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図書館で『中世のことばと絵』という新書を、手にしたのです。絵巻に絵師の窮状を描いてお上に訴えるってか・・・この人間くさい絵巻に着目し究明するところがいいではないか♪【中世のことばと絵】五味文彦 著、中央公論社、1990年刊<「BOOK」データベース>よりわびしく簡素なたたずまい、領地を与えるしらせに一喜一憂するまずしい絵師とその家族―絵巻『絵師草紙』は絵師が領地をめぐる窮状を、絵と詞に託して訴えるという体裁をとっている。しかし、この絵は生々しい実感に富む反面、どこまで事実に即した情景なのかは容易に判断できない。本書は『絵師草紙』を読み解く作業の中で作者像を明らかにし、絵だけではないことばとの交流を通して、新しい史料としての絵巻の活用を試みる。<読む前の大使寸評>絵巻に絵師の窮状を描いてお上に訴えるってか・・・この人間くさい絵巻に着目し究明するところがいいではないか♪amazon中世のことばと絵酒宴の場面 絵師と兼好法師との接点について語られているので、見てみましょう。p71~75■後醍醐の周辺 朝廷の訴訟の担当者となれば、まず弁官、蔵人があげられる。だが絵巻にいささか貧相に描かれている弁は除かれよう。そうでなくともこれは直訴である。実際にかかわっている弁や蔵人がそんな相談に乗ろうものか。とはいえそれ以外では皆目、見当がつきそうにない。そこで後醍醐の周辺にあって、能書で、そのうえ洒脱な人物を探していこう。 ここにはさまざまな人が集まった。『太平記』は玄恵法印の文談のことを特筆し、『徒然草』には日野資朝をはじめとしてたくさんの人のエピソードが載せられている。注目すべきは『徒然草』の作者、卜部兼好であろう。兼好は後醍醐とその父・祖父の後宇多・亀山に仕えていた。(中略)これはいよいよ兼好の可能性をもっとさぐらねばなるまい。まずは詞書と『徒然草』の文章の関連である。■酒宴の描写 絵師が朝恩を得たということで、家の中で酒宴が開かれた。絵巻の宴で盛り上がった場面が印象的であるが、詞書もその様子を巧みに描いている。その部分を引用しておこう。わらいののしるこえごえ、天地をひびかして、物をとも、きこえ侍らずぞありし、さるほどに、老母をハじめとして、うとからぬ輩と賀酒をのみけるが、はやゑいぬれバ、乱舞一声におよぶままに、次第にのみしかりつつ、酒又とりよせけるが、使もゑいぬれバ、ゑんのやぶれに、あしを入れてたうれければ、酒をもこぼしぬ、これとつぎにあげる『徒然草』の175段を比較してみよう。心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、詞多く、烏帽子ゆがみ、紐外し、脛高く掲げて、用意なき気色、日頃の人とも覚えず、女は、額髪晴れらかに掻きやり、まばゆからず、顔うちささげてうち笑ひ、盃持てる手に取り付き、はては、許さぬ物ども押し取りて、縁より落ち、馬・車より落ちて、あやまちしつ「心得ぬ事」の一つといて、酒呑みの狂態を描いたものだが、「笑ひののしり」「縁より落ち」といった表現が共通している。また絵の描写はこの段の雰囲気をまことによく伝えているであろう。男女の笑い、踊り喜ぶ姿が生き生きと描かれている。 当時、よほど酒宴が流行していたものか、兼好は八つの段で酒について触れており、188段では、「仏事の後、酒など勧むる事」があるときのために、早歌を習う法師がいるが、それが興じて説教を習わなくなってしまい、ついには年をとってしまうことになる、と述べている。絵巻の絵の中で立って歌い踊っているのは、この早歌という流行の歌謡であろう。 なお後醍醐が無礼講をもよおして幕府を滅ぼす計略とした話は有名だが、そのさまを「交会遊宴ノ体、見聞耳目ヲ驚セリ」「旨酒泉ノ如ク」と、『太平記』は記している。『中世のことばと絵』1
2018.04.30
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図書館で『中世のことばと絵』という新書を、手にしたのです。絵巻に絵師の窮状を描いてお上に訴えるってか・・・この人間くさい絵巻に着目し究明するところがいいではないか♪【中世のことばと絵】五味文彦 著、中央公論社、1990年刊<「BOOK」データベース>よりわびしく簡素なたたずまい、領地を与えるしらせに一喜一憂するまずしい絵師とその家族―絵巻『絵師草紙』は絵師が領地をめぐる窮状を、絵と詞に託して訴えるという体裁をとっている。しかし、この絵は生々しい実感に富む反面、どこまで事実に即した情景なのかは容易に判断できない。本書は『絵師草紙』を読み解く作業の中で作者像を明らかにし、絵だけではないことばとの交流を通して、新しい史料としての絵巻の活用を試みる。<読む前の大使寸評>絵巻に絵師の窮状を描いてお上に訴えるってか・・・この人間くさい絵巻に着目し究明するところがいいではないか♪amazon中世のことばと絵この本の冒頭部を、見てみましょう。p2~4■『絵師草紙』 絵巻物を見るのは、最近は非常に簡単になった。なによりも廉価版の絵巻の本が出るようになったからである。手にとってじっくり眺められるのがとてもうれしい。寝転びながらあれやこれや考えていくと、いろいろなことが頭に浮かんでくる。これが博物館や所蔵者の目の前で見るのだったらそういうわけにもいくまい。たいへんありがたいことだ。 そんなわけで寝転びながら気楽に絵巻をパラパラと見ていくうちに、目に留まったのが『絵師草紙』という作品である。宮内庁の所蔵であるから普通だったらとてもじっくりとは鑑賞できないしろものである。 明治20年、徳川家にあったこの絵巻は明治天皇に献上され、御物として京都御所の東山文庫に収蔵されていた。御物であったから国宝にこそ指定されていないが、その価値はもちろん高く、鎌倉時代の逸品として評価されている。 しかし私がこれに注目したのは、絵や詞書の質の高さもさることながら、絵師が絵師を主人公にして絵巻を製作したという点である。当然、リアリティがあって、絵と社会の関係をつかみやすいだろうと考えられた点が一つ。実際、絵師の家の生活振りや行動がみごとに描かれている。 第二に、多くの作品は出典を物語や伝記などに求めているのに、こればかりは出典が明らかでない点。普通ならば、出典は特定できなくても、だいたいは推測できるものである。しかしまったく不明という。そもそも絵師の生活が極めてリアルに描かれているのにもかかわらず、絵師その人がだれであるのかがまったく示されていないのは、このことと関係があろう。 そんな二つの関心を抱いて絵巻を見ていくうちに、あることに気づいた。登場人物の実名は一人として出てこないのに、現実味にあふれ、具体性を持つことは、絵を描く人と見る人との間に一定の了解が成立しているからであろうと。おそらく眼前の出来事が素材になっていて、とくに名を出す必要がない、名を出さずともわかる関係が成立していたのであろう。詞書と絵を見ればその関係がおのずからわかるのではないかと思えてきた。■絵師の訴え おおよその内容を紹介しておこう。 ある絵師が伊予の国に土地をもらった。貧しさをかこっていた絵師とその家族は大喜び、親類・縁者も集まって酒宴がひらかれた。飲めや歌え、踊れの大騒ぎとなったが、やがて伊予に派遣していた使いが帰ってきて報告することには、年貢などはとても取れる状態ではない、という。絵師の周辺は一転して、一人去り二人去りして、ついに残ったのは老母、妻子のみ。目の前は真っ暗闇になってしまった。意を決して絵師は訴訟に出向く。 奉行にその土地をなんとかしてもらえないかと訴えたところ、土地は法勝寺のものになってしまっているとのこと、そこでさらに上に訴えた結果、土地は返してくれるとの勅が出た。喜んだものの、伊予の土地ではあまりに遠い、どうか近場の土地に変えてほしい、と再度訴えた。 しかし考えておくという返事はあったが、その後はまったくのなしの礫。ああ! このままでは絵師としてやっていけない。この窮状を絵に表して訴え申します、と結んでいる。
2018.04.30
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図書館で『飛鳥の木簡』という新書を、手にしたのです。ウン 木簡ってか・・・大使の漢字の探求は留まるところを知らないわけで、つい、この古代史の本をチョイスしたのです。【飛鳥の木簡】市大樹著、中央公論新社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりかつて日本古代史は、『日本書紀』『古事記』や中国の史書に頼らざるを得なかった。だが1990年代後半以降、三万点以上に及ぶ飛鳥時代の木簡の出土が相次ぎ、新たな解明が進み始める。本書は、大化改新、中国・朝鮮半島との関係、藤原京造営、そして律令制の成立時期など、日本最古の木簡から新たに浮かび上がった史実、「郡評論争」など文献史料をめぐる議論の決着など、木簡解読によって書き替えられた歴史を描く。<読む前の大使寸評>ウン 木簡ってか・・・大使の漢字の探求は留まるところを知らないわけで、つい、この古代史の本をチョイスしたのです。rakuten飛鳥の木簡文字の本格使用あたりを、見てみましょう。p42~45■『論語』が記された木簡 ところで、先の白猪屯倉で活躍した胆津は、王辰爾の甥とされていた。王辰爾は百済からの渡来人であるが、「王」姓であることから、もとは中国系の可能性が高い。553年、欽明天皇が楠匂宮に僥倖した際、王辰爾は蘇我稲目によって派遣されて「船賦」を数え、その功によって船史姓を賜っている。「船賦」は船に関する税で、それを記録する以上、文字を使用せざるを得ない。 また572年、旧来の史(ふびと)らが読めなかった高句麗からの国書を、王辰爾のみが解読できたという伝承が残されている。古い渡来人の知識では十分に対応できず、新しい渡来人の知識が必要とされたことが象徴的に示されている。 王辰爾の一族としては、他に津史が存続する。津の管理に由来する氏族名でる。さまざまな物資や人々・情報が行き交う津では、文字を使用する場面が多かったはずである。 王辰爾と同じく中国系百済人とみられる人物に王仁がいる。5世紀、応神天皇の時代に、百済の博士であった王仁が日本に招かれ、『論語』と『千字文』をもたらしたと伝わる。このうち『千字文』は、千の文字を重複することなく、四字一句の韻文にしたものである。 中国南朝の梁の時代、周興詞の作とされ、その成立は6世紀である。当然、5世紀に日本に伝来するはずがない。しかし王仁の伝承は、朝鮮半島、特に百済からの渡来人によって『論語』や『千字文』が伝えられたことが、説話化されたものだとみればよい。 『論語』と『千字文』は日本で初学書として広く読まれた。そのため、これらの一節を記した木簡が多数出土いている。その初期の事例として、阿波国府跡とされる観音寺遺跡(徳島市)から出土した7世紀後半頃の木簡が興味深い。 60センチ以上の長大な角材で、四側面に墨書がある。隷書体を思わせる、やや古めかしい独特な字体で書かれている。その一面に「子曰 学而習時不孤□乎□自朋遠方来亦時楽乎人不知亦不恩」と記されている。著名な『論語』学而篇の冒頭部に他ならない。 日本の木簡は、平べったい材が大半で、角材はとても珍しい。角材に『論語』や『千字文』を記した木簡は、明日香村の飛鳥池遺跡や石神遺跡からも出土している。いずれも7世紀後半の木簡である。8世紀以後も『論語』や『千字文』の木簡は日本で多数出土しているが、角材に記されたものは皆無である。 ここで参考になるのが、韓国の鳳ファン洞遺跡(金海市)と桂陽山城遺跡(仁川市)から出土した木簡である。ともに角材で、前者は四面に、後者は五面にわたって、『論語』公冶長篇の一連の文章が記されている。本来は1メートル以上もあった長大なものだ。朝鮮半島を通じて『論語』や『千字文』が日本に伝来した際、角材に記すという方法も合わせて伝えられたことが考えられよう。『飛鳥の木簡』1
2018.04.30
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図書館で『飛鳥の木簡』という新書を、手にしたのです。ウン 木簡ってか・・・大使の漢字の探求は留まるところを知らないわけで、つい、この古代史の本をチョイスしたのです。【飛鳥の木簡】市大樹著、中央公論新社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりかつて日本古代史は、『日本書紀』『古事記』や中国の史書に頼らざるを得なかった。だが1990年代後半以降、三万点以上に及ぶ飛鳥時代の木簡の出土が相次ぎ、新たな解明が進み始める。本書は、大化改新、中国・朝鮮半島との関係、藤原京造営、そして律令制の成立時期など、日本最古の木簡から新たに浮かび上がった史実、「郡評論争」など文献史料をめぐる議論の決着など、木簡解読によって書き替えられた歴史を描く。<読む前の大使寸評>ウン 木簡ってか・・・大使の漢字の探求は留まるところを知らないわけで、つい、この古代史の本をチョイスしたのです。rakuten飛鳥の木簡文字の本格使用あたりを、見てみましょう。p36~40■日本における「文字」「日本最古の木簡」は、木簡が書かれた年代でいえば、確実には640年代のものとなる。一部、6世紀後半まで遡りそうな木簡もあるが、これはまだ確実ではない。 いうまでもなく文字を記すという行為はずっと古い。5世紀後半の雄略天皇の時代に作成された稲荷山古墳(埼玉県行田市)出土鉄剣や、江田山古墳(熊本県玉名郡)出土銀象嵌太刀に刻まれた銘文など、日本での文字使用は5世紀までは確実に遡る。(中略) もちろん、4世紀以前の日本列島でも、中国の後漢と交渉を持った奴国や、魏および西晋と交渉を持った邪馬台国などでは、文字を使う人が存在したはずである。しかしそれは、きわめて特殊な存在であった。中国の『魏略』という歴史書によれば、3世紀の日本では、四季を知らず、ただ春の耕作と秋の収穫によって、1年の目安にしていたという。これは暦がないことを意味しており、これでは年月日にもとづく記録を付けることはできない。■暦の受容と文字の本格使用へ 日本が暦を受容したのは、5世紀後半のことであろう。『日本書記』に付された暦日をみると、安康3年(456)8月条から持統紀までは、中国南朝の宋で445年に施行された元嘉歴に依拠して書かれている。安康天皇は、倭の五王の4番目「興」に比定されており、雄略天皇の「武」、〇恭天皇の「済」とともに、異論はあまり聞かれない。倭の五王は宋に朝貢した際、中国皇帝の時間的統制下に入ったことを示す証として暦を与えられたのである。 ところが、雄略天皇による478年遣使ののち、600年の遣隋使派遣まで、中国との国交関係はなくなる。しかしこの間も朝鮮半島、とりわけ百済との交渉は頻繁になされていた。元嘉歴は百済でも採用されており、それは百済滅亡の660年まで続く。6世紀中頃、日本は百済に軍事的な援助を与える見返りとして、百済から各種の文物や技術・思想が伝来することになった。仏像が著名であるが、元嘉歴もその一つである。『日本書記』によれば、553年、日本は百済に対して、暦博士の交替(それ以前から暦博士が来日していた)および暦本の送付を要求しており、翌年に暦博士が来日している。 602年には百済僧の観勒が来日し、暦本・天文地理書・遁甲方術書をもたらす。陽胡史の祖先である玉陳は、観勒から暦の計算方法を学んだという。そして、604年にはじめて暦日が用いられた。ここに暦法を理解し、独自に暦を作成する段階に入った。 このように日本における暦の使用は5世紀後半頃に始まる。この頃から徐々に記録が作成され、木簡も使用された可能性がある。しかし文字を操ることができたのは、主に朝鮮半島に出自を持つ渡来人など一部にとどまり、仮に木簡が使用されたとしても、それは王宮とその周辺、あるいは一部の港湾などに限られていただろう。 列島規模で木簡が使用されるのは、ヤマト王権の地方拠点ともいうべき屯倉が各地に設定される6世紀以後と考えられる。これについて『日本書記』に、現在の岡山県に置かれた白猪屯倉に関する興味深い話が伝えられている。 欽明天皇が統治していた555年、白猪屯倉が設置された。このとき、屯倉に付随する田地を耕作する田部が設定され、その「籍」が作成された。だが14年後、年齢が十余歳に達しながら、籍に漏れ賦課を免れている者が多くなった。つまり、「籍」は最初につくられただけで、その後更新されなかったのである。 そこで、渡来人の胆津に命じて、田部の調査を行なわせ、その「丁籍」を定めさせた。胆津はこの功によって白猪史の姓を賜り、白猪屯倉の田令に任命された。そして、敏建天皇の時代である574年、吉備に派遣された蘇我馬子は、白猪屯倉と田部を増益し、田部の「名籍」を胆津に授けたという。 「籍」は「ナムフタ」(名の札)という古訓が伝わっており、木簡であった可能性がある。 また『日本書記』によれば、540年に秦人・漢人らが渡来人を招集し、地方に安置して「戸籍」につけ、秦人の戸数は7053戸であったという。 白猪屯倉の田部の「籍」といい、戸籍をつくる技術は渡来人によって導入されたのである。全国規模の本格的な戸籍は670年の庚午年籍にまでくだるが、屯倉などでは先行して戸籍が作成されていたのだ。
2018.04.29
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本屋の店頭で『定年後の知的生産術』という新書を、手にしたのです。クリエイティブ・シニアを応援する一冊ってか・・・ええなあ♪本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪【定年後の知的生産術】谷岡一郎著、筑摩書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より定年退職後こそ、クリエイティブに、好きな研究、夢や目標に向かって打ち込むチャンスである。これまでの仕事や人生で得た経験が、意外な組み合わせによる新しい発想や、本質を見抜く眼力に通じる。時間的・金銭的な余裕が比較的あることは、シニア世代の大きなアドバンテージである。本書は定年後のクリエイティブ・シニアを応援する一冊。<読む前の大使寸評>クリエイティブ・シニアを応援する一冊ってか・・・ええなあ♪本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年後の知的生産術アイデア満載のクール・ジャパンを、見てみましょう。p186~■クール・ジャパンは身近にある 昨今、日本独特の文化、様式、ローカル製品などの良さを見直し、積極的にアピールしていこうとする動きが起こっている。漫画/アニメーション、日本食や酒、着物、自社仏閣などが中心であるが、それらに限定した話ではない。俗に「クール・ジャパン」という呼び名で知られている。クールとは、もともとは「冷たい」という意味であるが、アメリカの日常会話では、「凄い/カッコイイ」という意味で使われることの方が多くなっているようだ。 クール・ジャパンのうち、ローカルな製品については、伝統文化でないものも少なくない。単なる文房具やアクセサリーなど、いくつかのサブカルチャーを融合したものや、それに創意工夫を加えたものが日本中にある。つまり日本でしか見つからない何か特別なものや場所も、クール・ジャパンの一部分であると考えてよい。 そしてこれが言いたいことの主眼であるが、日本独特の創意工夫は、日本のビジネス環境(特に競争環境)あってこそ生れたものであり、その活力を担ってきたのは、主として団塊の世代だと考えられるのである。 日本人には当たり前すぎて、あまり気づかないことであるが、日本のデパートの地下食品売場(デパ地下)は「世界で最も珍味が集まる場所」である。海外からの訪問者を案内すると、まず驚異の目で受け止められる凄い場所、つまりクール・ジャパンのひとつで、筆者が案内した友人は、1週間ずっと通って、順にいろいろな珍味を試していたほどである。 海外のスーパーやフード・コートに行ってみると違いがわかる。大量生産のパンやおかし、缶詰、ジュース類が並び、野菜やくだものの中には品質の悪いものが混じる。安いことは確かであるが、大量生産で普及したこともあって、変化に乏しい。(中略) 便利で安いマーケットの代表は、コンビニエンス・ストアであろうが、そこでも創意工夫による競争は激しい。うちの近くのコンビニのコーヒーとおにぎりなどは、「世界で最もコスト・パフォーマンスの良い食料品」ではないかと考えている。■団塊世代は工夫する 戦後まもなくの頃から、日本という国は新しいものを発明するより、すでにあるものを改良して製品化することに長けていた。少なくともそのように見られていた。トランジスタ・ラジオや小型車のように、小型化した普及品を数多く製造した。普及品だけでなく、性能の高いテレビやカメラなども作り、のちにはビデオデッキや半導体市場も席巻した。(中略) 結論としてこう言ってもさしつかえないと思う。伝統芸能以外のクール・ジャパンのコンテンツの多くを生み出した原動力は、まずもって団塊の世代の競争エネルギーにあった、と。■クール・ジャパンとバッド・ジャパン クール・ジャパン・キャンペーンは、日本のクールな点の強調であるが、日本には他国と比べて劣っている点も多くある。クールの反対の「ホット」もアメリカでは肯定的で良い意味に使われるため「ホット・ジャパン」などと呼ぶわけにはいかない。そんな用語はないと思うが、呼ぶとすれば「ストレンジ・ジャパン」か「バッド・ジャパン」とでも言うべきだろうか。変えるべきなのに変わらない部分である。 バッド・ジャパンの代表格は、まず「官僚制度」だろう。規制と利権で人々の動きを封じ、新規参入者にとてつもない障壁を作っている。官僚たちがそうするのは、定年後の再就職先(天下り先)を確保するため、という理由がかなり大きい。これはビジネスの世界に限らず、ほぼすべての省庁に共通することである。しかもすでにある壁の打破は、他国に比してかなり難しいイメージがある。ウーム 官僚のいらぬ忖度についてはこのところ連日、新聞で叩かれているなあ。それからデパ地下の充実ぶりが、『わが心のジェニファー』2に出ています。『定年後の知的生産術』2『定年後の知的生産術』1
2018.04.29
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図書館で『明治の外国武器商人』という新書を、手にしたのです。日清・日露戦争勝利の礎を築いた武器商人となると、聞き捨てならないわけで・・・興味深いのです。【明治の外国武器商人】長島要一著、中央公論新社、1995年刊<「BOOK」データベース>よりデンマークの名門の牧師の家に生まれ、優れた海軍士官であったバルタサー・ミュンターだったが、軍上層部との対立もあって退役、その後アームストロング社の代理人となって来日し、帝国陸海軍との関係を深めていく。特に海軍には戦艦・武器を売り込むとともに、自らの海軍の知識と経験を生かして技術・操練指導を行ない、後の日清・日露戦争勝利の礎を築くことになる。なぜか滞日時代が謎に包まれている親日武器商人の実像に迫る。<読む前の大使寸評>日清・日露戦争勝利の礎を築いた武器商人となると、聞き捨てならないわけで・・・興味深いのです。rakuten明治の外国武器商人「第2章 死の商人ミュンターの東洋体験」でミュンターの来日あたりを、見てみましょう。p44~47■観音崎における砲撃演習 西洋の郵便船でシンガポール以北を航海する場合、召使は通常主人と一緒に無料で旅行し、食事も自由にとることができた。しかし、日本船が中国航路を開き、同じ規制を導入してみたところ、二人連れの日本人がかわるがわるに主人と召使を演じわけ、1枚の切符で航海するという事態が生じた。そのためにこの規制は撤廃となってしまい、ミュンターはフー・サンの切符も買わざるを得なかった。日本船とはいえ船長も航海士も英米人だった。保険会社が、経験の乏しい日本人の航海術に信用をおいていなかったためのやむをえない措置だったが、日本人はこのことにひどく傷つけられていた。 好天の中、黄色く濁った海を渡り、やがて五島列島の灯台を夜の海上にみとめてから数時間後、真夜中に長崎港へ入港した。次の朝眼前に広がった光景は、一面梅の花におおわれていた。小高い丘の上に一本松が見える。そこは以前グラヴァーの大きな邸宅だったが、今はデンマーク人の一家が住んでいた。グラバー園 ミュンターの受けた第一印象は明るく好意的だった。この日本という国にそれから十年も滞在することになろうとは、夢にも思っていなかった。けれども、この最初の出会いが無意識のうちに決定的な要因となり、そうなるべくして長期間の滞在になったにちがいなかった。 町を歩いて薩摩、肥前、伊万里、鍋島などの焼物を見てまわる。古い刀剣類がたくさん売りに出されていた。国内の情勢が変わり、不用になったものらしい。もちろん造船所も見学した。すでに甲鉄船を建造しており、大きくて立派なドックもあった。また、近くでは良質の石炭が産出され、炭鉱が海底深くまで延びていた。 同じ日の午後近く出港、翌朝下関を通過して瀬戸内海を走った。最上級のことばをいくつ並べても形容できないほどすばらしい景観が展開された。小さな島々が多数点在し、段々畑が造られていた。灌漑の水も豊富で、1年に2度も収穫できるとのことだった。海上にはいたるところに漁船が浮かんでいて、木々の間に見える村落の背後には、雪におおわれた山脈が左右に見えていた。 次の朝、目的地の神戸に着いた。砲撃演習がすでに始まっていると聞き、急いで近江丸に乗り換えて横浜へ向かった。これはアームストロング社建造になる船で、戦時には仮装巡洋艦として使用できるように設計されていた。もちろん船脚が速かった。本州の美観を眺めつつ北東に進む。 夜があけると漆器や青銅の装飾品でおなじみの富士山が見渡せた。大島の火山三原山が噴煙を空高く吹き上げていた。そして御前十時近く、東京湾の入口が見えてきた。前の晩は風が強かったが、そのためか、この頃になってようやく他の乗客が姿を現わした。髪を高く結いあげた日本婦人が、前日同様見事な髪型をしている。おかしな形の枕を使うので、髪がくずれないのである。 横浜の波止場にはジャーディン・マセソン商会のボートが迎えにきてくれていた。そしてネズミが走り回るホテルに連れていかれた。 ジャーディン・マセソン商会はアームストロング社の日本における代理店となっていて、ウォルターが支配人をしていた。その夫妻のもとで晩を過ごしてホテルにもどったが、ネズミのせいで眠れず、翌朝早くおきだしてそのまま砲撃演習を見学にいった。『明治の外国武器商人』2『明治の外国武器商人』1
2018.04.29
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図書館で『明治の外国武器商人』という新書を、手にしたのです。日清・日露戦争勝利の礎を築いた武器商人となると、聞き捨てならないわけで・・・興味深いのです。【明治の外国武器商人】長島要一著、中央公論新社、1995年刊<「BOOK」データベース>よりデンマークの名門の牧師の家に生まれ、優れた海軍士官であったバルタサー・ミュンターだったが、軍上層部との対立もあって退役、その後アームストロング社の代理人となって来日し、帝国陸海軍との関係を深めていく。特に海軍には戦艦・武器を売り込むとともに、自らの海軍の知識と経験を生かして技術・操練指導を行ない、後の日清・日露戦争勝利の礎を築くことになる。なぜか滞日時代が謎に包まれている親日武器商人の実像に迫る。<読む前の大使寸評>日清・日露戦争勝利の礎を築いた武器商人となると、聞き捨てならないわけで・・・興味深いのです。rakuten明治の外国武器商人「第2章 死の商人ミュンターの東洋体験」でミュンターの東洋行きを、見てみましょう。■アームストロング社嘱託として東洋へ 1886年の当時はアームストロング・ミッチェル会社というニューカッスルの軍需工場からの電報は、同社の開発した兵器の射撃実習にミュンターを招待しようというものだった。デンマークをはじめ外国から多数の士官が参加する予定だという。商売柄ミュンターは出かけていった。そしてそこで初めて、日本の陸海軍の将校と接触を持つにいたった。またアームストロング社は、ミュンターを海外派遣代理人として雇用すべく熱心に交渉を開始したのだった。 春になってロシアのアレクシス候がデンマーク王室を訪れた。ミュンターは発注を受けて建造中だった砲艦までアレクシス候を案内した。ミュンターはのちに揚子江上に浮かぶ同艦を目にすることになる。 その年アームストロング社は、コペンハーゲン市を防御する砲台に新式砲架を設置するよう、ミュンターを通じて売り込んでいた。その商談は破綻したものの、デンマーク海軍が巡洋艦ヴァルキューリエ号にヴァヴァスー式砲架を取り付けることを決定、アームストロング社に発注した。 ミュンターがアームストロング社との雇用契約に署名したのは冬が近づいてからであった。ミュンターは、中国、日本、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、オランダ向けのアームストロング社代理人として、5ヵ年契約を結んだ。同期間中東洋に赴いて滞在、3年が経過したのちに短期間デンマークにもどることができる。また、ヨーロッパ諸国に関しては、ミュンターの権限でもって臨時の代理人を雇うことができるという内容の契約だった。 妻と8人の子供をかかえたミュンターにはきびしい仕事だった。しかし条件がすこぶる良く、経済的安定が得られると思うと断るわけにもゆかない。それに、歳の方ももうすぐ50に手が届く。これ以上時間の無駄はしていられない。家族も、スウェーデンのマルモーから対岸のコペンハーゲンにもどれる、デンマークの学校へ行けると喜んでいる。 ミュンターは決心した。マルモーにおけるデンマーク領事の職を解任してもらい、ひと月ばかりニューカッスルに出張した。そこでアームストロング社と細かい打合せを行ない、同社の商品である兵器、特に大砲についての詳細な知識を身につけた。そして、出発前に最後のクリスマスを家族とともにマルモーで過ごしたのだった。(中略) 家族をあとに残したミュンターは、アームストロング卿を訪問して別れを告げた。スコットランドとの境界に近いクラッグサイドにあった丘あり小川ありの大邸宅には、松の木とツツジが無数に植えてあった。邸の中は絵画にあふれ、中国製の磁器のコレクションが人目を引く。暖炉の上にはEast and West, Home is bestと刻んであった。ミュンターはそこで在ロンドン中国公使の秘書、李鴻章の甥で養子でもあった李卿に出会った。のちに在東京中国公使になった人物でミュンターは彼とごく親しい仲になった。 ロンドン、パリ経由でマルセイユに着いたミュンターは、そこから香港行きの郵便船に乗船した。1887年1月30日、日曜日。妻と妹と伯母にお別れの花束を送り、最後の電報も打った。はるかかなたの未知の国に旅立つにあたっての心境を、ミュンターは『回想記』に書いている。「気分はよかった。自分はなすべき義務を果しているにすぎないと思っていたし、波乱に満ちた経歴のうちに身につけてきた知識と経験をもってすれば、よい結果が生じるにちがいないと確信していたからである。」こうして自分を励まし慰める言葉のうちには、使命感と悲壮感が秘められていた。『明治の外国武器商人』1
2018.04.28
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図書館で『明治の外国武器商人』という新書を、手にしたのです。日清・日露戦争勝利の礎を築いた武器商人となると、聞き捨てならないわけで・・・興味深いのです。【明治の外国武器商人】長島要一著、中央公論新社、1995年刊<「BOOK」データベース>よりデンマークの名門の牧師の家に生まれ、優れた海軍士官であったバルタサー・ミュンターだったが、軍上層部との対立もあって退役、その後アームストロング社の代理人となって来日し、帝国陸海軍との関係を深めていく。特に海軍には戦艦・武器を売り込むとともに、自らの海軍の知識と経験を生かして技術・操練指導を行ない、後の日清・日露戦争勝利の礎を築くことになる。なぜか滞日時代が謎に包まれている親日武器商人の実像に迫る。<読む前の大使寸評>日清・日露戦争勝利の礎を築いた武器商人となると、聞き捨てならないわけで・・・興味深いのです。rakuten明治の外国武器商人この本の「はじめに」が魅力的なので、見てみましょう。「はじめに」 1887年から98年にかけて、ミュンターは49歳から60歳の、人生のいわば下り坂を、8人の子供がいる家庭から離れて日本で仕事に打ち込んでいた。ちょうど明治20年代、鹿鳴館時代から日本が近代国家確立のための諸制度を整えていった時代にあたっている。 このデンマーク人の滞在期間と、1888年にドイツから帰国して上昇気運の只中にいた鴎外の25歳から36歳の年月が、どこかで接点をもっていたのではないかという期待があった。鴎外が陸軍省に勤めるかたわら『舞姫』を書き『即興詩人』を訳していたのと同じ時期に、ミュンターは帝国陸海軍の首脳を相手にアームストロング社の武器や艦船を売り、特に帝国海軍の増強には相当の役割を果していたのである。 砲撃演習の場、もしくは宴会の場などで、このふたりはすれちがったことがあったのではないか、そんな好奇心が筆者にはたえずはたらいていた。 さらに、ひとり娘と妻と末子を短期的に日本に呼び寄せたものの、延べ11年におよんだ日本滞在を単身で過ごしていたミュンターの行動には不明な点が多すぎる。何がおもしろく、何に駆り立てられていたのか。どんな事情があってかくも長い逗留になったのか、場所と時代こそちがえ、今年1995年で外国生活が29年目になる筆者には、ミュンターは気になる存在であった。 本書は、こうした私的な興味から出発して書かれた、武器商人ミュンターの日本における活躍ぶりと、その異文化体験の記録である。日本では記録にも残らず無名に終り、自らも、体制確立をめざす明治日本激動の渦中にありながらも終始影のような存在になることに徹していたミュンター、自分の職務を果たすことに生きがいを感じていたらしい縁の下の力持ちミュンターの像を、はたしてどこまで映しだすことができたか、あるいは、筆者の鏡に映って歪んだ部分が生じてしまったかどうか、読者諸兄の御叱正を乞う次第である。ウン 著者の長島さんの経歴もミュンターに劣らぬほど独特である。とにかく、異国で頑張るミュンターに迫る作家魂がいいではないか♪
2018.04.28
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又吉直樹さんが芥川賞を受賞して以来、作家へのハードルが下がったので(それは錯覚です)、「よし 俺もいっちょう」と思うのである。…で、これまで集めた文章修業ハウツーのインデックスを作ってみました。・『定年後の知的生産術』:谷岡一郎・『ニホン語日記』:井上ひさし・『名文を書かない文章講座』:村田喜代子・『殺し文句の研究』:阿刀田高・『書く力』:斎藤孝・『小説の読み方』:平野啓一郎・『絲的メイソウ』:絲山秋子・映画ライターになる方法:まつかわ ゆま・『文体の科学』:山本貴光・伝わるWebライティング:ニコルとケイト・文章のみがき方:辰濃和男・売れる作家の全技術:大沢在昌・すっきり書ける文章のコツ80:高橋俊一・日本語文章がわかる:高橋源一郎、南伸坊など・作家デビューを目指す貴方へ:ドングリ編・言語表現法講義:加藤典洋 R6:『定年後の知的生産術』を追記なお、村上春樹の文章修業については別枠として『職業としての小説家』1~6を設けています。・『定年後の知的生産術』1:クリア・ファイル活用術・『ニホン語日記』1:テンとマル・『名文を書かない文章講座』1:「が」を減らす・『殺し文句の研究』1:文章作法・『殺し文句の研究』2:作家の企業秘密・『書く力』:パソコンで「書く力」をつける、他・『小説の読み方』:エンターテインメント小説の秘密・『絲的メイソウ』2:過激なご意見・映画ライターになる方法:映画評ではネタばれ禁止・『文体の科学』:独話体・伝わるWebライティング:ゴールの設定など・文章のみがき方:鶴見俊輔さんの文章修業・売れる作家の全技術:直木賞ぐらいでおたおたするな・すっきり書ける文章のコツ80 :最強の6ヶ条・日本語文章がわかる:新人賞へチャレンジ:松成武治・作家デビューを目指す貴方へ・言語表現法講義 :文間文法、他
2018.04.28
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本屋に出向くと、文芸春秋、SAPIO、週間現代の特集のタイトルは、もはや開戦前夜であり・・・メディアの警鐘だとしても、売り上げUPに協力する我が身をちょっと反省しないでもない昨今ですね。領土に目を向けると、日中韓による共同体など永遠に実現できないとするのが、先人の教えであるが・・・・日中韓それ自体が既に漢字文化圏であることは、歴史的事実であるわけです。で、蔵書録などから以下に「漢字文化圏」に関する本を集めてみました。(ネット情報を含む)・閉された言語・日本語の世界(1975年)・ハングルへの旅(1989年)・漢字のベクトル(1993年)・漢字で覚える韓国語(2006年)・近くて遠い中国語(2007年)・韓国が漢字を復活できない理由(2012年)・お言葉ですが・・・別巻2(2015年)・竜宮城と七夕さま(2017年)・漢文の有用性(2017年)R2:『閉された言語・日本語の世界』『お言葉ですが・・・別巻2』『竜宮城と七夕さま』『漢文の有用性』を追加<『閉された言語・日本語の世界』1>図書館で『閉された言語・日本語の世界』という本を、手にしたのです。発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。【閉された言語・日本語の世界】鈴木孝夫著、新潮社、1975年刊<「BOOK」データベース>より日本語を話す人=日本人という「単一言語国家」であり、歴史上侵略された経験がない日本人は、いかなる言語を育んできたのか。数種類の一人称代名詞をもち、「相手依存」で自己規定する私たちの言葉の不思議。言語社会学の第一人者が、言語と文化への深い洞察をもとに、日本語観、外国観、そして日本人の自己像を考える。時代を経ても色褪せない必読の論考。<読む前の大使寸評>発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。rakuten閉された言語・日本語の世界同音異義の漢字の成立理由が、中国語と対比して述べられています。p75~79■漢字語は音声と文字の交点に成立する 私はかねてから日本語は伝達」メディアとしてはテレビのような性格を持っていると主張している。音声を使って話している時でさえも、使われている漢字語の視覚的な映像を同時に頭の中で追っているのである。 これは決してすべての人が漢字を一字一画に至るまで、いつも正確に意識しているというわけではない。ある音形をきいたときに、それに対応するいくつかの、意味が関係のある漢字を思い浮かべ、前後の関係からどれか一つに決定するという意味である。「・・・官房長官がシ案を作りました」とニュースで聞くと、「私案」かな、それとも「試案」かなと一種の絵合わせを頭の中でやっていくのだ。この頃では、アナウンサーが御親切に「こころみ」の案だとか、「わたくし」の方だとか、ちょっと声を落として注をつけ始めたようだが、日常会話でも相手が使った言葉の文字を尋ねたり、自分の用いた語の表記に「さんずい」だとか「てへん」だなどと注を加えることは、しばしば経験する。 てのひらを出して字を書き示す習慣も日本独特で、西欧人はペラペラと綴りをそらでいう。私たちは字面を思い浮かべないと落ち着かない。 日本語に比べると、表記が原則的として表音である言語では、話すことはラジオのようなもので、すべての情報が音声という聴覚的刺激に託されている。そこで音形が同じで、意味に関連性があるような二つ以上の語は極端に嫌われ、互いに衝突するものとして一方が排除されてしまうのである。 日本語において表記が視覚的な情報源として働くということに対する言語構造上の理由は二つある。この二つは互いに原因であり結果であるという密接な関係に立っているが、現象としては一応別個の事実として考えるおとができる。 第一はすでに同音語の考察で明らかのように、お互いに同音で、しかも意味がなんらかの点で関連がある漢字が非常に多いということである。例えば「コウ」という発音を持った普通に用いられる漢字の数は、75にのぼる。これはポケット版である『岩波国語辞典』の見出し項目として出ているものだけであるから、大型の辞書にのっているものを数えれば、その数ははるかに多くなると考えられる。 この75の漢字のどれだけが、実際の会話の中で同音衝突を起こす可能性があるのかは簡単に決定できない。文の前後の脈絡次第で思わぬところで意味が混同されたり、取りちがえられることがあり得るからだ。荒天、好天や紅海、黄海などは衝突することは確実である。このようなとき、どんな字を使うのかという、表記に関する知識、つまり視覚的な情報が、曖昧性、多様性を解消することになるのである。(中略) 書かれた文字を見て、それをどう発音するかわからなくても、あるいはすぐ思い出せなくても意味はちゃんと分かることがあるのは誰でも経験することであろう。これはテレビを見ていて、音声を消してもある程度なんのことだか分かるのと比べられる。ラジオは消したらおしまいである。 以上の考察から明らかになったことは、西欧諸国の言語のように、文字表記が原則的には表音的な性質を持っている場合には、文字という視覚的情報は本質的には重複性がきわめて強いということである。 これに対し日本語の漢字語では、文字は音声からは別個に独立した情報源であり得るので、音声が等しくても、そして意味に関連があっても、文字さえ違えば同音衝突によるはじき出しが起こらないのは当然である。 この点で同じ漢字を使う中国語の場合と、日本漢字のそれとはかなり違っている。日本語の中に組込まれた漢字の音形は、日本語の音韻体系が中国語に比べて非常に単純であるために、もとの発音とは似ても似つかぬほど簡略化されてしまった。日本語には中国語のような声調(四声)の区別、有気無気の対立がなく、そして音節末の子音の存在を許さない。そこでもとの中国語ではまったく別の音形であった多くの漢字が、日本語に入ると同音になり、中国語では想像もつかないような数多くの同音異義の漢字が生れたのである。 このような日本化された漢字の表す概念(意味)は、もはや音的情報のみでは自立不可能となり、視覚的情報との交点においてはじめて明確に決定されることになった。『閉された言語・日本語の世界』2:訓読みの成立『閉された言語・日本語の世界』3:諸言語の使用者人口韓国をこよなく愛した茨木のり子さんの説く「漢字」です。【ハングルへの旅】茨木のり子著、朝日新聞社、1989年刊<「BOOK」データベースより>『朝鮮民謡選』をくり返し読んだ少女時代。心奪われる仏像がすべて朝鮮系であることに気づいたのは、30歳過ぎた頃。そして、あたかも、見えない糸にたぐり寄せられるかのようにして50代から著者が学び始めたハングルは、期待通りの魅力あふれる言葉だった。韓国への旅の思い出を織りまぜながら、隣国語のおもしろさを詩人の繊細さで多角的に紹介する。<大使寸評>多言語習得の思いをこれほど魅力的に鮮やかに書き記した本を、他に知らないのだ♪やはり、詩人の書いた本というしかないのかも。Amazonハングルへの旅この本から、ずばり「漢字」の章を紹介します。<漢字>p70~72 以前、野上弥生子さんが疑問を提出されていたことがあった。「日本の漢字読みは独特で、中国音とは似て非なるものになっているけれど、いつ頃、どうして、こういうものとして定着したのか、誰に聞いてもこの疑問は解消されない」という意味のことを。 私も気持ちがくさくさする時、現代詩の混濁に押し流されそうになる時、不意に「」を読みたくなり本棚から抜きとっていたりする。余分なものを削ぎ落とした漢詩の明晰さと余韻とに、心が洗いそそがれる思い。 しかし、意味はともかく、音のとりかたは勝手な日本流であってみれば、調べとしての詩の半分かたは取り落としていることになるのだろう。杜甫の詩を中国音で朗読したのを聞いたことがあるが、カラっとしていて詩吟の悲壮感や音とはまるで違うものだった。 野上さんの疑問はもっともに思われる。 まあ翻訳と思えばいいわけだが、漢字が日本語の母胎をなしているのでなんだか変に落ちつかなくなるというわけである。 古代、漢字を輸入し、借用し、自国語を創りあげていったということでは日本語も朝鮮語も同じであった。 漢字だけの構成では表現しきれないものがあって万葉がなが創られたのだろうが、これは日本人の発明、新機軸とばかり思っていたけど、そうでもないらしいのだ。 新羅時代の民衆の詩歌集、「郷歌」に吏読というものがあって、漢字を使って民族語を表記する方法が考え出され、7世紀頃には既に確立していたという。万葉がなと対応する方法である。吏読の発明の方が先なのだと韓国の人たちは言う。『万葉集』が5世紀前半~8世紀末までにわたるアンソロジイだとしても、編纂されたのはその後だろうし、当時の文化度の差から言えば吏読からヒントを頂いたということは十分ありうる。 そしてまた、同じく漢字をとり入れながら、隣国と日本の漢字読みの違いにも呆然となる。 希望(ヒマン)、歓喜(ファーンヒ)、後悔(フーフェ)、少年(ソーニョン)、壮年(チャーンニョン)、老婆(ノーバ) これらは一例にすぎず、同一漢字と思えない読みが山なしているのだ。ごく稀に、 要因(ヨウイン)、余裕(ヨユウ)、盗難(トウナン)、難民(ナンミン)、器具(キグ)、階段(ケエダン) など、同一音の漢字に出合うとほっとし、やはり姉妹語の面もあるのだと、息がつける。 私の友人に中国語に堪能で、辞書の編纂にも参加し、かつ、ハングルも物にしてしまった青年がいるが、こういう日本の若者を見ることは大きな喜びである。 彼が北京に1年留学し、帰ってきた時、いろいろ話を聞いて楽しかった。彼によると、朝鮮半島の漢字読みは、中国の南北朝時代の音が多く入っているという説や、明末までのいろんな時代の音が入っているという説などさまざまであるらしい。 日本は呉音を採ったとよく言われる。 隣国は漢字を音で読み、日本は訓で読むとも言われる。<『竜宮城と七夕さま』2>図書館で『竜宮城と七夕さま』という本を、手にしたのです。JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。(帰って調べてみると、このシリーズの全冊(4冊)を読んでいました)【竜宮城と七夕さま】浅田次郎著、小学館、2017年刊<「BOOK」データベース>より100万ドルに値する体験をした!“浦島太郎が食べたご馳走と、滅多に会えない織姫と彦星の恋の行方に想いを馳せる”表題作ほか、爆笑と感動と法悦の極上エッセイ集。JAL機内誌『SKYWARD』人気連載エッセイ「つばさよつばさ」単行本化。<大使寸評>JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。rakuten竜宮城と七夕さま『竜宮城と七夕さま』2 <漢文の有用性>内田先生がリンガフランカであった漢文の有用性と、漢文無用化の史実を語っているので見てみましょう。2017年03月30日役に立つ学問より 近代まで漢文は東アジア地域限定・知識人限定の「リンガフランカ」であった。それを最初に棄てたのは日本人である。こつこつ国際共通語を学ぶよりも、占領地人民に日本語を勉強させるほうがコミュニケーション上効率的だと考えた「知恵者」が出てきたせいである。 自国語の使用を占領地住民に強要するのは世界中どこの国でもしていることだから日本だけを責めることはできないが、いずれにせよ自国語を他者に押し付けることの利便性を優先させたことによって、それまで東アジア全域のコミュニケーション・ツールであった漢文はその地位を失った。日本人は自分の手で、有史以来変わることなく「有用」であった学問を自らの手で「無用」なものに変えてしまったのである。 戦後日本の学校教育も戦前と同じく「コミュニケーション・ツールとしての漢文リテラシーの涵養」に何の関心も示さなかった。さらに韓国が(日本の占領期に日本語を強要されたことへの反発もあって)漢字使用を廃してハングルに一元化し、さらに中国が簡体字を導入するに及んで、漢文はその国際共通性を失ってしまった。 千年以上にわたって「有用」とされた学問がいくつかの歴史的条件(そのうちいくつかはイデオロギー的な)によって、短期間のうちにその有用性を失った好個の適例として私は「漢文の無用化」を挙げたいと思う。(長くなるので後略、全文はここ)
2018.04.27
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図書館で『竜宮城と七夕さま』という本を、手にしたのです。JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。(帰って調べてみると、このシリーズの全冊(4冊)を読んでいました)【竜宮城と七夕さま】浅田次郎著、小学館、2017年刊<「BOOK」データベース>より100万ドルに値する体験をした!“浦島太郎が食べたご馳走と、滅多に会えない織姫と彦星の恋の行方に想いを馳せる”表題作ほか、爆笑と感動と法悦の極上エッセイ集。JAL機内誌『SKYWARD』人気連載エッセイ「つばさよつばさ」単行本化。<大使寸評>JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。rakuten竜宮城と七夕さま玄奘三蔵と大雁塔シルクロードの起点であった西安を取材しているので、見てみましょう。p114~118■大雁塔とドラ焼 自宅の居間に、西安・大雁塔の素描画が飾られている。 高名な画家の肉筆である。かつて直木賞を受賞した折に、さる出版社の社長からいただいた。 冬枯れた杏の林の向こうに、七層の仏塔が鎮まっている。天竺に旅した玄奘三蔵が、持ち帰った経典を納めるために、唐の高僧に願って建立した塔である。 素描画はまるで定木を置いたような直線で、千三百年余の風雪に耐えた大雁塔の素朴な佇まいを描いていた。 晴れ上がった冬の日に眺めていると、まるで居間の壁に穿たれた小窓から、時や場所の隔たりを越えて大雁塔を望んでいるような気分になる。(中略) さて、そうは思い立ったものの、わずか2日間の滞在中は予定が分刻みで、まったく自由時間がなかった。しかも皮肉なことに、宿泊したホテルは大雁塔のすぐ近くであった。さらなる皮肉は、ゲストルームが反対側で、窓から身を乗り出しても大雁塔が見当たらぬどころか、濁った空気の向こうに高層ビル群を望むばかりであった。 そこで、送別の宴も果てた帰国前夜、やむにやまれずホテルを脱走した。 折しも満月の晩である。幸い空気も冴えた。以前本稿にも、「西安の月」と題する拙文を寄せたが(『アイム・ファイン!』収蔵)、思えばどうしたわけか、過去二度の訪問の夜は定めて満月なのである。 ひとけの絶えた大通りを渡ると、錫杖をついた玄奘三蔵の巨大な銅像が、黒ぐろと月明に映えていた。 その遥か先の大慈恩寺の境内とおぼしきあたりに、藍色の夜空を背負った大雁塔がそびえていた。冬枯れた杏の林が、寺域を囲んでいる。 とたんに私は立ちすくみ、声にならぬ白い溜息をついた。大雁塔は左に傾いているのである。玄奘三蔵はすっくと大地に足を踏みしめて立ち、杏の木々は中天の月をめざすようにまっすぐな幹を延べている。だからその先の大雁塔の傾ぎは明らかであった。画家は忠実にそのありようを模写したのである。 たとえ千三百年の風雪がもたらした変容であろうと、かくある形を偽らぬことが写実であり、なおかつその写実がもたらすかもしれぬ誤解を、けっして怖れてはならぬ。真に怖れるべきは本質を見誤ることであると、画家の魂が私にささやきかけた。 大雁塔は七層の窓まどに、夜っぴてほのかな灯をともしていた。そればかりはきょうび流行の、ライトアップなどではあるまい。 玄奘三蔵がシルクロードから持ち帰った、真実の耀いである。『竜宮城と七夕さま』2:簡体字『竜宮城と七夕さま』1:中国人の体型の変化
2018.04.27
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図書館で『近くて遠い中国語』という本を、手にしたのです。いま『閉された言語・日本語の世界』という本を読んでいるのだが、日中の漢字の違いあたりがこの本にも出てくるので、チェーン・チョイスのように借りた次第でおます。【近くて遠い中国語】阿辻哲次著、中央公論新社、2007年刊<「BOOK」データベース>より中国旅行では、たとえ会話はできなくても筆談すればなんとか通じると、多くの日本人は考える。しかし、現実はそんなに甘くない。日本人が習ってきた漢文と中国語とはまったく別の言葉なのだ。たとえば「小面包」という単語は、漢文の知識では理解不能である。中国語と漢文と日本語との間によこたわる、漢字の違い、単語の違い、用法の違い、文法の違いをやさしく解説し、知っているようで知らないリアルな中国語を紹介。<読む前の大使寸評>いま『閉された言語・日本語の世界』という本を読んでいるのだが、日中の漢字の違いあたりがこの本にも出てくるので、チェーン・チョイスのように借りた次第でおます。rakuten近くて遠い中国語「漢字文化圏」とは大使のツボであるのだが、そのあたりが載っているので見てみましょう。p115~117■共通の文体 ユーラシア大陸の東端に位置する国々では、過去の長い時間にわたって「漢字文化圏」という名の文化共同体が存在しつづけた。漢字文化圏とは、漢字を読み書きすることで相互に意思の疎通をはかることが出来た集団であり、それは国家や王朝という政治的な枠や、あるいは言語の差異を超越するものだった。 つまり口で話す言語は国ごとに異なっていても、古代中国で使われていた規範的な文体を使って文章をつづれば、自由に相互の意思を疎通させることが可能であるという状態が存在していた。異国人どうしのあいだでも、漢字で文章さえ書ければ通訳は不要であった。 このかつて東アジア一帯での外交や文化交流の際に使われた文体を、中国では「古文」と呼び、日本ではそれを「漢文」と呼んでいる。 この文体は、中国の歴史のいつの時代でも、話しことばとはまったく違うものだった。中国では文字の記録がはじまった当初から、口頭の言語と文章に書かれる書面語()のあいだに、かなり大きなへだたりがあったと思われる。 漢字がいつごろどこで生れたか、その正確なことはわかっていないが、現存する最古の漢字としては紀元前1300年前後から前1000年くらいまでに使われた「甲骨文字」があり、それとほぼ同時代から続く周代を通じてずっと作られつづけた青銅器に記録された銘文があって、その文字を「金文」という。 これらの文字が記録されたのは亀の甲羅や牛の骨、あるいは青銅器という、世界的に見ても非常に特殊な素材であり、それらは常識的に考えても文字を書きやすいものではなく、そこに文字を書くにはかなりの努力と工夫が必要であった。(中略) 甲骨文字は王がおこなった占いの内容と結果を書き記したものであり、青銅器は祖先に対する祭りに使われる道具であった。占いをおこなって得た結果は、実際の占いに使われた甲羅や骨そのものに記録されるべきものであったし、祖先に対する語りかけは、祭祀に使われる青銅器に記録されなければ意味がない。すなわち古代中国で使われた甲羅や青銅器という特殊な素材は、文字の書き手が自由に選択した素材ではなく、はじめから選択の余地のない書写材料として書き手の前にあたえられていたものなのである。 逆にいえば、文字とはそもそも何に書いてもよいという性格のものではなく、記録される文章は、それが書かれる素材との有機的なまとまりのなかで完結していたのである。 このように文字を書くのに苦労する素材であれば、記録者の側にできるだけ少ない字数で文章を書こうという意識が働くのは当然であり、そのことが結果として文章と口頭による音声言語のあいだに大きなへだたりを生じさせることとなった。中国では書写材料がもっていた記録上の制約が、文語と口語の大きなへだたりをもたらしたといえるだろう、ウン 「漢文の定義」が目からウロコというか・・・「漢字文化圏」の本質をついていて、いいではないか♪しかし中華の現状は・・・内向きの言語政策によってタコ壷のような漢文、漢字になりつつあるのです。『近くて遠い中国語』2:漢字の簡略化『近くて遠い中国語』1:中国語の方言
2018.04.27
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『竜宮城と七夕さま』を読んでいるところだが・・・これまで読んできた、浅田さんの本を並べてみます。(*印はJAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化したシリーズ)*竜宮城と七夕さま(2017年刊)・獅子吼(2016年刊)・わが心のジェニファー(2015年刊)・ブラック オア ホワイト(2015年刊)・日本の「運命」について語ろう(2015年刊)*パリわずらい江戸わずらい(2014年刊)・五郎治殿御始末(2014年刊)・かわいい自分には旅をさせよ(2013年刊)・君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい(2011年刊)*アイム・ファイン(2010年刊)・ま、いいか (2009年刊)・ハッピー・リタイアメント(2009年刊) ・浅田次郎とめぐる中国の旅(2008年刊)・月島慕情(2007年刊)*つばさよつばさ(2007年刊)・すべての愛について(2006年刊)・ひとは情熱がなければ生きていけない(2004年刊)・歩兵の本領(2004年刊)・鉄道員(2000年刊)・地下鉄に乗って(1999年刊)R12:『竜宮城と七夕さま』、『わが心のジェニファー』を追加『竜宮城と七夕さま』3:玄奘三蔵と大雁塔『竜宮城と七夕さま』2:中国の「簡体字」『竜宮城と七夕さま』1:中国人の体型の変化『獅子吼』:象。駱駝。孔雀。ライオン。猿。河馬。遥かな西山から渡ってくるそれらの声『わが心のジェニファー』1:日本へのひとり旅を命じられた日系人ラリー『わが心のジェニファー』2:日本の原則『ブラック オア ホワイト』:エリート商社マンの告解『日本の「運命」について語ろう』1:アヘン戦争に対応できなかった科挙制度『日本の「運命」について語ろう』2:漢族と満州族(清)の違い『日本の「運命」について語ろう』3:徳川と愛新覚羅を比べて『日本の「運命」について語ろう』4:日本人と中国人の違い『日本の「運命」について語ろう』5:日露戦争の戦果『パリわずらい江戸わずらい』1:夕焼け小焼け『パリわずらい江戸わずらい』2:おまわりさんは、どこ?『パリわずらい江戸わずらい』3:パリわずらい江戸わずらい『パリわずらい江戸わずらい』4:イタリアン・クライシス『五郎治殿御始末』:明治維新時の侍たちの短篇六篇『かわいい自分には旅をさせよ』1:『蒼穹の昴』を旅する『かわいい自分には旅をさせよ』2:自衛隊絡みの話『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』1:英雄の足跡『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』2:浅田さんの読書遍歴『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』3:英雄の足跡(続き)『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』4:小説家という聖職『アイム・ファイン』1:すばらしい記憶『アイム・ファイン』2:ポップコーン幻想『ま、いっか』1:日本語の未来『ま、いっか』2:ま、いっか『ま、いっか』3:小説家の読書熱『ハッピー・リタイアメント』:ご褒美のような天下り『浅田次郎とめぐる中国の旅』1:紫禁城『浅田次郎とめぐる中国の旅』2:康有為のSF世界『浅田次郎とめぐる中国の旅』3:『中原の虹』『月島慕情』1:雪鰻『月島慕情』2:シューシャインボーイ『つばさよつばさ』1:燕迷、ほか『すべての愛について』1:山本一力との対談『すべての愛について』2:阿川佐和子との対談『すべての愛について』3:森まゆみとの対談『ひとは情熱がなければ生きていけない』1:自衛隊での生活『ひとは情熱がなければ生きていけない』2:漢籍に惹かれる浅田さん『ひとは情熱がなければ生きていけない』3:「破滅」への衝動『ひとは情熱がなければ生きていけない』4:映画『鉄道員』を語る鉄道員:珠玉の短篇8作品地下鉄に乗って:満州に出征する父を目撃し【竜宮城と七夕さま】浅田次郎著、小学館、2017年刊<「BOOK」データベース>より100万ドルに値する体験をした!“浦島太郎が食べたご馳走と、滅多に会えない織姫と彦星の恋の行方に想いを馳せる”表題作ほか、爆笑と感動と法悦の極上エッセイ集。JAL機内誌『SKYWARD』人気連載エッセイ「つばさよつばさ」単行本化。<大使寸評>JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。rakuten竜宮城と七夕さま【獅子吼】浅田次郎著、文藝春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より時代と過酷な運命に翻弄されながらも立ち向かい、受け入れる、名もなき人々の美しい魂を描く短篇集。【目次】獅子吼/帰り道/九泉閣へようこそ/うきよご/流離人/ブルー・ブルー・スカイ<読む前の大使寸評>おお 去年刊行の最新の短篇集ではないか(たぶん)ということで、借りたのです♪依然として、浅田次郎の個人的ミニブームは続いています。rakuten獅子吼(長くなるので後略、全文はここ)
2018.04.26
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図書館で『竜宮城と七夕さま』という本を、手にしたのです。JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。(帰って調べてみると、このシリーズの全冊(4冊)を読んでいました)【竜宮城と七夕さま】浅田次郎著、小学館、2017年刊<「BOOK」データベース>より100万ドルに値する体験をした!“浦島太郎が食べたご馳走と、滅多に会えない織姫と彦星の恋の行方に想いを馳せる”表題作ほか、爆笑と感動と法悦の極上エッセイ集。JAL機内誌『SKYWARD』人気連載エッセイ「つばさよつばさ」単行本化。<大使寸評>JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。rakuten竜宮城と七夕さま漢字は大使のツボでもあるわけで、そのあたりが載っているところを、見てみましょう。(パソコンが受け付けない簡体字を〇で表記します)p206~208■〇と〇 前項で小説家泣かせの難漢字について書いたが、よく考えてみれば、きょうび手書き原稿の作家は数えるほどであり、ましてや一般読者が「欝」だの「タテガミ」だのという字を書く機会は、まずないだろう。 とんだ愚痴をこぼしてしまったと、反省しきりである。 そこで今回は、難しい漢字ではなくて、簡単すぎて意味のわからない漢字について書こうと思う。すなわち、いかな漢字博士であろうと困惑する。中国の「簡体字」についてである。 ご存知の通り、台湾や香港では私たちとほぼ同じ「繁体字」と呼ばれる漢字が使用されているが、中国本土では1950年代に創始された「簡体字」によって、書物や街なかの看板が表記されている。つまり、台北では「漢字」だが、北京では「〇字」と書く。 20年ほど前に、意気揚々と近代中国を舞台にした小説を書き始めたはよいものの、私を待ち受けていたのはこの簡体字という障害物であった。 中国の新しい資料が読みこなせないのである。現地取材に出ても、まるでクイズの迷宮を歩いているようなていたらくであった。 実は中国語をきちんと学習していない。中学生のときの漢文の授業を入口にして、あれやこれやと中国の文学や歴史に親しんできたのだが、いざ物語を書く段になって、目の前に「簡体字」という思いがけぬ地雷原が拡がったのである。 ついでに意外な告白をすると、私はシリーズ第1部の『蒼穹の昴』を書きおえるまで、中国に行ったためしがなく、中国版簡体字の資料はただの1冊も持たなかった。 しかるにその小説が望外に売れたので、版元がご褒美と次回作の取材を兼ねて、北京に連れて行って下さったのである。 空港に降り立ったとたん、私の目は簡体字がまるで解読できず、併記された英語を頼っていた。こんな現実も知らずに、よくもまあ小説など書いたものだという恐怖心で、足がすくんでしまった。 本稿の表題には、あえてルビを振っていない。「〇と〇」。どうにも記号にしか見えないが、これらはれっきとした漢字である。 正解は「〇」が「習」。「〇」が「豊」。前者が繁体字の一部分を使用したということはわかるが、後者はどのようなルールに則ってそうなったか不明である。 常用漢字の多くが簡体字化されているので、その数は夥しく、マスターする方法といえば、丸暗記をするか体で覚えるほかはないであろう。そこで、そもそも勉強の苦手な私は、これらを楽しいクイズだと思うことにした。 おそらく、日ごろからあまり漢字に興味がなく、はなから記号的な認識をしている人は簡体字の覚えも早いであろう。しかし、読み書きの好きな人ほど混乱するはずである。そうした向きは、クイズだと思うほうがよい。 「〇」のような部分使用のパターンは多い。たとえば「業」は「〇」、「親」は「〇」、「郷」は「〇」、「飛」は「〇」というように簡略化される。一部分から全体を推理するのは楽しい。レストランのメニューに登場する「面」の繁体字は「麺」である。ところで、ネットで簡体字を繁体字に変換 - どんと来い、中国語を見つけたので・・・しばらくこれで遊んでみます。なお、簡体字が打てるようになれば、この記事の〇を訂正する予定でおます。『竜宮城と七夕さま』1
2018.04.26
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図書館で『竜宮城と七夕さま』という本を、手にしたのです。JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。(帰って調べてみると、このシリーズの全冊(4冊)を読んでいました)【竜宮城と七夕さま】浅田次郎著、小学館、2017年刊<「BOOK」データベース>より100万ドルに値する体験をした!“浦島太郎が食べたご馳走と、滅多に会えない織姫と彦星の恋の行方に想いを馳せる”表題作ほか、爆笑と感動と法悦の極上エッセイ集。JAL機内誌『SKYWARD』人気連載エッセイ「つばさよつばさ」単行本化。<大使寸評>JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。rakuten竜宮城と七夕さま旧満州の旅をとおして、中国人の体型の変化を見てみましょう。p64~67■布袋考 この秋から始まる連載小説の取材のため、中国北東部を旅した。 瀋陽からハルビン、チチハルまで足を延ばす。ディープな旧満州の旅である。 1928年6月に起こった張作霖爆殺事件の結果、遺された長男の張学良と東北政権の幕僚たちは、思いもかけぬ運命をたどることになる。彼らひとりひとりの奇妙な人生を、一枚の布に織りこんでみようと思う。 その中に、馬占山という怪傑がいる。張作霖同様に馬賊の出身で、東北軍閥の一翼をになった軍人である。彼はその後、関東軍を敵として抗日戦を展開する。その戦法は神出鬼没で大いに関東軍を悩ませ、戦死を報じられるたびに必ず甦って戦い続けた。ために日本国内の子供の間で、「馬占山ごっこ」という遊びが流行したほどであった。 彼が根城とした黒龍江省を訪れ、その足跡を追って気概に触れることが、取材の目的である。 ネタバレになりそうなカタイ話はさておくとして、このごろ中国には肥満が多くなった。 時節がら国際問題になるとまずいのであらかじめ言っておくが、私もこのごろデブである。つまりデブがデブについて語るのであるから、他意は何もない。 かつて本稿にも書いたと思うが、高カロリーの食事を摂っているわりに、中国人には肥満が少ない。いや、少なかった、と思う。 それは過去20年にわたり、年に一度や二度は必ず中国を訪れている私の、偽らざる実感であった、昨年は諸般の事情により、とんぼ返りで大連にお邪魔しただけであったから、実質的には久しぶりの中国である。出発に先立っては同行の編集者たちと、「みんな禁断症状が出ていると思うが、くれぐれも過食には気を就けよう」と誓いっ合った。もっとも、「中華料理は太らない」という持論のある私としては、なかばジョークであったのだが。 瀋陽の街を歩いていて、何となく中国人の体型が変わったと思った。初めは、飛躍的に向上したファッションセンスのせいだと思ったのであるが、やはりそればかりではない。肥満。それも若者たちの肥満が目立つ。 わかりやすいことに、真夏の中国には奇妙な習慣がある。青壮年の男性が富と健康の象徴たる布袋腹をあえて誇張するため、シャツを腹の上までたくし上げて闊歩するのである。 数年前には私もその習慣を真似て四平街の目抜きを歩き、編集者たちからやれ国辱だのセクハラだのと、非難を浴びた覚えがあった。 だからこそわかりやすいのである。経済成長が富と健康をもたらしたと言えばそれまでだが、明らかに肥満体が多くなった。
2018.04.26
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大使は、日々、コンピュータ棋士アヒル(レベル6)との死闘を繰り広げているのだが・・・今のところ互角の戦いであり、大使のサド感覚はご機嫌麗しいのでおます♪アヒル危うし2018-4-25 ahiru-lv60に対して320目で投了\(^o^)/本日の闘いに関して審判のだめ子が診断してくれているので、見てみましょう。だめ子 の診断より<変な癖はないかな? かんたん棋譜診断>・かたまり癖:もんだいなし。・はしっこ癖:もんだいなし。・ノビすぎ癖:もんだいなし。・キリすぎ癖:もんだいなし。 ・トリすぎ癖:もんだいなし。・きゆくつ癖:少し窮屈な石が多いかも。呼吸点を広げるように心がけてね。・ひかえめ癖:ひかえめ過ぎる手が多いかも。自分の勢力が強いところに打つ手は安心だけど、もっと積極的にね。・よくばり癖:もんだいなし。↑だめ子 の診断です。誤診があったらごめんなさい。 アヒル(レベル6)はあっさりと投了しっちゃって・・・・もっと、ねばってくれよな~♪アヒル(レベル6)との闘いで思うのだが・・・とにかく、大使の無茶な打ちかたに付き合ってくれる我慢強い棋士である。アヒル(レベル6)をいたぶるような打ち方は、確実に大使の手筋を悪くしているとは思うのだが・・・ま、いいか♪アヒル(レベル6)との闘い28棋譜リスト(あひる、先手勝ち)
2018.04.25
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図書館で『近くて遠い中国語』という本を、手にしたのです。いま『閉された言語・日本語の世界』という本を読んでいるのだが、日中の漢字の違いあたりがこの本にも出てくるので、チェーン・チョイスのように借りた次第でおます。【近くて遠い中国語】阿辻哲次著、中央公論新社、2007年刊<「BOOK」データベース>より中国旅行では、たとえ会話はできなくても筆談すればなんとか通じると、多くの日本人は考える。しかし、現実はそんなに甘くない。日本人が習ってきた漢文と中国語とはまったく別の言葉なのだ。たとえば「小面包」という単語は、漢文の知識では理解不能である。中国語と漢文と日本語との間によこたわる、漢字の違い、単語の違い、用法の違い、文法の違いをやさしく解説し、知っているようで知らないリアルな中国語を紹介。<読む前の大使寸評>いま『閉された言語・日本語の世界』という本を読んでいるのだが、日中の漢字の違いあたりがこの本にも出てくるので、チェーン・チョイスのように借りた次第でおます。rakuten近くて遠い中国語「第3章 簡体字と繁体字」から漢字の簡略化を、覗いてみましょう。p67~70■文字と言語の改革 中華人民共和国になってからの約10年間に、具体的には1949年から58年までに、言語と文字にかかわる大幅な改革がおこなわれた。それを「文字改革」と総称するのだが、そのなかで政府がもっとも力を注いだのが漢字の簡略化だった。 中国は漢字の国であるとはいうものの、過去の中国ではごく一部の知識人しか漢字を読み書きできず、圧倒的多数の人々は文字と縁のない状態に置かれていた。人民共和国になる前の中国における識字率は都市部で20~30%、農村ではなんと10~20%前後であったという。 すなわち漢字の読める人が10人に2、3人くらいしかいなかったというわけだが、それは、日本人としてはまことに胸のいたむ状況がもたらした結果であるというべきだろう。 アヘン戦争から日中戦争の終結にいたる約100年間にわたって、中国の国土はずっと激しい戦争の舞台でありつづけた。「日露戦争」とはその名の通り日本と帝政ロシアとの戦争であり、中国は戦争当事国ではなかったのだが、しかし主戦場となったのは中国の東北地方だった。 日本がしかけた侵略戦争は、15年にもわたって中国全土を悲惨な状況に巻き込んだ。そしてそれが終ってからも、ほとんど時間をおかずにこんどは国民党と共産党の激しい内戦がおこなわれた。 最終的に戦争に勝ったとはいえ、中華人民共和国が成立した段階では、歴年の混乱と破壊によって国土はずたずたとなり、人々の生活水準はまだまだ低く、とくに教育制度は大都市をのぞいてほとんど整備されていなかった。そのことが当時の識字率の低さをもたらした最大の原因であるが、しかしそれとともに、漢字が本来的にもっている難しさも、識字率の低さと大いに関係があった。 難しくて覚えにくい漢字をより簡単に書けるように改良して、多くの人が読み書きできるようにしようという運動は、決して革命後にはじまったわけではない。すでに清朝の末期から一部の先覚者によって萌芽的な仕事がおこなわれており、中華民国になってからも、漢字の簡略化やローマ字による中国語表記などのこころみがたえず繰り返されてぃた。そのような試行と模索が継続されてきたのは、ひとえに漢字が難しく、それを習得して自由に使いこなすためには長い年月にわたる努力が必要であって、その関所を越えていない人がそのころにはたくさんいたからにほかならない。■歴史の長い文字 漢字はエジプトの「ヒエログリフ」やメソポタミアの「楔形文字」などと並び称される。世界屈指の歴史の古い文字であるが、エジプトやメソポタミアの古代文字ははるか昔に死滅したしまい、それを使っている人がいまは誰もいないのに対して、漢字は中国やその周辺地域で今もたくさんの人によって使われつづけている、世界でも類例のない長い歴史を持つ文字である。 現在知られている最古の漢字は、紀元前1300年くらい、すなわち今から3000年以上前の時代から使われていた「甲骨文字」で、亀の甲羅や牛などの動物の骨に刻みつけられたことから、「甲骨」という名前をつけられた。甲骨文字 甲骨文字では「山」を「〇」、「雨」を「〇」、「魚」を「〇」と書く。まるで絵文字のようであって、現在の印刷物に使われている漢字とは見かけの面で大きく異なってはいるが、しかしそれは単に書体がちがうだけに過ぎないのだ。『近くて遠い中国語』1
2018.04.25
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<『近くて遠い中国語』1>図書館で『近くて遠い中国語』という本を、手にしたのです。いま『閉された言語・日本語の世界』という本を読んでいるのだが、日中の漢字の違いあたりがこの本にも出てくるので、チェーン・チョイスのように借りた次第でおます。【近くて遠い中国語】阿辻哲次著、中央公論新社、2007年刊<「BOOK」データベース>より中国旅行では、たとえ会話はできなくても筆談すればなんとか通じると、多くの日本人は考える。しかし、現実はそんなに甘くない。日本人が習ってきた漢文と中国語とはまったく別の言葉なのだ。たとえば「小面包」という単語は、漢文の知識では理解不能である。中国語と漢文と日本語との間によこたわる、漢字の違い、単語の違い、用法の違い、文法の違いをやさしく解説し、知っているようで知らないリアルな中国語を紹介。<読む前の大使寸評>いま『閉された言語・日本語の世界』という本を読んでいるのだが、日中の漢字の違いあたりがこの本にも出てくるので、チェーン・チョイスのように借りた次第でおます。rakuten近くて遠い中国語中国語の方言を、覗いてみましょう。p45~50■中国語の方言 漢語には北方方言・呉方言・湘方言・カン方言・ビン方言・客家方言・エツ方言の7つの方言がある。うちもっとも多くの人によって話されているのが北方方言で、生粋の北京っ子が話すことばもこれに属するが、北方方言はさらに東北・華北・西南・江ワイ地方などで使われ、その話者は漢民族人口の73%に達するという。 ついで話者が多いのが呉方言で、上海で使われることからまた「上海語」と呼ばれることもある。「呉」とはもともと春秋戦国時代の国名で、その都はいまの江蘇省の蘇州にあった。そこから「呉」が江蘇省一帯の地名を表す文字として使われる。日本で「薩摩」で鹿児島を表し、「加賀」で石川を表すのと同じことで、「呉方言」という名称では、古代の国名をいまの地域を表す名称として使っているわけだ。 呉方言は主として上海とセッコウ省の大部分から江蘇省南部、さらには安徽省や江西省などで話されており、上海と蘇州で話されることばが代表的な呉方言である。 「湘」は湖南省の古称であり、湘方言は湖南省から広東省、さらには広西チワン族自治区北部と四川省の一部で使われていて、湖南省の省都である長沙の方言がその代表とされる。使用率は漢民族人口の5%前後にすぎないのだが、中国革命の指導者であった毛沢東が湖南省の出身で、文化大革命の時期には彼の肉声がよくラジオやテレビから流れたことから、その時代の中国人には耳になじみのある方言となっている。 毛沢東の演説はCDで販売されているので、今は日本でも簡単に聞くことができるが、それは一般的な「中国語学習者」には非常にわかりにくいことばである。本人はもちろん標準語を話しているつもりなのだが、強い湖南なまりがあって、そのなまりに慣れていないと、とうてい聞き取れるものではない。(中略) 客家円楼に宿泊するより 客家語の「客家」(ハッカと読む)とは唐から宋のころに華北から中国南部に移住してきたといわれる人々の子孫で、「客」はここでは移住してきた人という意味で使われている。客家人は湖南や福建・広東などの山間部に多く居住しているが、また華僑として東南アジア諸国に暮らす人も多く、在外華僑の3分の1は客家人であるといわれている。 客家という集団はもともと移住者であったゆえに、周辺に暮らす他の漢民族集団とはことなった独自の言語や文化をもち、すこし離れた場所に独特な形で閉鎖的な集落を作る。そのため歴史的には他の集団と軋轢を起こすことも多かったが、その独自の生活環境による影響なのか、客家人からはすぐれた指導力を備えた人物が次々に輩出した。 「太平天国農民革命運動」の指導者であった洪秀全、辛亥革命を起こして清朝を打倒した孫文とその夫人宋慶齢、妹で蒋介石夫人となった宋美齢、中国人民解放軍の初代元帥となった朱徳などはすべて客家の出身で、つい先年まで中国の改革開放経済をリードしたトウ小平も客家人だった。いまも活躍している人物をあげれば、台湾でかつて総統の地位にあった李登輝氏や名作『悲情都市』や『冬冬の夏休み』などで知られる映画監督候孝賢氏などがおり、さらに海外に目をやれば、シンガポールの初代首相となったリー・クアンユー氏も客家の流れをくんでいる。 客家方言が話される地域は広東東部から福建西部、江西南部の山間部に分布し、さらに在外華僑にも多くの話者がいる。なお客家は唐宋時代に華北から南下したあと、他の集団との交流があまりなかったため、その方言には唐宋時代の言語的特徴がよく保存されているという。ウーム 中華圏の著名な指導者は、(毛沢東を除くと)ほぼ全員が客家人という実態がすごいではないか。
2018.04.25
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本屋の店頭で『定年後の知的生産術』という新書を、手にしたのです。クリエイティブ・シニアを応援する一冊ってか・・・ええなあ♪本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪【定年後の知的生産術】谷岡一郎著、筑摩書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より定年退職後こそ、クリエイティブに、好きな研究、夢や目標に向かって打ち込むチャンスである。これまでの仕事や人生で得た経験が、意外な組み合わせによる新しい発想や、本質を見抜く眼力に通じる。時間的・金銭的な余裕が比較的あることは、シニア世代の大きなアドバンテージである。本書は定年後のクリエイティブ・シニアを応援する一冊。<読む前の大使寸評>クリエイティブ・シニアを応援する一冊ってか・・・ええなあ♪本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年後の知的生産術著者が団塊の世代を讃えているので、見てみましょう。(わりと珍しい論調ではあるが)p178~181■パワフルな団塊の世代が世の中を変える 第1章でも触れたように堺屋太一が命名した「団塊の世代」は、日本では過去に例を見ない人口構造の中で育った。同世代が多い中で過酷な競争を経験し、独特の生活様式(独特の「文化」と言ってもよい)を切り開いてきた世代と考えてよい。 初めてクラシック以外の海外の音楽を受け入れたり、初めてコンピューターと向き合い、キーボードに英字を打ち込むことに抵抗を感じなかったなど、多くの新しい知見を導入した世代でもある。 そして何より、(明治以来)初めて「能動的に世の中を変えようとするエネルギーが爆発した世代」であることが、本書にとって特に重要な点である。とにかく「パワフルだった」と言えるのである。 世の中の変化は、それが大きなものであれ小さなものであれ、何らかの反発・反対を受けるとしたもの。水に投じた石のように、水面を波立たせ、ついでに水底の土を動かす。そしてそれまでの状況に甘んじていた人々、もしくはそこから利益を得ていた人々の神経を逆なですることは必定である。 何かを変えることは、それら反発・反対の声を押し切るだけのエネルギーを必用とするがゆえに、現在の日本人の多くは、「変えないで済むなら、まあいいや」といった、ネガティブな態度が慣習として根付いてしまっているようだ。 団塊の世代は少なくとも、既製のステイタス・クオ(現状肯定・維持)に挑戦した。それまでの殻を破るエネルギーは、莫大な量を必用としたであろうが、人口の多さと競争の激しさとがそれを埋めたのだろう。結果として、1970年代、80年代は、社会構造や内容に加え、生活様式や文化までが激変した時代となったのである。 世の中を変える大きなエネルギーは、主として「競争環境の中に生ずる」というのが歴史の教えるところ。ところが団塊の世代は、過酷な競争を強いられてはいたが、少なくとも政治・経済体制は(反対運動はしばしば起こってはたにせよ)安定した中での競争であった点に注意を喚起しておこう。 つまりその生じたエネルギーは、体制打破や対外戦争といった外部的なものでばく、生活様式や文化の変革といった内的なものに向かったのではないか、というのが筆者の仮説だ。むろん安保闘争に代表されるように、対外的なものに向けられたエベルギーもあったにせよ、その量と質とは限定的なものに過ぎなかった。 海外に見られるような命がけのデモや闘争と比較して、トータルのエネルギー量は当事者が考えているほど高いレベルではなかったと考えるのである。 世の中を変えるエネルギーの大半は、内側に向かっていった。それが団塊の世代による慣習の打破につながったのだろう。■団塊の世代が変えてきたもの 我々の社会を見渡してみると、今となっては「あって当然なこと」の多くが1970~90年くらいに生まれていることに気づく。思いつくまま挙げてみよう。 まずは「ファッション」。ミニスカートや短パンなどを考えてみられたし。もし団塊の世代の親が若い頃にそのファッションで外を歩いたなら、警官に呼び止められても不思議でないほど、旧世代には大胆な行為であったはずだ。ファッションは、団塊の世代が慣習を打破した代表的文化である。(中略)「技術革新」は、有史依頼それまでになされたすべてを合わせるほどの質と量を含む。筆者のおばの家に電気冷蔵庫が据えられたのは、1960年代も半分を過ぎた頃であったと記憶しているが、洗濯機、掃除機、エアコン、カラーTV、ステレオ、パソコン、電気毛布、あるいは電子レンジやオーブンなどの調理器具は、筆者の子どもの時代にはそもそも存在しないものであった。かつてのダイヤル式電話機など、ケータイやスマホの登場以後に生れた若者には、まったく想像できないものに違いない。『定年後の知的生産術』1
2018.04.25
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<『定年後の知的生産術』1>本屋の店頭で『定年後の知的生産術』という新書を、手にしたのです。クリエイティブ・シニアを応援する一冊ってか・・・ええなあ♪本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪【定年後の知的生産術】谷岡一郎著、筑摩書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より定年退職後こそ、クリエイティブに、好きな研究、夢や目標に向かって打ち込むチャンスである。これまでの仕事や人生で得た経験が、意外な組み合わせによる新しい発想や、本質を見抜く眼力に通じる。時間的・金銭的な余裕が比較的あることは、シニア世代の大きなアドバンテージである。本書は定年後のクリエイティブ・シニアを応援する一冊。<読む前の大使寸評>クリエイティブ・シニアを応援する一冊ってか・・・ええなあ♪本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年後の知的生産術クリエイティブ・シニアと呼ばれる(こともある)団塊世代は、暇にまかせて新聞スクラップをしたりしているのです。その新聞スクラップは試行錯誤の末に、クリア・ファイル利用に落ち付いたわけで・・・「第5章 著作への道」で、クリア・ファイル活用術を、覗いてみましょう。p147~149■クリア・ファイル活用術 ご存知と思うが、「クリア・ファイル」という透明な袋がいくつも綴られたポケット式ファイルが市販されている。少し前までは数種類しかなかったが、今では2ケタ以上の文具用品企業が乗り出しているため、用途に応じて使い分けることができる。これが紙の資料や原稿などの整理にとても便利である。 ページ数は、数ポケットのものから100ポケットくらいが普通で、それ以下でもそれ以上でも使い勝手は良いものではない。色(背表紙)も黒、青、赤、黄をはじめ20種くらいあるので、トピック、サブ・トピックごとに色を変えることも可能である。 サイズはA6判からB1判くらいまで多様にあるが、これに関しては特にA4判をお薦めしておこう。たまに入りきらないとき用に、大きめのものもあると便利だろう。 クリア・ファイルの背表紙には、そのファイルに何が入っているかを書くのも必要。もし背表紙に書くための工夫がなされていないならば太い油性マジックで書くとよい。 何かのトピックを書こうと思ったなら、まず必要となるのは「元ファイル」と「サブ・ファイル」である。 元ファイルには、そのトピックの計画書、目次および各チャプター(章)の内容などが含まれる。書く分量や中身にもよるが、たぶん40ポケット以上のものが望ましい。もし出版社からの依頼や計画書があるなら、それもこのファイルに入れておく。出版社側の担当者がいるなら、その連絡先も元ファイルに入っているのが望ましい。複数の出版社と付き合っている筆者は、よく名刺をホッチキスで留め、最初のページに入れている。 以前に少し触れたが、元ファイルは1冊のノートでもよいが、クリア・ファイルの便利な点は、ノリやテープでノートに貼り付ける代わりに放り込んでおくことができ、必用なら順序を入れ替えることもできるでことであろう。 筆者は1冊の本を書く計画なら、元ノートと元ファイルの両方を用意するのが常である。章や図表が出来上がるごとに元ファイルの後半部に放り込もう。書き直したときは、必ずアップデートし、最新のものと入れ替えるのを忘れないように。古いものは、よほどの理由がない限り捨てる方がよい。 サブのクリア・ファイルは、各チャプターごとに1冊割り当てる。20ポケットくらいで充分な章と、60ポケットくらい必要な章もあるだろうが、背表紙以外に、色や種類などで区別しやすくしておくのである。サブ・ファイルには、その章で使う切り抜きやコピーなど、何でも放り込む。 ここまでで、元ファイルとサブ・ファイルは出来上がったはずであるが、実はもうひとつのファイルがいる。それは「何でもファイル」と呼んでいるが、その名の通り何でもかんでも放り込むためのファイルである。つまり「どの章で使うかわからないもの」、「引用した本の奥付のコピー」、「関係があると思われる記事」などなど、関係ありそうなものを何でもかんでも放り込む。できればページ(ポケット)の多いクリア・ファイルを何でもファイルに使用することがお勧めである。ウン ここまで読んでくると・・・クリア・ファイルとノートがあれば、すぐ論文が出来上がるような気がしまんな♪
2018.04.24
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、4冊とも「中公新書」でしょうか♪<市立図書館>・明治の外国武器商人・近くて遠い中国語・飛鳥の木簡<大学図書館>・中世のことばと絵図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【明治の外国武器商人】長島要一著、中央公論新社、1995年刊<「BOOK」データベース>よりデンマークの名門の牧師の家に生まれ、優れた海軍士官であったバルタサー・ミュンターだったが、軍上層部との対立もあって退役、その後アームストロング社の代理人となって来日し、帝国陸海軍との関係を深めていく。特に海軍には戦艦・武器を売り込むとともに、自らの海軍の知識と経験を生かして技術・操練指導を行ない、後の日清・日露戦争勝利の礎を築くことになる。なぜか滞日時代が謎に包まれている親日武器商人の実像に迫る。<読む前の大使寸評>日清・日露戦争勝利の礎を築いた武器商人となると、聞き捨てならないわけで・・・興味深いのです。rakuten明治の外国武器商人【近くて遠い中国語】阿辻哲次著、中央公論新社、2007年刊<「BOOK」データベース>より中国旅行では、たとえ会話はできなくても筆談すればなんとか通じると、多くの日本人は考える。しかし、現実はそんなに甘くない。日本人が習ってきた漢文と中国語とはまったく別の言葉なのだ。たとえば「小面包」という単語は、漢文の知識では理解不能である。中国語と漢文と日本語との間によこたわる、漢字の違い、単語の違い、用法の違い、文法の違いをやさしく解説し、知っているようで知らないリアルな中国語を紹介。<読む前の大使寸評>いま『閉された言語・日本語の世界』という本を読んでいるのだが、日中の漢字の違いあたりがこの本にも出てくるので、チェーン・チョイスのように借りた次第でおます。rakuten近くて遠い中国語【飛鳥の木簡】市大樹著、中央公論新社、2012年刊<「BOOK」データベース>よりかつて日本古代史は、『日本書紀』『古事記』や中国の史書に頼らざるを得なかった。だが1990年代後半以降、三万点以上に及ぶ飛鳥時代の木簡の出土が相次ぎ、新たな解明が進み始める。本書は、大化改新、中国・朝鮮半島との関係、藤原京造営、そして律令制の成立時期など、日本最古の木簡から新たに浮かび上がった史実、「郡評論争」など文献史料をめぐる議論の決着など、木簡解読によって書き替えられた歴史を描く。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten飛鳥の木簡【中世のことばと絵】五味文彦 著、中央公論社、1990年刊<「BOOK」データベース>よりわびしく簡素なたたずまい、領地を与えるしらせに一喜一憂するまずしい絵師とその家族―絵巻『絵師草紙』は絵師が領地をめぐる窮状を、絵と詞に託して訴えるという体裁をとっている。しかし、この絵は生々しい実感に富む反面、どこまで事実に即した情景なのかは容易に判断できない。本書は『絵師草紙』を読み解く作業の中で作者像を明らかにし、絵だけではないことばとの交流を通して、新しい史料としての絵巻の活用を試みる。<読む前の大使寸評>追って記入amazon中世のことばと絵************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き299
2018.04.24
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<『閉された言語・日本語の世界』3>図書館で『閉された言語・日本語の世界』という本を、手にしたのです。発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。【閉された言語・日本語の世界】鈴木孝夫著、新潮社、1975年刊<「BOOK」データベース>より日本語を話す人=日本人という「単一言語国家」であり、歴史上侵略された経験がない日本人は、いかなる言語を育んできたのか。数種類の一人称代名詞をもち、「相手依存」で自己規定する私たちの言葉の不思議。言語社会学の第一人者が、言語と文化への深い洞察をもとに、日本語観、外国観、そして日本人の自己像を考える。時代を経ても色褪せない必読の論考。<読む前の大使寸評>発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。rakuten閉された言語・日本語の世界諸言語の使用者人口について、見てみましょう。p111~113■日本語は大言語である 現在のところ、世界の諸言語の中で最大の使用者人口を持つものは中国語であろう。もっとも一口に中国語と言っても決して均一な言語ではなく、その方言と称せられるものの中には、相互に通じないほどの相違が見られるものもある。だが最大の方言集団である北方方言だけとってみても、まだ五億近い使用者を数えるのだから、中国語は世界最大の言語と一応考えてよいだろう。 つぎに来るものは英語である。大ブリテン島と北アイルランド、アメリカ、カナダ、そしてオーストラリア、ニュージーランド、南ア、その他で三億余とされている。第三番目のグループはスペイン語とロシア語である。最新の統計がないので正確なことは分からないが、スペイン語の方が少し多くて二億弱、ロシア語は、ウクライナ、白ロシア語を含めても一億6、7千万程度ではないかと考えられる。スペイン語使用者の大部分は中南米諸国にいる。 そのつぎがインドの公用語の一つであるヒンディ語で約一億四千万、そして一億一千万強の日本語はほぼ同数の使用者を持つインドネシア語と共にこれにつづくのである。そのほか一億を越す使用者がいると思われるものに、ポルトガル語とベンガル語がある。 多くの日本人にとって、日本語が使用者数の点で世界三千五百種の言語のうち、第六番目の言語だとは容易に信じられないのではないだろうか。私自身もまさかという気持ちでいろいろと調べてみたが、どうも事実のようである。 世界には今のところ億の位を越す使用者を持った大言語は意外に少ないのであって、私たちになじみの深いドイツ語ですら約9千5百万程度なのである。これは東西両ドイツとオーストリアのほか、ポーランド内にもかなりのドイツ語人口があり、スイスにも三百五十万人ほどいる。またアメリカ大陸ことに南米にも相当数の使用者が見出される。フランス語はカナダ、ベルギー、スイスそれに海外領土を入れても六千万程度で、イタリア語とほぼ同数である。最近国連の公用語に加えられたアラビア語は、広大な地域の多数の国において用いられているにもかかわらず、使用者は約八千万を数えるにすぎない。 要するに世界の約三千五百の言語の中で、母国語使用者の数が一億を越える言語は十指に満たない少数で、日本語はその一つなのである。この事実をはっきりと知っている日本人が現在はたして何人いるだろうか。 日本語は多くの日本人が、なんとなく感じているような、取るに足らぬ言語どころか、少なくとも使用者数の点では、立派な大言語の一つなのである。 しかしいかに多くの人に用いられている言語であっても、その言葉を使う人々の経済的影響や文化的重要性が、同時に大きくなければ、言語としての重要性はそれほどではなくなってしまう。この点で日本語はどうであろうか。日本という国の持つ経済力や文化の高さは、いろいろと問題があるにせよかなりのものであることは間違いのないところであろう。 このように、私たちが自分たちの言語を国語としていわば内側からのみ見ることを止め、外側の立場つまり世界の諸言語の一つとしての日本語という観点から眺め直していることで、はじめて正常な比例感覚を持ちうるのだ。ところが日本語の大言語性には、いろいろと問題があるのである。(中略) このように、自分の国の中ならば、出会う同国人は必ず自分と同じ言語を話すということが、疑うべくもない前提として通用する大国は、世界広しといえども日本くらいのものなのである。日本はおそろしく純度の高い単一言語国家であり、しかもその言語が世界の大言語の上位に位置するという事実が、私たち日本人にとっても、また他の国の人々にとっても、今後いろいろな問題を生むことになるのである。ウーム 「閉された言語」といわれる由縁がちらっと見えてきましたね。『閉された言語・日本語の世界』2『閉された言語・日本語の世界』1
2018.04.24
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<『閉された言語・日本語の世界』2>図書館で『閉された言語・日本語の世界』という本を、手にしたのです。発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。【閉された言語・日本語の世界】鈴木孝夫著、新潮社、1975年刊<「BOOK」データベース>より日本語を話す人=日本人という「単一言語国家」であり、歴史上侵略された経験がない日本人は、いかなる言語を育んできたのか。数種類の一人称代名詞をもち、「相手依存」で自己規定する私たちの言葉の不思議。言語社会学の第一人者が、言語と文化への深い洞察をもとに、日本語観、外国観、そして日本人の自己像を考える。時代を経ても色褪せない必読の論考。<読む前の大使寸評>発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。rakuten閉された言語・日本語の世界大使の場合、最も興味深いのは「訓読みの成立」なので、そのあたりを見てみましょう。p80~83■「音」とは何か、「訓」とは何か そもそもある言語が文字をよその言語から借用したり、また外来語という形で、他の言語の単語を執りいれること自体は、程度の差こそあれ、世界のどの言語にも見られる普遍的な現象である。現代ヨーロッパ諸語においては概念的抽象的な語彙の大多数が、古代ギリシャ語やラテン語からの借用語であり、新しく造語をする場合に、これらの古典語の要素を組合わせることが多いことはよく知られている。 またイスラム文明の担い手であったアラビア語の数多くの単語は、今なお、トルコ語、ペルシャ語、マライ・インドネシア語んどにおける高級語彙の母体となっている。トルコの場合などは、一時脱イスラム化をはかるあまり、すべてのアラビア語系の語を駆逐して、純粋のトルコ語でこれを置き替えようとする努力がなされたが、高級語彙どころか、日常不可欠な多くの言葉までがアラビア語系となっていて、いまさらこれをすべて言い替えることは不可能ということになり、国語の純化運動も中途半端なものに終ってしまった。(中略) しかしここに述べた世界的に見られる外来語授受のあり方と、日本語の中に古代中国語からの借用語が多数混入している事実とは、つぎの点で根本的に異なった様相を示しているのである。 古代日本語に漢語や漢字が取入れられた際に、いくつかの取入れ方の類型があったが、現在に及ぶ影響の大きさの点と、ギリシャ、ラテン、アラビア、サンスクリットなどの言語が、近隣諸国の言語に及ぼした影響との性質の相違という見地からは、つぎの2点が注目されよう。 第一に日本人は、漢字という文字を中国から、そのまま多数借用しておきながら、その漢字から仮名という独特な文字を同時に作り上げてしまったことである。阿と安から「ア」と「あ」を、伊と以から「イ」と「い」をという具合に、元の漢字の意味をまったく無視して、日本語の音節を書き表す音標記号に漢字を換骨奪胎して、日本語の音節すべてを書き表すことのできる、まったく新しい文字体系を作った点である。(中略) 第二は、このようにして作った仮名をもって、元来の日本語の単語を表記しただけでなく、借用語として取入れた漢字を、もとの中国語の発音通りそのまま(もちろん日本語の音韻上の制限や癖によって。かなり修正歪曲されてはいるが)用いることに加えて、その同じ漢字、漢語を、それに意味が対応する日本単語の発音をあてて、読み変えることも同時に行なったのである。 言うまでもなく前者は、いわゆる漢字の音読であり、後者が漢字の訓読と言われるものである。 綴字発音のところでも少しふれたが、日本漢字の大多数がこのように音読みと訓読みの二通りの読み方を持っているということに対して、私たち日本人はあまりになれてしまって、その意味を深く考えることをしないのであるが、これは非常にすばらしいことなのである。 例えば水という漢字を考えてみよう。 音は「スイ」で訓が「みず」だということは一体なにを意味するのだろうか。これは水という概念が中国語では「スイ」という音形を持ち、日本語では「みず」という形で音声化されるということにほかならない。そしてこのような音声化を受ける以前の、水の概念そのものは、視覚に訴える「水」という文字で表記されているのだ。 私たち日本人がある漢字の訓と音を知っているということは、とりもなおさずその漢字で示される概念の、二つの別の言語における音的実現体が、同一の文字表記をつなぎとして頭の中で癒着していることにほかならない。更に読み進めました。p86~87 日本語が漢字を豊富に使い、しかもそれを音と訓の二通りに読むという習慣を確立したことが、高級な概念や、難しい言葉を一部特権階級の独占物にしないですんでいる大きな原因なのである。 たしかに漢字の学習には時間がかかるかもしれない。しかしひとたび学習された漢字は、日本人の日常卑近な生活のレベルに必用な安定したことばと、抽象度の高い高級な概念とを連結する真に貴重な言語媒体としての機能があったことを、改めて認識する必要があるのではないだろうか。 ところが、このような漢字の訓読を一切廃止したら、日本語はすっきりするのではないかという提案を行ない、かつ自分でそれをある程度まで実行している学者がいるのだ。社会人類学者の梅棹忠夫氏が漢字の訓よみ廃止の提案者である。(中略) 梅棹氏は「現代日本文字の問題点」という論文の中で、日本語に正書法が確立していないことは情報産業の観点から大問題であるとし、来るべきマン・マシン・システムの時代において日本が遅れをとり、日本語自体も、新しい時代に不適合な言語であるとして、外国語に全部くわれてしまうことになるだろうと警鐘を鳴らしている。『閉された言語・日本語の世界』1
2018.04.23
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<『ガロ』がつなぐ輪R4>鶴見俊輔さんが「ガロ学派」という命名を行ったほど、漫画ムック『ガロ』は1970年代のメディアを牽引したようだが・・・地方にいた大使は感度が鈍いのか、『ガロ』について、大した関心がなかったわけです。10月(2015年)に赤瀬川原平さんが亡くなったが・・・えらいこっちゃ!そんなに年が過ぎているのか。ということで、遅ればせながら『ガロ』について、集めています。・『オレって老人?』・『「ガロ」という時代』・ガロ(1982年2、3月号)・ガロ(1993年8月号)・対話録・現代マンガ悲歌・ガロ曼陀羅・ノー・シューズ・もう赤瀬川原平さんはいないのか・つげ義春 夢と旅の世界・『ガロ』を見ずに過ごしてきたR4:『オレって老人?』を追加<『オレって老人?』3>図書館で『オレって老人?』という本を、手にしたのです。天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)【オレって老人?】南伸坊著、みやび出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より【目次】法的に老人/老化すると人は老人になる/老人の嗜み/近頃のツバメ/アンドレア・デル・サルトの謎/クレーのわすれもの/アノホラロボットとは何か/アノホラ検索/おもしろいひとりごと/お返事〔ほか〕<大使寸評>天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)rakutenオレって老人?顔面パロディで知られる南伸坊は、一時期、「ガロ」の編集長だったようですね。<『「ガロ」という時代』>図書館で『「ガロ」という時代』という本を、手にしたのです。「ガロ」は、わりと名のある雑誌なんだが・・・発行当時に、この雑誌を本屋で買ったこともないわけで、逆に、何故そうだったのか自問しているんです。【「ガロ」という時代】青林堂編、青林堂、2014年刊<「BOOK」データベース>より【目次】長井勝一氏の思い出(小野耕世)/月刊「ガロ」創刊50周年記念に寄せてーわたしが魅せられた「ガロ」の漫画家たち(清水正)/60年代資料編 昭和39年(1964)~昭和44年(1969)全号収録作品・作家と出来事/60年代「ガロの作家」論/70年代資料編 昭和45年(1970)~昭和54年(1979)全号収録作品・作家と出来事/70年代「ガロの作家」論/80年代資料編 昭和55年(1980)~昭和64年・平成元年(1989)全号収録作品・作家と出来事/80年代「ガロの作家」論/90年代~資料編 平成2年(1990)~平成14年(2002)全号収録作品・作家と出来事/90年代~「ガロの作家」論/「ガロ」の時代とその影響(小野耕世)<読む前の大使寸評>「ガロ」は、わりと名のある雑誌なんだが・・・発行当時に、この雑誌を本屋で買ったこともないわけで、逆に、何故そうだったのか自問しているんです。rakuten「ガロ」という時代この本は、「ガロの作家論」と各年代の「資料編」の二つで構成されているのだが、「資料編」の中で個人的に注目する個所をメモ書きしてみました。(あくまでも、今注目するのであって、当時では気にもならなかったでしょうけど)・1964【9月創刊号】:ガロ始動・1964【12月号】:カムイ伝、開始・1965【8月号】:つげ義春、初登場・1966【3月号】:水木しげる児童漫画賞受賞記念号・1966【11月号】:佐々木マキ、登場・1967【4月号】:滝田ゆう、登場・1967【11月号】:林静一、登場・1968【6月臨時増刊号】:特集つげ義春、「ねじ式」初出・1968【7月号】:ゲンセンカン主人、初出・1970【1月】:赤色エレジー、連載開始・1970【2月増刊号】:特集、林静一・1970【6月号】:赤瀬川原平、登場・1972【2月号】:嵐山光三郎、参加・1972【4月号】:鶴見俊輔、参加・1973【8月号】:蛭子能収、登場・1974【9月号】:安西水丸、登場・1975【3月号】:荒木経惟、登場・1980【10月号】:みうらじゅん、登場・1980【11月号】:杉浦日向子、登場・1982【8月号】:特集、長井勝一・1987【12月号】:とり・みき、登場・1993【8月号】:特集、「つげ義春」する!・・・古書店で購入・1996【3月号】:追悼、長井勝一「ガロの作家論」のなかで気になる箇所を、見てみましょう。 <【杉浦日向子】江戸の無名の人々の群れ:山下聖美>p200~201 杉浦日向子と言えば「江戸」である。NHKの人気番組であった『コメディーお江戸でござる』において、にこやかに、物腰柔らかく解説する彼女は、お茶の間と「江戸」をつなぐ、実に親しみやすい着物のお姉さんであった。 こんな彼女の出身は、異色のアーティストを多数輩出した伝説の雑誌「」。 1980年、江戸の吉原を題材としたマンガ「虚々実々通言室乃梅」(「ガロ」1980年11月号)にてデビューし、男たちとおいらんの一夜を細やかに描いた。20歳そこそこの女性のデビュー作としては目を見張るものがあった。 マンガ家・いしかわじゅんの目から見れば「決して漫画としてはうまくはない」ものであり、「大手の出版社なら、掲載になったか怪しい」ものであり、しかし「表れた形はまだ少し幼かったのだが、優れているとしかいいようがない」ものであった。 目先のビジネスではなく、文化を育てる役割を果たしてきた「ガロ」の存在意義を今更ながら深く感じる。無難な完成品ではなく、どのように発展していくか未知数の表現を世に放つ余裕が、この雑誌にはあった。三宮センター街の古書店で『ガロ(1982年2、3月号)』を手にしたのです。めくってみると、杉浦日向子「袖もぎ様」と荒木経惟「能理子純愛路線」が目についたのです。それに、ちょっと黄ばんでいるが、値段が300円とチョーお徳である。もしかして、この雑誌の漫画家が古書店主の好みでなかったのかも。古書店でときどきあるんですね。店主の好みでないものとか、その本の価値を見抜けずにチョーお徳な価格設定になっていることが。【ガロ(1982年2、3月号)】雑誌、青林堂、1982年刊<商品情報>より(管理人編)目録<読む前の大使寸評>めくってみると、杉浦日向子「袖もぎ様」と荒木経惟「能理子純愛路線」が目についたのです。それに、ちょっと黄ばんでいるが、値段が300円とチョーお徳である。poyotaガロ(1982年2、3月号)三宮センター街の古書店で『ガロ(1993年8月号)』を格安でゲットしたのです♪【ガロ(1993年8月号)】雑誌、青林堂、1993年刊<商品情報>より特集 「つげ義春」する!-映画『ゲンセンカン主人』公開記念:つげ義春インタビュー、赤瀬川原平・上野昂志・黒川創・川崎ゆきお・とうじ魔とうじ・高野慎三・ユズキカズ・安彦麻理絵・三橋乙揶・杉作J太郎/ガロ名作劇場17 勝又進「狸」/「パースペクティブキッド」刊行記念 ひさうちみちおインタビュー イタガキノブオ/松井雪子/鳩山郁子/安部慎一/三本義治/友沢ミミヨ/唐沢商会/QBB/土橋とし子/沼田元氣/みぎわパン/ねこぢる/松沢呉一/高杉弾/中ザワヒデキ/四方田犬彦 etc.<読む前の大使寸評>特集:「つげ義春」する!と銘打った本号が、売価で500円(定価550円)という優れモンでおました♪anamonガロ(1993年8月号)<『対話録・現代マンガ悲歌』>図書館に借出し予約していた『対話録・現代マンガ悲歌』という本を手にしたが・・・この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。今まで図書館に死蔵されていたわけだが…やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)【対話録・現代マンガ悲歌】対談集、青林堂、1970年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>つげ義春、佐々木マキがでているのが、借りる決め手でんがな♪この本は、ページをめくる際にそれぞれ引っかかりがあるわけで、神戸市では私が最初の読者のようである。今まで図書館に死蔵されていたわけだが…やっと日の目をみたわけかと、感慨深いものがあるのだ(笑)<図書館予約:(12/22予約、1/06受取)>Amazon対話録・現代マンガ悲歌対話録・現代マンガ悲歌byドングリこの本で、若き日の赤瀬川さんと佐々木さんを見て見ましょう。赤瀬川原平:画家。昭和12年横浜生まれ。41年模型千円札で起訴、45年に有罪確定。佐々木マキ(本名=長谷川俊彦):昭和21年神戸生まれ。41年「よくあるはなし」を『ガロ』に発表。44年6月より『朝日ジャーナル』に連載マンガ等。(長くなるので省略、全文はここ)
2018.04.23
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<『オレって老人?』3>図書館で『オレって老人?』という本を、手にしたのです。天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)【オレって老人?】南伸坊著、みやび出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より【目次】法的に老人/老化すると人は老人になる/老人の嗜み/近頃のツバメ/アンドレア・デル・サルトの謎/クレーのわすれもの/アノホラロボットとは何か/アノホラ検索/おもしろいひとりごと/お返事〔ほか〕<大使寸評>天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)rakutenオレって老人?南さんの肺ガンの危機あたりを見てみましょう。p194~198<わが人生最良の瞬間> 先日、大事なメモをなくしてあたふたしていると、背後からツマに声をかけられた。「どうした」 「え、いや、いまさ、電話で聞いた用件をメモした紙がね、ないんだ」「いまって・・・」「いや、ほんとにたったいま書いたはずのメモが煙のように消えてなくなった」 「それはさ、クズカゴの中にあるよ。さっき電話を切った時になにか丸めて、ポイって捨ててたから」「まさか、そんな、いくらなんだって、大事な用件をメモした直後にまるめて捨てるヤツはいないだろ」 と言ったが、いた。クズカゴの中に、たったいま大事だと思って書いたメモがまるめて捨ててあったのだ。 コイツ関係ない話をしだしたなと思われるかもしれないが、つまり私は、ひょっとしたらあったかもしれない「最良の瞬間」を私が即座にまるめて捨てていた可能性がある、と思っているのだった。 間が悪いだけでなく、積極的に私は自分の人生をまるめて捨てていた気味がある。だって60年も生きていれば人間、「ああ、あれは私の人生の最良の一コマであった」と、誇らしく思い出せることのひとつやふたつあるのが普通だ。 もっとも、「最良」とかっていわないのだったら「あれは、けっこうよかった」と思うことはいくらでもある。 月がキレイに見えてた晩とか、ベランダの植木から新芽が出てた日、ふざけて植えた豆が生ったり、レモンの実がついていたこともある。あれはうれしかった。 花の匂い、たとえば毎年どこかに嗅ぎにいく、梅だったり、蓮だったり、自分で育てているジンジャーだったりの香りをきいている時もけっこういい。 虹が出ているのに気がつくときもわりといいし、葉っぱに日が射していて、それが透けて見えてるのもかなりいい。 と思い出していて、私はクズカゴの中からメモを拾い出したのだ。 あの、たくさん繁って、折り重なったユリノキの葉が、キレイに見えたのは「肺ガンの疑いがある」と医者にケンギをかけられて、「いまにも死ぬ」と思い込んでいた時期だった。 あの頃は、最悪だと思っていたんだから、そんなときに、逆光に葉っぱの折り重なるのを見て「けっこういい」と思ったのは、マイナス分をプラスすると相当よかったということになる。 そういえば、あの「いつ死ぬかしれない」と思っていた半年間(私は半年の間、医者から手術をすすめられながら、それを引き伸ばしていた。その間に自己免疫力で、ガンをなかったことにしてしまえと思っていた。半年後にPET診断というのをした時、私にあったかもしれない肺ガンはなくなっていたのだが、それはもともとなかったのかもしれず、あるいは、半年の間になくなったのかもしれない。ただ、当時私の頭の中にガンははっきり居座っていた)は、最良の瞬間の宝庫だった。 あの年の梅見がよかった。群馬の方の梅林へ行って、短い草の上に布を敷いて、そこにゴロンとしながら、お酒をのんだ。一時は、肺ガンとの診断があり・・・死を覚悟した心境が語られているが、なかなかええでぇ♪『オレって老人?』2 『オレって老人?』1
2018.04.23
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<漢字の世界R3> 漢民族は嫌いだが、漢字文化圏という括りが好きな大使である。何でかなぁ?・・・ということで、漢字について集めてみました。甲骨文字・閉された言語・日本語の世界・朝鮮日報が日本の国語辞典を評価・『漢字と日本人の暮らし』・『呪いの思想』・漢文の有用性・お言葉ですが・・・別巻2*********************************************************************<漢字の世界2>目次・漢字の来し方行く末・『呆韓論』・韓国での漢字教育・呉音、漢音、唐音、慣用音の違い・漢字排斥の弊害にあえぐ韓国・韓国から見た日本・韓国、台湾の漢字事情・漢字文化を考える*********************************************************************<漢字の世界1>目次・韓国で漢字復活・韓国が漢字効用に目覚めた・漢字がつくった東アジア・「中国文明の謎」第2集・漢字のベクトル・『おどろきの中国』3・『韓国が漢字を復活できない理由』・『漢字で覚える韓国語』R3:『閉された言語・日本語の世界』を追記<『閉された言語・日本語の世界』1>同音異義の漢字の成立理由が、中国語と対比して述べられています。p75~79■漢字語は音声と文字の交点に成立する 私はかねてから日本語は伝達」メディアとしてはテレビのような性格を持っていると主張している。音声を使って話している時でさえも、使われている漢字語の視覚的な映像を同時に頭の中で追っているのである。 これは決してすべての人が漢字を一字一画に至るまで、いつも正確に意識しているというわけではない。ある音形をきいたときに、それに対応するいくつかの、意味が関係のある漢字を思い浮かべ、前後の関係からどれか一つに決定するという意味である。「・・・官房長官がシ案を作りました」とニュースで聞くと、「私案」かな、それとも「試案」かなと一種の絵合わせを頭の中でやっていくのだ。この頃では、アナウンサーが御親切に「こころみ」の案だとか、「わたくし」の方だとか、ちょっと声を落として注をつけ始めたようだが、日常会話でも相手が使った言葉の文字を尋ねたり、自分の用いた語の表記に「さんずい」だとか「てへん」だなどと注を加えることは、しばしば経験する。 てのひらを出して字を書き示す習慣も日本独特で、西欧人はペラペラと綴りをそらでいう。私たちは字面を思い浮かべないと落ち着かない。 日本語に比べると、表記が原則的として表音である言語では、話すことはラジオのようなもので、すべての情報が音声という聴覚的刺激に託されている。そこで音形が同じで、意味に関連性があるような二つ以上の語は極端に嫌われ、互いに衝突するものとして一方が排除されてしまうのである。 日本語において表記が視覚的な情報源として働くということに対する言語構造上の理由は二つある。この二つは互いに原因であり結果であるという密接な関係に立っているが、現象としては一応別個の事実として考えるおとができる。 第一はすでに同音語の考察で明らかのように、お互いに同音で、しかも意味がなんらかの点で関連がある漢字が非常に多いということである。例えば「コウ」という発音を持った普通に用いられる漢字の数は、75にのぼる。これはポケット版である『岩波国語辞典』の見出し項目として出ているものだけであるから、大型の辞書にのっているものを数えれば、その数ははるかに多くなると考えられる。 この75の漢字のどれだけが、実際の会話の中で同音衝突を起こす可能性があるのかは簡単に決定できない。文の前後の脈絡次第で思わぬところで意味が混同されたり、取りちがえられることがあり得るからだ。荒天、好天や紅海、黄海などは衝突することは確実である。このようなとき、どんな字を使うのかという、表記に関する知識、つまり視覚的な情報が、曖昧性、多様性を解消することになるのである。(中略) 書かれた文字を見て、それをどう発音するかわからなくても、あるいはすぐ思い出せなくても意味はちゃんと分かることがあるのは誰でも経験することであろう。これはテレビを見ていて、音声を消してもある程度なんのことだか分かるのと比べられる。ラジオは消したらおしまいである。 以上の考察から明らかになったことは、西欧諸国の言語のように、文字表記が原則的には表音的な性質を持っている場合には、文字という視覚的情報は本質的には重複性がきわめて強いということである。 これに対し日本語の漢字語では、文字は音声からは別個に独立した情報源であり得るので、音声が等しくても、そして意味に関連があっても、文字さえ違えば同音衝突によるはじき出しが起こらないのは当然である。 この点で同じ漢字を使う中国語の場合と、日本漢字のそれとはかなり違っている。日本語の中に組込まれた漢字の音形は、日本語の音韻体系が中国語に比べて非常に単純であるために、もとの発音とは似ても似つかぬほど簡略化されてしまった。日本語には中国語のような声調(四声)の区別、有気無気の対立がなく、そして音節末の子音の存在を許さない。そこでもとの中国語ではまったく別の音形であった多くの漢字が、日本語に入ると同音になり、中国語では想像もつかないような数多くの同音異義の漢字が生れたのである。 このような日本化された漢字の表す概念(意味)は、もはや音的情報のみでは自立不可能となり、視覚的情報との交点においてはじめて明確に決定されることになった。【閉された言語・日本語の世界】鈴木孝夫著、新潮社、1975年刊<「BOOK」データベース>より日本語を話す人=日本人という「単一言語国家」であり、歴史上侵略された経験がない日本人は、いかなる言語を育んできたのか。数種類の一人称代名詞をもち、「相手依存」で自己規定する私たちの言葉の不思議。言語社会学の第一人者が、言語と文化への深い洞察をもとに、日本語観、外国観、そして日本人の自己像を考える。時代を経ても色褪せない必読の論考。<読む前の大使寸評>発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。rakuten閉された言語・日本語の世界<朝鮮日報が日本の国語辞典を評価>朝鮮日報が日本の国語辞典を評価しているので、見てみましょう。2018/04/08国語辞典の差、韓日の知力差より 先日、日本で静かな文化的事件が起きた。岩波書店が国語辞典の「広辞苑」の第7版を出したのだ。日本には1万種類を超える辞典、事典があふれる。そんな国で多くの国語辞典の一つが改訂版を出したところで大したことではなかろうというかもしれない。しかし、クリック数回でインターネットであらゆる辞典が見られる時代だ。民間の出版社が新たな紙の辞典を発売したことを決して軽く見るべきではない。(中略) 広辞苑は10年ごとに同じ作業を進めてきた。市民にも門戸を開いた。初期には日本初のノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹のような人物も解釈に参加したという。辞典に完璧はない。しかし、完璧に向かった改善の努力をやめないことが重要だ。日本にはそうした国語辞典が複数ある。個性もはっきりしている。言葉を扱い表現することが文化の水準を決定するとすれば、これは大きな力になる。 日本も「紙の辞典」が退潮する現象を経験した。広辞苑も1998年の第5版が100万部、2008年の第6版が50万部と販売が落ち込んだ。第7版は6月までの販売目標を20万部に設定している。しかし、インターネット時代に紙の辞典に1万5000円も払う人が20万人もいるということはむしろ驚くべきだ。いい加減な辞典を無料で使うより、カネを払っても信頼できる辞典が欲しいという人たちだ。彼らが日本の国語辞典を支える力だ。広辞苑はソウル光化門の教保文庫でも15部が売れたという。 韓国では国語辞典という市場自体が死滅した。人々がポータルサイトを利用するからだ。出版社の辞典チームは解体された。それゆえ、改訂競争で辞典の質を高める機会も消えた。国民の税金で設立した国立国語院の標準国語大辞典は1999年の初版発行以降、一度も改訂版を出していない。 オンラインでも本格的な改訂はなされていない。載せるべきものと載せなくてもよいものを区別できず。単語の最も正確な意味も盛り込まれていないという批判が根強い。オンライン辞典が大勢ならば、読者がオンライン国語辞典の誤りを指摘し、修正を求めて声を上げなければならない。国語辞典の差が韓国と日本の知力の差をもたらすと思うと恐ろしい。韓国で出版された韓国語辞典とやらを見たことがないのだが、漢字の扱いはどうなっているのだろうか?漢字抜きの韓国語辞典など、意味不明が拡散して、かえって混乱が生じるのではないかと思ったりするのだが。<『漢字と日本人の暮らし』>図書館で『漢字と日本人の暮らし』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、日本の漢字文化に関するいろんな項目が興味深いのである。…要するに大使のツボを突くわけでおます。漢字渡来当初の混乱ぶりを、見てみましょう。p94~98<日本人と漢字の接触> ■日中外交関係 日本がはじめて中国の文献にとうじょうするのは『漢書』の「地理志」においてであり、その「燕地」の条の末尾に「夫れ楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国と為る、歳時を以て来たりて献見すという」という記述が見える。ここにいう「楽浪」とは前漢の武帝が朝鮮半島を植民地としたときに建てた国の一つで、現在の平壌あたりにあった。そして文中の「倭」が日本を指すのは確実だから、当時「百余国」に分かれていた日本のどれかの国の使者が、前漢の時代にすでに定期的に大陸にある国を訪れていたらしい。『漢書』の記載はきわめて簡単なものだが、『後漢書』になるともう少し詳しく記載があり、その「東夷伝」に、後漢の建武中元2(西暦57)年に、倭の「奴国」からの使者が首都洛陽を訪れ、光武帝から印綬を授けられたことが記されている。(中略) このような中で、漢字は当初、もっぱら中国との国交を維持するためだけに使われた。『魏志』「倭人伝」によると、卑弥呼が送った使者に応えて、魏は正始元(240)年に二人の官吏を倭に派遣して詔書と印綬を届けさせた。このときにとどけられた皇帝の詔書は、おそらく紙に書かれていたと思われるし、ことばはもちろん正規の漢文で書かれていたはずである。 卑弥呼は魏からの使者が自国を訪れたことに感激して、再び「使いによって上表し、詔恩を答謝」したというのだが、そのとき卑弥呼はいったいなにに手紙を書いたのだろうか。当時の日本に紙を作る技術があったとは思えない。それなら竹簡か木簡を使ったのだろうか。だがかつて文字など使ったこともない人間が、いきなり木簡などを使ったっとは思えず、それに木簡や竹簡で皇帝に手紙を書くのは、どう考えても不敬である。おそらく卑弥呼は、魏の皇帝からいただいた絹か紙を使ったにちがいないのだが、このときの日本にはまだ文字を描く環境すら整備されていなかったようだ。 そして「魏志」の文章をそのまま受け取るならば、卑弥呼の朝廷には正規の漢文による文章を作成できる人物がいたことになる。この答礼の文書を作成したのが日本人であったという証拠はどこにもないが、少なくとも卑弥呼は、漢字による文章の作成を渡来人の手を借りてでえもおこない、答礼の上書を奉ったのである。当時の漢字の使用目的は、あくまでもまず第一に、中国への外交上の国際関係が中心であった。【漢字と日本人の暮らし】阿辻哲次著、大修館書店、2010年刊<「BOOK」データベース>より日本人なら知っておきたい「漢字」のこと。「読める」「書ける」のその前に。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、日本の漢字文化に関するいろんな項目が興味深いのである。…要するに大使のツボを突くわけでおます。amazon漢字と日本人の暮らし(長くなるので後略、全文はここ)
2018.04.22
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<『閉された言語・日本語の世界』1>図書館で『閉された言語・日本語の世界』という本を、手にしたのです。発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。【閉された言語・日本語の世界】鈴木孝夫著、新潮社、1975年刊<「BOOK」データベース>より日本語を話す人=日本人という「単一言語国家」であり、歴史上侵略された経験がない日本人は、いかなる言語を育んできたのか。数種類の一人称代名詞をもち、「相手依存」で自己規定する私たちの言葉の不思議。言語社会学の第一人者が、言語と文化への深い洞察をもとに、日本語観、外国観、そして日本人の自己像を考える。時代を経ても色褪せない必読の論考。<読む前の大使寸評>発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。rakuten閉された言語・日本語の世界同音異義の漢字の成立理由が、中国語と対比して述べられています。p75~79■漢字語は音声と文字の交点に成立する 私はかねてから日本語は伝達」メディアとしてはテレビのような性格を持っていると主張している。音声を使って話している時でさえも、使われている漢字語の視覚的な映像を同時に頭の中で追っているのである。 これは決してすべての人が漢字を一字一画に至るまで、いつも正確に意識しているというわけではない。ある音形をきいたときに、それに対応するいくつかの、意味が関係のある漢字を思い浮かべ、前後の関係からどれか一つに決定するという意味である。「・・・官房長官がシ案を作りました」とニュースで聞くと、「私案」かな、それとも「試案」かなと一種の絵合わせを頭の中でやっていくのだ。この頃では、アナウンサーが御親切に「こころみ」の案だとか、「わたくし」の方だとか、ちょっと声を落として注をつけ始めたようだが、日常会話でも相手が使った言葉の文字を尋ねたり、自分の用いた語の表記に「さんずい」だとか「てへん」だなどと注を加えることは、しばしば経験する。 てのひらを出して字を書き示す習慣も日本独特で、西欧人はペラペラと綴りをそらでいう。私たちは字面を思い浮かべないと落ち着かない。 日本語に比べると、表記が原則的として表音である言語では、話すことはラジオのようなもので、すべての情報が音声という聴覚的刺激に託されている。そこで音形が同じで、意味に関連性があるような二つ以上の語は極端に嫌われ、互いに衝突するものとして一方が排除されてしまうのである。 日本語において表記が視覚的な情報源として働くということに対する言語構造上の理由は二つある。この二つは互いに原因であり結果であるという密接な関係に立っているが、現象としては一応別個の事実として考えるおとができる。 第一はすでに同音語の考察で明らかのように、お互いに同音で、しかも意味がなんらかの点で関連がある漢字が非常に多いということである。例えば「コウ」という発音を持った普通に用いられる漢字の数は、75にのぼる。これはポケット版である『岩波国語辞典』の見出し項目として出ているものだけであるから、大型の辞書にのっているものを数えれば、その数ははるかに多くなると考えられる。 この75の漢字のどれだけが、実際の会話の中で同音衝突を起こす可能性があるのかは簡単に決定できない。文の前後の脈絡次第で思わぬところで意味が混同されたり、取りちがえられることがあり得るからだ。荒天、好天や紅海、黄海などは衝突することは確実である。このようなとき、どんな字を使うのかという、表記に関する知識、つまり視覚的な情報が、曖昧性、多様性を解消することになるのである。(中略) 書かれた文字を見て、それをどう発音するかわからなくても、あるいはすぐ思い出せなくても意味はちゃんと分かることがあるのは誰でも経験することであろう。これはテレビを見ていて、音声を消してもある程度なんのことだか分かるのと比べられる。ラジオは消したらおしまいである。 以上の考察から明らかになったことは、西欧諸国の言語のように、文字表記が原則的には表音的な性質を持っている場合には、文字という視覚的情報は本質的には重複性がきわめて強いということである。 これに対し日本語の漢字語では、文字は音声からは別個に独立した情報源であり得るので、音声が等しくても、そして意味に関連があっても、文字さえ違えば同音衝突によるはじき出しが起こらないのは当然である。 この点で同じ漢字を使う中国語の場合と、日本漢字のそれとはかなり違っている。日本語の中に組込まれた漢字の音形は、日本語の音韻体系が中国語に比べて非常に単純であるために、もとの発音とは似ても似つかぬほど簡略化されてしまった。日本語には中国語のような声調(四声)の区別、有気無気の対立がなく、そして音節末の子音の存在を許さない。そこでもとの中国語ではまったく別の音形であった多くの漢字が、日本語に入ると同音になり、中国語では想像もつかないような数多くの同音異義の漢字が生れたのである。 このような日本化された漢字の表す概念(意味)は、もはや音的情報のみでは自立不可能となり、視覚的情報との交点においてはじめて明確に決定されることになった。
2018.04.22
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<『装丁、あれこれ』2>図書館で『装丁、あれこれ』という本を、手にしたのです。紙の本にこだわりがある大使は、装丁にはかなり関心があるわけで、この本をチョイスしたのです。それから、手元不如意もあって図書館に通っているわけで・・・そんなこんなで電子書籍にはあまり関心がないわけでおます。(実は、手持ちのタブレットが故障して以来、電子書籍購入ができなくなった事情もあるのだが)【装丁、あれこれ】桂川潤著、彩流社、2018年刊<「BOOK」データベース>より紙の本と装丁は消えてしまうの?いやいや、どっこい生きている!「本」と「装丁」の面白さに惹かれる人びとをめぐる“本についての本”<大使寸評>紙の本にこだわりがある大使は、装丁にはかなり関心があるわけで、この本をチョイスしたのです。それから、手元不如意もあって図書館に通っているわけで・・・そんなこんなで電子書籍にはあまり関心がないわけでおます。rakuten装丁、あれこれ大使は紙の本の装丁に拘りがあるわけですが、「紙の本ならではの装丁」を・・・見てみましょう。p40~42紙の本ならではの装丁「本屋さんの店頭で数ある本の一つを買い、家の居間などで手にとり、物語の世界への扉を開くように、表紙をめくる・・・本の装丁は、そんな時間の経過に介在している。その経過は、お芝居や映画を見る前みたいなものだ。そんな劇場的な時間と空間を創り出せないかと思い、本の装丁のデザインを考えている」。 世界的アーティスト・横尾忠則の言葉だ。昨秋、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された「横尾忠則 初のブックデザイン展」は圧巻だった。評価の高い氏の装丁だが、まとまった形で展示されるのは今回が初めてという。妖艶にして刃の切れ味を秘めたデザイン、三島由紀夫や寺山修司が絶賛した画、端麗な書、加えて泉鏡花文学賞受賞の筆力。書物の中身から外装まで、そのすべてに余人の追随を許さない、「ブックデザイン」という枠組みではとうてい括れない圧倒的なスケールだ。 氏によれば、装丁依頼の99.999%は作家からの指名だという。著名作家にとっても、横尾忠則に装丁を委ねること自体がステイタスであり、またチャレンジなのだ。 たとえば瀬戸内寂聴作品に寄せた装丁を、氏はこう形容する。「着物を一枚一枚はいでいくイメージだ。一番上のカバーは羽織。それを脱いだら、本体の着物が現れる。帯をほどいて貴も簿を脱がせ、長じゅばんをはいでゆき・・・エロチックな行為だ。(中略)装丁は、時間の経過と同時に、肉体的な行為に介在することでもある」。 書物と装丁の孕む濃密な身体性と時間性を、これほど鮮明にイメージさせる文章は絶後。電子書籍が失ってしまった書物の「本」質をあらためて考えさせられる。『装丁、あれこれ』1
2018.04.22
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<『装丁、あれこれ』1>図書館で『装丁、あれこれ』という本を、手にしたのです。紙の本にこだわりがある大使は、装丁にはかなり関心があるわけで、この本をチョイスしたのです。それから、手元不如意もあって図書館に通っているわけで・・・そんなこんなで電子書籍にはあまり関心がないわけでおます。(実は、手持ちのタブレットが故障して以来、電子書籍購入ができなくなった事情もあるのだが)【装丁、あれこれ】桂川潤著、彩流社、2018年刊<「BOOK」データベース>より紙の本と装丁は消えてしまうの?いやいや、どっこい生きている!「本」と「装丁」の面白さに惹かれる人びとをめぐる“本についての本”<大使寸評>紙の本にこだわりがある大使は、装丁にはかなり関心があるわけで、この本をチョイスしたのです。それから、手元不如意もあって図書館に通っているわけで・・・そんなこんなで電子書籍にはあまり関心がないわけでおます。rakuten装丁、あれこれ電子書籍の「憎まれ役」の弁明を、見てみましょう。p35~37モノからコトへ、物から語りへ 電子書籍推進派から見れば、書籍電子化に懐疑的な当コラムはなんとも目障りだろう。だが「装丁」というテーマを振られた以上、仕方がない。クオリティの高さで知られる新潮社装丁室の高橋千裕氏は、とある講演で「電子書籍において、装丁家が関与する余地など、まったくありません」と断じていた。本が「モノ」でなくなってしまえば、自ずと「装丁」も消滅する。 とすれば、装丁家は過去を偲んで嘆息するか、異議申し立てする以外にない。電子書籍化関連のシンポジウムに呼ばれる際など、主催者側からあらかじめ「憎まれ役」を振られていることも多いのだ。 とまれ余計な「憎まれ口」は置き、これまで書いてきたように、著名装丁家の多くは書籍電子化に否定的だ。「既得権を脅かされる」という以上に、装丁が「本」の根幹に関わる存在だという強い自負があるからだろう。 多くの電子書籍に、紙の本の表紙画像がペラッと貼られているが、なんだか絨毯にされた虎を見ているようで情けない。現状、とりあえず紙の本から転用すればいいが、いわゆるデジタル・ネイティブの時代となったらどうするつもりか。芸のないトップページを見かけるたびに、がっかりとしてしまう。 とはいえ、どんなジャンルにも例外はあるもの。電子時代の「装丁」として、鮮烈な印象を受けたのが、村上龍『歌うクジラ』だ。アイコンをクリックすると、篠原潤のアートワークをバックに、著者名、ついで書名が浮かび上がり、坂本龍一の音楽が流れる。映画のオープニングを思わせる「装丁」は、御年90にならんとする瀬戸内寂聴や吉本ばななを熱狂させ、自作の電子化へと駆り立てたという。 講談社の『群像』に連載された作品を、単行本に先だって作家自身が独自に電子化したことも、「出版社“中抜き”」と話題を呼んだ。 ディバイス(端末機器)に応じて文字の大きさや組方向を変えられるリフロー(再流し込み)型の電子書籍が、結果として「通しノンブル(ページ番号)」を失ってしまったのに対し、『歌うクジラ』は、文字級数と組固方向を固定することでノンブルを維持している。おまけに横組なら多言語展開にも即座に対応できる。さすがは村上龍!と舌を巻いた。 作家はこの作品をさまざまなディバイスで熟読した上でインターフェイスを決定したようだ。作品の展開に合わせて随所に音楽が流れるので「斜め読み」はできない。『歌うクジラ』では、映画を見るような「時間軸に沿った読書」が基本となる。「モノからコト」へ。ブックデザインの転機を感じさせる衝撃的な「出版」だった。(中略) 電子化時代の「装丁」を占うカギは「モノからコトへ」、「物から語りへ」にあるのかもしれない。
2018.04.21
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<『オレって老人?』2>図書館で『オレって老人?』という本を、手にしたのです。天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)【オレって老人?】南伸坊著、みやび出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より【目次】法的に老人/老化すると人は老人になる/老人の嗜み/近頃のツバメ/アンドレア・デル・サルトの謎/クレーのわすれもの/アノホラロボットとは何か/アノホラ検索/おもしろいひとりごと/お返事〔ほか〕<大使寸評>天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)rakutenオレって老人?このところ、よく口に出る「近頃の」であるが・・・そのあたりを見てみましょう。p22~25近頃のツバメ「近頃のツバメは・・・」と、その老人は言った。「巣作りがヘタだ」 なるほど、私の知り合いのツバメも、たしか巣作りがヘタで、去年も一昨年も、8割がた作り上げた巣を落としている。 そうして今年も、どうもうまくいかずに、まだ4割がたしか出来ていない巣が落ちてしまった。「もちろん、ツバメの営巣技術の低下というものがないとは言えない」 しかしと私は言った。「近頃の環境」にもいささか問題がある。 ツバメの巣は、おもに水に濡れてドロドロになった土と、枯れ草やワラなどを建材にしているのだが、近頃の都市環境では、まずこの資材調達に困難が伴う、 加えて、その土質に粘りが不足しているなどのマイナス要因もあろう。「近頃の泥」の根性のなさ、は記憶に新しい。近頃の泥は、ちょっと雨が降ったくらいで、すぐに崩れてしまうから、信用できない。「近頃の道路」や「近頃のマンション」にも、同様に問題があるに違いない。と多くの人は思うだろう。「近頃のマンション」といえば「近頃の一級建築士」や「近頃のコンサルタント」「近頃の建設会社」や「近頃の民間検査機関」「近頃の不動産会社」も問題だった。「近頃の外国製エレベーター」も問題になったし、少し前「近頃の回転ドア」も問題だった。「近頃の運転手」「近頃の踏切番」も「近頃のパイロット」も効率優先が問題なのだった。 要するに「近頃は」なにもかもが問題である。また、近頃はあらゆる職業人が問題をおこす。「近頃のNHK職員」や「近頃の民放アナウンサー」、「近頃の警察官」「近頃の小学校教諭」「近頃の絵描き」「近頃の母親」や「近頃の日銀総裁」。「近頃の役人」「近頃の政治家」「近頃の総理大臣」「近頃の大統領」「近頃の首領様」「近頃の宗教家」も大いに問題だ。だが、ここまで書き連ねてくると、はたして「近頃」だから問題だったのか? 怪しくなる。「近頃」といえば昔から問題にされていたのは「若い者」だった。「近頃の若い者はなっていない」と、老人は必ず言ったものだった。 紀元前のエジプトのパピルスにも、この「近頃の若い者」が、なっていないという主張はなされていたそうだと、そんな話も何度も聞いた。 ところで私は、来年つまり2007年に、60歳になる(大使注:2018年に71歳)、いわゆる2007年問題の問題児だ。 60歳になろうっていうのに、自ら「問題児」と名乗ってしまうところが大いに問題である。 つまり「近頃の老人」は、いまだに自分を「近頃の若い者」だと思っている問題だ。 そもそも老人は世の中の本流から外されるから「近頃」のありさまに批判的になれるのである。 批判される方は、どうせ世の中の本流から外れた老人のタワ事だ、と言ってもいいが、無視してはいけない。 そうして無視されたとしても、老人は「近頃」の気に入らないことどもを、糾弾し続けるべきなので、それができるかどうかが問題だ。と私は思う。『オレって老人?』1
2018.04.21
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<『オレって老人?』1>図書館で『オレって老人?』という本を、手にしたのです。天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)【オレって老人?】南伸坊著、みやび出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より【目次】法的に老人/老化すると人は老人になる/老人の嗜み/近頃のツバメ/アンドレア・デル・サルトの謎/クレーのわすれもの/アノホラロボットとは何か/アノホラ検索/おもしろいひとりごと/お返事〔ほか〕<大使寸評>天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)rakutenオレって老人?会話のなかに「アノホラ」が増えてくると、ボケのはじまりが疑われるわけで・・・そのあたりを見てみましょう。p38~40アノホラ検索 以前に「アノホラロボット」構想というのをのべたことがあった。どういう構想かというと、つまり物忘れがはげしくなった「ろうじん」の相手をするロボットをつくったらどうか?という提案だ。 「あの・・・ほら」なんてったっけあの、と言っただけで、ろうじんが何を言いたいのかわかってやる、気のきくロボット。 まァ、わざわざロボットみしなくたって気のきく人間がいればすむことなんですが、そういう人がいたらいいと思うほうはいいかもしれないかもしれないが、気を利かせなきゃいけない立場のほうは面倒なので、しかたないロボットをナニして、という話になったわけだ。 「しかし、それはもう・・・」と、その話を遮った人が言うには、そのロボットにさ、なにか思い出させるあたって「ヒント」の単語くらいは言うんだろ? 「まァ、そうだなヒントくらいは言う」と言うと、君はあまり利用しないらしいが、パソコンのネット検索というのは、たいがいそんなもんだゾ、と言うのだった。そう言われたらそうかもしれない。 正岡子規が、なんとかいう題の本でとてもユーモアがあっていいことを書いてたんだが、なんて本に書いてあったんだっけな、と早速検証の機会が訪れた。 先日『笑う子規』っていう子規の笑える句だけを集めた本を天野祐吉さんが編んで、私がそれに「俳画」をつけた。出版を記念してトークショーをしてほしいということになったのだった。じゃあ、あの話をしよう。と思った所でろうじんが忘れていたのである。 じゃあその既にある「アノホラロボット」に訊いてみよう。というので正岡子規と入れて、そのコトバを続けてみた。「いつ死んでもいい、けど今日じゃなく」ウロ覚えだが、まあ、大略そういうコトバ。 子規はそのころ常時死ととなりあわせだった人、しかしこのコトバは、さしあたり死に直面していないワレワレ凡人にも大いに共感できる。 ところが、この入力に対して、アノホラロボットの出力は、『病状六尺』に出てくるコトバとして、「いつ死んでもいいと思うのが悟りと思っておったが、間違いやった。平気で生きておることのほうが悟りや」 というのばかりが出てくる。なるほど同じ人が言っているので、このコトバも含蓄はあるけれども、笑いがない。いつ死んでもいい! と言っておきながら、でも、今日じゃなくネ・・・って、死神にプチお願いしているみたいな、情けない感がない。堂々とした立派な格言です。 いろいろに工夫して、入力をやりかえたけどダメで、つまり、このコトバのほうが人々にやたら人気があるのはわかった。が、「今日じゃなく・・・」の方は、まるっきりかすりもしないというのはどうしたことだろう? あのコトバ、子規のコトバじゃなくて、私が勝手に読みちがえてたのかな?隠居の心得などが『隠居大学』2 で、語られています。
2018.04.21
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「新刊」でしょうか♪<市立図書館>・装丁、あれこれ・オレって老人?・竜宮城と七夕さま・昭和の民俗と世相1<大学図書館>・深海の世界(ニュートン別冊)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【装丁、あれこれ】桂川潤著、彩流社、2018年刊<「BOOK」データベース>より紙の本と装丁は消えてしまうの?いやいや、どっこい生きている!「本」と「装丁」の面白さに惹かれる人びとをめぐる“本についての本”<大使寸評>紙の本にこだわりがある大使は、装丁にはかなり関心があるわけで、この本をチョイスしたのです。それから、手元不如意もあって図書館に通っているわけで・・・そんなこんなで電子書籍にはあまり関心がないわけでおます。rakuten装丁、あれこれ【オレって老人?】南伸坊著、みやび出版、2013年刊<「BOOK」データベース>より【目次】法的に老人/老化すると人は老人になる/老人の嗜み/近頃のツバメ/アンドレア・デル・サルトの謎/クレーのわすれもの/アノホラロボットとは何か/アノホラ検索/おもしろいひとりごと/お返事〔ほか〕<大使寸評>天野祐吉さんの対談集『隠居大学』を読んだところであるが、その勢いでこの本をチョイスしたのです。・・・何もそんなに、ダボハゼのように続けて読むようなジャンルではないのだが、若葉マークの初心者なもんで(汗)rakutenオレって老人?【竜宮城と七夕さま】浅田次郎著、小学館、2017年刊<「BOOK」データベース>より100万ドルに値する体験をした!“浦島太郎が食べたご馳走と、滅多に会えない織姫と彦星の恋の行方に想いを馳せる”表題作ほか、爆笑と感動と法悦の極上エッセイ集。JAL機内誌『SKYWARD』人気連載エッセイ「つばさよつばさ」単行本化。<大使寸評>JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。rakuten竜宮城と七夕さま【昭和の民俗と世相1】大阪歴史博物館・関西大学なにわ大阪研究センター編、清文堂出版、2018年刊<出版社>より文楽人形芝居でもしられる写真家・三村幸一の貴重なコレクションから厳選する。晴れの日と普段の暮らしに向けられる迫力ある視点から、かけがえのない瞬間『昭和の民俗と世相』が写し取られる。<大使寸評>昭和の民俗に関して、大阪と兵庫に限定したディープさにしびれるわけでおます♪モノクロ写真ではあるが、全ページが写真というビジュアル本になっています。rakuten昭和の民俗と世相1【深海の世界(ニュートン別冊)】ムック、ニュートンプレス、2013年刊<「BOOK」データベース>よりムックにつきデータなし<読む前の大使寸評>追って記入amazon深海の世界(ニュートン別冊)************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き298
2018.04.20
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<内田先生かく語りき10> 「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき2・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき1********************************************************************内田先生かく語りき9目次・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき・直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」・人口減社会に向けて・時間意識と知性・Madness of the King・吉本隆明1967・大学教育は生き延びられるのか?・こちらは「サンデー毎日」没原稿・奉祝「エイリアン・コヴェナント」封切り・米朝戦争のあと(2件)・気まずい共存について********************************************************************内田先生かく語りき8目次・「愛国的リバタリアン」という怪物・『日本の覚醒のために』まえがき・「内田樹の大市民講座・直感はわりと正しい」・対米従属テクノクラートの哀しみ・天皇制についてのインタビュー・朝日新聞のロングインタビュー・神奈川新聞のインタビュー・役に立つ学問・Liberationの記事から・境界線と死者たちと狐のこと・大統領が就任したときの日本人・なぜトランプ政権のスタッフは嘘をつくのか?・2016年の十大ニュース・「困難な成熟」韓国語版序文・『赤旗』インタビューロングヴァージョン・なぜ安倍政権は勝ち続けるのか?♪アラスカ・司馬遼太郎への手紙・山本七平『日本人と中国人』の没解説・ルモンドの記事から(長くなるので省略、全文はここ)********************************************************************2018年4月3日『街場の憂国論』文庫版のためのあとがきより 焼け跡から立ち直った1960年代以降の日本人には次は「豊かになる」という目標がありました。さしあたりは「戦前の生活水準を超える」ことが目標でした。「もはや『戦後』ではない」というフレーズを当時の為政者はしばしば口にしましたが、それは国民にとっては「生活レベルが戦前に戻る」ことを意味していました。そして、たしかに60年代の中ごろにその悲願は達成されました。 その次に日本人が抱いたのは新しいかたちの「夢」でした。それは「アメリカの属国身分から脱して、国家主権を回復する」という「夢」です。ただし、それを公然と言挙げすることはできませんでした。というのは、日本は形式的にはサンフランシスコ講和条約で国家主権を回復したことになっていたからです。 ただし、それにもかかわらず、米軍は日本国内のどこでも好きな場所に、好きな期間だけ駐留することができ、そのエリアは日本の統治が及ばない治外法権でした。日本は事実上はアメリカの軍事的属国だったのですが、アメリカからの国家主権の回復プログラムは(いわば一種の独立運動ですから)無言のうちに遂行されなければなりませんでした。 世界中から「エコノミック・アニマル」という蔑称を投げつけられながらも、日本は全国民が一丸となって達成した驚異的な経済成長によって、ついに世界第二位の経済大国となりました。経済力でアメリカに肉迫し、マンハッタンの摩天楼を買い、ハリウッド映画を買うところまでゆきました。バブル期には、アメリカから「国家主権を金で買い戻す」という奇想天外なプランがほとんど実現可能かと思われました。でも、バブル崩壊によって、その夢は潰えます。 それから後の時代が「失われた20年」と言う風に呼ばれます。いずれ「失われた30年」になり、「失われた40年」になり・・・年数がひたすら加算されてゆくことになるでしょう。2018/04/03『街場の憂国論』文庫版のためのあとがきより 巻末に僕が不安げに予測した通り、「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、2015年夏には国会を取り巻く市民の抗議の声の中で、安全保障関連法案が採決され、2017年には共謀罪が制定されました。 そうやって着々とジョージ・オーウェルが『1984』で描いたディストピアに近い社会が現実化してきました。その間ずっと安倍晋三がわが国の総理大臣でした。ほんの一週間ほど前までは、彼が自民党総裁に三選され、年内にも改憲のための国民投票が行われるということが高い確度で予測されていました。でも、3月に入って森友学園問題についての公文書改竄が暴露されて、今は再び政局が流動化しております。ですから、この本が出る頃に日本の政治状況がどうなっているか今の時点では予測がつきません。そういう政局を横目にしつつ、文庫版あとがきとしてはもう少し一般的な話として「国の力とは何か」ということについて一言私見を述べておきたいと思います。 率直に言って日本は急激に国力が衰えています。国力というのは、経済力とか軍事力とかいう外形的なものではありません。国の力をほんとうにかたちづくるのは「ヴィジョン」です。 「ヴィジョン」とは、自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについての国民的な「夢」のことです。かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。でも、それを実現させるために国民たちが力を合わせる。そして、そのような夢を共有することを通じて人々は「国民」になる。そういうものなんです。まず国民が「いる」のではありません。「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。その順逆を間違えてはいけません。(長くなるので後略、全文はここ)
2018.04.20
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<『隠居大学』3>図書館で『隠居大学』という対談本を、手にしたのです。それにしても、表紙にも見えるように蒼々たる対談相手である・・・老人をなめてはあかんでぇ♪【隠居大学】天野祐吉著、朝日新聞出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より原始、「隠居」は遊びの達人だった。若いモンの憧れだった。遊びの達人6氏が、オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。<読む前の大使寸評>それにしても、表紙にも見えるように蒼々たる対談相手である・・・老人をなめてはあかんでぇ♪rakuten隠居大学お二人の対談者が文語体と口語体について語っているので、見てみましょう。p152~155■『即興詩人』と文語と口語天野:それに文語体の文章は、本来は、黙読じゃなく音読されることを前提に書かれていますよね。だから、流れるようなメロディというかリズムがあって、音楽的なものと分かちがたく結びついている。『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す」なんてのも、とうとうと朗読してこその良さがある。黙読して意味だけ追ってたら、魅力が半減してしまいます。安野:学習参考書みたいに解説するともう全然ダメですよね(笑)。天野:「祇園精舎にある鐘の音は、諸行無常の教えを唱えるように響きます。釈迦が入滅した時に白い色に変わったという沙羅双樹の花の色は栄えるものは必ず滅びるという道理を表しているようです」なんて解説されてもね。まあ、意味は伝えてるけども、文章が持っている音の世界は伝えてない。でもいまは、そういう言葉の音をどんどん削っちゃって、意味ばかり取るようになっている気がしますね。安野:なんでも試験問題になっちゃうからね。「この文章は何を表現しているか?」なんていわれても、こっちは音や気分で読んでいるんだから、答えられない。ではどうしたらいいかというと、試験では、外国語を直訳したようなぎこちない解釈をすればマルをもらえるんでうから、あれは、いけませんね。天野:安野さんの『絵本平家物語』は素晴らしかった。まさに目の前に、華麗な平家物語の舞台装置が、まるで芝居のせり上がりのように見えてきました。意味だけとっていては、そんなものぜんぜん伝わってこない。安野:感覚的に捉えることをせず、意味だけ深読みをすると、身も蓋もなくなってしまいますよね。部分的なことにだけ捉われてちゃ、大事なことを見失う。天野:明治のはじめに言文一致運動ってのが起こりましたよね。文語体だった書き言葉を、話し言葉に近づけようってことで、口語体が生れた。それに、正岡子規ははじめは反対しているんですよ。芸術上の言葉というのは、ひとつの虚構の世界をつくり上げるために必要な言葉であって、日常の言葉とは違う。すべてを日常の話し言葉にしてしまったら、虚構の建造物はできなくなってしまうんだといって反対している。安野:正岡子規はいいことを言いますね。ほんとにそう。いまでも、中国の人は日常的に使う言葉と文章の世界の言葉とを完全に分けて使っています。日本だって、完全に言文一致させるのなんて、本当は無理な話なんです。井上ひさしは、言文一致に反対するわけじゃないけど、山形弁の立場からすると無理だって言っていました。(中略) とはいえ、いまの若い人の感覚からしたら、「てふてふ」と書いて「ちょうちょう」と読むのは、やっぱり、ちょっとややこしいよね。天野:まああれは、てふてふてふてふ飛んでく感じがあるんですけどね。安野:そういわれてみれば、そうだけれども(笑)。天野:俳句と短歌だけが、頑固に文語体を守っているというか、使いつづけていますよね。口語体に直したら、世界が崩れちゃうからかな。「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」が「柿食えば鐘が鳴ります法隆寺」だと、なんだか鐘の音が聞こえてこないんですよ。説明っぽくなっちゃって。安野:文語体はさっきおっしゃったように虚構の世界をつくりやすいんです。虚構の世界を書くっていうことは、それは、音楽になっているわけで。「」なんて、わたしが直に誰かをつかまえて言おうものなら、気持ち悪いでしょ(笑)。だけど、音楽なら言える。「着てはもらえぬセーターを寒さ堪えて編んでます」なんてのも、そんな思いがこもりすぎたセーターはもらいたくないと思うけど(笑)、歌なら言えるし、聞ける。天野:そうですね(笑)。安野光雅さんはアンデルセンの『即興詩人』を、5年かけて口語訳したそうで・・・水彩画に秀でているが、絵本作家にも通じるような趣きがあるのです。『隠居大学』2『隠居大学』1
2018.04.20
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図書館で『隠居大学』という対談本を、手にしたのです。それにしても、表紙にも見えるように蒼々たる対談相手である・・・老人をなめてはあかんでぇ♪【隠居大学】天野祐吉著、朝日新聞出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より原始、「隠居」は遊びの達人だった。若いモンの憧れだった。遊びの達人6氏が、オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。<読む前の大使寸評>それにしても、表紙にも見えるように蒼々たる対談相手である・・・老人をなめてはあかんでぇ♪rakuten隠居大学言動が若々しいご老人といえば、筆頭はなんと言っても横尾忠則ということで・・・対談を見てみましょう。p18~21■隠居は趣味で忙しい天野:でも隠居生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおすことがあってもいいんじゃないかと思って。それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいなと思ったんですね。横尾:ぼくだって猫みたいに生きられてはいないよ。天野:やりたいことをする、やりたくないことはしない、っていうのを見事に実践しているじゃないですか。同じように世の隠居も、小説でもなんでも、自分の好きなことや興味のあることを自由にやればいいと思うんです。横尾:ねえ、いまのでもう、今日の結論出ちゃったんじゃないですか。「隠居はやりたいことをやればいい。やりたくないことはしない」。天野:そうですね、じゃあこの辺で・・・いやいや(笑)、隠居大学には結論なんてないんです。お茶を飲みまんじゅうでもつまみながら、いかに与太話をするかというのが隠居話の醍醐味ですからね(笑)。■隠居の遊びは知恵次第天野:でもね、そうやって「好きなことをしましょう」というと、こういうことを言われたりするんですよ。「隠居して好きなことをしたいのはやまやまだけど、金がなきゃなにもできやしない。隠居なんて金がある人の道楽だ」って。実際にそういうこと言われたことあるんですけど、それについてはどう思います?横尾:金のことを考える人は隠居は無理だね。即身成仏する気だったら隠居はできますね。道楽がお金になるってこともあるんだから。だけど、だれが見たって天野さんは大金持ちには見えないのに、その人、何を言っているんだって感じだよね。天野:はい、お金にならないことばかりしていると言われつづけてきました(笑)。いや、ぼくはね、お金がなくちゃ遊べないっていうのはつまらない考え方だと思うんです。まあ、お金があったら遊べるのは当たり前でしょ。あっても遊べない人もいるけど・・・。逆に、時間がたくさんあってお金がそんなになかった江戸の人たちは、遊ぶ知恵がすごいのね。『滑稽外道遊』っていう本があるんです。「金はなくても一人でも遊べる遊び方集」とでもいうような薄い絵本。たとえば「耳つまみ」は、「右手を首の前から回して、自分の右耳がつかめますか」というような遊びなんだけど、そういうのが、イラスト付きでいろいろ描いてある。横尾:右手を首の前から回して・・・って、そんなの老人には難しいですよ(笑)。天野:腕の関節が外れた友人がいますので、みなさんくれぐれも無理はなさらず(笑)。(中略)遊ぼうと思ったら、知恵や想像力でいくらでも面白いことができるんですよね。横尾:そもそも遊びって、目的がないから遊びなんだよね。天野:子どもはやっている行為自体が目的だから楽しいけれど、大人は行為を目的のための手段にしちゃうからたのしめない。ウン 横尾さんは、なんか北斎のような心境に達しているようですね♪北斎が版画から肉筆画、新技法に傾倒したように、横尾さんもポスターから肉筆画、小説にシフトしたのも、よく似ています。晩年は肉筆画に邁進した北斎が『芸術新潮(2017年11月号)特集:北斎』2で、見られます。天野、横尾のお二人が、隠居の心得などを語っているので見てみましょう。p28~30■隠居のイメージを変えていこう天野:ところで、横尾さんが隠居宣言をしたとき、奥さんは何か言いましたか。横尾:「やめてよー」のひとことです。天野:(笑)。「いいわね」とは言われなかった?横尾:そんなの、言わないよ。天野:きっと、一般的に隠居という言葉にあまりいいイメージがないからですよね。なんでこんなことを聞いたかというと、そのイメージが、現代の日本で隠居文化が成熟しない大きな原因だと思っているからなんです。さっきも話に出たぼくの父は明治の生まれでもう亡くなりましたけど、晩年は「外に出ると若い人の邪魔になるし、迷惑になるから」とか言って、毎日家の中で静かに過ごしていました。(中略)横尾:ぼくも昔は、天野さんのお父さんと同じような考え方でしたよ。嫌だったもん、隠居なんて。ジジくさいし、怠け者だと思ってた。ただそれって、きっと、いろんな言葉のイメージが混在しているんですよ。たとえば隠居と隠遁。これはいまでもよく、混同したまま話しかけてくる人がいるもの。天野:いんとん? あぁ、隠遁か。俗世から離れて・・・。横尾:どこか山奥の洞窟にでもこもっておとなしく霞でも食っているような。それと勘違いして「横尾さんは隠居したのにどうして東京に住んでいるんですか」なんて聞いてくる人がいるんですよ。隠居は市井のど真ん中にいていいんだってば。そこで水面から目だけをひょこっと出して、きょろきょろ社会を見ていればいいんだよ。天野:俗世界と切れてしまうのではなく、むしろ真ん中にいる。そういう隠居のあり方って、江戸時代ではステイタスだったんですよね。若者が「早くなりたいなあ」と憧れるような存在だった。これも横尾さんの『隠居宣言』に書いてあったと思うけれど。横尾:うん。というのは、江戸時代には今の年金制度みたいに、隠居制度があって、お上から隠居手当てがもらえるの。それで好きなことやっているんだから、いいよね。天野:いいなァ、隠居手当。いまはそういう敬老の念ってないですからねぇ。後期高齢者だなんて呼ばれるからね。横尾さんはまだでしょうけど。横尾:いや、ぼくもうすぐ後期高齢者。天野:そうかあ。いやあれはね、ひどい言葉だと思った。管理上、どうしても分類をしなければならないのなら、65歳以上70歳までを若年寄、70歳から75歳までを老中、75歳以上を大老と呼ぶべし、と新聞のコラムに書いたんだけど、何の反応もなかったですね。横尾:ないでしょうね(笑)。そんなの、書くほうがバカだと思われるよ、さっきの話じゃないけど(笑)。そういうふうに社会とかかわるのは隠居っぽくないんじゃないの。相手が何と呼ぼうが、知らん顔してればいいんですよ。好きじゃないことには口出さない。天野:そうか、それは失敗でした。今度から新聞に書かずにTwiterでつぶやきます。いまの言葉はメモしなきゃ・・・。横尾:天野さんのブログに、「隠居大学でノートなんかとったらぶつよ」って書いてありましたよ(笑)。『隠居大学』1
2018.04.19
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図書館で『隠居大学』という対談本を、手にしたのです。それにしても、表紙にも見えるように蒼々たる対談相手である・・・老人をなめてはあかんでぇ♪【隠居大学】天野祐吉著、朝日新聞出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より原始、「隠居」は遊びの達人だった。若いモンの憧れだった。遊びの達人6氏が、オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。<読む前の大使寸評>それにしても、表紙にも見えるように蒼々たる対談相手である・・・老人をなめてはあかんでぇ♪rakuten隠居大学ご隠居さんの権威といえば、まず赤瀬川さんでしょうね♪ということで、その老人力を意識しながら見てみましょう。p84~87■お風呂のゴミをすくう優しさで天野:横尾さんもそうだし、芸術家はつぶあんが多いんですよね。ぼくは赤瀬川さんはこしあん派だと思ったんだけどなあ。あまり頭にきてカッカとしたりしないでしょ? 別につぶあん派がけんかっ早いってわけじゃないんだけど(笑)。赤瀬川:そう言われてみると、あまりないですね。なくはないけど、なんとかすり抜けるというか。子供のころから、けんかってしたことないです。きょうだいは男が三人、女が三人いるんですけれど、暴力系はいないです。性質なのかな。長い間、夜尿症をしていたこともあってコンプレックス少年でしたから、そういうことも関係あるかもしれませんけど。天野:赤瀬川さんって、平熱なんですよ。世の中の人って、すぐにカッカカッカする人と、すごくクールに突き放してくる人といるじゃないですか。最近はどちらかというと全体的にクールになってきていると言われているけど、いっぽうでは怒ってばかりのクレーマーや小言幸兵衛も多いでしょう。つまり、平熱の人がいなくなって、高熱と低熱の人がやたらに増えちゃっているような感じがするんですよね。でも赤瀬川さんは、平熱。何かを批判するとしても、直球ではなく、ユーモラスな表現にしてしまう。そういう平熱・・・いい加減の温度というのが、隠居には必用なんですね。隠居はあんまりカリカリしちゃいけない。赤瀬川:ああ、冷たいご隠居というのも、あんまりよくないですね。天野:赤瀬川さんのやっていらっしゃる優柔不断力やトマソンなどの面白さは、平熱の目で見ないと見えないもののような気がするんですよね。赤瀬川:そうですね。熱は必要なんですよね。まったく熱がないと、見えるものも見えなくなってしまうんだけど、なんていうか、平熱のなかの熱といいますか。以前、路上観察のシンポジウムでトマソンのお話をしたときに、ある都市学者の人に、「それは他力思想ですね」と言われたんですよね。初めてそういう他力思想という言葉を向けられたものだから、そのときは驚いたんですけど。 でも、「自力」や「自主独立」を素晴らしいという感覚って、戦後は強く植え付けれれてありますけど、他力と言われたのは初めてだった。たしかにトマソンは自分ではなく他人がつくったものですから、他力なんですよね。自力がかかわってくるといわゆる芸術作品になってしまう。でもいっぽうで、その他力でできたものを見つけるのは自力なんですね。だから自分で見る目、見分ける力があってのトマソンで・・・感受性あっての他力思想なんです。そういうことを考えて面白かったです。天野:その目というのは、本来はだれもが持っている目じゃないかとも思います。誰もが持っているのに、社会の常識や慣習にまどわされて、感受性が鈍くなって、見えなくなってしまっているのではないかと。まあ、こういうことをあまり論理的に考えて追い込んでいっちゃうのは、間違いの始まりみたいな気がしますけれども。赤瀬川:そうですね。ぜんぶを言葉で、いっぺんにひっぱりだしちゃうというわけにはいかないですね。貝のサザエの身が途中で切れないようにそっと取り出すように。天野:「いい加減」の力で。赤瀬川:ええ、ぼくは写真が好きなんですが、写真を撮る場合もそうです。そう見ていかないと見つからない。よく思うのは、お風呂にゴミが浮いていますよね。あれはガバッと取ろうとすると、たいてい逃げちゃう。逃げられると、なんだか挑戦された気になるんだけど、あれは焦っちゃいけないんです。そぉっと。天野:(笑)。ぼくもお風呂のときにやります。そぉっと。あれは、結構難しい技術が必要ですよね赤瀬川:そうなんですよ。そぉっとだましだましって言うんですか、ゆっくりとすくおうとする、あの感じでものを見ていくのが、いいのかなあと、思ったりします。天野:赤瀬川さんが、世間でいわれるところの常識をさらっとひっくり返すことができるのは、やっぱり、そうやっていい加減に力を抜いて、その対象ととってもていねいに向かい合っているからなんでしょうね。毎日が日曜日のようなご隠居さんが板についてきた大使であるが・・この本を読んで、さらに老人力を磨く必要があるのだろうか?・・・まあ、いい加減に頑張るしかないか。赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。2014年10月に亡くなったが、惜しい人が亡くなったと思ったものです。
2018.04.19
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図書館で、『愛と日本語の惑乱』という小説を借りたのです。日本語を題材にした小説といえば、水村美苗や筒井康隆あたりならあり得るだろうけど・・・清水さんで大丈夫?と危惧されるのです(笑)でもね、先日の日記『小説家になる方法』でも触れたように、清水さんのパスティーシュ路線なら、案外と読めるんですよ♪NHKの日本語委員会らしきものが登場するけど、経営委員会のような政治的なものは出てこないわけです。清水さんでは場違いになるもんね。【愛と日本語の惑乱】清水義範著、ベストセラーズ、2008年刊<「BOOK」データベース>より愛は言葉か、言葉が愛か?恋多き大女優と同棲するコピーライターが、失われつつある愛に惑乱し、奇妙な言語障害に陥っていく爆笑長編。<大使寸評>著者は日本語の乱れ方とか言語障害に注目しているのだが・・・こういうテーマに関しては、名古屋発のインスピレーションは快調です♪とにかく、日本語を題材にしてパスティーシュ小説を書ききる筆力を評価したいのです。rakuten愛と日本語の惑乱漢字の読み方について野田さん(小説の主人公)がイラついているので、見てみましょう。p116~119<第5章 イライラのそのわけは> SHKの放送用語委員会がまたあり、野田は律儀に出席した。昼までですむ会議で、なんとか都合はつくのだ。ただしその日は、シナリオライターの大久保ゆかりと、日本国語研究会会長の岩永保昭が欠席していた。 会議のその日のテーマは、だった。前もってレジュメが送られてきており、それに目を通していたので、どういう問題なのかは理解していた。日本では、世界中の国の中で中国の地名・人名だけは特別のルールで読んでいるのである。 中国以外の国の中で中国の地名・人名などは、現にその国の人が発音しているのをなるべく忠実に(でも、大きく違ってしまっているケースも多いのだが)片カナで表記し、そのように読むようにしている。 ところが中国だけは、これはその国が漢字を使っていることが理由なのだが、その漢字を日本式の音読みで読む、というやり方なのだ。つまり、毛沢東を、もうたくとう、と読むのだ。中国人がその名を、マオ・ツォートンと読んでいることは無視するのだ。というわけで、せっかく二つの国が同じ漢字を使っているのに、読み方は日本風にしてしまうので、口に出して言ってみると相手には伝わらないのである。 韓国(北朝鮮も)の場合は、ルールが違う。たとえば金大中という人物の名をかつては、きんだいちゅう、と読んでいたこともあるのだが、今はそれをキム・デジュンと読んでいる。 なぜ韓国が相手だとむこうの読み方にし、中国が相手だと日本式音読みにするかというと、それには相互主義という原理が働いているのだそうだ。つまり、中国の人は日本の地名や人名をむこうの読み方にしてしまうのだ。 たよえば野田敦という名を、中国人はイエティエン・ドゥンと自分たちの読み方にしてしまうのだ。だからこっちも、毛沢東はもうたくとう、と日本式に読んじゃうぞ、という意趣返しみたいなことになっているのだ。 その点、韓国では野田のことは、ノダと読んでくれる。だからこちらも、キム・デジュンとか、ノ・ムヒョンなどと片カナで書いてそう読みますよ、ということだ。 そして、原則はそういうことなのだが、これにいくつかの例外がある。まず、中国の地名で、あまりに有名で中国式読み方が伝わってきているいくつかの例外は、むこうの読み方にする。たとえば上海や香港は、シャンハイやホンコンにするのだ。 もちろんこのやり方は数々の疑問点を生じさせる。西安ぐらいだと、原則のせいあんと読むべきか、例外のシーアンと読むべきか迷ってしまうのだ。SHKでは今はせいあんだが、そろそろシーアンじゃないだろうか、という声も出ているそうだ。 もうひとつの大きな例外は、中国の中でも漢民族ではない少数民族の人の住む街、つまりそういう人々の作った地名は、漢字の日本式音読みにしないで、原地発音を写した片カナ読みにすることになっているのだ。チベットとか、ウイグルとかいう自治区の名や、カシュガルなどという地名がそういう例外だ。 この方式はSHKの方式であって、別に国の決まりではない。現在、世界地図を買ってみると、ウーハン(武漢)とか、チョンチン(重慶)などと原音と漢字の表記になっているものが多いが、SHKのニュースではそれらは、ぶかん、じゅうけいと読む決まりなのである。山東省はさんとうしょうであって、シャントンしょうとは読まない。 そこまでわかったところで、野田は、そのやり方は絶対に混乱するぞ、と思った。外国の地名や人名を、ほかの国が自国語風に読むというのは少し横暴でもある。(中略) 第一、その方式で行くには面倒なことがいっぱいあるはずだ、と野田が思っていたら、その実例がSHK側から報告された。汽車で旅して中国の田舎を巡る、なんていう紀行番組だって今は作られる時代だ。その時、まったく無名の小さな村へだって行く。その場合スタッフは、そこが漢民族の村か、少数民族の村かを調べるのだ。そして、少数民族の村だった場合は、原地の人が発音している通りに片カナで、コイチャン村、などと表記すればいいのだが、漢民族の村だった場合は、使われている漢字を調べる。 この時、中国ではものすごく簡略化した略字を使っているから、それを昔の正字に直さなければならない。そしてその字を日本式音読みにして、貴江村、などと紹介するわけだ。 そんな努力をして、その土地の人にわからない村の名前を作らなければならないのだ。ウーム 地名、人名の音読みに関しては、こんな悩ましい問題があったのか・・・中華思想に対抗する上では(日中双方のメンツが関わるので)、NHKの放送用語委員会に頑張ってもらう必用が、ありまんな。『愛と日本語の惑乱』1
2018.04.19
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図書館で、『愛と日本語の惑乱』という小説を借りたのです。日本語を題材にした小説といえば、水村美苗や筒井康隆あたりならあり得るだろうけど・・・清水さんで大丈夫?と危惧されるのです(笑)でもね、先日の日記『小説家になる方法』でも触れたように、清水さんのパスティーシュ路線なら、案外と読めるんですよ♪NHKの日本語委員会らしきものが登場するけど、経営委員会のような政治的なものは出てこないわけです。清水さんでは場違いになるもんね。【愛と日本語の惑乱】清水義範著、ベストセラーズ、2008年刊<「BOOK」データベース>より愛は言葉か、言葉が愛か?恋多き大女優と同棲するコピーライターが、失われつつある愛に惑乱し、奇妙な言語障害に陥っていく爆笑長編。<大使寸評>著者は日本語の乱れ方とか言語障害に注目しているのだが・・・こういうテーマに関しては、名古屋発のインスピレーションは快調です♪とにかく、日本語を題材にしてパスティーシュ小説を書ききる筆力を評価したいのです。rakuten愛と日本語の惑乱ではその、広告コピーとか、タブーの表現とか、いけてるヵ所を紹介します。<第2章 バイバイ!尻ぬぐい>p53~55より その論理で、教授は次のような広告コピーにも腹を立てる。 「まだ、モバイってないの?」 モバイルという名詞はある。可動性の、という意味の英語だが、コンピュータ用語としては、オフィスや自宅以外の場所で、通信回線を用いてコンピュータを操作することを言う。だが、モバイルは片カナ4文字でそう書くところの名詞だ。モバイる、という動詞では断じてないのである。モバイルをモバイるにして、活用させて使うなんて犯罪的でむちゃくちゃだと教授は嘆きまくるのだった。 そして最後に、高田教授は言葉の意味を逆にしてしまう罪悪を語る。 このやり方のいちばんわかりやすい例が、「こだわる」という言葉だと教授は言う。「こだわる」とは、小さなことにとらわれる、つまらないことに気を奪われる、という意味であって、本来悪い意味の言葉である。「まだあんなことにこだわっているのか、小さい男だな」などと使うのが正しいのである。ところが最近では、何かに特別の思い入れがある。という意味に使われることも多くなっており、「私は道具にこだわるほうなんだ」というような言い方が出てきている。 そして、広告コピーに、 「男はこだわる」 というのがあることを教授は嘆くのだ。まるで自慢なことのように堂々とそう言われても、わかっている人には何をバカなこと言ってんの、ということなのだ。男ならば些事にはこだわらない、というのがまっとうな日本語だからだ。 だが、コピーの影響力は大きくて、だんだんと多くの人が、「こだわる」をいい意味に使いだす。そのように、日本語が壊れていくのだ。 そして高田教授が最後に取り上げる困ったコピーがこれである。 「バイバイ!尻ぬぐい」そういえば、大使は「こだわる」をいい意味に使っているが、これは本来は誤用だったんですね。近いうちに自費出版と夢想する大使にとって、出版社と摺り合せるこの章は参考になります。<第3章 東大出とビンボー症>p69~73より 初校ゲラというものを預って、この先1週間で著者校をしなければならないのだ。本を出版するには必ずしなければならない作業なのだ。 「そこで次に、いくつかある表現上の問題なのですが」 と言って宮本は、ゲラを手に取った。そのゲラには色つきの付箋が七夕飾りの短冊のようにいっぱいついていた。その付箋を頼りにあるページを開き、野田に見せる。 「ここに『看護婦がびっくりして』という文章がありますね。これ今は普通、看護師と言うことになっているんです」 ゲラの「看護婦」という部分から鉛筆で線が引いてあって、ページの余白に「看護師では?」と書いてあった。 「そうか、この頃は看護師っていうんだ。でも、まだ看護婦っていう言い方のほうがピンとくるよね」 「ですから、必ず直さなくちゃいけない、ということではないんです。たとえば70歳くらいの老人が、台詞の中で『看護婦を呼んでくれ』なんて言うんだったら、そこは看護婦のほうがリアリティがあるかもしれません。でもここは地の文ですし、今の普通の用語を使った方がいいのでは、という指摘です。どうしてもいやだ、ということなら、このママでもいいのですが」 「どうしてもいやだということはないけど」 「作家の先生で、看護師という言葉は使いたくない、という人もいらっしゃるんです。その先生は地の文の看護婦を、すべてナースという表現になさいましたけど」 「そこまで看護師がいやだってわけでもないんで、こだわるつもりはないんだけど。どうするか考えてみます」 「お願いします。それから、これはちょっと微妙な問題なんですが」 と言って宮本は次の付箋のページを開いた。 「ここに、『千葉の田舎者』という表現があります。これは少し差別的な表現ではなかろうか、ということを考えなければいけないんです」 「ああ…、田舎者という言い方がマズいわけですか」 校閲者は田舎者という言葉から線を引いて余白のところに「少し差別的表現では。出身者トカ」と書いていた。 しかし、その指摘には納得のいかない気分になる野田だった。 「あの、これはわざとふざけて言ってるギャグのようなもので、本当に千葉の人は田舎者で困ったものだ、とか思っているわけではないんですけど」 「ええ、遊んだ言い方だということはわかります。その箇所の少し後ろに、『そうしたら、返事をしたのがやっぱり千葉だ』という文章がありまして、親しみがあるからこそ、ふざけて強調しているんだな、と思います。しかし、千葉の田舎者、と決めつけてありますと、これを千葉県の人が読むと気分を害するんじゃないだろうかと、気をまわすわけです」 「でもこれをね、千葉の出身者と直したほうが、かえって千葉県民に失礼じゃないかなあ。言葉が正確だと、ふざけて言っているだけだという感じが消えちゃって、本気でバカにしてるみたいになるでしょう」(中略) 宮本はそういうことを、泣き出さんばかりの苦しげな表情で言うのだった。この章では、病名や職業名を書くときには注意がいると校正のプロがおっしゃっています。勉強になるなぁ。(アルツハイマーとか、坊主とか床屋とかストレートに書くと、あまり良くないようです)このあと、名古屋発のパスティーシュ路線は、男女関係や芸能界ゴシップなどに突き進んでいきます。なかなか守備範囲が広くて・・・ええでぇ♪長かった下積み時代の修練が、今の作品に昇華されていることは喜ばしいことですね。もう「カスリの清水くん」とは呼ばせない、既に小説作家ですもんね。なお、帰って調べてみると、この本を借りたのは二度目であることが判明しました。どおりでなんか既視感があるわけだ(イカン イカン)
2018.04.18
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<習氏一強、中国の行方> 米ハーバード大名誉教授のエズラ・ボーゲルさんががインタビューで「トランプ政権下の米の後退を突き世界への影響狙う」と説いているので、紹介します。(エズラ・ボーゲルさんへのインタビューを4/17デジタル朝日から転記しました…無料で見せるのが木鐸というものでは?)国家主席の任期制限を撤廃して「一強」となった中国の習近平氏。毛沢東時代に逆戻りしたような中国は、これからどこへ進み、米国や日本とどう向き合おうとしているのか。高度成長期の日本を描いた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を著した知日派であり、深い中国研究でも知られるエズラ・ボーゲル氏に聞く。Q:米中の貿易摩擦がエスカレートしています。米国が、中国からの輸入品に約500億ドル(約5・3兆円)の追加関税を検討していることを打ち出すと、中国は同規模の報復措置に言及。すると、トランプ大統領が1千億ドル分さらに上乗せする可能性に触れました。1980年代の日米摩擦を思い出します。A:中国が継続的な経済成長によって強大になり、米国が相対的に衰退したことが背景にあると思います。米国内で中国への見方が変わったのは、この数年のことでしょう。中国で今後民主化が進むことが期待できず、米国内の警戒論に拍車をかけているようです。 トランプ氏は貿易で強硬姿勢にかじを切り、鉄鋼とアルミの関税に関しては愚かなことをしました。中国産鉄鋼の輸入量はたいした規模ではないのに大げさに言っているのです。一方の中国側はとても強気になっています。大豆や航空機などは米国産業に打撃を与えるもので、中国はあらかじめ報復リストをつくっていたのでしょう。ただ、米国との対立は賢明でないことも分かっているので、中国は慎重な態度もとるでしょう。 米国は80年代後半、急速に経済発展する日本を脅威に感じていました。後に駐日大使となるモンデール元副大統領が『日本は重要な安全保障関係にあるのだからそんなに興奮するな』と、米経済人を諭していたのを覚えています。Q:でもいまトランプ氏を諫める動きは米国内では鈍いですね。A:これまで中国との関係改善に積極的だった米経済界と学術界が、今はそれほど前向きではありません。中国の外資参入障壁で米企業がしばしば中国市場から締め出されていることに、経済界は失望しています。米学術界も、中国の学術界では、自由があまりにも制限されていると感じています。 中国は昨年の党大会で、内外に自信を誇示しました。北京の若者は中国の政治制度が世界一だと信じているようです。特にトランプ大統領が誕生してから、米国の時代は終わったと思っているのかもしれません。そうした姿勢が米国の世論を刺激しているのです。 ■ ■Q:トランプ政権は新たな国家安全保障戦略で、中国をロシアと同じ「競争国」と位置づけました。ライバル関係は今後さらに強まるのでしょうか。A:いま米中は、大変厳しい時期を迎えています。今後さらに国力が強まった中国がどう出るかわからず、米国は大変危惧しています。習近平国家主席が大きな力を持つにつれ、中国は強硬姿勢をとり、軍事行動に出る可能性すらある。ただ、今後中国の経済成長が鈍化する中で、各国と対立すればさらに難しい問題を抱えることになります。私は習氏はそこまでの行為には至らないとみています。Q:リスクはむしろトランプ氏の側にあるということですか? 中国やロシアはそんな米国に挑戦し、これまで米国が築き上げてきた民主主義などの価値観を覆そうとしているようにすら見えます。A:我々有識者はトランプ氏を評価しておらず、歴代大統領で最悪だと思っています。トランプ政権下の米国は自由貿易や環境問題で建設的な役割を果たさず、環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱などで米国に多大な損害すら与えているからです。メキシコやカナダにも被害を及ぼしています。米国が退いた空白を突き、中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)やシルクロード経済圏構想で各国から支持を得ています。 中国は政治的にも影響力を世界に及ぼそうとするでしょう。中国は宣伝工作部門を使って国民を統制するやり方で、世界中にも影響力を及ぼそうとしている。しかし、それは他国には受け入れがたいものだと思います。 ■ ■Q:そうした中国の自信の背景として、権力を拡大する習近平氏の存在は大きいのではないでしょうか。いまや国家主席の任期を撤廃し、3期目の続投が濃厚です。あなたは以前、習氏の任期延長はないだろうと言っていましたね。A:予想が完全に外れました。トウ小平のように法に従いつつ力を保持するのが賢明なやり方だと思っていたからです。中国の知識層は、中国にとってこの決定は良くないものだと内心は思っていますが、大っぴらには口に出せません。多くの人たちは『2期を満了したら退任し、新しい指導者に交代するという制度にしたほうがいい』と考えているのに、です。Q:もともと言論が制限されている中国で、これまで以上に統制が厳しくなっているのですか?A:一人の指導者が長く政権に就くことで、自由な言論が抑圧されるのではないかと心配しています。習氏が進める『反腐敗キャンペーン』によって、処罰されることを恐れている人も大勢います。Q:ホワイトハウス高官は「習氏の権力はトウ小平を超えた」と評しました。トウ小平研究で知られるあなたから見るとどうでしょう。A:ちょっと違う気がしますね。トウ氏は1920年代初頭から毛沢東の右腕として地下活動を続けた経験があり、軍のリーダーも務めました。5年間をフランスで、1年間をソ連で過ごした経験があり、多くの海外指導者とも面識があった。彼はそれまでの実績や経歴で偉大な権力を得ており、肩書を必要としなかったわけです。 これに対して習氏は北京での勤務経験や軍の経験はほとんどありません。だからこそ、主席の続投にこだわるのでしょう。肩書では習氏はトウ氏よりもはるかに力があるように見えますが、真の権力という意味ではトウ氏の方が圧倒的な強さを持っていたと言えます。Q:ただ習氏が現在、他を寄せ付けない権力を振るっているのは事実ではないでしょうか。あなたは以前、習政権にまだ期待を持っているとも言っていましたね。A:経済構造改革はそれなりにいいと思います。一方で、いまは政治改革については悲観的です。数年前には、政治体制の改革が起こるとみていましたが、今その可能性は極めて低い。 今は成長率が年6%あるいはそれ以上で成長していますが、今後数年間での失速が見込まれています。経済成長が鈍化すれば様々な問題が浮上し、習氏は難しい立場に置かれることになるでしょう。例えば地方債務の問題です。現在は政府資金を投入することで何とか取り繕っていますが、今後このやり方を続けていくことは難しいでしょう。Q:昨年の共産党大会で、習氏は後継者を選びませんでした。あなたは多くの中国の若手官僚に会っていますが、「ポスト習」候補をどう見ていますか。A:習氏は知名度や人気度よりも、個人的な関係の深さを重視しているように感じます。自分に忠誠を誓う人材を登用したいと考えているような気がします。これまでの共産党の人事システムでは、まず地方で実績を重ねてから省レベル、そして中央政府に登用されてきました。しかし習氏はかつて一緒に働いたことがある側近を登用する傾向があるようです。 ■ ■Q:周囲を側近で固め権力基盤を強める習氏と日本はどうつきあうべきなのでしょう。2期目の習体制が冷え切った対日関係を好転させる可能性はあるでしょうか。A:2019年にかけては重要な進歩があると思います。李克強首相の訪日を皮切りに、安倍晋三首相の訪中、そして習主席の訪日につながれば意義ある前進と言えるでしょう。しかし中国が『反日』というカードを捨てるとは思いません。中国国民を一致団結させるのに非常に有効だからです。 しかし少しずつ変化の兆しがあります。中国国内で、中国人と衝突せずに、うまく折り合いをつけながら謙虚に活躍する日本企業や日本人は相変わらず存在感があります。民間レベルでの交流の積み重ねが、両国関係の好転に寄与するはずだと信じています。Q:日中の緊張関係が続くなかで、北朝鮮危機が高まっています。南北首脳会談が予定され、米朝首脳会談も開かれる見通しになるなかで、中朝首脳会談がありました。中国は事態をどう動かそうとしているのでしょうか。A:習指導部は、朝鮮半島政策について長期的な視点で考えているとみています。軍事衝突を避けつつ、長期にわたり影響力を行使したいと思っています。在韓米軍の撤退も含まれるでしょう。Q:この状況下で、日本はどう行動すべきでしょう。A:トランプ政権の不確実性を考えれば、米国による日本への関与を確かなものにするため、両国の防衛装備の相互運用を強化し、在日米軍を維持していくことが賢明なやり方でしょう。あわせて中国のほかインドや東南アジア諸国との関係強化も進めていくことも必要でしょう。(聞き手・峯村健司) *エズラ・ボーゲル:1930年生まれ。社会学者で、93年にはクリントン政権の東アジア担当国家情報官に。日中に深い人脈を持つ。著書に「現代中国の父 トウ小平」習氏一強、中国の行方エズラ・ボーゲル2018.4.17この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR6に収めておきます。
2018.04.18
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図書館で『ひとり旅 ひとり酒』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみるとカラー写真が満載で、思わず唾を飲みこむわけで・・・この種の紀行本の王道ではないかと、思ったりするのです♪【ひとり旅 ひとり酒】太田和彦著、京阪神エルマガジン社、2009年刊<「BOOK」データベース>より居酒屋の伝道師、太田和彦がツイーと旅した西日本の名酒場!全編オールカラー!西日本で出会ったうっとり酔えるひとり酒の店約200軒。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみるとカラー写真が満載で、思わず唾を飲みこむわけで・・・この種の紀行本の王道ではないかと、思ったりするのです♪rakutenひとり旅 ひとり酒小浜の名物でもある鯖の料理を、見てみましょう。p143~146 アーケード屋根の魚の町・いずみ町商店街に[鯖街道資料館]があった。若狭の魚は古くから都に上り、平城京の木簡にすでにその名があるという。2003年の「若狭路博」以来<若狭は千三百年前の奈良時代から天皇家にお食料を供給する御食国(みけつくに)>として若狭は美食の国をアピールいている。 隣の[野村鮮魚点]は、昨晩沖の石で焼鯖を発送したいと相談し。では頼んでおいてあげますと言われた店だ。いっぱいに置かれたトロ箱を見ると、おお! みごとに丸々と張った鯖がある。「これ、今朝の?」「そうですよ」 やったぞ。<念願の名物を食す> ホテルに戻ってひと眠り。目覚めると夕方5時だ。沖の石で、もし鯖が入れば食べ頃は7時すぎですと言われた。その前に、目星をつけておいた、いずみ町近くの居酒屋[酒菜屋どんど]に行こう。 開店の口明け。カウンターの若主人は余計な口をきかず信頼がわく。酒は、オ、日本酒界初めての燗酒用大吟醸「黒龍・九頭龍」がある。これだこれだ。ほんわり上品な吟醸燗が気持ちをやわらげる。 瑠璃色小鉢のお通しは「若狭鯖と地元矢田部葱のぬた」。鯖のぬたは珍しい。味噌は甘からず辛からず、鯖のコクと葱が品よくまとまりたいへんおいしい。本日地ものの味は透明感のある甘味がすばらしい。 これはいい店に当たった。あらためて品書きを見ると「田烏のなれさば」とある。昨日沖の石で「なれさばをご存じですか、最近、本物は少ないのですが」と聞いた。「これはどういうものですか?」「鯖へしこを塩抜きして米麹に漬け込んだ、田烏のお婆ちゃんのです」 沖の石で教わった通りの本物だ。若狭名品の鯖のぬか漬け「へしこ」は作るのに春から秋までかかり、かなり塩が強いが、それを抜き、甘味のある麹で熟成させたその味はずばり「鯖の生ハム」! 酒に最高の珍味で、私は完全にはまった。 7時に沖の石の玄関を開けると、女将がにっこりと笑った。今朝揚がった鯖にすぐ塩をした「鯖きずし」は銀肌が濡れたようにつやつやと光る。若狭鯖のきれいなコクにあっさりした酢が香りをつけ、八百比丘尼16歳の肌艶もかくや、これは長生きするかも。目を閉じウンウンと味わう私に調理のご主人も満足そうだ。ようやく目的を果たした。あとは若狭もうひとつの名品だ。「甘鯛塩焼き!」「だろう、と思ってました」 ご主人が大きくうなづいた。ネットに鯖へしこが出ているので、見てみましょう。さばのへしこよりへしことは魚を塩と糠(ヌカ)で漬けこんで作る魚の糠漬けのことで、福井・石川・丹後半島などの地域の伝統的な保存食です。 「鯖のへしこ」は、その昔若狭から京の都へ鯖街道をつかって鯖を運ぶ際に考えられた加工法で、保存食として古来より伝承されている若狭の名産品です。 その名の由来は、地方の漁師言葉で木樽に鯖を漬け込む(押し込む)ことを「へし込む」と言ったことが、 「へしこ」のはじまりといわれています。ウーム 鯖へしこは、まだ関西のスーパーでは見かけないし、この味に慣れるには若狭に通うしかないのかな~。『ひとり旅 ひとり酒』1
2018.04.18
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図書館で『ひとり旅 ひとり酒』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみるとカラー写真が満載で、思わず唾を飲みこむわけで・・・この種の紀行本の王道ではないかと、思ったりするのです♪【ひとり旅 ひとり酒】太田和彦著、京阪神エルマガジン社、2009年刊<「BOOK」データベース>より居酒屋の伝道師、太田和彦がツイーと旅した西日本の名酒場!全編オールカラー!西日本で出会ったうっとり酔えるひとり酒の店約200軒。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみるとカラー写真が満載で、思わず唾を飲みこむわけで・・・この種の紀行本の王道ではないかと、思ったりするのです♪rakutenひとり旅 ひとり酒大使の故郷でもある高知をまず、覗いてみましょう。p124~126高知のカツオとマダム・ロゼ 帯屋町のアーケードを抜けた向こう側、朱塗りの太鼓橋形アーチの立つ古そうな商店街・天神橋通りに心ひかれた。渡ったすぐ右は真ん中に排水溝のある古い「宵まち横丁」小路で、四万十、舞亭、田舎家、満足、きまま、五平、黒尊、ひさご、など小さな飲み屋がびっしり並ぶ。宵まち横丁とはよい所を見つけた。今宵はこの横丁にしよう。 その今宵。[黒尊]に入った。古く小さな民家をカウンターと小座敷にしてうまく使っている。五時で満員だ。奥では女性二人が高知の必需品ニンニクを山のように黙々と剥いている。主人は黒ポロシャツに太い腕、短髪で眼鏡をちょっと鼻におとした、大将と呼ぶのが似合いの精悍な男前だ。「初めてでしたら、刺身盛り合わせがお徳でしょう。カツオは必ず入ります」 まずカツオ。皮の銀肌と、身の濃赤の対比が鮮烈なサクに遠くから塩を振り、ガスで焙り、頃合いをみてアチアチというように指先で押さえて切り、用意の大皿にどんと盛り込んだ。 皿にはサヨリ、ヒラメ、そのエンガワ、ハモのおとし、たっぷりのニンニクスライスとワサビが盛り込まれ、いま焙ったカツオは皮だけが脂をじゅうじゅうと音をさせて焦げ、赤身は余熱で1ミリほど白く囲まれ、まだひんやりしている。これは闘志のわく刺身盛り合わせだ。まずカツオにニンニクをたっぷりのせて、がぶり。 鼻をつく焦げ香、血の味あする赤身、生ニンニクの鋭い刺激。三味一体渾然の味はまさにワイルド。「塩ふって焼く、焼き切り。うちはこれだけです」 高知のカツオは今、塩タタキが流行していると聞いたが、主人が20年前の開店の時から始めたやり方が、いつのまにか塩たたきの名前でひろまったそうだ。「べつに叩いてないんだけどね」と笑う。ぽん酢に較べ塩は野性的で、高知地酒「美丈夫」のうすにごりとよく合う。 カウンター上の額にある新聞記事は、四万十川に合流する黒尊川源流の圧倒的な自然を書いている。「ご主人は黒尊の出身?」「そうです」 今もときどき帰り、はえなわやモリ突きで40センチ級のアマゴを獲るそうだ。揚げ始めた四万十川の「川海苔素揚げ」は香りがいい。宵まち横丁の居酒屋に、奥土佐の野生の息吹を伝える男がいた。ウン 元祖塩タタキの店だったのか♪ ところで、黒尊渓谷といえば地元では清流として知られるが、圧倒的など田舎なわけで、いわゆる秘境なのかも?
2018.04.17
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「日本語」でしょうか♪<市立図書館>・愛と日本語の惑乱・ひとり旅 ひとり酒・隠居大学<大学図書館>・閉された言語・日本語の世界図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【愛と日本語の惑乱】清水義範著、ベストセラーズ、2008年刊<「BOOK」データベース>より愛は言葉か、言葉が愛か?恋多き大女優と同棲するコピーライターが、失われつつある愛に惑乱し、奇妙な言語障害に陥っていく爆笑長編。<大使寸評>著者は日本語の乱れ方とか言語障害に注目しているのだが・・・こういうテーマに関しては、名古屋発のインスピレーションは快調です♪とにかく、日本語を題材にしてパスティーシュ小説を書ききる筆力を評価したいのです。rakuten愛と日本語の惑乱【ひとり旅 ひとり酒】太田和彦著、京阪神エルマガジン社、2009年刊<「BOOK」データベース>より居酒屋の伝道師、太田和彦がツイーと旅した西日本の名酒場!全編オールカラー!西日本で出会ったうっとり酔えるひとり酒の店約200軒。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみるとカラー写真が満載で、思わず唾を飲みこむわけで・・・この種の紀行本の王道ではないかと、思ったりするのです♪rakutenひとり旅 ひとり酒【隠居大学】天野祐吉著、朝日新聞出版、2011年刊<「BOOK」データベース>より原始、「隠居」は遊びの達人だった。若いモンの憧れだった。遊びの達人6氏が、オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。<読む前の大使寸評>それにしても、表紙にも見えるように蒼々たる対談相手である・・・老人をなめてはあかんでぇ♪rakuten隠居大学【閉された言語・日本語の世界】鈴木孝夫著、新潮社、1975年刊<「BOOK」データベース>より日本語を話す人=日本人という「単一言語国家」であり、歴史上侵略された経験がない日本人は、いかなる言語を育んできたのか。数種類の一人称代名詞をもち、「相手依存」で自己規定する私たちの言葉の不思議。言語社会学の第一人者が、言語と文化への深い洞察をもとに、日本語観、外国観、そして日本人の自己像を考える。時代を経ても色褪せない必読の論考。<読む前の大使寸評>発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。rakuten閉された言語・日本語の世界************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き297
2018.04.17
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2本立て館で観た映画を集めてみました。ま~個人的な鑑賞目次みたいなものです。R6:「今年一番の「衝撃」と「温もり」」を追記・今年一番の「衝撃」と「温もり」H30.4.14・静と動・・・H30.3.16・【年末】掘り出し物特集H29.12.25・家族の歴史H29.10.04・子供たちのためH29.6.29・ヨーロッパの景観H28.11.18・噂と真実・・・H28.11.7・人生いたるところに青山ありH28.9.8・暑中お見舞い2本立てH28.8.15・新春の2本立てH28.1.1・仲間と家族、大切なのは絆・・・ H27.11.24・行動すると、何かが・・・ H27.11.03・使命を背負う者は・・・H27.10.04・家族以上の絆H27.8.04・初老向け二本立て映画H27.3.28・生きた証H26.10.30・不良老年2本立てH26.09.20・文芸2本立てH26.8.14・離婚の危機を乗りこえたH26.3.09・頑張るフランス女H26.2.06・大晦日に2本立て館へH26.1.5・豪華2本立てを観たH25.9.28・屋根裏部屋のマリアたちH25.4.24・「キリマンジャロの雪」と「星の旅人たち」H24.12.20・全天候型ロボジーと自称しているのでH24.8.11・マーガレット・サッチャー鉄の女の涙H24.7.8・ゴーストライターH24.4.11・ハートロッカー2010.09.07・グラントリノ2009.08.14・ナイロビの蜂(The Constant Gardener) 2006.09.21以降、折りをみて追記予定。
2018.04.17
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・村上春樹『騎士団長殺し第一部』(4/12予約済み、副本33、予約992)・村上春樹『騎士団長殺し第二部』(4/12予約済み、副本33、予約833)・頭に来てもアホとは戦うな!(12/26予約済み、副本6、予約108)現在58位・真山仁著『オペレーションZ』(1/05予約済み、副本8、予約101)現在43位・アメリカ 暴力の世紀(1/15予約済み、副本2、予約35)現在20位・萩野アンナ著『カシス川』(1/20予約済み、副本3、予約30)現在17位・菅ちゃん英語で道案内しよッ! (2/28予約、副本6、予約48)現在34位・『わたしたちが孤児だったころ』(3/25予約、副本7、予約30)現在24位・原田マハ著『スイート・ホーム』(4/16予約、副本10、予約149)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)・日本その日その日<予約候補>・世界のミリメシを実食する・サピエンス全史(上・下)図書館未購入・先進国・韓国の憂鬱・フィリップ・ボール『かたち』・高橋源一郎著「読んじゃいなよ」・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』図書館未購入・『ウォルマートがアメリカをそして世界を破壊する』図書館未購入・ペンの力:図書館未購入・銃・病原菌・鉄(上)・暗い時代の人々・バーバラ・タックマン著『八月の砲声』外大の蔵書・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・スティーヴ・スターン『どいつもこいつも昼行灯』図書館未購入・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』・『都会の鳥たち』図書館未購入・『一汁一菜でよいという提案』・中島岳志著『血盟団事件』・・・西図書館の棚で見た・新シルクロード1:楼蘭、トルファン・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想・禁じられた歌(田)・私家版鳥類図鑑(神戸市図書館では蔵書なし)<予約分受取:2/03以降> ・ダーウィンのジレンマを解く(1/28予約、2/03受取)・宮部みゆき『荒神』(2/02予約、2/06受取)・椎名誠著『ノミのジャンプと銀河系』(10/12予約、2/10受取)・堀江貴文著『多動力』(8/14予約、2/17受取)・ビッグデータの罠(2/15予約、2/20受取)・飯場へ(10/07予約、2/23受取)・ひとり出版社という働きかた(2/23予約、2/28受取)・ボブという名のストリート・キャット(2/9予約、3/10受取)・『今こそ、韓国に謝ろう』(8/29予約、3/14受取)【騎士団長殺し第一部】村上春樹著、新潮社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりその年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降っていたが、谷の外側はだいたい晴れていた…。それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕れるまでは。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/12予約済み、副本33、予約992)>rakuten騎士団長殺し第一部【頭に来てもアホとは戦うな!】田村耕太郎著、朝日新聞出版、2014年刊<「BOOK」データベース>より苦手なヤツほど、徹底的に利用せよ。(1)相手の欲望を見抜き(2)腰を低くして、助けを求め(3)味方にする!目標がみるみる叶う最強の「人の動かし方」。【目次】第1章 アホと戦うのは人生の無駄/第2章 臆病者のための戦略的コミュニケーションのススメ/第3章 どんな強者でも味方にする“人たらし”の技術/第4章 権力と評価の密接な関係/第5章 他人の目を気にするな/最終章 アホとではなく自分と戦え!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/26予約済み、副本6、予約108)>heibonsha頭に来てもアホとは戦うな!【オペレーションZ】真山仁著、新潮社、2017年刊<「BOOK」データベース>より国の借金は千兆円を超え、基礎的財政収支は赤字が続く。国債が市場で吸収されなくなった時、ヘッジファンドが国債を売り浴びせた時、国家破綻は現実となる。総理は「オペレーションZ」の発動を決断し、密命を帯びたチームOZは「歳出半減」という不可能なミッションに挑む。官僚の抵抗、世論の反発、メディアの攻撃、内部の裏切り者ー。日本の未来に不可欠な大手術は成功するのか?明日にも起こる危機。未曾有の超大型エンターテインメント!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/05予約済み、副本8、予約101)>rakutenオペレーションZ【アメリカ 暴力の世紀】ジョン・W.ダワー著、岩波書店、2017年刊<「BOOK」データベース>より第二次大戦および冷戦の覇者、アメリカ。そのアメリカは、どのような経緯で現在の世界の、そして自国の混沌を生み出してしまったのか。大ベストセラー『敗北を抱きしめて』の著者があらたに取り組む、アメリカの暴力の歴史。軍事をめぐる歴史と、テロなどの不安定の連鎖拡大の現状について、簡潔に、かつ深く洞察した。特別の書下ろしとして、トランプ時代を危惧する日本語版オリジナルの序文を付す。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/15予約済み、副本2、予約35)>rakutenアメリカ 暴力の世紀【カシス川】荻野アンナ著、文藝春秋、2017年刊<出版社>より7年前に彼を癌で亡くし、父を見送った私の腸に、癌が見つかった。これで私はようやく休める、私は腹の中に「楽園」を抱え込んでいるのだ。告知を平然と受け止めた私は、ともに暮らす要介護4の母との入院を心に決めた。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/20予約済み、副本3、予約30)>rakutenカシス川【菅ちゃん英語で道案内しよッ!】菅広文著、ぴあ、2017年刊<「BOOK」データベース>より「笑顔4 ジェスチャー4 英語2」。日本に来てくれた外国人の方は思っているよりも日本に詳しいです。ある程度言えば、くみ取ってもらえます。臆せずしゃべりましょう。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/28予約、副本6、予約48)>rakuten菅ちゃん英語で道案内しよッ!【わたしたちが孤児だったころ】カズオ・イシグロ著、早川書房、2001年刊<「BOOK」データベース>より1900年代初めに謎の失踪を遂げた両親を探し求めて、探偵は混沌と喧騒の街、上海を再訪する。現代イギリス最高峰といわれる作家が失われた過去と記憶をスリリングに描く至高の物語。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/25予約、副本7、予約30)>rakutenわたしたちが孤児だったころ【スイート・ホーム】原田マハ著、ポプラ社、2018年刊<「BOOK」データベース>より幸せのレシピ。隠し味は、誰かを大切に想う気持ちー。うつくしい高台の街にある小さな洋菓子店で繰り広げられる、愛に満ちた家族の物語。さりげない日常の中に潜む幸せを掬い上げた、心温まる連作短篇集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/16予約、副本10、予約149)>rakutenスイート・ホーム【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha8月の果て図書館予約の軌跡119予約分受取目録R12中央図書館新着図書リスト図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2018.04.16
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図書館で『熱河日記-1』という東洋文庫シリーズの1冊を、手にしたのです。おお 先日、ブログで取り上げた本ではないか。「東洋文庫ガイドブック1」で野崎充彦という人が、今村与志雄訳の『熱河日記』を激賞していたので、気になっていたのです。【熱河日記-1】朴趾源(著), 今村与志雄(翻訳)、平凡社、1978年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>「東洋文庫ガイドブック1」で野崎充彦という人が、今村与志雄訳の『熱河日記』を激賞していたので、気になっていたのです。amazon熱河日記-1鴨緑江を渡江してから数えて、33宿駅、2030里(日本の203里)やっと北京に到着します。入城の景色を見てみましょう。胡同の四合院p303~305■丁未 北京の西館にて朝、晴。きわめて熱い。午すぎ、雨が降ったり止んだりした。夜、はげしい雷雨。(中略) 船から下りて岸に登った。車やウマが路をふさぎ、通行できなかった。東門に入ってから西門に到着した。五里の間、独輪車が数万台、路を一杯ふさぎ、ウマの向きをかえる余地もなかった。そのまま、ウマから下りて、ある店舗に入った。その壮麗と繁栄は、盛京(瀋陽)や山海関とは比較にならなかった。 苦労して狭い路を通りぬけ、一寸きざみに前進した。市の門の横額は、「万艘雲集」と書いてあった。大街にニエンの高楼が建っていた。題して「声聞九天」という。城外に、三ヶ所、穀物倉庫があり、形式は城郭のようであった。上は瓦屋根で覆い、屋上に窓の広い小さな閣を建てて、鬱積した空気のはけ口にしていた。ショウ壁のところによこ穴を垂直につらぬいて湿気を散らしていた。河を引いて倉庫の周囲に濠をつくっていた。 一行は永通橋に着いた。一名、八里橋という。長さは数百丈、広さは十余丈あり、橋のアーチの高さは、十余丈あった。左右に欄を設け、欄の上に数百のシュンゲイが座していた。彫刻の巧妙は、図章の小さなチュウに似ていた。橋の下の舟運はまっすぐ朝陽門外に達しており、さらに、小船でもって閘(水門)を開き、運送して大倉に入るという。 通州から皇城(北京)まで、四十里の間、石を敷きつめて梁とし、鉄輪がぶつかりあい、車の音はますます大きく、人の心神を震動して落ち着かせなかった。沿道の左右はことごとく墳墓であって、垣や土塀があいつらなり、樹木がこんもり茂って墓の形は見えなかった。大王庄へ到着して小憩した。それから出立。(中略) 東岳廟に到着した。正使・副使・書状官の三使は、服装を改め、班を整頓し、瀋陽に入ったときのようにした。通官の烏林ポ、徐宗顕、朴宝秀らが、すでに来て廟中で待っていた。みな、うなじに朝珠を掛け、ウマに乗って先導し、朝陽門に到着した。その構造は、まったく山海関のとおりであった。だが、目は視る暇さえなく、黒い塵が天にまなぎり、車に水桶をのせて、至るところで、道に撒水していた、使臣は、まっすぐ礼部へ行き、表とシ文を上呈して去った。 私は、路を分けて、趙明会とともに先に館所に到着した。順治の初め(1644年)、朝鮮使邸を玉河の西の水辺に設置し、玉河館と称した。その後、オロス(ロシア)に占拠された。オロスは、いわゆる大鼻ターズで、最も凶悍である。清人は、制御することができず、ついに、会同館を乾魚胡同に設置した。都統の満ピの邸宅である。満ピが誅りくされるや、家人は多くが自殺した。だから、館は幽霊が多かった。あるいは、わが国の別使が冬至使の一行とかちあった場合は、別れて西館に寄寓した。 昨年、乾魚胡同の会同館が失火し、まだ改めて建築するのに間に合わなかった。だから、今度の使節一行は、また、寓居を西館に移したのである。ウーム 北京におけるロシア人の傍若無人ぶり、朝鮮人がロシア人を凶悍と評して嫌う様がうかがえますね。ところで、この本ではやたらと読めず書けない(打てない)漢字が出てくるわけで、そのときはしかたなくカタカナで表記しているのです。悪しからず。『熱河日記-1』5『熱河日記-1』4『熱河日記-1』3『熱河日記-1』2『熱河日記-1』1熱河日記書評byドングリ
2018.04.16
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図書館で『芸術新潮(2017年11月号)特集:北斎』という雑誌を手にしたのです。いろんな雑誌が北斎特集を編んでいるが・・・この雑誌を見落としていたので借りたわけでおます。【芸術新潮(2017年11月号)特集:北斎】雑誌、新潮社、2017年刊<商品説明>より特集 画狂モンスター 北斎 漫画と肉筆画<読む前の大使寸評>いろんな雑誌が北斎特集を編んでいるが・・・この雑誌を見落としていたので借りたわけでおます。rakuten芸術新潮(2017年11月号)特集:北斎李白観瀑図(部分)北斎の肉筆画を、見てみましょう。p52 <七十にして心の欲する所に従って晩年は肉筆画に邁進:浅野秀剛> 生涯を通して北斎は、肉筆画の制作に熱心でした。なかでも40代から50代半ば、そして晩年、画狂老人卍と号した75歳頃から没年までが二大ピークと言えます。後者は画題において、和漢の故事や信仰、龍や虎、獅子といった霊獣など、本来の浮世絵から離れた広がりを見せます。 浮世絵の花形は錦絵の一枚絵で、役者絵と美人画が二本柱。ただし流行商品なので、時流に乗ってヒット作を出したい版元が画題や表現に口を出す。読本も流行に左右されるし、戯作者の意向に沿っての制作。北斎の志向が、絵手本や肉筆画という、絵師の自由度がより高いジャンルに移行したのは必然でしょう。 とはいえ晩年、錦絵の注文がなくなったとは考えにくい。版下絵が多く残っているのは、出版されなかったものの発注はあったということです。《百人一首うばがゑとき》は北斎最後の大判錦絵の揃物。本人は100図出版するつもりだったはず。中断理由には版元の経営難や販売不振がありますが、北斎が口うるさいことも関係したに違いありません。値切られたり文句をつけらりたりすると、北斎はせっかく描いた版下絵を渡さなかったり、版画化に際しての要望が多くて原価が高くなりすぎることもあったのです。 いっぽう肉筆画は、注文主とさえ折り合いがつけば自由に描ける。北斎という人はひとつのスタイルで何十年も描き続けるタイプの絵師ではありません。やまと絵や漢画、蘭画など様々な筆法を学び、その都度、新たな表現に挑みます。《》は洋風風景画に傾倒していた時期の作品。 でも、陰影法や遠近法の勉強はするけれど、合理的な手法で描きたいという意思はない。目的はテクニックを習得し、自分の表現に反映させること。画業の幅を広げるためにあれこれ手を出し、独自性を強化する方向に突き進んでいくのです。しかも筆技だけでなく、画材や画題まで含めて極めようとした結果、晩年は現実の世界から離れ、超現実を描くことに魅かれていったのだと思います。『芸術新潮(2017年11月号)特集:北斎』1
2018.04.16
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図書館で『日本の風景・西欧の景観』という新書を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、モノクロではあるがわりと画像の多い本である。それと、ジャポニスムとか都市景観とか・・・気になるコンセプトが溢れています。【日本の風景・西欧の景観】オギュスタン・ベルク著、講談社、1990年刊<「BOOK」データベース>よりヨーロッパ近代が生んだ遠近法と中心がたえず移動する日本特有の空間。視線の差異の発見と再発見、野性空間・田園・都市における風景観念の比較を通して、主体ー客体2元論たる近代景観論の解体を論じ、ポスト・モダンの風景=〈造景の時代〉を予見する。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、モノクロではあるがわりと画像の多い本である。それと、ジャポニスムとか都市景観とか・・・気になるコンセプトが溢れています。rakuten日本の風景・西欧の景観の一部をを、見てみましょう。p63~67■西欧の影響 たとえば現代日本の数多くの著作家の原風景において、幼年時代の記憶に属するものと、のちに絵画・文学・歴史に触れて獲得し、構成されたイメージに属するものを区別するのは非常に難しい。言葉を換えて言えば、個人の原風景はある程度まで社会の原風景であり、このふたつの次元には相互作用が存在するのである。例をあげると、川添登は『』において植生に焦点をあてているが、これは幼年時代の記憶からだけではなく、数世紀に及ぶ美的伝統からも受け継がれ、また言うまでもなくこの著作の対象である歴史的現実からも継承された感受性の存在することを証言するものである。 しかしながら確実なのは、明治期に西欧の美的モデルが大量に導入されたことによって、日本のエリート層の知覚の図式が大きく変化したということである。このプロセスを分析して、大岡信、水尾比呂志、米山俊直は次のように記すまでに至っている。「日本の近代化の出発点となった明治の時期に流れ込んできた、それまでと異質なヨーロッパの文明は、日本人の自然観をすっかり狂わせてしまったように思われる。ヨーロッパ文化は私たちに新しい風景を与えた」(『日本人の風土』新人物往来社) すると、教養ある都市生活者は日本の自然に西欧の価値の浸透した視線を注ぐようになる。このような現象はたとえば徳富蘆花において顕著である。彼は祖国の自然をヨーロッパ文学のテーマや紋切型の表現を通して描いたばかりではなく、トルストイの生活をまねて、キリスト教と田園生活に帰依するに至った。(中略) 西欧から導入された知覚の図式は、徳富蘆花のような著作家によって一度適応させられると、次第に日本人の心性に深く浸透していく。この点に関して、国家は特に教科書を媒介として大きな役割を果たした。場合によってはまさしくプロパガンダの域に達したほどである。事実、明治政府のとった近代化政策を、価値観のレヴェルで、必用に迫られると日本の国土の現実を大きく歪曲してまでの正当化する例もあった。■ジャポニスム 言うまでもなく現在に至るまで、ヨーロッパに対する日本の影響はその逆よりもはるかに少ない。しかしながら文化交流の流れはけっして一方通行にとどまることはなく、ペリー提督の来航に引き続く日本の開国以前においてさえすでに逆の流れがあったことも事実である。だがいずれにせよその時期以後、ヨーロッパ人とアメリカ人は以前よりもはるかに幅広く奥行のあるやり方で日本文化を知ることができるようになった。日本を直接対象とする研究や、当時西欧に広まった日本の事物、書物、美術品の研究を通じて、それが可能になったのである。 このような接触によって西欧人の物質的な環境が直接変化をこうむるということはなかった。その代わりにこの文化面での接触は19世紀後半のヨーロッパ美術における重要な現象の起源となった。ジャポニスムである。ジャポニスムは当時のヨーロッパの画家たちの多くに深いところで影響を与えた。 その影響はまず、部分的なものとして、また目に見える形で、絵画のテーマや細部に読みとることができる。モネの『日本の娘』、ファン・ゴッホの『タンギー爺さん』、マネの『エミール・ゾラの肖像』などが例として挙げられよう。より深いところではジャポニスムはヨーロッパにおける絵画制作の技法自体に影響を与えた。その意味では風景の問題に直接関わってくる。風景の絵画的表現を変えることで、おそらくヨーロッパ人のものの見方にも影響を与えたからである。『日本の風景・西欧の景観』1
2018.04.15
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<『日本の風景・西欧の景観』1>図書館で『日本の風景・西欧の景観』という新書を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、モノクロではあるがわりと画像の多い本である。それと、ジャポニスムとか都市景観とか・・・気になるコンセプトが溢れています。【日本の風景・西欧の景観】オギュスタン・ベルク著、講談社、1990年刊<「BOOK」データベース>よりヨーロッパ近代が生んだ遠近法と中心がたえず移動する日本特有の空間。視線の差異の発見と再発見、野性空間・田園・都市における風景観念の比較を通して、主体ー客体2元論たる近代景観論の解体を論じ、ポスト・モダンの風景=〈造景の時代〉を予見する。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、モノクロではあるがわりと画像の多い本である。それと、ジャポニスムとか都市景観とか・・・気になるコンセプトが溢れています。rakuten日本の風景・西欧の景観の一部を、見てみましょう。p20~26■視線によって支配する 古代の日本で、「国見」という儀礼のなかに表現されていたのは、まさしくこの動機である。「国見」は公の儀式であり、その進行中に天皇が山の頂に立ち、四方に視線をめぐらせる。こうして国に対する主権を表明したのである。 この儀式は8世紀の初めにもなお行われ、のちに山の頂に登ることは、都の塔に登ることで置き換えられた。しかしながら本来「国見」はより具体的な、凝視という行為であったと思われる。国の主が支配下の地方をめぐって、移動しながらこれを行なっていたのだった。地名にまつわる伝説のなかにはこの昔の儀礼を思い起こさせるものがある。たとえば『播磨国風土記』では、大見という名の山が、応神天皇がそこで「国見」を行なったことに由来するとしている。 同じような義礼は他の多くの社会にも存在した。見るということは聖なる行為であり、原始の王=聖職者によって儀式的にとり行われる。これはたとえばフランス語の単語temple(寺院)とcontempler(凝視する)の語源的な類縁関係から想起できることである。 おそらく風景の美的な価値はこうした古代の儀式を参照して分析すべきなのであろう。そのような儀式については、神話や語源を通じて知ることができる。たとえば直線的なパースペクティブは普遍的な美的モチーフであり、長安や京都の都市平面図ばかりではなく、ヴェルサイユ宮殿の庭園にも見られるが、その象徴的な価値はインド・ヨーロッパ語の語幹*RXの変化によって解明できるかもしれない。 この語幹はもともと王=聖職者を意味していたが、これは都市の敷地の線を引く権限をもつ者だった。すなわちインド語のraj ケルト語のrix イタリック語のrex 等々である。同じフランス語の単語、regle(規則)、droit(直線上の)、roi(王)、region(領域)などが生まれ、同様にdirection(方向、指導)、diriger(導く)、regime(制度)等々のきわめて数多くの派生語が生じた。(中略) たとえば古代ローマの卜占官は天空を調べて、そこから予言を導くのに、空を四つの領域に区分けした。同様に大見山に登った応神天皇は、はるか四方を眺めやった。このふたつの行為はきわめて性質の異なるものだが、そこには普遍的な象徴的常数が認められ、これが視線と風景により、政治的・宗教的権力を宇宙論的な秩序のなかに根づかせるのである。(中略) このように数千年間にわたって人間の社会は、共同体の長から成員全体に及ぶ人々によるありとあらゆる表現を通じて、すべての人間の視線を環境の中心にすえる元風景を制度化してきたのだった。■魔術による所有 この原型的な動機のもっとも強力なもののひとつは、ある領域の所有をその領域の具体的な表象によって魔術的に確認することである。このような確認の原則は、距離を置いてあるイメージによって行なわれるわけだが、魔法を行なう呪術の実践に類似している。 世界中の歴史に登場する数多くの庭園の機能はこのようなものであったと思われる。そのもっとも顕著な例のひとつは、河北の北の承徳にあった清朝の夏の都である。場所の選択は1702年に康熙帝によって行われたが、これは満州、蒙古、支那北部に接する境界地域を支配下に置こうという意思に動機づけられたものだった。 けれどもこの戦略的な位置は中国主要部との関係からみると、きわめて中心を外れている。清朝の皇帝たちが帝国のもっとも名高い風景を承徳に縮小して再現したのは、おそらく中央権力から(物理的に)遠い地方を(魔術的に)近づけようとするためであったのだろう。こうして広大な中国が、庭園や寺院や宮殿の配列によって、皇帝の眼前に現存するものとなったのである。
2018.04.15
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久々にくだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「女神の見えざる手」と「gifted/ギフテッド」であり、館主の設けたテーマは今年一番の「衝撃」と「温もり」となっています。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが、今回はかなり大きく打って出ています。見終わると確かに、館主の言うとおりだったが・・・大使は、2作品の共通点は「裁判官さえ打ち負かす強い意志」だったと思ったのです。【女神の見えざる手】ジョン・マッデン監督、2016年、仏・米制作、H30.4.14観賞<Movie Walker作品情報>よりジェシカ・チャステインが政府を影で動かす戦略のプロであるロビイストを演じ、第74回ゴールデン・グローブ賞で主演女優賞候補になったサスペンス。全米500万人の銃愛好家や莫大な財力をもつ敵陣営に果敢に戦いを挑む、女性ロビイストの奮闘を描く。監督は『恋におちたシェイクスピア』のジョン・マッデン。<大使寸評>敏腕の女性ロビイスト・スローンは、味方のスタッフにさえ、訴訟に勝つための最終カードを隠していたのです。つまり「毒」で正すというか、勝つためには手段を選ばないわけで・・・このあたりは、お茶漬けサラサラの日本人とは違っているようです。Movie Walker女神の見えざる手この映画館では毎回、幕間にお昼の弁当を食べるのだが・・・・今回もダイエーで買ったサンドウィッチでした♪【gifted/ギフテッド】マーク・ウェブ監督、2017年、米制作、H30.4.14観賞<Movie Walker作品情報>より『(500)日のサマー』のマーク・ウェブ監督による家族ドラマ。数学の天才である小学生の姪を“普通に育てたい”という亡き姉の遺志に従って守ろうとする男を『キャプテン・アメリカ』のクリス・エヴァンスが好演。数学の天才メアリーをそのファッションセンスがSNSなどで話題の子役マッケナ・グレイスがキュートに演じる。<大使寸評>メアリーは叔父のフランクとわりと幸せに暮らしていたが、メアリーの才能と可能性を信じている祖母(フランクの母)が登場して、俄然、親権をめぐってきな臭くなってきます。フランクと祖母とが裁判で対決したが・・・フランクに勝ち目はなくて、メアリーは祖母が選んだ里親にあずけられてしまうのです。ある日、メアリーの飼い猫がネットのもらい猫欄に出たことから、お話しは急転します。天才メアリーが人生で一番大事にしていたのは、数学ではなくて、約束とか愛することだったようです。二本立て館の館主は「温もり」と言っているが・・・なるほどね♪Movie Walkergifted/ギフテッド日パルシネマ上映スケジュール
2018.04.15
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図書館で『芸術新潮(2017年11月号)特集:北斎』という雑誌を手にしたのです。いろんな雑誌が北斎特集を編んでいるが・・・この雑誌を見落としていたので借りたわけでおます。【芸術新潮(2017年11月号)特集:北斎】雑誌、新潮社、2017年刊<商品説明>より特集 画狂モンスター 北斎 漫画と肉筆画<読む前の大使寸評>いろんな雑誌が北斎特集を編んでいるが・・・この雑誌を見落としていたので借りたわけでおます。rakuten芸術新潮(2017年11月号)特集:北斎山口晃が習作を試みたうえで「北斎センセイの秘密」を語っているので、見てみましょう。p39 <絵手本がさらけだす、北斎センセイの秘密> 浮世絵はえげつなく構図が決まり、完成しきっているので真似してもそれ以上の先はないし、手を出してはいけないんじゃないかと長らく敬遠していたんです。天才を真似すると火傷するのがオチですから。 なかでも北斎は「ザ・北斎」で、誰もが知り、研究者も、私淑する人も多く、別に自分がわざわざ・・・という気持ちもありました。 でも、やると面白いですよね。『略画早指南』の定規とぶんまわしなんて、いやいや、アナタ、普段はそういう風に描いてないでしょ?っていうのがいい(笑)。すべてがこじつけではあいにせよ、こういう形の割り方を北斎はしていないはずです。(中略)さんすくみ 『一筆画譜』にも北斎の絵を読み解くヒントが詰まっています。国芳も覚書きみたいに、画帳にびっしり小さい人物を描いていますが、一息で描くことでかえって、その人の線の単位や区切りが鮮明となります。これもまた、精度をあげるために日々修練をして、完全に自動化されたうえで成り立つ即興なんですよね。 さらに北斎は1頁やひと見開きを1枚の絵として各図の配置もばっちり決めている。絵のなかに無数のテンションが張り巡らされ、崩しや余白も秩序だてて一番いいところにレイアウトしています。そして落款を施すようなところに文字が来たりする・・・と、ほとほと感心します。 筆はつい運動性に任せたくなりますが、それを最大限活かしつつ、御さないといけない。でも上っ面の意識では筆はついてこず、遊ばれてしまいます。うーん・・・最初から運筆を学んでおけばよかったです。はい、勉強します!北斎の娘こと、お栄について、見てみましょう。p73~77 <応為―江戸に生きた画狂父娘の物語:日野原健司> 葛飾応為。あるいは、お栄という名前の方が親しまれているだろうか。ここ一年の間で、彼女を主人公とした小説やアニメ、TVドラマが続々と作られるほど、今もっとも注目を集めている浮世絵師である。 天才・葛飾北斎の娘として生まれ、父と同じ絵師の道を歩んだという稀有な人生もさることながら、彼女が描いた作品そのものに魅力があることが、現在のクリエイターたちの創作意欲をかきたてる要因なのだろう。 では、応為とはどのような人物だったのであろうか。それを知るための貴重な資料となるのが、明治26年刊行の、飯島虚心著『葛飾北斎伝』である。(中略)吉原格子先之図 応為は北斎の三女にあたる。北斎は二度結婚しているのだが、前妻との間に一男二女、後妻との間に一男一女を設けており、応為は後妻の娘となる。生まれた年は明らかではなく、寛政3年、寛政10年、享和元年頃など、いくつかの説があるものの、確定するには至っていない。 応為の結婚相手は南沢等明という絵師であった。北斎と交流のある三代堤等琳の門人だが、絵師としての活動は見世物の籠細工の彩色をしていたという程度しか伝わっていない。しかも応為よりも絵が拙く、応為は夫の絵の下手な所をしょっちゅう指差して笑っていたという。その上応為は、家事をほとんどしなかったそうで、これでは結婚生活が上手くいくはずもない。早々に離縁となって北斎の下に戻り、応為はその後再婚することなく、父を手伝いながら、絵師の仕事に専念した。 応為は、父親の北斎に似て、ずいぶん変り者であったようだ。服装にはこだわらず、料理はしないで煮売店で毎日買ってきていたという。掃除もあまり好きではないので、ゴミも部屋に散らかったまま。しかも、北斎とは違い、酒も煙草も好むという豪気な性格でもあった。その一方、真面目な面もあり、男性との噂もなく、父親にしっかりと孝行していたとされている。 ただ、顔は美人ではなく、アゴが出ていたので北斎から「アゴアゴ」と呼ばれていたというのは、たとえ関係の良好な親子とはいえ、ちょっとかわいそうに思えてしまう。 応為の晩年であるが、北斎が嘉永2年(1849)に亡くなった後、江戸の町を離れ、消息を絶ったという。どこに向かったかについてはいろいろな説があり、いつ亡くなったかもまったく明らかになっていない。何とも不思議な最後を遂げたと言えよう。
2018.04.14
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