀罪に不安」から引用 投書の短い文章からは詳細なコトの成り行きを知るのは、一定の困難が伴いますが、要は警察が見当違いの人物をターゲットにして監視し、よせば良いのに職場に通報して、それを聞いた職場が不当に配置転換しようとしたが、本人が抗議したので改めて調査したところ、警察の通報は濡れ衣だったことが判明した、ということのようです。警察というものは、法律がなくてもこういうことをする組織なのですから、共謀罪法案のような、警察の判断でどうにでも解釈できるような法律をつくることは、ナントカに刃物と同じで、大変危険なことです。上の投書の筆者のような「被害」が続出することになる危険性が大ですから、これはやはり廃案が望ましいと思います。
2017年05月08日

共謀罪法案の違憲性と政府与党の説明の中にあるウソとゴマカシについて、4月16日の「しんぶん赤旗」は、次のように書いています; 「東京五輪成功のためには、テロ対策が必要だ」-。安倍政権はそんな口実で「共謀罪」(テロ等準備罪)法案を6月までの今国会で成立させようとしています。(1)共謀罪法案はなぜ憲法違反なのか(2)共謀罪法案をめぐる安倍政権のウソとゴマカシ-を検証します。<安川崇記者> 日本の刑法の大原則は、犯罪が「人の行為」であること。行為以前の「意思」や「内心」を処罰することは許されません。しかし共謀罪法案は、実際に犯罪行為をしなくても、2人以上で法律に反することを「計画」し、「準備行為」をしたと見なされれば処罰されます。 例えば飲み会を企画中の会社の仲間たちが、「盛り上がるから全員順番に一気飲みだ」と計画し、実際に居酒屋に予約の電話を入れたら、組織的強要罪の共謀罪で逮捕された・・・。こんなことも起きかねません。 行為以前の「心の中」を処罰するのが共謀罪。思想・良心の自由を保障した憲法19条に反する違憲法案です。 違憲との批判を回避しようと安倍政権が持ち出してきたのが「準備行為」なるもの。「準備行為があって初めて処罰する。だからは内心を処罰するものではない」というのです。 しかし準備行為は、それ自体が犯罪性を備えている必要性はありません。例えば「口座から現金をおろす」などのごく日常の行為でも、捜査機関が「犯罪の準備だ」と見なせば検挙できます。 準備行為自体に犯罪性がなければ、処罰されるのは「内心」です。日本弁護士連合会も、準備行為があっても「意思を処罰の対象とする(共謀罪法案の)基本的性格は変わらない」(3月31日付声明)と政府の主張を批判します。◆「戦争する国づくり」の一環 「戦争する国づくり」を進める安倍政権。2015年、「国会で多数を持つ政権党であっても、憲法の枠組みに反する政治を行ってはならない」という立憲主義を破壊し、安保法制=戦争法を強行しました。戦争法は、米軍が起こす戦争に、世界のどこでも、切れ目なく、自衛隊が参戦する道を開いた違憲法制です。 これらをさらに推進するため安倍政権は、国民の目と耳と口をふさぎ、モノをいえない監視社会をつくる動きも加速しています。 13年には政府が指定する「秘密」を知ろうとした国民を処罰する秘密保護法の成立を強行。16年には盗聴法の対象犯罪を大幅に拡大し、国民監視の合法化を図りました。 共謀罪法案はこうした動きの「仕上げ」。内田博文・九州大学名誉教授は「日本は再び戦争国家に向かっている。共謀罪は大きなプログラムの一環とみるべきです」と警鐘を鳴らします。◆自民資料 国民への説明もウソだらけ 自民党政調会は3月31日、所属国会議員向けに「国民に(共謀罪を)分かりやすく説明するための資料」を発行しました。これについて専門家は「明確なウソだらけ」と批判します。 例えば、共謀罪の導入が必要だとする記述。 「現行法では、テロ組織が水道水に毒物を混入することを計画し、毒物を準備した場合でも、この時点で処罰することができません」(同資料) 高山佳奈子・京大教授(刑事法)は6日に都内であった集会で「この場合、現行の殺人予備罪も成立するし、毒物劇物取締法違反罪でも処罰されます」と指摘。「あからさまなウソを繰り返して国民をだまそうとしている。ウソはウソだということを、今は知らない人にも情報提供していこう」と呼びかけました。2017年4月16日 「しんぶん赤旗」日曜版 6ページ「内心を処罰する違憲立法」から引用 共謀罪法案の案文が法務省で完成して国会に出されたときには、「テロ行為」の「て」の字も入っていなかったことは、この法律がテロ対策のために必要という政府与党の説明がまったくのウソであることを証明しています。また、上の記事で高山佳奈子氏が指摘するように、現在の法律は、テロを計画して毒物や武器弾薬を準備したら、その時点で検挙する法律は存在するのであって、これ以上に、ことさら「共謀罪」を新設しようとするのは、確実な証拠がなくても、警察が怪しいと睨んだらすぐ検挙できる体制をつくることが目的であって、国民の自由な言論を規制する目的であることは明らかです。こういう憲法違反の法律をつくってはいけません。
2017年05月07日
武力で平和は守れないという思想について、哲学者の内山節氏は4月23日の東京新聞に、次のように書いている; 私は平和よりも無事という言葉の方が好きだ。無事の反対語は有事である。 日本をふくむ東アジア地域では、有事の空気が高まってきた。北朝鮮をめぐる情勢はこれからどうなっていくのか、中国はなにを目指してくるのか。世界全体をみても、有事の雰囲気が広がりばじめている。 私の家がある群馬県の山村、上野村は、平成の市町村合併の話が持ち上がったとき、誰一人として合併に賛同する人はいなかった。上野村は古代律令(りつりょう)制ができたころには、上山郷(かみやまごう)として成立していた村である。村の規模は当時と変わっていない。この1300年あまりのあいだ、村は無事でありつづけた。 もちろん、幾度かの危機はあったのかもしれない。それでもなお、自然の営みも、村人たちの営みも無事でありつづけた。ところがこの長い時間のなかで、国は幾度となく有事に直面し、戦争をしたり国家体制が変わったりしている。気がついてみると、持続力をもっていたのは、上野村の方だったのである。 だから、持続力のない国が、持続力のある村に対して合併を指導するというようなことは、あり得ないことだと村人には思われた。持続力こそが強さの証明であり、だとすれば上野村は国よりも強い社会なのである。村には無事を維持する強さがあった。 それは覇権を求めないからこそ生まれた強さであり、大きな力をもとうとしなかった庶民の強さであった。 力には力で対抗するという発想は、有事をもたらすだけだ。それが悲惨な結果をもたらすことを、歴史は証明している。私たちには、もっと長い時間で物事を考え、どうしたら社会の無事が守られるのかを考える巧みさが必要なのである。 いまの北朝鮮の政治体制が、50年後も100年後もつづいているとは誰も思っていない。持続力のない国だからこそ、強権に頼っている。それは中国にもいえることであって、いまの中国の体制がこの先もずっとつづくとは思えない。そのことを念頭に置いて、無事を持続させる知恵を働かせる。とともに、北朝鮮や中国に変化が表れたとき、支援や協力をふくめてどう対応したらよいのかを、あらかじめ考えておく。私たちに必要なのは、そういう発想なのではないだろうか。 北朝鮮は核兵器と長距離ミサイルの開発が、軍事的攻撃を受けず、現体制を守る唯一の方法だということを信じて、その路線をまっしぐらに進めてきた国である。とすれば、現在のように、北朝鮮の軍事力はいつでもたたきつぶせるという軍事的圧力を加えるだけでは、それならより強力な兵器をもちたいという北朝鮮の「決意」を高めるだけになってしまう。国による力と力の対決は、最後は庶民に大きな犠牲を強いる。それは第二次大戦でも明らかになったことだ。 私たちは、あらゆる方法を駆使しながら自分たちの社会の無事を持続させた、庶民の発想から学び直す方がいい。メンツでも力でもなく、できるだけ多くの仲間をつくりながら、ときに長い時間をかけて相手が変化するときを待つ。そうやって庶民は自分たちの無事を守ってきた。 その巧みさから、政治は学ぶべきときなのではないだろうか。(哲学者)2017年4月23日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-無事でありつづける知恵」から引用 有史以来1300年も無事を保ってきた上野村に対して、その間無政府状態になったり無条件降伏する羽目になるなどということを繰り返したきた国が、今さら合併を指導するなど片腹痛い、と言う指摘は痛快です。内山先生が主張するように、現体制を守るために武装する国に対し、対抗策としてこちらも武力を増強するというのは衝突の危険を高めるだけの愚策です。そんなことをして対向しなくても、中国や朝鮮が今の体制を未来永劫に続けるのは不可能であることは、古今東西の歴史に照らして明らかですから、やがて変化の兆しが現れたときに、我々がその変化をどうサポートしてあげられるか、そちらの方を私たちは考えるべきです。
2017年05月06日
約40年稼働した東海村の核燃料再処理工場は、老朽化したので取り壊して処分することが2014年に決まったのであったが、その後の調査で廃止作業は70年かかること、費用は8000億円以上になる見込みであると、4月23日の東京新聞が報道している; 原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す国内初の再処理工場「東海再処理施設」(茨城県東海村)の設備や建物を解体撤去する総費用について、作業終了までの70年間で約8千億円に上るとみられることが、運営主体の日本原子力研究開発機構への取材で判明した。機構は国の交付金で運営されており、廃止費用は国民負担となる。 再処理は国の核燃料サイクル政策の中核で、東海施設は1977年に再処理を開始したが、老朽化などのため2014年に廃止が決まった。 使用済み燃料を細断し、むき出しになった放射性物質を扱うことから、「廃止措置」では核燃料が原子炉内に集中している原発に比べて汚染が広範囲に及ぶ。このため廃止の総費用は数百億円とされる原発廃炉の10倍以上。8千億円は廃止措置の最初の10年間にかかる費用として公表されている約2170億円の4倍で、残り60年聞で約5830億円が必要とした。 核燃サイクルを巡っては、東海施設の技術を引き継いだ日本原燃の再処理工場(青森県)が完成延期を繰り返している。もう一つの中核だった高速増殖原型炉もんじゅ(福井県)は1兆円の国費を投じたが廃炉が決まり、政策の実現が見通せないまま巨費がつぎ込まれる実態が浮かんだ。 機構によると、廃止の総費用は03年にまとめた試算がペース。機構は総費用の精査を進めており、廃止措置計画に盛り込んで6月にも原子力規制委員会に認可申請する。 東海施設の解体で出る廃棄物の処分方法は放射線レベルに応じて3段階。高い方から地下300メートル以下に埋める「地層処分」、地下数十メートルに埋める「中深度処分」、地表近くに埋める「コンクリートピット処分」で、対象の廃棄物量はそれぞれドラム缶約3万本分、約2万4千本分、約8万1千本分と想定している。 廃止の手順は(1)放射性物質で汚染された機器や設備の「除染・解体」(2)解体した機器や放射性廃液をドラム缶などに入れてセメントやモルタルで満たす「処理」(3)ドラム缶などの処分場への「輸送」(4)「埋設」-がある。 総費用の大部分は埋設の約3千3百億円が占め、除染・解体は約1660億円、輸送は約870億円。処理の費用は精査中とし、試算には含んでいない。 東海再処理施設1977年に再処理を開始し、2007年までに国内原発の使用済み核燃料約1140トンを再処理した。廃止は14年に決定。その後も、再処理で出た高レベル放射性廃液をガラスと混ぜて固化体にする作業を進めており、12年半かかる予定だが、トラブルが多く想定通りに進んでいない。2017年4月23日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「廃止に70年、8000億円」から引用 東海村核燃料再処理工場は、40年間、全国の原発から使用済み核燃料を引き取って再処理したわけであるが、その作業でどれほとの売り上げが上がったのか、調べて報道するべきです。その費用は電力会社が負担するべきものであるから、当然、原子力発電のコストの一部とされるべきものです、また、東海村の再処理工場の建設にかかった費用と廃止にかかる8000億円の合計と、40年間の稼働によって得られた収入を比較して、黒字だったのか赤字だったのか、という点も是非明らかにしてほしいと思います。いずれにしても、40年しか使えない工場が解体するのに70年かかるというのは、あまりにも非合理的な話で、負担を次世代に押しつける典型例です。
2017年05月05日

国会で審議されている「共謀罪」法案について、4月23日の東京新聞は次のように論点整理をしている; 「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案に対し、憲法違反との声が上がっています。連載「いま読む日本国憲法」の特別編として、憲法のどの条文に照らして違憲性が指摘されるのか、国会論戦や学識者の主張を基に整理しました。 「共謀罪」法案との関係でよく議論になるのは、憲法19条が保障する思想及び良心の自由(内心の自由)。人は心の中で何を考えようが自由。旧憲法下で思想弾圧が行われた反省から、国家は人の心の中に立ち入らないという大原則を定めた条文です。 その点、犯罪が実行される前に、合意しただけで処罰できるのが「共謀罪」法案。犯罪をすると考えた人の心を罰することになり、19条違反が疑われているのです。安倍晋三首相は「準備行為が行われて初めて処罰対象とする」と説明していますが、何が準備行為なのかあいまいです。 憲法21条は、自分の考えを自由に発表できる「表現の自由」を定めています。旧憲法下で反政府的な言論が取り締まられた歴史を踏まえた条文で、国家権力を批判できる自由をも保障している点が重要なポイントです。 政府は今回、捜査対象は「組織的犯罪集団」と説明する一方、普通の市民団体が性質を変えれば対象になるとしています。米軍基地反対や反原発など、自らの主張を表現する市民団体の行動が対象になったり、活動を萎縮させたりする恐れが指摘され、表現の自由の侵害が懸念されています。 さらに、「共謀罪」法案が成立すれば、共謀を立証するために捜査機関が電話やメールなどの通信傍受を拡大する可能性があると言われます。このことを根拠に、幸福追求権を定めた憲法13条違反を問う声もあります。13条にはプライバシー権が含まれるという解釈があるためです。 また、憲法31条は、何をすれば処罰されるのか法律で明示するよう定めています。「共謀罪」法案は何が準備行為と判断されるか分からず、処罰対象が不明確なため31条違反という意見があります。 一方、政府も、国際条約を「誠実に遵守(じゅんしゅ)する」ことを求めた憲法98条に言及しへ国際組織犯罪防止条約の締結に向けて法案の成立を訴えています。2017年4月23日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「いま読む日本国憲法-『内心』『表現』の自由 侵害」から引用 「共謀罪」法案については、主旨説明の段階で野党の質問に適切な答弁ができなかった法務大臣が、案文が出来上がれば具体的で立派な答弁が出来るなどと言っていたのに、結局提出された法案を読んでも、どのような行為が処罰の対象か、不明確で、山でキノコを取る行為も取り締まりの対象になるとのことで、そんな調子では、普通のサラリーマンでも、乏しい給料から月々少額の貯金をしても、警察が怪しいと睨めば「テロ資金を貯めている」ということで逮捕する口実になりかねない。このように「共謀罪」法案は明らかに憲法に違反する法案であるから、何十時間審議しても採決はできないから、廃案にするしかない。
2017年05月04日
国会議員が官僚に対して資料の提出を求めても、与党の了解が無ければ提出を拒否できるという間違った認識を閣僚が答弁したことについて、法政大学教授の山口二郎氏は、4月23日の東京新聞コラムで次のように批判している; 最近の安倍自民党の増長は常軌を逸している。 20日の参院国土交通委員会で、共産党の議員が「国交省や財務省が『与党の許可が得られないと(森友疑惑に関する)資料を出せない』と言ってきた」と指摘したことに対し、大塚拓財務副大臣は「(政治的案件に関しては)一般的に与党の理事に相談するのは普通だ」と発言し、開示には与党の了解が必要との認識を示した。これは国会における公正な論争を阻害し、議会政治を根底から破壊する暴論である。 国会は国権の最高機関であり、官僚は国会審議に必要な情報を議員の要求に応じて提出しなければならない。プライバシー保護などの事情で公開しないこともありうるが、それはあくまで大臣など行政府の公式の役職にある上司が判断することである。与党であっても単なる国会議員が官僚に対して指示する権限はないし、官僚はそれを聞く義務もない。 たとえて言えば、与党と野党のテニスの対戦で、野党選手がサーブをしようとするとき、与党選手がボールボーイ(官僚)に野党にはボールを渡すなと指示し、ボールボーイがそれに従っているようなものである。 国家機関ではない、一政党にすぎない自民党が直に政府権力を動かすということは、この党がソ連共産党のような独裁政党に変質していることの表れである。(法政大教授)2017年4月23日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-自民党は何様?」から引用 この記事は、なかなか理解しやすい。官僚は政治的に中立であるべきで、一党一派に偏ってはいけないのであって、資料提出を求めてきた者が与党か野党かによって対応を変えることは許されません。したがって、大塚拓財務副大臣の答弁は、あの「大震災が、東北だから良かった」という、あれに匹敵する暴言であり、メディアはこれを放置せず、責任を追及するべきです。
2017年05月03日
先進20か国の財務相・中央銀行総裁がワシントンで会議を開いたと、4月23日の東京新聞が報道している; 米ワシントンで開かれた20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議では、自由貿易の重要性を共有し、保護主義に対抗していく必要性で一致した。ただトランプ米政権は2国間交渉で自国の利益を目指す考えで、内向きな姿勢に変化はない。7月にドイツで開かれるG20首脳会合に向けて、火種は抱えたままだ。 「世界経済の成長のためには自由貿易が好ましい、という方向性で幅広い合意を得た」。ドイツのショイブレ財務相は閉幕後の記者会見でこう総括した上で、「保護主義は世界経済へのダメージ」とくぎを刺した。 しかし、米国の本音は別にある。ムニューシン米財務長官は、22日の国際通賃金融委員会(IMFC)会合に向けた声明で、対米貿易黒字を持つ日本や中国、ドイツを念頭に「過剰な貿易黒字と赤字は、自由で公正な貿易システムに資するものではない」と訴えた。今後、米国企業の雇用増を目指し市場開放を強く求めるのは必至で、各国とも警戒を強めている。 麻生太郎財務相は21日の会見で「環太平洋連携協定(TPP)の方が日米にとっていいシステムだ」と強調。日本は米国抜きでTPP発効に向けた協議を進め2国間交渉を求める米国をけん制していく構えだ。 ただ、23日に第一回投票が行われるフランス大統領選では、極右政党・国民戦線のルペン党首への支持が広がっており、欧州でも保護主義の台頭は顕在化しつつある。G20首脳会合に向け、戦後の世界経済を支えてきた自由貿易体制の正念場は続く。(ワシントン・東條仁史、石川智規)2017年4月23日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「保護主義の波 残る火種」から引用 私はトランプ大統領が言うような保護主義に賛成ではありませんが、この記事が伝えるG20に集まった各国首脳が言うような「世界経済の成長のためには自由貿易が好ましい」という考えには、少なからず疑問を感じます。世界経済が成長すると喜ぶのは、それによって莫大な利益を得る独占資本であって、各国の労働者はそれぞれ外国企業との競争があるというので、競って低賃金で長時間働かされて、生活が苦しくなるだけで、何も良いことはないと思います。また、貿易の自由化ということは、アメリカの安価な農産物が大量に輸入されて、国内の農業が破壊されることはメキシコの例で実証済みと言えるのではないでしょうか。このように一般庶民の生活を脅かす「世界経済の成長のための自由貿易」を、さも錦の御旗のように報道するメディアの姿勢は、それで良いのか、私たちは声を上げていくべきではないかと思います。
2017年05月02日

山田朗著「昭和天皇の戦争」(岩波書店・2400円)について、山口大学名誉教授の纐纈厚氏が、4月2日の「しんぶん赤旗」に次のような書評を書いている; 2014年9月、全60巻に及ぶ宮内庁編纂(へんさん)『昭和天皇実録』(以下、『実録』と略す)が一般公開され、大きな話題となったことは記憶に新しい。 話題となった背景には、戦後数多くの昭和天皇をめぐる歴史叙述があるなかで、その信憑性(しんぴょう)に決着をつけ、加えて新事実が詳(つまび)らかにされているのではないか、と言ったある種の期待感からであろう。多くの人々やメディアにも、昭和天皇の実像を知る上で最高無比の歴史書、と受け止める傾向が顕著である。果たしてそうだろうか。 長年、昭和天皇の政治・戦争指導の実態について徹底した実証主義を貫き、優れた業績を次々と発表されてきた著者は、本書で従来の研究成果を踏まえ、『実録』自体の信憑性と恣意(しい)的な歴史叙述に実に多くの問題点が隠されていることを見事に浮き彫りにされた。 「『実録』において書き残されたことは、疑いのない史実として継承されていく反面、そこで消されてしまったことは、無かったこと、不確実なこととして忘れ去られていく可能性が高い」(はじめに)とし、「天皇の戦争・戦闘に対する積極的発言とみなされるものは、極めて系統的に消されてしまっているのである」(同)と結論づけた。例えば、戦後流布された昭和天皇平和主義者論が『実録』において拡大再生産される危険性を指摘する。 『実録』が歴史事実の抹殺や封印に手を貸すことになるとすれば、歴史否定のための”歴史書”と断じなければなるまい。恣意的な歴史叙述により、記録すべき歴史事実を忘却の彼方に追いやってはならないのである。(錦織厚・山口大学名誉教授)やまだ・あきら=56年生まれ。明治大学教授。日本近代政治史・軍事史。『大元帥・昭和天皇』2017年4月2日 「しんぶん赤旗」日曜版 29ページ「歴史否定にしてはならない」から引用 私は山田先生が岩波から、上の記事が紹介する「昭和天皇の戦争」を出版した後に、先生の講演を聴いたことがありますが、その時のテーマも「昭和天皇と戦争」というもので、印象的な話は「大正天皇は典型的なお公家さんだったため、それを良しとしなかった当時の政府は昭和天皇に対しては、幼少の頃から帝王学のみならず、徹底した軍人教育を施した」ということで、後年、太平洋戦争が始まって、日本軍がガダルカナル島を占領して飛行場まで作ってから、そこを米軍に占領されてしまった。それを何とか奪還しようとして、あるとき夜間に島に接近して艦砲射撃をやったところ、かなりのダメージを与えたことが確認されたので、この作戦をもう一度やって、今度こそは米軍をガダルカナルから追い出したい、と戦場からそういう連絡が入ると、昭和天皇は「日露戦争に於いても旅順の攻撃に際し初瀬八島の例あり、注意を要す」と言って、現場にそう伝えろと命令した。初瀬と八島というのは、日露戦争で日本が失った戦艦の名称で、この2隻は、一度成功した作戦を同じ条件で再度繰り返したときに、ロシア軍の反撃に遭い沈没させられて多くの将兵を失い大きなダメージになったことを意味するのだそうで、こういう的確な指示を出せるのも、昭和天皇が軍人としての資質を有していたことを示すものであるとのことでした。そして、史実としては、天皇がせっかく心配してアドバイスしたにも関わらず、ガダルカナル島奪還のために再度、闇夜に乗じて島に接近した日本の戦艦は米軍の反撃にあって沈められてしまったのでした。こういう事実が、天皇の側近や軍人の日記には書かれているのに、「実録」には書かれていない。天皇も人間だから、時には戦争に対して慎重論や消極的なことも発言したが、戦争指導者として積極的な発言をすることもあったというのが実像であるのに、前者のみを「実録」に記載し後者を割愛するのでは正確な歴史叙述とは言えないと、こういうことのようです。
2017年05月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1