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図書館で『定年なし、打つ手なし』という本を手にしたのです。著者の『気になる日本語』というエッセイ集を読んで以来、コバヤシ式が気になっていたのです。この本をざっと見るにつけ・・・定年が有るということは、わりとシアワセなことなんだと気づくのでおます♪【定年なし、打つ手なし】小林信彦著、朝日新聞社、2004年刊<「BOOK」データベース>より老年問題の“傾向と対策”。さて、どうしたものか?中年の不安、老年のとまどい。“不自由な自営業者”たる作家が、迷える日本人たちに贈る、趣味や思い出の語りもたっぷりのコバヤシ式“総合学習”テキスト・エッセイの決定版。<読む前の大使寸評>著者の『気になる日本語』というエッセイ集を読んで以来、コバヤシ式が気になっていたのです。amazon定年なし、打つ手なし山本夏彦という随筆家は知らなかったが、小林さんの評価が素晴らしいので、見てみましょう。p91~94 <山本夏彦の> 山本夏彦の本について解説せよと言われても、もはや、たいがいのことは諸家が書き尽くしている。ぼくがつけ加えることはさしてなさそうだ。 そこで、若いころのエピソードを記してみた。この会社は虎ノ門に近い西久保巴町にあったのだが、だからといって、この老人が山本氏に似ているというわけではない。 要は、ぼくがモノを教えられたということである。山本氏といえば、とくに『無想庵物語』と『私の岩波物語』がそうだ。『私の岩波物語』の博文館の章などは、こちらに若干の知識があったせいか、実に興味深かった。 氏の著書はとかということになっている。コピーとしては通じ易いのだろうが、カレーではあるまいし、いかがなものか。 つい先ごろ、ラジオで青田昇氏の話をきいていたら、「青田さんは球界の山本夏彦ですから」と合の手を入れた歌手がいる。どうやら、歌手は山本氏の読者らしい。 そういう読者は、山本氏の文章のを楽しみ、喜んでいるのだろう。斬られても喜んでいる人々のことを山本氏はしばしば記している。 ぼくだって、氏が銀行や消費税を斬るのを読めば、胸がすっきりする。すっきりするから人気があるのだろうが、ぼくが心から(そうだ!)と思うのは、もう少し別なところだ。 たとえば、 (『銀座百点』) という一行がある。この一行の意味を人は噛みしめているかどうか。 戦前・戦時の浅草は奉公人の天国だった。その一事がわからないと、浅草という盛り場がなぜ栄えたかが理解できない。 下町大空襲で商家はなくなった。小店員たちの多くは戦争に行った。そして戦後、小店員たちの住み込む商家がなくなったので、浅草は寂れたのである。 もっとはっきりいえば、ふだん殴られたり小突かれたりしている小店員たちがウサを晴らす場は浅草しかなかったのである。映画、実演、安い食べ物。 商家は株式会社になり、小店員はサラリーマンになった。サラリーマンは浅草に足を向けない。 浅草の人たちはその事情がわかっていない。だから、ブラジルのダンサーたちを呼んで、カーニバルだなどと言っている。だが、それによって浅草に大衆が戻ってきたことはない。 山本氏の最初のエッセイ『日常茶飯事』が世に出たのは、ぼくが29の時だ。このおよそ反時代的な書物(昭和37年秋としてはそうである)を読んだのは葉山の家で、結婚の直前だった。 もっとも、それからずっと良い読者であったとはいいきれない。 特に『「戦前」という時代』は、なんだか反発して、すぐには読めなかった。をはぎとる、という意味のオビのコピーに反発したのだろう。 ぼくは氏のいうでもなんでもなく、若いころからと罵倒されていた。しかし、戦後教育というのか、そういったものを受けているから、という考えを漠然と抱いていた。 ぼくの考えが変わったのはこの数年である。自分の家の歴史を洗い直す仕事(『和菓子屋の息子』)をしているうちに、ぼくにとっては戦時中はそう悪い時代ではなかったとわかってきた。集団疎開をした昭和19年、家が3月10日の大空襲で灰になった昭和20年は明らかに最悪だが、昭和17年まではちがう。だいいち、飢えたことなどないのである。 もっとも、そこには階級の問題がある。ぼくの家はアパーミドルクラスの商人だった。和菓子屋でも、砂糖や粉が特別にあたえられるクラスであった。『定年なし、打つ手なし』3:原初の風景『定年なし、打つ手なし』2:著者の作家人生(続き)『定年なし、打つ手なし』1:著者の作家人生
2018.03.31
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図書館で『縄文の思想』という新書を手にしたのです。岡本太郎が縄文の美を発見して以来、われわれは常に「縄文性」が気になっているのではないか?【縄文の思想】瀬川拓郎著、講談社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりアイヌ・海民・南島…。縄文は、生きている!!!われわれの内なる「縄文性」に迫る、まったく新しい縄文論。<読む前の大使寸評>岡本太郎が縄文の美を発見して以来、われわれは常に「縄文性」が気になっているのではないか?yodobashi縄文の思想海民の誕生を、見てみましょう。p53~55 <海民の誕生> 弥生時代になると、日本列島の海辺の人びとは、サメ、マグロなど外洋での大型魚の漁や、アシカ、クジラ、ウミガメなど海獣類の猟、アワビの大量採捕といった、高度な漁猟や特定種の漁撈に特化するようになります。 弥生文化のなかで生じたこの変化は、実は縄文時代の生業の深化とむすびついていました。 縄文時代の日本列島では、クジラ猟や外洋での大型魚の漁といった高度な海洋文化が、三陸から仙台湾沿岸、福島県沿岸、長崎県から熊本県の有明海沿岸などに偏在していました。設楽博己は、弥生時代の海民の海獣狩猟や漁撈の文化は、これら各地の縄文文化の高度な漁猟法を選択的に受容したものである、としています。 また、弥生時代になると各地の漁猟場の開発も一気に進みます。たとえば、石川県能登半島の50キロメートル沖にあるヘグラ島は、弥生時代中期初頭になってはじめて人びとが渡海しますが、その目的はアシカ猟であったとされています。 第2章でのべるように、弥生時代をむかえると、北海道の人びとも東日本や西日本など各地の海民から新たな漁撈具や漁撈法を導入し、外洋での大型魚の漁や海獣狩猟を積極的におこなうようになります。 つまり海民とは、弥生文化という新たな時代状況のもとで、各地に偏在する高度な縄文伝統の漁猟文化を導入しながら、列島全体で専業的な海洋適応の暮らしを構築していった海辺の人びと、ということができるのです。 もちろん農耕民も漁撈はおこなっていました。しかしそれは海辺での網漁や、タコ壷をもちいたイイダコ漁、河川での竹などの細棒を編んで筒状にした漁具を使ってのウケ漁など、経験や技術を要さず、性別や年齢に関係なくおこなうことができる受け身的な漁です。そこには専業性もうかがえません。設楽は、このような受け身の漁法は、大阪湾岸や濃尾平野など大陸的な文化要素が強い農耕集落に顕著にみられることから、農耕文化と一体で大陸から伝わったものと考えています、 この海民化は、漁撈だけでなく、弥生時代に活発化した広域的な海上交通も上げられます。設楽は、このような海上交通による列島全域の遠隔地交流も、弥生文化のひとつの特徴としていますが、それを担ったのは、縄文時代に蓄積されてきた海の自然知を受け継ぐ海民だったのです。『縄文の思想』1
2018.03.31
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図書館で『徴用中のこと』という本を、手にしたのです。検閲で没になった古原稿をもとに書き改めたとのことで・・・大戦初期の占領地の状況が興味深いのです。【徴用中のこと】井伏鱒二著、講談社、1996年刊<内容紹介>より陸軍徴用の地シンガポールでの苛酷な実態と人々の姿を、死を見据えた細密な観察眼で捉え淡々と描いた、井伏文学の特質を伝える長篇。私たちは従軍中も入城後も、新聞社関係の特派員からときたま原稿を頼まれたが、私の原稿は検閲で没書になるのが多かつた。たいてい没書になつた。その原稿は、そのつどリュクサックに蔵つて置き、日本に帰るとき束ねて持ち帰つた。今、その古原稿で当時の記憶を呼び起こしながら、この原稿「徴用中のこと」を書いてゐる。──本文より<読む前の大使寸評>検閲で没になった古原稿をもとに書き改めたとのことで・・・大戦初期の占領地の状況が興味深いのです。kodansha徴用中のことスパイとして英軍に拘留された篠崎護氏との交流を、見てみましょう。p363~第28回 篠崎さんが御自分でさう云っていたが、戦争の始まる前にはジャーナリストとしてシンガポールに来て、毎日のように盛場を歩きまはりながら取材をしてゐたさうだ。主要な任務は、シンガポールの基地に次から次に殖えて来る英軍飛行機の機種と機数を調べ、世間の風聞も取入れて、本社に報告することであったといふ。 シンガポール島内には、センバワン基地、テンガ基地、カラン基地、セレタ基地なっど、英軍の飛行場が各所に散らばってゐる。そこに着陸する機数は、日を追ふて次第に殖えて来る。その数字を本社へ報告すると、そんな急速に殖えるわけがないと云ふ。風雲急を告げて行く気配が迫って来る。それで翌日また調べに行って、盛場で知りあった現地人の与太者にも確かめさせてみることがある。 そんなわけで盛場には毎日のやうに飲みに行ったので、当時のストレート・タイムズ記者で現在昭南タイムス記者になってゐるレンベルガン、サヴェージ、ラッパー、リョン、ホープ、ジョンス、タン・トン・ハイなど、みんな親しい飲み仲間であった。「戦前の自分は、のんべんだらりの飲助だった。情報を取るためだと思ってゐた。だが、今は違うよ。酒は止した。自分は鉄の意思を持つことにした。自分は鉄になった。冷徹な人間でなくてはいかん」 篠崎さんは私たちにさう云っていたが、急に冷たい人間になりすぎたと云ふ者がゐた。 レンベルガンやホープなどの話では、戦前の篠崎さんは酒場などで顔を合わせると、にこにこしてビールを注いでくれ、酒場を出るときには肩を組んでくれたものだ。それが今では、昭南タイムスの編纂室へ布告の原稿を持って来て顔を合わせても、見て見ぬふりで棒を呑んだやうにして通りすぎると云った。 一方、昭南タイムスの発刊された当初、私のところへ新聞配達の請負を頼みに来たカラユキさんの云ふことに、戦前の篠崎さんはスパイの疑ひを避けるため、わざと飲んだくれの真似をしてゐるやうなところがあった。昼間から酔っぱらって、プリンセップ街の山川さんのお嬢さんの肩にしなだれかかりミドル街を歩いてゐたことがある。これは敵をあざむく戦術の一つだらうといふ説があったと云った。「プリンセップ街の山川さんのお嬢さんといふのは、誰かね」と訊くと、「あなたさん、山川さんのお嬢さんを知らんのですか」と呆れたやうに云った。 山川さんといふのは、日露戦争のときの陸軍大尉として近衛連隊の兵と一緒に満州の戦地に送られる途中、ロシアのウラジオ艦隊に撃沈された運送船の常陸丸に乗ってゐたために、海面に投げ出されて失神してゐるところをロシア艦隊に拾われて、ペテルブルグに送られた人ださうだ。 明治39年に日露戦争が終り、山川さんは日本の捕虜たちと一緒にペトログラードから日本に送還されることになった。ところが捕虜として故国に帰る辛さに堪えかねて、シンガポールでこっそり船から降りてマレーのゴム園に隠れ、身すぎ世すぎで鉄鉱石の採掘やゴム栽培など手がけながら、明治、大正、昭和と暮らして来た。連添いの婦人は日本人の世話で日本から呼んだ。カラユキさんが「山川さんのお嬢さん」と云ったのは、この山川老大尉の令嬢のことだ。シンガポールでは聞こえた麗人であったさうだ。篠崎護氏のスパイ活動やシンガポールでの華人粛清などについてはネットのシンガポール血の粛清 陰で救った篠崎護に詳しく出ていました。『徴用中のこと』2『徴用中のこと』1
2018.03.31
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図書館で『定年なし、打つ手なし』という本を手にしたのです。著者の『気になる日本語』というエッセイ集を読んで以来、コバヤシ式が気になっていたのです。この本をざっと見るにつけ・・・定年が有るということは、わりとシアワセなことなんだと気づくのでおます♪【定年なし、打つ手なし】小林信彦著、朝日新聞社、2004年刊<「BOOK」データベース>より老年問題の“傾向と対策”。さて、どうしたものか?中年の不安、老年のとまどい。“不自由な自営業者”たる作家が、迷える日本人たちに贈る、趣味や思い出の語りもたっぷりのコバヤシ式“総合学習”テキスト・エッセイの決定版。<読む前の大使寸評>著者の『気になる日本語』というエッセイ集を読んで以来、コバヤシ式が気になっていたのです。amazon定年なし、打つ手なし戦中派の原初とやらを、見てみましょう。p213~216 <原初の風景> くりかえすようだが、昭和十年代の下町でも、大衆は伝統の中になんか生きてはいなかった。ライフ・スタイルの中には伝統的と称されるものが残っていたが、それも、心もとなかった。大衆が享受していたものは、アメリカ映画であり、ジャズ・ソングであり、とみえるステージ・ショウであった。 荷風がそれらを浮薄と見たのは、彼が若いころ、アメリカに滞在し、本当のアメリカを知っていたからである。荷風がなによりも嫌悪したはアメリカ文明の所産であった。 大衆はアメリカに惹かれていたが、そこに展開していたのはアメリカ文化そのものではない。アメリカと日本の混血文化である。 私などがいうまでもなく、日本文化と称されるものは、ある時は朝鮮との混血であり、ある時は中国、またある時はオランダとの混血であった。明治・大正はヨーロッパとの混血である。つまりは(河村要助著『サルサ番外地』)は、大正末期から新しい血を求めだしたのだ。 関東大震災によって始まった新が表面的には消えてみえたのは、ほかならぬそのアメリカとの戦争が始まったからだ。そして、そのアメリカによる大空襲で、下町は、私の生まれた町を含めて、壊滅した。 私は小学校の卒業式をしていない。卒業証書も貰っていない。小学校は廃校になった。 生れた家は、むろん、焼失した。中学・高校は(国の事情で)名称が変わり、これまた、ないに等しい。・・・すべては、消滅する、と私が受けとめたとしても、さして不思議ではないだろう。 戦前の浅草に鳴りひびいたタップの音も、生まれた町の記憶も、私の身体のどこかに残るだけだが、私にとっては、それこそが文化である。『世界文学全集』や『源氏物語』のような、あとからきたものは、どうしても、身体にしみつかない。 私は、私にとってのみ貴重なビデオ・テープのたぐいを集めている。小さな書庫一杯ほどの本も持っているが、それじたいは何の価値もない。私の身体に入ったときだけ、それはになあるのであり、私が死ねば、スクラップとして四散するだけだろう。 かなり好意的な見方としてというような言われ方をしてきた。(好意的でなければ、妙な奴、だろう。) 小説だけでは生活できないので、雑文のたぐいをずいぶん書いた。すでに述べたような生い立ちなので、映画、芸人、ショウ、といったことにふれて、短文を書くのは苦労しないし、たのしみでもあった。 ニューヨークへも、何度か行って、の原点を確認した。他人からみれば、遊びに過ぎないが、冷房のきき過ぎた劇場は、いつもの場であった。近代美術館の映画担当のチャールズ・シルヴァー氏は、私が映画評を述べると、「あなたは正直すぎる」と呆れた。 雑文集や映画や芸人についての本を出しているからとはいえ、という形容詞がつくのは、あまり、嬉しくない。だから、この十年ほど、小説以外の文章を書くのは、やめることにした。いちおう、そう決めても、すぐには実行できない。随筆は小説家の命トリである、という室生犀星の言葉があったのはいうまでもない。 小説『ぼくたちの好きな戦争』の第1章に、私はの一部を書きとめた。だから、というわけではないが、『ぼくたちの好きな戦争』が自分の仕事の第1部の終わりになるであろう予感は、ペンをすすめるにつれて、濃厚になってきた。 『ぼくたちの好きな戦争』は1986年5月に世に出て・・・ほんらいなら、少なくとも、1年は休むべきであろうが・・・、わけあって、すでに第2部の仕事に入っている。小説の方法も変わるはずである。ウン 一見奇妙な作家・小林さんのが見えましたね♪『定年なし、打つ手なし』2『定年なし、打つ手なし』1
2018.03.30
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図書館で『定年なし、打つ手なし』という本を手にしたのです。著者の『気になる日本語』というエッセイ集を読んで以来、コバヤシ式が気になっていたのです。この本をざっと見るにつけ・・・定年が有るということは、わりとシアワセなことなんだと気づくのでおます♪【定年なし、打つ手なし】小林信彦著、朝日新聞社、2004年刊<「BOOK」データベース>より老年問題の“傾向と対策”。さて、どうしたものか?中年の不安、老年のとまどい。“不自由な自営業者”たる作家が、迷える日本人たちに贈る、趣味や思い出の語りもたっぷりのコバヤシ式“総合学習”テキスト・エッセイの決定版。<読む前の大使寸評>著者の『気になる日本語』というエッセイ集を読んで以来、コバヤシ式が気になっていたのです。amazon定年なし、打つ手なし著者の作家人生(続き)を、見てみましょう。p34~37 <できれば避けたい不安の連続>> 名前だけの編集長になると、当時はなんていないから、マスコミが面白がって、寄ってくる。3年半ほどつとめて、会社をやめると、あとは、雑文書き、テレビ出演のたぐいを続けるしかなかった。 われながらアブナイと思って、テレビの裏方になった。これでいちおう月収は定まったが、そのぶんだけの時間はとられるのである。たとえば、番組のリハーサルや本番に立ち会うことだ。 そして、テレビが1969年秋で終って、次は児童読物である。 今さら、大学卒のころまで時間を戻す・・・つまり、人生をリセットするわけにはいかない。地味な仕事をやりながら、を少しずつ書くという予定とは、まるでちがう成り行きとなった。 特定の思想団体や宗教を信じて、心の安定を得られる自由業者は、ある意味、シアワセという気がする。 そういう人は、実は自由ではないのですね。 本当の自由・・・というのは、コワいことである。真剣に思いついたら、頭がおかしくなる。つまり、なんてものはほとんどないのだから。 東京地区以外のPR誌の中に、原稿料が非常に高いものがあった・・・と書いた。 あれはおそらく、配布する範囲が限定されるので、そうしなければ、執筆者が快諾しないという事情があったのではないかと思われる。誰が読むのかわからないが、ゼイタクな紙、ゼイタクな印刷、そして好きなことが書けて原稿料が高い・・・これはもう、よほどツムジマガリでない限り、引き受けるだろう。 ぼくがフツウに貰う原稿料の約十倍、なんてのもあった。これは、まあ、やりますね。 もう一つ・・・これは現在でも存在しているのだが、講演という仕事があった。 ぼくのイトコで、マスコミで売れっ子の学者であり、講演で忙しい人物がいた。 ある時、(ぼくが会社をやめたばかりだから、30の時だったと思う)彼に頼まれて、大学の夏期講座の講師をやったことがある。 当時、ぼくは某広告代理店のコンサルタントみたいなことをやり、コピーを書いていた。これは月3万円くれていた代理店とは別の会社で、コピー・ライターの真似事をしていたのだ。 約束を果たしたぼくに、イトコは言った。 「信チャン、フリーになると、講演の仕事が、どっとくるけど、引き受けちゃ駄目だよ。ワリがいいから、引き受けると、とまらなくなる。旅から旅の生活だけど、扱いが良いからね。・・・そうやっていると、莫迦らしくて、原稿なんか書けなくなる。1枚も書けなくなるよ。講演業者になるか、物書きか、二つに一つだね」「講演なんてできませんよ、ぼく」 と答えた。「いや、そうは言うけど、一度やると、やめられなくなる。収入がまるでちがうからね。・・・講演てのは、三つぐらいネタを用意しといて、その日の観客の様子を見て、ネタをどれか、出せばいいのさ」 ふーむ、と思った。 イトコの教えを守ったわけではないが、以後、ぼくは講演なるものをしたことがない。『定年なし、打つ手なし』1
2018.03.30
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図書館で『縄文の思想』という新書を手にしたのです。岡本太郎が縄文の美を発見して以来、われわれは常に「縄文性」が気になっているのではないか?【縄文の思想】瀬川拓郎著、講談社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりアイヌ・海民・南島…。縄文は、生きている!!!われわれの内なる「縄文性」に迫る、まったく新しい縄文論。<読む前の大使寸評>岡本太郎が縄文の美を発見して以来、われわれは常に「縄文性」が気になっているのではないか?yodobashi縄文の思想生態系の「あわい」に生きた北海道の住人を、見てみましょう。p67~70 <「あわい」に生きる> 弥生時代を迎えた本州は、熱帯に起源をもつ水稲耕作という「南の生態系」の文化に塗り替えられていきます。本州の縄文人はもともと植物食への依存が大きかったため、植物の採集から栽培への移行に強い違和感はなかったのかもしれません。 しかし北海道の縄文人は、陸海獣や魚類が豊富な「北の生態系」のなかで、「旧石器的生業体系」を持続していきます。 それは「南の生態系」の人びとがもたらす鉄器、コメ、南島産貝輪などを入手するため、「北の生態系」が生みだす陸獣や海獣の毛皮が大きな意味をもつことになったからです。 北海道縄文人は、伝統的な「旧石器的生業体系」を持続しながら、そのことによって異文化の産物を入手することが可能だったのであり、もともと植物食への依存が大きくなかったこともあって、農耕を積極的に導入する意味はなかったのです。 その後の北海道の人びとは、基本的に日本の物流や経済圏のなかで生きていくことになりますが、これについては海の生態系という「南の生態系」が深くかかわっていました。 北海道は、道東の太平洋沿岸をのぞいて、東シナ海から日本海を北上する対馬海流にとりかこまれています。海流、つまり海上交通からみた北海道は本来、南の生態系に深くくみこまれた世界なのです。 このことは、北東アジア的な世界である北海道がなぜ縄文文化圏に属し、北海道と同じ生態系をもつサハリン南部がなぜ縄文文化圏に属さないのか、という疑問を説明するものでもあります。 幅約40キロメートルの宗谷海峡で北海道と隔てられたサハリンは、稚内市からその島影をはっきりとみることができます。サハリンと北海道は、両生類、爬虫類、蝶類の一部にちがいがみられるとされ、宗谷海峡には八田線という生態環境線が提唱されています。しかし、この八田線は見直しや訂正も加えられてきており、少なくともサハリン南部と北海道のあいだには植物相や動物相の大きなちがいはありません。 しかし、縄文時代にはサハリンと北海道の交流はほとんどなく、そのためサハリンが縄文文化にふくまれることも、北海道がサハリンの文化にふくまれることもありませんでした。このことは、海流という海の生態系を考慮しなければ、容易に理解しがたい事実なのです。 北海道は、北の生態系と南の生態系が重なりあった日本列島の「あわい」の世界です。北海道の人びとが、本州の人びととは異なる道をあゆみながら、同時に本州の人びとと濃密な関係を保ってきた理由は「あわい」という北海道の生態系の特性に由来するものだった、と私は考えています。 <続縄文人の劇的な変化> 弥生時代と古墳時代の北海道は、引き続き縄目文様の土器がつくられることから、続縄文時代とよばれています。さらにこの続縄文時代は、弥生時代並行期を前期、古墳時代並行期を後期とよんでいます。 この弥生時代にあたる続縄文時代前期の北海道は、農耕を受け入れなかったため、縄文時代の社会がそのまま続いていたとされてきました。しかし、続縄文人(続縄文時代のアイヌの祖先)の社会には劇的な変化が生じていた、と私は考えています。 弥生時代前期末になると、東日本になかでもっともはやく青森県の弘前市砂沢遺跡で水田が営まれます。これは西日本の弥生文化が、日本海経由でダイレクトに本州北端へおよんだことを示していますが、それと並行して、北海道では大型魚の漁や海獣猟への特化が生じます。アイヌは、続縄文時代のような狩猟・採集生活を継続していたのかも知れませんね。ジャレド・ダイアモンド教授も、農耕に頼らない縄文人の社会は従来の文明論を根底から揺さぶっていると言っているが・・・このところ、この本が言う「縄文性」が気になっているのです。
2018.03.30
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図書館で『定年なし、打つ手なし』という本を手にしたのです。著者の『気になる日本語』というエッセイ集を読んで以来、コバヤシ式が気になっていたのです。この本をざっと見るにつけ・・・定年が有るということは、わりとシアワセなことなんだと気づくのでおます♪【定年なし、打つ手なし】小林信彦著、朝日新聞社、2004年刊<「BOOK」データベース>より老年問題の“傾向と対策”。さて、どうしたものか?中年の不安、老年のとまどい。“不自由な自営業者”たる作家が、迷える日本人たちに贈る、趣味や思い出の語りもたっぷりのコバヤシ式“総合学習”テキスト・エッセイの決定版。<読む前の大使寸評>著者の『気になる日本語』というエッセイ集を読んで以来、コバヤシ式が気になっていたのです。amazon定年なし、打つ手なし著者の作家人生を、見てみましょう。p25~27 <架空の> ぼくの青年時代は1960年代とも重なる部分が多いのだが、出版界では推理小説ブームの時代であった。地味な芥川賞作家・松本清張の『点と線』がベストセラーになり、その他もろもろの偶然が重なって、推理小説らしい小説らしい小説なら売れるという、文字通りのブームだった。時代小説家でも、さっさと推理小説に転向した人がいた。 そのころ、ぼくは翻訳推理小説雑誌の編集長をやっていた。他社ではあるが、ハヤカワのポケットミステリの1冊目が出たのは、ぼくが大学生のときで、以後、ハヤカワミステリは、ほぼ全部読んでいたと思う。1冊の値段が高いので、貸本屋で借りることが多かったが。 そして1960年代に入ると、の隅っこにいたのだが、推理作家になろうなどとは考えなかった。 ハヤカワミステリや創元社の推理文庫を読んでいると、レヴェルの高い作品が多いのである。 当時の日本の推理小説は、何人かの作家を除けば、海外の作家・作品にとても及ばなかった。・・・いや、他人はともかく、ぼくには、とても推理小説の才能はなかったし、書きたいとも思わなかった。読むだけで充分だった。 といって、編集者をずっと続ける気持もなかった。適当なところでやめて、小説を書こうと考えていた。 たぶん、今は死語に近くなっているのではないかと思うが、ぼくがとりかかろうと考えているのはの長篇、それも笑いをふくんだものだった。 どうして、そんなものを、と言われるかも知れないが、そもそも、大学の英文科に入ったのが、そういう考えからで、就職難やら失業やらで、十年以上たってしまったものの、目標は変わらなかった。 推理小説のブームがきたことで、評論家の平野謙はを直感していた。さらに、昭和初年、プロレタリア文学が目指したことの松本清張が易々と為しとげた・・・平野説はそういうことであり、大岡昇平がこれに反対した。 興味深いのは、平野、大岡の両氏ともに、戦前からの翻訳ミステリの愛読者であったことだ。当時の文芸誌は、そういう論争があったから、活気づいていた、ともいえる。 に固執するぼくは、高校時代にはヘンリー・フィールディングを尊敬していたのが、30代には、風変わりなフラン・オブライエンなどに興味を抱くようになる。 さすがに、こうした海外のとなると、文芸誌の編集者にストップをかけられるようになる。当然のことで、ぼくが編集者だとしても、同じように、「日本で、それをやっていても・・・」と遠まわしに注意しただろう。 そんなこんなで、モタモタしているところに、テレビからお呼びがかかった。そのいきさつは『テレビの黄金時代』(文芸春秋)に書いたが、当時のテレビは、ルーティン・ワークの中で、いろいろな遊びができたのである。 その間にも、売れない小説を出版したのだが、人の目につくのはテレビのテロップの名前らしく、あっという間に3年半たち、30年代後半にさしかかった。 さすがに、40が近づくと、考えなければならない。 当時は、新人の小説は文庫に入らないが、中堅になると、入るかも知れない。風の便りではあるが、年に七千部増刷すると、絶版にはならないという。それでは、将来、自分の小説を(可能であれば)どこかの文庫でそろえておき、50を過ぎてからの生活費にあてることができるのではないか。 すべてが、から出発した、架空の計算である。あまり人にいえないことだが、ぼくはそんな風に考えていたのである。 とっくに編集者をやめ、推理小説ブームは終っていた。短篇小説が映画化されて、それなりの原作料が入ることはあったが、1回きりである。 といって、他の生き方は考えられず、まことに不器用な話なのだが。
2018.03.29
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今回借りた3冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「郷愁」でしょうか♪<市立図書館>・定年なし、打つ手なし・わが心のジェニファー<大学図書館>・『縄文の思想』図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【定年なし、打つ手なし】小林信彦著、朝日新聞社、2004年刊<「BOOK」データベース>より老年問題の“傾向と対策”。さて、どうしたものか?中年の不安、老年のとまどい。“不自由な自営業者”たる作家が、迷える日本人たちに贈る、趣味や思い出の語りもたっぷりのコバヤシ式“総合学習”テキスト・エッセイの決定版。<読む前の大使寸評>著者の『気になる日本語』というエッセイ集を読んで以来、コバヤシ式が気になっていたのです。amazon定年なし、打つ手なし【わが心のジェニファー】浅田次郎著、小学館、2015年刊<商品説明>より日本びいきの恋人、ジェニファーから、結婚を承諾する条件として日本へのひとり旅を命じられたアメリカ人青年のラリー。ニューヨーク育ちの彼は、米海軍大将の祖父に厳しく育てられた。太平洋戦争を闘った祖父の口癖は「日本人は油断のならない奴ら」。日本に着いたとたん、成田空港で温水洗浄便座の洗礼を受け、初めて泊まったカプセルホテルに困惑する。<読む前の大使寸評>日系人ラリーが、日本にカルチャーショックを受けるというお話しが興味深いのです。rakutenわが心のジェニファー【縄文の思想】瀬川拓郎著、講談社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりアイヌ・海民・南島…。縄文は、生きている!!!われわれの内なる「縄文性」に迫る、まったく新しい縄文論。<読む前の大使寸評>岡本太郎が縄文の美を発見して以来、われわれは常に「縄文性」が気になっているのではないか?yodobashi縄文の思想************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き293
2018.03.29
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図書館で『徴用中のこと』という本を、手にしたのです。検閲で没になった古原稿をもとに書き改めたとのことで・・・大戦初期の占領地の状況が興味深いのです。【徴用中のこと】井伏鱒二著、講談社、1996年刊<内容紹介>より陸軍徴用の地シンガポールでの苛酷な実態と人々の姿を、死を見据えた細密な観察眼で捉え淡々と描いた、井伏文学の特質を伝える長篇。私たちは従軍中も入城後も、新聞社関係の特派員からときたま原稿を頼まれたが、私の原稿は検閲で没書になるのが多かつた。たいてい没書になつた。その原稿は、そのつどリュクサックに蔵つて置き、日本に帰るとき束ねて持ち帰つた。今、その古原稿で当時の記憶を呼び起こしながら、この原稿「徴用中のこと」を書いてゐる。──本文より<読む前の大使寸評>検閲で没になった古原稿をもとに書き改めたとのことで・・・大戦初期の占領地の状況が興味深いのです。kodansha徴用中のことシンガポール占領の状況を、見てみましょう。p102~105第8回 宮兵団は、陽動作戦のためウビン島を根拠地として、シンガポール島を東から攻略すると見せかけてゐた。初め鉄舟に分乗し、この島に上陸したのは2月7日から8日の間であったらしい。パーシバル将軍はこれに備え、大軍を急いで東に移動させた。その間に、北から攻撃する山下将軍の25軍と5師団は渡河を完了し、2月12日にはブキテマ高地を占領して、司令部をフォード会社の工場に置いた。日本軍はジョホール水道の渡河作戦を秘匿するために、作戦前に水道近辺の住民を8キロ以北に移させて置いた。 私たちの常識から云えば、宮兵団の陽動作戦は図に当ったのではなかったかと思ふ。しかるに戦争の専門家からすれば、あながちさうでもなかったらしい。この間のいきさつについて、前に引用した手記のつづきで篠崎さんはかう云ってゐる。 ・・・宮兵団の西村中将は有名な剛将であった。2.26事件の判士長として、峻烈な粛軍の火蓋を切った人で、当時、陸軍省調査部長であった。これに対して、青年将校のシンパであり、皇道派であった山下奉文将軍は、西村中将と対立的な存在であった。 マレー作戦でもよく対立して、近衛師団は継子扱ひにされた。ムアーの戦闘を、辻政信参謀に酷評されたりした。ジョホール渡河作戦でも先陣には立たされなかった。25軍司令部では、近衛師団は勝手に作戦すべしなどと毛嫌ひされた。徹底して異端視されてゐたが、この近衛師団の陽動で、東に移動した英軍が再び北へ移動し、英軍は軍団としての統制を乱し、結局、局地戦闘に追ひこまれた・・・。 そのやうに記してゐる。私は将軍たちの惟幕に於ける駆引術策の妙諦は知らないが、篠崎さんの手記は真相に近いところを云ってゐるのではないかと思ふ。篠崎さんは終戦後、シンガポールの華僑虐殺事件裁判の他に、シンガポールの謂はゆる世紀の戦争裁判にも主証人として証人台に着席した人である。また戦争中、シンガポール陥落の直後には、華僑の抗日義勇軍と抗日団体の所属者を処刑するするため日本憲兵が摘発に当ったとき、篠崎さんは無辜の華僑を助命するために、汗水ながして西に東に駈けずりまはった人である。 私は新聞社に通勤の途中、若い華僑たちが三千人も四千人も大広場に集まって、死刑の場所へ引立てられようとしてゐるのを見た。その群のなかに、篠崎さんが一人の華僑の案内で、せかせかと広場に入って行くところをこの目で見た。監視に当ってゐる日本憲兵に、無実の華僑の貰い下げに駆けつけたところであったらう。私が昭南タイムズ新聞社の華僑記者から聞いただけでも、何人もの華僑が篠崎さんに命を救はれてゐる。この人は、華僑やユーラシアン、マレー人などを好きであるやうだ。 私はシンガポールにゐた当時、たびたび徴員暮しの愚痴をこぼしに篠崎さんの事務所へ行った。通訳の古山君と一緒に行ったこともあるし、昭南日本語学園の校長であった詩人の神保光太郎と一緒に行ったこともある。(中略) もう一つ印象が深かったのは、昭南市役所がユーラシアンを日本人として登録するとき、市役所特別警察部の主任になった篠崎さんが、長文の布告原文を持って社の編集室へ現れたことであった。この登録は妙な行きがかりで市役所が決意断行に踏みきった処置であった。4月29日、市役所で催された天長節の式典で、現地人小学生が「雲にそびゆる高千穂の・・・」といふ唱歌を日本の小学生そっくりに歌った後、日本人の役人たちや大勢の現地人を前にして、壇上に立った山下奉文司令官が、「今日よりマレーの住民は、みんな日本人である。故に、陛下に対し奉り、忠節を尽さねばならぬ」といふ意味の訓辞を述べた。 そのころ日本政府は、マレーに対してまだ領土の宣言をしてゐなかったが、山下将軍のこの一言でマレーの住人は一躍日本人にされることになった。そこで市役所は取敢えずユーラシアンだけでも日本人として登録することにして、篠崎さんを混血児取扱の主任に命じた。 市役所は軍政部と仲がよくないが、軍司令官の発言に従はなくてはならぬ。しかしマレー住民を日本人だときめるのは日本政府を出しぬいた処置だから、市役所の当事者は、清水の舞台から飛び降りる思ひであったらう。無論、その布告は掲示された。塩崎さんは布告の原文を社に持って来た。プロパガンダ報道のために徴用された井伏さんであったが、日本軍を見るスタンスは日本一辺倒ではなかったようですね。『徴用中のこと』
2018.03.29
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大使はかわぐちかいじの『ジパング』全43巻のうち21巻まで買い揃えたほどのかわぐちフリークなのだが・・・当然として『空母いぶき』についても鋭意フォロー中でおます。『空母いぶき』実写映画化の噂がネットに出ていました。2018/03/06西島秀俊×佐々木蔵之介!かわぐちかいじ「空母いぶき」実写映画化より[映画.com ニュース] 累計発行部数300万部を突破したかわぐちかいじ氏の人気漫画「空母いぶき」が実写映画化されることが決定。主演に西島秀俊、共演に佐々木蔵之介を迎え、「ホワイトアウト」「沈まぬ太陽」「柘榴坂の仇討」の若松節朗監督がメガホンをとる。「ジパング」「沈黙の艦隊」で知られるかわぐち氏の漫画「空母いぶき」(協力:惠谷治)は、2014年から「ビッグコミック」(小学館刊)で連載を開始し、第63回小学館漫画賞一般向け部門を受賞した作品。物語の背景は、世界が再び「空母の時代」へと突入した20XX年。日本の最南端沖、国籍不明の漁船20隻が突然発砲、波留間群島の一部が占領され、海保隊員が拘束された。未曾有の緊張が走るなか、政府は戦後初の航空機搭載護衛艦「いぶき」を中心とする護衛群艦隊を現場に向かわせる。空がうっすらと白み始めた午前6時23分、日本は、かつて経験したことのない1日を迎えることになる。 国家間に極限の危機が生じた時、最前線の自衛官たち、総理大臣を中心とする政府、そしてジャーナリストや一般市民は何を選択し、何を判断するのか。映画では、連載中の原作をベースに、描かれる局面とテーマを「24時間の物語」として構築している。「『未来の命に平和な世界を残しましょう』。それがプロデューサーからのオファーの言葉でした」と明かす若松監督。「原作である『空母いぶき』には、現実の世界の方が後追いしているような先見性があります」「この映画が平和や命の重みを考えるきっかけとなるよう、頑張りたいと思います」と語っている。現実の世界の方が後追いしているような先見性があるとのことだが・・・もしかして人民解放軍もこの漫画を研究しているのかも?(それはないで)「ジパング」関連の日記を挙げておきます。「ジパング」購入に踏み出したけど「ジパング」読破
2018.03.28
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図書館で『カズオ・イシグロの世界』という本を、手にしたのです。おお カズオ・イシグロではないか♪今ではノーベル賞作家で畏れ多いのだが、「わたしを離さないで」を6年前に読んでいたのでカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」 を覗いてみました。【カズオ・イシグロの世界】小池昌代, 阿部公彦著、水声社、2017年刊<「BOOK」データベース>より新ノーベル賞作家のすべて。長崎から英国へと移り住み、「過去にしか“ホーム”をもたない」と評される小説家の、それ故にこそのアクチュアリティと多面性を縦横に読み解く。<読む前の大使寸評>今ではノーベル賞作家で畏れ多いのだが、「わたしを離さないで」を6年前に読んでいたのでカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」 を覗いてみました。rakutenカズオ・イシグロの世界イシグロの小説の主人公は「信頼できない語り手」とのことで、そのあたりを見てみましょう。p125~127裏切られる快感:藤田由季美 カズオ・イシグロは読者を裏切る。そして読者は時にその裏切りに荷担したり、裏切られることに快感を覚える、そんな不思議な作家だ。 イシグロの小説の特徴といえば、『日の名残り』(1989年)の主人公、スティーヴンズに代表される「信頼できない語り手」がまず思い浮かぶだろう。「文学的美点など何もなく」、「機知にも感性にも独創性に欠ける」語り手であるスティーヴンズが、「もしかりに信用できる語り手であったならば、できあがった作品は、当然のことながら、とてつもなく退屈なものになっていただろう」とデイヴィッド・ロッジが指摘する通り、「信頼できない語り手」は、イシグロ作品の魅力を語るうえで欠かせない要素だ。 イシグロの小説では例外なく、主人公である一人称の語り手の声が物語を紡いでいく。その声は過去の記憶と現在の意識のあいだを往還する。つまり過去の記憶に遡り、自分の立ち位置を確かめながら、またそれに修正を加えながら、現在の自分を取り巻く世界を描いていく。しかし記憶と言う媒体を通じて構築された世界は、真実を映しているとは限らない。 なぜなら記憶というものは曖昧だからだ。平気で嘘をつくし、捏造する。時には語り手自身をも裏切る。当然、語り手というフィルター越しに物語世界を覗いている読者も裏切ることになる。ゆえにイシグロの語り手は「信頼できない」のだ。しかし読者はそれを承知している。 語りの中のそこここに見える綻びから、故意にせよ偶然にせよ、語り手が何かを隠蔽していることに気づくからだ。ときおり、気づいてくれとばかりに、ぱっくりと大きく開いた綻びを発見しては、「信頼できない語り手」と共謀している気になり、ほくそ笑むこともある。ほんの一例をあげてみよう。 ある日、スティーヴンズは自分の部屋で読書の最中に、ミス・ケントンの訪問を受ける。彼女はスティーヴンズが何を読んでいたのかに興味を持ち、見せてくれと彼に迫る。頑なに拒むスティーヴンズの態度に、きっと何か見せられないような本を読んでいたに違いないと邪推した彼女は、からかい半分に強引にその本を奪う。「まぁ、ミスター・スティーヴンズ。嫌らしい本などではなく、ただの感傷的なれない小説ではありませんか」。自分が恋愛小説を読んでいたことがばれて、ばつが悪いスティーヴンズはこの後、読者に向かって延々と言い訳を並べたてる。自分は本気でこの類の本を読んでいたわけではなく、英語力の向上のために、また客人との会話に生かすために読んでいたのだ、云々。挙句、自分の信条の問題にすり替えてしまう。こう申し上げると、たかが恋愛小説のことで、私があの夜とった態度は正しくなかったと言っていると思われるでしょうが、そうではございません。私の信条の問題であったことをご理解いただかねばなりません。実はミス・ケントンが私の食器室へ侵入してきた時、私は「仕事を離れて」いたのでございます。当然のことですが、自分の職業に誇りを持つ執事ならば・・・かつてヘイズ協会が言ったように、「自らの地位に見合った品格」を目指している執事ならば誰であれ、他人の前で仕事を離れるようなことは、絶対にしてはならないのです。 感傷的な恋愛小説を読んでいるのをミス・ケントンに見つかった際の動揺を、執事としての品格の問題を持ち出して、もっともらしく釈明しているが、結局は後付された言い訳にしか聞こえない。ところで、カズオ・イシグロ作品の日本での版権は、早川書房がほぼ独占しているが・・・当初からミステリー作家、SF作家として期待されていたのでしょうね。『カズオ・イシグロの世界』2:遡行するイシグロ:平井杏子『カズオ・イシグロの世界』1:声のなかへ、降りていくと:小池昌代
2018.03.28
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図書館で『ソウルで逢えたら』という本を、手にしたのです。ミリオンセラー作家と呼ばれているそうだが・・・若い作家(大使から見れば若い)は、韓国をどう描くか・・・興味深いのでおます。【ソウルで逢えたら】松岡圭祐著、徳間書店、2005年刊<「BOOK」データベース>より330万部突破のミリオンセラー作家が贈る感動作。日本人であることを隠して韓国芸能界にデビューした、33歳の女性。そこで目にした“業界の裏側”…出逢ったものは!?松岡圭祐の心に残る“自分探し”小説。<読む前の大使寸評>ミリオンセラー作家と呼ばれているそうだが・・・若い作家(大使から見れば若い)は、韓国をどう描くか・・・興味深いのでおます。rakutenソウルで逢えたらこの本の語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。p44~46<8> ソウル市内は快晴だった。明恵は出入国管理事務所で外国人登録申請の手続きを終えたあと、そこからほど近い職業安定所へと向かった。 日本のハローワークよりもずっと規模の大きなその建物の二階に、外国人専用の窓口があった。番号札をとって待合用の長椅子に腰かける。明恵以外に東洋人はいなかった。アラブ系の中年男性と白人女性が退屈そうな顔で壁ぎわのテレビに目を向けている。 明恵もテレビを眺めた。ドラマ「美しき日々」の再放送が流れている。イ・ビョンホンがリュ・シウォンに激しく詰め寄る場面では、もうセリフを聴きとることができない。 無謀だったかな。ここまできて明恵はようやく、そんな思いに駆られた。 明恵の札の番号が呼ばれた。明恵は立ちあがり、窓口に近づいた。 カウンターの向こうに座る男性が明恵をちらりと見ていった。「こんにちは。どちらからおいでですか?」 「日本から来ました」明恵はそわそわした気持ちを抑えながら、手前の椅子を指差してたずねた。 「座ってもいいですか」 「ええ、どうぞ」 ほっとしながら椅子に座った。直前にドラマを観たせいか、韓国語がわりと滑らかに口を突いてでる。これなら好印象を与えられそうだ。 ところが、その調子のよさは裏目にでた。明恵が韓国語を喋れると踏んだ男性は、ネイティブな速度で言葉をまくしたてた。当然、明恵は意味を理解できなかった。 「すみません」明恵はおずおずといった。「もういちど言ってください」 男性は表情ひとつ変えずに、ふたたび喋りだした。さっきの言葉を反復していることだけはわかるが、やはりわからない。センテンスが長すぎて、どこに的を絞って聞けばいいのかも不明だった。 「ごめんなさい。簡単にお願いします」 さらに男性は根気づよく言葉を反復してくれたが、明恵はその単語の意味を知らないことに気づいた。どんなに耳をすましても、覚えていない単語の意味はわからない。 「どういう意味ですか?」困り果てて明恵はいった。「すみません。日本語を話せる人はいませんか?」 男性は小さくため息をついたあと、わずかに呆れたような表情を漂わせながら、ふいに日本語で告げた。「失礼ですけど、本気で韓国で働くおつもりですか?」 明恵は衝撃を受けた。流暢な日本語。ある意味で、本物の日本人よりもずっと丁寧に聞こえる発声が男性の口からでた。 思わず明恵は笑いながらいった。「日本語おじょうずですね」 「感心している場合じゃないですよ」男性は肩をすくめた。「さっき喋った韓国語は、かなりのスローペースですよ。あれが聴き取れないんでは、どの仕事も無理ですね」 ふいに寒気が襲った。明恵は身をこわばらせながらいった。「そこをなんとか・・・」 男性はまたため息をついた。小言のような口調でぶつぶつという。「最近は日本からおいでになる方も多いんですけどね・・・、なかには勘違いしておられる方もいらっしゃいます。だいたい、こちらで働いても・・・」 明恵は負けじと、間髪をいれずいった。「ヨン様に会えるわけじゃない、ってことですよね。よくわかっています」 ところが男性は、ただきょとんとした目で見かえすばかりだった。「ヨン様?」 「あのう、ペ・ヨンジュン・・・」 男性はしばしぽかんとしていたが、やがてぶっきらぼうにいった。「ああ。そりゃ、会えるわけないですね」韓流ドラマが全盛期のころの韓国が舞台になっています。大使が出張で頻繁に韓国に渡っていた頃の少し前なので、この小説に描かれた韓国は、大使の記憶とかぶっているわけで、個人的には面白い小説になっています。
2018.03.28
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先日(25日)のNHKスペシャル『“健康長寿”究極の挑戦』を観たのだが、興味深い内容であった。2018年3月25日シリーズ人体 第7集(最終回)“健康長寿”究極の挑戦より 「人体」のフィナーレを飾る第7集は、これまで困難だったがんや心疾患などの病気の治療に挑む科学者たちの最前線に迫る。臓器同士がメッセージ物質を使って会話を繰り広げる人体の巨大ネットワーク。その研究において今最も注目されているのが、「エクソソーム」と呼ばれる1万分の1ミリほどの小さなカプセル。 体中のあらゆる細胞が放出するこのカプセルには、様々な機能を持つメッセージが大量に詰め込まれていて、私たちの健康や命を守る重要な役割を果たしている。一方でがん細胞もエクソソームを分泌しており、血管細胞に働きかけて酸素や栄養を供給させたり、免疫細胞を手なずけて攻撃を止めさせたりするなど、自らの増殖のために巧みに利用していることが分かってきた。 そして今、医療の現場では、エクソソームなどのメッセージ物質をコントロールすることで、がんの転移を押さえ込んだり、傷ついた心筋細胞を再生したりするなど従来は不可能だった新たな治療法の開発が急ピッチで進んでいる。メッセージ物質を駆使した医療のパラダイムシフト。世界初公開の顕微鏡映像や迫力のCGを駆使して、健康長寿への最新の挑戦を伝える。この番組を見ながら、メモしたのです。・健康長寿を阻むがんと心臓病・全身がんの樹木希林さん、14年の間に13回のがん手術を行った〇さん・がん細胞が免疫細胞をてなづける・がん細胞がエクソソーム(メッセージ・カプセル)を駆使して人体のネットワークを利用している・転移の過程でエクソソーム(メッセージ・カプセル)を駆使している・エクソソームの模型をスタジオに準備 ・人体には各臓器から合計100兆個のエクソソームが発生している。・筋肉のメッセージ物質ががん治療の鍵となる。・運動はがん予防というより、がん治療ともいえる。・がん細胞のエクソソームに目印をつけると、転移を90%も抑えることができる。・究極の再生医療:エクソソームを利用した治療薬・骨芽細胞を利用した老化防止がんについては、最近読んだ『猫大好き』という本に「もし僕が、がんになったら」という対談が載っていて、お奨めです。・NHKスペシャル『人体 神秘の巨大ネットワーク 』プロローグ2017.10.03・NHKスペシャル『人体 脂肪と筋肉 』2017.11.05・NHKスペシャル『万病撃退!“腸”が免疫の鍵だった』2018.1.14・NHKスペシャル『生命誕生の秘密』2018.3.18
2018.03.27
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図書館で『徴用中のこと』という本を、手にしたのです。検閲で没になった古原稿をもとに書き改めたとのことで・・・大戦初期の占領地の状況が興味深いのです。【徴用中のこと】井伏鱒二著、講談社、1996年刊<内容紹介>より陸軍徴用の地シンガポールでの苛酷な実態と人々の姿を、死を見据えた細密な観察眼で捉え淡々と描いた、井伏文学の特質を伝える長篇。私たちは従軍中も入城後も、新聞社関係の特派員からときたま原稿を頼まれたが、私の原稿は検閲で没書になるのが多かつた。たいてい没書になつた。その原稿は、そのつどリュクサックに蔵つて置き、日本に帰るとき束ねて持ち帰つた。今、その古原稿で当時の記憶を呼び起こしながら、この原稿「徴用中のこと」を書いてゐる。──本文より<読む前の大使寸評>検閲で没になった古原稿をもとに書き改めたとのことで・・・大戦初期の占領地の状況が興味深いのです。kodansha徴用中のことシンガポールでの取材活動を、見てみましょう。p8~11第1回 この広間からの眺めは悪くない。窓の外がすぐ海で、向こう正面に東西に長い大きな島がある。シンガポールの地図にはその島の名をプラウ・センコサと書いてあるが、私たちは「前の島」または「向島」と云ってゐた。この島の山の嶺よりもずっと高く、海面から突如として水烟の大きな塊が棒立ちになって湧きあがった。 形は海戦の写真で見る砲弾で湧起こった水烟に似て、それを何千万倍の何百万倍にもしたような大きさである。そのお化けのやうな水烟が上から順に見る見る収まって行くが、頂の方に混ってゐる小さな塵芥のやうな黒いものも水烟と一緒に落ちて来た。私はそれをまともに見た。 咄嗟に私は機雷が爆発したのだらうと思った。向島とシンガポールの間の海域には、英軍が敷設していった機雷をそのまま残してあると云われてゐる。日本軍が自衛のために残してゐるさうだ。「きっと、潜航してゐた潜水艦が触発したんだらう」 私はさう思った。爆発前に浮上してゐる艦の姿に気がつかなかった。潜航してゐたに違ひない。爆発音らしいものは聞かなかった。地響きも感じなかった。 私はボーイの方に振向いたが、こちらに背をむけてゐた。思ふところがあってわざと後向きになってゐたやうだ。 水烟が収まると、後は何のこともなかったやうに静かな海になった。水烟に混ってゐた黒い小さなものは海に沈んでしまったのか、または爆発現場が遠かったせゐか、海の上には何も変わったところが見えなかった。私は取敢えず都新聞の支局へ電話して、橋本支局長に今すぐ来てくれなくては困ることが出来たと云った。橋本記者は自動車で駆けつけて来た。 都新聞は前月か前々月に東京新聞と社名を変更し、支局の自動車に立てる東京新聞と記した社旗も東京本社から送ってゐた。それでも橋本記者は、都新聞は都新聞で結構だと云って、以前のままの社旗を立ててゐた。都新聞と云えば、桃色の用紙が入ってゐる。シンガポールに生き残る年とったカラユキさんたちまでそれを知ってゐる。 橋本記者は私が巨大な水烟の湧きあがった話をすると、「そりゃ演習でせう。米英の潜水艦が、今ごろここへ来るわけがないですからね」と云った。もし演習でなかったら、日本の潜水艦が爆破したんだから、新聞記事にすることは差止めになる。現地人にこの話をすることなども御法度である。「だから、気のきいた現地人は、爆破の現場を見ても、見ぬふりをするんですね。とにかく、ここ暫く、演習だったと思って置くことですね」と云った。 その日、私は宿舎へ帰りに宣伝班の事務室に寄ってみたが、水烟の話をするものは一人もゐなかった。目撃したものは一人もゐなかったやうだ。ところが僅か三日か四日たつと、たいていの宣伝班員が向島の手前の水域で潜水艦が爆破した情報を知ってゐた。その潜水艦は日本海軍が虎の子のやうに大事にしてゐた三千トン級の大型艦ニ隻のうちの一隻で、ヒットラーの招請でアフリカ東海岸の英国海軍の根拠地を襲撃しながら大西洋側に潜航し、ドイツに到着して貴重な秘密兵器を積載して日本に帰航する途中であったさうだ。 日本を出て艱難辛苦、三万キロの遠くまで重要任務を持った航海をして来たわけだ。もう少しのことで日本に帰り着くところであった。その間際に、シンガポールにゐた信号兵が大失態を犯した。日本へ帰る船は向島の外側を通さなくてはいけなかったのに、こちら側を通してしまった。無論、積載した秘密兵器も工作図面も雲散霧消したさうだ。陸海軍とも司令部から厳重な緘口令が出たのは云うまでもない。 我々としては迂闊なお喋りを慎むのは勿論のこと、海岸をうろつくこともケロンへ行ったりすることも控へた方がいいといふことであった。 ケロンといふのは、漁師が魚を捕るため海上に敷設した櫓である。
2018.03.27
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図書館で『カズオ・イシグロの世界』という本を、手にしたのです。おお カズオ・イシグロではないか♪今ではノーベル賞作家で畏れ多いのだが、「わたしを離さないで」を6年前に読んでいたのでカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」 を覗いてみました。【カズオ・イシグロの世界】小池昌代, 阿部公彦著、水声社、2017年刊<「BOOK」データベース>より新ノーベル賞作家のすべて。長崎から英国へと移り住み、「過去にしか“ホーム”をもたない」と評される小説家の、それ故にこそのアクチュアリティと多面性を縦横に読み解く。<読む前の大使寸評>今ではノーベル賞作家で畏れ多いのだが、「わたしを離さないで」を6年前に読んでいたのでカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」 を覗いてみました。rakutenカズオ・イシグロの世界『わたしたちが孤児だったころ』はエモーショナルな自伝なんだそうです。そのあたりを見てみましょう。p46~48遡行するイシグロ:平井杏子 このように見てくると、イシグロのは、必ずしも、あるいはいずれかとの乖離を示すことばではないことがわかるだろう。いわばそれは、『わたしたちが孤児だったころ』(2000)のバンクスがしきりに口にするというような、きわめて漠然とした、に向けられたイシグロの心理的距離にほかならない。 しあわせな揺籃期から、とつぜん過酷な現実世界へと連れ出された『わたしたちが孤児だったころ』のバンクスと同じ「深い失望」がイシグロの心底にも沈んでいるとすれば、とは、幼年時代の記憶という枠組みの外にあるものすべて、極言すれば現実のすべてということになる。アガサ・クリスティやコナン・ドイルから、破壊された世界秩序の回復というアイディアを得たと語り、『わたしたちが孤児だったころ』を「子供のころ親しんだアガサ・クリスティのパスチーシュ」と冗談めかして打ち明けるイシグロは、この現実世界にではなく、かつてほんとうに実在したかどうかさえ定かではない「世界秩序」、幼年期の、彼のへと退行する夢を見つづけているのだ。 そして『日の名残り』以降に書かれた三作『充たされざる者』、『わたしたちが孤児だったころ』、『わたしを離さないで』には、そうしたがより濃厚に描かれるようになる。 デビュー以来、伝記的読み方をかたくなに否定し続けてきたイシグロだったが、そのいっぽうで、「ひじょうに不可思議であるために、私の思考や感覚を表現したというほかには、読み違えようのない小説」を書きたかったと言い、あるいは、「私は常に、登場人物たちとのあいだに奇妙にねじ曲がった関係をもってきました。言うならばそこにはおそらく、一種のエモーショナルな自伝といった趣があるでしょう」とも語っている。とくに『わたしたちが孤児だったころ』は、魔都と呼ばれた上海で実業家として成功をおさめ、共同租界のイギリス館でイシグロの父親ら家族と暮らし、昭和の初めに上海航路で長崎に戻った祖父へのオマージュであり、敬愛した祖父のをも取り込んだ、「エモーショナルな自伝」と呼ぶにふさわしい作品である。 1937年7月の盧溝橋事件の勃発を皮切りに日本軍は総攻撃を開始、8月には上海でも激しい戦闘が始まった。バンクスが飛び込んだのはそれからひと月後の上海である。清朝のアヘン禁輸措置を発端として起きたアヘン戦争、南京条約による香港の割譲、その後英国がインドを借金浸けにし、返済に中国へのアヘン輸出で得た銀をあてさせた三角交易、1921年の中国共産党の設立、蒋介石の台頭などがその遠景には取り込まれているが、もちろんイシグロの関心は歴史そのものにあるわけではない。ウン ここまで読んできて・・・カズオ・イシグロはミステリーでも歴史物でもジャンルを問わず書くことができるのが、すごいと思うわけです。ということで、『わたしたちが孤児だったころ』を図書館に借出し予約を入れたのです♪最近読んだイシグロの近著『忘れられた巨人』です。【忘れられた巨人】カズオ・イシグロ著、早川書房、2015年刊<「BOOK」データベース>よりアクセルとベアトリスの老夫婦は、遠い地で暮らす息子に会うため長年暮らした村を後にする。若い戦士、鬼に襲われた少年、老騎士…さまざまな人々に出会いながら雨が降る荒れ野を渡り、森を抜け、謎の霧に満ちた大地を旅するふたりを待つものとはー。失われた記憶や愛、戦いと復讐のこだまを静謐に描くブッカー賞作家の傑作。<読む前の大使寸評>この本はまだ本屋に平積みで置いてあり、著者原作『わたしを離さないで』のテレビドラマが放映中でもある。予約本を待っている間にも、更にトレンディな作家になったようです。<図書館予約:(7/18予約、2/09受取)>rakuten忘れられた巨人『忘れられた巨人』1byドングリ
2018.03.27
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<『晴れたり曇ったり』2>図書館で『晴れたり曇ったり』という本を、手にしたのです。大学では生物を勉強した著者が、ぬか床を語るというのが、いいではないか♪【晴れたり曇ったり】川上弘美著、講談社、2013年刊<商品説明>より「もういない、でもまだいる」 この前、好きだったひとを、みかけた。まちがいない。会いたいと思いながら会えなかった人に、ようやく会えた。そう思ったとたんに、その人がもうなくなっていることを思いだした。「ぬか床のごきげん」 ぬか床には四種類の期限がある。笑うぬか床、慇懃なぬか床、怒るぬか床、そして淋しがるぬか床。「真夜中の海で」 大学では生物を勉強した。私の卒業研究は、「ウニの精子のしっぽの運動性」だった。<読む前の大使寸評>大学では生物を勉強した著者が、ぬか床を語るというのが、いいではないか♪rakuten晴れたり曇ったり理系の女性作家としては、まず小川洋子が頭に浮かぶが・・・大使のツボは理系女性なのか?と自問するのである。ということで、川上弘美の理系エッセイを見てみましょう。p137~139真夜中の海で 大学では生物を専攻した。 4年生になると卒業研究があり、希望する研究室で実験をさせてもらう。私の卒業研究は、ウニを使ったものだった。正確にいうならば、「ウニの精子のしっぽの運動性」。 なぜウニなのか。ウニの精子のしっぽが動くやりかたは、人の筋肉が動くしくみと、ものすごく似ているのだ。似ていて、もっと単純。そのうえ、ナマケモノの腹筋、だの、クジラの心臓なんていうものにくらべれば、明らかに手に入りやすいものだったからだ。 ウニは高価じゃないか、とお思いになるかもしれない。いえいえ、ウニは無料だったのです。ウニをわたしたちは、潮がいちばん引く時間に、拾いにゆくのだ。それはなぜだか、たいがい真夜中だった。 海岸はまっくらだった。カンテラのくっついたヘルメットをかぶり、ゴム引きのひざ上までくる長靴をはき、ぬれてもいいジャージを着て、わたしたちは浅瀬に入る。カンテラに照らされた幾十ものウニが、砂の上にみえる。ちっぽけな茶色いバフンウニだった。食用になる立派なウニは、漁協の許可を得て採らなければならない。わたしたちが使うウニは、浜辺のゴミにしかみえないものだった。惜しげもなくバケツに放り入れた。すぐに大きなバケツ三杯ほどがいっぱいになった。 実験室に帰ると、いそいでビーカーを山ほど用意した。それから、海水を満たしたビーカーの上にウニを一匹のせた。ちょうどふちのところにひっかかって落ちないでいてくれるくらいの、小さなビーカーである。 アリストテレスのランタン、とよばれる部分を下にしてビーカーにのせられたウニは、次々と放精してゆく。ちょっとした操作を、ビーカーにのせる前にしてあるからである。操作、といったって、怖いものではない。刺激になるような水溶液を、ちょちょっとたらしいてやっただけのことだ。 実験室の机いっぱいに並べられたビーカーの中に、いっせいにウニが精子を放っているさまは、壮観だった。まだ恋人もろくにいなかった当時のわたしは、「ウニっていっぱい精子があるんだなあ」という感想しかいだくことができなかったけれど、今になってみれば「ウニ、迷惑でいやだったろうなあ」と、しみじみ思う。 さて、すべてのウニを放精させてしまうと、わたしたちはふたたびウニをバケツに入れ、暗い海に向かう。精子を出してくれた後のウニを、もといた場所に戻しにゆくためだ。 両手にウニをすくいとり、そっと海水に放る。ちゃぷん、と音をたてて、ウニは海へ帰ってゆく。ヘルメットのカンテラに照らされ、海面がかすかに光る。 すべてのウニをかえしてしまうと、夜明けが近くなっている。急に眠気がさしてくる。臨海実験所に帰り、ばあたんきゅーでベッドに横たわり、こんこんと眠る。 そういえば、実験をしていた1年間、わたしは一度もウニを食べたことがなかった。採ってきたウニは、かけねなし、最後の一匹までのすべてを、生きたまま海にかえしてやった。今ではお寿司屋でウニが出てくればよろこんで食べるわたしだけれど、当時は、山ほど精子を放出してくれる、あの小さくてけなげなバフンウニを食べるなんて、思いもよらなかった。 ウニは仲間だった。真夜中の、さみしくて冷たい海での、大切な、仲間だったのだ。『晴れたり曇ったり』1
2018.03.26
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図書館で『晴れたり曇ったり』という本を、手にしたのです。大学では生物を勉強した著者が、ぬか床を語るというのが、いいではないか♪【晴れたり曇ったり】川上弘美著、講談社、2013年刊<商品説明>より「もういない、でもまだいる」 この前、好きだったひとを、みかけた。まちがいない。会いたいと思いながら会えなかった人に、ようやく会えた。そう思ったとたんに、その人がもうなくなっていることを思いだした。「ぬか床のごきげん」 ぬか床には四種類の期限がある。笑うぬか床、慇懃なぬか床、怒るぬか床、そして淋しがるぬか床。「真夜中の海で」 大学では生物を勉強した。私の卒業研究は、「ウニの精子のしっぽの運動性」だった。<読む前の大使寸評>大学では生物を勉強した著者が、ぬか床を語るというのが、いいではないか♪rakuten晴れたり曇ったりまず、ぬか床を見てみましょう。ぬか床を実家から分かち持ってきたというから、そうとうな愛着があるようです。p72~74ぬか床のごきげん しょっぱいものが好きである。ことに漬物をこのむ。この季節ならぬかみそだ。実家を出た時に分かち持ってきたぬか床を、5年ほどは飽かず毎日かきまわし、冬はきちんと塩のふたをして冬眠させていた。ぬか床はずっと元気だった。 それからがいけない。飽きたのだ。そもそもが飽きっぽくできている。心はぬか床から離れ、よその漬物のところへ。 放っておくと、ぬかみそはだめになる。表面に白いもろもろが浮く。においが変わる。最後には世にも恐ろしい青黒い物象が表面を覆い、乳酸菌は死に絶え、静まりかえった真夜中の沼のようになり果てる。 ずっしりと重いぬかみその遺骸を、ポリ袋にみちみちとつめこんで捨てる時の、心の痛み。自己嫌悪。そうやってぬか床を全滅させては再び新しいぬか床を始め、その繰り返しを、この30年ほどで少なくとも5回はおこなった記憶がある。 今のぬか床は、3年間無事を保っている。春と秋は1日1回、夏ならば朝と晩に手を入れてかきまぜること。水が上がってきたら新しいぬかと大豆を足すこと。とうがらしと昆布をたまに入れるやること。昔むかし、実家で教わったのは、そんな原則だった。 原則にしたがって長年かきまわしているうちに、ぬか床に機嫌があることがわかってきた。4種類の機嫌である。その1、笑うぬか床。その2、慇懃なぬか床。その3、怒るぬか床。その4、淋しがるぬか床。 笑うぬか床は、少し危険だ。きゅうりやナスを、しごく短時間で古漬けにしてしまう。活発すぎるのだ。腕まで入れると、ぬかの中心部はもわんと温かい。笑い続けている人のおなかの中みたいに、ぬかはふわふわと興奮ぎみだ。(中略) ぬか床の機嫌は、気温とかきまぜ方でおおよそ決まる。笑い上戸になりやすいのは、真夏だ。涼しくなってくると、慇懃になる。かきまぜるのをさぼると、怒りだす。 たえず気にかけてやらないと、駄目な奴なのだ。けれどかまいすぎも、駄目。とはいえ、気遣いを忘れなければ上機嫌、というのは、人間などよりもよっぽど安らかで扱いやすいではないか。ウーム ぬか床の取扱いは一筋縄でおさまらないようですね。お茶漬けと漬物だけという献立であっても、いっこうに困らない大使であるが・・・以前の日記から次のような漬物情報を見てみましょう。『漬け物大全』1ドイツの保存食『ザワークラウト』を作りましょう♪がお奨めです。
2018.03.26
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図書館で『すごすぎる日本のアニメ』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、ジブリ作品や「シン・ゴジラ」がでてきて、大使のツボがううずくのです。「シン・ゴジラ」はアニメと共通するCG技術ということで語られています。【すごすぎる日本のアニメ】岡田斗司夫著、KADOKAWA、2017年刊<「BOOK」データベース>より日本のアニメは、未曾有のゴールドラッシュ。アニメのすべてを知り尽くした著者は、そう断言します。世界中の人たちが日本のアニメを夢中で観ているいま、映画のようにアニメを語れることは、必須の「大人の教養」。すごすぎる名作たちの構造や、知られざる思想を繙ぎながら、読後には誰もが「アニメ通」になっている、驚きの一冊です。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、ジブリ作品や「シン・ゴジラ」がでてきて、大使のツボがううずくのです。「シン・ゴジラ」はアニメと共通するCG技術ということで語られています。rakutenすごすぎる日本のアニメジブリ作品の『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』あたりを、見てみましょう。著者のやや強引な断定もあるので、値引きして読みましょうね。p128~133『もののけ姫』は事実上、『ナウシカ』の続篇である 『もののけ姫』はセルでつくられた最後の宮崎アニメで、内容的にもすべてのパーツがうまくはまった奇蹟の作品です。制作費はこれまでとは桁違いの24億円。ジブリの制作体制も大きく変わりました。 日本での人気は高く、観客動員数は1420万人、配給収入は113億円。『紅の豚』の観客動員数が304万人ですから、そこから5倍近くにまでなったということになります。それまで15年間、日本映画の興行記録トップだった『E.T.』を、アニメがぶち抜いたんです! ただし、ストーリーが子ども向けではないこと、また暴力表現が強いため、海外での評価はあまり高くありませんでした。 『もののけ姫』のストーリーを簡単に紹介しておきましょう。エミシという一族の長になるはずだった少年アシタカは、村を襲ったタタリ神を倒しますが、死に至る呪いを受けてしまいます。呪いを解くために旅に出たアシタカは、タタラ場をつくったエボシ御前と出会い、森林伐採がタタリ神を生み出したことを知る。エボシ御前の命を狙うのが、山犬に育てられた娘、サンです。森と人が争わなくてすむ道はないかと、アシタカは悩む・・・。 物語の構造を見てみると、まさに『風の谷のナウシカ』の事実上の続編というか、リメイクになっています。 ナウシカ→サン ペエジテのアスベル→アシタカ クシャナ→エボシ御前 ユパ→ジコ坊 巨神兵→シシ神、タタリ神 だと考えれば、『風の谷のナウシカ』そのものです。 (中略) 宮崎駿自身、自分の作品をこんなふうにリメイクするとは思ってもみなかったのではないでしょうか。『もののけ姫』は(もちろん、いろんな人の影響はありますが)彼が好きにつくった最後の作品です。自身の内面をアートに昇華した『千と千尋の神隠し』 『もののけ姫』のあたりから、宮崎は「これが最後の作品」「引退する」と言い出すようになりますが、『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』『崖の上のポニョ』と、長編アニメをつくり続けます。 『千と千尋の神隠し』は、宮崎アニメのなかで最大のヒット作になりました。2001年ころは、『ハリー・ポッター』などをはじめ、世界中でファンタジーブームが起こりました。 『千と千尋の神隠し』は、観客動員数は2350万人、配給収入は308億円で、2017年の時点でこの記録はまだ破られていません。世界的な評価も高く、ベルリン国際映画祭では金熊賞、アカデミー長編アニメ映画賞を受賞しました。アカデミー賞をアメリカ以外の作品がとるのは、ほんとうに難しい。アメリカ人はエンタテインメントに関しては国産にこだわるところがあって、評価の高い作品はハリウッドでリメイク版をつくろうとするけれど、オリジナルに賞を与えることはそれほどありません。 2001年といえば、ディズニーの調子もいいし、ピクサーも好調なのに、アカデミー賞を宮崎がとってしまった。これは、ほんとうにとてつもないことです。 さて、『千と千尋の神隠し』からの三作を、僕は「宮崎駿の精神分析三部作」と呼んでいます。 『もののけ姫』は残酷なシーンをそのまま出しましたが、『千と千尋の神隠し』ではエロやグロはほどよい感じに芸術化されています。人間の内面がドロドロと出てきたり、湯屋の女性の衣装に色気があったり。日本文化がもっているエロスをうまく抑えたかたちで出せたし、そういうジャパネスクなところも海外の評価につながったのでしょう。 『千と千尋の神隠し』の湯屋は、ソープランドのような風俗店のメタファーだとよくいわれています。親の事情によって風俗店働くしかなかった若い女性が、自分の生き方を見つけ、風俗店から抜け出す・・・というわけですね。たしかにそういう見方もできると思います。 同時に、この作品は宮崎駿自体の精神分析でもあります。小さな女の子好きな一面だったり、カオナシ=ロリコン男のみっともなさだったり。千尋も理想的な女の子ではなく、なんとなくダラダラしていて、子どものもつネガティブな感じも描いていたりします。 (中略) 『千と千尋の神隠し』も、宮崎と、映画のキャラクターと、アニメを観ている観客の三者がともに手を取り合い、自分たちの心の闇の奥に入り込み、また帰ってくる構造になっているんですね。
2018.03.26
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「植民地」でしょうか♪<市立図書館>・晴れたり曇ったり・ソウルで逢えたら・徴用中のこと<大学図書館>・『すごすぎる日本のアニメ』図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【晴れたり曇ったり】川上弘美著、講談社、2013年刊<商品説明>より「もういない、でもまだいる」 この前、好きだったひとを、みかけた。まちがいない。会いたいと思いながら会えなかった人に、ようやく会えた。そう思ったとたんに、その人がもうなくなっていることを思いだした。「ぬか床のごきげん」 ぬか床には四種類の期限がある。笑うぬか床、慇懃なぬか床、怒るぬか床、そして淋しがるぬか床。「真夜中の海で」 大学では生物を勉強した。私の卒業研究は、「ウニの精子のしっぽの運動性」だった。<読む前の大使寸評>大学では生物を勉強した著者が、ぬか床を語るというのが、いいではないか♪rakuten晴れたり曇ったり【ソウルで逢えたら】松岡圭祐著、徳間書店、2005年刊<「BOOK」データベース>より330万部突破のミリオンセラー作家が贈る感動作。日本人であることを隠して韓国芸能界にデビューした、33歳の女性。そこで目にした“業界の裏側”…出逢ったものは!?松岡圭祐の心に残る“自分探し”小説。<読む前の大使寸評>ミリオンセラー作家と呼ばれているそうだが・・・若い作家(大使から見れば若い)は、韓国をどう描くか・・・興味深いのでおます。rakutenソウルで逢えたら【徴用中のこと】井伏鱒二著、講談社、1996年刊<内容紹介>より陸軍徴用の地シンガポールでの苛酷な実態と人々の姿を、死を見据えた細密な観察眼で捉え淡々と描いた、井伏文学の特質を伝える長篇。私たちは従軍中も入城後も、新聞社関係の特派員からときたま原稿を頼まれたが、私の原稿は検閲で没書になるのが多かつた。たいてい没書になつた。その原稿は、そのつどリュクサックに蔵つて置き、日本に帰るとき束ねて持ち帰つた。今、その古原稿で当時の記憶を呼び起こしながら、この原稿「徴用中のこと」を書いてゐる。──本文より<読む前の大使寸評>検閲で没になった古原稿をもとに書き改めたとのことで・・・大戦初期の占領地の状況が興味深いのです。kodansha徴用中のこと【すごすぎる日本のアニメ】岡田斗司夫著、KADOKAWA、2017年刊<「BOOK」データベース>より日本のアニメは、未曾有のゴールドラッシュ。アニメのすべてを知り尽くした著者は、そう断言します。世界中の人たちが日本のアニメを夢中で観ているいま、映画のようにアニメを語れることは、必須の「大人の教養」。すごすぎる名作たちの構造や、知られざる思想を繙ぎながら、読後には誰もが「アニメ通」になっている、驚きの一冊です。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、ジブリ作品や「シン・ゴジラ」がでてきて、大使のツボがううずくのです。「シン・ゴジラ」はアニメと共通するCG技術ということで語られています。rakutenすごすぎる日本のアニメ************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き292
2018.03.25
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図書館で『ロマンシエ』という本を、手にしたのです。先日、原田マハの『あなたは、誰かの大切な人』という短編集を読んで良かったので・・・この小説も期待できそうやでぇ♪【ロマンシエ】原田マハ著、小学館、2015年刊<「BOOK」データベース>よりアーティストを夢見る乙女な美・男子が、パリの街角で、ある小説家と出会ったー。ラスト277ページから、切なさの魔法が炸裂する、『楽園のカンヴァス』著者の新たなる代表作!<読む前の大使寸評>先日、原田マハの『あなたは、誰かの大切な人』という短編集を読んで良かったので・・・この小説も期待できそうやでぇ♪rakutenロマンシエみっちゃんが渡仏してパリで暮らしているあたりを、見てみましょう。なおここでは、みっちゃんは知人たちからミシェルと呼ばれています。p159~160<9> 剥げかけた薄水色のペンキの壁に掛かっているカレンダーを1枚、めくると、「Juin」の文字が現れた。 すこんと高い天井を見上げると、てっぺんに磨りガラスがはめ込んである。真昼にさしかかった太陽の光が、磨りガラスを透過して、なめらかに差し込んでくる。 ギイイ、ガッシャン、ギイイ、ガッシャン。リズミカルな音を立てて動いているのは、リトグラフのプレス機。黒光りしてどっしりとした風格の時代がかったマシンは、もう百年以上もまえから動き続けている。 このプレス機を使って、ピカソも、マティスも、シャガールも、リトグラフを創ったんだよ・・・とは、この場所、「idem」オーナーのパトリスが、いつもうれしそうに、ちょっぴり自慢げに話してくれるエピソード。 このプレス機を使って、あたしの大好きな1作、ピカソの「鳩」、第1回平和擁護大会のためのポスターが刷られたんだ・・・なんて思うと、なんだかぞくっとする。 それから、たとえば、マティスが描いた聖母子像や聖人画で有名な南仏・ヴァンスの礼拝堂の絵はがきも、マティス自身が発注してからずっと、ここで刷られている。人気のおみやげ品として、礼拝堂の売店で売られているそうで、もう数えきれないくらい重版しているらしい。「あ、ヴァンスの礼拝堂ですけど、マティスの絵はがき百枚、追加でお願いします」なあんて、ときどき礼拝堂のシスターから電話がかかってくるんだよ、とサキちゃんが、なんとなくうれしそうに話してくれたり。 あたしが、いまこうしてみつめているプレス機のすぐ近くに、憧れの巨匠たちが佇んで、プレス機の中から次々に色鮮やかなリトグラフが飛び出してくるのを、あたしと同じようにみつめていたんだなあ・・・なんて思うと、なんだかきゅんとなってしまう。ほんと、巨匠萌えしちゃうのだ。「そろそろ昼飯にするか、ミシェル」 プレス機のかたわらで色をチェックしていたプレス職人のリーダー、トマが声をかけてきた。あたしは、はっとして、腕時計を見た。 きっかり、12時。トマの腹時計の正確さったらない。「今日はどうするんだ、ミシェル? 隣のクレープ屋に行くかい」 職人の中ではいちばん若手のオリヴィエが、親切に誘ってくれた。オリヴィエは、新入りのあたしをいつもランチに誘ってくれる。もちろん他意はないんだろうけど、クレープなんかに誘われちゃったら、やっぱりなんだかきゅんっときちゃう。「いや、ぼくは、ミハルのランチのしたくをするから、ここで済ませるよ」 そう言いながら、きのうもおとといもハルさんってばランチはカップラーメンだったからちょっとクレープ屋くらいに連れ出したいな、と考えて、オリヴィエに向かってにこやかに言った。このあと、ミシェルと高瀬君のパリでの再会、リトグラフ工房でのアルバイト、小説家との交流などが続くのだが・・・最後のページを見てみましょう。p353 舞台は、パリ。あなたによく似た画学生の男の子と、あたしによく似た小説家が、主人公の物語。 天下一品のラブコメディ。5行に1回、笑っちゃうような。でもって、ところどころ、ほろりと泣ける、とびきりのロマンスを。 タイトルは・・・「ロマンシエ」。 たったいま、始まったよ。ミシェルという名前は男にも女にもつけられるのだが・・・ばれてしまったかな?『ロマンシエ』1『あなたは、誰かの大切な人』3
2018.03.25
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図書館で『猫大好き』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・「がんになったら」というテーマで近藤先生との対談があるではないか。大使にとってがんは切実な問題なのでチョイスしたのです。【猫大好き】東海林さだお著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>よりなんとも羨ましい猫の生き方研究から、内臓と自分の不思議な関係まで、今日もショージ君は深ーく考える!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・「がんになったら」というテーマで近藤先生との対談があるではないか。大使にとってがんは切実な問題なのでチョイスしたのです。rakuten猫大好きショージ君の日常的コメントをもうひとつ、見てみましょう。p79~81摘録 断定調日常 聞くところによると、このNHKのテレビ体操のファンは大勢いるらしい。 その大部分が男性で、その男性も定年退職以降の人たちだといわれている。 考えてみれば、朝の6時25分にすでに起きているというのは現役のサラリーマンではあまり考えられない。 しかも、この番組のファンは、何かをしながら見るのではなく、テレビの前に座り込んで熱心に鑑賞するらしいので、どうしたって朝からヒマ、という人たちに限られる。 私の場合は熱心というほどではないが、画面を見ながら、苦言というか、提言というか、そういうものをブツブツつぶやいたりはする。「」 と叫んだりすることもある。 不満なのである。 不満だらけなのである。 NHKのテレビ体操の現状はこうだ。 最初、体操の専門家らしい男性が出てくる。 健康のために毎朝体操をしましょう、というような口上を述べる。 そのあと、実際に体操をしてみせる若い女性が三人(五人のときもある)、一人ずつアップになって紹介される。「山田いずみ(仮名)デス」「山本さやか(仮名)デス」「渡部とめ(仮名)デス」 というふうに、一人ずつ顔がアップになる。 噂によると、この一人ずつにファンがついているといわれている。 先述のように、この番組のファンは定年退職以降の人が多いから、この一人一人にじいさんのファンがついていることになる。 AKB48の一人一人にファンがついているようなものだが、こっちのファンはキャーキャー騒いだりはしない。 私は、特別誰かのファンということはない。 ただ、「山田いずみ(仮名)デス」のいずみちゃんがアップになって紹介されるときは、いくぶん前かがみにはなる。 実際に体操が始まると、カメラが引いて三人が全景になる画面と、一人ずつがアップになる画面を交互に映し出す、という構成で番組は進行していく。 一人がアップになる場面はおよそ3秒で、すぐ次の人のアップになる。 この3秒は厳格に守られている。「山田いずみ(仮名)デス」のいずみちゃんがアップのときは、「3秒じゃ短すぎる」 と思い、他の二人がアップのときは、 「長すぎる」 と思う。「ほかの二人の3秒を1秒ずつ減らして、いずみちゃんを5秒にしろ」 と思う。 思うばかりでなく、声に出して叫ぶこともある。 テレビ体操に対する不満はまだある。 三人の体格のことである。(長くなるので、後略)ウーム テレビ体操のファンは定年退職以降の男性たちが多いのか・・・大使はそこまで老いてはいないのだ!『猫大好き』3:まじめな書評『猫大好き』2:猫大好き『猫大好き』1:対談「もし僕が、がんになったら」
2018.03.25
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前川・前文科省次官の講演に対して文科省が調査していた問題であるが・・・同省が政治家に忖度したのか、あるいは主体的な判断で実施したのか?自民党議員に対して公明党から懸念が表明されたりして、真相はグレーである。まろさんのブログより以下引用します。2018/03/22政治に従属することを求められる教育より 前川喜平・前文部科学事務次官の名古屋市立中学校での講演を文科省が調査していた問題をめぐり、自民党文部科学部会長代理の池田佳隆衆院議員(比例東海)が22日、文科省への照会について「今回問題となった授業が法令に準拠したものだったか、地元から懸念があれば国に届けることは、当然、大切な仕事と考えた。その信念に従って問い合わせをした」と認めた。 同日午後、国会内で記者団に語った。池田氏は「質問状について、感想を求められたので、2点申し上げた」とも話したが、記者団の質問は受け付けなかった。 20日に記者会見した林芳正文科相によると、同省は市教委への質問案を池田氏に見せ、池田氏の意見を参考に一部修正。ただ、質問や修正は「あくまでも文科省の主体的な判断で行った」としている。朝日デジタル 3月22日 ☆「信念に従った」と言っているわけだが、これは、中国やロシアなどの独裁国家ではよく見られる光景である。政治(権力闘争)が絶対的優位にある国では、「歴史」とか「教育」というものは政治に従属しなければならないとされ、そのもの独自の価値はほとんど認められない。財務省疑惑は、およそ1年前から始まったがまだ決着してないわけで、それだけ安倍さんと財務省のフェイクが巧妙だったわけである。そして、いずれにしても、財務省に続いて文科省も綻びを見せたわけで、官僚制度の劣化は目を覆うばかりである。教育委員会制度について、内田先生が日韓を比べて語っているので見てみましょう。2018/03/17直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」より 韓国に毎年講演旅行に出かけている。ご存じないと思うけれど、私の著作は教育論を中心に十数冊が韓国語訳されていて、教育関係者に熱心な読者が多い。ここ三年ほどの招聘元は韓国の教育監である。見慣れない文字列だと思うが、日本とは教育委員会制度が違っていて、韓国は全国が17の教育区に分割されていて、それぞれの区での教育責任者である教育監は住民投票で選ばれているのである。 数年前にこの制度が導入された結果、多くの教育区で教員出身の教育監が誕生した。彼らは自身の教員経験を踏まえて、できるだけ教員たちを管理しないで、その創意工夫に現場を委ねるという開明的な方針を採った。その結果、日本ではまず見ることのできない自由な校風の公立学校が韓国の各地に続々と誕生している。 そういう歴史的文脈の中で、私のような人間が各地の教育監に公式に招聘されて、教員たちを前に講演をするということが起きている。日本には私に講演を依頼する教育委員会が一つもないという現実と比較すると、日韓の教育行政の差異が際立つはずである。かくも問題の多い日本の教育行政であるが・・・三流文科省及び教育委員会制度については、いちど解体的見直しが必要だと思うのです。内田先生のコメントは、左の「内田先生かく語りき9」に収めておきます。
2018.03.24
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<『猫大好き』3>図書館で『猫大好き』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・「がんになったら」というテーマで近藤先生との対談があるではないか。大使にとってがんは切実な問題なのでチョイスしたのです。【猫大好き】東海林さだお著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>よりなんとも羨ましい猫の生き方研究から、内臓と自分の不思議な関係まで、今日もショージ君は深ーく考える!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・「がんになったら」というテーマで近藤先生との対談があるではないか。大使にとってがんは切実な問題なのでチョイスしたのです。rakuten猫大好きショージ君のまじめな書評を、見てみましょう。p30~33読書の秋の“食べ合わせ” どっさりの本の中に、こういう本もまぎれこんでいた。「ヒトは食べられて進化した」 どうも食べ物の本が多かったようで、似たような本がこのほかにも何冊かあった。 ドナ・ハート、ロバート・W・サスマン著・化学同人刊、2007年とある。 2012年に第7刷、とあるから、かなり売れているらしい。 最初この本をパラパラとめくったとき、衝撃的な挿し絵が目に入った。 一匹の豹らしき動物が、ヒト科の大人の頭部を、鋭い牙で貫くようにくわえて引きずっている絵である。 そのヒトはもう死んでいるらしく、うつ伏せで目を閉じ、首だけ豹の口のほうに90度にねじ曲げられてズルズルと引きずられている。 たぶん豹の行く先には飢えた子供たちが待ち構えていて、このあと、そのヒトはいっせいに飛びかかられ、引きむしられて食べられてしまうのだろう。 この本のオビにはこう書いてある。「トラ、ライオン、ヒョウ、ピューマ、オオカミ、ワシ・・・人類の祖先は数々の肉食動物に捕食されていた脆弱な生き物だった。多くの人がもち続ける『人類=狩猟者』のイメージを徹底的に打ち破り、新たな人類像を描きだす」 そうだったのか。 やっぱりある時期、ヒトは猛獣たちのエサだったのだ。 食べられ放題だったのだ。 考えてみれば、トラやライオンやヒョウなどに比べたら、圧倒的な弱者である人間が食べられなかったはずがない。 この本の目次には、「ありふれた献立の一つ」 という章さえある。 人類は最初から武器をたずさえてこの世に現れたわけではあるまい。 石の斧や木の槍を持つに至るまでに、長い手ぶらの時代があったはずだ。 手ぶらで、二本足で、噛みつく鋭い牙を持たない人間は、トラやライオンにとって、「食べようと思えばいつでも捕まえて食べることのできるゴハン」だったのだ。 この本の序文にはこうある。「19世紀から20世紀前半にかけて先史時代を再現した歴史画がたくさん描かれたなかに、弱々しく傷つきやすい初期人類がこじんまりと寄り添っている絵がある。人間たちが不安げな顔つきをしてたき火の周りに身を寄せ合うそのまわりを、襲いかかる機会をうかがいながら大型ネコがうろついている、そんな様子が描かれている」 そのころの人類は、いつ、なんどき、大型動物に襲いかかられ、いきなり頭をガブリと噛みつかれ、かじられ、生きたまま食べられてしまうかも知れない恐怖の中で生活していたのだ。『猫大好き』2:猫大好き『猫大好き』1:対談「もし僕が、がんになったら」
2018.03.24
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本屋の店頭で『定年バカ』という新書を手にしたのです。定年のときの記憶も薄れつつある大使であるがが・・・この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪【定年バカ】勢古浩爾著、SBクリエイティ、2017年刊<「BOOK」データベース>より定年後に続く、20年、30年という人生を思うと、人はいろいろと考えてしまう。生きがいは?健康は?老後資金は?などなど。しかし、多彩な趣味や交友、地域活動などを通じて充実した定年後を送ろう、いや送るべきという「圧」が昨今やたらと強くなってはいないか?無理して「地域デビュー」なんてしないほうが互いの幸せだったりもする。「なにもしない生活」だってアリなのではないか。<読む前の大使寸評>この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年バカ「第1章 定年バカに惑わされるな」に、この本の結論のような下りがあったので、見てみましょう。p25~27■なにをしてもしなくても、大差なし たしかに図書館で新聞を読んだり寝ている、定年退職者らしき人はいる。公園やショッピングモールでひとりポツンと所在なく座っている人も見かける。そういう人を短時間だけ見て、どこにも行くところがないんだな、なにもすることがないんだな、だれも会う人がいないんだな、みじめだな、ああはなりたくないな、と思うことはしかたがない。どう思おうと、その人の勝手だからである。 わたしは図書館や公園の人を立派な老後だと擁護するつもりはない。ただ人は外見からはわからない。さまざまな事情を抱えているものだ。そうでなくても、ショッピングモールで、あのおじさんはひとりで所在なさそうだな、と思っていると、買い物が済んだ妻や家族たちがワラワラとやってきて、オヤ、そうだったのか、なんてこともあるのだ。だからわたしは、ひとりでいるおじさんたちを見ても、みじめでさびしい人間だとはまったく思わない。わたし自身の姿でもあるからだ。 なにもしていない人間といっても、朝起きてから、夜寝るまで、居間にじっと座って、テレビもつけず、一日中虚空を見つづけているという人間などいるはずがない(いるのか?)。なにをするかは人それぞれだろうが、テレビを観、新聞を読み、本を読んだり、食事を作ったり、散歩をしたり、草花の手入れをしたり、なにかはするのである。だから「そんなことは、なにかをしているうちに入らないんだよ」「そんなことはただの暇つぶし。有意義でもなんでもないじゃないか」というのだろうが、ほっといてやれよ、と思う。本人が、それが好きなら、なんの問題もない。 じゃあそういって、無為の人間を下に見ている連中が、どんな有意義なことをしているのかというと、週に三日のパート、社交ダンス、ゴルフ、カラオケに、友人たちとの談笑ぐらいである。その他、なんでもいい。水泳やヨガや英会話や万葉集研究。大したことないじゃないか。他人にしてみれば、人がなにに熱中していようと、ほとんどのものが大したことないのである。(中略) そして、好きなことをしているという点では、なにをしていても、なにをしていなくても、おなじである。わたしは、なにもするな、なにもしないことが一番だ、といっているのではない。人それぞれ、好きにすればよい、それしかない、というのである。(中略)「もったいないなあ」といいたがる連中は、自分は有意義なことをしているといいたいのだろうか。そんなもの、どっちにせよ大したことはないのである。あるいは、そんな有意義は自分にはいらない。「なにもしていない」人間が、まるで罪人のように、一方的に責められるいわれはない。ウン おっしゃるとおりだと思います。『定年バカ』2:終活バカ『定年バカ』1:夫と妻の地獄
2018.03.24
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本屋の店頭で『定年バカ』という新書を手にしたのです。定年のときの記憶も薄れつつある大使であるがが・・・この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪【定年バカ】勢古浩爾著、SBクリエイティ、2017年刊<「BOOK」データベース>より定年後に続く、20年、30年という人生を思うと、人はいろいろと考えてしまう。生きがいは?健康は?老後資金は?などなど。しかし、多彩な趣味や交友、地域活動などを通じて充実した定年後を送ろう、いや送るべきという「圧」が昨今やたらと強くなってはいないか?無理して「地域デビュー」なんてしないほうが互いの幸せだったりもする。「なにもしない生活」だってアリなのではないか。<読む前の大使寸評>この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年バカ数々のバカのうち、終活バカを見てみましょう。今年71歳の著者が説く終活バカだけに、説得力があるでぇ。p168~169■「終活」は認知されたのか 定年といえばまだ60歳、再雇用で延長になっても65歳、まだ死を意識する年齢ではない。わたしは今年70だが現実的な死を意識していない。 59歳で退職したときは、あと十年、70まで生きられるかな、とは思った。体調に自信があかったからだが、意外と大丈夫なものである。4、50代に比べれば、たしかに死をより近くに感じる。実際、近い。いつなにかあってもおかしくはないな、という意識はある。 しかしこんなことをいくらいっても意味はない。多少意識はする、とはいっても、まったく本気ではないし、それゆえなにもしていないからである。だから「終活」といわれてもなんの実感もない。ふだんは死など完全に忘れている。できれば、死の三日ほど前まで本気になれなければいいと思う。 ところが世は「終活」ブームとやらで、エンディングノートを書いておこう、遺書の書き方も学んでおこう、墓の準備をしなさい、生前整理をしておきなさい、子どもに迷惑がかからないように葬儀費用は確保しておこう、自分らしい死に方(散骨、樹木葬など)を考えている人はそれなりの準備を、延命治療の可否もはっきりさせておこう、などといわれ、なにやらせかされているような空気になってきたのである。しかし世の中には、きっちりとした計画好きの人がいて、もうすべて済ませたよ、という人もいるのだろう。 「終活」か。めんどうくさいことになってきたものである。こんな言葉、犬に食われてしまえと思う。元々はただの「部活」ですよ。それが「就活」になった。そこまではまだよかった。それをどこかのバカが「婚活」に流用したところ、目新しいことならなんにでも食いつくマスコミが、お、それおもしろいね、と喜び、そこからはもう「活」の付け放題、もっとないかと行き着いた先が「終活」である。 実際に「終活」をしている人(団塊の世代が多いようだ)に、うかつにバカとはいえないから、ちょっと日和って、この言葉にくそバカといっておく。ウン くそバカってか・・・過激なご意見でおま♪『定年バカ』1
2018.03.23
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図書館で『浮世の画家』という文庫本を手にしたのです。おお ノーベル賞受賞作家の初期の作品ではないか♪・・・ということで、チョイスしたわけです。【浮世の画家】カズオ・イシグロ著、早川書房、2006年刊<「BOOK」データベース>より戦時中、日本精神を鼓舞する作風で名をなした画家の小野。多くの弟子に囲まれ、大いに尊敬を集める地位にあったが、終戦を迎えたとたん周囲の目は冷たくなった。弟子や義理の息子からはそしりを受け、末娘の縁談は進まない。小野は引退し、屋敷に篭りがちに。自分の画業のせいなのか…。老画家は過去を回想しながら、みずからが貫いてきた信念と新しい価値観のはざまに揺れるーウィットブレッド賞に輝く著者の出世作。<読む前の大使寸評>おお ノーベル賞受賞作家の初期の作品ではないか♪・・・ということで、チョイスしたわけです。rakuten浮世の画家この小説の語り口を、冒頭に見てみましょう。p9~11■1948年10月 このあたりには今でもと呼ばれている小さな木橋がある。そのたもとから、丘の上までかなり急な坂道が通じている。天気のいい日にその坂道を登りはじめると、それほど歩かぬうちに、二本並んでそびえ立つ銀杏の梢のあいだからわたしの家の屋根が見えてくる。 丘の上でも特に見晴らしのよい場所を占めているこの家は、もし平地にあったとしても周囲を圧倒するほど大きい。たぶん坂を登る人々は、いったいどういう大金持ちがこんな屋敷に住んでいるのかと首をかしげることだろう。 いや、そんな家にすんでいるからといって、わたしは決して金持ちではないし、かつて金持ちだったというわけでもない。この家はわたしではなく、前の住人が・・・ほかでもない、あの杉村明が・・・建てたものだと言えば、みんななるほどとうなづくのではあるまいか。 もちろん最近この市に転居してきた人なら、杉村明と言われてもピンとこないだろうが、戦前からこの市に住んでいる人々に聞いてみればすぐわかる。だれもがはっきりと、その杉村さんなら30年ものあいだこの市でだれよりも尊敬されていた最高の実力者でしたよ、と教えてくれるに違いない。 だが、こういう話を聞いたあとで丘のてっぺんまで登りつめ、そこで、堂々たる杉の門、がっしりとした石塀で囲われた広い敷地、優美な瓦ぶきの屋根、大空に張り出した風格のある棟木などを見た人は、金持ちではないと言ったこのわたしがどうしてこんな大邸宅を手に入れたのかと、ますます不思議がるかもしれない。 実を言うとわたしは、とても代金とは言えぬくらいの(おそらく当時の相場の半分にも満たない)金額でその土地家屋を購入した。杉村家の人々が取り決めた実に奇妙な、というか、ばかげたとさえ言えそうな売却手順と方法のおかげで、そんなことになったのである。(中略) ある日の午後、ずいぶん気位の高そうな白髪の女性がふたり、わたしをたずねてきて、杉村明の娘と名乗った。有名な方のご家族からごあいさつを受けて驚きましたと告げると、年上の婦人のほうが冷ややかな口ぶりで、これはただの儀礼訪問ではございませんと言う。よく聞いてみると、ここ数ヶ月のあいだに杉村邸を買いたいという申し出がかなりたくさんあったけれども、家族会議の結果、四人の候補者以外はみな断ることにしたという。そして、その四人は、もっぱら人柄と社会的な功績だけを慎重に評価して選んだとのことであった。
2018.03.23
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本屋の店頭で『定年バカ』という新書を手にしたのです。定年のときの記憶も薄れつつある大使であるがが・・・この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪【定年バカ】勢古浩爾著、SBクリエイティ、2017年刊<「BOOK」データベース>より定年後に続く、20年、30年という人生を思うと、人はいろいろと考えてしまう。生きがいは?健康は?老後資金は?などなど。しかし、多彩な趣味や交友、地域活動などを通じて充実した定年後を送ろう、いや送るべきという「圧」が昨今やたらと強くなってはいないか?無理して「地域デビュー」なんてしないほうが互いの幸せだったりもする。「なにもしない生活」だってアリなのではないか。<読む前の大使寸評>この本の目次にならんだ数々のバカが気になったので、つい購入したのです。本は図書館で借りるものとなってしまった大使にとって、新刊本を購入するのは久しぶりのことでおます♪rakuten定年バカ最終章「第9章 人生を全うするだけ」で吉武輝子の父親の定年を見てみましょう。p188~191■夫と妻の地獄 どういうわけか男にとって、定年は昔から大きな出来事と考えられてきたフシがある。昔といっても、いまから30年ほど前の小昔のことだ。吉武輝子の『夫と妻の定年人生学』(1987年、集英社文庫)という本がある。これが出たのが30年前である。『孤舟』や『終った人』といった小説なら、多少おちょくっても問題はないが、この本はそうはいかない。(中略) 吉武輝子の父親の死(自殺)は、定年が「セカンドライフ」とか「第二の青春」と喧伝される現在では、ちょっと信じられない話である。人は60ともなれば(ならなくても)、自分で自分の身を修めなければならない、とわたしは書いたが、元三菱銀行名古屋支店長氏は、たかが定年ぐらいで、自分の意味と生きる意味を決定的に喪ったのだろうか、たかが定年くらいで、とわたしなどは思うが、人の心はわからない。 通夜の席から、だれそれさんが定年後急死した。別の人はぼけたというような話が、当時24歳だった吉武の耳に聞こえてくる。客のひとりがいう。「これからは、仕事一筋ではなく、現役時代に、家族とよきかかわりをもったり、地域社会に居場所をつくったり、あるいは人生の楽しみを発見したりしながら働くようにしなければ、先輩諸氏と同様、退職後の末路が悪すぎるってことになるのは目に見えている。それにしても、実に厄介な時代になったものですよ。定年後の人生がやたらと長くなるなんて」 吉武の意見が加味されているようで、会話としてはちょっと説明的で不自然だが、現在いわれているような「地域社会での居場所、家庭とのよき関係、生きがいの発見」がすでにいわれている。というのも、吉武は、定年夫たちの不機嫌は不愛想の理由のひとつをこう考えているからである。男たちは「長年にわたって個人対個人のつき合いの習慣をもつことなくすごしてきてしまった」から、「職場という共通基盤を持たぬ地域の女とどのようにつき合い、なにを話してよいのか、なにひとつ人づき合いの才覚を持ち合わせていない」。 同書には別の定年男の例が書かれている。まあろくでもない男である。大蔵省の高級官僚で、いくつか天下りをして、65歳で定年退職した男である。 妻がちょっとでも出かけると「こんなに長い時間、どこをホッツキ歩いていたのだ」と怒る。妻が、たった2、30分じゃないですか、というとそれが気に食わない。「夫をないがしろにする気か」と湯飲み茶碗を投げつける。(中略) 吉武は「日本の夫族は、大方は、本来の人格を職業的人格にのっとられてしまっている」と言っている。会社では出世していくにつれて名前で呼ばれなくなり、「課長」「部長」「支店長」と呼ばれるようになる。ところが、定年を迎えて周囲からの服従がなくなったとき、かれらは「男だから偉い」という「一点にしがみつき、せめて、もっとも身近な女である妻だけは支配したいと願わざるをえないのだろう」。ウーム アホな定年男とか定年離婚の話なのか・・・定年離婚して夫から得た資産で暮らせるケースなんて、実際あるのだろうか? 大使の場合は純然たる年金生活者であり、「亭主元気で、留守がいい」を励行しているわけで・・・一見、アホとしか見えないのだが。
2018.03.23
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<再掲:ベルギー奇想の系譜展>図書館で『芸術新潮(2017年5月号)』特集《バベルの塔》の謎という雑誌を借りて読んでいるのです。このフランドル地方が生みだした絵描きたちに惹かれる大使なんですね。一押しはマグリットなんだが、ブリューゲルやヒエロニムス・ボスの奇想画も好きでおます♪・・・ということで、「ベルギー奇想の系譜展」を再掲してみます。********************************************************************<ベルギー奇想の系譜展>昨日、「ベルギー奇想の系譜展」を観にいったけど・・・ええでぇ♪、と太鼓判を押させてもらいます。ベルギー奇想の系譜展より 現在のベルギー・フランドル地方とその周辺地域で中世末期から発達してきた幻想絵画のカテゴリー。ヒエロニムス・ボスが描く悪魔や怪物のような異形のものたちは写実的で、「本物」と感じさせる迫真性に満ちていました。 こうした独特な表現の伝統は現代が進んでもカプリッチョ(奇想画)、象徴主義、シュルレアリスムの中にとどまり、今日のアーティストたちにも脈々と受け継がれています。 本展では、ベルギーに生まれた奇想の表現を、15,16世紀のフランドル絵画から現代のコンテンポラリー・アートまで国内外のコレクションによって紹介します。 ヒエロニムス・ボスやブリューゲルに始まり、ジェームズ・アンソール、ルネ・マグリットらの時代を経て、そして現代のヤン・ファーブルや若手の作家に至る、およそ500年の「奇想」をたどります。大家族大使としては、マグリット《大家族》とボスの幻想画の実物が見えれば充分であり、それにブリューゲルの版画やデルボーの絵がおつりのように付いてくるという大盤振る舞いが…良かった♪さらに言えば、シルバー料金750円で、横尾忠則現代美術館の無料招待券がついてくるので、まったくもって「もってけ、ドロボウ」のような有様でおました。(成人では1500円であるが、2館観えるとあれば、たいへんお得です)でもとにかく、「系譜をたどる」と言うだけあって、これだけ見どころの多い企画展は久々ではなかったかと思うのです。過去の日記から関連のある記事をあげておきます。マグリット展で埋合わせ:ソウル市立美術館『マグリット事典』:横尾忠則さんご推薦『謎解き ヒエロニムス・ボス』:「とんぼの本」シリーズ『芸術新潮(2017年5月号)』 :《バベルの塔》の謎
2018.03.22
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図書館で『芸術新潮(2017年5月号)』という本を、手にしたのです。特集《バベルの塔》を語る漫画家・大友克洋、美術史家・森洋子ってか、大友さんは知っているが、森さんのほうは知らんなあ・・・【芸術新潮(2017年5月号)】雑誌、新潮社、2017年刊<商品の説明>より◆特集◆漫画家・大友克洋、美術史家・森洋子が徹底解剖ブリューゲル《バベルの塔》の謎ブリューゲルが残した2点の《バベルの塔》の細部に迫り、その表現の特異性に迫る。さらに11世紀から現在までの様々な《バベルの塔》も紹介。大友克洋がバベルの塔の内部を描いた《INSIDE BABEL》の制作工程も独占レポート! <読む前の大使寸評>特集《バベルの塔》を語る漫画家・大友克洋、美術史家・森洋子ってか、大友さんは知っているが、森さんのほうは知らんなあ・・・amazon芸術新潮(2017年5月号)二つの「バベルの塔」あたりを、見てみましょう。p66~67<「バベルの塔」の意味論:森洋子> ブリューゲル以前、中世の思想家や文学者はバベルの塔の寓意をどのようにその作品で語っていたのだろうか。 14世紀に活躍したイングランドの詩人ジョン・ガワーは「恋する男の告解」で「バベルの塔」の教訓とは、「罪と結びつく企ては決して永続きしない。罪はきっと不和をもたらし、この世が衰退するときの兆しとなる」と説いた。ドイツ詩人ゼバスティアン・ブラントは『阿呆船』の中で、ニムロデ王を典型的な愚かな王と批判し、「大きな仕事を望むなら、自分の力を確かめよ。自分がめざした目標に到達できるかできないか。何かの不運にみまわれて、物笑いのたねにならぬよう」と警告する。 ウーリア・B・ヴェーゲネルはブリューゲルの二つの《バベルの塔》がともに古代ローマのコロッセオの建築様式を参照していること、皇帝たちが永遠の都市として築いたローマも歴史の経過とともに廃墟になったことを関連させた。そして画家は《バベルの塔》にコロッセオと同様、人間のあらゆる営為の虚無を象徴させている、と解釈した。 他方、近世初期になってから、聖書の「バベルの塔」の建設中止の一節、「もともと同一言語であったのが、神が言葉を混乱させ、互いに聞き分けられなくした」がポジティヴに解釈されるようになった。というのもブリューゲルが活躍した当時のアントワープでは国際化による多国語言語の社会が都市の経済的な発展を支え、黄金時代を築く一因となったからである。(中略) 確かに16世紀のアントワープの人文主義者たちはこの絵に人間の力の可能性を期待し、さらなる挑戦を読んだかもしれない。だが彼らは「ヨハネの黙示録」の中でバビロンが滅亡することも知っていた。ゆえにロッテルダムの《バベルの塔》は彼らにとって文明のパラドックスだったのかもしれない。ブリューゲル芸術の最大の特色は「作品それ自体にさまざまな意味を語らせる」ことだったので、彼から発せられたメッセージは後世において新たな寓意を持つ作品を生みだしたのである。ウン 当時でも、文明のパラドックスという認識があったようですね。この本もベルギー奇想の系譜展に収めるものとします。
2018.03.22
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<『カズオ・イシグロの世界』1>図書館で『カズオ・イシグロの世界』という本を、手にしたのです。おお カズオ・イシグロではないか♪今ではノーベル賞作家で畏れ多いのだが、「わたしを離さないで」を6年前に読んでいたのでカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」 を覗いてみました。【カズオ・イシグロの世界】小池昌代, 阿部公彦著、水声社、2017年刊<「BOOK」データベース>より新ノーベル賞作家のすべて。長崎から英国へと移り住み、「過去にしか“ホーム”をもたない」と評される小説家の、それ故にこそのアクチュアリティと多面性を縦横に読み解く。<読む前の大使寸評>今ではノーベル賞作家で畏れ多いのだが、「わたしを離さないで」を6年前に読んでいたのでカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」 を覗いてみました。rakutenカズオ・イシグロの世界この本の冒頭から見てみましょう。まさに静かな熱狂というべきか。p13~15声のなかへ、降りていくと:小池昌代 カズオ・イシグロの作品には静かな熱狂があり、それがわたしをいつも魅了する。その熱狂はつまるところ、作品のなかの語り手の、「語り方」のなかにあるものである。 わたしは彼の作品の、すべてを読んだわけではない。だが少なくとも、読み得た範囲において、わたしはたちまちのうちに、語るそのひとを信頼し、好きになったし、「ついていこう」という気になった。 こんな風に語るひとに、初めて会った、それで感動した、という種類のうれしさではなかった。これはわたしの、とても個人的なことなのか、あるいは集団的な記憶なのか、よくわからないけれども、わたし自身が今まで生きてきたなかに、こんなふうに語ったひとがいた、という感触がある。 懐かしいその人がいったい誰なのか、何処で出会ったのか、わたしにはまったく記憶がない。だから、そんなひとはいなかったのかもしれない。 それでもわたしは、その誰かを思い出したくなり、思い出そうとして、その欲望が、カズオ・イシグロの作品を、読み進めていきたいという気持ちにぴったりと重なる。そのような、心の運動の連鎖によって、わたしはこの作家を熱心に読んできたような気がする。 語り手たちは、必ずしも自分のことを語っているというわけではない。むしろ、語るのは、自分以外のものやひとばかり。けれどこの、「自分のことを語らない」という方法で、自己を語るという方法がある。そういう自我の、いわば凹的ありさまには、豊かで静かな吸引力がある。 小説の一人称は、俺でも僕でも私でもよいけれど、みな、自分とはなんであるのかを「告白」しながら進んでいく。でも、『日の名残り』の執事、ミスター・スチーブンスや、『わたしを離さないで』の、施設で育ったキャシーはどうか。『遠い山なみの光』や『浮世の画家』を見てもいい。彼らの語りに「告白」と言うニュアンスはない。みな、それぞれの世界に明確に所属していながら、自分はどこか透明人間であるかのように、極めて冷静にモノやコトを語り続ける。 今回、この原稿を書くにあたって、わたしは『日の名残り』を買い求めた。これについては、読んでいないという記憶があったからだ。ところが、詠み始め、途中から、いや、読んだことがあるのではと思い始めた。小説を読む際、こういうことは、実際よくあることなのだろう。だが、カズオ・イシグロの作品を読む場合には、そのよくあることに、すこしの意味と価値を付け加えたくなる。 記憶について言えば人間は、忘れたり、逆に忘れられなかったり、思い出したり、勘違いしたり、創っていたりと、実にいいかげんなものだと思う。自分でも、自分の記憶について、「絶対」という言葉はなかなか使えない。読んでいないと思うそばから、今回のように、それが容易に否定される。 自分の記憶が修正されるということは困惑するが、面白く、一種、爽快な経験である。過去の自分を、全くの他者として感じることだから。 カズオ・イシグロの小説では、自分というものがわからないまま、さらに変わり続け、しかも一貫して、自分であり続け連続していくという自己の不思議さが、まさにテーマになっていると、思う。
2018.03.22
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図書館で『猫大好き』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・「がんになったら」というテーマで近藤先生との対談があるではないか。大使にとってがんは切実な問題なのでチョイスしたのです。【猫大好き】東海林さだお著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>よりなんとも羨ましい猫の生き方研究から、内臓と自分の不思議な関係まで、今日もショージ君は深ーく考える!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・「がんになったら」というテーマで近藤先生との対談があるではないか。大使にとってがんは切実な問題なのでチョイスしたのです。rakuten猫大好きこの本のタイトルになっている「猫大好き」を見てみましょう。p226~229猫大好き 隣人にこういう人がいたとする。 わがままである。 気まぐれである。 自分勝手である。 人の気持ちを斟酌しない。 たとえば職場の隣の席の人がこういう人だったらどう思うか。 イライラするし、目障りだし、気分は害されるし、お付き合いしようなんて到底思わない。 それだけではない。 すぐ気が変わる。 やたらにあくびをする。 居眠りばかりしている。 こうなってくると誰だって、 「いいかげんにしろッ」 と怒鳴りつけることになる。 かつての漫才コンビ、やすしきよしのやすし師匠だったら、 「しまいにゃ、怒るで、わし」 ということになる。 ところが、この隣人が猫だったらどうなるか。 「そういうところがかわいんだよね」 と事情が一変する。 「わがままなところがかわいんだよね」 ということになり、 「居眠りばかりしているところに癒されるんだよね」 ということになり、やすし師匠だったら、 「しまいにゃ、撫でるで、わし」 ということになる。 わがままだとか、居眠りばかりしているとか、そういうことだけだったら、まあ、我慢のしようもある。 ときには人のやっていることにちょっかいを出す。 人の仕事を妨害する。 そういうことをしては困る、と言いきかせても聞く耳を持たない。 こうなってくると、さすがにやすし師匠ならずとも怒り心頭に発する、はずなのだが、相手が猫だと、 「ほんとに、もう、わがままなんだからァ」 などと言いながら頭を撫でてやったりする。 猫の習性としてよく言われているものの一つに嫌がらせがある。 この習性はすべての猫に具わっているらしく、猫を飼っている人ならば一度はこの嫌がらせを経験している。 読書をしている。 すると、どこからともなくやってきて、わざと本の上にどっかと居座る。 どうみても、わざとである。 押しのけようとしてもビクともしない。 このときの猫の態度はふてぶてしく、いつものかわいげはなくなって別人である。この調子でえんえんと続くわけで・・・著者が猫大好きなのは、よーく分かります♪
2018.03.21
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図書館で『猫大好き』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・「がんになったら」というテーマで近藤先生との対談があるではないか。大使にとってがんは切実な問題なのでチョイスしたのです。【猫大好き】東海林さだお著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>よりなんとも羨ましい猫の生き方研究から、内臓と自分の不思議な関係まで、今日もショージ君は深ーく考える!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・「がんになったら」というテーマで近藤先生との対談があるではないか。大使にとってがんは切実な問題なのでチョイスしたのです。rakuten猫大好き対談「もし僕が、がんになったら」を見てみましょう。p242~245■手術は必要か東海林:近藤先生は慶応大学病院の放射線治療科のお医者さんで、これまで「がんは手術しないこうがいい」と主張されてきました。 近藤:日本はどうしても、がんが見つかったらすぐに手術して、取り除こうという風潮がありますからね。東海林:そこで今日は、もし僕ががんになったらどうすればいいのか、近藤先生に伺いたいのです。 近藤:わかりました。健診は定期的に受けられてますか?東海林:2年に1回くらい、人間ドックに入っています。ここでもし「がんの疑いがあります」となったら、病院を紹介してもらえるんですよね。 近藤:大きな病院を紹介してくれて、詳しく診断することになります。東海林:いま一番多いのは何のがんなんですか?近藤:発見数が多いのは胃がんと大腸がんでしょうね。東海林:じゃあ、胃がんの疑いがあるとして・・・。 近藤:胃がんなら、内視鏡をやって、おかしいとなったら組織を取って、本当にがんなのか判断するでしょうね。それからCT検査をやったりして、がんの進行度を見て、転移があるかどうか調べるという段取りになると思います。東海林:僕としては先生の本を読んで、手術や抗がん剤は断固拒否しようと思ってるんですよ。そういう場合、病院側は対応してくれるんですか? 近藤:必ずちょっとした争いになります(笑)。東海林:それは困る(笑)。 近藤:放っておくと余命半年だとか脅かされたり(笑)。東海林:じゃあ、手術を拒否するのは難しいんですね・・・。 近藤:そうでもないですよ。他の病院でセカンドオピニオンを求めるという手段があります。まず最初に言っておきたいのは、胃がんは初期でも進行がんでも、開腹して胃を切除すると寿命が短くなるのはほぼ確実なんです。東海林:そうなんですか! たとえば開腹しないで内視鏡で切除する方法もありますよね? 近藤:胃の表面にとどまっているがんなら可能です。食道がんでも内視鏡で取れるものはあります。ただ、ちょっと深く入っていると、内視鏡では臓器に穴が開いてしまう危険性があります。外科医としてはリンパ節に転移している可能性が10%から20%くらいでも、胃袋や食道を取ってしまいましょうという流れになります。東海林:内視鏡で取れるなら、取ったほうがいいんですか。 近藤:そうとは限りません。内視鏡治療でも穴が開いて合併症が起こったりというケースがあります。開腹手術よりはましだけれど、僕は医者として内視鏡を勧めることはありません。そもそも、内視鏡で取れるのは転移しないがんであることが多いんですよ。東海林:先生が「がんもどき」と呼んでいるものですね。他にも、がんだと思ったらポリープだったというのはよく聞く話です。 近藤:まず知っておいていただきたいのは、がんには転移するものと、しないものがあるんです。初期がんを放っておくと進行して手遅れのがんになると思っている方が多いんですが、違います。例えば1センチ直径の小さながんには十億の細胞があります。で、十億になるまで転移できないがん細胞は、その後転移できる能力は獲得しない。もっと言えば、1個のがん細胞の段階で、転移するものかどうかは決まっているんです。ウーム 転移するがんと、転移しないがんがあるのか・・・勉強になったけど、胃を全摘する前に知っておきたかったなあ。著者のガン入院の顛末がガン入院オロオロ日記で見られます。
2018.03.21
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「アート」でしょうか♪<市立図書館>・猫大好き・カズオ・イシグロの世界・芸術新潮(2017年5月号)<大学図書館>・『浮世の画家』図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【猫大好き】東海林さだお著、文藝春秋、2014年刊<「BOOK」データベース>よりなんとも羨ましい猫の生き方研究から、内臓と自分の不思議な関係まで、今日もショージ君は深ーく考える!<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると・・・「がんになったら」というテーマで近藤先生との対談があるではないか。大使にとってがんは切実な問題なのでチョイスしたのです。rakuten猫大好き【カズオ・イシグロの世界】小池昌代, 阿部公彦著、水声社、2017年刊<「BOOK」データベース>より新ノーベル賞作家のすべて。長崎から英国へと移り住み、「過去にしか“ホーム”をもたない」と評される小説家の、それ故にこそのアクチュアリティと多面性を縦横に読み解く。<読む前の大使寸評>今ではノーベル賞作家で畏れ多いのだが、「わたしを離さないで」を6年前に読んでいたのでカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」 を覗いてみました。rakutenカズオ・イシグロの世界【芸術新潮(2017年5月号)】雑誌、新潮社、2017年刊<商品の説明>より◆特集◆漫画家・大友克洋、美術史家・森洋子が徹底解剖ブリューゲル《バベルの塔》の謎ブリューゲルが残した2点の《バベルの塔》の細部に迫り、その表現の特異性に迫る。さらに11世紀から現在までの様々な《バベルの塔》も紹介。大友克洋がバベルの塔の内部を描いた《INSIDE BABEL》の制作工程も独占レポート! <読む前の大使寸評>追って記入amazon芸術新潮(2017年5月号)【浮世の画家】カズオ・イシグロ著、早川書房、2006年刊<「BOOK」データベース>より戦時中、日本精神を鼓舞する作風で名をなした画家の小野。多くの弟子に囲まれ、大いに尊敬を集める地位にあったが、終戦を迎えたとたん周囲の目は冷たくなった。弟子や義理の息子からはそしりを受け、末娘の縁談は進まない。小野は引退し、屋敷に篭りがちに。自分の画業のせいなのか…。老画家は過去を回想しながら、みずからが貫いてきた信念と新しい価値観のはざまに揺れるーウィットブレッド賞に輝く著者の出世作。<読む前の大使寸評>おお ノーベル賞受賞作家の初期の作品ではないか♪・・・ということで、チョイスしたわけです。rakuten浮世の画家************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き291
2018.03.21
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<鬼門は自動運転車R3>臍が曲がった大使は、ただいま自動運転車に対して批判的な論調を集めています。・・・要するに、アップルやグーグルそしてアメリカ人が嫌いなだけだったりして(笑)・ウーバー自動運転車の人身事故・『ビッグデータの罠』・AIをもっと温かく見守る・テスラ社の自動運転車は怖い・グーグルの自動運転車・自動車産業デジタル化の未来・無くても困らない自動運転車・オートメーション・バカR3:『ウーバー自動運転車の人身事故』を追記<『ウーバー自動運転車の人身事故』>ウーバーの自動運転車が人身事故を起こしたようです。やはり起きたかの感があるわけで、イーロン・マスクの大型ロケットが爆発するのとは別の恐さがあるなあ・・・2018/03/20ウーバー自動運転車が死亡事故 米アリゾナ州で通行人はねるより 【AFP=時事】米配車アプリ大手のウーバー(Uber)は19日、アリゾナ州で同社の自動運転車が死亡事故を起こしたことを受け、自動運転車の試験走行を停止したと発表した。同社によると、事故は18日夜、アリゾナ州テンピで発生。運転席にオペレーターが座った状態で自動運転を行っていた車が、通りを歩いていた女性をはねた。女性は病院に搬送されたが、後に死亡した。 ウーバーの広報担当者はAFPに対し、被害者の遺族への弔意を表明。「この事故を捜査する地元当局に全面的に協力している」と述べた。同社は事故を受け、テンピやピッツバーグ、サンフランシスコ、カナダのトロントで試験中だった自動運転車の使用を停止したという。 自動運転車が通行人を巻き込む死亡事故を起こしたのは初めて。2016年には米電気自動車(EV)大手テスラ(Tesla)が自動運転車業界で初の死亡事故を起こしており、今回の事故を受け、同業界が自動運転車の導入を急ぎ過ぎているのではとの懸念が高まることが予想される。【翻訳編集】 AFPBB News『ビッグデータの罠』という本が指摘していたように、「実際に公道での走行が一般開放されるまでにはまだ何段階ものクリアしなければならない課題がある」ようです。<『ビッグデータの罠』4>図書館に予約していた『ビッグデータの罠』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。先日の朝日の記事(ニッポンの宿題)個人データ どこまでを読むにつけ、えらいこっちゃ!ということで、この本を図書館に予約していたのです。大使はビッグデータに悪しきイメージを持っているのだが・・・ビッグデータの恐さを、見てみましょう。p110~112<ビッグデータに命をあずけられるのか> ビッグデータを駆使した事例にスマートガンがある。スマートフォンが電話の改革であったように、スマートガンは銃器の改革を目指している。そもそも軍事分野はIT技術の導入に積極的である。コンピュータやOR(オペレーションズ・リサーチ)自体が軍事的な要請の元に発展してきたものであるし、近年では戦力単位のネットワーク化が著しい。 艦と艦、車と車はいうに及ばず、人と人の単位ですらリンクされ、その状態や戦力分布が一元管理される。もはや、山本五十六が後方で南雲機動部隊の動向をはかりかねていたような事態は起こり得ないのだ。 この潮流が個人の持つ銃器の世界にも起ころうとしている。ショットガンやハンドガンの電子機器化である。2000年頃にハンドグリップに指紋認証を施し、所有者本人でないと撃てない銃が提案されたが、スマートガンではそれを一歩進めて、撃つべきでない人は撃てない仕様を目指している。その判断にビッグデータが使われるのである。本当にきちんと機能すればの話だが、市街戦における民間人への誤射、狩りにおける人への誤射などを劇的に減らすことができるだろう。 ただ、今までの経緯を踏まえると、こうした技術の本格導入は容易ではない。認証機構を持った銃ですら、満足に導入されていないのだ。誤射で多くの人が亡くなっている米国ですらだ。 やはり、最終的な信用度がないのである。よく基幹システムの可能性は99.999%(ファイブナイン)が必用と言われる。24時間365日稼動のシステムで、1年間に5分しか止まってはいけない計算になる。パソコンでOSを再起動させるのにもこの程度の時間がかかってしまうことを考えると途方もなく困難な数値だが、確かに電気、ガス、水道、金融、交通といったインフラではこのくらいの精度がないと困る。 こうしたインフラがこれまでに培ってきた信頼性と比較すると、まだ情報システムの信頼性は低いのである。 情報システムの信頼性向上は喫緊の課題であり、今後大きくクローズアップされることが予想される。現在テストを行なっている自動車の自律運転システムが本格導入される際にも問題点として立ち上がってくるだろう。自動車の自動走行技術は、公道を問題なく走れる水準に達しているが、実際に公道での走行が一般開放されるまでにはまだ何段階ものクリアしなければならない課題がある。 たとえば、技術的にはどのくらい安全性が高められるかだ。今のところ自動運転車の深刻な事故は報道されていない。状況判断や接近回避の技術はすでに高い水準に達している。しかし、機械が故障するかもしれない。また、販売して実用に供する場合は、完全自動運転にするのか、あくまでドライバーのサポートにとどめるのかも明確にしなければならない。グーグルは前者の立場で、トヨタは後者の立場だ。前者は故障時の対応に不安が残り、後者は緊急事態が生起して人間と機械の判断が割れたときに、どちらを採用するのかの問題がある。【ビッグデータの罠】岡嶋裕史著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりあなたのクラウド・データは見知らぬ国に保管されている!ビッグデータはいいこと尽くめじゃない。電話番号、スケジュール、写真、ドキュメントなど、クラウドに委ねることが当たり前となった時代、膨大なデータを誰がどう管理・活用しているか知っているだろうか?無料、便利さと引き換えに少しずつ侵食される個人の情報。プライバシーを脅かす「新たな監視社会」に警鐘を鳴らす。<読む前の大使寸評>先日の朝日の記事(ニッポンの宿題)個人データ どこまでを読むにつけ、えらいこっちゃ!ということで、この本を図書館に予約していたのです。<図書館予約:(2/15予約、2/20受取>rakutenビッグデータの罠(中略)***************************************************************<オートメーション・バカ>おお アメリカにも自動運転車嫌いが、おったでぇ♪【オートメーション・バカ】ニコラス・G.カー著、青土社、2014年刊<「BOOK」データベース>より運転手がいなくても車が走り、パイロットが操縦しなくても飛行機が安全に飛び、さらには、自分の必要としているものも、道徳的な判断さえも、すべて機械が教えてくれる世界。それは一体どんな世界なのかー。ベストセラー『クラウド化する世界』『ネット・バカ』の著者が鮮やかに暴き出す、すべてが自動化する世界のおそるべき真実!【目次】第1章 乗客たち/第2章 門の脇のロボット/第3章 オートパイロットについて/第4章 脱生成効果/第5章 ホワイトカラー・コンピュータ/第6章 世界とスクリーン/第7章 人間のためのオートメーション/第8章 あなたの内なるドローン/第9章 湿地の草をなぎ倒す愛<読む前の大使寸評>いかにも探検家の角幡唯介さんが選びそうな本である。角幡唯介さんが次に目指すのは北極だそうだが、この探検にはGPS機能の機器を持参しないそうで(星座観測、六分儀を使用?)、オートメーションを拒否して動物的感覚を頼る計画だそうです・・・・すごい♪また、アップルやグーグルが自動運転車の製造を目論んでいるようだが・・・・何と心ときめかない製品ではないか(笑)<図書館予約:(5/15予約、9/19受取)>rakutenオートメーション・バカオートメーション・バカby角幡唯介オートメーション・バカbyドングリ要するに、アップルやグーグルそしてアメリカ人が嫌いなだけだったりして(笑)この記事は、左のフリーページの「鬼門は自動運転車」に収めておくものとします
2018.03.20
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先日(18日)のNHKスペシャル『生命誕生の秘密』を観たのだが、興味深い内容であった。2018年3月18日シリーズ人体 第6集「生命誕生・見えた!母と子 ミクロの会話」より 体中の臓器がお互いに情報を交換することで私たちの体は成り立っている。そんな新しい「人体観」を、最先端の電子顕微鏡映像やコンピューターグラフィックスを駆使して伝える、シリーズ「人体」。 第6集のテーマは“生命誕生”だ。母親の胎内で赤ちゃんはどうやって成長していくのか。実は、たった一つの受精卵が赤ちゃんに育つプロセスこそ、細胞が発する“メッセージ物質”が大活躍する舞台であることが最先端の研究で分かってきた。最初に生まれる臓器は心臓。 その後、細胞同士が次々とメッセージ物質を交わしながら、ひとりでに体が作られていく神秘的な様子が浮かび上がってきたのだ。さらに、胎内の赤ちゃんがメッセージ物質を使って、母親とまるで会話をするように情報をやりとりしていることも明らかに。 いま、こうした胎内のメカニズムに学び、人工の臓器を作る研究も加速している。これまでほとんど知られていなかった生命誕生の壮大なドラマに迫る。この番組を見ながら、メモしたのです。・着床後の受精卵から母に対するメッセージ物質hCGが母の子宮や卵巣などに働く・メッセージ物質ウィントによって細胞から拍動する心臓が生まれる。・子宮の中に胎盤ができて赤ちゃんの樹、恵みの窓が発生し、子供の成長が始まる・ドミノ式全自動プログラムが起動し・・・心臓から肝臓が生まれる・自動プログラムによって着床10週目に手足が形成される。・赤ちゃんの樹が「もっと大きくなりたい」というメッセージを出し、「恵みの雨」が降ってくる・妊娠4ヶ月ころ赤ちゃんの細胞がメッセージ物質PGFを出し、母が恵みの窓を広げ、赤ちゃんの樹は子宮の壁を突き破る・iPS細胞からミニ肝臓を作る施設ができて作業をはじめているそうだが、日本の研究は最先端のようだ。ドミノ式全自動プログラムというのが、生命の奇蹟というか驚異であった。そのプログラムの一部分を研究して、再生医療に活かすべく邁進している中山さんが、ええなあ♪・NHKスペシャル『人体 神秘の巨大ネットワーク 』プロローグ2017.10.03・NHKスペシャル『人体 脂肪と筋肉 』2017.11.05・NHKスペシャル『万病撃退!“腸”が免疫の鍵だった』2018.1.14
2018.03.20
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先日(18日)のNHKスペシャル『骨が出す!最高の若返り物質』の再放送を観たのだが、興味深い内容であった。2018年1月07日NHKスペシャル人体”骨”が出す!最高の若返り物質より 骨なんて、単に体を支える棒っきれだと思っていませんか?ところが、骨の中にはたくさんの細胞がうごめき、なんと体全体の“臓器を若くする”ための「特別な物質」を出していることが、最新の研究でわかってきました。 2018年1月7日放送のNHKスペシャル「人体」第三集・骨では、W司会の山中伸弥さん、タモリさんに加え、女優・木村佳乃さん、タレント・石田明さん(ノンスタイル)と藤井隆さんで、“骨”が持つ驚きのパワーに迫りました。この番組を見ながら、メモしたのです。・骨は他の臓器を若く保つ機能を持っている。・骨量が減少すると老化が進む。・骨量が減少すると記憶力が減少する。骨が発するオステオカルシンというメッセージ物質が減少するからである。・だから高齢者の骨折は単に運動の障害だけではなくて、より老化を進めることになる。・オステオカルシンは精力アップにも影響を与えている。・免疫力にも骨が発するオステオポンチンというメッセージ物質が影響している・スクレロスチンというメッセージ物質が骨量を制限している。・破骨細胞と骨芽細胞の働きによって、骨は常に作り変えられている。・骨細胞が多様なメッセージ物質を作っている・骨に衝撃が加わると骨芽細胞が増えて臓器の若さを保つことになる。ウーム 高齢者の骨折は老化を進めるのか・・・骨芽細胞を増やすためにマラソン練習を再開せなあかんな。・NHKスペシャル『人体 神秘の巨大ネットワーク 』プロローグ2017.10.03・NHKスペシャル『人体 脂肪と筋肉 』2017.11.05・NHKスペシャル『万病撃退!“腸”が免疫の鍵だった』2018.1.14
2018.03.20
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図書館で『蒲生邸事件』という本を、手にしたのです。戦時中の日本へ降り立った時間旅行者ってか・・・この舞台設定が興味深いわけで、借りる決め手になったのです。【蒲生邸事件】宮部みゆき著、毎日新聞出版、1996年刊<「BOOK」データベース>よりこの国はいちど滅びるのだー長文の遺書を残し、陸軍大将・蒲生憲之が自決を遂げたその日、時の扉は開かれた。雪の降りしきる帝都へ、軍靴の音が響く二・二六事件のただなかへ、ひそかに降り立った時間旅行者。なぜ彼は“この場所”へ現れたのか。歴史を変えることはできるのか。戦争への道を転がり始めた“運命の4日間”を舞台に展開する、極上の宮部ミステリー。<読む前の大使寸評>戦時中の日本へ降り立った時間旅行者ってか・・・この舞台設定が興味深いわけで、借りる決め手になったのです。rakuten蒲生邸事件この小説の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。定宿にしているホテルに飾られていた写真パネルあたりです。p8~9<第一章 その夜まで> 額の余白の部分に、金釘文字で書き込んである。「旧蒲生邸 昭和22年4月20日 撮影者小野松吉」 蒲生邸。ということは、これは個人の邸宅だったのだ。博物館みたいな外観はともかく、それほど大きな建物ではないようなのは、それでうなづける。 それにしても、なんでこんな洋館の写真がここに?という疑問は、すぐ上の額縁の写真を見上げると解けるようになっていた。 それは肖像写真だった。肩章のついた軍服の胸に勲章を飾った初老の男性が、カメラに正対している。視線はわずかに上を向き、そのせいか、やや放心したような表情だ。被写体の男性は椅子に腰掛けていて、上半身しか写っていないが、それでも、輪郭のはっきりしたいかつい顔と、がっちりした肩の感じから、いかにも軍人らしい武張った雰囲気が、充分に伝わってきた。「陸軍大将 蒲生憲之」 被写体の下に、そう書いてある。写真に並べて、同じ金釘文字の筆跡で綴られた長文の文書も掲げてあった。「現在当ホテルの建っている場所は、戦前、陸軍大将蒲生憲之氏の屋敷があったところです。 蒲生大将は、明治9年千葉県佐倉市の農家の次男として生まれました。幼い頃から学業と武芸に優れ、地元の中学を卒業すると陸軍士官学校へと進み、さらに陸士卒業後、陸軍大学在学中に日露戦争が勃発すると、中隊長として前線でめざましい活躍を果たしました。 日露戦争が終ると陸大学へ戻り、恩賜の軍刀を賜って卒業後は軍務局軍事課に勤務、以降も順調に進級を続け、歩一旅団長、参謀次長などの経歴を経て昭和8年4月に陸軍大将になりました。しかし、翌9年に病を得て予備役に退き、病後の回復がはかばかしくないままに退役。著作と軍務とりわけ補給に関する軍略の研究に打ち込む生活に入りましたが、2年後の昭和11年2月26日、2・26事件勃発当日に、蒲生大将は、長文の遺書を残して自決しました。(中略) 大将の遺書は、戦前の我が国の政府・軍部が置かれていた状況と抱えていた問題を鋭く分析した上、起こりうる最悪のケースとしての対米開戦とその敗北まで見通し、軍部の独走を諌めた恐ろしく先見の明に富んだ内容で、現在でも、歴史研究家のあいだで高い評価を受けております。 なお、当ホテルの創始者小野松吉は、昭和23年に旧蒲生邸を買い取った折、大将の遺書の存在を知り、故蒲生大将の人柄とその慧眼に深い尊敬の念を抱き、創業当時から館内に大将の肖像と経歴を掲げて顕彰して参りました」 読みにくい筆跡なので、貴史は自然と身を乗り出し目をこらしていた。後ろでエレベーターのドアが閉まる音が聞こえ、はっとして振り返った。ようやく降りてきたエレベーターの箱が、乗り手のないままそこで静止している。
2018.03.19
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図書館で『ロマンシェ』という本を、手にしたのです。先日、原田マハの『あなたは、誰かの大切な人』という短編集を読んで良かったので・・・この小説も期待できそうやでぇ♪【ロマンシエ】原田マハ著、小学館、2015年刊<「BOOK」データベース>よりアーティストを夢見る乙女な美・男子が、パリの街角で、ある小説家と出会ったー。ラスト277ページから、切なさの魔法が炸裂する、『楽園のカンヴァス』著者の新たなる代表作!<読む前の大使寸評>先日、原田マハの『あなたは、誰かの大切な人』という短編集を読んで良かったので・・・この小説も期待できそうやでぇ♪rakutenロマンシエこの小説の冒頭を、ちょっとだけ見てみましょう。p4~6<1> あ、だめだめ。だめだよ、そんな・・・。 ルルル、ルルル、ルルル。 ルルル、ルルル、ルルル。 トントン、トントントン、ドンドンドン。「みっちゃん、ちょっとみっちゃん。電話、電話。携帯が鳴ってるわよ。・・・みっちゃんたら!」 がばっ。 と、起き上がったとたんに、携帯電話の着信音が途切れた。 時計を見ると、6時10分。電気、つけっぱなし。やだもう、いつのまに寝ちゃったんだろう・・・って、こんな朝っぱらから電話してきたの、誰よ? ぺたん、とカーペットの上に座り込んで、ぼんやりとかすんだ目で部屋の中を眺める。ベッドとデスク、そのあいだにこたつ。こたつの上には、スケッチブック、アクリル絵の具のチューブ、何本もの絵筆が転がっている。 ああ、締切り。今日は締切りだったんだ。文芸誌「きらり」の、花咲かれん先生の連載小説の挿し絵。学校のほうの提出と重なっちゃって、きのうは完徹するつもり、だったんだ。あと一歩で完成、ってところで、オチちゃったんだわ。 ああそっか、さっきの電話は、担当編集の松原さんかな。ゆうべは編集部泊まりだったのかもね。でも、いま6時でしょ、これから2、3時間がんばれば仕上がるから、今日の朝10時の印刷所への最終入稿までには間に合うよね。 よおし、がんばらなくちゃ。そのまえに、カフェ・オ・レを作って、たっぷりハチミツ入れて、アロマポットにラベンダーのエッセンシャルオイルをひとたらし、お気に入りのもふもふポンチョを着込んで、うーんとあったかくして、フィニッシュに向かって、自分にエールっ!・・・なあんて、ふふっ。 ああ、でも、さっきの夢、いいとこだったのになあ。あこがれの高瀬君と、超・大接近。彼の長いまつげが、あとちょっとで、あたしのまつげに触れそうだった・・・。無粋な電話と、ドアのノックがなければ、あたしたち、ひょっとして、結ばれたかもしれないのに・・・。「・・・ねえ、みっちゃん、起きてるの? いいかしら、入るわよ」 か細い声がドアの向こうから聞こえてきた。 あたしは「ああ」と、ちょっと不機嫌な声を出してしまった。で、ぺたんこ座りをやめて、その場に正座・・・をしかけて、あわててあぐらをかいた。 遠慮がちにドアを開けて、しずしずと優雅な物腰で部屋に入ってきたのは、うちのママン、遠明寺貴子(58歳)。最近、毎日ママンを見ていて、あらためて偉いなあ、って思うのは、朝っぱらからきちんと着物を着ていること。茶道教室の先生、ってこともあるけど、パパがママンとお見合いしたとき、着物姿にノックアウトされちゃったらしくて、「僕のために、一生着物を着続けてほしい」とかなんとか、プロポーズのときの決めゼリフだったらしい。 以来、一途にパパを愛する大和撫子なママンは、どんなにミニスカートが流行ろうが、肩パッド入りワンピースが巷に溢れようが、世間のミセスがゆるゆるチェニックで体型を隠そうが、ずっと和装を貫いている。 そういうのも、きっと愛のかたちなんだろうなあ。でもあたしは、僕のために、一生・・・なんてイケ好かないことを言うヤツ、ゴメンだけど。この後、この小説で最初のどんでん返しがあるんだけど・・・そのネタばらしは止めておきましょう。『あなたは、誰かの大切な人』3
2018.03.19
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2本立て館で観た映画を集めてみました。ま~個人的な鑑賞目次みたいなものです。パルシネマ上映スケジュールR5:「静と動・・・」を追記・静と動・・・H30.3.16・【年末】掘り出し物特集H29.12.25・家族の歴史H29.10.04・子供たちのためH29.6.29・ヨーロッパの景観H28.11.18・噂と真実・・・H28.11.7・人生いたるところに青山ありH28.9.8・暑中お見舞い2本立てH28.8.15・新春の2本立てH28.1.1・仲間と家族、大切なのは絆・・・ H27.11.24・行動すると、何かが・・・ H27.11.03・使命を背負う者は・・・H27.10.04・家族以上の絆H27.8.04・初老向け二本立て映画H27.3.28・生きた証H26.10.30・不良老年2本立てH26.09.20・文芸2本立てH26.8.14・離婚の危機を乗りこえたH26.3.09・頑張るフランス女H26.2.06・大晦日に2本立て館へH26.1.5・豪華2本立てを観たH25.9.28・屋根裏部屋のマリアたちH25.4.24・「キリマンジャロの雪」と「星の旅人たち」H24.12.20・全天候型ロボジーと自称しているのでH24.8.11・マーガレット・サッチャー鉄の女の涙H24.7.8・ゴーストライターH24.4.11・ハートロッカー2010.09.07・グラントリノ2009.08.14・ナイロビの蜂(The Constant Gardener) 2006.09.21以降、折りをみて追記予定。
2018.03.19
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久々にくだんの2本立て館に繰り出したが・・・・今回の出し物は「パターソン」と「オン・ザ・ミルキー・ロード」であり、館主の設けたテーマは「静と動」のようです。毎度のことながら、2作品を選ぶ館主のセンスには感心しているのですが、今回のテーマはかなりシュールというか哲学的でおました♪【パターソン】ジム・ジャームッシュ監督、2016年、仏・独・米制作、H30.3.16観賞<Movie Walker作品情報>より「スター・ウォーズ フォースの覚醒」のアダム・ドライバー主演による鬼才ジム・ジャームッシュ監督作。ニュージャージー州パターソンを舞台に、街と同じ名前を持つバス運転手パターソンのなにげない7日間を、ユニークな人々との交流を交えながら映し出す。共演は「彼女が消えた浜辺」のゴルシフテ・ファラハニ、「光」の永瀬正敏。主人公の愛犬マーヴィンを演じたイングリッシュ・ブルドッグのネリーが第69回カンヌ国際映画祭<パルム・ドッグ賞>を受賞。<大使寸評>おお アメリカの地方都市にも巡行バスや徒歩通勤があったのか♪詩をつづるバスの運転手の日常が静かに描かれていて、こんなアメリカもあるのかと思わせる映画でした。永瀬正敏が演じる日本人旅行者と詩について問答を交わしたシーンが興味深いのです。バスの運転手・パターソンが日々つづる詩が英文字幕として画面の隅に出てくるのがユニークというか、英文理解には好都合でおます♪それから、主人公の愛犬マーヴィンが映画祭のパルム・ドッグ賞を受賞そうで・・・冗談にしろ、よかったでぇ。Movie Walkerパターソンこの映画館では毎回、幕間にお昼の弁当を食べるのだが・・・・今回もダイエーで買ったサンドウィッチでした♪【オン・ザ・ミルキー・ロード】エミール・クストリッツァ監督、2016年、セルビア・米・英制作、H30.3.16観賞<Movie Walker作品情報>より『アンダーグラウンド』でカンヌ国際映画祭パルムドール賞に輝くなど、数々の受賞歴を誇る名匠エミール・クストリッツァ監督によるラブストーリー。戦争が終わらない国を舞台にミルク運びの男と美しい花嫁の逃避行を描く。クストリッツァ自身が主人公のコスタを、花嫁をモニカ・ベルッチが演じる。<大使寸評>とにかく戦火の中を走り回り、その合間に恋をするというドタバタ気味の作品でした。主人公の晩年に石を担いで山に登るところや、ヘビが意味深な役を演じるところがキム・ギドク監督の『春夏秋冬そして春』に似てなくもないのでした。とにかく、セルビア人の監督自らが演じた異色なラブストーリーというべきで、想定外のシーンがつづくのでおます♪Movie Walkerオン・ザ・ミルキー・ロードところで、大使一押しの女優でもある工藤夕貴がジム・ジャームッシュ監督の新作『リミッツ・オブ・コントロール』に出るんだって・・・DVDレンタルしてるやろか?ハリウッド女優・工藤夕貴、役者をやめられない理由とは?より 近年、ハリウッドで活躍する日本人俳優の草分け的存在として一目置かれている女優、工藤夕貴。アメリカ進出のきっかけとなった『ミステリー・トレイン』(89)以来、20年ぶりとなるジム・ジャームッシュ監督との仕事や、女優活動について話を聞いた。 新作『リミッツ・オブ・コントロール』で工藤が演じるのは主人公“孤独な男”に接触する女性、コードネーム“分子(モレキュール)”。この名前からも察しがつくように、分子の話を淡々と男に語る何ともユニークな役柄だ。しかし、演じるのは想像以上に難しかったという。「思想とか音楽とか映画の話は感情を込めやすいけれど、なにせ分子の話ですからね(笑)。しかも説明する感じではなく“今日、買い物に行ってこういう靴を見つけたの!”というように、軽い感じで楽しく話してほしいってジムは言うんです。ただでさえ文法的に難しいセリフなのに……でも、面白かったですよ」と、現場を振り返る。今回の作品も2本立て館で観た映画R4に収めておきます。パルシネマ上映スケジュール
2018.03.18
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<『なぜ「日本人がブランド価値」なのか』3>図書館で『なぜ「日本人がブランド価値」なのか』という本を、手にしたのです。『今こそ、韓国に謝ろう』という嫌韓本を借りたので・・・この親日本を借りて中和?しようという魂胆でおます。【なぜ「日本人がブランド価値」なのか】呉善花著、光明思想社、2016年刊<「BOOK」データベース>より日本が“世界の行き詰まり”を救う!来日1年目の“親日”、2~3年目の“反日”そこを超えて著者が見たものは、世界のどこにもなかった“理想の大地”だった!著者渾身の“日本人論”!<読む前の大使寸評>『今こそ、韓国に謝ろう』という嫌韓本を借りたので・・・この親日本を借りて中和?しようという魂胆でおます。rakutenなぜ「日本人がブランド価値」なのか日本通の呉善花さんは「お蔭さま」という言葉をどう思うのか、見てみましょう。p108~112<お蔭さま> このへんがわかってくると、「ありがとう」とともによく使われる言葉、「お蔭さま」のニュアンスもなんとなくわかってきます。 たとえば、会社の創立記念日などで韓国の社長が挨拶をするとしたら、「私はかくかくの苦労を乗り越え、かくかくの努力をしてきて、これだけの立派な企業を築き上げてきました」というように、まず「自力」を前面に出すいい方をするものです。しかしこれが日本人の社長ならば、必ずといってよいほど、「みなさまのお蔭で」と「他力」を前面に出すいい方になってきます。 この場合の「みなさま」は実際には社員だったり、出資者だったり、取引先だったり、消費者だったりするのでしょう。でもそこには、単に具体的なそれらの人々ということだけでは納まりきらない、もっと横断的で茫洋たる広範さをいっている、という感じを受けざるを得ません。 韓国でも、「みなさんの徳沢を得て」といういい方をすることがあります。しかし「徳沢」とは、具体的な他者から得た恵みや恩沢についていう言葉で、「お蔭さま」のように、目に見えないどこか人為を超えたような力までは含んでいません。かといって「お蔭さま」は、キリスト教のような「唯一絶対の神」の力でもありません。「お蔭さま」をひとことでいえば「自然力の作用」というしかないものだと思います。日本人は、何もお坊さまのように生きようとしているのではなく、あらゆる他者性のなかに自然力の作用を感じて生きること、それを生活の理想としているのだと、そういうべきではないのかと思います。 日常会話としての日本語がなんとか身についた頃でも、「お仕事はうまくいっていますか?」と聞かれて、「はい、お蔭さまで」とはなかなかいえませんでした。本心では、「自分の努力でうまくいっているんだ」と思っているからです。でも、こういう言い方は日本の習慣なのだから仕方がない、今度こそうまく使ってやろうと意識的にやっているうちに、いつしか「お蔭さまで」と口をついて出てくるようになっていきます。そうすると、実に不思議なことに、本当に「お蔭さまで」という気持ちになってくるものなのです。 最初は単に「受けた援助への感謝の気持ち」程度の意味と思っていたのですが、どうもそれだけでは納まらない言葉だ、という感触がずっとありました。やがて、「ああ、こういうことなもか」と理解できたと思えたのは、夏目漱石が文明開化を論じるさいに使った「内発」という言葉に接したときでした。「…内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向かうのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです」(明治44年8月の講演) 内発的な働きとは、蕾が開いて花が咲くのは、その植物自身の働きであるけれども、それは同時に自然力を受けての働きである・・・と理解できます。夏目漱石は、現在の文明開化期の日本は外発的になってしまっていると批判します。西洋の発展は当然ながら内発的なものであるが、近代以前の日本もそれと同様、内発的に発展してきたのだ、といっています。 これでピンときて、日本人にはそういうところに「自己の理想」が考えられているに違い馬ないと思えました。「お蔭さまで」という言葉には、「自然力の作用をうけての内発」という自己のあり方への自覚が、とてもよく示されていると思います。そこから感じられる自己は、ある大きな自然の流れとともに生きてきた自己であり、その流れをしっかり見定めてさまざまな具体的な行為を展開してきた自己でしょう。ウン 日本に来てカルチャーショックを受けた呉善花さんでしたが・・・その後も思索を深めているようですね♪この本も呉善花さんという人R1に収めておきます。『なぜ「日本人がブランド価値」なのか』2:日本人の精神性『なぜ「日本人がブランド価値」なのか』1:非イデオロギー国家日本
2018.03.18
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図書館で『なぜ「日本人がブランド価値」なのか』という本を、手にしたのです。『今こそ、韓国に謝ろう』という嫌韓本を借りたので・・・この親日本を借りて中和?しようという魂胆でおます。【なぜ「日本人がブランド価値」なのか】呉善花著、光明思想社、2016年刊<「BOOK」データベース>より日本が“世界の行き詰まり”を救う!来日1年目の“親日”、2~3年目の“反日”そこを超えて著者が見たものは、世界のどこにもなかった“理想の大地”だった!著者渾身の“日本人論”!<読む前の大使寸評>『今こそ、韓国に謝ろう』という嫌韓本を借りたので・・・この親日本を借りて中和?しようという魂胆でおます。rakutenなぜ「日本人がブランド価値」なのか日本通の呉善花さんは日本人の精神性をどう見ているのか、見てみましょう。p43~45<世界的なテーマとしての「ニッポン」> 「前農耕アジア的世界」は、今では中国や韓国に見出すことができません。しかし日本ではなぜかこの第三層が今なお生きているのです。この「今なお生きている」ところが、日本の基本的な性格を形づくっている、というのが私の理解です。韓国人をはじめとする外国人が容易に理解できない日本人の精神性こそ、この「前農耕アジア的世界」に由来する「前農耕アジア的な世界」はいうまでもなく、「西欧的・近代的な世界」は限界にぶつかっており、もはや未来的な可能性を持ち得てはいません。しかし第三の「前農耕アジア的世界」は、今なお未来的な可能性を持ち続けています。 この「前農耕アジア的な世界」の精神性は、現在の世界が陥っている限界の突破に向けて、個と全体の調和を軸にした高い理想を実現する可能性をもっています。そこに、世界的なテーマといての「ニッポン」があるのです。私はそのように考えています。 現在、世界に湧き起こっている日本ブームには、世界的な文明の趨勢と、自然環境や伝統的な生活との間に発生する軋みが大きくかかわっていると思います。現在の日本文化が見事に形づくる伝統とモダンの調和が、諸国で注目されるようになっているものも、その一つの現れではないでしょうか。 1980年代の頃までは、「伝統的な昔はよかった」という伝統回帰主義的な主張と、「文明や科学が発達した今がよい」という文明進歩主義的な主張は、相容れずに対立することが多かったと思います。それが近年では世界的なレベルで、この二つの正反対の主張をぶつけ合うのではなく、両立させていこうとする傾向がかなり見られるようになってきたと思います。(中略) そうした発想に至れば、伝統回帰主義と文明進歩主義はこれまでの対立をやめ、一体化した新しい考えを形づくっていく可能性が出現します。そうした新しい流れが、現在、世界のさまざまな分野で生み出されていると感じます。 そのヒントは、日本に古くからある、「自然もまた、ある意味での意思をもっている」という感覚や考え方です。より古くは、すべての自然物に人間と同じように魂が宿っているという考えがあり、そこからさらに、土地には土地の意思があり、川には川の意思があるという考えに立った、近代のエコロジーとは異なる、神社信仰的な、あるいは神道的な自然環境の理念が生まれていったのです。 世界経済や国家社会のあり方、自然環境のあり方を、根本的に価値転換していくべき時代に入っているのではないでしょうか。とくにグローバルな世界資本主義はまさに、その時期に入っていると強く実感しています。『なぜ「日本人がブランド価値」なのか』1
2018.03.18
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図書館に予約していた『今こそ、韓国に謝ろう』という本を、ゲットしたのです。文大統領が登場以来、ますます冷え込む日韓関係であるが・・・この嫌韓本を読んでガス抜きをしようと思ったのでおます。【今こそ、韓国に謝ろう】百田尚樹著、飛鳥新社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりこれで日韓問題は完全に解決する。楽しみながらサクサク読めて納得できる、まったく新しい「韓国大放言」【目次】第1章 踏みにじられた朝鮮半島/第2章 伝統文化の破壊/第3章 「七奪」の勘違い/第4章 ウリジナルの不思議/第5章 日本は朝鮮人に何も教えなかった/第6章 慰安婦問題/第7章 韓国人はなぜ日本に内政干渉をするのか<読む前の大使寸評>文大統領が登場以来、ますます冷え込む日韓関係であるが・・・この嫌韓本を読んでガス抜きをしようと思ったのでおます。<図書館予約:(8/29予約、3/14受取)>rakuten今こそ、韓国に謝ろう「第5章 日本は朝鮮人に何も教えなかった」で、韓国のモラルについて見てみましょう。p194~196<韓国のモラルが低いのは誰のせいか> また海外での工事も悲惨な例が多いです。「サムスン物産ベトナム工事現場崩壊」(2015年3月26日)、「マレーシア最新式競技場屋根が1年で崩壊」(2009年6月3日)、「旧パラオKBブリッジ崩壊」(1996年9月26日)などです。 私はこうした事例を出して、韓国を笑うつもりはありません。むしろその反対で、韓国に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになります。第一章で、聖水大橋が落ちた時、「日本人が作った橋は70年経ってもびくともしないのに、韓国人が作った橋が15年で落ちた」と言ったおじいさんに対して、孫が「日帝が36年も朝鮮を支配していたから、ぼくらは丈夫な橋を作る技術を学ぶことができなかったんだ」と答えた話を書きました。もちろんこれは一種の笑い話です。橋を架ける技術くらいは、いくら何でも戦後何十年もすれば身に付けることができたでしょう。 しかしこの「笑い話」の孫の言葉はある意味で真実を衝いています。それは橋を架ける技術よりももっと大切な「モラル」を日本人は朝鮮人に教えてこなかったからです。 日本人は併合時代に朝鮮人に様々なものを教えました。もっともそれらは何度も言ってきたとうに、朝鮮人が望んだものではないので、彼らにしてみれば「有難迷惑」以外の何ものでもありません。そのことは謝罪しなければならないのは当然ですが、それはひとまず置いてぴて、日本人が朝鮮人にいろんなことを教えようと思った動機は、彼らが多くのことを知らなかったからです。文字を知らず、灌漑技術を知らず、近代的農業を知らず、護岸工事を知らず、植林の意義を知らず、ビジネスを知らず等々、だからこそ一所懸命に、それらを教えたのです。 しかし日本人は一番大事なことに気付きませんでした。それはモラルです。 もしかしたら日本人はそうしたものはわざわざ教えなくとも、自然に身に付くと考えていたのかもしれません。前に私は「衣食足りて礼節を知る」と書きましたが、衣食を与えれば礼節を知ることになるだろうと、安易に考えていたような気がしてなりません。 また日本には昔から「背中を見て学ぶ」という言葉があります。人間としての生き方や姿勢は、敢えて口に出して教えなくとも、行動などで示して教えるという考え方です。日本人は朝鮮人たちに、こうした態度で接したのではないでしょうか。 しかしそれは大きな勘違いでした。異なる文化や風習を持った民族に、「背中」を見せて学ばせるなどということは無理です。結局、その結果、日本人は人として本当に大切な「モラル」というものを朝鮮人たちに教えることができませんでした。 セウォル号沈没事故や三豊百貨店崩落事故などを見て、韓国を笑う日本人がいますが、それは自分たちの祖先の失敗を笑うのと同じなのです。ウーム かなり上から目線の論調であり、これでは韓国人は納得しないでしょうね(笑)『今こそ、韓国に謝ろう』1
2018.03.17
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図書館に予約していた『今こそ、韓国に謝ろう』という本を、ゲットしたのです。文大統領が登場以来、ますます冷え込む日韓関係であるが・・・この嫌韓本を読んでガス抜きをしようと思ったのでおます。【今こそ、韓国に謝ろう】百田尚樹著、飛鳥新社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりこれで日韓問題は完全に解決する。楽しみながらサクサク読めて納得できる、まったく新しい「韓国大放言」【目次】第1章 踏みにじられた朝鮮半島/第2章 伝統文化の破壊/第3章 「七奪」の勘違い/第4章 ウリジナルの不思議/第5章 日本は朝鮮人に何も教えなかった/第6章 慰安婦問題/第7章 韓国人はなぜ日本に内政干渉をするのか<読む前の大使寸評>文大統領が登場以来、ますます冷え込む日韓関係であるが・・・この嫌韓本を読んでガス抜きをしようと思ったのでおます。<図書館予約:(8/29予約、3/14受取)>rakuten今こそ、韓国に謝ろう「第3章 七脱の勘違い」で、朝鮮の主権について見てみましょう。p107~110<日本が朝鮮に主権を与えた> 少し長い説明になりましたが、李氏朝鮮は中国の属国であり、主権国家ではなかったこということがわかっていただけたと思います。 さて、ここで併合前の話になりますが、当時は列強による「弱肉強食の世界」でした。とはいえ、実質はヨーロッパ列強によるアジアとアフリカ諸国への侵略です。アヒアでは、他の国々が次々に植民地にされていく中で、かろうじて中国と日本だけが侵略を免れ、独立国家としてヨーロッパに対抗していました。 しかしながら日本にとって朝鮮半島は、大陸から突き付けられたナイフのようなものでした。もしここをどこかの強国に奪われたなら、国防上の大きな危機です。そのために日本は朝鮮を中国の属国から独立させ、日本のように近代化して富国強兵国家にしようと考えました。要するに、朝鮮を強い国にして、日本の防波堤にしょうと都合のいいことを考えたわけです。 同じ頃、朝鮮国内でも、近代化を進めようとするグループが生まれました。しかし王族たちの間で権力争いが起こったり、また清が朝鮮に対する圧力を強めたりと、このあたりの歴史は非常にややこしく、短い文章ではとても書けません。 結論から言えば、1895年に日本は朝鮮を独立させるために清と戦って勝利します。清と結んだ下関条約の第1条が「朝鮮の独立を清に認めさせる」というものでした。ここに朝鮮史上初めて近代国際法に基づく独立主権国家が誕生しました。李氏朝鮮は「大韓帝国」と名乗り、清国に対する貢献・臣下の典礼の義務などから解放されました。つまり朝鮮に主権を与えたのは日本だったのです。もっとも、これも朝鮮人に頼まれてしたことではないので、有難迷惑の一つであったかもしれません。 この時、大韓帝国は屈辱の象徴であった迎恩門を壊して、代わりに「独立門」を建てました。ところが不思議なことに、現代の韓国では、これを「日本からの独立」を記念して建てられた門と思っている人が少なくないということです。なぜなのかはわかりません。 ところで、大韓帝国はせっかく独立を果たしたものの、近代化や工業化は遅々として進まず、経済政策の失敗などで、逆に混乱するばかりでした。さらに日本にとって困ったことに、大韓帝国が今度はロシアに接近したのです。千年以上も事大主義を続けてきた朝鮮にとって、ロシアが清に代わる宗主国と見えたのでしょう。当時は日本よりもロシアのほうがはるかに強大な国でした。不凍港が欲しかったロシアにとっても、これは願ってもないことで、朝鮮半島にじわじわと侵入し、勢力を伸ばしました。 朝鮮半島がロシアの支配下におかれれば、日本の安全保障にとっては極めて危険な状況になります。そしてついにロシアと日本が戦争になりました(日露戦争)。これも結局は朝鮮半島を巡って起きた戦争です。もし朝鮮がロシアに接近しなければ、日露戦争は起こらなかった可能性が高いと言われています。 日露戦争は欧米各国の予想を覆して、日本側の勝利に終わりました。そうして戦争終了後の1905年、日本は諸外国の承認を得て、大韓帝国を保護国にします。(中略) また朝鮮人の中にも併合を歓迎する気運が高まっていました。そして1910年、両国政府の合意のもと、日本は大韓帝国を併合したのです。これは武力を伴ったものではありません。繰り返しますが、朝鮮政府も望んだものです。ネットに迎恩門が出ていました。中国人の戯言~大中華思想~より【迎恩門】 清が勃興後、朝鮮は清に降伏しなかったため清は朝鮮に対し戦争を起こして打ち負かした。朝鮮の王家と貴族たちの家族数百人が人質として清に送られ、それと同時にさらに50万の朝鮮捕虜が連れ去られた。 これ以降、朝鮮の清に対する朝貢は500回を超え、清の使者が朝鮮に行けば朝鮮国王は漢城(ソウル)郊外の迎恩門で跪いて拝んで使者を迎えなければならず、慕華館において使者を接待しなければならなかった。
2018.03.17
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<図書館予約の軌跡118>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・村上春樹『騎士団長殺し第一部』(4/12予約済み、副本33、予約992)・村上春樹『騎士団長殺し第二部』(4/12予約済み、副本33、予約833)・頭に来てもアホとは戦うな!(12/26予約済み、副本6、予約108)現在70位・真山仁著『オペレーションZ』(1/05予約済み、副本8、予約101)現在58位・アメリカ 暴力の世紀(1/15予約済み、副本2、予約35)現在23位・萩野アンナ著『カシス川』(1/20予約済み、副本3、予約30)現在19位・菅ちゃん英語で道案内しよッ! (2/28予約、副本6、予約48)現在41位・カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』(3/25予約、副本7、予約30)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)・日本その日その日<予約候補>・世界のミリメシを実食する・サピエンス全史(上・下)図書館未購入・先進国・韓国の憂鬱・フィリップ・ボール『かたち』・高橋源一郎著「読んじゃいなよ」・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』図書館未購入・『ウォルマートがアメリカをそして世界を破壊する』図書館未購入・ペンの力:図書館未購入・銃・病原菌・鉄(上)・暗い時代の人々・バーバラ・タックマン著『八月の砲声』外大の蔵書・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・スティーヴ・スターン『どいつもこいつも昼行灯』図書館未購入・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』・『都会の鳥たち』図書館未購入・『一汁一菜でよいという提案』・中島岳志著『血盟団事件』・・・西図書館の棚で見た・新シルクロード1:楼蘭、トルファン・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想・禁じられた歌(田)・私家版鳥類図鑑(神戸市図書館では蔵書なし)<予約分受取:1/25以降> ・福岡ハカセの本棚(1/23予約、1/25受取)・自民党―「一強」の実像(7/18予約、2/01受取)・ダーウィンのジレンマを解く(1/28予約、2/03受取)・宮部みゆき『荒神』(2/02予約、2/06受取)・椎名誠著『ノミのジャンプと銀河系』(10/12予約、2/10受取)・堀江貴文著『多動力』(8/14予約、2/17受取)・ビッグデータの罠(2/15予約、2/20受取)・飯場へ(10/07予約、2/23受取)・ひとり出版社という働きかた(2/23予約、2/28受取)・ボブという名のストリート・キャット(2/9予約、3/10受取)・『今こそ、韓国に謝ろう』(8/29予約、3/14受取)【騎士団長殺し第一部】村上春樹著、新潮社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりその年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降っていたが、谷の外側はだいたい晴れていた…。それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕れるまでは。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/12予約済み、副本33、予約992)>rakuten騎士団長殺し第一部【頭に来てもアホとは戦うな!】田村耕太郎著、朝日新聞出版、2014年刊<「BOOK」データベース>より苦手なヤツほど、徹底的に利用せよ。(1)相手の欲望を見抜き(2)腰を低くして、助けを求め(3)味方にする!目標がみるみる叶う最強の「人の動かし方」。【目次】第1章 アホと戦うのは人生の無駄/第2章 臆病者のための戦略的コミュニケーションのススメ/第3章 どんな強者でも味方にする“人たらし”の技術/第4章 権力と評価の密接な関係/第5章 他人の目を気にするな/最終章 アホとではなく自分と戦え!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/26予約済み、副本6、予約108)>heibonsha頭に来てもアホとは戦うな!【オペレーションZ】真山仁著、新潮社、2017年刊<「BOOK」データベース>より国の借金は千兆円を超え、基礎的財政収支は赤字が続く。国債が市場で吸収されなくなった時、ヘッジファンドが国債を売り浴びせた時、国家破綻は現実となる。総理は「オペレーションZ」の発動を決断し、密命を帯びたチームOZは「歳出半減」という不可能なミッションに挑む。官僚の抵抗、世論の反発、メディアの攻撃、内部の裏切り者ー。日本の未来に不可欠な大手術は成功するのか?明日にも起こる危機。未曾有の超大型エンターテインメント!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/05予約済み、副本8、予約101)>rakutenオペレーションZ【アメリカ 暴力の世紀】ジョン・W.ダワー著、岩波書店、2017年刊<「BOOK」データベース>より第二次大戦および冷戦の覇者、アメリカ。そのアメリカは、どのような経緯で現在の世界の、そして自国の混沌を生み出してしまったのか。大ベストセラー『敗北を抱きしめて』の著者があらたに取り組む、アメリカの暴力の歴史。軍事をめぐる歴史と、テロなどの不安定の連鎖拡大の現状について、簡潔に、かつ深く洞察した。特別の書下ろしとして、トランプ時代を危惧する日本語版オリジナルの序文を付す。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/15予約済み、副本2、予約35)>rakutenアメリカ 暴力の世紀【カシス川】荻野アンナ著、文藝春秋、2017年刊<出版社>より7年前に彼を癌で亡くし、父を見送った私の腸に、癌が見つかった。これで私はようやく休める、私は腹の中に「楽園」を抱え込んでいるのだ。告知を平然と受け止めた私は、ともに暮らす要介護4の母との入院を心に決めた。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/20予約済み、副本3、予約30)>rakutenカシス川【菅ちゃん英語で道案内しよッ!】菅広文著、ぴあ、2017年刊<「BOOK」データベース>より「笑顔4 ジェスチャー4 英語2」。日本に来てくれた外国人の方は思っているよりも日本に詳しいです。ある程度言えば、くみ取ってもらえます。臆せずしゃべりましょう。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/28予約、副本6、予約48)>rakuten菅ちゃん英語で道案内しよッ!【わたしたちが孤児だったころ】カズオ・イシグロ著、早川書房、2001年刊<「BOOK」データベース>より1900年代初めに謎の失踪を遂げた両親を探し求めて、探偵は混沌と喧騒の街、上海を再訪する。現代イギリス最高峰といわれる作家が失われた過去と記憶をスリリングに描く至高の物語。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/25予約、副本7、予約30)>rakutenわたしたちが孤児だったころ【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha8月の果て図書館予約の軌跡117予約分受取目録R12中央図書館新着図書リスト図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2018.03.17
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図書館で『なぜ「日本人がブランド価値」なのか』という本を、手にしたのです。『今こそ、韓国に謝ろう』という嫌韓本を借りたので・・・この親日本を借りて中和?しようという魂胆でおます。【なぜ「日本人がブランド価値」なのか】呉善花著、光明思想社、2016年刊<「BOOK」データベース>より日本が“世界の行き詰まり”を救う!来日1年目の“親日”、2~3年目の“反日”そこを超えて著者が見たものは、世界のどこにもなかった“理想の大地”だった!著者渾身の“日本人論”!<読む前の大使寸評>『今こそ、韓国に謝ろう』という嫌韓本を借りたので・・・この親日本を借りて中和?しようという魂胆でおます。rakutenなぜ「日本人がブランド価値」なのか原理原則を重んじる中国人、韓国人から見ると・・・原則のないというか節操がない日本人ではないだろうか。そのあたりについて、日本通の呉善花さんはどう見ているのか、見てみましょう。p36~39<非イデオロギー国家日本> 日本には、外部からくるものを排除するのではなく、関心をもって取り込んでいく強い力が働いています。しかも、取り込んだものを独自なものに作り替え、新たな文化として形づくっていくのです。 韓国や中国には、こうした日本を「節操がない」「原理原則がない」と批判する傾向が強くあります。 どんな集団でも、何か物事を進める場合には、必ず原則を立てるものです。それは日本でも同じことですが、日本人はしばしば「いや、それはあくまで原則ですから」といういい方をします。 私は日本に来た当初、日本人のそうしたいい方を聞いて、「あくまで原則だから」とはどんな意味での原則なのかよくわかりませんでした。しかしそれが、「必用に応じて例外があってよい」原則だとわかり、それならば原則というべきものではないではないか、と思ったものです。 日本人はシビアな問題の解決については、現実的な状況の動きに応じて、あるときは原則的な解決へ、あるときは実質的な解決へと、適宜重点を移動しながら実際的に問題に対処していこうとします。それが日本人に特有な現実処理の方法ですが、そうした場面、場面で変化する日本人の姿勢や態度が、外国人には原則軽視、あるいはダブルスタンダードと映り、大きな不信感を抱かせることにもなっていると思います。 日本の外交姿勢が外国から誤解を受けることが多く、日本の真意がなかなか伝わらないのは、そこに多くが起因しているためだと考えられます。 日本人が原則を棚上げできるのは、日本社会が歴史的に非イデオロギー社会として形づけられてきたからだと思います。欧米では、キリスト教や民主主義思想に基いた価値観が軸となって、社会が形づくられてきました。また中国や韓国では、儒教の価値観やそれに基づく血縁主義を軸として社会を形づくってきました。そのほか、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教、社会主義思想などに基いた、さまざまな社会があります。 日本は外国からさまざまな宗教や思想を受け入れてきたわけですが、それらの諸国のように、一個の体系をもった宗教や思想を軸にして社会を形づくっていくことがありませんでした。それは現在でも同じことで、現代日本の社会を西欧的な近代イデオロギー社会ということはありません。(中略) 日本の社会で重要視される原則は、イデオロギー的なものではなく、社会生活上のルールだといえます。人としてあるべき道理や心情の表し方、通わせ方についての、習慣的な制度・形式です。日本の社会では、そこを基準にして、外から入ってきたイデオロギー的なものを必要に応じて採り入れ利用します。ですから、いつでもイデオロギー的な原則を棚に上げ、問題を実質的な人間生活の道理や心情に帰して話し合うことができる。そういうことではないでしょうか。
2018.03.16
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図書館で『北の空と雲と』という本を、手にしたのです。おお シーナの写真付き紀行ではないか♪【北の空と雲と】椎名誠著、PHP研究所、2017年刊<「BOOK」データベース>より「北への旅」で、出会った人々。そして、ときどき麺。仙台、酒田、盛岡、秋田、むつ、函館…ひゅるんと吹きぬけた風を追いかけて。最新フォトエッセイ集。<読む前の大使寸評>おお シーナの写真付き紀行ではないか♪・・・このシリーズは個人的にフォローしているので、まよわず借りたのでおます。rakuten北の空と雲とシーナの定番は讃岐うどんと煮干しラーメンのようだが、その煮干しラーメンを、見てみましょう。p170~<下北半島、煮干しラーメン突撃旅> たとえばどの土地へいっても必ず行く場所のポイントというものがさして打ち合わせなどなしにおさえられている。 といってもそれほどたいしたポイントというわけではなく、昼めしはその土地でいちばんうまいラーメンを食おう、という程度のものがまず必須第一項目だ。 雪はそこらの樹々にくっついているのがきまぐれな風にチラチラ舞い上がる程度で気温はマイナス三度。時間は午前11時55分。 まるで申し合わせたような絶好のラーメンひるめし時間だ。いや、実のところはそうなるように軽く申し合わせてあったのだが。行く店も決まっていた。 何度も書いているが青森といったら「煮干しラーメン」である。なぜだかわからないが北のラーメンは煮干しだしのものが多い。最近東京にもちらほたできてきたが青森にはかなわない。 でもって青森の煮干しラーメンときたらもう断然「田むら」である。ぼくはその店にこれまで5回ほど行っている。いろんな用件で青森にやってくると、とにかく無理してでもその店に行くことにしている。 繁華街からはずれた住宅地といっていいようなところにこの店はある。ひかえめな看板。宣伝もさして力をいれているわけでもなさそうだが、わかっているヒトはわかっているので何時行っても賑わっている。 このシリーズで「田むら」のことを書くのは二度目であるような気がするので軽くおくが、前回来たときは一番乗り。 クルマを駐車場に入れていりあいだにむこうから走ってくるメタボ系のおじさんがいて我々は「なんだなんだ、なにか事件か!」などと驚いているうちにそのおじさんはまだ開店前の店の入り口の先頭に立ったのであった。 したがって我々は二番手。我々のうしろに新たな客が並ぶ、ということはなかったから何も走ってまでしてびっくりあせって一番に並ばなくても・・・。と思ったけれどそのおじさんは煮干しラーメンに人生をかけているような気がした。 食券制の店だがそのおじさんは食券など買わずに「ここ、自分のとこ」という具合にいつも座っているのだろうカウンターの端にすわり「フウフウ」などと荒い息をはいている。おそらく毎日そうして一番の客となり、食券など買わずにいわゆる「帳面」の月ぎめで支払っているのだろう。我々はそのありさまを見てある種の感動をおぼえたのであった。ウン 煮干しラーメンなどという庶民的で、且つわりと奥の深いテイストがいいではないか。この本もシーナの写真付き旅行記R2に収めておきます。『北の空と雲と』1
2018.03.16
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図書館で『北の空と雲と』という本を、手にしたのです。おお シーナの写真付き紀行ではないか♪【北の空と雲と】椎名誠著、PHP研究所、2017年刊<「BOOK」データベース>より「北への旅」で、出会った人々。そして、ときどき麺。仙台、酒田、盛岡、秋田、むつ、函館…ひゅるんと吹きぬけた風を追いかけて。最新フォトエッセイ集。<読む前の大使寸評>おお シーナの写真付き紀行ではないか♪・・・このシリーズは個人的にフォローしているので、まよわず借りたのでおます。rakuten北の空と雲と復興途上の釜石を、見てみましょう。大使は仕事で釜石に行ったことがあり、土地勘もあるので懐かしいのです。p117~<絶品、釜石のクジラ刺し> 昼食を済ませてちょうど2時ごろに釜石の漁港に着いた。ここはおいしいワカメが揚がるところで有名だ。沖から帰ってきた船が何隻かあったが、ワカメはまだ半月ほど早いという。 今は、次の獲物の収穫に間に合うように網の補修をしている時期のようで、あちこちべったり座った漁師が繕いものをしていた。今はコンブ、ホタテ、ホヤ、カキなどを獲っているという。けれど明日から海が荒れるという予報で、風も強くなるから船のもやいを頑強にするためにやってくる漁師の姿もあった。■震災から5年、ようやく釣りを楽しめる 坂の町の花露辺地区にある唐丹漁港へ移動した。岩壁でのんびり釣りをしている人がいる。写真を撮るのにちょうどいいので近付いていくと、夫婦とその親らしき三人連れだった。アイナメが数匹釣れていた。釜石大観音の近くに住む消防団の人だという。「大震災から5年経ってこうしてやっと釣りを楽しめるようになりました」。若いほうの男の人がいう。「目の前に住む人は流されたし、団長は助からなかったし・・・」と生々しい話をしてくれた。(中略)■仮設の飲み屋でしみじみと三陸の海の幸を 夕方ごろ、「釜石はまゆり飲食店街」へ行った。かつてこの町での飲食のひとつの中心地は、釜石湾の近くにあった「呑ん兵衛横丁」で、24店舗もそっくり津波にさらわれてしまった。 今の「釜石はまゆり飲食店街」は内陸の鈴子町にある仮設店舗で、ここには44の飲食店が並んでいる。うち昔の「呑ん兵衛横丁」から入っている店は15店。なじみの店が9店ほど減ってしまったというわけだ。 仮設の店舗なのでどれもカウンターに5、6人座れば満員という規模だが、その時間でもけっこう賑わっている。なんとなく目指していた店は予約でいっぱい。「とんぼ」という屋号の店に入った。 カウンターには6席しかない。中年のおかみが一人。にこやかに迎えてくれた。特にメニューというものはないので、基本はおまかせである。 ビールウを飲んでいると、ナメタガレイの煮付け、メカブ、ドンコのたたき、刺身皿にはカジキ、カツオ、少し火を通したタコの刺身などがほどよく並んでいる。タラのあら汁に続いて、クジラの刺身が出てきた。 これが地元の醤油「藤勇」に合って、まことにうまい。クジラ刺しはメニューにあれば必ず食べたいぼくの好物のひとつだが、この店は本当にしみじみとうまかった。 間もなく地元の常連客らしき人々がやってきたので、入れ替わりに外に出た。雨が少し降り始めていた。今のお店のラジオかテレビでアナウンサーがしゃべっていたが、明日はやはり大荒れになるようだ。 翌日、旅はいよいよ今回一番の目的である遠野へと向かった。驟雨というのだろうか、まだ2月だからちょっと気温が下がれば細かい雪になるのかもしれない。ラグビーが開催される鵜住居スタジアムの建設予定地の横を通り過ぎる。ところどころに仮設住宅が見えて、震災の傷跡は夜も昼もまだ生々しい。
2018.03.16
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「日韓」でしょうか♪<市立図書館>・北の空と雲と・今こそ、韓国に謝ろう・なぜ「日本人がブランド価値」なのか・ロマンシエ<大学図書館>・蒲生邸事件図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【北の空と雲と】椎名誠著、PHP研究所、2017年刊<「BOOK」データベース>より「北への旅」で、出会った人々。そして、ときどき麺。仙台、酒田、盛岡、秋田、むつ、函館…ひゅるんと吹きぬけた風を追いかけて。最新フォトエッセイ集。<読む前の大使寸評>おお シーナの写真付き紀行ではないか♪・・・このシリーズは個人的にフォローしているので、まよわず借りたのでおます。rakuten北の空と雲と【今こそ、韓国に謝ろう】百田尚樹著、飛鳥新社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりこれで日韓問題は完全に解決する。楽しみながらサクサク読めて納得できる、まったく新しい「韓国大放言」【目次】第1章 踏みにじられた朝鮮半島/第2章 伝統文化の破壊/第3章 「七奪」の勘違い/第4章 ウリジナルの不思議/第5章 日本は朝鮮人に何も教えなかった/第6章 慰安婦問題/第7章 韓国人はなぜ日本に内政干渉をするのか<読む前の大使寸評>文大統領が登場以来、ますます冷え込む日韓関係であるが・・・この嫌韓本を読んでガス抜きをしようと思ったのでおます。<図書館予約:(8/29予約、3/14受取)>rakuten今こそ、韓国に謝ろう【なぜ「日本人がブランド価値」なのか】呉善花著、光明思想社、2016年刊<「BOOK」データベース>より日本が“世界の行き詰まり”を救う!来日1年目の“親日”、2~3年目の“反日”そこを超えて著者が見たものは、世界のどこにもなかった“理想の大地”だった!著者渾身の“日本人論”!<読む前の大使寸評>『今こそ、韓国に謝ろう』という嫌韓本を借りたので・・・この親日本を借りて中和?しようという魂胆でおます。rakutenなぜ「日本人がブランド価値」なのか【ロマンシエ】原田マハ著、小学館、2015年刊<「BOOK」データベース>よりアーティストを夢見る乙女な美・男子が、パリの街角で、ある小説家と出会ったー。ラスト277ページから、切なさの魔法が炸裂する、『楽園のカンヴァス』著者の新たなる代表作!<読む前の大使寸評>先日、原田マハの『あなたは、誰かの大切な人』という短編集を読んで良かったので・・・この小説も期待できそうやでぇ♪rakutenロマンシエ【蒲生邸事件】宮部みゆき著、毎日新聞出版、1996年刊<「BOOK」データベース>よりこの国はいちど滅びるのだー長文の遺書を残し、陸軍大将・蒲生憲之が自決を遂げたその日、時の扉は開かれた。雪の降りしきる帝都へ、軍靴の音が響く二・二六事件のただなかへ、ひそかに降り立った時間旅行者。なぜ彼は“この場所”へ現れたのか。歴史を変えることはできるのか。戦争への道を転がり始めた“運命の4日間”を舞台に展開する、極上の宮部ミステリー。<読む前の大使寸評>戦時中の日本へ降り立った時間旅行者ってか・・・この舞台設定が興味深いわけで、借りる決め手になったのです。rakuten蒲生邸事件************************************************************まあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き290
2018.03.15
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<『ビッグデータの罠』4>図書館に予約していた『ビッグデータの罠』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。先日の朝日の記事(ニッポンの宿題)個人データ どこまでを読むにつけ、えらいこっちゃ!ということで、この本を図書館に予約していたのです。【ビッグデータの罠】岡嶋裕史著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>よりあなたのクラウド・データは見知らぬ国に保管されている!ビッグデータはいいこと尽くめじゃない。電話番号、スケジュール、写真、ドキュメントなど、クラウドに委ねることが当たり前となった時代、膨大なデータを誰がどう管理・活用しているか知っているだろうか?無料、便利さと引き換えに少しずつ侵食される個人の情報。プライバシーを脅かす「新たな監視社会」に警鐘を鳴らす。<読む前の大使寸評>先日の朝日の記事(ニッポンの宿題)個人データ どこまでを読むにつけ、えらいこっちゃ!ということで、この本を図書館に予約していたのです。<図書館予約:(2/15予約、2/20受取>rakutenビッグデータの罠大使はビッグデータに悪しきイメージを持っているのだが・・・ビッグデータの恐さを、見てみましょう。p110~112<ビッグデータに命をあずけられるのか> ビッグデータを駆使した事例にスマートガンがある。スマートフォンが電話の改革であったように、スマートガンは銃器の改革を目指している。そもそも軍事分野はIT技術の導入に積極的である。コンピュータやOR(オペレーションズ・リサーチ)自体が軍事的な要請の元に発展してきたものであるし、近年では戦力単位のネットワーク化が著しい。 艦と艦、車と車はいうに及ばず、人と人の単位ですらリンクされ、その状態や戦力分布が一元管理される。もはや、山本五十六が後方で南雲機動部隊の動向をはかりかねていたような事態は起こり得ないのだ。 この潮流が個人の持つ銃器の世界にも起ころうとしている。ショットガンやハンドガンの電子機器化である。2000年頃にハンドグリップに指紋認証を施し、所有者本人でないと撃てない銃が提案されたが、スマートガンではそれを一歩進めて、撃つべきでない人は撃てない仕様を目指している。その判断にビッグデータが使われるのである。本当にきちんと機能すればの話だが、市街戦における民間人への誤射、狩りにおける人への誤射などを劇的に減らすことができるだろう。 ただ、今までの経緯を踏まえると、こうした技術の本格導入は容易ではない。認証機構を持った銃ですら、満足に導入されていないのだ。誤射で多くの人が亡くなっている米国ですらだ。 やはり、最終的な信用度がないのである。よく基幹システムの可能性は99.999%(ファイブナイン)が必用と言われる。24時間365日稼動のシステムで、1年間に5分しか止まってはいけない計算になる。パソコンでOSを再起動させるのにもこの程度の時間がかかってしまうことを考えると途方もなく困難な数値だが、確かに電気、ガス、水道、金融、交通といったインフラではこのくらいの精度がないと困る。 こうしたインフラがこれまでに培ってきた信頼性と比較すると、まだ情報システムの信頼性は低いのである。 情報システムの信頼性向上は喫緊の課題であり、今後大きくクローズアップされることが予想される。現在テストを行なっている自動車の自律運転システムが本格導入される際にも問題点として立ち上がってくるだろう。自動車の自動走行技術は、公道を問題なく走れる水準に達しているが、実際に公道での走行が一般開放されるまでにはまだ何段階ものクリアしなければならない課題がある。 たとえば、技術的にはどのくらい安全性が高められるかだ。今のところ自動運転車の深刻な事故は報道されていない。状況判断や接近回避の技術はすでに高い水準に達している。しかし、機械が故障するかもしれない。また、販売して実用に供する場合は、完全自動運転にするのか、あくまでドライバーのサポートにとどめるのかも明確にしなければならない。グーグルは前者の立場で、トヨタは後者の立場だ。前者は故障時の対応に不安が残り、後者は緊急事態が生起して人間と機械の判断が割れたときに、どちらを採用するのかの問題がある。『ビッグデータの罠』3:アマゾンの売り方『ビッグデータの罠』2:スマホに渡してしまったもの『ビッグデータの罠』1:監視社会の怖さ
2018.03.15
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