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東京都知事と墨田区長が追悼文送付を取りやめた今年の朝鮮人犠牲者追悼式典について、10日の「しんぶん赤旗」は次のように報道している; 加害の歴史を意図的に風化・忘却しようというものだ-。東京都の小池百合子都知事の判断に厳しい批判の声が広がっています。政府さえもみとめている関東大震災での朝鮮人の虐殺。その事実を「歴史家がひもとくもの」として、式典への追悼文送付も取りやめたからです。北村隆志記者 関東大震災から94年にあたる1日、東京都墨田区の都立横網町公園で、朝鮮人犠牲者追悼式典(主催・同実行委員会)が開かれました。追悼式には例年を上回る約500人が参加。震災が起きた午前11時58分、鐘の音を合図に犠牲者に黙とうをささげました。 日朝協会東京都連合会の宮川泰彦会長はあいさつで、都知事の追悼文取りやめについて厳しく批判しました。 「自然災害ではなく、人の手で命を奪われた犠牲者・遺族に寄り添う姿勢が見えない。朝鮮人虐殺の事実から目を背けるもの」 日本共産党の河野ゆりえ都議は「歴史の修正、逆行を許さず、北東アジア諸国民との平和・友好・連帯を強めるために力を尽くす」と語りました。 大震災で叔父が虐殺された金道任さん(80)は「都知事の決定は腹が立つ。両民族の友好のために歴史を学ぶことこそ必要なのに」と声を震わせました。 1923年の関東大震災では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言(デマ)が広がり、官憲や自警団によって多数の朝鮮人が虐殺されました。犠牲者には中国人や、日本人の社会主義者も含まれていました。 大震災50周年の73年に都議会全会派代表が賛同して、横網町公園に朝鮮人犠牲者追悼碑を建立。以来、碑の前で毎年追悼式が開かれ、都知事が追悼文を寄せてきました。石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一の各知事も送付し、昨年は小池知事も送っていました。 しかし今年、小池知事は「東京都慰霊協会の大法要で震災のすべての犠牲者を哀悼するから」と、朝鮮人犠牲者への追悼文送付を取りやめ。小池知事は1日の会見で朝鮮人虐殺について問われ、「さまざまな見方がある」「どれがどうかは歴史家がひもとくものではないか」と述べ、虐殺の事実を認めませんでした。2017年9月10日 「しんぶん赤旗」日曜版 32ページ「朝鮮人虐殺 歴史は葬れない」から引用 関東大震災の時の朝鮮人虐殺について質問された小池都知事が「さまざまな見方がある」と言ったそうだが、どんな見方をしても当時、流言飛語を真に受けた一部の日本人が手当たり次第に朝鮮人を斬り殺したのは事実であることは、多くの歴史家が認めるところです。都知事という公職にある政治家が、右翼の歴史を改ざんしようとする策謀に加担するような真似は慎むべきです。
2017年09月29日
柏崎刈羽原発の再稼働について、法政大学教授の山口二郎氏は17日の東京新聞コラムで、次のように批判している; 原子力規制委員会が東京電力の柏崎刈羽原発の再稼働に向けて、運転適格の判断を下す方針を決めたという新聞記事を読んで、愕然(がくぜん)とするとともに、なんと破廉恥なという怒りがこみあげた。福島第一原発の事故の本当の検証は放棄された。例えば、『世界』10月号掲載の田辺文也「2号機はなぜ破損したのか」を読めば、メルトダウンの過程についてまだ解明されていないことがわかる。 3・11は第二の敗戦とか、転換点とか言われた。それが第二の敗戦たるゆえんは、第一の敗戦と同じく、敗戦の責任者が免責され、過去を反省することなく誤った政策を継続している点にある。原発事故がもたらしたさまざまな問題に目をつぶり、再稼働を強行する安倍政権は、戦争の歴史と同様、3・11という歴史的経験を消去しようとしている。歴史を否定すれば我々は未来を持つことができない。 無力感に浸っている場合ではない。3・11をなかったことにするのか、3・11の教訓をかみしめてエネルギーをはじめとする日本の政策の転換を進めるのかは、政治におけるもっとも重要な対立軸である。北朝鮮に対する「この道をさらに進めば明るい未来はない」という安倍首相の言葉はそのまま彼自身に当てはまる。野党が日本の未来を残したいなら、衆院補選において対決構図を明確にして戦わなければならない。(法政大教授)2017年9月17日 東京新聞朝刊 11版 「本音のコラム-歴史のない国」から引用 福島原発の事故が起きるまでは、原発の安全性をチェックする機関が原発を推進する立場の通産省の傘下に置かれていて、通産省のOBが天下りして原発をチェックするどころかスムーズに稼働させることばかりやっていたため、事故を契機に通産省とは別の組織にしたのであったが、それでも人員は元の「原発ムラ」と呼ばれたグループにいた人たちだったことから、事故の検証も満足にできないうちに柏崎刈羽原発を再稼働することにしたのは、実に遺憾です。また、上の記事が書かれた頃はまだ「衆院解散」など誰も(首相を除いては)考えていなかったこともあって、山口教授は「衆院補選の戦い方」について述べており、まっとうな意見と思いますが、きのう今日の民進党・前原代表の言動には大変失望してしまいます。民進党は、野党第一党として、与党に変わって政権を担当する立場にあるという自覚があれば、当然のことながら、与党に対し明確な対決構図を示して堂々と闘いをいどむべきなのに、小池百合子が半年前に商標登録しただけの「希望の党」という、何をやるのかも定かではないにわか作り政党と「合流」というのでは、民主党時代から支持してきた有権者をも失望させているのではないかと思います。政策を訴えて有権者の支持を得ようと努力するのではなくて、ブームに乗って票を集めようというのは、政治家としては邪道というものではないかと思います。
2017年09月28日
宮澤佳廣著「靖国神社が消える日」(小学館)について、宗教学者の島田裕巳氏が17日の東京新聞に、次のように書評を書いている; 著者の宮澤佳廣氏は、約10年間にわたって靖国神社に禰宜(ねぎ)として奉職した人物である。禰宜は宮司、権宮司の下で、靖国神社のナンバー3である。その立場から、靖国神社をめぐる問題はどのようにとらえられるのか。そこには外部からは見えにくい複雑な事柄がからんでいる。 扱われている事柄は、遊就館の展示方針から首相の公式参拝やA級戦犯の合祀(ごうし)と多様だが、著者が一番問題としているのは、本来国家の施設として誕生し、国家のために亡くなった戦没者を祀(まつ)ってきた靖国神社が、戦後、民間の一宗教法人となったことから生まれた矛盾である。 戦前の靖国神社は陸軍と海軍によって管轄され、国の方針に沿って運営されてきた。ところが、戦後、宗教法人になったことで、独自に方針を決定できるようになった。その際に大きいのは、代々の宮司の意向である。現在の宮司、徳川康久氏は、徳川家最後の将軍、慶喜の曽孫であり、そのもとで、「賊軍(旧幕府軍)」の合祀の動きが起こっている。 靖国神社は、「官軍」の戦没者を祀ることからはじまった。賊軍合祀は、その理念を根本的に変化させる。著者は、そこに靖国神社が本来の意義を失ってしまうことの危機を見ている。それが、書名にも反映されている。擁護でも批判でもない、これまでとは違う靖国神社論と言えるだろう。(評者島田裕巳=宗教学者)宮澤佳廣著「靖国神社が消える日」(小学館・1404円)<みやざわ・よしひろ1958年生まれ。国学院大兼任講師。>2017年9月17日 東京新聞朝刊 9ページ「賊軍合祀、変わる本質」から引用 私のような宗教の門外漢にとっては、150年も昔のことで、どっちも日本人だし今さら官軍も賊軍もないだろうと思うのですが、世の中は様々で、人によっては賊軍を祀ったのでは神社としての本質に関わると問題視する考え方もあるというのは、驚きです。確かに、筋論からいけば、賊軍のトップに君臨した人物の子孫を宮司にしたのだから、賊軍も平等に祀るべきだという機運が出てくるのは自然なことと思われますが、「そのようなことでは神社の本質が変えられてしまう」という主張は、どのような思想信条から出てくるものなのか、興味深く思いました。
2017年09月27日
労働組合の力が弱くなって存在感が薄れているのは日本だけではなく、アメリカでもイギリスでも同様であると、同志社大学教授の浜矩子氏が17日の東京新聞コラムに書いている; 最近、面白いことに気がついた。「労働組合」という言葉にあちこちで出会うのだ。 労働組合という言葉には、ともすれば、いまや死語感が漂う。組織率の低下。交渉力の低下。労組が話題になる時、そのイメージはおおむね必ず否定的だ。巨大労組が経営や政治を脅かす時代は終わった。もっぱら、この感じだ。 かつて、アメリカでUAW(全米自動車労組)といえば、泣く子も黙る存在だった。その昔、わが上司がアメリカに出張し、UAWの幹部を訪ねた。その時、UAW側がおみやげをくれた。UAWのロゴ入りパーカだった。それを着て街を歩いていたら、駅のホームかどこかで、ベンチに座っていた人がさっと立って最敬礼とともに席を譲ってくれた。 だが、そのUAWもいまや見る影もなく落ちぶれている。日本でも、かつての産別労組の幹部たちには迫力があった。その中には、「天皇」の異名を取る人もいた。一定年齢から上の層の皆さんは、ご記憶がよみがえるだろう。 組合運動の本家本元、イギリスでは、YUC(労働組合会議)が、まさに労働界の天皇の位置づけにあった。これぞ、労働貴族たちの総本山。泣く子も黙るどころではない。泣く子の親たちが土下座してあがめ奉る。それがTUCだった。だが、それも、今は昔の物語。YUCがメディアの話題になることはめったになくなった。 ことほど左様に、労組低迷時代が随分長くにわたって続いて来た。ところが、ここに来て、どうも少し風向きが変わって来たようである。 OECD(経済協力開発機構)が、その「雇用アウトルック(Employment outlook)」の2017年版で、今の時代における組織労働の重要性に焦点を当てている。雇用は伸びているのに、賃金が上がらない。この不可思議な状況がグローバルな広がりを示す中で、OECDも、この謎解きに躍起になっている。謎解きの一つのカギが、労組の団体交渉力にある。今年の「雇用アウトルック」でこの主張が展開されている。決して労働者の強き味方だとは言えないこの組織が、労組の交渉力に寄る辺を求めようとしている。これには、少なからず驚いた。それだけ、低賃金がもたらすデフレ効果に頭を悩ませているということだろう。 ローレンス・サマーズというアメリカの経済学者がいる。クリントン政権下で財務長官を務めた。その後にハーバード大学の学長に就任していた時期がある。この人も、決して万国の労働者の同志だとはいえないだろう。ところが、彼もまた今こそ、21世紀の労働者たちのために21世紀の労組たちが再起を果たすべきだと力説している。 この他、さまざまなジャーナリストや論者たちが労組待望論を展開している。イギリスが誇るグローバル経済紙、ザ・ファイナンシャル・タイムズさえ、今のイギリス経済には労組の力が必要だと主張している。しかも、この論点を社説で前面に出している。 ところが、この労組待望感が、日本にはどうも波及していない。これはいけない。情けないことだ。それだけ、日本の労組たちが世の中から見放されているということか。「人づくり革命」なる怪しげなスローガンが打ち出されて来る中、日本こそ、労組の復権が待望されるべきではないのか。しっかりすべし。(同志社大教授)2017年9月17日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「時代を読む-労組待望論の時代」から引用 労働者の収入が伸びないために消費活動が停滞してデフレを引き起こしているというのは、日本だけではなくアメリカもイギリスも同じとは驚きです。日本では安倍首相が大企業経営者を集めて労働者の賃金を上げるようにお願いしてみたり、労働者が携帯電話の通信料に払うお金を削減すれば、その分消費に廻るのではないかというので、携帯電話の料金を引き下げるように働きかけるなどと、まるで素人の思いつきのようなことをやりましたが、効果はさっぱりでした。やはり政治家としては、そういう小手先の手品のようなことを考えるのではなくて、社会の制度として労働者の収入を一定水準に保つための政策というような次元の仕事をしてもらう必要があるのではないかと思います。大企業の税負担を軽くすれば、その分労働者の待遇改善ができるなどと「おとぎ話」のような発想ではダメで、資本主義経済の仕組みについて、「資本論」などをじっくり読んで研究する必要があるのではないかと思います。
2017年09月26日
自国の産業保護のために他国からの生産物輸入には関税をかける、という考えは古くて、これだけ経済が発展したのだから、更に効率を上げるためには自由貿易を推進するべきだ、というような「了解」の元にTPPが推進され、規制を緩和することは「良いこと」であるかのように、なんとなくそう言われてきたような気がしますが、それはとんでもない間違いだと主張する経済学者のコメントが、8月27日の「しんぶん赤旗」に掲載された; 保護主義に陥らず、自由貿易の灯を消さないよう環太平洋連携協定(TPP)や日欧経済連携協定(EPA)を推進すべきだ-。もっともらしく語られると、そうかなと思いがちです。「自由貿易」の言葉からは、みんなが平等に利益を分かち合うかのようなイメージを受けるかもしれませんが、実態はその逆です。 日本政府は自由化を名目に規制緩和を進め、相互扶助的なルールや組織を「岩盤規制」「既得権益」と攻撃し壊してきました。目的はビジネスとお金を一部企業に集中させること。そのため、規制緩和の名で規制を強化する場合さえあります。 「岩盤規制」「既得権益」と命名され、「保護策」だとして攻撃されるルールや協同組合などの組織は、社会の均衡ある持続的発展に寄与してきました。ところが、それを壊すことで私腹を肥やせる人たちは、これらを悪者に仕立て上げます。その国際版が「自由貿易」の推進です。 そもそも、TPPには巨大な「贈収賄」の構図が当てはまります。例えば、製薬会社から巨額の献金を受ける米国の政治家が、新薬のデータ保護期間の延長という「規制強化」を画策しました。一部企業の経営陣が私腹を肥やす「ルール」を、アジア太平洋地域の国に押し付けるものです。 加計問題で話題の国家戦略特区は規制緩和の突破口とされます。その実態は、政権に近い者が私腹を肥やせるよう、ルールを破って便宜供与する国家「私物化」特区であることが明らかになりました。TPPはグローバル企業が私腹を肥やすための世界の「私物化」です。だから、日欧EPAが「TPPプラス」(TPPを上回る水準)となったことは、決して喜ばしいことではありません。「経済規模が大きく自由化度が高い」点で優れていると評価するのも間違いです。 TPPも日欧EPAも自由貿易協定(FTA)の一種で、そもそも「悪い仲間づくり」です。「A君は好きだから仲間にして(関税をなくして)あげるけど、B君は嫌いだから仲間はずれ(関税をかける)」-。FTAは仲間だけを差別的に優遇します。だから「経済規模が大きく自由化度が高い」ほど貿易がゆがめられ、域外国の損失も大きくなります。 われわれの試算では、日欧EPAによって締め出される域外国の損失は23億1600万ドル(約2548億円)に及び、日欧EPAのメリット(17億6200万ドル、約1938億円)より大きくなります。農産物のような高関税品目は関税撤廃の対象から除外したほうが域外国の損失は減らせます。農産物を除外すると、域外国の損失は約3分の2に減少します。 日本では長年、政府も国際経済学者も「FTAは貿易をゆがめる」と否定してきました。ところが、2000年頃から政府がFTA推進にかじを切りだすと、同じ学者がFTAを礼賛し始めました。経済学者の良識、経済学の真理とは何なのかも問われます。鈴木宣弘(すずき・のぶひろ 東京大学教授)2017年8月27日 「しんぶん赤旗」日曜版 20ページ「経済 これって何?-グローバル企業が私腹を肥やす」から引用 この記事を読むと、FTAは貿易をゆがめるという考えを前提にしていた日本政府や経済学者の見解は正しかったのに、2000年頃から政府が方針を変更したらしいことが分かります。「失われた○十年」と言われた長期不況から抜け出すために、デフレ脱却のために、やれることは何でもやるということで、やってはならないことにまで手を染めてしまったということでしょうか。様々な規制緩和を行った結果、大企業の内部留保は順調に増大し、労働者の収入はそれに反比例して減少するということになってしまい、格差は拡大するばかり、何時になったら景気が回復し、国の税収が増えて赤字国債の解消できるのか、まったく目処は立ちません。果たして、こういう状況を続けていっていいのかどうか、よく考える必要があります。
2017年09月25日
安倍政権の強行採決で成立した安保法制は憲法違反であるという問題について、憲法学者の長谷部恭男氏は18日の東京新聞で、その理由を次のように説明している; 集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法制。国会審議を重ねるほどに疑問は浮かび、廃案を求める声が広がった。安保法制の問題点は何か。本紙が掲載を続けてきた「言わねばならないこと」の特別編として、各界の第一人者に聞いた。 論点は6つ。安保法制は歴史的にどんな意味を持つのか。政府は安保法制は「憲法の枠内」で、安全性が高まると主張する。それぞれ本当か。国会審議では言葉が尽くされたのか。なぜ多くの市民や若者が反対の声を上げたのか。その声に、政府は耳を傾けたのか。◆審議するほど違憲明確 安全保障関連法制について「従来の憲法解釈の基本的論理は維持されている」という政府の主張には問題点がある。 政府が根拠にしている1972年の政府見解は、個別的自衛権の行使が認められることを根拠づける考え方だが、実はその全部をカバーしていない。例えば尖閣諸島をどこかの国が占拠したとして、日本の国の存立が脅かされ、国民の生命、幸福追求の権利が根底から覆されるのか。個別的自衛権行使についてさえ相当引いている根拠を持ち出して、なぜ集団的自衛権行使を正当化できるのか。何の理屈にもなってない。 同じく政府が根拠としている59年の砂川事件判決は、米軍の駐留が憲法9条2項に反するか反しないかが争われた事件の判決。集団的自衛権を行使できるかどうかなんて、およそ争点になっていないので根拠になるはずがない。 「日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している」というのも、具体的説明がない。国際的なシンクタンク「経済平和研究所」による2015年の平和と安全ランキング(Global Peace Index)では、日本は4年連続で第8位。本当に環境が厳しくなっているなら、限られた防衛資源を世界中にばらまいて、米軍をお手伝いするのは愚の骨頂だ。 武力行使は限定されるというが、地球の反対側まで行って中東のホルムズ海峡で武力行使できるというのは、どう考えても限定されていない。結局、政府がよく使う言い回しだが「最後は政府が総合的に判断する」というだけだ。 他国軍支援についても、弾薬の提供や発進準備中の航空機への給油は、明らかに憲法上禁じられてきた他国との武力行使の一体化に当たる。政府も説明できていない。安保法制は審議が進むほど、憲法に違反することが明確になっていった。 政府・自民党は、安保法制を違憲とする多くの憲法学者の意見に対し「字面にこだわっている」などと言ってきた。「あの人たちの言うことを聞かないでください」と言っているだけ。反論できないということを態度で示している。 安倍政権は、内閣法制局長官の人事にまで手を突っ込み、集団的自衛権の行使はできないと何度も何度も繰り返し確認されてきた政府の憲法解釈を、時の政権が変えられることにしてしまった。これは大変な問題だ。「立憲主義」の最低限の意味は、憲法によって政治権力を縛ること。その意味を政府自体が変えられるというのは、立憲主義に対する正面からの挑戦としか言いようがない。 9条を正々堂々と変えるという話なら、こんな大騒ぎになっていないが、9条を変えてまで今回のような法律を導入する合理性も必要性もないと思う。 安倍晋三首相は、徴兵制は憲法18条が禁じた「意に反する苦役」に当たるからあり得ないと言うが、だれも信用しない。あれだけ繰り返し確認されてきた9条の解釈を、時の政権の判断で変えられる先例を開いてしまったから。徴兵制が18条に反することは、それほど繰り返し確認されていない。 これからどう戦っていくか。最後は政権を変えるしかないと思う。今回の安保法制を廃止する法案を提出して成立させるだけでは駄目で、集団的自衛権行使を容認した閣議決定を「間違っていた」と、元に戻してもらわないといけない。 国会前などの抗議行動に出かけているが、何の組織・団体に動員されたわけでもなく、何万人もの人たちが自発的に集まっている。まだまだあきらめたものではないと思う。集会だけではなくて、次は選挙にも行って、おかしな政権を倒さないといけない。<はせべ・やすお> 1956年生まれ。早稲田大法学学術院教授。東大法科大学院長、国際憲法学会副会長などを務めた。今年6月の衆院憲法審査会に与党推薦の参考人として出席、安保法案を違憲と断じた。憲法学者や弁護士らによる「国民安保法制懇」メンバー。近著に「安保法制の何が問題か」(岩波書店、共編)。http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2015091802000207.html 安倍首相が「徴兵制は憲法18条が禁じた”意に反する苦役”に当たるからあり得ない」と、どのような文脈での発言だったのか知りませんが、本音でないことは確かで、まったく信用できない発言であることは長谷部先生が指摘する通りだと思います。9条の1項と2項をそのままにして、ただ「自衛隊」を書き加えるだけ、などというアイデアを発案したのも、憲法18条を持ち出して徴兵制を否定する発言をしたのも、憲法改正に慎重な国民の「警戒心」を和らげて、とにかく「一番最初に改憲に手を付けたのはオレだ」という実績を残したいという並々ならぬ「熱意」が感じられますが、一政治家の功名心で変えられるほど憲法は軽いものではありませんので、こういう邪な改憲論には断固反対を貫くべきだと思います。
2017年09月24日
国民生活を蔑ろにしている安倍政権について、ルポライターの鎌田慧氏は19日の東京新聞コラムで、痛烈に批判している; 昨日の代々木公園。「さようなら原発 さようなら戦争」全国集会は明るい雰囲気だった。安倍内閣は北朝鮮ミサイルの恐怖を盛んにあおり、過剰な防空演習を指示していたのは「火事場泥棒」的な衆院解散を狙っていたからだったのだ。 この政府はフクシマ事故で住民が大量に難民化しても平然と原発を推し進め、二度目の事故で国民生活が完全に破綻する危険に眼をつむって、電力会社など原発関連産業の刹那的な利益の誘導を図っている。避難訓練を条件とする原発の再稼働など、全体主義国家の人権無視政策である。安倍首相の美辞麗句「美しい日本」が大量の故郷喪失者を発生させている。 原子力規制委員会は、東京電力柏崎刈羽原発の運転適格性をありとしたが、最初から結論ありきの審査だ。いまに至るまで東電は福島事故の責任を何ら取っていない。廃炉はできるのか、放射性廃棄物をどうするのか。 事故当時の原子力委員長だった近藤駿介氏は、「原子力に限らず、どんな技術にも負の側面はある」といまでも反省なき原発村の中心人物。北朝鮮に対抗して核の持ち込みが主張され、小型核爆弾なら自衛の範囲、憲法に違反しないとの意見も出てきて、解散総選挙。 憲法9条に自衛隊を滑り込ませる居直り強盗、世界の良識に背く原発再稼働。会社天下、人権低国にさようならしなくちゃ。(ルポライター)2017年9月19日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-さようなら集会」から引用 どんな技術にも負の側面があるというのは、実にナンセンスな戯言です。私たち国民が原発再稼働に反対する理由は、「他の発電技術には一切問題が無いのに、原発は問題だらけだ」などというものではなくて、水力発電にも火力発電にも、他の再生可能エネルギーにも、それなりに問題は存在するが、原発のように瞬時に数十万人の国民の生活を破壊するような問題を含んでいるわけではないから、だから容認できるのであって、その点、原発は他の手段とは比較にならない重大な危険が存在し、しかも数年前に実際に起きたものであり、その原因もまだ特定できず、後始末も終わってはいない、こういう発電手段は容認できるものではありません。
2017年09月23日

昨日の欄に引用した記事の続きは、若い中国人のとっさの機転で助けられた鈴木節子さんの姉の櫛渕久子さんの体験談を、次のように紹介している; 節子さんの姉・櫛渕久子さん(89)=滋賀県在住=は事件の約2年前、小学校に通うために帰国していた。 1937年の夏休み、登校日に学校へ行くと周囲が自分を見る目が何かおかしい。家に帰って新聞を見ると、両親の写真が載っていた。小学3年生でも、大体の内容は理解できた。「殺されたんだ」。打ちのめされた衝撃から、やみくもに走り出し、気がつくと近くの滝に飛び込んでいた。 久子さんが2歳のころ、一家は満州の大石橋(だいせっきょう)という街に移り住んだ。その後、樺旬(かでん)という街に。そのころの生括は幸せな記憶に彩られている。患者は中国人が多く、父は慕われていた。中国語は分からなかったが、現地の子どもたちと一緒にままごと遊びをし、日本に帰国する時には、泣きながら馬車を追い掛けてきた。だが、そこは「戦地」でもあった。ゲリラ兵との戦いで傷ついた日本兵が真夜中に運びこまれてきたこともあった。 何さんとの思い出は、久子さんがたくあんを食べ残した時のことをよく覚えている。何さんはたくあんを食べて歯を見せ、「硬い物を食べないと歯が丈夫にならない」と教えてくれた。 事件については当初、両親や妹を殺した中国人に対し、はらわたが煮えくり返る思いだった。しかし、歴史に関する本などを読むうちに「当時、日本軍にひどい目に遭わされていた保安隊員だっていたはずだ」と考えるようになり、憎しみは薄れた。残ったのが「何さんのような立派な方がいた」との思いだった。 師範学校に通い、小・中学校の先生となり、戦後は生活に追われた。久子さんが事件について証言を始めたのは、つい最近だ。そのきっかけは昨年9月、自分の子どもに、病気で先立たれたことだった。「自分自身、心がめちゃくちゃになるぐらい苦しむ中で、ふとあの戦争で子どもを亡くしたお母さんたちの苦しみを思ったのです。苦しい思いを二度と皆にさせてはいけないと」。当時を思い出すことは、涙が出るほど苦しい作業だったが、書くことや集会を通じて語り継ぎ始めている。 一方、通州事件に注目する別な動きがある。「新しい歴史教科書をつくる会」は昨年6月、事件の記録を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に登録申請したと発表した。「つくる会」は事件を中国人による「残虐行為」と強調。2015年10月、中国が申請した「南京事件」資料が記憶遺産に登録されたことを受けたことへの対抗措置であることを隠さない。 実際はどんな事件だったのか。通州事件を実証的に研究し、昨年末に著書「通州事件-日中戦争泥沼化への道」(星海社新書)をまとめた愛知大非常勤講師の広中一成氏(中国近現代史)は、ことさら感情的に事件の残虐性を強調する姿勢を疑問視する。 広中氏によると、事件直前、保安隊に反乱の予兆があったが、現地の日本軍は見過ごした。事件後も軍部は当初、事件を隠蔽(いんぺい)しようとしたが、一転して大々的な報道を容認し、反中感情をあおったという。広中氏は「事件は日中戦争で日本軍最初の失敗だったが、それを覆い隠すため、中国への敵対心をあおり、憎しみの連鎖を生んだ。それによって、当時の戦争支持の世論は揺るぎないものになったと言える。事件は歴史的な文脈で捉えるべきで、日本人が無残に殺害されたことばかりにこだわっては、事件の実像を捉えることはできない」と主張する。 久子さんと節子さんの姉妹も「憎むべきは戦争」という思いで一致する。 節子さんは言う。「中国人に対して憎しみなんてない。要するに戦争は駄目」。久子さんも「保安隊に狂気をもたらしたものはいったい何だったのか。その歴史をひもとく必要がある」と強調し、歴史を直視するよう訴える。「憎しみをあおり立てる愚かなことをもう二度としては駄目です。そうした行いが、もはや戦争の一部に違いないのですから」<デスクメモ> 日本人が多数殺害された通州事件で、たった一人の少女を救った何さんの決死の行為はむなしいだろうか。そんなことはない。生き残った姉妹が、私たちに今、憎しみを乗り越えるヒントを語りかけてくれているのだから。何さんの勇気を生かすも殺すも、私たち次第だ。(典)<通州(つうしゅう)事件> 1937年7月29日未明、日本のかいらい政権だった冀東(きとう)防共自治政府が治めていた通州で、冀東政権の治安維持部隊である中国人の保安隊が反乱。日本軍通州守備隊の動きを封じた上で、居留民の日本人と朝鮮人を次々と殺害した。在天津日本総領事館北平警察署通州分署の調査では、亡くなつた居留民は日本人114人、朝鮮人111人だった。2017年9月10日 東京新聞朝刊 11版 27ページ 「憎むべきは戦争」から引用 この記事のポイントは「歴史を直視する」ということだと思います。「中国側もこんな残虐な事件を起こしていた」などと煽ってみても、結局のところ日本軍が仕立て上げた傀儡政権の下で、愛国心に目覚めた中国人保安隊が反乱を起こしたということですから、事の起こりは日本による中国侵略であったという歴史を、私たちは直視する必要があるということです。
2017年09月22日
日中戦争の発端となった盧溝橋事件の3週間後に起きた通州事件について、10日の東京新聞は体験者の話を、次のように報道している; 1937年の日中戦争開戦から今年で80年になる。発端となった慮溝橋事件から約3週間後、北京近くの通州という都市で、日本人と朝鮮人の居留民計225人が中国人部隊「保安隊」に殺害された。「通州事件」と呼ばれ、日本人の中国人への憎しみをあおり、戦争支持への傾倒を決定づけたとされる。しかし今、事件で両親と1歳だった末妹を失った姉妹の記憶に残るのは、惨劇の渦中にあってなお、人間性を失わなかった一人の中国人女性の姿だ。(佐藤大) 「赤ちゃんだった妹がその時どうなったかと思うと、つらいですね」。通州事件で生き残った鈴木節子さん(84)=東京都在住=を8月末に訪ねると、遠い記憶をたぐり寄せながら、話をしてくれた。 節子さんは事件当時、3歳10か月。通州で医院を開いていた父郁太郎さん=当時(35)=と母茂子さん=同(31)、妹紀子さん=同(1つ)=との幸せな生活は事件で暗転した。両親と一緒だった紀子さんは、医院を襲撃した保安隊員らに拉致され、3人ともコーリャン畑で殺された。 節子さんもその場にいた。だが、保安隊が迫ってくると、住み込みの看護婦だった中国人の何鳳岐(かほうき)さんが不意に節子さんを抱き、「私の子どもです」と言い張った。 何さんは当時21歳。医院で助手をしながら、産婆などで忙しい母親に代わり、節子さんたちの面倒もみてくれていた。節子さんたちも、何さんを母のように慕っていた。そんな間柄とはいえ、保安隊にうそがばれれば、命さえ危うい。 何さんの決死の機転のおかげで、節子さんは難を逃れた。2人でコーリャン畑に逃げ込み、数日間、事件が収まるのを待った。その後、何さんは節子さんを日本軍に引き渡してくれたという。3歳とあって事件後の経過の記憶は薄い。ただ「薄暗いようなところを歩き、薄暗いようなお家に入って、何かもらったような・・・」と話す。事件の衝撃が大きく、「記憶が飛んだのかもしれない」とも。 その後、連絡を受けて迎えに来た祖父と帰国。東京で暮らした。戦中、何さんから時折、電話が来たことを覚えているという。祖父からは「何さんは後から日本に来るから」と聞かされ、信じて待ち続けた。 母方の親戚が住む群馬県に移り住むと、事件について思い出すことも少なくなった。戦後、看護師となり、家庭も築いた。ただ、事件のことは「体に染みついていた」。何さんのことも忘れたことはなかった。 1972年に日中の国交が正常化された後、77年には、新聞で「何さんの行方を知りたい」と呼び掛けてもらった。日中友好団体に問い合わせ、事件現場から脱出した記者にも会った。だが、有力な情報は得られなかった。戦中、日本人と良好な関係だった何さんは戦後、大変な境遇に置かれた、とのうわさも聞いた。節子さんは「迷惑がかかるかも」と後ろめたさもあり、それ以上、捜すことはあきらめた。 周囲に通州事件を知る人はおらず、事件の資料を「お守りのように」手元に置き続けるしかなかった。そんな今、話そうと思ったのは、何さんへの止めどない思慕からだ。「本当に、助けてもらいました。母親と思うぐらいべったりでした。優しい人でしたね。会えなかったことは残念ですが、死ぬまで思い続けると思います」2017年9月10日 東京新聞朝刊 11版 26ページ「『私の子』決死のうそ」から引用 この記事では何故中国の保安隊が事件を起こしたのかという部分についての説明がないので、コメントのしようもありませんが、国と国が対立関係にあっても、民間人同士は仲良くやっていけるものなのだという点は理解出来ると思います。
2017年09月21日
新しく民進党代表になった前原誠司氏に対し、法政大学教授の山口二郎氏は10日の東京新聞コラムで、次のようにエールを送っている; 前原様、民進党再建の大役を担って代表に就任した直後に、トラブルに見舞われご苦労の多いことと存じます。政治家個人の問題は民進党本体とは関係ないと割り切るしかありません。 代表の任務は、民進党が政治の転換を成し遂げる主体だという期待を喚起することです。私自身、野党と市民の協力で安倍政治を止めようという運動を進めてきました。失礼ながら、そのような運動に集まる市民の間では、前原さんは保守的だというイメージが強く、民進党と一緒に戦えるかという疑問の声がありました。私は、僭越(せんえつ)ながら、前原さんは社会保障については平等志向を明確にしているし、選挙に向けてリアリストとして他の野党とも協力するはずだと説明してきました。 今必要なことは、政策以前に、政治家としての節操や信義を大事にすることだと思います。大阪で公共分野を解体してきた維新や、人間の尊厳を理解していないとの疑念を抱かせる小池東京都知事との連携を模索すると聞けば、私もそんな民進党は解党した方がよいと思います。 本気で政権を取りに行くために野党の選挙協力について見直したいというのも一つの見識だと思います。ならば、他の野党に対して民進党としての理念を示し、率直な対話をすべきでしょう。ご健闘をお祈りします。(法政大教授)2017年9月10日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「本音のコラム-拝啓、前原誠司様」から引用基本的に民進党は安倍政権に反対する全ての野党と連携するべきです。従って、維新は与党として扱われていないとは言え、姿勢は「反安倍」ではありませんから、維新との連携は検討の対象ではないだろうと思います。また、都議選で大勝した小池グループも、都議選では自民党都連と戦ったとは言え、明確な政策論争で選挙に勝ったわけではなく、単にブームにのってムードで票を集めたに過ぎず、国政選挙でも同じ手法が効果を上げるとは考えられません。やはり、民進党としてどのような理念で選挙を戦うのかという姿勢を明確にして、連携できる勢力を結集する方向で努力するべきと思います。
2017年09月20日
衆議院で空席になった議席を争う補欠選挙に、自民党の地元支部が前新潟県知事泉田裕彦氏を擁立する提案をしたが、異論が出たため決定を延期したと、10日の東京新聞が報道した; 自民党の長島忠美元復興副大臣の死去に伴う10月の衆院新潟5区補欠選挙で、自民党の地元支部は9日、新潟県長岡市で選考委員会を開いた。前新潟県知事泉田裕彦氏(54)の擁立に向けて協議したが、一部の地元県議らが反発し、正式決定は持ち越された。 支部の選考委は2日、泉田氏に出馬を打診。回答を保留していた泉田氏は8日、出馬する意向を支部幹部へ伝えていた。この日の会合では、泉田氏が5区出身でないことなどから、地元県議3人が出馬の意向を表明。今後、候補の一本化に向けて協議を続けるという。 泉田氏を巡っては、知事時代に東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に慎重だったことなどから、自民党からの出馬に県連内で異論がある。 泉田氏は同県加茂市(新潟4区)出身。経済産業省を経て2004年の知事選で初当選し、3期12年務めた。 補選には共産党の新人西沢博氏(37)、政治団体「幸福実現党」の新人笠原麗香氏(25)が出馬を表明。民進党も社民党、連合新潟と候補者の擁立で合意している。2017年9月10日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「泉田氏補選擁立 異論で決定延期」から引用 このニュースを初めて聞いたときは、私もびっくりして何がどうなったのか、ワケが分からないという気分でした。ツイッターでも「脱原発の運動に対する裏切りだ」というような呟きが多く見られて、やはりこれは「裏切り」なのかなぁと思ったりしましたが、考えてみれば、泉田氏は元々官僚出身の自民党の政治家なのであって、事故後の原発再稼働に慎重だったのは、「再稼働させるには、直近の大事故の原因と責任の所在をはっきりさせて、しっかりした防止策を講じる必要がある」との考えからであって、必ずしも「原発そのものに反対」という考えの持ち主ではなかったという点を思い出す必要があります。ただ、自民党の政治家でありながら、再稼働容認という政府の意向を忖度せずに、住民の安全を優先させて東京電力の再稼働に同意しなかった点は、高く評価されてよいのではないかと思います。こういうことになると、新潟の有権者の判断は少し難しくなるような気がします。個人としては立派な政治家であっても、所属する組織が「原発容認」なのでは、個人の意向は多数決で組織の意向に飲み込まれてしまいますから、原発再稼働に反対したい人は、やはり組織として「原発反対」を主張する政党の立候補者を支持するべきと思います。
2017年09月19日

橋本明子著「日本の長い戦後」(みすず書房)について、立命館大学教授の福間良明氏は、3日の東京新聞に次のように書評を書いている; 明治維新から72年後と言えば、1940年。太平洋戦争開戦が間近に迫った時期である。現在、それと同じだけの歳月が、先の戦争の敗戦から経過した。しかし「敗戦のトラウマ」はいまなお、日本人に共有されている。 その「敗戦のトラウマ」は決して単純なものでも一枚岩のものでもない。先の戦争にヒロイックな「英雄」を見出そうとする「美しい国の記憶」。戦争被害者としての思いを強く抱く「悲劇の国の記憶」。そして、東アジア諸国に対する「加害者」の側面に着目する「やましい国の記憶」。これらがいかに絡み合いながら、今日の戦争の記憶が形作られているのか。本書は、この点について精微に考察している。 ことに本書が意義深いのは、国際比較の視点である。フランスでは、「レジスタンスの勇士」「ナチ占領下の民間人」「ヴィシー政権下の協力者」の語りが混在している。ドイツの場合、政府の公式政策では「謝罪」「悔恨」が前面に出されている。だが、一般の人々の間では、加害者、被害者、傍観者など、様々な物語が存在しているという。多様で複雑な戦争体験や戦後体験を考えれば、それも当然だろう。 それにしても、ドイツ政府の公式見解と日本政府のそれは、なぜ、かくも大きく異なっているのか。著者は、地政学的な要因を指摘する。冷戦構造下の西ドイツが経済的・政治的に生き残るためには、NATOへの参加や欧州統合への協力が不可欠であり、必然的に欧州諸国との和解は最重要課題であった。それに対し、日本の隣国の中国、北朝鮮、ソ連は共産主義体制下にあった。親米資本主義を選び取った日本にとって、それらの国々は「和解してはならない相手」であった。 幾重にも捻(ねじ)れた現代日本の「戦争の語り」は、その延長上にある。「敗戦のトラウマ」の起点は何なのか。それはいかにして現在に至ったのか。本書は70余年にわたる「長い戦後」について冷静な思考に誘う良書である。(評者 福間良明=立命館大教授)橋本明子著「日本の長い戦後」(山岡由美訳、みすず書房・3888円)<はしもと・あきこ> 1952年生まれ。米国ポートランド州立大客員教授。2017年9月3日 東京新聞朝刊 9ページ「加害と被害 絡み合う記憶」から引用 親米資本主義を選んだ日本にとって隣国である中国、朝鮮、ソ連は「和解してはならない相手」であったというのは、果たして妥当な指摘なのかどうか、疑問に思います。鳩山一郎がソ連と国交を回復し、田中角栄が中国と国交を回復したのは東西冷戦が終結する前であったこと考えると、アメリカさえOKすれば国交回復ができたのであり、アメリカが何故未だに朝鮮敵視政策を続けるのか、という問題こそが、今日まで大きな禍根となって残っている重大問題ではないかと思います。「日本の長い戦後」は、大変魅力的な本のように感じますが、試しに買ってみるには3800円はちょっと高いなぁと思いました。
2017年09月18日
最近の新聞を読んだ感想について、評論家の荷宮和子氏は3日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 「パックさん」を知っていますか。あのPAC3のゆるキャラで、航空自衛隊のイベント等に現れては、ちびっこたちにカード等を配っていた。が、もはやパックさんには会えないだろう。「パックさんだよお、パックさんをよろしくね!」と言われても、もはやにこにこと相対することは無理なのだ。もちろん悪いのは、パックさんでも、パックさんの中に入っていた自衛隊の中の人でもない。ゆるキャラの存在しえない社会に平和はない。 同様に、もはや私たちは「ピクルス王子」と「パセリちゃん」にも会えないのだろう。ピクルス王子とは戦時体制にある隣国から「専守防衛」について学ぶために日本に留学してきた、という設定の自衛隊のマスコットキャラなのである。が、肝心の留学先が「専守防衛」を放棄してしまったのでは、もはやとどまる意味がない。道ならぬ恋に落ちた隣国の姫パセリちゃんと、どこかに無事亡命できていればいいのだが。 ゆるきゃらと言えば「反省なき幕引き」(8月24日の特報面)という形で終結した宮城県の観光PR動画も許しがたいものだった。宮城県のゆるキャラ「むすび丸」を下品なスケベ男として描いていたからだ。もっぱらフェミニスト団体だったようだが、この動画がおとしめていたのはむしろ男の方である。少しは怒れよ。 東京新聞が注目されてる、と感じたのは「全否定は過去見誤る/国際政治学者三浦瑠麗さん」(12日の「考える広場」)に対して、「何言ってんだ、こいつ」的なスレッドが2ちゃんねるに多数立った時だった。確かに「大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、1943~45年のせいぜい2年間ほどでした」については、実際の43年以前の治安維持法の適用の現実を思えば「何言ってんだ、こいつ」と言わざるを得ない。 その時期を知っている「平和の俳句」の選者金子兜太氏が「平和が脅かされている今、辞めるのは断腸の思い」(17日朝刊1面)と語り、元通信兵の男性(90)は「傍受した米国のラジオ局は連日、日本の劣勢を報じた。それでも、日本本土の大本営は『勝った、勝った』と電報を送ってきた」と語る(同朝刊)。さらには、特攻志願した兄弟は「72年前、私たちは戦争に表立って反対することをあきらめてしまった。沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ。私たちみたいになるな」と語る(14日夕刊)。 その時代をリアルタイムで知っている人たちと、本で読んだだけの、文書の理解力に難のある学者○カ。どちらの言説に共感するかはあなた次第。(女子供文化評論家)2017年9月3日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-どちらの言説に共感?」から引用 「人権が抑圧されたのは敗戦直前の2年間」発言について「何言ってんだ、こいつ」という反応は当然と思います。そういう記事を堂々と掲載した東京新聞もどうかと思いますが、それ以上に「文書の理解力に難のある」人物が学者をやっているといのも、これまたどうなっているのかな、と思いました。
2017年09月17日
今年の終戦記念日の前日の東京新聞夕刊は、戦争体験者の証言を次のように伝えている; 太平洋戦争末期、特別攻撃隊(特攻隊)に志願し、命を散らした若者たちがいた。岩井忠正(ただまさ)さん(97)=東京都武蔵野市、忠熊(ただま)さん(94)=大津市=の兄弟も、その一員として一度は生きることをあきらめた。「終戦を迎えられたのは、ただの巡り合わせ」。戦後72年。再び感じるあの時代のにおいに、警告する。「沈黙してはいけない」(中野祐紀) 一枚の白黒写真がある。立ち姿で、軍服に身を包むのは弟の忠熊さん。京都帝大1年だった1943(昭和18)年秋、学徒出陣で徴兵された。 先祖が眠る山形県米沢市へ墓参りに向かう列車で、同時に入隊が決まった慶応大2年の兄忠正さんの言葉を覚えている。「俺が死ぬのは、カイザー(皇帝=天皇)のためじゃないぞ」。国策に反する言論を封じられた時代。周囲に悟られぬよう、兄はドイツ語で話し掛けた。命を懸けるのは、愛する家族や友人を守るため。「俺もだ」。兄弟だけでも本音を共有したかった。 海軍の別々の学校に移ったが、44年11月に長崎県川棚町の訓練所で偶然再会した。「どうせ死ぬなら潔く一発で」。同じ思いから特攻に志願していた。近くの写真館で2人の「遺影」を撮り、中国・大連の両親に送った。 忠熊さんは「震洋(しんよう)」の搭乗員になった。ベニヤ板の粗末なボートに爆薬を積み、敵に体当たりする。出撃で石垣島へ向かう洋上、輸送船が米潜水艦の魚雷攻撃に遭った。自身は救出されたが、一緒だった搭乗員186人のうち142人が命を落とした。 忠正さんは「伏龍(ふくりゅう)」部隊に。機雷の付いた棒で敵艦の船底を突いて自爆する。だが、渡された潜水服は「とんでもなく愚かな代物だった」。背中の呼吸装置の重みで顔が上がらず、頭上の敵艦の位置すら確認できない。装置から劇物が漏れる事故死が相次ぎ、自身も訓練中に気絶して死にかけた。 終戦の後、2人は長く特攻での体験を語らずにいた。命を粗末にする「思い出したくない愚行」(忠熊さん)に思えたからだ。ただ、90年代に入ったころから、この国が戦争の恐ろしさを忘れ始めた気がして講演を引き受けるようになった。忠熊さんは「今はドイツ語なんて使わない。堂々と『二度と戦争するな』と叫びたい」と訴える。 治安維持法の復活とも指摘される「共謀罪」法が施行されたこの夏、忠正さんは「戦後で一番『あの時代』に近づいている」と感じる。「72年前、私たちは戦争に表立って反対することをあきらめてしまった。沈黙は中立ではなく、権力者への従属だ。私たちみたいになるな」<特攻隊> 爆弾を装着した航空機や船舶などで敵に体当たりするために編成された部隊。戦況が悪化した太平洋戦争末期、米軍への対抗策として日本の陸海軍が組織した。海軍の「神風特攻隊」の名が知られる。特攻による死者数は諸説あるが、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」(東京)によると、陸軍が2244人、海軍が4174人に上る。2017年8月14日 東京新聞夕刊 E版 6ページ「沈黙は権力への従属」から引用 戦争体験者にとっては「思い出したくない愚行だった」という言葉は、戦争を知らない世代にとって、貴重な示唆に富んだ言葉だと思います。教育勅語をたたき込まれた人々ばかりの社会では、うっかり異論を口にすることも許されなかったことを考えれば、個人を尊重する現行憲法に守られた戦後社会とは雲泥の差だったであろうことも想像がつきます。悲惨な戦争で苦しめられた人々にとって、現行憲法が公布されてどんなに大きな希望となったか、よく分かります。このような観点からも、戦前に逆戻りするような策謀には断固反対していきたいと思います。
2017年09月16日
隣国のミサイル実験を周知するJアラートと都知事が震災時の朝鮮人被害者への追悼文を拒否した問題について、法政大学教授の山口二郎氏は、3日の東京新聞コラムに次のように書いている; このところ、中央、地方の為政者が、ありそうもないことをあるかのごとくに喧伝(けんでん)し、あったことをなかったことにしようとしている。 前者はミサイル警報の件である。ミサイルは日本にとっての脅威ではあるが、安倍首相は最初から事態を掌握していたと豪語したのだから、国土に着弾することはないことも分かっていたはず。朝のラッシュ時に深刻な混乱をもたらす東京圏をわざわざ除外して東日本に警報を発し、人々をたたき起こし、テレビがミサイル情報を垂れ流したのは、ありそうにない危険で恐れさせ、思考停止に追い込むためだと私は思う。 後者は、小池都知事と山本墨田区長が震災の際の朝鮮人虐殺被害者への追悼メッセージを拒絶した件である。小池知事は「いろいろな見方がある」と述べたが、虐殺があったという事実認識は一つである。いろいろな見方とは、虐殺という事実の評価であるが、彼女は公職者としてこれを許容するのか、断罪・反省するのか、どの見方を取るのか表明すべきである。 為政者があることとないことの識別をあえて曖昧にすることは、世の中全体から理非曲直を正す能力を奪う策謀である。永井荷風は1943年の日記に、「この国に生まれしからは嘘(うそ)でかためて決して真情を吐露すべからず」と書いている。歴史を繰り返させてはならない。(法政大教授)2017年9月3日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-事実が負ける時」から引用 隣国のミサイル実験に対する日本政府や社会の対応については、政府が事前に知っていたのなら何故知った時点で国民に知らせなかったのかという疑問はツイッターでも多く呟かれ、記者会見で直接官房長官に問いただした記者の所属する会社には政府が文書を送って注意するという事態にまでなりました。私も、日本政府はミサイルが日本領土に落下する危険はほとんどないことを承知で、しかし、危機感を煽る目的でJアラートを利用しており、これで防衛費予算を湯水のように増額することに、国民は目を光らせる必要があると思います。また、都知事が震災時の朝鮮人犠牲者への追悼文を拒否したことも、あったことを無かったことにしようとする歴史改ざん主義者が活躍しやすい環境を作ることになる「間違った態度」であり、小池知事の政治姿勢を糾弾する必要があると思います。
2017年09月15日
安倍政権によって歪められたわが国の立憲主義を、将来どのようにして立て直すか、琉球大教授の阿部小涼氏は3日の東京新聞に、次のように書いている; 長期化した安倍政権の下で、安全保障関連法に続き「共謀罪」法が強行成立、施行された。軍事主義を下支えする法律です。今後、政権交代があったとして、これら悪法の廃棄に取り組むならば、今まで以上に「草の根」の力が強くなければならない。その力をどう養っていくのか。 軍事主義は男性以外の主体性を認めないパターナリズム(家父長主義)やセクシズム(性差別)、レイシズム(人種差別)を内包する。戦争を拒否するとは、権力を欲望するこれら「イズム」が私たち自らの内にあると自覚して、乗り越えていくことです。例えば、私が参加し、研究の対象にしている反基地運動の現場でも家父長主義はみられますが、運動の担い手は性や人種を超えて多様で、弱い者たちこそが運動を生き生きと創造しています。 草の根の命が大切だと言う沖縄の反軍事主義の視点からみれば、軍隊を認めないのは当然。専門家が陥りやすいのは、日米軍事主義のプレゼンスに誇大な期待を寄せる「抑止論」、米軍の視点に立って分析し対等な外交交渉ができる、交渉したいと欲望する「代替案」「削減論」などです。「敵から守ってやるから軍隊を認めろ」というのでは、結局、家父長主義の域を出ていません。 沖縄では今夏、グアムや韓国、ハワイなど米軍が駐留する地域の女性が集い、軍事主義がもたらす問題を話し合った。女たちは沖縄の海兵隊がグアムに移転すれば、問題は解決するとは考えない。グアムにも朝鮮半島にも草の根の命がある。空爆の恫喝(どうかつ)の向こうで息を潜める人びととの連帯こそが根の力です。勢いづく軍事主義に抗(あらが)うには、私たちの内に潜む権力の「イズム」を克服すること。それがないなら抵抗も非力だと思うのです。<あぺ・こすず> 1967年生まれ。琉球大法文学部教授。専門はカリブ海地域研究。著書・訳書に「追跡・沖縄の枯れ葉剤」「撹乱(かくらん)する島」など。軍事基地問題について発信する「合意してないプロジェクト」の設立メンバー。2017年9月3日 東京新聞朝刊 21版 1ページ「『戦える国』に変質-権力の『イズム』克服を」から引用 この記事では、軍事主義が家父長主義、性差別、人種差別を内包するという指摘が重要と思います。そう言えば、なんとなくこれらの要素が教育勅語からも読み取れるような気がします。そういう要素を私たち国民の心から払拭しないことには、安倍政権が「敵から守ってやるから軍隊を認めろ」と言い出したとき、有効な反論ができないということにもなりかねません。一朝一夕にできる話ではありませんが、草の根の連帯を構築する努力を積み重ねたいと思います。
2017年09月14日
今年の憲法記念日に、与党との打合せもなくいきなり「9状の1項、2項をそのまま残して、自衛隊を書き加える」などと安倍首相が言い出した「改憲案」について、安倍首相は「現行の憲法を変更することなく、単に『自衛隊』を書き加えるだけだ」と、国民の不安を和らげるかのような説明をしておりましたが、それについて憲法学者で学習院大学教授の青井末帆氏は、8月20日の「しんぶん赤旗」で次のように批判している; 憲法9条に自衛隊を明記するという安倍首相の改憲発言。その意味を、青井末帆・学習院大学教授(憲法学)は「自衛隊の現状追認にとどまらず、大きな改憲への始まり」と警告します。青井教授に聞きました。(神田晴雄記者) 安倍晋三首相は「憲法に自衛隊を書き込むだけだ」と説明します。これまでの9条1項、2項の制約はそのまま残るともいいます。 しかし、何も変わらないのであれば、改憲する必要はありません。それでも改憲するというのですから、安倍首相の説明を額面通り受け取るわけにはいきません。自衛隊を書き込むことは、それで終わりではなく、これから続くことになる一連の改憲の始まりだということです。 もともと安倍首相がやりたいのは、より制限のない形で自衛隊を海外で活動させることです。 今回目指す改憲で自衛隊を書き込むことになれば、自衛隊の存在が憲法上正当化され、武力行使と戦力保持を禁じた9条1項、2項は法としての力を失います。自衛隊が海外展開するハードルは極めて低くなるでしょう。 歴代自民党政府はこれまで、自衛隊を海外に送っても「非戦闘地域」でしか活動できないとしてきました。しかし安保法制でこの考え方はなくなりました。◆ 殺し殺される さらに改憲すれば、相手を殺し、自衛隊員が殺される危険はいっそう高まります。 しかし、たとえば軍法会議はなく、海外で展開することも当然にできる自衛隊など、ありえないでしょう。「さらに改憲して軍法会議をつくるべきだ」という圧力が高まり、海外で自衛隊がより制限なく活動できる方向へ進むことになりかねません。自衛隊員を海外で殺し、殺される状況に置くような改憲がその先に待ち受けていることが分かっていながら、それには口をつぐみ、「自衛隊を書き込むだけ」という。こんなやり方はだまし討ちです。 憲法に自衛隊を書き込めば”軍はない”というこれまでの憲法の立場が変わります。任務放棄の罰則強化もするでしょう。 9条の力でつくられた、世界でもまれにみる日本の憲法文化の特別さが一挙にかわっていくきっかけになりかねません。◆ 怒る市民の力 しかし先の東京都議選では怒れる都民の力で自民党の議席が大きく減りました。共産党も3人区などで議席をだいぶ得ましたね。自民党があれだけボロ負けしなければ衆参予算委員会の閉会中審査も開かれなかったかもしれません。 明治憲法以来、立憲主義は統治する側の技術でした。しかし立憲主義のコアになっている考え方は権力に憲法を守らせるということです。その意味で今回の都議選は、立憲主義を国民が実際に守らせてゆく大きな一歩だったといえます。 安倍改憲に立ち向かう市民社会の強靭(きょうじん)さを示しているとも思います。2017年8月20日 「しんぶん赤旗」日曜版 4ページ「安倍改憲を問う-自衛隊明記 現状追認にとどまらない危険」から引用 この記事が指摘するように、「自衛隊」を憲法に書き込むというのは、書き込んだらそれで終わりというわけには行きませんから、これはやはり、やってはいけないことだと思います。それに、警察も海上保安庁も、別に憲法には一言の記述もありませんが、それでも立派に職務を遂行していることを考えれば、何も特別に自衛隊だけを書き込まなければならない理由はありません。その上、昨今の状況下では隣国がミサイル実験を繰り返すからと言って、やたらと不安を煽り、防衛予算も歯止め無く増額するというのは、ほとんとシビリアンコントロールが効いていないのではないかと思わせるような事態になっている。特に日本の場合は、統帥権の独立などという取り返しのつかない大失敗をした経験からも、憲法の平和主義は堅持するべきであって、「自衛隊」を憲法に書き込むなどもっての外というものです。
2017年09月13日
今年は「資本論」が出版されて150年目に当たる年だとのことで、神戸女学院大学教授の石川康宏氏は、8月20日の「しんぶん赤旗」に次のようなエッセイを寄せている; ちょうど150年前の1867年9月、カール・マルクスの『資本論』第1部が発刊されました。私と『資本論』の出合いは42年前。以来すっかりはまってしまい、いまも若い人たちとの読書会を行っています。 何がそんなに魅力的なのか。一言でいうと学問的な「汎用(はんよう)性」(いろんなことに使える性質)の高さです。『資本論』は資本主義社会を本当に深いところから捉えています。そのため、社会の表面に現れるさまざまな出来事を、長い歴史的な視野の中に、理論的に捉える力をもっているのです。 ”『資本論』の世界と現代日本”というとき、よく取り上げられるのは富と貧困の対立(経済的な格差)や、労働条件の格別なひどさの類似です。しかし、その生命力は、労資関係の枠にとどまるものではありません。 たとえば、「資本主義の下で地球環境問題が起こるのはなぜなのか」「ものづくりを土台とする経済が金融に比重を移し、バブルに振りまわされるようになるのはなぜか」「家事労働は資本主義の経済にどう組み入れられているか」「多産多死から多産少死へなどの人口転換が起こるのはなぜなのか」など、『資本論』は幅広い社会問題に根本的な究明のメスをいれています。 大げさでなくそれは、学問とよりよい社会をめざす運動にとっての宝の山となっています。 では、その根底にある”『資本論』が資本主義社会を深く捉えている”というのはどういうことでしょう。 一つ挙げるなら、それは資本主義社会を”長い人類社会の経過的な一段階”と捉えることを、はっきり前提しているところにあります。資本主義社会は、他のすべての社会と同じように、先行する社会の中から生まれ、次の社会に席を譲っていく。その意味での歴史的な発展法則の究明を、『資本論』は研究の「最終目的」にしています。 ですから『資本論』は資本主義を「肯定的理解のうちに・・・その否定、その必然的没落の理解を含(む)」という弁証法的な方法で捉えます。 資本主義らしく利潤第一主義で労働の搾取を深めていくこと(肯定)が、同時に未来社会への物的・主体的な準備をもたらしていく(否定)-そこには労働者階級の発達が重要な要因として含まれる-ことが、骨太くえぐりだされています。それは高揚する現代の「市民運動」(多くが労働者とその家族による)を捉える基礎的視角を与えるものにもなるでしょう。 現代日本で量的に支配的な経済学は”大資本の自由にまかせよ”とする「新自由主義の経済学」です。それは資本主義の構造や歴史を究明する科学の精神を失い、資本主義とは何かという根本問題に応えられないものになっています。そんな「経済学」に、日本の未来を託せるわけがありません。『資本論』は今なお、科学としての経済学にとって最良の質をもつ先行研究となっています。 石川康宏(いしかわ・やすひろ 神戸女学院大学教授)2017年8月20日 「しんぶん赤旗」日曜版 20ページ「経済 これって何?-現代的生命力持つ汎用性」から引用 昔の家内制手工業から始まり、産業資本主義の社会を経て金融資本主義の時代になった今から振り返ると、産業資本主義が全盛だったころは労働組合も活発に活動して労働者の待遇が改善され、日本では「一億総中流」などと言われたものでしたが、何故かその後、組合活動は衰退し、それに連動して労働者の賃金が低下し、格差が拡大する時代になりました。この先にはどのような社会が待ち受けているのか、「資本論」にはどう書いてあるのか、研究してほしいものです。昔、私が学生だった頃は、歴史家の羽仁五郎先生も健在で、あるときの集会で「若い学生諸君には、資本論を読む前に読んでほしい書物が2つある。それはギリシャ神話と聖書だ」と言われたことがありました。当時は「資本論とギリシャ神話に何の関係があるのかなぁ」と不思議に思ったものでしたが、今思うと、どうもマルクスが書いた「資本論」の文章は、ギリシャ神話や聖書と類似した修辞法で書かれているらしく、それを日本語訳した昔の岩波文庫の「資本論」などは、何を言わんとする文章なのか、理解が大変難しかったという話を聞いたので、あの時の羽仁先生は若い学生がいきなり「資本論」に取り組んですぐに挫折しないように、前もって「ギリシャ神話」や「聖書」に親しんで、ヨーロッパ特有の修辞法に慣れるように、というアドバイスだったのかなと思います。マルクスがそのような文体で資本論を書いた理由は、多分、資本論がギリシャ神話や聖書のように、何千年も人々に読み継がれるようにとの意図があったのではないかと思います。ただし、これは私の空想ですので、専門のマルクス研究者からは一笑に付されるだけかもしれません。
2017年09月12日
一昨日、昨日と引用した中嶋論文は、最終章でどのような勢力が何故、今ごろになって教育勅語をもてはやすのかという点について、次のように述べている;Ⅳ 愛すべき国家の再定義 2006年12月制定の教育基本法では、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度を養うこと」(第2条5号)が「教育の目標」の一つとされた。そして、2015年の学校教育法施行規則改正により、小中学校に「特別な教科 道徳」が新設され、2019年から実施されることとなった。今後は、「我が国と郷土を愛する態度」の育成が、これまで以上に強調されるだろう。 ただ、文部科学省が戦前のような教育勅語を核とする徳目主義的道徳教育の復活を目指していると考えることは適切ではないだろう。むしろ、文部科学省は、徳目主義とは反対に、「考える道徳」を通じて、(1)新自由主義的社会秩序に対応する生き方を自ら主体的に選択する価値観と思考回路から構成された市民道徳と、(2)社会の経済秩序と国家による政治的統治に対する内外からの侵犯に対する主体的安全保障意識、の育成を目指しているのではないか。 しかし、安倍政権とその周辺には、教育勅語の復活を願う政治勢力が存在することも見落としてはならない。第193国会での教育勅語の登場は、一種のハプニングだったかもしれないが、教育勅語の復活を目指す政治勢力は戦後も存在し続けた。保守政治家の一部やその政治的基盤となっている国民の中には、教育勅語そのものの復活を願う者さえいる。過去には、天野貞祐文部大臣の「国民実践要領」(1951年)のように教育勅語もどきを作ろうとする動きもあった。安倍政権の下で、こういった政治勢力が勢いを増しているからこそ、このハプニングが起きたと考えるべきだろう。 教育勅語による国民統合を期待する政治勢力にとって、戦前における教育勅語による国民統合と戦争への「自発的」協力=大衆動員の成功は、それが招いた戦争の惨禍とは都合良く切り離されて、忘れがたい成功体験になっているのだろう。そして、教育勅語による「徳」の樹立こそ、この成功の鍵だと考えているのだろう。しかも、この場合、教育勅語に書かれた「夫婦相和シ」等の徳目以上に、建国と「徳」の樹立の一体性というフィクションによって描かれた、帰属し守るべき国家像こそ、国家への国民統合と戦争への大衆動員の入り口だったのだ。この意味で、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度」という教育基本法の文言は、国家を「伝統と文化」との関係でしか描けていない点でまったく不本意なものであろう。 この政治勢力は、「皇祖皇宗」による建国と「徳」の樹立というフィクションは受け入れられても、敗戦を契機とする国家再建、すなわち国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を国民統合原理とする日本国としての再出発という、現代日本の建国の事実は受け入れられない。そのため、彼らの主張する国家主義は、自らが現実に帰属する国家の建国の経緯と統合原理を承認できないという、重大な破綻を内包している。 たとえば、外国による不正な軍事的侵略から祖国を防衛するという場合、守るべき祖国とは何なのかが問題となる。日本国憲法の下で守るべき祖国とは、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の下に樹立された国家にほかならない。ところが、これらを統合原理とする国家を受け入れられない政治勢力には、日本国憲法には守るべき祖国の姿を描き出す原理を見出すことができず、教育勅語に戻るほかには守るべき祖国を確認するすべがないのだ。彼らが日本国憲法の「改正」と教育勅語の復活を志向せざるをえないのは、新たな統合原理による国家のリスタートが必要だからであろう。 2017年6月16日、日本教育学会をはじめとする多くの教育系学会が会長声明を公表した。この声明は、政府による教育勅語容認を批判し、地方公共団体や学校・教師に対して教育勅語を指導原理とする教育を導入せず、教育勅語を教材として肯定的に使用しないよう呼びかけるものだ。教育勅語の容認は、子ども・若者や教師の思想良心の自由を踏みにじるだけでなく、日本国憲法の国民主権・基本的人権の尊重・平和主義という国民統合原理を否定する大きな文脈と繋がっていることが認識されるべきだろう。(完)月刊「世界」2017年8月号 158ページ「なぜ教育勅語の復活を願うのか」から一部を引用 天皇家が神様の子孫で2千年前から万世一系で日本を統治してきたというのは作り話で、実際には王朝の交代があり、日本列島を統括支配する政府が消滅した戦国時代というものがあったことは、今では誰でも知っていることです。また、72年前には大日本帝国が無条件降伏して消滅し、新たに「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」を統合の原理とする日本がスタートしたという「事実」は、全国民が知るところであり、戦後生まれの私などもそのことは学校教育を通じて良く知るところとなっているわけです。ところが、世の中には「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」で国家を運営するということが理解出来ない人々がいるらしく、そういう人々が昔風の統合原理として「教育勅語」に期待しているということのようです。しかし、今となっては教育勅語は、一昨日、昨日と引用した論文が示すように、現代社会においては「昔はこんなものだった」という程度の存在に過ぎないものですので、これからはわが国の統合原理が「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」であるということが、より一層国民の間に浸透するような教育を期待したいと思います。
2017年09月11日
徳川家から権力を奪取することに成功した薩長藩閥政府が、何を目的に教育勅語を公布したのか、昨日の欄に引用した中嶋論文は、その続きで次のように述べている;Ⅲ フィクションとしての建国と徳の樹立 教育勅語は、正式には「教育ニ関スル勅語」(官報では「勅語」)といい、井上毅や元田永孚らが起草し、1890(明治23)年10月23日に明治天皇の言葉として公布された。大日本帝国憲法は「法律勅令其ノ他詔勅」の3つを天皇の名で公布すると定めていたが(第55条)、教育勅語はこのいずれにも該当しない。しかし、これは教育勅語が憲法上の根拠を欠くということではない。教育勅語は、国家機関としての天皇の意思表示形式である「法律勅令其ノ詔勅」とは区別され、国家を超越した存在である天皇自身の言葉として権威づけられ、「奉読」等を通じて神格化されたのである。 今日ウェブ上には、教育勅語の現代語訳や解説が複数掲載されている。しかし、教育勅語はもともと多義的に解釈できる文書であり、戦前においても教育勅語の解説が複数存在したことを考えると、安易な現代語訳や評釈は危険であろう。しかし、このあとの論考を進めるため、ここでは教育勅語に次のことが書かれていたことを確認しておきたい。(1) 「皇祖皇宗」による建国と徳の樹立との一体性(2) (1)は「国体の精華」であるとともに、教育の指導原理(「淵源」)であること(3) 「夫婦相和シ」に始まり「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」で終わる12の徳目 教育勅語公布の前年にあたる1889(明治22)年2月11日、明治天皇は大日本帝国憲法を発布した。その際の「憲法発布勅語」には、「朕力祖宗ニ承クルノ大権ニ依り現在及将来ノ臣民二対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス」とある。これは、国家の統治権を「祖宗」から継承する天皇が、臣民に対して永遠不滅の法として大日本帝国憲法を宣布するというほどの意味であろう。しかし、「祖宗」以来、天皇家が実効的に国家統治権を掌握し代々継承してきたという事実はないし、統一国家が存在してきたわけでもない。これらは、大日本帝国憲法制定の正統性を担保するために案出されたフィクションであり、天皇親政という擬制の上に建国された大日本帝国に正統性を与えるフィクションだった。 教育勅語も、「朕惟フニ我力皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」という、大日本帝国憲法と同じようなフィクションで始まる。そして、「皇祖皇宗」による建国と「徳」の樹立の一体性こそ「国体ノ精華」であり、教育はそれを指導原理(「教育ノ淵源」)とするとした。そして、天皇及び国家への滅私奉公を核とする国民道徳を身につけた者こそ「朕力忠良ノ臣民」であり、そうすることが「爾祖先ノ遺風」を讃えることであるとした。建国と一体的に樹立された「徳」を「教育ノ淵源」とするかぎり、教育は国家による国民統治と一体化せざるをえない。国民から「自主的」な滅私奉公を引き出す国民統治を樹立するため、国民の精神をまるごと支配する「徳」の教育を必要としたのだろう。 視点を換えて言えば、教育勅語に書かれた「皇祖皇宗」による建国と「徳」の樹立というフィクションは、大日本帝国憲法と教育勅語がほぼ同じ時期に一体的に誕生した事実を写し取ったように見える。新しく誕生した権力は、その誕生に際して自己正統化のプロセスを踏まなければならない。明治維新を経て成立した国家権力は、神話的国体観に基づくフィクションの上に、大日本帝国という尊大な国号を名乗る国家を樹立した。フィクションの上に築かれた国家を現実世界で成立させるためには、「徳」の樹立、すなわち教育による国民道徳の確立が不可欠だったのである。 教育勅語が掲載された1890(明治23)年10月31日付の官報には、芳川顕正文部大臣の訓示が掲載されている。この訓示は教育勅語の活用方針として、(1)教育勅語の謄本を全学校に頒布すること、(2)教育関係者は天皇の「聖意」を「奉体」して教育にあたること、(3)学校の式日等で教育勅語を「奉読」し解説を加えて生徒に理解をさせること、の3つをあげている。学校儀式での「奉読」を通じて教育勅語を神聖化し、子どもに教育勅語を暗唱させたのは、大日本帝国の建国の基礎となる忠君愛国・滅私奉公を柱とする「徳」を強引に樹立させるためだった。この意味で、教育勅語は、建国のフィクションを事実に変えることを使命として誕生したと言ってよいだろう。 大日本帝国は約半世紀にわたって、戦争と植民地支配を継続する、戦争国家の道を歩んだ。建国神話と教育勅語の「徳」は、臣民に忠君愛国・滅私奉公の精神を押しつける役割を果たした。また、戦争国家の国民が国家による情報統制というフィルター越しに直面した「現実」は、国民の国家への求心性を強化し、教育勅語の「徳」に現実的基盤を与えた。こうして、教育勅語は戦前・戦中、与えられた使命の達成に相当程度成功したと見るべきだろう。月刊「世界」2017年8月号 158ページ「なぜ教育勅語の復活を願うのか」から一部を引用 大日本帝国憲法の制定と教育勅語の公布は、にわか作りの政権を権威づけるために持ち出した「神話」を「事実」として国民の心に浸透させる必要があって実施されたものであったということです。しかし、現在の私たちは、自分の意思で投票して議員を選んで、さらにその中から選出された代表によって政府を組織するというシステムを是としており、ことさら「神話」だの「神様」だのを持ち出して権威付けする必要はまったくありません。したがって、現代日本人には教育勅語は無用であり、それどころか、今さら教育勅語を教材として扱うのは、非人道的な考えを児童生徒に押しつけることになり、自由であるべき教育を不当に支配することになりますので、安倍内閣の教育勅語に対する見解は否定されるべきです。
2017年09月10日
今年の春の国会では、首相の妻が一時的に名誉校長となっていた小学校の建設を進める森友学園が幼稚園児に教育勅語を暗唱させていた問題に関連して、野党が教育勅語を教材として使用することの是非を質問したところ、安倍内閣は「教育勅語を唯一の指導原理として扱うのでなければ、教材として使用することはできる」などと、これまでの政府見解を覆す答弁を繰り返した。これについて、名古屋大学教授の中嶋哲彦氏は、月刊誌「世界」8月号で、次のように厳しく批判している;I 問題の所在 政府は、第193国会において、学校教育における教育勅語の取り扱いについて看過しがたい答弁を繰り返した。その主旨は、次のように整理してよいだろう。 (1) 教育勅語を唯一の指導原理とする教育は許されないが、教育勅語を指導原理の一つとして教育を行うことは可能である。 (2) 日本国憲法及び教育基本法に反しないかぎり、教育勅語を教材として肯定的に扱うことも、朝礼等で生徒に唱和させることも可能である。 (3) 教育勅語を教材とする場合、その判断は学校及び教師の創意工夫にゆだねられる。不適切な使用は、設置者・所轄庁が適切に措置する。 戦後、教育勅語の「教育ノ淵源」としての性格(=指導原理性)は全面的に否定され、学校教育において教育勅語を普遍的・肯定的な道徳的価値が記述された文書として扱うことはなかった。1983年に、教育勅語の「奉読」等を行う私立高校があることが国会で取り上げられた際、政府は「教育勅語の扱いにつきましては、学校という公の教育を行う場におきまして教育活動の中で取り扱ってはならないということは、学校を経営する者はわかっているはず」、「島根県当局に対してこういう内容についての是正を指導してもらいたいということを指導してまいった」というように、教育勅語の指導原理性や教材としての使用を認めない旨を答弁していた。政府自身は否定しているが、第193国会における政府答弁は、教育勅語に関するこれまでの政府見解を大きく変更するものだった。 ただ、教育勅語を正面から取り上げてその容認にまで言及することは、政府が当初から意図するところではなかったかもしれない。第193国会では、安倍首相夫妻が「すばらしい」と賞賛した私立幼稚園が園児に教育勅語を暗唱させたり「安倍首相がんばれ」などと連呼させたりしていたことに、野党の質問が及んだ。これに対して、政府参考人の文部官僚が、教育勅語を暗唱させることが直ちに特定の思想信条の押しつけにはならないとか、教育勅語を唯一の「根本理念」とする教育は適当ではないが教育勅語が含む普遍的な「内容」を活用することは差し支えないなどと答弁したことをきっかけに、一連の教育勅語容認答弁が展開されることとなった。 しかも、政府が展開した教育勅語容認の論拠は、明々白々歴史的事実に反するもので説得力を欠くものだった。そして、野党から追求されればされるほど、論拠を欠いたまま教育勅語容認のトーンが上昇し、最後には文部科学副大臣が朝礼での教育勅語の唱和も容認されるとまで発言してしまった。 懸念されるのは、一連の教育勅語容認答弁に励まされて、教育勅語に基づく道徳教育や教育勅語の教材化を学校・教師に迫る地方議会や教育委員会が現れるおそれがあることだ。政権内部及びその政治的支持基盤には、教育勅語を教育の指導原理として復活させたいと考える政治勢力がもともと存在しており、これまでも一部の地方議会等に露頭のように姿を現すことがあった。今回の教育勅語容認答弁は、露頭の出現をさらに促進するだけでなく、鉱脈本体の露出にまで結びつく危険性もある。 本稿の課題は次の2つである。第一に、第193国会における政府の教育勅語容認答弁が論拠を欠くものであることを明らかにする。そして、第二に、明治政府はなぜ教育勅語を必要としたのか、そして今日教育勅語を復活させる狙いはどこにあるかを考察する。Ⅱ 根拠のない教育勅語容認答弁 まず、第193国会における教育勅語容認答弁を分節化して論点を明確にし、それらに正当な論拠がないことを示す。(一)教育勅語の指導原理性は全面的に否定されている。 政府は、文部次官通牒や国会決議を論拠に、教育勅語を「唯一の指導原理」とすることはできないが、「唯一」でなければ教育勅語を指導原理として教育を行ってもよいとの答弁を繰り返した。これは歴史的事実を曲解する不当な主張である。1945年8月の敗戦後、政府は当初教育勅語の温存や新勅語「換発」をはかろうとし、1946年10月8日の文部次官通牒「勅語及び詔書の取扱について」では、教育勅語の「奉読」や神格化は明確に禁止しつつも、教育勅語を「教育の唯一の淵源となす従来の考へ方」を捨て「広く古今東西の倫理、哲学、宗教等」にも目を向けるべきだと通知した。これは「唯一」でなければ教育勅語を指導原理とすることは可能ということを意味する。 しかし、日本国憲法の公布・施行や教育基本法の制定を経て、1948年6月19日の衆議院決議「教育勅語等排除に関する決議」では、教育勅語に「指導原理性を認めない」ことが明確に宣言された。この決議で、教育勅語等が「今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、従来の行政上の措置が不十分であつたがため」として1946年通牒を批判し、教育勅語等の「根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残す」と述べた。参議院も同日、「教育勅語等の失効確認に関する決議」において、「教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にする」と決議した。これらを受けて、文部省も次官通牒「勅語及び詔書の取扱について」(1948年6月25日)で、1946年通牒を撤回し、国会決議の趣旨を徹底すべく教育勅語の回収を指示した。 要するに、衆参両院は、日本国憲法及び教育基本法の制定により教育勅語の指導原理性が全面的に否定されたにもかかわらず、1946年通牒の影響で教育勅語が温存されていることを憂慮して、1948年決議により教育勅語の廃棄を最終的に確認したのだった。「唯一」でなければ教育勅語を指導原理とする教育も可能であるという政府答弁は、歴史的事実をねじ曲げるもので、根拠のない主張と言わなければならない。(二) 教育勅語に普遍的な道徳的価値は認められず、その内容を肯定的に扱う余地はない。 政府は、「夫婦相和シ」等を例示して、教育勅語には普遍的な道徳的価値が含まれており、それらを学校教育で肯定的に扱うことは可能だと答弁した。 ここで12の徳目すべてに言及することはできないが、たとえば「夫婦相和シ」は男尊女卑の家父長制を前提とする価値観に基づくもので、個人の尊厳と男女平等を基調とする現代の家族関係とは根本的に異質なものである。逆に、「夫婦相和シ」を現代的な意味で説明すれば、生徒たちは戦前戦後の家族制度の質的転換を認識できず、日本の近現代史を理解できなくなってしまう。同様に、「公益ヲ広メ世務ヲ開キ」を脱文脈化して、現代社会の生き方として理解させることも教育勅語の誤読である。 教育勅語の徳目を当時の意味で肯定的に説明することは、国民主権・基本的人権・平和主義に反し認められない。他方、それらを肯定的に説明するために脱文脈化すれば、教育勅語及び日本の近現代に関する認識を誤らせることになり、非教育的な教え込みになってしまう。(三) 教育勅語を教材として肯定的に扱うことは、日本国憲法・教育基本法に反する。 政府は、教育勅語を教材とすることの是非について定めた法令の規定はないから、日本国憲法・教育基本法に反しないよう適切な配慮の下で教材として使用することは可能だと答弁した。 教育勅語は、戦前の教育や社会を批判的に考察するための教材として教科書や資料集で紹介されてきた。これはまったく正当な使い方だ。しかし、政府が、日本国憲法・教育基本法に反しないよう配慮すれば、教育勅語を教材といて使用できると答弁するのは、教育勅語またはその一部を肯定的に教えることを容認するという意味においてだ。 教育勅語に限らず、日本には特定の文書等を教材として使用することを禁じる法令はない。しかし、教育勅語の指導原理性を一部認めた1946年通牒でさえ、教育勅語の「奉読」や神格化つまり肯定的に扱うことを禁止した。さらに、1948年の国会決議は、教育勅語を勅語という形式ゆえに否定しただけでなく、その内容が日本国憲法に違反するとして教育勅語を学校教育から排除した。教育勅語を教材として肯定的に扱う余地はまったくないのである。(四) 学校・教員による教育勅語の肯定的使用は許されない。地方議会や教育委員会による教育勅語の使用強制は不当な支配に該当する。 政府は、教育勅語の教材としての使用は教育現場の創意工夫にゆだねられ、不適切な使用があったときは設置者(公立学校・都道府県・市区町村、私立学校・学校法人)・所轄庁(私立学校・都道府県知事)が対応すべきだとの答弁を繰り返した。この答弁は教育勅語の使用を助長する効果をもつが、これに正当な根拠がないことはすでに述べたとおりである。 今後、地方議会や教育委員会が、学校・教師に対して、教育勅語を指導原理とする教育の実施や教育勅語の肯定的教材としての使用を強制する事案が発生することが懸念される。その際、教材の選択や使用は教育現場の創意工夫にゆだねられており、不適切な使用があったときは設置者・所轄庁が対処するとの、政府の答弁は、教材の選択・使用ルールを確認したものとして重要だ。もしも地方議会や教育委員会が教育勅語の使用を学校・教師に強要したときは、このルールに反する不当な支配(教育基本法第16条)として排除されなければならない。月刊「世界」2017年8月号 158ページ「なぜ教育勅語の復活を願うのか」から一部を引用 教育勅語は上の論文が指摘するように、戦後の国会でその内容を全面的に否定されたのであって、政府も国会決議に従って、戦前に全国の小学校に配布した勅語を回収したのであり、今さら「複数の価値観のうちの一つ」として取り上げることもあってはならないものです。例えば、「夫婦相和し」と良いことも書いてあるじゃないか、という人はよく見かけますが、これは戦前に「良いこと」として教え込まれたのは事実ですが、実際には良いことではなかったということを、私たちは知るべきです。勅語に書かれた「夫婦相和し」は、現代社会に生活する我々が思いつくような「男女同権」を前提とした「仲の良い夫婦」という意味ではなく、「妻は夫に従うもの」という古い儒教の教えが前提になっているのであって、現代に通用する価値観ではありません。明治維新の直後の政府が、どのような意図で教育勅語を制定したのかという歴史的経緯についての分析を、明日の欄に引用します。
2017年09月09日
最近の新聞を読んだ感想について、慶応大学教授の大串尚代氏は8月27日の東京新聞に、次のように書いている; 17世紀植民地時代の米国を舞台にしたホーソーンの小説『緋(ひ)文字』は、姦通(かんつう)の罪を犯し子を産んだヘスター・プリンが、町のさらし台に立つところから始まる。胸元に「A(姦通を表す頭文字)」の文字をつけ続ける罰を受けたへスターは、刺しゅうや針仕事の誠実な仕事ぶりを買われ、町の人々から頼られるようになっていく。この作品で興味深いのは、Aの意味が次第に変化し、「天使(Angel)」などの肯定的な意味を帯びていくところだろう。 8月21日夕刊9面に掲載されていた記事「負の遺産から未来の財産を」はカンボジア内戦で使われた薬きょうをアクセサリーに再生させる活動に取り組む沓名(くつな)美和さんを取り上げていた。ウェブサイトを拝見すると、武器として使われていた真ちゅうが素晴らしい装飾品に生まれ変わっていた。同サイトには「その金属には意志は無く、それを製造する、または使用する人間によってその評価は全然違ったものとなります」とある。戦争の事実を受け止め負の遺産を異なるかたちへと変えていく。「戦争の記憶を受け継ぐことはできないか」という問いのひとつの答えがあるように思われる。 そのためには、過去を知ることが必要だろう。8月12日から21日まで5面で特集された「戦争と子ども」に掲載された声は切実だった。印象に残ったのは16日付の本間美智子さんの投稿である。戦後、栄養失調で悪化する病気とたたかう子ども時代、それを母親のせいにする父親の言葉。「こういう無責任で嘘(うそ)をつく大人の起こした戦争で、何の落ち度も責任もない子どもが犠牲になるのだと思いました」という言葉は重い。 過去の事実を踏まえ、未来を切り開いていくことと、過去の事実を否定したりねじ曲げたりすることは区別が必要だ。その上で解釈や見解の相違については、冷静に議論をする姿勢が必要だ。12日付朝刊4面の三浦瑠麗さんの歴史認識に対して、23日朝刊5面の「ミラー」欄で上田義松さんが歴史的事件や最近の事件を挙げ、反論していた。こうした議論の場を東京新聞には提供し続けてもらいたい。同時に東京新聞の立場はどうなのかを明らかにする必要もあるのではないか。 20日朝刊13面の小出遥子(はるこ)さんの「『仏教ファン』の旅(上) 心の底の安心探し」は心にしみた。どこか「満たされない」気持ちを抱えていた筆者が、寺巡りをしながら「決して流れ去ることのないなにか」を求めているのではないかと気づく。「流れ去ることのないなにか」とはどのようなものか。私たちはそれぞれが、過去のような「決して流れ去ることのないなにか」を抱えながら、どう受け止めるかを考えることが大切なのだと思った8月であった。(慶応大文学部教授)2017年8月27日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「新聞を読んで-未来を切り開く」から引用 この記事のポイントは「過去の事実を踏まえて、未来を切り開いていく」ということのように思います。これから、共存共栄の世界を築いていくには、勝手に過去を美化して侵略戦争を「自存自衛のための戦争だった」などと独り善がりの主張をしていたのでは、国際社会で孤立を深めるだけですから、事実を踏まえた客観的な歴史認識を共有していくべきと思います。
2017年09月08日
先月の東京新聞は、子ども時代に戦争を体験した読者の投書を特集しました。その中の一つは、疎開中で十分な医療を受けられなかったために今も病気に苦しんでいる様子を、次のように訴えています; 私にとっての戦争は、私が死ぬまで終わりません。1945年の初夏、2歳半の私は学童疎開先で脊椎カリエスにかかりました。戦争中のため、適切な医療も薬も母は手に入れることができませんでした。戦後の食糧難による栄養失調も、病気をさらに悪化させ、障害者となりました。 覚えているのは背中や体中の痛み、コルセット等による過酷な治療、泣いてばかりいる幼児の自分だけです。小字生になると、父は「母親が自転車からおまえを落としたから、そうなったんだ」と私に言いました。父親は戦争の二次災害を、母一人のせいにしたのです。父親の言葉を思い出すたびに、こういう無責任で嘘(うそ)をつく大人の起こした戦争で、何の落ち度も責任もない子どもが犠牲になるのだと思いました。 戦争は、原爆投下や空襲だけでなく平和な日常を奪うことで、一番弱い子どもを犠牲にする。戦争は人間を不幸にするだけだ。私が72年間、差別と偏見に苦しみながら生きてきたのは、このことを、生涯を通して人々に伝えるためだと思っているのです。2017年8月16日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-栄養失調で病状悪化」から引用 「無責任で嘘をつく大人が起こした戦争」とは、辛辣とは言え真実を言い当てていると思います。中国東北部に進出した日本の軍隊は自ら工作して鉄道を爆破し中国の要人を殺害しておきながら、これを中国軍の仕業だといって軍事行動を起こした、許されざる侵略行為で、わが国が過去にこのような過ちを犯したことは、国民として永遠に忘れてはなりません。
2017年09月07日
先月の東京新聞は、数人の有識者のインタビュー記事を掲載したが、その中で三浦瑠麗という若い女性の政治学者が「戦前の日本が人権を抑圧していたという言説が横行しているが、それはせいぜい敗戦に至る3年間程度であって、それ以前は優れた人材を生み出す豊かな社会だった」と言うような発言をして、ツイッターでは「まるで平成版櫻井よしこだ」などと批判されたのであったが、8月23日の東京新聞には次のような読者の批判が掲載された; 「概念の定義が少しでも曖昧になると、論理は破綻していく」。私が大学で国際政治学を専攻していた頃、恩師から受けた忠告だ。しかし12日4面の国際政治学者・三浦瑠麗氏インタビュー「(戦前の)全否定は過去見誤る」はこれに全く反するものだった。 三浦氏によれば、戦前の日本が人権を極端に抑圧していたのは1943年以降で、42年以前の日本は「今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家」だったという。また、現在は「人権を守る強い制度も定着」し、「警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いて」いるため、「共謀罪」は治安維持法のようにはならないという。これらはあまりに乱暴な議論と言わざるを得ない。 まず1942年以前にも、33年の滝川事件、35年の天皇機関説事件など、人権抑圧事件は多数あった。そもそも女性参政権もなく、軍部が無謀な戦争を次々と始めていた時代を「豊かな国家」と定義していいのか極めて疑問だ。警察官の話も同様で足利事件などの冤罪(えんざい)、沖縄での「土人」発言、高井戸警察署の自白強要などを見れば、現在の警察官は「抑制が利いている」と定義しうるか疑わしく、「共謀罪」は治安維持法と違うと捉えていいのか甚だ疑問だ。 総じて三浦氏の主張は、断片的な内容を曖昧な定義で述べているように聞こえる。歴史に対する深い考察はなく、説得力ある論理性もない。同じ30代として、私は三浦氏を心から情けなく感じた。よりよい未来を展望するには、詳細かつ慎重な歴史の検証が不可欠なのだと声を大にして言いたい。2017年8月23日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー-説得力ない三浦氏主張」から引用 秘密保護法や自衛隊が海外で武器を使用できる法律、犯罪を実行していなくても警察が怪しいと睨んだら逮捕できる「共謀罪」法など、戦前体制が復活されているかのような不安を感じる国民にとって「現代の警察は戦前よりも優秀で、権力を行使する活動も抑制が効いている」などという発言は、一瞬、「それなら心配することもないかな」と思わせる効果があります。しかし、冷静に考えてみれば、上の投書が指摘するとおり、三浦氏の言説には何の根拠も無いことは明らかであって、何故彼女がこんな発言をするのかと言えば、それは多分、彼女が「安倍晋三応援団」だからに違いないと思います。私たちは、三浦瑠麗氏の耳当たりの良い虚言に騙されてはいけません。
2017年09月06日
慰安婦問題記述の教科書を採用した学校に圧力をかけたり、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送ることを都知事が拒否した事件について、法政大学教授の山口二郎氏は、8月27日の東京新聞コラムに次のように書いている; 昔のソ連では、スターリンのすることはすべて正しい、常に間違わないという神話が支配していた。これに疑いを差し挟む者は容赦なく弾圧された。無謬(むびゅう)性神話は独裁と表裏一体である。 今の日本では、個人崇拝ではないものの、日本人は常に間違わないという無謬信仰が広がりつつある。神戸の名門校、灘中学で、歴史教科書に従軍慰安婦について記述したものを採用したところ、匿名の同じような文面の抗議状が殺到し、国会議員や県会議員からも採用の経緯について照会があったという。一連の動きは、天皇機関説事件とよく似ている。国粋主義者が敵と認定した学説に対して、これを排撃する社会運動が組織され、政府もそれを事実上後押しする。そして学問、教育の自由は失われ、全体主義が確立する。 東京都の小池百合子知事は、関東大震災の際の朝鮮人虐殺の犠牲者に対する追悼のメッセージを送ることを拒んだ。震災の被害者と虐殺の犠牲者は全く性格を異にするのであり、一つの儀式ですべて慰霊するというのは横着である。小池知事も、日本人がかつて犯した悪から目を背けるという意味で、無謬性神話に染まっている。 無謬性神話が支配するということは、批判の自由の喪失を意味し、批判の自由がなければ国は自滅の道を転がり落ちる。今の日本はその意味で瀬戸際だ。(法政大教授)2017年8月27日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-無謬信仰」から引用 慰安婦問題や南京大虐殺、関東大震災の朝鮮人虐殺など、これらの史実を歴史教科書に書き込むことを、何故右翼が嫌がるのか、その理由が「無謬信仰」であるとは知りませんでした。それは確かに、世の中に絶対間違いをしない人間がいたら、それは尊敬に値するかも知れませんが、しかし、私たちは理想と現実のギャップということも正視して、現実が如何なるものであるかという認識は、しっかり持つことが大変重要と思います。慰安婦問題も南京大虐殺も教科書から排除して、関東大震災の朝鮮人虐殺も無かったことにしたのでは、この国は再び自滅の道を転がり落ちるという警告は傾聴に値します。
2017年09月05日
歴代の東京都知事が関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送ってきたのに、小池知事はこれを取りやめる意向を表明したため、追悼式を主催する市民団体が抗議声明を出したと、8月27日の東京新聞が報道している; 東京都の小池百合子知事が、9月1日に営まれる関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を今年からやめた判断に対し、主催する市民団体は「差別が虐殺につながった事実から目を背け、歴史修正主義、排外主義の潮流に身を置くことを示している」と訴える抗議声明を発表した。 声明は、取りやめ理由に「何ら合理的な説明がなかった」と強調。「虐殺された被害者の心に寄り添う姿勢に全く欠けている」と批判した。 追悼式は「あやまった策動と流言蜚語(ひご)のため6千余名が尊い生命を奪われた」と刻まれた追悼碑の立つ都立横網町(よこあみちょう)公園(墨田区)で開かれる。3月の都議会で自民党都議が碑文の記述を問題視。ネット上などで「6千人虐殺には根拠がない」と主張する団体が9月1日、同公園で別の慰霊祭を開くと予告している。声明はこうした動きに触れ、「小池知事は特定の政治的潮流に迎合した」と懸念も表した。 主催団体の一つ、日朝協会都連合会の吉田博徳(ひろのり)顧問(96)は「『この歴史を忘れず、繰り返さない』と都民に喚起する責任が知事にはあるはず。天災の犠牲者と、デマによる不当な死は性格が違う」と話した。 小池氏は25日の定例会見で「(大震災で犠牲になった)全ての方々への法要を行っていきたいとの意味から、特別な形での追悼文の提出は控えた」と述べた。(辻渕智之)2017年8月27日 東京新聞朝刊 12版 27ページ「小池氏に主催団体抗議」から引用 戦後の歴代東京都知事が、過去の過ちを繰り返すことのないようにと、毎年の虐殺被害者追悼式に追悼文を送ってきたという健全な伝統を、小池知事によって中断されたのは残念なことです。この問題は、追悼文を送ることをやめただけでは終わらず、やがては追悼碑の撤去や歴史教科書からの削除という問題になっていくであろうことは明白です。小池知事の対応の問題について、都議会で徹底追及するべきです。
2017年09月04日
昨日の欄に引用した東京新聞の記事は、その続きで、これまでの右翼がどのようにして母体保護法を攻撃してきたか、次のように分析している; 今年2月、宮元陸市長あてに生命尊重の日の制定を求める要望書が出された。提出者は「円ブリオ石川」「NPO法人円ブリオ基金センター」「生命尊重センター」の3団体。一口一円の募金で妊婦を経済的に支える「円ブリオ基金」への評価は高い。 「中絶によって年間17万6千人、毎日5百人のお腹の赤ちゃんのいのちが失われている」「戦後葬り去られた生命は7600万に上ると言われます」。要望書には中絶に批判的な内容も含まれていた。趣旨を聞こうとしたが、円ブリオ石川の代表者は「分かりません」と繰り返すだけだった。 一方、市の担当者は、条例は中絶の選択を否定する内容ではないと強調する。「母親に何かを求めるのでなく、条例によって胎児を大事にする町づくりの機運を作り、実現していこうという考えだ」 また同時に、「円ブリオ」と市が連携しているのではないかとの見方を否定した。むしろ担当者は「(要望書は条例制定の)きっかけの一つではあるが、市長には以前から生命尊重についての思いがあった」と宮元市長のリーダーシップをたたえた。 宮元市長に取材を申し込んだが、2期目を目指す市長選が目前に控えているためか、多忙を理由に応じてもらえなかった。 宮元市長は、石川県出身の森喜朗元首相の秘書、石川県議などを経て、13年の市長選で初当選した。 県議時代には、右派団体「日本会議」の地方議員連盟に名を連ねた。県議会では、社会的・文化的な性差をなくすジェンダーフリー教育や性教育に触れ、「いわゆる偏向教育が全国にまんえんしている」と右派の主張を代弁してみせた。 前出の新後氏は「家庭教育支援条例の制定、育鵬社の歴史教科書の採択、素手でのトイレ掃除・・・。宮元市長のこの四年を振り返ると、そういった方向に教育を変えようとしているように感じる。『生命尊重の日』は1期目の総決算なのだろう」とみる。 国政レベルでも中絶は何度もやり玉に挙がった。 60年代以降、カトリック系の団体と宗教団体「生長の家」が、中絶の要件から経済的理由を削除させる運動を展開した。とりわけ生長の家は自民党議員を強く支援し、政府は72年に改正案を提出。しかし、女性団体などの反対で廃案に追い込まれた。 82年3月の参院予算委員会では、登壇した自民党の村上正邦議員が「ぜひ聞いていただきたい歌がある」と切り出した。 ママ! ママ! ボクは 生まれそこねた 子供です おいしいお乳も知らず 暖かい胸も知らず ひとりぽっちで捨てられた 人になれない子供です 歌のタイトルは「刑法第212条」。堕胎罪を定めた条文から取っている。村上氏は生長の家出身。ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ氏の堕胎批判の言葉も引き合いに法改正を迫った。 この年には、生長の家やカトリック、仏教など幅広い宗教関係者で集会を開いている。だが、この時も改正はならなかった。 80年代半ば以降、生長の家が政治運動から離れ、改正運動はやや下火になった。ところが最近、加賀市だけにとどまらず、「生命尊重」を唱道する動きが目立ち始めている。 滋賀県の愛荘町議会は今年3月、生命尊重の日の制定を国に求める意見書を採択。加賀市には、埼玉県川口市の市議が条例についての視察に訪れた。 今夏、加賀市の条例を調査した米モンタナ州立大の山口智美准教授(文化人類学)は警鐘を鳴らす。 「条例の『お腹の赤ちゃんを大切にする』という文言や、要望書を出した団体のこれまでの活動からすると、背景には、中絶を認める母体保護法を問題視する考えがある。産むか産まないかという女性の自己決定権を脅かしかねず、加賀市をきっかけに各地に広がる心配がある。良さそうに見える施策でも、問題点がないかをしっかり洗い出して考えてほしい」<デスクメモ> 女性やマイノリティーの人権尊重への道のりはまだ遠い。そこに立ちはだかるのが、右派からのバックラッシュ(揺り戻し)だ。ジェンダーフリーしかり、多文化共生しかり。中絶反対は、戦後最大級のバックラッシュの一つだろう。世間から忘れ去られていたが、どっこい生きていた。(圭)2017年8月20日 東京新聞朝刊 11版 27ページ「産まない選択へ圧力 危惧」から引用 加賀市長宛に生命尊重の日の制定を求める要望書を提出した団体に、新聞記者が取材しても当該担当者は「分かりません」を繰り返すだけだったとのことであるが、これは多分、担当者自身も「生命尊重の日」制定は母体保護法攻撃の準備なのだという「後ろめたい」自覚があるから、うっかり口にした言葉をその証拠だというような記事にされてはかなわないという計算が働いて、何も言わないほうが得策と判断したと思われます。「命を大切に」という精神は結構ですが、産まれてきた赤ちゃんのために母親が失業しなければならないような社会環境を改善することのほうが優先順位が遙かに高いと思います。
2017年09月03日
戦後の日本が女性を過剰な負担から解放するために制定した優生保護法の公布日を、石川県加賀市では「生命尊重の日」と条例で定めたと、20日の東京新聞が報道している; 7月13日は「生命尊重の日」-。石川県加賀市が、こんな聞き慣れない日をつくった。一見、結構なことのようにも思えるが、尊重すべき生命とは「胎児」のこと。しかも、その日は人工妊娠中絶を可能にした母体保護法(旧優生保護法)の公布日にあたる。産まない選択への圧力になりかねない。市は「中絶は法に基づき、個人が選択するもの。条例はその選択に言及するものではない」と説明するが、不穏な空気はぬぐえない。(加藤裕治) 金沢から普通電車で西へ1時間弱。加賀市は日本海に面し、山代や山中などの温泉地や冬場のズワイガニで知られる。人口7万人弱の静かな町だ。 同市の女性会社員(42)は6月、息子が小学校から持ち帰ったチラシを見て、1つの告知に目がとまった。ピンクのハートマークに白抜きで「『お腹(なか)の赤ちゃん』を大切にする啓発講演会」。市の主催だった。「なぜ市がこんな講演会をするのだろう」。疑問を抱きながらも、チラシを古新聞とともに古紙受けに入れた。 チラシには書いていないが、講演会は初めての「お腹の赤ちゃんを大切にする加賀市生命尊重の日」の記念事業。書家で詩人の相田みつをの長男で、相田みつを美術館長の相田一人氏が語った。当日は約150人が集まった。 「生命尊重の日」を定めた市の条例をみると、条文はわずか2つ。1条で「お腹の赤ちゃんを社会の一員として温かく迎えられるよう(中略)尊重の日を定める」と明記し、2条で「7月13日とする」。条例は6月の市議会で可決、施行されたばかりだった。 反対した市議は2人。そのうちの1人、社民党の林俊昭氏は「生命を尊重するという考えには反対しないが、この日はいけない」と訴える。一定の条件の下で人工妊娠中絶を認める優生保護法が1948年に公布された日だからだ。 当時は終戦直後。戦前に富国強兵を掲げていた日本は「産めよ増やせよ」で中絶を禁じ、刑法の堕胎罪で罰していた。望まぬ妊娠をした女性はヤミ中絶に頼らなければならず、命を落とすケースもあった。国は、食料難でも急増する人口に歯止めをかけたかった。 そんな時代を背景に、医療に詳しい議員や女性議員らの尽力で優生保護法が実現する。障害者に対する差別的な条項や、女性の権利保障が不十分などの批判を浴び、96年に母体保護法へと改正された。 中絶が可能になった日に「胎児の命を大切にしよう」と呼び掛ける。この条例の制定は駆け足で進んだ。 市健康福祉部などによると、自民党の市議が今年3月の本議会で条例制定について質問し、5月10日、教育民生常任委員会のメンバーに条例案が示された。 その翌日から2週間、市民の意見を募る「パブリックコメント」が実施された。通常は全戸配布の広報で周知を図るが、この時は「段取りが悪く間に合わなかった」と掲載せず、市のホームページ(HP)などにアップしたのみ。それでも市内外から39の意見が寄せられた。 「多い時で10~20件。ゼロのことも珍しくない」(担当者)というから少なくない数だ。そのすべてが賛成だった。「組織されたものだと思いました」。条例に反対したもう1人の市議、共産党の新後由紀子氏は苦々しく振り返った。2017年8月20日 東京新聞朝刊 11版 26ページ「胎児の命 大切にしよう」から引用 「生命尊重の日」などという妙な日を決めた加賀市当局は、わざわざ7月13日をその日に決めたことから、近い将来に母体保護法を廃止する戦いに立ち上がるぞと狼煙を上げたようなものである。今のうちは「中絶は法に基づき、個人が選択するもの。条例はその選択に言及するものではない」などと言っているが、こんな発言はウソであることは、国旗国歌法が前例を示している。
2017年09月02日
民進党の代表選挙は前原氏が勝利して共産党との共闘は見直すかも知れないような発言をしているようであるが、7月20日の東京新聞に東京大学教授の宇野重規氏は興味深い一文を寄せている; 先日、「民進党は賞味期限切れなのか」という質問を受け、一瞬とまどったことがある。野田聖子総務相の「民進党はある程度役目を終えたのではないか」という発言を受けてのものだが、そもそも政党に「賞味期限」なるものがあるのだろうか。しっくりこないものを感じたことを覚えている。 たしかに、東京都議選の結果を見る限り、民進党がいまや党の存続の危機にあることは間違いない。今回の代表選を実り多いものにしない限り、一人また一人と離党者が相次ぎ、流れ解散という事態さえありうる。その意味で、誰を次の代表とするかというだけでなく、この党の拠(よ)って立つ原理は何なのか、この際にしっかり再確認してほしいと思う。 が、問題は「賞味期限」という言葉である。このような言葉遣いの背後には、どうせ政党など旬の時期だけのものであり、それを過ぎれば使い捨てにして構わないという発想が潜んでいるのではないか。そうだとしたら、いま一度、政党の意味を考えてみる必要があるように思う。 先ほど、「党の拠って立つ原理」という言葉を使った。英文学者で酒脱(しゃだつ)な随筆を書いた深瀬基寛はかつて「政治と腹いた」という文章の中で英語のプリンシプルという言葉について論じている。この言葉には原理だけでなく、主義と節操という意味があるという深瀬は、その上でこの3つが不可分に結びついていたことが英国政治の強みだったという。 なるほど深瀬のいうように、およそ政治における「主義」とは抽象的なものではないだろう。それは一人ひとりの人生の「原理」に立脚するもので、だからこそ「政治家の節操」につながる。この3つが密接に結びつき、一国の政治社会の「コモンセンス(常識・共通感覚)」となって初めて、政党政治も機能するという言葉には重みがある。 深瀬はさらに、政党政治にはユーモアが欠かせないという。政治家同士が激しく論戦を繰り広げながら、ただ相手を罵倒するだけではなく、聴く人をくすりと笑わせる余裕のようなものが欲しいというわけである。 実際、英国の政党政治の全盛時代を代表するグラッドストンとディズレーリは、自由党と保守党という二大政党の指導者であると同時に、小説や文学研究を残した「言葉」のプロでもあった。言葉を尽くして相互を批判しながら、そこにどこか余裕があるとき、ユーモアの感覚も生じるのだろう。 話を戻せば、主義と原理と節操が結びついているからこそ、政権と対立して野党になっても崩壊を免れると深瀬は指摘する。対立はむしろ前進と創造にもつながるという。いささか昨今の政治状況(日本だけではないが)を見ていると、高尚すぎる議論とも言えるが、簡単に離合集散を繰り返す政治家たちを見ていると、少しは「主義と原理と節操の一体性」という言葉を投げかけてみたくもなる。 政党の看板をかけ替えることばかりが政治の革新につながるわけではない。むしろ党の過去の失敗や挫折も踏まえた上で、「党の拠って立つ原理」を再確認し、その上で新たなる展開や可能性を模索することが活気ある政党政治につながる。政党を「賞味期限」として使い捨てにする発想から、そろそろ卒業してもよい頃と思うがどうだろうか。(東大教授)2017年8月20日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「時代を読む-政治のプリンシプル」から引用 民進党の依って立つ原理は何かと言えば、その支持基盤からいって労働組合と市民団体の意見を反映した政治を目指すということだと思います。そういう「原理」をよく自覚すれば、史上最高の内部留保を誇る大企業本位の自民党政治に対し、有効な対立軸を立てて闘うことが可能になると思います。
2017年09月01日
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