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図書館で『台湾ニワトリ島乱入』という本を、手にしたのです。おお シーナの2016年近刊ではないか。集団乱入と執筆・・・趣味と実益を兼ねた幸せな作家やでぇ♪【台湾ニワトリ島乱入】椎名誠著、KADOKAWA、2016年刊<「BOOK」データベース>より完全カキオロシ三部作ファイナル!過去最大の怪しいメンバーが台湾南東の田舎町に集結!謎のうどんと格闘し小学生と真剣野球勝負する。よーし、ビールだマグロだ宴会だ!知られざる台湾の裏側へ乱入!目的のない大集団合宿、最新刊にして完結編!<読む前の大使寸評>集団乱入と執筆・・・趣味と実益を兼ねた幸せな作家やでぇ♪amazon台湾ニワトリ島乱入何はともあれ、うどんである。・・・で、「台湾うどん」の続きを、見てみましょう。今回は、前回閉まっていた一番人気の店に入ることになります。p101~106<ぶちきれうどんにぶちきれる> ちょうどひるどきだったので出迎えチームと緑島遠征チームとで昼飯を食っていくことにした。合宿に加わったばかりの顔ぶれも多いので簡単に協議して街に出、このあいだ店が閉まっていた「台湾うどん」の一番人気の店という「溶樹下米苔目」にいくことにした。 しかし休日の昼であるからこの店も沢山の人だ。入り口に十人ぐらい地元客らしき人々がいて、中を見るとざっと5、60人がテーブルにいる。おれたちはすでに20人もいる。こうなると日本の人気ラーメン店みたいに行列になるのだろうか、外はモーレツに暑いのにいやだなあ、などと思っていると、なんと店はどんどん客を入れてしまうのだ。我々もどんどん入っていくとたいへんフトコロの深い店でスライド式の仕切りをあけると50人は入れる部屋がどんどん続いているのだ。全部で200人ぐらい入れるのではないだろうか。 これだけの人気店なら、このあいだのように箸で掴めずぶつぶつ切れてしまうようなインチキうどんではないだろう、という期待感がずんずん高まっていく。 クーラーのきいている奥のスペースの巨大なテーブルにみんな座れた。当然ながらまずはビールだが、店にはビールを置いてなくて飲みたい客はコンビニへ行って買いなさい、と店の人が言う。本当にこの国のレストランは「酒なし」が多く、外からの持ち込み式になっているから店に欲がないといったらそういうコトになる。客があまり飲まないのと、きっと店側が面倒くさいのだろう。 それとうどんを食うのにビールはないだろう、ということなのかもしれない。まあどっちでもいい。おれたちは使命のようにして飲むのだ。若い奴がコンビニに走り、すぐに沢山の缶ビールを買ってきた。 この店のうどんは汁に入ったのと汁なしのとふたとおりあるとわかった。せんだってのは汁の中のうどんだったから、こんどは汁なしを頼んだ。 おれの隣に太田トクヤが座って店の中を見回している。彼は仕事がら繁盛店などにいくと必ずそういうプロの目で店の中のアレコレを見回す。ついでに若い女性従業員もアレコレ見ているようだが。 それにしても「溶樹下米苔目」というこの店の名がなんだかすごい。「これ、どういう意味なんだろうなあ」 太田が言う。「米苔目はうどんのことらしいからまあこのとおり解釈すると、溶ける木の下にうどんがある、というコトじゃないのかな」 いちおう作家としておれはそう言った。もちろんでまかせだ。「なんで木が溶けるのよ」 太田はしつこい。(中略) そういうところに20人分の「うどん」がキャスター付きの運び台にのせられてどっとやってきた。よかったよかった。棺桶問題はうどんを前にしてどこかへすっとんでいった。この問題、どうやってデマカセでやりすごそうか少し困っていたのだ。でもこれからこんどこそちゃんとしたうどんが食えるだろう。おれはよろこびに満ちてドンブリの中のうどんを箸で持ち上げようとした。しかし、なんてことだ。 ここのも箸でつかみあげることができないバカうどんなのだ。「なんだこれは!」 うどんとなるとおれはしつこい。「こりゃだめだ。台湾にはやっぱり正しいうどんはない。こうなったら台湾の人々を全員四国の香川に連れていくしかない。丸亀のうどん屋をぐるっと回るツアーを組んで全部の店のうどんを食わせたい」 でも他の連中は日本人のくせに全員うれしそうにこの大バカぶち切れうどんを食っているのだ。どっちもバカめ。全員死ねッ! と、叫びつつも、汁なしなのでぶち切れうどんの入ったどんぶりをナナメにして口にあて箸でざかざか流しこんでいる自分が悲しい。ウーム 「台湾うどん」にご立腹のシーナであるが、それだけ讃岐うどんを愛しているんでしょうね。大使の体験から言うと、台湾料理にハズレはないんだけど。『台湾ニワトリ島乱入』1
2018.02.28
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図書館で『小説家のための人生相談』という本を、手にしたのです。暇なので小説でも書いてみるかと目論む大使にとって・・・この本はなかなかのハウツー本になっているようです♪【小説家のための人生相談】阿部和重著、朝日新聞出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、川上未映子、金原ひとみ、朝吹真理子、綿矢りさ、加藤千恵、島本理生、川上弘美、桐野夏生…小説家にまつわる秘め事を、ぜんぶ明かしてしまいます。<読む前の大使寸評>暇なので小説でも書いてみるかと目論む大使にとって・・・この本はなかなかのハウツー本になっているようです♪rakuten小説家のための人生相談阿部より年上の桐野との対談ってか・・・なんか怖いような(笑)p242~246<近頃、ビビっとこないのです:桐野夏生> 桐野:実にきちっとした話し方で進められるんですね。雑誌掲載時にかなり書き直していらっしゃるのかと思っていました。阿部:いえ、だいたい毎回こんな調子です。しかし今日はすごくやりにくいな!(笑)桐野:どうして?阿部:僕のほうがすべてを見透かされているような感じがしておりまして。桐野:そんな。どうぞお助けくださいませ(笑)。阿部:では、早速ご相談の内容に入りますが、まず「ビビっとこない」という事態の具体的なエピソードをお書きですね。桐野:そこに書いたソ・ジソブだけでなく、たとえば東方神起もたしかにかわいいと思うけど「いいわね!」とはならない。阿部:東方神起は二人組になったんでしたっけ。それはともかく、僕はこのソ・ジソブという人を知らないんですが、韓国の若手の俳優ですか?桐野:そうです。ソニーのカメラのコマーシャルに出ている、なかなかいい男ですよ。阿部さんもご覧になりますか?阿部:いまなにかお持ちですか? 出た! iPadを持ち歩いていらっしゃるんですね。桐野:たまに便利かなと思って。あ、でも入ってなかった(笑)。検索は面倒くさいです。阿部:では、ソ・ジソブの写真はこちらで参考資料を用意するとして(笑)、そんないい男なのにビビっとこないんですか。桐野:人だけでなく、ほしいものもなかなか見つからない。物欲も漠然としてしまっています。阿部:惰性で買い物している?桐野:そうです。こういう仕事なので「いつも同じ格好をしている」と言われるのがいやでときどき洋服を買うのですが、これといったものがない。買い物自体は好きなので張り切って歩きまわっているのに「なぜ?」と思うほど。(中略)阿部:では、最後にビビっときたのはなんですか? 対象はものでも人でもいいです。桐野:昔は、親を殺してでもほしいものがいろいろあったけれど、最近はあまりない。でも、もっともそれに近かったのはルーカス・グローバーというぷろゴルファーかな。私はPGAツアーを見るのが好きなのですが、その人は無名の選手ながらわりとメジャーな大会で優勝したんです。 たしか2009年の全米オープン。あちらのツアーは、18ホールが終って優勝が決まると、そこで待っていた奥さんや子供と抱擁する。このとき奥さんを見ることも楽しみのひとつなんです。たいていみんな金髪でモデルタイプの美人なんですよ。阿部:タイガー・ウッズの前の奥さんのエレンさんみたいな? 桐野:そうそう。ところが、ルーカス・グローバーを待っていた奥さんはやや太めで、モデル風ではなかった。しかもグレーのトップスにスカーフ、というゴルフ場にはそぐわない格好をし、さらに、抱き合ったときに脇の下に汗染みがだあーっと見えて、どきっとした。阿部: ちょっと生な感じが・・・。 桐野:そのときに私はいいなっと思ったんです。ルーカスはツアーの世界に入ればいくらでもいい女がいたのに、きっとハイスクール時代に付き合っていた人と結婚しちゃったんだなと思ったの。阿部:ずるずると流されてきた人物像が見えたわけですね。 桐野:しかも、奥さんはまあまあかわいいし、汗染みにはなったけれどもおしゃれも頑張っているし、今夜あたりは黒い下着なんかつけてルーカスを困らせるんだろうな、と。阿部: そんな妄想まで(笑)。桐野:ルーカスも内心やれやれと思いながらも、そんな妻がすこしかわいく思えて、結局は妻のいいなりになるに違いない。そこまで想像したら、急にファンになっちゃった。つまり最近の私は「ビビっとくる」ために物語が必要になってきたわけです。阿部: なるほど、かなり入り組んでいますね。いわゆるコンテキスト=物語的な文脈が、「ビビっとくる」ことに不可欠なスイッチになってしまったと。桐野:しかもディテールで強化された物語でなくては駄目。だからなかなかビビっとこないのは、加齢のせいもあるのかもしれないけれど、作家としての職業病かもと思い始めています。この対談の40日後に東日本大震災が起きて、桐野さんはもう、ビビっとこないどころか、言葉も信じられない。この先、どんな時代が訪れるかを考えるしかないと述べていました。『小説家のための人生相談』1:川上弘美
2018.02.28
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図書館で『小説家のための人生相談』という本を、手にしたのです。暇なので小説でも書いてみるかと目論む大使にとって・・・この本はなかなかのハウツー本になっているようです♪【小説家のための人生相談】阿部和重著、朝日新聞出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、川上未映子、金原ひとみ、朝吹真理子、綿矢りさ、加藤千恵、島本理生、川上弘美、桐野夏生…小説家にまつわる秘め事を、ぜんぶ明かしてしまいます。<読む前の大使寸評>暇なので小説でも書いてみるかと目論む大使にとって・・・この本はなかなかのハウツー本になっているようです♪rakuten小説家のための人生相談作家と編集者のやりとりを、見てみましょう。いわば出版業界の裏話なのだが・・・なかなか面白いでぇp219~222<幻想だったかもしれません:川上弘美> 阿部:川上さんや僕なんかがデビューした90年代前半の時期は、文芸のジャンル全体がいまほど活気づいていなかったし世間での注目度もあまり高くなかったということは、この「和子の部屋」でもなんども話しているわけですが・・・。 川上:たしかにそうですね。私としてはかえってのんびりできてよかったです。 阿部:その最初期に仕事をともにした編集者とは、いまでも付き合いがありますか? 川上:ええ、続いていますね。これは想像ですが、芥川賞の前から仕事をしませんかと声を掛けてくれた編集者は、海のものとも山のものともつかない、ほとんど誰も評価していない怪しいモノであるのに、興味を持って声を掛けてくださった。そしていま阿部さんがおっしゃったような文芸の状況もあって、当時は編集者とじっくり付き合うことができました。以降、だんだん初対面の人と仕事をするようになると、あれ? と戸惑うこともありましたね。阿部:僕も似たところがあって、デビュー当時に知り合った編集者の何人かとはいまも仕事をさせてもらっています。そのなかには、いわゆる「伝説の編集者」たちの仕事のノウハウらしきものを受け継いでいる人もいて、いまでも若い編集者と違う手応えを感じることはありますね。そこでお訊きしたいのですが、川上さんの抱かれている違和感は、たとえばここ十年くらいの世代交代によるものではないかと。いかがでしょうか? 川上:たぶんそうではないんです。私も自分で相談状を書きながら、いったいなにが言いたいのかなと悩んだけれど、たんに若いからダメということではなく、あるいは編集者ひとりひとりの固有の問題でもない気がします。つまり、自分はこれから人間関係をどうしたいのかという相談なんです。阿部: ははあ、ここでまた話が広がりましたね。川上:編集者と小説を書く人間のあいだの距離は近いでしょう。かといっていまは、「伝説の編集者」系のように、「お前は根底からやり直せ」とか乱暴な距離の詰め方をする人はあんまりいない。恋愛感情とは違うのに、恋愛の相手としては絶対に見ないのに、むき出しとむき出しの感情で相対することがあるという、へんな仕事ですよね? 事務的な話をしていても、お互いのざらっとしたところやいいところがそのまま見えてしまい、それは面白いことでもあるけれど、しんどいことでもあって、ほかの作家の方はこの人間関係をどう感じているのかなと、まず素朴な疑問がわいたんです。阿部:僕自身はそもそも人間関係にあまり悩むタイプではありません。というのも、積極的に他人と関係を築こうとはしないから。しかし編集者とのあいだには、たしかに人間臭い付き合いが構築される場合がありますね。仕事の間柄だけにとどめたいと思わないわけではないが、それでは味気ないことになるし、長時間、一緒に作品について語り合ううちに自然に距離も詰まってきます。逆に言えば、案外と簡単にはこちらに線を引かせてくれない関係性です。性格による相性の問題以上に、作家にとってそれぞれの編集者との関係性は重要なポイントになりますよね。 川上:そう。私たちは小説を書くような人間だから、どこか妄想系でしょう。たとえば自分のほうは、ある編集者のことが大好きで信頼しているとします。でも相手は、私に対しては仕事として一生懸命努めてくれていたのであって、家に帰ったら2、3日ぐったりしているとか、いやな気持でいるとかだったらどうしようって、つい考えてしまう。阿部: 川上さんがそんな妄想を抱えていらっしゃるとは!(笑)。川上:こちらからの愛だけが強すぎるという不幸(笑)。
2018.02.28
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図書館に予約していた『ビッグデータの罠』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。先日の朝日の記事(ニッポンの宿題)個人データ どこまでを読むにつけ、えらいこっちゃ!ということで、この本を図書館に予約していたのです。【ビッグデータの罠】岡嶋裕史著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりあなたのクラウド・データは見知らぬ国に保管されている!ビッグデータはいいこと尽くめじゃない。電話番号、スケジュール、写真、ドキュメントなど、クラウドに委ねることが当たり前となった時代、膨大なデータを誰がどう管理・活用しているか知っているだろうか?無料、便利さと引き換えに少しずつ侵食される個人の情報。プライバシーを脅かす「新たな監視社会」に警鐘を鳴らす。<読む前の大使寸評>先日の朝日の記事(ニッポンの宿題)個人データ どこまでを読むにつけ、えらいこっちゃ!ということで、この本を図書館に予約していたのです。<図書館予約:(2/15予約、2/20受取>rakutenビッグデータの罠パノプティコン(実在するパノプティコンと監視社会より)第3章「監視されてもいい」から監視社会の怖さを、見てみましょう。p59~62<最大多数の最大幸福> 「監視社会」と聞いて、私がまず思い浮かべるのは、ベンサムのパノプティコンであり、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』である。 ベンサムは18~19世紀のイギリスの法学者で、功利主義で著名な人物である。パノプティコンは刑務所なのだが、そのデザインと監視システムとしての完成度は功利主義を実によく体現しているという。 監視社会と聞いて想起するイメージについて、各世代ごとの特徴はもちろんあろう。いま10代の学生に同じ質問をしても、この答えはおそらく返ってこない。 それは学生が不勉強だとか、権力による統治に鈍感になったとかそういう話ではなく、単に流行の問題である。建築や服飾に流行があるように、学問の世界にも当然流行が存在する。ベンサムは当世的な流行ではないだろう。 とはいうものの、パノプティコンは監視社会の議論を始めるためのベースラインを構築するものであることは現代でも論をまたない。ここで少しだけおさらいしておこう。 ベンサムを語るときに必ず出てくるキーワードが功利主義、実利主義である。中学校で習った、あの「最大多数の最大幸福」というやつである。社会システムの有用性をその効用に求める思想だ。 パノプティコンは、この思想のもとに設計された刑務所である。デザインというものはそもそも、それを行なった人の思想を表すものだが、建築や工業製品において特に顕著である。パノプティコンを見ると、ベンサムの考えていた功利主義がどのようなものだったかが、端的に表現されている。 パノプティコンは美しい円柱状の建物で、円柱の表面に受刑者の部屋が配置されている。円柱のなかはがらんどうになっていて、中央に監視塔がある。こうすることで、看守は極めて少ない人数で多くの受刑者を監視することができる。 それがどうして「最大多数の最大幸福」に寄与するのか。看守が少なくてすむというコスト要因もあるが、受刑者が常に監視されていることで、よい振る舞い、規則正しい生活や怠惰にならないせいかつがを送れる点が強調される。ベンサムの考える受刑者に対する福祉はそのようなものであった。これは現在の監視社会を読み解く上でも重要である。(中略) パノプティコンの実利性は発表された当初から認められており、オランダ、アメリカの受刑施設にその影響を残している。巷間に流布したパノプティコンのイメージは、どちらかと言えばマイナスのものが多いだろう。小数の監視者と多数の被監視者という関係は、少数の支配者と多数の被支配者という関係を容易に連想させ、抑圧された社会のビジョンにつながる。 パノプティコンは小説や絵画、映画の中で繰り返し取り上げられることになるが、愉快なパノプティコンには出会ったことがない。それは映画「ブレードランナー」「マトリックス」や「1984年」などに共通する暗い通奏低音となり、監視社会のイメージを構築、強化した。すなわち、監視社会は権力者に都合のいい搾取構造であり、これを打破しなければならないという文脈である。ブレードランナー
2018.02.27
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図書館へ予約していた『飯場へ』という本を、待つこと約4ヶ月でゲットしたのです。ぱらぱらとめくると、おもに土木建築の労働に関して、著者が体を張ってレポートしていることがうかがえます。写真も多いし、まさにフィールドワークである。【飯場へ】渡辺拓也著、洛北出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より職場の共同性をどんどん切りつめていく理不尽な圧迫を、私たちは、どのように押し返せばよいのだろうか。本書は、飯場の一人ひとりの労働者が置かれた関係性に注目し、この問いに迫る。どういうルートで飯場に入るのか、どんな労働条件で仕事をするのか、どんな暮らしをおくるのか、どのような人たちと出会い、そして飯場を出て行くのかを、「僕」の飯場体験にもとづいて詳しく描き、考え抜いている。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、おもに土木建築の労働に関して、著者が体を張ってレポートしていることがうかがえます。写真も多いし、まさにフィールドワークである。<図書館予約:(10/07予約、2/23受取)>amazon飯場へ第1章「人夫出し飯場のエスノグラフィー」から土工の作業を、見てみましょう。p107~110<吉田建設三日目> というわけで今日も吉田建設。 仕事中は曇り。昼にすこしぱらついた。夕立があり、夜には本格的に降り出した。今日は太田さんもで来ていた。確か、飯場に入って次の日の朝も、大塚さんと太田さんは来ていた。彼らもここの飯場から仕事をまわしてもらうのは初めてだと言っていた。うまく続けて使ってもらうことができたわけだな。 行きに会社の倉庫によって、カラーコーンにかけるバーとコンクリートを混ぜる機械、「工事中」の看板二枚を積む。 倉庫から現場に向かう間、建設業界にはびこるピラミッド構造について話題が及ぶ。入札の不平等、談合。最初は談合というものがそんなに影響力をあるものだとは思わなかったそうだ。自分も事前に話をしていれば大丈夫かと思ったら、そんなに単純ではなく、やっぱり他のところもしているから単に根回ししただけでは無理なのだそうだ。暴力飯場だとかケタオチ飯場だとかいうが、大きく見れば飯場の経営者なんて、末端の末端に過ぎないのだと言っていた。 値段をつけることができるということは実は権力なのだと思わされる話もした。 昨日の続きを午前中にした。憧れのチッパーを使い、はつりをした。こんな使い方をしていいんだろうかと迷ってしまう。不安なのであまりチッパーを使わずスコップを使っていたら、「ある道具は使いなさい。なるべく疲れないように考えてください」と社長が言うのでチッパーをとにかく使う。下に通っているパイプを傷つけないよう注意しろと言われる。(中略) 午後はもう一方の排水溝の基礎を作った。木で仮枠を作るのを手伝った。明日はコンクリートを入れるのだろうか。仮枠に穴をあけたり余分なところを切ったりして溝にあわせる。マンホールの中に入って砂利を取り除く。マンホールの中は少しひんやりしていた。臭い。汚水がチョロチョロ流れている。電動のドライバーはインパクトドライバーと言うらしい。インパクトドライバーにドリルをつける。 仮枠を円状に切り抜くために、ふちにドリルで穴をあけていく。くり抜く際の基準となる円を書く時、社長は木切れの両端に釘を刺して、コンパス代わりにまにあわせる工夫をしていた。丸く空けた穴に合うようにボイド(紙の筒)を切ってはめる。体裁を整え終わったあっと、出来上がった仮枠を排水口に入れる。試行錯誤の末に何とかはめ終わる。土のう袋で固定する。 仮枠を作る手元は大変だった。今日はずいぶん怒鳴られた。道具の名前がわからない。関西弁で怒鳴られるのも気後れする。しかし、作業をしていると、進捗状況を見て、次に必要な道具を用意して手渡すような気転が手元には必要なのだとうすうす分かり始める。手元の人間は職人のもう一つの手、もう一つの眼、もう一つの足のようなものなのだ。 次にあの道具がいる、あれをちょっとこっちに持ってくるだけで何とかなるのに、今これから手が離せない、そういう時に絶妙なタイミングでサポートをする。そのサポートを期待して雇う。今日も少し車を運転させられた。明らかに僕にやらせるためだけにやらせている。もちろん、長期的に見た場合、僕も軽トラを動かせたほうがいい。運転は無理でも、たとえ数メートルでも移動できたほうがいい。そのくらいの小さなことをやるのが手元だとも言えるし、そのくらいの小さなことでも、できるとできないとでは大きな違いがあるのだろう。臭いマンホールの中の作業など、著者のフィールドワークはかなりきついものになっていて・・・その臨場感がええでぇ♪『飯場へ』3:飯場日記『飯場へ』2:飯場とは何か『飯場へ』1:フィールドワークの始まり
2018.02.27
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図書館へ予約していた『飯場へ』という本を、待つこと約4ヶ月でゲットしたのです。ぱらぱらとめくると、おもに土木建築の労働に関して、著者が体を張ってレポートしていることがうかがえます。写真も多いし、まさにフィールドワークである。【飯場へ】渡辺拓也著、洛北出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より職場の共同性をどんどん切りつめていく理不尽な圧迫を、私たちは、どのように押し返せばよいのだろうか。本書は、飯場の一人ひとりの労働者が置かれた関係性に注目し、この問いに迫る。どういうルートで飯場に入るのか、どんな労働条件で仕事をするのか、どんな暮らしをおくるのか、どのような人たちと出会い、そして飯場を出て行くのかを、「僕」の飯場体験にもとづいて詳しく描き、考え抜いている。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、おもに土木建築の労働に関して、著者が体を張ってレポートしていることがうかがえます。写真も多いし、まさにフィールドワークである。<図書館予約:(10/07予約、2/23受取)>amazon飯場へ第1章「人夫出し飯場のエスノグラフィー」から飯場日記を、見てみましょう。p36~37<飯場日記> とりあえずの目的にしていた10日契約車が見つからない。10日契約の仕事があっても、「仮枠職人限定」などと書いてある。契約期間は書いていなかったが、「土工・入寮者募集」という札を出している車の人に話しかけてみる。「10日契約で行きたいんですけど」と言うと、「兄ちゃんアルバイトか?」と訊かれる。返事につまっていると、追い打ちをかけるように「土工の経験あるんか?」と訊かれる。もちろんない。「仕事分からん人間が入ったら一人ついて教えてやらんといかんやろ? 1ヵ月契約ならともかく、10日契約じゃ仕事覚えられんやろ」と言われてしまう。 去り際に「土工なめとったらあかんで」と厳しい言葉を投げかけられた。釜ヶ崎の仕事の王道といえば土工と思っていたが、そんなことを言っていられる状況でもないので「工場作業・10日契約」というところへ行ってみる。「作業分かるんか」と訊かれる。さっぱり分からない。正直に分からないと言ってしまう。「それじゃあかん」と言われる。(中略) 何か甘い考えを見透かされたような気持ちになる。声をかけてくれたのは1ヵ月契約のところばかりだった。これがいわゆるケタオチ飯場というやつになるのだろうか。これまでに聞いていたのと違って、実際は「初心者はどこへ行ってもまずは断られる。食べるためには否応なく1ヵ月契約で飯場に入らなければならない。そこで苦労しながら仕事を覚えていく」のが寄せ場で働くルールなのだろうかと思えてくる。 もしそうであっても、とりあえず僕にでも参与する道は開けているわけだ。しかし、今回僕にはあまり日にちがない。いや、正直に言うと、いきなり1ヵ月契約というのは怖かった。仕事は分からないし体力にも自信はない。だと飯場を出るまでに実働契約日数の3倍かかるというふうにも門脇さんたちから聞いていた。知りあいになった二人のおっちゃんの手助けでの仕事にありついたので、見てみましょう。p50~52<戸惑いながらの初仕事> 6人の人夫を乗せてワゴン車が出発した。現場はどこか、わからない。とにかく車は走り出したのだ。初めてで仕事に行った時に知りあった人が僕を気遣って言ってくれた言葉「とにかくケツわらんように1日がんばろうや」を思い出してかみしめた。 ワゴン車は都市高速を果てしなく走る。現場が遠いのか飯場が遠いのか。答えは両方だった。着いたのは奈良だった。連れてこられたのが飯場だった。「これが飯場か・・・」と思わず息を飲んでしまうほど、初めてみた飯場はめちゃくちゃぼろい建物だった。プレハブに毛が生えたようなものが飯場だった。道路に面した壁の前面にジグザグの鉄板がくまなく張られている。なぜだ。壊れたテレビや自転車、車が端っこの方に寄せて積んである。すさんだ空気が漂っているように感じられた。 車の中ではどんな山奥にあるんだろうと不安になったが、近くにコンビニもあるし、駅も近いようだった。これだったら足りないものは買いにいける。生活に必要なものは飯場で買えると聞いていたが、とんでもない値段でぼられるという話もあり、不安があった。コンビニが近くにある以上、そんな心配はいらない。暴力飯場ということもないだろう。 着いたらまず食堂に通された。朝食を食べさせてくれるらしい。白ご飯とみそ汁、そして漬物が朝食だ。食堂は古い宿泊訓練所みたいだ。板張りの床はところどころ軋んでいる。食べ終ったら、壁際のテーブルに積んである弁当と割り箸を取って、各々が新聞紙で包む。これが昼食らしい。 ここからそれぞれ迎えが来て現場にむかうらしい。現場から車がやってきて、名前を呼ばれ者が乗り込む。釜ヶ崎から同じ車で来ても人によって現場は違うらしい。車を待っているとき、大塚さんと太田さんが鍵の開いているバンのドアを開けて中で座り込み、堂々とくつろぐので、びびった。余裕がある、というかちょっと図々しく思えるほどだ。 ずいぶん待って迎えに現れたのは普通の乗用車だった。車の中で世間話が始まる。大学院生であるということはこの人には話さなかった。訊かれなかったからだ。若いというだけで飯場労働者の中ではいくらか浮いてみえる。そのことを特に気にして訊いてくる人には正直に素性を明かそうと思っていた。しかし全然気にしない人もいる。僕としてはかなり「異邦人」のつもりでいたのだが、思っていたより意識しないですんだ。 「解体」という言葉から、前に行った時のようなものしか想像していなかった。僕一人だけがその現場に行くというのも驚いた。もしかしたら現場には別の飯場から来た人もいるのかと思ったが、僕だけだった。現場は建造中の一軒家。庭に散らかっているゴミを拾い集めて捨てる。散らかっているブルーシートを集めてホースで洗う、とりあえず指示されたのはそれだけだった。それだけ指示すると彼は車で去っていった。そういえば、大使がサウジの現場に行ったときは、朝昼晩の飯をサイトの食堂で食べたのだが・・・あれも一種の飯場だったと、懐かしく思い出すのでおます。『飯場へ』2『飯場へ』1
2018.02.27
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図書館で『食の人類史』という本を、手にしたのです。狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。【食の人類史】佐藤洋一郎著、中央公論新社、2016年刊<「BOOK」データベース>より人は食べなければ生きていくことはできない。人類の歴史は、糖質とタンパク質のセットをどうやって確保するかという闘いだった。現在、西洋では「麦とミルク」、東洋では「コメと魚」の組み合わせが一般的だ。だが、日本を例にとっても山菜を多食する採集文化が色濃く残っているように、食の営みは多様である。本書は、ユーラシア全土で繰り広げられてきた、さまざまな「生業」の変遷と集団間の駆け引きを巨細に解読する。<読む前の大使寸評>狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。rakuten食の人類史第3章「アジア夏穀類ゾーンの生業」から照葉樹林文化(続き)を、見てみましょう。p117~119<稲作登場前夜の環境> 今から1万5000年ほど前、最後の氷河期を過ぎた地球は徐々に温暖化しつつあった。植物生産が拡大するとともに、人口も次第に増えつつあった。落葉広葉樹に覆われていたであろう長江の中・下流域付近では、森は、南から照葉樹の森へとその植生を変じつつあった。これは、人と社会にとっては不都合な変化であった。単位面積当りの人口支持力が低下するからである。 人口の増加が起きたひとつの理由は、東南アジアのいわゆるスンダランドと呼ばれた土地や南シナ海沿岸部、さらには東シナ海から渤海にかけての海域に接する土地が、氷河期以降、次第に海に没しつつあったことによる。いわゆる海面上昇がおきて陸地がどんどん失われていったのである。問題は、これらの海がきわめて遠浅の海だということである。遠浅の海は、海面がわずかに上がるだけで、広い面積の土地が海面下に没する。わずかな海面上昇でも失われた土地は広大な面積にのぼった。おそらく、今まで植生があり、食料が得られた土地がどんどん使えなくなっていった。多くの人びとが、内陸へ、あるいは北方へと移動せざるをえなかった。このことで、内陸部と長江流域の人口圧が一気に高まったのだろう。 先にも書いたように、照葉樹の森は人にとって住みやすい森ではない。状況の打開には、森を焼き払うのがひとつの方法であった。焼き払った後には、瞬間的に草地ができた。草木の量が増え、バイオマスの種子生産性は一気に増したことだろう。さらに、草地に登場した柔らかい草木を求めて、野生動物たちが集まってくる。これは、絶好の狩猟の対象となったことだろう。さらに遷移でできる二次林には、クリやクルミのような、食べられる堅果をつける落葉樹が混じったことだろう。 水辺でも、人びとの定住志向は強まっていた。水辺の草木たちもその枯れた茎や葉の部分が春先に焼かれることで、株からの再生、種子の発芽がよくなる。この水辺には、イネの原種である野生イネも生えていたものと思われる。それらは、さまざまな証拠から、種子でではなく、主に株で増える多年生の系統であったと思われるが、人口増加に伴う撹乱の強まりは、種子生産性の高い系統に有利にした。むろん、人びとにはそうした自覚はなかったであろうが、人びとはやがて種子生産性の高いものを無意識のうちに選別し、その種子を採集しては食料にしていた。おそらく稲作の一番のはじまりは、こうしたところにあったものと思われる。ウン 稲作発生の頃の、長江流域あたりの科学的な推論がいいではないか♪『食の人類史』3:照葉樹林文化『食の人類史』2:三大穀物の登場『食の人類史』1:狩猟・採集民の暮らし
2018.02.26
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図書館で『食の人類史』という本を、手にしたのです。狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。【食の人類史】佐藤洋一郎著、中央公論新社、2016年刊<「BOOK」データベース>より人は食べなければ生きていくことはできない。人類の歴史は、糖質とタンパク質のセットをどうやって確保するかという闘いだった。現在、西洋では「麦とミルク」、東洋では「コメと魚」の組み合わせが一般的だ。だが、日本を例にとっても山菜を多食する採集文化が色濃く残っているように、食の営みは多様である。本書は、ユーラシア全土で繰り広げられてきた、さまざまな「生業」の変遷と集団間の駆け引きを巨細に解読する。<読む前の大使寸評>狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。rakuten食の人類史第3章「アジア夏穀類ゾーンの生業」から照葉樹林文化を、見てみましょう。p114~116<照葉樹林文化とはなにか> 東アジアのもうひとつの森が照葉樹の森である。個人的なことで恐縮だが、わたしは和歌山県南部の生まれで、幼少期をそこで過ごした。そこは深い森が太平洋の外洋とせめぎ合う土地であった。集落と田とは、森から流れ出る小さな川が海に流れ込むところにできた猫の額ほどの平地にへばりついていた。背後の森は照葉樹の森。 それは冬なお黒ずんだ緑色を呈する深い森であった。夏には蝉しぐれで会話も困難なほどだった。幼かったからだろうか、わたしはひとりでその森に入ることができなかった。恐ろしかった。塗りがはげ、朽ち果てそうになった鳥居の奥では、空は木々の黒々とした樹冠の覆われ、冬でも昼なお暗かった。 夏ともなるとシイの木のむっとするような匂いを含んだ湿気が身体を襲ってくる。あっという間に全身を蚊に食われる。奥へと歩みを進めれば木と木、枝と枝の間に張り巡らされたクモの巣が、手やくびにまわり、顔にからみついた。じっと湿った空気が身にまとわりつくようだった。濡れた落ち葉の堆積の下には、25センチもありそうなムカデがいることもあった。 照葉樹林とはこのような森である。神山恵三の『森の不思議』にあるような、すがすがしい、香気を含んだ空気が漂い、森林浴を楽しめるような雰囲気はそこにはない。あたかも人間に敵対しているかのような空気は、宮崎駿のアニメ『もののけ姫』に描かれた森に漂っているかのような空気そのものである。照葉樹の森は、おそらく昔から、人には親和的ではなかったのだろうと思われる。 照葉樹林帯全体を俯瞰すると、その生態的特質から、東部を中心とする湿潤傾向の強い地帯と、西部のヒマラヤのふもとを中心に広がる山岳性の照葉樹林帯とに区別できるように思う。 照葉樹林帯は、東西にではなく、北東から南西方向に伸びている。その東端では中心の緯度が北緯30度付近にあるのに、中央から西端にかけては北回帰線(23.4度)付近までさがっているのは、西ほど標高が高いことを反映している。 この地域における人口は長江の中・下流域に集中していたようだ。そこは、典型的な水辺の地域だった。この地域における稲作の開始前後の遺跡の出土物を見てみよう。1973年に浙江省で発見された河母渡遺跡では、最古の第一文化層からさまざまな植物の遺体が出土している。栽培植物としては、イネのほか、ユウガオの種子が出土している。出土した栽培植物の種類がいかにも少ない気もするが、発掘が1970年代のものであることなどを考えれば、微小で少量の遺物が見落とされた可能性も考えなければならない。本筋とはあまり関係ないのだが・・・著者の書く文章や感性がええなあ♪『食の人類史』2:三大穀物の登場『食の人類史』1:狩猟・採集民の暮らし
2018.02.26
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図書館で『食の人類史』という本を、手にしたのです。狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。【食の人類史】佐藤洋一郎著、中央公論新社、2016年刊<「BOOK」データベース>より人は食べなければ生きていくことはできない。人類の歴史は、糖質とタンパク質のセットをどうやって確保するかという闘いだった。現在、西洋では「麦とミルク」、東洋では「コメと魚」の組み合わせが一般的だ。だが、日本を例にとっても山菜を多食する採集文化が色濃く残っているように、食の営みは多様である。本書は、ユーラシア全土で繰り広げられてきた、さまざまな「生業」の変遷と集団間の駆け引きを巨細に解読する。<読む前の大使寸評>狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。rakuten食の人類史(ジャガイモ飢饉より)第2章「農耕という生業」から三大穀物の登場を、見てみましょう。p68~71<三大穀物の登場> 農耕の第3ステージは大航海時代とともに始まった。大航海時代は、トウモロコシをはじめとする新大陸生れの穀物が旧大陸に伝わり、反対に旧大陸のコムギ、イネなどが新大陸に伝わった時代である。この時代はまた、旧大陸と新大陸の住民たちが、相互に相手の存在に気づくとともに、人類が世界の範囲をはじめて知ったときである、といってよいだろう。 この時代の農業の大きな特徴が、地球規模での作物の移動である。穀類では、米、コムギなどが新大陸に伝わり、大産地を形成するまでになった。反対に新大陸からは、トウモロコシのほか、ジャガイモ、カボチャ、サツマイモなどが伝わり、その農業と食の文化を大きく変化させた。ジャガイモの欧州への伝播は、とくに北部欧州の農業と食の姿を大きく変えた。 ジャガイモはナス科に属する作物で、南米のアンデス地方が原産地であるといわれる。これが航海者たちによって欧州に持ち帰られ、17世紀から18世紀には北欧にも伝わった。ジャガイモが伝わるまで、北欧には、ライムギ、カブなど以外にはこれという作物がなかった。当然人口の支持力は低く、極端な言い方をすればそこは非農耕地でさえあった。北部欧州はジャガイモの渡来によってはじめて本格的な農耕地域になったといっても過言ではない。 アイルランドでは、17世紀からのわずか200年の間に人口は8倍に増えたが、その最大の理由はジャガイモの導入にあったといわれる。もっとも、北部欧州は19世紀にこの地域を襲ったジャガイモの病気による大飢饉に見舞われる。アイルランドの飢饉はことのほかひどく、その影響はその後100年にわたって続いたといわれる。ジャガイモは、この地域の食を、いい意味でも悪い意味でも運命づけたのである。 しかしジャガイモは、最初のうちは社会からなかなか受け入れられなかった。京都橘大学の南直人によると、ジャガイモは地域によって受容の程度が大きく違ったとしながらも全体としては「導入当初は、貧民のための食物といった低い地位しか与えられず、そこから上流層にも受け入れられるまでには非常に長い時間を要した」と書いている。ジャガイモが最初受け入れられなかったのは、それには毒があるといった風評や貧しい人びとの食料だといった偏見が関係していると南は考えている。 じつは同じようなが歴史が、中国におけるコムギにも当てはまる。詳しくは第5章に書くが、コムギ渡来直後の中国では、コムギは遊牧文化という異文化の食料であり、それゆえ卑しく、口にすべきではない食料だったのである。 この時期、一部の地域では人びとの趣味が高揚し、いわゆる「変わりもの」に対する関心が高まった。種によってはひとつの種のなかにさまざまな品種が生み出された。とくに花卉(花もの)の園芸品種と呼ばれる多様な品種は、文化遺産として今に残っている。(中略) このステージの農耕が現代農耕の礎を築いたといえる。このステージまでは、農耕はまだ太陽光を使ってデンプンを作ることができるという、いわばエネルギーを生み出す産業であり、その意味では持続可能な生業の位置づけにあった。今でも少なくない農学研究者が、この時期の農業を持続可能農業のモデルと考えて研究を進めているが、それはこうした事情による。 このステージの農耕のもうひとつの特徴は、その生産物の一部が家畜の飼料として使われるようになったことである。それまで、農作物とくに穀類はもっぱら人の食料として使われてきた。それを他に融通するほど農業生産は高くなかったし、だいいちどの社会でも食料を他に融通することに倫理的な制約をもうけてきたからである。 しかしこのステージ以降、農産物の一部が家畜の飼料として使われるようになる。あるいは、本来農耕地として使うことが可能な土地に、牧草という、農耕と遊牧とを融合させたような新たな生業が生れたのもこのステージの大きな特徴といえる。『食の人類史』1
2018.02.26
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図書館で『食の人類史』という本を、手にしたのです。狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。【食の人類史】佐藤洋一郎著、中央公論新社、2016年刊<「BOOK」データベース>より人は食べなければ生きていくことはできない。人類の歴史は、糖質とタンパク質のセットをどうやって確保するかという闘いだった。現在、西洋では「麦とミルク」、東洋では「コメと魚」の組み合わせが一般的だ。だが、日本を例にとっても山菜を多食する採集文化が色濃く残っているように、食の営みは多様である。本書は、ユーラシア全土で繰り広げられてきた、さまざまな「生業」の変遷と集団間の駆け引きを巨細に解読する。<読む前の大使寸評>狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。rakuten食の人類史イヌイットやアイヌやアボリジニたち狩猟・採集民の歴史を、1万年ほど前から見てみましょう。p27~30<狩猟・採集民の暮らし> 狩猟と採集という異質な作業の双方を、個人のベースでこなすのは容易なことではない。どちらにもスキルが必用で、またスキルの獲得には長い時間を要した。当然、個人には得手不得手があるし、また性差もあって、集団のなかには分業が発達することになる。年齢によって、または男女の間で。人類は発祥してから数百年間の大半の時間を、この狩猟と採集によって生きてきた。1万年ほど前に農耕や遊牧が徐々に拡大するまで、人びとはそうして暮らしてきた。だが、今では狩猟と採集のみで暮らしをたてる狩猟・採集民といわれる人びとの分布はごく限られている。 狩猟・採集民は絶滅危惧の状態にあるかにみえるが、狩猟・採集民の数がここ最近になって激減したわけではない。農耕民やそれから派生した現代の都市住民の数が急激に増えて狩猟・採集民の活動範囲を圧迫しているだけなのだ。現代という時代のなかでは、狩猟・採集民の生活も変わらざるをえない。 彼らは、1万年前の狩猟・採集民とは異なり、農耕民とのかかわりのなかで生きていかざるをえない。彼らのなかにはケータイ電話を持ち、また狩猟用のイヌにはGPSを取りつけたりもして、一面ではごく現代的な暮らしをしているものもいるという。 ついこの間まで・・・近代に入るまで・・・人びとにとって、生きるとは日々の食料を自らの手で調達することであった。自分の食料は自分で生み出さなければならなかった。衣や住についても同じである。衣についていえば、縫製はもちろん、場合によっては糸を紡ぐことまで、自分や自分が属する集団の責任であった。生きることとは、自己の責任においてそうすることだったのだ。しかしだからこそ、人は協働し、家庭や社会を作って集団で自分たちを守ろうとした。生物種としてのヒトは、それほど早く走れるわけでもなく、また腕力が強いわけでもない。 肉食動物に比べればヒトなどとことん弱者である。その弱者たるヒトが地球上に広まりながら今まで生きながらえることができた背景には、火や道具を発明したことのほか、そうした社会の構造が深く関係している。 農耕を始め、生産の一部をそれに頼ったことで、小さな集団で動物の群れを追ったり、あるいは植物性の資源を求めたりして徘徊する狩猟民や採集民のような暮らしはできなくなっていった。かといって資源のすべてを農耕だけに頼ることもできなかった。そうするには、農耕はあまりに危険な生業だった。おそらく、その試みはしばしば失敗し、狩猟と採集で生きる社会に逆戻りしたことだろう。そしてその暮らしは案外悪くはなかった。ハーランは、今も残る狩猟・採集民の生活ぶりを以下のように書いている。「女性と子供たちは植物の採集や小動物の捕獲に、そして男性は狩猟にという分業があった。ただし狩猟はどちらかというとレジャーのようなものだった。(中略)男も女も、2日働けば3日目は仕事を休んだし、働く日でも1日当り3、4時間ほどしか働かなかった」 そしてさらに休息の時間はといえば、眠りこけるものもいたし、またさまざまな精神活動に時間を費やしたものもいただろうというのである。この時点で、わたしたちは狩猟・採集が遅れた生業で、農耕が進んだ生業であるというこれまでの「パラダイム」から脱却しなければならない。もちろん彼らの暮らしがバラ色だったというのではない。 農耕は、その成り立ちからいわば独占の生業であった。土地を占有し、水を占有する。土地を囲い込み、他の生業、つまり狩猟や採集の行為やその集団の人びとを排除する。生態学的にみても、農耕地が広がるいわば里の景観が登場するようになると、野生動植物の活動範囲はどうしても狭められる。野生動物は人間を嫌うことが多い。人間活動が作り上げた、たとえば「里」のようなシステムから離れようとする。 これに対して、狩猟・採集の暮らしでは、じつに多様な資源が利用に供された。多様性の程度は、地域によってむろん違っただろうが、多くの狩猟・採集社会が多様な動植物の資源を利用していたことは確かである。これが、ヒトという哺乳類と他の哺乳動物の大きな違いのひとつであると思う。先のハーランは同書で、採集民が採集した植物の多様性について、「今まで人類が栽培化した植物全部の数より多い数の野生植物が採集されていた」としている。農耕の開始は、より少数の、つまりある特定の種だけを利用するシステムへの移行であったともいえる。
2018.02.25
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「食い気」でしょうか♪<市立図書館>・食の人類史・関東人と関西人・小説家のための人生相談・私的読食禄<大学図書館>・(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【食の人類史】佐藤洋一郎著、中央公論新社、2016年刊<「BOOK」データベース>より人は食べなければ生きていくことはできない。人類の歴史は、糖質とタンパク質のセットをどうやって確保するかという闘いだった。現在、西洋では「麦とミルク」、東洋では「コメと魚」の組み合わせが一般的だ。だが、日本を例にとっても山菜を多食する採集文化が色濃く残っているように、食の営みは多様である。本書は、ユーラシア全土で繰り広げられてきた、さまざまな「生業」の変遷と集団間の駆け引きを巨細に解読する。<読む前の大使寸評>狩猟・採集民の暮らしとか、照葉樹林帯の民族といえば大使のツボでもあるわけで・・・この本をチョイスしたのです。要するに驕れる農耕民族という視点が必用なんでしょうね。rakuten食の人類史【関東人と関西人】樋口清之著、PHP研究所、2015年刊<「BOOK」データベース>より『梅干と日本刀』の著者が語る、関東人と関西人との比較を通じた他に類をみない日本人論。歴史、ことば、食べもの、生活様式…江戸と上方、東西各県人の相違をつぶさに見ていくと、日本人の内なる特色が見えてくる。「明治百年が何どす、京都は千年の都どすえ」。関東人、関西人の生活の中には彼らの伝統が息づいているのだ。二つの世界が分裂離反してしまわないところに、日本的特質が見られるという。<読む前の大使寸評>東京への一極集中を憂う関西人として、上方の誇りを育むうえで、なかなかの本だと思うのでおま♪rakuten関東人と関西人【小説家のための人生相談】阿部和重著、朝日新聞出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より角田光代、江國香織、川上未映子、金原ひとみ、朝吹真理子、綿矢りさ、加藤千恵、島本理生、川上弘美、桐野夏生…小説家にまつわる秘め事を、ぜんぶ明かしてしまいます。<読む前の大使寸評>暇なので小説でも書いてみるかと目論む大使にとって・・・この本はなかなかのハウツー本になっているようです♪rakuten小説家のための人生相談【私的読食禄】堀江敏幸, 角田光代著、プレジデント社、2015年刊<「BOOK」データベース>より読むことでしか食べられない。「dancyu」の好評連載8年分、100本の書評エッセイ。<読む前の大使寸評>堀江敏幸, 角田光代が交互に料理、食品に関する本を評しています・・・食欲増進にいいかも♪rakuten私的読食禄************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き286
2018.02.25
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図書館で『台湾ニワトリ島乱入』という本を、手にしたのです。おお シーナの2016年近刊ではないか。集団乱入と執筆・・・趣味と実益を兼ねた幸せな作家やでぇ♪【台湾ニワトリ島乱入】椎名誠著、KADOKAWA、2016年刊<「BOOK」データベース>より完全カキオロシ三部作ファイナル!過去最大の怪しいメンバーが台湾南東の田舎町に集結!謎のうどんと格闘し小学生と真剣野球勝負する。よーし、ビールだマグロだ宴会だ!知られざる台湾の裏側へ乱入!目的のない大集団合宿、最新刊にして完結編!<読む前の大使寸評>集団乱入と執筆・・・趣味と実益を兼ねた幸せな作家やでぇ♪amazon台湾ニワトリ島乱入何はともあれ、うどんである。・・・で、「信用できない台湾うどん」を、見てみましょう。p43~<信用できない台湾うどん> おれたちのいる宿から少し海沿いに南下した台東の中心地あたりで「夜市」がある、という情報を竹田が聞いてきた。日本でいう夜の縁日のようなものらしい。こちらにきてから台湾南部の人とあまり会っていないので、明日はその縁日を見物し、ついでに夕食を、ということにした。しかし、旅疲れもあって翌朝みんなバラバラに起きたので、まずは昼の繁華街を見に行くことになった。「ひるめしはシーナさんが心から愛する台湾うどんにしましたよ」 竹田が嬉しいことを言ってくれる。彼はザコや似田貝と2回目の先行リサーチにやってきたときにこのあたりをひととおり歩いているからかなり詳しいことを知っている。 レンタカーを台東に着いてから借り、2台になったので全体の行動も楽だ。20分もかからない距離に町があった。繁華街なので町というよりも街というべきだろうか。 千葉とか神奈川の田舎街のイメージだ。クルマはあいている道端に適当にとめておけるのが、少し前の日本みたいで気持ちいい。しかし田舎から繁華街にくると暑さがいっきに増してくる。この地方はまだ完全に夏のままだ。いまや世界中にいる中国人の観光客の姿もないし、そういえばこの国にきて日本人観光客に一人も会っていない。観光は台北や高雄ぐらいまでで、こんな奥地の街まではこないのだろう。奥地といっても正確には東南のはずれになるのだけれど。 竹田たちが前回来たときに入ったうまいうどんの店がその日は休みだった。もう一軒おいしい店があります、と単さんが案内してくれたところは清潔そうで大きな店だった。「老東台」という店名だった。 そこっは「米台目」という麺がメーンの店で人気があるらしく客がいっぱい。期待できそうだ。店内はかつおぶしの匂いに満ちている。完全なるかつおぶしダシということなのだろう。実に期待できそうだ。 やがて我々の前にそれらがいっぺんに出てきた。台湾うどんに早々と出会えたのだ。 しかし、箸を入れるとなんてことだ。たしかにうどんらしき形をしているのだが、箸で挟んで持ち上げようとすると、そこからあっけなくふにゃりと切れてしまうのである。何度やってもどこをやってもフニャリ切れだ。ということはつまりこのうどんは箸で空中に持ち上げることができない、ということらしいのだ。「おまえに真剣に聞くが、おまえは本当にうどんなのか?」 おれはテーブルの上のうどんらしきものに聞いた。うどんはうつむくこともなく、とはいえ胸を張ってみせるわけでもない。かといってふてくされているわけでもないようだ。よくわからないが、これはどうもコシ、もしくはハリ、あるいはネバリなどというものを最初から放棄してただもう1日中ふにゃへらしている物体のようなのだ。 ダシはたしかにかつおぶしたっぷりで、いいかおりがするしドンブリを持ち上げて箸をつかえば端からだしのきいたおつゆがこぼれてくる。しかしどうしてもうどんそのものを箸でつかみあげることができないのだ。「竹田、これはいったいなんだ?」「えと、まあ、うどん、です」「箸で掴みあげられないものがうどんなのかあ!」「えと、ここらではそれでいいと」「どうしてこんなんでいいんだ!」「えと、世の中にはレンゲというものがありまして、あたりをみまわしますと、ドンブリをかたむけてそのレンゲでもって口の中にざざっざっと投入している人がいます。そういうふうにするとちゃんと口の中に入ってくるので、まあそれでいいのかと・・・・」 おれはだいぶ歳を重ねてきて、たいていのコトは許容できるようになってきたのだが、めん類だけは安易だったり悪意があったりするものをそう簡単にめんと認めたり妥協したりできないところがある。「めん類といったらあくまでも箸で空中にもちあげて、それでススリたい。そういうものがめん類であると信じてきた。おれと、うどんの長いつきあいはそういう信頼関係でつくられてきたのである。ここにきてレンゲなどでずずっとやってそれがなにが・・・・」 などとなおも怒っていると太田トクヤが近くの棚からレンゲを持ってきてすばやくおれに渡した。「まあ、長い人生、こういうコトもあるんだよマコト君」シーナとうどんの信頼関係がいいではないか♪ このような食品のことをトルコではマナと呼ぶそうです。そのあたりのことが『あなたは、誰かの大切な人』3に載っています。
2018.02.25
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図書館へ予約していた『飯場へ』という本を、待つこと約4ヶ月でゲットしたのです。ぱらぱらとめくると、おもに土木建築の労働に関して、著者が体を張ってレポートしていることがうかがえます。写真も多いし、まさにフィールドワークである。【飯場へ】渡辺拓也著、洛北出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より職場の共同性をどんどん切りつめていく理不尽な圧迫を、私たちは、どのように押し返せばよいのだろうか。本書は、飯場の一人ひとりの労働者が置かれた関係性に注目し、この問いに迫る。どういうルートで飯場に入るのか、どんな労働条件で仕事をするのか、どんな暮らしをおくるのか、どのような人たちと出会い、そして飯場を出て行くのかを、「僕」の飯場体験にもとづいて詳しく描き、考え抜いている。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、おもに土木建築の労働に関して、著者が体を張ってレポートしていることがうかがえます。写真も多いし、まさにフィールドワークである。<図書館予約:(10/07予約、2/23受取)>amazon飯場へ飯場とは何かを、見てみましょう。p18~20<寄せ場の変容と飯場への注目> 飯場とは、言葉通りにとれば、建設労働者のための作業員寮を指すが、実際には「飯場制度」とでも言うべき、労務手配・労務供給の仕組みである。ドヤ街をともなう寄せ場を飯場になぞらえて、「巨大な飯場」、「共同飯場」、「予備飯場」などと呼ぶのは、労働市場としての寄せ場の性質が、飯場制度の影響下にあることを物語っている。 寄せ場の仕事のなかに飯場があるのではなく、飯場制度の下で、労働力調達手段の一つとして寄せ場が活用されてきたと見るのが適切である。そして、1990年代の寄せ場の衰退の原因を探る議論のなかで、飯場に注目が集まったのは、半ば必然的なことであった。 1980年代末にピークに達した寄せ場の求人数は、1990年代始めに激減した。この求人数の減少は、当初、バブル崩壊の影響ととらえられたが、次第に、単なる景気後退によるものではないと考えられるようになった。寄せ場の変容にまつわる議論は、大きく「就業構造の変動」論と「飯場の巨大化」論の、二つの系統に分けられる。 まず、「就業構造の変動」論である。建設産業における釜ヶ崎の日雇い労働力への「需要の構造」が変化したこと、その背景として、業界全体での若年労働者の新規流入と常用雇用者の増加といった傾向が、統計データを元に確認されている。 また、建設産業全体で「多能工」が進展したと言われており、若年労働者や常用雇用者の増加に、この「多能工化」が影響しているとも考えられる。バブル崩壊後の寄せ場では、多くの労働者が野宿生活に追い込まれていた。しかし、現場に行けば仕事はたくさんあり、同時に、若年層の建設労働者が非常に多いことが目についたという。つまり、若年労働者や技能労働者の募集は、寄せ場とは別の労働市場を通して行なわれており、技能労働者の養成や囲い込みも、そうして集められた労働者に対して行なわれていることになる。 もう一方の「飯場の巨大化」論は、寄せ場の衰退を背景に、飯場の巨大化と飯場網の拡大の進行を見る。飯場の労働力は、出稼ぎ労働者と寄せ場労働者によって集められてきたが、これらの労働者の高齢化、スポーツ新聞の求人広告蘭による労働力の吸収や、1980年代後半からの外国人労働者の流入などの結果、職場の巨大化が起こったと推測される。 また、1980年代から1990年代に建設労働の現場で進行した管理強化の中で、「寄せ場労働者のような身分不詳の労働者が排除される」一方で、「飯場が労働者を形ばかりの『社員』とすることで身分不詳の労働者に『所属』を形式的に与える」ようになったとも言われている。野宿者を狙って求人する労働条件の劣悪な飯場も存在している。このように、飯場がありとあらゆる方面に労務手配の手を伸ばしており、その内実を多様化させていることがうかがえる。『飯場へ』1
2018.02.24
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図書館へ予約していた『飯場へ』という本を、待つこと約4ヶ月でゲットしたのです。ぱらぱらとめくると、おもに土木建築の労働に関して、著者が体を張ってレポートしていることがうかがえます。写真も多いし、まさにフィールドワークである。【飯場へ】渡辺拓也著、洛北出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より職場の共同性をどんどん切りつめていく理不尽な圧迫を、私たちは、どのように押し返せばよいのだろうか。本書は、飯場の一人ひとりの労働者が置かれた関係性に注目し、この問いに迫る。どういうルートで飯場に入るのか、どんな労働条件で仕事をするのか、どんな暮らしをおくるのか、どのような人たちと出会い、そして飯場を出て行くのかを、「僕」の飯場体験にもとづいて詳しく描き、考え抜いている。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、おもに土木建築の労働に関して、著者が体を張ってレポートしていることがうかがえます。写真も多いし、まさにフィールドワークである。<図書館予約:(10/07予約、2/23受取)>amazon飯場へこの本の冒頭を、見てみましょう。p13~14<フィールドワークの始まり> 人類学ゼミの学生は、卒業論文を書く条件として、参与観察(フィールドワーク)・・・「自分がショックを受けるような場所に行って、最低3ヶ月はそこで暮らすこと」・・・を課せられる。僕は大学入学時からこの人類学ゼミに出入りしていたのだが、ゼミ選択の際には社会学ゼミを選んだ。 自由のなんたるかをテーマとするには社会学のほうが合っているだろうという判断もあったが、それとは別に、自分から進んで傷つきにいくようなフィールドワーク自体を嫌がる自分についても僕はよくわかっていた。だが、それゆえに、とことん行きづまった時にフィールドワークに取り組むことが、自分の限界を打ち破る一つの契機になるはずだった。 そして、2001年初めに人類学ゼミへ移籍したものの、今度は、自分のフィールドを決めることができない。迷っている僕に、ある人が、「」とアドバイスをくれた。これはひとつの指針であるように感じられた。 とはいえ、それでも、なかなか具体的なフィールドを決められない僕は、人類学ゼミの先生に追い立てられるように、とりあえずフィールド探しの旅に出ることにした。そして、訪れたのが大阪だった。 大阪に来て一番の衝撃を受けたのは、当たり前のように存在する野宿者のテント小屋だった。天王寺公園の外側に沿って並ぶテント群に驚いた。その後、釜ヶ崎を訪れてまた驚き、しばらくこのあたりを見てまわろうと決めた。釜ヶ崎で知りあった人に西成公園に大きなテント村があると教わり、行ってみることにした。 そこで、公園にテント小屋を建てて生活するYさん夫婦と知りあった。リュックに寝袋をくくりつけた僕の装いを見てか、Yさんは「泊まるところがなければ、うちの空いている小屋を貸してやる」と言って下さった。Yさんに会うまで、僕は「ホームレス」を不自由極まりないものだと思っていた。 しかし、発電機を回してテレビやビデオデッキ、冷蔵庫やエアコンを使い、たまにスーパーに買い物に出かけるYさんは、普通の人以上に「自由」に思えた。彼に魅力を感じた僕は、小屋を借りて彼の仕事を手伝いながら、フィールドワークを始めた。2001年5月から9月始めまでのあいだのべ2ヶ月を、僕は西成公園のテント村で過ごした。ウーム 人類学ゼミが課するフィールドワークというのが、凄まじいではないか。
2018.02.24
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図書館で『あなたは、誰かの大切な人』という本を、手にしたのです。この本のタイトルがええなあ♪「あなたは、誰かの大切な人」ってか・・・生きるうえの知恵とでもいうもんやで。【あなたは、誰かの大切な人】原田マハ著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より家族と、恋人と、そして友だちと、きっと、つながっている。大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにするー。単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが本当の幸福。何かを失くしたとき、旅とアート、その先で見つけた小さな幸せ。六つの物語。<読む前の大使寸評>この本のタイトルがええなあ♪「あなたは、誰かの大切な人」ってか・・・生きるうえの知恵とでもいうもんやで。rakutenあなたは、誰かの大切な人「緑陰のマナ」の続きを、もうちょっと見てみましょう。p114~117<緑陰のマナ> トルコにあっては、モスクはもちろん、レストランでもオフィスでも、礼拝の場所がある。けれど日本では、礼拝の時間にしかるべき場所をみつけるのはとても難しいとも、エミネさんは言っていた。手足を清められて、ひとりになれて、メッカの方角に向かって祈りに没頭できる場所を、特に出先で確保するのは至難の業なのだと。 そんな苦労を強いられるならば、トルコにいたほうがずっと気楽に暮らせませんか?と愚問をぶつけてみたが、一笑に付されてしまった。 ・・・私は、縁あって日本へやってきて、日本に定住しているのです。そして、縁あって、あなたと出会い、一緒にトルコにやってきました。すべて神様のお導きです。それを喜びたいと思います。 「縁」などという何とも日本的な言葉を、エミネさんが実に巧みに使っているのが不思議ではあったが、ほんとうに「縁」としか言いようのない結びつきが、エミネさんと日本のあいだにはあるのだなと、すとんと納得した。そしてきっと、私とトルコのあいだにも。 シナンのモスクで静かな時間を30分ほど過ごしたのち、私たちは再び車に乗って、昼食を取るために、金角湾を望むテラス席のあるレストランへと移動した。 ピーマンの肉詰め、ブドウの葉で米を包んで蒸し焼きにしたサルマ、羊肉のケバブ、ムール貝のピラフ詰めなど、食べ切れないほどの料理がテーブルを埋め尽した。「明日から本場のトルコ料理が食べれれなくて、さびしくなるんじゃないですか」 私が訊くと、エミネさんは、「そうですね。それは、確かにそう」と認めつつ、「でも、代わりに、和食がいっぱい食べられます。煮物、焼き魚、お味噌汁・・・・」 ただし煮物は酒やみりんを使っていないものに限りますが、と付け加えて、 「そういえば、今朝、いただいた梅干しがとてもおいしかった。あれは、どこかで買えますか」 そう訊かれた。私は、いいえ、と首を横に振って、「あれは、私の母の手作りです。でも、もう食べられないの。去年の年末に、亡くなってしまったので・・・」 と打ち明けてから、「あ、でも、あとふた粒、あります。残りふた粒、それでおしまい。子供の頃からずっと親しんできた味で、旅に出るときも、いつも、お守りみたいに持っていってたんです。なんだかもう、このさき食べられられないなんて・・・ちょっとさびしくて、不思議な感じ」 正直に言った。 エミネさんとアリさん、ふたりとも、じっと私をみつめている。ふたりの瞳には、おだやかな、やさしい色が浮かんでいた。「そうですか。だからあんなに、おいしかったのですね」 エミネさんが言った。とてもやわらかな声で、「あなたを今日まで守ってくれた食べ物だったのですね。まるで神様の与えたもうたマナ(食物)のような」「マナ?」と私は訊き返した。「そうです。マナ」とエミネさんがもう一度言った。 それは、旧訳聖書に登場する。奇蹟の食物。飢えに苦しむ人々を救いたまえとの預言者・モーセの祈りを聞き入れて、神が天から降らせた。霜のように薄く、白く、甘い。この食物のおかげで、人々は40年間飢えることがなかったという。「なるほど。母の梅干しは、白くも甘くもないけど・・・」 苦笑しながら私が言うと、「それでも、あなたを40年かそれ以上、守ってくれたのでしょう? だから、それは、あなたにとってのマナです」『あなたは、誰かの大切な人』2:緑陰のマナ『あなたは、誰かの大切な人』1:
2018.02.24
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図書館に予約していた『多動力』という本を、待つこと6ヶ月でゲットしたのです。堀江さんといえばチョイ悪のイメージがあるが、なんか規格外のブレークスルーがあるんじゃないかと・・・気になるわけでおます♪【多動力】堀江貴文著、幻冬舎、2017年刊<出版社>より堀江貴文の多動力。何万もの仕事を同時にこなす究極の力!あらゆる産業の タテの壁 が溶けたこの時代には、業界の壁を軽やかに超えていく「越境者」こそが求められる。そして、「越境者」には「多動力」が必要だ。本書では何万の仕事を同時にこなす堀江貴文が多動力の真髄を明かす。第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった第2章 バカ真面目の洗脳を解け第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ第4章 「自分の時間」を取り戻そう第5章 自分の分身に働かせる裏技第6章 世界最速仕事術第7章 最強メンタルの育て方第8章 人生に目的なんていらない<読む前の大使寸評>堀江さんといえばチョイ悪のイメージがあるが、なんか規格外のブレークスルーがあるんじゃないかと・・・気になるわけでおます♪<図書館予約:(8/14予約、2/17受取)>rakuten多動力コンテンツこの本のキモあたりを、見てみましょう。p117~119<教養なき者は奴隷になる> 原液を作れるようになれと言ったはいいが、やみくもに走り回っても「原液」になるものは作れない。 では、いかにしたら原液を作れるようになるか。 それは「教養」を身につけることだ。 教養とは、表面的な知識やノウハウとは違い、時代が変化しても変わらない本質的なことを言う。 僕は疑問に思うことは、とことんまで徹底的に掘り下げる。 2006年、いわゆるライブドア事件で東京地検特捜部に逮捕された。 マスコミが世論を煽り、明らかに僕をターゲットとして検察が動いた。 そこに不可解で理不尽なものを感じた僕は、検察という組織を、その歴史から海外事例に至るまでとことん調べ上げた。 これこそがまさに教養を得るということだ。 現代の検察はいかにして生れたのか。それは明治42年の日糖事件まで遡る。 江戸時代までは庶民が、お上や偉い人を吊るし上げるということはありえなかった。しかし日糖事件では、検察官がお偉いさんを捕まえまくって、庶民が拍手喝采した。 これを機に検察官がクローズアップされていったのだ。 それまで陸軍省、海軍省、大蔵省などが花形で、司法省は三流官庁だった。しかし、平沼騏一郎という検察中興の祖が、前述の日糖事件などを指揮し、その後大審院検事局検事総長になって、大審院長、今で言うところの最高裁の長官になったあと、最終的に内閣総理大臣にまで上りつめたのだ。 彼は検察の力が政治的権力に転用できることに気づき、マスコミと結託して世論の支持を受け、政治家になった。 これは世界を見渡してみれば、どこでもそうなのだ。 たとえば、元NY市長のルドルフ・ジュリアーニは元検察官だ。 潰れかけた会社の株を流通させる仕組みを作り世間を騒がしていたジャンクボンドの帝王マイケル・ミルケンの逮捕を指揮したのが、検察官であったジュリアーニだった。 彼はこの事件で名をあげNY市長になる。マイケル・ミルケンだろうが、堀江貴文だろうが、仮想敵を逮捕し、世間から喝采を浴びる。そこにマスコミが連係する。 こういったことは、表面的な情報をいくら集めてもわからない。歴史を深堀りし、海外事例まで調べることで、知識の幹となる本質にたどり着くことができる。繰り返すが、これこそが「教養」だ。「教養」という幹なるものがあれば、枝葉となるさまざまな事象はすべて理解できる。堀江さんから「教養」を説かれるとは思っていなかたでぇ。・・・でも、東大中退という経歴の人だから、お説ごもっとも、なのかも?『多動力』2:孫悟空の分身の術のような『多動力』1:多動力とは何か
2018.02.23
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図書館に予約していた『多動力』という本を、待つこと6ヶ月でゲットしたのです。堀江さんといえばチョイ悪のイメージがあるが、なんか規格外のブレークスルーがあるんじゃないかと・・・気になるわけでおます♪【多動力】堀江貴文著、幻冬舎、2017年刊<出版社>より堀江貴文の多動力。何万もの仕事を同時にこなす究極の力!あらゆる産業の タテの壁 が溶けたこの時代には、業界の壁を軽やかに超えていく「越境者」こそが求められる。そして、「越境者」には「多動力」が必要だ。本書では何万の仕事を同時にこなす堀江貴文が多動力の真髄を明かす。第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった第2章 バカ真面目の洗脳を解け第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ第4章 「自分の時間」を取り戻そう第5章 自分の分身に働かせる裏技第6章 世界最速仕事術第7章 最強メンタルの育て方第8章 人生に目的なんていらない<読む前の大使寸評>堀江さんといえばチョイ悪のイメージがあるが、なんか規格外のブレークスルーがあるんじゃないかと・・・気になるわけでおます♪<図書館予約:(8/14予約、2/17受取)>rakuten多動力孫悟空孫悟空の分身の術のような・・・この本のキモあたりを、見てみましょう。p111~113<自分の分身に仕事をさせる技術> 「時間がない」と嘆くあなた。どんなに嘆いたところで、1日は25時間にはならない。しかしあなたを2人、3人、4人・・・と、無限に増やす方法ならばある。 誰もが、1日24時間で生きているはずなのに、とんでもない数の仕事(遊びのようなものも含め)をやっている活動的な人と、動きの少ないつまらない人がいる。それは努力や仕事量の差ではなく、「原液」を作ることができているかどうかの差だ。 「原液」を作るということは、どういうことか。 僕をテレビで知った読者も多いと思う。未だにテレビには大きな影響力がある。 テレビで僕に興味をもった視聴者が、僕の本を買ったりメルマガ購読を申しこんだり、HIUに入ったりしてくれるのだから、CMをタダで流しまくってもらっているような経済効果が得られるのは事実だ。 しかし、テレビの収録はやたらと時間を取られるうえに、司会者からぶつけられる質問も紋切型でつまらないものが多いから、稼働時間は絞るようにしている。 にもかかわらず、「堀江さん、最近よくテレビ出てますよね」と言われる。人々の記憶には「ホリエモンはテレビに出まくっている」という印象が植えつけられている。 その理由は、僕がツイッターで炎上させた発言をテレビが取り上げ、僕がいないスタジオでコメンテーターが侃々諤々、議論をしているからだ。 番組では、僕の顔写真も一緒に表示されるから、まるで僕が出演しているかのような印象になる。この仕組みは非常に効率がいい。 僕はカルピスで言うところの原液を作っているのだ。 カルピスの原液は非常に濃厚なため、とてもストレートでガブガブ飲めるものではない。この原液を氷水で割ると、1本のカルピスを使って何本分のカルピスウォーターを作れる。(中略) 地上波放送のようなメディアは、カルピスの原液的コンテンツを薄めてマスに届ける典型だ。 僕が普段メルマガやツイッターで主張していることを、うんと易しく言いかえて伝える。そして、そのテレビ番組をさらに薄めたものがネットニュースなどにバンバン取り上げられる。 僕の1滴の原液がアメーバのように無限に広がるのだ。泉の源にあるカルピス原液から派生するアウトプットは、末端に近づくほど薄まり、大海に変わる。 僕が実際に動かなくても、考えや主張は自動的に生産され続け、何人もの僕が働いているのと同じことになる。なるほど、ホリエモンはカルピスの原液を意識しているのか♪・・・もちろん原液の旨さ(コンテンツの良さ)が肝心ではあるが。『多動力』1
2018.02.23
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図書館で『あなたは、誰かの大切な人』という本を、手にしたのです。この本のタイトルがええなあ♪「あなたは、誰かの大切な人」ってか・・・生きるうえの知恵とでもいうもんやで。【あなたは、誰かの大切な人】原田マハ著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より家族と、恋人と、そして友だちと、きっと、つながっている。大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにするー。単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが本当の幸福。何かを失くしたとき、旅とアート、その先で見つけた小さな幸せ。六つの物語。<読む前の大使寸評>この本のタイトルがええなあ♪「あなたは、誰かの大切な人」ってか・・・生きるうえの知恵とでもいうもんやで。rakutenあなたは、誰かの大切な人このところ、クルド人居住地域へのトルコの侵入で紛争が激化しているが・・・日本ではトルコは親日国として認識されているのである。この短篇集でトルコにふれたあたりを、ちょっとだけ見てみましょう。p98~101<緑陰のマナ> 私の仮寓は、インスタンブールの旧市街の中心部にあるB&B(朝食付き民宿)である。エミネさんの友人で、彼女が所属しているNPO「日本トルコ文化交流会」のメンバーでもある、アリ・エクシオルが、その民宿のオーナーだった。 私が最初にインスタンブールを訪問したとき、何くれとなく世話を焼いてくれたアリさんだったが、私が本格的にトルコの紀行文を書くと決心して、ひと月ほどインスタンブールに滞在したいとの希望を伝えると、快くB&Bの一室を提供してくれた。 日本に長らく住んでいた経験をもち、いまも大阪でトルコ雑貨の店を経営しているアリさんは、やり手のビジネスマンであり、大変な親日家でもあった。トルコの魅力を存分に書いてください、できれば大阪弁をしゃべるハンサムな商売人が出てきたらええな、と軽口を添えて、宿の中で最も眺めのいい部屋に案内してくれたのだった。 学生時代から旅行が好きで、40代後半になったいまも年がら年中旅をしている私は、旅関係の雑誌の編集部を経て、40歳になったのをきっかけに独立し、フリーランスの「物書き」になった。以来、紀行文や、旅で取材した女性が主人公のほのぼのとした小説を細々と書いて、生計を立てている。 大したものを書いているわけではないが、何冊か本を出してもいた。初版はだいたい三千部スタートで、それっきりだ。重版などしたこともない。それでも、本が出せるだけありがたかったし、よくぞ本が出せるようになった、成長したんだと、自分で自分を褒めもした。そして、こつこつとひとつのことを続けていれば、どこかで誰かが見ていてくれるものだと、「信念」と呼ぶにはあまりにも漠然とした思いではあったが、とにかくそんなふうに思って仕事を続けてきた。そして、エミネさんとの出会いによって、やっぱりどこかで誰かが見ていてくれたんだなあと、しみじみと思い至った。 私とエミネさんは、インターネットを通じて知り合いになった。エミネさんのほうから、コンタクトをしてきてくれたのだ。 ある日突然、私のブログに長々とコメントを書き込んできた人がいた。「日本トルコ文化交流会のエミネです。ご一緒にインスタンブールへ行ってみませんか」という長い件名で。 あなたの本をいつも楽しく読んでいます。私が勤務している協会は、日本とトルコの文化的な架け橋となるために、在日トルコ人の有志が立ち上げたNPO法人です。このたび「国際女性デー」を記念した講演会とワークショップがインスタンブールで開かれるのですが、日本人作家で女性をテーマにした小説を書いている人を招聘したいと、トルコの作家・ジャーナリスト協会から連絡がありました。それに参加してみませんか。私とトルコの仲間たちがアテンドさせていただきます。ぜひ前向きにご検討くださればうれしいです。 というような、日本人が代筆したに違いないと疑わせるほど流麗な日本語で、エネミさんは熱心に私をトルコ旅行に誘ってきた。あまりにもうまい話に、最初は詐欺メールじゃないかと疑ったくらいだ。 しかし、以前から一度行ってみたいと思いつつ、なかなか行くチャンスに恵まれなかったトルコへの旅。その誘惑に、とうてい抗えるはずがなかった。そして、何よりもうれしかったのは、こつこつと続けてきた仕事を、やっぱり、どこかで誰かがちゃんと見ていてくれたことだった。 エミネさんは、20代のときに、結婚したばかりの夫とともに日本へ留学した。地方の国立大学で、物理学の博士号を取得するほどの才媛である。以来、夫とともに日本に定住し、職も友人も得て、なごやかに暮らしている。 メールで何度かやりとりしたのち、いざ会ってみると、わっ!と抱きつきたくなるような、ふくよかな体つきと、日だまりのような笑顔が、それはそれはすてきな女性だった。 そしてもちろん、彼女の話す日本語は完璧だった。彼女の日本語には、よどみも迷いもない。エネミさんが話すのを聞いてみると、日本語とは意外にもきっぱりと明朗な言語なのだと思い知らされるようだった。ニュアンスとか、行間を読むとか、あ・うんの呼吸とか、そういうのが日本語なのだと思っていた私には、とても新鮮な体験だった。 そんなわけで、トルコ初訪問は、息をつく暇もないほど濃密な、かつ有意義なものとなった。初めて触れるイスラム文化、建築、芸術すべてがすばらしかった。何よりすばらしかったのは、イスラム教徒の寛容さ、親切さだった。『あなたは、誰かの大切な人』1
2018.02.23
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図書館で『あなたは、誰かの大切な人』という本を、手にしたのです。この本のタイトルがええなあ♪「あなたは、誰かの大切な人」ってか・・・生きるうえの知恵とでもいうもんやで。【あなたは、誰かの大切な人】原田マハ著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より家族と、恋人と、そして友だちと、きっと、つながっている。大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにするー。単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが本当の幸福。何かを失くしたとき、旅とアート、その先で見つけた小さな幸せ。六つの物語。<読む前の大使寸評>この本のタイトルがええなあ♪「あなたは、誰かの大切な人」ってか・・・生きるうえの知恵とでもいうもんやで。rakutenあなたは、誰かの大切な人この短篇集の語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。p11~14<最後の伝言> 母は父と出会って、なんとたったの3ヶ月で結婚してしまった。なんでも、父が心変わりするまえに、と自分から迫ったらしい。一生あんたを養ってあげるから、あたしについておいでなさい、と。成人になってから両親のなれそめを聞かされた私と直美は、それ逆でしょ!? とすぐさまツッコミを入れてしまった。「でもねえ、ナンパしてきたのはあっちなのよ。『僕ら、以前どこかでお会いしませんでしたか?』ってねえ」 私たちの鬼のツッコミもものともせずに、うっとりした表情で母が語った。サムすぎる父のナンパのセリフ。昭和42年、春まだ浅い3月、数寄屋橋交叉点での出来事だった。 勉強熱心だった母は、休みの日には電車を乗り継ぎ銀座や日比谷へ出かけては、若者たちのファッションやヘヤスタイルを眺め、デパートのショウウィンドウをのぞいて、最新の流行を肌身で感じようと努力したそうだ。もっとも、東京郊外の田舎町の奥さん連中を相手に商売するのに、銀座のファッションウォッチが役に立ったとは思えない。ほんとうのところは、東京の片隅でほそぼそと女ひとり、仕事だけに向かい合って生きているのがさびしかったのかもしれない。華やいだ街角に立って、少しでもさびしさを紛らわそうとしていたのが、都心へ出かけるほんとうの理由だったんじゃないだろうか。 そんなさびしい三十路の独身女が、数寄屋橋あたりでちょっとは名の知られた「ナンパ師のサブちゃん」に引っかかり、人生を捧げてしまったのだ。 父のそれまでの人生はというと、実は私たち家族は誰もよく知らない。郷里は広島で、戦災孤児になって、流れ流れて東京へ出てきたとか。どこまでが本当でどこまでが嘘か、証明してくれる人も持ち物もなんにもないから、父の言うままに母は信じるしかなかった。 けれど、父が馬鹿正直な人だったのは間違いない。いや、相当な自信家というべきか。「おれは女のヒモ以外で暮らしたことはない」と、出会ったばかりの母にすぐに告げたというのだから。 いまの三十代女子なら、そんな男と付き合えば即刻「だめんず」のレッテルを貼られるだろうが、驚いたことに、母は父を諭したのだった。「そのままじゃだめ。あたしと一緒になって、人生をやり直してちょうだい」「三歳のときから『髪結いの亭主』になるのが夢だった」らしい父は、母の申し出をあっさりと受け入れた。この後、母の葬儀の式場へ、行方知れずだった父が登場(殴り込み?)するのです。なんか既視感があるわけで・・・映画『卒業』のシーン、サウンドトラックかな。しかしまあ、『髪結いの亭主』ってか・・・大使も密かに憧れていた時期もあるで。
2018.02.22
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<図書館大好き286>今回借りた4冊です。(受取り予定1冊含む)だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「近刊本」でしょうか♪<市立図書館>・ビッグデータの罠・あなたは、誰かの大切な人・台湾ニワトリ島乱入・飯場へ<大学図書館>・(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【ビッグデータの罠】岡嶋裕史著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりあなたのクラウド・データは見知らぬ国に保管されている!ビッグデータはいいこと尽くめじゃない。電話番号、スケジュール、写真、ドキュメントなど、クラウドに委ねることが当たり前となった時代、膨大なデータを誰がどう管理・活用しているか知っているだろうか?無料、便利さと引き換えに少しずつ侵食される個人の情報。プライバシーを脅かす「新たな監視社会」に警鐘を鳴らす。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/15予約、2/20受取)>rakutenビッグデータの罠【あなたは、誰かの大切な人】原田マハ著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より家族と、恋人と、そして友だちと、きっと、つながっている。大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにするー。単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが本当の幸福。何かを失くしたとき、旅とアート、その先で見つけた小さな幸せ。六つの物語。<読む前の大使寸評>この本のタイトルがええなあ♪「あなたは、誰かの大切な人」ってか・・・生きるうえの知恵とでもいうもんやで。rakutenあなたは、誰かの大切な人【台湾ニワトリ島乱入】椎名誠著、KADOKAWA、2016年刊<「BOOK」データベース>より完全カキオロシ三部作ファイナル!過去最大の怪しいメンバーが台湾南東の田舎町に集結!謎のうどんと格闘し小学生と真剣野球勝負する。よーし、ビールだマグロだ宴会だ!知られざる台湾の裏側へ乱入!目的のない大集団合宿、最新刊にして完結編!<読む前の大使寸評>集団乱入と執筆・・・趣味と実益を兼ねた幸せな作家やでぇ♪amazon台湾ニワトリ島乱入【飯場へ】渡辺拓也著、洛北出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より職場の共同性をどんどん切りつめていく理不尽な圧迫を、私たちは、どのように押し返せばよいのだろうか。本書は、飯場の一人ひとりの労働者が置かれた関係性に注目し、この問いに迫る。どういうルートで飯場に入るのか、どんな労働条件で仕事をするのか、どんな暮らしをおくるのか、どのような人たちと出会い、そして飯場を出て行くのかを、「僕」の飯場体験にもとづいて詳しく描き、考え抜いている。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/07予約、2/23受取予定)>rakuten飯場へ************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き285
2018.02.22
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図書館で『米中もし戦わば』という本を、手にしたのです。平昌冬期オリンピックにうかれているが、そのお祭りが終れば北朝鮮、中国に対峙する日米同盟にとって厳しい状況が再開するわけで・・・この本は時宜を得たチョイスと思うのです。【米中もし戦わば】ピーター・ナヴァロ著、文藝春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より米国の一級の専門家たちが分析。トランプ政策顧問が執筆!【目次】第1部 中国は何を狙っているのか?/第2部 どれだけの軍事力を持っているのか?/第3部 引き金となるのはどこか?/第4部 戦場では何が起きるのか?/第5部 交渉の余地はあるのか?/第6部 力による平和への道<読む前の大使寸評>平昌冬期オリンピックにうかれているが、そのお祭りが終れば北朝鮮、中国に対峙する日米同盟にとって厳しい状況が再開するわけで・・・この本は時宜を得たチョイスと思うのです。rakuten米中もし戦わば第一列島線における海上封鎖についてアメリカの検討内容を、見てみましょう。p247~250<第33章 海上封鎖の実行> 中国の「地理の過酷さ」についてはすでに第3章で詳しく述べたが、だが、オフショア・コントロール戦略を検討するに当たって、ここで簡単におさらいをしておこう。 地理的に見て、中国大陸は、第一列島線によってほぼ完全にアメリカの同盟諸国に取り囲まれ、封じ込められている。中国の独裁的指導者らが胸騒ぎを覚えながら大陸の海岸から毎日眺めているに違いないこの「逆長城」は、日本本土から琉球諸島を経て台湾で中間点に達し、そこからフィリピン、インドネシアをとおって、最後に究極の海上封鎖ポイントとも言うべきマラッカ海峡へと至る。 だが、中国が封鎖を恐れなければならない隘路(チョークポイント)はマラッカ海峡だけではない。たとえば、第一列島線の北端には、北海道の北端とサハリンの南端に挟まれた宗谷海峡がある。日本海から太平洋へ抜ける通路は、この宗谷海峡とあと1ヶ所しかない。 さらに、中国にとって琉球諸島は、西太平洋に到達する際の最大の障害である。沖縄本島と宮古島の間の宮古海峡(幅およそ300キロ)は、もう一つの重要なチョークポイントである。 現在、この宮古海峡は、中国海軍(特に潜水艦)が東シナ海から西太平洋へ出る際のお決まりのルートである。だが、中国側が激しく抗議する中、日本は宮古島に、すでに設置済みの高性能レーダーに加えて88式対艦ミサイルを配備した。このミサイルは、中国艦船が宮古海峡のどこを通過してもたやすく射程内に収めることができる。 そこからさらに南下すると、台湾とフィリピンの間に幅250キロのルソン海峡がある。ルソン海峡は、1941年に日本がフィリピンを占領したときには日本軍の侵入路として、その後、アメリカが海と空から日本を封鎖したときには決定的なチョークポイントとして重要な役割を果たした。 中国の商船や軍用船が南シナ海からインド洋に出ようとする場合も、もちろんチョークポイントを通過しなければならない。インド洋への出口としては、マラッカ海峡以外に、これと同程度に危険なスンダ海峡とロンボク海峡がある。<中国経済はあまりにも海運に依存している> チョークポイントがこれだけあるとなると、アメリカとその同盟諸国に海上を封鎖された場合、中国艦船が太平洋やインド洋に出て行くことは非常に困難になる。海上封鎖には、潜水艦や空母戦闘群だけでなく、機雷も使用されるだろう。中国が機雷戦を重視していることを考えると、もしも実行されればこれは「やられたらやりかえせ」作戦ということになる。 中国の「経済の過酷さ」、つまり経済的要因について言えば、その原因は、中国経済がエネルギーの輸入と製品の輸出にあまりにも大きく依存していることにある。さらに、「」として中国は銅、鉄鉱石、ニッケル、錫、木材などあらゆるものを大量に必要としている。これが「過酷さ」に拍車をかけている。 大まかに言えば、輸出に過度に依存する中国経済は、そのGDPの伸びの半分以上を貿易に依存している。一方、トウモロコシや大豆など農産物や食糧の輸入依存率は次第に増加している。 こうした経済的・地理的過酷さを考えると、中国はたしかに封鎖に対して脆弱なのだと言えよう。この強固な前提に基いて、アメリカ国防総合大学のT・X・ハメス大佐やアメリカ海軍大学院のウェイン・ヒューズ大佐とジェフリー・クライン大佐らが提唱しているのがオフショア・コントロール戦略である。(中略) ハメス大佐の冷酷な言い回しを借りれば、これはまさに「経済的絞殺の戦い」に他ならない。ハメスにとって、この戦略のエレガントさは、「アメリカの強みを最大限にし、中国の強みを最小限にする方法で戦うことを中国に余儀なくさせる」点にある。クラインとヒューズも、これを「アメリカが長年保ってきた制海力を、海に依存する中国に用いる」戦略と呼んでいる。『米中もし戦わば』3:「第7章 第一列島線と第二列島線」『米中もし戦わば』2:西沙諸島、南沙諸島の紛争『米中もし戦わば』1:米中の経済的側面
2018.02.22
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図書館で『「地球のからくり」に挑む』という新書を、手にしたのです。地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪【「地球のからくり」に挑む】大河内直彦著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より地球は謎の塊である。その塊からエネルギーを次々に獲得し、万物の長となった人間は、今やエネルギー中毒に罹っている。なぜこんなことになったのか?そもそも地球の定員は何人か?宇宙から飛来した石油の源、毒ガス開発学者が生み出した新肥料、未来の新エネルギー…第一線の地球科学者が工学、文化人類学、文学などの広範な最新知見を縦横に駆使し、壮大な物語を綴る。科学と文明史が見事に融合した快作。<読む前の大使寸評>地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪rakuten「地球のからくり」に挑む炭鉱や屯田兵について、見てみましょう。p152~154<北海道の開拓と燃料> 北海道と石炭の関係は深い。まだ「蝦夷地」と呼ばれていたこの地ではじめて石炭が採掘されたのは、安政4年(1857年)のことだ。幕末にアメリカと結んだ和親条約により、横浜や函館を含む五つの港を外国船に開放する。それぞれの港では、来港する外国船のために石炭を用意しておかねばならなかった。 函館港に運び込まれる石炭として最初に選ばれたのは、釧路の西隣、白糠で見出されたものだった。白糠での採炭は、幕府の官営事業として始まった。しかし不利な地理的条件と、炭鉱夫の不足によって、数年後には事業は中止される。そして代わりに、積丹半島の付け根付近に位置する茅沼で石炭が採掘され、函館に運ばれた。茅沼では、炭鉱から海岸までおよそ3キロメートルにわたって小型の鉄道が敷かれ、わが国で初めて蒸気機関車が走った。 江戸幕府が倒れ、時代が明治になると、蝦夷地は「北海道」と改名される。政府はアメリカから地質学者を招聘し、北海道の地質図を作らせるとともに炭田を探索させた。川砂を調べ、その中に混じる石炭の破片を目印に、上流へ追跡していくのである。幌内や夕張の炭田はこのようにして発見された。 後に石狩川一帯に点在する炭鉱はまとめて石狩炭田と呼ばれ、筑豊と並んでわが国最大の炭田として栄えることになる。 お雇い外国人たちが北海道の調査に勤しんでいた頃、明治政府の主導で屯田兵が組織あれた。彼らは、ロシアの脅威から国を守ることと、北海道の開拓という二つの重要なミッションを背負っていた。つまり屯田兵とは、普段は開拓に勤しみ、有事の際は兵士となって戦う人たちである。 明治初期に最初の屯田兵として雇われたのは、幕末の動乱において旧幕府側についた東北地方の士族、つまりかつての武士たちであった。彼らにとって北海道とは、人生再出発の地だったのである。 札幌市北西部の琴似に、かつて屯田兵が暮らした家が今でも残されている。明治8年、家族を含め1000人足らずの最初の屯田兵が、この琴似に入地した名残だ。初期の屯田兵は、石狩地方を中心に展開した。しかし、奥深い原生林と水捌けの悪い泥炭地が彼らの行く手を阻んだ。低温の夏と冬の厳しい寒さで作物や家畜の育ちは悪く、初期の屯田兵の苦労は筆舌に尽し難かった。 かつて私は、琴似に3年ほど暮らしたことがある。騒々しく活気に溢れた都内での生活を長らく経験した後だった。町中に響きわたる函館本線を駆け抜ける列車の汽笛と、鉛色の冬空を背景に、白く染まった手稲山の景色が印象的だった。最初に入植した屯田兵たちは、いったいどんな想いで雪の手稲山を仰ぎ見たのだろう。 屯田兵たちは、西南戦争や日露戦争で実際に動員された。特に日露戦争では、旭川の屯田兵によって組織された第七師団が、激戦地として知られる203高地に送り込まれた。乃木希典大将のもと第七師団は死力を尽くし、死傷者総数およそ1万7000人を数えた203高地の激戦において、最も死傷者の比率が高かった。 一方、日露戦争の頃になると、戦艦三笠をはじめ石炭を燃料とする大型の軍艦が活躍するようになる。幌内で採掘された石炭は良質で、こういった軍艦の燃料としても用いられた。ウーム 勝てば官軍、幕府軍残党の悲哀は日露戦争ころまで続いていたのか。『「地球のからくり」に挑む』3:蒸気機関と森林破壊・再生の関係『「地球のからくり」に挑む』2:ハーバー・ボッシュ法の光と影『「地球のからくり」に挑む』1:「ハーバー・ボッシュ法」の登場
2018.02.21
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図書館で『「地球のからくり」に挑む』という新書を、手にしたのです。地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪【「地球のからくり」に挑む】大河内直彦著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より地球は謎の塊である。その塊からエネルギーを次々に獲得し、万物の長となった人間は、今やエネルギー中毒に罹っている。なぜこんなことになったのか?そもそも地球の定員は何人か?宇宙から飛来した石油の源、毒ガス開発学者が生み出した新肥料、未来の新エネルギー…第一線の地球科学者が工学、文化人類学、文学などの広範な最新知見を縦横に駆使し、壮大な物語を綴る。科学と文明史が見事に融合した快作。<読む前の大使寸評>地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪rakuten「地球のからくり」に挑むイギリスにおける蒸気機関と森林破壊・再生の関係について、見てみましょう。p89~92<漱石が見た「産業革命」その後> イギリスでは、18世紀にはじまった産業革命以降、産業を長らく支えたのは石炭である。ジェームズ・ワットがエネルギー効率に優れた蒸気機関を発明したのは1765年のことだが、その頃にはヨーロッパ各地では再び、薪を得るために森林破壊がかなり進んでいた。石炭の燃焼は、大気汚染や大気中の炭酸ガスの増加などマイナスの側面が強調されがちだが、歴史的に見ると森林破壊を食い止めるのに役立ったというプラスの側面があったことも忘れてはならない。 しかしやがて、13世紀と同じことが起きる。特にロンドンの大気汚染はひどかった。コークスは高値で、一般には掘り出されたままの石炭が用いられることが多かったのである。 夏目漱石がロンドンに滞在したのは、ちょうど世紀の変わり目の明治33~35年(1900~1902年)のことだ。ロンドンに到着して数週間後の日記には、次のように記されている。倫敦(ロンドン)ノ街ヲ散歩シテ試ミニ痰ヲ吐キテ見ヨ。真黒ナル塊リノ出ルニ驚クベシ。何百万ノ市民ハ此煤煙ト此塵埃ヲ吸収シテ毎日彼等ノ肺臓ヲ染メツツアルナリ。我ナガラ鼻ヲカミ痰スルトキハ気ノヒケル程気味悪キナリ。 ちなみに「スモッグ(smog)とは、ちょうど漱石が留学していた頃、イギリス人によって「smoke」と「fog」を掛け合わせて作られた造語である。石炭から石油へとエネルギー源が転換する20世紀半ばまで、スモッグは日々ロンドンの空を覆い、人々の健康を害し続けるのである。 たかがスモッグと思うなかれ。1952年冬のロンドンでは、1万人を超える人々が犠牲になる大惨事となった。(中略) 一方、日本では明治に入り、巨大な蒸気船が建造され、鉄道が敷かれて蒸気機関車が走り始めるようになる。それに合わせて、燃料である石炭の商品価値は一気に高まる。さらに、政府主導の富国強兵策が施されて石炭の軍事需要が急増し、石炭鉱業は国営で進められた。 しかし国の慢性的な財政赤字の解消や時代の流れも相まって、明治中頃になると官業は順次民間に払い下げられていく。その代表例が富岡製糸場であり、三池炭田である。当時黒字経営だった三池炭田とはいえ、時代の流れもあって明治22年に民間に払い下げられることになる。 三井炭田を買い取ったのが三井財閥の一角、三井物産である。落札価格は455万5千円で、当時としては破格の高値だった。ちなみに、ほぼ同じ時期に三菱に払い下げられた長崎造船所の価格は9万円である。 三井財閥は、その後三井炭田をテコに大きく成長を遂げ、現在に至っている。国内で使用される石炭のほぼ100パーセントを輸入に頼っている今となっては信じがたいことだが、明治初期に採れた石炭は海外にも輸出され、わが国にとって外貨の稼ぎ頭だった。国営で開発された三池炭も海外に輸出されており、それを一手に引き受けて儲けていたのが三井物産だった。おお ニッポンも石炭を輸出している時代があったんやなあ。その後に閉山の嵐が吹いたけど。ちなみに、イギリスにおける蒸気機関と森林破壊・再生の関係については、『鉄の文化誌』4あたりに載っています。『「地球のからくり」に挑む』2:ハーバー・ボッシュ法の光と影『「地球のからくり」に挑む』1:「ハーバー・ボッシュ法」の登場
2018.02.21
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図書館で『「地球のからくり」に挑む』という新書を、手にしたのです。地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪【「地球のからくり」に挑む】大河内直彦著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より地球は謎の塊である。その塊からエネルギーを次々に獲得し、万物の長となった人間は、今やエネルギー中毒に罹っている。なぜこんなことになったのか?そもそも地球の定員は何人か?宇宙から飛来した石油の源、毒ガス開発学者が生み出した新肥料、未来の新エネルギー…第一線の地球科学者が工学、文化人類学、文学などの広範な最新知見を縦横に駆使し、壮大な物語を綴る。科学と文明史が見事に融合した快作。<読む前の大使寸評>地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪rakuten「地球のからくり」に挑むハーバー・ボッシュ法には光と影があるわけで、その影を、見てみましょう。p46~49<第一次世界大戦とアンモニア合成> アンモニア合成の研究が一段落した頃、第一次世界大戦が勃発した。多くのドイツの科学者と同様、ハーバーも祖国を守るために立ち上がった。 ハーバーが開発した塩素系の毒ガスは、結果的にはフランス軍とイギリス軍の兵士のおよそ5000人もの命を奪った。毒ガスを吸った兵士たちは、咳き込み、血を吐いて苦しみながら息絶えるのである。ハーバー自身軍服に身を包み、フランス国境付近の西部前線に赴いて、毒ガスを散布する陣頭指揮まで執っていた。(中略)<「毒ガス」科学者の功績> ハーバーはユダヤ人だったため、ナチスが政権を握った後、その立場は危ういものとなる。そして1933年には、当時所長を務めていたベルリンのカイザー・ウィルヘルム化学研究所(戦後改名されマックス・プランク研究所となる)の所長職を自ら辞し、祖国ドイツから立ち去った。実質上の国外追放処分であった。その後各地を転々とするが、持病の心臓発作を繰り返し、翌年の1月にスイスのバーゼルにおいて65年の生涯に幕を下ろす。 ハーバーほで強烈に、科学の光と影の二面性を併せもつ科学者は、後にも先にも見当たらない。おかげでハーバーの科学的な成果は、長らく毒ガスの開発者および撒布者という影の側面とともに、かなり控え目に評価されてきた。しかし、地球の人口が増加することの善し悪しは別にして、地球の人口が70億人を超えた現在の人類の繁栄は、ハーバー・ボッシュ法を抜きにしてはありえない。 21世紀の今、この方法を通して作られ世界の田畑に撒かれる窒素肥料は、窒素量にして1億トンに達している。おかげで、私たちの身体に含まれる窒素の三分の二が、ハーバー・ボッシュ法に由来するものである。 この窒素肥料がもしなかったとしたら、現在の世界の人口は30億人ほど少なかったはずだと専門家は推定している。 ただし忘れてはいけないことがある。ハーバー・ボッシュ法がいかに優れた発明だったとはいえ、それを活用して肥料を作り出すためにはエネルギーが必要である。巨大な反応炉の中で高温・高圧状態を作り出すためには、大量のエネルギーが必要だし、そもそも原料となる水素を生み出すために、高温下で石炭と水を反応させねばならない。ハーバー・ボッシュ法が実用化された当時、1グラムのアンモニアを合成するために、100キロジュールものエネルギーを必要とした。 アンモニアを合成する際のエネルギー効率は時代とともに上がり、現在は当時の半分以下のエネルギーで合成することができる。その一方で、アンモニアの合成量は桁違いの伸びを示した。現在80の国で550ものプラントが日々アンモニアを生み出し続けている。当然の結果として、人類は大量のエネルギーをアンモニア合成につぎ込んでいる。その量は1年間になんと5000兆キロジュールにも達する。これは大型の原発150基分にも相当する莫大な量だ。 エネルギーなしに、便利な暮らしにありつけないどころか、そもそも地球上に暮らす人々の食料を供給することさえままならない。つまりエネルギーとは、私たち人類の命そのものにも深く関わっているのである。ウーム 大型の原発150基相当のエネルギーをつぎ込んで人類に資するハーバー・ボッシュ法なのか・・・偉大な発明だったようですね。『「地球のからくり」に挑む』1
2018.02.21
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図書館で『「地球のからくり」に挑む』という新書を、手にしたのです。地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪【「地球のからくり」に挑む】大河内直彦著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より地球は謎の塊である。その塊からエネルギーを次々に獲得し、万物の長となった人間は、今やエネルギー中毒に罹っている。なぜこんなことになったのか?そもそも地球の定員は何人か?宇宙から飛来した石油の源、毒ガス開発学者が生み出した新肥料、未来の新エネルギー…第一線の地球科学者が工学、文化人類学、文学などの広範な最新知見を縦横に駆使し、壮大な物語を綴る。科学と文明史が見事に融合した快作。<読む前の大使寸評>地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪rakuten「地球のからくり」に挑む肥料、爆薬の素となったアンモニア合成を、見てみましょう。p40~43<「ハーバー・ボッシュ法」の登場> アンモニア合成という「料理」の問題は、窒素ガスと水素ガスのいずれもが化学的に安定で、反応がなかなか進まないことだ。研究者が知恵を競い合ったのは、反応条件の調整と、触媒の最適な組み合わせだった。 ハーバーは理論的な考察を進めるとともに、実験助手とともにさまざまな触媒を試し、その反応の最適条件をつぶさに調べあげた。結局ハーバーらがたどり着いた結論は、500℃、100気圧以上という高温高圧の下で、オスミウムという特殊な金属触媒とともに反応させるというものだった。 1909年、ついに完成した小型のアンモニア合成装置は、1時間につき80グラムのアンモニアを生み出すものだった。ハーバーはこの発明を自らBASF社に売り込んだ。しかし当時としては極めて高い圧力を必用としたため、当初BASF社は難色を示した。ところが、BASF社のまだ駆け出しのエンジニアだったカール・ボッシュがその可能性を見抜き、経営陣を口説き落としたのだった。 ボッシュが率いる開発チームは、手分けしてしらみつぶしに試行錯誤を繰り返した。反応の効率を上げて生産コストを下げるためには、反応条件と触媒のさらなる最適化にくわえ、とてつもなく高い圧力に耐えうる反応釜の材質とデザインなど、数多くの問題をクリアしなければならなかった。ボッシュと部下達は、こういった問題をひとつひとつ丹念に、かつ驚異的なスピードで解決し、わずか3年後に工業化にこぎ着けるのである。 人工的な窒素固定法が開発されたおかげで、ドイツはもはやチリ硝石に頼る必用はなくなった。さらに合成したアンモニアからは、火薬を合成することもできた。肥料と同時に爆薬をも手にしたドイツは、脆弱な国家基盤から解放されることになる。噂によると、ハーバーの発明を知った当時のドイツ皇帝ウィルヘルム二世は、「これで戦争ができる」と胸を張ったそうである。 噂はあながち嘘ではなかったのかもしれない。BASF社がアンモニアの大量合成を開始したわずか2年後、ドイツ帝国は戦争に突入する。<第一次世界大戦とアンモニア合成> 1913年、BASF社はマンハイム郊外のオッパウに、敷地面積50万平方メートルに及ぶ巨大なアンモニア製造プラントを完成させた。オッパウのプラントでは1日に10トンを超えるアンモニアが合成され、最終的には窒素肥料である硫安として出荷された。翌年には1日20トンのペースにまで上がり、ビジネスは順調に成長しつつあった。 ところが、そこで件の事態が発生する。 その年の6月、セルビアの首都サラエボで、オーストリアの皇太子が暗殺された事件をきっかけに、国際社会に緊張が走る。翌月オーストリアはセルビアに攻め込み、第一次世界大戦の火蓋は切られた。ドイツはオーストリアの黒幕として暗躍するだけでなく、間もなくフランスやイギリスに宣戦布告するのである。 大量の火薬を必要とする戦争の行く末を案じたボッシュは、アンモノア合成プラントを火薬の原料となる硝酸の合成プラントに切り替えることを決断する。硝酸はアンモニアが酸化した物質なので、少し手を加えれば硝酸合成プラントに切り替えることができる。オッパウのプラントでは、翌1915年には早くも、日々150トンもの硝酸が生み出されていた。ウーム、農業と戦争を革新した・・・ハーバーは1918年に、ボッシュも1931年にノーベル化学賞を受賞したのでした。
2018.02.20
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図書館で『そらをみてますないてます』という本を、手にしたのです。「BOOK」データベースが冒険純文学と評しているが・・・かなり冗談っぽいのが、いかにもシーナではないか♪【そらをみてますないてます】椎名誠著、文藝春秋、2011年刊<「BOOK」データベース>より1964年、東京。深夜の皿洗いのバイトをするおれは、官能の塊のような女イスズミをめぐってすさまじい喧嘩に巻き込まれる。職を転々とし、次に出会ったのは、後に妻となる女性だった―ぎらぎらとあぶなっかしい若き日々が二十年後の冒険と交錯する、渾身の青春冒険純文学。<読む前の大使寸評>「BOOK」データベースが冒険純文学と評しているが・・・かなり冗談っぽいのが、いかにもシーナではないか♪amazonそらをみてますないてますアムチトカ島という無人島への旅を、見てみましょう。p201~<1984年春> キャンプ三日目におれたちはテントをたたみ、凄絶に破壊が進行している格納庫の中に移った。そのままでいるとシネカメラや録音機材などのデリケートなものが湿気でやられてしまうのと、食料などの箱の殆どが濡れて使いものにならなくなっていたからだ。 格納庫の中は雨も風も避けられるが、荒れ狂う風にいつ全体が崩壊するかわからない危険があったし、精神的な敗北感も大きかった。この島にきてから一度もコールドベイとの無線通信ができていない、ということを、それの担当のポーラがずっと心配していて、機械の不調の原因が絶対に湿気にある、と言い張っていたのも撤退の理由だった。 格納庫の、内側から見て一番安全そうなところにそれらの荷物を移した。広い床はコンクリートの破片や木材でめちゃくちゃな状態になっていたが、なんとか全員がまとめて寝られるような区画を作った。それから音彦とアムが手際よく焚き火をおこし、そのまわりにロープを張った。もうすっかり水を吸ってぐしょぐしょになった寝袋や衣類をそのロープに吊るして焚き火で乾かすことにしたのだ。 それから調子の悪いガソリンコンロをやめて、コンクリートの破片や木材の破片でカマドを作った。その仕事はおれがやることになり、ついでに大量のスパゲッティを茹でた。すさまじい風雨の中では缶詰のめしが多かったから、そうした貧弱な食生活にも全員が辟易していたのだった。 取材仕事は風雨の合間をうまくかいくぐってある程度の成果をあげていた。壱は二百年前の日本人漂流民の住居あとを必死で探していたが、古文書の記述がどれも曖昧なので、正確なポイントがしぼりきれず、成果としては北側の崖の下に埋葬跡らしいところを見つけたくらいだった。古文書には漂流民がここに四年間いるあいだに七人が死んだと記録されている。けれどそれらにはロシア正教の横木だけが二本になった墓標らしいものがあって、それは主にラッコの毛皮採集に来ていたむかしのロシア人のものではないか、という推測になった。 アムが米軍からなんとか手にいれたこの島の一番詳細な地図ではコンスタンチン湾というのが海流の方向としては漂流船のたどりつく可能性の一番高い場所のように思えたので、そこに1日がかりで行ってきたところだった。片道だけで3時間かかったので当然雨にやられ、強風に体ごと飛ばされそうになるひどいルートだったが、行ってみると湾全体に夥しい流木が山となっていて、それらの多くは電柱の3~4倍ぐらいの太さのある立派なものだった。 漂流民が流木で自分らの小舟を作り、カムチャッカに渡ったのはきっとこの湾だろうという見当がついた。海流の関係で漂着したところと、新たに造った船で出航する場所が同じ、ということは不思議ではなかった。 壱はわずかに雨がやんだ時間を使ってこの湾の詳細をシネカメラにおさめた。音彦は風の音ばかりしか録れないので苦労していたが、機材が順調に稼動しているので表情は明るかった。(中略) 学生時代に仲間と共同生活をしていて飯炊きもよくやっていたから、火力調整の難しい焚き火の火力でもなんとかほかほおかの飯を炊いた。そういうものができるとハムでもペーストでも、なんだか正体不明のアラスカソースでもうまくぶっかけると誰も文句をいわないめしになった。 へこたれているポーラには日本式の「お粥」を作ってやった。いつもと違って濃い味は受け付けなくなっているので、やわらかい粥に塩味をつけるくらいのものしか食えなかった。腎臓に塩はよくないのをポーラも知っていたが、体力をつけるためにはそれも覚悟してとにかく胃になにか消化できるものを入れなければ、というみんなの意見が一致した。 予定ではあと5日で迎えの飛行機がくる筈だったが、島の天候は本当に気が狂ったような荒れ具合で、ときどき厚い雲が切れて太陽が顔を出すこともあるのだがそれは5分と続かない。グロメット作戦はアメリカ合衆国が1971年から1972年にかけて行なった地下核実験。ネバダ核実験場とアムチトカ島で行なわれた。(ウィキペディアより)『そらをみてますないてます』2:ラブロマンス『そらをみてますないてます』1:「第1章 砂漠と運河」
2018.02.20
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図書館で『ベルリン発プラハ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、カラー写真の多い旅行記のようでもあり、小説のようでもあり・・・なんか謎めいた本である。ドリアン助川といえば、映画『あん』の原作小説の作者であり、この本も期待できそうやでぇ♪【ベルリン発プラハ】ドリアン助川著、幻冬舎、1998年刊<「MARC」データベース>より突然姿を消した恋人サオリを探すために、東欧を旅するテツヤ。なぜ、あのとき彼女をひきとめなかったのか。彼女が友人あてに残した手紙を手掛かりに古い街を訪ね歩く、男の純愛物語。<読む前の大使寸評>図書館で『ベルリン発プラハ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、カラー写真の多い旅行記のようでもあり、小説のようでもあり・・・なんか謎めいた本である。rakutenベルリン発プラハ探している人がプラハに居るという情報を得たので、見てみましょう。p269~274<第6章 ダリボール>「昔の知り合いの女性がプラハの楽器店で働いているんです。私もマーハと同じで色々と失敗しちゃったものだから、何だか日本に居づらくなって、それで気ままな一人旅をしている内に、彼女に会いたくなってしまったんです」 「プラハの楽器店?」 マーハがほんの少し目を見開いた。「プラハの楽器店なら、私はだいたい知ってますよ。バイオリンをやり始めて、もう30年を超えるんですから」 偶然発した言葉から加速度が生まれてしまった。なぜこれまで気付かなかったのだろうと思った。 それ以上聞いてはいけないと知りつつ、自分を抑えることができない。「楽器店の名前がわからないんです。日本人の女性が働いている店を知りませんか」「日本人かどうかはわからないけれど、東洋人の女性がいた店はありましたよ」 血が逆流したように体全体が熱くなる。会う気などないと自分に言い聞かせていたのに、ついに見つけたという感慨が広がる。 私の形相が一変したのだろう。マーハが向き合っていた顔を少しだけ後退させた。「その女性が昔の知り合いなの?」「そうです。おそらくそうです。場所はどこですか? 旧市街にあるとは聞いているんですが」「マーネス橋を知ってる?」 私は首を横に振った。「カレル橋の北側の1本目の橋ですよ。プラハ城から黄金小路を下ってくるとあるでしょう。カレルとは違ってごく普通の飾り気のない橋ですが」 頭の中に光景が浮かんだ。あの橋なら知っている。バスの通り道になっている橋だ。「車やバスが通る」「それがマーネス橋です。その橋の旧市街側にヤン・パラフ広場というのがあります。ユダヤ人墓地に面していて」「わかります」「広場と墓地の間にその楽器店はあるんですよ。古い建物に囲まれていてなかなか見つけにくいけれど、行けばわかる。店の名前はリブシュです」「リブシュ?」「ああ、それは、チェコ人なら誰でも知っている伝説の女性の名前です。スメタナの我が祖国・・・あれは現在のプラハ城をイメージしたものじゃないんです。もうひとつ別にヴィシュフラドという古いお城があって、そこからチェコは始まったとされてるんです。そこに住んでいたのがリブシュ。我が祖国の第1楽章はこの城をイメージして作られたんですよ。知らなかったでしょう」この後、テツヤはサオリを探してプラハの楽器店を訪れるのだが・・・結果をバラすのは止しておきます。『ベルリン発プラハ』2:ビートルズからの訣別『ベルリン発プラハ』1:北欧のコミューン
2018.02.20
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図書館で『ベルリン発プラハ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、カラー写真の多い旅行記のようでもあり、小説のようでもあり・・・なんか謎めいた本である。ドリアン助川といえば、映画『あん』の原作小説の作者であり、この本も期待できそうやでぇ♪【ベルリン発プラハ】ドリアン助川著、幻冬舎、1998年刊<「MARC」データベース>より突然姿を消した恋人サオリを探すために、東欧を旅するテツヤ。なぜ、あのとき彼女をひきとめなかったのか。彼女が友人あてに残した手紙を手掛かりに古い街を訪ね歩く、男の純愛物語。<読む前の大使寸評>図書館で『ベルリン発プラハ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、カラー写真の多い旅行記のようでもあり、小説のようでもあり・・・なんか謎めいた本である。rakutenベルリン発プラハビートルズからの訣別を、見てみましょう。p143~148<第3章 ハンブルグ> 壁一面の彼らの写真。ハンブルグ時代の撮影が多いようで、どの写真を見てもポール、ジョン、ジョージ、リンゴの四人は少年のような表情をしていた。彼らはこの写真に収まった頃、自分たちが世界一のグループになることを予想していたのだろうか。無垢だとも言える四人の表情が、汚れてしまった私にはまぶし過ぎた。 このハンザを彩っているビートルズは世界で最も愛された四人組なのだ。ジョンが射殺されるという悲劇もあったが、無論そのことで彼らの神話が揺らぐことはなかった。むしろジョンが死んでしまったことでビートルズは若者たちの永遠のシンボルとなった。今後もそれは変わらない。 ところが彼らの写真に囲まれている私は音楽を半ばであきらめ、自分自身を疑いながら生きている。愛の薄さ・・・対象を愛し切ることができないという私の特殊な性向から起きた自己崩壊。今はもう仕事すら持たず、一度は残酷に捨てたはずのサオリを追い求めてハンブルグまで来てしまった。同じ人間でありながら、あまりにも対照的だと思った。地位や名誉の比較ではない。真正面から愛を歌うことができた人間とそれができなかった人間の対比なのだ。 ジョンやポールが曲にこめた思いは創作上の愛ではない。その程度のエネルギーではビートルズをビートルズたらしめることはできなかったはずなのだ。彼らは異性だけではなく、この世に存在するありとあらゆる命を愛したからこそビートルズに成り得た。若者を一瞬釘づけにするのは反発や破壊だが、何十年にもわたって釘づけにしようと思えばそこには愛が不可欠なのだ。それがなければ歌は生まれない。私にはそのことがわかっていた。わかっていたが自分の中にそれはなかった。サオリにしてしまったことを含め、私はやはり欠陥のある人間なのだった。 サオリは私に宛てた手紙の中で「ビートルズの好きなあなたが」と記していた。その表現は間違いなかった。バンドマンを目指していた少年時代から私はビートルズを聴きまくった。彼らの曲を聴きながら、いずれは自分も歌を作り、それをステージで熱唱する人間になりたいと考えていた。 しかしバンド活動を続けている内、自らの歌の核になるものがないことに私は気付き始めた。それからの私はビートルズを聴くことが苦痛になった。ほとばしるエネルギーも美しいメロディワークも、永遠に到達できない雲上のゴールとさえ思えた。 ある時から私はビートルズを聴かなくなった。 バンドをやめ、音楽を捨て、ネパールの山荘に向かう前にビートルズのすべてのレコードを人に譲ってしまった。 サオリが私のことをビートルズが好きだと解釈したのは、私の言葉の端々に彼らが登場したからであろう。彼らの曲の素晴らしさを語る私にその思い入れの深さを感じたからに違いない。しかし私は彼らに対して、憧憬と同じ密度の、あるいはそれ以上の嫉妬や抵抗を感じていたのだ。馬鹿な話だと思う。歌うことすら満足にできなかった人間がビートルズに敵意を抱くなんて。 今ならば・・・今ならば少しは違うような気もする。ビートルズに思いを寄せ、絶望を感じた自分はもうここにはいない。音楽を捨てて世界のどん底ばかりを歩き回り、ただ一人の理解者だったサオリさえ失った私が彼らの曲に求めるもの。それは救いなのだ。 店に流れる曲が「アクト・ナチュラリー」に変わった。彼らが他人の歌をカバーした最後の作品だ。『ベルリン発プラハ』1
2018.02.19
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図書館で『ベルリン発プラハ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、カラー写真の多い旅行記のようでもあり、小説のようでもあり・・・なんか謎めいた本である。ドリアン助川といえば、映画『あん』の原作小説の作者であり、この本も期待できそうやでぇ♪【ベルリン発プラハ】ドリアン助川著、幻冬舎、1998年刊<「MARC」データベース>より突然姿を消した恋人サオリを探すために、東欧を旅するテツヤ。なぜ、あのとき彼女をひきとめなかったのか。彼女が友人あてに残した手紙を手掛かりに古い街を訪ね歩く、男の純愛物語。<読む前の大使寸評>図書館で『ベルリン発プラハ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、カラー写真の多い旅行記のようでもあり、小説のようでもあり・・・なんか謎めいた本である。rakutenベルリン発プラハ北欧のコミューンを、見てみましょう。p39~<第1章 コペンハーゲン> 「サオリのことは教えてやってもいい。だが彼女は私の大事な友人だった。友人のことを教えるのなら、君にも正直でいてもらわなければ困る。君の名前は」 「テツヤ」「ほう、君がテツヤか。なるほど。ついに現れたたか」 クヌートのこちらを見る視線が一瞬強くなった。彼の茶色の瞳が好奇心に輝き、しみだらけの顔に突然光が芽生える。「それなら・・・君はこのコミューンについてどう思っている?」 それを言わなければ先に進ませないというクヌートの意地が感じられた。この老人は自らの人生を費やした解放区をどう思うか、そおれを触媒にして私を判断しようとしているのだ。だが嘘はつけない。彼はすでに答えを読んでいる。「あなたは先ほど言った通りだと思う。人間の解放を目指すことはドラッグなんかじゃないと私も思う。ドラッグの酔いを開放に例えたり、柵を作ってその中にユートピアをつくろうとする発想はそれ自体が閉じこめられた偏狭な考え方だ。矛盾を抱えている。解放を目指すのなら薬物に頼らず、孤立もせず、外に出て行くべきだ」 私は何とかそう答えた。だがクヌートはまだ不満げな顔をしている。「外に行けば解放されるのか」 彼はもう一度シャボン玉を口で吹くと、そうささやいた。「クヌート。ここまで連れて来てくれた解放区の若い人たちから聞いたよ。ここでは争いごとが絶えない。殺人事件も起きたそうじゃないか。しかも彼らはあなたのことを支配者と呼んでいた。支配者なんて言葉が生まれること自体、コミューンが失敗したことを証明っしているんじゃないか。自由や解放という言葉があっても、柵を作ってひとつの理念を守ろうとすればそこには体制ができる。強制が生まれる。つまり集団で解放されようなんて古い夢だ。だから外に出て行くべきだと言ったんだ。コミューンなんてすでに遺物だと私は思う」「ヘイ、ボーイ」 30を過ぎた私に向かってクヌートはそう言った。 シャボン玉のストローを顔の前で揺り動かし、何度も「ボーイ」とつぶやく。彼にしてみれば私はまだまだそう言われる年齢なのかもしれない。いや、私の思考そのものが少年の発想だと彼は捉えたのか。「ボーイ。君は初めてこの解放区に来たのだろう。それなのに君はここで会った若者の言葉を信じて私を判断しようとしている。このコミューンのすべてをわかろうとしている。それは随分乱暴なことじゃないのかね」 木を見て森を見ないという言葉が私の脳裏に浮かんだ。以前観た『あん』を紹介します。【あん】河瀬直美監督、2015年、日・仏・独制作、H28.1.1観賞<Movie Walker映画解説>より「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を、「殯の森」では同グランプリを獲得した河瀬直美監督が、作家やパフォーマーとして活躍するドリアン助川が人はなぜ生きるのかという根源的な問いに迫った同名小説を映画化。小さなどら焼き屋で粒あん作りを任された元ハンセン病患者の女性の姿を、四季の情景を織り交ぜながら描く。偏見にさらされ続けても精一杯生きようとする女性を「わが母の記」で第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した樹木希林が、人生につまずいた雇われ店長を「KANO 1931海の向こうの甲子園」の永瀬正敏が、女性の良き理解者を「黒い雨」の市原悦子が演じる。<大使寸評>ハンディがあっても、慎ましく、精一杯に、優しく生きようとする元ハンセン病患者の静かな達観がいいですね。小説の原作者のドリアン助川という人は、芸人、タレントとでもいう人であるが、又吉直樹より先行して小説を出していたわけで…この人の経歴もすごいではないか♪Movie Walkerあん
2018.02.19
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図書館に予約していた『多動力』という本を、待つこと6ヶ月でゲットしたのです。堀江さんといえばチョイ悪のイメージがあるが、なんか規格外のブレークスルーがあるんじゃないかと・・・気になるわけでおます♪【多動力】堀江貴文著、幻冬舎、2017年刊<出版社>より堀江貴文の多動力。何万もの仕事を同時にこなす究極の力!あらゆる産業の タテの壁 が溶けたこの時代には、業界の壁を軽やかに超えていく「越境者」こそが求められる。そして、「越境者」には「多動力」が必要だ。本書では何万の仕事を同時にこなす堀江貴文が多動力の真髄を明かす。第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった第2章 バカ真面目の洗脳を解け第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ第4章 「自分の時間」を取り戻そう第5章 自分の分身に働かせる裏技第6章 世界最速仕事術第7章 最強メンタルの育て方第8章 人生に目的なんていらない<読む前の大使寸評>堀江さんといえばチョイ悪のイメージがあるが、なんか規格外のブレークスルーがあるんじゃないかと・・・気になるわけでおます♪<図書館予約:(8/14予約、2/17受取)>rakuten多動力堀江さんが「はじめに」で多動力とは何かと、語っているので、見てみましょう。p3~6<はじめに> 「多動力」とは何か。 それは、いくつもの異なることを同時にこなす力のことを言う。 しかし、「多動力」がある人は、次から次に、興味が移り変わってしまい、まったくもって落ち着きがない。 モノは忘れるし、なくすし、不注意で怪我だってする。 やるべきことをしていないのに、やりたいことばかりしてしまう。 たとえば、テスラ・モーターズCOEのイーロン・マスクは服を着られないらしい。 服を着ている間に、次にやりたいことを思いついてしまうから、ボタンを留めることができないのだ。 まるで3歳児がテレビやおもちゃなど目の前のことに夢中になってしまって、いつまでたっても服を着替えられないのと同じである。 この「多動力」。 かつては、マイナスでしかなかったかもしれない。「多動力」を仕事に生かす場面は少なく、おかっしな人だと思われていたはずである。 しかし、これからの時代は「多動力」こそが最も必要な能力だ。 ここでは、その理由を説明する。 東大在学中の1996年にオン・ザ・エッジを設立すると、僕はインターネットがもつ無限の可能性をたちまち体験した。 起業して間もなく「夕刊フジ」や富士フィルムのウェブサイトの管理といったレギュラーの仕事だけでなく、Adobeのサイトリニューアル、小室哲哉さんのウェブサイト立ち上げ、はたまた博報堂の「電子年賀状」作りに至るまで、初年度から業界問わずあらゆる仕事を手掛けていた。 そして、「ところで堀江君は××についてどう思う?」と質問を次々と投げかけられるようになり、半ば経営コンサルタントのように仕事が広がっていったのだ。 僕は、このときから、いずれはインターネットがすべての産業を横串で刺し、あらゆる仕事の基幹システムになるだろうなと確信した。 その理由は、インターネットというものが「水平分業型モデル」だからである。「水平分業型」の反対は「垂直統合型モデル」で、その代表としては、テレビ業界がわかりやすい。 テレビ業界は各局が番組制作から電波の送信まであらゆるレイヤーの業務を垂直に統合している。 また、リモコンを見ればわかるように、限られたチャンネルによる寡占状態なのでイノベーションは起きにくい。 反対に、インターネットは「水平分業型モデル」だ。 電話もフェイスブックも、動画もゲームも電子書籍も、すべてスマホ上のアプリという一つのレイヤーの中に並べられる。 そこには、2、3年でプレイヤーが入れ替わるような熾烈な競争がある。 グリーやモバゲーの勢いがあったのははるか昔のように感じられ、数年前には存在しなかったLINEやメルカリが生活の中心になり、1年後には、まったく新しいアプリが登場しているだろう。 インターネットの世界は、しかし、だからこそ改良が進み、消費者には常にベストなプロダクトやサービスが提供される。 そして、いよいよ僕が20年前に確信していたように、本来無縁そうに見えた産業にもインターネットが行きわたり始めている。(中略) つまり、テレビなどの家電はもちろん、自動車も、家も、ありとあらゆる「モノ」がインターネットにつながるということだ。 すべての産業が「水平分業型モデル」となり、結果“タテの壁”が溶けていく。ウーム ボタンを留めるヒマもないイーロン・マスクが導く未来社会は、日本人にとって明るい社会だとは、とうてい思えないのだが(大使 遅れてまんがな)2018/02/14イーロン・マスクの「世界最強ロケット」は、いったいなにがすごいのか?より■現役ロケットの中で世界一の打ち上げ能力、なのに安い ファルコン・ヘヴィの最大の特長は、現役のロケットの中で、最も打ち上げ能力が大きいということである。 たとえば、国際宇宙ステーションなどが回っている地球低軌道には最大63.8トンもの打ち上げ能力をもつ。ちなみに日本最大のロケットであるH-IIBの打ち上げ能力は約16.5トンなので約4倍。また、これまで世界最強の打ち上げ能力をもっていた、米国の「デルタIVヘヴィ」ロケットと比べても、3倍近くも大きい。 この強大な打ち上げ能力をもってすれば、基本的にはどんな衛星や探査機で打ち上げることができる。たとえば規格外の大きさをもつ人工衛星を打ち上げることはもちろん、有人宇宙船を月に飛ばすこともできるし、火星や冥王星といった他の天体に、大型の探査機を飛ばすことだってできる。 そして、世界最強の打ち上げ能力をもっているにもかかわらず、ファルコン・ヘヴィはとても安い。
2018.02.19
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図書館で『そらをみてますないてます』という本を、手にしたのです。「BOOK」データベースが冒険純文学と評しているが・・・かなり冗談っぽいのが、いかにもシーナではないか♪【そらをみてますないてます】椎名誠著、文藝春秋、2011年刊<「BOOK」データベース>より1964年、東京。深夜の皿洗いのバイトをするおれは、官能の塊のような女イスズミをめぐってすさまじい喧嘩に巻き込まれる。職を転々とし、次に出会ったのは、後に妻となる女性だった―ぎらぎらとあぶなっかしい若き日々が二十年後の冒険と交錯する、渾身の青春冒険純文学。<読む前の大使寸評>「BOOK」データベースが冒険純文学と評しているが・・・かなり冗談っぽいのが、いかにもシーナではないか♪amazonそらをみてますないてますシーナには珍しくラブロマンスが出てくるので、見てみましょう。p17~19<1988年> 明け方の田町の駅前にイスズミが立っていた。彼女が駅にいるのはそれが2回目だった。店から帰ってきたままのようだった。きっと明け方までしつこい客がいたのだ。派手なブルーのワンピースに同系統の薄いカーディガンをを肩に羽織っている。むかし見た映画のどっかの場面みたいに駅のはしっこのほうの壁によりかかって片手で煙草をふかしている。おれより近藤君がイスズミを先にみつけた。「彼女きていますよ」 意味なく声をひそめておれの脇腹をつつく。つつくなこのやろう。おれはこういうのは嫌だった。だからみんなで一緒になって田町の駅まで歩いて帰るのはすこし気が重かったのだ。イスズミが最初にこうして駅にいたときとそっくり同じメンバーで今日もここにやってきてしまった。だからまるでおれとイスズミがここで会うのを約束していたみたいになってしまった。「いいなあ、早朝デート」 シマドロが節をつけるようにしていった。節をつけるなこのやろう。デートなんて軽い言葉は嫌いだ。そういうふうにおれが怒っても空回りだった。四人は気をきかせたつもりなのかおれから自動的に離れていった。 夏の朝ではあったけれどもまだあたりは明るくなりきっていない。山手線の内回りも外回りも始発までにはまだしばらく時間があった。客待ちのタクシーの運転手が雑巾のようなもので車体を掃除している。こんな朝早くから散歩なのだろうか、犬をつれた太ったおばさんが駅前にある郵便ポストにゆさゆさした感じで微速接近している。「あたりだわね」 イスズミは煙草の煙を吐き出しながら言った。おれよりか二つか三つ上なだけだろうにそうやって向かいあうとずっと歳上のような感じがした。客が居すわっているとずるずる朝までやっているような荒れていかれた違法クラブなどに勤めているから、どうしても大人っぽくなってしまうのだろう。 イスズミのアパートへはそこから駅裏の道を芝浦運河の方向に歩いていく。途中小さな商店街があって角が看板だらけのたばこ屋を左に曲がる。「煙草に仁丹」「頭痛にノーシン」「マツダのランプ」 何度か通っているうちに覚えてしまったものだ。よくわからないのが「幸福乃日常」というブリキに書いた文字で、何を宣伝しているのか謎だった。たぶん以前はその下か上に薬かなにかの文字があったのだっろう。 その商店街をイスズミと並んで歩いていると、早朝だから絶対目立つ。とくにイスズミは派手な恰好をして酔っていることが多かったから、どうせ朝まで遊び歩いていたろくでもない二人連れと見られて当然だった。でも考えてみたらおれたち二人とも夜勤明けなのだった。 ちゃんと働いている労働青年二人組なのだ。 十分ほど歩くと大きな倉庫が見えてきて、そのトバ口のところにイスズミの住んでいるアパートがあった。「潮路荘」ありふれてうつむくような名前だった。 1階に4部屋、2階に3部屋。家の横についている青いペンキの塗ってある木製の階段をぎしぎし上がって2階の引き戸式の入り口から入る。板敷きの廊下だが部屋まで靴をはいたままでいい。イスズミの部屋は2階の一番奥の「呂」だ。ここは「伊」「呂」「波」というふるめかしい変わった部屋わけになっていて、しかも2階から「い、ろ、は・・・」の順になっている。「古臭くていやになっちゃう」 それを説明するときイスズミは顔を少し斜めにして言った。顔を少し斜めにして喋るのがイスズミのむかしからの癖か、あるいは商売用に自然に身につけた、男に媚びるときの決め技のどちらかだった。このあと、しばらく続いたあと、1行はさんで唐突に砂漠の場面に切り替わるわけで・・・なるほどこの章が「第一章 砂漠と運河」となっている理由が判るのです。『そらをみてますないてます』1
2018.02.18
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図書館で『そらをみてますないてます』という本を、手にしたのです。「BOOK」データベースが冒険純文学と評しているが・・・かなり冗談っぽいのが、いかにもシーナではないか♪【そらをみてますないてます】椎名誠著、文藝春秋、2011年刊<「BOOK」データベース>より1964年、東京。深夜の皿洗いのバイトをするおれは、官能の塊のような女イスズミをめぐってすさまじい喧嘩に巻き込まれる。職を転々とし、次に出会ったのは、後に妻となる女性だった―ぎらぎらとあぶなっかしい若き日々が二十年後の冒険と交錯する、渾身の青春冒険純文学。<読む前の大使寸評>「BOOK」データベースが冒険純文学と評しているが・・・かなり冗談っぽいのが、いかにもシーナではないか♪amazonそらをみてますないてます第1章が「砂漠と運河」となっていて、大使のツボがうずくのです。語り口の一部をチョットだけ、見てみましょう。p10~14<1988年> おれは歩いていて、やはり目の前に夜明けのきざしがあった。おれは砂だらけになっていて、ぎっしり砂の入り込んだ赤い革のレッド・ウィングの編み上げ靴を履いていた。砂が靴のなかで足を噛み、痛くてたまらなかったが、止まって砂のなかに座り、靴を脱ぎ、靴下まで脱いで砂をはたいても結局はまたすぐに同じ状態になってしまうのだ。だからそんなことは時間の無駄だった。むしろそんなことで時間をつぶしてこれ以上遅れたら本当に危ない。だから歩き続けるしかなかった。 中国隊はおれたちより2キロほど先に行っているようだ。やつらは汚かった。とくに未開放エリアに入ってからはエゴを丸出しにしてきた。水はあきらかにやつらがおれたちの倍持っていた。つまり一人あたり4リットルだ。4リットルあったらそうとう喉が潤う。おれたちとは体力を維持する基礎のところが違ってくる。だからこの差別は深刻だし重大な契約違反だった。けれどそんなことを言っていたらあいつらのやっていることはこの砂漠に入ってから全部が契約違反だった。 それに味方だったウイグル人のルートガイドが方向を間違えてしまったのも痛かった。おれたちは予定よりもかなり遠のいた楕円形を描く湾曲ルートを歩いていた。それは後で知ったことで、生き残ったから言えることだった。 おれたち3人はとにかく全身くたくたで、1日2リットル与えられた水はもうあらかた飲んでしまっていて、残りはあともう指2本ぶんぐらいだった。それを飲みつくし、水のデポのある今日の目的の場所に着かないうちに太陽が頂点まで上がってきてしまうと、たぶんおれたちはその日の夜までに倒れてしまうだろう。そういう辛い予感が頭のなかでごろごろしていた。単なる悪夢ではなくて悪夢のような現実のなかだった。 おれたちは中国の組織した「タクラマカン英雄遠征隊」のなかにまじりこんでいた。16ミリのシネカメラでスウェン・ヘディンの探検した「さまよえる湖=ロプ・ノール」とその湖畔近くにあった幻の城といわれる「楼蘭」を撮影するという目的があった。おれは40歳になったばかりでまだ体力には自信があった。 この探検行によってロプ・ノールと楼蘭をこの目で見て、フィルムに収められればそれでおれのちょっとした人生の目的としていた旅は完成する筈だった。 おれは歩いていた。ヤルダンが1日中続いていた。ヤルダンというのは風が作ったでっかい連続する固い土の壁だ。タクラマカン砂漠のそのあたり、風は常に北東方向から吹いていた。それはこの砂漠が生れたときからずっとかわらず同じ方向から吹いているのだという。だから三千年か四千年、北東方向から吹いているのだ。なんという融通のきかないバカみたいな風なのだ。 なんで飽きずに同じ方向に吹く必用があるんだ。吹く意味があるんだ。おれよりへたばっている音彦がきしきしいうアブラの切れたような声でさっきからそう言って怒っている。本当は乙彦と書いたが、おれと壱は「音彦」の意味でそう呼んだ。やつはナグラを操作する音の専門家だ。 「三千年や四千年そこいらじゃあないだろうよ。中国文明が生まれるまえにここにはこういう風が吹いていたのだ。人間がこのくそろくでもない砂漠に入り込みはじめた頃から吹いていたんだ。1万年とか3万年とかそんな単位で吹いているくそいまいましい強情な風なんだ」 壱が言った。壱は16ミリカメラの撮影者で中国隊と最初から交渉していたおれたちのリーダーだった。おれたちは「タクラマカン英雄遠征隊」の正式なメンバーではない。壱の勤めている会社、日本の映像プロダクションが中国のコネを使って、中国隊の趙文奄隊長と直接交渉した。決め手は金だった。いったい幾ら払っているのかおれはいまだに知らなかったが、おそらく状況からいってとんでもない金を突っ込んだ筈だ。そうでなければ下手をこくと趙の人生を筒禅遮断する(逮捕、重罪)という事態もありうるこんな危険な賭を趙がのむはずがない。 ヤルダンがまだまだ続いていた。北東から吹き続ける風によって砂漠の軽い砂は殆ど吹き流されてしまった。残ったのは風に飛ばない固い地殻だけだ。それが畑のでっかい畝々のようになって延々と続く。まるであくどい冗談のようにだ。(中略) 壱はところどころでカメラを回した。おれが背負っている三脚を使うときもあったし、ヤルダンの固い地殻の上にカメラを置いてそれで済ませることもあった。壱はどちらかというと手持ちカメラのドキュメンタリーアングルが好きだった。 そのあたりまでは壱がミニエクレールの12倍望遠レンズをいっぱいまで使うと先を行く中国隊の五星紅旗がまだ見えている。「あいつらは馬鹿だ。こんなくそ砂漠を行くのに、中国国民が誰一人見ているわけでもないのに、まだ国旗を先頭につきたてて歩いている。それだけ体力を消耗するというのに、まだ掲げ持って歩いている。だからあいつらは趙隊長もその子分たちもみんな馬鹿なんだ」 音彦が大きな声でいう。音彦はナグラを回しても結局風の音しか収録できないのでかなり苛ついていた。「でもおかげでやつらの位置がわかる」 おれが言った。日中合同の探検隊の体力勝負、そして馬鹿さについては『砂の海』により鮮やかに描かれています♪【砂の海】椎名誠著、新潮社、2000年刊<「BOOK」データベース>より目的地は、探検家ヘディンが「さまよえる湖」と名づけたロプノールと2000年前の幻の王国・楼蘭。太陽のコノヤロ光線、岩山も刻む砂嵐の中、“あやしい探検隊”隊長は、“正しい探検隊”である日中共同探検隊と、ずんがずんがと砂漠を突き進む。金属味の缶詰料理に辟易し、激しく車に揺られながら、著者が最終地点で目撃したものは?ハードな旅をユーモアで描く、シルクロード紀行。<読む前の大使寸評>ちょっと古い本ではあるが、砂漠、西域は大使のツボでもあるし、シーナの紀行とあれば期待できそうやでぇ♪借りたのは、1998年刊のハードカバーです。amazon砂の海『砂の海』6byドングリ
2018.02.18
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図書館で『米中もし戦わば』という本を、手にしたのです。平昌冬期オリンピックにうかれているが、そのお祭りが終れば北朝鮮、中国に対峙する日米同盟にとって厳しい状況が再開するわけで・・・この本は時宜を得たチョイスと思うのです。【米中もし戦わば】ピーター・ナヴァロ著、文藝春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より米国の一級の専門家たちが分析。トランプ政策顧問が執筆!【目次】第1部 中国は何を狙っているのか?/第2部 どれだけの軍事力を持っているのか?/第3部 引き金となるのはどこか?/第4部 戦場では何が起きるのか?/第5部 交渉の余地はあるのか?/第6部 力による平和への道<読む前の大使寸評>平昌冬期オリンピックにうかれているが、そのお祭りが終れば北朝鮮、中国に対峙する日米同盟にとって厳しい状況が再開するわけで・・・この本は時宜を得たチョイスと思うのです。rakuten米中もし戦わば「第7章 第一列島線と第二列島線」から覇権国家中国を、見てみましょう。p51~55<問題:中国はアメリカ海軍をアジアから駆逐しようとするか?> この問題を考えるためには、いろいろな意味で、本書冒頭で紹介したジョン・ミアシャイマーの理論を振り返る必要がある。ここで、「大国政治の力学が働くため、中国はいずれ必然的に、自国防衛及び生き残りのためにアジア地域の覇権国家になろうとするだろう」という彼の主張を思い出してみよう。 ミアシャイマーの主張が正しければ、本章の問題の正解は必然的に「する」となる。言い換えれば、アメリカがアジア地域の覇権を握っている限り、中国はアジアの覇権国家にはなれないということである。 もちろん、問題は、「中国がアメリカ軍をアジアから駆逐しようとしている」という挑発的な主張を裏付ける、一政治学者の単なる推論を超えた現実的な証拠があるかどうかである。そうした証拠として最初に挙げられるのは、おそらく、中国の国民的英雄である劉華清提督の行動と思想と言葉だろう。<知られざる「中国海軍の父」> 劉華清の名は、ベトナムでは、1974年に中国が西沙諸島を奪取した際にベトナム兵の虐殺を命じた司令官として知られている。中国の反体制派が劉華清と聞いてまず思い浮かべるのも、彼が天安門事件の虐殺に関わった部隊の司令官だったことである。こうした暗いイメージもあるものの、最もよく知られているのは「中国海軍の父」としての劉華清である。自分の目の黒いうちに中国が自前の空母を持てなかったら、「目を見開いたまま死ぬ」と言ったというエピソードが有名である。 それほどの重要人物にしては、劉は中国国外では驚くほど知られていない。だが、1980年代に中国を重商主義の貿易国家に変えた改革開放時代、トウ小平の右腕として中国海軍を指揮していた人物こそ、この劉華清である。 トウ小平の経済改革が成功を収めていたこの時代、中国はまだ第一に大陸国家であり、海軍力を世界的に投射する必要はほとんど感じていなかった。だが、トウ小平が中国を世界市場に開放している間に、劉華清はある「並行構想」を温めていた。 その中で彼は、トウ小平がせっせと構築している国際通商路を守る役目は最終的には海軍が担うことになるだろうと考えていた。つまり、グローバル化した中国に対応できる海軍の構築に本格的に取り組み始めたのは劉華清だった。(中略)<第一・第二列島線を突破せよ> 劉の構想の第一段階は、「沿岸」及び「第一列島線」を突破することである。すでに述べたように、第一列島線とは、千島列島の北端から日本本土、日本列島南端の沖縄へと延び、さらに南下して台湾を通過し、ルソン海峡とフィリピンを抜けてマレーシア領ボルネオへと続く線である。 もちろん、「第一列島線」は単なる比喩である。東シナ海や南シナ海に実際に線が引かれているわけではない。しかし、仮想の線とはいえ、この比喩は劉華清の心に重くのしかかっていたし、現在に至るまで中国の戦略家らはこれにこだわり続けている。 中国がこの第一列島線の突破にこだわるのは、実はきわめて妥当なことである。なぜなら、これが実際に中国海軍の行動を束縛しているからである。まず問題になるのが、劉の言う「沿岸」にチョークポイントが非常に多いことである。また、中国の水上艦は、日本やフィリピンや韓国といった国々にあるアメリカ軍基地から発進するミサイルや戦闘機にとって容易に到達できる距離にある。 だから、世界的な制海権獲得の第一段階が、この第一列島線という束縛の打破であることを劉提督は痛感していた。『米中もし戦わば』2:西沙諸島、南沙諸島の紛争『米中もし戦わば』1:米中の経済的側面
2018.02.18
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「越境者」でしょうか♪<市立図書館>・ベルリン発プラハ・「地球のからくり」に挑む・多動力・そらをみてますないてます<大学図書館>・(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【ベルリン発プラハ】ドリアン助川著、幻冬舎、1998年刊<「MARC」データベース>より突然姿を消した恋人サオリを探すために、東欧を旅するテツヤ。なぜ、あのとき彼女をひきとめなかったのか。彼女が友人あてに残した手紙を手掛かりに古い街を訪ね歩く、男の純愛物語。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、カラー写真の多い旅行記のようでもあり、小説のようでもあり・・・なんか謎めいた本である。rakutenベルリン発プラハ【「地球のからくり」に挑む】大河内直彦著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より地球は謎の塊である。その塊からエネルギーを次々に獲得し、万物の長となった人間は、今やエネルギー中毒に罹っている。なぜこんなことになったのか?そもそも地球の定員は何人か?宇宙から飛来した石油の源、毒ガス開発学者が生み出した新肥料、未来の新エネルギー…第一線の地球科学者が工学、文化人類学、文学などの広範な最新知見を縦横に駆使し、壮大な物語を綴る。科学と文明史が見事に融合した快作。<読む前の大使寸評>地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪rakuten「地球のからくり」に挑む【多動力】堀江貴文著、幻冬舎、2017年刊<出版社>より堀江貴文の多動力。何万もの仕事を同時にこなす究極の力!あらゆる産業の?タテの壁?が溶けたこの時代には、業界の壁を軽やかに超えていく「越境者」こそが求められる。そして、「越境者」には「多動力」が必要だ。本書では何万の仕事を同時にこなす堀江貴文が多動力の真髄を明かす。第1章 1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった第2章 バカ真面目の洗脳を解け第3章 サルのようにハマり、鳩のように飽きよ第4章 「自分の時間」を取り戻そう第5章 自分の分身に働かせる裏技第6章 世界最速仕事術第7章 最強メンタルの育て方第8章 人生に目的なんていらない<読む前の大使寸評>堀江さんといえばチョイ悪のイメージがあるが、なんか規格外のブレークスルーがあるんじゃないかと・・・気になるわけでおます♪<図書館予約:(8/14予約、2/17受取)>rakuten多動力【そらをみてますないてます】椎名誠著、文藝春秋、2011年刊<「BOOK」データベース>より1964年、東京。深夜の皿洗いのバイトをするおれは、官能の塊のような女イスズミをめぐってすさまじい喧嘩に巻き込まれる。職を転々とし、次に出会ったのは、後に妻となる女性だった―ぎらぎらとあぶなっかしい若き日々が二十年後の冒険と交錯する、渾身の青春冒険純文学。<読む前の大使寸評>「BOOK」データベースが冒険純文学と評しているが・・・かなり冗談っぽいのが、いかにもシーナではないか♪amazonそらをみてますないてます************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き284
2018.02.17
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図書館で『米中もし戦わば』という本を、手にしたのです。平昌冬期オリンピックにうかれているが、そのお祭りが終れば北朝鮮、中国に対峙する日米同盟にとって厳しい状況が再開するわけで・・・この本は時宜を得たチョイスと思うのです。【米中もし戦わば】ピーター・ナヴァロ著、文藝春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より米国の一級の専門家たちが分析。トランプ政策顧問が執筆!【目次】第1部 中国は何を狙っているのか?/第2部 どれだけの軍事力を持っているのか?/第3部 引き金となるのはどこか?/第4部 戦場では何が起きるのか?/第5部 交渉の余地はあるのか?/第6部 力による平和への道<読む前の大使寸評>平昌冬期オリンピックにうかれているが、そのお祭りが終れば北朝鮮、中国に対峙する日米同盟にとって厳しい状況が再開するわけで・・・この本は時宜を得たチョイスと思うのです。rakuten米中もし戦わばミスチーフ礁の構造物「第5章 中国共産党の武力侵略」から西沙諸島、南沙諸島の紛争を、見てみましょう。p36~38<ベトナムとフィリピンから南沙諸島を奪い取る> 1970年代、中国は初めて海上で戦線を開き、それまでの陸地中心の大陸国家から脱却する重要な一歩を踏み出すことになる。1974年、中国は当時弱体化していた南ベトナムから南シナ海の西沙諸島を奪い取った。 周恩来首相自らが計画したこの攻撃のために中国は小型砲艦と部隊を派遣し、南ベトナムが領有権を主張していた島々を占領した。小型船舶4隻で島々を奪還しようとするベトナム軍部隊に対して中国は、ミサイル搭載軍艦の大艦隊と精密爆撃による中国版「衝撃と畏怖」作戦で応戦した。 当時、ニクソン政権下のアメリカは中国との関係改善に首までどっぷり浸かり、ベトナム戦争の泥沼から抜け出そうと必死にもがいていた。その結果、中国を怒らせること恐れたアメリカは南ベトナムへの援助を拒んだ。兵士の数でも装備の点でも中国に劣る南ベトナムには、撤退以外の選択肢は残されていなかった。 西沙諸島の戦いはアジア史の中ではほんの小さな出来事だが、これは、アメリカの介入がなければ中国がその軍事力でアメリカの弱小同盟国を圧倒することを明確に示した例だと言いえる。 1979年、中国は数十万の大軍と数百台の戦車によってベトナムに電撃的に侵攻し、かつての同盟国に対する奇襲攻撃のハットトリックを完了した。とはいえ、これは実は充分予想可能な事態だった。歴史的に見れば中越は何世紀もの間敵対関係にあったのだし、ベトナムは当時、今や不倶戴天の敵となったソ連と強固な同盟関係を結んでいたからである。 中越戦争は、期間は短かったが戦死者の数は非常に多かった。1ヵ月足らずの間に中国が失った兵士の数は、アメリカが10年以上にわたるベトナム戦争で失った数よりも多かったかもしれない(6万人にのぼったとも言われている)。しかし、中国とベトナムとの軍事衝突はこれが最後ではなかった。 1988年、中国が今度は南沙諸島の領有権を主張したことから、中国軍とベトナム軍は再び衝突することとなった。ブルネイからもフィリピンからもマレーシア領ボルネオからもベトナムからも近い、戦略上重要な海域に位置する南沙諸島は、中国本土からは、いちばん近い場所でも900キロ以上離れている。 中国がファイアリー・クロス礁に監視所を建設し、「歴史的に中国固有の領土」として南沙諸島の領有権を主張しようとしたのを受け、ベトナムはその海域に武装船を派遣して対抗した。近くのジョンソン南礁に上陸した軽武装のベトナム兵は、中国の侵略に抗議してベトナム国旗を掲揚した。これに対して中国の軍艦はベトナム兵に大口径の高射砲を向け、60名以上を殺害した。この虐殺ののち、中国はケナン礁とヒューズ礁を含む南沙諸島の6島を実効支配下に置いた。 その後も中国は南沙諸島で領土拡大路線を取り続け、1994年にはフィリピンからミスチーフ礁を奪取した。フィリピン海軍が通常のパトロールをおこなえないモンスーンの時期を狙って、中国海軍がミスチーフ礁にこっそり入り込み、複数の構造物を建設してしまったのである。 フィリピンの政治指導者らは、この行為を「卑劣な侵略」だとして激しく非難した。この時点でフィリピンは軍事介入をおこない、これを阻止しようとすることもできたはずである。だが、1974年の西沙諸島の戦いや、1988年のスプラトリー諸島海戦で中国軍がベトナム軍に対しておこなった残虐行為を見てきたため、装備に劣るフィリピン海軍は中国との戦いに後ろ向きだった。こうして、中国のミスチーフ礁実効支配は速やかに既成事実と化した。「卑劣な侵略」だとして切歯扼腕しても、しょせんはごまめの歯ぎしりであって・・・せめて、日本観光に訪れた中国人が民主主義社会の良さを体感してもらうことを願うくらいか。『米中もし戦わば』1
2018.02.17
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本屋の店頭で『文芸春秋(2018年3月号)』を手にしたのです。おお 芥川賞受賞作ニ作全文掲載、特別定価980円となっていて・・・そのコスパの良さについ買い求めてしまったのです。出版社のマーケッティングにやられた感がしないでもないが、困窮する出版業界へのカンパと思えばいいことだし(大使 屁理屈です)【文芸春秋(2018年3月号)】雑誌、文芸春秋、2018年刊<商品の説明>より第158回芥川賞受賞2作掲載「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子、「百年泥」 石井遊佳<読む前の大使寸評>芥川賞受賞作ニ作全文掲載、特別定価980円となっていて・・・そのコスパの良さについ買い求めてしまったのです。出版社のマーケッティングにやられた感がしないでもないが、困窮する出版業界へのカンパと思えばいいことだし(大使 屁理屈です)amazon文芸春秋(2018年3月号)今月号は芥川賞受賞作ばっかり目立つのだが、雑誌だから数ある連載コラムも目が離せないわけでおます。・・・その連載コラム「新世界地政学」で、中国の電気自動車を、見てみましょう。p222~<電気自動車戦国史> 日本の戦後の経済発展は、自動車産業の発展抜きには考えられない。 自動車帝国の米国を日本が追い上げ、それを抜き去る第二次大戦後の“経済逆転”は、かつてデイビッド・ハルバースタムが『覇者の驕り自動車・男たちの産業史』(日本放送協会、1987年)で鮮やかに描いたところである。 それから30年、世界は日米欧に中国を加え、電気自動車(EV)戦国史に突入しつつある。より正確に言うと、CASEをめぐる闘争といってよい。CASEとはConnected,Autonomous, Shared & service, Electrioの頭文字である。車がインターネットにつながり、自動で走行し、シェアリング・サービスとなり、そして電気駆動となるモビリティー産業をどの国が支配するのかの闘争である。 ここまでのところ、CASEを技術面で引っ張っているのはシリコン・バレーを擁する米国である。その象徴が、稀代の起業家、イーロン・マスク率いるテスラである。 しかし、EVの生産台数ではすでに、中国が世界の過半を占めている。中国は、二酸化炭素の排出量を減らす必要性とともに、それを「中国の夢」をかなえる国家威信事業として位置づけている。ガソリン車では到底、日米欧に追いつけない。カエル飛びして自動車産業のパラダイム・シフトを仕掛けようとしているのだ。 その際、欧州の自動車メーカーを抱きこもうとしている。欧州では、ドイツを中心にディーゼル車の排ガス不正問題を機に、一気にEV(ないしはPHEV)へのシフトを迫られている。そこに中国は手を差し伸べた形だ。フォルクスワーゲンもダイムラーも中国の自動車メーカーとEV開発・生産の合弁をつくることを発表した。 EV戦国史における中国のレバレッジは三つある。 まず、市場力である。 オバマ政権時代の話だが、ホワイトハウス高官からこんな話を聞いたことがある。 「2016年春だったと思うが、イーロン・マスクから電話をもらった。非常に憤慨していた。中国のEV企業がテスラの工場の50マイル範囲内に工場を建設したと思ったら、テスラの従業員を引き抜いていく、という。『連中と来たら、うちの会社を買うのではなく、技術を盗むのでもなく、従業員をさらっていく、米政府としてこういうのにどう対応するのか』と」 「『残念だが、政府は何もできない』、そう答えるしかなかった。彼はがっかりしていた」 「GMもどこも世界の自動車メーカーは中国市場から締め出されることを恐れ、中国を訴えることはしない。米政府がWTOで何とかしてください、ただし、われわれは巻き込まないでください、という姿勢だ」 高官は、電話を切ったあと、テスラが中国政府を訴えるかもしれないと期待したというが、そのステラも中国進出を決定した。 次が産業政策である。 中国政府は、EVの年間販売台数を2020年、100万台、2025年、300万台と定めている。これを実現するため、巨額な政府補助金をつぎ込み、人為的に巨大なEV需要をつくっている。 それから、新技術の社会実装リスクの柔軟管理である。 CASE技術を社会実装する際の製造者責任リスクを政府が共有し、企業を背後から支援する。運転席を共産党中央が占め、個人情報も人権も後部座席に座らせ、高速で爆走する。多少の混乱などものともしないdisruption resilienceとでも言うべきアニマル・スピリッツの存在こそ、第4次産業革命の中で中国の優位性のような気がする。 日本は出遅れ感のあったトヨタが去年秋、EVへの本格進出を宣言した。2025年までにすべての車種をEVかハイブリッドにする計画だ。 米中主導のEV戦国史のようだが、戦いは始まったばかりである。 そもそも、いまのEV需要は補助金による「つくられた需要」である。現時点での補助金水準を維持したまま新車販売の20%をEV化した場合、中国の補助金は年間4兆円に達するという試算もある。これは維持できない。 EVのパイオニア的存在のステラも新たに市場に出した大衆車モデル3は苦戦している。テスラは、結局、ブラックベリーのような運命を辿るのではないかとの見方もシリコン・バレーには出始めている。 それに、コネクテッドされるEVを社会全体として最大限使い切るためのインフラを整備しなければならない。インフラ競争力のある国が優位に立つ。 最後に、電池、それも安全な電池をどこが供給できるか。「電池を制するものが電動を制する」戦いとなるだろう。 中国の経済政策は、農民籍の奴隷を搾取して得た膨大な資金力で推進される・・・スピード感に溢れ、強力である。 日本はそのあたりを認識した上で対抗せざる得ないのだろうね。この記事も日米中EV対決R4に収めておきます。『文芸春秋(2018年3月号)』1
2018.02.17
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本屋の店頭で『文芸春秋(2018年3月号)』を手にしたのです。おお 芥川賞受賞作ニ作全文掲載、特別定価980円となっていて・・・そのコスパの良さについ買い求めてしまったのです。出版社のマーケッティングにやられた感がしないでもないが、困窮する出版業界へのカンパと思えばいいことだし(大使 屁理屈です)【文芸春秋(2018年3月号)】雑誌、文芸春秋、2018年刊<商品の説明>より第158回芥川賞受賞2作掲載「おらおらでひとりいぐも」 若竹千佐子、「百年泥」 石井遊佳<読む前の大使寸評>芥川賞受賞作ニ作全文掲載、特別定価980円となっていて・・・そのコスパの良さについ買い求めてしまったのです。出版社のマーケッティングにやられた感がしないでもないが、困窮する出版業界へのカンパと思えばいいことだし(大使 屁理屈です)amazon文芸春秋(2018年3月号)石井さんへのインタビューの一部を、見てみましょう。p332~334<東大で仏教を学び、夫とインドへ>Q:受賞作「百年泥」の舞台は、現在お住まいのインドです。どのような経緯でインドに暮らすことになったのでしょうか。石井:2015年からインド南部の海沿いの都市チェンナイで、サンスクリット語の研究をしている夫と地元IT企業で日本語教師をしています。なぜそんなことになったのか。どこから始めればいいのでしょうか・・・。因果を遡ると、やはり私が小さい頃から、ずっと小説家になりたい、と思っていたことから話した方がいいでしょうね。Q:ぜひ、そこから聞かせてください。石井:私は大阪で生まれ育ったのですが、子供の頃から文章を書くことが大好きで、いわゆる文学少女でした。とはいっても、当時の私にできたのは、克明に日記を書くことぐらいで、小説を書くには至りませんでした。その頃は小説を書くことが、すごく不遜なことに思えたんです。自分が体験してもいないことを妄想の中で勝手に膨らまして書いてしまっていいのだろうか、と悩んでいました。小説のようなものを書き始めたのは、東京の大学に入学してからです。 大学を出る頃には、世の中はバブルの時代に入っていました。同級生は次々と就職を決めていきましたが、私はアルバイトをしながら、小説を書くことを選びました。「百年泥」に登場させた多重債務者に新たな借金をさせる「紹介屋」などで働いたこともありましたし、洋菓子職人やスナックのホステス、温泉旅館の仲居さんもしたことがあります。この経験をいつか小説に活かせるかもしれない、という下心はどこかにありつつ、それぞれの現場ではそんな余裕はなく、いつも必死で働いていました。<仏教がわからなかった> そのかたわら小説を書くためにいろいろな本を読んで勉強は続けていました。たいがいのジャンルのことは、2,3冊の本を読めば、大枠を掴むことができました。でも、何冊読んでも、理解できないものがありました。それが仏教です。日本人のものの考え方や行動様式の基層を探っていくと、必ず仏教に突き当たるのに、その仏教がわからない。これではいけない、きちんと学ぶ必要があると考え、2000年、36歳のときに一念発起した、東京大学のインド哲学仏教学研究室に学士入学し、そのまま大学院にすすみました。 当初は仏教の根本をなすインド仏教を勉強しようと思っていたのですが、サンスクリット語が難しく、すぐに挫折してしまいました。そこで、中国仏教を専攻することにしました。私の入った研究室は専攻が異なると、ほとんど顔を合わせることはありません。あまりに没交渉なので一度、顔合わせを兼ねた旅行が行なわれていました。そこで出会ったのが、サンスクリット語を研究していた夫でした。夫と結婚しなければ、一生インドに行くことはなかったでしょうね。Q:仏教が取り持った縁だったのですね。それで二人でインドへ?石井:いえいえ。初めてインドにいくのはまだ先のことです。最初に長期滞在したのは、2006年から2009年のこと。夫のインド留学についていったのです。住んでいたのはインド北部のヴァーラーナシーでした。(中略)「物価も安いし、二人でも奨学金で生活できる」と周囲から勧められ、結局、研究も途中でほっぽり出して夫についていくことにしました。小説以外のことは、なかなか続かないんです、私。 インドに行って一番驚いたのは、自然環境の厳しさです。最高気温が47、8度になる4月から6月の暑季は、とても暮らしていけません。その時期、私は夫を残して日本へ帰国していました。あの暑さの中で、ひたすら研究を続けていた夫には、今でも尊敬の念を抱きます。 ですから、今度の2015年から現在に至るインドの長期滞在は2回目となります。今回も夫の都合で、実は私はついて行きたくありませんでした。(中略)Q:最初は行きたくなかったインドで新潮新人賞と芥川賞を受賞することになる「百年泥」の題材を掴まれたのですね。大洪水は実際に体験されたのですか。石井:私がチェンナイに住み始めた2015年に出くわした大洪水が小説の源になりました。家から三日の間、一歩も出ることができませんでした。水がひいた後は、多くの人がその爪跡を見物しにやってきました。警察官が野次馬を追っ払い、横では復興作業が続いている・・・。そんな光景を見て「この出来事をいつか小説にしよう」と決めていました。ウーム 東大出の才媛でもあるが、子どもの頃から小説家になりたかったというのも凄いし、温泉旅館の仲居の経験も小説に活かすという深慮遠謀が凄いではないか。しかしまあ、年間に4名も輩出される芥川賞作家はとうてい覚えられるわけがないのだが・・・今回の2名は歳を食っているが、なんか期待できそうやでぇ♪
2018.02.16
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図書館で借りた「荒神」を読んでいるところだが・・・NHKオンラインに、『宮部みゆきが語るドラマ版「荒神」』があったので、紹介します。「荒神」が17日のBSで放映予定とのことであるが・・・個人的には読むのが先か観るのが先かという、時間的に待ったなし状況でおます♪(おっと、我が家ではBSが映らないので、読むのが先しかありえないのだが)2018/02/06宮部みゆきが語るドラマ版「荒神」より──映像化のお話はいつぐらいからあったのですか?NHKさんからお話をいただいたのは、2016年9月ごろ。ちょうど映画『シン・ゴジラ』が公開されているころで、「やっぱり“怪獣”ものきてるよ!」と追い風を感じました。原作とはまた異なる「怪物」のおぞましさ──実際ドラマをご覧になっていかがでしたか?ドラマは、私の小説と大きく変えてあるんです。怪物の造形もそうですが、それぞれが出会う場面なども。それでも、原作の設定を生かしながら違う造形にしてくださり、それが非常におぞましくて怖かったので、なるほどと思いました。物語は、東北の寒村から始まります。広々とした土地に怪物がいる様子は小説だけでは表しにくいので、田んぼの真ん中をノシノシと歩いて村に迫っていくところは、すごくかっこよかったです。ドローンで撮影したところもあって、朱音たちが怪物に襲われて必死で逃げるシーンも迫力ありましたね!それにしても、特殊映像効果といえども怪物に踏みつぶされたり、丸飲みにされる人もいて、NHK的に放送して大丈夫なんだろうかと心配になりました(笑)。──主人公・朱音はどうご覧になられましたか?朱音は、美しく、賢く、優しい女性です。ある宿命を背負っていながらも、物語全体を救済する慈母のような人というキャラクターで小説を書きましたので、内田有紀さんには本当にその通りに演じていただいたと思っています。美しくて凛々りりしいし、クライマックスでは聖母のような微笑みを浮かべたり。ラストの展開もとてもすばらしかったです。──朱音の兄で藩の重臣・曽谷弾正は平 岳大さんが演じられました。平さんは原作者の私から見ても、「悪い人~!」と思うぐらい弾正をしっかりとらえて演じてくださり、見ていてとっても楽しかったです。怪物の存在を知ったときに、ニヤッと笑うんですね。そこなんかはもう(笑)。弾正は、領民たちに恐れられつつも尊敬されている人です。村の危機に弾正が登場すると、みなに「これで助けてもらえる」と思われるシーンは、やっぱり平さんにやっていただいてよかったなと思いました。──執筆していて思い入れが強かった登場人物はいますか?原作を書いているときは、絵師の圓秀にすごく思い入れがありました。彼は記録者としてどの場面にも関わっていくんです。私も記録する者の立場として小説を書くので、分身とまではいかないですけど圓秀がいちばん近いと思っていました。そして単行本にするときには、「圓秀のエンディングを付けよう」となり、その後のエピソードを書き足したというのも思い出深いです。──最後に、メッセージをお願いします。ドラマの序盤で、怪物の存在を知った朱音が、「山は飢え、怒っている」と言うセリフがあるんです。小説の中にはそのセリフはないのですが、それ実は、私が考えた単行本のコピーだったんです。脚本の山岡潤平さんがピックアップしてくれたのだと思いますが、そのセリフって、物語全体のテーマだったりするので、朱音も、弾正も、怪物も見どころなのですが、そこも注目していただけるとうれしいです。「山は飢え、怒っている」というテーマとのことであるが・・・『小説新潮(2017年6月号)』3によれば、本音のところは大魔神とゴジラにインスパイヤされたサブカル系ホラーのようです。
2018.02.16
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神戸・南京町では16~18日に「春節祭」が開かれるようである。春めいた天気に大使も浮かれて、観に行こうと思うのです。春節祭デジタル朝日の記事によれば、第1回メンバーによる龍舞も登場するようである。2018/02/14南京町30回目の春節祭より 神戸市中央区の中華街・南京町で16~18日に開かれる「春節祭」が30回目を迎える。イベントを盛り上げてきた伝統芸能の一つが「龍舞(りゅうまい)」。今年は第1回の春節祭で演じたメンバーらが再結集して、節目を祝う。 春節祭は1987年、南京町を盛り上げる起爆剤に、と始まった。昭和天皇逝去の89年と、阪神・淡路大震災の95年に開催が中止され、今年が30回目になる。 1回目の開催時に龍舞を演じたのは、豚まん専門店「老祥記」3代目店主の曹英生さん(61)ら。曹さんは当時、南京町商店街振興組合の青年部のメンバーとして、町の内外から参加者を募った。 それから30年余り。組合理事長になった曹さんらが「30年の節目に、何か象徴的なイベントを」と検討するなかで、第1回メンバーが再び集まる龍舞のアイデアが出たという。 今月上旬、本番に向けての最後の練習があり、第1回メンバー30人のうち10人ほどが参加した。「30年近く会っていなかった仲間もいる。みんな集まってくれてうれしい」と曹さん。 太鼓やドラ、シンバルの音にあわせて、龍が激しく動く場面や、とぐろを巻く動作を入念に確認した。龍が生き生きと見えるように「高さをあわせて」と声をかけあった。メンバーを指導した劉繕雲さん(42)は「みんな元気。練習するうちにだんだんリズムや動きを思い出してきている」と話した。 本番は18日午後4時から南京町広場である。かつては40メートルほどの長さの龍を使っていたが、今回はそれだけの人数をそろえることは難しく、約25メートルの龍で臨む。31年前と同じように、おそろいの赤いはちまきを巻く予定だ。 曹さんは「踊っていると仲間との一体感が気持ちいい。当日は無事に舞って、見る人に楽しんでもらえれば」と笑う。 春節祭では、神戸市立兵庫商業高校の生徒たちによる龍舞も16日午後6時から予定されている。問い合わせは南京町春節祭実行委員会事務局(078・332・2896)。(森岡航平)だいたい漢人嫌いの大使であるが、日本に残るチャイナタウン(長崎、神戸、横浜)は嫌いではないのである・・・各地の中国人の頑張り、謙虚さがあったのでしょうね♪会場案内図やイベントスケジュールが南京町春節祭公式サイトで見られます。
2018.02.15
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<(ニッポンの宿題)個人データ どこまで> 中央大学准教授の岡嶋裕史さんが朝日のオピニオン欄で「監視社会 ゆりかごかオリか」と説いているので、紹介します。創立当初には「邪悪になるな」と自戒していたグーグルであるが・・・今ではGAFAの1社と成り果て、失望することしきりの昨今である。GAFA:グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップルの(邪悪な)IT大手4社のこと。(岡嶋さんのオピニオンを2/15デジタル朝日から転記しました)個人データを取り巻く環境が変わってきました。情報技術(IT)の発達で膨大なデータの収集・分析が可能になり、ビジネスに活用する企業が増えました。一方、プライバシーが侵害されるリスクは高まっています。この情報化社会とどう向き合えばよいのでしょうか。■《解く》監視社会、ゆりかごかオリか 岡嶋裕史さん(中央大学総合政策学部准教授) 顔や指紋認証、ネットでの検索履歴や行動履歴……。多くの人が考える個人情報の範囲は、ネット社会になり拡大しています。 個人データを収集・蓄積・分析するコストが下がり、企業や行政は膨大なデータを使って、生活の利便性の向上や治安の維持などに役立てられるようになりました。 すぐに役に立つかはわからない無数のデータを集めておいて手当たり次第に解析すれば、新たな仕組みや法則を発見できるようになりました。直接本人に会わなくても行動を予測する手法も身近になりました。デジタル社会の「新しい石油」と呼ばれる個人データを収集したいという企業の欲求は拡大し続けています。 そこで、日本政府は2015年、個人データの活用とプライバシーの保護が両輪の個人情報保護法を改正し、データの活用をより重視する方向に政策を転換しました。匿名化したデータなら本人の同意を得ずに活用できるようにするなど、個人データの活用を「社会の公共財」として共有する方針を決めたといえます。 ただ、国民の意識はすぐには変わりません。日本人は個人データをIT企業に提供することへの不安感が諸外国に比べて強い。有料でなければ受けられないサービスを無料で享受するための対価と割り切る若者も増えていますが、データを差し出すことに抵抗感を覚える中高年は少なくありません。 * いま個人データを収集してビジネスに活用して成功しているのは、米国のGAFAです。日本のコンビニ各社なども個人データを集めて利用してきましたが、様々な業種で横断的に集めたデータを結びつける発想に欠けたため、海外に遅れました。日本政府が個人データの活用に力を入れるのは「このままでは日本企業が国際競争で負けてしまう」との危機感からです。 日本政府は、個人が自分の情報を預託し、本人の同意する範囲内で第三者に渡せるようにする「情報銀行」の導入を計画しています。GAFAが収集してきた個人情報を、自分のところにいったん取り戻したいという狙いがあるようです。ただ、GAFAにはすでに膨大な個人データが蓄積され、利用者は効率的な検索や広告表示、商品のおすすめといったサービスの恩恵を受けています。情報銀行が有力な対抗軸になれるのかは疑問があります。 * ところで、個人情報の価値はどれぐらいなのでしょうか。個人情報の大量流出などで企業が個人に見舞金などを支払うケースが増えましたが、1件500円程度といういまの相場は価値を低く見積もり過ぎです。将来的に個人情報は「仮想通貨」のように社会に流通するようになると思います。お金の運用と同じように個人情報を使って、うまく稼げる人とそうでない人が出てくるかもしれません。 いま、街頭に多くの監視カメラが設置されています。多くの企業は社員の職場でのネット利用状況を監視しており、個人のネット検索履歴は簡単に追跡できます。これからも、政府や企業は「保護」や「見守り」といった前向きな言葉で巧みに個人情報を集めていくでしょう。個人にとっても何らかのメリットがあるため、監視を受け入れる人も多くなるでしょう。 現実でも、ネットでも、個人のプライバシーがどんどんなくなる方向へ向かうのは間違いありません。その結果、我々の近未来は、ジョージ・オーウェルがSF小説「1984年」で描いたような恐怖だけの社会とは違い、紳士的な監視社会になるでしょう。それは、中にいる人の意識によってゆりかごとも、オリとも思える社会なのだろうと思います。(聞き手はいずれも日浦統) ◇岡嶋裕史:1972年生まれ。富士総合研究所などを経て現職。専門は情報ネットワーク論。著書に「ビッグデータの罠」(ニッポンの宿題)個人データ どこまで岡嶋裕史2018.2.15この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR6に収めておきます。
2018.02.15
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図書館で『米中もし戦わば』という本を、手にしたのです。平昌冬期オリンピックにうかれているが、そのお祭りが終れば北朝鮮、中国に対峙する日米同盟にとって厳しい状況が再開するわけで・・・この本は時宜を得たチョイスと思うのです。【米中もし戦わば】ピーター・ナヴァロ著、文藝春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より米国の一級の専門家たちが分析。トランプ政策顧問が執筆!【目次】第1部 中国は何を狙っているのか?/第2部 どれだけの軍事力を持っているのか?/第3部 引き金となるのはどこか?/第4部 戦場では何が起きるのか?/第5部 交渉の余地はあるのか?/第6部 力による平和への道<読む前の大使寸評>平昌冬期オリンピックにうかれているが、そのお祭りが終れば北朝鮮、中国に対峙する日米同盟にとって厳しい状況が再開するわけで・・・この本は時宜を得たチョイスと思うのです。rakuten米中もし戦わば「第45章 中国の脅威を直視する」から米中の経済的側面を、見てみましょう。p361~363<中国の通貨操作を取り締まる法案はなぜ米国で否決されたのか・> たとえば、中国との貿易によって、アメリカの製造業界は真っ二つに割れてしまった。一方の側には、中国の違法な輸出補助金によって大打撃を被っている無数の中小企業が存在する。これら中小企業は、中国に通貨操作をやめさせ、相殺関税を導入し、その他にも適切な救済策を取るべきだと主張してきた。 その一方で、アップル、ボーイング、キャタピラー、ゼネラルモーターズ、IBMといった、アメリカに本部を置く一握りの多国籍大企業が存在する。これら大企業は生産拠点を中国に移し、製品をアメリカ市場に輸出することによって、中国の違法な輸出補助金や搾取労働や税金の抜け穴や大甘な環境規制を利用して大儲けしている。 それで、製造業界のこのような利害の衝突を解消するために、政治はどのように対応してきただろうか。全米製造業者協会や事業者協会といった有力圧力団体は多国籍大企業に牛耳られているため、結局は中国の重商主義に反対しない。これら「中国は脅威ではない」と主張するロビイストらは、中国の違法行為を取り締まろうとするホワイトハウスや議会の努力をことごとく公然と妨害する。 こうした分裂は、各業界レベルで見られる。不当に安い値段でアメリカ市場になだれ込んでくる、違法な補助金を受けた中国製ソーラーパネルに相殺関税をかけるべきだとソーラーパネル製造業者が声を上げたとき、最も強硬にこれに反対したのは中国ではなかった。それは、ソーラーパネルの価格上昇によって仕事が減ることを恐れた、ソーラーパネル設置業者たちだった。 分裂は州レベルでも見られる。たとえば、オハイオ州は中国の経済攻撃によって製造業に壊滅的被害を受けている州だが、大統領選挙の激戦州として知られるこの州の有権者は真っ二つに割れてしまっている。アクロン、クリーブランド、デイトン、ヤングズタウンなどの工場労働者は全員、違法な中国の補助金に対して政府が断固たる措置を取るべきだと考えている。一方、ダーク郡、マディソン郡、ウッド郡など農業地域の農民は、トウモロコシや大豆を大量に中国へ輸出して儲けているため、貿易不均衡是正策に公然と反対している。 オハイオ州の分裂は、自由で開かれた民主主義が中国の国家資本主義に立ち向かうときに直面する政治問題の縮図である。一例として、オハイオ州選出の民主党下院議員ティム・ライアンが中国の通貨操作を取り締まるための法案を提出したときのことを挙げておく。 ライアンの地盤は、ヤングズタウンやアクロンといった製造業の盛んな都市である。ライアンの法案は否決されたが、そのときほとんど一人で否決に持ち込んだと言っていいほど強硬に反対したのは、皮肉なことに同じオハイオ州選出の多数党(当時は共和党)院内総務ジョン・ベイナーだった。 ベイナーにとってこの政治的勝利は、まさに「一粒で二度美味しい」結果となった。地元オハイオ州最大の農業地域を大いに喜ばしただけでなく、中国に生産拠点を移している多国籍大企業から彼自身と共和党への多額の選挙献金を得ることができたからである。 労働組合や環境保護団体や人権団体などにも、同様の分裂が見られる。たとえば、雇用をさらに外国に奪われるのではという懸念から、労働組合は日本や韓国など同盟国との自由貿易協定に強硬に反対している。しかし、適切に結ばれさえすれば、このような自由貿易協定はアメリカと同盟国双方の経済成長を後押しし、総合国力の増大と経済力及び軍事力による平和の構築に貢献するだろう。ところで、よく似たタイトルの『日中もし戦わば』も興味深いのでお奨めです。【日中もし戦わば】マイケル・グリーン×張宇燕×春原剛×富阪聰、文春新書、2011年刊<amazon紹介>より緊張高まる日中両国だが、実際に戦ったらどうなるのか。日米中を代表する専門家・ジャーナリストが一堂に会し激論を交わした。<大使寸評>人民解放軍の暴走を抑えることのできるのは共産党中枢9人のうち2人だけという、薄氷を踏むような文民統制システムが怖いわけで・・・・その中華のシステムを究明したいわけだけど、日米の専門家にしても不透明さは変わらないようです。Amazon日中もし戦わば
2018.02.15
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図書館に予約していた『ノミのジャンプと銀河系』という本を、待つこと約4ヶ月でゲットしたのです。この本はSFではないのだが、サイエンスの薀蓄、またハードSFのネタに溢れているわけで・・・ええでぇ♪【ノミのジャンプと銀河系】椎名誠著、新潮社、2000年刊<出版社>よりオースター、エリクソン、ダイベック、ユアグロー、ミルハウザー…。一癖も二癖もある作家の醍醐味を、翻訳者の立場から易しく紹介。作家へのインタビューも多数。【目次】愛の見切り発車/未完に終わった六つのメモ/住居が主役/たのしい時代錯誤/キャリントン復活/夢の書物をめぐる書物/史上もっとも美しい漫画/二つのクリスマス/ロックンロール・ベスト1001/世紀の終わり・世界の終わり〔ほか〕<読む前の大使寸評>この本はSFではないのだが、サイエンスの薀蓄、またハードSFのネタに溢れているわけで・・・ええでぇ♪<図書館予約:(10/12予約、2/10受取)>rakutenノミのジャンプと銀河系ヒアリ小さなたくさんあるものの恐怖を、見てみましょう。p93~95<金属粒子の雨> たとえば、これからの戦争は宇宙から始まると言われている。核保有国がしきりに実験している大陸間弾道ミサイルを標的に命中させるためには、いま地球を周回している夥しい数の人工衛星がなければならない、と言われている。簡単にいえば私たちが利用しているGPSがその思考やシステムの原点である。 沢山宇宙空間を周回している戦略軍事衛星は、まずその役割を担っている。だからこれから戦争が始まるとしたら各国の軍事衛星をどこがいかに早く撃ち落すかの瞬時のタタカイになりそうだ。 キラー衛星対キラー衛星の戦いで未来は「決まってしまう」と言われているのだ。<小さなものほど怖い> そのときにサイバネティックスが効果的な戦略兵器として注目されているらしい。衛星軌道は宇宙のサイズからいったら限られた範囲にあって、そこで自国に敵対するキラー衛星にサイバネティックス衛星が細菌のようにとりついて内部から破壊していく、という戦略もあるらしい。 地球という狭いスケールではなく、宇宙のレベルで考えると、いちばん恐ろしい「襲ってくるもの」はゴジラやエイリアンのようなものは存外幼稚なレベルで、本当はサイバネティックスのような「小さくて」「たくさんあって」「それぞれが自分で考えてる」ものがいちばん怖い存在となっていくような気がする。 しかしそういうものは昔から地球にすでに沢山存在している。たとえばアリである。アリは群知能としてかなり研究されている。一匹ごとのアリは何も考えていないが、その知能が集団で全体のコトを考えているらしい。 「アリは人間と並ぶ、地上の支配者だ。地球上には約1京匹のアリがいるといわれ、その総体重は全人類の総体重にほぼ等しい。確認されているアリの種類は1万2000種。種類でみた割合は全昆虫のほんの1.4%程度だが、体重でみた割合は優にその10倍になる」と、『ナショナル・ジオグラフィック』で読んだことがある。 数にしたら人間の約137万倍になる。サイバネティックスの群知能の突然変異による思考バクハツをわかりやすく考えるには、たとえばハキリアリが何を考えているか、ということがひとつのヒントになる。(たぶん)毎日まるで労働の目的もヨロコビも感じないまま大きなハッパを噛んで行進しているハキリアリの行列の中から、ふと「ん?」と考えた奴をマークしておく必要がある。 群知能の「ん?」はあたらしい「何か」を生むひとつの可能性である。それが将来その集団の世界観となって突進していったらどうなるか。アリはまだ船を発明していないのでその大勢力も、海に阻まれて地球全体で合同することはできない。 しかし、いつかアリンコが集団脳の大きな威力を得て世界統一を目指したとき、一隻に数億匹のアリンコを乗せた小さな舟が数億隻ぐらい押し寄せてきたら、これほど恐ろしいことはないような気がする。 「たかがアリンコが」 などと言っていられるうちはかなりシアワセな時代なのかもしれない。ウーム 悪意に満ちたキラー衛星といえば人民解放軍に実在するが・・・まさに中華思想のSF版という感じでんがな。『ノミのジャンプと銀河系』2:映画「エイリアン」『ノミのジャンプと銀河系』1:メタマテリアル
2018.02.14
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図書館で『日本語の謎を解く』という本を、手にしたのです。日本語とか外国語とかは大使のツボでもあり、外国語のほうはヘタの横好きの感があるわけです。でも日本語なら、全然、大丈夫でおま♪【日本語の謎を解く】橋本陽介著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より素朴な疑問に、最新の言語学で答えます。「は」と「が」はどう違うのか。「氷」は「こおり」なのか、なぜ「道路」は「どうろ」なのか。どうして「雰囲気」を「ふいんき」と言ってしまうのか。「うれしいです」と言えても、「うれしいだ」と言えないのはなぜか。「全然、大丈夫」という表現は間違いか。日本語の起源から、音声・語彙・文法・表現まで、73の意外な事実。<読む前の大使寸評>日本語とか外国語とかは大使のツボでもあり、外国語のほうはヘタの横好きの感があるわけです。でも日本語なら、全然、大丈夫でおま♪rakuten日本語の謎を解く俳句や和歌のリズム五・七・五を、見てみましょう。p41~45<五・七・五はリズムがいいと誰が決めたか。> 確かに私たちは五・七・五のリズムを語呂がいいと感じています。しかし、なぜこれが語呂がいいと感じるのでしょうか。ことわざや標語では、五・七・五のリズム以外でも、語呂がいいものはあります。 「坊主憎けりゃ 袈裟まで憎い」のように七・七のものもありますし、「ごんべが種まきゃ カラスがほじくる」のように八・八になっているものや、「桃栗三年 柿八年」のように八・六になっているものもなりますが、これらもリズムがよく感じます。とはいえ、日本書紀や古事記といった非常に古い時代の歌でも、すでに五言と七言のリズムが中心になっています。いったいなぜこれを私たちは語呂がいいと感じているのでしょうか。 現代における文学作品は小説が中心ですが、歴史的にみるとどの言語でもたいていは詩が中心です。物語であっても、大抵はリズムをつけて語られていました。各言語の詩をみると、どのような形式をリズムがよいと考えているのかわかります。 漢詩の場合、もっとも重要なルールは韻を踏むことです。中国最古の詩集である『詩経』は今から2500年以上前の詩を集めたものですが、すでに必ず押韻しています。日本人にもなじみ深い唐の時代の詩になると、より厳格なリズムのルールがあります。杜甫の「春望」を見てみましょう。国破山河在 国破れて山河在り城春草木深 城春にして草木深し感時花灌涙 時に感じては花にも涙をそそぎ恨別鳥驚心 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす烽火連三月 烽火三月に連なり家書抵万金 家書万金にあたる白頭掻更短 白頭掻けば更に短く渾欲不勝簪 すべて簪にたえざらんと欲す【大使注】<国都長安は戦乱のために破壊されてしまったが、自然の山や河は昔どおりに残っている。この城内は春になっても、草木が深く生い茂っているのみで、人陰すら見えない。自分はこのいたましい時世に感じて、平和な春ならば花を見て楽しいはずなのに、かえって花を見ては涙をはらはらと流してしまう。家族との別れを恨み悲しんで、心を慰むべきはずの鳥にも心を驚かされる。戦火は三ヶ月もの長い間続き、家族からの手紙もなかなか来ないので、万金にも相当するほど貴重に思われる。自分の白髪頭をかくと、心労のために髪の毛も短くなってしまい、役人が頭につける冠をとめるかんざしも挿せないほどになってしまった>「春望」は律詩という形式の詩ですが、律詩では二句目、四句目、六句目、八句目の最後で韻を踏むというルールがあります。日本語で音読みしても、「深、心、金、シン」と韻を踏んでいるのがわかると思います。このように、句末の母音をあわせて韻を踏むことを脚韻といいます。(中略) 日本語の語彙は、二音が基本となっています。一音節の単語である「手」や「目」などでも、関西などでは「てえ」「めえ」のように伸ばして、二音の長さで読むほどです。また、二音を二つ加えた四音の単語も多く、ある統計によると四音の単語が四割近くにも上がるそうです。「ふらふら」「くらくら」などの擬音語・擬態語も多くが四音から構成されています。その基本的な語彙の後に助詞をつけることになるので、五音という単位はもっとも作りやすい数であることがわかります。七音は「三+四」か「四+三」に分けることができ、やはり四音が中心としてあることがわかります。『日本語の謎を解く』1
2018.02.14
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図書館で『ラスト・ワルツ』という本を、手にしたのです。『とっぴんぱらりのぷう』という本に、田中芳樹との対談が載っていて柳広司に興味がわいた次第です。この小説は旧満州を扱っていて、大使のツボがうずくわけでおます♪【ラスト・ワルツ】柳広司著、KADOKAWA、2015年刊<「BOOK」データベース>より疾走する特急車内、仮面舞踏会、ドイツの映画撮影所ー加速する頭脳戦、ついに最高潮へ!世界各国で展開する“究極の騙し合い”に生き残れ。日本最高峰のスパイ・ミステリ。<読む前の大使寸評>『とっぴんぱらりのぷう』という本に、田中芳樹との対談が載っていて柳広司に興味がわいた次第です。この小説は旧満州を扱っていて、大使のツボがうずくわけでおます♪rakutenラスト・ワルツこの小説の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。p60~62<舞踏会の夜> このところ、東京開催が予定されていたオリンピックや万国博覧会が立て続けに中止となったことで、世間には重苦しい空気がたち込めていた。 そんな中で開催された《》は人々の鬱憤を晴らす格好の機会であり、実際、世の中はすっかりお祭りムードに包まれている感じだった。 赤坂霊南坂、白亜の壁が目に美しい三階建てのアメリカ大使館…通称“赤坂のホワイトハウス”…で久しぶりに仮面舞踏会が開かれることになったのも、この祝祭的な雰囲気あってこその話だ。 しきりに舞踏室を見回していた千代子が、つま先立ちにもいい加減疲れたのだろう。ふう、と一つ大きな息をついて振り返った。改めて顕子を眺め、小首を傾けるようにして尋ねた。「顕子さん、今日のそのお格好はどういうご趣向なのかしら?」「別に」 顕子は短く答え、軽く肩をすくめてみせた。 首元のつまった濃い紫のシンプルな形のロングドレスにペンダント付きのチョーカー。仮面舞踏会ということなので一応形ばかり目元を覆うベネチアンマスクを用意したが、普段どおりといえば普段どおりだ。 一方の千代子は、長振り袖に下ろし髪、足下には肩に担ぐ桶まで用意している。どうやら“汐汲み”をイメージした扮装らしい。仮面というよりは仮装だが、それを言えば舞踏室に集まっている参加者たちの中にも仮装のものが少なくなかった。道化。天使。悪魔。物売りに扮している者の姿も見える。「ちょっと若作りしすぎちゃったかしら」 千代子が我が身を振り返り、顔をしかめて言った。(中略) 三十を過ぎてからは自分の歳を数えるのをやめた。三十も半ばを過ぎた大年増。かつての若さ、あるいは若さとともにあった美しさの名残を、極彩色のこけおどしで防腐処理して保っているだけだ。流行遅れのファム・ファタルを無理に演じる有閑夫人・・・それが自分だ。ウーム ラストエンペラー溥儀を皇帝に据えて咲き誇った・・・旧満州のような雰囲気が出てるやんけ♪
2018.02.14
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<『くらしの昭和史』3>図書館で『くらしの昭和史』という本を、手にしたのです。昭和30年代といえば、『オールウェイズ3丁目の夕日』という映画が目に浮かぶのだが・・・今日よりも明日と、貧しくても希望にあふれた時代やったなあ。帰って調べてみると、約5ヶ月前にこの本を借りていたことが判明しました。…で、この記事を(その3)としました。【くらしの昭和史】小泉和子著、朝日新聞出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より昭和30年代は史上、もっともくらしが充実した時代だった。昭和になって普及したちゃぶ台を囲んで、一家団欒が満面開花する。戦争中のもんぺ着用、戦後の衣服払底を画期に、キモノから洋服への衣服革命が進化したのも昭和20年代~30年代半ばである。 明治以来の西洋医学が一般家庭に普及し、吸入器や注射器を常備するなど家庭看護がハイレベルで浸透したのもこの時代であった。著者が館長をつとめる「昭和のくらし博物館」では、17年に及ぶ企画展示で、くらしの変化とその要因を詳細に検証してきた。その成果をまとめ、戦争、敗戦から経済成長による奇跡の発展を遂げた昭和史の変化と画期を鮮やかに描き出す。<読む前の大使寸評>昭和30年代といえば、『オールウェイズ3丁目の夕日』という映画が目に浮かぶのだが・・・今日よりも明日と、貧しくても希望にあふれた時代やったなあ。rakutenくらしの昭和史昭和のくらし博物館戦後の生活を、見てみましょう。p259~262<羽田の家> 引っ越した先は、正確にいえば大田区麹谷町4丁目1771番地である。羽田空港に近く、最寄り駅は京浜急行で蒲田駅から二駅目の大鳥居駅である。(中略) 今度の家は工場を改造した家で、一つの工場を二軒にしてあった。ある建築会社が社員用に改造したうちの一軒を、つぎの家が見つかるまで貸してくれることになったのである。 道の脇の溝に沿って建つ木造平屋建てで、溝にコンクリートの階段を渡しかけて玄関に入るようになっていた。工場だったため、外壁は洋風の下見板張りで、ペンキ塗りなので、ちょっとハイカラだった。玄関もドアで、入ると三畳の洋間があり、続いて六畳と八畳で、八畳にはガラス戸の入った縁側がついていた。端に便所があった。 台所は玄関と背中合わせになっていた。水道はあったがガスは通ってないので、カマドと七輪だった。台所の土間にはドラム缶風呂を置いた。 この家は、工場の広い構内に建っていたので植木などはまったくなく、貝殻とか瓦礫が一面に広がっていた。ともあれ専門の建築屋が改造した家だから、牛小屋とは大違いだった。壁一つ隔てた隣には若い社員夫婦が住んだ。 ところがしばらくしたら水道の水が出なくなってしまったのである。もともと工場についていた鉄の水道管を使ったため、錆びていたらしい。隣の社員の家も出なかったことからすると、当時は直すことができなかったのかも知れない。 しかたなく工場の構内を10メートルほど突っ切った向かいの高坂さんという家の水道から汲ませてもらうことになった。(中略) ただ幸いだったのは、高坂さんの小母さんが親切な人だったことである。外から裏口を開けて「お水頂きまーす」と声をかけると、いつでも「どうぞ汲んでって下さい」といってくれたので、ほんとにありがたかった。水道料が安かったとはいえ、いまでは考えられない親切さである。 その代わり、母は買い出しにいってくると、かならず野菜や米や柿や栗などを届けていたし、縫い物なども手伝っていた。『くらしの昭和史』1:ちゃぶ台の歴史『くらしの昭和史』2:著者の住宅の増改築
2018.02.13
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図書館に予約していた『ノミのジャンプと銀河系』という本を、待つこと約4ヶ月でゲットしたのです。この本はSFではないのだが、サイエンスの薀蓄、またハードSFのネタに溢れているわけで・・・ええでぇ♪【ノミのジャンプと銀河系】椎名誠著、新潮社、2000年刊<出版社>よりオースター、エリクソン、ダイベック、ユアグロー、ミルハウザー…。一癖も二癖もある作家の醍醐味を、翻訳者の立場から易しく紹介。作家へのインタビューも多数。【目次】愛の見切り発車/未完に終わった六つのメモ/住居が主役/たのしい時代錯誤/キャリントン復活/夢の書物をめぐる書物/史上もっとも美しい漫画/二つのクリスマス/ロックンロール・ベスト1001/世紀の終わり・世界の終わり〔ほか〕<読む前の大使寸評>この本はSFではないのだが、サイエンスの薀蓄、またハードSFのネタに溢れているわけで・・・ええでぇ♪<図書館予約:(10/12予約、2/10受取)>rakutenノミのジャンプと銀河系映画「エイリアン」が語られているので、見てみましょう。p89~91<ぬらぬら者に何ができる> なんとも始末の悪い生物だが、ぼくが疑問に思うのは、あれも辺境宇宙をいくロケットや宇宙船を操縦していたこともあった筈である。だとしたらいったいどういう操作機械なのだろうか、という疑問がずっとあった。 仕組みが違ったり形が違ったりしていても宇宙をすっ飛んでいって目的の星につくためには少なくともコンピュータ系のものがそこに織り込まれていると考えるべきだろう。でもあんなにドロドロの手で精密機械を操作できるのだろうか、という疑問がある。第一、どの作品のエイリアンにも目というものがあるのかどうかよく認められない。コンピュータの外側も内部もドロドロによってビタビタにしちまってそれをどうやって見ているのかもわからない生物がどのようにしてあの精密な宇宙船を動かしているのだろうか。 エイリアンの第1作を監督したリドリー・スコットはそのシリーズでエイリアン創生期を描いたとされる『プロメテウス』を作っている。ここではエイリアンを連想させる大きくて長い頭をした古代宇宙飛行士らしきかなり大きな生物がコクピットに座っている場面が出てくる。あれを見ると彼らが自分で宇宙船を操作していると考えるしかない。そのへん「どうなんだ!」とぼくは机を叩いて言いたいのだ。<金属粒子の雨> 『砂漠の惑星』が邦訳されたのは1968年。ポーランドのSFの巨人、スタニワフ・レムの、スケールが大きく迫力に満ちた作品である。60年代というともうこのジャンルでは古典に属するかもしれない。けれど今読み返しても、これはまだ遠い未来の出来事を書いた途方もないSFなのである。 物語は、地球の恒星間探索を目的にした光子ロケットで進む宇宙船が琴座の辺境にある惑星探検に向かっているところから始まる。この宇宙船は琴座の内側に基地をもっている二等巡洋艦クラスの「無敵号」。 彼らはこれまで琴座の惑星をいろいろ探検してきた。特殊相対性理論のなかにあるから光速を越えることはできないがこの当時からその時間的問題は低温睡眠によって宇宙規模の移動に対処している。細部にわたり非常に科学的で具体的な記述によって構成されており、どちらかというと黄金のワンダーランドをうたっていた欧米SFの文字通り娯楽性に満ちた「空想科学小説」よりも頑固な理系小説である。エイリアンの最新作については「エイリアン:コヴェナント」を観たに収めています。『ノミのジャンプと銀河系』1
2018.02.13
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図書館に予約していた『ノミのジャンプと銀河系』という本を、待つこと約4ヶ月でゲットしたのです。この本はSFではないのだが、サイエンスの薀蓄、またハードSFのネタに溢れているわけで・・・ええでぇ♪【ノミのジャンプと銀河系】椎名誠著、新潮社、2000年刊<出版社>よりオースター、エリクソン、ダイベック、ユアグロー、ミルハウザー…。一癖も二癖もある作家の醍醐味を、翻訳者の立場から易しく紹介。作家へのインタビューも多数。【目次】愛の見切り発車/未完に終わった六つのメモ/住居が主役/たのしい時代錯誤/キャリントン復活/夢の書物をめぐる書物/史上もっとも美しい漫画/二つのクリスマス/ロックンロール・ベスト1001/世紀の終わり・世界の終わり〔ほか〕<読む前の大使寸評>この本はSFではないのだが、サイエンスの薀蓄、またハードSFのネタに溢れているわけで・・・ええでぇ♪<図書館予約:(10/12予約、2/10受取)>rakutenノミのジャンプと銀河系ハードSFに造詣が深い椎名さんが、新素材を語っています。p26~<メタマテリアル> 「不可視化にかかわる新技術でもっとも有望なのは『メタマテリアル』と呼ばれるまったく新しい素材ではないだろうか」 『サイエンス・インポッシブル SF世界は実現可能か』(ミチオ・カク、NHK出版)の「不可視化」の項目で著者はこう言っている。 この本はこれから相当に先の未来までどこまで科学は可能か、というテーマを「不可能レベル」ごとに詳しく解いている。 「不可能レベルI」にはテレポーテーションやテレパシー、念力、ロボット、地球外生命とUFO、反物質と反宇宙などの項目が並び、「不可能レベルII」には、光より速く、タイムトラベル、並行宇宙、「不可能レベルIII」は、永久機関、予知能力、の項目がある。 作者はニューヨーク市立大学理論物理学の教授、超ひも理論の権威である。 科学的学問の最先端にいる人が「不可視化」を不可能レベルでもっとも実現可能性の高いレベルにおいているのに驚愕する。極端にいえば教授は近いうちに「不可視化=透明人間」が誕生すると予測しているのだ。《メタマテリアルを理解する簡単なカギは屈折率である。屈折とは、透明な媒質を光が通過するときに曲がることを示す。 水の中に手を入れると通常の光が途中で曲がって見えるのを何度も見ていますね。 ガラスや水のなかで光が屈折するのは、透明で密度の高い媒質に入ると光の速度が落ちるからである。空気中でも光は屈折しているがその率は1.0003だ。ガラスでは1.5、ダイヤモンドでは2.4になる。一般に密度の高い媒質ほど屈折率は高くなる。 いまノースカロライナ州のデューク大学とロンドン大学のインペリアルカレッジの研究者がメタマテリアルというまったく新しい素材とマイクロ波によって実験場の物体を不可視化することに成功している》 その仕組みを理解するのはなかなか難しいが、乱暴に言ってしまうと屈折率の違うプリズムを組み合わせて光を希望の方向にねじ曲げ、正面にある物体を見えなくさせる技術だ。 5年ほど前に中国のセッコウ大学のチームが開発し、科学誌『ネイチャー』の姉妹誌『サイエンティフィック・リポーツ』に発表した「中心部の物体が消えて見えなくなる装置」もシステムは違うが考え方はほぼ似たような構造のようだ。ここでは透明な方解石でできた高さ1.3センチの三角柱6個を組み合わせ、隙間を特殊な素材で満たした6角柱の装置を試作。振動する向きによって光の通り道が変わる「偏光」という性質を利用し、可視光線が中心近くを回り込んで進むように設計すると透明装置の真ん中に立てた直径1.3ミリの棒が見えない状態になったという。 どちらもまだ実験室の中での「透明装置」だが、理屈ではこのシステムをどんどん精密化、巨大化していくことができる。 装置の中の棒を人間に、あるいはもっと大きな攻撃的な何かに変えていくこともやがて可能になるという。
2018.02.13
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図書館で『日本語の謎を解く』という本を、手にしたのです。日本語とか外国語とかは大使のツボでもあり、外国語のほうはヘタの横好きの感があるわけです。でも日本語なら、全然、大丈夫でおま♪【日本語の謎を解く】橋本陽介著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より素朴な疑問に、最新の言語学で答えます。「は」と「が」はどう違うのか。「氷」は「こおり」なのか、なぜ「道路」は「どうろ」なのか。どうして「雰囲気」を「ふいんき」と言ってしまうのか。「うれしいです」と言えても、「うれしいだ」と言えないのはなぜか。「全然、大丈夫」という表現は間違いか。日本語の起源から、音声・語彙・文法・表現まで、73の意外な事実。<読む前の大使寸評>日本語とか外国語とかは大使のツボでもあり、外国語のほうはヘタの横好きの感があるわけです。でも日本語なら、全然、大丈夫でおま♪rakuten日本語の謎を解く日本語と英語の違いといえば、まず主語が要らない日本語が挙げられるわけで・・・そのあたりを見てみましょう。p153~154<日本語はなぜ主語を「省略」できるのか。> 日本語は主語を「省略」できるのが特徴と言われています。しかし、主語を省略するのは日本語だけではありません。 ヨーロッパの言語でも、スペイン語やイタリア語では主語が出てこないのが普通です。特に人称代名詞の場合には、ほとんど省略されます。ロシア語は一般的には省略しませんが、することも可能です。なぜかというと、これらの言語では、動詞の語尾が人称によって変化しているからです。 例えば、スペイン語で「行く」という動詞は、一人称で使われて「私は行く」ならばvoyと言いますが、二人称ならばvasと活用します。なので、動詞だけ言えば主語が一人称なのか二人称なのか三人称なのかがわかります。このため、主語はあえて言う必要がないのです。 一方で、英語やフランス語では主語はほぼ省略できません。英語は三人称に-sが付くくらいで、人称に対する動詞の活用形をほぼ失っているため、「語順が命」の言語になっています。よって主語は省略できません。また、フランス語の動詞は人称によって変化するものの、音声としては区別しにくく、やはり主語を省略しない言語になっています。 省略できるかできないかの違いはありますが、ヨーロッパの言語では、主語が決まらないと述語の形が決まりませんから、セットで文の根幹を形成しており、言語の構造上欠かせない概念となっています。 一方で、日本語の場合は少々事情が異なります。日本語に主語が表れないのは、スペイン語やイタリア語のように、ただ「省略」しているだけとは言えません。そこには「視点」の問題が関係しています。次の文を見てください。 鍵を開けて中に入ったが、部屋には誰もいなかった。 主語は書いてありませんが、「私」です。ごく普通の日本語表現でしょう。この文の視点はどこに置かれているでしょうか。それは、鍵を開けて部屋の中に入った人物です。客観的に言えば、「部屋には誰もいなかった」は間違いです。なぜなら、この文を発話した人物「私」が部屋の中にいるからです。正確を期すならば、「部屋には私以外誰もいなかった」というべきでしょう。 しかし、そうはなっていません。「私」からは私自身はみえませんから、誰もいないように見えるのです。 このように、日本語では、ものごとを上から客観的に眺めるのではなく、状況の内側からの視点に同化してしまうのが普通です。ここでは「私」の目線に同化している以上、「私」は見えませんから、言語化されないのです。ただ単に主語が「省略」されているわけではありません。この本も個人的言語学12に収めておきます。
2018.02.12
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「手当り次第」でしょうか♪<市立図書館>・くらしの昭和史・ラスト・ワルツ・米中もし戦わば・ノミのジャンプと銀河系<大学図書館>・(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【くらしの昭和史】小泉和子著、朝日新聞出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より昭和30年代は史上、もっともくらしが充実した時代だった。昭和になって普及したちゃぶ台を囲んで、一家団欒が満面開花する。戦争中のもんぺ着用、戦後の衣服払底を画期に、キモノから洋服への衣服革命が進化したのも昭和20年代~30年代半ばである。明治以来の西洋医学が一般家庭に普及し、吸入器や注射器を常備するなど家庭看護がハイレベルで浸透したのもこの時代であった。著者が館長をつとめる「昭和のくらし博物館」では、17年に及ぶ企画展示で、くらしの変化とその要因を詳細に検証してきた。その成果をまとめ、戦争、敗戦から経済成長による奇跡の発展を遂げた昭和史の変化と画期を鮮やかに描き出す。<読む前の大使寸評>昭和30年代といえば、『オールウェイズ3丁目の夕日』という映画が目に浮かぶのだが・・・今日よりも明日と、貧しくても希望にあふれた時代やったなあ。rakutenくらしの昭和史【ラスト・ワルツ】柳広司著、KADOKAWA、2015年刊<「BOOK」データベース>より疾走する特急車内、仮面舞踏会、ドイツの映画撮影所ー加速する頭脳戦、ついに最高潮へ!世界各国で展開する“究極の騙し合い”に生き残れ。日本最高峰のスパイ・ミステリ。<読む前の大使寸評>『とっぴんぱらりのぷう』という本に、田中芳樹との対談が載っていて柳広司に興味がわいた次第です。rakutenラスト・ワルツ【米中もし戦わば】ピーター・ナヴァロ著、文藝春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より米国の一級の専門家たちが分析。トランプ政策顧問が執筆!【目次】第1部 中国は何を狙っているのか?/第2部 どれだけの軍事力を持っているのか?/第3部 引き金となるのはどこか?/第4部 戦場では何が起きるのか?/第5部 交渉の余地はあるのか?/第6部 力による平和への道<読む前の大使寸評>追って記入rakuten米中もし戦わば【ノミのジャンプと銀河系】椎名誠著、新潮社、2000年刊<出版社>よりオースター、エリクソン、ダイベック、ユアグロー、ミルハウザー…。一癖も二癖もある作家の醍醐味を、翻訳者の立場から易しく紹介。作家へのインタビューも多数。【目次】愛の見切り発車/未完に終わった六つのメモ/住居が主役/たのしい時代錯誤/キャリントン復活/夢の書物をめぐる書物/史上もっとも美しい漫画/二つのクリスマス/ロックンロール・ベスト1001/世紀の終わり・世界の終わり〔ほか〕<読む前の大使寸評>この本はSFではないのだが、サイエンスの薀蓄、またハードSFのネタに溢れているわけで・・・ええでぇ♪<図書館予約:(10/12予約、2/10受取)>rakutenノミのジャンプと銀河系************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き283
2018.02.12
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図書館で『「味覚人」飛行物体』という本を、手にしたのです。おお 漬物、発酵食品の権威、小泉さんの本やないけ♪こんな本を見落としていたとは、我ながら不覚であった。【「味覚人」飛行物体】小泉武夫著、時事通信社、1997年刊<「MARC」データベース>より1200年燃え続ける火、保存の発明、灰のパワー、食の分配が国の始まりから、ヒル・生き馬の血・フグ毒の食べ方、酒の誕生、中国人より何でも食べる日本人など、味覚人飛行物体教授の刺激的神出鬼没講義。<読む前の大使寸評>おお 漬物、発酵食品の権威、小泉さんの本やないけ♪こんな本を見落としていたとは、我ながら不覚であった。amazon「味覚人」飛行物体鍋文化のあたりを、見てみましょう。p196~<魚好きを生む鍋文化> 前にも述べたように、日本では魚をよく食べる。魚食民族だと思うくらい魚を多く食べる。もちろん日本は四方を海で囲まれており、世界一魚が捕れるからそうなったのであろう。ところが、魚はたくさん捕れるのだが、それほど魚を食べない民族もいる。たとえば、ポルトガル、ギリシャ、イタリア、スペインあたりはいっぱい魚が捕れるのに、日本ほど食べるわけではない。 その理由として、まず挙げられるのは、日本では鍋の食文化が非常に発達してきた点にある。かつて日本の食事の原点は、囲炉裏にあった。自在鉤に吊るされた鍋の下に囲炉裏があり、そこには火があって、鍋がぐつぐつ煮立っていた。四角い囲炉裏を囲んで、家族が一つの鍋をみんなで食べるという食の形態があった。ところが外国では、最初から皿に取り分けて食べているからそういう習慣はあまりなく、日本のような色濃い鍋文化はほとんどないのだ。 日本で鍋文化が発達したのは、いちばん手ごろで、いちばん身近な食材が鍋料理に適していたからでもある。その食材の主体の一つが魚だった。 日本は昔から海では魚がいっぱい捕れた。海辺に限らず、川でも魚が捕れる。陸地の真ん中に高い山がある。そこに降った雪とか雨が全部地下に浸透し、川になる。その川が澄んでいたので、川魚も多かった。肉をほとんど食べてこなかった背景には、魚をたくさん食べることが因果的にあって、鍋の世界を豊かにしたのである。 さらに、日本の伝統的な調味料も日本に魚料理を色濃く定着させる要因となった。とにかく日本では、極端なことをいうと、醤油と味噌と鰹節のようなだしだけで用が足りる。鍋ものはいうに及ばず、煮物、焼き物、蒸し物、なんでもこれらの調味料で十分なのだ。 ところが外国では、スパイスといったら何十種類もある。肉をよく食べる民族は、魚の生臭みに弱いのでいろいろなスパイスが必用になってくる。このような調味料からの考え方も魚料理を身近にするか、ちょっと遠ざけるかを左右することになる。<魚食民族の知恵> 日本は世界一の魚食民族だと言ったが、魚を捕ることに関しても世界一である。 日本には貝塚遺跡がある。外国の遺跡と比べると、出土する魚の骨や貝の量がけた違いに多い。大昔からものすごい量を食べていたことがわかる。魚のいっぱい捕れるナポリの海岸の近くだとか、ノルマンディー周辺の遺跡を掘ってみても、魚の骨などは、日本と比べてもあまり出てこないという。日本だけが魚の骨が猛烈に出てくる。魚の捕り方が非常に上手だったということがいえるのだろう。 現在、一人当たりの昆布の消費量がいちばん多い都道府県は京都府と沖縄県が双璧である。京都は寺の町だ。寺では精進料理が主で、味つけの基本はだしをとることである。そのため昆布が大いに広まった。その昆布の産地は北海道で、まず日本海を船で南下し鶴賀や小浜に運ばれた。そこからいわゆる後世の鯖街道を通って京都に送られていたのだろう。『「味覚人」飛行物体』3:究極の熟酢(なれずし)『「味覚人」飛行物体』2:人間とサルの分かれ道『「味覚人」飛行物体』1:生のドングリが食べられるか この本も料理・食文化のインデックスR4に収めておくものとします。
2018.02.12
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