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図書館で『全身翻訳家』という文庫本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、映画好きで、世界の酒が好きな鴻巣さんが見えてくるわけで・・・いけてるでぇ♪【全身翻訳家】鴻巣友季子著、筑摩書房、2011年刊<「BOOK」データベース>より食事をしても子どもと会話しても本を読んでも映画を観ても旅に出かけても、すべて翻訳につながってしまう。翻訳家・鴻巣友季子が、その修業時代から今に至るまでを赤裸々かつ不思議に語ったエッセイ集。五感のすべてが、翻訳というフィルターを通して見える世界は、こんなにも深く奇妙でこんなにも楽しい。エッセイ集「やみくも」を大幅改編+増補した決定版。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、映画好きで、世界の酒が好きな鴻巣さんが見えてくるわけで・・・いけてるでぇ♪amazon全身翻訳家鴻巣さんが南アフリカのアパルトヘイトを語っているので、見てみましょう。p219~222<たがいの物語を聴く> 小説家・中島京子さんの紹介で、南アフリカ共和国のマクシーン・ケイスという新鋭作家の短篇を翻訳した。ケイスは、創作学科の名門アイオワ大学主催ので中島さんが出会った世界の作家の一人だ。ちなみに中島さんはIWPから帰国後、『小さいおうち』という長篇を書きあげ直木賞を受賞した。 大規模な反アパルトヘイト運動へと発展した「ソウェト蜂起」の起きた1976年、マクシーンはカラード(混血)の一家に生まれ、思春期までを人種隔離政策下ですごす。住居からバス、飲食店、トイレまで厳しく使用区域が分離され、彼女は幼心に自分たちが「二級市民」であることを肌で感じとっていたという。 しかし当時、政府の情報操作は徹底しており、各地で暴動の武力鎮圧や市民の虐殺が続いていることは、カナダの知り合いからの連絡で初めて知った。94年、マンデラが大統領になり、アパルトヘイトは撤廃されたが、16年がすぎた今も、南アの社会には過去の差別による深い亀裂が残る。 2010年夏、米国ハーバード大学のマイケル・サンデル教授による政治哲学講義が、日本でも話題になった。NHKの「ハーバード白熱教室」と題する番組で講義が放映され、その講義禄『これからの「正義」の話をしよう』は大ヒット。8月末、来日したサンデルによる東大での特別講義をわたしも聴講した。「ソクラテック・メソッド」と称する講義では、教師が一方的に教えるのではなく、聴講者に問題を問いかけて「対話」を重ね、学生同士で話し合いをさせる。議論を通じて実感を得ること、「腑に落ちる」ことが大切という。話が白熱したのは「共同体の前世代による過ちについて後世代は謝罪・償いの責を負うか?」というテーマの時だ。「日本は侵攻した東アジアの国々に今も謝罪すべきか」「現米国は広島・長崎の原爆被害者に償いの義務があるか」(中略) 特別講義から帰ったわたしはだれかと対話したくなり、夜更けに思い立って、南アのケイスに長いメールを書いた。サンデルと同じ質問をぶつけてみたのだ。 「マクシーン、今日は訊きにくいことをお訊きします。過去のアパルトヘイト差別によって黒人とカラードが被った損失に対して、今も、今後も、白人は謝罪と償いの責を負うと考えますか。それらを表するにはどんな方法が最良と思いますか?」 翌日届いた返信には、インフルエンザで寝込んでいるとの断り書きの後、こう書かれていた。 「ユキコ、南アの真実和解委員会は、アパルトヘイトの生んだ問題の数々に取り組んできました。公のレベルでは、涙ながらの謝罪があっり、赦しがあったけれど、そんなものは上っ面を軽く引っ掻いたにすぎません。現在も南ア社会では、不平等の多くが広範囲に残り、恵まれた側にいた多くは、アパルトヘイトが存在したことすら意識していない。 マンデラは故人レベルの小さな痛みは忘れようと言うけれど、公の大がかりな償いのジェスチャーがだれかの為になるのか。賠償を行なえば社会の亀裂を解決することができるのか。また現在、白人の多くが感じている逆差別をどうすべきか。答えは出ません。 でも私は、南アの中にある別な世界や、異国の異文化の中にいる人たちに、小説を通して自分が育ってきた文化を見せようと思う。どんな『異文化』にも良い面と悪い面があるけれど、たがいの物語を聴く気持ちがあるかぎり、個々人のレベルで心は癒され、考え方に変化が訪れると信じます」 前世代の過ちの当事者であった、今もそうである人の、毅然として対話に臨む姿勢に、机上の理論を超えた重みを感じつつ読んだ。ケイスは支配者であったイギリスの言葉、英語で作品を書く。アパルトヘイト下の暮らしを、差別や弾圧といった語の一切出てこない静かな日常の物語に昇華する。ある中年男性のささやかな夢と挫折。社会情勢からも人種の観点からも、何もかもが遠い世界の物語が、読み進めるうちに、他ならぬわたしのことを書いたものだと感じられるようになった。まさか何かが「腑」に落ちたのである。小説の普遍性、底知れぬ力に打たれた。『全身翻訳家』2:愛しの下高井戸シネマ『全身翻訳家』1:酒は深くて容赦がない
2018.08.31
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図書館で『全身翻訳家』という文庫本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、映画好きで、世界の酒が好きな鴻巣さんが見えてくるわけで・・・いけてるでぇ♪【全身翻訳家】鴻巣友季子著、筑摩書房、2011年刊<「BOOK」データベース>より食事をしても子どもと会話しても本を読んでも映画を観ても旅に出かけても、すべて翻訳につながってしまう。翻訳家・鴻巣友季子が、その修業時代から今に至るまでを赤裸々かつ不思議に語ったエッセイ集。五感のすべてが、翻訳というフィルターを通して見える世界は、こんなにも深く奇妙でこんなにも楽しい。エッセイ集「やみくも」を大幅改編+増補した決定版。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、映画好きで、世界の酒が好きな鴻巣さんが見えてくるわけで・・・いけてるでぇ♪amazon全身翻訳家鴻巣さんが映画を語っているので、見てみましょう。p116~119<愛しの下高井戸シネマ> うちの近くに「下高井戸シネマ」という名画座がある。というより、わたしは「下高井戸シネマ」の近所に住んでいる、と胸を張るべきだろう。 生まれて初めて映画を観たのは、もちろんここ。当時は名画座ではなく「下高井戸東映」という封切館で、「東映まんが祭り」などが来るときは、むこう三軒両隣の子どもたちがみんな、おとなに引率されて観にいったものだ。 木造平屋の建物は、文字通りションベン臭かった。いや、あのころはあたりの小路一帯がそうだった。現在ではきれいな地下道が通っているが、いまでもあそこを通ると、なつかしい臭いが鼻先をかすめる。 大入り満員の映画館で、目の前に立つおとなたちの隙間から、夢中で画面をのぞいたことをよく憶えている。「ドラえもん」の大活躍を立ち見で観る幼いわたしは、すこぶるご機嫌だった。 「下高井戸東映」はその後、京王系列の名画座になり、わたしはこの館からしばし遠ざかった。映画の世界にあこがれながら、いまはなき飯田橋の佳作座とか、いまだ健在のギンレイホールなどの「大」名画座に、『ぴあ』を片手に通った時期だ。いずれは字幕翻訳の仕事ができたらと漠然と考えることもあった。とはいえ、ときは70年代の後半。映画館で公開される「劇場映画」の洋画は、アメリカのハリウッド大作が主力だった。 他にはトリュフォー、ゴダール、フェリーニ、ヴィスコンティ、ベルトルッチ、ベイルマンなどのヨーロッパの芸術映画がいくらか入ってくるぐらいで、あとはポルノグラフィ。いまのようにインディ-ズ系の封切館が、イランやヴェトナムやアルメニアや世界各国の映画を次々とかけてくれることもなく、ビデオ/DVDで幅広く作品がしょうかいされることもなかった。 字幕翻訳の需要は非常にかぎられていたのだ。字幕翻訳者の活動の場はごくごく少なく、清水駿二をピラミッドの頂点に、戸田奈津子、菊池浩司、岡枝慎二ら数人の名前を聞くぐらいだった。 わたしが19歳で翻訳家になろうと決めたとき、文芸書の翻訳を選んだのは、次善の策といってはなんだが、ちょっとそういう部分もあったと思う。 高一のときだったか、高尚ぶってヴィスコンティ監督の「ルードウィヒ 神々の黄昏」を観にいったときには、痛い思い出がある。授業をサボって、初めて神田の岩波ホールに出かけたところ、いつも行く映画館となんだか雰囲気がぜんぜん違う。岩波ホールはたしか当時にしては珍しく完全入れ替え制で、高級な感じがただよい、同年代の客などひとりもいない。 それにしても、平日の午後にああいう芸術映画を観にきたおとなたちは、どういう人たちだったのだろう。昼寝に来たサラリーマンという風情ではなかった。いま思うに、神田界隈の出版社の編集者や、古書店主、大学の先生などのうるさ型ではなかったあろうか。そういうインテリゲンチャが椅子に深々と腰かけて、ことさら難しい顔で物思いにふけったり、本を読んだりしている。 彼らが読んでいた本に、わたしはまたあせるのだった。なにしろ、日本語の書物など見当たらない。冷や汗をたらしつつ、決死の思いで一瞥したところ、英語か、フランス語か、ドイツ語か、ロシア語のようである(たぶん)。ジロッとこちらを見た目が、「」と言っているようで、わたしはますます竦みあがった。(中略) やがて「下高井戸京王」が新装して白亜のマンションの二階に入ったときには、まさに度肝を抜かれた。さらに、その後ほどなくヘラルドの系列館として「下高井戸シネマ」になると、上映作品も変わり、文字どおり目も覚めるようなラインアップが組まれるようになった。 あのときの衝撃は忘れられない! うちのほんの近所で、ビクトル・エリセだ、パトリス・ルコントだ、ジム・ジャームッシュだ、アキ・カウリスマキだといった、都会の「単館封切り」でしか観られないような作品が、しかも毎日二本立てで上映されるという贅沢。わたしは毎月のタイムテーブルを見るだけでうっとりした。 だからしばらく後、経営難で閉館すると聞いたときには、おおいに泡を食った。結局、地元の後援を得て館が再建したいきさつは、ちまたでもわりと有名のようだが、わたしも救済運動のようなものに署名をし、再生した後は、映画館の会員になってもらうべく知人友人に頼んでまわったのだった。『全身翻訳家』1
2018.08.31
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図書館で『ツチヤ学部長の弁明』という本を、手にしたのです。ツチヤ教授の哲学的な著作はこれまで何冊か読んできたのだが・・・頭の中のコリが解けるようなツチヤ学部長(学部長に就任とのこと)のエッセイを見てみたいのです。【ツチヤ学部長の弁明】土屋賢二著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より教育崩壊、権威失墜、不可解な大学人事。青天の霹靂で学部長となった哲学教授は初めて忙しくなり社会的発言にも軽みを増す。お笑いエッセイ、上級者仕様。<読む前の大使寸評>ツチヤ教授の哲学的な著作はこれまで何冊か読んできたのだが・・・頭の中のコリが解けるようなツチヤ学部長(学部長に就任とのこと)のエッセイを見てみたいのです。rakutenツチヤ学部長の弁明2080年、ツチヤさんが亡くなったそうで、そのあたりを見てみましょう。p38~40<希望の星逝く> 2080年8月10日午後2時30分ごろ、哲学者でエッセイストの土屋賢二さんがトライアスロンをしている途中、車にはねられて死亡した。享年136歳。 痴情のもつれによる殺人の疑いがあり、警察では、車の運転をいていたミスユニヴァース日本代表の白鳥麗奈らさん(20)から事情を聴取している。 臨終の言葉は「この世界と女は理解できない」だった。離婚経歴8回、80歳を過ぎてからも数々の女性と浮名を流し、「世紀をまたぐプレイボーイ」と呼ばれた氏らしい最期だった。葬儀は質素にという故人の遺志で、8月13日、東京ドーム横の青空荘3号室で行なわれる。喪主は、最近の同棲相手、美人女優として知られるマリリン・ヘップバーンさん(21)。 土屋氏は1944年岡山県生まれ。子どものころからひょうきんな性格で、1歳のときにはすでに彼の名は家族中に知れ渡っていたという。小学校4年のころには、クラスの人気者となり、氏の絶頂期を迎えた。 その後、官僚を志して東京大学文科1類に入学したが、勘違いがもとで哲学の研究に転向した。後年、土屋氏は自伝『120年の人生はあっという間だった』の中で「わたしが官僚を断念したことにより、日本が救われた」と語っている。 東大助手を経て、お茶の水女子大学で哲学を教えることになったが、80歳のときに書いた自伝『80年の人生は長かった』では「学校嫌いのわたしが学校で人生を送ることおになるとは思わなかった。だが学校嫌いは最期まで治らなかった」と述懐している。 専門の哲学の分野ではパッとせず、2007年、大学改革にともない、大学教員の厳密な評価が実施された結果、大学を解雇され、以後、執筆活動に専念した。 土屋氏の執筆活動は、50歳のときのユーモアエッセイ集『われ笑う、ゆえにわれあり』を出版したときに始まる。氏のエッセイは、職場や家庭での苦しみを赤裸々に綴ったもので、同じ境遇にある少数の読者の共感と多数の人の反感を呼び、続編を何冊も出版したが、いずれも売れ行きは伸び悩んだ。すぐに絶版となったため、現在ではすべて入手不可能である。絶版になるたびに氏は出版界への批判を強めていった(『出版社も読者も見る目がない』参照)。なお氏の著書を出版した出版社は後にすべて倒産した。 大学を解雇されてからは、大学のあり方と教員評価のあり方への批判にまでエッセイの幅を広げ(『教員評価委員会のやつらも見る目がない』参照)、80歳になったころからは、老人軽視の風潮に警鐘を鳴らすことに務めた(『70歳以下の者にも見る目がない』参照)。百歳を過ぎてからは、『百歳を超えたら作家は引退すべきだ』全12巻を出版したのをはじめ、西埼玉ピアノコンクール年長者部門120歳超クラスで準優勝十回、シニアオリンピック130歳超の部で参加賞3回などの活躍で、老人の希望の星となっていた。(「文芸春秋」'00・12)ウーム 恥ずかしくなるような、臆面のカケラもない自惚れた自画像である。このような人を学部長に選んだお茶の水女子大学の行く末に、一抹の不安が感じられるのだが(笑)。『ツチヤ学部長の弁明』1
2018.08.31
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図書館で『ツチヤ学部長の弁明』という本を、手にしたのです。ツチヤ教授の哲学的な著作はこれまで何冊か読んできたのだが・・・頭の中のコリが解けるようなツチヤ学部長(学部長に就任とのこと)のエッセイを見てみたいのです。【ツチヤ学部長の弁明】土屋賢二著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より教育崩壊、権威失墜、不可解な大学人事。青天の霹靂で学部長となった哲学教授は初めて忙しくなり社会的発言にも軽みを増す。お笑いエッセイ、上級者仕様。<読む前の大使寸評>ツチヤ教授の哲学的な著作はこれまで何冊か読んできたのだが・・・頭の中のコリが解けるようなツチヤ学部長(学部長に就任とのこと)のエッセイを見てみたいのです。rakutenツチヤ学部長の弁明どっと力が抜けるような就任挨拶を、見てみましょう。p31~32<学部長に就任して> 学部長に選ばれたとき、わたしを知る人間は例外なく驚きました。中でも一番驚いたのはわたしです。「わたしは学部長を任されるほど信用できる男だったのか」と新鮮な驚きを覚えました。そして、自分でも気づいていないわたしの真価を同僚が見抜いたことにも、おどろかされました。わたしはこれまでうかつにも、自分がそれほど上品で優雅で責任感と良識と決断力と知性と操作性と撥水機能と自動ロック機能を備えたベッカム似の紳士だとは知らなかったのです。 しかし残念なことに、わたしの周囲の人間はまだわたしの真価に気づいていないようです。たとえば、ときどきシックなスーツに身を包んでも、学生が驚いたような顔で「どうしたんですか先生」と聞いてきます。イワシがスーツを着ているような目で見るのです。 しかし上品な紳士がスーツを着ることに何の不思議があるのでしょうか。だれにも知られていませんが、わたしは毎晩、パジャマの代わりにスーツで寝ているのです。 助手室でもそうです。学部長の威厳をこめて「おはよう」と声をかけても、助手は顔も上げずに「おあよおぐざあ」というだけです。学部長であることを忘れているのかと思って、咳払いをしても関心を示しません。現代が抱える大きい問題の一つは、若者が何事にも無関心無感動になっているということです。 周囲の無理解だけではありません。他の点でも生活は確実に劣悪になりました。趣味のジャズピアノを弾く時間もなくなり、ライブの回数も減らしました。電車で読む本にしても、以前のようにミステリーや哲学論文を読みながら居眠りするという余裕がなくなり、議事録や報告書を読みながら居眠りするようになりました。 学部長になってはじめて知ったのですが、学部代表で葬儀に参列するときの香典などは自腹で払うという話です。それを知ってからは、会う人ごとに、わたしの任期中は死ぬのをがまんしてくれ、と頼んでいます。 (お茶の水女子大学「学園だより」'03・2)この本もいしいひさいちの世界R4に収めるものとします。
2018.08.30
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図書館に予約していた『頼れない国でどう生きようか』という新書を、待つこと10日でゲットしたのです。『日本夢 ジャパンドリーム』という本の中でこの本に言及していたので、イラチな大使は即、図書館に予約していたものです。【頼れない国でどう生きようか】加藤嘉一, 古市憲寿著、PHP研究所、2012年刊<「BOOK」データベース>より拝金主義と相互不信が当たり前の階級社会、元祖「頼れない国」の中国。止まらない少子高齢化や財政赤字に苦しみ、「頼れない国」化が進行中の日本。両国での生き方について、同学年の二人が上海と東京で考え、議論し、自らの経験を語り合う。一時間で5000字の文章を書く国際コラムニストの加藤は「執筆前にはランニングで心身を整える。コンディショニングがすべて」と語り、気鋭の社会学者の古市は「自分には強い武器がないからポジショニングを重視している」と打ち明ける。さらに語学習得法や人脈の築き方、衣食住の話まで飛び出す異色対談。<読む前の大使寸評>『日本夢 ジャパンドリーム』という本の中でこの本に言及していたので、イラチな大使は即、図書館に予約していたものです。<図書館予約:(8/15予約、8/25受取)>rakuten頼れない国でどう生きようか第3章「どうすれば読まれる文章が書けるか」を、見てみましょう。p90~96■月25本の連載をどうこなすか古市:どのくらいの数を連載しているんですか?加藤:過去3年間連載コラムは、日中英合わせて月に25ぐらい書いてました。古市:締切が25回も来るという意味ですか?加藤:そう、月に25本ぐらい。そのうち10本が日本語、10本が中国語、5本が英語。結構きつかったですね。古市:すごい。僕は締切と言えるものは月に3回くらいしかないのですが、それでさえも連載にすると気が滅入るので、テーマを決めないで、書きたいことが見つからなかった月はスキップしてもいいようにお願いしたり。そんなに書くと、ストレス溜まりませんか?加藤:そこは自分なりにコンディショニングを整えていました。その後一定程度減らしました。アウトプットよりインプットを増やしたいですから。2012年9月現在、月20本まで減らしました。 理想的だなと思うのは、日本語一つ、英語一つ、中国語一つ。この三つの週刊連載で生活できる状態です。コラムの数で言うと月に12本。そうなればかなり余裕を持って執筆できる。パフォーマンスも上がると思います。古市:それでも普通の人からしたら、決して少ないとは言えない労働量ですよ。しかも原稿執筆以外にもいろいろやっているじゃないですか。そんなにたくさん仕事を抱えていて、嫌になりませんか?加藤:僕ね、こんなことを言うと、ちょっと傲慢に思われるかもしれないんですけど、根はけっこう真面目で、勤勉なので、どんだけ嫌でもできちゃうんです。無理矢理やっちゃう。古市:確かに月25回の締切を守れる人は真面目で勤勉です。全然傲慢じゃない(笑)。加藤:いや、無理矢理やったって意味ないんだから。やめればいいんだけど(笑)。そのへんがね、生真面目で。過度に重たいものを背負っているのかな。(中略)■語尾を少し色っぽくする古市:そういえば、さっき中国語の文章のほうが日本語で書くより速い、っていうようなことをおっしゃっていましたよね。加藤:ええ。僕にとって読みやすいのは日本語ですが、書きやすいのは中国語です。古市:それは、中国語のほうが仕事で使っている年数が長いから?加藤:やっぱり自分に合っている。古市:合っている?加藤:話しやすいのも中国語。中国語のほうが、パンパンパンとリズミカルに、クリアーに主張できて、筆も会話もはかどります。特に講演をする場合、僕は、中国語のほうがずっといいですね、リズムに乗れる。古市:僕も人と交渉や喧嘩をする時は、英語のほうがやりやすいなあとは思いますね。英語だと「あなたの考えには全く同意できません」とか平気でいえるから便利。 リズムといえば、文章を書くときに気をつけていることはありますか?加藤:話の入り方、最後のひと言、エピソードの使い分け、そういったものがうまく流れればリズムのいい文章になりますよね。僕の場合、外国語の習得と同じように、いいなと思った記事をまねています。まねると言っても、文体、構成、切り口など、いろんな観点があって、たくさんの文章からそれぞれのいい部分をまねて、最終的に自分なりのものになるよう試行錯誤していく感じかな。古市:加藤さんって、ほんと努力家なんですね。加藤:そうなんですよ、わかってもらえましたか(笑)。『頼れない国でどう生きようか』2:第2章「使える情報をどう集めるか」続き『頼れない国でどう生きようか』1:第2章「使える情報をどう集めるか」
2018.08.30
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図書館に予約していた『頼れない国でどう生きようか』という新書を、待つこと10日でゲットしたのです。『日本夢 ジャパンドリーム』という本の中でこの本に言及していたので、イラチな大使は即、図書館に予約していたものです。【頼れない国でどう生きようか】加藤嘉一, 古市憲寿著、PHP研究所、2012年刊<「BOOK」データベース>より拝金主義と相互不信が当たり前の階級社会、元祖「頼れない国」の中国。止まらない少子高齢化や財政赤字に苦しみ、「頼れない国」化が進行中の日本。両国での生き方について、同学年の二人が上海と東京で考え、議論し、自らの経験を語り合う。一時間で5000字の文章を書く国際コラムニストの加藤は「執筆前にはランニングで心身を整える。コンディショニングがすべて」と語り、気鋭の社会学者の古市は「自分には強い武器がないからポジショニングを重視している」と打ち明ける。さらに語学習得法や人脈の築き方、衣食住の話まで飛び出す異色対談。<読む前の大使寸評>『日本夢 ジャパンドリーム』という本の中でこの本に言及していたので、イラチな大使は即、図書館に予約していたものです。<図書館予約:(8/15予約、8/25受取)>rakuten頼れない国でどう生きようか第2章「使える情報をどう集めるか」の続きを、見てみましょう。p56~63■丸で囲む、星マークを使う、ページを折る古市:本に敬意を抱かないといえば、僕は本を読むときにはすごくたくさん赤字を入れます。日本の図書館の本ではそれができないので、どうしたって本をたくさん買うことになるわけですけど。加藤:もちろん自分で買った本にですが(笑)、僕も書き込みはかなりするほうです。古市:重要なページの端っこを三角に折りながら。加藤:それ、一緒。だけど、古市さんの折り方は、その僕が見ても丁寧で繊細だと思う。性格の違いなのか、僕はもっとバーンと折ります。古市:いやぁ、丁寧かなあ。とりあえず、比較的すぐに使うことになりそうな情報のあるページの端は折って、今回の対談に関係あるといった、すぐ使う箇所には星マークをつける。加藤:あ、僕も星マークを使う。古市:あとは、そのとき考えているテーマに引っかかる文章に線を引いていく。端を折るのが一番上、次に星、そしてただの線と、情報にランク付けをしています。加藤:僕は、おもしろかったセンテンスに線を引く。大事だと思った段落はまるごと線で囲む。 あとで使いたい名詞には丸をつけることが多い。絶対に使うものには星マーク。古市:重要な人名は四角、大事な固有名詞は丸で囲んでいます。加藤:紹介されているおもしろそうな本の書名も、丸をくるっとね。古市:そう、本とかも囲む。あと、大事だけれども星マークまで重要性がない箇所には、波線を引いたりしている。僕は同じ本を二回読みたくないんですよ。時間の無駄だから。だから後から必用な情報を取り出すときに、最短の時間で済むようにいろいろ書き込みをしています。■どんな雑誌を読んでいる加藤:本については、読むスピード以外はだいたい一緒ですね。雑誌はどうですか。定期的に何を読んでいる?古市:『週刊読書人』という業界紙で1ヵ月ぶんの論壇誌を読むコーナーを持っているので、いわゆる論壇誌は嫌々ですが読んでいます。 ほかは雑誌だと何かな? よく買っている週刊誌は日本語版の『ニューズウィーク』、月刊誌だと『クーリエ・ジャポン』あたり。『東京グラフィティ』という、ひたすら東京の若者のストリートスナップや個人情報を掲載している雑誌も好きです。英語版の『The Economist』は、テーマによってiPadで購入していますね。加藤:僕は日本に帰ってきたときは、『文芸春秋』や『Voice』などの論壇誌を読んでいます、自ら進んでね(笑)。欧米の雑誌は空港とかでよく買います。例えば、アメリカの隔月発行誌『Foreign Affairs』。『The Economist』、『TIME』や『Newsweek』も買う。北京大学や上海復旦大学付近の新聞スタンドで売っていて、学生もみんな進んで読んでいます。彼らにとって英語で読むことがステイタスになっている。(中略)■新聞は毎日読む意味ない加藤:情報源として、新聞はどうですか。古市:新聞は取っていません。毎朝ゴミが送られてくるようなもんですから。加藤:ユニークな表現だ。古市:だって新聞って紙で来るんですよ。せめて「消える紙」とかならいいんですけど。そもそも、どこかで通り魔事件がおころうが、指名手配犯人が捕まろうが、日本人の99%以上には直接関係がないわけじゃないですか。少なくとも僕にはまったく関係のない記事がほとんどで、それを定期購読する理由がわからない。加藤:しかも、どの新聞を見ても同じニュースが同じように並んでいる。古市:そう。視点が同じっていうか、見方の提示があまりないんですよね。一つ一つのニュースに関する事実関係の説明はすごく細かい。どこの新聞を読んでも同じようにわかる。だけど、それをどう読み解くか、専門的な意見はほとんどない。だから、新聞は毎日読む意味がないというか、事実確認のデータにしか使っていないですね。 もちろん中高年を中心に新聞が必要な人はたくさんいますし、「時代の空気」を記録する媒体として、情報量と信頼性から考えて新聞以上のものはないでしょう。だけど、新聞が今のスタイルをとり続ける限り、中高年と共に役割を終えかねないと思っています。加藤:ジャーナリストたちはたくさんのことを知っているのに、記事には平板なことしか書かないんですよね。一方で学者さんたちは、専門外のことまで発言して浅い話になっちゃうケースが多いみたい。古市:ただ、僕もテレビに出るときは、結局、噛み砕いちゃっているからな。もっと難しく言ってもいいのかなと思いながら、なかなかそれができない。加藤:ネットの新聞、ニュースサイトも見ないんですか?古市:たまに見るぐらいです。ツイッターやフェイスブックで信頼できる人たちのリンク経由で。ただノルウェーのニュースはちょくちょくチェックするようにしています。そんな日本人はあまりいないだろうから、ある程度のアドバンテージになるかも、と。一般的なニュースサイトを自分から一通り見るということは、まったくないですね。加藤:僕はね、ウェブでニュースをたくさん読んでいますよ。開くサイトは日によっていろいろですが、英語では米ニューヨークタイムズ、米ワシントンポスト、英フィナンシャルタイムズ、英ロイター、仏AFPなど。あと、香港のサウスチャイナモーニングポスト。英エコノミスト、米タイム、米ニューズウィーク。このぐらいですかね。 日本語で読んでいるのは、日経、朝日、読売、産経、ダイヤモンドオンライン、日経ビジネスオンライン、JBプレス。あと、サンスポとかも一応、見る。スポーツ好きだから。『頼れない国でどう生きようか』1
2018.08.30
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<お役所仕事といえば>ニッポンのお役所仕事といえば、昨今では「Too Little, Too Late」という言葉に代表されるようにかなり残念なシステムとなっています。(少子化対策が特にひどいが)大使は、かつて異動があり2年間の特殊法人を経験したので、お役所仕事のノウハウが身に染みているのです。…で、ここで「お役所仕事のノウハウ」を一部披露します。毎年、夏場の概算要求シーズンともなれば大蔵省まで出向き・・・通産省の担当官(特殊法人の上級機関)が横で控えている中、新規事業の必要性、公共性なんかについて大蔵省の担当官にご進講するわけです。これがまさに概算要求の「小さく生んで、大きく育てる」極意であります。新規事業を民間に委託する場合は、ヒモなし入札が原則であるが、例外的に随意契約もあるわけです。随意契約とする場合は、委託先の唯一妥当性が問われるのは当たり前のことです。大使は会計検査院による会計検査も体験したので、「委託先の妥当性」の説明などは任してチョウダイ、得意中の得意でおます♪お役所仕事においては、無謬性と整合性などが最優先されるわけで…結果としてToo Lateにならざるを得ないのです。これでは中国の一帯一路に勝てるわけないですね。先日(27日)のNHK報道で、文科省官僚と大学関係者との贈収賄シーン(裏口入学)の会話録音が流れたが・・・まさに「おぬしもワルよのう」な会話でしたね。2年間の特殊法人生活では、政治家への忖度までは体験する機会はなかったけど…刑務所の塀の上を歩くバランス感覚は、何となく掴んだような気がするのです。しかしまあ、政治家に忖度した官僚が政治家によって梯子を外されて、犯罪者扱いをを受けるとは…バランス感覚もへったくれもない、生き馬の目を抜くような所業である。「おぬしもワルよのう」については官僚接待の生音声が明らかにする「霞が関ブローカー」の実態に詳しく出ています。
2018.08.29
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図書館で『全身翻訳家』という文庫本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、映画好きで、世界の酒が好きな鴻巣さんが見えてくるわけで・・・いけてるでぇ♪【全身翻訳家】鴻巣友季子著、筑摩書房、2011年刊<「BOOK」データベース>より食事をしても子どもと会話しても本を読んでも映画を観ても旅に出かけても、すべて翻訳につながってしまう。翻訳家・鴻巣友季子が、その修業時代から今に至るまでを赤裸々かつ不思議に語ったエッセイ集。五感のすべてが、翻訳というフィルターを通して見える世界は、こんなにも深く奇妙でこんなにも楽しい。エッセイ集「やみくも」を大幅改編+増補した決定版。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、映画好きで、世界の酒が好きな鴻巣さんが見えてくるわけで・・・いけてるでぇ♪amazon全身翻訳家いける口の鴻巣さんが酒を語っているので、見てみましょう。p96~98<酒は深くて容赦がない> 朝の8時すぎだったろう。ダブリンの街角にあるB&Bを引き払ってきたわたしは、サンディコープに向かおうとしていた。ジェイムス・ジョイスという大作家の足跡を追うのに夢中だった21歳のころ。サンディコープには「マーテロタワー」と呼ばれるジョイスのの寓居跡がある。ところが、海沿いを走るダート南沿線に乗る手前でもう迷ってしまった。 いつしか入りこんだ辺りはひと気もなく、ごみが雑然と散らかった、風紀良からぬ一角。どこからか人影が現れ、地図片手のわたしは藁にもすがる思いで道を尋ねた。 「おう、それならそこの小路を行って大通りに出て・・・」訛りの強いアイリッシュ英語で半分しか聞き取れない。最後に、「ところで怪我しちまったんで病院代貸してくれねぇか?」と、ごく当然のように付け足した。相手の顔をよく見れば、目の上が腫れあがり、シャツははだけ、呼気が酒臭い。夜の酒場で飲みすぎて喧嘩して朝帰り? アイルランド文学に憧れるわたしにとって、それは絵に描いたようなアイルランドの酒飲み男だった。 アイルランド文学といえば酒だ。飲むこと、飲むこと。ジョイスの『ユリシーズ』でわたしが最初に覚えたのはアブサンだったが、当時は高級スーパーにでも行かないと手に入らなかった。それでアイリッシュ・ウィスキーに凝り、まずは定番中の定番ジョン・ジェイムスンを飲みだした。 ジェイムス・ジョイスと語呂が似ているから惹かれたのだろうが、ジョイス自身も『フィネガンズ・ウェイク』執筆に行き詰まったとき、畏友の詩人ジェイムス・スティーヴンズと二人の共作にして、「JJ&S」名義で本を出そうと持ちかけたという話がある。JJ&Sは酒造名「ジョン・ジェイムスン&サンズ」のもじりだ。 ジェイムスンの出てくる名作といえば、ウィリアム・トレヴァーの短篇集『アイルランド・ストーリーズ』の「聖人たち」を思い出さずにいられない。 冒頭で、かつて愛したメイドが危篤との報せが入る。今「わたし」は69歳、彼女ジョセフィンは78歳。「わたし」は移住したイタリアの田舎町から、昔暮らしたコークにある修道会病院へ、列車や飛行機を乗り継いで向かうのだが、最初から最後まで殆んどずーっと酒を飲んでいる。(中略) イタリアではワインしか飲まないという彼は、パリへの夜行列車でもカステロ・ディ・ブローリオ(キャンティクラシコ)を「1リットル」飲んで、コーヒーとグラッパを注文する。ところが、飛行機でアイルランドが近づいてくると、初めておずおずと「そうだな・・・ウィスキーを少し」と乗務員に頼むのだ。出てきたのはもちろんジェイムスン。それまでの彼は異郷で異郷の酒をあおりながら、どんな思いで暮らしてきたのか。そうしたことは一切書かれない。ただ、彼の胸に懐かしい感情が去来する。 しかし彼はコークに着くと、今度はなにか追いつめられたかのように、またジェイムスンを飲む。かつて彼らは凄惨な内戦でなにを経験したのか・・・。 ジョセフィンの息があるうちに間に合ったものの、もはや会話は通じない。彼女の生涯についてわかったのは、彼がコークを去ってすぐ入院し、そこで聖人のよに崇められて過ごしたことだけだ。彼はまた飲む。葬儀までのあいだ酔いつぶれるまで飲む。何を飲んだとは書いていないが、ジェイムスンに決まっている。 コークを発つ彼は「アイルランドを離れられると思うと心が躍った」と言い、イタリアに戻るとさっそくワインを開ける。よそ者の独居老人である彼は、「結局は自分のものではない」国の田舎町のテラスで、故郷の家とジョセフィンを思い、やがてワインの鮮やかな夢に包まれて泣きながら寝入る。 ジェイムスン、苦くて温かい酒だ。カステロ・ディ・ブローリオ、優しくて残酷な酒だ。場面によって酒が変わる。酒によって追憶の光景が変わるというべきか。名編である。
2018.08.29
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図書館で『不吉な黄昏(シンガポール陥落の記録)』という本を、手にしたのです。英国人ジャーナリストが見たシンガポール陥落がドキュメンタリー風に記録されているが・・・冒頭におよそ77年前のシンガポールの日常生活が描かれていて、興味深いのです。【不吉な黄昏(シンガポール陥落の記録)】ノエル バーバー著、中央公論社、1995年刊<「BOOK」データベース>より日本軍は開戦70日にして、英国極東戦略の要衝シンガポールを陥れた。英国民がその不敗を信じて疑わなかった要塞が、なぜかくも脆く、かつ速やかに陥落してしまったのか。著者は、関連する膨大な記録と資料を渉猟するとともに、同地での戦争を体験した人々にインタビューを行ない、本書にこの疑問の回答を示している。文庫オリジナル版。<読む前の大使寸評>英国人ジャーナリストが見たシンガポール陥落がドキュメンタリー風に記録されているが・・・冒頭におよそ77年前のシンガポールの日常生活が描かれていて、興味深いのです。amazon不吉な黄昏(シンガポール陥落の記録)「第2章 開戦の日」で12月8日が語られているので、見てみましょう。p41~43<12月8日、月曜日> シンガポールが寝静まっていた御前1時15分きっかりに、総督、サー・シェントン・トマスは電話のベルで目を覚ますと、眠けはいっぺんで消し飛んでしまった。マラヤ軍総司令官、A・E・パーシバル中将がフォートカニングにある陸軍総司令部から、その声に興奮と緊迫感を滲ませて、日本軍がタイ国境に近い東海岸の町、コタバルにおいて上陸作戦を開始した旨、総督に告げたのである。 「ふーむ」シェントン・トマスはそれに答えて言った。「あんなちんぴらどもなんか、どうせ貴官が追っ払ってくれるんでしょう」そのあと、なおもパジャマ姿のままで、総督は緑色の専用直通電話の受話器を取り上げると、警察に対して、かねてから立案されている日本人男子一斉検挙の開始を命じた。トマスは次に夫人と使用人たちを呼びお越し、コーヒーを頼んでから、部下の植民局長へ指示事項を急報して、待機するよう通告した。 彼が大急ぎでズボンと開襟シャツに着替えたのは、更に他の数部局の長たちへ電話したやっとそのあとのことで、その間に夫人が、このところたび繁く所望されるコーヒーをいれると、二人はそれを、総督官邸の二階にあって、ふだん朝食の場所になっている広大なバルコニーで、ゆっくりと賞味した。 この場所で、夫妻はしばらくのあいだ、二人にとって最後となった平和なシンガポールの夜景を楽しんだ。総督官邸は高台に建っているので、バルコニーからの眺望は実にすばらしい。しかも、夫妻はそこで明るい月光の下に座していたから、光り輝く大きな港と市街がその眼下に拡がっていて、さながら古風でいくらか不鮮明な、灰色のエッチングを眺めているようだった。街路の灯火が暑い夜空の下に輝いているし、都心の方向には、キャセイ・ビル(当時はシンガポール唯一の超高層建築)のシルエットと、それよりも明るい灯火の輪の中にある白亜の政庁官営とを、はっきりと見分けることができる。そして、その彼方では、数十隻の大小さまざまな船舶が群がっている静かな港の上空に、月が皓々と輝いていた。 この熱帯の深夜に、それはまことに美しい眺めであった。そして、たとえどちらか一人の胸の中に、何か不安が秘められていたにしても、二人はひと言も口にしなかった。やがてコーヒーを飲み終えると、総統は夫人へ、寝室に戻るようにと言った。一夜明ければ慌しい日になりそうだったが、戦場がまだ600キロの彼方である以上、こんな時刻にやれることなど、誰にとっても、何一つあるはずはなかった。(中略) シンガポールは眠りに包まれたままだったので、深夜のこの時刻、総督として実際にやれることはもう何もなかった。街の眠りを破ってまで住民に警告を発するのは、まず無理だった。なんと言っても、日本軍の総勢は600キロも離れたコタバルにあり、しかも、夜明けまでに海上に撃退される公算が十分にあったからである。その上、彼の置かれた立場はいささか矛盾があった。 つまり、総司令官という名目上の地位こそ与えられていたものの、同様の敬称を奉られていた国王と一緒で、彼には軍事上の権限が全くなかったのだ。仮に独断で行動を起こしたとすれば、当時、実質的な支配者に生り上がっていた軍部から、極度の不評を買うのは目に見えていた。 ベランダの下から、月光を浴びた芝生がしきりに差し招いているような気がしたので、シェントン・トマスは豪華な幅広い階段を静かに降りると、それに劣らず壮麗な玄関を通り抜けて、官邸正面の芝生へとゆるやかに歩を進めた。彼がまだ花壇の間をそぞろ歩きしているとき、午前4時になって、またしても電話が鳴った。 空軍を指揮するC・W・H・パルフォード空軍少将が、総督を呼び出したものである。彼の報告もパーシバルのときと同様に簡潔で、しかも戦慄すべき内容であった。敵航空機群がシンガポールへ接近中であり、すでに市街地から40キロ以内に迫っているというのだ。これでは総督にとって、最初の爆弾が落下炸裂したちょうど4時15分までに、港湾局と防空警護団へ電話連絡する時間的余裕は、ほとんどなかったことになる。
2018.08.29
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図書館に予約していた『頼れない国でどう生きようか』という新書を、待つこと10日でゲットしたのです。『日本夢 ジャパンドリーム』という本の中でこの本に言及していたので、イラチな大使は即、図書館に予約していたものです。【頼れない国でどう生きようか】加藤嘉一, 古市憲寿著、PHP研究所、2012年刊<「BOOK」データベース>より拝金主義と相互不信が当たり前の階級社会、元祖「頼れない国」の中国。止まらない少子高齢化や財政赤字に苦しみ、「頼れない国」化が進行中の日本。両国での生き方について、同学年の二人が上海と東京で考え、議論し、自らの経験を語り合う。一時間で5000字の文章を書く国際コラムニストの加藤は「執筆前にはランニングで心身を整える。コンディショニングがすべて」と語り、気鋭の社会学者の古市は「自分には強い武器がないからポジショニングを重視している」と打ち明ける。さらに語学習得法や人脈の築き方、衣食住の話まで飛び出す異色対談。<読む前の大使寸評>『日本夢 ジャパンドリーム』という本の中でこの本に言及していたので、イラチな大使は即、図書館に予約していたものです。<図書館予約:(8/15予約、8/25受取)>rakuten頼れない国でどう生きようか第2章「使える情報をどう集めるか」のあたりを、見てみましょう。p52~54■図書館で借りた本に線を引いていい加藤:古市さんの著書を拝読して、すごい物知りだなと思ったのですが。古市:そんなこと全然ないですよ。 加藤:アニメから若者の行動心理まで、いろんなところを見ている。ああいった知識はどういうふうにして自分のものにしているんですか?古市:一番多いのは口コミですね。ただ口コミといっても、僕の周りには第一線で活躍する研究者とか、業界の事情をよく知るビジネスマンとか、希少価値の高い情報を持っている人が多いんです。だから口コミといっても、ただの井戸端会議とは違う。あとはやっぱり本が情報源になりますね。書中で紹介されている参考文献をどんどん辿っていく。 加藤:古市さんは本をどのくらい買うんですか?古市:活字の本だけで月に30~40冊くらいかな。 加藤:結構多いですね。古市:図書館に行く習慣がないので、それなりの冊数は買います。 加藤:そうですか。図書館を使わないのは、なんで?古市:図書館で本を借りても、必用なところは、結局、自分でコピーいないといけないんで。線を引きながら本を読みたいんです。だから時間の節約ですね。中国の図書館には、本をまるごとコピーしてくれるサービスがあるって聞いたんですけど。加藤:コピーもいますが、みんなふつうに線を引いてますよ。古市:ん?加藤:図書館で借りた本に線を引いていいんですよ、中国では。古市:引いていい?加藤:いい。公共のものですから。古市:公共のものに引く線はプライベートなものでは。加藤:ああ、だからね、中国と日本では、プライベートとパブリックの概念がまったく逆なんです。これは公共物だから、俺のものじゃないから、好き勝手にやらせてくれよ。それが今も生きる中国人の発想。古市:へぇー、それがパブリックなんだ。面白い。■一番必用なものだけを読み取ろうとする加藤:日中比較論はあとでやるとして、大量に買った本を読む時間はどうしていますか。1冊の本をどのくらいで読む?古市:たとえば、加藤さんが書いたこの『北朝鮮スーパーエリート達から日本人への伝言』は、ちゃんと読んだので1時間くらい。新書をていねいに読んで1時間ですね。加藤:速い。僕にはありえない。古市:いや、まあ。加藤:僕は新書で5時間かかる。けっこう一文字一文字、追いながら読むから。古市:僕は、四行ぐらいをいっぺんに読んで、そのあと頭の中で文章化していきます。いくつかのキーワードが同時に目に入ってくるので、それを文脈に合わせて再構築していくイメージですね。だから全部の文章をきちんと読むというよりは、必用な箇所を「検索」するための読み方です。それで大事な箇所を見つけたら、そこはきちんと一行ずつ読む。加藤:ああ、それわかる。できないけど、わかる(笑)。『日本夢 ジャパンドリーム』4:日本夢について(続き)『日本夢 ジャパンドリーム』3:日本夢について(続き)『日本夢 ジャパンドリーム』2:日本夢について『日本夢 ジャパンドリーム』1:“中国時代”はなぜ“米国世紀”を淘汰するのか?
2018.08.28
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「辺境」でしょうか♪<市立図書館>・頼れない国でどう生きようか・不吉な黄昏(シンガポール陥落の記録)・全身翻訳家・ツチヤ学部長の弁明・貧困世代<大学図書館>・(今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【頼れない国でどう生きようか】加藤嘉一, 古市憲寿著、PHP研究所、2012年刊<「BOOK」データベース>より拝金主義と相互不信が当たり前の階級社会、元祖「頼れない国」の中国。止まらない少子高齢化や財政赤字に苦しみ、「頼れない国」化が進行中の日本。両国での生き方について、同学年の二人が上海と東京で考え、議論し、自らの経験を語り合う。一時間で5000字の文章を書く国際コラムニストの加藤は「執筆前にはランニングで心身を整える。コンディショニングがすべて」と語り、気鋭の社会学者の古市は「自分には強い武器がないからポジショニングを重視している」と打ち明ける。さらに語学習得法や人脈の築き方、衣食住の話まで飛び出す異色対談。<読む前の大使寸評>『日本夢 ジャパンドリーム』という本の中でこの本に言及していたので、イラチな大使は即、図書館に予約していたものです。<図書館予約:(8/15予約、8/25受取)>rakuten頼れない国でどう生きようか【不吉な黄昏(シンガポール陥落の記録)】ノエル バーバー著、中央公論社、1995年刊<「BOOK」データベース>より日本軍は開戦70日にして、英国極東戦略の要衝シンガポールを陥れた。英国民がその不敗を信じて疑わなかった要塞が、なぜかくも脆く、かつ速やかに陥落してしまったのか。著者は、関連する膨大な記録と資料を渉猟するとともに、同地での戦争を体験した人々にインタビューを行ない、本書にこの疑問の回答を示している。文庫オリジナル版。<読む前の大使寸評>英国人ジャーナリストが見たシンガポール陥落がドキュメンタリー風に記録されているが・・・冒頭におよそ77年前のシンガポールの日常生活が描かれていて、興味深いのです。amazon不吉な黄昏(シンガポール陥落の記録)【全身翻訳家】鴻巣友季子著、筑摩書房、2011年刊<「BOOK」データベース>より食事をしても子どもと会話しても本を読んでも映画を観ても旅に出かけても、すべて翻訳につながってしまう。翻訳家・鴻巣友季子が、その修業時代から今に至るまでを赤裸々かつ不思議に語ったエッセイ集。五感のすべてが、翻訳というフィルターを通して見える世界は、こんなにも深く奇妙でこんなにも楽しい。エッセイ集「やみくも」を大幅改編+増補した決定版。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、映画好きで、世界の酒が好きな鴻巣さんが見えてくるわけで・・・いけてるでぇ♪amazon全身翻訳家【ツチヤ学部長の弁明】土屋賢二著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より教育崩壊、権威失墜、不可解な大学人事。青天の霹靂で学部長となった哲学教授は初めて忙しくなり社会的発言にも軽みを増す。お笑いエッセイ、上級者仕様。<読む前の大使寸評>ツチヤ教授の哲学的な著作はこれまで何冊か読んできたのだが・・・頭の中のコリが解けるようなツチヤ学部長(学部長に就任とのこと)のエッセイを見てみたいのです。rakutenツチヤ学部長の弁明【貧困世代】藤田孝典著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より学生はブラックバイトでこき使われて学ぶ時間がない。社会人は非正規雇用や奨学金返還に苦しみ、実家を出られない。栄養失調、脱法ハウス、生活保護…彼らは追いつめられている。<読む前の大使寸評>追って記入amazon貧困世代************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き325
2018.08.28
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ジャック・アタリさんへのインタビュー <2030年未来予想図> 経済学者・思想家のジャック・アタリさんがインタビューで「国家のみ込む市場、「私が一番」の米中、友好国も容赦せず」と説いているので、紹介します。(8/25朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)20世紀以降、英米、米ソ、米中と2大国の関係が世界情勢を左右してきた。一方で市場のグローバル化に伴い、国家の力は弱くなってきている。保護主義が台頭し、北朝鮮の非核化が焦点となる中、日本や欧州は両大国とどうかかわるべきか。数々の予言を的中させてきたジャック・アタリさんに、2030年の未来予想図を聞いた。Q:数々の「未来」を予測してきました。A:06年に米国の住宅向け融資『サブプライムローン』の危険性を指摘し、翌年、実際に世界金融危機が起きたことが、よく引き合いに出されます。07年6月にiPhone(アイフォーン)が発売される前に、世界を自由に横断する『ノマド』が持つ情報発信機器として『オブジェ・ノマド』の普及を予測し、スマートフォンの大衆化を言い当てたとも言われました。Q:最近出版された「新世界秩序」(作品社刊)では、30年の世界像を描いています。A:世界のGDP総額は現在の2倍になり、地球上の総人口は15%増え、85億人に達します。うち70億人が携帯電話を持っているでしょう。大国はライバルを圧倒するのに手いっぱいで、自国の利益のためだけに立ち回り、市場のグローバル化が国家をのみ込みます。国境を越えた不正行為が増え、麻薬や売春などの犯罪経済が世界のGDPの15%を超えることでしょう。それは破局に直面し、無政府化とカオス化が進んだ世界です。Q:なぜ、そんな状況に。A:最も憂慮すべきは、最近の米国の関税攻勢に見られるような保護主義です。現政権は極端に走りがちなのが気がかりです。例えば、赤字の発生源だからと日本車の輸入自体を禁じるような……。保護主義が行きすぎると、世界経済は破局へ至ります。中国は歯車が破局へと自転しないよう、賢明な対応をしていると思います。日本と欧州は、共通の危機にさらされていると指摘しておきます。Q:どんな危機ですか。A:米中の2大国に加え、ロシアやインドなど近未来の大国は、友好国にすら容赦しなくなります。日本と欧州は、資本や高い技術を持ちながらも、守勢に立たされがちです。企業買収や技術移転などを通じ、悪い表現ですが『生き血を吸われる』危険がある。それを防ぐには、以前よりも多様化した同盟関係を結ぶ必要があります。 現代の市場が『ミー・ファースト』(私が一番)の原理で動いていることに、この傾向は起因します。市場は、本来なら『お客様が一番』のはずですが、実態は逆になっている。競争や宣伝で『私が一番』を唱えるありようは、ポピュリズムの原理と通底します。地球規模で利己主義と利他主義、つまり『自分の幸せのために』と『他人の幸せのために』という価値観がせめぎ合っています。Q:英国が欧州連合(EU)からの離脱を決めた際、「一国なら良くなる。まずは自国から」「昔はよかった」という考え方は短絡的で誤っていると批判しました。A:ミー・ファーストにも通じる考えですが、根底には『未来を恐れる』心情があります。米国も日本も同じ傾向にあります。誰でも昔は若かったし、時間もあった。でも懐古的で内向きな心情に浸る傾向は、望ましくありません。 ■ ■Q:現在の世界情勢と1910年代の類似性も指摘しています。A:本当にすごく似ています。10年代は、技術発展の時代でした。エレベーター、ラジオ、自動車、電力など、現在の私たちの生活の基盤を形作るものが続々と発明され、普及しました。これらの技術を背景に、強力なグローバリゼーションが進みました。ロシアや中国などで急激に民主化運動が広がったのもこの時期です。 そして反動が来ました。07年に米国で金融恐慌が起き、14年に第1次世界大戦が始まるまでの間、テロリズムやニヒリズムが広がり、保護主義とナショナリズムが台頭します。そして2度の大戦を経て冷戦が終結に至るまで、75年もの圧迫の時代に世界は突入してしまった。現在も急激な技術発展とグローバリゼーションが進む一方で一国主義や懐古趣味が広がっている。危険な兆候です。Q:以前、東シナ海や南シナ海での「日米対中国」の構造は大きな軍事的火種だと指摘しました。A:いま世界で一番リスキーなのは、米中のライバル関係です。北朝鮮への対応をめぐり、両国間に何かが起こる危険がある。ただ、強調しておきますが、中国は戦争を望んでいません。彼らが最も求めているのは『尊重されること』です。彼らの軍事力が米国に肩を並べるのは、2030年ごろだと私はみています。それまで中国は戦争を回避し続けるでしょう。 ■ ■Q:6月の米朝首脳会談は、緊張緩和に役立ったのでは。A:現時点では、何らかの成果をもたらしたとは言えません。最も重要なのは非核化の実現ですが、現在、その兆候は希薄です。このままだと米国は成果を求め、強硬手段に訴える危険性がある。10~11月ごろに、北朝鮮の核廃絶の意思が本物か否かが見えてくるでしょう。この時期が東アジアにとって、非常に重要な局面になると考えています。 米国の政策のまずい点は、間違った認識の上に成り立っていることです。例えば、旧ソ連の崩壊は、米国が考えている『経済制裁の成果』ではなく、ゴルバチョフが民主化を望んだからなのです。もし彼が民主化を嫌っていたら、ソ連という国は今も存在しているはずです。ベネズエラやキューバや北朝鮮も同じです。経済制裁は一層、非効率的な手段になりました。当時ソ連を支援した国は皆無でしたが、今は北朝鮮を中国が支えるでしょう。米国が北朝鮮やイランへの経済制裁が不首尾だったと判断すると、年末ごろ、強硬手段に訴える可能性があります。Q:日本の役割は。A:朝鮮半島の非核化に向け世界にキャンペーンを張るべきです。北朝鮮の核保有を許したら、イランや他の国の核保有を止められるでしょうか。日本は世界で唯一、核兵器の惨禍を体験した大義名分を持ちます。米国との協調も重要ですが、もっと幅広い回路を駆使し、持てるすべての外交力で、半島の非核化を目指すべきです。 NATOを発展させた組織への参加も、日本は検討するべきです。大西洋から環太平洋へと市場の中心が移動するなか、日本とNATOが同盟を結ぶのは、価値があります。米国も日本が他の相手と同盟するよりは受け入れやすいでしょう。30年後、欧州は共通の軍隊を持っているか、欧州自体がなくなっているか、そのどちらかだと私は考えています。日本と今以上の親密なパートナー関係を築くことは、双方にとって長期的に重要な課題だと思っています。 ■ ■Q:市場の中心が環太平洋に移動したとのことですが、東京は。A:世界経済の核となる『中心都市』は13世紀のベルギー・ブリュージュに始まり、8番目が1929~80年のニューヨーク、80年代以降はロサンゼルスというのが、私の持論です。東京は9番目の中心になる機会がありながら、逸しました。金融や官僚組織の古い体質、バブル対策の失敗、世界から優秀な人材を誘引できず、個人主義も未開花な点などが理由です。Q:失われた30年ですね。A:最大の課題は人口問題です。『1億人程度でいい』と言うかもしれませんが、減少は止まらないでしょう。女性にはもっと働きやすい環境が必要ですし、男性の育児休業だって取りやすくするべきです。家族政策は永続性が重要です。フランスは20年以上かけて人口減を食い止めたので、良いモデルになります。必要なのは文化的側面まで見据えた施策です。女性の地位を高め、出産や育児によりキャリアが不利にならない文化を定着させる努力が欠かせません。Q:「人口が減っても別段構わない」という意見もあります。A:日本は現在、公的債務がGDPの230%に達しています。この問題の深刻な点は、次世代の蓄えに依存して、現世代が生きていることです。経済も、環境問題も、年金や福祉も、課題が次世代へ先送りされている。人口が減少すると、国民の負担は破局的に深刻化します。施策の幅を狭め、相続放棄の出来ない借金を次世代へ課すことになるのです。Q:日本や欧州に、破局を回避する処方箋はないのでしょうか。A:未来志向の社会的な実験を専門的に担う銀行や環境犯罪を裁く国際法廷の創設、企業定款に次世代への貢献内容の明記を義務づけることなどを提言してきました。しかし実は、能力も、テクノロジーも、財源も、起業家も、独創的な人材もみなそろっています。 残っているのは力を合わせることです。『新世界秩序』に詳しく書きましたが、国境を越え、高い独創性を発揮する『超ノマド』と言うべき階層が現れ始めていることに、特に注目すべきです。危機感を共有した超ノマドたちが、既存国家の枠組みを尊重しながらも、資源や軍備、食糧生産、環境などの現状と展望を示すこと。それが第一歩になるはずです。(聞き手 編集委員・永井靖二) *ジャック・アタリ:1943年生まれ。81年にミッテラン大統領の特別顧問、91年に欧州復興開発銀行の初代総裁。現大統領マクロン氏の政界入りも主導した。2030年未来予想図ジャック・アタリ2018.8.25
2018.08.28
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図書館で『SFの書き方』という本を、手にしたのです。主任講師の大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。【SFの書き方】大森望著、早川書房、2017年刊<「BOOK」データベース>より2016年4月、書評家・翻訳家・SFアンソロジストの大森望を主任講師にむかえて開講した「ゲンロン大森望SF創作講座」。東浩紀、長谷敏司、冲方丁、藤井太洋、宮内悠介、法月綸太郎、新井素子、円城塔、小川一水、山田正紀という第一線の作家陣が、SFとは何か、小説とはいかに書くかを語る豪華講義を採録。各回で実際に与えられた課題と受講生たちの梗概・実作例、付録エッセイ「SF作家になる方法」も収録の超実践的ガイドブック。<読む前の大使寸評>大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。rakutenSFの書き方この「SF創作講座」の成り立ちについて、「編者あとがき」から見てみましょう。p279~281<編者あとがき:大森望> 『SFの書き方「ゲンロン大森望SF創作講座」全記録』をお届けする。 第1線のSF作家十人による講義(+講評)と、毎回のテーマに沿って受講生から提出された梗概(あらすじ)の実例18本、それに受講生の実作例が2篇(梗概つき)。本書を通読すれば、あなたもたちまちSFの書き方がわかる・・・とは言わないまでも、SFを書く上での基本的な考え方や発想の方法は、けっこう身につくんじゃないかと思う。 講座1年分がこの1冊に凝縮されているという意味でも、かなりユニークかつお得なSF創作ガイドになっている。「作家にはなりたいけど、SFはちょっと苦手・・・」という人や、「SFは好きだけど、自分で書く気は全然ないね」という人にも、それなりに有意義だったり面白かったりするはずなので、贔屓の作家のざっくばらんな裏話に耳を傾けるつもりで、まずはパラパラめくってみてください。 いやそれにしても、真剣にSFを書きたいと思っている人がこんなにたくさんいたなんて・・・というのが、1年間この講座をやってみての正直な感想。もちろん、創元SF短編賞には毎年四百~六百作が寄せられるし、日経「星新一賞」の応募総数は二千五百から三千にも及ぶ。とはいえ、小説が売れないこのご時世に、安くはない受講料を1年分まとめて先払いしたうえに、毎月せっせと講座に通い、課題を提出し、SFの短篇を書こうという奇特な人が、いったいどのくらいいるのか? こう見えてもかなりの心配性なので、せっかくサイトを作って募集したのに、ぜんぜん受講生が集まらなかったらどうしよう。中止になったらゲスト講師を依頼した人にも申し訳ないし・・・などと、募集が始まるまで内心かなり不安だったんですが、蓋を開けてみると、受付を開始した初日に当初の定員30名がたちまちいっぱいになる人気ぶり。 人気の高さに驚きつつ、ほっと胸を撫で下ろした反面、責任の重さを実感することにもなったわけである。 そもそも、どうしてこういう講座を開くことになったのかについては、本書の序文で東さんが書いているとおり。東浩紀氏率いる会社ゲンロンでは、同社が本拠を置く東京・五反田に開設しているイベントスペース(ゲンロンカフェ)とアトリエを使って、すでに「ゲンロン 佐々木敦 批評再生熟」と「ゲンロン カオスラウンジ 新芸術校」の二つのゲンロンスクールを開設し、大きな成果をあげていた。 その二つに続く第三のゲンロンスクールとして、小説の創作をテーマにした講座を担当してくれないかと東氏から打診されたのは、2015年夏のこと。毎回ゲストを招いて話を聞く連続トークイベント「大森望のSF喫茶」を数年前からゲンロンカフェで開催していたので、その縁で白羽の矢が立ったらしい。となれば、対象はSF小説の創作に絞るのが自然だろう。 しかし、SFを商売にしているとはいえ、大森の守備範囲は翻訳や書評やアンソロジー編集で、小説を書いて代価をもらったことは一度もないし、「SFの書き方」の具体的なノウハウがあるわけでもない。そりゃあまあ、そういうことが教えられそうなゲストを講師に招くことは可能だし、受講生が出してきた作品についてああだこうだ言うこともできるけど、しかしSFの創作講座にどれだけ需要があるのやら・・・などと悩んでいたところ、「いや、ぜったいに大丈夫ですよ!」と東氏が力強く太鼓判を捺し、半ば押し切られるようなかたちで、とりあえずカリキュラムを考えてみることになった。(後略)『SFの書き方』3:テーマを作って理を通すお話『SFの書き方』2:日本SF冬の時代『SFの書き方』1:梗概例1「饒舌な屍肉」
2018.08.27
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図書館に借出し予約していた『ゴヤ(3巻)巨人の影に』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。ぱらぱらとめくってみると、42年前に刊行された本であるが・・・画像挿入が多く、装丁も現代的であり、なにより著者の語り口がええのです。【ゴヤ(3巻)巨人の影に】堀田善衛著、新潮社、1976年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、42年前に刊行された本であるが・・・画像挿入が多く、装丁も現代的であり、なにより著者の語り口がええのです。<図書館予約:(8/11予約、8/17受取)>amazonゴヤ(3巻)巨人の影に55番「物乞いをしなければならぬとは最悪だ」『戦争の惨禍』 全作品ゴヤ版画集より晩年のゴヤの財産目録について、見てみましょう。p251~254<アトリエにて> 年老いて孤独な、しかも聾者のゴヤが、いまは妻も失って、幻滅通り第1番地、に住んでいる。 それは何もゴヤ家の家庭内のこととしてだけではなくて、スペイン内のすべての状況をも象徴するような通りの名であった。 「ゴヤの叫びはスペインの叫びだ」と言った研究者がいたが、彼の住む町筋までがスペインを象徴している。 読者諸氏のなかにはこういう奇妙な通りの名を見られて、本当かい? と思われる方もおありかもしれないが、この国民が、たとえば王につける綽名の巧みなことにすでにお気付きではなかったろうか。ジョセフの“広場王”からさかのぼって行っても、黄疸王から、ひどいのはインポテ王やら気違い女王までがいる。町の名なども、天国町やら美徳町などというものがあって、これが双方ともに女郎屋町であった。 また忘れられた、忘却横町というのもあれば、キューバには虐殺市という恐ろしい都市までがあった。 さて、ゴヤと息子のハビエールは、1812年10月28日以前のある日に、この幻滅通り第1番地の家に公証人を呼び入れて財産目録の作成にとりかからせている。 それはハビエールにとっての母の、ホセーファの死によって、ハビエールに母の遺産への請求権が生じたことによるものと思われる。カスティーリアの法律によると、息子は母の死に際して、父母が結婚生活中に得た財産の半分を請求する権利が生じる。 父が世襲財産としてもともと持っていたものや、母個人の財産、持参金などは別なのだが、現在ゴヤが持っているものは、すべてゴヤとホセーファが40年近くにわたる結婚生活中に、営々として、働きづめに働いて得たものであった。 もとよりゴヤはアラゴンの広野から裸一貫でやって来たものであってみれば、世襲財産などありようがない。ゴヤの父は「残すべきものなければ」遺書なし、と言い残して死んだ人であった。それにホセーファも画家バイユーの妹であってみれば、持参金なども、もしあったとしても額がしれていたであろう。バイユーは王に、妹が結婚するが持参金もない、と訴えたことがあった。ことほど左様である。 ともかく、財産の半分を息子に渡さねばならない。 この不肖の息子は、これまでのところで父ゴヤからもらった家と現金1万3千レアール(約3250ドル)、それに王室からの年金1万2千レアール(約3000ドル)と故アルバ公爵夫人遺贈の年金3600レアール(約900ドル)をすでに持っている。ハビエールは一生定職につかず、ズル休みで生涯を送った。 財産目録の作成が着々と進んで行く。 その内容はゴヤの家庭生活をうかがわせるに足る貴重なものである。 このうち、書籍がひっくるめて1500レアール(約375ドル)と見積もられていてその内容がわからないのが甚だ残念である。おそらく文盲の多いマドリードでは、古本などは二束三文の値しかなかった。ゴヤは聾者であるということもあって、相当な読書家であった筈である。われわれの知っているだけでも、ドン・キホーテ、ボッカチオ、ジル・ブラス、ラサリーリョ・デ・トルメス、ガリバー旅行記などを愛読していることがわかっている。それにフランス語も読めた。 ところで家具のリストを見ると、彼の家の内の様子が見えて来る。客間の四隅には四卓の隅机、大きな姿見鏡、黄色い絹張りの、多くのモデルが座ったソファ、それに黄色どんすの八脚の丸椅子、食堂には丸テーブル、その他には上質の木や胡桃の板のテーブル、椅子はビトリア製のもの18脚、青色に塗られたもの、28脚。安楽椅子、二。 椅子が合計で56脚もあるということは、主人が聾者であるにもかかわらずこの家で夜会が催されていたということを物語っていよう。聾者なればこそ世間の情報が必要である。 鉄製の寝台式ソファ、青色の洋服だんす二、金色に塗られた洋服だんす一、ブリキの風呂桶一、ストーブ一・・・。 以上の道具立ては、ゴヤが充分にブルジョアの生活を送っていたことを物語る。しっかり金と物をもつ天才である!ウーム 馬鹿息子に財産贈与することになるが、しっかり金と物をもつ天才ってか、羨ましいではないか。『ゴヤ(3巻)巨人の影に』3:『戦争の惨禍』『ゴヤ(3巻)巨人の影に』2:皇帝ナポレオンとスペイン、ポルトガルの関係『ゴヤ(3巻)巨人の影に』1:着衣のマハ、裸のマハ
2018.08.27
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図書館で『バードウォッチング』という本を、手にしたのです。我が家の2階から裏山の小鳥たちを眺める程度のバードウォッチャーなので・・・この本は、私の程度にちょうどの本やでぇ♪【バードウォッチング】(画像なし)酒井哲雄著、国土社、1987年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>我が家の2階から裏山の小鳥たちを眺める程度のバードウォッチャーなので・・・この本は、私の程度にちょうどの本やでぇ♪このところ、ウグイスの競演が途絶えたが、代わりにセンダイムシクイの「焼酎一杯、グイーッ!」が聴こえたりする。裏山の鳥たちは姿は見せないが、鳴き声はよくきこえます。この本で、その鳴き声について、見てみましょう。p24~26<鳴き声をきく> 鳥の鳴き声は、さえずり、地鳴き、の2種類の鳴きかたがあるといわれています。■さえずり 夏の朝早く、森にでかけると、鳥たちがにぎやかにおしゃべりをしています。自分のなわばりをきめていて、仲間の鳥に、自分のなわばりの中にはいらないように警告する鳴き声が「さえずり」といわれているものです。 シジュウカラは「ツーピー、ツーピー」とすんだ声でさえずります。キジバトは「ポポッ、デデポポッ、デデデ・・・」とのんびりさえずります。 5月から6月にかけて、野原や田んぼで、「ピーチュク、チュク」と鳴きながら、ヒバリが飛んでいるのをよく見かけます。英語では「テリトリーソング」とよんで、なわばりをしめすさえずりです。これと反対に、仲間をよぶ鳴き声を「ラブソング」とよんでいますが、これもさえずりのひとつです。 むかしの人たちはこのさえずりをきいて、鳴いている声を、その調子にあわせた日常の言葉をえらんで「ききなし」といって表現してきました。 ききなしのいくつかをあげてみましょう。・ホオジロ 一筆啓上、つかまつりそうろう。源平つつじ白つつじ。・ウグイス ホー、ホ、ホケキョ。・ホトトギス 特許許可局。・メジロ 長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛。・コジュケイ ちょっとこーい、ちょっとこーい、ぴいぷるほい。・センダイムシクイ 焼酎一杯、グイーッ。■地鳴き チッ、とかツィー、というみじかい鳴きかたをいいます。これは、あぶないので警戒しろとか、仲間どうしの話しあいの鳴き声で、地鳴きとよんでいます。 このさえずりや地鳴きは、鳴く時間があって、1日じゅう鳴いているわけではありません。朝に鳴く朝型の鳥は、ホトトギス・キジバト・コジュケイで、夜に鳴く夜型の鳥はヨタカ・アオバズクといった鳥たちです。 ごく少数の鳥のなかには、1日じゅう鳴いている鳥もいます。ウグイス・センダイムシクイといった鳥たちです。この本も鳥の本あれこれR3に収めておくものとします。
2018.08.27
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台風20号が各地に被害を出して過ぎ去ったが・・・熊野川沿いの国道の冠水が気になったのである。つまり、最近の大雨、長雨は地方整備局の想定を超える雨量に変わってきている事実である。もうこれは、避難勧告発令うんぬんのレベルを越えているわけで・・・抜本的対策を立てるとしたら、国道や川沿いの民家をそれぞれ、5メートルほど高くしないと対策とならないのである。もちろん現状のハザードマップは役に立たない筈である。きつい言い方になるが、和歌山や広島の行政担当者は、襟を正して対応してもらいたいものである。ところで、台風直前の多目的ダムの緊急放水が問題になっていますね。愛媛県肘川のダムは今回のような大雨では、対応できなかったわけである。整備局内部には、危険性、被害想定は共有されていたが、市役所には知らされていなかったわけで、整備局の犯罪性が潜んでいるわけです。(穴あきの)多目的ダムとして、ダム機能を無くすることが下流の住民にとって一番安全であることが、皮肉に聞こえるけれど、ムダな多目的ダムの本質をついているのです。要するに、国交省にとっては多目的ダムという箱物を作ることに意味があったわけで、住民の安全は二の次になっていたわけです。今後は住民や報道メディアが厳しい目を向けてくるので・・・そうはいくか!ちなみに、何年か前に熊野川沿い復旧ボランチアに行ったときの状況です。川沿いの民家の二階まで冠水したそうで・・・これは古老の想定を超えていたようです。日記をめくって調べてみたら和歌山県ボランティアより帰還にあるとおり、7年前に行ったものでした。
2018.08.26
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図書館で『SFの書き方』という本を、手にしたのです。主任講師の大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。【SFの書き方】大森望著、早川書房、2017年刊<「BOOK」データベース>より2016年4月、書評家・翻訳家・SFアンソロジストの大森望を主任講師にむかえて開講した「ゲンロン大森望SF創作講座」。東浩紀、長谷敏司、冲方丁、藤井太洋、宮内悠介、法月綸太郎、新井素子、円城塔、小川一水、山田正紀という第一線の作家陣が、SFとは何か、小説とはいかに書くかを語る豪華講義を採録。各回で実際に与えられた課題と受講生たちの梗概・実作例、付録エッセイ「SF作家になる方法」も収録の超実践的ガイドブック。<読む前の大使寸評>大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。rakutenSFの書き方テーマを作って理を通すお話を、見てみましょう。p93~96<課題その5 テーマを作って理を通す:藤井太洋> ひとつテーマを決めて、それに最後まで理屈を通す梗概の作り方をしてください。 たんに空想の世界を描く純文学と、SFと呼ばれる小説との違いは、SFが自身のテーマにどこまでも合理的に向き合うことだと思っています。 テーマは必ずしも科学的である必要もなく、たとえば「愛は時を越える」というシンプルなものでも、それを十年、百年、1億年・・・と突き詰めていくことでSFの問いになりえます。古典中の古典とされるハインライン『夏への扉』も、タイムマシンというガジェットを使った「愛は時を越える」話ですね。 読者の頭に浮かぶものが真理・・・といった逃げ方をせず、登場人物が状況と向き合い続ける姿勢が、SFの面白さである気がします。 むしろ今回の場合、テーマはシンプルであるほどよく、「差別はよくない」「人を殺すのはよくない」といった当然とされることも、ぎりぎりのところまで疑えるのがSFの強みです。一言で言えるようなテーマを、徹底的に理屈で追求してみてください。<課題その5 梗概例1「ラ・ファランジェの無口なゴーレム」:せい> 息子のコーリャは十歳にして唯一の肉親であるわたしを失った。 数学者ノイマンがアメリカ大統領をそそのかしてソ連に、わたしたちの国に核弾頭を打ち込んだからだ。 核投下の決定打になったのはゲーム理論に基いた「計算」だった。 コーリャは数学が大好きで、秀でた能力も持っていたがそれを発揮する場所はもはやどこにも見つからないように思われた。ノイマンのせいで科学自体への不信が世界を覆っていたからだ。代数学、量子力学、計算機科学、ゲーム理論から錬金術に至るまで多大な業績を残し偉大な科学者と呼ばれたこともあったノイマンはしかし、いまではもっとも悪名高い科学者とされ、悪魔と呼ばれ、彼の研究成果は封印されていた。 祖国を失ったコーリャはアメリカへ渡ったが、新天地ですらどこにも居場所はなかった。そんな折に、コーリャは才能を見出されファランジュというコミュニティに誘われる。 ファランジュは自然だけでなく人間の精神や社会を含めた宇宙全体を数理モデルにまとめあげようという理念のもと、世界の反科学な風潮に対抗してつくられた協同体だった。入手困難だったノイマンの研究成果を、ファランジュ内では簡単に収集することができた。 ノイマンの研究成果を吸収していったコーリャは、ノイマンの計算機科学と錬金術の研究が同じ目的のもとでなされているのに気づいた。すなわちノイマン自身と同等以上の知性を有した人工生命の創造である。 万能の計算機を手に入れてコーリャがはじめにしたことは、ひたすら肉親の記憶、つまりわたしの思い出を入力することだった。こうしてわたしはの中で生を受けた。(中略)■内容に関するアピール フォン・ノイマンはゲーム理論に基いてソ連への核攻撃を大統領に進言したそうですが、もしも大統領がそれに従っていたら? という歴史改変の物語です。 今回は「計算」というものが人に何をもたらすのか、というのをテーマにしました。 このテーマをもとに、極小は数学者の計算するよろこびから極大は宇宙創造まで書きたいと思っています。ウーム なかなか偏執的な小説のようで、読破するには辛いものがあるのでは?と思ったりするのです。『SFの書き方』2:日本SF冬の時代『SFの書き方』1:梗概例1「饒舌な屍肉」
2018.08.26
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図書館で『SFの書き方』という本を、手にしたのです。主任講師の大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。【SFの書き方】大森望著、早川書房、2017年刊<「BOOK」データベース>より2016年4月、書評家・翻訳家・SFアンソロジストの大森望を主任講師にむかえて開講した「ゲンロン大森望SF創作講座」。東浩紀、長谷敏司、冲方丁、藤井太洋、宮内悠介、法月綸太郎、新井素子、円城塔、小川一水、山田正紀という第一線の作家陣が、SFとは何か、小説とはいかに書くかを語る豪華講義を採録。各回で実際に与えられた課題と受講生たちの梗概・実作例、付録エッセイ「SF作家になる方法」も収録の超実践的ガイドブック。<読む前の大使寸評>大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。rakutenSFの書き方SFの梗概(あらすじ)例を、見てみましょう。p15~16<課題その1 講評レポート:大森望> SF創作講座の受講生と言っても、全員がSFに通じているわけではなく、これからSFを勉強つもりという人も少なくない。そこで第1回は、受講生がSFに抱いているイメージを知るためにも、それぞれが「SFってこういうのでしょ」と思う話をかたちにしてもらった。 梗概(あらすじ)を書くのは生まれて初めての人がほとんどだったが、受講生40人ののうち34人が提出してくれた。 目立って多かったのは、ロボットやAIが登場する話と、ディストピア小説に分類されるもの。前者はともかく、後者は個人的にちょっと意外だったが、三十代以下にとっての未来はディストピアが標準らしい。 梗概二例のうち、太田知也「饒舌な屍肉」は、かっこよさで勝負するポストサイバーパンク系の近未来ノワール。ストーリーより設定の説明に多くの分量が割かれているのはSFならではの特徴か。 受講生年長組を代表する火見月の「ロボちゃんの印鑑登録」は、AI開発の現状を踏まえつつ、全体としては懐かしいテイストを醸し出す。親しみやすさと独特の魅力が評価された。<課題その1 梗概例1「饒舌な屍肉」:太田知也> 時は2050年・・・都市部の人口爆発を背景として、人間の屍体を再利用することが世界規模の主要産業になった未来である。屍体には多くの利用価値があり、タンパク質の供給は主なものだが、ほかにもサイバネティック・コスメの材料源、臓器移植や生分解材料の供給源としても認められている。 本作の舞台はジャカルタ近郊のスラム街・・・その経済は屍体供給の一次産業に多くを負っており、事業者は三種類に区分できる。ひとつは生前の生体情報を中抜きして情報業者に横流しする「中抜き屋」である。匿名に漂白された肉体は「植込み屋」へと引き継がれる。彼らは屍体のパーツを(そう、新鮮な人肉を)切り出し、生体にインプラントする業者である。 コスメや医療用途への切り出しにおいて必然的に生じる端材は、最後に生分解業者である「塑型屋」に流れ着き、材料へと加工される。 本作の主人公は妻を亡くした傷心の果てにへ流れ着いた屍体写真家のカール・リンネである。彼は警察の無線チャンネルを傍受し誰よりも早く事件現場に駆けつけ、新聞社に写真を売って生計を立てている。 そのため彼は自動車事故や強盗事件よりもよほど扇情的な画を求めてスラムを這いずる。写真家がファインダー越しに眼差す被写体、それは裂傷した筋肉であり、肋骨の飛び出した腹部であり、泥濘に滴る脳漿である。撮影後の屍体はクリーナーへと渡される手はずになっており、業者との関係は良好だ。 ある日撮影を終えたリンネは、業務提携先のクリーナーに呼び止められる。その屍体は継ぎはぎのパーツとプラスティックスから成型された肉人形であり、そこにはリンネの亡き妻のログが詰められていたというのだ。妻の亡霊を追ってスラムを行脚し、真相に辿り着いた彼は(たとえそれが肉人形であろうとも)愛する決断をしてシャッターを切る。■内容に関するアピール 屍体産業の席巻する腐臭にまみれた未来のスラムで、屍体写真は亡き妻の亡霊に出会う・・・それが本作のプロットである。SF者の語彙で言い換えるなら「ギブスン・テイストのノワールなスラムでバラードの狂気が爆ぜる」とでもなろうか。人口増に対する解答として「屍体」を再利用するテクノロジーが発達した未来を外挿法的に仮定したうえで、そのサプライ・チェーンのどこにも属さない第三者としての「写真家」を視点人物として配したことは注目に値する。(後略) この本は、2016年にSFアンソロジスト翻訳家の大森望を主任講師に迎えて開講した「ゲンロン大森望SF創作講座」の講義禄を収録した超実践的ガイドブックという触れこみである。 大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。『紙の動物園』2より
2018.08.26
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図書館で『書物の文化史』という本を、手にしたのです。開けてみると、横書きで論文調であるが・・・薀蓄にあふれていて、面白い読み物になっています。表紙の副題「メディアの変遷と知の枠組み」が、この本の内容を表しています♪【書物の文化史】加藤好郎著、丸善出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より文字の発生から紙の発明、印刷、出版、画像・映像に至るまで、世界中の書物(メディア)の歴史を、興味深いエピソードを交えて展開。モノとしての書物(メディア)を通じ、「文献文化」「知の枠組み」を考察。世界の各地域・時代に文献はどのような媒体(メディア)に載せられ、どのように読まれてきたかを図版も豊富に交えながら解説。「媒体(メディア)の制約と文献の仕組み」「媒体(メディア)の特性と知の枠組み」という切り口から「書物」の様々な現象を読み解くテキスト。<読む前の大使寸評>開けてみると、横書きで論文調であるが・・・薀蓄にあふれていて、面白い読み物になっています。表紙の副題「メディアの変遷と知の枠組み」が、この本の内容を表しています♪rakuten書物の文化史昨今の出版事情、書店事情について、見てみましょう。p167~168現代社会のコミュニケーションとは■現在の出版市場とは 出版市場における「紙の世界」では、収入の減少が続いているが、ネット販売は増えている。ルート別の販売額を日本出版販売「出版物販売額の実態」から2007年から2013年の6年間を比較すると次のとおりである。<2013年の販売額>1.コンビニ販売 3100億円(2007年から4割減)2.書店での販売 1兆2300億円(2007年から2割減)3.ネットの販売 1600億円(2007年から7割増)■大手書店のこれからの戦略 上記の状況において、大手書店が一つの挑戦を始めた。その方法は、出版社から直接本を買い取ることで、ネット書店からの供給を制限する戦略である。出版市場からネット販売への挑戦と言える。1.委託販売制度 通常の流通ルートは、出版社→取次会社→ネット書店および書店を含むシステムである。書店から出版社への委託することによるその売れ残りは、ネット書店および書店から出版社に返品される。現在、返品率は、40%であるが、この制度は、委託販売制度と言われ、「出版社+取次店」が、どの本を何冊程度の書店に卸すのかを決め、「出版社+取次店+書店」の3者で契約するものである。この返品率が多いことが問題になっている。2.紀伊国屋書店の取り組み 村上春樹氏の新刊「職業としての小説家」の初版10万部のうち9万部を紀伊国屋書店が出版社から直接購入した。このことで、ほかのネットや書店には1万部しか在庫が置けなくなり、販売に影響が出ることになる。 紀伊国屋の戦略は、売れ残りの在庫の危険性があるが、ライバルのネット書店への供給を絞り込むこと、取次店を通さない利益率も大きいことになる。紀伊国屋書店のミッションは「本来、本は(本)(店員)(消費者)の出会いがあって本を選ぶことにある」である。それは読書人口の増加につながる。ネット販売だけで本を選ぶことは、「現物を読めない」「人の評価にゆだねる」「本のブラウジングができない」等の危険性もある。■書店ゼロの自治体の数 現在書店がまったくない自治体も出てきている。出版業界の売上げは、2014年時点で1兆6000億円であるが、もし消費税が2%上がり、10%になっても出版業界の税収は320億円に過ぎない。 このことは図書が「文化の所産」であるという観点から見ても大きな影響が出ている。本が売れない理由はいくつかある。消費者のスマートフォンの購入が増加している点、また、国道沿いの書店、商店街の書店が撤廃することで、消費者が購入できない現状がある。買い物難民も増えている。このことは、大人の世界だけでなく子供たちも、本屋で実際に本に触れる機会が少なくなっている。 書店関係者は「本は薄利多売であるが、そのことが大きく崩れた。書店の取り分を増やさないと廃業が続く。単行本を売った代金は、出版社、出版の取次店、著者に分配される。書店に入るのは、定価の20%である。街の書店は、月に300万~500万売り、ようやく60万~100万円の利益が出る。店の賃料や人件費などがあり利益は少ない」と経営の苦しさを述べている。 以下は「書店ゼロの自治体数」(2015年5月)である 合計332(北海道47、福島22、長野35、奈良15、高知13、福岡13、熊本13、沖縄19、他)紀伊国屋書店の取り組みについては出版流通の壁に詳しく報道されています。『書物の文化史』2:書籍の電子化、保存『書物の文化史』1:印刷と出版の歴史
2018.08.25
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図書館で『書物の文化史』という本を、手にしたのです。開けてみると、横書きで論文調であるが・・・薀蓄にあふれていて、面白い読み物になっています。表紙の副題「メディアの変遷と知の枠組み」が、この本の内容を表しています♪【書物の文化史】加藤好郎著、丸善出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より文字の発生から紙の発明、印刷、出版、画像・映像に至るまで、世界中の書物(メディア)の歴史を、興味深いエピソードを交えて展開。モノとしての書物(メディア)を通じ、「文献文化」「知の枠組み」を考察。世界の各地域・時代に文献はどのような媒体(メディア)に載せられ、どのように読まれてきたかを図版も豊富に交えながら解説。「媒体(メディア)の制約と文献の仕組み」「媒体(メディア)の特性と知の枠組み」という切り口から「書物」の様々な現象を読み解くテキスト。<読む前の大使寸評>開けてみると、横書きで論文調であるが・・・薀蓄にあふれていて、面白い読み物になっています。表紙の副題「メディアの変遷と知の枠組み」が、この本の内容を表しています♪rakuten書物の文化史書籍の電子化、保存について、見てみましょう。p136~137コラム14 書籍の電子化 書籍の電子化には二つの側面があり、一つは書籍が今まさに電子媒体として世に出ること、もう一つは歴史的にも貴重な文献も含めてすでに出版されたものが電子媒体として保存・公開されることである。技術的なことには滅法疎い筆者は、専ら後者の周辺事情について幾つかの事例を紹介する。 ほんの20~30年前までは「文献研究は金食い虫」と言われた時代であった。文献を利用したければ、例外なく電車やバス、それが海外であれば飛行機で足を運ばなければならなかった。継続して使いたければ、窓口や郵便での煩雑な申請で複写やマイクロフィッシュなどのモノとして手に入れる必要があった。 それが十数年来の急速な電子化で、「本物を手に取って」などと贅沢さえ言わなければ、国内、或いは所属先、」自宅のリビングに居てさえも目当ての資料の写真やデータに簡単にアクセスできる環境が整ってきたのである。現在四十代半ばの筆者でさえも自分自身の学生時分の情況とは隔世の感がある。 なぜ一般には馴染みのない貴重書や奇観書で電子化と公開が進むのか。それには先ず、「研究や学びで必要なひとが自由に平等にアクセスできるべき」という研究機関の矜持や使命感があるし、同時に、紙媒体の書物の保存のための対策が必要不可欠であったと言うことも重要な要因である。 たとえば、国立国会図書館のHPを開くと、国立国会図書館デジタルコレクションでは図書、雑誌、古典籍、博士論文、歴史的音源など様々なジャンル毎にデジタル化された資料が公開されている。 図書では主に明治以降の著作権がクリアされた洋装本が検索でき、NDC分類や年代、キーワードによる絞り込み検索も可能である。著作権がクリアされた文献は、デジタル画像の閲覧は勿論、枚数制限はあるものの必要なページをダウンロードすることもでき、すぐに入手できない資料の調べものには非常に重宝する。(中略) アメリカのInternet Arechiveも有名な文献検索サイトで、貴重書から最新のものまで様々な媒体が公開され、筆者の研究分野である近代中国語に関するものでも、英語を中心に横文字で出版された書物は多くがすでに公開されており、PDFやFull Textなど複数の形態のデータがいとも簡単に入手できる。ちなみに、同サイトの撮影・データ整理は全て中国・深センの企業が請負っている。 国内外の個別の大学や研究機関でもこうした取組みが増えている。国内の例では、伝統的に近代の東西言語文化交流の研究が盛んな関西大学の東西学術研究所アジア文化研究センターでは、元々研究者の取組みから発展したCSAC Digital Archivesが同大学所蔵の和書、漢籍、洋装本の他、個人や他機関が所蔵する西学東漸に関する資料、約二千数百点をデジタルデータで一般公開していたが、さらに2018年には、これまでの蓄積を発展させた関西大学アジア・オープン・リサーチセンター(KU‐ORCAS)として、東アジア文化研究の「デジタルアーカイブ」の構築と、研究リソース・研究グループ・研究ノウハウがオープン化されたプラットフォームの形成を目指した活動をスタートしている。(中略) こうしてデジタル化のプラス面ばかりを挙げたたが、これほど環境が整うと却って「全体を俯瞰して個別を考える」という当たり前のことが難しくなる一面も否定できない。確かに一見ラクにはなったが、ピンポイントにしか目がいかなくなると、じつは本人も安直さに気づかないまま、常に「木を見て森を見ず」の危険と隣り合わせなのである。あくまで自分の目で資料を読み解いてこそ、という学びの原点もいま一度考えてみる必要があるかも知れない。『書物の文化史』1
2018.08.25
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図書館で『書物の文化史』という本を、手にしたのです。開けてみると、横書きで論文調であるが・・・薀蓄にあふれていて、面白い読み物になっています。表紙の副題「メディアの変遷と知の枠組み」が、この本の内容を表しています♪【書物の文化史】加藤好郎著、丸善出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より文字の発生から紙の発明、印刷、出版、画像・映像に至るまで、世界中の書物(メディア)の歴史を、興味深いエピソードを交えて展開。モノとしての書物(メディア)を通じ、「文献文化」「知の枠組み」を考察。世界の各地域・時代に文献はどのような媒体(メディア)に載せられ、どのように読まれてきたかを図版も豊富に交えながら解説。「媒体(メディア)の制約と文献の仕組み」「媒体(メディア)の特性と知の枠組み」という切り口から「書物」の様々な現象を読み解くテキスト。<読む前の大使寸評>開けてみると、横書きで論文調であるが・・・薀蓄にあふれていて、面白い読み物になっています。表紙の副題「メディアの変遷と知の枠組み」が、この本の内容を表しています♪rakuten書物の文化史印刷と出版の歴史について、見てみましょう。p49~51■一枚もの木版による印刷【印刷のはじまり】日本最古の印刷物は、奈良時代、称徳天皇が恵美押勝の乱の平定を仏に感謝して、法隆寺など10大寺に奉納した百万塔の中に納められた陀羅尼経(図)である。図 百万塔陀羅尼経 印刷物自体に年代の記載はないものの、『続日本記』などの文献によって770年の完成であることは、ほぼ確実である。とすればこの「百万塔陀羅尼経」は、「印刷年代が明確な世界最古の印刷物」と言うことができる。しかしこれはもとより「世界最古の印刷物」であることを意味するものではない。 むしろここで読み取るべきは、100万部という超大量の印刷が行なわれたこと、そして塔の中に納められたこれらの印刷物は、決して「読まれる」ために作成されたものではないことである。仏への報謝物という仏典の存在は、読まれること以外の書物の機能といて考察することが必要である。 なおこの「百万塔陀羅尼経」が木版印刷なのか銅版印刷なのか諸説あって決着をみない。印刷の初歩段階として木版の方が想像しやすいが、この直前には東大寺の大仏が銅で鋳造されており、当時の金属加工技術が高かったことも明らかである。【仏典の印刷】平安時代以来の出版は奈良興福寺の春日版、高野山の高野版などの寺院によるもので、その内容はほとんど仏典ばかりであった。鎌倉時代になると、京都・鎌倉の禅宗寺院で五山版と呼ばれる寺院版がつくられた。この五山版は、それまでの寺院版と異なり、仏教以外の書物も多く含んでいた。これは禅僧が知的活動全般の享受者、発信者であったことを示している。 また五山版には、宋元時代以来の中国刊本を巧みに復刻したものも多い。翻訳せずに原典をそのままリプリントしたことは、少なくとも日本側には、東アジア漢文文化圏の正当な構成員であることを希求し、自負していたことを示していると考えることができる。実際、当時の日中の禅僧の行き来は、現在の学者の国際交流以上に盛んであったと言って差し支えない。 この時代までの印刷は、一紙面を一枚の版木に版画のように彫ってそれを印刷する「整版」という形式で行なわれていた。漢字のように文字種が多い東アジアの印刷では、この仕組みの方が主流であった。■活字の登場【活字の登場】印刷は、火薬・羅針盤とともに中国の三大発明とされ、世界中へと伝わった。活字に関しても、東洋の方が進んでおり、朝鮮は先進国で、13世紀にはすでに金属活字本がつくられている。 一方、西洋でも1450年ごろにはドイツのグーテンベルグが活版印刷を考案し、近代の西洋式活版印刷の祖となった。アルファベットは字種が少なく、漢字以上に活版印刷に向いているため、グーテンベルク以後、西洋では活版印刷が急速に発展していくこととなったが、東洋では西洋ほどの発展を見なかった。【日本への伝来】日本への活字印刷の伝来には二つのルートがある。一つは豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、大量の金属活字を略奪し日本にもたらしたことである。その活字は朝廷に献上され、それを用いて、漢籍や古典が出版され、これは慶長勅版と呼ばれて珍重されている。 もう一つは安土桃山時代のイエズス会宣教師によりもち込まれた活字印刷機を使って印刷されたキリシタン版である。しかし、残念なことにキリシタン版は、江戸時代のキリシタン禁制によりその書物の大部分が失われ、現在ではきわめて貴重なものとなっている。 活字印刷はその後徳川家康が木活字、次いで金属活字を用いて本の出版を行なっている。家康の死後この出版事業は途絶えたが、やがて民間でも木活字を用いた出版が行なわれるようになる。 こうした、江戸時代初期の活字印刷を古活字版と呼んでいる。しかし、この木活字は、摩滅しやすいこと、訓点やふりがなを付けることが不便といった理由から次第にすたれ、再び一枚の版木を紙一枚に対して彫り上げる整版印刷が主流となる。 ■出版のひろがり【商業出版の時代】寛永年間(1624~1645)ころに、まず京都で民間の本屋による商業出版が本格的に始まり、さらにそれは承応年間(1652~1655)には江戸、延宝年間(1673~1681)には大坂でも盛んに行われるようになった。 それ以降、江戸時代の出版はこの三都で主に行なわれるようになった。三都はいずれも幕府の直轄地であり、これは言論を動かす武器となりうる出版を、幕府の管理下に置く必要があったからだと言われている。【さまざまな出版物】さらに享保年間(1716~1736)のころからは色刷り技法が盛んに行われるようになり、江戸時代後期には多色刷りの華麗を極めたものへと発展していく。それらの絵本や浮世絵も、広く社会に受け入れられていった。江戸時代には、文字だけでなく、絵画、チラシなども含めて、実に大量の出版物がつくられ、出版文化が花開いたのである。【活字の復活】江戸時代後期、書写に代わる私的出版物として木活字印刷が再び行なわれるようになった。これを古活字版と区別して、近世木活字版と呼ぶ。幕末になると、西洋式活字印刷がオランダを通じて再び導入され、幕府、さらには民間へと広がった。そして、明治に入ると、大量の西洋文物の輸入とともに近代的活版印刷が到来し、盛んに行われるようになった。それに伴い次第に木版印刷はすたれていった。【そして現代へ】さて、その後、明治・大正・昭和と隆盛を極めた活版印刷であるが、昭和50年ごろからコンピュータを利用した版面作成技術が進歩・普及し、現在ではほとんどの印刷物はコンピュータ写植という、活字を用いない方法で行なわれている。この本も例外ではない。 そして、さらに、未来に向かい電子図書という、印刷物ではなく電子媒体としての情報が登場している。この現代の印刷革命、これからどのような変化を生み出すのであろうか。
2018.08.25
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図書館で『道半ば』という本を、手にしたのです。なんか既視感のある本であったが、まあいいかと借りたのです。帰って調べてみると9ヶ月前に借りていました。で、(その6)としています。【道半ば】陳舜臣著、集英社、2003年刊<「BOOK」データベース>より歴史を語りつづける作家が自らの20世紀を綴る注目の自伝エッセイ。ペルシャ、オリエントへの憧憬。歴史のうねりの中で培った豊かな精神。作家としてデビューするまでの若き日々。【目次】幼い日々/海岸通の家/中山手と北長狭/進学/水害の前/舞い落ちる旗/太平洋戦争まで/戦いはじまる/海を渡る人たち/上八時代〔ほか〕<読む前の大使寸評>神戸や台湾を描いた陳舜臣のエッセイ集であるが・・・これもミニブームといっていいんでしょうね。rakuten道半ば満州国や日本に渡った台湾人を、見てみましょう。p92~95<海を渡る人たち> 同性は結婚しないというしきたりは、そのころでもかなりきびしく守られていた。近親の結婚をできるだけ避けることは、科学的のもうなづける。だが、いくら血が近くても、姓がちがえば構わないというのだから、考えてみるとおかしいのである。 父の妹の幼は徐家に嫁いで、月雲を生んだ。たいへん近い関係だが、月雲の姓は徐だから、結婚はタブーではない。 だが、姑母は事の真相を知らなかったのである。 月雲姉さんには恋人がすでにいたのだ。しかもそれはかなり早くからであった。私が中学2年のとき帰省した頃は「目下恋愛中」であったらしい。彼女の家は旧仔林といって、新荘の町はずれにあるさびしい地域にあった。なにもない所なのに、若い男が、自転車に乗ったりして、そのあたりを徘徊していたそうだ。美人の月雲姉さんがお目あてであったらしい。 かんじんの彼女は、台北二中を卒業して、満州医大に進学した余錫乾氏と将来を誓い合うようになっていたのだ。これで台湾に住みたくない、といった彼女の真意がわかった。知らぬは親ばかりなり、であったわけである。 当時、満州国には謝という姓の台湾出身者が、政府の閣僚級になっていて。その関係で台湾人が何人か要職についていた。余氏の父親はそのうちの一人だったのである。余錫乾氏が満州医大をめざしたのは、じつは余家が新京にあったからなのだ。 満州国政府につとめていた彼の父親余逢時氏は、台湾では書家として、誰でもその名は知っている名士であった。 彼はもともと悪筆家だったが、一念発起して、毎日、水にむかって筆をふるったので、ついに希代の名筆といわれるようになったそうだ。 姑母さんはおろおろして、神仏に娘の将来を占ってもらったりした。だが、月雲姉さんの覚悟はきまっていた。 「潜水艦が出ようと、何が出ようと、私は満州へ参ります!」 決然と言いきったのである。 ・・・一人娘は、言い出したら、聞く耳をもたない者が多いわ。甘やかされて育ったから。 父は月雲の満州行きについて、ぽつりとそう言った。 なお私の刎頚の友となった何既明君は、私たちの遠縁だといったが、それは月雲のところの徐家を介してのつながりである。 私が大阪外大を繰上げで卒業するころの出来事で、昭和18年の後半、日本の近海もかなり浪が高くなっていたのだ。 月雲姉さんと反対に、日本から台湾にむかう人たちもいた。 台湾はいうまでもなく日本領であったが、そこに住む人たちは、完全な日本人とは認められなかった。入学試験のところでも述べたようにはっきりした差別がある。 なかには差別されて、却って幸いだというものもあった。それは国民の義務とされた「兵役」がないことである。純血主義の日本は、台湾人の兵士などは安心して使えなかったのだ。 という制度はあった。読んで字の通り、軍隊の人夫である。兵士ではなく、軍に使役される「苦力」にほかならない。 志願制ということになっているが、各郡役場に強制的に人数を割りあてるのだ。事変が始まると、軍夫は中国戦線各地に送られた。志願(実は強制徴用)して「入隊」するときは、内地の出征兵士の壮行会に似た行事さえおこなわれた。 私は軍夫の壮行っを送る歌の一節をいまでもおぼえている。 赤いタスキの誉れの軍夫 うれし ぼくらは日本の男 台湾の天才的作曲家のトウ雨賢が作曲した、「雨夜花」の節によって歌われた。あまりにも哀しい歌である。 正式に台湾に徴兵令が布かれたのは、小磯内閣のときで、実施は昭和20年からだった。だが、軍人(軍夫ではない)の志願制はその前からおこなわれていた。 大学高専在学生の徴兵猶予が取消され、日本人の学生が「学徒出陣」で軍隊に入ったとき、同じ学生の台湾人は徴兵がないけれど、志願を強制されて軍服の人となったのである。 私はすでに繰り上げ卒業して「学徒」ではなくなっていたが、大阪外大の一級下であった楊克智君はそれに該当して軍隊に入ることになった。彼と同期の司馬遼太郎君は学徒出陣兵で、結局、両君はおなじころに兵営の門をくぐったのである。『道半ば』1:過ぎ行く牧歌時代p218~220『道半ば』2:神戸空襲前後p127~132『道半ば』3:終戦直後の在日の台湾人p142~146『道半ば』4:2月28日事件p243~247『道半ば』5:学究時代p109~114
2018.08.24
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国際政治学者のイアン・ブレマーさんがインタビューで「国際協調嫌う米国、強権体制進む中国、新たな冷戦の予感」と説いているので、紹介します。(8/22朝日から転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも)米国と中国の間で制裁関税と報復の連鎖が止まらない。保護主義に傾き、国際協調から背を向ける米国と、強権体制を強めつつ経済強国路線を突き進む中国は、国際社会をどこへと導くのか。リーダー役不在の世界を「Gゼロ」と形容する、米国際政治学者のイアン・ブレマーさんに聞いた。Q:なぜ米国のトランプ政権は中国に通商紛争を仕掛けるのでしょうか。A:トランプ氏は貿易赤字は悪いものだと、ひたすら信じ込んでいます。通商について何も知らないのです。側近の高官たちはそれをわかっていますが、大統領に直言できません。Q:台頭する中国への脅威論も背景にあるのでしょうか。A:米国主導の秩序に中国が取って代わろうとしています。かつて米国など西側社会には中国が消費者主導の経済になれば、政治改革は避けられなくなるとの楽観論がありました。だが、それは誤りだった。習近平国家主席は『終身元首』として権力を固めています。西側モデルを採用するつもりはないどころか、国際通貨基金(IMF)や世界銀行など米国主導の多国間協調と異なるシステムを築こうとしています。米国側には、今のうちに中国をたたいておくべきだとの考えがあります。Q:方、米国は中国の通信機器大手に対する制裁を解除しました。トランプ氏も習近平氏の批判は慎重に避けるなど、一貫性に欠けています。A:確かに、トランプ氏は中国内で多くの雇用が失われるのは問題だとツイートしました。(同様に通商政策で対立する)メキシコやカナダについては、そんな発信をしていません。それこそトランプ氏の心の中に入らなければ真意の見極めは難しい。 トランプ氏は習氏を強いリーダーとみなしています。彼は同盟国よりも強権国のリーダーと良好な関係を持つことを望んでいます。通商問題と、北朝鮮など安全保障上の思惑を結びつけて考えるのもトランプ氏の特徴です。Q:本気で中国と事を構えるつもりはないということですか。A:米高官たちはせっかく好調な状態にある経済がこの問題で傷つく事態は望んでいません。中国もまた、緊張をエスカレートさせたくはないでしょう。 ただトランプ氏自身は感情的になると自制がきかなくなります。たとえば北朝鮮との非核化交渉でプライドを傷つけられたら、かわりに『中国を罰する』ようなふるまいに転じる可能性もある。秋の中間選挙や、(米大統領選への介入をめぐる)ロシア疑惑の捜査のプレッシャーも強まるでしょう。米国大統領としての言動を予測するのが難しくなります。 ■ ■Q:中国市場の閉鎖性に対しては米国に限らず批判が強まっています。A:中国が国家資本主義と強権体制を維持しつつ、世界最大の経済大国になることは、グローバルな自由市場の終焉を意味します。中国モデルは普遍性に欠けるからです。米国モデルは価値基準を受け入れれば誰もが等しく参加できる。中国の一帯一路構想も、(中ロと中央・南アジアの計8カ国が参加する)上海協力機構も多国間協調の体裁を装っているが現実は違います。自転車のハブとスポークのような構造で、中心にあるのは北京。中国の経済的利益が最大化される仕組みだと思います。Q:逆に中国が公正な国際ルールに基づいて自由主義経済体制を築けば「良し」となりますか。A:中国がきちんと市場を開いて競争力をつけるのであれば、恐れるには及びません。それは中国が米国の価値基準に適応することを意味し、米国主導のシステムの重要性が増すことになるからです。 世界が中国モデルに牛耳られる最大の問題は、中国が中所得国であるからです。環境や人権などの優先順位が高い高所得国とは異なる物差しで統制される事態をあなたは望みますか。『中国だからダメ』ではなく、そもそも中所得国のシステムは脆弱でリスクが高いことを強調しておきましょう。Q:トランプ氏も保護貿易主義への姿勢を強め、世界貿易機関(WTO)へ敵意を露(あら)わにしています。A:トランプ氏が関心を持つのは長期的戦略や国益ではなく、目先の政治的利益です。環太平洋経済連携協定(TPP)が対中バランス上、長い目で見て米国に恩恵をもたらすことは考えず、反対する方が支持者に受けると考える。並外れたナルシシズム(自己陶酔)の持ち主で、『いかに自分が偉大に見られるか』が全てです。 トランプ氏は、それが米国主導だったとしても多国間の枠組みを嫌います。リーダーは一切、束縛されるべきではないという考えの持ち主だからです。自分の思うままに振る舞える方が他の強権リーダーとうまく渡り合える。プーチン氏や金正恩氏との首脳会談もそうでした。Q:あなたはリーダー役がいない世界の現状を「Gゼロ」と呼んでいます。中国が強権化し、米国が内向きになると、国際秩序はどう変わっていくのでしょうか。A:私がGゼロの問題を提起した7年前は、ここまで事態が進むとは予想していませんでした。世界的に好調な経済でかろうじて持ちこたえていますが、Gゼロがもたらす混乱は予想より長く続き、危険なものとなりそうです。 だが、トランプ氏がGゼロの主原因というわけではありません。米国に限らず、過去5年間でリベラルな民主主義は弱体化した。ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭、グローバル化を支持してきた既存の政治に対する大衆レベルでの反感の広がりなどが原因です。G7(主要7カ国)や北大西洋条約機構(NATO)など国際秩序を支えてきた枠組みも弱体化した。トランプ時代が終わっても、元に戻らないかもしれない。 ■ ■Q:いずれ米中の衝突は避けられないのでしょうか。A:戦争や大恐慌といった深刻な危機が起きて今のシステムが崩壊することで、Gゼロが幕を閉じる可能性もあります。第2次大戦の終戦がそうだったように、ゼロからの再起となるシナリオです。 逆に、世界が米国と中国だけによって仕切られるシナリオもあり得ます。とりわけ先端技術分野で米中は他国より飛び抜けて先行し、互いに対抗している。新たな冷戦の到来を予感させるほどです。まさしく『世界を二分するシステム』と呼ぶべき状況で、グローバルな秩序とはいえません。 とりわけ私が深刻に懸念するのは人工知能(AI)をめぐる米中の対立です。中国は独自のビッグデータを用いて米国と全く異なるシステムを築きつつある。両国の軍拡競争の一翼をAIが占めていますが、この分野では抑止力も相互の協力も対話もありません。『冷戦』にとどまらず、現実の戦争につながりうるリスクです。Q:日本も弱体化していくのでしょうか。A:素っ頓狂な話と思われるかもしれませんが、大国の中で民主主義が比較的うまく機能しているのが日本です。人口減少に伴い労働者層の状況が良くなっている。欧米で起きているような移民の大量流入がない。戦争をしていない。ソーシャルメディアの普及度が他国と比較して低い。かくしてポピュリズムへの耐性を備えている。Q:トランプ政権に追随する日本の姿勢に懸念も聞こえます。A:一般論をいえば、日本の首相が米国の大統領と良好な関係を築くのは正しい。だがトランプ氏は政治家としてあまりに異色で、安倍晋三首相との関係も一方通行です。日本が得たものはあまりない。たとえトランプ氏が安倍氏を個人的に気に入っていても、彼は『見返りを与える』ことに関心はありません。北朝鮮との交渉で日本を蚊帳の外に置き、日本に関税を課すといった具合です。 ドイツは『もう米国に頼らない』と言えます。代わりに強い欧州を築けばよく、差し迫った安全保障上の脅威もない。だが日本は違う。日本周辺の厳しい安全保障環境を考えれば独自に対米協調路線をとることは理解します。 ■ ■Q:巨大化する中国と日本はどのように向き合っていけばいいでしょうか。A:中国は(20、30年のうちに)支配的なパワーになる。中国との関係改善こそ日本がとりうる唯一の選択肢です。アジアインフラ投資銀行(AIIB)に日本は参加すべきだし、軍事力を強化して対抗していくことは賢明な策とは言えません。歴史認識をめぐる対立も解消しておいた方がいい。 しかし、日本は中国にないものを持っています。優れたインフラ、質の高いサービス産業。高齢化社会にうまく適合している。中国は豊かになればなるほどそうしたものを欲しがります。日本がそれを利用しない手はありません。 *イアン・ブレマー:国際政治学者、ユーラシア・グループ社長 1969年生まれ。98年に世界の政治リスクを分析する調査会社「ユーラシア・グループ」を設立。近著に「対立の世紀 グローバリズムの破綻」。◆ 記事はブレマーさんとの単独インタビューと、朝日新聞を含む日本の一部メディアによる合同インタビューをもとに構成しました。(ワシントン=青山直篤、沢村亙)Gゼロの世界の先イアン・ブレマー2018.8.22ただいま、台風20号が神戸市の横を通過しました。風速は(体感的には)瞬間的に45~50メートルくらいだったかも。
2018.08.24
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くだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「ペンタゴン・ペーパーズ」と「ザ・シークレットマン」であり、館主の設けたテーマは「ニクソン政権×パルシネマ」となっています。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが、今回のテーマとしては、やや宣伝臭がするけど、いいんじゃないでしょうか♪【ペンタゴン・ペーパーズ】スティーヴン・スピルバーグ監督、2017年、米制作、H30.08.22観賞<Movie Walker作品情報>より政府を敵に回してまで“報道の自由”を守ろうとした実在のジャーナリストたちの姿を描く、スティーヴン・スピルバーグ監督による人間ドラマ。ベトナム戦争を客観的に調査・分析した国家の機密文書“ペンタゴン・ペーパーズ”の全貌を公表しようとしたワシントンポストの女性発行人をメリル・ストリープ、編集主幹をトム・ハンクスが演じる。<大使寸評>原則としてハリウッド映画は観ないことにしているのだが・・・スピルバーグ監督が、メリル・ストリープとトム・ハンクス共演による“報道の自由”を描いた作品となれば、話は別になるのです。Movie Walkerペンタゴン・ペーパーズこの映画館では毎回、幕間にお昼の弁当を食べるのだが・・・・今回はダイエーで買ったおにぎりとアップルパイでした♪【ザ・シークレットマン】ピーター・ランデズマン監督、2017年、米制作、H30.08.22観賞<Movie Walker作品情報>よりリーアム・ニーソンがウォーターゲート事件の内部告発者“ディープ・スロート”こと元FBI副長官マーク・フェルトを演じたサスペンス。FBI長官代理グレイからウォーターゲート事件の早期解決を命じられたフェルトは、マスコミを利用しようとするが……。共演は「ボンジュール、アン」のダイアン・レイン、「ラビング 愛という名のふたり」のマートン・ソーカス。監督は「コンカッション」のピーター・ランデズマン。<大使寸評>ウォーターゲート事件の告発者“ディープ・スロート”を題材にした硬派の作品であり、ハリウッド映画とは呼べないのかもしれないが・・・寝不足のせいで、途中で居眠りしてました。全篇、暗い色調で統一されていたが・・・ラスト近くでフェルトが娘と再会を果たすあたりは明るい自然色となり、ホッとします。Movie Walkerザ・シークレットマン原則としてハリウッド映画は観ないことにしているのだが・・・これだけ例外があれば、原則と言えないのかもね。パルシネマ上映スケジュール・彼らをつき動かすものH30.7.21
2018.08.24
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図書館で『苦節十年記/旅籠の思い出』という文庫本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。【苦節十年記/旅籠の思い出】つげ義春著、筑摩書房、2009年刊<「BOOK」データベース>よりつげ義春が、エッセイとイラストで描く、もう一つの世界。旅籠、街道、湯治場の風景や旅先で出会った人。貧乏旅行の顛末を綴った文章、自らの少年時代などを記した自伝的エッセイなどをセレクトした。つげ的世界の極致ともいうべき「夢日記」は、絵と文章のコラボレーション。さらにカラーイラストも付いた、ファン必携の1冊。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。amazon苦節十年記/旅籠の思い出「夢日記」の一部を、見てみましょう。p343~345<夢日記>■昭和50年4月28日 毎日遊びに来ている近所の猫の手足が4本千切れている。何かに圧しつぶされたようで、水かきのように平べったくなっている。しばらく姿をみせなかったので、死んだものと思っていたがひょっこり現れた。餌を持つのに不自由そうで、抱きこむようにしている。(これは夢にちがいないとうつつに思い、あとでメモをするために)忘れない呪文を唱える。マゲモノマゲモノ(チョンマゲのことか?)とくり返しつぶやく。■昭和50年5月7日 工場の仕事をさぼってアルバイトに出かける。兄(ともう二人誰か)を案内(どこへ?)する。 土手の道を行くと、土手下に広がる砂漠に市場がある。(どんな理由か)自分は兄たちと意見が合わなくなり、そこで別れ、土手の急斜面を蟻地獄に落ちこむように下りて市場にいく。 市場は終戦後の闇市のようにごった返し、そこここで乞食のように貧しい人々が物を食べている。自分も空腹を覚える。 市場を通りぬけたところの角の和菓子屋を覗きメニューをながめる。和菓子屋なのに定食屋のようなメニューなので、あさり汁の定食を注文すると、砂ぬきするのに6日かかると云われる。別の料理のしかたならすぐ出来るらしいが、それは好みでないので店を出る。 工場へ戻る途次、紙問屋の前で(ふところに札束を持っているので)紙の買占めを考える。いつかのような紙不足時代がまた予想されるので、ひと儲けをたくらむ。 工場に戻ると、さぼっている4、5人の仲間が手を振って迎えてくれる。首尾はどうだったと聞かれる。(が、何のことか?)。先ほど別れた兄たちと何か計画があったのか?自分は意見が合わず別れたことも忘れかけている。 皆と芝生に車座になっていると、土の中から鼠ほどの小さな狸が現れて、穴からチョロチョロ顔を出し、うるさく気が散るので手を振って追いはらう。狸はアルマジロに化け、玉虫のように丸くなり、土中の穴をころげて逃げる。ウーム アートというか、ヘタウマなショートショートというか・・・とにかく、苦節十年だったようですね。この本もつげ義春ワールドR7に収めておきます。『苦節十年記/旅籠の思い出』3:手塚治虫氏宅訪問など『苦節十年記/旅籠の思い出』2:東北の温泉めぐり『苦節十年記/旅籠の思い出』1:白土三平や長井社長、水木しげるたちとの交流
2018.08.23
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図書館で『苦節十年記/旅籠の思い出』という文庫本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。【苦節十年記/旅籠の思い出】つげ義春著、筑摩書房、2009年刊<「BOOK」データベース>よりつげ義春が、エッセイとイラストで描く、もう一つの世界。旅籠、街道、湯治場の風景や旅先で出会った人。貧乏旅行の顛末を綴った文章、自らの少年時代などを記した自伝的エッセイなどをセレクトした。つげ的世界の極致ともいうべき「夢日記」は、絵と文章のコラボレーション。さらにカラーイラストも付いた、ファン必携の1冊。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。amazon苦節十年記/旅籠の思い出手塚治虫氏宅訪問などを、見てみましょう。p235~237<苦節十年記> この当時、マンガを志望するマンガ少年たちは、その登竜門といわれる雑誌『漫画少年』に投稿するのが慣例になっていた。石森章太郎、松本零士、藤子不二夫あたりは投稿の常連で、赤塚不二夫の名前も私はそこで知って後日彼と何度か会ったりした。 投稿作品が掲載されると記念品が貰えたが、原稿料でなく記念品では不満で、単なる遊びのように思えて、打算的な私は一度も投稿したことがなかった。私も2歳上の兄も小学を出ると働きに出て、一家7人の生活を2人で支え、そういう現実があって、金にならぬ投稿遊びなどをする気になれなかった。 いきなり『痛快ブック』へ四コマを3点ほど送ってみたが、それは遊びではなく売り込みだった。幸い1点だけ採用されて、300円の原稿料が郵送されてきたが、それも生活費の一部になった。 ところで、その古い手紙の束に意外な所からの封書が一通混ざってあった。日本郵船株式会社からのもので消印は28年4月18日になっている。 拝復 今般海員御希望の貴簡拝誦いたしました。現在当社は海員の欠員なく新規採用をいたして居りません。仮令欠員が生じた場合でも一般よりは採用せず、各地にあります官立海員学校(旧養成所)卒業者を優先的に採用する当社の計画でありますので、今回の貴殿の切なる御希望に応じられませんことを御許し下さい。 右甚だ簡単ではありますが御返信まで。 私は小学5、6年の頃から船員になることを志望していて、密航を二回謀っている。当然のことながら密航では船員になれないことを知って、日本郵船へ履歴書を送ったのだと思う。しかしその履歴書も一緒に返送されてきた。日本郵船といえば大会社、何のツテもない15、6歳の子供を採用するはずがない。世間知らずの私はどんな手紙を書いたのか覚えていないが、今その安物の便箋に書いた履歴書の筆跡を見ると、いかにも無学無知を露呈していて、自分のことながら胸が痛む。 そして、生年月日を昭和11年にして1歳ごまかしている。学歴、職歴も1年ずつずらし、小卒なのに中卒にしてある。職歴は町工場を転々と変えていたのを一つに整理している。こんな小細工はすぐバレるはずなのに、無知なりにチエを絞ったのだろう。 この不採用の通知によって、私は船員を断念したようで、急にマンガへ方向転換したのではないかと思える。記憶があいまいだが、手塚治虫をトキワ荘に訪ねたのはこの時分だったような気がする。手塚は上京して間がなかった頃ではないかと思う。トキワ荘の住人といわれるマンガ家諸氏は、まだ住んではいなかった。 私は兄と二人で出かけ、トキワ荘の外に兄を待たせ一人で手塚の部屋を訪ねた。ノックして「ファンです」と云うと、「ちょっと待って下さいね」と声がして、何か慌ててかたづけている気配がした。3、4分だったろうか、ずいぶん長く待たされたような気がして、部屋に通されると、昼どきで食事をいていたような匂いがこもっていた。四畳半か六畳ひと間のありふれた部屋で、窓辺に座机が据えられ、家具らしきものはあまりなかった。人気マンガ家の部屋にしては粗末に見えた。どんな話をしたのか覚えていないが、新人マンガ家の原稿料を訊いたのは忘れていない。それが私は最も気になるところだった。 それともう一つ、ペンで書き損じたところを白のポスターカラーで塗りつぶすことを訊いた。手塚はマンガの描きかたを「漫画大学」という作品でくわしく描いている。そこに描き損じは「ホワイトのポスターカラーで修正する」と教えている。それは私も読んではいたけれど「修正」という言葉の意味が解らなかった。私同様無学な母や兄に訊いても解らなかった。この本もつげ義春ワールドR7に収めておきます。『苦節十年記/旅籠の思い出』2:東北の温泉めぐり『苦節十年記/旅籠の思い出』1:白土三平や長井社長、水木しげるたちとの交流
2018.08.23
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図書館で『大人の実力』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、著者のいろんな作品の断章を並べただけの構成になっています。つまり、編集者の好みだけでこの本を作ることができるわけだが・・・・こんなんでいいのだろうか?(いいんだろう♪)【大人の実力】浅田次郎著、海竜社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりみずから物を考え、悩み、行動する“真の大人”の言葉。【目次】1 大人の胆力/2 人間の値打ち/3 人生を貫くもの/4 大人の責任/5 大人の条件/6 仕事の真価/7 大人の恋/8 夫婦・親子の絆<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、著者のいろんな作品の断章を並べただけの構成になっています。つまり、編集者の好みだけでこの本を作ることができるわけだが・・・・こんなんでいいのだろうか?(いいんだろう♪)rakuten大人の実力この本の構成に関して浅田さんが「あとがき」で弁明しているので、見てみましょう。p183~187<あとがき> このたび海竜社様から、三冊目となる書物を刊行していただいた。 既刊は2003年の『僕は人生についてこんなふうに考えている』、ならびに、2004年の『ひとは情熱がなければ生きていけない』である。 本書を加えれば三部作とも言える内容であるから、すでに前二巻も読了されている方も多いと思われる。 『僕は人生についてこんなふうに考えている』では、本著と同様に私の著作から「おいしい部分」や「殺し文句」を、適切に選び抜いていただいた。何だか著者としては、不労所得をせしめているような気がして心苦しいのだが、ここまで上手に並べていただくと、まさに私の胸のうちそのものであり、またよきガイドブックでもある。 一方の『ひとは情熱がなければ生きていけない』は、あちこちの雑誌に発表した私のエッセイの集積で、放っておけば散逸してしまうところを1冊にまとめていただいた。私自身は編集に協力したわけではないから、あらゆる雑誌に目を配っていなければならぬ、気の遠くなるようなお仕事であったはずである。 まことに有難い。ご担当の平山光子女史と関係者の皆様には、三冊目となる本著についてのご苦労ご尽力も併せて、厚く御礼申し上げる。 本著のテーマは、「大人とは何か」である。大人とは人生経験を経た人間のことであるから、相応の「大人の実力」を備えていなければならぬはずなのだが、どうもこのごろの大人は、むろん私自身も含めて、その実力とやらを欠いているように思える。 たとえば、私たちが子供の自分に仰ぎ見た大人たちは、祖父母も父母も、ご近所のおじさんおばさんも、学校の先生も、もっとずっと老成していたような気がする。いや、気のせいではあるまい。たしかにそうだった。(中略) 先日、まるきりほっぽらしで勝手に育った一人娘と、夜っぴいて語り合う機会を得た。28になるまでほとんどしゃべったことがないというのは、いったいどういう親であろうか。 さしさわりのない話題の中で、娘がふと思いがけぬ質問をした。 どこでどうやって小説を書くことを覚えたのだ、と訊くのである。 実に素朴な疑問だが、こればかりは私にもよくわからなかった。娘は私が父母と無縁で、教育も受けていないことを知っている。おれにしては偉そうな本を書いているので、不思議に思っていたらしい。 何だかほっぽらかしで育った娘の嫌味のようにも聞こえたから、そりゃあおまえ親はなくとも子は育つのだよ、とか何とか、答えをはぐらかした。 しかし後になってから、自分でも不審に思って答えを探した。たしかに本著にあるような説教癖は親からの受け売りではない。たいそうな教育も受けた覚えもない。ではいったい、何が私に小説を書かせたのかというと、それは紛うかたなく、私が読み耽ってきた書物そのものであった。 断言してもよい。書物さえあれば、親も学校もいらない。それだけでいっぱしの大人になることはできる。 世の中が豊かになり、社会は複雑になった。さまざまな利器が登場して、書物に親しむ時間を奪い始めた。人間が大人の実力を退行させ続ける原因は、ひとえにその現実なんであろう。ウン 浅田さんはこの本の構成に関して「あとがき」の場を借りて説明(弁明?)してくれたがその後、書物の効用と社会の退行について一つの説教を垂れた。・・・この作家の実力なんでしょうね♪この本も浅田次郎の世界に収めておくものとします。『大人の実力』1
2018.08.23
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図書館で『大人の実力』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、著者のいろんな作品の断章を並べただけの構成になっています。つまり、編集者の好みだけでこの本を作ることができるわけだが・・・・こんなんでいいのだろうか?(いいんだろう♪)【大人の実力】浅田次郎著、海竜社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりみずから物を考え、悩み、行動する“真の大人”の言葉。【目次】1 大人の胆力/2 人間の値打ち/3 人生を貫くもの/4 大人の責任/5 大人の条件/6 仕事の真価/7 大人の恋/8 夫婦・親子の絆<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、著者のいろんな作品の断章を並べただけの構成になっています。つまり、編集者の好みだけでこの本を作ることができるわけだが・・・・こんなんでいいのだろうか?(いいんだろう♪)rakuten大人の実力四合院4章「大人の責任」で、四角い家が語られているので、見てみましょう。p93~94<四角い家に住んで失ったもの> ふと、人間の住む家の基本は、円形なのではなかろうかと思った。山国の日本は建築資材は豊富なのに、稲作が普及して定住生活を始めてからも、人々は竪穴式の円い家に住み続けていた。 そもそも四角い家という発想は、家族がプライバシィを望んだ結果なのではなかろうか。つまり円い家に隔壁は造れないから、その壁に沿って家が四角くなったのではないのか。 さてそう思うと、事は重大である。 プライバシィの要求、隔壁の出現、四角い家、という住居の進化過程は、裏を返せば家族意識の退行を意味しているのではあるまいか。もしアフリカの先住民たちがそう考えているのなら、「四角い家に住む人」は進歩した人々ではなく、退行した哀れな人々ということになる。 われわれが進化と信ずる住環境は、ついに真四角の住居を三次元的に組み立てた集合体となり、その内部もまた強固な壁で隔絶された小部屋tなってしまった。 ご近所とも家族とも没交渉、これが「四角い家に住む人」の理想なのである。 私は建築史のことなど何も知らないが、小説家らしく理屈を捏ねると、「一家団欒」の「欒」の字は栴檀の漢名である。広義にはザボンや白檀の木もこの文字に含まれる。いずれにせよ花が咲き、実がなり、香りもよい木で、中国では四合院の中庭に好んでこの木を植えた。 四合院という中国の伝統建築は、「四角い家」ではあるが、家族の円居の場である中庭を持つのが特徴である。すなわち「団欒」とは、四合院のそれぞれの棟に住む家族が、中庭の栴檀の木の下に集まって、和やかなひとときを過ごすことを指しているのであろう。ちなみに、四合院よりさらに古い客家の住居は中庭をめぐる正円形である。(『つばさよ つばさ』「一家団欒」)ウン 中国の伝統建築に関する薀蓄なんかは、いかにも浅田さんならではのものではないか♪この本も浅田次郎の世界に収めておくものとします。
2018.08.22
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「手当り次第」でしょうか♪<市立図書館>・大人の実力<大学図書館>・バードウォッチング・SFの書き方・道半ば図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【大人の実力】浅田次郎著、海竜社、2009年刊<「BOOK」データベース>よりみずから物を考え、悩み、行動する“真の大人”の言葉。【目次】1 大人の胆力/2 人間の値打ち/3 人生を貫くもの/4 大人の責任/5 大人の条件/6 仕事の真価/7 大人の恋/8 夫婦・親子の絆<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、著者のいろんな作品の断章を並べただけの構成になっています。つまり、編集者の好みだけでこの本を作ることができるわけだが・・・・こんなんでいいのだろうか?(いいんだろう♪)rakuten大人の実力【バードウォッチング】(画像なし)酒井哲雄著、国土社、1987年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>我が家の2階から裏山の小鳥たちを眺める程度のバードウォッチャーであるが・・・この本は、私の程度にちょうどの本やでぇ♪このところ、ウグイスの競演が途絶えたが、代わりにセンダイムシクイの「焼酎一杯、グイーッ!」が聴こえたりする。【SFの書き方】大森望著、早川書房、2017年刊<「BOOK」データベース>より2016年4月、書評家・翻訳家・SFアンソロジストの大森望を主任講師にむかえて開講した「ゲンロン大森望SF創作講座」。東浩紀、長谷敏司、冲方丁、藤井太洋、宮内悠介、法月綸太郎、新井素子、円城塔、小川一水、山田正紀という第一線の作家陣が、SFとは何か、小説とはいかに書くかを語る豪華講義を採録。各回で実際に与えられた課題と受講生たちの梗概・実作例、付録エッセイ「SF作家になる方法」も収録の超実践的ガイドブック。<読む前の大使寸評>大森望はケン・リュウ『紙の動物園』を引き合いにして、「これがSFだ!」と言い張れるポイントがあればなんでもOK。ケン・リュウを倒すつもりでチャレンジしてくれと、けしかけています。rakutenSFの書き方【道半ば】陳舜臣著、集英社、2003年刊<「BOOK」データベース>より歴史を語りつづける作家が自らの20世紀を綴る注目の自伝エッセイ。ペルシャ、オリエントへの憧憬。歴史のうねりの中で培った豊かな精神。作家としてデビューするまでの若き日々。【目次】幼い日々/海岸通の家/中山手と北長狭/進学/水害の前/舞い落ちる旗/太平洋戦争まで/戦いはじまる/海を渡る人たち/上八時代〔ほか〕<読む前の大使寸評>神戸や台湾を描いた陳舜臣のエッセイ集であるが・・・これもミニブームといっていいんでしょうね。rakuten道半ば************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き324
2018.08.22
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図書館に借出し予約していた『ゴヤ(3巻)巨人の影に』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。ぱらぱらとめくってみると、42年前に刊行された本であるが・・・画像挿入が多く、装丁も現代的であり、なにより著者の語り口がええのです。【ゴヤ(3巻)巨人の影に】堀田善衛著、新潮社、1976年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、42年前に刊行された本であるが・・・画像挿入が多く、装丁も現代的であり、なにより著者の語り口がええのです。<図書館予約:(8/11予約、8/17受取)>amazonゴヤ(3巻)巨人の影に29番『戦争の惨禍』 全作品ゴヤ版画集より『戦争の惨禍』について、見てみましょう。p169~172<続・戦争の惨禍> ゴヤが包囲戦の危機に瀕したサラゴーサをあとにしてマドリードへ帰りついたとき、マドリードもまた危機に瀕していた。ナポレオン自ら軍を指揮してすでに首都の北163キロのアランダの町に到着していたからである。 マドリードの町々にはバリケードが張られていた。エル・レティロの広大な庭園には大砲が置かれ、志願兵として申し出て来た市民に八千丁の銃と銃弾がわたされた。どこにも悪徳商人はいる。あるタマのなかには火薬のかわりに砂が詰めてあったという。勇気凛々たる人々も無論いたであろう。しかし多くの市民は「やがて来るに違いないことに対する悲しい予感」におびえていたであろう。町々を支配しているものは、すでに無政府状態である。 こういうときには、ほんのちょっとした動機で何が起こるか、どういうことが仕出かされるかわからない。(中略) そうして29番では、屍(?)を引きずっている二人の「民衆」の蔭で黒いシルエットになっている男が剣で、おそらくはとどめを刺そうとしている。このシルエットはおそらく兵士であろう。しかも意味深いのは、この29番が「報いを受けるに値した」と題されていることである。それはゴヤもまた被包囲者心理の中にあって、この「民衆」の行為を是認する心境にあったことをあかし立てていはしないだろうか。(ここで私はあることを思い出す。それは、かつての戦争が終わって、私自身滞在していた上海から引揚げるときに、その引揚げ船で、戦時中に中国軍に捕虜とされ、重慶にいた旧日本軍の兵士たちと同船したことがある。船が上海を離れると、船内の空気が急速におかしくなり、この重慶にいた旧捕虜が、とうとう船底に引きすえられてリンチを加えられた。撲る、蹴る、暴民である。私は、やめろ、やめろと怒鳴った。しかし、私に出来たことは、この船、米軍のLSTの船長に通告するだけでしかなかった。そのことをこの二枚の銅版画を見るごとに、私は痛恨をもって思い出す) ナポレオンはすでにアランダまで下ってきている。 少し時日をさかのぼってみることにする。 1808年10月12日は、ナポレオンの生涯にあってもその頂点をきわめた日であった。 皇帝はドイツのエルフルトにあって、まず詩人ゲーテにレジョン・ドヌール勲章を授与し、ついでバヴァリア、ザクセン、ヴュルテンベルグの諸王とロシア皇帝アレクサンドルを召集し、英国に対しての和平提議を協議していた。そこで合意された議定書の第6項に「(対英)平和のための絶対的条件として、英国はスペインにおいてフランスが樹立した新秩序を承認すること」という項目があった。 この和平提議に対する英国王ジョージ三世の返答は「英国王は、ポルトガル、シシリー及びスウェーデンの各王、及びスペイン政府と交渉中につき」云々という否定的なものであった。ウン 堀田さんは「スペインには政府がいくつあるのか誰にもわからない」当時の情況を説いているわけで・・・鋭いジャーナリストの眼を持っているようです。『ゴヤ(3巻)巨人の影に』2:皇帝ナポレオンとスペイン、ポルトガルの関係『ゴヤ(3巻)巨人の影に』1:着衣のマハ、裸のマハ
2018.08.22
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図書館に借出し予約していた『ゴヤ(3巻)巨人の影に』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。ぱらぱらとめくってみると、42年前に刊行された本であるが・・・画像挿入が多く、装丁も現代的であり、なにより著者の語り口がええのです。【ゴヤ(3巻)巨人の影に】堀田善衛著、新潮社、1976年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、42年前に刊行された本であるが・・・画像挿入が多く、装丁も現代的であり、なにより著者の語り口がええのです。<図書館予約:(8/11予約、8/17受取)>amazonゴヤ(3巻)巨人の影に皇帝ナポレオンとスペイン、ポルトガルの関係について、見てみましょう。p56~59<巨人の影に> 元来ナポレオンのもっていたピレネー山脈の西に対する関心は、スペインよりも、むしろポルトガルにあった。小さなポルトガルが頑固にイギリスと結んでその保護をうけていたからである。というより、小国ポルトガルにとって、ほかにどういう道があったろう。西仏連合艦隊がトラファルガル沖で壊滅した今日、ポルトガルの生命線であるブラジルやアフリカの植民地との通航を守ってくれるものは英国艦隊でしかない。 1806年、ナポレオンがベルリン勅令によって対英大陸封鎖を宣言したことはすでに述べたことであったが、ポルトガルとオランダから水が洩れていた。英仏独墺にわたる金融資本家ロスチャイルド家などが封鎖破りの主役であった。オランダをおさえつけた後は、どうしてもポルトガルということになる。 ナポレオンは西仏国境の町バイヨンヌに兵を進めた。はじめは少数の、リスボンの宮廷に反省を求めるための、いわば象徴的な部隊にすぎなかった。しかし、ポルトガルへ出兵をするにはスペインを通過しなければならぬ。ナポレオンはスペイン領通過協定の締結を求めた。ゴドイは、承知するともしないとも曖昧な態度で抵抗をつづけた。 が、やがてフォンテンブロォ協定というものが出て来た。これによると、ポルトガルの北と南はスペイン軍が占領する。中央部はフランス軍、そして戦後は再協定によって西仏連合管理とし、別に小さい公国を一つつくる、という内容であった。この公国は、当然、平和大公マヌエル・ゴドイ閣下の領有となる。・・・ かくて、1807年10月、ナポレオン軍はスペイン領を通過してこの月の末にリスボンを占領した。そうして軍は少数の象徴的なものどころではなく、スペイン人が眼をむくほどの大軍であった。ポルトガル王家は一家あげてブラジルへ逃げ出してしまう。西仏連合作戦の筈であったのに、スペイン軍はおくれをとってしまった。 それもその筈であった。スペインの正規軍(といっても)は、ナポレオンにとってとっくにスペインから吸い出されてドイツのハノーヴァーにいた! そうしって事前の約束は悉く反故にされ、ポルトガル全土はナポレオン〇下のジュノー将軍の私領になってしまった。 西仏連合作戦どころか、事態がかかるところことになってしまうと、それはゴドイの政策の失敗ということになる。一切の強権を一身にあつめた、さすがのゴドイも次第に孤立して行く。一般民衆は皇太子がナポレオンにあてた密書の件などは知らないのであるから、陰謀についての新聞発表があったからと言って納得が行くわけがない。フランス大使の策謀なども知るわけがない。しかし、漠然と、ナポレオン皇帝が一枚噛んでいることだけは噂として知られている。されば、民衆は自らを納得させるための理論を構成しなければならぬことになる。そのための格好の餌があった。 かねて悪評のみ高いゴドイである。ナポレオン皇帝はフェルナンドを支持してゴドイを避けたのだ! そこでゴドイとマリア・ルイーサが巻きかえしに出たのだ! それから、フェルナンドはフランス軍の出兵(もはやポルトガルなどはどうでもよくなってしまった、皇帝の軍はスペインへ入って来たのである)に反対して、それで逮捕されたのだ、それが“真の理由”だ、ということになった! 少々の前後撞着などは問題ではない。 すなわち一切の事情に通じた少数の人々にとって、フェルナンドこそが政略結婚によってスペインをナポレオンに売ろうとした売国奴である。真の“協力派”である。 けれども一般民衆の世論にとっては、フェルナンドこそが真の“抵抗派”である、ということになった。(中略) 右のような細目は別として、19世紀初頭のフランスから見て、一般的にスペインというものがどう見えていたかについて触れておく必要があろう。 スペインは、ナポレオン皇帝を頂いて全欧制覇に沸き立っているフランスの眼には、要するにいまにも木から落ちそうなリンゴかナシの実のようなものであった。民度の低い民衆一般は、宗教行事の行列と、闘牛と、野蛮な男女出入りに夢中になっていて、不平たらたらのブルジョアジイはほんの少数で、中産階級というものを形成もしていない。インテリはいまだに百科全書や人権宣言などを異端審問所を怖れながら廻し読みをし、とうに死んでしまったフランス革命に憧れている。それにまったく無知蒙昧の、多数の聖職者たち。マハやマホなどという伊達者どもでさえフランス語のかけっぱしを喋らないと格好が悪いと思っている。料理人や衣裳屋などは本名がPedroであってもPierreと名乗る。飢えで死にそうな下層貴族や郷士ども。産業は、英仏との比較で言えば無にひとしく土地は砂漠同然。少数の大貴族はおっかなびっくりで陰謀にふけり、女貴族はパリの流行だけしか考えていない。宮廷はエル・エスコリアール、ラ・グランハ、アランホエースなどの離宮をほっつき歩くだけで政務などというものはほとんどしない。王はただ鉄砲を射ってあるくだけ、王妃は色事専業、皇太子は腹黒くて臆病者、総理大臣兼陸軍元帥は虚栄心と好色のかたまり・・・・。スペイン国家は虫食いのおんぼろ樹木で中味はがらんどうである。 ナポレオンの放った多数の密偵の情報は、以上の点ではぴたりと一致していた。ウーム かなり辛辣なスペイン評である。でも今でもその評価は当っているのかも(笑)。『ゴヤ(3巻)巨人の影に』1
2018.08.21
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<『ゴヤ(3巻)巨人の影に』1>図書館に借出し予約していた『ゴヤ(3巻)巨人の影に』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。ぱらぱらとめくってみると、42年前に刊行された本であるが・・・画像挿入が多く、装丁も現代的であり、なにより著者の語り口がええのです。【ゴヤ(3巻)巨人の影に】堀田善衛著、新潮社、1976年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、42年前に刊行された本であるが・・・画像挿入が多く、装丁も現代的であり、なにより著者の語り口がええのです。<図書館予約:(8/11予約、8/17受取)>amazonゴヤ(3巻)巨人の影に着衣のマハ二枚のマハについて、見てみましょう。p31~40<着衣のマハ、裸のマハ> 着衣のマハと裸のマハ・・・。 この二枚の、あまりに有名、あるいは悪名のみ高くなってしまった女性像ほどにもゴヤ研究者や、正確を期した伝記作者を困惑させるものは、他にないようである。(中略) この二枚のマハは、言うまでもなくプラド美術館に秘蔵されてい、1971年秋には日本でのゴヤ展のために送られて来たのであったから、見られた人の数も多いと思われる。しかしこの日本での展示のあとに、それは同時にプラド美術館長であったサンチェス・カントン氏の死亡の後にでもあったのであるが、プラド内での展示方法に変動が起った。私はそれを惜しいことに思っている。 それ以前には、この二枚の作品は、プラド美術館最奥の、ゴヤのための特別室に、特別な展示法をもって掲げられていたものであった。 その楕円形の部屋には入口が一つしかなくて、正面には例の大作カルロス4世家族図が見えていて人はそれに先ず吸い寄せられるのであるが、ふと降りかえってみると、入口の左右にわかれて、この二枚のマハが、右に着衣、左が裸のそれがいたものであった。着衣と裸のあいだは、無の空間であった。 そして、着衣のそれのすぐ横に、あたかも何かをたくらんだかのようにしてゴヤの妻のホセーファ・バイユー像があり、このホセーファが裸のマハをはすかいに、永遠に睨みつける、という劇的な配置になっていたものであった。しかもそういうホセーファを激励するかのように、ホセーファのすぐ横には苦虫を噛み潰したような、あの不機嫌な兄のバイユーまでがつき添っていた。 この、皮肉と言えばまことに皮肉な配置はまことに興味深く、思わず私は、 ・・・奥さん、あなたも大変ですな、日も夜も裸のマハを睨みつけるとは! と呟いたことがあった。 この二枚は、1808年にマヌエル・ゴドイがカルロス4世夫婦ともどもにスペインから永久に追放されたとき、ベラスケスの『ヴイナス』とともにゴドイの家の財産目録に提示されていた。後者はアルバ公爵邸から略奪して来たものであった。 モデルはゴドイの妾のペピータ・ツドォであろう、というのが、妥当なところであろうと思われる。 ところが、あるときに私はマドリードでサンチェス・カントン氏亡きあとの、現代でのゴヤ研究の第一人者である某氏と雑談をいていたときに、この某氏が、ふと、モデルはレオカーディア・ウェイス夫人ではないかと思う、と洩らされて私をびっくり仰天させたことがあった。レオカーディアはゴヤ晩年の伴侶である。他人の奥さんではあったが、1812年のホセーファの死以後、ゴヤの事実上の妻となるひとである。 この推定は、某氏としても、未確認は言うまでもないとしても、未発表のものであり、従って氏の名を書くことは遠慮しなければならない・・・。 しかし、もしこの推定が正しいとすれば、ゴヤはホセーファ生前からすでに、この他人の奥さんとねんごろなことになっていたことになる! ホセーファにはますます、日夜通しでマハを睨みつけていなければならぬ理由があることになる!
2018.08.21
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図書館で『スペイン旅行記』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、ユーモラスな挿絵が多くて親しみを覚えるのです。この本の挿絵はチャペックの自筆とのことで・・・多芸な人である♪大使も若い頃、列車で南仏からスペインに入ったことがあるので、この本は、まあセンチメンタル・ジャーニーみたいなものでおます。【スペイン旅行記】カレル・チャペック著、恒文社、1997年刊<「BOOK」データベース>よりイスラムやキリスト教はじめ多種多様な文化が混在して豊かな趣をたたえたスペインの風物を、独自の観察と描写で紹介!マドリード、トレド諸都市の風景、ベラスケスやゴヤなどの絵画、闘牛やフラメンコ、壮大な建築、魅力的な美女な風俗一般を、巧みに描写。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ユーモラスな挿絵が多くて親しみを覚えるのです。この本の挿絵はチャペックの自筆とのことで・・・多芸な人である♪rakutenスペイン旅行記チャペックが闘牛の魅力を述べているので、見てみましょう。p148~151<ふつうの闘牛> 闘牛の第2部は、ふつうのスタイルの戦いだった。それはたいへん劇的であったが、また、非常に痛ましくもあった。しかし、これだけで闘牛というものを判断したくはない。たまたま、その日が幸せな日ではなかっただけなのだ。 早くも最初の牡牛は、飾りつきの銛を突き刺されたとき、怒り狂って執拗に攻撃してきた。歓声をあげて興奮する観衆は、牛をまず「へとへとにさせる」ことを望まなかった。ファンファーレがけたたましく鳴り響き、アリーナにいた人びとが退いて、金色の衣裳飾りをきらめかせながら、主役闘牛士(エスパダ)のパルメーニョが牡牛にとどめを刺しに出てきた。 しかし、獣はまだ、あまりにも敏捷だった。最初の対決でパルメーニョの腰のあたりを角で突き、頭ごしに孤を描くように闘牛士の体を放り投げ、もはや自分の力で動くことのできない闘牛士めがけて突進した。わたしの目には、怒れる牡牛が投げ出されたジャケットを裂き、踏みにじる姿が前もって見えた。 それはほんとうに、心臓が凍りつくような一瞬だった。その瞬間、マントを持った闘牛士がその場に登場し、身を挺して牡牛の角にまともに向かい、マントでその目をつつみ隠し、攻撃してくる牡牛を自分のうしろにみちびいた。 その間に、二人の雑用係が不運なパルメーニョの体を持ち上げ、雄々しくも気絶してしまった闘牛士を運び去った。傷の程度については“予断を許さず”と翌日の新聞に書かれていた。 さて、この出来事のあとで、わたしがそこから立ち去っていたら、人生で最大の感動の一つを見のがすことになっただろう。新聞もその名を伝えなかった無名の雑用係が、傷ついた主役闘牛士(マタドール)から牡牛をそらすために、いかに勇敢にその腹部を牛の角にさらしていたことか。いかにためらいなく、狂乱して襲いかかる牡牛をみずからに引きつけ、最後の瞬間になんと巧みに跳躍して危険を脱したか。 そして今度は別の闘牛士が登場し、マントをひらひらさせて牡牛を自分のほうへ誘い、最初の闘牛士が金糸で刺繍された手袋で、ひたいの汗をぬぐうことができるようにする。それから二人の無名の闘牛士はわきへ退き、新しい主役闘牛士が剣を手にして、傷ついた名手のかわりに登場する。 代役の闘牛士は、面長の悲しげな顔をした男だった。明らかに人気がなく、牡牛を、いわば犯罪者のように取り扱った。その瞬間から、闘牛は恐ろしい屠畜となり、荒立った観衆はブーイングと口笛で、人気のない闘牛士を直接荒れ狂う獣の角にぶつけさせようとした。『スペイン旅行記』2:ゴヤの魅力『スペイン旅行記』1:ドイツ、ベルギー、フランスを通って
2018.08.21
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図書館で『スペイン旅行記』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、ユーモラスな挿絵が多くて親しみを覚えるのです。この本の挿絵はチャペックの自筆とのことで・・・多芸な人である♪大使も若い頃、列車で南仏からスペインに入ったことがあるので、この本は、まあセンチメンタル・ジャーニーみたいなものでおます。【スペイン旅行記】カレル・チャペック著、恒文社、1997年刊<「BOOK」データベース>よりイスラムやキリスト教はじめ多種多様な文化が混在して豊かな趣をたたえたスペインの風物を、独自の観察と描写で紹介!マドリード、トレド諸都市の風景、ベラスケスやゴヤなどの絵画、闘牛やフラメンコ、壮大な建築、魅力的な美女な風俗一般を、巧みに描写。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ユーモラスな挿絵が多くて親しみを覚えるのです。この本の挿絵はチャペックの自筆とのことで・・・多芸な人である♪rakutenスペイン旅行記カルロス4世の家族チャペックがゴヤの魅力を述べているので、見てみましょう。p61~65<ゴヤ・・・裏返しの人> マドリードのプラド美術館には、ゴヤの絵画が何十点かと、デッサンが何百か収蔵されている。そのほかにはなにもないとしても、ゴヤのために、マドリードは巡礼すべき偉大な場所である。 これほど広く、これほど鋭く深く、自分の時代をとらえ、その表と裏の両面を描いた画家は、彼の前にはいなかったし、後にもいない。 ゴヤは、リアリズムの人ではない。ゴヤは攻撃的であり、革命的である。ゴヤは、バルザックに輪をかけた、政治的アジテーターとも言うべき画家である。 彼のもっとも楽しい作品は・・・ゴブラン織りのタペストリーの図案だ。田舎の市、子供たち、貧しい人たち、田舎のダンス、傷ついた煉瓦職人、大酒飲み、水差しをもつ娘たち、ぶどうの収穫、吹雪、芝居、民衆の結婚、人生そのもの、その喜びと苦悩、遊びと悪の場面、まじめな情景と優雅な光景。 これまで、いかなる画家の連作の中にも、これだけ民衆の生活を取り込んだものはなかった。 彼の絵は、民謡のように、陽気なアラゴン地方の素朴なダンスのように、みごとなアンダルシア風ダンス曲のように、鳴りわたる。それは、ロココ風のイメージであるが、すでに民衆化されている。特別なやさしさと喜びをもって描出されており、この恐るべき画家にしては意外だ。それが、彼の民衆に対する態度なのである。 王室一家の肖像について・・・・。カルロス4世は、でっぷりとして冷淡な表情をし、傲慢で愚鈍な役人のようだ。マリア・ルイザ女王は、怒りに燃えた人を射るような目つきで、醜聞を生み、不貞をはたらくふしだらな女。彼らの家族は、魅力に乏しく、不遜で、反感を覚える。ウン このところゴヤや版画に関する本を集中的に読んでいるが・・・いわば、個人的ミニブームなんでおます♪『スペイン旅行記』1
2018.08.20
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図書館で『スペイン旅行記』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、ユーモラスな挿絵が多くて親しみを覚えるのです。この本の挿絵はチャペックの自筆とのことで・・・多芸な人である♪大使も若い頃、列車で南仏からスペインに入ったことがあるので、この本は、まあセンチメンタル・ジャーニーみたいなものでおます。【スペイン旅行記】カレル・チャペック著、恒文社、1997年刊<「BOOK」データベース>よりイスラムやキリスト教はじめ多種多様な文化が混在して豊かな趣をたたえたスペインの風物を、独自の観察と描写で紹介!マドリード、トレド諸都市の風景、ベラスケスやゴヤなどの絵画、闘牛やフラメンコ、壮大な建築、魅力的な美女な風俗一般を、巧みに描写。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ユーモラスな挿絵が多くて親しみを覚えるのです。この本の挿絵はチャペックの自筆とのことで・・・多芸な人である♪rakutenスペイン旅行記カスティーリャ=ラ・マンチャ州1929年、チャペックはプラハからスペインを目指して出発したので、その一部を見てみましょう。p21~27<ドイツ、ベルギー、フランスを通って> さて、つぎは、ふたたび自由な領域になる。それはフランス・・・・ハンノキとポプラとプラタナス、プラタナスとぶどう園の国だ。 銀色がかった緑、そうだ、銀色がかった緑が、フランスの色だ。ピンクの煉瓦と、青っぽいスレート。軽やかな霧のヴェール、色というよりは光。まるでコローの絵そのものだ。 畑には、人っ子一人いない。たぶん、ぶどうの収穫で忙しいのだろう。トゥレーヌのワイン、アンジューのワイン、バルザックのワイン、それに、ド・ラ・フェール伯爵様のワイン。 「ギャルソン・ユーヌ・デミブティーユ(ボーイさん、ハーフ・ボトルを1本だ)」 そこで、ロワール渓谷の塔よ、乾杯! 黒服を着た黒髪の女性。なんだ、やっとボルドーか? 樹脂の香りがひと晩じゅうただよう。ここは南西フランスのランド県、マツの国だ。それから別の香り、きつく、気分をたかぶらせる香り・・・海だ。 アンディエ、乗り換え! ぴかぴかの三角帽をかぶった、若きカリギュラ(ローマ皇帝カエサルのあだ名)を思わせるような警官が、スーツケースになにか魔法の印をなぐり書きし、でかい態度でわたしたちをプラットフォームへ追いやる。もはやかくのごとし。わたしはスペインにいる。 「カルメロ、ウナ・メディア・デル・ヘレス(ボーイさん、シェリー酒のハーフ・ボトルだ)」 もはやかくのごとし。赤茶色のヘンナ染料でマニキュアをした、あやしい魅力をふりまくスペイン女。 とんでもない、きみ、彼女はきみには向かない。だがせめて、この警官を詰め込んで、家にはこんでいけたらなあ!<カスティーリャ地方> そうだ、わたしはスペインを旅したのだ。 そのことについては、自分自身でもたしかにそう思うし、スペインを旅行した多くの証拠も、たとえばスーツケースに貼るあちこちのホテルのラベルも持っている。にもかかわらず、スペインの地は、わたしにとって、見通しのきかぬ神秘のヴェールにつつまれている。 その最大の理由は、わたしがスペイン国内に足を踏み入れたときも、スペインの地から出てきたときも、夜の闇が支配していたからである。わたしたちはまるで、目かくしされて、アケローン川(冥界の川)を越えたり、夢の山を通過しているようだった。 わたしは窓外の暗闇から、なにかを見分けようと試みた。むき出しの山腹に、なにか、しわが寄って黒く汚れたようなものが見えた。岩だったか、木だったか、大きな動物だったかもしれない。それらの山々は、きびしく、不思議な構造を持っていた。(中略) やがて、もう一度目をさまし、窓ごしに外を見たとき、わたしは、熱病にかかったのではなく、別の土地にいるのだということがわかった。その土地とは、ピレネーの南、アフリカなのである。 どう言ったらよいか、わたしにはわからない。その土地は緑だが、わたしたちの土地との緑とは異なって、暗く灰色がかっている。その土地は褐色だが、わたしたちの土地とは異なる。それは耕土の褐色ではなく、岩と黄土の褐色だ。その地には赤い岩山があるが、その赤さはどこか哀愁をただよわせている。 そしてその地には山があるが、その山々は、たんなる岩山ではなく、厚い粘土質と玉石でできている。それらの玉石は、地面から生れてきたのではなく、まるで、天から降ってきたかのように見える。その山脈は、シェラ・デ・グアダラマと呼ばれる。 その山脈をつくった神様は、たいへんな力持ちであったにちがいない。そうでなかったら、どうしてこれだけの石を積み上げられたろう! 玉石のあいだに、ふつうのカシが生えている。ほかにはもう、ほとんどなにもない。ただ、タチジャコウと、ブライヤーだけだ。その地は、荒れ果てて大きく、砂漠のように乾いており、シナイ半島のように神秘的である。 わたしには、どう言ったらよいか、わからない。そこは、別の大陸だ。とてもヨーロッパとは思えない。そこはヨーロッパよりもきびしく、恐ろしく、ヨーロッパより古い。 とはいえ、メランコリックな不毛の地ではない。栄光にみちていて、奇妙で、粗野でありながら、気高い。黒衣をまとった人たち、黒い山羊、黒い豚が、熱い褐色の背景から浮かびあがる。燃えるような石のあいだで、苦しくも黒く燻される生活。 ここかしこ、小川が流れているのではなく、ごろごろした丸石が集まっているのであり、平野ではなく、むき出しの岩場であったりする。カスティーリャの民家は、石造りの荒壁である。
2018.08.20
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図書館で『苦節十年記/旅籠の思い出』という文庫本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。【苦節十年記/旅籠の思い出】つげ義春著、筑摩書房、2009年刊<「BOOK」データベース>よりつげ義春が、エッセイとイラストで描く、もう一つの世界。旅籠、街道、湯治場の風景や旅先で出会った人。貧乏旅行の顛末を綴った文章、自らの少年時代などを記した自伝的エッセイなどをセレクトした。つげ的世界の極致ともいうべき「夢日記」は、絵と文章のコラボレーション。さらにカラーイラストも付いた、ファン必携の1冊。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。amazon苦節十年記/旅籠の思い出東北の温泉めぐりについて、見てみましょう。p34~39<颯爽旅日記> ぼくはいつか文章を書く技術が上達したら、旅行記のようなものを書いてみたいとひそかに考えている。それでぼくの旅のメモのつけかたは、そのことをいくらか頭の隅におきながら書いているので、メモというにはふさわしくないようなダラダラしたものになっている。どこそこでコーヒーを飲んだというような余計なことまでつけてあるのは、あとで思い出すときの手がかりとするためで、日記も兼ねてある。■東北の温泉めぐり この旅行は初めての一人旅ということで、かなり緊張し昂奮していたのを覚えている。メモからは読みとれないが、張りつめた気持ちでの旅の印象は強く心に焼きつくもののようで、この旅のあと「二岐渓谷」「オンドル小屋」「もっきり屋の少女」の三本のマンガを描くことができた。 「二岐渓谷」と「オンドル小屋」は、旅に出る前におおまかな構想があったが、話をもっともらしくするため、実在する場所をつかいたいと思っていたので、この旅はさいわいした。「もっきり屋の少女」は、発想はこの旅に関係ないが、このメモ帳に何気なくつけておいた会津の方言が役立った。 蒸(ふけ)ノ湯 到着の日ミゾレが降っていた。山のふもとでみられた紅葉も、ここまでくると落葉している。八幡平頂上は登山観光客で賑わっているようだが、蒸ノ湯は、地の果て旅路の果てといった観がある。オンドル小屋でムシロを敷いて毛布にくるまっている細々とした老人をみると、人生のどんづまりを見る思いだ。 売店でムシロと毛布を1枚20円で4枚ばかり借りて寝る。地面から吹き上がる蒸気でムシロはびしょり濡れる。 大勢の観光客が棟内を覗きに来て、豚の鳴き声を真似て「ひでえな豚だ豚だ」とあざ笑い、大声で歌を唄って行ってしまった。 同じ棟の片隅に、食堂で働く女の子の寝起きする場所がある。ロープを張り、そこに毛布や着物を掛け周囲の視線を遮っているが、すき間から見ると裸で床の中に入った。誰でもそうするのだが、下着が汗で濡れると風邪をひくからだ。 彼女は地方から働きに来ているのかしら。小さな鏡台が置いてある。 風呂は90度くらいある。白く濁って硫黄の臭いがする。体を少しこすっただけでアカがこぼれるのは、そういう泉質なのか。誰もいない疝気の湯に一人で入っていると、〇毛が白毛のように白くなりあわてる。もう一度湯につかり、ゴシゴシこすったら元に戻った。湯アカが白い粉のようにこびりついたのかもしれない。 10月27日 後生掛温泉を見物。再び盛岡に戻り、生保内線(現田沢湖線)に乗換え、夏瀬温泉へ行くつもりが、急に気分が悪くなり角館駅前の宿に泊まる。黒湯に泊まりたかったが残念だ。 10月29日 子安峡はさすがに凄い。オノで割ったような谷は深く、雨が降ったせいか激流は逆巻き、すさまじい轟音だ。不動大滝も写真で見るより迫力がある。落差30メートルはあっるだろう。大墳湯近くの川はそのまま露天風呂になるほどの高温だ。ふだんは流れもおだやかで、川で入浴できるらしいが、あいにくだった。 泥湯温泉へ歩いて行く計画が、台風が近づいていて駄目になった。 バスの乗場に行くと、運転手が行方不明で車掌が青くなっていた。しばらくすると、すぐそばの共同浴場から真赤にゆで上がって出て来た。バックミラーを見ながらポマードを塗ったりして、のんびりした奴だ。 特急に乗り食堂車へ行く。初めてなので気おくれする。へたな物を注文して食べ方を知らないと恥をかくのでコーヒーとサンドイッチにするが、劣等感のためノドを通らず食べ残す。 また気分が悪くなる。緊張しすぎているせいか。吐き気もするので米沢に下車。駅前のはたごに泊まる。ものすごく汚い宿のくせに千四百円は高い。 10月30日 会津若松から滝ノ原線(現会津線)の湯野上温泉へ行く。期待はずれ。駅の近くの塔泉閣に泊まる。チップを出したらテレビを持ってきてくれた。 秋田地方は紅葉を過ぎたのに、このあたりは真最中だ。台風一過で天気も良い。しかし一人旅の宿代はやたらと高くつく。千七百円はごつい。食べ物は専門の旅館だけあってうまい。鯉のアライは別格だ。エビの丸あげのうめえこと。蒸ノ湯について更に、見てみましょう。p70~71 八幡平の蒸ノ湯は、ぼくは三年ほど前にも一度来ており、そのときの印象では、付近のやけただれた地肌や泥火山、大墳湯などの火山現象を眺め、荒涼とした地獄の様相を見る思いだった。地の果て、旅路の果てとはこういう所のことをいうのだろうと思った。そういう印象をえたのは、紅葉も散った霜柱の立つ秋の終りだったせいか、ぼくの気分のせいだったのかもしれないが、人によって印象もまた別のようで、蒸ノ湯の高見に立った三人連れの若いハイカーは、山窩か平家の落人集落のような蒸ノ湯を見おろして、「ジャーン」「隠し砦だ!」と叫んでいた。 蒸ノ湯には、オンドル式という一風変わった湯治法があり、粗末な杉皮ぶきの馬小屋のような浴舎が数棟並び、そこで行なわれている。小屋の中は薄暗く、床も畳もない土間だけで、そこにムシロを敷いて横になると、地面の熱と葺き上がる蒸気に蒸されるという具合である。そこがそのまま宿泊所でもあるわけで、間仕切りがないので互いにすぐ親しくなるそうだ。 そしてここにはいたる所に週刊誌が散らばっていた。おそらく退屈をまぎらわすためのものと思うが、老人はどんな種類の週刊誌を読むのか見てみると、意外にもマンガが多かった。ぼくはこれまで老人はマンガを読まないものと思いこんでいたので、納得がいかないというより、マンガの読者層の広さに改めて感心してしまった。 4、5歳の男の子の病気を治しに来ているという若い母親は、偶然、ぼくのマンガを再掲載している週刊誌を開いて、「もっきり屋の少女」を読んでいた。その本にはもう一本「李さん一家」というのも掲載されていてその二作とも、作中の主人公は作者の分身のような形になっているのだが、なにかのはずみで、ぼくが作者であることが知れると、その母親はマジマジとぼくの顔をみつめて、・・・マンガの人物と少しも似ていないではないか・・・あんたは本当にこんなボロ家に住んでいるのか・・・それにしても、なぜこんな湯治場に来ているのか・・・というようなことをいって腑に落ちない様子だった。そして、「あんたのマンガはエロッポイね」という感想をいわれた。この本もつげ義春ワールドR7に収めておきます。『苦節十年記/旅籠の思い出』1
2018.08.20
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図書館で『苦節十年記/旅籠の思い出』という文庫本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。【苦節十年記/旅籠の思い出】つげ義春著、筑摩書房、2009年刊<「BOOK」データベース>よりつげ義春が、エッセイとイラストで描く、もう一つの世界。旅籠、街道、湯治場の風景や旅先で出会った人。貧乏旅行の顛末を綴った文章、自らの少年時代などを記した自伝的エッセイなどをセレクトした。つげ的世界の極致ともいうべき「夢日記」は、絵と文章のコラボレーション。さらにカラーイラストも付いた、ファン必携の1冊。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。amazon苦節十年記/旅籠の思い出白土三平や長井社長、水木しげるたちとの交流について、見てみましょう。p271~274<苦節十年記> 私はいつも裏の仕事場の方に回った。そこにはマンガ家としてはベテランの小山春夫、白土の実弟の鉄二、『ガロ』でデビューしたばかりの楠勝平の三人が絵を描いていた。白土自身はストーリィ作りに追われて殆んど絵を描くことはなく、『ガロ』に連載した「カムイ伝」は、「赤目プロ」ではこなしきれず、小島剛夕に外注していた。 それと白土のマネージャーをしているもう一人の実弟と、秘書的な仕事をしている岩崎稔、この五人がいつも仕事場にいた。実弟のマネージャー以外の四人はいつも私を歓迎してくれて、練馬駅前の喫茶店に誘ってくれたりした。とくに岩崎稔と私は親しくなった。岩崎は以前、長井社長の「三洋社」で編集を務めていて、「三洋社」が潰れたあと白戸に招かれたそうで、私とは当時からの馴染みだった。 二度目に訪ねたときだったか、白土は私を千葉へ誘ってくれた。日常の煩瑣を避け、ストーリィ作りに専念したい白土は、千葉の大多喜にかくれ家として利用している定宿があった。そこで一緒に仕事をしようと、文無しの私の宿代の面倒までみて招待してくれた。40年の9月19日から10月1日まで、岩崎も含め三人で滞在した。 そこで白土は「ワタリ」のコマ割りをし、私は『ガロ』4作目の「不思議な絵」を描いていた。一日「赤目プロ」一同が骨休みに来て、皆で釣りを楽しんだりして、釣りの好きな白土は半日を釣り、半日を仕事というような過ごしかたをした。 ときには野山を散策したりして、私も久しぶりに生活に追われない日を過ごすことができたが、滞在が終わりもとの飢餓に戻ることをフト想うと寂しさがこみ上げることもあった。貧しさも度を超すと寂しさに変質するのだろう、この滞在中も私はタバコ銭にもこと欠き、宿屋の婆さんが禁煙を始めてタバコを4個くれ、それでしのいだりしている状態だった。 このあと私は「沼」と「チーコ」を40年内に描き、この2作によって娯楽本位、ストーリィ優先の窮屈なマンガ作りから解放され、この方向でなら気楽にいくらでも描けそうに思え、多少期するところがあったが、2作とも発表時はまったくの不評だった。とくに「沼」は不評で、貸本の世界では作品を批評する話題など出たことはなかったのに、珍しく悪評で話題になった。悪評でも何かしら感じさせるものがあったのだろうか。「沼」は2月号に掲載され(発売は12月だったと思う)私はがっかりして、先の見通しもなくなり途方に暮れて正月を過した。 そして正月が明けると市ヶ谷の印刷工場の夜勤見習工の面接に出かけた。マンガを断念して就職することは再三考えてはいたが、給料日までもたす金がないことと、内気で臆病で知らぬ環境へ行くことへ過剰な怖れをみせる性格がブレーキになって、いつもためらっていた。しかし他にどのような方法も逃げ場もなかった。 その面接に行く途中『ガロ』の青林堂になんとなく寄ってみると、長井社長に、水木しげるが大手雑誌に採用され急に忙しくんり、アシスタントを探しているという話を聞いた。「誰かいい人いないかねえ」と云われ、水木は私を指名したわけではなかったが、外へ出て私は面接に行くのはとりやめ、自分がアシスタントになろうと思った。 さっそく調布の水木宅へ出かけて行くと、駅まで氏がボロ自転車に乗って出迎え、自宅に案内された。畑や空地の広がる中の、建売住宅が5,6戸並ぶ奥の水木宅は、ミシミシきしむ安造りで、子供の玩具の散らばる所帯じみた四畳半の居間に通された。田端で一度会ったきりで、水木しげるは私よりひと回りも年長なので、やや臆してコタツで話をしていると、氏はゴロリと横になり、私もつられて横になり、窮屈を感じさせない人柄にほっとした。この本もつげ義春ワールドR7に収めておきます。
2018.08.19
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「センチメンタル・ジャーニー」でしょうか♪<市立図書館>・苦節十年記/旅籠の思い出・スペイン旅行記・書物の文化史・ゴヤ(3巻)巨人の影に<大学図書館>・(夏休みにつき今回はパス)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【苦節十年記/旅籠の思い出】つげ義春著、筑摩書房、2009年刊<「BOOK」データベース>よりつげ義春が、エッセイとイラストで描く、もう一つの世界。旅籠、街道、湯治場の風景や旅先で出会った人。貧乏旅行の顛末を綴った文章、自らの少年時代などを記した自伝的エッセイなどをセレクトした。つげ的世界の極致ともいうべき「夢日記」は、絵と文章のコラボレーション。さらにカラーイラストも付いた、ファン必携の1冊。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。amazon苦節十年記/旅籠の思い出【スペイン旅行記】カレル・チャペック著、恒文社、1997年刊<「BOOK」データベース>よりイスラムやキリスト教はじめ多種多様な文化が混在して豊かな趣をたたえたスペインの風物を、独自の観察と描写で紹介!マドリード、トレド諸都市の風景、ベラスケスやゴヤなどの絵画、闘牛やフラメンコ、壮大な建築、魅力的な美女な風俗一般を、巧みに描写。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ユーモラスな挿絵が多くて親しみを覚えるのです。この本の挿絵はチャペックの自筆とのことで・・・多芸な人である♪rakutenスペイン旅行記【書物の文化史】加藤好郎著、丸善出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より文字の発生から紙の発明、印刷、出版、画像・映像に至るまで、世界中の書物(メディア)の歴史を、興味深いエピソードを交えて展開。モノとしての書物(メディア)を通じ、「文献文化」「知の枠組み」を考察。世界の各地域・時代に文献はどのような媒体(メディア)に載せられ、どのように読まれてきたかを図版も豊富に交えながら解説。「媒体(メディア)の制約と文献の仕組み」「媒体(メディア)の特性と知の枠組み」という切り口から「書物」の様々な現象を読み解くテキスト。<読む前の大使寸評>開けてみると、横書きで論文調であるが・・・薀蓄にあふれていて、面白い読み物になっています。表紙の副題「メディアの変遷と知の枠組み」が、この本の内容を表しています♪rakuten書物の文化史【ゴヤ(3巻)巨人の影に】堀田善衛著、新潮社、1976年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、42年前に刊行された本であるが・・・画像挿入が多く、装丁も現代的であり、なにより著者の語り口がええのです。<図書館予約:(8/11予約、8/17受取)>amazonゴヤ(3巻)巨人の影に************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き323
2018.08.19
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・『知日』明治維新特集のアンケートへの回答・カジノについて・中国の若者たちよ、マルクスを読もう・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき・直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」・人口減社会に向けて・時間意識と知性・Madness of the King・吉本隆明1967・大学教育は生き延びられるのか?・こちらは「サンデー毎日」没原稿・奉祝「エイリアン・コヴェナント」封切り・米朝戦争のあと(2件)・気まずい共存について********************************************************************2018/8/11『知日』明治維新特集のアンケートへの回答より1.黒船来航は明治維新の始まりと見られています。どうしてアメリカは黒船4隻だけで、鎖国200年以上の日本の国門を簡単に開けたのか?中国人は国門を開くアヘン戦争に対する屈辱と違って、日本人は黒船来航に対する感情は積極的な方が多いと感じられます。それについての記念活動も多い、それはなぜでしょうか? 最初にお断りしておきますけれど、私は近代史の専門家ではありませんし、明治維新に特に詳しいわけでもありません。私がこれから答えるのは、あくまで非専門家の個人的な見解であって、学会の常識でも、日本人の多数の意見でもないことをご承知おきください。 アメリカの黒船四隻「だけ」と質問にはありますけれど、二隻の蒸気船だけでペリー提督たちは彼我の軍事力と科学技術の圧倒的な差を見せつけました。このとき沿岸防衛に召集された武士たちの中には戦国時代の甲冑や槍で武装したものもいたくらいですから。アヘン戦争の情報はすでに日本に伝わっていましたので、アメリカの開国要求を丸のみする以外に選択肢はないということについては、幕府内では覚悟はできていたと思います。 清朝の中国と徳川幕府の日本、いずれも公式には海禁、鎖国政策を採用して、一般の人々とが海外の情報に接触することは禁じられていましたけれど、実際にはかなり大量に海外の書物が流入しておりました。ですから、この時点で日本の近代化が致命的に遅れていることについてはすでに指導層と知識層には知られていたはずです。 幕閣たちに決断力がなく、無能であることについては幕府内外においてすでに不満が募っておりましたから、ここで将軍や幕閣を押したてて、国民一丸となってアメリカと一戦交えるというような気分は醸成されようがなかったのではないかと思います。また当時の日本は原則として自給自足している300の国(藩)に分かれており、藩を超えた政治単位としての「国民国家日本」というような概念はまだリアリティーを持っておりませんでした。 日本人が黒船来航をそれほど屈辱的に感じなかったように見えるのは、外交が徳川幕府の専管事項であって、それ以外の300諸侯やその家臣団には、さしあたり「自分の問題」だとは思われていなかったということがあったからだと思います。むしろ、黒船来航で彼我の科学技術の差が可視化されたことを好機として、いくつかの藩では近代化をめざす派閥が勢力を増し、技術開発や兵制の刷新に向かいました。彼らは黒船来航を日本の近代化の契機として肯定的に捉えたはずです。 けれども、黒船来航を肯定的にとらえる最大の理由は現代日本人の対米意識だと思います。日本は「黒船」によって文明開化に向かい、「GHQの日本占領」によって民主化に向かった。アメリカによる二度の「外圧」が日本にもたらしたものは総じて「善きもの」であったというのは、対米従属体制で生きることになった戦後日本人にとっては受け入れざるを得ない「総括」でした。 隣国中国から見て、「どうして砲艦外交を肯定的に評価するのか?」と疑問に思われるのは当然ですけれど、それは現代日本人の「対米意識」が歴史の評価に投影されているからだというのが私の解釈です。2018/6/14カジノについてより「目先の銭金」と「先行きの懸念」ではためらわず「先のことは考えずに、目先の銭金を取る」というのが当今の官民あげての風儀である。衆寡敵せず、カジノは反対派を蹴散らしてめでたく建設されることになるだろう。けれども、それでもいくつもの疑問には答えがないままである。第一の懸念材料は人々が期待するほどカジノは儲からないのではないかというカジノ専門家たちからの意見である。 カジノはすでに世界的に競争が激化しており、なんとか帳尻が合っているのはラスヴェガスとシンガポールくらいだと言う。ニュージャージー州アトランティックシティは東海岸最大の賭博都市であるが、カジノの収益はここ10年減少し続け、2014年には、2006年当時の5分の1にまで減益し、4つのホテルが閉鎖、12あったカジノのうち5つが閉鎖という。気になるのは、アトランティックシティではカジノの衰退に先んじて街そのものがさびれたことである。カジノ客を当て込んだが、街は早々と「シャッター商店街化」した。それも当然で、「博打を打ちに来る客をいかにしてカジノホテルの外に出さないか」こそがカジノ商売の骨法だからである。 この客をカジノホテルの外に出さないためのサービスのことを「コンプサービス(complimentary service、原義は「無料、優待、お愛想」)」という。カジノでばんばん金を使うと、ホテル宿泊料やレストランでの飲食やショーの入場料が無料になったり割引になったりすることである。上客たちはVIPラウンジに招じ入れられ、チェックインカウンターやレストランでの優先待遇を受ける。客たちはそのサービスの質を基準にカジノを選ぶ。2018/4/28中国の若者たちよ、マルクスを読もうより 日本では、マルクスは政治綱領としてよりはむしろ「教養書」として読まれてきました。つまり、マルクスのテクストの価値を「マルクス主義」を名乗るもろもろの政治運動のもたらした歴史的な帰結から考量するのではなく、その論理のスピード、修辞の鮮やかさ、分析の切れ味を玩味し、テクストから読書することの快楽を引き出す「非政治的な読み方」が日本では許されていました。 マルクスを読むことは日本において久しく「知的成熟の一階梯」だと信じられてきました。人はマルクスを読んだからといってマルクス主義者になるわけではありません。マルクスを読んだあと天皇主義者になった者も、敬虔な仏教徒になった者も、計算高いビジネスマンになった者もいます。それでも、青春の一時期においてマルクスを読んだことは彼らにある種の人間的深みを与えました。 政治的な読み方に限定したら、スターリン主義がもたらした災厄や国際共産主義運動の消滅という歴史的事実から「それらの運動の理論的根拠であったのだから、もはやマルクスは読むに値しない」という推論を行う人がいるかも知れません。けれども、日本ではそういう批判を受け容れてマルクスを読むことを止めたという人はほとんどおりませんでした。「マルクスの非政治的な読み」が許されてきたこと、それが世界でも例外的に、日本では今もマルクスが読まれ続け、マルクス研究書が書かれ続けていることの理由の一つだろうと思います。2018/04/03『街場の憂国論』文庫版のためのあとがきより 巻末に僕が不安げに予測した通り、「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、2015年夏には国会を取り巻く市民の抗議の声の中で、安全保障関連法案が採決され、2017年には共謀罪が制定されました。 そうやって着々とジョージ・オーウェルが『1984』で描いたディストピアに近い社会が現実化してきました。その間ずっと安倍晋三がわが国の総理大臣でした。ほんの一週間ほど前までは、彼が自民党総裁に三選され、年内にも改憲のための国民投票が行われるということが高い確度で予測されていました。でも、3月に入って森友学園問題についての公文書改竄が暴露されて、今は再び政局が流動化しております。ですから、この本が出る頃に日本の政治状況がどうなっているか今の時点では予測がつきません。そういう政局を横目にしつつ、文庫版あとがきとしてはもう少し一般的な話として「国の力とは何か」ということについて一言私見を述べておきたいと思います。 率直に言って日本は急激に国力が衰えています。国力というのは、経済力とか軍事力とかいう外形的なものではありません。国の力をほんとうにかたちづくるのは「ヴィジョン」です。 「ヴィジョン」とは、自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについての国民的な「夢」のことです。かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。でも、それを実現させるために国民たちが力を合わせる。そして、そのような夢を共有することを通じて人々は「国民」になる。そういうものなんです。まず国民が「いる」のではありません。「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。その順逆を間違えてはいけません。2018/03/17直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」より 韓国に毎年講演旅行に出かけている。ご存じないと思うけれど、私の著作は教育論を中心に十数冊が韓国語訳されていて、教育関係者に熱心な読者が多い。ここ三年ほどの招聘元は韓国の教育監である。見慣れない文字列だと思うが、日本とは教育委員会制度が違っていて、韓国は全国が17の教育区に分割されていて、それぞれの区での教育責任者である教育監は住民投票で選ばれているのである。 数年前にこの制度が導入された結果、多くの教育区で教員出身の教育監が誕生した。彼らは自身の教員経験を踏まえて、できるだけ教員たちを管理しないで、その創意工夫に現場を委ねるという開明的な方針を採った。その結果、日本ではまず見ることのできない自由な校風の公立学校が韓国の各地に続々と誕生している。 そういう歴史的文脈の中で、私のような人間が各地の教育監に公式に招聘されて、教員たちを前に講演をするということが起きている。日本には私に講演を依頼する教育委員会が一つもないという現実と比較すると、日韓の教育行政の差異が際立つはずである。2018/03/16人口減社会に向けてより 人口減については、政府部内では何のプランもなく、誰かがプランを立てなければならないということについての合意さえ存在しないということがわかった。その点では有意義な座談会だった。 出席者たちは「悲観的になってはならない」という点では一致していた。ただ、それは「希望がある」という意味ではなく、「日本人は悲観的になると思考停止に陥る」という哀しい経験則を確認したに過ぎない。わが国では「さまざまな危機的事態を想定して、それぞれについて最適な対処法を考える」という構えそのものが「悲観的なふるまい」とみなされて禁圧されるのである。 近年、東芝や神戸製鋼など日本のリーディングカンパニーで不祥事が相次いだが、これらの企業でも「こんなことを続けていると、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人々はいたはずである。でも、経営者たちはその「悲観的な見通し」に耳を貸さなかった。たしかにいつかはばれて、倒産を含む破局的な帰結を迎えるだろう。だが、「大変なこと」を想像するととりあえず今日の仕事が手につかなくなる。だから、「悲観的なこと」について考えるのを先送りしたのである。 人口減も同じである。この問題に「正解」はない。「被害を最小限に止めることができそうな対策」しかない。でも、そんなことを提案しても誰からも感謝されない。場合によっては叱責される。だから、みんな黙っている。黙って破局の到来を待っている。寄稿は以上。2018/02/01時間意識と知性より『ブレードランナー2049』は「人間とレプリカントを識別する指標は何か?」という問いをめぐる物語である。それは「最終的に人間の人間性を担保するものは何か?」という問いに置き換えることができる。人間性とは突き詰めて言えば何なのか?それ以外のすべての条件が人間と同じである人工物を作り得たとしても、それだけは与えることができないものがあるとしたら、それは何か? これは古い問いである。おそらくこの問いが生まれたのは紀元前2000年頃の中東の荒野である。この問いを得たときに一神教が発祥した。「創造主」という概念を人間が手に入れたのである。 神であっても「それだけは与えることができないもの」があるとしたら、それは何か? 古代ユダヤ人はこの問いにこう答えた。「それは神を畏れる心である。」もし神がその威徳に真にふさわしいものであるなら、神の命じるままに機械的に神を敬う、腹話術師の操る人形のようなものを創造したはずはない。神は必ずや自力で神を見出し、神を敬い、神を畏れることができるほど卓越したものを創造したはずだ。2017/12/06Madness of the Kingより 12月5日のJapan Times に「王の狂気」と題するトランプ大統領についての記事が載った。今世界ではそれが最も緊急な懸念である。痴呆症の大統領に戦争を始められては困るからだ。もちろん、日本のメディアはそんなことは書かない。日本は痴呆症かもしれない大統領に煽られて戦争をする気でいる世界唯一の国だからだ。官邸がいやがりそうなことは書かないというのなら、それはそれで構わない。でも、あとになって「いや~、はじめからちょっと怪しいなとは思っていたんですけどね」みたいなことは書かないで欲しい。記事は長いので、終わりの方だけ訳した。ここから↓トランプが何らかの(場合によっては複数の)精神障害を抱えているように見えることは、精神科医、政治家、ジャーナリストの間に等しくジレンマを産み出している。アメリカ精神科医協会は会員たちに診察したことのない人について診断を下さないというルールを定めている。だが、何人かの精神科医たちはこれを国難的事態と見なして、ルールを破って、トランプの精神状態についての専門的判断を公的に語ったり書いたりし始めている。最も広く受け入れられている見解は、彼がナルシスト的人格障害に罹患しているというものである。これは単なるナルシストであることよりもはるかに深刻な症状である。Mayo Clinicによると、これは「自分の重要性についての過大評価、自分に対して過剰な関心や称賛を求める強い欲求、病的な人間関係、他者への共感の欠如」などとして現れる。さらに「過剰な自身の仮面の背後には、わずかな批判によっても傷つく脆弱な自己評価が潜んでいる」ともされている。2017-11-10吉本隆明1967より 1968年は鹿島先生が大学に入ってはじめて吉本隆明と対峙した年である。私の場合はそれが一年前の1967年なので、上のような題になった。私もまた吉本隆明と少年の時に出会って、人生が変わった人間のひとりである。 私は高校生から大学院生の頃までは吉本隆明の熱心な読者だった。でも、ある時期から読まなくなり、95年の阪神の大震災の時に高校時代からの蔵書をまとめて処分した時に、埴谷雄高や谷川雁や平岡正明の本といっしょに吉本の本も捨ててしまった。けれども、その後またふと読みたくなって、結局吉本隆明についてだけは捨てた本を全部また買い集めた。 それは父が2001年に亡くなり、その後父のことを回顧するにつれ「戦中派の人たちは、戦前の自分と戦後の自分を縫合するためにずいぶん苦労をしたんだろうな」ということがひしひしと感じられるようになったからである。そして齢耳順を超えて読み返しながら、私もまた鹿島先生と同じように「ああ、おれはこの歳になっても、吉本主義者であったか」と深く感じ入ったのである。2017-11-03大学教育は生き延びられるのか?より 正直に言って、日本の大学は、このままではもう先はないです。教育制度は惰性が強いですから、簡単には潰れはしません。民間企業のようにいきなり倒産するということはない。でも、じりじりと駄目になってゆく。長期停滞傾向が続いて、20年、30年経ったあたりで、もう本当に使い物にならなる。それでもまだ組織としてはもつでしょう。 医療とか教育というのは「それがなくては共同体が存続しえない」本質的な制度ですから、最終的には現場にいる人たちが身体を張って守ります。ですから、どんなにシステムがおかしくなっても、公的な支援が途絶えても、それでもなんとか持続はします。でも、それはほんとうに現場の人が命を削ってもたせているからもっているのであって、公的制度としてはもう破綻している。ブラック企業と同じでです。フロントラインに立ってる生身の人間が必死になって現場を回しているわけで、その人たちがばたばた過労死しているおかげでかろうじてシステムの体をなしている。大学もそういう状況にいずれなりますし、局所的にはもうそうなっている。 医療の世界でかつて「立ち去り型サボタージュ」という言葉が使われました。小松秀樹さんの書かれた『医療崩壊』という本がその事実を明らかにしました。小松先生とは一度お会いしたことがありますけれど、その時に教えられたのは、「医療崩壊」というけれど、医療もやはり惰性の強いシステムなので、簡単には崩壊しないということでした。それは現場に立って医療の最前線を守っているドクターやナースは自分の健康や家庭生活を犠牲にしても医療を守ろうとするからです。 そういう「業」を抱えた人が医療の現場に立っている。だから、制度的に破綻していても、簡単には崩壊しないんだ、と。でも、生身の人間ですから、彼らのオーバーアチーブメントに頼って支援の手当をせずに放置しておけば、いずれ一人倒れ二人倒れ、前線の維持が難しくなる。そういうお話でした。2017-10-03こちらは「サンデー毎日」没原稿より 国際社会からは「首相はほんとうに朝鮮半島情勢の鎮静化を望んでいるのか」について懸念が語られている。その懸念について誰も責任ある回答をしないようなので、私が海外の皆さんの懸念について、日本人を代表してお答えしたいと思う。 安倍首相は本気で「戦争をする気でいる」。だから、そのための環境づくりにたいへん熱心なのである。彼が続く内政面での失敗にもかかわらず、いまだに高い支持率を誇っているのは、彼の好戦的な構えを好感する有権者がそれだけ多いからである。 仮に起きた場合に、米朝戦争がどれほどの規模のものになるのか、首相もその周辺もたぶん何も考えていない。そういう実務的なことを考えて、コントロールするのは米軍であって、自衛隊は米軍の指示に従って動けばいい。そう考えている。2017-10-01奉祝「エイリアン・コヴェナント」封切りより リドリー・スコットの『エイリアン・コヴェナント』がいよいよ公開される。20年くらい前に、『エイリアン』をネタにした映画論とフェミニズム論をいくつか書いた。昔のHPに公開されていたが、今はもうリンクが切れてしまっているので、ネットでは読めなくなった。筐底から引き出して埃をはらってネット上で公開する。(中略) しかし母性の評価にかかわる映像記号はそれほど単純ではない。いま論じたのとは違うレヴェルにおいて、つまりリプリーと「女王エイリアン」の対立においては別様の「母子の物語」が語られているからである。 巨大な「女王エイリアン」は植民地星の地下深くに営巣し、ひたすら卵を排出し続けるだけの生殖機械である。「女王」と遭遇したリプリーは火炎放射器で卵を残らず焼き払う。しかし「女王」は産卵管に繋縛されているために身動きならず、卵が破壊されるのを傍観するばかりで、それを阻止することができない。 生殖に専念したために結果的に種族に壊滅的な被害が及ぶのを阻止できなかった「女王」。「家」に閉じこもって「育児」に専念していたために社会的能力を失ってしまった「母」。これは「過大評価された母子関係の否定的側面」を意味するだろう。 産卵という任務から子供たちの死によって解放された「女王」は、ただ一人で侵略者リプリーと闘う。映画の最終場面で二人の「母」は一対一で激突することになるのだが、結果的には肉体労働の経験によって宇宙船内の機材の運用に習熟したリプリーが「女王」を船外に叩き出して勝負を決する。社会的スキルに習熟していない母性はここでも「働く女性」の前に一敗地にまみれる。 表層における「母性賛歌」とはかなり矛盾する映像的なメッセージがここには盛り込まれていることが分かる。 映画の中の母子関係とその記号的意味をもう一度図表化してみよう。(1)「外で働いていたために、娘の死に目に会えなかった母親」であるリプリーは「母が外に働きに出て死んだために、ひとり放置された娘」であるニュートと擬似的な母子関係をもつ。(この説話群のメッセージは「母親が子どもを置いて外へ働きにでると、母子はともに孤独になる」である。)(2)ニュートの墜落によって、リプリーたちは無用な危険を冒すことを強いられる。卵はエイリアンたちの集団の《弱い環》であり、産卵のために母親は身動きできず、そのため女王は焼死の危険にさらされる」。(この説話群のメッセージは「母子関係が緊密であると、母親は無用の危険に身をさらすことになる」である。)(3)「娘の救出のためにリプリーは例外的に高度の戦闘力を発揮する」。「死んだ卵の報復のために女王は例外的に高度の戦闘力を発揮する」。(この説話群のメッセージは「母子関係が切り離されると、母親の戦闘能力は向上する」である。)(4)「社会的スキルの運用に習熟したリプリー」が「情緒的に暴れ回る女王エイリアン」に勝利する。(この説話のメッセージは「外で働く母親は子供を幸福にする」である。) 映像の記号はごらんの通り、さまざまな矛盾するメッセージを発信している。とはいえそれらのメッセージは均等に配分されているわけではない。2017-09-04米朝戦争のあとより 北朝鮮の空母がハドソン川を遡航してきてマンハッタンにミサイルを撃ち込んだというならともかく、アメリカの空母が朝鮮半島沖で攻撃されたというのでは開戦の条件としてはあまりにも分が悪い。 そうなると、あとは戦争をすると言っても、ピンポイントで核施設だけ空爆で破壊し、国民生活には被害が出ないようにするという手立てしかない。でも、仮にそれがうまく行って、ライフラインや行政機構や病院・学校などが無傷で残ったとしても、その国をアメリカがどうやって統治するつもりなのか。 アフガニスタンでもリビアでもイラクでも、アメリカは独裁政権を倒して民主的な政権をつくるというプランを戦後は一度も成功させたことがありません。成功したのは72年前の日本だけです。 でも、それが可能だったのはルース・ベネディクトの『菊と刀』に代表されるような精密な日本文化・日本人の心性研究の蓄積が占領に先立って存在していたからです。同じように、もし北朝鮮の「金王朝」を倒して、民主的な政権を立てようと思うなら、それを支えるだけの「北朝鮮研究」の蓄積が必要です。2017-09-04米朝戦争のあとより もう一つのリスクは、ソ連崩壊後のロシア・マフィアのように、北朝鮮の「ダーティ・ビジネス」を担当していたテクノクラートたちがそのノウハウを携えて、海外で商売を始めることです。北朝鮮の「ダーディ・ビジネス」担当者はこれまでも世界各国の諜報機関や「裏社会」とつながりを持ってきました。今までは「国営」ビジネスでしたけれど、王朝が滅びてしまうと、これが私企業になる。兵器や麻薬や偽札作りやスナイパーや拷問の専門家などが職を求めて半島を出て、世界各地で新たな「反社会勢力」を形成することになる。 北朝鮮が瓦解した場合の最初の問題は難民です。でも、難民は寝る所を提供し、飯が食えれば、とりあえずは落ち着かせることができる。怖いのは軍人です。北朝鮮は保有する兵力は想定ですが、陸軍102万人、海軍6万人、空軍11万。他に予備役が470万人、労農赤衛隊350万人、保安部隊が19万人。2400万人の国民のうち約1000万人が兵器が使える人間、人殺しの訓練をしてきた人間です。2017-08-16気まずい共存についてより 僕はこのところ『フォーリン・アフェアーズ・レポート』というアメリカの外交専門誌を購読しているんですけれど、それを読んでいると、アメリカの政治学者の論調がずいぶん変わったことに気がつきました。 このところのアメリカの政治学者が言い始めているのは、アメリカはもう国際社会に対する指導力は失ってしまった、ということです。アメリカはもう世界に対して指南力のあるメッセージを打ち出せなくなった。これからは、中国とかロシアとかドイツとか、国情も違うし、国益も違うし、目指している世界のありようも違う国々と、角突き合わせながら、なんとか共生してゆくしかない、そういう諦めに似たことを語り出すようになってきた。その中に「気まずい共存」という言葉がありました。 これからアメリカは世界の国々と「気まずい共存」の時代に入ってゆく覚悟が要る、と。これまでは「価値観の一致」とか「政治文化の共有」とかそういう相互理解を基盤にして外交関係を構築してきました。でも、これからは違う。われわれがこれから同盟したり、連携したりする国々は、われわれとは価値観が違う、統治形態も、統治理念も違う。でも、そういう理解も共感もできない国々と気まずいながら共存してゆく以外にアメリカが生きる道はない。だから、その居心地の悪さに早く慣れるべきだ、と。そういうことを、何人かの政治学者が書いていて、僕は深く納得したのです。
2018.08.19
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図書館に借出し予約していた『日本文化の形成』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。『歴史と出会う』という本の中で、網野善彦がこの本に言及していたので、図書館に借出し予約していたのです。【日本文化の形成】宮本常一著、講談社、2005年刊<「BOOK」データベース>より日本列島を徹底踏査した民俗学の巨人が、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』などの古代文献を読み返し、それらと格闘の末、生まれた日本文化論。稲作を伝えた人びと、倭人の源流、畑作の起源と発展、海洋民と床住居など、東アジア全体を視野に入れた興味深い持論を展開する。長年にわたって各地の民俗を調査した著者ならではの着想を含む遺稿。<読む前の大使寸評>『歴史と出会う』という本の中で、網野善彦がこの本に言及していたので、図書館に借出し予約していたのです。<図書館予約:(8/04予約、8/12受取)>amazon日本文化の形成この本で稲作渡来あたりの古代史のおさらいを、してみましょう。p178~181<海洋民と床住居> ところで日本民族が国家的な結合をはじめたのはいつ頃であろうか。それは稲作をはじめた以後のことである。稲作は紀元前300年頃からのことであろうという。稲はもともと日本にあった植物ではなかったようである。海の彼方からもたらされた。誰かが持って来た。 稲作は朝鮮半島を経由して伝えられたものではあるが、中国北部から満州、朝鮮北部を経由し、朝鮮南部から日本へわたってきたものではないという。朝鮮北部には、紀元前300年頃の稲作の遺跡は見つかっていないという。そうすると米は中国大陸から朝鮮半島西岸をへて、日本に伝えられたと見られる。日本への文化の流入は、海を越えて来る以外にルートはない。そしてそれは米と米を作る技術だけが日本に渡来したのではなく、稲作技術を持った者が籾を持って日本に渡来して来たと見ていい。 稲作はもともとたいへん計画的なものであった。稲を作るためには水田をひらかねばならない。またそのためには農具を必要とする。鍬、鋤のようなものを作るにしても、石斧を使って作れないこともないであろうが、今日存在する木製農具を見ると鉄製の刃物で作ったことが推定される。 『後漢書』の「韓伝」に「この国[辰韓]は鉄を産出する。ワイ・倭・馬韓がともにやって来て、鉄を買う。およそどのような貿易も、すべて鉄を貨幣としている」とあり、『三国志』の「弁辰伝」にも「[弁辰の]国々から鉄を産出する。韓[族]ワイ[族]・倭[族]が、みな鉄を取っている。どの市場の売買でもみな鉄を用いていて、[それは]中国で銭を用いているのと同じである。そしてまた[鉄を楽浪・帯方]二郡にも供給している」といっている。その鉄を産するところを谷那といったことは『日本書記』に記されている。朝鮮南部で鉄を出し、周囲の住民がこれを利用し、その中に倭人もいた。 ところが『後漢書』「韓伝」によると「韓には三種がある。一を馬韓といい、二を辰韓といい、三を弁辰という。馬韓は西にあり、54国がある。北は楽浪と南は倭と接している。(中略)弁辰は辰韓の南にあって、これまた12国ある。南もまた倭と接している」。『三国志』「魏書」の「韓伝」にも「韓は南は倭と接している」とある。すると朝鮮半島南部海岸付近は倭人の植民地であり、ここに住みつくことによって鉄を得、稲作によって生活をたてる方法を見出し、海をこえて北九州にも植民するようになったのであろう。『後漢書』は5世紀前半に、『三国志』は3世紀後半に書かれたもので、日本へ米の伝来したときよりはずっと後のものであるが、これらの記事を通して前記のような推定もなされるのである。 そして弥生式時代の中期の終わり頃には日本列島の上にも小さな国がいくつも生まれはじめていた。北九州にあった奴国の王が後漢に朝貢して、光武帝から「漢委奴国王」の印綬をうけたのは建武中元2年(57)のことであった。この頃から漢と接触を持つようになったと思われる。 そして朝鮮半島を北から南へ下り、海をこえて日本にいたる道もひらけ、大陸文化が滔々として日本に流入し、文化ばかりでなく、在来の日本人との間に大きな混血の起こったらしいことは、近畿から瀬戸内海へかけて朝鮮半島に近い類型が見られることで推定されるが、私はそれよりも、朝鮮半島の西部から南部を経由して日本にいたった海上の道を重視したい。 さきにも書いたように、日本に来るには海をこえなければならない。朝鮮半島から日本へ渡来した人びとも海をこえたはずであり、そのための船はどのようにして用意されたであろうか。海岸に出ればそこに船があって、それに乗ってわたって来たというようなものではない。たとえば、騎馬民族に造船操舟の技術があっただろうかどうか。あるいは騎馬民族以外の半島人たちの渡来も同様である。日本へ大挙してわたるためには準備に容易ならぬ努力を必用としたはずである。 しかもそれが異国への大挙渡来の場合には侵寇の様相を持つはずであるが、『古事記』『日本書記』にはそのような記事はほとんど見えない。これは半島側にも日本側にもともに倭人がおり、倭人の船を利用して渡来する者が多かったからではなかろうか。ウン 「半島側にも日本側にもともに倭人がいて、倭人の船を利用して渡来した」というのか・・・説得力があるなあ。でも、どんな船だったんだろう?『日本文化の形成』2:瀬戸内海の文化『日本文化の形成』1:焼畑
2018.08.18
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図書館に借出し予約していた『日本文化の形成』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。『歴史と出会う』という本の中で、網野善彦がこの本に言及していたので、図書館に借出し予約していたのです。【日本文化の形成】宮本常一著、講談社、2005年刊<「BOOK」データベース>より日本列島を徹底踏査した民俗学の巨人が、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』などの古代文献を読み返し、それらと格闘の末、生まれた日本文化論。稲作を伝えた人びと、倭人の源流、畑作の起源と発展、海洋民と床住居など、東アジア全体を視野に入れた興味深い持論を展開する。長年にわたって各地の民俗を調査した著者ならではの着想を含む遺稿。<読む前の大使寸評>『歴史と出会う』という本の中で、網野善彦がこの本に言及していたので、図書館に借出し予約していたのです。<図書館予約:(8/04予約、8/12受取)>amazon日本文化の形成瀬戸内海の文化について、見てみましょう。p171~173<海洋民と床住居> 私は年少の頃から瀬戸内海の文化に強い関心を持って来た。それは私が瀬戸内海の中のひとつの島に生れたこと、さらに幼少年時代、白木山という山へ毎冬薪をとりに登り、そこから見える本土や島や四国などについて、父からいろいろ教えてもらい、この山の上から見える山や島に深い愛着をおぼえたこと、さらに小学校の高等科2年生のとき、担任の兼田という先生から小西田の『瀬戸内海論』(1911、文会堂)をもらったことにある。『瀬戸内海論』は少年の心を強くうつものがあった。そして何回も読んだ。この書物はいまも持っている。 しかし、内海をつぶさに歩く機会は容易にこないままに日がすぎた。たまたま昭和12年5月に渋沢先生(渋沢敬三)の一行が東瀬戸内海の島々を巡航することになり、私も同行がゆるされて、釜島、櫃石島、岩黒島、与島、小与島、六口島、手島、小手島、佐柳島、大飛島、小飛島、走島、高井神島、魚島、股島、伊吹島、志々島、瀬居島、塩飽本島、前島、男木島、女木島などを歩いた。その折、渋沢先生から「君は瀬戸内海のみ見て歩くのではいけない。ひろく日本全体を歩いて見ておく必要がある。それから瀬戸内海の調査をするのがよい」といわれた。そしてそういう道を歩くことになったのであるが、まだ何ほども手をつけていないうちにもう70歳をこえてしまった。 瀬戸内海を見るためにはいろいろの角度からいろいろの眼で見ていく必要がある。文化の複合は決して単純なものではないからである。いま若い仲間にたのんで日本の漁船の調査をしているが・・・渋沢先生のいう「物をして語らしめる」ということは物の中に含まれている意思を読みとる力がないと読みとれないものであって、それにはできるだけ多くのものを見ていかねばならないと思っている。 そうした物の見方のひろがりの中で気がついて来たひとつに住居がある。住居のことに関心を持つようになったのは、昭和35、36年に山口県萩沖の見島を調査したときからであった。見島の本浦をしらべたとき、この島は古く浦と地方(じかた)の二つにわかれ、それぞれ庄屋がいてこれを治め、氏神も地方は八幡宮、浦は住吉神社があり、別々の世界をつくり、地方と浦との間には通婚も少なかった。しかし現実に村を歩いてみると、家がびっしり建て込んでいて、浦も地方も区別がないように思った。 そこで私は村のことにくわしい古老の何人かに一軒一軒について浦か地方かを教えてもらい、さらにその堺になるところを歩いてみた。 隣りあわせていても一方は地方、一方は浦というように、他の地方のように道とか流れとかが堺になっているというようなものではなかったが、しらべて歩いていて気のついたことは、地方の者は間取りが田の字型で引戸のついた家に住んでいるが、浦の者は並列型の間取の家に住み、蔀戸(しとみど)を持っている。 蔀戸というのは、上下二枚になっていて、上の方は吊りあげるなり、押しあげるなりすると庇(ひさし)のようになり、下は前方に倒すと縁になり、また商品などをならべる店棚にもなる。中世の宮殿や神社などには内外の障壁を蔀戸にしたものが多く、古い寺院が扉を用いているのと対照的であるが、その蔀戸が浦の家に見られる。浦の家は漁家である。 地方と浦の家は相接して建っていても居住様式は違うのである。そして間取が並列であるというのは、船住居の型をそのまま陸へ持ってあがったのではなかろうか。船は梁によって表の間、胴の間、艪の間にわかれている。それが陸住の形をとったのが漁民の家なのであろう。ウン 瀬戸内海といえば大使の認識では、倭寇の拠点であり、日宋貿易の航路でもあり、平清盛の見果てぬ夢でもあったわけで、わりと関心があるのでおます♪『日本文化の形成』1:焼畑
2018.08.18
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図書館に借出し予約していた『日本文化の形成』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。『歴史と出会う』という本の中で、網野善彦がこの本に言及していたので、図書館に借出し予約していたのです。【日本文化の形成】宮本常一著、講談社、2005年刊<「BOOK」データベース>より日本列島を徹底踏査した民俗学の巨人が、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』などの古代文献を読み返し、それらと格闘の末、生まれた日本文化論。稲作を伝えた人びと、倭人の源流、畑作の起源と発展、海洋民と床住居など、東アジア全体を視野に入れた興味深い持論を展開する。長年にわたって各地の民俗を調査した著者ならではの着想を含む遺稿。<読む前の大使寸評>『歴史と出会う』という本の中で、網野善彦がこの本に言及していたので、図書館に借出し予約していたのです。<図書館予約:(8/04予約、8/12受取)>amazon日本文化の形成著者は狩猟・採集の延長としての焼畑に注目しているので、見てみましょう。p108~112<焼畑> これまで日本における生産構造のうち、もっとも古い基盤になっている狩猟・漁撈・採取文化の上に、漁撈・稲作文化がどのように伝来し普及定着していったか、また赤米作・漁撈文化がどのように伝来し普及定着して来たかを見て来たのであるが、いまひとつ重要なことを説き落としている。それは畑作である。畑作の技術がどのように発達して来たかということは、最もわかりにくいと言ってもいい。しかし非常に重要な生産構造であった。 畑作の前形式をなす焼畑については佐々木高明氏による『日本の焼畑』(1972、古今書院)というすぐれた論考があり、戦前には小野武夫博士の『日本農業起源論』(1942、日本評論社)があり、そのほか山口貞夫、佐々木彦一郎氏ら地理学者の研究があり、山口弥一郎博士の『東北の焼畑慣行』(1944、恒春閣書房)という民俗学的な研究もなされていた。 私もまた焼畑については深い関心を持っていた。戦前旅の途中で焼畑をしばしば見る機会を持ったし、宮崎県東米良、椎葉、高知県寺川(土佐郡)、石川県白峰(鳳至郡)、能登門前、山梨県ユズリ原(北都留郡)などではかなりくわしい聞き取りをおこなうこともできた。そして焼畑は、狩猟・採集の延長として発生したものではないかと考えるようになった。 焼畑は多くの山の中腹から上の緩傾斜面でおこなわれているが、火山地方では山麓にも見られる。そのはじめは、おそらくそこを覆っている木を焼き払うことによって、森林の中にひそむ猪や鹿を野へ追い出し、捕らえることもあっただろうし、木立になっていないところに追い出した野獣は巻狩をすることも容易であったと考える。そのようにして木立を焼くことは少なくなかったと考えるが、その焼跡に生えたものは食糧として利用できるものが少なくなかった。まずワラビがある。下北半島の恐山の周辺では、大正時代まではさかんに野焼きがおこなわれていたという。 焼けばかならずそのあとによいワラビが生えた。若い間はそれをゆでて食べ、根は秋になって掘りとって搗きくだき澱粉をとった。そのような慣習は下北地方ばかりでなく、秋田県の仙北地方、長野県乗鞍岳東麓などでも聞いた。かなり広い面積を焼いたようであった。それは焼畑の前形式と見てよいのではないかと思う。 佐渡などでは山を焼いたあとへダイコンをまいているが、もともとダイコンやカブラは野生のものではなかったかと思う。山を焼いたあとに作ったものには辛みがない。だからいまもダイコンを作るために焼畑をおこなっているが、東北・北陸の焼畑では古くはみなダイコン・カブラを作っていた。サトイモなども焼畑に作るとエグ味が少なくなったものである。 つまり山を焼くことによって野獣を捕らえるのに便利であるばかりでなく、焼跡には食糧に適する植物の育成も見られたであろう。そうした経験が、焼いたあとへ一定の植物の種子をまいたり、あるいは根菜を植えるような作業を生み出していったのではないかと思う。このようにして山の頂近いところでも山を焼くことから植物の食糧化が進み、生活をたててゆくこともできるようになっていったのではないかと思う。そのような体験の積み重ねが、焼いたあとの地面を植物栽培に利用するようになっていったのではなかろうか。 だが人びとは山の頂近くに住んだばかりでなく、山麓や台地の上や、時には川のほとり、海岸などにも多数に住んでいた。それぞれの土地に生きていけるだけの条件があったからである。ドングリやトチの実は縄文の遺跡から発見されるばかりでなく、そうしたものをひきつぶしたであろう叩き石や石棒あるいは石皿の出土はきわめて多い。そしてドングリ、トチの実などが食糧として利用された量は時代が下るとともに多くなっていったのではなかろうか。(中略) 焼畑耕作を必用とする人びとは移動性が強かった。狩人はその系列に属する者で、この人たちは野獣を追って山から山へわたりあるいたわけであるが、野獣の多いところには適当な場所を求めてしばらくは小屋掛けをして足をとどめたようで、周囲の山地を焼いて焼畑耕作をおこなうことが少なくなかったと考える。 焼畑習俗を持つ村々には狩をおこなっているものが多いのである。青森県下北半島の畑・川名などはもと焼畑をさかんにおこなっていたし、秋田の阿仁(北秋田郡)付近のマタギの村々でも焼畑をおこなっていたと聞いた。九州山脈南部の山間の村々も早くから狩猟を生業の一部としているものが多いが、そこにもまたさかんに焼畑がおこなわれていた。 そしてそれはまた近畿や中部の山地も同様ではなかったかと思っている。山間の村の祭には鹿や猪の耳や鼻を切って供えたり、その代用として餅を供えたりする風習もあるものが少なくない。これは追い追い調査して明らかにしていかなければならないと思っているが、狩猟関係の村に焼畑が多くおこなわれていたことは両者に深い関係があったと見てよいのである。以前に読んだ宮本常一に関する本を紹介します。【宮本常一 旅する民俗学者】佐野真一責任編集、河出書房新社、2005年刊<「BOOK」データベース>より【目次】口絵・宮本常一写真集成 オン・ザ・ロードー写真という「記憶の島」/巻頭言 佐野真一ー知恵の宝庫の発掘作業/宮本常一の思い出エッセイ/特別対談 谷川健一・佐野真一 旅する民俗学者ー今なぜ宮本常一なのか/宮本常一単行本・著作集未収録コレクション/宮本常一の継承エッセイ/評論/レポート/資料<読む前の大使寸評>責任編集というムック制作があるのか♪まあ、宮本常一を世に知らしめたような佐野真一であるから、これはこれでいい企画だと思うのです。rakuten宮本常一 旅する民俗学者『宮本常一 旅する民俗学者』1:かなたの大陸を夢みた島『宮本常一 旅する民俗学者』2:圧倒的な足跡・調査・ディテール
2018.08.18
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図書館で『日本男児』という新書を、手にしたのです。この本は『オール読物』の不定期連載「頭からウロコ」を編集したもののようです。さて、どれだけウロコが落ちるやら。【日本男児】赤瀬川原平著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>この本は『オール読物』の不定期連載「頭からウロコ」を編集したもののようです。さて、どれだけウロコが落ちるやら。amazon日本男児今ではすっかりいい人になって、新書を出しまくっているホリエモンであるが、赤瀬川さんもとりあげているので、見てみましょう。。p102~104<人間、死ぬのは想定内である> そもそもはプロ野球、近鉄バファローズのリタイアからだった。そこでライブドアという何か怪し気な名前の会社の堀江社長が名乗りを上げて、いろいろが始まった。 怪し気といったが、別に他意はない。初めて聞く名前というのは、だいたいが怪し気に感じるもので、とりわけその原因はライブドアのラとブだと思う。イという母音はつい通過して、ラブドアとして耳目に達し、そういういやらしいドアはちょっと、子供たちにいかがなものかと、その感じが堀江社長のTシャツやぷるんとした肉体の振舞いに裏打ちされて、やっぱりねえ、という「良識」の壁が構築されていくのだった。 となるとメディアが放っておくわけがない。たちまち「ホリエモン」というニックネームが出来て、それからというもの、ニッポン放送、フジテレビ、裁判所まで巻き込んで、メディアへの露出度は凄い。 やはり露出なのだ。露出なんてするのはいかがなものか。人間は動物と違い、露出しない陰部を有することで人間なんだから。いや変な理屈はいうまい。マスコミはお陰で報道の素材を得て、これでまた商売ができる。 そのホリエモンが「想定内」という言葉を発した。この言葉が何故か今的で、あちこちでその使い方を楽しまれて、ちょっとしたエッセイやマンガの中によく登場している。 みんな何かこの言葉に今的なものを感じているのだ。この言葉に含まれるインテリ味と、パソコン味と、ある種の世代味と、あれこれミックス味が何か気になるわけで、まずは揶揄的に使ってみるのである。いつの時代も今的と感じる流行語はみんなそういうものだ。 ぼくにはこれは、偏差値世代の味がする。 「それは想定内でした」 という言葉には、自分の偏差値の高さを誇示する感覚があらわれている。 といってぼくなどは偏差値というものを現役としては知らなくても、ぼくらの時代は予備校さえなく、ただ馬鹿と利口がいるだけだった。(中略) 誰だって脳みそのランクを上げたいものである。いまの偏差値世代の前は団塊世代といわれて、あのころは左翼思想にまみれていた。その中での脳みそのランク上げに「CIAの陰謀」というのがあった。 何か解析できない現象があると、それはじつはCIAの陰謀で、本当はAがBしてCとなっているんだ、そのくらいは常識だよ、みんな知っているよ、といって1ランク上の脳みそから他を見下そうとする。 いわゆる陰謀史観というのがそれで、世の中の見えない陰の仕組みを知りたいという、誰にでもある知識欲によく適うものだった。ウン この本の発刊当時(2007年)に、ホリエモンのインテリ味、世代味を感じた赤瀬川さんの慧眼には感服するのでおます。『日本男児』1
2018.08.17
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図書館で『日本夢 ジャパンドリーム』という本を、手にしたのです。中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。【日本夢 ジャパンドリーム】劉明福, 加藤嘉一著、晶文社、2018年刊<出版社>より中国人民解放軍国防大学教授/上級大佐である劉明福は、中国国内でベストセラーとなった『中国夢』の著者であり、その主張は、習近平国家主席が掲げる指導思想・国家目標「チャイナドリーム」の土台になったと言われる。その劉大佐が突きつけた痛烈な問い、「日本に夢はあるのか?」。中国の指導者層は、日本を、アメリカを、世界をどう見ているのか。日本人青年と人民解放軍将校が繰り広げる、日米中3国の未来をめぐっての激論の記録。<読む前の大使寸評>中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。rakuten日本夢 ジャパンドリーム第9章で、日本夢について、見てみましょう。(続き)p278~281<“80後”が日本を主導するとき、どんな“ジャパンドリーム”が生まれるか?>劉:中国の台頭は日本にとって戦略的な契機ですか、それとも戦略的な挑戦ですか? 今後30年の間に予想される中米間の大攻防は日本にとって契機ですかそれとも挑戦ですか? 加藤さんからみて、これからの10年、20年、30年、日本の前進を推進させる最大の外部動力や圧力は米国の覇権維持ですか、それとも中国の平和的台頭ですか? 日本が今後10年で発展・進歩する上での最大のインセンティブを外部要素として見ると、それは中国ですか、米国ですか? 米国という要素は日本に第一の“動力”を提供するのでしょうか? 或いは、中国という要素が日本に第一の“圧力”を提供するのでしょうか?加藤:劉大佐のご質問にできる限り率直に答えたいと思います。私から見て、中国の台頭は日本にとって戦略的契機であると同時に戦略的挑戦です。私たちのミッションは自らの内外の努力と戦略を通じて、契機のほうが挑戦よりも大きくなるようにすることです。また、戦略や政策だけでなく、日本人は観念を改善、或いはアップグレードしていかなければならないと思っています。恐怖感に苛まれながら「中国の台頭にどう対応しようか?」と受け身になるだけではいけないということです。 「中国の台頭からどんな旨味を得るか?」という主体的な姿勢で、「そのために米国という引力をどう利用するか?」というくらいの図々しさがこれからの日本人には必用だと思います。米国を最大限に利用しつつ中国に対応するのです。もちろん、日本の少なくない戦略家たちは、これまでもこういう姿勢で強かに日米中関係に向き合ってきたと思いますが。 劉大佐が指摘された今後30年の米中の攻防は日本にとって何を意味するかという問題に関しては、必然的に「契機」だと言えるでしょう。日本は米中の攻防から漁夫の利を得る。米中の攻防が複雑に激化すればするほど日本の存在価値や機能が高まるような局面を日本人自らが作っていくことが求められます。指をくわえて米中の攻防を眺めるのではなく、自ら戦略を立てて、米中が主導しているように見える地域・グローバル情勢に積極関与していくのです。さもなければ、後手に回り契機は自然消滅してしまうでしょう。 昨今、少なくない日本人は米国が日本にもたらすのは安全保障であり、中国が日本にもたらすのは発展空間であると考える傾向が顕著になってきているようです。この見方には一理ありますが、いずれにせよ、私たちは二項対立的な、両極端な思考回路をできる限り排除し、安全保障と発展空間というファクターを米中双方に照らし合わせながら自らを見つめ、未来へ向かっていく姿勢が求められると思っています。劉:日本はただ漠然と軍事大国や政治大国を追及するべきではないと加藤さんは主張されますが、私からすれば、日本は現在すでに軍事大国であり政治大国です。しかも更に強大な軍事大国と政治大国の路線を追及しています。安倍首相の近年の一連の戦略的動作は国内で論議を呼ぶだけでなく、アジア太平洋をかき乱し、世界に影響を与えています。これら日本の戦略的動作の目的は、政治大国や軍事大国を追及する道のりを突き進むというものです。 日本は国連常任理事国になるべく積極的に動いていくでしょうし、そうなれば日本は世界でさらなる影響力を持つことになります。 80後や90後といった世代は安倍首相の近年の国内、地域、世界で大きな反響や論争を呼び起こしている動作をどう見ているのでしょうか?釣魚島問題、安保法案問題、改憲問題、靖国神社参拝問題、歴史問題などと、日本が政治大国と軍事大国を追求するプロセスの関係性をどう見ているのでしょうか?加藤:先にも議論しましたが、戦後の日本において、少なくない日本人、特に中国世論に“右翼勢力”と形容されるような人々は日本が政治大国、軍事大国になることを渇望しています。彼らの中には「戦後の日本は平和国家として歩んできた。時間と実践を持って平和国家として歩み続ける意思を証明してきたのに、まだ自らの軍事力を発展させてはならないのか? この期に及んでまだ自らの軍隊を持つことができないのか? 自分の国を自分で守って何が悪いのだ?」という類のフラストレーションが溜まっているようです。 このような情緒や言論は若者世代の間でも一定のマーケットを持っていると私は感じています。少なくない若者、特にネトウヨなどと呼ばれるような人々は、インターネット上で日本が政治大国や軍事大国になるべきだ、中国の台頭に打ち勝つだけの軍事力を持つべきだと匿名で主張しています。 私の観察によれば、日本が政治大国と軍事大国になる過程で日米同盟を破棄すべきだと主張することは、特に社会的に発言権や影響力を持つような人においてはほとんど見当たりません。そのほとんどは日米同盟の中で日本の発言権や主体性を充実させ、同盟関係をより双方向的、平等的、世界的に深化させていくべきだというものです。中国の人民解放軍は第二次世界大戦終結後も現在まで、各地で戦争を続けてきたし、一方で、戦後には戦争はおろか、一人の死者も出していない自衛隊が存在するわけで・・・このかけはなれた現実が、お二人の議論があまり噛み合わない土俵となっているようですね。『日本夢 ジャパンドリーム』4:日本夢について(続き)『日本夢 ジャパンドリーム』3:日本夢について(続き)『日本夢 ジャパンドリーム』2:日本夢について『日本夢 ジャパンドリーム』1:“中国時代”はなぜ“米国世紀”を淘汰するのか?
2018.08.17
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15日のNHKスペシャル『ノモンハン 責任なき戦い』を観たのだが、今の官僚にも続くような「陸軍参謀部の無責任体質」に怒り心頭の大使であった。それから、ドローンの高空撮影によるノモンハン戦跡映像が、日ソ両軍の違いを歴然と現していた。・・・つまり、「兵站の差」である。米軍の潜水艦に対する日本海軍の対応もしかりであるが・・・「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち、電信柱に花が咲く」と唄われたように、徹底した兵站線軽視の奢りである。 2018/08/15NHKスペシャル『ノモンハンの真実』より 79年前、モンゴルの大草原で日本とソ連が戦ったノモンハン事件。ソ連の近代兵器を前に、日本は2万人の死傷者を出し敗北した。 司馬遼太郎が「日本人であることが嫌になった」と作品化を断念したこの戦いで、何があったのか。新たに発掘した150時間の陸軍幹部の肉声テープには、曖昧な意思決定で紛争が拡大し、責任を現場へ押しつけ自決を強要していった実態が証言されていた。AIでカラー化した、鮮明な戦場の映像で伝える。米軍やソ連軍の兵站に対する感覚が普通であって、皇軍の感覚だけが世界標準から外れていたのはなぜか?といまだに思うのである。艦隊決戦を避けて、敵の兵站線を叩くのが作戦の常道と思われるが、皇軍はその逆を選ぶのである。それから・・・苦境に陥ると楠木正成なんかを引き合いに出して、とたんに美文調、非合理に変わるのもいただけない。近代戦のルールから外れてしまうのである。それにしても・・・ソ連やアメリカの公文書部門が、陸軍参謀部責任者の肉声テープを保管していて研究対象としているのには、「負けた」と思ったりする。『日中戦争とノモンハン事件』2をあらためて読んでみます。
2018.08.17
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<図書館予約の軌跡132>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・村上春樹『騎士団長殺し第一部』(4/12予約済み、副本33、予約992)現在25位・村上春樹『騎士団長殺し第二部』(4/12予約済み、副本33、予約833)現在24位・原田マハ著『スイート・ホーム』(4/16予約、副本10、予約149)現在32位・アマゾンのすごいルール(5/18予約、副本1、予約15)現在7位・加村一馬著『洞窟おじさん』(6/07予約、副本2、予約37)現在26位・EVシフト(6/28予約、副本1、予約5)現在2位・半藤一利『歴史と戦争』(7/11予約、副本10、予約120)現在95位・与那覇潤『知性は死なない』(7/25予約、副本4、予約23)現在21位・原田マハ『フーテンのマハ』(8/06予約、副本9、予約65)現在61位・頼れない国でどう生きようか(8/15予約、副本2、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ミヒャエル・エンデ『モモ』・萩野アンナ『ブリューゲル、飛んだ』(副本2、予約0) ・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・新説・明治維新:図書館未収蔵・オクタビオ・パス『マルセル・デュシャン論』:図書館未収蔵・原田マハ『楽園のカンヴァス』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・高橋源一郎著「読んじゃいなよ」・南伸坊『シンボーの絵と文』図書館未収蔵・サピエンス全史(上・下):図書館未購入・フィリップ・ボール『かたち』・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』図書館未購入・『ウォルマートがアメリカをそして世界を破壊する』図書館未購入・ペンの力:図書館未購入・銃・病原菌・鉄(上)・暗い時代の人々・バーバラ・タックマン著『八月の砲声』外大の蔵書・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・スティーヴ・スターン『どいつもこいつも昼行灯』図書館未購入・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・『都会の鳥たち』図書館未購入・『一汁一菜でよいという提案』・中島岳志著『血盟団事件』・・・西図書館の棚で見た・新シルクロード1:楼蘭、トルファン・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想・禁じられた歌(田)・私家版鳥類図鑑(神戸市図書館では蔵書なし)<予約分受取:6/30以降> ・変調「日本の古典」講義(5/13予約、6/30受取)・アメリカ 暴力の世紀(1/15予約済み、7/04受取)・菅ちゃん英語で道案内しよッ! (2/28予約、7/04受取)・萩野アンナ著『カシス川』(1/20予約、7/13受取)・重松清『たんぽぽ団地』(7/03予約、7/13受取)・『オンブレ』(5/02予約、7/13受取)・『熱帯雨林コネクション』(7/13予約、7/29受取)・宮本常一『日本文化の形成』(8/04予約、8/12受取)・堀田善衛『ゴヤ(3巻)巨人の影に』(8/11予約、8/17受取)【騎士団長殺し第一部】村上春樹著、新潮社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりその年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降っていたが、谷の外側はだいたい晴れていた…。それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕れるまでは。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/12予約済み、副本33、予約992)>rakuten騎士団長殺し第一部【スイート・ホーム】原田マハ著、ポプラ社、2018年刊<「BOOK」データベース>より幸せのレシピ。隠し味は、誰かを大切に想う気持ちー。うつくしい高台の街にある小さな洋菓子店で繰り広げられる、愛に満ちた家族の物語。さりげない日常の中に潜む幸せを掬い上げた、心温まる連作短篇集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/16予約、副本10、予約149)>rakutenスイート・ホーム【アマゾンのすごいルール】佐藤将之著、宝島社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりだからAmazonは成功した!Amazonの最大の武器は超合理的な「仕事術」だった。アマゾン ジャパンの立ち上げメンバーがジェフ・ベゾス直伝のメソッドを初公開。最速×最高の結果を出す仕事術と14の心得。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:5/18予約、副本1、予約15>rakutenアマゾンのすごいルール【洞窟おじさん】加村一馬著、小学館、2004年刊<作品情報>より昭和35年、13歳の少年は「両親から逃げたくて」愛犬シロを連れて家出した。以来、彼はたったひとりで、足尾鉱山の洞窟、富士の樹海などの山野で暮らしヘビやネズミ、コウモリに野ウサギなどを食らい命をつないできた。発見されたとき、少年は57歳になっていた。実に43年にわたる驚愕のサバイバル生活。―これは現代のロビンソン・クルーソーの記録である。<読む前の大使寸評>驚愕の自叙伝というか、平成の冒険的ドキュメンタリーではなかろうか。図書館で探してみよう。<図書館予約:6/07予約、副本2、予約37>amazon洞窟おじさん【EVシフト】風間智英, 鈴木一範著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>よりプレミアム市場の先駆者テスラ/販売台数世界一位の中国BYD/EVシフトに出遅れたトヨタ・ホンダ/カギを握る電池開発の最前線/これから消える部品・増える部品/ドイツと中国の共同覇権構想/米国ファーストの影響/ガラパゴス化が進む日本/自動車産業の水平分業化/自動運転とシェアリングサービス/電力マネジメント問題/「走る蓄電池」としてのビジネス/クルマのアズ・ア・サービス化、ほか。業界構造、勢力図、産業、暮らし。電気自動車が世界を変える。<読む前の大使寸評>販売台数世界一位の中国BYDのEVが気になるのです。つまり、技術的にイマイチであっても、EV用インフラも含めて集中的に量産化を図る中国は脅威ではないか。<図書館予約:(6/28予約、副本1、予約5)>rakutenEVシフト【歴史と戦争】半藤一利著、幻冬舎、2018年刊<「BOOK」データベース>より幕末・明治維新からの日本近代化の歩みは、戦争の歴史でもあった。日本民族は世界一優秀だという驕りのもと、無能・無責任なエリートが戦争につきすすみ、メディアはそれを煽り、国民は熱狂した。過ちを繰り返さないために、私たちは歴史に何を学ぶべきなのか。「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」「戦争の恐ろしさの本質は、非人間的になっていることに気付かないことにある」「日本人は歴史に対する責任というものを持たない民族」-80冊以上の著作から厳選した半藤日本史のエッセンス。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/11予約、副本10、予約120)>rakuten歴史と戦争【知性は死なない】與那覇潤著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より平成とはなんだったのか!?崩れていった大学、知識人、リベラル…。次の時代に、再生するためのヒントを探してーいま「知」に関心をもつ人へ、必読の一冊!【目次】はじめに 黄昏がおわるとき/平成史関連年表 日本編/第1章 わたしが病気になるまで/第2章 「うつ」に関する10の誤解/第3章 躁うつ病とはどんな病気か/平成史関連年表 海外編/第4章 反知性主義とのつきあいかた/第5章 知性が崩れゆく世界で/第6章 病気からみつけた生きかた/おわりに 知性とは旅のしかた<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/25予約、副本4、予約24)>rakuten知性は死なない【フーテンのマハ】原田マハ著、集英社、2018年刊<出版社>よりモネやピカソなど、美術にまつわる小説をはじめ、精力的に書籍を刊行する著者、その創作の源は旅にあった!? 世界各地を巡り、観る、食べる、買う。さあ、マハさんと一緒に取材(!?)の旅に出よう!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/06予約、副本9、予約65)>rakutenフーテンのマハ【頼れない国でどう生きようか】加藤嘉一, 古市憲寿著、PHP研究所、2012年刊<「BOOK」データベース>より拝金主義と相互不信が当たり前の階級社会、元祖「頼れない国」の中国。止まらない少子高齢化や財政赤字に苦しみ、「頼れない国」化が進行中の日本。両国での生き方について、同学年の二人が上海と東京で考え、議論し、自らの経験を語り合う。一時間で5000字の文章を書く国際コラムニストの加藤は「執筆前にはランニングで心身を整える。コンディショニングがすべて」と語り、気鋭の社会学者の古市は「自分には強い武器がないからポジショニングを重視している」と打ち明ける。さらに語学習得法や人脈の築き方、衣食住の話まで飛び出す異色対談。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/15予約、副本2、予約0)>rakuten頼れない国でどう生きようか【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て【モモ】ミヒャエル・エンデ著、岩波書店、2005年刊<「BOOK」データベース>より町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります…。「時間」とは何かを問う、エンデの名作。小学5・6年以上。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakutenモモ図書館予約の軌跡131予約分受取目録R12中央図書館新着図書リスト図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2018.08.16
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図書館で『日本夢 ジャパンドリーム』という本を、手にしたのです。中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。【日本夢 ジャパンドリーム】劉明福, 加藤嘉一著、晶文社、2018年刊<出版社>より中国人民解放軍国防大学教授/上級大佐である劉明福は、中国国内でベストセラーとなった『中国夢』の著者であり、その主張は、習近平国家主席が掲げる指導思想・国家目標「チャイナドリーム」の土台になったと言われる。その劉大佐が突きつけた痛烈な問い、「日本に夢はあるのか?」。中国の指導者層は、日本を、アメリカを、世界をどう見ているのか。日本人青年と人民解放軍将校が繰り広げる、日米中3国の未来をめぐっての激論の記録。<読む前の大使寸評>中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。rakuten日本夢 ジャパンドリーム第9章で、日本夢について、見てみましょう。(続き)p235~237<日本人にはいくつの、どんな夢があるのか?>劉:夢こそが国家を造るのです。明治維新の時代に生きた日本人は“脱亜入欧”というジャパンドリームを掲げアジアで最初の近代化国家、近代日本を造り上げました。“大東亜共栄圏”というジャパンドリームは軍国主義の日本を造り上げました。戦後、韜光養晦のジャパンドリームは経済が急速に発展する日本を造り上げました。 今日における日本の若年層にとってのジャパンドリームは、伝統日本を超越した新型日本であるべきです。日本の若者世代にはこれまでよりも若くて新しい夢が生まれているはずです。私は、新しいジャパンドリーム、新しい世代のジャパンドリーム、21世紀型のジャパンドリームが現在進行形で醸成されており、遠くない未来に“新型日本”が造り上げられると固く信じているのです。加藤:全く同意します。日本の若者世代には自らの声と夢が必用です。私は同年代の社会学者である古市憲寿さんと一緒に『頼れない国でどう生きようか』(PHP新書)という本を出版したことがあります。当時、私たち2人が伝えたかったこととは、国家が何を言おうが、国家がどれだけ頼りなかろうが、私たちの世代は自らの目標と夢を持って走り続けようというものでした。 国家に戦略がないとからといって自分に戦略がないことがあってはならない。国家に思想がないとからといって自分に思想がないことがあってはならない。よりはっきりと言えば、国家に夢がないからこそ私たちの世代は夢を持たなければならない。国家に希望がなければないほど私たちは希望を待たなければならない。私たちの世代の努力と奮闘をもってこの国に希望と夢を与えるくらいの気概と行動が必要だと感じていますし、多くの同世代が実際に同じ思いを持っています。 実際に、高度経済成長期やバブル期においてこの国を支えてきた先輩たちは、私たちの世代よりも断然強くてしなやかな信念と行動で日々を過ごしていたのだと思います。グローバル化、情報化、多様化する時代に、国民一人一人が独立した思想、行動、夢を持つことで、日本は初めて健全に、安定的に発展していくのだと思っています。劉:日本は米国の管理下にある“半独立”、“半自主”国家です。日本はまた財閥の力量が巨大な“半民主”、“半金主”国家でもあります。そんな日本における発言者・発言力・発言権の問題に私は関心があります。一体誰がジャパンドリームに対して最大の発言力・発言権を持っているのでしょうか? 政治家、思想家、企業家、有権者、或いは米国側でしょうか? この五者の間の関係性はどのようなもので、ジャパンドリームをどう見積りますか?加藤:非常に率直でストレートなご指摘ありがとうございます。劉大佐が提起された“半独立”・“半自主”・“半民主”・“半金主”という言葉或いは概念に関して、日本の政治家や官僚の多くは少なくとも公には承認しないでしょう。ただ、官民を問わず、多くの日本国民が内心そのように感じており、フラストレーションを溜め込んでいるものと想像します。 劉大佐がご指摘になった五つのプレイヤーに関して、私の個人的な感想としては、思想界が弱いという以外には、政治家、思想家、企業家、有権者、米国側の間には相関性が見られ、かつ均衡状態にあるような気がします。(中略) 戦後日本はどうしてエネエルギーを経済の発展に集中させ、奇跡的な復興を遂げることができたのか。それは相当程度において米国の核の傘と切っても切り離せないのです。日米安全保障条約という枠組みの中で上記の事柄は初めて現実的に可能になったのです。米国の影響力が日本政治・経済社会に隅々にまで“浸透”してきたのは当然の過程であり、帰結だったのです。ウン イラチな大使はさっそく『頼れない国でどう生きようか』という本を図書館に借出し予約したのです。・・・それにしても、この加藤嘉一という人は、かなりの論客やでぇ♪『日本夢 ジャパンドリーム』3:日本夢について(続き)『日本夢 ジャパンドリーム』2:日本夢について『日本夢 ジャパンドリーム』1:“中国時代”はなぜ“米国世紀”を淘汰するのか?
2018.08.16
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図書館で『日本夢 ジャパンドリーム』という本を、手にしたのです。中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。【日本夢 ジャパンドリーム】劉明福, 加藤嘉一著、晶文社、2018年刊<出版社>より中国人民解放軍国防大学教授/上級大佐である劉明福は、中国国内でベストセラーとなった『中国夢』の著者であり、その主張は、習近平国家主席が掲げる指導思想・国家目標「チャイナドリーム」の土台になったと言われる。その劉大佐が突きつけた痛烈な問い、「日本に夢はあるのか?」。中国の指導者層は、日本を、アメリカを、世界をどう見ているのか。日本人青年と人民解放軍将校が繰り広げる、日米中3国の未来をめぐっての激論の記録。<読む前の大使寸評>中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。rakuten日本夢 ジャパンドリーム第9章で、日本夢について、見てみましょう。(続き)p219~222<21世紀に“ジャパンドリーム”たるものは存在するのか?>劉:夢のない、夢を持たない民族に未来はないと私は思っています。一方で、夢が狂想になった民族にも未来はない、やってこないとも考えます。加藤さんから見て、“大和民族”は古代から今日までの道を歩む過程において、民族と国家の夢という意味でどのような段階を経てきましたか? どのような成功体験を見出すことが可能ですか? どのような教訓を見出すことが可能ですか?加藤:まず、ほぼ全ての日本国民は歴史教育を通じて、“大和民族”という言葉を知っていると思いますし、一定の“自覚”も保持しているでしょう。しかしながら、今日、公の場において、官民を問わず、この言葉を使用するケースは相当限られていると感じます。政治、ビジネス、社会、メディア、そして日常生活といった分野や場面においては、「日本人」、「日本国民」、「有権者」といった言葉を意識的、或いは無自覚に使用するのが通常だと感じてきました。劉大佐の考える“民族”と“日本人”の間には一定の温度差が存在するかもしれません。 劉大佐の問題提起に関してですが、少なくとも日本で高等学校を卒業するまで、「私たち日本人は国家と民族の夢というものをどのようにとらえてきたか?」というテーマについて考える機会に出逢ったことはなかったように思います。おそらく、多くの国民もコノテーマを深く考えたことはないでしょう。 絶対多数の国民にとっては、安らかに、幸せに、かけがえのない日々を過ごすことこそが自らにとっての“ジャパンドリーム”なのだと思います。(中略) 私なりに劉大佐の問題提起に答えてみたいと思います。 仮に民族の夢と結合させて歴史を振り返った場合、1853年の米国の黒舟、ペリー来航は日本の門を開き、その後明治維新につながっていったという意味で一つの契機だったと思います。明治維新は日本人が初めて世界という規模、範囲、次元で物事を考え、国家の未来や運命、そして夢を追求した歴史的事件だったと言えるかもしれません。 我々は使節団を欧州へ派遣し、憲法や議会について学びました。日本は古代においては中国の科挙や律令制度を学び、近代以降は西欧の政治制度などを学ぶことになりました。中国や西欧といった海外の文化や制度を和魂洋才、中体西用の精神と立場で吸収し、自らの社会や国情の需要に適応させてきたプロセスからも、“大和民族”の生き様を見出すことができるかもしれません。 明治維新は日本人に外を向かせ、前に歩かせました。1894年の日清戦争、1904年の日露戦争を経て、日本人はこれまでにない“民族的自信”を保持して自らの夢を対外拡張という方法を通じて形にしようとしたのでしょう。国内資源に満足せず、国家を発展させるための資源を海外に求めようとした。そこには物質的要求や理念的要求が含まれ、増長していったと言えます。“大東亜共栄圏”は、提唱の動機としてどれだけの合理性や正義感があったかは別として、結果的に日本を自滅させることになりました。 当時の日本人は清朝を倒し、ロシアに打ち勝ち、自らがアジアの先頭に煮立って、西側列強からアジアを解放しようとしたのかもしれません。20世紀前半の時期、日本の軍人、政治家、実業家、知識人、一般国民、どの分野のどれだけの日本人が“アジアを解放する”という一種の使命感や正義感に賛同していたのかは興味深い問題です。今後の日本の針路を考える上でも、「日本人の正義感」というテーマを国門の内と外から歴史的に振り返ってみる作業は有益だと思います。 アジアを解放するという一種の使命感がどの程度日本のパールハーバー侵攻に心理的、民族的に影響したのかも興味深い問題です。もちろん、侵攻の過程で経験的、統計的、戦略的にどれだけの勝算が日本の軍部、そして社会に存在していたのかは大いに疑問であり、今を生きるほとんどの国民はあの侵攻を一種の“奇襲”であり、無謀な自爆行為だったと見ているようです。 このような言い方には語弊があるかもしれませんが、劉大佐の言葉や思考をお借りすれば、当時の民族の夢が日本人に一種の狂想を抱かせ、結果的に民族の夢を、命運を粉砕させたのかもしれません。この歴史的トラウマも、今を生きる日本人に、国家、民族として、「安易に夢を持ち、語ってはならない」という自制的心理を抱かせ、働かせているのかもしれません。ウーム 民族の夢に関する加藤さんの説明が、劉大佐に伝わったのか?・・・軍拡にいそしむ人民解放軍の軍人は、そんな柔な考えに聞く耳を持たないのでしょうね。『日本夢 ジャパンドリーム』2:日本夢について『日本夢 ジャパンドリーム』1:“中国時代”はなぜ“米国世紀”を淘汰するのか?
2018.08.16
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図書館で『日本夢 ジャパンドリーム』という本を、手にしたのです。中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。【日本夢 ジャパンドリーム】劉明福, 加藤嘉一著、晶文社、2018年刊<出版社>より中国人民解放軍国防大学教授/上級大佐である劉明福は、中国国内でベストセラーとなった『中国夢』の著者であり、その主張は、習近平国家主席が掲げる指導思想・国家目標「チャイナドリーム」の土台になったと言われる。その劉大佐が突きつけた痛烈な問い、「日本に夢はあるのか?」。中国の指導者層は、日本を、アメリカを、世界をどう見ているのか。日本人青年と人民解放軍将校が繰り広げる、日米中3国の未来をめぐっての激論の記録。<読む前の大使寸評>中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。rakuten日本夢 ジャパンドリーム第9章で、日本夢について、見てみましょう。p214~217<いったい誰が“ジャパンドリーム”を語るのか、語れるのか?>劉:ここ数年、私は日本の友人と接触し、交流する際、必ず一つの質問をすることにしています。それは「ジャパンドリームとは何か?」という問題です。 毎回どんな答えが返ってくるものか、それに基いてジャパンドリームについて激しい議論を展開するのを楽しみにしているのですが、実際は毎回失望してきました。誰も私に“ジャパンドリーム”というものを明快に語ってくれないからです。加藤さん、まずお聞きしたいのは、あなたはこのような現象をどのように理解しますか? 明快に説明していただけませんか?加藤:私から見て、劉大佐を失望させてきたこのような現象は説明可能なものです。今を生きる日本人はなぜジャパンドリームを語らないのか。私は三つの次元における理由を見出します。 一つ目は国民性という次元による解釈です。日本人は自らが保持している夢や実現しようとしている夢を口に出して表現することに長けた国民ではありません。国家として、国民として、決して夢を持っていないわけではなく、ただそれを語ることに長けていない、より正確に言えば、それを口に出して語ることを良しとしない国民性が存在するように思います。心の奥底に留め、ただ黙々と努力することを美徳とする考え方を多くの日本人は持っているのです。 数年前、北京で日本研究者の一人が私にこのような質問をしてきました。「実際に日本はすでに“失われた20年”から脱け出していて、現在は復興している。ただ日本人は“韜光養晦”で意図的にそれを表に出そうとしない。これは日本の戦略ではないのか?」 この問題を前に、私は若干考え込みました。なぜなら、たとえ考えがあっても故意に表現せず、沈黙を保つという姿勢は日本社会、日本国民の考え方、もっと言えば生き方に普遍的に存在するものです。 以前ある日本の先輩からこのような言い回しを聞いたことがあります。「国際会議で最も悩ましいことが二つある。ひとつは如何にして日本人に口を開かせるか。もうひとつは如何にしてインド人の口を閉ざさせるか」。なかなか的を射た指摘だと思ったものです。 ひとつ言えるのは、日本人はある意味において“口を開かない”国民であるということでしょう。ただ一方で前出の日本研究者が私との交流で言及した“韜光養晦”に関して言えば、トウ小平氏が一種の国家戦略として、当時中国の改革開放政策を提唱した際に脳裏に浮かべ、呼び掛けた概念とはそれは異なると思います。官民を問わず、日本人の生き方という意味では“韜光養晦”は非常に根深いものがあり、政府やメディアが呼びかけるまでもなく多くの国民が無意識に、無自覚に取り組んでいるアプローチであると感じるのです。私の理解と言葉で言えば、日本人にとって“韜光養晦”とは戦略ではなく、一種の生き方なのです。 2012年、私は日本のダイヤモンド・オンラインという媒体で「あなたの夢は何ですか?」と題した街頭インタビューを実行しました。“日本の空気感”の一端を肌身で感じてみようという狙いがありました。同じテーマに関心を持つ3人の同世代の仲間と映像に収めるためのカメラを片手に街頭へ飛び出し、表参道、外苑前、新橋SL広場といった東京で比較的著名なエリアで街中を歩く人達に声をかけました。対象には今時の若者、サラリーマン、中高生などが含まれました。インタビューは困難を極めました。最大の理由は90%以上の人は声をかけても応じてくれないのです。無視されることもありましたし、多くの方は「すいません」と丁重に断ってくるという感じでした。(中略) 二つ目が歴史的な次元による解釈です。仮に昨今の国家指導者が赤裸々に、大胆不敵に国家としての夢を語った場合、多くの日本国民は違和感どころか警戒心すら感じると思います。理由はやはり“あの戦争”に関係しています。戦後日本にとって、“国”を前面に、全面に押し出しすぎることは少なくない人々に、多かれ少なかれ“軍国主義”の影や記憶を想起させるのです。戦後歴代指導者が公に述べてきたように、当時の日本は国策を誤り、アジア諸国だけでなく祖国に対しても巨大な損害を与えました。 戦後に教育を受けた日本人は、第二次世界大戦を通じて日本の多くの場所は“廃墟”となり、敗戦国として占領下に置かれた歴史を学んできました。 日本の戦後はマイナスからのスタートだったと言って過言ではないでしょう。中国の人々だけでなく、いや場合によっては中国の人々以上に、当時の“軍国主義”を憎み、恨む日本人は少なくないのです。権力をきちんと監視し、国民が権力に対してモノを言うシステムやスピリッツを持ち、行使しなければ国家は崩壊の危機に瀕することを日本人は身をもって体験してきたのです。 中華思想の体現者ともいえる劉大佐であるが、戦後日本人の平和主義なるものが理解できるのか?・・・と思ったりします。(劉大佐は中国政府のプロパガンダ要員なので、日本の平和主義を理解する素養を持っていないと思われます)『日本夢 ジャパンドリーム』1
2018.08.15
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図書館で『日本夢 ジャパンドリーム』という本を、手にしたのです。中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。【日本夢 ジャパンドリーム】劉明福, 加藤嘉一著、晶文社、2018年刊<出版社>より中国人民解放軍国防大学教授/上級大佐である劉明福は、中国国内でベストセラーとなった『中国夢』の著者であり、その主張は、習近平国家主席が掲げる指導思想・国家目標「チャイナドリーム」の土台になったと言われる。その劉大佐が突きつけた痛烈な問い、「日本に夢はあるのか?」。中国の指導者層は、日本を、アメリカを、世界をどう見ているのか。日本人青年と人民解放軍将校が繰り広げる、日米中3国の未来をめぐっての激論の記録。<読む前の大使寸評>中国夢に対しては、日本夢というのが、ええでぇ♪・・・覇権国家ともいえる中国に対しては、どうしてもナショナリズムに振れる大使である。rakuten日本夢 ジャパンドリーム米中という二大覇権国家の病巣を、見てみましょう。p206~208<“中国時代”はなぜ“米国世紀”を淘汰するのか?>加藤:最近、米国の首都ワシントンDCにて“”の議題と同時に盛り上がっているのが“米国の世紀”というテーマであると感じています。戦略家たちは「米国の世紀はこれからも続くのだろうか? 終るのだろうか? 終るのだとしたらうつ終わるのだろうか?」といったことを自問自答しているように見受けられます。 ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は『Is The Amerivcan Century Over?』という書籍を出版しました。私も同著を読んでみましたが、ナイ教授の現段階での結論は「ノー」で、アメリカンセンチュリーはそう簡単には終らないと考えておられるようでした。私が見る限り、米国で自信と愛国心に満ちた戦略家たちは「中国が台頭すればするほど米国が重要になる」と考えているようです。 チャイナドリームや中国の台頭といった問題を研究してきた戦略家・理論家という立場から、劉大佐は米国の世紀はすでに終わったとお考えですか? 或いは現在はまだ終わっておらず、これから終わるものとお考えですか? 或いは米国の世紀は終わらないとお考えですか? 仮に終わるとしたら、どのような原因や要素が米国の世紀を終わらせるのでしょうか? 外的要因と内的要因をそれぞれどのように分析すべきでしょうか? 劉大佐との議論という意味で私がとりわけ関心を持っているのは、米国の世紀と中国の台頭との戦略的関係についてです。劉:1941年初頭、米国のメディア王、『タイムズ』、『ライフ』の創始者ヘンリー・ルースは、 “米国の世紀”という著名な文章を発表し、全世界に“米国の世紀”というスローガンを訴えました。米国各界で瞬く間に広範な反響を呼びその強烈な影響は世界中に及びました。 “米国の世紀”はドイツファシズムと日本軍国主義に勝利するのに伴う形でこの世に誕生し、世界に降り立ってきました。それは人類社会にとっての一つの進歩と言えました。遺憾だったのは、第二次世界大戦後米国は冷戦を発動し、生れたばかりの“米国の世紀”を半世紀に及ぶ“米ソ冷戦の世紀”に変えてしまったことです。 ソ連解体後、米ソ冷戦は終了しましたが、米国の冷戦思考は終わらず、米国はもう一度やってきた“米国の世紀”として、21世紀における経済上の“米国危機”、軍事上の“米国戦争”、政治上の“色の革命”、文化上の“文明の衝突”を起こし、またたくまに台頭する中国に対して“第二の冷戦”を発動したのです。 “米国の世紀”はなぜ持続できないのか? 米国の世紀はなぜ終結しなければならないのか? なぜなら“米国の世紀”の実質は“覇権の世紀”であり、“冷戦の世紀”だからです。 覇権主義に基いた“米国の世紀”は植民地主義に基いた“熱戦の世紀”に比べればまだましです。しかし、21世紀は“冷戦の世紀”にノーを叩きつけ、21世紀の世界は“覇権の世紀”にノーを叩きつけなければなりません。冷戦も覇権も要らない。これが21世紀における時代の潮流と掛け声なのです。 “中国の時代”はなぜ“米国の世紀”を淘汰するのでしょうか? なぜなら、中国の時代は中国が国際社会に覇権のない新しい世界を創造するからです。中国が人類に冷戦と訣別した新しい世界を創造するからです。中国が世界に協力とウィンウィンの新しい世界を創造するからです。 21世紀は米国が世界を改造する世紀ではなく、世界が米国を改造する世紀です。人類は21世紀を世界覇権と冷戦思考と歴史的に訣別する世紀にしなければなりません! 21世紀は世界覇権国家や冷戦思考をする国家に属しているのではありません。世界覇権や冷戦思考と訣別した米国と、新型大国関係と人類運命共同体を構築しようとする中国が、共に21世紀において世界で最も魅力的なスター国家になることを私は期待しているのです。ウーム 人民解放軍の大佐がいくら「覇権は求めない」と言っても、軍拡を求めてやまない予算実績がその言葉を打ち消しているのです。
2018.08.15
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