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グリーンスレイド1975年4thアルバム、タイム・アンド・タイドで脱退したトニー・リーヴスに代りベースを担当し、ギターも披露していたマーティン・ブライリー。元々は、ビートルズのプロデュースで有名なジョージ・マーティンの仕事で活躍してたセッション・ギタリストだったそうで、多くのレコードで仕事を残しているベテランだったそうである。ただし、プログレファンにはそこら辺は余り認知されていないのか絶望的な評価しかないのかもしれない。でも、いいですよね。4thアルバム好きです。さてこの後デイヴ・グリーンスレイドがソロプロジェクトをスタート、出戻ったトニーとツアーバンドを一新させたので、バンドとしてのグリーンスレイドは消滅。アンディとマーティンは元イエスのピーター・バンクスと一時バンド活動し、2曲のみトランスアトランティックのGuitar Workshop Vo.2に収められています。ここでの二人のリズムセクションはかなり強烈でした。暫くしてマーティンは活動の軸足をアメリカへ移し、ソロアルバムを発表。スマッシュヒットも放ち、これ以降徐々にソングライターとして多くの作品を提供していきます。パット・ベネター、ケニー・ロギンス、セリーヌ・ディオン、ナイトレンジャー、バリー・マニロウ、マイケル・ボルトン、イアン・ハンター、ジュリアン・レノン・・・他彼のサイトには、なかなか日本では窺い知れなかった彼の歴史が閲覧できます。一時プログレ畑にもいましたが、イアン・ウォーレス同様、様々な音楽に貢献されてきたそうです。(奇しくも二人ともボニー・タイラーと仕事をしてますね。)Martin Briley Website
Jul 26, 2008
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キングクリムゾンに70年から72年まで参加していたメル・コリンズ氏と同姓同名のメル・コリンズがいると言う事は以前も書きましたが、写真でご紹介wコチラの↓の先の人物もメル・コリンズで、元ゾンビーズのロッド・アージェントのバンド、アージェントのこのアルバムで顔が確認できます(ジャケット裏に集合写真の人物が紹介されています)。CDではマネージャーとしか紹介されていませんが、事務所側からのエグゼクティヴ・プロデューサーでもあります。GassのJujuやアラン・ボウンのアイランド・レコードでの2枚のアルバムにクレジットされているEPのメル・コリンズも彼ではないかと推測されます。若手の一サキソフォン奏者がいきなりベテランをプロデュースする理由と繋がりがありませんしね。
Jul 26, 2008
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70年代にレインボーに参加し、一躍脚光を浴びたグラハム・ボネット。彼が60年代から歌手活動をしていたことは、ファンには有名だがその動画がYOUTUBEにありました。Marbles - Only One Woman既に末恐ろしい実力を見せ付けてくれます。すんごいソウルフル♪そしてコチラは、レインボー参加直前の1stソロアルバム当時の映像Graham Bonnet: It's All Over Now Baby Blueボブ・ディランの名曲を目一杯のシャウト、しびれます♪しかもカラオケに合わせての生歌です。77年当時としては珍しいかも。ちなみにこの曲、オケのドラムの演奏は、マイケル・ジャイルズ。ギターはミッキー・ムーディ、いい仕事です。
Jul 26, 2008
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納涼・・・ マンダラバンドとかだとかえって汗だくになりそうですwせめて耳からだけでも涼しげに♪ 全てYOUTUBEですShe May Call You Up TonightWalk Away ReneDesireePretty BallerinaLove Songs In The Nightこの他にもいっぱいありました。そんな中に、レフトバンクをカバーした日本人アーチストも・・・ピンクレディーwPink Lady - Walk Away Reneeあと懐かしいバンドだと、サンダークラップ・ニューマンもなかなかThunderclap Newman - Something In The Air余談:サンシャインシティには昔多くの輸入品を扱う各国の直売店がありましたが、ほとんどが今は無くなりました。今度の日曜日、27日にはワールドインポートマート5Fのイタリアンハウスが遂に閉店となります。今までイタリアの食材やお酒等独特の品揃えで人気を得てきましたが、最後のバーゲンで安売りをしていたので、ついつい懐かしさで買い込んでしまいました。現在毎夏恒例の「ウルトラマン・フェスティバル」をやっている、文化会館4階から連絡通路でワールドインポートマートへ渡ると直ぐに見つかります。お出かけのついでに、覗いてみるのもいいかもしれませんね。
Jul 25, 2008
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トニーやアランも参加するゴージャスなラインナップhttp://www.andforest.com/
Jul 23, 2008
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以前、ラリー・ノーマン Larry Norman の Only Visiting This Planet (1972)を紹介しましたが、調べていくと翌73年のラリーのアルバムにマイケル・ジャイルズが参加していた事が判りました。ジョン・ウェットンがロジャー・ハンドとロッド・エドワーズのエドワーズ・ハンド絡みでその後プロダクションの紹介する仕事としてクリスチャン系のラリーやマルコム&アーウィン等のセッションに参加してますが、マイケル・ジャイルズもラリーのセッション以降エドワーズ・ハンド制作クリスチャン系レコーディングに関わっています。Larry Norman / So long ago the garden (1973)このアルバムも前作のOnly Visiting This Planet同様、発売30周年記念のアニヴァーサリーCDが現在発売されており、ボーナストラックも収められてお徳です。マイケル・ジャイルズのドラミングは、以前紹介したジャクソンハイツ、ハンターマスケット、ゲイ&テリー・ウッズ等でも聴かれる様な、アコースティックサウンドとの親和性の高い演奏で、軽やかで良く唄うスタイル。全体のサウンドが前作よりもよりダイナミックな音作りになっており、Lonely By Myselfなどは当時のエルトン・ジョンを彷彿させる感じでさえある。Nutshell / Flyaway (1977)ヒューゴモンテスから再発CDが出ている、これまたJon Miller, Rod Edwards and Roger Handのプロデュース作。ポール、パム、ヘザーの三人組によるコーラスが美しいグループ。リズムセクションをマイケルのドラムスとジョン・G・ペリー(ベース)が、派手さは無いがガッチリと支えている。ちなみに次作 Believe it or not (1979)でもマイケルらは参加しているがこちらはCD再発が無い模様。ただ、オリジナルLPが海外通販で10ドル程度で買える様である。
Jul 20, 2008
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このテーマ「キングクリムゾン」内でジャニーズ系を扱うとは最初は想像しておりませなんだwトキオである。エイドリアン・ブリューやサイモン・フィリップスら豪華な演奏陣が凄いです。往年のジャニーズナンバーをやっているそうです。ブリューが参加しているのは「気まぐれOne Way Boy」と言う曲。アレンジでクレジットされています。ちなみにこの曲、野村義男さんのいたTHE GOOD-BYEのデビュー・シングル曲であり、個人的には私がそのデビュー・キャンペーンの音響をやった思い出もあったり・・・ 世の中妙なところで縁があったりしますw
Jul 19, 2008
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キングクリムゾンと人気海外ドラマ「フレンズ」のテーマソングが、何の関連があるかと言えば?Mr.ミスター解散後のパット・マステロットのお仕事としてですね♪YOUTUBE The Rembrandts - I'll Be There For You 映像はドラマ出演者による演奏なのですが、実際の演奏ではドラムスをパットが演っていたのはクリムゾンファンなら御存知の方も多いでしょう。さて、いよいよキンククリムゾンの活動も8月のツアーから再開します。新編成の音楽がどの様な姿を現すのか?期待しております。
Jul 19, 2008
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プログレ者にはキャメルが小説を題材にした「スノーグース」の作者として、映画「ポセイドン・アドベンチャー」の著者でも知られる、ポール・ギャリコ。彼の「七つの人形の恋物語」が日本で約20年ぶりに舞台化される。前回の舞台では、主演に荻野目慶子を配し話題だったが、今回はミュージカルである。東京公演の後は大阪公演も行われるそうである。音楽座ミュージカル 七つの人形の恋物語こちらは原作小説。名作です。こちらは文庫版七つの人形の恋物語
Jul 18, 2008
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キースのピアノが印象的に使われているアニメーション作品Cowboys High Noon...
Jul 16, 2008
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ヴァニラ・ファッジのギタリストとして知られるヴィンス・マーテルが2000年に出したソロアルバムに、イアン・マクドナルドが参加し、クリムゾンキングの宮殿でフルートを演奏している。どんな演奏かは、ピート・シンフィールドのサイトで試聴できます。
Jul 13, 2008
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ギル・グリッソム役ウィリアムス・ピーターセンキャサリン・ウィロウズ役マージ・ヘルゲンバーガーサラ・サイドル役ジョージャ・フォックスニック・ストークス役ジョージ・イーズオフショットを見ることが出来ます。CSIの番組ファンなら是非一度ご覧になってはいかがでしょうか? ただし、ファンページも混在してますのでどの程度本人たちが関わっているかは不明ですw
Jul 13, 2008
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1960年代、多くのバンドが雨後のタケノコの様に生まれては消えていったが、その中にはレコード会社やプロダクションの企画先行で、後からバンドをくっつける形のモノも多かった。代表的なものとしては、ザ・モンキーズ(アメリカ側からビートルズに対抗する企画)や同じプロデューサーによるアーチーズなどがある。以前取り上げたバンドでは、デビュー直前のディープパープル勢が関わったフラワーポットメンもそうだし、その流れのエジソンライトハウスもまさにそのものだった。ハスケルのいたフルール・デュリーも、いくつもの変名で企画モノレコードをリリースしている。60年代半ばにダンヒルレコードの企画としてP・J・スローンが制作した曲を「グラスルーツ」と言う架空のバンドとして出したレコードが、地元でちょろっと話題になった。スローンはバンドとして巡業を望んだが、レコード会社は製作を重要視して許可をせず、代わりに無名の新人バンドをグラスルーツとして活動させたのであった。紆余曲折、人員の入れ替わりやら色々あった後、世界的に「今日を生きよう」がヒット。70年代半ばまで活動を続けた。70年代の後期グラスルーツと言うとモダンでスマートなナンバーもある。ご紹介するのは、72年に日本でもシングルが出た彼らのカッコイイ1曲 RUNWAYThe Grass Roots-The Runway久しぶりに聴くと、いかにも70年代前半のサウンドプロダクションがワクワクさせてくれます。
Jul 10, 2008
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実に単純なことであるが、75年のグリーンスレイドのライブ音源のメンバー紹介部分で確認できた。「次の曲はドラムフォークです。アンドルー・マカーロック」紹介をしているのは声からしてたぶんデイブ・グリーンスレイド。その部分の音声以上、コレにて完結w ちゃんちゃん♪過去ブログAndrew McCullochの名前の読み方を今更考えてみるAndrew McCullochの近況
Jul 9, 2008
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11年前に日本限定CDで出た幻のサード・アルバム。予定された79年当時にアルバムは発表されず、収録曲はRCAなどから小出しにシングルで出回っただけだった。セッション時代に曲つくりで溜め込んだ50曲以上が元になっているようで、サード制作前に関わった山口百恵のアルバム「ゴールデン・フライト」レコーディング参加時に日本側製作者にデモテープを試聴させ意見を求めたりしている。制作は1978年で79年発売予定が立ち消えたのが1997年日本で日の目を見た作品集。英語での原題は Serve at Room Temperature である。先日このCDをまた聴いていた時、プロデューサー名を見てひっくり返った・・・Bill Kimber見落としていた・・・そう、ちょっと前にもゴードン関連記事でも書いてあった南アフリカのプロデューサーであるBilly Forestであり、南アフリカの歌手としてはQUENTIN E KLOPJAEGERとして、英国ではWilliam E. KimberやWaygood Ellisの変名でもレコードを出していた本名William Charles Boardmanの79年当時RCAのA&R担当でもあったBill Kimber氏である。ああ、なんてややこしい・・・でもこれで、パンク全盛時の79年に何でゴードンがアルバムを制作できたか、その繋がりを感じ取ることは出来る。60年代末に南アフリカでゴードン楽曲でNo.1ヒットを二つ、世に送り出したプロデューサーとの関係が70年代末も継続していた訳だ。(ゴードンは自伝の中で、マイ・オールド・フレンドとプロデューサー氏を称している。)残念ながらサードアルバムは、制作当時テストプレス(ジャケットも何もない白ラベル)で少数が関係者に配布されたのみだったようである。以前書いたブログでは、ホントにサードアルバムだったのか、シングルの寄せ集めだったのでは?と疑ったりもしたが、実際のテスト盤の存在が確認できたので、サードアルバムとしての制作は確か。ちなみに日本盤CDは廃盤になり入手が難しいが、英国などでは2003年に発売されたものがあり、こちらは海外サイトで流通している。シングルを聞いた30年近く前から好きだったPeople don't careなどが収録されており、個人的に好きなCDとなっている。◆ゴードンが在籍したバンドの順番を今一度整理してみる◆まず、同級生フリップとのRavensそしてその展開したバンド、The League of Gentlemenフリップが大学へ進学し、ゴードンはThe Dowlandsへ66年、再編されたLes Fleur De Lysへ加入(英語読みだと「フラ・ダ・リーズ」だが、ゴードンはバンド名をフランス語読みしている為、「フルール・ドゥ・リー」と発音する。Lesが冠詞で付いている以上フランス語読みが本来の読み方なのかもしれない。日本のラルク・アン・シェルみたいな感覚でしょうか?)プロデューサーのビリー・フォレスト関連で、シャロン・タンディのバック演奏と曲つくりに参加したホールド・オンがスマッシュヒット。引き続き、クエンティンの歌Lazy Life(1967)とワンダの歌Zanzibar(1968)が南アフリカでチャートトップ。フリップは病院でゴードンの母からその経緯を聞く。フリップの呼びかけでキューピッズ・インスピレーション加入、アルバムにも参加するが短期間で離脱。続いて花咲くサンフランシスコのヒットで知られたザ・フラワーポットマンのツアーに参加。オーストラリアでもハート・アンド・ソウルがカバーしたLazy Lifeがヒット。69年、初ソロアルバムSail in my boatを発表。クリムゾン2NDでパートタイムで唄った後、3RDアルバムで加入。録音終了後、コンサートリハ中にフリップに離反し脱退。2NDソロアルバム、It is and It isn't発表(1971)。ジョン・ウェットンらとのソロツアー中に失踪事件でツアー中断。( ※ 2015年3月26日追記、ハスケルのソロツアーは71年11月以降なので、この時既にファミリー入りしたウェットンの参加は無かったと現在は考えられます。)セッションやバンドメンとしてビリー・ヒューレイ、ブリン・ハワース、クリフ・リチャード、ティム・ハーディン、スタクリッジ等バンドを転々する。75年、加藤ヒロシ、ジム・ラッセルとJoeを結成、シングルやライブでも活動。この後、加藤の仕事のながれで、山口百恵「ゴールデン・フライト」とグラフィティ・ハウス・バンド名義での企画アルバム「いかすぜジャック!ツイスト決定盤」に参加。ツイストアルバムでは全篇リード・ヴォーカルでオールディズを唄いまくっている。そして70年代末、上記サードアルバム制作へ繋がる事になる。不明事項:1969年のTerry DurhamのアルバムCrystal Telephoneベースがゴードンの可能性が高いが未確認。あとマージーズ関連のバンドQuotationsのシングル参加は、Haskell was also a member of a Liverpool band called the Quotations, formed by ex-Big Three bassist Johnny Gustafson (before he joined the Merseybeats), who recorded for English Decca ("Alright Baby" b/w "Love You All Over Again") in 1964.と英文サイトで紹介されているがはっきりと事実関係を確認出来ていない。( ※ 2015年3月26日追記、いくつかのトラックにおいてFleur de lysがリズムセクションを担当したそうです。現在はCDでリイシューされており安価で購入できます。 この作品の主である故テリー・ダーハム氏の娘さんが公式サイトやツイートをしています。)
Jul 4, 2008
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キングクリムゾン加入前のメル・コリンズがいたバンドは、クリムゾンのセカンドアルバムにも記されている通り、サーカス CIRCUS 。そのサーカスの前身が、ラブアフェア等にヒットソングを書き下ろしていたフィリップ・グッドハンド・テイトのバンド、ザ・ストームスビル・シェイカーズ The Stormsville Shakers.60年代前半から活動するこのバンドにメル・コリンズが参加した日にちが、http://www.stormsvilleshakers.com/コチラに公開されていた。データによると、メルの参加は1966年5月16日となっている。レコーディングの日付けを見ると、以下のアルバムに収録されている数曲がメル在籍時の録音だということもわかった。PHILLIP GOODHAND-TAIT & The Stormsville Shakers1965 & 66 plus Ricky TickこのCD自体は今のところ輸入ショップで入手しやすい。また、このサイトの情報によりテイトのバックでの活動と平行して、バンドがCIRCUS名義でパーロフォンから2枚のシングルを出していることが確認できる。ただし、ストームビル・シェイカーズの復刻CDには、サーカス名義のシングルは収録されていない。69年になると、テイトは本格的にソロ活動を始め、サーカスも独立した形へ移行している。サイトではメルのサーカス以前の写真も見ることが出来るので非常に貴重である。
Jul 3, 2008
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以前にもたびたび紹介したゴードン・ハスケル作品が60年代末に南アフリカでNo.1を獲得した2曲のうち、Wanda Arletti - Zanzibarhttp://jp.youtube.com/watch?v=bXwXTR0bg18この曲が現在YOUTUBEにUPされています。ゴードン・ハスケルが1stアルバムで再演したヴァージョンよりも明るいアレンジになっています。上記の曲もシャロン・タンディ等の南アフリカの音楽プロデューサー、ビリー・フォレスト Billy Forestの手掛けた所からフルール・ドゥリーFleur De Lys繋がりでゴードンの歌が採用となった模様。ビリーの60年代初め頃のいくつかのプロジェクトの内、1962年に発表されたLittle Archie And The Twisters名義のアルバムTwistin' Wildにシャロン・タンディ Sharon Tandyが3曲ほどヴォーカルで参加しています。余談の余談南アフリカと言えば、ジャズドラマーのルイス・モホロ氏も2005年に帰郷して、音楽を続けているそうな。ブルーノーツから始まり、クリス・マクレガー、デレク・ベイリー、キース・ティペットら様々な人脈と活動し現在68歳にしてまだまだお盛ん。
Jul 2, 2008
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